堀井On-Line



6994,閑話小題 〜100歳まで生きる気の貴君に

2020年05月08日(金)

   * 長生きすれば、良いってものじゃない
◉ 去年の秋口から、何かしら急速に老いを感じるようになった。
老いを感じたのは、還暦を過ぎた頃から… さらに年々の老化を意識しだした
のが自宅から長岡駅までの歩き。 10数分で、腰の鈍痛が我慢できないほど。
スポーツジムに週4〜5回も通って、これである。年齢を重ねると「わくわく感、
ドキドキ感」が低くなるというが、映画も、秘・異郷先も、これだけは衰えない。
それと好奇心、感動、感激の心も然り。
 人生の良いとこは、60歳というが、私は75歳のようだ。それも、あと8ヶ月
で終わるが、10年程前から75歳が寿命と公言してきたが、あと5年は生きそう。
我ながら誤算である。 …しかし、その年齢を死期と設定したお陰か、
「より世界を広げ、より深く見てやろう!」と、世界観が変わっていた。
肉体的な老いを感じても、精神まで老いる必要はない。

◉ 21世紀に入って、いや20世紀末から、ソ連邦の崩壊と、情報機器の進化と、
それに伴うネット社会の到来を起因とする社会変動が生じている。 現在は、
「パンデミック」である。まさか、一時的にしろ世界中が国境閉鎖の事態。
これも生きていればこそ経験できる歴史的事態である。
 
◉ 100歳まで生きようとする貴君へ。
・115歳が学者が言っている限界で、一番、長生きだったのが、122歳5ヶ月。
その次が119歳。115歳以上も生きた人は、世界中に50人にも満たない。
世界に76億の人口がいるが、115歳以上は、3人だけ。その内の2人が日本人。
しかし、現時点の100歳以上が7万人も存在するというから、周りは大変だ!
その上に、老化に対する医療も進んでいるため、先々、無制限で長寿社会化が
すすむ。あとは認知症の問題。90歳以上になると、6〜8割が、これになる。
それに寝たきりを考えると、やはり現在の平均年齢が、死に時だろう。
そう思って気楽に生きた方が楽だよ、きっと。 …なるようになる!

・・・・・・
6627,読書日記 〜『無知の科学』だって! −3
2019年05月08日(水)
    <『知ってるつもり――無知の科学』
       スティーブン スローマン, フィリップ ファーンバック(著)>
   * 恐ろしいかな無知
・人生を長く生きてきて振返り思うことは、『無知』の恐ろしさ。それでも、
 何とか切抜けることがことが出来たのは、?? 著者が言いたいことは、
<人類は無知である、ということでなく、人間は自分で思っているより無知で
ある、ということ。私たちは多かれ少なかれ、「知識の錯覚」、実際には僅かな
理解しかしてないのに、物事の仕組を理解しているという錯覚を抱くこと。>
 会社の清算の決断と手順に入った時、幼児の頃から、両親から見聞きしてきた
ことと、そのプロセスから見えてきた差異から見えてきた生々しい現実。

・8年前になるが、新潟駅前の5つの物件が、一年以内で売却先が決まり清算が
 終了したが、これは奇跡中の奇跡。先日のモーニングショーで鬼怒川温泉の
倒産、放置されたままの3棟の廃墟ホテルの実態をレポートしていた。経営者は
夜逃げ、その後の処分が出来ないまま放置。私の最悪の事態の想定が、これ?

・当然のことだが、多くは、自分が実際には何も知らないということを知らない。
我々が話す殆どは、抽象的知識に頼って、それを、勝手に繋ぎ合わせているに
すぎない。社会の大部分は、錯覚した知識の中で生きているのが現実である。
性欲過剰?の恋愛感情をみれば、知識と情感に置換えてみると解りやすい。
刷り込まれた思い込みを互いに重ねて熱でブレてしまうが、熱から覚めれば、
「誤解から理解」になり、ハイ、さようなら! 殆どのことは、わかっている
という感覚に過ぎない。
 ―
   * 思考の目的は何か?
 思考の目的は、「行動」であると… 特定の状況に応じた行動を選ぶための
最適なツールは、情報処理をする知的能力である。そこで記憶が過去の最適な
因果関係を直感し、因果関係を察知する思考が出てくる。この能力がありながら
何ゆえに、世界の仕組の察知に疎いのか。それは…誰かが、情報を発すると、
それ以外のことが本質以外のことは忘れる。無意識が除去するためである。
我々の知性は、個別のモノや上京について詳細な情報を得るように出来てない。
新たなモノや状況に対応すれば、個別具体的な詳細情報より、大元にある規則性
だけを理解していればよい。その一例は映画の観劇で理解できる。大筋は記憶
出来ても、具体的な映像の殆どは、消え去っている。だから二回目、三回目の
方が遥かに面白く感じるのは当然である。
 ―
   * 知識の集合知
 自分の頭のなかにある限られた知識と、因果関係の推論のみに頼っていたら、
それほど優れた思考は生み出せないはず。人類が成功を収めてきたカギは、
知識に囲まれた世界に生きていることにある。今やネット社会。そこで、
「検索」で、地球上のあらゆる蓄積されてきた情報が気軽に入手可能になった。
そこで問題になるのは、自分と、以外の頭のシームレス。これで、何でも
「知っているつもり」になってしまう。毎日、拙い頭の中を公開している。
シームレスなればこその+−が、そこにある。

 ―
▼ としても、万人がスマフォを携帯している時代。クイズ王などで東大、
 京大の若者が、思いもよらいな難しい問題をすらすらと解いている。
そこに凡人がスマートフォンを持って、自由に使わせたら、同等か、それ以上の
脳力を発揮できる。そうこう考えると、この情報革命は生命誕生以来の大変革期
にあるというのも決してオーバーでない。そして、互いの脳の間が、シームレス化
していくのも実感する。知ったつもりを凝視し、まず量を熟し、質を高めること。
〈 ある人が、アメリカに行ったいいが、営業をしようにも英会話すらままなら
ないまま途方に暮れて涙をしていた時、近づいてきた老人が、その訳を聞き、
翌日から、そこで英会話のレッスンをしてくれた時の約束が…
「わかったふりをするな!」である。 『何にも知らないくせに!』 何をまた。

・・・・・・
6264,閑話小題 〜世間話のでき方 −2
2018年05月08日(火)
   * 世間教のおバカは自分のこと
 前に、「世間話のでき方」のテーマを思い立ち書いた。また「世間様」の
批判だが、前回の文脈からして如何に、風評が言い伝わるうちに、歪められるか、
物語として書換えられるかの恰好の事例になった。
・まず自分の話からして、都合よく脚色をつける。
 <修理後に、カツ屋に行こうと信号を渡って店に入いろうとしたらパトカーの
サイレンが聞こえてきた。まさか違うだろうと思いつつ、カツ丼を注文したが、
何か気になるため、帰り道は、万一と考え、大通りを避けて帰ってきた。帰りの
道すがら、万引きをして追われる男の気持ちとは、こんなものか?」が修正がある。
少し難しい話になるが、カントの「もの自体」の説明になる。主観が入るため、
描写そのものが無理。主観という歪みが入るのである。世間話なら、ほぼ嘘が
拡大する。この文章も私の歪んだ主観で折角の情報を面白おかしく歪んでいる。
その歪みを上から、下から目線で楽しんでこそ、面白みが倍増する。
・家内の一時停止違反の話を聞いて、脚色して話を面白くしたのを、家内が
間抜けな亭主がパトカーに追われてカツ屋に逃げ込んだ話に脚色。それが伝わる
うちに、警察に捕まり、連行されミッチリ絞られ…に発展していく。世間様とは、
そういう世界の人達をいう。これが世間教徒の姿と私の歪みを白状する。
・幼児の頃から、両親の会話の中に、その正体「全部、嘘かデマカシ」を知って
いたが、黙るしかなかった。(実はこれも脚色)。18歳から30歳近くまで地元を
離れ、34歳から新潟駅前で事業を始めて31年、職住を分けて、可能な限り同級生
以外に近づかないことを旨にしていた。これも歪み。先年に亡くなった親戚に、
半径500m、直径1kの人(世界各地のほぼ大部分になるが)、小さな小池の現実
に嵌って?生涯独身だった(これも私の歪み)。それぞれの歪みが自分になる。
カントではないが、それぞれが分厚い色付きの歪んだサングラスをかけて、身近
な人の風評をなぞって一生を終えるのが人生。 その歪みを少しでも自覚する
ため人は旅をし、読書をし、自然に接し続けなければ生きている甲斐がない。

――――
5532,若者よ、外に出よ! ー�� 天空のショー
2016年05月08日(日)
                『人生の教科書』なかにし礼著
   * 天空のショー
 人間わざ、大自然、そして宇宙へと、対象が一つずつ、ランクアップする。
自然現象、宇宙のテーマは、『人生の教科書』にはない、私の経験の話題になる。
 オーロラは太陽系の天空のショーで、地球上の自然現象ではない。だから、
その神秘な輝きに何か得体の知れない現象が感動を呼ぶ。テーマが、
「地球は」から、「宇宙は」に変る。 〜ネット検索によると〜
《 天体の無数の星星の間に輝くオーロラは、太陽から大気圏内へ、光や熱
 だけでなく、太陽風を降り注いでいる現象。この太陽風は、太陽の表面の
爆発によって放出されるプラズマ状の電気を帯びた小さな粒でできている。
この太陽風の粒は、地球の磁場を横切ることができない特性を持っていて、
地球の側面からは入ってくることはできない。それに対し、地球の北極や南極
の辺りの磁力線は地球に対して垂直になっているため、太陽風の粒は、地球に
入ることができる。こうして地球に入ってきた太陽風の粒が、オーロラを発生
させることになる。この極地方から入ってきた太陽風の粒が、地球から100〜
400Kmのところで、酸素原子や窒素分子などと衝突すると、光を出す。
これがオーロラの正体である。》 
 北極近くの天空をキャンパスにした神秘的な光のウネリは、気ままに姿を
現したり、消えたりする。その魅力は、映像では知ることは出来ない。
外に出続けた結果、出会えたのが、これである。〜10数年前の文章をコピー
――――
2003/10/14
923, アイスランド旅行記ー3
   2003年10月14日(火)
ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラ
がカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが
無かった。夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。

 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。
 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。

 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」話しかけてきた。
「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。
 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
――――
H1201自然の神秘
−オーロラ−
旅行に行く度にツアー仲間よりオーロラのすばらしさを聞いて、機会を待って
いた。「この冬が十一年に一回のあたり年で五泊六日・三食付、十四万九千円」
の新聞広告に引きつけられ、ノルウェーのトロムソのオーロラ・ツアーに参加。
スカンジナビア半島の北極圏に位置した、北海道を思わせる質素だが、
豊かな上品な街というのが第一印象であった。丁度クリスマスのシーズンに入り、
それぞれの家が電飾で飾られておりお伽噺に出てくるような街並みであった。
トナカイにソリとサンタクロースがぴったりマッチするような絵画的景色であった。
帰りに一泊二日でデンマークのコペンハーゲンに立ち寄ったが、街中がネオンで
飾りたてられており、ディズニーランドを思わせるこの世とは思われない
“夢の国”という印象であった。特にチボリ公園の電飾が印象的であった。

トロムソに近づいた機中より見た、天空を背景にしたカーテン状の白いオーロラが
一番初めに見たそれであった。最終日の夜半三時よりみたオーロラも青色、ミカン色
と自然がおりなす天空色彩ショーであった。オーロラも必ず見れるという訳にいかず、
3〜4回来ても見れない人もいるという。一生に一回は見ておくべき自然のパノラマ
であった。             (H11.12.10〜12.15)
・・・・・・
写真
https://retrip.jp/articles/10962/
http://keiki-porori.com/archives/7892
http://4travel.jp/travelogue/10633722

録画
https://www.youtube.com/watch?v=lBiB6a9ERa0

・・・・・・
4435, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −5
2013年05月08日(水)
 * ルート4:主観的時間は幻想だと理解する道    
      ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
   ーまずは、この概要を主観的にまとめてみる。ー
≪ 客観的な「今」と主観的な「今」の違いからみると、客観的時間は、時間が
 一定速度で進むという前提に基づいている。 時間を秒、分、時間、日、月、
年、10年、世紀といった絶対尺度で捉えるから、そのような結論になる。
客観時間は、一定速度で進む。それは、人がそのように定義したからに過ぎない。
しかし、主観時間は、そのように捉えるべきものでない。主観的時間を考えるに、
「今」を考えてみよう。「今」は、客観的には時間軸のある一点である。
客観的な今は時間の幅を持たない。どんなに短くても、時間が幅を持ってたら、
それは今でなく、過去と未来になってしまう。今とは、それが千分の一秒前と、
千分の一秒後の間が、今になってしまう。 千分の一などどうでもよいと思い
がちだが、数学や物理の世界ではそれを認めない。ということは客観的今とは
時間幅を持たない。 では、主観的な今とは何か。「クオリアとして知情意を
感じている、この今とは何か?」と問う以上、主観的な今は時間の幅を持って
いると考えるべきだ。ここに、時間的幅を持たない客観的な今と、時間幅を持つ
主観的今。両者の定義は異なる・・ 私たちの心は、「今」しか考えられない。
過去を思い出したり、未来を想像できるが、それらを行うのも「今」だ。
私たち人間には、過去も未来もない。実は現在もない。過去を思い出せるが、
エピソード記憶に残っていることを思い出しているに過ぎない。過去はクオリア
ではない。単なる記憶だ。その過去の体験のクオリアに戻ることは出来ない。
人間には「今」しかないのだ。・・・ 僕たちは「今しか感じられない機械」。
今と、生まれてから今までと、今から死ぬまでが、あなたにとってのすべての
時間なのだ。それだけだ。 主観的時間には、「死」なんてない。死ぬ瞬間は、
もはや主観的な「今」はない。死の直前には「今」を感じられるが、それは
死の瞬間ではない。主観的には死はないのだ。生まれる前は主観的には生まれて
いなかったのだから当然、時間は流れていなかったのだ。主観的な過去の時間は
過去にさかのぼるほど圧縮され、ついには物心ついたとき以前の時間は完全に
つぶれゼロになると考えるべきだ。未来も、先に行くほど圧縮される。
物心ついたときより前の時間がぺしゃんこにつぶれてゼロだったように、いつか
死んだ後の時間もぺしゃんこのゼロだ。・・ つまり自分が死んだ後の無限の
時間、という想定も、過去と同様、見直すべきだ。そんなのは無いのである。≫
▼ 当たり前のことを論じているが、これが自覚できないのが人間。
 過去も未来もゼロ、現在も幻想。ただクオリアがあるだけ。「自分が死んだ
後も世界は無限に続く」ということが、間違いである。死ぬと同時に今も、過去
も未来も、ゼロに潰れる。「今」しかないのに、過去や未来にこだわる人間は
奇妙な生きもの。過去は記憶に過ぎなく、未来は予測に過ぎない。ならば可能な
限り、嫌なことを忘れ、良いことを繰り返して思い出すよう努め、今だけを
考えること。所詮、未来も、過去もない。それで良いのだと。亡くなった両親を
考えてみると、その道理が理解できる。死んだ後の時間はペチャンコに潰れている。
クオリヤを感じている今こそ、生きているのである。だったら、私たちも、
この「今」を生きるべきである。主観的時間が幻想としてもである。今しか
活き活き生きることが出来ないのである。ケセラセラと今を活き切るしかない。
・・・・・・
4061, 我事に於て後悔せず
2012年05月08日(火)
 * 我事に於て後悔せず。  宮本武蔵「五輪書』より   
         ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
この本で著者は、五輪書の武蔵の「我事に於いて後悔せず」を取り上げている。
一流のプロなら、引退後の後悔などせぬはず。 後悔するのは腐った?
のような人物がするもの。 ー以下の部分は、その辺りを微妙に書いてある。
≪ これをふつうは「われ事に於て後悔せず」と読む。 小林秀雄は「わが事に
於て」と読むほうがよかろうと言っていて、その意は、「その日その日が自己
批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会ふ事はない。
別な道が吃度あるのだ、自分といふ本体に出会ふ道があるのだ。後悔などといふ
お目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を武蔵は
語ってゐるのである」(小林秀雄『私の人生観』)と説明している。自分の過去の
行動についてあとから、あれは間違っていた、などとそのたびに後悔するよう
では、後悔というものを受け入れるようでは、ひとは本当の自己に出会うことは
できぬ、というのだ。 小林秀雄は武蔵の言葉をかりてつまりはそれが言いた
かったのだが、このことは今ぼくらの考えている「自己への忠誠」にあてはまる。
◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロ
だと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」これぞ言葉の中の
言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくは
ほかに知らない。武蔵の箴言はいささか道学者くさいが、ここには自己であること
の純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたる言葉。
◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。
 公爵夫人の性格には二つの特徴があった。彼女は一度欲したことは
 あくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。
◎ ー彼女は偶然にまかせ、そのときどきの快楽のために行動してきた。
 しかしどんな行動に身を委ねる場合でも、断乎として行なった。あとで冷静に
 返っても、けっして自分を非難しなかった。まして後悔しなかった。自己に
 たいする忠誠とはかくのごときものであるかと若い日に讃嘆させられて以来、
 これらの言葉はそのときどきにつねにある内耳器官のごときものとなって、
 ぼくを導いてきた小説の主人公ではないか、とバカにしてはいけない。 ≫ 
▼ 小林秀雄に「無私の精神」という文章がある。実践家は、自我を押し通す人
 と思いがちだが、実は無私の人である。彼は無私に徹しなければ物事は成就
しないことを知っている。極限に立ってきた人は後悔などしない。そこで自分を
押し殺し、己を抑えるほど物事は大きく成就してきたことを知っているから
だ。  
後悔は、実践の中では後々、害になることもである。


6993.閑話小題  〜何が起きているのか? 

2020年05月07日(木)


   * いま、地球上で何が起きてしまったか?
◉ パンデミックが起こり、これまでの当り前の日常が、突然、消え、
 僅か3ヶ月で世界が一変した。
・スポーツジムは閉鎖され、月に一度のシネマの映画観賞も消えた。
・早朝の信濃川の土手へのチャリ周遊も、土手から人影が激減。
 道を行き交う人達の顔は引きつり… 
・この30数年間、地元の中学校の同期会が年に3〜4回、定期的に駅周辺の
居酒屋で開催されてきたが、このパンデミックもあって、一切、連絡なし。

◉ パンデミック対応で、まず3密を避けよ!と言うが、これでは殆どの商売に
 とっての存在価値の否定になる。都会生活は、ビル群が合理的に3密に集約
されたもの。スナック、居酒屋、図書館、美術館、駅と駅周辺。満員電車で
揺られ大規模ビルなどに会社員や、テナントの一員として集合し、定刻後には、
郊外の我家に帰っていく。 …時に途中の居酒屋に仲間と集い、その繰り返しが
都会生活になる。国民の半数以上が都会に住み、似たような生活の繰返す…
 …そのベースが、危険と根底から否定されたのである。

◉ 私も先駆けの団塊世代の一部で、何とか年金生活に入ることが出来た。
 その次の世代にとって、このパンデミックは、欧米的生活様式の全面的否定
そのもの。それなりの生活パターンが、これからは、成立しようがなくなった。
ビルを例えにすると、地下街から2階のサービス街の殆どが使用不能になって
いまったようなもの。それを結ぶ、交通網も使用不可。何処の商業地も、店も
シャッターが閉まったまま。

◉ この一連で流れで、何処の国家に+になったか? コロナ菌には何故か?
 二種類あって、軽い菌を感染源の武漢に発生させて閉鎖。強い方はイタリア、
フランス、スペイン経由、アメリカとくれば… 確たる証拠もないとなれば、
同じことをアメリカは敵対国にするのが道理。一つ間違えると、全面戦争に
なる可能性を含む。しかしロシア陰謀説も、アメリカ陰謀説も、製薬会社の
利益誘導説も、成り立つため問題は複雑。韓国による選挙対策も、 
 <春節の時期が時期だけに… 解っていて中国が隠蔽したのでは?>が、
現在のアメリカの主張。…想像を絶する世界が、存在するのだろうが。
トランプも、安倍首相も、初動をミスったことは致命的なことは確か! 

・・・・・・
6626,読書日記 〜『無知の科学』だって! −2
2019年05月07日(火)
   < 『知ってるつもり――無知の科学』
       スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)>
    * そもそも、このテーマ日記からして…
 このテーマ日記こそ、内容を理解したかどうか怪しいもの。書上げた同時に
気持ちは翌日のテーマと、過去の10数年分の文章に気持ちが移動する。それでも、
翌日、当て字間違い字がないかチェックを入れるが、そこまで。
 <人間の行為の中で、交尾以上に素晴らしいことはない> という言葉が
あったが、これ、「知っていたつもりが、実は知らなかった?」のでは?
それなら、若い時分に、もっともっと?多様に交尾していたらというと、責任と、
体裁が邪魔をして、制御をしてきたのは、後悔、先に立たず? そうでもないか?  
などが頭をよぎる。「後悔には、してしまった後悔と、しなかった後悔がある」
というが、「一線?を、爪先で踏みとどまった我慢」があればこそ、大いなる
失敗をしなかった事が大半だろう。人生とは、情念の我慢と、後悔と、逆に
達成の織りなす糸で成り立っている。数時間の読書と、人生体験を通して、
膨大な?経験から、多くを知っていたつもりだった。 が、総括すると、
「知ってたつもりが、実は何も知らなかったのでは?」の疑念が湧いてくる。
   
   〜以下は、Amazonの一言コメント〜
【スティーブン・ピンカー(ハーバード大学心理学教授。『暴力の人類史』)
「人間は自分で思っているより物事を理解していない。
 自分がどれほどわかっていないかをわかっていないのだ。
 それを治す薬はないが、対処法ならある――この本のことだ」】
 ―
【エリザベス・コルバート(ピュリッツァー賞作家。『六度目の大絶滅』)
「本書は教えてくれる――自分に都合の悪い情報を拒絶すれば、われわれは
 トランプ政権と同じになってしまう、と。ニューヨーカー誌】
 ―
【キャス・サンスティーン(ハーバード大学教授。『実践 行動経済学』)
「この本が大好きだ。私たち個々人がどれほどものを知らず、人類全体としては
 どれほど多くを知っているかを明らかにしてくれた。」】

   〜Amazon読者感想より〜
本書の内容は、序章と訳者あとがきによく要約されているので、まずそれを読み、
「もっと詳しく知りたい」「なぜそう言えるのか」と考えたら全体を読むといい
だろう。 序章をさらに短縮すると、こんな感じだろうか。
《・我々が素朴に個人のモノと考えてきた「知識」は、実は「私たちが作るモノ、
 身体や労働環境、そして他の人々のなかにある(p.21)」。つまり人間は
「知識のコミュニティ」のなかで「認知的分業」の元に行動しているのである
(そうすることで進化的に生き延びてきた)。人間は様々な知識を「自らの脳の
内側にあろうが外側にあろうが、シームレスに活用するようにできている(p.24)」
のだが、そのことに普段は気づかない。それゆえ「知識の錯覚」が生じる。
・1人1人の「人間は自分が思っているより無知(p.16)」なのだ。個人としては賢く
 ないが、集団としては賢い。それゆえ「人間の思考がこれほど浅はかであると
同時にすばらしいものとなりえる(p.13)」。このことは教育のあり方についても
見直しを迫る。「私たちは共同してモノを考える」のであって、そのためには
「知能指数より他者と協力する能力(p.27)」が重要になる。
・「科学への理解を促進すれば、国民の科学に対する好意的な態度が醸成され、
 科学技術のもたらす恩恵を積極的に活用するようになるのではないか(p.172)」
という「欠乏モデル」が間違っているようだとか、「政治について考える」の章
での、人々は「自分が間違っていたことがわかると、新たな情報を求めることに
消極的になった」「人は自分の錯覚が打ち砕かれるのを好まない(p.210)」とか、
言っていることは結構、暗い。文章はわかりやすい。
・「交尾以上に重要な行動はない、というのが進化のことわりである」という
文章の後に「(人間にも同じ見解を持つ人はいるが)」と注をつけたりもするが
(p.56)、この種のジョークは類書の中では多くない方だろう。1か所、よくわから
なかったのは「直観と熟慮の区別は、西洋思想だけに見られるものではない(p.94)」
として、ヒンドゥとヨガの「チャクラ」について触れている個所。必要な言及か?
・カバーに「ビジネスパーソンの必読教養書」とあるけれど、教師・教育関係者
 にもおススメ。「教育の目的は子供たちに一人で考えるための知識と能力を付与
することであるという誤った認識は排除すべきだ(p.237)」なんて、多くの教師・
教育関係者にとっては驚天動地の主張ではないか。
――
一説によると、人間の脳は1GB程度。文字情報ならともかく、映像や動画が記憶に
含まれていることを考慮すると、全然足りません。無知なのは当然でしょう、と
いう論理が面白ろかったですね。その少ない情報量を、実に器用に利用するのが
大脳だそうだ。
―
▼ バカの壁とは、「知ってるつもり」の思い込みの壁。人生80年で知りうること、
 など僅かだが、それでも、可能な限り、知り、経験し、味わってこそ、人生。
カントは、
1、私は何を知りうるか
2、私は何をなすべきか
3、私は何を希望してよいか
 など人間とは何かの「人間学」が根本であるとして基本的命題の答えを探った。
結局は、そのどれも、「知っていたつもり」で、実は何も知らないで生涯を終わる
が、別に知ったところで、それが、如何した? でも、それはそれで… 滞りなく
人生を全うできる。 人間は群れの動物。孤立することなく、群れの中で、孤独を
人知れず守り、「集合知」に頼る生き方も、大衆には必要? かも。 
「人間は、個人としては賢くないが、集団としては賢い。それゆえ人間の思考が
これほど浅はかであると同時にすばらしいものとなりえる」というが、群れるしか
生きられない人には、それも道理になる。 で「知ってるつもり」で、集合知に
頼って生きるしかない!という世間バカの話の「オチ」にオチツク。

 〜 で、去年の次の内容が文脈として、あい通じてくる
――――
6262,閑話小題 〜世間話のでき方
2018年05月06日(日)
   * 世間話のでき方
 家内が少し興奮気味に、「今日ね、ヨーカ堂裏で、自転車の一時停車を怠り、
警察官二人に呼び止められて、調書にサインさせらた。こんなことは初めて。
警察もよっぽど暇ね」と…。 新人教育の現場教育だろうが、私など年に
8ヶ月間は、雨以外は毎日一時間は乗り回しているため、常に違反運転の際どい
日々を送ってきた。微妙な交差点では、歩道から車道に車線を変えるテクニック
だけはベテラン。そこで昨年の秋口に、ブレーキと車軸の故障修理で、郊外の
自転車修理店に行った際の逸話を話した。
【郊外にある自転車店の反対側のカツの専門店に行こうと信号を渡ったところ、
黄点滅。微妙だったが、辛うじてセーフ。 ところが、遠くから急にパトカー
のサイレン。私じゃないだろうと思いつつ、カツ屋に入ったが、もしかしたら
と思いつつ、カツ丼をたのんだ。何かしら泥棒がパトカーに追われた感じ?で… 
帰り道は大通りでなく、裏通りを目立たないようにして帰ったよ。】
「要するに、信号無視でパトカーに追われてカツ屋に逃げ込んで、帰り道を
こそこそ帰ってきたのね」と大笑いされた。自分の一時停止違反の話では面白く
ないが、私の話を加えて面白くする枕(落語の前フリ)に、この話は有効に
なり、立派な世間話にあいなる。「世人の世間話とは、かくありなん」の典型。 
 世間話作成の現場中継の記録でした。何は主役、連れは端役の間抜けですか!

追記: 熊さん: これ警察に読まれて、呼出されて怒鳴されないかい。
  寅さん: 大丈夫だよ、八つぁんなら喜ぶさ。続編として克明に書けば、
   面白じゃないか。 見せしめでも無理無理。だって、創作だろう?
 熊: 自宅の忘れ物をして、取りに帰った話題から一時停車の疑いで呼出す
  ようなものだよな。俺って、やはり頭が足りないんだな。でも、情報化
  って、これが、まかり通ってしまうんだよな。本当に怖ろしいよ!

・・・・・・
6263,閑話小題 〜一日だけのスポット
2018年05月07日(月)
   * つれづれに 〜アクセスが4000近くに
 やはり、ブログのアクセス数は気になるもの。去年の初めが大よそ350だった
のが、春口から400、夏に450、470とじわじわ増えて、今はこの辺りで落ち着いた。
昨年で2度ほど、1300、1600が1週間ほど増加した後に、元に戻っていった。
二度ともは何故か力の入った内容だったため、何処かの「ブログの推奨サイト」
でもあるのだろうと思っていた。しかし、先日の10倍に近い4000のアクセスに
驚いた。時どきテーマが思い浮ばないスランプに陥るが、その時ほど地頭が働く
ためか私としては面白い内容になることが多い。
―
 500のアクセス数は、17年の成果で妥当だが… 4000はあくまでスポットで、
続くわけがない。一昨日は500に、今朝は400になっていた。ここにアクセスして
くる人は中高年が中心だろう。社会経験が少ない若い人なら、せいぜい2〜3度、
覗くといやになるはず。アクセスを増やそうと積極的に売込めば、1000はいき
そうだが… 無理すると <熊、寅、八、大家の掛合い漫談>も気楽に書けなく
なる。
―
 シリアスに、上から目線と下から目線を別々に意識して書いてるが、人に
よれば尊大に思える内容だろう。学生時代の最終年のゼミで、「企業内トラブル
の人間関係や、社会現象の現状分析」を週2回、2時間、集団で議論をしていた
学生時代の気分の延長が今でも続いている。それと、日々の記憶の道標として、
ネットにアップをして公開することで、内容の維持を目的にしてきた結果、
生前の墓参にもなる。死んだ後の墓参りより、ズ〜っと有難い。
数万、数十万のアクセスより…? 負け惜しみですか! それとも…
 真面目過ぎだよ、オットツァンですか!
―
 家内の知人の娘婿のアクセスが、4万とか聞くと何をか言わんだが。
「娘と戦う受験日記」だと思い出し、検索をしても見当たらなかった。
そこで、「面白いブログの探し方」で検索すると、<「お金」「社長」で、
検索すると、シリアスなサイトに当ります>よ とあった。 成るほど!

・・・・・・
4434, サードマン現象とは
2013年05月07日(火)
 母親が晩年になってから、たびたび「私には守護霊がいる。それは子供の頃
に亡くなった父親。何時も私を見守ってくれ、いざ何かあると、私を良い方向
に導いてくれる」といっていたが、気持ちの問題だろうと聞き流していた。
また先日亡くなった将棋の米長邦雄が講演で、「何時も父親の位牌を布団に
持ち込み、父に話かけていた」というのを聞いたことがある。 
 先日のNHK教育(PM7:00〜7:40地球ドラマチック)で、サードマン現象を
再放映していた 。これはジョン・ガイガー著「奇跡の生還へ導く人ー極限状況
のサードマン現象)をインタビューなどで編集したもの。で、その概要とは・・
◎ 9・11の世界同時多発テロで、ニューヨークのワールドトレードセンター
ビルに旅客機が二機衝突した事故で、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ
瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、どこからとも
なく聞こえた声に従い、突き進んで命を救われたとか。
◎ 多くの登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに初めて
 登頂したヘルマン・ブールを危機の中、励ました声。
◎ アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ、人類初めての単独飛行をした
 リンドバーグを支えた声。
◎ アメリカの宇宙士が極度の緊張の合間の休みに神のような何かの存在
 を感じたとか。生命の危険にさらされた苛烈な環境の時、自分を奮い立たせる
 声を聞く能力が備わっているというのが「サードマン現象」といわれ、その
「第三の人物」は、その極限状況を克服するために精神的な助けをしてくれる。 
 この現象は、かつて神や守護天使とか守護霊として受け止められることも
 多かったが、現在、それを人間の生理的・心理的機構が生み出した幻だとも
 いわれる。過酷な極限状態において発動する右脳の原始的?スイッチの感じ。
 知らない誰かや父親、自分自身、守護天使、などがそこに存在する感覚という。
 脳は危機的な状態や生命の危機が起きたり、体験すると「潜在的脳力」が働く。
 私たち人類の先祖は過酷な自然の中で、獲物を狩ったり果実を採取してきた。
 20万年前の人類の先祖は「サバイバル」の極限の中で、恒に「サードマン現象」
 が起きていて、これらの遺伝子が先祖代々受け繋がられ、現代人にも存在して
 いると、考えられる。以前は450年前の先祖の堀井宗親という仮身を、現在は
「地球の中心点」を擬人化した「球芯様」と、両親の霊を話し相手にしている。
 それは自分の魂の仮身である。 この「球芯様」、最近は、ヨガの最中とか、
 夜半のベッドで囁きかけてくる。それが、思いもよらない問いかけをするから、
 面白い。 また、幾つかの創業の時など、極限の状態に自分を置くと、何故か
 異常な力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力というか、底知れない力が自分の
 中心から立ち現れくる。原始的、動物的知恵と力で身体も心も浮いたように
 勝手に動き出す。誰にも経験があるはずだ。 以前、家内が世田谷と同じ面積
 のある、ポンペイの遺跡で、迷子になってしまった。それも日が暮れる直前。
 警察は来るは、遺跡のスタッフが総出で捜索に当たるは、現地ガイドと添乗員
 は、青くなって駈けずりまわった中、色々あって本人は一時間先にあるホテル
 に何とか帰りついていた。何かの折に書くが、いざとなると、異常な力が
 湧き出るということ。 サードマンを創って話相手も面白い、是非お勧め!

・・・・・・
5896,『しあわせ仮説』 −4 〜愛は恐れを克服する
2017年05月07日(日)
           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 愛は恐れを克服する
 シリアスな話になるが、義務教育の終わる中学校のメンバーを思い浮かべると、
成績上位の2〜3割と、下位の2〜3割を比較すると、上位は両親が揃っていて、
比較的裕福あるのに対し、下位の人たちは、両親か片親を戦災で亡くなったか、
家が貧しい生活環境にあった。これは当人の責任ではなく、運命の問題になる。
ある程度、安全であればこそ、勉強や、遊びにも注意が向く。 逆に幼児の頃、
両親に愛情過剰な位に与えられた人を何人か知っているが、これは性格が強い。
絶対的愛情を親から注がれ育った人は、生涯を通じて、恐れを克服して勇敢に、
遊べる上に、何事にもチャレンジする傾向になる。愛着理論を、ここで紹介して
いるが、ネット検索をすると、以下のとおり。
≪ 乳幼児が、不安や不快などストレスを感じている状況で、自分の親など周囲
 の養育者に対して泣いて訴える、あるいは接触を求めて甘えるなどして、親密な
きずなを形成しようとする愛着行動に関する理論。英国の児童精神分析学者
ボウルビーが提唱したもので、動物に生来備わっている自分の生命の安全を確保
しようとする本能に基づく生得的行動により、自分の訴えや要求に答えてくれる
限られた養育者との間で愛着(アタッチメント)が形成されることがたいせつと
考える。愛着は1歳ころまでに形成されるが、訴えや要求に対する応答が密なほど
安定した愛着(安定型愛着)が形成され、小児期以降に安定した対人関係をつくり
あげる礎(いしずえ)となる。しかし、安定した愛着が形成されない不安定型愛着
では愛着形成障害を生じ、その後の心身の不安定や行動障害をもたらす。 
 ボウルビーは「愛着」の形成過程を次の四つの段階に分けている。
・まず生後3か月ころまでの第1段階では愛着はまだ形成されず、周囲の注意を
ひこうとだれに向かっても同じように泣いたりほほえんだりする。
・しだいに養育者とほかの人物を区別するようになる生後6か月ころまでの
第2段階では、養育者に対してとくに強く反応し、笑ったり凝視したりする、
あるいはあとを追うような行動もみられる。
・生後6か月〜2歳ころまでの第3段階では愛着が確実に形成され、養育者を安全
基地とし、そこからある一定の範囲で行動したり探索行動をおこして、ふたたび
基地に戻る。また、成長するにつれて自分の要求を主張し、実現に向けて執拗な
行動をとるようにもなる。
・3歳以上の第4段階ともなると、養育者との身体的接触を求めることは少なく
なり、養育者の意図や感情を理解し、協力して行動するようにもなる。≫
ー
▼ 中高校生の頃、同居していた甥っ子が、毛布に愛着を持つ依存症だった。
 今ではそれも、様々なキャラクターの人形があり多様化しているようだ。
職住一緒の商家だったこともあってか、幼稚園の頃、若い色白の女店員が、
対象だった?ような。なぜか魅かれるのが愛情豊かな長女系。で、生涯、支配
される我が身のような人生になる。人気番組の『家についていっていいですか』
で、都会の単身住まいの若い男の部屋に大きな人形があったのは驚いた。
都会の孤独地獄を癒してくれるそうだ。 私は、座卓の上に鏡を置いて、自分
自身と話していたが。それでも、様ざま寮生が1〜2時間は、部屋に来て談笑
していた。 考えてみれば、このブログも、そのようなものですか…



6992,閑話小題 〜<意識を機械に移植する>

2020年05月06日(水)

   * 脳と機械の一体化を研究 
          〜「私の意識は永遠に生き続ける」
 現代のパンデミックは、20世紀初め頃のスペイン風邪と、世界恐慌、世界戦争
以来の人類に突きつけられた課題である。ただ… 驚きに関しては、AI自動車と、
多宇宙論と同程度の驚きである。
 しかし、この <意識を機械に移植する>には、思わず目を疑った。
映画のある女性の腹に、麻薬を埋め込んで密輸を目論んだが、それが体内で溶けた
結果、人間離れをした能力が身に付いたSF風の映画があった。
 この<意識を機械に移植する>は、ある意味で、人類の夢でもあるが、いざ己
となると躊躇をする。 経験、知識は、溶けて流れる一回性であるから面白い。
20年近く、これを書き続けていられるのは、儚い「日々、是、好日」の経験の
一部を書き残すことで、後あと、読返した時の刺激になる手応えがあるため…
 ――
 〜ネットで検索すると…
≪ 「将来に、機械として第二の人生を過ごせる日が来ることは間違いない
 と考えます」。 脳科学者で東大大学院准教授の渡辺正峰さんは断言する。
脳と機械を接続して一体化すれば、機械に意識が宿り「私の意識」は永遠に
生き続けるのだという。「我思う、故に我あり」。哲学者デカルト(1596〜1650)
の言葉にあるように、自己意識とは人そのものだ。機械に意識が移植できるなら、
「ヒト」とは、「我」とは何なのか。 渡辺さんに聞いた。
  ――意識を機械に移植すると言われても、正直、荒唐無稽な話としか思えない。
「グーグルでAI研究を率いるレイ・カーツワイル氏は、今世紀半ばには人の意識
の機械への移植が実現することを予言しています。私自身、外部の方と協力して
意識移植のベンチャーを立ち上げようとしています。いくつかの仮説が正しければ、
技術的な障壁はそれほどありません。マウスを使っての実験で5〜6年、その後に
より人に近い猿で実験。トントン拍子で進めば、20年後に人での実用化も夢では
ありません。将来には、機械として第二の人生を過ごせる日が来ることは間違い
ないと考えます」
  ――どうすればそんなことができるのでしょうか?
「近未来を描いたSF映画で意識移植が取り上げられることがありますが、
さすがに映画のように頭骨の外から一瞬で意識を読み取るようなことはできません。
私が考える手法は、開頭手術をした上で脳と機械を接続するものです。…長ければ
数カ月、数年単位の時間がかかるかもしれませんが、脳と機械の意識が一体化して
しまえば、たとえ脳が終わりを迎えても、意識は機械側に存在し続けるはずです」
「人の脳は、左右に分かれた脳半球が三つの神経線維束で結ばれて情報をやり
とりしています。脳科学の進歩により、二つの脳の情報連絡の仕組みが分かって
きました。左右の脳がつながるのと同様に脳と機械をつなげられると考えます。
脳はニューロン(神経細胞)を組み合わせた神経回路網に過ぎず、それを十分に
模した機械を作ることができれば、そこには意識が宿るはずだと多くの科学者が
考えています」
  ――
≪ 人間の意識を機械に移植する研究を進めている。米グーグルでAI研究を率いる
レイ・カーツワイル氏は、今世紀半ばにはこれが実現すると予言している。 私自身
は、3月に始動したスタートアップなどを通じて、20年後メドの成功を目指している。
令和のうちに、人間が機械の中で永遠に生き続ける時が来るかもしれない。

■ 脳と機械を接続し、徐々に人間の意識を浸透させていくのだ…。

米国では実際に研究されているが、「脳の構造を完全に読み取り、機械として
再現する」なんてことは、少なくともあと100年はできないだろう。私が提案して
いるのは、脳をニュートラルな意識を有するコンピューターと長期間つなぎっ放し
にする方法だ。そうして、比喩的にいえば「機械を私色に染める」。
完全に染まったとき、移植は完了する。すると肉体が滅びた後も、機械の中で
「私」の意識は永続できるようになる。


■人間が不死の存在になるとしても、それを望む人は決して多くはないと。

講演で聴衆に「意識を移植してみたいですか」と聞くと、意外にも手を挙げるのは
100人いたとして数人にすぎない。私は中学生のころから「死にたくない」と思って
いたのだが。意識の移植が可能になる時代には、今の感覚からすると抵抗のある
ことがいくつも出てくるだろう。意識のコピーは許されるのか、複数人の意識を
結合していいのか――。 いずれも科学的には可能になることだ。  ≫

 ――
▼ 魂の入った言葉、そして作品。これも、意識(思い)を作品に移植では…?

・・・・・・
6625,読書日記 〜『無知の科学』だって! −1
2019年05月06日(月)
    <『知ってるつもり――無知の科学』
       スティーブン スローマン(著),フィリップ ファーンバック(著)>
* 無知の科学と真正面から言われても
「無知」を科学するとは… 「何だ何だ」である。ソクラテスが「無知の知」で、
もの知りの仮面を削ぎ落し、それ故に死刑に処せられた。この18年間にかけ、
毎日、記憶しておきたい情報をテーマとして物語風にして書き続けてきた。
その都度、思うことは、これで残さないと、永遠に消え去ってしまうこと。
この作業の最中に…「理解したつもりが、実は大して解ってなかった」事実。
デジカメで文章を写真に撮ったのを文字変換したのをコピぺしていたが、途中
から可能な限り手打ちのキーボードでに変えた。亀のようにノロノロと打込む
プロセスが考えることになることに気づいたため。バカならバカの方策がある。
 過ってみた映画を再びみても、その大筋以外は、ほぼ理解してなかったことを
思い知る。映画の舞台設定には膨大な情報が入っている。それを見るには、数回、
見ないと解らない。 
 この随想日記は、ネットによる記憶の外在化で、何とか理解を深めている。
会社清算をしてから現在に至る8年で、娑婆の脳が透けて見えるような錯覚に
何度も陥ってきた。 知能レベルの人?が、世間話で知り得た噂を、勝手に
創作し、決めつけている彼らの脳内をスキャンしたように見える面白さがある。
殆どの理解が、「知っているつもり、何も知らない思い込みでしかないこと…。
これを現実の事象で経験する味わいと、己の無知と重ねて見る愉しみ。
そういうこれも、思い込みでしかない。
< 余命半年、3ヶ月を宣言されて死ぬまでの間に、それまで生きてきた人生を
 経験するらしい。残された時間の中で、それまでの人生を思いやるとき、
実は何も知らない事実に思いあたる。 秒読みに入ってこそ、見えてくる思い
あたる自分の壁。我たちは、曖昧でキチンと整理されてない抽象的知識の中で
生きてきたことに… 一部の身のまわりのことしか知らなかったことに驚愕する。 
その知っている内容さえもオボロな知識でしかないことに思い知る。
法事、同級会なでの「黙るしかない集まり」の傍で聴いていると自分そのもの。

    〜Amazon、商品内容より〜
≪ ●インターネット検索しただけで、わかった気になりがち。
 ●極端な政治思想の持ち主ほど、政策の中身を理解していない。
●多くの学生は文章を正しく読めていないが、そのことに気づいていない。
 人はなぜ、自らの理解度を過大評価してしまうのか?
それにもかかわらず、私たちが高度な文明社会を営めるのはなぜか?
気鋭の認知科学者コンビが行動経済学から人工知能まで各分野の研究成果
を総動員して、人間の「知ってるつもり」の正体と、知性の本質に挑む。
思考停止したくないすべての人必読のノンフィクション。 ≫
―
▼ 「無知学」を読んでいて、まず気づいたことは、ライフワークの
 <秘・異郷ツアーでまわる地球観光>である。 その先で想うことは、
・何も地球上の一部しかを知りえてないこと。
・日常の現実世界は、分厚いサングラスを通して見ているに過ぎないこと。
・知らぬ間に共同幻想の一員でしかない自分を、確認するため、わざわざ、
 ここまで、合せ鏡で、その一端を垣間見ていること。
この切口が新鮮なことは、自分が65年間、右上がり思考の末に、アッサリと
倒産の憂き目にあったこと。しかし、底から見えてきた己の無知への認識。
それ故に、そこから見えてきた世界への無知の先の広がりの見識。
変態女(別に中村うさぎ、西原理恵子じゃないが… それも正面に受止めて、
その世界を垣間見て楽しむ。それも世界には多彩さが地球にはある。

 それを知るには、自分を可能な限り旅をさせないと!
――
5615,かわいい自分に旅させよ ー��
2016年07月30日(土)
             <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させた 〜A
 40〜50歳代にかけて40回、合計51回。家内と遇わせて?90回、海外旅行に
出かけたが、その殆ど格安パックツアー。 夫婦で月あたり10万の贅沢。
10万×360回。一点豪華主義?で 何とか可能にしてきた。凡そ家屋敷一軒分。
あと5回で家内と合計で、100回になるが、年、二回なら可能だが、無理? 
肉体的には、厳しいだろうが、問題は気力と、体力と、?。
 10億円の現金と、どちらを選ぶかといえば、間違いなく旅行を選ぶ。
では100億なら、どうする? さあ、どうだろう? 旅行可能が5年とみて、
半分の50億、年に10億を使ってみたいが、私には無理か。そうこう考えると、
10億の価値は充分あった実感がする。「かわいい自分に旅させよ」のフレーズ
は、さすが作家。 別腹の人生が、そこにもう一つあるような。
≪ 私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は必ず感動を
 もたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで
旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでなく、かわいい自分のために旅する
のである。 先人たちは不便な旅をしていた。しかしその一方で、悠長で
あるがゆえ深い旅の味わいを知っていたはずである。
 今やその気になりさえすれぽ、日本中どこであろうとあらかた日帰りが
できるのだが、その手軽さ気軽さのおかげで私たちは、まるで漫然と映像でも
眺めるような旅をするようになった。
 非日常の世界を訪れ、感動する。本物に触れ、五感をふるわせる。
先人たちの不便で悠長な旅、あるいは知らぬことぱかりの子供のころに体験した
旅とは、そうしたものであった。もし今日の旅の便利さはそのままに、本来の
そうした感動を得ることのできる旅があるとしたら、どんなにすばらしいだろう。
より深い日本を求めて旅に出たい。いにしえの旅人と刻を同じくし、溜息を
分かち合えるような、深く美しい日本にめぐりあいたい。 私たちは生まれ
育ったふるさとについて、知らないことが多すぎるのだから。≫
 ――
▼ 旅は、非日常の世界であり、日常と違った世界が別次元で流れている。
 そして、自分の世界も、その一つでしかないことを教えてくれる。
それと、感動である。「ここ、いま、じぶん」を、感動は焼き付けてくれる。
「この感動を、ほぼ大部分の人は、知らないで死んでいくのだ。もしかして、
自分も、その一人だったかもしれない!」という激しい感情と、その世界との
同化である。この「かわいい自分には旅させよ」のフレーズのとおり、この
感動を、自分に与えてくれのは自分だけである。 〜つづく

――――
5617,かわいい自分に旅させよ ー��
2016年08月01日(月)
           <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させよ 〜B
 40歳代に入って直ぐの頃、『年一回の海外に出ること』を決めた。
そして、半ばも過ぎた頃、それを年二回に切り替えた。20歳から20数年間、
ストレスの多い「創業」の為の転進を繰り返してきた。何事も現実に直面
すると、火事場のバカ力が生じてくる。その奇跡に近い偶然を拾い上げて、
その場を切り抜ける。しかしストレスは並大抵ではない。その沈殿がピーク
になっていった頃である。その解消剤にツアーのストレスと感動が、合理的で
あることに気づいた。早朝の読書習慣と、散歩、そして、海外ツアーが、
何とか、自分を支えてくれた。 半年単位、一年単位で、そのストレスを、
払い落とすしかない。そこで、「秘境・異郷ツアー」のストレスで、それを
削ぎとるしかなかった。それが、結果として、心の、いや魂の財産になった。
 〜以下の部分は、「苦労でなくなった旅を、自分に与えよ」と勧める。
 ≪ 「かわいい子には旅をさせよ」という格言は、今や死語であろう。
 かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日
では娯楽の王者となってしまった。もしかしたら今の若者たちは、この言葉の
意味を「かわいい子には娯楽を与えよ」と曲解しているかもしれぬ。
 たしかに旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損われた
わけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、
苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人に
とっても好ましいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。
「かわいい自分には旅をさせよ」である。金だの時間だの手間だのと、旅に
出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれぽ金は貯めるものでは
なく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむ
は怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何も
ないのである。 ≫
▼ 秘境への旅の決断と実行は、非常に抵抗が生じる。まず、家内が、激しく
 抵抗する。そこで一人参加を決意すると、家内も渋々、決意するパターンの
繰り返し。で、抵抗感が強いほど、その内容は、濃厚で味わい深い物語になる。
しかし、極限を超えた経験のオンパレード、可愛い自分へのプレゼントになる。

――――
5637, かわいい自分に旅させよ ー��
2016年08月21日(日)
            <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * 芸術とは
 ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの
主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、
博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。
それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその
まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを
高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。
≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。
 それを「言葉」でなそうというのが文学。
さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。
理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。
これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。
 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、
僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。
 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、
アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う
た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは
見失おうとしているのではないでしょうか。
 自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを
小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と
「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。
 僕には夢があります。
バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。
ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに
衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。
 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の
筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫
 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ
  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。
 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計
したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が
見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが
可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、
「大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて
きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを
取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

――――
2016/08/22
かわいい自分に旅させよ ー��
           <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * オヤジのためのラスベガス
 直木賞作家の浅田次郎がラスベガスに嵌り、その内実を書いた内容。
一度、行ってみたかった都市。 数年前に、グランドキャニオン、ヨセミテ、
イエローストーンなど大自然を 楽しむ『アメリカ西海岸国立公園の旅』。
大自然のほかに、ラスベガス・サンフランシスコ などのコース。
 ところが出発前日、公務員ストで、急遽、中止のため断念したことがあった。 
映画でラスベガスを舞台に多くの場面を見てきたが・・ 
 ≪ ラスベガスのカジノはデカい。「無限」と表現してもいいくらいである。
 たとえば今回の取材で協力して下さった「MGMグランド」一つを例にとっても、
総面積4777坪、ゲームテーブル150台、ゲームマシン3073台、だそうであるから、
「見渡す限りの鉄火場」と言ってよかろう。 この種のメガホテルが、
ブルヴァードを挟んでみっしりと建ち並んでいる。この規模はまさに「無限」。
 日本人の視野でこれを小さくしてはいけない。常々思うのだが、日本人
ギャンブラーはたいはてい狭い場所に嵌まっている。毎日を旅打ちの気分で、
カジノからカジノへとさすらうのがラスベガスの醍醐味である。
 ゲームの種類はあまたあるが、最もラスベガス的といえぱ、やはりマシン
であろう。ルーレットやブラックジャックは世界中どこのカジノに行っても
同様に遊べるが、スロットやポーカーマシンを打ち倒すとなれば、規模のある
ラスベガスでなければならない。そうした意味から、私は同行者にはたいてい
マシンを勧めることにしている。レーティングさえ守っていれば、あんがい
怪我が少いのもこれだからである。
 日本人的なレーティングといえば、25セント台、もしくは1ドル台であろうか。
ただし上限は一勝負3000ドルという怪物まであって、こうなると一時間で億の
金が動く。神域のごときハイリミット・エリアでは、このスーパーマシンの前に
座って淡々とゲームを続けるハイローラーの姿を拝むことができる。見ている
だけで有難い。
 ヨーロッパのカジノではテーブルに根を生やしている私も、ラスベガスでは
ほとんどマシン・ギャンブラーである。十年前はおそるおそる1ドルマシンから
デビューしたのだが、このごろではハイリミット・エリアの常連になって、
めでたく宿泊代も飲み食いもタダになり、空港までは送迎のリムジンが付く
ようになった。 常宿はかつて「ベラッジォ」だったのだが、数年前に
「ヴェネッィアン」に鞍替えした。日本人ギャンブラーが比較的少く、
使い勝手もサービスもよいホテルである。≫
▼ 賭け事に向いてない私にとって、異次元の世界の話。だからこそ面白い。
 日本では、コンビニの売上高より多いと言われているパチンコ店が、郊外に
ある。韓国も日本から上陸したパチンコ店も、その熱狂ぶりに、禁止された。
ラスベガスといえば、『ハスラー』など、多くの映画の舞台になっている。


6991,閑話小題 〜まさか? 私が…

2020年05月05日(火)

   * 夜半に暑さで
 昨日の夜半に、暑さのため目がさめた。まさか私が新型コロナ菌に… 
冬には例年のごとく鼻炎になるが、気になる程でもない。怠さもないし、
今のところ、その症状はないが、これで高温になれば話は違ってくる。
としても暑いので温度計をみると、22・5度である。早朝は、まだまだ
寒く、7〜10度まで下がるため、それに合わせた寝具。これじゃ暑いわけ…。
これで一日でコロッと逝ければ一応、ピンコロ!の理想的死に様と考えつつ… 
まだ死にたくないが、このドサクサに流行に乗じて逝くのも悪くはない。
 ―
   * あの世にも死がある? 〜夢で天国へ
 何気なく、ブルーレイに入れたドキュメントの録画をみていると、
ある部族の中に… < 死後の世界でも死があって、5回目に死んだ後に
蒸気のようなモヤが出て、それが水玉になって土に落ちたのが浸透して、
次の世に現われ出て、新たな生命として再生する!…>と聞きつつ…
寝入ってしまった。その夢の世界が、夜半になって、鮮明なイメージとして
残るのは不思議! そのイメージが南海のファンタジーような天国の世界で、
提示していた。そこは、白と水色の半透明の世界で、アニメのような神秘的。 
 私が、そこに居て良いものやらと、躊躇するような神聖な天界… 
…‘これが天国というものか’と、暫く考えていた。
 ―
   * 5月末まで、延長だと!
 群れに馴染めない日本人… これから一ヶ月は企業にしろ、働き手にしろ、
厳しい。潤沢な資金と、自由にできる立場があれば別だが、相互監視の社会
でジッとするのもストレスが蓄積をする。読書やネットサーフィンを趣味を
持てるか否か。群れ好きの日本人に、今さら「3密」はダメよと言われても。
それは酷。ネット居酒屋とかいう「ネット上の相手とチャットをしながら
酒を飲む―」。こんな「ネット飲み会」がブームと一部で報じられている。
 …吉田類の『酒場放浪記』の録画を見ながら晩酌もなかなか味がある。
『女・酒場放浪記』なる番組も出来たが、これも臨場感があって馴染める。

・・・・・・
6624,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜2 
2019年05月05日(日)
          <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人
                          ―和田秀樹(著) >
    * 精神科医からみた「怒り」について
 感情の中でも「怒り」、とりわけ二人称のそれは日常生活を左右する難題。
一神教の色濃い欧米世界の建前、<自由、平等、博愛>を理想とすれと、真逆
の現実には腹が立つことばかり。それも情報社会んも隠されていた矛盾部分が
クローズアップされ現前に突きつけられる。情報化の進化は、知識の質量を際限
なく進化させるが、二輪の片方の感情面が、取残される。
とりわけ「怒り」の蓄積が病を引き起こす。時代の大きな変化は、適応でき
ない人たちには過酷である。社会構造は「3,30,67%」で成立している。
それが隠されている分には問題がないが、それが表立つと、怒りが湧き出てくる。
それぞれの立場で、それぞれの方法で感情管理が求められる。TVの笑い番組で
怒りを笑い飛ばしたり、ハリウッド映画で、ヒーローが観客の代行として対象
を徹底的に破壊することで怒りを吹っ飛ばす。怒りが蓄積すると恨みになる。
ここでは、怒りの対処を主に語られている。 まず時間薬と、次に対自した時の
「自己洞察」である。リタイアが事業清算なればこそ、3月に1度の割で、何処
からともなく怒り心頭の言葉や、嫌がらせに近いことがある。 慣れたもの…
数日内に、イメージで、そっ首を全身全霊で殺ぎ落とす。100回ともなれば、
怒りの大部分が消え去っている。むしろ、老化の不快感を同時に解消するため、
有難くさえ思えるようになる。時間薬の効くまでの速攻剤の役割になる。
そしてダメ押し、3年後に必ず、一身上の問題が当人に持ちあがると確信を持つ。
起こるべき(怒るべき)なればこそ。検事様きどりで、八つ当たりをしている
だけのこと… 3年経っても1割程度は何もない。ならば、加算すれば、それだけ、
重くなると思えばよい。最期は誰も死が待っている。チャクラごと、叩き落とす
のだから…それはスッキリする。それと毎日、大手大橋をヒキチャリをしながら、
毒素が深呼吸と同時に吐き出すイメージを持つ。とにかく、楽しみきった
行蔵の在庫が充分、持っている。 人を怨ばま、穴二つ。喧嘩の作法の基本は、
相討ち。別に我慢などすることもなし。西原理恵子の「まんこ縫うぞ」の漫画絵。
怒り心頭でなればこその発語。品はこの上なくないが、怒りが直に伝わってくる。 
 としても、激しい言葉! 私なら… < 一度、書いたが消却をした… >
最近のイギリス・北欧系の刑事ドラマのサイコパスは、生々しいのを放送してる。
『目には目を』の聖書の諫めは、「復讐も、目までに止めておけ」。
 人間の、怒りと恨み、妬みは、際限なく広がる。特に弱者には。

≪ 内容紹介
 昨今、TVのワイドショーなどで、著名人の怒り方が話題になりました。
大人げない怒り方をする人・余計なことを言って反感を買う人等々、
怒りの出し方が下手な人が急増中なのです。
「なぜ人は怒るのか……」
「そもそも怒りとは何なのか……」
「怒りの賢い活かし方とは……」
「怒りはどのように出せば健康的なのか……」
「湧き上がった怒りをそのままぶつけずに、うまく逃がすには
  どうしたらいいのか……」
自分が怒りに振り回される人にならないために、また、怒り下手な人が身の回り
にきたときに、うまく回避するために、 精神科医の著者が「怒り」を解剖します。
仕事・家族・社会に対して「カチン」とくる前に「怒りの正体」を知れば、
「いい怒り方」がわかる!   ≫

・・・・・・
6261,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −1
2018年05月05日(土)

地域とは、何かとの「堺」
 ある会で、私の旅行経験に興味をもって、しっかりと情報収集する女性がいる。
40〜50回、海外旅行経験のある同級生が言うに、「旅行話」はTPOを考えて上で
話さないので難しいと宣っていたが… 要するに旅行自慢になってしまう。
ところが、興味のある人にとって、行ったことがない先の話は旅先でしか、話せ
ないため、ツアー仲間の情報交換は面白い上に、次の行先の選定の重要な場になる。
 彼女の質問の一つずつが鋭い。
・独りで参加するとしたら、何処がよいですか?
・息子と参加するとしたら…
・主人と参加するとしたら…
・息子を独りで参加させるなら… などなど。

息子と二人旅は、「ベネゼイラのテーブル・マウンテンとイグアスの滝」
次男と私たち夫婦と現に行ったので、間違いない。数億年の手つかずの
テーブルマウンティンの間を数人ノリボートで遡っていく醍醐味は…

夫婦二人ならば「北スペインの巡礼道路の旅」
これはパンプローナの牛追い祭りが組みこまれたのがよい。

息子の独り参加の返答に自然と出た行先は「イスラエル」と「インド」。
 だったと記憶している。 さすがに母親の目線で…
何で、「イスラエル」と「インド」ですかと食下がった質問。
「医師ともなれば、生涯のうちに人知れず?死なせることになる職業。
まだ学生のうちに、行っておかないと、一歩踏み出せと、10日、2週間の
時間がつくれない。まだ余裕のある学生時代に生きべきところです」と。

中国に10年近く赴任した経験を持つ隣席の「会の主催者」の突っ込みの質問。
「あと、一度だけの旅行先は、何処したらよいでしょうか?」に… 
即座に出た答えは「ケニア・タンザニア」。

そこで私自身といえは、旅行に参加するにギリギリの腰痛持ち。
それより、気力が、衰えて。

先日、借りた『街場の読書論』内容が、この対話を補足する内容である。
秘境、異郷先の光景は、まさに「聖域」に一線を踏越え立入る世界である。
                          〜つづく
・・・・・・
4432,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −4
2013年05月05日(日)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート3:自分の小ささを客観視する道ー「1億7125分の1と、70億分の1」
今度は、時間――宇宙と生命の歴史1についてである。世界の人口からみれば、
私は70億分に1。宇宙年齢からすると、人の一生は1億7125分の1の存在。そう
考えれば、深刻に自分の生き様など考えることはない。その自分の枠組も
勝手な定義でしかない。自分など何ということはない。 やっと、それが
理解できるのが最期の最期とくる。そのことが分からないから、
「死ぬのが怖い」のである。 ー まずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ すざまじく荒れ狂うひずんだ宇宙の中の、オァシスのような地球。
 光速で拡大することこそが普通である宇宙の中で、あたかも静かに見える
特殊で局所的な世界。そこに偶然生まれた人の命。なんとはかなく小さく特殊
な現象であることか。生命の誕生は、今から40億年前といわれている。 
地球誕生から6億年経った頃。霊長類が誕生したのは、6千5百年前。
現生人類であるホモ・サピエンスが出現七たのは25万年前。中国その他で
文明が誕生たのが今から6千年前(から9千年前)。そういわれても、どれも
大きな数字すぎて実感がわかない。そこで試しに、137億年前のビヅグバン
を、1月1日の午前零時、現在を一年後の12月31日の24時にたとえると。
つまり、宇宙の歴史を137億分の1に短縮してみると―― 
・ビッグバンは、1月1日午前零時 ・地球誕生は、8月30日 
・生命の誕生は、9月15日 ・霊長類が誕生したのは12月30日午前
 6時26六分(新年まであと1日と約18時簡) 
・原生人類のホモ.サピエンスが出現したのは12月31日午後11時50分 
・中国などで文明が生じたのが新年まで14秒前 
・人間の命は、80歳まで生きるとして、0・18秒。宇宙の年齢の、1億
 7125分の1。ちなみに、宇宙の直径が274億光年、人間の身長が
 170センチだとすると、人間の大きさは、宇宙の大きさの1・44×10
 の25乗分の一というとてつもない小ささだ。それに比べ人間の一生は、
 宇宙が経た時の1億7125分の1。時間の差は、空間の差よりもはるかに
 小さい。これは意外な気もする。1億7125分の1とは途方もなく小さい
 とお思いかもしれないが、地球の人口は70億人。あなたの心は、地球上に
 ある人間の心の70億分の1に過ぎない。一億7125分の1はそれよりも
 約四十倍も大きい。意外と宇宙の中での人間の一生も長いという気がしないでも
 ない。とはいえ、宇宙の年齢を一年にたどえると、人間の一生は0・18秒。≫
▼ 前にも書いたが、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している
 可能性があると知って世界観が変わった。上記のことすら、問題にならない。
ケセラセラだが、当面、死ぬまでの生活もある。一日一回、このような壮大な
宇宙と、その中の自分を考えればよい。象を世界に、その皮膚の間に住む寄生虫、
70億分の1の自分。その象も、この宇宙からみれば、10の500乗の宇宙
からみれば、チリですらない微細の存在。だからこそ、生きているうち!

・・・・・・
5529,若者よ、外に出よ! ー�� 会話は、プチ礼賛から
2016年05月05日(木)
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 対話ならいいが、どうも会話が苦手で
 リタイア後、、新しい出会いの場が極く稀になった。スポーツジムとか、
数少ない飲み会の場で、話したことがない人との会話が出来ない。
学生時代に、カーネギーの『人を動かす』の <人を動かす三原則>や、
<人に好かれる六原則>などを読み、実践してみたことがあったが、
効果は抜群だった(後でコピー)。年齢とともに、これらを忘れていた。
 その一つが「プチ礼賛」の勧め。これに「ありがとう」の口癖を
加えれば会話導入は効果抜群のはずだが、何時の間にか脱落していた。
 早速、兄弟の49日法要で、久々に会った親戚との会話に「プチ礼賛」を、
応用したところ、会話が捗っていた。要するにリタイア後に、何もかも
メンテをすべきだったのである。 <会話は「プチ礼賛」でうまくいく>を、
ほぼ全文、コピペし、考える。会話は真実より礼賛に重きをおくべし。
対話は真実の交換、掘り下げということ。男は対話、女は会話が似合うが。
≪ 日常会話で必要な会話術とは、自己紹介に始まる。自分のことを、嘘を
 交えてもいいから、面白く話せるかどうか。自己紹介イコール自己表現だし、
相手に自分を理解してもらうのは一番大事なことだと思う。そうすると相手も
自己表現するから、お互いが理解し合える。そしてプチ礼賛をすること。
 パッと会ったときに必ず相手を褒める。これは、日本ではなく、外国の流儀。
外国では当たり前の常識になっている。周りがゴマをすっていると思ったと
しても、そんなことはかまう必要はない。たとえば、服を褒めるとその服を
選んだその人を褒めていることになるわけだから、「素敵ね、これ、いくら?」、
「1900円」、うわ1最高」と褒める。しかし、うわべだけの礼賛だと底が割れて
しまう。真実そう思うように自ら努力することだ。そうすれば顔に嘘は出ない。
なぜかというと、相手を喜ばせなければ話は始まらないから。
中には「服を褒めないで私自身を褒めて」って言う人がいるけど、よっぽど
ヘソ曲がりなんだ、そういう人は。さて、人を褒めるときにほかに何を褒めれば
いいのか。実はなんでも褒められる。背が低ければ低いことを褒めればいいし、
背が高ければ高いことを褒めればいい。出身地を聞いたら、「あそこは大好き
なんですよ」と言えばいい。最初は嘘が混じっていてもいいが、次第にその
気持ちが本当になっていくものだ。だから人に会ったら、なんとなく褒め、
逆に褒められたら褒め返す。これはゴマすりではなくて、会話の糸口なのだ。
会話の小ネタといってもいい。そこから本題に入っていくときに、お互いに
気持ちのいいスタートを切るための潤滑剤だと思えばいい。≫
▼ 褒めるだけでは、ありきたり。そこで、「プチ礼賛」まで、心から褒め
 ないと相手の心は開かない。礼賛すると、みるみる、顔つきが変わっていく。
そうは礼賛されないため、心の奥から褒めると、それが礼賛になっていく。
好かれる前に、まずは人好きにならないと! それにしても、オバちゃんの、
あのフレンドリーは見上げたもの。 まずは褒める、その手際の良さ。
 ――――
  =人に好かれる六原則=
1.誠実な関心を寄せる
2.笑顔を忘れない
3.名前を覚える(名前は、当人にとって、最も快い、
 最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。)
4.聞き手にまわる
5.関心のありかを見抜く(相手の関心を見抜いて話題にする。)
6.心からほめる(重要感を与える――誠意を込めて。)

・・・・・・
5164,パレーシア 〜真実を語ること
2015年05月05日(火)
  * ソクラテスのパレーシア 
            〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 危険を冒しながら真実をかたること。これがパレーシアだが、とはいえ、
社会において、その実行となると難しい。このブログを書き続けていると、
己の程度を曝け出し、多くの人を揶揄し傷つけてきた。気遣っていてもである。
想定の対話の相手を、数年先の自分にしているが、後で読み返し、第三者の
目を想うと冷や汗が出ることしばし。しかし、飾っていたら、長続きをしない
ことを自分が一番知っている。 〜以下の箇所は、哲学の本質を述べている。
≪ ソクラテスにとって最も大事なのは、相手をやりこめることではなく、
 自分の魂を磨くことであった。そのために命懸けで対話を行った。
この営みは「パレーシア」(真実を語ること)と呼ばれている。パレーシアとは、
危険を冒しながら真理を語るという実践を意味するギリシア語。ソグラテスが
裁判の際に立ち向かったやり方が、まさしくこのパレーシアである。
 たとえ心の中で真理が発見されたとしても、「私が思う」だけでは、それは
パレーシアとは無縁なのだ。パレーシアを通じた魂の鍛錬こそ、命のあるかぎり
やめてはならず、見返りを求めることなく、純粋な熱意に発した無償の責務で
あり、かつ、個人の内面的な人生訓にとどまるものではなく、結果的には他者や
共同体にとっても有益なものである、と考えられた。それゆえ、政治家になり、
ポリスを統治し他者の魂を気遣いたい者は、まず自分の魂を気遣うべきである、
とソクラテスは強調する。自分を気遣わない者は統治者としては不適格なのである。
ここには、身の魂の鍛錬に専心することが、他者や共同体を気導つことよりも
優先されるいという揺ぎのない確信が表明されている。 ・・(略)
ソクラテスの対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための(もしくは
認めさせるための)技術ではなく、相手に「問いかけること」、相手の主張を
「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この
「聞くこと」のための手法という点にあったのである。何かを「知っている」
から語るのではなく、何も知らないか、もしくは何ごともよく分かっていない
からこそ相手から何かを引きだそうとする。パレーシアの原点はここにある。
それゆえパレーシアとは「実直に語ること」ではあっても、単に一方的に
「包み隠さず語る」ということではない。ソクラテスのパレーシアは、政治家の
ように多数者に向かって語るものではなく、密接な一対一の関係が必要である。
またこの対話は、自分が主役としてふるまうのではなく、相手の話を引きだす
ようなやり方で行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分自身に
ついて語ることになる。 ここで、注意しなければならないことがある。
率直に語ること、もしくは相手の言葉に耳を傾けることは、後にキリスト教文化
ならびに精神分析においては、「告白」という形態をとって展開され、あたかも
地続きのもののように理解されることがある。だが、この両者は異なる。
パレーシアにとつて重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(つまり
論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。≫
▼ 成るほど、飽きもせず、連日、書き続けているのは、いまここの私が、
 数年先の、いまここの私に向け話している実感があるため。そして、近未来
の自分の感想を想定することで、私自身を見つめることになる。これを公開
するのは、あまりに危険だが。また、公開しないと続かない弱さもある。

・・・・・・
5894,本物の教養 −4
2017年05月05日(金)
         <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 日本のリーダー層は勉強が足りない
 
    〜字数制限のためカット


6990,閑話小題 〜父親の話

2020年05月04日(月)

   * 感謝しても、しきれない人
 父親が亡くなったのが、67歳。現在の私は74歳だから7年も年長になる。
8人兄弟の末っ子もあって、両親に、とりわけ父親に溺愛されて育った。
明治人で、潔癖で、真面目な人物であった。私の知る限り浮いた
話は聞いたことがない。骨董商の二代目で、太平洋戦争を挟んで、二つの
時代を生き抜いた生涯だった。 戦前には、現在の10億クラスの資産形成が
あったが、長岡空襲で殆どを失っていた。戦時中の稼ぎは、戦死者の急増で
仏壇販売を中心に乗りきり…、戦後は古着販売と、貸布団を中心にしていた。
地元大手の津上製作所の社長に骨董を納めていた因縁から、互尊翁と言われた
野本恭八郎宅にも自由に出入りしていた。二番目の姉の名前が「恭子」。
私の名前の「八郎」は… 野本「恭八郎」から頂いた。

 10歳までは常にペットのごとく、父親が出かけ先に、常に手をひかれて
同行していた俗にいう「父親っ子」。敗戦後に小商人の古美術商が、転業に
成功した事例として名を成していた。子供の頃から、時世について父親の薫陶
を子守歌かわりに聞いていたのが、このブログの下地になった。

 父親が年に数回、近くの「行楽」「角八」「喜京屋」のラーメンを食べに
行くのが最大の愉しみだった。派手好みの長女を除いて、兄姉の生活は地道
だったのは父親の刷り込み。太平洋戦争の敗戦で、体制と価値観が根こそぎ
変ったのが骨身に応えたようだ。 収入の4分1を株価の手堅い東北電力、
北陸ガス株などを別口に積み立てる必要性を、何度も教えられていた。
9年前の思わぬ黒鳥の到来で、何とか事なきを最小で終えたのは、父親の
刷り込みがあったため。さらに‘人生も仕事も楽しむこと’を後ろ姿から、
学んだ事がある。そう簡単に生きる知恵は身につきはしない。毎朝、仏前の
両親と祖父母の写真に向かって手を合わしているが、これも幸福への習慣。

 ‘魂’について、これまで数限りなくテーマにしてきた。 
私の魂とは…両親、とりわけ父親の愛情そのもの。死ぬ時に、それと供に
永遠の彼方に放出されていく。だからか今のところ、死への恐怖は少ない。 
70歳代半ばにして、こう言えるだけでも両親に感謝している。

・・・・・・
6622,閑話小題 〜AIについて
2019年05月03日(金)
    <「AIが人間を殺す日〜車、医療、兵器に組み込まれる人工知能」
                        小林雅一(著) >
 最近の情報機器の進化には目をみなることが多々ある。数年前に、居間
から寝室に移住空間の主体を移動してきたことは、何度もテーマにしてきた。 
廊下を挟んで対角にある仏間の書斎コーナーのパソコン前の空間を加えると、
一日の三分二に近い15時間は「奥の院」に在住している。そこでネットTVと、
録画した映画・ドラマと、旅紀行、各種の講演や、YouTubeで動画サーフィン
などに没頭する。そこは現実社会とデジタル映像の世界が交差する不思議な
空間でもある。AIが人間をコントロールする可能性がある「2045年問題」
奥の院では睡眠以外の時間は情報端末で、コントロールされている。
  
  〜Amazonの内容紹介より〜
≪   ◉ 誰も言わない「一番の脅威」 ◉
 飛躍的な進化を遂げる人工知能(AI)。明るい未来が語られる一方で、
「AIに雇用が奪われる」という見方や、超越的な進化を遂げたAIが人類を支配する
「二〇四五年問題」などのAI脅威論も少なくない。しかし著者はむしろ、目前に
迫る危機として、車、医療、兵器の三つを挙げる。共通するのは、私達の命に直結
する分野であること。ここに今、最先端のAIが導入されようとしているが、中身の
見えないブラックボックスであるうえに、ときに暴走の危険性をはらむ。
世界の制御権が人間からAIへと移譲されたとき、その先に見えるのは自ら判断
する機械・システムが人の命を奪う衝撃の未来。AIの真の脅威が明らかに! ≫
   〜読者、感想より〜
・本書でキーワードとなるのは、「Human in the Loop」「Human out of the Loop」。
すなわち制御の輪の中に人間を含めるか、それとも人間を除外するかということで、
自動運転車でいうと、Googleなどが目指しているような完全自動運転車は
「Human out of the Loop」の思想に基づくものになる。今やAIの主流となる
ディープラーニングではビッグデータに基づきAI自身がある法則性の下でアウト
プット(判断や命令など)を出すが、その過程はブラックボックスでAIの開発者
でさえなぜそういう判断になったのかを理解することができない。AIの判断が
統計・確率に基づくものである限り、現実世界との微妙な誤差により誤った判断
をする危険性があることを著者は指摘しており、自動車や医療分野など判断が
人の生死に関わる分野では「Human out of the Loop」は危険であると論じている。
一方、半自動運転車のように人間の関与も含める形の場合は、どこまで人間が
運転に注意を払わなければならないか曖昧な点が問題、実際に実用化されている
半自動運転車の死傷事故の分析では「ドライバーの混乱」が事故の主な原因と
されている。ということで、AIの判断にどこまで人間が関与するかは難しい問題
であるが、急速な勢いでAIの開発と応用が進んでいる今こそ社会全体で考えて
いかなくてはならないことは間違いないであろう。
・本書では、主にAIの技術的な面に焦点を当てて論じているが、基本的にAIの
判断過程がブラックボックスでしかもIoTで様々なAI搭載機器がネットにつながる
時代では、悪意を持った個人やテロリスト、国などによる脅威もどんどん高まって
いるだろう。自動運転車搭載のAIに外部からの操作で誤作動をさせて事故を起こす、
医療分野で治療を支援するAIのプログラムを操作して誤った治療方針を提示させ
結果患者を死亡させるといったケースがまったくあり得ないことではない時代に
なりつつある。AI搭載の兵器がテロリストなどの手に渡った際の脅威は言うまでない。
こういったケースも想定した上で、AIの信頼性を更に高め、悪用を防ぐ方策を
考えていくことが特に人間の生死に直結する分野への応用においては重要であろう。
―
▼ AIといえば、最近、コマーリャル等で、見かける『ポケトーク』。
 翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用いている。そのため、言語
ごとに最適な翻訳エンジンが活用できる。 従来のオフラインの翻訳機ではなし
えない高度な処理を実現している。これで海外旅行での会話の心配が少なくなる。 
 これをみて、直ぐに考えついたのが『ポケフレンド』。何かを思いついたとき、
話しかけると、即座に、自分では考えつかないレベルの面白い考えを自動的に
伝えてくる機能の端末…。そう遠くない内に、こんなのが出てきたら、如何なる? 
これは思考AI、いや思考サイボーグである。協働ロボットならぬ「協考AI」。
もっとも、グーグルの検索機能も、その類。 自宅の2台のTVはソニーだが、
パナソニックのTVは、音声で直接呼びかける機能と言うが…

・・・・・・
6260,閑話小題 〜17年書き続けると
2018年05月04日(金)
   * 5月4日は、このブログ開始記念日
 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。
まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、
読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。読みっぱなしのためか、
読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、
何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての
PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。
「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。
以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを
始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。
 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。
以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と
検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の
感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代
のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。
 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。
ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア」
の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に
現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い
こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、
その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。
 何事も一万時間か、10年続けることですか。

――――
2016/12/08
なぜ本を読むといいか? 〜7
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著
  * 確実によい本に出合う方法はあるのか?
 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。
“どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。
あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく
べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。
それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。
 〜その辺りを、第5章に具体的に述べてある。
≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を
 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない
から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。
300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで
の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。
でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ
ことなど、どだい無理だと思っているからだ。
・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、
自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を
持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、
おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。
・大事なので、結論を繰り返す。
本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。
予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来
起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。
本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。
本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で
1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。
外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に
なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における
偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。
本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫
――
▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、
 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。
文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの
認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ 
 それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量
の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、
ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと
気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の
情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。
この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、
記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、
それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。
 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを
二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって
しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、
かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、
思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は
私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」
と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、
人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、
<少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> 
 を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、
 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。
トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。
すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニ 

・・・・・・
2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
                      −読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。

ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。

”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”

”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”

”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”

”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”

”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、
書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、
世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に
”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。
神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。
彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが
(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>
という信念というより信仰に近いものだ。”

”少なくとも結果の保証のない賭け。
賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定
不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、
その安定と安心。”
ー
読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。
[深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・
2017/08/25
閑話小題 〜 随想日記、6000回超え、

   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。


6989,緩和小題 〜如何するだい

2020年05月03日(日)

   * 須らく如何する…
 パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる
‘物の見方や捉え方’のことです。狭義には科学分野の言葉で、天動説や地動説
に見られるような「 ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさします。
このような規範を根こそぎ変わるのがパラダイムの大転換。
 このパンデミックで、極論としてもアメリカ人が最大 50%の人々が職を
失うかもしれない事態。超大型地震が海の沖合で起きてしまったのである。
現在、起きている諸現象は、その一波でしかない。 数ヶ月、数年スパンで、
次なる津波が世界中で、陸地に向かい… 
 世界は新たなポスト・コロナに向かって全てが動き出している。
ビジネスを例にとると…居酒屋チェーン、SJ、パチンンコ、劇場、サッカー、
プロ野球、大相撲などの全てが… オリンピックは中止か、無観客試合。 
 いや…中止が妥当である。アスリートの気持ち云々…? 東北大震災で、
誰がそんな甘ったるい言葉を吐いたか。これは、メガトンクラスの大参事。
 ―
   * 竹の花は、120年に一度咲く!?
《 いっせいに花開き、そしてすべて枯れてしまう竹は一つの竹林で一つの命を
 もっていると言える。長い間地下茎で竹林を広げ、ある時一せいに花を咲かす。
若い竹も年老いた竹も同時です。そして種子を残し、すべて枯れてしまいます。
竹林が丸ごと消えてしまうため、もとに戻るには10〜15年の長い時間がかかる。 
昔から、竹の花が咲くと凶事の前触れと恐れられていた竹の開花スパンは種類に
よってさまざまですが、モウソウチクで60年、マダケで120年前後と言われる。
このため、竹の花は不吉な出来事の前兆と恐れられてきました。》
 ―
▼ これが去年の現象とすると、いやに時節が一致する。まずは目先の一波を
 何とか遣り過すこと。他人の逆行け花の山。恐らく、実感として何が起きたか
理解不能。誰も彼もが経験したことのない事態であり、まずは、日常の常識を
捨てること。 現時点は、東北大震災の大地震が起きて、第一波が目の前に到来
しつつある頃と見ればよい。その先の第二、第三の大波が問題。 覚悟をして、
裏山に向かって一族郎党だけでも、いや自分一人だけで逃げること。
 …ボ〜ッとした人に脇目も触れず。  …まだ、言ってるよ! 
<○○さんも逃げたって!> ‘救いようがない、救われない。カッパエビセン’ 

・・・・・・
6622,閑話小題 〜AIについて
2019年05月03日(金)
    <「AIが人間を殺す日〜車、医療、兵器に組み込まれる人工知能」
                        小林雅一(著) >
 最近の情報機器の進化には目をみなることが多々ある。数年前に、居間
から寝室に移住空間の主体を移動してきたことは、何度もテーマにしてきた。 
廊下を挟んで対角にある仏間の書斎コーナーのパソコン前の空間を加えると、
一日の三分二に近い15時間は「奥の院」に在住している。そこでネットTVと、
録画した映画・ドラマと、旅紀行、各種の講演や、YouTubeで動画サーフィン
などに没頭する。そこは現実社会とデジタル映像の世界が交差する不思議な
空間でもある。AIが人間をコントロールする可能性がある「2045年問題」
奥の院では睡眠以外の時間は情報端末で、コントロールされている。
  
  〜Amazonの内容紹介より〜
≪   ◉ 誰も言わない「一番の脅威」 ◉
 飛躍的な進化を遂げる人工知能(AI)。明るい未来が語られる一方で、
「AIに雇用が奪われる」という見方や、超越的な進化を遂げたAIが人類を支配する
「二〇四五年問題」などのAI脅威論も少なくない。しかし著者はむしろ、目前に
迫る危機として、車、医療、兵器の三つを挙げる。共通するのは、私達の命に直結
する分野であること。ここに今、最先端のAIが導入されようとしているが、中身の
見えないブラックボックスであるうえに、ときに暴走の危険性をはらむ。
世界の制御権が人間からAIへと移譲されたとき、その先に見えるのは自ら判断
する機械・システムが人の命を奪う衝撃の未来。AIの真の脅威が明らかに! ≫
   〜読者、感想より〜
・本書でキーワードとなるのは、「Human in the Loop」「Human out of the Loop」。
すなわち制御の輪の中に人間を含めるか、それとも人間を除外するかということで、
自動運転車でいうと、Googleなどが目指しているような完全自動運転車は
「Human out of the Loop」の思想に基づくものになる。今やAIの主流となる
ディープラーニングではビッグデータに基づきAI自身がある法則性の下でアウト
プット(判断や命令など)を出すが、その過程はブラックボックスでAIの開発者
でさえなぜそういう判断になったのかを理解することができない。AIの判断が
統計・確率に基づくものである限り、現実世界との微妙な誤差により誤った判断
をする危険性があることを著者は指摘しており、自動車や医療分野など判断が
人の生死に関わる分野では「Human out of the Loop」は危険であると論じている。
一方、半自動運転車のように人間の関与も含める形の場合は、どこまで人間が
運転に注意を払わなければならないか曖昧な点が問題、実際に実用化されている
半自動運転車の死傷事故の分析では「ドライバーの混乱」が事故の主な原因と
されている。ということで、AIの判断にどこまで人間が関与するかは難しい問題
であるが、急速な勢いでAIの開発と応用が進んでいる今こそ社会全体で考えて
いかなくてはならないことは間違いないであろう。
・本書では、主にAIの技術的な面に焦点を当てて論じているが、基本的にAIの
判断過程がブラックボックスでしかもIoTで様々なAI搭載機器がネットにつながる
時代では、悪意を持った個人やテロリスト、国などによる脅威もどんどん高まって
いるだろう。自動運転車搭載のAIに外部からの操作で誤作動をさせて事故を起こす、
医療分野で治療を支援するAIのプログラムを操作して誤った治療方針を提示させ
結果患者を死亡させるといったケースがまったくあり得ないことではない時代に
なりつつある。AI搭載の兵器がテロリストなどの手に渡った際の脅威は言うまでない。
こういったケースも想定した上で、AIの信頼性を更に高め、悪用を防ぐ方策を
考えていくことが特に人間の生死に直結する分野への応用においては重要であろう。
―
▼ AIといえば、最近、コマーリャル等で、見かける『ポケトーク』。
 翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用いている。そのため、言語
ごとに最適な翻訳エンジンが活用できる。 従来のオフラインの翻訳機ではなし
えない高度な処理を実現している。これで海外旅行での会話の心配が少なくなる。 
 これをみて、直ぐに考えついたのが『ポケフレンド』。何かを思いついたとき、
話しかけると、即座に、自分では考えつかないレベルの面白い考えを自動的に
伝えてくる機能の端末…。そう遠くない内に、こんなのが出てきたら、如何なる? 
これは思考AI、いや思考サイボーグである。協働ロボットならぬ「協考AI」。
もっとも、グーグルの検索機能も、その類。 自宅の2台のTVはソニーだが、
パナソニックのTVは、音声で直接呼びかける機能と言うが…

・・・・・・
6260,閑話小題 〜17年書き続けると
2018年05月04日(金)
   * 5月4日は、このブログ開始記念日
 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。
まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、
読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。読みっぱなしのためか、
読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、
何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての
PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。
「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。
以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを
始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。
 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。
以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と
検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の
感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代
のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。
 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。
ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア」
の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に
現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い
こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、
その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。
 何事も一万時間か、10年続けることですか。

――――
2016/12/08
なぜ本を読むといいか? 〜7
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著
  * 確実によい本に出合う方法はあるのか?
 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。
“どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。
あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく
べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。
それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。
 〜その辺りを、第5章に具体的に述べてある。
≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を
 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない
から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。
300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで
の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。
でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ
ことなど、どだい無理だと思っているからだ。
・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、
自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を
持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、
おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。
・大事なので、結論を繰り返す。
本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。
予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来
起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。
本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。
本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で
1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。
外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に
なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における
偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。
本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫
――
▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、
 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。
文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの
認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ 
 それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量
の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、
ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと
気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の
情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。
この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、
記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、
それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。
 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを
二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって
しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、
かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、
思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は
私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」
と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、
人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、
<少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> 
 を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、
 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。
トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。
すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニ 

・・・・・・
2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
                      −読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。

ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。

”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”

”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”

”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”

”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”

”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、
書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、
世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に
”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。
神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。
彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが
(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>
という信念というより信仰に近いものだ。”

”少なくとも結果の保証のない賭け。
賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定
不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、
その安定と安心。”
ー
読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。
[深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・
2017/08/25
閑話小題 〜 随想日記、6000回超え、

   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。


6988,閑話小題 〜アメリカ就業人口の2割が既に失業…

2020年05月02日(土)



   * 近々に3割が失業? …本当か〜
 ネットで調べると、何やら恐ろしい現実が現われ出てきた。
僅か6週間で、既に3360万人が失業し、3分1の5000万人という調査もある。
1ヶ月前のニュースで、銃砲店の前に危険を察知した一般市民が行列をなして
いる映像が流れていた。この事態では、今では然もありなんだが、当時は
驚いてしまった。
 日本では、「10万円与えるから、連休には外出をしないで、家篭りをしろ。」
と… 「店は、生活必需品を売る店以外が閉鎖しろ。2m位の社会的距離を保ち、
3人以上は集まるな…」と。「80歳以上の老人は伝染したら命の保証は無いもの
と覚悟をしなさい。 医療崩壊は一歩手前で止まっている。帰省などは、危険で、
生き死に以外は、立寄らないこと。」 都道府県知事などの首長は、
「観光地を含めて、県内に立ち入らないで欲しい」と宣う。夜の世界はタブー。
もし、それが知れ渡ったら社会的に抹殺。

≪ 既に3360万人が失業し、アメリカで、新型コロナウイルスに対してのロック
 ダウン政策が始められてから 6週間ほど経過したが、その「たった 6週間」で、
アメリカで仕事を失った人の数は、政府の公式な発表で、それ以前からの失業者
を加えると、「 3360万人」となっています。
 アメリカの就労人口は、約 1億5000万人ですので、おおむね 20%以上の失業率
となっているということになります。ところが。昨日、アメリカのシンクタンク
「経済政策研究所」が実施した失業した人たちに対してのオンライン調査の結果
が報じられていまして、それによると「実際の失業者は 5000万人を超えている」
ことが確実となっているのです。
政府による公式な失業申請数は「申請手続きをした人の数」が報告されるが、
この失業保険申請システムが「崩壊」しつつあることがわかったのです。
 大きな原因はふたつで、
・あまりに膨大な数の申請が急激に増加し、処理できない
・失業申請のコンピュータ登録システムが数十年前の古いシステムで、
 職員が更新の方法がわからない

それに加えて調査では「 3月に失業申請した人たちのほとんどが、いまだに
失業手当てを受け取ることができていない」ということもわかってきています。
その中で、アメリカの中央銀行は、「雇用の最大化と物価安定のため、あらゆる
手段を活用する」と述べていて、その結果、アメリカ連邦準備制度の現在の
バランスシートが、冒頭のグラフのように、たった 6週間ほどで、6.66兆ドル
(約 700兆円)という天文学的な数値に達しています。
つまり「国の3分の1が失業するという状態」なのです。 

「経済政策研究所」の調査について報じたアメリカの記事をご紹介します。
調査によると、5,000万人のアメリカ人が過去 6週間で仕事を失っている
4月23日に発表されたクレーム報告書により、アメリカ労働省は現在の不況は、
過去に見られたものとは異なることを認識した。過去 6週間だけで約 3,000万人
以上のアメリカ人が職を失っていたことを確認したのだ。
ところが、このような数字でも、アメリカで失業した人の総数が過小評価されて
いる可能性があることをシンクタンクの調査が示しており、今後、アメリカ人で
最大 50%の人々が職を失うかもしれない。  ≫

 ――
▼ これでは最悪、1929年から発した『世界恐慌』以下の事態になりかけない。
 中国が仕掛けた可能性も見え隠れするが、細菌テロならアメリカも可能性も
充分に有得る。定期的反撃を繰返すとなると、人類滅亡にいたる。

・・・・・・
6621,閑話小題 〜女漫画家の『最後の授業』
2019年05月02日(木)
            最後の講義 「漫画家 西原理恵子」
「エンピツ」の読者の皆様、 今回だけでも面白い漫画写真が載っている
  https://horii888888.hatenablog.com/を覗いてください!

   * 赤裸々に生きる
 去年の8月に放映されたのを録って、保存用のブルーレイの盤に移行していた
のを、数日前に再びみた。面白いのは何度見ても面白い。この5月5日に再放送
するそうだ。 画家を目指したが、直ぐに断念。その技術を活かして生きるため、
歌舞伎町でホステス稼業をしながらエロ本を描いて生きつなぐ。 ところは
東京女子大で、100人の受講者を前に、「女の子の人生で覚えて欲しいこと」を
テーマに登壇、言いたい放題。西原について、これまで何回も取上げてきた。
シリアスで自分に正直であるところが好きだが、傍に絶対居たくない女性。

「もし今日が人生最後だったら、どんなメッセージを残すのか?」。
アメリカの有名大学で行われている「最後の講義」が日本でも始まる。
 西原理恵子のテーマは「女の子の人生で覚えて欲しいこと」。
貧困と隣り合わせの少女時代、エロ本イラストからスタートした漫画家生活、
アル中の元夫との壮絶な日々… でも全ては笑い飛ばせる!すさまじいパワー
はどこから? 「オトコを見る目」「仕事と母親」「新たな彼氏も?」

・“男”捨離!?
・「家族は助け合わなくていい」? 
・「うちは本当に楽しい家庭なのよっていう真っ赤な嘘を、13年つき続けました」
 没夫、鴨志田穣が、アル中になった時に、過ごした日々は、惨め、壮絶だった。
 これをめげる事なく乗り切った精神力には、畏敬の念すらおぼえる。。
 
・「ハタチまで貞淑でいなさい」って言っておきながらハタチになったらクソ
 みたいな男がウヨウヨ泳いでいる大海原に放りだして、「いいの見つけな」
 って言ってもさ、3人ハズレに当たってみ? 10年経ってるよ。キツイよね。
 男にはわかんないんだから二股、三股かけとけよって!
 
・「女の一途って、いけないことだと思うんです」
 「女の一途」は相手の悪いところが見えなくなる病気なんで。ちょっと
 “マイルドなヤリマン”でいいから、って言っているんですけれどね。

・「世の中は腐れちんぽばかりですから、うっかりくわえても決して恥では
 ないんですが、くわえているうちにどうにかなると思ってクチャクチャいつ
 までもくわえているのが一番いけません。ダメだと思ったらすぐに吐き出して
 ください」って
 
・失敗してほしい。元気でやってくれればいい。でも男に依存しないでねって。
 自分だけの人生を歩んでほしい。人生の舵取りを人に任せないこと。うまくいか
 ない自分の人生を、あの人のせいでこうなったって言い続ける人にならないで。
 
・この歳になって、私もいい受け身を取れるようになったんです。背中にいい
 感じの背脂もついて。50歳くらいになると失敗しても笑って起き上がれる。
 ヤワラちゃんみたいないい受け身が取れるようになった。
 
・娘もね、早くたくさん転んで受け身の練習をして早く笑ってほしい。
 失敗しない人はいないんで。人間はみんな転ぶので。笑ってればどうにか
 なるから。動きのいい転び上手なおばさんになってねって。
 ―
▼ <若い女は大よそ2億円ぐらい。それが20年かけてゼロになっていくの…>
 がよい。肉体に包まれた精神と欲求は、制限なく膨張しバランスが崩れていく。
肉体は生野菜と同じように日々、しおれ腐っていくシロモノ。そのギャップが
長年かけて露出する。それをそのまま笑い飛ばすため、それはそれは… 
作家の中村うさぎ、岩井志麻子、とくれば、「たしなみ」など「はみだし者」
の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女たちだが、それ故に
面白さが格別。 改元の儀式を流し目でみながら、このような妖怪女たちは、
『何じゃありゃ!馬鹿か?』と思っているのだろうが… それにアヤカル…
いや、時が時だけに、ここでストップ! 令和の初頭から何で彼女になるの!
 
 〜以下は、過ってテーマにしたもの
――――
2017/07/06
洗って使える 泥名言 〜1     
        <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * マンコ一回は数には入らん
 図書館の返却コーナーで見つけた、「サイバラ」の下ネタ、B級シリアス本。
この御堅いブログには相応しくない?が、第3章の『男と女の名言』が…何とも。
「中村うさぎ」ちゃんも、無理がタタって、介護生活。その穴を、岩下志麻子
と、二人が埋めている。 スナックで、酔い客と、ママやホステスと日ごとの
会話は、こんなもの? 聞いたこともない?下ネタが、息をつかないほど続く。
・「無理マン」=私らの頃の高知の田舎の女子の初体験は、和姦と強姦の間の
「無理マン」というのが普通でした。二人きりになって、もう抵抗しても無駄
 だし、殴られるのも嫌だし、まあしょうがないかな、みたいな…
・「マンコ一回は数には入らん」=ヤンキー文化の女子高だったので、みんな
 結構やっている回数が多いです。何回以上やると付き合ったことになるかと
 いう話題になった結果が、これ。
  ー内容紹介ー
≪実父はアルコール依存症。継父はギャンブル依存症で自殺。元夫もアルコール
 依存症。自身も地元高知の高校を退学となり、大検を経て武蔵野美術大学に
進学するも、生活費稼ぎのために、在学中からミニスカパブでホステス、成人誌
で漫画を描く日を過ごした。そしていま“整形手術の帝王”高須克弥氏と熱愛中…
そんな波瀾万丈の半生のなかで、サイバラの人格を形作る土台となった身近な人
の「金言」集です。 その一部を紹介すると――。
・「前科とお金、どっちが大事?」…バイトしていた白夜書房の編集長の言葉。
 猥褻図画を載せて何度も警察に捕まった氏は、「前科なんていくら増えても
 いいじゃない。お金が儲かるんですよ」と繰り返した。
・「半分も払ったのに」 …雀士・小島武夫の言葉。麻雀の負け分をめったに
 払わない氏は、「半分も払えば返したも同じ」という考え方だった。でも、
 誰からも愛されたという。
・「病気は作んなきゃ」……高須氏の言葉。氏が「包茎は悪いこと」という
 認識を世に広めることに成功し、「包茎手術の第一人者」となった経験から。
歴史上の偉人とかビジネスの成功者の名言みたいに輝かしいものではありません。
どっちかというとゲスだったり、身もフタもなかったり、ワケわかんなかったり
するような言葉ばっかり。でも、サイバラの人生の糧となった“言葉の劇薬”≫
―
▼ 御堅い明治生れの両親の元で生れ育ったため、親元から離れても、すり込み、
 呪縛から離れることが暫く出来なかった。女性中心の職場だったこともあり、
B級グルメ的魅力の女性が多くを占めていたが、地域の魅力を持った愛らしく
美しいの人が、それぞれいた。ヤンキー上がりはゼロに近かったが、それでも
面白く、際どいのが4〜5人に1人の割合だったような。驚いたのが、2人、
3人目の相手の物色をする実態。 違った相手に気持ちが移るのは自然のならい。
西原は「えげつない、下ネタの漫画家でもあるが、これがマタ、面白い。
ここまで明け透けになると、「いやらしい!」の気持ちが吹っ飛ぶ。
 ところで、「洗えば使える」は、あれのこと? 「洗って返してもらえば…」
両親に、生々しい具体的下ネタは控えるように教えられて育ったが、一般家庭
なら至極当然だが。下のことは、「暗黒の大陸」より、「暗黒の密林」ですか。
――――
2017/07/07
洗って使える 泥名言 〜2
              <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * 鉄マン ―性のアスリート 
  何のことやら?の、深く、かつ面白い下ネタが次々とつづく。  
★ <金ちゃんね、夜5回、朝2回なの。これは恋だと思うの> 
 まあ、驚きというか。その下りが… 
《 猛者といえば岩下志麻子ちゃん。彼氏と夜5回。朝2回ぐらいやらないと
 恋じゃないという。普通の日本人のやり方じゃあ単なる御あいさつなんです。
本当に‘鉄マン’だなと思う。もはやアスリート。
 志麻子ちゃんが常々言っているのが、
「私が悪いのではなくてマンコが悪いの」
「私にマンコが付いているのではなく、マンコに私がついているの」
すごいのは、租チンには当たったことがないっていう。… で、巨根の人
だけアソコが赤く光るとかね。そういう人だけを食べているの。だから、
志麻子ちゃんに素通りされたら、男として残念なことになります。まあ、
逆にロックオンされたら困りますけど。》
★ <歴代の女が泣いてわめいて角取ってくれた中古の男がちょうどええ。>
★ <一人3ちんぽ>
 「チンポマエストロ」と呼ばれている知り合いの不倫道の先生の教えで、
「不倫するなら一人3チンポぐらい持っておけ」と。一本に固執するから、
 さまざまなトラブルや事故が起きる。「あの人と連絡がとれない」とキーッ
 とならないために「じゃあ、こっち」「そっちがダメならこっち」と。
 いきなり日曜日に相手の家に「来ちゃった」とかならないように。
 3本を上手くまわしましょう。
 「そもそも向こうが奥さんと二股をかけているんだから、こっちも二股を」
 という「チンポフェアトレード論」を前から主張しているですけど。だから、
 不倫道としては3本まで。あまり多いと、色いろ支障が出てくる。毛利元就
 の3本の矢じゃないけど、3本のチンポの教えとして心に刻んでおいて下さい。
★ <こんな気持ちのいいことでもお金をもられるなんて夢みたい>
 以前、タイで会った若い買春婦の子の言っていたから、色んな人がいる。
―
▼ 鉄マンから見えてくる人生がある。男と女では、あまりに格差がある。
 男社会は、下スキャンダルに厳し過ぎる感がある。 で、晩年?、
「やっときゃよかった話」になる。
――――
2017/07/08
洗って使える 泥名言 〜3
            <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * ライオンは弱い奴を狩りに行く
  〜 他の章の面白い泥名言が… 〜
<すべての男は3等賞や。それを一等にするも、三等にするのも自分や。> 
 と、知り合いのママが言っていたというが… 凄いことをいう。更に、
<三等を三等のままにしておくのも立派なことで「それで充分やんか」>
 だと。 それもこれも、泡沫の夢幻の話。死んでしまえば皆、同じ。

<ライオンは弱い奴を借りに行く。>
 暴力と貧困は、高いところから低いところに行く。世間とかいうゴミダメは、
 こういう弱者探しを生業に成立ち、日常会話で「にわか裁判」をしている。
 まず検事がいて、裁判長、そして傍聴人までいる。多くが、人生不燃焼組で、
 その燃え残りに火をつげ、自己満足する輩。対象は「大変な人」。

<よく離婚とか、彼女と別れる段になって、きれいに別れようとするバカが
 いるじゃないですか。あれ、一番ダメなんですよ。何やっても嫌われるの
 なら、「どうして、こんな奴と」思われるぐらい嫌われた方がいい。>
 キレイに事業撤退とか転職をしようとするから、ダメ。嫌われ罵声を浴び、
「これも有りか」と、独り打ち震えるのを逆に楽しむ位でないと。 
「最期は、キレイに撤退したい〉の私の要請に対する弁護士の答え
〈借金を踏み倒すのに、キレイも汚いもない。70点が最高点と思って下さい!
〈それでは、70点に近づけるように、お願いします。〉と方針決定。
 甘かったかもしれないが、過去の経験からして、やはり、後味の悪いのは、
 傷口に悪い。
―
▼ 大変な家庭環境の中で、下ネタ経験充分の人生もあり、とう泥名言の数々。
 緑の原野(娑婆)には、花も実もあるが、捕食動物も、被捕食動物もいる。
狩るか、狩られるかの弱肉強食のドラマが日ごと繰り返されている。ところで、
『今、何になっているの?』『何を狩ってんの?』『何を楽しんでるの?』
『人間をしているの!』『好きな遊びを探してるの』『趣味を楽しんでるの』…
… など、様ざま。問題は、時間が限られていること。キーワードは、『よく』
が、それぞれの生きざまの頭についているかどうか。その為には考えること。

――――
2015/05/27
修羅場の極意
               『修羅場の極意』佐藤優著
  * カネがないのが最大の修羅場
 月末の運転資金が足りないなどの資金繰りの修羅場を経験をしないで事業を
終えることができたのは不幸中の幸いであった。現在、中小・零細の三分一が、
資金繰りに追われる修羅場状態という。身近で、倒産時の修羅場をみてきたが、
正に阿修羅、いや獣のごとく!であった。そのため先年、知人が自殺に至った。
『修羅場の極意』の巻末の西原理恵子と、著者との対談がリアル! 
≪ 西原: 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。
 病気にならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、
 この世の中には存在しません。そのとき、専業主婦だったら家の中は
 滅茶苦茶になる。夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、
 家庭は修羅場になります。専業主婦は極めて危険な仕事です。
 夫を治すために莫大なおカネがかかり、半年後にちゃんと死なせるため
 にも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。
 おカネがないと、たいていの人は獣になってしまいます。おカネがないと
 男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる危険性が高くなる。
 自分の娘と息子がそんなことになったら、人生最大の修羅場と考えている。
 それさえ避けられれば、ほとんどのことはどうでもいい。
佐藤: 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シュミレーションをしておく。それで、原因を理性的に分析して、
 危険な芽をつぶしておこうということですね。
西原: 子どもを東大に行かせようなど高望みしない。いい子に育てようと
 いった漠然とした理想も描かない。最悪の危馨理から逆算するのであって、
 上は想定していません。
佐藤: いいじゃないですか。東大を出て超有名企業に勤め上司の顔色ばかり
 うかがって、人間としての誠実さを失っていくようなエリートはいっぱい
 いますが、そんなふうになっても仕方ないのですから。
西原: そうですね。人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身に
 つけばいいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。
 それと、女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、
 それさえ気にしないで生きていける強度があればいいと思っています。≫
▼ 普通の子女が金に困り売春する金額は世界共通で、その地域の一週間分の
 給料分で、日本では4〜5万円が相場とか。対談相手の漫画家の西原真理子
は、夫の酒乱に悩まされ、末期ガンの夫を見送った手記は、日常生活の修羅場
そのものだったという。私も、事業をしている時、『起こってしまった難題に、
更に最悪を想定し、そこから対策を構築』していた。その積み重ねが、喩えば、
シェルターとか、避難ボートの準備だった。また、事業計画の段階で、最悪を
想定して、逃げ口を念入りに想定した。でも、こんな大津波(情報化社会)が
やってくるとは、思いもよらなかったのが本音である。事業で、お金は、
空気と同じで、きれた瞬間が死(倒産)である。そこから逆算しての
安楽死が事業にはある。安楽死は、自分でしか決断出来ないため、悲喜劇が
繰返される。その三分の一の経験だけは、したくはなかった。父の口癖、
『金がないのは、首がないのと同じ! 万一を想定し、備えを整えるべし』
の実践が最後には救ってくれた。準備があれば、最悪を冷笑する視線が生じる。
『こんな面白いことはない!』という、自虐的な、地底からの視線である。
鼻声で、他人の不幸は蜜の味という何への、侮蔑・汚蔑の視線が面白い。
ところで事業生活45年の、どの部分を切りとっても、修羅場と天国。
商売、事業とは、本来、そういうもの。両方とも楽しむのがコツである。


6987,閑話小題 〜悪魔のしわざか、神の御加護か…

2020年05月01日(金)

閑話小題 〜新型コロナは、神の御加護か… 

   * 100歳まで生きて、如何する?
◉ 2025年になると5人のうち1人が75歳以上に… 65歳以上が3人に1人に。
これは国民医療費が崩壊するXデーが、目前に迫っているのを意味することを
私たちは知らない。‘人類の未来を見据え細菌をバラまき世界の人口を半減を
目論む悪役との戦い’をテーマにした映画が…。新型コロナのパンデミック…
歪な老人構成の調整にとって…になるという発想の転換も。死亡率は100%。
基礎欠陥の後押しの死を悪とみるか、その逆か。ところが自分と身内となると
割切れないのが死の問題。 …武漢というのも出来過ぎで、少し気になる。
◉ 去年暮れに、年一のクラス会に上京したが、数年前から参加を始めた毛色の
変わった人物が、一分間スピーチで自分は110歳まで生きることにした。
とすると…あと30数年も生きられるが、問題は資金のさんたん…’と真顔で…。
‘寿命を75歳まで、あと1年と設定した我が身。思わず咳き込んでいた。
反論をすることもないが…‘寝たきりでなんでも生きたい’と宣う。
周囲からすると‘死損ない’。
◉ 今年の2月頃に、近くに来た長年の知人と喫茶店で近況を話し合ったが、
その時も、「100歳まで生きるつもりだが、資金が足りないので、ひと稼ぎと、
事業を立上げて継続している!」と宣う。 思わず、相手の顔を見直したが、
至って真面目な顔。 起承転結より…起承転々ということ! 
◉ このままだと、年内で4割、来年末で6割の事業所が成立たなくなるとか。
「全治10年」というが、元に戻ることはない。この文言からして
『半治に5年あたり』か!
◉ 東北大震災時の大津波を想定すると、現前は、一波の到来。問題は、二波、
三波のドデカイやつ。株式の暴落か、より強烈な細菌テロか。メガトン級の
自然災害の追いうち。あとは、朝鮮半島の動乱。

・・・・・・
6620,閑話小題 〜「令和」元年ですか
2019年05月01日(水)
   * 何やら元旦のような
 平成が終わり、令和に改元された。退位によるのは200年ぶりとか。
85歳で、丁度良い辞め時。目立足し目出度しである。ちなみに昭和天皇は87歳。
東京オリンピックの開会セレモニーをこなすには明らかに無理がある。
語呂合わせで、「れいわ(018)を足すと西暦に変換できるの便利」という。
「昭和は+25 平成は+88 令和は+018」になる。
大型連休を終え、令和天皇の即位の御祭り騒ぎが終ると、不況風が吹いてくる。
街は右を向いても左をみても、パート募集の貼紙。現場はパート、アルバイト
の確保に大わらわだが、正社員の募集は数少ないようだ。 年金暮らしでも、
時代変遷からくる厳しさは伝わってくる。3、30%組と、67%組みの差が歴然と
してきた。
 ―
 その中、に中学校の同級生の訃報が… これで男の3割が鬼籍に。50歳代前半
で6人が亡くなった後、10年ほどなりを潜めていたが、4年前に一人、そして先日、
一人が新聞の死亡欄に名前が載っていた。27名の男の同級生で8人目で3割になる。 
鬼籍に入った男とは顔見知り程度、30年近く、同級会には全く出席がなかった。
地元の長岡高校に入ったが、進学を断念。離婚後?一人暮らし。20年近く前に、
彼がパートで働いていたホームセンターの店頭で立ち話をしたのが最後だった。
家庭内不和で、トラブルが続き、順調な人生ではなかったと聞いていた。
 ―
 机の前に、新しい置物、‘起き上がりこぼし’が鎮座した。 先週の映画館の
入場の際、土産で貰ったもの。 親指大の5�僂巴K瓩気鵐好織ぅ襪世�、これが
パソコンの合間の豆時間の気分転換のリラックスに丁度良い‘動くオモチャ’。
突っつくと前後に、回すと独楽のようにクルクルと… 捻って回すと妙な動きで
大きく動き回る。 ただ、それだけだが、これが気分転換に良い。 
ロシアのマトリョーシカ人形のカタチをしている。小さいわりに重厚感あって、
元気にコロンコロンと動き回る。 何か写真ってないか?とネットで検索をした
ところ、この位の大きさの人形写真が多く出てきた。パソコンに疲れた合間の
生抜きに結構、人気があるのかも? これって幼児帰りですか?
 ―
 10連休は、ツアーなどの旅行にはいいが、近・短・安なら、残った日々は、
家族が毎日、顔を突き合わすことに。 定年当初の元サラリーマンが直面する
家の中の陣取り合戦。家が大きいため、寝室と仏間の書斎コーナーと、逃げ場
がある上に、10年以上のポタリング(チャリ散歩)と、スポーツジム通いがある
ので、息苦しさからは解放されはいるが… それでも互いのストレスはたまって
くる。まだブルーレイにWoWoWの映画の録りためが300本あるから…。
家内の冷たい軽蔑の視線の中で、奥座敷で大人しく日々を過ごす日々。
これは、連休だけではないが… さて、信濃川一周でも行きますか。

・・・・・・
6257,読書日記 〜トランジション
2018年05月01日(火)
    <「トランジション ――人生の転機を活かすために」
                   ウィリアム・ブリッジズ (著),
 人生とは「転機」の繰返しであり、その積重ねの道のりをいう。
これは極限状態であることが多い。「転機」を織り込んだ「予定挫折」もある。
節目を打つには、計画的挫折が非常に効果的である場合がある。。

 人生を振返ると、特に20歳、30歳代は、転機の出来事が次々と押し寄せて
いたが、誰もが通る道? その一つずつを、若さで、真正面に、無心で受止め、
只管、潰していた日々…。 極限にたつと、火事場の馬鹿力や、幸運が何処から
湧出てくるもの。まずは、空即是色。「空」の状態に置くと、自ずと真剣を抜身
にしたような状態になる。それが「ニュートラルゾーン」。そして「始まり」の
エネルギーが湧出てくる。心持としては、一種「発狂状態」。
「終わり」の空虚感がエネルギー源だろう。その時の不安や焦燥感は、会社整理
とは桁違いのエネルギーを要す。

 30年間、長岡から新潟駅前に監査に来ていた会計事務所の担当が、生の現場で、
「整理を楽しんでますね。立場が分かってない、不謹慎です」と宣っていたが、
節目モードの現象が、面白くない訳がない。あくまで傍観者でしかない。想定内で、
先は見えているのだから、苦しいわけがない。次々と圧縮して押し寄せる問題を
確実に潰していけばよいだけのこと。生々しい転機の経験してきたため、
 以下の言葉が実感として理解出来る。

  〜Amazonの内容紹介
《「人生とは、失恋、結婚、転職、死別、昇進など、転機(トランジション)
 の連続です。その転機を一体どうすればうまく乗り越えられるのでしょうか。
本書で人生の転機「トランジション」を
 「終わり」→「ニュートラルゾーン」→「始まり」の3つに分け、
人生の転機をどう乗り切るかを解説しています。
 あらゆる状況には「終わり」があります。「終わり」と次の新たな「始まり」
の間の期間、「ニュートラルゾーン」に突入すると、これまで自分が置かれて
いた環境や立場がなくなり、自分自身が何者であるのかも分かでらなくなり、
将来も見えなくなり、ぬけがらのようになってしまうのです。ニュートラル
ゾーンはこれまでの自分が失われ、先も見えない、とても苦しい時期です。
  〜著者はこう述べています。
「人は跳び上がる前に、かがまねばならないのだ。このような旅はまた、
たった一人で行くしかない。」
「ニュートラルゾーン」では、急いで抜け出そうとして焦って行動を起こす
のではなく、「終わり」を受け止め、空虚感や喪失感をしっかりと味わい、真摯
に自分と向き合うことこそが、転機を活かし新たな「始まり」を迎えるために
必要なことなのです。》

―
▼  一休が亡くなる際に、弟子たちに遺言を残した。
 弟子たちに「どうしても困ったら、遺言を見なさい」と伝え息を引き取った。
そして何年かして、本当に困った事が起こり、弟子たちが遺言書を開いたところ、
「大丈夫」「心配するな」「何とかなる」とだけ書かれていたそうだ。
創造といえば、その背景に破壊がある。新たな再出発には、既存の日常の
別離が必要となる。 その繰り返しがキャリアの蓄積となる。同じ人生、濃厚に
生きるも良し、淡泊に生きるも良し! 折角なら活き活き、明るく生きたいもの。
それもスキップをして!ニッコリ笑って、ハンカチーフ。足元はガクガクしても。
 改めて振り返ると、「ニュートラルゾーン」が一番キツイが、この時こそ、
「空即是色」状態で、膨大なエネルギーが発露していた実感がする。
これも、車もガソリンがあればこそだが… 

・・・・・・
5890,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー6
2017年05月01日(月)
   * 日々、緊迫度が増す状況へ
 北朝鮮問題について、4月半ばから5回シリーズで書いてきた。
流れからして、全面戦争は避けられないとアメリカが腹を据えた時点で、
本格的な手順が始まる。いや既に始まっているのか。韓国と、仏大統領選挙
までは、開戦がないとみられるが、これが終わり、韓国新大統領への新布陣が
固まる8月まではアメリカも自制するが、9月以降は何でもありになる。
 アメリカの空母派遣は、親米派の韓国大統領を当選させる戦術と捉えられる。
いざ開戦危機となれば、暗殺、クーデターの可能性もあるが… どうだろう。
 ところで、横須賀に寄港している空母レーガンの動きもないが、いざ開戦時
の、補給のための交代戦力? それとも、首都圏への防空の布陣? 
 問題は、終戦後の周辺国への難民問題がある。 相応しくない大統領と、
幼稚で暗愚な主席となればこそ、起こるはずのない核兵器の使用を含めた
全面戦争になる可能性が大である。 それが8割とするなら… 
 「北朝鮮の深刻なガソリン不足で 平壌市内にあるガソリンスタンドは、
閉鎖されていて、人の姿はない。」とテレビが報じているが。
 毎日のように、御二人の漫画のような掛け合いを目の当りにしている
こと自体が信じられない。ドン様、カダフィか、フセインのような末路に
なるのだろうが、その前に数百万人の死傷者を道連れにする可能性を含む。
 問題は、ミサイルの飛来の可能性で、対岸の火事では済まされないこと。
暗殺、クーデターを恐れたドン様の自爆的粛清が更に激しくなる?
 
・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
   * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事に息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく


6986, 閑話小題〜 年齢を重ねるにつれて

2020年04月30日(木)

    * 御隠居生活を重ねるにつれて…
◉ 兄から電話が入ると、‘姉か従兄の死亡の知らせ?’とドッキとする。
先日は千葉に住む三人の姉の一人から「新型コロナは大丈夫かと連絡が入ったが、
如何だ?」の内容。最近の想念は昔の苦い想い出が多い。血気の多い20歳、30歳
頃の軋轢。 けっこう毒の多い言葉を吐いてきたため、怨まれてきた。それさえ
なければ折角の学びも、善行も?台無しと、何度も言われてきた。この毒があれば
こその私と嘯いても、致命的なことが、あまりに多い。
 
◉ 65歳時に順調と想えた事業人生を終えた。碁盤の白石が一斉に黒に替わった
感覚である。そこから、人生を振返ると、様ざまな、己の所業の裏表がクッキリ
と見えてくる。これこそが人生最大の収穫。後悔もなし、残ったのが行蔵のみ。
何事も受止め方次第。問題は充実していたかどうか。<想いこみさ、人生は>。
どん底にこそ人生の妙味がある。

◉ 毎日のように、この新型コロナについて書いている。 書けど尽きない程、
事態は深刻で、あたかも戦時下のようだ。…リタイした御隠居の身なればこそ、
心労は少ないが、明日になれば一転の可能性がある。県内は、今のところ少ない
が、潜在的保菌者は多いのだろう。人口移動の少ない城下町で、保菌者となれば、
差別、嫌がらせは辛辣になる。柏崎・刈羽原発で、数名の保菌者が出て、責任者
の御詫び会見があった。別に悪いことをしてないのみ、何ゆえに謝る必要がある
のか。要するに風潮が、そうさせている。サービス、三次産業の従事者は、仕事
そのものが命がけ。

◉ 9年前から、近くのSC内のスポーツジムに通い1〜2時間の運動量を保持してきた。
 ところが、この一連の騒ぎで、ジムが一時的?に閉鎖されて、困っている。
「身体は動かさなければ弱っていく」というが、「動ける範囲が動くべし」
動く行為は、自分自身から心がけないと不可能。 ジムの指導で、
<現在、動かしてる個所に意識を集中してください!そうすると
 効果が数倍は上がる>という。これがポイントのようだ。
<一週間、継続している運動を休むと、元に戻すに数ヶ月を要する!>は現在、
 実感していること。動ける内は動かないと。特に足の指先の管理は重要だ。
<ステイホーム>と言うが、近くの土手の運動までは、問題なし。

・・・・・・
2019年04月30日(火)
6619,閑話小題 〜平成の終り
   * 平成、最後の早朝に…
 今日で平成の年号が終わり、空気は少し変わることになる。昭和生まれ、
とりわけ団塊世代以上の世代は急に老け込んだ感覚になる。 平成から令和と、
昭和から平成への改元の意味と考え合わせると現時点の時代と、自分自身の立ち
位置が映し出されてくる。 あと2年足らずで、後期高齢者に区分され、自動車
免許証の返納を勧められるなど、ここで失われた過去の喪失感に遭遇する? 
 ―
 せっかく改元の前日。少し難しい話を。
フロイトが、途中で自らの理論を大きく転換。新しいモデルでは、
・人間の心は、心のコントロールセンターのような「自我」という部分と
・エロスやタナトスから出るエネルギーの集合体である「エス」というものと、
・無意識のうちの心に住みついた、自分の親がいろいろな形で命令を出している
 「超自我」という3つの要素からなると、唱えた。
この超自我というのが、普通の道徳感とはちょっと違っていて、エッチや、
これは不道徳な親にいえないことなどの意識レベルでブレーキになるもの。
フロイトのモデルでは、超自我というのが単なる道徳感ではなくて、無意識の
うちに身体や心を反応させる状態をいう。
 何でまた、こんな話をするかと言うと… 昭和と、平成を分けて、過去を
振返ると、究極で切り抜けた難題、この「超自我」が、その都度の判断と決断
で、自らを導いてくれていた。こういうのを血筋というのかも… よくぞ、
事なきをえて、切り抜けてきたとかと。 私の心の最後の拠りどころ… 
「後味の悪くなることは避ける」が、この「超自我」だろう。いや「自我」?
毎日、書き続けている、この随想日記、その日の分は、「自我」。過去の蓄積分
が「超自我」。早朝のポタリングと、大手大橋でヒキチャリをしながら、地球の
芯からエネルギー補充のイメージが「エス」への充電。それとSJでのヨガもそう。
成るほど、一応、理に適っているのか。シネマ館と自室でみる映画も「エス」。
 フロイトは、この「超自我」を振り払って、己が自由にならなくては!と
いうのが言いたいこと。振り払えなかったことが、老年の後悔? それとも、
振り払い過ぎた後悔が、あいまみえる心の葛藤? 老いは悲しい! 
出来なかった自分が悲しい顔をして、見つめてくる。それに、黙るしかない。
昭和の40数年は、「エス」に引きずられ。平成の30年は、超自我に… 
「自我」「エス」「超自我」ですか。今度、この3者が対話方式で、語り合せて
みますか。「熊」が自我。エスが「寅」で、大家が「超自我」とすると面白い?
とすると「八」は何?。 心、ここにあらずの「天使」? それとも「悪魔」?

・・・・・・
018年04月30日(月)
6256,閑話小題 〜デ
   * つれづれに 〜凡人の祭日
 4月29日の祭日には、毎年、「競馬の天皇賞」「全日本柔道選手権」と、
「プロ野球」中継を楽しみにしている。 ところが、今年は日曜と重なり、
定番の「家について行ってイイですか」「お宝鑑定団」「そこまで言って委員会」
「新婚さんいらっしゃい!」が重なったため、12〜18時まで、数本の番組を同時
進行で見ることにあいなった。集中できない欠点もあるが、これが、生中継と
なると、集中しやすいため、頭の切替が思いの外、出来る。WoWoWなどで、次々
と面白い映画や、ドラマ、ボクシング中継などを放送するため、早々に、見て
消すしかない。最近はDVDに移行して消してはいるが、それも溜まる一方。
 寝室に‘お籠り用’に大型TVを入れて一年あまり経過するが、DVD録画の
数年分の録画分300本の録り溜め分もあって、非常に快適な自游空間に、あい
なっている。で、どうするか?といえば、録り溜分の4〜5本を同時進行で見る
ことで量を熟す。これも慣れ。で、昨日の柔道、プロ野球、競馬のライブなら、
お手のもの。さすがにゴルフ中継まで見る余裕はなかったが… 
だが、同時間帯に2本を録画していた。
 自分でも驚くのが、見ても見ても全然、飽きないこと。特に映画の世界は、
よくぞ考えつくものと驚きざるを得ないのが多い。 それと世界の重量級の
ボクシング。そして世界各地の大自然の光景。これこそ情報化の恩恵である。
 20時早々に就寝した後の深夜の1〜2時に覚醒し、死者のポーズで、己の肉体
から離れる意識をもって、前日の触媒の情報を見つめ直す。その面白さも格別。
 そして、起床をし、パソコンの前に座り、これを書き加えた後に、チャリ
散歩に出ていく日々…。 成るほど、これが第二の、第三の人生ということか。

・・・・・・
2017年04月30日(日)
5889,閑話小題 〜愛人業とはね
   * 愛人業ですか
 先日、投資業を餌にした女詐欺師が逮捕され、取調官の「職業は?」に対する
返答が「愛人業」という。寝技で篭絡しながら騙す男を「さお師」というが、
女は、さしずめ、「つぼ師」と思いきや、その言葉はない。クラブのホステスや
ママは、半愛人関係を持つ客を何人か持ち、名刺に日付と暗号を入れておくとか。
  〜ネットで、供述を検索すると〜
≪  ☆ 山邉容疑者「投資するつもりなかった」
「つなぎ融資の女王」と呼ばれた山邉節子容疑者の逮捕から1週間。
取り調べに対し、「金を投資にまわすつもりはなかった」と供述していることが
警察関係者への取材でわかりました。
山邉容疑者は70人以上から少なくとも7億円を集めたと見られています。
取り調べには素直に応じ、聞かれてもいないことをよくしゃべるといいます。
・「職業は?」(捜査員)
・「愛人業です」
 「美容整形のために合わせて800万円使いました」(山邉容疑者)
62歳の山邉容疑者は、タイでは交際相手に38歳と偽っていました。
地元・熊本で山邉容疑者を知る人は・・・
「色気たっぷりの男性に好かれるようなタイプだと思っていた。(交際相手の)
会社の玄関に畳ぐらいの大きいブロマイド、自分がきれいに写っている上半身と
全身の写真を貼っていたから、『おや!』って思った。女性としてきれいだから、
みんなに見てもらいたいのかなとは感じていた。近所の人もそう言っていた」
                        (山邉容疑者を知る人)
山邉容疑者は、熊本市内でかつて経営していたスナックで、客らの話を聞く
うちに犯行を思いついたといいます。元本保証や高い利息をうたい、口コミや
愛人を通して出資者を募っていました。しかし・・・
「7年ほど前に金を集め始めました。最初から投資したり貸したりするつもりは
ありませんでした。ここまで広がるとは思っていませんでした」(山邉容疑者)
投資話は全くのうそだったことを認める供述をしているというのです。≫
――
▼ その金も、なる手の「さお師」に篭絡されて吸いとられていた。
 事件が事件だけに被害者の映像が出てこない。篭絡した客に、ホステスが
スナック、クラブの出店をさせる手法は、何処にでもある話。海外にに逃げれば、
大丈夫だろうと踏んでのことだが、まさか、全国ニュースで、ここまで騒がれる
とは思ってもいなかったようだ。
 現職の頃、あるクラブのママに、「あの娘、店を持ちたいみたいで、旦那探し
をしているけど、あなた、どう?」と、囁かれたことがある。 これは最も危険
なケースで、暴力団系の金貸しに搾り取られるケース。土建屋など成金の泡踊り
の典型事例になる。 
<女の身体の真ん中へんに しんしょぶっちゃる穴がある>の都都逸がある…
父親の口癖に、<愛人だけは持つな!>があった。後後にツケがまわってくる
のを多く見てきたからだ。 聞くところによると、<女子大生の2〜4年の定期
約款付で、20万だったが、今では不景気で15万まで下がっている>とか。
嘘か本当かどうかは定かでない。都会には、この手合いが幾らでもいるのだろう。 
・・・・・・
2016年04月30日(土)
若者よ、外に出よ! ー�� 〜学生生活は人、人生の砂場遊び
  
   * 学生時代は、人生の砂場遊び〜  
 古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震、刈羽沖地震、
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20〜45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼著
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
――――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

――――
2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」の題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう
生き方をしようかという内容と、批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。


6985,閑話小題 〜さらに言う… これは酷い!

2020年04月29日(水)


   * リタイアの身分からして、これは…
 現役の経営責任者だったら、何も考えずに、会社清算過程に入っている。
何度も書いてきたが…「これは、酷い!」。大学生時の現役の同級生の顔色が
目に浮かぶ。 僅か半年月前は順調で鼻息が荒かったが、逆の悲鳴が聞こえて
きそう。3ヵ月で、4分1、5分1、10分1辺りで対策のたてようがないとくれば…
 今世紀に入ってから10年かけて、売上が3分1まで下がってしまった。その上、
東北大震災で、更に落ち込み、事業継続を断念した経緯がある故に、この事態の
惨状が他人事に思えない。それも、経済環境が元に戻る算段は全く見えない。
当時、躊躇する間もなく事業清算を決定。それでも撤退に覚悟と、整理の準備
期間が与えられていた。
 今回のこれは、僅か3月で、5〜10分1に激減なら、手の施しようがない。
火の手がアッという間に周ってしまった。 以前だったら夢物語のような、
国民1人あたり10万円の無条件給付。直撃したのが、サービス産業、三次産業。
淘汰された人たちの受け皿がないため、始末が悪い。9年前、私の事態を嘲笑
していた‘何とか生き残り組’が、瀕死事態とくれば、何をか言わんや。
これは戦争状態と同じ非常事態。
 欧米諸国は、イラクのフセインのような戦犯探しをするだろう。カラカラな
枯草に、火がついた。それとも海の沖合で、メガトン・クラスの大地震が発生
したようなもの。大津波の一波が到来。…問題は、第二、第三波クラスの大波。
 オリンピック? とんでもない! 4年後のパリを、東京に譲ってもらい、
それまで延期… それでも、無理ですか。
―
   * この際に9月を新学期にしたら
 何処かのTVバラエティで、<この際、学校の新学期を9月にしたらと…>
どうも、これはタブーらしく、一瞬、その場が沈黙が走った。
初秋に気分一新、世界基準に?…もあり! お盆、甲子園高校野球、夏休みも
終わり、秋の恵みの時節。年号もかわった記念に加えるに丁度良い制度かえ。
少々の混乱も仕方がない。
 
・・・・・・
6618,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜1
2019年04月29日(月)
     <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人>和田秀樹著> 

 6年前に12回シリーズで『怒りの作法』をテーマにあった。ま6年前まだ心の傷
が癒えてない頃。心も病むと化膿し、放っておけば、死に至る危険をはらむ。
ならば、「怒り」の感情を凝視して有効活用をすればよいと… これを最大利用
したのがヒトラー。これは大型シラミで何千万人を殺戮した。 スターリン、
毛沢東も似たような者。 現在が、第一次、二次世界大戦前夜に酷似。プーチン、
トランプ、習、そして、あの男。図書館を彷徨っていると、精神科医の和田秀樹
の <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人>があった。 そこで、
 怒りに支配されたら、まず時間を稼ぐこと、そして、「怒り感情に振り回され
ない自己洞察を持つことの二つを上げている。この数年、様ざまな怒りを納める
ため、生活習慣を、フロー状態に可能な限り置くように、それに見合った一日、
週、月、年単位の行動スケジュールを組んでいる。 物語とは、喪失、挫折、
怒りを納めるために作られると… ハリウッド映画のベースは、情報過多で、
満たされない鬱憤やストレスを主役が破壊する物語がベースにある。
TVのドラマもしかり。四苦八苦を開放するために日々がある。8苦の中で、
一番のエネルギーが、「怒り」。それを如何に有効活用するか? 
 なかなか、含蓄のある精神科医の切り口が面白い… 
怒れ、哀しめ、喜べ、遊べ、もっともっと! 生きている内である。
そんなに自分を大事にし過ぎたら、比較地獄のシラミの人生を過ごすことに。
                           〜つづく
――――
4484, 怒らないって本当は恐い!  ―1
2013年06月26日(水)              『怒りの作法』小川仁志 著
 以前にも書いたが、生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を
顕わにすることは絶対タブーの中で育った。 それもあって、
『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ー を学生時代に読んだ時、私の常識と全く
逆の内容に驚いたもの。この本ではナチスの大衆誘導の手法を教えていた。
「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念で煽って集団催眠にかける
手法である。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を振り上げ怒りの感情を
大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動のエネルギーの源泉に
せよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動のアクセルにせよ」というのだ
から… 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクトがあった。
私が怒りっぽくなったのは、これもある。これを人知れずノウハウにしたら、
突然狂ったと思われるはず。喜怒哀楽の中で、一番疎んじられている怒りこそ
(仏教の影響もあって)日本人に欠けている。切れるのではなく、コミニケー
ションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケの中で
怒りの訴える強度が一番高い。もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて
抗議しても、怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。 
これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬にして破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。そこに作法
が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器
なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、
「正しく怒ること」が大事ということ。 アリストテレスの「中庸」という思想
を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。怒りに対する
「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方
で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、
こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 怒ることは、必ずしも悪いこと
ではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。もっと怒る
べきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが
破壊する。 怒らないって、本当は恐いのである。

・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
 何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 
   ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえ
 られるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみ
 は負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情という。
 したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める必要がある。
 感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出
 することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
 暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
 しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解
 するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらうことを
 諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
 長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
 上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
 楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
 が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、喜怒
 哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。 「風土」論にみる
 日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
 彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
 モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間に。
 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。
 また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考える
 ようになる。日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型は
 アフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。
 農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため 近所と波風を立てない
 ことが、まず求められる。あの人は、どう思うかということばかりが気になり、
 常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の
 社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは
 目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室と
 いう名の農村。もう一つ、気候と関連するものに地形がある。小さな島国の
 日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の
 1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。思想界では、
 ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。
 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・・ 
 それ以降、個人主義が拍車をかけていった。そして誰も怒らなくなった。権利
 意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだから。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ない
 からである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ
 呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。
 そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。そして威嚇
 したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。とはいえ、
 その対極にあるような日本も間違いなく変。何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。

・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)
                    『怒りの作法』小川仁志 著
   * 怒るとは哲学することである
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで
「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると「まだ遣り残した
ことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、
一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する
怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに怒り
と密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる
ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに
疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと
理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。現代社会とは異なり、容赦
ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らは苛立ったことでしょう。自然は何から
できているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明
するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、カントを生み、
へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを露わ
にしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信
したりするような行為とは正反対の、いわば現実に対する知的抗議ともいえる営み
なのです。 怒りは言葉を生み出します。怒ることを「黙ってはいられない」など
と表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。・・・当たり前
のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分
自身の人生に怒る。怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける
人生を引き受ける営みにほかなりません。まさに怒るとは哲学することである。≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。この一連の
出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの
本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが
出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。
それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの
方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性が
ある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 
感情の最たるものは怒りと感動?

・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)
                      『怒りの作法』小川仁志著
   * 怒らない作法
 矛盾しているようだが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観
する勇気も必要で、淡々と処理をする。相手が怒っている場合、特に注意すべき。
ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
 ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていく
ような人間を「ハエ」と表現、そこで「そんなハエを叩いて人生を過ごしてはいけ
ない」と警鐘をならす。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、
気が熟するの待つことも必要である。その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、
力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・・≫
▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に驚き、      
 怒りさえ感じた。商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。 
ニーチェは、「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。そういう私もシラミ
だが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから?私は?… 
だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、危険度が増している
のが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。あの戦犯の?二人が首相と副首相
になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを支払うのは国民である。
その自民党に国民が多く支持しているのだから。政治的にみて憲法改革は必要。 
甘い餌で釣ることもありだが。怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟が…。 
その場をともかく遣り過し、タイムラグを置く。そのため「シラミ」と頭の中で
繰返す。これが一番、効果があるが「三ヶ月に一度は、嫌なことはある」と覚悟。
面白いもので慣れる。シラミ、ハエは事実は事実であると確信すると割り切れる。
「娑婆娑婆」である。その意味で、この経験は私の人生の物語にとって必然だった。
受け止め方の問題でしかないが・・・

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]