てらさき雄介の日記
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2004年09月29日(水) 33歳になりました

お陰さまで本日33歳になりました。「てらさき雄介25歳」から既に8年経ちました。はやいものです。

日本の政治は極端に高齢化しているため、まだまだ若手で通用しますが、古今東西33歳がそんなに若いわけではありません。

年をとったことに特に感慨はありません。むしろ現在の境遇のせいか、あせる気持ちが大きいです。

坂本竜馬が亡くなったのは33歳です。彼は浪人で事を成しましたが、私は自他ともに認める第一線に出て仕事がしたいです。

引き続きよろしくお願い申し上げます。


2004年09月28日(火) 歴史の新たな発見・・びっくりしました

『アジア映画に見る日本』(社会評論社刊)を読んでいました。この本は、アジア各国の映画で、日本と日本人がどのように描かれているかを記したものです。

朝鮮半島や中国の映画についてはメジャーになりつつありますが、その他のアジア各国の映画については私もよく知りません。

その本のなかの「タイ映画のなかの日本人」という章には、タイの歴史についても触れられています。

(日本で言う)戦中、タイは日本の侵略を受けず、独立を保っていました。しかし政府は影響を受け、プビン首相による親日政権ができまました。

戦後親日派は追放されましたが、プビン首相は1957年に失脚するまでその地位にありました。

以上、ここまでは普通の歴史書に書いてあります。

さてさて、びっくりしたのはその後です。

この本には「プビン首相は失脚後日本に亡命し、1964年相模原で亡くなりました」とあります。

1964年とは昭和39年、東京オリンピックの年です。

親日政権であったことから日本に亡命したことは推察できますが、その後いかなる経緯で相模原にやってきて、どこにお住まいだったのか。お墓はどこにあるのか。非常に関心があります。

しかし情報がありません。知っている方是非教えてください。

「プビン首相」自体、ネットで検索しても「マレーの虎」系か、「ハリマオ」系で名前が出ているくらいです。失脚後の足取りはありません。

私が一番知りたいのは、「何故相模原市に来たのか?」です。




2004年09月27日(月) 伊藤達也代議士が金融担当大臣

私が秘書をしていた伊藤達也代議士(東京都第22区)が、今回の内閣改造で金融担当大臣に就任いたしました。

今までは同副大臣であったのですが、大臣だった竹中平蔵氏が郵政担当大臣となったため、金融部門を任されたものです。

いわゆる派閥推薦リストに基づく組閣であったなら、恐らく選ばれることは無かったと思いますが、ここは小泉総理の評価できるところでしょう。

午前中のニュースで新しい自民党幹事長の名前を聞いて、一気にその後の関心を失い、閣僚名簿を見たのは先ほど帰宅後のインターネットです。伊藤代議士の名前を発見し、正直びっくりです。

個人的感情丸出しですが、とても良かったです。

こんなことを言うのも僭越ですが、私と一緒で選挙はあまり強い方ではありません。しかし政策一本で真面目に活動していれば、いずれ機会が与えられるということでしょう。

伊藤代議士は43歳ですから、本当に将来の総理候補ですね。

私とはいまや川の岸が反対になってしまいましたが、非常に大切な国難の時期です。大臣としてのご活躍を心より祈っております。


2004年09月26日(日) 新横浜へ何故か週3回

先週は何故か(といってももちろん用事があってのことですが)新横浜へ3回も行きました。

改めて街を見てみるといわゆるオフィス街です。新幹線の駅をつくったときの期待通りなのかはわかりませんが、人通りは多くあります。

神奈川県議会議員とは県内全域を考えるのは無論のこと、更に広域にわたっての行政を担当いたします。

日曜日には、民主党岡田克也代表の講演を新横浜プリンスホテルで聞くために行きました。

何故会場を新横浜にしたのかと聞いたら、県内各地から集合しやすいのみでなく、東京都心から最も近い(時間的に)とのことです。

県北の拠点は東に新横浜、西に橋本とありたいものです。

岡田氏の講演は非常にわかりやすかったですが、優しいキャラクターのせいか面白みはあまりありませんでした。

講演後の意見交換でも、もっとはっきりと自民党との違いを出すべきとの厳しい発言が党員からありました。


2004年09月25日(土) 座間市議選の応援に行きました

座間市議選(投票日9月26日)に立候補している佐藤ミトさんの応援に行ってきました。

同行した友人と一緒に自転車部隊で、夕刻まで座間市内を巡りました。

ポスター掲示板をみたところ、30代の候補者は全部で4人。そのなかで女性は佐藤ミトさん(34歳)だけでした。

お子さんを4人も育てているとは思えないか弱さで、それでも頑張っている姿は座間市民の共感を得ることでしょう。また、演説などでの主張もしっかりしていて、議会でもしっかり仕事ができると思いました。

座間市にいらっしゃる私の友人・知人の皆様には、既に佐藤ミトさんのパンフレットをお送りしていますが、よろしくお願い申し上げます。

ちなみに同じ地域から出ている現職の方は、何と9期目の挑戦。4年×8期=32年=私の年齢と一緒。うーんすごい。後進に道を譲ってほしいものです。


2004年09月24日(金) 地方議員報告会が開催されました

党支部主催で初の地方議員報告会が開催されました。私は現役ではないので、当然一参加者として聞き役です。

このような企画を政党として主催することは、非常に意義深いと思います。

本村県会議員、長友・小池・大沢市会議員の15分ずつの報告のあと、質疑応答がありました。

私も皆さんに是非聞いてみたいことがありましたが、私が発言すると妙な勘ぐりを入れる面々もいるので、止めました。

良い点のみ言うと、皆さん改革志向であることです。

現状に疑問を感じ、とにかく改革するのだという意志は、同じ党員として嬉しいものです。

一方、ある方の質問にあった「どういうビジョンで、改革を考えているか」については、恐らく「どういう社会を実現したいのか」という意味だと思いました。この点について、明確な答えがでなかった方もいたのは残念です。

とにかく議会で何もできない私は、皆さんの活躍に期待するしかありません。本当に期待いたします。





2004年09月23日(木) 花博へ行きました

藤井裕久代議士の後援会が主催する花博ツアーに、私の後援会でバスを一台仕立てて参加いたしました。

朝早くから参加いただいた皆様には感謝に耐えません。ありがとうございました。

藤井代議士も私たちのバスに数十分乗車いただき、「民主党がより身近になったと」と参加者の方から伺うこともできました。

花にあまり興味がないもので(すいません)、会場でもひとつの立派な公園として堪能した次第です。






2004年09月22日(水) 国民を必死に守る姿勢を持ってほしい

愛国心を育てようと国は言います。しかし国は国民を本当に愛しているのでしょうか。

イラクで人質事件が起きた時、政府内部に自己責任論が出たのは残念でした。どのような経緯があるにしろ、政府が国民の生命を守るべきです。例え無理でもその姿勢を必死で示すべきです。

アメリカでは、戦場に取り残された兵士を救出する部隊があります。その掟は“例え死体でも連れて帰ること”だそうです。

北朝鮮による拉致の問題だけでなく、多くの件で国が国民に冷たいと思うことがあります。

国民に対して冷たいのですから、他の国の人に対しては言うに及ばすです。残念です。

とりあえず、中国内で死線を彷徨っている脱北者を救出する努力をすべきです。そういう戦争責任の取り方もあるはずです。非人道的なことをした責任は、人道的は行為によって償われるべきです。

しかし国家というのは、ここまでして守らなくてはならないのかと、今テレビを見ながら北朝鮮と中国を見ていて思いました。

かくいう日本もです。もっと国民を愛する国でありたいです。

私は決してアナーキー(死語か)ではありません。念のため・・・。



2004年09月21日(火) 常任理事国入りは疑問

湾岸戦争くらいからでしょうか。あるいはそれ以前からか、外務省は国連安保理の常任理事国入りを目指して様々な交渉をしてきました。

総理の発言はじめ政治ベースで語られてきたことを見ると、既に事務ベースでの根回しは完了したということでしょう。

つまりこのままいけば、日本は常任理事国になるということです。

この問題は、国民投票にかけなくてはならないほど大きな課題です。

現行憲法の枠内ですると総理は言っていますが、ポイントはそこではありません。どうガードをしても、世界中の安全保障に関わっていかなくてはならないという責任が生じるのです。軍隊を出さないまでも、経済的に世界に進出している日本は否応なしに、様々な紛争により巻き込まれていきます。

例えばアメリカのように、世界情勢に積極的に関わっていくことを国益に結びつけられればいいです。しかしその能力が日本の政治にあるでしょうか。残念ながら心もとない状態です。

綿密な情報分析と、それを活かす能力なきまま常任理事国になることは、結果負担を大きくし敵をつくってしまいます。

政府は自信があるからやっているのでしょうが、疑問です。このテーマは既存の政党の枠組みではくくれません。意見を封殺することなく、喧々諤々議論すべきです。


2004年09月20日(月) 市民団体の例会に出席しました

NPO法人相模原市民会議の定例会に出席しました。入会して半年経っていないためか、討議の内容がピンとこなく、基本的にずっと聞いていました。

この団体は、市立市民活動サポートセンターの運営を受託している団体で、その他各種市民団体のコーディネートや交流などを自主事業として行っています、

当たり前ですが、こういう市民団体をやっている皆さんは完全ボランティアで、忙しい仕事の合間に活動しています。

市内の各種団体を見渡してみると、その活動自体がまちづくりに資している部分も大きいですが、より貴重なのはその活動を支えている各人の情熱です。

この情熱を有機的に結びつけていくことが大切です。

政治もそうですが、ひとりひとりの思いはプラスでも、集団になるとマイナスが目立つことがあります。

幸い相模原市においては、多くの市民活動は緒についたばかりです。これから良い方向に向っていけるよう頑張ります。


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