てらさき雄介の日記
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2004年03月27日(土) 相模原地域大学での講演

市民団体である「相模原地域大学」の講演会に出席しました。所用のため遅れての参加ですが、講師である法政大学田中充教授の環境問題についての講演は意義深かったです。

同じく市民団体の「境川の斜面緑地を守る会」を例に挙げながら、行政と市民との協働などの現在的テーマも取り上げられていました。

生活「環境」から地球「環境」まで、非常に幅が広いのが環境問題です。どれも個人の意識が重要です。と言うのも、経済の発展や生活の向上など、現在の政治が目的としていることと相反する場合があるからです。「環境は票にならない」と言われているかは別にして、環境政策は地方政治の現場ではいまだ主要な課題にはなっていません。更に言えば、政府の中で環境省は序列が高くありません。

「経済効率を優先する社会のあり方を転換する」ことは、私の基本的スタンスであります。この環境問題を見ていると、現在の政治の課題が明らかになります。


2004年03月26日(金) ニコマタでの打ち合わせ

ニ子玉川で青年会議所に関係する打ちあわせをいたしました。その会場にしてのが、駅前の高島屋内の喫茶店です。

さて高島屋といえば、相模大野西側再開発において駅前ビルの核テナントテントに予定されていました。市と出店に関する覚書を交わしながら、それを反故にされました。結果相模原市民は、高島屋にばかにされたようなものです。議会から出向していた都市計画審議会で、担当者に「高島屋は本当に大丈夫ですか?」と、私のみでなく多くの委員が確認したにも関わらずの失敗です。

そのような経緯もあり、高島屋にはあまり良い印象をもっていなかったですが、店内を歩きながら思うことはそのおしゃれなこと・・凄いですね。相模原に出店した際もこんな店舗だったのでしょうか。それとも地域柄にあわせて店舗の中身を変えるのでしょうか。

結果として思えば、高島屋が出店していたとしても地域に根付いたのかはわかりません。例えば同じ相模大野にある伊勢丹などは、出店に際して経営者や従業員が、多くの努力を地域に対して行ったと聞いています。

そのようなことを考えながら、ニ子玉川(通称ニコタマ)へ行ってきました。


2004年03月25日(木) 「マネーの虎」講演会

(社)相模原青年会議所の例会で、マネーの虎に出演していた岩井良明氏の講演を聞きました。非常に面白かったですし、自分自身気合が入りました。

しかし一方でこういった経営者の講演を聞くたびに、自分は商売には向いていないと思います。奇麗ごと言うわけでなく「金」に執着がないことを実感するからです。それはある意味、本質的に「金」に困ったことがないから言えることかもしれませんが。

色々な付き合いのなかで、知人から様々な商売の誘いなど受けることもあります。しかしいかに儲かるかということを熱く語られても、逆にしらける自分がいて今までお話に乗ったことは一度もありません。

「マネーの虎」で真剣勝負する出演者と挑戦者。凄いと思いますが。どこか別世界という気もします。それでいいのかどうかはわかりませんが。


2004年03月24日(水) ある議員の日記から

「1人でモノをいえない人間が徒党を組んでも、ますます悪循環というそのもののような気がしてしまう。」

ある議員の日記にこの記述がありました。全く同感です。今の政治の姿を端的に物語っています。政治家は、あくまで個人として有権者に責任を負うべきだと思います。政党や会派などは、それに付随するものでしかありません。

また政治のみでなく、社会のあり方も同じです。私が学生時代に所属していた明治大学雄弁部の訓は「和して同ぜず」です。個を発揮することと、周りと調和することは決して矛盾しないと信じます。



2004年03月23日(火) ヤシン氏暗殺は「テロ」です

パレスチナのハマス創始者であるヤシン氏が、イスラエルにより暗殺されました。イスラエルとパレスチナの長年にわたる確執の深さや、そこに暮らす方々の思いは推察するしかありませんが、これは明らかにテロです。パレスチナ和平のロードマップは、もはや2国間のみの問題ではありません。その妨害は国際社会に対する挑戦だと思います。

手塚治虫の「アドルフに告ぐ」最後の章は、ヨーロッパで迫害され続けたユダヤ人がイスラエルにおいては弾圧者となってしまうという矛盾をテーマとしています。人類とは歴史をいかしきれないのでしょうか。そんなことはないと信じたいです。

さて、日本はアメリカの同盟国のなかで例外的にアラブ諸国との友好関係が深いと言われています。これはイスラエル建国に直接関わっていないことも、理由の一つだと思います。今回のテロでも、あくまでイスラエル擁護を続けるアメリカに意見を言うべきです。

今回の暗殺を「自衛」というアメリカ報道官の会見を聞きながら、まさに今世界を震撼させている「テロ」の定義自体が、一部の国による狭い価値観で決められているのだと、改めて実感いたしました。


2004年03月22日(月) 月に一度の後援会役員会

後援会の役員会を月に一度開催していただいています。他の議員の皆さんに比べれば、何分の一(ひょっとしたら何十分の一)位の人数の会議ですが、集まっていただく皆さんのお気持ちは他に負けていないとの自負はあります。誰一人として利権(というと大げさですが、つまりは仕事につながるという意味)と全く関係なく、私を支援していただいていることには感謝で一杯です。だからこそ候補予定者である自分自身の努力で、この輪を広げていきたいです。

さて、会議の議題は主に次回後援会行事のバーベキュー大会についてです。情けない話しですが、この種の企画についてのノウハウもセンスも私にはなく、ほとんど全てを皆さんに決めていただきました。これも後は私自身の努力で多くの参加者に集まっていただけるよう努力するのみです。

バーベキュー大会においても、ただ単に飲んで騒ぐだけでなく、少しでも「てらさき雄介」の主張を理解していただけるよう考えてまいります。多くの皆さまのご参加をお願い申し上げます。


*バーベキュー大会の詳細はホームページのトップに記載しておりますが、寺崎雄介までメールをいただければ返信にて、詳細をご案内申し上げます。


2004年03月21日(日) 東條えみ子市議との対談

ラジオで東條えみ子市議と対談いたしました。過去数回放送してきた“新人市議に訊く”シリーズです。ポスターしか見たことがなかったので少し怖い方だと思っていたのですが(すいません・・・)、実際は非常にソフトな感じの方でした。

今までの新人議員の皆さんもそうだったのですが、東條さんも非常に立派だと思いました。議員になった政策的な動機がはっきりしており、更にそれを整理よく話せることなどは、自分が初めて議員になったときを考えると恥じ入るばかりです。新人議員の皆さんは、市民や行政に対して訴えるべきものをもっていました。

しかし生意気なようですが、肝心なのはこれからです。宝の持ち腐れにならないかどうかが重要です。どんな素晴らしい意見を持っていても言わなくては意味がありませんし、議会の場で「言うべきことを言う」ことがどんなに大変か、経験があります。熱き思いを持ち続け、一緒に頑張りましょう!

*東條市議は議会でもがんがん発言しているので、念のため申し添えておきます。


2004年03月20日(土) 後輩の大阪府議

久し振りに大学時代の友人である森山浩行大阪府議に会いました。用事でこちらに来ているとの連絡を受け、急遽町田で食事をしました。

彼の他にも明治大学雄弁部時代の友人が、何人か議員をしています。大学時代を一緒に過ごしたなかでも、ニ学年先輩で秋田県議と横浜市議、ニ学年後輩で新潟県議と前八王字市議、そして今回会った森山大阪府議は一学年後輩です。有名な早稲田大学雄弁会や、中大、日大といった他大学の友人を含めると人数は更に多くなります。

こういう友人がいることは嬉しいもので、率直な相談などができます。今回も政令市や合併の話しから、生々しい選挙の話しまで多く語り合うことができました。

そう言えば、大学時代は私も森山府議も「保守的」ということで、革新系の皆さんから厳しい指摘を受けていたものです。いまや森山府議は完全無所属で既存の政治とは一線を画していますし、私の政治スタンスは皆さまご存知の通りです。「保守的」な私たちから見ても、あまりにもひどい政治ということでしょうか。


2004年03月19日(金) 財前教授ほどの「腕」があるのか

昨日放送された「白い巨塔」の最終回は、瞬間視聴率が45%をこえたとのことです。私もテレビドラマはほとんど見ませんが、この番組は毎週楽しみにしていました。以前この日記でも取り上げたことがあります。財前教授が友人の里見助教授に、自分の死について「不安はないが、無念だ」というシーンは、かなりうるうる(涙)してしまいました。

その財前教授は、自らの理想とする医療を実現するために、大学病院内で地位を築くことを目標にしていました。政治の世界にも、社会全体や本人にとって不本意なことをしながら、「当選できなければ何もできない」「ここで妥協しなければ、結果もっと悪いことになる」など言い訳をする人が多くいます。この価値観自体は完全に否定することはできませが、そう言う人には「では貴方が将来実現したいことは何ですか」と問いたいです。そして財前教授の外科手術ような、地位に見合うだけの政治家としての「腕」があるのかということもです。

今行動できない人は将来もできないと思います。そういうつもりで市議時代は仕事をしてきました。浪人をしている現在も思いは変わりません。当選し議員になることを最優先にし、少し黙っていた方が良いというご指摘も、時としていただきます。申し訳ありません。それは私の目指す姿ではありません。基本線を崩さずに、足りない部分を補ってまいります。


2004年03月18日(木) 竹中平蔵氏の副大臣、伊藤達也代議士

私が市議になる前に秘書をしていた伊藤達也衆議院議員は、小泉内閣で金融財政担当副大臣をしています(正確には内閣府副大臣)。思えば以前から大臣の竹中平蔵氏とは親しかったことを考えると、長期の在任期間にも納得がいきます。政府に対する姿勢や党派は違いますが、現状数少ない政策通の政治家と尊敬しております。現在の金融政策の改革に期待するところ大であります。与党であることの強みは確実にあります。

松沢知事と以前お話しをした際に、国会議員から知事に転出したことを「改革ができるポジションにつきたかった」と率直に言われていました。中田横浜市長も同趣旨の発言をしていた記憶があります。

地方議会の議員は制度上、基本的に野党的な姿勢で行政に対します。しかし時として、その力のなさに虚しさを覚えることもありました。私の考える地方議会の将来像は、現在のような制度とは違います。行政が内部において、市民の意見を的確に集約できるシステムをまずつくることです。その結果「市民の意見を行政に伝える」という議会の仕事はなくなります。その後は、議員は首長とともに行政内部に参画してまさに執行部の一翼を担うべきです。選挙制度は別にして、議員内閣制的なものです。

与党になった時に自分の政策を実現できるかが、大切な政治家としての力であると思います。私にその能力があるかと言われれば、まだまだでしょう。これからは、今の政策についてどう思うかという分析のみでなく、新たな政策をつくりあげていくとう努力をしなくてはと思います。


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