堀井On-Line



6750,閑話小題 〜今度は、エピクロスですか!

2019年09月08日(日)


お知らせ! : Yafooブログの【バードウォッチ】が、
   ライブドアブログへ引っ越しました。
    http://horii888888.livedoor.blog/


    * 『老い』と「死」は一対、やはり
 
  ネット上にあったエピクロスに対する評論から
【  〜まずは、「死」に対する言葉から〜
 古代ギリシャの哲学者・エピクロスの
<私が存在する時には死は存在せず、死が存在する時には、私はもはや存在しない>
という言葉を知った時、長年悩まされてきた死の恐怖から解放されたのである。
<先ず、私たちは自分の抱いている死の恐怖を正直に認めなくてはならない。
次に、死を恐れることは理屈に合わないと認めなくてはならない。
死んだ人間には感覚が一切なく、母胎に宿る前の状態と同じだ。従って、死んで
いることは存在していないことと変わりない。自分が生れる以前のことを怖がる
人はいないのに、なぜ死を思い悩むのか。私たちの生涯が始まる前の何十億年に
亘って支配していたのと全く同じ無感覚状態なのだ。
一度このことに気づけば、死の不安はなくなる。死に対する恐れは、想像力が
生み出す妄想に過ぎない。死の恐怖にどう対処するかは、人によってそれぞれで
あろうが、私自身は、このエピクロスの考え方に沿って生きよう、そして死を
迎えようと、自分なりの覚悟ができた。エピクロスのおかげである。>
 ―
  〜次に「老い」に対する言葉も〜
< 若者がではなくて、美しく生を送ってきた老人こそが、祝福されている
 と考うべきである。というのは、男盛りの若者は、考えが定まらず、運に
よって、激しくもてはやされるが、老人は、かっては期待することすら
むつかしかった善いことどもを、損なわれることなく安全に感謝の念によって
包み、老齢を、あたかも泊まり場として、そこに憩うているからである。>
 ―
▼ この感情と、後悔と自虐が混同し、時には激しく、時には静かに、過去の
行蔵を撫でまわす日々。あとは、諦念が底なしに覆いくる。それが、老年の
風景となる。 15年前にエピクロスをテーマにしていた。その後の人生で
様々な思いが加わり、味わいが違っている。「老い」と「死」は一対である。
 読み返すと、次の一文が目に飛び込んできた。
<官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」であり、みずから足れりとすることだ。>
――――
2004/08/16
1231, エピクロスー哲学についてー29

エピクロスといえば、快楽主義の「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。
次に印象に残るのは、「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が
無くなるのだから,本人にとっての死は存在しない」という言葉である。

ー父が死期を悟り、その恐怖に恐れおののいている時に、この言葉を教えた。
父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。
言葉の力を思い知った出来事であった。

エピクロスは、
人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。
快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言。
しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。
 いや逆に、
肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。
官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」であり、みずから足れりとすることだ。
つまり際限ない欲望から開放されることである。豪華な食事や家に住んで、
心がかき乱されているより、貧しい生活でも魂が安らかにあるほうがはるかに
好ましい。その為に、思慮を深めることと説いた。
ソクラテスやプラトンは「よく考えることが、よく生きること」と、
説いたが、逆に「よく生きるために、よく考える」という人生哲学を主張した。

驚かされるのは、20世紀に登場した人文主義者と非常に似ていることである。
そして現代に広く受け止められている人生観が、紀元前4〜5世紀のエピクロス
の哲学において説かれていたのだ。また、仏教の教えにも相通じるところがある。

エピクロスの面白いところは、デモクリトスの原子論を受けついで,
この物質界には原子と空虚以外に何も存在しないと考えているところだ。
何も無いところから原子が現われたり、それが無に帰することなどありえない
ので、原子は永遠不滅といえる。しかし、原子の運動は予測がつかず、原子的
組み合わさったのも永遠に存在することはない。
つまり物質的なものは,つかの間の存在なのだ。

短い人生を、目の前の雑事におわれることなく、充実した人生を送ること。
その為に、静かな魂の満ち足りた時間をつくるべきという人生哲学が
2400年前の哲学者がすでに考えていたのである。

ーその為には以下の、ミッション・ステートメントを実行すべしということか。

・・・・・・
6387,閑話小題 〜話題の店「ドンキホーテ」に行ってみた
2018年09月08日(土)
   * ディスカウントストアで時計購入
 外出時に時計が見つからないこと屡々、老いを実感する時である。
葬式の引出物のカタログで5000円程度の選定したのがあるが、ほぼ使わず動か
なくなっていた… が修理を出す程でもなし。そこで近くのディスカウント
の「ドン・キホーテ」に行ってみた。10年程前に新潟駅裏の店の開店に行って
みたが、何かピンとこない感がした。
 しかし今回、買うと決めこんでいたためもあってか商品揃いに驚いた。
時計売場には980円から数十万のブランド品まで種類が多く、見ていて飽きない。
客を察知をしたコーナーの客向けに?安さを強調した購買を促すマイク放送が
店員かわりに囃したて、購入したくなる雰囲気を醸し出す。チョイ忘れ補助用
のため、カジュアルなデジタル時計にした。
 その後、普段、飲んでいる酒とツマミの値段を調べに酒コーナーに行くと、
酒飲みにとって一応、満足できる品ぞろえと価格。 成るほど、これでは客を
引き付ける訳と合点した。地方の自宅から車で7〜8分のところで、カジュアル
な雰囲気を味わえるのだから… 評価は90点。 老年の私でもワクワクさせら
れたのだから、若者にとって魅力のあるディスカウントショップ。酒の在庫が
切れたこともあり、今日の午後にでも再び行ってみようか? 
 年金暮らしに馴染んできたようだ!

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6021,閑話小題 〜何時の間にか準戦争事態に…
2017年09月08日(金)
   * 北朝鮮の迷走で…
・尖閣列島の所属問題や、北朝鮮の迷走で、何時の間にか準戦争状態の状況に。
戦争といえば太平洋戦争を思い浮かぶ。 この大戦で日本は300万人を超える320
〜350万人とも)戦没者をだした。(海外で亡くなったのは240万人(兵士212万人)。
国内、海外を合わせ100万人前後が民間人犠牲者。日本の歴史上、最大の事件。
・中国が尖閣列島を占拠をしても、アメリカは中国との直接対決を避ける?
その上に、追詰められつつ北朝鮮が過敏にアメリカを挑発し、非常に危険な
状況になっている。 ロシアか中国の謀略で、韓国か北朝鮮からミサイルを
撃ち込み火の手をあげれば、ソウル周辺の2千万人の1割、200万の死者が出る
可能性がある。当然、中東のイラク、シリア難民が欧州に数百万も、なだれ込ん
だように、日本と中国にも大挙、流入する。北にとって、人畜無害の日本は、
恐喝には最も効果がある。その前に、潜り込んだスパイのテロも想定できる。
・このまま、北朝鮮の挑発が縮小するイメージが出てこない。「何処かで必ず!」
と考えるのが妥当。実戦を積重ねてきたアメリカとの長期戦は考えられないが、
泥沼に陥る可能性も充分にある。とにもかくも、両国のトップが軽すぎ。
朝鮮戦争は停戦のまま。 
・朝鮮戦争をネット検索すると〜
【朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) と大韓民国 (韓国) の間で 1950年6月
に始った紛争で,およそ 300万人が命を落した。米軍主体の国連軍が韓国側に
立って戦争に参加し,また中国が最終的に北朝鮮支援に動いた。戦況は目ま
ぐるしく変化した末,戦争は 1953年7月,決定打のないまま終結した。】
 再び開戦となれば、300万では済まないが、そこが北朝鮮の狙い目。
北の原子炉が破壊されると、放射能が日本上空に降り注ぐことになる。
まずは、今月、いや、この一週間が… 心配しても、これだけは!
 日本は、東京オリンピックで御祭り騒ぎ。如何なっていくのでしょうか!

・・・・・・
5655,『エゴの力』 �  創家颪海修�最大の預金
2016年09月08日(木)
             『エゴの力』石原慎太郎著
   * 浪費こそが最大の預金
石原慎太郎の著書に、「浪費こそが最大の預金」と、あった。二人の息子に、
スペイン、インド、エジプト・トルコ、ベネゼイラなどに連れていった。
一見、浪費だが、青少年期の、これらの経験は大きな預金になっているはず。 
何事も、若いうちの経験が大きい。
 倒産というカタチで会社整理をしたが、今では未練も後悔もない。実際に、
父親の影響もあり、創業(狂気)を目指し、自分を狂気の道具(凶器化)をし、
捨身で生きてきた。最後に(家族の手持資産)が数分の一になったが、元金の
数十倍を楽しみ、行蔵として最大の預金が残った実感がある。 そのため、
「浪費こそが最大の預金」という言葉が実感できる。
 半世紀前の学生時代の「欧州30日の旅」が、今の300〜350万の費用だった。
幼児期からの大晦日に父などから貰った「お年玉」の積立金を、高校入学と
同時に金銭教育のためか、父親に何かを自分で選らべと勧められて買った株式
の20数万の元金があった。欧州に行きたいと決心した時、これをベースに10万
を貸して欲しいと、母親を通して父親に頼んだ。頭の硬い父親がスンナリと
承諾したのは、20年近くかけた資金をベースにした計画のため。
 その30年後、母親の財産分与の話合いで、4人の姉たちに、
『あなただけ、父親が甘かった。学生時代に欧州旅行など私たちには考えも
つかないこと。それに、大学を2つも行かせてもらって。不公平過ぎる!』と
詰られた。私にすれば、情報を得て、求めたからである。で、浪費の話に戻る。
 創業から、幾つかのホテル物件に30数億以上を投資をし、最後は、数羽の
ブラック・スワンの到来で、あえなく事業清算に至った。結果からして浪費に
なるが、その経験は、その数倍の心の預金が残っている。 その辺りは第三者
に全く理解できない。浪費は、あの世に持っていける。 
そのことを学生時代に、「欧州旅行」の浪費?から、学んでいた。
 30億の投資経験の楽しみと、生きている内に失った経験は、あの世に持って
いける。これは実体験をしてこそ分かる感覚。『100億残すより、100億失う方
が、その人にとって真の財産になる』という道理。同時に、敗者の泣き言でも。
 〜これも、偶然だが、以下の同月同日のテーマに脈絡が繋がる〜
これからすると、私には、起業には向いてないことが実感できる。 ったく!
 
・・・・・・
5290,起業こそ、自分を超えていく道 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月08日(火)
            ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * 起業こそ、自分を超えていく道
 ここで、「自分を超える5つの方法」を提示しているが、キーワードは
『起業』。実績あるの起業家が書いているだけに説得力がある。
   〜アマゾンの内容より〜
〔考え方さえ変えればお金は必要ない。世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ
 の「史上最年少トレーナー」として活躍するピーター・セージ。22社の会社を
経営し、1兆円ビジネスを手がけるビジネス界の若き天才。
その「世界初の著書」で語られる、自分を超える「5つの法則」とは。〕
 【著者プロフィール】からして面白い!
イギリス若手No.1起業家。お金を使わずに、ビジネスを作り出すプロ。
世界No.1マーケッター、ジェイ・エイブラハムのビジネスパートナー。
資金なしから22社の企業を成功に導き、そのビジネス手腕は世界的に高い。
 過去に二度、ビジネスパートナーを選び間違えて無一文になったものの、
2回とも再起してすぐに億万長者に戻った。また、3カ月間で、資産ゼロから
5億円の不動産を買うなど、極めて短期間で大きな結果を出したことで知られる。
 最近では、起業家精神の分野で、世界のトップビジネススクールの1つである、
INSEAD(欧州経営大学院)の顧問委員会(パリ)に招聘されたり、学生企業家
協会の世界大使としてCEOに任命されるなど、経営のかたわら、講演家や
コンサルタントとしても活動中。 また、ピーターは年に約1カ月間、自発的
にボランティアとして世界中を旅をしており、チャリティとして世界中から
のべ数千万円もの金額を集めた。現在は「スペース・エナジー」という
事業に携わり、宇宙空間で太陽エネルギーを発電し、地球に供給する
「1兆円プロジェクト」に取り組んでいる。
▼ プロフィールだけでも面白い。起業を勧めると同時に指導者でもある。
 規模が桁違いだが、起業原理は納得する部分が多い。何かを決めるとき、
「安定感」を基準にすることより、「居心地のよい不安定」を優先せよ、
とは、成長過程では当然のこと。チャレンジ、チェンジ、コンペティション
の成長サイクルでは不安定感がつきもの。20歳代に、この本が傍らに
あったら、また違った人生になっていたはず。世界が大きく変化する中、
適応した新システムを提供することで、基盤を拡大するには起業しかない。
その点で、まったく力不足だった自分を思い知らされる内容である。
「優秀な起業家に、優秀な指導者あり」ということか。今さらだが・・

・・・・・・
4925,パワレルな知性 ー3
2014年09月08日(月)
   * カフェという集い −�◆    悒僖錺譽襪蔽寮�』鷲田清一著
 カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読
するうちに、全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。
今では年に一回参加しているが、30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、
肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、一種のカフェのような集い
の場を求めたため。とはいえ、当初は営業ネタを探して参加する人が過半数は
いたが、それも良しだった。 ところで、学生時代の寮がまさにカフェの
ようなものであった。今でいうシェアハウス。大きな屋敷の一角に、平屋で、
4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、角が炊事場と洗濯場
で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。
各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮という
ものだが。炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが
幾つか並んでいると、つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。
そこでは、読んだ本や、政治経済、現在進行形の恋愛の話題が中心になる。
寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が半数を占めていた。 雰囲気は、
まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり! 
その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。
そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、
ごく当り前に交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州
旅行の仲間と、クラスの友人の網目が出来ていて、広いコモンルームや、
中庭、学食で誰かと話をしているかであった。学生だからこそ、自由に様々の
人と邂逅しえたのである。 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、
それぞれの立場があって、自ずと人間関係に制約があるが、学生時代は、
思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の恵まれた環境があった。
『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も
良かったことになる。プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、
不満もあったが、この環境が最良だったことに、これを書いていて気づいた。 
この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、<人間には、教養とは別に、
想像を超えた、善良と邪悪が混在する人が存在する>ということを、知ること
になる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。 
 秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない
人たちと1〜2週間、親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをして
いるので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが様々な情報の宝庫のため、そこは
ツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。
 私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな
人がいる。いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか! 
共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、
カフェの集いの面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』
になる。 時々、塩昆布茶も出るが。




6749,読書日記 〜「魂の」思想史 ―4

2019年09月07日(土)

            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
   * 天体の音楽と魂の浄化
 天文と、数学と、音楽を結び付け天体の音楽を魂の浄化に結び付けた
ピュタゴラス教団には、驚嘆するしかない。 その一つが「完全」音程との
出会い。ソクラテス、プラトン、アリストテレスの古代ギリシャの一群の
哲学者たちが生まれる直前には、こういう人物が多く存在していた。
 まずは「ドレミファ…」の発見がある。そのピュタゴラスを批判した
ヘラクレイトスなどの博識。彼は、「ピュタゴラスは、一番研究熱心だったが、
あれらの本の抜粋を多く作って、それを、自分の知識とした。しかし、知恵と
いっても博識のことであり、ごまかしのことであるが。」と。折角、毎日の
見聞き、経験したことを忘却の彼方に、なるがままに消え去るのなら、その
一部でもと、18年半の間、習慣として、ここで記述して公表してきが。
しかし、それが、見識まで高めてくれたかと言えば、ヘラクレイトスの、
批判そのものが、そのまま、当てはまる。 フロー状態を2万時間も費やして、
何ですか?と、自問自答の日々。(いや、フローの状態だけでも、充分?)
 逆に、これがなかったら、何でしょうか? 何でもないだけですか!
息をしているだけ? その息が、ため息になること多し。

  〜ネット検索には〜
≪  ◉ ピタゴラスと「完全」音程との出会い
 ピタゴラスが音階を発明するきっかけが鍛冶屋。ある日、散歩中に鍛冶屋の
近くを通りかかったが、職人がハンマーで金属を叩くカーン、カーンという音
の中に綺麗に響き合う音とそうでないものがあることに気づいた。
 これを不思議に思った彼は鍛冶屋を訪れ、色々な種類のハンマーを手にして
調べ始め、やがて、綺麗に響き合うハンマーどうしはそれぞれの重さの間に単純
な整数の比が成立することを発見。2つのハンマーの重さの比が2:1の場合と、
3:2の場合は特に美しい響きに。 人間が自然に美しいと感じる響きの中に単純
な整数の比が潜んでいるという意外性や簡潔さに惹かれたピタゴラスと弟子は、
その後、音階を熱心に研究するように…
   ◉ 調和する音には数学的な規則性があった
 彼らはまずモノコードと呼ばれる楽器を発明しました。
モノコードというのは共鳴箱の上に弦を一本張って、琴柱(ことじ)を移動
させることによって、振動する弦の長さを変えられる装置のこと。
ピタゴラスたちは、このようなモノコードを2つ用意しました。
  実験の方法はこうです。
<片方のモノコードの弦の長さは固定しておきこれを基準にします。
 もう一方のモノコードは琴柱を動かすことで弦の長さを短くしていきます。
そうして2つの弦を同時に弾き、綺麗に響き合う位置を探します。 すぐに、
片方の弦の長さが半分になったとき、すなわち弦の長さが2:1になったときに
2つの音が完全に溶け合うことがわかりました。彼らはその後、他にも2つの音が
調和する場所がないかを探すと、2つの弦の長さの比が3:2や4:3  ≫
 
 ――
▼ 音楽には、その自然を背景にしたリズムがある。そこには、自然と調和する
音階とリズムがあり、それが、宇宙、大自然と同化させてくれる自然の魂である。
私たちは音楽で魂を浄化させられるのは、そのため。

・・・・・・
6386,閑話小題 〜野良ネコの話
2018年09月07日(金)

 最近のテーマで < 〜何やってんのか!〜 3日間×160人に対し、
老人一人×20分>をテーマにした。そこで何故、子供が、あのボランティアの
老人にだけ反応したのだろうか?の疑問が頭によぎった。幼児は捜索隊の犬に
怖れたが、野良猫には安心したのである。何故に? そう老人の終いの生甲斐
のボランティアの積重ねからくる人間の温みを直感したのでは? と。
野良猫といえば20年程前の記事を思いだした。
< 千葉駅前の伝説の猫 〜駅前で通勤の人たちの誰にでも愛されていた
 伝説の猫の話。人好きで、誰にも擦り寄っていき、旧知のように愛されて
いた猫。> ただそれだけの話だが、何故か頭に残っている。猫と人間の間
には、何万年か、数千年の付き合いがある。ネズミを捕るからである。
犬が外敵の番犬なら、猫は家内のネズミを駆除する役目と愛玩。
過って幾つかのテーマを書いてはずと、HP内検索をすると、やはりあった。
 昼は従順な犬に、夜は奔放な雌猫のようなのが多く居る!
 〜 その幾つかから面白そうな順に… 〜
――

2011/07/04
野良猫の話
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。 
某ゼネコンの担当で、4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、
その本社の営業会議で上司が営業の不甲斐なさを責め立てるに、
「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。それさえ出来ないのは野良猫以下だ!
と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞かされたことがあった。
その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、野生の本能を
使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、とことん
飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、その中で勝ち抜けない」という比喩を
言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、修羅場の
闘いの中で、獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。
この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、その言葉
を解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
私の知人が大手の??を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」
と頼まれたことがあった。その時に、長年、大組織を背景にした人が果たして
一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。振り返ってみて、
よくぞ、こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、
「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、外に
出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらない事態もある。
その覚悟があれば、上手くいく」と、偉そうに。 
 それでも本人は嫌な顔をしないで?聞いていた。 そのまま、その道に突き
進み、経験を生かして第二の職業で自己を確立している。そういえば、以前にも
同じような相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、
第二の人生をハッピー・リタイアーをした。
 ギリギリの野生の立ち返り、見栄も外見もかきすて、ただ成功させるに、
どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた状態で、計画をこなして
いくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、いや、もっと確率は低い。
それほど自立するのは難しい。だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業
のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。
本人は「頭を垂れて自分の方から聞きにくるかの第一歩からして計画のチェック
をしにきているに過ぎない。」で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、
はい、さようなら!である。 何かをやろとしたら、準備、準備、準備が全て。
準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上
で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、やれば結果は火を見るより明らか。 
否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、
血と汗を感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化して
きたかが、大きく左右する。それとて死んでしまえば皆、同じ。

――――
2013/04/03
隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
              『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 
                    天野祐吉、お相手 横尾忠則
  * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。
家内をみると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり
青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。
 以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいて
 みたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待
 もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を与えるようにして。
 そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
 こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたん
 ですね。そして、これって、多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。
 世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、でも隠居
 生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫

▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼い
 をしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、
表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、そして老年期
に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう
改良されたもの。「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい
人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。
家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。
 誰?それ!

―――ー
2015/10/13
野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?

 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた
?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。

――――
2018/04/01
閑話小題 〜猫の格言
   * 猫の話
 数日前のポタリングの道すがら、信濃川の大橋の袂の歩道に猫の死骸が
転がっていた。一人のウォーカーが立ち止まって、生きているかどうか、
見ていた。気持ちがいいものでないと思い、そのまま通過した。どうも、
自動車道で轢かれた後に、歩道に放置されたように思えた。もう一つの大橋を
一周して、その場所に様子見に戻ると、カラスが二羽、その猫を啄んでいた。
よく見ると、頭に血が付いていた。
 私の実家は犬派で、名前は全てコロ。猫は一度だけ、小学生の頃、「タマ」
という三毛猫を飼っていたが、ネズミをガリガリ食べていたのをみたが、その
直後に捨てられてしまった。
 猫と犬の数を調べたら、<「平成29年全国犬猫飼育実態調査」による飼育頭数
は、犬が892万頭、猫が952万6000頭で、長年にわたって多かった犬を2017年に
初めて猫が上回りました。>とあった。マンションは、犬より猫が飼いやすい
ためだろうか。庭には、夏を中心に近所の猫の遊び場になるが、問題は糞。
姿を見る度に、小まめに足を強く踏み鳴らして追払っているため、少なくなって
いる。10年ほど前に隣りの貸家に愛猫家がいて、庭にネットを張り、数匹飼って
いたことがあった。そのため、庭は猫の集会所状態。10年近く、住んでいたが、
近隣の苦情がたて続いて、引っ越していったことがあった。 猫も曲者だが、
飼主も苦情対策には強か? 
 動物写真家、岩合光昭がネコ目線で世界中のネコを撮影する姿を、岩合自らが
ネコに語りかける様子を紹介するNHK BS「岩合光昭の世界ネコ歩き」がある。
人気番組・日野正平のNHK-BS「にっぽん縦断こころ旅」の、冬場や、季間の穴を
埋めるように、年中、放映されているが、猫目線から、世界各地を見つめる光景
が好きで見ている。 そこで猫の格言から、人間から見た猫の世界を眺めてみた。
ところでアフリカの所どころで猫を見かけない地区があったので、聞いたところ、
直に食用になるためという。 …鳩もしかり。
――

▼ 猫と人間の付き合いは1万年にわたる。その間に、ペット用として
 改良?されてきた。その神秘性、優美性により愛され、東洋では幸福の
象徴にされてきた。幸福論を考えるに、猫を凝視すれば、そのヒントが
次々と現れ出てくるはずだ。またネズミを捕るため、航海の共に使われ
もしてきた。エルミタージュ美術館では、常時、60〜70匹も飼われて、
ネズミ対策、顧客対策にしているという。昔から多くの芸術家に愛され、
アトリエで飼う画家が多いとか。
 逆に嫌猫家のため「野良猫対策」で検索したところ、超音波とライトや
猫が嫌う匂いの粒状の薬品など様ざまのものがあった。
 ところで人間には、猫タイプと、犬タイプがあるようだ。
男生は犬タイプが、女性は猫タイプが…比較的多いが。生きかたとして
猫が理想?だが。飼犬なら、犬も悪くはない? いや猫ちゃんですか。
 二あ〜 ワンで、代々、我家のベランダではインコが鎮座している。


6748,読書日記 〜「魂の」思想史 ―3

2019年09月06日(金)



             <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
  * 「万物は数である」 …古代ギリシャのある教団
 何とまあ、この重苦しく、深いテーマを、一つずつ掘下げている。
  〜その概要をまとめると〜
≪ 古今東西、多くの人が夜空を見上げて人や神々の霊魂を想像してきた。
 それまでの古代ギリシャの霊魂感は、『何やらもやもやした決まった形のない
もの』だった。 Bc570年頃;南イタリアに出現したピュタゴラス教団の人々は、
霊魂の不滅、そして輪廻転生から霊魂の解説を唱えた。もやもやした自然状態
に戻すことではなく、全く逆。 <肉体と魂が共存して区別がつかない曖昧な
状態は、魂が肉体の穢れに染まる悪しき事態と認めていた。
 魂の不滅はもはや疑う余地のないことであり、輪廻転生も同じ事態と彼らは
いう。しかし魂が或る肉体の死後に収まってしまうのは、その穢れゆえに望ま
しくなく、解脱が必要と考えた。彼らにとって、魂は肉体の墓場でしか
なく、いわゆる肉体即墓説です。魂の優位を見てとる二元論である。
 この二元論は、プラトンの哲学に合流し、キリスト教に受継がれ、中世の
スコラ哲学に、17世紀のデカルト哲学の基礎と受継がれていく。
しかしニーチェが、この歴史の厚みを意識して、これを履かえそうとする。
 
 ピュタゴラス教団の解く解脱とは、最終的には輪廻転生の移り行きから
魂を救い出すことでした。しかしそれには、常日頃から、魂を肉体の穢れた
発想から浄めておくことが大切と彼らな考えたため。 
 その一つとして「宇宙の音楽」に理性を耳そばだてるという実践があった。
この教団は、宗教だけでなく、数学、音楽、天文学にも探求心を発揮し、
幾つもの発見や教説を残している。「ドレミファソラシド」を発見したのが、
ギリシャのピタゴラスだと。それも、それは音楽というよりも「数学」として
の発見で、まったく関係ないように見える「数字」と「音楽」とが実は密接に
関わりあっているとは驚き。 ≫
                            〜つづく 
・・・・・・
6385,読書日記 〜『無敵のソクラテス』
2018年09月06日(木)
   * 悩むな、考えろ!
 この言葉は、池田晶子の『無敵のソクラテス』の表紙の帯にあった言葉。
「悩むということは、問題に対して混乱した状態。問題の中心点のエネルギー
が混乱をしている状態。考えるとは、その原因を探り、整理をし、解決する
プロセス。その為には、蓄積された知識のベースが必要? とすると、既に
遅すぎる? いや、遅くはない。一冊の哲学入門書を見つけて、繰返し
自問自答をすればよいが、良い環境にないと途中で放り出すことになる。
‘考える’とは、「正・中心・一点・無」で、問題を絞り込んでいくこと。
‘悩む’のは、それが出来ずに混乱している状態。

 今まで生きてきて実感する悪いことの最たることが「ストレス!」。
早々に亡くなった人の死因がガンによるが、大部分がストレス蓄積による
成人病。 問題は生活習慣に、早朝の運動を如何に埋めこんでおくかだ。
ストレス解消を怠ると、その毒が外に向かう。それでも、外部に向けること
が可能なら良いが。良い人の型に入りこんでしまうと「悪い人」の役割が
こなせない。これも、長年かけた習慣が必要。
『悩め、悩め、もっと悩め。そうすれば考えざるをえなくなるさ!』と
考えることもできる。長生きも良いが、その質の問題がある。

・・・・・・
6019,閑話小題 〜人間は「使い捨てカメラ」である
2017年09月06日(水)
   * 人間は「使い捨てカメラ」である
 ジャーナリストの大江瞬の「人間・使い捨てカメラ・論」が面白い。
≪ 12、24、36枚撮りのカメラは、写し終えると、そのまま現像所に送られる。
その後、カメラは解体され、フィルムだけが取りだされる。写し撮られた元の
風景は、カメラが製造される以前からあったもので、カメラがスクラップした
後も、そのまま残る。現像されたフィルムに、ピンボケだったり、何も写って
なかったら、その人の人生は虚しく終わったのかもしれない。風景は残り、人間
だけが入れ替わる。… かつての音楽を聴きながら、そのアーティストたちは、
みんな死んだ人たちである。女性歌手ならデビュー当時の溌剌とした若さから、
美しさの絶頂の20代、アラフォー、ファイブの熟女となり亡くなる前の魔女の
ような姿まで、その折々の歌声とともに記録映画・音声として残されるのは残酷
だが、それも偉大な芸術家の勲章である。… ≫
――
▼ デジカメが出来た現在、「使い捨てカメラ」をあまり見かけなくなった。
 そこで考えたのが、「人間はデジカメラである・論」。
<デジカメの進化で、気楽に、安価で、何処でも写真が撮れ、一枚のSDに数千枚
の鮮明の写真を撮りおくことが可能になった。ビデオも可能のモノもある。
そして、ブログに記念として残せる。書くことより、撮影しネットにアップする
媒体が人間の役割になっている。その写真が美しいほど、本人が薄れていく。
本人にとって、それで充分に満足。そのネット上の蓄積が、同じ嗜好の価値と
して円熟し、成長していく。カメラ、記録媒体は、止まることなく進化する。
これが人間にもいえるのでは?> 
 世界も、そこに生きる人間も刻一刻と変わっていく。カメラの機能も、それを
映し出すテレビやPCなどの媒体も人間の5感を遥かに超えて写し出す。それが、
進化し続けて止まらない。対象を一度、高性能のマシーンを通して見れるのも、
科学の恩恵。何か、本筋から大きく逸れたが。 これからすると、
「よりデジタル機能を多様すべし」になる。 仮想世界は、刺激的で面白い!

・・・・・・
5653,「家、ついて行ってイイですか?」 ー��
2016年09月06日(火)
 ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人
あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、
部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。
誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、
このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、
トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが
部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、
慣れるまでの1〜2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、
帰宅恐怖症的になって、喫茶店で同類と群れていた。3連休以上はキツイらしい。
 しかし、この都会の孤独経験が貴重で良いのである。青年期の一時期、殻に
篭る生活が必要である。
 現在、書斎コーナーのパソコン横に、両親が残した小さな布袋と百万長者像、
ネパールの市場で買ったミニ仏像、マリア像、自然石の仏様の像、仏像を彫り
こんだ胡桃、ガラスの地球儀などが並べてある。息抜きに、撫ぜると、なぜか
気持ちが和む。それもあってか、ノイローゼや、落ち込みはホボ無い。 
数ヶ月前から、就寝時に、梅干大の大きさのラジウム石を握り眠っている。
真中に穴が開いており、そこに紐を通して、指に絡めているため、熟睡しても
転げ落ちない。数年前に、一年以上使っていたものだが、復活。ラジウムが手
から直接伝わり熟睡できる。岩盤浴に近い効果があるのか、気が充満してくる。 
 就寝用の「ラジウム握ぎ握ぎ」ということか。 終の入院には、これらを
持ちこみ、枕元に、小さなオボンに並べて、手にはラジウム石を握り締めて。
イメージは、亡くなった家族に囲まれたイメージを持ち、虚空を彷徨いながら。
――
  * 「ぬいぐるみに話かけるのは変ですか」に対する返答
≪ 〜No.7 回答者:
こんにちは、いいんじゃないですかね〜、私ならキモくもないしドン引きも
しません。私もお針は得意なので、修繕してあげたいです(笑)
 以前交際してた男性がそんな感じで。20代後半のとき、百貨店のおもちゃ
売り場においてあったオレンジ色の熊のぬいぐるみに一目ぼれ。4000円ほど
だったのですが、大のオトナ、しかも男が・・ と本人は熊を撫で回しながら
悶々と悩んでいましたが、「ほんならアタシがプレゼントしよか?」と提案
したところ、大喜びでした。幼稚園児の姪が「アレで遊びたい」とお願いしても、
ダメ! と触らせないくらいのかわいがりようです。 (彼の留守中に来て、
勝手に遊んでたらしいですが・笑) そこから何に目覚めたのか、古くなった
シャツや家族の洋服をリサイクルし、テディベア作りにハマリ始めました。
パソコンで型紙から起こして作るような凝りようです。ぬいぐるみ作家って、
結構男性もいるそうですよ。そんな彼も40を過ぎましたが、オレンジ色の熊に
「みかんちゃん」と名づけ、今でも大切に飾ってあるそうです。
そんな人もいるということで(笑) ≫
▼ アブラハムの創出したラージXの『神』は、この「ぬいぐるみ」に似ている。
 それを共同幻想化したアラーの神である。問題は、人種間に分裂した仲間割れ。
人間には共同幻想が必要。コスプレは、その人形になって楽しむこと。ホテルの
ロビーで、その集団に遭遇した時の驚き。若いから出来ること。 ハロウィンは、
それを祭りにして練り歩く行事。 数年前に行ったモントリオールが、その日で、
千人近い血だらけの殺人者の仮装行列に出会ったが、その面白かったこと!
人生の砂場の遊びは、深くて、味わい深いものがある。極限では、味わえない。
その先に何歩も踏み出さないと、それらとは出会えない。
「達磨さん、こちら向かんせ世の中は、雪月花(ゆきつきはな)に、酒と三味線」
【花見酒】 世の中は月雪花に酒と三味線 酒のない国に行きたき二日酔い、
      また三日目に帰りたくなる
・・・・・・
5288,「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 〜『自分を超える法』
2015年09月06日(日)
         ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * ミツバチが教えてくれた「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 
‘考え方さえ変えれば、お金は必要ない’と、自分を超える「5つの法則」
を提示する面白い本である。その中の、色いろな寓話が良い。
ランダムだが、ミツバチの寓話がよい! 
  〜ハチミツをつくることが、ミツバチの真の仕事ではない〜
≪ ここで寓話を1つ紹介します。
 起業家のキース・カニングハムから聞いた、ミツバチの話です。
ミツバチの生きる目的を知っているかい? もしミツバチに
「何のために生きているのですか?」と尋ねたら、きっとこう答えるだろう。
「ハチミツをつくることが仕事よ。せっせと蜜をつくるの。
なぜなら私たちはミツバチだから。」 キースが続けます。
「でも、その答えは必ずしも正しくない。ミツバチには、ハチミツをつくる
ことなどよりも、はるかに重要な役割があるんだよ。その役割とは、花の
『花粉』を運び受粉の手伝いをすること。それにより花は咲くことができ、
生命が循環している。仮にその営みを取り去ったとしたら、すべての生態系
が崩壊してしまうほど、もっとも根本的、かつ絶対不可欠な役割を担っている」
 当のミツバチは、おそらくそのことを知らないでしょう。もし、今全世界の
ミツバチが自意識に目覚め、次のように言い始めたらどうでしょう?
  〜無意識でやっていることが、貢献につながる〜
「ねぇ、私。生きる目的を知りたくなってきたの。仕事を放りだして山で
瞑想するわ。生きる意味の答えが見つかるまで、山頂のバラの茂みに
しばらく引きこもるの。使命が見つかれば、充実感と情熱に満たされて、
また仕事に戻ることができるから、しばらく休むね。」
 全世界のミツバチが突如そう言い出したら、花が咲かなくなり、
生態系の循環が停止してしまいます。
 当のミツバチは気づいてないかもしれないが、
「毎日の仕事を精一杯こなすこと」で、彼らの「真の使命」がまっとう
されているのです。 私が言いたいのはこういうことです。
〈あなたが日々無意識に自然体でできていることの中には、
   実は世界に大きく貢献しているようなことがあるのです。〉 ≫
▼ 人間は、言葉を持ったお陰で、「毎日を一生懸命すごすこと」の価値を
 理解できる。とはいえ、目の前の問題に集中し続けてこそ、その先にある
「真の役割」が理解できる。人生を振り返ると、節目に大きな機会がある。
表面的には挫折というカタチを装うが、実は、生き方を変える節目時を
運命が提示をしてくれている。4年前の節目は、〔余白はさほど残されてない、
余裕を持って死に準備を始めなさい。まず手始めに、会社の整理から!〕
・・・・・・
4923,パワレルな知性 ー1
2014年09月06日(土)
   * 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一著
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 � \簑个防�要なもの、失ってはならぬもの
 �◆,△辰討發いい韻匹覆�てもいいもの
 �� なくてもいいもの
 �ぁ\簑个防塒廚覆發痢△△辰討呂覆蕕覆い發�
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を
 いろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに
なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。
当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、
違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、
とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、
不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を
仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という
勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには
 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて
いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを
えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない>
とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の�ぁ↓�、�△函�一つずつ捨てて、�,帽覆襪海函�
そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 
「お金は、�◆△い筺↓ �」
――――
4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
 * 追われ追われて南米最南端 
        「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、
「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が
南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先
で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ
から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。
北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。
弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 
僻地の人間は、そのためか優しい。  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、
 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを
しましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない
 ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング
 海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 
 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、
 東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと
 言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら
 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物
 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと
 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。
 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。
 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も
 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。
 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。
 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか
 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を
 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。
 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき
 から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って
 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、
変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。
脱皮できない蛇は死ぬ。



6747,閑話小題 〜電動マッサージボール

2019年09月05日(木)



   * 新たなマッサージャー
 腰痛持ちで、様々なマッサージャーを購入して自己治療をしてきた。
10数年前に「パッション」という腰叩きマッサージを購入し、居間にある
座りようのハンモックに置き、愛用してきた。今でも廃品直前だが、何とか
使っている。今では進化したのがあるが… 「家具屋」と、家電の「健康機器」
と、「パソコンコーナー」は、定期的はウィドウショッピングの一つ。
先日のこと、ウロウロしていると、ソフトボール大の充電式のマッサージャー
が、目に飛び込んできた。
<腰・お尻・太もも・ふくらはぎ・足裏・首 疲労回復 スポーツ トレーニング
 充電器付き 4段階可調整>とあり、7千円とあった。
これは私にとって「理想的マッサージャー」と衝動買いを しそうになったが、
近くに家内が… ? 取り敢えずネットで値段を調べてからと、その場を離れた。
そこで帰って、さっそく、ネットで最安値を調べると、送料、税込みで3,600円。
購入することに!
 二日後に送られてきたが、実際に使用すると、充電出来て、居間に、PC前に、
気楽に移動できるのが便利。腰には「腰痛ベルト」の間に入れると按配が良い。
その日は、初回もあって、就寝前に一時間ほど、腰に、両手に、首筋に、両足の
間に挟み使用した為か、その日は夜半目が覚めることなく爆睡することができた。
しかし、何故か、それは初日だけだったが、寝つきは確かに良好。
 10数年前から、腰用の叩きマッサージャの他に、土台が振動するモノがあり
頻繁に使用している。家の移動先に持ち歩けて、気楽に使えるところが良い。
成るほど、文明の力とはこういうことかと…。 評価:95点。
 
 ところで、バイブレーターといえば、以前、面白い?ことを書いていた。
とすると… これは?  もう私には関係ないことだが…
 ――
2012/11    ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器
 際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい……。そんな時に使う大人の
 おもちゃの定番といえぱバイブレーターだろう。女性を絶頂に導いてくれる
スグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは医療器具だった。
いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的には
ヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。ヒステリーの語源は、
ギリシャ語で子宮を意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを
起こすのは子宮が原因だと考えられていたのだ。しかも、子宮が欲求不満で
あることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性
を性的に満足させればいい。そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)
して、絶頂に導くことで治療をしていた。この療法のための医療機器として
一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー専用のマッサージ器である
バイブレーターだったというわけ。こうした治療は古代ギリシャの時代から、
一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。確かに、目的自体
は今も昔も変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど
現在では考えられない。一方、バイブレーター以前は、大人のオモチャの主役
だった人工ペニスは、10Cのビザンチン帝国の百科事典にも記載されている。 
こちらは一般的に普及していたようで、アテネの女性に愛用されていたようだ。
また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも「男性自身が小さすぎて満足
できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
▼ …!「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。何だろう、これらは… 

・・・・・・
6384,読書日記 〜哲学と対決する ―5
2018年09月05日(水)
       『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                    ウォーバートン,ナイジェル著
 現役の哲学者が、哲学史にのこる巨人の感想が何とも異様に感じる。
要するに、門前の小僧レベルが、専門家の視点で、批判的に哲理を改めて
知る面白味ということ。ヘーゲルがカントへの挑戦とか。

   * ヘーゲル
 ◉ マイケル・サンデル
もっとも心を躍らせてくれたのがヘーゲル。理解するのは難しいけど、
カントの抽象的な道徳律に根本的な疑問を投げかけ、道徳律を具体的な
倫理生活に結ぶ付けました。かれのカントへの挑戦は哲学的に見て、もっとも
ワクワクする仕事の一つです。
――
   * ニーチェ
 ◉ ジョシュア・ノーブ
私がニーチェより学んだことは、特定の疑問に対し、人々が普通どう考えるかを
安易に理解しようとすべきでない。より深く見つめる努力をし、何らかの方法で、
私たちが抱く通常の見方を疑うべきだ。さらには、そうして通常の見方に反発
すべきだと考えていたてんです。
――
   * アリストテレス
 ◉ ショーン・ケリー
彼がフロニモス(思慮ある人々)と呼ぶ観念を持っていることです。実生活を
生きる達人のような人々を指しています。興味深いのは、フロ二モスが、状況
の中で自分に求められているものを、熟考することも考えることもなく、即座に
認識する能力を自分自身の中に育てると考えていることです。それは極めて重要
なスキルのように思えるのです。

ー
▼ 日本が島国という立ち位置もあって、異質の考えそのものを否定するきらい
 が強い。情報化の時代に、個々人がサテライトオフィスをスマフォ、iPadに
持つ時代に、深く考えることなく、情報に流されてしまう危険がある。 一度、
現実、現象から離れた孤独の中でしか、それを熟成することはできない。

・・・・・・
6018,閑話小題 〜空を飛ぶ
2017年09月05日(火)
   * 旅客機を別として、空中を飛んだことは
 旅行先で空中を飛んだのは(旅客機を別として)、
・バンジージャンプを二度。<ニュージーランド、南アフリカ>
・パラセーリング(パラシュートで、ボートに引っ張られ空中を飛ぶ)
 を二度。<フィジー>
・気球を一度。<ケニア>
・ヘリコプターを二回。<イグアスの滝と、ビクトリアフォールズ>
・セスナ機を3度、<マッキンレー、テーブルマウンテン、ナスカの地上図>
 飛んでみた。
 空中を直接、飛んだ経験は印象に強く残る。 圧巻はバンジージャンプ。 
極限でのリアルな恐怖体験は、呼吸困難になるほどの異質の体験である。
何とも優雅なのは、南アフリカの気球からの景観。
 書き残すことの秘儀が垣間見れる。 私にとっては、魂の刻印になる。

――
 ーH0705
バンジージャンプ
  (ビクトリア滝)
 ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むと
ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よく
みるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。思わず
“私もやりたい!”今年の5月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍以上もある。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて
OKの返事! 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。 国境警備員も
本当かと何回も念を押した。 そして……。飛び込み台に立って気がついた。
「高さと恐怖心は正比例である事に!」氷つく恐怖心!後ろをふりむいて
“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ! 
何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろよ!”
何とそこには高速道路で170�劼離好圈璽匹納屬鬚呂靴辰浸�の世界と同じ
ような空をとんでいる感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけて
いく風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりに
なり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。
(次はヘリコプターよりのジャンプ!と思い立ったが… 断念をした)
――
  (ニュージランド、クラフトチャーチ)
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。
あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛り。自分は何でこんな事をしてしまったのか。
自分がここより飛びおりる?… 本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。
そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに四回も私の目をみて念を
おしたのも頷けた。

――
H0609
ケニア・サファリ紀行(�供法�
�� 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を
 命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の
 コントラストのすばらしさと、
 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
 そして小学校の近くを走っている時みた、
 子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
�� 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
 毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として
 自然と一体となり絵になっているのだ
�A當�の牧場の乗馬もよかった。
 新鮮な空気と草の臭い!
 その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
 その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
�ささ紊茲蠍�たアフリカの広大な草原。
 下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。
 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。
�シ,知�て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。
 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声!
ケニア人の90�涌幣紊蓮�一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。
それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、
物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、
その貧しさに涙を溜めて訴えていた。 日本人の観光客は、年間に一万人に
満たないという。その点で超穴場といえよう。
実感として、一試合で二本のホームランを打った感! であった。

――
H0807
インカ帝国<夢の旅> 
ナスカの地上絵編 

 AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に、
一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化である。
彼等は何を思ってか九百k�屬砲錣燭觜�大な大平原に、
直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが、当時の土器に描かれているので、
  彼等の時代に描いたのが判明できたという。)

その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。
それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわす
カレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。
それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。
そしてその多くがナスカに集中している。
セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは
と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる
縦横に描かれた直線は誰に見せる為のものであろうか不思議そのものだった。
 
編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖に
すむ原住民の素朴な生活、そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、
強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏にやきついてはなれない。

高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
(次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、
テーブル・マウンテンとエンゼル・フォールに是非行きたいものである。)
              (H 8.6/6〜6/12 )
――
H0909 
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギアア高地の基地、カナイマへ。
更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギアア高地が
広がっていた。 インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。

コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。そこより落ちる滝は多い
ときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、世界最長の落差の
エンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、
麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。ここでは生物
の生存がほとんど不可能であるという。

ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。
原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。

この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
圧巻は、セスナで観たテーブル・マウンテンの全景。
  (H9.8/23〜9/)

――――
▼ 以上だが、読返すと、TVからの記憶の追体験は、充分可能と納得する。
 これなら、記憶の一部を、この世に残せるし、思い残すことなく全てを抱き
旅立てる。 デジカメが普及する前の写真が多いが、デジカメは便利な代物。


6746,読書日記 〜「魂の」思想史 ―2

2019年09月04日(水)



            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
 投稿者の概略が内容説明より明快であることが多い、
その一例である。もっとも、この本の、何れのページを開いて読んでも、
大元に直接、繋がっているような感じがする。良い本とは、えてして、
そういうもの。 そこで試しにページをランダムに開いてみた。P38である。
その紹介は後半に紹介するが、成るほど、深く立ち入っている。

   〜Amazonのフォロアーの感想より〜
≪ ◉ 大きな魂の現れに魅せられた思索者たちの言葉に感じ入る  
                         2015年6月10日
「大きな魂の現れに魅せられた思索者たち」を手がかりに、哲学者・芸術家
といった人たちの言葉を、著者が気の赴くままに訪ね回る本です。
扱われるのはソクラテス、ゴッホ、ニーチェ、ボードレール、ヘーゲル、
シェリング、ノヴァーリス、ピカソ、岡本太郎、中谷治宇二郎、三島由紀夫。
この人達は心の底から湧き出てくるなにものかに魅せられ、独特の思索を
残しました。統一的な思想があるというわけではありません。
 しかし言葉の節々からエネルギーがあふれ、もやもやとした何かと格闘し、
その結果社会とは折り合いが悪くなった人が多く取り上げられています。
彼らを魅了した「もやもやとしたもの」は短く簡潔な言葉では十全に表わす
ことができないものであると言えます。それをタイトルでは「魂」という
漠然とした言い方にしています。

・ゴッホは内なる心に愛を求め、外に対しては自然界に神の現れを見出し
ましたが、悲劇的な死を迎えました。
・ニーチェは常に近代人としての自覚をうちに秘めながら、それでいて近代人
からすべてをなげうって外へと踏みだし、すべてを受け入れる運命愛をめざそう
とします。
・シェリングは啓蒙思想と古典主義に反発し、情念の自由や特殊性・不定形な
ものを賛美しました。自然界とは常に変化し人間を放浪するなにものだと考えた。
・岡本太郎は近代を相対化する視点を身につけ、例えば恐山で賽の河原において
生命全体の現れを見出します。

 近代の合理主義的な思想とは異なる、もっと大きく根源的で不定形な神性
すら感じられるもの。それらについて思索者達の言葉が引用されながら、読者
を深い大きなものへと誘っていきます。「魂」の概念は漠然としていますし、
扱われる内容も難しくはありますが、読み終えた後は漠然とした大きなものを
感じ取ることができると思います。≫
 ――
▼  ―魂を実体化するカルヴァン(p38)―
《『プシコパニキア』の中でカルヴァンは、人間の魂について、それまでの
キリスト教の不確かな見方を正して、はっきりした実体を与えようとする。
<他の者たちは魂の実体とは認めるものの、生命力といったものにすぎず、
 動脈や肺の生き吹きによって動かされていると。そして魂は、肉体なしで、
 生きられないため、人間が全面的に甦るまで、肉体と共に死んでいる、という。
 だが、私たちは、魂が一つの実体であり、肉体が死んだあとも感覚と知性を
 しっかり具えて生きていると主張する」(「プシコパニキア」) …
  … かってユダヤ教徒やキリスト教徒がアニミズムの霊魂感から神の魂を、
 人間の知性、感性に基づいて実体に立ち上げたように、彼はいま、人間の魂を
 人間に照らして明瞭な実体に、形ある生命体に、仕上げようとしている。
 しかし、それもゴッホの教会のように、そのような人間の作為も滅んでいく。
 ユーゴの言葉を借りるなら、様ざまな宗教は過ぎ去っていくが、神は在り
 つづけていく。その神とは、人間界と自然界に見られる生と死のとめどない、
 反復で、強いて言えば、そのような反復をもたらす生命力でしょうか。》

ということ。私たちの個々は死んでも、神様は生き続けていくということ。

・・・・・・
6017,ルネッサンス
2017年09月04日(月)
   * 近代の始まりは、「ルネッサンス」から
 14〜16世紀は中世と近代の境目で、哲学ではデカルト、芸術ではダヴィンチ、
ミケランジェロなどが活躍。テーマの「ルネサンス」は、中世の微睡みを打破
する「文芸復興」を目指す運動をいう。
  〜ネット辞書によると〜
≪ 14〜16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起った革新的な文化運動。
renaissanceは「再生」を意味するフランス語だが,「文芸復興」と訳される
ことが多い。ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ
新しい文化を生み出そうとする運動で,思想,文学,美術,建築など多方面に
わたった。まずイタリアで始ったが,それにはいくつかの条件が働いていた。
ひとつには北イタリア諸都市の経済的繁栄があったこと,またこれら諸都市が
古代のギリシア,ローマと同じように都市国家の構造をもっていたこと,
さらに地理的に古代文化の伝統を伝えるビザンチンやイスラム世界に近接して
接触が多かったことなどである。ここでは市民の現実的世俗的感覚がキリストや
聖者をも人間化する志向を生み出し,ギリシア,ローマの古典やその美術的様式
が尊重され,独特の市民文化が育っていった。この市民文化は特に都市の支配層
である富裕な上層市民の要求に支えられ,ヒューマニズム (人文主義) の立場が
貫かれていた。しかし諸都市のコムーネ体制が衰えて,より広い領域を支配する
君主国家が発達するにつれ,ルネサンスの性格も変化した。15世紀後半から文化
は市民的性格を失って,君主の保護のもと宮廷文化的性格を帯びるようになった。
そして後期ルネサンス文化の中心地であったローマで 1527年に起きた略奪事件
(→ローマの略奪 ) で,イタリアのルネサンスは終息したとされている。
 ルネサンスの運動は 16世紀にはアルプスを越えてフランス,ドイツ,イギリス,
ネーデルラントなどヨーロッパ各地に広まり,それぞれの文化的伝統および
社会的状況と結びついた独自のルネサンス文化を生んでいく。アルプス以北の
特徴の一つは聖書の研究を通じて信仰の内容を問いかけたことで,これは宗教
改革に連なる面をもった。 ≫
―
▼ 近代化で欧米文化が底上げされ円熟した19世紀は、近代と現代の境目の世紀。
 芸術(とりわけ、音楽、絵画、文学)の世界に大きなうねりがやってくる。
その400〜500年前に近代の夜明けが「ルネッサンス」で、背景には経済的繁栄が
ある。その現代も、21世紀辺りから情報社会の到来で大きく変化を始めだした。
インテル社の共同創設者であるムーア(1929〜)が、<半導体の集積密度は18〜
24カ月で倍増し、チップは処理能力が倍になっても更に小型化が進むという法則>
を提唱したが、これが加速をして現在に至っている。これは、10数年で、1000倍
の処理能力になるが、ユビキタスとして周辺にも普及し、便利な生活用品が日々、
向上している。その最たるものが、TVや、スマートフォン、タブレットなどのPC。
そのことは、ここで繰返し取上げてきた。何故に、「ルネッサンス」かといえば、
当時の「新大陸発見」と、現実社会を覆って出来た情報化社会と、似ているため。
近代、現代の境目と同様の新しい時代の到来が、情報化社会である。混乱は、
「再生」を孕んだ新たな価値観を模索する材料を提示していると見ればよい。
行き着く先は、「2045年問題」か、はたまた、何か? 今世紀を待たずして、
世界は消滅していくのか?「ルネッサンス」の様相の中に鍵が?「良質な妄想?」

・・・・・・
6383,読書日記 〜哲学と対決する ―4
2018年09月04日(火)
           『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                    ウォーバートン,ナイジェル著
   * ソクラテスだね
 ◉ ジョナサン・グラバー
ソクラテスだな。彼の意見を多くを取入れてるからではないんだ。彼が全てを
発見したからだ。哲学をやっている人は皆そうだけど、僕も、ソクラテスが
発見した方法を使って教えている。
・まず、「これについて、どう思う?あなたの意見は?」と人々に問いかける。
・次に、最大限明確にするように要求する。「あなたが言いたいことは、こう
いうこと、あるいは、ああいうこと?」。明確になったら、正反対の例がある
ことを提示する。「それは君の見方だよね。だけど、このケースにこんな原理
を当てはめて考えてみたらどうだろう。君には思いもよらないだろうけど」。
それが哲学の方法さ。素晴らしいと思う。
・更にソクラテスは狭い学究的環境に自分自身を閉じこめず、市場に出て人々
に語りかけた。彼はチャンスさえあれば、フィロソフィ・バイツをやってたんだ。
私の意見では、あまりに多くの哲学者が哲学を一種の秘教的専門問題として
扱っている。それは大きな損失だよ。
 
 ◉ ディビット・エドモンズ
ソクラテスが上記の言葉を述べるに至った流れを軽く説明します。
まず生きるに値する人生というのは「善い」人生であろうと想定します。
ただ生きるのではなく善く生きるべきだと ソクラテスは言っています。
それでは「善い」というのはどういうことか?それは「悪い」ということが
分かった時に初めて その意味がわかります。そしてソクラテスは「善悪」とは
何かもっというと正義とは何かということを考えます。 そして
「善と悪は相対的ではない」という結論に至ります。私はこれを初めて読んだ時
(多分中学生でしたが)「ソクラテスは何を言ってるんだろう?善悪なんて
相対的に決まってる」と思いました。あることが「善いor悪い」というのは
畢竟するに社会が決めることです。極端に言えば殺人でさえ戦争中は認められ
勲章すらもらえます。これはその社会が殺人を善としているからに他なりません。
その他のことについても善悪は基本的に社会がきめているはずです… 
それならば社会や政治によって変わる「善悪」は当然相対的であって絶対的な
善悪なんてあるはずないと私は最初にソクラテスを学んだ時は考えていました。

 ◉ マイケルサンデル
一時期、正義とは何かでブームになったハーバード白熱教室の
マイケルサンデル氏の著作にあたると分かりやすい説明があります。
ソクラテスは「善と悪は絶対的だ」と主張します。(何故か気になる方は
本をお読みください)そしてそれは「問いかけと推論」を通じて見つかり
しかもその時初めて道徳と知識は結びつくのだと言います。
(私の最初の考えは「問いかけ」不足です。)
ということは「問いかけ」をしない人生というのは「無知な」人生で
「道徳を欠いた」人生ということになります。それは「善き」人生ではなく
生きるに値する人生ではないということになります。
よって最初に書いた「吟味されることのない人生など生きるに値しない。」
という名言になるのです。

・・・・・・
5651,閑話小題 〜SJの現場で!
2016年09月04日(日)
   * チャレンジ5! 二回目の最終日に
・週に3〜4回だったSJでのヨガ・エアロ、試みに二週前から週に5回に挑戦、
SJに行く日は欠かさず参加、昨日で二週間連続10回目になる予定だった。
 「昼間の割引コース」の枠内5日間で、月、火、木、土曜日が一回、水曜日
は12時半と15時の二回のプログラムが組まれている。週5回は少々キツイが、
SJの5年半の運動効果と、ヨガの4年半の鍛錬効果で、足腰の重さが半減から
三分の一に減っている。他にも、4ヶ月前から飲みはじめたサプリ効果もある。 
先週、5日続けた効果で足腰がより軽くなった為、今週も、「チャレンジ5!」
の標語を内語で呟き、続けてきたが、一昨日のシネマをみた後、腰が変に痛く
なってきた。で、昨日は迷ったが、とにかく、10日目、あと一日続けることに
した。 その土曜日は、平日コースと、土日・祭日コースが重なるため、人気
のヨガは、午前中に予約チップを取っておかないと満席になる。経験則で、
11時過ぎに、取りにいったところ、既に満席である。顔見知りが、その場に
いて、「11時前にきたが既になかった。二時間半前にきて満席とは、ちょっと
ね〜」と愚痴。で、「チャレンジ5」の二週連続は最終日で未達成になった。
   * 5千万の預金への嫉妬
・仕方なく、イージーラインを二回続けて参加した後、ベルト・マッサージを
していると、二人の中年女性の会話が聞こえてきた。興奮しているので自然と
声が高鳴っていた。それが面白い。 誰かが帰った直後らしく、
『5千万の預金、どうしたら出来るというの。今の私たちには絶対に無理。
話を合わせるしかないので、聞いていたのに。何を言っているのよ。』と。
 話の途中で、早々、帰ってきたが、どこにもありそうな話。
・以前も、書いてことがあるが、長岡駅裏の居酒屋で一人ランチを食べていた時、
近くのSJ<コナミ>の会員らしき中年女性らしき人たちの会話。
『大都会のサラリーマンは、二千万の預金が残るらしいけど、内には無いわ。
貴女の旦那はお医者さん。その位はあるわよね。』に、
『ローンで自宅を買って、まだ残債があるわ。とんでもないわ。』で、他の人
に話を向けると、『それって、夫婦で、一人で?』と自然な答え。
当然、その場が、白けていた。前に取り上げた『5千万の預金』の、続きと酷似
しているが、全く違う人。 家庭間の格差の問題が、こういう場で、知らずに
出てしまうのは仕方がないこと。これも、家内に言わせると、『恵まれた世界の
人たちの範疇の話。そこに行けるだけ有難いと思わないと』だと。
* 白馬のリゾートホテル社長の話
・去年末の東京の学生時代の同級会で、長野で中型のリゾートホテルの社長を
しているAという男が、酒を注ぎに来たときの会話。
A:会社整理をしたと聞いていましたが、大変でしたね。私のところも大変
 ですが、オーストラリアとか、台湾、中国の観光客で何とか凌いでいます。
私:何とか、夜逃げをしないで、そのまま、自宅に住んでいます。それでも、
 家内も40年間の厚生年金で、家内名義の給与を別にしていたので、生活は
 何とか出来ています。 で、二人とも、厚生年金ですか?
その辺りから、相手の様子が変と気づいたが、とき既に遅し。
A:家内は長年、病気に伏して給与を与える訳にいかず、年金も国民保険だけ。
 そんな、余裕など、全く無いのが現状。
――
 本人が謙遜で言ったかどうかは不明だが。 無神経だったことは違いない。
私にとって、現状の自分を肯定するのに必死で、ここの言い訳でも、多くの人
を傷つけているはず。いくら自分の心の軌跡として書き続け、公開していると
しても、困ったもの。「その返り矢が多いことも気づかぬ愚かしさ」
「自分の血で、他人の傷口に塗り付けている己の愚かしさ」 
傍からは、それが面白いのだろうが。 で、以下に丁度よく脈絡が続く。


6745,読書日記 〜「魂の」思想史 ―1

2019年09月03日(火)


            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
   * 魂とは何か
 魂、心、精神について、ここでどれほど書いてきたのだろう。
それにしても、<「魂の」思想史> とは、ドロドロしたような、
あな怖ろしテーマ。霊魂を想定するためか。魂で直に思いつくのが、
内海の洞窟に一人立つ人間の姿。岩場が「こころ」で、内海が、
外海をつなぐ個々の魂。外海と、空こそ「魂」と。洞窟の背後から
滝が流れているが、これは内界から迸る、これも、内なる「魂」。
  ―― 
  〜ネット辞書によると〜
【「魂」の左の語「云」は、象形的には「雲のように見える煙やほこりのこと」
を表します。「ム」は「微細なものが地面から沸き立つ様子」、「ニ」は
「雲が空を駆ける様子」のふたつの状態を併せ持っています。
「魂」のもうひとつの漢字「鬼」は、中国では「死者の象徴」として「亡霊」
の意味を持ちます。地面から現れた「鬼=亡霊」がムクムクと上昇して空へと
向かう様子と「云=雲」とが引き合わされて「魂」となりました。】

  この<「魂の」思想史>の序文に
【 漢字の「魂」は、「こん」と音読みし、「たましい」と訓読みします。
この「魂」とは、空気のように目に見えない存在です。しかし「魂」は古来、
生物に宿り、その働きを助け、機能させるものと考えられてきました。…
 …似たような言葉に霊がある。漢字の成り立ちからみると、上部の「雨」と
「一」の文字が「連なった清らか水たま」、下部がそれに接する清らかな巫女を
現し、合せ転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神のたましい」
となる。】
 ――
   〜Amazonの内容(「BOOK」データベースより)〜
合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホ、ニーチェ、ボードレールから
岡本太郎、三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の声に
引き寄せられ、思策と表現を行った。 曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。近代の異端者を
通して生の息吹に触れる異色の思想史。
 
 ―
▼ たまたま現在、思いつくといえば、
<心という感情を想起させる日常の揺らぎを生み出す大元。これは、世界を覆う
 魂の分霊であり、生前、死後に繋がっている。ある意味で遺伝子に似ている。
大自然に感動し、抱かれた感覚は、魂との邂逅といえる。私がポックリ逝った
して、残るのは、此処で書き連ねた言葉。生きてきた痕跡を残すには、魂を
込めて書くしか他に手立てがないため。後日の私に、いま、ここの私が笑われ
ないため。永遠に切りたった、「いま、ここ、わたし」が、魂である。>

・・・・・・
6382,読書日記 〜哲学と対決する ―3
2018年09月03日(月)       
          『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                   ウォーバートン,ナイジェル著
   * 哲学山の頂上は、カントですね!
 私なら、一位がソクラテス。二位がカント、三位がニーチェになる。カントは
<まずはじめに世界(もの)があって、それを人間が認識するのではない。逆に
人間の認識能力にあわせて世界(もの)は形づくられ、はじめて存在する。>と。
これはコペルニクス的転回と言われるほど。思ったことに、対象を入れ込む、
 人たちに、その原始的傾向をみる。
〔 私たちは目の前にあるモノを、そこにあるのが当然のごとく認識している。
「リンゴがあるからこそ、私はリンゴを見ることができる」
「ストーブがあるからこそ、私はストーブの熱を感じることができる」
物体や刺激が存在して初めて、私たちはそれを目で見たり肌で感じることができる
(客観的視点)と思いこんでいる。しかし、カントによる考えはこれとは全くの逆。
「私がリンゴとして見るからこそ、リンゴの姿として現れる」
「私がストーブの熱を感じるからこそ、ストーブの姿として現れる」
人間が認識することのできない「モノ自体(本当の世界)」がもともと存在して
いて、それを人間の感性で認識して初めてリンゴやストーブといった形が形成
される(主観的視点)。つまり、赤くて丸く見えるのはリンゴの仮の姿(人間に
よる見方)であり、リンゴの本当の姿を人間は知ることができない。〕

≪ ◉ オノラ・オニール
 一部の風刺画よりもずっと共感を呼ぶカント哲学の独自の広い解釈を培って
きたように思います。どちらかというと、あまり知られてない本を読んで
欲しい。カントを広く探っていくと、実に多くの興味深いことがあるんです。
 ◉ スーザン・ニーマン
他の誰よりも勇敢です。彼の最も重要な洞察は、有るがままの世界とこうで
あるあるべきという世界との間に大きな溝があり、両者とも同等の価値を
持っているということです。だから絶えず心の中にそれら二つを留めている
必要があります。それは極めて難しい心構えです。非常に現代的です。
ある程度、危険と隣り合わせの生き方をし、フラストレーションが絶えない
ということですから。人はあれかこれか決めたがる傾向にあります。
 ◉ トマス・ポッケ
カントト言わざるをえない。理由は二つ。ただ単に素晴らしいが一つ。
カントは無尽蔵です。カントは読む度に、新しい発見があります。
だから、ありきたりだが、無人島に一冊持っていく本といえば、第一に
『純粋理性批判』を挙げます。もう一つは、哲学に向かうカントの真剣さ
が好きなんです。たとえば、倫理学に関して、彼は信じられないほど慎重で、
真剣でした。倫理学を真に重要なことであるかのごとく扱っているのです。
もっとも、何年とかいうスパンでなく、何世紀かのスパンでみれば、
最終的にそうであることが判明するんですけどね。
 ◉ A・W・ムーア
カントだね。一つには、彼の哲学には信じられない広さゆえです。
もう一つ、彼の哲学には信じられないほどの統一性があります。
それは驚きしか言いようがありません。            ≫
―
▼ 『純粋理性批判』に、三つの問いを挙げた。
(1)人間は何を知り得るか、(2)人間は何を為すべきか、
(3)人間は何を望んでよいか、の三つである。
アプリオリは、経験に先立つもの。...通常、客観的に存在すると思われている
ものにも理性の介入があって初めて、そのように認識するのではないか、と主張。
 現時点でも、世の哲学者は、彼を超えることができない。

・・・・・・
6015,閑話小題 〜ペットの‘ピー’がビーッと鳴いて
2017年09月03日(日)
   * ハロウィンのカボチャ
 カラスが、あいも変わらず自宅の周辺で騒いでいるため、「カラス除けの
目玉の風船」を百均のダイソーに買いに行ったが、置いてなかった。しかし、
ハロウィンのコーナーにカボチャに悪魔の顔を記してある袋があった。
これなら、もしかして大丈夫か?と、買ってきたが、その前に、ペットの
‘マメルリハインコ’の鼻先に、突き出してみたところ、ビーッと鳴いて
羽根をバタつかせて枝から転げ落ちてしまった。その後、丸一日、籠の奥に
身を隠していた。ならばと、2Fの玄関脇の手摺に、目立つように括り付けた。
まる二日経つが、カラスは近づいてこない。 で、昨日、玄関先から周囲を
見渡すと、50m先の電線から、一羽の若いカラスが、ジッと偵察?している姿
があった。 目玉の風船「短期的には警戒するが長期的には効果がない」と
云うから、1〜2週間後には、再び騒がしくなるのだろう…

   * スキップ・トレース (シネマ感想) 
 昨日のシネマは、ジャッキー・チェンが演じるドタバタ。内容といえば、
<ベテラン刑事が詐欺師を追ってロシアへ向かう。その香港警察の刑事と、
米国人詐欺師。刑事も、なぜか追われる身となり、大地を駆け巡る。> 
 他のシリアスの戦争ものと、迷った挙句、「逃げ回る背景の大自然が卓越
していて絶品}という言葉につられ、決めた。が、期待を裏切らなかった。
中年のジャッキーチェンも、味があるというより、見苦しいが、それはそれ。
千円僅かで、30分もするかしないうちに別世界に誘ってくれるのは、1週間
単位の区切りとしてベスト。  〜評価:甘く見て80〜85点 
ところで、「ハッピネスの状態がハッピーを呼寄せる。プラス3にマイナス1。
出来たら6対1」というが、私の実感は、どの位? 「5対1」辺り!。
さて、信濃川土手のチャリ散歩だ。

・・・・・・
5650,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜��
2016年09月03日(土)
  * 後妻業が面白い
 昨日のシネマは、ハリウッド映画、『グランド・イリュージョン〜見破られた
トリック』か、どうか、迷った末に『後妻業』をみることにした。昨今、離婚が
増えた分、再婚組が多く存在している。 『後妻業』があるなら、『本妻業』と
いう専業主婦業の言葉も成り立つ。まあ、8〜9割方が、家庭内破綻をしている
というから、長期、短期的に、多かれ相手を追いやっている?。 本妻業という
プロ意識があればよいが。 小魚や、蛙に取りつき、一生かけ栄養分を吸い尽す
「タガメ」が『本妻業』の本質である。隠れ後妻業の方がたは、ドキッとして
いるはず。 再婚は大変な筈だ。退職金かわりの資産がなければ誰がやるか?
 〜今日は、シネマの内容紹介。 明日はネットの映画評を紹介予定。
≪ 『後妻業の女』
「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くす
タイプやと思います」と、結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する
小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロ。耕造(津川雅彦)もその一人。
二人は惹かれあい、結婚。幸せな夫婦生活を送っていた、はずだった――。
 2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子
(長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を
相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実
が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う“後妻業の女”だったのだ! そして、
その背後には結婚相談所長の柏木(豊川悦司)がいた。
 「結婚相談所に限って言えば、男の高齢者がよくモテる。第一条件は資産が
あること。持病があればなおいい。看取る時間の効率が良いから女同士の取り
合いになったりする…」 次から次へと“後妻業”を繰り返してきた小夜子と
柏木、二人を追及する朋美と裏社会の探偵・本多(永瀬正敏)、小夜子の次の
ターゲットであり彼女が本気で愛してしまった不動産王・舟山(笑福亭鶴瓶)、
そして彼らを取り巻くひと癖もふた癖もある人々…。
今、愛とお金をめぐるドラマが始まる――!! ≫
▼ 350席の中ホールの客席が、ほぼ、熟年夫婦と、中年女性の二人連れで、
 埋まっていたのには驚いた。かって無かったことである。この映画の圧巻は、
可愛らしく自己紹介する小夜子役の(大竹しのぶ)の魅力。そして裏の悪女の
顔を使い分ける演技は絶品。その彼女に男たちはイチコロ! その下唇を突き
出した悪女顔は、鬼気迫る迫力がある。清純派から悪女までをソツなくこなす
大竹しのぶに、大女優の片鱗を垣間見れる内容でもある。 評価;90点

・・・・・・
5285, ー「原因」と「結果」の法則 ー  〜��
2015年09月03日(木)
      ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著)
 学生時代に読んだカーネギーや、最近では「7つの習慣」のコヴィー博士など
の啓発本のハシリの本。森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に
移行したこともあり、純粋に、こういう考え方を受け入れることが出来る立場に
なった。良い原因をつり続ければ、良い結果が現れることは分かってはいるが・・ 
そこが生身の人間。 四苦八苦は、人間に生まれてきたからにはついて回るが、
その三倍の楽を常に心がければ、何事も上手くいく!ことになる。
三倍を楽しむことは、日常生活の細部を楽しむ習慣化すれば決して無理ではない。
ピュアーな心根を持って、日々の細事を楽しめばよいだけ。
  ーまず、アマゾンの商品内容の説明文より
・< デール・カーネギー、オグ・マンディーノなど、現代成功哲学の祖たちが、
 もっとも影響を受けた伝説のバイブル『AS A MAN THINKETH』。聖書に次いで
一世紀以上ものあいだ読まれつづけている、驚異的な超ロング・ベストセラー! 
「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。
 私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。
『原因と結果の法則』は、目に見える物質の世界においても、目に見えない
 心の世界においても、つねに絶対で、ゆらぐことがないのです」(本文より)>
  ー次に、あるビュアーより
・《「私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境
(結果)に運んできた」ということになります。つまり、自分の「思い」が
自分の「人生」を創り上げているということです。人の幸不幸は、その人の
環境と、その環境をどう思うか、その人の人格によって決まります。
環境が幸せなものならそれだけ幸せになりやすい、また、幸せになれる
人格をもつ人はそれだけ幸せになりやすい、ということです。
 幸せになるためには、自分の環境を(幸せなものに)変えるアプローチと、
自分の人格を(幸せになれるべく)変えるアプローチがあるわけです。
 自分の環境を変えるためには、自分が幸せになれるような目標をもって
努力すればいいのでしょう。 自分(の人格)を変えるためには、自分
(の心)を育てる努力をすればいいのではないでしょうか。》
・《 何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが啓発書。
本書は1902年に英国の作家によって記されたもので、世界に数多くある啓発書
のルーツとも言われている。意外なことに、日本語版は今回が初出となる。
現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない
と説く。結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある
支配的な思いにあると言う。「人間は身勝手な欲望を放棄しているとき、
搾取する側、される側のどちらにも属さない」という記述からは、当時の
英国社会に蔓延していた閉塞感を宗教以外の論理で解消したいという狙いが
うかがえる。「自己制御は熟練技能」という啓発書の基本が、1世紀前に存在
していたことは興味深い。》
▼ この年齢になっても、いや、なったからこそ、この原因と結果の法則には、
 考えさせられる。 「いま、ここ、わたし」は、これまでの、自分の
「おもい」の結果である。 自然に任せておけば、大方は、いいこと、
わるいことは、五分五分になるが、意識して、いいことにアプローチをすれば、
わるいこと1、よいこと3にすることが出来る。それを対象、環境にも応用が
出来る。嫌なことがあったら、よいところを3つ探せば、確かに、そこにある。
自分の人生でも、同じことがいえる。老いると自己嫌悪に陥りやすくなり、
過去の全てをマイナスの視点で照射してしまいがちになる。
しかし、その視点で凝視すると、三倍、十倍のプラスの経験がある。


6744,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―3

2019年09月02日(月)


            <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >
   * 解ったような解らないような… 老後の話。
 母親を51歳で看送り、さてと… 考えて、還暦まで9年で80歳を平均寿命として、
31年分を圧縮して生きることにした。その時点で思いついた一番遣り残したこと
を兎に角、実行することを旨としたが、還暦を向えて独りでほくそ笑んでいた。
「人生の良いところは還暦まで」という作家の言葉を信じてのこと。周囲には、
 あろう筈がない「老後」を信じた反面教師が、ほぼ全員が貴重な事例として、
その実践の後押しをしてくれていた。本当に黄金の9年であった。求めたから
与えられた。 人生の前半から、後半への節目に母親が死をもって後押しを
してくれたような。3倍圧縮したコトに換金したことになる。その価値は10倍
あたり人生を豊かにしてくれたため、『老い』に対する恐怖は少ないようだ。
 時どき、「何でこんな思いもよらぬことが起こる? 呆け現象では?」に遭遇。
これまでの行蔵が引力になっているのでは? とさえ。 心の中の奥座の魂が
引き寄せてくれるのだろか、それとも呆け現象? 

  〜Amazonノ内容説明では〜
「最近、老化が激しい」 「あたしも年を取ったわね」 「俺もそろそろ老後だ」
こう、呪文のように唱えていませんか? 
 そもそも、生物としての人間に「老後」なんてものはありません!
人生100年時代、人間は生物学的意味をなくした50歳からの50年を、何のために
生きるのか? 「老後」「寿命」「老化」「50歳からの病」「定年」…
 …巷に溢れたウソを一刀両断。
人生は2度ある――こう考えればすべてうまくいく。
50歳からの目からウロコの人生論です。
 ――   
  〜出版社からのコメント〜
 65歳から35年間も「老後」を過ごすのか?と不安に思う人が、50歳からの人生
を生き生きと明るく、健康に、生きるためのヒントが満載。人生100年時代を
生きる哲学です。 本書は、「人生は2度ある」ことを科学的に解いています。
「50歳までの第1の人生」と「50歳からの第2の人生」では、
生きる意味も健康概念も、大きく違ってくることがわかります。
 
   =以下は本書の序文からの抜粋=
≪ ◎「老後」なんてものはありません 
   (「はじめに」より抜粋)
 今、人生100年時代と言われています。 しかし、「高齢社会」「高齢者」
「後期高齢者」「定年」「老後」ノ言葉が世の中には溢れています。かつて、
あるテレビ番組では「定年後でも元気な人をどうするか?」などいうことが
語られていました。どうも、「年を取ったら定年がくる」という先入観に縛られ
ているように思う。 日本国憲法には「すべて国民は、法の下に平等であって、
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、社会的関係に
おいて、差別されない」と書かれています。憲法改正の議論が高まっていますが、
法の下の平等については、日本だけではなく世界中で、異論がないところ。
差別は禁止されているのですから、たとえ年を取ってやや疲れ気味になって
いるとしても、それによって一律の定年を決めるというのはおかしいのでは
ないでしょうか。これでは女性差別ならぬ「年齢差別」です。
でも、このような「年齢差別」とも言える言葉が出てきたのも、人生100年時代
というものを迎えて、初めての事態にどう対処すればいいのか、その概念がない
からだと思います。つまり、人生100年時代の人生哲学がないのです。
私は50歳以上の男性に「生きている意味はない」と言ってきました。
「あなたこそ、年齢差別をしているのでは?」
こう疑問に思う人もいるでしょうが、私の真意は違います。50歳以上の男性は、
「生物として生きている意味」がないということなのです。
それはどういうことか。 後に詳述しますが、女性で考えると、成長して結婚し、
子供を産み、育てるというのはほぼ50歳までに終えます。 男性も同じで、昔は
若い人には兵役や徴兵というものがありました。年を取って、体力が落ちて、
弱いものを守るために戦えなくなり、肉体労働もできなくなってくるのが50歳
くらいだったのです。つまり、50歳で生物としての人間が終わると私は考えます。
その後の人生は�猜未陵�由�瓩農犬�る別の人生です。
私たちは、人生は1度だけだと思っています。しかし、それは誤解で、実は、
人生は2度あるのです。 生まれてから50歳までの「第1の人生」と、50歳以降の
「第2の人生」の2つの人生が1人の人間にはある。その境目が50歳です。≫
 ――
▼ 51歳から23年近く経過したが、思いもよらない起伏の富んだ経験をしてみた。
 後半の人生も半ば、寝たきり、介護生活に同年代の過半数が入りつつある。
人生の総括が、残された寿命の課題だろうが… これも終えてしまったような?
 ――
八木重吉の詩。
  ‘夕焼’
ゆう焼けをあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ

・・・・・・
6381,読書日記 〜哲学と対決する ―2
2018年09月02日(日)

『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                 ウォーバートン,ナイジェル著
  * 一番人気の‘デイヴィット・ヒューム
 ◉ ジョナサン・ウルフ
<多分、ヒュームだろうね。26歳の時に、『人間本性論』を書いていたという
のがその理由。その中には、とてつも独創的な新しい観念が幾千も詰まっている。
年端の行かない若造が、既に考えていたということは奇跡のような気がする。
無駄を省いた表現の信じられないほどの簡潔さにも感心させられる。1ページで
3つもの素晴らしい議論が読めるんだ。殆どの哲学者は、ヒュームの本の1ページに
のっている観念を生み出すだけでも、自分のライフワークとして満足するのだね。
 ◉ チャンドラン・クカサス
一つにそれは私自身の経歴に関わっている。私が修士の学生だった頃、体系的
に取り組み始めた最初の哲学者が彼だった。彼の常識的で人間的な姿勢に引か
れるためです。私にとってあまりにも冷徹すぎるドイツ人ほど冷徹でない彼の
道徳の理解に心が引かれます。
 ◉ バリー・スミス
一人挙げろといえばヒュームです。彼は僕らの人生のあらゆる側面を的確に理解
していたと思います。心はどのようにして動くか、僕はどのようにして世の中に
適応するか、徳性の性質、美の判断、政治学などすべてです。本当に彼は、僕らが
生きものとして生き物としてどのように動くか、心がどのようにして構築され、
どのように組織されるのかといったことを正確に理解しようと努めました。
―
▼ ヒュームが多いのは、対象が哲学者だから。哲学書を読む度に、どう考えても
 理解できない哲理ばかり、秀才、天才は、遥かに難しい論理を軽く理解し、その
先の世界に入って、更に論理を拡張している。その難しい哲理を、ヒュームは、
論理的に説くから、人気がある? 

・・・・・・
 6014,閑話小題 またまた4kTVについて
2017年09月02日(土)
   * 4kTVを入替えて8ヶ月
 去年暮れに、寝室のTVを7年ぶりに入替えた感想を何度か書いてきた。
その1年前に、ブルーレイを入れ、WoWoWの2台目契約をして、1年分の
映画、ドラマ、海外旅番組など、私専用の300本を録画していたこともあって、
毎日が面白さが格段、上がった。その上、TV画面がフルハイビジョン以前の
100万画素から1100万画素にアップ。0・3の視力が3・0になっと同じようなもの。
更に、ネット配信で、YouTubeなどの映像が自由にみることが可能になった。
これは、生のリアル社会より、虚構のドラマや、旅人の代行をするレポーター
の映像に埋没する「オタク」に陥ってしまう。 まだ、スポーツジムと、
早朝のポタリングと、図書館と、随想日記で自己主張の外出が組んであるため、
平衡感覚を保てるが。
 5〜7年スパンで、TVを入替えてきたが、7年前に入替えた時の驚きも大きく、
日常のTV生活が大きく変わってしまった。地上波の全ての番組を自動録画を
28時間分してくれる。ゴールデンタイム19〜24時まで設定すると、約5日分を
録画をしつつ、過ぎた分を消していく。これでゴールデンタイムの気になる
番組から開放される。その分、録画したドラマや、BSの番組を見れる上に、
録画機能が内蔵されているのが、意外と便利。イチイチ録画機を立ち上げる
ことなく録画を呼出せるのが、便利になっていた。ところが、今度の4kは… 
 ということで、ますますオタクバカになっている。
〜HP内検索をすると、よくぞ!と感心するほど、詳細に書いていた。
 余程、閑とみえる。

・・・・・・
2017/06/17
閑話小題 〜話題の「4k、8kTV」とは 〜1
   * 2k、4k、8kTV
 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。
その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、
視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し
てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して
デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。
 〜ネット検索で調べると〜
≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、
 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目
されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ
ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと
呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる
8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に
あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。
フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること
ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても
液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が
あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫
 ―
▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、
 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の
TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。
同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」
と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、
これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで
関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、
今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか
などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、
納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。
8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」
が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に… 

――――
5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界
2017年02月01日(水)
  * 冥途の土産に
・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの
録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月
経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に
秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え
の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。
決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、
やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。
奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。
これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、
何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 
・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから
終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に
した世界に変っていた。
・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 
最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される
力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て
いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る
ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。
・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像
を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、
葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が
違う」と聞いた情報。
・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像
世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では
圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。
「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」
ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった
ためという。
・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし
だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代
になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き
をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。

――――
5804,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −2
2017年02月04日(土)
   * 鮮烈荘厳で神秘に満ちた粟粒の光景
 たまたま、7年前の写真家・白川義員の文章があった。
4k8kTVで、YouTubeサイト、『世界の秘境 高画質』などで検索すると、
次々と息をのむ光景が出てくる。それも現場で見るのと遜色ない神々しい
シーンなら… 何おか言わんである。4k8kのビデオカメラから映し
出された世界中の秘異境の高画質のものなら、感動しないわけがない。
間違いなく旅先で神秘的な光景を見ることが出来るとは言えない。絶妙な
天候などで、外れる可能性を含んだ上で、その神々しい光景との一期一会の
出会いが感動を高めてくれる。 『長岡花火 フェニックス』と、音声入力
をすると、現場の裸眼で見るのとは違った高性能カメラが映しだす信じがたい
色彩の花火が息もつかさず現れ出てくる。 以下の文章にある、
<スゴイ景色との出会い>が、現場とは違ったカタチで、TV画面を通して、
気楽に見れる。 毎日、その画面を見て、独り溜息をついている。
秘異境での光景との出会いが沈殿してあることもあるが。 
それもこれも、高質な『キーワード』に順じて写真、映像が出てくる。
経験があればこその『キーワード』であり、映像である。これが、プロだけで
なく、一般人が高性能のデジカメを持てる時代の産物である。 例えば国際線の
機長が、機上で目にした下界の光輝く景観の写真集を、図書館で見つけたことが
あった。機長しか見れない光景だからこそ素晴らしいのである。
 娑婆に執りこまれていては、見ても見えず。そちらから、娑婆を新たに
見れば、内幕情報とか何とかなど、何おかいわんになって然るべきになる。 



6743,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―2

2019年09月01日(日)



           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >
    * 「老後」って、そもそも何?
 「老後」―老いた後といえば、「死」じゃないか? その「死」で思いつく
のが、人称の「死」。そして「一人称の私の死は、存在しな」いと! 三人称
の死は希薄で、問題は身近な「二人称の死」である。ということは、老後とは、
妄想でしかないという著者の主張も解らないでない。 とはいえ、「死」と、
「老後の備え」は常日頃から整えておかないと… 場当たりの処理は無理がある。
個々人にとって「老後」とは、5年先のことと想念すると、その前に5年前を
具体的に鳥瞰すれば…。 とすると、やはり、直視するしかない。 そうこう
考えると、まず独りになり、読書、瞑想などで、瞑想するのが手っ取り早くなる。
老後… 5年先のイメージ… それは5年以前の私… 身近な5歳年上の知人、
姉等々… そうこう考えると、来世ありきと信じて生きた方が、合理的になる?      
 ―
  〜Amazonのベストレビューに、解りやすい概要があった〜
≪ 老いについては、著者のようにポジティブ・シンキングで、制限時間(寿命)
内で自分のしたいことをできるだけしようとする考えの他に、
・曽野綾子のように<老いこそ若い時期の苦労を収穫できる豊かさがあると
 積極的意義を見出していく考えなどあります。
・更には五木寛之氏の「下山の思想」などは自然な養生をして、老いと共存共栄
 しようをし郷愁を感じることにも肯定的な姿勢をとっています。
「第二の人生」として力むことなく自覚的に生きることができれば良いのだと思う。
・食事では和食を中心にするよう勧めていますが、脳細胞が脂溶性を必要とする
 ことから肉食も勧めています。ちょっと論理がチグハグです。
 むしろ最近和食以外に勧められているのは地中海ダイエットで
  �”鯑瑳髻´▲�リーブオイル ��青魚を主体としています。
 葡萄酒はポリフェノールを多く含み、血管の老化を防止します。
 オリーブオイルは油の中ではもっとも酸化されにくいので、脂溶性ビタミン
 の吸収を助けます。青魚は血液をサラサラにするDHAやEPAを含んでいます。
・また本書では「善玉」「悪玉」という表現が忌避されていますが、納豆を始めと
する発酵食品、海藻、食物繊維により乳酸菌などの腸内善玉菌が増えると、腸の
免疫機能の重要な役割を強化します。精製塩の摂取制限は重要ですが、天然塩
ではマグネシュウムなどのさまざまなミネラルが含まれナトリウムの体外排出を
促すため、制限を厳しくする必要はないと言われています。減塩食の普及に対して
批判的ならば、もう少し細密な事実を基盤にしてほしい。
 
 ――
▼ 人間を魂+肉体とみると、肉体の老後とは別に、魂の老後が… 魂は老いる
 ことはないので、ここで、まず矛盾が発生する。そこで問題が「老醜」になる。
これまで目立たなかった欠点が、年齢が進む度に表立ってくる。そして、それに
捉われて、最も大事な魂の自由が失われていく。そこで、必要なことは、
地頭で考える習慣の必要性。 そうしておかないと、マスコミの「マスごみ」
情報を信じて、せっかくの地球へのツアーを台無しにしてしまう。それが、
「死」=「老後」の言葉に捉われた結果と相成る。 …そういうこと。
政府も時どき、面白いキャンペーンを投げかける。 それが「貧困問題」と、
それに伴う「老後問題」。 今回は消費税値上げのバックグランドがある。 

・・・・・・
読書日記 〜哲学と対決する ー1
6380,9月01日 読書日記 〜哲学と対決する ー1   
        
           『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                   ウォーバートン,ナイジェル著
  *「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」
 著者は、過去数年間、私たちと出会った哲学者に、事前の通告なしで、
「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」の質問を続けてきた。最初に挙げ
られたのが、18Cに活躍したスコットラン人のデイヴィット・ヒュームだった。
彼が首位に挙げられる頻度の多さに驚いた。サンプルの20%以上にのぼったのだ。
プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ミル、ニーチェ、ウィトゲン
シュタイン、といった他の著名な哲学者も多かったが、その頻度は、ヒュームに
遠く及ばなかった。
  〜アマゾンの内容説明より〜
《お気に入りの哲学者は誰かと64人の哲学者にきいたところ、一番人気は意外
にも… 27人の哲学者について、現代の27人の哲学者がインタビューに答えて、
その神髄を語り尽くす。―やはり哲学を理解するには対話だ! 》
 〜まえがき、より〜
<哲学は今や、2500年に及ぶ観念の歴史を持っている。それぞれの世代は、過去
の偉大な哲学者の本を読返し、解釈をし直す。過の最も重要な思想家について、
今日の第一線の解釈者に話を聞くことが出来たのは幸運である。
フィロソフィ・バイツが始まった時、懐疑論者たちは、秘教的話題とみなされる
ものへの関心はごく小さいだろうと推測した。ところが、世界中の人々がプラトン
の愛の見解、カントの先験的命題、サルトルの実存主義についての話に聞き入った。》
ー
▼ 「お気に入りの哲学者は誰ですか?」に対してダン・スペルベルが、一言、
<そいつは難しい質問だね。わしには、好みの哲学者などいない。哲学で
 わしが好きなのは、意味の相違や対話、つまり、相手とはまったく異なる視点を
持ちだして議論する能力なんだ。> が、グササリと刺さった。
日本人の最も欠けている能力である。

・・・・・・
6013,幸せの確率  〜6
2017年09月01日(金)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
  * 想像してごらん 仕事なんてしなくてもいいのだと
‘はじめに’冒頭の、ジョン・レノンの「イマジン」の著者の「替え歌」が良い。 
リタイアから、このかたの私の気持ちそのもの。
・「創業を心に決めた20歳の時節。その計画に従い、自己配転をしていた時節」
・「時節到来と、創業を始めた34歳の時節」
・それとも「還暦までに、30年分を圧縮して生きると、決心した51歳の時節」
・「事業清算を決断をした65歳の時節」
 まず第一歩が、目先の他者評価を無視すること。これは現在も続いている。
これに慣れると人生が激変する。社会が全く違って見えてくる上に、俄然人生
が面白くなる。 この替え歌のような「自らに由る」自由意志が生まれてくる。
世間体とかいう妄想から解放される。せっかく80年の生命体を頂いたのだから。
 譬えるなら「他の宇宙から、80年間地球観光ツアーのため、心身を与えられ、
地上に放りだされたのだから」… 仕事などしない方が良いに決まってる。
 生きるために必要な術なら、「前半は仕事。後半は遊び」と、出発点で割り
切る生き方がよい。自由、平等、博愛など妄想だが、それでも心の奥底に、
指標として必要欠くべからざる理念。
 6年前に、このことに気付き、ここで似たようなことを書いてきた。
背中に天使の様に羽根が生えフワフワ浮いている感覚。
< 自分勝手に、何に縛られていたのだろう。縛っていたのは自分自身。
 朝起きて、パソコンに向かい、ひとテーマの文章を完成し、ネット上に上げ、
自転車で信濃川土手の二つの大橋を一周して、居間でTVをみながら、コーヒー
を飲んだ後、朝食ととり、朝風呂に入り、午前中は読書か、ネットサーフィン。
… 少し物足りない感がないでもないが、見渡すと、殆どの人達が、反面教師。
 「あれは、何じゃ」で、それは吹き飛んでしまい、以下の歌詞のとおりになる。

≪  ーはじめにー
 
 想像してごらん 仕事なんかしなくてもいいのだと。
ほら、簡単だろう?
気が向けば働けばいいし、遊んで暮らしたってかまわない。
自分の時間を犠牲にすることなんてないんだ。

 想像してごらん 束縛なんかないのだと。
そんなに難しくないだろう?
好きな土地に住もう。田舎でも、都会でも。
旅するように移り住むのもいいし、リゾート暮らしも素敵だね。

 想像してごらん。
目覚めと共に起きて、眠くなればベッドに入る生活を。
疲れたら横になればいいし、気が乗れば徹夜したっていい。
明日のことなど気にしないで。

 想像してごらん。
朝の陽射しの中で飲むビールを。
いつでも旅に出られる気ままさを。
そして、ありったけの情熱を傾けられる、何かのことを。

 そのために君がしなければならないことは、ただ、ひとつ。
それは、残りの人生を過ごすために必要なお金をつくってしまうこと!

 ひょっとして、今、笑ったかい?

 君は言うかもしれない。金持ちの戯言だって。
運や才能に恵まれた人間の自慢話だって。
いや、決してそんなことはないんだよ。
必要なのは、ちょっとした努力と、コツだけさ。
――

 本書には、そのコツが書かれている。
そんなに難しいことじゃないんだって、わかってくれると思うよ。
ちょっとした努力の方は、自分でなんとかしてくれ。
この本を手に取るくらい好奇心旺盛な君なら、問題なくできるはず。
ただし、常に用心を怠らないように。両目をしっかりと見開くこと!

 幸運を祈る。 ≫

ネットで、歌詞を検索すると

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

――
森山良子
     今日の日はさようなら 歌詞

いつまでも 絶えることなく
友達でいよう
明日の日を夢みて
希望の道を

空を飛ぶ 鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで

信じあう よろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで

<忘れてしまったな、この感覚。
   「イマジン」と共にTVのYouTubeで聴いてみようか>

 さよなら さよなら さよなら
  はい さようなら!


6742,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―1

2019年08月31日(土)



   * 娑婆は、生きていてナンボのもんじゃ! 
           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >

 昨今、100歳まで生きるとすると、2000万とか、6000万が必要とか、真面目
くさった議論が出ている。 少し考えれば大した意味の無い議論を、何とまあ。
「死んでしまえば、ハイそれまで」、一円もかかりはしない。足りなかったら、
市営アパートに入って、生活保護で生活をすればよい。
 数十年、家系を含めると100年スパンの家計体質の計画が必要なこと。
目先で何とかなるものでなし。老人社会は、それこそ社会主義のよう。
「皆で弱れば、怖くない」 死を前にして、万人平等の原則が強力に作用する。
 ここで、著者は、老後という言葉に惑わされている社会風潮を批判する。
著者は、<50歳までを生命としての人生、それ以降は人間としての自らの価値
をいかす人生と割切るべし>とする。50過ぎで中途半端に区切った我が人生。
50歳代の10年で30年分を圧縮をした生き方をした。 確かに手ごたえは充分
あったような。 還暦以降、13年以上も生きてきたが、あまりに情報化による
時代の進化が刺激的で面白い。 その実感とは…
 『娑婆は、生きて味わってナンボのもんじゃ!』 そう思うしか?

《  〜Amazonの内容紹介〜
「人生が100年になる」という人類が今まで経験したことのない時代を迎えた今、
50歳からをどう生きるべきか、科学的に考えてみようという本です。
「老化」の不安や「お金」の不安、「いつまで働くのか」「いつまで働けるのか」
という不安を抱えるすべての人に読んでほしい本です。
 人生100年時代
 いつからが老人なのか?
老化も寿命も定年も病も錯覚です。
武田先生が50歳からの人生のウソと矛盾を整理します。》

 ――
▼ 確かに、老後なんてありはしない。身近な(男)の場合、還暦で、4分の1は、
 鬼籍に入った。ということは、彼らには老後はなかった? 67歳で癌で倒れ、
1年後に亡くなった父親。死期を悟り、呻いた言葉が、「あと3年、生きたい!」。
その真意は、「小さな世界で、思い込みで、何も知らずに生きてきた。それが
何だったのか。それから離れて、より深く、広く、世界を味わってみたい。」。
 父には、その3年が、この妄想としての「老後」だった。 その意味で、
26,27歳の時節に、父の死に様から、多くのことを学ぶことが出来た。その父親
の死亡年齢より5年、生き長らえている。確かに、この5年は、人生の豊穣な収穫
が間違いなくあった。生活習慣と、行蔵の御宝のためだろう。
 ここで、「子狐」とか、「御世間様」とかに捉われ、現実社会に、ドップリと
浸かった人たちを批判しているのは、「それら老人(無知の人)が、あまりに
??… 生き方に対して語らずにいられないため。分厚い我が固定観念を彼ら
から見えてくるため。 この著書の内容とは、そういう人に向けた、説法。
「老人」=「病人」である。死にゆく老化は避けることはできない。 
「全てが死に逝く過程にある老化」は、生まれてきたが故に避けられない宿命。
安易に目を叛けるから不安になり、迷い、慌てる。
 …次回は、フォロアーなどの意見や、詳細の内容など…

・・・・・・
2018年08月31日(金)
6379,閑話小題 〜怒りの静め方

   * まあお暇なことで…
 創業となるとトラブルの連続。そこに嫉妬、妬みが加わる。
バブル華やかな頃、経営の神様と言われた故・邱永漢が、
『地元で事業を興すな。烏合の衆の中で革新(創業)をすること自体、
大きな無理がある。それぞれ代々の因縁で雁字搦め、絶対に避けるべし!』と。
 5年近く、実家の本店を引継いでみたビジネスを通してみた地元社会が、
邱永漢そのままの現実に、驚くやら、飽きれるやら。地元は私にとって限界。
で、邱永漢の論に従い、新潟駅で起業を始めることにしたが、これが正解。
長岡とは風土が全く違う開放された社会。長岡では、日本地図そのまま見るが、
新潟では180度ひっくりかえし日本海を背景に見る。これは、金沢でも同じ。

 新潟市の本質は天領文化が故に、外海と表日本に向けて開かれている。
血筋、因縁など、アナザーワン。その事業を清算して住み心地良い?御屋敷で、
7年半前から御隠居暮し。そこで生じるのが城下町住人との感覚の違い? 
気持ちは地元を去った100%が外モノ。その一部の軋轢も一通り終わりつつ…?。
 長岡というより、地方は納豆のようなベタベタの人間関係。
地元は、小・中・高校の人間関係で済ませ、距離が置いていたのが幸い?。 
それでも平均、3〜6ヶ月に一度は、何やらの「サイコパス」が一瞬の隙を
ついてくる。今では手慣れたもの、全身全霊でイメージで 打砕く。
これがストレス解消にうってつけ。‘その1〜2年後に何かの巡り合わせで
因果?が現れるという物語にして…。あとは自然の成りゆき…。 これで
怒りが冷まる期間が二週間、1年後に完全忘却。ところが、その辺りに対象に
マイナーが具体的に現われ出る。それも罪悪感と後味の悪さが残らない範囲で。
これを「内的処理」として丁寧に実践。それが来年3月〜8月に、めじろ押し。
どうなるのでしょうか? 私自身のカエリ矢の可能性も。
ところで、図書館で、『怒り〜心の静め方』という本を借りてきた。
まあ、可愛らしい内容である。

・・・・・・
2017年08月31日(木)
6012.閑話小題 〜実際の長生きは苦しい
          ー新潮45 6月号・特集:私の寿命と人生
               『実際の長生きは苦しい』久坂部羊―
   * 老衰は、そんな生やさしいものじゃない
 身につまされるテーマである。確かに、この年齢まで生きることが出来て
有難いと思っている。特に、20年来の本格的情報化社会への激変は、刺激的、
かつ劇的であった。ネット社会が現実社会の上を覆って別世界をつくったが、
これを目の当たりに出来たのは人類の一員として無上の喜びである。。
 逆に、医療効果で、寿命も延びてきたが、その影も浮び上がっている。
姉、兄、その連れあい、いとこ、など身内が70、80歳半ばに到達した。
痴呆症を含めた老々介護などの問題が直面している。長寿がめでたいのは過去
の話。他人事と思っていたが、古希を過ぎた現在、自分の問題にもなってきた。
― 
≪ 医師で作家の久坂部羊氏による「実際の長生きは苦しい」は高齢者医療に
 携わる氏の本音であり腑に落ちる内容である。元気のままで長生きできると
思っている人が多いがそれは夢想であり、実際は体が弱り機能が衰え、生き物
としてダメになっていくのを実感するのが長生きだという。
がんにせよ心臓・脳血管障害にせよ老化によるものなので自然の寿命なのである。
それをなまじ病院などに行けば無理やり死を遠ざけられ想定外の苦しみを味わう
ことになる。病院に1,2か月通っても良くならなければ医療は無力とあきらめた
ほうがいいという。≫

≪ メディアでは盛んに健康、アンチエイジングを謳っているけれど、高齢者
 医療の現場は大変なことになっている。「老衰」で死にたいと、多くの人は
思っているのではないだろうか。実際、私もそう思ってた。でも、久坂部さん
いわく、「老衰はそんな生やさしいものではない」と。確かに眠るように、と
言っても、よく最後は肺炎でとか聞くけれど、実際は息苦しいだろうし…。
どんなに死を恐れ、拒絶し、悲しんでいる人も死に顔は無表情だったという。
死はそんなに悪くないということ。≫

≪ … 死をどう考えていますか?
・久坂部: 私は死を全面否定しない。死は悲しいし、つらいし、苦しい。
 しかしそんな死にも良いところはある。そう考えることでバランスが取れる。
  … 高齢者の大半が病院にかかっていますが
・久坂部: 老人の病院通いは害が大きい。時間と労力、お金をかけて検査を
 重ねた結果、分かったのが治らないということだけだったりする。それなら
 何もしない方が有意義だ。老化が原因の病気に対し、医療は限界がある。
 病院に行けば治るというのは幻想です。≫
―

▼ いざ、自分に「余命半年」と告げられると、動転するようだ。長生きの
 リアルを知らない人が、長寿に憧れ、メルヘンの世界をイメージするが、
それは綺麗ごとに終始するメディアと、健康関連業者だけ。死ぬに死ねないで、
「健康法で、長年、散歩をしてきたが、あれが悪かった!」とさえ… 
「で、どうすればよいか?」というと、「自然な寿命を受入れること」。
現実問題としては、「病院に行かないこと」。
 医師として多くの看取りをしてきた著者が、<「死を受け入れることは
難しくない。いつも、死のことを考えていれば慣れるし「あきらめ」もつく。
ヤケクソではなく、「明らかに観る」という意味の「あきらめ」が必要>と。

・・・・・・
2016年08月31日(水)
5647,「家、ついて行っていいですか」

   * ぬいぐるみに話かける男
 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという
より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。
先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。
ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した
ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。
「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。
都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い
人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・

≪ 20代後半の男。
 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが
あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を
重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに
今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中
とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので
洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。
そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり
することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、
話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、
1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない
こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、
昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。
他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」
だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ
もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に
とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。
捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。
 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。
ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと
思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん
じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって
いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して
ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか?
キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫
 ―
▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、
「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、
この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の
中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から
自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、
都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように
書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に
ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。 
何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する 。


6741,閑話小題 〜カラスと遊ぶ ―2

2019年08月30日(金)

    * 隼型の人形を括りつけ3日目に
 一週間程前に、カラスの死骸に模した人形をベランダに括り付けた。
去年の‘カボチャの張りぼて’ほどの効果がないのではと考えて、ネットで
百均の「ダイソー」に「隼」の姿を模したのを見つけ、念押しに付け加えた。 
そのため静粛の日が続いた数日間後、1羽のカラスが斥候で?庭先に来て
鳴いていた。まずは様子見、で、その数時間後、3羽のカラスが庭先の松の木
から激しい威嚇の鳴き声。 野生動物は、テリトリーへの天敵の侵入に敏感。
怖れる風もないため、もう一羽、「隼」の人形を購入し応援に加えた。
今のところ近所にきてない。それでも数日に、再び威嚇してくる? カラスと
戯れるのも面白い。次は、新たにハロウィンのカボチャを加える予定…。
 ―
    * トランプも酷いが、何も酷い
 韓国の大統領が交代する度に、75年前の日本による朝鮮統治時代の問題を
新たなカード持ちだして反日運動を喚起して国民の目を向けることで、国家
体制維持の政策をとってきた。今回は徴用工問題。 国家間で解決済み問題を、
「個々の問題は解決してない」と強引に理屈づけてきた。さすがのアメリカも、
呆れ果ててしまった。韓国の歴代の大統領は、逮捕か、自殺の運命が間違い
なく待つ御国。その上に、側近の汚職問題を国民から目を逸らすため、軍事の
秘密事項の共通開示の協約を破棄。これではクーデターさえ起きかねない事態。
いまだに朝鮮戦争の終結がされてない臨戦状態で、権力が大統領に集中する国。
貧すれば鈍するそのもの。諸外国からみれば「近親憎悪」と思って然るべき事態。
戦勝国家たる朝鮮が、未だに分断され、日本との格差は歴然となれば、嫌日感情
も仕方がないと、上から目線が彼らのプライドを傷つけるのだろう。

・・・・・・
6378,閑話小題 〜同月、同日分を先に読んでみて
2018年08月30日(木)
   * 過去文からテーマを考えた
 テーマを考えあぐねて、同月、同日の17年余のテーマの幾つかを読みをして、
その感想を書いてみることにした。何時も、当日分を書いた後に読返していた。
当日の文章から、「過去」をふり返っていたのが、過去の文章内容からテーマを
起案するのは初めての経験。新たな気持ちで読返すと、思いの外に重く真面目
くさったテーマばかり。この程度でもテーマ探しを入れると3時間のエネルギー
が入っている。それが重苦しさ?を生み出している。本来、生真面目?なのか。
 毎日、過去の文章をコピペする過程で読返しているが、真っさらな気持ちで
ジックリと読返すのは初めて。毎日、一期一会で選び出してきたテーマと内容。
ネット上に連日ともなると、極度の緊張と、集中が必要となる。尤も、それが
狙いだが。としても、我ながらシリアスである。それも毎日毎日。
 そうともしてないと、精神のバランスが保たれないため? こんなことを
誰に頼まれた訳でなし。ただ面白いため。秘異郷の大自然の光景との邂逅で、
日々、生きている価値が認識出来るようになったためだろう。極限を超えて、
広く、深く、明るく、経験と知識を重ねる必要性を、改めて感じた。
重くても、軽くても、暗くても、シリアスでも良し。広げ、掘下げた知識、
経験しか、世界は感知出来ない。 で、このテーマは何? 過去の文章は、
今の私に何を語りかけてくる? <肩に羽根を付けて、もっと、舞え>と!
これが隠れテーマ! 死んで三日もすれば、元もと存在してないのと同じこと。

・・・・・・
4916,一度、死んでみましたが
2014年08月30日(土)
             『一度、死んでみましたが』神足 裕司著
   * 重介護5のスーパー闘病記
 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上で
あることに気づくのは、失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢
の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、10年は死んでしまう。 
TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。
実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、
去年12月に、不自由なベッドで書いた『一度、死んでみましたが』という
スーパー闘病エッセーを出していた。コラムニスト復帰の第一弾の本を、
偶然、図書館で見つけ、借りてきた。脳の大手術で、現在も殆ど動くことが
できず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、この書を
読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。
50歳半ばから還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、
癌で死んでいるが、どれもこれも、最期は壮絶な状態。これは、その実況
中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、そのまま伝わってくる。 
本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 
HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。
「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、
そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子のレビューより
≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許し
 いただきたい。本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気に
なれなかった。怖かったのだ。父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん
百%ではない。ページを繰っていけば、彼がこれまで積み上げてきたものが、
私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまうのではないか、
そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても
紡ぎ出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、
以前の筆者にも書けなかったのかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の
修飾語を用いながら、ページを埋め尽くすのが豊穣な表現だとするならば、
この本はそれには当たらないかもしれない。むしろ、そのような表現は
全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。
少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現は
あり得なかったのだろう。切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、
ミスタッチだと思われかねないフレーズ。彼の憧れたジャズピアニストを
思い出す、なんていったら笑われるだろうか。
・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」
とは「友人」とは、そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのある
テーマについて、文章を書いているその瞬間の筆者にとっての虚飾のない、
研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに思われながら、
どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。
くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち
止まって「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。≫
▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を
 味わうしかない。どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい
人のようだが・・ 本人は、このスーパー闘病記を、自分の愛読者に読んで
もらうことが、慰めのようだ。私のエッセイ『事業人生を決心して・・』
の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、この事態になった」と
吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。

・・・・・・
5646,不幸な国の幸福論 〜��
2016年08月30日(火)
       <不幸な国の幸福論  2009/12/16 加賀乙彦 (著)>
    * 考えないと、正しく悩めない
 ここまで生きてきて、思うことは、多くの「人は、考えない」ということ。
だから、正しく悩めない。5年半前に、会社の清算に至ったが、その創業設計に、
破綻前提に「万一に備え」を組みこんでいた。幼児期に、太平洋戦争の戦災に
焼けだされた両親の血の滲む苦労の後姿を見て育ったこともある。 夜半、
隣で、母が父に、『死にたい、何もかもが嫌になった』と話しているのが聞こ
えていた。 両親にとって、長年かけて築いた財産の大部分を長岡空襲で焼け
出された前後に、様々な問題が家庭内に起こっていた。両親は、子供8人を
含めた10人家族分を稼が必要があったため、普通の働きでは、生活出来ない。
(当時は、多くの家庭が大家族だったから、別に珍しいことではない)。
この幼児体験があったため、準備を含めた45年の事業人生、大変だったとか、
会社整理に対し、何ら後悔がなかった。決心をした時点から、万一の覚悟も
立てていた。 何事も、『事前の一策は、事後の百策に勝る』。そのためには、
考えて考えて考えなければならない。博打は、恐怖を見据え、乗越える中で
勝機がやってくる。そのため、考えてない人は、直ぐに感知できていた。
日本人は、島国で海に守られている閉鎖社会。考えないで済まされることも、
ある。 〜ネットによる書評から〜
≪ 日本人特有の性質は、自分で考えることをせずに評価の基準を他者に求め
 それに合わせようとする。狭い人間関係の中で簡単に人間にレッテルを貼り、
本来なら複雑な要素から出来ている人間を単純に理解してしまう。それが故に
別の環境であれば何でもないことでも必要以上の敗北感やつまづきを覚える。
 だが、気の持ちようでいつでも人間は幸福を手にすることが出来る。
本来幸せに形なんかない。むしろ理想の幸せの形を決めてしまった時から、
自分はアレが足りない、コレが出来ないとあら探しをしてしまい不幸が始まる。
 人生万事塞翁が馬である。変えることが出来ないものを受け入れる冷静さ、
変えることが出来ることを変える勇気、そしてその2つを見極める知恵。
正しい諦めから生まれるしなやかさを手に入れれば、幸福はもうそこにある。≫
▼ この城下町では、「同化圧力」が異常に強い。だから、地元の長岡高校の
校訓、「和して同ぜず」の和同の精神があるが、実際は、同化しないと、
「どうかなる」のが実情。地元の41年前になるが、Uターンをしてきて、
直ぐに直感したのが、この「同化圧力」の毒素で、脳がやられる恐れである。
そのため、地元の卒業校の同級会以外の会は、一切、参加しないことを決めた。
会社整理で、この御蔭で、人間関係では最小のストレスで済んでいる。
 人間は感情の動物、理性で割切れといっても、そうはいかないが、感情が
元もと皆無のため、同級生の範囲で済まされる。怒りの感情は、全てここで?
 <考えない、なやめない、カッパエビセン> が、何故か浮かんできた。

・・・・・・
5281,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月30日(日)
      ーその時、言葉は私の「神」となるー   (新潮45/6月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 言葉は原罪から生まれた
 他人からみた私を意識する「自意識」過剰が果たして罪なのか。
二つの私、「自意識の私」と「自我の私」の両者が頭の中で、常に問答をする。
老齢期では、「私の人生、果たして、これで良かっただろうか?」と。
 良かったのだろうか? 人間は生きている限り、原罪を犯すもの。
老いて、その原罪を見つめて悔悟する。知識を持つことは原罪なのか?
知恵を持つことが原罪なのか。他者=世間の目を神のごとく信じるのは、
プラ・マイの両面を持つ。 最後は、自分の自意識で、どう受け止めるか?
 死線を漂い、社会復帰をする中で思った心の奥底は深いもの。〜その辺りから
≪ ああ、諸君。「自我の私」として唯我独尊で生きるのと(もちろん、孤独は
 感じない。もとより孤独という概念がないからね)、「自意識の私」として
他者と繋がりながら傷つけ合いながら生きるのと、どちらが幸福なのだろうか?
少なくとも心肺停止前の「自我の私」で生きていた私は、多幸感に満ち満ちて
いた、他者のいないたったひとり楽園に住んでいて、寂しさも不安も感じず、
その中でぬくぬくと微笑んでいた。周りの人々から見たら、それは呆けた抜げ殻
であったようだが、本人はそんなことちっとも気にかけず、ふわふわと漂い
幸せに生ぎていた。・・心肺停止の後に生ぎ返って、目覚めた私は自意識も取り
戻していた。肉体が回復すればするほど、自意識も回復し、他者との関係に
悩まされるようになった。特に例のMXTVの降板以降は、人と会うのが嫌になって
完壁に引きこもった。社会に拒絶された気分になってひどい孤独感に苛まれ、
誰にも必要とされない自分にはもはや何の価値もないと苦しんだ。
おそらく「自我の私」であったなら、そのような苦しみは味わわなかっただろう。
「孤独」も「自分の価値」も、他者との比較や承認から生じる相対的な概念である。
他者を通して自己を確認するから、他者から拒絶されることが自分の存在まで
脅かすのだ。自己の存在の絶対性を疑いもしない「自我の私」は、仕事を失って
経済的な不安を感じることはあっても、それを己の存在意義の問題とは捉えまい。
そうやって考えると、我々の苦しみの原因は、ほぼ「自意識」に起因している
ように思える。 我々は「自意識」を持つべきではなかったのか。エデンの園で
幸福に暮らしていたイヴに蛇が勧めた「知恵の実」は、やはり禁断の木の実で
あったのか。「自意識」を持つことで我々は他者の目に裁かれ続け、他者に
見捨てられる不安に怯え、大きな苦しみを背負うこととなった。だから聖書は
それを「原罪」と呼んだのか。「自意識」は「罪」であったのか。
犬や猫は鏡に映った自分の姿を「私」だと認識しない。鳥にいたっては、鏡の中の
自分に向かって求愛のダンスを踊るらしい。彼らには己を客体視する能力がない。
彼らにとっての「私」は、ほぼ百%「自我の私」である。彼らは幸せなのだろうか。
他者にとっての客体ではなく、「私」という主体としてのみ生きていくことは、
どんな苦しみも生じさせないのだろうか。いや、待て。「苦しみがない」ことを
「幸せ」と考えていいのだろうか? 苦しみば確かに幸福感とは程運いものでは
あるが、我々は「甘美な苦しみの自意識」というものも知っているではないか。≫
▼「起こってしまったことは変えられなくとも、受止めかたは変えられる」と
 いうが、これも、「自意識の私」を「自我の私」への変換ということ。
「他者を通した自己の確認」を超越して、己の原罪を見つめることが必要である。
そこまで自分を追詰めないと、内なる二つの問答が、蒟蒻問答になる。
・・・・・・
6011,『超一極集中社会アメリカの暴走』
2017年08月30日(水)
   * アメリカ分断の大元は
 図書館から『新潮45・6月号』を借りてきたが、面白いリポートがあった。
【世界を呑込む「超一極集中」社会〜アメリカの暴走」を著者が解き明かす―
 上位0.1%の超富裕層がすべての富を牛耳り、ますます金持ちに
 (小林由美)】のレポートがあった。
 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった〜
  〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった…
【 アメリカ“強欲資本主義”の現実
 <池上彰が『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美・著)を読む>
      
・アメリカのトランプ大統領による予算教書が五月に提出されました。
アメリカの大統領には予算編成権がありません。予算を編成するのは議会。
そこで大統領は、「こういう予算を組んで欲い」という要望を予算教書として
提出するのです。 トランプ政権は所得税や法人税の大幅減税を打ち出して
います。金持ちほど大幅に税金が戻ってきますが、庶民には恩恵がありません。
その一方で、貧しい家庭に食料を支援したり、低所得者が医療を受けられる
ようにしたりする施策は予算が大幅にカットされます。去年の大統領選挙で
トランプに投票した支持層が打撃を受ける予算案です。金持ちは一段と金持ちに、
低所得者はさらに生活が困窮していく。アメリカの現状を象徴する予算案。
金持ちの一極集中が進むアメリカ。書名通りの事態が進行しています。
・アメリカの所得格差が大きいことは日本でも知れ渡っています。国民のわずか
1%の人が富の大半を所有している。そういう認識を持っている人が多いと思い
ますが、もはやそんな状態ではないと著者の小林由美さんは指摘します。
上位0・01%の2014年の平均年間所得は2009百万ドル(約32億円)という驚く
べき数字です。上位0.1%で見ると平均所得は6百万ドル(約6億6千万円)ですが、
上位1%で見ると、126万ドル(約1億4千万円)に下がります。 過去の歴史を
見ると、1980年代以降、上位0・1%の所得は増え続けているのに、それより
下位はほとんど増えていないという現実があります。
・こんな格差社会で我が子を「勝ち組」にするには、質の高い教育を受けさせる
必要があります。そのためには幼稚園から私立に入れる。ところが私立の幼稚園
の学費は日本円で年間300万円。私立大学の四年間の学費は計3300万円。
いったい誰が払えるというのか。もちろん奨学金制度はありますし、学費ローン
を借る手もありますが、大学卒業と同時に多額のローンの負債を抱えることに
なる若者も少なくありません。「大学を卒業して社会人として第一歩を踏み出す
時には、多くの人が既に多額の借金を負っている。これがアメリカの現実です」
・こんなアメリカで繁栄を謳歌しているのが金融業です。資金を集めて投資する
ファンド。その周辺には、アナリストやトレーダー、ブローカー、投資顧問、
コンサルタントなど数多くの人が群がります。「こうした介在者の増大が金融
サービス従事者を増やし、その人件費と利益が金融サービス業の付加価値として
国内総生産(GDP)に現れ、不動産金融も含めると、金融サービスはGDPの12%
近くを占める主要産業になっています」
・強欲資本主義の支え手である富裕層は、自らの利益のため政治家に接近する。
「民主党は都市の進歩派富裕層やハイテク産業から政治資金を得て、都市部に
集中しているマイノリティを取り込み、共和党は重厚長大産業やエネルギー、
金融界から政治資金を得て、中西部や南部に集中している貧しい白人を取り込んだ」
アメリカという国が分断されるわけです。アメリカという国を分析する著者の筆法
は鋭く、ときにアメリカに対して絶望的な気分になりますが、他方でアメリカの
強さも知ることができるのです。(池上 彰)
―
▼ トランプ大統領になって以来のアメリカの分断は、この本を読むと、理解
 出来るようだ。10年前に、同じタイトルの本を出している。出だしからして、
<アメリカ人は4種類しかない。超金持ちと、仕事のプロと、貧乏人と、社会的
 落ちこぼれだ--。>である。この現実が社会問題にならないのは、誰もが、
アメリカンドリーム、「いつか私も大成功し… 」の妄想があるため。現在の
日本も、同じ傾向になっている。 情報機器も含め4割が情報関連を占めている
現在、若い人は、何はともあれ上質な情報と知識に対し、敏感であらねば。 

 < 過去  INDEX  未来 >


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