堀井On-Line



6740,閑話小題 〜映像社会、そのすえ恐ろしい時代

2019年08月29日(木)



   * 怖ろしいかな映像社会、…気の毒?としか
 昨日の朝のこと。 朝方の3時半に、目が覚め、ブログを書上げた後、雨の
ため、信濃川への早朝チャリは休止に… そこで民放のニュースをみたところ、
4人の駅員と、4人の高校生と、止めに入った小母さんとの入乱れたトラブルの
映像が流れていた。ネット上で拡散された映像ネタである。 ところが最後に、
それが地元・長岡駅での出来事と初めて知った。 
 さっそくユーチュブで、「長岡駅 キセル少年」で検索すると、あるある。
何と36万回のフォローというから、他のサイトを加えると数百万に拡大? 
としても、少年たちは、あまりに悪質、かつ安易で、運が悪い。キセルで全国区
ニュースで放映とは。とはいえ、10人近くの現場の迫力ある映像は見応えが…
 それを逆に食ってかかるとは… ユーチュブの映像は顔が丸見え。地元の
?業高校生で、飲酒をしていたとか。 名前も直に拡散するのだろうが… 
スポーツジムでは、誰もが知っていたようだ。映像や写真で撮られてなければ、
些細な地方駅でのキッセルトラブル。問題は、スマフォで撮影され、全国区の
民放で流され、拡散されたこと。その上に、名前も、在籍している高校名も、
ネット上に載せられてしまったこと。更に悪いのは、ここは閉鎖的城下町で、
退学に至る可能性もある。 チンピラも、ヤクザも、フマフォや、隠しカメラ
の中で、恐喝、強請りがますます難しく、日陰に追いやられてしまう。 
 考えてみれば、厚労政務官 上野宏史衆議院議員が 口利きの要求を秘書と話し
あっている現場の録音をされて公開され失脚した。これも逮捕に至るだろうが… 
これでは、利権?による集金も、おちおち出来やしない。暴力団事務所には、
下ネタを含めたすっ飛ぶような、危ないネタが数多くあるのだろうが… 。
 特に酔っ払いの皆さま、ご注意を! ある意味で、世間体も必要ですか?

・・・・・・
6377,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜2
2018年08月29日(水)
      <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
               |松沢哲郎・動物心理学者、霊長類学者>
   * 持ち運べる言語(情報・経験を)を獲得
 Amazon内のネットサーフィンに、以下なる内容があった。
人間教育の原点が、この辺りから出発している。自己認識と同時に、人は
他者認識も必要である。自己と他者の違いから、自己と他者を理解する能力
が培われる。その意味では学生時代のシェアハウスのような「寮生活」は
ベストに働いた。各自の共通する要素と、違った要素を振り分ける目線である。

≪・西アフリカのギニアで25年間チンパンジーを見てきた。チンパンジーから
 見た、人間とは何かとは、生活史や親子関係から見ると共に育てる、共に育つ
「共育」そして、「認める」が人間の特徴となる。 
チンパンジーは「教えない教育」「見習う教育」である。それは、師匠と弟子の
関係に似ている。認識における「関係性」(三つを超える)、再帰的構造(入れ子)
の有無がヒトとチンパンジーを分ける。自己認識(自他の明確な区別)について、
ヒトでは3歳迄と4〜5歳からでははっきりと分かれる。自分が見ているものとは
違う認識世界に他者がいるというのが分かるのは4〜5歳になってからである。
そして他者を理解するというのは自己埋込み的な再帰的構造にある。≫

・人間とは何か。言語という情報、経験を持ち運べるものを獲得した。
そして、想像(イマジネーション)するちからである。
チンパンジーは、絵を描くが抽象的である。似顔絵を与えるとなぐり書きを
するか僅かに顔の輪郭をなぞる。多分、眼の前にある、そのものを見ている。
たとえ一瞬であるとしても。想像できる時間と空間の広がりは極めて狭い。
だから、チンパンジーは絶望しない。人間は、そこにないものを思考する。
だから、人間は絶望するし、希望も持てる。
 最新の成果として、チンパンジーの子どもが人間の大人よりも優れた直観像
記憶を持っているという発見がある。人間は、それを失う代わりにシンボル、
表象、言語と呼ばれる認知機能を手に入れた。直観像記憶は、他者と共有出来ない。
そして、脳の容量は決まっているからだ。日本の研究は、欧米の母子分離による
研究でなく日本オリジナルな「観察参与」という方法によるものである。

・人の希望や絶望もこの「想像するちから」を身に付けたところから始まった。
人は、系統樹でチンパンジーから分かれてから後、言語や文化、あるいは文明は
飛躍的に発達したかもしれないが、その代償としてチンパンジーたちの
「明日を思い煩うことのない心」の世界からは遠く離れてしまった。≫
ー
▼ 情報機器の飛躍的進歩は、ネット上に写真・録画などの画像を記録し、
 公開出来るようになった。逆に言えば、想像力の減退につながる。ポルノ
写真が、その代表。言語獲得で、想像力が生まれ、その過剰が文化、文明が
生まれていった。この「テーマ日記」も、毎日、膨大に入ってくる情報・経験
を物語風にして、パッケージすること。そこにHP内検索機能を付けて、忘却の
彼方の記録を瞬時に引き出せる。 拙い脳の大枠の公開でもある。今さらと…
としても、非常に危険である。過去の文章を読返すと、そこに現れ出るのは、
過去の自分という他者。明らかに現在の自分ではない。誰だろうか、過ぎ去った
あの人は? そこから過去の他者と、現在の私の会話が始まる。これが内省?

・・・・・・
5645,不幸な国の幸福論 〜��
2016年08月29日(月)
         <不幸な国の幸福論  2009/12/16 加賀乙彦 (著)>
   * 幸福を阻む考え方・生き方
 著者が東京発大阪行きの新幹線に乗車したところ、典型的な上流と
思ぼしき上品な奥様方3人のグループがすぐ後ろの席に場所を取った。
ご婦人たちは京都に着くまでの時間、大きな声で“会話”の話が著者の
耳に飛び込んできた話題を紹介している。  〜要約すると〜
《・「ご主人、部長になられたんですって? さすがねぇ」
・「さすがどころか、やっとなのよ。○○さんはもう役職待遇なのに」
・「でも同期の中では二番目に早いご出世だって聞いているわよ。羨ましいわよ。
 息子さんは○×大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」
・「主人の母校の△△大に行かせたかったのに落ちちゃって。○×大も悪くは
 ないけど、義姉のところの子供たちが△△大出て外務省だから肩身が狭いのよ。
 それに娘の相手がねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校
 しか出てないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで・・」
京都駅で降りていく三人組は、それぞれブランドのバッグを持ち、ブランド
らしき服やアクセサリーで着飾っていた。 夫は難関大学出身で、日本有数の
大企業で働いているらしい。 住んでいるのは東京・世田谷の高級住宅街。。
 著者は「快楽の踏み車」の言葉を用いている。 カゴの中で踏み車に乗って
ぐるぐる回転するハツカネズミ。そう自分で自分の欲望を果てしなく肥大化させ、
疲れ切ってしまう人間たちを重ね合わせている。
 与えられた理想形「これこれの条件を満たせば幸せになっる」を疑うことの
ない人は、そのレールの上は走れても、レールから一歩はずれたら、自分が
どのように考えて進んでいけばいいのかわからなくなる。外的価値に拘れば、
束の間の満足と引き換えに、永遠の二十日鼠の、快楽のふみ車をまわし続ける
ことになる。》
▼ 面白い内容である。私が5年前の会社整理をした時に、外的価値に縛られ
 一生を終えるハツカネズミと、ドブネズミに罵声を浴びせられた。しかし、
ネズミはネズミと分かっているから平然としていられる。新潟駅前のチンピラ
に何度も暴言罵声を浴びせられてきたが、これ以下の連中と確信できるので
超然としていられる。
 家内が某女子大の県内の地元OB会で、大小規模の経営者婦人たちとの会話は
大同小異で、こんなもの? オーナー会社の御婦人が中心もあり、少し違うが、
亭主の力関係が、そのまま当人に跳ね返ってくる。それを何とも思わないのが
家内の特性。幼少期の幾かの習い事のベースと、受験高校に在籍、地方の子女に
人気の女子大(短期)を卒業。実家の仕入先のメーカの茶汲みを丸の内でして、
その直後、私と見合い結婚。 割引新幹線で年に10回は東京名所巡りが趣味。 
40回近い秘境・異郷の修羅場をくぐってきた経験がある。そこで、遥かに違った
人種とのやり取りの経験も多々ある。 「あなたの状況がどうして? 私には
関係ないこと!」の開き直りがある。 開き直りは私にも無いではないが、
遥かにドライときている。 元もとサラリーマン系ハツカネズミの単一思考
など何もない。5年前に「もしか、原信のレジをしなければならないの?」と、
する訳が無いのに、至って超然。この程度は、彼女にとって、幸せを阻止する
要因でない。単一の理想系すらない。生まれ、楽しみ、その時が来たら、死ぬ。 
こういうのを幸福形(系)の人という。 それにつけても、私は何をしてきた?
 以下の「うさぎちゃん」みたいのも、存在しているのに。
・・・・・・
5280,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月29日(土)
      ーその時、言葉は私の「神」となるー  中村うさぎ
         〜心肺停止になって考えたこと! (新潮45/6月号)
   * 二種類の私と、純粋な自我
 死に際を経験すると、傍目に縛られすぎてきた自分に気づかされる。
そして、裸の己を直視し、それを言語化し、それに従うことが、自分の真実を
生きることと、著者は悟る。 死線を漂うと、虚無の彼方から、宇宙の向こう
側から、小さな世界に縛られている自分を客体化する視線を持つ。
 その実体験から得た、重層の心の構造を、醒めたタッチで解体する。
≪ 心肺停止の数日前に私は別人格になっていたらしい、という話を以前に
 書いたと思う。 ・・誇大妄想的な発言を真顔でしてみたり、「魂が抜けて
言葉だけ残った空っぽの中村」になっていた。あの時の私はいったい何者だった
のだろう、と今でも時々考える。あの頃の私は別人になっていたわけではなく、
自意識とかいうものを一切失い、純粋な「自我」のみになっていたのでは。
私が「私」と言う時、そこには二種類の「私」が混在しているように思う。
・ひとつは「他者から視られている私」という「客体としての私」で、
・もうひとつはデカルト言うところの「我思う、ゆえに我あり」的な
「主体としての私」である。
「客体としての私」は「自意識」に支配されており、
「主体としての私」は「自我」そのものだ。たとえぼ「世界を救う」などと
いった壮大にして荒唐無稽な使命感を私が意識の底に抱えていたとしても、
それが他者の目にどんなに愚しく狂気じみて映るかを知っている「自意識の私」
は決して人前でそのような発言をしないし、何とか己の意識下に無理やり、
その人格を封印してしまうだろう。だが当時の私は、そのような他者の視点で
己を視るというスキルが崩壊していて、頭に浮かんだことを自意識の検閲なしに
ぺらぺらと喋っていたのだった。まさに「我思う、ゆえに我あり」だ。
私が思考し、私が語るから、私は「私」の存在を実感する、という感覚。
そこに他者は介在しない。他者を通して自己確認することもない。
私という主体を中心に世界は存在し、自分の存在価値など問う必要もない。
「価値」などという相対的な概念が最初からないのだ。なんと単純明快な
世界だろう。アダムとイヴが他者の目を気にして己を恥じたり隠し立てしたり
することもなく、素っ裸で歩いていた「エデンの園」そのものではないか。
「自我の私」のみで生きるということは「エデンの園」に戻るということである。
他者の評価に怯えることもなく、己の存在価値だのに悩まされることもなく、
獣のように天衣無縫に生きられる楽園の生活。が、その代わり、社会性は著しく
失われる。自意識が高度に発達した現代社会で、このような人間は生ていけない。
生きていくことを許されない。 ≫
▼ 先日、一番上の義兄の葬式に参列した。地元の名士?の中で、精一杯、
 背伸びをして生きた人だった。表面的な人付き合いに生きるのも、それは
それで、一つの生き方である。それぞれにとって、中味は別として、それが
全世界である。ただ、自意識に支配されている、「客体として私」を、
「主体としての私」が、見つめ、「自意識過剰」を「自我」がコントロール
する基盤が必要となる。それが教養である。「独り」を「独り」で楽しめる
素養は、家系を含めた長年の蓄積が必要となる。城下町は、それは有り余って
いる筈だが、変化を嫌う体質が、「独り」の世界を小さく変質させてしまう。
・・・・・・
4915,閑話小題  ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」
2014年08月29日(金)
  宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。
 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。
  これはスターの内的要素の骨格である。
 「ブスの25か条」           「美人の25か条」
1.笑顔がない            ⇒ 常に笑顔で
2.お礼を言わない          ⇒ 前回のお礼の挨拶から
3.美味しいと言わない   ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に
4.精気がない            ⇒ 精気を満たす
5.自信がない            ⇒ 自信を持てる何かを持つ
6.愚痴をこぼす           ⇒ 愚痴は言わない
7.希望や信念がない         ⇒ 希望と信念を持つ
8.いつも周囲が悪いと思っている   ⇒ 周囲のお陰様に気づく
9.自分がブスであることを知らない  ⇒ 自分の程度をわきまえる
10.声が小さくイジケている     ⇒ 声が大きく溌剌としている
11.なんでもないことに傷つく    ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に
12.他人に嫉妬する         ⇒ 他人の美点を凝視する
13.目が輝いていない        ⇒ 何ごとにも興味をもつ
14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる
15.責任転嫁がうまい        ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ
16.他人をうらやむ         ⇒ 人を賛美する
17.悲観的に物事を考える      ⇒ 楽観的に、そのためには教養を
18.問題意識を持っていない     ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける
19.他人に尽くさない        ⇒ 人の役にたつ生き方を
20.他人を信じない         ⇒ 信じられるだけの知識を持つ
21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ
22.謙虚さがなく傲慢である         ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ
23.アドバイスや忠告を受け入れない⇒アドバイス、忠告を聞き、受け入れる
24.自分が最も正しいと信じ込んでいる   ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと
25.存在自体が周囲を暗くする  ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること
▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、
 誰もがブスの要素が多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラ
ジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの輝きを心掛けるため。物理的
貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 
それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。
タカラジェンヌのミニスターを、まず彼女たちは演じることから始まる。
そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 
幸せへの道しるべ!である。
・・・・・・
6010,幸せの確率   −5
2017年08月29日(火)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
                アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
   * 「現状維持バイアス」と「保有効果」
 この本で紹介している「現状維持バイアス」と「保有効果」。人生は、常に、
この二つとの戦いと言って過言ではない。自分だけでない、親兄弟、連れ合い、
同僚のそれらもある。情報機器の劇的進化をする社会の中で、このバイアス
を乗越えて自分を変化させ生き延びなければならないから現代人は大変だ。
とはいえ、この二つ、動物としては生きる術でもある。〜ネット検索によると
≪ ☆ 現状維持バイアスとは
「大きな変化や未知なるモノを避け、現状を維持したくなる」という心理作用。
バイアスとは「先入観」「偏見」という意味。人は、変化そのものを嫌います。
その背景にはプロスペクト理論における「損失回避性」が働いているからと
いわれています。損失回避性は、
「人は利益から得る満足度より同額の損失から得る苦痛の方が大きいと判断する」
という心理作用です。現状を変えることによって「何かを失うかもしれない」と
いう不安が「何かを得られるかもしれない」という期待よりも上回るのが、
現状維持バイアスがかかる理由なのです。≫
▼ 3C主義=チェンジ、チャレンジ、コンペティションという主義は、現状
 維持バイアスを打破するにはベスト。人間は本能的に、「変化、挑戦、闘い」
を避ける。しかし、成長、進化には、現状打破が必要条件である。第二の天性、
「習慣」というシステムも現状維持が出来る、良質なら悪いことではない。
ー
   ☆ 保有効果とは
人は、現在所有しているものや環境に、それを所有していないときよりも価値
を感じる傾向があります。これが「保有効果」です。これは、新しいものを手に
したときに得られるメリットよりも、現在持っているものを失うことや環境が
変化することによるデメリットを大きく感じるとも言えます。
 保有効果のWeb広告活用例
【例1:ダイエットジム】
効果がなければ全額返金
入会前に絶大な安心材料となる返金保証。「実際に返金を要求されたらどう
しよう…」と不安になり、なかなか大々的にアピールできない方もいらっしゃる
と思います。しかし「手続きが面倒くさい」などの保有効果が働くため、実際に
利用する人はほとんどいないようです。どんどんアピールしましょう!
【例2:保険会社】
契約しなくてもOK!保険の見直しを相談するだけで粗品をプレゼント!
【例3:ファッション通販】何度でも試着・返品OK
届くまでは「現物を見て気に入らなかったら返品しよう」と思っていても、
いざ自宅に届き「自分のもの」になってしまうと、保有効果が働き返品しづらく
なってしまいます。返品送料を無料にしてアピールしているサイトもありますね。
▼ テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」をみていて思うことは、「何で金まで
 払って手元に置きたがるのか? それより遥かに良いものは、世界に幾らでも
あるのに、美術館でジックリとみれが良いものを!」の疑問。絶対数をみてない
ためだが、その人の好みもあるため…これ以上は言及できない問題である。


6739,閑話小題 〜何ごとも因果応報!

2019年08月28日(水)

   * 自分にとって、一番いいようになるから大丈夫
 ある本にあった一節「自分にとって、一番いいようになるから大丈夫」。
この視点で、人生を振返ると、幾つか思いあたることが… 逆もあったか!
「自分にとって、一番悪いようになることもあるから、それを前提に考え
準備しろ。そう考えると、何ごとも上手くいく」ということ。
‘ものは考えよう…’ 最悪に思える事態に、最善が隠れていることが多い
ため、そう確信をしていれば、泥が落ちて最善が現われ出てくる… 
 …確かに幸せな状況の磁力は強力である。そのために最善を思い浮べれば
良いが、思わなくても磁力が、引寄せてくる幸運な人がいる。
 生命誕生から40億年。進化論でみれば、最善が続いた結果、この世界が
あって、現在の自分が存在しているため、「一番いいようになる」のは
至極当然。だが、真逆も。それは紙一重で左右することが多い。
 だから、人生は摩訶不思議で絶妙な味がする。
情報化の進化は、膨大な上質な知識・情報をシャワーのように吹きかける。
目を凝らしていれば、様ざまな材料を見出すことが出来る。
要は、何を目指すか、つくり上げるか? 平均80年の限定旅行の中で!
思い込みを、とにかく、横において、まず、一番、いいことを探そうよ。
そうしている(因)と、更に、いいことが、向う側(縁)で、やってきて、
因縁が出来る。 「善因、善果」の逆の「悪因、悪果」。その見極めが
第一歩。 そのための第一歩は、「何をするか」より、「何をしないか」。
「何処に行くかより、何処に行かないか」、「誰を触媒にするかより、
誰を近づけないか」にある。 …そうこうしてたら、誰も居なくなり、
孤独死?ですか。 

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい 」。 夏目漱石の「草枕」冒頭の言葉。
「智から目を背け、情に流され、意地など考えず、世間の常識を疑いようも
なく、無事、人生を流離い、生きるしかないのか? 他者の中に合せ鏡と
して自分の姿を見えるなら、まだよいが、それすら考えられない人が、
「世間様」。これが日本では神様として崇めたてられるため、烏合の衆に。
別名「ゾンビ」。魂も肉体も干からび、集団で群れるしか能がなった人たち。
都会に、田舎に、そういう孤立し、干からびれた一群が存在する。それを
掬い取って信者にしてきたのが新興宗教。 その御経が、たった一言、
『教祖を信じさえすれば、一番いいようになるから大丈夫』の洗脳。
個々が孤立し、隔離されるため、洗脳は簡単。 あとは奴隷のごとく。

・・・・・・
6376,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜1
2018年08月28日(火)
        <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
                |松沢哲郎 ・動物心理学者、霊長類学者>
   * 想像力は感激、感動から
 今さらだが、人間たる由縁は「想像するちから』である。霊長類学者が
語る論は説得力がある。想像の力は、異質との出会いと邂逅から生まれ出る。
それが発達、発展して人間は万物の霊長と言われるようになった。 人間は
一万時間を一つに集中すると、専門能力が形成されるという。そこで、毎日、
一テーマを自らに課して17年。二万時間をブログに投入し、蓄積をしてきた。
「馬鹿の考え休むに似たり!」の休息にいなっていた? 何かを得たか?の
問題ではない。休まるのである。 得た一つが、集中の継続から得た想像力。
夜半の半睡眠かgら起床し、書きかけのテーマの内容を考える。
ふと【検索】で、「チンパンジーと人間」を入力すると、面白いのがあった。
ー
≪ もっと簡単な方法は外国に行くこと。外国に行き、外から日本を見れば、
どういう国かすぐわかる。これと同じように「人間とはなにか?」という問いを
立てられたとき、人間に近いチンパンジーという「アウトグループ(よそもの)」
を知れば、人間がより深く理解できます。
 地球に住む数千万種類の生命のなかで、いちばん人間に近いのがチンパンジー
であるというのが、21世紀の人類が到達した理解です。ヒトゲノムが2003年に、
チンパンジーゲノムも2005年に解読されました。これによって両者のゲノム
塩基配列が98.8%同じだとわかった。新しい人間観が生まれるなかで、いちばん
重要なアウトグループがチンパンジーなんですね。
 人間とあまり変わらないチンパンジーと、私たちはどこが違うのか。
人間の特徴は「想像する」ということです。チンパンジーは未来を想像しない
から絶望はしませんが、人間は容易に絶望する。でも、絶望するのと同じ能力の
「未来を想像するちから」があるから、人間は希望をもてる。私たちは必ず
死にます。だけど、自暴自棄にはならない。「毎日をよりよく生きよう」と
思うのが人間で、そう思い、希望をもつように進化してきたのです。≫
ー
▼ 過って霊長類学者にして京都大学総長だった山極 壽一(1952年〜)が同じ
 ようなことをいっていた…。 松沢氏は、人間が有している「想像力」に注目。
ところで米国合理主義に、プラス思考を発展しイメージを豊かにすることで、
自己育成をするプログラムがある。 またヨガを最初に持込んだ中村天風も。
その理念『積極一貫』の中から「想像力」を育成する効果を説いている。
『想像する能力』は、感動、感激する心から生まれ出る。大自然でもよい、
世界的芸術作品との邂逅でもよし。感激、感動は、その瞬間、対象と同化する。
その蓄積が、熟成し、更に感動を求め、自己を開放していく。そして、次の
新たな感動を求めて想像が膨らむ。好きなことを見つけ、継続することが
第一歩のようだ。

 で、偶然、以下の内容に脈絡として続いていく。
・・・・・・
4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ
2013年08月28日(水)
   * 秘異境ツアーからのフラッシュ
 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。
アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現
するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。
秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、
それを解釈をしている余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして
記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。還暦を過ぎた頃
から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに
旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように
行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多く
の記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来た
ことに感謝している。『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。
  * 消費税の増税の是非
 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。
それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな
負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。
しかし財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、
上げないも地獄なら上げるしかない。現在の年金の収入では、月に10万円持ち
出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。
当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠
されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。
自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。
家の中は要らないゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。
で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本
から精算するしかないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は
無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる!
・・・・・・
4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
 * 認知科学者は間違っていた? 
       「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著
 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して
くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解
しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 
「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、
思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観
が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。
論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに
変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の
大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、
 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。
西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、
分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか
がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する
ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか
で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を
理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる
人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が
革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は
間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は
思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的
  メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの
  であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を
  認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる
人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。
アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。
こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を
もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が
関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的
でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物
を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている
 ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が
あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を
もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名
になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。
それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に
ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。
争いは永遠に続くことになる。

・・・・・・
5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月28日(金)
         <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著>
       〜心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号)
   * ナルシシズムと自己愛と、自尊心
 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。
状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、
毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に
なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け
殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、
女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。〜その辺りから〜
≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと
しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した
ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。
何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて
しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。
 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、
生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分
を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。
人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの
を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い
については私なりの定義がある。
・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年
ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。
そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、
正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、
相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。
 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。
・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、
「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と
「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。
「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」
はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて
愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」
よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同
されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、
私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや
「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長
線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である
「ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に
とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。
 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を
失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも
醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。
己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪
したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。
 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、
自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。
理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。
このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、
いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。
・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、
目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく
のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で
あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、
公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは
ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、
的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷
に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え
られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって
盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。
それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた
し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫
▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、
その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。
「ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。
その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。
・・・・・・
6009,閑話小題 〜駐車場事故は3割!
2017年08月28日(月)
   * 大手大橋をヒキチャリをして…
・先日、スポーツジムに、ヨガ予約・チップを取りに行った帰りの駐車場内で、
80歳半ばの老女が自転車に乗ったまま、突然、飛び出してきた。「危ない!」と、
思わず叫びながら急ブレーキを踏み、1m手前で辛うじて停止、事なきを得た。
その横道は一時停車の文字が書いてあるが、痴呆症が入った風で… 今まで、
無かった経験。雨だったら間違いなく事故っていた。
「交通事故の3割は駐車場事故」と聞いていたため、特に注意をしていた。
老女をひけば、ほぼ運転手側の責任になる。しかし、これでは避けようがない。
自動車運転の経験もなく、痴呆症が入った老女の自転車運転は、恐ろしい限り。
・半年ぐらい前に、同じSC内のスーパーで買物をした後、駐車スペースから
バックで出ようとした際に、80歳半ば過ぎの老人が運転席の前を横切った。
「ならば相方がいるはず」とバックを一瞬控えて、後ろを見ると、その連れ
合いらしき老婆が飛び出してきた。その直後、「もう、運転を止めよう。
前期高齢者が、後期高齢者を轢いてしまうケースになるところ!」」と、
真剣に考えてしまった。
――
   * 世の中、喜びや悲しみで満ち溢れている
 雨のため、早朝のポタリングを休んでいたが。昨日は大丈夫だった。
早朝の自転車散歩は、心身にとって、非常に良い。昨日の朝、大手大橋を
ヒキ・チャリをしながら、「この辺りから… 不明だった少年が飛び降りた
のでは?」と思うと…。 人生の深淵を垣間見る思いであった。
 来春は高校に入学、その3年後に大学で上京し、色いろな人と出会い、
酒を飲んで、人生を語り、殴り合い、旅行に出て、恋愛をし、失恋をし、
就職をし、結婚をして家庭をつくり、挫折を重ね、泣いて笑って、数限り
なく感動し… などの全て失ったのである。 もし自分の子供だったら、
両親の気持ちは如何ばかりか。人は、ただ生きているだけでも充分だが、
それは、生抜いてきた人の言葉。


6738,閑話小題 〜「老いの可笑しさ」ですか!

2019年08月27日(火)


 
   * 過って70歳過ぎの老人を、冷ややかに見ていたが…
 老いていく日々は、何やら時代の隅に追いやられていくようである。
それでも毎日、自分でたてた少し過密ぎみのスケジュールを熟して8年半も経過。
厳しめでないと、良からぬ過去を想いだし、捉われ、行きつく先は、老人性鬱に
なる危険がある。行き先に夢があるでなし、逆に遣り残し感などの壁も想い出て
こない。とはいえ、茫然と立ちつくす事態が何時くるか分らないが、その不安感
がほぼ無いことが我ながら不思議。どのみち、何れは誰もかも死ぬのである。
考えても如何なることもなし! なら考えないで、TVに、ネット・サーフィンに、
スポーツに精を出すしかない。平凡の日々の中でも、けっこう、起伏が存在する。
最後は自問自答で、内省の自己対話で納得する。

 けっこう、このテーマ日記の、習慣と、蓄積が杖かわりになっている。背後に
広がる膨大な世界の直感が、人間には必要と日々、痛感する。 毎日、真面目
くさっている割に、大した内容でないのは、解ってはいるが、この程度の習慣を
してなかったら、どうか?と思うと、決して無駄ではないはず。 好き放題して
きた割に、致命的失敗に至らなかったのは、その都度、知識と情報を得るか、
知っていた御蔭で、助かったことが多々あった。萎びた老人の頭には、豊穣の
感情と経験が果てしなく存在している。その老人になってしまったが、心は、
全く受け付けない。時どき、腰の曲がった老人をみて、腰痛で辛うじて歩く姿が、
自分に重なる。

 面白いのが、40歳、50,60、70歳の峠から眺望する下界が、違って見えること。
それも、過っての自他の心情も、後になって初めて気づくことが多い。それと、
新鮮な感覚が、内なる魂から吹きあがってくる経験。これほど内的、外的に
世界を経験できるとは、思っていなかったことも事実。しかし、その背後には、
底知れぬ膨大の世界と宇宙が直感できる。

 この時節、何といっても生命誕生以来40億年来の『情報革命』に、遭遇して、
経験していること。10年100倍、20年で100×100=1万倍、30年で1万×1万=1億
の情報量の増加の恩恵を現に受けているのである。これは現実社会の岩盤を
日々刻々、壊し続けている。そして、AIたるものが、人間社会を支配するとも
言われ出してきた。AIが、逆に人間を利用し、世界を統治する可能性が、2045年
問題としていわれている。これから10年先は想像を絶する世界が待っている
のだろう。 10年、20年、30年前を振返ると、これから先が、思いやられる。
面白く、刺激的だが、その中で生抜くことは、何ともスリリングである。
そうこう考えると、ひと回り年上の「従兄」の切実な願望… 
「あと10年、生きて、1億×1億= ? の世界を見てみたい。いや、如何か?

 ……で以下に、また偶然、脈絡として丁度良い内容が、控えていた。
それにしても、不思議! 行ってみたいのは2045年。いや、まず2029年である。
寝たきりの可能性もあるため… バーチャルリアリティもあるから、それでも?

・・・・・・
6375,閑話小題 〜行ってみたい時代
2018年08月27日(月)
   * いまないものに憧れて
 朝日新聞‘beランキング’に『行ってみたい時代』のテーマの記事があった。
私の生きた時代が太平洋戦争の敗戦半年後から現在までの72年に至っているが、
人生のメインを、この時代に乗れただけでも非常に幸運である。右上がり経済と、
バブルの高揚。おまけに「第二の敗戦(バブル敗戦とデフレ)を味えたのだから…  
  〜私の行ってみたい時代?
『現在の年齢のままだったら 20年後! 加齢するなら 10年後!』
『過去限定なら… 5〜9歳と、20歳代、50歳代後半! それと大正時代。』

  〜記事の一部より〜
< あのころはよかったなあ。最近そんな言葉をつぶやいてばかりいるあなた、
 タイムスリップができ、過去に戻れたら、いいと思いませんか?
「歴史はくり返す」と言います。過去へ行けば、歴史の謎が解けるかも。
で、日本のどの時代へ行ってみたいですか?
「どんな時代へ行っても、命の危険はなく、無事に現在に戻ってこれるものと
します…」 遠くの平安、江戸など遠い過去の中で、ここで1、2位を占めた
のが「近い過去」。
・第一が高度経済成長期(1955〜73年)。50代以上の世代、特に男性が多い。
・次が「バブル期」1989〜92年)。こちらは、女性が多かった。
「遊びも、恋愛も、仕事も楽しかった。もう一度、無茶してみたい。」
・3位が、「平安時代」(794〜1185)。何と平安時代が300年もあった。
 ここまでが300票前後で、
・4〜5位が幕末(1853〜68年)と、江戸後期18C初頭〜1853年)、両者とも
 200票半ば。>
―
▼ 自分が終戦の半年後に生れて、廃墟の中から、経済成長期に。
 そしてバブルとバブル崩壊で経済敗戦で、デフレ経済を20数年経験した。
世界は1992年のソ連・東欧の崩壊、2001年の9.11テロから、イスラム教と、
キリスト教国の本格的戦争が始まり、現在に至る。 日本経済未だに経済敗戦
のショックから抜出せない。団塊世代の�鏡い蓮⊃討鮓�て育ったが、その下の
世代は、それを知らない為に、憧れるのだろう。比較的恵まれた?家庭環境に
あったことも含めて、ベストに近い人生環境であった。一つ間違えると、朝鮮、
ベトナムのように、国を二分され… もう二度とこない国家繁栄のピーク時代に、
生きてこられたのである。今では、日常的に、地震、台風、火山とたて続きに
発生している。それは国家としての財政基盤を大きく削ぐことなるが、何故か
誰も直視しようとしない。 で、親の代の「竜宮城」のおとぎ話の名残りに、
憧れるしかない。味わい尽くした私たちは、沈黙するしかない。
 しかし、よく出来たもの。科学技術の進化が、情報化という時代をもたら
してくれた。そこに情報格差という大問題が、生れている。未来、現在だけで
なく、過去の情報も鮮明に映し出し、次世代に提示する。我々の世代に少ない
のは、近未来の情報化がもたらす恩恵。羨ましい限りだが、未来は少ない。
「いま無いのが、見えてきた近未来の情報社会」 その狭間に私たち世代が
立たされ、消え去ろうとしている。近未来の一端を毎日、味わっているが、
羨ましい限りである。
 「上を見れば限がない、横をみれば情けない、下を見れば底がない」 
まさに周囲の情報がリアルタイムに知りざるを得ない哀しみと喜びを
味合えるのも余裕があればこそ。何も知らないのも生き方のひとつかも!
時代の変遷も、情報環境も、人生も、驚きの連続。 夢見ているようである。
 「辛うじて楽しんでいる」というのが実感。
両親、特に父親が、戦中、戦後の混乱の中で、倫理的に厳しく過ぎた? 
反動を、私に向けてくれた感があった。その上に、この時代である。

・・・・・・
4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5
2014年08月27日(水)                
     『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著
  この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、
<京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。
               (古今東西の幸福論を読み漁った結果)
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。>  
『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど
余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという
説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。
  ーまずは、その辺りを抜粋ー
≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば
 あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ
といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。
それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより
鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの
高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと
したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に
お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な
お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、
専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で
うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから
こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが
泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての
美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動
を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、
そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので
あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く
のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫
▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が
 いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない
不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、
実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに
驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える
様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く
見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く!
ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、
4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界!  
(一言多いが)平屋もマンションもある・・・
・・・・・・
4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの?
2013年08月27日(火)
   * 小学、中学校の同級会で、どうしてる?
 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席
するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず
なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。
それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに
来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 
早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、
ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。
「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、
「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを
味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、
実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、
結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、
現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、
この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、
「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 
時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、
が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 
   * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常
 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった
『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。
(番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに
浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が
胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、
ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの
一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も
重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 
観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。
ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が
起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを
リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の
生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに
ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が
交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 
Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。
次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 
・・・・・・
5278,「読書の腕前」 ー��
2015年08月27日(木)
            〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜
   * 独りの楽しさと、読書
 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。
これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年
前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。
 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、
底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜
≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」
 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。
たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド
へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、
というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、
あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、
「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、
谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。
「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら
〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、
大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化
する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって
いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。
 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を
占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた
がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。
本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。
出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり
自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」
ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」
ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本
ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。
「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。
詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも
表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、
とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり
するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる
のはいつだってひとりの自分なのだ。
 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。
だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という
言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら
どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、
伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。
『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。
それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な
時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。
「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。
「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。
なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、
「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、
と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を
ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫
▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、
「ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本に
偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点
では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの
ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。
 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。



6737,閑話小題 〜ランチ考

2019年08月26日(月)

    * ランチ考
 8月に入って、家内に連れられて、郊外の新規の店に三軒、入ってみた。
・まず一軒目が「ゆず庵」。信濃川の川西の新興のSC内の「しゃぶしゃぶ」の
食べ放題の店。そのランチが、セットで980円で、種類が多くて美味しいと
ジム仲間から聞きつけてのこと。食べ放題もあるが、歳が歳。腹いっぱいの食べ
放題に気が向かず… 取り放題の多くの種類を小鉢に並べて組みたててあるため、
値段の割に豪華。 店内は広くて、高級感がただよう。千円コースでは、合格。
・二軒目が、お盆に、立寄った、家内の実家のある柏崎郊外のイタ飯屋の
「ARCI-GOLA」。売りの言葉が、イタリアが県内でトップと認めた店。なるほど、
炭火焼の釜土で焼き上げただけのことはある。 この数年で、三度、ツアーで、
イタリアに行っているが、決して自画自賛の味ではない。 スパゲッティと、
ピザと、コヒー二杯で、2800円。来年のお盆も、ここにと満足して店を後にした。
・三軒目が、長岡の東バイパス沿いの新しいSC近くのウエストカフェ。
【 ウェストカフェ 長岡店/WEST CAFE (長岡/カフェ)の店舗情報は食べログで
 チェック! 口コミや評価、写真など... ウェストカフェ - アンガス牛はらみ
ステーキランチセットなど.... 新潟県長岡市花園南1-71 OUTDOOR LIFE STORE
WEST長岡 2F. ウェストカフェ 長岡 ... 】
なかなか面白い店だが、経営的に果たして? しかし、噂のステーキは値段の
割には美味しい。自宅から車で10分の至近距離?が、よい。
この話を、そのまま、酒友に話すと、『夫婦でランチを三度も行くなんぞ…
仲の良いことで…』と、冷やかされてしまった。たまたまとしても、言われて
みれば至極、ごもっとも。週一のシネマ館通いの前後に単独で入る、回転寿司、
牛丼、カツ丼、以外、同伴は家内位。 他の何でないだけ、良しとしなければ。
 
 シンプル、シングル、スペシャル、スピード、スタンダードが、まず基本。
ベースはチープもあるが、それでは、冷食を自宅で食べればよいが、それでは
面白味が加わらない。それでも、夜の御付き合いからみれば、数分の一。
年金暮らしを考えると、当然のことですか? それはそれなりに!
 としても、ソフト・ランディングで何とか終えて良かったが、何かドラマ
仕立てが薄れたことが良いのか悪いのか? 良いに決まっているが!
で、‘ランチ考’を書いてます。まあ、ペラペラですか! じゃあ「へらへら」
を書いてみたら。ヒラヒラで、空を舞うことに… 気分は良いはず…。
「ばかばかし!」と、一番思っているのはこの私め。 ブログは慈愛と、
自愛と、自嘲と、他嘲で成立っていると言って過言でない。書いている過程で
思いもしない心の影が、表立つこと屡々。 欧紅の刑事ドラマの定期的視聴者
たる由来が、底から出てくる? それが「分人」ですか。 同月同日の過去文を
読み返すと、得体のしれない自分が、そこに控えているのが納得。 

・・・・・・
6374,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー4
2018年08月26日(日)
   * 一度抜いた方便を今さら
 ネット上にあった「長岡弁」を紹介してきたが、忘却の彼方の言葉が次々と
出てくるには驚いたが、私自身が気づかない長岡弁を使っている可能性がある。
県外に住んだ経験がないと、標準語を使う機会がないため、方便しか使えない。
前回の続きになるが、まだまだ面白いのがある…
―
なじら(ね)   : [慣用語]相手の調子やある物事に対する評価を求める。
         「〜はどうですか」に当たる。
なんぎい     :[形容詞]具合が悪い、の意。
ねーなる     :[ラ五動詞]無くなる、の意。
「亡くなる」は  :「のーなる」ないし「なくなる("な"を高く発音)」と
          言い分ける場合が多い。
のめしこき    :面倒くさがり、の意。
馬鹿〜      :[助詞]強調表現。すごく、の意。
          馬鹿はえー  = すごく速い。
冷やかす     :[サ五動詞]食器(ご飯茶碗など)を水に浸す、の意。
ぶちゃる     : [ラ五動詞]捨てる、の意。不要なものを破棄する、
          放置するという意。
ぼっこす     : [サ五動詞]壊す、の意。
もぐす      :[サ五動詞]沈める、の意。燃す[サ五動詞]燃やす、の意も。
やっこい     : [形容詞]柔らかい、軟らかい、の意。物理的なやわらかさ
          を表し、穏やかや融通が利くといった意味では用いない。
よした      :子供に対して、よくやったと言う時に用いる。必ずよした
          よしたと2回言う。 
―
▼ TVの普及で、若者の標準語に触れる機会が増え、様変わりのようだが。
 まずは言葉が重い。中学校の同期会があるが、確かに長岡弁が多く行うが、
年に3〜4回ともなれば、違和感が全くない。一度、抜いた方言。元に戻ることは
ないようだ。地方が閉鎖的になるのは、言葉の問題が大きく関わっている。
これは日本という国にも言えること。長岡弁の最大の特徴が「〜が」を語尾に
多用すること。 
  これが金沢では、「〜け?」が付く。
「いーけ?」→「いいですか?」
「そーけ?」→「そうですか?」
「かーけ?」→「蚊ですか?」
「きーけ?」→「木ですか?」
「くーけ?」→「食べますか?」
「けーけ?」→「毛ですか?」
「こーけ?」→「こうですか?」
  三重弁では
「〜わや」「〜なん」「〜なんさ」など「そうなの」と相手に確認する表現。
「そうや二〜」「そうなん」→と若い女性が話すと、それは色っぽくなる。
 これらと比べると、長岡弁は、ふくよかさが足りない。(人による?)
土壌が御国言葉をつくるようだ。 … 『シャッコイ雪に数ヶ月もモグサレ、
雪ホゲで身体をぼっこし、ズルのが難ぎいて、のめしこいて、せつねいって』

・・・・・・
5642,閑話小題 〜幸・不幸の実相
2016年08月26日(金)
  * 幸・不幸の実相
 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて
いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、
起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。
よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。
 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、
痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生
への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、
目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、
出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、
群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。
そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」
ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。
――
   * オリンピックも終わって
 リオのオリンピックが、先日、終了した。 メダルの数からして、今回の
オリンピックは、丁度良い塩梅の数。何はともあれ、テロが起きなかっただけ
でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。
 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす
追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が
激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。
 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。
冬季(12月〜3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。

・・・・・・
4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4
2014年08月26日(火)
   * 現場の壮絶! 
 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。
デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。
臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 
 ーその辺りからー
≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。
 彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。
そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を
殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」
そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく
ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。
家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼
のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として
生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする
こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの
鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする
ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は
LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に
させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに
調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。
LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら
兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を
持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する
ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、
それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫
▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトに
 よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような
弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺
されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が
『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ
ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では
タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、
平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 
憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理?  
〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜
・・・・・・
5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月26日(水)
       ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号)
               〜心肺停止になって考えたこと! 
   * 人生の価値とは何か
 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった?
『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、
『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ
という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を
し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた
ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 〜その辺りから〜
≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。
 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、
その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、
何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生
こそが、その人の作品なのだ。
むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ
ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を
変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。
それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と
臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。
不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、
まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」
である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して
いるのだ。 私の人生は、私そのものである。
 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ
重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、
世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、
その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、
その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに
なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば
ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ
のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず
価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や
いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。
たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に
無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。
「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という
過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。
何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き
ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、
己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、
多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」
「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも
ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。
何者にもなれない人生、何事も為し遂げられない人生にだって価値はある、と。
人生は結果ではなく、そうやって答を探して長い長い旅をする、あなたのその
足取りこそが貴重なのであり、その過程の積み重ねがあなたにしか生きられない
この世で唯一無二の人生を形作っていくのだ、と。≫
▼『ご覧のとおり、そのまま、結構!』を、4年前の事業断念時に自分自身に
 対して言い聞かせていた。バブル崩壊が、どれだけ大きな経済敗戦だったかを
見抜けなかったことが、ある。 盤石と信じていた事業が根こそぎ崩壊するのも、
一瞬の出来事。更に同時進行の情報革命も、大きな要素に加わる。
これに9・11テロ、リーマンショック、3・15大地震なら、仕方ない。
面白かったから、まあいい、と思えるのは、何とか避難が出来たから。
『総括として、面白かった!』という実感は、何ものにも代えがたい。

・・・・・・
6007,閑話小題 〜水難事故って、本当?
2017年08月26日(土)
  * 自死として、真正面に向合うことが供養では?
遺書でも出てこない真実は限り分からないが、「遺体には外傷はなく、
少年には持病があり、体調が心配されていた」という。それも登校日の前日。
どんなに哀しかったことか。悲しいことに、死んだ方が幸せな人が、世の中
には存在する。…別に私(貴方)のことではありません。
 死ぬには死ぬ深い訳がある。 〜ネット・ニュースによると〜
≪ 〜不明の中3男子を遺体で発見、誤って川に転落か 目立った外傷なし〜
 新潟県長岡市で行方不明になっていた中学3年生の片桐悠馬さん(15)が
 24日午前、およそ20キロ離れた燕市の川で遺体となって見つかりました。
片桐さんは、20日早朝に自宅を出たまま行方不明になり、前日に「最近走り
に行っていない」と話していたことから、ランニングコースだった川沿いを中心
に捜索が続いていました。警察は、誤って川に転落したとみて調べています。
片桐さんが通っていた中学校は、25日が2学期の始業式でした。(24日)≫
―
▼ 中3の少年の遺体が、数十キロ下流で発見されたということは、増水して
 いる本流に流されたと推察される。 そのランニング・コースが、早朝の
ポタリング(チャリ散歩)コースに重なる。特に、土日・祭日には、老若男女
がランニングをしている姿が多く見られる。何度か、すれ違っていたはずだが…
知る限り、川に転落など間違っても考えられない。川面は土手から離れている。
自らの意志でないと川には近づけない、とすると… 
 ところで、虐めは、どうだろう。 10年程前に知人が、長岡大橋で車が動け
なくなり、衝動的?に投身をした… 
 大手大橋上をヒキチャリをしながら、
・「あと3月と宣告されたら、この辺りから飛込みも有りだが、増水が前提。
 ならば新潟飛行場近くの阿賀野川の河口辺り?ここは日本海沖まで流され、
 上がらない… 」と、思わないでもない。 
・家族のため、海外ツアーに参加、多めの保険をかけ、何処かの絶壁から
 事故を装って足を滑らし… 
・それとも東京湾の何処かで、一切の身分を隠して… 
〜今どき、変な冗談が大変な事態を引き起こすか? 
 そこで思い浮かぶのが、夏目漱石の義父が宣った、
「人は死ぬまで苦しまなきゃならない!」の真言?
私には管をまかれて悶絶死が似合っているか。実際、キツイだろうが。
シリアスに向合えば、その時に、動転しないで済むと、露悪的に書いている。
問題は、その時に、死に対し、「正・中心・一点・無」になれるかどうか。
 なれる訳がないと知りつつも、土壇場の土台上のイメージの基礎は必要。


 


6736,閑話小題 〜映画観賞 ―『ロケットマン』

2019年08月25日(日)

    * ロケットマンの映画評論・批評。
 昨年、大ヒットを記録した「ボヘミアン・ラプソディ」を陰の監督として
完成に導いたデクスター・フレッチャーが続いてメガホンを取ったのは、
英国のロックスター、エルトン・ジョンの伝記映画。「ボヘミアン・ラプソディ」
同様、私にそぐわないホモセクシャルの世界。それが、前作よりリアルに映像化
されていた。としても、ステージは感動もの。アルコール、薬物漬なればこそ、
湧き出てくる? 物語の出だしは、薬物依存症のグループでの、そこまで至る
経緯を暴露するカタチで進行していく。夫婦間の亀裂が、いかに子供にとって、
痛手になるか… そうこう振返ると大家族の末っ子の立ち位置が、いかに恵まれた
幸運に思いがめぐる。 「ボヘミアン・ラプソディ」が、95点なら、これと、
レディーガガ初主演の「アリー・スター誕生」は… 90点。
  
  〜先ずはネット上の幾つかの映画評から〜
《 物語は、エルトンが抱える「誰からも愛されない」という孤独に
 ヒューチャーしている印象。非常に素晴らしい音楽の才能があるのに、
と一般人は安易に思うけど、一人の人間なのです。傷ついて育って、音楽に
身を委ねて、その音楽を通じて知り合った人たちとの出会い別れを経て...
『キングスマン ゴールデンサークル』でそんな思いを、きっとそこまで
言葉にせずともエルトンはタロンに伝えてたのかなぁ、と。
伝説のミュージシャンってほんと人間臭いよね。
だからこそ素晴らしい音楽を生み出してくれるんだろうなぁ。
いやぁもうこうなったら、次はジョージ・マイケル待ちです。
Sir、あなたの曲たちは素晴らしい贈り物です。》
  〜他にも〜
《 本作『ロケットマン』。ロンドン郊外の住宅地で生まれ育った学童期から
 世界的なミュージシャンにのし上がり、やがて沈静化していく50代半ばに至る
エルトン・ジョンの足跡が描かれています。時代でいえば、1950年代から1996年
まで。つまり自伝的な映画です。昨年、引退したとはいえ、まだ健在なのに、
自分の人生が赤裸々に暴かれるなんて……。
 英国人ミュージシャンの伝記映画といえば、やはり大ヒットした
『ボヘミアン・ラプソディー』(2018年)と比較したくなりますよね。それに、
「二匹目のドジョウ」を狙っていると思いますよね。おそらく、そうでしょう。
でも、映画の作りが異なっています。ヒット曲を散りばめているのは同じですが、
ミュージカル仕立てになっているのです。ごく自然に歌と踊りの世界へと移行
していくところが妙で、どことなくファンタジーみたい。そこが本作の売り。》
 

―
▼ ここで、やはり「孤独」の問題を扱っている。最たる孤独なればこそ、
 それが人の心に感動を呼寄せる。この年齢まで至ると、それぞえが抱えていた
問題を、語りだす。それぞれの立ち位置の家族の問題が非常に多い。その対処が、
その人生を支配し、時には破壊もし、反対に、起爆剤になる。
 お盆で次男の家族が帰省してきた折のこと。孫娘が大好きなグループダンスを
YouTubeの映像に合わせて踊りだした。それと、同時に息子夫婦も、何時のまに、
踊りだした。そして家内も仲間入り。さすがに私は入れなかったが… これが
家族の原型かと見惚れていた。 家族には満ち足りた愛情が必要ということ。
その温みこそ、互いを温めてくれる優しさ。幼児期に、音楽による情操教育を
如何に取入れてやるか。ともあれ、恵まれた人生で良かったといえる幸運に感謝。 
 <良かった好かった、これで良かった!> が、私の辞世の言葉。
   お目出度いことで… 
 
・・・・・・
6373,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー3
2018年08月25日(土)
 ネットに、数多の長岡弁があるある。こうして真正面に向合うのは
初めてだが、首都圏の法事などででる話題が「長岡弁」。姉三人が車で20分
以内に住んでいるため、長岡弁から抜出せないようだ。元もと、駅前の繁華街
に住んでいて標準語に慣れていたと思いきや、どうも、そうではないという。
 私の場合、上京をして標準語を使えるまで2年近い時間を要した。それでも
寮生活で日常生活で多くの人との接点が多かった利点があった。 改めて当時
を思いだすと、無意識で標準語を外国語として組込んでいたようだ。それまで
話してきたほゞ全てが癖の強い長岡弁なればこそ。全てが標準語に置換え可能
であった。 福島、秋田など東北各地の地方出は、もっともっと癖があった。
 
 〜ネットにあった長岡弁を二回に分けて、幾つかを紹介してみる〜
あっちゃい、あっちぇー : [形容詞]熱い、暑い、の意。(対:しゃっこい)
あんにゃ、あねさ   :兄、姉の意。
一緒くた       :混ざっている、の意。
いっぺこと      :沢山、の意。
おじ、おば      :弟、妹の意。いずれも"お"を高く発音する。
おっかかる      :寄りかかる、の意。
おっぱなす      :放っておく、放置する、の意
おめさん       :貴方、の意。
おめった       :お前たち、の意。
かしがる       :傾く、の意。
がすごみ、      :屑の意。専ら廃棄物のことなど罵倒語。
かんじん、くゎんじん :卑しい、卑しい人、の意。
きーもむ       :心配する、の意。
げっぽ        :ビリ、最下位、の意。
けつまづく      :勢いよくつまづく。「け」は蹴るの意。
けむ、けぶ      :煙、の意。
豪儀(ごうぎ)     :大変、すごい、(人が)堅牢な、気が強い。
こすい        :ずるい、の意。
こって        :すごく
しゃぐ /しゃつける  :なぐる、たたく、の意。
しゃっこい、ひゃっこい :冷たい、の意。(対:あっちゃい)。
しょーしい      :恥ずかしい、の意。
しょったれ      :だらしがない、の意。
…らすけ、すけに   : [接続詞]「〜から」「〜だから」の意。理由を表す。
ずる         :[ラ五動詞]動く、の意。「電車がずる」は、電車が
           (普通に)動く・進むことであり、脱線の意味はない。
せつない       :悲しい,辛い,苦しい,参った,困ったなど不愉快系感情。
せぼんこ       :猫背
そ(ー)いが     :「そうなのだ」、の意。
そろっと       : [副詞]そろそろ、の意。静かにゆっくり、慎重に、の意。
だまかす       :[サ五動詞] 騙す、の意。
たまげる       :[ラ五動詞] 驚く、の意。
ちっと、ちっとばか(し) :[副詞] 少し、の意。
…らて        :…だよ、の意。
とぶ         :[バ五動詞]走る、の意。
(ん)な        :お前、の意。

―
▼ 「げっぽ」「こすい」「しゃぐ」「ずる」「ためげる」「とぶ」など、
 数十年ぶりに目にする言葉。特に「げっぽ」は、旧知の友に再会したような気分。
年に数回ある同期会で、ほぼ誰とも会話がない。昔とった杵柄で、「ふんふん」
と聞役になるしかない。御品よくしてるのではなく、恥ずかしくて(しょうしくて)
言葉が出てこない。「こって」「…らすけ」も使えない。よくよくみると、昔ながら
の城下町言葉が脈々と続いているのだ。新潟に通っていた30年で、新潟では多弁に、
地元では無口になったのは、言葉の問題も大きい。使い分ける必然性もなかった。
柏崎出身の家内は、ほぼ標準語。私と家内の両親も、方言は皆無に近かった。
7年半通っているSJの会員の言葉つかいは長岡弁が多いが、気になるほどでない。

・・・・・・
6006,閑話小題 〜随想日記、6000回超え、
2017年08月25日(金)
   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが逆に利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
――
2014/11/22
閑話小題 ー今日で5000回!
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな
かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 
 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった
ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室
を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」
として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな」
のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。
もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも
11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回
を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む
つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を
書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と
して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ
にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その
まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 
自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた
分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、
ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産
とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結
でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣
をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分
だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する
ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、
アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が
何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって
しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。
また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と
入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣
だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない
からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 
その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く
ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の
経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が
魂ということになる。
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の
つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく
変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う
と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって
書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して
しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって
きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん
だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・
5641,閑話小題 〜ジムに異変が!
2016年08月25日(木)
    * 通っているジムが活気づいてきた
 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の
「コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の
私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、
街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 
但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。
 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、
二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、
外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう
見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、
週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、
かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい!
 ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、
最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、
「ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を
持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。
平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。
 市場規模:4,316億円
 施設数 :4,375軒
 会員数 :4,193,706人となっています。
この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。
会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、
売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。
 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。


6735,閑話小題 〜10年前には

2019年08月24日(土)

    * 人生を振返って俯瞰すると…
 あまり嬉しい話ではないが、義務教育前に、幼稚園、保育院通いしていたか、
それも名だたる大学の幼稚舎からエスカレーターで、既に大きな差がついている
のが現実。 公立の分別前には、苛めっ子などの問題児が、存在する。
その絶対数の少ないコースを登ってきたかがある。 本当に実力がある人は、
公立の小・中・高校を上りつめた人が多いが、全体として、間違いなく、付属校
のコースの人には、伸び伸びとして、明るく、素直な人が多い。 実は、それが
人生を決めている。 …16〜18歳の多感な青年期に、受験地獄で過ごしたか、
学園生活を謳歌できたかで、一生が違うのは、至極当然のこと。
「条件=原因」というが、成るほど俯瞰すると納得せざるを得ない。
この30年で、中国の一人っ子政策と、自由経済の導入を相まって飛躍的に国家
成長を成し遂げた。共産党員などの一部の特権階級以外の階層の人が、よじ登る
には子供の受験能力を高めるしかなかった、そのことが、結果として短時間で、
あれだけの変容を遂げた。人口の長期低減に加え、骨抜きされた日本。
グローバル化の中で、さて如何なることに! 
地頭という意味での『インテリジェンス』が向上したとは思えないが… 
 またまただが、
<上をみればキリがない。下をみれば底がない。横をみれば情けない。>
できることは、比べないこと! どのみち、死んでしまえば、そこまで!
 … 死ななくとも、「ここ」まで。 好きなこと、好きな人、好きな場所を
早々に見つけて、熱中することしか、ないでしょう。群れていては、腐るだけ。
でも、群れているのが好きなのは、如何すれば? 時どき、群れれば良いが…
 ―
    * 10年前には地元の文理高校が決勝に進出していた
 書くテーマが見当たらず何気なく過去の同月同日分を振返ると、10年前に
地元の日本文理高校が決勝戦を戦っていた。現在の、「履正社」対、「星稜」を
比べると、間違いなく数段の力量の差が見てとれる。それだけ、年々、スマート
フォン、タブレットPC、AI付きバッテングマシーンなどの進化があるのだろう。
ということは、資金力のある高校が、有利ということに… 
例えば「履正社」の部員のバッテングは、各人がPCに録画された奥川投手の録画
を何度も、見て練習していたのでは? 現在のAIの投球マシーンなら、奥川の
球種を似せて打ち込む練習は可能なはず。奥川投手に臆することなかったのは、
そのため? 囲碁将棋や、卓球にAI付きの練習マシーンがあるのだから、当然、
あって然るべき。

・・・・・・
3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。
国体開催の一月前ということもあり是非とも優勝をしてほしいもの。
今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には勝てないと
踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県
にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、
ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 
新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、
この天候で稲作も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。
たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。
 
・・・・・・
6372,閑話小題 〜 コミック版・トランプ劇場
2018年08月24日(金)
   * お笑いで済まされない危機!
 少し収まりかけていたトランプ劇場、何やら火の手が本格的に上がりだした。
たびたび閲覧する<豊島逸夫の手帖>の『 トランプ大統領、女性スキャンダル  
(2018年8月22日)が、アメリカ国内の緊迫度を紹介している。

《 今米国はこの話題で持ちきり。日本のモリカケみたいな騒ぎで。トランプ氏
 の個人弁護士マイケル・コーエン氏が、選挙資金法違反などを認め司法取引に
応じたのです。トランプ氏のお相手女性に13万ドルの口止め料を払ったと
されています。いよいよ女性スキャンダルからお尻に火がついてきましたね。
当のストーミー・ダニエルズ嬢は今や米国で最も話題の女性でしょう。
60minutes という人気テレビ番組で60分にわたる生インタビュー
が放映された時は、6千万人の米国人が見たほどです。翌日職場はこの話題で
持ちきりでした。かなり際どく生々しい話でしたから。
 この問題がロシアゲート疑惑にも飛び火してます。口止め料についてロシア人
富豪も関わったとされるからです。ロシアゲートを捜査中のモラー特別検察官
率いる精鋭弁護士チームもマイケル・コーエン氏を聴取するようです。
トランプ氏にとってはこれから中間選挙を控える段階で極めて「やばい」ね。
国民の関心をそらすために保護主義などをこれまで以上に激しく展開する可能性
もあるので要注意です。昨晩米国のテレビを見ていたら、NYの裁判所ビルの前
にカメラが並び、コーエン氏が有罪を認めると同時に脱兎の如く記者たちが走り
出てきたので「日本と同じだな」と思いました。これから詳細が明らかになり
事態が急展開する可能性もあるので要注意です。》
―
▼・寅:出ては消えを繰返してきた、トランプのスキャンダル。くすんだ火の手
  が、本格的上がってきたね。元もと、アメリカ建国の理念を全面否定した泡沫、
  ロシアのスパイ網に助けられ当選したことが衆人が知るところ。
・大家:よくぞ、ここまで持ったことが、アメリカの不健全? ということ。 
  こんなのが大統領に選出されるのが変ですよ。北朝鮮というより、中国とロシア
  がトランプが弾劾される前に、アメリカに痛手を負わせようと打合せた茶番劇が、
  米朝首脳会談。困ったもんだね。
・熊:与野党も、中間選挙の大敗を待っている節があるのは、俺でも分かるよ。
  「これで、自分は相応しくない人材と少しも思ってないから始末が悪い」と、
  ある側近が言ったとか言わんとか。でも、これがアメリカの中核の本音さ。
・八:この男だったら、北が隠密に核開発をしていると決め込んで保身のための
  戦争を仕掛ける可能性が出てきたね。あってはならないことだが、日本が
  丁度良い標的になる。いざとなると誰も助けてくれないのが国際政治。
・寅:だいたい北朝鮮が核廃棄するなんて有得ないこと。国家としての脳梗塞状態
  ですか。いや、このままじゃ脳溢血? ベストの筋書きは、本人が、その病で
  倒れること? 
・大家:「プーチンよ、何てことをしてくれのさ」である。バカなポピリズムを
  最大限に利用してくれたね。年末は何が起きても不思議じゃない状況ですか。
・八:あの肥満度からして、体力的限界も含め、何かあるよ! 

・・・・・・
6005,幸せの確率   −4
2017年08月24日(木)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
               アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
  * 地位財・非地位財
     〜幸せになる近道は「非地位財」の追求
 会社清算の結果、「地位財」を無くしたが、「非地位財」が行蔵として残った。 
この感覚は、解りやすくいうと、充実感、達成感の手ごたえで、第三者からは
窺い知れないこと。趣味で手造りのヨットを完成し、世界一周をすれば、目的は
プロセスと満足感。 最後に遭難をして全て失ったも、悔いがないのと同じ。
  〜その辺りの、簡潔な洞察が面白い〜
≪ 幸福について、「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。
 経済学者のロバート・フランクは
・周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、
・他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理。

「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの
物的財。一方の「非地位財」は、健康、自由、愛情などです。この2つの違いに
ついて、心理学者のダニエル・ネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、
「幸福の持続性が異なる」と論じています。図では「結婚」が両者の間にある。
 これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという
社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」
「家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。

重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福
は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を
目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。

それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう。〔目の前に
ぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう〕のでしょうか。フランクは、
人間は自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。
子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争に
勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる
「地位財の獲得」を目指してしまう。

しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。
平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が
高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。 ≫

―
▼ とすると、本来は、地位財を非地位財に交換するのが目的だったため、
 結果は何であれ非地位財以上?の何かを手に入れたため、サバサバできている。
5年半にかけ、アルツハイマーの母親を看送った51歳から、還暦まで、好きなこと
を遣り尽くすと決心、10年近く捨身で生きた。その時が、非地位財を、さらに
昇華させ消しさっていたことになる。その後、10年少し経ったが、地球の生活が
ますます面白くなっている。いい歳をして、意固地になり、肩肘を張り、比較地獄に
汲々としている「世間人」が可愛らしくもある。その最たる者が内なる化物だが… 

〜ところで、8年前に日本文理が、決勝戦に進出していた〜 
さらに、5年前にはトランプの本を読み書評までしていた。ったく!
 以下、参照… 

・・・・・・
4168, あなたが大金持ちではない10の理由
2012年08月24日(金)
     「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプ著 
 アマゾン内のネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著
「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。
耳が痛いが・・ まず基本的な考えは「お金持ちになりたいなら、
お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。
まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。
そう振舞ってもダメなのはダメだが・・・
  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは
� ゝ戮澆鬚箸蕕覆�ちゃいけない・・・と思っている
 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 
  まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!
�◆/臾欧箸蕕覆�ちゃ・・・と思っている
 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。
 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。
�� 集中力に欠けている
 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。
  それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。
�ぁ.謄�ノロジーに頼り過ぎ
 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。
�ァ〜蠎蠅隆�待値を考慮していない賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 
  相手の期待を知って初めて効果があがる。
�Α|膣屬僕蠅蠅垢�ている
 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきこと
 をやらなくては何も進まない。人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。
�А\�功グセをつけていない
 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。
 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。
�─^媚弖萃蠅�いいかげん
 「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。 多くの人が意思決定を
 「一目ぼれ」のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは
 「あの子のことをどう思う?」と聞いているのと同じ。意見を聞きつつ、
  注意深く意思決定を進めること。
�� 家族とうまくいっていない。
 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。
�� 好奇心をもっていない
 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、
成功の鍵。起きていることすべてに興味を持つこと。
 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。
上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、
ほぼ上記をカバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。
  お金は、お金を意識しないで済む程度が一番よいという。年齢にもよるが、
一般的に100万ドルか、一億円が目安。
・・・・・・
3803, 哲学人 ー��
2011年08月24日(水)
 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。
その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 
また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほ
 あやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を
弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを
比ぶれば、夢幻の如くなり  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 
所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。
   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という
 本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。この本の中で、唯一、
私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。驚いたことに
次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで成り
立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、
 それに対して実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は
直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている
のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれて
いた。それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、
そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れる
ことのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。
 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。
突きつめると、実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく
個々に分離しているのは、イメージだけである。また、イメージはあくまで
イメージであって、主観的ではかないものである以上、そしてとくに、人間には
生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、イメージを
 幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、
人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には
万物はひとつである。」… 私には、この見解は確認できないように感じられた
のである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知るすべが見当たら
なかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。
私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えて
いることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定して
いたーのだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば
確かに、現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠が
ないように思われる。】
▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。
 その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的
残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのは
イメージである。そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、
そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。
恋愛など、性欲がつくりあげたイメージのダンスでしかない。
ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。


6734,閑話小題 〜暇人の遊ぶ・・・・

2019年08月23日(金)


    * 庭からカラスを追払う…
 この時節に「カラス」の話題が多いのは、自宅周辺で若いカラスのテリトリー
争いで騒ぐため。 去年の8月22日に、カラスをテーマにした掲載文があった。
一昨年、百円ショップで、ハロウィンの売れ残りの「カボチャのボンボリ」を
玄関先に掲げたところ、暫く、姿を見せなくなったことは、ここで書いていた。
最近、玄関先の電柱の下に、大量のカラスのフン。その上に、2Fへの階段と、
玄関先に数ヶ所も。 …これまでは雨が流しさってくれるが、さてと掃除?と
迷っている内に、お盆が過ぎた先日、大雨が流しさってくれた。 これでは、
カラスの御不浄になってしまう。 そこで再び、古いハロウィンのカボチャの
ボンボリを玄関横に吊るしたところ、逆側の庭に来て騒ぎ出した。 そこで、
使い古しの靴下をペットボトルに被せて、カラスの死体に似せた人形をつくり、
エジプト土産の魔除けの7〜8�僂留澤舛量楸棉�のガラスを一緒に括りつけ、
ベランダに吊るして様子をみた。 それに加えて、黒いビニール袋を空缶に被せ、
紐を括りつけた首吊カラスに似せて、やはり庭側ベランダに吊るして二日、経過
するが、今のところ近寄ってこない。 まあ、暇人の遊び…
 ―
    * 本命の履正社が優勝
 飛びぬけていた優勝候補の『履正社』が優勝をした。 14時の開始時間、15時
過ぎにイソイソと車載のTVをみると、やはり… 「3対1」。 帰宅後、家内に、
『3対1なら、互角に近い試合になってるじゃないか!』と聞くと、『そうじゃ
ないの!一方的で見てはいられない試合なの。見ていれば分る!』と。
ところが、3対3と、同点に追いついた。しかし、その直後、直ぐに履正社が2点、
勝越し5対3に。『そうでしょ。力が全く違うのは私でも分かるわ』の、展開。
身体つき、顔つき、動作が全くの違いが、そのまま、画面に現われていた。
監督への勝利インタビューが、試合内容と同じで考え抜かれた内容。
『このチームは星稜の奥川投手に育てられたようなもの。奥川か、同レベルの
投手を打込めるレベルまで、負けて以来、練習に打ち込んできた!』と。
これでは、奥川も勝てはしない。 
 今度、大学の優勝チームと、対抗試合をしたみたら? 少なくとも東大は?

・・・・・・
6371,閑話小題 〜17年余で、3回目の失態
2018年08月23日(木)
   * アップする前に、全て消去
「何てこっちゃ〜!」。 昨日の朝方のこと、アップする直前に、チョッと
した勘違いで、書上げた文章全てを消去してしまった。17年半で3回目になる。 
このテーマの内容は止めておいた方が良いというサインと、自分を納得させる
しかない。こうなりゃ、意地でも何か書上げてポタリングに出かけようとしたが、
やはり無理。で、違う書きかけのテーマに差替えて改めて今朝方、あらため読むと、
やはり大幅な修復が必要。やはり、注意されるべくして注意されたのである。
  
  〜カットした昨日のテーマ内容をそのままを、かいつまみ書くと〜
≪「前日の朝、信濃川の土手でのトラブルの話。長岡大橋を渡った西側の土手で、
 後ろから大声で、「道の真中を走るんじゃない!」と、怒鳴られた。みると、
本格的チャリダ―。7〜8mの土手で真中を走って何故悪いのか、数秒考えても
何故か分からない。ところが数百m先で、自転車を停めて、道端の金具を拾って
いたので、「何故、真中か悪いのか分からないので、その理由を教えて!」
と聞くと、激怒をして「この馬鹿野郎。何を言いやがる!」と。何々と、戦闘
態勢に入り、‘ベルトを抜いて殴りかかるイメージ!をもって睨むと、急に怖気
ついて、自転車を急発進して、走り去っていった。体格は大柄のアスリート風。 
 その後、同じ場所を自転車を走らせて「何故、真中を走っていたか」を考えた。
整備された土手の自由道路で、正面からウォーキング、犬の散歩、チャリダ―が
テンデンに行きかうため、中央から少し左側を走りながら、その都度、左右に
ハンドルを切って寄せる。何も怒鳴られる筋合いがない。明らかにチャリダ―
の優越行為。まさか、何か言い返されると思っていなかったようだ。
 生きていればこそ、怒ることが出来る。喜怒哀楽で怒りが一番のエネルギー源。
怒れ怒れ、もっと怒ればよい。そして、その分、喜び、哀しみ、楽しめばよい。
おさえる必要などない。≫
―
▼ 上記を改めて読み直すと、誰も居ないからこそ左側に沿って走るのが道理。
 直に思いついたのが、ジムで12人定員でステップ台とストレッチマシーン
を交互にやる「イージーライン」というエアロ。終わる直前、マシーン台を
拭くのが礼儀。しかし、面倒なので肩にかけたタオルをマシーンに被せる。
ところが人によって、汗を拭いたタオルでも嫌がる人が当然いる。後の女性に露骨に
嫌な顔をされた。で、当然、私も「怒りへの処置」をした。10年近く誰も
居ないことをよいことに道路を傍若無人に走っていた。スポーツジム、近所でも
誰とも目を合わさず、挨拶もしない態度。一番上のボタンから掛け違えている。
私も社会というより、まず「500m内の世間」に生きている。 今さら、
愛想も直せないし… 意識をして会釈でも始めますか。
 そう、誰も居ない時こそ、マナーの勉強ですか。
<人は人、我は我。されど仲良く>ですか、娑婆は! 
『偉そうに何を書いているかだ、この野郎!』 ったく!嫌な野郎だ。
 
 で、新しい試み、これをアップする前に、一度、ポタリングに出てから、
帰った後に、新鮮な気持ちで、これを読返し、更に校正する必要があるようだ。
ハイ出発!
 
 一時間後 …で、帰ってきました。日常の中の非日常を書くのが日記。
生きていればこそ。毎日の非日常の中に、日常に慣れてしまって気づかない
ことが隠されているということ。人それぞれが、歪な日常を過ごしているが、
第三者には見えるが、当人だけが気づかない。それが娑婆といわれる由縁。 
 ということに気づきました。「そうだよな〜、歪だよな!」

・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる
事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ
ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの
共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、
世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの
人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が
見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない
ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、
人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、
17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて
いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ
と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、
なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、
私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に
何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない
ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう
からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを
ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ
ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、
あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、
この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。
大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 
・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、
決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも
恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした
ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年
近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた
のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが
できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、
小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく
できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の
文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、
そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。
それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の
破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。
特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの
右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い
時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。
それにしても知らないことが多すぎる。

・・・・・・
6004,幸せの確率   −3
2017年08月23日(水)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * 高い貯蓄率、ただその一言につきる
 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』
早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が
高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を引き
合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて
いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望
もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが
出来たのは、家内への給与と、厚生年金積立てがあればこそ。40年近くになれば、
チリも積もれば小さな山になる。それは両親の方針で、中小企業の知恵でもある。
 (Amazonの内容紹介)
≪  r>g
「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、
 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」
 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に
よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか?
18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの
重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、
世界的ベストセラー。
 〜本文より〜
・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、
 長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある
仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組
に基づいたものでもある」
・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に
 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に
戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何
ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率
「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる」
・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え
 始める時期はとうに来ているのだ」
・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、
 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、
 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫
―
▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率
 が1〜2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと
‘r’の側になってしまえば、後半の人生を幸せに過ごすことが可能になる。
「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、
楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生を
全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって
欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せの状態、
「プラス3〜6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題は人生観。
著者は、医者になり、独立をして成功。創業利益も背景にある。〜つづく

・・・・・・
5639,女はギャップ  〜��
2016年08月23日(火)
           <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 男の鎧とは
 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で
どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、
臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、
不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。
 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。
「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人
がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが
よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ
ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。
男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち
がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、
美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。
 (内容紹介)
「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。
この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす
「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も
必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。
▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。
・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。
・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。
臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」
が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。
「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、
気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの
店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が
あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。


 


6733,閑話小題 〜煽り運転暴行事件

2019年08月22日(木)



   * 煽り運転
◉ 連れと組んだ煽り詐欺。当たり屋の変形としても、酷く乱暴である。
常習者のため、これから過去の痕跡が露わに? 車内カメラが、その一部始終を
暴いたが、今まで出てこなかった、この手の映像が次々と出てくるのだろう。
 暴行といえば、過ってヤクザが平然と平手打ちをしているのを見たが、今では、
即刻、逮捕に。特に画像と録音機器の普及が口封じを破られる。としても、
生の脅しの現場は、それは氷つく。暴力の加害者の快感があるのだろうが… 
映像が証拠では、言訳もできない。ヤクザが恐れるのは警察の介入。少しでも
可能性があれば、そこが境目で手を引く。ブランドの幻影で、威圧するのが仕事。
 YouTubeには、このような映像が数限りある。その一つをニュースで流していた。 
バスを停車させた運転手に、逆切れした数人の乗客が殴りかかっている映像。
 そういえば、40年前のこと、追い越した車に怒鳴られ、切れてしまい3m間隔に
ピッタリ付けて20分ほど付けたことがあった。怖れて、駐車場に逃げ込んだ為、
そこで終えた…。 今から思うと、逆切れをされたり、事故の危険もあった。
運転にはファジーの約束事が多々ある。一歩二歩譲って、命が助かれば…という
気持ちが必要。

◉ 2人で組んで脅しをかける。それだけで底の浅さがみてとれる。としても、
あれは酷い。数千万の外車に乗り慣れると、安車に乗っている連中が格下に
思うのだろう。 以前、書いたが、自転車で、信濃川土手を走っていたところ、
ツーリスト用の自転車に乗った男が、後ろから「端を走れ、バカ野郎!」と
怒鳴りつけ追い越していった。誰も居ない10mの土手の自由道で、何故に?
「自分はツーリスト自転車でマナーを守っているのに、 …クロスバイク
(パパチャリ)を、いい歳をして早朝から乗り回す年寄りめ!と考えたか」
と思っていたら、数百m先で、止まって道路の釘を拾っていた。 そこで、
「何で怒鳴るのか! それほど、悪いことか?」と聞くと。 喧嘩腰で、
「何だ馬鹿野郎。自由道だからこそ、守るべきだろう」と、殴りかからんばかり
の剣幕。 要するに優越感からの見下し行為。 唖然としたが、ベルトを抜き、
殴りかかろうと思った瞬間、殺気を察知したのか、あわてて猛スピードで、
逃げ出した。 警察か、消防の夜半勤務明けか、何かのスポーツ選手か? 
ハンドルを手にすると、人格が変わるというが… 

・・・・・・
6370,閑話小題 〜カラスの話題は尽きない
2018年08月22日(水)
   * 今度、生まれたい動物は?
 先日の早朝、大手大橋で、ヒキチャリをして歩いていると、30�僂曚斌椶隆屬法�
白いものが落ちてきた。カラスのフンである。電灯の上を見ると、カラスが一羽。
‘さて、これは狙ったものか、偶然か?’ 20年前の駅前でやはり、カラスの
フンがもろに… その時、思ったのは「ウンがついたので宝籤でも買うか?」
 その直前にも自転車を乗っている時に鼻先に落された。
数ヶ月後の新聞で、カラスのフン攻撃?が意図的か否かのテーマの記事があった。
そこで、学者のコメントが、「カラスは頻繁に糞をするので、機会が増える為で、
意図的でない」と。私は「カラスの遊び心」と… 鳥は滑空する生きもの。
地上では見えないモノが見えているのだろう。他の生物に生まれるなら、鳥類。
墜落死も出来る。HP内の検索をすると、何とまあ、多くのテーマがあった。

――
2017/08/22
閑話小題 〜カラスの話
   * カラスの話
 これまで、何度かカラスについて話題にしてきた。早朝のポタリングで、
2つの大橋の手摺や、道すがら、電柱のカラスと毎日、御対面をしている。
一ヶ月前、自宅の2F玄関前にいたカラスを強く追い払ったところ、その場所と、
1Fの門の横にある電柱から、毎日のように大量のフン攻撃が続いている。
意図的か偶然か、判明できないが、掃除をしても、直ぐに汚してくる。
 10数年前になるが、近所を自転車で走っていた時、前方から低空で前車輪
にフンをかけていった。 その直後、新聞とラジオで、「カラスのフンかけは、
意図的かどうかを専門家が答える内容を報じていた。専門家は、「あくまで偶然。
とにかく、小出しで、回数が多いための偶然」と否定的。 散歩とポタリング
を含めて40年近く出歩いているため、一番、接触が多いのがカラス。
得体のしれないカラス社会のごく一部は垣間見れるが、鳥類は「空飛ぶ恐竜」
そのままの原型が一番多く残っている。
 〜以下がネット内検索の内容。日頃、余程、閑(時間持ち)のようだ!〜
――――
2014/07/24
閑話小題 ー最近、またカラスが・・
   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が
鳴響いている。 一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が
続いている。ポタリングを毎日2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。
その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が
次々とやってくる。  ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に
糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に
考えていた。 ところが一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、
専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。
よくあるので、取り上げたのだろう。 答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら
利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的。専門家とはいえ、
私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。
で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で
威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって
見ていたが、明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦。
よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、
決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。
 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。
上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、
どうも、我家のインコが 野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット?
と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 
そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々減っているのが
気がかり。 至近距離の田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の
我家の庭のテリトリー争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が
多くなると、今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、
軽井沢、那須などに行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。
――――
2013/03/27
閑話小題 −つれづれに
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。
ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが
舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこに
オスが・・ メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは… 
――――
2011/11/11
閑話小題 〜〜
   * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から
飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かの鉢合わせをした。
カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていったが、体制を立て直した
のだろう、30Mも行かないうちに自転車の数m先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇
してきた。それを4度も繰返したことから、怒り心頭で怒っているのが分った。
カラスにも人間のような意地があるようだ。散歩などで時おり威嚇してくる。
黒色系の服装が刺激するのだろう。鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。
それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。人間社会との微妙
な距離を守り、共存している。土鳩・カラス・雀は世界の街の何処にでもいる鳥
――――
2007/11/04
2406, カラスの話 −2
 「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。
ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら
(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。

先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に
(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。 
その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、
「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。

「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラスの研究
があった。彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の
「ク」の音階で聞こえるという。それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、
人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。

この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、
成る程、意思交換をしている。 カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッ
という短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。それと、朝晩
の集会での意思交換をしている。

話は少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬をからかっている場面に
出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・・
カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。
最近のカラスは、一番身近な野生?の動物である。

――――
2007/06/18
2267, 「遊び」
                (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から
「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。
その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
年、月、週の計画に組み込んでいた。
人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。               
「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。
人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。
そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。
何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化
が楽しみへ持ち上げるポイントであった。
ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。
到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、
遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として
一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然
とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象を与える。
 学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。
遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。
一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。同じ人生、楽しまなくては!
何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。
 … (略)
 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察
から認められている。その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた
 “遊び”といわれる。
 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に
襲われた場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、
それを遊びにすることが、高度な知的行為である。
 ーー 
イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に遊びが入っている
ところが、注目に値する。   d=(^_^)=b
 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
――――
2006/10/24
2030, カラスの話
           (*^○^*) ハ〜 ヨウ
20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。
低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、
今でも思っている。時々からからかったりしていたからだ。

散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。
雀や、セキレイや、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。
日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、時には襲うようだ。

ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。
小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、
ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。
また電線に千羽以上もとまっていることもあった。
あれは何かの集会ではないだろうか?

カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、
動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。

・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で
 仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて
 始めた“遊び”といわれる。
 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びに
することが、高度な知的行為である。

遊びのほかにも、驚くべき観察がされている。
取ってきた木の実を土に埋めて隠しても、その場所を正確に記憶している。
驚くべきことは「百箇所以上に埋めた場所と、それぞれの賞味期限も知って
いて丁度良い時期に掘り出して食べていた」という観察もある。
その瞬時に記憶する能力は人間以上とさえいわれている。

イギリスの動物学者のエメリーの研究によると、
一度隠した木の実を、別の場所に移し替えたので観察をしていたところ、
過去に自分が隠した木の実を盗られたカラスに見られたときだった、
というから人間並みの知能といえよう。ハイエナが自分の巣穴を覚られ
そうになった時に、子を違う巣穴に移すのに似ている。

他にも、銭箱から小銭を盗ってきて、鳩の餌を売っている自動販売機に
その盗んだコインをくちばしで投入、餌を得たり、
また胡桃を空高くから落として割る行為もよく知られている。
街中で生きる内に知恵がついたのだろうが・・・

「羽の生えた類人猿」とは、言いえて妙である。逆のカラスの立場から見れば、
人間は「羽の無いカラス」といえる。弱っている動物をみると、それだけで攻撃
する習性など、そっくりである。
  
 自然世界には、面白く不思議なことが満ちている。
ただ、見てないだけである。いや、見ても観えてないのだろう!
                    
                    \(^▽^*)バイ!

 


6732,閑話小題 〜「分人」という言葉

2019年08月21日(水)

    * 自分の生成
 平野啓一郎の『私とは何か―「個人」から「分人」へ』に分人主義。
  〜ネット検索によると〜
《 ◉ 人間が、相手によって、あるいは置かれた状況によって、言動が変わる
 のは普通のことではない。例えば、会社員が上司にはペコペコするが部下には
威張るといったように。「分人」と言われると、多重人格者や、統合失調症の人
を連想してしまう。 いろいろな自由に対応できる人生に、「分人主義」という
考え方を提唱。個々の関係性のなかの、それぞれの自分を、個人に対して分人と
呼んでいる。
「分人主義」。なにか仏教的な印象を受けます。その場その場で対応する自分
がいて、その場その場で使い分けをしている総体的な自分がいる。多様な切り札
をもっている、あるいは、いろいろな引出しを持っている自分である。
分ける。時間を分ける。それを無限に分ける。1/nでn>∞にする。
そうすると無になる。すべては空。時間を無限に切り分けた多次元世界に、
見えない世界、見えない自分がいるかもしれません。見えない自分を生かす自由
(というのがあるとしたならば、それ)を行使できれば、息苦しさをかなり軽く
できそうな気がします。仏教でいうところの「無我」に通底するような気がした。》
ー
▼ 役者、政治家、役人などは、それぞれの役割を演じ、成りきる人をいう。
 人、生物、モノも役割があるため、彼らだけでなく、一般にいえること。
毎日、ブログを書いていて、過去の同月同日の文章を読み返す度に、誰だ、
この人?と思うことが多い。自分は毎日、生まれ変わっている実感がするから
続く。時代が目まぐるしく変化している中で、私たちも日々刻々変わっている。
としても、そこに見える「分人」たちの幼稚で、卑小な見識に、驚かされる。
成るほど、「内省」とは、このことかと。これをしている御蔭で、他者の、
軽さ、重さを計ることも出来るが… 先日のテーマ、『サードプレス』も、
様々な分人から、一歩離れて、真実の自己に出あう場所ということか。

・・・・・・
6369,閑話小題 〜オウム死刑執行、打上げ花火
2018年08月21日(火)
   * 意味ある偶然の一致ですか…
 意味の「意」とは、 「心に思うこと。気持ち。考え。」
「味」とは、「そのもののもっている趣。含蓄。」 とすると、
「意味の意味」は、「思い、考えの含蓄の内容」となる。現在、毎週のように
上陸している一連の台風を、『オウム死刑執行、打上げ花火(台風)』と仮説を
たてると、一応の理屈になる。
 まず、教祖を含む真理教元幹部の死刑囚7人が7月6日に、残る6人が7月
26日に執行された。 <平成30年7月豪雨>が6月28日から7月8日にかけてで、
意味ある偶然一致とも捉えられる災害であった。 問題は、その後、関東から
上陸して南下する台風や、房総半島から宮城沖を辿る奇妙なコースの台風が
たて続けに発生している。台風の時節も重なるが、49回忌からすると、
9月上旬まで続くことに。この一連をオウムの死刑執行に関連付け、自然災害
を借りた彼らの意思表示の筋たてになる。オウムにやさし過ぎますか。

   * 2歳児の子供って??
 おお事になって動揺した母親と、不明男児がニコッともしない顔と、2歳児が、
海がつまらなくと、独りで家に帰った行為が、何とも子供らしくない。それと、
3日間、発見されなかった事も… しかし二歳児である。  
 78歳の御老人、最期の生甲斐を求めたボランティアの災害地巡りが良い。
しかし背景には、表に出ない地道な活動がある。ボランティアは秘すれば花。
とはいえ、独行で一人の子供の命を救えたことは、素晴らしいが…。

――――
2018/07/30
閑話小題 〜変といえば変だが?
   * オウム教の大量死刑で
 麻原はじめ、7人のオウム教徒が処刑された時には、中国地区で大雨が。
そして今回の6人の死刑で、この不自然な台風発生と、東京拘置所のある関東を
カスって名古屋拘置所のある近畿地区に逆走し中国地区を抜けていった。
東から西への逆風は気象庁初待って以来、初めて。前の大雨の土砂崩れの地区を
狙いすましたようなコースを吹いている。 これは「意味ある偶然の一致?」。
 この2つの災害と、オウムの死刑執行を結びつけるべきでないだろうが… 
それにしても、出来過ぎ? こじ付けといえば、それまで。
 
≪ オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の
 松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、
合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭った。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた
松本元死刑囚など13人の死刑が確定した。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化したが、ことし1月に
地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで
終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなった。
 その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ
移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に
刑が執行された。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていたが、
法務省によると、26日午前、刑を執行したという。教団に対する強制捜査
から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行された。≫
ー―
寅:八つぁんに聞くけどさ、こんなことを、言うと「変じゃないか?」と
 言われるけど、偶然の一致にしても出来過ぎじゃない。「意味ある偶然に一致」
 の手の話なら、得意分野でしょう。 実際のところ、如何?
八:東京拘置所のある関東まで一度行って、そこから逆コースを辿るんじゃ、
 何かのサインと仮説をたてやすいね。でも、集団によるヒステリックで、自然
 現象を発生させることは非科学的だね。それより、そのタイミングに自然に
 合致した刑の執行とすると、何にも不思議ではない。「意味ある偶然の一致」
 とは、本来、そういうもの。
寅:それにしても、宗教団体がさ、サリンテロはないよ!誇大妄想もいいところ。
熊:寅が言われるまで、全く関連して考えてなかったね。言われれば、やはり
 何かを感じるけどね。ネット上だから、あまり深い問答をしない方がいいよ。
寅:カルトだし、公安もピリピリしているからね。20年以上経過した現在、
 早々に、消し去る必要は、あったね。
八:最近、何か変な力が自分の内部で動き出したので、今回の件に気づいたの。
 半年に一度は、クラス会とか、ジムで、露骨な嫌がらせに合うの。そこで、
 二日かけて、100回、全身全霊で首を削ぎ落すイメージを持つの。そうすると、
 怒りの繰返しから解放されるの。でも、1〜2年後に、対象者か、身辺に異変が
 起こるの。元もと異変を抱えているから、わざわざ、私に仕掛けてきただけだが。
熊:ほぼ、8〜9割方は、そうだよな。でも、コジツケもあるね。これを自分も
 真似をして遣りだしたが、良いね、これ! スッキリするしね。
寅:どうも、最近、俺が変なのは、熊のせいかい? 嫌味を言うと、数日、
 変な目つきをしてさ、その後、スッキリした顔をしていたな。
熊:御前の場合、その都度、念を入れて200回はしているよ…。 冗談、冗談!
八:問題はさ、無心で怒りをこめて、打ち落とすことさ。それで、解決すればね。
 ここで言いたいのは、オウムの死刑囚が13人も、全身全霊で日本という国家に、
 怒り心頭で呪ったら、この程度のことは可能ではないか?ということ。
 私の場合、信濃川の大橋の上で、地球の芯に向かってエネルギーの補充をして
 いるイメージを持って… これ凄いエネルギー。でも現象化が二年後だからね。
大家:御前の良くないのは、この一連を楽しんでいることさ。でも、合理的だね。
 八つぁんの心象風景も貧しいね。もっと、豊かなイメージを持てないのかね。
八:リタイアまでの20数年は、秘・異郷ツアーで、バッサと、削ぎ落とせたが、
 今ではね… それでも、TVでYouTubeなどの行き先の映像を見て楽しめるしね。
寅:寝室に連日、籠って、TVを嬉しそうな声を出してさ… 楽しそうじゃないか。 
 でも、俺なら変になるな… 
八:『3:10:60:27の法則』のさ、「3」だけを取り出して、紡いだスケジュール
 がね、非常に効果的に動いているからね。あと僅か?の残された人生なら、
 「3」を最優先して毎日を過ごさないとね。

・・・・・・
5272,「エリック・ホッファー自伝」〜�А 愆�望より勇気を』
2015年08月21日(金)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット、
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
・・・・・・
4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
6002,「死ぬまでは苦しまなくちゃ」の覚悟
2017年08月21日(月)
         ー 「世間の捨て方」ひろさちや著 ―
   *  死ぬまでは苦しまなくちゃ
 「身内の最期の悶絶を見て、早々の安楽死を望むが、それは現象の問題と
いうことを忘れているのかも」という問いが、内から浮かび上がってきた。
悶絶の末、「もう、いいや」という諦念へのプロセスも最期の最期には…
考えさせられる。還暦、古希を過ぎた人には、その覚悟は出来ている?

≪ 森鴎外の次女の小堀杏奴が、こんなことを書いてました。
 鴎外の長女莉莉と次男不律が同時に百日咳にかかったときのことです。
生後半年の次男が死んで、長女も危篤になり高熱が出て、あまりに可哀そうで
見ていられないと言って、医者は「モルヒネを打ちましょうか」と提案をし、
安楽死をさせようとした。すると、医者であった鴎外は「自分もそう思う」と
同意し、奥さんも賛成、まさに注射を打とうとする時、奥さんの御父さんが
やってきて、その場面をみて、こう怒鳴ったという。
「馬鹿もの!何をやってんだ。人間はそんなに苦しかって、死ぬまで苦しまな
ければいけないのだ」 その一言で長女の命が助かりました。
鴎外はお義父さんに完璧なまでにやられました。でも、「俺も医者として
言いたい」と思ったのでしょう。その数年後に、安楽死の問題を取扱った
『高瀬舟』を書いてます。…≫
―
▼ ハッとする問題の提示である。私は常日頃から、<駄目だとしたら、
 早々に「モルヒネ」を打って安楽死をして欲しい>と家内に言っている。
子供のケースとは、前提が全く違う。しかし、「余命3ヶ月・半年」と宣言
され、死ぬまでの間、これまで生きてきたエネルギーを使って悶絶する?
のだろうが、鴎外の義父の言った「人間はどんなに苦したって、死ぬまでは
苦しまなければいけないのだ」の言葉が杖になる? 人生経験を味わい尽く
した老人なればこその言葉である。「どんなに苦しくとも生きろ」という人の
基本である。宗教心を持つ人間にとって当り前のことだが。神様に頂いた
命。苦しいときは苦しいまま生きるものだという真理を忘れて、どうしたら
楽になれるかを追求しがちなのが人間。しかし、「せっかく頂いた命を
面白おかしく生きる」のことも大事である。死んだ瞬間、元もと無かった
のと同じことになるのだから。


6731,読書日記 〜『サードプレス』 ー3  あぶねえ

2019年08月20日(火)

           <『サードプレイス』―― 大都会の魔界>
   * 東京ディープといえば、歌舞伎町でしょう
 日本の猥雑な『サードプレス』といえば、歌舞伎町でしょう。
学生時代に数度、路面電車で30分のところに住んでいたこともあり、年二回ほど、
踏み込んだことがあったが、当時の純朴な学生には、デープなサードプレイス。
そのドキュメントがNHKで放送していた。それは、母娘二代の目を通したディープ
な切口の歌舞伎町の物語が展開されていた。 吹き溜まりの街、歌舞伎町。
ファーストでなく、セカンドでなく、サードプレイスの街。恵まれない故に、
傷つき汚れた人たちの、行場のない人たちの集いの場所が故の味わいがある。
   〜ネットより〜

< 歌舞伎町で生きる人はどんな人たちなのか?
 ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町
7月28日(日)[BS1] 第一部 後9:00〜9:50 / 第二部 後10:00〜10:49
 アジア最大級の歓楽街、新宿・歌舞伎町。東京オリンピック・パラリンピック
を前に再開発が進むこの街に、NHKのディレクターが潜入しました。
「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」は、歌舞伎町のほど
近くで45年、新宿で一番古い麻雀店を営むディレクターの母親の姿を中心に、
この街で出会った人々の人生や、変化の波にさらされる様子を約2年にわたって
記録したセルフドキュメンタリー
  “いま”を生きている人々
──実際に歌舞伎町に足を踏み入れ、感じたことは?
母が歌舞伎町を語るとき、「毒の持つ美しさ」という言葉がよく出てきます。
悲喜こもごも合わせ、良いも悪いもごった煮ゆえの美しさ。確かに、狭くて
古くて汚い部分もたくさん見ました。でもなぜか、それがなくなるかもしれない
思うと、何とも言えない気分になりましたね。その言語化できないモヤモヤは
一体なんなのか。比較的貧困層が暮らす地域が、再開発によって高級化し、しば
しばもともといた人々を追いやってしまう現象をジェントリフィケーションと
いうそうです。番組では、その言葉を入り口にしつつ、母との会話や出会った
人々との出会い、変わりゆく街の姿を通じて、そこを探っていきます。

 「歌舞伎町には絶対に入るな」
──この番組を企画した経緯と自身のお母様を取材した理由を教えてください。
私は新宿の近くで生まれ育ちました。母は新宿で45年間麻雀店を営んでいるので、
私にとっての新宿・歌舞伎町は“母が生きてきた場所”です。同時に幼いころから
「歌舞伎町には絶対入るな」と母からキツく言われ、遠ざけられてきたところでも
ありました。ただ、NHKのディレクターとして働きはじめたころから、実は母の
店って題材としておもしろいんじゃないかなと思うところはありました。
母は、新宿・歌舞伎町が再開発で変わりつつあることを嘆き、平成が終わる
2019年4月末で店を閉めると言い出したのです。それで、“これはいまこそ
歌舞伎町に入るべきでは?”と思ったんです。

──どれぐらいの期間、撮影をされたのでしょうか?
2017年冬からスタートし、今年の7月上旬までです。スマートフォンを使って自宅
でも撮影していました。だからテレビに映せないような格好をしていたり…(笑)。
でも、娘の私だから聞けること、撮れたものもあったと思います。 〜つづく ≫

 ―
▼ 昭和40年代は、学生時代の華やかなりし頃、政治家志望が多い割には、
 学生運動には冷静な学生が多かった。25人のシェアハウス的な寮生活は、人間
観察にはもってこいの環境。全国から多種な学生が存在していた。学問に熱中する
もの。女遊ぶに狂うもの。ほぼ生活費を稼ぐに一杯いっぱいのもの。バランスの
とれたもの。など、田舎と親の臭いが、個々に違っていた。誰か、部屋に来ては、
コーヒーを飲み、議論をするのが生業のような。月に一度は酒を持ち込み、コンパ。
3月に一度は、合ハイ。バスを使うことはなく、電車移動が主。 可愛い女子大生と
胸を躍らせ… ただ、深入りには注意。何やら、変な立志を立ててしまったのが、
壁になっていた? 決めていたら、その後の女性の職場の面白さが半減していた?
 当時の日記を読返すと、第一の居場所が、実家と寮、第二が大学生活… 
クラスと、クラブと、ゼミと、軽井沢のアルバイトの…  その世界が、年々、
広がっていく面白さ、楽しさ。それは、サードプレイスの触媒が多かった。
 リタイアをした結果、自由の不自由が、まず壁になる。未来の照度が暗くなった?
ためか、エネルギーが年々、減っていく。

・・・・・・
6368,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー2
2018年08月20日(月)
  * 「が」と「〜すけ」の多用が特徴
「長岡弁」のキーワードでネットサーフィンをして、驚くのが多さ。
次々と限りなく出てくる。街中で育ったこともあって、比較的訛りは少ないが、
それでもあるある。必死に消し去るのに苦労した「長岡弁」を改めて凝視するのも
恥ずかしいような気がする。とはいえ、それらの言葉が、心、魂の故郷のような。
違和感もないが、親しみも何も感じない「長岡弁」。言霊は訛りの中に染みつく。
  〜以下はネット検索による〜
≪ ex: 
「そういうことでしょ?」=「そいがろ?」、
「その物体を取って」=「そのがン取って」、
「赤いのが良い」=「赤いがァが良い」、
「何をしているのだ」=「なぁしてが」、
「どういう事なのだ」=「どいがいや」
・理由を表す「〜だから」が、「〜だすけ」または「〜すけ」と使われるが
 これは関西弁の「〜さかい」、北陸弁の「〜さけ」と同じ物。
前回の他の特徴は �仝貳�が濁る、上がる(がぁ〜、やぁ〜)
      ��語尾を強めに発音
  【初級編】
捨てる→ ぶちゃる
 投げる→ ほんなげる(ほげる)
甘いもの→ あ〜めぇ〜がん
おしゃべり→ しゃべくっちょ
あのひと→ あのしょ
だいすき→ でぇ〜すきら
おかね→ ぜん
だから→ だぁ〜すけん
そうですか?→ そいがぁ〜けぇ〜
 そうなのです→ そいがぁいやぁ〜
 やだけどさ→ やらすけさ
 めちゃめちゃ→ だいこっぱい
 【中級編】
おかねをなげるな →ぜん ほんなげんなんやぁ〜
あの人は甘いものが好きなんですよ →あのしょ あ〜めぇ〜がん 
                  でぇ〜すきらっけん
 【上級編】
あなたは何をしているんですか? →なぁ〜なぁ してるがぃやぁ〜
あの人はおしゃべりで困っています →あのしょ しゃべくっちょらすけんに 
                  やらいやぁ〜        ≫
―
▼ 都会でも、郷土の人を仲間にしていると、どうしても抜けきらない。
 言葉は生きていく上で重要な役割をしめるため、都会暮らしでは一度、抜く
必要がある。地方訛りとチッと違うが、社会人として、『俺』から、『私』が、
一歩目。出来たら、『わたくし』。女性の『わたくし』は、人生をアップ
スケールをしてくれる。次の言葉が丁寧になるから。  〜つづく

・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。

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6001,「自己実現」と「自我実現」
2017年08月20日(日)
   * 「自己実現」と「自我実現」の違い
 自己実現を果たすべく生きてきたが、「自我実現」でしかなかったのか?
そういえば私も、40代後半から、事業面だけでなく、私的ライフワークに、
シフトを大きく変えていた。
  〜ネットに、理解し易い内容があった〜
≪・『「自己実現」は、スイスの心理学者であるユングが考えたもので、
 彼は人生の前半は「自我実現」を目指し、後半に「自己実現」に取り組むのだ』
 と言いました。
 私がみなさんの相談にのっている感覚だと、30歳台〜40歳台頃に、この
「自我実現」から「自己実現」へのコーナーを曲がる人が多いなと感じます。
 自我実現から、無意識と共に歩む「自己実現」に入ってきている人はたくさん
 いるはずです。
  ☆<その人生の前半に目指す「自我実現」と、
    人生の中盤から目指していく「自己実現」の違いは何でしょうか?>
 =ユングいわく「自我実現」とは、「社会的に評価されるようなこと」
  分かりやすく言うと、
【やると決めて、それができた!→みんながすごいと言ってくれたり、
 自分も達成感がある→自分を褒められる、認められる】
 そんな感じが、自我実現モード。
「意識的・理性的に予想していた(意図していた)成功や実現を得ていく」とか
「(目に見える形で)何かできたら、自分を認められる」というのは、自我実現
 的といえます。
=それに対し「自己」とは、意識だけでなく、無意識も含んだものを意味します。
 ですから、「自己実現」というのは、 潜在意識や無意識という訳のわから
 ない要素が突入してきますので、思い通りにいかないことも増えます。
☆ <え?自己実現って、やりたいことを実現することではないの?>と思うかも
 しれませんが(それが普通の反応かもしれません)
 人生中盤以降で取り組む、ユングのいう「無意識と共に歩む自己実現」とは、
【どうなるかを決めて、その通りに実現させてナンボ】(自我ワールド)から
【どうなるかわからない世界も、自分の中に取り込んで統合していく】
 (自己ワールド)という世界になってくるという意味があります。
・でも・・・いままで、どうするか決めて、結果を出したら自分を認めてきた、
 コントロール好きの「自我」にとって、どうなるか分からず、訳も分からず、
 成果が見えないというのは、コントロール不可能ですから、ストレスフルで、
 怖いものです。そうなると、自我にとって、自己は脅威になり、必ず、自我は
 抵抗します。
「わけのわからない事とか、どうなるかわからない世界を取り込むなんて、
 振り回されるし嫌!」
「そんなの不安で耐えられない」
「成果が見えなかったら、どうやって自分を評価するの?」
「成果がなければ、誰も認めてくれないんじゃないの」
このような思考の自分は、ヤングな自我実現モード。 …  ≫
―
▼ 何気なく使っている、「自我」「自己」も、無意識が含まれるかどうかで、
 分かれてくるという。「自己ワールド」と、「自我ワールド」の境目を明確
にしておかないと、自己分裂に陥ることになる。そう、「他者の自我」に、
「自分の自己」が、押しつぶされる「群れの自己」いや「群れの中の自我」に
陥ることになる。それが「世間」という群れの正体、「劣化した自我ワールド」
の立派な一員の姿である。
オバマ前米国大統領と、トランプを、例えてみると、「劣化した自我ワールド」
は、明らかに? 腐った裸の王様のシャッポを被ったアメリカの混乱、天罰と
言えば、それまでだが… 面白いことも確かである。

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5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定
2016年08月20日(土)
   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、助け
られたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階で、
最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを「畜群」
には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
・手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

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