堀井On-Line



6832,閑話小題 〜『PLAN75』とはね!

2019年11月28日(木)


   * TV映画・観賞 「十年」ー‘PLAN75’
 録りだめをしていた、TV映画を見たが、これが考えさせられたストーリー。
10年前に私が設定した75歳の死亡時に、13ヶ月余り。なら手術の一つ、二つも
して、入院の繰返しの時節だが、有難いことにも、その傾向が全くない。
10年前に、この設定に『PLAN75』と付けていたら、ピッタリの命名。
ところが、今では何と『PLAN100』とか。寝たきりで管をまかれ、胃婁をして
まで生きたいか、やはりチョッと早めの‘Plan75’で、逝った方がよいのか。
前期は片足、後期は両足? その位の年齢という自覚と覚悟から考えると
前期高齢者、後期高齢者の区分けと命名、決して悪くない。
 『happy75』 …と割切ればよい。

  〜その内容とは〜
《 香港で大ヒットしたオムニバス映画「十年」の日本版として、
10年後の日本を題材に、5人の若手監督がメガホンを取ったオムニバス作品。
エグゼクティブ・プロデューサーを「万引き家族」でパルムドールを受賞した
是枝裕和監督が務める。》
 
 その中の一つが、75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する新制度を描いた
『PLAN75』(早川千絵監督)。

 この物語は… 法律に従い、『PLAN75』たる代理店の社員が営業活動をする。
会社の営業対象が「貧困層の高齢者と、認知症患者。
 …契約をすると、まず10万円が国から支払われて、10日間、入院をする。
運動場のような広い部屋の数十の死の床は、それぞれカーテンに囲まれ、一日
一錠の薬を飲まされ、その後、首に数�兒擁�の布が貼られる。これがトドメ。
 物語には様々のケースがあり、「死にたい背景」が描かれる。
ここで『PLAN75』の営業社員が、自分の親に対して、妻から勧められて、
躊躇する場面が圧巻。
 <私(一人称)の死はない… 三人称は知らない人だから、関係は少ない。
とすると、あるのは二人称の死のみ。>  連れ合いや親の死は身近ゆえに
1・5人称。 死んだ自分が生きていた自分を見つめることは、不可能だが、
死んだ自分に対して仮に人称をつけると、どうなる? マイナス一人称?
 
 で、この法律、微妙な年齢ゆえだが、賛成。 あるだけで…老いていける。 
私が回復見込みのない認知症になったら、当然?。10日より一週間でよい!

 74歳の感想は、少々、年齢からくる歪みがあるが、これだけ、刺激的な
ネット社会と、時代変遷を日々、味わえるだけで、生きる価値は充分ある。
何とか『Plan80』まで延長したいが…  ここからの内的、外的の折合いが
シンドそうだ。 <死んでしまえば、それまでよ>か。生かされているうち!
 
・・・・・・
6468,閑話小題 〜九州場所の総評
2018年11月28日(水)
   * 気まずい空気の天皇杯授与式
 今場所は誰も予測だにしてなかった貴景勝が優勝をした。イビリ出された
前師匠・貴乃花親方の怒りを対戦相手に叩きつけていた感があった。
その首謀者?の理事長が優勝杯を直接、手渡す場面が他の理事を含め何とも
気まずい雰囲気がTV画面から流れていた。こういうドラマ的場面が見れるのも
TVの醍醐味。実際のところ、「3横綱、1大関の休場があればこそ優勝出来た」
といってよい。実力からして、高安の優勝が順当だったが、対戦相手も、三役
陥落をかけて闘った御嶽海が、勝利をした御蔭で、貴景勝の優勝に至った。 
 来年のいま時分には、正代、御嶽海、北勝富士、朝の山、豊山、阿武咲、
阿炎などの若手が、大関、関脇を占めているのだろう。

   * …で、離婚の貴乃花!
 倒産、離婚の生の心情を幾つか垣間見たが、それは、厳しいようだ。
欝状態で、後悔、未練、自己嫌悪と寂しさの地獄の底で、のた打ち回るそうだ。
新潟駅前で装置産業もあり、日常の閑時間を持て余していると、様々な人が
立寄ってくる。その中で「倒産(失業)+離婚=自己破壊」の人が数人いた。
「失業+離婚」の現実は非常に厳しいことが滲み出ている。相撲取り、取り分け、
親方なぞ、引退してしまえば、ただの大男。それも収入なし、財産無しなら、
これほど扱いにくいものはない。その現実の厳しさを彼が知る由もない。
ベルギー、ポルトガルの離婚率が7割という。離婚しやすい法律があるため。
貴乃花の状態は、手足を失い、食費もままならない状態か、それとも昔とった
杵柄のタニマチか、女性が献身的に?… こういう純粋無垢の男の扱いは難し。
「自由の不自由性」もあり、時間さえ置けば、タレント性のある人物。数年後
にはタレントとしても活躍できる要素を充分に持っている。それより、NHKの
専属相撲解説が良いんじゃないですか? その前の女性関係の身体検査があるが…

☆追文: 去年、以下の文章を書いていたのを、コピペのプロセスで知った。
 成るほど、根深い問題だ、これは。残るより、この苦難の方が、貴乃花にとって、
遥かに有益なことは間違いない。彼が苦境に陥るほど、業界の方々の立場が悪く
なるから… 今場所は3横綱の全員と、1大関の休場。 異常でないですか! 
中途半端なればこそ、問題なのに。それさえ気づかないのが、あの男たち。 

・・・・・・
6103、閑話小題 〜根深い問題が露呈 
2017年11月28日(火)
   * 一場所前の大相撲の評論から… 
 まず、一場所前の大相撲の現状の批評からみてほしい。
横綱・大関の権威失落を、更にダメ押しの事件が、この日馬富士の暴行事件。
起こるべきして起きた「モンゴル人」による、大相撲の面汚し事件が、この文章
からも、読取れる。 やはり見逃すことが出来ない問題。横綱三人を暴力団幹部
とみると、最高幹部が白鵬であり、若頭が日馬富士と、鶴竜。これからすると、
主犯は白鵬で、2人の横綱が共犯ということに。誰も、このことに言及しない。
出来ないのだろう。それと、理事長の重みが全く感じられない。 千代の富士の
弟分の横綱で、二流横綱だった軽さが表立ってしまった。 だから白鵬に舐めら
れるのである。膿は当人であることの自覚がないのが漫画的。茹で蛙そのままの
醜態を、これ以上、見せることなく即刻、引退が正論と断言できる。
 もちろん、日馬富士は当然、引退であり、逮捕をすべきである。ここは日本。
モンゴルではない。冷静にみれば、貴乃花の行為と判断は正当。何故か、この
ことを言わない。これは、日本に対する逆上せ上りのモンゴル人横綱3人の
大相撲に対する侮辱行為であり、即刻、引退、国外退去をさせる問題。
 としても、この「正論」を言えないのが興業の側面を持つ辛さ。
≪  * 横綱・大関の権威失落  2017/09/15
 大相撲が大変な事態になっている。私の相撲ファン歴からして、これほど
大関・横綱の権威失落の事態は初めてで、理事長自らが辞任しても然るべきほど。
初日から4人横綱のうち3人が休場。残る一人横綱が前半で2勝3敗とはこれいかに。
上位に上がったばかりの阿武咲が横綱初挑戦で金星を挙げ5連勝。日馬富士の
負け方が空中に1回転して裏返し。その上に、大関の照の富士が負傷、3人の大関
も2人が休場ともなれば。 面白といえば面白いが、この惨状では、首を傾げざる
をえない。その背後には若手に実力があるのが何人か台頭してきたことがある。
もしかして、半年、1年後の番付が、これかとも… 
 ファンが、相撲協会の心配をする必要がない。横綱・大関の権威の崩壊を
見ながら、誰が優勝をするかを楽しめば、「また白鵬!」よりも遥かに刺激的。
「何で今の若手が強いのかって?」というと、勝つために頭(情報機器)を活用、
稽古土俵から考えているため。それも親がかりで。将棋の新生人と同じ。白鵬が、
それ。素材が良いだけでは難しい。一月前に、高校横綱のトーナメントを見たが、
その中に強そうなのが数多く見かけた。底辺の育成が出来ているということ。≫
―
▼ 日馬富士の引退、即刻、国外退去は最悪ではなく当然の帰結。
本来は主犯格?もろとも国外退去が筋だが、国家間のトラブルの可能性もある。
昨夜の横審も、厳しい対応のようだ。酷い折檻だったのだろう。
 〜ネットニュースによると、
【横綱審議委員会は27日、定例の会合が行われ、北村横綱審議委員長が会見。
前日の横綱・白鵬の優勝インタビューに言及し、「相撲界の膿を出すとか言った
が、何を意味するのか分からない。何か横綱としておかしいのではないかという
意見が多かった」と述べた。優勝インタビューを観客と異例の万歳三唱で締め
くくったことにも「これだけ相撲界が厳しい中で、何で万歳ができるんだろう」
 と首をかしげた。】とあった。 一応、まともな意見である。「白鵬自身が膿」
を自覚しろというのは土台ムリだが… 
<総括: 10年かけて、『大相撲』から外国人を排除するか、特別法人の資格
 を外すかハッキリすべし 。朝青龍、白鵬、日馬富士の行状からみて、主犯が
 白鵬であれ、日馬富士の単独犯であれ、三人の共同犯行であれ… 人種対立が
 悪化すれど、元に戻ることはない。何が国技!モンゴル相撲が発生源のルーツ
 だろうが… 五穀豊穣の 祝いの余興の力自慢に、肉食系異国人を入れること
 自体が間違っていた。としても、面白さが数倍も増したことを考え合わせて、
 落ち着くところは、特別法人を返上するのが筋… モンゴル人の無理に対し、
 日本人の我慢も、限界にきている。40回優勝しても、あれでは… > 
初めは「許してやって頂戴!」と、思ったが、掘下げると根が深い問題がある。
・・・・・・
5006,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜2
2014年11月28日(金)
       『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺 時夫(著)
   * 死を忘れた日本人
 41年前に、一年間、同居していた父親の死際を目の当りにした。
その時の生への渇望は、砂漠の真中に一人取り残された彷徨い人のようだった。
その時から現在まで、多くの死に関する書物を読んできたが、
一般的に人は死に関し目を背けているようだ。ーその辺りからー
≪☆ ホスピスにくる患者に接すると、自分が死ぬということをあまり考えた
ことのない人や、どうしても死を認められない人が増えている。若い人は当然
だが、中高年の人にも多く、特に金や権力のある人にこの傾向が強い印象がある。
自分は平均年齢までは生きられると考えている人が多いが、その一方で、平均
年齢に達しないで亡くなる人も多い。
☆ 日本は「寝たきり老人」が世界一多く、脳卒中の後遺症、認知症などで
 自分で食べられなくなったため、胃瘻(腹壁から胃に管を通し食べ物や薬を
流し込む処置)で生かされている人が5万人以上もいる。北欧の老人施設を
見学して驚くのは、寝たきりや胃瘻で生きている人がいないこと。これは日本
の介護と欧米の介護の考え方の違いで、欧米はどんなに手がかかっても、最期
まで自力で歩かせ、自力で食べるよう仕向け、それができなくなったら、あまり
手をかけない。意識がなく回復の可能性のない人に胃瘻で生かす考えはない。
☆ がん患者の在宅死の率は、米国では8割、欧州で5〜6割、しかし日本では
 1割弱。病院は死を迎えるには適切ではない場合が多く、住み慣れた自宅で、
家族や孫の声を聞きながら死んでいくのが求められる。
☆ がんで助からないと分かると、ほとんどが「こういう病気で今死ぬとは
思わなかった」と述べる。実際には、人は常に死にまとわりつかれ生きている。
人が死に向き合う時は、それまで身につけていた社会的衣のすべてが剥がれ、
むき出しの個人になる。繰り返すが、死に直面すると金、権力、名誉など
社会的衣は役立たない。「人は生きてきたようにしか、死ねない」死に直面
しても、その性格の本質が変わることはなく、自立心の強い人は死ぬときも
動揺が少なく、世の潮流に流されながら、他人や社会への依存心の強い人は
死に向かうときに不安や動揺が顕著になる。確かな死生観を持って、誠実に
努力して生きてきた人は、死に様も立派な人が多い。死ぬということは自然
現象で、死には金も権力も全く無力である。
☆「金で命は引き延ばせるか」金さえあれば世の中できないことはないと
 思っている人がいるが、そういう人が死に直面すると、金ではどうにも
ならないことに憤慨して不穏な気持ちになる。特に多いのは免疫療法に対する
"思い込み"である。特別高価な免疫療法が効かないわけはないと誤解して
いる人が多い。民間の代替医療も高いほど 効くと誤解している人が多い。≫
▼ 一部の望みは妄想でしかない。その妄想で、最期は悲惨な死をむかえる
 ケースが多い。元気なうちに、ノートかパソコンに、書き残しておくべき。
死の現場は悲惨である。
・・・・・・
4639, デフレの真実 ー金持ちの本音 ―�
2013年11月28日(木)
         ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
   * 東日本大震災後の第三次震災恐慌が狙い目
 貧乏人が金持ちになるには震災が狙い目?それが数年後の恐慌、経済大変動
というが、御隠居の身で鳥瞰するには良いが、知れば知るほど末恐ろしい。
震災恐慌では大部分が被災者になり、弱者になる。金持ちは、海外に資産を
移動して最小の打撃で済むか、焼け太りになる。しかし、貧乏人にもチャンス
があるはず!と。  まずは、ーその辺りからー
《 関東大震災後に世界恐慌の煽りで、第一次震災恐慌が起こった。
 そして1995年1月に起こった阪神・淡路大震災から2年後の1997年、橋本内閣は
�消費税を3%から5%に引き上げ、�特別減税を廃止、�会社員の医療費本人負担
を2割から3割に引上げ、都合9兆円もの国民負担を断行し、その後14年続く
デフレの原因を作ってしまった。
 恐慌ほどでないにしても、先進国でデフレに陥ったのは日本だけ。
これを第二次震災恐慌という。そして、この情勢から早ければ2014年、
遅くとも2015年に、第3次震災恐慌が日本を襲うだろう、消費税率は2014年4月
に8%、遅くとも2015年に10%に引き上げられる。一方で2014年には徐々に
復興需要のカンフル魂剤が切れる―過去の例を振り返っても震炎恐慌が起こる
確率はかなり高いのだ。 どれだけ資産価格が下がるかを正確に予測すること
ほできない。しかし、第3次震災恐慌は、少なくとも1997年以降に起った
のと同じくらいのインパクトを持っだろう。1997年から2010年までの13年間で、
全国の市街地価格指数に49ポイント下落し、日経平均株価は45ポイント下落
している。だから、資産価格の半額セールが始まると見てよいだう。・・・》
▼「日本の二つの大震災の数年後、恐慌か、それに比類する経済大震災が
 起こった。だから、今回も起こるのでは?それも、来年か、再来年に?」
という筆者の論も、ある面、納得できる。アベノミクスの政策をみれば経済震災
は至極当然。その時どう対処するか? その混乱を中国が虎視眈々と領土を
狙っている上に、米国がTPPを隠れ蓑にした郵貯を狙っている。
「刺激的なことを書いているが、恐慌など起こってないじゃないか!」は、
「日本のバブル崩壊後の20年間で、何も起こってないじゃないか!」と似ている。
二つの大震災、20以上あった都銀が3つになり、20年のデフレが続き、経済は疲弊。
 世界ブランドの、パナソニック、ソニー、日立、カシオは地に落ち、ダイエー、
西武グループが消滅。それと同じか、より激しい経済変動が静かに起こっている。
かくいう私も、大波に飲み込まれてしまった。 偶然だが、以下に金融面で
コンサルティングをして貰っていた林さんの著書の感想文があった。
この春で、円滑法が打ち切りになったが、表立った倒産の急増の話はない。
どうして? と思うが、消費税の増税で金融を緩めているため。地元の知人の話
を聞くと、景気悪化は止まっていない現実がある。株価が上がっているのは、
金融緩和の資金が実需でなく株式に回っているため。これも金持優遇である。
中国との領土問題など戦争の匂いもしてきた。被害者は弱者の大衆になる。

・・・・・・
5371,楽しむことを人生の目標に 〜��
2015年11月28日(土)
 人生を振返り、『楽しく、面白い人生だった!』と断言できることは
有難いことが、そう思えば、そう思えてくるのが人生。考え方次第である。
森の生活(現役)から、サバンナの生活(隠居)に移行してからは、
日々を、いかに面白く楽しく過ごすかが目標になっている。51歳の年から、
人生観を切替え、10年以上を前倒しにし、捨身で「面白、可笑しく」を
テーマに生きることにしたが、その面白かったこと、この上なかった。
 それもあってか、「楽しむ」の格言は、どれもこれも納得できる。
秘境:異郷ツアーは、ごく短期間に圧縮された人生を垣間見ることができた。
≪・そうだ、僕のまわりには小鳥だの、木々だの、草原だの、大空だのと、
  こんなにも神の栄光があふれていたのに、僕だけが恥辱の中で暮らし、
 一人であらゆるものを汚し、美にも栄光にも全く気づかずにいたのだ。
       〜ドストエフスキーロシアの小説家、思想家/1821〜1881)
・わたしにとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、
  自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。
       〜オードリー・ヘップバーン(英国の女優 / 1929〜1993)
・良いものでも、悪いものでも、人生での経験には感謝しましょう。
       〜スーザン・サマーズ(米国の女優、作家/1946〜)
・年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ。
  〜バーナード・ショー(アイルランド劇作家、ノーベル受賞/1856〜1950)
・人生は楽ではない。そこが面白い。
     〜武者小路実篤(日本の小説家、詩人、劇作家、画家/1885〜1976)
・各人はその考え次第で幸福にもなり、不幸にもなる。
  他人が見てそう思う人ではなく、自分でそう思う人が幸福なのである。
     〜モンテーニュ(フランスの哲学者、モラリスト /1533〜1592)
・世間を知り、世間に寛大であれ。世間を楽しむためには、
  世間をかすめて生きるべきだ。〜ヴォルテール(フランスの哲学者、
                 作家、文学者、歴史家 / 1694〜1778)
・晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、
  楽しみなきところに楽しむ。 〜吉川英治(日本の小説家/1892〜1962)
・僕は生きてることが幸せさ。僕が僕らしくいられることが幸せなんだ。
 (I’m happy to be alive, I’m happy to be who I am.)
  〜マイケル・ジャクソン(米国のシンガーソングライター/1958〜2009)
・神より賦与されたる人生は短きも、楽しく送りし人生の記憶は永遠なり。
 (The life given us, by nature is short; but the memory of a well
   -spent life is eternal.)
  〜キケロ(共和政ローマの政治家、哲学者 / 紀元前106〜紀元前43)≫
▼ 【人生は楽ではない。そこが面白い!〜武者小路】がよい。
 「幸福の4階建」の全てのフロアーを味わい、それを楽しむのが人生!
<  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。>
「人生は楽ではないそこが面白い」の「人生」を、「生老病死」に、いや
「死」に置換えてみるとよい。現点の私は「老いは楽でない。そこが面白い」。
成るほど納得できる。老いを面白がって楽しめば「豊穣の老い」になる。
「幸福の4階建」には屋上がある。屋上の外には広大な世界がある。
「そこには小鳥だの、木々だの、草原だの、大空だのと、こんなにも神の
栄光があふれている」ことに気づくことだ。その為には、とにかく屋上に
出てみること! 生涯現役も悪くはないが、違う楽しみが世界に満ちている。
 で、昨日と同様、以下に続く! たっく、楽しみ方が、まだ中途半端だ。
そうこう考えると、無知は致命的な欠損である。但し、全ての人だが!


6831,閑話小題 〜傾聴ボランティア

2019年11月27日(水)


   * 傾聴と傾聴でない聞き方は何が違うか?
 学生時代の都会生活で、寮、学園のクラブ、ゼミ、欧州一周のツアー仲間と
人間関係が広まる中で、カーネギーの『人を動かす』『道は開ける』や、
ガードナーの『J自己革新』なる本に出合った。アメリカ的合理主義の考え方。
〈・内向性も個性のうち。 …ならば誠意をもって聞き役になりなさい。
 ・壁にぶつかったら、その壁を直視して目を叛けないで自問自答するうち壁は
  消える。岩には幾つかの割目の筋がある。闇雲に叩かず、そこを探せ。
 ・人付き合いには、まず笑顔を、相手の名前と、その人の関心に在り処を察知
  しなさい。誰もが孤独で自分の話を聞いてほしい。人から関心されて欲しい
  なら、それをして上げなさい… 誰も自分を認めて欲しいのである。 〉
人間関係でも、読書でも、心から傾聴するのが基本。傾聴なら簡単と思いきや、
此処で言わんとするのは、「日常会話と傾聴の一番大きな違いは、自分が主人公
ではないこと。相手がどんな人としても、傾聴は相手が主人公。」と。

AIなどの進化でロボットが脚光を浴びてきたが、人型傾聴ロボットが考えられる。
  〜ネットで検索した中に、以下の要点の抜粋があった…
 ――
◉ 日常会話は自己中心的ですが、傾聴は相手がどんな気持ちかを考えながら
 聞き、相手の気持ちを考えて、その気持ちを受け止める。そこが大きな違い。
確かに、家族や友人たちとの会話は、自分が話したいことを話し、自分が
聞きたいことを聞いています。しかし…
「人間は24時間傾聴することはできません。傾聴で大事なのは、主人公は
誰かをきちんと認識して、反論しないこと。共感してあげること。10分でもいい
から、家族や友だちの話を聞いてあげてみてください。短期間で関係が変わるはず。
自分の聞き方を変えることで、相手が心地よくなる。相手は心地よいと、心地よさ
をお返ししてあげたくなるんです」  傾聴を学ぶことで、
「家事を全くしない頑固な夫が優しくなった」「認知症の母の笑顔が増えた」
「退職後、同期会で久しぶりに会った同僚に変わったなって言われた」など、
人間関係に変化が起きたという受講生が大勢いるといいます。

◉ 「傾聴を学ぶと、自己変革が起こせるんです。傾聴すると、
『話を聞いてもらえて良かった』
『あなたに会えて良かった』と、いった言葉が自分に返ってきます。
だから嬉しくなって、また聞いてあげたくなる。相互支援なんです」
ボランティアは相手のためだと思いがちですが、自分のためにもなるんですね。

◉「特に高齢者は、誰かに話を聞いてほしい。そこに反論や意見は要りません。
 旅立ちの前の人生の総括を行う。それも終活です。私は、人生の最終章に立ち
会うのが傾聴ボランティアだと思っています」
たとえその話が愚痴だとしても、意見やアドバイスは要りません。
「よく頑張って来られたんですね。大変でしたね」と労ってあげることが大切。

「相手が若い方なら、対応の仕方はまた違います。若い方は道に迷ってるケース
が多いので、
『私はこんなときこんな風に生きてきた。だから私はこう考えるよ』
『私の場合はこうしたら良かったけど、どんなもんだろうね?』というメッセージで
話すこと。けっして意見を押し付けず、人生の先輩として道標になれるといいですね」
 ―
   =傾聴はすべての人間関係の基本=
◉ 「人権擁護委員会、家政裁判所調停員、統合失調症やうつ病の子どもや配偶者を
 持つ人など、これまでいろいろなところから講座やセミナーの依頼がありました。
傾聴の仕方は相手によって変わりますから、その度に私は猛勉強です。
『自殺防止のための傾聴の仕方を教えてほしい』とか、専門的な依頼もたくさん
来ました。それもこれも、傾聴は高齢者のためだけではなく、人間関係の基本
だからです。傾聴は大人にも子どもにも必要です」
「日本の教育は『聞く』というプログラムがないから、上手く話が聞けない
ために、人との関わりが苦手な子どもが増えているように思います。対話、
会話の基本は、まず「聞き役」に回ること。

◉ インターネットが発達して、メールやSNSでやりとりすることが当たり前になり
 ましたが、人間関係は向き合ってこそ。直接的なふれあいが大事だと私は思います。
今後は、「若いお母さんたちに傾聴を広げたい」と話す鈴木さん。
「夫婦でも親子でも、違う人間だから違う意見であって当然です。でも意見
する前に話を聞いてあげることが大切。子どもは高齢者と違って発展途上だから、
意見やアドバイスしてあげることは間違いではありません。
でも、子どものうちにしっかり話を聞いてもらえることの心地よさを知っておく
ことで、話を聞くことの大切さが分かる大人になれるんですよ」
保育園や幼稚園の先生にとっても、傾聴の知識や技術は重要かもしれません。

 ――
▼ 18年半にわたって、7000近いテーマ・日記を書き続けているのは、傾聴して
 もらえる「沈黙の読者の存在」。解釈は、あくまでそれぞれの側にある。
言葉は本当に難しい。行間に含む真意は解釈次第。 それでも書き続けると、
書けばこそ知り得ることが多々ある。書くこと即ち、孤独の成せる業の実感。
その蓄積が、自らを構成する「自分」の実感。 それが時空を超えた書き手の
魂の言葉を、それに応じて迫ってくる。 だから、書き続けるのである

・・・・・・
6467,閑話小題 〜何か釈然としないゴーンの逮捕
2018年11月27日(火)
   * 改めて、ゴーンの逮捕を省みると?
 国内の突然の法律変更で、経営者の所得開示義務で、それまで20億を貰って
フランスで問題になっていたゴーンが、『表て上、10億に減額する必要性から、
半額を退職後に貰う契約をして、どこが悪い! 明らかに私潰しではないか?』
の主張も一理ある。 それも、司法取引制度が実施されて数ヶ月後に逮捕。
ルノーによる、日産の吸収合併の動きを察知した日産側の策謀と揶揄されても
不思議ではない現象である。元もと不正を把握していた側近が、寝返りをして
検察に持込んだ、生臭い案件。
 フランス大統領が、ルノーへの日産の吸収合併を目論んでいるのが表立ち、
このままでは日本の現地経営者の未来が無くなることを危惧した結果である。
一昨日のNHKスペシャルで、これを掘下げていたが、何故か歯切れが悪い。
【 〜NHKスペシャル: "ゴーン・ショック" 逮捕の舞台裏で何が〜
 日産自動車のトップに君臨してきたカリスマ経営者、カルロス・ゴーン会長。
金融商品取引法違反の疑いによる突然の逮捕は、世界に衝撃を与えた。日産と
連合するフランスのルノー社内は騒然。フランス政府も捜査の行方を注視。
国際社会を揺るがす逮捕の裏側で、捜査はどのように進められ、どのような
思惑が交錯していたのか。番組では、日産やルノー、捜査の関係者を徹底取材。
不正な資金の迂回路となっていた、海外の現場にもカメラを入れる。
独自取材から、逮捕の深層に迫る。】
  
  〜そこで、ネット検索をすると…
≪ 日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が東京地検特捜部に逮捕されたことに、
国策捜査説が出ている。というのも、大々的な報道な割には、無理スジの匂いが
するからだ。

 ゴーン氏の逮捕容疑は、2015年3月期までの5年間に100億円弱の
報酬を受け取ったにもかかわらず、日産の有価証券報告書には50億円弱と虚偽の
記載をしたという。その後、未記載は直近3年間を含め8年間に80億円となった。
これについて東京地検は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で
立件を視野に捜査を進めている。

 これが脱税なら大きな罪だが、税務申告上の
数字ではない。「高い報酬を表沙汰にしたくなかった」というだけの動機なら
“強欲”に尽きる。 日産のオランダの子会社などがパリ、アムステルダム、
ブラジル、レバノンの4カ国で購入した住宅を、ゴーン氏が私的に利用したと
報じられている。東京、ニューヨークにもあるという。フリンジ・ベネフィット
(企業が給与以外に提供するさまざまな利益)と呼ばれるもので、ワンマン経営者
ならよくやっていることだ。

 問題は額の大きさ。姉にコンサルタント料を払い、
母親や姉が住む場所まで日産のカネで賄ったことは、会社の私物化にほかならない。
 海外メディアのなかには、「なぜこんな容疑で会長が逮捕されたのか」
「狙い撃ちじゃないか」と捜査を批判する報道も出ている。司法関係者の間では
「公判を維持できるのか」と危惧する声が上がっている。

 11月21日付フランス
経済紙レゼコーは、ゴーン氏に近いフランス人の間に「日本人の陰謀」という見方
があると伝えた。ルモンド紙も「ゴーン氏を追放するための陰謀の薫りがする」
とするフランス側の声を紹介した。 レゼコー電子版は20日、日産の西川廣人社長
について、ゴーン氏の信頼が厚かったにもかかわらず記者会見で容疑者を
「失墜させた」と指摘、古代ローマの将軍カエサルを裏切った「ブルータス」と…。

――
▼ NHKスペシャルで知ったことだが、仏の国民によるルノーの愛着が、
 非常に高く、その衝撃は計り知れないほど高いという。それも比較的好感度の
高い日本による突然の逮捕。 ゴーンは、日産を劇的回復をさせた世界的人物。
日本でいうと松下幸之助レベルの人気を持った人物である。 それが、突然、
こともあろうに逮捕とは、晴天の霹靂だろう。 文化国家フランス人にとって、
如何とも批判の声を上げようがないのが実情。レバノン難民の子供でブラジルで
産まれ、フランスの大学を卒業し、ルノーで才能を開花、日産を劇的に建て直した
世界的人物。このままでは、済まされない。 もしかして、日仏経済戦争の可能性
も充分にある、安倍政権にとって、やっかいな案件だ。あまりの実績に、逆上せた
ゴーンの過剰の私的化を誰も経営チェック出来なかったことになる。
 ブラジルではなくて「フランス次期大統領」は?考えすぎ。その為の準備資金
と思えば、さもありなんだが。検察も、不祥事続きの中、相当の覚悟のはず。

・・・・・・
4638, デフレの真実 ー金持ちの本音 ―�
2013年11月27日(水)         
 * 資本主義社会は、金持ちが有利につくられている!
 ー庶民は知らないデフレの真実ー森永卓郎(著)
 要点を絞り込むと、資本主義社会の金持優遇が明確に見えてくる。
消費税が5%から10%に増税される反面、金持ちや企業の減税がなされる。 
英国で1979年にサッチャーが首相になると、9年かけ、これまでと真逆の政策
を実行した。25〜83%まで11段階あった所得税率を25と40%の二段階にした。
 その反面、消費税を8%から15%へ引き上げた。金持ちの所得税を半減し、
庶民が負担する消費税は二倍近い増税である。これは1982年のフォークランド
紛争を利用して、勝者・サッチャーの政策を支持させて、この金持優遇の税制
改革をした。弱肉強食社会こそ国力を上げるという美名の元に。現在、TPP
の話し合いが続いているが、日本にとってはマイナス。環太平洋沿岸国の関税
などを撤廃して、アメリカ主導の貿易圏を作りましょう!というが、
これは弱肉強食の強者に有利な制度。狙いは、日本人が溜め込んだ郵貯。
それを民間にして、本体の株式と、預金を狙っているのは自明である。
  〜金持優遇の一節より
《 金持にとって、デフレは天国だ。私が持っている3億の価値は、デフレで
 1%下がっただけで300万分の価値が上がると同じことになる。資産がさほど
 無いけれど、おいしい既得権を握っている人はデフレは好都合。庶民は転職が
難しくなったり、リストラにあうが、終身雇用の公務員はリストラはない。
デフレは、この人たちの暗黙の了解で行われている。管弦楽団と同じように、
オーケストラのメンバーはタクトを見れば、具体的指示がなくても指揮者の
意図を読取り演奏ができる。それと同じことが、世の中で行われいるのだ。
 ・・ 消費税増税で10%になった場合、庶民は収入の80%を消費に回すのに対し、
金持ちは20%で済む。社会保険は収入に対してかかるのに、庶民の払う消費税は、
80%のうちの10%で収入の8%になるが、金持ちは20%×10%だから、2%で済む。
だから金持ちと、庶民は消費税一つとっても違うのだ。》
▼ 著者は、だから金持にならないとワリを食うと強調する。
 まず、一年分を貯めろ、次に三年分。そして、それを投資のタネ銭にしろ!
という。この辺りから、「君は一万円を破れるか?」の著者と、大きく違って
くる。本音は誰も貧乏より金があった方がよい。その目安は、金に心配しないで
済む収入と、貯蓄。一説では、300〜400万の収入と2千万の預金。あとは、
さほど変わらない?という。しかし、これも思い込み? 生物の進化は優勝劣敗
があればこそだが!

・・・・・・
5370,閑話小題 〜思いのままに
2015年11月27日(金)
   * 思いのままに
・後ろ側から追いかけられるような『死への怖れ』が、70歳過ぎると、
真正面から迫ってくるというが、あと二ヶ月足らずで到達する。半世紀
以上の腰痛持ちで、その年々悪化が老いのバロメーターになっている。
杖をつき、次に車椅子生活?も、そう遠くない先になるのか? 
それでも楽観的なのは、『人生の大よそのことは、遣りつくした』
手ごたえがあるため。自分自身を飼い殺しにして、老いてから、泣き言を
言わないで済むだけでも良しとしなければ・・ これも自分への説得か。

・先日のパリのテロ、2001年の9・11テロに匹敵まででないとしても、
欧州に、世界に、大きなインパクトを与えた。大国が本腰を入れて、シリア
などの拠点に攻撃を始めた。案外、早く掃討される可能性があるが、相手は
ネット上で繋がっている狂信の徒党、粘り強く生延び抵抗をする。
 世界各国の衛星を使った空爆の能力は、想像を絶する破壊力がある。
ひたすら、一方的に殺戮される。ISに大国のスパイが大量に入り込み、
情報を流すことも可能で、その反撃で、何時、何処で、誰もが巻き込まれる、
これまで無かった新しい戦争が本格化する。世界は、今世紀末まで持つ?

・コンビニでの年賀葉書のデザインを決定、発注をしたことで、年末に
近づいた実感できる時節になった。今朝は4時前に、霰の音で目が覚めた。
今年もごく身近は、相も変わらず!数年ぶりに、少し重い腰痛が出たこと位。
それでも一番上の姉(故人)の連れあいが享年87歳で、兄嫁のお父さんが、
99歳で亡くなり、中学校、大学の友人が、それぞれ二人が亡くなった。
 ( で、面白いことに偶然だが、去年の文章に繋がっていく! )


6830,読書日記 〜『神の発明』―形而上学革命 −1

2019年11月26日(火)

             『神の発明』中沢新一著
   * 3つの形而上学革命の切口
 オウム教の分析の甘さでバッシングされた中沢新一の著書を図書館で見つけた。
3つの‘形而上学革命’の切口が面白い。欧米史感の基本は、唯一の神、アッラー。
その発見を第一の形而上学的発見とし、第二次形而上学革命を科学革命にして、
第三次形而上学的革命を、その狭量さを取り除いて神を地に足をつけたと…
現在のAIとネットが、これにあたるか。現実社会の上に、ネット社会を覆った
現在、世界が根底から変わろうとしている。スピノザが宣った心の内部で起こる
「内在的超越」が、世界隅々までネットで繋がってしまった。
 
 〜ネット上のビュアーの概要と、Amazonの内容説明が良い。
  まずは、ネット上のビュアーの概要より

≪ 第一次形而上学革命---神の発見
 第二次形而上学革命---科学革命
第三次形而上学革命---科学の狭量さを取除き、神を地に足の着いたものする。

 日本語の神は2つの意味がある。
・超越的な神-ゴッド
・自然そのものに宿るカミ -スピリット
視点のひっくり返しスピリット族の中からゴッドは発生した。
むしろスピリットからGODの離脱は必然はなく、本質的な進化はおこってない。
人の求めにより、スピリットをGODとして勝手に格上げしただけだ。
一神教が自分だけ特別だというのは、むしろ例外的である。

「超越」:「超越」は心の内部で起こる。スピノザは「内在的超越」と呼んた。
「超越」な脳の感情の一形態にすぎないのかもしれない。
「世界はスピリット」で満ちている」という考えは、普通「アニミズム」は
一言でかたづけられるが、脳や心の中に住んでいる、外界と自由に行き来して
いると考えると、そんなに簡単ではないと思えるだろう。

第3章:GODにならなかったグレート・スピリット
 スピリットは、我々が意識を取得する以前から我々の脳にすんでいたかも
しれません。同時にその中でも秀でた「いと高き神」「グレートスピリット」
も含まれていた。しかしあくまでも数々の神の中である。唯一神にはなろうと
しないのだ。ではいつ唯一神が現れたのか?

第4章:自然史としてのGODの出現
 王の出現により平等が崩されたがそれでも、平等なコミュニティーに神と人
は暮らした。それが破られたのは、モーゼの出エジプトの後である。
モーゼが助けたのは、60万人奴隷(ヘブライ人)であった。せっかく自由に
したのに、彼らの精神は、奴隷のままであり、新たな主をもとめていた。
ここに神は一気に異常な高まりに達した。ここで人類史上初めて一神教の思想
が芽生える。モーゼは、奴隷の身分から自由人への変化には、人間の根底的な
変化(新たな自己意識と再誕意識)が必要であり、いかなる『奇跡』をもって
しても奴隷を自由人に変ええないことを悟ったのだ。だから奴隷を通じ、故意
にあらたな支配者たる一神教が作られたのでる。

終章:未来のスピリット
 スピリットの危機
スピリットの復活などといって喜んでいる場合ではない。
神はとっくに死んだ、 商品化されたスピリットがいまや死のうとしている。≫

―
▼ 「3:30:67の法則」を当てはめると、「3%の神と周辺。30%の信者。
 67%の神を信じてない人たち」に色分けするとクリアになる。考える人、
考えを理解できる人、そして、三分の二のただ彷徨う人たち。  〜つづく

・・・・・・
6466,つれづれに哲学 〜平等と公平の違い 〜2
2018年11月26日(月)
   * 餌付けされた猿!
 人間とチンパンジーではDNAの違いはわずかに1%という。
他に何が違うかというと、言葉と、それから起因する想像力の差。
そのチンパンジーが敏感なのは、エサや扱いの「差別」。類人猿からして、
こうだから、人間なら、当然、格差と差別に対する敏感であるのは当然である。
シャッポ(象徴)としての天皇制も、問題ないとは言いきれない側面がある。
 半世紀前の話になるが…  欧州一周ツアーに参加した時のこと。
北欧各国からイギリス、そして欧州本土に入った時、ドイツ、イタリアなど
の街中で浮浪者やヒッピーと有色人種を多く見かけるようになっていた。
そこで気づいたのが、その多様性が活性化になっている現実。ドイツ、フランス
は異種混合の人種が、違和感なく、根付いていた。当時、優勢を誇っていた
共産圏の東ベルリンに一時入国をして驚いたのが、市民や警備兵の顔が暗いこと。
現在、ニュース映像から現れ出ている現在の北朝鮮の市民の顔つき。
 ソ連という壮大な社会主義国家の壮大な失敗。そこに生じた理想と現実の差は、
「一度、特権を握ると同時に腐敗が始まる人間の性。」まずは自己修正機能の不全。
ゴーンも、その現代版! とすると、米国は、壮大なる「公正世界仮説国家・
アメリカ合衆国」の「公正実験」の失敗事例と相成る。 実は米国は、狂信的
キリスト教国家で、資本主義を標榜してきた白人優位システム国家。その陰りが、
トランプという怒れた大統領という姿で現れ出て世界を大混乱に… それでも、
白人にとって、ポピリズムを標榜するオバマより、遥かに人気があるのは、
国家としての盛りを超えたため? 「ブランド品」を穿った見方をすると、
「格付け機能」の役割を果たしていると…。ブランド品を身に付けた猿とみると、
これまた滑稽、いや結構である。ブランド品を喜んで身に付けたがるのは、
猿とは違う人間たる由縁である。ブランドという餌で飼い馴らされて、格付け
されて… 格差をされ、<平等でなくて公正>と諦念し、信じきって生きている。
「何?の行列に、交通止めをされ万歳と両手を上げて喜ぶ御目出度い大衆を横目で
みている自分を冷笑し、家路を急ぐ餌付けされた猿たち。でも、その国家が
国民の暮らしと、生命を守る基盤になっている。一つ間違えると、棄民された
難民になる運命を我々は持っている。 まあ、妄想でいいから、公平な社会仮説
を信じて、生きるしかない。 幸せなことである!

・・・・・・
5369,楽しむことを人生の目標に 〜�
2015年11月26日(木)
   * 楽しむことを人生の目標に
 両親から学んだことは、『仕事も趣味も、楽しめるほど追及すること!』
あのエネルギーは楽しんでいたからこそ、限りなく湧き出てきたようだ。
明治以降、いや西欧文明は本来、キリスト教倫理的な一心不乱に働くこと、
『苦悩を突き抜け歓喜へ』という、忍苦、勤勉、に価値の重心がおかれていた。
しかし、一部の人たちには、以下のように、『楽しむことの重要性』
『遊びをせんと生まれけん』こそ、人生であると理解していた。 
 『楽しんでこそ人生』でネット検索をしたら、あるある・・
≪ ・最も長生きした人間とは、最も年を経た人間のことではない。
  最も人生を楽しんだ人間のことである。    〜ルソー
・「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。
                         〜斎藤茂太
・人間の一生は誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。
 夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。
        〜山本常朝(江戸時代の佐賀鍋島藩士、『葉隠』の口述者)
・楽天主義も悲観主義も一つの思考習慣によるものです。
 楽天家の人生が楽しく、悲観主義者の人生が暗いのは当然です。
 どちらもそれを望んだからです。 
  〜ジョセフ・マーフィー(アイルランド出身の宗教、著述家/1898〜1981)
・楽観的であることは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すこと。
           (ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国の政治家)
・一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、
 処世上の第一要件である。 〜渋沢栄一(日本の武士、官僚、実業家、
                    日本資本主義の父 / 1840〜1931)
・船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、
 この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の
 愉快さは何もなかろうじゃないか。人生もまたしかりだよ。
    〜中村天風(日本初のヨーガ行者、天風会の創始者 / 1876〜1968)
・人生最大の幸福は、愛されているという確信である。
 自分のために愛されている、否、もっと正確には、こんな自分なのに
 愛されているという確信である。  〜ヴィクトル・ユーゴー
         (フランスのロマン主義の詩人、小説家 / 1802〜1885)
・人生には、二つの道しかない。
 一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。
 もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。
  〜アインシュタイン(理論物理学者、ノーベル学賞受賞 / 1879〜1955)
・人は心が愉快であれば終日歩んでも嫌になることはないが、心に憂いが
 あればわずか一里でも嫌になる。人生の行路もこれと同様で、人は常に
 明るく愉快な心をもって人生の行路を歩まねばならぬ。
         〜シェイクスピア(英国の劇作家、詩人 / 1564〜1616)
・楽しまなけりゃ馬鹿らしい。しかし、楽しむというのも、なかなか大変だよ。
         〜平岩弓枝(日本の女性脚本家、小説家 / 1932〜)
・予想外の人生になっても、そのとき、幸せだったらいいんじゃないかな。
    〜松岡修造(日本の元プロテニスプレーヤー、キャスター/1967〜)≫
▼ サラリとした言葉だが、内容は深い。『私は愛されている』という確信は、
 幼児体験からの両親の愛情がベースになる。楽しむことが出来るかどうかは、
両親の生き方、愛情の質量に関わってくる。平岩弓枝の、『楽しむというのも、
なかなか大変だよ』というのも、『金持ち喧嘩せず』の、金持ちの状況が必要
条件になるということ。百万には百万、千万には千万、億には億の知恵が湧く。
楽しむためには、面白味を見出さなければならない。面白さは、何があっても
大丈夫!という確信と、逆にゾッとする危険があってこそ生まれ出る。

・・・・・・
6101,閑話小題 〜銀行にも大変革の大波が…
2017年11月26日(日)
        <銀行員 大失職 ―岡内 幸策(著)〜2017/6/2>
  * きついの〜! 御多分に漏れず…
 この春先に、地元の大手地銀の第四と北越銀行の統合計画が発表され、
ここでテーマにした。(後にコピー)。20数年前のバブル崩壊で20数行あった
都市銀行が、何と3行に集約された。そこには想像を絶する過酷な合理化が行わ
れたが、地銀以下の合併は少なかった。Amazon内の検索で、これに関する書籍を
検索すると、多くの著書が出てきたが、ことは深刻。その幾つか紹介する。
 まずは、<銀行員 大失職>から
  内容紹介(Amazonより)
◆ 銀行員の質の低下、銀行自体の自壊も始まる
銀行と金融マンの質の低下が止まらない! 金融の最新情報は聞きかじりだけ。
本部が薦める金融商品をマニュアル通りに売りつけるばかりで、顧客側ニーズ
には応えられない。バランスシートも読めなければ、地域情報も自分の足で稼い
でいないから、融資のための案件組成など望むべくもない。対人折衝の機会も
少ないため、コミュニケ能力も失われている。それでも銀行員は一生安泰。
行内での出世競争に敗れても、取引先が拾ってくれる?  いや、そんな時代は
完全に過ぎ去ろうとしている。
▽ 質の低下は今さら。何をもって質の低下というか?の問題もある。
劣化した人種とは、「リスクを負うことから逃げ、真摯に人生を追い求めること
を避けて、現象に振り回され、自らの脳で考える習慣を持たない人」といえば、
酷いサンプルが、彼方此方に。
―
◆ AIでほとんどの業務が代替可能に
AI活用で現場から人がいなくなるは製造業だけの話ではない。すでに、AI搭載
ロボットによる投資アドバイスが導入され、近い将来、窓口業務全般にも活用。
そこに蓄積された情報で、さらにAIは進化していく。そのうえ融資や案件組成
のための企業分析におけるAI活用も始まれば、多くの銀行員・金融マンは当然、
お払い箱になる。さらに最近は、企業の銀行からの人材受け入れが極端に減少。
まさに大失職時代の幕開けである。
▽ 10数年前になるが「小さなチップに支店の機能の全ての入力可能」と、
 耳を疑うような話を聞いていた。その現象化が、コンビニや、駅構内の自動
決済窓口。更に、中国などではスマートフォンによる直接支払いが進んでいる。
―
◆ 銀行大淘汰の時代に銀行と金融マンは何をすべきか?
本書は、実務はもとより銀行のウラ事情にも通じ、銀行員の質の低下を憂え
続けてきた筆者ならではの視点で、AI時代の銀行のあり方を切り取るもの。
IT化、ブロックチェーンなどネット社会の進展で銀行そのものの存在意義が
問われるなか、相変わらずの横並び経営を続ける銀行と、そのなかで自己変革
のできない金融マンたちが直面している課題を解説するとともに、一般読者も
金融(銀行)の最前線で起こっている変化がわかりやすく理解できる。
▽ 『地方銀行消滅』津田倫男(著) ー2016/9/13 の説明には、
<全国の地方銀行が人口減少による経営先細りに苦しみ、一斉に統合・再編に
 走り始めている。10年後には計105行が28のグループに。>と。
4分の1とは尋常でないが、20年前、都銀が3行に集約された現実から見て、
何ら不思議でない。
  … …
☆ 年金生活者の身には多山の石としても、社会変動の一現象をシリアスに垣間
 見るには参考になる。大都市への一極集中化と、情報化の現れでもある。 
世界は日々、隅々までネットで結ばれていく。
 
――――
2017/09/15
閑話小題 〜 地方銀行消滅
 ふと、去年分の同月同日分をみると、以下なるテーマ「地方銀行消滅」を
書いていた。「第四銀行と北越銀行の合併」をテーマにしていた時には、これを
書いていたことを失念していた。数年で、3分の1、5分の1に再編・統合なら、
早々に、合併するのも当然のこと。健全ということになる。ただし地方豪族化
した体質、塗炭の苦しみになるだろう。
  
――――
2017/03/17
閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合
  * 北越と第四銀行の経営統合、の号砲一発
 昨日の夕方、TVのニュースで「地元NO・1と、NO・2の地銀の統合合併の
ニュースが報じられた。 6年前に一線を離れた身としても、驚きは大きい。
実際にあるとすれば、元・第二地銀の大光銀行と北越銀行と思って当然。
まさか殿様?の北越と第四銀行とは鳩に鉄砲の組合せ。
「合併に対等はなし」の通例からして第四の吸収になるが、目的は人員と
関連会社の整理。機械化と、ネット化などの合理化で、人員の三分の?が
不要になるという。ニュースであまり取上げられてないが、2年前の
北陸新幹線開通のマイナス効果。それと、二つの地元の大地震の損害と
原発停止による経済の弱体化も大きな要素。 
 〜ネット記事から
≪・新潟県の地方銀行で最大手の第四銀行(新潟)と二番手の北越銀行
(長岡)が経営統合する方向で最終調整に入ったことが、16日分かった。
4月にも基本合意を交わした上で、2018年春をめどに統合を目指す。
統合の形態は共同持ち株会社を設立して、2行が傘下にぶら下がる方式を検討。
将来的な2行の合併も視野に入れる。2行は統合による規模の利益の追及など
によって経営効率を高め、今後の生き残りを図る。
2016年9月末時点での2行の連結総資産額を単純合算すると、8.2兆円。
統合が実現すれば、全国の地銀約100行・グループの中で10位台に浮上する、
大規模な地銀グループが誕生することになる。
・2行を経営統合へと突き動かした要因は大きく二つ。
一つは、ここ数年で相次いでいる他の地銀再編と同じく、地元地域の人口減少と
超低金利環境だ。 国立社会保障・人口問題研究所によると、2行が地盤を持つ
新潟県における25年時点での15〜64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少
するという推計結果(13年3月推計)が出ている。
2つめは、足元の経営環境も16年2月の日本銀行によるマイナス金利政策の導入
以降、一層厳しさを増している。超低金利の状況において、預金と貸出金の
金利差である利ざやの縮小が進んでいるためだ。
対前年同期比で見た、2行の16年4〜12月期決算における業績がそれを示唆する。
一般事業会社の営業利益に当たる実質業務純益では、第四が26.7%減の117億円、
北越銀行が18.9%減の65億円。さらに、連結経常利益では2行共に3割以上の
減少という苦境に陥っている。この状況が長く続けば、将来的に地元である
新潟県の地域金融を支えられなくなるかもしれない。そんな危機感が2行を
統合交渉のテーブルに着かせた。≫
――
▼「15〜64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少」は、この記事で知ったが、
 深刻な事態である。常識的にみれば、中越地区は3割減?。これからして、
この合併は、当然といえば当然。第四にとって第二地銀との合併は避けて当然。
その結果が第四+北越銀行の組合せ。「地方経済の弱体化モデル地区の象徴」
として、越後長岡は取上げられる。全体エネルギーが、3分の2に落ちている
感はあったが… それでも合併で何とかなる?から、よいのか。
 今後10年で第四の3分の1、北越の2分1の人員と店舗の整理があって然るべき。
目的は時代に即した合理化。 地銀の整理淘汰の号砲一発。
今夜と明日の殿町の巷は如何なることに? 金融関係者は青い顔、中小・零細
経営者は赤い顔で。今さらだが、「毒喰えば皿まで」。県知事は建設省出身者
の選択しかなかった? 床柱だった北海道拓殖銀行の倒産は、地元道民が乾杯
をあげたという。地元は、如何なることに? 倒産でもないし… 
越後新潟も、新潟市一極化は、ますます顕著になる。ここというより、地方の
常識は非常識。負け犬の遠吠えでしかないが… ワオ〜ン。いや、キャン!



6829,閑話小題 〜大相撲も終わってしまえば

2019年11月25日(月)

   * 大相撲も終わってしまえば
 当初の予測どおり、白鵬が43回目の優勝。もう一人のモンゴル人横綱の鶴竜は
直前に休場。 白鵬とタッグで交互に休み、片方が優勝を狙うパターン。
休場しても罰金をとられるでなし、横綱特権を利用するのは至極当然。翌場所は
2人以外に優勝を譲り、翌々場所はどちらかが… 相撲協会としては、次の世代が
育つまで興業としての体制維持をするしかない。その時節が来年いっぱい。
貴乃花が相撲道とか訳の分からない?問題提起をしたお陰でガチンコ(真剣勝負)
が大勢を占めて、面白くなった反面、怪我が激増してしまった。
 ――
  
   * 映画観賞 :ゾンビランド:ダブルタップ   評価85点
 前作を見たような見てないような、如何だろう? 滅茶苦茶に残酷にゾンビを
殺していく内容に、直に慣れてしまうから恐ろしい。親しくしていた人が嚙まれた
瞬間、ゾンビに変身する。それを非情に殺すのだから、正視できないが、それも
演出の味付けにしてしまう。  
  〜内容といえば〜
<2009年に起きた爆発的なウィルス感染で人類がゾンビと化して10年。当時、学生
だったコロンバスは「二度撃ちして止めを刺せ」「人を見たらゾンビと思え」など
独自に編み出した「生き残るための32のルール」を守り、数少ない仲間と共に
ゾンビ社会を生き抜いてきた。だが、10年が経ち、ゾンビたちもパワーやスピード
が増した新種へ進化。新たな生存者の仲間を加えたコロンバスたちはルールを
さらに強化、生き残りを懸けた戦いに挑んでいく。>
 ―
▼ 上映開始から30分は、あまりの残酷な内容に、<判断ミスで失敗した!>と
 思いきや、その時間を過ぎると、その残虐性に慣れてしまっている自分が…。
「人間でなくなったゾンビを非情に切り捨る社会そのもの」の比喩と考えると
末恐ろしい。己の老化で解ることは「生の質の止ることなきゾンビ化の自覚」。

 ――

   * この年齢ともなれば
 第二の人生に入ってから8年半も経過したが、同年代も含めた第一の人生には、
生きてきた訳ありが、それぞれある。あと50日で74歳。1年と50日で、後期高齢者
の仲間入り。御迎えが来ても追い返す必要もない。 とはいえ、日々が面白くて
仕方がない少年のような気持の領域が限りなく残っている。…同年代には歪んで
いる人が多いように思われる。 加齢はゾンビ化への道というが… 値引商品に
「訳あり」と表示されるているが、それは、キズモノの意味もある。まあ、肉体
だけでなく、精神も歪むのは生命なるが故。

・・・・・・
6465,つれづれに哲学 〜平等と公平の違い 〜1
2018年11月25日(日)
   * 平等と公平論 ―平等実験、公正実験国家―
「平等」と「公平」、この似ている言葉には、実は大きな違いがある。
その違いの認識が曖昧のまま使われていることが、世の中を悪くして
いる大きな原因の一つとなっている。資本主義と社会主義の違いが、端的な
事例であり、数千万、数億単位の殺戮に至った。その残物が国家形態として、
国家理念として存在している。その背景には数日前に記した、「公正世界仮説」
の妄想が根太く、深く根付いているためである。 

 〜 先ずは、ネットで定義を検索すると…
≪ ・「平等」 個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに
 遇するシステムとなっていること。
・「公平」 すべての人に対し、機会が均等に与えられており、成果を上げた者が
評価され、報われるシステムとなっていること。
 人間社会は「公平」でなければなりません。これを「平等」と勘違いをして
いる愚か者が社会システム造りに参画すると、とんでもないことになります。 
世界では100年あまり前に国家レベルで、「すべての人間は平等でなければ
いけない」ということで共産主義という考え方が生まれ、かなりな数の国で
「平等実験」が行われました。結果はそれらの国すべての経済体制が破綻し、
人間は「平等」という考え方で集団をつくると殆どの人が
<最も低い能力の者に合わせた力を発揮する集団になる>
ということが判りました。考えてみれば当然でしょう。うんと働いても少ししか
働かなくても報酬が同じならば、多くの人間はだんだん働かなくなる方向へ行く
のは目に見えている。 これに対して資本主義では、働きの良い者と悪い者の報酬
には多大の格差があります。この格差があるからこそ人は、「自分ももう少し
頑張って報酬を増やそう」と考え、社会システム全体が進歩してきました。
人間社会、否、生物の社会では格差が生じるのは当然のことであり、むしろ、
格差が社会を進歩させる原動力となるわけです。 それでは、全く自由に放任
すれば、社会システムは良い方向へどんどん進化するのでしょうか。
そうでないことは過去の歴史を見れば明らかです。私たちは正常な格差が生じる
ようなルールを見つけねばなりません。この考え方の基礎となるのが「公平」です。
公平の定義にあるように、人間すべてに「自らの努力次第でどんなに大きくも
成長出来る機会」が均等に与えられている事が必要です。人種、国籍、家柄、性別
等による活動制限を合理的ルールで極力取り除き、どのような人でも、どのような
方向にも挑戦することが出来、成果があればきちんと評価されるシステムとなって
いる必要があります。公平なシステムが機能すると社会は良い方向へ進化します。≫
―
他にも、シンプルに…
≪「平等」= 個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに遇する
   システムとなっていること。
「公平」= すべての人に対し、機会が均等に与えられており、成果を上げた者が
   評価され、報われるシステムとなっていること。≫がある。
―
▼ 考えてみれば分かることだが、自然原理からして、平等、公正など存在して
 ないはず。建前として、それを掲げないと、社会が維持できない難しい存在が
人間の本質。ネアンデルタール人が滅び、ホモ・サピエンスが生延びた理由。
姻戚集団から抜け出せなかった前者から、ホモ・サピエンスは、違った血筋の家族
が寄添って集団生活を過ごす他者との融合が、人類にとって最大の境目になった。
敵は野生動物、自然災害の猛威だけでない。他部族、他民族の攻撃、殺戮に対する
猛威もある。                    〜つづく

・・・・・・
6100,閑話小題 〜チョイト哲学、「死」について −2
2017年11月25日(土)
                   <反・幸福論 佐伯啓思>
   * 死とは自己のうちから出てくる
 リタイア後の日々の生活で、毎日が‘絶対的な無意味’かつ‘ニヒリズム’
の果てしない海に私という舟が漂っている感覚にある。老いの心理状態とは、
こんなものかと。目先を楽しむか、何か新しいことに近づくしか手立てはない。

≪  ☆ ‘絶対的な’無意味
 たとえば、展覧会などでただ真っ白なキャンパスだけが置いてあれば、
怖ろしいとか、嫌悪感というより、不気味な感じをするのではないか。
それは、製作者の意図がわからないからです。製作者の意図とは、絵の持つ
意味です。その意味が見いだせないから、何か不気味なものを感じるのです。
もっとも、これらは「生」のなかの話なので、いずれ相対的なもので、あえて
意味を剥奪するすることで逆説的に「意味」を与えようとしているが、本当に
壮大な「無」に向合ったとき、恐怖や不安やおかしいなどというより、まずは
「不気味」な感じを持つでしょう。では、その不気味さから逃れるために、
どうすればよいか。さしあたり答えは簡単です。意味を求めないことです。
意味の無いことに意味を求めるから不気味になるのであって、意味ない、答えの
ないものについて、意味を求めることをやめることです。…
   ☆ ニヒリズムからの脱出
「死の観念」は、われわれをただ不安のまま宙づりにするだでなく、「死」に
ついての何の解決も与えるものではない。いくら「死」について考えてみても、
「死に方」一つ容易に糸口さえもつかめないのです。窓のない暗室のような部屋
に我々を誘導していく。その部屋で、われわれは、苦しい呼吸の中で出口を探し
もがくだけでしょう。「死」という必然によって「生」が囲まれ、脅かされると
いう感覚は、確かに「死」こそ恐ろしい、といった恐怖を与える。
 「死は恐ろしい」のではなく、「死について考えること」が、われわれに恐怖
を与えるのです。「死について考えているにかかわらず、全く何の解決が得られ
ないこと」が恐怖を与えるのです。「死の恐怖」といった問題は何を示している
のでしょうか。窓のない狭い部屋に誰が閉じこめたのでしょう。われわれ自らが
部屋に入りこんだのです。そうだとすればどうすればいいか? 「死」を考える
ことをやめればいいのです。相対的な限界の人間が、「絶対的なもの」について
考えることをやめることです。「‘絶対的な’無意味」について土台、考える
ことは無理だった。…われわれ人生が最後が「無意味」であれば、その無意味の
ゴールを目指し続けている「生」も無意味ではないか、という疑念が沸いてくる。
 であれば、「無意味なもの」に向けて走り続けているこの人生も、ただただ
苦痛の連続だ、ということになる。 しかも、このマラソンの最後の方には、
「老」と「病」が出てくると、これはもう本当に「生は苦である」になる。
そのゴールがただ「無意味」では、一体、何のための「生」かになる。
生・老・病・死、すべてが苦ということになる。
こうして「死」の問題は、われわれを深くニヒリズムに誘い込むのです。
 どうせ、みんな死んでしまうのだから、人生なんぞに特別の意味を求めても
しょうがない、ということです。これに続いてでてくるのは、「どうせ死ぬの
なら、死ぬことなど考えてもしかたない。それよりも、ただ楽しんだ方がいい
じゃないか」ということになる。やがてニヒリズムは、たいていの場合、現生で
の刹那的な快楽主義をもたらし、まれに現生からの「隠遁」への傾きをもたらす。
 さて、それでは、このニヒリズムからの脱出は、「死などないことにしよう」
として快楽の中に陥るか、あるいは樽の中に、陥るしかないのでしょうか。
実は、この問題を論じた人がいます。トルストイです。 ≫
―
▼ 早朝に、上記の文章を独り、一時間以上かけ、味わいながら書き写した。
 夜半の0時に4時間の熟睡から目が覚めて、やはり4時間、ヨガの死者のポーズ
(といっても、仰向けのウツラウツラの状態)と、右下にして丸まるポーズを、
交互に繰り返す。これに近いのは誰もすることだが、問題は、ニヒリズムの極み
の心理状態に陥った時。 余命数ヶ月の宣言を受け、夜半に悶々と、灼熱砂漠に
取り残された流離人の「生への渇望を味あい」。多くの作家が、リアルに描写
しているが… ニヒリズムの極みである。絶対的‘無意味’といっても、その時、
真正面から向き合うしか他にはない。そして、諦念に独り辿り着くしかない。
だから元気なうちに、ニヒリズムを内側に飼っておいて、快楽を、忙中の閑に
味わうしかない。これを飼っておかないと、最期の悶えの苦しみが深刻に…
その前に、「世人」の群れの「世間」に同化され、万年窒息状態に。本人が、
それに気づいてないから、それはそれで… アッ、自分の事ですか、これは!

・・・・・・
5733,なぜ本を読むといいか? 〜��
2016年11月25日(金)
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著
  * とにかく乱読でいいから、読みなさい
今さら読書効果論でもないが、著者は平易に、丁寧に、解明している。
 背表紙の説明文に、『これからは、身分や権力やお金に‘階級社会’
ではなく、「本を読む習慣がある人」「そうでない人」に二分される
‘階層社会’がやってくる』と述べる。
情報化社会では、膨大な情報の中から、選択し、読み解く力が必要。
「本を読む層の人」は、「本を読んでない階層」の人を直ぐに識別する。
教養のあるなしより、「読んでる層、読んでない層」の階層分類の表現
の方が分かりやすい。私のように半世紀以上、欠かすことなく毎日、
読書を続けても、教養が身についたかと問われれば、返事に窮すが、
「本を読む層か」と、問われれば、イエスといえる。
 〜まず目に付いたのが、以下の内容〜
≪ ・‘ヘビー読者層とは月に3冊以上読む読者と言われる’
 ヘビー読者層が全国に1,654万1千人いるが、この人達がライト読者層と
 共に出版業界を支えてきたと言ってもよい。
・ ‘両親が読まないと子供も読まない’
 全体で『読まない』と回答した比率が46.1%で、年代別で目立つのは
 10歳代と60歳代以上。本当の本好きと考えられる『5冊以上読む』と回答
 している人の比率は60歳代であろうと10歳代であろうと年齢層でも大きな
 開きは無いことが読み取れる。『朝の10分間読書』や『本の読み聞かせ』
 などで、読書の楽しさを知って もらおうと全国の小・中・高校で取り
 組んでいるが、これらの読書運動は、やらないよりはやった方が良いが
 アンケートでは、両親が読まないと子供も読むことが長続きしないとの
 結果も出ている。『子供は親の背中を見て育つ』と言うくらいで家庭の
 習慣が良く出てくると言われている。 ≫
▼「読んでいる人」は「読まない人」を直ぐ識別するが、読んでない人も、 
識別されていることに何となく気づくが、その意味の深さを理解できない。 
知的コンプレックスを持つが、次の段階の読書習慣を持つことなく一生を
終える。世の中には言葉の持つ重要性が理解できない人が多く存在する。
なぜ出来ないか? 読書の習慣化で言葉を読みとく能力を持たないため。 
「聞く力」と、「話す力」のベースが、読書にあることに気づいてない。
著者は、そのことを明快に提示している。次回から、各章単位で考えてみる。

・・・・・・
5368,世間、社会、会社の意味とは ー��
2015年11月25日(水)
        ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門著
   * 日本の世間は稀有な条件下で育まれた人間関係である。
 自然発生の「世間」は馴れ合いで、「社会」は厳格な原則がある。
その辺りが、分かれ目となる。日本は島国で、異種混合が少ない世界。
そのため、「郷に入っては郷に従え」の馴合いになっていく。
≪ 世間というのは、馴れ合い同士の人間的つながりが、社会というのは、
一定の利害を共にする人間集団で、そこでは個々人の思想や行動の自由、
あるいはメンバーの行動規範の違いが前提となっているといってよい。
日本の世間は、千年余にわたって外国からの侵略もない、海に囲れた地域の
中で育ってきた人間関係。
 しかし社会とは、歴史的にさまざまな過去を持ちながら、たまたま利害を
共有する面があって同じ地域で一緒に生活する、といった人間関係です。
そこには他者と自分の間にシキリを設けるというか、あくまでも他人と自分
との間の越えてはならない障壁があることが前提となっているようです。
 世間には、人と人を隔てる障壁があろうとも、それを取り除こうとする
動きがあるように見えます。そのような形で、人と人を結びつける世間ですが、
それは無限のものではありません。具体的には、外国人に接するとき、日本の
世間の延長のつもりでいると、相手は妙な顔をするし、第一、言葉が通じません。
 岩手の人と鹿児島の人は、自分たちの日常の言葉では意味の通じないことが
あるかもしれませんが、それでも、NHKテレビの言葉にできるだけ似せて話せば、
まず、会話が成立しない、ということはないでしょう。
 しかし、相手が外国人であれば、どうもなりません。
つまり、世間というものには一定の範囲があって、それは別の言い方をすれば、
日本という地域、そして日本人という顔ぶれの範囲、ということになりましょう。
私がこの本で書いてきたことは、一言でいえば、「日本、そして日本人とは?」
ということなのかもしれません。つまり、日本人は世間を通じて一体となって
いるのです。≫
▼ 都会で、「田舎もの」という地方出身者を馬鹿にした言葉がある。
 都会に出て初めに意識するのが「田舎もの」の自覚。そこには、地方に
存在してない様々なタイプの存在に、孤独の群集に馴染めず、孤独に陥る。
そこで、都会という身近な「世間」に、まずは同調せざるを得なくなる。
そこには、契約で結ばれた部分と、暗黙の契約の存在がリアルにある。
それを逸早く察知できるかどうかが、当面の問題になる。今では、社会?の
隅々まで、外国人が存在しているため、「世間的側面」より「社会的側面」の
必要性が大になる。資本主義社会が世界の主流のため、価値基準が、お金と、
有効利用でリアルに判断される。「隣の人は何する人よ?」など論外になる。


6828,閑話小題 〜今年買って良かったもの

2019年11月24日(日)


    * 今日も、また…
 今朝、この随想日記を1時間以上もかけて書き直し、アップしようとすると、
何と昨日の文章に気づく。先日あったばかりの失敗。前回同様に、書き直す
程度の内容というにしても、悲しいことかな。
11月19日は、私にとって深い記憶に残る日になった。あまりに酷いので、ここ
では書けない。といって露悪の誘惑に勝てない。 SJに出発したのはよいが、
幾つかの忘れ物をし、取って返したのがいいが、今度は家に予約チップを忘れ、
その上に、ズボンのベルトをしてなかった。大丈夫だろうと思いきや、フロント
で… 何かしら、緊張感が切れて… 
 SCや図書館でバックで停車をする時、以前はなかったが、今では、真面に
停車が出来ない。数回、正すが、それでも停車位置に止めれない。同年代の
人に聞くと、「そんなの当り前!」と慰めてくれるが…
 ――
   * 今年買って良かったもの
◉ 我家の風呂は、この55年、タイル張りの壁と床。風呂は長寿泉という24時間、
 循環し何時でも入浴可能のタイプ。それも古くなり、最近は、ユニットタイプ
のシャワー・バスタイプが大方とかで、増税前に思い切って改装したが、
これが使ってみると快適… ‘家主の連れ’には、ますます頭が上らない始末。
◉ もう一つが寝室のベッド横幅1m、長さ2mのスペースのロッキングチェア。
 これが快適で、ますますカウチポテト族に。 
◉ 他には、PC前用の簡易ヒーターをハードオフで見つけ購入。
さらに、ソフトボール大の、球形のマッサージ・ボールと共に、家の内(居間、
書斎コーナー・ロッキング・チェア)を移動する度に持ち歩いている。
両方とも3500円ほど…
◉ 今年の書籍の購入は図書館で借りるだけで、ブック・オフ以外で買うことが
なかった。これも、加齢のためか。
 ――
   * 腰痛、その後
 高校3年の時の38豪雪で腰痛が持病になって以来、はや55年も経過した。
学生時代や勤務の県外在住時は、ほぼ、腰痛がなかったことを考えると、寒とさ、
湿気が腰に悪い要素になっているようだ。ゴールデン・ウィークと、11月の2つの
連休に大かれ少なかれ出てくる。SJのヨガ・エアロに参加して7年半になるが、
これで完治に近づくほどでなし。といって、効果がなくはなし。
10年前までは1〜2年に一度の重度の腰痛が出るが、この数年、少なくなっている。
 姿勢を気を付けているが、知らずに前屈みになって、SJのインストラクターに
注意されること屡し。
 
・・・・・・
6464,閑話小題 〜「公正世界仮説」という認知傾向! 〜2
2018年11月24日(土)
   * さらに、「公正世界仮説」について…
 この「公正世界仮説」を読んでいて奇妙な気持ちになっていた。
「上手くいったのは、やり方が正しくて、失敗したのはやり方が間違っていた」
と思っていた。ところが、これはあくまでも因縁の「因」で、間接原因の「縁」
が重なった「因縁」の結果、「運」が生じる。 私たちはえてして、因ばかり
目がいき、大事な「縁」を忘れがちになる。 事業が好転している時には、
<上手くいったのは、「公正世界仮説」でいうプラス要素の御蔭で、逆に
マイナスの「縁」の場合は如何であったか考えようとしない。たまたま、
順風の追い風の黄金色の大白鳥が到来した背中の隅に辛うじて乗れただけ。 
 ルノーのゴーンからして、それを体現した人。現実社会は、この仮説を妄信
している人達で構成されている。 移民社会の資本主義のアメリカ社会で、
暴動が起きないのは、この「公正世界仮説」があるため、移民は、
<いつか俺だって、大当てをして金持層に入るんだ>という夢を持っている。
そのプロセスで、<いま、ここで、自分が存在している>と… 
そのサクセス物語の夢があるから、生きていられると。
 しかし現実は、これが妄想でしかないと、ここで大胆に暴いてしまう。
世界は、半径500m、直径1kmの世界の重なりをベースで構成されている。
この小さな世界の住民は、それが現実であり、その外界の実感が全くない。
旅の御人の世界は非現実世界でしかない。 裸の王様を揶揄をしているが、
実は己自身の姿。<上手くいっている人は正しい人で、全て許され、失敗した
のは悪い人で、リンチの対象の悪党。直径1kmの御池の岩に閉じこめられた
渦巻く鬱憤の世界で互いの首輪の紐を引張りあって、終生(余生)を過ごす。
 社会の何が公正? 平等と公平とは違う。<資本主義社会のルールに則て
正しく手順を踏んで無事、こうしている何処が悪い?」。嘘をつけ!
 何処かの大統領、ドン様、首相、書記長を、少し凝視すれば分かること。
で、そのチョッとした不公正の御蔭で何とか、面白可笑しく生きられて、
何をおっしゃるウサギさんが、私たちの実情?… 
 
(別記: ところで数日前、TVで様々な動物に小型カメラを装着し、
 それぞれの動物目線で、日常の内容を映しだす面白い番組を放映していた。
その一つに、羊の牧畜犬の首輪からの録画が、犬社会の面白い現実を垣間見る
ことが出来た。 首輪のせいか?仲間内の数匹から徹底的に攻撃され、命から
がら、隅に追い出された犬が、外から羊を狙って忍び寄る狼を気づき、恐怖の
ため、雄たけびをあげて、狼の存在を他の牧畜犬に知らしめた場面があった。
弱者には弱者の役割の存在を、生々しくレポートしていた。これこそ、
「公正世界」というのだろう。老いて、傷つき、片隅で狼の影に怯え(笑)
早朝に、吠える代わりに、これを書いている我姿と自嘲していると、書けば、
丁度よいオチになるが… 次のテーマは、『公平・公正と平等の差』ですか。

・・・・・・
4635, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー4
2013年11月24日(日)
     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
 * パワーカップルの最たる医師同士と、法曹界の収入は?
    ー要所を抜粋するとー
《 現在、医師の女性の占める割合いは20%。50年前は10%。
 現在の医学部の女子学生は40%を占めている。とすると近い将来、半分
近くが女医になると読み取れる。今だ役所、企業での女性の位置が低いが、
医療現場では、さほど、その障害がないことが挙げられる。現在、一億以上の
高所得者のうち、7人に1人が医師である。特に、開業医の収入が多いことは、
巷に知られている。男性医師の4人に1人、女性医師の3分2が、医師と結婚。
男子が少ないのは、収入が多いので、専業主婦の相方でも困らないことがある。
医師以外に、36・5%が薬剤師、看護婦、医療技能職の医療従事者がいる。
ちなみに、学生時代知り合った場合、に妻の方が子供育てを考え、負担の
比較的軽い、精神科、眼科、皮膚科を選ぶケースが多いという。
開業医が2千5百万、勤務医が、その半分の1230万。
医師カップルは2千〜5千万。開業医で夫婦で運営すれば、一億超える
ことも珍しくない。医師夫婦こそ、スーパーカップルといえる。》
▼ 収入から見ると、医者は一種の特権階級の住人。医師のパワーカップルに
 比べ、法曹界の収入は心もとない。女性が司法試験に合格し弁護士になる
プロセスが大変な割に収入が少ないこともあり適さないこともある。男性弁護士
からみて、弁護士の妻は6・6%にとどまり、医師の比率から見て6分の1になる。
それだけ医師の収入条件が良い。難関の司法試験に合格し、司法修行を終えても、
法曹職を得られない人が2割もいる。しかし、米国社会の後追いをする日本も、
訴訟社会になっていくので法曹職も、将来性がある。情報化、グローバル化社会
は、弱肉強食、一強多弱が更に進み、階級社会が固定化する。そこに生じてくる
のは激しい階級間闘争。とすると、第三次世界大戦が東西冷戦とすると、第四次
世界大戦は、民族間と、階級間の、果てしない戦争になる。それも、テロという
手段が頻繁に使われる不安定な社会が現れ出る。その反面、パワー階級は、
今もだが・・ 特別区という別世界に住むようになる。まあ、あまり明るくない
殺伐とした近未来が待っている。TPPは、アメリカ社会に右ならいということ。
厳しい階級社会が、本格的に来るということ! 第二次大戦から20年余の社会
主義化した、あれは、むしろ奇跡?地元の病院の眼科の先生が夫妻と聞いたこと
があった。歯医者はドクターではないが・・収入は似たようなもの?

・・・・・・
6099,閑話小題 〜チョイト哲学、「死」について
2017年11月24日(金)
                 <反・幸福論 佐伯啓思>
     * 「老いとは、死に至る重篤な病」だってさ!
 人生の一大事の「死」について、数多く引用し考えてきた。知識を持った
人間は、身近な人の死から自らにもやがてやってくる死の恐怖の予感に恐れる。
しかし、それは誰も自ら経験をしたことがない故、どれもこれもいい加減である。
死の問題を真正面に捉えると、深くニヒリズムに迷い込むことになる。その最たる
ことが、人生など「永遠の無=死」を前にして、無意味だという「生」に対する
否定な考えである。しかし、その真逆の「生」への極限の追及の本質を考える
足場が、そこに見てとれる。 永遠の無の中の、確かな「いま、ここ、私」…
――
≪ 終末の迎え方、「死に方」は、知恵や努力やカネやコネで人為的に操作できる
が、「死」そのものは、まったく人間を超えたものなのです。人は、「死」を前
にして、まったく無力であり、ただ頭を垂れるほかない。ここでは、全ての人間
の営みも文明も一気にすべての意味を失ってしまう。どれほど、人間が壮大な
建造物を建て、富を築き上げても、「死」を目の前にしたら何の意味もない。
近代人が理想とする「自由」も「幸福追求」もすべてが死を目の当たりにすると、
色あせてしまう。あらゆる存在を無意味化してしまうという点で、「死」は
「絶対的無意味」というしかありません。われわれは、しばしば「死を恐れる」
とか「死が怖い」といいますが、それは、「死に方が怖い」ということでしょう。
普通われわれは、「生」から「死」へと一挙に相転移するわけではありません。
「生」と「死」の間には、「生」でも「死」でもないような「病」と「老」がある。
「生」は徐々に力を失い、意味を薄めていき、世界は色あせていき、あげくに
「死」に至る。そのプロセスが苦しく、つらく、想像を絶するようなものであり、
屈辱的でさえあるのです。「死」に至るには、もはや「生」ともいえない「生」
を送りざるをえない。それに比べれば「死」は救済とさえいえるでしょう。
「生」の究極の時間からの解放であり、苦をもたらす物理的身体からの解放です。
「絶対的無意味」である「死」に対し、怖いも恐ろしいもありません。怖ろしさや
恐ろしさは、何かある意味を持った存在や事態についていえることだからです。
… 「死」は恐怖どころか救済であるのです。
しかし、この「絶対的無意味」は、こちら側でまだ生きているわれわれにとって、
何かある種の妙な感じを与えることも事実でしょう。≫
――
▼ <老いは死に至る重篤な病> とは、言い得て妙だが、現実である。
 死は、どうにもならない、ただ、ひたすら受け入れるしかないのです。
私も健康寿命の平均年齢に至り、いつ何時、介護に入っても不思議でない時節に
入っている。「老いていく」とは、「老いというの病の進行」とは、知らなんだ。
スポーツジムで、私の病の進行度は、これ如何に? と俯瞰すると、成るほどと。
「人生、良いところは還暦まで!」と曽野綾子女史が宣っていたが、その通り!
そして、12年近く経過したが、思いの外、「良いこと」が数多あった。それは、
「長年続けていたからこそ」の中の刹那な一瞬にあった。生きてきたように「老い」、
「病になり」、最後は「のた打ち回って死んでいく」。それで「良いんじゃない」
タップリと「麻薬」?を盛ってもらい、天国の階段を… 実際は真逆だろうが。

・・・・・・
5367,世間、社会、会社の意味とは ー��
2015年11月24日(火)
          ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門著
   * 西欧生まれの「社会」と、日本の「世間」はどう違うのか
 「社会」と、「世間」の違いは、日本社会と欧米社会の違いが起因する。
 欧米社会は一神教のキリスト教などの上に成り立っており、日本の
「世間」は、多神教のような無宗教的要素が作り上げた自然成立した
人間関係から出発している。 〜その辺りから〜
≪・「社会」と「会社」の二つの単語の元になった英語の「ソサエティ」
と「カンパニー」は、単語の形こそ違え、その語源は大変似ているのです。
カンパニーの本来の意味は「つきあい」といったところでしょう。語源は
「カメラ」で、今の日本語では写真機の意味になりますが、古いイタリア語の
「部屋」の意味です。古い英語で、同じ船に乗りあわせている船員の集団も
カンパニーです。これは当人たちのありようとは別に、一緒に企業を作る、
船を運行する、といった人間関係です。ここでは個人が仲間を裏切って、
勝手な行動を取ることを許さない厳しさがあります。
・「ソサエティ」もこの単語の語源のラテン語で、「仲間」とか「同盟」
といった意味です。「カンパニー」と同じような意味ですが、この場合は、
個人差やあり方に幅を認めている感じがあります。たとえば「同盟休校」
というのは、一人一人の学生は専攻も思想も違うが、その違いを超えて
何らかの要求を掲げ、申し合わせて一斉に学校を休むことです。
英語の「ソサエティ」の訳語である「社会」の構成メンバーは、さまざまの
個人が所属していることを承認しているのです。社会学の原型となる思想に
よって、後世に影響を与えたオーギュスト・コント(フランスの社会学者、
哲学者、数学者。一七九八~一八五七)は十九世紀前半に活躍した学者です。
彼は当時のヨーロッパの無政府状態を眺め、それを再統一するために、
実証主義(実際の状況から、そこに原理を見出そうとする考え)によって
何らかの原理、一定のルールを見出そうとしました。
・実証主義は「ポジティヴィズム」と言いますが、ポジティブは「確かな」
というのが本来の意味です。よけいなことを書いたような気がします。
しかし、それというのも、新しい単語である「社会」と日本の古い言葉である
「世間」との間に、かなりの距離があることを言いたかったのです。
ですから「社会性がないぞ」と言われると、何言ってやがる、という気が
しても、「そんなこと、世間には通用しないぞ」と言われると、ふと、
たじろぐものがあるのではないでしょうか。人間の集まりを示す言葉には、
西欧の近代社会が規定した、現実の事物から導きだした具象的に説明できる
理論を根拠にした「社会」なるものと、日本の「世間」のような、人が生活
してゆくうえで自然発生的に生まれた対人関係を意識することの二種類が
あるように思えます。≫
▼ 一神教は、神と僕(しもべ)との契約がベースにある。そこは、
 契約の原理が存在するのに対し、「世間」の世界は、曖昧な世界である。
だから曖昧な噂が、常に漂い、それに互いに怯えることになる。個々が
自立していることを前提にした社会に対し、曖昧な私の集まりの「世間」は、
不確かな事実の上で、ものごとが判断されている。そして「集団馬鹿」の
一員として、一生を終えていく。
・・・・・・
5002,閑話小題 ーつれづれに独り思うことー1
2014年11月24日(月)
   * 早朝、独り思うこと 
 現在の毎日の課題は、「既に残された時間は少なくなった分、
生きる面白さを味い尽くさないと!」になる。
 生きる面白さは充分に味わってきた。そして、あと何年、
生きるか分からないが、これからも、その余白に生きる面白さを
味わい付け加えることになる。生きる面白さには、味気ないことが
背後に膨大にあるが、それはそれで充分、価値があること。
 
 暇もあってか、過去をジックリ思い出すことが多くなった。
その度に多くの現象を改めて多面的にみることができる。
面白かった!という記憶が、非常に多いが、知らぬ間に、
面白くない記憶を消し、目をそむけてきた。
 とにかく、読書時間を持っていたことと、行動してきたのが
良かったのだろう。両親の影響も、あまりに大きい。

 「何事も取り組んだことが面白く楽しくなるまで、集中し続ける」
が、両親から学んだこと。そのために、世の中の流れをつかみ、
無駄を見極め、そのエネルギーは最小にすること。
一般の価値観は、娑婆の価値観。自分の価値観を見据えること。
そのためには、俗にいう「C」さん達と、距離を置くこと。
要するに「世間」を見切ること。それを20代から実践したため、
『色即是空、空即是空』の心持ちに少しでも近づけた?
早朝の時間の活用が、それを手助けてくれた? そうでもないか。

 ランチに週二回いっていたのが、今では週一である。
<昼飯は本来、ジャンクフードで、抜いても良いのでは!>
と思い立ってからだ。スナックとバナナ一本で充分と思えば、
それでもよい。実際のところ、惣菜売り場のパックの『つけ麺』か、
インスタントのカレーライスで、腹持ちがする。年齢もあるが・・ 


6827,閑話小題 〜とにかく‘毎日’書く習慣

2019年11月23日(土)


   * とにかく全部、書け ―3
「とにかく全部、書け!」は、私にとって「とにかく‘毎日’書け」になる…
これが慣れると、さほど苦痛でなくなるのは継続の効果である。書き続けると、
日々、新しいい発見があるが、ほぼ同じことを書いていることに気づかなくなる。
  〜書き続けることは
・脳内の外部化の作業であり、可視化にもなる。
・18年半が経過したテーマ日記。過去の同月同日分を数年分読み返す習慣と、
 過って書いた内容を、キーワードでブログ内検索で引出せるのが便利。
・外部化することで、書いた瞬間に安心して忘却できる。
・また過去に入れたエネルギーが、検索で、そのまま湧出する感覚になる。
・書上げた達成感と充実感が蓄積していく喜びも何ものにも変え難い。
 知れば知る程、その周辺の知らないことが見えてくる。
・言い残すことが、ほぼ無い実感が何とも有難い。

これを続けることは、膨大なエネルギーと根気を要するが、慣れると充実感が
満ちてくる。で、どうした? どうもしないがシリアスな内容だけに、他人様
から恨まれ疎んじられる反面、少しは何かを与えることが出来たか。生半可な
知識・情報を在庫として書き残し、数年にわたり、読み返すうちに理解する
ことがある。 
 
 去年の秋口に書いた中で、並列して飛ぶ2機の戦闘乗組員の無線のセリフ…、
《 ・ダニー:「 何事だ?無線は緊急用だぞ 」
 ・新人:「 すみません、ちょっと質問が… 飛行日誌についてですが、
  無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも… 」
・ダニー:「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」》
 ―
 この言葉を若い時分に読んでいたら、人生は大きく変わっていただろう。
書き残してない人生の空白部分があまりに多い。私にとって あれだけ面白い
経験をしてきたのに、全くといってよいほど書いてない時節があった。
あの現場の感情や場面を克明に書き残していたらと思うと実に残念である。
 それでも22歳〜25歳にかけて、その時の気持ちを日記に書き留めていたし、
50歳半ばから18年半の間、このテーマ日記を書き続けてきた。それでも20代
後半から高度成長時代の濁流の中での心象風景を、そのまま書いていたらと
思うと… 後悔先に立たず。
 ソクラテスは何も書き残してなかったが、弟子プラトンが、彼の言葉を詳
しく記録し、後世に残していた。書き残こす意義は非常に大きい。
<今日、此処で、私が書いたテーマと内容>は、生半可としても、毎年、読み
返すことで改めてわかることが多々ある。それは、改めて考えることに。 
 ソクラテスの最たる言葉が、『私は何と無知か!』。その理解から第一歩が
始まる。「無知の知」の言葉が己を慰める。そして、次に娑婆のシタリ顔の
面々の人たちの言葉が湧きあがり、「深く考えない人生は生きるに値しない」
の言葉に納得する。湧きあがるのは、その時々の内なる無知蒙昧。
  ソクラテスの言葉に…
<それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると思うか? 
 ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいいと言って、帰って
いくことでしょう。>がある。 時どき、冷たい視線に出会い狼狽えるが、
「カタチが違えど、御前さんと大同小異だろう。」の言葉で、一瞬で不快さが
なくなる。無知とは、それぞれに不快感を与えるものよと。
 
 〜過ってテーマにしたのを、コピペをする…
・・・・・・
6389,心に残った言葉 〜とにかく全部書け! 〜1
2018年09月10日(月)
   * 未来とは、今である。
         ーマーガレット・ミード―
 この随想日記を含めて、ダイアリーなどに小まめにメモをする習慣があるが、
数年前からは、この二つ以外のメモをすることが少なくなっていた。何でもいい
からメモは、その時点時点の心象風景を表現している。随想日記に全身全霊を
入れているため、日々の魂の刻印になる。それを毎朝、書きしるし、過去の同月
同日分の幾つかを読返すのは、内省になる。その上、キーワードでHP内検索が
出来るのが非常に便利。 例えば『娑婆』と入力をすると、17年分、6千数百の
テーマの中から文章を検索、羅列してくれる。正しく「未来とは、今である」
として、いま現在、考え、書いていることが未来の今に、再会可能にしてくれる。
ネットサーフィンで、ある名言集のブログに「未来とは、今である」があった。
毎日、書き続けるのは、今を未来に刻印することでもある。目標、夢は必要と
明確に示した内容である。

≪ 将来の夢や目標が明確になっている方は、
 いまやらなければいけないことも、おのずと見えるもの。
一方で、まだ将来の目標が定まらず、
いま何をしたらいいのか悩んでいる方も多いとおもいます。

わたしのまわりでも、
「今後のために いま何をすべきなのかわからない」
という話を聞くことがあります。
そんなとき、映画『メンフィス・ベル』のシーンをおもいだすことがあります。

『メンフィス・ベル』は、第二次世界大戦中の英国にある米軍基地を舞台と
した映画。とても危険な任務のなか、爆撃機「メンフィス・ベル」は、これまで
唯一、24回の出撃を無傷でのりきっています。25回目の任務を終えて故郷に帰る
ため、最後の飛行に向かう10人の若き乗組員のストーリーです。

最後の目的地に向かう途中、メンフィス・ベルと並んで飛行するのは
初出撃となる「マザー・アンド・カントリー」。
その新人無線士がメンフィス・ベルの無線士ダニーに無線通信をおこないます。

新人「 こちら、マザー・アンド・カントリー メンフィス・ベル応答願います 」
ダニー「 何事だ? 無線は緊急用だぞ 」
新人「 すみません、ちょっと質問が飛行日誌についてですが、
   無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも。」
ダニー「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」
新人「 どうも、お邪魔を 」

このシーンが今でも気になるのは、ダニーの
『 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる 』という言葉。
それは、人生にも当てはまるのではないかと感じます。すべてを書き留める
ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、
感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで
いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。
だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は
ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち
込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。

若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り
こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに
全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。
その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを
学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。  ≫

―
▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」
 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き
留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。
「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。

・・・・・・
2018/09/11
心に残った言葉 〜とにかく全部書け! 〜2

「いま、ここ、わたし」は、過去、現在、未来も同じく永遠に向けて垂直に立ち
上がる。 一テーマを書き続けた後、5年、10年、15年後に読返すと、何気なく
書いた内容を読返す度に違った視点に変化する。 自ずから何もかもを書きだす
プラス、マイナス面がある。
 22歳から24歳にかけての具体的日常の細事の記録こそ、半世紀を超えた魂の宝。
人生の変り目の感情と理性そのままの心象風景の記録は、現在の自分が心底で
共鳴できる一番の話し相手。例えば「1968年10月」「青雲寮」の検索で、当時を
呼び出し可能になる。 この随想日記は、「とにかく一テーマの自分で納得する
文章を書きつづける!」のが、目標。 旅行中は、前もって書き下ろしたのを、
コピペをしてもらって凌いでいた。 「とにかく毎日書きつづけろ!」 
以下の文章は、16年前に書いた、50年前の日記の内容。具体的メンバーの名前と、
一日の記録が記されているにすぎないが、私にとって銀色に輝く青春の魂の記録。
しかし、もっともっと具体的な心象をの全てを書いておけば良かった。
その中でも、比較的に具体な一日の描写があった。当時の非日常のため記録した
のだろう。書き記してないと、忘却の彼方に消えていたはず。
――――
< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
 ――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >

―
▼ 孤老化した使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分のテーマ日記
の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけてきて良かったと
実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いてはいるが、やはり、
公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、偽善の内容になって
いくところが絶妙である。公開すると、それが即、見抜かれるため、シリアス
かつ、露悪に成りざるを得ないのである。エゴまるだしの「このバカが!」
と思われてこそ、面白い筋立てになる。

・・・・・・
6463,読書日記 〜『孤独の発明』 −3
2018年11月23日(金)
          <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独から飛翔する言葉
 アイフォン、タブレットPC、パソコンの進化などで、個々人主体の情報化
社会の本格的到来で、旧来の新聞、TVなどのマスコミの役割が、どのように
変わったかを知りたかった。これまでは、地元新聞、TVの地方局、地方銀行、
市議会と県会議員が、地方社会の骨格をつくっていた。これが10年前から本格的
に普及したアイフォンと、タブレットなどで、個々の情報端末が、互いに直接
結びつくことによって、社会の骨格を変えてしまった。 強者弱者の境目が
情報と資金力になるが、そこに情報選択と加工する能力のインテリジェンス
(地頭)の格差が端的に現れ出てきた。TV画面が、番組のディレクターの
素質もまた映しだしてしまうため、コミック的でさえある。大衆が大衆たる
由縁、マスコミが発信する情報を妄信し、考えないで済まされた。
 ところが、情報化で大量な情報が、フェイクニュースを含めて常時、入手
可能のため、自分で考えざるを得なくなってしまった。地頭は、幼児の頃から
親がかりでしか育成は不可能? 孤独に耐えきれないから、一般大衆になる。
考えるには、孤独に晒され、そこから滲み出る言語で格闘することである。
  
  〜その辺りを、解りやすく説明してある〜
≪ 言語と人間は互いに互いを育てあってきたと述べたのがC・S・バース。
AI革命がいわれインターネット革命がいわれるいま、この言語と人間の付き合い
方は新しい段階、というより、本格的段階に到達しているように見える。状況が
これまでと全く違ってきている。むろん、言語の本質が変わったわけではない。
これまで以上にいっそう顕わになってなって、いわば人は日々その本質、その
途方もない力――とりわけ嘘をつく力、騙す力、煽動する力――に直面しなければ
ならなくなってきたのである。人は自ら知らずに嘘をつき、たやすく騙されるが
――すなわちイデオロギーを持ちパラダイムに浸されているが――その事実に
46時中、直面させられるようになってきたと言っていい。言葉は人を騙し煽動
するが、同時に、人を励まし勇気づける。だが、それだけでない。
 言葉は人を傷つけ、ときには殺しさえする。
インターネットは人間ひとりひとりを新聞社に変えテレビ局に変えたとは、
よく言われることだが、重要なのは、誰もが同じ資格で自由に発信できるように
なったということではない。その結果、新聞やテレビがサブカルチャーすなわち、
下位文化に格下げされたということである。新聞やテレビの権威が失墜したわけ
ではないが、大幅に縮小されたのである。それは、国家的メディア、国際的
メディアではなくなりつつあるということだ。その結果、新聞、テレビがこれまで
以上に主義主張を鮮明に出すことになり、あるものはより右翼的に、別のものは
より左翼的になってきた。簡単にいえば熟慮することが少なくなってきた。
ということはつまり、自らサブカルチャー化に拍車をかけ始めたのである。
 失ってみてはじめて分かるが、権威の失落は重大である。これまで、いかに
新聞やテレビの権威に頼ってきたかが分かる。そして、失われていく過程で、
これまでの権威がいかに基盤の脆いものであったかが分かる。権威として登場
してきたものの多くが、若くて未熟な記者やディレクターによって恣意的に
選ばれたものにすぎないことが露呈してきたからである。インタネットの情報が
飛躍的に増えて、容易に比較することが出来るようになったのみならず、記事も、
番組をたやすく批判されるようになった結果である。
 マスコミの時代が終わった、あるいは、新たなマスコミュニケーションの時代
に入ったのである。… …情報は溢れかえっているが、それは分別も整理をなさ
れてない生の情報なのだ。いわば膨大の情報の海の渚で遊んでいるようなもの。
人類はいま、巨大な波がいつ押寄せるかもしれない波打ち際で戯れている。≫
――
▼ 学生寮でコーヒーや、酒を飲みながら、様々な大学の人たちと軽口に近い
議論をしてきた。それが突然、厳しいことで知られ、次々と脱落をしていくため、
一年コースの「途中補充」で入会したのが『人事管理』の武澤ゼミ
(ゼミ員・20数名)。 前週に一枚のレポートをわたされる。それは、
人事課に持込まれた社内のトラブルの生々しいケースの書かれたレポート。
 2〜3班に分かれて議論をして、問題のありか、解決法を導き出した後に、
全体で、その結論を、互いに批判し合う厳しい現場に立つことになった。
そこには、「東レ」から、見るからに切れ者の社員が5名参加をしており、
現場叩き上げの凄みがあった。議論の結果、その解答の書式が配られ、
ゼミ全体の結論と解答の差を、教授が結論として出す。 
 とんでもないところに来てしまったと、当初は思っていたが、それが、
私には水を得たように解決法が出てきた。それは両親の終戦後の転業の中での
幼児体験。その日の売上が、生命線の命金。幼児体験そのままの知恵が、突然、
表立ってきた。それと25人のオープンハウスのような寮生活そのものが
問題解決の日々。 問題は姿変われど、本質は変わらない。それらを、知識と
知恵で、深く掘下げれば自ずと解決する。 問題は、地頭の勝負! 
20万年に一度あるかなしかの、情報革命の断層で、一人一人の個々の知恵、
『孤独』の徹底が現われてくる。


6826,閑話小題 〜幸福のパラドックス −2

2019年11月22日(金)

   * 何ゆえに、何万年前と幸福感が大して変わらないか
  〜この概要をまとめると…
≪ この何万年…、特に、この二百年の間、幸せを追求し経済成長をして
きたにもかかわらず、何ゆえ大した幸福感を得ることが出来なかったのか。
それどころか、経済のグローバル化と、経済戦争で、かえって苦しんでいる。
その根底に、幸せには二種類あることを知らないためであると… それは、
「相対の幸福」と「絶対の幸福」である。この二つを意識して暮らせるか、
どうかで人生が変わってくる。

◉ まずは「相対の幸福」とはお金、財産、地位、名誉… 
 人と比べなければならない幸福である。その弱点は3つある。
・どこまで求めても、キリがない
・喜びが続かない
・死んでいく時には総崩れになる
◉ 「絶対の幸福」とは、仏教では、その目的が完成があり、死によっても
 総崩れすることがない。大安心、大満足の絶対幸福になること。カントの、
絶対言明にあたる。それに対し、仮言命法が、相対的幸せになる。
定言命法とは、カント倫理学における根本的な原理であり、無条件に
「〜せよ」と命じる絶対的命法である。定言的命令とも言う。
「もし○○なら▽▽せよ」というかたち。相対的である。
 ―
 そうこう考えると、一大問題が「死」の問題と宣った。
宮本武蔵が吉岡道場と三回の決死の戦いを…
織田信長も、今川義元と、絶対的劣勢の中で、勝利を収めた。
まず最も重要な敵の親玉に狙いをさだめて、まず殺してしまった。
 これに人生を当てはめると『死の問題』が親玉になる。… ≫
 ―
▼ これは若い時分から自問自答し、少しずつ納得していくしかない。
 「死」を直視し、覚悟を決めてしまえば、死の裏側にある「生」の問題が
豊潤に浮び上ってくる。 「人生に何をすべきか」「どこまで知るべきか」
「どこまで望むべきか」のカント哲学の基底に相通じていく。 ところが、
大方の人は、「自分だけは大丈夫、まあ80歳は生けるだろう」と勝手に決め
こんでしまう。 が、そうは甘くはないのが人生。これは覚悟の問題。
時間をかけるしかない。 そこに「幸福のパラドックス」が…。 
幸福の光の背後にある漆黒の闇を考える必要があるかどうか。光は漆黒が
濃いほど光り輝く。人生は「いま ここ わたし」は …宇宙の一瞬の輝き。

 ところで沢尻エリカ様、最高のエクスタシーを味わったのだろうに。
あとで待つのが「汚れ役」の人生としても… 芋づる?で他のタレントの名がチラホラ。

・・・・・・
6462,閑話小題 〜ゴーン逮捕 −2
2018年11月22日(木)
   * 日産とルノーの合併話が遠因?
 家内が昨日の朝、「昨夜のTVで、日産とルノーの合併話があって、それを阻止
するためのクーデターと報じていたよ!」と宣う。そこでネット検索をすると、
以下なるネットニュースがあった。
≪  ☆ ゴーン会長が日産・ルノーの合併を検討 FT報道
英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は20日、日産自動車会長と仏ルノー会長
兼最高経営責任者(CEO)を務めるカルロス・ゴーン容疑者が両社の経営統合を
計画していたと報じた。日産側の経営陣は強く反対していたといい、ゴーン会長
の逮捕劇の背景に日産の経営を巡る内部闘争があったと示唆した。
 複数の関係者がFTに対して明らかにしたとしている統合は、ゴーン会長が強く
推進し、反対する日産経営陣は「数カ月以内」に実現する可能性があるとみて
いたという。相互に株式を持ち合う日産とルノーの統合は、日産を影響下に置き
たい仏政府がかねて望んでいたとされる。 三菱自動車を含む3社連合の形を
ゴーン会長に頼らない体制にするためだ。ゴーン会長も6月のルノー株主総会で
「私の任期終了までに企業連合の持続性に疑問が出ないようにする」などと
発言していた。これに対して日産側は仏政府による経営介入などを警戒し、独立
したままの資本関係の維持を望んでおり、水面下の駆け引きが続いていた。≫
―
▼ ルノーの経営会議で、ゴーンの解任は延期されたが、この事情であれば当然。
 水面下ではフランスと激しい遣り取りがあって当然。世界を揺るがす御家騒動
になるが… ドロドロした内情が噴きだしてきた。ゴーンの私利私欲のスキャン
ダルも事実で、合併が差し迫った現在、自分たちの身分が危なくなる現経営者の
策謀も事実としたら、さて如何なることか?ルノーが43%の日産株を所持に対し、
日産は15%というから、資本の論理からすると、絶対的にルノーが有利になる
のは周知のはず。 その後のルノーの臨時取締役会で解任されなかった、という
ことは、フランス政府がゴーン解任に反対したため?とすると、早々、日産の
現社長の辞任? フランスから猛抗議を受けた政府の圧力で、検察が、ゴーンを
釈放。合併を推し進めるのか、映画を地にいくバトルになる?
ここにアメ車のフォード、GMの要請を受けたトランプがアメリカ第一主義から、
ルノーの力を削ぐため、日本に圧力をかけるだろうから、日仏米間の政治問題も
絡んで何とも複雑な問題。 レバノンの難民の父を持って、世界を渡り歩いた
中で、学び、働き、勝抜いてきた筋金入りのゴーン。このまま、済むわけがない。
まさに生中継のハリウッド映画のようで、見もの。フリーのライターが色いろ
ホジクリ返すのだろうが…  検察に対して、弱みを持つ?安倍首相。
何を思って夜を過ごしているのやら! 私が日産の社長で、免責条件で、
ゴーンの不正告発を突きつけられたら、連犯で逮捕より、寝返るしかない! 
 やはり、何処かで死人が出るほどの、生々しい事件とみてよいのでは!
フランスの秘密警察は、陰湿で強力という。

・・・・・・
5365,世間、社会、会社の意味とは ー�
2015年11月22日(日)
          ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門著
   * 世間の中で、もまれて大人になる日本人
 学生時代の専攻が社会学。それに影響されてか、社会科学に興味を持って、
以来40数年、その系統の本を読み続けてきた。そこに当然、身近な『世間』
なるものの正体に興味を持つことになり、手当り次第に読んできた。
その世間、社会の色取りが面白いからこそ、続けてこられた。特に日本人は、
『世間教』たる宗教めいた神様が存在して、それに大きく左右されて、
『世間馬鹿』(いま、思いついた言葉)になってしまい、人生の黄昏頃に、
その壁に気づき、自ら涙する。その世間を、否定をしないで、真正面から
捉えたのが、この本である。ーはじめにーの、「世間」「社会」「会社」
の定義が、的を得ている。まずは、その辺りを抜粋。  
≪ 日本には昔から「世間」という言葉がありました。
 「世間知らず」
 「世間の笑い者になるぞ」
 「世間は広い」
・世間とは個々の人が作った集団ですが、それは具象的というか、私たちが
日常接する人々とつくるつきあい、そして、その延長である知人のまた知人、
というふうに範囲を広めていった未知の人をも含めた集団といえる。
あくまでも、現実の人間関係の延長がつくる人間関係です。
 人は成長するに従って次第に複雑な人間関係を持つようになり、やがて
未知の人をも含めた集まりが存在していることを知るようになります。
 それが世間であり、大人になるということは、そういう世間で生きるための
常識が備わってくること、いや、積極的に世間を知ろうとすることが成長する
ことの意味なのでしょう。世間を前にすると、個々の人間は弱い存在です。
そのルールには従わなければならないし、ルールの担い手になることさえ、
周囲の人々に期待される場面もあります。世間の掟というのは、法律のように
個人を強制するものではないにしても、世間の暗黙のルールを破ると、物事が
スムーズに運びません。
 「世間知らず」とは、そういう世間の暗黙のルールが身についていない人の
ことであり、「世間は広い」という言葉には、暗黙のルールだと信じていたもの
のほかに意外なルールがあって、それに従って生きている人々がいることを
知った驚きが込められています。
・「世間」によく似た言葉に「社会」があります。学生のころ、社会学の講義
で、明治のはじめに英語の「ソサエティ」を訳すに当たり、当初、「会社」と
した場合もあったが、やがて「社会」に落ちついたと教えられました。
しめすへん「社」という漢字の左側の部分は「示偏」で、これは神を祭る祭壇を
表すと聞いた覚えがあります。そして、右側の部分をなす土という字です。
つまり、「社」という字は土の上に神を祭る祭壇を作ることで、「会」という
字は人々が集まることです。「社会」という単語には、まず祭壇があって、
そこに集まる人々がいる。つまり、共通の神があり、それを承認する人の集団
が社会なのです。
・そして、「会社」は、「社会」の漢字の順序を変えただけ。しかし日本語の
「会社」の場合は、まずある目的があり、それを達成するために人々が作った
かなり人為的な組織ということになります。たとえば紡績会社なら、織物の
生産を目的に、金と技術と意欲を提供して集まった人たちの組織ということに
なります。それに対して「社会」は、自然発生的で人間が知的にその存在を
認めた組織ということになりましょう。そうやって考えると、「社会」と
いう言葉は、あくまでも知的な認識というか、人にとっての個々の知人関係
などがつくる人間関係とは、一応は無縁な言葉ということになるでしょう。≫
▼ ウィキペディアによると、{社会とは、人間と人間のあらゆる関係を指す。
 社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括
する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する
社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を
観察する。}とある。「世間」が身近な人間関係の広がりに対して、「社会」は
その範囲が広く、社会契約を含めた、構造と、その構成要素をいう。人生を
考えるとき、「世間」たる化け物を見据えておかないと、その一員に陥る
はめになる。それを避けるには、長年かけた教養が必要のはずだが… さて?

・・・・・・
5000,閑話小題 ー今日で5000回!
2014年11月22日(土)
   * 随想日記も5千回に
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。 
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ
できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!
学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをして
なかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳として
ネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりの
パソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの
出だしの頃で、手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」
と、「分類」として続いている。そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、
「はてな」のブログに殆どが移動していった。そのことに気づいたのが一月前。
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の閲覧に
なっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。   ーまずは初回からー
・・・・・・
6097,閑話小題 〜先日、信濃川土手の公園で
2017年11月22日(水)
   * 早朝の土手の公園にて
 10日程前になるが、8年以上続けている早朝のポタリング(チャリ散歩)の
信濃川の土手でのこと。年齢が20〜60歳位の男10数人と、若い女性が集まって、
それぞれ押し黙ってスマートフォンを見ている。異様といえば異様だ。通り
過ぎてから、これが流行りの「ポケモンGO」かと。早朝の寒空の中で、何か
しら違和感があった。そこで、HPの『Pokémon GO』を開くと、何が何だか? 
参加する前に、ガラケイからスマフォに切替える必要があるか。私には、そこ
まで興味がわかない。嵌りこんだら、面白いのだろうが。
――
  * 晩秋の土日・祭日は「スポーツ観戦」漬け
 スポーツの秋の時節。相撲が開幕すると、土日、祭日は「スポーツ観戦」
漬けになる。実際の運動はジム、試合はTV観戦が主だが。先週の日曜から
「大相撲・九州場所」が始まり、月初には同時間帯に「全日本極真空手道大会」
と、「全日本柔道体重別選手権」が行われたため、3つ同時のTV観戦に相成った。
年に一度の日本一をかけた一発勝負が何とも新鮮。土日は、録り溜の300本前後
の中から厳選をした数本を見るため、寝室のTV前で終日、過ごすことに。
それが、全く飽きがこないから、始末が悪い完全オタク。ブルーレイの録画枠が
一杯になったため、最近始めたのが、記憶媒体へのダビングの移行。一枚40円の
ブルーレイに4〜5本が可能。 世界の自然紀行モノや、美術館モノをダビングし、
新たな録画用の枠を空けている。が、面白そうな映画が次々に放映され、録画に
相成る。 これに書斎コーナーのPCのデスクに4時間は座る。居間は気分転換
の場で、家内の敵陣?にキマリワルソウに鎮座。ガラス戸の向こうから、唯一
味方のインコが、親しげに鳴きかけてくる。そして日々が稲妻のごとく、瞬く間
に過ぎ去っていく。この凡々の生活も悪くはないが! 際モノ生活?はもういい。
・・・・・・
5730,閑話小題 〜トランプ劇場の憂鬱
2016年11月22日(火)
   *トランプに、ハネムーン期間はなし
 アメリカ新大統領の政権移管期に報道の「ハネムーン期間」
があったはずと、ネット検索をすると・・
【「ハネムーン期間」とは、近代の民主主義政治において、政権交代後の
 新政権の最初の100日間のことを指す。発足直後の新政権は一般的に高い
支持率を示す傾向があり、新政権の最初の100日と国民・マスメディアの関係
を新婚期(蜜月)の夫婦になぞらえて名付けられた。アメリカ合衆国では
報道機関のみならず野党も、この100日間は新政権に対する批判や性急な評価を
避ける紳士協定がある。】とあった。
 
―今回の選挙は、売名のための実業家泡沫候補が捨身で、人口の66%を
占める白人、特に中下層白人の不満を煽った結果の前代未聞の勝利だった。
これがアメリカの本音である。
 選挙終了直後から、デモが頻発することなど、考えられない事態である。
それも、趣味の悪い悪役スターとしか思えない家族も露出した。これでは、
スキャンダルが絶えなく続くことになる。 韓国現大統領の末路と、近未来の
トランプの先行きを重ねみることが出来る。
 マスコミも、国民も、「ハネムーン期間」を祝う空気は全くない。
米国内の経済シンジケートは、組しやすいと踏んだようだが、ゲルマン人の、
有色人種への差別は想像を絶するほどである。まず、隷属国家の日本の扱い。
仮想敵国の中国との取引材料として、どう扱ってくるか。
 中国が常々、アメリカに提案していた、<アジアは中国に、アメリカ大陸は
アメリカに!>の、裏の秘密協定を結ばない保障ない。逆に言えば、日本が
真の独立を果たす機会である。
 この状況は20世紀初頭から中ばの情勢に酷似している。平和憲法をあてがわれ
70年余り、最小のトラブルで、何とかきたが、大統領選の思わないフロックで、
それも終わろうとしている。天気晴朗なれど波高し。その先には暴風の可能性
がある。まずはオリンピック開催と、トランプの引退まで、安倍で?何とか!
 歴史は繰り返す。このミュージアムが、もしか私の終末の心象風景? 娑婆!
――
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7〜8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は
23000歩 は歩く。気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、
呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。趣味をとうりすぎてライフ
ワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7〜8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、
上には上があるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。−>
【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
(江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)�早朝(4時半〜5時半)起床 
�近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り �食事�風呂
と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経を
となえる。この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦
してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。
夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年5月】

 


6825,閑話小題 〜幸福のパラドックス

2019年11月21日(木)

 人生を振返りみれば、浮沈みはあったが、沈んでも丸裸ということもなく、
比較的安定?をしていた。「事前の一策は、事後の百策に勝る」… 万一の
構えを事前にしていたこともある。ブラック・スワンはいずれ飛来するか、
潜んでいる。幸福のパラドックスをさして感じることもなし、幸福度が減った
なりに楽しむ術は心得ていた。
<(イースタリンの逆説)によると、年収の7万5千ドル辺りが、幸福の目安と
いうが、中の上。そうかもしれない。 問題になるのが、本人の価値観。
幸せはお金で買え、しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」ことも事実。
「恒産あって、恒心あり」。 漫画家が一発当てた印税で遊び放題の人生も、
これまた幸せの極致。人生を振返ると、大方が50歳代が一番に安定し、豊か感が
あったが、では現在と比べて、如何か?というと、大して幸福感は変わらない。
…が面白さは、50歳代が格段、面白かったのも事実。ここまでくれば、第三者の
認証も大した問題でもなし、「悪魔の大便」のような人物の嫌らしさ?を、知る
機会の楽しみもあり、差し引きゼロになる。我が内なる… 云々もあるが。
 ―
 イースタリンの幸福のパラドックス(イースタリンの逆説)… 
◉ 『「貧しい人は、お金により幸福感が増す。しかし、中流に達すると、
それ以上お金が増えても、幸福感はあまり変わらない。ある研究によれば、
年収が7万5千ドルを超えると、お金が増えても幸福感はほとんど増えない。」』
といった、お金の増大が必ずしも幸福と比例しないというパラドックスを
表した言葉である。リチャード・イースタリンという経済学者が考えた説。
◉ また、「幸せはお金で買え、しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」
米ミシガン大学の2人の経済学者が結論づけたが、逆説で挙げられるような、
飽和点(7万5000ドル)を示す証拠はなく、「一国の中では、平均幸福度と
平均所得との間に明らかに相関関係が見られた」と主張。
 ―
▼ 中学、高校、大学の忘年会に出席続けていると、やはり後者の説に偏り
 たくなる。進学する度に、暗い人が少なくなる。「恒産あって恒心あり」。
「自由、平等、博愛」というが、これは逆説。でも理念として常に心がける
べきこと。平等と自由に関しては、チンパンジーが、一番、敏感という。
ああ、愛を持って接すれば愛が返ってくる博愛もある。 とすると、
人間は狂った猿」というのも、間違ってはいない。チンパンジーを引合いに
ださなくとも、自分をみれば解る! 何で人は、狂っていくのか?
< 不幸になるのは何も難しくない。ほんとうに難しいのは、幸福になること 
                            ―パスカル >
 女優の沢尻エリカを見るにつけ、その段差たるや… しかし多かれ少なかれ
誰にも待ち受けている究極の不幸……  一人称の「死」の問題がある。
 そりゃ哲学的になるは、砂漠の炎天下に突然置かれ、生への枯渇で独り
ノタウチマワルしかない究極の不幸と比べれば、全てがカスリ傷。だからこそ、
誰も正視が出来ない。「今、ここ、わたし」の幸福を赤裸々としても、
求めればよいのに。「死」の問題は、「生きる」問題の裏腹にあり。
 次回は、この問題をテーマにする予定。 
暗いも明るいもあるか、そこは漆黒の世界。目を叛けるより、まず慣れろ!
その奥に生の輝きが見えてくる。それを感じ取った結果が、幸福だろうに。
 
 〜で、これも丁度良い脈絡として以下に続く… 
・・・・・・
4999,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜�
2014年11月21日(金)
             ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 般若心経の勧め ~(-ノ-)/Ωチーン
 般若心経を暗記をして30年近く経った。この間に、数十人に暗記を勧めた。
当時、息子二人も毎朝の仏前の読経をきいて、面白がって暗記をした。何万回、
唱えたことだろう。唱えた分そのままが、心の底に蓄積されている感がする。
 今は、数日に一度だが、唱えること自体に意味と実感している。ポイントは、
ゆっくりと、一言一言を区切ること。 創造工学の中山正和の講演で、
『運を強くしたいなら、般若心経を暗記しなさい』という勧めを受け、必死で
憶えた。これは一度憶えてしまえば、汽車待ちのベンチや、夜半に眠れない時
など、唱えることが出来て、頭がクリアーになる。 ーその辺りからー  
≪ 会社で出世して係長から課長になっておめでたいのは確かだが、見方を
変えれば係長級のストレスからさらに大きな課長級ストレスを抱えることにも
なる。それほどの大ストレスを癒すには通常の意識レベルを、違うレベルの
意識に持っていくという作業がすごく大事になる。そのため何をすればよいか
といえば、一番簡単な方法の一つが毎日、「般若心経」を唱えることなんです。
訳はわからなくていい。とにかく唱える。そこで大事なことは、へたに解釈
してはいけないこと。ただ、ありがたいと思うことが大事なんです。 
また、例えば会社でも、朝みんなで社訓を唱えたりするでしょう。
あれだって意味を考えてなくて怒鳴るから効果があるのです。
まともに考えたら馬鹿臭くなるのではないでしょうか。
 ーそういう意味で、「教育勅語」などは、その典型だったわけですね。
そうですね。僕ら、小学校のとき、何にも意味わからないことを聞いて
全部暗記してました。 ーある種の呪文なんですね。
 そうです。現代人には、ある意味でそういうものがなくなってしまった。
いわゆる近代主義というのは呪文を全部否定したわけです。呪文を否定して
何でも意味を考えて、何でもわかると考えてしまった。そうすること自体が
すごいストレスを生み出してしまった。つまり「般若心経」を例に取れば、
それをわかろうとするのではなくて、単に唱えることに意義、つまり心を癒す
作用がある、ということですね。 ただ、それで完全にわかったと思ったら、
もう駄目だと思います。理解するより唱ることに意味がある。「般若心経」は。
‘ありがたい’と思うことが大切だ、ということです。(p178)  ≫
▼ 「般若心経」を唱えている間は、別時空に入ったような感覚がする。
《現象は、五感は夢幻でしかない、それを自覚しなさい》ということ。
《南無阿弥陀仏》《南無妙法蓮華経》《南無観世音》も一心に唱えている時は、
心が魂の世界とつながっている。魂とは一心不乱に対象に没入している時の
心の状態をいう。ひたすら、念仏や、般若心経を唱えている時こそ、自分が
自分になる。 南無..(-人-) Д│
――
 H0605
般若心経のすすめ
 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、
般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回、
唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須。二人の子供ま毎朝の
仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。十年間の経験より
(私の実体験より)直観した事を列記すると
�自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�心臓音に波長があっている(リズム)
�α波がくみこまれている
�“念”がこの中に入っている
�お寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
�情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
�これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
�夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。
――
2001年06月11日(月)
[49] 一期は夢 ただ狂え

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄
470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が
古今集をまねてつくった歌の一つ。‘人生など一瞬でしかない。なら
狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’と言う内容である。
今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった内容だ。
500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!

・・・・・・
6461,閑話小題 〜ゴーン逮捕
2018年11月21日(水)
    * 大物経済人の異例の逮捕
 一昨日の15時過ぎに、「自動車業界で世界的規模のルノー・グループの総帥が
間もなく逮捕!」と目を疑うようなビッグニュースがTVのテロップに流れてきた。
即座にNHKが臨時番組を組んでいる中、他局はいずれも普段どおりの番組。
これまでのニュースから見ると、日産自動車の社長のクーデターのようだが、
真実は如何に? 数ヵ月前から社内告発を受けて調査していたが、免責を条件に
社長自らが検察と組んで調査に全面協力。その結果、逮捕に?… 
・検察に直接、社内告発があり、社長に接触突きつけて…
・社内から社長に直接、告発があって、このままでは詰め腹をきられると判断、
 数ヶ月前に、社長自ら検察に駆け込んで免責条件で… それが結果として
 社内クーデターに…
・いつ何時、首を切られかねない社長が保身のため… 仲間割れの裏切り行為…
・CIAか、日本の公安機関が、その事実を知ってリーク… などが考えられる。
 
 自家用ジェット機で羽田の到着した直後の格納庫内で身柄を確保。その晩の
うちに横浜の自宅捜査。昨日、社長が、『ゴーン会長本人と、ナンバー2の
代表取締役二人の解任を数日後に決定予定と発表』 用意周到で見事な手際。
結果現象からは、『ナンバー3のクーデター』だが。そうは簡単に説明がつか
ないほどの問題。 世界有数の経済界大物が逮捕とは、前代未聞。 ルノーの
大株主(15%)がフランス国家というから、日仏の国際問題に発展する可能性
もある。 強引な手腕に内部的に敵が多かったのだろう。
 
 超大物の逮捕には、『事実は小説より奇なり』で、ハリウッド映画の
ようなスリリングな駆け引きと、ドラマがあったのだろうが… 
風化しない数年以内に映画化されるだろう。ゴーン自身、これほど実績を
積んでしまえば、逮捕はない!と、思い込んでいただろうに…。
あれだけのゴーン資金、政治資金と流用されているのだろうから、ゴーンも、
日産社長自身も、不自然死など物理的に非常に危険な瀬戸際に立ってしまった。
まだまだスキャンダルが次々と出てくるのだろうが… 
 三権分立とはいえ、日仏国家間の政治的圧力で、即、釈放、国外退去に?
本人、検察の留置場で何を想っているのだろう。『日々、是、口実』ですか。

・・・・・・ 
4632, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー3
2013年11月21日(木)
      『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔(著)
  * 早慶・東大卒のお相手の学歴は?
《夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。
 ところが女性を基準にすると、別の結果が見えてくる。 まず、同じ
グループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。具体的大学名までは
分らないが、同大学の男性と結婚する人が多いのであろう。
「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの
男性の比率が約64%に達する。次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述の
MARCHに学習院を加える)や「関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)ほか」
という比較的入試の難易度が高い大学卒の男性が続く。・・名門大学とされる
「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した女性は、同グループを卒業した
男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、パワーカップルの
代表例である。ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ少ないので、
彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を卒業した女性と
結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの
理由である。・・
 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の
国立を含めると、94名で、9割を占める。男性の東大卒19名のうち、東大卒
女性は少ないが、短大4名、大卒13名と高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、
フェリス、上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》
▼ 難関校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生
 と結婚。男の方は一流女子大生と結婚に至るケースが多い。女性の場合、
まず家柄、大学のブランド、相性、次に容姿の順になっていく。それさえ
気にしなければ、それぞれの勤め先には、地場の美しい魅力的女性がいる。
20代前半は花の時節。とはいえ、一生抱えるとなると?その人を知ろうと
したら奥さん(旦那)を見ろ!という。その人、相応の相手とすると? 
深く考えるのは止めておく。 若い女性は、自己評価が思いのほか高い。
その自覚を持たない人が多い。 そのため?行かず後家を多く見かける。
秘境ツアーで見かけるが、それは大変な人。プライドが高く、唯我独尊、
傷つきやすく・・ 2〜3回に一度はいる。自分も同じか? 話を戻す。
パワーカップルといえば、20数年前、東京のパレスホテルの経営セミナーの
夕食の時、隣席の人と名刺交換をした。グリーハウスという全国有数の企業
の社内食堂を受託する給食ビジネスを展開していて、飲食業界では有名人。
駅などで見かける「サボテン」という豚カツ店、デリカのチェーンも
展開している。セミナーでは、可能な限り気楽に名刺交換をするのが慣わし。
異種業種からの情報が入るためである。私の名刺を見て、「私の家内は、
実は柏崎出身なのですよ!」というので、「私もです。柏崎には親戚や、
仲人がいるのでよく知ってます。どちらの娘さんですか?」と聞くと、
「ブルボンです」と。「私の仲人とブルボンの社長が幼馴染で、非常に
親しくしていると、聞いてます。ところで何処で知り合ったのですか?」に、
「母が慶大のOB女子会の役員をしていて親しくなったのが家内の母親。
その関係で・・」大手のオーナー会社トップのパワーカップル?である。
で、衰退系の会社?まず昼飯から合理化をするからだ!そういうこと!
・・・・・・
5364,閑話小題 〜親父と息子の確執
2015年11月21日(土)
   * 親父と息子の確執
 学生時代の友人に暫くぶりにあって話している中で、長男の話になると、
大部分の顔色が変わる。 触れて欲しくないようである。いずれの家庭内
にも何らかの問題がある。それが、夫婦仲の不和や、嫁姑、嫁小姑だったり、
父親と息子との確執などが絡みあってである。自営業をしている場合、それが
マイナスに働くと、致命傷になるケースが多い。先日、全国的ニュースにも
なった服部学園の場合、長男の詐欺行為となると、いかんともし難い問題。
その逮捕に至る葛藤は、地獄の業火に焼かれるほどだろう。地元最大手の関連
会社の社長だっが同級生が、派手な社交界で、遊行費を使いすぎて裁判沙汰に
なったことがあった。雇われならまだしも、これが親子となると、複雑だ。
父親と長男の確執と、嫁姑の関係は、人類の永遠のテーマ。
   * 腰痛と、圧縮パンツ
 数年前、次男から、『父の日』にスポーツ用靴下の『圧縮靴下』を二足、
プレゼントしてもらった。早速、履くと脚全体が軽くなったようで、使い心地
がよく、週一回は使っていた。ところで、数ヶ月前から慢性の腰痛が重くなり、
何かないかとネットで調べてみたところ、『圧縮パンツ』『圧縮タイツ』なる
ものの存在を知り、早速、取り寄せて使い出している。パンツかタイツの
どちらかの判断に迷ったが、圧縮靴下があるので、廉く済み、はきやすい
『圧縮パンツ』なるものにした。税抜き1980円である。
茶封筒に収まる薄いパンツで、「何これ?」と思ったが、身に着けると、
圧縮度が凄い。今では違和感が少なくなった。「身に着けるとタイムが
上がる、不思議な水泳パンツが、これか」と、着けてみて気づいた。 
あまりに締め付けが強いので、時間とともに、気分が悪くなるのではと、
心配しながら、『圧縮靴下』と共に身につけ、ポーツジムで使用したが、
時間とともに馴染んできて、今のところ問題ない。とはいえ、腰痛は、
良くなる兆しがない。


6824,閑話小題 〜つれづれに …昨日の明方にみた夢

2019年11月20日(水)

   * 母からの便り
◉ 昨日の朝、奇妙な夢をみた。母親が「幼児の頃に亡くなった実父に電話をした
ところ、電話に出た」と語りかけてきた夢。そこに至るまでのストーリーの脈絡
は無かった。次の瞬間には母に、その内容を必死に聞いたが、答えはなかった。
母親が普段から、「実父が私の守り本尊」と言うのが口癖で、耳にタコが出来る
ほど聞いていた。夢では恥ずかしそうな顔をして「何だったか解らない」の返事。
私の潜在意識も、その答えを用意してなかったようだ。 

◉ 人生を振返ると多くの危機に遭遇してきたが、何故か一瞬の正しい判断で助け
られてきた。それも数回ではなく、数十回、いやもっとある?。私の守り本尊は、
母親か、父も入れた両親ですか。毎朝の仏前の御参りを考えると、両親の背後に
広がる御先祖様とすると、年寄りぐさい話と相成る。年齢を重なるたびに、実感
するのは、何かに守られている実感。思いだすたび、一つ間違えたらと考える度、
背筋がゾ〜ッとする。
 
◉ ところで、数時間前の起き際に、母親に、今度は、私が電話をしたイメージ
をもって語りかけると… 
『私たちに会いたかったり、相談があったら、夜半に独りで電話をしなさい。
これって最高のノウハウ。重要なのは、イメージって、心が深く通じて、自分
だけでなくて、こちら側のアイデアが働くの。そこで考えると、思いもよらない
深い知恵が湧くのよ。』  何やら神憑り的内容に…

 こんな内容、10年後は無い?として、5年後に読み返したとしたら、奇妙な
心持ちになるのだろう。故人の母が、更に故人の祖父に電話をした夢について、
「いま、ここの、わたし」が、電話をするストーリーが、時空を超えて、
近未来の自分に届く奇妙な夢物語になる。何かしらの小説の序章のような。

 偶然としても、気味が悪いほど脈略として、以下の内容が丁度良く続く… 

・・・・・・ 
6460,読書日記 〜『孤独の発明』 −2
2018年11月20日(火)
          <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独は言語の別名
 沢木耕太郎の『深夜特急』。インドからイギリスまでの旅過程での「独り言」を
呟きながらザックひとつで旅する物語。その内語そのままが、孤独の青年の魂の
生の声として伝わってくる。俯瞰の視点を言語化することの重要性を、これを
書き続けることで認識している。それを、さらに俯瞰している自分は、何?

≪・孤独は言語と共に古い。それには理由がある。
孤独とは自分で自分に話しかけることだからである。…人は言語によって孤独に
なり、孤独になることによって言語を得たからである。孤独は言語の別名と
言ってよい。人は、自分で自分に話しかけることによって私になったのである。
・俯瞰する眼は視覚を持つ動物すべてが持つ。目を持つ動物全てが、獲物の外観
に欺かれまいとすれば、回り込んで背後を見なくてはならない。そして、背後に
回り込むためには俯瞰する眼を持たなければならないからだ。だが、恐らく
人間だけが、それを言語によって対象化したのだ。鳥も獣も、追い追回される
ときに、それに整えるときに俯瞰するが、人間だけは、タダ俯瞰するためだけ
に俯瞰する。つまり俯瞰を自覚する。
・寂しさと優しさの感情が重要なのは何故か。孤独に含まれる寂しさと優しさの
感情は、養い育てられるという体験しか生まれてこないからである。「寂しさ」
は、失うことであり、「優しさ」は満たされるからだが、ともに養い親との関係
からしか生まれない。
・支配者の孤独というが、これは逆だ。孤独者が支配するのである。完璧な
支配者とは、完璧に手と足を、口と腹を、排便と性を支配できるものをいう。
この身体の支配を仕方を教えるのが母であり、養育者であって、それら他者の
視線、他者の言語―禁止の命令―のすべてを繰り込んだものを私というからである。
・人は孤独によって結合する。孤独は人間の特性である。その孤独の特性によって
互いに結びあう。 いわば、人と人とは分かりあえないということだけは分かり
あえるというかたちで、分かりあう。孤独な読書において、人は、数万、数十万、
数百万の孤独な魂が結びあうことが出来る、時代を超えて。≫

―
▼ 孤独といえば、母親から聞かされてきた生立ちの話。 母が3歳の頃、三人
の子供を残し実父が亡くなり、継父との妹、弟と差別と、虐めを受けた話。
それ故に、祖母も継父に気遣い、愛情をかけて貰えなかった生立ちそのままで、
実の子供たちへの扱い方が出来なかった。10人の家族を養い育てるには、幼児
体験のように目先、働くしか知恵が働かなかった無念があったが、言語化出来ない
寂しさは… 30年以上前の話になるが、教育学者の森信三が、亡くなる数年前に、
当時、立ち上げた「新潟木鶏クラブ」の関係で、間接的に母親の生立ちと、
それ故の悲劇話を聞いて、「是非、自分が主催している会に、主賓として話を
聞きたいと…(本人も似たような過去を背負っていた故に…)」
 会員は国内トップメジャーの人たち!末恐ろしくなり、御断りをしたが、
今思えば、母にとっても一番の癒しになったはず! 無念である。その方々は、
号泣したのでは? それだけの実話が詰まっている。両親の上っ面をみて、20歳
の頃に、<自分も創業を!>とは、若さと、高度経済成長が言わせた迷いごとと、
実感する日々。『孤独』、それも幼児体験から滲み出る言葉こそ、魂の叫び。
<「寂しさ」は、失うことであり、「優しさ」は満たされること>というが、
成るほど、人は満たされ、失い、泣き、笑い、7転8倒してこそ人生。 
充実した人生は甘辛い味がする。私の味は甘酸っぱい!ですか。 戦争は拙い!

・・・・・・
4998,暴走する世間 −12
2014年11月20日(木)
     「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 世間とは、差別社会の日本的用語!
 日本の世間にも、欧米社会にも歴然とした格差があるが、高度経済成長と、
バブルと、崩壊を経て、中流階級が、総下流になりつつある中、世間様では
窒息感が強くなって、世間様のイギリス化が始まっている。この傾向は、
今後ますます強くなっていくことになる。 ーその辺りからー
≪ 八○年代までは相対的に景気がよかく、人びとに余裕というものがあった。
「世間」の贈与・互酬関係」や異通の時間意識」は、「お互い様」という
相互扶助」や「やさしい関係」という「共生感情」を生みだす。これが
「世間」のウチでセーフティネットとして機能していた。ところが、九〇年代
以降の不況の時代に入ると、人びとにこうした余裕が失われ、セーフティ
ネットとしての「世間」の機能がだんだんと後退し、「世間」の「権力性」
「抑圧性」といったネガティブ面だけが目立つようになった。「世間」の
「息苦しさ」や「閉塞感」が、前面にせりだした。この変化を、私は資本主義
の「中世」化とよんだことがある。九〇年は、オングのいう「第二次的な声
の文化」が始まる時代と符合する。オングは九〇年代以降、電子メディアの
普及によって、文化の伝承という点で、ちょうど「中世」のような状況が
あらわれたという。「中世」の特徴は身分社会にあるが、「世間」もまた
「目上・目下の関係」としての身分関係を重視する人的関係である。
この資本主義の「中世」化によって、世間」がせりあがってきた。 
 ・・(中略)例えば英国の階級社会とは、何なのか。イギリス生活が長い
ジャーナリスト林信吾によれば、英国の階級制度は、上流、中産、労働者
階級に明快に分けられる (『しのびよるネオ階級社会』林信吾)。 
☆ まず上流階級と中産階級を分ける基準は身分。これは古い貴族制度が
のこっているためで、上流階級には王室をはじめとする貴族や代々の
大地主などが入る。これはまあ、わかりやすい区別である。
☆ つぎに中産階級と労働者階級を分ける基準は、収入や資産もあるが
基本的には職業であるという。これはみた目で区別するのはむずかしい。
中産階級に属するものとして、医師や弁護士などの専門職のアッパー
ミドルクラス、高学歴のエリートサラリーマンなどのミドルクラス、一般的な
ホワイトカラーや下級公務員、自営業者などロウアー・ミドルクラスがある。
☆ 後に労働者階級に属するのは、特別の資格やスキルを必要としていない
仕事に従事している者。 ロンドンでは、二階建てバスの運転手は労働者階級
だが、むずかしい試験に受からなければならないロンドン・キャブの運転手は、
ロウアー・ミドルクラスだという。
 ・・英国でおなじみのパブでも、1軒のお店のなかで、中産階級向けの
ソファやスツールに座って飲む「サルーン」と、労働者階級向けの墓本的
には立ち飲みの「バー」が分かれていて、入口まで別。≫
▼ 欧州は人種の坩堝のため、飲食店は長年かけて以上のようなシステムに
なっている。日本も、ますます、この傾向が強くなっていくのだろうが・・ 
実際、日本も表立ってないが、客単価で、えり分けをしている。世間とは、
それぞれ階層の「目上・目下」の人的関係に過ぎないが、当人たちにとっては
大問題である。大学、高校、中学、小学校の同級会に毎年、出席しているが、
そこには、階層差が歴然としている。その上、それぞれにも明確に存在する。
それを見てきたため、創業時の事業設計から万一の備えを組み込んでいた。 
娑婆は面白い! が、それも所詮は、共同幻想でしかないが。
・・・・・・
6095,閑話小題 〜弱いから群れるのでなく…
2017年11月20日(月)
   * 「パラダイム転換」も様ざま
 寺山修司が「人は弱いから群れるのではない 群れるから弱くなるのだ」
という名言を残したが、『世間』を神様と敬う日本人には耳の痛い言葉。
天動説から地動説のような、真逆に変化するのを、「パラダイム転(変)換」
「パラダイムシフト」という。400年前までは天動説が当り前とされていた
のに対して、地道説を唱えるだけで宗教裁判にかけられ危険があった。
このパラダイムシフトの変換を、コペルニクス的転換として様ざまの分野で
使われるようになった。 〜その幾つかを挙げてみると…
・まず哲学者のカントが、天動説の発見を哲学の世界で使った。
 彼の展開する「認識論」の中で、「認識が対象に従うのではなく、
対象がわれわれの認識に従わなければならない」と唱えた。
「通常、我々がモノ(対象)を認識する時は、モノが存在するのを観測者が
捉え、そこにモノがあると認識していた。しかし、観測者がモノを捉えて、
モノがあると認識したから、モノが存在すると捉えることができる。」と。
 犬コロと「認識」し、対象を従わせることが「認識」であると。
「はじめにモノが存在すると捉え、それを認識する…」から、
「対象がわれわれの認識に従う」へのコペルニクス的大転換、
「認識するからモノが存在すると捉える」になる。
「認識が対象に従う」のは、「客観」に基づいた認識の仕方にあたり、
「対象が私たちの認識に従う」のは、「主観」に基づいた認識の仕方にあたる。
この辺をシッカリ認識してないと、自分の意見に自信が持てなくなり、同レベル
以下の群れの考えに流されることになる。 「人(他人)は人、自分は自分、
されど仲良く」の、「自分」の意志、信念が薄れていく。私たちは、
「スカッとサワヤカ、コカ・コーラ」の擦り込みで、コカイン入り砂糖水を
飲まされている。暑い中、冷えたコーラが猛毒でないはずがないじゃないか。
・<幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ>は。哲学者アランの言葉。
「幸福優位」7つの法則! 法則1.の「ハピネス・アドバンテージ」、日本語では
「幸福優位性」。良いことは、幸せな人に、
  肯定感3〜6:否定1 の割合の人に… 集まる。
「努力すれば成功する。成功すれば幸せになれる」ではなく、
 幸福なポジィティブな気持ちを持っていることが結果として成功する。
・ 愛されたいなら、その前に、まず愛すること学び、はたらきかけなさい。
 両親から頂いた愛情を、加味をして深めて、周囲に注ぐこと。
 ただし、相手を見誤らないこと。「誠実そうな人」と「誠実な人」とは違う。
・成功をしたいなら、まず素材の良い人を集めて、目的から作り変えるべし。
 目的から人集めをすると、長続きしなくなる。少なくとも家系だけは確認。
・そして寺山の「人は弱いから群れるのではない 群れるから弱くなるのだ」に。
群れにも多々ある。群れたいなら、その都度、自分レベルの2ランク上を。
同化したら、更に二ランク上に… 止まったと直感したら、閑静な空間をつくり、
人知れず自閉すべし。開放のままだと、世間体が…、御狐が… そういうこと。
・・・・・・
4631, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー2
2013年11月20日(水)
     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木俊詔(著)
   * 学歴の組み合わせは?
《 1000人にアンケート調査を行い、結婚相手の学歴、とくに大学名を挙げ、
どのラインを理想とするか、あるいは、ぎりぎり妥協できるかを問うている。
この調査から、日本の学校間格差、男女差、心理的な葛藤など、様々がわかる。
・まず中卒、高卒の男女で相手に大卒を望む人は非常に少ない。高卒女性では
大卒男性を望む人もいるが、そのなかで大学名にまでこだわらない人が大多数。
・男女差に注目すると、男性よりも女性のほうが相手の大学名にこだわる。
大卒男性は女性の大学は無名でよいという人がかなりいるのに対して、女性の
場合は自分の大学よりも名門度が高いか、同程度の大学の男性を望んでいる。
・「国立大・早慶上智クラス」卒業の女性の64%が同クラス卒の男性を理想と
しているし「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)クラス」卒、および
「成蹊・成城・明治学院クラス」卒の女性の過半数が「MARCHクラス」卒以上
の男性を理想としている。なぜ入学の困難な名門大学で学ぶ女性は、相手男性
も同クラスの大学卒であることを希望するのか幾つか考えられる。
難関校に入学する女性は少数派なので、自分に自信がある。自信があれば、
男性にも同等ないしそれ以上の大学を希望するのは自然である。一方で、
男性は劣等感を抱く可能性があるため、自分より格上の女性を避ける
傾向があるとされる。》
▼「東大」「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大グループ)」「関関同立(関西、
関西学院、同志社、立命館)」「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)」の
色分けは、私の学生時代から、あまり変わらない。有り余る自由の中で、何を
していたかが大きい。としても大学は、それぞれの人生に大きな影響を与える。
血筋、大学、結婚相手のレベルで、人生が決まるか?というと、そうでもない
から面白い。しかし8割は大きく左右する。 毎年、中学、高校、大学の
同級会に出て感じる事は、進学するにつれ、世界が広まる奇妙な感覚。  
中学は駅周辺、高校は中越地区、大学は首都圏周辺と全国区へと広がる。
義兄に東大、一橋卒、中央・法科と、長岡商業卒がいる。姉は、大手高校、
ドレメ、実践女子短卒が二人。なるほど、その組み合わせが、そのままが、
その人となり?結婚相手の当たり外れかは、棺桶の蓋を閉めるまで分からない? 
結婚相手と両親、学校、生活の質(読んだ本と趣味の質・量)で多方が決まる? 
諸条件は、原因? 運もある?(★>Д<★)


6823,閑話小題 〜下越周辺、とりわけ新潟駅周辺は ー2

2019年11月19日(火)


    * 現場を離れると見えてくること
 そこは板前、ホスト、ホステス、ヤクザ、半グレ、そして一夜の快楽を
求める酔客が入乱れる夜の世界。様々な人生が、そこに展開する。それでも
何ごともなく30年も営業を続けていたのだから、腹が坐るのも当然。
 いま思いあたるだけでも、10年前の駅南タクシー強殺事件。前県知事の
買春事件、幼女誘拐殺人事件、新発田の女性3人を狙った強姦事件。またかと
思うほど下ネタ事件が多い。昨年6月には、勾留質問中に新潟地裁から逃走し
約5分後に取り押さえられ、逃走未遂罪でも起訴されている事件などがある。
…地元の長岡など中越地区を含めると更に増える。地元が故に敏感かと思い
たいが、そうでもなさそうだ。
「パレットの法則」=ビジネスやマーケティングで広く利用されている
「80:20の法則」や「2:8の法則」と呼ばれ、元は経済学者が発見した法則。
「駅周辺の繁華街の20%の地区で、犯罪の80%が発生している」ということ?
新潟駅前女性刺殺事件… 「オンライン」で知り合ったというから、痴情の
縺れより、女性が刺されながら「御免なさい!」と言っていたことから、
ネットゲームの敗者が掛け金を払わず逃げていた?… 闇の世界は深い!
 ―
    * 織田の訴追の会見って、あれ何?
 初めから終わりまで、ポカンとして聞いていた。世間知らずも程がある。
スケートは、個人競技の典型。そこは、コーチの能力次第で、個々の力量が
決まる世界。幼児の頃から、特別な環境に隔離され、無菌状態のボクちゃんが、
突然、監督に抜擢され、日本を代表するコーチの上に立てば、浮游は当然。
何が一千万の損害請求かと… 弁護士も最たる個人競技、いや個人業務。
その二人が、海千山千の記者の前で、その世間知らずを露呈した会見。
 一流選手の競争相手は、世界のトップレベルの選手。そこに、一般常識を
持込めば、当然、勝つことは出来ない。「一千万の根拠は? 何ゆえに彼方
だけ一千万を請求するのか?」と記者に突っ込まれ、弁護士共々、タジタジ
する姿はコミック的であり、かつお気の毒。 私など「悪魔の○○」にな…
 
・・・・・・
6459,読書日記 〜『孤独の発明』
2018年11月19日(月)
           <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独の発明
 ‘孤独’に関して深く洞察してある内容。20歳に創業を決意して65歳まで、
ある意味で、孤独業をしてきたようだ。 終わってしまえば、
<折角の人生、勿体ないじゃないか!>が半分。
<御蔭で面白可笑しく充実していた!>が半分、あい半ばである。
17年半にわたり書き続けてきた、このブログからして、孤独業である。折角の
人生というフィールドで、ネット上に何か刻印して残したいと続けている。 
独白であり、近未来の自分や、近しい人に語り掛けるように、書いている。
早朝の6時前に完成した一文と、17年の生々しい過去文を鳥瞰しながら自己
対話をしていることになる。 過去も、過去の文章も、母親のようでもある。
懐かしく、優しく、厳しく、行蔵と、限界を、眼前に突き出される。

《 私とは繰み込まれた他者のことであり、その場合の他者とは、何よりも
 まずもっとも身近な他者、養い親とりわけ母にほかならない。
母がまず子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのである。
言語はこの現初的な入れ子構造――から始まったのであり、そうである以上、
入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことだ。
したがって、相手の身になることが出来るようになった瞬間、人はこの入れ子
構造が永遠に続きうるということを――母、その母、その母の母、つまり、
自己の背後には無数の死者がいるということ――を会得してしまっているはず。
現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、死から離れた視点、
第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている』。
 孤独が寂しさを伴うところに、「出自」が暗示されていった孤独は、母の
懐から生まれるのである。
 …相手の身になる能力は捕食するものと、されるものもの、追うものと、
追われるものの身にならなければ逃げきれない――、その能力は、この二つの
視点を入れ替え可能にする蝶番のような視線、すなわち、さらに上からの
俯瞰する第三の視点を想定しなければならない。この第三の視点が私という
実質――人間的意識の実質――なのだ。空中に浮遊する第三の視点は身体を
含まない。だからこそ、私には私の死が理解できないのである。死が不条理に
思われる理由だ。この第三の視点と、現に行動している行為主体との関係が、
内的対話、内面に他ならない。行動主体は現場に属し、俯瞰する眼は永遠に属す。
すなわち身体と精神である。…  》
―
▼ 毎朝、ブログを書上げた直後に、仏前で2〜3分の祈りをした後、
 ポタリングに出かける。その時、仏前の両親の写真をみた直後に、祖父、
祖母、亡くなった兄、姉の顔を想いうかべながら、安らかにお休み下さいと
念じている。自己の背後にある無数の祖先の存在こそ、永遠の具体的イメージ
になる。それに加えて、秘・異郷先での、大自然や、文化、文明との邂逅も、
然り。第三の視点こそ、永遠の魂の存在を暗示してくれる。 座禅、瞑想、
飛行機内の黙想にしろ、孤独の果てに行きつく永遠が浮び上ってくる。
 浮遊する自己の‘発見’? どこを彷徨ってきたのだろう、私の魂は!
「行きつくところ… 言語の政治(祭りごと)ですか?」

・・・・・・
5362,うらやましい死に方 〜死の前に一人でお遍路へ
2015年11月19日(木)
            ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
   * 死の前に一人でお遍路へ   日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を
ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に
付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と
共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。
妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた
父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと
暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して
聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ
そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に
手術・抗癌剤・放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な
日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。
ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに
調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。
いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。
・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って
いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても
向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて
いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは
思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは
使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。
 そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇
心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて
なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動
とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。
でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに
学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。
最後の三週間は妹と一緒にホスピスで暮しました。冗談は言っても心の内を
語ることはありませんでした。ホスピスでの手厚い介護のお蔭もあり、妹は
とても穏やかで‘有難う’‘ごめんね’‘おいしい'と言うだけでした。
私は七タ様の短冊にこの言葉を書いて吊しました。我妹ながら、あっぱれ!≫
 ―
▼「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理
 だと思う」は、人生を通して実感した真理だからこそ響きが伝わってくる。
エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の エライヤッチャは
「大変なことだが平気だぞ」といった複雑な意味が 込められているという。
一人では出来ないことが娑婆には多い。踊るか、見るか? 集団で狂乱して
踊るのも、日常から外れる方法。人生、それぞれが独り阿波踊りでもある!

・・・・・・
4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、
そのまま普段の生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が
模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた
緊張感があった。「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると
天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、自分が瀬戸際
に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで
いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の
備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然
の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から
整理までの起承転結の一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大
のイベント。 最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。
あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた
事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、
後悔も無念の感情も残らないのも道理。で、この本体の経済崩壊の大津波、
地方では既に到来の感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。
年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。日本で、この2千年
の間に4回の東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、
いずれも首都圏で直下型地震が連動して起こっていた。 西日本では18年
以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している
太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた
20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、資金が
追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。
ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。
そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が
非常に強いのである。バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入。 
イスラエルが、先手をうってガザ地域で戦争を仕掛けている。
イランへの攻撃が始まるか? 
・・・・・・
6094,閑話小題 〜「かあちゃん、怖い!」
2017年11月19日(日)
   * かあちゃん、怖い!
・団塊の世代が定年をむかえ、全国中の家庭内で大変な事態になっている?
私などは事態が事態だけに、その段差が大きい。抵当物件の自宅を、家内が
「安いから私が買う」の意思表示で、考えることなくアッサリと認めた結果、
夫婦の力関係が大きく家内に傾き、ここに<家庭内格差の問題>が発生。
何かを頼むと眼を剥き、逆に頼み事は命令口調。まさに「かあちゃん、怖い!」。 
この位で丁度よいのだろうが。 としても、哀しき70代にあいなってしまった。
パソコンコーナーのある仏間と、TVのある寝室に押しこまれ、鬱憤はネット上
のボヤキしかない。まだ家が広いためが最小で済んでいるが、娑婆
経験の少ない家内は力の手加減を知らないため傷口に容赦なく口撃をしてくる。
・先日、松居一代が、亭主の船越英一郎との離婚騒ぎでTVを賑していた。
この松居女史も挫折経験が少ないみたい。理想的夫婦にも、一つ仮面を外すすと、
こんなもの。まだ、私には一匹狼の要素があるから、閑静?し耐えているが。
有名人の離婚の愛憎劇といえば、高嶋政伸元夫婦の離婚劇。大昔では、三船敏郎
夫婦モノと、娘の「三船美佳」と、高橋ジョージ・モノも酷かった。
離婚経験をした男を何人か知っているが、その心情は複雑かつ深く傷ついている。
女性も、然り。まず生活の困窮は、それはそれは! ホームレスに近い。事前の
想像との段差と、将来の不安は並大抵でないようだ。まあ「かあちゃん、怖い!」
で、世の常に従い耐えるしかない。男の場合、「タガメ」に一生に亘り、収入と
全エネルギーを吸取られ、汚れ雑巾のようにポイ捨て… 産業廃棄物が、今度は
家庭廃棄物になる。‘かあちゃん、怖い!誰か助けて〜」の悲鳴が全国辻裏うら、
鳴り響いている? とうちゃんに、保険をタップリかけ、塩分と脂肪分過剰の
食事をさせた合法的?何もあるが… 殺意などの心の闇は、決して表面化しない。
登ぼり坂、下り坂、そして「ま坂」が世にはある。 『後妻業の女』の映画が
面白かったが、それより怖いのが『本妻業の女』。真面目腐って面白味のない
亭主なら、殺したくもなる? 大丈夫かいな… 専業主婦は家庭内正社員。
夫は、40年期限付き出稼ぎ労働者。誰も、己を助ける人はいない。だから、独り
遊びの習慣を持てッというの… 独りカラオケが流行るわけだ! 早朝、チャリ
でバイパス下のトンネルで老人が独りで演歌を歌っているのに出くわすが、
その度に、何とも切ない感がする。歌って憂さを晴らせる場があるだけマシか。
 連日のぼやきの御静聴と拍手?、本当に有難うございます。
・・・・・・
4997,暴走する世間 −11
2014年11月19日(水)
      「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
   * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
 建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する
「そねみ・ねたみ」が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別を
するのが人間の性。それが世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想
で実は本人たちの脳がやられる。問題は自覚できないこと。ーその辺りからー  
≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買った
 とすれば、それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が
生まれたときに、他人にジト−ッと嫉妬する独特の心理が生まれる。 
この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは以下のようにいう。
【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、
 モンスーン気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、
自分よりも注目されている人間に対しては、いくら口先で褒めても、内心は
ムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪いとでもいうのか。
単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい
陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】
 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が
他人に比べて損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方ない。
横並び一直線で暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの
差がほとんどないから、嫉妬の質も深刻ではなかったかもしれない。 が、
現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、所得格差も以前より
ひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】
▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、
 歴然とした格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある
立場の人たち。そこは一度沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事では
ないが・・ 日本は国家として明らかに負組になってきた。 その結果、国内
には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が多発する。
そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。そこに欧米のような個人主義で
ないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の
「ええじゃないか!」の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、
『東京オリンピック』である。 この共同幻想を楽しみながら、
最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。
・・・・・・
5727,閑話小題 〜2016/11/18 「拍手の意味」
2016年11月19日(土)
   * 拍手の意味   
          〈折々のことば:569 鷲田清一2016年11月5日〉
 2週間前の朝日新聞の一面コラムで、「拍手の意味」をテーマにしていた。
拍手といえば、対象への、例えば演奏会の演者に対する感激・感動に対する
感謝などに使う。そこには、一般感情を超えた共感、共振を手を叩くことで、
共同で表現する行為になる。1人で拍手するのは、特殊のケースを除けばない。
多くが感動の対象に与える賞賛と感謝の念。 拍手は、片手を背中に見立て、
良くやったと片手で叩くことを簡略した行為を意味するという。
 敬礼の語源は、鎧の顔の部分を、開いて相手に挨拶をしていたのが、
鎧をつけない時でも、形式的にしていたのが、軍隊作法として残った形式。 
  〜そのミニ・コラムより
≪ 拍手は、明らかに空っぽの抱擁に、空っぽの叩く動作が加わったもの
   とみることができる (デズモンド・モリス)
 抱いて背中を叩くのは、ヒトのみならずサルにも見られる行動らしい。
それは「すべてはうまくいっている」「おまえはうまくやった」という慰めや
激励や称賛の信号なのだと、動物行動学者は言う。そして競技や演奏会での拍手。
離れているのでじかに抱けないから、代わりに片手に相手の背中の役をさせ、
もう一方の手でそれを叩くのだと。  〜「ふれあい」(石川弘義訳)から。≫
▼ ベランダのインコが、ガラス戸越しに触れあいを求めてピッピと呼びかける。
 振返ると同時に、たった一つの芸の「枝回転」をたて続けてする。
多い時で50回の記録がある。今では10回がせいぜい。その時、笑顔でヨシヨシと
声をかけながら、家内共々、拍手で応える。餌が欲しい時、寂しい時、席を立つ
とき、鳴声で呼掛けて、回転芸で自分の意思を伝えようとする。人が拍手を
する時は、ほぼ笑っている。握手も似ている。これは一対一で、親交を示す行為。
それと、手中に何も危害を加えるものは有りませんよというサインでもある。
拍手は、握手の替りに、それぞれが個々にする行為。大統領などが、群集の前の
挨拶で、両手を組んで親愛の情を表現するのも、片手は皆さん、片手は私と
見立てた行為。秘境の絶景に出会った瞬間、心の中で、「万歳!」と叫ぶのは、
感動に感謝が加わった極みの感情。賞賛をされるのは難いが、気軽なミニ・賞賛
なら幾らでも可能。 その、気楽なミニ賞賛が出来るかどうか? とすると、
我家のインコは、なかなかツボを心得ている。

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