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堀井On-Line
| 6600,読書日記 〜『サピエンス全史 ―文明の構造』 −2 |
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2019年04月11日(木)
『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福 』 ユヴァル・ノア・ハラリ著 * “衝撃の書”が語る人類の未来 〜サピエンス全史/ホモ・デウス. NHK 2019 年1月1日〜 先回、この番組をみた直後、この本を図書館で借りてきた感想を書いた。 その後、録画した番組を三度見直す度に新たな認識を持つことになる。 「人類種のなかでなぜホモ・ サピエンスだけが生き残ったのか」など、人類 の歴史を独自の視点でひもといた構成。 人類250万年の歴史から、 「小麦に人類が逆に家畜化された」など独自の視点でひもといている。 ホモ・サピエンスは、AIやバイオテクノロジーにより、ホモデウス(超人類) に進化して別の存在になろうと。 とすると現在、子供が学んでいる知識は、 将来何の役に立たなくなることになる。 現在の情報革命と、それがもたらす 新しい事態は、人類の枠を超えた『生命の発生以来の40億年以来の革命』と アッサリ言ってのける。 現実社会を僅か20〜30年の間で、情報ネットが覆って しまい、支配権を奪ってしまった上に、現実を革命的に変えつつある。 10年前は、20万年来の革命」と聞いた時には眉唾に感じたが、その後の現実 からして、「40億年来の大革命」も妙に納得する。外国にいる子供たちと、 スマートフォンで、互いの顔を映し出し、生映像でやり取りする現象は、 一時代前には考えられないこと。 〜印象に残った個所を数回、抜粋する〜 <「人工知能とバイオテクノロジーで、人類は神に昇格する。 乗り遅れた人間は、格差が進み就労不能な「無用者階級」ができる 『欲望すらAIに支配される無用者階級』という強烈な事態。AI時代に 取り残された人達は「無用者階級」となり雇用不能者に…> <人間が取残されないために、一生を通して学び続けなければ、繰返し、 自分をつくりかえるしかない> <文明は「虚構」の上に成り立っている。文明が発達するほど、我々は 不幸になっていく。なぜならその文明は「虚構」の上にもたらされた からだ─。> <西ヨーロッパは近代以前、巨大な帝国の中心地だったこともなければ、 経済の中心地だったこともありませんでした。西ヨーロッパから広まって いった世界宗教もありません。ローマ帝国は、西ヨーロッパの帝国ではなく、 地中海を中心とした帝国でした。そんな後進地域だった西ヨーロッパが、 なぜ世界を支配することになったのか。 その謎を解く鍵は、 「近代科学」と「資本主義」の二つが西ヨーロッパで組み合わさったこと。 じつは「近代科学」と「資本主義」には、共通点があるのです。それは、 「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく次の未知の 領域をめざす」という考え方です。「地平線の先に何があるのかは誰も 知らない。だから探検しに行こう。そうすれば、何らかの知識を得ること ができ、その知識は自分の力になるはずだ」> <『サピエンス全史』の第四章で「ホモ・サピエンスは、あらゆる生物のうち、 最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ生物史上最も危険な種だ」と。> ― ▼ 『何ゆえ、私が「秘・異郷ツアー」をライフワークにしてきたか?』が、 事例が変われど、道理は同じく書いてある。 《 …それは、「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく 次の未知の領域をめざす」という考え方です。「地平線の先に何があるのかは 誰も知らない。だから探検しに行こう。 そうすれば、何らかの知識を得ること ができ、その知識は自分の力になるはずだ」と… 》。 これをツアーという システムを使って楽しめたのだから、ツアー御宅も悪くはなかった。それは、 何らかの知識ではない。私の小さな世界にとって膨大の知識と経験を得ること が出来る非日常の世界。何かのコマーシャルに、「思い出は金で買えない!」 のフレーズがあった。永遠の彼方に持っていけるのは、未知の領域で得た経験と 知識だけ。それをいとも簡単に現代科学はVR(バーチャルリアリティ)で 仮想化技術で… それがSF映画として、私たちの仮想体験を可能にする。 YouTubeに6畳間に65㌅の高性能のネットTVの導入事例があった。一歩部屋に 入ると、嫌な現実からトリップできる、良き事例として…。 『凄いな!』 と感心したが、『この寝室は8畳間、大して変わりはしないじゃないかい!』 17世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーが <平穏は、地下牢のなかにもある。だからといって、地下牢を暮らしやすい場所 にするだけで充分だろうか> …は、閉鎖的城下町でつくづくと思うこと! 石牢の呟き嘆きが何ともうら哀しく、時には悲鳴に聞こえてくる。時に慰めに?
・・・・・・ 6237,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 2018年04月11日(水) 昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。 地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、 早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅 への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 ・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、 ・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』 ・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。 家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの 秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、 桜の開花が一週間早まり満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。 それでも、満足できる散策。 その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、美味しかった。 「ひがし茶屋街」の散策を1時間ほどして、帰路についた。 金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。 立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、 マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、 女性専用のマンション寮が大うけで、若い女性の就職希望が殺到していた急激 な右上がりの会社で知られていた。しかし、勤めて半年もしないうちに、ドル ショックが起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る 激動の最中。社長と、ナンバー2、3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの 相談と、信頼の構築。 肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。 最悪が故に、面白いことが多かった。女子寮内に、誰か茶道に通っている人 が居ないかと聞いて、寄宿していた寮の近くの一般家庭の主婦が 教えている家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに数人、 金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通いながら、 様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでいた。金沢は外モノには優しく、 仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣いが歴然としている階級社会。 男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、男をたてる世界。 富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、金沢に… 。 当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる茶屋街が「ひがい茶屋街」 「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで集められ、現在 に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店のパンフレット 配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられない。 出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、芸子の スッピン顔だったと、今回の散策で気づいた。それでは綺麗なはずだ。 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除いて、四日市、神戸、金沢、新潟、 長岡市と、仕事で渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が 一番の粒揃いで‘粋’があった。文化面で一番、影響を受けているのが、 京都の文化である。北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、 他に、料理文化の深さ。現在はどうか知らないが、おでん屋、小料理屋、 喫茶店に味わい深い店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、 どの場面も、青春の真只中の思い出は尽きない。時代は、経済が激動の 中でも、右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。 ドップリ地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。 これを書いた20分後に、ポタリングに出発し花見をする予定。 長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。 習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ…日常の世界に 舞い戻った。一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくること になるが…
追: いま気づいたが、3年前に、以下を書いていた。 少し出来過ぎだが、こんなものか。話題の在庫が少ないだけだが。
・・・・・・ 5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月 2015年04月11日(土) * 北陸新幹線開通1ヶ月 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、 富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と 引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在 でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を 一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に 習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。 特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。 その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半 で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の 会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。 高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。 * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評 ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、 これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。 《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。 彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を “さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症” になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに 襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」 と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給 自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略) クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見 どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息 していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人 たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を 続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、 タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村 に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》 ▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、 主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、 脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!
・・・・・・ 4775,ぼんやりの時間 ー8 2014年04月11日(金) * 「懶」 ー心の余白 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが 懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。 事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を 知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、 お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。 《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の 人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。 懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎) の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?. 「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、 それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の 定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、 東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化 しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと 動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を 捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは 思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。 「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的 瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》 ▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。 それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が 似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! いや、埋めようがない!
・・・・・・ 5870,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜4 2017年04月11日(火) 昔から、「逆境には根を、順境には枝をはれ」と言われてきた。 若い時の大病、浪人暮らしなどニュートラルゾーンの七難八苦の苦労は買って でも、するだけの価値は充分ある。その空虚感は、当人には一大事だが、なれば こそ、多くのタネがみえてくる。孤独の極みが、強力な磁石に自らなることに、 ということ? ★ 第2段階……ニュートラルゾーン ≪ ニュートラルゾーンは、何かの終わりに伴うさまざまな喪失感を受け止め、 耐えるべき時期です。ニュートラルゾーンにおいて人は深刻な「空虚感」を 味わう。始まりとの間にある空白の期間であり、進むべき方向が分からず、 ただ立ち止まって逡巡しているだけに思えるが、決して後ろめたく感じる必要 はない。空虚感は、終わりまでのプロセスの自然な結果であり、実は、新しい 人生のための下地が準備される時期だからです。 だから、こうした空虚感から逃れようとじたばたせず、むしろその感覚に 素直に降伏するのです。もちろん、これはとてもつらいこと。しかし、新たな 「再生」のための「死」(過去の自分との決別)を象徴しているのが、こうした 空虚感です。この空虚感の中からこそ、新しいあなたが再び誕生するのだと考え ましょう。ブリッジズは、ニュートラルゾーンの体験を意義あるものにする ための具体的な対応を6つ示しています。 ●1.1人になれる特定の時間と場所を確保する (孤独の中でこそ、人は内なる声を聞くことができます。早起きをして散歩 する。仕事の後、落ち着けるカフェでゆっくり休むなど、一時的にでも離れて 真に 孤独になれる時間と場所を確保をする。) ●2.ニュートラルゾーンの体験の記録を付ける (ニュートラルゾーンにおいて自分の心をよぎるさまざまな 気持ちや考え、アイデアを書き留めましょう。) ●3.自叙伝を書くために、ひと休みする (自叙伝を書くことで、過去の振り返りと整理ができ、 上手に何かを終える ことができるのです。) ●4.この機会に、本当にやりたいことを見いだす (とことん自分と対話する機会です。さまざまなしがらみや固定観念や他者の 影響を切り離し、素直に自分の心に「何がしたいのか」と問い掛けてみる。 ●5.もしいま死んだら、心残りは何かを考える (ブリッジズは、自分の「死亡記事」を書いてみることを提案しています。 自己分析の練習になります。生年月日、両親、兄弟、学歴、所属、賞、 趣味、そして、最後の言葉をメモ程度でいいので書いてみます。死亡記事を 書くのはぴったりの作業です。この死亡記事から、過去の自分の人生で やりきれてないこと、本当にやりたいことが見えてくるかも。) ●6.数日間、あなたなりの通過儀礼を体験する (昔、若者は、一人前の成人として認められるために、15歳など、特定の年齢 に達すると住む村から一定期間離され、そこで何らかの試練が与えられ、 また孤独な時間を過ごす「通過儀礼」を体験させられたもの。≫ ―― ▼ 始りと終りの間のニュートラルゾーンに、「空虚」と「発芽」がある。 空虚が強いほど、「発芽」の力、新たな「心、観、学、術、体」の‘芯’が、 自ずと蓄積される。<心の芯を強固にし、その観方で、学んだ事を術に高めた 結果、それが体として具現化。> それを水面下で準備する時節が、この時節。 99%が、落込みからの諦念が、その肥しになるが、そこに自然と楽観が出る。 そうこう考えると、トランジション理論は、創造論、創業論のベースである。
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2019年04月10日(水)
* ケーシー高峰 逝く 次々、私たち世代と供に生きた芸人が亡くなっていく。寂しいが、これだけは… 正月のNHKお笑い番組で必ず出演していたが、この数年、出てこなかった。 医事漫談の第一人者として、半世紀以上も活躍。 俳優としても渋い演技で 数多くの作品を彩り、マルチタレントの草分け。 〜ネット記事によると… < 黒板やホワイトボードを使ったお色気医事漫談で知られるケーシー高峰が 8日午後、肺気腫のため入院先の福島県いわき市内の病院で死去した。85歳。 山形県出身。葬儀は近親者のみで営まれる。医事漫談の第一人者として、半世紀 以上にわたって活躍。 俳優としても渋い演技で数多くの作品を彩り、マルチ タレントの草分けだった。 軽妙洒脱な話術が持ち味。30年以上前に移り住んだ いわき市内の病院で家族らにみとられて旅立った。> ― ▼ あと二年足らずで後期高齢者の時節の、現象とは、TVの映像世界 の芸人など有名人の死を見送ることにもなる。成るほど、人は死ぬべき時には 死なないと! その死に様も、芸人らしく下ネタお笑いらしく、グラッチェと。 このところ、芸能界で松方弘樹や、渡瀬恒彦(72歳)、野際陽子(81歳)など 昭和の時代から活躍してきた芸人が亡くなったいる。 ―― * 追悼の、ネットでみつけた小噺 その1:「徳利にお酒は残ってますか?」「はい、チョコッと」 その2:「あんた背高いね」「ハイ」 その3:「隣の家に囲かこいができてんてなあ」「へー」 「隣の家に塀ができてんてなあ」「カッコイイ」 その4:「ハトが何か放こきまったで」「ふーん」 「ハトが糞かけよったで」「くっそー」 「ハトが帽子に糞かけよったで」「ハット」 その5:「お母ちゃん、パンツ破れた」「またか」 「お母ちゃん、パンツの前破れた」「玉々にして」 「お母ちゃん、ケツ破れた」「尻ません」 「お母ちゃん、ズボン下破れた」「もう、そこへステテコ」 =魚シリーズ= その6: 「今、何時や「クジラ」 「この腹の大きい魚は、何という魚や」「ニンシン」 「この魚、何ぼや?」「タラ(ただ)」 「この魚、黒いなあ」「まぐろ(真っ黒)」 「夏に食べる魚は何や」「さんま(サマー)」 「やけどした魚は」「アジッ」 「寒がりの魚は」「サメー」 「やわらかい魚は」「フニャ(鮒)」 「この魚、めずらしいな」「久しブリや」 「けんかの応援の好きな魚は」「助っ人ダラ」 その7: 「お母さん、海は何で青いの?」「空が写ってるからよ」 「じゃ、空は何で青いの?」「海が写ってるからよ」 その8:「お母さん海に潜もぐって貝を取る人、海女あまっていうけど、 海女はどうして、お母さん達だけなの?」 「お母さんはね、海(産み)の親と言うでしょう」 (だから海の字の中に、母が入ってます) その9: ある人が海に潜って、貝を取っていたところ、地元の漁師さんに 見つかりまして、叱られていました。「ここは漁業権があるんや、 あんたら誰の許可を得て、貝を取っているんや?」 「すいません、もぐりでやってました」 〜お後が宜しいようで…
・・・・・・ 6236,閑話小題 〜 「人間は血のつまった袋である」(カフカ) 2018年04月10日(火) * 寺山修司 ・語録より 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。 それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に 読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会 の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー などは特にそうだ。 〜ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。 ――――
“カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」 と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。 「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。” “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」 と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。 「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。” ― “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは 変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが 幻影の体験なのである。” ― “われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を 生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”
“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから 「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、 すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”
“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”
“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。 回帰するやつは、みんなくたばれ。”
“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を 終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は 主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”
“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を 実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だ。 …私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えること もある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」 である―というわけだ。”
―――― ▼ “昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。 それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?… …人は誰でも、現在的な存在である。…「わたしが一番きれい」だと感じるのは、 いつだって現在なのだ。” の詩が、鋭く突き刺さってくる。 老年に至ったためだろう、泥沼のように過去が、容赦なく現在の私を脅かす。 閑居は、良いことばかりではない。心の中は、快晴の時も、大嵐の時もある。 今の私にとって、「現在は、過去の影でもある」。過去と現在の対話で、何時も 圧倒するのが、過去である。年齢だろう。「老いることは無念!」と言ってた、 伯母の言葉の実感が徐々に身に染みてきた。それを寺山の詩から思い知るとは… ‘生きていればこそ’ではあるが。
・・・・・・・ 3667, 節目どきに ー2 2011年04月10日(日) 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、 ・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての 立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。 ・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より 二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。 グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。 ・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、 部屋在庫を多く持ちすぎたことである。 ・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後 10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、 「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない 人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌 という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下 のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。 この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能 汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??) に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史 に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、 客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、 ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、 建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・ どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。 ・・・・・・ 4033, シングルイン、31年間の総括 ー9 2012年04月10日(火) * つれづれに ー9割がた終了 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを 加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件 で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。 これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに 逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。 夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷 が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中 し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、 深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測 される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。 その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、 拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、 銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。 ・・・・・・ 5869,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜3 2017年04月10日(月)
計画通りに予定挫折などの自己配転を続けるには、「ウエットな心情に、 ドライな頭脳」が必要になる。本来、心は弱く、傷つきやすく、その結果、 生じるのが、離脱、アイデンティティや、方向感覚の喪失感である。 それらを克服していくプロセスで生じてくる覚醒と、信念の芯の強化が自然と 生じてくる。 「正 中心 一点 無」を想念し、問題の中心点を只管、想い 続けるしかない。 それが予定挫折としても、厳しさは同じ。 トランジションを3段階に分けた内容とは ★ 第1段階… 何かが終わる ≪ 何かが終わるとき、自分の意思で終わらせられる場合と、自分は望まない のに外部の状況や他者の影響で強制的に終了させられる場合があります。これを 仕事でいえば、前者は自己都合による退社、転職。後者は企業都合による解雇、 転勤、異動などで、慣れ親しんだ仕事、職場から無理やり離される場合です。 後者は、自分が望まない変化であることも多いため、ひどく落ち込んだり、 やる気を失う人もいるでしょう。 強制的であれ自分の意思であれ、これまで持っていた何かから離れることは、 心理的な痛みを伴うものです。うまく物事を終わらせることが容易でないのは そのためです。しかし、何かの終わりは何かの始まりでもあります。 たとえ自分が望まない終わりだとしても、新しい自分を発見する良い機会だと 考えて気持ちに折り合いを付け、過去と決別する必要があります。ブリッジ氏は、 「アンラーン(un-learn)せよ」、つまり、「過去の考え方を捨てよう!」と 提案しています。 さて、何かの終わりをうまく処置するのが難しい理由は、終わりに 直面した人のほとんどが経験する以下のような感覚があるからです。 •離脱(Disengagement) それまで慣れ親しんできた場所や人から引き離されることから生じる感覚。 •アイデンティティの喪失(Disidentification) 過去の世界とのつながりを断ち切ることで、自己定義の手段を失ってしまい、 自分は何者であるかということが分からなくなる感覚。 •覚醒(Disenchant) 自分がこれまで属していた世界に抱いていた楽観的な見方は幻にすぎないと 気付く感覚(会社や他者に裏切られた場合により強く感じるもの)。 •方向感覚の喪失(Disorientation) 今後どの方向に進むべきか、そのために何をするべきかといった目標や計画が 失われる感覚(解雇など強制的な終わりによってもたらされやすいもの)。 何かの終わりに伴う上記のような感覚からは逃げることなく、 次のニュートラルゾーンにおいて、とことん味わいつくすことが重要です。≫ ― ▼ まず直面するのが、孤立と、孤独に伴う自己喪失感。そこで必要なのが 幼児時期から、これまでの親からの愛情の温み。それと、小さな成功体験。 そして読書習慣による時空を超えた他者との触媒。一度、生身の世界から離れ、 自分の信念と、能力の棚卸をすること。特に強みと弱みを見据えること。 そこにあるのは、何の力も、魅力も、温かみのない、小さな哀れな自分。 それを直視してから、具体的に歩みを進めるしかない。過去を引きずらない ことが、最も重要なことは、周囲を見渡せば一目瞭然。捨てきれない自分が、 ここにいる。どの道、誰もが直ぐに死ぬのだから… どの道、同じですか。
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2019年04月09日(火)
<「四苦八苦の哲学」永江朗著 > * 漫画家は姿勢によって年齢を描き分ける 永江らしい厳しい言葉の羅列である。老いた自分の姿と顔を鏡で みる度に、愕然とする日々。とはいえ、老いは時間の問題で、誰の頭上にも 降り注ぐのはごく当然のこと。長生きもプラス面もマイナス面もある。長生きは 死損なった状況でもある。 ≪ ボーヴォワールは、老いについて ヒポクラテスによれば、人間が頂点に達するのが56歳と、 アリストテレスは肉体の完成が35歳。魂の完成は50歳とする。 ダンテによれば、人は45歳で老境にさしかかる。 今日の興行的社会を諦念退職させるのは一般に65最である。』 ある漫画家は姿勢によって年齢を描き分ける。これは生きる姿勢にも通じる。 更に… ボーヴォワールは 『老人は社会からみれば猶予期間の死者にすぎない。』 『ジジイよりババアと言われた方が厳しい。雌は獲物。若さが枯れた老女は…』 彼女は、ジュアンド―の言葉を紹介している。 『半世紀の間おれは20歳でありつづけた。いまやこの不当所得を 返上するときがきた。』と。 『現在において、われわれは、われわれの過去を乗越える投企によって 未来を志向する』 ≫ 著者の永江は<人間にとって、死ぬのは二人称と三人称の死かしかないが、 ところが老いは違う。三人称あり、二人称あり、一人称まである。 笑い話がある。『50年ぶりの同級会に出席したら、じいさんばあさんだった」 そう笑う自分が抜けている。 ― ▼ これを書き続けてきた御蔭で、精神の起伏は少ないが、それでも同年代の 老いを合せ鏡で見る度に、数時間としても、突如として、老境の自分に愕然 とすることが多くなった。老いそのものは時間経過の状態で、問題は、その受け 止め方。 時間経過とともに、長くなっただけ過去は重くなり、我々の未来は 短くなる。偶然だが、先日、10年後の自分が、その時節の自分の書いたテーマを 読み返しているショートショートを書いていたが、明らかに下り坂のギアダウン した状態は間違いないためか、重い気持ちになってしまったが、それが面白く もあった。そこでは、「いま、ここ、わたし」への集中、永遠の感覚が救いに なるようだが。 その永遠も妄想ですか?
・・・・・・ 6235,閑話小題 〜変じゃないかい? 2018年04月09日(月) * 不可解な? この絶妙なタイミングに… 何か不可解な事件が起きた。大統領の自宅のあるビルの火災にしては、 マスコミは騒がない。このタイミングからして、家族に対する無言の威圧になる。 〜ネット記事によると 【 トランプ米大統領の自宅があるニューヨーク中心部のトランプ タワーで 7日夕、火事が発生し男性1人が死亡した。消防士4人も負傷した。原因不明。 大統領は不在だった。火災が起きた際、トランプ氏やメラニア夫人はワシントンに 滞在中で、親族はビルにいなかった。同タワーはトランプ氏が2017年1月に 大統領に就任するまでオフィス、住居として使用。現在もトランプ氏の私邸と、 長男らが経営する不動産会社トランプ・オーガニゼーションの本社がある。 市消防局によると、原因は調査中。火が出たのは分譲住居部分で、家具などが 燃えて室内はほぼ全焼したという。火災発生時に50階(58階ビル)の窓から赤い 炎が見られ、タワー付近は大勢の人が集まって騒然となった。(2018/04/08) 】 ― 寅さん:時が時だけに、何か薄気味悪い時に、嫌な火災が起きたよな。 大家さん:だろう!人の出入りの激しいビルの中で、チェックは難しいはず。 北朝鮮からすれば、斬首作戦とか言ってるが、他人事ではないよ。 ドローンで、強力爆弾を積んで突っ込めば、それで済む話。 大たい、そんな物騒な場所に大統領になっても住み続ける方が変ですよ。 熊さん:俺だって、その位のことは常識と思うよ。どうしたのトランプちゃん。 寅さん:俺もトラだけど、俺と同レベルかいな。 NHKの番組で、解任の続く ホワイトハウスの実情を取上げていたが、共和党内も、この大統領の存在 に、苦慮していると言っていたね。あれは間違って泡沫がロシアの力を 借りて、大統領になってしまった漫画の世界だね。 大家さん:でも、無謀な政策の実行の段になると支持率が上がるということは、 やはり、アメリカの本心を、そのまま実行しているだけということですか。 八つぁん:少し話が変わるが、北がオリンピックを機会に、中国に擦り寄ったり、 韓国や、トランプ大統領と会談というけど、その前に決裂の可能性が高い。 で、このタイミングに火災だろう。ミサイルの外に、この手もあるかも? の予告ということ? とにかく、あそこは移動した方がいいね。 大家さん:時間稼ぎの手段ぐらいは、知っていて、早期に決裂するのが、トランプ 大統領の思惑さ。ロシア取引疑惑と、無能隠しに、戦争しかないもんな。 八つぁん:金ちゃん、やり過ぎだったよ。あれじゃ核戦争になっても仕方ないよ。 最悪の事態には、最悪の役者が揃うというけど、よくぞ揃った物。これは 歴史に残る迷場面ですよ。 熊さん:俺もそう思うよ。これまで、騙しっぱなしだもの北は。いくら何でも、 もうだまされないよ。で、決裂さ。 大家さん:トランプ:金対談までか、その前の、韓国大統領:金対談までは 大丈夫だろうが、やはり、緊迫した事態を注視しておかないとね。 追) 何とかなるのかな〜 本当に? あれから7年、何とかなったじゃないですか。 ―――――― 4406, 大丈夫、なんとかなるさ 2013年04月09日(火) * よい先生、わるい先生 ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは 思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、 ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から 二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。 ≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問 したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。 独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校 で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の 仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」 と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。 「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」 を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも 変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。 「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫ ▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に 残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳 ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを 書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、 「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の 子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。 「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。 とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! ・・・・・・ 5503,エヴェレスト 神々の山嶺 ―映画感想 2016年04月09日(土) 「山岳遭難もの」は、苦手だが、『映画道』という言葉があるなら、 この『エヴェレスト 神々の山嶺』を避けてはなるまいと、シネマの日も あって、昨日の昼ごろ、心を奮い立てみてきたが、これが思いのほか、面白い。 私の邦画の評価で95点は上の上。 人間の極限状況は、そのまま、人生道 にも通じるところがある。 〜まずは、内容紹介より 《 日本のエヴェレスト遠征チームに参加していたカメラマンの深町誠は、 滑落事故で仲間を失い、登頂は中止になってしまう。 行き場を失い、ネパールの首都・カトマンズを彷徨っている中、骨董屋で ある古いカメラを発見する。それは、1924年6月8日、エヴェレスト登頂に挑み ながらも行方不明となったイギリスの登山家ジョージ・マロニーのカメラと 思われるものだった。 マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかと いう登攀史上最大の謎に魅せられた深町は、証拠となるカメラを追い、 一人の男に辿り着く。消息不明だった伝説のクライマー、羽生(はぶ)丈二。 彼はなぜ日本から姿を消したのか?その男がなぜカトマンズにいるのか? 「天才クライマー」と呼ばれながら、無謀で他人を顧みない彼の孤立した 過去を調べるうちに、深町はその生き様にのみ込まれていく。そして、羽生に 人生を翻弄されながらも、彼を愛し続ける女性・涼子と出会う・・・。 二人の男と、一人の女。それぞれの想いが交錯する中、己の人生を賭け、 世界最高峰の“神々の領域”へと足を踏み入れる男たちの挑戦が始まるーー。 岡田准一、阿部寛、尾野真千子、》 〜登山家の[羽生丈二]の言葉が良い。 ――
足が動かなければ手であるけ てがうごかなければゆびでいけ ゆびがうごかなければ 歯で雪をゆきをかみながらあるけ はもだめなら 目であるけ 目でゆけ 目でゆくんだ めでにらみつけながらゆけ めでもだめだったら それでもなんでもかんでも どうしようもなくなったら ほんとうにほんとうに ほんとうのほんとうの どうしようもなくなったら もうほんとうに こんかぎり あるこうとしても だめだったら
思え ありったけの こころで思え
―想え。 [羽生丈二] ――
そこに山があるからじゃない。ここにおれがいるからだ。 ここにおれがいるから、山に登るんだよ。 [羽生丈二] ―― ▼ 魂から絞り出た言葉が、これか、と思わせる内容。お勧めである。 ・・・・・・ 5138,閑話小題 〜二人の旅路 2015年04月09日(木) 前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集 『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から ≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫ 〜ネットに、心のこもった投稿があった〜 《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、 枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。 父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の 中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制 送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、 柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の 貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。 しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も 許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省 に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を 期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇 仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、 2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。 もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、 柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府 の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は 亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。 2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は 遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、 哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》 ▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。 その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。 それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。
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2019年04月08日(月)
* コントのような 人生をふり返えみると、自問自答を繰り返えす、正しくコント。 無知の知で、この程度の自分を笑えるだけ助かっている… コントと思えば 何ごとも許容できようというもの。 ・再度、逮捕された日産のゴーン容疑者の妻が、夫逮捕の翌日、没収された パスポート以外の他国籍パスポートで国外脱出をした。これはゴーン自身に とって極めて不利。再度の逮捕の正当性を妻が肯定したことになる。 それを知ってか知らずか? これってコント? ・地元出身の副大臣の御粗末な本音の「忖度発言」。自民党にとって極めて 甚大な失言になる。権力を持つ者の驕りが集約されている。安倍首相の忖度 問題が沈静してきたのに、この時期に寄りによって… リップサービスと いう言訳がコントそのもの。「また地元出身かよ」が自然と出てくる。 ・地元の県議選、談合疑惑で棄権かどうか迷った末に、野党の候補者に批判票 として投票。それでも当人はトップ当選ともなれば、何をか言わん… 支持者の 忖度があったということ? ここは城下町長岡。この程度では落選はない。
* 庭の梅の木に鶯が連日… 庭の梅の木の花が満開で、このところ連日、鶯がやってきて「ほ〜ほけきょ」 と声高らかに鳴いている。全身が黒目で鶯色が混ざった小型の大きさ。絵に なっている。何故か何時もカラスの鳴き声の直後に、飛び出していく。 この咲き具合だと梅の実が大量に穫れる。そして、梅の隣の桜、次が藤の開花に。 植えた両親は亡くなっても、花は、その時節に咲く。家庭とは家+庭の佇まいを いう。家主が替わっても、そこの草木は育ち続け、花咲き、野鳥を受入れる。 梅も、桜も、藤も、老木?になったが、毎年、この時節に忠実に開花する、 4月上旬の春の息吹きが何とも嬉しい。そして、平成が春と共に終わる。。
・・・・・・ 4772,ぼんやりの時間 ー5 2014年04月08日(火) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * 「独」―独りでいること ーぼんやり道 「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、 死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が 無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。 ー以下の部分に納得するー 《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば 「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、 群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」 が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、 心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという 気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。 「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに 過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか 何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを 分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」 というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。 「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」 ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは かなり重なっている、と私は思う。・・(略) 「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら 飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画 のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、 あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。 ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・ リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、 重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて 重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ 湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家は 作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。 謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》 ▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、 完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、 孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、 急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。 この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が 混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して 楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって いくこと。とすると!
・・・・・・ 6234,閑話小題 〜ストーカーについて 2018年04月08日(日) * ストーカーの特徴とは 最近、元アイドルにつきまとっていたタクシードライバーが逮捕された。 相手にされず逆恨みによるストーカーによる殺人事件も定期的に起こっている。 そこでストーカー研究者が上げる特徴を調べると… ・他人をコントロールしたがる(支配的な趣向) 自らの言動を他人のせいにする(責任を持てない) 社会的に孤立しやすい(社会への適応能力がない) の三つの性格を持つ。 ・自分をつねに周りの被害者(犠牲者)と感じている ・日常的に嘘をつき騙すことが得意 ・怒りをともなう愛情を持つ ・権利を主張したがり、他人への要求が多い ・拒絶を受け入れることが出来ない ・他人がいなくては自己を確立できない(依存心が高く、自立心がない) ・標準的か、もしくはそれ以上の高い知性を持つ 思い込みの激しい、唯我独尊の人で、まず浮かんだのが、刑事モノTV ドラマ『相棒』の陣川公平、その人物像は、 【警視庁捜査一課の経理担当。階級は警部補。大阪府寝屋川市出身。 刑事を目指して部屋中指名手配犯の写真を張り巡らしているが、思い込みの 激しい性格のため、二度も誤認逮捕を起こして、一度特命係に左遷される。 すぐ捜査一課に復帰し、その後も度々登場するが、思い込みが激しく人の話を 聞かないキャラクターにどんどん拍車がかかって、あちこちの事件に首を 突っ込んではひと騒動起こしている。良くも悪くもお人好しなので、呆れられ つつも人物評自体は悪くないが、その性格を利用される事も少ない無い。 思い込みが激しいために失敗が多いが、冷静に全体を俯瞰すると先の事を考え 行動出来る漢らしさを持っており、当て馬となって他人の恋を援助したり、 下記では杉下を先んじた事がある。】 とある。このタレントの演技が抜群。 <日常的に嘘をつき騙すことが得意>以外は、そのままストーカー・キャラ。
この幾つかの要素は、誰にもあるのだろうが… それが好意のある異性に 集中し暴走し、つきまとうとストーカーになる。4人の姉たちの薫陶と生身を 見ていた御蔭で、冷静でいられたが、巷には相性の良さそうな理想に近い女性 は思いの外、多い。数多の人を観てきた中で、この特徴を備えた人の顔が思い 浮かんできた。己が作り上げた虚構の世界に支配され、それが特定の女性に 向かった結果だが。被害者は恐ろしい限り。こういう人を「内省的」という より、「内向的」、いや造語で、「内性的」というのだろう。 片想いなら誰もするが、それが発展して粘着し捻じれた結果だろうか。 元の連合いに、執着し発展するのもあるそうな! …で、図書館で、 『ストーカー加害者〜 私から、逃げて下さい』を借りてきた。 この本のサブタイトルで、粘着型、求愛型、一方型の分類が理解しやすい。 それぞれの好みがあって社会は成立している。その拗れた行為を言う。 当人曰く「隙だらけ!」というが。付いている機能は同じと考え及ばないから、 やはり無知の成せる業。何の世界は、男も大変だが、女は、もっと大変だ!
・・・・・・ 5137,閑話小題 〜定年・夫婦で走った40日 2015年04月08日(水) * 定年・夫婦で走った40日 昨日のアーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容。 平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、 今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店 の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。 48台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。 〜まず、NHKの番組案内より ≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた 中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。 伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の 心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫ ▼ 47人の平均年齢が67歳、年齢は50〜70歳半ばまで。 とすると、私と家内の平均と同じ。それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を 振返り、語り合う。それまでの子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、 向き合うことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。 二人参加の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽? されていたトラブルが、圧縮された移動空間で、噴火する。だから、成田離婚の 悲喜劇が起こる。ツアーで、百回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の 10回以上は今までなかった。多くて7〜8回。 24組の参加者で、一組の 脱落者が出なかったことに驚かされた。夫が『二度、殺したくなった』に、 妻が『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。 ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。 「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。 ・・・・・・・ 3665, 関係性が問題 2011年04月08日(金) カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の 問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという 問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの 立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、 そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の 組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・) 色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた 立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦 関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好 になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。 ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。 その結び目が関係性である。 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー 【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、 そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」 2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。 「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」 3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」 「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」 5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」 ▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。
・・・・・・・ 5867,閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合 −2 2017年04月08日(土) * 大蔵直轄統治の大光は ・数日前になるが、地銀の第四と北越銀行頭取の合併に関する 記者会見が TVニュースで流れていた。気のせいか、第四頭取は明るく、北越の頭取は 下向き加減の暗い顔をしていたような? しかし、健全な経営体質なら、 前向きの統合策として評価されて然るべき決断。で、残る大光は、地勢上から 他県の有力な地銀との連合が筋道なるが… 考えてみれば、今まで動きが 無かったのが不思議。デフレと、首都圏一極化と、情報化による地方経済の 疲弊は、直接、金融機関の劣化に正比例する。20数行あった都市銀行は三行 まで激減した中で、地銀以下の集約は無かった方が不自然であった。 銀行の本質は職業柄、高利貸しの悪質の特性をも持つ。力の有る者に媚り、 弱者から利益を毟り取る。世界最大規模を誇る柏崎・刈羽原発の再開が見込め ない現在、地元経済の劣化は進む中で、締め付けは厳しくなる一方。それが 銀行憎しのガスを充満をしている。その最中のリストラの号砲一発。その弱肉 強食の現実が、世間とかいう人食いネズミ群の絶好の餌食?になっていく。 立場が一転、弱者の「こんなはずではなかった」へ、文字通りに立つ。 ・バブル崩壊後、大手地銀自ら格下げをした「リソナ銀行」?が、バランス からしてよい?…云々が、連想創作の「天の声」として1人歩きをしそうな。 長岡市内の4行のうち、二行が統合なら、残り二行の統合案も奇抜でない。 しかし、天領と、大波で削ぎ落とされた体質の銀行では、体質が違い過ぎる。 ちなみに次男の嫁さんと、両親がリソナ母体?の一つの旧埼玉銀行の出身。 また兄嫁が大手銀行出身。更に家内の妹が、一度退社後の子育てを終えた頃、 元上司に請われ、地銀のパートを20年続けている。 ・大蔵官僚として、天領の天下り先の地銀の『頭取』の座は残したいが、 問題は単独のリストラ能力の有無。直轄統治でも無理、と思うのは、官僚役人 の力を知らないから? このようなコンニャク政経談議。 今後、材料は 絶えることはない… 状況は条件の意味に近い。城下町小唄の世界にドップリ 浸かってしまった私。「事前の一策は、事後の百策に勝る」という。 この時節が、先手かどうか。以下の「一切は、君の自由だ」に、無理があるが、 文脈としてつながる。 「未来の健全のために、ご自由に、どうぞ!
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| 6596,閑話小題 〜即席・ショートショート −2 |
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2019年04月07日(日)
* 10年後の「技術的特異論者」の呟き ≪ 今から十年前の、この随想日記を紹介しよう。でも、83歳まで生きて いようとは思わなかった。成るほど「死にぞこない」である。しかし、 生死の際なればこそ、情報機器の進化の御蔭で、技術的特異の現象を味合う ことができた。 10年前の、この文章を読もうと思ってもみなかった。 一年近く前に1万テーマを書上げた。これらの内容を同月同日に読返すことで、 脳の活性化が出来ていた。老いるとは、老いという病気が重症化を していくことでもあった。 じゃあ、生きていて良かったかと言われれば、 「実に良かった」のが現実。世界は日々変わっていく。10年前に、 「技術的特異点」が2045年と言われていたが、既に、到達してしまった。 今では世界は、AIの判断を最大限に徴用する風潮になっている。そうするしか ないもの、正しいのだから。身体は老化で動きにくいけどね、小さなロボット に、これまで書いた随想日記をインプットすると、その時の気分に応じて、 呼出してきて、その関連映像を、自動的にゴーグルに360度の視界に呼出して くれる。嗅覚、味覚も、脳の神経を刺激することで再現できるとは… 自分の過去も、例えば20歳の1966年の映像が、瞬時に次つぎと現れる。 それは、10年前でも可能だったけどね。 当時、ドローンって有っただろう。 あれがAI化して進化して、配送の世界を激変させたの。自動車のAI化の技術が、 様ざまな分野に応用されてね。何でも自動化されて、人間を駆除したしまって。 通貨も今では、多くはネット決済。仮想通貨も当り前だもの。無用階級の 人たちが殆ど。何もできない… 誰の責任でもない。生まれが悪かっただけ。 当時、生命誕生から40億年来の革命って書いていたでしょ。まったく、その とおりになってね。 情報化って、何もかもが、直に評価され晒される。 この時代、物語化する能力が重要になってね。 何とか、それで昔を語っている から、娑婆?に繋がってるし。 ≫ ― ▼ 即席のショートショートだが、10年後の視点からの独り語りは疲れる。 8割かたは生きていないだろうが、死損なって、読返したら何と思うか。 以前、みた映画 「LUCY/ルーシー 脳が覚醒した女 」を想いだした。 【 ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、台北のホテルでマフィアの 闇取引に巻き込まれてしまう。マフィアは人間の体内にある物質を埋め込み、 その人間を海外に送り出すことで物質の密輸を行おうとしていたが、ルーシー の体の中でその物質が漏れ出すアクシデントが発生。その影響により、普通の 人間なら全体の10%しか機能していない脳の機能が、徐々に覚醒していく。 脳の覚醒率が上がるに従い、超人的な力が解放されていくルーシーは、自分と 同じような人間を二度と生み出さないためにも、マフィアの計画を阻止するため に動き始める。 …覚醒度が進んだルーシーは、他人の肉体、磁波、電波の制御 が可能になり、量子物理学、応用数学を含めた膨大な知識を脳にインプットし、 細胞核の無限の可能性を体感するようになります。】 恐らく、このままの生活習慣を10年間も続け、情報機器の進化に馴化すると、 ヒロインのルーシーの数十分の一まででないとしても、脳力は、現在と比べて 数倍、数十倍にアップするのでは? それが世界中の人々ともなると… 考え合わせると、人類の、そう遠くない未来に悲観的になる。 <アッラーの御望みで、一度、清算を…>などと考える輩が出てくる可能性が。
・・・・・・ 6233,閑話小題 〜「人は成熟するにつれて若くなる」 2018年04月07日(土) 『人は成熟するにつれて若くなる』ヘルマン・ヘッセ (著), * 成熟は、若さを誘う <「わがままこそ最高の美徳」>と同様、Amazon内検索で見つけたヘッセの本。 還暦、古希を過ぎて暫く経つが、肉体の劣ろいは感じても、気持ちは40、50歳時 と殆ど変わってない。後先が少ないためだろうが、好奇心だけは、ますます冴え わたっている。老化で「バカの壁」が薄れてきたためだろう。私としては、 「成熟のため!」と思いたいが、如何考えても思い当たる節がない。 以下のヘッセの言葉は、鋭く私に問いかける。 ―― <☆は、思い立ったこと> ≪・<老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじ ように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ。> ・<老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも 知っている。私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。 私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない。> ☆ 生贄ですか、あれが生贄… 。
・<六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの 心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たち を見つめるのである。いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり 変わってしまった家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。 そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、私たちは 鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。> ☆ 最近、故人も、現に生きている人も、同列に思えるようになってきた。
・<見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練と なって、気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。 望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうである ように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、 期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。 ―そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から 逃れて『ヴィータ・コンテムプラティーヴァ』、すなわち『静観の生活』に 到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆する。> ☆ この過去文を読んで、毎日、実感している。
・< 若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、 私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、 私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあったこと を思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年を とってそのような年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり辛抱強くなったと考えよう。> ☆ 上杉鷹山の言葉といわれる【 子ども叱るな来た道だもの年寄り笑うな 行く道だもの来た道 行く道 二人旅これから通る今日の道通り直しのできぬ道】 が思い浮かんできた。 人生の何れかの途上で世界をみている。そうこう言って いるうちにゲームオーバー、プッツン! そう簡単に死なせてくれないか?
― ▼ 老い先短くなると、寺山修司の<ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない> の言葉が空虚に聞こえてくる。 <ふりむけ ふりむけ 先には時間がない> になる。だから、焦り、苛立つ老人が徘徊する。その一人ですか? 女子供に近づくな!というが、あと、老人を加えた方がいい。耄碌とは呆けに 妄想が加わるから恐ろしい。その世界に一歩も、二歩も、踏み込んでしまった。
・・・・・・ 4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4 2013年04月07日(日) * 第三時限 いい加減にしなさい ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に 感じているのは私だけでないだろう。御隠居は日々この感慨を持ちながら 人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。 隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を 迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー ≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な 要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、 一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて しまったほうがいい、というふうに。 赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。 天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、 新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。 老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、 その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。 でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。 赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。 天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」 をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、 ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は 違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫ ▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを 与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、 頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、 過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に 毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。 それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。 「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。 ・・・・・・ 4771,ぼんやりの時間 ー4 2014年04月07日(月) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * 「ぼんやり」と響き合う一文字 ー� 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。 そして、以下の5文字がよい。その最初が闇とは・・ 闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子に なっている状態なのか。 その5文字は 1、「闇」―蛍と星とダークマター 2、「独」―独りでいること 3、「閑」―逆茂木に囲まれて 4、「怠」―「1日4時間労働」の夢 5、「懶」―心の余白 である。 ☆ まずは「闇」から 《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れて しまったのか、恋人が見つけられず、そうやってふらふらしていたのか、 いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守って いるうちに、蛍の光はふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまった のかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・ 崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、 一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。蛍の光とは違って、星の光は ずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙では やはり闇が主役なのだという思いがわいた。ごく感覚的にいえば、 銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの 視界に入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはず。 花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、真の闇を失えぱ、花火は いくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を 放つことの意味が出てくる。夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 ・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、 緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みを つくっているのに大切な役割を果たしているはずと思っている。・・ 》 ▼ ここで、宇宙を支配しているダークマター、ダークエネルギーを引合に だし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその エネルギーとして、考えると 闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。 そうである、もっともっとボ〜っとするべきである。 ・・・・・・ 4030, 一時停止 ー谷川俊太郎ー自選散文 2012年04月07日(土) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や 特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。 谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を 読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた 文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。 * 「青年という獣」1957年 ーより ≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活 するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は 少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると 危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに 抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。 一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり 得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。 人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての 夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を 喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。 倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、 青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。 彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。 彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。 死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、 コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、 コスモスと戦った。 ≫ ▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。 それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって 青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ 彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を 果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的 になる。獣にならなくては創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者に なっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 本当の生活者になるのは、これから。
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| 6595,閑話小題 〜つれづれに哲学 〜考えましょうよ |
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2019年04月06日(土)
* 一番の重労働は、「考える」ということ! ブルームバーグの言葉… <考えるということは、あらゆる作業の中で一番の重労働なのですが、そこを 省いてしまう人が多い。そこを楽にしようとしても、何も手に入らない。> 何ごとも、利益の源泉となるのは、肉体的な労働で汗をかくことでなく、物事を 効率化できる仕組みや方法を考えること。 その為には、まずは絶対量の読書 の確保から、その質を高める生活習慣が必要となる。それを確保するために、 早朝の多くが寝入っている時間帯と、移動時間などの豆(隙間)時間の活用から 始めることが第一歩。人は経験と、触媒の範囲からしか、考えることはできない。 烏合の衆的集まりとの触媒は、「独りに徹して考える重労働」を放棄した人の 群れのため、表面的付き合いに陥ってしまう傾向が強い。「哲学とは、考える ことを考える学問分野。 早々に、ベースに組込んでおく必要がある。 世間話だけで生きている9割方の一員として、些細な世事の判事、検事、弁護士、 時には被告、訴追者になり、それしか知らない世界で、現実の世界に溺れた 土左衛門として生涯を過ごす。昨日録画をしてあったギャング映画で、 殺し屋の呟きが強烈であった。 大雑把だが… <黙っている奴に気をつけろ、奴らが何を観察しているか、何処に注意を向けて いるか、何を考えているかに全神経をはる訓練をすること。そして黙ること! 沈黙、孤独、目立たないこと。いざ、行動の前に、考えて考えて考えること。 そして一度、決定したら怒涛の如く実行することさ。それ以上に、断念の決断も。> 考えることを、「働き」「遊び」「学び」の何処に重心を置くか、その三位一体 とみるか。まあ、考え過ぎて、捩じれた己が脳も問題もあるが、考えないのは? たしかに、「考えるのは重労働」。 でも、面白くして軽減することは可能。 「バカな考え、休むに似たり」があるが… 「バカ考え」を考えている内に 己がバカに気づくだろうから、考えないより、まだマシ? いや、その分、 他を楽しめるはずだから、ボーッとした方が、周囲の迷惑にならない? 後記: これまた偶然だが、以下の内容が、丁度、脈絡として続く。 ふと見ると、昨日、図書館で借りてきた本が 『人生の9割は逃げていい。』井口晃著 があった。次回のテーマ?
―――― 6232,閑話小題 〜逃げろ、生きろ 2018年04月06日(金) <「群れるな」寺山修二著> * 逃げろ、生きろー 『旅の詩集』より 強烈なインパクトのある文章である。 誰の心の奥底には、生命が進化してきた過程に、あるいは、「若気の至り」 による原罪が隠されている。その「若気の至り」の儀礼通過をしてない人間を 私は信じないと下ネタ女流作家の言葉があって。 寺山は、アメリカで、これを 目にして、逃げた奴隷は、今でも逃げ続けているのだろう、そして「逃げろ、 生きろ」と思ったと… ≪ アメリカへ行ったときの話をしよう。私はケンタッキーの旧家に民宿し、 チャーチル・タウンで行われるケンタッキー・ダービーの開催日を待っていた。 夜中に停電があって、庭では犬が吠えていた。女主人はもう九十歳を過ぎていた ので、私がかわって、地下室にある配電盤をたしかめにゆくことになり、燭台を もって石の階段を下りていった。私はそこで、思いがけぬものを見出したのだった。 「逃げたわが家の奴隷をさがしています 懸賞金つきです」 それは卒業証書か何かのように、額に入っていたが、中には一人の黒人の写真が 入っているのだった。写真の中で、黒人は笑っていた。私には、この埃をかむった 古い手配書がどんなドラマを秘めているのかよくわからなかった。 おそらく、事件の核心にふれるためには「アメリカの歴史」にまでかかわって いかねばならないことだろう。 しかし、逃げていった一人の黒人は、(百年の時の経過を超えて)いまでも、 まだ、シカゴかマンハッタンのハーレムにかくれているのではないか、という 気がした。かくれている黒人は、ときどき、このケンタッキーの家のことを思い 出すこともあるだろう。夏に咲く花のことや、喘息病みの女主人のこと。 そして、一度逃げはじめたものにとっては「逃げる」ことが生きることになり、 どんな充たされた場所や条件を与えられたとしても、定住すること自体が桎梏 であるということに気づき、「永久逃亡」のほかに、生きるすべがないという ことを悟るのである。≫
― ▼ 昔みた重い夢の話をしよう。私が、強姦をして山の中に埋めた殺人者本人に なって逃亡している夢である。前もっていうが、〈男の多くが、この類の夢を みている〉ことを、あるフロイト系の本で知ったが、当時は全く知らなかった。 その夢が連続したドラマになって、毎晩のように続いていたことがあった。 そう、アメリカのTv連続ドラマ『逃亡者』があった。それもあって、この内容に 異様に反応したのだろう。私は引き際は心得ている。これが私の特徴でもある。 7年前も! その30年数年前も然り。昔みた夢の殺人犯が、自分自身の心底に ある原罪である。 良くいえば、自己配転、予定挫折。悪くいえば、「逃走」 になる決断。それに対峙する私に、「逃げろ、生きろ!」と、絶叫する誰か! 「永久逃亡」しか、生きるすべがないのが人間。若い時、勤務先の老いた夜勤の (太平洋戦争の生残りのパイロットだったという)オジサンに言われた一言。 「黒い影が見受けられるが、何に追われているの?」。 今から思うと、 「自分の理想の影」。青雲の影である。今でも、逃げ回っているのだろう。 無知蒙昧のバカの影である。面白いのが、他者の陰影の重なり。殺人逃亡犯が、 逮捕をされ、監獄で大イビキを書き、寝入っている日々? ここで、「捨てる」ー『書を捨てよ、町へ出よう』に対する某・書評が良い! 【 一つの時代に、詩人がいた。その詩人は、ライスカレーの幸福に安逸する サラリーマンに嘆息し、生活を極貧の底に落とす程に全てを捧げてでも マセラティ(イタ車)を買えと、平均を逸した極点を持てと言った。詩作も、 競馬も、自殺も、その手段だ。時代を捉える言葉がある。社会評論家が語る 無味乾燥な「分析」ではなく、例えば文学の中にポロッと出て来る、その時代に おける「いま、ここ」を捉える言葉。それはもちろん、僕たちの「いま、ここ」 ではない。しかしご存知の通り、そのかつての「いま、ここ」は、時に千年の時 をも耐えて語り継がれることもある。】
・・・・・・ 4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3 2013年04月06日(土) 『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』天野祐吉、お相手 * 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師 ー人生二毛作の進めー 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう 作物を二度栽培すること。二期作は同じ作物を二度栽培をすること。 人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変える ことは無理。ならば移住するか、その土壌に合った新しい作物を長年かけて 用意しておかなければならない。 ーその辺りを抜粋するー ≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきた サラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、いっぺんひっくり 返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生 は自分が自分の大将になり、自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。 そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。 天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな 隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと思っているんですよ。 ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませて もらいました。二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を 二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲をつくったら、 二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目の ようなものであって、前半の人生と同じものをつくったんじゃ面白みがないと。 外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね 逆になります。そもそも、前半で立てた志というのは、学校出て就職したら ある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。わたし自身も そうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても 成長しているような気になって、それでは本当に生きてきたといえるかどうか。 天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作と いうのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、 嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・ 世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目 をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こう としがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたし もね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の 勤め先を定年退職後、もう一度別の学校に勤めに出たが、がよくなかった。≫ ▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。 転進すべき節目時に決断している。情報を持っていたのである。逆に一毛作 でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、 それもご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。 死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ! ・・・・・・ 5500,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜�� 2016年04月06日(水) 『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より * 70歳代、特に後半は、すざましい! 「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の 同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、 「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。 後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代 とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 〜その辺りから〜 ≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。 すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて 弱っていく年代、とでもいおうか。 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、 強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。 あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、 老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、 そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、 とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、 動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、 激しい恋に溺れたり。 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。 そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。 賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、 狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに 妙味に富み、面白いものですよ。 ≫ ▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。) に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。 その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。 我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。 残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。 「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら? 考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に? バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ』 を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。 「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。 それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された 時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの 人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。 ・・・・・・ 4770,ぼんやりの時間 ー3 2014年04月06日(日) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男(著) * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間 次の問いかけー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 まずはーアマゾンのレビューよりー 《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」 を大切にする少女だ。・・ エンデの作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」 が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。むだだと思われる時間を奪われた 人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている 時間はそれこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。 むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。灰色の紳士たち、つまり 時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を 『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて 灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。いわば詐欺そのものなの だが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、 自分たちの生活を貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやって きた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の一角に住まわせて もらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら 聴くのが好きだった。モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな 時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、モモがモモらしく 生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは 「荘厳なしずけさ」を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つ ことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちのインチキを見破る ことが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと 仰ぐ習性からしだいに遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピード とか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を眺めるなんて 無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなこと なのか。そういうむだがあるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになって いるのではないかとエンデは問いかける。》 ▼「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った 偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。国内に不安を押し付け、さほど多く ない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。 その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学など の言葉は詐欺工学と言い換えてよい。おちおちしていると全てを失ってしまう。 豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。 その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。 だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやりしてないで、有効に使うか? その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態では ないか。『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした 時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。
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2019年04月05日(金)
春の甲子園の高校野球は、愛知県の東邦高校が優勝。 石川という投手が一番の殊勲者。 平成元年に父親が当時の一員で優勝。 平成の最終年に息子が優勝した親子鷹。念じただけでは出来ようもない。 そこに信念の力が必要。人生を物語化して生きた親子の物語が、現実にあった。
日産のゴーンが再び逮捕。一度、逮捕された人が再度、逮捕されるのは 異例中の異例。記者会見を予定するなど明らかに挑発的態度のためか? 検察も元は役人。欧米が牛耳る世界で、よくぞ踏ん張るもの。それも日産の 内部リークがあればこそ。この物語は、まだ序盤。まだまだ… 極東、日本の東京の留置場で、ゴーン様、何を考えている? 所業からみて、 よほど見下していたのか。
再び県内出身の副大臣が、失言で失脚直前。こともあろうに、 『公共事業の推進を、麻生副総理に「忖度した」』と口を滑らせた塚田一郎 国土交通副大臣。その瞬間、この男の政治生命を自ら断ったことになる。 地元の星野県議も。秘書の忖度行為で逮捕されて然るべき状況?だが… 選挙後ということ? さもなければ長岡的談合? これでも当選するのが 長岡の長岡たる由縁の濃厚なシガラミか。 さて、この状況でどう判断? 当選すれば、この異様な城下町体質を晒すことに。それも必要なら… で投票、如何しよう? 今後の『何』を考えて、何せ自分を『地元便利屋』 が売りの、やはり星野先生ですか。リバラル派ってのは何の役にも立たないし。 地元密着の県議の、こういう人物こそ、あるべき姿ですか。 中越地区の中核都市の長岡は、何やら厳しい激風が吹き荒んでいる。そこに、 前県知事の少女買春とか、塚田代議士などの政治家の質の問題が。上は首都圏、 下は新潟市のストロー効果と、柏崎・刈羽原発の休止問題が重なっている。 厳しいが、そこが雪国の県民性。何とかなるでしょう。 これらを他人事で済まされる年金生活者は気楽な稼業。所詮は、無用階級者 の戯言。 自虐的自己対話で何とか息をしている日々ですか、 後記: いいな〜、以下の断章! ・・・・・・ 6231,閑話小題 〜遊びについての断章 2018年04月05日(木) <「群れるな」寺山修二著>
昨日、「加山雄三とヨット」のテーマで、遊びについて書いたが、手元に 図書館から借りて積上げてある10冊の本の中に、『遊びについての断章』が あった。これまで「遊び」について繰返しテーマにしてきた。 「遊べるうちに遊んできなさい! 直、泣くときが来るんだから!」と 諭され、数十年が経つ。確かに切ない場面が多々、あったが、その数倍、 数十倍、楽しいことがあったのが実感。遊びの価値を両親の後ろ姿に 学んだことに加え、学生時代に味わっていたこともある。 * 『遊びについての断章』 ー人生は遊びながら年老いて行く― ‘JRA’のCMのために書いた原稿。 実際に使われたものはこれからの抜粋である。 このCMのなかでの寺山は得意の肩かけコートで町をあるき、府中のスタンドを バックにたたずむ。その後ろであの独特の語り口でこの断片を朗読していた。 ――
かもめは飛びながら歌をおぼえ 人生は遊びながら年老いてゆく * 遊びはもうひとつの人生である そこにはめぐり逢いも別れもある 人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、 そしてあることを捨てる * 人はだれでも 遊びという名の劇場をもつことができる 悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる * ぼくは人力飛行にあこがれていました 飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした ぼくあ大空を見あげて思いました プライバシーなんかいらない フライバシーがほしい、と 遊ぶことは 冒険することであり、 ためすことであり、知ることだったのです ぼくは「運の悪い女」がきらいです なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです 遊びは、不運な人たちにも 「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです だからぼくは、いつでも自分に掛ける * どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、 ツキがまわってくるんです はじめて競馬場へ行ったとき はじめて玉突きを覚えたとき はじめて女を口説いたとき だからぼくは 皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです 政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる そういうもんじゃないのかな、遊びなんて * 人生が終わると、遊びも終わってしまう しかし、遊びが終わっても人生は終わらない 遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる 出会いと別れのくり返し そこが遊びのいいところなんだね * 人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある 「誰が故郷を思わざる」なんて唄は 競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか * 人生が、いつばん安上がりの遊びである 死が、いちばん高くつく遊びである * 遊びは、人生の時刻表である 人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ 人生は汽車である 旅をしながら年老いてゆく * 遊びは不幸な人間の第二の人生である 遊びは不幸な人間の第二の魂である * 人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる それは遊びである ドストエフスキーは言っている 「一杯の茶のために、世界など滅びていい」 * 夢の中で無くしたものを 目がさめてからさがしたって見つかる訳はない 現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない 人は誰でも二つの人生をもつことができる 遊びは、そのことを教えてくれるのです
― ▼ 個人のHP内の検索で調べると、次々と出てきた。 まあ真面目に遊びながら書いだこと。
―――― 2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」 2008年08月14日(木) −読書日記− ー遊びをせんと生まれけむー 亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、 口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。 美に感応する心である。 ・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、 絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。 ・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。 ・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。 一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、 人間にとって最も有用な行為になる。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、 遊びについて次のように述べている。 《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。 最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び 好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された 動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして 行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器 であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、 土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも 有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育 するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを 銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。 人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。 必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。 人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに 生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を 発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、 余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、 エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・ 私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、 人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》 〜〜 遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、 働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。 学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを 仕事にすれば良い。
・・・・・・ 2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! 2008年11月20日(木) ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー 【私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、 干葉拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、 「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問。 ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。 その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。 〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。 そのプランは生命の進化である。個別的生命は全体の部分である。個別的 生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。 この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉 彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。朝から二度 倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。 年ゆくや天につながるいのちの緒 春樹 この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つである ことを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で 体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房の中で、 自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に 生まれて来た、ということだった。】 ▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と 違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中 で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点 を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’。 人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に 楽しみ、味わうかにある。それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなる。 【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】 という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の 人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難 や悲しみ、というのが少しは分かるが。 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。 何か際どい話になってきたが。 ・・・・・・ 2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2 2008年11月23日(日) 人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を 目安にすると解りやすい。 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。 この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして 楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。 鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。 人生には、ある程度の長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、 能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、 その実現の準備を地道にすること。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、 誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、 本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。鼻や口は、 季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、 幾らでも転がっている。「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、 高杉晋作の辞世の歌である。彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼 (福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけた というが、成るほど上手い歌である。いずれにしても、ゲーム化した段階で、 自分を客観視する冷静さを持つことになる。何が起きても「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそゲーム化で 身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分 が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで 話題になっている。ウィキペディアによると、 【原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案 された「The Checkered Game of Life」。日本版は、1968年、株式会社タカラ (現タカラトミー)から発売された。タカラトミーの発表によると、日本版の 累計出荷数は 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。 ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が 左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、 人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されて いる、息の長いゲームである。】 面白そうなので、一度試してみたいもの。
・・・・・・ 2017/10/02 閑話小題 〜「遊び」の意味合いとは <意味としての心〜「私」の精神分析用語辞書ー北山修著> *「遊び」の意味合いとは 「遊び」については、数多く読み、ここで書いてきた。『夜と霧』の著者、 フランクルの、<人生の要諦は「よく遊び、よく学び、よく働く」にある> に納得し、また身近では両親の生き様の後ろ姿をみて、バランスをとって 生きてきた。 想い返せば12歳頃までは無心に遊んでいたが、中2後半から 受験勉強に重心を移動、暗い受験生になっていた。 そして20歳から将来設計を考え、両親に倣って「創業」を目指す人生を 考るようになっていた。その翌年、「30日間・欧州一周旅行ツアー」への参加 で人生観が一変。 当時の海外渡航は20万人。殆どがビジネス関係者の中、 当時の私の精神的体力では極限?であった。一ヶ月で当時の40万、現在で 350万を遊びに費やした経験は甚大。旅行先の大自然、文明、文化との邂逅に、 何度も絶頂体験をしていた。腹の底から笑ったり、感動したのは幼児期以来、 いや初めての経験である。世界は想像を絶した広がりと、深さがあることを 実感した。それまでの世界認識は何だった? 「遊び楽しむこと自体が目的」 の意味合いを僅か1ヶ月で実感してしまった。「絶頂体験を求め、ひたすら 努力し続けること。その為に、「良く学び、働く」こと。その「良く」には、 目的地と、「遊び、学び、働き」のバランスと効率を良くすること。 年齢を積重ねるにつれ、「より資金を貯めておけば、もっと働いておけば!」 よりも、「もっと遊んでおけば良かった!」と思うのが人間の常。 つい最近まで、「勤勉・勤労」の反対語が「遊び」の宗教的な意味合いが 強かったが、今では、「健康や創造性の原点」に位置づけられ、 <車のハンドルとタイヤ間の「遊び」のような「ゆとり」「自在さ」「自由」 な遊びとして認められ、強調されるようになっている。 「ハレ」と「ケ」が、交替するように働いたり、遊びこそ、効率を上げる 楽しい人生の必要条件、絶対条件として… > 情報化社会の中で、知識と経験は益々膨らんでいく中で、狭い肉体と柵に 縛られ、心は自由を求めて悲鳴を上げている。それを開放してくれるのが、 「至高体験」。この上ない感激、感動体験。これは映画でも、絵画鑑賞でも、 音楽会でも可能。その感受性の鋭敏さは、それらの経験の蓄積から生じてくる。 そのためには、極限に自分を置いて追い求めなければなるまえに… 真剣に遊ぶのも、ちゃらんぽらんに遊ぶのも、お好みによる。
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2019年04月04日(木)
* <2045年、技術的特異点> 再び! 元号のキーワードでネットサーフィンをしている過程で、次期天皇が81歳位 まで在位なら、その時節が2045年。とすると、令和の25年は、シンギュラリティ (特異点)の『2045年問題』が最重要問題のテーマ。 一年一年の科学技術が もたらす情報機器の進化が社会を根底から激変する時代。それが社会的大問題 を生じることになる。知れば知るほど恐ろしくなる。 8年前の65歳から有り余る隠遁生活の中で、留まることのない情報端末の進化 を目の当たりにし、10年後の先読みなど到底、不可能。それもAIの進化など想像 を遥かに超えた領域。あと2年と割切っていたが、あと7年を目安に切替えた方が、 面白そうと、ここにきて思うように…。 この問題をテーマに2016・12月に数回、書いてあった。(後でコピペ) これは、その補完の内容。 読返し、改めて考えさせられた。 <特異点を理解して、自分の人生になにがもたらされるのかを考え抜く人を、 「特異点論者」というが、老化の胸突き八丁を乗越えて、少しでも、その一端 になりたいが… 少し早く生まれてしまいましたか。 「資産階級」に対する 「無産階級」を捩ったような「無用者階級」が新たに生まれてくる。 その逆は、「ホモ・デウス」、超人類の誕生。人工知能とバイオテクノロジーで、 人類は神に昇格する。乗り遅れた人間は、格差が進み就労不能な、欲望すらAIに 支配される無用者階級の誕生である。復習を兼ねて改めて、その予測をみると… 【 ーレイ・カーツワイルの予測ー 2045年問題とは西暦2045年にコンピューターの能力が人類を越えるという予測 があり、それによって起こるさまざまな問題のこと。人工知能(AI)が自らを規定 しているプログラムを自身で改良するようになると、永続的に指数関数的な進化 を遂げる。この結果、ある時点で人間の知能を超えて、それ以降の発明はすべて 人間ではなく人工知能が担うようになり、それ以降の進歩を予測できなくなる。 (人間がいくら考えても想像ができないレベルに達する。) ―ヒューゴ・デ・ガリスの予測― オーストラリアの人工知能学者 デ・ガリスは、人工知能は急激に発展して、 シンギュラリティが21世紀の後半に来ると予測。その時、人工知能は人間の知能の 1兆の1兆倍(10の24乗)になると主張している。デ・ガリスは、この人間の脳の1兆 の1兆倍の能力をもつコンピューターは、将来、角砂糖1個くらいの大きさになる、 と言っている。それを人間に貼り付けると、人間の知能は10の24乗倍になる。 ※人間の脳の細胞は10の11乗個あるといわれている。ひとつの脳細胞から シナプス(神経細胞と神経細胞の接合部)が1万本(10の4乗)でているとして、合計 10の15乗本。それらが10ヘルツ、つまり、1秒に10回スイッチングすれば、1秒間に 10の16乗回演算できる。それが人間の脳の性能とみなせる。将来のコンピューター が10の40乗で、人間の脳が10の16乗。 この違いが、10の24乗倍、すなわち、 1兆の1兆倍になる。】 ― ▼ プロ野球のイチロウ、大谷、そして将棋や囲碁の天才少年・少女が現に現われ 出ている。これは親がかりで出来てくる。内には大きな谷底を抱えているが、 それより、その高みから見える世界は格別の筈。 〔 上をみればキリがない。下をみれば底がない。横をみれば情けない 〕 なんて悠長な言葉が死語になる。殆どが「無用者階級」の方が、生き易そう? <何か奇跡的なほど良い時代を味うことが出来て、得した?ようだ> ―――― 2016/12/02 大格差 〜書評 ー「大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」 タイラー・コーエン (著) 一月ほど前に、<技術的特異点『人工超知能が人類を超える』台場時生著> の書評、【2045年問題=汎用人工知能、あるいは「強い人工知能」や人間の 知能増幅が可能となったときに起こるとされる出来事であり、ひとたび優れた 知性が創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が 及ばない超越的な知性が誕生するという仮説。すなわちこのままの人工知能が 進化し続けれると、2045年が『技術的特異点』の年になる。】を書いていた。 この書は、この論の延長上にある。これらの周辺産業などに従事した人は、 よりリッチになるが、単純作業のワーカー層や中間層の仕事はロボットなどに 置換えられて、一部の人たちに総取りをされる時代の到来を論じている。 〜まずは、Amazonの内容紹介〜 《 * テクノロジー失業に陥らないために何をなすべきか? 近年の世界的富裕層と貧困層の格差拡大の根底には「経済のグローバル化」 「テクノロジーの進化による生産性の向上」「停滞した産業と活力のある産業 の二極化」という抗うことのできない変化がある。 本書は、飛躍的な進化を遂げるテクノロジー=機械の知能に注目し、技術革新 が未来の雇用・所得・ワークスタイルに与える恐るべき影響を徹底検証する。〉 〜書評の書込みには、 《 チェスでコンピュータと協業できる人が最強になるという例えがきわめて 説得的な論理を展開している。そして、人々は、大きな政府の福祉国家よりも、 自分の可処分な金を保持する生き方を好むという点も説得的である。 (大きな政府が、人々の幸せに奉仕するためには、官僚機構が民主主義の原則 に従って多数の市民に奉仕する公僕で構成されなければ不可能である。現状は 原子力ムラ、土建ムラ、安保ムラなどの特定利権組織に国民の富が浪費される。 日本に多額の税金を市民の幸せのために使う官僚機構が実現できるとは思えない。 高福祉社会は北欧の市民社会・官僚機構だからこそ成功しているのだ) 《 60年代・70年代という中流層が厚かった時代が特異な時代であって、 中世のように「格差が大きい時代」に落ち着く(P.303)の説明も納得できる。 日本でも、第二次大戦以前は過半数の農業従事者の間に地主−小作関係、都市 でも少数の経営層(ホワイトカラー)と多数のブルーカラーがいた。 その階層が、生まれや幸運によって位置づけられていたのが、機会は均等に 与えられていて、あとは本人の集中意欲の有無によって成否が分けられる社会 になる、ということも納得できた。 その他、政府の財政不均衡も解決しないだろうという予測も説得力がある。 総じて、平易に洞察を説いているからこそ、力がある。現実を見るにつけ、 パンとサーカスの時代は古今東西不変なのかと思ってしまう。 》 ―― ▼『自動運転車』が、そう遠くない未来に可能とは今でも信じられない。 これを世界中の大企業、政府が全力をあげ取組みだしたという。運転には あらゆる情報判断が必要だが、それに向けた知能を開発するプロセスで想像 を絶するノウハウが開発される。その応用が、職場レベルに降りてくる。 コスト面からすると、明らかにロボットが人間より効率が良くなる。とすると、 30年先でなく、年々、時代が激変することに。そして、現に激変している。 気づかないのは99・9%の人たち。 その一人が「私!」 今さら遅いか!
―――― 5717,技術的特異点 〜�� 2016年11月09日(水) 『人工超知能が人類を超える』台場時生・著 * 2045年が『技術的特異点』の年 図書館で借りた本に「技術的特異点」たる言葉があった。 NHKスペシャルで、昨年の1月に『ネクストワールド』の5回シリーズで、 このテーマを取上げていたとあったので、早速、Youtubeで見てみた。 番組では2045年の世界が、どのようになっているかを予測し、ドラマ仕立て に構成をしていた。例えば、平均寿命が100歳になっているとか、人間より はるかに賢いバーチャル犬が、ドラえもんのように我々の生活をサポート してくれたり、アンドロイド(人間型ロボット)が会社で働いたりしている。 〜「技術的特異点」を‘ウキィペディア’で検索すると、以下のとおり。 ≪ 技術的特異点、またはシンギュラリティとは、人工知能が人間の能力を 超えることで起こる出来事とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより 大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうと する未来予測のこと。未来研究においては、正確かつ信頼できる、人類の技術 開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点と位置づけられている。 =概要[編集] 技術的特異点は、汎用人工知能、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅 が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび優れた知性が 創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が及ばない 超越的な知性が誕生するという仮説である。 フューチャリストらによれば、 特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは、人類ではなく強い人工知能や ポストヒューマンであり、従ってこれまでの人類の傾向に基づいた人類技術の 進歩予測は通用しなくなると考えられている。 この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストの レイ・カーツワイルにより初めて提示された。彼らは、意識を解放することで 人類の科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速すると予言した。 ここで意識の解放を実現するさまざまな方法が提案されている。カーツワイル はこの加速度的変貌がムーアの法則に代表される技術革新の指数関数的傾向に 従うと考え、収穫加速の法則と呼んだ。 特異点が現実化するかについては議論が 続いているが、多数の人がこの予測を肯定的に捉え、その実現のため活動している。 一方で、特異点は危険で好しくなく、あってはならないと考える人々もいる。 実際に特異点を発生させる方法や、特異点の影響、人類を危険な方向へ導く ような特異点を避ける方法などが研究されている。≫ ▼ 東京下町に住む従兄が、地元の従兄の通夜の御斎で、話すには、 『私は84歳で進行ガン。あと10年後に生まれたかった。これからの10年が、 一番面白いのに。現在4Kビデオに凝っていて、三台を持っている。私の一生は、 写真・映像を写し撮ることに特化してきた。4Kで一度撮ったビデオを4kTV で見ながら、ベストの一瞬を切取りとった写真が何とも良い。ドローンに、4K ビデオカメラを乗せて自然を思う存分、撮りたい・・』と、目を輝かせながら 語っていた。 技術の進化が留まることなく続いている一コマの事象になる。 ―――― 5724,技術的特異点 〜�� 2016年11月16日(水) 『人工超知能が人類を超える』 台場時生・著
カーツワイルの技術的特異点について、さらに知りたいので、 ネット検索すると、以下のようにあった。
≪・「特異点とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な 影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほど変容してしまうような、 きたるべき未来のことだ。それは理想郷でも地獄でもないが、ビジネス・ モデルや、死を含めた人間のライフサイクルといった、人生の意味を考える うえでよりどころとしている概念が、このとき、すっかり変容してしまう。 特異点について学べば、過去の重大な出来事や、そこから派生する未来に ついての見方が変わる。特異点を正しく理解できれば、人生一般や、自分自身 の個別の人生の捉え方がおのずと変わるのだ。特異点を理解して、自分自身の 人生になにがもたらされるのかを考え抜いた人を、「特異点論者」と呼ぼう。」 ・「特異点〜人間の知能が、非生物的知能と融合して、何兆倍も拡大するとき〜 が これから数十年の間に到来する」 ・「2030年代初めのコンピューティングの状況は、特異点ではない。 まだ、われわれの知能を根底から拡大するまでには至らないからだ。 しかし、2040年代の中盤には、1000ドルで買えるコンピューティングは 10の26乗cpsに到達し、一年間に創出される知能(合計で約10の12乗ドル のコストで)は、今日の人間の全ての知能よりも約10億倍も強力になる。 ここまでくると、確かに抜本的な変化が起きる。 こうした理由から、 特異点― 人間の能力が根底から覆り変容するときは、2045年に 到来するとわたしは考えている。 非生物的な知能が2040年代半ばには 明らかに優勢を占めるにしても、われわれの文明は、人間の文明であり 続けるだろう。生物を超越はするが、人間性を捨て去るわけではない。」≫ ―― ▼ 現在でも、その一端をみることが出来る。2045年といえば29年後とすると、 29年前の1987年から現在を予測できただろうか。現実はSF学者でも想定外。 ソ連連邦と東側の共産圏の崩壊。中国の実質資本主義化。中東の戦乱。 IS国というSF小説並みのテロ組識の発生と、地域支配と主要都市への攻撃。 それらの背景の一つが情報革命。最新の情報機器が安価に一般大衆が手にする 時代の到来。これを遥かに超えたテクノロジーの進化が、想像を絶した世界に 変化させていく。それ以前に、世界が消滅?考えただけでも恐ろしいが、面白い? あと10年、特異点に近づいた世界をみたくなってきた。 ―――― 5725,技術的特異点 〜�� 2016年11月17日(木) 『人工超知能が人類を超える』台場時生・著 * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。 現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に使い こなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない進化に 日々に驚いているが、これが最近、加速を始めている。 〜その辺りを要約すると〜 《特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論 するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。 例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような 意味があるのか?」「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに「私たちは 人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的かつ根源的な 議論にまで立ち返る必要があります。 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、 その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。 本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。 ・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、 ・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、 ・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。 このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、 「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、 ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人類(ホモ・サピエンス) へと進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、 旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、 その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。 ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように 高度の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》 ―― ▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の 特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、 「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。 この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、 15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで 何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、 深く溜息をついている。まだ、それに気づいだけマシと自らを慰めている。 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」
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2019年04月03日(水)
* 和歴の話 この時節なればこそ話題になる。私の両親は明治生まれ。連合いの両親は 大正生まれ。元号が変わると、昭和生まれ、それも20世紀前半生れは、大年寄り のような…
そこで、和暦を西暦年を調べると〜 <1989年・平成の和暦:「昭和64年は1月7日まで、平成元 年は1月8日から」 1926年・昭和の和暦:「大正15年は12月24日まで、昭和元年は12月25日から」 1912年・大正の和暦:「明治45年は7月29日まで、大正元年は7月30日から」 1868年・明治の和暦:「明治元年は1868年、大政奉還前は慶応 > ― 大よそだが、明治が45年、大正が15年、昭和が64年、平成が31年になる。 今度の天皇は年齢からみて25年が目安とみると、西暦2044年の御退位?の頃は、 世界は激動の真只中。 シンギュラリティ(特異点)の『2045年問題』の時節で、「人間の頭脳では予測 不可能な未来の始まり」であり、その到来は2045年と予測されていることから、 2045年問題とも呼ばれている。人工知能が人類の知性を超えた場合、核兵器以上 の『脅威』との懸念もある。 <優れた人工知能が一度創造されることで、再帰的に更に優れた知性が創造され、 人間の想像力が及ばない超越的な知性が誕生するという仮説。> それが現在では、2029年には起こるのではないのかとも。
和暦の話から、少し逸れたが、その意味では『令和』は、時代を読んだ元号と 言えるのかも? ということは、やはり、少しでも、この時代を長く生きて いたい! いや現在の情報端末で、世界を可能な限り、広く深く知りたい! ということ。 再び、この『令和』の時代の最大問題になる『自然災害』と、 『2029年、2045年問題』について掘下げたい。とりわけ、令和10年時点の 特異点まで起こる現象を… ホモ・サピエンスから、ホモ・デウスの姿を! とりわけ、人間と超知性(AI)との関係を。
・・・・・・ 6229,閑話小題 〜 <「場」は未来からやってくる> 2018年04月03日(火) <『生きる勇気 死ぬ元気』 帯津良一&五木寛之、p115 > * 「場は未来からやってくる」 〜「場」をネット検索によると、 《場(ば)、英語: fieldという。工学分野では電界・ 磁界など界ともいう。 (界)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を 与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。》と…。
例えれば大相撲の立合いの一瞬や、野球の投手とバッターの対決の「場」を 想いうかべると、解りやすい。確かに未来が瞬時、現在にさま変わる。 私のルーツはビッグバン。 死はブラックホールのような世界? ― 【帯津】 私、東大名誉教授で場の研究所の清水博先生を尊敬しているんですが、 先生が、昨年の秋に親鸞仏教センターの会で、「場は未来からやってくる」 ということをおっしゃったんです。 【五木】 ほう。場は未来からやってくる。 【帯津】 われわれは、環境という「場」のなかの存在です。家庭、学校、 職場、地域、自然環境、国家、地球、宇宙、そして虚空などの場のなかに 重複しているのです。これらの場は、宿命的な場ともいえます。嫌だから といって、そうやすやすと逃げ出すわけにはいかないのです。 【五木】 なるほど。 【帯津】 私たちは、毎日、場のなかを移動しながら生きているわけです。 たとえば宿命的でない一時的な場となると「広場、市場、酒場」、さらに 修羅場、正念場」とさまざまです。そして、われわれはいつもいずれかの 場に身をおき、ひとつの場を去るときは、新しい場を迎えるときです。 【五木】 なるほど。 【帯津】 いま、こういう場に五木さんと私がいて、対談が終わると車に乗り 家に帰り、また仕事場や一時的な場に入るというように。清水先生は、 「自分を固定してみると、場が未来からどんどんやってくる」とおっしゃった んです。それを聞いて、先生はずいぶん上品におっしゃったなあと思いました。 【五木】 というと。 【帯津】 私には、「場は未来からおそいかかってくる」という感じなんです。 それで、おそいかかってくいる場を「予感」と「直観」で選別し、取捨 選択している。いい場だったら、そこに居すわってみよう、悪い場だったら、 体をかわしてやりすごそうと。そういうことを予感と直観でやっているんだ と思うんです。それが、われわれが生きているということでして、つぎつぎ 襲いかかってくる場を、かたづけながら進んでいると、最後にかならず死後 の世界が来るんです。永遠に生きるというわけじゃないですから。 そうすると死後の世界いというのは、信じる信じないじゃなくて、かならず 来るものとして、覚悟してこれを迎えなきゃならないと思うんです。 【五木】 まさに覚悟ですね。自分を固定して考えると、いろいろな場がどん どんやってきて、状況をつくりあげていきますから。 【帯津】 ええ。また、清水先生は、不安というのは、突きつめれば自分の 居場所がなくなることだとおっしゃっているんです。 死の不安とは、 この世に自分の居場所がなくなることですけれど、この世ではなくなっても、 あの世には、居場所があるとわかれば、死は、こわくなくなります。 かえって楽しみのようになります。 【五木】 いやあ、そう考えれば、こわいものではないですね。死後の世界は あるかないか…ではなくて、かならず来るものとして覚悟するというのは、 いいことですね。「絶対ある」と覚悟したほうがすっきりする。 【帯津】 ええ。2年前に40代後半の若さで亡くなった哲学者の池田晶子が、 「池田は死ぬけど、私は、死なない」と書いていたけれど、要するに「池田」 とレッテルをはられた自分の肉体はほろびるけれど、命はずっと存続し つづけるということでしょう。どうも、この考えかたが、私にはあたってる ような気がしてしょうがないんです。 夏目漱石も、死後の世界はあると考えていたようで、「死んでも自分はある。 しかも本来の自分には、死んで始めて還れるのだと考えている」と、門下生 への手紙で書いていますね。 【五木】 なるほど。
― ▼ 10年前に、自分の死期を75歳に定めた。その時から逆算して、その時点時点 に何をしておくべきか考えて行動指標にしてきた。その時点時点が、「場」に なり、死の瞬間のブラックホールのエネルギーの力が加わったような。 それぞれの人にとって、「死」が最大の『場』になる。 我々が住む宇宙は138億年前のビッグバンから生まれた。その中に星の消滅など でブラックホールといわれる、吸込まれると二度と戻ることが不可能な穴。その 行先が他宇宙で、11次元の世界という。〔死〕とは、その穴そのもの? その 他宇宙が、あの世と考えたくなるが、そんな訳はない。変な物体が消滅するだけ。 直径276億光年の時空を持つ我々宇宙の外に、「10の500乗の多宇宙」が存在とは、 考えるだけで楽しくなる。それらも、『場』である。あの世も、この世も、同じ。 こうも言える、「いま、ここ、私」の刹那刹那が、『場』。 「生まれて死ぬまでの生涯が、私の人生の場」。その周辺の暗闇の一点の光を 愛おしく見つめるのが追憶ですか。 追:7年前の、以下の文章からして、友人の場合の(場)の意味が読取れる。 ・・・・・・・ 3660,音信不通だった友人から連絡が! 2011年04月03日(日) * 5分の差で助かった 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。 安否を知るために、宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。 それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。 彼の話の概要は! ≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを 見ていたら、激しい地震が襲ってきた。それが長い時間にわたり続いたが、 急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。 直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の 方面に向かった。しかし、道路は渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ 農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。 それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて寝れる状態ではない。 そこで車中で一晩過ごしたが、着の身着のままのため、寒さがきつい。 暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、 止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。水洗トイレは、 ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。 命は助かったが… 妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、 避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がつき、車でガソリン を新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。 最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で 滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけ充分! 火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫ ー以上が、彼の15分間の電話内容。一つ判断を間違えれば助からなかった。 住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。 終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。それが、まさか・・ それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。 他人ことではない、まさかまさかの日々。 ・・・・・・ 5497,幸福 〜あなたはなぜ満たされないか ―池田晶子の言葉 〜�� 2016年04月03日(日) 『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉ー』池田 晶子(著), 〈幸福 ーあなたはなぜ満たされないか〉 * 人は何ゆえに満たされないのか? 《 幸福」の名で、反射的に、人は「暮らし」もしくは「暮らしぶり」と 思ってしまう習性それ自体が、実は見事に不幸を示している。幸福の言葉で、 あれこれ中身を考える人の不幸は、そこに比べる心があるからだ。自分の幸福 に完結している魂が、どういう理由があって、他人のそれを気にするのだろう 》 ☆「暮らしぶり」とは、生活水準や、その満足感をいうが、それは幸不幸に 関係ない。要するに、充実感を持ちえるかどうか? 振返ってみて、どん底 と思っていた、正に、その時が、実は一番充実していた。どん底と思うという ことは、その下がないから、底を蹴り上げることが可能になる。 ―― * 人を愛せないと悩む人へ 《 愛する人がいないから幸福になれない、と思い込んでいるから、 あなたは不幸なのです。どうして他人がいなければ、あなたは幸福に なれませんか。他人がいなければ幸福になれないというまさにそのことが、 「愛する能力に欠けている」というそのことなのです。だって、 自分を愛することができない人が、どうして他人を愛することができますか。 愛のない人が、どうして愛することができますか。すべては順序が逆だった ということに、気がつくことが、始まりですね。》 『人生は愉快だ』 ☆ 学生時代から50年、早朝の読書が私にとってベストの習慣だったと、 実感する。最後に残ったのは、読書を含めた行蔵と、習慣だけ。人は、 知っている範囲しか知りえない。そして、知っている他者の知識については 知りえないため、誤解する。それが小さく、浅いほど、その分厚いレンズは 歪んでいる。他者との触媒は必要だが、それは読書でも可能。身近に、 「友人が出来ない。孤独だ!」と、愚痴をいっている人が多い。読書の深読み が出来てない。そのこと自体が、友人が近寄いてこない理由に気づかない。 ―― * どんな困難に出合っても 《 どんな生活、どんな職業であっても、生きている限り、不幸は必ずやって くる。つらくて苦しくて、自分はなんて不幸なんだろう、そういう時は誰に でも必ずやってくる。だけど、不幸は、いかにそれが外からやってくるものの ように見えても、やはりどこまでも自分の心が作り出しているものなんだ。 不幸だと思うその心が不幸なんだ。幸福だと思うその心が幸福なんだ。 幸福も不幸も自分の心のありようなのだということを忘れさえしなければ、 これからの人生、どんな困難に出合っても、君は幸福になることをあきらめず にいられるはずだ。》 『14歳の君へ』 ☆「 ポジティブ3に、ネガティブ1の割合が、幸福の状態。逆に、 ネガティブ3に、ポジティブ1の状態が不幸の状態」と割り切って、幸福の 状態におく幸・不幸管理をすれば、どんな困難にも立向かえる? これは生活 習慣のデザインから始めなければならない。そして、一つずつ積上げなければ ならない。そう簡単に人は前向きになれはしない。 ・・・・・・ 4767,閑話小題 ーさあ、ミニ書斎をつくろう! 2014年04月03日(木) * 書斎は、自分の壺中! 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に 本棚と机を置いていたが、ほぼ座ることはなかった。家では、早朝に起きて、 本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。仏間の一角は、あくまで、 そのための予備コーナーの場でしかなかった。また通勤の新幹線の往復一時間の 座席も、大事な読書空間。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 更に会社の事務所も、訪れる人も少なく、ここも書斎空間になっていた。 しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の 一角に移動することになる。もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置、 事務所のパソコンと、ミニコンポ小型書棚を移動した結果、そこは私の最適空間に なっている。今では早朝に2〜3時間、午前9時半〜12時まで、5時間はいる。 ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をBGにて、 自由気ままに、読書をし、ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり。 男には趣味に没頭できる空間が必要。先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、 『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、 「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。 私の空間は、仏間の半分の、2m四方の4平米だが、著者の目安は1・3m四方。 私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所。 著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の 一部などの空きスペースを書斎化するアイデアを提示している。 流し読みで、 面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、 粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎が あれば、その空間は更に良いものになる。オタクもいいところだが! 「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、 「ミニ書斎 写真」と入れたら、面白いものが多くあった。私のミニ書斎 と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 ・・・・・・ 5862,閑話小題 〜春うらら 2017年04月03日(月) * 春うらら ★ 寒さのせいか、庭の梅の花が今だ咲き始めてない。あと数日で開花する のだろうが。 昨日の早朝、去年11月末以来の年明けの信濃川土手への チャリをと支度を終えて自転車に乗ろうとしたところ、後輪のタイヤがパンク のため、急遽、中止。ひと月前に、家内の自転車の空気入れを頼まれたついでに 空気を足したが、何で今になってパンク? 『誰かが悪戯で?…』と考えたが、 ワザワザするわけもなし。明日にでも修理に行く予定だが。さい先が良くない。 ★ WiFiが、この一週の間、変調をきたし、iPadとTVのネットが繫がらない。 様ざま試みたが無理と、メーカーに電話をしようとした矢先、金曜にiPadが、 土曜日にTVのネットが何故か正常になった。 原因が分からず、先週は鬱々と した日々… それにしても如何して? 最悪の場合、6千円の派遣サービスが あるとHPにあった。で、改めて、4kTV映像と、アンドロイド機能の凄みに驚い ている。世界的ブランド・メーカー同士の熾烈な競争の中で、果てしなく機能 進化をしているTVと、ネット世界。 寝室のTVのスイッチを入れた瞬間、寝室が別宇宙空間に様変り。これでは、 大新聞、テレビ局などのマスコミの将来は暗澹たるもの。個人が企画をたて、 自撮り映像を世界に向けて直接、売り込む時代。「ピコ太郎」が、その一例。 最近、話題になったのが、新婚旅行の思い出撮影に、4kカメラ+ドローンの 自撮り空撮映像を、観光先からネットに現在進行形で載せた企画が大当たりを 云々… 等が、次々とネットに現れている。 巨人戦など野球中継を観客席 視線の生中継も可能。 とすると、様々な生現場中継を見ることが可能の時代 に入ったようだ。
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2019年04月02日(火)
* 『令和』 …何と申しましょうか 改元名を知った時の国民の反応が面白かった。 <・『まず何? 変だよ。』 で、周辺の顔色をうかがい、 ・同じ反応に安堵するが、それを言葉に出来ず… ・で、TVの反応を見ても、その反応は同じ。大方は鳩に豆鉄砲をくらった ような。で、誰かが正直に『これって変だよ』の反応を待って、大方が 非難。ネットをみると62%が肯定的。下手に批判すると、軽く思われるし、 黙っておこ、どうでもいいことだし… > というところか。 ネット記事によるとアクセントは「平和」と同じ平音。 そう発音すると、 成るほど違和感が薄れる。明治、大正を生きた平民が、『昭和』の改元名を 知った時は、こんなものだろう。これを書いている内に、実際に改元名の単語 を失念してしまった。令… 何だった? ああ、昭和の「和」で『例話』じゃ なくて、『令和』。昭和、昭和、昭和、そして令和と発音すると、成るほど。 頭文字の略語が、昭和のs、平成のhから、rは恰好いいと若者が宣っていた。 初めて知った時の私のイメージ採点が25点。 一晩過ぎても同じ。一月後が 60点だろう? 一年経てば何の抵抗感も消え失せて… <『令和』の令は冷ややか、上から目線。和は、同調のイメージ> この言葉そのままが、実際のところの反応とみる。 マスコミは、早速、令和という名の人を見つけてインタビューをしていた。 ―― :元号 の豆知識: (ネット検索より) 【 新元号「令和」の意味・理由は? ・「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」 〔 人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。 梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。〕 ・ 元号とは? 年を記録する方法(紀年法)の一種。「元号〇年」は和暦と 称される。645年の大化の改新が始まりとされ、新元号「令和」は248番目。 元号の条件は? 「国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ」「漢字2文字」「書きやすい」 「読みやすい」「これまでに元号や天皇のおくり名として用いられていない」 「俗用されているものでない」の6つとされる。】 【「元号」は、中国をはじめ中国文化の影響を受けた漢字文化圏において、 特定の年代に年を単位として付けられる紀年法。中国やその周辺国では、 独自の元号を定めることは王朝の正当性を主張し、天子を奉ずる独立国家 であることを意味していた。 】
―― ▼ 欧米からすれば、極東の島国の酋長、いや首長が、代が交代する度に、 年号を決める。日本はモンゴルの移民?の朝鮮系民族の末裔が、騎馬集団の 徒党戦法で日本を制圧したのが天皇一族のルーツ。 その名残が天皇陵の 『前方後円墳』。この原型がモンゴルから朝鮮にかけて多く存在する。 『令和』ですか… これ、繰り返している内に、抵抗感が少なくなリ、 一月もすれば『昭和』並みに、根づくから不思議。 御目出度いことです!
・・・・・・ 6228,閑話小題 〜『ペンタゴン・ペーパーズ』 2018年04月02日(月) * 最高機密文書のリーク 先週のシネマは、<ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書>である。。 ドンパチの派手さないが、重厚で、50年前のニューヨークの白人社会を垣間見て いるようで、なかなかの内容。この事件を発端にしてニクソンのウォーター事件 に発展していく。 評価:85点。 ―解説ー 【 巨匠スティーブン・スピルバーグ監督のもとで、メリル・ストリープと トム・ハンクスという2大オスカー俳優が初共演を果たした社会派ドラマ。 ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていた 1971年、政府がひた隠す真実を明らかにすべく立上がった実在の人物たちを描いた。 ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ ペーパーズ」の存在を、ニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙でも あるワシントン・ポスト紙の発行人キャサリン・グラハムは、部下で編集主幹の ベン・ブラッドリー らとともに、報道の自由を統制し、記事を差し止めようと する政府と戦うため、ニューヨーク・ タイムズと時に争いながら連携し真実を 世に出すため奮闘する。第90回アカデミー賞で作品賞と主演女優賞にノミネート。】 ― ▼ この隠れテーマが、女性がワシントン・ポストの最高責任者であったこと。 自然法則からみれば、管理は女、決断は男の役割が得意の分野。しかし、時に 男を遥かに超えた豪胆なヤリ手が存在する。もしかすれべ、国家反逆罪に問われ かねない上に、会社の存続さえ危なくなる重大決断に動揺する姿がシリアスに 表現されている。現在の、トランプの『ロシア疑惑問題』とは違った時代に、 「最高機密文書」を持ちだした職員のリークだから、アメリカ国内で、激震が 走るのは当然である。事実は小説より奇なり、それが可能な米国の社会 システムの健全性? でもある。
―― * プロ野球が開幕 先週末からセ・パのプロ野球が開幕した。巨人中心に何試合を同時進行で 見ていたが、新人など若手と、ベテランが入り乱れたチーム同士が戦う観戦も、 非常に楽しいひと時になっている。特に開幕から5月半ばまでが、一番面白い。 今年の前評判が、セ・リーグでは、広島がダントツで、巨人、DeNA。 パ・リーグでは、ソフトバンク、西武、楽天… …まあ、こんなものだろう。 日本のプロ野球も、大リーグの二軍・三軍化されてしまったが、それでも、 オリンピックの競技種目に選ばれ、この3年間は熱気が高まり新しいスターが 誕生してくることになる。
・・・・・・ 4766,ぼんやりの時間 ー1 2014年04月02日(水) ぼんやりの時間 辰濃 和男 (著) リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、 そうでない。ウツ病に陥らないために、早朝から寝るまでのスケジュールを 決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。 それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる? ーまずアマゾンの内容紹介ー 《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊し つつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのでは。 では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさ が生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながら つづる思索的エッセイ。 》 ーカスタマーレビューよりー 【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、 だから、人間にも本来、「ぼんやり」は許されないのだ。幼い時から、 悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。このような 絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」へ憧憬を生む。 すなわち、「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見る よりも、生物として必須条件である「対外緊張」を運命付けられた人間に 根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。 従って「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、 「隅田川の川面を眺めているうちに、あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、 「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の木々 に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いて いる。彼らのどのエピソードも懐かしい幻想のように温かで、ユートピアの ように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好きと いう深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った 日々が刻印されており、「林に入り黙座す」と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩 には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。 著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、 「ぼんやりの時間」を持つことは実際には口で言うほど簡単なものではないこと を熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえ のない、貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵 の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、それでも尚、 人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになって いることを見逃してはなるまい。 】 ▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間をのんびり 過ごす。 日常を離れた自然の中で、ボ〜っとするのが、最高のレジャー。 日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。私のネックになって いるのが、この随想日記と、ネットサーフィン。誰に頼まれた訳でもないのに、 毎日、これで自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を 支えていられない状況もある。偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、 ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している? 「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、 ある。この時節も、ぼんやりなど、してはなかった。時節があるのだろう。 どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。 ・・・・・・ 4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1 2013年04月02日(火) 『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 御隠居 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。 しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に一歩踏み込んでいた。 同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然と していたが、「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを 遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の人生を圧縮して 生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」 ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。 当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、個人HPを立上げて、 全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に 至っている、これである。これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も 気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。 この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。 傍からみたらつまらないこと?でも、遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ 道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。 だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。たっぷりある時間を 遊べるかどうかである。 まずはー内容紹介ー 【こんな時代こそ「隠居」を見直そう!原始、「隠居」は遊びの達人だった。 若いモンの憧れだった。目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、 外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の豪年を取るって、 いいもんだなァ。 豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。 オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。】 老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある 喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。考えてみれば「良く遊ぶ」のは 非常に難しい!次回は、一時限目の「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より ・・・・・・ 5861,7つの習慣 ー1 2017年04月02日(日) 「7つの習慣-成功には原則があった! スティーブン・R. コヴィー 」 20数年前、この本を読んで衝撃を受けたことを憶えている。 特に「Win-Win」の、「互いの利益をまず考えていくと、互いに有効になる」 という道理。ニュースなどで、互いの「Win-Win」を前提に協力しよう…など、 安倍首相や各国首脳の文言が日常的に聞かれるようになっている。 (amazonの商品説明) ≪ 本書は1990年に初版が出版されセンセーションを巻き起こしており、 以来1,000万部以上を売り上げ、今でもベストセラーを続ける。 著者のスティーブン・コヴィーは、国際的に高い評価を受けるリーダーシップ 研究の第一人者。真に成功を果たすには個人としての有効性と職業としての 有効性をバランス良く備えることが重要だと認識しており、それを反映して 本書は、この2つの領域でより効果的に行動するための手引書となっている。 ここで引用される具体例では、ビジネス上の課題を題材にしたものと同じ くらい家庭内における状況を数多く取り上げている。 7つの習慣を身につける前に、コヴィーが「パラダイムシフト」と呼ぶ、 世の中の仕組みに対する認識と解釈の転換をまず実現する必要がある。 著者は、この転換の実現を支援し、生産性、時間管理、前向きな思考、 「予防的に働く筋肉」(何かに反応するのではなく自発的に行動すること) の開発など、他にも多くのことに関する認識と行動に影響を与えている。 本書は明日からでも実践できることを謳い文句にしたヒント集ではない。 そのコンセプトは時に複雑であるため、流し読むのではなく、じっくりと 腰を据えてここから学び取りたいと感じる筈である。読み終えたときには、 どの章にも付箋や手書きの注釈が数多く残され、コヴィーの集中セミナーに 参加したような充実感に満たされることだろう (7つの習慣とは) 1. 主体性を発揮する(自己責任) 2. 目的を持つ(自ら立つ) 3. 重要事項を優先する(自己管理) 4. Win-Winを考える(人間関係) 5. 理解してから理解される(感情移入) 6. 相乗効果を発揮する(創造的な協力) 7. 刃を研ぐ(常時向上システム) ―― ▼ てっきり、この本の評論を書いてあると思いきや、HP内検索をしても出て こない。20数年前なら、16年前に始めたブログに、書いてないのは当然。 6年前の節目で、隠居用の新たなスケジュールを立てたが、その時、この本を 思いつかなかったのは、これ如何に。 せめてamazonの書評を読んでおけば? 当時、読み直していれば、よりアップした習慣づけをしていたか?如何だろう? 習慣化は個人の脚本づくりでもある。自分の物語を変えようとしたら、習慣 の構造を変えることからになる。チャンスは、大きな時代の変り目に、全く 違った習慣の設計を立て、実行すること。事態に合わせ脱皮しろ、ということ! 〜つづく ・・・・・・・・・ 5131,失業率9割の国、ナウル共和国 〜3 2015年04月02日(木) * 日本にとってのリン鉱石とは? ナウルのリン鉱石、日本にとって何だろか考えてみた結論が、戦後から、 この方コツコツと貯めてきた預貯金。しかし、リン鉱石と同様、その多くが 日本国債と米国国債に替わっている! 総預金と、国債などの負債が同額に なるのが今年。 そこに、5年後にオリンピックの開催とは何ぞや・・ わずか4年前に、千年に一度の大地震と津波で、大きく痛んで復興半ば。 今だ福島原発では溶解が進行中。このクラスの大地震の10年以内後には必ず、 それに匹敵する地震か火山の大爆発が起きている。これらが複合し、近未来に、 国民の弱者に皺寄せが大きく直撃をする。「現状さえ良ければそれで良し、 未来は未来!」の、‘いいじゃないか’騒ぎ! 〜その辺りから〜 ≪・ナウル人は、Buada Lagoonで捕れた魚や、ココナッツやパンダーヌスを好む。 しかし、現在、ほとんどの食料は輸入に頼っていて90%は輸入で、ほとんどは 缶詰。そこにはたっぷりと保存料が入っている。その食料が不足している上に、 ナウルに入る航空便も頼りに出来ない。それはスカスカの店の棚を見ればわかる。 ナウル人の平均寿命は男性で58才、女性で64才。日本より20歳は早死になる。 ・ナウルの状況はダイヤモンド著の『文明崩壊』で語られるイースター島の 崩壊の物語を彷彿とさせる。ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画 な開発と環境破壊を続けた結果、ついに資源を消費し尽くして文明が消滅して しまい、島民の生活は石器時代に戻った。両者の大きな違いは、イースター島は 他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また森林破壊等が国土に与える 影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは 地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と 隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、 それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点・・ ≫ ▼ ナウル人も、日本人も、公務員、金融関係者と、一部の上層階級は、 万一に備えた準備が完了してあるという。リン鉱石(預貯金)を 掘り尽くしてしまった日本、現象面では、国債と株式と円相場の暴落で、 その正体が現れてくる。 ナウルは、そのまま露出されているだけ。 私も似たようなものだが! 裏山の中腹から外海が見えるからこそ、 断言できること。刻々と時は進んでいく。 老化の戯言であればよいが!・・・ 5496,閑話小題 〜高齢者とは何歳からか? 2016年04月02日(土) * 四月バカに騙された 昨日の朝のモーニングショーで、「ソニーが幽霊バスターの開発に成功、 製品化にこぎつけた。そして、その商品と、捕まえた幽霊の映像を紹介します」 と真面目な顔で報じた。何の抵抗もなく「ああ、そうか、それも在りか」と見て いると、何も知らない一人のキャスターに、メインのキャスターが、『今日は、 何の日かご存知ですか?』と、笑って聞いた。 私も、その時に初めて、それが 四月バカに気づいたしだい。学生時代の寮で、後輩に、『おーいブーちゃん、 母屋から、電話がきているって言ってるよ!』と、騙したことを数十年ぶりに 思い出した。そういえば、嬉しそうな足音が、いやにリアルだった。 ―― * 高齢者とは何歳からか? 医師であり、作家の、先年、亡くなった渡辺淳一著の『老いかたレッスン』 の中の ー高齢者とは何歳からかー が、現在70歳の私に参考になる内容。 実感として、高齢を自覚する日々である。 〜要約すると、 < 自分が70歳半ばを超えた実感からして、75歳が妥当。この頃から 急速に弱りだし、手足もいうことがきかなくなり、内臓などの疾患が出始め、 当然、病院に行き、治療を受けることが多くなるが、医療を75歳から後期 高齢者として分けたのは、まさしく妥当の分類。この意見は、医者仲間からも 賛同を受けている。75歳から高齢者と言われても、元気な期間が短いため、 5〜6年は、そういわれても、元気でいたい、ということからして、70歳 から上を高齢者というのが、もっとも妥当。> 70歳代になりたての実感として、この内容と同じ。何か75歳が、寿命 のような気がしたため、一度、そこに、「この世の終わり」と設定を数年前に したが、その時から、何かが変わったような? こと足腰、内臓の具合から して、65歳が一つの目安で、年々、弱っている。(ちなみに性欲は55歳) 今年、70歳になって以来、『生きている、元気なだけでも儲けもの!』 と、実感するようになったが、これも高齢のなせるわざか。
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