てらさき雄介の日記
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財団法人尾崎行雄記念財団が主催する“尾崎行雄没後50年記念パーティーに”参加いたしました。場所は永田町の憲政記念館です。
尾崎行雄氏は私の尊敬する政治家です。
300人位の会でしたが、小泉総理や河野衆議院議長をはじめとする多くの来賓が来ていました。
基調講演は中曽根元首相でした。主張は尾崎行雄氏とかなり違うとは思いましたが、日本で50年以上国会議員をしたのは尾崎行雄・中曽根康弘・三木武夫・原健三郎の四名しかいないそうですから、その縁でしょうか。
第二部の懇親会では、数人の知人に会いました。しかし政治関係のパーティーらしくないさわやかな雰囲気だったのは、尾崎行雄氏のもとに集まっているからでしょうか。
帰りに記念品で著書の「わが遺言」をもらい、学生時代以来再び読んでいるところです。
尾崎行雄氏は津久井町の出身です。
母校である明大中野八王子高校が、設立20周年を迎えました。私が一期生ですので、自分の区切りとしてもわかりやすいです。
今日は八王子のホテルで、教職員と卒業生十数名で座談会をいたしました。「テーマは男女別学と共学の違いについて」で、20周年記念誌に載せるためのものです。
私は今でも、大勢の女性の中に入るのが苦手です。迫力負けしている自分を感じるからです。
その原体験は、中学・高校が別学校だったからです。クラスは言うに及ばす、校舎やプールや食堂なども別々でした。
幸い(?)今は共学になっていますが、その違いなどについて話し合いをしました。
教職員はほとんどが、男女別の方が教えやすかったとのこと。学校教育を考える上での面白い意見だと思います。
| 2004年10月04日(月) |
まちづくり検討会、結論間近 |
合併協議会まちづくり検討会が開催されました。次回は懇親会もするということで、おそらくまとめなのでしょう。
さて、今日の議題は“合併の意義”についてです。
このまちづくり検討会の使命は、合併後の新市のビジョンをつくることです。だから今までは、あえて合併の意義や賛否そのものは議論の対象としてきませんでした。
しかしビジョンをつくりながら無理を感じたのは、“合併の意義”が何であるかでつくるビジョンが違ってくるというこです。
そのような訳で、今更ですが今日の議題となったわけです。
多くの委員の意見は多様性と積極性があり素晴らしかったです。また事務局がつくった原案も良かったです。
「この委員会でまとめた“合併の意義”は素晴らしいが、合併協議会本体のまとめと内容が乖離しては問題があるのでは」という私の意見については、「合併協議会では意義については議論していないし、そのまとめもないだろう」とのこと。
では合併協議会は一体何を議論しているのか?!
「日本を美しくする会」が主催する、“神奈川掃除に学ぶ会”に出席しました。相武台中学校をトイレを中心に掃除をしながら、心を磨くという企画です。
先約があったため中途までの参加でしたが、確かに最近掃除をしないなあと思いました。
実は私は整頓好きで、学生時代下宿(3〜4年生の一時期杉並区のアパートに部屋を借りてました)に来た友人は「意外だ!」とびっくりしたものです。
ただ床やトイレを磨くことなどは、ほとんどしません。今日は貴重な機会でした。会社の研修の一環で来ている方が多かったようですが、主催者の皆さんの意気込みには感動いたしました。
ちなみに、この会の事務局は中田宏横浜市長の個人事務所です。そこに唯一いる男性職員は、学生時代に新生党学生塾で一緒にやった同級生で、彼に久しぶりに会えたことも嬉しい収穫でした。
| 2004年10月02日(土) |
てらさき雄介レディース |
ご支援いただいている女性の皆様による食事会を開催いたしました。
席上これをひとつの“会”にすべきとのご意見をいただき、話し合いの結果「てらさき雄介レディース」を結成していただきました。
日本の政治の問題点のひとつは、女性の声が届きにくいことです。日頃からご意見をいただくことによって、不肖てらさき雄介が女性の声を代弁してまいります。
多くの方にご参加いただきありがとうございました。
| 2004年10月01日(金) |
善意の皆さんと赤い羽根の意味 |
ダイエー上溝店に買い物に行ったら、地元有志の皆様が募金活動をされていました。日頃お世話になっている方々でもあり、募金をいたしました。そして赤い羽根をつけていただきました。「次は頑張ってね」と皆様から言っていただき、今日はこの一言で元気に過ごせました。
その後電車に乗るべくJR相模原駅に行ったところ、日中にも関わらず市幹部の皆様が同じく募金活動をされています。募金箱をもっているのは何と市長です。さっきダイエーでいただいた羽は捨ててしまったため、素通りもできず二度目の募金です。また赤い羽根をつけていただきました。
赤い羽根をつけて歩くのも恥ずかしいので、申し訳ないと思いながら再び捨ててしまいました。(すいません)
横浜線に乗って「しまった」と思ったのは、京王線に乗り換えるとき橋本駅で、また募金活動をされてるのでは・・・。
案の定、橋本駅でもお世話になっている方が募金されてます。これで三度目の募金です。
悪いことをしているわけではなく、また募金額が些少であったため、全く苦ではありません。むしろすがすがしい気持ちです。
しかし善意の象徴であるだけでなく、既に済ませましたという意味が赤い羽にあったとは、その日他の方から教えていただきました。
| 2004年09月30日(木) |
米陸軍第一軍団司令部の座間移転 |
現在ワシントン州にある米陸軍第一軍団司令部を、座間キャンプに移す方針との噂があります。
大分以前から漏れ伝えられ、相模原市と座間市の両市が政府に反対の意向を伝えています。
小泉内閣の今回の組閣で新たに就任した補佐官の役割に、この米軍の再編問題があると言われています。
もし米軍が抑止力としての役割を果たし続けるのなら、兵隊の増員を伴わない司令部の移転はむしろ歓迎すべきでしょう。
しかしイラクの件でも明らかになったように、抑止力というプラスのみでなく、結果アメリカの敵を日本の敵にしてしまうというマイナスもあります。
日本の安全保障を戦略的に見つめなおすべきです。結果現在の日米安保条約は、その中身を変えていかなくてはなりません。
お陰さまで本日33歳になりました。「てらさき雄介25歳」から既に8年経ちました。はやいものです。
日本の政治は極端に高齢化しているため、まだまだ若手で通用しますが、古今東西33歳がそんなに若いわけではありません。
年をとったことに特に感慨はありません。むしろ現在の境遇のせいか、あせる気持ちが大きいです。
坂本竜馬が亡くなったのは33歳です。彼は浪人で事を成しましたが、私は自他ともに認める第一線に出て仕事がしたいです。
引き続きよろしくお願い申し上げます。
| 2004年09月28日(火) |
歴史の新たな発見・・びっくりしました |
『アジア映画に見る日本』(社会評論社刊)を読んでいました。この本は、アジア各国の映画で、日本と日本人がどのように描かれているかを記したものです。
朝鮮半島や中国の映画についてはメジャーになりつつありますが、その他のアジア各国の映画については私もよく知りません。
その本のなかの「タイ映画のなかの日本人」という章には、タイの歴史についても触れられています。
(日本で言う)戦中、タイは日本の侵略を受けず、独立を保っていました。しかし政府は影響を受け、プビン首相による親日政権ができまました。
戦後親日派は追放されましたが、プビン首相は1957年に失脚するまでその地位にありました。
以上、ここまでは普通の歴史書に書いてあります。
さてさて、びっくりしたのはその後です。
この本には「プビン首相は失脚後日本に亡命し、1964年相模原で亡くなりました」とあります。
1964年とは昭和39年、東京オリンピックの年です。
親日政権であったことから日本に亡命したことは推察できますが、その後いかなる経緯で相模原にやってきて、どこにお住まいだったのか。お墓はどこにあるのか。非常に関心があります。
しかし情報がありません。知っている方是非教えてください。
「プビン首相」自体、ネットで検索しても「マレーの虎」系か、「ハリマオ」系で名前が出ているくらいです。失脚後の足取りはありません。
私が一番知りたいのは、「何故相模原市に来たのか?」です。
| 2004年09月27日(月) |
伊藤達也代議士が金融担当大臣 |
私が秘書をしていた伊藤達也代議士(東京都第22区)が、今回の内閣改造で金融担当大臣に就任いたしました。
今までは同副大臣であったのですが、大臣だった竹中平蔵氏が郵政担当大臣となったため、金融部門を任されたものです。
いわゆる派閥推薦リストに基づく組閣であったなら、恐らく選ばれることは無かったと思いますが、ここは小泉総理の評価できるところでしょう。
午前中のニュースで新しい自民党幹事長の名前を聞いて、一気にその後の関心を失い、閣僚名簿を見たのは先ほど帰宅後のインターネットです。伊藤代議士の名前を発見し、正直びっくりです。
個人的感情丸出しですが、とても良かったです。
こんなことを言うのも僭越ですが、私と一緒で選挙はあまり強い方ではありません。しかし政策一本で真面目に活動していれば、いずれ機会が与えられるということでしょう。
伊藤代議士は43歳ですから、本当に将来の総理候補ですね。
私とはいまや川の岸が反対になってしまいましたが、非常に大切な国難の時期です。大臣としてのご活躍を心より祈っております。
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