てらさき雄介の日記
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2004年07月05日(月) 議会で質問している夢

議会で質問している夢をたまに見ます。寝ながら見る夢です。

県議会は見たことがないので、見るのは市議会での夢です。

起きたとき詳しく覚えていませんが、かなり威勢のいいことを言っていたようです。現実よりも・・。

同僚の議員の顔も色々で、不謹慎にも民主党の岡田代表が隣に座ったりしています。

そして市長席には○○が。別に意味深ではありませんが、時節柄誤解を招いてもいけないので○○で失礼します。

現実に戻ったとき、ああ今は議員ではないんだと思ってがっくりすることもありますが、そういう意味ではいい夢ということでしょうか。

決してグチではありません。

議会での姿を夢に見れるのが嬉しいのです。


2004年07月04日(日) 織田信長 “夢幻の如く”

私は大の漫画好きです。好きな漫画家は何人かいますが、本宮ひろ志は十数年来のファンです。

今日夕飯を食べたところに、同氏の著作である「夢幻の如く」がありました。久しぶりに読みいってしまい、通算3巻ほど読破し、また近いうちにここで飯を食べようと思いました。続きを読むためです。

“人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり”

織田信長が桶狭間に出陣する時に、家臣の前で舞いながら読んだ詩だそうです。タイトルはここからとったのでしょう。

物語は、本能寺の変を生きのびた織田信長が、海を渡り世界征服にむかうというものです。完全フィクションですので、内容について批判されても困りますが、とても面白い漫画です。

人間五十年ならば、私は既に半分を過ぎています。いや、定年六十年の現代でも然りです。

支配者の何人かは永遠の命を求めて様々な手法を模索しましたが、人生は有限であるが故に頑張れるのかもしれません。

半分過ぎてしまった、もう若くない私に何ができるのか。迷いますが、今は自分で決めた道を少しでも進んでいきます。


2004年07月03日(土) 参議院も比例代表選挙?

選挙制度が複雑です。これは理念を明確にしながら制度をつくるのではなく、その都度の政党間の都合でつくるからです。

参議院の制度は、有権者の皆さんに2票投じていただくことになります。

一票は「選挙区選挙」で、これがかねてからこの日記にも登場している浅尾慶一郎さんが立候補している選挙です。

二票は「比例代表選挙」で、普通は政党名で投じますが、参議院の場合は個人名を投じることによって、結果その所属政党の得票となります。

この「比例代表選挙」のルールについてです。比例代表選挙は獲得した票の多い政党から、案分で議席が与えられます。これは全ての比例代表選挙共通です。ではその獲得した議席分、誰を当選させるかを政党は決めなくてはなりません。

衆議院の場合は順位がついている名簿を最初からつくっておいて、10当選なら、名簿10番まで当選できるわけです。これを「拘束名簿」といいます。

参議院の場合名簿に順位がついていません。ではどうやって順番を決めるのか?そのために政党名ではなく、個人名で投票いただくのです。この個人名での得票の多い順に、その政党が獲得した議席の範囲内で当選していきます。

更にややこしいのは、とにかく民主党だが人は誰でもいいと言う人には、政党名での投票も認められていることです。

参議院は本来衆議院とは違った機能があります。しかしその趣旨にあわせて、選挙制度をしっかりしなくては、参議院そのものの意義が失われます。

今日街宣車に乗った比例代表の候補者は、「参議院議員は衆議院と同じような政党や政局ベースの発想ではいけない」と訴えていました。同感です。

「比例代表選挙」のような政党を選ぶ制度ではなく、多少一票の格差ができても、県や関東といった単位で数人を選ぶ選挙にすべきです。

有権者も政党のみを判断材料とせずに、個人の評価を大きくすべきかもしれません。

どうやって?それを一緒に考えていきましょう。


2004年07月02日(金) フセイン裁判

イラクのフセイン元大統領の裁判がありました。

一番印象的だったのは、フセインが判事に向って言った「あなたはいつから判事をしているのか」質問と、判事の「あなたの統治時代からやっていて、改めて連合国に任命された」の返事です。

イラクは過酷な独裁国家でしたのでやむを得ないわけですが、この判事もフセイン体制の一員だったわけです。

政治の常ですが、恐ろしいものです。

もはや権力の座を退いたフセインを追及することは、過去に隠された多くの真実を明らかにすることのみに価値があります。

当然その中にはイラクを軍事大国にしてしまった、過去のアメリカとの関係も入るべきでしょうが、それはテーマに上らないでしょう。東京裁判も一緒ですが、現在の国際裁判はそんなものです。

一日もはやく国際司法裁判所の機能を拡大し、一部の国に依らない裁判にしていくべきです。


2004年07月01日(木) 今日は浅尾夫人DAY

先日の日記でも書いたとおり、参議院選挙は選挙区が広いので、候補者は一日しか相模原市にきません。その日は既に終了しました。

代わりといっては何ですが、浅尾さんのご夫人が相模原市に来て、午前中のみ私と挨拶まわりをいたしました。

選挙運動を数多くしてまいりましたが、誰かの夫人を連れてまわるのは始めての体験です。

発見したのは、候補者本人よりも夫人の方が、先方が身構えないというか、話しやすいというか、とにかくうけが良いところもあったことです。

自分の選挙の時に妻がまわってくれた現場を直接は見てはいませんが(二人別々でまわっていたため)、きっと妻のことを気に入って投票下さったかたも多数いたことでしょう。

改めて感謝です。


2004年06月30日(水) 相模原元気隊の交流会に参加しました

以前からお付き合いのあった「相模原元気隊」の交流会に参加しました。この会は、学生さんと社会に出て少しの皆さんで構成されており、市内でのネットワークの構築を目的にしています。

公民館を使用したので、アルコール抜きですが、呼ばれた社会人同士の交流もでき有意義でした。

まちづくりの現場になかなか若い人が出てこない相模原市なだけに、今後の活動に期待しております。


2004年06月29日(火) Noネクタイに、出来ればなるといいなあ・・・

私はネクタイに思い入れはありませんし、つけるべきという信念もありません。従って毎日着けながらも、このシーズンになると外したくなります。

同時に外すべきという考えがあるわけでもないので、まわりの目を気にしてつけています。

参議院選挙の街宣車に乗るときは、これ幸いとスタッフジャンバーを着て、その中はTシャツだったりします。それだけで終日楽なのも事実です。

横浜中田市長はNoネクタイを実施し、役所内や議会もそれにならっているとか。

相模原もNoネクタイに、出来ればなるといいです。


2004年06月28日(月) 今日は浅尾慶一郎DAY

参議院選挙は期間が長いとは言っても、選挙区も広いので(神奈川県全域)候補社本人が相模原市にやってくるのは一日のみです。それが今日でした。

朝橋本駅で駅立ちをして、その後街宣車を中心にほぼ一日行動をともにしました。夜は演説会も開催し、多くの方にお話しを聞いていただくことができました。

選挙告示以来、若干ですが民主党にいい風が吹いているのを感じます。しかしこれは微妙な風である分、やんでしまうかもしれませんし、なにより投票率が上がらなくてはいけません。

最後までお会いした皆さんに訴えていきます。


2004年06月27日(日) 芹沢鴨は本当に悪者か

今日の大河ドラマ「新撰組」で佐藤浩一扮する芹沢鴨が暗殺されました。今回のドラマでは比較的良い描かれ方でしたが、過去の映画などではだいたいは芹沢鴨は悪役です。これは近藤勇や沖田総司を主人公にしたものが多いため、結果的にそうするしかなかったのでしょう。

今の価値観で当時の善悪を語ることはできませんが、街中での粗相や無頼漢ぶりは、新撰組全体共通のものだったと正史ではほぼ明らかになっています。つまり芹沢鴨のみが特にどうこうではないということです。

世界観はどこまで行っても相対的なものである、とまでは割り切ってはいませんが、少なくとも異なる見方があることを認めることは必要です。

夜遅くにNHK特集で、アメリカとイスラムの対立について放送していました。この番組を見ても思いましたが、一連の対立と紛争について同盟国アメリカではなく、イスラムの側に心情的に味方してしまう自分がいます。

何故だろうと考えることもあります。強いものが嫌いなのか、イラクの空爆を日本への空襲とダブらせてしまうからか、旅の最中イスラム教徒は特に親切であったことか、理由はたくさんあります。

アメリカ的志向が大勢を占め、かつその反対にいるイスラムを「悪」とする一方的見方に反発していることが最も大きな理由だとも思います。


2004年06月26日(土) 明治大学校歌を唄いながら、君が代を考える

私は君が代をきちんと唄います。しかし国歌を唄うことが愛国心の表現であるとする意識は疑問です。愛とは内なるものであって、外に出すときは慎重にしなければなりません。

教員が学校現場で君が代反対を訴えることは問題があります。その意見は職権によってではなく、ひとりの主権者として学校の外で言うべきです。

しかしそれが子どもであるならば、強制で唄わせるべきではなく、そのこどもの話しをきちんときいてあげるのが教育だと思います。

今日明治大学の校友会(OB会)相模原支部総会があり、校歌を皆で唄いました。本当にこの唄は大好きです。学生時代にも飲んだ後に、明大前や御茶ノ水の駅や、新宿のコマ劇や区役所前でよく歌いました。周りの迷惑をかえりみず、気持ちよかったです。

何故気持ちよかったか。どうしてまた唄いたいと思ったか。これは皆が自主的に歌っていたからです。

私は付属校出身ですので校歌は高校時代も一緒ですが、当時はあまりしっかり唄っていませんでした。強制されているという意識があったからだと思います。

君が代を大きな声で唄えるこどもが、果たして良いこどもなのかは正直わかりません。しかし社会がそれをこどもたちに唄わせたいとするならば、国歌とは、君が代とは、天皇とは、何かということをしっかり子どもと話すべきです。意味を教えずして、機械的に唄わせている現状が散見されます。

繰り返しですが、私は君が代を唄います。しかし他に唄っていない人を見ても特段どうこう思わないのは、自分のどこかに唄っていることへの迷いがあるからです。

賛成!反対!とはっきり言い切れるほど簡単な問題ではありません。歴史の象徴であるということは、そこに多くの人々の思いが連なっているからです。深い内容ですが、考え続けていきたいと思います。


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