てらさき雄介の日記
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2004年03月22日(月) 月に一度の後援会役員会

後援会の役員会を月に一度開催していただいています。他の議員の皆さんに比べれば、何分の一(ひょっとしたら何十分の一)位の人数の会議ですが、集まっていただく皆さんのお気持ちは他に負けていないとの自負はあります。誰一人として利権(というと大げさですが、つまりは仕事につながるという意味)と全く関係なく、私を支援していただいていることには感謝で一杯です。だからこそ候補予定者である自分自身の努力で、この輪を広げていきたいです。

さて、会議の議題は主に次回後援会行事のバーベキュー大会についてです。情けない話しですが、この種の企画についてのノウハウもセンスも私にはなく、ほとんど全てを皆さんに決めていただきました。これも後は私自身の努力で多くの参加者に集まっていただけるよう努力するのみです。

バーベキュー大会においても、ただ単に飲んで騒ぐだけでなく、少しでも「てらさき雄介」の主張を理解していただけるよう考えてまいります。多くの皆さまのご参加をお願い申し上げます。


*バーベキュー大会の詳細はホームページのトップに記載しておりますが、寺崎雄介までメールをいただければ返信にて、詳細をご案内申し上げます。


2004年03月21日(日) 東條えみ子市議との対談

ラジオで東條えみ子市議と対談いたしました。過去数回放送してきた“新人市議に訊く”シリーズです。ポスターしか見たことがなかったので少し怖い方だと思っていたのですが(すいません・・・)、実際は非常にソフトな感じの方でした。

今までの新人議員の皆さんもそうだったのですが、東條さんも非常に立派だと思いました。議員になった政策的な動機がはっきりしており、更にそれを整理よく話せることなどは、自分が初めて議員になったときを考えると恥じ入るばかりです。新人議員の皆さんは、市民や行政に対して訴えるべきものをもっていました。

しかし生意気なようですが、肝心なのはこれからです。宝の持ち腐れにならないかどうかが重要です。どんな素晴らしい意見を持っていても言わなくては意味がありませんし、議会の場で「言うべきことを言う」ことがどんなに大変か、経験があります。熱き思いを持ち続け、一緒に頑張りましょう!

*東條市議は議会でもがんがん発言しているので、念のため申し添えておきます。


2004年03月20日(土) 後輩の大阪府議

久し振りに大学時代の友人である森山浩行大阪府議に会いました。用事でこちらに来ているとの連絡を受け、急遽町田で食事をしました。

彼の他にも明治大学雄弁部時代の友人が、何人か議員をしています。大学時代を一緒に過ごしたなかでも、ニ学年先輩で秋田県議と横浜市議、ニ学年後輩で新潟県議と前八王字市議、そして今回会った森山大阪府議は一学年後輩です。有名な早稲田大学雄弁会や、中大、日大といった他大学の友人を含めると人数は更に多くなります。

こういう友人がいることは嬉しいもので、率直な相談などができます。今回も政令市や合併の話しから、生々しい選挙の話しまで多く語り合うことができました。

そう言えば、大学時代は私も森山府議も「保守的」ということで、革新系の皆さんから厳しい指摘を受けていたものです。いまや森山府議は完全無所属で既存の政治とは一線を画していますし、私の政治スタンスは皆さまご存知の通りです。「保守的」な私たちから見ても、あまりにもひどい政治ということでしょうか。


2004年03月19日(金) 財前教授ほどの「腕」があるのか

昨日放送された「白い巨塔」の最終回は、瞬間視聴率が45%をこえたとのことです。私もテレビドラマはほとんど見ませんが、この番組は毎週楽しみにしていました。以前この日記でも取り上げたことがあります。財前教授が友人の里見助教授に、自分の死について「不安はないが、無念だ」というシーンは、かなりうるうる(涙)してしまいました。

その財前教授は、自らの理想とする医療を実現するために、大学病院内で地位を築くことを目標にしていました。政治の世界にも、社会全体や本人にとって不本意なことをしながら、「当選できなければ何もできない」「ここで妥協しなければ、結果もっと悪いことになる」など言い訳をする人が多くいます。この価値観自体は完全に否定することはできませが、そう言う人には「では貴方が将来実現したいことは何ですか」と問いたいです。そして財前教授の外科手術ような、地位に見合うだけの政治家としての「腕」があるのかということもです。

今行動できない人は将来もできないと思います。そういうつもりで市議時代は仕事をしてきました。浪人をしている現在も思いは変わりません。当選し議員になることを最優先にし、少し黙っていた方が良いというご指摘も、時としていただきます。申し訳ありません。それは私の目指す姿ではありません。基本線を崩さずに、足りない部分を補ってまいります。


2004年03月18日(木) 竹中平蔵氏の副大臣、伊藤達也代議士

私が市議になる前に秘書をしていた伊藤達也衆議院議員は、小泉内閣で金融財政担当副大臣をしています(正確には内閣府副大臣)。思えば以前から大臣の竹中平蔵氏とは親しかったことを考えると、長期の在任期間にも納得がいきます。政府に対する姿勢や党派は違いますが、現状数少ない政策通の政治家と尊敬しております。現在の金融政策の改革に期待するところ大であります。与党であることの強みは確実にあります。

松沢知事と以前お話しをした際に、国会議員から知事に転出したことを「改革ができるポジションにつきたかった」と率直に言われていました。中田横浜市長も同趣旨の発言をしていた記憶があります。

地方議会の議員は制度上、基本的に野党的な姿勢で行政に対します。しかし時として、その力のなさに虚しさを覚えることもありました。私の考える地方議会の将来像は、現在のような制度とは違います。行政が内部において、市民の意見を的確に集約できるシステムをまずつくることです。その結果「市民の意見を行政に伝える」という議会の仕事はなくなります。その後は、議員は首長とともに行政内部に参画してまさに執行部の一翼を担うべきです。選挙制度は別にして、議員内閣制的なものです。

与党になった時に自分の政策を実現できるかが、大切な政治家としての力であると思います。私にその能力があるかと言われれば、まだまだでしょう。これからは、今の政策についてどう思うかという分析のみでなく、新たな政策をつくりあげていくとう努力をしなくてはと思います。


2004年03月17日(水) 明大総長の挨拶に感動じ入りました

母校である明治大学付属中野八王子中学校の卒業式に参加しました。校友会(OB会)の会長を引き受けているため、入学式や卒業式はいつも出席しております。私も祝辞の時間をいただきますが、子どもたちに説教じみたことを言うのが苦手なものですから、あまり有意義な挨拶はできていません。

式のメインは卒業証書の授与です。その際のBGMがSMAPの「世界にひとつだけの花(歌詞なし)」でした。それを聞いた明治大学総長が、その後の来賓挨拶のなかで、昨今の個性尊重の風潮は「あまりにも様式化・ファッション化した社会に対する人間の根源的な反抗という側面」があるとの洞察を述べていました。思わずメモしてしまいました。

実はこの曲については、昨年から考えることが多かったのです。紅白歌合戦の大トリになるなどの社会現象になったことを、おぼろげには納得しながらも、自分のなかで言葉に出来ていない面がありました。なるほど!という思いでした。

「肥えた豚よりも飢えたソクラテスになれ」は全共闘時代の東大大河内総長の言ですが、昨今はなかなか心に響く言葉がありません。そんな言葉をひとつでも訴えられる政治家になりたいです。


2004年03月16日(火) 地方自治体の財政はどうなるのか

長友克洋市議主催の勉強会に参加いたしました。テーマは「相模原市の財政」です。久しぶりに市の予算統計などを見ました。その中でふと気づいたのは、市民ひとり当たりの一般会計金額(どこの市が実質的に一番お金を使っているか)の全国一位が長崎市であったことです。長崎市は人口類似市のなかでも、財政力指数が最低のレベルです。つまり長崎市は自主的な財源がないのに、一番多くお金を使っているのです。何故そのようなことが可能なのでしょうか。それは自治体に対する国などの援助があるためです。

この例のみでなく、国の地方自治体の財政への考えは、お金がない自治体ほど手厚く援助するというものです。自治体側からすれば財政が悪くなるほど国から援助をもらえることになります。実際こういう感覚で、あえてたくさんお金を使って、国からの予算獲得を目指す行政マンや議員は存在します。

皆んなでそんなことをやった結果どうなったでしょうか。国は財政破綻寸前です。自治体も援助付けになり、根本的な対策はとられていません。ひとつだけ解決方法があります。それは収入以上にお金を使わないことです。この当たり前の民間感覚を徹底さえすれば、国に頼る必要もなく次の世代に借金を残さずに済みます。財政改革の余り語られない、最大のポイントだと思います。


2004年03月15日(月) 消防団の先輩が退団いたしました

正確に言うと月末まで任期がありますが、最後の定期整備ということで、大変遅くまで送別会(?)をしていました。大変お世話になった方で残念な限りですが、退団は基本的に順番でしていきます。

この先輩は14年在籍されました。新入団員が毎年入り、その人数分退団していくのが理想の姿です。私が所属する第一分団第一部は15名の定員なので、一年に2名入団すれば約7年で退団できます。今回のケースのように、新入団員が入らないままの退団だと、結果15年いなければいけないことになりかねません。今はまさにこの状況です。この日記を書き始めた当初にも触れましたが、行政がもっと勧誘に励むべきです。自治会のみに運営を任せている現状に無理がきています。何しろ自治会役員すら見つからない現状なのですから。

今市民運動が盛んななかで、ボランティア人口は市内でも増えています。そういった方の関心が及びにくい雰囲気や体質がもしあるならば、それは消防団自身で改善していくことも必要です。地域に根付いた珍しい組織です。皆さんのご協力で維持し続けていきたいです。


2004年03月14日(日) 座間へ米陸軍第一軍団司令部移転の打診

米軍は在外も含め現在再編を行っています。その一環でワシントン州の陸軍第一軍団司令部がキャンプ座間に移転したいと、日本政府に打診中とのことです。日本側は「難色を示している」と新聞記事にはありました。

調べてみると、この第一軍団の任務は「アジア太平洋地域全域の不測の事態に対応すること」であり、日本がその橋頭堡に選ばれたのでしょう。しかしフィリピンや韓国の米軍も縮小しヨーロッパにおいても同じ状況にあるのに、何故日本のみ強化の方向になるのか憤りを禁じえません。

在日米軍は果たして日本の安全に寄与しているのか、という基本的な問題をもっと議論すべきです。アメリカの同盟国であるがゆえの危険も常にあるという認識が必要です。常にメリットとデメリットを点検していくべきです。国会はこういった議論をすべきところのはずですが・・・(衆参の今国会の議事録を見てもいまだ議論の形跡なし!)。




2004年03月13日(土) 自衛官の送別会に出席しました

相模原市千代田に自衛隊の募集事務所がありますが、そこにいた自衛官の方が他へ転属になったことによります。自衛隊募集相談員の一人として出席しました。転属する方(2曹)はもともと気象隊の技術を持っており、本来の業務に戻るということだそうです。

会の中で数人の方と防衛問題についての意見交換をしました。自衛隊の会の中でこういった議論ができることは、日本の戦後民主主義の良い点だと思います。私は自衛隊は抑止力としての軍隊であって欲しいし、今では死語になってしまった専守防衛を貫いて欲しいという考えです。もちろんそうでなく、積極的に自衛隊を活用するという意見もありましたが・・・。

こういった会に参加して、現役自衛官の方とお話をすると(これが会に所属している大きな目的です)国を守るということに関する信念には感服いたします。自分自身が恥ずかしくなることもあります。こういった方々の思いを曲げずに活かしていくことこそ政治の責任だと思います。








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