堀井On-Line



7115,閑話小題 〜失うものは何もない ―3

2020年09月06日(日)

   * <ああ、面白かった!良かった!>
「老いるということは… 失うものが何もない状態になること」と、自覚
出来る時節になった。 <行けー>は「三途の川」であり、その先の宝の山は
「永遠の無」になる。何のことはない、生前に無に戻るだけ! 現世も永遠の中
のチリそのもの。ただし濃厚か否か? 現世に残っている錯覚も妄想でしかない。
哲学も、宗教も、それを教えている。…大部分が、気づかずプツン!
 般若心経が、まさに、それを透かすように解明している。失うものは、元もと
何も無い! 要は気づき! <色即是空、空即是色>である。
 
 <ああ、面白かった!良かった!>と、その時に思えるか否か。
それには、数知れぬほどの感動と、感激体験を浴びるようにしないと!
その蓄積が磁力になって、更なる感動、感激を呼寄せる。何ゆえに、それが
出来ないか…? 日常に埋没するためである。 舟底に日常、常識という牡蠣が
ビッシリと絡み、舟を重くする。それを取さるには、更なる感動・感激体験を
するしかない。私たちにあるのは、<いま、ここ、わたし>の垂直に切り立った
永遠しかない! その積み重ねが、それぞれの自分である。
感動、感激には他者はない!対象と一体になっているからである。 それには、
心を空にして(牡蠣を削ぎ落して)おかないと、何も気づかず通り過ごす!
永遠に通じる真理とは、純で、瞬間しか見えない心の有りよう。
それに触れんとすれば、自ら磨くしかない! 

・・・・・・
6748,読書日記 〜「魂の」思想史 ―3
2019年09月06日(金)
             <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
  * 「万物は数である」 …古代ギリシャのある教団
 何とまあ、この重苦しく、深いテーマを、一つずつ掘下げている。
  〜その概要をまとめると〜
≪ 古今東西、多くの人が夜空を見上げて人や神々の霊魂を想像してきた。
 それまでの古代ギリシャの霊魂感は、『何やらもやもやした決まった形のない
もの』だった。 Bc570年頃;南イタリアに出現したピュタゴラス教団の人々は、
霊魂の不滅、そして輪廻転生から霊魂の解説を唱えた。もやもやした自然状態
に戻すことではなく、全く逆。 <肉体と魂が共存して区別がつかない曖昧な
状態は、魂が肉体の穢れに染まる悪しき事態と認めていた。
 魂の不滅はもはや疑う余地のないことであり、輪廻転生も同じ事態と彼らは
いう。しかし魂が或る肉体の死後に収まってしまうのは、その穢れゆえに望ま
しくなく、解脱が必要と考えた。彼らにとって、魂は肉体の墓場でしか
なく、いわゆる肉体即墓説です。魂の優位を見てとる二元論である。
 この二元論は、プラトンの哲学に合流し、キリスト教に受継がれ、中世の
スコラ哲学に、17世紀のデカルト哲学の基礎と受継がれていく。
しかしニーチェが、この歴史の厚みを意識して、これを履かえそうとする。
 
 ピュタゴラス教団の解く解脱とは、最終的には輪廻転生の移り行きから
魂を救い出すことでした。しかしそれには、常日頃から、魂を肉体の穢れた
発想から浄めておくことが大切と彼らな考えたため。 
 その一つとして「宇宙の音楽」に理性を耳そばだてるという実践があった。
この教団は、宗教だけでなく、数学、音楽、天文学にも探求心を発揮し、
幾つもの発見や教説を残している。「ドレミファソラシド」を発見したのが、
ギリシャのピタゴラスだと。それも、それは音楽というよりも「数学」として
の発見で、まったく関係ないように見える「数字」と「音楽」とが実は密接に
関わりあっているとは驚き。 ≫
                            〜つづく 
・・・・・・
6385,読書日記 〜『無敵のソクラテス』
2018年09月06日(木)
   * 悩むな、考えろ!
 この言葉は、池田晶子の『無敵のソクラテス』の表紙の帯にあった言葉。
「悩むということは、問題に対して混乱した状態。問題の中心点のエネルギー
が混乱をしている状態。考えるとは、その原因を探り、整理をし、解決する
プロセス。その為には、蓄積された知識のベースが必要? とすると、既に
遅すぎる? いや、遅くはない。一冊の哲学入門書を見つけて、繰返し
自問自答をすればよいが、良い環境にないと途中で放り出すことになる。
‘考える’とは、「正・中心・一点・無」で、問題を絞り込んでいくこと。
‘悩む’のは、それが出来ずに混乱している状態。

 今まで生きてきて実感する悪いことの最たることが「ストレス!」。
早々に亡くなった人の死因がガンによるが、大部分がストレス蓄積による
成人病。 問題は生活習慣に、早朝の運動を如何に埋めこんでおくかだ。
ストレス解消を怠ると、その毒が外に向かう。それでも、外部に向けること
が可能なら良いが。良い人の型に入りこんでしまうと「悪い人」の役割が
こなせない。これも、長年かけた習慣が必要。
『悩め、悩め、もっと悩め。そうすれば考えざるをえなくなるさ!』と
考えることもできる。長生きも良いが、その質の問題がある。

・・・・・・
6019,閑話小題 〜人間は「使い捨てカメラ」である
2017年09月06日(水)
   * 人間は「使い捨てカメラ」である
 ジャーナリストの大江瞬の「人間・使い捨てカメラ・論」が面白い。
≪ 12、24、36枚撮りのカメラは、写し終えると、そのまま現像所に送られる。
その後、カメラは解体され、フィルムだけが取りだされる。写し撮られた元の
風景は、カメラが製造される以前からあったもので、カメラがスクラップした
後も、そのまま残る。現像されたフィルムに、ピンボケだったり、何も写って
なかったら、その人の人生は虚しく終わったのかもしれない。風景は残り、人間
だけが入れ替わる。… かつての音楽を聴きながら、そのアーティストたちは、
みんな死んだ人たちである。女性歌手ならデビュー当時の溌剌とした若さから、
美しさの絶頂の20代、アラフォー、ファイブの熟女となり亡くなる前の魔女の
ような姿まで、その折々の歌声とともに記録映画・音声として残されるのは残酷
だが、それも偉大な芸術家の勲章である。… ≫
――
▼ デジカメが出来た現在、「使い捨てカメラ」をあまり見かけなくなった。
 そこで考えたのが、「人間はデジカメラである・論」。
<デジカメの進化で、気楽に、安価で、何処でも写真が撮れ、一枚のSDに数千枚
の鮮明の写真を撮りおくことが可能になった。ビデオも可能のモノもある。
そして、ブログに記念として残せる。書くことより、撮影しネットにアップする
媒体が人間の役割になっている。その写真が美しいほど、本人が薄れていく。
本人にとって、それで充分に満足。そのネット上の蓄積が、同じ嗜好の価値と
して円熟し、成長していく。カメラ、記録媒体は、止まることなく進化する。
これが人間にもいえるのでは?> 
 世界も、そこに生きる人間も刻一刻と変わっていく。カメラの機能も、それを
映し出すテレビやPCなどの媒体も人間の5感を遥かに超えて写し出す。それが、
進化し続けて止まらない。対象を一度、高性能のマシーンを通して見れるのも、
科学の恩恵。何か、本筋から大きく逸れたが。 これからすると、
「よりデジタル機能を多様すべし」になる。 仮想世界は、刺激的で面白い!

・・・・・・
5653,「家、ついて行ってイイですか?」 ー��
2016年09月06日(火)
 ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人
あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、
部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。
誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、
このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、
トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが
部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、
慣れるまでの1〜2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、
帰宅恐怖症的になって、喫茶店で同類と群れていた。3連休以上はキツイらしい。
 しかし、この都会の孤独経験が貴重で良いのである。青年期の一時期、殻に
篭る生活が必要である。
 現在、書斎コーナーのパソコン横に、両親が残した小さな布袋と百万長者像、
ネパールの市場で買ったミニ仏像、マリア像、自然石の仏様の像、仏像を彫り
こんだ胡桃、ガラスの地球儀などが並べてある。息抜きに、撫ぜると、なぜか
気持ちが和む。それもあってか、ノイローゼや、落ち込みはホボ無い。 
数ヶ月前から、就寝時に、梅干大の大きさのラジウム石を握り眠っている。
真中に穴が開いており、そこに紐を通して、指に絡めているため、熟睡しても
転げ落ちない。数年前に、一年以上使っていたものだが、復活。ラジウムが手
から直接伝わり熟睡できる。岩盤浴に近い効果があるのか、気が充満してくる。 
 就寝用の「ラジウム握ぎ握ぎ」ということか。 終の入院には、これらを
持ちこみ、枕元に、小さなオボンに並べて、手にはラジウム石を握り締めて。
イメージは、亡くなった家族に囲まれたイメージを持ち、虚空を彷徨いながら。
――
  * 「ぬいぐるみに話かけるのは変ですか」に対する返答
≪ 〜No.7 回答者:
こんにちは、いいんじゃないですかね〜、私ならキモくもないしドン引きも
しません。私もお針は得意なので、修繕してあげたいです(笑)
 以前交際してた男性がそんな感じで。20代後半のとき、百貨店のおもちゃ
売り場においてあったオレンジ色の熊のぬいぐるみに一目ぼれ。4000円ほど
だったのですが、大のオトナ、しかも男が・・ と本人は熊を撫で回しながら
悶々と悩んでいましたが、「ほんならアタシがプレゼントしよか?」と提案
したところ、大喜びでした。幼稚園児の姪が「アレで遊びたい」とお願いしても、
ダメ! と触らせないくらいのかわいがりようです。 (彼の留守中に来て、
勝手に遊んでたらしいですが・笑) そこから何に目覚めたのか、古くなった
シャツや家族の洋服をリサイクルし、テディベア作りにハマリ始めました。
パソコンで型紙から起こして作るような凝りようです。ぬいぐるみ作家って、
結構男性もいるそうですよ。そんな彼も40を過ぎましたが、オレンジ色の熊に
「みかんちゃん」と名づけ、今でも大切に飾ってあるそうです。
そんな人もいるということで(笑) ≫
▼ アブラハムの創出したラージXの『神』は、この「ぬいぐるみ」に似ている。
 それを共同幻想化したアラーの神である。問題は、人種間に分裂した仲間割れ。
人間には共同幻想が必要。コスプレは、その人形になって楽しむこと。ホテルの
ロビーで、その集団に遭遇した時の驚き。若いから出来ること。 ハロウィンは、
それを祭りにして練り歩く行事。 数年前に行ったモントリオールが、その日で、
千人近い血だらけの殺人者の仮装行列に出会ったが、その面白かったこと!
人生の砂場の遊びは、深くて、味わい深いものがある。極限では、味わえない。
その先に何歩も踏み出さないと、それらとは出会えない。
「達磨さん、こちら向かんせ世の中は、雪月花(ゆきつきはな)に、酒と三味線」
【花見酒】 世の中は月雪花に酒と三味線 酒のない国に行きたき二日酔い、
      また三日目に帰りたくなる

・・・・・・
4923,パワレルな知性 ー1
2014年09月06日(土)
   * 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一著
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 � \簑个防�要なもの、失ってはならぬもの
 �◆,△辰討發いい韻匹覆�てもいいもの
 �� なくてもいいもの
 �ぁ\簑个防塒廚覆發痢△△辰討呂覆蕕覆い發�
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を
 いろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに
なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。
当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、
違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、
とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、
不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を
仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という
勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには
 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて
いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを
えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない>
とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の�ぁ↓�、�△函�一つずつ捨てて、�,帽覆襪海函�
そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 
「お金は、�◆△い筺↓ �」
――――
4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
 * 追われ追われて南米最南端 
        「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、
「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が
南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先
で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ
から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。
北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。
弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 
僻地の人間は、そのためか優しい。  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、
 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを
しましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない
 ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング
 海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 
 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、
 東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと
 言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら
 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物
 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと
 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。
 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。
 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も
 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。
 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。
 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか
 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を
 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。
 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき
 から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って
 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、
変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。
脱皮できない蛇は死ぬ。


7114,映画観賞 〜海辺の映画館-キネマの玉手箱

2020年09月05日(土)

 
 大林宣彦が構築した世界の映画とは何かを、この感想を書くにあたりを
調べて初めて知った。3時間、延々と続く色いろな時代のシーンに入って
いくため、頭が混乱しないでもないが… 地元・長岡藩が出てきたのは驚いた。
圧巻は原爆投下前夜の広島の舞台。投下の死者に、‘ピッカ’と‘ピカドン’
で亡くなった人たちが分れていたのも始めて知った。ピッカは、投下と同時に、
ピカドンは、数日生きて亡くなった被災者。 映画を観ていた青年の3人が、
リアルな体験が、何とも現場感覚がある。途中まで、物語に違和感があったが、
この映画をみている1人の観客の目線と、映画館の観客の目線と、映画の世界
に入りこんだ目線の混乱が逆に、それぞれの異次元世界に抵抗なく入りこめた。
 --
【 尾道の海辺にある唯一の映画館「瀬戸内キネマ」が、閉館を迎えた。嵐の夜
 となる最終日のプログラムは、「日本の戦争映画大特集」のオールナイト上映。
上映がはじまると、映画を観ていた青年の毬男(厚木)、鳳助(細山田)、茂
(細田)は、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界にタイム
リープする。江戸から、乱世の幕末、戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争の沖縄…
…3人は、次第に自分たちが上映中の「戦争映画」の世界を旅していることに気づく。
そして戦争の歴史の変遷に伴って、映画の技術もまた白黒サイレント、トーキー
から総天然色へと進化し移り変わる。3人は、映画の中で出会った、希子(吉田)
、一美(成海)、和子(山崎)ら無垢なヒロインたちが、戦争の犠牲となっていく
姿を目の当たりにしていく。3人にとって映画は「虚構(嘘)の世界」だが、彼女
たちにとっては「現実(真)の世界」。彼らにも「戦争」が、リアルなものとして
迫ってくる。そして、舞台は原爆投下前夜の広島へ——。
そこで出会ったのは看板女優の橘百合子(常盤)が率いる移動劇団「桜隊」だった。
3人の青年は、「桜隊」を救うため運命を変えようと奔走するのだが……!? 】
  〜視聴者・感想…より
<大林宣彦監督の遺言状と言える映画であり、中原中也の詩が〔キーワード〕
 として何回かでてくる。
広島県尾道市のとある街の映画館〔瀬戸内キネマ〕館の閉館の日に日本の戦争
映画の特集がオールナイトという形で上映されるところから本編が始まるが、
プロローグとして宇宙船が登場してきて爺(高橋幸宏)が宇宙的価値観で過去に
犯した戦争の愚かさを語る。直感的に脳裡に浮かんだのはDリーン監督の
『戦場にかける橋』のファーストシーンで鳥が空を飛びながら人間が行っている
愚かな行為を俯瞰で見つめているカットであり、最後にもう一度出てくる。
この映画もやはりエピローグとして〔宇宙船〕(語り部として)登場する。
 ストーリーを追ってみるような軟(やわ)な映画ではなく、約3時間の長丁場を
〔おもちゃ箱〕をひっくり返したような奇想天外な大林ワールドが独特な映像
マジックを駆使して展開されていく。
大林宣彦が構築してゆく世界に入り込んで行けないと実に訳の分からない苦痛
の時間を体験することになる。僕も最初の1時間は???!!!の何!これ!の連続で、
小津安二郎と山中貞雄両監督が登場する辺りから、作り手の〔意図〕がおぼろげ
ながら見えてきて、映画という虚構の世界が生み出す〔世界平和〕の願いを
これからの世代に託して(宇宙に漂う赤ちゃん)幕を閉じる。
 チケット売り場の老婆役 白石加代子が最後の最後で儲け役を演じてくれたし、
ピアノを弾いている大林宣彦監督の後ろ姿が映される場面は胸に迫ってきた。>
――
▼ 時がコロナ禍もあって、観客は10〜20人レベルと思いきや、50^60人とは
 驚きだが、大林監督の遺作といえば、当然だろう。こころ、ここにあらずで
観ていたこともあり、いま一度、観ても良いが、TV放映を待ちますか!

・・・・・・
6747,閑話小題 〜電動マッサージボール
2019年09月05日(木)
   * 新たなマッサージャー
 腰痛持ちで、様々なマッサージャーを購入して自己治療をしてきた。
10数年前に「パッション」という腰叩きマッサージを購入し、居間にある
座りようのハンモックに置き、愛用してきた。今でも廃品直前だが、何とか
使っている。今では進化したのがあるが… 「家具屋」と、家電の「健康機器」
と、「パソコンコーナー」は、定期的はウィドウショッピングの一つ。
先日のこと、ウロウロしていると、ソフトボール大の充電式のマッサージャー
が、目に飛び込んできた。
<腰・お尻・太もも・ふくらはぎ・足裏・首 疲労回復 スポーツ トレーニング
 充電器付き 4段階可調整>とあり、7千円とあった。
これは私にとって「理想的マッサージャー」と衝動買いを しそうになったが、
近くに家内が… ? 取り敢えずネットで値段を調べてからと、その場を離れた。
そこで帰って、さっそく、ネットで最安値を調べると、送料、税込みで3,600円。
購入することに!
 二日後に送られてきたが、実際に使用すると、充電出来て、居間に、PC前に、
気楽に移動できるのが便利。腰には「腰痛ベルト」の間に入れると按配が良い。
その日は、初回もあって、就寝前に一時間ほど、腰に、両手に、首筋に、両足の
間に挟み使用した為か、その日は夜半目が覚めることなく爆睡することができた。
しかし、何故か、それは初日だけだったが、寝つきは確かに良好。
 10数年前から、腰用の叩きマッサージャの他に、土台が振動するモノがあり
頻繁に使用している。家の移動先に持ち歩けて、気楽に使えるところが良い。
成るほど、文明の力とはこういうことかと…。 評価:95点。
 
 ところで、バイブレーターといえば、以前、面白い?ことを書いていた。
とすると… これは?  もう私には関係ないことだが…
 ――
2012/11    ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器
 際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい……。そんな時に使う大人の
 おもちゃの定番といえぱバイブレーターだろう。女性を絶頂に導いてくれる
スグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは医療器具だった。
いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的には
ヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。ヒステリーの語源は、
ギリシャ語で子宮を意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを
起こすのは子宮が原因だと考えられていたのだ。しかも、子宮が欲求不満で
あることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性
を性的に満足させればいい。そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)
して、絶頂に導くことで治療をしていた。この療法のための医療機器として
一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー専用のマッサージ器である
バイブレーターだったというわけ。こうした治療は古代ギリシャの時代から、
一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。確かに、目的自体
は今も昔も変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど
現在では考えられない。一方、バイブレーター以前は、大人のオモチャの主役
だった人工ペニスは、10Cのビザンチン帝国の百科事典にも記載されている。 
こちらは一般的に普及していたようで、アテネの女性に愛用されていたようだ。
また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも「男性自身が小さすぎて満足
できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
▼ …!「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。何だろう、これらは… 

・・・・・・
6384,読書日記 〜哲学と対決する ―5
2018年09月05日(水)
       『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                    ウォーバートン,ナイジェル著
 現役の哲学者が、哲学史にのこる巨人の感想が何とも異様に感じる。
要するに、門前の小僧レベルが、専門家の視点で、批判的に哲理を改めて
知る面白味ということ。ヘーゲルがカントへの挑戦とか。

   * ヘーゲル
 ◉ マイケル・サンデル
もっとも心を躍らせてくれたのがヘーゲル。理解するのは難しいけど、
カントの抽象的な道徳律に根本的な疑問を投げかけ、道徳律を具体的な
倫理生活に結ぶ付けました。かれのカントへの挑戦は哲学的に見て、もっとも
ワクワクする仕事の一つです。
――
   * ニーチェ
 ◉ ジョシュア・ノーブ
私がニーチェより学んだことは、特定の疑問に対し、人々が普通どう考えるかを
安易に理解しようとすべきでない。より深く見つめる努力をし、何らかの方法で、
私たちが抱く通常の見方を疑うべきだ。さらには、そうして通常の見方に反発
すべきだと考えていたてんです。
――
   * アリストテレス
 ◉ ショーン・ケリー
彼がフロニモス(思慮ある人々)と呼ぶ観念を持っていることです。実生活を
生きる達人のような人々を指しています。興味深いのは、フロ二モスが、状況
の中で自分に求められているものを、熟考することも考えることもなく、即座に
認識する能力を自分自身の中に育てると考えていることです。それは極めて重要
なスキルのように思えるのです。

ー
▼ 日本が島国という立ち位置もあって、異質の考えそのものを否定するきらい
 が強い。情報化の時代に、個々人がサテライトオフィスをスマフォ、iPadに
持つ時代に、深く考えることなく、情報に流されてしまう危険がある。 一度、
現実、現象から離れた孤独の中でしか、それを熟成することはできない。

・・・・・・
6018,閑話小題 〜空を飛ぶ
2017年09月05日(火)
   * 旅客機を別として、空中を飛んだことは
 旅行先で空中を飛んだのは(旅客機を別として)、
・バンジージャンプを二度。<ニュージーランド、南アフリカ>
・パラセーリング(パラシュートで、ボートに引っ張られ空中を飛ぶ)
 を二度。<フィジー>
・気球を一度。<ケニア>
・ヘリコプターを二回。<イグアスの滝と、ビクトリアフォールズ>
・セスナ機を3度、<マッキンレー、テーブルマウンテン、ナスカの地上図>
 飛んでみた。
 空中を直接、飛んだ経験は印象に強く残る。 圧巻はバンジージャンプ。 
極限でのリアルな恐怖体験は、呼吸困難になるほどの異質の体験である。
何とも優雅なのは、南アフリカの気球からの景観。
 書き残すことの秘儀が垣間見れる。 私にとっては、魂の刻印になる。

――
 ーH0705
バンジージャンプ
  (ビクトリア滝)
 ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むと
ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よく
みるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。思わず
“私もやりたい!”今年の5月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍以上もある。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて
OKの返事! 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。 国境警備員も
本当かと何回も念を押した。 そして……。飛び込み台に立って気がついた。
「高さと恐怖心は正比例である事に!」氷つく恐怖心!後ろをふりむいて
“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ! 
何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろよ!”
何とそこには高速道路で170�劼離好圈璽匹納屬鬚呂靴辰浸�の世界と同じ
ような空をとんでいる感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけて
いく風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりに
なり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。
(次はヘリコプターよりのジャンプ!と思い立ったが… 断念をした)
――
  (ニュージランド、クラフトチャーチ)
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。
あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛り。自分は何でこんな事をしてしまったのか。
自分がここより飛びおりる?… 本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。
そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに四回も私の目をみて念を
おしたのも頷けた。

――
H0609
ケニア・サファリ紀行(�供法�
�� 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を
 命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の
 コントラストのすばらしさと、
 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
 そして小学校の近くを走っている時みた、
 子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
�� 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
 毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として
 自然と一体となり絵になっているのだ
�A當�の牧場の乗馬もよかった。
 新鮮な空気と草の臭い!
 その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
 その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
�ささ紊茲蠍�たアフリカの広大な草原。
 下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。
 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。
�シ,知�て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。
 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声!
ケニア人の90�涌幣紊蓮�一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。
それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、
物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、
その貧しさに涙を溜めて訴えていた。 日本人の観光客は、年間に一万人に
満たないという。その点で超穴場といえよう。
実感として、一試合で二本のホームランを打った感! であった。

――
H0807
インカ帝国<夢の旅> 
ナスカの地上絵編 

 AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に、
一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化である。
彼等は何を思ってか九百k�屬砲錣燭觜�大な大平原に、
直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが、当時の土器に描かれているので、
  彼等の時代に描いたのが判明できたという。)

その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。
それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわす
カレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。
それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。
そしてその多くがナスカに集中している。
セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは
と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる
縦横に描かれた直線は誰に見せる為のものであろうか不思議そのものだった。
 
編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖に
すむ原住民の素朴な生活、そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、
強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏にやきついてはなれない。

高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
(次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、
テーブル・マウンテンとエンゼル・フォールに是非行きたいものである。)
              (H 8.6/6〜6/12 )
――
H0909 
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギアア高地の基地、カナイマへ。
更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギアア高地が
広がっていた。 インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。

コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。そこより落ちる滝は多い
ときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、世界最長の落差の
エンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、
麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。ここでは生物
の生存がほとんど不可能であるという。

ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。
原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。

この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
圧巻は、セスナで観たテーブル・マウンテンの全景。
  (H9.8/23〜9/)

――――
▼ 以上だが、読返すと、TVからの記憶の追体験は、充分可能と納得する。
 これなら、記憶の一部を、この世に残せるし、思い残すことなく全てを抱き
旅立てる。 デジカメが普及する前の写真が多いが、デジカメは便利な代物。



7113,閑話小題 〜失うものは何もない ―2

2020年09月04日(金)

    * 身近な人の…‘失うものは何もない’
 身辺に、「失うものは何もない、その先に宝の山がある いけー!」ような
人物が存在する。 私が知る限り、幸せという面から右に出る人はいない。
宝の山は「楽しいコト」。 日祭日以外の8割方は、ジムとか、友人とつるんで、
昼飯に… 雨が降れば、録りだめのビデオか、iPadを黙々とみて、晴間を考える
準備になる。とにかく、毎日が楽しむためにあるような! 時どき注意をすると、
「家で暗い顔で鬱鬱としているより、ズーット良いでしょう!」と言われれば、
返す言葉もなし! 擦り込みが少ない為、失うものはなし! その先にある
「宝の山」で楽しむのが至極当然のような。 高級料理などの拘りはなく、
格安のランチの食べ歩きで充分。ただ、地味な零細企業の長女のため、時代の
流れに敏感。特に「コロナ禍」には敏感。とはいえ、生活実感が全くなし。 
誰の心の中にある?…『私は特別な存在!』が、過剰なだけ! これは彼女の
家系から発生している。10年程前に亡くなった母親が、同様。…そうなるには、
それなりの理由があるとしても『こういう一生もあるんだ!』を地にいっている。
私も何時の間に身についてしまった? ‘何があっても、まず逃げ道を確保する
生き方’がベースにある。 それが、限界を決めてしまう欠点があっても、
本来さほど、人間は強くはない!
 ―
   * 異常事態が正常とは、これ如何に?
 この数年来、秋口に過って無かった天変地異が起る! オゾン層破壊による
温暖化が太平洋の海水を吸い上げ、東南アジアに災害をもたらすケース… 
時の権力者は、その事実から目を叛けて、対策に消極的。権力基盤に大した
利益にならないためだ。そして、この様である。これだけは、甘んじて受容する
しかない事態! としても、人類は何をしているのだろうか!
 〜台風を検索すると…
【 台風は、そのエネルギー源は海から蒸発した水蒸気。熱帯地方の海に強い
 日差しが照り付け、海水温が上昇すると、海水は蒸発しはじめ水蒸気となる。
その水蒸気は暖まった空気とともに上昇し、上空で冷やされ、再び水に戻り、
雲になります。水蒸気は水より大きなエネルギーを持っているため、水蒸気から
水に戻るときに余分な熱を吐き出します(凝結熱(ぎょうけつねつ))。
この凝結熱がまわりの大気をさらに暖め、連鎖的に海水の蒸発を盛んにさせて、
台風は自力でどんどん強力に発達していきます。 こうして発達した台風は、
ひとたび日本に近づくと暴風・大雨・高波など甚大な被害をもたらします。
そのエネルギー量は莫大で、一説には一個の台風で4500京ジュール(ジュール
とは熱量の単位、1ジュールはおよそ0.24カロリー)に達すると言われている。
これは世界で使うエネルギーの約一カ月分に相当するといいます。 】
これだけのエネルギーを陸上の水蒸気から得ることは極めて難しいため、台風は
陸地で発生することは無く、海水の蒸発が盛んになる海水温26度以上の海域で
しか発生しないと考えられます。 】

・・・・・・
6746,読書日記 〜「魂の」思想史 ―2
2019年09月04日(水)
            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
 投稿者の概略が内容説明より明快であることが多い、
その一例である。もっとも、この本の、何れのページを開いて読んでも、
大元に直接、繋がっているような感じがする。良い本とは、えてして、
そういうもの。 そこで試しにページをランダムに開いてみた。P38である。
その紹介は後半に紹介するが、成るほど、深く立ち入っている。

   〜Amazonのフォロアーの感想より〜
≪ ◉ 大きな魂の現れに魅せられた思索者たちの言葉に感じ入る  
                         2015年6月10日
「大きな魂の現れに魅せられた思索者たち」を手がかりに、哲学者・芸術家
といった人たちの言葉を、著者が気の赴くままに訪ね回る本です。
扱われるのはソクラテス、ゴッホ、ニーチェ、ボードレール、ヘーゲル、
シェリング、ノヴァーリス、ピカソ、岡本太郎、中谷治宇二郎、三島由紀夫。
この人達は心の底から湧き出てくるなにものかに魅せられ、独特の思索を
残しました。統一的な思想があるというわけではありません。
 しかし言葉の節々からエネルギーがあふれ、もやもやとした何かと格闘し、
その結果社会とは折り合いが悪くなった人が多く取り上げられています。
彼らを魅了した「もやもやとしたもの」は短く簡潔な言葉では十全に表わす
ことができないものであると言えます。それをタイトルでは「魂」という
漠然とした言い方にしています。

・ゴッホは内なる心に愛を求め、外に対しては自然界に神の現れを見出し
ましたが、悲劇的な死を迎えました。
・ニーチェは常に近代人としての自覚をうちに秘めながら、それでいて近代人
からすべてをなげうって外へと踏みだし、すべてを受け入れる運命愛をめざそう
とします。
・シェリングは啓蒙思想と古典主義に反発し、情念の自由や特殊性・不定形な
ものを賛美しました。自然界とは常に変化し人間を放浪するなにものだと考えた。
・岡本太郎は近代を相対化する視点を身につけ、例えば恐山で賽の河原において
生命全体の現れを見出します。

 近代の合理主義的な思想とは異なる、もっと大きく根源的で不定形な神性
すら感じられるもの。それらについて思索者達の言葉が引用されながら、読者
を深い大きなものへと誘っていきます。「魂」の概念は漠然としていますし、
扱われる内容も難しくはありますが、読み終えた後は漠然とした大きなものを
感じ取ることができると思います。≫
 ――
▼  ―魂を実体化するカルヴァン(p38)―
《『プシコパニキア』の中でカルヴァンは、人間の魂について、それまでの
キリスト教の不確かな見方を正して、はっきりした実体を与えようとする。
<他の者たちは魂の実体とは認めるものの、生命力といったものにすぎず、
 動脈や肺の生き吹きによって動かされていると。そして魂は、肉体なしで、
 生きられないため、人間が全面的に甦るまで、肉体と共に死んでいる、という。
 だが、私たちは、魂が一つの実体であり、肉体が死んだあとも感覚と知性を
 しっかり具えて生きていると主張する」(「プシコパニキア」) …
  … かってユダヤ教徒やキリスト教徒がアニミズムの霊魂感から神の魂を、
 人間の知性、感性に基づいて実体に立ち上げたように、彼はいま、人間の魂を
 人間に照らして明瞭な実体に、形ある生命体に、仕上げようとしている。
 しかし、それもゴッホの教会のように、そのような人間の作為も滅んでいく。
 ユーゴの言葉を借りるなら、様ざまな宗教は過ぎ去っていくが、神は在り
 つづけていく。その神とは、人間界と自然界に見られる生と死のとめどない、
 反復で、強いて言えば、そのような反復をもたらす生命力でしょうか。》

ということ。私たちの個々は死んでも、神様は生き続けていくということ。

・・・・・・
6017,ルネッサンス
2017年09月04日(月)
   * 近代の始まりは、「ルネッサンス」から
 14〜16世紀は中世と近代の境目で、哲学ではデカルト、芸術ではダヴィンチ、
ミケランジェロなどが活躍。テーマの「ルネサンス」は、中世の微睡みを打破
する「文芸復興」を目指す運動をいう。
  〜ネット辞書によると〜
≪ 14〜16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起った革新的な文化運動。
renaissanceは「再生」を意味するフランス語だが,「文芸復興」と訳される
ことが多い。ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ
新しい文化を生み出そうとする運動で,思想,文学,美術,建築など多方面に
わたった。まずイタリアで始ったが,それにはいくつかの条件が働いていた。
ひとつには北イタリア諸都市の経済的繁栄があったこと,またこれら諸都市が
古代のギリシア,ローマと同じように都市国家の構造をもっていたこと,
さらに地理的に古代文化の伝統を伝えるビザンチンやイスラム世界に近接して
接触が多かったことなどである。ここでは市民の現実的世俗的感覚がキリストや
聖者をも人間化する志向を生み出し,ギリシア,ローマの古典やその美術的様式
が尊重され,独特の市民文化が育っていった。この市民文化は特に都市の支配層
である富裕な上層市民の要求に支えられ,ヒューマニズム (人文主義) の立場が
貫かれていた。しかし諸都市のコムーネ体制が衰えて,より広い領域を支配する
君主国家が発達するにつれ,ルネサンスの性格も変化した。15世紀後半から文化
は市民的性格を失って,君主の保護のもと宮廷文化的性格を帯びるようになった。
そして後期ルネサンス文化の中心地であったローマで 1527年に起きた略奪事件
(→ローマの略奪 ) で,イタリアのルネサンスは終息したとされている。
 ルネサンスの運動は 16世紀にはアルプスを越えてフランス,ドイツ,イギリス,
ネーデルラントなどヨーロッパ各地に広まり,それぞれの文化的伝統および
社会的状況と結びついた独自のルネサンス文化を生んでいく。アルプス以北の
特徴の一つは聖書の研究を通じて信仰の内容を問いかけたことで,これは宗教
改革に連なる面をもった。 ≫
―
▼ 近代化で欧米文化が底上げされ円熟した19世紀は、近代と現代の境目の世紀。
 芸術(とりわけ、音楽、絵画、文学)の世界に大きなうねりがやってくる。
その400〜500年前に近代の夜明けが「ルネッサンス」で、背景には経済的繁栄が
ある。その現代も、21世紀辺りから情報社会の到来で大きく変化を始めだした。
インテル社の共同創設者であるムーア(1929〜)が、<半導体の集積密度は18〜
24カ月で倍増し、チップは処理能力が倍になっても更に小型化が進むという法則>
を提唱したが、これが加速をして現在に至っている。これは、10数年で、1000倍
の処理能力になるが、ユビキタスとして周辺にも普及し、便利な生活用品が日々、
向上している。その最たるものが、TVや、スマートフォン、タブレットなどのPC。
そのことは、ここで繰返し取上げてきた。何故に、「ルネッサンス」かといえば、
当時の「新大陸発見」と、現実社会を覆って出来た情報化社会と、似ているため。
近代、現代の境目と同様の新しい時代の到来が、情報化社会である。混乱は、
「再生」を孕んだ新たな価値観を模索する材料を提示していると見ればよい。
行き着く先は、「2045年問題」か、はたまた、何か? 今世紀を待たずして、
世界は消滅していくのか?「ルネッサンス」の様相の中に鍵が?「良質な妄想?」

・・・・・・
6383,読書日記 〜哲学と対決する ―4
2018年09月04日(火)
           『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                    ウォーバートン,ナイジェル著
   * ソクラテスだね
 ◉ ジョナサン・グラバー
ソクラテスだな。彼の意見を多くを取入れてるからではないんだ。彼が全てを
発見したからだ。哲学をやっている人は皆そうだけど、僕も、ソクラテスが
発見した方法を使って教えている。
・まず、「これについて、どう思う?あなたの意見は?」と人々に問いかける。
・次に、最大限明確にするように要求する。「あなたが言いたいことは、こう
いうこと、あるいは、ああいうこと?」。明確になったら、正反対の例がある
ことを提示する。「それは君の見方だよね。だけど、このケースにこんな原理
を当てはめて考えてみたらどうだろう。君には思いもよらないだろうけど」。
それが哲学の方法さ。素晴らしいと思う。
・更にソクラテスは狭い学究的環境に自分自身を閉じこめず、市場に出て人々
に語りかけた。彼はチャンスさえあれば、フィロソフィ・バイツをやってたんだ。
私の意見では、あまりに多くの哲学者が哲学を一種の秘教的専門問題として
扱っている。それは大きな損失だよ。
 
 ◉ ディビット・エドモンズ
ソクラテスが上記の言葉を述べるに至った流れを軽く説明します。
まず生きるに値する人生というのは「善い」人生であろうと想定します。
ただ生きるのではなく善く生きるべきだと ソクラテスは言っています。
それでは「善い」というのはどういうことか?それは「悪い」ということが
分かった時に初めて その意味がわかります。そしてソクラテスは「善悪」とは
何かもっというと正義とは何かということを考えます。 そして
「善と悪は相対的ではない」という結論に至ります。私はこれを初めて読んだ時
(多分中学生でしたが)「ソクラテスは何を言ってるんだろう?善悪なんて
相対的に決まってる」と思いました。あることが「善いor悪い」というのは
畢竟するに社会が決めることです。極端に言えば殺人でさえ戦争中は認められ
勲章すらもらえます。これはその社会が殺人を善としているからに他なりません。
その他のことについても善悪は基本的に社会がきめているはずです… 
それならば社会や政治によって変わる「善悪」は当然相対的であって絶対的な
善悪なんてあるはずないと私は最初にソクラテスを学んだ時は考えていました。

 ◉ マイケルサンデル
一時期、正義とは何かでブームになったハーバード白熱教室の
マイケルサンデル氏の著作にあたると分かりやすい説明があります。
ソクラテスは「善と悪は絶対的だ」と主張します。(何故か気になる方は
本をお読みください)そしてそれは「問いかけと推論」を通じて見つかり
しかもその時初めて道徳と知識は結びつくのだと言います。
(私の最初の考えは「問いかけ」不足です。)
ということは「問いかけ」をしない人生というのは「無知な」人生で
「道徳を欠いた」人生ということになります。それは「善き」人生ではなく
生きるに値する人生ではないということになります。
よって最初に書いた「吟味されることのない人生など生きるに値しない。」
という名言になるのです。

・・・・・・
5651,閑話小題 〜SJの現場で!
2016年09月04日(日)
   * チャレンジ5! 二回目の最終日に
・週に3〜4回だったSJでのヨガ・エアロ、試みに二週前から週に5回に挑戦、
SJに行く日は欠かさず参加、昨日で二週間連続10回目になる予定だった。
 「昼間の割引コース」の枠内5日間で、月、火、木、土曜日が一回、水曜日
は12時半と15時の二回のプログラムが組まれている。週5回は少々キツイが、
SJの5年半の運動効果と、ヨガの4年半の鍛錬効果で、足腰の重さが半減から
三分の一に減っている。他にも、4ヶ月前から飲みはじめたサプリ効果もある。 
先週、5日続けた効果で足腰がより軽くなった為、今週も、「チャレンジ5!」
の標語を内語で呟き、続けてきたが、一昨日のシネマをみた後、腰が変に痛く
なってきた。で、昨日は迷ったが、とにかく、10日目、あと一日続けることに
した。 その土曜日は、平日コースと、土日・祭日コースが重なるため、人気
のヨガは、午前中に予約チップを取っておかないと満席になる。経験則で、
11時過ぎに、取りにいったところ、既に満席である。顔見知りが、その場に
いて、「11時前にきたが既になかった。二時間半前にきて満席とは、ちょっと
ね〜」と愚痴。で、「チャレンジ5」の二週連続は最終日で未達成になった。
   * 5千万の預金への嫉妬
・仕方なく、イージーラインを二回続けて参加した後、ベルト・マッサージを
していると、二人の中年女性の会話が聞こえてきた。興奮しているので自然と
声が高鳴っていた。それが面白い。 誰かが帰った直後らしく、
『5千万の預金、どうしたら出来るというの。今の私たちには絶対に無理。
話を合わせるしかないので、聞いていたのに。何を言っているのよ。』と。
 話の途中で、早々、帰ってきたが、どこにもありそうな話。
・以前も、書いてことがあるが、長岡駅裏の居酒屋で一人ランチを食べていた時、
近くのSJ<コナミ>の会員らしき中年女性らしき人たちの会話。
『大都会のサラリーマンは、二千万の預金が残るらしいけど、内には無いわ。
貴女の旦那はお医者さん。その位はあるわよね。』に、
『ローンで自宅を買って、まだ残債があるわ。とんでもないわ。』で、他の人
に話を向けると、『それって、夫婦で、一人で?』と自然な答え。
当然、その場が、白けていた。前に取り上げた『5千万の預金』の、続きと酷似
しているが、全く違う人。 家庭間の格差の問題が、こういう場で、知らずに
出てしまうのは仕方がないこと。これも、家内に言わせると、『恵まれた世界の
人たちの範疇の話。そこに行けるだけ有難いと思わないと』だと。
* 白馬のリゾートホテル社長の話
・去年末の東京の学生時代の同級会で、長野で中型のリゾートホテルの社長を
しているAという男が、酒を注ぎに来たときの会話。
A:会社整理をしたと聞いていましたが、大変でしたね。私のところも大変
 ですが、オーストラリアとか、台湾、中国の観光客で何とか凌いでいます。
私:何とか、夜逃げをしないで、そのまま、自宅に住んでいます。それでも、
 家内も40年間の厚生年金で、家内名義の給与を別にしていたので、生活は
 何とか出来ています。 で、二人とも、厚生年金ですか?
その辺りから、相手の様子が変と気づいたが、とき既に遅し。
A:家内は長年、病気に伏して給与を与える訳にいかず、年金も国民保険だけ。
 そんな、余裕など、全く無いのが現状。
――
 本人が謙遜で言ったかどうかは不明だが。 無神経だったことは違いない。
私にとって、現状の自分を肯定するのに必死で、ここの言い訳でも、多くの人
を傷つけているはず。いくら自分の心の軌跡として書き続け、公開していると
しても、困ったもの。「その返り矢が多いことも気づかぬ愚かしさ」
「自分の血で、他人の傷口に塗り付けている己の愚かしさ」 
傍からは、それが面白いのだろうが。 で、以下に丁度よく脈絡が続く。


7112,閑話小題 〜失うものは何もない いけー

2020年09月03日(木)

   * 久々のガイロク
 主に有楽町と銀座で行き来する人への人生の際の話題のガイロク。ネット検索
すると【街頭録音、略して「街録」。街ゆく人々の“リアル”な声から、人生を
学ぶ! 人生のピンチやハプニングとどう向き合い、乗り越えてきたか? その経験
から得たものとは…。 山あり谷ありの人生に生きる勇気が湧いてくる!
 ここでの言葉が、心に突き刺さる。
◉ コメンテーターが所属事務所の社長に言われ続けた言葉が良い!
「失うものは何もない、その先に宝の山がある いけー! 言いたいこと言い、
やりたいことをやれ!」 これを言われ続け現在に至ったと。

◉ 「パニック障害」という病になって30年の老年に至らんとする人の発した言葉。
 私が僅か10年前まで、この軽い病だったことに、初めて気づいた次第! 
何やら事業が大きなプレッシャーになっていたようだ! 最悪の倒産<会社清算)
も、直面すれば何とかなるもの。 直面したことに『正・中心・一点・無』を
呪文にして当たれば何とことはない。 …まあ、人生を二倍に感じられるなら、
それも価値は充分にある! 地下鉄の乗車に恐怖感を持ったり、汗が止めどなく
出たり、他人の視線に異常に神経質になったり、買物で話しかけられると異常に
緊張したりする! 座席に座って目を瞑って暫くすると落ち着くが… 
この酷いのを「パニック障害」という。 ガイロクの当人は奥さんが居ないと
何処にも出かけられなかったと!
 ―
   * 最近、少し変である。
 数日前にショッピングセンター前の駐車場で… 自動車を発進しようとペダル
を踏もうとした瞬間に、車がバックを始めた。 無人の筈の右隣の車が前進した
のを知らずに、自分の車がバックをしてしまったと勘違いしただけだが、必死に
ブレーキを踏んで固まっていた。過去に1〜2度、経験したことがあったような… 
他にも、右手を見て車を駐車場から出そうと発進すると、その鼻先を乗用車が
走りぬいていった。車が、その辺りまで来てない筈だったが… 前方不注意!。
75歳の壁だろうか? 毎朝一番に、家内が何やら小言を言うのが習慣に。
言った方と言われた方は雲泥の差がある。何処にもあることだろうが…

――――
2020/01/04
閑話小題 〜去年の同月同日の『どん底』を読返して
 ▸行蔵ーこんな経験をしてみた ▸哲学 心
    * 人生の『山場は?』
 70歳半ばになって俯瞰し人生を振返ると、山あり谷ありが見えてくる。
去年の2、3日の、『どん底を教えてください!』が読返すと、これが面白い。
それならば、今年は「人生の山場は何時か?」が思いあたる。
・まずは、0〜9歳までの大手通り4つ角の店舗時代。
・19歳から30歳まで12年間。
・そして、45歳までの15年間が次の山場。
・それと50歳代の9年になる。
ということは、10歳代の8年間を除いた45歳までの37年が、山場になる。
0〜9歳と、20〜45歳。そして50歳半ばから60歳前半では「家庭と、時代」に
恵まれていた。ということは逆に、10代と、40代後半と、65歳より3年を除くと、
ほぼ恵まれていたことになる! 会社清算後の65歳後半を如何に考えるか? 
ある意味で、人生で一番恵まれていた時期? 現に、そうである。問題は、
その結果を受入れ、日々を真正面に生きることが出来るかどうかである。
その辺りが、当事者でないと理解不可能。エネルギーが内側から力強く湧出る
時節こそ、「山場」と思えば当てつけにはならない。何ごとも受け止め次第。
『態度価値』の問題になる。厳しかったが、やはり19歳から30歳まで12年間。
変化、変化、変化でキャリアを積んでいて、実に面白かった。
<喉元過ぎれば熱さ忘れる>だが。 時どき、虚無感が心の中に広がって、
恐怖感に震え慄いていた。会社整理時に平然としていたのは、変化に対し 
前向きに立ち会う経験があったため。 
 峰のピークは、0〜5歳、21〜27歳と、38〜40歳。そして花の50歳代。
谷底が16〜18歳、46〜50歳、65〜68歳。そして最後の大谷は…? 
恵まれた時代に、恵まれた家庭に、恵まれた機会に因縁が多々あった。
「後味の悪いことは極力、避ける」ことで、ストレスを最小にすることが
出来たのが幸いした。しかし内なる声…『正月、早々、なにぬかすか!』

・・・・・・
6504,閑話小題 〜どん底を教えてください!
2019年01月03日(木)
   * どん底ですか、どん底!
☆ 年末年始にしては面白そうな特別番組が少ない。
 この10数年来の年末年始の真面目な政治、科学、宇宙などの
TV特番が少なくなった。普段から特番を組んでいるため、今さら?。
何かしら国全体が、いや世界全体が弱体化しているような… 中長期的
経済の低落傾向に、トランプの露骨なアメリカ第一主義がボディブローで、
で効いてきた。 現役から身をひき8年になるが、情報化による競争激化は
大変だ。中国の急激な台頭と、アメリカの動揺、そして情報化が背景にある。
 ―
☆ 年末年始は、時間制限がある人たちのターゲットを絞ってシリーズモノを
 一挙に放送するが、TV御宅でも、思い込みで見逃している分野が多くある。
その中でNHK 『街録(ガイロク)』が、面白い。 今回放映されたのが、
 【あなたの人生のどん底を教えてください!】 
何百人かに取材拒否をされた中から、応じた数人が、語った内容は、衝撃的! 
数回にテーマにする予定だが…  そこで自問自答をしてみたが、さすがに
脛の傷のため露悪的でリアルには書けない。
・コメンテーターの‘森三中’の女漫才トリオのメインの幼児体験が衝撃的。
「子供の頃、素っ裸にされて首から下を地中に埋められて、「何で、こんな
ことをするの?」と訴えたら、笑いながら「面白いから」と言われた。
そんなことを誰にも相談できないため独り悩んだ末、「笑われていると想う
から悔しいんだ、笑わせていると思えば良いんだ!」と自分を納得させた。
これが「お笑い」に進む原点。」の告白に、受けに立ったもう一人が、
「私にはどん底なんてない!全てがどん底よ!」
「私など、毎日が裸で吊り下げらているようなものよ!」と…。
「笑われる」と「笑わせる」は紙一重。
・8年前の会社清算で、それまでフンゾリ返っていた立場から一転、今度は
 罵声をかけられる立場に一変。資本主義社会では、会社清算、倒産は犯罪
に等しい。創業設計図に万一の備えをしていたため、打撲程度?で事なきを
えたが、心の葛藤は生易しいものではない。清算後、一年ほどしてから、
‘引継いだ老舗会社を清算した男’と飲み会で同席した時、私にシミジミと、
『この結果と、現状に本当に満足している』と話しかけてきた。
 同病、相憐れむ感もあったが、
『全く同感。現に直面しない第三者には、この感覚は理解できない。
以前の受難も含めて、これで一人前になったのでは?』と、偉そうに…
プラスも、マイナスの事態もエネルギー量は同じ。マイナス同士を掛け合わ
せるとプラスに転換。受け止め方で、先の女芸人のように如何様にもなる。
メジャーリーガーの大谷選手の精神的支柱が『中村天風』の言葉と、当時、
知った。『積極一貫』で、何ごともプラスに転換の精神論だが、一理も、
二理もある。 群れず、明るく、上を向いて生きるしかないのが人生の基本。
最後は、この辺りになっていく。しかし、10歳まで既に決まってしまってる?
 明日は武田鉄矢の「どん底」を、テーマにする。
どん底って、原石が隠れているんだよ… 問題は気づくか、如何かだがね!
「にっこり笑ってハンカチーフ!」 だって自分を笑うしかないでしょう!
それも腹の底から。笑ってくれる人に感謝しなくては。だって、そうでしょ!
それ以上に自分を笑わないと意味(価値)が無くなるから… ねえ、世間様。
 99里は、道半ば。胸突き八丁。成るほど、73歳から見えてくる世界は、こう
いう目線になるのですか。 虚空の一端が錯覚としても実感できるからね。  
                            ⌒ ⌒)バカ!
・・・・・・
6505,閑話小題 〜つれづれに、<ここが、「どん底」>
2019年01月04日(金)
  * 「人生のどん底」 〜両親の壮絶!
 NHKの「街録」を初めてみたのが、<「人生のどん底」って何ですか?>
の街頭インタビュー。次つぎとインタビューで、真に迫った人生のどん底体験
が生なましく語られていた。小中校時代、家庭内でも深刻な問題があり、それは
それは… 両親を含めて10人家族が戦中戦後を生き抜くことが如何に厳しいか?
10歳の頃、母親が重度のノイローゼに倒れ、3年程、寝込む事態に… 長男、次男
をたて続けて亡くした自己けん責の結果である。その中から何とか立上り、生延び
たが、それは尋常ではない家庭生活。その中で父親が独り、乗越えていた後姿を
みて育ってきた。母は、その心労で心筋梗塞で生死の場面に何度も陥っていた。
発作で苦しむ中で、白髪が逆立つ母を立川病院院長が押さえつけて、
『堀井さん、助かるかどうかは、自分次第ですよ。気力を奮い立てなさい!』と、
絶叫していた。 88歳で亡くなった時、医師の解剖の求めで、心臓の3分2が
壊死をしていたことを知った。 今からみて、小説のような特殊の生活環境の中
で育っていた。そこで「自らも創業人生を生きたい」と決意したのだから無謀も
程がある。太平洋戦の戦前の老舗骨董商(総資産が7〜8億)から、戦死者家族の
仏壇、古着販売、衣料量販店への転業で活路を開き、衣料品の製造産地で現金
決済の仕入れ、格安販売で大当り、一時期、全国的に知れわたっていた。
戦前、戦中、戦後の動乱の中で10人家族が生抜くのは至難の業。 子供でも、
家庭環境の窮状は直に伝わっていた。 シリアスになって当然。だが、自らが
現実に潰されそうにならなければ、理解不能も然り。
―
▼ 6〜7年前のこと。近所の新築の庭周りの業者が冬空の毎日続くミゾレの
 厳寒の中でのこと。 2人連れの親方が若い男に口を極めて罵倒していた。
県外ナンバーの車だから、越後の冬場工事がここまで厳しいものとは思っても
なからようで、その怒りを虐めで… 裏地が隣接しているため、パソコンが
置いてある机から丸聞こえ。それも数日間も…。まだまだ心の傷が癒えないが
故に、怒鳴りが私自身に向けているような。
<私だったら、逃げ出すだろうに… もしかして親子?いや、自分の子供に、
 これほどの虐めは無理? 成るほど障害、殺人がある訳だとか>と… 様々
な想いが沸きだっていた。どん底に、底がある。底がなければ、奈落に…
その感覚の一端、二回のバンジージャンプで味わってみたが! おぼろ!

・・・・・・
6745,読書日記 〜「魂の」思想史 ―1
2019年09月03日(火)
            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
   * 魂とは何か
 魂、心、精神について、ここでどれほど書いてきたのだろう。
それにしても、<「魂の」思想史> とは、ドロドロしたような、
あな怖ろしテーマ。霊魂を想定するためか。魂で直に思いつくのが、
内海の洞窟に一人立つ人間の姿。岩場が「こころ」で、内海が、
外海をつなぐ個々の魂。外海と、空こそ「魂」と。洞窟の背後から
滝が流れているが、これは内界から迸る、これも、内なる「魂」。
  ―― 
  〜ネット辞書によると〜
【「魂」の左の語「云」は、象形的には「雲のように見える煙やほこりのこと」
を表します。「ム」は「微細なものが地面から沸き立つ様子」、「ニ」は
「雲が空を駆ける様子」のふたつの状態を併せ持っています。
「魂」のもうひとつの漢字「鬼」は、中国では「死者の象徴」として「亡霊」
の意味を持ちます。地面から現れた「鬼=亡霊」がムクムクと上昇して空へと
向かう様子と「云=雲」とが引き合わされて「魂」となりました。】

  この<「魂の」思想史>の序文に
【 漢字の「魂」は、「こん」と音読みし、「たましい」と訓読みします。
この「魂」とは、空気のように目に見えない存在です。しかし「魂」は古来、
生物に宿り、その働きを助け、機能させるものと考えられてきました。…
 …似たような言葉に霊がある。漢字の成り立ちからみると、上部の「雨」と
「一」の文字が「連なった清らか水たま」、下部がそれに接する清らかな巫女を
現し、合せ転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神のたましい」
となる。】
 ――
   〜Amazonの内容(「BOOK」データベースより)〜
合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホ、ニーチェ、ボードレールから
岡本太郎、三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の声に
引き寄せられ、思策と表現を行った。 曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。近代の異端者を
通して生の息吹に触れる異色の思想史。
 
 ―
▼ たまたま現在、思いつくといえば、
<心という感情を想起させる日常の揺らぎを生み出す大元。これは、世界を覆う
 魂の分霊であり、生前、死後に繋がっている。ある意味で遺伝子に似ている。
大自然に感動し、抱かれた感覚は、魂との邂逅といえる。私がポックリ逝った
して、残るのは、此処で書き連ねた言葉。生きてきた痕跡を残すには、魂を
込めて書くしか他に手立てがないため。後日の私に、いま、ここの私が笑われ
ないため。永遠に切りたった、「いま、ここ、わたし」が、魂である。>


7111,閑話小題 〜さて9月に入った!

2020年09月02日(水)

   * 第二波もピークを過ぎて…
 安倍首相の退任が決まり、菅官房長官の次期首相に決りそうだ。
コロナ禍に、アベノミクスの後始末、オリンピック問題に、アメリカ大統領選の
新たな体制?への対応に、これから発生するだろう恐慌と、問題が山積に! 
現在の野党には政権を間違って渡せないのは衆人が知るところ。今回の一連の
問題で根が深いのは、三次、サービス業界が直撃を受けたこと。彼らの行先が
見当たらない! 目先は、何とか補助金で凌いでも、これも限界がある。
コロナ禍の行末も予測がたたないが、100年前の「スペイン風邪」の事例がある。
30年スパンの長期とみるか? 2〜3年スパンとみるか? 
 
 東京オリンピックを含めたアベノミクスは、明らかに大失敗。それに加えた、
パンデミック。大部分の国民にとって、まだ現実として受け止められない。
まだ後進国からの移民が少ないため、暴動が起る可能性は少ないが、平和ボケ
した日本。そこに、一日一日がドラマ仕立ての過って無かった黒鳥が舞い降りる。
元もと、この11月に米国大統領選があり、順当ならトランプが落選し、民主党が
政権交代がある。そして、その時に、安倍首相が手の裏を返して、新たな政権に
向きなおすのも不自然。その2〜3ヶ月前に、官房長官に政権を委譲しておくのも、
当然な動き。かつ、オリンピックも延期、中止も確定的!その上に、アベノミクス
の失敗も表立つ前に、持病の大腸炎を理由に辞任! 有って然るべき政治判断!

 世界中の繁華街でマスクを義務つけられた姿は、後世に残るだろう!
イスラム教徒のように、白の布を羽織り、下を向いて歩く。生活のイスラム教
徒化が、普及すれば、経済は立ち回らくなる。が、貧乏人には願ったり叶ったり。
その中でAI化が進み、合理化が、何とか、庶民の生活は保障される。こうなると、
アメリカのトランプ大統領の選出は、それなりの理由が見えてきた。私の人生も、
その最中にプッツンだろうが… バブルを踊った貴重な体験が行蔵として残った。
それは、それで貴重な体験である。

・・・・・・
6744,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―3
2019年09月02日(月)
            <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >
   * 解ったような解らないような… 老後の話。
 母親を51歳で看送り、さてと… 考えて、還暦まで9年で80歳を平均寿命として、
31年分を圧縮して生きることにした。その時点で思いついた一番遣り残したこと
を兎に角、実行することを旨としたが、還暦を向えて独りでほくそ笑んでいた。
「人生の良いところは還暦まで」という作家の言葉を信じてのこと。周囲には、
 あろう筈がない「老後」を信じた反面教師が、ほぼ全員が貴重な事例として、
その実践の後押しをしてくれていた。本当に黄金の9年であった。求めたから
与えられた。 人生の前半から、後半への節目に母親が死をもって後押しを
してくれたような。3倍圧縮したコトに換金したことになる。その価値は10倍
あたり人生を豊かにしてくれたため、『老い』に対する恐怖は少ないようだ。
 時どき、「何でこんな思いもよらぬことが起こる? 呆け現象では?」に遭遇。
これまでの行蔵が引力になっているのでは? とさえ。 心の中の奥座の魂が
引き寄せてくれるのだろか、それとも呆け現象? 

  〜Amazonノ内容説明では〜
「最近、老化が激しい」 「あたしも年を取ったわね」 「俺もそろそろ老後だ」
こう、呪文のように唱えていませんか? 
 そもそも、生物としての人間に「老後」なんてものはありません!
人生100年時代、人間は生物学的意味をなくした50歳からの50年を、何のために
生きるのか? 「老後」「寿命」「老化」「50歳からの病」「定年」…
 …巷に溢れたウソを一刀両断。
人生は2度ある――こう考えればすべてうまくいく。
50歳からの目からウロコの人生論です。
 ――   
  〜出版社からのコメント〜
 65歳から35年間も「老後」を過ごすのか?と不安に思う人が、50歳からの人生
を生き生きと明るく、健康に、生きるためのヒントが満載。人生100年時代を
生きる哲学です。 本書は、「人生は2度ある」ことを科学的に解いています。
「50歳までの第1の人生」と「50歳からの第2の人生」では、
生きる意味も健康概念も、大きく違ってくることがわかります。
 
   =以下は本書の序文からの抜粋=
≪ ◎「老後」なんてものはありません 
   (「はじめに」より抜粋)
 今、人生100年時代と言われています。 しかし、「高齢社会」「高齢者」
「後期高齢者」「定年」「老後」ノ言葉が世の中には溢れています。かつて、
あるテレビ番組では「定年後でも元気な人をどうするか?」などいうことが
語られていました。どうも、「年を取ったら定年がくる」という先入観に縛られ
ているように思う。 日本国憲法には「すべて国民は、法の下に平等であって、
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、社会的関係に
おいて、差別されない」と書かれています。憲法改正の議論が高まっていますが、
法の下の平等については、日本だけではなく世界中で、異論がないところ。
差別は禁止されているのですから、たとえ年を取ってやや疲れ気味になって
いるとしても、それによって一律の定年を決めるというのはおかしいのでは
ないでしょうか。これでは女性差別ならぬ「年齢差別」です。
でも、このような「年齢差別」とも言える言葉が出てきたのも、人生100年時代
というものを迎えて、初めての事態にどう対処すればいいのか、その概念がない
からだと思います。つまり、人生100年時代の人生哲学がないのです。
私は50歳以上の男性に「生きている意味はない」と言ってきました。
「あなたこそ、年齢差別をしているのでは?」
こう疑問に思う人もいるでしょうが、私の真意は違います。50歳以上の男性は、
「生物として生きている意味」がないということなのです。
それはどういうことか。 後に詳述しますが、女性で考えると、成長して結婚し、
子供を産み、育てるというのはほぼ50歳までに終えます。 男性も同じで、昔は
若い人には兵役や徴兵というものがありました。年を取って、体力が落ちて、
弱いものを守るために戦えなくなり、肉体労働もできなくなってくるのが50歳
くらいだったのです。つまり、50歳で生物としての人間が終わると私は考えます。
その後の人生は�猜未陵�由�瓩農犬�る別の人生です。
私たちは、人生は1度だけだと思っています。しかし、それは誤解で、実は、
人生は2度あるのです。 生まれてから50歳までの「第1の人生」と、50歳以降の
「第2の人生」の2つの人生が1人の人間にはある。その境目が50歳です。≫
 ――
▼ 51歳から23年近く経過したが、思いもよらない起伏の富んだ経験をしてみた。
 後半の人生も半ば、寝たきり、介護生活に同年代の過半数が入りつつある。
人生の総括が、残された寿命の課題だろうが… これも終えてしまったような?
 ――
八木重吉の詩。
  ‘夕焼’
ゆう焼けをあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ

・・・・・・
6381,読書日記 〜哲学と対決する ―2
2018年09月02日(日)

『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                 ウォーバートン,ナイジェル著
  * 一番人気の‘デイヴィット・ヒューム
 ◉ ジョナサン・ウルフ
<多分、ヒュームだろうね。26歳の時に、『人間本性論』を書いていたという
のがその理由。その中には、とてつも独創的な新しい観念が幾千も詰まっている。
年端の行かない若造が、既に考えていたということは奇跡のような気がする。
無駄を省いた表現の信じられないほどの簡潔さにも感心させられる。1ページで
3つもの素晴らしい議論が読めるんだ。殆どの哲学者は、ヒュームの本の1ページに
のっている観念を生み出すだけでも、自分のライフワークとして満足するのだね。
 ◉ チャンドラン・クカサス
一つにそれは私自身の経歴に関わっている。私が修士の学生だった頃、体系的
に取り組み始めた最初の哲学者が彼だった。彼の常識的で人間的な姿勢に引か
れるためです。私にとってあまりにも冷徹すぎるドイツ人ほど冷徹でない彼の
道徳の理解に心が引かれます。
 ◉ バリー・スミス
一人挙げろといえばヒュームです。彼は僕らの人生のあらゆる側面を的確に理解
していたと思います。心はどのようにして動くか、僕はどのようにして世の中に
適応するか、徳性の性質、美の判断、政治学などすべてです。本当に彼は、僕らが
生きものとして生き物としてどのように動くか、心がどのようにして構築され、
どのように組織されるのかといったことを正確に理解しようと努めました。
―
▼ ヒュームが多いのは、対象が哲学者だから。哲学書を読む度に、どう考えても
 理解できない哲理ばかり、秀才、天才は、遥かに難しい論理を軽く理解し、その
先の世界に入って、更に論理を拡張している。その難しい哲理を、ヒュームは、
論理的に説くから、人気がある? 

・・・・・・
 6014,閑話小題 またまた4kTVについて
2017年09月02日(土)
   * 4kTVを入替えて8ヶ月
 去年暮れに、寝室のTVを7年ぶりに入替えた感想を何度か書いてきた。
その1年前に、ブルーレイを入れ、WoWoWの2台目契約をして、1年分の
映画、ドラマ、海外旅番組など、私専用の300本を録画していたこともあって、
毎日が面白さが格段、上がった。その上、TV画面がフルハイビジョン以前の
100万画素から1100万画素にアップ。0・3の視力が3・0になっと同じようなもの。
更に、ネット配信で、YouTubeなどの映像が自由にみることが可能になった。
これは、生のリアル社会より、虚構のドラマや、旅人の代行をするレポーター
の映像に埋没する「オタク」に陥ってしまう。 まだ、スポーツジムと、
早朝のポタリングと、図書館と、随想日記で自己主張の外出が組んであるため、
平衡感覚を保てるが。
 5〜7年スパンで、TVを入替えてきたが、7年前に入替えた時の驚きも大きく、
日常のTV生活が大きく変わってしまった。地上波の全ての番組を自動録画を
28時間分してくれる。ゴールデンタイム19〜24時まで設定すると、約5日分を
録画をしつつ、過ぎた分を消していく。これでゴールデンタイムの気になる
番組から開放される。その分、録画したドラマや、BSの番組を見れる上に、
録画機能が内蔵されているのが、意外と便利。イチイチ録画機を立ち上げる
ことなく録画を呼出せるのが、便利になっていた。ところが、今度の4kは… 
 ということで、ますますオタクバカになっている。
〜HP内検索をすると、よくぞ!と感心するほど、詳細に書いていた。
 余程、閑とみえる。

・・・・・・
2017/06/17
閑話小題 〜話題の「4k、8kTV」とは 〜1
   * 2k、4k、8kTV
 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。
その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、
視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し
てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して
デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。
 〜ネット検索で調べると〜
≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、
 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目
されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ
ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと
呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる
8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に
あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。
フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること
ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても
液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が
あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫
 ―
▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、
 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の
TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。
同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」
と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、
これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで
関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、
今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか
などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、
納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。
8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」
が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に… 

――――
5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界
2017年02月01日(水)
  * 冥途の土産に
・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの
録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月
経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に
秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え
の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。
決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、
やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。
奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。
これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、
何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 
・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから
終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に
した世界に変っていた。
・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 
最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される
力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て
いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る
ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。
・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像
を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、
葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が
違う」と聞いた情報。
・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像
世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では
圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。
「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」
ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった
ためという。
・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし
だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代
になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き
をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。

――――
5804,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −2
2017年02月04日(土)
   * 鮮烈荘厳で神秘に満ちた粟粒の光景
 たまたま、7年前の写真家・白川義員の文章があった。
4k8kTVで、YouTubeサイト、『世界の秘境 高画質』などで検索すると、
次々と息をのむ光景が出てくる。それも現場で見るのと遜色ない神々しい
シーンなら… 何おか言わんである。4k8kのビデオカメラから映し
出された世界中の秘異境の高画質のものなら、感動しないわけがない。
間違いなく旅先で神秘的な光景を見ることが出来るとは言えない。絶妙な
天候などで、外れる可能性を含んだ上で、その神々しい光景との一期一会の
出会いが感動を高めてくれる。 『長岡花火 フェニックス』と、音声入力
をすると、現場の裸眼で見るのとは違った高性能カメラが映しだす信じがたい
色彩の花火が息もつかさず現れ出てくる。 以下の文章にある、
<スゴイ景色との出会い>が、現場とは違ったカタチで、TV画面を通して、
気楽に見れる。 毎日、その画面を見て、独り溜息をついている。
秘異境での光景との出会いが沈殿してあることもあるが。 
それもこれも、高質な『キーワード』に順じて写真、映像が出てくる。
経験があればこその『キーワード』であり、映像である。これが、プロだけで
なく、一般人が高性能のデジカメを持てる時代の産物である。 例えば国際線の
機長が、機上で目にした下界の光輝く景観の写真集を、図書館で見つけたことが
あった。機長しか見れない光景だからこそ素晴らしいのである。
 娑婆に執りこまれていては、見ても見えず。そちらから、娑婆を新たに
見れば、内幕情報とか何とかなど、何おかいわんになって然るべきになる。


7110,閑話小題 〜厳しさ感じる飲食業界

2020年09月01日(火)

閑話小題 〜厳しさ感じる飲食業界!

    * 昨日の昼飯は
 昨日の朝食の団欒で、家内曰く…
『最近、ジム仲間から面白い話を聞いた。川西の‘美味しい広場’にある店に
入ったら、入ってきた客全部が小冊子を出して、「これにして下さい」と異口
同音に注文。返事が「はい、天丼・うどんセットですね!」 それが100%
だから面白いと… 元もとの人気メニューが、500円ポッキリだから人気がある。
11時半に入店、出てきたのが12時過ぎ、待合には20人位の客数。価値は980円か!
「今度は1000円ポッキリにするか!」に冷淡に…「1000円なら他にあるわ!」と!
様々な職業を経験してきたこともあって、こういう日常のテーマを平気で書いて
いるが、どうも世の中の住人は、様々な偏見がこびり付いているようだ…
「その程度しか、社会を知らないからだが、考えないでよいことを考えないのも
必要かも…? ヘドロは自らの臭いに麻痺している… その一番手が自分か!

 ネットで検索すると…
【 商工会議所では、過去3年間実施し、お店の販路拡大・販売促進に成果を
 上げている『ポッキリパスポート』を、新型コロナウイルス感染拡大からの
復興を目的に、本年度は長岡市内全域に対象を拡大して実施します…
お得で魅力的な商品・サービスを、100円、500円、1000円など税込ポッキリな
価格で楽しめる、ワクワクがとまらない3か月限定のキャンペーン! 】
▼ 帰ってきて、その小冊子を時間をかけてジックリ読返すと、その行間から
 悲鳴に近い声が聞えてきそう! ランチは、元もと採算度外視だが、されに
3〜4割も値引きをするのだから、客側から見たら、これ程、有難いことはない!
こんなことは、長続きするわけでなし… とはいえ、今さら転職も難し! 
 このコロナ禍で、ますます新たな他者との会話、対話の機会が少なくなった。
まだ、このブログが、心の解放に成ってはいる!

・・・・・・
6743,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―2
2019年09月01日(日)
           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >
    * 「老後」って、そもそも何?
 「老後」―老いた後といえば、「死」じゃないか? その「死」で思いつく
のが、人称の「死」。そして「一人称の私の死は、存在しな」いと! 三人称
の死は希薄で、問題は身近な「二人称の死」である。ということは、老後とは、
妄想でしかないという著者の主張も解らないでない。 とはいえ、「死」と、
「老後の備え」は常日頃から整えておかないと… 場当たりの処理は無理がある。
個々人にとって「老後」とは、5年先のことと想念すると、その前に5年前を
具体的に鳥瞰すれば…。 とすると、やはり、直視するしかない。 そうこう
考えると、まず独りになり、読書、瞑想などで、瞑想するのが手っ取り早くなる。
老後… 5年先のイメージ… それは5年以前の私… 身近な5歳年上の知人、
姉等々… そうこう考えると、来世ありきと信じて生きた方が、合理的になる?      
 ―
  〜Amazonのベストレビューに、解りやすい概要があった〜
≪ 老いについては、著者のようにポジティブ・シンキングで、制限時間(寿命)
内で自分のしたいことをできるだけしようとする考えの他に、
・曽野綾子のように<老いこそ若い時期の苦労を収穫できる豊かさがあると
 積極的意義を見出していく考えなどあります。
・更には五木寛之氏の「下山の思想」などは自然な養生をして、老いと共存共栄
 しようをし郷愁を感じることにも肯定的な姿勢をとっています。
「第二の人生」として力むことなく自覚的に生きることができれば良いのだと思う。
・食事では和食を中心にするよう勧めていますが、脳細胞が脂溶性を必要とする
 ことから肉食も勧めています。ちょっと論理がチグハグです。
 むしろ最近和食以外に勧められているのは地中海ダイエットで
  �”鯑瑳髻´▲�リーブオイル ��青魚を主体としています。
 葡萄酒はポリフェノールを多く含み、血管の老化を防止します。
 オリーブオイルは油の中ではもっとも酸化されにくいので、脂溶性ビタミン
 の吸収を助けます。青魚は血液をサラサラにするDHAやEPAを含んでいます。
・また本書では「善玉」「悪玉」という表現が忌避されていますが、納豆を始めと
する発酵食品、海藻、食物繊維により乳酸菌などの腸内善玉菌が増えると、腸の
免疫機能の重要な役割を強化します。精製塩の摂取制限は重要ですが、天然塩
ではマグネシュウムなどのさまざまなミネラルが含まれナトリウムの体外排出を
促すため、制限を厳しくする必要はないと言われています。減塩食の普及に対して
批判的ならば、もう少し細密な事実を基盤にしてほしい。
 
 ――
▼ 人間を魂+肉体とみると、肉体の老後とは別に、魂の老後が… 魂は老いる
 ことはないので、ここで、まず矛盾が発生する。そこで問題が「老醜」になる。
これまで目立たなかった欠点が、年齢が進む度に表立ってくる。そして、それに
捉われて、最も大事な魂の自由が失われていく。そこで、必要なことは、
地頭で考える習慣の必要性。 そうしておかないと、マスコミの「マスごみ」
情報を信じて、せっかくの地球へのツアーを台無しにしてしまう。それが、
「死」=「老後」の言葉に捉われた結果と相成る。 …そういうこと。
政府も時どき、面白いキャンペーンを投げかける。 それが「貧困問題」と、
それに伴う「老後問題」。 今回は消費税値上げのバックグランドがある。 

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読書日記 〜哲学と対決する ー1
6380,9月01日 読書日記 〜哲学と対決する ー1   
        
           『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                   ウォーバートン,ナイジェル著
  *「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」
 著者は、過去数年間、私たちと出会った哲学者に、事前の通告なしで、
「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」の質問を続けてきた。最初に挙げ
られたのが、18Cに活躍したスコットラン人のデイヴィット・ヒュームだった。
彼が首位に挙げられる頻度の多さに驚いた。サンプルの20%以上にのぼったのだ。
プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ミル、ニーチェ、ウィトゲン
シュタイン、といった他の著名な哲学者も多かったが、その頻度は、ヒュームに
遠く及ばなかった。
  〜アマゾンの内容説明より〜
《お気に入りの哲学者は誰かと64人の哲学者にきいたところ、一番人気は意外
にも… 27人の哲学者について、現代の27人の哲学者がインタビューに答えて、
その神髄を語り尽くす。―やはり哲学を理解するには対話だ! 》
 〜まえがき、より〜
<哲学は今や、2500年に及ぶ観念の歴史を持っている。それぞれの世代は、過去
の偉大な哲学者の本を読返し、解釈をし直す。過の最も重要な思想家について、
今日の第一線の解釈者に話を聞くことが出来たのは幸運である。
フィロソフィ・バイツが始まった時、懐疑論者たちは、秘教的話題とみなされる
ものへの関心はごく小さいだろうと推測した。ところが、世界中の人々がプラトン
の愛の見解、カントの先験的命題、サルトルの実存主義についての話に聞き入った。》
ー
▼ 「お気に入りの哲学者は誰ですか?」に対してダン・スペルベルが、一言、
<そいつは難しい質問だね。わしには、好みの哲学者などいない。哲学で
 わしが好きなのは、意味の相違や対話、つまり、相手とはまったく異なる視点を
持ちだして議論する能力なんだ。> が、グササリと刺さった。
日本人の最も欠けている能力である。

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6013,幸せの確率  〜6
2017年09月01日(金)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
  * 想像してごらん 仕事なんてしなくてもいいのだと
‘はじめに’冒頭の、ジョン・レノンの「イマジン」の著者の「替え歌」が良い。 
リタイアから、このかたの私の気持ちそのもの。
・「創業を心に決めた20歳の時節。その計画に従い、自己配転をしていた時節」
・「時節到来と、創業を始めた34歳の時節」
・それとも「還暦までに、30年分を圧縮して生きると、決心した51歳の時節」
・「事業清算を決断をした65歳の時節」
 まず第一歩が、目先の他者評価を無視すること。これは現在も続いている。
これに慣れると人生が激変する。社会が全く違って見えてくる上に、俄然人生
が面白くなる。 この替え歌のような「自らに由る」自由意志が生まれてくる。
世間体とかいう妄想から解放される。せっかく80年の生命体を頂いたのだから。
 譬えるなら「他の宇宙から、80年間地球観光ツアーのため、心身を与えられ、
地上に放りだされたのだから」… 仕事などしない方が良いに決まってる。
 生きるために必要な術なら、「前半は仕事。後半は遊び」と、出発点で割り
切る生き方がよい。自由、平等、博愛など妄想だが、それでも心の奥底に、
指標として必要欠くべからざる理念。
 6年前に、このことに気付き、ここで似たようなことを書いてきた。
背中に天使の様に羽根が生えフワフワ浮いている感覚。
< 自分勝手に、何に縛られていたのだろう。縛っていたのは自分自身。
 朝起きて、パソコンに向かい、ひとテーマの文章を完成し、ネット上に上げ、
自転車で信濃川土手の二つの大橋を一周して、居間でTVをみながら、コーヒー
を飲んだ後、朝食ととり、朝風呂に入り、午前中は読書か、ネットサーフィン。
… 少し物足りない感がないでもないが、見渡すと、殆どの人達が、反面教師。
 「あれは、何じゃ」で、それは吹き飛んでしまい、以下の歌詞のとおりになる。

≪  ーはじめにー
 
 想像してごらん 仕事なんかしなくてもいいのだと。
ほら、簡単だろう?
気が向けば働けばいいし、遊んで暮らしたってかまわない。
自分の時間を犠牲にすることなんてないんだ。

 想像してごらん 束縛なんかないのだと。
そんなに難しくないだろう?
好きな土地に住もう。田舎でも、都会でも。
旅するように移り住むのもいいし、リゾート暮らしも素敵だね。

 想像してごらん。
目覚めと共に起きて、眠くなればベッドに入る生活を。
疲れたら横になればいいし、気が乗れば徹夜したっていい。
明日のことなど気にしないで。

 想像してごらん。
朝の陽射しの中で飲むビールを。
いつでも旅に出られる気ままさを。
そして、ありったけの情熱を傾けられる、何かのことを。

 そのために君がしなければならないことは、ただ、ひとつ。
それは、残りの人生を過ごすために必要なお金をつくってしまうこと!

 ひょっとして、今、笑ったかい?

 君は言うかもしれない。金持ちの戯言だって。
運や才能に恵まれた人間の自慢話だって。
いや、決してそんなことはないんだよ。
必要なのは、ちょっとした努力と、コツだけさ。
――

 本書には、そのコツが書かれている。
そんなに難しいことじゃないんだって、わかってくれると思うよ。
ちょっとした努力の方は、自分でなんとかしてくれ。
この本を手に取るくらい好奇心旺盛な君なら、問題なくできるはず。
ただし、常に用心を怠らないように。両目をしっかりと見開くこと!

 幸運を祈る。 ≫

ネットで、歌詞を検索すると

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

――
森山良子
     今日の日はさようなら 歌詞

いつまでも 絶えることなく
友達でいよう
明日の日を夢みて
希望の道を

空を飛ぶ 鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで

信じあう よろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで

<忘れてしまったな、この感覚。
   「イマジン」と共にTVのYouTubeで聴いてみようか>

 さよなら さよなら さよなら
  はい さようなら!


7109,閑話小題 〜 首相職の過酷

2020年08月31日(月)

   * 首相職が過酷と聞いていたが…
 職業の中で、政治家が一番過酷とは聞いていた。私が過ごした学生時代の寮
について、ここで幾つかテーマにしてきた。
今でいうシェア・ハウスである。そこには、全国から政治家を目指す玉石混合の
学生が寄宿していた。先日亡くなった渡部恒三氏もいたという。御上りが、世界
を知るには理想的環境で、なかなか刺激的! としても、その風情は江戸;明治
時代の長屋の世界。人間性が丸出しに曝される。それが面白い! 卒業したものの
社会に馴染めず、毎日のように会社帰りに誰かの部屋に立寄る人が多く存在する。
それ姿勢だけで、底が割れているが、自分が見えなくなっている。
<何ごとも変化を受入れて、己を変えるべし!>と、そこで学ぶことになる。
手弁当で政治家の私設秘書をしていると、「凌ぎ」が大問題。未亡人のヒモや、
実家からの仕送りで何とか生活をしている。 隙さえあれば、ネクタイとか、
ワイシャツ、小物が消えている。年数回の合コンのバスツアーで、知りあった
女性との下ネタとか、初めて入ったキャバレーの体験談とか、耳年増になる。
登行すれば、ミッション系の御品の良い連中。その格差が何とも面白い!
  
   話題を本筋に戻す! 
 地方に住んでいたら、絶対に知ることが出来ない各地の住人が、生々しく
共同生活をしている。まず知ったのは<政治家は、3つの看板、基盤が必要!>
その理想像を虚像として自らを演出していく。その前に、それが可能な教養を
ベースに持つこと! 本屋には、下校時に立寄り彷徨うこと! 友人の選定に
気をつけること。自分の核たる格言を持つこと! 学生時代に与えられた
自由時間を無駄にしない事! 要するに人生の砂場で…それまで縛られてきた
因縁から自らを解き放つことを独学で実行すること! 都会出身の友人や、
地方出身のアパート暮らしの人たちには、この生活が奇異に映り、羨ましい
ようだった。幼児の頃から大家族の末っ子で、放っておかれた生活環境にあった
空気を読むことが、この生活に慣れると生きてくる。…首相職の一端を垣間
聞いたのが、私の知人の娘が日航のチーフアテンダントで、小泉首相の
専門世話焼き。 座っている3〜4席の後部座席で待機して、雑用をする。
ところが、10数時間、死んだように身動きもせず眠りこけていたとか!
世界から預かった国家を守ることが、まず求められる。

 元大阪市長で弁護士の橋下徹氏が19日、「ゴゴスマ〜GoGo Smile」
に生出演し、大阪府知事時代の激務の思い出を語った。
【大阪府知事、大阪市長を務めたが「知事・市長の時ですら、全身じんましん。
シャツの上から無意識にかきむしってたら、シャツが真っ赤っかになったりとか、
血でね。家に帰れば全身がこわばって、ダンゴムシみたいになって伸びないんです」
とあまりの激務に体調に異変をきたしていたことを告白。「知事・市長ですら
そうなんですから、首相ともなれば、とんでもない精神的・身体的負担がある
わけでね。そこを分かった上で批判しないと」と分別を持って声を上げることを
勧めた。】  生臭い利権の中で、蠢く政治家が、全職業で一番過酷という。

・・・・・・
2015年08月31日(水)
5647,「家、ついて行っていいですか」

   * ぬいぐるみに話かける男
 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという
より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。
先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。
ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した
ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。
「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。
都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い
人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・

≪ 20代後半の男。
 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが
あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を
重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに
今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中
とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので
洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。
そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり
することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、
話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、
1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない
こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、
昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。
他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」
だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ
もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に
とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。
捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。
 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。
ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと
思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん
じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって
いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して
ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか?
キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫
 ―
▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、
「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、
この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の
中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から
自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、
都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように
書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に
ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。 
何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する 。


・・・・・・
6742,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―1
2019年08月31日(土)
   * 娑婆は、生きていてナンボのもんじゃ! 
           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >

 昨今、100歳まで生きるとすると、2000万とか、6000万が必要とか、真面目
くさった議論が出ている。 少し考えれば大した意味の無い議論を、何とまあ。
「死んでしまえば、ハイそれまで」、一円もかかりはしない。足りなかったら、
市営アパートに入って、生活保護で生活をすればよい。
 数十年、家系を含めると100年スパンの家計体質の計画が必要なこと。
目先で何とかなるものでなし。老人社会は、それこそ社会主義のよう。
「皆で弱れば、怖くない」 死を前にして、万人平等の原則が強力に作用する。
 ここで、著者は、老後という言葉に惑わされている社会風潮を批判する。
著者は、<50歳までを生命としての人生、それ以降は人間としての自らの価値
をいかす人生と割切るべし>とする。50過ぎで中途半端に区切った我が人生。
50歳代の10年で30年分を圧縮をした生き方をした。 確かに手ごたえは充分
あったような。 還暦以降、13年以上も生きてきたが、あまりに情報化による
時代の進化が刺激的で面白い。 その実感とは…
 『娑婆は、生きて味わってナンボのもんじゃ!』 そう思うしか?

《  〜Amazonの内容紹介〜
「人生が100年になる」という人類が今まで経験したことのない時代を迎えた今、
50歳からをどう生きるべきか、科学的に考えてみようという本です。
「老化」の不安や「お金」の不安、「いつまで働くのか」「いつまで働けるのか」
という不安を抱えるすべての人に読んでほしい本です。
 人生100年時代
 いつからが老人なのか?
老化も寿命も定年も病も錯覚です。
武田先生が50歳からの人生のウソと矛盾を整理します。》

 ――
▼ 確かに、老後なんてありはしない。身近な(男)の場合、還暦で、4分の1は、
 鬼籍に入った。ということは、彼らには老後はなかった? 67歳で癌で倒れ、
1年後に亡くなった父親。死期を悟り、呻いた言葉が、「あと3年、生きたい!」。
その真意は、「小さな世界で、思い込みで、何も知らずに生きてきた。それが
何だったのか。それから離れて、より深く、広く、世界を味わってみたい。」。
 父には、その3年が、この妄想としての「老後」だった。 その意味で、
26,27歳の時節に、父の死に様から、多くのことを学ぶことが出来た。その父親
の死亡年齢より5年、生き長らえている。確かに、この5年は、人生の豊穣な収穫
が間違いなくあった。生活習慣と、行蔵の御宝のためだろう。
 ここで、「子狐」とか、「御世間様」とかに捉われ、現実社会に、ドップリと
浸かった人たちを批判しているのは、「それら老人(無知の人)が、あまりに
??… 生き方に対して語らずにいられないため。分厚い我が固定観念を彼ら
から見えてくるため。 この著書の内容とは、そういう人に向けた、説法。
「老人」=「病人」である。死にゆく老化は避けることはできない。 
「全てが死に逝く過程にある老化」は、生まれてきたが故に避けられない宿命。
安易に目を叛けるから不安になり、迷い、慌てる。
 …次回は、フォロアーなどの意見や、詳細の内容など…

・・・・・・
2018年08月31日(金)
6379,閑話小題 〜怒りの静め方

   * まあお暇なことで…
 創業となるとトラブルの連続。そこに嫉妬、妬みが加わる。
バブル華やかな頃、経営の神様と言われた故・邱永漢が、
『地元で事業を興すな。烏合の衆の中で革新(創業)をすること自体、
大きな無理がある。それぞれ代々の因縁で雁字搦め、絶対に避けるべし!』と。
 5年近く、実家の本店を引継いでみたビジネスを通してみた地元社会が、
邱永漢そのままの現実に、驚くやら、飽きれるやら。地元は私にとって限界。
で、邱永漢の論に従い、新潟駅で起業を始めることにしたが、これが正解。
長岡とは風土が全く違う開放された社会。長岡では、日本地図そのまま見るが、
新潟では180度ひっくりかえし日本海を背景に見る。これは、金沢でも同じ。

 新潟市の本質は天領文化が故に、外海と表日本に向けて開かれている。
血筋、因縁など、アナザーワン。その事業を清算して住み心地良い?御屋敷で、
7年半前から御隠居暮し。そこで生じるのが城下町住人との感覚の違い? 
気持ちは地元を去った100%が外モノ。その一部の軋轢も一通り終わりつつ…?。
 長岡というより、地方は納豆のようなベタベタの人間関係。
地元は、小・中・高校の人間関係で済ませ、距離が置いていたのが幸い?。 
それでも平均、3〜6ヶ月に一度は、何やらの「サイコパス」が一瞬の隙を
ついてくる。今では手慣れたもの、全身全霊でイメージで 打砕く。
これがストレス解消にうってつけ。‘その1〜2年後に何かの巡り合わせで
因果?が現れるという物語にして…。あとは自然の成りゆき…。 これで
怒りが冷まる期間が二週間、1年後に完全忘却。ところが、その辺りに対象に
マイナーが具体的に現われ出る。それも罪悪感と後味の悪さが残らない範囲で。
これを「内的処理」として丁寧に実践。それが来年3月〜8月に、めじろ押し。
どうなるのでしょうか? 私自身のカエリ矢の可能性も。
ところで、図書館で、『怒り〜心の静め方』という本を借りてきた。
まあ、可愛らしい内容である。

・・・・・・
2017年08月31日(木)
6012.閑話小題 〜実際の長生きは苦しい
          ー新潮45 6月号・特集:私の寿命と人生
               『実際の長生きは苦しい』久坂部羊―
   * 老衰は、そんな生やさしいものじゃない
 身につまされるテーマである。確かに、この年齢まで生きることが出来て
有難いと思っている。特に、20年来の本格的情報化社会への激変は、刺激的、
かつ劇的であった。ネット社会が現実社会の上を覆って別世界をつくったが、
これを目の当たりに出来たのは人類の一員として無上の喜びである。。
 逆に、医療効果で、寿命も延びてきたが、その影も浮び上がっている。
姉、兄、その連れあい、いとこ、など身内が70、80歳半ばに到達した。
痴呆症を含めた老々介護などの問題が直面している。長寿がめでたいのは過去
の話。他人事と思っていたが、古希を過ぎた現在、自分の問題にもなってきた。
― 
≪ 医師で作家の久坂部羊氏による「実際の長生きは苦しい」は高齢者医療に
 携わる氏の本音であり腑に落ちる内容である。元気のままで長生きできると
思っている人が多いがそれは夢想であり、実際は体が弱り機能が衰え、生き物
としてダメになっていくのを実感するのが長生きだという。
がんにせよ心臓・脳血管障害にせよ老化によるものなので自然の寿命なのである。
それをなまじ病院などに行けば無理やり死を遠ざけられ想定外の苦しみを味わう
ことになる。病院に1,2か月通っても良くならなければ医療は無力とあきらめた
ほうがいいという。≫

≪ メディアでは盛んに健康、アンチエイジングを謳っているけれど、高齢者
 医療の現場は大変なことになっている。「老衰」で死にたいと、多くの人は
思っているのではないだろうか。実際、私もそう思ってた。でも、久坂部さん
いわく、「老衰はそんな生やさしいものではない」と。確かに眠るように、と
言っても、よく最後は肺炎でとか聞くけれど、実際は息苦しいだろうし…。
どんなに死を恐れ、拒絶し、悲しんでいる人も死に顔は無表情だったという。
死はそんなに悪くないということ。≫

≪ … 死をどう考えていますか?
・久坂部: 私は死を全面否定しない。死は悲しいし、つらいし、苦しい。
 しかしそんな死にも良いところはある。そう考えることでバランスが取れる。
  … 高齢者の大半が病院にかかっていますが
・久坂部: 老人の病院通いは害が大きい。時間と労力、お金をかけて検査を
 重ねた結果、分かったのが治らないということだけだったりする。それなら
 何もしない方が有意義だ。老化が原因の病気に対し、医療は限界がある。
 病院に行けば治るというのは幻想です。≫
―

▼ いざ、自分に「余命半年」と告げられると、動転するようだ。長生きの
 リアルを知らない人が、長寿に憧れ、メルヘンの世界をイメージするが、
それは綺麗ごとに終始するメディアと、健康関連業者だけ。死ぬに死ねないで、
「健康法で、長年、散歩をしてきたが、あれが悪かった!」とさえ… 
「で、どうすればよいか?」というと、「自然な寿命を受入れること」。
現実問題としては、「病院に行かないこと」。
 医師として多くの看取りをしてきた著者が、<「死を受け入れることは
難しくない。いつも、死のことを考えていれば慣れるし「あきらめ」もつく。
ヤケクソではなく、「明らかに観る」という意味の「あきらめ」が必要>と。

 


7108,閑話小題 〜阿部首相の辞意を受止めてみれば…

2020年08月30日(日)

   * 阿部首相の辞意表明から二日経って…
 辞意表明から2日経ってみれば、逆に遅きに失した感さえ思えるから不思議!
数年前から、官邸周辺が何やら異常感が強くなっていた。それ以上に、野党も
野党呆けが正比例した下降角度が鋭くなっていたことが、それを隠してきた。
一番の政治的成果は、白人第一主義のトランプ大統領の御守りを熟したこと。
まあ、良くぞ乗越えていた。 …このパンデミックの中で、あとはアメリカの
次期大統領に無事、日米関係を引継ぐこと。その殆どを安倍首相が無事平穏に
乗越えたのは褒めるに充分、値できる! 伊達で7年8ヶ月も政権維持は無理!
実に総理大臣職は激務である。次の総理大臣は、繫ぎとしても大変だ。
大腸は脳そのもの! 変にならない方が変だ! バタンギューの可能性も…。
繋ぎの流れからして、官房長の「管」だが、政治の世界は魑魅妙霊! 
   ―
   * 異常の暑さ!
 ある意味で、世界も、日本も土壇場! パンデミックの最中、アメリカは
大統領選にむかい、不安定に! 欧州も、今は落ち着いている? 難民問題と、
経済問題が大きく覆い被さてくる。経済恐慌の可能性も日ごと大きく浮上する。
100年前の第一次+第二次世界戦争と、スペイン風邪、世界恐慌が重なってくる。
そして、異常な暑さが、このパンデミックと重なるというから… 今後、この
事態の波がウネリとなるなら… 悲観過ぎることもないが、として楽観視も、
していられない。世界各地の全域で、マスク姿が一般化!異常事態を象徴する。
 そうこう考えると、10年近く前の事業清算が正解かも? このところ特集
されるパンデミックに関する特集… 知れば知る程、その深刻度の深さに驚く。
 <「直にワクチンが出回り、終息に向かうさ!>の声が聞えてきそうだが、
そうはいかないのは、オゾン層の破壊を容認してしまった問題が背景にある。
丁度、一週間前になるが、信濃川の大手大橋の真中辺りで、投身自殺未遂の
場面に出くわした。中年夫妻に気転で未遂になったが、これらも一連と思える。

・・・・・・
6741,閑話小題 〜カラスと遊ぶ 
2019年08月30日(
    * 隼型の人形を括りつけ3日目に
 一週間程前に、カラスの死骸に模した人形をベランダに括り付けた。
去年の‘カボチャの張りぼて’ほどの効果がないのではと考えて、ネットで
百均の「ダイソー」に「隼」の姿を模したのを見つけ、念押しに付け加えた。 
そのため静粛の日が続いた数日間後、1羽のカラスが斥候で?庭先に来て
鳴いていた。まずは様子見、で、その数時間後、3羽のカラスが庭先の松の木
から激しい威嚇の鳴き声。 野生動物は、テリトリーへの天敵の侵入に敏感。
怖れる風もないため、もう一羽、「隼」の人形を購入し応援に加えた。
今のところ近所にきてない。それでも数日に、再び威嚇してくる? カラスと
戯れるのも面白い。次は、新たにハロウィンのカボチャを加える予定…。
 ―
    * トランプも酷いが、何も酷い
 韓国の大統領が交代する度に、75年前の日本による朝鮮統治時代の問題を
新たなカード持ちだして反日運動を喚起して国民の目を向けることで、国家
体制維持の政策をとってきた。今回は徴用工問題。 国家間で解決済み問題を、
「個々の問題は解決してない」と強引に理屈づけてきた。さすがのアメリカも、
呆れ果ててしまった。韓国の歴代の大統領は、逮捕か、自殺の運命が間違い
なく待つ御国。その上に、側近の汚職問題を国民から目を逸らすため、軍事の
秘密事項の共通開示の協約を破棄。これではクーデターさえ起きかねない事態。
いまだに朝鮮戦争の終結がされてない臨戦状態で、権力が大統領に集中する国。
貧すれば鈍するそのもの。諸外国からみれば「近親憎悪」と思って然るべき事態。
戦勝国家たる朝鮮が、未だに分断され、日本との格差は歴然となれば、嫌日感情
も仕方がないと、上から目線が彼らのプライドを傷つけるのだろう。

・・・・・・
6378,閑話小題 〜同月、同日分を先に読んでみて
2018年08月30日(木)
   * 過去文からテーマを考えた
 テーマを考えあぐねて、同月、同日の17年余のテーマの幾つかを読みをして、
その感想を書いてみることにした。何時も、当日分を書いた後に読返していた。
当日の文章から、「過去」をふり返っていたのが、過去の文章内容からテーマを
起案するのは初めての経験。新たな気持ちで読返すと、思いの外に重く真面目
くさったテーマばかり。この程度でもテーマ探しを入れると3時間のエネルギー
が入っている。それが重苦しさ?を生み出している。本来、生真面目?なのか。
 毎日、過去の文章をコピペする過程で読返しているが、真っさらな気持ちで
ジックリと読返すのは初めて。毎日、一期一会で選び出してきたテーマと内容。
ネット上に連日ともなると、極度の緊張と、集中が必要となる。尤も、それが
狙いだが。としても、我ながらシリアスである。それも毎日毎日。
 そうともしてないと、精神のバランスが保たれないため? こんなことを
誰に頼まれた訳でなし。ただ面白いため。秘異郷の大自然の光景との邂逅で、
日々、生きている価値が認識出来るようになったためだろう。極限を超えて、
広く、深く、明るく、経験と知識を重ねる必要性を、改めて感じた。
重くても、軽くても、暗くても、シリアスでも良し。広げ、掘下げた知識、
経験しか、世界は感知出来ない。 で、このテーマは何? 過去の文章は、
今の私に何を語りかけてくる? <肩に羽根を付けて、もっと、舞え>と!
これが隠れテーマ! 死んで三日もすれば、元もと存在してないのと同じこと。

・・・・・・
4916,一度、死んでみましたが
2014年08月30日(土)
             『一度、死んでみましたが』神足 裕司著
   * 重介護5のスーパー闘病記
 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上で
あることに気づくのは、失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢
の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、10年は死んでしまう。 
TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。
実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、
去年12月に、不自由なベッドで書いた『一度、死んでみましたが』という
スーパー闘病エッセーを出していた。コラムニスト復帰の第一弾の本を、
偶然、図書館で見つけ、借りてきた。脳の大手術で、現在も殆ど動くことが
できず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、この書を
読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。
50歳半ばから還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、
癌で死んでいるが、どれもこれも、最期は壮絶な状態。これは、その実況
中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、そのまま伝わってくる。 
本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 
HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。
「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、
そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子のレビューより
≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許し
 いただきたい。本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気に
なれなかった。怖かったのだ。父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん
百%ではない。ページを繰っていけば、彼がこれまで積み上げてきたものが、
私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまうのではないか、
そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても
紡ぎ出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、
以前の筆者にも書けなかったのかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の
修飾語を用いながら、ページを埋め尽くすのが豊穣な表現だとするならば、
この本はそれには当たらないかもしれない。むしろ、そのような表現は
全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。
少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現は
あり得なかったのだろう。切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、
ミスタッチだと思われかねないフレーズ。彼の憧れたジャズピアニストを
思い出す、なんていったら笑われるだろうか。
・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」
とは「友人」とは、そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのある
テーマについて、文章を書いているその瞬間の筆者にとっての虚飾のない、
研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに思われながら、
どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。
くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち
止まって「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。≫
▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を
 味わうしかない。どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい
人のようだが・・ 本人は、このスーパー闘病記を、自分の愛読者に読んで
もらうことが、慰めのようだ。私のエッセイ『事業人生を決心して・・』
の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、この事態になった」と
吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。

・・・・・・
6011,『超一極集中社会アメリカの暴走』
2017年08月30日(水)
   * アメリカ分断の大元は
 図書館から『新潮45・6月号』を借りてきたが、面白いリポートがあった。
【世界を呑込む「超一極集中」社会〜アメリカの暴走」を著者が解き明かす―
 上位0.1%の超富裕層がすべての富を牛耳り、ますます金持ちに
 (小林由美)】のレポートがあった。
 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった〜
  〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった…
【 アメリカ“強欲資本主義”の現実
 <池上彰が『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美・著)を読む>
      
・アメリカのトランプ大統領による予算教書が五月に提出されました。
アメリカの大統領には予算編成権がありません。予算を編成するのは議会。
そこで大統領は、「こういう予算を組んで欲い」という要望を予算教書として
提出するのです。 トランプ政権は所得税や法人税の大幅減税を打ち出して
います。金持ちほど大幅に税金が戻ってきますが、庶民には恩恵がありません。
その一方で、貧しい家庭に食料を支援したり、低所得者が医療を受けられる
ようにしたりする施策は予算が大幅にカットされます。去年の大統領選挙で
トランプに投票した支持層が打撃を受ける予算案です。金持ちは一段と金持ちに、
低所得者はさらに生活が困窮していく。アメリカの現状を象徴する予算案。
金持ちの一極集中が進むアメリカ。書名通りの事態が進行しています。
・アメリカの所得格差が大きいことは日本でも知れ渡っています。国民のわずか
1%の人が富の大半を所有している。そういう認識を持っている人が多いと思い
ますが、もはやそんな状態ではないと著者の小林由美さんは指摘します。
上位0・01%の2014年の平均年間所得は2009百万ドル(約32億円)という驚く
べき数字です。上位0.1%で見ると平均所得は6百万ドル(約6億6千万円)ですが、
上位1%で見ると、126万ドル(約1億4千万円)に下がります。 過去の歴史を
見ると、1980年代以降、上位0・1%の所得は増え続けているのに、それより
下位はほとんど増えていないという現実があります。
・こんな格差社会で我が子を「勝ち組」にするには、質の高い教育を受けさせる
必要があります。そのためには幼稚園から私立に入れる。ところが私立の幼稚園
の学費は日本円で年間300万円。私立大学の四年間の学費は計3300万円。
いったい誰が払えるというのか。もちろん奨学金制度はありますし、学費ローン
を借る手もありますが、大学卒業と同時に多額のローンの負債を抱えることに
なる若者も少なくありません。「大学を卒業して社会人として第一歩を踏み出す
時には、多くの人が既に多額の借金を負っている。これがアメリカの現実です」
・こんなアメリカで繁栄を謳歌しているのが金融業です。資金を集めて投資する
ファンド。その周辺には、アナリストやトレーダー、ブローカー、投資顧問、
コンサルタントなど数多くの人が群がります。「こうした介在者の増大が金融
サービス従事者を増やし、その人件費と利益が金融サービス業の付加価値として
国内総生産(GDP)に現れ、不動産金融も含めると、金融サービスはGDPの12%
近くを占める主要産業になっています」
・強欲資本主義の支え手である富裕層は、自らの利益のため政治家に接近する。
「民主党は都市の進歩派富裕層やハイテク産業から政治資金を得て、都市部に
集中しているマイノリティを取り込み、共和党は重厚長大産業やエネルギー、
金融界から政治資金を得て、中西部や南部に集中している貧しい白人を取り込んだ」
アメリカという国が分断されるわけです。アメリカという国を分析する著者の筆法
は鋭く、ときにアメリカに対して絶望的な気分になりますが、他方でアメリカの
強さも知ることができるのです。(池上 彰)
―
▼ トランプ大統領になって以来のアメリカの分断は、この本を読むと、理解
 出来るようだ。10年前に、同じタイトルの本を出している。出だしからして、
<アメリカ人は4種類しかない。超金持ちと、仕事のプロと、貧乏人と、社会的
 落ちこぼれだ--。>である。この現実が社会問題にならないのは、誰もが、
アメリカンドリーム、「いつか私も大成功し… 」の妄想があるため。現在の
日本も、同じ傾向になっている。 情報機器も含め4割が情報関連を占めている
現在、若い人は、何はともあれ上質な情報と知識に対し、敏感であらねば。 


7107,閑話小題 〜タイミングが良すぎ、安倍退陣

2020年08月29日(土)

    * ドラマ仕立てのような…
 無責任体質の日本の政治家たちの結末は、これだったのか! 安倍首相の7年
8ヶ月の数々の汚職疑惑と、アベノミクスの失政、東京アリンピック誘致の判断
ミスの責任等々と、パンデミック拡大の激務を、大腸炎の悪化で仕方なく退陣!
の物語、見事としか言いようがない。さすが長年に亘って政権を維持してきた
歴史ある保守本流。黒子が表に出てきて白子?を後ろに隠すとは…(笑))
 …阿部の背中に全てを乗せて御隠れとはドラマ仕立てのように出来過ぎ! 
黒子として、菅官房長官が最適か? 短期として、副首相が繋ぎに徹した体制か。
副首相と官房長官は、同体として見做されるため、石破が適当か? 私が陰の
力を持つなら、後者だが、政治は感情で動くから、これは難しい! アメリカの
意向もあるし、喜劇の寸劇とみると、これは面白いと冷笑してはいられない。
俯瞰してみるに…現在は地球規模の大災害の最中で、この一週間が勝負になる! 
地球規模からみると、第三波を加えた三次世界大戦の可能性も出てきた。
 ―
   * 政治家を引退したが、橋下も面白そうだが…
 この時節、20c的な体質を潰す滅多にないチャンス!政治家を引退したが、
橋下も面白い! 野党と自民党の革新派が組めば、出来ないことはない。しかし、
政治家の手順能力は未知数が問題。それ以前に、現実問題から、ほど遠い話!

・・・・・・
6740,閑話小題 〜映像社会、そのすえ恐ろしい時代
2019年08月29日(木)
   * 怖ろしいかな映像社会、…気の毒?としか
 昨日の朝のこと。 朝方の3時半に、目が覚め、ブログを書上げた後、雨の
ため、信濃川への早朝チャリは休止に… そこで民放のニュースをみたところ、
4人の駅員と、4人の高校生と、止めに入った小母さんとの入乱れたトラブルの
映像が流れていた。ネット上で拡散された映像ネタである。 ところが最後に、
それが地元・長岡駅での出来事と初めて知った。 
 さっそくユーチュブで、「長岡駅 キセル少年」で検索すると、あるある。
何と36万回のフォローというから、他のサイトを加えると数百万に拡大? 
としても、少年たちは、あまりに悪質、かつ安易で、運が悪い。キセルで全国区
ニュースで放映とは。とはいえ、10人近くの現場の迫力ある映像は見応えが…
 それを逆に食ってかかるとは… ユーチュブの映像は顔が丸見え。地元の
?業高校生で、飲酒をしていたとか。 名前も直に拡散するのだろうが… 
スポーツジムでは、誰もが知っていたようだ。映像や写真で撮られてなければ、
些細な地方駅でのキッセルトラブル。問題は、スマフォで撮影され、全国区の
民放で流され、拡散されたこと。その上に、名前も、在籍している高校名も、
ネット上に載せられてしまったこと。更に悪いのは、ここは閉鎖的城下町で、
退学に至る可能性もある。 チンピラも、ヤクザも、フマフォや、隠しカメラ
の中で、恐喝、強請りがますます難しく、日陰に追いやられてしまう。 
 考えてみれば、厚労政務官 上野宏史衆議院議員が 口利きの要求を秘書と話し
あっている現場の録音をされて公開され失脚した。これも逮捕に至るだろうが… 
これでは、利権?による集金も、おちおち出来やしない。暴力団事務所には、
下ネタを含めたすっ飛ぶような、危ないネタが数多くあるのだろうが… 。
 特に酔っ払いの皆さま、ご注意を! ある意味で、世間体も必要ですか?

・・・・・・
6377,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜2
2018年08月29日(水)
      <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
               |松沢哲郎・動物心理学者、霊長類学者>
   * 持ち運べる言語(情報・経験を)を獲得
 Amazon内のネットサーフィンに、以下なる内容があった。
人間教育の原点が、この辺りから出発している。自己認識と同時に、人は
他者認識も必要である。自己と他者の違いから、自己と他者を理解する能力
が培われる。その意味では学生時代のシェアハウスのような「寮生活」は
ベストに働いた。各自の共通する要素と、違った要素を振り分ける目線である。

≪・西アフリカのギニアで25年間チンパンジーを見てきた。チンパンジーから
 見た、人間とは何かとは、生活史や親子関係から見ると共に育てる、共に育つ
「共育」そして、「認める」が人間の特徴となる。 
チンパンジーは「教えない教育」「見習う教育」である。それは、師匠と弟子の
関係に似ている。認識における「関係性」(三つを超える)、再帰的構造(入れ子)
の有無がヒトとチンパンジーを分ける。自己認識(自他の明確な区別)について、
ヒトでは3歳迄と4〜5歳からでははっきりと分かれる。自分が見ているものとは
違う認識世界に他者がいるというのが分かるのは4〜5歳になってからである。
そして他者を理解するというのは自己埋込み的な再帰的構造にある。≫

・人間とは何か。言語という情報、経験を持ち運べるものを獲得した。
そして、想像(イマジネーション)するちからである。
チンパンジーは、絵を描くが抽象的である。似顔絵を与えるとなぐり書きを
するか僅かに顔の輪郭をなぞる。多分、眼の前にある、そのものを見ている。
たとえ一瞬であるとしても。想像できる時間と空間の広がりは極めて狭い。
だから、チンパンジーは絶望しない。人間は、そこにないものを思考する。
だから、人間は絶望するし、希望も持てる。
 最新の成果として、チンパンジーの子どもが人間の大人よりも優れた直観像
記憶を持っているという発見がある。人間は、それを失う代わりにシンボル、
表象、言語と呼ばれる認知機能を手に入れた。直観像記憶は、他者と共有出来ない。
そして、脳の容量は決まっているからだ。日本の研究は、欧米の母子分離による
研究でなく日本オリジナルな「観察参与」という方法によるものである。

・人の希望や絶望もこの「想像するちから」を身に付けたところから始まった。
人は、系統樹でチンパンジーから分かれてから後、言語や文化、あるいは文明は
飛躍的に発達したかもしれないが、その代償としてチンパンジーたちの
「明日を思い煩うことのない心」の世界からは遠く離れてしまった。≫
ー
▼ 情報機器の飛躍的進歩は、ネット上に写真・録画などの画像を記録し、
 公開出来るようになった。逆に言えば、想像力の減退につながる。ポルノ
写真が、その代表。言語獲得で、想像力が生まれ、その過剰が文化、文明が
生まれていった。この「テーマ日記」も、毎日、膨大に入ってくる情報・経験
を物語風にして、パッケージすること。そこにHP内検索機能を付けて、忘却の
彼方の記録を瞬時に引き出せる。 拙い脳の大枠の公開でもある。今さらと…
としても、非常に危険である。過去の文章を読返すと、そこに現れ出るのは、
過去の自分という他者。明らかに現在の自分ではない。誰だろうか、過ぎ去った
あの人は? そこから過去の他者と、現在の私の会話が始まる。これが内省?

・・・・・・
5645,不幸な国の幸福論 〜��
2016年08月29日(月)
         <不幸な国の幸福論  2009/12/16 加賀乙彦 (著)>
   * 幸福を阻む考え方・生き方
 著者が東京発大阪行きの新幹線に乗車したところ、典型的な上流と
思ぼしき上品な奥様方3人のグループがすぐ後ろの席に場所を取った。
ご婦人たちは京都に着くまでの時間、大きな声で“会話”の話が著者の
耳に飛び込んできた話題を紹介している。  〜要約すると〜
《・「ご主人、部長になられたんですって? さすがねぇ」
・「さすがどころか、やっとなのよ。○○さんはもう役職待遇なのに」
・「でも同期の中では二番目に早いご出世だって聞いているわよ。羨ましいわよ。
 息子さんは○×大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」
・「主人の母校の△△大に行かせたかったのに落ちちゃって。○×大も悪くは
 ないけど、義姉のところの子供たちが△△大出て外務省だから肩身が狭いのよ。
 それに娘の相手がねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校
 しか出てないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで・・」
京都駅で降りていく三人組は、それぞれブランドのバッグを持ち、ブランド
らしき服やアクセサリーで着飾っていた。 夫は難関大学出身で、日本有数の
大企業で働いているらしい。 住んでいるのは東京・世田谷の高級住宅街。。
 著者は「快楽の踏み車」の言葉を用いている。 カゴの中で踏み車に乗って
ぐるぐる回転するハツカネズミ。そう自分で自分の欲望を果てしなく肥大化させ、
疲れ切ってしまう人間たちを重ね合わせている。
 与えられた理想形「これこれの条件を満たせば幸せになっる」を疑うことの
ない人は、そのレールの上は走れても、レールから一歩はずれたら、自分が
どのように考えて進んでいけばいいのかわからなくなる。外的価値に拘れば、
束の間の満足と引き換えに、永遠の二十日鼠の、快楽のふみ車をまわし続ける
ことになる。》
▼ 面白い内容である。私が5年前の会社整理をした時に、外的価値に縛られ
 一生を終えるハツカネズミと、ドブネズミに罵声を浴びせられた。しかし、
ネズミはネズミと分かっているから平然としていられる。新潟駅前のチンピラ
に何度も暴言罵声を浴びせられてきたが、これ以下の連中と確信できるので
超然としていられる。
 家内が某女子大の県内の地元OB会で、大小規模の経営者婦人たちとの会話は
大同小異で、こんなもの? オーナー会社の御婦人が中心もあり、少し違うが、
亭主の力関係が、そのまま当人に跳ね返ってくる。それを何とも思わないのが
家内の特性。幼少期の幾かの習い事のベースと、受験高校に在籍、地方の子女に
人気の女子大(短期)を卒業。実家の仕入先のメーカの茶汲みを丸の内でして、
その直後、私と見合い結婚。 割引新幹線で年に10回は東京名所巡りが趣味。 
40回近い秘境・異郷の修羅場をくぐってきた経験がある。そこで、遥かに違った
人種とのやり取りの経験も多々ある。 「あなたの状況がどうして? 私には
関係ないこと!」の開き直りがある。 開き直りは私にも無いではないが、
遥かにドライときている。 元もとサラリーマン系ハツカネズミの単一思考
など何もない。5年前に「もしか、原信のレジをしなければならないの?」と、
する訳が無いのに、至って超然。この程度は、彼女にとって、幸せを阻止する
要因でない。単一の理想系すらない。生まれ、楽しみ、その時が来たら、死ぬ。 
こういうのを幸福形(系)の人という。 それにつけても、私は何をしてきた?
 以下の「うさぎちゃん」みたいのも、存在しているのに。
・・・・・・
5280,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月29日(土)
      ーその時、言葉は私の「神」となるー  中村うさぎ
         〜心肺停止になって考えたこと! (新潮45/6月号)
   * 二種類の私と、純粋な自我
 死に際を経験すると、傍目に縛られすぎてきた自分に気づかされる。
そして、裸の己を直視し、それを言語化し、それに従うことが、自分の真実を
生きることと、著者は悟る。 死線を漂うと、虚無の彼方から、宇宙の向こう
側から、小さな世界に縛られている自分を客体化する視線を持つ。
 その実体験から得た、重層の心の構造を、醒めたタッチで解体する。
≪ 心肺停止の数日前に私は別人格になっていたらしい、という話を以前に
 書いたと思う。 ・・誇大妄想的な発言を真顔でしてみたり、「魂が抜けて
言葉だけ残った空っぽの中村」になっていた。あの時の私はいったい何者だった
のだろう、と今でも時々考える。あの頃の私は別人になっていたわけではなく、
自意識とかいうものを一切失い、純粋な「自我」のみになっていたのでは。
私が「私」と言う時、そこには二種類の「私」が混在しているように思う。
・ひとつは「他者から視られている私」という「客体としての私」で、
・もうひとつはデカルト言うところの「我思う、ゆえに我あり」的な
「主体としての私」である。
「客体としての私」は「自意識」に支配されており、
「主体としての私」は「自我」そのものだ。たとえぼ「世界を救う」などと
いった壮大にして荒唐無稽な使命感を私が意識の底に抱えていたとしても、
それが他者の目にどんなに愚しく狂気じみて映るかを知っている「自意識の私」
は決して人前でそのような発言をしないし、何とか己の意識下に無理やり、
その人格を封印してしまうだろう。だが当時の私は、そのような他者の視点で
己を視るというスキルが崩壊していて、頭に浮かんだことを自意識の検閲なしに
ぺらぺらと喋っていたのだった。まさに「我思う、ゆえに我あり」だ。
私が思考し、私が語るから、私は「私」の存在を実感する、という感覚。
そこに他者は介在しない。他者を通して自己確認することもない。
私という主体を中心に世界は存在し、自分の存在価値など問う必要もない。
「価値」などという相対的な概念が最初からないのだ。なんと単純明快な
世界だろう。アダムとイヴが他者の目を気にして己を恥じたり隠し立てしたり
することもなく、素っ裸で歩いていた「エデンの園」そのものではないか。
「自我の私」のみで生きるということは「エデンの園」に戻るということである。
他者の評価に怯えることもなく、己の存在価値だのに悩まされることもなく、
獣のように天衣無縫に生きられる楽園の生活。が、その代わり、社会性は著しく
失われる。自意識が高度に発達した現代社会で、このような人間は生ていけない。
生きていくことを許されない。 ≫
▼ 先日、一番上の義兄の葬式に参列した。地元の名士?の中で、精一杯、
 背伸びをして生きた人だった。表面的な人付き合いに生きるのも、それは
それで、一つの生き方である。それぞれにとって、中味は別として、それが
全世界である。ただ、自意識に支配されている、「客体として私」を、
「主体としての私」が、見つめ、「自意識過剰」を「自我」がコントロール
する基盤が必要となる。それが教養である。「独り」を「独り」で楽しめる
素養は、家系を含めた長年の蓄積が必要となる。城下町は、それは有り余って
いる筈だが、変化を嫌う体質が、「独り」の世界を小さく変質させてしまう。
・・・・・・
4915,閑話小題  ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」
2014年08月29日(金)
  宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。
 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。
  これはスターの内的要素の骨格である。
 「ブスの25か条」           「美人の25か条」
1.笑顔がない            ⇒ 常に笑顔で
2.お礼を言わない          ⇒ 前回のお礼の挨拶から
3.美味しいと言わない   ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に
4.精気がない            ⇒ 精気を満たす
5.自信がない            ⇒ 自信を持てる何かを持つ
6.愚痴をこぼす           ⇒ 愚痴は言わない
7.希望や信念がない         ⇒ 希望と信念を持つ
8.いつも周囲が悪いと思っている   ⇒ 周囲のお陰様に気づく
9.自分がブスであることを知らない  ⇒ 自分の程度をわきまえる
10.声が小さくイジケている     ⇒ 声が大きく溌剌としている
11.なんでもないことに傷つく    ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に
12.他人に嫉妬する         ⇒ 他人の美点を凝視する
13.目が輝いていない        ⇒ 何ごとにも興味をもつ
14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる
15.責任転嫁がうまい        ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ
16.他人をうらやむ         ⇒ 人を賛美する
17.悲観的に物事を考える      ⇒ 楽観的に、そのためには教養を
18.問題意識を持っていない     ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける
19.他人に尽くさない        ⇒ 人の役にたつ生き方を
20.他人を信じない         ⇒ 信じられるだけの知識を持つ
21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ
22.謙虚さがなく傲慢である         ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ
23.アドバイスや忠告を受け入れない⇒アドバイス、忠告を聞き、受け入れる
24.自分が最も正しいと信じ込んでいる   ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと
25.存在自体が周囲を暗くする  ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること
▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、
 誰もがブスの要素が多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラ
ジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの輝きを心掛けるため。物理的
貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 
それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。
タカラジェンヌのミニスターを、まず彼女たちは演じることから始まる。
そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 
幸せへの道しるべ!である。
・・・・・・
6010,幸せの確率   −5
2017年08月29日(火)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
                アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
   * 「現状維持バイアス」と「保有効果」
 この本で紹介している「現状維持バイアス」と「保有効果」。人生は、常に、
この二つとの戦いと言って過言ではない。自分だけでない、親兄弟、連れ合い、
同僚のそれらもある。情報機器の劇的進化をする社会の中で、このバイアス
を乗越えて自分を変化させ生き延びなければならないから現代人は大変だ。
とはいえ、この二つ、動物としては生きる術でもある。〜ネット検索によると
≪ ☆ 現状維持バイアスとは
「大きな変化や未知なるモノを避け、現状を維持したくなる」という心理作用。
バイアスとは「先入観」「偏見」という意味。人は、変化そのものを嫌います。
その背景にはプロスペクト理論における「損失回避性」が働いているからと
いわれています。損失回避性は、
「人は利益から得る満足度より同額の損失から得る苦痛の方が大きいと判断する」
という心理作用です。現状を変えることによって「何かを失うかもしれない」と
いう不安が「何かを得られるかもしれない」という期待よりも上回るのが、
現状維持バイアスがかかる理由なのです。≫
▼ 3C主義=チェンジ、チャレンジ、コンペティションという主義は、現状
 維持バイアスを打破するにはベスト。人間は本能的に、「変化、挑戦、闘い」
を避ける。しかし、成長、進化には、現状打破が必要条件である。第二の天性、
「習慣」というシステムも現状維持が出来る、良質なら悪いことではない。


7106,閑話小題 〜7月末が、ピークだった?

2020年08月28日(金)


    * なに〜、呆けたか朝日新聞?
 数日前の朝日新聞・一面に、『国内のコロナが7月末がピーク』とあった。
【 ―8月21日-政府の分科会は21日、
 おもに7月以降の新型コロナウイルスの感染拡大について「全国的に見れば、
ピークに達したものと考えられる」との見解を示した。新規感染者の発症日は
7月27〜29日ごろをピークに緩やかに下降…】
 もし、そうなら、この騒ぎは何だった?と、思いつつ読返すと…
「第二波が…」の話。これでは、誰もが誤解する見出し! 
そんな甘いものではないのに… 大部分の人は事実や、真実を自分が望んだ
情報に書きかえる強固なバイアスを持っている。この秋口には、間違いなく
大きな第三波が到達するのが間違いないのに… この記事の見出しはない!
国からの援助を貰えるまで貰って廃業時期を探る日々だろう。厳しいのは、
これが地球規模にわたっていて、長期にわたること。理想的な特効薬が仮に
出来たとして、普及するには数年は必要になる。この7〜8ヶ月で、世界中で
惨劇が続いてきたが、それが、まだ序盤!経済困窮や、戦争問題で、権力者は
実権を得て方向を見間違えていく。 白人対有色人種の対立軸を持ちだし…
 朝日新聞の見出しには、明るいニュースで、少しは希望を持たせようとする
上から目線が見え隠れする。
  ―
 こうなると、リタイアをした身には、現在の日常が、そのまま、現役世代に
一般化したに過ぎない。今さら、海外旅行も行けないし、免許証の返済を
云々しているので、新しい車も欲しいとも思わない。美人を見ても、トキメキ
もなし! 晩酌に黒ビールを飲んで、美味いツマミがあれば充分! 
一万年前の「農業革命」で、人間は群れと、知恵を使って、地球を身勝手に使い
放題。そして本格的にオゾン層を破壊してきた咎が、ここで一挙に出てきた!
 こうなって、初めて、これまでの生活の好い加減さに気づくことになる。
3密が持て囃されていたのが、何とことはない、その行きついた先が、これ!
  ―
 世界中の人たちがマスク着用を始めて、マスクが服装の一部過化すると、
口と鼻が性器に思えてきた。マスクはパンツの役割… 下を隠せば、上も当然… 
ここを隠すと、見えてくるのは目と、全身のバランスのみ。帽子を被ると、
化粧の必要もない。イスラム教徒と、身を覆う服装。マスクはイスラム教徒の
顔版になる。このパンデミックは、当然、世界恐慌をもたらす。
 〜で、例のごとく、一年前の文章に丁度良く、つながる!

・・・・・・
6739,閑話小題 〜何ごとも因果応報!
2019年08月28日(水)
   * 自分にとって、一番いいようになるから大丈夫
 ある本にあった一節「自分にとって、一番いいようになるから大丈夫」。
この視点で、人生を振返ると、幾つか思いあたることが… 逆もあったか!
「自分にとって、一番悪いようになることもあるから、それを前提に考え
準備しろ。そう考えると、何ごとも上手くいく」ということ。
‘ものは考えよう…’ 最悪に思える事態に、最善が隠れていることが多い
ため、そう確信をしていれば、泥が落ちて最善が現われ出てくる… 
 …確かに幸せな状況の磁力は強力である。そのために最善を思い浮べれば
良いが、思わなくても磁力が、引寄せてくる幸運な人がいる。
 生命誕生から40億年。進化論でみれば、最善が続いた結果、この世界が
あって、現在の自分が存在しているため、「一番いいようになる」のは
至極当然。だが、真逆も。それは紙一重で左右することが多い。
 だから、人生は摩訶不思議で絶妙な味がする。
情報化の進化は、膨大な上質な知識・情報をシャワーのように吹きかける。
目を凝らしていれば、様ざまな材料を見出すことが出来る。
要は、何を目指すか、つくり上げるか? 平均80年の限定旅行の中で!
思い込みを、とにかく、横において、まず、一番、いいことを探そうよ。
そうしている(因)と、更に、いいことが、向う側(縁)で、やってきて、
因縁が出来る。 「善因、善果」の逆の「悪因、悪果」。その見極めが
第一歩。 そのための第一歩は、「何をするか」より、「何をしないか」。
「何処に行くかより、何処に行かないか」、「誰を触媒にするかより、
誰を近づけないか」にある。 …そうこうしてたら、誰も居なくなり、
孤独死?ですか。 

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい 」。 夏目漱石の「草枕」冒頭の言葉。
「智から目を背け、情に流され、意地など考えず、世間の常識を疑いようも
なく、無事、人生を流離い、生きるしかないのか? 他者の中に合せ鏡と
して自分の姿を見えるなら、まだよいが、それすら考えられない人が、
「世間様」。これが日本では神様として崇めたてられるため、烏合の衆に。
別名「ゾンビ」。魂も肉体も干からび、集団で群れるしか能がなった人たち。
都会に、田舎に、そういう孤立し、干からびれた一群が存在する。それを
掬い取って信者にしてきたのが新興宗教。 その御経が、たった一言、
『教祖を信じさえすれば、一番いいようになるから大丈夫』の洗脳。
個々が孤立し、隔離されるため、洗脳は簡単。 あとは奴隷のごとく。

・・・・・・
6376,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜1
2018年08月28日(火)
        <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
                |松沢哲郎 ・動物心理学者、霊長類学者>
   * 想像力は感激、感動から
 今さらだが、人間たる由縁は「想像するちから』である。霊長類学者が
語る論は説得力がある。想像の力は、異質との出会いと邂逅から生まれ出る。
それが発達、発展して人間は万物の霊長と言われるようになった。 人間は
一万時間を一つに集中すると、専門能力が形成されるという。そこで、毎日、
一テーマを自らに課して17年。二万時間をブログに投入し、蓄積をしてきた。
「馬鹿の考え休むに似たり!」の休息にいなっていた? 何かを得たか?の
問題ではない。休まるのである。 得た一つが、集中の継続から得た想像力。
夜半の半睡眠かgら起床し、書きかけのテーマの内容を考える。
ふと【検索】で、「チンパンジーと人間」を入力すると、面白いのがあった。
ー
≪ もっと簡単な方法は外国に行くこと。外国に行き、外から日本を見れば、
どういう国かすぐわかる。これと同じように「人間とはなにか?」という問いを
立てられたとき、人間に近いチンパンジーという「アウトグループ(よそもの)」
を知れば、人間がより深く理解できます。
 地球に住む数千万種類の生命のなかで、いちばん人間に近いのがチンパンジー
であるというのが、21世紀の人類が到達した理解です。ヒトゲノムが2003年に、
チンパンジーゲノムも2005年に解読されました。これによって両者のゲノム
塩基配列が98.8%同じだとわかった。新しい人間観が生まれるなかで、いちばん
重要なアウトグループがチンパンジーなんですね。
 人間とあまり変わらないチンパンジーと、私たちはどこが違うのか。
人間の特徴は「想像する」ということです。チンパンジーは未来を想像しない
から絶望はしませんが、人間は容易に絶望する。でも、絶望するのと同じ能力の
「未来を想像するちから」があるから、人間は希望をもてる。私たちは必ず
死にます。だけど、自暴自棄にはならない。「毎日をよりよく生きよう」と
思うのが人間で、そう思い、希望をもつように進化してきたのです。≫
ー
▼ 過って霊長類学者にして京都大学総長だった山極 壽一(1952年〜)が同じ
 ようなことをいっていた…。 松沢氏は、人間が有している「想像力」に注目。
ところで米国合理主義に、プラス思考を発展しイメージを豊かにすることで、
自己育成をするプログラムがある。 またヨガを最初に持込んだ中村天風も。
その理念『積極一貫』の中から「想像力」を育成する効果を説いている。
『想像する能力』は、感動、感激する心から生まれ出る。大自然でもよい、
世界的芸術作品との邂逅でもよし。感激、感動は、その瞬間、対象と同化する。

・・・・・・
4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
 * 認知科学者は間違っていた? 
       「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著
 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して
くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解
しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 
「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、
思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観
が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。
論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに
変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の
大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、
 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。
西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、
分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか
がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する
ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか
で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を
理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる
人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が
革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は
間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は
思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的
  メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの
  であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を
  認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる
人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。
アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。
こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を
もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が
関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的
でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物
を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている
 ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が
あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を
もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名
になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。
それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に
ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。
争いは永遠に続くことになる。

・・・・・・
5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月28日(金)
         <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著>
       〜心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号)
   * ナルシシズムと自己愛と、自尊心
 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。
状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、
毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に
なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け
殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、
女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。〜その辺りから〜
≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと
しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した
ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。
何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて
しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。
 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、
生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分
を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。
人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの
を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い
については私なりの定義がある。
・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年
ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。
そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、
正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、
相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。
 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。
・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、
「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と
「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。
「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」
はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて
愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」
よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同
されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、
私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや
「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長
線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である
「ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に
とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。
 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を
失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも
醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。
己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪
したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。
 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、
自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。
理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。
このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、
いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。
・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、
目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく
のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で
あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、
公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは
ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、
的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷
に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え
られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって
盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。
それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた
し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫
▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、
その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。
「ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。
その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。
・・・・・・
6009,閑話小題 〜駐車場事故は3割!
2017年08月28日(月)
   * 大手大橋をヒキチャリをして…
・先日、スポーツジムに、ヨガ予約・チップを取りに行った帰りの駐車場内で、
80歳半ばの老女が自転車に乗ったまま、突然、飛び出してきた。「危ない!」と、
思わず叫びながら急ブレーキを踏み、1m手前で辛うじて停止、事なきを得た。
その横道は一時停車の文字が書いてあるが、痴呆症が入った風で… 今まで、
無かった経験。雨だったら間違いなく事故っていた。
「交通事故の3割は駐車場事故」と聞いていたため、特に注意をしていた。
老女をひけば、ほぼ運転手側の責任になる。しかし、これでは避けようがない。
自動車運転の経験もなく、痴呆症が入った老女の自転車運転は、恐ろしい限り。
・半年ぐらい前に、同じSC内のスーパーで買物をした後、駐車スペースから
バックで出ようとした際に、80歳半ば過ぎの老人が運転席の前を横切った。
「ならば相方がいるはず」とバックを一瞬控えて、後ろを見ると、その連れ
合いらしき老婆が飛び出してきた。その直後、「もう、運転を止めよう。
前期高齢者が、後期高齢者を轢いてしまうケースになるところ!」」と、
真剣に考えてしまった。
――
   * 世の中、喜びや悲しみで満ち溢れている
 雨のため、早朝のポタリングを休んでいたが。昨日は大丈夫だった。
早朝の自転車散歩は、心身にとって、非常に良い。昨日の朝、大手大橋を
ヒキ・チャリをしながら、「この辺りから… 不明だった少年が飛び降りた
のでは?」と思うと…。 人生の深淵を垣間見る思いであった。
 来春は高校に入学、その3年後に大学で上京し、色いろな人と出会い、
酒を飲んで、人生を語り、殴り合い、旅行に出て、恋愛をし、失恋をし、
就職をし、結婚をして家庭をつくり、挫折を重ね、泣いて笑って、数限り
なく感動し… などの全て失ったのである。 もし自分の子供だったら、
両親の気持ちは如何ばかりか。人は、ただ生きているだけでも充分だが、
それは、生抜いてきた人の言葉。

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