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堀井On-Line
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2020年07月17日(金)
* コロナ禍後の7つのシナリオ これから如何なっていくのだろうか、心配をしてネット検索に、 『コロナ禍後のシナリオ』と検索すると、知りたいと思った内容が理路整然と 提示されていた。なる程、自分で考えなく訳である。 ≪ 筆者には、時代の行く末を示す大いなる抽選器の中でガラガラと回る くじ玉が7つ見える。
〜「V字型」シナリオ〜 未来のシナリオ:想定される未来の中で最善かつ最も苦労が少ないシナリオ。 人間は新型コロナウィルスに勝利し、手洗い、マスク着用、物の表面の消毒 などの簡単な対策により、その後の感染者激増を防ぐ。都市封鎖が終わると、 人々は一斉に以前と同じ活動に戻る。一部の業界では数か月余分に時間が かかるかもしれないが、秋になれば学校やフライトが再開され、生活は おおむね通常どおりになる。それに続いて経済と雇用も通常に戻り、今回の パンデミックによる短期間かつ急激な不況は、11月になればV字回復する。 市場と多数の政治家が想定していると思われる実現確率:40%ということに。。 ― 〜「赤と緑」シナリオ〜 未来のシナリオ:世界はグリーンゾーンとレッドゾーンに分かれる。グリーン ゾーンでは、新規感染者数がゼロに近い状態が維持され、検査1回あたり50ドル を被検者に支給して貧困層の検査を徹底することにより検査の範囲と頻度が向上、 詳細な接触者追跡や自宅外隔離が強制されることにより、集団発生が追跡される。 レッドゾーンからグリーンゾーンに移動する人は、グリーンゾーンに入る前に バッファ区域での隔離が課せられる。グリーンゾーンでは経済活動が非常に活発 になるが、レッドゾーンでは新型コロナウィルスとの戦いが続き、経済は引き 続き半昏睡状態となる。レッドゾーンとグリーンゾーンはほぼ半々であるため、 全世界がレッドゾーンになる状態と比較すれば、世界経済へのダメージは半分 だけで済む。市場と多数の政治家が想定していると思われる実現確率: おそらく7%程度では? 現実的な可能性:世界はすでにこのシナリオのような状態である。台湾、韓国、 ニュージーランド、(建前では)中国、ベトナムはグリーンゾーンだ。 欧州と米国までグリーンゾーンが拡大するかどうかは、わからない。 ― 〜「ハンマーとダンス」シナリオ〜 未来のシナリオ:Tomas Pueyo(トマス・プエヨ)氏が数か月前に発表して話題 になった非常に秀逸な記事がある。その中で同氏は、現在実施されている都市 封鎖(「ハンマー」)の後も、感染者の増減が周期的にずっと続くと書いている。 ふと思い出したかのような不定期なタイミングで感染者が急に増え、より厳重な 都市封鎖が行われるなど、局地的に抑制策が強化される。しかし、医療崩壊に 至ることはなく、ついにワクチンが開発されて普及するまで十分な時間を稼ぐ ことができる。その時点で集団免疫の実現からはまだほど遠いため、結果的に より多くの人命が救われることになる。経済も周期的な波を経験する。 勢いよく正常に戻った後に大々的に後退するというサイクルが2020年末まで続き、 少なくともそのまま2021年に突入する。 市場と多数の政治家が想定していると思われる実現確率:10%程度。 〜つづく ≫ ― ▼ 朝9時過ぎに、まず昨夜に入れていたコロナ関連の録画を見るのが日程。 そこから、世界の、日本社会の一端を垣間見ることになる。 特に家族や、 近所の生活形態が直に見れるのが良い。これにTV、PCからの情報と、家内の 普段の生活情報が加わる。少し偏るが、平凡の日々の中では、変化を生で 見てとれ、飽きることはない。行蔵と、長年の読書習慣の積み重ねもある。 まさか、人生の終盤に至ってパンデミックに遭遇しようとは想定外。 〜つづく ・・・・・・ 6334,映画鑑賞 『30年後の同窓会』 2018年07月17日(火) 金曜のシネマ観賞予定を土曜に切替え、『30年後の同窓会』をみてきた。 評価は85点。 内容といえば、奥さんを一年前に、一人息子を二日前に亡くした 男が、ベトナム戦争仲間だった二人の同期生に、葬式に立ち会ってほしいと依頼 するところから話が始まる。 この随想日記の丁度良いネタ… 私的には、10年単位で開かれてきた学園の「同期会」がある。これが盛上る。 20年目から始まり、50年目の5回で行われる。来年が最終の50年目になる。 前回は前泊をしてクラブ仲間7〜8人と銀座で祝杯を上げた。二日がかりである。 まず来年、健全に出席するのが、当面の目標…。前回、話題になったのが物故者。 来年は、無事、健康であれば充分の年齢。そして、永遠の別れになる。 〜この映画のブログの解説によると ≪ 「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレイター監督が、 「さらば冬のかもめ」でも知られるダリル・ポニックサンの小説を原作に、 30年ぶりに再会した男たちの再生の旅路を描いたロードムービー。 男ひとりで酒浸りになりながらバーを営むサルと、過去を捨てて牧師となった ミューラーのもとに、ある日、30年音信不通だった旧友のドクが突然現れる。 ドクは1年前に妻に先立たれ、2日前に遠い地イラクで息子が戦死したことを 2人に打ち明け、死んだ息子を故郷に連れ帰る旅に同行してほしいと依頼する。 30年前のある事件で大きく人生が変わってしまっていた3人は、ともに旅をし、 語り合うことで、人生に再び輝きを取り戻していく。主人公の3人を、いずれも アカデミー主演男優賞にノミネートされた経験を持つ実力派が演じる。≫ ― ▼ 三人の年齢の設定が50代前半。私より20歳は若いが、この3人が殊のほか 老けている。私より、20歳も年配?と背筋が寒くなる思いがした。しかし、 これが現実。70歳の峠をこえて二年半経過したが、早朝のチャリ散策と、ジム で2〜3時間の運動量を確保している割に日々の身体の衰えは尋常でない。 まだ食欲と、TV、ネットサーフィンなどへの知的好奇心は旺盛だが… < 子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ、来た道、行く道、 通り道。通り直しのきかぬ道… >は、他人事であったが、それが吾身とは。 50歳代の10年近く、捨身で「残存30年分を遣り尽くしたことが、一番の成果と 実感する日々。しかし、いま一つ! 20歳代、とりわけ学生時代を高度成長 経済の時代を背景とした恵まれ、充実して過ごせたことが人生の宝である。 それと、深く考えずに、『装置産業』を選択して、有り余る閑静な 「いま、ここ、わたし」(永遠)を、十二分に享受できたこと。直に泣くことに なるとしても、<本当に、こんなんで良いんでしょうか!>と思えば、そうなる。
・・・・・・ 4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方 2012年07月17日(火) ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」 〜『定年後 ー豊かに生きるための知恵』加藤仁著 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人 を超えているという。「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演 『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。 私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。 しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。「定年後の人生こそ、 自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己 本位の生き方に大きなヒントがある、という言葉が痛いほど分かる。 定年後は自己本位への第一歩から始まる。 ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー ≪*「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして 好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の 人間のように立ち竦んでしまったのです。・・そのころ、明治33年、33歳の 時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。 そして1年が過ぎ、苦悩が極まった時に、あることに気づきます。 自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」 や不安の根本原因だったのではないかということです。(私の個人主義) *「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらを でたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついた のです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、 後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似 をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に 吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりといいたいくらいごろごろして いました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識と いってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしい ものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、 またみんながそれを賞めるのです。」(同前) ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。 「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで「他人本位」が 自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」 から脱出する鍵を握っていると考える。つまり、外から無批判に「鵜呑み」 で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、 丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、 それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。 *「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなり ました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略) その時、私の不安は まったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」 ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を 告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。 「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、 次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。 『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄 のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、 ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。 (〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、 どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで 行ければ、ここに俺の尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見に なって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから 申し上げるのです』(同前)≫ ▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院 での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。 キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったので あって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・ 3765, ユング ー8 2011年07月17日(日) フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑 だったようだ。ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。 以下の フロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。 【 1909年3月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」という有名な事件が起ぎた。 「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。1909年までに、 心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、 通例は精神的な悩みのある思春期の人と関連があることがあきらかになった。 そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、 いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされる という説が生まれた。ユングはこの説を信じ、ボルターガイスト活動を 「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていた とき、突然本棚から大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。 「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。 「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明する ために、しばらくすると、もう一度音がすることを今予言します」。 ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後 ユングに出した一通の手紙から判断して、フロイトは半分以上納得したらしい。 しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。そこで彼は、なんらかの 自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が 熱くなるのを感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。 フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の木材から起こっただけの ことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、 今日では不可能である。】 ▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身について いた時期があった。(偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。 この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が薄れて しまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議 というのが哲学。実際に、そのとおりである。
・・・・・・ 5967,人生楽しいかい? −6 2017年07月17日(月) <「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著> 【指令14】衝突をコントロールする 【指令15】分かち合う 【指令16】任せる 【指令17】生きろ
* 【指令14】衝突をコントロールする 〜神様は、弱い人間には、それなりの試練しか与えない。しかし、 力のある人間には必ず、それに見合った大きな試練が訪れる。 一流は相手の力を受け流す。そして、超一流は、触れた瞬間、相手の 敵意を癒す。 どんな人の中にも活用されない膨大なパワーや自発性、スピード、精度 が備わっている。力みと恐怖(否定的感情)を取り除けば、強力な性質が 目覚め、成長し、あらゆる対立で優位に立てる。 ― * 【指令15】分かち合う 〜人生をかけて取り組み仕事というのは、長編小説の何百倍の分厚い 本をよむようなもの。 ― * 【指令16】任せる 〜指示を出すときは、「自分で判断する余地を残す…」。 自分で判断し、行動することにより、人の能力は最大限に発揮される。 これは、前の「分かち合う」とセット。細かい指示を出さず、大まかな 目標だけを共有する。あとは、自分の裁量でがんばる。但し、情報は共有 する。互いに批判や責め立てず。 ― * 【指令17】生きろ 人が生きている、ということは、人間らしく、清々しく生きていることだ。 「生きること」を全力で楽しむこと。
― ▼ システマの教えは、人生の基本だが、両親の生き様の後姿から、 「何事も楽しくなるまで徹底しろ」を学んできた。楽しいと思えれば、あとは 儲けものと思える。たった一度の人生、「人間らしく、清々しく生きなければ、 生れてきた甲斐がない」と思って生きるかいないとでは、雲泥の差ができる。 それにしても、その逆の生き方の人が多く見かけるが…
・・・・・・ 5602,恋愛心理学 〜ぁ 嵌人=性格が良い論・悪い論」 2016年07月17日(日) 『美人の正体』〜越智啓太著 * 「美人=性格が良い論・悪い論」 ・「美人=性格が悪い」論には、妬みと「天は二物を与えず」的世界観がある。 多くの人は「神様は平等であり、すべての人に等しく才能を与えているのだ」 という、幻想を信じたいと心の底から思っているため、「美人は性格悪い」と 考えたい側面がある。明治時代の「修身」の教科書には「美人は往年、気驕り 心緩みて、却って、人間高尚の徳を失ふにいたるものなきにあらず・・」とある。 明治時代に芸者上がりで「容姿は美しいが、家柄が良くない」という女性が、 社会的地位があり、経済的に裕福な男性と結婚して社会的な地位を上げたという、 いわゆる「玉の輿」現象が発生していた。これに脅威をおぼえたのが、社会的に 高い地位の女性で、顔姿が、良くない女性たちは、あまり良い気持ちを持たな かったため、美人に対してネガティブな噂を流したという論がある。 ・同じ女性をメークアップした状態と、逆にメイクダウンした状態で、実験 参加者に見せた結果、メイクアップした状態の方を「やさしく」「好感が持て」 「陽気」「落着いていて」「チャーミングで」「ファッショナブルで」 「きちんとしていて」「ロマンチックで」あると認知されることが分かった。 土曜日のバラエティーに、普通の主婦をファッショナブルに変身させる番組が あるが、上記の内容そのものである。 私が、これまで若い女性と接してきた感想は、圧倒的に「美人=性格良い」論。 そして著者の研究結果も、それを示している。美しい人は、善の循環で、プラス が蓄積されていて、それそのままが顔と全身など美容に現れ出ていることが多い。 5年以上通っているスポーツジムの女インストラクターに、顕著に現れている。 第二の皮膚といわれるファッションのセンスに、それが加わる。 〜つづく
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2020年07月16日(木)
「魔神は瓶に戻せない」──デヴィッド・グレーバー、コロナ禍を語る 〜「ほんとうに自由な社会」へ * コロナ禍がもたらしたこと! 要約すると、<コロナ禍が変えた非日常の日々こそ、あるべき姿。それまでの 現象は幻覚ぐらいに考えた方がいい。元に戻すなど、魔神を瓶に戻すようなこと。 満員電車の通勤を避けて、週に5日の通勤を1,2日にして、残りは自宅か近くの 図書館でテレワークをする夢のような、この非日常のが良いに決まっている。 この日々こそが、クレーバーがいう『瓶から解き放たれた魔人』ということに。 〜 その辺りが面白い!〜 ≪ デヴィッド・グレーバーは新型コロナ危機について、何を語っているのか? 本稿執筆現在、メディアを通してなされた最新の発言は、フランス発の動画 ニュースサイト「ブリュット」の米国版に掲載されたインタヴュー (2020年4月29日)。 ― コロナ危機以降、医療、農業、小売など生活に必要不可欠な業種を 「エッセンシャル・ワーカー」として見直す動きが広まっている。人類学者 デヴィッド・グレーバーは、経済とは社会の一員である我々がお互いをケアし、 ともに生存するための手段であるべきと主張する。 【 わたしたちは、これらすべてが終わったのち、それは夢に過ぎなかったのだ と考えるよう促されることでしょう。実に奇妙な出来事だったが、それは現実 とは何の関係もない、今や目を覚まして、通常に回帰すべき時だ、というわけです。 しかしほんとうはそうではない。通常こそが夢だったのです。今起こっている このことこそが現実だった。これこそが現実です。わたしたちは、わたしたちを ほんとうにケアしているのはどんな人びとなのかに気づいた。ヒトとしての わたしたちは壊れやすい生物学的存在にすぎず、互いをケアしなければ死んで しまうということに気づいたのです。】
上記で夢に過ぎなかったと人類学者が述べているこれまでの「通常」とは、 『ブルシット・ジョブ』(原著2018年、日本語訳は岩波書店より2020年7月刊行) で執拗に記述される奇妙な現実だ。 実入りのよいホワイトカラーであるほど その仕事には社会的意義がなく、そのことに自覚的な少なからずが「内心必要が ないと思っている作業に時間を費やし、道徳的、精神的な傷を負っている」一方、 「日々行われるケアによって社会を可能にしている人びと」は、医師のような 例外を除き、不安定な低処遇を強いられがちであるという現実。グレーバーは 新型コロナ危機を、何よりそうした「通常」の異常さが露呈する契機として捉え、 彼が「ケア階級(caring class)」と名付ける人びとに正当な地位を回復させて 新たな社会的現実を生み出すべきことを説く。】
ドイツのラジオ局「バイエルン放送」の文化番組が行ったインタヴュー (4月8日)の冒頭を引こう。 【 ─デヴィッド・グレーバーさん、人びとは今、ホームオフィスで仕事をして います。一部には、無条件のベーシックインカムの実現可能性を思いめぐらせる ひとさえいる。 アナキストにとってはよい時代でしょうか? デヴィッド・グレーバー;ともあれ、多面的にものを考える人間にとっては よい時代ですね。だって、エリートたちや指導者層は今、一種のジレンマの前に 立たされているのですから。彼らはこの40年というもの、わたしたちにはもはや 新しくラディカルな発想など必要ないのだと人びとを説得することしかして こなかった。もちろんそんな考えは間違っていたわけですが、ひっきりなしに こうしたことが主張されてきたのです。さて今、そうした人びとは突如として、 選択の余地のない状態に置かれてしまった。物事をラディカルに変えなければ ならない。それなのに、どうすれば変えられるのか、やり方を忘れてしまっている。 だからアイディアを持った人間が求められているのです。】
― ▼ 人を人間たらしめてきた群れのあり方を、根本から問い直しているのが、 このコロナ禍の問題。誰もが情報端末を身に付けてしまった時代の有りかた! 10年で100倍、20年で1万倍も情報量が増えていく時代。コロナ禍が、それを 気づき出したのである。9年前に、倒産というカタチでリタイアをして、あとは、 野となれ、山となれで、良く言いえば『自由人』。 悪くいえば『粗大ごみ』 帰るべき家が、棲家に。そこで頼るべきは、日常の習慣。 自分一人のテレワーク。 これも慣れると、なかなか味わいが出てくる。
・・・・・・ 6696,閑話小題 〜ラ・ロシュフコーの箴言 2019年07月16日(火 * 辛辣な人間観察の箴言集の言葉とは 辛辣な人間観察で知られるフランスのモラリスト文学者ラ・ロシュフコー。 〜ネットによると… 【 フランスの名門貴族の生まれであり、数々の戦いに参加した後にいわゆる 『箴言集』を執筆。辛辣な人間観察で描かれた彼の作品は、フランスの政治家 「リシュリューと対立し2年間の謹慎処分を受けた事や、フロンドの乱(17世紀 フランスで起こった貴族の反乱)でフランスの政治家「ジュール・マザランと 対立したことなどで味わった苦難が反映されているとも言われている。】 〜いずれの箴言も突き刺さる箴言である。まずは、
◉ <人はみな記憶力の乏しさを嘆く。 しかし、誰も判断力の乏しさを嘆かない。> 評: 身近な人の意見に大きく左右されて、自分の足りない脳の蔵の乏しさに 気づかないで… 晩節になって、判断の積み重ねの結果の行蔵に唖然とする。 ― 才があって愚かな人はいるが、 分別があって愚かな人は決していない。 ― ◉ <わずかな言葉で多くを理解させるのが、大人の特質であるなら、 小人はこれとは逆に、実に多くの言葉をしゃべりたてながら、 相手に何一つ伝えないという天与の才能を持っている。> 評:何やら、私だけではないから見過ごしてしまう道理。 ― ◉ この世でもっとも幸福な人は、わずかなもので満足できる人である。 なぜなら、 欲しいものが多ければ多いほど、満足するには、 限りない財宝の山が必要になるからである。 評: 実家が代々、骨董商だったこともあり、戦後の転業後の父親の 趣味が骨董収集。 学生時代に、欧州一周の旅の際に大英博物館、 ルーブル、ミラノ、フィレンツェの美術館で、世界の名宝を浴びるほど 見ていたお陰で、何でまた?手元の置きたがる父親に不信感を持っていた。、 ― 好調な時は充分に楽しみ、 不調な時は気長にかまえる。 よくよくの場合でない限り、決して荒治療はしないことである。 ― 人は理性でしか望まないものは、 決して熱烈には望まない。 ― ◉ 我々は、どちらかといえば、 幸福になるためよりも、 幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているようである。 評: 8年前の会社整理の時に、まず、自分は不幸でないと、自ら思うこと から気持ちの再構築を始めていた。今さら如何でもよかったのに。 ― ◉ 賢者は征服するよりも、深入りしないことを得策とする。 評: 情愛、特に女性に関して、抜き差しならない深入りは? ― 自分の内に安らぎを見出せない者が、 それを外に求めても無駄である。 ― 世間なんかなくっても やっていけると考える人は、 よほど自分を だましている人間である。 しかし、自分がいなければ、 世間はやっていけないと思う人間は、 それ以上に間違っている。 ― 我々は、 我々の大切な人の死に対して涙しているのだというが、 実際は我々自身のために涙を流している。 ― 自分自身を信頼すれば、 他の事に対しても信頼が生まれてくる。 ― ◉ 賢者はどんな不幸な出来事からも、何かしらの利益を得る。 その一方で、愚か者はどんな幸福な出来事にも、心を傷つけられてしまう。 評: 確かに幸福の状態は賢者で、不孝の状態は愚か者に見えるが、実は逆。 そんな浅いものでないのが人生の味わい。要するに考えてきたかどうか! バカの考え、休むに似たりというが、考えは心の底に蓄積されている。 ― 敵が欲しければ、味方より偉くなるだけでいい。 味方が欲しければ、 味方を引き立ててやればよい。 ― 幸運に圧しつぶされないためには、 不運に堪える以上に大きな徳を必要とする。 ― 友人に不信を抱くことは、 友人に欺かれるよりもっと恥ずべきことである。
― ▼ 数百年の時空を超えて、辛辣な人間観察の箴言が迫ってくる。 人間は、そうそう進歩しないということ。但し、知っているか、 知らないかで人生の節目時の判断は大きく変わっていたはず。 次回は、老いに対するラ・ロシュフコーの箴言。これがまた辛辣!
追:そうか、去年の今時分にフランスが、優勝をしていたのか! ・・・・・・ 6333,閑話小題 〜サッカー、フランスが優勝 2018年07月16日(月) * つれづれにサッカー ワールドカップも終わりをつげたが、クロアチアがここまで勝ち残るとは… クロアチア選手の疲労度を考えるとフランスが有利だった。 で、今朝のネット記事によると 《 ◇W杯ロシア大会 ▽決勝でフランスが4−2でクロアチアを下し、自国開催 だった98年大会以来20年ぶり2度目 となる優勝を飾った。優勝2回はブラジル (5回)、ドイツとイタリア(4回) に次ぎ、ウルグアイとアルゼンチンに 並ぶ4位。欧州勢の優勝は4大会連続。》 ― ▼ 毎年、今頃に行われる自転車レースのツールド・フランス最終日の凱旋 レースも良いが、ワールドカップの優勝は別物。これで甲子園への高校野球に 関心が移っていく。 … … … 熊:終わってみればオフランスですか。 寅:序盤で、ドイツ。中盤でブラジルが敗退したからね。 大家:最後はクロアチアを応援したけど、点数そのものが、その残存エネルギー そのままを現していたようだね。それにしても欧州のサッカー好きは、凄いね。 熊:ボール一つあればね… 誰でも出来るからね。これにオリンピックと隔年ある ため熱くなるからね… 八:日本も、よく戦ったよ。 何かさオラウータン、チンパンジー、ゴリラの間を、 短い手足の日本猿がで駆け巡って姿が、滑稽に見えてね。ゴリラの体当たりで、 吹っ飛ばされても、健気に立向かうのが愛らしくてさ。 寅:これで東京オリンピックでも、一応、メダル候補に? 大家:ワールドカップで活躍すると、収入が格段と上るというから、頑張るさ。
八:過去のワールドサッカーをHP内検索を入れると、幾つかあった。 ―――― 2002/07/01 面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。 サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。 その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。優勝候補のフランスと アルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。ワールド カップというのがこういうものだという事が、理解できたように思った。 実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、 これを契機に好きになれそうだ。
決勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま 画面に出ていた。やはり一国でやるべきというのも確かであった。 最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには世界に対して、 この国のセンスの低さを曝け出してしまった。
韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても 盛り上がりが少なかった事は否めない。 ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。 南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。 彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、喜びは最大級だろう。 TVの前でこれだけ熱狂するとは思ってもいなかった。
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2020年07月15日(水)
* 今年前半期に… 超特大のブラックスワンの一群が ◉ 今年の前半期は、親戚、知人の不幸はなく、平穏無事だったが、2月末に、 中国発のパンデミックが発生、あれよあれよと世の景色が変ってしまった。 時間経過する度に…その影響は甚大で、第一次、第二次世界 大戦を合わせた規模の戦争に至る可能性もあり、世界中が成す術がない状態。 このままでは経済恐慌を発生…戦争と100年前の状況に。 恐ろしいが、これが 現実。私の世代は太平洋戦争・敗戦を挟んだ時節に産まれ、このパンデミック の最中に消滅しでいく事態。 オリンピックは一年延期になったが、来年開催は 難しい。アメリカの混乱などのゴタゴタを利用して、中国が香港を完全併合、 その後、台湾と沖縄周辺に進出するのはあきらか。現時点では、アメリカ大統領 に極右の泡沫候補を当選させた中国+ロシア連合の勝利。プーチン戦略の勝利で 事態が進んでいる。 このパンデミックは、数年で終わる問題でなく、数十年 スパンの問題。それが意外と分ってない。
◉ パンデミック禍で経済の先行きが見えず、安全に関して見切り発車しかない。 哀しいかな世界には今日明日の生存問題を抱える人たちで満ちている。 30年まえのバブル崩壊で、ガス抜きをして此の方、体力はガタガタ。預金閉鎖も 充分に考えられる。こういう時節には、風水害など大震災が起こりがちが定番! パンデミックも自然災害と見做すと、3〜5年の一過性でなくて、10年、20年、 50年スパンの黒鳥の到来と考えて然るべきである。<5000万、数億人の被災>も 前提にしなくては。 現在進行形の、これは遥かに深刻かも。 目に見えない ホワイトボール☆化が始まってしまったら。 どう人類は対処できるのか! < ☆ ホワイトボール= 地球が22億年前に1回と7億年前頃に2回の計3回、 全面的に凍結したというもの >
・・・・・・ 6695,閑話小題 〜二日月(山岸凉子スペシャルセレクション次法 檻 2019年07月15日(月) 『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著 * 極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女 世の中には、「極楽も地獄も知らぬ不甲斐ない人間」が存在している。 定年退職になって、リスクを賭けることなく平々凡々の自らの人生に、茫然と。 その時に、初めて己が人生の価値(意味)について考えるが、時は既に遅し。 そして老人性の鬱状態に。そこで始めるのが、これまでとってきた態度価値に 従い、異種の生き方の否定。横並びでは、何の価値が無い自分を肯定するため、 それは真剣そのもの。 南米パタゴニアの果てで、初老の女性が、道すがら話しかけてきた。 その詳細は、最後にコピーしておきますが、それが何とも…
〜芥川龍之介『六の宮の姫君』あらすじ〜
六の宮の姫君は父母の寵愛を受けて何不自由なく育ちました。 姫君は昔気質の父母の教え通りに慎ましく振る舞い、とくに嬉しいことも 悲しいこともない代わりに格別不満もない平穏な日々を過ごしていました。
しかし突然両親が相次いで亡くなり、乳母と姫君だけが残されてしまいます。 乳母は姫君のために骨身を惜まず働き続けましたが、家は次第に落ちぶれて 生活が苦しくなっていきます。しかし姫君はどうすることもできず、昔と少しも 変わらずに寂しい家の中で琴を引いたり歌を詠んだりして日々を過ごしました。
このままで先行き成り立たないと案じた乳母は、姫君に男と会うように勧めます。 姫君は、それは生活のために身を売るのも同然だと嘆きますが、結局は男と会い 一緒に暮らすことになります。 男は上品で優しく、姫君を愛してくれました。姫君もそれには悪い気はしません でしたが、男と一緒にいても一度も嬉しいと思ったことはありませんでした。 ただとりあえず、平穏な日々を過ごすことはできました。
しかしやがて男は陸奥の守に任ぜられ、五年後には帰ってくると言い残して 姫君の元を去ります。ところが、五年経っても男は帰ってきません。 男が地方に赴任中に娶った妻と京へ帰ってきたのは、結局九年目の秋でした。 男は姫君を訪ねようとしますが、六の宮はすでに朽ち果てており、残っているのは 荒れ果てた庭跡と築土だけでした。
男は姫君の行方を探し回り、ある日偶然、朱雀門の近くの荒ら屋で破れたむしろ をまとった乳母に介抱されている不気味なほど痩せ枯れた姫君を見つけます。 男は姫君の名前を呼ぶと、姫君は男の顔を見て突如何か叫んだかと思うと そこに倒れ込んでしまいます。 乳母は急いで近くにいた乞食法師にお経を読んでくれるように頼みます。 姫君は男に抱えられながら、夢うつつのまま静かに息を引き取りました。
後日、姫君を看取った乞食法師が朱雀門にいると、侍が近づいてきて、近頃この あたりで女の泣き声がするそうではないかと問いただします。法師は侍に耳を澄まし てみるように言うと、やがてたしかに細々と女が嘆いているような声がします。 あわてて刀に手をかけた侍に法師は言います。
「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐(ふがひ)ない女の魂でござる。 御仏を念じておやりなされ。」
― ▼ 昨日‘極楽も地獄を味わった男’から遺言と思ぼしきCDが送付されてきた! 何とも味わい深い内容。そこには原爆投下で死んだ弟を背負った少年の写真が… 長男が、当人の連合いである母と、弟を殺して、会社ごと炎上させた事件も吐露 している内容。哀しみは、薄れることなく、むしろ深く色濃く残っているようだ。 <6680,閑話小題 〜悲しみって、時間と共に深くなるのよ!> この人の極楽と地獄、極楽はともかく、地獄には敗ける! 〜これも後にコピー 私の遺言は、18年と2ヶ月にわたり、書き続けてきた、このブログ。それを遥かに 超えた?濃厚なもの。長岡という岩盤の世界で、斯くなりなん。私は、深い関わり を避けてきたが、真逆の生き方が、彼。何じゃ御前は!と、迫ってくるような。 自らをコミック風に表現できるとは、これはこれは! 私には出来ない。
・・・・・・ 6288,読書日記 生きることへの冒瀆とは! 〜3 2018年06月01日(金) 『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』 (伊集院静 2017年)から。 * 予感、あるいは沈溺 ≪ ◉ 長く旅を続けるには術が必要である。友人の勝負師とどうように、 頓着を持たないことだ。旅人の一人の些細な感情など都会という土地では とるに足りなぬものだ。 そんな時は高台に行き、都会を見おろせばいい。 河岸に立って川を眺めればいい。人の感情など関わりなく、 ―川はただ流れている。それだけのことだ。 ー何かを手に入れたものは何かを失う。自明の理である。 旅を続けている限り、失うものはない。しかし失わないことが旅に求める 安堵であるのなら、その旅は愚かな行為でしかない。流れる水を見て思った。 ともかく旅を続けるしかない。 127-128p ◉ ヨーロッパ大陸を飛行機で旅し、窓から大陸を見たことがある人は、初夏に レモンイエローの花を咲かせた菜の花畑の美しさを知っているはずだ。148-149p ◉ ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪ねた。見ておくべき場所だから 出かけた。私をむかえてくれた日本人の案内人は物静かで温和な人だった。 収容者たちが列車から降ろされ、歩かされた道を案内人と歩いた。折から やわらかな初夏の風が吹いて流れ、路傍の野花を揺らしていた。かつてここが 殺戮の場所であったとき、花は咲いてもいなかったろう。収容所で目にした ものは、予期したとおり私たちが見ておくべきもの、知っていなくてはならない ものだった。黙示であってはならないものである。残されたものたちが立証して いるのは、これがまぎれもなく人間がなしたものであるということだ。 〜過ちをくり返すのが人間だとしたら、人間はどうしようもない生きものである。 −そうかもしれない…。 207p ≫ ― ▼ ツアーの面白さ、厳しさの一つが、1〜2週間、移動空間と旅先空間を密着 すること。 嫌でも、様々な人生を垣間見ることになる。また、重厚な人生観を 知ることになる。行先の多くが秘異郷もあるが… 10年近く前までは、まだまだ、 高度成長時代の恩恵を受けた人たちが多かった。その反面、仕事に追われてフッと 気づくと晩年に差し掛かり、人生を取り戻そうとすがる思いの人が半数だろう。 それが圧倒的大自然の只中で、自然と出てくる激情が、呟きで聞こえてくる。
『ズ〜ッと老人ホームで働いてきたの。で、ハッと気づいたら、自分が年寄りに。 現実に流されて、周辺の人だけを見てね。何にも考えないで、決断もしなくて、 これまで生きてきたの。ところが先を切られたの… …旅行前に色いろの問題を 箪笥の中に押しこんでね。帰ったら、それを出して整理をしないと。 でもここに来て良かった。これで心おきなく死ねるわ。』
パタゴニアの、山中の道すがら、初老の女性が、何気なく話しかけてきた言葉。 話は続く。 『養老院って、人生の果てでしょ。人間の本性が丸出しになるの。特にね、 夜這いって、御婆さんの方が多いの。夜中に男の人の悲鳴が聞こえてくるの。 ‘何するんだ、この野郎’ってね。 寂しかったのね。』
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6680,閑話小題 〜悲しみって、時間と共に深くなるのよ! 2019年06月30日(日) * 悲しみは時間と共に薄れるって嘘よ 再び「ガイロク(街録)という番組の話。 下町で一人歩く御婆さんの話題。 《 若くして夫を失い、その後、手塩にかけた一人息子を交通事故を亡くしたと いう、『毎月、祥月命日に、墓地にお参りに行くのが、務め。これは私が元気 でないのなら…。 高尾山のお墓に行くため山を登るときに、自分の名前を呼びながら 励まして登るの。>と、述べていた。 ところが、それを聞いていたゲスト榊原郁恵の母親の言葉が何とも! 『郁恵ちゃん、悲しみって時間と共に薄くなるって、嘘よ。逆よ!』 いや、驚いた。悲しみ、苦しみは、私の経験則からして大よそ、二年半で 治まってきた。一般的にも、慰めで『二年も経てば、乗越えられますよ!』と… 時間薬の効果である。しかし、それは、その程度の悲しみに過ぎないと…直感した。 直に思いついたのが、二人の息子を頃に亡くした両親の悲しみ。 特に母親の心の傷。乗越えたとしても、年々、悲しみは深まっていた? そうこう考えると‘絶叫したくなる’ほど 両親に対する思いが一変することに。 長男、次男の不幸な死を招いた罪の意識と、反省。 私が、20歳になった頃に、 二人の分も、「自由に、明るく羽ばたいてみろ!』と、応援していてくれたことは 薄々知っていた。昭和40年代は、右上がり経済の真只中。坂の上の雲は青く輝いて いた。私の過ごして学生寮の名が『青雲寮』。あの時代の抑揚感は当時の歌謡曲に、 そのまま現われていた。しかし、太平洋戦争の深い犠牲の上で、それがあった。 『悲しみは、時間と共に深まっていく』の言葉に、『エッ!』と、この年齢で 驚くのは、私自身が晩期の両親の年代に入ったため。そして私の悲しみが浅いか!
この街頭録音略して「街録」。ネットによると、 <街ゆく人々の“リアル”な声から、人生を学ぶ! 人生のピンチやハプニング とどう向き合い、乗り越えてきたのか? その経験から得たものとは…。 山あり谷ありの内容> とある。 これに似ているのが、『地球タクシー』 『家についていっていいですか』『空港ピアノ』などがある。何気ない通りすがり の人生を、僅かな因縁の機会に垣間見る味わい。 この『ガイロク』でも、『家についていっていいですか』でも、 『あなたの人生を自ら何点付けますか?』と、急に、声をかけられたとしたら… さて如何こたえられるか? それも、全国津々浦々に晒された中で? 顔ぼかしなら、何とか!理路整然と… 『日々是口実』をしてきたこともあり… 何をしに、何をして、生きてきた? 親鸞ですか? <歎異抄 ... 弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と 信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき … > 。
・・・・・・ 5958,洗って使える 泥名言 〜3 ーライオンは弱い奴を狩りに行く 2017年07月08日(土) <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) > * ライオンは弱い奴を狩に行く 〜 他の章の面白い泥名言が… 〜 <すべての男は3等賞や。それを一等にするも、三等にするのも自分や。> と、知り合いのママが言っていたというが… 凄いことをいう。更に、 <三等を三等のままにしておくのも立派なことで「それで充分やんか」> だと。それもこれも、泡沫の夢幻の話。死んでしまえば皆、同じ。
<ライオンは弱い奴を狩りに行く。> 暴力と貧困は、高いところから低いところに行く。世間とかいうゴミダメは、 こういう弱者探しを生業に成立ち、日常会話で「にわか裁判」をしている。 まず検事がいて、裁判長、そして傍聴人までいる。多くが、人生不燃焼組で、 その燃え残りに火をつげ、自己満足する輩。対象は「大変な人」。
<よく離婚とか、彼女と別れる段になって、きれいに別れようとするバカが いるじゃないですか。あれ、一番ダメなんですよ。何やっても嫌われるの なら、「どうして、こんな奴と」思われるぐらい嫌われた方がいい。> キレイに事業撤退とか転職をしようとするから、ダメ。嫌われ罵声を浴び、 「これも有りか」と、独り打ち震えるのを逆に楽しむ位でないと。 「最期は、キレイに撤退したい〉の私の要請に対する弁護士の答え 〈借金を踏み倒すのに、キレイも汚いもない。70点が最高点と思って下さい! 〈それでは、70点に近づけるように、お願いします。〉と方針決定。 甘かったかもしれないが、過去の経験からして、やはり、後味の悪いのは、 傷口に悪い。 ― ▼ 大変な家庭環境の中で、下ネタ経験充分の人生もあり、とう泥名言の数々。 緑の原野(娑婆)には、花も実もあるが、捕食動物も、被捕食動物もいる。 狩るか、狩られるかの弱肉強食のドラマが日ごと繰り返されている。ところで、 『今、何になっているの?』『何を狩ってんの?』『何を楽しんでるの?』 『人間をしているの!』『好きな遊びを探してるの』『趣味を楽しんでるの』… … など、様ざま。問題は、時間が限られていること。キーワードは、『よく』 が、それぞれの生きざまの頭についているかどうか。その為には考えることだ。
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2020年07月14日(火)
< 歌舞伎町 ラストトーキョー はぐれものたちの新宿 2019-08-12 | ドキュメンタリー > * 歌舞伎町の店から垣間見る世界 二年前の一回目のドキュメントには、半年前のコロナ禍の想定はなかった。 まさか、それが、これである! 歌舞伎町こそ『3密』の代名詞のような場所。 救いようがない。これが都内、国内、世界の繁華街全てになるから、ことは重大。 世界が根こそぎ変わろうとしている。全員がアウトローの立場に逆転した! 現象面は少し遅れるが… ただならぬこと! 〜このドキュメントは、更に進行する〜 ≪ 歌舞伎町に、砂の城という、場所がある。ここは、俳句の会の場所。 狭いが、いろいろな人があつまってくる。 飲みながら俳句をよむ。 気軽な俳句。障害、発達障害、双極性障害などの人も来ている。 ここで発散できている人が多そう。 この場所にも変化があった。 19年2月に行くと、すなの〜の文字がなく、外壁が囲まれている。 差し押さえられているらしい。路地も明るく、女性、外国人も来やすい 町にと、再開発という感じになってきた。すなのしろには、 変わらず人がきていて、活気はあるが、建物が使えなくなる?
新宿のルーツ、江戸時代は花街だった。花園神社で野外演劇もあった。 水族館劇場。 この神社、私の小学生の思いで。 親と一緒に行き、蛇女、など不気味な小屋があり、こわかった。 今思えば、体に大きな障碍があり、他で働けない人などがしている芸だった。 夜、見たくないものを、何たくないのを見てしまったような〜おぼろな記憶。
71歳母が、ある夜、娘の布団に入ってきて話す。全力で働き、育てた。 お弁当も毎日手作り、食事は手を抜いていない。見ていてホントそう。 でも娘には絶対つがせたくない仕事だった。家庭教師を多数つけ、自分の ために娘をそう育てた。それが力だったと思う。しっかりした父もいる、 一人っ子のディレクター。地味なタイプ、優等生だったという。 32歳の娘は、完全に温室育ちだったと認める。 住んでいる家の場所はでなかったが、新宿区のどこか?だろう。 歌舞伎町の詳しい歴史を調べると面白いかな〜 セルフドキュメント、2年かけ母を取材、 3人での自宅食事風景など自然に、素直なシーンが多かった。 ≫ ―― ▼ 暇なのは、いや「閑」なのは今さらだが、これを書くに三度みた。 その度に、新しい発見があった。花園神社の境内での野外演劇が、毎年、 神社の好意で一時期の間、開催される。テントの組み立てと、舞台設定を するが、最後は「ばらし」と、「掃除」が行われる。この最後の、立つ鳥 跡を濁さず。これも公演行事の一環。9年前に、事業からの撤退を決めて、 そのプロセスに入った時… <自分で始め、自分の手で終える。 『あっ、これだ!』。これがベスト!> もちろん、こうなるケースも 想定のうち。誰にも、これは分らない。 折角なら、味わえばよい! 勝海舟が福沢諭吉の批判に、「批判は他人の内、行蔵は我うち」と捨て置いた 逸話が残っている。これが、それだ! 劇団の最後のバラシがあればこそ、 次年度に向けて新たな一歩を踏み出せる。 断面には多様な模様が見てとれる。 それぞれの死があればこそ、それぞれの生が光り輝く!
・・・・・・ 6694,閑話小題 〜最近の若者の恋愛事情 2019年07月14日(日) * 7割が彼女なし 老いとともに、恋愛事情に興味が少なくなるのかと思いきや、類人猿の一種と して割切ってみる、それは、逆に面白いもの。NHKの『恋話カファ 男と女』が、 なかなか面白い。「今どきの18歳〜34歳の男の7割、女の6割が付き合っている 相手がいない」と…。 その理由に、煩わしいからと。恋愛より面白いことが 多くあり、エネルギーをとられたくないとか。 要するに恋愛に対するコスト・ パフォーマンスにあわないと…。 便利な世の中になって趣味の多様化もある。 小噺に、 男:『月は雲間に隠れたし、貧乏人のオイラには何もすることもなし』 女:『おや御前さん、今夜もかい!』というのがある。以前は楽しみは、 まずは恋愛の乳繰り合い。そこには男女の隠された部分を性欲の妄想で惹き つけあう要素が大だが、それがネットで、逆に減退に? 求愛の趣味の違いも。 男が女に求めるのが、まず美貌。そして相性。女はまず収入。そして優しさ。
〜NHK・HPの<恋話カフェ 男と女 [BSプレミアム] >によると… ≪ 恋したい!でも、できない。相手がいない。どうしたらいいの? 「恋話カフェ」のマスター原田泰造が経験豊富なタレントや恋愛に詳しい 専門家たちとさぐるトークバラエティ。 今、恋する人が減っている! 男性7割、女性6割に交際相手がいない(18歳〜34歳独身)。 なぜ?恋愛をコストで考える人が増えている? 恋愛にはタイミングと才能が必要? 恋愛の大先輩、経験豊富なあの有名人たちのセキララ話からヒントをさぐる。 そして、男と女はなぜすれ違うのか?価値観の違いはどこからくるの? 精神科医や社会学者、離婚問題弁護士による、現代の恋愛事情分析トーク。 脳科学や動物行動学にもヒントが。 ― ▼ 先ず7割方は、ペア成立と思いきや…逆とは驚き。誰もが少しでも良質の 相手を求めるが、そうは問屋が卸さないのが現実。三次産業の女性主体の 職場に長年の間、身を置いていたこともあり、それはシビア。美貌と能力が 掛けあって、相手の質の優劣が決まる。もし、自分より見劣りがする女性が、 自分の相手より勝った相手なら、あらゆる手段で阻止をする。男も女も2割が 8割の総取りのパレートの法則が、恋愛事情にも影響しているため、7割には 回ってこないのが現実。良質の2割以下の相手なら? 一人、趣味の世界の方が 遥かに良いことも確か。 人間とは相手を見抜いても、自らは見抜けない。 何ゆえに、美人の優劣がつくか? といえば、優秀な男が争い確保するため。 優秀な男の血が、女を磨き上げる。逆も、時にあるが!
・・・・・・ 4869,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー37 2014年07月14日(月) * 閑話小題 −なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか? 『 なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?』小堺桂悦郎著ーに、 45年間の事業で実感した真髄が、そのまま書いてあった。 《 ・・多くの経営者が、「儲けようとして損をしている」わけです。 誰しも、自分から損をしようとする人はいません。ならば、まず徹底して、 損をしないようにしましょうと、私はアドバイスをします。》 のぼせ上り、より儲けようと歯止めが利かなくなり、ミスに繋がっていく。 ファッションなどの不良在庫の発生原因の多くが、売れ筋商品の代替商品がヘドロ化 したもの。 チョッとした違いに消費者は敏感だが、売り手が気づかず仕入れ をしてしまう。 売れ筋がベストとすると、その品切れをベター商品で補おう として不良在庫になって、損失につながる。これ事業も、人生も全く同じ。 10年、20年かけ積上げた利益の保留分が、創業時の周到に準備を重ねた構えを 忘れ、目先のベターに妥協をした結果、損失に変えてしまう。新潟駅前では、 それが駅から一番離れたのホテルと、駐車場。これが、それまでの利益のみ ならず、本体の経営を揺るがす。ちなみにベストは、関越自動車道からの 東バイパス沿い立地。その判断ミスが致命的な戦略ミス。 それを戦術的リストラでカバーをしても、所詮は無理。3年前の結果は、 ベストでなく、ベターの選択の結果である。現在も同じことが言えるのでは? 決して、ベストではない? 流れで、自宅に、そのまま住んでいる。 ところで、私の場合どうだろう? 3年まえも、そうだったが、今日明日の 資金繰りに追われたことは、人生に一度もなかった。それは、むしろベスト でなく、ベターだったのか?「なぜ、人はいつもお金がたりないのか?」と、 問われれば、「万一の備えと、その知識が足りないため!」になる。 ワーストは、ベターの服装を着て擦り寄ってくる。 で、このザマ! アベノミックスは、決してベストではなく、ベターでしかない。 ベストは何? 意図的なブラックスワンで、一度、現状を 清算をさせ、国家非常宣言をした上で、思い切った国家的リストラ。 当然のことだが! グローバル的には秒読みに入っている。 私、個人は、まさに一歩先に・・ いや、そうせざるを得なかった!だけ。
・・・・・・ 5964,人生楽しいかい? −3 2017年07月14日(金) <「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著> * 【指令4】距離を測る 【指令5】呼吸する 【指令6】姿勢を整える 【指令7】視点を動かす ★ 【指令4】 距離を測る 〜『いつでもここから逃げられる』という余裕があって初めて、 人と人は「対等」になれるのや〜 ▽ 私のスタンスは、他者との距離を置くこと。個人主義である。 特に20歳で『創業を目指す』と決めてから、その傾向が強くなっていた。 まず、ベースづくりのため、固定が最大の難敵となる。今も、そのスタンスが そのまま残っており、誤解を受けているようだが… 新潟駅前で30年間の事業 をしてきたが、4つのホテルのテリトリー内には、暴力団事務所が2つ、3つある。 いつ、何ときに、組員が営業にくる可能性があった。事務所には、裏口を用意し、 逃げ道を作ったいた。一度も対峙することは無かったが、このスタンスは基本。 『閑静』の『閑』の、一本の木を取り囲む塀である。とにもかくも、孤独と、 孤立を心の中に保ってないと… これは両親の後姿から学んだこと。 たった1センチの距離の違いが人生の別れ道になる。 ★ 【指令5】 呼吸する 〜鼻から吸って、口からフ〜ッと吐く。これが究極奥義、呼吸や〜 自分が緊張をすれば、相手もまた、緊張する。自分がリラックスれば、 相手もまた、リラックスする。 平常心である『何となく大丈夫」という感覚こそ重要である。 ▽ 過緊張ゾーンこそパニックの原点。大抵の人は平常心でいられず、常に パニック状態であることが多い。平常心ゾーンに回復するには、こまめな「呼吸」 で、回復することこそ、奥義がある。 ★ 【指令6】 姿勢を整える 〜姿勢をまっすぐにし、リラックスして立つ。そうすると呼吸も楽に なりし、今より楽になる。〜 「優秀な戦士とは、健康な戦士である。」その外形は背筋を伸ばした、姿勢。 ▽ 規律訓練などで、厳しく正されるのが背骨をスプーンにした上に、全身を 弛緩すること。そうすると、呼吸も自然と整うことになる。そして、対峙する者 の眼か、首元をみること。新人訓練をする方は、相手は野獣と理解しおかないと… ― ▼ 卒業直後に、「正社員としての正規教育」を受けてないと、後あと、 苦労することが多くなる。転職をする度に、準社員としての立地ふるまいが、 染み込んでいくため。そして、不適応と不自由を混合し、外部に自由を求める。 【指令4・5・6】は、「ヨガ」の教えに重なる。 <周囲の人との距離を図り、姿勢を正し弛緩と緊張を繰返し、静かに呼吸をする> で、目的は「瞑想」を深めること。
・・・・・・ 5234,「エリック・ホッファー自伝」 〜Α 2015年07月14日(火) 「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳 * ある若い女性との出会いと、別れ ホッファーに深い矛盾が見て取れる出来事である。人生で誰もが、 経験する分かれ道がある。もし、二人の女性の申し出を受け入れていたら、 放浪者として世に受け入れられた哲学者としての彼は居なかった。別れで一番、 傷つくのが本人同士。こういう傷口から深い思索と、新しい出会いが出来てくる。 時空を超えて悲しみが伝わってくるようだ。 〜その辺りから ≪・ある初夏の朝、レストランから出ようとしていると、赤い列車がシャタック アベニュー駅に到着するのが見えてきた。こんな早く旅行しているのはどんな 人だろう。列車からは若い女が二人降りたが、手には小さなスーツケースを 持っている。明らかに初めての来訪で、列車を降りた所であたりを見回している。 様子を見ているうちに、急に話しかけてみたくなり、足早に彼女たちに近づいて 「何かお手伝いしましょうか」と声をかけた。彼女たちは驚いたようだった。 二人の女は昼と夜のようにまったく対照的である。一人は背が高くてとても 美しく、もう一人はずんぐりしていて、きれいとは言えない。 「手荷物係さん?」とずんぐりした方がたずねた。「いいえ、給仕係さんですよ」 と私は答えた。みな笑った。私は動揺を隠そうとしゃべり続けた。彼女たちは学生 だろうか。大学はちょうど休みの時期で、次の学期が始まるのは数ヵ月先だった。 サマースクールに出席しようとしているのだろうか。それなら、いろいろと 落ち着くまで時間が要るだろう。「とにかく、そのときまず必要だったのは 朝食である。私はスーツケースを持ち、レストランに案内した。私はテーブル をとり、カウンターに行き、オレンジジュースと果物とハムエッグを注文した。 食事中も彼女たちは笑いっぱなしで、私を好奇な目で見ている。きれいでない方 の目は私に対する疑いが見てとれた。私は「心配しないでください。別に私は 頭がおかしいわけでもないし、知らない人に声をかけて朝食をご馳走する 趣味はありません。姿を見かけた時に、話したいと思っただけです。 ・・(略) 彼女たちにはある計画があったのである。ある晩、フレッドが 人生の目的について私を諭した。人間は目的をもっていなければならないし、 自分の非凡な能力を無駄にするのは罪だ、と。彼女はヘレンから最近の物理学 の動向について聞かされていたのだ。そして、私の理論化する才能を生かせば、 奇跡的なことが成し遂げられるはずだし、物理学部の誰よりもすごいことが できる。並外れた数学の力があれば、アインシュタインのようにもなれるかも しれない、と彼女は信じ込んでいた。ばかげた話だった。二人の女性が、 私を驚異の人物に仕立てようと決意している。まったく常軌を逸していた。 私は心からヘレンを愛していたが、彼女たちの期待に応えるために、四十歳 まで残されたわずかな人生を費やすのは、あまりにも惨めだろう。おそらく 物理学部の人たちは、すぐに私が偽者だと気づき始めるだろう。どうして自分 に並外れた才能があるなどと信じられよう。もしこのまま彼女たちと暮らせば、 一時の平和も見出せないだろうと思った。私は一刻も早く行動を起こして、 放浪生活に戻らなければならなくなった。こうして収穫期が近づいたある日、 私は何も告げずに、バークレーを離れた。・・・ ≫ ▼ 何か、ホッファーの傷の疼きが、そのまま井伏鱒二の詩が代弁している。 <この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけ が人生だ> 先短い人生、一時的安住を選ぶか、放浪哲学者の道を選ぶか。 20才代、創業のための自己配転をした節目の孤独感を思い出す。 目指す所が、あまりに遠く、現状に安住できない二重構造の自分が、 存在していた。 極限を乗越えていくのが青春であり、青年である。
・・・・・・ 5599,恋愛心理学 〜 2016年07月14日(木) 『美人の正体』〜越智啓太著 * 美男美女には敵わない 図書館で、何気なく手にとって借りてきた本だが、これが面白い。 これで、「恋愛心理学」の分野があることを初めて知った。考えてみれば、 幼児から恋心が芽生え、老いれば老らくの恋がある。その心理学があっても 不思議ではない。総じて人間は、外見的魅力が高ければ高いほど得をする。 顔が悪かったら何か他でカバーしようとする。ここで、学問等が優秀でも 美男美女には敵わない現実が記載されている。生物学的要因と社会学的要因 の双方から、美人・ハンサムであるほど、頭が良く、運動や音楽でも優れ、 仕事ができ、玉の輿に乗る可能性が高いようだ。 耳、鼻、口、目などの平均的形相を、そのまま均整をとって組合わせた顔が、 何故か信じられないほどの美形になる。その上に、顔や身体の「左右対称性」 が、健康や知性、社会的な適応と密接に関連している。 良い顔つきの人には、それなりの人がペアになるため、長年のかけ合わせの 積重ねが、容姿の元になる。しかも、美人・ハンサムは幼少時から周囲の大人 に能力が高いと期待され、結果、努力を重ねるため、能力も比例する傾向にある。 〜印象に残った箇所の幾つかを抜粋すると ・男性は「相手の子供が自分の子供である確率を上げるため」、 女性は「やりにげされないため」、それぞれの思惑で相手を選ぶ。 ・男性の場合、相手が若く経験が浅いほど自分の子である確率が高いから、 若くて幼児っぽい容姿に惹かれ、女性は行為の前に鳥でいう「巣作り」を、 つまり経済性を要求する。 ・同じ男性でも高級車に乗っていると魅力的に映る。 女性のWHR(ウエスト とヒップの比率)が、体重に関係なく0.7が丁度よいバランスになる。 ・多くの写真を合成して平均化していくほど、イケメン・美人度が高くなる。 ―――― 息を呑むような美人に何人か出会ったが、連れは、?の人が多い。短期的に 丁度良い相手は、長期的相性が良いとは言えない。二人のパッと目は良いが、 さて中味となると? で、世界は不幸に満ちることになる。 美男美女とはいえ、 顔と身体のバランスがとれているだけだが、それで人生を大きく左右されるとは、 何だろう。自分の中の妄想を、そのバランスの良さが、駆り立てているだけだが。 もう一つ、TVや映画の主人公は、当然、美形である。そのハロー効果 ※が、 美形、良い人、有能な人と植付けられた結果が、実態との乖離をうむ。付いてる 機能は、皆、同じなのに。肉体というヌイグルミと、心、魂は別物なのに。 まあ、 一生、気づかず、人生を終えるのだから、それはそれで! でも美人は良い。 ※ ハロー効果とは、心理学者エドワード・ソーンダイク によって名づけられた 造語で、心理的効果の一つ。ある対象を評価をする時に顕著な 特徴に引き ずられて他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。
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2020年07月13日(月)
閑話小題 〜新宿ねずみ −2
< 歌舞伎町 ラストトーキョー はぐれものたちの新宿 2019-08-12 | ドキュメンタリー > * 母の生立ち 私がモノ覚えがついたのが、生後半年ぐらいから。一般的には3〜4歳という から、長岡空襲の焼け野原の中、それなりの空気があったのだろう。ただ両親が 必死だったのが直に伝わっていた。年齢的に同世代の両親の時代背景が、共感を 振幅させる。私が住んでいた学生寮は、歩いて30分のところ。学生運動華やか なりし時である。これを見ていて、如何に両親に大切に育てられていたかを 思い知る。理想に近い学園生活。時代は右上がりの高度経済成長の最中…!
≪ …新宿は世界一、乗降客が多い駅、その中の新宿の町と母を撮る。 母、71歳:子供の頃、父に愛人ができ、父はほぼいない母子家庭で育った。 たまに父が戻ると、母を殴っていた。と記憶にある。お金は、父、父の愛人 からもらっていた。大学の費用もだしてくれ、学生運動に参加した。 歌舞伎町近辺でデモなどをした。 そこが彼女の原点になり、大学を出て27歳で歌舞伎町、ここを選んだ理由。 デモなどをしていたので、ここで何かをしたいと思ったそう。 麻雀屋を開業する。多額のお金をかり20代で始めた。 新宿のねずみ、と自称する。今では3店舗の経営者。45年続けている。 31人女性従業員がいて、みな70代以上か〜 全員、とてもお元気。 母は晩婚で信用金庫勤務の夫をもち、一人娘を産む。 それがディレクターの映絵、何と読むのかな? 父は74歳:退職し、町内会の仕事をしている。元気。 娘には子供の頃から歌舞伎町に入るな、といい育ててきた。良い職につける よう、塾へ多数いかせ、遅刻もしないで、勉学に励むことをいってきた。 ◉ 娘は勤勉、レールに乗り、NHKに入ったのだろう。 歌舞伎町は五輪などで再開発がかかり、大きな変化の時期。町はだんだん 効率よくなり、古い町からとおざかっていく。母は、平成が終わる時、店を 閉めようと考えた。近くに麻雀チェーン店ができていきたこと、古いやり方 ではダメかと思っていた。 最後のキャンペーンを考える父母。お客さんも、 従業員もみな高齢になったこともある。 18年、父に肝臓がんが見つかるが、幸い手術ができ、元気になった。 母は、社交ダンスを習っていて、これがとてもいい。 スタイルも71とは思えないほど! 19年2月、考え方が変わり、若い人たちにも来てもらおうと、 もう1回ここから、がんばっていこうと思うようになった。 〜つづく ≫ ― ▼ 歌舞伎町に出入りする人たちは、底辺の人が主。彼らは筋金入り。 踏まれても踏まれても立上ってくる強さがある。母親は27歳で7千万の 借金をしてマージャン店を開業。夜半に娘の布団に入りこみ、呟く! 『怖くて、恐ろしくて』の本音を呟く。 「20歳で創業者になる!」と、 宣言したが、何の能力がベースに存在しない。それなら、無理をして、 「自信があるフリ」をせざるを得ない。「最初は誰も、そうだ」と気づいた のは、何度か立上げを経験してから。風にむかって、然も自信ありげに 背中に帆をたて、立向かうしかない。不安で、恐ろしくて、出たとこ勝負。 、27歳でマージャン店を開業するには、それなりの訳あり…?
・・・・・・ 6693,閑話小題 〜二日月(山岸凉子スペシャルセレクション次法 檻 2019年07月13日(土) 『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著 * つまらない真実 VS 面白い嘘 < 物語とは何のためにあるのか? 面白いから… だけど、ただの娯楽と 言い切るにはあまりにも私たちをつかんで離さない。虚構の物語は、言って しまえば、ただの嘘なのに。物語という「嘘」の装置は―― 時に事実を述べる よりもずっと深く誠実に、「真実」を語ることができるから。 山岸先生の『二日月』の中の『朱雀門』はこの芥川龍之介の『六の宮の姫君』 を題材にした現代の話です。> このテーマ日記も、旅行記から、創業の話、読書録など身近なテーマを 「物語風」にまとめて書いている。身近な人や、一年後、数年後の私に理解 しやすいことを前提に。そこには誇張と、主観が入りこんでしまうし、それが 売りの個性と自分勝手に決めつけている。そう割切らないと、18年も続かない。 〜まずはネット検索での山岸凉子『朱雀門』あらすじ 《 話は女子中学生の千夏(ちか)が家で芥川の『六の宮の姫君』を読んでいた ときに、叔母の春秋子(すずこ)のお見合い用の着物を呉服屋が届けに来た ところから始まります。
春秋子はイラストレーターで、32歳の独身。千夏は、自分の好きなことをして 自立して生きているカッコイイ春秋子に憧れています。 そんな春秋子が着物を着てお見合いに臨むことに、千夏は少しガッカリ。 背景には、春秋子の母(千夏の祖母)が病気で入院して、いつまでも一人でいる 春秋子を心配していたことがありました。
そして春秋子は母が亡くなったのを機にさらにお見合いに本腰を入れ始めます。 千夏は、化粧も服もバッチリ決めて気合いを入れてお見合いに臨む春秋子を見て、 全然らしくないと失望します。 ただお見合いは何度やってもうまく行きませんでした。ほとんどは春秋子が断る のですが、たまに気に入った人がいても今度は相手に断られるというパターンです。
そんなある日、芥川龍之介の『六の宮の姫君』を読んでいた千夏は、たまたま 訪れた春秋子とその小説について話をします。 千夏が「姫君があまりに可哀想」と言うと、春秋子は六の宮の姫君はたしかに 芥川が書いたようにふがいないのだと言います。 そしてこの話で芥川が言いたかったことは、「『生』を生きないものは、 『死』ぬに死ねない」ということだと指摘します。 》 ― ▼「じゃあ、『生』を生きたのか?」「『生』を生きるとは如何いうことか?」 の問いが成り立ってくる。<準備を含めた45年の創業人生。本当に生きていたか? 生きたと思い込んでいただけではないのか?>と。マトモに生きてこなかった輩、 その鬱憤を身近な粗を探すことでしか自分を表現できないため、それは辛辣。 極限の、いや極限を超えた人生ということか? とすると? 如何だろう? そこで、芥川の『六の宮の姫君』とは、如何なる内容か? 〜続き。
・・・・・・ 6330,閑話小題 〜緩慢たる自殺 2018年07月13日(金) * 理想的自殺の方法 先週の同期会のテーブルで、手術から5年経過した肝臓癌の男が、毎日五合の 酒を飲んでいるという自虐的告白から、これは緩慢なる自殺ではないか?の話に。 そして死期の確定時の自殺の良し悪しから、自殺方法へと、話は移っていった。 自殺方法など、普通は話題にしないためか誰もが聞き耳を聳てていた。 こういう話なら、駅前ホテルをしていたこともあり、事例ネタは充分にある。 問題は、深刻なネタを笑ネタにすること。 30年で、平均3年に一度位だろうか。 当事者として、自殺事情と方法の報告義務があるようで、マネジャーからだが、 詳細を聞いてきた内容といえば〜 <・印象に残ったのは、開業5年目の最初の自殺。家庭内トラブルで家出をした 30歳位の女性。ユニットの湯槽で、大量のウィスキーと睡眠薬を飲んで、酩酊し。 そのまま水死した自殺。知らせを聞いて駆け付けた迷惑そうな義父と旦那の態度に、 警察の担当が、驚き、飽きれ、怒っていた!という。女性は、湯槽の下にシーツを 置いてお湯を入れて、自分の遺体を持ち出しやすくしていた気づかいがあったと…。 この部屋の取扱いを自ら判断しなくてはと考え、一週間、誰も泊めず、その間に、 近くの神主からお祓いをしてもらい、私が泊まることにした… 別に変な現象は 無かった。 しかし、20年程したある日のこと、その部屋に泊まったところ、 夜半にユニットから『ウェーン』という人の泣声のような音が聞こえてきた。 恐る恐るドアを開けると、電気を付けっぱなしだった換気音が、泣声に…。 としても、普段とは違う泣き声な…。 翌日、事務所に行って暫くすると、 マネジャーが、青い顔をして、『社長の泊まった部屋の真ん前の部屋で、自殺が ありました』との報告。その泣き声?が、あまりに生々しかったことも含め、 震えあがっていた。間違いなく、人知に及ばない世界が、この世にはある。> <・次は、哀しい話。服を掛けるフックで首吊りを自殺をした男性。警察が、 身元を調べると、アパートに同居していた連れの女性が最近、亡くなっていた。 しかし、二人の身元とも虚偽で、身元不明者。何があったか知らないが、得体の 知らない闇が有りそうだが、手がかりは全くないと。それも、出会ったばかり?> 一つ間違うと誰の足元に転がっている、在り来りの事情故に生々しい哀しさを誘う。 多くの人に囲まれて死んでも、死ぬときは独りである。やはり生きているうち!
―――― 2001/12/21 [157] 自殺 ホテルオープン後5年で初めて自殺が出た。 やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。 まだありありと憶えている、警察が呆れていたいたことを。 「確認に来たあまりに冷たい旦那と舅の態度を。」 ‘表象’を見ただけだからその2人のことを責める事ができないが。 まずは神主を呼んで御祓い、その後1週間客を泊めず閉鎖。 その後私が泊まる。さすがかなり酒を飲んで、酩酊状態で泊まった。 そのバスで(亡くなっていたバスに入ったが、怒りでそのドアを殴りつけた。 その跡は今でも残っている。今でも新潟で泊まる時は7割がたその部屋である。 ヤクザとか危ない客(私もそうか)が来るとその部屋に泊めるという。 その4年後再び他の部屋で自殺、その後、2〜3年に1人の自殺者が出ている。 朝7時前に自宅に電話があると、ああまた!ヤクザの脅しか、自殺かと! 最近ヤクザのそれはほとんどなくなったが。「ヤクザは自動的にに3秒で ‘暴力団担当’と‘機捜’と‘駅前交番’に電話する事がマニュアル化して あり、これは彼らは情報で解っているから絶対にこない。」 間抜けな流しが時に来るが、すぐ赤い顔をして出て行く。 最近では、「最期の部屋に泊まって戴いて有難う」と思うようにしている。 自殺方法と、その事情を詳しく知るにつけ、人生の深遠さに身も竦むことに…。 見事な死にかたにバスタブにシーツを敷きその後、お湯を一杯溜め睡眠薬と ウイスキーを飲んで溺死。もし死にたくなったら一番よい方法ではないか。
―――― 2001/12/19 [138] 夢についてー8
(今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみます) 海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい 谷の間を飛行している夢ー最高の気分 お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ 白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ 長岡の大手ドウリの店ー子供のころの3階の部屋の夢 どこかの町でトイレを探している夢 大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢 5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢 母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿で、 もう亡くなった不運の一生だった叔母が見ている夢 ー母の生前の10年前の頃 あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢 お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、 その池が幻想的である夢
―――― 2003/04/25 不思議-シンクロニシテー
以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。 親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。 不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から 帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩をしているコースで 初めて大きな虹を見た。ああまた出たという感覚である。
その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。 葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、 その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が 出たのは勿論はじめてである。 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる 従兄が自死した時のある現象である。 納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。 写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、 納棺の時間が偶然に一致したのだが。 死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。 こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。
涙雨というのは昔からある。 晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。 それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。 地方におきやすいのだろう。 人知のはかれない何かがあることは間違いない!
以前書いたものをコピー。 ―――― H0407霊的体験 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な 体験をしてみた。 死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。 もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。 そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身 (父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が 自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒に なったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。 何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが “おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より 本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。 そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたがその時隣に寝ていた母が スクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。 まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが 幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
―――― H0511妙な夢―(機 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。 泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、 居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。 ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。 まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて (そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが? 何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。 こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。 はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢では なかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。 H0511妙な夢―(供 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、 何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、 これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の27〜28才 位の、のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきり と憶えている。ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ “それってみんな同じ顔をしているんだよね!”といわれた時、はじめてゾーッと。 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、 ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。 その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも 乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。
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2020年07月12日(日)
< 歌舞伎町 ラストトーキョー はぐれものたちの新宿 2019-08-12 | ドキュメンタリー > * 新宿ネズミの母 何とも時代がかった味わい深いドキュメント。去年の今頃に一回目が放送 された続編…。歌舞伎町という歓楽街の世界を生々しく映し出す。母親も娘の 質問に生なましく本音を曝け出す。また他の店の御客の本音も含まれる。 歌舞伎町の水商売の実態が垣間見れる。行場のないハグレ者が集う街。 その底知れぬ歓楽街の生々しさが、…追い詰められた経営者の母親の本音が、 娘の撮るカメラから直に伝わってくる。デレクターの娘も本気で質問。 母親も、それに応える。 8人兄姉の末っ子で、両親に溺愛された反面、兄姉から、その分、 虐めがあった。両親の身近で本音を聞いて育ったため、この母子の本音 の対話には… 何やら既視感のような不思議な感覚があった。 3〜4年で8割の店が入替る街、歌舞伎町。そこにはドラマが生まれてくる。 恐らく、一年後には、現在進行形の店の閉店? が放送される? それが現に日本中、世界中に起きているのでは… 〜NHKの番組紹介より ≪ 新宿で一番古い麻雀店を45年にわたり経営している番組ディレクターの母。 新型コロナの感染拡大で店は開店休業状態に。もう閉店するしか道はないのか 何十年も共に働いた従業員はどうなるのか… ある夜母は家族を前にして決断を語った! 何とか生き延びようと奔走する 経営者の4か月に娘のディレクターが密着。思わず弱音をこぼし涙する母、 毅然とした態度で決断を告る母… 日記形式で記録したセルフドキュメンタリー 〜デレクターの一言〜 私の母は、新宿で老舗の麻雀店を営んでいる。ところがこの春、新型コロナ の影響で経営がピンチに!番組ディレクターが、翻弄される母の4か月を記録 した“新宿ダイアリー” NHKの30代女性、ディレクター、柏木映絵が母の これまでの人生を撮る、というちょっと珍しい、ドキュメント。100分。 母を去年と今年にわたり2年取材した。二人の会話、姿も映る。 ≫
―― ▼ 娘に母親が、「娘に自由に生きて欲しいと言っていたが、現実は縛りつけて いた。」の言葉が真に迫っていた。子供には苦労させたくないと、先生を何人 か付けて学ばせ、小中校の時に、一度も遅刻をさせなかった。それも自己満足」。 母親の語る言葉の何れも、飾りがだけ、心に響く。時どき合間にゴミ箱のネズミ を映し出すが、これが母親のイメージとピッタシ。.…確かに生き抜くのは大事業! 〜つづく ・・・・・・ 6692,閑話小題 〜つれづれに哲学 ―本当に頭が良い人とは? 2019年07月12日(金) * 本当に頭の良い人ってのは! 世の中には、頭が良い人が実に多い。それ以前に… 「それにつけても、自分の頭の悪さよ、カッパエビセン」である。 頭の良い人とは、「難しい言葉を簡単な言葉に変えて、相手も、自分に対して 理解しやすく出来る人。 自分の語彙の豊富さをひけらしたり、難しい言葉を 使って頭が良いと思いもしない人。 1、難しい言葉や言い回しを避けて 2、相手の視点を意識でき 3、例え話を多用でき 4、習慣力を応用でき、 5、努力、準備を楽しみまで持ち上げる力を持ち 6、何事にも興味を持ち得て、「日々是好日」が身に付いている その第一歩が、心の底から、ソクラテスではないが、「自分ってのは何で、 ここまで頭が悪い!」っていう自覚。 それじゃあ、あの本当に頭の良い人 ってのは、何ゆえに、自然に身に付いているのか? やはり、環境からくる ものじゃ、ないのか? 本当にバカに関しては、直ぐに自覚できるが… ー― * 中二病があるそうな… 『中二病』って言葉を初めて知った。 ネット検索によると… <中学二年頃の時節の「自分は選ばれし特別な存在」という自己愛が暴走し、 周囲の感覚を超越した自分になろうとする病。これを源として、現実的に不可能 な世界に憧れたり、逸脱的な趣味・嗜好を顕示したりする>と。誰もが心の底に、 持っているが、周囲の言動から、自己修正をせざるを得なくなり、自然消滅? するもの。今でも堂々と、「私は選ばれし者」と、公言する者がいるが… これは、存在論になる。私が此処に存在するのは偶然か、必然か? フランスでは、その中二に「哲学」の科目を与えられているとか? 第二反抗期ともいわれ、扱い一つで、人生が根底から破綻する可能志を含む、 誰もが通る道。 今では誰もがスマートフォンを手に出来る時代。それ故に、 不安程度が高まる危険性がある。そうこう考えると、親の責任は、より大きく なっている。 そこで、その具体的症例を調べると、これ面白い! それは、後でテーマにする。人生、振返ると危険な爆弾の山の繋がり。
偶然だが、脈絡として丁度良く、去年の文章に続く。 ・・・・・・ 6329,閑話小題 〜何でまた、17年もかけて… 2018年07月12日(木) * ネット社会は、小さな物語の公開から
『複数の小さな物語の作成と読返しで、内省する日々ですか…』とブツブツ、 ここで呟く日々。 毎日、TV、タブレット、パソコンなどのデジタル世界と、 現実世界?では、スポーツジムと、早朝一時間のチャリ遊覧の日々。 その合間にベッドか、居間で横たわる。『17年、ほぼ休むことなく、6300テーマ を書き続けるのは何で?』と、書いている私自身でも度々、疑問に思うこと。 このバカバカしさが面白いから、ただ、それだけのこと。 日々キャッチした情報をブログに記録し、クラウドしてしまえば、何時でも、 何れの場所でも、そこにアクセスできる上に、他者に公開することで、その利益 を共有することが可能になる。 そこは「サテライト・オフィス」そのものにも。 とすると、スマ―フォンと、ブログの普及は大きな物語の終焉を意味する。 ブログは、個々の複数の小さな物語の創作と公開そのもので、それがネット上で 地球上に公開される。このことを、リオタールは、著書『ポスト・モダンの条件』 (1979年)で、かってのマルクス主義のような近代を特徴づける大きな物語の 終焉を説き、複数の小さな物語の時代としてのポスト・モダンの到来を予告した。
《 近代すなわちモダンの時期における思想文化は、進歩や革命、あるいは 人間主体の解放といった「大きな物語」で自分を正当化できると思っていた。 しかし、そうしたイデオロギーは、歴史的にみて、ソ連の崩壊で終焉し、複数 の小さな物語が主流を占めるとし、ポストモダンの到来を予告した。 哲学や科学が目指してきたもの=自己実現、人間の解放、人類の進歩など 人間や社会を根本から変えるような「大きな物語」の終焉をむかえた。 20世紀前半の第一次、第二次世界大戦と、後半のソ連の勃興と崩壊とともに、 決定的に大きな物語そのものは凋落してしまった。現代とは、互いにバラバラで 異質のままのローカル言語ゲーム同士が、整然たる秩序に組込まれることなく、 混在しあう時代。これらの小さな物語を調停する新しい価値基準はもはやない。 むしろ必要なのは、安易に既成の価値観によりかからない、様々な異質のもの 同士のせめぎあいに堪えられる強さを持つこと。》(『世界の哲学・思想』より) ― ▼ それぞれがスマートフォンを持ち歩き、写真や、ビデオを撮影し、互いに 遣り取り出来る時代には、大きな物語より、身の回りの小さな面白い写真や、 映像に対し、人々は反応する。何事も一万時間の集中した時間の投入がベースと いうが、私は、その二倍近いエネルギーを投入してきた。で、日々の経験を そのまま飽きもせずに… 成るほど、これが私のベースであり、限界でもある。 ー―――
2018/05/04 閑話小題 〜17年書き続けると * 5月4日は、このブログ開始記念日 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。 まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、 読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。その割に、読みっぱなしのためか、 読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、 何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。 「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。 以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを 始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。 以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と 検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の 感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代 のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。 ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア」 の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に 現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、 その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。 何事も一万時間か、10年続けることですか。
―――― 2016/12/08 なぜ本を読むといいか? 〜7 <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著 * 確実によい本に出合う方法はあるのか? 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。 “どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。 あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。 それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。 〜その辺りを、第5章に具体的に述べてある。 ≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。 300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。 でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ ことなど、どだい無理だと思っているからだ。 ・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、 自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を 持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、 おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。 ・大事なので、結論を繰り返す。 本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。 予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来 起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。 本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。 本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で 1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。 外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における 偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。 本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫ ―― ▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。 文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの 認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量 の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、 ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと 気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の 情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。 この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、 記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、 それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを 二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、 かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、 思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は 私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」 と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、 人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、 <少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。 トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。 すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニヤ 娑婆! ・・・・・・・・ 3481, ライフログのすすめ 2010年10月06日(水) <ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)> ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー 人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、 そして普段は気にかけない自分の位置情報や生体情報まで、人生の「すべて」 をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。 仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャル な分身に人生を語らせることも可能だ。いいことずくめの「ライフログ」の 時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター 科学の重鎮が、その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。 ▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席 研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている70歳を超えたゴードン・ ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として 利用することの可能性や実現方法を語っている。PCの性能やストレージの容量 が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」をほぼ保存 していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。 10年近く前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、書きっぱなしだった 読書感や、毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、 ほぼ休むことなく続けてきた。ネタ探しを含めると、一日2~3時間は要している。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。 五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで生きようと考え実行 した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。 まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば私にとって黄金の習慣になる、 と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」 と思い知った。 10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、ある時点に到達 してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも深さも違っている。 当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも事実である。 「ライフログ化」というコンセプトのブログや商品も出てくるはず。特に タブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。私も10年のキャリアがある から、経験を生かせる筈だが。面倒か! 夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝 8時の顔写真でも、毎日デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、それも ライフログの一つになる。高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に 毎日、仕事、私生活を木目細かく書き続けてきたという。
・・・・・・ 2005年11月03日(木) 1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1 −読書日記 「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から 日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。 読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。 数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな 手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。 心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。 神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、 神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という 意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
ー「書くことの秘儀」ー ”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、 リアリティを生み出すことだ、” ”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、 悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。 死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。 それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。 食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、 われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。 一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、 ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、 ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を 特徴づけるの
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2020年07月11日(土)
「運」を味方につける48の習慣 /藤木相元 (著) 悪意は無いのだろうが、その人が席に入ると、何時の間に空気が他者の批判、 非難が話題の中心になる。蛇蝎のごとく嫌われるが、誰も顔に出さない。出世 ラインを外れたウダツが上がらない人に多い。その鬱憤に、傷付いた人を、 直接、間接的に石ブツケするから始末が悪い。 それが、マイナス「因縁」の 「縁」の間接原因をつくっていることを、自覚できない。 顔は暗く淀みが 色濃く出来ている。 …彼等の世界は目先の{比較科学」が支配している。 地元の親戚縁者に、その特徴を備えていたのが複数、存在していた。 腐った女のように、揉み手をして、「何か面白い情報がないかね!』が枕詞。 …その真逆が、著者があげる「運」の強い人! 運こそ、 <的を見据えた努力の結果!> 私のように何時の間にか、的を見失い、 この様! 自分が知ってること以外、何も知らない! 人生は残酷でもある。 ― ♦ Amazonの説明より… ≪ 人はみな、生まれながらに幸せになるようにできています。 「運」の仕組みがわかれば「好運」は確実に手に入るのです! 好運の基本は「明」。「暗」を遠ざけ「明」を呼ぶために知っておきたい ――91のルールとは――。 ・明るい美人は運がいい。 ・「休息禅」をすれば、顔相が良くなる。 ・無表情は運気を逃す。 ・微笑は、縁を結ぶ。 ・学ぶことは「明」をつくる。 ・自分を好きになること。 ・隠さずに額を出して、気を発する。 ・考え込みすぎるのをやめる。 ・不幸は、幸福を手に入れるための準備。 ・過ぎたことは悔やまない。 ・反省をするなら、その場でする。 ・笑いは、健康と運によい。 ・失恋は本当の恋の始まり。 ・自分を褒めなさい。 ・恋を心の糧にしなさい。 ・無理しないでゆっくりやる。 ・冷静にして、腹を立てない。 ・すべての物事を善意に解釈する。 ・まだ来ぬ明日のことを案じない。 ・よく眠る。 ・迷信は、いいことだけを信じる。 ・お経を唱える。そこに価値がある。 ≫
―― ▼ 良く遊び、良く学び、良く働くことを念頭に置き、 日々を過ごすこと。これさえ守れば、運がついてくる。 何処の世界にも2割の比率で、上記の条件を兼ね備えた人がいる。 世の中の幸せの8割は、2割に集中するという「パレートの法則」がある。 幸運のための仕込みに常日頃から入っている。よくみると、言葉に敏感! 下位2割の人たちを直に選別し、警戒する。 須らく、世の中の本流から 外れると元に戻すに、膨大のエネルギーを要することを知っている?… 年齢を重ねる度に、経験を重ねる度に、それに適した人物と出会う。 全身から発するオーラに、それが出る。何とも、世の中は、良く出来ている。 行蔵そのままが顔に出る。他人のそれは分っても、自分のそれは見えない。 ・・・・・・ 6691,閑話小題 〜日々・是・驚き 2019年07月11日(木) * 異音・異臭する方が当たり前! 「超常現象の原因を探る」の類のTV番組で、「ラップ音とか、サッシが揺れる 現象で、何とも面白い場面が…。 ある時間帯になるとガタガタと揺れる原因が、 近くの下水管の排水音。その音波が、サッシの隙間に反応し発するのが原因。 専門家が曰く、 「私たちは異音の真っ只中で生活していることが分ってない。聴こえないことが 当り前と、勝手に思い込んでいるだけ!」。そう言われれば、至極当然である。 これは社会でも言えること。私たちは本来異質な存在であるが、日常の平凡な 生活の繰返しの中で、それを忘れてしまう。小さな世界の中で、異質が現実的で ないと思い込んでしまう。内幕情報屋のオバサンの世界がそれ。「子狐」には、 そのテリトリーの生活情報が全世界で、それが現実にあいなる。 異音を、彼ら なりに解釈をして、直に異常者か、超常人間?になる世間様の御話に…。 ところが、スマートフォン、タブレットなどのパソコンで、国境、人種間の 垣根を超えて、一瞬で、世界を駆け巡るようになったため、始末が悪い。 情報社会、グローバ社会は、地頭で考える能力が要求される。何もかもが異音の 真只中で、その見極めが要求される。そこで必要なのが、安易な世間様の見極め。 長年かけた地頭の育成が必要に。それがバカの考え休むに似たりとしても… 「あれはあれ、これはこれ!」と思い込んでいる常識とやから、疑ってみる必要 がある。 そうこう深夜半に、考えていると、カラスの互いに鳴きあう声が聞えてきた。 夕方になると群れを成して、カラスは西に向かって帰っていくのに、何んでまた、 声が聞えてくるのか? そして深夜半に鳴き声をかけあう? と。すると突然、 大きな虫が寝室内を我が物顔で飛びまわるが、「ああ、これが当り前のこと」 と、この下書きを想いだしながら考える。私たちは本来、異界に住んでいる。 それが、何時の間にか、日常に埋没して、忘れてしまう。 さて、これをネット上に掲載した後に、ミニ・チャリ回遊に出発、午後からは、 SJのヨガがあり…、我が平々凡々の日常が始まる。庭では若いカラスの威嚇の 鳴き声がうるさい。
・・・・・・ 6328,読書日記 〜「天使はなぜ堕落するのか」 2018年07月11日(水) <「天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡」八木雄二(著) >
* 天使と悪魔、そして人間と神 〜『読書脳』立花隆著より〜 《 古代教父の教えでは、 ・人間も天使の一種である。悪魔も堕落した天使である。 ・人間は悪魔の誘惑に負けて正義の道を踏み外した天使であり、 ・キリストも神の子たる天使である。 ・人間は罪を犯す。罪を犯すとは悪魔に魂を売り渡すことである。 悪魔から魂を買い戻すためにキリストは十字架にかかった。 これがキリスト教の根幹である。 理性は天使と人間しか持たない。しかしそれが完全な理性でなく、不十分な理性 であるが故に、自分の力は神の力と同等かそれ以上と思い込む放漫の罪を犯す。 そして神以上であろうとする。そこから堕落がはじまる。また、不十分な理性は、 より大きな有益さは確実に正義に勝ると教える。そこから堕落がはじまる。》 ― ▼ 大辞林で【天使】を検索すると ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などで、神の使者として神と人との 仲介をつとめるもの。ペルシャに由来する観念とされる。エンジェル。 やさしい心で、人をいたわる人。女性についていうことが多い。白衣の天使」 天子の使者。勅使。 文字とおり「天の使い」、神の死者である。
この個所を読んで、直に思いついたのが 中原中也の詩「山羊の歌」
ー汚れつちまつた悲しみに ー
汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに なすところなく日は暮れる ―― 青年期の日記が残っていて、ここでも書いた。それらを読返す度に、上記の詩が 脳裏にかすむ。老人期に若かりし日を思う時の心情が、この詩である。決断や、 トラブル時の対処に「後味を悪くしない」を前提にしてきた。経験を重ねると いうことは、汚れていくことでもある。その汚れを、洗い落とすに、読書、旅、 散歩、音楽、そして芸術作品のシャワーが必要になる。
・・・・・・ 4866,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー34 2014年07月11日(金) * 開業前の戸惑い 店の先頭に立った切った張ったの千葉・長岡の8年間の生活から、今度は、 小さいが社長の立場。御客との直接接点がゼロになってしまった。しかし、準備 期間の一年は、開業直前までは何もかも独りである。学校に新卒、職安には中途 採用、リクルートには東京まで管理職の募集に行かなければならないが、それら は長岡で経験済み。前宣伝も広告代理店と打ち合わせ、ホテルの備品の購入の 全てを自ら決定していく。それらが、直前に集中するため、加熱状態になるが、 それが面白い? 既存の組織があれば、それぞれの部門の責任者を決め、一つ ずつ対話をしながら決定していくのが、それが無い場合、独り言を口に出して 決めていく。開設準備室のベニア板一枚、隔てたゼネコンの現場事務所の主任が、 それが何とも不気味だと注意もされた。8年ぶりの今回も、独りからの出発。 この慣れには、3〜6ヶ月は、かかるが、戸惑が先にたつ。 全て、置いた 環境が自分を慣れさせる。ホテル開業の数週間前に、学生ショップの開店。 その後、ホテル開業になる。 その間に、色いろなことがあった。 ある30歳前後の女性が、開設事務所に履歴書を持って訪ねてきた。 『私は古町で、学生ショップの会社の事務をしている。ある長岡の問屋の方から、 貴方のことを聞いているが、貴方の経営戦略が面白そうなので、是非、事務に 雇って欲しい』という。私にすれば『エッ何?』の小説のような話。 『商道徳上、いくら何でも、それは出来ないでしょう』といっても、なかなか 引き下がらない。最後は引下がったが、今度は『私が立場上、駄目なら親友が 働きたいというので、駄目もとで、面接だけでも!』と、本人を連れてきた。 それが品が、この上ない上流階級?ふうの御婦人。 私を余程の凄腕と勘違い をしているよう。なるほど、長岡と新潟だけでも、これだけ割りきりが違うと、 思い知った。 もう一つ、開業直前、地元紙に〈学生ショップを併設した面白い ホテル〉の見出しで、記事を書いて貰った。掲載された当日の夕方、自宅に一本 の電話、『私は三条駅前で学生服を販売している者だが、貴方のアイデアの ホテル開業を羨ましく思う。間違いなく成功するでしょう・・』と、一方的な話。 何と答えてよいか分からず、「はい、そうですか、有難うございます」と、 丁重に答えるしかなかった。15年の準備期間を経た立ち上げ。 その戦略を 褒めてもらったり、押しかけが来たり! 世の中は、面白いもの。 その間には、前の会社の、ある社員が訪ねてきて『会社がピンク色?に染まり、 誰一人、真剣に仕入れをしない。あるのは男女間の噂話。このままでは会社が 潰れてしまう。クーデターを起こすので戻って欲しい!』と必死の訴え! 私も命を張った大勝負の時節!で、断ったが、これ、誰にも言わなかった秘話。 その数ヶ月後、会社の危機を議論をした翌日、心不全で亡くなっていた、という。 彼の口癖が『とにかく、この会社が好き!』だった。何とも哀く気の毒な出来事 だった。 この頃から、姉夫婦の立ち上げた会社の不調の噂も流れてきていた。 商売は常時戦場!決して生易しくない。 ・・・・・・ 2015年07月11日(土) 思いが人生をつくる ー 最もやっかいな‘スピリチュアルなプライド’ 『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン著 * もっとやっかいな‘スピリチュアルなプライド’ 人間は程度の差があるにせよ、多かれ少なかれ、‘知的プライド’も、 ‘スピリチュアルなプライド’を持っている。 問題になっている「IS」 の原理主義をみれば、極端なプライドが浮び上がって見えてくる。 それは、ユダヤ教、キリスト教も同じこと。 〜その理由とは〜 ≪・「知的プライド」より、もっとやっかいなのが「スピリチュアルなプライド」。 なぜならこのプライドは、「知的プライド」よりもあいまいで、なおかつ人を 容易にだますからです。「スピリチュアルなプライド」が、同じ信仰をもたない 人に対して「救われない存在」というレッテルを貼るのです。「スピリチュアルな プライド」をもつ人が、「世界はおかしい、すべてさかさまだ。私たちが社会を 正さなければいけない。私たちだけが、スピリチュアルな信仰を啓発することが できる」という発言をするのです。 ・しかし世界は、このような人が生まれる前から存在していましたし、 彼らの信仰する宗教が現れる前に存在していたという事実はどう説明するので しょう? 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」というスローガンは、 明らかに受け入れがたいものです。この「人を混乱させる」スピリチュアルな プライドを排除しましょう! すべての宗教は善であり、神の道を純粋に説いて いるはずなのです。私たち人間はすべて、人生の灯りを探求しており、また 自分たちの灯りに従って生きているのです。そして一番の理想は、その灯り のみに従うこと。すぐ他人よりも優れている人は、すべての人に奉仕しなければ いけません。「知的プライド」を克服する良い方法は、「私たちは無知である」 と知ることで膨大な量の知識、無限の世界、そして私たちが想像もつかない ような概念のことを考えるのです! ≫ ▼ 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」は、一見、素晴らしい言葉。 「自分と同じように他人を尊重しましょう」が正しい。出来ないなら、まず フリをすればよい。人は概ね一ランク〜二ランクは自分を買い被っている。 問題は、自覚できるか出来ないか。出来ないと、他人の揚げ足をとって、 鬱憤を晴らすしかない。だから、世には争いが絶えない。しかし、これなくして 人は生きられない時がある。生きる灯り、これは経験と知識を通し得るしかない。 ・・・・・・ 5961,人生楽しいかい? −1 2017年07月11日(火) <「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著> * 人生楽しいかい? 『人生は楽しいかい?』の問いかけが題名の本。 現在の私に、そう問われれば、『た・の・し・い』である。 両親から、「事業でも、趣味でも、遊びになるまで徹すれば楽しめる」と 常日頃から教わってきた。それが可能かどうかを見極めて、一度、始めたら、 徹することと… 。リタイア後に、この指令そのままのように、スケジュール を立て、毎日を過ごしている。そうでもしてないとバランスを崩し、炎上する 自らの弱さを知るため。これらの指令は現実そのもの。老いの知恵でもある。 SJのヨガを5年4ヶ月、合計千回近く、参加してきたが、この指令の多くが ヨガに重なる。 毎日が楽しくなければ、大元からグラツクほど、過去の否定 材料が山積みにある上に、老化現象である。外的炎上はあっても、内的炎上は 直接、老人性ウツに直結する。 〜アマゾンの内容紹介より〜 ≪世界各国の教育、医療、軍事、セキュリティ関係者が注目するロシア武術 「システマ」。本書はストーリー形式で、その独特のメソッドを伝えるもの。 うだつの上がらないサラリーマンの僕が出会った謎のロシア人“ゲオ”。 小太りで一見パッとしないゲオが僕に伝えてくれたのは、ロシア特殊部隊で 生まれた「人生を変える方法」だった――。 【システマとは?】 冷戦後のロシア発! アメリカ、ヨーロッパ、中東、アジアの45か国、250以上の団体で実践。 世界各国の教育、医療、軍事、セキュリティ、関係者が絶賛する人間能力 開放メソッド。 プロローグ 出会い [本書の使い方] 【指令1】「よかったこと」に目を向ける 【指令2】ゆっくりやる 【指令3】知る 【指令4】距離を測る 【指令5】呼吸する 【指令6】姿勢を整える 【指令7】視点を動かす 【指令8】限界に触れる 【指令9】最悪を想定する 【指令10】動き続ける 【指令11】力む 【指令12】成功体験を忘れる 【指令13】相手を観察する 【指令14】衝突をコントロールする 【指令15】分かち合う 【指令16】任せる 【指令17】生きろ ≫ ― ▼ 15年間の準備期間と、実業30年、計45年間は、上記そのままを、自らに 指令し、実践してきたようなもの。誰も助けてはくれない現実の中、自作 自演で前に向かって歩くしかない。「そんなこと、全員が、そうしているじゃ ないか!今さらじゃないか!」といえば、そのとおり。「楽しい」かどうかは、 解釈の問題。要は目的と目標を明確にして、計画をたて、歩んでいるかどうか。 楽しくしていれば、楽しいことが寄ってくる。 <動き続けよ、湖面のように静かに> 現実から目を逸さず、逃げないこと。 「正・中心・一点・無」の心構えで立向かうこと。泣いても笑っても同じ人生。 笑って楽しまなくては。「楽しむ」のは天性もあるが、第二の天性、 習慣化でも身につけることが可能。次回から、それぞれの指令を取上てみる。 静かに、問題の中心を見続けて、動き続けること。悪貨に染まらないこと。 悪貨なら、染まりようがないか?… 「ところで、昨日は楽しかったか?」。 「早朝の自転車散歩に、午前中のTVドラマに、SJも、夕刻の大相撲TV観戦に…」 上げればキリがない。楽しいことを意識をして探し出したからである。
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2020年07月10日(金)
<「笑い」の解剖 中島隆信著 * 「笑い」の4段階説 性格もあるが、ストレスの多い人生だった。それでも何とか、解消の工夫で 乗越えてきた。その都度、解消しないと即座にうつ症状になる事態の連続… 秘・異郷ツアーの参加や、禅・ヨガに興味を持ったり、早朝の散歩・ポタリングも、 その一つ。朝一の、このブログの書上げも、その一つ。ストレスは、不自然な状態。 その自分に親しみを感じて、己を突き放して冷笑する。そして、不自然な自分を 開放する。 Amazonの読者レビューが、この概要を纏めてある。 ≪ 人が笑うまでのステップ「笑いの4段階説」という考え方を提示している。 これが本書の根幹。なかなか説得力のある説明で、論理フローチャート も図示されている。「笑いの4段階説」を簡単に説明すると以下の通り。 ー ・第一ステップは「不自然さを認知すること」と定義している。 人は「日常的な自然」の状況では脳に余計な負担を掛けないために、深く考えずに 行動し日々過ごしている。一方、不自然な状況に直面すると、自身に危険が及ぼす かどうかの判断を始める。この「自然」から「不自然」への切替が笑いのスタート。 ・第二ステップは、目の前の「不自然さをもたらす相手に親しみを持てるか」。 ・第三のステップは「不自然さに対する当事者性が低いこと」としている。 この三つのステップを説明するために著者はこんな例を挙げている。 まず、町中で人がよろめいて突然倒れたという状況を想定する。この状況は 「不自然」なので第一ステップはクリアーする。しかし、倒れた人が、警官に 追いかけられていた万引き犯だとすると、万引き犯に「親しみは持てない」ので 第二ステップをクリアーできない。 次に、倒れた人が自分の父親だとすると「親しみ」があるので第二ステップは クリアーするが、「当事者性が強い」のでケガはないかと心配するのが先で、 笑うことは無い。最後に、着ぐるみのゆるキャラが倒れたらどうなるのか。 「親しみ」はあるのでこれも第二ステップをクリアーするし、中に入っている人 とは当事者性は低いので、笑いに繋がっていく。 ・第四ステップは「不自然さから心の解放が出来ること」としている。 「不自然」から始まった「親しみ」「非当事者性」という状況を精算してチャラ にするという「心の解放」によって脳の負担が減る事が「快楽」であることから、 笑いが生まれると言う考え方だ。 ― 人間は脳を進化させ、道具を発明し、言語を作り、社会を構成していった。 その代償として抱え込んだのが外的・内的のストレスである。こうした蓄積する ストレスを解放してチャラにすることが笑いであり、そのプロセスが「4段階説」 であるという。ここまで、読み進んでいくと、自分もいっぱしの笑いの研究家の ような気分になってくる。加えて、過去の笑いに関する研究が紹介されている。 プラトンやアリストテレスが提唱した、笑いとは対象を見下し優越感が出来た時 の行動で、人の失敗を笑うといったことなどを説明した「優越理論」や、社会生活 で鬱積した心的エネルギーが臨界点に達した時に放出される笑いとしての下ネタの ような性的ジョークや、からかい(攻撃的ジョーク)などの「解放理論」。 「西洋人らしく見える人が流暢な大阪弁を話す」など予想と現実の不一致から 起きる笑いを説明する「不一致理論」などが紹介されている。しかし、これらの 理論の限界は、笑いの内容に原因を求めているため、全ての笑いを説明出来ては いないとする著者の意見は納得できる。 ― ▼ このパンデミック禍。人類の右上りの成長に、待ったをかけてしまった。 その戸惑いの右往左往は、まさに御笑い。その最たるものが、各自それぞれ! ほんの数ヶ月前まで信じられていた未来が、ことごとく破壊され新たな出発を 余儀なくされた。 「赤信号、皆んなでわたれば怖くない!}とはならないから、 困ったもの。太平洋戦争を跨いで生まれてきて、75年近く。終わりは、この パンデミック禍の最中で、プッツンということですか! なる程、生きてきた ように、死んでいくことになる。
―――― 2016/04/04 閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜 『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より * 産業廃棄物の末路 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。 この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。 リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、 『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。 私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・ 兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、 それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた 後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った 居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、 襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、 昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。 定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌 できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら 連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、 スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、 シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、 何とかバランスを保っているだけ。 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、 横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親 で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、 地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、 動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、 追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、 人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。 そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。 ーつづく
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2020年07月09日(木)
「運」を味方につける48の習慣 藤木 相元 (著) * 新型コロナ禍で、運について考える… ◉ 運について何度かテーマにしてきた。何気なく図書館で手にし、借りてきたが、 切口が違うって面白い。「運」は字のとおり、運ぶこと。待っているより、自ら 行動して手元に引き寄せること。20歳で創業を決意し、15年かけ準備。バブル まで10年かけて膨張、そして20年かけて崩壊。合計45年の創業人生を過ごして、 65歳で終えることが出来た。満足感も…後悔もない! 無事乗り切ったとしても、 今回の超特大のビッグスワンに打ち勝てはしない。むしろ、9年前に、整理出来て 良かった? 運・不運も解釈次第になる。何故に神が、ここまで生き伸ばしたか? この黒鳥を見せる為。 これも身勝手な解釈でしかない。 実際に身を挺した分、 罵声を浴びながら7転八倒した分、著者よりも自分の実感は深い。 結論として、 大部分の人は好い加減に生きているだけ、甘いが… それも人生!
◉ つくづく思うのは… このパンデミック、細胞生物の人間に対する、細菌を通した神からの問いかけ! 群れて文化・文明を創り上げた結果が、いともアッサリと、根底から崩壊。 断言するには早いが… 人類の長所だった群れの習性が、そのまま欠陥と露呈 してしまった? 運も不運も自らが創り出した妄想? 死ぬなら死ぬしかない。 この文章を書いて気づいたのが、<好き勝手の結果、アナタ(人類)の命運が 尽きただけ。 ここで一度立ち止まり、世界のありかた、処し方を考え直す時… その為には、パンデミックで人類半減も致し方がない?
◉ 何やら、トランプの出現で、世の中が一段と薄汚れたようだ。あのプーチン、 ドン金、習主席の謳歌に対するに、彼のキャラも必要かも。 数千年かけて 創られた欧米文化帰結は何だった? この持論を前提に、この本を読むと、 違った側面で「運」を考えることが出来る。 ◉ 読返してみて、好きなればこその内容。運があると信じていれば、幸運の 機会は自然と多くなる。運がないと思っていると、その機会に気づかなくなる。 「有難い」と思う習慣があれば… 有難いことが寄ってくるもの。
・・・・・・ 6188,閑話小題 〜「自分は運がいいほうだと思う?」 −1 2018年02月21日(水) * 自分は運がいいほうだと思うか? 先週末の朝日新聞で「自分は運がいいほうだと思う?」をテーマにしていた。 〜要旨といえば〜 < 有名な話では、松下幸之助さんが社員の採用面接のとき、よく 「あなたは運が良い方だと思いますか?」と聞かれたといいます。自身でも、 「自分は運がいい」と一日に何度も言うという。 その理由の一つは、 そう自分に言い聞かせ思い込むと、自信が持てるようになり自分から積極的に 行動できるようになるということ、もう一つは「自分は運がいい」と思う人は、 今を肯定的に捉えて、悪いことが起こっても他人のせいにしないと… そして「自分は運がいいほうだと思う?」に、7割が運が良いと、3割が悪い と答えるという。 運が良かったと答えた一番の理由が、良い人間関係に恵まれていること、 良い環境と、良い両親のもとに生まれたため、そして成功が失敗を上回って いるためという。 運が悪かった人では、「思い通りの人生ではない」ことと、努力が報われない、 努力が報われない、人間関係が恵まれてなかった、などをあげている。> ― ☆ 〜運について幾つかネット検索からひろってみると、 ・人生の岐路で迷った時に、困難な方を選んだ方が運はついてくる。 ・楽観主義の方が運がよく成功しやすい。 ・夢や目標がかなった状態をいつも頭のどこかで思い描いていると、幸運が 目の前に現れたときにキャッチできる。ーなどがありました ― ☆ 「運がいいと思っている人ほど運が良い」ということです。確かに成功して いると見られる人ほど「自分は運がいい」という。 正反対の「自分は運が悪い」と言い続けている人がいます。会社の愚痴、仕事 の愚痴が多いですが、思い通りの仕事はなかなか担当させてもらえず… ― ▼ 運については、30数年前の経営セミナーで、『運の作り方』という テーマで聞いたことがあった。創造工学研究所所長の中山正和氏で、川喜田 二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 〜その要旨といえば、 <何かをする前に、判断をするが、結果が良ければ運が良かったという。逆に 悪ければ運が悪いという。それには、心が澄んでいるほど正しい判断が出来る。 そこでまず、般若心経を暗記し、唱え続けることで、心を空にして、現象を 捉えて判断し、ことに当るに、般若心経は、プラスに働く。> …と。 そこで3週間かけ暗記することに相成った。暗記してしまえばしめたもの。 何時どこでも、夜半、眠れない時とか、通勤の車内とか、チョッとした合間に 唱えることで、悟りに近い状態になれる。私の因縁のある有識者?の多くが、 例えば二人の息子や、兄夫婦、直ぐ上の、姉、会社の正社員などの人たちが、 暗記することに相成っていた。100人は下らないない?。 …で、この有様? 茹でガエルになってしまったからじゃないですか。 〜つづく ・・・・・・ H0605 般若心経のすすめ
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、 般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。 今まで何万回唱えただろうか。 当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。 二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より) 直観した事を列記すると ー分サイズの時空を超えた一つの視点をえた ⊃澗_擦貿板垢あっている(リズム) α波がくみこまれている ぁ版亜匹この中に入っている イ寺・神社等で唱えるとTPOとして、 その場のイメージが鮮明に残る 情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、 結果として“運=無意識の判断”を左右する Г海譴鬚り返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、 自己の中にその中空がつくられる 夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、 等々限りない。 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で 「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、 キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」 のではないかと言っている。 それは般若心経をくりかえしの中で、 少しでも近づける様な気がする。
・・・・・・ 2016/09/25 閑話小題 〜幸運の人と、不運な人 * 人は、すべからく幸運である 以前、書いたことばかりだが、思いのまま、「幸不幸」について書いてみる。 ・人間は、「いま、ここに、私」として存在するだけで、幸運である。 「神様の御導きびき」といえば、それまでだが、幸運な偶然の一致の重層で、 存在している。他者と比較が、この幸運を見えなくしている。 ・自らを幸運なタイプと自認する人と、不幸と自認する人との、一生の間の 運命の差は膨大になる。不運な人は、チェンスがあっても、自分が駄目と 思っているため、目前にあっても気づかない。どうせ、駄目だからが無意識 のうちに働き、そのチャンスに気づかない。 ・幸運な人は、チャンス到来に、そら来た!と敏感である。何せ、幸運だから。 幸運であるには、何があっても上位に自らを置かなくては。まずは20%に、 そして、6%、3%、1%にと。 ・幸運な人は、幸運のある同類を呼ぶ、というより集合する。幸せ本には、 まず、「幸運の人に近づけ」と。彼らには、幸運を自ら引き寄せる力がある。 ・以前、<幸運を呼寄せる力を得るためには、『般若心教』を暗記をして、 ことあるごとに唱えなさい>と、創造工学の先生の講義を聞いて、早速、 二週間かけて暗記をした。「色即是空 空即是色」と、心を澄ませておけば、 情報選択と決断も間違わない。運とは、判断し、その行為が、正しい場合を、 「幸運」といい、間違った場合を不運という。だから、情報に対する純粋な 視線が必要となる。特に、情報過多の現在こそ、重要である。 ・生活習慣は、第二の天性である。 二ランク上の生活習慣を立て実践すれば、 二ランク上の人になれる。その差は、時間とともに莫大になる。 ・「恒産あって、恒心あり」、長年かけた蓄えが必要となる。なぜ?といえば、 人の心を自由にも不自由にする力が、金銭の有無に厳然としてある。お金の 心配からの解放が純粋な心を生み、それが幸運を呼ぶ。(真逆もあるが) ・・・・・・ 5440,人生で最も大切な技術 ー心の自由 2016年02月06日(土) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 自由への大いなる飛躍 ここで、エゴから開放されることが、心の自由という。御隠居生活は、 今さら、老いさき短いのに、エゴもなにもないだろうという諦観が、拘りから 自らを解放させる。森の生活から、サバンナの生活の移行が、「心の自由」を 実感させる。森は森で面白いが、サバンナにはサバンナの面白さがある。 心を自由にするにエゴからの解放を勧める。遺伝子科学は、遺伝子の進化 の本質はエゴにあると解明したが、そこは知的生物?たる人間様。せめて 心の自由を、「私の・・」からの解放が必要である。 〜その辺りから〜 ≪ 自由になる、ということは、自分の運命の支配者になることである。 ただ、自由と聞くと、行為、動作、意見等の自由、自分が決めた目標達成 の機会を獲得する自由、等というふうにとかと解釈されがちである。 そのように自由を納得することは、自分の外側に自由を置いて、思考の横暴な 振る舞いを看過することになる。実際、西欧では、自分のしたいことをして、 衝動おもむの赴くままに行動するのが自由、という解釈が一般的である。 しかし、そうした考え方はおかおとししい。したい放題とは、心を混乱させる 思考の慰み者として、自分自身を決めるのも同然である。それは、山頂で吹き まくる風によって、あらゆる方向にへし曲げられる草と同じ状態である。 「私にとって幸福は、したいことを誰にも一切ロを挟まれないですること」 とBBCのインタビューに答えていた英国の若い女性がいた。無秩序な自由の唯一 の目標は、欲望を即座に達成することである。だが、果たしてそれが幸福を もたらすだろうか、という疑問が生じる。その疑問には十分な根拠がある。 自然で自発的な行動は、精神的な混乱がない限り、長所となる。しかし、 心の中で渇望、嫉妬、傲慢、恨みなどの狂犬を荒れ狂うままにさせておくなら、 間もなく、心はそれらの狂犬に占拠される。一方、自由な心は、膨大で、 明確で、静寂な空間で、そこに痛みはなく平安だけが強化される。・・(略) 心の自由は、とりわけ、「私に」と「私の」という独裁者エゴからの解放で ある。エゴは自分が嫌うあらゆるものと衝突し、自分が欲するあらゆるものを 自分のものにしようと必死になる。それ故、自由になることは、心を支配し、 曇らせる苦痛の絆を断ち切る作業と言える。それは、自分の人生を、習慣と 心の混乱によって作りだされる性癖や性質に明け渡す代わりに、自分の手中に 収めることである。水夫が船の舵柄を緩めて帆が風にはためくままにして、 潮の流れに漂わせている場面を想像すれば、それが自由な航行とは呼ばれずに 漂流した状態だとわかるだろう。自由な航行とは、舵をしっかり握って 自分の選んだ目的地に向けて航行することである。 日常生活でこうした自由が体得できたなら、他者に対して心が開かれる上、 忍耐力が備わることになり、自分の選んだ人生の方向からまったく外れずに、 断固として突き進む覚悟ができるだろう。実際、方向感覚を持つことは 生きる上で不可欠である。ヒマラヤをトレッキングする際には、何日でも 何週間でも歩く覚悟をしなければならない。・・≫ ▼ 英国の若い女性が言った、「「私にとって幸福は、したいことを誰にも 一切ロを挟まれないで・・」の「したいこと」を、「幸福になるために」 に替えれば良いこと。そのために、少々自由を犠牲にしなければならない。
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| 7055,閑話小題 〜コロナ菌より怖い、金欠病菌! ≒ガイアの夜明け |
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2020年07月08日(水)
* コロナで激変!働く現場の行方 このパンデミックの与える医療以外の働く人の戸惑いに驚かされる。 経営者も、そこで働く者も、収入が断たれ、茫然とするしかない。1990年のバブル 崩壊、2001年の9・11テロ、2004年、2007年の中越地震と、刈羽沖地震、2008年の リーマンショック、2011年の東北大震災とたて続き、ダウンした経験があるため、 このパンデミックの与える影響の大きさにタダならぬ恐れを感じる。この3月に、 私が20年にわたって続いた大波が、一挙に、数ヶ月で起ってしまったようなもの。 その大津波は、この数年、吹き荒れることは必定。これでは、心が折れてしまう。 ここで、倒産の集計には入らない「自主的な休廃業」が2万5000件にも上り、 夏以降さらに増加が見込まれるという。“第二波、第三波への懸念から、先の 見通しが立たず、事業を諦めてしまう経営者が多いというのだ 東TVの、「ガイアの夜明け」は、以前、みていたが、シリーズで、コロナ禍に 直撃してしたサービス・飲食業者の苦境の生現場をレポートしていた。 ― 【コロナ倒産24時…“倒産”情報部員に密着!「これは入り口にすぎない…」 4月。企業倒産などの信用情報を調査する「帝国データバンク」にカメラが入った。 これまでの企業倒産で経験したことのない現象が…5月の倒産件数は、56年ぶりの 低水準に!? 理由は、裁判所がコロナ対策で業務を縮小。倒産手続きの「自粛」 が要因だという。一方、倒産現場を歩く情報部員は、リーマンの時とは違う 「地殻変動」を感じていた。「旅館・ホテル」「飲食」「アパレル」など、 「人の動きが止まったこと」から始まった企業倒産が、幅広い業界に連鎖・波及 すると身構える。帝国データでは、倒産の集計には入らない「自主的な休廃業」 が2万5000件にも上り、夏以降さらに増加が見込まれるという。“第二波、第三波 への懸念から、先の見通しが立たず、事業を諦めてしまう経営者が多いというのだ。 「コロナ倒産」は、新しい経済・ビジネスを作るための“痛み”なのか? 「稼ぐ術」をなくした経営者たちの、それぞれの選択を追う。】 ― ▼ 都会の飲食業界は、三密を狙って成立つ職業。それが根こそぎ否定されるは! まだ現在地点は、その入り口。これは、都内、国内だけの問題ではない。いや、 サービス業界だけでなく、全ての業界に至る問題。その根は深い。ガッチリ、 固定客をつかまえていたと信じていた彼らにも死活問題。 私の命名… 「7・5・3」現象。7割減、5割減、3割減、それ以下は問題外。 厳しいが、 これが現実。それぞれにより、対策が違ってくる。問題は、廃業の時期! キツイが、避けられない。これも事業の必須事項。
・・・・・・ 6688,閑話小題 〜七夕の短冊に祈りを込めて 2019年07月08日(月) * 毎年、この時節、半期の 今年の前半が終わろうとしているが、比較的に何ごともなく推移し終わった。 ・国内では、5月に「平成」から「令和」に年号が変わり、6月にはG20大坂 サミット開催し、無事終わった。プロ野球のセリーグは、誰も予測しなかった 巨人が独走。パリーグは予測どおりにソフトバンクが独走に。大相撲は、白鵬が 隔場所ごとに休場し、翌場所に復活する戦略で何とか、オリンピックまでの 延命戦略を忠実に実行。これはこれで良い。 ・近く実施される参院選挙は、自民党有利の予測。 ・世界の政治は、トランプ劇場が、相も変わらず続いている。ホルムズ海峡で 日本タンカーに攻撃があったが、何処の国かは闇の中。北朝鮮は何とか平成を 保っているが、波乱含みのまま。 ・プライベートでは、卒50周年の会が、開催され出席した。私にとって節目。 親戚関係の不幸は無かった。腰痛は、出たり止んだり。スポーツジムは週4〜 5回をキープ。今年から時どき休むことにした。死に損なう危険があるからだ。 とは言いつつ、最大の出来事が無事平安に推移すること。 毎年、前半が穏やかだったが、後半に荒れる傾向がある。 ―― * 七夕の短冊に祈りを込めて 名古屋場所の初日と千秋楽日は、毎年、プロ野球と大相撲を同時TV観戦をする のが慣わし。同時にゴルフ、バラエティも挟むため、それは忙しい一日になる。 何故に、一週早い第一日曜にしたのか?の疑問は、七夕の目出たい日に合わせた 粋な計らいのためと遅ばせながら気づいた次第。 大相撲も、プロ野球も、 「短冊に何を書きましたか?」の質問が何とも味わい深いのが、あった。 共通してあったのが、「10年若くなりたい」。それに対した解説のコメントが、 「これは人類永遠の願い!」…と。 5年でなく10年が何とも微妙。 ということは、最初から10年若く見える服装、そして体力づくりを目指せば よいことに! 気持ちも同じ。成るほど、何かしら年齢に気持ちがついていか ないのは、自然かつ健全ということ。 私の願いは… 『より深く、より広く、より新鮮に世界を味わう健全な精神にレフレッシュ』 さてチャリ散歩だ。
・・・・・・ 6325,閑話小題 〜今年も半期の終了 −6 2018年07月08日(日) * 〜スイス 名門寄宿学校〜 掘 悒棔次Ε愁譽ぅ罅 まだまだ書き足りない感が残ったため、録画の三度目の見直しをした。 以前、『3・10・60・27の法則』の法則をテーマに取上げた。ここの教育方針は 『帝王学』で、まずインテリジェンス(知性)のベースの 構築を図っている。 インフォメーションが「生の情報」であるのに対して、インテリジェンスは 「加工された情報」という意味で、インフォメーションをもとに分析された情報 などのことをいう。加工された情報を鵜呑みにしないで、ベースに自らの知性で、 生の情報として考えられる能力を生徒に身に付けることを目指している。 そのためには、「何故、何故、何故」と、常に自己問答する習慣が必要と教える のである。洗練された自由人である。この情報・知識を元に、知恵に変えて、 モノゴトを判断し、プラスに導くことが、インテリジェンスになる。 〜この紹介文より〜 ≪ アルプス山中のヴィラールにあるボー・ソレイユ校は1910年の設立で、由緒 ある著名なプライベートスクールです。英語で学ぶ国際部とフランス語部があり、 卒業時にそれぞれIB、FBを取得することを目指して学習します。進学率はほぼ 100%で、ヨーロッパ、北米の大学を中心に進学します。 「バランスを大事に」をモットーに勉強だけではなく、スポーツや色々な活動 に全面的に参加し、一つに偏らないバランスの取れた人間形成を目指します。 スポーツだけではなく、演劇や音楽などバラエティに富んだ課外活動が用意 されており、週末には屋外探検活動や近郊都市への遠足に出かけることも多く あります。修学旅行や休暇期間には、ヨーロッパだけでなく、南米、アフリカ、 アジアなど世界中の様々な場所への旅行に参加することができます。
11歳から13歳が学ぶ科学の授業では教科書を使いません。低学年のカリキュラム には五つのテーマがあり、これらのテーマに基づいてあらゆる授業が行われます。
1.Adaption(適応力):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育 2.Discoery(発見):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育 3.Risk(リスク):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育 4.Respect(敬意):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育 5.Traditions(伝統):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
―― 課外活動のイアン・レイ氏はリーダーシップは生徒たちの人生において重要で、 すべてに影響を与える存在であるリーダーに役に立つスキルを身に着けてもらう と言いました。責任感があり向上心を持っていること、それがリーダーの条件 だと言います。学校では世界に広く目を向けるだけでなくそれぞれの国の言葉や 文化も大切にしています。
― ▼ 11歳といえば、日本では小学校五年である。この頃から、年に1200万の教育費 をかけてベースを教え込む。それも8年も。まあ、能力格差がつくのは自然の理。 選ばれた教師が、その全てを注いで、生徒に教え込む。それも、俗世を遮断した、 浮世離れしたスイスの山麓で… それも、世界中の国から集まった異色の人種と、 寄宿するのだから… こうなると、問題は血筋・血統まで行きつく。成るほど、 自分とは、自らの分、分際ですか。私の分際から見えてくるのは、当然こうですか。 ・・・・・・ 5228,思いが人生をつくる ー◆ 礎療プライドは危険 2015年07月08日(水) 『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン著 * 知的プライドは危険 学生時代、読書の絶対量の少なさを自覚し、知的コンプレックスに陥った。 以来、早朝を中心に2〜5時間の読書習慣を続けてきたが、この程度。しかし 半世紀近く続けると、その量が質の向上に繋がってくるが、大学ノートに、 せめて1ページでもメモの習慣を付けておけばと後悔をし、14年前から、 個人HPで、その内容を記録をし、公開を始めたのが、これ。 自ずから、 8〜9割方の人が、読書の絶対量が少ないことに気づくことになる。 特に地方の人は、それに気づく機会が少ない。そうすると、対話できる 相手が少なくなる。そこで、自分の壁が出来ていく。所詮、それも馬鹿の 壁になるが、それが知らずにプライドになっていく。 これが危険という。 〜その辺りを抜粋〜 ≪ 外見や衣服、もしくは富や地位をひけらかすプライドといった些細な問題は 取り上げません。もちろんこのプライドも、好ましくありませんが、所詮は 弱い心、もしくは大人気ない心から生まれたもので、心が成熟すれば克服できる。 より危険なプライドは、「知的プライド」です。なぜならこのプライドは、 成熟した心に現れながら、その存在は明確ではないからです。 熱心な研究や思考の力、もしくは高等教育によって誰かが他人より秀でると、 そこに「知的プライド」、もしくはそれに近い感情が生まれます。 ある人はこの感情によって、他者を「惨め」と決めつけたり、物事の真意を つかめない人に対しては、もっとエスカレートして「馬鹿な連中だ!」と叫んだ りするのです。この類のプライドが、近代の改革を台なしにしています。 利己的な改革に異常なほどに固執している政治家があまりに多く、自分に賛同 しない人を「惨め」ととらえ、この感情を他の民族や先人たちにまでも、 伝染させるのです。・・・ 「私は真理を守るために力をつくします」 そう老いた哲学者に語りかけた若者がいました。 「若者よ、そんなに真理を守ろうとしているは、真理か、 それとも、真理に対する自分の意見か、どちらなのだ?」 哲学者は、そう静かに質問したのです。 人が真理を知るとき、それを守ろうとしません。なぜなら、真理そのものが 守られた存在だからです。同じように美徳に関しても大騒ぎなどしないのです。 静かに、しかし、明確に、真理は、それ自体が人生の中で人格のようなものと して存在意義を示しています。人格とは、だれもそれに対して反論したり、 議論できるものではないのです。 言葉や議論は、砂の上に書かれた文字のよう なものです。それに対し人の行動や人格は、人生という永遠の岩の上に、 けっして消えないように刻みこまれた彫刻のようなものなのです。 ≫ ▼ 「世間」を嫌っているのが、私のみすぼらしい「知的プライド」が、 原因だろうかと、思い浮かんだ。現象をそのまま、事実と区別しない輩。 こういうことは、黙っていればよいものを。わざわざ。知らないということは、 底知れぬ恐ろしさがある。 この「知的プライド」の危険性もだが! この半世紀も何を読んできたというのか? このことを知るためか!
・・・・・・ 5958,洗って使える 泥名言 〜3 ーライオンは弱い奴を狩りに行く 2017年07月08日(土) <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) > * ライオンは弱い奴を狩に行く 〜 他の章の面白い泥名言が… 〜 <すべての男は3等賞や。それを一等にするも、三等にするのも自分や。> と、知り合いのママが言っていたというが… 凄いことをいう。更に、 <三等を三等のままにしておくのも立派なことで「それで充分やんか」> だと。それもこれも、泡沫の夢幻の話。死んでしまえば皆、同じ。
<ライオンは弱い奴を借りに行く。> 暴力と貧困は、高いところから低いところに行く。世間とかいうゴミダメは、 こういう弱者探しを生業に成立ち、日常会話で「にわか裁判」をしている。 まず検事がいて、裁判長、そして傍聴人までいる。多くが、人生不燃焼組で、 その燃え残りに火をつげ、自己満足する輩。対象は「大変な人」。
<よく離婚とか、彼女と別れる段になって、きれいに別れようとするバカが いるじゃないですか。あれ、一番ダメなんですよ。何やっても嫌われるの なら、「どうして、こんな奴と」思われるぐらい嫌われた方がいい。> キレイに事業撤退とか転職をしようとするから、ダメ。嫌われ罵声を浴び、 「これも有りか」と、独り打ち震えるのを逆に楽しむ位でないと。 「最期は、キレイに撤退したい〉の私の要請に対する弁護士の答え 〈借金を踏み倒すのに、キレイも汚いもない。70点が最高点と思って下さい! 〈それでは、70点に近づけるように、お願いします。〉と方針決定。 甘かったかもしれないが、過去の経験からして、やはり、後味の悪いのは、 傷口に悪い。 ― ▼ 大変な家庭環境の中で、下ネタ経験充分の人生もあり、とう泥名言の数々。 緑の原野(娑婆)には、花も実もあるが、捕食動物も、被捕食動物もいる。 狩るか、狩られるかの弱肉強食のドラマが日ごと繰り返されている。ところで、 『今、何になっているの?』『何を狩ってんの?』『何を楽しんでるの?』 『人間をしているの!』『好きな遊びを探してるの』『趣味を楽しんでるの』… … など、様ざま。問題は、時間が限られていること。キーワードは、『よく』 が、それぞれの生きざまの頭についているかどうか。その為には考えることだ。
・・・・・・ 4863,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー31 2014年07月08日(火) * 都銀支店長の全面協力が、出発第一歩! 〜後半編へ 時は、1980年3月1日。都銀・営業のTさん(兄と私の嫁を世話をした恩人) の上司である支店長が、私に面会したいという連絡が入っていた。 当日、本店の朝礼で辞任挨拶をした足で銀行に行った応接室で、辞めるに ついての経過と、今後の事業計画を述べたが、それを黙って聞いていた支店長が おもむろに、『現状のままでのホテル計画なら賛成できないが、貴方が会社を 辞め、以前に手がけた千葉のビルを売却して始めるのは筋が通っている。当行と して今後の資金計画の全てを協力します!まず千葉のビル売却からですね!』と。 金融の知識や、長期資金調達方法が皆無の私にとって、渡りに舟の信じられない 言葉! 小説のような話である。何ごとも、実績? 直前に辞任の挨拶をして きた帰りに、次の事業計画の最大の理解者を得て、最大課題の解決の糸口を 得たとになる。その間、僅か一時間。幸先良い出発になった。地銀の役員 クラスでは、無理! 今の私が都銀の支店長なら全面協力をするが・・ 地方豪族化した彼らでは?それもあり、今回の私の結末は、地方豪族システム の価値観で染まった地元権力の残存者には最高の物語? それもいい。 あと一つ、現在も酒友だが、当時の相互銀行の計算センターの部長が、 そこの契約コンサルタントのW先生が、私の事業計画を聞きたいという。そこで、 ありのままを話すと「この事業計画は間違いないでしょう!」の、お墨付き。 私にすれば15年間の捨身の計画だが、誰も、それを知らない。もし都銀の 支店長の全面協力が無かったら、その経営コンサルタントと契約することに? その後、姉夫婦の倒産の後始末と、義父の会社の不動産トラブル解決をして 貰うことになったが・・ 既に20数年前に亡くなった。 ・その前の節目は、実家の会社で、産地の大手問屋の全面協力と、暖冬で 暴落した冬物で大当て、波に乗せたこと。 ・千城台ビルの二店舗は、商社のS氏が本気で面倒を見てくれた。 ・その前のジャスコ辞任後の産能大時代では、千葉の新興住宅地の中央四つ角 商業地の売出し記事をみて応募、抽選で当選、次へのステップになっていた。 ・今回は、都銀支店長が全面協力の約束。 などなど、節目節目で、何もかも プラスに働いたのも、右上りの時代に捨身で挑んだため。どれも紙一重で、 思わぬ因縁がプラスに導いた。捨身で、全力で節目に挑めばこそである。 ・・・・・・ 5593,幸福の条件とは 〜 ドーダの四分類 2016年07月08日(金) <「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著> * ドーダの四分類 「ドーダ!」という自己愛・威張り動機で人間は行動し、歴史もこれで動く、 という論だが、面白いのは、それを四分類をしたところ。『ドーダ』をネット 検索をしたところ、分かりやすい解説があった。 〜その辺りから〜 ≪ この価値は、ドーダという自己愛の表現を、「陽ドーダ」「陰ドーダ」 「外ドーダ」「内ドーダ」の四つに分類したところにある。 ・陽ドーダは、ストレートの直球型。「ドーダ、おれはすごいだろう」である。 ・陰ドーダは、ひねくれた変化球型。貧乏が清貧になり、粋が乙になる。 病院での病気自慢や、不幸自慢など、日本のドーダはこの陰ドーダ系が多い。 筆者は、日本が戦争で負けた、いや、戦争を起こしたことそのものも、西郷隆盛 の陰ドーダの怨霊が日本人の思考としてこびりついているからだと説く。 要するに、負けるが勝ち、現実で負けて思想で勝つというやつだ。 ・外ドーダは、ドーダの向くベクトルが外に向うこと。その典型がお手本ドーダ。 お手本を外に求めて、自分がそれに忠実であることを自慢する。日本の学者の ほとんどがこのお手本ドーダである。 ・内ドーダは、自己の告白の赤裸々さを自慢する赤裸々ドーダ。 不幸ドーダ(あれ、陰ドーダとどう違うのだろう)、根拠なく自己の国や 出身地を最高とするお国自慢、愛国ドーダ。≫ ―― ▼ 「限度なき貧欲」を漫画家の「ドーダ」の一言で、歴史上の難解な事件を 解明するとは新鮮な着想である。人の心は、この4つが絡みあい捩れている ため、まずは、一つずつ、とき解いていかなければならない。この随想日記を 書き続けているのも、「どうだ、15年以上も続いているだろう!」の気持ち が有るため? いや、新たな知識、日々の刻印のため。それより面白いが先に 立つため。「ドーダ」だったら、途中で、止めていたはず。モナコのヨットの 船着場で、夏場、豪華パーティが開かれる。これも主催が、招待者に、 『ドーダ、凄いだろう!』の、見栄のため。世界の金持ちも、こんなもの。 エジプトの古代のファラオが、豪華神殿をつくり、近隣の王族に見せつけて、 戦意を奪ったというが、これも「ドーダ」の典型だろう。当然、事前の知識が なかった私も、数千年の時間をおいて、腰を抜かさんばかりの動転をした。
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