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堀井On-Line
| 6720,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか? −3 |
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2019年08月09日(金)
* 具体的な美女の共通点とは… 昔から,好きなタイプの女性には共通点があった。そこで、それぞれの地区で 出あった(というより、傍観?してきた)5人を想い浮かべると、共通点がある。 ・お嬢様タイプ ・清潔感抜群 ・輪郭が卵型 ・目が生きている ・衣装のセンスがよい ・自信を持っている ・明るく、積極的 ・肌がきれい ・歯並び、口元が締まっている ・健康的 ・姿勢がよい ・知性・教養が満ちている 〜これらに、5人の特殊要因… ・身長が中肉中背の162cm当たり ・血液A型? ・長女タイプ 私の知る限り、性格の明るさ・暗さと、知性・教養を除くと、上記の条件を ほぼ満たしている。4人の姉が基準があったため、ある程度は冷静でいられたが、 やはり男の生理が?目を眩ませる。「一人を選ぶということは、一人以外から 除外される」周囲の事例をあまりに知り過ぎていた? 青春が一瞬で消滅して しまう現実。 誰もが認める美女には悩みがある。適応できる相手の絶対数が少ない。 条件が良質ほど機会が少ないのである。 こんな筈がなかった、何で? 声を かけても、自信なさそうに、反応してこない。 現実に妥協した相手の内実を 知れば知るほど、隣の芝生が緑に見えてくるが、反応なし。自分を、少なくとも 二ランク上の逆上せが、更に自尊心を傷つける。世間の常識に縛られて、息も 出来ない程のプレッシャーの結果の妥協が、今の私? そして、それも諦めが… で、その結果が、世間にまみれた小母さんに! 何より可哀そうで、哀れな のが初な男! 人類の永遠のテーマ? でも、何故か、何れのステージでも、 美女に恵まれていた! 4人の姉の基準があったお陰ですか。 いや、逆か? ところで、小泉進次郎と… 何、あれ? お似合い過ぎて、嫉妬が湧き上がる?
・・・・・・ 6357,閑話小題 〜つれづれに哲学=言語ゲーム 2018年08月09日(木) * 日常生活の中で言語を考える! 1日1テーマで、文章を書上げ、ここに提示しているが、これはテーマ探しから、 起承転結の文を書上げ、推敲し、完成に至るゲームでもある。毎日、何か黒い影 に追いたてられている感覚になるが、これも慣れ。気ままに、ゲーム感覚で、思い のままにテーマを決めて、論理を組みたてる遊び。どうしても、過去の話に捉われ がちになるが、前向きな創造的内容も多くある。 5年、10年、17年間、読み続けて いる読者(自分も含め)に向け書いている点でゲームに近い。 ウィトゲンシュタインとは少し意味合いが違う。彼は日常用語に注目し、 諸活動に織り込まれた言語に注目し、分析する。 〜その幾つかを紹介する〜
≪ 言語ゲームとは、言語哲学者ウィトゲンシュタインの用語。 彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、 諸々の活動に織り合わされたものとして考察した。 このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年〉)。 そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、 言語はそれを写し取る道具である」とする古典的言語観を解体しようとする意図がある。 ・言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば 火事を知らせる場合のように、「自己や他者に対するなんらかの活動」なのである。 ・第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。 個人の内的感覚でさえも、そうしたルールに基いてはじめて表現され理解されうる。 ・第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど 存在しないとされる。 例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールに 基いて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。 こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的ニュアンスを強く帯びることになった。 現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校 や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、 それぞれの特質を分析することができるからである。≫
≪ 言語の本質はなにか、というのを考えて行き着いた概念。 例として挙ているのは、石置き場におけるやりとり。親方が「柱石」と叫ぶとする。 すると、弟子が柱石を持ってきてそれを親方に渡す。この場合、別にその「柱石」 という語の意味を把握して何かの行為をしているわけではない。この台詞を聞けば このように行為せよ、というのを既に習得していて、それに従って行為したという だけだ。だから、たとえばこの「柱石」という言葉は、別のところに行けばまた 別の意味を持ってくるわけである。個々の状況から独立した言葉の意味というものは 存在しない。すべての語の意味は、状況に規定されるものだ、ということになるわけ。 このことを、ゲーム(互いに理解しているルールに基づいてやりとりするもの)と 似ているという理由で言語ゲームと呼んでいる。≫
― ▼ <諸活動に織り込まれた言語活動という点で、このブログ活動は言語ゲーム。> 新たな読者が読みはじめて半年、一年では、脈絡が理解しにくいだろうが、 慣れてしまえば、こんなものか?と。ウィトゲンシュタインの後期には、日常言語 に立ちもどって日常会話に注意を向け分析をしている。哲学者たちは神、魂などの 語りえないものについて語ろうとしているわけになるが、彼は哲学から、こういう 形而学を排除し、語りえないことには沈黙を守るべし!と主張した。それは、この ブログを読めば、生半可な知識、情報を、未消化で提示している愚かを気づくはず。 それでも、私にとってプラスと思えるから続けている。毎日、同月同日分の 文章を読み直しているが、書き、提示する目的が自分自身向けのためか、状況説明 が甘い欠点と、それ故の誤解も多くなる。大相撲協会の怪しげな体質を代表とする 諸々のスポーツ協会の問題。現在は、レスリング協会、日大アメフト問題、そして ボクシング協会へと問題が移動しているが、彼らの言語活動から垣間見る異常な 世界が、言語ゲーム感覚で何とも面白い。格闘技など、言語の代わりに「暴力」を 入替えた「暴力ゲーム」でしかないため、そこには、『言葉足らず』の活動が 独り歩きし、独特の世界を形成する。「力」とは「知空」とゲーム感覚で当て はめるのも言語ゲームですか。スマートフォンの進化の御蔭で、言語ゲームから、 インスタバハエの『映像ゲーム』に世の中は変化をしている。これも、添えて書き こまれた言語次第だが、それさえ必要としない映像が溢れている。 豊かさって何でしょう? その根本が、世界で問われている。「意味の意味?」… さて、エネギー補充のため、信濃川土手に向けて出発だ! ・・・・・・ 5260,永劫回帰 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月09日(日) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 永劫回帰 〜人生の肯定 ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本 では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。 『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141 ≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存 しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。 考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、 同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。 「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、 自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。 人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。 生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、 そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、 まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。 永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との 近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。 世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには 別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ 自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。 人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。 つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、 あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。 しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。 つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度 きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を 現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。 二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、 ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、 このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性 に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の 弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」 に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。 ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫ ▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の 私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、 本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば! ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。
・・・・・・ 5625,人生を幸福で満たす20の方法 〜�� 2016年08月09日(火) <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 5.海を渡って心をリセット ≪ あなたは、あなたという船の船長です。乗組員がいてもいなくても、海に 乗り出した以上、あなたは航海しなければなりません。漕ぎ手や修理係りは 来てくれるでしょう、でも舵取りはあなたの役目です。・・(略) 川では小さすぎる。隔てるものもあるが、文化を結びつける働きもする。 しかし、海は「文化を隔てる」ものである。だから、海を渡ると、実に 多くのことが見えてきて、心も経験も豊かになる気がする。海を渡ることは、 リセットの極意である。 ・・海を渡るということは、自然の境界を越える ということである。自然や文化を大きな変化を体験できるということ。 これは、一つの冒険であり、リセットの極意でもある。 ≫ ▼ 21歳の「欧州30日間の旅行」は、人生にとっての大きな分岐点(リセット) になった。アラスカ経由でデンマークのコペンハーゲンに下り立った時の、 あの空気と、宿舎への道すがらのバスからみた光り輝く緑の中にある街並み。 その時から行く先々の光景のどれもが、異界を見ているようであった。 この経験は、それからの人生の浮沈みの中で大きな支えになっていた。 その時の経験が私にとって、いかに衝撃だったかである。それから10数年は、 仕事、家庭に専念、十数年間は出ることが出来なかった。 40歳前半辺りから、 年に二回は出るようになっていた。年に二度のリセットで、何とか人生の峠を のり超えてきた。これも絶対量が蓄積すると、強力な磁力なる。
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2019年08月08日(木)
* 人間には「勇気」は一つしかない 昨日は、暑さを言い訳にスポーツジムを休んだ。そこで何気なく、警察内部の 暗部を背景にした弁護士モノの録画をみることに。それを昼時に、寝室で独りで 見ている御隠居生活に笑そみ… その中で強烈に残った上司の、 若い女弁護士に語ったひと言があった。 …大まか、こんな内容。
『告発された刑事の弁護を御前を担当させたのは若いから。人には一つだけ 勇気が与えられている。これは、一度、失うと二度と戻ってこない。わしは 権力に叩き潰されて、それを失った。告発された刑事は、その勇気を持っている。 そして正義を貫いている。この「正義」ってのを権力を持ったものは弱いのだ。 その勇気を彼は失おうとしている。救ってやれるのは若いアンタだよ。』 この言葉に、俄然、駆け出しの女弁護士に火が燃え上る。 ― 事業撤退を決意した時節に思ったことは、この結果も想定内。準備の シェルターは、ほぼ完ぺき。20歳の創業の決意と、34歳からの実践の 結果には、自ら決意でのこと。後悔は絶対にしないと決めていた。 何故か、平然としていられるのは、「勇気」だけは残してあったため。
最期はフランクルの【態度価値】になる。 これは、 <人間が運命を受け止める態度によって実現される価値のこと。 たとえ病や 貧困やその他さまざまな苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ (体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が 人間にはまだ残されている、ということ。> ― ▼ 最近、よく目にする、死んだ弟を背負った、「焼き場の少年」の写真。 何故か、少年と弟の想定が次々と浮ぶ。もし、それを口に出したら… 当事者の一生の傷になる可能性がある。今回は、背負われた弟が、『勇気』。 何処の家庭内にも、この構図が当てはまる事象がある? 『神ありか?』ではなくて… 『神はあらねば!』である。 最近、思うことは、 このこと! 特に因縁という言葉。因は直接原因。縁は間接原因。その結びつき。 <孤立する、孤独する勇気> 何ごとにも立向かう勇気こそ、今・ここ・わたし にとって、まず必要ということ。 さて、まだ5時前だが、信濃川の何時もの コースの一周に出かけますか。
・・・・・・ 6356,読書日記 〜努力の趣味化 2018年08月08日(水) <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より * 好きこそものの上手けれ! 両親が常日頃、言っていた言葉が、『仕事も何でも、取組んだら好きになるまで 集中し努力すること。そうすると努力が遊びになる。それと質の良いライバル。』 そのわりに、この程度とは、これ如何に? 人生、最大の謎? いや楽しみ過ぎ! ・この随想日記も趣味、遊びの領域に入るのに10年近く要した。で、己の限界が この程度と我ながら内省するしかないが、この程度の文に、テーマ探しと選定を 入れると、2〜3時間のエネルギーが入っているため、どれもこれも愛着を感じ 取ることが出来る。ここで編者は、『努力の娯楽化』とは言いえて妙である。 17年数ヵ月続いたのだから、ライフワークである。 ・いま一つのライフワークの『秘・異郷を中心にしたツアー・ゲーム』 地球儀を五目目版に見たてゲーム感覚で埋めていく、これは『娯楽の長期継続化』。 所要期間、30〜40年。夫婦と子供を含めて4000万、年150〜200万が高いか安いか? は…別問題。『一点豪華主義』と、国内旅行は中断、普段の生活は合理主義に 徹していたため、家計の収入内で収まっていた。 ・あとは、早朝散歩とポタリング(自転車散歩)。早朝散歩が30年、チャリが 10年近くになる。駅裏にある自宅から、長岡大橋と大手大橋を一時間かけ一周 するが、この間が、公園として整備されている上に、左右50キロの展望が抜群。 パリのセーヌ川、ドナウ川の展望に遜色ない景色。これを4〜11月の8ヶ月間も 毎朝、味わえる… 毎朝、ほぼ誰も、歩行者も、チャリダ―も居ないのは、 実際のところ知らないため? さすがに、土日は少し居るとしても少ない。 ・それと毎日、数本はみているドラマと映画、これも… ・更に読書習慣! 話は、尽きなくなるので、この辺で止めておく。
好きと嫌いと どれほど違う 命ただやる ほど違う
残照の中で、好きなことをスケジュールで紡いで楽しんでいるが、 天気晴朗なれど、大した遠くない先に、うねりが近づいているような。 ―――― Amazon 説明: 《 何をやるにしても「好きこそものの上手なれ」が最強の原理原則だと信じて いる楠木建が、さまざまな分野で余人を以て代え難い仕事をしている19人との 対談を通じて、それぞれの才能の起点にある「好き嫌い」を探る対談集。 〜レビュより〜 【「客観的に見れば大変な努力投入を続けている。しかし、当の本人はそれが理屈 抜きに好きなので、主観的にはまったく努力だとは思っていない。むしろ楽しん でいる。すなわち『努力の娯楽化』、これが仕事における最強の論理だというのが 筆者の考えだ」】 【「自分のほうを向いた趣味と違って、自分以外の誰かの役に立っての仕事。 人に価値を提供しなければ話にならない。人の役に立てるということは、そのこと についてよっぽど上手だということ。じゃあ、なぜそれほど上手なのか。有り体に 言って努力投入してきたから。しかも、長い間やり続けているということですね。 結局のところ、努力量の積分値が大切に決まっている。ここから先がポイントだが、 『努力の長期継続』といっても、実際のところフツーの人にとってはなかなか難しい。 僕にしてもそうです。娯楽なら何の苦もなく続けられるのに、努力は続かない。 で、ある時に脳内革命が起きた。『努力』をしようと思うから続かない。 『努力が努力じゃない状態』になればいい。すなわち『努力の娯楽化』が仕事の カギだという発想です。客観的には努力であることがその人にとっては娯楽に 等しくなる。その理由は、要するに『好きだから』。以上の一連のロジックの最初 と最後を取ると、『好きこそものの上手なれ』になる」。 自分の一番好きなことは何か、よし、その好きなことをこれからも続けていこうと、 心に誓った私。】 ― ▼ 普通の人でも、「努力の長期継続」で普通でなくなる。で、努力を遊びに すれば良い。遊びはゲーム化。ゲーム化とは、ルールを何気なく決めていくこと。 それが出来るかが境目のポイント。そこで目につくのが、何も考えない、しよう しない世間様の存在。 だから、繰返し、しつこく、取上げている。何でそんな者 というが、舟底に知らずにヘバリツク牡蠣のように舟を沈めてしまう力を持つ。 好きこそモノの上手けれを見いだせないで、それを他者に向けるヘドロ。 他者の中のそれは、自分の姿だから。半径500m、直径1000mの世界では、常に 舟底の牡蠣が… それも良いのだろうが、半世紀もかけて殺ぎ落としてきたのだ から、今さらとなる。だから、好きなことを見つけ『努力の娯楽化』をしないと! 「あいつら、何やってんだ。それも夕飯時の残照の中で。」が、自分に言えること だから? 美味い酒飲んで、涼しい部屋で、面白いTVの映画をみて、グッスリ寝て、 朝早くから、これ書いて、チャリで、信濃川で新鮮な空気と霊気を浴びて、朝風呂 入って、インコに餌やって、ジュースを飲んで、ネットサーフィンをして、それも 【努力の趣味化』の御蔭ですか。 …というより、痴呆化の入り口ですか? 他人のは分かるけど、自分だけは。合せ鏡で同年代を見ていると、それはもう… 殆どが自己否定を他者否定への振替作業が主となり、身体同様の硬直化が日々進行。 ―――― 4152, 「B層」の害毒 2012年08月08日(水) 【ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒】ー適菜収著 より 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば (何度か取り上げたが)、小泉元総理が「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動 されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として 国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類、B層を選挙の ターゲットとしたことに由来する。これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。 この層について、著者は以下のように分析している。 ≪ 「B層」とは何かというと、 ◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉 とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した 権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、 再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。 ◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかおかしいと感じている人。 今の世の中を深く軽蔑している人。そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けて みるべきでしょう〉という ◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」「誰それ?」 などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 ◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性 は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生した キリスト教カルトです。〉(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」 「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。バカなんでしょうか? 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫ ▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいという ことである。これまで、マスコミは、大衆として、彼らを捉えて、その操作を 駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン= モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、 自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。 これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、 社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。 現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、あのざまで、 C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響は モンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた 端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。
・・・・・・ 5624,人生を幸福で満たす20の方法 〜�� 2016年08月08日(月) <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 〜 3.手触り感のある生活 <迷ったら、天に、地に、命に触れよう。それがあなたのこころを すませ原点にかえしてくれるから。> <何故、ではなく、どうすれば、と問いなさい> ▼ カーライルという詩人が、一人の女性か. ら身の上の悩みを相談された時、 「帰って、あなたの針箱の 中を整理しなさい。そうすればあなたの悩みは やがてなくなります」と答えたというが、まさに、これ。無心で何かに集中 すると、無心の彼方から問題解決のヒントが、沸いてくる。そういえば、 朝ドラで、編集長役が、ヒントを考えるときに、「知恵の輪」に集中する 手法を使っていた。 ―― 4.幸福に働くために 働けることは幸福なことである。 果たすべきことをやる。 仕事に楽しみを見出し、感謝することである。 「働き、遊び、学び」は、人間が生きていく上で必要な要素である。 「恒産あって、恒心あり」である。 「いま、ここでしか出来ないことを、自分から見つけてすること」である。 ▼ 外海なら、一つの判断ミスで、致命傷になる。 だからこそ面白いが、 視界は、その人の能力範囲しか見えない。孝不幸など、考えていられる ほど自然現象は甘くない。万一の場合の、準備が常日頃から必要になる。 空虚な日々など、経営にあろう筈はない。 ・・・・・・ 4527, 生きる悪知恵 ー6 2013年08月08日(木) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著) * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い 出しました。昔からお絵かきが好きな子でマンカもよく読んでいましたが、 まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいい わけでもなく、この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるなら なってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの漫画家になる なんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが 才能があるかどうかわかりません。娘に才能があるかどうか、どうやって 判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科があるようですし、 そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? アドバイスいただればと思います。 A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を 冷静に見比べることができるようになったこと。300人の絵を並べて、その中 で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、 この人が一番?」なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに 自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。でも、 予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 で、「ダメだ、こりゃ」って、自分の実力がいかにないかとわかって、 「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校 みたいに人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。 ・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、親が判断すること でなく、それは世間様が判断すること。・・まあ、別に漫画家じゃなくても、 高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対する ことはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうが いい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は 貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」 って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。 だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。 ▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味で やるのと、それで生活していくのは別問題。17〜8年前になるが、甥っ子が 京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身と聞いた。 当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の 名前を逆読みにした「きもと○○」という。次々と若い漫画家が出てくる中で 若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、 専門学校に入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に 馴染むからである。
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| 6718,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか? −2 |
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2019年08月07日(水)
* 特に女性は外見で損得が大きく変わる そうこう考えると、私も男が故の分厚い美人優位に気づかなかったのかも。 美人は力のある男に優先され狩られる。その積み重ねの遺伝子が残るため、 遺伝格差の背景がある。とはいえ、アインシュタインと、モンローの組合せの 問題が…逆も考えられるから。また、特徴に一つが、『計上が上手』がある。 たんなるブリッコとの違いが、ここにある。相手が如何思うかを、読んで、 好い加減な落としどころを経験で熟知している。初な男には、その辺りが 弱点と知り尽くしている。クレオパトラが、この計上のうまさで知られている。 ― ≪ 〜前回のつづき ◉ 1972年に発表された社会心理学の古典的論文「美しいものがいいものだ」 と、それに続く数多くの研究が、外見がいい人は、そうでない人より <知的で、 有能で、信頼出来そうに見える>という説を確立している。振返ると、やはり、 部下の判断に美人に甘くなるのは否めない。 ◉ これに加え、仕事において、「女性は美しくなければならない」という 「美の神話」が作用することで、本来労働者としての能力で評価が行われるべき 職場において、美しい女性が贔屓され、美しくない女性は差別されるという指摘が されている。現代では女性の雇用や昇進の条件としてPBQ が広く慣行化されつつ あり、ファッションモデルや女優などのセックス・ワーカーのように、人に見て もらう職業ではない職種や仕事でもPBQ(美の職業資格、女性は美しくあることが 職業の資格であるかのように重視されること)は求められるという。そうした 強制力の中で、働く女性は働きながらも、美しさを気づかわなくてはならず、 疲れ切ってしまうという。 ◉ このような、Wolf(ibid.)が美の神話に関して女性同士の関係や仕事について 指摘した事柄は女子力にも共通するのだろうか。検討したい。また、先ほどの 上野千鶴子や碓井真の指摘からは、女子力が仕事上の能力・活躍をも意味する 概念となったことが強調されているが、果たして女子力はフェミニズムにとって それほど望ましい概念となりうるのだろうか。≫ ― ▼ 映画、ドラマの主人公は、当然、美男美女だけ。それが逆に、美男美女 なればこそ、有能で、善人で、自分を助けてくれるヒーローと思い込んで しまう。 …誠実そうな人と、誠実な人とは全く違うことに、気づかない。 特に女性に関しては、美しいことが存在意義になっている。 それも美しさが 高いほど、その重要度が比例して増していく。それに加えて、美人度に加えて、 振る舞いが加味される。 数日前に、全英ゴルフで、1年前までアマチュア だった20歳の日本女性が40数年ぶりに優勝をした。姿見は悪くないが、発する 言動が何とも… 半年もすれば、変身、するのだろうが! 10年ほど以前の 話になるが慶応高校が甲子園に出場した時、その父兄を含めた応援団の姿が 地方出身校と、全く違っていた。 ・・・・・・ 6355,閑話小題 〜つれづれに夏 2018年08月07日(火)
◉ ボクシング協会の会長。同年代に近い?が、時代掛かった昭和残存の唯我独尊 の姿が、自分に被さって見えて気恥ずかしくなった。…そういえば、偉そうな肩書 『何々協会会長』になって、急にふんぞり返って… とかくあるケース。 ヤクザの親分とのトラブルで、怒らせてしまいネタバラシをされたザマ。さすがに TVで放映されるプロの世界タイトルマッチには、疑惑の判定は少なくなった。
◉ 毎日のように入ってくるニュースは、災害絡みのニュースばかり。 国内では、 中越地震、柏崎刈羽沖地震の二つの地震から、大きな地震、噴火、大豪雨が、たて 続きに起こっている。それ以前の淡路・神戸大地震が、前ぶれとも考えられる、 地球規模の自然災害の一連のため、手の施しようがない。 過って、こんな自然災害の連鎖は無かった。東欧とソ連解体、中国の自由 経済圏への参入。インドなどの自然化石エネルギーの爆発的消費の拡大が大きく 影響を及ぼしている。首都圏直下型地震、富士山噴火、南海トラフ巨大地震など、 何が起きても不思議でない状況と悲観的見方も出来る。で、今日を愉しみますか。
◉ 金曜日の振替で、昨日、映画『ミッション・インポッシブル』を見てきた。 評価は85点。極限の中で、主役は絶対死なないと解っていても、次々と押寄せて くるアクションに、爽快さより恐怖心が先に立つ。とはいえ、製作会社の思惑に 乗って、何時の間に、その世界に順応し楽しんでいる自分がいる。老いのストレス は年々大きい。その分、楽しむしかない為、必要悪でもある。何かの標語?の、 『最短距離の最大インパクト』があるから、これほど人気になる。映画館の観客は 老若男女60人位はいた。終了後の15時過ぎに、SJのヨガに参加。帰って、高校野球 を見ながらビールを飲んで20時過ぎに就寝。
◉ 昨日の中越、慶応高校の一戦、最後の回の三・本塁間のタッチプレー、 私の眼には中越選手へはノータッチ、20センチほどの間隔があいており、 セーフに見えたが。当人もビデオを繰返し見るだろうが、高校野球にこそビデオ 判定システムを入れるべきと痛感。一生一度のゲームに、あれじゃ浮かばれない。
◉ 今ほど、20分をかけて過去文を読返したが、特に今日の過去文が、自分で書く のも何だが、面白い。毎日、毎日、よくネタが尽きないもの。時どき、芯の底 からバカバカしくなるが、今さら、「こんなに面白いことを止められない」。 努力というより、『娯楽』。没頭して、自分を消してしまわないと集中出来ない フロー状態の結果のようだが…。
・・・・・・ 4151, 虎穴問答 2012年08月07日(火) 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という 衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県 知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」 の立場上、抜き差しならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。 そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を 思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきか の決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。 ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー ≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、 「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が 虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。王仁三郎が、 「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家 だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が はじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。 刃むかっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。 どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは 食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも 残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 王仁三郎はこの問答で大本事件を語った。裁判長はさすがにうたれるものが あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が法廷に 流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答は もうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの 犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地 に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。 これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫ ▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴 問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と 例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短 の道になる、と考えることができる。 事業断念も決意も、虎を3つの断層= 9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災と みなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、 先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを 読んだが、これが面白い。
・・・・・・ 4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45 2014年08月07日(木) * 面白かったという手応えが残った有難さ! 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の 再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助 の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。 経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。 先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で 《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、 実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーを ひたすら注ぎ込んできた。それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省に なっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を重ね、1日、2〜4時間の読書 を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。 それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識 へのチャレンジが少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟 のことばだが、私には、逆の「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。 最期に、この結果が当然である。逆の結果としても、私には大して変わらない? ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、事前で考えていたことと、 大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。 <倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき 決断であって、ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から 得た実感である。もちろん、ケースによるが。激動の時代ほど、事業サイクルが 短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた<倒産は悪い> という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。 『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる> <取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、 多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければなら ないことがある! 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情が ない限り、起業家などすべきでない! しかし、後悔が少ないのは、日本の 歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、起業の面白さを 充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残って いるのは、有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。装置産業の プラス面の「時間持ち」と、マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、 振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。
・・・・・・・ 3786, ユング −17 2011年08月07日(日) * ユングについての総括 ・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、 身についておたこともあり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。 ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、 そのまま発達すればよかった。大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、 そのセンスが強力だった。また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたと いう記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、 シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱の ような体験をしたのだから、これは信じるしかない。ユングがフロイトと 対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。 ・ ユングが取上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の不思議さ。これは多くの人が経験しているはずだが、 それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他 愛無い話をしている」と心底で感じていた。しかし人生経験を積み重ねる うちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかった ことを知った。幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ること。 共時性、布置とは少しズレルが・・ ・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。 これも個人が持っている、ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう 考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる 不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先 にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の 鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めて いるからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。 ・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がり である。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に覗き見ることが可能に なったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽を はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。 ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。 ネット世界の出現こそカルト?
・・・・・・ 5988,閑話小題 〜最後の講義・8 ー石黒浩:対談 2017年08月07日(月) * 意識の場所を指し示すことは難しい ―他人を見る以外自分の姿は見えない― 彼は、小型の人型ロボットを幾つか並べて、色いろな相談の質問に対応する 効用を示している。専門分野が違ったフレンドリーの人型ロボットなら、対話 も進むことになる。初めて知った時は、仰け反るほどの驚きであった。 ―― <石黒> 「嫌なことはやらない」というのを貫いています。やりたいことを やるのは小学校の時から同じです。だから、つらいと思った記憶はありません。
<本荘> 普通、これはやるけど、これはやらない。と決めてしまうと、 可能性が限定されそうですが、石黒さんは興味のあるものだけをやるという 考えを持ちつつ、他分野・異業種の人と関わり、フィールドを広げていますね。 <石黒> 他人を見る以外に自分の姿は見えてこないじゃないですか。 自己意識を持つには、人と関わるしかないわけです。異業種の人でも、意外に 自分との共通点を見つけると面白くなって、一緒に何かをしたくなります。 要するに、すべて自分を知るためです。自分自身や人間という存在に興味を 持っているので、大抵何でもできるし嫌なことはないわけです。
<本荘> 一般の人は、自分の録音した声を聞いたり、録画したものを見たり するのは違和感があると思いますが、石黒さんはそういう感覚はないのですか。 <石黒> 自分自身の感覚がよくわからないフワフワしたものだから、それを 確かめたい思いがあるので全く抵抗がありません。もしかすると、リアリティ がないのかもしれませんね。「意識の場所」は、このあたり(場所)にあると、 ピンポイントで指し示すことは難しいですよね。 ―― ▼ 秘異郷ツアーには全国から「面白い人、大変な人」を選りすぐったと信じ ざるをえないこと屡々。その旅仲間の中に、それぞれが合せ鏡で自己を見つめる 研修をしていることになる。行先は、異世界が次々と現れ出てくるから面白いこと、 この上ない。違った異世界を目指し、感動するのが目的。どれもこれも、生涯、 忘れえぬ人生体験になる。<他人だけでなく、他所を見る以外、自分の居場所は 見えてこない。> ということ。魂を大自然に開放するため、私たちは旅に出る。
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| 6717,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか? |
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2019年08月06日(火)
* 美の神話に支配される社会 ある意味で、世界中で最もタブーが、「美の神話」。風貌は、先祖代々、 受継がれたがゆえに、本人の責任でないが、そうともいっていられない大問題。 アメリカの大学教授ダニエル・S・ハマーメッシュ氏は、著書 『美貌格差−生まれつき不平等の経済学』において「美人はそうでもない人より も生涯約3000万円得をする」と… シリアスな論がある。女性は二人でつるんで 行動することが多い。その二人の風貌は、同レベルが多い。まず友達からして、 選び選ばれている。 そこで、ネット検索をかけると、それはシビアな… ― ≪ Wolf(ibid.)によれば、現代社会においては美の神話が存在しているという。 ◉ 美の神話とは、 「女は美しくなければならない」、 「男性から愛されるためには美しくなければならない」、 「職場で成功するためには美しくなければならない」という神話のことである。 「妻であれ」、「母であれ」、「女らしくあれ」という「女らしさの神話」が 女性解放運動の中で崩壊していくにつれ、美の神話は、雑誌と広告主(アパレル 業界や化粧品業界など)の生き残りのために生み出され、拡大膨張し、現代女性 を支配する新たなイデオロギーとなっている。 そして、女性解放を目指した フェミニズムの遺産を挫折に追い込んでいるというのだ。 ◉ 美の神話の下では、女性たちは「恋人の目に自分がどう映るかなどは無視し、 『美の神』の目にどう映るかを必死に探らなくてはならない」(ibid., 296) という。美の神話に生きる女性たちは、美しくないのに男性に愛されるという ことを信じることができず、男性ではなく「美しさ」こそが至上の価値だと 思っているという。 このような美の神話は、男性のためだけではなく自分のために美しくなろうと する女子力と共通するものがあるように思われるが、どうだろうか。雑誌分析 において検討したい。 ◉ また、女性同士の関係においては、美の神話は女性たちを世代ごとに分断 するだけではなく、容姿を通して女同士の警戒心を助長するという。 女性は 「美」をめぐって「他の女性」と敵対するのだ。女性は他の女性を見る時、 まずは外見を見て、自分よりも良いと「良すぎる」と憤慨し、自分よりも悪いと 無視する。女性たちは美をめぐるライバルであるため、男性のように結束する ことが出来ないのだという。そして、同じ性別同士で連帯できないことが男性 に比べて女性が社会変革の手段を持たないことにつながると指摘がされている。≫ ― ▼ まだまだ続くので、あとは次回につづく。幼児の頃から、7人の兄姉のもと、 特に4人の姉の重圧のもとで、全神経を使って我が身を守る知恵がついていた。 女の特殊な自己に対する目線が、知らずに理解できたのが、ある意味で、人生を 豊かにさせていたことに、老年期になって気づくことになった。三次産業に身を 置いていたこともあり、何処も女性の職場が多いが、直にNO1の女性に無意識に 近づいていくコツがあった。人畜無害で、自然体で警戒されなかったことも? そこには女社会の残酷な『美の神』の格差社会がある。若い時分は、一いち面倒 なため、NO1に、とにかく三度、自然に褒めてしまう。まず褒め殺しをボスから… それで女社会は、円満に過ごすことが可能に。 付いている機能は同じなのに、 何なんでしょうか? 世の中の7不思議の最も不可解なところ! 〜つづく ・・・・・・ 6354,読書日記 〜修羅場を愉しむ 2018年08月06日(月) <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より * 修羅場は人を純化させる! ヤマトホールディングスの社長の木川眞の言葉〜 『修羅場では人間はものすごく純化する!』が目に入った。20歳、30歳代は、 修羅場の連続。 有能の人からすれば、能力不足が招いた事態でしかないが、 私にとって、初めての経験。 ひたすら、真正面に無心で全身で立ち向かい、 知恵を出しながら「貫き抜けること」しか頭にない一種、無心の気違い状態。 それは純化した心持であればこそ可能になる。20歳代後半、30、40、60歳代 の半ばに、修羅場がやってきた。 失敗は許されない。そこで自分を道具に 化して、無心の何かに憑りつかれた純心の魔物のような存在が感じ取れた。 それが後々、返り矢として問われるが、当然、覚悟の上。甘んじるしかない。 挫折、崩壊の節目時の修羅場に到達した中の純粋性から知恵が湧出てくる。 節目に、チャンスを見出すのは、その内なる純粋性の知恵からであり、普段の 自分から昇華したエネルギーである。人生に大から少なかれ誰も経験すること。
ロマン・ローランの『ベートーベンの生涯』にある手紙の一節、 『苦悩をとおり抜けて歓喜に!』の言葉を代表に様々な言葉がある。 他にも、 『純粋な心だけが美味しいスープを作る!』 『不死の心を持つ我々人間は、苦悩と歓喜の為だけに生まれる。その中で 最も優れた者は、苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得ると言える。』 『友よ拍手を! 喜劇は終わった。』 『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』 『音楽とは精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。』 『困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。』 これらの言葉の中に、彼の辿ってきた修羅場の激しさを感じ取ることが出来る。
交響曲第9番「合唱付き」ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。 ヴァイオリン・ ソナタ第5番「春」。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の代表曲に、 その純化した魂を感じ取ることが出来る。特に難聴の病になった時の絶望感その ままの、交響曲第5番「運命」が魂をうつ。『苦悩を付き抜けて歓喜に至る』、 そのままが伝わってくる。余命数ヵ月を直感したときに、誰もが陥る絶望感。 その後の『歓喜』はあるのだろうか? いや、乾いた『ピーッ、プツン!』か。
・・・・・・ 4892,定年後の4年目のリアル −2 2014年08月06日(水) 「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著) 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。 ≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は 自分にしかわからない」(6~7頁)。 ・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは ないのだろうか」(67頁) ・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。 ・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」 (104頁)。 ・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、 というだけのことである」(153頁)。 ・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁) ・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。 ・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」 である。 ・・・「好きに生きよう」である。 「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁) ・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。 この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁) 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫ ▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に 向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。 しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減 してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得 も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の 「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で 計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の 拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。 ・・・・・・ 5257,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー�� 2015年08月06日(木) ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー * 爬虫類から哺乳類への主役交代 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、 環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。 知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、 何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜 ≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。 さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら 暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、 私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない 大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。 地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・ ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件 の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場 するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。 乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。 ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。 この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな 動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく 似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。 体長は50�僉�穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。 またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。 この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。 これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。 しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型 爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。 しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると 皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。 彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて 支配していた動物たちだったのです。」≫ ▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、 大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、 そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。
・・・・・・ 5987,閑話小題 〜最後の講義・7 ー石黒浩:対談 2017年08月06日(日) ―所属する集団で意識が左右される― 20歳代を振りかえ考えると、意識、価値観が、その時々に所属した集団で 大きく変わっていった。その中で、自分の志(天に輝く星)を目安にして判断 していったが、若さが故のエネルギーがあってこそ。大きな判断ミスは比較的 少なかった? それぞれの節目時での自問自答を、少ない経験と知識の範囲で、 するしかなかった。 何事にも自由に触媒し、実戦出来ることが、若さの特権 であった。20歳で「創業」を志して、21歳で「欧州+東南アジア・ツアー」に 参加をし、アッパーの人種を知り、22歳で「武澤ゼミ」に参加。そして、 「ジャスコの合併」に立ち合い、その後、産能大に編入。その後、金沢に 一年半、修行の身を経験。 26歳で千葉市郊外の新興住宅地・千城台で、 「千城ビル」の一年の準備。27歳で最大の協力者の父親の死に立ち合う。 その半年後に結婚と同時に、ビル内で飲食ビルを立上げ、焼きたての、 パン屋のFC店をオープン。数ヶ月後に実家で「御家騒動」が生じて、急遽、 二つの店は知人の紹介で経営委託をして、Uターン。振返ると、濃厚な10年間 だった。尤も、30歳代は、さらに濃度が増していったが。「所属する集団で 意識が左右される」というが、その中で、それに流されない強力な意志が必要 となる。それは「発狂」状態。狂う時には、狂わないと、出来ないことがある。 学者の生き方と自ずから違って当然。他人のことなど、所詮は理解しようが ないし、出来るわけがない。 〜その辺りから〜 ―― ≪ <本荘> 皆さんの中で、小学生のときに、人の「気持ち」や「考える」ということに 対して、疑問を持ったことのある方はいますか。 <石黒> みんな問いは持っていると思います。その問いを大人に投げかけると、 「うるさい」と言われ、「そういうことは、大人になったら分かるよ」と、 うそをつかれるのです。僕自身は、人の話を聞かない子どもでした。授業参観 とかで、先生の言ったことを全部無視して、1人だけ絵を描いていたら、それを 見た母親が泣いていました。自分は、「人とは違うのだ」と思いました。 <本荘> アインシュタインみたいですね。 以前、中学生に対して「若いのだから、 何でもトライすればいい」と言ったところ、「初めてそういうことを言われた」 と返されたことがありました。 周りの大人は、日常的に「(○○を)やっては いけない」、「オマエにはできない」などと言ってしまっているのです。 <石黒> もっと不思議なのが、PTAなどの場において、「こういった親はダメだ。」 と説いて周囲からは賛同されている大人が、家に帰ると、自分自身がダメな大人 になってしまうことです。つまり、所属する組織や群れに適応するように振る 舞うことができても、別の集団に属した瞬間に意識が変わってしまう。 自分の中で、何が疑問で何を解決しないといけないかを考えていないと、集団の 意識に簡単に振り回されてしまう。だから人の話を聞いてはいけないのです。≫ ―― ▼ 6年前に長岡・新潟間の31年間の通勤生活を終えて、自宅周辺の生活圏に 収まった。高校を卒業をして30歳近くまでの県外生活を含め、合計43年間を、 曖昧な二重生活をしていたため、現在、息苦しい生活を強いられているが… とはいえ、割切ってしまえば、それはそれで… 問題は受け止め方。 <共同体には、それぞれの長年かけた価値観や道徳感があり、それを前提に生活 している中で、何やら得体のしれない妙なことを、ここで書いている。>が現状。 最近、泡沫候補上がりのトランプが大統領になって失態を重ねているが、 根底に、「コミュニタリアニズム」がある。「自分の生れた場所や、仲間が第一」 の考え方。地域社会は、外の世界に対する無知のヴェールで覆われているため、 本来、強固である。グローバリズムの弊害が顕著になっている現在、原点回帰も、 当然かもしれない。EUの問題と同じ。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、 唯我独尊の姿勢も、情報化故に必要となる。 ロボットはロボットでしかない。 されどロボットでもあるが。 所詮、人間の心など、泡沫でしかない。
・・・・・・ 5622,人生を幸福で満たす20の方法 〜�� 2016年08月06日(土) <人生を幸福で満たす20の方法> 三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 〜好奇心が世界を開かせる 好奇心が幸福を満たすための第一歩という切口は新鮮である。 老いるとは好奇心が萎んでしまうことだろう。特に知的好奇心から萎む。 教養とは知的好奇心のベースを言うのだろうが、その枯渇したのが「おばさん」。 現象を、そのまま現実として受け止める蓄群である。やはり、知的好奇心が、 萎んだ心を開放させてくれる。 ≪ 1、好奇心で心を満たそう 情報の八○パーセントを受け持つといわれる視覚を失うのは、正直なところ かなりしんどいことである。しかし、その特色を生かして音を味わい、音で できた風景を心のなかに再構築することは実に楽しい。これによって、私は scenelessからscenefulへ止と生まれ変わることができた。そして、ここまでの 道程を楽しくリードしてくれたのは、他ならぬ好奇心だったのである。 好奇心は、幸福の真空を埋めるばかりか、このように人生に新しい世界を開き、 人を生まれ変わらせる可能性を秘めた宝物だと思う。それを豊かに養い、年齢に 関係なく育てていくポイントはただひとつ。少しでも印象に残ったことがあったら、 それを迫いかけて一歩を踏み出すことである。 素朴な疑問を素直に追いかけ、何か新しいこと、面白いことはないかと目を キラキラ輝かせ、耳をピンと澄ませて受信アンテナの感度を上げていくのである。 もちろん、野次馬はいけないけれど、よい好奇心、特に知的好奇心は、必ずや 私たちにワクワクする世界を開いてくれることだろう。
きょうからできること 興味の向かなかった分野を覗いてみよう きょう発見したことをメモしてみよう 明日は何をチェックしようか、と考えてみよう ≫ ―― 【とにかく、やってみましょう!やれたらそれだけ豊な1日になるのです】 子供の頃の好奇心は、何処に行ったのだろうか。何もかもが面白く、世界は 光り輝いていた。そして、学生時代にみた世界の、あの輝き。高度経済成長期 に青春を過ごせた幸運。 好奇心は感性である。磨くほど、それは光り輝く。
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2019年08月05日(月)
* AIロボットに驚かされる日々 《 サイエンスZERO「進化する超絶技巧!スーパーロボットアーム大集結」> 餃子を包んでくれる!卓球の練習相手になってくれる! 日本が世界シェアトップを誇る「ロボットアーム」の進化が止まらない。これまで ロボットは、安全制御の観点から活躍の場が限られ、工場の生産ラインの“柵の中” や、人間から隔離された場所で働くのが一般的だった。ところが、今やトレンドは 「協働」。安全性の向上で人間を助けてくれるありがたい存在となっている! ユニークでかわいいロボットが大集結!》 ― 《 卓球未経験の記者が体験したロボットとのラリーでは、打ちやすいコースに 配球してくれたほか、「完璧なサーブですね!」などとプレーを褒めてくれ、 まるで友人と卓球を楽しんでいるような感覚を味わうことができた。 しかし、オムロンはこのロボットを商品化する予定はないという。 コーポレートコミュニケーション部の大西栄樹氏は「昨今は『ロボットが人の仕事 を奪う』などとマイナス面が取り上げられる傾向にある。 しかし当社では 『ロボットは人のためになる』『人ができることを増やしてくれる』と考えており、 人とロボットの適切な関係性を示すためにフォルフェウスを開発した」と話す。》 ― ▼ 卓球AIアームロボには、驚いた。卓球を上達するには、1〜2ランク上の実力 を、持った対戦相手と練習するのがベスト。当事者の実力を読みこみ、練習相手 と対戦するソフトが現にある。その他に、相手を撃破するソフトも別にあり、それを 相手に普段の練習に取入れる。将棋、囲碁の世界は、幼児の頃から、そのソフトで 実力を磨かれ叩き上げられた若手が、それぞれの世界を席巻をしている。これでは、 AIロボットに勝てないのは、至極当然。株、為替の相場も、AIロボット同士の競争に 入っているようだ。こういう情報機能を駆使した器械をフルに利用可能な階級と、 出来ない層との格差は広がる一方。何かしら20世紀が、どんどん遠くなっていく。
―― * ISの消滅の蔭に、住民諸共の虐殺が… ネット・サーフィンで、行き当たった一枚の写真。恐怖に泣き叫ぶ男と、 冷淡に縛りつける兵士の顔と、汚職?キャンペーンを掲げる背後の無表情な顔 の人たち。 日本では有りえない公開銃殺が日常生活に存在する国が、現に隣国 に存在している。ISが一時期、中東を席巻していた頃、檻に入れられた男を油で 焼き殺す録画があった。ISが、占領地域の住民を盾にする戦術。ロシアも含めて、 ISの抹殺を決定した後に、中東の戦闘のニュースが全く途絶えた時期があった。 住民諸共、虐殺されていた。アメリカ本土で、白人対有色人種、とりわけ近隣の ヒスパニック系の対立からくる、内乱を思わせる事件が続いている。 ときの大統領が極右の白人第一主義者とくれば、この亀裂は、更に拡大。 日韓の問題の本質も、格差と差別の問題を含む文明の相剋。大変な時代に入って しまった。娑婆とは本来、不自由で、常在戦場で、差別の世界を端的に現す言葉。
・・・・・・ 5986,閑話小題 〜最後の講義・6 ー石黒浩:対談 2017年08月05日(土) ロボット学者ゆえに、切口が新鮮である。自分のロボットをつくり、常日頃、 対峙すると、無機物のロボットの、サルトルのいう、「対自」「対他」「即自」 が、クッキリと浮かび上がってくるのだろう。 ヨガの仕上げの5分間の 「死者のポーズ」として、宇宙の彼方から魂の抜けた己の姿を逆照射する イメージと同じような。「定年までの自分」と、「それ以降の自分」の対峙も 似たような? これらは、一般的には「余命半年、3ヶ月」と宣言された時に、 初めて、自分に突きつけられるのだろう。落語の米朝のロボットが、生身の 米朝と高座に上がっている写真があるが、文化遺産として残すには最適だろう。 ―― ―人の気持ちの正体とは― <本荘> 石黒先生は小さいころから「テーマ(問い)」を持たれましたよね。 <石黒> 僕は、小さいころ夢がなくてぼんやりしていたのですが、小学5年の時、 「人の気持ちを考えなさい」と大人に言われて衝撃を受けました。 その気持ちを考えることは大事なことなのに、考え方自体を一度も教わって いないし、大事にしろというその「気持ち」を見たことがないわけです。 皆さんは「気持ち」が何か知っていますか。
<本荘> 「気持ち」を100字以内で説明せよ、というやつですね。 <石黒> そうです。「気持ち」でも「考える」ということでもどちらでもよい ですが、それを定義した瞬間にコンピューターが勝ってしまいます。 だから、 小学校5年生のときには、「自分の考えている次元とは違う世界に行けるなんて、 大人はすごい」と思っていました。ようやく高校生ぐらいになって、全員うそを ついていると分かったので卒業しないままずっと学校の中にいるのです。 ▼ 石黒は、「気持」について、逆照射して考えるため、曖昧な定義を 戒めているのでは? ― そこで、<「気持ち」を100字以内で説明せよ>の私の答を即興で書くと… 【「気持ち」で浮かぶ言葉は、感情である。感情といえば「喜怒哀楽」と、 「感動、感激、感謝」になる。「クールヘッド、ウォームハート」と分けると、 温かい心。逆に、冷たい心とは、生物の本能の「エゴ」を優先すること。】 たまたま、考えを進めるに、去年の以下の文章が参考になる。ロボットには 無い真逆の問題だから。幸・不幸など、感情でしかないことが浮かびあがる。
・・・・・・ 6353,閑話小題 〜二年続けて「長岡花火は行かずしまい! 2018年08月05日(日) * 猛暑の朝、やはりTVの話題ですか!
◉ 暑い夏は、寝室でTV映画とスポーツ観戦を 一月生まれもあってか、暑さに弱い。そこで、例年のごとく、寝室に籠って 録画した映画とドラマ三昧。ブルーレイの300本以外に、ディスクに数十本、録画 をしたのを、当たるも八卦と、一番面白そうなのから順次見ているが、当たりが 当然、多い。 空いていたら迷わず録画をして、閑な時間に頭出しをして、90点 に到達してないと消去をする。それでも、なかなか少ない。それでも時々、飽き がくるが、そこで、YouTubeの何時もの定番のコースへ。 ◉ ワールドカップも終わり… 甲子園の高校野球が今日より始まる。地元からは中越高校が出るが、相手は 慶応高校で、強豪チーム。残念だが、8〜9割は勝てないのだろうが、そう思って みれば、負けても落ち込みは少なく済むし、甲子園、何が起こるか分らない。 前評判の良いのは、この数年、準々決勝まで勝ち上がっていたチームばかり… 多くの有望選手もいる。さて、今年のスターに誰が? ますます俗っぽくなった 自分が良いのか悪いのか。 成るほど、<命短し、恋せよ乙女>である。
◉ 去年に続き、今年も花火見物に行かず自宅のTVで… 以前から人混みが苦手。会場で生でみるか? ドッチが好きかの好みの問題に。 現場に溶込んで雰囲気と共に楽しむか、冷房の効いた寝室で、独り、電気を消し TVで見るのも、なかなかのモノ。TVの画面がリアルで、これはこれで… 3日、BS:TBSのライブの花火中継に回すと、花火案内人が見たことのある お年寄りがいた。 …それが何と小学校同期生の「長谷川健ちゃん」。 「60歳超えからは、その5歳上は「大年寄り」と言うが…。 先生の子息で、 当時から、人を寄せ付けない異様な感があった人。 当時から現在に至るまで、 殆ど口はきいたことがなかったが、古希の同期会のスナップの写真を送って くれた。 無難に花火の蘊蓄を話していたが、どこかソワソワした浮いた感が あったが、これで当分、良い、悪いの世間話のネタの恩恵?を受ける羽目に。
◉ 私の知人に数年前にリタイアした人がいる。それをキッカケに65インチの 有機TVを入替えたのはいいが、夫婦して嵌って、夫婦交代制で見ているため、 24時間、TVを付けっぱなしで、僅か二年で、加熱のため、修理に出したとか。 考えてみたら、我家の二台のTVを合算すると他山の石ではない。 NHKで、4k、8kの専門チャンネルが新設され、これが生活を一変えるというが。 現在でも現場の数倍、数十倍の臨場感を味わえる?と、言うから…。 これにゴーグルでも使えば、更にライブ感が増す。 ・・・・・・ 4891,定年後の4年目のリアル −1 2014年08月05日(火) 「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著) 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、 ここで書いてきた内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで 内容紹介を見たところ、前著の『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』 の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ私の内容の方がシリアスの筈・・ ーまずは、内容紹介よりー 《 ◇お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている? 不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。 特に定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」 「孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を 引き合いに出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思い わずらう必要もないことがほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り 回され、不必要なほど不安になってしまっているというのだ。たとえば貯蓄や 健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、自らを引き比べて 不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とはあまり 関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さ を保つ方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなり の自分を認めていくのが自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつ だともいえる。 ・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、 そうした事実を正面から受け入れて、初めて本当の人生に出会える。そのうえで 一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の理想的な 生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、心をほっとしてくれる。》 ▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージを していたサバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。 森の住人には、それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている 内容のようである。しかし、これは森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。 私の場合は、ハードランディングだったとしても、万一の備えを長年にかけして いた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。そして 4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってくる。 この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていく のが、定年後の理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけ でなく、怒り、哀しみが伴なう。老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。 哀しみに覆われた日を何とか過ごすのもリアルの一日になる。逆に有余る時間で、 思いのままに一日を過ごす楽しみもある。 夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの!
・・・・・・ 5256,蓄群本能 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月05日(水) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 蓄群本能 誰も持っている『群蓄本能』。城下町では、その小さな世界で群蓄本能が、 互いの足の引張りあいになり、その個性を内に押しとどめるしかなくなる。 違うということが、マイナスの世界。割切るしかないとしても。〜その辺りから〜 ≪ わたしたち現代人はただなんとなく、道徳とは個人の行為に関する規範だと 思い込んでいる。あるいは、人間性が生んだ規範、社会を健全に生きるための 知恵のようなものだと思っている。 ところがニーチェは、「道徳とは、共同体 のために個々人の内部で作用する一種の畜群本能から生まれたものなのだ」 (『悦ばしき知識』116)という。 この畜群本能というのは、「共同体が個人より も価値が高いのだから、個人の利益より共同体の利益を優先すべきということと、 「一時的な利益よりも永続的な利益を優先させる」という、国家や社会の全体を 益するための考え方を因習とし継承してきたあげく生まれた。 たとえば、盗んではならないという身近な一つの道徳律を考えても、ニーチェ の説はあてはまっているように見える。実際に、空腹ゆえにパンを盗んでも、 社会に損失を与えたとして罰せられる。そして、「個人よりも全体を優先する という因習が覆う社会で人間は教育され、生活してきた」。よって、「人の心に ある道徳性とは、これらさまざまな因習の全体に向かう感情にすぎないのだ」 になる。一般的な道徳が自然な心情や宗教の神の配慮から生まれてきたのでは なく、利益の重さをどこにおくか、つまり功利がその出発点になる。 そう考えた二ーチェは、もちろん道徳の発生を理性に見るカントに反対する立場 にいるわけだ。二ーチェのこういう考え方は、現代哲学で使われている用語で いえば明らかに構築主義的だということはもうわかるだろう。 だから、ニーチェはこうもいう。 ・「道徳的、倫理的であるというのは、古くからあった掟、古くからの因習に 従順であることを意味しているのだ」・・ ・「良心の中身とは何か。幼少時代のわれわれが尊敬し、かつ恐れた人々が、 理由もなく規則的にわれわれに要求してきたものすべてが良心の中身だ。 …そういうさまざまな古い権威に対する信仰が良心の源泉なのだ。したがって、 良心は人の胸の中にある神の声などではない。その人の心の内にいる幾人かの 人間の声である」(「人間的」) つまり、良心は群れとして生きる人間がみずから生み出したものだということ。 だから、本当に個性的であることはいやがられるし、個性的ゆえに良心の痛みを 覚えやすい。しかし、そこを越えなければ、新しいものは出てこないのだ。 けれども、自分の中に巣くっている古い群れの声にしたがわない行為、考え、 発見はどれも社会からは悪だとみなされる。過去をふりかえれば、みなそう。 新しい思想、新しい知識、新しい方法は、それぞれの時代で弾圧され、 狂気だとみなされ、犯罪扱いされてきた。≫ ▼ 一匹狼的か、群れる羊の一匹として生きるか。論語も蓄群の精神マナー? 確かにマナーは必要だが、古くからある因習に従順過ぎると、世界を自分 から小さくするし、個性的人生からは遠ざかることになる。「個性、個性と いうが、所詮は砂利の一つの石ころじゃないか」ともいうが、その石ころの デザインを自分でしてきたか、してなかったか? それも同じことか?
・・・・・ 4149, 強迫性障害 2012年08月05日(日) オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、 彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいない と気が済まないし、何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の 冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に 長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』のモデルになった 大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、 「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触を 避けるようになり、自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は 孤独死を遂げた。 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー ≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。 自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人には大変つらい病。 よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたか どうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというもの。本来これらの行為 は安全を確保するために誰でも行うが、それが何回も何十回も確認しないと 気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が 必要となります≫ とあった。 これは、心の病と、脳の病の原因があり、 それぞれの治療がおこなわれているという。心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、喪失の悲しみを乗り越え られないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。 そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。 定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合い との死別。傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、 合唱の先生をしていたが、未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを 隠れテーマにして)いた。その姉が私に「誰も平静を装っているが、死別の傷の ためか尋常でない何かを感じる!」という。躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害 も、誰もが多かれ少なかれ持っている。それをコントロールしようとしてできる ものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に近い症状が幾つかある。 多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、異常な 生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、 その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。 私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱として あったのとが、症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを 束ねるのが自己になる。
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2019年08月04日(日)
* 衝撃の「魂の書」の邂逅から17年ですか! これを読んだ時に衝撃は、計りしれないものだったが、今では、あと一年 あまりで後期高齢者。少しは枯れるかと思いきや、少し足腰の弱りと、物忘れが 気になる程度で、毎日が面白く、楽しい日々。ふと、去年の同月同日をみると、 ≪6352,ある老女の遺書−3 魂の書との邂逅 >があった。 『年寄りとは、自分より5歳、年上をいう』とは、言い得て妙だが、8人兄姉の 末っ子のため、3,5,7,9、…年先の「人生、甘くない露払い」と見えてくる。 各々の『生老病死』と、『四苦八苦』が、あからさまに、合せ鏡として。 自分の世界を確保し、そこを基盤に自由を満喫できる教養を持つ必要の重要性と、 日常に埋没しない『孤独』の世界の確保が如何に重要かを教えてくれる。 そして、私も、老人に仲間入り。人は、ごく身近な人以外は、その行蔵をみない。 それも呆けて、身体の不自由であれば尚のこと。あの怠そうな動きは、足腰が 実際に鉛を身につけたような重さがあり、鈍痛があることに、老いて初めて知る こととなる。老いるほど、楽しさも、面白さも、好奇心も、心の高まりの激変して いくことに、老後に初めて気づき涙する。これを読んだ時分は、51歳で母親を 看送り… その詳細は、飽きるほどに書いてある。この17年で、世界も、日本も、 さま変わりをした。特にスマートフォンと、ネットTVの映像世界は目を見張る。
・・・・ 6352,ある老女の遺書−3 魂の書との邂逅 2018年08月04日(土) * 老人の時節に、再び 一昨日、同月同日分の文章をコピペのため振返ると、この文章に出会った。 これを読んだのは22年前、その6年後にテーマにしていた。 捨身で人生を 楽しんでいた56歳、この個人HPを開設し二年目に入っていた。壮年から、 老年に一歩、足を踏み入れた頃で、人生のハイライトの時節。 海外ツアーには、 【39】パタゴニア。ー002・12。 【38】スイス。ー2002・07。 【37】西アフりカ ーコート−ジボアール・ガーナ・ベナン・トーゴ ―2002・03 その6年前の1996年には、 【22】 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ―1996・06 【21】エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)―・02に参加。
当時、少し過剰気味かと思ったが、この感動の御蔭で、翌年、5年半のアルツ ハイマー病の母親を見送った後に、心というより‘魂のスイッチの切替’に なった人生を俯瞰させてくれた内容である。 で、現在、前期老齢者の半ばを超えた72歳。近未来に、彼女の状況と、 心境が、間違いなくやってくる。このテーマを書いて16年。一年、一年が、 新たな老境との出会いになる。何もかもが面白く、新鮮で、知らないことばかり。
・・・・・・・・・・ 2002年08月02日(金) 475, ある老女の遺書−1
この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま 写し書きしてみる。ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの 中から見つかった詩、書き置きです。 ≪「何がわかっているのです! 看護婦さん、あなたは何をわかっているの? さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も 緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。(努力して、やってみて 欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも気にかけない様子で、 靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、 長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんな ふうにあなたは私のことを考えているの? もしそうなら、看護婦さん、目を 開いて、私を見つめてごらん。あなたのいうままに、あなたにしたがって食事 をし、私がじっと静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。 ・私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、 ・十六の若い少女のときはウキウキし、すぐに愛する人に巡り会えることを夢み、 ・やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると 約束した誓いの言葉。 ー続く ―――― 476,ある老女の遺書ー2 2002年08月03日(土)
・25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、 ・30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、 ・40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、 ・50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。 ・夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。 若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。
私は年老いた女。自然は残酷だ。 老年が私をおろかにみせる。 私の体から優雅さは打ち砕かれた。 活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう! しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。
そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、 私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。 永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、 あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。
さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。 目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、 気難しい老女でない、‘私を知って!’ … … この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。 一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。 これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。 いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。
― ▼ < この古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も 再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、 私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。 永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、 あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。> 老人の深い悲しみ、怒り、心の悲鳴が聞こえてくるようだ。
442 子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな 往く道じゃ
来た道、往く道、一人道 みんな来た道、往く道じゃ
これから通る、今日の道 通り直しのきかぬ道 いまやらねば、いつ出来る わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中) 443 八笑七敗(負けても笑える心を持つ事) 444 腹たたば 鏡を出して 顔をみよ、鬼の姿が ただでみられる 445 僕は(+)(−)をはずして生きるという事を、 若い時よりやっていたと思います。 常識でいえば(−)と考えられる事も、 体験の大きさでは(+)(−)も同じ。 (+)3と(−)300なら、マイナスが損と思うが (+)(−)の符号をとれば…(日野啓三) 〜『事業百訓』より〜 ・・・・・・ 5620,恋愛心理学 〜��恋愛論の最終章 2016年08月04日(木) 『美人の正体』〜越智啓太著 * 恋愛論の最終章 恋愛論、美人論は、なかなか面白いが、そろそろ最後にする。 「美人が何だ、それが如何した」といえば、それまでの話。しかし、綺麗で、 優しい女性は年齢に関係なく、やはり良い。清潔感と、緊迫感に、色気が 加わった一期一会の出会いの中で、何ともいえない輝きが生じる生身の美は 人生の花でもある。 特に20歳前半の一瞬の輝きは、美の極致を垣間見ること が出来る。全国の美人を数多く見てきたが、地域ごとの個性の輝きがある。 特に金沢の加賀美人は、その趣からして美人の極致だった。世の中には、いる のである。とはいえで、そうそう絶世の美人は存在しない・・ 若い女性の美は一時的輝きでしかない。それを知ってか知らずか、 男たちは、目が眩み一生を棒にふることになる。 新潟県は美人の産である。 これは、水と、米に、関係している。 全国的にみて、近くに大きな神社が あるところに美人が多い。水、米が上質で、人の出入りが、淀みを少なくする。 越後新潟でも、弥彦神社の近くは、昔から芸者の産地?と言われてきた。 細面の色白の美人である。 ところで、森光子が最盛期の天地真理に、 「この輝きと美しさは、いつまでも続くものではないのよ」と諭したという。 「その時には、何のことか理解できなかった」と、往年になって語っていた、 のが印象的だった。 女性の美も生花と同じ一瞬の輝きでしかない。 それもこれも、幻想、幻覚の一つでしかない。大自然の美に感動させられるが、 女性の美は、そのミニ版というところ。
・・・・・・ 3783, ユング ー16 2011年08月04日(木) * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係 【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が 交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方 を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の 重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという 考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、 非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、 「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも 良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に なってしまう。 ー発達派の治療態度ー 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を 取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で 相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、 治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、 両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、 治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を 「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、 集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】 ▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って 治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。 (哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚 させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
・・・・・・ 5255,ルサンチンマン 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月04日(火) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * ルサンチマン ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教 に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。 支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、 中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、 キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー ≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。 古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた 支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分 たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、 そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考 から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた 道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた 道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。 こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、 こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者 のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的 な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の 道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、 あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。 この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。 たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。 これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。 ールサンチマンー どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、 やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教 道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。 強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマンと いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの 道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の 発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域 から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の 民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、 戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫ ▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず 槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的 に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて 当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。
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2019年08月03日(土)
* 長岡花火のTV見物記 数年前から一緒に花火見物に行っていたが、互いに煩わしいと、別々の単独 に切替えた。それも、一昨年からTV放送が始まり、思い切って寝室で独りで見たが、 <悪くはないというより、私には、その方が…> 今年は、 MHK/BSの全国放送 もあって、全国レベルのメジャーな本格的なカメラ目線と、番組の構成が向上 していた。 他局の‘ねぶた祭り’と、プロ野球を同時進行で観る予定が、一回 もチャネルを回させなかったのは全国に向けた生放送効果のためか。 それと、 数秒、遅れて流れてくる障子戸を揺るがす爆発音の効果がある。 4月初旬の 悠久山公園+福島江の花見と、花火は長岡人の魂と言って過言ではない。 独り勇んで行った家内が、『暑い! ここで、見ておけば良かった。 録画してある映像を、明日、キンギンに冷やした部屋で見直すわ…』は老い の言わせる言葉。なるほど、この手を用意していた。 空には強風のためか、バックグランドに、花火雲が邪魔をすることがなかった 「花火日和」が幸いした。わざわざ全国から花火見物に来るってのに、何で またTVを通して観るか? 歳を重ねる度に、暑さと人混みに堪えられなく なっているということですか。クーラ効果で胃が痛くなったが…
―――― 2018/08/10 閑話小題 〜年寄りの不幸感覚 * お年寄りの不幸感覚 年齢と共に、年々、肉体的、精神的の老いの新感覚に唖然とする。 ボクシング協会の老醜丸出しの78歳の会長。ここまで唯我独尊となると、 漫画の世界。 引き際を間違えた典型。勝手に立場を悪用して「終身会長」 とは、何をか言わん。 …ハーフの朝鮮人で、元暴力団・準構成員上がり。 前科が無かったのが幸いし、過去の身体検査から漏れたようだ… 論理は、ヤクザの脅しと同じ手法。脅し口調に、ナダメと涙を駆使して、 自分のペースにまきこんでいく。演劇的で面白いといえば面白いが… よくみればハッタリかましのオジイチャン。肉体系駆使の格闘技の世界は、 こういうのが多く生き残っているようだ。 ―― * 再び、長岡花火の話題に 一昨夜、TVで長岡花火のハイライトを放映していた。今日も同じ内容かどうか 定かでないが… 放映される。それを見ていたところ、家内がYouTubeの4k録画 を『綺麗だから見たら!』という。昨年、熱の冷めやらぬ8月末に「大曲の花火」 を見ながら、YouTubeの長岡花火を見ていたが、今年は、その前に、見ることに。 この数年、寝室で独りで見ていたことを家内は知らなかったようだ。 今年も家内は二日間とも、駅まで自転車で行き、あとは駅か信濃川に向かう 群れに加わり二キロ程先の大手大橋近くまで行くという。数年前まで同行して いたが、家内も自由気ままの単独行動に慣れてしまった。 二日目のこと、家内の後ろの男の人がフェニックスに感極まって、 <『凄い、凄い!』の感動そのままの言葉が伝わってきた… けれど、もう私 には、それほど感動は無い…。>と宣わく。 花火文化の中で、毎年、繰返し 見れば、初回の格差は大きくて当然。これは悠久山、福島江の桜にも言えるが。 夜空の比較の話なら、北極圏のオーロラと段違いのスケールの差がある。 比較すること自体、オカシイ自慢話の領域になる。 ―――― 2003/10/13 922, アイスランド旅行記−2 ー 2003年10月13日(月) ーアイスランドを印象順に書いてみる ・何といっても、『オーロラ』である。 オーロラは二度目だが、前回のノルウエーのトロムソは外れであった。 今回は一回だけだが大当たり!しっかり目に焼き付けてきた。 ー明日オーロラについて書く。 ・海に突き出た雄大な断崖のディルホゥラエイのパノラマが素晴らしい。 高さ100mの断崖がどこまでも続く絶景と、断崖から見えた果てしない 海岸線が何とも美しい。 北の果てという感じが一番でている場所であった。 ・クレーバルバトン湖の背景に広がる景観は、正しく月の景色に一番似てる といわれている。スターウォーズの映画の場面を思わせる茶色のパノラマ が別の惑星にいるようだ。アームストロングがここで訓練をしたという。 ・氷河から流れ出た滝が、それぞれ素晴らしい。 何といっても迫力のあったグトルフォスの滝が印象的であった。 イグアスの滝に似ており、北極のイグアスとう感じだ。 またスコォガフォスの滝の美しさも忘れることができない。 ・霙の中で見た3〜4分ごとに吹き上げるストロックルの間欠泉も アイスランドならではのものだ。 ・溶岩でできている大地がほとんど国を覆っている。 土がまだ殆どできていないのだ。大地の上を数百年かけてできた20cm ほどの苔が土の役割をはたして、その上を草が生えているのだ。 我々は何げない土の上に住んでいるが、数億年かけて有機物の新陳代謝を 繰りかえして土になっていったのが、このアイスランドに来てよく解った。 岩山も緑の苔が覆っていて、景色としはアイスランドならではの異様な景色だ。 ・少し場所を移動しただけで、景色がドンドン変わっていくのが印象的である。 テーブルマウンテンや溶岩で出来た岩山、氷河に荒涼とした荒野などなどだ。 そこに羊と馬が放牧されている。 その中で目立ったのが、アイスランドポニーという小型の馬である。 冬でも極北の寒さに耐え、そのまま放牧をしておいても大丈夫だという。 性格が穏やかで欧米で人気があり輸出用だという。 見た感じとして似ている国としては、ニュージーランドとパタゴニアである。 氷河とどこまでも続く荒涼とした大地と、吹き付ける冷たい風は北も南も一緒だ。
「一生に一度に行きたいアイスランド」という言葉が一番にあっている国である。 本当に世界は広い!
―――― 2016/08/03 閑話小題 〜日本五大花火大会について * 日本五大花火大会について 昨日、今日と、長岡花火。昨夜は、早朝の自転車コースの水道町公園に 19時半から20時半まで一時間ほどの花火見物に行ってきた。「フェニックス」 が終わるのを待って、帰ってきたが、空が曇っていたが、「フェニックス」が 上がる頃には、何とか空が晴れていた。 〜ネット検索によると〜 <二大といえば「大曲」「土浦」。三大で、「長岡」が入る。 次に、PL、諏訪湖、片貝、熊野、 袋井、豊田とある。> 〜他のネットでは、 < 1位 長岡まつり 大花火大会; 2位 全国花火競技大会(大曲の花火); 3位 土浦全国花火 競技大会; 4位 ふくろい遠洲の花火; 5位 赤川花火大会; 6位 豊田おいでんまつり花火 大会; 7位 常総きぬ川花火大会; 8位 熊野大花火大会; 9位 古河花火大会; 10位 水戸 ... > それぞれの特質があって、どれがベストかは言いがたいようだ。 長岡花火は、二年前に、『この空の花』で、映画化されて一躍、有名になった。 昭和24年の夏、山下清が日本一の花火を見るため長岡に現れた。その翌年、脳裏 に焼き付けた記憶で生まれたのが、貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」である。 これらを鑑みると、三大花火の一つというのが、正しいのだろう。 10年前までは、ツアーなどでの自己紹介で<長岡出身です>といえば、 <『田中角栄』『田中真紀子』の出身地ですね!>だったが、 「フェニックス」以来、<「長岡花火」の長岡ですね!>と言われるようになった。
―――― 2018/08/05 閑話小題 〜二年続けて「長岡花火は行かずしまい! * 猛暑の朝、はりTVの話題ですか! ◉ 暑い夏は、寝室でTV映画とスポーツ観戦を 一月生まれもあってか、暑さに弱い。そこで、例年のごとく、寝室に籠って 録画した映画とドラマ三昧。ブルーレイの300本以外に、ディスクに数十本、録画 をしたのを、当たるも八卦と、一番面白そうなのから順次見ているが、当たりが 当然、多い。 空いていたら迷わず録画をして、閑な時間に頭出しをして、90点 に到達してないと消去をする。それでも、なかなか少ない。それでも時々、飽き がくるが、そこで、YouTubeの何時もの定番のコースへ。
◉ 去年に続き、今年も花火見物に行かず自宅のTVで… 以前から人混みが苦手。会場で生でみるか? ドッチが好きかの好みの問題に。 現場に溶込んで雰囲気と共に楽しむか、冷房の効いた寝室で、独り、電気を消し TVで見るのも、なかなかのモノ。TVの画面がリアルで、これはこれで… 3日、BS:TBSのライブの花火中継に回すと、花火案内人が見たことのある お年寄りがいた。 …それが何と小学校同期生の「長谷川健ちゃん」。 「60歳超えからは、その5歳上は「大年寄り」と言うが…。 先生の子息で、 当時から、人を寄せ付けない異様な感があった人。 当時から現在に至るまで、 殆ど口はきいたことがなかったが、古希の同期会のスナップの写真を送って くれた。 無難に花火の蘊蓄を話していたが、どこかソワソワした浮いた感が あったが、これで当分、良い、悪いの世間話のネタの恩恵?を受ける羽目に。
◉ 私の知人に数年前にリタイアした人がいる。それをキッカケに65インチの 有機TVを入替えたのはいいが、夫婦して嵌って、夫婦交代制で見ているため、 24時間、TVを付けっぱなしという。で、加熱のため、修理に出したとか。 考えてみたら、我家の二台のTVを合算すると他山の石ではない。 NHKで、4k、8kの専門チャンネルが新設され、これが生活を一変えるというが。 現在でも現場の数倍、数十倍の臨場感を味わえる?と、言うから…。 これにゴーグルでも使えば、更にライブ感が増す。
―――― 2016/08/02 閑話小題 〜長岡祭の花火 * つれづれに、長岡花火 地元の長岡祭りが、昨日から三日間にわたり開かれている。 今日と、明日は<長岡花火>。 信濃川の土手の見物席の準備も出来ている。 今夜が、花火日和かどうか、どうだろう。毎年、家内と土手までチャリでいき、 土手を歩いたり、適当に座ったりして観ている。 ―― 都知事選、予測どおりに小池が勝利を収めた。 小池勝利というより、 二人のの自滅である。問題は、今後、スタッフをどう固めるかだ。民進党の 党首が、推薦候補の落選を予測してか、次期の代表戦挙の不出馬を言明。 これでは勝てる訳がない。 自・公推薦候補も、ポチの、それも、座卓犬 そのもののイメージがマイナスに働いた。 ―― 自民党の幹事長が、自転車事故で、首を負傷、辞めることになった。 下手をすると、車椅子生活になるのか? 都知事選の最中、何か、動きに 事件? という不自然さが残る。 ―― サントリーのゴマセサミンと、ノコギリヤシと、フコイダンセサミンを飲み 始めて、三ヶ月経ったが、たしかに効果はあった。慢性の腰痛が半減した上に 気力が満ちた感覚が強くなり、肌がスベスベしてきたような。サントリーの 正価は、どれも4〜5千円。 少し高いため、半額以下の他メーカーの同類を ネットで探して、代用している。問題は、三ヶ月以上、続けられるかどうか。 これはお勧めである。 ―――― 2006/08/04 1949, 長岡の花火 おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ *第一日目(8月2日)
以前は、取引先の小さなビルの屋上で見ていたが・・・ 最近は、信濃川の土手まで行って見るのは三年に一度位。 自宅近くの土手から、遠方の花火も風情があると決め込んでいた。
去年の震災復興記念花火の超大型花火・フェニックスが打ち上げたが、 居酒屋でオヤジ相手に飲んでいた。 こういうイベントに乗るのが嫌いでもあったが、 わざわざ人ごみの中にいくのが面倒でもあった。 しかし兄嫁と共に行った家内の話によると 「フェニックスが凄くよかった!」という。
ということで45分かけて、信濃川の土手まで歩いていった。 さすがに土手で見ると、迫力がある。 しかし一時間もしないうちに眠くなり帰ろうとすると、 家内が「最後のフェニックスは見るべき」という。 そこで、あと30分我慢することにした。 (-_ゞ (~O~)ふぁ (~O~)
そして打ち上げ、 過去に見た花火の中で断トツのNO・1である。 10個のスタマインが同時に横1・6�舛砲錣燭� 超ワイドスクリーンのように打ちあげられた。 フィナーレは薄オレンジ色に統一されているため、 幅1・6�舛錣燭覯峅个�一つの花火のように感じられる大パノラマ。 息を飲んで見入ってしまった。 なるほど去年、多くの人が涙をしたというのも解るような気がする。 そういうわけで今日もまた、見に行くことにした。
ところで、昔から長岡花火で地方的な面白いことがある。 花火のパンフレットが新聞の折込に挟まってくる。 花火の提供者の企業名簿が、長岡のその時のステータスになる。 あのスーパーがスタマインを例年提供していたのに、 今年は出てないとか他のスーパーに・・とか、 あの小さな企業が出せるようになった・・とか、 それが、花火会場のお喋りのネタになる。 まあ、地方的な風情だが。
ー花火の華?といえば、
・ミラクル・スタマインー幾重にも重なる華やかなXの線を描く
・ワイド・スタマインー5色の色で彩られる華やかなスタマインで、 5台の打ち上げ台から同時に打ち上げられる。
・正三尺玉 ー長岡の名物花火、しかし最近では近郊の片貝が4尺玉を 売りにしているので、少し影が薄れた。
・ナイアガラの滝 −ナイアガラの滝を思わせるような花火、 長生橋から流れ落ちるように花火が舞い降りる
・フェニックス −横に広く10個のスタマインが同時に打ち上げられる豪華な花火。 ワイドスタマインの大きいもの・・ 等々である。 ーーー *第二日目(8月3日) \(~o~) n(0 ̄) 初日のフェニックスが良かったので、また行くことにした。 二日続けていくのは、10年いや20年に一度である。
前日より少し遅めに出かけ、20時15分に土手に着いた。 土手には多くの人が行き来している。 少しでも立ち止まるとガードマンが執拗に注意する。 前日もそうだが、土手の席の通路ぎりぎりのところにシャガム。 ガードマンが注意しそうに近くに来るが、何くわない顔をしていると、 前日のようにブツブツ行って通り過ぎる。 ところが、前の席の人が「どうぞ!」と、席の一部を譲ってくれた。 こういう時は有難く好意に甘んじることにする。 家内が「何時から席取りをしているのですか?」と聞くと、 「午前の9時から」という。 二日にかけて、苦労して席をとったギリギリの境に新聞を敷いて、 ガードマンの嫌な視線の中で花火見物・・・ 他人の軒先を借りてズルをしていたことになる。
初日が、久々に土手で見たことも加味しても、 二日目はかなりダウン。 辛うじて、フェニックスが前日と同様良かった! 他は??、 二日続けて大当たりは期待するほうが無理! ということ。 60歳代のテーマは「ミーちゃん、はーちゃん、になること」 今まで、イベントには、あまり興味を示さなかったが、 何でも観てやろう、聴いてやろう、してやろう、読んでやろう。 自分の今までの垣根を一度、鳥瞰した上で、 大きなイベントには参加してみるのも面白そうだ・・・ やはり自分に向いてないと思わないようにして・・
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2019年08月02日(金)
* 内容の深化(進化)が止まらないYouTube ◉ 数年前に寝室に大型TVを入替てから、週末は主にYouTubeを見ることに…。 カウチポテトを主とした日常について、何度も書いてきた。(後に、コピー) 今では、ロッキングチェアが仲間入りして、快適なTV/パソコン生活。 最近のキーワードが… 『大自然の光景』 『ドローンから見える世界の美』 『ボクシングKOシーン』 『街中の闘牛』 『アメリカハイウェーのカーチェイス』 『オーロラ百選』 『ハリケーン直後の空』 『大津波』 『街中の乱闘』 『大事故』など、 シリーズを選んで集中して見る。問題は検索に如何に適切なキーワードを選ぶ センス。 映像が圧倒的に鮮明になり、世界中から数限りなく投稿されている。 当然、面白いものに人気が集中し、当たると、それ相応の報酬も得られる。 ◉ 4K,8kのYouTubeの映像に、驚きと興奮の連続。 TV各局が、傑作の人気映像 を積極的に流す。ところが、ブルーレイの録画300本と、YouTubeや、WoWoWの 存在が、逆に現実世界を不自由にしている。今夜も、「長岡花火」を、去年に 続いて自宅でNHKの生放送を見ることに? 映像だけではない。画像も強烈なが ネット上で流れている。銃殺の直前に、泣き叫ぶ囚人を軍人が柱に括り付ける 場面や、銃殺する画像は圧倒的。 それだけでない。 ドラマ、映画も然り。 ◉ 成功者、勝組と、その他の格差は、情報の質のカタチで端的に現われてくる、 と聞いていたが、今では、脳の中枢の感覚で決まってくる。旧KJB上りの、 プーチンと、トランプじゃあ、それは世界の裏社会の情報コントロールが全く 違って当然。まして、安倍首相など、赤子の手を捻るようなもの。 名残惜しい、この娑婆、如何なっていくのでしょうか!
その時々に、実感で書いてある言葉が、そのまま伝わってくる。 そうか、魂とは生の顔をして言葉と映像、画像に現れ出てくる! ―――― 2019/06/20 閑話小題 〜先週のYouTube! * YouTubeでみる大波の襲来 週末は、TVはYouTubeを中心にして見ることにしている。そこで自然と、 「アフリカの野生動物」「KOシーン」「逃走車の追跡劇」「ドローン・レース」 「バンジージャンプ」「ムササビ・スーツの滑空」‥などに、テーマが絞られる。 先週は、津波などの大波による事故現場を映像を中心に見た。大波に飲まれて いく人を、近くから高みの見物している人たち。ところが、自分たちも、更なる 大波の襲来を知らずに… そして次の瞬間、飲みこまれる。 それを見ているうち、1990年のバブル崩壊から、2001年の9・11テロ、2008年 のリーマンショック、東北大震災で廃業に至った我姿が重なってみえてきた。 『まさかの坂』『ブラックスワン』が突然に現われ、襲いくる恐ろしさ。自分 だけは絶対大丈夫という慢心が知らない内に、身に付いてしまっている。 私の年齢になれば、『死』と『高齢による病』の問題。 で、…
―――― 2018/10/02 閑話小題 〜久々のYouTube! ー2
YouTubeの映像も一年もしない内に、ほぼ新たな内容に入れ替わる。 直接投稿の人気順もあって、迫力のある画面に出合う機会が多い。 「事実は小説より奇なり」を実写で見られることになる。 準備無しでも、強烈な印象の映像が次々と想い浮かぶ。 新聞、TV、雑誌などのマスコミを通したら必ずカットされた内容ばかり。 最近、それらの動画集を紹介する番組も多く見られるようになった。
…ISが、捕虜を生きたまま焼き殺す場面や、 斬り落とした異教徒の幾つかの生首を串刺にして柵に並べたものとか、 …街中の闘牛で、突刺された場面だけを特集したTVバラエティとか、 …鳴き叫ぶ水牛を、ライオンの群れが生きたまま食す場面とか、 …水牛とライオンのドックファイトとか、1対1の血みどろの死闘や、 …重量級ボクシング、異種格闘技、大相撲の迫力が圧倒的に増した。 …世界各地の絶景をドローンで空撮したドキュメントや、ドローンの 空中レースを、ゲーマーのゴーグル・カメラ目線で撮影したもの、 …ムササビ・スーツの滑空に失敗し、地面に叩きつけられた場面集や、 …数m四方の30?の水深の水たまりに、10mの高さから飛込む場面とか、 …高度7600mの飛行機上から、パラシュート無しで地上に設置された 30m四方のスペースのネット上に着地するとか、 …パンツ一枚の裸で機上から飛び降りた人を、モモンガ・スーツの滑空した 人が、空中で拾って密着、最後はパラシュートで無事着地する場面とか、 …白頭鷲が赤ちゃんの入った手提籠ごと、連れ去ろうとし失敗した場面、 …大鷹が、崖の中腹にいる家族?の少年を落下させようと襲った場面とか、 等々、過って見る機会がなかった迫力ある映像に出くわす。
今では、ドローンが加わったため、多種多彩な場面を垣間見れる。 例えば、プール付きの豪邸の中を、鮮明な小型ドローンで撮影した映像や、 ライブの築地市場で、マグロを解体しているライブとか… 買ってきたゴーグルの箱を開き、実際に装着し、その映像そのままを ドラマ風に仕上げたリアルものも、面白い。大型4k・TVもあった。 若者は、YouTubeに限らず、ゲーム、SNSなどを駆使して楽しんでいるが、 羨ましい限り。嫌なこともあるのだろうが。 今日の午前中は、『タイソンKO特集』『異種格闘技』でも見ようか! ――――
2018/10/01 閑話小題 〜久々のYouTube! ー1 * TVのYouTube三昧 ・Youtubeといえば、2年程前に寝室のTVを買い替えた時をキッカケに本格的に 見るようになった。それまでPCで見ていたが、4k・8kを記録するビデオ撮影と、 一桁以上、画面が鮮明になった大型TVとでは、面白さ、迫力が全く違う。 映画を自宅のTVとPCでは、シネマ館の差と同じ位の差のようだ。当初から、 その生々しさに嵌ってしまったが、今では月に1〜2度になっている。 次々に放映さる映画、ドラマ、大自然の景観ドキュメントと、数年の間を かけた録画にエネルギーをとられているためもある。
・まずは街中の闘牛祭りが面白い。放たれた闘牛に命をかけて立ち向う男たち と共に街中のギャラリーが楽しむ祭りが圧巻。幾つかの国々で行われているが、 これが見ていてハラハラの連続。プロたちが招待され参加しているのもある。 年々、ビデオ撮影機が良くなったためか、迫力が増している。今までは聞こえ なかった興奮した闘牛のうめき声と息遣いを拾いだすのが最近の特徴。 ギャラリー受けを狙った生死の際(きわ)を愉しむ遊びが故に面白い…
・映画、ドラマの合間の気分転換や、気分が塞いだ時に丁度良い。TVも考えて みたら、情報機器の最たるもの。スマートフォン、タブレットPCと共に、進化の 速度は止まらない。 年内に、4k・8k専門チャネルが開局するが、これを境に 映像世界は大きく変化する。 暇な人間なればこそ、激しく面白い時代である。 後記) YoutubeとHP内検索をすると、何やしら如何でもよいことを真剣に 書いている自分がいる。これだけの画面の鮮明さと、思いもよらない場面と 毎日のように、遭遇すれば、興奮するのは仕方がないと、日々口実?になる。 しかし、今さら気どっても致し方がない。面白いものは面白いのである。 他人様の感性は分からないが、信じられるのは、自分の感性だけ。何ごとも、 決めつけないで、純真に、映像としても向き合うことしかと思うが… 黄昏の時節、もっともっと、「馬鹿の壁」を乗越えたかった! < 上を見れば、キリがない。下を見れば、底(其処)がない。 横をみれば情けない。 > その「情けない!さえ、自覚できない奴ばかり? 無知なるが故に、 人は生きていける! まあ、他人様のことじゃなくて、私自身のこと!
―――― 2018/07/04 閑話小題 〜今年も半期の終了 −3 ★ YouTubeで印象に残った映像 ・今年のYouTubeの映像で驚いたのが、ドバイの「ドローンのレース」。 ゴーグルを被って運転席に座ったゲーマーが参加する。画像は隼のように 倉庫のような空間に、780メートルのレース場の空中を10数周も突進する。 私はゴーグルを持ってないが、ゴーグルを被った映像なら迫力が違うのだろう。 36チームが参戦し、最後に勝ち残った4チームが決勝戦を争う。総額100万ドルの 賞金という。 そこで、15歳の少年が優勝をしたが… 独り部屋で異空間に引き こまれ、不安さえ感じていた。ドローンとゴーグルの組合せの妙を、そのレース で見ることになった。 ・いま一つが、アルプスの頂上の現場で、ゴーグルを被り、ドローンを飛ばし、 頂上の自分たちを撮影した映像が、何とも不思議な感覚にさせる。 現実と、 バーチャルの融合。天使の目線で、自分の姿をみる。何とも奇妙な感覚。 ・この7月中旬に、ドバイでドローンタクシーが、実際に営業開始をするという。 ニュースの映像を見る限り、まだまだ初期段階のようだが、面白い!
―――― 2018/06/06 閑話小題 〜ブラックYouTubeの楽しみ * YouTubeに再び ―ブラックYouTubeの楽しみ 一昨年暮れ、寝室に大型TVを入替えた時に嵌ったのがYouTube。 今年に入ってからは、全く見ることがなかったが、先月末から再び嵌っている。 ブルーレイ3百本の録り溜の存在は大きい。その中で一日一本、最も面白そうな のを選ぶ、その上に、連日、Wowowで面白い映画放映されるため、YouTubeなど のネット配信の映像を見る時間がない。 TVだったら、カットされる残酷シーンが、YouTubeでは検閲なくみれる。 中南米やポルトガル、スペインなどの何処かの国の祭りの余興で、闘牛を街中に 放ち、街の通りで牛を揶揄う。それは身体を盾にした死をかけた遊び。以前から あったが、今では撮影機能が年々とアップしたため、迫力がアップ。傘や、布きれ 一枚で、突進してくる牛をかわす。それが滑って転んで、牛にグチャグチャに されたのが、そのまま、放映される。当地のTV番組だろうが、ボコボコにされた 場面を、次々と出し、スタジオ全員で笑い飛ばすのもあった。 酷いのが、ムササビスーツを着て、断崖を飛び降りる失敗したケースだけを 編集したものや、インド象が街中で暴れて次々と、群衆を襲う生生しいのとか。 生きたまま、ライオンに食べられていく水牛とか… ホワイトYouTube?では、スイスアルプスの山頂から、ドローンで山々を背景に 自らを撮影したものとか、ドローンのスピードレースの映像とか、巨大波の サーフィンとか… これらも、あと1〜2週で飽きるのだろうが。いい歳を して何をしているかだが、面白さの感受性は年齢に関係ないこと。 静かにクラシックも良いのだろうが、これまた実に面白い! ・・・・・・ 5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4 2017年03月06日(月) * 世界の絶景をドローンで空撮 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿 した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、 節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面 をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。 その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた 星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの 空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。 〜2人のネット記事から〜 【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、 これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。 「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。 世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の 写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が 近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。 それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」 いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ 2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した 映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、 BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。 ● 2人が旅から得たものは? ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。 例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略) 上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、 すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。 パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験 だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。 千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している 映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、 『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示 している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、 最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、 「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。 ―― ▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。 この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの 進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代 からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の 受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。 〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。 ――― 5764,パソコン融合TVの時代に 2016年12月26日(月) * 再びYouTube 以前、ÝouTubeが面白くて、別のブログ『バートウォッチ』に、面白そうな 映像を紹介していたが、今では各TV局がチョイスをして放映している。 一月ほど前、家電チェーンの売場を暇に任せ彷徨っていると、売場担当者に 『アンドロメダTVが最近売れてますよ』と声を掛けられた。ソニーがグーグル と共同開発したアンドロメダを基本にしたパソコンとTVを融合した、一言で いえば『画面検索付パソコンテレビ』。グーグルの検索機能をコントローラに 付けて、音声入力をすれば、目的の映像を呼寄せる機能。 選択したÝouTubeに、 「4k画面 築地 マグロ」と発声すると、4K画面のマグロの解体シーンが 映しだされた。ミソは「4k画面」のキーワード。一般放送で、まだ4k放送は 少ないが、YouTobeには4k録画の映像が投稿されている。それは、これまでの 映像とは違った鮮明な画面。担当がいうに『売れているのが、アンドロTV』。 そこで家でチラシを改めて見ると、ÝouTube付が有るのと無いのがある。 新しい方のソニーのPCで、その画面をみると4kで入力された画面があった。 生々しい現場で撮影され投稿された映像、例えば、『シナイ山の初日の出』 『北欧のクリスマスイブの光景』『聖地の祈り』『ナイル川クルーズ』とか、 『サントリニー島の日没』等々、何でもござれ。これらを大画面TVの音声検索 で瞬時に茶の間で見れるのだから驚いてしまう。18ケ月〜24ヶ月で、情報機器 が半額に下り続けているというが、商品としての機能が、それ分アップする。 パソコンTVが、既に売れ筋の主流になっていたとはね。グローバルになるわ!
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2019年08月01日(木)
* 再び、分人主義とは? 「分人」たる言葉、聞いたことがあるのでHP内検索をかけると、5年前に、 <平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」久垣啓一の書評で取上げていた。 分人主義をオサライすると… 【人間を「個人」という「分けられない」一つの 単位としてでなく、複数の人格――「分人」――の集合体としてとらえる考え方だ。 図書館から先日、借りてきた<『自由のこれから』平野啓一郎著>がある。 その前に、おさらいをすると、 〜まずは、『分人主義』の意味を掘下げた個所の引用から(ネット検索) ≪ ◉ 人間には、いくつもの顔がある。 〜私たちは、このことをまず肯定しよう。 相手次第で、自然とさまざまな自分になる。それは少しも後ろめたいことでない。 どこに行ってもオレはオレでは、面倒くさがられるだけで、コミュニケーション は成立しない。だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)dividual」である。 たとえば、「クライアントとの打ち合わせをしているイケダ」と 「娘と遊んでいるイケダ」では、表面的に見るとまったくキャラが違うわけ。 前者では「うーん、そうですね。○○だから、やっぱり○○だと思いますよ。 どうですか?」とか言ってる一方、後者では「あぶあぶあぶー!おとうちゃん やどー!」とあぶあぶやっています。 ◉ 全然違う人格なわけですが、これは両方嘘偽りのない「自分」であることは 間違いありません。「キャラを使い分ける」というより、自然にスイッチが切り 替わるという感じです。 人間は誰しもこうした「自然と切り替わる様々な自分」を持っているものです。 分人主義とは、ひとりの人間のなかに詳細な「分人」が存在する、と捉える新しい 世界観といえるでしょう。≫ ― ▼ これを書き続け、過去の忘却の彼方の文を読む返すたびに、全く違う? 人格者たる未知、いや無知の自分に直面する。成るほど、「分人」である。 日々刻々、体質も、環境も、知識も、行蔵も変化するため。 リタイア後の、 一日のスカジュールのユニットは、節目ごとに、分人が違っている。だから、 一日一日が新鮮に思えて、飽きることがない。あとは、5年前のとおり。
・・・・・・ 2014年08月31日(日) 4917,「個人から分人へ」 ですか! * 永遠の問い、「私とは何か」 平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」の久垣啓一の書評が解りやすい! ≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使っている individualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。 そして本当の自分なるものがあるという 考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、 人間は分けることが可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、 一人の人間は複数の分人のネットワークによって成り立っているという。そして 個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。 ・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性。 ・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を 変えることだ。 ・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。 ・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を 創出しようとする行為だ。 ・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。 ・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的に なっていける。 ・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。それが許せず に自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。 ・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、きめ細かな つながりを発見させる思想である。 ・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、 今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。 むしろ矛盾する複数のコミュイティに参加することが大事なのだ。個人を複数 の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。 分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されて いると考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテに つながっているのではないか。≫ ▼ 「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になって いる。だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を 増やしている自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、 そこに存在している。 秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け 込んでいる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を 増やす行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙。 自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも、森の生活のうち。
―――― 2007年08月31日(金) 2341, 「私」とは何か? 〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 「狂人三歩手前」−中島 義道 (著) −読書日記 ー「私」とは何か?ー 「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。 成る程と合点がいったが・・ 常に考える時、「私」は何々・・と一日、数百回も 自問自答しているのに、その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。それを知って いると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。 ある哲学書で「私」についての説明があった。 {「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、 さっきの橋を歩いていた主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。 成る程と思いつつ、解ったようで理解できないモヤモヤが残っていた。 過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある 「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、 この本の中で、その「私」をみ砕いて解りやすく説明をしている。 −p.86 「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。 だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がって いるが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか? そこに独特の感じがするから? だが、なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか? こう問いつめていくと、 この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の独特の作用 によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見い だせない。「私」とは知覚しているときに、同時にそこに感じられるものではないか? いや、胃がきりきり痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。 そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的主体なのではないのか? 多くの哲学者はそう考えた。そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」 とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な発光点のようなもので あるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。 ここで、別の視点から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間における 同一なものと了解されている。「私」とは過去のあの時も同一の「私であった」もの。 しかも、その同一性は二つの対象を見比べて判定するのではなく、現在の側から 一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。「私」は、過去と 現在との関係において登場してくるのだから、現在の世界を隈なく探しても見い だせないのは当然。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。 現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによって はじめて「私」は身を現わす。ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が 不在であっても「私」の同一性は保たれるということだ。夢の場合で考えてみよう。 夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。「私」は、夢から覚め 「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。まさにその時、あれが 「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を見ていた ことになるのである。夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。 「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、ぼんやり もの思いに耽っている時など、いわば消えている。 しかし、あとから 「私は〜していた」と語れる限り、その時「私」は存在していたことになるのだ。 夢中で小説を読んでいた。ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう 三時間も経っている。私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。 一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。 ーーー 夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。 じゃあ、夢の中で私は何々、云々といっているのは何だろうか?ただ夢の中で 過去のことを考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない純粋 何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何か を考えていた! ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、 また夜半にリアルな夢をみた
・・・・・・ 6349,秘・異郷の旅、よもやま話・・8 2018年08月01日(水) * 8年ぶりの「秘・異郷の旅、よもやま話」 ふと、ツアーについて書いてみようかと、HP内検索をかけると、数多の テーマで書いてあった。地球をキャンパスにし、私の立ち位置からして外側 からゲーム的に埋めていくことをライフワークにして30年になる。一回行く度に、 同行したツアー仲間を情報源にして、次回のツアー先を構成するゲームでもある。 10回を超えた頃、同行した旅行仲間から、「旅行道として、まず、文明の外側、 秘境を埋めた後、60歳過ぎからは内側、例えば、アジア、アメリカ、太平洋を 埋めていくのをライフワークにしている…」の話に納得。南米、アフリカ大陸、 中近東、北欧、シルクロードを主に周ってきた…。 私の経験からみて、『ツアー道』という言葉があるなら、インド、イスラエル、 エジプト、ケニアと、ギアナ高地、シルクロードは外せない。 書いたことすら忘れていた、ツアーのよもやま話。 実感そのままを素直に 書いてある。旅行好きなら面白いはずだ。 日常、起こりうる トラブル全てが圧縮して次々と被さってくる「非日常の世界」。それが面白い と思えないと、楽しむことが出来ない。その境地になるには量を熟すしかない。 私の場合、家内同伴が8割のため、更に複雑になる。非日常に夫婦間の日常を 持込むからだ。これも量を熟すしかノウハウは出来上がらない。それさえ確立 すれば、「楽しさ二倍、苦しさ半分」に…。それより、安上がりなリッチ気分 が手軽に出来上がる。更に帰っても、その余韻が暫く愉しむことが良い。 ツアーは、殆ど、現地ツアー会社の企画パックの相乗り。だから、下手な 旅行プロより、穴場に熟知した内容が多い。 面白い現実がある。 飛行機のエコノミークラス。 ビジネス、ファーストクラスの数分の1、 季節によっては、数十分1。 飛行機を飛ばすに、後方の重量が必要とする荷 かわりに、ディスカウントでパック用に売り出される。狭いのを我慢すれば… 何事も慣れ。人生と同じ! エコノミー・パックツアーとしても、行先の 観光そのものの『光』(景)は、全く変わらない。もっともっと行っていたら、 とは、全く思わない。これが精一杯のようだ。 この御蔭で、様ざまのライフ ワークを見ても、『ああ、この人は、これですか』と余裕を持てるところが良い。 追記: 8年ぶりと書いたが、何々…、何度も何度も他に書いてある。 好きでもない人から見たら、ツマラナイ自慢話だろうが… 地で書くしか ないのだから… でも、カナダのロッキーのパノラマ! 他宇宙に、瞬間 移動したような錯覚! フィジー、いやハワイ島の、大らかな世界!
* ところで、明日、NHK総合で、長岡花火の光景を全国放送をするらしい! 予定変更をして、明日、全国民とTVを観て、翌日、生を見ることにした。 今までは、NHK/BSで、大曲の花火を観てきたが、長岡は地上波の全国版ですか! < よく見れば薺(ナズナ) 花咲く垣根かな 芭蕉 > 。
・・・・・・ 3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1 2010年08月30日(月) * 海外旅行に魅せられて これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを 思いのまま書いてみる。その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験を リアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。 人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に 少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、 日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。また日本の遥か彼方 から、逆照射してみた自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。 まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った 計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。旅先で、絶対に行きた かったが行けなかったところはない。ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど 行きたいと思わない。 秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。その波動に飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に 北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、あの時の下地と、 21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここ までノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かの チャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長の ようになる。「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、 そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。
・・・・・・ 2010年08月31日(火) 3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2 *初めての21歳の欧州旅行 ー1 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二 以上が、それに当たるからである。ショックの段差が大きかったのは、初体験 の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。 当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、欧州の映像など殆んど 目にしたことはなかった。モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは 中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。それが突然、 目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、 牛肉に細い糸が巻き付いていた。生まれてこのかたヒレステーキなど、食べた ことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。次に初めての海外に 降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と 緑の中に街がある御伽の国に思えた世界があった。人種が違うのである。 金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、 違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。 それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、北欧人を目の当たりにする のだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。 自分の精神を正常に保つだけで精一杯であった。当時、海外旅行に出る人は、 まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。 だから、出発前から気持ちが高揚していた。
・・・・・・ 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3 2010年09月01日(水) *初めての21歳の欧州旅行 ー2 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。 当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。それより、自分が食べたいだけ 皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、 超ミニスカートで、街を闊歩している。その美しさが街並みにマッチして いるのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。 それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのない バッキンガム宮殿、ロンドン市内には、シルクハットをかぶって歩く風格ある 紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、 子供時代以来、腹の底から笑った経験をしてみた。こんな楽しく高揚をした ことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。 これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。 これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。元もと実家で商売をしていて、 年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやの ドンチャン騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが 格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった? パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、 そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが 今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。 その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。
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2019年07月31日(水)
現在、非常に際どい日韓関係、一筋縄で解決できない国民感情の相違がある。 韓国の歴代大統領は、政権維持のため、過っての問題を掘り出して国民感情を 煽り立ててきた。その都度、我慢に我慢を重ねてきた日本も、徴用工問題で 堪忍袋の緒が切れた。今回の韓国の裁判所が出した「徴用工判決」。 これは、「慰安婦問題」などと比較にならない程の大きい問題で、一線を越えて しまった 。昨年の文芸春秋の12月号で、―韓国「徴用工判決」 文在寅は一線 を越えた―の手記が、この問題を的確に指摘している。 ― ≪ 10月4日に日本語版が発売された自伝『運命』の中で、韓国の文在寅大統領は、 日韓関係の未来について次のように綴っている。『私たちがともに育んできた 文化と歴史の根源は国民たちの心の奥深くにあって、たがいに近づこうと引き寄せ あっています。私たちはやがて真の友人となるでしょう』 しかし今、日韓両国は、 「やがて真の友人になる」どころか、それとは正反対の道を歩もうとしている― ・「国際法に照らしてありえない判断」(安倍晋三首相) ・「日韓関係を揺るがすような大きな事件になってしまった」(河野太郎外相) 10月30日に韓国の大法院(最高裁判所)で下された「徴用工判決」に対し、 日本政府はじめ、多くの日本人は即座に怒りを表明した。 新日鉄住金に対し、 第二次大戦中に同社で働かされていた元徴用工4名に合わせて4億ウォン(4千万円) を支払うように命じたからだ。これには、産経新聞から朝日新聞に至るまで珍しく すべての国内メディアが足並みを揃え、疑問を呈した。 元徴用工への損害賠償等については、1965年に締結された日韓請求権協定に 基づき、両国ともに「完全かつ最終的に解決した」と解釈してきた。従って、 新日鉄住金が今さら賠償金を支払う義務があるはずもない。これは国際法上の 常識である。大法院が下したこの不可解な判決に対し、文在寅大統領は表向き 沈黙を貫いている。 しかし、元在韓国特命全権大使の武藤正敏氏は、 「この判決は文在寅政権の意向に沿ったものであったと認識しています」と指摘。 「今回の判決には『伏線』がありました。10月27日、大法院の前行政処次長が 逮捕された一件です。容疑は『朴槿恵政権の意向を汲み、徴用工裁判に違法介入し、 審理を意図的に遅らせた』というもの。これは文在寅政権から韓国大法院への 『徴用工を支援するように』という明確なメッセージと、私は見ています」と…。 さらに武藤氏は、韓国の司法界が抱える問題点を指摘する。 「韓国の裁判ではどんな法律よりも『国民感情』が最優先される傾向にある。 『韓国には国民情緒法がある』なんて冗談を言われてしまうのはそのためです。 その国民感情に流されてしまった政治家の一人が、文在寅大統領なのです」 文大統領は、自伝『運命』の日本語版への序文をこう締めくくっている。 〈この本が日本と韓国の国民の心をつなぐうえで、ささやかな力になることを 願い、日本の読者の皆さんに韓国の国民からの友情の挨拶をお伝えします〉 ≫ ― ▼ 歴代の韓国政権は、過っての問題を引出し、半日の国民感情を煽り立て、 賠償をせしめてきた。そりゃそうだ。朝鮮半島は国家を二分され、対立した 国家。それに反して日本は海洋国家で周囲を海の要塞で守られ、自然の幸に 恵まれ、経済成長を順調に重ねてきた。それに対して、貧すれば鈍す。常に、 北朝鮮の脅威に怯えた日々の中で、国民の7割が海外移住を臨むしかない状態。 政権が変わるたびに、前大統領が逮捕か、暗殺される国家。その都度、問題を 掘り起こして、有効活用を試みるしか活路が開けないのが実情。 「アメリカの圧力で何とかなる」と、高を括っているが、これは、ある意味で、 北の脅威より、問題になる可能性を含む問題である。
・・・・・・ 2018年07月31日(火)
6348,読書日記 〜50年ぶりの『道は開ける』 『道は開ける』 D・カーネギー (著), * 不安は人生の天敵 図書館で、懐かし本を見つけた。 気難しい先輩や同僚に囲まれた都会の ど真中での寮生活に慣れるまで数年を要した。その中で、地方出身者の足りない のが対人関係の都会センスと、内面管理。自分に魅力が無いと、誰も相手にされ ないことに気づく。その時に見つけたのが、カーネギーの『道は開ける』と、 『人を動かす』の二大名著と、ガードナーの『自己革新』。 人間関係、自己革新のノウハウが解りやすく書いてある。学園も、寮生活には ビッシリと人間関係が濃厚にあり、早速、書いてある通り実験を始めた。 半年もしない内に友人が多く出来ていた。 この『道は開ける』で、 <心配事があったら、その最悪の事態を想定しろ、その対処を考えていると、 不安が消えてしまい、それ以上の悪いことは起こらない!>が、その後の、 人生を大きく支えてくれた。秘・異郷旅行も大きな不安がまず立上る。そして、 家内の絶対拒否の壁が立上る。 まずは、この壁を乗越えるに、この教訓が、 役にたっていた。最悪を受入れると、不安は半減する。兄や、姉の一人が極端 の不安症で、それが人生を大きく妨げているのを見てきた。戦中派のためもある。 <心配している99%は起きない> <意志の力を超えることは、悩まない> ここに書いてあることが、そのまま、寮と学園生活で、即座の実験可能になった。 その内面生活の面白さは格別だった。都会生活は、誰もが孤独で、頭でっかちで、 不安定で、誰かに自分を知って欲しい、素性を知って欲しいのである。それも、 これも20歳で、起業を思いたったことがある。 読んでいなかったら、今でも 絶対おすすめの本。無理なら、以下の内容紹介を繰返し読んで欲しいもの。 要するに会話テクニックではなく、魂の対話方法として身に付けること! …『で何で、こうなるの?』 まあ、酒の飲み過ぎではないですか?
寅:こんなセンスを身に付けた美女に会ってみたい? 大家:高級クラブに行くと、幾らでもいます。但し、たっかいけどね。 そして表向きで、直に飽きるけどね。 熊:俺さ、何の知識も知恵もないからさ、八つぁんに教えて貰った三度褒めを してるんだ。それも心の底からね。 寅:俺って、知ってても出来ないんだよ。熊は、赤い顔をしてドモッテね。 大家:そこが味噌なんだ。但し、アッサリできるのが熊の良いとこさ。 熊:俺って、実は多くの女姉妹の間に育ってね。とにかく、猫のように大人しく してないと、おっぱわれるの。静かにご主人様に近づいてさ。女の中で育った 生立ちがあるんだ。それと、口が堅いんだ。一番、厳しいのが他人の告げ口。 それと花束に弱いんだ。時々、何気なくお客が持ってくるだろう。あれ! 寅:何で客なのに持っていかなければならないの? 熊:そこが、一番、甘いの。寅さんは。 寅:この件になると、熊とは全く逆になるね。金も無いのに。 熊:金が無いなら知恵を出せって、何時も大家さんが言ってるじゃないか。 八:御前さんたちが、話すと、折角の真面目な話が壊れるじゃないかい。
〜内容紹介〜 《 邦訳300万部突破の世界的ベストセラー。 悩みを克服するための方法が具体的で説得力豊かに綴られた不朽の名著。 『人を動かす』と並ぶカーネギーの二大名著。 人が生きていく上で誰もが直面する「悩み」の原因を客観的に自己分析し、 心の持ちようや習慣を改め、心身の疲れを取り除く等の方法で具体的かつ 実践的に解き明かす。 苦悩するすべての人を心の闇から救いだし、行動と自己変革への勇気を与え、 新しい人生を切り開くための座右の書。1944年の初版刊行以来、時代に合わなく なった部分を修正するなど、折々に改訂が施されてきた現行の公式版。 〔目次〕 訳者まえがき ◇PART1 悩みに関する基本事項 1 今日、一日の区切りで生きよ 2 悩みを解決するための魔術的公式 3 悩みがもたらす副作用
◇PART2 悩みを分析する基礎技術 4 悩みの分析と解消法 5 仕事の悩みを半減させる方法
◇PART3 悩みの習慣を早期に断つ方法 6 心の中から悩みを追い出すには 7 カブトムシに打ち倒されるな 8 多くの悩みを閉め出すには 9 避けられない運命には調子を合わせる 10 悩みに歯止めをかける 11 おがくずを挽こうとするな
◇PART4 平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法 12 生活を転換させる指針 13 仕返しは高くつく 14 恩知らずを気にしない方法 15 百万ドルか、手持ちの財産か 16 自己を知り、自己に徹する 17 レモンを手に入れたらレモネードをつくれ 18 二週間でうつを治すには
◇PART5 悩みを完全に克服する方法 19 私の両親はいかにして悩みを克服したか
◇PART6 批判を気にしない方法 20 死んだ犬を蹴飛ばす者はいない 21 非難に傷つかないためには 22 私の犯した愚かな行為
◇PART7 疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法 23 活動時間を一時間増やすには 24 疲れの原因とその対策 25 疲労を忘れ、若さを保つ方法 26 疲労と悩みを予防する四つの習慣 27 疲労や悩みの原因となる倦怠を追い払うには 28 不眠症で悩まないために ー―
Amazonの読者レビュー 【あらゆる人間に共通する悩みの実態とその克服法について纏められた本。 悩みの壁にぶつかった時に再度読み返したいと思える本でした。 下記の3つの言葉が特に印象深いです。 ・気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。 「小事にこだわるには人生はあまりにも短い」 ・私たちが取り組むべき唯一最大の問題は、正しい考え方を選ぶことにあると、 私は自信を持って断言する。もしこれができたら、私たちの問題にはことごとく 解決の道が開けていくであろう。ローマ帝国に君臨した偉大な哲学者マルクス・ アウレリウスはこれを短い文句に、あなたの運命を決定する短い文句に要約している。 <我々の人生とは、我々の思考がつくり上げるものにほかならない> ・『神々に背いた十二人』の著者、ウィリアム・ボリソーはこう書いている。 <人生で最も大切なことは利益を活用することではない。それなら馬鹿にだってできる。 真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ。このためには明晰な頭脳が必要。 そして、ここが分別ある人と馬鹿者との分かれ道になる>。】 ― 【悩んでも、どうせ「過去」は変えられないのだから、冷静に問題と向き合い、 できることをする。前進あるのみと、様々な言い回しで語っている。】
・・・・・・ 2005/06/21 「人を動かす」−2 ー読書日記 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。 人間関係という一番初歩的な基本を身に着ければよい。 会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。 (世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。 数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い! もしかしたら、自分も?) 誠意を持って相手の話を聞くことは、 「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。 少しまともな営業屋なら当然身につけている。接客業の飲み屋のママや ホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。
まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。 人間なぞ他愛のないものに思えてくる。 それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。 しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」 ことにもなりかねない。
会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。 新人は会話術は身につけていても、対話術は身につけていない。 この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを露呈してしまう。 しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。
人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。 ――
ーあるHPより抜粋ー
人を説得する12原則
1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。
・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるもの。 議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。 相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。 ・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。
・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、 そのうち一人はいなくてもいい人間だ。 思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。
・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。 ・・・不快な状況の時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。 冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。 あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。
・腹を立ててはいけない・・・何に腹を立てるか、それ次第で人間の大きさが 決まってくる。
・まず相手のことばに耳を傾けよ・・・相手に意見を述べさせ最後まで聞く。 逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との間に障壁が高まるばかりだ。 相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど、 愚の骨頂である。
・意見が一致する点を探せ ・・・相手の主張を聞き終わったら、まず賛成できる点を取り上げる。
・率直であれ・・・自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めてあやまる。 それで相手の武装が解け、防衛の姿勢がゆるむ。
・相手が反対するのは関心があるからで、多いに感謝すべきだ。 だから、相手はあなたの手助けをしたいと願っているのだと考えよ。 そうすれば論敵を味方に変えることができる。
・早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け。
2.相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
・人に物を教えることはできない。 自ら気づく手助けができるだけだ。(ガリレオ)
・相手が間違っていると思った時の切り出しの言葉はおそらく私の間違いでしょう。 わたしはよく間違えます。ひとつ事実を良く考えてみましょう。 これで議論が収まり、相手も寛大で公正な態度をとりたいと思うようになり、 自分も間違っているかもしれないと反省する。
・われわれは、真実を思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。 その信念をゆるがすようなものが現れれば、憤慨する。 そして、何とか口実を見つけ出して元の信念にしがみつこうとする。 結局、われわれのいわゆる論議は、大抵の場合、自分の信念に固執するための論議を 見出す努力に終始することになる。
・決定的な意見を意味する“確かに”“疑いもなく”という言葉は一切つかわず、 「自分としてはこう思うのだが・・・」「わたしにはそう思えるのだが・・・」 と言うことにした。(ベンジャミン・フランクリン)
3.自分の誤りをただちにこころよく認める。
・自分が悪いと思ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分を やっつけておいた方がはるかに愉快ではないか。 相手の言うことを自分で言ってしまうのだ。 そうすれば相手は言うことが無くなり、寛容になり、 こちらの誤りを許す態度に出るだろう。
4.おだやかに話す。
・人を無理に自分の意見に従わせることはできない。 しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、相手の心を変えることができる。
5.イエスと答えられる問題を選ぶ。
・意見の異なる問題を初めに取り上げてはならない。 まず意見が一致しているイエスといわせるような問題から始め、 それを絶えず強調しながら話をすすめる。 互いに同一の目標に向かって努力しているのだということを、 相手に理解させるようにし、違いはその方法だけだと強調するのである。
6.相手にしゃべらせる
・相手のことは、相手が一番良く知っている。だからしゃべらすのだ。 相手が言いたいことをまだ持っている限り、こちらが何を言っても無駄だ。 大きな気持ちで辛抱強く、しかも、誠意を持って聞いてやる。 そして心おきなくしゃべらせてやるのだ。
・敵を作りたければ、友に勝つがいい。 味方を作りたければ、友に勝たせるがいい。 (ラ・ロシュフーコー)
7.相手に思いつかせる。
・人から押し付けられる意見よりも、自分で思い付いた意見のほうを我々は、 はるかに大切にするものである。人に自分の意見を押し付けようとするのは、 そもそも間違いだともいえる。 暗示を与えて結論は相手に出させる方が、よほど利口だ。
8.人の身になる。
・自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見を尊重するところから、 話し合いの道が開ける。 まず、話し合いの目的、方向をハッキリさせて、相手の身になって話を進め、 相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も相手は受け入れる。 (J・S・ニーレンバーグ)
9.相手の考えや希望に対して同情を持つ。
・口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたのいうことを、 おとなしく聞かせる魔法の言葉――――「あなたがそう思うのはもっともです。 もしわたしがあなただったらやはり、そう思うでしょう。」
・われわれが交渉をもつ相手の4分の3は、みな同情に飢えている。 それを与えてやるのだ。
10.人の美しい心情に呼びかける。
・相手の信用状態が不明な時は、彼を立派な紳士と見なし、 そのつもりで取り引きを進めると間違いが無いとわたしは経験で知っている。 要するに、人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。 これに対する例外は、比較的少ない。人をごまかすような人間でも、 相手に心から信頼され、正直で公正な人間として扱われると、 なかなか不正なことはできないものなのだ。(トマス)
11.演出を考える。
・現代は演出の時代である。単に事実を述べるだけでは十分ではない。 事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。
12.対抗意識を刺激する。
・成功者はみなゲームが好きだ。自己表現の機会が与えられるからだ。 存分に腕をふるって相手に打ち勝つ機会、 これが、いろいろな競争や競技を成立させる。 優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。
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ー人を変える9原則
1.まずほめる。
・われわれは、ほめられた後では、苦言も大して辛く感じないものだ。
2.遠まわしに注意を与える。
・「しかし」という言葉を「そして」に変えると、すぐに成功に転じる。 人の気持ちや態度を変えようとする場合、ほんの一言の違いが、 成功と失敗の分れ目になることがある。
3.まず自分の過ちを話した後、相手に注意を与える。
4.命令をせず、意見を求める。
・命令を質問のかたちに変えると、気持ちよく受け入れられるばかりか、 相手に創造性を発揮させることもある。 命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、だれでもその命令を守る気になる。
5・顔をつぶさない。顔を立てる。
・たとえ自分が正しく、相手が絶対に間違っていも、その顔をつぶすことは、 相手の自尊心を傷つけるだけに終わる。
6・わずかなことでも、惜しみなく、心からほめる。
7・期待をかける。
8・激励する。
9・喜んで協力させる。
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