堀井On-Line



6690、閑話小題 〜つれづれに哲学

2019年07月10日(水)



   * それは本当に自由意志なのか 〜スピノザの予言
 哲学の入門書を暇を囲った中で、時どき手にして、ここで取上げてきた。
これが結構、暇つぶしに良いのである。毎日、一テーマを自らに課して書き
続けていると、哲学的になってしまう。自問自答の世界にドップリと!
で、変わりばえしない日常で自らの自由意志に、疑問を持つようになる。
読む本や、ネットサーフィンで行き当たる驚きの大部分が、これまで、書いて
きた内容に行き当たるような。読み、書き、考えたことが、潜在意識として、
現在の考えを大きく左右していることになる。
 ―
 〜まずは、飛込んできた哲学書の一文から〜
≪ 2008年にドイツのマックス・プランク研究所で実施された神経学の実験で、
 自由意志に関して驚くべき発見があった。
<研究チームは被験者がボタンを右手で押すか左手で押すかを選択するときの
脳の活動を、MRIを使って測定した。脳の働きを観察していた神経学者たちは、
被験者自身が決定を下したと考える時点より、7秒も早く、彼らがどちらを
選ぶかを予測できることを発見した。>
 このことから、私たちの選択は、潜在意識のプロセスの副産物であることが
示唆される。言い換えれば、私たちに自由意志はなく、脳が私たちを上手く
だまし、自分で決めているように思いこませているということ。
 スピノザが主著『エチカ』で350年前に言ったように、
「人間が自分自身を自由だと信じるのは、自分の行動は意識できるが、その
行動がなされる原因について意識できないからに過ぎない」可能性がある。
もちろん、「自分には自由意志がない」と思って人生をおくることはできない。
社会が機能するためには、自分が自由に行動できると信じていなければならない。≫
 ―
▼ 決定論になる。決定論とは、<人間の行為をも含めてあらゆる事象,出来事
 がなんらかの原因によってあらかじめ決められているとする考え方>をいう。
10年、20年、50年スパンで過去を振りかえ見ると、何か決定論も信じたくなる。
結局は、知らぬ間に洗脳された両親や家族と、その上位にある社会、国家に洗脳
されて、自由意志そのものが、縛られた不自由な意志でしかなかったことに…。
原因=条件に、ほぼ同じではないのか? 考える一番手っ取り早いのが、身近の
人たちの比較しか持ちえない文化の中では、これもあり? 天皇万歳と両手を
あげている大衆。 「金日成、金正日、万歳!」と、酷似していることが自覚
出来ないから、始末が悪い。 それって、既に自由意志でも何でもない。
国家には仰々しいシャッポと勲章が必要なのは解るとしても。
<田舎の学問より京の昼寝>というが、そこでは、格差社会が厳然と、私たちを
 縛りつけておちおち居眠りもできはしない。自由意志は有能なものにとっては
有効に、無能の者には真逆にはたらく。
 
 でまた偶然、去年の同月同日の内容に続いていく… そうか、「決定論」は、
ヘーゲルにつながる? 正・反・合ってのは。
・・・・・・
6327,実存哲学のルーツ 〜キルケゴール
2018年07月10日(火)
   
   * 実存哲学について再び
 14年前の今頃に、キルケゴールについて書いていた。 実存哲学といえば、
「サルトル」が代名詞だが、他にハイデッガー、ウィトゲンシュタインにも
大きな影響を与えた。実存主義のルーツは、キルケゴールである。
そこで、改めて手持ちの入門書を探すと、解りやすい解釈があった。

<ヘーゲル哲学の抽象性や全体主義的傾向と、審美主義的態度に反対し、また、
現実のキリスト教、教会を批判、ひたすら自己の精神に純粋な生き方を追及し、
普遍的理性に尽くされない「実存としての人間」に注目。単独者、主体性、
絶望、実存的思准の意義を強調して、後の実存哲学に大きな影響を与えた。
これまでの世界・自然・社会など普遍的な問題を中心課題にしてきたのに対し、
人間、とりわけ個人「この私」として採り上げた。
これも、ある牧師がこの思想に対して傾倒し、独力でドイツ語に翻訳することで
後世に残ることになった。スピノザが全体性と要素の関係論と対比するならば、
キルケゴールは、全体性を担う神と、単独者としての自分の実在的な関係を
問うたということが出来る。>(「哲学で自分をつくる」瀧本往人著・引用)
―
<私たちは、自分がなぜこの世に生れたかを知ることなく、孤独な単独者として
自分の存在に向合い、どう生きていくかを自分の責任で決断していかなくては
なりません。キルケゴールは、この意味での主体的実存こそが、哲学の主題だと
主張する。これ以外の、理性的、ないし普遍的真理など、どれだけ手に入れても、
無意味に過ぎないことを知るべきという。数の論理に個人のかけがえなさが押し
流される当時の風潮を感じ取り、それに対して批判をしたのが実存主義である。
彼に言わせれば、「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために
生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが肝要」です。>
               (「世界の哲学・思想」小須田健著・引用)
―
▼ 還暦・古希を過ぎ、同世代の数が減るにつけ、単独者としての自我が強く
なる上に、孤老の問題が出てくる。否が応でも、実存的傾向が強くなる。
老い先が短くなると、過去への眼差し、「この私」に向かう傾向が強くなり、
それは普遍的理性が脇に追いやることに…。全体としての神より、内なる神、
両親の、故郷の温もりの実存的感覚が優先的になる。全身の五感で感動し、
感涙し、実際に存在してきた感覚こそが、生きている証になる。老いて、消え
去ろうとするときに、「自分は世界の一部に過ぎないが、かけがえのない<私>
という実存、「他の誰とも違う自分」という実存を、認識するのである。
個人HP内の検索で「キルケゴール」と検索すると、以下の内容が出てきた。
弱い人間には、『ありがとう』の他に、『大丈夫だよ』の言葉の内語が必要!
 いま一つ、『今を愉しめ』がある。
… …
追記: 不安といえば、ムンクの「叫び」がある。 〜ネット検索によると…
《 ムンクといえば誰しも、「叫び」と題された一点の絵を思い浮かべるだろう。
 真赤に染まった空を背景にして、一人の男が橋を渡ってこちらに向かっている。
男の顔は大きくゆがみ、両手を耳のあたりに当てている。その表情には恐怖が
読み取れる。男が恐怖のあまりに叫んでいる、そういう切迫感がある作品だ。
この「叫び」に限らず、ムンクの絵は人間の精神の現れを感じさせるものが多い。
絵におけるそういう傾向は、二十世紀に入ってから、表現主義の運動などを中心
にして高まってきたのだが、ムンクはすでに19世紀中にそのような作品を作って
いたわけだ。》 
 いま何時に、余命宣言をされても不思議でない年齢に入った。
そして、この絵の人のような心情に陥り、孤老の灼熱地獄に入るのだろうが!
――――
2004/07/06
1190, 大丈夫!−2  
 * 哲学について−13
    ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返すことで、漠然とした不安感が半減すると前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生
しか生きてない人? 不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と
可能性を考えているか、生きているからだ。
大丈夫!を繰り返すことは、単純だが、毒消しに絶大の効果がある。

《 単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。
 人間の不安の90数�佑蓮�考えすぎの影でしかない。
 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」
人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えているのだ。
その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90�佑留討鮠辰晃�果がある。

不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな
可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。そして「不安は
たとえてみれば目眩のようなものである。… 自由がいまや自身の可能性を
のぞきこんだとき、めまいがおこるのである」といっている。》
―
▼ ・若いときには、多くの自由と、有り余る可能性があったが、その分、
 大きな不安が自分を支配しており、絶望感と不安が舟底の下に漂っていた。
さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があった。不安感が絶望への
プロセスを生むことになる。不安から「絶対的な何か」が欠けているという
絶望感に陥ってしまうのだ。「どうしようもならないもんな〜」という言葉が
口癖だった。そしてお決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に
入っていく。これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての
基本的な姿としてとらえてキルケゴールは「単独者」と呼んだのだ。
真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。しかし、人はさまざまな
現世的価値観の中で生きている。しかも、その価値観は全て有限なもの。
そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなると彼は考えた。
・大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。
キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを(心の中の)
「大地震」といっている。それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。
ここで、最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、通帳が発見
された逸話を紹介してある。そこに、数億あったという。この人は不安感に
さい悩まされていたのだろう。
大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、失業したり
して明日の生活に困るのが問題になるのが人生だが。

・・・・・・
5960,閑話小題 〜居候は肩身が狭い
2017年07月10日(月)
   * つれづれに 〜居候は肩身が狭い
・さて、今日より大相撲。一年のうち4分の1が興業している。
大相撲のある日々と、開かれてない日という位な感覚?である。
今場所は、若手の有望な力士が上位に集中。 昨日の初日だけで3大関、
2横綱が負けてしまった。荒れる名古屋場所の言葉とおり面白くなりそうだ。

・梅雨の大山は越えたようだが、何か鬱陶しいと、気分までふさぐ。
一昨日、スポーツジムで、キーの電池切れのためエンジンがかからず、
充電してあるスペアキーを取りに自宅へと歩きかけると、目前に、タクシー
がいたため事情を話し、家とSCの往復を頼むと、「自分がなおせるのでは」
と 見てもらった結果、程なく、エンジンがかり、ことなきを得た。その後、
バッテリーもあがり気味のため、わざわざ見附まで昼飯をかねて行ってきた。

・居間のTVが完全に寿命。7年3ヶ月になるが。家内共々、平均10時間は
みていたためか、諦めがついた。東芝の『レグザ』だが、これが大当たり。
去年暮れには、寝室のTVを入替えたが、これも満足出来るもの… 
 このレグザと、有機TVの買え替えには、メーカーの販促?の5万円の
更なる値引きがあり、ネット通販で一番安いのを目安に掛け合ったところ、
49万8千が、税込みで35万円まで大幅ダウンに、こち方が呆気にとられた。
息子が先日、新潟駅前の「ヨドバシ」で交渉したが、新型のため値引きなしと
言われたとか。
 昨年暮れは、長岡市内と新潟駅前と10回以上、見て回り、最後に、
「ジョーシン」に、そのプロセスを話して、「今までの20年近くのTVと
冷蔵庫、洗濯機の全て、この店で買っている」と殺し文句の実績を根拠に交渉
すると、思惑通りに最安値で終わった。 問題は、そのプロセスを楽しむこと。
 資金を出す家内は当初、不満顔だったが、思いの外の大幅値引きと、鮮明な
画面に、その後はダンマリ。 寝室が私の専用TV、居間は家内が優先の棲み
分け、というところ。 としても大きい出費の度には居候は肩身が狭い。
 〜で、再び偶然、以下の文脈に続いていく。

・・・・・・
5595,閑話小題 〜貧しさだけは
2016年07月10日(日)
 最近、老人の貧困問題が取り上げられている。そういえば以前、経営していた
会社で、辞めていった女子社員の家庭内問題について、書いたことを思い出し、
ブログ内検索をしたところ、10年ほど前のテーマにあった。(下にコピー)
そこに出てきた母娘以外は、年齢からして殆ど亡くなっている?のだろう。
 嫁・小姑・姑・舅問題などが絡まった複雑な問題だが、その背景は貧困。
豊かさは一瞬で崩れさるが、それを築くには、長年の、何世代の労苦が必要。
情報化社会で、豊かな者は、より豊かに。貧しい人の人は、より貧しくなる
傾向にある。他人事ではない。何とかセフティーネット で事なきを得ているが。
10年前とはいえ、よく、こんな文章を書いていたものと・・ 
 本人には「白馬の騎士」が必要なのだろうが。 先日、読んだ本に、
<「玉の輿」は、元もと幻想。その相手と苦労した結果、豊かそうになること
 なら、有りうるが。>とあった。その結果、貧しくなる事例は有りうるのか。
 適齢期の決断で、何とか、踏みとどまった中で、一番の理由は、バランス。
短期適応、長期不適応の惨状を、あまりに多く見せられていた。
  〜そのコピーから
――――
2006/10/18
2024, ある家庭の事情
               才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。(本人の同意なくして
書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。
本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてください!」
とのこと・・)
そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題
(嫁・小姑など家に存在する)不条理と貧困である。
Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話。
どこの家にも、このような問題はあるが、あまりにも気の毒な構図である。
それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。
        〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー  (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区の実家に出戻る。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD
 (80歳代前半)がいる。 家は、それほど大きな家でない。
・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。
 そしてAは女子短大を卒業、新潟(私の会社)に就職して5年目になる。
 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職。
・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。
 去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。
・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが
 崩れてしまった。子供二人が家を出ていったことと、母親Fが働けないため
 収入が途絶えたことで、弱い立場の陥り、その結果、鬱病になりかけている。
・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は
 重度の鬱病になり廃人になってしまう。A一人の収入では母親を引き取れない。
 そこが地獄絵図の世界としても、その家に帰らないと母は間違いなく潰れる。
――――
という内容である。 露骨に言ってしまえば、
 ・「行かず後家」と、
 ・その実家に「出戻ってきた母」と、
 ・嫁の立場の「お祖母さん」と、
 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す小さな
‘葛藤ドラマ’である。
Aは華やかではないが、キリッとした美形で、浮いた話は全く無い。
この実家4人の関係の、それぞれの立場が「針のむしろ」。
・「叔母E」にしても、頼るのは弟のBしかいない、
・「家長B」も連れ合いのCと、姉Dと、娘Fとの間で神経をすり減らし
・「嫁の立場C」も、小姑Dとの同居自体が地獄である上に、
  旦那Bと娘Fとの間に立って神経はボロボロのはず。
  小姑Dが生きている限り、80歳近くになっても嫁の立場は変わらない。
・母親Fは家をでて、娘か息子の元にいくと、お婆ちゃんCと小姑Dの
 バランスが崩れる。

聞いているだけで、小説のような深い煉獄のような世界が見えてくる。
おまけに、「長生きの家系で年寄り三人は10年は最低生きそうだ」という。
更に、Bは‘独身?で外にいる息子’を呼び寄せるつもりだという。

結局は、本人Aは会社を辞め、新潟を引き上げ実家に帰って働く決断をした。
感心するのは、本人はアパートで質素な生活をしながら、母親に仕送りして、
短大時代の奨学金を5年かけて全て返したことだ。
赤貧の生活だったのではなかろうか?

その上に、その実家に母親を助けるために帰るという心情である。
若い女性でなければ手を貸してやりたい位である。
現在彼女にとって必要なのは、「白馬の騎士」である。
その姿勢を貫いていれば、必ず現れるはずだが・・・
田舎に引っ込んでしまうとチャンスは狭まるだろう・・・

私が当人だったら、どうするだろうか?
生きの良いうち?に、理解してくれる伴侶を探すだろう・・必ずいるはず!
「今どき家に縛られるのはどうか?」などとかいう問題ではない。
それか難しいだろうが、母親の結婚相手を探すのも一案である。

先日、一家を惨殺して投身自殺をした主婦の事件があったが、
永年の蓄積したドロドロしたものがガス爆発したのだろう?
あまりにも気の毒なFさんに心をこめて、「明るく生き抜いて欲しい」と
願うばかりである。この状況で明るく生きるのは難しいだろうが・・
それより、「生きているだけでも幸せである」ことに気がついて欲しい。

どこの家庭にも、このような話は親戚筋の中に幾つかあるが、
あまりに設定が・・・・
   
そのために宗教がある。「生長の家」「天理教」あたりを勧める。
天の理や、仏教の教えを噛み砕いて教えてくれるからだ。
苦しみが深いほど、救いも大きくなる。
こういう場合に、「何で既存の仏教の寺は勧められないのだろう?」
坊様には、それが解ってない!
                (*^ワ^*)i バイバイ
――――
▼ 当時は、当主のお祖父さんに問題ありと思っていたが、古希も過ぎ、
 改めて考えみるに、この状況で、身内が何とか助けあう当主の姿勢は、
人間として、崇高ではないかと、思えるようになっている。小さな家に、
本人が帰った上に、叔父が同居となると、6人は、やはり過剰になるか。


6689,閑話小題 〜島に辿りついた3人の兄弟の話 ―2

2019年07月09日(火)



          『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著
 フランクルの哲学の柱になっている【人生、よく遊び、よく学び、良く働け】
のとおり、バランスをとって、人生を生きてきた。 人生には思いもよらぬ
『まさか!』が、突然に襲いくるとものと… だから、楽しい釣りとか、山遊び
を通した学びを当初から組み込む必要性がある。「全機で可能な限り、世界を眺め
味合うことが、我々にとって必要となるって… ある時は、遊びを主とした学びの
三男の生き方。その後、次男の働きを主とした生き方。…最後は、長男の生き方と、
節目を持って態度価値を変える必要がある。

≪ この本『アフターダーク』の中で、教訓は
『何かを知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならない』
『ハワイまで来て、霜をなめて、苔を食べて暮らしたいと思わないよな』
『でも長男には、世界を少しでも遠く見たい好奇心があったし、それを押さえる
 ことができなかっただよ。その為に支払わなくちゃならないものが、どんなに
 大きかったとしてもさ』
本は、この話の『神様』によく似ています。本はいつも、ここまでくれば、こんな
世界があるよと教えてくれます。その世界を詳細に、魅力的に。
だけど、現実世界では、案外きつい。
 正義のヒーローの話は面白い。主人公が成長する話はかっこいい。だが、自分が
現実でヒーローになったり成長するのは玄人時間が必要となる。哲学書を読むのは
楽しいけど、本当の意味でそれを理解するには、積上げた知識を必要御する。
… 本を本気で好きになったら、バカな男にひっかかったバカな女になる可能性が
増えます。世界の読書推奨人はそのことをわかってるのかと、苦笑します。
<だって、どんなマトモさを手放しても、人生を狂わせて面白い本に出会えることは
幸せなんだもの。役に立つ立たないというよりも、もっと大きな、遠くを見させて
くれる存在として「本」に触れていただけるなら、けっこう大変な人生を、一緒に
戦ってくれるならなら。 ≫
 ―
▼ この本は、まだうら若き、20歳半ばの京大院生の書店スタッフが「正直、
 これを読んだら人生狂っちゃうよね」と選んだベスト50のブックガイド。
30歳までが「学び」。50歳までが「働き」。それ以降が「遊び」が主とした
態度変換が人生には必要だが、彼女には、これから膨大な儚いが、膨大の人生が
待っている。 羨ましいが、それは、あくまで彼女の世界。 
< せっかく、この世に生を受けたなら、宇宙、世界の広さと、深さを少しでも
垣間見て、味合ないとしたら、勿体ないじゃないか! >に 落ちつく。

・・・・・・
6326,閑話小題 〜今年も半期の終了 −7
2018年07月09日(月)
   * 〜スイス 名門寄宿学校〜 �検 悒棔次Ε愁譽ぅ罅�
 様々な授業を紹介していたが、「地理」が、非常に面白い。
マダガスカルの貧困問題の扱いの切口が良い。同じような年代の真逆の立場の
少女の悲鳴に似た訴えを紹介し、キーワードを幾つか提示して、考えさせる。
ある生徒の一日の使用水道量が、マダガルカルの少女の運ぶ数十、数百倍の量と
知らしめる。

≪ 地理ではリーダーシップというテーマをもとに、アフリカのマダガスカルの
 水問題についてケーススタディをします。水を得るために一時間かける女性。
安全とはいえない水を19L頭に抱えて女性は水を運びます。それを一日に3〜4回。
マダガスカルは貧困を抱えています。先生は女性が持っていたのと同じ19Lの水を
用意し生徒に運んでもらいます。生徒たちと同じ年代のある女の子(ララ)は
最貧の地域に住んでいます。ララは靴もなくはだしで泥道を水くみに出かけます。
ララは次のような詩を詠みました。
< 私の一日もあなたの一日と同じだったらいいのに
  学校に行って勉強して公園で遊ぶの
  頭に浮かぶのは蛇口をひねるだけで出てくるきれいな水
  歯磨きしてシャワーを浴びるのもいいわ >
地理の先生は生徒たちに問いを投げかけます。生徒の一人が自分たちは水を
無駄遣いしていると言いました。またある生徒はどんな気持ちか想像します。
ある生徒はその水はどんな用途に使うのか質問しました。先生はララのお母さんは
子どもたちの面倒を見なければならないので水を運ぶことができないと言いました。

地理の先生は貧しい地域の人々についていくつかのカードを示しました。
 •公衆衛生
 •子どもの健康のケア
 •教育
 •栄養
 •疫病の予防
 •食の安全確保
 •妊婦の健康ケア
 •住宅環境
 •女性の社会進出

自分がリーダーならどのキーワードから優先して取り組むか生徒たちは考え
三人一組で話し合いカードを優先順に並べます。女生徒のグループは妊婦の健康
ケアが一番大事だと答えました。多くの生徒が女性の社会進出は優先度が低いと
考えました。先生は女性の社会進出が進まず地位が低いままで職にも就けなければ
一番大事だと言った妊婦の健康ケアは改善されるのか?子どもを産む機械として
利用され続けるだけではないかと問題を投げかけます。女生徒はまず力を持つ
男性とともに解決し… …わからないと答えました。地理の先生エリオット・
グリーン氏は裕福な家庭の子供たちが旅の経験や両親の仕事、授業から学んだ
ことを議論してもらい、将来持つであろう財力と影響力で世界が直面する問題に
取り組んでもらいたいと語ります。

生徒たちは年十三カ国を旅して自分の目で世界を知ります。
キリマンジャロへの登頂に挑戦することもできます。   ≫

―
▼ 半世紀近く、早朝と、午前中に数時間の読書習慣を持って、それまでの基礎
 知識不足をホローしてきた。受験システムに縛られ、自らも格付けをしていた
愚かさに気づくことが、第一歩であった。英会話能力や、対話力、文章化能力は、
付け焼刃では、直に欠けてしまう。このような指導と、長年かけたベースの知識が
必要となる。その理想形の教育システムが、これである。このスイスの寄宿舎が
素晴らしいのは、スイスが長年、中立国家で、権力者の手前勝手な価値観から、
解放されていることが重要である。「何が英国王室だ、日本の天皇だ。」を、
スイスの山麓で気づくこと、それが、教養ということ。そう、それぞれの内側から
見えている世界としての世間だけでなく、その真逆の視点に気づくこと、多様な
世界を知ることの必要性に気づくこと。特に、ネット社会こそ、理想形の、知識
獲得が必要になる。「クールヘッド、ウオームハート」こそ、情報化社会の絶対
条件といえる。 でないと、世間人の典型の、「ウォームヘッド、クールハート」
で、近所の500mを、徘徊するだけで… あれらは小池のホワイト・ナイトですか。
薄汚れて、愛嬌を振りまいて生きる姿も良し、外の世界で汚れたダーク・ナイトの
生き方もある。どのみち、同じでしかないが… 地球外生命の眼で、宇宙の彼方
からの生命体の視線で見る世界は、何と、綺麗で、明るく、刺激に満ちている。
早朝の自転車散歩で、大手大橋上をイオンよりから、ヒキチャリをしながら、
見える信濃川と、旧市内と、その向こうに見えてくるパノラマは、正しく、宇宙舟
からの視線のようである。スイスと、ロッキーの山並みに近い絶景とさえ思える
光景である。世界の絶景を知ればこそ、これに気づかされたこと。足元の世間の
素晴らしこそ、気づかないと… 52回目のチャレンジで、スイスアルプスの
向う側のイタリア・アルプスに行ってみたくなってきた。 
問題は、腰痛など体力と、固くなった頭と、気合。

 で、これまた偶然、丁度よい脈絡として、以下につづく。
・・・・・・
5959,閑話小題 ―帰りの宇宙船内で 〜5 人生の元をとったかい
2017年07月09日(日)
   * 人生の元をとったかい
 ふと気づくと、学生時代の友人だったAが、隣に座っていた。30年前に
脳梗塞で亡くなった男だが、突然の死で、当分の間、成仏できなかったようだ。
 開口一番『人生の元を取ったかい?』と問うてきた。
 A君が言うには、
『人生の最も美味しい時節の前に、突然終えたのは残念。成仏出来ないまま、
見えていた情報化時代と、ソ連と東欧の共産圏の崩壊の時代に立ちあえた君ら
が、羨ましい限り。あと、老いた父親から強引に実権を取ったことも。』と。
ここでは故人の愚痴の聞き役になっていた。幸せを絵にしたような男だったが…
『堀井な〜。生きている内だよ人生は。それも日常の平凡と、それとは別の
非日常でトリップする経験の組合せを、楽しむことを心掛けることだよ。
それと、孤立でも、孤独でも何でもいい。自分を閉じ籠めて、暗闇の漆黒を
味わうことだよ。そうした分、外の世界の輝きが違って見えてくる。地球は、
広く、深いと、つくづく思うよ。地球は極上の観光名所であり、そこには、
地球自身がつくり上げた大自然と、人間のつくり上げた文明・文化もある。
 それらと可能な限り、触媒し、直感し、味わうことだよ。自分は現実に
溺れ過ぎて、一番大事なこと、平凡の日々と、トリップして現実から離れた
時空を味わうことが、あまりに少なかったよ。』 といって、消えていった。
フッと気付くと、宇宙船が消え、宇宙の漆黒の中、魂だけが独り漂っていた。
30年前に、新潟駅前で事業をしていた時の不動産屋社長で、町内会長だった
酒友で古町を月に一度、10数年、飲み歩いた人と、私の母親の二人への質問
と同じだった。二人とも、「よくぞ聞いてくれた」と?、急に顔色が輝き
だしていた。 老いるに従い、「人生、これ果たして良かったか、悪かった
のか」の自問自答が深くなる。良し悪しとは別に、充実した人生かは、本人
の心の問題になる。2人とも、『とったとった充分とった!』であった。
2人とも、当時70歳後半だった二人の共通点が、何れの時点でも人生を
楽しんでいた。太平洋戦争の最中、何とか家庭を支えて生き抜いてきた。 
その質問を、学生時代の友人が、私に質問をしたのには驚いた。そして、
私の答えも同じ『充分とった!』。

★ 後記= で、偶然だが、以下に続いていく。あの世だけでなく、娑婆も
 漆黒の闇である。 偶然にしても、少し気味が悪い… 

・・・・・・
5594,夫に死んでほしい妻たち
2016年07月09日(土)
          <「夫に死んでほしい妻たち」〜小林 美希(著)>
 TVで、朝からシリアスなテーマ、『夫に死んでほしい妻たち』の特集を
組んでいた。この本をベースにしたのだろう。インタビューをした二人に一人
の割りが、夫に死んでほしいと切に願っていたという。
 団塊の世代が定年に入った現在、各家庭内は、その確執で大揺れ。
「昼間の間だけでも、家から出て行って!」と言われ、行くところといえば、
図書館、公民のSJ、SC、ツタヤの徘徊か、あとは散歩。といえば、私の日常
に幾つか重なるが、私といえば、家では、居間の外に、書斎コーナーのある仏間
と、寝室のTV前のベッドがネットや読書の空間に丁度よいので助かっている?
 何もするでなし、居間でゴロゴロしている夫に妻は辟易、その行き着く先が、
「死んでほしい」と、心から願うのは自然の摂理。そこで、TVのテーマその
ままの「夫に死んでほしい妻たち」を、ネット検索して出てきたのが、この本。
 最初から終わりまで息がつけないほどシリアス。ことは、深刻である。
  アマゾンの〜内容紹介と目次〜より
―――
■内容: 家事や育児において、妻の「してほしい」と夫の「しているつもり」
 の差は、想像よりもはるかに大きい。のみ込んだ怒りが頂点に達した妻の抱く
最後の希望は「夫に死んでほしい」…。 毎朝子どもを保育園に送る。
週に一度は料理をつくる。それだけで自信満々な夫を、妻はどう感じているか? 
やがて、怒りを爆発させることにも疲れた妻は、一人つぶやく。
「死ねばいいのに…」 世の中たちを戦慄させる、衝撃のルポルタージュ!
【目次】
 □ 第一章 子育てという試練! そして愛は殺意に変わる
●第一話  育児休業という罠(38歳・会社員)
・「戦場から逃げる夫」
・共働きは当たり前の時代
・幸せから「産後クライシス」へ
・結婚式前日からの押し問答
・妊娠中でも夫は平然と飲みへ /ほか
●第二話  ほどよく良い夫(41歳・システムエンジニア)
・理想は子どもだけがいる生活
・低燃費男性と勢いで結婚
・夫は「できない部下」
・私の子に気安く触らないで/ほか
●第三話  リビングルームで芽生える殺意(45歳・会社員)
・殺意を抱かせる夫の足音
・妻が忙しくなると夫婦関係が悪くなる
・息子に怒ってばかりいる夫
・夫はただの同居人/ほか
 □ 第二章 「寿退社」は地獄の扉! 専業主婦の呪いの日常
●第一話 キャリアを断絶させられた妻の恨み(46歳・一部上場管理職)
●第二話 娘の病から始まった危機(46歳・パート)
●第三話 夢追い夫との家庭内戦争(39歳・パート)
●第四話 二世帯住宅という牢獄(34歳・主婦)
●第五話 セレブ主婦の仮面の裏側(39歳・主婦)
●第六話 欲しがる妻と欲しがらない夫(47歳・主婦)
 □ 第三章 もう夫はいらない! 団塊妻の恨みは骨髄
●第一話 部活未亡人の嘆き(40代・教師)
・毎日がとにかく部活中心
・こんな暮らしやってられない! /ほか
●第二話 2番目に好きな人との結婚(58歳・看護師)
・40歳の転機
・夫の加齢臭が耐えられない
・「だから女は家にいろ」との戦い/ほか
 □ 第四章 これが夫の生きる道?イクメンたちの現実と理想
――――
▼ 第二章の「寿退社」は地獄の扉! は、今さらだが。そこで、
 互いのライフワークを持って、独りの世界をつくりあげるしかない。
TVで、夫の禁句を紹介していた。「手伝おうか?」である。言い分は、
「定年後の家事は分担の筈なのに、手伝ってやるとはフトドキ千万」である。
夫の人生の果てに待っていたのは、妻という名の鬼である。で、以下に続く。
 そうこう考えると、そこそこの金と、健康と、自由精神が必要である。
「 ああ〜〜〜〜〜〜〜 」の悲鳴が聞こえてきそうである。
――――
2016/04/04
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜��
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく


6688,閑話小題 〜七夕の短冊に祈りを込めて

2019年07月08日(月)

   * 毎年、この時節、半期の
 今年の前半が終わろうとしているが、比較的に何ごともなく推移し終わった。
・国内では、5月に「平成」から「令和」に年号が変わり、6月にはG20大坂
サミット開催し、無事終わった。プロ野球のセリーグは、誰も予測しなかった
巨人が独走。パリーグは予測どおりにソフトバンクが独走に。大相撲は、白鵬が
隔場所ごとに休場し、翌場所に復活する戦略で何とか、オリンピックまでの
延命戦略を忠実に実行。これはこれで良い。
・近く実施される参院選挙は、自民党有利の予測。
・世界の政治は、トランプ劇場が、相も変わらず続いている。ホルムズ海峡で
日本タンカーに攻撃があったが、何処の国かは闇の中。北朝鮮は何とか平成を
保っているが、波乱含みのまま。
・プライベートでは、卒50周年の会が、開催され出席した。私にとって節目。
親戚関係の不幸は無かった。腰痛は、出たり止んだり。スポーツジムは週4〜
5回をキープ。今年から時どき休むことにした。死に損なう危険があるからだ。
とは言いつつ、最大の出来事が無事平安に推移すること。
 毎年、前半が穏やかだったが、後半に荒れる傾向がある。
――
   * 七夕の短冊に祈りを込めて
 名古屋場所の初日と千秋楽日は、毎年、プロ野球と大相撲を同時TV観戦をする
のが慣わし。同時にゴルフ、バラエティも挟むため、それは忙しい一日になる。
何故に、一週早い第一日曜にしたのか?の疑問は、七夕の目出たい日に合わせた
粋な計らいのためと遅ばせながら気づいた次第。 大相撲も、プロ野球も、
「短冊に何を書きましたか?」の質問が何とも味わい深いのが、あった。
共通してあったのが、「10年若くなりたい」。それに対した解説のコメントが、
「これは人類永遠の願い!」…と。 5年でなく10年が何とも微妙。
ということは、最初から10年若く見える服装、そして体力づくりを目指せば
よいことに! 気持ちも同じ。成るほど、何かしら年齢に気持ちがついていか
ないのは、自然かつ健全ということ。 私の願いは… 
『より深く、より広く、より新鮮に世界を味わう健全な精神にレフレッシュ』 
  さてチャリ散歩だ。

・・・・・・
6325,閑話小題 〜今年も半期の終了 −6
2018年07月08日(日)
   * 〜スイス 名門寄宿学校〜 �掘 悒棔次Ε愁譽ぅ罅�
 まだまだ書き足りない感が残ったため、録画の三度目の見直しをした。
以前、『3・10・60・27の法則』の法則をテーマに取上げた。ここの教育方針は
『帝王学』で、まずインテリジェンス(知性)のベースの
構築を図っている。
インフォメーションが「生の情報」であるのに対して、インテリジェンスは
「加工された情報」という意味で、インフォメーションをもとに分析された情報
などのことをいう。加工された情報を鵜呑みにしないで、ベースに自らの知性で、
生の情報として考えられる能力を生徒に身に付けることを目指している。
そのためには、「何故、何故、何故」と、常に自己問答する習慣が必要と教える
のである。洗練された自由人である。この情報・知識を元に、知恵に変えて、
モノゴトを判断し、プラスに導くことが、インテリジェンスになる。
  〜この紹介文より〜
≪ アルプス山中のヴィラールにあるボー・ソレイユ校は1910年の設立で、由緒
ある著名なプライベートスクールです。英語で学ぶ国際部とフランス語部があり、
卒業時にそれぞれIB、FBを取得することを目指して学習します。進学率はほぼ
100%で、ヨーロッパ、北米の大学を中心に進学します。
「バランスを大事に」をモットーに勉強だけではなく、スポーツや色々な活動
に全面的に参加し、一つに偏らないバランスの取れた人間形成を目指します。
スポーツだけではなく、演劇や音楽などバラエティに富んだ課外活動が用意
されており、週末には屋外探検活動や近郊都市への遠足に出かけることも多く
あります。修学旅行や休暇期間には、ヨーロッパだけでなく、南米、アフリカ、
アジアなど世界中の様々な場所への旅行に参加することができます。

11歳から13歳が学ぶ科学の授業では教科書を使いません。低学年のカリキュラム
には五つのテーマがあり、これらのテーマに基づいてあらゆる授業が行われます。

1.Adaption(適応力):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
2.Discoery(発見):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
3.Risk(リスク):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
4.Respect(敬意):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
5.Traditions(伝統):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育

――
課外活動のイアン・レイ氏はリーダーシップは生徒たちの人生において重要で、
すべてに影響を与える存在であるリーダーに役に立つスキルを身に着けてもらう
と言いました。責任感があり向上心を持っていること、それがリーダーの条件
だと言います。学校では世界に広く目を向けるだけでなくそれぞれの国の言葉や
文化も大切にしています。

―
▼ 11歳といえば、日本では小学校五年である。この頃から、年に1200万の教育費
 をかけてベースを教え込む。それも8年も。まあ、能力格差がつくのは自然の理。
選ばれた教師が、その全てを注いで、生徒に教え込む。それも、俗世を遮断した、
浮世離れしたスイスの山麓で… それも、世界中の国から集まった異色の人種と、
寄宿するのだから… こうなると、問題は血筋・血統まで行きつく。成るほど、
自分とは、自らの分、分際ですか。私の分際から見えてくるのは、当然こうですか。
 
・・・・・・
5228,思いが人生をつくる ー�◆  礎療�プライドは危険
2015年07月08日(水)
       『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン著
  * 知的プライドは危険
 学生時代、読書の絶対量の少なさを自覚し、知的コンプレックスに陥った。
以来、早朝を中心に2〜5時間の読書習慣を続けてきたが、この程度。しかし
半世紀近く続けると、その量が質の向上に繋がってくるが、大学ノートに、
せめて1ページでもメモの習慣を付けておけばと後悔をし、14年前から、
個人HPで、その内容を記録をし、公開を始めたのが、これ。 自ずから、
8〜9割方の人が、読書の絶対量が少ないことに気づくことになる。
特に地方の人は、それに気づく機会が少ない。そうすると、対話できる
相手が少なくなる。そこで、自分の壁が出来ていく。所詮、それも馬鹿の
壁になるが、それが知らずにプライドになっていく。 これが危険という。 
〜その辺りを抜粋〜
≪ 外見や衣服、もしくは富や地位をひけらかすプライドといった些細な問題は
 取り上げません。もちろんこのプライドも、好ましくありませんが、所詮は
弱い心、もしくは大人気ない心から生まれたもので、心が成熟すれば克服できる。
 より危険なプライドは、「知的プライド」です。なぜならこのプライドは、
成熟した心に現れながら、その存在は明確ではないからです。
熱心な研究や思考の力、もしくは高等教育によって誰かが他人より秀でると、
そこに「知的プライド」、もしくはそれに近い感情が生まれます。
 ある人はこの感情によって、他者を「惨め」と決めつけたり、物事の真意を
つかめない人に対しては、もっとエスカレートして「馬鹿な連中だ!」と叫んだ
りするのです。この類のプライドが、近代の改革を台なしにしています。
利己的な改革に異常なほどに固執している政治家があまりに多く、自分に賛同
しない人を「惨め」ととらえ、この感情を他の民族や先人たちにまでも、
伝染させるのです。・・・
 「私は真理を守るために力をつくします」
そう老いた哲学者に語りかけた若者がいました。
「若者よ、そんなに真理を守ろうとしているは、真理か、
 それとも、真理に対する自分の意見か、どちらなのだ?」
哲学者は、そう静かに質問したのです。
人が真理を知るとき、それを守ろうとしません。なぜなら、真理そのものが
守られた存在だからです。同じように美徳に関しても大騒ぎなどしないのです。
静かに、しかし、明確に、真理は、それ自体が人生の中で人格のようなものと
して存在意義を示しています。人格とは、だれもそれに対して反論したり、
議論できるものではないのです。 言葉や議論は、砂の上に書かれた文字のよう
なものです。それに対し人の行動や人格は、人生という永遠の岩の上に、
けっして消えないように刻みこまれた彫刻のようなものなのです。 ≫
▼ 「世間」を嫌っているのが、私のみすぼらしい「知的プライド」が、
 原因だろうかと、思い浮かんだ。現象をそのまま、事実と区別しない輩。
こういうことは、黙っていればよいものを。わざわざ。知らないということは、
底知れぬ恐ろしさがある。 この「知的プライド」の危険性もだが!
この半世紀も何を読んできたというのか? このことを知るためか!

・・・・・・
5958,洗って使える 泥名言 〜3 ーライオンは弱い奴を狩りに行く
2017年07月08日(土)    
            <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * ライオンは弱い奴を狩に行く
  〜 他の章の面白い泥名言が… 〜
<すべての男は3等賞や。それを一等にするも、三等にするのも自分や。> 
 と、知り合いのママが言っていたというが… 凄いことをいう。更に、
<三等を三等のままにしておくのも立派なことで「それで充分やんか」>
 だと。それもこれも、泡沫の夢幻の話。死んでしまえば皆、同じ。

<ライオンは弱い奴を借りに行く。>
 暴力と貧困は、高いところから低いところに行く。世間とかいうゴミダメは、
 こういう弱者探しを生業に成立ち、日常会話で「にわか裁判」をしている。
 まず検事がいて、裁判長、そして傍聴人までいる。多くが、人生不燃焼組で、
 その燃え残りに火をつげ、自己満足する輩。対象は「大変な人」。

<よく離婚とか、彼女と別れる段になって、きれいに別れようとするバカが
 いるじゃないですか。あれ、一番ダメなんですよ。何やっても嫌われるの
 なら、「どうして、こんな奴と」思われるぐらい嫌われた方がいい。>
 キレイに事業撤退とか転職をしようとするから、ダメ。嫌われ罵声を浴び、
「これも有りか」と、独り打ち震えるのを逆に楽しむ位でないと。 
「最期は、キレイに撤退したい〉の私の要請に対する弁護士の答え
〈借金を踏み倒すのに、キレイも汚いもない。70点が最高点と思って下さい!
〈それでは、70点に近づけるように、お願いします。〉と方針決定。
 甘かったかもしれないが、過去の経験からして、やはり、後味の悪いのは、
 傷口に悪い。
―
▼ 大変な家庭環境の中で、下ネタ経験充分の人生もあり、とう泥名言の数々。
 緑の原野(娑婆)には、花も実もあるが、捕食動物も、被捕食動物もいる。
狩るか、狩られるかの弱肉強食のドラマが日ごと繰り返されている。ところで、
『今、何になっているの?』『何を狩ってんの?』『何を楽しんでるの?』
『人間をしているの!』『好きな遊びを探してるの』『趣味を楽しんでるの』…
… など、様ざま。問題は、時間が限られていること。キーワードは、『よく』
が、それぞれの生きざまの頭についているかどうか。その為には考えることだ。

・・・・・・
4863,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー31 
2014年07月08日(火)
  * 都銀支店長の全面協力が、出発第一歩!  〜後半編へ
 時は、1980年3月1日。都銀・営業のTさん(兄と私の嫁を世話をした恩人)
の上司である支店長が、私に面会したいという連絡が入っていた。
当日、本店の朝礼で辞任挨拶をした足で銀行に行った応接室で、辞めるに
ついての経過と、今後の事業計画を述べたが、それを黙って聞いていた支店長が
おもむろに、『現状のままでのホテル計画なら賛成できないが、貴方が会社を
辞め、以前に手がけた千葉のビルを売却して始めるのは筋が通っている。当行と
して今後の資金計画の全てを協力します!まず千葉のビル売却からですね!』と。
金融の知識や、長期資金調達方法が皆無の私にとって、渡りに舟の信じられない
言葉! 小説のような話である。何ごとも、実績? 直前に辞任の挨拶をして
きた帰りに、次の事業計画の最大の理解者を得て、最大課題の解決の糸口を
得たとになる。その間、僅か一時間。幸先良い出発になった。地銀の役員
クラスでは、無理! 今の私が都銀の支店長なら全面協力をするが・・ 
地方豪族化した彼らでは?それもあり、今回の私の結末は、地方豪族システム
の価値観で染まった地元権力の残存者には最高の物語? それもいい。
 あと一つ、現在も酒友だが、当時の相互銀行の計算センターの部長が、
そこの契約コンサルタントのW先生が、私の事業計画を聞きたいという。そこで、
ありのままを話すと「この事業計画は間違いないでしょう!」の、お墨付き。
私にすれば15年間の捨身の計画だが、誰も、それを知らない。もし都銀の
支店長の全面協力が無かったら、その経営コンサルタントと契約することに? 
その後、姉夫婦の倒産の後始末と、義父の会社の不動産トラブル解決をして
貰うことになったが・・ 既に20数年前に亡くなった。
・その前の節目は、実家の会社で、産地の大手問屋の全面協力と、暖冬で
 暴落した冬物で大当て、波に乗せたこと。 
・千城台ビルの二店舗は、商社のS氏が本気で面倒を見てくれた。 
・その前のジャスコ辞任後の産能大時代では、千葉の新興住宅地の中央四つ角
 商業地の売出し記事をみて応募、抽選で当選、次へのステップになっていた。
・今回は、都銀支店長が全面協力の約束。 などなど、節目節目で、何もかも
プラスに働いたのも、右上りの時代に捨身で挑んだため。どれも紙一重で、
思わぬ因縁がプラスに導いた。捨身で、全力で節目に挑めばこそである。
・・・・・・
5593,幸福の条件とは 〜�� ドーダの四分類
2016年07月08日(金)
           <「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著>
   * ドーダの四分類
「ドーダ!」という自己愛・威張り動機で人間は行動し、歴史もこれで動く、
という論だが、面白いのは、それを四分類をしたところ。『ドーダ』をネット
検索をしたところ、分かりやすい解説があった。 〜その辺りから〜
≪ この価値は、ドーダという自己愛の表現を、「陽ドーダ」「陰ドーダ」
「外ドーダ」「内ドーダ」の四つに分類したところにある。
・陽ドーダは、ストレートの直球型。「ドーダ、おれはすごいだろう」である。
・陰ドーダは、ひねくれた変化球型。貧乏が清貧になり、粋が乙になる。
 病院での病気自慢や、不幸自慢など、日本のドーダはこの陰ドーダ系が多い。
 筆者は、日本が戦争で負けた、いや、戦争を起こしたことそのものも、西郷隆盛
 の陰ドーダの怨霊が日本人の思考としてこびりついているからだと説く。
 要するに、負けるが勝ち、現実で負けて思想で勝つというやつだ。
・外ドーダは、ドーダの向くベクトルが外に向うこと。その典型がお手本ドーダ。
 お手本を外に求めて、自分がそれに忠実であることを自慢する。日本の学者の
 ほとんどがこのお手本ドーダである。
・内ドーダは、自己の告白の赤裸々さを自慢する赤裸々ドーダ。
 不幸ドーダ(あれ、陰ドーダとどう違うのだろう)、根拠なく自己の国や
 出身地を最高とするお国自慢、愛国ドーダ。≫
――
▼ 「限度なき貧欲」を漫画家の「ドーダ」の一言で、歴史上の難解な事件を
 解明するとは新鮮な着想である。人の心は、この4つが絡みあい捩れている
ため、まずは、一つずつ、とき解いていかなければならない。この随想日記を
書き続けているのも、「どうだ、15年以上も続いているだろう!」の気持ち
が有るため? いや、新たな知識、日々の刻印のため。それより面白いが先に
立つため。「ドーダ」だったら、途中で、止めていたはず。モナコのヨットの
船着場で、夏場、豪華パーティが開かれる。これも主催が、招待者に、
『ドーダ、凄いだろう!』の、見栄のため。世界の金持ちも、こんなもの。
エジプトの古代のファラオが、豪華神殿をつくり、近隣の王族に見せつけて、
戦意を奪ったというが、これも「ドーダ」の典型だろう。当然、事前の知識が
なかった私も、数千年の時間をおいて、腰を抜かさんばかりの動転をした。

・・・・・
4496,怒らないって本当は恐い! ー11
2013年07月08日(月)              
  * 怒りへの反発を覚悟し、耐えて生きる   『怒りの作法』小川仁志著
 怒りっぽい私は、常に反発されてきたが、それぞれの問題の中心点を凝視、
考えることで何とか乗り越えてきた。考え続けると、いつの間にか、その答えが
導き出されてくる。だから、この「怒りの精神論」が身にしみる。
  ーその辺りからー
≪ まずは怒りの精神論。 怒りは強いメッセージを発する。当然、それに
対する共感と反発が出てくる。そのメッセージが強いほど異論が噴出するのは必至。
それを予め承知した上で怒る必要がある。その覚悟がないと、大きは精神的打撃を
受けたり、怒りに臆病になってしまう。だから怒りには覚悟と準備が必要になる。
覚悟とは予め事の困難さを了解し、受け止める心構え。それはある種の決断と
いってよい。決断なしに闇雲に怒ると、後で後悔することになる。怒るべき時に、
決断して怒らないとチャンスを逸してしまう。怒りは一日24時間の中の例外事項、
怒るべき時に怒る一瞬の決断が必要ということ。 ひとたび怒ると決断するには、
どんな反発が来るか、どう対処すべきかを想定しておかなければならない。
 反発には、積極的に否定してくるのと、消極的に無視してくるのがある。
特に積極的に否定してくるのは厄介である。そこで重要なことは、反発を予め
予測して、その際の自分の出方を決めておくこと。それさえしておけば、対処が
数分の一で済ますことができる。そのためには経験の積み重ねが必要だが。 
心の準備が出来ていたとしてもへこむのが人情。そこに心の強さが必要となる。 
そのために自分の主張が正しくなければならない。正しければ、怒りは無駄には
ならない。 この国では、怒りは仏教文化の影響もあってマイノリティに捉え
られがちである。そして、孤立をしてしまう。心の強さとは孤独の強さをいう。 
岡本太郎は、「孤独ということは絶対に社会的だ。孤独者とは肉体的にも精神的
にも、他からの制約を誰よりも鋭く感じ、それに傷つきながら、なおも絶望的に
挑む人間である」と言っている。誰からも理解されなくとも、それでも挑み
続ける人間を孤独者と捉えている。孤独とは怒りと深く結びついていて、
それらがともに創作の根源になっている。・・・ ≫
▼ 怒りを表出するには覚悟がいる。その場で怒るか、タイムラグを置くか。
 過去の怒りが、数十年の時を超えて、蘇ることが、最近ちなみに多くなっ。
50歳位までは過去を振り返らないようにしてきた。しかし、還暦を過ぎた頃
から、思わぬ記憶がフラッシュバックすることが多くなってきた。
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」である。それもマイナーの怒りの
記憶が多く占める。それにしても己の無知蒙昧には独り怒った後に自嘲する
ことになる。過去は決して消えてなく記憶の奥に刻印されている。だから、
老いて心身が緩むと過去の封印された記憶が、あちこちから飛び出してくる。
 それも面白いが・・ 過去は現在の記憶でしかない。
そこに脚色も嘘も加わり、その都度、書き変えられ、違ったものになる。


6687,閑話小題 〜島に辿りついた3人の兄弟の話

2019年07月07日(日)

          『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著
  
   * 私は、島に辿りついた3人兄弟の話が好き。
 何気なく借りてきた、この本の中で紹介されていた村上春樹の
『アフターダーク』の一節を読んで、驚いた。 著者が「現実」と「本」が
交差して、「現実」そのものが変えられてしまったと。成るほど!面白い話は
尽きぬ。  例え話は、鋭く真実をついてくる。
 ―
≪・三人の若い兄弟が漁に出て、嵐にあって流されて、長いあいだ海を漂流して、
 誰も住んでいないハワイの島の海岸に流れ着く。 美しい島で、椰子の木が
生えていて、果物もたわわに実り、真ん中に高い山がそびえていた。 
 その夜、神様が三人の夢に現れてこう言った。
『もう少し先の海岸に、三つの大きな丸い岩をお前たちはみつけるだろう。 
お前たちはその岩をそれぞれに転がして好きなところに行きなさい。岩を転がし
終えたところが、お前たちそれぞれの生きるべき場所だ。高い場所に行けば行く
ほど、世界を遠くまで見わたすことができる。どこまで行くかはお前たちの自由』
・神様が言ったとおり、三人の兄弟は海岸に三つの大きな岩を見つけた。
そして言われたように、その岩を転がして行った。とても大きな重い岩で、
転がすのは大変だったし、ましてや坂道を押して登るのはえらい苦労だった。
・いちばん下の弟が最初に音を上げた。
『兄さんたち、俺はここでいいよ。ここなら海岸にも近いし、魚もとれる。
 じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
 といちばん下の弟は言った。 上の二人はなおも先に進み続けた。
・しかし山の中腹まで行ったあたりで次男が音を上げた。
『兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん
 生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』。
・いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。道はどんどん狭く険しくなって
 いったけれど、あきらめなかった。我慢強い性格だったし、世界を少しでも遠く
 まで見たいと思ったんだ。そして力の限り、岩を押し上げ続けた。何ヶ月もかけて、
 ほとんど飲まず食わずで、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げること
 ができた。彼はそこで止まり、世界を眺めた。今では誰よりも遠くの世界を見渡す
 ことができた。そこが彼の住む場所だった。草も生えないし、鳥も飛ばないような
 場所だった。水分といえば氷と霜を舐めるしかなかったし、食べ物と言えば苔を
 かじるしかなかった。でも後悔はしなかった。彼には世界を見渡すことができた
 からだ…。というわけでハワイのその島の山の頂には、今でも大きな丸い岩が
 ひとつぽかんと残っている。 ≫
 ―
▼ 含蓄の深い話である。いちばん上の兄が眺めた場所は世界を眺めることが
 出来る場所。ツアー道があるならば、より厳しい秘・異郷先に挑戦し、その先
を味わい、帰ってくる。大自然の神秘に触れ、感動を通し同化し、地球の広さと
深さを垣間見て、帰路に就く。それで、充分である。物質的満足感を遥かに超える
充実感。他者への説明の必要はない創業、いや、人生の味わいそのもの。
その味わいは、味わった者しか知り得ない至高体験。ただ、住みたいとは思わない。
 海辺の岩場で囲まれた岩穴で、外洋を知ることなく満足して生きるのも人生。
そうそう、外に出て世界を知るのも人生。問題は丸い岩を押し上げていく代償。
長男に見えていたのは、さて如何だろう? 丸い岩だけ。時どき、休み、下界を
垣間見ていた。その味わいは、麓に留まった弟たちには知り得ないこと。
としても、その石は重かっただろうに! 如何だろう次男のように、中腹に留まり、
時にピクニックで山頂に登って世界を眺め、時に海辺で釣り三昧。ただ、風当たり
が悪い?それぞれ、問題は生じてくる。反面、ハワイの土地柄で、何処も同じか!
 この手の話なら、限りなく面白そうな話が浮び上ってくる…   〜つづく

・・・・・・
6324,閑話小題 〜昨日は、中学校の同期会
2018年07月07日(土)
   * 同期会、つれづれに
 昨日は、中学校の同期会が開かれた。事前の幹事会、反省会を入れて、この
20年間、年3〜4回は開かれている。それ以前の20年は、同級会が行われていたが、
他クラスの参加希望に門戸が開かれ現在に至ってる。40年、年3回平均は見事。
・会場は長岡駅裏のニューオータニ。
・会費が写真、二次会込みで14000円。
・出席者が47名。(男性26名、女性21名)
・二次会は7割ほどの30人が参加。終了時間が21時半。

幹事は2時半に集合。早く来てみたものの何をするでなく、クール・ウエルカム
ドリンクに何気なく置いてあったウィスキーを飲みだす。暑さに、空腹効果も
あり、16時の開宴前に半酩酊状態。これも何時ものコース。会費が14000円だけ
に年金暮らしには、キツメ? この一年で4名が鬼籍に。年々、一期一会の
感が強くなっている。72〜73歳の壁は、そう低くはない。少し認知症気味の人を
見かけたが、酔いあるような。

所属していたクラスの総数58名中、女性3人、男性が6名、合計9名が出席。
リアルに表現すると、上位成績者が、そのまま出席。(トップだった慶大の
教授は22年前に物故者に)。下位成績の三分の二が亡くなっているのは何故?

同期会では、いつも大人しいが、昨日は、早めのウィスキーのウーロン茶割
のためか、私だけでなく全体がハイテンションが、最後まで続いていた。
考えてみたら、元旦の家族会以来、宴会は初めて!「半年以上、飲み会無し」
も50数年来、無かったこと。帰って早々22時に就寝し、爆睡で、朝4時に起床。
さてポタリングと思いきや、外は雨。 寝直すことに… 

人間、古希の坂を超えると、下り坂の角度が、年々下がっていく。そして、
まさか自分が…の「まさか」の坂が待ち構えているが…『他人は先、我は後』
の楽観が目先の不安を掻っ切るから、呑気なモノ。

5年前に、肝臓ガンの同期の男。慌てふためいていたが、無事、出席いていた。
「死んでもいい!」と割切り、毎日、五合の酒を飲み続けているというが、
「まだ、死に神から御呼びが来ない」と自虐。これでは緩慢な自殺量を遥かに
超えている。 来年の再開は無理?かいな。

・・・・・
4121, 空腹感のすすめ
2012年07月07日(土)
             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  
 最近、「空腹の勧め」をTVなどで紹介しているのを見かける。以前も、
ここで飽食の猿と空腹の猿の生存年齢の違いを取り上げたことがあった。
生物は長年、飢餓の境目に生きてきたため飽食に対しての身体が出来ていない。 
著者は、空腹感状態の方が身体に良いという。私は終戦直後に生まれ、それも
大人数の兄姉の末っ子だったたこともあり、
今でも腹八分目は食べないと気が済まない。 ー以下は、そのくだりー
  * 空腹のすすめ
≪人間にかぎらず、動物というのは空腹であるのが健全な状態である、と言う。
 空腹である、ということは、摂取した食料が体に採り入れられ、それが身体
各部の必要なエネルギーになり、新しい細胞を作っている、ということであって、
動物の体を作ってゆく、という面では生産的であり、体内に蓄積されたエネルギー
を消費するという面では消費的な活動をしているのである。空腹というのは、
今、体内に採り入れた養分をしかるべき所に配分しております、という合図。
それで、もう体の中の余分なエネルギーは残っていません、というのが疲労で
あり、休息と食事の時間、ということになる。それなのに、生物の中でも最も
恵まれた動物である人間は、空腹を感ずると、すぐに食べはじめる。
体を生産的なことに動かしながらも、食べ物、飲み物を口に入れる。
考えてみてほしい、空腹感は、あれで結構、好ましい状態なのではないか。
少なくとも食いすぎの状態よりも、気持ちがいい。「腹が減ってきた。
何を食おうかな」と私たち祖先は考えて、獲物になるものを探したのであろう。
空腹はそういう根本的な動物の行動を促す動機になる。それなのに現代の日本の
ような先進国では空腹を感ずると食料が手に入る。戦前の家庭婦人の場合は違った。
朝から掃除、洗濯、昼食は残り物でいい加減にすまして、午後は洗濯物をとり
入れて、アイロンをかけて収納する。さて一休みという段階で、ちょっと空腹感
を覚える。空腹になって、それでは夕食のメニューを何にしようか、その材料を
買いに着物を着替えて、駅前のマーケットに買物に行こう、夕食は何ということは
まだはっきりしないが、マーケットに行けば、その日の安いもので、亭主の好さな
ものが見つかるだろう。つまり空腹が夕食の準備、そのための買い出しといった
新しい行動をうながしたのである。こうやって、夕食の準備をして、子供には
先に食べさせて、寝かしつける。 自分は空腹をガマンして、午後八時ごろに
帰宅する亭主を待つ。≫
▼ そういえば独身時代、三食を自分で準備をして食べていた頃は、
 時間が来たから食事をするというより、腹が減ったため食事をしていた。
そのためか、何を食べても美味しかったことを憶えている。この年齢だと、
腹5分位が丁度よいというが、まだ腹8〜9分目まで満たさないと物足りない。
 人間は精神的空腹感も同じように必要か!青年期の精神的渇望感が懐かしい。

・・・・・・
5227,「エリック・ホッファー自伝」 〜�ァ愿�応しえぬ者たち』
2015年07月07日(火)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 適応しえぬ者たち
「季節労働者キャンプにいることが何を意味しているのかがわかった。
 ここにいるわれわれはゴミの集まりなのだ、と。」 
誰が好んで、ここに居るものか、社会に適応できぬ者たちが、ここにいる。
まあ、シビアである。 私の社会生活、アウトサイダーと自認していても、
適応できないだけかもしれない、 〜その辺りから〜 
≪ ―開拓者としての放浪者?―ば かげた考えのように思えた。しかし、
白い砂漠を横切って歩いている間中、この着想について思いをめぐらせていた。
開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか。
人間はめったに居心地のよい場所を離れることはないし、進んで困難を求める
こともない。財をなした者は腰を落ち着ける。居場所を変えることは、痛みを
伴う困難な行動だ。それでは、誰が未開の荒野へ向かったのか。明らかに財を
なしていなかった者、つまり破産者や貧民。有能ではあるが、あまりにも衝動的
で日常の仕事に耐え切れなかった者。飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなど
の欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。そして、このほかに
冒険を求める少数の若者や中年が含まれる。おそらく現在、季節労働者や放浪者
に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていた
のだろう。新しい国への移住はほとんど例外なく、これに妥当する。
 オーストラリア移住の前衛を占めたのは元受刑者だったし、シベリアに定住
したのは流罪者や囚人だった。アメリカで初期と後期の移住者は失敗者や逃亡者、
重犯罪人だったし、宗教的情熱に突き動かされた開拓者だけが例外である。
ともかく、この放浪者と開拓者の親縁性の発見は、私の心を強く捉えた。
それから何年もの間この発見、表面的には放浪者にも開拓者にも関係ない考察と
絡みあい続け、それまで関心を抱くことがなかったテーマについて考えるよう、
私を導いたのである。そして、人間の独自性とは何かという根本的な問題に
突き当たったのだ。
 人間という種においては、他の生物とは対称的に、弱者が生き残るだけでなく、
時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きもの
を選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。
弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりも遥かに強いエネルギーを放出する。
明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。
弱者の影響力に腐敗や大敗をもたらす害悪しか見ないニーチェやD・H・ローレンス
のような人たちは、重要な点を見過ごしている。 弱者が演じる特別な役割こそが、
人類に独自性を与えているのだ。われわれは人間の運命を形作るうえで弱者が
支配的な役割を果たしているという事実を、自然的本能や生存に不可欠な衝動
からの逸脱としてではなく、むしろ人間が自然から離れ、それを超えていく
出発点、つまり退廃ではなく、創造の新秩序の発生として見なければならない。≫
▼ 弱者の立場から、その役割の重要性を看破している。「特別の適応」を
 弱者は見出していく。弱者の自己嫌悪は、通常の生存競争より遥かに強い
エネルギーを放出する。それは、挫折をした節目で、内に向かって出てくる
それである。それが強者に勝利する原動力になる。適応しないことも時に重要
になる。ただし、目的が、そこに有るかどうかが、孤高と弧底?の境目になる。

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5957,洗って使える 泥名言 〜2
2017年07月07日(金)
            <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * 鉄マン ―性のアスリート 
  何のことやら?の、深く、かつ面白い下ネタが次々とつづく。  
★ <金ちゃんね、夜5回、朝2回なの。これは恋だと思うの> 
 まあ、驚きというか。その下りが… 
《 猛者といえば岩下志麻子ちゃん。彼氏と夜5回。朝2回ぐらいやらないと
 恋じゃないという。普通の日本人のやり方じゃあ単なる御あいさつなんです。
本当に‘鉄マン’だなと思う。もはやアスリート。
 志麻子ちゃんが常々言っているのが、
「私が悪いのではなくてマンコが悪いの」
「私にマンコが付いているのではなく、マンコに私がついているの」
すごいのは、租チンには当たったことがないっていう。… で、巨根の人
だけアソコが赤く光るとかね。そういう人だけを食べているの。だから、
志麻子ちゃんに素通りされたら、男として残念なことになります。まあ、
逆にロックオンされたら困りますけど。》
★ <歴代の女が泣いてわめいて角取ってくれた中古の男がちょうどええ。>
★ <一人3ちんぽ>
 「チンポマエストロ」と呼ばれている知り合いの不倫道の先生の教えで、
「不倫するなら一人3チンポぐらい持っておけ」と。一本に固執するから、
 さまざまなトラブルや事故が起きる。「あの人と連絡がとれない」とキーッ
 とならないために「じゃあ、こっち」「そっちがダメならこっち」と。
 いきなり日曜日に相手の家に「来ちゃった」とかならないように。
 3本を上手くまわしましょう。
 「そもそも向こうが奥さんと二股をかけているんだから、こっちも二股を」
 という「チンポフェアトレード論」を前から主張しているですけど。だから、
 不倫道としては3本まで。あまり多いと、色いろ支障が出てくる。毛利元就
 の3本の矢じゃないけど、3本のチンポの教えとして心に刻んでおいて下さい。
★ <こんな気持ちのいいことでもお金をもられるなんて夢みたい>
 以前、タイで会った若い買春婦の子の言っていたから、色んな人がいる。
―
▼ 鉄マンから見えてくる人生がある。男と女では、あまりに格差がある。
 男社会は、下スキャンダルに厳し過ぎる感がある。 で、晩年?、
「やっときゃよかった話」になる。
 


6686,読書日記 〜哲学の女神との空想上の対談 ―3

2019年07月06日(土)

                  『哲学の慰め』ポエティウス著
    ★ さらに「哲学の女神」の言葉を…
  〜 真の幸福は、外でなく内なる心の状態である 〜

≪ ◉ 人間は愚かにもウツロイやすいものに幸福を求めてしまう。
 だが、真の幸福は内にある。自らコントロールできるし、不運だといって
壊れない。ストア派と同じ考え。今日、起こった不運を達観することによって、
自らどうにもならないものに影響されないことだ。 
 幸福とは世界ではなく、心の状態である。エピクロスはこれを悟ったのである。
女神は、もう一度、自分の方に、ポエティウスを自分の方に向けたかったのだ。 
富や権力や名誉は来ても去っていくので価値はない。そのようなものに幸福の寄り
どこらにしてはならない。幸福とはもっと堅固で、奪われることのないものから、
生れなければならない。 ポエティウスは死後の生を信じているのだから、現世
のつまらないことに幸福を求めることは間違っていると。
いずれ、死により全てを失うから。
◉ それでは、ポエティウスは、どこに真の幸福を求めるべきか。
 天使の女神の答えは、「神あるいは善」ということになる。
女神のいう神とは、プラトンが提唱する善のイディアだろう。
 女神はポエティウスが知っていたことを思いださせようとする。
これもプラトンの考え方である。プラトンは、学問とは、すでに持っている
考えを思い起こすことと努力することだと。ポエテゥウスがある程度知って
いるのは、自由や世間の称賛を失うのを怖れる必要が無いということ。
こうしたことは、ほとんどコントロールできない。大事なことは状況をどう
考えるかであり、それを選ぶことができるのだ。 
囚人は神を信じてきた多くの人を悩ませてきた、本質的問題に突き当たる。
神が全知全能なら、これまで起こってきたこと、そして、これから起こることを
知っているはず。それについて女神は…<私たちは前もって知っているものの、
人間が、どう行動するか、何を選択するかによって、あなた達を見極めている
ことを忘れてはいけない!> と。何も、自由意志なのだ。 
◉ 11世紀を生きたイタリアの修道士で、のちのカンタベリー大主教になった
 アムンセルムスが、私たちが神の概念を抱いているという事実が、論理的に
神の存在を証明しているという。 アムンセルムスの『存在論的証明』である。
彼は『プロスギオン』で、<神が「それより偉大なものを考えることができない」
存在であると主張する。言い換えれば、神は想像しうる最も偉大な存在ということだ。
力、善、知においても最も偉大であり、それよりも偉大なものは想像できない。
できるとすれば、それが神なのだろう。神は至上の存在だ。 ≫

 ―
▼ 死刑執行を前にして、心の底の善こそ、最も重要と目覚めることと学ぶ。
 私の実践判断の中で、『可能な限り、後味の悪いことは避ける!』があり、
判断、決断時のフィルターにしてきた。ふり返り、これで多くが救われていた。
それもこれも、「最後の最後は、おのれ独り」といいうことになる。
人生、学び足りなかったことが、あまりに多い! 甘い、いや甘かった!

・・・・・・
6323,閑話小題 〜今年も半期の終了 −5
2018年07月06日(金)
    * 〜スイス 名門寄宿学校〜 2 ―『ボー・ソレイユ』
 人生を振返り非常に恵まれていたと思うが、特に学生時代が充実していた。
昭和40年代前半で、ベトナム戦争と、経済成長が急激の右上がりの真っ只中。
現在からみれば時代格差もいいところ。その中で、500坪ほどの早大・事務局長
の庭先に「くの字」の男子学生を中心にした寮生活。「くの字」の真中に炊事場と
洗濯場があり、両側が出入り口とトイレがあった。床は土間で、個室で鍵が付いて
いた。寮生には、秋田、福島、新潟、九州、石川など全国から様々な職業の子弟で、
早大が半数と、その他の大学に通っていた。一年もすると、数人の学生と旧知の
仲のように親しくなって、それぞれの部屋にフリーパスのように、出入りするのが
当然という雰囲気になっていた。そこで知らされたのが、読書の絶対量不足。

 2年生まではクラブと、この寮の学生が交流範囲。しかし、2年後半からは、
3ヶ月に一度の軽井沢の友愛山荘のアルバイトが、加わっていた。軽井沢の山荘で、
私以外の海外旅行の計画話を聞いて、「自分も」と、一大決心をして3年の夏休みに
1ヶ月間の欧州ツアーに参加し、別世界を垣間見た。さらぶ別次元の家柄の子弟とも
親しくなったことと、その因縁で、4年時に、『武澤ゼミ』に参加することになった。
その年次ごとに、アップスケールを着実にしていたことになる。
 それぞれの時期に知り合った友人とは現在も交遊が続いている。様々な世界に触れ、
様々な友人と知り合えたことは、何にも替えがたい経験となった。とりわけ、何人か
の教授との出逢いが大きく人生を左右した。それがあればこそ、11〜18歳までの
多感の時節の寄宿舎の内容に、ひたすら、関心してみていた。

 オープンハウスと、シェアハウスを加えて二つに割ったような寮生活(自炊…)
と、クラブ、そしてゼミは、それぞれの共同体そのものが、共同意識として、
良い意味で自分を支配し、レベルアップさせる働きしていたようだ。
 学生時代に大きく培われるのが、『自主性』と、新しい世界への『挑戦』と、
『平等』と、『変化』への果敢な精神。新たな経験と知識を、夜を徹して酒を飲み
かわし、語り合う。そこで、自分と、この私の世界の小ささの認識をすることに。
そして、外に平がる膨大の世界への直感。スイスの山麓で、ベストの仲間たちと、
先生と、ベストな食事などの環境下での8年の寄宿生活。この効果は無菌なるが
故に絶大になるのだろう。

 進級する度に、一つずつ世界が広がっていった学生時代。『ボー・ソレイユ』
にも、世界各地の秘境ツアーが紹介されていた。この年齢で、世界各地の絶景が
もたらす精神の効果は絶大のはず。現在、アフリカ、中近東からの難民が地中海
の波間を彷徨っている。あまりにも世界は、格差が大きく開いていく。
王侯・貴族の世界を知っておくのも、悪くないという話の一節! それぞれの
背中のリュックには、多くの行蔵が入っている。あの静かなスイスの寄宿生活
には、はち切れんばかりのエネルギーが迸り出ていた。
    
・・・・・・
5591,私の人生で出あった大断層は
2016年07月06日(水)
   * 私の人生で出あった大断層とは
 日本の断層といえば、戦国時代、明治維新、太平洋戦争の敗戦、そして、
バブルとバブル崩壊による日米経済戦争の敗戦である。敗戦直後に生まれた
私にとっての最大の断層は、ソ連・東欧の崩壊と時を同じくしたバブル崩壊。
 アメリカによる日本潰しだったバブル崩壊について、あまり語られないが、
太平洋戦争敗戦に比する経済敗戦。あれ以来、大規模な金融再編、大型スーパー
や百貨店の倒産、西武鉄道グループの銀行管理などが連鎖して起こった。
 その結果、資産デフレが、10年、20年かけて、じわじわと日本経済の体力を
奪っていた。2001年の9・11テロ、2008年のリーマンショック、2011年の3・11
大震災が、更に加わった。そうこう考えると、地方の一中小は、他動的な、
思いもよらない大波に飲まれたら一瞬に消え去るしかない。 私の事業も、
バブルとバブル崩壊の結果、デフレの大波に飲みこまれたことになる。
 バブル崩壊以前の大波といえば、
・大学卒業から2年半後の1971年8月に、ニクソン大統領の発表した、
ドルの金との交換 停止によってドルの価値が急落したドルショック。
・次にオイル・ショックで、1973年(第1次)と1979年(第2次)に 始まった
(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる
世界の経済混乱である。
・そして、極めつけは、アメリカの謀略の1985年のプラザ合意がある。
プラザ合意については、バブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、
バブル景気とその後の失われた20年(長期の経済低迷)の起点という
見解がある。
そうこう考えると、私の人生も、世界の政治経済の潮流に漂っていただけ。
もう一つ、1995年のウィンドウズ95の発売と、普及。そして、最近の
スマートフォンとタブレットの普及である。ネット社会が、何時の間にか、
現実社会を覆ってしまった。その結果、頭と足が腐ってきた。

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5226,「エリック・ホッファー自伝」 〜��
2015年07月06日(月)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
    * 運命の出会いと別れ
 ホッファーの放浪者としてのベースは、『旧約聖書』との出あいである。
それを引き合せてくれた運命的邂逅の相手が、雇い主のユダヤ人であった。
<ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である。>
のとおり、ホッファーも放浪労働者として、真理を追究していく道を選んだ。
 〜その辺りから〜
≪・ドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれたエリック・ホッファーは、
 7歳で母を亡くし同時に失明。15歳で突然視力が回復すると、また視力を失う
 怖さから本を貪り読むようになる。18歳で父を亡くし天涯孤独の身になると、
 さまざまな労働に従事するかたわら公立図書館を利用して読書に没頭する。
 家系はみな短命で、50歳以上生きた者が誰もいなかった。自分の命も40年
 だと疑う事なく信じていたホッファーが40歳までの"半生"を綴っている。
・ローズベルトが大統領になる前のアメリカは、自己憐憫とはまったく
 無縁だった。言葉を交わした人間の誰一人として、自分の不孝を他人の
 せいにする者はいなかった。
・雇い主のシャピーロとの会話は本の話題が中心で、彼は私が何を読んでいる
 のか知りたがった。彼は大学を卒業しており、死んだ叔父が倉庫を残さな
 かったら、学者の道に進んでいたらしい。つまり、大学教授になる代わりに、
 やり手のくず鉄屋になったのだ。私は贈罪日に倉庫を閉めたのを見て、
 初めてシャピーロがユダヤ人であることに気づいた。それからユダヤ人に
 関する本を読み始め、シャピーロが私に関心を示したのは、彼がユダヤ人で
 あるからだと確信するようになった。ユダヤ人は特別な民族である。
 彼らは神を見つけ出し、その数に比して歴史的に大きな役割を担ってきた。
 <ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である>
 そうした神を崇拝し模倣した西洋においてのみ、機械時代が訪れた。
 中国人と日本人はその発明の才と技術習得力にもかかわらず、機械時代を
 招き寄せられず、西洋から受容しなければならなかったのだ。
 この考えにシャピーロは喜び、ぜひそのことを書いてみるべきだと言った。
・古代の始まりからユダヤ人は、人間の顔に表れる象形文字を判読する能力に
 秀でていた。人間が何をしようと何を考えようと、それは顔に刻み込まれる。
・新たな好奇心が私を旧約聖書へと導いていた。ちょうど筋肉がついてきたという
 意識が、青年をウェイト・リフティングやレスリングへと駆り立てるように、
 精神が成熟してきたという意識が、私を未知の新たな仕事へと向かわせた。
・貧困者に対して非情になるなという訓戒が、争いごとにおいて
 貧者の肩をもつなという冷めた諫言と並存している。
・この世の現実に執着するあまり、古代ユダヤ人は来世のことを考えなかった。
 彼らにとって最高の報酬とは、自分の寿命を延ばしてもらうことである。
・真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを
 探るうえで必要不可欠な才能だ。≫
▼ 放浪労働者から解放される機会が多くあったが、敢えて、その道を
 選ばなかったのは、40歳までしか生きられないという思い込みがあった
ことと、旧約聖書の影響である。しかし、放浪労働者は違っていた。
ただ社会的不適応者でしかなかったが、彼らの群れには魅力が隠されていた。

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4120, オニババと、粗大ゴミ
2012年07月06日(金)
 * 女の変容    「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。奥さんが
曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に「男から見る女性の、対男性
の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期の
オニババ化が始まる。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、
 男としては、うん、この女は優しくて、オレの世話を何くれとなく見てくれる、
 と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。
 それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと容赦しない。
 彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、
 亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわり
 のあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、すざまじい勢いで叱り
 つける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。
 この場合の指図される相手は、多くの場合い、亭主しかいないから、オニババ
 の夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。 ≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。
 予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。
オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代が大量に定年を向かえ
家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミが
イガミアッテいる。私など平均4時間は外出。ちらほら愚痴が聞こえてきて
いるが、当人にとっては切実の問題。以前読んだ、あるエッセーにあったが、 
定年になった時に、「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」
妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を
始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。人間の記憶の大部分が
マイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナー
を身近の人に見ることになる。その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が
進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から
解放された挙句に、である。


6685, 読書日記 〜哲学の女神との空想上の対談 ―2

2019年07月05日(金)


                『哲学の慰め』ポエティウス著
 ポエティウスは、『夜と霧』のフランクや、ロシアの小説家ソルジェニーツィン
など、絶望の牢獄の中で、人間の生と死を考えた人のはしり。彼の「哲学の女神」
を通した言葉は千数百年の時空を超えて迫ってくる。成るほど、高貴な精神は
残るのである。
  
  ★ 「哲学の女神」の言葉
◉ 天の広大さ、確かさ、はやさを見よ。そして、ついにそんないやしいものを
 歎賞することを止めよ。
◉ 他の生物においては自己を知らないことが、その本性であるが、人間にあって
 それは欠陥から生じるのである。
◉ この秩序を見ることの出来ない我々にとって、一切が混乱的、かつ乱雑的に
 見えるとしても、やはり万物は、善にいこうする自らの法則に依って規定されて
 いるのである。
◉ 「だから」と彼女は、言い続けた。
「賢者は運命との闘いに引き入れられることを嫌がってはならぬ。
 丁度、勇者が剣の響きにたじろいでは成らぬと同様に。
 というのは、困難が却って両者にとって機会に―  
 後者にとって名誉を広める機会に、
 前者にとって知恵を広める機会になる。
◉ 哲学の女神は、「運命を信じるなら、高い地位や評価、富に恵まれて「幸福」
 に 生きてきたけれど、それが御前をここに送り込んだのなら、そんなものは
 本当の源であるわけがない。
 ―
▼ 更に絶望の淵の囚人は…
<「運命の女神」を信じるなら、女神が来ると同じように女神が去ることを予測
 すべきだ。それは季節が巡るようなものでしかない>と! 哲学の女神と、
囚人の対話は、神の意志と自由意志という、より大きな疑問へと発展していく。
『偶然なぞ、宇宙のどこにもない、すべてを司るのは神の意志』だと。
 そう言われたら、当然、その神の意志とは何か?と、問うだろう。哲学の女神は、
これに対して、『人間の自由な選択が、どのような未来をもたらすかを、神は現在
のこととして見ておられます』と説明する。神は、人間の選択の結果を知っている
が、導きを乞われない限り、その選択に干渉することはない。神の意志が宇宙を
苦もなく動かすのに対し、運命はその時々の個々の人間の動きに影響を及ぼすに
過ぎないことを、囚人は学ぶ。「神のそばで生きる者は神の意志と調和して生き、
その結果、神の意志を頼みにすることが出来ると…」。 それに対して、
「自分の意志で生きていると信じる者は、完全に運命に縛られ、逆説だが、自分に
生き方を掌握しにくくなる。静けさを尊び味わう者は神の御心を知り、不安と混乱
以外に何も何も感じ取ってない者には、運命の厳しさだけが残る」と!。
 同じ自問自答でも、絶望と恐怖の牢獄での魂の叫びが響いてくる。
人生、ハッピーエンドがベストとは限らない。誰の最期も、アンハッピーと固く
信じていれば、混乱と絶望の中で息絶えなくて済むものを。 いや同じか。
しかし、同じではない! 叫びの中で、魂が、こう残っているではないか。
 自由を望めば、それだけ自由になれる。何故なら不自由は、自らの心の壁。
ところで苦しいのは最期の30分としても、囚人の最期は、キリストのごとく、
あまりに過酷。 人生には、宗教が必要ということ! 
 人生を振返ると、信じられないことが次つぎと。白い、黒い、まだら色のスワン
が次つぎと舞い降りてきた。そういえば嘘のように可愛いのも… 憎らしいのも。
 人生、自由を楽しめる者には面白い! 群れるな、横を向くなよ。自由に遊べ。

・・・・・・
6322,閑話小題 〜今年も半期の終了 −4
2018年07月05日(木)
   * 〜スイス 名門寄宿学校〜 ―NHKプレミアム
 ドキュメントでは、
【 まるで映画のよう!名門寄宿学校ってどんなところ?
  密着!プリンスたちの学び舎 〜スイス 名門寄宿学校〜
   6月6日(水)[BSプレミアム]後9:00 】 が圧巻だった。
偶然、去年の今日(同月同日)、<モンテッソーリ教育を受けた有名人>
をテーマに書いていた。この偶然にも驚かされたが… 慶応には幼稚舎から
大学までのエスカレーターのコースがあり、年に最低、?百万はかかる。
このスイスの学校は、1200万。11〜18歳の8年制で、合計一億円になる。
慶応でも500万×20年=一億円。 まあ、いいが… 
 このテーマを書くにあたり、昨日、二度、続けて録画をみたが、成るほど、
理に適っている。NHKのHPに詳細を譲るが、内容は御伽噺をみているようで…
こういう「選ばれし者たち」の理想郷のドキュメントに、反発を覚えるタイプ
だが、ここまで映画のような世界に… 私の二回みたそのままを書くと!
―
▼ ・スイスアルプスの麓にある「11〜18歳までの「8年制の学生寮と学校
 『ボー・ソレイユ』」の紹介。
 ・全校生240名、先生が54名。生徒は人種を問わない世界各地から…。
・学費は三食、寮費込み1200万。8年制として大よそ、一億円。 食事は豪華
 なビフェスタイル。
・家族から引き離されるため、両親の役割の専任教師もいる。
・クラブは40ほどあり、2つ以上の加入が義務つけられている。
・部屋は2人の相部屋が基本。男女の比率は見たところ、男2に対して女1.
 白人2に、有色人種1の割合。
・世界中からスカウトされた先生の質が抜群。歴史でも、美術でも、何故何故と
 考えさせるのがベースにある。
・18歳で卒業後、有名大学とか、ボランティアで、世界にちっていく。
・スキー場が目の先にあるため?秋口から春先まで、週一、半日の実施訓練が
 義務つけられ、3月半ばに、全校生参加の、3時間のスキー大会が圧巻。
 〜ボー・ソレイユ校理念〜
 ◉責任を持って行動しなさい
 ◉敬意を持って振舞いなさい
 ◉高い目標を持ちなさい
 ◉最善を尽くしなさい

〜〜〜〜
永井朝香ディレクターに、撮影裏話!

 名門寄宿学校って、どんなところ?
──なぜ、この学校に取材をすることになったのですか?

今回の企画は私が立ち上げたのですが、そもそもは“世界の秘境に行きたい”
というのが始まりでした。けれど他のテレビ番組で既に取材が入っていたり、
一般の方でも行っていたりと、なかなか“秘境”が見つからない。熟考した
結果、そうだ! 学生寮だ! と思いついたんです。するとプロデューサーに
「プリンスも行く寄宿学校はどう?」と言われ、めったに入れない場所という
意味でこれは秘境だな、って(笑)。それからヨーロッパの寄宿学校にいくつか
オファーをして、ようやくOKをいただけたのがボー・ソレイユだったんです。
先生方がこの学校の日本人生徒にすごく良い印象を持っているそうで、後で
お話を聞いたら「日本の取材だから受けました」と言われました。今回の取材
は、これまでこの学校に通われた日本人のみなさんがあったからこそ実現した
といっても、過言ではないかもしれません。

──卒業生の中には、いったいどんな家のご子息、ご令嬢が…!?

詳しくは言えませんが、某国のロイヤルファミリーや貴族といった、歴史に名を
連ねる名家をはじめ、著名人や芸術家など経済的に豊かな家庭のお子さんが中心
とうかがいました。だからといって、お金があるだけで入れるわけではないと
いうのが、この学校のおもしろいところ。学力のほかにも、学校との相性も
見極めるそうです。面接で「夜に懐中電灯だけつけて山に登るけど参加する?」
と聞いたときに「えっ」と戸惑うタイプではなく、「楽しそう!」とすかさず
返してくるような子を受け入れるようですよ。

 名門校の授業と、それを教える先生とは?

──まさに選ばれし者が通える学校ですね。授業はどんな風に行われるのですか?

「いま世界で起こっていること」を教材に、勉強→思考を巡らす→その結果を
発表する、というような発展形式になっています。例えば「リーダーシップ」が
テーマの地理の授業では、アフリカの島国・マダガスカルの水問題という切り口
から、発展途上国の水問題や女性の社会進出など多角的に先生と生徒たちが皆で
議論していました。この白熱した授業を55分で行うのですが、生徒たちは涼しい
顔でこなしており、頭の回転の速さとマシンガントークにまたまた度肝を抜かれた。

 偶然にしても、面白いもの!
・・・・・・
5955,閑話小題 〜モンテッソーリ教育を受けた有名人
2017年07月05日(水)
   * モンテッソーリ教育を受けた有名人
 20歳の頃に、『創業を目指す』と、志をたててから、俄然、人生が
面白くなっていた。人生の脚本の粗筋が、その時に決まってことになる。
当時の与えられていた学科そのままが、教材になっていた。また与えられた
特権の自由になる時間が素材に思えてきた。その翌年の三年次に行った、
「30日間の欧州ツアー参加」も、四年次の「武澤ゼミ」の入会も、その粗筋が
あればこそ決断出来たこと。緑の原野(社会)に出てからの自己配転による
キャリアづくりも、「人生の脚本」の筋書に沿って進んで行った。
 それが、周囲に対して違和感を持たれていたが。その時期が20才時だった
のが良かったと思っていたが、何か内なる硬い岩盤があった。その岩盤を
最小にすべく、幼児期からプログラムをたて、手順を踏むのだから、納得。
 この教育を受けた有名人をネット検索によると、
≪ オバマ大統領、クリントン夫妻や、日本の皇族にも
 モンテッソーリ教育を受けた人がいるそうな。
  〜主な人物では
・アンネ・フランク
・バラク・オバマ(米国大統領)
・ジェフ・ベゾス(Aamazon創業者)
・ジミー・ウェールズ(ウィキペディア創業者)
・キャサリン・グラハム(元ワシントン・ポスト会長)
・サーゲイ・ブリン(グーグル創立者)
・ラリー・ペイジ(グーグル創立者)
・ピーター・ドラッカー(経済学者)
・ジョージ・クルーニー(映画俳優)
・ウィリアム王子・ヘンリー王子(英国王室)
・ウィル・ライト(ゲームクリエーター)
・ジュリア・チャイルド(料理研究家)など・・
 モンテッソーリの基本的な考え方は、
『子どもの自主性を重んじそれを伸ばしていくこと。』
 日本の教育が個性の尊重に重きを置かず、画一的な教育である
ことに問題意識を持つ親には、興味深い教育法。しかし、モンテッソーリ教育
を受けた誰もが高い能力を発揮できるわけではなく、子どもにも向き不向きが
ある。保育園や幼稚園などにより、導入の度合いは異なります。また、家庭が
その教育法にどう向き合うのか、非常に重要になる。
 この教育が目指しているのは、自立し、周囲に対して思いやりを持てる
人物を育てること。日本の教育では、与えた課題を正確にこなす、ことに
主眼が置かれがちですが、モンテッソーリでは自分で課題を見つけ、自分の力
でやり抜く力が身につきます。発達障害や、貧民の幼児向けのプログラムが、
幼児の英才教育に改良したもの。≫
―
▼ 今では、スマートフォン、タブレットPCが一般に普及。
 これを幼児の英才教育に活用できる親の教育ソフトこそ、必要とされる。
成るほど、競って慶応幼稚舎に入れるのも、そこには、個性尊重の自由な精神を
守る世界があるのだろう。良い意味の「朱に交われば赤くなる」ということ。
悪い意味では「世間」になる。己の不自由を気付いてないから、それはそれで。
 ああ、それ、自分の指摘ではないですか? 時世に群れて、考えず、狂い水を
飲んで、頭をやられ、無為に過ごしてきた人生こそ、不自由だったのでは? 
 そとには鳥の鳴き声と、雨の飛沫の音がする。
で、この有名人たち、自由だったのだろうか。黄金の人生だったのだろうか。
少なくとも私よりは遥かに自由で黄金の時間を過ごしていたようだが…

・・・・・・
5590,幸福の条件とは 〜��
2016年07月05日(火)
 「幸せの条件?」をネット検索にかけてみた
≪ 幸せの3つの条件(『人生談義』松下幸之助より)
   1.自分が幸せだと感ずること。
   2.世間の人びともその幸せに賛意を表してくれること。
   3.人間の共同生活の正しい進歩向上に即したもの。
  幸福のための4条件(『不幸論』中島義道より)
   1.自分の特定の欲望がかなえられていること。
   2.その欲望が自分の一般的信念にかなっていること。
   3.その欲望が世間から承認されていること。
   4.その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れない
    (傷つけない、苦しめない)こと。
「どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せだと思っていなければ、
 その人は幸せではない」のです。
幸せの第一条件は、「自分は幸せ」という“自覚”があることです。
それを確かにするのが、実際に“幸福感”を感じて生活することです。
世間からの賛意・承認を得るということは、善いことをする、人の役に
立つのようなものに加えて、人に迷惑をかけない、悪いことをしない
というようなものも含むと思います。≫ とあった。
▼ 年収七百万までは、比例して右上がりになるが、それ以上は、急速に
 角度が下がる。貯蓄も、一世帯3千万が心配しないで済む安心の目安。
「どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せだと思っていなければ、
その人は幸せではない」とあるが、逆に、「どんなに不幸に見えても、
本人が不幸と思っていなければ幸福である」といえる。としても、
何時も金の心配をしなければならない生活は決して幸福といえない。
 資本主義社会とは、貨幣を基準に価値判断をする社会。不条理だが、
割り切るしかない。お金の本質といえは、ずばり、「自由」と「能力」。
「自らに由る欲望の達成」の手段がお金。達成できる力が「能力」。
千円には千円の、百万には百万の、一億には一億の能力がある。
 自由、博愛、平等度が高い社会ほど、幸福度の高い社会になるが、
その前に、人と比較しないこと! 
 そうすれば、自らを縛りつけている枠が取れるため。
・・・・・・
4860,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー28
2014年07月05日(土)
  * 15年の準備期間の総括! ―チェーンストア理論とは
 多くを学んだ割りに、大きく脱皮出来なかったのは、「根が怠け者」がある。
だから、20歳で創業を目指すと決心したことで、何とか人生を全機
(人間としての機能フルに生かす)でないとしても、その数分の一は生きること
が出来た。終戦直後に生まれ、地元長岡の焼け野原からの時代は間違いなく右上り
の時代。アメリカ占領統治から独立過程で、アメリカ的合理主義が求められていた。
その一つの現象が、アメリカのチェーンストア業態。未開の大陸、流通業の小売で、
合理的業態として、セルフ方式のチェーンストアが、アメリカ全土にあった。 
JC・ペニー、シアーズ・ローバックが当時の雄であった。 現在ではウォルマート
などが主だが・・ 学生時代に、日本の流通革命を目差すペガサス・クラブと、
流通コンサルタント・渥美俊一の存在を知る。当時の都市の駅前には、業種店の
百貨店と中小小売店が賑わいを見せていた。そこに業態店のスーパーを中心とした
新たな流通バイパスの業態店を!というから、これ!と思うのは当然。ちなみに
業種店とは、駅前に残存するが、メーカーなどの売り手サイドの括りで、問屋を
仲介にした仕入を主にした店で、「何を売るか」で、括られる。
それに対し業態店とは、「どのように売るか」で括られた店。セルフ方式で安く
売るスーパーや、ディスカウント店である。コンビニは、車で10分の商圏の中、
10分以内に消費する商品を、24時間営業を、売りにしている。それに対し、
駅前・駅中の靴屋、化粧品店は、あいも変わらず? その為、何時の間にか、
スーパーや、ネットで、売上げは激減状態!
 卒論に「流通革命」をテーマにしたこともあり、チェーンストアのシステムの
話になると我を忘れるが、これ、はまると、意外と面白い!その中で、一番要は、
チェーンストア統一伝票と、その伝票にバイヤーが書き込む仕様書発注である。
それさえ、詳細に書けば、それが、そのまま契約書にもなる。これが曖昧だと、
売り手が曖昧な商品を納入可能になる。 ある規模になれば、生産地で、直接、
メーカーと共同開発の特別発注が可能になる。 このところ、イオンが、イオン
ブランド品に比率を上げているのは、競争激化による。 そこで、トレード・
オフで、ホット商品の無駄をはぶいて数段の値段を下げで、カジュアルにする。
アメリカのディスカウントチェーンは、メーカーと組んで、商品開発から取組んだ
商品を売る、業態店をいう。 値下がり品だけを売る店は、チープ店である。
 小売を科学するとは、流通戦争の中で、生延びる中で生まれてくる。
だから、商売のヒントと原則が、数限りなく積上げられてある。その中で面白い
のが、ロスの概念! 商売をすれば当然、ロスが発生する。
これを、元から予測して、「発生は仕方がないが、最小にする!」という考え方。
これ、人の生き方にも当てはめることが出来る。「思いのまま生きた分、心の傷も、
喪失感が多くなるが、それ以上に得ることがある!」と言い換えることが出来る。 
冒険を恐れて、周囲の価値観の範囲で、人生を終える時に、やりたかったが、
やれなかった機会ロスがあまりに多かったことに気づくが、既に遅し!
そのゾンビが巷に多い。 彼らの敵は、逆の人生を生きてきた人!



6684,読書日記 〜哲学の女神との空想上の対談 ―1

2019年07月04日(木)

                 『哲学の慰め』ポエティウス著
   * 何とも驚かされる対談
 AC6世紀に、獄死を前に、哲学の女神と対話する方式が、自らをTPOSの
場において、哲学の女神との対談方式で考えるのだから何とも斬新、かつ迫真
の説得力を持つ。
  〜 まずは、この本の概要から…  (ネット検索より)
≪ ◉ ポエティウスは5世紀の終りに後期ローマ帝国の貴族の家庭に生まれる。
権力者の家系にあって、恵れた環境のなか最高の教育を得て最も高い官職につく。
順風満帆の人生であったが、政変に遭い、死刑を待つ囚人に身を落としてしまう。
 本書は獄中の中で、彼が空想の中で描いた「女神」との会話を通して、
人間の自由意志について、対話を重ねていく。
不幸のどん底に落とされて、それでも神の意志はあるのかと彼は尋ねる。女神は
‘神は全宇宙を苦もなく動かすが、運命は個々の人間の動きに影響を及ぼすに
過ぎない’と答える。 神の意志と調和することが尊いのであって、自分の力で
生きていると信じている者は、最後まで運命にしばられるという。運命に作用
される限り、不安と混乱に踊らされる。当書も身体の自由は奪われても自由に
到達する境地について語られており、「幸福」の本質を描いた名著である。

◉ 当時のローマは東ゴートの支配下で、ボエティウスはテオドリック大王の信任
を得て執政官などを勤めました。しかし真偽はわからないが、そのうち反逆罪で
訴えられ、刑死します。本書は牢獄の中で失意のうちに書かれたもの。
最初は牢獄の中で、芸術の女神(ミューズ)と一緒に嘆く自身の描写から始まる。
そこでいきなり哲学の女神が現れて、そのような嘆きはおまえにふさわしくない、
などと言い、ミューズを追い出し、ボエティスを激励します。
これ以降、哲学の女神とボエティウスの対話形式で、ギリシャ哲学が語られる。
・まず、富や官位などは真の善とは何ら関係なく、牢獄に入っても、おまえは
何も失っていない、というストア派的な主張が述べられる。
・それから、悪が栄えて善が虐げられる、というボエティウスの不満に対して、
悪は無知・無力であり、すべては一にして善なる神の秩序の中にあるという、
エレア派&プラトン的な教えで女神は慰めます。
・最後に、神の秩序による必然と、個人の自由意志の共存が説かれて終わります。

◉ ボエティウスはキリスト教徒のはずですが、全編をとおして、キリスト教の
教えはまったく出てきません。神という言葉も、キリスト教の神ではなく、
汎神論的な神を思わせます。
形式は論述と詩が混じっており、詩にはギリシャ・ローマ神話の要素がふんだん
に散りばめられています。キリスト教が古代世界を制覇した6世紀に、しかも死に
直面した状態で、ここまで古代的な形式と主張が守られていることに驚かされます。
まさしく「最後のローマ人」と言えると思います。  ≫
―
▼ 中心的テーマは… 『自由意志』。身体は自由を奪われても心は自由という
 囚人が到達した境地こそ、成熟の本質ということ。これこそ、幸福の本質である。
何があっても、心の自由こそが、人間のあるべき姿である。何でまた、自分を
縛っている! 自らしか、その首輪と紐を外せない。それ付けて何処をうろつく?

  〜次回は、「哲学に女神」の言葉…

・・・・・・
6321閑話小題 〜今年も半期の終了 −3
2018年07月04日(水)
   ★ YouTubeで印象に残った映像
・今年のYouTubeの映像で驚いたのが、ドバイの「ドローンのレース」。
ゴーグルを被って運転席に座ったゲーマーが参加する。画像は隼のように
倉庫のような空間に、780メートルのレース場の空中を10数周も突進する。
私はゴーグルを持ってないが、ゴーグルを被った映像なら迫力が違うのだろう。
36チームが参戦し、最後に勝ち残った4チームが決勝戦を争う。総額100万ドルの
賞金という。 そこで、15歳の少年が優勝をしたが… 独り部屋で異空間に引き
こまれ、不安さえ感じていた。ドローンとゴーグルの組合せの妙を、そのレース
で見ることになった。
・いま一つが、アルプスの頂上の現場で、ゴーグルを被り、ドローンを飛ばし、
頂上の自分たちを撮影した映像が、何とも不思議な感覚にさせる。 現実と、
バーチャルの融合。天使の目線で、自分の姿をみる。何とも奇妙な感覚。
・この7月中旬に、ドバイでドローンタクシーが、実際に営業開始をするという。
ニュースの映像を見る限り、まだまだ初期段階のようだが、面白い!
――
   ☆ 理想的敗退のゲーム!
 日本時間の7月3日に決勝リーグのT1回戦でベルギーと初の8強進出をかけて
激突して2対3で敗退した。直前、英メディアはベスト16のプレビューを実施。
FIFAランク3位の強敵と対戦する日本の圧倒的不利を予想していた。
日本チームの実力からして、負けは当然。負け方が2点先行し最終に3点とは
絵に描いたような展開。ランク62の日本が、ランク3位のベルギーに本気本領
を出させて、負けたということ。
 先日のポーランド戦での最後のパス回し、正否の議論がされたが… 
あれは当然の判断。監督の使命は決勝リーグに勝ち上がること。観客にゲーム
を楽しんでもらうために選ばれたのではない。何はともあれ、進出を確実に取り
にいくのは当然の理。「正・反・合」の『反』を立てるため言ってるだけ。
その場をも盛り上げる遊び言葉と、現実はべつもの。理想的結末としても、
日本は出来過ぎ。

・・・・・・
5224,「エリック・ホッファー自伝」 〜��
2015年07月04日(土)
           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 希望でなく勇気  
 希望は誰も持つが、いざ実行となると難関が立ち現れ、萎えてしまうもの。
私の経験からして、勇気は「呼吸」である。大きく吸い込み、息を止め、一歩
を踏み出す。そのためには普段より「否定1に対して、肯定3」の思考と行動
習慣が必要になる。  〜その辺りから
<自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難な
ことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。
闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な
状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである。>
「希望」と「勇気」。どちらも自分の先に対する「可能性」への心の動きだが、
「希望」が思考に留まるものなのに対し、「勇気」は行動を伴うもの。
しかし、自己欺瞞としても「希望」が必要だ。そして、それを実現するには
「勇気」が必要になる。ホッファーは、ここで、ゲーテの以下の詩を取り上げる。
《 財産を失ったのは──いくらか失ったことだ!
  すぐ気をとなおして、新しいものを手に入れよ。
  名誉を失ったのは──多くを失ったことだ!
  名声を獲得せよ。
  そうすれば、人々は考え直すだろう。
  勇気を失ったのは──すべてを失ったことだ!
  そのくらいなら、生まれなかった方がいいだろう。」
               「「温順なクセーニエン」第八集) 》
▼ 「正中心一点無」の言葉が、私の行動の一歩を踏み出す時に、
 思い浮かべる言葉であった。「希望」と「勇気」の間には深い溝がある。
兎にも角にも、その向こう側に向かって飛び越えなければならない。
ネットで「勇気」のポジティブな対語(反対語ではなく対になることば)
として、「智恵」とあった。また、「慎重」も。「智恵」は、「勇気」の
中から生まれ出てくるが、事前の「智恵」も必要である。それが「準備」と
いう計画の具体的練り上げへのダウンに繋がっていく。

・・・・・・
4859,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー27
2014年07月04日(金)
  * 15年の準備期間の総括! ー2
 この準備期間の15年は、緻密に練られたようだが、実際は成行きの要素
が多かった。事業を立上げ、それを転売をする度にアップスケールする創業を
求めた結果が、自然に準備そのものになった。私の性格が外交的というより、
内省的のため、その都度、非常な緊張感が付きまとっていた。医者に診て
もらったら、恐らく、自律神経失調症か、対人恐怖症と診断されただろう。
人間は気づくかどうかだが、全ての精神症の要素を持った総合体で、問題は、
そのバランス。その中で、特に初対面の相手との対面が苦手だったが、いざと
なれば腹は据わるもの。その「いざ」の場面から、自ら逃げるから、精神症
から精神病に陥ってしまう。絶対的父親の元で育った八人姉兄の末っ子が、
父親のような創業を、何を血迷ったか求めれば、精神的限界に立たされて当然。
何とか、その都度、本屋の中の天使に導かれ手にとった本で、乗り切っていた。
 その中で、様々な場面で、多くの判断が求められた。
・大きな問題の一つが、連れ合いである。 右腕タイプか、全く商売の興味を
 示さない家庭的な人? 結果として選んだのが後者タイプだったが、
 どうだろう? これだけは答えが出ない人類永遠の課題! 右腕タイプは、
 事業が拗れた場合に、相打ちという自滅の危険が生じる。巷に多々みかける!
・次が、現場の要の人材である。これが、なかなか定まらず、直前まで手こずって
 いた。職安やリクルートを介して何人かと面接をしたり、数ヶ月間、使って
 みても、相性が合うのが見つからない。大問題だったが・・
・出揃った事業資産は、駅前の土地(当時の時価1億円)と、長岡郊外の更地
 二ヶ所と、現金1億(千城台の売却)。そこで《事業資産は、博打場に投入
 した掛札!手元に戻らないと、割切ること!》と、何度も自分に念を押す!
 それまでの実家の急場の助っ人の立場が、今度は、全てが直に跳ね返ってくる
 白刃の真只中! 本番の創業が始まる。出発点で、5百%の成功確率の準備を
 整えていた手ごたえは、あった。しかし最後は「後は 野となれ 山となれ!」
・・・・・・
5954,閑話小題 〜東京都議会選挙で
2017年07月04日(火)
   * 都議会選挙で自民が惨敗
 都議会議員選挙、予想の過半数を遥かに上まわる6割減で自民党の惨敗。
それでも23議席も取れただけでも、まだよかった。国会も、これで大荒れに
なっていく。自民の大勝の緩みの結果が、そのまま結果につながった。
阿部首相の明らかな○○を、力で覆い隠すほど、露わに浮かび上がっていた。
映像世界の恐ろしさである。とはいえ、台湾人の女党首の蓮舫では国風に
そぐわない。
 ―
   * 将棋は、藤井4段が初黒星
 将棋で、新人の藤井4段が、29連勝で終わりになった。
対局をした棋士の一人が、彼を、『小学校二年生が、東大試験の答案を20分
で終え席をたったようなもの。それも全問題、正解で… 』と宣っていた。
これから60年生きても、74歳。やはり羨ましいが、早折も有り得る。
 ―
   * 昨夜は、中学同期会の飲み会
 昨日の午前に電話が入って、昨夜は中学同期会。12人が出席。数ヵ月先の、
泊りこみ同期会の幹事会で、これで今年二回目。最低要員の確保もあるが、
年に4〜5回も出席をすれば、故郷に戻ってきた感覚になると同時に、その度、
己の存在感の劣化と、老化が彼らを透して見て取れるのは、仕方がない?… 
三次会は控えて帰えれば23時過ぎ。その都度、一期一会の念が強くなる。

・・・・・・
5589,閑話小題 〜『エンド・オブ・キングダム』
2016年07月04日(月)
   * 「離脱ドミノ」〜英国の次はフランスか? 
 来年はフランス大統領選とドイツとベルギーも総選挙がある。
これまた、離脱か、残存かを問う選挙になるが、英国に続いてフランスが
離脱をしたらドイツを核とした新たは枠組みの経済圏が出来るのか。
その上、ドイツも離脱をしたら、EUが消滅をする。連鎖の可能性から
して、どうだろう。 先日のスペインの選挙では、EUの維持を選んだが。
 〜ネット上に、以下のレポートがあった〜
≪ Brexitショックを消化しつつ、一定の安定感を取戻したマーケット。
 しかし、市場は先読みする。英国が引き金を引いた「離脱ドミノ」懸念。
Brexitの次はどこか。そこで、最も切迫感のあるリスクを抱える国が
フランス。来年5月の大統領選が、事実上の英国型国民投票と化す可能性がある。
既に、オランド大統領の支持率は10%台前半にまで急落中。いっぽう、
予想される対抗馬の国民戦線党首ルペン氏は20%以上の支持を得ている。
フランス国民の不満がうっ積しているのだ。解雇条件緩和などを盛り込む
労働法改正に対し、労働者は激しく抵抗している。清掃関係の労働者が
ストライキしたときには、パリの街角がゴミの山となり、異臭が漂った。
自然も味方せず、異常気象による集中豪雨がパリを直撃。セーヌ河の水量が
通常より6メートル以上上がり、洪水が発生。一部の地下鉄駅は水没した。
「それもこれも、そもそもEUのせい。」理不尽なまでのEU悲観論は高まる
ばかり。ピュー・リサーチセンターによれば、フランス人の66%がEUは
経済的に失敗と考えている。反動で、移民排斥への共感度は高まる。
「選挙で選ばれていないEU本部の人たちにより構造改革を押し付けられた。」
との反感も強まる。しかし、ドイツとともにEUを礎として支える立場の
オランド大統領は、公式の場で、メルケル首相と並び、EU結束を訴える。
そもそもフランス人には、独一強、独主導への警戒感が根強い。その国の首相
と「EUがんばろう。」とスクラムを組むオランドへの支持率下落は加速する。
「EUより我が国の内情を心配せよ」との批判は高まる。
 フランス国民の間には、英国型国民投票を望む意見も急浮上する。
英国のEU離脱に関しても、「わがままを言う英国が出てゆくのは歓迎。」
との考えも根強い。「英国がEUを離脱するなら、この際、我が国も独立性を
取り戻そう」と発想も芽生える。フランスは英国をライバル視する傾向が強い。
なお、ドイツとフランスの間にも不協和音が絶えない。英国EU離脱交渉に
関しても、オランド大統領は、「ただちに出てゆけ。」といわんばかり。
対して、メルケル首相側には、経済関係が密な英国に、一定の冷却期間を与え、
出来ることなら考え直してほしい、との計算が透ける。EUから最大の経済的
恩恵を受けているのはドイツなのだ。しかし、米国覇権への対抗、中露に対する
団結としての欧州協調路線は崩せないから、英国EU離脱交渉には強い態度を
示さねばならない。独仏は「仮面夫婦」を演じる宿命にあるのだろう。
英国EU「離脱」は、しばしば「離婚」に例えられる。その発想の延長線上には、
独仏仮面夫婦の「離婚」も視野に入る。それは、フランス大統領選挙で、
反EU派候補が勝利するときだ。なお、実は、オランド大統領にも勝算がない
わけではない。フランス国民が、英国内に拡散するRegrexitの惨状を
見て、考え直すシナリオだ。大統領選挙戦ともなれば「英EU離脱に軽軽に票
を投じた人たちの後悔を教訓とせよ。」と訴えるであろう。≫
▼ 非常にわかりやすい内容である。それにしても、長年かけてつくりあげた
 EUも、英国の数人の凡庸な政治家の判断ミスで、一瞬のうちに崩壊する
可能性を含んでいた。凡庸な数人の政治家と、老人と、低知識層によって、
いとも簡単にEUだけでなく、英国連邦そのものの崩壊の危機がつくられた。
1月前に観たシネマ、『エング・オブ・キングダム』は、全世界で大ヒットを
飛ばした『エンド・オブ・ホワイトハウス』の続編で、舞台は英国。その
ロンドンの街中を破壊尽くす“テロリズム”との壮絶な闘いを描いたもの。
皮肉なことに、時を同じくして政治的場面で起こってしまった。
「事実は小説より奇なり」そのものである。恐ろしいことだ。

・・・・・・
4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
2013年07月04日(木)
   * アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことを
 させます。観客を怒らせるためです。そして観客に、「どうしてもっとやり
返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出る。 
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、
すっきりするわけです。そもそも人間の感情として怒りが具わっているという
点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。たとえばニーチェが
『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な
世界観を描いたのは、そのことをいいたかったから。アポロンは美と光の神、
ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。古代ギリシア人たちは、
アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、
決してそんなことはない。実は人生の暗黒側面と激しく戦って、それを征服し、
苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な側面が
あるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの
影であって、本質的なところで苦しさを受け入れているからこそ、彼らは強く
明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに
象徴される怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。
 ・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、あるがままに
受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。
これが彼の超人思想の根幹ですから、その意味で怒りは避るべきものではなく、
素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。
 山高ければ谷深しである。人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の
日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
変わって見えてくるから面白いのである。両親や、社会のバイアス(先入観)
に縛られ、光の当て方さえ知らずに、小さな岩場の穴に閉じ込められている
ことさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。他者に原因を
求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を
見出すことが正しく怒ること。怒りを生み出している原因は客観的なもの。
それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
 今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど
肯定している本は珍しい。怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば
気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。自分に怒り、相手に怒り、
社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの
人生が台無しになるが、正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、
ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!


6683,読書日記 〜『極上の孤独/下重暁子著』 −2

2019年07月03日(水)

               『極上の孤独/下重暁子・著』
   * 群れる鳥の五条件
 「孤独な鳥の五条件」を、逆に「群れる鳥の五条件」にすると、
「世間人」そのものになる。
 〜まずは「孤独な鳥の五条件」のおさらい〜  ◉ (…)内は「私の注釈」
第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ (気位が高い)
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない
                   (和して同ぜず)
第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける    (上をめざす 学ぶ姿勢を保つ))
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない (自らの思い込みを客観視する)
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう (陽気に楽しむ術を持つ)

 〜次に、これを「群れる鳥の五条件」にすると〜
第一に群れる鳥は林の中の低いところを飛ぶ (行動範囲、生活範囲が小さい)
第二に群れる鳥は同伴者にわずらわされ、更に同類にさえもわずらわされる             
             (とにかく本を読まない。群れるしか能がない)
第三に群れる鳥は嘴を地面に向ける (地回りが仕事で主に虫を主食にする)
第四に群れる鳥ははっきりした色をもつ (盲目の色彩が際立たっている)
第五に群れる鳥は非常に暗く低い声で囀る (人の不幸は蜜の味に犯され…)
―
▼ テリトリーが狭く、同類に縛られ、失敗者を探しだし攻撃をする。
 世間に… 特に家族など身近に縛られ、岩場の中で、身動き出来る範囲で
しか生きる術がない鬱憤を、より弱者や、弱体化した者に攻撃をする。
島国根性というやつ。誰も多かれ少なかれ持っているが、常に自覚しないと、
大多数が故に、染まってしまう。 …『哲学の慰め』。
 後日にテーマにするが、
【5世紀の終わり頃に 貴族の家庭に生まれ順調な人生を過ごしてきた哲学者・
 ポエティウスは満帆の人生であったが、政変に遭い、死刑を待つ囚人に身を
落としてしまう。獄中で、死の恐怖の中で、「哲学の女神」が現れて、慰める】
といった形式をとった『哲学の慰め』という書。…これが死後、中世の時代の
ベストセラーになる。 絞首と殴打による死刑の恐怖に慄いている彼の前に、
突然、女神が現われポエティウスに、何を信じるべきか教える。孤独な鳥の
究極の叫びに聞こえる。 『ガイロク(街録)』の、ミニ・インタビューに
応える旅人のように、誰もが孤独の際で生きている。問題は何を信念とするか。
孤独を、むしろ大事に出来るか否かである。これは自ら孤立しておかないと!
 人生の姿勢という問題にもなってくる。とは言え、ホモ・サピエンスが生残り、
クロマニョンが、死滅したのは、家族単位の群れしか構成できなかったため。
より強い群れしか、生き残これなかったため。孤高など、所詮は戯言でもある。

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6320,映画鑑賞 〜『ワンダー』
2018年07月03日(火)
   * シネマ観賞
 先週金曜のシネマ観賞は『ワンダー』。 評価が高かったのが動機で、
90〜95点を想定していたが、思いの外85点。 …虐めの描写が甘め。
問題が問題だけに仕方がないが、現実のそれは… 酷く残虐。
 まさか、自分が軟着陸?としても、マイノリティで終わるとは。創業設計の
段階からシェルター完備を30年以上、実行していた為、そのままの自宅の生活に
対し、面白い可笑しなストーリーが独り歩きしているようだが、それらを逆に
愉しんでいる、そのままを、ここで書いきたが、それが、『世間、世人』への
批判に丁度良い題材に…。 一匹狼のライフスタイルが、それを加味し、日々、
是、口実の日々。
  内容(ネット検索)といえば、
【 映画「ワンダー 君は太陽」】
 オギーは生まれつき顔のほおやあごの骨の発達に異常がある「トリーチャー
コリンズ症候群」で、27回もの手術を受けてきた。顔にコンプレックスを抱え、
外出時には宇宙飛行士のヘルメットをかぶっていた。自宅で学習を続けていたが、
小学校5年から学校に通うことに。 オギーは学校で好奇の目にさらされ、
いやがらせを受ける。家族の励ましでなんとか学校に通い、子どもたちもオギー
の人柄にひかれていく… 】
―
▼ 人は何らかの傷を抱え、それぞれが我身を守るため精一杯生きている。
 平然としているが、傷を狙われる。それも我が身から出た錆、致し方ないが。
最後に残るのは実存だけである。実存主義といえば「サルトル」の名が浮かぶが、
実は「キルケゴール」である。次回のテーマにするが、現在の私に必要な哲理。
「強みを帆を上げ」というが、弱みが先に立つしかない場合がある。
「人生ゲームにおいて、この弱みを活かすカードで、自らの知的、心理的活動こそ、
最大の価値を生み出すことになる」と。まあ、身をもって知った実感故に、この
映画の言わんとすることに共感できる。世間、世人とは、何も考えられない人、
流れに漂う人のこと。逆に言えば、自らの弱みを曝け出せない人。自分自身の
ことになる。
 逆のケースもある。 過って見たことのない加賀美人とクロスしたことがある。
辛そうな顔をして、『相談に乗って?』と。実はこれが怖い、が美しさにつられ、
『昼飯ならいいよ』というと、『彼氏と拗れて…』。勤めていた婦人衣料チェーン
の受付嬢で、トラック運転手が彼氏と…。それが遊び人風で、付きあってるだけで
<危ない女>のレッテルを貼られていた。 同僚が、『俺たちでは、サイズが
合わない!』と… 何のサイズか?人の口は、厳しいもの。『私と、彼は同格?』
 ワンダーとは、見た目では真逆の絶世美人の悩みである。社内食堂のパートの
オバサンから、更に意味深長?な忠告を受け入ていたので、不用意に情に流され
ドロドロの男女の当馬にされなかった… 美人ほど、過去と現在の重荷を幾つも
背負っている。適齢期で、女の職場、月に数回は声をかけられるが、ほぼ二股、
三股目の声かけ。余裕があるから軽く誘ってくる。下手に応じ、男から呼出され
??寸前も。…女は恐ろしい。女は相手次第で人生の9割が決まるからそれも当然。
その世界では、二度まで食事に応じるが、三度目はお断りを前もって宣言。
ところが、思いもよらいない相手からも…  その美人さん、そのドライバー
と結婚のため辞めていったが… あれは大変。何が幸不幸か分からない。
「サイズが合わない」とは、言いえて妙の名言? 成るほど、どん底とは、
こういうことかと! <振り向けば泥んこ>。 それも良かった?そこは娑婆。
大鍋には油がグツグツと煮え滾っていた。 成るほど、現状は天国でしかない!

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5223,思いが人生をつくる〜ジェームズ&リリー・アレン
2015年07月03日(金)
       『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン著
 アメリカ的成功本のはしりの本。 「人生は考えたとおりのものになる」
良いことを考え、良いことをすれば良い結果が自ずと生じるもの。そして、
逆も。今から思うと、子供の頃から母親が、似たようなことを繰り返し、
私に語っていた。 〜まずはアマゾンの内容紹介より: 
《「心のなかの思考が、私たちをつくっている」アレンの成功哲学は、
シンプルであるがゆえに気づいた人はみな、人生の夢の頂に登っている!
100余年の時を経て、アレン夫妻初のカップリングBOOK。 著者略歴
・アレン,ジェームズ
 1864年英国生まれ。15歳のときに父親が他界。以降さまざまな職業に就いたが、
34歳のとき、思い立ったように毎朝瞑想をするようになる。その後、瞑想から
得たインスピレーションを書きとめ、そのアイデアをもとに19冊の本を出版。
1903年に発表された『As a Man Thinketh』は、当時の世界中の成功者たちに
支持され、今でも多くの人に影響を与え続けている
・アレン,リリー・L.
 1867年英国生まれ。25歳で、当時29歳だったジェームズ・アレンと出会う。
1895年にジェームズと結婚、以降夫の執筆活動を影で支える。
1912年にジェームズが他界したあと、ジェームズ・アレン哲学を世に広める
という使命を悟り、執筆活動を続け、10冊以上の本を出版する
  〜目次そのままが、概要にもなる。
■ 思いはあなたが生みだした子供 〜リリー・L・アレン 
  ・思いはあなたの子供
〜「思い」という私たちの子供たちが人を支配し、世界をも動かしているのです。
  ・恐怖
〜善良で純粋な魂を持つ人にとって、恐れることは何1つないのです。
  ・プライド
〜「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
 「スピリチュアルなプライド」です。
  ・疑い
〜すべての人は善であり、誠実だと信じましょう。
  ・誠実
〜誠実になることは、信頼されることです。不誠実は恐怖に満ちています。
 誠実は、恐怖を知りません。
  ・希望
〜「希望」が存在するところには、「健康」「幸福」「純粋」、
 さらには「徳」が存在するのです。
  ・美
〜「美」のみが真理です!そして「美」のみが永遠なる存在なのです
  ・シンプルな法則
〜一度に一つのことだけを考えましょう。心の力を散乱させないようにするのです。
■ 人は思ったとおりの人間になる〜ジェームズ・アレン 
  ・思考と人格
〜人は思考の主人であり、人格の作者であり、状況、環境、運命の製作者なのです。
  ・思考と環境
〜特定の思考を継続すれば、良くも悪くも、その結果が必ず人格と環境に現れます。
  ・思考と健康
〜明るい思考ほど、病を軽くする医者はいません。
  ・思考と目的
〜人は自分の目的を抱き、一心不乱にその達成に前進すべきです。
  ・思考と物事の達成
〜すべての功績は正しい思考の結果なのです。
 それらは同じ法則と手法によって支配されています。
  ・ビジョンと理想
〜あなたが心のなかで賞賛するビジョン、たたえる理想こそが
 あなたの人生をつくり、あなたはそのとおりの自分になるのです。
  ・静けさ
〜真の自制心は力です。正しい思考は勝利です。静けさは力強さです。
▼ <「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
「スピリチュアルなプライド」です。> には、ドッキとした。逆と思って
いる節があるからだ。他者をみると解るが、自分となると、それが曇る!
知的も、スピリチュアルも低いから、よりマイナスの人と比較したがる!

・・・・・・
4858,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー26
2014年07月03日(木)
   * 15年の準備期間の総括!
 このテーマを書き始めて改めて思うことは、30年間の新潟駅前のホテル
事業そのものより、その準備期間の15年間の方が遥かにインパクトが強く、
どの場面も、私の実力の極限?を超えていた。無心で取組んだ問題の中心点に
立向かい、堪えていると、その能力が何時の間に蓄えられいく。 
その立ふさがった壁、岩盤にこそ、問題解決の糸口が隠されていた。
そのためには、まず立ち向かうしかない。 節目ごとに、それまでの全てを
かなぐり捨て、それまでの実績を一度‘空’にして、立向かう中で、新たな色
(現象)が立ち現れてくる。何も無いと、逆に、自由に何でも取組め、かつ
考えることが出来ることになる。コップの水を一度、空にすればこそ、新しい
水を入れる事が可能になる。3年前の結果が、ベストと実感出来たのは、多くを
失えばこそ、新たな出発が可能になったからだ。これを書いていても、それぞれ
の節目では後悔しても、今からみれば、それはそれで!と、その時の己を容認
するしかない。 15年間の自己配転の繰返しの中で、基礎知識と基礎経験を
積上げた。一に準備、二に準備、三に準備。この結果で最後は終わったが、
これが私の限界、「御覧のとおり、そのまま結構!」である。 これが限界と
本当にいえる程でもないことは、わかってはいる。
しかし、私にとっての限界は、どれもこれも超えていた。
 ・20〜34歳までが完全独立の準備期間。
 ・新潟駅前シリーズ前半15年が50歳で、第二の節目。
 ・最後が65歳、事業人生の最後の節目になる。 
いずれの場面でも、何はともあれ、目先の創業の成果を上げるしかない!
創業は、いや事業は大相撲でいえば、14勝1敗では駄目で、最低でも8勝7休
でなければならない。まずは、真剣勝負の場に、自分を置いて、あとは出たとこ、
しかない。 どの場面でも、順調に枝と幹をのばし、張っている時より、節目
の時節の方にチャンスが隠されていた。白紙に戻して、考えるからだ。極限に
たつと、それまで得た知識、経験の蓄積が表立ってくるため、それらが消化
されるため、「人生に、無駄は無し」になっている。語り直しだからいえるが、
挫折をした下向きの時ほど、上向きへのヒントを拾うことが可能ということ。
それと、両親の愛情を直に受けていたことが、非常に大きい。これは準備以前
のことになる。この辺が、心の芯になる。 それと高度成長の時代も含めて、
全てに恵まれていた。これが下地にあって、この結果にも何ら後悔はない。 
手作りヨットの遊びは、運航も良いが、準備期間が一番、面白い!今だから
こそ言えることだが・・ なかなか、書き直しも

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5953,閑話小題 〜モンテッソーリ教育 −2
2017年07月03日(月)
   ☆ 「整えられた環境」と教員養成 
 この教育法を知り直ぐに思い浮かんだのが、付属の幼稚園、小・中・高校
コースの出身者である。地元では新潟大学にも幼稚園から中学校まで存在する。
付属コース?を歩んできた何ともいえない空気に抵抗感があった。しかし、大学
の付属校の出身者の団結は強かったが、それを極力、隠していた。 というより、
アナザーの学生は認知できなかったのが本当のところ。受験で大きなエネルギー
を吸い取られ上に、格付けされた人達と歴然とした差があった。それは、付属校
の一貫教育で育ぐ組まれていたようだ。明るく、自由で、誠実で、穏やかで… 
一代や二代では、そう人間は変われるものではない。ただし、幼児教育なら別!
  〜前回の「つづき」より〜
≪ モンテッソーリ教育では、子供たちが安心して自由に遊び、作業のできる
 環境整備が重視される。教室が清潔に保たれ、子供の目線で教室を見渡せる
ことにも配慮が求められる。また、モンテッソーリ教育法における教師の存在は、
教室や教具と同様、整えられた環境の担い手の一つと考えられている。彼らには、
教具などを扱う技術や管理する能力も要求されるが、何より子供を注意深く観察
する態度が要求され、各々の子供たちの欲求に沿ってその教育を提供する注意
深さが求められる。また、子供たちの集中時、それを妨げない心遣いや、子供
の自発性を待つ姿勢も養成コースにおける重要な要素となる。
 晩年のモンテッソーリが力を注いだ教員養成方法は現在も世界各国で実践され、
この厳しい教員養成もモンテッソーリ教育の特徴のひとつにあげられる。… ≫
 人並み外れた名前ばかり。ふと気になったのは、モンテッソーリ教育を受けた
日本人の著名人があまりいないこと。その理由は、日本と世界の教育体制の違い
にありました。日本でモンテッソーリ教育を受けることができるのは幼稚園
もしくは保育園のみ。その数は全国で200程度。また、幼稚園(保育園)を
卒業した後は、小学校でモンテッソーリ教育を行っているところはインター
ナショナルスクール以外にほぼないようです。
 一方アメリカでは、モンテッソーリ教育を行っている教育機関は5000かヶ所
近く。幼児期からモンテッソーリ教育を行い、小中高と続く私立校もあるよう
なんですね。その教育方法は、従来型のモンテッソーリ教育ではなく、現代に
合った手法で取り組む「オルタナティブ教育」ともよばれています。そのため、
幼児期を過ぎてからも継続してモンテッソーリ教育に触れることができるわけ
なんですね。しかし日本では、小学校にあがった時点で他人と歩調を合わせる
ことを教えられ、学力だけで偏差値が決められる日本の教育システム。
「好きなことばかりやる」「好きなことを伸ばす」
モンテッソーリ教育を受けた幼児が、日本の教育システムで開花することは
難しいのが現状なのかも知れません。≫
―
▼ 8人兄姉の末っ子で、放っておかれて育った身と、清潔に保たれた環境の中、
 要請されたきゅいんの元、一貫教育で育てられた差は歴然として当然のこと。
そこで頼れるのは知恵?のみ。「三つ子の魂」。この段階からプログラムを組み
込まなければ、遅いということ? 人は己の知っていることしか知らない厳然と
した事実がある。とはいえ、『それが如何した!』 だが。
『振返えみれば、知らないことばかり!』 しかし、知っていても同じですか。

・・・・・・
5588,閑話小題 〜4日間の東京日帰りツアー
2016年07月03日(日)
  * 4日間の東京日帰りツアー
 家内は、JR東の「4日間乗り放題のサービス」を使った東京日帰り観光
ツアー。初日は単独でルノアール展などに。 2・3日目は義妹と、その娘を
引きつれスポット巡り。 4日目は、再び単独で、最後の締め。
 ネットで、観光スポットの有名店のサーフィンが趣味。10数年も年に
二度も行き続けているため、手馴れたもの 行き帰りの車中で、死んだように
寝ているので全く疲れないという。私と30年近く、秘境・異郷のツアーに行って
いたのと、丸の内に二年の間、勤務していたこともあってか、隣町に行く感覚。 
 この時期、このサービスを使った中年女性の連れの御のぼりが、新幹線と、
観光スポットに満ち溢れているとか。 何事も、「求めよ、さらば与えられん」。
その間、私の夕食は、コンビニ弁当と、録りだめのビデオ観賞の日々。
「どうしよう?」と、時に躊躇する家内に、「行きたいうち、行けるうち、
迷ったら一歩踏み出せ」と、勧める。どの道、直ぐに行けなくなる、行きたく
なくなることが分かっているため。といってうちに、既に10数年も経った。
 でも、この足の軽さは、私にないもの。
 ―――
  * シネマ、評論    http://creepy.asmik-ace.co.jp/
 一昨日のシネマは、『クルーピー 偽りの隣人』を観た。
あまり気持ちが良さそうな内容でないが、監督が黒沢清にひかれて、
これに決めたが、結果、邦画で90点は私として高評価であった。和製の
サイコパスもの、物語は淡々と展開し、徐々に恐怖の底に観客を引きこむ。 
観客は月初めの1日サービスデー(千百円)のためか、平日にかかわらず
100人以上はいたような。
 〜あらすじ
あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。
隣家の少女の告白 × 未解決の一家失踪事件。二つの繋がりは、
本当に恐怖の始まり――隣人が“何者”か、知ってはならない。
六年前の一家失踪事件を調べる犯罪心理学者。
愛する妻と引っ越した先の隣人は、人の良さそうな父親と、
病弱な母親、中学生の娘。ある日、その娘が突然告げる。
「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。」
未解決の事件と、隣人一家の不可解な関係。二つの繋がりは、
本当の恐怖の始まりでしかなかった…。


6682,閑話小題 〜ネットでみる家具が面白い

2019年07月02日(火)



   * システム・ロフト家具
 居間から寝室に生活空間の重心を替え、ベッドの横にロックング・チェアの
必要を感じとった。中途半端な姿勢が腰と目に良くないのである。そこで、
ネット上で探し回ったところ、手頃で面白いのが、あるある。
 今さらシステム家具でもないが、システム・ロフト家具にも驚いた。 
1DKのアパートやマンションにはうってつけ。ロフトとベッドの組合せは、
合理的機能が面白い。二段ベッドの下側を必要に応じ、「机と椅子とラック」や、
大型スクリーンのTVや、ミニ・応接セット、はたまた収納家具や、ハンモック:
カウンター付などが組込まれている。 便利過ぎそのままを名うって
「人生をダメにするベッド」とは! としてもロフト・ベッドとは考えたもの。
これを応用すれば6畳間に、65㌅の大型TVの収納も無理なく組込み可能に。 
他に、テントでベッドを覆い、別空間にした奇抜なものもあった。(写真:参考)
 ―
   * 各セルフレジを初体験 
 ー「ユニクロ」「牛丼・すき家」「ドラックストア」―
 家内から、話を聞いていたユニクロのセルフレジ。実際に使ってみた感想は、
映画館用と同じくらいの使いやすさ。 今ではスーパーのレジは、セルフが
3分の1から半数を占める。映画館は、この7〜8年間、毎週通っているためか
気楽で便利な代物。毎週ともなれば、よほど暇人と思われないか?と気が引ける
ため、セルフの切符購入は気楽でよい。人手不足の中て、セルフ化が進んでいる。
買物篭ごと、指定場所に置くと、読みこむユニクロのレジ。早々、スーパーの
自動精算機に応用されるのだろうが… で、貨幣清算お断りの店が現われたと…。
身近な生活圏で、これだけ目まぐるしく変化しているのだから… 未来予測は
不可能に近くなっている。 事業主は大小関係なく、一大事の時代。入替りで、
得体のしれない従業者より、店側も、お客も、よほど良いということ。
 ところで、「セルフ入滅」のシステムが出来て良いんじゃないかい? 冗談!
60歳過ぎて、不治の病なら、切実な問題であるのは間違いないのに… 老人専用
病院が、それに近い役割があるのだろうが。脳死や、それに近いなら、合法的に、
「セルフ入滅」の専門機関もあって然るべき。 また暗くなった。いや明るい?
自ら死を選ぶ権利こそ、国会で議論されるべきなのに。 元気なら、あと10年は、
生きていたいが、老いるにしたがい、老いという名の病が重くなるというから、
断は難しい。こと「死の問題」の一大事の知識には、人は不用意過ぎるのでは? 

・・・・・・
6319,閑話小題 〜今年も半期の終了 −2
2018年07月02日(月)
   * 今年、最も面白かった映画とは…
 この半年で、シネマ館と自宅寝室で400〜500本の映画とドラマをみてきた。
シネマ館では24本見たが、最高評価は90点。それよりも、寝室のブルーレイに
録画をしてあった『ブレイブ ワン』の評価が95点だった。そこで、この批評を
書くため昨日、改めて見たが、面白いものは再度見た方が余裕を持てるから良い。
当時、私の勧めで、家内も見たが、本人も面白かったという評価。
 人気のラジオパーソナリティが、思わぬ被害者から、立派な?ギャング
殺戮ハンターに変身していく過程の筋書きが、スリリング、かつ惹きつけられる。
  
  〜まずは『ブレイブ ワン』のあらすじ〜
≪・エリカ(ジョディ・フォスター)はラジオパーソナリティーとして活躍中、
 婚約者のデイビットと結婚が決まっている幸せな生活を送っていた。
ある日セントラルパークをデイビットと散歩中、三人の暴漢に襲われてしまう。
デイビットは死亡、エリカは瀕死の重症をおった。しばらくしてようやくエリカが
目を覚ました。婚約者の死を知ったショックと事件の恐怖から外へ出られなくなる。
・護身用に銃を手にいれたエリカ。それを使う日は突然訪れた。コンビニで殺人
 事件を目撃してしまったエリカは強盗から殺されそうに。とっさに銃で相手を
撃ち殺してしまう。このことがきっかけで凶悪犯罪者を殺害していくことに…。
世間の人たちは犯罪者を殺害する謎の人物を、勇気ある行為だと尊敬の意から
『処刑人』と呼ぶ。
・ラジオパーソナリティーとして復活したエリカもまた、番組内でそれに触れる。
 事件の捜査をしていたマーサー刑事は、エリカのファンでもあることから彼女
とコンタクトをとった。次第に友情を深めていく二人。
一方で自分達を襲った犯人が検挙されないことへの苛立ちを隠せなくなってきた
エリカは、自分で探し制裁することに。ついに3人を見つけたエリカは二人を銃殺。
最後の一人を殺そうとしたところへマーサー刑事が突入してきたのだった。≫
――
  ―ネットの感想より―
《 粗筋だけ見ると婚約者を殺された女性の復讐劇に見えるが、実はそんなに
 単純なものではない。 暴漢に襲われて恐怖心を持つ女性の心理状態が良く描けて
いるし、偶然とは言え凶悪犯罪者を殺害していくということへの葛藤が見ていて
苦しくなるくらい見事に描けている。 彼女の中の善悪が心の中で闘い、一人で
自問自答しながら迎えていくラスト。そこまでのスピード感もたまらない。
ジョディ・フォスターという演技力のある女優をキャスティングしたかとも絶妙。》
―
▼ 最後は、このギャングハンターに甘い結果になるが、それも良しという気に
 することで、後味の悪さを消している。<私の中に、ひとりストレンジャーが
住みついてしまった>という彼女の独白が真に迫っている。
 私の中にも、この数年、想像上のストレンジャーがサイコパス?想定者への
首を削ぎ落している。「何故か2〜3年で、事故か、病魔に陥るから、まか不思議
というストーリー」付き。それも結果が2〜3年後に現れ出る筋書のため、罪悪感が
残らない。人生の後半ともなれば、2〜3年内には当人の身辺に不幸はある。それを
物語とし編集すればよい。リアルで気味が少々悪くなることもあるが、それはそれ。 
全エネルギーを一瞬、オーラごと殺ぎ落とす快感がある上、内的消去効果に。
とすると隠れサイコか、私こそ。 サイコパスには、サイコで… 勿論、冗談。
 上記のような筋書きの映画、ドラマが特にストレス解消になる。ハリウッド
モノには、ストレス解消モノが多い。格差社会に対する鬱憤晴らしを映画で?… 
最近では、人間同士の殺戮では後味の悪さが残るため、大型ロボット、動物同士
の代行モノが多くなっている。
 YouTube上に、野生動物同士の死闘の実写が多く投稿されている。
ライオンと水牛の群れ同士の凄惨なドックファイトを大型TV上で見ると、我を
忘れ見入ってしまう。それと、闘牛、とりわけ、街中で放たれた闘牛を一般市民
が命をかけて一瞬かわす遊び。これが、数知れず次々と投稿されている。ストレス
が多々あるが故に、こういう面白い映像と向かい合えるから、ストレス善玉論が
頭を持ちあがってくる。閑なるが故だが…
 ―
熊:それにしても八つぁん、根こそぎする上に、これでは、浮かばれないよ。
寅:全てが引っくり返って、心に余裕が無くなったからさ。
八:この歪みの視点から見えてくる社会がさ、何せクリアで新鮮に思えるからさ。
 新たな切口の発見が、毎日毎日、目の前で新鮮に展開するからね。
大家:何か「偽悪趣味」が、これで全面的に露見したね。
八:今さらさ…  それにしても、偶然だが、去年の同月、同日の
 映画評も面白いね。
 
・・・・・・
5952,閑話小題 ーシネマ『22年目の告白』
2017年07月02日(日)
  * 『22年目の告白 私が殺人犯です』   〜映画評  
 一昨日みてきた邦画、『22の告白^私が殺人犯です』が、思いの外、
面白かった。ネタバラシになるが、名乗り出た得体のしれない殺人犯が、実は
被害者の親族が整形をした人物だったり。ライブで殺人犯と対峙し、追及して
いたキャスターが実は犯人だったり、なかなか面白い逆転が続く。評価・90点
  〜HPの説明より〜
【 2012年の韓国映画『殺人の告白』をリメイクしたスリラー映画。
 〜あらすじ〜 1995年。日本の東京で起きた5件の連続絞殺事件。警察の捜査
もむなしく時効を迎え、未解決事件となる。それから22年後、会見を開き自分が
犯人だと名乗り告白本を出版する。犯人の名前は曽根崎雅人。 彼の告白本は
ベストセラーとなり、表舞台へと現れた彼の行動は日本中を翻弄するが… 】
▼ 思っていたより、暗さ、残虐さ、凄惨さは抑えてあった。それより、仰け
 ぞるような、意外な展開に固唾をのむ場面が続く。ネット上で、韓国映画の
リメイクと知り納得。 面白かったといえる映画にヒットするかしないかは、
見続ければこそ言えること。 何はともあれ、最近、当たりが多い。
 ――
   * 人は、置かれた状況に順応する生き物
 リタイア後の平々凡々の日々に、飽きもせず順応し、結構満足している。
この随想日記を16年以上書き続け、蓄積してきた心のベースがあるからだろう。
人間は状況に順応する生き物。肩の荷を下してしまえば、気張ってきた人生が
逆に何だった?と… 面白く、充実はしていたが、それは今でも同じこと。
 〜以前、ここで取上げた幸せに関する道理〜
《 一般的に考えられる「幸せと、不幸」を取上げ。幸せは、5〜10億の宝クジ
 に当たること、不幸は首から下の麻痺になる頸髄損傷になること。しかし、
アメリカだが、5年以内に95%の人が、その全てを失う。 逆に最悪に思える
頸髄損傷の場合、自殺すら出来ないため、諦めざるを得ないため、その運命を
直に受け入れ、周囲に生かされていることに感謝をするため、幸福感が増す。》
「使い果たす、どこが悪い」は、私の実感にあるが… 宝クジは、如何だろう?
似たようなものか。「状況」というより、「変化」だろうが。状況、環境
の外的変化には、内的な態度の変化が必要だが、前もった準備いかん。
 で、また偶然だが、以下につづく

・・・・・・
5587,幸福の条件とは 〜��
2016年07月02日(土)
           <「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著>
   *「恒産なければ恒心なし」
 10年前までは、『幸福』という言葉は何故か、何処の場の会話、対話で
軽過ぎる言葉として避けられていた。ところが、長期の不景気などで、社会が
混沌としてきたためか、テーマとして扱われるようになってきた。
 幸福の条件とは、まず生活に支障のない最低限の収入がなければならない。
「貧すれば鈍す」「金持ち、喧嘩せず」「恒産なければ恒心なし」で、人は、
裏づけある豊かさがあってこそ幸せになれる。いかなる場合も、万一の備えが
「先立つもの」があればこそ。蓄えが無ければ、いざという時、何も出来ない。
花街の色男も、前提が金持ち。 〜ここで、まず、それを指摘する〜
≪ アダム・スミスは『道徳感情論』の中でこんなことを述べています。
「健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけ
加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の
増加はすべて余分なものだというべきだろう」。 たしかに、その通りで、
人間は、健康で、負債がなく、良心にやましいところがなかったら、それで
充分なはずです。収入のさらなる増加は、増加した分に見合った幸せを
正比例的にもたらすというようなことは決してないのです。
 たとえば、健康で、負債がなく、良心にやましいところのない年収五百万円の
Aさんという人がいたとしましょう。このAさんと比べて同じ条件の年収五千万の
Bさんが10倍幸せかといえば、そんなことはないのです。幸せ度を測定する機械
があったとしたら、せいぜいのところ1・2倍くらいの数値を残すにちがいない。
物質的な豊かさのもたらす幸せが正比例的になるなどということは原理的にあり
えないのです。しかしながら、こうしたことが幸福の必要条件であるとしても、
それはあくまで一定以上の収入があった場合に限られます。
生活を維持するのに欠かせない最低限の収入がなければ、人は幸福と感じる
ことができないのです。「恒産なければ恒心なし」です。
 ところで、一昔前の日本人のアンケートに対する回答を見ますと、
「自分は中流である」と考える人の割合が90%近くに達していました。
これは、自分は健康で、負債がなく、良心にやましいところがないばかりか、
一定以上の収入があると考える「恒産あるゆえに恒心あり」の人が90%近く
いたことを意味しています。つまり、日本はかなりの程度まで理想的な社会に
近づいていたのです。
 それなのに、いまはどうでしょう。「健康で、負債がなく、良心にやましい
ところのない」のにもかかわらず、幸せを実感することのできない人々が、
社会の両方の端でどんどん増えてきているのです。片方は、当然、一定以上の
収入を持たない「恒産なし」の人、つまり、ワーキング・プアの人々の増加です。
これらの人々は、最初のうちこそ、健康で、負債がなく、良心にやましいところ
のない状態でいられても、収入が次第に減じていけば、そのうち負債が生まれ、
健康でなくなり、ついには良心に疚しいことまでするようになるかもしれません。
これは、大きな社会問題です。しかし、二十一世紀の社会にとってより解決困難
なのは、もう一方の端、つまり富裕層における不幸せな人々の増加です。≫
▼ 確かに、500万と5000万の収入で、10倍の幸せは得られないが、10倍で
 ないとしても、散在の行蔵は、その中に、何かを残してくれる。より稼ぎ、
より使ってこそ、お金(能力)である側面を持っている。小・中・高・大学と
進学するにつれ、幸せそうな人が格段に増えていく。両親の質?で、その前提が、
ある程度、決定される不条理がある。結婚相手も、つり合いで選ぶケースが多い。
結婚も、「悪貨が良貨を駆逐する」。いや、結婚そのものが、そういうものか。
・・・・・・
5222,閑話小題 〜中学校の古希会 〜��
2015年07月02日(木)
   * 中学校・古希での見聞とは
 卒業から古希の会まで半世紀以上、それ以来、初めて出会った人が何人かいた。
また、様々な日々を過ごしている人の話を聞いたが、それがユニークで面白い。
<月に一度、東京駅近くの居酒屋に大学時代の友人が集まり、13〜17時まで
酒を酌み交し、17時半の新幹線で帰ってくる。年に一度ぐらいは、それぞれの
地方の友人の所を訪ねて、地元を案内してもらう。>とか。
<去年、大病をして死線を彷徨い3ヶ月入院した。>とか、女性では、
小児麻痺で、片脚が少し短く、俗にいうビッコをひいていて、何時もオドオド
していた女性が、最近、手術で正常に戻り、見違えるほど明るく、嬉しそうに、
「正直に本当に嬉しい!」と言っていたり、少し暗く神経質だった男が、
明るい人格者風?な教師になって、<出世コースを登るか、教師として現場に
残るかの分かれ道で、現場に残った。それが良かった!> とか、様ざま。
 私のように地方で、肩肘を張っていたのが、9・11テロ、9・15のリーマン
ショック、3・11地震であえなくダウンしたのもいるし、田舎の成功者?として、
金を、これ見よがしにチラつかせていた人が、??で倒れ、死の恐怖に怯えて
いる人もいた・・  駅前を学校区にした中学校は、分類される直前のため、
「人生の事前事後」が漫画的に垣間見えてくる。たかが人生、されど人生である。
還暦より、古希の方が、様ざまな人生が色濃く出てくる。 とすると喜寿は?
   * つれづれに
 新幹線内の焼身自殺があったが、50年間、犯罪?による死者が無かったとは
奇跡的である。 際どい場面を、新幹線内で目撃をしてきたので、「半世紀」も
無かったこと自体が、不思議である。車内や、ホームには隠しカメラとか保安が
緻密になされていることを犯罪者は、知っているため、タブーなのだろう。
新幹線内で時々目にするのが、三国人のエゴ丸出しのマナー不足の振る舞い。
特に子供が酷いが・・親は見てみぬふり。それに対する、日本人の無視の冷やか
な態度と、それさえ分からない彼ら。 ヤクザが、私の前席の一番前に座り、
トイレの手洗所の獲物を狙い、カーテン内に引き込んで・・ 
助ける以前に、その迫力に、唖然と席から見ているだけだった・・ 
酔った労務者風の乗客が母と私に絡んできた時、脅し返したこともあった・・
ほぼ全席、サラリーマンが気に入らなかったか、甘くみたか、やはり労務者風
の男が大声で、「この虚勢犬どもめ」と喚き、悦にいっていたのが、車掌が
来ると、急に大人しく黙ってしまい、その後は、最後まで狸寝入りとか・・ 
その中で、一度も死者が無かったとは驚き。新幹線通勤30年には、色々ある。
・・・・・・
4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と!
2014年07月02日(水)
   * ぼんやりと、考えてみると!
 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた
過去の語り直しをシリーズで書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」
の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、切り口から見える当時が、
新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう
のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 
 私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換える
ことが可能なのか。世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、
それは真実の記憶になるのか? バカがバカと自覚できないのが世間様。
その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが俗世界。
そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。
 過ぎ去った昔と現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、
間違いなく、時間差の中で違う人が存在している。それが、自己と、自分の、
言葉の意味の違いになる? 刻々変化する世界と、自分の受け止め方の変化。
両者とも、儚い泡のようなものでしかない。なるほど、《ぼんやり》とは、
「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。
「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。
「懶」―心の余白。の様というが、
過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、
《無我夢中》の言葉の対比が、何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、
輝きになるが・・ 人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 
ぼちぼち、過ごすしかない。
   * 夢と現実の境目で
 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査
をすると浮かぬ声。知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで
頭が一杯で、落ち込んでいるという。その後、その結果がどうか?は、大腸だけ
に電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を入れたが不在。 
その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 
非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、
どうだった?』と聞くと、『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』
と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と後悔したが、時すでに遅し!》 
 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、
夢だったか分からない。そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、
あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、電話をしたところ、
『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。


6681,閑話小題 〜 思いもしなかった「管見妄語」 −3

2019年07月01日(月)

               <常識は凡人のもの>藤原正彦著
   * ポリティカル・コレクトネスとは
《・ポリティカル・コレクトネス(英:略称:PC)とは、
 政治的・社会的に公正・公平・中立的で、かつ差別・偏見が含まれていない
言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・
年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現、およびその概念を指す
(Wikipedia)。》
 要するに、「差別的な表現をなくそう」とする概念のこと。
日本語にすると「政治的正しさ」ような訳になってしまう。大よそ、ニュース
ショーの番組の構成は、これを前提になっており、誰も、これに対して疑問の
余地を挟めない。特に地域社会に埋没すると、PCが歪んでくる傾向が強くなる。
白人至上主義のトランプが、グローバリズムを否定して政権を奪還した。
 トランプへの反発で、行き詰まりをみせるかと思いきや。実は、アメリカ社会は、
これが偽りない本音。
 ―
   * 「ファースト」
 ここで著者は、トランプの「アメリカファースト」を何を今さらと批判する。
《 …これまでの大統領でアメリカファーストでなかった大統領が一人もいない
 ではないか。ウィルソン大統領は、第一次大戦後のパリ講和会議で、日本が
提出した「人種差別撤廃提案」が圧倒的多数で決議される寸前に、「大切な提案は
満場一致で」と打っちゃった。アメリカが黒人差別社会だったからだ。日本国民は
激怒した。昭和天皇は、これが遠因で日米の戦争になったと述べられている。
フーバー大統領はウォール街大暴落の翌年、自国産業を守るため、輸入関税を40��
まで引きあげた。トルーマンは、長崎と広島に原爆を投下。ジョンソンはキントン湾
事件をでっち上げ、北ベトナムを空爆した。ジョージ・ブッシュは、イラクの大量
破壊兵器をでっち上げて現在の中東の大混乱を引き起こした。… 
TPPは、オバマが自国にとって、極めて有利と考え徹底した秘密交渉で強行したが、
トランプは二国間の方が有利と12ヶ国の合意のちゃぶ台をひっくり返した。
アメリカの大統領は美辞麗句の裏にはアメリカファーストがある。》
 ―
▼ 何が今さらだが… これが世界の歴史の実態。その一番のポチが日本とくれば、
 どうもこうもならない。まさか「ジャパンファースト」とは言えず、せいぜい、
小池の「東京ファースト」がオチ。本気で、それを取組んだら、日本国家は即死。
さして、この先の持てる時間は長くはないが、73年間で垣間見て、経験した世界は
弱肉強食の優勝劣敗の徹した浮世。恐ろしくもあり、面白くもあり、哀しくもあり。
現在の私は、「日々是好日ファースト」ですか。この3日間も、是、好日だったし!
今日も何とか? 良い日になりそう。

・・・・・・
6318,閑話小題 〜インコの異変
2018年07月01日(日)
   * 何ってこっちゃ! インコが何か変で…
 昨日の昼、インコにチーズの一片を差出すと、今までなかった変な目つきが
気になっていた。口にエサを差し出すとき目が合せるが、目蓋を明けていられず、
下がるのである。緊張すると目が空からになる時の現象で、インコも同じか、
それとも老化と思っていた。その話を夕食時に家内に話すと、暑さで水を飲み
尽くし空からで、渇水状態じゃない?と指摘されて水溜を見ると、案の定、飲み
尽くしていたのである。だいたい2週に一度の割だったので、まだまだ有るもの
と思っていた… で、水を入れると5分ほど、起き上がりこぶしの鳥のように、
水を息をつかさず飲んでいた。好きな餌をやると、ピッピィと喜びのサインを
示すが、頭を上げる度に、繰返していた。 渇水による眼の異変を読めなかった
自分に厭きれる次第。飲み終わった後に、ホッとしたのか片隅で、直に寝入った
姿に、我ながらの無神経さ後悔した。
――
   * 小確幸とは
 小確幸たる言葉が印象的である。還暦、古希の峠を越えて、さしたる幸福も
望みようもないが、ここまでくると、日々の、小さな、確かな幸福を味わうことが
目標になる。 〜ネット辞書によると。
《 小確幸とは「小さいけど、確かな幸福」を略して単語化したもので、
 小さくても確かな幸せを感じて生きていけば、なんとななるというニュアンス。
作家:村上春樹が自身の著書『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』
の中で用いた造語である。小確幸は特に台湾で流行し、用いられた。》
―
▼ 小さな幸せ作りなら、私も家内も名人だろう。私は、毎日、2〜3本の録り溜の
ブルーレイの映画かドラマを見るが、日々新たに追加する新規のトレードオフから、
生き残っているのはベストのモノばかり。そこから選ぶため、それはそれは…
ある晴れた日、部屋を掃除し、ネットサーフィンの合間に、本を読み、昼寝する。
ジムで運動して疲れた帰ったとき、冷たいコーラを飲み、アイスクリームを食す
ことも小確幸。その意味では、現在の日々がベストである。アイスクリームも、
コーラも、ブルーレイの録り溜も、前もった準備があればこそ。
 考えてみれば、老いの楽しみは、この「小確幸」の中にこそあるのでは?

・・・・・・
4489, 怒らないって本当は恐い! ー4
2013年07月01日(月)                    
   * 怒りの四分類       『怒りの作法』小川仁志著
ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを
4つに分類している。  ーまずは、その辺からー
≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」
 「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。
・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンといいます。
・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、
 ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。
・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。
・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、
 怒りの感情を表に出さないパターン。
・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。
 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。
この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できて
いるとはいえない。・・(中略)そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、
問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの指標によって
分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、
 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、
 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、
 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、
 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの
  4つに分けることが出来る。  それぞれ見てみましょう。
△ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、
「自爆型」と呼ぶ。彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に
表すことはありません。だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を
究明し、それを解決しようともしないのです。したがって、怒りは自分の中で
増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。あたかも怒りで自爆
してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。
つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、
テロリストや無差別殺傷の犯人に多い。
△ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りという
 のは、「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すこと
はありませんが、少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。
ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけには
いかないのです。
△ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、
「ラッパ型」といえます。怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に
結びつけようとはしないのです。いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ
立てるだけで、問題を解決しようという建設的な姿勢はこれっぽっちもない場合
をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多いといえるかも
しれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、
この語は「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒り
には何の展望も描けないのです。 
△ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」
 の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうという
もので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫
▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。
 その痛みを時間の経過の中で耐えている間に、考えるという働きが出てくる
からである。怒りっぽい私など、何時も独り心の中で、このプロセスの中にいる。
結局、全ての怒りは時間が解決する。怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。
怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。

・・・・・・
4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25
2014年07月01日(火)
   * 無我夢中の面白い4年半であった!
 ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが
「無私の精神」(小林秀雄著)。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人。
物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」
何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。!
その頃、激情を抑えた状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。
「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの棒に自分に譬え、
孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。対象に全身全霊を入れれば、
それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。しかし時間が
経てば、何の未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく
吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が入ったような感覚。 長年かけて積上げ
られた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、実感。 現場と、
幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、
そのまま成果になるため、楽といえば楽である。仕入は、問屋やメーカーには、
大のお客様。慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。
反面、一つ間違えると、実績に直に跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上
とすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。それも、産地に現金
支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 
更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華
することも可能である。 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを
建替え、残留の大半を入替え、統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れ、
ホッとし、自分を振るかえると、今度は自分自身の問題。そのまま留まると、
実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。それと私に、権利という基盤が無い! 
それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間暖めていた新潟ホテル
シリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、
信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。
「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知って
いると知らないとは雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 
日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。
・・・・・・
5951,閑話小題 〜道具(手段)が目的を変える時代 ー2
2017年07月01日(土)   
 * 20〜50%の確率でバーチャルワールド?
 ネットで映像や動画みたり、4kTVで、これまでのTV画像より数倍の鮮明な
映像をみるにつけ、このまま科学進化が進むと、5〜10年後の世界は如何なる
世界になるのか、すえ恐ろしい気がする。既に8kTV以上の画面に研究主体が
移動しているという。 信長が最期に舞ったという『敦盛』。
<人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり>は、桶狭間の戦い前夜、
清洲城の信長は、今川義元軍の尾張侵攻を聞き、まず『敦盛』のこの 一節を謡い
舞い、陣貝を吹かせた上で総攻撃をした。信長だけでない、私たちも、
人生を振返れみれば夢幻のような、一瞬の雷光がごときである。
 〜ネット検索で、「バーチャルワールド?」と入れると明快な書き込みが〜
≪★ この世はリアルかフェイクか。今の常識が永遠の常識だとすれば、愚問。
人類が生活するこの世界がすべてシミュレーションによる造りものだとしたら、
天と地がひっくり返るどころではない。「いやいや愚問なんかじゃないよ」と
言わんばかりに、シミュレーション仮説なるものが世界中の科学者たちによって
熱心に研究されている。
「この世は技術的にとても進んだ文明によって、微に入り細を穿ううち創られた
豊かなシミュレーションソフトウェアだ」とするシミュレーション仮説は、英国
オックスフォード大学のニック・ボストロム教授によって提唱された。
「我々の世界は20〜50%の確率でシミュレーションソフトである」という投資銀行
メリルリンチの発表が、この仮説を煽った。同社が顧客に向けて配布した経済予測
レポートで、急成長している仮想現実(Virtual Reality)、拡張現実(Augmented
Reality)分野の重要性を強調しているのだが、その中に「我々はすでに20〜50%
の確率でバーチャルワールドに住んでいる」と記述されているのだ。おおっぴらに
冗談を言う性格でもない投資銀行が「未来の人類がどこかの時点で過去の人類、
つまり現在の我々をシミュレーションする決断を下した可能性がある」ことを
指摘しているのだから、どうも笑ってすませにくい。
★ もし現在の我々がコンピュータによるシミュレーションの世界に住んでいない
とすれば、未来の人類は高度なシミュレーション装置を造る技術に到達しないまま
滅びてしまったのか、過去の人類をシミュレータに閉じ込めて操ろうとしなかった
のか、いずれの可能性もある。
★ 一方、シミュレーションの中で生きているなら、人類の滅亡が回避された
可能性の証しにもなる。思い切ったこの仮説に、好奇心を大きくくすぐられる。
シミュレーションの中で生きているか否かを証明する方法がない現状において、
仮説は仮説の域を超えることはない。高度化したテクノロジーが不可能を可能にし、
未来が過去をシミュレーションの中に収めるとすれば、その意図はどこにあるのか。
未来の人類は、現実とバーチャルの見分けがつかない仮想現実空間をつくり出す
だろう。脳と人工知能の接続によって、仮想現実を空間につくって見せるという
よりも、脳の作用により“実在しないものが見える”アプローチが一般的になる
かもしれない。
★ 解像度を極度に高められた場合、視覚的にはバーチャルも現実のように映る。
現実のように映れば映るほど、脳は錯覚を起こす。錯覚が持続し、常態化したなら
ば、仮想と現実の境界線は溶け始める。その時、バーチャルをフェイクだと言い
切れるのだろうか。人類が仮想現実を現実のように捉えて生きるようになったと
すれば、仮想という言葉は外れ、仮想現実は現実となる。僕は、テクノロジーは
仮想と現実の境界線を結局溶かしてしまうと考えている。その果てに、シミュレー
ション仮説は仮説ではなくなるかもしれないし、「現実」を再定義する必要に
迫られる。≫
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▼ パソコンとTVの前に一日、4時間ずつ、計8時間。起きている半分近く、
 四角の画面を睨みつけ、異空間のバーチャル世界に漂っている。去年の暮れに
4kTVを寝室に入れてから、没入感が何段階か上昇したこともあって、バーチャル
ワールドの世界に没入しているため、上記の実感が強くなっている。映画館より、
鮮明な画面を自室でみるとは思いもしなかったこと。これにゴーグルで360度の
映像空間に入った感覚は? いや〜、実業での、身体を張った恐怖感と、達成感、
挫折感、充実感。 やはり、仮想現実とは全く違う。
 <達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ>
としても、仮想の味でも十分、価値(味)がある。

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