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堀井On-Line
| 7004,閑話小題 〜つれづれに、…TVが面白い! |
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2020年05月18日(月)
*‘内藤大助の大冒険’の迫力 これまでに1〜2回は見たが、あまり印象に残ってない「内藤大助の大冒険」。 ラオスの森林の奥行きの深さと、メコン川の濁流をカヌーで渡る迫力と…。 更に、川中島にロープ上を渡って魚を取る命懸けの内容に我を忘れて見入った。 https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-03-18&ch=10&eid=22836&f=4648 <大自然のなか、命懸けで食糧を手に入れてきた人々のサバイバルを追体験。 象を乗りこなして湿原を渡り、密林を踏破し、水煙を巻き上げる大滝をロープ で下る。さらに、荒れ狂うメコン川では、地元漁師とロープを渡って対岸へ。 勇気を振り絞って挑む内藤。一歩踏み外せば命は無い…。はたして無事に 渡り切れるのか?!。> ‘生と死の境’のスリル感を、ここまで見せるのかと。この迫力は内藤大助の 純朴な挑戦の姿勢が醸す人間性から出ている。 荒れ狂う川面の上なればこそ、 その迫力は身に迫ってくる。 濁流といえば、10数年前、台風で大雨の直後の、 阿賀野川河口を対岸にカヌーを渡ったことがあった。 こういう時代になればこそ、30数年かけた世界の秘・異郷を周った経験が 良かったと… 最後は。この辺りの旅自慢が心の拠りどころになる。 他に然したることのない日々が背景にあるが。 ― * コロナ騒ぎのドサクサに紛れて、 アメリカのトランプの手法を真似てだが… 安倍よ、何やってんだか! <−2020年5月13日−コロナ禍の最中、与党が成立を狙う検察庁法改正案に批判 が集中している。安倍政権の目的は、検察トップの検事総長に“官邸の守護神” を据えることに数日間で600万〜700万件に上る抗議ツイートが投稿されている。> 権力呆けの、政治的自殺行為。強引な正面突破をさせてアフォ踊りをみる手も…。 ポスト安倍を考えての保険…? ― * 日本の新型コロナの被害者が異常に少ないわけ? 来年の東京オリンピック開催の断念を遅らせる為としか考えられないが… これを一つ間違えると、政権が吹っ飛ぶ可能性を含むため、その願望が、判断 を曇らせるのか? 首都圏の満員電車の濃厚空間で、コロナのクラスター。 何でまた発生しないか…? <各駅停車ごとにドアが開かれ、人も空気も入替る 上に、ほぼ全員がマスクをしているため、二重に防御されて… 更に無言で。> そう言われてみればなる程。
・・・・・・ 6637,閑話小題 〜面白いAI化の現象 2019年05月18日(土) * セルフ化は止まることなく 最近、人手不足のためか、更なるセルフ化が進んでいる。現場の人手不足だ。 10数年前に、新潟駅近くの小学校跡地に図書館がオープンしたが、そこは、 半数がセルフ読取の受付であった。ちなみに長岡の自宅近くはセルフ方式は 取入れてない。数年前から、スーパーでもセルフレジが取入れられ、思いの外、 多くが利用している。ロボット化といえば、回転寿司。受付がソフトバンクの 人型ロボットのペッパー。一年程前から『受付け』を始めた。 <「何名様ですか」「テーブル、カウンターどちらですか」「受付席にどうぞ」> 注文はタッチパネルで、声優・野沢雅子が訛った声で「かしこまりました」と…。 毎週通っているシネマ館もそうだげ、何故か、自動受付に並ぶ人は少ない。 以前も取上げたが、< AI(人工知能)が人類の知能を超え、制御できなく なるときのことを、技術的特異点=シンギュラリティというが、コンピューター チップの性能は1.5年ごとに約2倍進化し、計算上、この技術的特異点は2045年に 訪れるとする学説がある。> 人知を超えたAIが誕生し、進化続ける先は定かで ないが、「今後10年〜20年間で人口の半分の仕事が人工知能に取って代わる」と、 野村総合研究所は分析結果を出している。 〜先日のNHKのTVレポートによると〜 <◉ 技術革新により仕事を失った例は今に始まったことではない。 歴史を見ても 近代化や社会構造の変化によってさまざまな職業が姿を消した。 たとえば自動車や交通の発達により、人力車やオート三輪車の運転手は昭和30年頃 には東京からなくなったと言われます。また鉄道システムの発達では、切符切りの 鉄道改札員やモノレール運転士が、通信システムの発達で、有線電信オペレーター や電報局員が、印刷・DTP技術の発達では原稿に合わせて活字を拾い集める文選工 がそれぞれのタイミングで職を失いました。 今でも電子書籍の発達により文字は紙からデータで読まれることが多くなり、 出版業界は斜陽と指摘されます。しかし新たに自動運転車やスマートフォンアプリ 開発などの雇用が生まれたように、失われる雇用よりも、新たな雇用をどう創出 するかを考える段階にあるのではないでしょうか。 ◉ カジノホテルの従業員たちがAI・ロボットに仕事を奪われることを危惧し、 大規模なデモを展開。アメリカでは、ホテルなどのサービス業や農業、金融業と いった様々な分野にAIやロボットが進出し、人間の雇用に置き換わっている。 中国もまたAIやロボットによる自動化を積極的に進め、無人スーパーや無人 宅配便などが続々と誕生している。その激しいうねりは、日本にも押し寄せている。 大手銀行が昨年発表した大規模なAI導入と従業員削減のニュースは、日本中の 金融関係者に衝撃を与え、多くの人が転職の道を探り始めた。AIやロボットが 幅を利かせる近い未来、私たち人間はどのようにして生きていけばよいのか? 知恵を振り絞って考える。>
追: 『技術的特異点』とHP内検索を入れると、これまで多くテーマにしていた。 これらを熟読すると、以前の自分は、現在の自分とは違うということ。ならば 書き残さない方が良いのかもしれないが… 毎日、読返す度に自分でも驚く。 自らを省みるには、魂、心の合せ鏡にうってつけ… だが失うことも多い。
・・・・・・ 2019/05/03 閑話小題 〜AIについて <「AIが人間を殺す日〜車、医療、兵器に組み込まれる人工知能」 小林雅一(著) > 最近の情報機器の進化には目をみなることが多々ある。数年前に、居間 から寝室に移住空間の主体を移動してきたことは、何度もテーマにしてきた。 廊下を挟んで対角にある仏間の書斎コーナーのパソコン前の空間を加えると、 一日の三分二に近い15時間は「奥の院」に在住している。そこでネットTVと、 録画した映画・ドラマと、旅紀行、各種の講演や、YouTubeで動画サーフィン などに没頭する。そこは現実社会とデジタル映像の世界が交差する不思議な 空間でもある。AIが人間をコントロールする可能性がある「2045年問題」 奥の院では睡眠以外の時間は情報端末で、コントロールされている。 〜Amazonの内容紹介より〜 ≪ ◉ 誰も言わない「一番の脅威」 ◉ 飛躍的な進化を遂げる人工知能(AI)。明るい未来が語られる一方で、 「AIに雇用が奪われる」という見方や、超越的な進化を遂げたAIが人類を支配する 「二〇四五年問題」などのAI脅威論も少なくない。しかし著者はむしろ、目前に 迫る危機として、車、医療、兵器の三つを挙げる。共通するのは、私達の命に直結 する分野であること。ここに今、最先端のAIが導入されようとしているが、中身の 見えないブラックボックスであるうえに、ときに暴走の危険性をはらむ。 世界の制御権が人間からAIへと移譲されたとき、その先に見えるのは自ら判断 する機械・システムが人の命を奪う衝撃の未来。AIの真の脅威が明らかに! ≫ 〜読者、感想より〜 ・本書でキーワードとなるのは、「Human in the Loop」「Human out of the Loop」。 すなわち制御の輪の中に人間を含めるか、それとも人間を除外するかということで、 自動運転車でいうと、Googleなどが目指しているような完全自動運転車は 「Human out of the Loop」の思想に基づくものになる。今やAIの主流となる ディープラーニングではビッグデータに基づきAI自身がある法則性の下でアウト プット(判断や命令など)を出すが、その過程はブラックボックスでAIの開発者 でさえなぜそういう判断になったのかを理解することができない。AIの判断が 統計・確率に基づくものである限り、現実世界との微妙な誤差により誤った判断 をする危険性があることを著者は指摘しており、自動車や医療分野など判断が 人の生死に関わる分野では「Human out of the Loop」は危険であると論じている。 一方、半自動運転車のように人間の関与も含める形の場合は、どこまで人間が 運転に注意を払わなければならないか曖昧な点が問題、実際に実用化されている 半自動運転車の死傷事故の分析では「ドライバーの混乱」が事故の主な原因と されている。ということで、AIの判断にどこまで人間が関与するかは難しい問題 であるが、急速な勢いでAIの開発と応用が進んでいる今こそ社会全体で考えて いかなくてはならないことは間違いないであろう。 ・本書では、主にAIの技術的な面に焦点を当てて論じているが、基本的にAIの 判断過程がブラックボックスでしかもIoTで様々なAI搭載機器がネットにつながる 時代では、悪意を持った個人やテロリスト、国などによる脅威もどんどん高まって いるだろう。自動運転車搭載のAIに外部からの操作で誤作動をさせて事故を起こす、 医療分野で治療を支援するAIのプログラムを操作して誤った治療方針を提示させ 結果患者を死亡させるといったケースがまったくあり得ないことではない時代に なりつつある。AI搭載の兵器がテロリストなどの手に渡った際の脅威は言うまでない。 こういったケースも想定した上で、AIの信頼性を更に高め、悪用を防ぐ方策を 考えていくことが特に人間の生死に直結する分野への応用においては重要であろう。 ― ▼ AIといえば、最近、コマーリャル等で、見かける『ポケトーク』。 翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用いている。そのため、言語 ごとに最適な翻訳エンジンが活用できる。 従来のオフラインの翻訳機ではなし えない高度な処理を実現している。これで海外旅行での会話の心配が少なくなる。 これをみて、直ぐに考えついたのが『ポケフレンド』。何かを思いついたとき、 話しかけると、即座に、自分では考えつかないレベルの面白い考えを自動的に 伝えてくる機能の端末…。そう遠くない内に、こんなのが出てきたら、如何なる? これは思考AI、いや思考サイボーグである。協働ロボットならぬ「協考AI」。 もっとも、グーグルの検索機能も、その類。 自宅の2台のTVはソニーだが、 パナソニックのTVは、音声で直接呼びかける機能と言うが…
・・・・・・ 2019/04/07 閑話小題 〜即席・ショートショート −2 * 10年後の「技術的特異論者」の呟き 今から十年前の、この随想日記を紹介しよう。 73歳まで生きていようとは思わなかった。成るほど「死にぞこない」 である。しかし、際なればこそ、情報機器の進化の御蔭で、技術的特異の現象を 味合うことができた。それにしても、これほどとは…
≪ まさか、83歳まで生きようとは… そして、10年前の、この文章を読もうと 思ってもみなかった。一年近く前に1万テーマを書上げた。これらの内容を 同月同日に読返すことで、脳の活性化が出来ていた。 老いるとは、老いという 病気が重症化をしていくことでもあった。 じゃあ、生きていて良かったかと 言われれば、「実に良かった」。 世界は日々変わっていく。10年前に、 「技術的特異点」が2045年と言われていたが、既に、到達してしまった? 今では世界は、AIの判断を最大限に徴用する風潮になっている。そうするしか ない! 正しいのだから。身体は老化で動きにくいけどね、小さなロボットに、 これまで書いた随想日記をインプットすると、その時の気分に応じて、呼出し てきて、その関連映像を、自動的にゴーグルに360度の視界に呼出してくれる。 嗅覚、味覚も、脳の神経を刺激することで再現できるとは… 自分の過去も、例えば20歳の1966年の映像が、瞬時に次つぎと現れる。 それは、10年前でも可能だったけどね。 当時、ドローンって有っただろう。 あれがAI化して進化して、配送の世界を激変させたの。自動車のAI化の技術が、 様ざまな分野に応用されてね。何でも自動化されて、人間を駆除したしまって。 通貨も今では、多くはネット決済。仮想通貨も当り前だもの。無用階級の 人たちが殆ど。何もできない… 誰の責任でもない。生まれが悪かっただけ。 当時、生命誕生から40億年来の革命って書いていたでしょ。まったく、その とおりになってね。 情報化って、何もかもが、直に評価され晒される。 この時代、物語化する能力が重要になってね。 何とか、それで昔を語っている から、娑婆?に繋がってるし。 ≫ ― ▼ 即席のショートショートだが、10年後の視点からの独り語りは疲れる。 8割かたは生きていないだろうが、死損なって、読返したら何と思うか。 以前、みた映画 「LUCY/ルーシー 脳が覚醒した女 」を想いだした。 【 ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、台北のホテルでマフィアの 闇取引に巻き込まれてしまう。マフィアは人間の体内にある物質を埋め込み、 その人間を海外に送り出すことで物質の密輸を行おうとしていたが、ルーシー の体の中でその物質が漏れ出すアクシデントが発生。その影響により、普通の 人間なら全体の10%しか機能していない脳の機能が、徐々に覚醒していく。 脳の覚醒率が上がるに従い、超人的な力が解放されていくルーシーは、自分と 同じような人間を二度と生み出さないためにも、マフィアの計画を阻止するため に動き始める。 …覚醒度が進んだルーシーは、他人の肉体、磁波、電波の制御 が可能になり、量子物理学、応用数学を含めた膨大な知識を脳にインプットし、 細胞核の無限の可能性を体感するようになります。】 恐らく、このままの生活習慣を10年間も続け、情報機器の進化に馴化すると、 ヒロインのルーシーの数十分の一まででないとしても、脳力は、現在と比べて 数倍、数十倍にアップするのでは? それが世界中の人々ともなると… 考え合わせると、人類の、そう遠くない未来に悲観的になる。 <アッラーの御望みで、一度、清算を…>などと考える輩が出てくる可能性が。
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2020年05月17日(日)
* 9年前から感じてきたことは 私にとって青天の霹靂だった、準備を含めた45年間の創業人生の終わり。 根本が総崩れをし、現実が根本から失われたのである。…白石が黒石に総換わりし、 白の後ろ側の黒が顔を出してきたのである。解っていた筈だったが、実際に経験 すると、そこには間違いない真逆の黒い真実であった。 現在、世界中が、私の実感したことを、これから向き合うことになる。 人類が人類たる由縁は、群れを知恵で科学して合理化してきた。 その象徴が3密の大都会の機能である。
1.密閉空間( 換気の悪い密閉空間)、 2.密集場所(多くの人が密集している)、 3.密接場面( 互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる) の3つの条件を生かした合理的空間が都市である。
今になって、3密を避けましょう、猛毒のコロナ菌と、共生しましょう’とは! 何おか言わん。 ユニークな超大型化、超小型化店舗が持て囃されてきたが、 ある日を境に、これまでのモデルは、否定され、ネットで繋がる新業態のカタチ が求められることになった。 満員電車に揺られて、ビルの大部屋に押しこまれ、 昼飯をかき込み、マンション群の一室に戻り、家族数人と暮らす生活を繰返す。 休日には近くのスポーツジムで汗を流し、時にシネマ館で映画をみて、スーパー で買った惣菜を一家で団欒する生活も、これからは様変わり。
…怒り狂った大神様は、コロナ菌という兵器を人間社会に送ったのである。 人為的か否かより、異次元の意志から宣戦布告であることが問題。目先を、 乗越えても、進化した第二、第三の細菌兵器が次々と大都会を狙うしたら、 都市機能の価値は多極化する。これを切っ掛けに‘現実空間より、ネット空間 への重心移動がより鮮明になり、管理社会の傾向が強くなり息苦しい社会に…。
昭和生まれの私に、21Cになって理解不能な現象が次々と現われる。自身の内面 現象も、何だろう、これは?という理解不可解なことが多々生じている。
・・・・・・ 6636,閑話小題 〜「○活」という言葉 2019年05月17日(金) * 涙活とは 最近、「就活」を捩った婚活、終活、朝活なる言葉が目に付く。 そこで、「○活」で検索するとあるある。 【 婚活 終活 涙活(るいかつ) 留活 燃活 離活 妊活 恋活 朝活 昼活 ゆう活(夕活) 夜活 ソー活(So活) 転活 美活 コラ活 腸活 眠活(みんかつ) 寝活 呆活(ぼうかつ) ソロ活 ヲタ活 墓活(ぼかつ) 友活 ラン活 】 この中で「オヤッ」と注目したのが「涙活」。ネット辞書には… 《 「涙活とは意識的に泣くことでストレス解消を図る活動のことである。 寺井広樹によって考案、提唱された言葉である。 涙を流すことにより、人間の自律神経は緊張や興奮を促す交感神経が優位な 状態から、リラックスや安静を促す副交感神経が優位な状態に切り替わる。 涙活は、この仕組みを利用したストレス解消法とされている。」 ストレス解消に効果があるのは、悲しみや感動などによる情動の涙。 なお目を潤すための基礎分泌の涙や、タマネギを切った際に出る角膜保護の涙 には、ストレス解消効果はない。こうした涙の効果に注目が集まり、泣ける映画 や朗読を聞いて意識的に涙を流す涙活イベントも各地で開催され、泣ける話に 特化した噺家として泣語家も登場。 涙活をともにした仲間を涙友という。》 ー ▼ 20歳代前半、布団の中で度々、泣いていた。「涙が出るだけ、甘さが残って いる証し」と自覚するには苦悩の質量が浅かったことを、その後の人生が教え てくれた。「感動のあまり涙が出てきた」の物語が人生には必要になる。 初犯者が刑務所に入所すると、一晩中、号泣するのが習いという。金沢で泥酔 して一晩、号泣したことがあった。涙は、何時までも留まることなく流れ出る ことを、その時に知った。 その頃、城卓矢の骨まで愛しての情歌が流れていた。 〈 生きてるかぎりは どこまでも 探しつづける 恋ねぐら 傷つきよごれた わたしでも 骨まで 骨まで 骨まで愛して ほしいのよ 〉 それは、女性関係の縺れを因にしたことではなかったが、どん底の気持ちは同じ。 一番辛い時は、また一番、面白いことが次つぎと続くもの… その時に、必要 だったのが、どん底の底の経験。何とも『金沢のオデン』の美味かったこと。 〔下を見れば、底がない。上を見ればキリがない。横をみれば情けない。〕 25・6歳頃の人生劇場の『金沢版』。 そして、次のステージ『千葉版』が…。 次が4年後の『長岡版』が4年と半年。 そして、『新潟駅前版』が31年と、つづく。 先ほどの『○活』の全てが混入したようで、この上なく面白かったのは当然。 だからこそ、『脳活』で、浅く小さい井戸の中で、一日一日を楽しんでいる。
・・・・・・ 6273,閑話小題〜 つれづれに ー新潟・少女殺人事件 〜2 2018年05月17日(木) * ロリコンですか 新潟の幼女誘拐殺人事件。加害者だけでなく、犯人も、家族も茨の道を歩く ことになる。刑務所内で一番嫌われるのが、この手のの暴行殺人。徹底的に 苛め抜かれる地獄絵が待っている。
逮捕の前に記者から自宅玄関で、犯人の弟が、インタビューを受けていたが、 その時、何が起こっているか知る由もなく、あっけらかんとして応対していた。 小さな地域社会、残された家族は、居た堪れなくなって… ? その後、母親がかわって対応していたが、家の近くに車が止まる音がして、 いま帰ったようですよと、いった直後に発進音が聞こえていた。犯行時間の 数分前? …
犯人の両親は、まだ50歳代そこそこ?。 幼女を殺害し、線路に放置し、 バラバラ?にして証拠隠滅にしようとした手口は… まだアドケナサが残って いるロリコン青年。中学生の頃からロリコン癖が表立っていたコテコテ。 現場沿線には幾つか大学があり、アパートに多くの学生が住んでいる。 まさか自分の息子が?と、何人かの親御は心配していただろうに。
ロリコン趣味の外に、様々な嗜好が世にあるようだ。同性愛、デブセン、 変わったところでハードホモ、ジュク(熟)セン、ブスセン… 私の性癖は「ビジョセン」。なら、異常者ではない! が。 センスも、頭も、性格が比較的良いの揃っているのが多い。例外もある…
それにしても、今回の事件は、悪質で同情の余地は全くない。犯人の自宅から 直線距離で50mというから、少し離れたところでやれよ!と言いたくなるが、 これだけは、病気だから何をいってもダメ。 どんなイヤラシイ顔つきの男と思いきや、何処にでもいる普通の兄ちゃんに 拍子抜けした思いである。
《 ロリコンの性格的特徴を検索すると… 1.A型男性が多い 2.貧乳を好む 3.同世代の女性との会話は難しくインドアの人が多い 4.世話上手 5.二次元アニメを好む 6.ステータスを好まない 》
逆にロリコン好きの少女も多いというが… 山口達也騒動、考えてみたらロリコン?だった。 御相手を間違えただけ?
―――― 閑話小題 〜つれづれに ー新潟・少女殺人事件 〜1 2018年5月02日 * 新潟・少女殺人事件 熊: 県知事の買春事件で大騒ぎの後に、父子五頭山遭難騒ぎにつづいて全国区 ニュースが続くね。何でわざわざ、死体を線路に置いたのだろうね。 寅: バラバラにして死因を隠すためだろうか? それを目撃する快楽を味わう 快楽犯も考えられるけど、それは考えすぎ?。 白い車で、黒服の男という から、2〜3割?は、該当するからね。女児が朝、しつこく声をかけられたと いうから、何処かの監視カメラに録画されている可能性が高いし… 解決は早いだろうよ。昨年9月には、同じ小学校の女子児童が男に声を掛け られたり体を触られたりする不審者情報が3件あったというしね。 熊: 死んで何時間すると轢かれても出血しないことを、この事件で知ったけど、 犯人も知らなかったみたいだね。ということは、死因を隠したかった?と しても、殺した上に… 寅: 俺らさ、北欧の刑事モノ連続ドラマに、この数年嵌っているので、こういう 異常な事件になると、色いろ思い浮ぶんだ。俺なら、阿賀野川の河口に 捨てるとか…。イギリス、北欧モノには、少年少女への暴行殺人が、結構、 多いし。としても、異常過ぎる事件だね、これは。 何も知らない子供の頃 から、異常ドラマを見て育ったら、映画と現実の境目がつかなくなっても 不思議でないさ。 大家: 情報化がもたらした、マイナスの一面ですか。全国版で、リアルタイム の犯人探しとして扱われるのだろうが… 私も、興味本位では、その一人。 マスコミにとって、犯人逮捕が遅れれば遅れるほど、視聴者の興味が膨らむ ため、有難いのだろうがね。 寅:<9月に、逮捕していれば>のそもそも論が、当然てるため、警察は必死に なるから。 9月、5月からみて、学生が考えれるね。 熊: 昨日さ、たまたま寅さんに勧められて録画していた北欧の刑事モノを見た けど、酷い内容。 この内容を思わせる事件で、何か、背筋がゾッとしたよ。
・・・・・・ 4444, 過去の意味は変えられる 2013年05月17日(金) * 過去は変えることはできないが、過去の意味は変えられる 何気ないが心に響く言葉、「過去は変えることはできないが、過去の意味は 変えられる」がある。40年近い事業人生と、この結末を如何に受容するか。 所詮は、人生も事業もバブルと、その崩壊過程の側面がある。何事も始まりと 終わりがある。その行蔵は残るが、変えることはことはできないが、意味は 変えられる。それは、自分が何を目指すか、楽観的か悲観的か、などで意味の 捉え方で変わる。過去の意味(価値)を変えることは、未来と現在に対する 考え方を変える。過去を結果に言い換え「結果は変えることはできないが、 結果の意味は変えられる」として、人生、事業を総括すると多くの視点が 見えてくる。現在こうして存在していることは奇跡である。 全てがベストであったから今の私が、ここに存在している。 (この宇宙、地球、人間など全てだが)それでは「過去の意味を変える」とは 如何なることか。意味に近い言葉に価値がある、意味=価値として考えてみる。 価値とは、その人にとっての優先欲求、優先順位でもある。ということは、 何を目指しているかに行きつく。過去の価値は、現在の価値で解釈が変わって 当然、作り変えられ、加工される? 歴史が、時間と共に解釈が変ると同じ。 意味には真実も含まれるが、その真実もあてにならない。当人が信じていること、 それが真実といわれるケースが殆ど。そこで、真実と意味を辞書で調べると ・【真実とは、虚偽の反語。本当のこと、偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤を すべて排したときに明らかにされること。漢字の意味は、事柄の中身を開いて 見たときに、実(じつ)として充満しているもの ...】 ・【意味とは、表現に対する「なかみ」。意図するところ。表現(結果)を さかのぼる真意、意図、目的。ある現象(行為・言語・その他)に添付される、 ある種の上位概念。】とある。 真実も、意味も、言葉の解釈で如何様に変わる。あるのは現在しかないとすると、 過去は記憶でしかない。その記憶も曖昧ときたら、成り立つ基盤は在って無い ようなもの。「過去の意味は、現在の解釈で如何様にもなる」ということ。 ・・・・・・ 5906,閑話小題 〜回転(回らない)寿司 2017年05月17日(水) * 回転(回らない)寿司 TV番組のレポートで、回らない回転寿司のレポートを知っていた。 それが近くにできたSC内の一角にオープンした。歯医者がたまたま目の前 で昼時だったこともあり、一人で入ってみた。注文の全てがパネルタッチ方式で、 既存のパネルだけで発注するシステムと思えばよい。客の立場から一番良いのが、 厨房から握りたての寿司が数秒で目の前に届くため美味しさが違う。シャリが 立っていて街中の寿司屋のようだ。回転寿司といえば、目の前に次々と回って くる皿を取るが特徴だが、握られてから手に取るまでに平均10分?は要する。 しかし、これは口に入るまで、1分そこそこ。 美味いのは当り前。これでは、 従来の寿司屋はますます廃れる。あと5年もしないうちに、8〜9割方は、これに とってかわる? * つれづれに 毎日、スケジュールどおりに変わらない日々を過ごしているが、その中の柱が、 この随想日記を書上げること。これまで人生で起こったことと、日常の全てが テーマのネタになる。過去のネタと、日々のネタを仕入れ、縫い上げる物語化 するのに頭が一杯。しかし、これも慣れてくると面白い。いや、面白くなった が正直のところ本当。一寸したことで、落ち込みそうになるが、それも、物語化 をして面白がることで、何とか乗りきっている。これを書き続ける効用の一つが、 マイナスの出来事を、プラスに変容できること。 表現は、他人をも救うが、 自分も救ってくれる。たしかチャップリンが、映画の中で言った言葉、 <死は避けられない。しかし、生もまた避けられない>があるが、 避けられない生ならば、それを目一杯楽しむしかない。で、周囲からしたら、 奇妙な老人が、何かバカをしている? だけとしても、楽しければそれで充分。
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2020年05月16日(土)
* 世間様が支配する日本で… 3密を避けろと言われて、急に個人主義を身につけることは土台無理の話。 9年前に会社清算をして、ある意味で社会というより、世間に断捨離をされた身。 この間の生活習慣そのままが、一般社会に、あるべき行動指標に…? 群れず、 離れず、「木」の周りに塀を囲い、『閑』の縦世界をつくる。その中の一室で、 唯我独尊を決め込んで生きるしかない。…ネット社会なればこそ可能な生き様。 このコロナ騒ぎで、人類が大自然から首元に刃先を突きつけられてしまった。 家内が言うに…<スーパーの放送で「御近所の人との会話は控えて下さい」 と宣うとか。気楽なショッピングを店側から拒否されているような妙な感覚に なったという。群れるな、離れろ、篭るな! は、群れ主義の日本人には、 苦痛の他にない。 ― * そりゃ、アメリカが怒って当然! テロか自然災害か真偽は定かでないが、初動の対応いかんで、パンデミック が塞げたはず。これは、トランプ大統領、安倍首相にも言えることとしても… 巧妙かどうかは分らないが、二種類のコロナ菌があって、良質な方が中国国内に、 悪質なのが欧米に流感したというのも、謀略の臭いを否めない。欧米、インドが 怒るのも当然。春節の中国人の大移動直前に自然発生…? 出来過ぎである。 これも、実際のところは、分りはしない。当然、細菌に対する研究もされて いるので、対処は早い。このグローバルの時代に、米中が国交断絶は大きな 痛手だが、戦争よりはロスが少ない。この地球も、10数次元の宇宙の存在から みて、人間様の、あまりの横暴に呆れて、一度、大掃除の時節と、この問題を 投げかけたとすると、さて、どう対処すれば? 一割の抹消として7億人単位に!
・・・・・・ 6635,閑話小題 〜京マチ子が亡くなった 2019年05月16日(木) * 京マチ子が、生きていた! 京マチ子が5月12日に心不全のため東京都内の病院で死去、享年95歳だった。 たまたま借りてあった『文芸春秋』の<スターは楽し 芝山幹郎>で、彼女を 取上げていた。出来過ぎだが、こういう偶然は日常的。 さすがにプロ物書き の言葉は味があり、的を得ている。 (平成29年 文芸春秋12月号) 《 二代目中村岩鴈治郎、田村次郎、山崎豊子、溝口健二… ひと癖もふた癖 もある顔ぶれだが、彼らは京マチ子と相性がよい。逆にいうと、彼らと相性の よい京マチ子の存在が興味深い。美貌だけでは持たない。豊満だけではあきられる。 愛嬌だけでは白けられる。 肉にコクがあって、動物的な知恵が豊かで、しかも 諧謔性がないと、まず取りあってもらいない。そんな人たちと、京マチ子は繰返し 協働している。溝口とは『雨月物語』『楊貴妃』『赤線地帯』で組んだ。 彼らだけじゃない。小津安二郎も黒沢明も市川崑も増村保造も…京マチ子と 仕事をしている。初期の代表作は『羅生門』『雨月物語』だろう。戦後まもなく、 あれほどの奔放で肉感的な女優が躍り出てきたのは時代の要請だったかと驚いた。 「玄人」と呼ぶしかない山田五十鈴や、「大輪の花」ともいうべき原節子と 異なり、京マチ子の印象は一言で表現しづらい。あでやかで妖しい柄の奥に、 複雑で目の詰まった紋様がびっしり縫い込まれている、とでもいおうか。 何しろ芝居が重層的だ。… 京マチ子は、「ぼんち」をはじめ、山崎豊子の 映画に四本出た。なかでも、『女の勲章』『女系家族』の味が濃い。どちらも 田村二郎に転がされる。洋装学院長を演じ、マネジャーの銀四朗に資産も肉体 をしゃぶりつくされる。どちらの役柄も「お人よし」。 … 》 ― ▼ 何か、書き写しながら、筆の鋭さに圧倒されてしまった。それだけ濃厚な 大女優だった。 『京マチ子 あでやかでおかしくて』の副題がよい。 殆どに人は、「まだ生きていたの?」の反応だろう。山田五十鈴の往年の銀座 の老獪な高級クラブのマダム役の姿が印象に残っているが、『京マチ子』も 似合っていただろう。<愛想があって、愛嬌があって、肉が濃くて、動物的な 知恵が豊かで、転がされ上手で… 夜の巷の蝶のような女。> 昭和の良き時代の消滅ですか。
・・・・・・ 6272,閑話小題 〜情報の階層化について −3 2018年05月16日(水) 〜NHK:BS1【三和:人材市場〜中国・日給1500円の若者たち〜】 * 弾け出された中国の若者 あるのは小さなカバンと、着たきりのTシャツと、ズボンと小銭。 月給制の職場に堪えられず日雇い仕事で日々を暮らす若者。寝ぐらは、 ゲーセン。その実態は、現代社会の蔭を象徴している。日本のホームレスの 中国・深セン・バージョンというところか。大陸なればこそ、深刻度は深い。 これなら犯罪を犯しかねない状況である。 〜NHK・HPより〜 《 中国・深センにある職業斡旋場・三和人材市場。 工場労働からはじき出され、1日働いて3日遊んで暮らす「三和ゴッド」 と呼ばれる中国の若者を、何が追い詰めているのか。 総資産が1億7000万円以上の富裕層が7万人に達する深セン。 格差社会の底辺から脱出できずもがく若者たちの間に不満が高まっている。 豊かになる夢を持ってやって来た出稼ぎ労働者の希望は、失望と不満に変わる。 三和市場で日雇いの暮らしを3か月送った男性は、深センを離れることを決めた。 中国の繁栄を謳歌する最先端都市・深セン。その発展を支えてきた人々。 しかし急成長がもたらした貧富の格差と負の連鎖によって、若者たちの夢は 更に手の届かないところに行こうとしている 。》 ― ▼ 月給制は縛られ窮屈と、日給の働きを求め、ゲーセンで過ごす若者達。 情報化がもたらした原子化した流砂の民の象徴。誰が悪いのではない… 思わず魅入ってしまったのは、彼らの姿の中に、何やら、老い先短い? 我が身の姿「俺たちには明日がない」に重なる部分があったからか。 ネットサーフィン、TVドラマ、TV]映画、シネマ館の仮想の世界に日々、 逃避しているような? としても、それで充実するから不思議だが。 ―― 熊: カミさんとガキがいる以外、俺と大して変わりはしないよ。 寅: 俺もだがね。原子化さえしてない俺たちは、良い悪いかは別として 少しましかい。でも、砂粒がネットで強固に繋がるのも問題だね。 それとゲーセンでネット仮想世界の逃避ね。八つぁんと大して変わりはしない。 熊: インドの人力車の車夫と似ているね。俺たちの寝泊りは、人力車のかわり に長屋の部屋だけど。でも、老い先短くなれば、何もかも同じよ。 大家: 私に対する嫌味かい。確かに死んで三日もすれば3百年前と同じさ。 情報社会のグローバル化ってのは、誰もが一瞬で底なしになる可能性があるね。 寅: 豊かさで恩恵を受けるのは衣食住を除けば、情報の質量の差だろう。 それが両親の質と、本人の才覚で変わる。確かに出発点で殆どが決まるね。 熊: 俺なんて、貧しさしか知らないだろう。豊かさの恩恵を一度でもよいから 受けてみたいね。良いことなかったもの。バブルで阿波踊りしたかったね。 大家さんは経験したというじゃないですか。 大家: ああしたよ。20年、いや40年は、そりゃ天国さ。良い時代に良い思い をさせてもらいましたよ。それがあったから、老いても心だけは豊かさね。 寅: 行蔵内の御宝が無いと、人間、老いてからの歪みが大きくなるの。 それが顔に出るから、恐ろしいね。他人事じゃないがね。 熊: 何で今、俺の顔を見るんだよ。貧乏も馴染むと、けっこう面白いんだ。 寅: でも、傍で見ていて、「天気晴朗なれど波高し」がピッタシだね。 舟は大揺れでさ。特に月末は、ウドンばかりじゃないか。 熊: 御前も同じようなモノじゃないか。御前のように宝籤など俺、買わない。 大家: 御前らが話すと、折角の社会問題も卑しい話になってしまう。
・・・・・・ 4443, ヨガと座禅の違い 2013年05月16日(木) 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回はゆうに 超えているが、回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に 野狐禅だが、六日町の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に 広い禅室で独り座禅を組んだことがあった。ただシーンとした中、 「直ぐにでも止めようか」という気持ちと戦いながらのたった独りの座禅は、 永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に叩かれる状況より辛い。誰もいない ため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。ヨガで仰向けになり全身を弛緩する 「死者のポーズ」があるが、これは座禅の禅定に似ている。飛行機内の座席で、 耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思いを泡のように流していると、何かの ゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間がアッという間に過ぎてしまう。 ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その状況から仏の悟りに近づく ことにある。 ーヨガと座禅の違いをネットで調ベた、納得した3つをコピーしてみるー 《 人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら 瞑想にふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと 「軛(くびき)」ということで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが 次第に神の力に人間を結びつけることを意味するようになり、その修行法と して智慧、愛、行、瞑想が重視された。一般にヨガと呼んでいるのは、 このうちの瞑想による神人合一の方法である。このヨガは紀元5世紀ごろ には「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派が独立してさかえ、 完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。このヨガの修行法 が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながっていく。 》 《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身) を整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これに よって初めて超自然的な力が得られ、対して禅は「禅定」に深くかかわり、 静けさを求める。禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の 悟りを追体験して”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。 禅は「無」を標誘し功徳や利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をする。 ヨガは神人合一して身心の健康を増進させる。 》 《 ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの 哲学書にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える 事で、心の動きを抑制する方法として古くから用いられた。後に、ヨーガ学派 という哲学集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと 言われています。そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として 用いられ、釈尊も、瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」 という修行法として確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド 独特の修行法をアレンジしたものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は 同じであると言えるでしょう。違いと言えば、仏教における修行は、さとりを 目指す為の方法であり、現代のヨガは、心身の健康維持のためのもの、という 点でしょうか。座禅とヨガとの関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を 盛り込んだ、精神統一の方法でありますし、「禅」といいますのは、「禅定」 つまり精神統一をし、真理を観察することであって、「座禅」は座法や呼吸法を 用いた「禅定」一つの方法ですから、根本的な部分で同じ要素を持つ。 》 ▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法に 対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。 腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。 私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガに多くある。 手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ー を見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、 これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。 60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。
・・・・・・ 5175,人生相談という気晴らし! 〜�� 2015年05月16日(土) 『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 * 老いた人の絶対的孤独との向き合い方は ここで、自分のしたいことを誠実に熱心に追及している限り、理解者は 出てくるというが、どうだろう? 今では、ブログなど、ネットで繋がることが 可能なので、ある程度の他者と繋がることが可能だが。 ≪ Q: 〜年齢とともに肥大する孤独との向き合い方〜 六十五歳の男性です。人間、歳を取るとだんだん孤独になるものだとつくづく 実感しています。若い頃は学才に恵まれていた男が、いつのまにか「俺は文化 なんてものには興味はねえ」と野卑な口調で本性をあらわしたり、デリカシーに 欠けていた男の品性がますますひどくなったり。さらには盟友が亡くなったり…。 そんなこんなで、私はこの七〜八年ほどの間に若い頃からの友人をあらかた 失くしてしまいました。孤独であることにもそれなりの味わいはありますが、 しかし、人生、いや歳を取るということは、かくも無漸なものなのでしょうか。 歳を取ることによって生じる、どうしようもない孤独にどう対応したらいいのか? 適切なるご教示をお願いします。 A: 〜わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる〜 私は「孤独」がそれほど嫌いではなく、「それなりの味わいがある」と思って いますので、「どう対応したらいいか」に対する直接のお答えにはならないかも しれません。あなたの問題にされているのは、主に「他人との関係」でしょう。 それにも二つあって、1つは、人間、歳を取ると「品性」がますますひどくなる こと、そしてもう1つは、親しい他人や愛する他人が次第に自分より先に死んで いって、だんだん心細くなること。前者については、私も同じ印象を持ってます。 私が同年齢の男女との付き合いをかなり切っているのは、―自分はともかく― 一般的に言って中高年の「醜さ」に耐え難いからかもしれません。それに加えて、 私は「哲学」なんぞに首を突っ込んでしまったので、50や60の「普通に出来 あがった」男たちと話すことは何もないと確信しているせいでしょう。 この歳で、妙に哲学に擦り寄ってくる老人も嫌いです。大学の教師や研究者、 あるいは物書きをしていて気が晴れることは、若い学生たちや若い研究者たちや 若い編集者たちや若い読者たちとの「交流」が、適当にあることです。 もちろん、彼らの中にも「心の醜い」輩はいますが、私の周りには総じて 「心のきれいな」人が集まります。そう自分が厳選しているからなのですが。 このことは、第二の孤独にも通底しています。私の場合、特殊とも思いますが、 自分と同世代の男女との付き合いをほとんど完全に絶っていますから、という ことは、小学校から大学までの同級生などとの交際はないので、誰が生き残って いるのか、誰が死んでいるかさえ(連絡がないので)わかりません。それに、 私は目上の人との付き合いは(どんな恩人でも)苦手で、これもほぼ完全に切り 捨てていますので、目下、誰が死んでもいっさい葬式に行く義務はないのです。 別に老後の孤独に備えてこう準備したわけではありませんが、私はその時々で 一緒にいて心の通じ合える人がわずかにいればそれでいい、という「刹那主義」 に徹しています。どんなに歳を取っても、自分のしたいことを誠実にかつ熱心に 追求している限り、理解者は出てきますし、その限り絶対的孤独は避けられると 思いますが……。≫ ▼ 著者から肩書をとったら、「醜悪なクレーマー」と思われる。 これまでの著書を読んでいると、クレーマーとしての信じがたい内容が リアルに書いてある。それはそれは・・ 特に街中や電車などの騒音に敏感。 それと、著書を出し、思いを表現していると、孤独感は半減する。中島の口癖、 「いずれ直ぐ死んでしまう!」は、亡くなった友人を自分に置換えると分かる。 『死んでしまえば、それまでよ! そんなことなど死んで3日も経てば・・』 ・・・・・・ 4810,Quirt <内向型人間の時代> ー1 2014年05月16日(金) <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著 * 内向型人間かどうかのチェックリスト 私は、あまり外交的ではない。だから、事業創業の人生を選んだのである。 この書の冒頭にあった内向型リストで、○✖▽で、チェックしてみた結果、 20のうち、13が○、✖が3、どうだろう?▽が4で、明らかに内向的 人間である。家内は明らかに外交的人間と思っていたが、○が15に、✖が3、 ▽が2で内向的人間には驚いた。専業主婦ということもあるが、驚きである。 ー以下、左が私、( )が私から見た家内である。 ーまずはチェックリストからー 日本人、特に地方、北国は8〜9割は内向的人間? ○グループよりも一対一の会話を好む ○ (▽) ○文章のほうが自分を表現しやすい ○ (✖) ○ひとりでいる時間を楽しめる ○ (○) ○周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないほうだ ○ (○) ○内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話合う のが好きだ。 ○ (○) ○聞き上手だと言われる ○ (▽) ○大きなリスクは冒さない ✖ (○) ○邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ ○ (○) ○誕生日はごく親しい友人一人か二人や、家族だけで祝いたい ○(○) ○物静かだ」「落ち着いている」と言われる ○ (○)
○仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めない。▽(○) ○他人と衝突するのは嫌いだ ▽ (○) ○独力での作業で最大限の実力を発揮する ○ (○) ○考えてから話す傾向がある ○ (○) ○外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても消耗したと 感じる。 ✖ (✖) ○かかってきた電話をボイスメールに回すことがある。 ✖ (✖) ○忙しすぎる週末よりも、なにもすることがない週末を選ぶ ○ (○) ○一度に複数のことをするのは楽しめない ▽ (○) ○集中するのは簡単だ。 ○ (○) ○授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式の方が好きだ。▽ (○) ▼ 意外なことに、アメリカ人でさえ、2〜3人に1人は、内向的人間という。 事業人生を30年以上、たずさわり、人との接触が多い仕事もあって、外交的 部分も多かった?反面、嫌な場面へ行かないで済む、自由もあった。逆に仕事上、 内向的姿勢も求められたこともあった。家内の友人に、極度の内向型人間がいて、 その話を度々、聞くことがあった。内向的にも、暗いのと、明るいのがいる。 冷たいのも、温みがあるのもいる。携帯パソコンが一般に普及した中、情報選択 と決断が重要になっているが、この時代だからこそ内向型人間の時代というのも、 説得力がある。ヨガブームというが、週二回、26ヶ月、参加して、成るほど、 内向き、精神性の時代が、実感できる。 高齢者は、どうであれ、内向きに なりざるをえない。 ーつづく
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2020年05月15日(金)
* 7000回分の暇つぶし 1000の大台を超える度に、感想を書く度に、ほぼ同じことを書いている自分と 邂逅することになる。年末・年始、お盆や、ゴールデンウィークなどの恒例行事 の他に、回数の区切りの感想になる。 次男に、「同じことばかり書いている」 と言われたことがあるが、自分では気づかないのである。「書く」というより、 「書き続ける意義」の実感がある。今では‘随想日記脳’が出来上がり、それに 支配されてしまっている感覚である。時どき、得体のしれない過去の自分の想念 に驚かされている。文章化して残すと、体験が経験に昇格するような感覚になる。 これが重要であろう。死んで三日もすれば永遠の彼方に生臭い風?と共に消えて いくが、書いておけば余韻が当分、少しは残りそうな… 時間軸で、自分の変化 をみるには、千回単位で読返して自らと対峙するには良い。この稚拙な文章に、 テーマ探しから、荒書き、推敲などの数時間のエネルギーを集中してある… で、 この程度だが、TPOSの記録には最適な行為と自ら感じとれ、自らと再会している ような親近感がある。書いてきた質量そのままが、自分になる。次の大台は、 8000回になるが、微妙だが、如何だろう?
2017/08/25 閑話小題 〜 随想日記、6000回超え、 * 随想日記も、6千回超え 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、 ‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の 時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、 茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、 「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、 情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する 物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ 法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、 個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、 外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に 有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」 の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策 のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下 だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの 軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。 少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿 丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
・・・・・・ 5000,閑話小題 ー今日で5000回! 2014年11月22日(土) * 随想日記も5千回に 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、 その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、 やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・ この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、 この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて 問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。 面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、 殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書 で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをして なかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳として ネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりの パソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの 出だしの頃で、手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」 と、「分類」として続いている。そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、 「はてな」のブログに殆どが移動していった。そのことに気づいたのが一月前。 13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の閲覧に なっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。 アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。 なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」 を、読み返すと分かる。 ーまずは初回からー
・・・・・・ 4001,4000回の随想日記 ー2 2012年03月09日(金) 「11年も休むことなく2〜3時間もかけてエネルギーを入れて、それが何?」 という疑問が立ち上がる。そのことは私自身が、まず感じていること。40歳 後半から60歳まで、秘境・異郷旅行に年数回行っていた折に、義母が家内に、 「何で好きこのんで、そんなところにワザワザ出かけるのか分からない」と、 首を傾げていたという。これと同じ。そこで大自然の懐の中で出会う感動は、 実際に経験しないと分からない。毎日、一文章を書き上げる習慣で得られる 知識と情報の蓄積が、物事の視点を変ていく面白さは、実際に書き続けないと 分からないのと同じ。1ヶ月ほど前に朝日新聞の投稿欄に面白い。要約をすると ≪ 自分は退職後、ボランティアで忙しく充実した日々をおくっているが、 聞くところ、定年後、暇を持て余して図書館で時間潰しをしている人が多い という。それなら自分のように人のため、世のために、ボランティアをする道 がありますよ!≫ 一見、正しく、道理である。ボランティアこそ定年後の 人生の義務かもしれない。 しかし図書館に通い人生の経験の糧を得た後の 読書もベストの時間の使い方になる。問題は自分のボランティアに酔いしれて、 読書三味の人が、ただ時間潰しにしか思えない自惚れに気づかないこと。 その人の人生の余白の埋め方は当人が決めること。それを批判する知性が問題。 万人が、このことと似た勘違いをし自画自賛をしている無知の自分に気づかない。 四千回も書き続けている自分に自己満足をしているのと、ボランティアを自画 自賛している人を合わせ鏡にして、そのバカさを、自覚していない愚かな自分が、 ここにいる。自分のため、11年、書き続けてきた、ただそれだけのこと。 人生は、経験と知識と感動を得ていく旅路である。面白いのは、書いている プロセスで、自分の枠組が自然と浮かび上がり、内側を覗き見えてくること。 ・・・・・・ 3000、3000回か〜 2009年06月22日(月) この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣 だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の 白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の 経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が 魂ということになる。
・・・・・・ 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火) 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。 更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。 調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。 しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて 一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。 父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。 いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく 変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって 書くのも解るような気がする。
死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。 いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。 ・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。 といってこの程度の内容であるが。 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。 それでも何とか書くからよいのだ。 書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。 書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。 書き続けることは、書き重ねることになる。 書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。 深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。 その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている? このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。 千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。 来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に 切り替え集中しなくてはならない。 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか? どうなるか?自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
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2020年05月14日(木)
* アメリカのコロナ感染の死者が8万人に ゴールデン・ウィーク直前の4月26日に、「コロナ感染が5万人に」をテーマに 書いたが、その後、半月あまりしないかで8万人と1・6倍になっている。由々しき 事態だが、これが中国のトップの隠ぺいが齎したことは明らかだが、確たる証拠 もなくミサイル攻撃をすることも出来ない… ならば、如何するか?… コロナ 感染を介した戦争ではないか? この恐ろしのは、テロ志望者が自ら感染して、 対象に集団感染を仕掛けられること。 この事態は群れ文化傾向の強い日本には、 致命的事態。 アメリカの8万の死者数、人口比からして、3万の死者が日本で出たとしたら、 パニック状態になるが、それが僅かに600〜700人余りとは、今のところ上出来。 日本には「マスク文化」「手洗い文化」が定着していたのがプラス要素になった。 また健康保険制度も充実している。アメリカの、この流行には、有色人種への 蔑視など人種差別が微妙に影響している。超過密の電車内ラッシュでも、ほぼ 全員がマスクをすれば、二重の感染防御になる。それと、電車内での会話の 習慣も少ない。他国に比べて他者への迷惑を控える民度?が高いこともある。
飲食店の困窮を幾つか特集する番組で、哀しく、美しい場面が涙を誘った。 神楽坂の天ぷら専門店の二代目店主の苦悩が、先行きの不安を店内で語る場面で、 途中に創業者が心配をしてか入店して様子を覗う。その横で、高校生ぐらいの 年齢の素直そうな男の子が、カウンター辺りを拭き掃除をしている。その時に、 <僕は、この店の三代目になりたかった!>の一言が、この家族の一家総倒れの 可能性の窮状の実情を、そのままドラマ仕立てで映し出していた。 小説家は、ここから様々なドラマを描く。現実を、シリアスに、抽象的に 舞台と役者の艶を描き出す書き手を言う。何やら、実家の敗戦後の、様々な ドラマが思いだされる。家族が漂流する小型の船内で、泣いて喚いて、笑って、 怒って、寝て、起きて、遊んでいたのが、思い起こされる。中国もアメリカも、 下手をすると解体の可能性を含む! 他に、ロシアも。
・・・・・・ 6633,読書日記 〜『無知の科学』だってさ! −6 2019年05月14日(火) <『知ってるつもり――無知の科学』 スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)> * 身もふたもない事実 =訳者のあとがきが簡潔で解りやすい= ≪・私たちは自分が思っているよりずっと無知である。合理的な個人という 今日の民主政治や自由経済の土台になってきた概念自体が誤りであった。そんな 身も蓋も無い事実を本書は突きつける。それでも爽快感があるのは、本書終盤の、 本当の「賢さ」とは何かという議論と関わっている。… これまで個人の知能指数(IQ)によって賢さを測ろうとしてきた。しかし人間の ・知的営みが集団的なものであれば、「集団にどれだけ貢献できるか」を賢さの 基準にすべきではないか。記憶容量の大きさや中央処理装置(CPU)の速度といった 情報処理能力と並んで、他者の立場や感情的反応を理解する能力、効果的に役割を 分担する能力、周囲の意見に耳を傾ける能力脳力なども重要な構成要素とみなす べきだ。脳内CPUの性能には、生れつきの個人差があるのかもしれない。 ・<ただ私たちの知識のコミュニティが向き合る問題の複雑さに比べたら、個人の CPUの機能の違いなど誤差の範囲である。それ以上に重要なのは、身の回りの環境、 とりわけ周囲の人たちから真摯に学び、知識のコミュ二ティの恩恵を享受しつつ、 そこに貢献しようとする姿勢。それによって生れつきのスペックにかかわらず、 知性を磨きつづけることが出来る。>と。…何とも希望の持てる話ではないか。≫ ― ▼ 二ランク上の目線の男、颯太と、二ランク下目線の凡太の仮想対談より… 凡太: 何だ、あんたって、思ったより無知だって? 颯太: 御前が勝手に思っていただけだが。そう思わせていた部分もあったね。 ここでさ、…と最後に余韻につけているだろう。これも、その一つかもね。 凡太: 自分だけが、無知と思ってたけど、実は全てが無知で、石ころの大小と 大して変わらないという、たった、この位のことが俺様には解ってなかった。 颯太: そうだよ、それを少し知っていただけ、御前よりマシということ。 だから、人知れず、本を読んでいるのさ。誰も、読書自慢などしないよ。 自分が無知だと認めたくないもの。知った分、その周囲の無知が見えるのさ。 凡太: あんたさ、毎日、読書をするか、映画やドラマを見るとか、自転車で 出かけるとか、年に数回、ツアーに出かけるだろう。 颯太: 問いかけられたから答えるけど。一度、世界の果てまで、その企画に 参加してみたら解るけど、ツアーって凄いの。 凡太: 価値を理解できない人は馬鹿にするけれどもね。説明文と写真で一端は 解るけど、所詮は、既製品だろう。 颯太: その既製品が、洗練された価値があるなら、これほど、合理的な既製品は、 他にはないよ。行先に近い、主要都市のホテルに泊まり食事をし、街中か、近郊 にある遺跡をみて、美術館か博物館に行くだろう。当地料理を味わい、博物館 と美術館で国宝級の文化を。そして遺跡で文明を垣間見れるだろう。そして、 秘・異郷で大自然の真只中で、景観と邂逅出来るんさ。一回行く度に、生れ 変わったような感覚を味わえるんだ。 凡太: そんな話、知らなかった。何で教えてくれないんだ。 颯太: 旅の話はね、「旅自慢」になって、後味が悪くなるんだ。明らかに優劣 が見えてくるからね。 問題はね、汗して辿り着いた先の絶景で時どき、経験 する至高体験さ。絶対幸せ気分というか。 そりゃ、一度経験すると、再び、 味わいたくなるさ。 凡太: 好きな女と… と、如何だね? 颯太: 次元が違う、快感だね。 薬中が、「何でまた?」の質問に、 「出会ってしまったからさ!」というけど、これと同じじゃないか。 「未知の未知」に出会ったことに、理屈はいらない。これだけは味わって… 凡太: じゃあ、何と同じじゃないか。 颯太: 話にならんよ。御前じゃ。文化、文明。そして大自然との邂逅。 そのフルコースを、短時間で味わる地球を碁盤として埋めていくゲームさ。 凡太: 俺なら、布団の中、TVで見るだけで充分さ。 颯太: 「無知の未知」かい。いや、「未知の無知」かい。自分の知っている 範囲しか、理解できないということですか。 凡太: 時どきね、何から不安の嵐に襲われ、茫然とするんだ。何もしないで、 現実に溺れて、既知の世界の住人に嫌気をさしてね。だから、誰かの不幸を 探しだして、仲間で罵倒するのが生甲斐になるの。それが積もり積もってね。 自業自得だけど。俺の周りは、俺みたいのばかり。 颯太: 80対20の法則でさ、そういう人に8割の膿が集まるんだ。その部類かい。 『既知の無知』ということかい。こういうのが老化するとね、愚痴の塊りに なるんだ。 凡太: どうしたら良いんか? 今さら遅いのは解っているけども。 颯太: 図書館の音楽コーナーに行くとね。α波の音楽集があるから、 借りてきて、iphon に入力して、聴くことから始めたら… そうですかと、 素直に実行できないしね。その頭じゃ。音楽って良いよ。としても無理か? バカは死ななきゃ治らないというから、死になさいよ。死ぬ覚悟が出来れば 第一歩を踏み出せるからね。
追文: また偶然だが、去年の15日に… ところで精神を保てたのだろうか? ―――― 4809,ある明治女性の世界一周日記 2014年05月15日(木) 「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著) 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、 現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。 ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、 そのまま直に伝わる。 ーAmazonの内容紹介よりー 「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校でキリスト教と 英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、 真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー 《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日 から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船 会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、 ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国 ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、 ローマ、ナポリ、ヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、 シベリア鉄道を利用してウラジオストック、敦賀に帰ってくる世界一周旅行。 一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の 古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は 横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな 外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の 写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも 書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領 との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され ています。巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃 さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の 日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。 そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》 ▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、 外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に 残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その 人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手 の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、 そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子 の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。 2〜3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。 ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、 それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 世界は広く、それぞれ深い!
・・・・・・ 6270,閑話小題 〜大相撲が始まった 2018年05月14日(月) * 大相撲の楽しみ方 ただ、漫然として相撲を見るのではなく、「こういう観方もある」切口の、 様々な木や、枝から鳥瞰して見ると面白い。 白鵬も左張手と右肘打ちの 『横綱アドバンティジ』が使い辛くなったため勝てなくなった。で今場所、 どう判断するか?考えあぐねて、張手の多様に決めたようだ。この程度の 横綱ならばと、下位力士も平然と張り手、肘打ちを狙ってくる。とすると、 怯えるのは大関、横綱になる。張手・肘打ちの多用が無ければ11〜12勝が 精一杯。更に貴乃岩に持ち掛けた、暗黙の圧力の八百長?も、もう使えない。 その結果、 相撲現役の余命が長くて一年、最短で年内で… 。 それが、見どころ。 白鵬の身体つきが、全体として萎み、オーラにみえた艶も消えてしまった。 鶴竜も然り。 建設業界のような構造汚職?のような談合は難しくなった。 白鵬、日馬富士、鶴竜のトライアングルの+照ノ富士の圧力構造の半分が 消滅、これにアヤかって、何気ない張手で怯ませ勝ってきた稀勢の里、豪栄道 も勝てなくなった。そこにチビッコ相撲上がりの、学生相撲が台頭してきた。 これを前提に、日々の対戦をみると、面白味が増す。 モンゴル、東欧系の ハングリーな若手に、親がかりの温室育ちが勝つのは難しい。 ところで、全身に萎みがみられる稀勢の里の回復は絶望的。引退前の力士の 黄疸現象が… 初期症状だが、白鵬も然り。格闘技の世界はシリアスである。 隠れテーマは、<張手・肘打ちが出来ない横綱の断末魔!>でしょうか?
ネットニュースが何とも面白い! そうしないと早々の引退になるため。 【 大相撲夏場所>◇初日◇13日◇両国国技館 2場所連続休場明けの横綱白鵬(33=宮城野)が立ち合い、馬力で定評の ある東前頭筆頭玉鷲(33=片男)の出足を止めるべく、左から張って立った。 【写真】玉鷲と激しい取組をする白鵬 立ち合いの張り手とかち上げには、横綱審議委員会から苦言を呈され、何かと 物議を醸している白鵬の動きだが、この日、審判部長として本場所初仕事と なった阿武松親方(56=元関脇益荒雄)は容認の姿勢を示した。 この日は幕内後半戦の審判長を務め、白鵬の一番は土俵下から目を光らせた。 その白鵬の立ち合いについて問われると「張り差しですよね?」と再確認した上で 「エルボー気味の(かち上げ)は問題ですが、張り差しは問題ない」と述べた。 再度、言葉を慎重に選ぶように「ヒジを合わせたりするのはアレですが」と、 本来のかち上げでなく、相手の顔面目がけて繰り出す“ヒジ打ち”は問題外と しつつ「張り差し自体は大丈夫」とし、エルボー気味のかち上げにも 「自分の中で調整するでしょう」と改善に期待した。】 ですと… ― ▼ たかが相撲、されど大相撲としても、これじゃあ、半年前の騒乱な何だった? 閑にまかせて、如何でもいいことをグダグダと。「世間の正体とは?」かいって いるが、最も世間馬鹿は私自身ですか。楽しむとは、「同じアフォなら踊らな きゃ損損」というところですか。 熊:お笑い長屋の雑談ですよ、雑談! 寅: 御前がいうと、何しら座が和むよ。 北の富士: 相撲そのものが、神社の御祭りの座興だったもの。 神主: 賽銭そのものは神さんへの些細な賄賂だろう、賄賂! 八百長でも何でも、大受けすればよいだけ。 ―――― 2018/01/18 閑話小題 ★ 番外 * これまた面白く深い展開に 熊さん: 白鵬と稀勢の里が連敗したね。結構、稀勢の里も張り手を使って いたしね。白鵬など、初日から全く精彩がないね。八つぁんの言う通り、 この一連の事件を引き起こした「横綱アドバンティジ」を無くした 大横綱の正体が、このザマさ。 寅: 貴乃花親方の含み笑いが聞こえそう。白鵬も、「アドバンティジ」の 有効利用無しで優勝したかっただろうがね… あれじゃ、この一連の事件、 『横綱アドバンティジ暴行事件』と命名されるよ。勝てないのが何より証拠さ。 熊さん: 俺たちの、会話を相撲関係者が聞いているのでは? 何か変? 八つぁん: 大丈夫だよ。誰の目にも明らかな内容だからね。それにしても、 ライブで事件の謎解きを見れるのだから。こんなに面白いことはないね。 大家さん: 私も、黙っていられなので、参加するよ。一番、震えているのが、 理事長と取巻きだね。日本の祭りごとの根本にあるのが、御賽銭。これって 神様への小さな賄賂だよね。神社仏閣の行事の根本が、賄賂と談合がある。 その強要が、これさ。 熊: とすると、土俵周りの親方の役割は、勝負の審査だけでなく… 他に。 でも、そこまで言っちゃあ、お終いよ。でも、毎日毎日、あの不甲斐ない 負けを続ける横綱の姿は… 大家: 『横綱アドバンティジ』疑惑など根幹に関わる問題だね。やはり、 八角親方には引退をしてもらい、貴乃花を押すべきだね。 八つぁん: でも、あの自閉症的性格では無理だね。 大家: おや、初め、そう言ったのは八つぁんが言い出したんじゃないか。 他に居ないのは解るけどね。 ハつぁん: 理事長、理事会も、性格上、自助能力、自浄能力が持てないん じゃないの。だったら、国技とかいう、法律上は何もない協会を一度、 解散し、税金免除のない普通の営利団体にすべきだが… まあ無理だね。 ・・・・・・ 6028,閑話小題 〜大相撲・炎上 2017年09月15日(金) * 横綱・大関の権威失落 大相撲が大変な事態になっている。私の相撲ファン歴からして、これほどの 大関・横綱の権威失落の事態は初めてで、理事長自らが辞任しても然るべきほど である。初日から4人横綱のうち3人が休場。残る一人の横綱が前半で2勝3敗とは、 これいかに。上位に上がったばかりの阿武咲が横綱初挑戦で金星を挙げ5連勝。 日馬富士の負け方が空中に1回転して裏返し。その上に、大関の照の富士が負傷、 3人の大関も2人が休場ともなれば。 面白といえば面白いが、この惨状では、 首を傾げざるをえない。その背後には若手に実力があるのが何人か台頭してきた ことがある。もしかして、半年、1年後の番付が、これかとも… ファンが、相撲協会の心配をする必要がない。横綱・大関の権威の崩壊を 見ながら、誰が優勝をするかを楽しめば、「また白鵬!」よりも遥かに刺激的。 「何で今の若手が強いのかって?」というと、勝つために頭(情報機器)を活用、 稽古土俵から考えているため。それも親がかりで。 将棋の新生人と同じ。 白鵬が、それ。素材が良いだけでは難しい。一月前に、高校横綱のトーナメント を見たが、その中で、強そうなのが数多く見かけた。底辺の育成が出来ていると いうことか。
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2020年05月13日(水)
* 学生時代の友人の経営現場は…? 学生時代の友人には、まだまだ現場大好き人間がいて、可能な限り現役を 謳歌している人が半分程度か。静岡でグローバル企業の孫請け会社の現役社長に、 この新型コロナ騒ぎの影響を聞いてみた。何があっても大丈夫のグループで、 あまり影響がないのではと思いきや、それは深刻のようだ。要約すると… ・リーマンショック時も酷かったが、今回は、その比ではない。 一時期、半分まで売上は減ったが、今では三分の二まで回復しているが、 予断は許されない。何とか乗りきれそうだが、第二、第三の波が恐ろしいと… ・静岡の経済は、ホテル・飲食業・漁業が壊滅状態。悲鳴も聞こえない程に深刻。 親会社に泣きつく企業風土はないため、緊急の資金繰りから全てを自らの知恵 しか頼れない。 大親会社ガ最近、実情をマスコミを通して発表したが、内容は、 自社そのままを拡大したようだと。
巨大グループなるが故に盤石と思いきや、その現場は決して甘くない。 NHKの特集で、飲食店の急場の実情をレポートしていたが、何処も、根本からの 再構築を要するため、ただ茫然とするしかない。対策を考えるには、あまりに 困難な応用問題。3密なればこその居酒屋、小料理店は、冷凍販売か、宅配。 紹介された神楽坂『天ぷら・専門居酒屋』の苦悩は深い。うちの店は何屋?と… お客も戸惑っている筈。 さて如何なる? あとに思いつくのは廃業だけ! 世界は根こそぎ変ってしまった。…空即是色… 行場がないからキツイよ!
・・・・・・ 6633,読書日記 〜『無知の科学』だってさ! −6 2019年05月14日(火) <『知ってるつもり――無知の科学』 スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)> * 身もふたもない事実 =訳者のあとがきが簡潔で解りやすい= ≪・私たちは自分が思っているよりずっと無知である。合理的な個人という 今日の民主政治や自由経済の土台になってきた概念自体が誤りであった。そんな 身も蓋も無い事実を本書は突きつける。それでも爽快感があるのは、本書終盤の、 本当の「賢さ」とは何かという議論と関わっている。… これまで個人の知能指数(IQ)によって賢さを測ろうとしてきた。しかし人間の ・知的営みが集団的なものであれば、「集団にどれだけ貢献できるか」を賢さの 基準にすべきではないか。記憶容量の大きさや中央処理装置(CPU)の速度といった 情報処理能力と並んで、他者の立場や感情的反応を理解する能力、効果的に役割を 分担する能力、周囲の意見に耳を傾ける能力脳力なども重要な構成要素とみなす べきだ。脳内CPUの性能には、生れつきの個人差があるのかもしれない。 ・<ただ私たちの知識のコミュニティが向き合る問題の複雑さに比べたら、個人の CPUの機能の違いなど誤差の範囲である。それ以上に重要なのは、身の回りの環境、 とりわけ周囲の人たちから真摯に学び、知識のコミュ二ティの恩恵を享受しつつ、 そこに貢献しようとする姿勢。それによって生れつきのスペックにかかわらず、 知性を磨きつづけることが出来る。>と。…何とも希望の持てる話ではないか。≫ ― ▼ 二ランク上の目線の男、颯太と、二ランク下目線の凡太の仮想対談より… 凡太: 何だ、あんたって、思ったより無知だって? 颯太: 御前が勝手に思っていただけだが。そう思わせていた部分もあったね。 ここでさ、…と最後に余韻につけているだろう。これも、その一つかもね。 凡太: 自分だけが、無知と思ってたけど、実は全てが無知で、石ころの大小と 大して変わらないという、たった、この位のことが俺様には解ってなかった。 颯太: そうだよ、それを少し知っていただけ、御前よりマシということ。 だから、人知れず、本を読んでいるのさ。誰も、読書自慢などしないよ。 自分が無知だと認めたくないもの。知った分、その周囲の無知が見えるのさ。 凡太: あんたさ、毎日、読書をするか、映画やドラマを見るとか、自転車で 出かけるとか、年に数回、ツアーに出かけるだろう。 颯太: 問いかけられたから答えるけど。一度、世界の果てまで、その企画に 参加してみたら解るけど、ツアーって凄いの。 凡太: 価値を理解できない人は馬鹿にするけれどもね。説明文と写真で一端は 解るけど、所詮は、既製品だろう。 颯太: その既製品が、洗練された価値があるなら、これほど、合理的な既製品は、 他にはないよ。行先に近い、主要都市のホテルに泊まり食事をし、街中か、近郊 にある遺跡をみて、美術館か博物館に行くだろう。当地料理を味わい、博物館 と美術館で国宝級の文化を。そして遺跡で文明を垣間見れるだろう。そして、 秘・異郷で大自然の真只中で、景観と邂逅出来るんさ。一回行く度に、生れ 変わったような感覚を味わえるんだ。 凡太: そんな話、知らなかった。何で教えてくれないんだ。 颯太: 旅の話はね、「旅自慢」になって、後味が悪くなるんだ。明らかに優劣 が見えてくるからね。 問題はね、汗して辿り着いた先の絶景で時どき、経験 する至高体験さ。絶対幸せ気分というか。 そりゃ、一度経験すると、再び、 味わいたくなるさ。 凡太: 好きな女と… と、如何だね? 颯太: 次元が違う、快感だね。 薬中が、「何でまた?」の質問に、 「出会ってしまったからさ!」というけど、これと同じじゃないか。 「未知の未知」に出会ったことに、理屈はいらない。これだけは味わって… 凡太: じゃあ、何と同じじゃないか。 颯太: 話にならんよ。御前じゃ。文化、文明。そして大自然との邂逅。 そのフルコースを、短時間で味わる地球を碁盤として埋めていくゲームさ。 凡太: 俺なら、布団の中、TVで見るだけで充分さ。 颯太: 「無知の未知」かい。いや、「未知の無知」かい。自分の知っている 範囲しか、理解できないということですか。 凡太: 時どきね、何から不安の嵐に襲われ、茫然とするんだ。何もしないで、 現実に溺れて、既知の世界の住人に嫌気をさしてね。だから、誰かの不幸を 探しだして、仲間で罵倒するのが生甲斐になるの。それが積もり積もってね。 自業自得だけど。俺の周りは、俺みたいのばかり。 颯太: 80対20の法則でさ、そういう人に8割の膿が集まるんだ。その部類かい。 『既知の無知』ということかい。こういうのが老化するとね、愚痴の塊りに なるんだ。 凡太: どうしたら良いんか? 今さら遅いのは解っているけども。 颯太: 図書館の音楽コーナーに行くとね。α波の音楽集があるから、 借りてきて、iphon に入力して、聴くことから始めたら… そうですかと、 素直に実行できないしね。その頭じゃ。音楽って良いよ。としても無理か? バカは死ななきゃ治らないというから、死になさいよ。死ぬ覚悟が出来れば 第一歩を踏み出せるからね。
追文: また偶然だが、去年の15日に… ところで精神を保てたのだろうか? ―――― 4809,ある明治女性の世界一周日記 2014年05月15日(木) 「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著) 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、 現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。 ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、 そのまま直に伝わる。 ーAmazonの内容紹介よりー 「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校でキリスト教と 英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、 真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー 《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日 から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船 会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、 ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国 ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、 ローマ、ナポリ、ヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、 シベリア鉄道を利用してウラジオストック、敦賀に帰ってくる世界一周旅行。 一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の 古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は 横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな 外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の 写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも 書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領 との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され ています。巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃 さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の 日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。 そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》 ▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、 外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に 残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その 人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手 の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、 そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子 の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。 2〜3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。 ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、 それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 世界は広く、それぞれ深い!
・・・・・・ 6270,閑話小題 〜大相撲が始まった 2018年05月14日(月) * 大相撲の楽しみ方 ただ、漫然として相撲を見るのではなく、「こういう観方もある」切口の、 様々な木や、枝から鳥瞰して見ると面白い。 白鵬も左張手と右肘打ちの 『横綱アドバンティジ』が使い辛くなったため勝てなくなった。で今場所、 どう判断するか?考えあぐねて、張手の多様に決めたようだ。この程度の 横綱ならばと、下位力士も平然と張り手、肘打ちを狙ってくる。とすると、 怯えるのは大関、横綱になる。張手・肘打ちの多用が無ければ11〜12勝が 精一杯。更に貴乃岩に持ち掛けた、暗黙の圧力の八百長?も、もう使えない。 その結果、 相撲現役の余命が長くて一年、最短で年内で… 。 それが、見どころ。 白鵬の身体つきが、全体として萎み、オーラにみえた艶も消えてしまった。 鶴竜も然り。 建設業界のような構造汚職?のような談合は難しくなった。 白鵬、日馬富士、鶴竜のトライアングルの+照ノ富士の圧力構造の半分が 消滅、これにアヤかって、何気ない張手で怯ませ勝ってきた稀勢の里、豪栄道 も勝てなくなった。そこにチビッコ相撲上がりの、学生相撲が台頭してきた。 これを前提に、日々の対戦をみると、面白味が増す。 モンゴル、東欧系の ハングリーな若手に、親がかりの温室育ちが勝つのは難しい。 ところで、全身に萎みがみられる稀勢の里の回復は絶望的。引退前の力士の 黄疸現象が… 初期症状だが、白鵬も然り。格闘技の世界はシリアスである。 隠れテーマは、<張手・肘打ちが出来ない横綱の断末魔!>でしょうか?
ネットニュースが何とも面白い! そうしないと早々の引退になるため。 【 大相撲夏場所>◇初日◇13日◇両国国技館 2場所連続休場明けの横綱白鵬(33=宮城野)が立ち合い、馬力で定評の ある東前頭筆頭玉鷲(33=片男)の出足を止めるべく、左から張って立った。 【写真】玉鷲と激しい取組をする白鵬 立ち合いの張り手とかち上げには、横綱審議委員会から苦言を呈され、何かと 物議を醸している白鵬の動きだが、この日、審判部長として本場所初仕事と なった阿武松親方(56=元関脇益荒雄)は容認の姿勢を示した。 この日は幕内後半戦の審判長を務め、白鵬の一番は土俵下から目を光らせた。 その白鵬の立ち合いについて問われると「張り差しですよね?」と再確認した上で 「エルボー気味の(かち上げ)は問題ですが、張り差しは問題ない」と述べた。 再度、言葉を慎重に選ぶように「ヒジを合わせたりするのはアレですが」と、 本来のかち上げでなく、相手の顔面目がけて繰り出す“ヒジ打ち”は問題外と しつつ「張り差し自体は大丈夫」とし、エルボー気味のかち上げにも 「自分の中で調整するでしょう」と改善に期待した。】 ですと… ― ▼ たかが相撲、されど大相撲としても、これじゃあ、半年前の騒乱な何だった? 閑にまかせて、如何でもいいことをグダグダと。「世間の正体とは?」かいって いるが、最も世間馬鹿は私自身ですか。楽しむとは、「同じアフォなら踊らな きゃ損損」というところですか。 熊:お笑い長屋の雑談ですよ、雑談! 寅: 御前がいうと、何しら座が和むよ。 北の富士: 相撲そのものが、神社の御祭りの座興だったもの。 神主: 賽銭そのものは神さんへの些細な賄賂だろう、賄賂! 八百長でも何でも、大受けすればよいだけ。 ―――― 2018/01/18 閑話小題 ★ 番外 * これまた面白く深い展開に 熊さん: 白鵬と稀勢の里が連敗したね。結構、稀勢の里も張り手を使って いたしね。白鵬など、初日から全く精彩がないね。八つぁんの言う通り、 この一連の事件を引き起こした「横綱アドバンティジ」を無くした 大横綱の正体が、このザマさ。 寅: 貴乃花親方の含み笑いが聞こえそう。白鵬も、「アドバンティジ」の 有効利用無しで優勝したかっただろうがね… あれじゃ、この一連の事件、 『横綱アドバンティジ暴行事件』と命名されるよ。勝てないのが何より証拠さ。 熊さん: 俺たちの、会話を相撲関係者が聞いているのでは? 何か変? 八つぁん: 大丈夫だよ。誰の目にも明らかな内容だからね。それにしても、 ライブで事件の謎解きを見れるのだから。こんなに面白いことはないね。 大家さん: 私も、黙っていられなので、参加するよ。一番、震えているのが、 理事長と取巻きだね。日本の祭りごとの根本にあるのが、御賽銭。これって 神様への小さな賄賂だよね。神社仏閣の行事の根本が、賄賂と談合がある。 その強要が、これさ。 熊: とすると、土俵周りの親方の役割は、勝負の審査だけでなく… 他に。 でも、そこまで言っちゃあ、お終いよ。でも、毎日毎日、あの不甲斐ない 負けを続ける横綱の姿は… 大家: 『横綱アドバンティジ』疑惑など根幹に関わる問題だね。やはり、 八角親方には引退をしてもらい、貴乃花を押すべきだね。 八つぁん: でも、あの自閉症的性格では無理だね。 大家: おや、初め、そう言ったのは八つぁんが言い出したんじゃないか。 他に居ないのは解るけどね。 ハつぁん: 理事長、理事会も、性格上、自助能力、自浄能力が持てないん じゃないの。だったら、国技とかいう、法律上は何もない協会を一度、 解散し、税金免除のない普通の営利団体にすべきだが… まあ無理だね。
・・・・・・ 6632,読書日記 〜『『無知の科学』だってさ! −5 2019年05月13日(月) <『知ってるつもり――無知の科学』 スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)> * 未知の未知 ・21歳時に初めて一ヶ月間の欧州旅行で経験したのが「未知の未知」。 欧州は石の文化。世界史そのままが遺跡として、そのまま現存する世界。 「世界は「知らないこと、想像を絶することで満ちている」ことすら知らな かったのである。世界史の教科書の写真が目の前の突きつけられ衝撃は、無知 たる自分に未知を知らしめてくれた。カナダのロッキーの広大な景色に触れた 時の驚愕。『 ここは地球上? これを目の当たりにしないで大部分の人は 死んでいくんだ。全てを投げうっても、経験すべき光景。良かった!』 感動とは「未知の未知」に、その人を導いてくれる。
ここで… <・物事には、「自分が知っていると知っていること」、既知の知。 ・「自分が知らないということを知っていること」、未知の知。 ・さらには「自分が知らないということを知らないこと」、未知の未知がある、 とアメリカのラムズフェルド長官は言っている。> と。 未知である認識がないことには手が打ちようがない。知らないということ 自体がわかっていないのだから事実上お手上げ。
・ダニング=クルーガー効果の原則がある。、 < 能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い 評価を行う優越の錯覚を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分で 自分自身の不適格性を認識することができないことによって生じる。 「優越の錯覚を生み出す認知バイアスは、能力の高い人物の場合は外部(=他人) に対する過小評価に起因している。一方で能力の低い人物の場合は内部(=自身) に対する過大評価に起因している。」とする。若い女の思い入れ深い自己評価 の過剰な差異などに見られる。
・この研究で、「与えられた活動の評価基準への無知に由来する自己評価の誤り」 の多さを示している。自身の能力に対する過大評価の傾向は、読解や診療、自動車 の運転、チェスやテニスの試合など様々な場面で見られた。また、この効果を定義 したデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーによって2012年に行われた 「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、 能力の低い人間は以下のような特徴があることが分かった。 〜自身の能力が不足していることを認識できない 〜自身の能力の不十分さの程度を認識できない 〜他者の能力を正確に推定できない その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。 キャリア組の高速配転による育成は、それで、自分の能力不足を埋めるためにある。
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2020年05月12日(火)
<言ってはいけない ―残酷すぎる真実―橘玲/著 > * あまりに残酷な「美貌格差」 「これを言っては終いよ」の瘋癲の寅の捨て台詞じゃないが、確かにある。 美人は確かにチヤホヤされるが、収入面まで言及するところがシリアス。 ランダムに多くの男女を集めて5ランクに格付けをして「3」を中間点にして、 平均以上の4,5の女性は平均以下より8%収入が多く、逆に平均未満の収入は4% 少ない結果が出た。これは差引き12%になり、平均年収を300万とみると、生涯 年収格差は3600万。しかし、現実社会の思い込みは更に大きいとみているようだ。 更に身も蓋もないが、美貌と幸福の関係も、美人は良い伴侶と結婚する結果を 出している。 男には収入、家柄とか他の要素が加わるが、女性は外形が第一に なるため、熾烈な戦いが出てくる。付いている機能は同じなのに、何だろう? 美人の女優は晩年になると欝病になる確率が高くなるのが通り相場。 微妙な加齢による変化に自らのキャラを変えられなかった咎である。
≪ ❷ あまりに残酷な「美貌格差」 【6】「見た目」で人生は決まる――容貌のタブー 写真から性格や未来がわかる/外見から知性は推測できる/ 「最初の直感」の的中率/「面長の顔」は「幅の広い顔」に殺されている/ 顔立ちによる残酷すぎる損得 − 【7】あまりに残酷な「美貌格差」 美人とブスでは経済格差は3600万円/「美貌格差」最大の被害者とは/ 会社の業績を上げる経営者の顔とは/容姿による差別を生む市場原理 − 【8】男女平等が妨げる「女性の幸福」について 「男と女は生まれながらにしてちがっている」/男と女は別々のものを 見ている/「男らしさ」「女らしさ」の正体とは/ 「母性愛」のもと、オキシトシン/男女でちがう「幸福の優先順位」 〔コラム8〕女子校ではなぜ望まない妊娠が少ないのか − 【9】結婚相手選びとセックスにおける残酷な現実 一夫多妻と一夫一妻はどちらが得か/メスの狡猾な性戦略/避妊法の 普及が望まない妊娠を激増させる/低学歴の独身女性があぶれる理由 − 【10】女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか? ヒトの本性は一夫一妻?/睾丸とペニスの秘密/女性の性衝動は弱いのか?/ チンパンジーとボノボ/農耕社会がすべてを変えた?/女性がエクスタシー で叫ぶ理由/フリーセックスのユートピアは遠い --- ❸ 子育てや教育は子どもの成長に関係ない 【11】わたしはどのように「わたし」になるのか 双生児の奇妙な類似/「高貴な血」と「穢れた血」/遺伝するもの、 しないもの/「こころの遺伝」の明暗 ーーー 【12】親子の語られざる真実 「氏が半分、育ちが半分」の真偽/言語・宗教・味覚にまつわる遺伝の真相/ 子どもはなぜ親のいうことをきかないのか ーーー 【13】「遺伝子と環境」が引き起こす残酷な真実 同じ遺伝子でも違う性格になるケース/「選抜された22人の少年たち」の実験/ 黒人少年が生き延びるたったひとつの方法/ 英才教育のムダと「バカでかわいい女」 ≫
―― ▼ 細顔と四角顔では、細顔の方が、あらゆる面でプラスに働くようだ。 アメリカで殺害された人の頭蓋骨は、ほっそり顔が多かった。何か問題が 有ると、四角顔の人が多いという結果もある。 以前、慶応高校と、地方の 某高校の応援席を見て驚いたのが、慶応高校の殆どが縦顔で、某高校生は横顔。 集団ともなれば、それが際立って見えてくる。
・・・・・・ 6631,閑話小題 〜「ヒロシです…」 2019年05月12日(
日曜夕刻の『笑点』の前座に度々、出てくる何ともいえない悲哀を漂わせた 語り口に思わず笑ってしまう。 自虐的一人芸漫談…「ヒロシです」。 お笑い芸や漫談を、1人コントを演じるピン芸人。3名をトリオ、2名をコンビ、 に対し、1名でネタを演じる。先日、亡くなったケーシー高峰や、劇団ひとり、 友近などがいる。「ヒロシです…」のフレーズの「自虐ネタ」は、味わい深い? 味がある。大都会の真只中で、独り、部屋の中で自嘲気味に夕飯を食べながら、 こんなことを呟いている人が男女関わらず多く存在しているのだろう。 ネットで検索するとアルアル。
・ヒロシです。 彼女の浮気が心配でこっそり携帯電話をのぞいてみました。 俺の電話番号は取引先のグループに分けられていたとです。 ― ・ヒロシです。 「いつからいたの?」って聞かれましたが最初からいました。 ― ・ヒロシです。 テンションを上げる催眠術を覚えました。 これでもかかっているとです。 ― ・ヒロシです。 俺の握手会なのに「握手はいいです」って断られた事があります。 ― ・ヒロシです。 よく当たると評判の占い師に見てもらったら 「あなた最近仕事の事で悩んでいるんじゃない?」って言われました。 誰にでもわかるとです。 誰でもわかるよね? ― ・ヒロシです。 生活感のない部屋に憧れて余計なものを捨ててみました。 生活ができなくなりました。 ― ・ヒロシです。 「ヒロシ君可愛いわね」。 「お姉さんヒロシ君の事が大好きなの」。 「ねえヒロシ君…」。 自分で録音して聞いています。 ― ・ヒロシです。 「ワイルドだろぉ?」って言ってる高校生が「古いよ」って言われていました。 俺はどうなるんですか? ― ・ヒロシです。 手首にロレックスの絵を描いてみました。 取り外しができません。
スケジュールを聞かれたので「その日は仕事です」って答えたら 「ウソでしょ?」って言われました。 ウソです。 ― ・ヒロシです。 不況のせいかホームレスの特集番組を頻繁に目にします。 俺よりテレビに出ているとです。 ― ・ヒロシです。 自分の寿命がわかるというゲームをやってみました。 2年前に死んでいたとです。 ― ・ヒロシです。 「ヒロシさん一生応援します」。 「ヒロシさん一生ラブです」。 16年前までたくさん届いてたファンレターに必ず書いてあった言葉です。 みんな死んだんでしょうか?
『果報は寝て待て』っていいますが、どれくらい寝ればいいのだろうか。
― ▼ 大都会で、独り部屋で、孤立を味わい、時には涙をした寒々した経験が 青春の一ときに必要である。また群衆の中で、フッと我に返り、つくづくと 孤独感に陥るとき、前からくる電車に身を投じたくなる誘惑にかられるという。 まだ経験も知識も乏しい時節の喪失感の中では… そこから一歩踏み出すのが 都会生活の第一歩。失業をして、連れ合いの愛想をつかれ、離婚をして欝病に 陥った直後の第一歩に私のところに訪ねてきた幼馴染がいた。50歳代半ば だったが、風貌は白髪で、歯の大部分が抜けて、80歳以上にみえていた。 営業ネタは、自分の倒産、離婚、欝病の話題。 その直前にも、倒産、離婚 の同じ経験を持つ人がいた。 深い心の傷が、人知れず、周囲の人を傷つけて しまうのが共通の現象。倒産は私も経験積み… その上、離婚でもすれば、鬱に なるのだろうが… 中年期以降の離婚は、傷が深くなるのは、聞いてきた。特に 男は、非常に厳しい。信じられない言葉が、「離婚して気づいたのが前妻が自分 には格上の相手だった!離婚しなければよかった!」の言葉。 経験してこそ 気づくことが多い。 で、それを前提で、この悲哀漫談を味わうと面白さは 倍増するのだろうが…
・・・・・・ 6268,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −4 2018年05月12日(土)
以前ほど、ユングの集合的意識(普遍的無意識)について語られなくなったが、 それでも心理学の主流を占めていることは違いない。ユングは何気なく描いた 自分の絵が曼荼羅に似ていたのに気づき調べてみると、世界中に似た模様がある ことに気づき、それは神話にも共通点が多いと知る。それまでフロイトが見出し た無意識のもっと奥底に、人類に蓄積された集合的無意識があるのではと考えた。 共通したイメージ、原型である。これも知らざる世界の門戸である。 以下では、刑事の能力の中に、「知らざる能力」の柵の向う側の世界を垣間見て いる。 《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》 ≪ 先日、こんな記事を読んだ。 大阪京都両府警の捜査官が広域事件について打ち合わせしたとき、京都府警の 刑事が「こういう事件もあるんです」と、ある空き巣事件の容疑者の写真を大阪 の刑事に示した。打ち合わせが終わって外へ出て10分後に大阪府警の刑事は 近くの競艇場外発売所近くでその容疑者を発見した。この捜査員は雑踏の中から 指名手配犯などをみつける「見当たり捜査」の専門家だったそうである。 「そういうものだ」と思う。 彼らは警察官の視野から逃れようとする人々が発する微細なオーラを感知する 能力を備えている。 「職務質問」というのは組織的にやるものではなく、 「挙動不審」な人間をピンポイントして行うものである。 「挙動不審」という のは、チェックリストがあって、そのスコアが高い場合にそう判断するという ものではない。 遠くにいる人間の、わずかな眼の動きや呼吸や心拍数の変化の ようなものが「際だって感知される」場合にそう言われるのである。 そういう能力を持っている人が警察官になるべきであり、これまではなってきた。 警察という制度はそのような能力を勘定に入れて制度設計されている。 私たちは刑事ドラマを見ているときに、刑事たちが街中であまりにも容易に挙動 不審な容疑者と偶然遭遇するのを「ご都合主義」だと嗤うことがあるけれども、 警察の捜査というのは、もともと「そういうもの」なのである。 だが、挙動不審な人間を感知する能力や嘘をついている人間とほんとうのことを 言っている人間を直感的に見分ける能力などは、その有無や良否をエビデンスに よって示すことができない。本来は捜査員の採用のときには、「そのような エビデンスをもって示すことのできない能力」の有無を基準に採否を決すべき なのである。でも、エビデンスをもっては示すことのできない能力の有無の判定 にはエビデンスがないので(当たり前だが)、現在の公務員採用規定ではこれを 適用できない。そのせいで、わが国の司法システムは劣化したのだと私は思っている。 冤罪事件が多発するのは、司法システムが「嘘をついている人間と真実を述べて いる人間を直感的に識別できる能力」を備えた司法官が一定数存在することを 前提に制度設計されているからである。 司法官の少なくとも一定数は物証がなく とも、自供がなくとも、証言の真偽を直感する力を備えていると想定されている。 「裁判官の心証形成」という不思議な法律用語があるが、これは裁判官が 「複数の解釈可能性のうち、ある解釈を優先的に採択したくなる気分」のことである。 「気分」に法律的な力が認められているのは、司法官(の少なくとも一部)には、 「証言の真偽を直感的に判定する力が備わっている」ということが司法界では 広く信じられていたからである。そのような能力を備えた人間が一定数存在する ことを前提にしてつくられた制度が、まったくそのような能力を持たない人間に よって運用されるから冤罪事件が起きるのである。 シャーロック・ホームズのモデルのエジンバラ大学医学部教授ジョーゼフ・ベル は患者を一瞥しただけで、出身地や職業や疾病歴を「言い当てる」ことができた。 医師(の少なくとも一部は)そのような能力を有しているということを勘定に 入れて医療制度は設計されている。 司法や医療や教育はひろく社会的共通資本の中の「制度資本」にカテゴライズ されるけれど、これらはいずれも「わからないはずのことが、わかる」という 人間の潜在能力を勘定に入れて設計された制度である。これらはいずれも 「存在しないもの」とのフロントラインに位置する「歩哨的制度」である。 人間の世界の内部では「存在することが明証的であるものだけが存在する」 「存在することのエビデンスの示されないものは、存在しない」というルール が適用されている。 「内部」はそれでよい。 でも、「存在しないものとのフロントライン」では、そのルールは通用しない。 そこはまさに「存在しないはずのもの」が「存在するもの」にかたちを変える、 生成の場だからである。そのような場にどのようにして「歩哨的資質」を持った 人々を配することができるか。 子どもたちのうちから、そのような「歩哨的資質」 を備えたものをどうやって見出し、その能力を選択的に育成してゆくのか。 これは原理問題ではなく、純粋に技術的な問題である。≫ ―― ▼ 世界の平和の先行きが、裁判長レベルだけでなく、世界の重大事項の決定権を 持つトランプ、プーチン大統領、習主席、金主席が、あってはならない世界大戦 の世界への歩哨とすると、これは重大問題にある。殆ど世界政治の経験のない、 彼ら、とりわけトランプに核弾頭のカバンが渡ってしまった。さすがの、何も 恐れをなして… として、誰の眼にも、これで済むわけがない。怒れた歩哨が、 門戸に立ち、今まさに開けんとする重大危機に立っていることを忘れるべきで ないと著者は言いたかったのでは… 。 「気違いに刃物」とは、このことと? <気違いに刃物、大衆にポピリズム!> ポピリズムを検索すると… 【一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに 既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、 または政治姿勢のことである。日本語では大衆主義や人民主義などという。】 歩哨に立つ、あの方がた。大衆を「下衆」、いや虫けらぐらいでしか見てない。 門戸の向う側の何かしらが、彼らを選んだ可能性も考えられる。その狙いは? 狂った猿の自滅ですか? 若い人は面白いが辛い時代を生きねばならない。 ・・・・・・ 5171,閑話小題 〜ボ〜ッとしたデカルトの時間 2015年05月12日(火) * ボ〜ッとしたデカルトの時間 御隠居の生活に入って、早朝からスケジュールとおりに時間を過ごしている。 その時間の中で一番大事なのがボ〜ッとした時間。だが、それが過ごせてない。 ひとつ終わると直ぐ、次のスケジュールに移行するため。 以前もふれた事が あるが、宗教学者の山折哲雄が、早朝30年続けてきた座禅で、無念無想を諦め、 この時間帯は、デカルトの「ものを考えている」と思いつき、全身が解放された、 という話にハッと何かを感じとった。 最近、パソコンや読書の合間に、何を するでなし、意識的に弛緩した状態でボ〜ッとしている。考えてみたら、現役 時代は何時もしていたことだが、問題は意識してボ〜ッとすることだった。 〜その辺りの記述を抜粋〜 ≪ 朝3時か4時に起きて、毎朝一時間ぐらい座る。毎日香っている線香一本 燃えるのにだいたい50分前後。その一本を闇の中でつける。その明りを 見ながら座る。道元が言っている「無念無想」なんてのになれるものならなって みるか、なんてやっていたけど、ぜんぜん無の境地にはならなかったですね。 雑念、妄想とズ〜ッと戯れている。30年近くこれをやって、「俺はもうダメだ」 と思ったのが50代の終わりぐらい。でも、もう癖になっているからとにかく 朝は座るんです。で、あるときハッと思った。「無念無想になろう」と思うから いけないのであって、「ものを考えている」と思えばいいじゃないかと。 あっという間に全身が解放されたような気分になってね。「俺は今デカルトを やっているんだ」と。道元の時間と思っていたからできないのであって、 デカルトの時間と思えばいいと。すると、何を考えてもいいわけです、金、 女性、喧嘩したこと…。「我考える、ゆえに我あり」。道元だって大部分 の時間は無念無想じゃなくて妄想と戯れていたんじゃないかと思ったのね。 それで瞬間的にパッと無の瞬間が訪れる。逆にデカルトだって、考えづめに 考えていて、ときには無念無想の時間に恵まれたことがあるんじゃないかと。 そうすると、道元とデカルトはぜんぜん違う世界の人間じゃなくて、彼らは 同じ時間を共有していたのかもしれない、そう思ったときはうれしかったね。 座禅が終わって五時ぐらい。それから本を読んだりものを書いたり。以前は 夜型だったんだけど、朝一時間は夜の3〜4時間に匹敵する、それがわかって から夜は仕事をしないことにした。朝2〜3時間仕事をすることが、だいたい 自分のノルマになったかな。 ・・・。 ≫ ▼ 数ヶ月前から、ブログを書上げネットにアップした後、それまでは、 次のプログラムを直ぐに移行するが、その時、ただボ〜ッと全身を弛緩し、 ただ座ることにした。これが意外と難しい。要するに雑念が次々と思い浮ぶが、 その中に思いもよらぬ砂金が含まれていることがある。「我考える」とはいえ、 どうせ、碌なことしか考えてない。それなら、この随想日記のように、まず 禄でもないことから、考えればよい。元もと『禄でない』だから! 早朝の散歩も、ポタリングも、ある瞬間、『無念無想』の瞬間がある。 『エッ!俺、何時もボ〜ッとしている』って? それってバカじゃないか。 それってバカじゃない。
・・・・・・ 5901,閑話小題 〜病は覚醒装置である 〜3 2017年05月12日(金) * 自己を失うことと、存在を失うこととは違う <自己を失うことと、存在を失うこととは違う>とは、意味深長の言葉。 挫折を例にすると、「挫折で自己を失った時期があったが、その中でも、 自己の存在が、その状況を冷たく、優しく見つめていた」という存在である。 印税が多く入ってくるのだろうが、浪費癖のため、蓄積は多くない? ≪ 入院した半年後に退院したが、仕事が皆無になっていた。いきなりバッタ 扉を閉められたのだ。世界は私を拒否をした。私は何もかもを失ってゼロに なった。ゼロに、そうゼロである。仕事もなければ、身体を支える足も萎え、 私は私の知っているではない。見慣れない老いさらばえた女が鏡に映っている。 …(略) 仕事を失ったと同時に、私は社会から閉め出され、私を規定する 他者を失った。他者を失うことは、すなわち自己を失うことである。ここで あえて「ゼロ」を「無」とは表現しない。世間が中村うさぎを消し去っても、 私の存在自体がこの世から消えるわけではない。 「自分を失うことと、存在を失うことと同義ではない」。 自分がゼロになった感覚は恐ろしいものだが、しばらくすると何だかどうでも よいいいことのように思えるようになった。ゼロになったということは、単に リセットされたということではないか。 たとえば、ゲームをやっていて、いきなり何かのエラーで強制終了になって 今までやってきたことが、全部リセットされるなんてことは、昔は日常茶飯事 だった。同じようなことが人生でも起きたと思えばいい。また一からやり直せば いい。そんな強制終了も人生でも起こりえるのだと、と学べただけでも儲けもの ではないのか? …(略) 結局のところ、人間は自分で自分を救わなくては、 どこにも行けない。≫ ー ▼ 深く考えることも、大きく挫折したことのないサラリーマンが、定年を むかえた時に、上記のような初老性欝病に陥るケースが多い。「私の人生、 何だった?」の根本的疑問である。20歳代から30歳半ばまで多くの変転を重ね、 リセットの最中で、著者の「自分で自分を救わないと、どこにも行けない。 何者にもなれない!」と独り言を脳裏で呟くしかなかった。それが、6年前の リタイアの節目から、現在に至るまで、他者の存在に気にすることなく、 現在に至っている。元もと自分も、他者も、幻想でしかない。そこまで、 精神を覚醒していれば、何のことはない。どうでもよい事である。
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2020年05月11日(月)
<言ってはいけない ―残酷すぎる真実―橘玲/著 > 中学校時の上位成績が、そのまま、人生を決定づけている現実を、 何度も書いてきた。14歳で既に人生が決まっている恐ろしい現実がある。 ソクラテスのいたギリシャの社会構造が、 <3%の支配者と、30%の市民と、67%の奴隷階級> に色分けされていたが、現代のアメリカ社会が、そのままスライドしている 漫画的な残酷な真実がある。「見出しと、目次」をみると、バカバカしいと 拒否反応をしたくなるが、私が生きてきた世間、社会には、残酷すぎる真実が あった。ここで美貌格差の値段が3600万というが、なる程、言い得て妙な値段 設定である。記憶が鮮明な女性には清潔感があって、明るく、誠実でサッパリ した人。それ以外は??… 外的バランスの良さが成せる業だが、現実は現実。 人生とは、その拡大と縮小過程にあるような… ? 貧しさは敗北ですらあるのが娑婆。 …恒産あっての恒心あり。 それもこれも、65歳までの話。あとは… その裏付けが情報と、知識として 蓄積されているかどうか。『男はつらいよ』の寅は、はみ出し者のお伽噺。 〜Amazonの商品説明より〜 ≪ ❶ この社会にはきれいごとがあふれている。 人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない――だが、 それらは絵空事だ。往々にして、努力は遺伝に勝てない。 知能や学歴、年収、犯罪癖も例外でなく、美人とブスの「美貌格差」は 約3600万円だ。子育てや教育はほぼ徒労に終わる。進化論、遺伝学、 脳科学の最新知見から、人気作家が明かす「残酷すぎる真実」。 口に出せない、この不愉快な現実を直視せよ。
=目次= まえがき 努力は遺伝に勝てないのか 【1】遺伝にまつわる語られざるタブー 馬鹿は遺伝なのか/依存症・精神病は遺伝するのか/犯罪は遺伝するのか 〔コラム1〕遺伝率 〔コラム2〕遺伝と犯罪 − 【2】「頭がよくなる」とはどういうことか――知能のタブー 親の収入と子どもの学歴の関係は/人種とIQについてのタブー/ 差別のない平等社会をつくれないワケ/「知能格差」の真因とは 〔コラム3〕ユダヤ人はなぜ知能が高いのか 〔コラム4〕アジア系の知能と遺伝 − 【3】知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に堕ちる人 経済格差の根源は何か/超高学歴でエリート主義のスノッブたち/ 強欲な1%と善良で貧しい99%/日本社会に潜む「最貧困層」 − 【4】進化がもたらす、残酷なレイプは防げるか 犯罪は「凶暴な男」の問題/進化のために赤ん坊が殺される/ 妻殺しやレイプを誘発する残酷な真実/オランウータンもレイプする/ 夫婦間のレイプはなぜ起こるのか? 〔コラム5〕実の親と義理の親の子殺し 〔コラム6〕家庭内殺人と血縁 ー 【5】反社会的人間はどのように生まれるか こころを支配するもの/心拍数と反社会的行動の因果関係/ 犯罪者になる子ども、実業家になる子ども/「発汗しない子ども」は 良心を学習できない/「賢いサイコパス」と「愚かなサイコパス」/ 少年犯罪者や異常性欲者への驚愕の治療法/脳科学による犯罪者早期発見 システム/子どもの選別と親の免許制/非科学的な人権侵害よりも脳科学 による監視社会を 〔コラム7〕犯罪と妊婦の喫煙・飲酒 ≫ ▼ 医者は女医か、それに見合う家系の相手と結婚する。美形の看護婦との それは少ない。白馬の騎士は、生まれ育った環境から連れ出してくれ男を 言うのであって、数ランク上の相手ではない。 学生時代の不文律… オープンだが、実家の話をしないこと>。 砂場の「子供社会のルール」 社会には「平等、自由、博愛」など存在しない。その真逆なればこそ、 理念としてあるだけ。平等の代用に「公平」の言葉があるが、これも妄想。 猿と人間の境目のチンパンジーには、「公平」に対して異常なほど敏感。 なればこそ、人間に近いといえるが、人間社会は、不公平に出来ている。 それこそが残酷な現実ということ。 面白い小噺が有る… <「世の中には、金で買えないものがある」に対して、 「何さ…金額によるだけさ!」が、何とも面白い! 末期ガンで 幾ばくもない生命を考えると、さて、どうか!
・・・・・・ 5170,人生相談という気晴らし! 〜�� 2015年05月11日(月) 『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 * 「いい人」やめて、「ろくでない」になれや 母親の痴呆症と5年半の間、付合ったこともあり、相談者の切実な気持ちが 手にとるように分かる。兄弟の微妙な関係もあって、そう簡単に事は進まない。 ただ「いい人」を止めてしまうことには大賛成だが、「いい人」は簡単に止め ようがないもの。介護は、それなりの強さと覚悟が必要になる。「ろくでなし」 にも、覚悟が必要。 正常と非正常の間を彷徨う肉親との同居は重く疲れる。 ≪ Q: 〜母親の介護で、自分自身が壊れてしまいそうです!〜 私は四十五歳で、現在母親の介護をしております。母の介護をするために 仕事を辞め、現在無職です。私には、父、兄、弟がいるのですが、まったく 母の面倒をみようとしないので、男一人で母の介護をしております。 その母も痴呆が進み、モノの判断ができなくなり、外でゴミを拾ったり、 真夜中に叫んだり、私もその対応に、やり場のない疲れが溜まっております。 もういっそのこと、私も介護を放棄し、母親に早く死んでほしい気さえします。 同時に私まで気がおかしくなりそうなのです。しかし、これまで母親に世話に なったことを考えると、それも出来ません。このように思う私はやはり 「できていない」人間なのでしょうか? A: 〜「いい人」をやめて、「ろくでなし」になりなさい!〜 これも失礼ながら、いらいらする相談ですね。あなたは、私の嫌いな 「いい人」なんですね。これまた細かい事情はわからないのですが、真剣に 考えれば社会的にはいろいろ道は開けると思います。お母さんには息子が三人も いるのですから、三人でお金を出し合って、介護士を雇う、老人ホームに預ける 等々。(お父さんはともかく)ご兄弟がそれに協力しないのなら、あなたが介護を 続ける代わりに、彼らにあなたの心的・肉体的負担相応のお金を請求してもいい でしょう。お二人がそれさえ拒否するなら、その原因は二つ考えられます。 一つは、あなたのご兄弟が「ろくでなし」だということ、もう一つは、あなたが 「いい人」という名の「困った人」だということ。「ろくでなし」と「いい人」 が共存すると、だいたいいまのあなたのような状況に陥ります。「ろくでなし」 は、「いい人」を骨の髄まで利用し続け、「いい人」は全身不満の塊になって 恨み続けるというわけです。一般に、人がある限度を超えて耐えるとき、碌な 結果を呼ばない。だから、なるべく避けたほうがいいのです。・・(略) あなたがお母さんを(間接的にでも)殺さないうちに、あるいはあなた自身が 「気がおかしく」ならないうちに、あなたは大変身する必要がある。つまり、 「いい人」をやめて、ご兄弟と同じように「ろくでなし」になることです。 そこで、私の提言はただ一つ。一度みんなを集めて、「俺だけおふくろの面倒を 見るのはおかしい!」と大声で叫んでみてはどうでしょう。「もう介護はやめる!」 ときっぱり宣言してはどうでしょう。つべこべ理由を言う必要はない。ことの おかしさは、どんな「ろくでなし」にもわかるはずですから。一度、そういう 修羅場を経由しなければ、そしてみんなが全身ひりひりするほどの痛みを覚え なくては、何も変わらない。もっとも、あなたがどうしてもそうしたくない、 そういう勇気がないというのなら、仕方ないですね。お母さんが死ぬまで、 あなたは介護を続けるしかないでしょう。お母さんを恨み、ご兄弟を憎み、 そして自分を責めて生きるしかないでしょう。≫ ▼ 介護には、周囲の無理解がついて回る。「まだらボケ」が、その一つ。 第三者が居るときには、緊張が入った正常状態に近いため、痴呆症の人との 同居経験がないと、「聞くと見ると大違い」と、勘違いをしてしまう。 で、「ろくでなし」と決め付けられる。 当人は今さら何をか! 私自身を振り返ると、見えてくるのが、「ろくでない」「いやなやつ」の影。 ・・・・・・ 6630,閑話小題 〜正面衝突の可能性もあった 2019年05月11日(土) * 他人事でない事故 幼稚園児の列に右折と直進してきたオバサン2人の車が衝突、幼児の二人 が死亡した。やはり起こったかが感想。時どき、この判断で迷うことが多々ある。 2ヶ月ほど前にスポーツジムに行く途中の大通りで、右折しようとしたところ、 右折点滅をして直進してきた車があった。右折発進をしようとアクセルを踏む 瞬間だったが、何か嫌な予感がして留まったところ、その車はそのまま直進を して通り過ぎていった。アワヤの大事故になるところ。私も右折サインを出した まま、走っていることがある。ところで、こういううっかりミスに対する判断を 「自動運転車」は、どのように判断する?のだろう。 〜ネット記事から〜 ≪ 大津市の交差点で車同士が衝突し、弾みで1台が散歩中の保育園児の列に 突っ込み、2歳の2人が死亡し1人が重体、園児と保育士の計13人が重軽傷を 負った事故で、大津署が事故車両に積載されたドライブレコーダーを解析 していることが9日、同署への取材で分かった。 自動車運転処罰法違反 (過失傷害)の疑いで逮捕された大津市の新立文子容疑者(52)の乗用車が 右折しようとした際、前方の安全確認が不十分で、直進してきた同市の 下山真子さん(62)の軽乗用車にぶつかったとみられる。≫ ― ▼ 今回の事故で2人が逮捕されたが、状況をみるとドチラか一方が悪いはず? と思ったが、案の定、一人が直に釈放された。直進する運転手の判断ミスの ようだ。あの時の一瞬の勘は、何だろう? その判断で自らを助けたことに なったが、思いだすたびに震える。私の車には車載カメラがついてないため、 事故っていたら、私の判断ミスと決めつけられる可能性もあった。 40年近く前、通称『ありがとう事故』でオートバイを撥ねたことがある。 右折をしようと停車をしたところ、前の車が、停車をしてくれ、行けという 点滅をした。そこで右折をするとオートバイが、その車の左側から直進して きて衝突して転倒。人身事故ではなかったのが、不幸中の幸い。保険内で 済んだが… 運転免許の取得の期間に、平均すると重傷事故を一回起こすと いうデータがあるというが。 男女間の諍いを事故に類推すると面白い? 特に結婚生活。北欧では7割、アメリカで5割、日本は3割5分が離婚に至る。 問題は、子供に対する影響。世の中の大方の不幸は、両親の不和から起因する 性格形成で生じる歪みが多い。暴走車が人の列に突っ込むのを犯罪に例えると 何やら恐ろしくもなる。そう例える私の心象風景も問題ありますか。
・・・・・・ 6267,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −3 2018年05月11日(金) * 「わかる人はわかる」というのは本当! 過去を振り返ってみて、何度も、何故か「何か」に助けられたことがあった。 それが不思議である。母親も何時も危機になると不思議の力で助けられてきたが 口癖であった。それが幼児の頃に亡くなった父親だという。私のそれは何? ユングの集合的無意識の家族バージョン、先祖バージョンか、原子脳の働き? 確かに霊感は、その人によって、時節によって強弱がある。両親の良し悪しで 人生の大方は決まってしまう。これも運。宿命は変えられなくても運命は変え られるというが、そのためには、膨大なエネルギーの集中を要する。欧米では、 心の奥の院にアッラーの神が存在する。日本では多神教としても、その中核に、 仏教がある。太平洋戦争敗戦後、70年以上経過して、平和ボケしてしまった。 そこに情報機器の進化で、ネット社会が現実社会を覆ってしまった。神も仏も ありはしない世界が日常になった。韓国や北朝鮮を「合せ鏡」にすれば解るが、 それ以上に危ないのが日本。 《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》 ≪ …髑髏島の原住民たちがコングの人間界への侵襲を防ぐために建設した、 あの巨大な「門」を想像してもらえればよろしいかと思う。 「かんぬきと 戸がしっかり機能している場所だと、私たちは「高ぶる波」のすぐ近くまで行く ことができる。 聖人とは、「境を定め、かんぬきと戸をもって高ぶる波をおし とどめる」人のこと。 私たち全員がそのような仕事をしなければならないという わけではない。けれども、時どき、聖人が登場して、「かんぬきと戸」の点検を することは私たちが人間的秩序のうちで生きてゆくためには必須のことなのである。 私はかつてそのような仕事のことを「歩哨」(sentinelle)と呼んだことがある。 私たちの社会制度のさまざまな箇所で「ほころび」が生じている理由を私は端的に 「歩哨」の絶対数が減ったことだと思っている。 福島の原発事故は「恐るべき力」 を制御するための「かんぬきと戸」の整備と点検の仕事がほとんど配慮されて いなかったことを示した。そこには会社の収益や、マニュアル通りの業務や、 自身の組織内の立場を優先的に配慮する人間たちはいたが、「あなたの高ぶる 波はここでとどまれ」と告げる「歩哨」仕事を自分に託された召命だと思って いる人間はいなかった。 「境を守る」ことを本務とする人間を「戸」の近くに配備しなければならない という人類学的な「常識」を私たちはだいぶ前に忘れてしまった。 戦争もテロも飢餓も恐慌もない、豊かで安全な生活が半世紀続いただけで、 日本人はその常識を忘れてしまった。 私たちの生きているこの狭く、脆い世界は 「境を守るもの」たちの無言の、日常的な、献身的な努力によってかろうじて 支えられているのだということを忘れてしまった。 崩れかけたこの社会の再構築のための急務は、「歩哨」の備給である。「境」に おける歩哨のふるまいには定型的なマニュアルもガイドラインもない。もちろん、 一般的な「傾向」はあるが(それは神話や恐怖譚として繰り返し語られている)、 「存在しないもの」の侵襲はどのようなかたちをとるのかを私たちは正確には予測 できない。だから、歩哨たちには「どうふるまってよいかわからないときに、 どうふるまえばよいかがわかる」能力が必要なのである。 その「センサー」を研ぎ澄ますために経験的に効果的な方法が存在する。 宗教的な修業や武道の稽古は本来そのためのものである。 たしかに、そういうセンサーがきちんと機能している人がいる。 WTCへのテロのとき、「なんとなく外に出た方がいいような気がして」 ビルを出て難を避けた人がいた。その日に限って、「ふだんと違う行動をとって 生き延びた人」がどれくらいの数いたのか、誰かが統計を取り、その人たちに共通 する「生き方の傾向」を吟味するというのは興味深い研究主題だと私は思うが、 たぶん「非科学的」と一蹴されることだろう。でも、「わかる人はわかる」 というのはほんとうである。≫ ― ▼ <「存在しないもの」の侵襲はどのようなかたちをとるのか> ・朝鮮戦争を勃発とする三次世界大戦なのか、 ・数千、数億単位の犠牲者が出る、パンデミックか、 ・首都直下型大地震か、富士山の大爆発か、三陸沖大地震による大津波? などなど考えれば限がない。とはいえ、如何にもならないことが娑婆にはある。 「人生のデザイン」を自ら描き、それに近づく生き方をそれぞれしていけばよい。 難しいが、面白い時代でもある。 鼻歌を歌いながらスキップ? そりゃ無理? 顔が強ばり、泣き声になり、よろけながらも、人間は生抜いてきたんだから! 間違いないのは、「運の良い人は、何があってもプラスに出来る人。」 「運の悪い人は、何があっても運がない」ということ。楽天的に生き、幸運を 引寄せる生き方を心かけることですか。 周りは迷惑千万を承知の上で?
<わかからない人は、所詮はわかからない>のである。ならば… で、以下の <「いい人」やめて、「ろくでない」になれや> に… ―― 熊: せっかく、真面目に読んで来たのに… 今さら何を? 寅: 落ち落ちだよ。「わかる人はわかる」だがね、念のために。 大家: ろくでもない奴に、ろくになれと言ってもね。何だろうね。
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2020年05月10日(日)
* 10数年ぶりのノート型パソコン 3年半前にソニーのVIOをMacより切替えて以来のパソコンの購入。 ノート型なら15年ぶりになる。 4K画面(Winndows10)が特徴で,昨秋に発売された富士通の『型落ち』。 今回の配布10万円をベースにした。まずは、当分の間は、既存のPCと併用で 使うつもり。 2日、経過したが、画面が圧倒的にシャープなところと、 (Winndows10)の機能が気に入っている。3年半といえば、インテル創業者の一人、 ゴードン・ムーアが、1965年に自らの論文で唱えた「半導体の集積率は18か月で 2倍 になる」という半導体業界の経験則からすると、4〜5倍は機能アップになって いる筈だが… 実感として正しい。 4K画面の映像は4圧倒的である。 …2年半前に買い換えたTVの段差に似ている。知らない内に、何れの世界も変化 している。まずは慣れること。私には相性のよいPC選定と、使いこなしが第一歩。 次男と、知人の「テレワーク」の話を聞くが、まだ慣れてないようだ。 この2ヶ月の都市閉鎖は、結果としてネット文化を推し進めることになり、 合理的思考を進化させる。巣篭り好き人間の御隠居生活者に、何を今さら 『ステイホーム』。
・・・・・・ 6629,閑話小題 〜TV映画、感想記 2019年05月10日(金) * 『友罪』 〜TV映画、感想記 <ジャーナリストの夢を諦めて町工場で働き始めた益田は、同じ時期に入社した 鈴木と出会う。無口で影のある鈴木は周囲との交流を避けている様子だったが、 同じ年の益田とは少しずつ打ち解けていく。しかしある出来事をきっかけに、 益田は鈴木が17年前の連続児童殺傷事件の犯人なのではないかと疑いを抱く ようになり……。> そこには、他にも幾つかの深い心の傷を負った過去を持つ男たちが次々と 同時進行で現われてくる重い内容。そのどれもこれもが、そこまで深くないと しても似た経験を誰もが持っている? 少年の頃、親友への虐めを助けてやれず 死なせてしまったとか… 死に至らなくとも、何故、あの時、助けてやれな かったとかの傷を心に誰も持つ? 何だったのだろう我ながら情けない私は?… 【タクシーの運転手(佐藤浩市)は息子が交通事故で三人を殺し、家族を解体して 償いの日々を送っていた。その子供が、結婚をするのが許せない。そして、孫が 生れて幸せになることも、父親として許せない。】 等の葛藤が、次々と。 重すぎて中断を入れ、分けることでやっと見終えることが出来たが、見終えた 後は、加害者側の、苦悩と、理不尽な怒りが、透けて見えるようでなかなかの 出来栄え。10年ほど前に、突如、『少年A』がマスコミに再登場したが、それを 再現したような内容。 * 『あゝ、荒野』 〜TV映画、感想記 これと同時進行で、『あゝ、荒野 前篇・後篇』作品二本を見た。 寺山修司が 遺した唯一の兆編小説を映画化したもの。これも底辺に生きる若者 の生き様を描写したものだが、深い心の傷から血がしたたり落ちてくるような 様は鬼気迫るもの。人生、特に若者が生き場をみつけることの難しさは… 寺山はあとがきで 「この小説をモダン・ジャズの手法によって書いてみようと思っていた。」とし、 「大雑把なストーリーをコードネームとしてきめておいて、あとは全くの即興 描写で埋めていくというやり方」で書いたと記している。 有り余る時間とエネルギーが無いと、前後編通して5時間の大作は見れない。 『友罪』と同時進行で見るには、うってつけの内容だ。 〜で、これも偶然、去年の同月同日の内容の文脈に丁度、つながる。 熊、寅のタッチじゃ軽すぎるが… 犯人の家族にも過酷な人生が待っている。
・・・・・・ 6266,閑話小題 〜つれづれに ー新潟・少女殺人事件 2018年05月10日(木) * 新潟・少女殺人事件 熊: 県知事の買春事件で大騒ぎの後に、父子五頭山遭難騒ぎにつづいて全国区 ニュースが続くね。何でわざわざ、死体を線路に置いたのだろうね。 寅: バラバラにして死因を隠すためだろうか? それを目撃する快楽を味わう 快楽犯も考えられるけど、それは考えすぎ?。 白い車で、黒服の男という から、2〜3割?は、該当するからね。女児が朝、しつこく声をかけられたと いうから、何処かの監視カメラに録画されている可能性が高いし… 解決は早いだろうよ。昨年9月には、同じ小学校の女子児童が男に声を掛け られたり体を触られたりする不審者情報が3件あったというしね。 熊: 死んで何時間すると轢かれても出血しないことを、この事件で知ったけど、 犯人も知らなかったみたいだね。ということは、死因を隠したかった?と しても、殺した上に… 寅: 俺さ、北欧の刑事モノ連続ドラマに、この数年嵌っているので、こういう 異常な事件になると、色いろ思い浮ぶんだ。俺なら、阿賀野川の河口に 捨てるとか…。イギリス、北欧モノには、少年少女への暴行殺人が、結構、 多いし。としても、異常過ぎる事件だね、これは。 何も知らない子供の頃 から、異常ドラマを見て育ったら、映画と現実の境目がつかなくなっても 不思議でないさ。 大家: 情報化がもたらした、マイナスの一面ですか。全国版で、リアルタイム の犯人探しとして扱われるのだろうが… 私も、興味本位では、その一人。 マスコミにとって、犯人逮捕が遅れれば遅れるほど、視聴者の興味が膨らむ ため、有難いのだろうがね。 寅:<9月に、逮捕していれば>のそもそも論が、当然てるため、警察は必死に なるから。 9月、5月からみて、学生が考えれるね。 熊: 昨日さ、たまたま寅さんに勧められて録画していた北欧の刑事モノを見た けど、酷い内容。 その内容を思わせる事件で、何か、背筋がゾッとしたよ。
―― * 身近な野生動物は 庭に来た「雉」を考えているうちに、野生動物といえば、近所を縄張りにする カラスと早朝の川辺や、庭に飛来する野鳥か、時どき居間に侵入してくる蝙蝠と、 虫を改めて認識した。雉、鴨、鶯など渡り鳥が多いのは地方の盆地なればこそ。 野鳥は、誰の助けも借りず、仲間同士で営々と生延びている。その中で、カラス について、ここで何度かテーマにしてきた。TVでカードをかすめ取り、券売機 にさし込もうと試みる錦糸町駅のカラスのレポートを放映していた。元もとペット で飼われていたようで、肩や腕に平気で乗っかる。 私の家のペットは代々、 小鳥派で、インコ。 7代、小桜インコだったが、メキシコ黄金インコに、そして 今では、世界最小のルリハインコで、歴代で一番の7年生存で、唯一の芸、 「枝回転」を披露している。
・・・・・・ 5534,若者よ、外に出よ! ー�� 19世紀の芸術に触れろ 〜B 2016年05月10日(火) 『人生の教科書』なかにし礼著 ここで、若者に、<海外に出て、自然と、芸術作品に触れ、読書などで 教養を積み、恋愛をしろ>と勧める。これは若者だけでなく、壮年、老年に も言えること。情報化社会の中で、クラシックをジックリと聴く余裕は少ない。 しかし、今ではアイフォンがあり、何千、何万の音楽を入れておくことが可能。 更に今では、定額のネット配信で好きな音楽を好きな時間に聴くことができる。 そのベースとなる19世紀クラシック音楽鑑賞を趣味にすることを勧める。 * なぜクラシックを聴くべきなのか ≪ 芸術を学ぶ際、音楽なら、黙ってクラシックを聴くこと。いまだに クラシックは不滅の音楽なのだから、それを聴くことが趣味になれば最高だ。 たとえ趣味となり得なくても聴くべきである。 特に、やはり19世紀の音楽。18世紀にはモーツァルトがいるけど、彼の死後、 すぐベートーヴェンへ、19世紀の音楽へと繋がっていく。ベートーヴェンから 始まって、シューベルト・ショパン、ブラームス、ワーグナー、マーラー、 ブルックナー、ベルリオーズ……とにかく19世紀だ。 ロマン派の時代である19世紀は、前世紀の革命時代が終わり、 「人間は進化する」ことを人類が知った時代である。愛によって人間は死ぬ こともできるし、愛によって罪を犯すこともできる。そして「人間は進化して 神にもなれる」という思想を、芸術家たちが作品の中に叩き込んだ。 19世紀は人間の可能性のすべてを歌いきった時代なのである。 文学の世界でも、トルストイ、ドストエフスキー、バルザック・ユーゴ、 アレクサンドル・デュマ、スタンダール、ゲーテ、バイロン、シラー、ボード レール・ベルレーヌ、ランボー、オスカー・ワイルドなど、大作家が生きた 時代はすべて19世紀である。 19世紀という時代を常に自分の心の中に持っていようとするには、音楽を聴く ことを日常の習慣にしてしまうことだ。この頃の作品は、今や不滅の作品群だ。 20世紀になるとそれらはすべて別の音楽になっていってしまうし、言うなれば 19世紀の残骸のようなものだ。19世紀の音楽を楽しめなかったら、その人間の 精神生活はすごく貧弱なものになると思う。 ≫ ▼ それでは、絵画はどうだった調べてみると、 【19世紀はもっとも絵画が進化した時代と言っても過言ではない。現代絵画の 巨匠ピカソやマティス、ムンク、シャガールなど全員がその影響を受けている。 16世紀まではイタリアが、18世紀はフランスが芸術の最先端。ゴッホは19世紀 終わりの画家である。・・】とある。その背景には、国力の成熟もあるようだ。 学生時代に、安いステレオを買って、世界の民謡、ジャズ、アメリカン ポップス、クラシックを独りコーヒーを飲みながら聴くのが楽しみだった。 大都会の中の孤独は、音楽と読書でまぎらわすのが一番だったが、後から 考えてみると、大都会の中の孤独こそ、一番の環境だったことになる。 早稲田大学近くの寮、今でいう「シェアハウス」の25人の地方出の共同生活 から垣間見た人間観察と、クラブ、ゼミ、世界旅行と、恵まれた経験だった。
・・・・・・ 4437, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー7 2013年05月10日(金) ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著 * ルート6 幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道) 《 幸福になるための因子は、自己実現と成長、つながりと感謝、楽観性、他人 の目を気にしない生き方。それを満たすのは、自己を捨て、無我、無私を実現 する達人の生き方。欲にも、生死にも、他人との争いごとに拘らず、達観して 静かに生きる姿勢。ここに達成した人は、持続的至福に達することが出来る》 これが、幸福学の結論。 現在の状況を冷静にみると、 「これが人生、で、もう一度同じ人生を歩みたい」という現在の心境と同じ。 ー他人と比較しないことによる幸せこそ、人生の要諦。 その辺りよりー ≪ 幸福学とは、要するに、幸せに効く主観的な要因は何かを明らかにする研究。 その結果、僕たちの行ったアンケートの範囲では、幸福の要因は大きく 四つの因子に分けられることがわかった。 ・一つ目は、自己実現や自己能力に関する因子。目標を持っているか、直近の目標 と将来の目標に一貫性があるか、自己統制感が高いか、自尊心が高いか、など。 ・二つ目は、つながりに関する因子。他人に対して親切か、様々な出来事に 感謝しているか、多様な知人がいるか、など。 ・三つ目は、楽観因子。楽観的か、ポジティブか。 ・四つ目は、他人と自分を比べない因子。他人と自分を比較しない傾向が高いか。 ここでは、四つ目の因子に注目しよう。 すなわち、「他人と自分を比べない ことによる幸福」について。 自分を他人と比較しない人には、長続きする 幸福が訪れると考えられる。千五百人への調査結果も、それを表している。 つまり、千五百人の回答者のうち、他人と自分を比較しない傾向が強い人は 幸福である比率が高く、他人と自分を比較する 傾向が強い人は不幸である比率が高かったのだ。 自分と他人を比較しない人々には二つのタイプがあると考えられる。 他人を見ないタイプと、自分を見ないタイプだ。前者は、自分だけを見て他人 を見ないタイプ。周りのことを気にしないマイペースタイプだ。 我が道を 行くから、周りなど関係ない。場合によっては、独りよがりだったり、わがまま だったりするかもしれない。自分は幸せでも、他人には迷惑をかけている 「自分勝手」タイプかもしれない。後者の自分を見ないタイプは、逆に、 世界は見るが自分を見ないタイプ。何が欲しい、こうなりたい、などの自我の 欲求があまり強くないから、他人と自分を比べることにそもそも興味がない。 悪くいえば向上心や競争心がない。なすがまま、自然のまま、だ。 たとえば、武道の達人をイメージしてみていただきたい。茶道、華道、座禅 などでもいい。 凛として、姿勢がよい。何かあっても、動じない。静を以て 動を制す。普段は静かだが、実は相手を倒す力を秘めている。無駄に力んだり せず、相手の力をすっと利用して、自分の思いどおりに世界を動かす。しかし、 私利私欲はない。判断は大局的。全体が見えている緊張感のある空気を醸し 出すが、自分のためには怒らない。思考の対象は常に世界だ。世界のために 行動する包容力。名声を得ていたり、人望が厚かったりするが、決して自慢など しない。 もちろん、他人と自分の比較などしない。≫ ▼ どうも世の中、嫉妬と苛めの糸で哀れなほど。私住む城下町は長年の柵 で、雁字搦めの蛸壺社会。8割以上が地元出身者で占められ、それが全社会。 学校関係者以外は殆ど付き合いがないが、垣間見えてくる世界は箱庭のようで 面白い。知識を持たない人の無意識の科学は、身近の人との比較しかない。 不幸になって当然。それも私の主観による思い込み。「横を見ないで、縦 (今、ここ、自分)を見て生きる」と割切ってしまえば、良いが。 ・・・・・・ 4063, 本当は怖い抗うつ剤 ー2 2012年05月10日(木) * うつ病になったら、どうしたらいいのか。 { 浜松医科大名誉教授 高田明和 } 倒産の惨劇を身近で見ていたので、二年間は落ち込むのは避けられないと判断。 最小にするためスポーツジム通いと、打ち込める対象を加えることを考えた。 一つ間違えると欝に伴う暴発か、破滅になっていく。それがiPadとシネマと 蔵書の再読と、世界の潮流の鳥瞰などを、逆に徹底的に楽しむことであった。 それと、中村天風の「積極一貫」の思想書を、身近に置いて何度も読み返した。 二年にまだ一年あるが、一息ついた後半の方が危ないのかもしれない。 その私が予防策でとった方法がそのまま、治療法として研究されていた。 運動と、考え方、受け止め方をプラスにすることだ。 ≪ うつ病の治療法として確立しているのが「運動」である。体を動かすことが 精神によい影響を与えることは様々な研究で示されている。第二は「ものの考え方」 である。私たちは競争社会に生きている。競争とは相手に勝つことを目的とする。 もし負ければ落伍者になる。一度敗北すると、将来がないように思うのだ。 さらに大事なことは、どのような分野でも自分より勝れた人がいるという事実。 例えば野球にイチローがいて、ゴルフには石川遼がいるのと同じようなものだ。 努力は大事だが、自分が及ぼないからといって自分を責めていたら人は決して 心の幸せは得られない。・・・堀口大學は自身の『座右の銘』という詩で 「暮らしは分が大事です。気楽が何より薬です そねむ心は自分より 以外の ものは傷つけぬ」と詠んでいる。自分以外とは社会的ランクのことである。 今の自分のランクを受け入れ、それでよいのだとする以外に心は楽にならない。 禅では「不思善 不思悪」といって、思い出さないことをもって最も尊いとする。 といって、無理のことなら、思い浮かんだら、しばらく放っておいて手を出すな、 必ずその思いは消えると、禅では教えている。 実際に、どのような思いも 5秒で消える。・・・ ≫ ▼ 「どんな思いも5秒で消える」は、言いえて妙である。出るのは仕方が ないが、なるべく、そこで切るように心がければよい。全ては二年で落着くし、 目先は五秒のフラッシュで出てきた思いの延長を考えないこと。特に寝付けない 布団の中での苦悩の嵐は、訓練で最小にすることが可能。 そのためにiPod を枕元に置いている。最近は、ほとんど夜半、使うことはないが、音楽は効く。
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2020年05月09日(土)
* 第一ラウンドが終わり 現時点では、新型コロナの感染から如何に身を守るかがメインテーマだった。 そして、その第二ラウンドに入ろうとしている。 まだ10万円の配布と、休業 保証の支払いあるため、何とか遣り繰りしている状態。しかし休業補償の対象店 も客足が戻るでなし、1〜3割まで減った売上が、2分1〜3分2まで戻ったら良しと しなくてはならないが、根こそぎの業態変更で対処しないと… それが可能か どうか? 〜現在、通ってるスポーツジムのケースをみると… 元に戻るに、最低、2〜3年の時間が必要? インストラクターを観ると、 殆どフリーランスのパート。 学生時代、体育会系所属だった子育て中の女子。 9年前の開店時のスタッフは、ヨガの先生がただ一人だけが生き残っているだけ。 私の見立ては、あと二年の存続は5分5分。いやもっと低いか? 客筋ターゲットが、‘フレンドリーで、ジム通いの初心者向け!’会員を如何に 引き留めるか。この辺りの問題は全ての業種に言える。としても、この応用問題 は厳しい。先日のTVで、廃業を決意した事業主が「こころが折れてしまった!」 と無念を滲ませて語っていたが… 何をか言わん。 ― * そして第二ラウンドへ ・小泉内閣や橋本内閣で内閣総理大臣補佐官を務めた岡本行夫氏が、新型コロナ ウイルスに感染し亡くなっていたにも驚き。大型連休中の高速道路 10キロ以上 の渋滞なし 死亡事故もゼロという。居場所失い路上生活のインタビューも深刻。 雪崩れをうったような失業問題が押し寄せてくる。隠れテーマが、3密を象徴した 都市問題がある。「3密を拡大し、濃密にして合理的にしましょうよ」が、根底 から否定されるのだから、堪ったものではない。 3%人種にとっては、大した ことはないが… それ以外の97%の平民にとって大問題。アメリカ並みの露骨な 格差問題が、そこに見え隠れする。 数年後の社会の姿は、「3、30,67%」が、 「1、9、90%」に移動する変動現象になるのでは? 何処まで続く…? イメージとして20〜30ラウンドでは、いやもっとですか。 次は世界恐慌? 第三次世界大戦? 細菌対細胞との生き残りをかけた最終決戦?
・・・・・・ 6628,読書日記 〜『無知の科学』だってさ! −4 2019年05月09日(木) <『知ってるつもり――無知の科学』 スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)> * 知識の錯覚 「私たちは嘘をいきている」 読むほどに、実は思いの外、私たちは無知であることに気づかされる。 それを学生時代に知り得たため、読書習慣を自らに課してきた。で、この程度。 しかし、情報機器の進化は、人間の脳の能力を遥かに凌ぐようになった現在、 逆に自らの「知っているつもり」を認めて、謙虚にへり下る態度も必要か!
〜 以下は要約した個所である。 ≪ 私たちは驚くほど無知であること、自分で思うより無知であることを 見てきた。また世界が複雑であること、私たちがみるより、遥かに複雑である ことを見てきた。ならばなぜ、これほど無知な私たちが世界に圧倒されないか? 知るべきことのほんの一端しか理解してないのに、まっとうな生活を送り、 分ったような口をきき、自らを信じることができるのか。 それは私たちが「嘘」を生きているからだ。物事の仕組に対する自らの知識を 過大評価をし、本当は知らないくせに、ものごとを理解していると思い込んで、 生活をしていることで、世界の複雑さを無視しているのである。実際にそうで ないにもかかわらず、自分には何が起きているかわかっている、自分の意見は 知識に裏付けられた正当なものであり、行動は正当な信念に依拠したものである と自らに言い聞かせる。複雑さを認識できないがゆえに、それに耐えることが できるのだ。これが知識の錯覚である。 大人になるにつれて、探求を止めて しまったことが、物事が複雑であることを忘れてしまったことに起因している のかもしれない。「その先は、実は知っているが…」と、空白をつくるが、 実は、その中には何も入ってない。まず自らを誤魔化すことが、人間の甘さ。≫ ― ▼ そこでスマートフォンなるものが普及してきた。これを活用すると、凡人が 天才の能力に近い人種にスケールアップすることができる。 世界中の脳が ネットで繋がり現実社会を覆ってしまった。このお陰で、逆に何も知らなくても、 超小型pcに音声入力で検索すると、世界中の脳に繋がり、ベスト・アンサーの 情報が入手可能になったのである。 それが逆に、『知っているつもり』の 無知人間に陥ってしまう危険性が大きくなった。自分の縁る基地の軟弱化である。 このブログを例にとると、外部脳と、自分脳とが、何時の間にかシースルー化 している。過去に書いた、文章を現在の私が読むと、その内容自体が、外部脳 と自分の脳の混合でしかないことに気づく。それをまた外部脳が読んでいる。 フワフワした脳を公衆に晒すことを継続することで、自らを変えているつもり だが、そう甘くはない。私たちは「共同幻想」の世界に生きている。幻想という 嘘の世界に生きているが、誰も、そのことに気づいていない。その事実を話すと 変人扱いされるため、知っている風をして黙っているしかない。しかし、誰もが、 スマートフォンを手に入れ、情報基地を持ってしまい、知ったつもりの人間が、 互いに繋がってしまった。無知同士が互いに繋がると如何なる? この世界的 動乱が、この結果である。 ランドアーという科学者は、1980年代に、コンピュータサイズを測るのと 同じ尺度で人間の記憶量を評価することを思いたった。現時点で評価すると、 ノートパソコン一台には長期保存用として250〜500ギガバイトのメモリーが ついているが、0・5ギガバイトだと。 人生70年の間に、一定速度で、学習を 続けるとしても1ギガバイトである。これが10倍としても、大して変わりはしない 微々たる量でしかない。これは、あくまで記憶量の問題で、脳は複雑で、PCの 記憶媒体の質量とは比較できないが… それでも、昨今の情報機器の進化をみる につけて、人間の脳は、進化する情報機器を前に、その限界がみえてくる。 …としても、この情報機器の進化と、情報革命の諸現象は、あまりに面白い! 知ったかぶりね、知ったかぶりですか。情報化とは、浅くも深くにもなる、 その人の程度によって… 猿でないのに何でまた、掴んだまま手を離さない?
追:偶然だが、一年前の内容が丁度良く、文脈でつながる… ・・・・・・ 6265,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −2 2018年05月09日(水) 《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》 * 歩哨的資質ですか! 聖地や秘境との邂逅の場で、何やしらかが、「これ以上、立入るな!」と 無言の得体のしれない何かを感じたこと屡々。その時々に私の知っていること など、ほんの僅かで、圧倒的未知の世界の一部から得る啓示に慄然とする。 <「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまい> とは、分かりやすい表現である。人間は未知とのフロントを守護する歩哨ですか。 考えさせられる内容のため、全文を数回に分け紹介しながら考えていく。 ――
≪毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。 「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出した ものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで 70分お話しする。 このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」の フロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。
私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。 宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか (というより「何がないか」)も知らない。 時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。 『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。
「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 あなたは知っているか。 だれがその大きさを定め、 だれが測りなわをその上に張ったかを。 その台座は何の上にはめこまれたか。 その隅の石はだれが据えたか。 (・・・) あなたは海の源まで行ったことがあるのか。 深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。 死の門があなたの前に現れたことがあるのか。 あなたは死の陰の門を見たことがあるのか。 あなたは地の広さを見きわめたことがあるのか。 そのすべてを知っているなら、告げてみよ。」(『ヨブ記』38:3−18) ヨブはこの問いの前に絶句する。
私たちは私たちの生きているこの世界の「外部」についてほとんど何も知らない。 私たちは私たちの手持ちの度量衡では考量できないもの、手持ちの言語では 記述できないものに囲繞されている。 私たちが理解できる世界と、理解を超えた世界のあいだには目に見えない境界線 がある。 「存在するもの」と「存在しないもの」のあいだには目に見えない、 手で触れることもできない境界線がある。けれども、その境界線を守護するのは、 私たちが「人間の世界」で生きてゆくために必須の仕事なのである。 誰かが境界線を守護しなければならない。 『ヨブ記』においては主がその仕事を担っている。 主はこう言う。
「海がふき出て、胎内から流れ出たとき、 だれが戸でこれを閉じ込めたか。 (・・・)わたしはこれをくぎって境を定め、 かんぬきと戸を設けて、言った。 『ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。 あなたの高ぶる波はここでとどまれ』と。」 (『ヨブ記』38:8−11)
「存在しないもの」に向けて「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上は いけない」と宣告する境界線がある。 高野山の奥の院に足を踏み入れたときにも 「フロントライン」に近づいた感覚がした。 弘法大師がそこでとどめた「高ぶる波」の微かな波動が感知された。 聖域というのは、そこで完結している場所ではなく、何かとの「境」なのだ。 機能的には「かんぬきと戸」なのだ。 〜つづく ≫ ― ▼ カナダに初めて行って、ロッキーの景観に圧倒され自失茫然とした。 その時の内なる声、「もしかして、これを見ずして死ぬところだった! とんでもない! 夜半8時過ぎの薄暮のなか、バンフのレイクルイーズの周辺を家内と散策した 時のこと。家内が疲れ果て帰った後、更に独りで湖畔を歩いていると、何やしら リスやカワウソ、ビーバー、鹿?などが威嚇する鳴き声。それでも女性一人が、 次々と帰ってくるのに励まされ歩いていると、今度は雷音が、「もう帰れ!と 言わんとばかりに聞こえてきたため、Uターンをして帰った。 世界的カーレーサーの明言、『限界までは誰でも行ける。問題は、その先、 どの位行けるか!』。 イスラエル、ケニア・タンザニア、シリア・ヨルダン など秘境、異郷ツアーで味わうのは、その歩哨の感動体験の感覚。 <これらを見ずして、誰が死ねようか。見なければ、体験しなければ、それは 存在しないことと同じ。聖域とは、聖地とは、大自然の懐とは、そういうところ!>
追:【そんなことこそ大変だろうが、拘ることもないさ。中心を穴が空くほど 凝視して、捨身になれば、一瞬でも解放されるよ、自分という柵から! 折角、宇宙の彼方から観光旅行で、『光』を見に来たのだから。 縛ってるのは自分以外、誰も居ないよ。 分かってはいないのは私自身。】
・・・・・・ 「読書日記・映画鑑賞日記」のコーナー 2007/05/11 2229, 人生張っています −2 (σ・з・)σオハYO!! 『人生張ってます』−読書日記 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い! ーー さすがの中村うさぎも、毒気を抜かれて「まだまだ、うさぎは青かった」と。 「私はそれなりに地雷を踏んできたなと思っていたが、世の中には私の 踏んでない地雷がいっぱいあるものだと、勉強になりました」と脱帽。
30歳前後位で、女はみんな迷ったり模索するじゃないですか。 その時に暴走しちゃったらするんだと思うんですね。 私の買い物もそうかもしれない。 5人の場合も折り合いがついてないのかもしれないが、 「私はこっちの道を行くと決めた」というのがあって。 こんな人にはなってはいけない。
「あなたはあなたなりの道が用意されているわけで、それはあなた自身が決め ないといけないんだ」ってこと。誰かから決めてもらって押し上げてもらって 押し上げられた人は誰もいない。ある程度のところで決断して、捨てるものは捨て、 受け入れるところは受け入れて、自分の売りとか生きていくキャラの方向性を 決めないと。「これが私なんだ、こんな私はどうよ?」という腹のすわり方は、 読者も見習ってほしい。
私のそういう瞬間は、第一次、第二次があるとして、第一次は離婚でしょうね。 あの旦那をわたしの人生から簀巻きにして放り出したところで、これでいいや と思ったんです。それから浪費癖ですね。開き直ったんです。 「浪費作家・中村うさぎ」という名が売れるとは、想像もしてなかった。 ドン底にはまった時に、そのドン底がネタになるんですね。 ネタにしようとやっているわけではない。 ーー 解)以上であるが、冷静かつ真面目に彼女等と自分を見据えている。 それよりも、すざましいウンコ話をパソコンに打っている自分が面白い? 秘境旅行は、一度の旅行に一通りの人生のトラブルが圧縮して立ちふさがる。 その一つが『デモノ・ハレモノところきらわず』である。
食事と飲み物と、時差の関係で、何時何処で、もようしてくるかわからない。 今まで、一度も失敗が無かった方が奇跡である位、何度も危機一髪の事態に陥る。 そんなことを恐れていたら、秘境旅行などできやしない。何とかなるものである? だから、このエゲツナイ話が身に沁みるのである。 書き写すかどうか迷ったが、今さらである。 読まない方が良いですよ!と 言いながら・・・
こういう話は、タブーなのだろうが、この本は誰もが嬉々として 話しているところが怖い!ところだ。 ー内容は、明日のお楽しみ?に! 三人分の対談者の内容を書き写してある! ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё
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