てらさき雄介の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年04月11日(日) イラク人質事件での二つの思い

私は天邪鬼なのでしょうか。どうもこの事件についての報道の仕方、議論のあり方に疑問を感じます。

政府が何と言っているかは別にして、イラクはどう見ても戦場です。今回人実になった3名の方も、だからこそ救援に向ったのだと思います。そしてNGOの原則は自己責任です。その行為によって政府の政策が左右されるようなことはあってはなりませんし、またNGOの方も期待していないと思います。

マスコミのあり方も疑問です。人質になった方の家族の映像に何の意味があるのでしょうか。家族の心境は察するにあまりありますが、それを加えて映像にすることに何の意味が?「これだけ家族が困っているのだから、自衛隊を撤退すべき」とまで言い切るのならまだしも、そうでもありません。つまりワイドショー根性ということです。自衛隊派遣に元から反対している私も、この報道のあり方はよくわかりません。

さて政府です。NGOは自己責任と言いましたが、その意味は政府の政策がそれによって変更されてはいけないということです。しかし、それがどんな経緯であったにしろ、国家の意味は国民を守ってこそあります。もっとがむしゃらに、一生懸命人質になった方々を助ける努力をすべきです。最近愛国心を教育現場などで強制する意見がありますが、何をか言わんやです。国が必死で国民を守れば、愛国心は自然に醸成されます。

人質の自己責任と、政府の弱さ。この決して矛盾しない二つを思いました。


2004年04月10日(土) 久々に街宣車乗車・・・そして思う

参議院選挙の運動で、とても久しぶりに街宣車に乗りアナウンスいたしました。最初は調子が出ませんでしたが、徐々に声が響くようになってきました。

ここでまた悩みです。街宣車で名前を連呼することに何の意味があるのか!?自分自身多々経験しながら、いまだに疑問です。

街宣車で政策を訴えることは、まず不可能です。とすると、街宣車を皆んなで禁止すればいいのではないか。そう思います。冠婚葬祭への寄付の禁止など、あまり政治家として意味のないことは、皆で禁止してきた経緯もあります。街宣車もその対象とすべきかもしれません。


2004年04月09日(金) 小田急線の上溝延長

「小田急線が上溝に来るんだって?」と近所の方に質問されました。そんな事実はないということを説明いたしました。

事実は、それを相模原市が希望しているということです。小田急電鉄に要望書を出していることは事実ですが、現状では実現は困難です。

この種の誤解は他にもよくあります。行政の説明不足もありますが、責任は各種議員に大きくあります。

選挙の際に、「小田急線が上溝まで来る」「リニアモーターカーが橋本に来る」「相模線に作の口駅ができる」などなど、できもしないことをあたかもすぐに実現するかのように言っています。

まあ、現在の民意がそれで「あの人に投票しよう!」とはなるはずもありませんが・・・。主張の良し悪しは別にして、少なくとも市民が誤解しないような正確な訴えが必要です。


2004年04月08日(木) 独裁は何故いけないか

独裁は何故いけないのしょうか。少なくともアメリカと、その同盟国である日本では「悪」とされています。フセイン大統領などは、その映像のみで“悪の権化”になっていました。

相手の考え方を尊重するのが民主主義であるのに、民主主義の解釈自体については狭い考え方が蔓延している気がします。

民主主義が「善」であるという表現は適当ではありません。民主主義は制度でしかなく、その結果としての社会の姿で評価ができます。しかし独裁政治は、その政治の中身がどうにしろ「悪」であると考えます。

何故か。人々から税金を集めるという“強制”をする権利が、人民自身にしかないからです。言い方を変えれば、法律の適用など“人を傷つける行為”をすることも人民自身にしかありません。

以上は学説でなく、私の意見です。冒頭にも書きましたが、民主主義は多様性こそ重要です。違った民主主義観を抱擁し続ける努力を、政治に携わる人間はしなくてはなりません。


2004年04月07日(水) 合併協議会に応募します

相模原市と城山町、津久井町、藤野町の任意合併協議会が設立されました。第一回会合が30日に開催されます。

協議会のなかに「まちづくりの将来ビジョン検討委員会」という一般公募による会議体ができます。その公募に立候補することにしました。手続きは簡単ですが、人数が1市3町あわせて30名程度ということで、任命いただけるかはわかりません。

相模原市の将来を大きく左右する合併について、深い議論が行われていない現状があります。何とか発言の機会を求めたいと考えていたところ、この公募がありました。

審査するのは市役所ですので、迷惑がられるかもしれませんが、結果については改めてご報告いたします。


2004年04月06日(火) イラク統治は何のためか

イラク国民の6割はシーア派だそうです。その指導者を連合軍政府が指名手配し、幹部などが逮捕されています。報道を見ていると、混乱を収めるためとのことですが、「暴徒?」の要求はアメリカ軍の撤退だそうです。

日本国憲法が制定されてから半世紀が経ちました。9条が大きくクローズアップされますが、他にもこの憲法には議論すべき点があります。それは、アメリカンデモクラシーは日本に馴染むのかということです。答えは否です。自分自身政治の世界にいて、どうもしっくりこないことが多々あります。

民主主義は、現在の世界において最良の制度だと思いますが、そのあり方はそれぞれの国によって違ってしかるべきです。一部の国の基準で、どこがより民主的かなどを図るべきではありません。日本がこれから行う憲法論議は、日本独自の民主主義のあり方を模索するものでなくてはなりません。

さてイラクです。イラクにも彼らのつくる民主主義があります。大切なのは、これからつくる議会と憲法が、イラク国民のものであることです。これから数十年経ってから、「イラク人による憲法を」などと言うことが言われないように、連合国は過剰な介入をすべきではありません。



2004年04月05日(月) 新小倉橋と公共工事

とても久しぶりに、妻と夕刻からドライブをしました。目的は八王子での花見です。公園に桜が多く咲いていて、屋台など出ていました。桜の多さでは相模原の桜並木の方が圧倒的ですが、座敷をひいて宴会などしている風景も、これはこれで良いなと思いました。

帰りは少し迂回して津久井経由です。新小倉橋を初めて通りました。橋を渡ったあと、戻る際に以前の橋を通ると、とても懐かしい気がしました。合併すれば、ここも相模原市です。身近で嬉しく感じました。

さて、この新小倉橋は完成によって周辺の交通が明らかに便利になりました。結果が出た公共事業ということです。とかく高速道路建設や整備新幹線を、無駄な公共事業と批判する方が多いです。しかしお金がかかるから悪というのは、公共事業の評価の仕方ではありません。その事業にしっかりした目的があり、結果達成されたのかがポイントです。

悪い例です。渋滞がひどい交差点を改良した結果、更に渋滞がひどくなることがあります。これこそ無駄な公共事業です。ちなみに私の住まいのそばに、そういった場所があります。

他の施策も一緒ですが、一度完了してしまうと後から検証しないのが行政の慣習でした。しっかりした事後評価を行うことによって、公共事業の中身も向上していきます。


2004年04月04日(日) 市制50周年の意味とは

今日も桜まつりです。第31回桜まつりのサブテーマは“市制50周年記念”です。

そもそも周年の意味とは何でしょうか。区切りをつけることによって、過去を検証し未来にいかすこと。そして先人の努力に感謝し、それを刻んでいくことです。

本年度の相模原市の予算書のなかに、麻溝公園の整備がありますが、その理由に何と「市制50周年を記念して・・・」とあります。一体何の関係があるのでしょうか。実はその他にも、中身に目をむけないための形容詞として、大切な周年を使う傾向があります。

かみしめて使うからこそ、50周年は意味があります。深く考えないならば、使わない方がいいと思います。


2004年04月03日(土) 今日は桜まつりです

今日は桜まつり(正式には相模原市民まつり)です。陽気もとても良く、多くの参加者で大賑わいでした。

まつり当日は毎年、青年会議所のメンバーとしての活動が多いですが(実は桜まつりの実行委員長は青年会議所理事長なのです)、あわせて時間を見つけて、知り合いのテントなどを挨拶まわりしました。まつりはいいものです。応援してくれるかくれないか、そんなことを考えずに日頃ご無沙汰している方とお話しができます。

まつりは、地域に密着してこそ意味があります。上溝夏まつりや新磯の大凧まつりなどは、その良い例です。これらは年月を経ての伝統行事でもあります。また何らかのかたちでまつりに関わっている人数が、その地域のなかで多いことも特徴です。

一方比較的最近に、行政などが主導でおこしたまつりもあります。この桜まつりもその一つですが、30年の時を経て、完全に市民まつりとして定着いたしました。しかし残念ながら、他のいくつかのまつりに参加してみて、行政の補助金なくして成立たないようなものも多数あります。

数年やってみて地域に根付かなければ止めてしまうなど、今一度精査しなければなりません。


2004年04月02日(金) ポスターは必要か

来る参議院選挙に向けて応援している、浅尾慶一郎参議院議員のポスターを、日中貼ってまわりました。県議選の際には、自分のポスターも数百枚貼りました。

しかしいつも思うのは、ポスターは本当に必要か、一体政治活動として何の意味があるのかということです。私もやっている以上原罪を背負っていますし、今後もポスターは貼ると思います。

ただ数十年後、こんなものが必要ない政治を実現したいとも思います。




てらさき雄介 |MAILHomePage