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堀井On-Line
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2018年11月19日(月)
<『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著> * 孤独の発明 ‘孤独’に関して深く洞察してある内容。20歳に創業を決意して65歳まで、 ある意味で、孤独業をしてきたようだ。 終わってしまえば、 <折角の人生、勿体ないじゃないか!>が半分。 <御蔭で面白可笑しく充実していた!>が半分、あい半ばである。 17年半にわたり書き続けてきた、このブログからして、孤独業である。折角の 人生というフィールドで、ネット上に何か刻印して残したいと続けている。 独白であり、近未来の自分や、近しい人に語り掛けるように、書いている。 早朝の6時前に完成した一文と、17年の生々しい過去文を鳥瞰しながら自己 対話をしていることになる。 過去も、過去の文章も、母親のようでもある。 懐かしく、優しく、厳しく、行蔵と、限界を、眼前に突き出される。
《 私とは繰み込まれた他者のことであり、その場合の他者とは、何よりも まずもっとも身近な他者、養い親とりわけ母にほかならない。 母がまず子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのである。 言語はこの現初的な入れ子構造――から始まったのであり、そうである以上、 入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことだ。 したがって、相手の身になることが出来るようになった瞬間、人はこの入れ子 構造が永遠に続きうるということを――母、その母、その母の母、つまり、 自己の背後には無数の死者がいるということ――を会得してしまっているはず。 現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、死から離れた視点、 第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている』。 孤独が寂しさを伴うところに、「出自」が暗示されていった孤独は、母の 懐から生まれるのである。 …相手の身になる能力は捕食するものと、されるものもの、追うものと、 追われるものの身にならなければ逃げきれない――、その能力は、この二つの 視点を入れ替え可能にする蝶番のような視線、すなわち、さらに上からの 俯瞰する第三の視点を想定しなければならない。この第三の視点が私という 実質――人間的意識の実質――なのだ。空中に浮遊する第三の視点は身体を 含まない。だからこそ、私には私の死が理解できないのである。死が不条理に 思われる理由だ。この第三の視点と、現に行動している行為主体との関係が、 内的対話、内面に他ならない。行動主体は現場に属し、俯瞰する眼は永遠に属す。 すなわち身体と精神である。… 》 ― ▼ 毎朝、ブログを書上げた直後に、仏前で2〜3分の祈りをした後、 ポタリングに出かける。その時、仏前の両親の写真をみた直後に、祖父、 祖母、亡くなった兄、姉の顔を想いうかべながら、安らかにお休み下さいと 念じている。自己の背後にある無数の祖先の存在こそ、永遠の具体的イメージ になる。それに加えて、秘・異郷先での、大自然や、文化、文明との邂逅も、 然り。第三の視点こそ、永遠の魂の存在を暗示してくれる。 座禅、瞑想、 飛行機内の黙想にしろ、孤独の果てに行きつく永遠が浮び上ってくる。 浮遊する自己の‘発見’? どこを彷徨ってきたのだろう、私の魂は! 「行きつくところ… 言語の政治(祭りごと)ですか?」
・・・・・・ 5362,うらやましい死に方 〜死の前に一人でお遍路へ 2015年11月19日(木) ーうらやましい死に方ー五木寛之[編] 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。 * 死の前に一人でお遍路へ 日引美江子(京都府宮津市52歳) ≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と 右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に 付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と 共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。 妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた 父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと 暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して 聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に 手術・抗癌剤・放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な 日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。 ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに 調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。 いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。 ・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、 同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても 向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは 思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは 使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。 そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇 心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動 とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。 でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに 学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。 最後の三週間は妹と一緒にホスピスで暮しました。冗談は言っても心の内を 語ることはありませんでした。ホスピスでの手厚い介護のお蔭もあり、妹は とても穏やかで‘有難う’‘ごめんね’‘おいしい'と言うだけでした。 私は七タ様の短冊にこの言葉を書いて吊しました。我妹ながら、あっぱれ! ≫ ▼「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理 だと思う」は、人生を通して実感した真理だからこそ響きが伝わってくる。 エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の エライヤッチャは 「大変なことだが平気だぞ」といった複雑な意味が 込められているという。 一人では出来ないことが娑婆には多い。踊るか、見るか? 集団で狂乱して 踊るのも、日常から外れる方法。人生、それぞれが独り阿波踊りでもある! ・・・・・・ 4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2 2012年11月19日(月) 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、 そのまま普段の生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が 模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた 緊張感があった。「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると 天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、自分が瀬戸際 に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の 備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然 の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から 整理までの起承転結の一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大 のイベント。 最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。 あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた 事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、 後悔も無念の感情も残らないのも道理。で、この本体の経済崩壊の大津波、 地方では既に到来の感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。 年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。日本で、この2千年 の間に4回の東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、 いずれも首都圏で直下型地震が連動して起こっていた。 西日本では18年 以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している 太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた 20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、資金が 追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。 ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。 そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が 非常に強いのである。バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入。 イスラエルが、先手をうってガザ地域で戦争を仕掛けている。 イランへの攻撃が始まるか? ・・・・・・ 6094,閑話小題 〜「かあちゃん、怖い!」 2017年11月19日(日) * かあちゃん、怖い! ・団塊の世代が定年をむかえ、全国中の家庭内で大変な事態になっている? 私などは事態が事態だけに、その段差が大きい。抵当物件の自宅を、家内が 「安いから私が買う」の意思表示で、考えることなくアッサリと認めた結果、 夫婦の力関係が大きく家内に傾き、ここに<家庭内格差の問題>が発生。 何かを頼むと眼を剥き、逆に頼み事は命令口調。まさに「かあちゃん、怖い!」。 この位で丁度よいのだろうが。 としても、哀しき70代にあいなってしまった。 パソコンコーナーのある仏間と、TVのある寝室に押しこまれ、鬱憤はネット上 のボヤキしかない。まだ家が広いためが最小で済んでいるが、娑婆 経験の少ない家内は力の手加減を知らないため傷口に容赦なく口撃をしてくる。 ・先日、松居一代が、亭主の船越英一郎との離婚騒ぎでTVを賑していた。 この松居女史も挫折経験が少ないみたい。理想的夫婦にも、一つ仮面を外すすと、 こんなもの。まだ、私には一匹狼の要素があるから、閑静?し耐えているが。 有名人の離婚の愛憎劇といえば、高嶋政伸元夫婦の離婚劇。大昔では、三船敏郎 夫婦モノと、娘の「三船美佳」と、高橋ジョージ・モノも酷かった。 離婚経験をした男を何人か知っているが、その心情は複雑かつ深く傷ついている。 女性も、然り。まず生活の困窮は、それはそれは! ホームレスに近い。事前の 想像との段差と、将来の不安は並大抵でないようだ。まあ「かあちゃん、怖い!」 で、世の常に従い耐えるしかない。男の場合、「タガメ」に一生に亘り、収入と 全エネルギーを吸取られ、汚れ雑巾のようにポイ捨て… 産業廃棄物が、今度は 家庭廃棄物になる。‘かあちゃん、怖い!誰か助けて〜」の悲鳴が全国辻裏うら、 鳴り響いている? とうちゃんに、保険をタップリかけ、塩分と脂肪分過剰の 食事をさせた合法的?何もあるが… 殺意などの心の闇は、決して表面化しない。 登ぼり坂、下り坂、そして「ま坂」が世にはある。 『後妻業の女』の映画が 面白かったが、それより怖いのが『本妻業の女』。真面目腐って面白味のない 亭主なら、殺したくもなる? 大丈夫かいな… 専業主婦は家庭内正社員。 夫は、40年期限付き出稼ぎ労働者。誰も、己を助ける人はいない。だから、独り 遊びの習慣を持てッというの… 独りカラオケが流行るわけだ! 早朝、チャリ でバイパス下のトンネルで老人が独りで演歌を歌っているのに出くわすが、 その度に、何とも切ない感がする。歌って憂さを晴らせる場があるだけマシか。 連日のぼやきの御静聴と拍手?、本当に有難うございます。 ・・・・・・ 4997,暴走する世間 −11 2014年11月19日(水) 「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著) * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化 建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する 「そねみ・ねたみ」が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別を するのが人間の性。それが世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想 で実は本人たちの脳がやられる。問題は自覚できないこと。ーその辺りからー ≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買った とすれば、それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が 生まれたときに、他人にジト−ッと嫉妬する独特の心理が生まれる。 この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは以下のようにいう。 【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、 モンスーン気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、 自分よりも注目されている人間に対しては、いくら口先で褒めても、内心は ムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪いとでもいうのか。 単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい 陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が 他人に比べて損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方ない。 横並び一直線で暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの 差がほとんどないから、嫉妬の質も深刻ではなかったかもしれない。 が、 現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、所得格差も以前より ひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】 ▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、 歴然とした格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある 立場の人たち。そこは一度沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事では ないが・・ 日本は国家として明らかに負組になってきた。 その結果、国内 には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が多発する。 そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。そこに欧米のような個人主義で ないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の 「ええじゃないか!」の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、 『東京オリンピック』である。 この共同幻想を楽しみながら、 最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。 ・・・・・・ 5727,閑話小題 〜2016/11/18 「拍手の意味」 2016年11月19日(土) * 拍手の意味 〈折々のことば:569 鷲田清一2016年11月5日〉 2週間前の朝日新聞の一面コラムで、「拍手の意味」をテーマにしていた。 拍手といえば、対象への、例えば演奏会の演者に対する感激・感動に対する 感謝などに使う。そこには、一般感情を超えた共感、共振を手を叩くことで、 共同で表現する行為になる。1人で拍手するのは、特殊のケースを除けばない。 多くが感動の対象に与える賞賛と感謝の念。 拍手は、片手を背中に見立て、 良くやったと片手で叩くことを簡略した行為を意味するという。 敬礼の語源は、鎧の顔の部分を、開いて相手に挨拶をしていたのが、 鎧をつけない時でも、形式的にしていたのが、軍隊作法として残った形式。 〜そのミニ・コラムより ≪ 拍手は、明らかに空っぽの抱擁に、空っぽの叩く動作が加わったもの とみることができる (デズモンド・モリス) 抱いて背中を叩くのは、ヒトのみならずサルにも見られる行動らしい。 それは「すべてはうまくいっている」「おまえはうまくやった」という慰めや 激励や称賛の信号なのだと、動物行動学者は言う。そして競技や演奏会での拍手。 離れているのでじかに抱けないから、代わりに片手に相手の背中の役をさせ、 もう一方の手でそれを叩くのだと。 〜「ふれあい」(石川弘義訳)から。≫ ▼ ベランダのインコが、ガラス戸越しに触れあいを求めてピッピと呼びかける。 振返ると同時に、たった一つの芸の「枝回転」をたて続けてする。 多い時で50回の記録がある。今では10回がせいぜい。その時、笑顔でヨシヨシと 声をかけながら、家内共々、拍手で応える。餌が欲しい時、寂しい時、席を立つ とき、鳴声で呼掛けて、回転芸で自分の意思を伝えようとする。人が拍手を する時は、ほぼ笑っている。握手も似ている。これは一対一で、親交を示す行為。 それと、手中に何も危害を加えるものは有りませんよというサインでもある。 拍手は、握手の替りに、それぞれが個々にする行為。大統領などが、群集の前の 挨拶で、両手を組んで親愛の情を表現するのも、片手は皆さん、片手は私と 見立てた行為。秘境の絶景に出会った瞬間、心の中で、「万歳!」と叫ぶのは、 感動に感謝が加わった極みの感情。賞賛をされるのは難いが、気軽なミニ・賞賛 なら幾らでも可能。 その、気楽なミニ賞賛が出来るかどうか? とすると、 我家のインコは、なかなかツボを心得ている。
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| 6458,閑話小題 〜「ババくささは伝染(うつ)る」 |
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2018年11月18日(日)
*「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」 内館牧子の朝日新聞のエッセイが面白い!「老いるほど、普段着と生活習慣 に気をつけろ!」と。 スポーツジムで様々な人を見るにつけ、そこには長年、 培ってきた生活習慣が滲み出ている。私の外出は、SJと、早朝の自転車散歩、 週一の映画館と、同級会位である。 一般的だが、一日、週一、月一、3月に一、 年一と、各スパンに分かれている行事。 その繰り返しで生延び、老いて、 「ジジくさ」「ババくさ」になっている。 70歳の峠を過ぎると、何ごとも 億劫になる。そこで気を緩めたら見事な老人の完成と相成る。そこで偽装で いいから、身なりと、生活習慣から気をつけるべしと、宣う。 =朝日新聞2018年11月10日掲載= ≪ 5年ほど前、80代中心の集まりにオブザーバーとして出た。 「くっきり二つに分かれていたんです。 自分に手をかけておしゃれにしている人たちと、身なりにかまわない人たち」。 見ていると、おしゃれな人たちは明るく元気で、リーダーシップがあり、気配り もすぐれていた。 「外見と中身は連動している」と感じた。 自分の同窓会で。さえない男たちに混じって、すてきな男性がいた。 友人に「あの人は何君だっけ」と聞いた。「ばかねえ、先生よ」と返された。 こうした体験から、品格ある老い方について考えた。おしゃれな高齢者の物語を 書きたいと思った。 そうして生まれたのが、主人公の忍(おし)ハナ。78歳。 銀座を歩いていてシニア向けの雑誌編集者に「写真を載せさせて頂きたい」と 頼まれるほどの女性だ。このハナさんの言葉が刺激的というか、過激というか。 ・「ババくささは伝染(うつ)る」 ・「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」 ・「『ナチュラルが好き』という女どもは、何もしないことを『ナチュラル』 と言い、『あるがまま』と言っている」 ・「大事なのは他人の評価だ」 こうした言葉を連ねたのはなぜか。 「すぐ死ぬんだから楽が一番というのは分かる。中身が大事というのもその通り。 けれども、それだけではないのではないか。逆に、すぐ死ぬんだから好きにやる、 自分の装いを磨いて心を弾ませるという考え方があってもいい。 ハナを通じて、それを伝えたかった」 数年前、桜に見とれながら歩いていて段差があるところで転んだ。右足の指が 全部折れた。外に出なくなり、化粧もいいかげんに。誰かの手を借りるのが嫌で、 何をするのもおっくうになった。「ああ、これが老人になるということだな」と 思った。動けるようになって、自分に手をかける気力がよみがえり、ほっとした。 「終活」はしない。エンディングノートをつけるのも嫌だ。 「性に合わないから。相撲だ、プロレスだ、ボクシングだと心弾むことと接して、 残りの人生を生きたいんです」 ≫ ― ▼ さすが、物書き!老人の心得を、あっさり書上げている。著者の、骨折が、 私の7年半前の会社清算に同定して考えてみる。こういう危機管理は、て慣れた モノ… 要するに時節到来の「節目管理」になる。遊びとして、俯瞰した目線で 見おろしている自分と、見おろされている自分を、遊び感覚で楽しむゲーム。 そこに、やってくるのが… ヘドロの蚊。そこで、まず私レベルの二ランク上の スケジュールつくり。閑静の「閑」の門の中の「木」が生活習慣。「門」が下界 から吾身を守る唯我独尊。 一日一日を楽しみ、ストレスを貯めない。 デトックスといえば、嫌がらせに、その日の内に全身全霊で、あるイメージを 繰返す。独り傷口を舐めるより、これはスカッとするが、これも内なるゲーム。 ある意味、対象の魂の抹消になる。
・・・・・・ 3889, 積極的逸脱 ー2 2011年11月18日(金) 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。 ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。 天才と秀才の差は逸脱をしているかである。秀才は決して逸脱はしないで、 その世界の価値観の中で頭角する。野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、 松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは逸脱と捉えられがちになる。 彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、 日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウはアメリカでも天才だろう。 そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、積極的逸脱 をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。 単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解の ベールに包まれ逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを 積極的逸脱というのか?というと、それは違う。前回、書いたが、40・50歳 代に多くの問題が重なり、そのストレス解消のため秘境旅行に数多く行ったが、 これは日常からの積極的逸脱であった。その総量のエネルギーと感動は、 その他の人生の総量と同じぐらいはあった。人生の積極的逸脱で見られるのは、 40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の趣味の世界に入る人がいる。 江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅 がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう 恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、 第二の人生に入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。 どちらにしても結局は同じ。事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もある なら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の 果てに待っているのが自死。これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくも ないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」 と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。 ・・・・・・ 4629, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか 2013年11月18日(月) 『夫婦格差社会 ー 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著) (その他) * 結婚相手に何を望むのか ー ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、 第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確に するためである。大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々 あったため、養育に支障をきたした。一夫一婦制で子育てを義務化する ことができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。 性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、 容姿、体格、知能などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの 異性を抱え込んで、弱者が異性から排除される事態を防ぐための人類の知恵 としての制度という学説がある。 ∵「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚 生活は、うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまく いくという説。補完説でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、 精神的に弱い人は、心の強い人を、背の高い人は、低い人を求める、という ことになる。自分のない部分を相手に求める。 一方、類似説では、 背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を求めるなど、 同じ素養、素質を共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。 人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。 ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、 第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムース に進む相手、 第二に、「家事能力」である。第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、 学歴。女性の9割は経済力、男性は4割でしかない。まだ男女の役割分担 の意識が高いが、学歴に関して、男女とも同類婚を望んでいる。 ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。 学校が10%。サークル、街中、アルバイト、見合いが、5%と9割を越す。 見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完。 ▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に 望んでいるのか、が解りやすい。殆どの人は、学歴、家柄、容姿のうち、 二つが揃っていれば良しとして結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し 合って、離婚するのが、今では3〜4組に一組。世の中、すべからく妄想で なりたっている。その最たるのが結婚の妄想。青年期を振返ると、女性の方が シビアで、見るところを見ていたようだ。それで人生、決まってしまうからだ。 ・・・・・・ 4264, しまった! ー12 2012年11月18日(日) ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著) * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、 かえりみること。ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動する ことを仕事の核にしている」という。10時間以上の、まとまった時間、 ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。 前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、ただひたすら 黙想をしてみた。「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の 半睡のような黙想体験は、言葉で表現し得ない悟りというか、マドロミに 包まれた夢のよう。 考えるでなし、何かの思いが浮かんでくれば思うまま、 半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、その状態。 宇宙と一体になっているような、何かから解放されているような永遠な何かと 一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したい とき、ただ、あの空間で、飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想する には理想的空間である。高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは 新幹線内での読書で経験していた。学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデス をしていて、小泉元首相が外国への飛行での機内専用サービスの担当になった時 の経験談を聞いたことがある。「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、 ただ眠り続けていた」という。あれは疲れで寝ていたと同時に、黙想?も あったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、ひたすら 10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕が あれば、充分価値のある時間になると、納得。この経験から、ひとつの習慣が 出来た。休日などで、ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。 大体30分〜1時間。ただ目を瞑り、休む。この春から始めたヨガで、 最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。これも機内と同じ状態。 好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、人生の財産 である。私には時間という財産だけは充分にあった。装置産業を選び、それゆえ に固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。 これこそ財産。秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何も しないと価値のない時間と思い込む妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの 延長に生きている人が、あまりに多い。私も似たようなものだが、改めて、 じっくり時間の過ごし方を考えなければ! ・・・・・・ 4996,暴走する世間 −10 2014年11月18日(火) 「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著) * 公共性と「世間」とは、同じでない! 往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。 時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。 そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」の ミスマッチのクロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、 いないかの差。それは、ネット社会でも同じことがいえる。ーその辺りからー ≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも 「世間」は、「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」 のウチにもまた「より狭い世間」があるというように、一種の入れ子のような 複雑な構造をもっている。問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつ ために、「世間」のウチの人間にたいしては相互に「配慮」しあい「優しい関係」 をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わないという本質をもって いることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」 に似ているのは、ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が 公共性と異なるのは、「世間」がつねにウチとソトという区別をおこない、 「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。さきほどの例でいえば、 「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の目の とどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」 「ゴミを捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」 というとんでもない格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、 「世間」がみていないので、タガがはずれて「なにをしてもいい」ということを 意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は「世間」をつくっているから、 他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。「世間体」とか 「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では まったく機能しないのである。花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、 他のグループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気に しないで化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫ ▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る 姿が話題になったが、これも「世間」の特質の現れである。その世間が、 神様かわりをしているとしたら、三年前の節目から突然、私の前に現れ出てきた 神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは当然至極。これは、実際に経験 してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、面白い動物で満ちている。 とすると私は、珍獣? ・・・・・・ 5361,うらやましい死に方 〜愛犬に見守られ 2015年11月18日(水) ーうらやましい死に方ー五木寛之[編] 20世紀末に、文芸春秋に投稿された、身近な「うらやましい死に方」が 幾つか編集されていた。死に方は様々あるが、この中には、素朴な何処 にでもある死だが、何か心をうつ味わい深い死が連なっている。 「死に方」は、その人生き方に左右されている。「うらやましい」は、 あくまで受けとめる者の主観でしかない。そう思うのも供養の一つである。 昨日、兄の連れあいの御父さんの葬儀に参列したが、故人は穏やかな 人生を絵にかいたような人で、白寿をむかえて、ひっそりと亡くなった。 うらやましい生き方で、うらやましい死に方だった。 御冥福を! * 愛犬に見守られ 吉田達也(広島県三原市85歳) ≪ 近所のアパートに30年住む、独居老人が昨年暮れ心臓発作で他界された。 老人は年金生活者で、数年前に連れ添った妻とも別れ、我が子も訪ねてこない 孤独な一人住まい。愛犬を連れての散歩が唯一の楽しみであった。 近所付き合いもなく、愛犬と寝食を共にする生活であった。 真夜中に急に苦しくなり、階下の管理人にすぐきてくれと電話する。 管理人が駆け付けると、苦しい苦しいと胸を押さえて寝返りする。 愛犬は部屋の中を泣きながらぐるぐる駆け回る。主人の死を予感したのか 泣き声は悲痛であった。管理人は直ぐ近くの医師に連絡する。医師と看護師が 駆け付ける。診察の結果心臓麻痺で手のうちようもなく、死亡が確認された。 その時の愛犬の泣き声がひときわ大きく、遺体に取り付いて離れようとしない。 周囲の人達は嘆き悲しむ愛犬の姿に、涙を拭うことができなかった。 主入を慕う愛犬の姿に、親子以上の関係を見ることができた。 老人と愛天とは十数年のつながりであったが、その後血のつながった我が子が 駆け付けると、涙ひとつ流すことなく、葬儀屋と相談し遺体を棺桶に型通り納める。 愛犬は棺桶から離れることなく、回りを泣きながら駆けまわる。 老人はいつも愛犬と一緒に寝る。愛犬を抱えた時の笑顔、微笑みは、安らぎの 境地を思い出していたのではないかと、管理人は回想する。 息子は犬が嫌いで、置いていくという。「ご主人様がこれほど可愛がっている 犬を置いていくとは何事か」と、犬は棺桶から離れようとしない。 「その犬はお父さんの形見だから連れて帰れ」と管理人は強く言う。 息子は周囲の意見に従い連れて帰ることになる。犬は嬉しそうに車に飛び乗る。 孤独な老入は愛犬によって、安楽な往生を与えられたのである。 我が家で家族に囲まれ、静かに息を引き取ることが、私の希望である。 とはいえ、一人暮らしの老人になったら、この老人のように、愛犬を友に 暮らすことも考えてみたくなった。孤独死だけは避けたいと思う。≫ ▼ 動画投稿で鮮明に記憶に残っているのがある。「殺された若いギャングの 傍で、可愛がっていた?野良犬が悲しげに佇んで、人を寄せ付けない姿」と、 「交通量の多い車道で、轢かれた仲間の犬を、必死に歩道に引いている犬の姿」。 犬は、死の何たるかを直感で分かるようだ。ところで、『孤独死』という言葉に 違和感がないか? 誰もが死ぬ時は、最たる孤独感が渦巻いているのでは? ・・・・・・ 6093,閑話小題 〜これは思いの外、大変な事態に 2017年11月18日(土) * 大問題に発展か、それとも手打ちか 日馬富士の取調が本場所中に関わらず、「国技館」で行われたのに驚いた。 ニュース映像で、役人風の黒服の男たち20人?が、次々と出てきたところが 映し出されていた。 特別法人の認可に関わる部署の縦割りの役人たちも、 取調に参加していた?のなら分かる。何はともあれ白鵬の前日の、時間前の 張手は、39回の優勝をしてきた横綱なればこそ、日本国家への最悪の挑発。 所詮は勝手に「国事」と名乗っている格闘技でしかない。更に、白鵬が率先 した「偽証疑惑」が表立ってしまった。だから、即断で、場所中に関わらず、 こともあろうに国技館で取調に入ったのは、白鵬本人の偽証と、直接、間接 の偽証強要の疑いがあるため? 下手をすると、大相撲史に残る大問題になる 可能性が窺える。白鵬の無知と逆上せ上りが政財界のドンを怒らせてしまった? 事なかれ主義の相撲協会も、ここは正念場。もう、火の手が上がり、延焼 を始めた、酒席のリンチ問題。 本場所より、遥かに、リアルな展開に。 としても、「許してやって頂戴!」が、治めどころ。 白鵬、「一つ間違えると「逮捕、引退」の事態」を理解出来ないのでは。 ―― * 3D映像のショック 昨日、時間帯の関係で2D、3Dの二館のうち、3Dを見ることにした。 以前、二度、見たが、眼鏡が重なり見づらいこともあり、この3年程は、 見ることはなかった。ところが、昨日の<マイティ・ソー バトルロイヤル> には、以前に見た『アバター』を見た時の衝撃と同じぐらいに衝撃的であった。 立体映像を前提に観客を楽しませる仮想現実に誘う内容。現在、バーチャル リアリティの映像機器が次々と売りだされている。また視聴体験はないが… 近じか家電の店頭で体験するのだろうが、面白そう。いい歳をして、何だが! ▽ 偶然だが、去年の同月同日も似たような内容。要は「御隠居の閑話小題」。
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2018年11月17日(土)
* 2〜3年に一度の感動でした! この年齢で、まさかロック会場に呑込まれてしまうとは、自分でも驚いて しまった。 ハリウッド映画で面白そうなのが見当たらず、邦画と思ったが、時に 普段、見ることのないロックバンドの世界を垣間見ることもありと判断をして見ること にしたが、何と、この異質の世界が面白い。最後の場面が、20世紀最大の伝説 のライブを特撮で再現していたが、この熱狂が感動もの。これが話題の4DXの シアターで放映されるというから、こっそりと行ってみたいと思うほど。 数万人が埋め尽くしたラグビー場の会場の客と一体化した歌の数々が圧巻。 ゲイと、麻薬、酒、ロック漬の異様な世界の薄気味悪さが、面白さを増していた。 最期はエイズで亡くなるが、遠くない死を前にした、渾身の歌が数万人の会場を 一つにする迫力があった。 〜映画サイトのブログより〜 ≪ 世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さ でこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの 現メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、 劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ」 「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、 20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンス といった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった 知られざる物語を描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレックが フレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを 「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。 監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。≫ ―感想―より 《 見るものの心に永遠に刻まれるであろう“特別な1本”が公開される。 世界中のだれもが知るスーパーバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・ マーキュリーの半生を映画化した「ボヘミアン・ラブソディ」(11月9日公開)。 天性の歌声を持つ青年が、どのようにしてスターへと上り詰めて行ったのか。 栄光に隠された“苦悩”と“挫折”、その果てに到達した“救い”を限りなく エモーショナルに描いた本作に、名だたる映画のプロたちも号泣&絶賛の嵐!》 《 カラオケバーから漏れてくる外国人の大合唱。 人もまばらな早朝の空港、...イヤホンで聴きながら熱唱する外国人。 どのシーンでも人々を陶酔させているのはQueen の曲だった。 その様子を外から見ていた気持ちは、すっかり陶酔する側に変わってしまった。 孤独から生まれた全身全霊の歌の前には、理屈抜きの感動しかなかった。》 《 頂点に立つ人の孤独 子ども騙しのモンキービジネス…かつて音楽業界を、そう謳いあげた バンドマンがいました。そんな業界に、心惹かれしまうから、不思議です。 家族の映画だそうです。だから、ケンカもする。家出だってしちゃう。 ただ、本気で怒っても、許し合える。嫌いになっても、お互いを大切に思う。 ビジネスじゃない。DNA だけが家族じゃない。そんな映画。万引き家族とは、 随分違うけど。 さて問題です。業界のてっぺん極めた代償に、失うものは?。 多くの人が集まる程、少くなるものは何?とあるタレントさんが言ってます。 てっぺん極めたら、降りて来ないと。出来ないと、遭難だよ、とね。 戻るべき処、戻るべき家族を、一度は見失ったフレディ。劣等感と闘い 続けたフレディ。彼が冒頭で、パキ野郎呼ばわりされたのが、ショック。 そんな彼の闘いの証が、あのステージなんですね。 私のフレデイ像が、どんどん、パッと、豹変です。胸毛から声を出す、 風変わりなおじさんは、もういません。魂削って、自分の居場所を探し続けた、 求道者だったんですね。 》
―― ▼ 館内の同年輩の人たちが多いのは、当時のロックファンだろうか。 ライブを再現した場面の後、エンディングの実写映像が流れていたが、 誰ひとり席を立つ人がいない。感動で席を立てなったのか?。 ところで、幾つか映画評を書いていたことを思いだして、分類コーナーの 『読書日記・映画鑑賞日記』のコーナーをみてビックリ。丹念に、90点以上 を評価した映画の評論を書いていた。 成るほど、数ウチャ当たるで、 ミニ感動をしていたことになる。TVでみたのは、ほぼ書かないから、結構、 刺激的日々を過ごしていることが分かる。シネマ館、自宅のTVの映画で、 感動・感激を数多くしていることになる。秘・異郷ツアーの旅先や、美術館、 博物館で数知れず感動体験の積み重ねから、『感動・感激力』が知らずと身 についていたようである。二年に一本として、この数年、年に50回平均は 通っているので、100分の1にあたる。是非、ご鑑賞を勧め! 評価:95点。 ・・・・・・ 3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」 2011年11月17日(木) サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。 自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、 いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。 私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り直したが、 もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、 金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、 多くが見えてくるもの。結果からみて、それは予定挫折であった。 自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、自由は不自由!とは、 このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、思いでしかない。 その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を 振り返ると、40年近く自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、 如何に恵まれていたか。自由を自分のものにして、判断をし、その結果を プラスもマイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫。自由の不自由 を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、 幸せなことはない。サルトルは実存主義者だが、人間の本質は「投企=取捨選択 しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、 実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、 人生を切り開く前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は 理想だが、こと個々人になると非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、 獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。 ・・・・・・ 4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜�� 2014年11月17日(月) ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー * 「三年寝姫」ばなな が過ごした‘さなぎ’の時期 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。 ≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。 ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎」 ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て 通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、 よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えて います。毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子ども から大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り 切っていくというもの。 この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の 破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て 過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは 言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ること を許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、 よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさん のお父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思 を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。間違ってもらっては 困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。 それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は 見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさん の御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。 そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに エネルギーがいることです。≫ ▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出した くもない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、 山ほど記憶しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の 浪人生活を加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を 「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番 面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。 その中で特に20代。その背景には、この4年間があったという見方もできる。 読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、 ただ、お受験の重圧の中、ただボ〜ッとしていた暗い日々! これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! この年齢で気づくことが、あまりに多い。振り返ると、「してしまった後悔より、 しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の 時節を改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ〜と過ごす人も いるが、どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は 同じというが・・ 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男(著)に、 「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」がある。 1、「闇」―蛍と星とダークマター 2、「独」―独りでいること 3、「閑」―逆茂木に囲まれて 4、「怠」―「1日4時間労働」の夢 5、「懶」―心の余白 ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。
・・・・・・ 4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ 2013年11月17日(日) * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの 一時間のスケジュールに込んでいる。10年以上続いた刑事ものドラマの再放送。 ー概要をウィキペディアでみるとー { 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、 警視庁内の窓際部署「特命係」に追いやられた警部・杉下右京(水谷豊)を 中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディものであるが、相棒は3度変わっている。 1話ごとの基本的なプロットは、超人的推理力・洞察力を持つ右京が犯罪者を 理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、その一方、全体的な ストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを 描く警察ドラマ路線を更に推し進めたものであり、警察組織のみならず、 官僚・政治家の権謀術数を描いている。2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、 単発ドラマとして放送され、2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送} ▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の 一端に私も入ってしまった。 一年ほどして、家内に「これって、現代版の 水戸黄門でないか。トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、 最後は国家権力を振りかざし悪と対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、 「今まで気づかなかったの?そんなのは、当初から言われていたこと」という。 12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 馬鹿馬鹿しいと 思いつつ、見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、 キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。その一つに、研なお子 が、明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。 再放送直後、家内が知人に、「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。 オバサマたちの多くが、見ているという。もう一つ、面白かったのは、岸恵子 がフランス帰りの「岸恵子」そのもののキャラを演じた犯人役のドラマも、 なかなかのもの。 ・・・・・・ 5725,技術的特異点 〜�� 2016年11月17日(木) 『人工超知能が人類を超える』台場時生・著 * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。 現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に 使いこなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない 進化に日々に驚いているが、これが最近、加速を始めているようである。 〜その辺りを要約すると〜 《特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論 するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。 例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような 意味があるのか?」、「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに 「私たちは人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的 かつ根源的な議論にまで立ち返る必要があります。 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、 その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。 本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。 ・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、 ・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、 ・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。 このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、 「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、 ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人(ホモ・サピエンス)へと 進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、 旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、 その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。 ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように高度 の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》 ―― ▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の 特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、 「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。 この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、 15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで 何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、 深く溜息をついている。まだ、それに気づいているだけマシと自らを慰めている。 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」
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| 6456, 閑話小題 〜10年後に後悔する事とは? −2 |
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2018年11月16日(金)
12年半前(2006年/05/23)に、このテーマで書いていた。 自虐的に書いた予測より、遥かに?客観的な世界情勢は悪くなっている。 ・翌年の2007年に、中越刈羽沖地震が発生 ・その翌2008年09/11に、リーマンショックが… ・2011年/03/11に、東北大地震 直後の/03/31には、新潟駅前のホテル事業を閉鎖 当時でも、2001年の9・11テロ、そして、アフガンへアメリカ攻撃、 2004年の中越地震がたて続きに続いていた。 9・11テロから売上が下降し、 2007年の柏崎・刈羽沖地震で加速し、リーマンショックで更に悪化していった。 信じられ事態の連続である。50歳代に人生のギアを切替え、遣り残しを潰して いたのが救いになった。 まさかのブラックスワン(想像を超えた事態)が 続くとは思っていなかった。そのため思いきった、(前倒し)事業清算の決断 が出来た。これを書いたのが還暦の時節。51歳から9年間で、30年分を生きた 節目の年である。人生に何ら後悔がないと… 独り万歳を叫んでいた。 ― 改めて読返すと面白い。先に記した3つの大激震の煽りでまさか、事業閉鎖に 追いやられるとは… 人が想定できるのは、この程度ということ? あるのは、 9年間かけて、30年分を生きた行蔵。ということは、途中で頓挫しても、80歳 までの計画というより、想定。 80歳の私の自己問答の想定! 《 おいおい、まさか80歳まで生きているとは。 60歳を過ぎて考えたことは、 75歳が死に頃と設定し、それを前提に生きること。しかし75歳になっても何ら、 その兆候が見えない。で、あれよあれよと、80歳。 同年代の半数近くが亡く なってしまった。長寿願望は全く無い。年寄りには、決して生き易い世の中で ないが、面白いのが、情報端末が限りなく進化して、年々、その恩恵を実感 できることが有難い。後悔といえば、5年間も想定より生きていること。 しかし、この5年間の面白かったこと。何が75歳で充分生きたと思い込んでいた 馬鹿さ加減に呆れるよ! バーチャルリアルティが、何ともまあ、世界を広く、 深く誘うのである。知れば知るほど、世界は味わい深くなる。今でも、毎日が、 感動と、感激の雨嵐のように吹き付ける。世間とかいうのから、我が身を守って いたから、この孤高の世界を守れた。だから、毎日が面白くて面白くて、仕方が ないのさ。だから、ここまで生きられたのさ。ざ・ま・あ・みろ、である。》 ―――― 2006/05/23 1876, 10年後に後悔する事とは? おはよ〜!(*^ワ^*)i あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。 「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく 生きかたをする」である。(七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談) 私が十年前に考えたことは、 (。-`ω-)ンー 「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。 20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。 それがこの程度の変化でしかなかったのか? という自問自答は残るが。 現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。 後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、 「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」 とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。 想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、 それ以上である。後悔することは、その時は気がつかない行為と、判断ミス が最悪だったということになる。 それが想定可能かといえば、可能である。 ということは、その想定は最善の準備と同じぐらい大事なことになる。 ― (‐”‐;) ところで10年後に何を後悔するだろう? 一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。 10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいれば、よりシビアな 手が打てたはず。まあ甘さが見えてくる。 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた? ・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。 現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・ それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか? -ω-`A) フ… ・死んで、この世にいない。誰も、もうこの男のことを憶えていない。 二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもない。 (しかし、自分がいないのだから後悔しようがないか!) ・脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、 同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。 ・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。 10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけば よかったと、毎日の生活の追われる日々。 ありそうな10年後の姿である。より深く時代を読まなくては! 酒にも、病気にも注意しなくては! ――― 〜2016年6月29日・記〜 この2年後に、リーマンショックが起きて世界経済は大混乱をした。 その煽りを受けて、3年後に事業清算に至ったが、何とか、それまでの 生活の延長上にある。大病もなく、この随想日記を書き続けている。 〜2018年11月16日・記〜 この激変の中で、この年齢で、10年後の想定すること自体に無理がある。 しかし、その無理な物語を、振りかえ見ると、時分が想定する脳の甘さが 一部でも垣間見れるだけでもよい。「自分など、こんなもの!」と。
・・・・・・ 3887, 積極的逸脱 2011年11月16日(水) 異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる 「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。日本語にすると積極的逸脱。 世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、それが異端に見える。 当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。そういう私の方が地域社会 では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁ある学校の 同級生を除いて最小にしてきた。 これが私にとって、これが積極的逸脱。 職場が新潟、住居が長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。 しかし、私という存在は他者がいてこそ成り立っている。その他者が限られた 閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。「ポジティブ・デビアンス」は、 もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在ではビジネスに使われて いるようになっている。後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が何かの きっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、たまたま 近くに医者がいる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は 他の地域社会の常識から逸脱していることになる。しかし、それを知った 外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、全体の死亡率が減って いったという事例がみられる。 コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して不具合が生じる トラブルで、これはエンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの 大手コンピューター・メーカーの一人のエンジニアが立ち上がり、世界中の ポジティブ・デビアンスを探し出し解決をし、会社への競争優位をもたらした。 大体の改革とは、そういうもの。従来のやり方を根底から変えることは、 どうしても摩擦が生じる。秘境ツアーそのものも、極的逸脱である。 在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱のため。 そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が奥地になるほど、 比例して満足度が高くなっていた。 あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」という質問がある。 死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が残された人生を生きる 術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。 そこで、それを本気になって探すと、自分の生きている世界に、それが無限に 転がっていることに気づくことになる。第二の人生でのキーワードは、 積極的逸脱である。 緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・
・・・・・・ 5724,技術的特異点 〜�� 2016年11月16日(水) 『人工超知能が人類を超える』 台場時生・著 カーツワイルの技術的特異点について、さらに知りたいので、 ネット検索すると、以下のようにあった。 ≪・「特異点とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な 影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほど変容してしまうような、 きたるべき未来のことだ。それは理想郷でも地獄でもないが、ビジネス・ モデルや、死を含めた人間のライフサイクルといった、人生の意味を考える うえでよりどころとしている概念が、このとき、すっかり変容してしまう。 特異点について学べば、過去の重大な出来事や、そこから派生する未来に ついての見方が変わる。特異点を正しく理解できれば、人生一般や、自分自身 の個別の人生の捉え方がおのずと変わるのだ。特異点を理解して、自分自身の 人生になにがもたらされるのかを考え抜いた人を、「特異点論者」と呼ぼう。」 ・「特異点〜人間の知能が、非生物的知能と融合して、何兆倍も拡大するとき〜 が これから数十年の間に到来する」 ・「2030年代初めのコンピューティングの状況は、特異点ではない。 まだ、われわれの知能を根底から拡大するまでには至らないからだ。 しかし、2040年代の中盤には、1000ドルで買えるコンピューティングは 10の26乗cpsに到達し、一年間に創出される知能(合計で約10の12乗ドル のコストで)は、今日の人間の全ての知能よりも約10億倍も強力になる。 ここまでくると、確かに抜本的な変化が起きる。 こうした理由から、 特異点― 人間の能力が根底から覆り変容するとき ―は、2045年に 到来するとわたしは考えている。 非生物的な知能が2040年代半ばには 明らかに優勢を占めるにしても、われわれの文明は、人間の文明であり 続けるだろう。生物を超越はするが、人間性を捨て去るわけではない。」≫ ―― ▼ 現在でも、その一端をみることが出来る。2045年といえば29年後とすると、 29年前の1987年から現在を予測できただろうか。現実はSF学者でも想定外。 ソ連連邦と東側の共産圏の崩壊。中国の実質資本主義化。中東の戦乱。 IS国というSF小説並みのテロ組識の発生と、地域支配と、主要都市への攻撃。 それらの背景の一つが情報革命。最新の情報機器が安価に一般大衆が手にする 時代の到来。これを遥かに超えたテクノロジーの進化が、想像を絶した世界に 変化させていく。それ以前に、世界が消滅?考えただけでも恐ろしいが面白い? あと10年、特異点に近づいた世界をみたくなってきた。
・・・・・・ 4262, しまった! ー10 2012年11月16日(金) ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著) * どう思うかは、そのときまでわからない 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、 受け入れると、諦きらめがつき、後悔とかは皆無。この一年八ヶ月の生活は、 この10年間の気苦労の生活より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに 気楽な平穏な日々に自分でも驚いている。これまで何かにチャレンジをして 不安になると、その結果に対して「なるようになる、その時は、その時!」 という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からない から面白いのだ。 ーその辺りよりー ≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、 遠くから眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。人はとかくその瞬間が くるまで、自分がどう感じるかなどわからない。たとえば、自分が若いときは、 老いて、特別な延命治療を受けるかの質問に、殆どが「受ける」と答えない。 ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士でゼロ、健康の人 で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の 58%の人が、たとえ一週間しか命が延びなくても、治療を望むだろうと 答えている。・・ ≫と。 ▼「こと(実践)」に擦り寄って、体感しないと、実際のところ分からない。 一流のエキスパートには二つの共通点があるという。一つは、「幼少期から はじめている」ことと、二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった 能力は人が思うほど大した要因でなく、重要なのは練習量、特に10年間の 持続的な努力を要している点」。 研究者によると、バイオリニストの調査で、 同年代で、世界の最高レベルの人たちのグループは、20歳までに一万時間 の練習量を超えており、それほど成功してないレベルの人たちの平均は、 2500〜5000時間だった。当然ただ練習をすればよいのではなく、 練習の繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが 必要。ところで秘境旅行は実際に当地に行き直接、その大自然に接し感動して こそ醍醐味が実感できる。どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。 それが良いのである。それは事業でも人生でも同じこと。未知への不安に 対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学(信念)は、 「迷ったら、とにかくやる!」見ていて面白い人生である。節目ごとに私の ところに相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、 現に実践してみないと分からないのを本人は知っている。本題から逸れたが、 ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。 ・・・・・・ 5359,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー�� 2015年11月16日(月) * 男の結婚詐欺師は天性のサービス業 ≪・シマジ:種族保存の本能で、動物のメスは自分の遺伝子を残すため、 より優秀なオスを選ぶだろ。オスはとにかくあちこちにタネをばら撒ければ いいから、そんなに選り好みしない。人間のメスも同じ。自分の容貌はさておき、 背が高くてイケメソで頭のいい、つまり子どもの生き残る確率が高くなるような 男のタネを手にしろと本能が囁く。それゆえ結婚詐欺男の吹く大ボラは、 スケールが大きいほど女にとって魅力的に聞こえる。そこに女性をお姫様の ように持ち上げて夢見心地にする巧みな話術と、悦楽の極致にまで運んでくれる 閨房術を加え女を虜にする。だから男の結婚詐欺師は天性のサービス業かも しれない。女性も薄々おかしいと分かっているのだろう。これだけの悦びを 与えてくれる男なら、詐欺でも仕方ないというくらいの気持ちなのかもしれん。 ・ミツハシ:一方、婚活詐欺女の紡いだ物語は「学費が未納なので援助して」 ですから夢がないよね。金銭的な援助を施すということまで、自分が女性と 結婚するためのりアリティーにつながるのだとしたら悲しいことですよね。 ・シマジ:日本の恋愛文化の貧困さの表れだよ。男と女のスリリングな駆け 引きが不足しているから、こういう事件が起きる。大企業の社長になるような 人間でも同じだよ。≫ ▼ 普段の生活でも別に口説かなくても、リップサービスなら出来る。 営業を生業にしている人は、それが身についていて、直感的に光っている 部分を見つけて褒めてまわる。美人ほど褒めて欲しいが、日本の男は遠慮を してか、褒めてくれない。特に女性は、『私を、どう思っているか』に、敏感。 日本の恋愛文化の貧困に対する供給として、クラブ、キャバクラという日本 独特のサービス業が生まれてきた。そこで、日々、ホステスと、客の、恋愛 ごっこがおこなわれている。今では女性用にホストクラブもある。 ネット検で、「都都逸」を検索したら 〜習う事より 慣れろと言われ あの夜覚えた 四十八〜 〜大きくなくても あたしはいいわ 使い勝手が 良かったら〜 即興で、 〜ブーちゃんも 使い勝手は ほぼ同じ〜
・・・・・・ 4627, 夫婦格差社会 ー2 2013年11月16日(土) 『夫婦格差社会 -二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著) * 夫と妻の所得の関係 ー不平等の鍵はどちらに 奥さんがリッチか、有業かどうかで大きく違ってくる。一人の収入で二人口 より、二人の収入の二人口の方が長い年月で大きな差が出てくる。ローマの道は 一日にしてならずである。とはいえ、残しても、不安の残痕の通帳の残高でしか ない。〔妻の勤労による所得が、夫婦合算所得の平等化に寄与していた時代は 終了し、むしろ格差拡大・不平等化に寄与する時代になっている〕の指摘が、 一番の要所。結婚相手で、人生は決まってくる。 ー概略といえばー ・「ダグラス・有沢の第2法則(夫の所得が高いと妻は働かない)」の観点で 見ると、夫の年収が増えても以前ほど妻の有業率は減少しない傾向が出てきて いる(夫の収入が1000〜1500万の場合でも妻の有業率は50%)。夫の収入に 関係なく、妻が働くかどうか、決めている。この10年で25-34歳の既婚者の 労働力率が10%増加 (結婚しても仕事をやめなくなった)。 ・国際比較では、日本の場合、大卒・大学院卒の女性の労働力率の低さは 際立っている。まだ女性の社会進出が遅れている。 ・1960年代後半に生まれた女性はそれ以前より離婚確率が高い、男性にとって 未就学児がいることは離婚抑制に繋がるが女性は繋がらない、(日本では) 低学歴の人ほど離婚確率が高い。 ・生涯未婚率(50歳で一度も結婚の経験のない人の割合)のデータ分析(p113)。 1985 年までは男女ともに5%以下だったのが爆発的に上昇に転じ、2010年 には、男20.1%、女10.6%であるが、2030年には、男は30%、女は20%と予測。 ・長時間フルタイムで働く30代男性の割合は、東京、大阪、神奈川などの大都市 で高く、島根、秋田、高知などの地方で低い。ところが30代既婚女性の就業率 は、大都会では地方より20%も低い。つまり、キャリアウーマンが多い東京 などの都会は専業主婦が少ないように錯覚されるが、高所得男性も多いので 専業主婦率は地方よりも遥かに高い。 ・同じ階層で結婚することが多く、高収入夫婦が増える一方で、その逆も増加。 (女性にとって、結婚は階層を上げる役割を果していたが、今では薄れている) ・職場での出会いが減ったため、婚姻率も下がっている。 ・女性の約半数が「自分は異性に対して魅力がないのではないか」 「そもそも異性との出会いの場所がわからない」と不安。年収300万円未満 の20代男子の4割は女性と交際した経験がない・・ 男性にとって年収300万円が結婚の壁になっている。 ▼ 家庭間格差は妻が働くかどうかと、離婚、そして婚姻率の低下などが、 直接、間接的に影響してくる。知人をみると、奥さんが働いているかどうか、 親からの資産があるかで大きく違う。短い人生、可能な限り稼いで使いきること。 百億稼いで残した人生より、それを使い切った人生の方が理屈から考えても、 面白いに決まっている。 どの道、夢幻!
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2018年11月15日(木)
* 引退しかないでしょうよ! 大相撲も、貴乃花へのいびり出しをしたことと、2人の横綱が休場したためか、 2日目には満員札止め御礼の垂れ幕がなくなり、空きスペースが目立っていた。 その上に、初日から4日連続敗戦の稀勢の里の引退問題が出てきた。 〜ネットニュース記事より〜 【・稀勢の里が、初日から4連敗を喫した。結びの一番で初日から3連勝と好調の 前頭2枚目の栃煌山にすくい投げで敗れた。 土俵際に押し込み、軍配は1度、 稀勢の里に上がった。だが、物言いの末、稀勢の里の体が先に落ちたとして軍配 差し違えで、初日から4連敗となった。横綱の初日から4連敗は31年1月場所の 宮城山以来、87年ぶり、1場所15日制になってからは初。】 場所前は「絶好調の仕上り」のコメントで言訳が立たない。 一人横綱は、 当然、プレッシャーが大きい。気の弱さを必死に隠している姿が痛々しい。 白鵬、鶴竜は、稀勢の里の4連敗で引退の危機で、結果的には非常に有利の立場 になった。邪魔者の貴乃花親方を協会から締め出し、残った日本人横綱を引退の 淵まで追いやり… 次は、憎い元貴乃花一門の力士を、陰に陽に潰しに… 。 ― ▼・その貴乃花も、嘘か真か、「手元資金が財布の5万円だけの「金欠病で身動 きがとれない」と女性週刊誌の見出しにあった。素っ裸で放り出され、まず直面 するのが懐具合。相撲馬鹿で、実社会が如何なっているか何にも知らない。 「自由が如何に不自由なものかを実感する日々」が実情だろう。 サルトルがたしか、「人間は自由の刑に処せられている」と宣っていた… 怖ろしいのですよ、これ。で、まず自由の代用品として人はお金を発明した。 ここは日本社会、スポンサーは直につくはず。空即是色で、彼なら「空」に なれば、色としての資金は、入ってくる?… 問題は、あの気取りの壁。 それが重大な判断ミスをおかす元になる。いや、既に侵してしまった! こういうことでしょう! 《理事長なんぞは名誉職でしょう。君臨すれども統治せず。祭上げておけばよい。 ならば大鵬、千代の富士、貴乃花を何故にさせなかった? それが貴乃花の本音。 貴乃花が怒るのは当然! 横綱審査会より、理事審査会をつくり、それを明文化 して、決定権を持てばよい。利権が蠢く小さな世界では、そこから変えないと… <国技などチャンチャラ可笑しい>が、ピッタリに戻りつつある! せっかく、面白くなりかけたのに… 》 「はっけよい、はっけよい」より、「はってよい、はってよい」、 いや「ほっとけ、ほってけ」ですか。 …面白ろ! ・・・・・・ 4626、閑話小題 ー今度は絶食系男子! 2013年11月15日(金) * 今度は絶食系男子だと! 草食系男子、肉食系女子が話題になっているが、今度は「絶食系男子」を、 NHK番組で紹介していた。彼らは女子に興味がなく、将来も結婚する イメージが出てこないという。別にホモ系でもない。女性と付き合った ことがない若者が45%いて、男の2割と女1割が生涯独身。2030年には 男の3人に1人、女4人に1人が生涯独身になるという。 アラフォーや、アラフィーの独身男性が「現在の収入や、独り身の気楽さを 考えると、結婚に躊躇」とインタビューに答えていた。それにしても絶食系 男子のネーミングにビックリ。本来、男は「絶倫系男子」だが! ある小話に「月は雲間に隠れたし、貧乏人の俺等には何の楽しみも無いし、 (女房)おや、お前さん今夜もかい!」がある。 情報化の時代、面白いこと が山のようにある。お金もないし、敢えて束縛されることもないし、面倒! というのも分かる。しかし、妻子のない老後の独り暮らしは非常に厳しい という。べき時に、べくことを、べくすべし、でないと・・ 絶倫系も、絶食系も、割り切ってしまえば、これほど面白いことはない。 漫画に、夫婦が互いの首輪の紐を持って、ソッポを向いているのがあった。 何人かの紐を持って困っているのもいる。人生、ままならぬ、ということか。 * ソリスト 自転車入門書によると、ソロでツーリングをしている人をソリストという。 ソリストの本来の意味は、「(1)独唱者。独奏者。(2)バレエのソロを踊る 踊り手。第一舞踏手」 冬期を除いて4年以上、毎朝、1日時間、自宅から 15分かけて信濃川の土手周辺をポタリングをしている。私の一日の スケジュールをみると、殆どがソロ。スポーツセンターでも誰と話すわけ でなし、一人で行って、幾つかのエアロに参加して、帰ってくる。ヨガとか 青竹エアロで、誰かと仲間になり楽しそうにしている人と、私のように 誰にも挨拶するでなし、数人に軽く会釈するだけのソロ組に分かれる。 ヨガでは、50人中、男は10人前後。スタジオの右前方に5〜6人が 陣取り、左最後方に4〜5名のソロと、夫婦連れが横一列に並ぶ。あとは 中高年の女性たち。SJには同級生やスナックのママなど顔見知りがいるが、 挨拶程度で、会話はない。早朝のポタリングや、ウォーキングも、ソロと 二人連れに分かれる。それと犬連れ。で、独身主義が、人生のソリスト? それが自分から求めたかどうかもある。ポタリングは当然、ソロである。 単独か、群れるかは、人であることを優先するか、人間であることを 優先するか、である。 ・・・・・・ 5358,島地勝彦の 〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー? 2015年11月15日(日) * 女の結婚詐欺師がブーちゃんは、昔からの通り相場 渡り歩いた、どの世界にもブーちゃんだが魅力的女性が存在していた。 『やり手ブーちゃん』である。彼女らの対象は、下位八割の男衆のため、 思いの外、声がかかる。 そのやり手ブーちゃんも、1〜2割いるかどうか・・ ブーちゃんだから営業努力をしている? ということは、誰もが営業サービス を望んでいるのである。それが、日本の貧困な恋愛社会では、満足度が低い。 だから、まずは、以下のようなシステムが必要になる。 ≪・シマジ:これは俺の持論だが、男は十代の後半に十歳くらい年上の女性と ねんごろになって、童貞を失えば、みんなきちんと大人になれる。 その意味で、このダーリンは理想形だよ。女はどういうふうに考える生き物 なのか、女のどこを押せばどうなるか。性道を含めて若いころに年上の女から しっかり学んでおけば、三十四歳の婚活詐欺女や三十五歳の鳥取ホステス みたいなのに騙される心配はない。 ・ミツハシ:両方とも男が夢中になるようには見えないスタイルと容貌ですね。 ・シマジ:女の結婚詐欺師はブーちゃんと昔から相場が決まっているんだ。 びっくりするような美人だと、モテない男は「これはおかしい」と警戒する。 俺にこんないい女が「結婚して」なんていってくるはずがないというわけ。 これまでの人生の中で女にモテた経験があまりなく、結婚をできずにいた男 にとって、あれくらいの女のほうが自分の結婚相手としてリアリティーがある。 逆に男の結婚詐欺師は饒舌な二枚目なんだ。つまりクヒオ大佐だよ。 ・ミツハシ:エリザベス女王の親戚でアメリカ海軍特殊部隊パイロットの クヒオ大佐ですね。しかし、「私と結婚すれば、英王室から数億円の 祝い金が出る」という話に至ってはギャグにしか聞こしえませんけどね。 男はロマンチスト、女はリアリストというが、結婚詐欺に関しては、逆。≫ ▼ 結婚に対する憧れも、「共同幻想」の一つ。その幻想=夢を与え、お金を 引出すのが、詐欺師の仕事。「割れ鍋に綴じ蓋」の割れた部分を隠し、高く 売りつけるのが、恋愛の妙味。その仮想(仮装)世界を、キャバクラや、クラブ が提供。 ネット検索で見つけた、二年前の、松本人志のモーニングビッグ対談 第17回 「女結婚詐欺師」の(初めての詐欺) 第18回 「女結婚詐欺師」(過去の失敗)がリアル。 詐欺のポイントは、 ・金を取った後、如何に諦めさせるか ・失敗したときは、さっさと次のターゲットに切り替える ・結婚詐欺は、結婚したら結婚詐欺でなくなるため、独身を通す 映像を見ていて、寒々しい気持ちになったが・・ 埼玉と、鳥取のブーちゃんの女結婚詐欺、あまり奇妙で、被害者が気の毒 だが、老いた天涯孤独の身には、結婚の可能性があれば、少々ブーでも? という気持ちになってしまうのだろう。 ・・・・・ 2011年11月15日(火) 閑話小題 * 江戸時代の幸福とは 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。 <世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、 負わず借らずに子三人> 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。 借金も、何時の世にもついてまわる。最後は、子供の顔でも見て幸せを 感じるしかない、ということになる。 これを現在に置き換えると? <世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人> というところ? ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感 が妄想で不平の上に成り立っているかである。 * 人生に意味(価値)があるのだろうか 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々で、 「自分の人生は何だったのか? 意味=価値があったのか?」等を、 考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、人生の根本問題。 その時点時点で、価値を見出し、それに従って生きているのが人間だが、 実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。 ニーチェが、そのいい加減な万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、 世の中に価値など無いと知るべきと、指摘している。 キリスト教の教えを、 弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。そうこう考えると、 せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味が あったか?などという思いは妄想そのもの? あるのは充実していたか どうかの一点である。その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で人の 悪口、陰口を言っている醜さは、結局は自分のことを言っているに過ぎない ことを自覚してないためでる。 まして大の男が腐った女?のような価値論 を述べているなど・・ エッ私のこと?いえ、貴方のこと!いや全ての人。 ・・・・・・ 4993,暴走する世間 −9 2014年11月15日(土) 「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著) * ケイタイ、スマホが子供、若者を駄目にするわけ 以前、繁華街でTVレポーターが若者に何か質問をしたところ、やおら ケイタイを取り出し、友人に連絡をして、その友人の言葉を鸚鵡返しに答えて いたのには驚いた。考えようとせず、反射的に誰かに聞いて、その場を繕って いる現代の若者の姿が、そのまま現れ出ていた。それが今ではスマホで検索 すれば答えが瞬時に出てくる時代、便利さが、考える能力と自立心をそぎ 落としている。 ー以下の指摘が、まさに、言当てている! ≪ アメリカでは、子どもにケータイをもたせることは、子どもの自立を 妨げるのではないかという議論がある。アメリカの社会学者タークルが、 つぎのような興味深いことをいっている。 <かつては、たとえばニューヨークの繁華街に初めて自分だけで行くとか、 地下鉄に一人で乗るとか、ボストンの街をどこまでも歩いていいという許しを もらうとか、都会の子どもがそういう経験をするとき、その子にとっては 「自分だけが頼り」だったわけ。自分がただ一人ですべての責任を負うわけ ですから、何か危険なことや恐ろしいことが起こっても、自分で身の振り方 を決めなければなりません。人は、どこかでそういう経験をし、そこで湧き 起こる感情と闘う術を学んでいかなければならない。どんなことが起こった としても、状況を打開できるかどうかは自分次第だったのです。 しかし携帯電話の登場以来、子どもがこういう経験をして理屈上は一人で あっても、親がずっとそばにいるという不思議な状況が生まれています。 また子ども自身も、自分が一人ではないと感じているのです。また、携帯 電話は、このような状況を作り出しているわけです。子ども一人では心 もとないだろうと思われる場面で親が見守っているという経験をさせる ことは可能になりましたが、自立の時を遅らせているだけだともいえます。 (タークル「技術を本来の役割に」より)> ケイタイによって、親が子どもとずっと一緒にいるという状況が生じ、 子どもひとりやらなければならないことが阻害されるというのだ。 「ひとりでいてもひとりじゃない」状況は、自立を妨げるということ。≫ ▼ 重大な岐路に立たされると、直ぐに電話がかけてくる男がいる。 重大な岐路であるほど、担当と議論を重ねて自分独りで熟考すべき時に、 身近な人に判断をあおごうとする。関西で、子どもが誘拐され殺害された として、何で北陸の学校が送り迎えを集団でしなくてはならないのか? 変なのは分かっていても、それを声高々に言えない。戦勝国のアメリカ から与えられた自由民主主義の弊害である。そして、次がネットである。 これにプチ世間が結びついた弊害が、青少年だけでなく、成年まで変に している。情報化社会になるほど、個人の教養のベースが必要になる。 その基盤がないため「IT世間」が、個人の内面を縛り付ける。 恐ろしいかなである。 私も、その犠牲者? でも、面白い時代である。 ・・・・・・ 6090,閑話小題 〜 映画鑑賞 ―ザ・サークル 2017年11月15日(水) * 映画鑑賞 ―ザ・サークル 先週みた<ザ・サークル>がGoogleを彷彿させる会社を揶揄したストーリー。 だが、意外に内容は深くない。しかし後半は、一挙にドラマ仕立ての展開に 引き付けられたのはさすが。 ストーリ―といえば、〈主人公メイはSNSで 生活を公開して、多くの人から支持を得る。そしてサークルも、多くの利用者 が増えるなどプラスになる。共有(シェア)が与える恐怖と、市場の影響力 (シェア)が持つ恐怖が、そこにあることを教える。 〜 HPの解説によると、 ≪エマ・ワトソン主演、トム・ハンクス共演によるSNSを題材のサスペンス。 ユーザーのあらゆるデータを蓄積し、世界ナンバーワンのシェアを誇る超巨大 SNS企業「サークル」。憧れの「サークル」に採用された新入社員のメイは、 あることがきっかけでカリスマ経営者のベイリーの目に留まり、新サービス 「シーチェンジ」のモデルケースに大抜擢される。「サークル」が開発した 超小型カメラによって、自身の24時間を公開することとなったメイは、あっと いう間に1千万人を超えるフォロワーを集め、アイドル的な人気を博すが…≫ ― ▼「最後は、創業者自身が、そのシステムで透明化されて窮地に立たされる」 のがオチで終わるが、もっとドロドロ、ネバネバした部分があっても… これはGoogleに対する気遣いのため? 偶然だが、去年の以下の文章。 何故か?何人かに伝わったような?… それも覚悟で書き続けているとしても、何か気味が悪い。(いや、気味が悪い のは私か?) これだけ、『世間様』のことを書いていれば、更なる反感も。 自己を透明化していると、後あと読返すと、その時々の自分が透けて見える ようなところが良いが… 何だろう、この私は?と、想い返すことシバシバ。 「何とも馬鹿な奴(私)!」と、ビュアーは読んでいるだけだが。 ・・・・・・ 5723,閑話小題 〜スポーツジムで聞こえてきた風景 2016年11月15日(火) * スポーツジムで聞こえてきた風景 30年間、自宅のある長岡と新潟間を新幹線通勤をしていたこともあり、 スポーツジムなどの公共の場で、横目線の会話を聞くことは、同級会を 除いて殆ど無かった。あとは居酒屋とスナックと、年2回の海外ツアー先の、 旅仲間位である。ところが、スポーツジムは、種々雑多の世界の真っただ中。 夫婦連れ、親子、友人同士や、単独で黙々とスケジュールをこなす人など、 水平視線の社会観察が、なかなか面白い。 その幾つかというと・・
・いつも同じエアロに参加している中年女性が、数日、休んでいたが、 知人と話す内容が、「<数日前に、1日だけ腰痛治療で入院した。医者に、 家に居ると、家事・雑用など動くので、入院をして横になりなさい> と言われた通り、一日中、病室で寝てきたが、成るほど調子が良い!」とか。 5月と11月は定期的に腰痛が重くなる我が身。雨が続くと、早朝のチャリ 乗りが出来ないため、早朝3時間と、午前2時間、合計5時間はパソコン前に 鎮座することもあってか、その直後の家の移動は、前屈みの姿勢になる。 腰痛は「とにかく横になるのが一番」は、経験から解っていたが・・
・つぎは、ロッカールームで聞こえてきた話。 「今日、これが終わったら、1人で湯沢に一泊の湯治に行く予定。 安宿だが、独りで何もするでなし、酒を飲んだり、風呂に入ったりする。 その宿は私のような一人客が多い。ストレス解消に、こうでもしないと!」 人様ざまのストレス解消法があるようだ。 ポイントは、単独で、日常世界から一歩出てボッとすること。
・ジムの『平日、昼間コース』には、中高年の女性が中心。 水商売風、家庭の主婦、パートの合間に来る人とか。そこには唯我独尊の 大阪風オバサンも来ている。 ロッカールムで、隣の初老の男が知人にボヤク内容とは、 「さっき、ヨガの予約チップの最後の1枚を取ろうと手を出したところ、後ろ からオバサンが大声で、『その1枚、私の!』と言われ、思わず手を引っ込めた。 その迫力の凄かったこと。」 この手のオバサン的な人は、どこにもいる。 そういえば、並んでとった何時もの定位置に小物バックを置いて、ヨガマット をとりにいって戻ると、そこにオバサンがいて、指をさして、アッチが空いてる」 と宣う。「いや、ここは私の定席なので」というと、シブシブと、移動して いったが、こういうのは日常茶飯事。 基本として、こういう場は、譲って きてはいたが、あまりに図々しいのは・・ 夫婦の力関係が、そのまま出るのだろうが、色いろ面白い!
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| 6454,つれづれに哲学 〜アドラーから学ぶ −3 |
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2018年11月14日(水)
<「生きづらさからの脱却」岸見一郎著> * 「価値低減傾向」と虐め 本書で、虚栄心に満ちた人に見られる「価値低減傾向」について取上げている。 誰でも持っている内幕情報なそ覗き込み願望も、これ。‘子ぎつね’‘腹グロ’ と敬遠され、その場の空気が汚れる為、名前を出すことすらしない。自分に甘く、 他人に厳しくが、もっとも端的に現れるから始末が悪い。特に、これを営業ネタ と活用をしているコテコテの小悪党。その毒は、対象の人間を自殺に追いやる程、 効果がある。当人が、どれ程、怨まれているか、全く気づかない。 人は短所の特徴で他人を呼ぶ傾向がある。 子供の頃かあ『アダナ』など、 自然と「価値低減傾向」をしているのである。 〜この言葉をネット辞書で検索すると ≪ 優越感を持とうとするあまり、他人の価値を貶める発言や行為をする… …いわゆるマウンティング。相手をケナすことで自分の価値を上げようとする ものの、実際には相手をケナしたところでその人本人の価値が上がるわけでない。 ところが本人はそのことに気づいていないため、必死にそれを繰り返す。 優越感を持ちたい人は、家族や知人間で価値ある人間だと思われたい。 そして自分に価値が無ければ家族や仲間が離れてしまう恐怖を抱えている。 そのため家族や仲間が離れていかないよう、自分にそれだけの価値があると 思わせたい。しかし自分にそれほどの価値があると証明できないなら、家族や 仲間の価値を下げればいい…というNot-Self(自分らしくない状態)に陥る。≫ ― ▼ 娑婆には、このコテコテの小キツネが面白いほど存在する。 他人の不幸は蜜の味と、蜜を振りまいている輩たち。 『メシウマ』=「他人の不幸で今日も飯がうまい!」。 『メシマズ』=「人の不幸でメシが不味い!」と、粗探しを酒のツマミにする。 それが、「生きづらさを自ら生産していることに自ら気づかない。アドラーは、 この性を「価値低減傾向」と名づけ戒める。 ところで、私たち、これを自分の過去に対してしるのでは? 青少年期頃の 若気の至りのフラッシュからウジウジして… 酷いのになると、痴呆症の悪例 として、身近な人に、遥か昔の脚色をつけた窃盗などの妄想をぶつける。 「価値低減傾向』より性質が悪い話を聞く。日本社会の特徴の一つに、 「同調圧力」の強さと「自尊意識の低さ」がある。自尊心が無いため、他者に 対する異質を取上げ、攻撃にまわる。その人のそれは、歪んだ自虐でもある。 ・・・・・・ 2018/05/21 閑話小題 〜老いるに従い、サイコパス化する?
* 陰口好きは軽いサイコパス 先日読んだ本に「内幕情報屋は、軽度のサイコという精神病」とあった。 そこで直に思い浮ぶのが、何人かの面々。特に営業屋のトップセールスへの 前フリネタの有効なエサとして最も有効なればこそ、知らずに自らが毒されて いることに気づかない。成るほど、あの人がサイコと思うと合点がいく。 人の不幸は蜜の味だが、悪口、噂話は気をつけるべし。問題は程度になるが… 男の風上に置けない腐った女のような一群の人たち。 そう書いている私も? 「老いるとは、サイコパス化していく。変化出来なくなるからだ」とすると、 先々が恐ろしい。 〜ウィキペデアによるサイコを特徴とは〜 【 犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。 ・良心が異常に欠如している ・他者に冷淡で共感しない ・慢性的に平然と嘘をつく ・行動に対する責任が全く取れない ・罪悪感が皆無 ・自尊心が過大で自己中心的 ・口が達者で表面は魅力的 極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義である。】 ― ▼ 5人に1人に、この傾向が強いという。 株屋、商品取引など金融系の末端?の人たちに端的に現れ出る軽い職業病。 それが今ではトップの金融庁の事務次官、国税庁長官がコテコテのサイコ?。 ところで、最もサイコパス的なのが、政治家じゃないですか! 陰口を陰口で書くなど、自虐そのものじゃないですかい。 ったく! 「自分は違うって?」 「魂のシリアルキラーじゃないですか?」 ただし、すべからく、だが。
● シリアルキラーとは、快楽殺人鬼のこと。大部分の人達が、日ごと 万引きより遥かに重い、快楽殺人のミニ版を行ってるの。 なら以下のことが分かるはず。馬鹿にバカというのが、一番バカか。 何かサイコの独り言のような。 老いるに従いサイコ化する?というが、 …成るほど。
―――― 5544,閑話小題 〜悪口は泥棒より悪いって知っていた? 2016年05月20日(金) ー「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」三浦 綾子(作家) 『人間学入門』(致知出版社)より * 軽度のサイコパスだとさ 以前、この道理を知ったとき、そこまで悪口が罪悪とは思ってなかったこと もあって、驚いてしまった。大家族の中で育ったためか、本能的に、悪口や、 他人の誹謗中傷を言うことがタブーか知っていた。一番立場の弱い末っ子が、 まず身につけるしかない自己防御のなせる業である。それが、進級、進学に つれて、育った環境などにより、弱者に対する虐めや、悪口を言う人の比率が 増えていった。 学校、職場、一般社会も、階層があって、そのコントロール として、誹謗中傷と悪口が、大きな働きをしていた。 それを筆者がズバリ、 泥棒より悪口が、悪いと断じるから・・ 〜その辺から ≪・時折、講演で話すんですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。 私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。 大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底から覆される ような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、 泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を 言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。 「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べる のよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、 という話があります。 ・それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時 に生れる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代 の素行を聞き、 さらに現在愛人のいることを知らされた。 それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。 この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、 生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 恐ろしい話です。私たちの何気なく 言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。 泥棒のような単純な罪とは違うんです。 それなのに、私たちはいとも楽しげに 人の悪口を言い、 また、聞いています。 そしてああきょうは楽しかった、 と帰っていく。 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。 ・もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、 泣いたりする。 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなる のではないでしょうか。 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が 立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。 私たちは自分を罪人だとは思っていない。 罪深いなどと考えたりしない。 「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 私たちはたいてい そう思っています。 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。≫ ▼ これを読んだのは、20年前になる。元もと、噂話や、他人の中傷誹謗に 興味がなかったが、大家族の中では、第三者の話題はタブーに近かった。 学生時代も、殆ど、批評はすれど、批判をしないのが通り相場。いい大人が、 悪口など、男が廃るという空気があった。しかし、自分が人を使う立場になると、 飴と鞭のムチを、知らず知らず使いだしていた。知人に噂話を売りにした人が 何人か存在するが、耳を塞ぎたくなるほど聞くに堪えない。長年、かかって顔が 暗く澱み、声まで変質している。あれ、万引き常習者になるが、これも悪口か・・ ―――― 2016/04/07 愛と孤独 ―池田晶子の言葉 〜�� 『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著) < 孤独の味わい方 > * 他人の悪口が気になる人へ 《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に なるのですね。 よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、 自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、 自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、 ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》〜『人生は愉快』 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者と しての内なる記者の目線でみえた現象の面白さは格別であった。 プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、 楽しんだ結果でしかないから。所詮、悪口とは、その人間そのものの影! ―――― 2003/11/25 965, 悪口についての一考察 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。 しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。 昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、 悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目 している部分もあるが) それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。 本音でいうと 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。 痴呆名士志向の子狐的人間である。 地方で頑張っている人はこういう 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。 「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。 人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。 〜辞典には ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に) いう言葉」とある。 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。 悪口とは事実に反してと書いている。 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても 叩かれないことになる。 ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。 ・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に 人を殺す。 ・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。 ・悪口にも色いろある。 本人に面と向かっていう悪口と 陰でいう悪口がある。 ・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ! サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』 ー続く ーーーー 2003/11/26 966, 悪口についての一考察 −2 どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉があると。 しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。 4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。 片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を 言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」といって いる姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口だが。 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。 虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。 大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。 人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。 さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近く読み続けているから 知らないうちに外部化しているのだろう。 表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。 同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア ということは知らないようだ。 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。 ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライド など微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。 ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、 「悪口はいけません」とのたまう。 この二面性を持っているのが人間の姿である。 悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。 ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー 「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっていうような奴」 「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」 「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」 「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス」 悪口はまるで無尽蔵である。 嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に 渦巻いているドブから発するガスである。 ー インターネットで調べた内容をコピー ー 「悪口をやめよ 」 ヤコブ4:11〜12 箴言26:17〜28 マタイ5:21〜24 ー皆川尚一牧師ー 悪口をやめよ! 兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、 自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。 もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者である。 しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、 救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、 いったい、何者であるか(ヤコブ4章11〜12節)。 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ) という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、 「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。 しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、 今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。 だから日本語では「陰口をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」とか 言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、 相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に 反論したりできますから、ある程度公平だと言えるでしょう。しかし、今そこ にいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、反論も 出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。 二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、 話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が 失われ、せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口 ほど質(たち)の悪いものはありません。 しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない 人が多く、このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、 特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに 心を配って行こうと呼びかけているのです。そこで大切なことは陰口をきく のは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。 それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。
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| 6453,閑話小題 〜「公正世界仮説」という認知傾向! |
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2018年11月13日(火)
* 言われてみれば、そのとおり! 人間には「公正世界仮説」という認知傾向があるというネットサーフィンで、 知った仮説だが、御隠居になった現在、この仮説そのままを前提に生きてきた 自分の愚かさを自問自答させられる内容である。世の中は、決して 『自由、平等、博愛』ではない。不自由で、不公平で、憎しみが満ちている。 間違いなく、<3,30,67%法則>の社会層で出来ている。その層の中でも、 さらに層が分けられている。都会の孤独とは、それが圧縮して露呈された中で、 ポツンと置かれるため、世の無常を敏感に感じ取る嫌世観が重なる。 その前提が、この「公正世界仮説」がある。それが、あるから恨み、妬みが 発生する。それが露呈しているのが、インド社会であり、中国共産社会の実態。 こういう視点も、この仮説が言わしめている。 〜先ずは、その内容から〜 ―― ≪ 公正世界仮説とは「世の中は公平にできている」と考えたがる人々の傾向 (バイアス)のことで、社会心理学の分野でメルビン・ラーナーが最初に言及 したとされている。<一般に人間は「世界が予測可能、理解可能であり、 したがって自分の力でコントロールできると考えたがる」と…。>
つまり人は「世界が公平で、コントロール可能で予測可能であって欲しい」 という願望のようなものを持っている事を意味します。 予測可能な世界観は、ルールに従った者は利益を得られ、悪は罰せられるような 世界観。多くの人は「良い行いをすれば報われ、悪い行いをすれば罰が当たる」 と思い込んでいます。私たちも子供の頃からそう教育されてきます。しかし、 この世界の捉え方は時として認知のゆがみをもたらすと…。
私たちは成功者や富や権力を手にした人を見るだけで、 「その人はその富を享受するのにふさわしい行動を何かしたのだ」と考える。 その人があまり社会的に認められないやり方で成功したとしても、無条件に 何かしら人として優れ、尊敬に似た感情を抱いてしまいます。
逆に、不遇な境遇に置かれている人に対しては「ああいう目にあっているから には何か原因があるはずだ」と推論してしまいます。これは被害者批判、過度な 自己責任論につながり、例えば夜に出歩いて襲われた女性に対して、 「夜中に出歩く女性のほうが悪い」などと、本来攻めるべき加害者では無く 被害者のほうに批判が向いてしまいます。
高身長のイケメンや美女は周囲から仕事が出来るように思われやすい傾向も、 良い特徴を持った人は他の部分でも能力があるというハロー効果のような 認知傾向を私たちは抱いています。 「世界は公正で、何らかのルールで回っている」と認知したい傾向は、人がより 良く生きていくのに必要だと言えます。真面目にコツコツ生きている人は、法律 に隠れて悪いことした人に天罰が当たることを期待しますし、悪人が罰を受ける こと無くのさばる世界など認めたくないでしょう。 努力や良いことをした分だけ報酬や報いを期待してしまったり、何か悪いことを した人には罰が当たるに違いない、と思い込むのはごく自然なことだと言えます。≫
― ▼ トランプ大統領をみて、誰も「公正世界仮説」を信じないが、アメリカの 67%の殆どが、アメリカンドリームを信じ、この仮説の上で生きているという。 悪いのは、あくまで、やり方が悪い、チャンスに恵まれないからと… 会社整理で、面白かったのは、「失敗した全責任は、御前にある!」という見方。 全責任などあろう訳がない。たまたま、歴史的断層のバブル崩壊、9・11、中越地震、 中越沖地震、リーマンショック、3・11地震に出会ってしまった。万一の対処は、 事業設計に組込んでいたため、骨折?で済んだ… が、そこで見えたのが、この 「公正世界仮説」。それを前提に、それまで私も生きてきた。そして、それを機会に、 この論を信じて生きている世界(社会)の実態。 成るほど、社会は、これで成立 しているのである。 何を今さらだが… アメリカの属国の日本。 頑張ってね…
・・・・・・ 5721,閑話小題 〜アメリカ大統領選挙 〜�� 2016年11月13日(日) * メガトンクラスの衝撃に、驚愕! この選挙結果を総括していうと、こういうことになる。 < 泡沫候補の戯言に乗って、アメリカがグローバル化政策から、内向きへの 大転換の道を選んでしまった。世界中のエコノミストも、政治家も、この驚愕 の選択に、今だに信じられない思い。とりわけ、日本にとって、最大級の衝撃。 これがメガトン級の地震なら、問題は、これから押し寄せてくる大津波である。 明治維新も、太平洋戦争と敗戦も、1985年のプラザ合意による意図的な 日本経済のバブル化と崩壊による日本経済の弱体化も、アメリカのアジア支配の 一環としての力学の結果。 それが一人の泡沫の実業家の戦法、 「グローバル化の恩恵を受けなかった下層白人に的を絞ったアン・グロ政策」 に賛同し、得体のしれない野心家に絶大な権力を与えてしまった。 受けを狙って、まずは、日本に矛先を向けてくるのは必至。日本の改憲派に とって、非常にプラスになるが、その前に、近くの強盗に、家中の現金、資産を、 ごっそり持っていかれる。明治維新以来の、あるべき真の独立が、嫌が応にも、 突きつけられる。「前門の虎、後門の狼」の虎を中国に例えれば、後門の狼が アメリカになる。今までは、後門の狼に尻尾さえふれば、前門の虎は、後門の 狼を怖れて襲ってこなかったが、これからは、違ってくる。後門の狼も、牙を 剥いて、襲いくる可能性も出てきた。 2045年が技術的特異点になるというなら、今回のアメリカの選挙結果は、 欧米にとって、日本にとっても、『特異点』になるのでは? その中、日本は 東京オリンピックの乱痴気騒ぎが、始まっている。 江戸末期の、 「ええじゃないか、ええじゃないか!」の狂乱が、東京オリンピックそのもの。 「それも、ええじゃないか」で、目先、行くしかないとしても・・・ 「まさか」の坂が次々と現れ出てきたが、2045年問題を含めて、これが21世紀。 ・・・・・・ 4259, しまった! ー8 2012年11月13日(火) ーしまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン(著) * 人は、聞いた話を自分なりに綺麗に改変する ≪学生の被験者に、ある物語を聞かせ、後で、その物語を語らせると、大きく 歪曲する事実があった。問題は、その話の程度が予想を遥かに超えていたこと。 全談話の61%に情報の追加、省略、誇張、最小化をおこなっていた。 それを学生の42%しか、認めてなかった。それは学生が偽りだったとは思って なかったことを示している。・・そのうえ、学生は話を聞き手の好みに合わせた だけでなく、更に重要なことは自分の目的に合わせていた。特に面白い話の場合、 大幅に誇張したり、うそを加えたりした。後で聞くと、被験者の6割が、その話 に嘘を入れていた。人は談話をするときには、情報伝達をする目的と同時に、 ある目的を達成する手段になるもの、という結果になった。その意味で、対話の 目的とは事実を伝えるのではなく、印象を伝えることだと。もっと面白い作用は 聞き手だけでなく、話し手自身に対するもの。語り手が自分の作り話を、何度か 話しているうちに、作り変えた話が、その人にとっての記憶になるケースが多い。 私たちは自分の嘘を本気で信じるようになるのである。更に悪いことに、本人に、 その自覚がないことである。≫ ▼ 私が小さな地域社会で、アウトサイダーに徹しているのは、これを知って のこと。社会学を40年以上、独学してきて、その馬鹿馬鹿しさを知っていた。 逆に、それを独り楽しんでいる自分がいる。割切ってしまえば、これほど面白い ものはない。B層の、さらに下のC層という何も考えない旧来の価値観から一歩 も出たことのない人たち。彼らにゾンビが多い。彼らは普通の風体をしているが、 中身はカラカラの干物。水気が失われているため、真っ当な人間に対する語り部 になるしかない。彼らの毒は、「作り話」として人に襲いかかる。 襲われ、 その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに変身する。そして地域社会の多く がゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、その自覚も無く、屍の 群れは今日も人を襲い続ける。これが城下町レベルでなく、情報化の御蔭で 全国区レベルになっている。 ・・・・・・ 4991,暴走する世間 −7 2014年11月13日(木) 「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著) * なぜ日本の男はマザコンなのか 世間が、そのまま家庭に入り込んでいるため、そこにあるのは甘えの構造。 その延長を男は、酒場の女将に「ママ」として求める。マザコンは、どこか 乳離れしない母子関係の名残。 ーその辺りからー ≪一般に日本では、恋愛が恋愛として完結しない。恋愛関係はいずれ壊れるか 壊れなければ「母子関係」に移行するかのどちらかになる。奇妙なことに、 日本の家庭で夫婦がお互いをよぶときに、「ママ」「お母さん」や「パパ」 「お父さん」がつかわれる。子どもが親をよぶときの名前が、そのまま夫婦の 呼称になっているのだ。これは、そもそも夫婦がお互いに個々の人格として向き 合っているのでなく、あくまでも子どもを媒介として向き合う関係を示している。 そして面白いことに、飲み屋のおねーさんや、バーの「ママ」、クラブの 「ちーママ」も「ママ」。つまり夫の場合、家庭の外に複数の「ママ」が存在 することになる。妻に家庭外に「パパ」がいることもあるかもしれないが、 それは、愛人関係など特殊な場合だろう。妻にとっては、家庭での「パパ」は、 ただちに「父子関係」を意味しない。だが夫にとっては、家庭内外での複数の ママとの関係は「甘え」の関係であって「母子関係」を意味する。ようは、 男はいわば複数の「家庭」をもってることになる。さらに夫の側が、家庭は 「癒しの場」や「憩いの場」だというときには、根底にはこの「母子関係」 がある。つまり、自分が癒される場所、憩える場所だと考えている。 しかし妻の側にとって、家庭はあくまでも「夫を癒してあげる場所や、夫を 憩わせる場所」なのである。そこにある癒される自分のちがいは決定的である。 阿部さんは日本では、西欧のような「個人の時間意識」ではなく、 「共通の時間意識」があるため、母親と子供の関係も、母親が90,70歳 でも、息子は息子であり、いくつになっても、母と子の関係が続く。 ≫ ▼ 日本の夫婦間の喧嘩で常に妻から出る罵声、『マザコン!』。 外向きは亭主が上だが、内情は、妻のほうが上位にある。これは「母子関係」 が、知らぬ間に夫婦間に移行したため。私など、マザコン、ファザコンの上に、 4人の姉の存在もありシスコンが加わる。これが悲しいかな大家族の末子の宿命。 家の中は「憩いの場」は一切なく、常に緊張をした「集いの場」で、無言で 大人しくするしかない。そう自分とは、家庭内の他者と、家庭外の他者から、 形づくられていることが分かる。健全な家庭こそ、全ての基本になるが、 ファザ、マザ、シスコンの歪んだ私が健全の家庭をつくってきたのだろうか? ところで健全な家庭って存在するのか?程度の問題? マザコンとファザコン が絡みあった二人が家庭をつくるのだから、それは大変なことである。 ・・・・・・ 6088,閑話小題 〜改めて想う、親の愛 2017年11月13日(月) * 相性のあった両親に出会えて ある席で、中学校を卒業後、大手メーカーに勤めながら、夜間高校を卒業。 地方公務員試験に合格し、公司として無事、勤め上げ、今は年金暮らしという男。 後日、『あなたの話を聞いて、頭が下がる思いだった』と、問いかけると、 『実は、親父が大酒飲みで、家に金を入れず、生活に瀕していた。自分が長男の ため、少しでも早く自立したかった』とのこと。逆に私といえば真逆で、9人 ‘きょうだい’の末っ子の立ち位置もあって、両親、とりわけ父親に間接的に、 溺愛されて育った。その人の生き様から、特に「私は愛情のベースの上で生きて こられた」と、つくづく思い知らされた。その温もりの体質が「幸せな一生」を 引き寄せてくれていた。大きな節目の判断ごとに、『父だったら、どうするか?』 の自問自答と、読書習慣から得た知識と知恵が、自らを救ってくれていた。 最後の最後まで、家族を、とりわけ不祥の末っ子の幸せを祈ってくれていた。 人生を総括すると、時代背景と両親に恵まれ、時節の出会う人に恵まれていた。 こういうのを「運」という。 その「運」とは、「判断」の結果をいう。 判断が良ければ「幸運」、悪ければ「不運」と。判断を誤らないために、 心の芯を純白にして、正しい判断を… 私の多くの判断ミスは、 ・1990年前後のバブル崩壊への対応と、 ・1995年の「ウィンドウ95」から始まったネット情報社会の到来からくる 「断絶の時代」への社会的大変動への読みと、 ・2001年の9・11テロの歴史的転換の事象への認識と対応の甘さと、 ・2008年9月のリーマン・ショックの大波、とりわけ地方経済影響。
父親が死期を悟り、その恐怖に七転八倒をしている中で、人生を振返り、 <「太平洋戦争」が、あまりに大きな出来事であったと… > 呟いていた。 「社会は突然、何が起きるか分からない。常に備えは怠りなく」と家宝の教えの 伝授をしてくれた。時は昭和40年代後半。ドルショックと石油ショックが起きた。 創業に向け動き出した直後で、人生の出発時の環境として最悪の事態。考えて みれば、その最悪の事態が力を試すという面では良かった。 何はともあれ、 前向きに、無心に、真正面に、全力を持って立向かえば、悪条件が好条件に好転 すると、信じるしかなかった。「想い」とは、死んでも、何かを通して、世に 残るもの。残らないのは、残さないから。 残すこともないが… 太平洋戦争から70年以上も何事もなかった、平和な島国の日本に、真っ黒な 暗雲がたちこめてきた。これだけは「ケセラセラ、なるようになる!」の世界。 <相性にあった両親と時代に出会えた幸運に感謝し、戦争回避を祈るしか。> 役者の顔ぶれが、劣悪すぎ。 世界が燃え上る空気感とは、こういうこと? 金のバラまきで、一部は浮かれているが。所詮は、あぶく。戦争は残虐である。 ・・・・・・ 5356,そこに困っている人がいれば ーベストエッセイ �� 2015年11月13日(金) ーベストエッセイ 2015(文藝春秋)ー * そこに困っている人がいれば ー角田光代 毎年のベストエッセイを特集した単行本で、面白いのが揃っている。 その中からランダムに面白いエッセイを幾つか紹介する。物書きのプロは 流石と、思い知らされる。このエッセイに、タイの仏教色が滲み出た国民性 が、色濃く表現されている。江戸・明治時代は、こんな仏教色豊かな空気が 日本にも漂っていたのだろう。 〜その辺りから〜 ≪ 完全な仕事で、遊べるような時間どころか、ゆっくり食事をする時間も ないほどのせわしなさだったのだが、数日間、バンコクにいった。タイに 初めていったのは一九九一年。もう二十三年も前で、以後、七度訪ねてきてる。 町はどんどん変わる。スカイトレインができ、地下鉄が走り、ピンクのタクシー が多く見られるようになり、飛行場も場所が変わった。毎回、驚いている。 二十三年前の旅は、私にとってははじめての自由旅行だった。宿もいき先も 決めない、一カ月の滞在だった。私がその後、二十年以上ひとり旅を続ける ようになるのは、あの旅がすばらしかったからだ。何がすばらしいって、人。 食事もおいしい、光景もすばらしい、ものすごい体験もたくさんした、けれど 魅了されたのは、すれ違うだけのような関係の、多くの人たち。地図を開けば、 何か困っているのかと人が近づいてくる。ここにいきたいと伝えると、自分は 用もないのにいっしょにバスに乗りこんで、目的地で下ろしてくれる。炎天下、 バスがくるのをいっしょに待って、運転手に私の目的地を説明してくれる。 あまりのバスの混雑に辟易していたら、席を譲られそうになったこともあった。 目が合うと、みんなにこっと笑う。 それから訪れるたびに、町の変化と同様に、人の顔つきも変わってきた。 バンコクはどんどん大都会になり、人の顔つきも都会のそれになった。 町も人も、洗練されたのだと思う。 パリとか、ニューヨークなんかと同じ ように。そうした都会では、旅人がひとりで歩いていても、ふつうはだれも 声をかけてこない。と、思っていたのだが、今回、びっくりすることの連続。 方向を確認するために地図を開くと、「どうした、どこにいきたいのか」 と歩いていた人が近づいてきて、ていねいに道案内をしてくれる。ある場所 をさがして迷いに迷い、店番をしている人に訊くと、「こっち」と歩き出し、 目的地まで連れていってくれるではないか。なんにも変わっていないと、 驚きをもって思い知った。なぜ、都会的に洗練されたなんて思い込んでいた のだろう。私が旅した二十三年前に生まれてなかっただろう若い人たちも、 戸惑う位親切で、あたたかい笑顔を見せる。ありがとう、とタイ語で言うと、 「まいど!」と笑顔と日本語が返ってきたりする。 バイクタクシー乗り場をさがして、あるビルの駐車場にいたスタッフに、 乗り場が近くにないかと訊いた。バイクタクシーでどこに行くんだ、と彼が訊く。 私は目的地を言った。地図には載っていないムエタイジムだ。その彼は、 場所は知らないがジムの名だけ知っていると言い、ついてきてと手招きをして 歩き出す。どこにいくかと思っていると、車の走る大通りに出て、空車を 見つけては手を上げる。止まったタクシーのドアを開け、運転手にムエタイ ジムの名を告げる。みな知らないらしく、首を横に振る。この人、私が とめないと、ジムを知っているタクシーがあらわれるまで、えんえんと、 タクシーを止め続けてしまう! 自分の仕事を放ったまま、と気づいた私は、 もういいんです、だいじょうぶです、自分でさがしますと彼に伝えた。 いいんです、戻ってください、ありがとうございますと言い続けると、釈然 としない顔つきで、彼は駐車場に戻っていった。この国の人たちは、困って いる人を見ると、平気で自分の時間と労力を差しだすのだ。 二十三年前からずっとそうだ。だれかを助けたなんて彼らは思っていない。 そうして助けられた日本の若い女が、その後、人において圧倒的な信頼を持つ に至ったなんて、考えることもない。例のジムは、その後にさがしあてて 乗ったバイクタクシーの運転手が、すれ違うバイクタクシー仲間にさんざん 訊きながら、なんとかたどり着いてくれたのだった。「文藝春秋」九月号}≫ ▼ フィジーでも、その国民性の純粋さ、暖かみに驚かされた。 イギリスから独立した国で、欧米と南太平洋の大らかさが、ほどよく ミックスされている。近くにあるフランス領ニューカレドニアとは、 えらく違う空気。何か地中海の飛地にいるような感覚で、原住民は、 片隅に追いやられているような。海産物や果物など自然の幸が豊かで、 キリスト教が、プラスに働いているようだ。天国より、煉獄が似合って いる私など、10日もいれば飽きあきするのだろうが。 ・・・・・・
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| 6452,つれづれに哲学 〜アドラーから学ぶ −2 感動を使う! |
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2018年11月12日(月)
<「生きづらさからの脱却」岸見一郎著> * アリストテレスの「原因論」 〜「質料因」「形相因」と、「起動因」 社会や、物事の原因を簡明の読み解くに、解りやすい事例である。 ≪ アリストテレスは、彫刻を例に原因を、次の4つに分類している。 ・まず、青銅、大理石、粘土などがなければ兆候は出来ない。この場合、 これらは、彫刻の「質料因」(何からできているか)である。 ・次に、「形相因」(何であるか)。彫刻が何を現しているかということ。 彫刻家は像を刻むに時に、何をつくろうかというイメージを持っている。 ・原因の三つめは「起動因」(動がそこから始まる始現)である。 父親が子供の始原であるように、彫刻家が彫刻の起動因である。 ・さらにアリストテレスは、これらの他に、「目的因」(何のために成立 したか)を考える。彫刻家が、彫刻を望まない限り、彫刻は存在しない。≫ ― * アドラーの「原因」論 〜 感情も脳も、感動さえ使う、極意とは 〜 ≪ アドラーも、行動について「なぜ」と問う時、「原因」という言葉を使う。 アドラーは「なぜ」という問いによって、行動の「目的」を答えとして期待して いる。「どこから」でなく、「どこへ」を問うのである。アドラーの「原因」は、 プラトン、アリストテレスのいう4つの原因のうちの「目的因」である。… アドラーは、他の原因は目的に従属していると考えた。 ―使用の心理学― …またアドラー心理学は「所有(何が与えられているか)の心理学」でなく、 「所有(与えられたものをどう使うか)の心理学」である。人が置かれている 状況がそのまま人のありかたを決定するのではない。 『大切なのは、何が与えられているかでなく、与えられたものを如何使うか』 … アドラーは、アリストテレスの原因論にプラスして「目的」を加えた。 目的論とは、「善」を目指し、それを目的にしているという観点から行動や 症状などを理解することである。 脳を例えると、私と脳は別物であり、私が 脳を使うのであって、脳が私を使うのではない。脳は大事ではあるが、人が行動 する時、それによって目標を決める起源ではなく、脳が心を支配するわけでない。 【善を実現する目的のため、脳を使う。】のである。 ―感情を使う― 感情もまた、我々を支配するのではなく、感情をある目的のため使うのである。 感情は意志の力によって左右する。交通事故で車をぶつけられた時に、男は 美人と意地悪そうな相手では全く対応が違ってくる。感情なぞ使い方で如何様に 良くも悪くもなる。ヒトラーは大衆煽動に怒りの力を利用した。怒りは、隠れた エネルギーとして直接的になる。 ― ▼「感情を使う」の論を考えていると、「感動をつかう」の言葉が類推された。 秘・異郷ツアーの旅先で、何度も何度も感動体験をする。その結果、脳に蓄積 された精神面でのデ・トックス(体内に溜まった有害な毒物を排出させること) で、心というより、魂の解放を実感する。「感動を使う」こと、そのものになる。 早朝の一時間のミニ・チャリも、小さな感動の旅になる。目的は、デ・トックス の「善」の自己実現。このブログの書き込みも一種のデ・トックスになっている。
・・・・・・ 6087、閑話小題 〜 「日の名残りに」 (2)―つれづれに 2017年11月12日(日) * 51歳の誓い 人生を変える切掛けになった、カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ 51歳の時節に、「還暦までの9年間に80歳までの大よそ30年分を圧縮して生きる」 と決心し、実践した。そこで「具体的に、どのように生きたか」を思い返した。 ・まずは、捨身で! 目先に面白そうと思えば、迷うことなく決断。常識的な人 や会合と一線を画す。何故か、その頃、近しくしていた友人・知人が、亡く なるか、転勤などで遠ざかっていった。 ・その頃、拡大戦略の教えのペガサス・クラブから脱会。拡大路線の見直しに 入っていた。 ・また、意識の重心をパソコンとネット世界に移動することに決心した。 まず、取引先のパソコンに詳しい人を紹介してもらい、個人HPの開設のための 基礎の教えを乞うことに。その数年後に自宅近所にパソコン教室がオープン。 早速、通うことに。その数ヶ月後に、このブログを開設することになる。 ・40歳代の10年間に合計10数回、2年に3回?近く、海外ツアーに参加していたが、 2年で5回近く?にアップ。結局、50歳代では20数回、行くことに、 40,50歳代 で40回、年に2回近くの割合になった。それも秘境・異郷の難易 を数ランク アップ。 ・母親の介護の5年半で、子供たち二人が巣立っていった。
死に物狂いで、目先の面白そうなチャンスには躊躇することなく挑むことに。 少し迷うと曽野綾子女史の言葉、<人生の良いところは還暦まで、今を楽しめ」 のキーワードを想い浮べ実行していた。毎日が面白く、楽しく、精一杯の日々。 そしてハッピー還暦を向かえることに。 ☆ そういえば、1994年のケニアツアーの同行者の一人が、『父親の介護を 終え、念願のケニアにきた。万感の想いだ』と涙を浮かべてキリマンジェロ を見ていた。イスラエルでは60歳の女性が目を血ばらし『2000万の退職金の全て を毎月のツアーで使い切る予定。働きづめの人生を取り返すの!』と宣っていた。 アフリカ・中近東の一人参加には、深い人生を背負い、思い詰めて来る人が多い。 人生、生きているうち、動けるうち、気力があるうち、笑えるうち、泣けるうち! 追)日々是口実か、結局は自慢話ですか!それも似たようなことを何度も何度も。 でもね、何度言いたいのが、「楽しんだもの勝ちさ、人生は」。 <エッ、楽しそうに思えない?> <薄汚れているからね、日常に、誰の眼も。> …これを「日々是口実」という。
―――― 「45」ギリシャ 2007 「44」北イタリア 2006・ 「43北ケニア 2005・08 「42」オーストリア 2004・08 「41」アイスランド ー2003・10 「40」アラスカ 2003・07 「39」パタゴニア ー2002・12 「38」スイス ー2002・07 「37」西アフりカーコート−ジボアール・ガーナ・ベナン・トーゴ /02・03 「36」ベトナム ー2001・11 「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ ー2001・06 「34」メキシコ 2001・01 「33]モッロコ ー2000・11 「32」パキスタン・中国 ー2000・06 「31」シリア・ヨルダン・レバノン 2000・04 「30」ノルウエー ー1999・12 「29」ケニア ー ・08 「28」イスラエル ー ・04 「27」ネパール 1999 ・02 「26」北インド −1998・10 「25」 北スペイン 1998・07 「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12 「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地) ・08 「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) 1996・06 「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット) ・02 「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10 「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ミルフォードサウン)ー ・05 「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)・ ー ・02? 「17」ケニヤ(ナクル湖・ ) 1994・06 「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道) 1993・12 「15」フィジー(コマ島・ ) 1992・11 「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ・闘牛) 1991・08 「13」カナダ・ロッキーの旅 ー ・05 「12」香港クルージング 1990・07 「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ) ー・04 「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 1989・12 「9」 中国(北京・けいりん・上海) 1988.09 「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス ー ・06 「7」カナダ・ナイアガラの旅 1987・08
・・・・・・ 2016/06/29 60歳までに、人生を前倒しをしていて!
70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、 つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、 1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの 事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」 といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。 病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、 「人生に、やり残した無念」があるため。 とすると、老後の残務整理は、 それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、 しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。 どうだろう? 「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。 60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、 最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、 計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。 この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある 文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。 その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。 ―――― 2003/06/16 50歳の頃ー1 −60歳までの人生 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。 丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の 損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという 自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら 息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。 その時に考えたのは、 「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳 までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。 ・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か? ・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう ・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。 その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。 本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし 「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を 教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、 そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と 娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを 始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の 前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆 であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた 直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。 「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。 元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない 分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に 飛び出せるのではないかと考えている。 最近、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどで アフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。 この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。 あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。 ・・・・・・ 5720,嫌われる勇気~人は変われる 2016年11月12日(土) 『嫌われる勇気〜自己啓発の源流「アドラー」の教え』 * 人は変われる 都会では目立たない「個人主義」を地方で貫けば、「大変な人」として 忌み嫌われる。「郷に入っては郷に従え」だが、どうしても露見するのが 地方の生きづらさ。これは、そのまま欧米社会と日本社会に、スライドする。 それでも、31年間、職住分離だったためファジーだった。この二人の 対話、青年と哲人ともども、現在の日々の自己対話に近い。 更にいえば、これを20歳から続けてきたことになる。 普通の生き方では、世間に押しつぶされたIT(こいつ)になる。 〜まずは、Amazonの「紹介内容」より ≪・フロイト、ユングと並び「心理学の三大心理学」と称されるアドラーが 再評価されている。それは、トラウマに象徴される“原因論”の心理学とは 一線を画す“目的論”を唱えたものだ。過去も世界も変えることはできないが、 「自分は変わることができる」とするコペルニクス的転回の心理学を知ることで、 対人関係の悩みも解消されるかも。
・アドラーの心理学を、青年と哲人の対話という形式でまとめた本書では、 「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに迫る。 「人は変われる」「世界はシンプルである」とする哲人に対し、青年は懐疑的だ。 なぜなら青年は学歴や容姿の劣等感があり、過剰に人の視線が気になってしまう 悩みを抱えているため、哲人の主張が絵空事に聞こえてしまうのだ。 しかし、世界を複雑にしているのは青年自身の主観なのだと哲人は言う。 過去に「トラウマ」という「原因」を見つけて物語的に分析するのがフロイト的 心理学だが、アドラー心理学はトラウマ(過去)を明確に否定し、 「いま」の「目的」で考えることを基本としている。
・何年もひきこもっている人が「両親に虐待を受けたから社会に適合できない」と 主張していたとしたら、親は子育てが間違っていたのかと思い悩み、腫れ物に触る ように子どもを丁重に扱うようになる。これは、自らのトラウマを武器に相手(親) の注目を集め、支配しようとする働きかけなのだ。ただし、家にひきこもっている 限り自尊心は守られるが、一歩外に出ると誰からも注目されない凡庸な「私」に なってしまう。ひきこもりの状態に不満もあれば不幸も感じているが、自尊心を 傷つけられることはもっと嫌なこと。これを避けようとする「目的」が、過去の トラウマに理由付けしているのだ。
・過去の経験が人格形成に及ぼす影響がゼロだというわけではない。 ただし、過去の経験が必ずしも人格を決定するわけでもないのだ。 経験をいかに解釈するかが自らを決定する、というのがアドラー心理学の考え方。 過去を変えることはできない。しかし、経験に対する意味づけや解釈は更新する ことができる。これが「人は変われる」とするアドラー心理学の前提となっている。
・青年はひねくれた性格であることや自意識過剰という短所ばかりが目につき、 自分のことを好きになれない。これに対し、哲人は「他者との関係のなかで 傷つかないこと」が「目的」となっているため、対人関係に踏み込まない理由 付けとして、自分の短所ばかりに目を向けていると言うのだ。
・孤独や劣等感を感じるのも他者あってこそのものであり、 「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とアドラーは断言した。 そして、対人関係の軸に「競争」がある限り、人は悩みから逃れることは できないとする。「競争」で考えると、他者が敵のように映り、世界が危険な 場所のように感じられてくるからだ。「競争」から解放されることができれば、 他者が「仲間」だと感じられるようになり、世界の見え方は安心できる居場所 へと変わってくるのだという。≫
―― ▼ これを平易の問いかけに転換すると、こうなる。 『そこで、まだ、何やってるの! 群れてないで、人のことばかり 気にしないで、もう少し自分のことを考えたら!』 『何で本を読まないの? 一歩、外に出ないの? 今を遊ばないの? 果てしない世界の深さと広さを知ろうとしないの? それも今!』 『何で、愚痴ばかり言っている内向きな老人のマイナスから学ばないの?』 せっかく与えられた地球上で、何もしないで、何も知らないで、卑近な 物事に拘り、気付いた時には先がないのが人生。あくまで比較の問題だが。
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2018年11月11日(日)
* 他人事でない難しい問題 先日のTVワイドショーで、「余命一年・120%」と宣言された患者が、 5年経過後も生きており、それを信じて仕事も財産も全て処分したため、生活に 貧している人をレポートしていた。樹木希林ではないが、全身転移と宣告されて 何年も生きたケースが多い。 余命?年とは、100人の50番目の人の余命で、 それが死亡時期でないという。 日本人の平均貯蓄残高が1800万だが、中間値の人の貯蓄高は、400万あまり。 ほぼ、ゼロが三割。400万以下の人が2分の1を占めるている現実がある。 余命も、人様ざま。 現実に、父親や実姉の余命宣告は、ほぼ正確だった… 知人がステージ3、4の宣告を受けた話を聞くが、元気な人が多い。 医者は、概して短めに余命期間を宣告するというが… 入院をして数ヶ月で逝く ケースも多いことも事実。 私と家内は、互いに余命期間を知らさないように、 決めている。どのみち、直ぐに逝くのだから、その期間は、安らかな気持ちで いたいもの。 〜『余命宣言』で、検索すると… ≪ 慶應大学病院放射線治療科の近藤誠医師が語る。 「実は、医者がウソを言うのは、余命に関してが一番多い。初対面の医師が、 いきなり『あなたは余命3ヵ月です』と言ってくるケースはよくある。特に若い 医師に多いようです。だいたい短めに言って脅し、不安にさせ、救いの手を差し 伸べる。長めに言うと、患者はセカンドオピニオンを求めたり、他の治療法は ないかと考えてしまう。そうした心の余裕を患者に与えないために、あえて 短めに言うんです。昔は家族を脅すのに『余命6ヵ月』がよく使われたのですが、 がん告知が当たり前になった今は『余命3ヵ月』に短縮された。そう宣告された 多くの患者の話を、私は直に聞いています」… …この「余命3ヵ月」には、もうひとつの理由がある。 「医療裁判に対する怯えはがんに携わる医師のほとんどが抱いている。余命に 関しても、1年と言ったのに半年で亡くなったなどとなったら、医師の責任を 追及されかねない。だから余命は短めに告げておく」(都内の総合病院外科医) これらはいずれも医師が病状を理解した上で、あえてついているウソだ。 だが、病状がわかっていないままつく、許されないウソもある。 …「開業医には、患者を抱え込みたいという意識が強い。だから、専門外で的確 に診断がつかない場合でも、患者には『ちょっと様子を見ましょう』という言い 方をすることがあります。 『様子を見ましょう』の真意は、 『もっと病状が進んで、症状が出るまで待ちましょう』ということです。 そして最後に、『様子を見ている間に自然に治ることもあります。悪くなったら また来てください』と言い含める。そうすると、患者は医者に言われた通り様子 を見て、具合が悪くなったらまた来院してくれますからね」(都内の内科開業医)≫ ―― ▼ 医者も人の子、妄信しないこと。私たちの年代も、数年で後期高齢者の時節が 到来しようとしてきた。老いは、病であり、生延びるほど、その病は重くなる。 長生きはしたくはないが、それ故に、苦しみたくもなし。長寿願望は、その時々の 体調を前提にしてだが、先々の老化から考えると? さて、どういうものか? 現時点では、日々の日常と、非日常が面白い上に、楽しいと、つくづく実感。 17年半にわたるこの随想日記の継続の蓄積も、孤独感や寂寞感を少なくしている。 同月同日の過去文を読返して、孤独の世界で独り俯瞰して、それぞれの自分を 振返るのも、瞑想のようで何とも味わいがある。 孤独の世界とは、自己問答 でもある。時に思いもよらぬ未知の旅人に出会うことも! 『誰だ、アンタは?』
・・・・・・ 4989,暴走する世間 −5 2014年11月11日(火) 「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著) * うつ病は「世間」の共同幻想にやられる病! ここで、次のような精神療法家M.バリントンの指摘を紹介している。 ≪・「三人関係の対人状況」(三人状況)といわれているのが、吉本さんの いう共同幻想であり、 ・「二人関係の対人状況」(二人状況)が、対幻想であり、 ・「一人状況」が自己幻想である。 各々、 それぞれ、「三人以上の人間がつくりだす観念」 「ペアとなった二人の人間がつくりだす観念」 「一人でいて、じとーとしている時の観念」と考えればよい。 「三人状況」(共同幻想)が、躁鬱病(うつ病を含む)に、 「二人状況」(対幻想)が、統合失調症になっていく。 とすると、「世間」とは、三人以上の人間がいるところに現れる 幻想・観念であるから、うつ病はこの「世間」に関わる病だということになる。 ところで当たり前のことだが、うつ病は全世界的に普及した病だが、 西欧のうつ病は「三人状況」(共同幻想)として「社会」に関わる病であると すると、日本のうつ病は「世間」に関わる病ということになる。 ・・「世間」は個々の具体的な人間のことではないが、抽象的な人間一般でも なく、上司や同僚や近所の人などといったような「顔のみえる」他者のこと。 うつ病の患者にとって問題となるのは、こうした他者なのである。≫ また、木村敏と阿部謹也との対談で、木村敏の次の言葉を紹介している。 ≪ 日本では、西欧社会のように、「判断が神との一対一の関係」で決定されず、 世間は空間的な概念だが、それを時間的にとらえた表現が『御先祖様』であり、 『御先祖様に顔向けができない』ということになる。世間の中には「呪術性」 という原理があり、そこには森羅万象、動物や植物やモノや死者まで含む。≫ ▼ 日本の自殺者数は、先進国の中でダントツに多い。 {さらに多い韓国は先進国に含まない} 経済的理由による自殺は、日本では「借金」という金銭貸借関係が、たんなる 法律上の契約関係としてだけでなく、「贈与・互報の関係」ととらえられている ため、それを守っていけない人間として{世間」からつまみはじき出される ところからおきる。日本人は世間とかいうのから、つまみはじけ出されると、 「ご迷惑かけました」という遺言を残して自殺をする。決して心が弱いだけ でなく、その思い込みが原因。要するに情緒的体質が、その背景にある。 私など「世間」に袋叩き?で、気違い扱いだろうが、45年前に、見限って 生きてきたため、今さらである。むしろ叩かれることが自己存在と自認。 暴走しているのは、世間様。その世間様の暴走をネット社会が更に推し進めて いるから、ことは深刻。死んで三日も経てば、ほぼ忘れ去られる世間など、 のっけから相手しないで、アウトサイダーを決め込んできた。特に晩年は 「老人性うつ病」がすべての人の問題。群れればウツが振幅し孤独を深める。
・・・・・・ 5354,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー�� 2015年11月11日(水) * コンプレックスは神様が与えた素晴らしい武器 20歳代に軽い視線恐怖症に悩まされたことがあった。都会の街中の雑踏や、 電車に乗るのが鬱陶しく苦痛だったり、他人に接する瞬間、異常なくらいな 緊張を引き起こす。それで、どれだけ誤解され、マイナスになったことか。 しかし、それが集中力にもなっていた。それも現実社会で揉まれているうちに 消滅していった。誰にも、幾つかの、多面の神経症を持っている。 ● Q:いつも緊張のあまり、顔が赤く染まり声が震えてしまいます ≪ 私は自分でもイヤになるくらい、あがり症です。取引先のエライさんは もちろん、上司(部長)と話すときも、緊張のあまり頭の中は真っ白になる。 会議で発言するときなどは、心臓は早鐘を打ち、顔は真っ赤に染まり、声の 震えが止まりません。女性と話をするときも同じ症状に見舞われます。 このままでは、会社の中で馬鹿にされ続けるでしょう。結婚もできないかも しれません。生きていく自信を失いそうです。どうしたら、もっと普通に 話せるようになりますか。助けてください。(二十九歳男性) ≫ ● A:コンプレックスを武器に変えた人間こそ人生の勝利者 ≪ ・シマジ:二十九歳の相談者よ、君はどもる苦しさを知るまい。 俺はどもりなんだ。頭に浮かんだ素敵な表現が、音にならず舌の上で 死んでいくんだよ。これは辛いぞ。ちゃんと言葉が出てくるんだから、 声が震えたり、顔が赤くなったりするくらい何でもない。顔を真赤にして、 一生懸命しゃべれば、優しい正直者に見える。世渡りに便利なくらいだ。 こうしたコンプレックスは多かれ少なかれ必ず誰にでもある。そして、 人生の勝利者というのはこのコンプレックスを武器に変えられた人間だ。 ・アソシエ:シマジさんはどんなふうに武器にしているのですか。 ・シマジ:女と食事をするだろ。ずっと口説いて、最後にこう締めくくる。 「お、俺が、きっ、君をどれくらい素敵だと思っているか、も、もっと もっと君に知ってもらいたい。つづ、伝えたい言葉は頭の中に渦巻いて いるんだが、そ、それが、し、舌の上で死んでいくんだ。残念でならないよ」 これで何人もの女が落ちた、といっておこうか。 ・アソシエ:そこまで行くと武器というより凶器ですね。 ・シマジ:インタビュアーとしても、どもることは強みなんだ。俺が どもりながら話すだろ。そうするとインタビューを受ける側は安心する。 特にインタビュー慣れしていない人は、うまく自分の思いを伝えられる だろうかという不安を抱えているから、インタビューアーに立て板に水 のごとく話されると圧倒され萎縮してしまう。俺のようにつっかいながら 訊いてくる相手だと、上手に話さなければというプレッシギーから解放 されて、気楽に詰せるようになるらしい。 ≫ ▼ 起業をして半年、何か気持ちが落ち込んだ時に、フッと内語で、 「その上段に構えた両手を下げ、力を抜いて、ありのままの自然の自分を 前面に出したら」という声が沸いてきた。それから、良きに、悪きにつけ、 何かが変わった。 色いろあった究極の場面だから、構えの硬さに、 自ら気づいたのだろう。学生時代、どうも会話のセンスが都会育ちの 友人に比べ落ちている自分にコンプレックスを持っていたが、 『それなら、聞き手に回り、誠実に相手の話を引き出せば!』という 趣旨の道理を知り、それに徹してから、何時の間に友人が増えていた。 話す割合を50対50から、20対80にすればよいだけで、人に好かれる。 ・・・・・・ 6086,閑話小題 〜経験価値 2017年11月11日(土) * 経験価値 物の価値を追い求める時代から、『経験価値』=「こと」を求める時代に なっている。もっとも、「もの」は、「こと」のスローの形式でしかないが。 確かに「もの」を持って死ぬことは出来ないが、「こと」は、あの世とやらに 「持ち帰り」が可能? 趣味で何かを収集する趣味はほぼなく、海外旅行とか、 早朝サイクリング、スポーツジム通い、ネットサーフィン、シネマ通い、TVの ドラマ観賞など、「こと」を楽しむのが主。父親の骨董収集は、上野界隈の 美術展とか、世界各国の美術館で、観賞することで、充分、満足できる。別に 富士山が自分名義の必要など全くない。この「こと」の価値を「経験価値」という。 そこで「検索」すると… ≪ 経験価値とは、製品やサービスそのものの持つ物質的・金銭的な価値では なく、その利用経験を通じて得られる効果や感動、満足感といった心理的・ 感覚的な価値のこと。カスタマー・エクスペリエンスともいい、顧客を単なる 購入者ではなく、最終利用者としてとらえる考え方に基づいている。 この概念を提唱したバーンド・H.シュミットによると、経験価値には 以下の5つの側面があるとしている。 •SENSE(感覚的経験価値):視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を通じた経験 •FEEL(情緒的経験価値):顧客の感情に訴えかける経験 •THINK(創造的・認知的経験価値):顧客の知性や好奇心に訴えかける経験 •ACT(肉体的経験価値とライフスタイル全般):新たなライフスタイルなどの発見 •RELATE(準拠集団や文化との関連づけ):特定の文化やグループの一員という感覚 もはや古いですが、経験経済的価値をもう一度、考えてみると… これからは商品の使用を通じて得られる経験を売るんだ!とよく言いましたね。 例えば、スターバックスはコーヒーを売っているのではない、スターバックス 体験を売っているんだ!とよく言いました。 経験経済的な価値というのはなんでしょう?というところを圧縮して 説明しますと・・・、 よく言うのは、お客さんは商品を買いに来ているのではない、価値を買いに 来ている、まあ、便益と言う人もいますけどね。その便益にしても、誰でも提供 している機能だと、コモディティ化してしまいます。どんどん価格が落ちていく。 結局、商品自体という形があるものではなく、どんな価値を提供するのか?が 大事で、その価値にしても、どこにでもある機能だと価値は低いけれども、 買う人の情緒に訴えるような価値であれば、固有のものなので、比較がしにく くて、価格交渉圧力にさらされにくいというところです。 ただし、情緒に訴えるにしても、そんなに毎回毎回感動がありえるの?という 疑問もあります。毎回感動させるにはどうすればいいの?という論点があります。 人間は必ず飽きるものです。 女性を敵に回すことを承知で申し上げれば、 「美人3日で飽きる、不美人3日で慣れる」というところです。≫ ― ▼ この経験価値を実感したのが、50年前の「30日間・欧州一周ツアー」。 中・高校の教科書で、白黒写真でみた、パリのエッフェル塔や凱旋門や、 ロンドンの大英博物館や、ローマのコロッセオ、パンテオン。ポンペイ、 ギリシャのパルテノンなどが、連日、目の前に突きつけられた経験は、 21歳の私にとっての人生のハイライトといえる「経験価値」になっていた。 上記の5つの側面を、同時に味わった価値は、何にもかえ難い経験になった。 で、以降に50回の経験価値を積んできたが、元は、この旅行経験である。 フランクル心理学の、創造価値、体験価値、態度価値の『体験価値』の部類。 ・創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値。 仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。 ・体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。 芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりする ことでこの価値は実現される。 ・態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。 病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ (体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が 人間に残されている。 ☆ 振りかえ見ると、実に良かった人生であった。 「上をみれば、きりがない。下をみれば底がない。横をみればない」 の比較をしなければ、世界は微笑みかけてくる。何故、比較をする? 知識の絶対量が少ないから? 比較しか、尺度を、価値の大小を、見分けられ ないため。 悪貨は良貨を駆逐するというが、それはそれは… 悪貨か〜
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2018年11月10日(土)
* ゴンドラとロープウェイ 先日の湯沢の紅葉観光で乗ったのがゴンドラ。 先年行った北イタリアのスイスアルプスを臨む時に乗った360度展望のものが ロープウェイ。ゴンドラとロープウェイの違いをネット検索すると… ・ロープウェイ 支索(上側の太いロープ。これは動かない)と 曳索(えいさく:下側の細めのロープ、これが動いて引っ張る)、 平行索(これも引っ張るロープ)を使うもののようです。 曳索は山頂側でロープを巻き揚げ、平行索は山麓側で重りなどを使ってロープ を動かす。 曳索と平行索は1つだけの場合と、両方使う場合がある。 支索や曳索の数はそれぞれ2本ずつ使うこともある。 ・ゴンドラ 支索、曳索、平行索を兼ねた一本のロープで支えつつ牽引。 場合によってはロープが2本ある場合もある。 この仕組みのため、運転にも違いが生じます。 ―― ▼ ロープウェイの場合、片方が降りると片方が昇る、交互運転が多い。 ゴンドラの場合は、1本のロープが循環してぐるぐる回る4〜8人乗りの小型。 出発地点と到着地点を循環する。北イタリアのアルプスを巡るバスツアーの ドロミテ街道で、ゴンドラを彼方此方で見かけた。建設コスト格安のためか。 日本最長の湯沢・苗場のゴンドラは、全長は5,481m。その間に、35本の立柱が、 大よそ150m間隔にあって、それぞれに35:01とかのナンバーが表示してあった。 スイスは欧州の観光地への道路のインフラを100年、200年かけて、国家事業とし、 道路、鉄道建設をしてきた。しかし、今では、出発と到着地点に基地を設けて、 あとは立柱を立てて最短にロープで結べば、建設コストが数十分の1、数百分の1 で済む。成るほどドロミテ街道など、観光スポットが無数にあるところで、彼方 此方に見かけられる筈。 遊園地感覚で壮大な景観を見られるところが良い。 来年の紅葉狩りは、早朝に出発し、田沢湖コースを兼ねてになりますか!
・・・・・・ 4621, 2000年前のポンペイー7 2013年11月10日(日) * ポンペイの迷子 二回目のポンペイで、あわや迷子になりかけた。1989年に会社でスペイン ツアーに行った帰路のローマでフリーの一日。20数年ぶりに再びポンペイを 見たくなり、オプショナルツアーに参加した。ところがバスに乗ると日本人は私、 一人だけ。往路の高速道路が大事故で渋滞。おまけに前日、ルーマニアの チャウセスクがクーデターで殺され車中に殺伐とした雰囲気が漂っていた。 で、ポンペイ。急ぎ足で、まわっているうちに、グループからはぐれてしまった。 そこは、世田谷と同じ広さ。直ぐに見つけなければツアーバスで帰れない。 背筋が凍りつく思いで、駆けずりまわった末、辛うじてグループを見つけた。 帰りのバスで、「あのまま、はぐれていたら、翌日のローマの出発に間にあわ なくなっていた」と、考えたら脂汗が出てきた。ツアーとて決して甘くはない。 ところで、三回目のポンペイで、家内がツアーからはぐれてしまった。 それも、夕刻。バスが次の目的地パレルモに向けて出発しようしたが家内が 居ない。トイレと思っていたが、途中ではぐれていたようだ。その時の、 添乗員と、イタリア人ガイドの慌てようで、ことの重大さを知った。 ところは南イタリア、それも薄暗くなりかけた遺跡である。館内の職員全員と、 警察のパトカーが駆けつける大騒動。一時間以上ほど探したが見つからず、 添乗員が、まさかと、移動予定の一時間先のホテルに電話をしたところ、 本人は着い部屋にいるという。はぐれた直後、暫くそこにいたが、心細くなり、 他の団体の後について、出口に出た。そこで待ったが見当たらず、近くのGSで、 事情を事情を話している時、たまたまタクシーが来た。そこでアマルフィーまで 値段交渉をして、宿泊先のホテルに行ったという。直ぐにホテルから添乗員の 携帯に電話するのが、当然だが、動転していて、ただ、ボーッとしていたとか。 バスで待っている間、ツアー仲間の冷い視線の中、ひたすら待つしかなかった。 家内は、殆ど娑婆経験が無く、万一の備えの観念が皆無。旅行中には、 まずは添乗員から目をつけられる。彼らは、そういう人を数人、把握。 二割の人が、八割の問題を起こすことを学んでいるからだ。移動とか食事時間 に、常に遅れてくる。40回近く、数百回、注意しても治りはしない。 以前もアテネの・・ これだけ迷惑をかけても、翌日の夕食時間に遅れるのだ から、大したもの。で、夫婦連れのツアーは、途中から、別々の単独ツアー になっていく。一つだけ自慢が出来ることは40回近くの夫婦連れ海外旅行経験。 今までのツアー仲間の最高が8回。その間に、二人の間に、自然発生的にルール が出来ている。「互いに(単独旅行者と割切り)頼らない」こと。 何度もツアー仲間に、「どういう御関係ですか?」と聞かれている。 移動と食事以外は、単独でいるため。これまで二組、夫婦別室がいた。 そこまでは、してない。これも慣れと訓練!その時、懲りない家内に 「ざまをみろ!」という気持ちが何処かにあった。 が、誰かに 見透かされていたようだ。で、一日もしないうち、全てを忘れ、彼方此方で 笑い声を上げていた。 (*∠_*) ダカラドーシタ。で、人は生きられる! で、以下の内容に続く! 偶然だが! ・・・・・・ 5718,閑話小題 〜アメリカ大統領選挙 2016年11月10日(木) * 「もしトラ」が現実に!で、どうなる? 日本国内で「もしトラ(もしトランプが勝ったら)」という言葉が飛び まわっていたが、日本や、ニューヨーク市場の株価からみて、「もしトラ」は 無いと思われていた。トランプ自身、よもや勝利するとは思ってもいなかった から、好き放題が言えたのである。二人の候補の罵り合いをみて、アメリカの 凋落そのままが現れていた。政治経験のないトランプが共和党の大統領候補に 選ばれること自体がアメリカの恥。彼の暴言がアメリカ白人の本音とすれば、 この方言が、今後、政治に露骨に反映されてくる。ロシア、中国は、強権国家。 日本も保守派の阿部首相が政権をとったのだから、アメリカが対抗するには、 独裁者風の人物がなっても、何ら不思議ではない。15%を占める黒人が8年間 も現職大統領なら、白人の怒りが蓄積さて自然。それにしても、「隠れトランプ」 が、これほど多く存在するとは、驚きである。フィリピンの、あの大統領をみて、 トランプと重ねみれなかったアメリカの文化度の低さが露呈してした。 彼が、 方言のまま、政策を実行すると、まずは日本が、その犠牲になるのは自明である。 〜流れは、こういうこと。 <ドイツ移民の血筋のゲルマンが、白人優位主義と、アメリカ孤立主義を掲げ、 中・下層の白人の積もり積もった不安心理につけ込んで、ホワイトハウスを 乗っ取ったハリウッド映画並みの珍事。 小ブッシュが世界を大混乱を 生じたのを、何とかオバマが修復したが、この男が、根こそぎ叩き壊す 4年間の始まり!> 演劇としてみれば面白いが、これが現実となると。直近には、政権交代後、 トランプと中国が裏取引をした上、尖閣列島を占拠する可能性がある。 そして、沖縄も、独立派を煽り、独立運動を起こし、乗っ取りを画策する。 その間、東京オリンピックに浮かれ、終わってしまえば、大不況。 現在の韓国の惨状に少し形を変え日本社会に現れ出ても何ら不思議でない。 5年後には、「アベノミックス? 何それ」で、遠い彼方になっている。 中近東、欧州に次いで、アメリカにも移民による暴動の日常化の火がつく?
・・・・・・ 4988,暴走する世間 −4 2014年11月10日(月) 「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著) * 『プチ世間』 ー小さな大人の世界の誕生 30年前、息子を見て時代が大きく変わったと思ったが、スマートフォンが 普及した現在、更に子供が大きく変り、私たちとは断絶した別生命という感がする。 考えてみれば、私より50〜60年も長生きをするのだから、違って当然。 ーその辺りからー ≪ 日本では、一九八○年代にはじまり、九〇年代以降本格的に「小さな大人」 が登場した。問題なのは、子どもが市場経済に巻きこまれ、子どもが大人と ほとんど同じ消費生活をするようになって、子どももまた大人と同様の「世間」 に生きることになったことである。つまりそれまでは、子どもには子どもの 世界があり、それは大人の「世間」とは相対的に独自の世界であった。 しかし子どもが「小さな大人」になることによって、子どもの世界も大人の 世界と地続きになり、子どもも小さな「世間」として「プチ世間」に生きる ことになった。要するに子どもも、「世間」に生きる大人と同じような困難な 問題に直面することになった。 一九八○年代以降大きく変化したことといえば、子どもが「小さな大人」 になったことだが、八○年代後半以降の「いじめ」の発見は、おそらくその変化 を大人たちが敏感に感じ取った結果を反映したものといえる。大人たちは、 子どもの世界に何か大きな変化がおきていることに不安をもち、子どもを把握 できないというその不安が、子どもの世界をより強く監視管理する方向に 動かしたのだ。それまで、大人の世界とは相対的に独自のものであった子ども の世界のいじめは、無視や、嘲笑や、からかいや、脅迫や、リンチなどといった 形で、個別的にとらえられるものであった。しかし八○年代後半以降、子どもの 世界は大人の世界と地続きとなり、子どもの「プチ世間」が登場した。 (略)・・・ この問題の解明への手がかりは、現在の少年たちの 「つながってなくちゃなんない症候群」にある。 ーある調査官はつぎのようにいう。 「今は中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で、そこに しか生きる世界がないんです。行動規範は仲のいい友だちグループの中だけで 決まって、そこから弾き出されたら生きていけない。それは、とくに女の子に ひどい。三人グループでいたのが外れたら教室にも居場所がなくなってしまう。 そんなふうに、たがいが縛り縛られ合って、やれ携帯だメールだという ‘つながってなくちゃなんない症候群’がいよいよ強まっていますから、 自分の時間なんか持ちようがない。逆に言えば一人で行動できないように なって、それがフツーの子として安心できる状態になっているのが現状」 (小林道雄「感受性の未熟さが非行を招く」『世界』二〇〇一年一月号)≫ ▼ 大人になるまでの基礎知識や、精神的体力がない子供が、プチ世間の 中で、子供たちは群れてないと、つながってないと、不安で息づまる 窒息感に悩むことになる。垣間見れる孫世代に背筋が寒くなることがある。 この「つなっがてなくちゃ症候群」が、世間の正体でもある。 島国で、水に恵まれた日本の閉鎖された環境を背景にした世間こそ、 全てと勘違いをするのは当然だが。これにネット上世間?で雁字搦めに なっているのが、現在の女こどもの世界。これが21世紀の世界の一端 ということ! 使いこなせれば、思いのほか面白いのでは? ・・・・・・ 6085,閑話小題 〜倒産無常 2017年11月10日(金) * 倒産無常 倒産のニュースとなると他人事ではない。ここで何度も取上げてきたが、 そう甘くはない。幼児の頃から青年期に至るまで、両親から「倒産・夜逃げ話」 を聞かされていた。 更に実社会に出てからも、生々しい具体例を見聞きした。 それもあって、万一の備えは創業の事業設計に組み込んでいた。 ・妻子を含めた親戚は一切、近づけない。 ・家内と通帳を別にしておく。 ・途中から、会社名義の合法的内部留保の積み立て。 <会社名義あてに社長への生命保険をかけ、解約すると8割がかえる>保険。 一度、経費で落ち帳簿上は消えるが、その積立は、そのまま実質残る。 今では禁止された。それに手をつけざるを得なくなったら整理と決めて、 レッドラインの直後に清算に入ったため、銀行以外の債権をほぼ完済できた。 債権者からの苦情もなく、抵当の自社物件も一年で売却出来た。文字とおり、 「不幸中の幸い」だった。 二つのホテル物件には、居酒屋のテナントが 入居していたが、物件の買い手がなければ、テナントは無条件で退店を強い られ、倒産・廃業の憂き目にあうところ。新潟駅至近の好立地もあった。 一昨日のニュースの債権者集会で、<てるみくらぶ>の女社長の吊し上げの 様子を生々しく報じていた。その直後に詐欺罪で逮捕されたが、それはそれは! 壇上の集団リンチそのもの。寒波で離陸出来なかった外国人乗客の抗議を見た ことがあったが、手は出さないが、火の出るような逆鱗は、傍目でも恐怖が 伝わってきた。 〜ネットニュースによると〜 ≪ 【<てるみくらぶ> 「人生めちゃくちゃ」 債権者集会11/8(水) 21:40配信 毎日新聞】 不正融資などのずさんな経営実態が明らかになった、格安旅行会社の 「てるみくらぶ」。旅行を申し込んだ客の多くは返金の見通しが立たず、 怒りの声を上げている。「全額返金しろ」「うそ泣きするな」。 今月6日、 東京都港区で開かれた債権者集会。壇上で謝罪を繰り返す山田社長に、債権者は 怒声を浴びせた。「今回の出来事でうつ病になり、人生がめちゃくちゃになった」 と訴える人も。山田社長はうつむき加減で多くを語らず、破産管財人による財務 状況の説明が淡々と続いた。 新婚旅行を計画していた茨城県古河市の男性会社員 (41)は3月22日、周囲に「格安だし安心」と勧められ、6日間ハワイ旅行を予約。 航空券はビジネスクラス、ホテルは五つ星。妻との思い出作りを心待ちにして いたという。≫ ― ▼ 創業など、そう簡単に出来るものではない。 <・創業1年目で約30%近くが消滅するという高い退出率であり、 さらに5年後の生存率は約40%、 10年後では約25%の企業しか生存していないのです。 ・また、個人事業所の場合は会社に比べ生存率が低く、 創業1年目の退出率が約40%、5年後の生存率は約25%、 10年後では約10%の生存率となっています。> 私の30年の事業生存は数%だろうが、省みると、「へ」の字の動線。 初めの10年が右上がりで、中盤がナダラカな、後半の9・11以降の10年は 急激な右下がりになっていた。 ⇗、―、⇘ の30年、準備を含めた『経験価値』 を充分に実感してきたため、充足感はあれど虚無感は全くない。 ドンキホーテのように人生を喜劇に遊ぶのも決して悪くはない。装置事業の ため、「待ちの余裕時間」が、充分あったため、旅行、読書時間を充分に持てた 「時間リッチ」になれたこと。 しかし、一つ間違えば「倒産無惨」に…。 娑婆には、「時間プアー」と「知恵プアー」が溢れている。更に「精神プアー」 「金銭プアー」も。還暦・古希ともなれば、「恒産あって、恒心あり」に。 何とか家内の(;^ω^)ヘッ! が今日のオチ。 何とも甘塩っぱい味がする。
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