堀井On-Line



6610,閑話小題 〜あと数日で「平成」が終わり「令和」に

2019年04月21日(日)

   * 行きつけのスナック二軒が廃業
 あと10日もしないうちに、「平成」から『令和』に改元される。この影響は、
思いの外に大きくなる? 先日の中学校の同期会で知ったのが、この二次会で
行きつけのスナックが二軒とも直近に廃業したとか。両店とも40年以上の老舗。
 同世代のママさんが営業していたが… 何か不景気風な感じだった。 
<平成も終わりを…「止めるに年号変更を区切り」>と考えるのは至極当然。 
同年代の客層のリタイアが主原因だが、年齢を重ねる度に飲む機会は減ってる。
<75歳を過ぎると活動範囲が狭まるため、金がかからないってさ!>と聞いて
いたが… 改元は、様ざまなカタチで私たちの決断を促す。 明日から数回、
「平成って、何だったのだろう?」をショートショート風に書いてみようか。
平成は1989年〜現在(平成元年〜 現在) 昭和64年。 私は43歳。
 ―
   * シネマ・ 「シャザム」
 子ども向きで、ドツキ漫才的だが、何かしら笑えて面白い。閉ざされた肉体と
精神を解放させて欲い欲求を、キセズして与えられた力で悪を対峙するところが、
最近のハリウッド映画の特徴。
≪ 解説:「スーパーマン」や「バットマン」と同じDCコミックスのヒーロー
「シャザム」を映画化。見た目は大人だが中身は子どもという異色のヒーローの
活躍を、独特のユーモアを交えて描く。ある日、謎の魔術師からスーパーパワー
を与えられた少年ビリーは、「S=ソロモンの知力」「H=ヘラクラスの強さ」
「A=アトラスのスタミナ」「Z=ゼウスのパワー」「A=アキレスの勇気」
「M=マーキューリーの飛行力」という6つの力をあわせもつヒーロー「シャザム
(SHAZAM)」に変身できるようになる。筋骨隆々で稲妻を発することができるが、
外見は中年のシャザムに変身したビリーは、悪友のフレディと一緒にスーパーマン
顔負けの力をあちこちで試してまわり、稲妻パワーをスマホの充電に使ってみる
など悪ノリ全開で遊んでいた。しかし、そんなビリーの前に、魔法の力を狙う
科学者Dr.シヴァナが現れ、フレディがさらわれてしまう。
 遊んでいる場合ではないと気付いたビリーは、ヒーローらしく戦うことを決意
するが……。シャザム役はTVシリーズ「CHUCK チャック」のザカリー・リーバイ、
監督は「アナベル 死霊人形の誕生」のデビッド・F・サンドバーグ。 ≫
―
▼ 人生を重なるということは、それも晩年に近づくにつれ、心の中に、幾つか
 の失われた過去の廃墟を持つもの。それらは、心の奥に鬱憤として抑圧され、
解放を待っている。その解放をする物語が観客の絶対的ニーズ。老いること自体
が、死に至る病。そのまま放っておくと、その病は重症化していく。 最近では、
TV映画、ドラマが、その役割を果たしている。 そこに更にダメ押しで… 
成るほど、彼方此方が痛くなり、腰は前屈みになり、夜半、過去の廃墟の記憶が
甘辛いフラッシュとして飛び出てくる。 +−3対1にコントロールをしていても。
充実感が足りない人生。それも世間的視野のみの、他者との比較しか持ちえない
人たちにとって、それは返り矢として己に向かってくる。そして「死霊」化する。
映画では、束の間のシャザムの私が、死霊を退治する。成るほどスッキリする訳だ。

・・・・・・
6247,閑話小題 〜工学博士の幸福論とは
2018年04月21日(土)
       『ロボットだって心を持てる 達人対談
          前野隆司vs・ビートたけし‘新潮45:2017・10月号』
   * 「意識』はすべて「錯覚」というけれど…
図書館から数ヶ月前の‘新潮45’を借りてきて流し読みをし、ここでテーマ
として取り上げること屡々。たけしとロボット博士の幸福論が面白い。
<ありがとうと感謝の念をもって、ありのままで、やってみよう。
そうすれば、なんとかなる。その積み重ねが、幸せをもたらす!>
 これは、創業の基本理念にもつながる。 幸せな人とは、
《夢や希望や強みを持ち、つながりと感謝を持ち、前向きかつ楽観的に、
自分らしく生きる人。あるいは自分を信じ、他人を信じて生きている人》になる。
    〜要所を抜粋〜
≪ たけし: ロボットに心を持たせるにどうしたらよいか研究や考察をしたら、
 人間には主体的な意識はなく、無意識が決めたことを追認する「受動意識」
 しかないという仮説を唱えているという。…
前野: …その「受動意識仮説」とは、私たちは嬉しいとか悲しいとか、この
  ギャグを言おうかとか、意思で決めているような気でいるが、それは全て
 無意識のうちの処理が先にあって、その結果にすぎないということ。
 私たちは自由意志があるようにような気がするけれど、自由意志などは本当は
 ない。脳の背後で動いているプログラムがあって、それが出した結果を自分が
 やっているように錯覚しているにすぎないというのが、「受動意識仮説」です。
 例えば、「コーヒーを飲もう」と決める。自分がコーヒーを飲もうと決めた
 気がするけれど、本当は脳の中に小人がたくさんいて、それらが、色いろ
 検討をして決めた結果を自分が決めたように感じている。
前野: だいたいコンピューターは10年で100倍、20年で一万倍賢くなる。
 何十年後には人間の頭脳を超えてしまう。幸せな人は、利他的で、性格が
 良いという結果が出ている。ロボットが賢かったら、幸せになりたいと思う
 じゃないですか。幸せになるためには良い人でなければいけないと気付くから、
 嫌な奴にならないと思うんです。
たけし: 先生の幸せの研究は、人々がどのようなときに幸せを感じるかの
 アンケートをとって、その中から要因を取りだして、共通要素を分析して
 いく手法ですよね。
前野: 幸せの4つの因子とそれを現す言葉として、
  やってみよう:自己実現と成長の因子
  ありがとう :つながりと感謝の因子
  なんとかなる:前向きと楽観の因子
  ありのままに:独立と自分らしさの因子があります。
たけし: なぜ人は生きているのか? この世を風呂屋に例えると、
  いい温度の風呂につかっていることが幸せ」だとすれば、熱すぎず、
  温すぎない丁度いい温度に水で薄める努力をしないとね。
前野: 何故生きるかという問いに対し、西洋では神の存在を説いて、
  天国に行くために生きるということになる。ところが仏教では、
  「欲は本当はない」と説く。何のためにいきる、といった目的は徹底的に
  ないと説きます。…私の考えは仏教徒と同じ。「人には全く自由意志がない。
  要するに、自分が感じている欲もないし、生きる意味もない本当はない。
  自分が感じているものは全て脳がつくり出した錯覚にすぎない。何もないん
  だから、幸せに生きた方がいいんじゃないか。風呂の話と同じで、何で
  風呂に入るか分からないけど、どうせ入るならあ適温がいい。だから、
  最近やってるのが幸福学なんです。でも、なぜ生きるかとなると決定的
  理由は見つかりません。
たけし: 「阿波踊り」じゃないけど、「同じバカなら、踊らにゃ損、損」と。
――
▼ 「ムーアの法則」からして、コンピュータは10年で100倍、20年で一万倍、
賢くなるが、実生活で、スマートフォン、タブレットPCの進化からして、
決してオーバーと思えない。20年前といえば私が52歳の頃に、中高生時代の
同級生が数人、亡くなったが、生き残った身として、一万倍の
コンピューター社会の進化を目の当たりに出来た実感は、あまりに大きい。
勿体ない!である。
 成るほど、中村天風の説く「積極一貫」の精神こそ、幸せをもたらしてくれる。
同じ人生、踊らな損だよ。元幕臣でありながら、新政府に仕えたことなどを
「痩我慢の説」で批判した、福沢諭吉に対して、勝海舟が答えた言葉
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」
幸せも同じ。意味も何もありゃしない。まず、やってみて、それを楽しむこと。
 ・・・・・・
4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7
2013年04月21日(日)                
 * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、
十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して
分かりやすく説明している。
≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが
 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、
統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 
ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカのビジネス誌
『フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは
資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む
ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、
ケニアとタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し
をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような
大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。
もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと
したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、
極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。
マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで
暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、
その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 
 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも
不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。
彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより
過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。
もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件
ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に
こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。
ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件
のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。
日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった
ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って
いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、
お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで
一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 
幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと
に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。
買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに
気づくのだ。 ・・・ ≫
▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて
 いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」
して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は
先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の
先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。
中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。
東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て
もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。
豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを
見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの?
でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、
今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」
など感じようもない。
・・・・・・
4044, 一時停止 ー4
2012年04月21日(土)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 他人との出会い
≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長
に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは
どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、
考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも
が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。
 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから
私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、
すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と
同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、
子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。
もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、
いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって
最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど
の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人
として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。
似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね
あてはまるだろう。 ≫
▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。
 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。
それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと
暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、
その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に
見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が
でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡
となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。

・・・・・・
5150,知の逆転 〜��
2015年04月21日(火)
         ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス
   * 没頭している「平和の時間」こそが
 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン
に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している
ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、
落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、
何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。
 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・
この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。
 ーその箇所を抜粋ー p149 
≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、
 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症やうつ病が
消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。
われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイトの精神分析
では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて
いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける
と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブな
平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では
ないでしょうか。≫
▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、
 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も
「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる
自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に
なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」
に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。
それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様!
ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。
・・・・・・
5880,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜2
2017年04月21日(金)
   『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
              池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
 21世紀の初年度が始まった2001年の9・11テロかで時世界が様変りをした。
ユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立の鮮明化である。これに中国の躍進と、
時代かかった北朝鮮が絡んだ複雑な様相が現在時点である。その結果、強者は
より強く、弱者はより搾り取られる様相になっている。当然、お金のない国家
対金持国家の対立が浮き彫りになっている。北朝鮮対アメリカ、欧州対中東、
中東の内乱、IS国家の設立がテロなどを誘因する原因となっている。
 それそのままが、以下の数値で物語っている。
≪ ・2000年、世界のGDPは、ドルになおすと33兆ドル
   2015年は 73兆ドル。増えた富は、一番豊かな人びとの元に貯まった。
 ・世界を100人の村に例えると、世界の富のうち
   49%は、1人のいちばんの大金持のもとに
   39%は、9人のお金持ちのもとに、
   11%は、40人の、わりと豊かな人のもとに貯まりました。
  50人の貧しい人のもとにあるのは、たった1%です。
 100人の村では1人の大金持ちの富と99人の富がだいたい同じです。

・インターネットを使う人は28億人増えて 32億人。大よそ10倍に。
・中国では自家用車が300万台から1億2400万台に増えた。40倍である。
・世界の通貨、その国だけでなく、世界中で使われている。
  44%がアメリカドル
  16%がユーロ
  11%が日本円
  6%がイギリスポンド
  3%がオーストラリアドル。
・世界の株の値打ちは、この15年で二倍近く増え、もうすぐに
 世界のGDPと同じになります。 ≫
――
▼ 21世紀は、ネット環境が進化し、世界の半数近くが、情報端末を
 持つようになった。今まで権力の乱用は、ネット上で一瞬で表沙汰になり、
権力者は、その座を追われる時代でもある。チャンスとリスクは裏腹だが、
そのバックグランドが、地域社会、国家内から世界に広がってしまった。
しかし、その基盤ルールのコントロールが、全くできてない。あるのは、
「弱肉強食」のルールのみ。そしてテロを含めた新たな戦い。


6609,閑話小題 〜ユニクロのレジ清算がセルフ化だってさ

2019年04月20日(土)

    * ノートルダム寺院の火災
 まさか、石造りのノートルダム寺院の炎上するのを目撃しようとは?
テロではなさそうだが、それでも少しは疑念が残る。毎週のように反政府デモと、
奪略がTVニュースで流される最中であるから…。暴徒の放火なら、宗教戦争の
幕開けになるところ。事実かどうかは別だが、既に1000億円規模の寄付の表明が
寄せられているとか? ノートルダムとは、「聖マリア」を意味して、同名の
寺院が各地に点在している。 現在の世界の混乱の根は宗教戦争?
 ―
    * 長岡高校の太鼓の音
 この時節に、1km先の長岡高校体育館から、応援歌と、太鼓の音が聞こえてくる。
一年生が15〜6歳とすると、1961年当時は58年前になる。その嫌だったこと、この上
なかった記憶が思いだされる。 小さな声だったり、間違えると、丸めた新聞紙で
身体を殴りつける。 中学時も似たようなドヤス応援練習があった。
 ―
    * 市会議員の選挙ですか?
 県会議員選が終わったばかりなのに、市会議員選挙が明日ある。誰にするかは
決めてないが… 市会議員で当選するのも大変なようだ。議員の年収が800万と
いうから、公務員並みの収入。年次よりアップをしていくのだろうが… 
ちなみに親戚に元市長がいたが、30年前で、年金額が月・70万は多い? 。
 ―
    * ユニクロのレジ清算がセルフ化だってさ
 近くのSC内のユニクロがセルフ化を始めたとか。今日にでもスポーツジムの帰り
に寄ってみるつもりだが、「ついに御前まで」の驚き。 月に2回は通う「回らない
回転寿司」の受け付けは、ソニーのロボット。 慣れてしまえば、気楽で良い。
 シネマ館もセルフチケット販売機。でも、なかなか、人は並ばない。
最近、前に通っていた地元のチェーンが倒産した。全国チェーンへの対処の戦略に
客単価を上げる対処の失敗だったが、セルフ化も中途半端。
 数年前から海外ツアーの飛行機の席がネット予約になった。 更に入国審査が
セルフ化。パスポートを指定された個所に押し当て、顔をカメラの前に突き出す。
まだ日本なら戸惑いは少ないが、パリ、ローマなどでは戸惑いは大きい。
この人手不足は、スーパー、コンビニ、居酒屋のセルフ化を推し進めている。

・・・・・・
6246,閑話小題 〜つれづれに、危ない話
2018年04月20日(金)

 県知事の辞職、仕方がないのだろうが、気の毒といえば気の毒である。
何故に援助交際の相手が週刊誌にリークしたか大きな問題が残る。
詳細は知らないが、デリヘル慶大生、仕事?が仕事だけに、ブラックの
背景があると思うのは誰も同じ。金目的なら、百万円のロットだろう… 
当然、逆リークをされ、一生を棒にふることになるリスクが大きい。
先日のテーマで、学資目的のデリヘル女子大生の事例を取上げたが。
日払いなら援助交際、月払いなら愛人契約になる。としても、脇が甘い。
ブラックの世界は、恐ろしい魑魅魍魎の闇が広がっている。人生は独り旅、
誰ひとり自分を守ってはくれない。吾身のリスク管理がベースになくては…。

 一昔前なら、高級クラブがあって、容姿で、3,5,10万クラスの値があり、
便利に遊べたシスタムがあったようだ。いや、現在も同じ? ビフォア―、
アフター?代の支払いは、賞与の中に組込まれている? システム。
常連ともなれば、暗黙裡に?… その辺の浄化システムを抜くと、こういう
災難で一生を棒にふってしまう典型の事例というところ。

 社会に出てから50年以上経過するが、一度も、こういうトラブルを経験
したことがない。当然のことだが。「援助交際などもっての外!」。
幼児頃から父親の世間話で、様々な危いケースを聞き知っていたこともある。
「君子、危うきに近寄らず」が基本中の基本。その際どい辺りが面白いが、
何となく客種の見極めの勘が働く。他に履いて捨てるほど面白いことがある。

 何処かの居酒屋のオヤジが、「誰も口先では、そういうけどね!…」だが、
本能的に危ない相手や、飲み屋に近づかない。高い店ほど、若くて綺麗な
アルバイト・ホステスを揃える。 そこには生粋のプロと、学資などを稼ぐ
ために、割切ってくるアルバイトがいて、競わせる。 で、マスターか、
ママが、「あの子は、3万なら口説けるよ」と、何気なく裏情報を教える。
女好きな知人に聞いた話が、「3万ならと、遊んだところ、エイズに…。
ところが愛人の女子事務員に感染させたらしいが、何故か…?」と、 
かなり際どい話が続くが… 本人の人相まで変わっていた。その件以来、
断交したが。この話は、ここまで。夜の巷は華やかの裏側はドロドロの世界。
 
 さて、援助交際の女子慶大生の週刊新潮へのリーク代、幾らでしょうか。
500万? まけさせて300万? 
――――
2018年、4月15日
閑話小題 〜自由化された売春 −1
      
   * 風俗は既にセフティネットでなくなった
 図書館の返却コーナーから借りてきた雑誌の内容がシリアス。
これによると、「風俗は既にセフティネットでなくなった」とある。女性が年齢
が増すにつれ、よほど外見が良いスペックがないと敬遠される厳しい現実がある。
風営法が改正された数年後、地元の行きつけの居酒屋の店主に、デリバリの実態
を聞いたことがあった。よくぞ聞いてくれたと、嬉しそうに携帯でアクセスし、
予約直前までの手順を実演してみせてくれた。更に、それ専用の安い目立たない
ホテルも教えてくれた。風俗には全く興味がなかったが、新潟駅前で30年間も
ホテル事業をしていれば、様々な実態を聞くことが多かった。当然、デルヘル嬢
の入室は厳禁していたが、デルヘル嬢の長期滞在が、それ故に常時、隠れるよう
に宿泊していた。夜の外出、朝帰りのため、彼女らは、警察に怪しまれないよう、
宿泊時に身分を明かす。全国を渡り歩くそうだ。

    『文藝春秋オピニオン2018年の論点100
      〜風俗市場も崩壊 シングルマザーの歯止めなき貧困』より〜
≪ 貧困問題の最たるのが「シングルマザー」の存在。全国で123万世帯になる。
 平均年間収入が223万円で、全国世帯収入の545万円、児童あり世帯の平均
の707万円を大きく下まわる。相対的貧困に該当する貧困に該当する母子世帯の
子供たちが、‘子供の貧困’のメインであり、6人に1人になる。
その多くは、近隣に実家や親せきがなく、誰も助けてくれないのが実態だ。
 老朽化した団地や、アパートに住み、母親はダブルワークする。最低賃金に
近いサービス業で10万円に、児童手当、児童育成手当を足してギリギリ最低限
の生活をおくる。これまで、キャバクラ、風俗、AV女優、買春などは、一般女性
の志願者が増えすぎて、圧倒的な女性の供給過剰にある。価格は暴落、貧困女性
のセーフティネットとしての一面が完全に失われた。よほど容姿などのスペック
が高くない1万以下の格安店でないと採用されない。
 性風俗店は2005年の風営法改正で店舗から無店舗販売に移行し、届け出制に
なって実質合法化した。女性の供給過剰、性風俗店の増加、そして少子化のため、
一店舗あたりの男性が減少。だから出勤しても、客がつかない。完全出来高制の
ため、待機時間を含めた時給計算をしたら最低賃金を割る。デルヘルで出勤して
も、一日待機しても、客は二人程度。男性が払う金は、60分で8000円のうち、
売上が店と折半で、4000円程度。運よく二人ついても8000円程度。
 某女子大生のケース。
「アルバイトだけでギリギリ生活は送れるが、学費が払えない。一年生の春に
デリヘルに出ました。週に一回ほどで、月6〜10万ほど。稼いだ金は、全て預金
をして学資に…。」 若い女性だから風俗、売春がセーフティになる。現在、
日本の貧困率は、OECD加盟国34ヶ国中、10番目。世界的にも進行する国と認定
されている。≫
―
▼ 地元の繁華街の風俗店のドキツイ看板も殆ど見かけなくなった。
 スナック店主が曰く、「デルヘリと、マッサージ店が取って替わった」とか。
それと暴力団事務所もテラ銭が皆無になり撤退をして暫く経つとか… 。
売春が合法化され13年… 普通の子女の買春の許容売価が、一週間分の
労働賃金。愛人の平均売価が、大学新卒の初任給が世界各国の目安という。
貧しき人にとって、世界は苦海である。幸せの家系と、不幸の家系が現にある。
一度、転落すると、元に戻るのは? 
「元はこちら、そのまま結構!」など、悠長に言ってはいられない!のが現実。
・・・・・・・
3677, 自己を見つめる −4
2011年04月20日(水)
    「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に
直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが指摘している。 その限界状況に
「人生の不条理」に突き当たる。その時、それまで隠されていた真実が現れ出る。
節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。
正中心一点無になり、変化を受け入れること。
  ー 第三章 境遇 ーから、抜粋
【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ
出され、置き入れられて、人生の途上にある。その私たちの無に貫通された
現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが
刻印されている。ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、
どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。限界状況とは、
それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越る
ことの不可能な壁に直面した状況を言う。そうした限界状況に面座して、
私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の
根源的事実に突き当たる。しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとう
の「実存」が目覚めてくる。実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、
その拒否できない現実のあり方のことである。自己の実存を自覚し、それにも
とついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】
・・・・・・
5879,閑話小題 〜通りすがりの人生
2017年04月20日(木)
   *「家、ついて行ってイイですか?」について行った。
 2年前から、日曜日の午後には、「家、ついて行ってイイですか?」を
時どきだが見ていた。その撮影ディレクターとスタッフは、どんな人たちか、
どんな撮影カメラかをギャラリー視線で観たいと思っていた。ところが先日、
 <「家、ついて行ってイイですか?」について行ってみました。>
というテーマで、声かけ場面と、ついて行った家と部屋と、人生模様を
引出すサマを、そのままの視線で写しだす、味ある切口の構成であった。 
  〜そこで検索すると、番組のHPに以下の案内があった〜
≪ < 終電を逃したとき、通りすがりの人から、知らない人から突然、
「タクシー代を払うから家までついていっていいですか?」と言われたら、
如何する? そして家と部屋の生活の場に飛込むドキュメンタリーがある。
 テレビ東京の番組「家、ついて行ってイイですか?」です。 いったい、
どんなディレクターが、どんな言葉で通りすがりの人を説得させるのか。
「家、ついて行ってイイですか?」について行ってみました。>
をテーマで放送していた。 そのディレクター氏、いわく。
【 某テレビ局で若い男女がオシャレな家で共同生活をしながら恋愛する
 番組 がありますよね。複数のイケメンと美人がキラキラした生活する番組。
あれって日常を最大限にショーアップした番組ですよね。「家、ついて行って」
は、その対極にある番組です。平凡で地味なフツーの人の生活を見る。
その100%リアリティにこだわろうと。
「家、ついて行って」は、ほかのテレビ番組と真逆のつくり方を目指しました。
台本なし、アポなし、ナレーションなし、効果音なし、音楽もほとんどなし。
だから、感情の誘導もできないし、ストーリーの補強もできない。
例えば、悲しそうな場面は、「○○さんは悲しそうだ」とナレーションを入れ
られないので、泣いている様子や「悲しい」と言う様子を撮ってくるしかない。
画面にリアリティしかない。
 これまで約150人ほどの人生譚(たん)を放送してきました。
 僕は「家、ついて行って」を100年後の人たちが見たとき
「ああ、平成ってこんな時代だったのか」と感じられる作品として残したい。
柳田国男の「遠野物語」のように。 座敷わらしが出てくることで有名な
「遠野物語」は、岩手の遠野地方の民話を、脚色なく丁寧に聞き書きしました。
あの本のおかげで僕たちは100年前の農村のフツーの人たちの生活や風習、
考えていたことを知ることができます。
 100年後の研究者が平成という時代を知ろうとしたとき、公の部分は新聞
を読めばいいんだろうけど、市井の人がどんな家に住んで、何を持っていて、
何を食べていて―といった生活スタイルや生き様、人生観は記録には残らない。
だからこそ、「家、ついて行って」で記録していきたいですね。】 ≫
――
▼ 若い女性のADと二人、小さな撮影機を抱えて、駅前を中心に、酔った
 様々な人に声をかける。そして、無防備な部屋にはリアルな人生のカケラが
剥き出しになっている。そこから、これまでの人生を引出していく。当人は
困惑しながら、しかし喜々として生立ちから今までの生き様を語る。それは
視聴者にとっての人生に重なるところがあるため、自然に惹き込まれていく。
その一部始終を三カメ(第三のカメラ=客観的視線)で捉える企画が抜群だ。
 老いるに従い、帰し方を、通りすがりの人の人生のように、思い出す度に、
紡ぎ直して、静かに喜怒哀楽を繰返す日々。老人の沈黙の深さが、そこにある
とは、知らなんだ。そして、記憶が融けるように、己も呆けて、融けていく。

・・・・・・
5514,恐竜と人類どっちが凄いか ー��
2016年04月20日(水)
 「人間の人生は豊かとは」を何をもって言うのか? の問題が残るが、
私が生きてきた実感は、人間は、他の動物から比べ豊かといえる。
それは、人間は雑食者で、利己主義に加えて利他的であり、人生に意義を求め、
豊かさを実現しようとする言語手段と、その記録方法を早くから身につけて
いたからである。その人生を楽しまなくて、何のための人生ぞや。
  * 人間の人生は豊か
≪ 人類の中でも人間とはいかなる存在か、人類ばいつどのように人間に
 なったのかを探るのが、人類学の重要なミッション。〜主な事項を拾うと〜
・まず人間は、驚異的な雑食者。霊長類は基本的に植物食だがが、人間は各種
植物に加え、鳥獣肉から魚介類まで手を出す。人類進化史でそのような選択を
迫られるきっかけがあったらしいのだが、ここまでメニューを広げられたのは、
陸.海.空の資源を利用する技術発達があってのこと。不安定な自然環境下では、
雑食者は偏食者より有利である。その利点に加えて、高い食料調達技術を持つ
ようになった人類が結果的に成功したのは、理解しやすい。
・人間にも、他の動物と同様に利己的な側面がある。しかし仲間を思いやり、
仲間と通じ合いたいとする感情が一段と強いのも、人間である。血縁のない相手
とも積極的に食物を分け合ったり、他人に教えてあげたりする行動が、人間に
独特であることをご存知だろうか? 例えば集まって会食している人間以外の
動物など、見たことはないだろう。野生動物界ではふつう、採食=争奪である。
外敵から隠れてひっそりしている、あるいは暇があったら寝ているというような
通常の野生動物たちに比べ、人生は楽しみに溢れている。前出の会食のみならず、
スポーツや音楽や芸術があるし、旅行や読書や勉強だって楽しい。他の生物の
生き方を否定しようとは思わないし、恐竜の生き方に至っては実態がよく
わからないが、「人生に意義を見出そう」という発想があること自体が、
何とも素晴らしいではないか。人間は、生きるということを豊かにした
生き物なのであると私は思う。 ≫
   * 人間の共通の祖先は既に凄かった
≪ 一昔前には進化は漸進的に生じると考えられていたので、例えば3万年前の
祖先ともなれば現代人よりかなり知的に劣っていると、決めつけられていた。
しかし世界各地の現代人が共有している種々の能力は、言語力にせよ芸術を
生み出す創造性にせよ、アフリカにいた現代人の共通祖先に既に備わっていた
可能性が高い。4万年前頃に日本列島にやってきた人々も、その例外ではない。
例えば種子島や富士・箱根地域には、3万年以上前から、狩りのための落し穴が
作られていた。これは、罠という動物行動を先読みした高度な狩猟法の、世界
最古の直接的証拠として、たいへん貴重。新石器時代になって世界に普及する
磨製石器の技術も、日本とオーストラリアには2万5000年も前からあった。 
さらに面白いことに、琉球列島や伊豆諸島においても、相当にチャレンジング
な海洋渡航が太古の昔から行われていたらしく、さらなる探求の価値がある。
人類学とは人間の凄さ・面白さを知れる学問なのだと、研究を20年積み重ねた
最近になって、ようやくわかってきた。 ≫
▼ 人類は、言語手段と記録方法を身に付け、探求し、生きることを楽しむ
ことが、人類の人生を豊かにしてきた。これを、そのまま、個人に当てはめる
と、人間、如何に生きるべきか、「良く遊び、良く働き、良く学ぶ」を、実践
して積み上げた分、豊かな人生を過ごしたことになる。問題は「良く」!「欲」
に何時の間に変質するから困ったもの。で、このザマ! お後が宜しいようで


6608,閑話小題 〜自殺について考える

2019年04月19日(金)

              <「四苦八苦の哲学」永江朗著 >
    * つれづれに 〜自殺について
 この本の中に、「自殺について考える」があったが、「これまでテーマに
したような?」と、HP内検索をすると、あるある。テーマがテーマだけに、
かなり立入った際どい内容… 
 …病気による肉体的苦痛に耐えかねて死ぬのはわかるが、それ以外の理由で
自殺について、【人はなんてくだらない理由で自殺するのか」と著者は言う。
そして、「追いつめているものはなにかと冷静に観察すると、欲求・欲望の
一形態でしかない。欲望を棄ててしまえば、自殺なんてしないですむのに。
集団本位的自殺にいたっては、アホらしいとしかいいようがない。乃木希典夫妻
の殉死に感動した同時代人は多かったようだし、神社までつくって祀られたが、
実につまらない死に方ではないか。(中略)仕えた王のための殉死であろうと、
遥か昔にあった面目を失うようなことを償うための自殺であろうと、どちらに
してもばかばかしい。死ぬのは勝手だが、神社までつくることはないだろう。】
と宣う。人生で直視できない一つに「死」の問題がある。それが「自死」なら、
更にシリアスになる。とはいえ、決して目を逸らすことが出来ない一大事。
管につながれた「生」より「死」の選択の自由もあって然るべき? 
「ピンコロ」が果たして良いのか? 昨今の数値は、この15年間でピーク時の
6割に減っている。(34400から21000人に) また男性は、女性の約2.3倍。
としても、様々な対策で6割まで引下げとは? 本心は誰もが、死にたくない
のである。昨夜の中学校の同期会で、「次々と亡くなっていく人」の話が
出たので、一席ぶつと。その場は即座に拒否反応。笑い飛ばしながら直視する
技が全く無いのも考えモノだが… 「ガンファイター」「ガンモドキ」
「死にぞこない」などを平気で話すことも話術のうち。これは直面した時では
遅きに失する。周辺を見渡すと、自殺は珍しくない。わたしの知人、長兄、
従兄、従姉の連合い、など何人かいる。
 先年、亡くなった知人の父親が、本人との葛藤の中で自死したと聞いていた。
キリスト教で自死を禁止しているのは、財産である女・子供、奴隷のロスを
減らすため? とも。 老いを重ねる度に… 
< せめて「死」ぐらいは、自由にさせてよ‼ > も解らないでもないが。
  人生の一大事は「己の死」 直視したくもあり、したくもなし。
 
確かに少年時に亡くなった長兄の自死と両親の哀しみ、いま考えると深い
トラウマに… 各家庭には、何れも何らかの深い傷を抱えている。
あれらのように…人を軽く判断すべきでない。自死をするには、それなりの!
暗くなり過ぎですか?「ニッコリ笑ってハンカチーフ」笑えるうちに笑ってこ! 
生きている内、行かされている内よ人生は。本当! 合せ鏡で教わること多し。

――
 録画をして昨日見た、カズオ・イシグロの出世作『浮世の画家』
<物語の舞台は終戦から3年ほど過ぎた日本。主人公は高名な初老の画家(渡辺)。
焼け跡から徐々に復興の姿を見せていく街で、隠居老人の一見平和な日常生活
が描かれていく。 愛すべき孫の訪問、なじみの飲み屋のママとの世間話、
戦前からの旧友との邂逅(かいこう)…。 あるとき娘の縁談が持ち上がり、
そこから周囲の視線の変化に気づきはじめる。確固たる決意で国のために尽く
してきた自分が、なぜ非難されなければならないのか。その一方で、過去の影に
滑稽なほどおびえる自分の弱さも認識していく…。 >
▼ 自死の問題と少し違うが、過去の弟子への仕打ちへの罪悪感が膿むと、
 自殺願望になるのだろと予感される内容。若いうちから壮年にかけての過ち。
「後味が悪くなることは避ける」をモットーにしてきたとしても、後悔多し。
老いるとは、心も、魂も老いていくことになる。 

・・・・・・
2007/04/15
2203, 自殺について −2
               (~Q~;)  おはよう〜〜
 経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。
日本人のような生真面目な性格も世界で1~2位の自殺率に要因なっているそれ
に対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
フィンランドやデンマークなどの北欧に行くと、冬の黒夜(14時位から夜に
なってしまう)が人の心を暗くして自殺が多いという。
そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
  ー自殺率の世界分布地図を見るとー
・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなど
 ユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
 自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、
 現在は断然世界一となっている。
 また、米国、英国、カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、
 及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。

    ー日本の自殺率の高さと推移についてー
 
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。
  過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、責任を取る、
  といった倫理規範として自殺がとらえられていて、これは他のアジア諸国や
  キューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で1958年の
  自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や
  1960年所得倍増計画に代表される経済成長目標の国民的普及により、自殺率は、
  15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増
  (前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻
  事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて失業者が急増し、自殺率も、
  97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。
  このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、一気に3万1千人台へと
  急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。
  そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。
  −−
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。
  激変の中、生きていくことは大変である。 「死にたくない」と同じように
 「死にたい」という気持ちも自然である。
  死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
  
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人

 昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7�佑眩�加して
 3万4427人と報じていた。
 
   ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45�諭�経済苦が25��
 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70�諭⊇�子が30��
・鬱病が30〜70�諭B召寮鎖声栖気鯑�れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万〜2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ

20万都市で週に一人が、日本全体で毎日94人が自殺で亡くなっていることになる。
大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が
自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に駆られるという。
何か解るような気しないでもないが。
「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。しかし自殺をしようとする人の大部分が
「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。

歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を
過ごしていたら、自分でも死にたくなるだろう。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人
の立場からみれば、その苦しみをから解放される唯一の方法かもしれない。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人
(後の亭主)のアルベルトとの自殺の議論があった。
ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで
耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。自殺は、けっしてバカな人間や
卑怯者がするのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない
時に仕方なくとるものと主張した。一方、アルベルトは自殺に対し徹底的に反感を持つ。
彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない‘弱さ’から引き起こされる」と考えていた。

この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が
悲劇のもとになることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。
最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。

死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。
生きることも、生きるだけの理由もある。
自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない! 
いや、若い時にあったか?
地獄も天国も、この世にあるものだ。
地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!

・・・・・・
2015/10/27
閑話小題 〜自殺って何でいけないの?
        
         ー身の下相談にお答えしますー上野千鶴子
   * 自殺って何でいけないの?
 〜問い: 自殺は本当にいけないですか 〜相談者無職男性50代
≪50代の無職男性です。自殺について相談します。自殺者は13年連続で
年3万人超と報道されています。世間一般的には自殺は良くない、弱い人間の
することだという暗いイメージができあがっています。どんな理由があっても、
自殺は絶対にいけないと言います。でも私は、自殺を正当化できないか、後ろ
暗いイメージを残さないで自死できないかと考えてきました。人に迷惑をかけ
ない方法で自殺するとしても、本当にいけないことでしょうか。将来性のある
小学生や中学、高校生の若い子たちが、いじめが要因で自死を選ぶのは肯定
できません。でも私のように50代で無職、独身、今までにやbたいよにや⊃て
きたし、親しい友人や知人もいないし、兄弟親戚もいないなら、遺族となって
悲しくつらい思いをさせる人たちもいません。特にこだわることも無く生きて
きて、年金保険料は25年以上納めました。私が年金支給年齢に達する前に自死
を選択すれば、国から支給されるはずの年金は国庫に戻ります。将来の年金を
支給するための財源として、消費税の増税をしようとしている政府にとっても、
私が自死すれば負担は軽くなり、究極の社会貢献だと思います。
世間一般的に言う将来を悲観しての自死ではなく、明るく前向きな自死だと
私自身は思うのですがいかがでしょうか。≫
≪ 答え: 正直に弱さを認めましょう
 ひとは社会的な理由からではなく、個人的な理由から自殺します。
冒頭「世間一般的には」と書き起こすあなたは、自殺する気が、はなから
ない人とお見受けしました。するってえと、このご質問の意図は?
☆ 解釈そのー。
 回答者に議論をふっかけてどんな答えが返ってくるか相手を試す。
残念ですがそんな一般論に付きあっているヒマはありません。
☆ 解釈その2。「自殺の正当化」の理由を求めているあなたは、この欄の回答
 をその司正当化」の根拠にしようとしている。自殺は積極的なアクションで
あり、遺書は生涯最後の命をかけたメッセージ。そこに「朝日の悩みのるつつぼ
で、こんな回答をもらったから」なんて書かれてはたまりません。その手は桑名
の焼きはまぐり。そもそもこの欄の回答には、命をかける値打はありません。
☆ 解釈その3。信念や信条で自殺なさるならとくにおとめしません。ただし
 あなたのその信頼にわたしは同意しませんし、つまらない信条だと思います。
くりかえしますがひとは社会的な理由から自殺することはありませんし、あなた
が言うように「将来を悲観して」自殺を選ぶこともありません。ひとは個人的な
理由から現在を悲観して自殺を選ぶので、現在とくに死ぬ理由がなければ、
ホンモノの自殺志願者から自殺をロ先でもてあそぶ者と、怒りを買うでしよう。
☆ 解釈その4。この文章には書かれていない何かもっとべつな理由で、
 あなたは死にたいと思っており、それを引きとめてほしいと思っている。
そもそも本気で死ぬつもりのひとは、お悩み相談なんてしません。
「死にたい」メッセージは、その実「死にたくない」メッセージ。
自殺者がたび重なる自殺予告をすることは知られていますが、それはその
メッセージを受け止めてほしいという心の現われです。
▼ 誰も、好んで自殺をするのではなく、それだけの苦しい理由がある。
 自殺も、時と場合によって肯定されて然るべきである。誰が社会的理由で
自殺をしなければならないのか? その辺が中途半端。自殺の正当化など、
死んでしまえば、如何でもよいこと。但し、身辺の人を傷つける気遣いは?

・・・・・・
2013/01/27
自殺者増加の意外な要因

 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートであった。
去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる
思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を
重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという隠れた
願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、ロシア、
韓国についで、世界三位という。日本で自殺が多いのは、世界の自殺者の6割を
占めているアジアの地勢的な要素があるが、豊かさからいっても多すぎる。 
自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、
身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの介入
が、その防止につながる。
   ーこの記事をまとめるとー
○ 女より男、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺志望が高い。
○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。
○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。
○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く
 、首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。
○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、
  5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの
  共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係している。飲むと衝動が高くなる。 
  また県民性もある。
○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力
  と不安定な立地が関係している?ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 
  ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに
  抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て
  人を評価するー住民気質が、必要。
▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて
 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。
 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。
 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに
 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを
 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。
≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他
 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から
 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、
 自立の問題! こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! 
 まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。


6607,閑話小題 〜クーエの法則

2019年04月18日(木)

   * エミール・クーエの言葉… 
<日に日に 私は あらゆる面で 良くなっていく> である。
このクーエの考えを発達させて、シャルル・ポードゥアンは
「努力逆転の法則」と定義している。 
  クーエの原則は以下の通りである。
≪・ �� 意思は想像力に絶対勝てない。
  �� 想像力は意思の力の二乗に正比例する。
 �� 意思と想像力が同調している場合、そこから生じる力量は、
  両者の和ではなく、積によってはかられる。
�� 想像力は誘導可能である。
・以上を総じていえば、「想像は思考に打ち勝つ」という法則である。
 自己暗示法の創設者フランスの精神科医・心理学者エミール・クーエに
よって実証された。人生の方向は、おおかた、自分が日々どのように
考えているかによって決まってくる。
・「すべてはますますよくなっていく。」の言葉をリラックスして繰り返し
 静かに自分の心の深み(霊)にこう語り掛けていると、だんだん否定的な
思いから解放され、すべてがよくなっていくように思えてくると気力が回復し、
体調もよくなり、現実の問題に前向きに取り組む力が湧いてくる。結果として、
時間の遅速はあるが、生活のすべてがよくなってくる。自己暗示(想像)は、
その人の思考を変え、その人の人生を変えていくというのが、この法則」。
・この法則、聖書的な原則でもある。「スピリット(霊)はマインド(魂・思考)
を支配し、マインドはボディ(体)を支配し、ボディはライフ(生活)を支配する」
という法則。霊が健全であれば、魂が健全になり、体が健康になり、生活が健全
になる。だから、霊の健全性を保つことが一番大切である。もちろん「原則
」には、時と場合によっては「例外」もある。≫
―
▼ 姉の一人が両親に次ぐ指導者であった。10歳の頃、勉強に目覚めさせる戦術。
<まず一つの科目で優をとりな、そうするとコツがわかってくるし、面白くなる>
そして14歳時に、<いま成績を上げておかないと、一生、手遅れになる。両親に
口添えしてやるから東京の高校に挑戦しなさい>  その言葉で周囲を見渡すと、
手遅れと、手遅れでない同級生が二分されていることに気づき、猛勉強をした。
無理だったが、それで何と
地元の受験校に何とか合格。 そのチャレンジが
なかったら無理。そして、最後に、大学の頃、
< よ〜く見ておきなさい。私の夢が、日々、切ったはったの商店だけは嫌でね、
 東京郊外の辺りに、庭のある小さい家にと温和な旦那と子供に囲まれた生活を
夢見ていた。それがフッと振り返ると、そのまま有るの。それにはね、何になり
たいか、何をしたいかをハッキリさせてイメージを具体的に持つことよ > 
 そして一年後に、創業を目指すという立志、二年後に欧州一周旅行に行く
キッカケになった教えである。 時は昭和40年代、日本は高度成長真只中、
本屋の書棚には、このクーエの法則を発展させたような本が多く並んでいた。
 この法則は、まさに肯定思想の自己暗示そのもの。司馬遼太郎の歴史小説が、
…世界が緑の原野、それも木々の枝には鈴なりの果実が実っているような原野に。
<日に日に 世界は あらゆる面で 良くなっていく>の バブルの世界に。
しかし、こと情報革命がもたらしている、情報社会の面白さと、それが齎す現象
に関しては、この言葉が、あながち間違っているとはいえない。
クーエの原則の想像力を映像力に置換えると
【 �� 意思は映像力に絶対勝てない。
  �� 映像力は意思の力の二乗に正比例する。
  �� 意思と映像力が同調している場合、そこから生じる力量は、
    両者の和ではなく、積によってはかられる。
  �� 映像力は誘導可能である。】 とあいなるが、
この映像力を、ネット力、AI力に、置換えると、更に考えさせられる。

・・・・・・
6244,閑話小題 〜自由化された売春 −2 新潟県知事版
2018年04月18日(水)
   * 自民党対、野党の場外乱闘ですか! 
寅: 新潟県知事が少女買春を週刊誌に素っ破抜かれて辞任騒ぎ。
  自民党対野党の場外乱闘ですか!
大家: 財務省事務次官のセクハラ疑惑のお返しというところ?。
  一番喜んでいるのが東電と自民党。原発反対を売りに、県知事になった
  んだから。そりゃ… 
熊: 俺が東電なら、50歳の独身男なら、下ネタ・スキャンダルを徹底的に
  調査して、週刊誌に流すね。知事とはいえ男の何は「生理現象」だもの、
  ストレスも多いしね。妙に弁護したいよ。だって男って…分かるだろう。
寅: 八つぁんが、数日前に、ここで、デリバリの売春・買春が合法的だって
  言ったばかりじゃないか。
熊: 御相手は未成年があり、その都度、相手が変えていたというじゃないか。
寅: 県知事が、この下ネタじゃ、続行が不可能ですよ。 
大家: 脇が甘いということ。この妙手があったと、逆に納得しましたよ。
寅: 東大、ハーバード大出の御医者様というじゃないですか。何で結婚を
  しなかったのだろうね。下ネタと初め聞いた時には、ホモ、ロリコンとか、
  変な想像をしてしまったがね。
熊: 俺様なんぞ、10数年前から、ロングラン犯罪捜査サスペンスの
  「クリミナル・マインド」を数百本も見続けてきたから、異常者の犯罪
  には、詳しいんだ。
八: そういう話なら私も参加するね。マザコンで、優等生タイプの典型。
  あれだけの肩書で未婚とは、勘繰られても仕方がないよな。世の男ども
  からすれば、羨ましい肩書だが、それが逆に不自由にしてるんだよ。
大家: 「維新の会」の橋下が、『米山を県知事に頂いた新潟県民は、
  不幸だね。』と言っていたが、どうだろう?現在の松井府知事も、訴訟を
  しているようだしね。それにしても、政治の世界は嫌ですね。
寅: 妻子持ちなら非難されても分かるけど、独身でしょう。 少女買春か
  どうかを知る由もないのでは?
大家:三人は、いやに下ネタに甘いのは分かるがね。
寅: 彼が県知事の間は、柏崎・刈羽原発の再開が無いと、安心していたが、
  これで如何なることやら。時節が時節だけに心配だね。少しでも煙が
  たてば、誰もが推進派に入れないだろうがね。
熊: まだ30年、40年の人生が残されているのに… 順調な人生を過ごして
  きたのに気の毒だよ。
八: これだけは幸か不幸か分かりません。医師免許を持っているんだから、
  海外にでも行って、何もかもから解放されて生きる道もあるし。
  ドッチもどっちだよ。 地元の原信というスーパーがあるだろう。
  30年前頃に、兄が弟を追い出した件さ。当時の4億の金を手にした弟の方
  が、遥かに良かったさ。現在でいえば10〜20億だろう。弟が私のところに
  訪ねてきたがね。「自分は創業に向いてないし」、と迷っていたけど、
  今からすれば、その御蔭でハワイでノンビリ出来て、兄はガンで壮絶死!
  万事、塞翁が馬だからね。これだけは!

・・・・・・
5877,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜1
2017年04月18日(火)
     『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
             池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
  〜まずはAmazon(内容紹介)より〜
≪ 「お金」を糸口にすると、世界の仕組みがよりリアルにわかる!
   累計160万部のシリーズ最新
 世界のGDPは2000年からの15年で2倍以上になりましたが、
貧しさはなくなりません。
 世界がもし100人の村だったら
1人の大金持ちの富と 99人の富はだいたい同じです。
なぜ、そうなったのでしょう?

 イギリスのEU離脱、トランプ大統領就任……
新しい時代に生きるわたしたちが知っておくべき世界の実態を
わかりやすい数字と解説で紹介する 新『100村』の「お金篇」、緊急出版! ≫
 ―― 主な個所を抜粋 ――
▼ 出版以来、15年経過するが、
・ その後の世界はネットが飛躍的に普及し、
 世界の半数近くがネット環境を持つようになった。
・ 人口は60億人から73億人と20%増加。
・世界のGDPは2倍以上になりましたが、貧しさはなくならない。
・100人のうち、
 26人が子供で
 74人が大人で、
 8人がお年寄り
・60人がアジア人で、
 16人がアフリカ人で、
 13人が南北アメリカ人で、
 10人がヨーロッパ人で、
 あとは南太平洋地域の人です。
・54人が都市に、46人が農村や砂漠や草原に住んでいる。
 その都市に住む54人のうち12人がスラムの住人です。
・33人がキリスト教
 23人がイスラム教
 13人がヒンドゥー教
 7人が仏教を信じている
 18人が、ほかのさまざまな宗教を信じているか、
 あるいは何も信じていません
――
▼ 僅か15年で、世界の人口が2割も増えているとは驚き。
 このままいけば20年数年後に100億人になる。地球にとっては
異常な人口過剰状態になる。そこで起こるのが何らかの自然淘汰。
そして現在起きている一強多弱の世界。そこには当然、争いが多発する。
「お金は、剥き出しの真実」とすると、この<お金篇>は、
シリアスの世界を、そのまま写しだすことになる。 〜つづく

・・・・・・
5512,人類史上最大のバブルが弾ける時 〜��
2016年04月18日(月)
      〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時
               熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト
   * 中国の成長モデルは賞味期限切れ
 隣りの中国は、今や世界恐慌をもたらすかもしれない火薬庫でもある。
経済の失敗を覆い隠すために、戦争を仕掛ける可能性もあり、その時期が、
3〜5年先かもしれないというから、尋常の話でない。日本は、大地震と
大噴火、そして異常な国債過剰などを抱え、中国経済の問題は、他山の石
ではない。現役だったら、その危機感は想像を超えたものだろう。特に、
地方は、激流の波の被害を一番早く受けることになる。問題は、その後の、
日本への難民の処遇問題になる。 グローバル化とは、こういうこと!
≪ 中国の成長モデルは最早、賞味期限切れが近付いている。
 構造問題が山積しており、経済的・社会的な矛盾が臨界点を超えつつある。
経済面では、政府との癒着が続く中、国有企業の改革は遅々として進まず、
労働生産性が低迷している。 国有企業は利益を配当として政府に還元する
ことなく、非効率な事業への再投資を続けている。経済の牽引役は依然として
“箱物”中心のインフラ投資で、経済のサービス化も遅れている。
結果として民業は圧迫され、規制緩和等を通じた民間企業のイノベーションは
進展していない。社会構造の面では格差が拡大・固定化し、低賃金労働者の不満
が溜まっている。社会保障・教育・医療等のセーフティーネットの整備が不十分
であることも、消費低迷を助長している。
 中国には“ネズミ族”という、地下の明かりの無いところで共同生活を送る
貧困層が100万人以上存在すると言われる。その多くが地方からの出稼ぎ労働者
(農民工)だ。彼らの部屋に窓は無い。その暮らし振りは、宛ら洞窟で生活する
ような印象だ。 これらの構造問題を根本的に解決しない限り、中国がどれだけ
公共投資等のカンフル剤を打っても、それは問題の先送りに過ぎない。
将来的には、より一層膨張した“バブル”が弾けるという最悪のシナリオが
不可避となるだろう。
 ここで、中国で“バブル”が崩壊した場合の潜在的なマグニチュードを定量化
しておきたい。 筆者のシミュレーションに依れば、
〔資本ストック調整が本格化する“メルトダウンシナリオ”では、中国の潜在
成長率は1.6%まで低下し、実際の経済成長率は大幅なマイナスに陥る。〕 
 勿論、一般論として言えば、世界経済のドライバーは依然としてアメリカで
あり、決して中国ではない。仮に中国経済が少々減速した場合でも、日本経済に
与える影響は軽微なものに留まろう。しかし、中国経済が“メルトダウン”する
場合には、全く別次元の話となる。その影響は、〔世界経済を奈落の底に叩き
落とす程の強烈なインパクトを持つ〕ことになりかねない。中国の政策当局には、
自らが置かれた状況を的確に認識した上で、中長期的な構造改革と、短期的な
カンフル剤に依る景気刺激策をバランスよく講じて、何とか中国経済を
“ソフトランディング”に導くことを切に期待したい。尚、中国での“バブル”
崩壊に伴う日本への悪影響は、主に中国向け輸出の低迷と、消去法的な
円高進行を受けた他地域向けの輸出低迷という2つのルートから生じる。
中国人に依る“爆買い”の消失を懸念する向きもあるが、2014年のデータでは、
日本の対中輸出は13.3兆円程度と、訪日中国人の日本での消費額(5600億円程度)
の24倍に達する。つまり、中国向けの輸出は中国人に依る爆買いよりも、日本
経済に与えるインパクトが遥かに大きい。中国経済の減速に備えて、我が国の
政策当局は何をなすべきか? “Do your homework.(自分の宿題をやれ)”と
いう言葉があるが、日本政府は自らの積残した課題に粛々と取り組むべきだ。
現時点では、当初のアべノミクスの3本の矢の中で、“第1の矢”(金融政策)
に過度な負担が集中しており、構造改革は若干遅れ気味である。今後は、
�’清函Π緡邸Σ雜遒箸い辰進�野における所謂“岩盤規制”の緩和
�⊆匆駟歉秬�度の抜本的な改革を通じた財政規律の維持等の国民にとって
 耳の痛い構造改革を断行することが、最大の課題となるだろう。≫
▼ 今回の熊本地震、まさか九州の中部で大地震が起こるとは思っても
 いなかったようだ。そして、いざ災害になると、その準備態勢が如何に
甘いか知ることになる。これは、中国のメルトダウンに対しても言えること。
問題は、弱者ほど、その対応が不十分ということ。「弱者だから準備ができ
なかったからではなく、準備をしてないから弱者」 とも言えることになる。
「南海トラフト地震が本陣とすると、その一部の部隊が動いた一現象」か!
東北大震災が本陣とすると、中越地震、刈羽沖地震、一連の東北地区の地震が、
熊本大地震にあたる。 直近でないとしても、本陣が控えていることは事実。

・・・・・・
5147,1%による1%のための勝利戦略 ー��
2015年04月18日(土)
      【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著   
 ー内容紹介ー 
   〜ネットにあった概要の後編より
≪・本書の前半では、「第1回報告」(これも架空)を振り返り、社会、経済、
 環境問題の展開を検証する。後半では、「階級闘争必勝戦略」の提言を行う。
「階級闘争必勝戦略」は、投資家で世界第三位の大富豪ウォーレン・バフェット
の2006年の発言、「階級闘争があると言いたいなら、そう言ってもいい。しかし
戦いを仕掛けているのはわれわれの階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ」
から取られたものであり、1%の野望をはずかしげなく洩らしている。
・本書によれば、リーマンショックにもかかわらず、1%への富の集中は進んで
いるので、彼らが仕掛けた階級闘争は順調。彼らの「必勝戦略」は、ひたすら
99%を洗脳する事と、言い変えると「文化的乗っ取り」あるいは「メディア戦略」。
「民主主義をお払い箱に」にし、人権を縮小し、自由競争や自己責任の言葉の
連発で、新自由主義に洗脳することが、1%層の宿願である。
・本書の架空の作業部会が、日本の採点をするとしたら、世界の優等生として
褒めてもらえそうである。福祉(医療、年金、生活保護)の切り下げ、消費税に
よる99%層への収奪、一方では大企業への減税の大盤振る舞い、経済格差の進展、
実所得の低下、子どもの貧困率のさらなる悪化、東電福島原発事故の発生と
その被害者の切捨て、秘密保護法の制定、集団的自衛権行使への動きとそれに
伴う軍需産業の動き、国民を犠牲にしても自由貿易を拡大しようとするTPP推進、
ますます政府の広報機関と化している新聞・テレビなど、日本で進行中の動きは、
本書が暴き出した「1%による99%支配の強化」の日本版と読替えれば、すべて
納得がいく。本書は、日本での動きが、世界を席巻するグローバリズム
(新自由主義化)の一環であることを改めて教える。
・本書の性格上、99%による1%への対抗戦略は書かれていない。1%が何を考え、
そのためにどのような手段を使っているか、を寓話形式で知らしめることが
目的だからである。99%が明日からでも実行可能な、1%への対抗戦略については、
ジーン・シャープ著『独裁体制から民主主義へ』がある。≫
▼ この政策を実行するに、3つのS戦略が重要としている。 スピード
(すばやく)、セクレシイ(知らせず)、ステルス(水面下)である。これに
サプライズも加えることができるという。中国は、彼らと同じ体質を持っている。
この傾向は、短期間で達成している。地中海クラブに住む劣等国民には、憎悪
すら感じている。彼らは身に合わない生活をしてきたため、債権は、他の国が
払うべきと信じて疑わないが、これも時間の問題。アフリカ、中近東は、彼ら
の手先の一部王族が、天然資源を独占、営利を貪っている。それがIS国として
大きなウネリとして支持を得ている。世界は、1%の人たちのためにあるようだ。


6606,読書日記 〜ソックスに話しかける

2019年04月17日(水)


            『人生がときめく片付けの作法』近藤麻理恵著
    * 人生に応用できる道理
 TVで紹介していた整理術が、何やら、この「テーマ日記」として続けている
情報管理に似ている。毎日、入ってくる膨大の情報の中で、琴線に触れたのを
テーマにして、それを物語風に管理をしている。それを同月同日に振りかえり
読返す。また、キーワードで内部検索が可能が、最大のメリットになる。
ネット上に公開する利点と欠点が有るが… これも利点3、欠点1として
割切っている。 理性として、感情面でも琴線に触れるときめいた内容を、
自分に、他者に向かって物語る。それはネット上に外部脳化することになる。
 人生で80年、人間として地球上に生まれ出て、様ざまな触媒と供にして、
深く広く経験と、知識をえる。それは「ときめき」「驚き」として行蔵として
内部化をする。 ある意味で、アニミズム風のところがある。

≪ 「こんまり流」の片づけ術は、今まで聞いたことがないアプローチです。
思い出のアイテムを一つひとつ家にとっておく代わりに、近藤さんは読者に
問いかけます。「一足の靴下からオーブンにいたるまで、その一つひとつが、
(あなたの)喜びをかきたてる“ときめく”アイテムですか?」と。
答えが「イエス」なら、そのまま持っていてもOKですが、もし「ノー」だったら、
そのアイテムの役割は終わりました。感謝して手放しましょう。
 そして古いスプーンが「ときめき」を感じるかどうか自問するよりも、
さらに目を見張るのは… …近藤さんの「洋服のたたみかたと収納法」です。
「洋服は、下から上に積み重ねて収納するべきではありません」と近藤さんは
語ります。そうすると、スペースも必要になり、下にしまった服には、積み
重なった服の重みがかかってしまいます。 洋服は、引き出しのなかで
“立てられる”ように、取り出しやすくコンパクトにたたむべきなのです。…
…難しそうですか? ≫
―
≪「私たちはなぜ片づけをするのでしょうか? 部屋や物が幸せを運んでくれるよう
片づけるのでないならば、全く意味がありません。残すものと捨てるものを選ぶ
一番大切な基準は、それを残すことで幸せになれるか、ときめくかどうかにある」
この驚くほど効果的な考え方は人生にも当てはまる。悪い人間関係や有害な考え方
といった不要なものは、捨てたほうがいい。≫
―
▼ ソックスを何故に丸めないでたたむのか? 「ソックスを休ませるため」
 という。あなたの足を守るため働いてくれる、それを休ませるため、それを
たたむことで休みやすくする。それに感情があたかもあるようだ。
このテーマ日記も、恐らく来年の同月同日までは、目にしないが、一度、丁寧に
パックをしておけば、今後何度も、対面できる。だから、続けることが出来る。
それを身の周りに応用すれば良いという。手放すとき、運の尽きた洋服に対して、
声を出して言う。「買ったときには喜びを」と、また、何が似合わないか教えて
くれてありがとう」… と。 書棚も然り。自分のためでなく、本のためにも。
こうして周囲を振返ると、つくづく見方が変わってくる。
 私は何をしてきたのだろう。全てが未熟で、放漫で、無知で、我がままで…
やはり、死のリセットが必要ですか? 今さらだが、「我が人生に、後悔有り」。
 傍からすれば「何を今さら」だが、気づかないから生きてこれたということ。

・・・・・・
4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3
2012年04月17日(火)
 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて
あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の
心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、
若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと
思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。
長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。 
特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを
遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、
血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分
の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 
【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2  2005年04月17日(日) 】
 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を
 思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、
 数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。

・・・・・・
6243,閑話小題 〜「オクサーの姫」
2018年04月17日(火)
   * 逆ハーレムのお姫様 ーオクサーの姫
 「オタサーの姫」とは、 < 男性の割合が多い文化系サークル(オタクが集まる
ようなサークル)に存在する数少ない女性メンバー。サークル内では希少な存在
であるため、圧倒的美女でなくともオタク男性メンバーに姫扱い…
サークル内では希少な存在であるため、圧倒的美女でなくともオタク男性メンバー
に姫扱いされることから「姫」の名を冠している。早くいうと、「逆ハーレム状態」
の女オタクのこと。>

 学生時代の、今でいうシェアハウスのような25室の寮に二人の女子がいた。
何故か一人は勤め人。寮内のコンパに、時々、二人を呼んで騒いでもいた。
別に気どるわけでもなく、寮生活に馴染んでいたようだ。高校は男子校だが、
学年400人中に、7〜8人の女生徒がいた。その一人に政治評論家の櫻井よしこも
いたが、御付きのような男ども数人を従えて、そっくり反っているように窺えた。 
受験校出身の女性の「オクサーの姫」の一人が家内ともなれば、愚痴の百も言い
たくもなる。常に男目線を意識している板付きの「かまとと」。内心は女尊男卑
そのもの。しかし、男は女性には優しいもの。12,9,7,5歳、年上の姉の下で、
全身全霊で気遣いをして育ったためか、踏ん反りかえった女性には近づかない
ことにしていたのに、何を血迷ったか…。執事というより、下男。しかし独身
真只中の20歳代半ばの数年は、女性中心の職場。「群れた女は猿集団」と割切り
さえすれば、扱い方次第で、これほど面白く、楽しい日々はなかったのに…。
 
 オクサーの姫のような孤島で起きた事件があった。
【 戦中から戦後にかけて、太平洋の小島・アナタハン島に日本人の女が1人と
 男が32人取り残されてしまった。軍に救助されるまでの6年間、女をめぐって
 の殺人や行方不明者が相次いだ。一匹の女王蜂をめぐって壮絶なまでの生と性
 の闘いがくり広げられ、 十二人が殺されたり、死んでいったという謎と猟奇に
 包まれた事件。】
事実は小説より奇なりというが、この軽いのが男子校のサークル内で日々… 
魔性の女による、危険な遊びが。 巷の奥行きは深い!

・・・・・・
5876,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー3
2017年04月17日(月)
   * 死傷者は400万人
 2500万人が住む首都ソウルに、北朝鮮が核弾頭付でなくとも、ミサイルを
撃ち込めば、百万単位の死者が出るのは周知のこと。北は、それを熟知して恫喝
して何とか体制を維持している。それ故に、韓国は、大統領に莫大な権力を集中
せざるを得ないため、汚職をうむ土壌になっている。現在でも破綻している国家
に戦争は国家破綻を更に加速させる結果になること必定。しかし、アメリカには、
東洋人の100万や200万より、己の国家の安全の方が遥かに重要になる。
「第一次、第二次世界大戦から見れば、この程度は大したことがない」と、
考えても不思議ではない。     
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より
≪ ■ 北の妄想
 北朝鮮の国民は幼少時から、「朝鮮はアメリカと日本に勝利した軍事大国」
と教えられて育っている。 金日成軍事総合大学の軍事関係者は、
「アメリカを倒すのは、掌を返すくらい容易だ」と豪語しているほどだ。
 先日、朝鮮中央テレビは、3日間で韓国を占領するシナリオの映像を流した。
1日目に韓国の重要拠点を占領し、15万人の米兵を捕虜にする。
2日目に韓国の大多数の都市を占領し、
3日目にその他の地域を占領するというものだ。
朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、「朝鮮は世界中でアメリカに対抗できる
唯一の国である」と誇っているほどだ。
まさに皮肉たっぷりの筆致で北朝鮮の「井の中の蛙」ぶりを強調している。
 だが、張教授が述べている「7割から8割の確率で第2次朝鮮戦争が勃発する」
という予想は、すなわち中国政府の見解に他ならない。
 前出の韓国国防部関係者が続ける。
「北朝鮮は、南北の局地戦ならば、米軍は参戦しないと踏んでいるようだ。
だが、実際にはアメリカは、三つの条件さえ整えば、第2次朝鮮戦争に
参戦する可能性が高い。
 第一に北朝鮮の核やミサイルによって自国の脅威が増すこと。
 第二に戦争によって自国の兵士の損失が最小限に抑えられる見通しがつくこと。
 第三に中国の後押し、もしくは少なくとも黙認が得られること」
 前述のような習近平政権の"反金正恩政策"を見ると、金正恩除去に向けて
米中が手を組むというシナリオは、十分考えられるのである。
  ■ 死傷者は400万人
 それでは実際に、南北衝突となった場合、どのようなシナリオが想定されるか。
軍事評論家の世良光弘氏が解説する。
「第2次朝鮮戦争になった場合、北朝鮮は38度線沿いにある数千基の砲台から、
ソウルへ向けて一斉砲撃します。合わせて、スカッドミサイルもソウルへ向けて
撃ち込みます。しかし米韓は、その前にB2ステルス爆撃機を発進させ、精密誘導
爆弾で38度線の砲門や主要ミサイル基地を爆撃します。B2爆撃機の護衛には、
F22ステルス戦闘機が当たります。
 これに対し北朝鮮は、ミグ29戦闘機が迎撃しますが、まともに稼働するのは
30機程度で、たちまち撃墜されるでしょう。その間にも米韓は、F15Eストライク
イーグルやB52爆撃機、ホーネット戦闘機などを投入します。また海からは
トマホーク巡航ミサイルで平壌を爆撃します。そうして制空権を完全に押えた後、
戦車部隊やストライカー戦闘旅団などの地上部隊が38度線を越えて進軍します。
 こうして北朝鮮全域を制圧するには、3ヵ月くらいかかるでしょう。
それでも山岳地帯の坑道に隠れるであろう金正恩の身柄を拘束するには、
それ以上の時間がかかります」
 かくしてイラクのサダム・フセインのように、金正恩も拘束されて、
戦争は完全終結となる。その後、北朝鮮には、米中韓、それに日本とロシアも
加わった5ヵ国との協調政権が樹立されるというシナリオだ。
 だがこのシナリオが現実のものとなれば、第1次朝鮮戦争と同様、400万人
規模の死者を出すだろう。ちなみに中国は、金正恩から亡命要請が来ても、
断るという。≫
――
▼ 昨日の午後の政治トーク・バラエティー『そこまで言って委員会』が
 時が時だけに、ユニークな企画になった。プーチン、習主席、トランプ、
金主席の顔写真のお面を、各国の専門家に被せて、際どい質問をするもの。
専門家は、自分の意見と、お面の主の考える想定が混同するため混乱するが故、
隠れた真実が垣間見えたような錯覚が、ブラックジョーク、コメディ的である。
「これだけの危機の問題を、爆笑するのも問題では?」 というのも、
『そこまで言って委員会』の番組名からして野暮。 
 イエローモンキー(日本猿)が、寄ってたかって、
赤ザルと、白豚と、白熊と、白パンダを、寄ってたかって笑い飛ばして
いるに過ぎない… としても、際どい笑いが何とも「平和ボケ」そのもの。
南北朝鮮の人民にとって一番ウケるのは日本攻撃であることを忘れないこと。
・・・・・・
5146,1%による1%のための勝利戦略 ー��
2015年04月17日(金)
      【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著
  まずは〜内容紹介〜より
< 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。
 ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに
見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、
一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者
が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。>
 ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。
≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、
 グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1%
への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、
アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕
層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。
各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、
このような事態を引き起こしているのか。
・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空
の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、
鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを
暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、
実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。
「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、
秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが
ピッタリである。・・ 〜つづく ≫
▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い
 を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、
ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界
の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。
仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が
あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、
公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、
事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の
『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、
内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ!
 ・・・・・・・
3674, 自己を見つめる −2
2011年04月17日(日)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして
みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。 
自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め
なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、
人生を豊かに、実りあるものにする。
   ー 第一章 経験 の中より ー
  哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、
 まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験
 するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。
 つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、
 とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の
 幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った
 ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ
 であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 
  要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての
 計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。 
 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生
 というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き
 合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 
 その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して
行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を
見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を
踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? 


6605,つれづれに哲学 〜「遊び」について再び

2019年04月16日(火)

   * 遊びについて 
 これまで‘遊び’について、数多く書いてきた。 HP内検索で引き出して
よみ直すと、納得することが多い。人は、年代によって、その比重が変わる
としても、「良く遊び、学び、働くこと」の質量の拡充が必要である。
人生を振返えると、まず、「もっと遊んでおけば良かった」と、次に
「もっと学んでおけば」と。最後に「もっと働いておけば」と思うのが人の常。
その逆は少ない。「死を恐れる主要因は、やり残したことが多いため」。
その荷重が強いほど、「もっと楽しんでおけば」という後悔。底意地が悪い人の
性格形成の元が、これである。 目先の現実に溺れて、外海に出ようとしない
人たち。 地下の石牢の囚人のように、一生を常識の石牢の中で微かな光をみて、
外界の世界を思い知るしかない。その妄想は、所詮は石牢のそれ。遊びには、
うしろめたさが付きまとうことがある。それを払拭するには、遊びについての、
知識と経験が必要となる。内的、外的悩みや、心配事、不安を抱えた遊びでは
面白味が少なくなるが、それを背負って遊ぶことも遊びを面白くすることもある。 
忙中閑の遊びである。 躊躇するのは、その終わりに、虚しさ、寂しさを伴う
予感があるため。それでも、遊んだ後の爽快感と、満足感は、この上なく良い。
 遊びには、
・無邪気に遊ぶ解放されたものや、
・創造性の原点となる完全リラックスの遊びや、
・車のハンドルの遊び、
・日常からのトリップのための遊びがある。
 ウィトゲンシュタインが、「私の言語の限界が私の限界だ」と宣っているが、
‘遊び’も然り、<遊び楽しんできた限界が私の限界>。 その意味で、18年間
のブログの「テーマ日記」と、30年にわたる「秘・異郷ツアー」の集積には、
少なからず満足を…。 他人は人、私は自分の分際のこれ!と、思うしかない。
 これが際どい遊びほど、面白い! とくるから… もっと際どくともという、
後悔は有るか、無しか? 遊びは際モノほど面白いというが、過去形で想うと、
実に面白かった。

・・・・・・
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)                  
  ー遊びをせんと生まれけむー    −読書日記−
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
  美に感応する心である。
・「感」は、感性、感動、共感。旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。
 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は
 「ホモ・ルーデンス」。遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
  一瞬の新しいものへのシュンパツ力。
 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。確かに、人生はこれを
磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が人間にとって最も有用な行為に。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて
次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源
がある。最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、
もつとも遊び好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。
最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と
灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。車輪・帆、煉瓦なども遊びの
中で発明された可能性が強い。たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を
使わなかったが、足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。
装飾が衣服に先行した。
  (字数制限のためカット2010年8月14日)

・・・・・・
2007/06/18
2267, 「遊び」
                (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から
「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。
その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」
の中の充実感である。
                
「遊び」をネット百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』調べてみた。
  ーーーーwww**ww*w(/⌒∇⌒)/〜∞**www***w ーーーー
  
楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス (生体)解消などの目的で生物が
する行動の総称。普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事、睡眠や、自ら
臨んで行われない労働などは含まれない。 また、工学などにおいて作られる、
ある一定のたゆみ、ゆるみ、余白のこと。これを作ることを「遊びを持たせる」と。
ハンドル等、機械で人間が操作する部分の遊びは、不覚筋動を機械の動きに反映
させないという効果遊びとは、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消
などの目的で生物がする行動の総称とされます。どのような時代においても遊び
は存在し、太古の昔から現代まで私達の心を楽しませてくれています。

人間以外で、動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。
ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟する
とあまり遊ばなくなるが、ペット化(家畜化)された犬や猫などの動物は成熟後
も遊びたがる傾向があるようであり、野生動物でもカラスには、成熟した個体
に遊びと思われる行動が見られる。

フランスの思想家、ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」
に影響を受け、「遊びと人間」を執筆した。
その中でカイヨワは遊びを次の4つに分類している。
・アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ
・アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)
・ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ままごと
・イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ
カイヨワの説は遊びはこれらの4つの区分に分けられるとしたものであったが、
遊びは必ずしもこれらの単一の要素からなるものではなく、
複数の要素を含むものも多いとする説もある。
 ーーーー  (^Q^)/゛ d(o^v^o)b !!(^Q^)/゛ \(^o^)/!!
 なるほど、と思うが・・・

「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。
人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。
そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。
何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。
私の場合、ゲーム化が楽しみへ持ち上げるポイントであった。
ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。
到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、
遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として
一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、
漠然とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象
を与える。

学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。
遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。
一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。
同じ人生、楽しまなくては!
何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。
 
 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー
 カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、
 動物学者の研究観察から認められている。
 その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような
 行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが
 面白くて始めた“遊び”といわれる。
そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びにする
ことが、高度な知的行為である。
 ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に
 遊びが入っているところが、注目に値する。  d=(^_^)=b
     
 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
                   
・・・・・・
2004/05/12
1135, 「ライフ・レッスン」−13
   ー遊びのレッスン
 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。

 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
実際の時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊び。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。

 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。
歩いて楽しいのだ。

 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという
記憶に残るのはやはり無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代に
おいて、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。

ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを
趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。
好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことにゆがめて
いく人が少なくない。

・おもしろくって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、
欲求を最大限おさえて生きていくなんて、何ておぞましい人生だろう。
遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に
住んでいるのは何故かということ。

・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。
愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた
必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、気がついたらひとりになっていた
でもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。

 ーーーー
20022002/01/05
 一人遊び

孤独に強い人とは、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
それって「お宅」でないか。 似ているがやはり違う。

それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
結局中途半端のそれをいうのではないか?
字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。

山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
別にそれをお宅といわない。読書好きの人もお宅といわない。

自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)
ということを示すことだ「示単」。
これはある有名な禅僧から直接聞いたこと。
そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくては
ならない。その積み重ねが個性を作る。

ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。

――
2002/02/24
遊びについて−1

人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。
そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。

まずその達人を事例で考えてみる。
一番身近では母がそのプロ?であった。

戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、
父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の
不幸な死で今の重症のノイローゼーなった。
心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。亡くなった時、医師の要望で
心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。

それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。
約40年近く遊びきって亡くなった。
日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。
毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。

子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。
遊びの重要さもそのため学んだ。重点としてだが父は「働く人」、
母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。
ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。

「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、
罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。
ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。

人間は生きていかなくてはならない。
その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。
その為に勉強もしなくてはならない。

しかしそれだけでは、それだけの人生だ。
それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。
それを特に母の生き様から学んだ。

一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。
どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。
その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、
「馬鹿な?生き物」である。

遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。
そうすると、仕事も遊びになりうる。
天才はその典型であろう。

あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。
何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。
「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。

「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」
と暗示をかけられてないか?

私の趣味の一つにウオーキングある。
初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。

その中に純真な遊び心が躍動を始める。
何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。

パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。
そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。

これから散歩だ!

・・・・・・
2001/12/21
[164] 目的と手段

目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。
‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。
営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、
営業が反対に手段になってしまう。
何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。
手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。
といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。
以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシ。
目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。
ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。
至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、
イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。
どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’
とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、
いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。
目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって
逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか?

ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、
自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。
馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H0609歩行とダンス

 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が
面白かった。“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。
ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ある!”と。
非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容。
今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・
ダンスをして、ドアまでいってやれ”と一人笑った。大手商社に勤めている友人
と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく
“私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間
でまわってくる。それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”
当意即妙であった。ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスと
してリズムをとりながらパターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに
向かう事となると誰にでもできない。ついドアを忘れたり、ダンスを忘れて
しまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。
そしてその反対に逆の人も。 2001/09/28


6604,閑話小題 〜つれづれに娑婆

2019年04月15日(月)

   * ブラックホールの生写真をみるとは
・私たちの国は太平洋戦争の敗戦国で、アメリカの隷属国家である。
 日本の富はアメリカの含み益。その回収は、軍事用品の高額買取だったり、
為替相場の操作や、バブル誘導と崩壊などの国家的誘導で搾り取ること。
そのアメリカは、現在でも国民の40%以上が、ほんの一万年前に神が人間を
創ったと信じており、科学の研究結果は、政治を操る冷笑的な人々にとって、
常に退けられてきた。科学こそが、私たちの倫理観の元であると示そうとする
試みまで、そうである。 

・アメリカだけでない。世界は、いまだに2千数百年前につくられたアッラー
 の神を大元に抱いた虚構の神の幻覚に支配されている。この通りに、世界は、
偽物に支配されている。それもあって、世界には驚くほど多くの御宝が存在
している。その代表的なのが、知識と情報。この情報革命は、生命誕生以来の
断層の時節の到来を意味する。

・ほんの十数年までは宇宙は一つで、ビッグバンなど、一つの仮説にすぎない
 と多くが信じていた。そのブラックホールの撮影写真の撮影に成功。想像図は何度
か見ていたが、実際の映像をみれるとは信じ難い。これも科学技術の進化のお陰。 
   〜ネットニュースによると…
≪ ブラックホールの姿が史上初めてとらえられた。ブラックホールはいわば、
 近くに迷い込んできたものを手当たりしだいにむさぼる怪物。恒星、惑星、
ガス、塵はもちろん、光でさえも「事象の地平線」と呼ばれる境界をひとたび
越えてしまったら、この怪物の手から逃れることはできない。 これは
「星を食らうブラックホール」である。
 科学者たちがとらえたのは、太陽65億個分の質量をもつ超大質量ブラックホール。
地球から5500万光年の彼方、おとめ座銀河団の中心にある巨大楕円銀河M87のさらに
中心にある。画像には、いびつな光の輪に囲まれた暗い部分が見える。
これはブラックホールのシルエットを世界で初めてとらえたもので、ブラック
ホールの入り口に限界まで迫った画期的な画像である。
 今回の画像は、200人以上の科学者が参加した「イベント・ホライズン・テレス
コープ(EHT:事象の地平線望遠鏡)」プロジェクトの成果。これは、ハワイから
南極まで世界各地6ヶ所の望遠鏡をつないで一斉に観測を行うことで、地球サイズ
の巨大望遠鏡を実現しようというプロジェクトだ。
 2017年4月にM87のブラックホールの観測が行われ、5ペタバイ(1ペタバイトは
1000兆バイト)におよぶデータが収集された。科学者たちがこの膨大なデータを
解析し、ブラックホールの顔写真を構成するには2年もの歳月を要した。≫
 ―
▼ これから10〜20年が本当に面白くなる時節。少しでも多く、断層面にへばり
 付いて知的死に欲を満たしたいが、何てことっちゃ! でも、何とか? 
そう考えるのは、まだ健康体?なればこそ。ところで、ブラックホールを死。
ホワイトホールを生誕、他(多)宇宙をアノ世と喩えると… ブラックホールの
写真は、死の光景ですか。10の500乗も存在する他宇宙の入口?ですか、これは。

・・・・・・
6241,読書日記 〜‘人生に生きる意味はない!’
2018年04月15日(日)
           <「真理の探究」ー仏教と宇宙物理学の対話
                   佐々木 閑,大栗 博司(著) >
   * 人生に意味がありか、なしか?
 ここで、数多のテーマで取上げてきた問題。‘人生に生きる意味はない!’
とは、身も蓋もない。青春から老いるまで、誰もが考え、悩む問題である。
最期の自らへの問いかけは、『私の人生って何だった?』『何で生まれてきた?』
『生き直せるなら、どんな人生を過ごせた?』 でプツン! それらの問いには
<人生の意味とは何だろう?>がある。
 「意味」の意味を考えるに、近い「価値」から類推すると解りやすい。 
価値観は、その人にとっても、地勢上、国家、人種、宗教によって、当然違う。
それを仏教学者と、物理学者が普遍的な事として語ると、妙に納得する。
 一休の名言がある。
「世の中は、食うて糞(はこ)して寝て起きて、さてその後は、死ぬるなりけり」
小難しく考えることもない。こんなものだが。猿の世界を見ればよい。
  〜Amazon・内容紹介〜
≪ ‘人生に生きる意味はない!’
 大いなる叡智が告げる、この世界の真実
心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究した釈迦の仏教。
自然法則の発見を通して、宇宙の真理を追究した近代科学。
アプローチこそ違うが、この世の真理を求めて両者が到達したのは、
「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、
 そもそも生きることに意味はない」という結論だった。
そのような世界で、人はどうしたら絶望せずに生きられるのか。
なぜ物事を正しく見ることが必要なのか。
当代一流の仏教学者と物理学者が、
古代釈迦の教えから最先端の科学まで縦横無尽に語り尽くす。
  〜レビューより〜
≪ 物理学者・大栗博司教授及び仏教学者(仏教者)佐々木閑教授の講演、
 対話などを簡潔にまとめた本である。
 この本では、大栗氏の講演、対話などから、物質の究極が、分子→原子→
素粒子→17種類のクウォーク等に還元されてきた歴史と、現在では17種類
のクウォークすらが超弦理論に還元されようとしている物理学の現状を概観する
ことができるとともに、佐々木氏の講演、対話などから、仏教の概要とブッダ
の述べた思考について概観することができる。
 この本の中で両者が語った内容で、興味深かったのは、次の3点である。
・第1点は、死後の世界はあるか、霊魂は不滅かという問題について、
 両者とも、明確に否定する見解を採用している。
・第2点は、人生に客観的な意味、目的、価値はないことに、両者とも、
 異論がない点である。両者とも、人生の意味、目的、価値は、神や仏が与える
 ものではなく、個々の人が、自らつくっていくものであるという。
・第3点は、自由意思の存否の問題について、両者とも、断定的ではないものの、
 自由意思は、客観的には存在しないであろうが、人の認識の上ではあるように
 感じるものであるという考え方を示している。≫
―
 TVで見た若者向け映画『リライフ』が、人生の意味について考えさせられた。
【大学院を卒業後、新卒で入社した会社を“ある事件”をきっかけに、わずか
5ヶ月で自主退社した27歳の海崎新太。今はコンビニでバイトをしながら、再就職
を目指すが、なかなかうまくいかない。そんな新太に、リライフ研究所の所員を
名乗る謎の男が「人生、やり直してみませんか?」と声をかけてきた。
男の言葉に乗せられ、「年齢はそのままに、見た目だけ17歳」になった状態で、
新太は約10年ぶりに、2度目の高校生活を始める。】
―
▼ 一年後、無事、再生していくが、そこで出会った美少女が、「人生の意味を
 見出せず、自らリライフの一年延長を願い出ていた」ことが、最後に分かる。
「もう一度、全く同じ人生を与えられるとしたら、受けますか?」の厳しい
問いかけがある。大方の人は、「ノー」と答えるそうだが… 父親が、死期を
悟った時に、絞りだすように呟いた言葉、
「今度、生まれてきたら、全く同じ人生を、再び過ごしたい!」
私も、死期を悟った時に、同じ言葉を心の底から絞り出せる生き方をしたいと。
「20歳、30歳代の人生」が非常に満足できただけでも、有難いことである。
 私の人生の意味とは、<「同じ人生を再び!」と思える生き方を貫くこと。> 
 これでも? そのまま結構! 面白かったこと、この上、なかったからね。
―
大家:まあ周囲の人は大変だよ。
寅:まったくだよ。その毒舌に、どれほど苦しんだか。
熊:「自分のための人生を生きろ!」っていうけど、
 「自分だけのための人生」じゃないか。調子にのって、バカまるだし。
寅:御前が、言えるガラか。でも、大家さんを見ると、ツマラナイよな。
八:少しは反省をしてるけど、じゃあ、如何すれば良かったと思うと、
 『ご覧の通り、そのまま、結構!』と、開き直るしかないね。
 私は私だからね。仕方がないよ。それと、良かった良かったと思えば、
 何事も、感謝できるしね。感動、感激、感謝ですよ。最期はね。
 この三大感情の満足度は、感謝、感激、雨あられ、ですよ。
寅:天上天下唯我独尊じゃないですか。あんたの場合は当然、悪い意味さ。
大家:まあまあ、今日のところは、この辺で、〆ますよ!

・・・・・・
5874,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
2017年04月15日(土)
  * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる、北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事には息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
・・・・・・
5509,閑話小題 〜今年の桜の総括
2016年04月15日(金)
   * 今年の桜の総括
 毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、
飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の
こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、
「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の
ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大
イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車
で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に
なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の
『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の
裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、
そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。
なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ
になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、
週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、
この40年間で、数回かあった。
・・・・・・
2003/04/21
散る桜残る桜も散る桜ー2

 ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。
毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、
満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に
なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。

 雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、
悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」
という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ。
 
 花見こそ一期一会である。
吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・
2003/04/19
 「散る桜、残る桜は散る桜」
 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。
人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?

 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。
悠久山の桜も絶品だ!
5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に
関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。

 また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。
新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・
2005年04月22日(金)
1480, 桜咲くーつれづれに

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。
もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。

何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。

近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。
車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。

家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。
「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、
「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。

10年に一度位は大当たりになる。
悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な
光景を目にすることが何度かあった。
一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。

全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。
サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が
無数に漂っているのだろう。

先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、
吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。
ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー

今週の長岡は、桜の週である。

庭の梅の花も散り始めてきた。

近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。
本格的な散歩が、この時期から始まる。


6603,読書日記 〜『サピエンス全史 ―文明の構造』 −3

2019年04月14日(日)



         『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福 』
                       ユヴァル・ノア・ハラリ著
    * Amazon読者の投稿より
  〜何ゆえにホモ・サピエンスは生き残ったか?〜
 復習のため、再度、確認のため、Amazon読者の投稿を…
≪ かつて地球上にはさまざまな人類種が存在したが、なぜホモ・サピエンス
 だけが生き残ったのか。ハラリはその理由を、7万年前にホモ・サピエンスの
 脳に起きた「認知革命」に求めた。これによってホモ・サピエンスは、
「虚構」を操る力を手に入れたのだ。 この能力によって人類は、言語を獲得し、
「神」や「国家」などの概念を生み出した。目に見えないものを崇めたり、
自らの身体スケールを遥かに超える大きさの共同体をイメージして、互いに
協力したりするようになったのだ。
 今よりも豊かな生活や、まだ見ぬフロンティアなどを想像する力を手に
入れた人類は、文明を生み出し、イノベーションによって進化のエンジンを
加速させ、この星の歴史上、もっとも繁栄する生物となった。
「虚構」というコンセプトひとつで人類史をクリアに見通してみせた
< 私たちはどこから来て、どこに向かうのか、私たちは何者なのか──。
人類(ホモ・サピエンス)の来し方行く末こそ、私たちにとっての最大の謎。
気鋭の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は、この究極の
問いのうち、「私たちはどこから来たか」を解き明かそうと試みたものだった。
 ――
   〜ホモ・デウスとは何を指すのか〜
人類の歴史を振返ると、飢饉や疫病、戦争によって人々の生存は脅かされてきた。
ところがいまやこれらは克服されつつある。もちろんこれらの問題が根絶された
わけではないが、実際には飢饉で死ぬよりも肥満で死ぬ人の方が多く、疫病より
も老化で、戦争よりも自殺で死ぬ人のほうが多いのが現実だ。この3つの問題を
克服しつつある人類は、次のステージに向かうのではないかと見ている。
次なるステージで人類が目指すのは、不死と幸福と神性の獲得。サピエンスは
自らを神(デウス)にアップグレードさせ、ホモ・デウスになるのではないか
というのが、本書の予見する未来である。
サピエンスは認知革命によって知のネットワークを拡大させ、やがてそれは
科学革命へと発展していった。科学革命は人間を自然から切り離し、世界の中に
すえる人間至上主義を生み出した。人間の命や心、意識などを特別視する世界観
が支配的となったのだ。だが現代の生命科学者たちは、すべての生命はアルゴ
リズムであるとする。
 私たちの意識は、ニューロンが発する信号によって脳がデータ処理を行う
プロセスの副産物に過ぎない。現代の脳科学では、私たちの自由意志ですら虚構
だとされる。魂や自由意志にかわってクローズアップされるのは、遺伝子や免疫
機能である。「ホモ・デウス」が描き出すのは、私たちが想像もしなかった未来。≫
―
▼ この情報化社会の変革は、人類誕生だけでなく、生命誕生以来の革命とまで
 言い切る論に、妙に納得する。世界が情報機器で結ばれ、ネットで覆われた
現象。個々人がスマートフォン、タブレットPCなどの受発信基地(サテライト)
を持ち、現場から、個々の生情報を受発信を始めた。これは、個々の脳がネット
で結ばれ共同活用が可能になってしまった。それと結びつき、超人に至る人を
「ホモ・デウス」というが、この超人は、何をしでかすか? 
超人といえば、ニーチェが思い浮ぶ。「何に、神も悪魔も所詮は立場の違いで
しかない。自分が信じる神が他人さまから見たら悪魔だって事もあるし、一生
大切にすると子供の頃思っていた物がゴミへと変わる事もある」
 結局は、その人間が「ホモ・デウス」になっても、その本質は変わらない。
で、そこで待っている事態が、崩壊。

・・・・・・
6240,閑話小題 〜加山雄三とヨット −2
2018年04月14日(土)
   * 加山雄三、ヨット全焼で何を思う?
寅: 悲しいだろうにな〜
八: いや、そうでもないと思うよ。保険にかかってるかどうか、おりるかの
  問題ですよ。自分が会社整理をして綺麗サッパリと割切れたのも、万一を
  考えて保険かわりに家内名義の預金をし続けていた前提があればこそ。
大家: この一件で、もう一つや二つの歌詞とメロディーが出来てヒットでも
  すれば、不幸中の幸いになりますよ。
寅: 歳が歳だから、前のように簡単につくれないよ。でも、あの面構えから
  して、もう一艘、購入して、最期の墓場として海遊びツアーでもするさ。
  幸せな奴は、何があってもバネにして幸せになるさ。それが男だろう。
熊: まさか、万歳!と諸手を挙げられないしね。でも、本心は、誰も、いや
  自分さえ分からないからね。
八: 気力が萎えて落込むのが、一番心配だね。今頃は、中古か、サラのヨット
  の資料を探しているかだ。幸が多きい人間は、そういう考え方をするんだ。
  世の中には、それを妬む、不幸な奴がいるから、隠密裏だろうけどね。
大家: わしなんぞ、甲斐がないから妬む方の部類になるがね。それにしても、
  羨ましいよ。遊びと、仕事が、両立しているんだから。過っての印税も
  入ってくるからね。私なら、大型クルーザーに乗って、ノンビリして
  いた方が気楽で良いけどね。そんな金もないがね。
八: 私なんぞは、寝室に4k・TVを入れてね、世界各国をユーチュブの映像で、
  遊ぶくらいですよ。でも、それが面白いから、カウチポテト族そのもの。
  早速、<4k、金沢ひがし花街>で映像を楽しんだけど、実に良かった。
熊: ったく! 楽しみを二倍三倍にしてしまうんだからな〜。
八: 大家さんと同じく、老い先が短くなって来たからね。
寅: 八つぁんは、俺と熊と違って、さほど加山雄三を羨ましく思ってない
  ようだが。如何して?
大家: 好きなことの幾つかを年月かけて楽しんでいたからですよ。
  そうすると、内なる世界があって、他人の世界と比べなくなりますよ。
八: 最後の最後は、自分の行蔵しか残らないもの。金沢バスツアーをキッカケに
  20歳代半ばの行蔵が多く思いだされたしね。それと、好きな非日常を味わえ
  たしね。また桜の時節も、花見という非日常を楽しんでいるし。
大家: 人間、感情の動物だもの、そう簡単に割切れないですよ。
八: ここで至高体験の絶対量が問題になるの。彼は、それは信じられないほど
  の経験があるから、行蔵の内側は宝庫の山さ。そんなチャチなものではないよ。
熊: 人間って、不平等過ぎないか。普通、良いこと2に悪いこと1、って
  言うけど、俺の場合、真逆で、1対2の感じがするね。
八: そんなことはないね。なら鬱病で、病院通いさ。私が見る限り、2対1さ。
熊: なら普通だ。
大家: 近くに私と八つぁんが居るからさ。それと楽しみに長けている寅さんもね。
  それも、死んでしまえば、ハイ、それまでよ。何も持っては逝けないしね。 
  後期高齢者の身には、一日一日を楽しむしかないね。
八: <笑って過ごそう、ハンカチーフ!> ですか。泣いても笑っても同じ人生
  だもの。泣くも良し、笑うも良いだと、つくづく思うよ。
寅: それにしてもさ、娑婆には、つまらなそうな老人が多いね。
大家: そりゃ、生老病死の問題が色濃くなって、身体は日ごと弱って、
  周辺は次々に亡くなり、内面は穏やかじゃないよ。
八: 問題は、横の顔色ばかりみてさ、笑いものにする腐ったような奴ら…
大家: 「早く死にな!」と、思うが、あれじゃあ、当分は死なないね。陰口、
  悪口のオンパレード。私も、そう思われているし、現にそうだろうがね。
八: 今回の金沢ツアーの帰路の車内で、キミマロの漫談のDVDを流していたが、
  年寄りの悪口が、冴えわたっていたが、途中でハッとしたね。28人の参加だが、
  私が一番の御年寄り。自分の姿を笑っていることに、途中まで気づかないとは。
大家: まだ八つぁんは、私より10歳近く若いけど、80歳の峠は、それはキツイよ。
  キミマラ、いや失礼、キミマロも、年寄り弄りだったのが、自虐ネタの年齢
  に入ったためか、それはそれは、漫談ネタの毒が重苦しくなってさ。
八: そうだ、加山雄三の話に戻そう。失えばこそ、見えてくる己の人生を
  味わるのも、これも人生。どのみち、生きている内の泣き笑い。加賀百万石の
  金沢を46年ぶりに振返ってみて、その折々の「いま、ここ、わたし」と再開し、
  自虐の漫談を味わいつつ、現実に溺れつつある日常の中からドロップしながら
  日々を過ごしている自分との対話も悪いものではない。
大家: おやおや、丁度よく話を、まとめましたね。


6602,閑話小題 〜お笑い… 春うらら −2

2019年04月13日(土)

  
 お笑い、小噺ほど白けたら、これほど下らないものはない。逆に、その場に
同化してしまえば、これほど楽しい時間はない。一時期、凝った時節があり、
この分類に<お笑いコーナー>に納めてある。これはという一品に出会うことは
少ない。笑いのツボが人によって違うことが多い。 私の特技が、心の底から
笑うことが出来ること。これで何とか、人生を乗越えてきた。これは日頃の訓練
が必要となる。笑いとは喜怒哀楽の感情を豊かにする切り口になる。これは常日頃
の訓練を要する。確か、インドにツアー仲間の女性が、中東で大麻を吸った時の
状態を話していた。 腹が捩れるほど笑っている状態に似ているとか。
 笑いも、つい振り向いてしまう美人と同じ。 明るさと、下ネタとしても、
アッサリした清潔感が必要。その最低条件は、具体的な生々しさを消すこと。
  
   ― 世界一短い小噺特集 ―
1.天国の話       :「アノヨッ」
2.ほんとうにあった話  :「ジツは(実話)」
3.旅行の話       :「この度(旅)は」
4.十二支の話      :「エット(干支)」
5.ピカソの作品     :「エッ(絵)」
6.四谷怪談       :「今からユーレイ(言うでぇ)」
7.気分が良くなる話   :「そうかい」
8.テレビラジオの話   :「ホーソウかい」
9.おならの話      :「ヘェー」
10.「こんな所に魚の頭が落ちているよ」 :「アラッ」
11.「向こうから来るのは坊さんかい?」 :「ソウ」
12.「小さな鳥が落ちた」 :「コトリッ」
13.「お母ちゃんカギ落とした」     :「キィーつけや!」
14.「台所使ってもいいですか?」    :「勝手にしなさい」
15.「この野菜何と言う野菜?」     :「きくな」
 ―
  〜他にいくつか
・日本酒を飲んで、飲酒運転してるやつが突然言いました。
  ゲッ!警官(月桂冠)
・これは、ソースですか?
  そうっす!
・この椅子に座ってもいいですか?
  いいっす!
 ―
  〜 おまけ
魚屋さんの店先で、あるお客が「このイカ、タコかな」
「お客さん、イカはイカですよ」
「はい、わかってます。 このイカを炊たこかなと思って」
 ―
ある母子が、京都の都をどりを見に行きました。しばらく踊りを見ておりまして
「お母さん、あのおねえさん、まだ着物脱がないの?」
「バカね、着物なんか脱ぎませんよ」
「でも、この間、お父さんと行った時は、全部脱いだよ」
 ―
  * 笑いの真髄
 (一度書いた内容だが、私が最も好きな小噺)
ある男暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。
「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって
待っているように言われた。
その部屋で待っていると鶏が1羽投げ込まれた。
鶏姦をという事かと面白くなり鶏を追いかけまわし、やっとのことで事を成し遂げた。
1週間後また退屈になり、再びその女主人のところにやって来てまた何か面白いことが
ないかと聞いた。それでは3Fのある部屋に行くように言われた。その部屋に行くと、
数人の男が隣の黒人3人と白人女3人のスワッピングを隠れみていた。
一緒になって見ていたが、あまりに面白いので隣の男に声をかけると、
その男曰く「いや1週間前はもっと面白かった!
 馬鹿な素っ裸の男が鶏を追いかけて鶏姦をしていた。」

・・・・・・
3670, 節目どきに ー5
2011年04月13日(水)
  * 娑婆には知らないことばかり
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、
10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始
されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして
もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。
「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と
思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、
成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。
家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると
聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム
に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない
上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、
ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。
平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、
ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、
そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の
平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、
一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の
運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く
なった分、身体を動かさないと! 
・・・・・・
5872,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜6
2017年04月13日(木)
  * 30歳辺りが最大の転機というが
 ・この論の中で、人生最大の転機を「30歳」としている。
責任と権力を持ち、力量を問われる究極の時節。目の前に次々と現れ出る
難問を一つずつ解決する日々。振りかえみれば成る程、30歳は人間として、
真に独立する分岐点である。孔子は15歳で学問の道を志し、自分なり学問の
基礎を築いたのが30歳。彼も20代は、まだ学びの只中であった。
 ・高校を卒業をし、地元から大学、就職、創業と12年近く県外で携わり、
30歳直前に実家の衣料量販店にUターン。何も知らない事業を、一つずつ、
出たとこ勝負で解決をしていたが、鞘から抜身の真剣で立ち向う感覚で、
何とか切り抜ていた。 真剣なればこそ、幸運が寄り添ってくる。 
 終戦直後、両親の必死に働く背中をみて育ったこともあり、20歳で創業を
目指す志をたて、その10年後の30歳が一番の転機といえば、そうである。
血相を変えて、一日一日を熟すしか手立てはない。そして30歳代半ばで、
本番の創業に向かうことに。
 20歳の創業の決意。27歳の父親の死と千葉郊外の創業。30歳時のUターン。
34歳の独立。46歳の?。51歳時の母親の死。そこで、還暦までの9年間で、
余命30年分を濃縮して生きると決意をし、その実行。最後は、何匹かの
ブラック・スワンの到来の結果、65歳で事業清算。その歳代の基点が30歳と
すると、納得できる。私の場合、35歳でもよいが。「節目を打て」というが、
準備万端の上で打ってこそ、「予定挫折」の良い節が出来ようというもの。
背骨は幾つかの骨が節で繋がって出来ている。「背骨を立てよ」というが、
人生にとっても、問題は、その節目と、骨の鍛錬と、栄養が必要である。
18歳からの腰痛持ちで、何とか、この年齢まで辿り着いた。今は何とか週4回
のヨガで持ちこたえているが… 
 落語の御隠居と八っん熊さんの掛け合い。御隠居目線の現在の私から
見えてくる過去の姿が、まさに八っあん熊さん、そのもの。 笑えるが、
もの哀しくもある。まだ笑っていられるから、救いがあるのか?
 「無知は罪」というが、これだけは、器量で決まる。
石ころの大きさを競っても、所詮は砂利でしかないか… 当人は必死だが。
・・・・・・
4410, 夫源病と妻源病
2013年04月13日(土)
 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ
が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について
インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、
「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人
いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! 
  ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー
≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断
 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、
妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の
役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす
病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 
夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、
激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、
不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満
が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを
かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、
と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、
プチ家出をする、などがある。≫ 
▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。
 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦
の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。
また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の
「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、
団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い
の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からして
今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。
多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。
で、やはり強いのは大方は御夫人の方? 
・・・・・・
5507,恐竜と人類どっちが凄いか ー�
2016年04月13日(水)
            〜文芸春秋オピニオン。2016年の論点100〜
              〔国立科学博物館 海部洋介〕より
 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。
以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の
70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の
己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の
人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。
  * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い 
≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。
 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも
あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を
越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。
・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。
恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし
数字の大きさが全てだとは、私は思わない。
・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで
あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低〜中
緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。
・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス、
つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え
無人のオーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が
マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ
へ渡る陸橋をみつけて、無人のアメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る
と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が
植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな
ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど
の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など
様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。
・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物
がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。
衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を
開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。
・かつての世界には、ジャワ原人、フローレス原人、ネアンデルタール人など
の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは
ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。
世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない
かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。
私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫
▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に
 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する
権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。
権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代
のアメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに
包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える
仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、
以下につづく。
・・・・・・
4036, 一時停止 ー2
2012年04月13日(金)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 昼と夜  ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より
≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 
 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。
私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは
詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、
人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い
行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」
詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 
その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら
詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが
言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです
「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」
その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは
黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、
ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な
ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間
の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない
んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 
私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 
私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 
詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる
ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは
ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を
諦めているわけではないのです。」≫
▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。
 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に
なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで
いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも
夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 
夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 
詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。

  


6601,閑話小題 〜お笑い… 春うらら

2019年04月12日(金)

    * 早朝、つれづれにお笑い!
◉ フランスに逃げ帰った?ゴーンの妻が帰ってきて検察に出頭をした。 
‘これでは正にコント’と数日前に、ここで述べた。
「だから、ゴーンの身柄確保に踏み切った」検察の主張を妻自らが実証した
ことになる。それに気づき再来日してきたのだろうが… 逮捕かどうかは? 

◉ 塚田副大臣につつき、桜田五輪担当大臣が失言をして辞任をすることに… 
 この時節に、『災害対策より、候補者の勝利が先!』と本音…。これでは
首相が首を切って然るべき。 大臣として、最も顔を売れる恩恵を受ける職責。 
ここまで失態を重ねる中で、野党がこの地方選挙で大勝できないとは不甲斐ない。
今まで問題にされなかったリップサービスも、ネットで瞬時に拡散される。

 〜〜〜〜
現実社会そのまま描写するとお笑いそのものだが、他人事ではない…
 そこで小噺でも…

   〜老夫婦 (以前、紹介したが… 何か身につまされ再び)
ある田舎町で結婚50周年を迎えた老夫婦に地元の新聞社がインタビューした。
「50年間も結婚を続けてこられた秘訣は?」
すると夫が昔を振り返って懐かしそうに答えた。
「わしらは新婚旅行でメキシコへ行ったんじゃ。そしてロバを借りて二人で砂漠を
のんびりと歩き回った。すると妻の乗ったロバが急にガクンと膝を折り、妻は落ちて
しまったんじゃ。妻は『1』と言うと何事も無かったようにロバに乗り、再び散歩を
続けた。するとまたそのロバが急に膝を折ってな、妻はまた落ちてしまった。妻は
『2』と言うとまた何事も無かったようにロバに乗った。そして三度目に落とされた
とき、荷物の中からリボルバーを取りだして、ロバを撃ち殺してしまったのじゃ。
わしゃあ、びっくりしてな。いくらなんでも撃ち殺すことはなかろうと妻をひどく
叱ったんじゃ。そうしたら妻が言ったんじゃよ」
「何て?」
「『1』」 
 ―
   〜味噌汁の味
ある所に息子夫婦と舅(しゅうと)が三人で住んでいた。 一年前に他界した
姑女は、とても温和で上品な人、嫁にも優しい人であった。
が、舅の方はそれと反対に、頑固で少々意地の悪いところがあった。
かいがいしく世話をする嫁の行動に、いちいち文句をつけるのだ。
 中でも味噌汁については
舅:「婆さんとは全然味が違う、なっとらん!本当に覚えが悪い嫁だ!」
と毎日嫁を怒鳴りつける始末。 ある日、とうとう頭に来た嫁は舅に出す味噌汁
の椀に、こっそりと殺虫剤を振りかけた。 その味噌汁を一口すすった舅が一言。
舅:「これじゃよ!この味じゃよ!! 婆さんの味噌汁は!!」
 ―
    〜チュウ
 家の大掃除をしていると、一匹のネズミが走り去りました。
「キャッ、びっくりした。今のネズミ大きかったなぁ。」
「なぁに、たいしたことはないよ」「いや、大きいよ」「小さいよ」「大きい」
「小さい」「大きい」「小さい」・・・・、二人で言い争っていると、
さきほどのネズミが、「チュ-」
 
―
最後は …とっておきの("^ω^
   
   〜誰の物まね?
「誰の‘真似声’で電話をしているの?」
「うちのマネージャーっぽい真似じゃ」
       <マネジャーを雇う余裕のない事務所にて>

追:ところで、書き残こしておけば〔私にも歴史あり、過去有り!〕に。
 去年の出発の日は桜は散っていたが、今年は、これから… 平成最後の桜見だ。
 たしか同級会と重なっていた。今年も、花見を兼ねた会が開かれる通知が… 
  30分早いが、さて福島江と信濃川土手の桜見のポタリングに出発… 

・・・・・・
6238,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2
2018年04月12日(木)
   * こんにちは、わが青春の金沢へ
 日帰りの『金沢、富山コース』。国内のバスツアーは、十数年前に、、
夜行バスで行った『京都の桜観光』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主…
 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
  〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
――――
2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
   ー平家ー鉄板焼き
 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が
油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような
親父で、その話を聞いているだけでよかった。
 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。
「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴
を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。
それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
――――
5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
――――
2014/06/05
「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
   
* 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づく
か気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、
多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いもの
である。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、
大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に
いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、
抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との
東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋
で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下
を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。
ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、
「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、
「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」
と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も
考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが
青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、
「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、
創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、
人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を
自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
――――
2014/06/03
「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か
質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  
ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め
の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は
感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い
かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声
で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り
返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを
互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的と
する。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう
決まっている、その人のソフトのベースもある。
 この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、
人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付ける
こと、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に会社は強くあらねば!ということを。
人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。つまり
「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を
柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。

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