堀井On-Line



6620,閑話小題 〜「令和」元年ですか

2019年05月01日(水)

   * 何やら元旦のような
 平成が終わり、令和に改元された。退位によるのは200年ぶりとか。
85歳で、丁度良い辞め時。目立足し目出度しである。ちなみに昭和天皇は87歳。
東京オリンピックの開会セレモニーをこなすには明らかに無理がある。
語呂合わせで、「れいわ(018)を足すと西暦に変換できるの便利」という。
「昭和は+25 平成は+88 令和は+018」になる。
大型連休を終え、令和天皇の即位の御祭り騒ぎが終ると、不況風が吹いてくる。
街は右を向いても左をみても、パート募集の貼紙。現場はパート、アルバイト
の確保に大わらわだが、正社員の募集は数少ないようだ。 年金暮らしでも、
時代変遷からくる厳しさは伝わってくる。3、30%組と、67%組みの差が歴然と
してきた。
 ―
 その中、に中学校の同級生の訃報が… これで男の3割が鬼籍に。50歳代前半
で6人が亡くなった後、10年ほどなりを潜めていたが、4年前に一人、そして先日、
一人が新聞の死亡欄に名前が載っていた。27名の男の同級生で8人目で3割になる。 
鬼籍に入った男とは顔見知り程度、30年近く、同級会には全く出席がなかった。
地元の長岡高校に入ったが、進学を断念。離婚後?一人暮らし。20年近く前に、
彼がパートで働いていたホームセンターの店頭で立ち話をしたのが最後だった。
家庭内不和で、トラブルが続き、順調な人生ではなかったと聞いていた。
 ―
 机の前に、新しい置物、‘起き上がりこぼし’が鎮座した。 先週の映画館の
入場の際、土産で貰ったもの。 親指大の5�僂巴K瓩気鵐好織ぅ襪世�、これが
パソコンの合間の豆時間の気分転換のリラックスに丁度良い‘動くオモチャ’。
突っつくと前後に、回すと独楽のようにクルクルと… 捻って回すと妙な動きで
大きく動き回る。 ただ、それだけだが、これが気分転換に良い。 
ロシアのマトリョーシカ人形のカタチをしている。小さいわりに重厚感あって、
元気にコロンコロンと動き回る。 何か写真ってないか?とネットで検索をした
ところ、この位の大きさの人形写真が多く出てきた。パソコンに疲れた合間の
生抜きに結構、人気があるのかも? これって幼児帰りですか?
 ―
 10連休は、ツアーなどの旅行にはいいが、近・短・安なら、残った日々は、
家族が毎日、顔を突き合わすことに。 定年当初の元サラリーマンが直面する
家の中の陣取り合戦。家が大きいため、寝室と仏間の書斎コーナーと、逃げ場
がある上に、10年以上のポタリング(チャリ散歩)と、スポーツジム通いがある
ので、息苦しさからは解放されはいるが… それでも互いのストレスはたまって
くる。まだブルーレイにWoWoWの映画の録りためが300本あるから…。
家内の冷たい軽蔑の視線の中で、奥座敷で大人しく日々を過ごす日々。
これは、連休だけではないが… さて、信濃川一周でも行きますか。

・・・・・・
6257,読書日記 〜トランジション
2018年05月01日(火)
    <「トランジション ――人生の転機を活かすために」
                   ウィリアム・ブリッジズ (著),
 人生とは「転機」の繰返しであり、その積重ねの道のりをいう。
これは極限状態であることが多い。「転機」を織り込んだ「予定挫折」もある。
節目を打つには、計画的挫折が非常に効果的である場合がある。。

 人生を振返ると、特に20歳、30歳代は、転機の出来事が次々と押し寄せて
いたが、誰もが通る道? その一つずつを、若さで、真正面に、無心で受止め、
只管、潰していた日々…。 極限にたつと、火事場の馬鹿力や、幸運が何処から
湧出てくるもの。まずは、空即是色。「空」の状態に置くと、自ずと真剣を抜身
にしたような状態になる。それが「ニュートラルゾーン」。そして「始まり」の
エネルギーが湧出てくる。心持としては、一種「発狂状態」。
「終わり」の空虚感がエネルギー源だろう。その時の不安や焦燥感は、会社整理
とは桁違いのエネルギーを要す。

 30年間、長岡から新潟駅前に監査に来ていた会計事務所の担当が、生の現場で、
「整理を楽しんでますね。立場が分かってない、不謹慎です」と宣っていたが、
節目モードの現象が、面白くない訳がない。あくまで傍観者でしかない。想定内で、
先は見えているのだから、苦しいわけがない。次々と圧縮して押し寄せる問題を
確実に潰していけばよいだけのこと。生々しい転機の経験してきたため、
 以下の言葉が実感として理解出来る。

  〜Amazonの内容紹介
《「人生とは、失恋、結婚、転職、死別、昇進など、転機(トランジション)
 の連続です。その転機を一体どうすればうまく乗り越えられるのでしょうか。
本書で人生の転機「トランジション」を
 「終わり」→「ニュートラルゾーン」→「始まり」の3つに分け、
人生の転機をどう乗り切るかを解説しています。
 あらゆる状況には「終わり」があります。「終わり」と次の新たな「始まり」
の間の期間、「ニュートラルゾーン」に突入すると、これまで自分が置かれて
いた環境や立場がなくなり、自分自身が何者であるのかも分かでらなくなり、
将来も見えなくなり、ぬけがらのようになってしまうのです。ニュートラル
ゾーンはこれまでの自分が失われ、先も見えない、とても苦しい時期です。
  〜著者はこう述べています。
「人は跳び上がる前に、かがまねばならないのだ。このような旅はまた、
たった一人で行くしかない。」
「ニュートラルゾーン」では、急いで抜け出そうとして焦って行動を起こす
のではなく、「終わり」を受け止め、空虚感や喪失感をしっかりと味わい、真摯
に自分と向き合うことこそが、転機を活かし新たな「始まり」を迎えるために
必要なことなのです。》

―
▼  一休が亡くなる際に、弟子たちに遺言を残した。
 弟子たちに「どうしても困ったら、遺言を見なさい」と伝え息を引き取った。
そして何年かして、本当に困った事が起こり、弟子たちが遺言書を開いたところ、
「大丈夫」「心配するな」「何とかなる」とだけ書かれていたそうだ。
創造といえば、その背景に破壊がある。新たな再出発には、既存の日常の
別離が必要となる。 その繰り返しがキャリアの蓄積となる。同じ人生、濃厚に
生きるも良し、淡泊に生きるも良し! 折角なら活き活き、明るく生きたいもの。
それもスキップをして!ニッコリ笑って、ハンカチーフ。足元はガクガクしても。
 改めて振り返ると、「ニュートラルゾーン」が一番キツイが、この時こそ、
「空即是色」状態で、膨大なエネルギーが発露していた実感がする。
これも、車もガソリンがあればこそだが… 

・・・・・・
5890,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー6
2017年05月01日(月)
   * 日々、緊迫度が増す状況へ
 北朝鮮問題について、4月半ばから5回シリーズで書いてきた。
流れからして、全面戦争は避けられないとアメリカが腹を据えた時点で、
本格的な手順が始まる。いや既に始まっているのか。韓国と、仏大統領選挙
までは、開戦がないとみられるが、これが終わり、韓国新大統領への新布陣が
固まる8月まではアメリカも自制するが、9月以降は何でもありになる。
 アメリカの空母派遣は、親米派の韓国大統領を当選させる戦術と捉えられる。
いざ開戦危機となれば、暗殺、クーデターの可能性もあるが… どうだろう。
 ところで、横須賀に寄港している空母レーガンの動きもないが、いざ開戦時
の、補給のための交代戦力? それとも、首都圏への防空の布陣? 
 問題は、終戦後の周辺国への難民問題がある。 相応しくない大統領と、
幼稚で暗愚な主席となればこそ、起こるはずのない核兵器の使用を含めた
全面戦争になる可能性が大である。 それが8割とするなら… 
 「北朝鮮の深刻なガソリン不足で 平壌市内にあるガソリンスタンドは、
閉鎖されていて、人の姿はない。」とテレビが報じているが。
 毎日のように、御二人の漫画のような掛け合いを目の当りにしている
こと自体が信じられない。ドン様、カダフィか、フセインのような末路に
なるのだろうが、その前に数百万人の死傷者を道連れにする可能性を含む。
 問題は、ミサイルの飛来の可能性で、対岸の火事では済まされないこと。
暗殺、クーデターを恐れたドン様の自爆的粛清が更に激しくなる?
 
・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
   * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事に息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー2
   * 全面戦争にならないのか(8割の確率で)
 私がアメリカ大統領だったら、今のうちに核施設に全面攻撃を加える。
ましてトランプなら、8割以上の可能性の説に真実味を感じるが、如何だろう。
やはり、日本は平和ボケをしている。習主席がトランプに、「全面攻撃を容認
する代わりに尖閣列島への侵攻を黙認する」裏契約をする可能性も充分ある。
現在でなくとも、来年中には? 週刊誌の売らんがための煽り記事としても、
現実は、全面戦争に向かって動いている。 〜その辺りから〜
≪ ■ 高陽市安全都市課の職員が語る。
「わが市は目と鼻の先が北朝鮮なので、すでに臨戦状態です。市民からの問い
合わせが殺到したため急遽、10万枚のパンフレットを作成して市民に配付した。
それでも市民からの問合わせが日々、大量に来て、生きた心地もしない日々です」
 北朝鮮は4月9日、韓国国内の外国人に対しても、「韓国から至急離れないと
責任は取らない」という警告を発表した。これによって韓国では、ラーメンや
乾パンなどの非常食や、ミネラルウォーターの買い占めが起こっている。
韓国はまさに、「第2次朝鮮戦争開戦前夜」といった緊迫した状況なのである。
 そんな中、ケリー米国務長官が、4月12日から15日まで、韓国、中国、日本と
北朝鮮を取り巻く3ヵ国を回る、東アジア初外遊に出た。
  ■ アメリカ国務省関係者が語る。
「わが国はいままさに、韓国と合同軍事演習の最中で、いつでも実戦に移す
準備はできています。今回のケリー国務長官の3ヵ国訪問で最重要だったのは、
中国訪問でした。新指導者の習近平は、金正恩を救おうとしているのか、
それとも滅ぼそうとしているのかを、しっかり見極めようとしたのです」
これまでの東アジア地図は、日米韓vs.中朝という対立の構図だった。
前世紀末に世界の冷戦構造が崩壊したが、東アジア地域だけはいまだに、
冷戦構造を引きずっているからだ。
  ■ 8割の確率で戦争が起きる
 だがこの伝統の図式に最近、異変が起こっているのが、中国の態度の変化。
習近平政権は、いまの大荒れの北朝鮮をどう見ているか。外交関係者が明かす。
<かつて毛沢東と��小平は金日成を、朝鮮戦争を共に戦った"血を分けた誼"
と見なしていた。続く江沢民と胡錦濤は金正日を、兄弟国の"特別な弟分"と
見なしていた。金正日は計7回訪中したが、北京へ来れば必ず中国共産党の
トップ9が全員揃って歓待する習慣があった。だが習近平は金正恩を、単なる
"物騒な若造"としか見ていない。だから、北朝鮮のミサイル実験や核実験を
受けて、いともあっさりと、北朝鮮への重油・食糧・肥料の援助ストップを
決断したのだ。中国にとって絶対に看過できないのは、朝鮮戦争時代の悪夢
である米軍が北朝鮮に侵入してくることだけだ。それさえなければ、いつ
核兵器の矛先をわが国に向けてくるか知れない金正恩という狂った指導者が、
いつ失脚しても構わない。それが習近平新主席のホンネだ>
 4月10日には、中国共産党機関紙『人民日報』が発行する中国最大の国際
情報紙『環球時報』に、中国で最も有名な北朝鮮研究者の張瑰・中国共産党
中央党校教授が、次のような原稿を寄せた。
<朝鮮半島に近く戦争が起こる確率は、7割から8割くらいあるだろう。
北朝鮮にとって武力統一は、昔からの既定路線だからだ。金正恩は、金日成と
金正日が成し遂げられなかった祖国統一を、いまこそ果たそうとしているのだ>
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より ≫
▼ 首都ソウルから北朝鮮の距離は、東京と大宮の距離しかない。そこには
 2500万人が住んでいて、北の脅し文句が「ソウルを火の海にする」である。
それを二分した国家に向かってなら効果があるが、アメリカに向かって、
「大陸間ミサイルで核攻撃で火の海にする」と、実験を繰返せば、交戦好きの
アメリカが見逃すわけがない。白人優先主義を謳って当選した大統領にとって、
東洋人の100万、200万が生きようが死のうが、大した問題ではない。
 在日米軍と、二つの空母艦隊と、多くの原子力潜水艦に囲まれ、いつ何時、
攻撃を仕掛けられない南北朝鮮の人たちと、平和ボケの日本人とは、危機感が
雲泥に違う。それでも、何かしらしら危ないのは分かる。危機の察知の早い
株式市場と、為替の変動の兆候がないので、大丈夫? そうじゃないから…

閑話小題 〜「令和」元年ですか


6619,閑話小題 〜平成の終わりに 〜5

2019年04月30日(火)



   * 平成、最後の早朝に…
 今日で平成の年号が終わり、空気は少し変わることになる。昭和生まれ、
とりわけ団塊世代以上の世代は急に老け込んだ感覚になる。 平成から令和と、
昭和から平成への改元の意味と考え合わせると現時点の時代と、自分自身の立ち
位置が映し出されてくる。 あと2年足らずで、後期高齢者に区分され、自動車
免許証の返納を勧められるなど、ここで失われた過去の喪失感に遭遇する? 
 ―
 せっかく改元の前日。少し難しい話を。
フロイトが、途中で自らの理論を大きく転換。新しいモデルでは、
・人間の心は、心のコントロールセンターのような「自我」という部分と
・エロスやタナトスから出るエネルギーの集合体である「エス」というものと、
・無意識のうちの心に住みついた、自分の親がいろいろな形で命令を出している
 「超自我」という3つの要素からなると、唱えた。
この超自我というのが、普通の道徳感とはちょっと違っていて、エッチや、
これは不道徳な親にいえないことなどの意識レベルでブレーキになるもの。
フロイトのモデルでは、超自我というのが単なる道徳感ではなくて、無意識の
うちに身体や心を反応させる状態をいう。
 何でまた、こんな話をするかと言うと… 昭和と、平成を分けて、過去を
振返ると、究極で切り抜けた難題、この「超自我」が、その都度の判断と決断
で、自らを導いてくれていた。こういうのを血筋というのかも… よくぞ、
事なきをえて、切り抜けてきたとかと。 私の心の最後の拠りどころ… 
「後味の悪くなることは避ける」が、この「超自我」だろう。いや「自我」?
毎日、書き続けている、この随想日記、その日の分は、「自我」。過去の蓄積分
が「超自我」。早朝のポタリングと、大手大橋でヒキチャリをしながら、地球の
芯からエネルギー補充のイメージが「エス」への充電。それとSJでのヨガもそう。
成るほど、一応、理に適っているのか。シネマ館と自室でみる映画も「エス」。
 フロイトは、この「超自我」を振り払って、己が自由にならなくては!と
いうのが言いたいこと。振り払えなかったことが、老年の後悔? それとも、
振り払い過ぎた後悔が、あいまみえる心の葛藤? 老いは悲しい! 
出来なかった自分が悲しい顔をして、見つめてくる。それに、黙るしかない。
昭和の40数年は、「エス」に引きずられ。平成の30年は、超自我に… 
「自我」「エス」「超自我」ですか。今度、この3者が対話方式で、語り合せて
みますか。「熊」が自我。エスが「寅」で、大家が「超自我」とすると面白い?
とすると「八」は何?。 心、ここにあらずの「天使」? それとも「悪魔」?

・・・・・・
018年04月30日(月)
6256,閑話小題 〜デ
   * つれづれに 〜凡人の祭日
 4月29日の祭日には、毎年、「競馬の天皇賞」「全日本柔道選手権」と、
「プロ野球」中継を楽しみにしている。 ところが、今年は日曜と重なり、
定番の「家について行ってイイですか」「お宝鑑定団」「そこまで言って委員会」
「新婚さんいらっしゃい!」が重なったため、12〜18時まで、数本の番組を同時
進行で見ることにあいなった。集中できない欠点もあるが、これが、生中継と
なると、集中しやすいため、頭の切替が思いの外、出来る。WoWoWなどで、次々
と面白い映画や、ドラマ、ボクシング中継などを放送するため、早々に、見て
消すしかない。最近はDVDに移行して消してはいるが、それも溜まる一方。
 寝室に‘お籠り用’に大型TVを入れて一年あまり経過するが、DVD録画の
数年分の録画分300本の録り溜め分もあって、非常に快適な自游空間に、あい
なっている。で、どうするか?といえば、録り溜分の4〜5本を同時進行で見る
ことで量を熟す。これも慣れ。で、昨日の柔道、プロ野球、競馬のライブなら、
お手のもの。さすがにゴルフ中継まで見る余裕はなかったが… 
だが、同時間帯に2本を録画していた。
 自分でも驚くのが、見ても見ても全然、飽きないこと。特に映画の世界は、
よくぞ考えつくものと驚きざるを得ないのが多い。 それと世界の重量級の
ボクシング。そして世界各地の大自然の光景。これこそ情報化の恩恵である。
 20時早々に就寝した後の深夜の1〜2時に覚醒し、死者のポーズで、己の肉体
から離れる意識をもって、前日の触媒の情報を見つめ直す。その面白さも格別。
 そして、起床をし、パソコンの前に座り、これを書き加えた後に、チャリ
散歩に出ていく日々…。 成るほど、これが第二の、第三の人生ということか。

・・・・・・
2017年04月30日(日)
5889,閑話小題 〜愛人業とはね
   * 愛人業ですか
 先日、投資業を餌にした女詐欺師が逮捕され、取調官の「職業は?」に対する
返答が「愛人業」という。寝技で篭絡しながら騙す男を「さお師」というが、
女は、さしずめ、「つぼ師」と思いきや、その言葉はない。クラブのホステスや
ママは、半愛人関係を持つ客を何人か持ち、名刺に日付と暗号を入れておくとか。
  〜ネットで、供述を検索すると〜
≪  ☆ 山邉容疑者「投資するつもりなかった」
「つなぎ融資の女王」と呼ばれた山邉節子容疑者の逮捕から1週間。
取り調べに対し、「金を投資にまわすつもりはなかった」と供述していることが
警察関係者への取材でわかりました。
山邉容疑者は70人以上から少なくとも7億円を集めたと見られています。
取り調べには素直に応じ、聞かれてもいないことをよくしゃべるといいます。
・「職業は?」(捜査員)
・「愛人業です」
 「美容整形のために合わせて800万円使いました」(山邉容疑者)
62歳の山邉容疑者は、タイでは交際相手に38歳と偽っていました。
地元・熊本で山邉容疑者を知る人は・・・
「色気たっぷりの男性に好かれるようなタイプだと思っていた。(交際相手の)
会社の玄関に畳ぐらいの大きいブロマイド、自分がきれいに写っている上半身と
全身の写真を貼っていたから、『おや!』って思った。女性としてきれいだから、
みんなに見てもらいたいのかなとは感じていた。近所の人もそう言っていた」
                        (山邉容疑者を知る人)
山邉容疑者は、熊本市内でかつて経営していたスナックで、客らの話を聞く
うちに犯行を思いついたといいます。元本保証や高い利息をうたい、口コミや
愛人を通して出資者を募っていました。しかし・・・
「7年ほど前に金を集め始めました。最初から投資したり貸したりするつもりは
ありませんでした。ここまで広がるとは思っていませんでした」(山邉容疑者)
投資話は全くのうそだったことを認める供述をしているというのです。≫
――
▼ その金も、なる手の「さお師」に篭絡されて吸いとられていた。
 事件が事件だけに被害者の映像が出てこない。篭絡した客に、ホステスが
スナック、クラブの出店をさせる手法は、何処にでもある話。海外にに逃げれば、
大丈夫だろうと踏んでのことだが、まさか、全国ニュースで、ここまで騒がれる
とは思ってもいなかったようだ。
 現職の頃、あるクラブのママに、「あの娘、店を持ちたいみたいで、旦那探し
をしているけど、あなた、どう?」と、囁かれたことがある。 これは最も危険
なケースで、暴力団系の金貸しに搾り取られるケース。土建屋など成金の泡踊り
の典型事例になる。 
<女の身体の真ん中へんに しんしょぶっちゃる穴がある>の都都逸がある…
父親の口癖に、<愛人だけは持つな!>があった。後後にツケがまわってくる
のを多く見てきたからだ。 聞くところによると、<女子大生の2〜4年の定期
約款付で、20万だったが、今では不景気で15万まで下がっている>とか。
嘘か本当かどうかは定かでない。都会には、この手合いが幾らでもいるのだろう。 

・・・・・・
2016年04月30日(土)
若者よ、外に出よ! ー�� 〜学生生活は人、人生の砂場遊び
  
   * 学生時代は、人生の砂場遊び〜  
 古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震、刈羽沖地震、
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20〜45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼著
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
――――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

――――
2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」
という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう
生き方をしようかという内容と、批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・
002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと  ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を
余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り
行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要
ということ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んで
いったモデルがある。


6618,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜1

2019年04月29日(月)



     <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人>和田秀樹著> 

 6年前に12回シリーズで『怒りの作法』をテーマにあった。ま6年前まだ心の傷
が癒えてない頃。心も病むと化膿し、放っておけば、死に至る危険をはらむ。
ならば、「怒り」の感情を凝視して有効活用をすればよいと… これを最大利用
したのがヒトラー。これは大型シラミで何千万人を殺戮した。 スターリン、
毛沢東も似たような者。 現在が、第一次、二次世界大戦前夜に酷似。プーチン、
トランプ、習、そして、あの男。図書館を彷徨っていると、精神科医の和田秀樹
の <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人>があった。 そこで、
 怒りに支配されたら、まず時間を稼ぐこと、そして、「怒り感情に振り回され
ない自己洞察を持つことの二つを上げている。この数年、様ざまな怒りを納める
ため、生活習慣を、フロー状態に可能な限り置くように、それに見合った一日、
週、月、年単位の行動スケジュールを組んでいる。 物語とは、喪失、挫折、
怒りを納めるために作られると… ハリウッド映画のベースは、情報過多で、
満たされない鬱憤やストレスを主役が破壊する物語がベースにある。
TVのドラマもしかり。四苦八苦を開放するために日々がある。8苦の中で、
一番のエネルギーが、「怒り」。それを如何に有効活用するか? 
 なかなか、含蓄のある精神科医の切り口が面白い… 
怒れ、哀しめ、喜べ、遊べ、もっともっと! 生きている内である。
そんなに自分を大事にし過ぎたら、比較地獄のシラミの人生を過ごすことに。
                           〜つづく
――――
4484, 怒らないって本当は恐い!  ―1
2013年06月26日(水)              『怒りの作法』小川仁志 著
 以前にも書いたが、生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を
顕わにすることは絶対タブーの中で育った。 それもあって、
『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ー を学生時代に読んだ時、私の常識と全く
逆の内容に驚いたもの。この本ではナチスの大衆誘導の手法を教えていた。
「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念で煽って集団催眠にかける
手法である。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を振り上げ怒りの感情を
大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動のエネルギーの源泉に
せよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動のアクセルにせよ」というのだ
から… 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクトがあった。
私が怒りっぽくなったのは、これもある。これを人知れずノウハウにしたら、
突然狂ったと思われるはず。喜怒哀楽の中で、一番疎んじられている怒りこそ
(仏教の影響もあって)日本人に欠けている。切れるのではなく、コミニケー
ションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケの中で
怒りの訴える強度が一番高い。もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて
抗議しても、怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。 
これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬にして破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。そこに作法
が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器
なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、
「正しく怒ること」が大事ということ。 アリストテレスの「中庸」という思想
を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。怒りに対する
「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方
で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、
こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 怒ることは、必ずしも悪いこと
ではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。もっと怒る
べきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが
破壊する。 怒らないって、本当は恐いのである。

・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
 何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 
   ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえ
 られるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみ
 は負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情という。
 したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める必要がある。
 感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出
 することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
 暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
 しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解
 するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらうことを
 諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
 長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
 上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
 楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
 が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、喜怒
 哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。 「風土」論にみる
 日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
 彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
 モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間に。
 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。
 また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考える
 ようになる。日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型は
 アフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。
 農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため 近所と波風を立てない
 ことが、まず求められる。あの人は、どう思うかということばかりが気になり、
 常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の
 社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは
 目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室と
 いう名の農村。もう一つ、気候と関連するものに地形がある。小さな島国の
 日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の
 1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。思想界では、
 ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。
 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・・ 
 それ以降、個人主義が拍車をかけていった。そして誰も怒らなくなった。権利
 意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだから。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ない
 からである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ
 呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。
 そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。そして威嚇
 したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。とはいえ、
 その対極にあるような日本も間違いなく変。何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。

・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)
                    『怒りの作法』小川仁志 著
   * 怒るとは哲学することである
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで
「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると「まだ遣り残した
ことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、
一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する
怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに怒り
と密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる
ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに
疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと
理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。現代社会とは異なり、容赦
ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らは苛立ったことでしょう。自然は何から
できているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明
するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、カントを生み、
へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを露わ
にしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信
したりするような行為とは正反対の、いわば現実に対する知的抗議ともいえる営み
なのです。 怒りは言葉を生み出します。怒ることを「黙ってはいられない」など
と表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。・・・当たり前
のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分
自身の人生に怒る。怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける
人生を引き受ける営みにほかなりません。まさに怒るとは哲学することである。≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。この一連の
出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの
本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが
出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。
それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの
方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性が
ある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 
感情の最たるものは怒りと感動?

・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)
                      『怒りの作法』小川仁志著
   * 怒らない作法
 矛盾しているようだが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観
する勇気も必要で、淡々と処理をする。相手が怒っている場合、特に注意すべき。
ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
 ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていく
ような人間を「ハエ」と表現、そこで「そんなハエを叩いて人生を過ごしてはいけ
ない」と警鐘をならす。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、
気が熟するの待つことも必要である。その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、
力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・・≫
▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に驚き、      
 怒りさえ感じた。商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。 
ニーチェは、「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。そういう私もシラミ
だが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから?私は?… 
だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、危険度が増している
のが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。あの戦犯の?二人が首相と副首相
になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを支払うのは国民である。
その自民党に国民が多く支持しているのだから。政治的にみて憲法改革は必要。 
甘い餌で釣ることもありだが。怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟が…。 
その場をともかく遣り過し、タイムラグを置く。そのため「シラミ」と頭の中で
繰返す。これが一番、効果があるが「三ヶ月に一度は、嫌なことはある」と覚悟。
面白いもので慣れる。シラミ、ハエは事実は事実であると確信すると割り切れる。
「娑婆娑婆」である。その意味で、この経験は私の人生の物語にとって必然だった。
受け止め方の問題でしかないが・・・


6617,閑話小題 〜平成の終わりに 〜4

2019年04月28日(日)


   * 改元なればこそ見えてくる風景
 このテーマのシリーズは、改元なればこそ見えてくる心象風景のスケッチ。
節目になればこそ、昭和と平成の節目を改めて考えさせられ、現状を掘下げる
機会になる。明治維新、日ロ戦争、太平洋戦争敗戦も、そしてバブルと、崩壊
という経済敗戦も、アメリカの手中で踊らされた策謀。その結果、国家予算の
半分を国債で賄う火の車。まだ、引き受け手は国内で収まっているから火の手は
上がらないとしても… 太平洋戦争の廃墟の中から半世紀かけて復興した国力を
30年かけて使い果たした上に、膨大な国債残高が残ってしまった。
「目先さえよければ、それでよし!」が、この国の常ならばとも、言えない。
国家の基盤があればこその国民がある。『令和』は、「昭和」の54年と「平成」
30年の74年を清算する時代になる。その近未来は、韓国+北朝鮮の姿に近い?
暗い内容だが、現実は現実として見つめておくべきである。 誰も助けてくれ
ないのはロマ(ジプシー)、ナチによるユダヤ民族の虐殺をみれば自明のこと。
 この時節の改元のタイミングは、タイミング的に良かったといえる。
世界の激動期に、平成の30年で強引にリストラされた経験は、むしろ不幸中の
幸い。平成での身を削る経験は、『令和』の時代にこそ、生かされてくる。
ちまちま、下向きで互いの足を引張りあうところが、島国根性。
  平成のキーワードは、
・情報社会の本格的到来
・デジタル機器の飛躍的発展と普及でネット社会が現実社会を囲み
・日本経済の長期低落がつづき
・3,30,67%層の格差社会が露わになった。3%のみが、より豊かに…
・それらが重ねり、日本的家族制度が根本から揺らぎ、日本的個人主義が
 静かに浸透していった時代。
・昭和と平成の最後では、10年で100倍、20年で1万倍の情報量に、とすると
 30年なら一億倍?
ならば平成は、面白く、かつ興味深い時代のはず。
「令和」の時代は、2045年問題と言わるシンギュラリティ(技術的特異点)に
向けて一斉に動いてく。コンピュータ技術や生命科学などの進歩、発展が、
2045年頃に技術的な特異点が生じ、これまでの世界とはまったく異なる不連続な
世界に日々、近づいていく。 一昨日のシネマ館の「T-lex」の初体験など、
ある日、思いもよらない新世界を体験することに…
 平成と、昭和の時代に何をしてきたか? そのままが、これからの時代を
暗示してくる。暗くても、明るすぎても、その闇と輝きを見つめておかないと!
 時には色いろなサングラスも必要としても。

・・・・・・
5887,閑話小題 〜21世紀に入って16年
2017年04月28日(金)
  * 21世紀に入って16年
 21世紀に入った2001年から、はや16年になる。
・まずは2001年9月のアメリカへのアルカイダによる「9・11テロ」から始まる。
 ユダヤ・キリスト教対イスラム教の戦いの火ぶたが開かれ、イスラム国を生む
 キッカケとなり、大量難民が大挙して欧州を目指すことになった。
・地震、津波などの自然災害が日常的に多発。2004年12月26日、スマトラ島沖で
 巨大地震が 発生、この津波がインドネシア、タイ、インド、スリランカなど
 の諸国 の沿岸を襲った。津波による死者は28万3千人以上にのぼる未曾有の
 大災害。国内では、2004年の中越地震、2007年の柏崎刈羽沖地震、そして
 2011年には、東北大震災が発生した。
・2008年のリーマンショックの経済的激震が、世界を襲った。
・21世紀に入る頃に、スマートフォンなどネット社会が世界的に普及をして、
 全世界の半数が携帯端末を持つようになったが、その情報化に対応する体制が
 全く不備のため、混乱を引き起こしている。現実社会の上にネット社会が新たに
 出来上がり、それが現実社会を支配するようになってしまった。情報機器と、
 世界的ネットワークの進化が、グローバル化を推し進めてきたが、ここで、
 その反動が起きている。
 ――
 21世紀に入った5月初旬からこの個人HPを開設し、5900近いテーマを書き
続けて現在に至っている。個人的経験として、20世紀後半の奇跡的経済成長期と、
21世紀のネット社会の出現を目の当りできたのは、非常に幸運といえる。
世界は明らかに混迷の時代に入ってしまった。近隣の北朝鮮情勢が不安定に
なってきて、70年余りの平和だった日本も、安閑としていられなくなった。
戦い取った自由民主主義ではなく、アメリカから与えられたシステム。
それが故の軟弱な基盤が、そのまま露呈している現実がある。フッと振返れば、
歴史的幸運世代の落とし子、そのままの一人でしかない自分、そして何故か
動揺している自分が、ここにいる。時代背景、その世代が、その人そのもの!
 71歳は、71歳である厳然たる事実がある。老いてしまった。 しかし面白い。

・・・・・・
5157,不幸不利の7つの法則 〜��
2015年04月28日(火)
 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
・・・・・・
5522,若者よ、外に出よ! ー� .團薀潺奪匹箸い�衝撃を体験しろ  
2016年04月28日(木)
             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。
――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。“まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
・・・・・・
4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。
《起業では、何かをしようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保して
から、何をするか、どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の
事業を始めるところから考えるのが理想なのだろうが。創業というと、独自の
強力な個性が必要になる。 黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を
守るため、かき集められた浪人が、圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に
合わせた人集めの典型。このことは、教養についてもいえる。何かのために
知識を得るのではなく、知識のベースが、まず必要。それが教養。
大学も4年のうちの二年間が一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。
人生を振り返ると、本当に必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎
知識であった。教養課程は、その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方
の差は、そういう人材が身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界が
あった。「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。


6616,閑話小題 〜スリランカのテロ

2019年04月27日(土)



   * これまた驚いた
 最近の3Dに驚いたが、この「T-LEX」の大型スクリーンの大きさと音響の
迫力には驚かされた。従来比約135%の大型スクリーン+4K デジタルシネマ
プロジェクター仕様が売りだけのことはある。
シリーズモノの『アベンジャー』そのものがド派手な内容だが、それにこれ
だけの鮮明な画面と音響とくれば、映像の世界に吸い込まれてしまう。
何か、そこに座っているだけで恐ろしくなる緊迫感がある。これがデジタル
機器の進化の一現象ということかと… 
 二年半前に、寝室に65㌅TVをとブルーレイを導入し、シネマとドラマの
世界に没入する日々の中で、週一のシネマ館通いも10年に…。そろそろ、週一
から隔週にペースダウンをと考え始めていた矢先、これである。疲れるが
面白さは格段上がったような。
  〜ネット検索によると…
<ティ・ジョイは、独自のプレミアムシアター「T-LEX」を、新潟県のT・ジョイ
長岡に3月21日よりオープン。県内最大級を謳う大型スクリーンとJBL製4ウェイ・
シネマスピーカー、 4Kプロジェクターの上映設備を設置するほか、高級革張を
採用した … …「Large(巨大)でLuxury(贅沢)、Exciting(刺激的)なExperience
(体験)を提供する空間」としている。JBL製の4ウェイ・シネマスピーカーが巨大
な音から微細な音までを表現。>
 ―
 帰って直に、直前まで録画していたWoWoWの生臭い北欧の刑事モノドラマ3本
をたて続けに見てしまった。映画オタクそのもの。まだ、このブログの書上げと、
SJ通いと、早朝のポタリングがあるため、何とか正常な?精神を保っているが…
それらのどれもこれもが我を忘れるほど面白いとくる! 
 ―
   * スリランカのテロの意味すること
 スリランカで同時多発テロが起こった。なりを潜めていたISのテロ。
今後も、今までのように世界各地で無作為で行いますよという宣言のような。
組織的テロには対処の方法はない。狙わたら不運として諦めるしかない。
これでは、旅行熱もさめてしまう。今度は、イスラム教会に対したテロが考え
られる。パリのノートルダム寺院の火災、テロでないと信じたいが?
複雑な難民問題、人種差別、国家間の対立などを抱えて、解決は難しい。
スリランカのテロ首謀者の『あの眼』。差別されし者の怨念が籠った怒りの眼。
何でまた、こんな眼差しで… 怨念?軽蔑?精神異常?薬物?。その全てか。

・・・・・・
6253,閑話小題 〜‘キャバクラヨガ’
2018年04月27日(金)
   * 微妙〜な一線
 まあ面白い! SJでヨガ・エアロに参加して6年2ヶ月、大よそ千回になる。
ストレッチそのもので、腰痛対策としてベストである。ヨガ専用教室の参加費は
一時間、大よそ1500円が目安。ジムのそれは、50人の定員もあって、100〜200円。
ところが、色気を売りにした“キャバクラヨガ”なる店に、文化相が公用車で
通っているのがすっぱ抜かれた。 〜まずは、ネット記事から〜
【 林芳正文科相(57)が、平日の白昼、“キャバクラヨガ”と呼ばれる店に、
公用車で出かけていたことがわかった。 週刊文春の取材によれば、
<4月16日14時半、林大臣を乗せた公用車は、恵比寿にある雑居ビルの前に到着。
林氏はヨガスタジオに入り、2時間を過ごした後、待たせていた公用車に乗込んだ。
 店は、元AV女優が経営し、個室で元グラビアタレントや元キャバクラ嬢の
インストラクターらが一対一でヨガを指導した後、オイルマッサージなどを行う。
料金は男性客は1時間1万1000円なのに対し、女性は3000円。客とのLINE交換や
食事、交際も認めており、テレビでは「キャバクラヨガ」として扱われていた>】
 ――
 〜コース詳細が何とも〜
 TT200詳細
ベーシック100hの合格後に受講し、中級者以上にも教えられるレベルを目指す。
『1時間15分のヨガクラス』のオリジナルプログラム作成とレッスンを通して
行える ヨガ中級者以上に対し、効果的なアジャスト、バラエティ豊かなポーズ
構成、テーマに合ったクラス運営、臨機応変な対応ができるレベルを目指す。
ヨガスタジオの中級者以上のクラスで自分のオリジナルレッスンを構成しギュラー
レッスンを運営し続けられるレベル。100hで学んだ事をベースに、より難しいポーズ
の練習やアジャスト、クラス構成の仕方を体験的に学びます。TT200は実技が中心
となり、体験的に、楽しみながら学んでいくプログラムが特徴です。アロマやハーブ
の応用や骨盤調整ヨガ、月礼拝も学びます。また、インターン制度を導入しており、
自分のレッスンを10時間行い、認定されたのち、合格となります。資格をとった後、
一番悩みの多い意見が、教えた経験の少なさからくる疑問や不安です。本校では、
基礎的な知識、体力作りだけでなく、心やマインドの成長のお手伝いも目標です。
インターン制度は生徒自身の自信につながり、即デビューの架け橋となります。
<庄司ゆうこ オフィシャルブログ(ポジ☆ポジ☆ポジティブ)
 https://ameblo.jp/shojiyuko/   
https://matome.naver.jp/odai/2152456174521985501
―
▼ 成るほど、ヨガを建前に密室指導とは考えたもの。デルヘル嬢が、少し
 ヨガ」を手ほどきを受け、密室で… 早速、店主のブログ「庄司ゆうこブログを
検索すると、ありました。 これが‘キャバクラヨガ’でなくて、何ぞや。
「ピンサロ・ヨガ」と書かれなくてよかった? 
オプションは、密室の中の交渉ごと。ヨガ用のレオタードと、軽装の運動着。
状況はホボ同じ。店主としては建前上は、「怒り心頭のポーズ」は必要。
何と男客の写真が、そのまま写っているのは、健全客? だから。
 健全といえば、SJのエアロ。今どきは、昼時に、真っ暗なスタジオ内で、
ミラーボールが点滅する中、老若男女が我を忘れて、大音響の中で踊りまわる。
これはストレス解消になり、健全なスポーツ。 キャバヨガも、凝ってる?
部分をとき解すのなら、健全? ところで、新潟県知事、何故、辞めたの。
「県知事である前に男の子です、すみません!」で、通ったのでは!
「少女買春」の男が、アワヤ都知事になったかもしれなかったのに。
こんなことを早朝の4時過ぎに書いている私は不健全ということ! 今さら…?
 ところで「ホストヨガ」が成り立つのでは? 当たると思いますよ!
他のジムに「ホットヨガ」というのをパンフレットでみかけたが…

・・・・・・・
3684, 自己を見つめる −8
2011年04月27日(水)          
  * 仕事について     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から
無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の
波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在
意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、
趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって
くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は
のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・
  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが
 できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認
することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの
ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、
失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである
ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、
疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる
陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。
けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を
確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、
やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。
そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、
この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する
ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、
 それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて
仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災
は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。
これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
 まあ、面白かった! 

・・・・・・
4791,「消費される物語」 ー1
2014年04月27日(日)
        ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー
 * 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す  
  ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより
 毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語
になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。 
 ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー
《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で
 広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。
近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条
の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀
半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが
「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され
ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする
ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。
人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が
「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して
いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、
「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの
人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された
英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション
番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。
   □ 憧れをかみ殺す
 だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」
はゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで
勝者に含めても、6〜7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。
実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。
(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを
かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に
なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想
がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに
真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」
を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、
フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ
となってくれました。 ・・ ーつづく  》
▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」
 で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる
しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ
(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。 
だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと
面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で
生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、
気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、
この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの
「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された
真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは
移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、
泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン

・・・・・・
5886,閑話小題 〜政治家は本当のことを言ってはならない
2017年04月27日(木)

  * 政治家は本当のことを言ってはならない
< 東日本大震災について「まだ東北だったから良かった」と被災者を傷つける
 発言をした責任をとった。事実上の更迭。>と不穏当な発言で、復興大臣が
辞任をした。 前後の発言の脈絡からすると、さほど不穏当の内容でないが、
その部分だけを切られて繰返し報じられれば、被害者は怒って当然のこと。
今では、誰もがビデオ機能付きスマフォか、デジカメを持っていて、報道局に
気楽に転送される。 政治家は御政道を語り、大衆を導くのが本分。これが、
この政治家の限界ということか。たった一言で、これまでの人生の全てを失う
のが政治家の辛いところ。

  * 小学生が、「忖度」なる言葉を使っていた
「小学生が忖度の言葉を使っているのを聞いて驚いた」との新聞記事にあった。
「忖度」の意味は、<他人の気持ちをおし はかること。推察。>である。
政治家が多用しそうな言葉であるが、この年齢になるまで「忖度」なる言葉を
一度も使ったことがない。

  * 昨夜は、中学校の同期会
 この10年来、年に3〜4回は開かれている中学の「同期会」が開かれた。
出席12名。以前は「同級会」だったが、死んだり、転居などで出席者が激減の
ため、何時の間にか、「同期会」になってしまった。 一次会で早々、帰宅の
ため二日酔いなし。
 高校、大学の同級会は同じ傾向にあり、消滅一歩手前? 歳を重ねると、
唯我独尊で、他人に厳しく自分に甘くなり人間関係に支障をきたす傾向が強く
なるのは自分からして納得。 晩秋の夜会もまた、娑婆の妙な味がする。


 


6615,閑話小題 〜平成の終わりに 〜3

2019年04月26日(金)



   * 遊び、学び、働きからみた平成の意味は?
 人生の意味を考える時に、フランクルの哲学が参考になる。彼は、
≪ <生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だ>と。 
<人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している>が印象的。 
 そこで自己超越のための3つの意味(価値)ーを、挙げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。
 また、ー人生には発見されるべき価値や意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに喜怒哀楽を開放してやることだ。≫
 ―
 昭和の終わりごろ、時代が世紀末にかけて大きく変わろうとしていた。 
ソ連と東欧の崩壊。国内では、バブルと、その崩壊である。太平洋戦争以来の、
第二の敗戦である。何ゆえに、ここでフランクルの価値を取上げたか? それは、
価値観の根本的転換期だった時節が昭和と平成の境目ということ。 
それだけ、大きな区切りが、改元の意味するところ。アメリカに捻りつぶされて
しまった敗戦処理の時代。 右上りから、右下がりに方向転換をしたのである。
その時代認識が、甘かった結果が、私の現在の結果である。と、同時に始まった
本格的情報革命。ネット社会が、平成の時代に、現実社会を覆ってしまった。
情報量が一億倍? が、日々の生活を一変させている。
 ―
・平成の時代の私的な出来事では母親の死になる。51歳時だったから22年前の
平成9年になる。昭和では27歳時の父親の死亡。大きな後ろ盾を無くしたが、
何かから自由になれた感覚もあった。昭和の終わりが1989年1月08日といえは、
その年に東西の壁が崩壊、その2年後にはソ連が崩壊した。ルーマニアで革命が
起きて、チャウスクスが殺された。また美空ひばりが亡くなった。
・次に日本経済の敗戦といわれる、バブル崩壊。 日本経済の土地バブルと、
崩壊はその後の「失われた20・30年」につながりる。そのバブル形成の起点は
1985年9月22日の「プラザ合意」。バブル崩壊の開始時期は、定説があるようで
はっきりしてないが
(1)1991年(平成3年)3月説
(2)日経平均株価が下落に転じた1990年1月説がある。
平成はバブルの崩壊と低落傾向の30年だった。
 これは、アメリカによる日本潰しの臭いが非常に強い。アメリカが作成した
日本経済潰しに何ら抵抗することなく、バブルに踊り、潰されたのである。
太平洋戦争の戦勝国が、抵抗力の全くない日本を手の平で、ヒネリつぶした30年
が平成の時代ということ。しかし、その自覚が国家にも国民にも何もない。
平成の間の国債発行高は? 考えただけでも恐ろしくなる。
 ―
▼ こうして、平成と昭和を分断して、国として、私自身の事業を振返ると、
 まだまだ、総括が甘い自分に気づかされたテーマになった。 国家として
の日本は、あまりにも無惨。 近未来の姿が韓国と北朝鮮。 国家の態(体)を
成してない韓国を透視できても、自国のこととなると… 成るほど、バブルに
踊り、流された日本と、その縮小版の我身。最後は、態度価値を変えることで、
そのまま受容するしかない。 第一のバブル崩壊が『平成』の時代なら、
『令和』は第二のバブル崩壊の象徴? そこに『東京オリンピック』ともなれば…
平成天皇は丁度良い辞め時か。少しリーマンショックの2008年に雰囲気が似てきた。
私にとって平成は決して悪い時節ではなかった。事業の断捨離。厳しい返り矢だが、
決断すべき事態だったのが現実。 『昭和、平成』の時代から『令和』ですか!
『たどたどしく辿り着いた!』が、実感。 それと面白かった! が…
『あなたにとって、平成とは、どんな時代でしたか』の特番が(少)ないような!
昭和と平成のどっちが、良かった? と問われたとしたら、「へ・い・せ・い」。
なまなましいのは「しょ・う・わ」。とすると、『令和』は、何の問いですか?
 
・・・・・・
6252,閑話小題 〜長屋のコンニャク談義
2018年04月26日(木)
 熊: 何だよ、急に。
大家: 去年の同月同日のテーマを見て、急に思い立ってさ。
  金ちゃんのことなら、御前ならズケズケ言うに丁度良いからさ。
 熊: 俺だって、こんな兄殺し、叔父殺しの奴の悪口など話したくないね。
寅: 朝鮮といえば儒教の国だろう。そりゃ罪悪感で日々、恐れ慄いているさ。
  それと、暗殺の恐怖もさ。側近と、その親族を根こそぎ処刑しているからね。
 熊: 急に態度が変わったのは、締付けが効いてきたからさ。でもさ、誰が
  どうみても、核兵器も、ミサイルの放棄など、するわけないよ。
寅: 米朝首脳会談前に強硬派のCIA長官が渡朝し、厳しい前提条件を突き
  つけたはず。突如、中止になったり、会談が決裂したら、即、戦争の危機さ。
大家: 私は悲観的さ、アメリカは本気で戦争をするとみている。ロシア疑惑と、
  秋口の中間選挙対策もあるし、中国、ロシアへの見せしめもあるしね。
  やらない訳がない。それを前提に、これからの一連の会談を見るといいね。
 熊: でも、トランプってバカだろう。プーチンがスパイ網全てを使って
  大統領に押し上げた男。バカを大統領にして、子バカを嗾けただけだろう。
寅: おいおい、本当のことを言うと、暗殺されるぞ。
 熊: 北、アメリカのどっちから? …ああ、両方かい。
八: プーチンは、世界を支配しているのがユダヤ資本と看破していて、憎悪に
  近い感情を持っている。だからトランプを大統領に当選させて、北と相討ち
  をさせるのが戦略。かなり際どい日々が続くことになるね。
大家: 下手なハリウッド映画のようだな。トランプとプーチンじゃ、器が
  違い過ぎ。政治家としての余命からして持ち時間の量が格段と違うよ。
寅: 悪い夢をみているようだね。でも、プーチンの、ありゃないよ。
 熊: アメリカの俺程度の白人が支持層だろう。それなら、如何ともなるよ。
  俺たちのレベルは、とにかく目先さえ良くしてくれれば、それで良いのさ。
  そうだろう、それしかないからね。
寅: 俺も、熊に近い方だからね。でも、クリントン女史じゃ、あのままだろう。
八: どっちの政党でも「金持ちによる、金持ちのための政策」は変わらないよ。
  日本は地政学的に、アメリカと中国の境目に位置している恩恵を忘れない
  ことだね。
 熊: 世界の3分の2は、俺のような貧民の奴隷層だろう。しかし全く自覚が
  無いんだよな。
寅: 日本人というだけで、3分の1の層だよ。でもさ、最近、つくづく貧しさを
  感じるんだ。一生懸命働いて、生活するだけ何も残らないんだよ、何も。
大家: 三食食べて、こうしてノウノウと政治談議が出来るだけ、有難いと思わ
  ないとね。だけど、危ない状況の現状認識を忘れないことさ。

・・・・・・・
5885,閑話小題 〜北朝鮮問題
2017年04月26日(水)
  * 北朝鮮の結末は
 北朝鮮の記念日の核実験はなかった。中国が原油を止める事態ともなれば、
国家の存続が出来なくなる」という理由が出来て面子も立ったからだ。
それにしても、中国が原油供給停止の恫喝とは驚き。このままでは、そう遠く
ない時期に戦争か、原因不明の病死の発表で体制が変わるか?
 韓国に米国人20万人が滞在しているため、アメリカの奇襲攻撃がないこと位
は、南北朝鮮の人たちは知っている。ちなみに、駐韓日本人は6万人とか。
 しかし目先を乗り越えても、年内か来年辺には?・・ 近未来も同じなら、
今やっても同じと考えても不思議ではない。韓国人の7割が移住希望を持って
いるというのも、理解できる。
 このところ、沈黙を保っているロシアのプーチンにとって、朝鮮戦争は、
願ったりかなったり、とすると、この男がカギを握っているのかも。
小狡い北狐、中国からロシアに原油供給を委ねる可能性もある。
 ところで、韓国内は、この手の北の恫喝には慣れたもの、5月9日の大統領
選挙の方に遥かに注目度が高いという。
 
  * 結局、今年の花見はなし
 悠久山と福島江の恒例の花見、今年は行かずしまい。 近年、悠久山の花見
に行かなかった記憶はない。(信濃川土手の公園の桜は、早朝のポタリングで、
自転車を乗りながら見ていたが)。 毎日のようにTVで、世界の絶景紀行
モノを見ているのも影響している?のか、桜の当たり年ではなかったためか?
北朝鮮の恫喝のニュースで、そんな気分になれなかったのか。(それほど、
シャイでもないか) 鶯の鳴声を一度だけ、信濃川土手河原で聞いたが、自宅
の庭と、近所では一度も聞くことがなかった。
・・・・・・
5155,理性と感性と悟性
2015年04月26日(日)
   * 理性とは何か
 学生時代のゼミで何気なく私が発した言葉が。「理性とは何ですか?」
あまりに唐突だったので、誰もがポカンとしていたが、それを簡潔に解釈した
内容を47年後にネットで見つけた! ネットと暇な時間は便利である・・
≪ カントやヘーゲルによって展開された「ドイツ観念論」を理解するためには、
 まず、感性と悟性と理性という三つの能力を区別する必要がある。
 主体としての人間が対象に働きかける仕方である。
・「感性」は「直観」の能力であり、時間と空間という形式を持つ。
(「直観」とは、カントの場合、見たり、聞いたりする感性的(=感覚的)
な直接知を意味する。)我々が何かを見たり聞いたりする際には常に、その条件
として、時間と空間という形式が先行しているはずである。我々は物(あるいは
何かのイメージ)を空間(および時間)なしに考えることは出来ないのだから。
・「悟性」と訳される「フェアシュタント(Verstand)」というドイツ語は、
「解る」「理解する」という意味の動詞(verstehen)から来ていて、
「理解する力」「常識」(英訳は、"understanding")を意味する。
その純粋な形式が、カントが「カテゴリー」と呼ぶ、判断の論理的形式である。
(これには、肯定や否定という判断の「質」、存在や全称という判断の「量」、
実体や因果性という判断の「関係」、必然や可能という判断の「様相」がある。)
・これに対して、「理性」は、より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける、
推理の能力である。例えば、「人間は死ぬ」という命題は、「生物」という
媒概念を介して、「人間は生物である」「生物は死ぬ」という二つの判断を
総合したものである。英語でいうと、リーズン。つまり、「理由」「根拠」
「道理」を意味するのが「理性」である。なぜ?と問いかけたとき、
「なぜなら〜だからだ」と答える力が理性になる。≫
▼ 「感性」は直感能力、「悟性」は理解能力、「理性」は「高次の推理能力」、
 つまり高次の理由づけ、根拠づけになる。世間の噂話レベルは、身近な世界
の空間・時間が先行するため、一般的には「あの世界」に埋没する。
理性の真逆の世界。理性を高めるには、「ぼんやり時間」を意識的に持たねば
ならない。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子になっている状態。その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
 いっけん、理性の世界とは真逆のようだが、この状況から、感性も、
 悟性も、理性も研ぎ澄まされる。高次の道理の追求ということ!
・・・・・・
5520,閑話小題 〜寺院消滅が止まらない!
2016年04月26日(火)
   * 寺院消滅が止まらない!
 葬式といえば、今では節約対象の一番の対象で、地味葬が求められる。
葬式業者に頼んで、坊様への謝礼は、一番、削る対象になる。これまで
続いてきた葬式に対する習慣が一変し始めた。 あるレポートに、
「寺院消滅が止まらない!」があった。〜その概要とは〜
≪ 団塊世代も死期に入り、葬式、法要が増えてきたが、以前ほど、49日法要、
一周忌法要、三回忌法要、七回忌法要など言わなくなった。大都会に集中し、
地方の過疎化と、家制度の崩壊が背景にある。あと10数年もしないうちに、
寺院の三分の一が住職不在になるという。 江戸時代に、戸籍管理を委託され、
それを良いことに、好き放題に搾取してきたことに檀家が、気づき、離れて
いった歴史がある。で、今では半数近く住職の収入が300万前後。
2040年までに人口に占める若年女性人口(20歳〜39)の割合が、
現在よりも50%減少する自治体を「消滅可能とし」として全国の自治体の
将来人口を推計した。人口が減れば当然、寺も減る。
 日本の寺院の役割は大きく二つある。「寺=信仰」、「墓=供養」である。
鹿児島県では、明治初期に、全国で吹荒れた廃仏毀釈により1066の寺院が
すべて消滅、現在では490まで戻した。それでも寺院が少ないのが目立つが、
寺院の存在意義を、団塊世代以下の人たちが、見出さなくなったことが大きい。≫
▼ 寺院が食べていける「檀家」数が、最低で200軒。これでは、地方の寺院
 が消滅化は当然の流れ。何ゆえ死を恐れるかといえば、人生を充分に生きて
こなかった結果、やり残したことへの無念と、死んだら、生臭い永遠の中に、
消え去る不安からくる恐怖。更に、身近な人の葬式で、彼岸に見送る儀式をし、
重油で焼かれた骨を墓に収めて終わり!とする共同幻想の儀式。で、後は、
法要で、生きている人たちが、世間向けに亡き人の思い出話。これは形を
変えた昔のレジャー、それはそれで、残された人たちの魂の慰めになる上に、
当人の慰霊になっていた。でも、これは、別に法要をしなくとも、仏壇の前で、
心を篭めれば、毎朝、出来る習慣。お墓は、死後の世界を信じる人の祖先様の
共同住宅という幻想の場。そう思えば、心が休まる。
 後記)書き終えた後、以前、似たテーマで書いたのではと、ブログ内検索で
調べてみると、二回も書いていた。で、「没にしようか」迷ったが、これは
これで載せることにした。戦前までは大方を占めた、情報不足の人にとって、
その法話は、有難たい心の洗濯、人生を考えさせられる内容だったが、今では
TV、ネットで一般人の方が数多の知識がある。法難は、寺院に吹き荒れる。


6614,閑話小題 〜平成の終わりに ―2

2019年04月25日(木)

   * あと5日ですか
 前回、「平成」を私の人生にとっての後半と位置づけ、「令和」の時代を
余白とすると、これからの人生の生き方が見えてくると書いた。 そこで、
昭和の54年間と、平成の30年の行蔵の充実度を、この数日の間、自分自身に
問うてみた。 当初は後半の「平成」が面白かった?と思ったが、結論は、
五分五分、乃至は、時間比率そのままの3対2で「昭和」になる。 やはり
右上がりで阿波踊りが何とも面白く、充実していた。ただ、平成の30年の
情報量が一億倍という情報革命を垣間見ることが出来たことと、43回の
「秘・異郷ツアー」の参加経験を考え合わせると、五分五分の充実度が
あったような。人生、何れの場面をとっても、そう甘いものではなかった。
最後の最後は『あと味の悪いことは可能な限り避ける』の判断基準が、何とか、
自分の魂を守ってくれた? ようだ。それでもフラッシュで夜半、眠れない
こと多し。昭和に9回、平成に43回、合計52回の海外旅行。そこでの大自然を
中心とした様々な邂逅の思い出は、決して金では買えない行蔵の大きな御宝。
これだけは、「もっともっとの後悔」は全くない。だれも、それぞれのライフ
ワークを持っているが、私のは、これに小さいながらの45年の創業物語と、
このブログ。そして、様々な場面で出会った大自然と、縁あった人たち。
四苦八苦も、四楽八楽のために必要な経験と思えば、それはそれで…
 平成の30年、何とも味わい深く、感動、感激な場面に満ちていた。
昭和のイベントで、父親の存在と死。平成は母親の死が最大の二人称での
出来事ですか。とすると、「令和」は自分になるが、この経験は自分自身
のため、不可能。 平成というキーワードから考え合わせると、現在、
置かれている己の立ち位置が浮かびあげってくるような。
『平成を、昭和につづき、全う出来て有難い!』って、言うところ。
『その様で、何をぬかすか!』って?『そう思うしかないじゃないですか?』
が、今日のオチ! 最後の? が、!でないところが… 味?

・・・・・・
6251,閑話小題 〜北が核放棄? 何を今さら
2018年04月25日(水)
   * つれづれに
 先週末に、NHKスペシャルで、三回にわたり、金正恩の特集を組んでいた。
北が核放棄というが、全く怪しいもの。北朝鮮ウォッチャーの女性評論家が、
「その確率は2%」と宣っていたが、そんなもの。これまで、ことごとく、
約束を反古にしてきて、誰が信じるか? 問題は、明らかに耄碌な人、
トランプの甘さ。
 あそこまで罵倒した黄色人種を、白人ファーストのアメリカの極右が
見逃すわけがない。何があっても殺戮するのが、あの国のやり方。
そんな、甘くはない。アメリカと英国が組んだら、まだ圧倒的軍事力がある。
英国のEU離脱も正しい判断かも知れない。その背後にプーチンの影が見え隠れ。
――
 野口悠紀雄の『「超」リタイア術』を10年ぶりに本棚から手にしたが、
さっそく、目に飛び込んできたのが、
「リタイア=将来のために現在を犠牲にする時代から卒業すること」の文字。
リタイアしてまず実感したのが、このこと。これまでの「会社のため云々」の
ワク組のタガと、常に3〜5年先から現在をみる奇妙な習性から解放された
爽快感は計り知れない。夢の実現のための日々を過ごしていた20,30歳代の
日々は、それはそれで悪くはない。あれは犠牲でも何でもない。
サラリーマン人生とは違う生き方をしてきたこともある。自ら望んで始めた
事業の苦労は犠牲ではなかった。リタイアで、大方の人は、コペルニクス的
転換が、この言葉に込められている。将来のため、(役職に応じた)会社の
ためが、今度は用無しの身分になり、自分のための人生に直面する。
問題は、仕事とは別にライフワークを持っていたかになる。ここで、世間教の
皆様方が右往左往を始める。世間話が趣味ともなれば、半径500m内で群れる
ため、行蔵のない人たちの空疎の群れになり、生きてきたように死んでいく。 
それも人生だが… 何れにしても砂利は砂利、大して変わらないですか。

・・・・・・
閑話小題 〜馬の腹中で一夜を過ごす
2016年04月25日(月)
   * 馬の腹中で一夜を過ごす
 先週のシネマ、『レヴェナント』の中で、追手に追詰められて、断崖から馬
もろ共、落ちた主人公のデイカプリオが、林の木と馬がクッションになって、
何とか助かるが、その前に熊に襲われた重症の身で、激寒の中で、一晩を
過ごすが、その時、死んだ馬の内臓を抉り出し、素っ裸になって腹の中に
潜りこむ。息子の復讐のための執念が、一瞬、それをさせたが、朝、腹の中
から血だらけで出てくる姿は圧巻。これでデイカプリオはアカデミー賞の主演
男優賞を貰ったが、さもありなん。
 以前、読んだ慧海の『チベット旅行記』で、ヒマラヤ超えの山中で、雪の中
で、連れていた二匹の羊の間で何とか一晩を過ごす場面に驚いたが、これは
馬の生肉の腹の中! こういう話は実際に、あるのだろう!
 とこで、40数年前に、居酒屋・養老の滝のFCを、建てたばかりの飲食
ビルで始めた数ヵ月後に、近くの肉屋の人が来て、「朝、潰したばかりの豚肉
のツナギのルートがある」というので、見せてもらったのが、舌から大腸まで
繋がった内臓一式。思わず吐きそうになるほど生々しい。これを自ら捌いて、
串に刺して焼いて売ったのが、戦後、何もなかった下町の飲食店と屋台。
 必死さが、それも平気で捌いてしまう。事業の出だしとして、私にはベスト
の経験になった。それと飲食店のカウンターの内側と外側の大きな段差の違い。
要は、腹を括れば何でもできる。時にサラリーマンが、「屋台をひいても、
自分で商売をしたい」とか言うが、腹を本当に括れるかどうか。 括れない
人が、腹を括った結果を痛烈に批判する。気持ちは分らないでもないが・・

・・・・・・
4048, 一時停止 ー6
2012年04月25日(水)
  * 人間は大文字で書かれた矛盾     
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。
(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、
実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは必然性の
如何を試すものである)
(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の身も心も引き裂く。
それが十字架である)
自己弁護のためにひくにしては、これらのことばがあまりに痛切であることは
感じてもらえるだろう。私は十字架にまで到達できる人間ではないけれども、
せめて矛盾をかいま見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を
置けば、たしかにそこにも悲劇は待っていよう。作家の自殺のいくつかは
そうした場所で行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを
生きることは ―それは私には想像もつかない。ヴエイユの言う矛盾は、
いわば大文字で書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、
そのことが、つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を
与える。私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と構造的に結ば
れているに違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでに
もうひとつの矛盾のはじまりになっている。その無限地獄にこそあるいは
書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。―その辺でやめておけ。
おまえにはそんなことまで論ずる資格はありはしない。どうしてそんなに
大仰でこわばった口しかきけないのだ。 おまえの内なる自然の荒廃は
その口のききかたからもあきらかだよ。見栄をはって、もっともらしい
愚痴を人に聞かせる暇はもうないそ。 (一九七二年) ≫
▼【 ヴェイユの(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在
であり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは
必然性の如何を試すものである)】が良い。人生を総括すると矛盾の塊である。
しかし、その矛盾こそ実在であると知れば、人生を、そのまま受け取ることが
出来る。「矛盾は人間そのもの」とすれば、自分だけでなく他人を受け入れる
ことも出来よう。激しく生きるほど矛盾は大きくり、その重圧に潰されながら
生きていくことこそ人生の味わいを深くする。人間は矛盾だらけか〜
 他人のそれは見えても、自分のは見たくないもの。
・・・・・
4422, 糞袋の内と外
2013年04月25日(木)
              「糞袋の内と外」石黒 浩 (著)
「世界の中の自分は時に不自由であるが、世界を飲み飲んだ自分は自由
なのである」という新聞広告にひかれて、アマゾンで、この本の内容紹介を
読んでみた。まだ発刊して間もないこともあり、レビューも何もない。
パソコンとネットの機能から、逆に人間の脳の機能を逆照射した哲学を読んだ
ことがある。 ロボット工学者が、人間の形を持ったロボットの視点から人間
を見つめると、また違った何が見えてくる。 まずは ー内容紹介ーより
≪ 人間は感覚器が集まった糞袋。しかしその糞袋は、自分が自分である
 ということを確認する手段を持たない。CNNの「世界を変える8人の天才」
のひとりに選出されたロボット工学者、石黒浩。最先端のテクノロジー開発
を通し人間の本質を見つめる中で、「生きるとはどういうことか?」
「人間とは何か?」という問題を常に問い続けている。【人間を「糞袋」
と捉えることで、どのような答えが浮かび上がるのだろうか? 】約2年間に
わたって発信してきたツイートをもとに考察を深め、いま本当に伝えたい
メッセージを丁寧に綴った、渾身のエッセイ。≫
▼「人間は感覚器が集まった糞袋」と「世界を飲込んだ自分は自由なのである」
 という意味について考えてみる。まず「人間は感覚器が集まった糞袋」を、
「人間は考える製糞器」であると言い替えると、動物とロボットと際立って
違うところは、動くエネルギーが動植物系と電気かガソリンの違いになる。
人間の燃えカスは、一度、糞袋に溜められて排出される。人間は世界を飲み
込んで(環境を直感して主体的に)動くところが違う。それも自由度が高い
ほど人間度が高い、ことになる。自由こそ人間たる要素である。
世界を知り、そこで方向を探し出し、常に環境の変化に対応し、殻を破り
 続ける糞袋が人間の本来の姿。だから、身近に飛行機、自動車、自転車、
パソコンなどの身に合ったツールやシステムを使いこなし、自由度を高める
ことが必要。優秀なロボットを創ることで逆照射をして、人間の本質を探る
切り口は新鮮。人間の肉体を内と外面をシビアに捉え完成に近づける過程
から見えてくる姿は、哲学でいうところの「他者」と「自分」の関係を
考える上で面白い。この工学者は、自分の姿のロボットをつくり、生身の
自分から見つめている。第三者が触ったり、殴ったりした時に何かを感じる
はず。これは自己承認や、他者承認の問題に似ている。ロボットから見たら
糞袋に過ぎない人間の肉体。ロボットのように、第三者からの指示や
プログラムでしか動けない哀れな糞袋が、あまりに多い。そういう私の貧弱な
プログラムこそ最も稚拙!後悔先に立たず。自分を腹から笑えるだけ、
まだましか。


・・・・・・
5884,本物の教養 −3
2017年04月25日(火)
          <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 教養とは、そもそも何か?
 「教養とは、知識、経験から養われた素養」と、考えてきた。
そのベースには、地縁、血縁、学縁の影響を受け、文化、文明と、時代背景
の影響を受ける。
 第1章の目次そのものが、その説明になる。
≪  第1章 教養とは何か? 
・人生を面白くするためのツール 
・知識は手段、教養が目的 
・「自分の頭で考えられる」ことが教養 
・バロメーターは「腑に落ちる」という感覚 
・「腑に落ちる」ことが本気を呼び起こす 
・意見が決められないのは「考え不足」が原因 
・「反対のための反対」に陥っていないか? 
・いま教養人であることが求められている 
 〜第1章「教養とは何か」からの抜粋…
≪ 教養とは何でしょうか? どうして人間には教養が必要なのでしょうか? 
 もし、そう質問されたら、私の答えは「教養とは、人生におけるワクワク
すること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」という一言
に尽きると思います。よりワクワクする人生、より面白い人生、より楽しい
人生を送って、悔いなく生涯を終えるためのツール、それが教養の本質であり
核心であると私は考えています。
「あの人はすごい教養人だ」と他人に評されるかどうかなどは、どうでもいい
ことです。教養とは、人からの評価を高めたり箔をつけたりするためのものでは
なく、自分の人生をより彩り豊かにするためのものだと思います。
ですから、教養を高めれば人生をもっとエンジョイできるのに、どうしてそう
しないのか、という逆の問いかけもまた可能です。
 日本人は、�狄瓦良�〞が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人は
そうではないでしょうか。焦土から立ち上がって、とにもかくにもアメリカに
キャッチアップしなければという時代が長かったので仕方がない面はあります。
だとしても、関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。
 日本人も、かつてはもっと人生をエンジョイしていました。
室町時代には奇天烈な装束を身にまとった武士が大勢いました。「婆娑羅大名」
や「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれた人々。いまで言うパンクファッション。
日本人は元来、楽しむことが大好きな民族なのです。
 戦後このかた、そういう感覚が追いやられすぎていたのではないか。
人生をもっと楽しむ心があれば、人間的な幅が広がり、魅力がより醸成され、
個人として熟成されます。突き詰めて言えば、教養とはそのためのツールに
すぎないのです。
 教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の
関係にあると言っても間違いではありません。しかし、勘違いしてはいけない
のは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。
決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。
 知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。
サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも
何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。
知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。
 別に興味の範囲を広げようなどとは思わない、面白いことは一つあれば十分
だという考え方もあるかもしれません。もちろん、それはそれでいいのですが、
興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分が好きなものや、打ち込めるもの
が見つかる確度が高まります。つまり、選択肢が広がるのです。自分が本当に
好きなものは案外見つからないものです。面白いことが多いのは決して悪い
ことではないでしょう。 また、面白いことは一つで十分だと考えていると、
食わず嫌いに陥る可能性があります。食べてみたらすごくおいしいと感じる
食事であっても、食べてみなければそのよさは分かりません。≫
――
▼ <「教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しい
 ことを増やすためのツールです」でなくとも、広く深い知識は必要である。
その質量が視界と行動を促すことになるからだ。著者が、教養を広めるに、
「旅」が非常に有効という。私の旅行はパックツアーが主だが、最終日の
ホテルは主要都市の豪華ホテルと、美術館と史跡が組込まれている。 
秘異境ツアーには、アフリカ大陸や、南米大陸には、大自然、史跡などの
文明、乗り継ぎの主要都市には観光地と美術館・博物館巡りがセットされる。
この、どちらかというと、オマケも、回数を繰返すうちに目が肥えてくる。
「わくわく、どきどき」することを求めると、それが教養として身に付く事例
である。人生にとって遊びほど大切なことはない。問題は、「良く遊ぶこと」
その「良く」は、世間により淀むが、その解放から質的にレベルアップする。
 < 達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ >


6613,閑話小題 〜平成の終わりに

2019年04月24日(水)


   * 人生後半の時代だった…
◉ 私にとっての「平成」の30年の意味づけをすると、『人生後半』の時代。
『令和』はオマケ… いや余白でもいい。で、残された私の人生は余白ですか。
太平洋戦争敗戦の半年後から「54年の昭和を生き」、後半は「平成の30年あまり」
を生きながらえ、余白の「令和」の入ろうとしているということ。気持ちの上で、
老け込むのは仕方がない。
◉ 昭和の54年は右上がり、平成は右下がりは、日本経済と同じ。既に破綻して
いる経済を、国家予算の半分を国債発行で維持しているのがアベノミクスの正体。
国民は目先の安寧を求め、近未来の国家財政の破綻から目を逸らさせる政策を
支持している。令和の時代は、昭和、平成に積上げたマイナスに直面し、右往
左往する時代。字面とおり表面を平和に装っていたのが、冷たい負の遺産として、
「冷たい」平和ー> 令和になる予兆の響きがある。令和の時代は決して明るく
ないというのは、私の年齢が言わせている? 国家も、私自身も、昭和に稼いだ
プラスの遺産を、平成で使い果たしてしまったということ。
◉ 平成を<「情報革命」で世界が劇的変貌を始めた時代>と位置付けが出来る。
スマートフォン、タブレットPCを万人が持ち、ネット社会が現実社会を覆い、
現実社会を激変させている。ホモ・サピエンスが多くの人類の中で唯一生延びた
要素が妄想。それを共有する能力が人類の最大の能力とすると、このデジタルの
進化そのままが、人類をホモ・デウスに進化させる可能性がある。 その反面、
それが人類、ひいては生命そのものを絶滅させる可能性がある。
◉ 令和天皇が80歳まで20数年、在位するとして、『2045年問題』の時代の
世界の予測は不可能! 1989年に、その後の変貌を誰が予測できたか。
アメリカが間違いなく、国家としてピークを過ぎ、それに代わって中国が
台頭してきた。紆余曲折の上、重心が中国に移動。それとともに、日本の
地勢的立場も変わっていく。
◉ 私自身、何が変わった? 18年前に個人HPを開設、毎日、一テーマの文章を
ネット上に公開、現在に至っている。それはひいては、馬鹿の壁の公開でも。
プラスが3、マイナス1か、実は逆? 今さら、如何にもなりはしない。
ただ集中した刻印は残ったことになる。このお陰で?で、自分の内面と他者の
内面がメビウスの輪のような繋がりが数限りなく増えたような? 10数年前に
書いた人と、内容は? それと現在、再読している私と第三者の読者は?

・・・・・・
6250,閑話小題 〜死のむこうには?
2018年04月24日(火)
       <魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く
                      奥野 修司 (著) >
   * 霊的なものは身体や脳という物質を介さなければ…
 霊的な世界を簡潔に説明している個所である。霊感に関しては体質の問題で、
全く霊体験をしたり、持ったことのない人には、解りようがない。何度か経験
してきたが、現在は薄れている。私は父親の霊?が、10年近く体質化して心底に
あり、不思議な現象を度々、経験をしていた。孫のようにように幼児の頃から、
愛され育ったこともあり、元もと、脳内などに染み込んでいたことも…
それにしても、死ぬまでの、生への渇望のエネルギーには、驚いてしまった。
 丁度、27歳、起業へのジャンプ台から飛び出すに、このエネルギーが、その
まま原動力になっていた。 以下は佐伯啓恩の『反・幸福論』のー死後の世界
と生命についてーの一節である。

≪ 実際、この宇宙にはまだとらえられてない、不可思議なエネルギーが存在
するようで、それどころか、宇宙を構成している物質の殆どは未知のエネルギー
とか、物質だか、正体を知りえないものだという。 そこで仮にそうした霊的
エネルギーが存在するとしましょう。それでもそれが人間の精神を形つくると
するには、やはり人間の身体や脳という物質がなければなりません。そうで
なければ、この不定形で停泊場所をもたない宇宙的なエネルギーが我々の
意識や精神になるとは思えません。仮に人間のうちに霊的なもの、つまり、
「精神」と呼ぶようなものがあるとしても、それは、物的な身体性と不可視
の霊的エネルギーの結合というほかないでしょう。とすれば、身体が消えれば
意識も精神も消えてしまう。それは宇宙に拡散して存在するかも知れません。
しかし、それは「私の霊」ではないでしょう。「私」がないのだから「私の霊」
などというのはありません。
 …確かに死ねば何もなくなるかもしれないが、『魂でもいいから、そばにいて
─3・11後の霊体験を聞く』奥野 修司 (著)という本がある。東日本大震災に
後に、多くの霊的現象や体験が報告されている。その聞き込み取材を行った
著者によって、多くの事例が紹介されている。… これらの全てが錯覚だと
いう勇気がないが、少なくとも、地震や津波で身内を失った多くの人達が、
何か説明のつかない体験をしたと信じていることは事実であり、しかも、
多くの場合、その霊的体験によって、残された家族が多分に安らかになった
という事例を読めば、そのことに疑いをさしはさむ必要もありません。≫

―
▼ 具体的な霊的現象の記述を、ここで数限りなく書いてきた。霊体質とか、
 霊的経験のない人からみれば、『いい歳をして、馬鹿か?』でしかない。
脳内現象では割切れないことは、世界には現にある。
 兎にも角にも、以下の内容を… 

・・・・・・
2001/12/19
[138] 夢についてー8

  (今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみる)
海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい
谷の間を飛行している夢ー最高の気分
お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ
白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ
長岡の大手ドウリの店ー子供のころの3階の部屋の夢
どこかの町でトイレを探している夢
大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢
5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢
母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿で、
もう亡くなった不運の一生だった叔母が見ている夢
ー母の生前の10年前の頃
あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢
お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、
その池が幻想的である夢
・・・・・・
[204] 霊体質ー3
 今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、考えられない遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができ
  その下を通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」を
  したときの事。丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。
  
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを
  趣味としていた。その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った。」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ−しておく。


-----------
S6201霊的体験
私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと
十日町の彼の家へおまいりにいきました。その途中の車中で“B”さんと
般若心経の話になりました。
そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。
その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さん
の顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。やはり車中で“C子”さん
の話をしていたのです。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確率で
彼女の家の前に車がとまったのです。十日町に出店をした時、彼女の家の前を
“B”さんが通って知っていたのです。私がそこに“偶然”(?)車をとめて
しまったのです。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられ
ないという風でした。私自身またかというのが実感でした。 その日一日
“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとっていた。

ーーーー
霊的体験‐                 
平成4年 7月

20年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をした。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的実感。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからない。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より
本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

・・・・・・
2014/06/14
「事業人生を決心して45年」の語り直しー14
  * 父の亡くなった直後の夢で起こった魂の融合!
ここで何度も書いてきた、父との魂の融合の経験の内容から
《 ー平成04/07 霊的体験 ー <社内報のレポート>より
 二十年近く前になるが、父の死後49日法要が終わるまで、何度か不思議な
体験をした。死後数日後に妙な夢で、私自身が父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。そして夢よりさめた時の
妙な気持。 私自身が父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!
という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父そのものであるし、父と一年
身近で苦しみが伝わっていた為に“念”が自身実感できた。夢よりさめた自分の
魂が“父の魂”と融合した不思議な実感。この感覚は経験しなければわからない。
更に数日後の夢も強烈な夢であった。夢で強烈な恐怖感がおそってきた。
その時は、父のベットで寝ていたが、“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が全身をひっぱった。
その瞬間、ベットにしがみついたが、隣のベッドに寝ていた母がスクッと立ち
あがりトイレに行った。全身汗びっしょり。まだまだ不思議な事が多くあった… 
あれ以来(最近は少なくなったが)幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった・・》
 何故、これを取り上げたかというと、姉夫婦との対立の根は、父と姉夫婦に
根があった。父親は、典型的明治生まれの、質素倹約が基本にあるが、派手に
湯水のように社交費を使う姉夫婦と深い溝があった。絶対的な父のサブとしては
義兄の能力があっても、トップとして疑問を感じていた。 父は、中学と高校時
に私を二度、仕入れに同行させていた。将来のための実学のため。それと、子供
時代より実家の転業と、商売の現場で体感していた。これが急遽、本店を任され、
何も知らない仕入れや、経営に大きく役に立つことになる。父の魂が現場に再起
して私に成り代わったようでもあった。まず産地を歩き、情報を集めること!が、
コツ。 父が特別教育と、千葉の千城台ビルの土地購入から、立ち上げの過程を
見れば、姉夫婦が不安になって当然。
 ところで、養老乃滝の開店のドサクサに、姉夫婦が父の遺留分の財産を、
母と実兄と私の相談なしに勝手に処分、その上、白紙委任状を送りつけてきた。
父の遺言状が何時の間に蒸発。その上、母に、義兄を(遺言に反して)社長に
するよう執拗に依願。それを受けてしまった母に私が激怒の電話。と同時に
姉夫婦への対決を決意する。千葉での相方(親戚筋)から、気を許して話した
本心が姉夫婦に筒抜け。それが拍車になってもいた。地元では実兄に対する
陰湿な追い出しが本格的に開始していた。 のんびりした兄に、従業員の
総スカンが露骨の針のムシロの中、怒りの電話を何度も私にしてきた。 
父が生前贈与をしていた私たちの資産の実質乗取り劇の、開始である。 

・・・・・・
2003/04/25
不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩
をしているコースで初めて大きな虹を見た。
ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も
次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論
はじめてである。
 
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる
従兄が自死した時のある現象である。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。
写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。
死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。
晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。
地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

・・・・・・
H0511妙な夢―(�機�  
ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団
に入る。ところが、ところが、自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)
である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
 こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と
音がする。はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数回してみたが、
しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象が
あるそうです。

・・・・・・
H0511妙な夢―(�供�  秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、
何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが
痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の
27〜28才位の、のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事も
なかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人に
その話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”
といわれた時、はじめてゾーッとした。
 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと
中断した。あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも
乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた
のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


6612,閑話小題 〜信じられない程の偶然の一致

2019年04月23日(火)

   * 運ね〜 運がよかったか、悪かったか?
 この30年のパソコンの進化はどの位か知りたいと思い、過って書いた文章を
探したが見当たらない。 まあ、いいかと諦め、文章を完成し、同月同日分を
コピペする段になって、それが一年前にあったことに気づくが… それによると、
<10年で100倍、20年で1万倍>という…  とすると単純計算で100万?、いや
1億倍。
これが現実のカタチで現れてきたのが「ネット社会が現実社会を覆ってしまった」
現実。 車の自動運転など、10年、20年前なら夢物語さえならない際モノの話。
それが現実の話だから… 現に回転寿司の受付がロボット。そして、ビッグバン
の写真撮影がなされ、スマートフォン、タブレットPCで、映像電話が当り前に。
100万倍なら、かくあらん。10年後は???。 そして2045年にはAIが、人間を
支配する可能性が議論されている。これらは、40億年前の生命誕生以来の革命と
いうが、決してオーバーと思わせないところが、100万、1000万倍、億単位の進化
が現にあるため。このブログを書いていて、信じられないことが多々ある。
脳をそのまま公開を始めて、まる18年になる。書込んでアップした内容が、
そのまま自分を晒すことの不思議。自分であって、自分でない、言葉の集合が、
外であり内にある自分が、時系列に、在庫として存在する不思議。
 何かの哲学書に、ネット上の情報管理の図示があった… 

・・・・・・
6249,閑話小題 〜科学がつきとめた「運のいい人」
2018年04月23日(月)
       < ー科学がつきとめた「運のいい人」中野信子(著) >
  * 科学者のいう、幸運の人とは
 「運」については、ここで何度もテーマにしてきた(幾つかを後でコピー)。
それは己が引き寄せること、運び込みが可能である。宿命、生来、定められて
いるが、「運命」は自ら変えられるのである。
――
  〜内容紹介(Amazon)〜
 運がいい人と悪い人って絶対いますよね。
では「運がいい人」というのはいったいどんな人なのでしょう?
そのことを優秀な脳科学者である著者が語ってくれました。
実は「運がいい」人も「運が悪い」人も、遭遇している事象はそれほど
変わらない場合が多いようです。 しかし、その事象に対するとらえ方、
考え方が違う。 対処の方法も違う。長い年月を積み重ねれば、おのずと結果
は大きく変わってくるのです。では、運のいい人に共通する「行動パターン」
「考え方」「物事のとらえ方」とは何なのでしょうか?
本書を読めばわかります。あなたも運がよくなること間違い無し!

   〜レビューより〜
≪ 運のいい人になる絶対条件は、
・自分を世間の標準に合わせるのではなく、自分を社会のルールや常識よりも
 下に置くのでもなく、一般的な価値観や他人の意見に惑わされることなく、
 自分の価値観で自分の幸せを把握すること。
・また、自分を粗末にせず、自分を大切に扱うこと。他人を敬うのと同じように
 自分自身を敬うことである。日々の選択の基準を「おもしろさ」に合わせよう。
・【運がいい人の図式】
 自分なりの「しあわせのものさし」をもっている
→そのしあわせの状態を積極的につくり出す努力をしている
→自分自身が好きな状態になる →人に好かれる。
・成功者の条件であり、人を褒められる余裕の源である、セロトニントメラトニン
 を十分に分泌させるためには、サーカディアンリズム(体内時計)に則った生活、
 即ち、早寝早起きすること。
・他者への思いやりをもちつつ勝ち続けるためには、勝ちすぎないこと。
 最適応するのではなく好適応する。
 過剰適応するものはクロサイのように「絶滅」する恐れがある。
・自分を褒めよう。失敗したときも「大丈夫、大丈夫、そんな○○ちゃん
 (自分のこと)も大好きだよ」と言おう。自分を褒めればβエンドルフィン、
 オキシトシン、ドーパミンといった脳内快感物質が出て、脳の活性化、免疫力
 の強化、記憶力がよくなり、集中力が高まる。三週間続ければ脳は変わる。
 いつも自分を褒められるようになる。また、他人を素直に褒められる人は、
 他人からも好かれるようになる。
・夢を叶える人、セレンディピティーを発揮できる人は、常に頭のどこかで自分の
 夢や目標について考えている。叶った状態をいつも思い描いている。そのため
 には自分の夢や目標をはっきりさせよう。金や学歴やスタイルは夢や目標を
 叶えるための手段だ。目的は何かを忘れてはいけない。
・そして、偽善は脳にすぐ見破られるけど、自分の目的の延長線上に自分以外
 の幸福がないか考えて、そこに焦点を当てよう。
結局、運というのはその人の考え方とパターンによって変えられるのである。
「運のいい脳」にするには祈りも大切になる。≫
―
▼「判断、決断が正しかった結果が幸運。間違うと「運」が悪かったという。
 ということは情報と、知識と、経験の質量ということになる。それに素材が
加わる。「いま、ここ、わたし」が、ここに存在していること自体が幸運の
極みの結果である。英語圏の挨拶からして、『グッドラック』である。
その人を知ろうとしたら両親を見ろというが… 家庭環境が、大きく左右する。

『日々 是 好日』のつみ重ねが、幸運を引寄せる。それと『知識』の質量。

――――
2018/02/21
閑話小題 〜「自分は運がいいほうだと思う?」 −1
   * 自分は運がいいほうだと思うか?
 先週末の朝日新聞で「自分は運がいいほうだと思う?」をテーマにしていた。
 〜要旨といえば〜
< 有名な話では、松下幸之助さんが社員の採用面接のとき、よく
「あなたは運が良い方だと思いますか?」と聞かれたといいます。自身でも、
「自分は運がいい」と一日に何度も言うという。 その理由の一つは、
そう自分に言い聞かせ思い込むと、自信が持てるようになり自分から積極的に
行動できるようになるということ、もう一つは「自分は運がいい」と思う人は、
今を肯定的に捉えて、悪いことが起こっても他人のせいにしないと… 
 そして「自分は運がいいほうだと思う?」に、7割が運が良いと、3割が悪い
と答えるという。
 運が良かったと答えた一番の理由が、良い人間関係に恵まれていること、
良い環境と、良い両親のもとに生まれたため、そして成功が失敗を上回って
いるためという。
 運が悪かった人では、「思い通りの人生ではない」ことと、努力が報われない、
努力が報われない、人間関係が恵まれてなかった、などをあげている。
―
☆ 〜運について幾つかネット検索からひろってみると、
・人生の岐路で迷った時に、困難な方を選んだ方が運はついてくる。
・楽観主義の方が運がよく成功しやすい。
・夢や目標がかなった状態をいつも頭のどこかで思い描いていると、幸運が
 目の前に現れたときにキャッチできる。ーなどがありました
―
☆ 「運がいいと思っている人ほど運が良い」ということです。確かに成功して
 いると見られる人ほど「自分は運がいい」という。
正反対の「自分は運が悪い」と言い続けている人がいます。会社の愚痴、仕事
の愚痴が多いですが、思い通りの仕事はなかなか担当させてもらえず…
―
▼ 運については、30数年前の経営セミナーで、『運の作り方』という
 テーマで聞いたことがあった。創造工学研究所所長の中山正和氏で、川喜田
 二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 〜その要旨といえば、
<何かをする前に、判断をするが、結果が良ければ運が良かったという。逆に
 悪ければ運が悪いという。それには、心が澄んでいるほど正しい判断が出来る。
 そこでまず、般若心経を暗記し、唱え続けることで、心を空にして、現象を
 捉えて判断し、ことに当るに、般若心経は、プラスに働く。> …と。
 そこで3週間かけ暗記することに相成った。暗記してしまえばしめたもの。
 何時どこでも、夜半、眠れない時とか、通勤の車内とか、チョッとした合間に
 唱えることで、悟りに近い状態になれる。私の因縁のある有識者?の多くが、
 例えば二人の息子や、兄夫婦、直ぐ上の、姉、会社の正社員などの人たちが、
 暗記することに相成っていた。100人は下らないない?。 …で、この有様? 
茹でガエルになってしまったからじゃないですか。                       

――――
H0605
般若心経のすすめ

 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、
般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
今まで何万回唱えただろうか。
当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。

十年間の経験より(私の実体験より)
直観した事を列記すると
�ー�分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�⊃澗_擦貿板垢�あっている(リズム)
��α波がくみこまれている
�ぁ版亜匹�この中に入っている
�イ�寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
��情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
�Г海譴鬚�り返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
��夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、
等々限りない。
 
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。

――――
2016/09/25
閑話小題 〜幸運の人と、不運な人
   * 人は、すべからく幸運である
 以前、書いたことばかりだが、思いのまま、「幸不幸」について書いてみる。
・人間は、「いま、ここに、私」として存在するだけで、幸運である。
 「神様の御導きびき」といえば、それまでだが、幸運な偶然の一致の重層で、
 存在している。他者と比較が、この幸運を見えなくしている。
・自らを幸運なタイプと自認する人と、不幸と自認する人との、一生の間の
 運命の差は膨大になる。不運な人は、チェンスがあっても、自分が駄目と
 思っているため、目前にあっても気づかない。どうせ、駄目だからが無意識
 のうちに働き、そのチャンスに気づかない。
・幸運な人は、チャンス到来に、そら来た!と敏感である。何せ、幸運だから。
 幸運であるには、何があっても上位に自らを置かなくては。まずは20%に、
 そして、6%、3%、1%にと。 
・幸運な人は、幸運のある同類を呼ぶ、というより集合する。幸せ本には、
 まず、「幸運の人に近づけ」と。彼らには、幸運を自ら引き寄せる力がある。
・以前、<幸運を呼寄せる力を得るためには、『般若心教』を暗記をして、
 ことあるごとに唱えなさい>と、創造工学の先生の講義を聞いて、早速、
 二週間かけて暗記をした。「色即是空 空即是色」と、心を澄ませておけば、
 情報選択と決断も間違わない。運とは、判断し、その行為が、正しい場合を、
 「幸運」といい、間違った場合を不運という。だから、情報に対する純粋な
 視線が必要となる。特に、情報過多の現在こそ、重要である。
・生活習慣は、第二の天性である。 二ランク上の生活習慣を立て実践すれば、
 二ランク上の人になれる。その差は、時間とともに莫大になる。
・「恒産あって、恒心あり」、長年かけた蓄えが必要となる。なぜ?といえば、
 人の心を自由にも不自由にする力が、金銭の有無に厳然としてある。お金の
 心配からの解放が純粋な心を生み、それが幸運を呼ぶ。(真逆もあるが)

――――
ーS6004事業百訓ー

『人間思いあがったらもうおしまい。そこから先は何も進歩しない。運も同じ、
ああ自分はついていると感謝している間は、運も上昇線をたどってくれるが、
それがあたりまえと思ったり、自力だと過信したとたんに運もストップする。…』

『……自分が運が悪いという人間にかぎって何も努力をしていない。
レベルを上げると、自分をとりかこむ環境もレベルアップする。
それによって自分にみがきがかかり、さらにレベルアップする。
すると運にめぐりあえる機会がふえるのです。
そのとっかかりは何か。競争相手との紙一重の差がはじまりなんだ。
ところがこの紙一重の差、プロの勝負師にとって、天地ほどの差なのだ。…』

『…一生けん命何かをやる。運とはその一生けん命さに対して天が与えてくれる
ご褒美なのだ。だから最初より褒美をねだったり、あてにしてはいけない。
それより一生懸命やる事が大事です。人間つくるのは鍛錬だけなのです。』
(将棋九段 芹沢博文)

――――
2014/02/17
心を上手に誘導する方!              
        「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー(著)
 
   *「自分は運がいい」と思っている人ほど、幸運に恵まれるのはなぜ 
                                 
「マインド・リーディング」のテクニック&メソッドを紹介した本だが、これは
他人だけでなく、まず自分のマインド・リーディングに使えばよい。それだけ、
心は未知で、扱いにくいもの。ランダムに、面白そうな部分をテーマにするが、
運、不運は、その最たるもの。運は判断の結果をいうが、その為に必要なのが
「観察力」である。
 このところ長年信じてきたバイアスに気づくことが多い。『もの覚えが悪い!』
と、数十年思い込んできた。そのため、対象を観察さえしようとしないため、
さらに、もの覚えが悪くなっていたことに、最近、気づいた次第。私は「運が強い」
と思ってはいるが、その運を呼び寄せるのは、長年かけた努力の集積の結果と
いうことを経験上、分っていた。運がいい、という思い込みなら良いが。 
  ーまずは、そのあたりからー
《 自動車メーカーの創設者ヘンリー.フォードはこう述べている。
「あなたは、自分は何かがとても上手にできると思おうが、全然できないと
思おうが、どちらも正しい」 あなたの思考パターンが、目標を達成する妨げに
なっていないかどうかをよく考えてほしい。 なぜなら、それがあなたの人生の
運に大きな影響を及ぼすからだ。イギリスの心理学者、リチャード・ワイズマンも、
大規模な調査によってそのことを証明している。ワイズマンは、人生における
幸運と不運は本当に偶然によるものなのか、それとも運のいい人と悪い人がいる
ことを心理学的に説明できるものなのか、ということに興味をもった。そこで、
ワイズマンは、自分が幸運に恵まれていると思っている人と、ついていないと
思っている人を探し出した。調査の対象になった人たちは「新聞に載っている
写真の枚数を数えるように」と言われた。その後、ワイズマンは被験者に、写真
が何枚載っていたかを尋ねた。しかし、被験者には知らされていないもっと重要
なことがあったのだ。その紙面の中央に、ワイズマンはある文章をかくしていた。
 その文章とは、紙面の半分くらいの大きさで、「実験の担当者に、これ見たと
言えば、あなたは百ポンドを獲得します」と書かれていたのだ。
自分には運がないと思っている被験者たちは写真を数えるのに必死で、その文章
に気づかなかった。一方で運が良い人たちはリラックスしており、もっと全体を
見渡すことができ、ほぼ全員が百ポンド手に入れた。ワイズマンはこのことから、
運の良い人は、運がない人よりもチャンスに気づくということを導き出した。
私たちの思考は私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに、幸運か不運の
どちらかを引き寄せるのだ。ワイズマンは、こう書いている。「楽観的な人は
前向きでエネルギッシュで、新たな機会や経験にオープンである。一方運の
悪い人は、控えめで、頼りなく心配そうな反応をし、目前にある機会を見つけて
活かす気がないようだった」》
―
▼ 運とは、判断の結果であり、判断には対象の観察力が必要になる。
 過去の行蔵を見ると、失敗の場合は、観察をする詰めが甘かったケースである。
運を良くするには充分なる準備が必要で、浮ついて取り組めば、当然、そこには
 失敗が待っていた。そう簡単に成功など出来る程、甘くはない。貧しい家には、
貧乏神が住んでいる。今回の一連でも多くのことを学んだが、それも捉え方一つ。
子の結果が、『あ〜、運が良かった』と思えば思えるし、
『あ〜、何て運が悪かった!』と思えば、そうである。運が良った!と捉えれば、
長年かけたリスク管理を幾つかして いたこと。運が悪いと思えば『長年の努力
の結果が、このザマ!神も仏もあるものか!』になる。モノは考えよう。


6611,閑話小題 〜私にとって平成時代とは…

2019年04月22日(月)

    <〜まずは平成の時代の政治経済の潮流から〜 2018年、
       日本は「ポスト・グローバリズム」に挑め!田原総一朗>より
   * バブル崩壊とグローバル化と情報革命
1946年1月に誕生、昭和64年まで43年、そして平成を30年を、生きたことになる。
この30年間続いた「平成」とは私にとって、どんな時代だったのか。その概略が
田原総一郎のHPにあった。改元の数年あとに、パソコンなるものが、登場し、
Window95と共に世界に普及してネット社会が現実社会を覆ってしまった本格的
情報社会の到来である。 また神戸・淡路大地震が震災の幕開けになり、千年に
一度といわれる東北大震災が発生し現在に至っている。 世界は世界大戦こそ
なかったが、中東紛争やアフガンなどで戦乱が激化し、トランプの登場に至った。
資本主義を本格的取入れた中国が、この間にアメリカの近づくほどの経済力を
持つに至った。 この30年で、世界は想像を遥かに超えて激変していた。
          
  〜まず<日本は「ポスト・グローバリズム」に挑め!〜田原総一郎>より〜
≪   * 東西の壁と日本国内のバブル経済の崩壊
  1989年に昭和天皇が崩御され、平成の時代が幕を開けた1989年という年は、
 世界的にも様々な出来事が起こり、大転換期にあった。
・その6月に、中国では天安門事件が起こり、
・11月9日にはドイツでベルリンの壁が崩壊。
・その壁崩壊を受けて、12月に米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ
 書記長によるマルタ会談が行われ、米ソ冷戦の終結を宣言。
・日本では不動産バブルがピークに達し、89年12月の日経平均株価は3万8957円を。
 日本の地価はうなぎ登りに上昇し「日本を売れば、米国が買える」と言われた時代。
・その2年後、実際にバブルが崩壊した。100兆円規模の不良債権が発生し、日本は
 「失われた20年」に突入していった。
・その後の日本は長期低迷が続き、深刻なデフレに陥った。デフレから脱却する
 ために打ち出されたのが、安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」である。
・平成の時代を語る上で、もう一つの大きなキーワードは「グローバリズム」。
 80年代、米国のレーガンと英国のサッチャー首相が、あらゆる規制を緩和する
経済政策を打ち出したいわゆる「レーガノミクス」「サッチャリズム」と呼ばれる。
当時の首相であった中曽根康弘氏もそれに乗っかり、小さな政府、グローバル化、
 規制緩和などを盛り込んだ経済政策を推進した。「新自由主義」と呼ばれる政策。
・時を同じくして、85年にソ連はゴルバチョフ氏が最高指導者となり、
「ペレストロイカ」を提唱。それまで堅持していた一党独裁体制を止めるということ
 である。これがソ連崩壊へと繋がってゆく。
・ゴルバチョフの登場によって米国は、「どうやらソ連は我々の敵ではなく、真の敵
 は日本ではないか」と考え始めた。当時の日本は、米国に電化製品や自動車を中心
 の多くの製品を輸出していて、米国の対日貿易赤字はどんどん膨らんでいった。
 いわゆる、日米貿易摩擦が深刻化していた。米国は、日本に自由化を強く要求した。
 さらには、対日貿易赤字が膨らむ原因は日本円が安すぎるからだと主張し、1985年
 のプラザ合意で、先進国は協力して為替レートをドル安に進めることに合意した。
・当時の大蔵大臣は竹下登氏である。この時、日本円は1ドル=240円で推移していたが、
 プラザ合意の後はあっという間に150円台まで高騰した。さらに米国は、日本の輸出
 を縮小させるために、「無理矢理でも内需を拡大しろ」と要求。これにより、産業
 構造や政策の在り方を示した「前川リポート」が公表される。内需の拡大や金融の
 自由化、国際通貨価値の安定などが盛り込まれた。こうして強力な内需拡大策が
 進められ、80年代後半にかけて空前のバブルが巻き起こった。同時に中曽根首相が
 進めたのは自由化。国鉄の民営化、電電公社の民営化、売公社の民営化も行われた。
 これが、グローバリズムの始まりである。
   * グローバル化と、無視できない程の歪み
 ヒト・モノ・カネが国境を越えて、世界市場で活動する巨大な潮流である。
 平成という時代は、まさにグローバリズムから始まったと言えるだろう。欧米では
 グローバリズムの歪みが無視できなくなった。ところが、グローバリズムの歪みは
 徐々に無視できなくなってきた。象徴する出来事が、16年11月の米大統領選挙で
 ドナルド・トランプ氏が勝利したこと。あるいは17年6月の英国EU離脱である。 ≫
―
▼ あらためて振返ってみて隔世の感がある。生命誕生40億年来の革命期と言われる
 時代にあって、バブル崩壊以来、日本は成す術もなく凋落の道を歩んできた。その中、
8年前に事業整理に至ったが、引き時のプログラムも創業時に組み入れていたこともあり、
何と現在に至っている。渦中にあって、この激動に対して鈍感になっていた。当然、
その報いそのままを受けて当然、至極。国家予算の半分が赤字国債に対して、鈍感に
なっている国民と政府。 必ず、そのツケは次の世代に回ってくるのに… 

 〜また偶然だが、30年なら、何倍なのでしょうか… 個人HP内検索で30分ほど、
以下の文章を探していたが、それにしても、去年の今日とは、でき過ぎ。何だろう?

・・・・・・
6248,閑話小題 〜10年で100倍、20年で1万倍というが…
2018年04月22日(日)
   * 10年で100倍もコンピューターが進化したというが?
 1年〜1年半で2倍の速度の進化が10年も続くと100倍になるが、TV、
PC機能にストレートに進化しないとしても、10倍より遥かに大きな進化を成し
遂げている実感はする。23年前にWindows95が発売され、世界中に普及され、
世界は本格的情報社会に突入をした。コンピュータが小型化され、ノート型
PCなどの携帯化が進み、今では、タブレットPCや、スマートフォンが世界中に
溢れるようになった。 これが1万倍の進化といえるかどうかは疑問だが、
現実社会の上に、ネット社会が覆ったことは事実。
 一昨年の秋口に、東京在住の一まわり年上のカメラマニアの万年青年の
従兄が、4kTVと、4k撮影機能の凄みを、お斎の席で教えてくれた。85歳
だが、進行ガンで、余命数年という。
『この10年のカメラ機器やTV、PCの進化からみて、劇的進化があるはずだが、
それをみてから旅立ちたい』と、切々と訴えていた。そこで、居間と寝室の
寿命に近かったTVを、4kTVに入替えて1年余り経過したが、その凄さに、現時点
になっても新鮮な驚きの日々を過ごしている。 8年前のTVは東芝の多機能TVで、
当初100万のモノが、型落ちで60万に値下ろしたのを購入したもの。しかし、
現在のスマートTVの総合機能は、それより数十倍はアップしている。
年内には360度見渡せるVR機器のゴーグルの中古?を買うつもりだが。これも
カルチャーショックになるだろう。
 その端的に見せつけられるのが、最近のシアターの映像世界。 先日みた
スピルバーグの、『レディ・プレイヤー』は、これまでの映像世界と一線を
画するもの。シアター内で見る映画は、バーチャル世界に没入できる時空間で、
異世界にリアルに誘ってくれるが、そのリアルさが数倍、数十倍、増している。
こう考えればよい。洋風の居酒屋で、酒と魚の味が10数倍ずつ確実に美味しく
なっている。別に毎日通う必要はないが、月に数度は行くだけの価値があると。
デジタル化の進歩は、生世界のリアルさを大いに増してくれる。その価値を、
合理的に日常に取入れない手はない。
・・・・・・
5151,知の逆転 〜��
2015年04月22日(水)
           ー知の逆転ー  対談相手 オリバー・サックス
   * 人間特有の能力とは
 人間特有の能力とは、「文法」と「読む能力」という説。これは50年近くの
読書習慣と、一日一文章の作成から実感するが、少年期に読書週間がなかった
ことがハンデになって現在に至っている。それでも、読書習慣で助けられた。
文法こそが、多くの意味をもたらすが、技量をつけるには量をこなすしかない。
≪ ・多くの動物や猿が、40もの異なる危険を知らせる音を持っていること
 が知られていますが、これらはどちらかというと記号のようなものです。
人間の言語では、チョムスキーの言うような意味での「文法」というものが
不可欠になります。文法こそが言語に限りなく多くの意味というものを生み出す
ことを可能にし、言語をクリエイティブなものにします。単に情報交換を目的と
したコミュニケーションのためだけでなく、われわれ自身そのものを表現する
手段としての言語というのは、人間に特有のものでしょう。
音楽もそうです。録音機を持って50万年前に戻れたらいいのですが。
・言語の一側面である「読む能力」というものは、強力で人間に特有なもの。
しかしこの能力は進化の直接の産物ではありません。環境の視覚認識のために
使われていた能力を利用したものです。類人猿では個々の記号を認識するところ
まではできても、テキストを読むというのは無理で、これは人類に固有の能力で
あろうと思います。この能力は、限られた知能しかない場合も含め、おしなべて
人類に共通する能力なのです。 〜p153 ≫
▼ これを人間の能力にも言えること。その力量に比例して「文法」と
「読む能力」が身についていく。「文法」は、話す能力、書く能力。
「読む能力」は、相手の、社会の発信する知識・情報を受止める能力になる。
14年間、これを続けてきたのは、この努力の効果と、その蓄積からくる醗酵の
効果が実感できるため。 ネットによる「文法」の意味とは、<広義の文法は
言語能力であると考え、音声や意味から独立した自律的 な構造を想定し、
それを特に文法と呼んでいる。> 言語能力こそ人間たる思考能力になる。
読め読め読め、聞け聞け聞け、書け書け書け、そして黙れ!ということか。
・・・・・・
4419, この結果に感謝している!
2013年04月22日(月)
 一昨年の倒産劇から数ヶ月あたりから、
「この結末が私の人生にとってベスト?」という思いが心の片隅に生じていた。
他人に言うべきことでもないし、失業させてしまった社員や役員に対しても、
こんなことは口が裂けてもいえないこと。2001年の9・11テロ以来、10年間、
右下がり傾向が続き、リーマンショックで売上げが三分の一まで落ち込んでいた。
経営は死に体に近づき、真剣に止め時を探っていた矢先の東北大震災。もう駄目!
と早めの決断をした。その事業物件の買手が直ぐに見つかり、同じホテル名で
新経営者の下で現在、営業が続いている。一般債権もほぼゼロで、金融債権以外
は思惑通りの清算ができた。会社借り入れの個人保証もあって普通なら個人破産
しかないが、物件の処分が順調だったこともあり、何とか破産なしの無傷で
済ますつもり。担保に入っていた自宅も、家内が買い取ることで確保。 何とか
今までとおり生活をしている。 順調に誰かに経営を渡すのと、この結果の
どちらが良かったか、勿論、前者と思うが、こと私の人生という面からみると、
この方が良かったとも考えられる。 全てがベストに動いてきたから、人類も、
自分もいる。 先日の高校の同級会で、半年前に老舗の会社を倒産させた人が
隣でシミジミと、「この結果で終わったことに感謝している。こんな気持ちに
なるとは思ってなかった」と、現在の私の心情と同じことを、そのまま語り
かけてきた。 これは実際に経験した者でしか言えない言葉。無念で、情けない
自分と、周囲の好奇の視線の中、独りで日々、悶えた結果、この現実をそのまま
受け入れるしかない中で、実はこれがベストの結果だと気づく。「この苦しみを
与えているのは、神(自然)が、何かの意味を気づかせようとしているのでは
ないか」という、フランクルの問いかけである。その時に自然に出てきたのは、
「この経験で私は、やっと半人前になったが、貴方は以前の不幸分を加えると、
半人前から一人前になった」で、ある。互いの心奥の葛藤と、その思いは同じ。
過去を振り返ると、何度かのどん底の青春期の日々にこそ、人生の味があった。
思い出すのは絶頂の浮かれていた日々でなく、瀬戸際で呆然と過ごしていた
日々である。あの時、何かが変わろうとしていた。それと同じ心情が、
「この結果(状況)に感謝!」の言葉に集約されている。底に下りてしまえば、
不安感など消滅。結果を素直に受け入れれば、そのまま安心立命の境地に到達
できるのが人生。実際に倒れ、孤立し、そこで人生を俯瞰すると、全く違う
目線を得ることが出来る。その視線から、これまでの人生を振り返ると、
何とつまらない自分が見えてくる。だから、「この結果に感謝している!」
の言葉になる。なかなか人生は味があり、面白い。
それを味わうのが、これからの人生。 

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