堀井On-Line



6429,読書日記 〜魔法の器

2018年10月20日(土)

           『バーカウンターは人生の勉強机である』島地勝彦著
   * 騙されと思って、この器で飲んでみてくれ
 もう10数年も経とうか、ラジウム岩盤浴が持て囃された時期があった。
知人の2人が実際に<ラジウム岩盤施設をオープンしたが、一人は倒産、他の
一人は?… 成功したという話は入っていない。一時期、ホテル内にと考えた
ときもあったが、止めてよかった。 結局はブームと共に殆ど話題にならなく
なっていった。 しかし、玉川温泉は定期的にマスコミに取上げられている。
末期ガンの最期の聖地? 同病相憐れむ癒しも兼ねている。 
著者が『騙されと思って、この器で飲んでみてくれ』とは… 。

≪ …さて今宵は何を持ってきてくれるかわくわくしていると、冷い風と同時に
 山岡さんが現われた。
・「マスターの好きなボート・エレンを持ってきましたよ。魔法の器とね。」… 
「この陶器は、名古屋の陶芸家、中村公之さんとのコラボで制作したウィスキー
専用の器。地球を思い起こらせるやや球形のフォルムと、ビートなどの土の
ニュアンスに絡めて『アース』と命名したんだ。これだけ薄く繊細に焼くのは
至難の業で、このボート・エレンに、まずいいつものグラスで飲み、その後
この器に入れ替えて飲んでみてください」
・「たしかにまろやかになった気する。ビートの香りも立ってくるね」
・「この器はお茶を飲む茶碗と一緒で土でできている。常滑焼で有名な愛知県の
常滑の土でしてね。土の性質、焼成の仕方で化学変化を起こしているかもしれ
ないし、とにかく肉眼ではみえないけれど、底が網の目のようになっていて、
そこで濾過されているようです」
・「マイケル・ジャクソンが考案したので飲んだことがあるが、こんな変化は
はじめてだ。」 … ≫
―
▼ 一時期、ラジウム岩石でつくられた「コーヒーカップ」と「盃」を使用
 していたが、破損などで消失した。確かに味は一ランク美味しくなっていた。 
現在も毎夜、ピンポン球の大きさのラジウム石を左手薬指に括り付け寝ている。
(数年ごとに始めたり、止めたりを繰返し)現在は左手薬指輪ゴム巻き健康法
を実施したのを切っ掛けに再び開始している。枕元のベッドボードに吊るして、
深夜に目が覚めた時に握ると、その後の寝入りが早くなる。 著者の器も
ラジウムを含んだ上位のものか… 。

・・・・・・
6064,閑話小題 〜負と、正のエネルギー
2017年10月20日(金)
  * 負のエネルギーと、正のエネルギー
 何処の社会にも、より「負のエネルギー」を背負った人と、「正のエネルギ―」
を背負った人が存在する。「負のエネルギー」を背負った人は、負に呼応して
近づいてくる。己の負を他の負にチューニングをする技術は高度? 人生一般に
恵まれなかったダークなればこそ…。逆に「正のエネルギー」の強い人が存在する。
 NHKTV「グローズアップ現代」で、3人の高校野球のスラッガーを特集していた。
彼らに見てとれたのが、強力な「正のエネルギー」。〜NHKのブログによると…
【・清原和博の大会最多本塁打記録を塗り替えた広陵高校の中村奨成選手。
・甲子園出場は逃したものの、高校通算最多とされる本塁打数を更新した
 早稲田実業の清宮幸太郎選手と、
・通算65号で清原の記録を超えた履正社・安田尚憲内野手。
3人の超高校級スラッガーたちに見えてきたのは、親がかりの、たぐいまれなる
素質と努力がある。現代高校野球の劇的な「進化」。他に、両親や監督
の連携もあるが、「正のエネルギー」に満ちている。】
 素直で、前向きで、明るく、健康的な心身。「正のアドバンテージ」がベース
にある。 (幸福優位7つの法則ショーン・エイカー著)によると、
【 ハーバード大の優秀な一群への調査で、「ハピネス・アドバンテージ
(幸福優位性)は、「成功が幸せの周りを回るのであって、幸せの周りを成功が
回るのではないことを示すという「ロサダライン」の法則がある。
<心理学者であり、ビジネスコンサルタントであるマルシャル・ロサダが発見した
重要な数字。「2・90対1」。「メンバー間のポジティブな相互作用とネガティブ
な相互作用の比率」が最低でも「約3対1」の割合が必要。このライン以下だと、
チームの仕事ぶりは一気に落ち込む。調査では「6対1」が理想。ポジティブな
フィードバックとやり取りが、職場の生産性を上げ、業績を上げてくれる。】
―
▼ この生活習慣や行動パターンが、豊かな人生への道になる。通ってるジムで、
 3月に一度は不快な事象で休みたくなる。 その時、内語で「少なくとも3倍は
プラス要素があるはず」と思い考えると、全く、その通り。何か判断を迫られ
たとき、この「3対1の法則」を当てはめると良い。とにかく、決断は先延ばし
にしたくなるが、後になるほど、数倍のエネルギーを要する。
 動物は狩るもの、狩られるものの両面がある。前者は失敗しても、次の機会が
あるが、後者は、そこで終わる。だから負の最悪事態にとらわれる。しかし、
何事も、より正のエネルギーを増やそうとすれば、より多くの負の危険を乗越え
なければ。 歪んだ老人や病的後ろ向きの人の歪んだヘドロのような視線。
その人自身と先祖が積重ねてきた「負の遺産」そのもの。 老いるにつれ、
この負の遺産である毒が溜まってくる。 このドブ掃除には、知らないこと、
面白そうなこと、好きなことをみつけ、自分に注ぎ込み続ける必要がある。
老いるとは無念だが避けて通れない独り道。だが宵の独り宴会?も、工夫で、
楽しくなるもの。 今の私は、スケジュールの御蔭で何とか、「6対1」を維持。
時々、3月に一度は大揺れ? になるが、せいぜい全治3日間。 この程度は、
平凡な日々のストレスに、丁度良い按配。
 〜追い書き〜
これも偶然だが、面白いことに、文脈として去年の文章に丁度よく続く。
かくいう私も愚痴をつぶやく哀れな老人。
 
<恋はやさしい 野辺の花よ>から、<老いは悲し 野辺の愚痴よ>ですか。
――――
5697,閑話小題 〜愚痴言う老人
2016年10月20日(木)
  
   * 愚痴言う老人
 とある法事に出席する度に、いつも聞こえてくるのが、✖の愚痴と小言。
 不快だったこともあり、その幾つかを 記憶している。
・「後期高齢者の名前が気にくわない。」
 「免許証の返納も、私たちには嫌味としか聞こえない。」
  私も、あと4年になると解らないでもないが。
・「最近の若者はなってない。」 
 この言葉、数千年前のエジプトのピラミッドに書いてあった
 人類永遠のテーマの事実を知らないためか、平気で人前で言う。
 永遠のテーマといえば、旧約聖書の「カインとアベル」の、長男カインと
 父アダムとの親子対立。 最近、飲み会で、「長男と二世帯同居をしたが、
 これが大きな誤りだった。」と愚痴るから、「それ、旧約聖書にも出てくる、
 人類永遠のテーマで、タブーは元もと分かっていたこと。」と諭すと、
 「全く知らなかった!」と宣う。
・「昔は、本当に良かった。それにしても、生きづらい世の中だ。」
 この言葉は、老化状況をはかる物差の言葉、これを言いだしたら、
 認知症の初期?現象。
・今回の通夜では、「あの人、リタイアをして威張れなくなったので、
 その怒りを周囲にぶつけている。」これは、一線から退いた万人にいえる
 ため、誰も良い気持ちがしない。 特に私には?
そうこう、書きだしてみると、さほど酷い愚痴でもない? しかし70〜80歳を
超えた愚痴は、毒を含んで生なましく語るため、聞こえた人の心に黒く残る。
 読書習慣なしで、「世間話」に明け暮れしてきた人生がうかがえる。
もしかして、ここで書いてきた怒りの籠った内容、こんなものでない?
老化は日々進んでいく。 問題は、その自覚と対策。今さら遅いか?
つくづく老いて思うことは、長年かけた教養の程度。下は見えても、上から
視線は見えないから始末が悪い。「・・ったく」と思うことが、あまりに多い。
こうして他者を批判するのは、所詮は、内なる己を、自分の仮身を語っている
に過ぎない。 4年前に、「老いの鬱屈」についての書評があった。
故人の家の法事で、この人の愚痴を聞いたことや、多くの半ボケ老人を
目の当たりにして、以下の本を図書館で見つけて、テーマにしたようだ。
―ー―
2012/06/04
老いの見本帳ーダークサイト −8
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いと鬱屈
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と
視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、
そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで一生
何も出来ないで死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 
その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。
だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとで動じない」
人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするような
ことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、
避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、
とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの
喜ばしい側面ではないかとわたしは思っていたのだった。 
 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々
の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属
のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 
だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら
難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても
鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには事欠かない。遅かれ早かれ、
この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである・・≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺する
 のに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則。」
は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、
ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。
これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと初め
から割り切って孤立していた方が良い?

・・・・・・
5332,閑話小題 〜人生のリハビリ
2015年10月20日(火)
   * 人生のリハビリ
 会社清算から4年半になるが、現時点の実感は、その結果のリハビリより、
「創業の準備を含めた事業人生45年間で歪んでしまった異型の自分を一度
リセット、本来の人間性に戻すべく、再出発の日々を過ごしている」という
ところか。 資本主義という拝金主義から、一度離れて、地球上の大自然、
身近な自然、文化・文明を見直し、せっかく訪れた地球を改めて見直し、
人生を振り返り、味わうために、現在の自由な時間を与えられていることに
気づくことだ。リセットは、こういうものか。 ある意味、人生で一番、
落ち着いた時である。異型があるから、今がある。
   * ぬるい幸福は人を駄目にする
 「ぬるい幸福は作家を駄目にする」という作家の言葉があるが、これは万人
にも言えること。そのぬるい幸福を私たち凡人が目指しているのだから・・
「そのどこが悪い!」といえば、それまでだが、その人は、そこまで。
人の一生は、常に変化する社会と、時代の中で、「変化、闘い、挑戦」が
間断なく押し寄せてくる。考えてみれば、ぬくい幸福などは束の間の幻想。
今が、その「ぬるい幸福」の時かも。しかし、その一瞬の味わいが、
人生の味になる。 今さら駄目でも何でもよい!ぬるさが一番である。

・・・・・・
4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後
2014年10月20日(月)
  * 4時間の熟睡後に
 以前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが
0時前後。一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝。
ところが起床の4時まで、半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと
長年かけ工夫している。臨床心理士によると、「布団の中の考え事は、たいてい
考えすぎ。とりあえず起きて、トイレや、水を飲んだりして体を動かすと良い」
という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、その時間を苦痛と
思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。それでも時に
不快いに思うと、煉獄につながれた状態?になる。「このボ〜ッとして状態こそ、
最高!」と、心に言い聞かせていると、そう思えてくるから不思議。週2〜3回
のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、大の字になり全身を脱力をして
横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っているイメージを
持つようにする。これを楽しめるかどうかが、問題でもある。
で、このところ一種の瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20〜30回、寝返りをうつというが、
寝返りは、その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもある
という。成るほど、寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 
仰向けの姿勢が良いとされているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃から
とっている。胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発の
クッションと枕を使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
         「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 教養を培う〜�◆  住笋痢崙表颯璽漾廖‘8鏡吃А�
 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する
授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、
学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、
良い教授、良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、
時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。
 主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 
学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに
関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の
内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、
翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、
論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの
根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、
コンピューターによる抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、
残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生
といえる。読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで
感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』
および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、宮本常一『忘れられた日本人』、
無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』など。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、
それらがそこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の
大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った
新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしているのですか」と反問され、答えに
窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の
道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが
本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど手にした
ことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の
 硬さを感じ取っている。万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い
壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。
で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 
それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、
活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、
一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、
そのまま外に出るから恐ろしい!  


6428,閑話小題 〜過去の同月同日と再会して

2018年10月19日(金)

   * 誰だろう、過去の不思議な自分は
 現在乗っている二代目の電動アシスト自転車。既に5年も乗っていたことに
驚いている。3月末から11月末まで8ヶ月間、雨が降らない限り、連日、一時間、
信濃川の二つの大橋を一周して帰ってくる。前の自転車は5年。これが5年になる
から、10年になる。前のは、5年でボロボロ。しかし現在のは、ブレーキ修理と、
パンクが一度。タイヤ交換の時期に来ているが、あと数年は持ちそうだ。
以前のは、小型の『マウンテンバイク』。現在のはクロスバイク。マウンテンと、
シティバイクがクロスした中間。シティバイクを、通称『ママチャリ』という
のに対し、『パパチャリ』という。道路で見かける本格的アマチュアが乗ってる
のが、『ロードバイク』。競技用のバイクが『トラックレーサー』という。
 ロードバイクに乗っていた男が、猛スピードで道路の真中を、電動アシストを
乗っていた男を怒鳴りつけたくなるのも分からないでもないが… 
自転車は、確かに危険な乗り物。その対策として、コースを土手と、バイパスの
側道を9割以上にして、原則7時までに限定。一度だけ、雨道で転倒した以外は、
ほぼない。自転車とはいえ、乗ってしまうと、危険に対するギアが切り替わる。
一つ間違えれば死の危険が伴う。だから、面白いのだが。
 毎朝、一テーマで、一文章を書上げ、過去の文章を書上げていると、
<何だろう、誰だろう。この過去の不思議な自分は?>と思うことしきり。
この文章も、書上げた後に、過去文を読返して、5年前の同日の内容を読んで、
急遽、変更して書いたテーマ。

・・・・・・
4599, 閑話小題 ー二代目・電動アシスト自転車
2013年10月19日(土)
   * 二代目・電動アシスト自転車
 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入して
から、一ヶ月足らずになる。これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、
今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの普及もあり、全体的
にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った
中国製。やはり故障続きであった。しかし、電動アシストの楽しさは十二分に
味わうことができ、既に1万キロは走った。冬期を除いた毎朝、一時間、年間
200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。
実感としての価値は、300円〜500円はある。で、新しいクロスバイクは、
値段が二倍、一日200円になるが、価値は充分にある。雨の日にスリップして、
転倒したが、車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。毎朝、
10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。クラッチを最大の重さ
にして、電力を使うパワーにして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。
少しオーバーに表現すると、地上を走る車輪付きのグライダーか、水上を走る
ミニエンジン付きヨットという感覚である。で、兼用して乗るつもりだったが、
一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引取って貰った。
 
・・・・・・
5696,‘我慢内燃説’
2016年10月19日(水)
           <20歳からの人生の考え方ー外山滋比古著>
  * 我慢の善用活用、‘我慢内燃説’
 他の著書の中に、「キズをのり越える努力が、人を大きくする」がある。
<青森で朝市に寄ってリンゴを買った。私が、「キズのあるリンゴの方が甘いん
 ですよね」と言うと、おばあさんが「東京の人のようだけど、よく御存じで。
みんなに 嫌われているキズのついたリンゴ。傷をかばおうとして、力を出す
のであろう。無キズのリンゴよりうまくなる。キズのないリンゴがなまけて
いるわけではないが、少しいたんだ方が、おいしい。>
 人間も似ている。秀才は、傷なしの特上のリンゴ。天才は傷だらけだが、
特質の能力がある。このリンゴから例えると、よく理解が出来る。 
 ここで、「我慢の善用活用、‘我慢内燃説’」を述べる。 〜p-139
≪ 我慢を通せば、病気になるし、我慢をしないと無作法で反社会的になる。
どうしたら、悪玉我慢を善玉我慢に転化できるか考えどこ。長い間、考えた末、
ひとつの解決法を得た。 それを‘我慢内燃説’と勝手に命名した。
我慢のストレスは、ガソリンのようなもの。そのままで不用意に火を近づければ、
引火する恐れがある。我慢をガソリンとすると、そのまま発散すれば、その場限り
になる。じっと我慢すれば、内圧が高まって、ストレス化する。その内圧を燃焼
すれば、恐ろしいほどの力が生まれる。いつまでもストレスをためておくのは
愚かなこと。充分に高まったら、目的のため噴出させる。発噴とは、その内燃
を元に大きなことをうごかせる心的活動だと考えることが出来る。 ≫
▼ リンゴの自然治癒力と、我慢の善用活用、の作用は似ている。
 人生の節目時は、破壊から創造への変化への我慢時。それまでのプラス、
マイナスが、同時に覆い被さってくる『真実の時』。 その時、溜まった
エネルギーが新たな変化を生む。創造にはなくてはならない条件である。
既存の自分を一度、ゼロにして、新たな目標にむかう節目時である。
<順境には枝を、逆境には根を張れ!>という諺がある。リタイア時期を
過ぎても、枝にしがみついて人、例えば森元首相や、石原慎太郎のような人を
みるにつけ、人生の不条理を見る思いになる。人生も見切り万両である。
 でないと、人生にとっての「死に損ない」になる。

・・・・・・
4966,閑話小題 〜ある男の動揺
2014年10月19日(日)
   * 80までは生きれると思っていたけど!
 ある飲み会で一年ぶりに出会った男が出会いがしらに、
「最近、切腹をした。もう長生き出来そうもない。片足、いや両足を
棺おけに入った。80歳までは生きると思っていたけど!」と悲鳴。やり手?
だが、人の弱点を見ると見境なく攻撃をする性格で、三年半前の私の倒産劇
以来、三度の会で、続けて露骨な嫌味を言っていた。三度目の会で、目前の座席。
早速、私への攻撃が始まった。「俺は学が無いので、哲学などは分からないが〜」
と、薄笑い。その言葉には(その様は何だ)との皮肉が込められていた。
それまでの二度は、聞き流していたが、この言葉にはカチッときた。 
 5年程前の話になるが、本人の趣味の茶器づくりが認められ、銀行のロビー
に飾られ本人が有頂天だった頃、その人と親しい知人から、「あの男、私生活も、
茶器づくりりも、仕事もスランプらしい」と聞いていた。たまたまポタリング
をしていると、車が停まり、当人が話しかけてきた。それが偶然、本人の会社前。
「まあ、お茶でも飲んでいけや!」と誘われるまま、事務所に行ったところ、
応接室に茶器が並んでいて、素人としてはナカナカの出来栄え。
「何でもよいから一つくれないか」というと、快諾。その数日後、自慢の豪邸?
に家内と行くことになった。その時の茶器の御礼に何かと考えた時思い出した
のが彼のスランプ。 初心者用に噛み砕いた哲学を説く池田昌子の
「14歳からの哲学ー考えるための教科書」を持っていった。それを逆手に
とって、皮肉を言ってきたのである。酒の勢いもあって「茶器は、作者の魂の
顕現そのもの。 あなたが茶器づくりなどでスランプというから、ヒントにと
本をあげたのだ!スランプ解消には『魂そのものが何か』が分からなくては
ならないはず・・ 『魂を叩き込むとは、自分の持っている全てを作品に
叩きつけることだろう。』」と、怒鳴りつけていた。 其処にいた、
ほかの何人かも、私の言葉に同調。その直後、幹事が会の予算が足りないと
当人に資金補助を頼みに来たところ、内ポケットの数万を私の前に投げつけた。
もし金に貧していたら深く傷ついただろうが・・ あまり経験出来ない面白い
遣り取り。それから一年ぶりの再会で、これ。 余命数ヶ月?に感じられた
深刻な様相だったが、それは恐ろしいだろう! 哲学の最大の問題は「死」。 
 余命を突然告げられ、まず考えるのが、 
☆死ぬとは、如何いうこと?
☆自分が本当に消え去るなど有得ない!
☆自分の生き様は、これで良かった? 等々、心は七転八倒。 
 最後の最後は当人の心奥の問題だが。 去年の5月の随想日記、
4429,ー「死ぬのが怖い」とはどういうことか?ー前野 隆司著の
「死の恐怖を克服する七つの登山道とは」を読めば、少し気が休まるだろうに。 
 こういう類は予習しておくしかない。他人事でないのが、この内なるブラック
スワンの死の問題。 先日、ある30人位のツアーでのデナーの席で、三年前に
旦那を亡くした還暦過ぎの女性と、70歳過ぎのアマチュアカメラマンと、家内と
同席をした時の話。 還暦過ぎの女性が旦那を見送った具体的話題をして、
本人もガン持ちと告白した。その女性が私に「変な話をして御免なさいね!」
というから、「別に全く問題はないです。この年齢になら言葉として表現するか、
しないかですよ」と、答えた。 70過ぎのカメラマンも奥さんを最近見送り、
自分も何時、再発するか分からない、と達観?した様子だったが、内面は
穏やかではなさそう。 即興になるが、「男は黙って、サッ、コロ、キエル」。 
そして誰も居なくなる。 死の問題、一に準備、二に準備!である。
こういう話は、語りだせばキリがない!

・・・・・・
4224, 閑話小題 ー地軸様 
2012年10月19日(金)
   * 地軸様
 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の
上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。大きく息を吐き出しながら
シャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。
そして、そこから大きな息を吸い上げながら立ち上がり、今度は空に向かって
気を吐き出すイメージで息を出す。それを一回につき7〜8回、続けていた
ところ、擬人化した地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」
「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、
「よう、昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いも
よらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と「即自」
の掛け合いになる。ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な道路拡張
工事が始まり通行止。そこで違うコースを迂回して歩いているうち、電動
アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋を
一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。三年前のことである。
それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。
ところがチャリだけでは、物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリを
しながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。
「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時
 は360度のパノラマを味わえよ!」、
「もっと深い呼吸をしな!」
「自分にせっかく出会えたのだから、エネルギーを、もっと吸い上げろ!」、
「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、
 感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ)とか、なかなか面白い。 

スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら
運動している時などイメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した
地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。
知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、
私にとっては、20年以上の対話の過程がある。自分の魂を擬人化した「真魂様」
でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。
問題は意識してやるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、
このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。

・・・・・・
6063,閑話小題 〜「真理とは何?」
2017年10月19日(木)
   * 「真理」? 所詮は「?理」だろうに
「真理とは、事実の中の真実と瞬時に思う言葉」という冗談とも思える言葉が
印象に残っている。 〜ネット検索によると
【真理とは、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤り
 なく認識されたことのあり方。真実とも。
真理は、現実や事実と異なり、妨害・障害としての虚偽・誤謬を対義語として
おり、露わさ、明らかさ、隠れなさに重点がある。そのものありのままであり、
あらわであり、その本質が覆われていない、という意義に関しては、哲学的には
本質主義や同一性とも関わりが深い。
西欧哲学において真理論は論理学や認識論においてとりわけ主題化される。
 真理論の歴史は、古代ギリシアに始まる。人間を尺度とする相対的なものの
見方に反論する形で、永遠性・普遍性を有する真理の概念が生まれた。
このような絶対性を内実とする真理概念は独断主義を生み、これに対する防衛・
反抗が懐疑主義を生んだ。 そのどちらにも陥らず、確実な知識の基礎付けを
求めて近代の認識論が始まり、その後、真理の担い手が思惟・観念・判断、命題、
「事物」等のいずれであるか、について議論がなされてきた。
・現代論理学では真理の担い手は命題であるとされ、真と偽を合わせて真理値
 という。
・論理学で、「Pは○か○でないかのいずれかである(○であり、かつ○でない、
 ということはない)」という形をした文は○の内容に関係なく正しいので、
 これは「形式的真理」と呼ばれ、思惟と思惟自身の一致と定義される。
・このような形式的な形相についてではなく、質料について真理が語られるとき
 は「実体的真理」という。
・判断について真理が語られるときを「認識論的真理」といい、
・存在について真理が語られるときを「存在論的真理」という。
現代の真理概念は様々な形で修正を受け、相対的な傾向を強めている。】
―
▼ ニーチェ『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである 』
 現象、事実、真実、真理と掘下げていっても、いずれも解釈だけでしかない。
とはいえ、事実、現象の世界だけにとどまれば、その世界だけの住人になり、
現象に右往左往するしかない。ステップをして右往左往する手もあるか?
哲学の命題の一つの「真理」なんぞ、ここで語り尽くせるものでない。 
 脳の奥から、< お前らのは、「珍理」だろうに! >の声。

・・・・・・
5331,ノンセンス辞典 ー��
2015年10月19日(月)

 BRUTUSの「谷川俊太郎」の中の、ノンセンス辞典〜
 の、言葉の解説が面白い。 (▼は、私の意見)
≪ 【生ぎざま】= <生きかた>の商品名。
 <生きかた>を販売する場合には、この商標をつける方がよく売れる。
 但し、最近は投げ売りする者が多いので、先行き不安。 
 ▼「生きざま」というと、「生きかた」を少し生くさくしたもので、
  経験が加味された響きを持つ。
・【偽善】= 二十世紀後半においては、誠実の同意語とみなされているが、
  次のような古典的定義に固執する学者もいる。
  すなわち、偽善ーうそをついていると気づかずにうそをつくこと。
 【誠実】=うそをついていると知っていてうそをつくこと。
 ▼「誠実な人」という言葉に何やら欺瞞が隠されている。
  「偽悪」という私の好きな言葉もある。「露悪と偽悪」の区別も
  つかない連中に、目くらましにするにうってつけ。 
・【土着 】= 自分で自分を鉢植えにしている状態。肥料として人糞を
  用いることは稀。民族的肥料、文化人類学肥料を混用することが多い。
 ▼ 地元から一歩も出ないで、その社会を全世界と信じて疑いを持たず、
  鉢の中で良しとしている人。島国の日本も、鉢とすると、土着国家の
  住民が日本人ということになる。大陸の中国人からしたら日本は
 「小国民」と蔑視をしたくなる。その鉢が城下町となると?
・【知識人】= 知識についてはあらゆる知識をもっているが、知識でない
 ものについては、なんの知識ももっていない人。
 ▼ 境目は、その自覚が出来ているかどうか。知識でないものの一つに、
  「未経験」がある。それに対する姿勢、考え方が大きく、左右する。
・【情報】= 人間が本心をかくすために、まわりに煙幕の如くはりめぐらす
 膨大な量の知識。その量が余りに大きいので、当の人間すらその奥に
 かくされている本心を見失ってしまう。ほんとうの〈知〉と異り、しばしば
 売買や盗難の対象となるところから、商品の一種と推定される。
 ▼ 奥に隠されている本心すら、自分自身が知らないから始末が
  悪い上に、情報を知識化出来ないため始末が悪い。
 ―――
 今度、皮肉たっぷりの「私のノンセンス辞典」でも作ろうか。

 当日分を書き終えて、過去文を流し読みをしたところ、5年前の
<二代目・電動アシスト自転車>に出くわした。


6427,閑話小題 〜近くのSCは

2018年10月18日(木)

    * SCのテナントの変遷
 自宅から150mほど先に、原信とドラッグストアを核にした7店舗の小型のSC
がある。18年前に東亜マッチ工場敷地跡にオープン。 それと、9年前には、駅裏
から東バイパスに向かう主幹道路を50年以上かけて拡張、今では見違えるほどの
様変わり。新潟駅南も同時進行で開発された。長岡駅裏から600mほど先の一角に
大型SCも10年近く前に完成。 そこのSCのSJには、毎日のように通っている。
 家内は運転免許がないため、自転車で長岡駅内SCと、近隣のSCと、川西の
イオンのSCがテレトリー。 日曜を除くと、連日、ウィンドウショッピングか、
日用品の買い出しに。 テナントの出入りの激しさから、景気が良くないことを
肌で感じてるようで、月に一度は、<スッパリ、事業を止めて良かった!>と
宣っている。私が早朝から寝るまで目一杯、淡々と日程を熟していることもある。
暗い顔をし、ため息をついていたら、こうは言わない。
 ところで至近距離のSC内にあったチャンコ料理店が、数ヵ月前から営業を
停止したが、何が入るか楽しみしていたが、一月前から工事が始まり、
<国産牛肉、食べ放題>の看板が出ていた。 来週オープン予定だが、
<焼肉のサカイ系列の店>。同SCでは、数年前にユニクロが移転の後に、同系列
の「GU」が入っていたが、これも新しくオープンしたSCに移転。 その後、
<百均>の店舗が入ったが、一年もしない内に撤退し。現在は空き店舗。
毎日のように通っている500m先のSC内のSJに隣接した飲食店。初めは「お好み
鉄板焼き店」から、幾つか店が変わって、今はインド料理店。(川西にも数年前
から営業をしている…) 地元の学生向けのファーストフードの店も、今では
コインランドリーに。この程度なら当然か?
しばらく前の話になるが、家内が毎日のように顔を出すため顔見知りのレジの人に、
『どちらからですか?』と問われ、『100mか、150m先かしら!』と答えると、
しみじみと、『近くの人と顔を合わせ宅ないこともあって宮内から通っている。
この辺りに住んでいれば、4つ、いや川崎と愛宕SCを入れると6つのSCに
囲まれていて、自転車で5〜10分ですよね。夢みたい!』と言われ、
『エエ〜!』と恵まれた買物環境に初めて気づいたという。確かに、この20年
で様変わりをしてしまった。気づかないのは住人だけか。チラシの特売をみて、
スッと20分、姿が見えないと近隣のSCに。1時間だと、駅前のヨーカ堂に買物に。 
 確かに便利のようだ。 
『大して金もないはずが、週2回はイオンのSJに、月1度は新潟に、年に10日は
格安チケットで東京にお上り。その人が知ったら殺意?を持たれる?』と宣うと、
『何を言ってるの、計画以内で納めている上に、1円、2円の節約をするところは
している。あなたに注意されるいわれはない。今では‘宿無し’を僅かな年金で
住まわせているのよ! 常日頃、言ってるじゃない。あの世に持って逝けないと。
死んでしまえば1円もかからないの。老後資金など、銀行と保険屋の
間接勧誘の貧乏ビジネスの洗脳でしょ。 老いたらどうする?って、
この家を抵当に入れるか。売ればいいんでしょ。』と、いたってシリアス。
どうも、あと20年以上は生きそう。私が逝くと、そうは言っていられないが。
その辺りは、何とかなりそう? 上手くいく人は、何があっても、上手くいく
ように出来ている。人生、楽しんだもの勝ち。問題は資金だが、敵はさるもの。
   
・・・・・・
3858, 幽霊を哲学してみる
2011年10月18日(火)
 先日、ある人と食事をしていた時の話題。
《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。
貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 
最近、気晴らしにパワースポットに行くのが趣味になっている。長岡には、
そういうスポットは何処にあるのか?》という内容。〜それに対し私の返事は〜
《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、
 シックス・センスが身についた時期があった。実際に経験してみて、こういう
ものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔を
しているのを聞いて、他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡く
なった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、我に
返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、
幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが多く続くようになった。 これだけは、
実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味
を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、
何度も読み込むうち、霊の正体が理屈で分かりかけてきた。私はカレーを食べる
と汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり、カレーの
臭いさえしてくる。これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 
それと、あなたが見える幽霊に似ている。そこに幽霊がいるのではなく、
貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、
シックス・センスは、その入り口で遮断される。人間の脳は、生物が20億年
かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。
霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。過去を振り返ると
分かることだが、我々は共同幻想の中にある。人生は幻想の中で浮遊していて
いるだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。そう見えるも
脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。
そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺
させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じ。
 たまたま、二年前の同月同日に「生きる幻想 死ぬ幻想−2」を書いていた。 

・・・・・・
4223, 神は妄想である ー4
2012年10月18日(木)
 神は妄想である ー4                        
  * パスカルの賭け  ー「神は妄想である」リチャード・ドーキンズ著
 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得した
ことを憶えている。と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方
が得」という、いかがわしさも感じとった。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教
の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。
パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然。 ーその辺を抜粋ー
≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんな
に小さくとも、神の有無について間違った推測をしたときの報いには、かなり
大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、
なぜなら、もしあなたが正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違って
いたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、もし
あなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、
あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、正しかったとしても、何の利得
もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。
 けれども、この論証には、はっきりとおかしいところがある。信じるという
のは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。
少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定
できるようなものではない。私は教会へ行くかどうかを決定できる。
私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに
書かれているすべての言葉を信じると宣誓するという決定をすることができる。
しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に信じ
させることはできない。‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための
論証でしかありえない’。そして、あなたが信じると主張する神は全知という類
の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いてしまう
だろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿
げた考えは、ダグラス・アダムズの『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』
において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、
それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 
 宣伝によれば、デラックス型は、「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地」
では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。
しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければ
ならないのは彼を信じることだ」という考えを、そんなに簡単に受け入れて
しまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、
寛容、あるいは謙遜、あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのこと
ではないだろうか。≫
▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられる
 だけで、十分過ぎる」ことも確かである。信仰は自分で自分の首を縛るだけか、
長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに
足りるか。キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を
選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。

・・・・・・
4965,閑話小題 ー誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
2014年10月18日(土)
   * 誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
 誇りの持てない人こそ誇りたがる?それ以前に、誇りとは、どういう意味か。
ネット辞書によると、「その者自身の具体的な長所や美点に対する心理」
「名誉に思えること」 自信がないと、虚勢でそれを現出させがちになる。
隠せばこそ誇りとして、熟成されるが、ついつい、見せて誇ってしまうのが、
人間の性である。他人を見ていると、それが分かるが、自分のことになると!
誇りの逆が卑屈だが、これを、この言葉に当てはめると、
「落ち込むのは仕方がない、卑屈になるな」になる。 
ほおっておけば、老いるほど卑屈になるは!
   * 人と違う生き方は孤独のようだが、実りは大きい
 意識するしないにかかわらず、それぞれが人と違う生き方をしている。
ただ、人を意識しなければの話。スポーツジムのヨガに週2〜3回、二年半、
参加してきたが、少し暗がりの中で毎回のように言われるのが、
「各々のマットは、各々の全世界です。周囲の人を意識しないで、自分だけの
世界に入って下さい!」である。実際に参加していると、殆どの人が、忠実に
自分の世界に入りきっているのが分かる。人と違う生き方は、人を最小に
意識した生き方ということになる。その第一歩が、人と比較しないこと! 
その為には、まずは、自分の好きなことを長年かけて続けること。
それには孤独の世界を大事にしなくては。

・・・・・・
4598, 読書という体験  ー1
2013年10月18日(金)
      「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
 読書を体験として捉えるところが面白い。
それも色いろな分野の識者の体験談?だから惹きつけられる。
   ーアマゾンの内容 よりー 
【熱い気持ちで読んだ本で経験したことの方が、実際に経験したことより
 今日の私にとっては何倍も大切な思い出になっているのだ ―香山リカ
 「読書だって“人生経験”」(学者、作家、)ー ジャーナリスト、
 俳優など、三四人の多彩な筆者による、さまざまな読書という体験。】
 まずは、読んだことのある著者から取り上げていくが、
 特に藤原正彦の内容が良い!
   * 教養を培う  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
《NHKによる最近の読書調査を見ると、中学生.高校生がいかに本を読まないか、
 あらためて愕然とする。平均読書時間は一日に数分である。一方、テレビに
費やす時間は、平日が約二時間、休日が約四時間である。高校生三人に二人は、
一ヵ月に一冊も読まないという。読書以外に、文学、歴史、思想といった教養を
身につける方法はほとんどないから、このままでは早晩、日本は無教養な人々で
埋めつくされることになる。 教養がなくとも、日常生活をつつがなく送り、
幸せな人生をまっとうすることはできる。その意味で教養とは個人的なもの。 
教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。
「長期的視野や大局観を持つとは、時流に流されず、いったん自分を高みに置き、
現象や物事を俯瞰しつつ考察するということ」である。このためには若いうち
から、「現状」を離れ大きな枠の中で人間や社会の本質に迫ることに慣れねば
ならない。そこで、時空を超える唯一の方法、すなわち読書により、古今東西
の偉人賢人の声に耳を傾け、庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要。
このような読書の累積が教養である。長期的視野や大局観は、リーダーとなる人
の絶対条件である。我が国の政治や経済政策がいつまでたってもうまく機能せず、
社会や教育が少しずつ荒廃していくのは、リーダー達の大局観の欠如による。
大局観がないと、常に時流に流され、右顧左眄し、対症療法に走ることになる。
大局観欠如の背景には、かつてあった教養主義の衰退、読書離れがある。
 リーダーだけが教養を積んでいれば、国民一般はどうでもよいかというと、
そうはならない。我が国が民主主義をとっているからである。国民の総意に
基づいて物事を決めるのだから、その国民に判断力がないと大変なことになる。
民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治
形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》
▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を
 対象とした週90分、半年間のこのゼミは、以後毎年開いているという。
この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。
事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能の
ものばかり。基礎教養が、人格をつくり、それが問題を解決する。
私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は
二年目からの参加。ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。
二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたびジワジワ効いてくる。
それまでの読書の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミ、学生時代の最大の収穫。
 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。
特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、絶対量を読んでいる。 
卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を
 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室
を持つことができた。足の踏み場もないが・・ 

・・・・・・
5330,閑話小題 〜メガネ店に隣接したコンタクト専門店
2015年10月18日(日)
   * メガネ店に隣接したコンタクト店
 あと三ヶ月で自動車免許の書き換え。毎回、問題は眼の検査がギリギリ線上。
その都度、何とか合格してきた。70歳誕生日の免許書換えの法定講習会に
行ってきたが、その検査では今回は無理。レンズの入替えか、コンタクトか、
白内障手術かの判断。で、「メガネスーパー長岡店」に、問い合わせの電話を
入れると、一度、コールセンターにつながり、眼医者が、(週3日だけ待機)
する隣接するコンタクト専門店を紹介された。こうしないと、店単位の判断
のため、コンタクト隣接店の紹介をさせないための対策だろう。
 で、昨日、早速、紹介された店に行ったところ、強度から、メガネでも何とか
合格ラインのレンズにすれば、クリアするという。そこで、コンタクトのコストと、
レンズの値段を聞いたところ、コンタクトなら3分の1という。コンタクトの選択肢
は考えてなかったので 判断は二日後に延ばすことにした。 ちなみに値段は、
一日使い捨ての30個入りのソフトコンタクト(乱視用)で、7千〜8千円。
コンタクトは20歳代に10年間近く使ったことがあるたって抵抗感はないが、
一つ位、クリアするレンズも必要?レンズの入替えか、コンタクトか迷うところ。
現時点ではコンタクトだが? コンタクト専門店で判断予定!
   * やはり原監督が辞意
 昨日のヤクルト対巨人戦は、20分位で他のチャネルに変えてしまった。
巨人の対戦相手を原監督の来年の姿を見たくないため、応援するのも複雑
な気持ち。原の監督年齢が、既に過ぎてしまっていたのは誰の目にも明らか。
今朝のヤフーのニュースに、<負けて決勝に進めなかった結果、辞意を表明>
と載っていたのを今朝になって知った。これで良いのだろう。ドラフトがある
ため、早々、監督の人選になるが、一時的に江川か、正当なら桑田か、巨人の
コーチ陣の中からか、この数日は面白くなった。原監督は、総括として、
歴代の上の部類に入る名監督である! 巨人のGMに留まるか、一度、
すべてを脱ぎ捨て、数年、休むか? やはり、一度、休むがよい!


6426,読書日記 〜冴えたジョークは人生における立派な教養である

2018年10月17日(水)

           『バーカウンターは人生の勉強机である』島地勝彦著 
   * 下ネタ・ジョークならシマジ
 あとに、開高とのジョーク対談の幾つかを
< 靴のジョークを一つ。
 ・ピカピカの革靴を買ったアントニオは、まるで魔法の革靴を履いたように
女にもてた。今夜はローザを誘って深夜のドライブに出かけた。Hな気分になった
彼は、ローザに素っ裸になるように促し、ことを始めたため、天にも昇る気分に
なり、運転を誤り、道端の木に衝突。ローザは外に放り出されたが、無傷。
アントニオは無事だったが、運転席に閉じこめられた。その先には丁度、ガソリン
スタンドがあった。彼はピカピカな片方の靴をかろうじて脱いで、ローザの大事
なところを隠して助けをもとめてくれと頼んだ。 ローザは片方の靴で股間を隠し
ガソリンスタンドに走った。『すみません。彼が出てこれなくなったのです』と
恥ずかしそうに言うと、店員のオッサンは驚きながら、股間の靴をみて言った。
『そこまで入ったら、俺には無理だな… 』 

・海で遭難して10年、無人島にいた男。ある日、彼は水平線の彼方に小さな点を
見つけた。その救命イカダの乗っていたのはウェットスーツの金髪美女。
『あなた、この島で何年も煙草を吸っていないの?』
『10年だよ』と男。女はポケットから煙草を取りだして与えた。
次に彼女は『シングルモルツを飲まないで何年経つの?』。『10年だよ』
男は「美味い!」と叫んだ。
今度はジッパーに手をかけ、妖艶な微笑みを浮かべて問いかけた。
『男の本当の愉しみを忘れて何年経つの?』 男は歓喜の表情を浮かべて叫んだ。
『まさか… 、そこにゴルフクラブを入れてきたのか?』

・女が行きづりの男と一夜明かすことになった。
コトが終わったあと、女が男をバカにする口調で言った。
『あなたのセックスはお粗末だわ』 男は憤慨して言った。
『なんだと! 20秒でおれのことが分かるわけがないだろう」
―
▼ ジョークだけは、通じない人には「茹でてない乾麺に醤油をかけて、
 そのまま差し出された」ようなもの。会話の楽しみには、ジョークの舞台と、
登場人物のイメージを、互いに差し出し、受け取る感性が必要となる。
内的素養は、長年かけておかないとカラカラの萎びた感性になってしまう。

<人生相談こそ、ジョークの最たるもの。 そう思いません!>
――――
2666, 結論で読む人生論 ー2
2008年07月23日(水)       
 「結論で読む人生論 ―トルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)
                            
  * ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
 順不順でなるが
{第6章 人生の価値、人生の意味ーなにはなくともこの糞坊主ー今東光}
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年
近くも経つだろう。
  ーまず、その部分ー
【 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、
食傷気味である。もしかしたら、人生論が人生をむずかしくしているのではないか。
たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、
それぞれの計らいでいいではないか。ここまで見てきたさまざまな人生論はあまり
にも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものは
ないのか、とお嘆きのあなた、これがあるのだ。その男が生存中は、なんだ
この濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。が、わたしはいまでは今東光を
尊敬している。そう、今東光和尚である。聞いていただこう。
 *「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての
人生しかないんでね。自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、
「十八の人生」というものしかないよ。それしか、オレは言いようがないね。
(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 *「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言う
けど、その言っている野郎が、ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、
絶対にそうじゃねえんだな。 そんなのはダメなんで、真実火の玉になって人生を
渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。人がよすぎて
結構じゃねえか。そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな!─同書
 *「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、馬鹿野郎!」
「おめえみてえな野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて
自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでも
のばしてた方がよっぽどましだぜ、この野郎!」。 ──『極道辻説法』集英社
 *二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話
をかけた。どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。
おれはどうしたらいい? 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。23歳にもなって
そんな電話かけたりするバカなら自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、
恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。切に自殺をお勧めいたします。
                      ──『毒舌身の上相談』 】
―
後記)「死にな」がいい。「悪いことは言わん」「お勧めいたします」がいい。
 現在、これだけのことを言ったら「馬鹿たち」に袋叩きにあう。だから誰も、
こういうことはいえない。だから懐かしいのである。今東光が現在の若者、特に
負け組みといっている連中。
◎ 私が今東光に変わって言ったとしたら、こうなるだろう。
「この馬鹿野郎が!何が負け組みだ。そうしたのは御前自身だろう。
何が格差社会じゃい笑わすな。 手前に能がないのさえ自覚しないから、
   能がないままにしてきたのだろう。 知恵を使え知恵を。その程度のことは
幼児でも使っているじゃねえか、馬鹿野郎。知恵が無いとぬかすなら、足と手を
倍以上使え。御前に覚悟も知恵も無いことを自覚もしてねえで何が格差だよ。
いいじゃねか、格差も。もし、格差をつけられたと思っている連中、あんなもの
ゴミみたいなものじゃ。御前よりはマシぐらいだよ。そんなことより、知恵を
使え知恵を、この馬鹿が・・・」 てな具合になるか。    ーつづく

――――
2667, 結論で読む人生論 ー3
2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って
この本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分? とにかく、面白い。
何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主
と割り切れば、「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題
いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
≪ 「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」
 「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」
「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろう」
「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」
「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」
「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、
 てめえが不幸になる方がいい」。

極めつけは、これ。
「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちに
 なれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、まず己を空しゅうして、
 謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、
 女を愛することもできないし、女にも愛されない」。 
「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」の21歳学生の質問。
・利いた風なことをいう者には東光は容赦ない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 
 いやならとっとと死にゃあいいだろう。そんなこっていっぱし物を考えていると
 思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。
 オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでも
 ありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには何も残らねえとか、
 そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえ
 みたいなバカ者は!その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! 
                          ──『極道辻説法』
・おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」に、
「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの
 人生、つまってるか?』って。みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまら
 ない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行ってても
 つまるものを発見するという能力をまず養う。能力というより、そういう努力
 をするということだ。(略)それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえ。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあ
 いいさ。」 ──同書
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。 
「そんなことわかるかい!」。  ≫
 ーーー
これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。言葉は何時までも残るという
のが解る。本当に言葉は大切だ。その中に感情と理性が入るからである。 
最後は人間性ということだ。

・・・・・・
3558, 「プレイボーイの人生相談 1966-2006」
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
 まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
古くは柴田錬三郎、今東光、開高健、最近では松本人志、リリー・フランキー
など錚々たるメンバーによる、時代は変わっても決して色あせない珠玉の人生訓
や哲学を集めた記念碑的1冊!
ーー
いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、
ニヤリとさせられる。やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で
甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問:
≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じた
ことがないんだ。よく「自殺は敗北だ」なんていうけど、つまらない映画
だったらさっさと途中で出ていっても敗北でもなんでもないと同じで、人生
だってつまらなかったらさっさと自殺していいんだと思うけど、これでも
やっぱり「人生に負けた」ことになるんですかね。
 ー死ぬのは平気なんだけど負けるのは大嫌いな男より。≫
● 解答:
≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、
「おまえの人生、つまってるか?」って。みんな「つまらねえよ」って言うよ。
 そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出して
 いく発見だ、この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。
 どこへ行ってもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。織田信長がある日、
 手をたたいて人を呼んだ。おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎ
 して「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、
 森蘭丸が入ってきた。信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、
 小さな糸くずが落ちているのに気づいた。それを指でつまんでから
「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
 これで信長は、「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで
 登用した。他のやつはみんな落第よ。信長ばかりじゃない。会社だって、
 学校だって上役、先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。
 それ考えりゃあ、つまらない人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界
 はつまらん、つまらん」とも言ってるけど、つまるようにいつでもやってる
 から、忙しくて面白くてな、愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、
 さっさと死んでしまえばいい。オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で
 放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。 ≫
―
▼ 独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。 
 最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。


6425,閑話小題 〜わたしにとってドモリは武器である

2018年10月16日(火)

          『バーカウンターは人生の勉強机である』島地勝彦著
   * 『意識が稲妻、舌は蝸牛』なら持てるは!
 『プレーボーイ』元編集長で100万分雑誌に育てあげ、集英社の社長を最後に、
10年前にリタイア、現在は新宿伊勢丹に2014年に『サロン・ド・シマジ』という
店を開いて現在に至っている。連載していた架空の雑誌の立ち飲みバーを現実に
開店させたもの。週末には本人が現にシェーカーを振っているというから幸せな
ことだ。 で、先日、図書館で、この本を見つけて借りてきたが面白い。
島地といえば、開高健とのジョークバトルが繰り広げられた名対談集、
『水の上を歩く? 酒場でジョーク十番勝負』が面白かった。それをキッカケに
ブラック・ジョークを探し求めた時期があった。 …20年になろうか。

≪ マスターの流暢な説明を聞きながら、90歳の瀬戸内寂聴は20代の秘書に
 負けず杯を重ねた。すらすらウイスキーの蘊蓄を披露している最中に、突然、
瀬戸内さんが言った。「マスター、今夜はつまらないわよ。どうしてドモッテ
くれないの。あんたの吃音には色気があるんだから」
 そう、マスターは生来のドモリである。カ行とタ行に弱く、素敵なレトリック
が浮かんでも舌の上で音にならないで死んでいく。
その昔、同期の現作家がドモリで、初任給を懐にすし屋に行ったときのことだ。
2人ともトロが食べたいときに、「ト」が口から出てこない。
「おまえ頼んでくれと…」というと、「ええと、ええと…」と口ごもる。
「海老ですか?」と板前に言われ、海老を6匹も食べることになったそうだ。
マスターは、ドモリをカバーするため、幼いころからたくさんの言葉を学んだ。
「ためらう」を「逡巡」という言葉に置換えて話した。自然と語彙が増えたこと
からこそ、編集者としての仕事がこなせたのかもしれない。そんなマスターに
開高健さんが、『意識が稲妻、舌は蝸牛」という言葉を贈ってくれた。
「そういえば、瀬戸内さんが90歳で書き下ろした『月の輪草紙』を読返し、
驚いたことに清少納言の最初の夫がドモリだった。
「あれは私の創作です。どうしてもドモリにしたかったのです。明治生まれの
アナキスト大杉栄は女にもてました。それはドモリだった。『き、君のことが、
好きなんだ』なんて言われたら、女性の母性本能に直に火が付く。昭和初期の
‘編集の神様’と呼ばれた斎藤十一も、そしてあなたもドモルところが魅力的
なんです。男がペラペラ喋るのは軽薄にみえてなりません」 
聞いたか全国のドモリで悩んでいる紳士成年諸君、そういうことだ。今日から
自信を持って生きるんだ。コンプレックスを武器にした時こそ、人間が大人に
なった瞬間である。 ≫
―
▼ 「弱点を強みにかえる」というと、思い当たる節が幾つかある。
 ・話下手を逆手にとって、聞き役になる。そして褒める。複数の美人に何気
 なく三回褒め、後は距離をおく。意外なことに、美形を直接、褒められない
のが現実。その後は無関心に。中の上から上の女性は心の内で殆ど、絶世の美人
と確信している。逆にいえば、飢えた男どもの目線に敏感。だから、意識した
距離感が必要になる。何か何時の間にか、美人扱い管理の話になった。 
 で、この本も、下ネタを含めて、なかなかな。 次回か、次々回に…

・・・・・・
2015/11/06
浅田次郎の人生相談 ーうつ病で、死ぬことばかり考えています
          ー『世の中、それほど平等でない』浅田次郎著
 このところ、中島義道、西原理恵子、島地勝彦、上野千鶴子など、
各分野の人たちの人生相談を取り上げているが、それぞれの個性が面白い。
今度は図書館で、浅田次郎の‘最初で最後の人生相談’のタイトルに惹かれ
借りてきた。雑誌『プレーボーイ』の今東光などの人生相談の一連の作家の後
を引き継いだ相談、肩を並べるには?〜ランダムに目に付いたところから〜
  ● 質問: うつ病で、死ぬことばかり考えています
≪「先日、ヘルニアになり入院して、その後、自宅に戻って安静に過ごし、
心身の状態が回復してから今の職に復る予定でした。しかし、その間に、
好きだった草野球や水泳ができなくなり、鬱屈したものがたまっていくなかで
妻とも些細なことでもめるようなってしまいました。精神不安定になり、
病院で『うつ病』の診断を下される事態はさらに悪くなり、最近では死とか
自殺とか、『どうしたら周囲に迷惑をかけずに死ねるか、などということ
ばかり考えています。現在は自宅療養中なので、経済的にも厳しくなってます。
今の職に復帰することは可能ですが、どうしてもそのような気持ちが起こり
ません。しかし一方で、こうして自宅で療養できるのも今の仕事で稼いだ
貯えがあるからなので、普通に考えれば辞めないで復帰したほうがいいと
いうこともわかっています≫
  ● 回答: まずは妻と仲良く! 
次郎: ひとつ思うのは、あなた、病気のせいにしてないか? もともと今の
 仕事に対して嫌なことがあって、病気がきっかけでそういうネガティブな
 気持ちが表層に出てきてしまった。それをすべでヘルニアのせいにして
 しまっている。それは‘ジョーカー’なんだよ。
「健康上の都合で」という力ードは、やたらめったら切るべきじゃないんだ。
 うつ病だって働かない理由にはならない。
太郎: お言葉ですが先生、うつ病というのは正しい治療の必要な、
 れっきとした病気ですよね。
次郎: もちろんそうだ。そうなんだけど、薬を飲めばそれで治るという
 ものでもないだろう。最後には、自分を奮い立たせる心の強さが要る。
 それがなければどんな良薬を使っても根本的な解決には導けない。
 そんなあなたに、特効薬になるであろう助言をひとつ。何よりもまず、
 奥さんと上手く、やりなさい。夫婦仲が上手くいってないなら、それが一番
 ダメージになる。だって会社に行って、どんなに嫌なヤツと顔を合わせて
 仕事をしなければならないとしてもせいぜい8時間、9時間くらいだろう?
 ところが残りの15、16時間というのはほとんど女房が隣にいるわけだ。
 週末の休みを入れればもっとだよ。ある人とふたりきりの時間が一日の
 三分の二あるのに、その人と上手くいっていないというのは、これは精神的
 にこたえるよ。会社でどんなに嫌なことがあっても「お帰りなさい」と
 言って飯の支度をしてくれて、愚痴も聞いてくれる女房がそこにいるから
 こそ、明日またがんばって働こうって気になるのよ。それなの女房と
 上手くいってなかったら24時間嫌なことだらけじゃないか。まずは女房と
 セックスをし、どうせ仕事を休んでいるんだったら割り切って旅行でもし、
 夫婦関係を取り戻しなさい。ヘルニアを治すよりよほど効果があるよ。
 自分に近い人から大切にしていくというのが、良い人生を歩むための鉄則。
 男ならまずは女房、子供。ぞれができたらひとつ先、親や兄弟を大切に
 するんだ。≫
▼ 各分野の先生?の、人生相談の相談を読んで、まず私なら、どう答えるか、
 一度、自問自答するのが面白く読むコツ。一歩間違えれば、離婚、家族離散、
など、最悪な事態が口をあけて待っている。 私なら、
<徹底して、その最悪の事態を徹底的に想定する。そのうちに、凍り付き、
その解凍と同じに、会社にいくとか、ステップを踏み出す。隠れた野性は、
その究極の中から顔を出す。> 『出てこない?』なら、保険を充分かけ?
サッサと死んでしまうがよい。それも出来ない? まずは、死に場所を探し、
彷徨ってみれば?いざ死ぬとなると、ゾッとする。しなかったら、そのまま
逝けば!死ぬ覚悟のない奴に、生きる覚悟があろうはずはない!>
 その前に図書館か、大型書店を彷徨ってみなさいよ!
苦しさに合わせ、妖精が、その本の場所に導いてくれるはず。                

・・・・・・
2015/10/22
島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー��
  元・プレーボーイ編集長の島地に、亡くなった三人がのり移った設定の
人生相談だから、面白くないわけがない。ランダムだが、面白そうな相談から
紹介していく。
   ー大企業で出世する男の見分け方を教えてくださいー
〈 私がつき合っている男性は慶応大学卒の28歳、某大手電機メーカー勤務です。
有名企業ですが、このご時世、サラリーマンの一寸先は闇。彼が出世競争を勝ち
抜ける人かどうかを知りたいのです。私も大手といわれる保険会社勤務ですが、
ずっと仕事を続けるつもりはありません。というか、専業主嫁になりたいです。
ただし、貧乏臭い節約生活は送りたくありません。銀座で気軽にショッピングを
したり、一流のレストランでランチができるくらいの余裕のある生活が希望です。
そのためには、旦那さまにかなりの稼ぎがないことには。かといって、ベンチャー
経営者なんていうのは、倒産の危険と背中合わせで不安定だからイヤ。大企業で
出世する人がいいのです。そういう人の共通点って何でしょうか。どんなところ
で見分けられるでしょうか。こんな質問をしたら、コメントは欄では非難轟々
かもしれませんが、本音でお蜀きします。(27才女性) 〉
  ーお答えー
〈・シマジ:その慶応卒の彼氏とやらに会って、食事をしながら二時間も話せば、
出世するかどうかをぴったりいい当ててあげるよ。だが、一般論として出世
するす男はこうだとはいい難いな。それこそ千差万別だ。だから、会わずに
語るのは無責任だな。無責任だが、これだけはいえる。この男が大企業の中での
競争を勝ち抜き出世するだけの知力と感性の持ち主なら、相談者を一生の伴侶
として選びはしない。すなわち、相談者を妻にするような男なら出世の見込みは
薄く、出世する男なら、いずれ相談者と別れるだろう。
・アソシエ:辛口ですね。
・シマジ:相談者の本音の質問を本音で答えたまでだよ。出世をする人間の
大事な条件の一つが人を見る眼力だ。大きな組織の中でこれぞという先輩や
上司を探り当て、その人に教えを請い、その人を尊敬して命がけでついていく。
あるいは営業マンなら、取引先のキーパーソソを見極め、そこにしっかりと
食い込み、人脈を広げていく。いずれにせよ、そうした人を見る眼力があれば、
女のたくらみも見通してしまうだろう。それにしても、相談者の考えは浅いな。
だってそうだろう。日本の大企業の中で課長に出世をする男には眼力が必要だ。
課長になり、部長になり、ついには役員になったとして、どれほどの生活が
できるというんだ。第一、子供はどうする。子供が二人もできたら、優雅に
お買物にラソチになんていっていられなくなる。しかも、教育に金がかかる。
こういう相談者だから、子供に有名幼稚園や小学校をお受験させるだろう。
そのうえで、有閑マダムよろしくブランド品のショッピングに精を出し、
高級レス.トランでランチ三昧なんてことをしようとしたら、数千万の可処分
所得が必要になる。ということは旦那は税込みで一億円近く稼がなくては
ならず、サラリーマンには到底無理な話だ。〉
▼ 以前、田圃や小川に生息する〈タガメ〉について書いた。蛙や、小魚に
 抱きつき、栄養分を死ぬまだで吸い取る昆虫で、日本の専業主婦に酷似
しているという分析の書籍を、ここで紹介した。 何か、誰かさんみたい?
  〜二年前に取り上げた内容を下にコピー〜

・・・・・・
2015/10/23
島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー��
    ー結婚しなさい。いい相手を俺が紹介してあげようー
 私に今東光が乗移ったら、『サッサと転職をしろよ。次の職場で後悔する
状況に直ぐに陥るから、少しはマトモになるはずじゃ!』というだろうに!
 ≪ ◎ 質問: 信念や主張がなく、すぐ諦める自分がもどかしい
〈 私の悩みは「こだわり」がないことです。そのためか、人にただ流される
 生活をしているような気がします。仕事をするうえでも、周りの人が
「こうするべきだ!」と強く出してくると、「だったらそ札でいいんじゃない」
と迎合しがちで、会議などでもあまり意見はいいません。何かを強く主張を
して揉めるくらいなら、初めから諦めてしまうほうが面倒がなくていいと
思ってしまいます。人材開発・組織開発の仕事をしていますが、この仕事は
すぐ結果が出るような類のものではなく、周囲とのコンフリクトが当然の
ようにあります。それだけに、信念やこだわりがなく、すぐ諦めてしまう
自分がもどかしいです。三十歳を超えて、このままだと仕事は中途半端な
ままで終わりそう、と不安です。(三十歳女性) 〉
  ◎ 答え=人生で最大の罪悪は退屈すること
・シマジ: うーん、難しいな。俺とは全く違うタイプだ。何が原因で自己主張
を諦めるようになったか分からないが、相談者は人生に退屈をしているんじゃ
ないか。主張しない、迎合する、すぐ諦める。これではノッペリした平板な毎日
で退屈で仕方がないだろう。俺は人生で最大の罪悪は退屈をすることだと思うよ。
何だっていい。何か一つのことに十年ものめり込めば、間違いなく自分の世界が
できる。確固とした価値観や美意識が形作られ、オリジナルの主張や、譲れない
一線としうものが生まれる。すぐに諦めることもなくなると思うがな。
・アソシエ: 趣味に打ち込んでみたら変わりますかね。
・シマジ: 実のところ、「たしなむ」レベルではあまり変わらない。結局のところ
「道楽」でもまだ足りず本当は道を極めるところまで行かないと世界は作れない。
つまり「極道」まで行く必要があるんだが一まあ、そこまで要求するのも酷だから、
まずは何か打ち込めそうなものを探してみてはどうかね。空手なんかどうだ。
・アソシエ: いきなり空手ですか。 (略)・・・
・シマジ: 経済力があって頼れるいい男を見つけて結婚すれぽ、相談者は
昔ながらの良妻賢母になり、幸福な結婚生活が送れると思う。何も仕事で成功
するばかりが人生の幸福でほない。自分の意見を強く主張し、周囲と競い合って
仕事で成果を上げるということが向いていない人もいるんだ。そういう人は無理
をして仕事場で「できる女」を目指さなくてもいいと思う。
というわけで、相談者には旦那さん候補としてこ人の男性を紹介しよう。
じつは、いい人がいたら紹介してくれと二人の男から頼まれているんだ。
いま、その男たちの写真を持ってくるよ。
・アソシエ: まっと待って。それは人生相談の範疇を超えているような気が。
・シマジイ: どうしてだね。人生相談というのは相談者の悩みに真剣に対峙
 するものだろう。少なくともシバレン先生、今東光大僧正、開高健文豪は、
相談者に胸襟を開き、自らこれと信じるということを真剣に語った。
人生に正解なんてありはしないんだ。だから人生相談にも正解やあるべき姿
なんてない。語るだけでなく、人助けの実践的サポートまでやる人生相談が
あってもいいじゃないか。俺は、この相談者の幸福は結婚にあると思っている。
そして、良妻賢母になることを確信している。相談者に結婚する気がないなら
無視してくれれぽいいだけだ。もし、その気があるなら、連絡してくれ。≫
▼ こういう人は、男にもいる。学生時代など20歳半ば頃までは、
 経験の絶対量が少なく、まず周囲と同化することに神経がいって当然。
女性なら家庭に入ることで逃避する道があるが、男は、そうはいかない。
人生に正解はないとしても、より良い道は自分でしか切り開けない。
で、知恵を絞り出すしかない。この後の二人の対話が面白いが、止めておく。


・・・・・・
4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジがゴーストライター
2013年12月19日(木)
  * 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作 
                ー『知る悲しみ』島地勝彦著
 図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。
例の『水の上を歩く? 酒場でジョーク』島地 勝彦・開高 健 (著)の、
元プレーボーイ編集長の島地の著書。「知らない悲しみより知る悲しみ
のほうが上質である」とは、言い得て妙だが、何と『極道辻説法』
の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白。生臭坊主の
名回答も、シマゲジの創作とは・・ ーその一節を書き出してみるー
・矢野「いまインターネットなどで『今東光語録』が箴言集のように
 扱われています。ところが私などから見ますと、どう考えても大僧正の
 興味のテリトリー外のテーマなどが書かれてありまして、ずばり
 訊きますが『和尚前白』は大憎正が書いたもの?
・島地「今日はすべて告白しよう。あれは全部オレが書いたものだよ。
 しかしよく分かったね。読み込んでいるなあ、矢野は」
・矢野「ただ『速記録』で実際に大僧正が語った回想や時評をうまく
 リライトされているのもあります。ですから島地さんの全くの創作ばかり
 とは言い切れない。今日は漢幸雄さんが収集した『和尚前白』を持参して
 きましたので、どれが完全に島地さんの創作なのか教えてくれませんか」
・島地「いいとも。(『和尚前白』を読み進めながら)第一回からオレの文章。
 確かに。うまいなあオレは。(国連総会演説を取上げた回を示し)これもオレ。
 高校野球の話、これもオレだ。この回は大僧正の話をまとめたもの。これも
 オレじゃないかな。ほんとに大僧正が愚依してるね。いま読んでも面白い!」
・矢野「スポーツや外国小説がテーマのものやアル・カポネの話もみんな
 島地さんの創作なんですね」
・島地「もちろん、そうだよ」
・矢野「このインタビューを読んでひっくり返る人、いっぱいいますよ。
 いま島地さんは『乗り移り人生相談』という連載をされていますが、
 まさに当時から大僧正に乗り移ってたことになりますから」
▼ 私もひっくり返った一人である。島地が今東光に憑依しないと、
 あれだけの名回答は出てこない。そうすると、この本の題名「知る悲しみ」
に通じてくる。「知らない悲しみより、知る悲しみの方が上質」としても、
読者の一人として、知らない方が良かったと思うのが人情。ここで紹介されて
いる「エロ・アーカイブ」は興奮した。飼犬の秋田犬と夫婦の3P?を生々しく
書いてあるが・・ 今度ここで紹介しようか?ー【スカトロ・マニア】犬の
ロッキーを恋人にした私の妻ーと検索すると出てくるが、お勧めはできない。
成るほど、「知る悲しみ」そのもの・・ 上質かどうかは別!


6424,旅行の話 〜パックツアーの構造 ―5

2018年10月15日(月)

     * 事例で見ると…
・『エジプト・トルコ10日の旅』が、その最たる事例。 
 ローマで乗り継ぎ、カイロから、ナイル川沿岸にある3千数百年前の遺跡群を
周り、カイロに戻り、ピラミッドをみた後、トルコのイスタンプールへ。そして
アンカラからカッパドキアの地下都市を早朝から深夜までの過酷なコース。
 その過酷の日程を何とも思わせないのが、遺跡が物語る歴史の広がりと、深み。
エジプトといえば、ナポレオンのエジプト遠征で「兵士諸君4000年の歴史が
見下ろしている」の演説。1798年、ナポレオンが行ったエジプト遠征の翌年八月、
ナイル河口のロゼッタという町の近くで塹壕を掘っていた工兵が黒石の断片、
ロゼッタ・ストーンを発見。 この断片には、BC196年に発布された
プトレマイオス五世を讃える諸行事の規定が、二種の書体のエジプト文字と
ギリシア文字の三書体で繰り返し記されており、これを手掛かりに、フランスの
シャンポリオン(1790〜1832)が、エジプト文字の解読を成功させた。
ナポレオンの戦略は失敗に終わったが、石の発見は大きな功績となった。
・エジプトから息をつかさず、トルコのイスタンプールへ。世界で最も美しい
モスクと評され、トルコを代表するブルームスク寺院は、オスマン帝国時代1616年
に建造されたもの。そして、アンカラから、カッパドキアの地下都市群へ。異教徒
の侵略から逃れるためにキリスト教徒が、奇岩群に隠れるように造られた地下都市。
この旅行で初めて、その存在を知ったが、宗教間の争いの過酷さが垣間見えた
信じ難い光景。ピラミッドに、ラムセス?のミイラ、アスワンからルクソール
までのナイル川沿岸に点在する古代遺跡、そしてトルコの遺跡。 僅か10日で、
背中に重い歴史を背負いこんだ感覚になってしまった。ツアーなればこそ可能
にしてくれた事例。世界は広い上に、深い歴史が、地下深く埋ずもれている。

 ネットサーフィンの、このコースのコピー。
私はエジプトからトルコの逆の10日間のコース。観光内容は全く同じ。

 ――――
≪ 阪急交通社(トラピックス)の「エジプト・トルコ 周遊11日間」、
 まずはエジプト編です。

(1日目)
21:25 中部国際空港よりエティハド航空でアブダビへ。(所要時間約12時間30分)
 ※北京で約1時間駐機  (機内泊)
ー
(2日目)
06:20 アブダビ到着。
09:30 乗り継ぎ空路、イスタンブールへ。(所要時間約4時間45分)
13:15 イスタンブール到着後、バスでチャナッカレへ。(320km6時間)
 ダーダネルス海峡は、フェリーで移動。
20:30 ホテル到着。   (チャナッカレで宿泊)
ー
(3日目)
07:30 古代都市トロイへバス移動。(約20km1時間)トロイ遺跡観光(1時間) 
 観光後、ベルガマへ。(約230km約4時間) アスクレピオン観光 トルコ石の店
 で監禁 クシャダスへバス移動。(約205km3時間)
19:30 ホテル到着。 (クシャダス宿泊)
ー
4日目
7:30 ホテルを出発、エフェソスへ。(約20km/約1時間)エフェソス遺跡観光 
 革製品のお店で監禁 その後、パムッカレへ。(約185km約3時間)
 ヒエラポリス遺跡、石灰棚観光後、アフィヨンへバス移動。(225km3時間30分)
20:30 ホテル到着。 (アフィヨン宿泊)
ー
5日目
07:30 ホテルを出発し、コンヤへ。(約223km約3時間30分)
 メブラーナ博物館観光  ※入場観光 インジェミナーレ神学校観光後、
 カッパドキアへバス移動。(約230km約3時間)
 途中☆陶器のお店で監禁。18:30 ホテル到着。 (カッパドキア宿泊)
ー
6日目
05:30 バルーンツアー又は4WDサファリ カイマクル地下都市観光 
 ギョレメ野外博物館観光 ※入場観光
 ウチヒサール パシャパー デヴレント エセンテペ トルコ絨毯の店
 観光後、アンカラへ。(約280km約3時間30分)
19:30 ホテル到着。(アンカラ宿泊)
―
7日目
07:30 ホテルを出発し、イスタンブールへ。(約450km約6時間30分)
 トプカプ宮殿 ※入場観光 アヤソフィア ※外観のみ グランドバザール
20:00 ホテル到着。(イスタンブール宿泊)
―
8日目 08:00 ホテル出発。ボスポラス海峡クルーズ ブルーモスク※入場観光
 アヤソフィア ※ 外 観 の み !!!!!
14:00頃 イスタンブールより空路、カイロへ。(所要時間約2時間)
14:30  機内食が本日の 夕 食 ! :
 ここまでトルコ編
http://4travel.jp/traveler/masa00394/album/10764996/
---------------------
 ↓ここから エジプト編

16:00 到着後、ホテルへ。途中、パピルスのお店で監禁
17:00 ホテル到着。(カイロ宿泊)
―
9日目
08:30 ホテル出発。
 クフ王のピラミッド ※入場観光
 スフィンクス カフラー王のピラミッド メンカフラー王のピラミッド
 金製品のお店 メンフィス遺跡 ※入場観光 サッカラの階段ピラミッド
 ダハシュールの屈折ピラミッド 赤のピラミッド
 観光後、カイロへ。(約80km約1時間30分)
21:00 ホテル到着。(カイロ宿泊)
―
10日目 08:00 ホテル出発。エジプト考古学博物館観光 ※入場観光 
 観光後、空港へ。
13:50 カイロより空路、アブダビへ。(所要時間約3時間10分)
19:00 アブダビ到着。
21:30 乗り継ぎ空路、エティハド航空にて帰国の途へ。
 (所要時間約10時間25分)※北京経由。(機中泊)
―
11日目
13:55 中部国際空港到着後、解散

――――
エリア: カイロ(エジプト)
同行者 一人旅 一人あたり費用 25万円 - 30万円 交通手段 観光バス
利用旅行会社 ツアー(添乗員同行あり) 旅行の満足度 4.0
 観光 4.0 ホテル 3.0 グルメ 3.5 ショッピング 2.5 交通 3.0 ≫

ーー
▼ これを見ているだけで多くの刺激的逸話が次々と想いだされる。
 字面からすれば何とことはないが、現実は早朝から目覚まし時計換わりに
聞えてくる奇妙な祈りの声。それに、レストランでは食器を投げるように差し
出すボーイ。西欧・キリスト教圏と、イスラム圏の常識は全く違っていた。
 深夜、カイロに到着した時、現地ガイドになりたての若い女性が、興奮した
口調で、『恐らく、イスラム圏に入るのは初めてと思いますが、今までの常識
の全てを横においてください。一度、ホテル外に出たら、釣り銭は、シツコク、
間違いを言わない限りマトモに戻ってきません。親切にされたらタカリの類です。
交通事故も、轢くより轢かれる方が悪いのです。サービスの観念は、ここには
ありません。有るモノが、ないモノに施すのは当然のことで、感謝も何もない
のがイスラムの考えです。怒るだけエネルギーの損失です。ここは異国です!』

追記: 異国体験といえば、日々、経験する城下町異界が面白くなってきた。
   異界を異界として認知すれば、良いだけ。何処も凝視すれば異界だが… 
  たった10日間で、これだけ重厚な世界を知ることが出来る! 知らないのも
 悪くないが、知ることも良い。異様が実は、異様でも何でもない。異様なのは
己の頭の内側。問題は、そのことを早々に気づくこと。 〜北アフリカ・中近東
の三点は、ここと、『イスラエル』と『ヨルダン、シリア、レバノン』にした。

―――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。 “まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
   ーH0805 エジプト・トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩を
くり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。まさにSF映画やアニメ漫画に
出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と
息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の
秘密地下都市群。あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下の
マンションと形容できた。一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、
信仰の深淵さをみた思いであった。そして、その帰りのバスの中より夕景の
“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン
・サライ”も非常に印象的なものであった。十二列×八mの列柱が336本
整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの
石首が土台になっているのが神秘的。バック・グランド・ミュージックに
ベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったり。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中
より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。リンゴ大の四十数カラットの
ダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、
四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も
圧倒された。私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれ
たのには驚いた。 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか
触れる事はできなかったが、この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 
 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。五千の貴金属、みやげ物を
売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると
逆に面白いものばかりであった。殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。(1996年.1月30日〜2月8日)

・・・・・・
2016/04/28
ピラミッドという衝撃を体験しろ
             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。

・・・・・・
2016/04/29
若者よ、外に出よ! ー�◆.肇襯格�
            〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 トルコは日本人にとって何か懐かしいような馴染深い感じがする。
東西の境目の地勢的位置がトルコという国を特徴付けている。それと、
極東アジアの小国が、敵国・ロシアのバルチック艦隊を撃破したことも、
彼らにとって大きな衝撃として今でも残っている。
  * トルコで自分の中の神秘を知る
≪ トルコのイスタンブールという街は紀元前からずっと途絶えることなく
 現在も生き続けている街だ。そんな街はイスタンブール以外にない。
パリなんて街として始まったのは12世紀からだ。ニューヨーク、ロンドン、
東京、みんなまだ新しい街と言っていい。 紀元前から栄えていまだに続く
大きな街はイスタンブールだけなのだ。ボスポラス海峡を挟んで2キロ先に
アジアがあり、手前がヨーロッパという風景の素晴らしさ、東洋と西洋の文化
が交差し、融合し、新たなものを生み出してきた街。人類の歴史が濃縮された
街が今もなお残って生きている。そこに飛び込んでいくことは計り知れない
刺激を与えてくれるはずだ。コンヤという街がある、「スーフィー」という
イスラムの愛の神秘主義者たちの街だ。高い帽子をかぶり、白いスカート状の
服を身につけてクルクルと無限に回って踊る。セマー(旋回舞踏)という
踊りだ。これが素晴らしい。彼らは踊ることによって自分の中の奥底にある
愛に達する。その恍惚によって踊っている人は皆笑っている。すべての
雑念を捨て去った美しい舞踏は、スーフィーという愛の哲学者たちによる
人類の神秘の領域を垣間見せてくれる。イスタンブールとコンヤを旅したら、
もう「夢がない」なんて言っていられない。 ≫
▼ 「今までの旅行で、何処が一番よかった?」と、ツアー仲間から、度々、
 聞かれることがある。しかし、その都度、答えに窮し、「3分の2は優劣を
つけがたい」と答えるが、「それでは3つ挙げて」と、決まったような質問。
そこで、その都度、相手をみて変えるが、文化的カルチャーショックの
大きいのは、「エジプト・トルコの旅」と、初回の「欧州30日間の旅」である。
イスラム圏のエゴ丸出しの文化も想像の域を遥かに超えたもの。至極当然だが、
世界は広く、深い。そして濃厚。 現在、欧州では「トルコに近づくな!」
が合言葉だそうだ。テロだが、今ではパリと、ベルギーが、次の要注意国。
こうして過去の文章を読んでみて、憑かれて行ったものと我ながら感心する。
行蔵として、残るから良い。「行きたいうち、行けるうち、元気なうち」だ。
若者だけでなく、壮年も同じ。 壮年のうちだったからこそ、行けたからだ。
老年は? 高めなら、いくらでもある。少々の勇気と、金と、元気があれば。


6423,旅行の話 〜パックツアーの構造 ―4

2018年10月14日(日)


   * 人生も旅も、遊びですよ!
 要するにツアーは、旅ゲーム。地球を遊び場とした遊び。ただし少々危険な!
『パックツアー』のHP内検索で、6年前の「文章」が出てきた。人生そのものを、
"観光" "旅" "旅行""ツアー"から類推すると、考えさせられるヒントが垣間見え
てくる。長い人生もまた、それぞれの要素が絡み合い、様々な問題が解けて見える
ような感覚になる。
 パックツアーなればこそ行ける旅先に、ゲーム感覚で、旅の「道中」の予期せぬ
トラブルを愉しみに替え、目的地の光と影に感動し、束の間の旅路を愉しむことが
人生の旅路と重ねる。

 「物語」は、ヒーロー、ヒロインが様々な難関を解決し、乗り越えていく過程
を味わう筋立て。義務教育からは、高校、大学は、実社会へのモラトリアム期間
(猶予期間)。子宮内で、生命の進化過程を経験するという。 
高校、大学時代は人生の旅立ち前に、サークル、バイトに、恋に、遊びに… 
広く交友を持って一生のデザインを考える予習の時節。リタイア後は、目先に
迫った死を前にして社会的束縛から一度、解放され第一の人生の復習と、第二、
第三の人生を歩き出す節目時。
 様ざまな人間の生き様、考え方も、ツアー最終段階と、帰路の飛行機内の思い
に耽る黙想に酷似している。人生は、旅を類推し、同定することからヒントを
得ることが出来る。 短かそうで長い人生にはトラブルが付きものだが、問題は
解決のための事前準備。困難は出たとこ勝負でも、その多くは、経験知として、
知識として事前に知ることが可能である。『それさえ知っていたら!』の無知の
涙を流すことになる。 その経験知が集約されたのがパックツアー。

 まだまだプッツン前に、見たいところだらけ… 観光ツアーでも充分、魂に
歴史を刻印をしてくれる。秘・異郷ツアーは、日常の100倍の価値を感じとれる。
ライフワークとなると、話しても話しても、話尽きることはない。 
 52回×10日×100倍=52000÷365日=142年。
少なめで10倍の濃度で、14年分は長生きした充実感はある。
とすると+14歳=86歳? いや、実感はマイナスで、58歳。
実感は2倍、70年! とすると、日常の50倍の濃度。 
 …丁度、話半分ですか。

・・・・・・
4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
2012年09月30日(日)
               「異郷日記」西江雅之著
  * 現代の日本人の人生は、ツアーに似ている   
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。
早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、
原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は
4年前に出版されたものだが、既に早大を退職し、気ままに国内外を講演で
まわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、秘境に
行く機会のない者にとって、参考になることばかり。
 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から…

≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で"異郷〃との
 重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、当然、その重り合いは
 大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に味わう
 ために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ少なかれ、
地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇という時間を
持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な異郷感を味わ
させてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である必要はない。
それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、訪れる人々
にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなくなるだろう。
それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮かべれば明らかだ。 
 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、それを主催する
側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象とすれば、そこには、
企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは言うまでもない。
しかし、その場合でも‘・・・らしさ’は見過ごせない要素となる。

◎‘旅’は何より「道中」が主役。古典文学を見ても、旅の話を支えているのは、
 目的地に至るまで の道中で出くわすことになる数々の予期せぬ出来事だ。
道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、
一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると
自覚する者は、本物の異郷の人である。

◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地までは
 交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は思い
思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと望むのは、
個人的な楽しみであり、良き思い出である。

◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。それのみか、
 道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、あらかじめ他人によって
計画に組み込まれていて、それなりの効果を狙った演出も準備されている。
参加客は、それらの催し物を次々にこなしてゆくことで移動を終える。多くの場合、
自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。物足りなさも残される。
しかし、全行程が保証されていて、何を見て、何をすべきかを考えなくても安心
できるという利点もある。昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の
日本人の人生は、ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。一応、来年中と
 考えていたが、年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が限界か、それも無理? 
しかし30年近くかけて小刻みに安いパックを探して行っていたので充分満足
しており悔いはない。 著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」
は、言いえて妙である。 ツアーより、むしろ観光に思える。 そこでは"…
らしさ"が重要と,信じられているからだ。それらは受け止め方の違い。
やはり実感は旅である。
 
・・・・・・
4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
 * 生き直すために ー2        
         ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。
 サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。酒をやめることで
仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 
AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」
と言わされる。これは一理あった。自分で人生を立て直せる」と思い込んで
いると、依存症から逃れられない。
 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある
限り、人生のやり直しはできない。就職のやり直しにしても、結局は運です。
「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。
人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。捨てた結果、
その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。
会社を辞めたことも、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くを失い
ましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。
あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革
するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、
何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、
ガンなどで余命が見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている
人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、
極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に
似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに目をつぶって倒れこむ」
しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。
といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。
最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。

・・・・・・
5691,自分のための人生 〜��
2016年10月14日(金)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
   * 「幸福は才能なり」
 『幸福』について、この数年来かけて考えてきた。
以前なら、幼稚な話題として避けていた。当然、会話で話題にすること自体が、
憚れた。それが、老い先短くなればこそ興味が湧いてきた。「私の人生、幸せ
だったのか。」と、冷静に人生を振返るテーマになる。 私自身、幸福系と
思いこんでいる。家内は、私より遥かに幸福系である。両親の愛情を一身に
受け育ったことがある。不幸の事態に多々あってもも、何かの力で、一瞬、
助けられてきた。判断と決断にあたって、純粋な視線と、集中力を持ちえた
ためだろう。傍からみれば、「不幸な大変な人」だろうが、そうでもない。
                    〜p/29〜       
≪・学業が優秀な人、ある種の学問分野にひいでた人が「知的」であると
 思われているが、しかし精神病院には優秀な成績証明書を持っている人も、
持っていない人と同じようにあふれるほどいる。 ・・・(中略)
いわゆる知能を測定するためのよりいっそう確かなバロメーターは、一日一日
を、更に一日のうちの一瞬一瞬を、効果的に幸せに送っているかということ。
その瞬間を費やす価値のあることのため一瞬一瞬を生きているなら、そういう
人こそ知的だといえる。たとえある特殊な問題を解決する能力はなくとも、
幸福な生き方を「選ぶ」ことはできる。最低限、不幸を選ばないということを
わきまえている人は知的である。 ・・・(中略)
・問題を解決する能力によって知能を測定するのではなく、むしろ、問題
そのものは解決しようがしまいが、自分自身は幸せで価値ある人間で要られる
才能を持っているこかどうかで、知能は測定できる。 ・・・(中略)
・金銭、老齢化、病気、死、天災、事故などはすべて、どんな人間にとっても
問題になる事柄であるが、そのようなことが起こったとき、うまく切り抜け失意
や不幸にとらわれない人もいれば、衰弱し、不活発になり、神経衰弱に陥って
しまう人もいる。人間である以上、問題の一つや二つあって当たり前と受け止め、
問題の有無を幸福の基準としない人こそ、我々が知る限り最も知的な人々である。
そしてまた、最もまれな人々でもある。
・「NHK 白熱教室 /考福学(ディーナー博士)」によると、
「幸せは、人を介したネットワークによって伝播していく」
「人とのつながりが、生涯の幸福度を決める」とのこと。幸福な人のもとには、
 幸福な人が集まり、さらに伝播していく性質を持っている。≫
▼「幸福は才能なり」とは、いいえて妙。幸福の人には、不幸の人を近寄せ
ないバリアがある。才能とは、持って生まれた性分と、長年かけてつくられた
能力がある。幸福論によると、<幸せの状況は、マイナス1に対し、プラス
3〜6以上割合で、それらの要素を身につけているかにある>という。
仏教系は、苦を滅することを教え、西欧系は、楽しみを増やすことを勧める。
楽しみは、求めれば幾らでも得ることが出来る。その為には才能が必要になる。
 どちらを選ぶかは、その人の特性で選べばよい。どっちつかずが一番悪い。
5年前の節目時に、少しキツメな一日、一週間の日程を自分に課した。そうでも
しないと、自滅する危険があった。その日程で、充実した日々を過ごしている。
・・・・・・
4961,閑話小題 ー齢は68になって
2014年10月14日(火)
   * 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。
まさか自分がである。周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。
4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。中、高、大学の男たちの
4人に1人の割りで亡くなっている。私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老衰していくのが悲しかったことを憶えている。
あと、せいぜい7〜8年だろうが、やはり身体の衰えは隠せない反面、
世界への関心は、ますます強くなっている。 このところ歩いていて、
20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。 何事も面倒になるし、
頭の切替えが以前ほどきかない。人生の多くを、し尽した感があるので、
さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。その時々に、やるべき
ことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、
楽しかった。嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、
老いもまた乗り越えていける。まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と
感謝の出来る心の新鮮さを失わないように
したいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、
家内が生きものが大嫌い。そこで、何とか小型の小桜インコに妥協し
飼ってきた。 大体が2〜3年で亡くなったり死んだりした6代目の後、
5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年
余りで死んでしまった。これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、
その利口さに驚かされた。小桜インコとは格段上に、人の気持ちを読み取り、
言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、頭を撫ぜてもらうのが大好き。
しかし、熱暑の最中に、下痢をおこし衰弱をして亡くなってしまった。
そして、現在の、オオム科最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。
コガネインコに比べ、反応は低いが人恋しいため、ベランダのサッシ越しに
常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて振り返させ、枝を回転
して、「行くな」と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。
必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、近くのカラスや、スズメ、
渡り鳥などの野鳥が反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。
夕暮れ頃に、野鳥が一匹、挨拶に来ているが、そろそろ渡りの時期である。
・・・・・・
6058,閑話小題 〜恐ろしい身近な現実 −3
2017年10月14日(土)
            ―「不平等社会日本」佐藤俊樹著―
   * 金持ちサラリーマンと、貧乏サラリーマン
・あるサラリーマンの知人の数人から、次のような話を聞いて驚いたことがある。
『サラリーマン社会には役職以外にも格差がある。長男で持ち家などの資産と、
学歴の優劣と、連れあいの優劣と相性。共働きか否か。 これが長年かかって
甚大の格差を作り上げていく。学歴も両親の学力などの資質が大きく左右する。
代々の上司は、これらが揃っていた。情けないが、これは遺憾ともしがたい!>。
 知人に、長男で、土地持ちで、連れあいも正社員で、定年まで共働きで無事に
リタイアをして年金暮らしの人がいる。親会社の役員の何割かよりも収入も預金
が遥かに多い。人生、それだけではないとしても、愚痴の一つも言いたくなる
のも理解できる。 更に家系からくる文化度合も人生を大きく左右している。
・数年前になるが、中学の同期の男と卒業以来、初めて同席をした時、「エッ」
と、思ってしまう話を聞いた。 要約すると… 
『家に余裕がなく、中卒後、地元の大手メーカーに「金の卵」として集団就職。
その殆どの同期が夜間高校に通い、卒業と同時に公務員試験を受けるのが慣わし。
人気の一つが手当が多い消防士。何とか無事勤め上げ年金暮らし。火事場とか、
救急搬送が主なる仕事で、様ざまな家庭の人生模様を多く垣間見ることが出来た。
本当に恵まれていた!』と。「成るほど!」と地に足のついた人生に感じ入った。
  〜Amazonの読者レビューより〜
《…1955年から定期的に行われてきたSSM調査(社会階層と社会移動全国調査)を
 主な資料として本書が明かすのは、「実力でのし上がってきたが故に実力主義
社会を理想としているエリート層こそ、実は親から受け継いだ目には見えない
「財産」によって、しごく当たり前の階層に落ち着いていた」という悲喜劇だ。
そして、高度経済成長期に努力してのし上がっていたと思われがちな団塊世代の
時点において、すでに階層を決定する選抜システムは飽和し、閉鎖性が高まり
だしたと論じている。こうした階層化と階層の閉鎖性を是正させるために著者が
必要性を説くのが、選抜機会の多元化(学歴以外の選抜方法を増やす)と、世代
間での不平等感の緩和である。その例として「カリスマ美容師」を使って著者が
説明している箇所は、今となっては少し時代遅れだがユニークな発想で、詳しく
は本書を手に取ってみてもらいたい。
 そんな中、著者が論ずるのは「機会の平等」をいかに創出するかである。
しかし、議論していくうちに著者は「機会の平等」が、構造的に「後から」に
なってからしかわからない、という事実に気づく。 なぜなら、原因となる
「今の階層分布」と、結果として生まれる「未来の階層分布」の比較衡量が必要
なわけで、哲学的な命題のようだが、今は永遠に「未来」にはならないのだ。
そこで踏みとどまり「わからない」と言い切ったところに、著者の知性を感じる。》
―
▼ 「三つ子の魂」ではないが、そこで人生のベースが形成されているようだ。
 「この人には適わない人」と何人かクロスしてきたが、当時は何だろうとまで
考えるに至らなかった。「年間数百万かかる慶応幼稚舎からの一貫教育してきた
人と、公立のコースを歩んできた人とは格差が出るのは当然。鼻持ちならないと
しても… ベースの差だけはいかんともし難い現実。 この中で、
《ホワイトカラー上層部分(大企業や官庁の管理職)が団塊世代以降、受験と学歴
を通して閉鎖されるようになった。また「腕に覚えのある」ブルーカラー層の
開業率の低下により学校を経由しない補助的選択ルートが無くなったことも、
大きな変化と指摘している。学校選択ルートの」」・成功者たちは、平等という
競争という外観のために、階級意識なしに階級を構成するようになった。しかも、
これらの成功者たちは選択ゲームの敗者の意欲を削がないために偏差値批判や
学歴批判を行って成功について自己否定をして、同時にエリートの責任解除を
自ら行い続けている。… ⦆
 この結果、ぎらつくエリート意識も権力欲もない社会的上層部分がつくられ、
「一億総中流」の終わりと、経済的弾力性が失われることになる。その結果が、
現在の日本経済と失落原因になっている。3人の義兄が、その典型だったが… 
残る兄と、義兄と、私を含めた三人は、時代の変化についていけず、この結果。
 何れの人生も、<恐ろしい身近な現実>の様相を示すが、それも雷光の一瞬!
【上を見ればきりがない、下を見れば底がない、横を見れば情けない】ですか。


6422,野良猫と飼猫、どちらが幸せ? 〜2

2018年10月13日(土)

   * 野良対飼い猫の対話
 今日の分を書上げ、さてと過去の同月同日分を流し読みをすると、
<野良猫と、飼猫、どちらが幸せ?>の3年前の文章があった。(以下にコピペ)
野良猫については、1月前にも個人HPの過去の文章を検索で拾いあげていた。
野良猫がゆえに辛辣、シリアスの内容で、自分に置換えると、傷つく辛辣な内容。 
更に深耕すると、どうなるかと考えていたら、『野良猫対飼猫の対話』のテーマ
が浮び上ってきた。どうなるか、面白そうなので即興で争わせてみた。

飼猫:2Fの窓から野良ちゃんをみているが、序列とテレトリーと、雀、鳩を
  捕ったり、ゴミ箱をあさったり。羨ましくもあり、気の毒だね。
野良猫:俺たちは選ばれなかっただけ。あなた達はペットの血筋からして違う。
  比べること自体が上から目線さ。 何処かのノータリンがさ、野良猫の方が
 野性的で、本来の生き方と分かったようなことを言うけど、寒空に、誰にも相手
 にされず、小さなテリトリーで餌探しに明け暮れて… 生きるだけで精一杯。
飼猫:民家の2Fで見える風景と現実は違うんだ。でも人間様のペットも大変。
  飼主にも当たりと、外れがあるんだ。俺様のは完全外れ。俺を拾った親父は
 気分が向けば可愛がってはくれるが、逆に、機嫌が悪い時はウサ晴らしで八つ
 当たりをしてくるし。奥方はさ、冷たいもので、冷えたエサしかくれないし。
 レンジで温めて出してくれよと言いたいけど話せないし、時どき、亭主が居ない
 時に、家の外の出されるの。そうすると、近くの野良猫が虐めにくるんだ。
野良猫:同じ猫でも、これだけ差別されれば、鬱憤はたまるよ。野良猫にも事情が
  色いろあってさ。 虐待で家出をした野良と、半端野良と、飼主が死んだり、
 引越したりしたのとか、色いろのがいる。人間世界と同じさ。
飼犬:御前らは、まだいいよ。猫は野良で生きていけるもの。俺たち犬は野良は
  直に駆逐されるしね。飼犬にも、屋外犬と、宅上犬とあってさ、俺は屋外犬。
 寒くてさ、暖房は無いし、冬でも毛布一枚が増えるだけ。せめて夜だけでも、
 玄関に小さい囲いでもして置いてくれればいいけど。一日、一回、散歩に
 連れ出してくれるから、何とかストレス解消になってるけど。
野良猫:あんたのところ、飼猫がいたじゃない? どうしたの。
飼犬:とっくに家出をして行方不明さ。愛嬌と要領の良い奴だったから、何処か
  の玄関でないて、上がりこんでいるよ。子供たちがいる頃は、それでも
 気づかってくれたけど、今は二人とも上京してさ。帰ってきても、全く興味が
 ないみたい。犬だって腹が減るし、感情は持っているし、遊びたいのがわから
 ない。野良も大変だが屋外犬も日々、是、堪忍だよ。
野良猫:何時も屋根の上から気の毒にと思っていたけど… 餌と自由、どっち
  をとる?と言われれば、自由をとるね。餌はさ、猫仲間から、生きていく
 だけの狩場は教えて貰えるしね。今度、生まれてくるときは、人間が良いね。

・・・・・・
5325,野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ? 〜1
2015年10月13日(火)
 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせていた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。

 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた
?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。

・・・・・・
5690,自分のための人生 〜��
2016年10月13日(木)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
  ★ 自分を愛せない「不幸」  〜2章より
 何処の世界にもいるのが、「不平家」。不平家は、不平家ゆえに不幸に
なっている事実に気づかない。それが、自分に向いているうちは、まだ害が
ないが、周囲の人たちに向くと‘うわさ、陰口になる。曽野綾子のいう、
「泥棒並みの犯罪」を犯していることに気づかない。この内容も、その類の
人種に対する悪口になるから、同類でしかないか。まず、自分を愛せない。
その元を辿ると、両親の不和がある。それが、子供の心を閉ざしてしまう。
 逆にシャワーのように両親から愛された子供は、生涯にわたり幸福である。
自分を愛するには、夢・志を持って、温めること。そして、内語をプラスの
言葉を習慣として持つこと。不平の一つに愚痴がある。これは、自ら注意を
払ってないと、内語で繰返すことになる。 〜その辺りから〜
≪ まず“幸福を得たいと思うのなら自分を愛することを学ばなければならない”
 自分を愛すること、つまり「自己愛」とは、自分を価値ある人間として受け
入れること。 受け入れるということは、不満がないということです。
 “不平は自分に自信のない人の慰め。自分で自分の嫌いな部分について他人に
話したところで、聞かされたほうにしてみれば、たいていはお手上げだ。
せいぜい「そんなことはないでしょう」と否定してあげるのが関の山。
ところが否定してもらってもこちらは信用しない。それで不満な状態が
ずっと続くことになる。このように、他人にグチを言っても何にもならない。
それと同様に、グチを言いに来る人にグチを言わせておいても仕方がない。
 一つ単純な質問をしてやると、たいがい、この無益で不愉快な態度は消える。
「なぜ私にそんな話をするのですか」とか、
「何か、私でお役に立てるようなことがありますか」と尋ねるのだ。
 同じ質問を自分自身に対してしてみると、不平を言うのは最低の愚行だと
いうことがわかってくる。それは時間のムダ遣いである。そんな暇があるならば、
心の中で自分をほめてやるとか、誰かに手を貸して人の役に立つとかするほうが、
よほど自分を大切にすることになる。
「疲れた」「気分がすぐれない」 ―この二つは不平の中ででも最低である。
疲れているなら、それに応じた対処がいくつかあるはずなのに、気の毒にも
グチを聞かされている相手に対して、ひどく失礼なもの言いである。
そうやってグチをこぼしてみたところで疲れが軽くなるわけではない。
「気分がすぐれない」場合でも同じだ。 自分の気持ちを伝えれば、相手に
少しでも力になってもらえそうな場合についてはそうすればよい。今、問題と
しているのは、グチられたところで、ただがまんして聞く以外は何もできない
相手に向かって不平を言うことである。
さらに言えば、本当に自分を愛する気持ちに立ったうえで何らかの苦痛や
不快を感じているなら、誰かに寄りかかって自分の重荷をともに担ってもらう
のではなく、むしろ自分の力で何とかしたいと思うはずである。
自分自身のことで不平を言うのは無益な行為であり、そのおかげで効果的な
生き方ができなくなってしまう。 自分を憐れむだけで、気持ちが凝り固まり、
愛を与えたり受け入れたりする努力ができなくなる。愛情で結ばれたよりよい
関係が生まれる機会も、人間関係が広がる機会も減ってしまう。
不平を言えば人の注意を引くことができるかもしれないが、そうやって
注がれた人の視線という光は、自分自身の幸福の上にくっきりと黒い影を
落とすものなのである。≫
―――
▼ 不快な不平家は、10人に1人は存在する。歳を重ねるにつれ、それが
 内幕情報屋に変形し、自らの不平を他者に投影するようになる。その毒で、
お互いを縛ばり、ヘドロ化したのが、ゾンビのような「世間人」という。
自分を愛するには、自分の趣味を持ち、その世界を持続すること。
 で、これも文脈として偶然だが、以下につづく。
・・・・・・
閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −4
2014年10月13日(月)
   * 国宝指定は、不利!
 家宝などが国宝に指定されると殆どが不利という。寺などは客寄せになるが、
売買は規制されるし、大した保管料でもないのに盗難や火災などから厳重に保管
しなくてはならない。そのため、よいものほど指定前に深くもぐってしまい
表には出てこない。 相続税も、税務署に把握されているので節税しにくい。
もし美術館が買いにくれば、予算が少ないため大きく買い叩かれる。 
 高校の頃、柏崎の旧家の「蔵出し」に父に連れられていった記憶がある。
蔵出しとは、旧家が金繰りのため蔵の骨董品を放出すること。
10人位の骨董商が、蔵の中で、その家の代々続いた骨董品をセリで落とす。
父も何点か買求めたが、シリアスな空気に驚かされた。骨董品の立場からすれば、
蔵から蔵への住処の移動。それが、部屋に飾られ日の目を見ることは少ない。
美術館で展示されることが、美術品にとって、作者にとっても良いことになる。
保有欲、購買欲は人間の性が分かるが、そのエネルギーを美術館まわりに
向ければ良いと思うのだが・・
 ところで、別番組に、骨董品の競売そのものを、面白おかしくショー化した
番組が、出来てよいのでは? あくまで、バラエティーの範疇だが、やはり
企画が難しい? それぞれの価値観があるのだろう。
 先日も、世界のお宝を見てきたが、その素晴らしさは当然のこと。
ところで、「秘境ツアー」は、「世界の大自然観光お宝鑑定団」の一時参加
ツアーということになる。 その付録の各国を代表する美術館の国宝クラスの
お宝が、どれもこれも感動もの。特に、ロンドン、パリ、マドリッドの美術館は、
往年、世界各国から奪略してきたお宝の宝庫である。最近、見たのがパリの、
ルーブル、オルセイ、オランジュリーなどの美術館。
 これらを決して、欲しいとは思わない。そこに見れば充分である。
所有さえ放棄してしまえば、素晴らしいことに、その数十倍、数百倍、
多くの満足を得ることができる。
・・・・・・
3853, シリアスでストイック
2011年10月13日(木)
 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。
シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と
捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。コミックでは、
「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。
ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という
場合は自分に厳しい人という意味。「今回のヒロインはシリアスでストイック
なキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、
「ヒロインは極めて真剣で、原稿などの締め切りに追われている作家などは、
シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。漫画でいえば、
「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。
そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイック
に過ごさなければならない」。まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。
いや、「ファニー」の一日かもしれない。その対義語ではないが、正反対の
キャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風
変わった。」という意味。お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。
サンマ、タモリなどが、このキャラ。
 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスで
ストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を
変えれば、違って見えて当然だが。人生を振り返ると、この3つが混在している。 
私の場合、「リアル」で、かつ「コミック」も加わる。 まともに生きれば
シリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 
問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれて
いなくては、とすると?・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ?


6421,閑話小題 〜落合と関口の問答から

2018年10月12日(金)

    * 問題は、充実していたか! 
 〜まずは、この日曜の2人のトークから〜  (ネット検索)
≪ 7日放送の『サンデーモーニング』で、関口宏が西武ライオンズの優勝に
 ついて失言を行い、物議を醸した。元ロッテオリオンズで3回3冠王を獲得した
落合博満氏が登場。 冒頭から早速プロ野球の話題となり、関口が
「西武なんだけど、胴上げのシーンがありますか?ちょっと見せてください。
優勝決めたシーンが情けなかった。負け試合ですよねえこれ。負け試合で胴上げ
しなきゃなんないから、もうひとつ盛り上がりに欠けたのかなと私は感じました」
と西武優勝を貶めるような発言。 これに対し、コメンテーターの落合氏が、
「いや、関口さんねそういうけども、勝とうが負けようが胴上げはいいんですよ」
と制す。そして、自分は「負け、雨でゲームがない、引き分けで優勝が決まった
ことがある」と諭す。関口は落合氏に対し、「気分は変わらないものですか?」
と質問すると、「1年間戦ってきてそこで優勝ってのは恥ずかしいような気も
しますが、頭から外れます」と断言。これには関口も黙ってしまう。≫
ー
▼ その時、会社清算をして少し経って気持ちが落ちついてきたと同時に、
『これは、私の人生にとってベストの結果では!』の考えになっていった。
家訓の一つ、『何ごとも万一に備えろ』を前提に、創業の設計図にシェルターを
仕込んでいたこともある。 最後の数ヵ月は如何であれ、20歳で創業を決意して、
準備15年、実業30年、合計45年の人生を振返りみれば、この上なく面白く充実。
こんなことで、否定されるものではない。 そのことを落合が、ずばり
『勝とうが負けようが胴上げはいいもの!』と…  土砂降りの胴上げも?
 私の場合、結果は如何であれ、仕込んであったシェルターで助かったが、
これだけスリルとサスペンスに満ちた45年の人生。溝沼の蚊が飛び交っていても、
蚊よけスプレーをかけておけば何とことはない。としてもシツコク、痒いが…。
 この充実感と、装置産業の利点、時間リッチの御蔭で、幾つかのライフワーク
を満喫できた。最後の最後まで冷や汗の連続だったが、全てをかけた充実感の味
は格別。 小さな物語でも、起業の面白さ、自分を抵当にした博打は、想像を
絶した醍醐味がある。 長嶋、野村、イチロウ、松井の人生、想像を絶する程
に面白味があっただろう。甘じょっぱいというより、激辛の味?喉がカラカラ?
 本人しか分からないが!

・・・・・・
5689,自分のための人生 〜��
2016年10月12日(水)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
  両親の人生訓を要約すると、
『人生を、仕事を、道として楽しみなさい。仕事を楽しんだカスが、資産と余裕。
取組んだ何ごとも、楽しみになるまで追求する』になる。 人生の王道といえば、
「よく学び、よく働き、よく遊べ」がある。他に加えるなら、「よく楽しめ」
を加えたいが、「よく」の中に、楽しみが入っている? 
とすると、「よく休め」が考えられるが。 
   ★ 自分の人生を存分に楽しめ!  〜p−26より
≪ < 生きよ・・ おのれ自身たれ・・ 楽しめ・・ 愛せ! >
 私たちに、いつも決まってついてきて、影のように離れない“お供”がいる。
 それは「自分自身の死」。“この客人を恐れることも、あるいは 自分の
 利益のために利用することもできる。どちらを選ぶかはあなたしだい”と。
“ 死は永遠であり、生は息つく間もないほど短い。そこで自問してみよう。
・「本当にやりたいと思うことをしないでよいのだろうか」
・「自分の人生を他人の望むとおりに送ってよいものだろうか」
・「ものは貯めるに値するほど大切だろうか」
・「やりたいことを先延ばすのが賢明な生き方といえるのだろうか」
 おそらく、その答えはほんの数語にまとめることができよう。
  < 生きよ・・ おのれ自身たれ・・ 楽しめ・・ 愛せ! >
 自分の死を恐れてもかまわないが、それは無益なことだ。
 一方、死を効果的に生きるための助けとすることもできる。
  ロシアの文豪トルストイによって描かれたイワン・イリイチの言葉
  (『イワン・イリイチの死』)に耳を傾けてみよう。
 彼は、ことごとく他人中心に過ごし、体制に適合するために自分の人生を
 自由に生きることを放棄してきた一生に思いをはせながら、万人を平等に
 する死神を待っている。
【 もし私の一生がすべて誤りだったとしたら・・・・」
 以前には到底考えられなかったことが、つまり人生を過ごすべくして
 過ごしてこなかったということが結局のところ真実なのかもしれないと、
 ふと思った。これまで、ほとんど感じとれない程度の衝動は即座に抑え
 つけてきたが、そういう衝動のほうが本物で、それ以外は偽物だった
 のではないか。職責も、生活や家庭の切り盛りも、社会的あるいは職務上
 の関心も、みんな偽物だったのかもしれない。こういうものを一切合財
 しっかり守ろうとした私は、突然自分が守っているもののもろさを感じた。
 守るべきものなど何もなかったのだ。
 自分の人生に積極的に働きかけるべきか、自分自身で選択すべきか
 などと思案し、考えあぐねたときは、こう自問してみることだ。
 「私はいつまで死んだような人生を送るつもりなのだろうか」】 ≫
――
▼ ハイデッガーが、「世間人」が、あまりに『死』から、目を背けて
 いることを指摘。「死の哲学」を真正面から取り上げた。ガンで死の
恐怖を平気で口に出している男に、「死」について薀蓄の話をすると、
近くの世間人が、いわく有り気に、『暗い!』と宣う。 受けを狙った
のだが、顔色からみて、重症病気もちのようだ。だから、聞く耳持たない、
いや、持ちたくないのである。   
「本当に人生でやりたいことがあったのか?」
「他人の顔色を窺い、その価値観に従った生き方を良しとして」
「ものを貯めることに汲々するのが生きる値すると信じ」
「やりたいことを先延ばしをする」を良しとする生き方だろう、お前さんは! 
舟底に牡蠣の貝殻(常識)を一杯つけて身動きが出来ない人たちの一員。 
誰でもない、私自身ではないか! もっと酷いのは、気付いてない貴方か?

・・・・・・
閑話小題 ー美人の黄金比
2014年10月12日(日)
   * 美人の黄金比
 誰もがその人を美しいと感じる、“美人の法則”が存在するという。
1:目を中心にして、「頭の頂点まで」の長さと「アゴの先まで」
 の長さが同じであること。
2:「目と目の間」の長さと「鼻の幅」が同じであること。
3:「目と目の間」の長さと「目の幅」が同じであること。
4:「口の幅」が「鼻の幅」の1.5倍であること。
5:「顔の横幅」が「鼻の幅」の4倍であること。
 上記5種類の「顔の黄金比」に対して、誤差が「0」に近ければ近いほど良いと
されています。ちなみに、一般的な人の顔の誤差数値は「1.1」〜「1.3」とか。
どうでもよい話? 要は、傍目でみたバランスが上記だと美人ということ? 
それにしても綺麗で優しく温かみがあり、清潔感がある人が、一般的に美人
というのだろう。それに、教養が、まずベースにあることが前提である。
 美人は、顔と全身のバランスでしかない。そのバランスの均整も一時のもの。
身近で、姉達や、同僚などを見てきて、その時期は、わずか5年間でしかない。
だから、それが良いのである。

・・・・・・
4217, 開国という強迫観念 ー4
2012年10月12日(金)                      
  * 「開国」とは何だろう     
       ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 
 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り
変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。TPP(環太平洋戦略的
経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに
不利になるため、従うしかない。属国から離脱など出来ないように囲い込まれて
しまっているのが日本である。  ーその辺りからー
≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、
「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」だといって
きました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、
本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。「開国」とは異質なものに
出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。
「開国」とは、何よりまず、異質な文化、社会、宗教などに出会うことです。
そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。
独自性です。自国の、自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他
国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることが
「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということ
ではない。世界には、西洋もあれば、中国も、インドもイスラム諸国もあるのです。
しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、
決してイスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や
「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。
いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」と
いった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。「世界標準」とは
アメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことです。
「世界に乗り遅れる」というのは実は「アメリカに見捨てられる」という
ことなのでした。 ≫
▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。
 そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を覆って
しまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人が
ポケットに持ち歩けるようになった。それで、個人情報の受発信が気楽に、
しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し
進めることになる。それは、情報をコントロールでき利用できるものと、
出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが
アメリカの一部の人たち。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。
垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の日本の水準から見れば下流。
総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流と
いうことになる。預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を
入れると、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、
日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、
歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。   
・・・・・・
2013年10月12日(土)
4592, そして、人生はつづく ー3
  * 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく』
 5月の連休明けにシネマでみた「アバウト・シュミット」が、まさに
「そして、人生はつづく」をテーマにしている。
   ーその概略をHPでみるとー
《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアと
 ペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。人生の終盤を迎えて大きな
転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソンが
見事に表現。監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭
アレクサンダー・ペイン。アメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で
定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。彼はこれまで妻ヘレンと
今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。
そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、
シュミットは会社中心の生活リズムが染みついていたせいか手持ち無沙汰になる
日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死。そして葬儀の準備に追われる
シュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくる
のだった…。》
▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でも
 それなりの人生を送っていると思っていたが、定年をむかえた直後、妻が
急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む
娘を車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで
接したことのない世界の人たち。その旅で、これまでと違った様々な経験をする。
それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。職場と連れ添いの喪失で、
なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。
妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。5月の連休明けに、この映画を
見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しの部分がある。
また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。
 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで
自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて知人に拾われ、働き出し、営業
で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は
老けていた。数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の
娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越した。現在も「そして、人生は続いている」
のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうか・・
・・・・・・
6056,閑話小題 〜恐ろしい身近な現実 −2
2017年10月12日(木)
   * 一億総中流の終わりと言われて暫くたつ
 バブル崩壊から10年程経過した2001年の9・11辺りから総中流時代が終わり、
一強多弱になっていた。その結果、豊かだった中流層が総貧困層になった。
そこでネットで「中流の崩壊」で検索をすると、簡潔な内容があった。
≪ 世界の歴史を見れば、「一部の人間に富が集中する社会の成立」と
「その崩壊」が繰り返されているとわかります。ある社会学者はこのように言う。
「世の中には軍人・政治家・富豪・庶民の4種類がいる。
・軍人が過激な政策で国民から人気を集めると国民は圧政で苦しめられ、それを
 解放するために政治家が革命を起こす。
・政治家が人気を集めると国民は豊かになるが、富豪が現れて政治家と癒着し、
 国民は格差で苦しめられる。
・すると富豪を排除するために軍人が過激な政策を言い始めて人気を集め、
 革命が起こる。」この繰り返しだと。

近年で見ると、「金融ユダヤ」として一部の庶民から嫌われたユダヤ人は、
ナチスの過激な政策で虐殺されました。それを反省した西側諸国は、戦後に
「庶民を豊かにする政策」を政治家が行い続け、「共産党が富を独占する国家」
を打ち破ります。
実際にアメリカの所得格差(ジニ係数)は、アメリカが統計を開始した1947年から
1968年まで減少、1970年代も横ばいで推移しましたが、1980年代から格差拡大が
続くようになりました。「日本が一億総中流を目指せたのは、戦後復興のおかげ」
ではなく、「第2次世界大戦(ユダヤ虐殺)という強烈なインパクトが、先進国に
おける格差是正をもたらしたから」です。

繰り返しますが、このような「富の独占と崩壊」は何度も起こっていて、
恐らく今の「富豪の時代」が続けば、また何らかの社会的混乱が起こるでしょう。
実際に欧州では極右政党が出てきていて、移民に対する過激な批判を行って
いますし、日本では中韓に対するヘイトスピーチ問題が見られます。 庶民生活
が困窮していくと、このような誰かを攻撃する過激な政策が人気を集めます。
誰かのせいにしないと自分達の苦しみが緩和されないからです。 現実を見れば
みるほど「なるべく平和的に格差を是正しなければならない」と思います。≫
―
▼ 自由を重んじた公平を良しとする資本主義社会より、平等を重んじる社会
 主義圏が存在していたため、日本は総平等社会を一時的としても実現する
ことが出来た。それもバブル崩壊で、消滅しつつある。今では情報化社会。
格差の矛盾を大多数の貧者に、その実態を露呈してみせる。アメリカと、北朝鮮
の摩擦も、国家間格差の問題。貧困の最たる軍事独裁国家と、金融ユダヤ国家の
欧米国家の摩擦である。北朝鮮の背後には、イラク、イラン、シリアなど、貧困
に苦しむ国家が存在している。日本も、アメリカの実質は非占領国家でしかない。
そのアメリカもピークを過ぎた焦りで、ロシアのプーチンの謀略もあって、得体
のしれない泡沫候補を大統領に選んでしまった。その結果、第二次朝鮮戦争とも
なれば、国家としての力が落ち、中国、ロシアに重点移動が早まることになる。
とすると、この戦争危機は、差し迫った憂いの強い事態とみるのが妥当。
色いろあった結果、アメリカの前線が韓国だけでなく、日本も… 有り得ること。
「さて、第二次朝鮮戦争の始まり!」と、ならなければいいが。可能性が高いから
始末が悪い。私がプーチンなら、北を装った偽装攻撃をすることに… そこまで
しなくとも、あの二人のオツムを見越し自然発火を待つ。…本当のところ危ない!
総貧困の時代も、国内基準でなく、世界レベルの貧困国家に陥る可能性もある。


6420, 閑話小題 〜民主主義か、それとも

2018年10月11日(木)

   * アリストテレスが2500年以前に
 世界を大きく分けると、日本、米国、韓国、西欧諸国の民主国家に対し、
ロシア、中国、北朝鮮、中東の独裁国家の色分けをすることが出来る。
数ヶ月前になるが、ラジオで、独裁国家か、民主国家の政治体制について
2500年前のギリシャの哲学者アリストテレスが、言及していた内容を解説して
いたが、妙に納得。  〜大筋といえば〜
<・優秀な独裁者の指導の場合、効率的だが、判断を間違えた場合や、本人や、
 周辺が独善化した場合に自浄作用が効かなくなる。 更に、独裁維持のため、
画一化を図るが、これも時間と共に飽きがくる。 それらを料理に例えて、
年中、同じ食事より、それぞれ持ち寄った料理を食べた方が人間的であると…。 
・民主主義は、政策決定に対して、あまりにロスが多いが、その中で、新たに
知恵が生まれ出てくると… アリストテレスは、奴隷制を容認しているという。
かれは共和制の政治形態を提唱する。>
ー
 そこで、「アリストテレスの政治形態」で検索すると
〔 * アリストテレスの共和制
 哲学者アリストテレスはポリスの市民が参加する政治制度(共和政治)で、
君主制や貴族制に比べ、もっとも安定性が高いとした政治形態。ある程度の
資産と教養を持ち、ポリスの中で比較的多数を占める市民が参加する制度のため、
ひとりの君主が独裁政治をとる君主制や少数者支配の貴族制よりも安定度が高い
とした。ただし市民が私利私欲に走ると、衆愚政治に堕落する。アリストテレス
は政治形態を一人の支配、少数の支配、多数の支配の三つに分類し、それぞれの
公正な形態を王政(君主政治)、貴族政治、共和政治と呼び、私利私欲のために
堕落した不正な形態を独裁政治(潛主政治)、寡頭政治、衆愚政治と非難した。〕

ー
▼ ・「人間が歴史を学んで分かることは、人間は歴史から何も学ばないという
 ことだけだ」 ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉である。2500年前も、現在も、
『3%の指導者層、30%の市民層、そして67%の奴隷層?で、成り立っている。』
奴隷層は、言葉が装飾されてはいるが、下位被支配層の厳然たる事実がある。
 ・考える、考えない、努力をする、しない人を分類した、
『3%、10%、60%、27%』の分類の法則もある…
3%は、考えなくとも何ごとも上手くいく層。
10%は、それを知って努力をする層。
60%は、知っていても、しない、出来ない層。
27%が、何も知らないが故に、何も出来ない層。
 独裁者は、市民層の、下位を狙い、その接触面の多い奴隷層と共に、民主主義を
煽り立て、実権力を狙う。それが現在も、厳然と続いている。 欧州、アメリカ、
日本も然り。住居からして、山の手、下町、ドヤ街と、色分けされている。
残酷といえば残酷なのが娑婆世界。
 ・それを3000年かけてつくり上げたのがインドのカースト制度。白、赤、黄、黒色
で、身分が違ってくる。その色に即した衣装が、更に、身分制を露呈している。
何故かインドでオリンピック開催を口にしない。世界各国の肌の色が違った人が、
競技のうえでも、同じ土俵に上がれない厳然たる社会が、開催を難しくする。
民主主義を建前に、隠れ独裁者の3%一群が、10%と共に、60+27=87%の群れを、
誘導しているのが、現実世界。 マクドナルドのハンバーグに、コカ・コーラを
口にして、ユニクロの服を何気なく着て、トヨタの自動車か、ススキの軽に乗って、
コンビニか、スーパーでお買い物。 まあ、幸せなことである。
 

・・・・・・
6055,閑話小題 〜スポーツジムに1500回
2017年10月11日(水)
   * 6年半で、スポーツジムに1500回
 先日、SJのフロントで、「1500回記念」と「日・祭日用の無料券」を貰った。
これまで、500、1100、1300回記念で貰っていた。私の契約は「平日会員コース」。
定休の金曜日を除いた、月〜木曜と土曜日の10〜17時まで5日間利用できる。
 盆正月などの特別休暇を含めて120日の休館。旅行、冠婚葬祭などで半月ほど
私用で休むとして、6・5年×230日≒1500回は肯ける。雰囲気が明るく健康的で、
魂が安らぐ。誰とも話さず、目を合わさず、独りの世界を楽しんでいる。運動
マシーンとステップ台が12台、円環状に並ぶ真ん中で、ポップスのBGの中、
スタッフの掛声で2周する「イージーライン」(30分)と、「エアロ・ヨガ」
(45分)をベースに、ランニング・マシーンとかマッサージを含めて2時間ほど
時間を過ごす。これで1日300円は価値がある。地方都市・長岡の駅裏から10分
ほどの所が住居のため、人混みはスーパーとジムぐらい。平日会員の10〜17時
には、様ざまの人達が集う。 
 私のHP内検索に「スポつジム」と入れたところ、50以上の文章があったのに
驚いた。よほど、ネタが少なかったようだが、人間観察には、この上ない。
――――
2011/10/21
スポーツジムの景色 −4
   *スポーツジムから見えてくること
 スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチング。自分も、その一人
だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、何気なく見ているだけで面白い。 
肥満・血糖値・40肩対策など、それぞれ事情を抱えている人から、私のように
健康を兼ねたレジャー目的など様々である。少し痴呆が入っている80過ぎもいる。 
私は午前中の開店直後の10時〜正午までの二時間、滞在している。時間帯から
して過半数が主婦。 明らかに水商売仲間内のグループもいる。 スポーツクラブ
は女性がメインで、男は60歳以上のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や
御握り持参で、ロビーで食事をとる女性仲間の社交界の場的要素もある。
といって、男の私が肩身が狭いことは全くない。自分で選択したメニューを
独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。大方の会員の平均滞在時間は、
二時間だろうか。このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし
実情を知っていたら、新潟駅前のジムに10年前から入っていただろう。
パソコン教室も、スポーツジムも、サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話
することもなく、自分のコースを人的気づかいなしに済ますことも出来る。
通勤列車内と思えばよい。私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時
ー金・日、休みー)。中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。 
エアロビでは、プロのインストラクターが指導するプログラムが多く、若い男の
インストラクターの追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。
 男の場合、色々の場数を仕事などでこなしているため、こういう場では、多くは
一会員として群れることなく運動をしている人が多い。高年齢になるほど、自分の
社会を背負って、それに拘っている姿が、(本人には分からないが)異様に見える。 
 要は、田舎ということ。 とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。
3・11の影響が、大きいのは何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンター
のインストラクターの仕事は、一見華やかに見えるが、給料は安いわりに希望者
が多いため、ワーキングプアの要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見て
いると、また違って見えてくる。一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している
姿は、光ってみえてくる。半年少したって、効果はといえば、大有り。足腰が、
この数年来衰えたと感じていたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を
続けると続けないとでは違う。まずは半年である。
――――
2011/08/14
スポーツジムの景色 −3
 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか? 体重は元もと早朝のウォーキングと、
サイクリングの効果で、適正体重を20年以上は保っていた。そのため、減増は
ないが、頬の弛みは無くなり体調は非常によい。二年前に3〜4年に一度の重い
腰痛になってから、色々の腰痛対策の工夫をしたプラス効果は出ていた。しかし
4月からの午前中のサイクリングを含めた三時間の運動は、これまでの足腰の
関節を鍛えなおすに効果的。この数年来、足腰の関節が固まった感じが、この
ジム通いで半分はとれたようだ。 あと4ヶ月後の年内には、さらに一絞りした
身体が出来ているはず。
 ジムでは、常に各種エアロビックと、イージーライン(インストラクターの
指導下、6つの器械とステップ台で運動を繰りかえし一周する)などプログラム
が開かれている。 別にマッサージルームか、ランニングマシーンか、筋トレ
マシーンで独自に過ごせる。時に昼をマタイダときは、外出も可能。謹慎の身?
にとって、昼間に息抜きできる場所が存在しているのが有難い。
喫茶店替わりである。 これはアメリカで出来上がったサービス業態だろう。 
ースポーツクラブをウィキペディアで検索すると
【 スポーツクラブは、各種の運動施設と専門の指導員を有する施設。
 フィットネスクラブとも呼ばれる。 定義は明確ではないが、たとえば日本
の経済産業省の特定サービス産業実態調査におけるフィットネスクラブの定義は、
「室内プール、トレーニングジム、 スタジオなど室内の運動施設を有し、
インストラクター、トレーナーなどの指導員を配置し、会員にスポーツ、体力
向上などのトレーニング方法などを教授する事業所」とされ、室内プールの他に
室内運動施設を有しない事業所は除外するとされている。】
▼ 私の通っている「ホリデイ」は、これにサウナ、風呂、マッサージルームが
 加わっている。またランニングマシーンはTVつきである。ポイントは施設に
多くの種類の施設を備え会員数を集めること。今月から極端に会員数が減った
ため?、値段を平均一割程度下げてきた。この施設も半年以上もかけて完成した。
しかし完成して僅かで東北大震災の直撃である。大型設備投資の難しさを他山の
石として見ていることになる。 漫画喫茶はモバイル携帯電話と、iPadなどの
タブレット型パソコンが直撃している。いずれにしても恐慌である。
――――
2011/07/26
スポーツジムの景色 −1
 スポーツジムに通い始めて4ヶ月足らずになる。そこには中年女性を中心に、
あとは年代は30歳から80歳半ばまで様々で、平均40歳半ばというところか。 
65歳の私が場違いという感は全くなく、中年女性の二人連れが目立つ。夫婦は
数組である。男女は一対三の割合だが、私の選んだコースが平日中心の10〜17時
までコースで、主婦が中心ということもある。スタッフに客の集中する時間帯を
聞いたところ、夜と、土・日曜日という。それでも私の行っている午前中でも
満杯だった会員が、5月の連休明けから、急減した。ここでも東北大震災が直撃
しているようだ。(二ヶ月先払いのため、その影響は2ヶ月先に出る)
そこで、顔見知りが二人いたが、地元だから当然のこと。場所は自宅から車で
1〜2分(500メートル先)のところにあり、オープンして半年も経ってない。 
ここのオープンは私にとって渡りに舟だが、イメージと実際に通った実感は違う。
一年以上、通ったと通わないとでは、これでは大きな差が出て当然である。
これは是非、勧め。私の場合、オープンの10時に行って、イージーラインの
予約札をとって、30分近くはマッサージ・ルームで過ごす。そして10時半から
25分間のイージーラインに参加する。これは6台のマシーン(腰、肩、脚など)
で、バランス良く配置され、一人のインストラクターが指導するシステムに
なる。それが終わると再び、マッサージ・ルームか、ランニング・マシーンで
30分過ごす。その後、エアロビックスか、再びイージーラインに参加し、
大よそ二時間で終了する。週に一度は外出をして、近くで昼飯をとって午後の
エアロビに一部に参加する。 早朝の、この随想日記の書き上げ、信濃川の土手
のサイクリング、そして、このジムが、昼までの生活習慣の三本柱になっている。
午後からは、本を読んだり、録画を見たり、昼寝をしたり気ままに時間を過ごす。 
頭も身体もフル回転で健康そのもの。昼飯が非常に美味いこと、このうえない。
成るほど、この日々は、平凡で、刺激が少ないが、それでも良い。ギアチェンジ
をしてみて、リタイアをした人は、実際に何をして過ごすのか不思議だったが、
成るほど合点した。殆ど口をきかないとしても、その場にいるだけで孤独感は
少なくなる。レオタードなどを着た女性たちのエネルギーに溢れた場所は、居る
だけで充電になる。
――――
2017/03/08
閑話小題 〜エキサイティング・ジム
  * エキサイティング・ジム
 ジムに通いだして6年、平日の昼会員の枠一杯の月20日も通っているので、
日割りにすると300円の価値は充分にある。インストラクターの指導のもと、
12人のメンバーが交互に置かれたマシーンとステップ台を25分かけて二周する
イージーラインを毎回のベース。それに週4回のヨガエアロと、
ベルト式マッサージと、ランニングマシーンとの組合せで、
大よそ2時間半が平均滞在時間が日課になる。
健康的な明るさと、多くが他者に我関せずのところが良い。
 ところで昨日のモーニングショーで、最近の変り種のジムを紹介していた。
・サンドバックが数十台並んだスタジオで、インストラクターの大きな掛声で、
 グローブで殴りつけるのを主にしたジム。
・取っ手の付いたトランポリンが数十台、その上を合同で跳んだり跳ねたり
 する エクササイズ。
・クラブとエアロを融合したようなジムで、暗闇に光るミラーボールの下、
 踊るエクササイズ。
どもれもこれもスポーツジムのイメージを超えた内容だが、全身運動で、
トリップする仕組み。よく考えたものだ。 ハリウッド映画で、酒や薬物を
飲んで高級クラブでエキサイトをして踊りまくるエキスをエアロに取り入れ、
集団でトリップさせるとは。 メガネ型動画プレイヤーのアプリで、その場面
をつくればよい。独り部屋の中での踊り? 考えただけで気持ちが悪いが、
当人にとっては大して変わりはしない? いや、違うか。
 地元のエアロも、競争が激化しているようで、その対策として、様々な
エアロビックスを用意してあり、内容が日々、進化している。私は参加して
ないが、80人が参加する人気エアロもあるようだ。これを続けているといない
とでは、大きく違ってくると実感する。加老とは、毒素が沈殿が底知れずに
増すこと。運動を如何に遊びに昇華して楽しめるかが、ポイントか。

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