堀井On-Line



6399,閑話小題 〜ロシアのプーチン

2018年09月20日(木)

   * 何をやってんだか?
 韓国と北朝鮮が交渉をしているが、何か不自然。時間が、北朝鮮の真意を
表立てることになるが。アメリカが果敢に中国に経済戦争を仕掛けている。
これが拗れ拡大すると、回復基調にある世界経済に影響を及ぼすことに。
アメリカ中間選挙狙いもあるが、世界経済の不調の皺寄せは、アルゼンチン、
エジプト、中年米などの経済弱小国に影響を及ぼす。時間の経過と同時に、
際どい場面も出てくる。 〜産経新聞ネット配信記事によると…
【 北朝鮮の金正恩委員長はソウル訪問など数々の融和措置に合意し、韓国の
文在寅大統領を味方に取り込んだ上で、非核化の具体的措置に関するカードも
切った。米朝交渉の打開に向けて勝負に出た形だ。ただ、米側が求める非核化
とは依然乖離がある。金氏はトランプ大統領の決断を待つ形を取ったといえる。
「朝鮮半島を核兵器も核の脅威もない平和の地にするため、積極的に努力して
いくことを確約した」と、金氏は19日、文氏との会談後の共同記者会見で
こう明言。非核化に関する金氏の肉声が公開されたのは初めてで、米国との
交渉をつなぎ止めようとする意志の表れとみられる。だが、非核化努力は繰り
返し表明したことで、具体的措置は文氏に説明を任せた。】
ー
▼ 熊:どのみち、最後は物別れになるのに…
 トラ:トランプの行蔵が、隙だらけで、どのみち、一期で終わりの可能性大と
  踏んでいるのさ。あの国から核とミサイルを除いたら何が残る。人質は、 
  アメリカではなくて、日本と韓国。それが不可能になる放棄などする訳ない。
大家:アメリカ大統領にロシアに何を?握られた泡沫候補の擁立 成功したん
 だもの。これは掻き回すチャンスさ。とにかく、裸の王様だもの、あれは! 
八:当面、戦争が不可能になったので、中国に経済戦争を始めてさ。これじゃあ、
 経済貧民国は堪ったものじゃない。下手すりゃ恐慌だよ。アメリカも往年の
 力も無くなったが「腐っても鯛」だよ。 これも中間選挙の終了までだがね…
トラ:何か、ますます核戦争の危機が深まっているような気がするね。
 おい熊、どうかね。
熊:あの肥満からみて痛風!そう長くはないのは分かるけど。一時、脚をひいて 
 歩いていたしね…よく持ってるよ! 脳梗塞待ちとは… トランプも同じ。
――
   * 性懲りもなく…
 北方領土問題を餌に、詐欺師同然に都合のよい条約を結んだばかりのロシアが、
再び平和条約の問題を提案してきた。尖閣問題で中国の圧力と、トランプへの
脅しで間接的な圧力を使うのは明白。いくら馬鹿でもと思うが、そこが手練手管
のプーチン。狙いは、「北方領土問題を棚上げにして、平和条約を結ぶこと」。
ポピリズムの日本。スパイ網を駆使して「安倍スキャンダル」を延焼させ、米中
の圧力を一段と高めれば、現在の安倍の抵抗は無理。未だに太平洋戦争の敗戦を
背負っている悲しさ。ロシアの占領下でなかっただけでも幸運だった。

・・・・・・
4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
2013年09月20日(金)         
 * 万能薬としての「語り直し」   
        『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋雅延(著)  
 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、
上に立つものほど多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線から
みた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。
人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、
最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する
以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しを
するしかない。早稲田二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に
彼女が出来たところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 
彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し? まずはー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって
 初めて教える者の大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、
親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。
つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できる
のである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることが
できることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごと
について、その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとは
違うことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という
言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、
単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと
について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、
元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下
出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を
送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々。
しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが
少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、
それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、
生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に
とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 
 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。
できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを
遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、
自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ
である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、
私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える
ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった
 ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。
これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。
その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば
良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 

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6033,閑話小題 〜哀しい「孤独の群たち」
2017年09月20日(水)
   * 何処の世界にも一定数いる「陰口」の達人
 陰口といえば、井戸端会議の小母さんと、営業のネタに駆使してきた男達が
思い浮かぶ。旦那に逃げられたり、死なれた不幸傾向が強い人。地域社会の
縛りの中で劣等感が強く、それをバネにマイナスの差異を探し出し、下世話の
タネを探し、「陰口」を業とする人。
人間社会は、「トップ層3%、中間層30%、その他」で、構成されている
厳然たる事実がある。 これは「古代ギリシャの、王族、市民、奴隷」と、
現代のアメリカの社会構造と同じ。
・他人との比較優位によって価値が生まれる「地位財」。
 「所得」や「社会的地位」「車」などがこれに含まれる。
・他人が持っていることとは 無関係に、その自体に価値があり喜びを得られる
 のが「非地位財」。現代では、この二つを達成のレベルからでも判断できる。
まず、「地位財」「非地位財」を持つ人は、陰口が少ない。「陰口は万引き並に
忌み嫌われる暗黙知」を熟知しているためで、思いの外、多くの人は言葉を選ぶ。
(当然、例外もある) この暗黙知を知らない人が1〜2割の割辺りか。
社会学者リース マンが『孤独な群衆』で、社会的性格の三類型の一つ「外部志向型」
を指摘。 他の「伝統志向型」および「内部志向型」と対比させ、
<(羅針盤)で舵をとりながら生涯の目的に向かって進む代わりに、レーダーに
よって捉えられた、手近にある目標に従うのが常である。このレーダーも同じく
幼年期に据え付けられたものだが、両親や他の大人は、いつでも周囲の人々に
調子を合わせ、彼に対する親や大人たちの反応と親・大人に対する自分の反応を
たえずにらみ合わせていくようにと教え込まされている。> 
 都会でも田舎でも、個々が分離されて孤立するのが常になる『孤独の群衆』に
化して、内幕情報=陰口の罠にはまってしまう。で、何処にもいる「陰口」の
達人が重宝される。しかし、蛇蝎のごとく嫌われる運命にある。彼らの言葉が、
「普通じゃない」。その「普通」が異常のことを全く理解できない世界が「娑婆」。
〜「この内容そのもの自体が<陰口>じゃないかい?」 の内なる声〜

・・・・・・
5667,【賢者の言葉】�◆ 船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーB
2016年09月20日(火)
   * 3つの「でも」が行動を制約している
 「でも」「だって」「どうせ」という 3つのネガティブの言葉がある。
 その中でも、特に「デモ」が、クセモノで、人間の思考と行動の前に大きく
 立ち塞がっている。勝手に自分の周りに囲い、縛られている事に気づかない。
・「でも」の後に、今はやれない! 
・「だって」の後には言い訳、
・「どうせ」には、自己否定の言葉が続く。
 これを多様する人たちが「世間人」。ショーンは、内なる最大の敵、
 その「でも」を指摘する。 〜その辺を抜粋〜
≪ ネガティブ思考を心の中から追い出し、あなたがずっと望んでいた
 結果を出すための実践的な方法をこれから知ることになるからです。
 あなたも含め、人間には2つの共通点があります。
・ひとつは人間には感情があるということ。
・もうひとつは、多くの人間は、とても暗く、ネガティブ思考で、自分たち
 の行動を制約してしまうということです。 
実はこれによって、私たちは夢をあきらめたり、素晴しい愛をつかみ損ねたり、
豊富な資産を構築できなかったりしています。 その「でも」は、
 『言い訳のデモ』『恐怖のデモ』『自信のなさのデモ』から成立っている。
� ,泙此◆屬任癲廚濃呂泙襦惴世ぬ�のデモ』です。「でも、時間がないんだ」
「でも、お金がないんだ」このように言っている間は、言い訳から抜け出せない。
�◆〇笋燭舛旅堝阿鮴�限する2つ目の「でも」は、「恐怖のデモ」です。
「でも失敗したらどうしよう」「恥をかいたらどうしよう」「でも皆をがっかり
させたらどうしよう」など「でも〜したらどうしよう」という形をとります。
�� 最後のは、自信のなさからくる「でも」。それは、「でも私は〜じゃない」
という風に表現されます。「私は背が低いから」「私はきれいじゃないから」
「頭がよくないから」といったもので、自分には生まれたときから何かが欠けて
いるという思い込みが、この地球上で最も有害な考え方なのです。
 しかし、あなたが人生を変えるには、「でも」を捨て腰を上げねばなりません。
私たちが陥りやすいのは、「でも」に満足してしまうことです。言い訳に頼って
いる期間が長ければ長いほど、言い訳はどんどんふくらんで大きくなります。
実際、自分の人生をまさに丸ごとすべて言い訳で過ごしている人もいます。
言い訳の上にあぐらをかいている人は多いのです。それは様々な厄介事から
私たちを解放してくれるからです。「もちろん、私だってそうしたいのは山々
だけど、でも、私には無理」このように「でも」の上にどっかりと腰を下ろして
しまうと、あなたは退化し始めます。「でも」に腰かけている時間が長ければ
長いほど、あなたは弱くなります。それでも自分の求めるものは変わりません。
 では「でも」から抜け出す方法とは何でしょう。何をすればよいのでしょうか?
それは立ち上がり、確固たる態度をとることです。自分の人生や健康、成功、
人間関係に責任を持つのです。必要なのは、「自分の人生に責任を持つこと。」
そのためには立ち上がる筋肉を鍛えねばなりません。そして、立ち上がるため
には、立ち上がるレッスンが必要になってきます。≫
▼ 志を立てる、目標を明確にしておく、自身の生き方のミッションをを言明化
 しておく、日記を書き続ける・・ などで、この「デモ」から、自らを開放
しておかなければならない。その努力をしないと、(自らをを舟に喩えて)、
その舟底に「デモ」という牡蠣が多くヘバリ付き、重く、動きがとれなくなる。
 老年に至ると、この牡蠣が知らぬ間にへばり付き、その上に、足腰の弱体化が
加わり、万年の鬱症状態に引きづり込む。人生の行蔵に対して、日々、
「デモ」、あの時、違った判断をしておけばと後悔するのが、一番、きつい
「デモ」になる。で、その矛先が、他者の不幸に向かっていく。幸福を祝えば、
自らも、その一端を味わえるのに、その逆をしてしまう。無知は恐ろしい。
そういえば、行蔵のフラッシュに、「言い訳のデモ」を繰り返している日々か?
 それが、また面白い。まあ、暇も好いものだ。肯定的に「デモ」は使える。
<「でも」面白かったから、いいや>が、私が多様している内語の一つ。
<「クソ」、面白くない> より、後味が良い。これも受け止め方の妙。
<あの時、思い切って決断しておけば良かったのに!>は、意外と少ない。
 後悔、後に立たずで、一期一会で、生きてこられたのが、救い?
いや、「デモ」の内語で、人生の面白みを半減してきたのか? 両面ある?
・・・・・・
5302,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー��
2015年09月20日(日)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * コピーライティングの基本
 個人HPを14年5ヶ月、「はてな」ブログを開設をして8年になる。
ほぼ休むことなく続いてきたのは、マイナスの数倍のプラスを実感するため。
上京してまで、『資産防衛セミナー』に通った内容を大口借入れの銀行担当に
見られ?、貸剥しされそうになったり、ビュアーの悪意の視線を実感しても、
それも大事な視線と割切り続けてきた。その内容を後から読み返すと、自分の
枠が、クッキリと見えてくる。そして、「だから何だ?」「なぜ拘る?」
「遠くから見れば所詮、砂利の石ころ!」と、我を振り返る。
 〜その辺りから〜
≪・「文字離れの時代」など言われることもありますが、とんでもない! 
今日ほど、メール・ブログ・FaseBook・メールマガジン・HPなどで、
文字を読んだり書いたりする時間が長くなっている時代は、ありません。
つまり、もはや、すべての人にとって「コピーライティング(文章を書くこと)」
は、最重要の項目であり、「成功に欠かせない要因」となっている
  ☆ コピーライティングの基本ポイント14
1.ポジティブに
2.相手にしてほしいことを伝える
3.特定の人に向けて書く
4.サービスを提供し、リスクを回避する
5.より多くを語るほど、より多く売れる
6.自慢しない
7.見出しの目的は、興味のある人々を見極めること
8.好奇心を誘う
9.具体的に
10.あなたのストーリーをすべて話す
11.写真を賢く使う
12.商品(文章)は最良のセールスパーソンである
13.テストで証明する
14.効果が出ている文章は変えてはいけない
――
・あなたがよいコピーを書きたいのであれば、自分の広告を読み直し、
書き手ではなく、「読み手として自分自身に次の3つを問いかけること」。
●【1】 だから何なの?
●【2】 そんなこと、どうでもいいでしょう?
●【3】 私にどういう関係があるの?
・「1年で1億稼げる」より「1週間に192万円稼げる」と表現する
   広告における一番の問題は「信頼性」です。
・「ベネフィット」を明確にすると、よい反応が得られる(中略)
「このノートパソコンは12インチと、小さいサイズだ」というのは特徴で、
ベネフィットは、特徴のあとに「だから、……」をつけたときに出てくるもの
を指します。つまち、「だから、このノートパソコンは、カバンに入りやすく、
持ち運びしやすい」というのがベネフィット(利益)です。
・成功者のコピー(真似)をしたいという人は成功者をコピーをしたい
のではなく、成功者が得ている結果をコピーしたいだけなのです。
あなたは、「誰かになる」必要はありません
・人の行動を起こすスキルは、もっとも高い報酬がもらえるスキルです
▼ 昨年の秋に、日野啓三著『創造する心ー書くことの秘儀』の感想文を
 書いていた(下にコピー)。 学生時代の日記を読み返すにつけ、書き残す
価値、意味を考えさせられる。それが人生の境目であれば、そこに存在して
いた自分の心が、そのまま焼きついている。もっともっと、書き残しておけば
良かったが、後の祭り。その点で、ブログは重要な働きがある。
・・・・・・
4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・
2014年09月20日(土)
   * つれづれに 〜厳しさを増す娑婆
 土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめ、
それぞれを立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた感がある。
これは、実際に経験しないと、理解できないだろうが。
『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。
そこに「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。 
最初の依頼時に「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、
「綺麗汚いは有得ない。あるのは、良い倒産、悪い倒産だけ!」終えてみて、
振返ると、まさに、その言葉とおり。 前もって最悪の事態に整えていれば、
目先は好調だが、備えのない事業体より、遥かに良いと思うが? 危機管理
のある中小は、私の知る限りで一割もないのでは?。 今さら遅いとしても、
『事前の一策は、事後の百策より勝る』で、やれることは、しておくべき。
ここで円安になってきたのは、政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。
更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。以前の事業で、
この3%の消費税アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。会社も、家庭も、
支出を更に絞めてくるためだ。アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、
この不況下、甘い仕事は少なくなっている。この三年半の間、経営に疎い家内の
口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。SC内の店の転廃業や、
スーパーの店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった
ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。 
事業など、まして創業など、すべきでない!
『元手の2億を地道に5億、10億にするより、30数億に膨らまし、楽しみ、使い
果した人生も悪くない』と、独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思う
しかない、その甘塩っぱい感覚を味わう日々。 箱物事業には、有余ったオマケ
(時間)があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、
『ま、これでもいいか!』。


6398,閑話小題 〜何やら面白い日々!

2018年09月19日(水)

        NHKスペシャル:「ヒトは何故生き残ったのか? 特集」
 録画でみた、肉体的に屈強だったネアンデルタール人が絶滅して、弱かった
人類の祖先が生き残ったのは、何故かという特集。なかなか考えさせられた。
生地に引籠って見えてくる世人と御年寄りは、??人のような? これが現実!

   * 地方と大都会の差
 大都会と地方と、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の関係が似ている。
ネアンデルタール人は50万年前、ホモ・サピエンスが20万年前に起原を発している
と言われている。ネアンデルタール人は4,5万年前に絶滅したが、その理由は、
< ネアンデルタール人の集団は血縁の十数人に対しホモ・サピエンスは血縁を
 超えた数百人の集団で行動を共にしたことにあるという説がある…。
多い分だけ情報が共有され、精度が高くなるため。 これにより伝達能力や
伝達の速度が増し、道具の発明と改良を後押ししました。 
それに対してネアンデルタール人は10人程度の家族単位で生活しました。
少数で生きていたため、伝達能力が発達せず、伝達の効率も上がらなった。
4万年前の気候激変をホモサピエンスは共同体内の協力で乗り切りったが、
ネアンデルタール人には頼れる共同体はなく、絶滅していった。
・ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスよりも、骨太で体格がよいだけでなく、
より大きな脳を持ち、高い知能を持っていました。
・世界の国々をみると、その多くは、首都圏に三分の二が住む。
日本でも、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡の大都市圏(中央から30分)
に7割が住む。結局、地方再生は選挙目当ての空手形! 絶滅生物ということ?

・ネアンデルタール人の方が大きく、身体的にも優勢で、知能は互角。じゃあ
どこに違いがでたのかというと、道具。「アトラトル」という道具を使用して
いたと言われる。これは、右側を手で持ち、左側の先の部分にヤリを引っかけて、
テコの原理を使って投げる投てき具。すると、手で投げるよりも飛距離にして
2倍以上、破壊力は10倍にもなる。 サピエンスの道具は小型で複雑なものへと、
どんどん改良が進み進化していく。一方でネアンデルタール人の石器は極めて
ゆっくりとした進化であった。その現代版がスマホ! 情報革命の中、情報機器
を使いこなせるか否かで、絶滅器種になるかどうか? 政治の要諦を米国大統領
より、インドの貧民街の中古のパソコンでネットを使いこなしている少女の判断
が正しいという、笑えない珍現象が… トラちゃん?なら、充分、あり得ること。
個々人からすれば、各自が長年かけて積上げた教養の質量。ただ、タメ息が出る!

・・・・・・
6000,「心を震わすことが、考える出発点」
2017年08月19日(土)
           ー「ひとり達人のススメ」山折哲雄著―
   * 「まずは、心を震わすこと」
 学生時代の卒論『流通革命論』を書くため、1ヶ月ほど大阪・船場の衣料問屋
に住込んだことがあった。 最終の夜、慶応出の社長に、北新地のクラブで、
「若いうちに、感動、感激する能力を養うこと」と、教わった。その後の生き方
に大きな教訓になっていた。 前年の21歳時の『30日間の欧州一周旅行』の
感激・感動経験が何ものにも替えがたいことを改めて知った。 次々と息を
つかせない衝撃的感動が、その後の人生を大きく変えることに相成った。
そのためには、まず己の感覚が研ぎ済まされていること。そして、自分の意思
で、そこまで辿り着かなければならない。
(今ではTV・ネットで、比較的楽に様ざまな場面に立ちあえるが…生体験は違う)
  〜その辺りから〜
≪「ヤイコシラムスイェ」。直訳すると「自分自身に対して自分の心を揺らす」
 ということから「考える」というアイヌ語。「ヤイ」が「自分自身」のこと、
「コ」は「に対し」、「シ」は「自分の」、「ラム」は「心」、「スイェ」が
「を揺らす」になる。 考えるということは、単に頭で考えるのではなく、心を
揺らすほど感動することであり、魂を振動させることだと、アイヌ語は教える。
現代の私たちは、考えることを、論理を立てて、合理的に、言葉で思考を構築
していくことだと思っている。それは大切だが、もっと重要なことがあると、
このアイヌ語が教えている。… … 戦後教育は、知識を教えるだけ、詰め込む
だけだった。その前に「考えること」を教えることが必要で、それは要するに、
感動することを学ばせるということだったはず。≫
―
▼ 振りかえ見れば、人生の大きな境目が、この旅行。その後、数限りない感激、
感動体験をしてきたが、この感動体験があればこそ。 20歳・21歳の立志と感動
体験と、幼児期の家族単位の創業体験が、私のアイデンティティ。 それらが、
好奇心を補強しているような。 その頃から、絶対的読書量の少なさを実感し、
早朝読書を始めていた。現在、TVのYouTubeで、過去に感動した旅先や、絵画を
観て、感激・感動の追加経験をしている。これが現場の再体験の感覚となり、
綺麗な画面と雰囲気が、視聴するというより、追体験を現実にしているような
感覚になっている。今ではVr(バーチャル・リアリティ)で、より深い追体験が
可能の実体験をしているような。〜で、以下の同月同日の文章に続く…
 好奇心は、何故か、今でも衰えがないが、「馬鹿は死ななきゃ、直らない」
今でも遅くない。図鑑でも、買いますか。「…ったく、頭の悪いのだけは!」
――
5635,「賢い子」に育てる究極のコツ
2016年08月19日(金)
          <「賢い子」に育てる究極のコツ:瀧 靖之 (著)>
   〜まずは、内容紹介より
《 本書は、16万人の脳のMRI画像を解析・研究してきた瀧靖之先生による、
 脳の力を最大限に伸ばす子育ての本です。 世界最先端の脳研究から、
「ぐんぐん伸びる子」と「そうでない子」の差が見えてきました。
「頭のいい子」「能力の高い子」は皆、好奇心のレベルが他の子どもより高い。
  好奇心を伸ばすコツは、たったの3つ。
「秘密道具1ー図鑑」
「秘密道具2ー虫とり網」
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」を子供の成長に合わせて取り入れていく
ことで、その子は学ぶことや知ることがもっと大好きになり、脳はみるみる
賢く育っていきます。さらに脳の発達に合わせた習い事で、芸術的センスや
運動能力・語学力も伸びやすくなります。 》
▼ 結論からいうと、賢い子に育てるには、「好奇心」の強い子に育てること。
 そのために、まず身の周りの自然などが分かりやすく掲載されている図鑑を
与えるのは道理。 また、昆虫採取などの実体験は必要。音楽の演奏もいい。
「人生最初の習い事は?ピアノと英語なら、ピアノが勝ち!」という。
「賢い子」と「成績の良い子」はもちろん違う。本当の意味で「賢い」とは
「自ら進んで学習する能力がある」ということ。子どもの脳は、学校の勉強
だけでなく、人間関係や社会についてもさまざまなことを日々「学習」
しながら成長する。『二人の息子の部屋に、百貨図鑑を置いていた。暇だと
何時も見ていた』と家内は言う。 下の子にはピアノ与えた。 二人とも、
ゲーム好きで、少し嵌りすぎたきらいがあった。
 7〜8歳の頃、近くの大学生だった従兄弟にバイオリンを勧められ、
『教えてやるから、バイオリンを買ってもらいなさい』と・・ 
で、父親に頼むと、即刻、『駄目!』と拒否をされた。あの時に父に、
『何があっても、止めない』ことを条件にバイオリンを始めていたら、
人生が変わっただろうにと、40歳を過ぎた頃から思い返してきた。
両親の素養も必要ということ。尤も、バイオリンは私には向いていないが。
幼児期に、真に受けて始めていたら、人生は変わっていたはず。
 レコードと本の購入は、フリーで、何も言わなかった。

・・・・・・
4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある
 2013年08月19日(月)
         「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手に
とった時に、「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を
目次の中で見つけ借りることにした。 会社から離れ、日常生活で「ひとり」
でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、話をしたい
とかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。
これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に
決心した第一歩が「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、
人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を中心にした独学が芯になった。
振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。学のためには、
独(ひとり)になること。スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、
シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的な
テリトリーになる。慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。  
 まずはアマゾンのー内容紹介ーより
《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、
 はっきりしません。ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じ
られます。それは、私たち日本人の感性に訴えかける「無常観」や「死生観」
が込められているからです。2011年3月11日。そこから意識され始めたのが
「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。しかし「孤」
があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。
精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」
になることで得られる充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や
「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した死を迎えるためにも、
いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。
どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか… すべての
答えが「ひとり」の中にあります。どうやったら「ひとり達人」になれるか? 》
▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、
「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」
が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。感激、感動
で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること
自体で、既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出た
ことである。それは、その外側から自分の世界の限界を知り、思考していること
になる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に還る折り返しをいうが、
誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!

・・・・・・
4163, 老年行動学 ー1
2012年08月19日(日)
    「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から
離れ、家庭中心の生活に入ると、急に老いを目前に突きつけられた感がする。 
思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、それぞれの時節に袋に
閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。図書館で借りてきた本だが、
なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、
面白い本がある。 要は、人生を通して学び続けてきたかどうかだろうが。  
  ーアマゾンの内容紹介ーより  
【  =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!=
 あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、
思うことがありませんか? たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、
毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに
頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒って
いる人....。 ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような
行動には、実はそれなりの理由があります。その理由を探り、高齢者の行動と
心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】
▼ 冒頭の「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」が面白い。
「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」
の問いを立て次のように答えている。
≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。
 うつの人などはネガ寄りですが、通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。
なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。
いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている
意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きる価値のある存在だ」という
自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。
そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、
無意識のうちに集め、記憶し、脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ
寄りに保つことによって、生き続けるのです。 この基本的なしくみは若者も
老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は
ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい
写真を見せると若者は悲惨な写真を見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る
時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、生きていく上で
必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。
人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人は
どのようなとき自分を攻撃し、自分はどのような状況で傷つき、どのように
苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられる。
それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、
もうそのようなそのようなことを学習する必要はありません。しかも、高齢に
なって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに
保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブな
ことに目を向けた方が生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’
を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫
 ー老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。
なる程、この年齢になって気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。
実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で6歳の差があるという。
アメリカでは、男が15〜16歳、女が22〜23歳もある。私は10歳近くは若い。
というより、年齢に気持ちがついて行けない。
・・・・・・
5666,【賢者の言葉】�  船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーA
2016年09月19日(月)
               【賢者の言葉】・ビッグピクチャーズ監修 
 ショーンは、生まれたときに既に死の宣告を受け、「犠牲者」として生きる
幾つもの理由が用意されていた。彼は小人症を煩い、車いす生活を余儀なく
されている。18歳時に、クシャミなどで起きる200回以上の「骨折」を経験する
も克服し、現在は世界中で講演し、情熱とパワーを与え続けている。
彼の言動はビル・クリントンなど著名人にも影響し、米国では「身長90��
車いすのモチベーター」として知らない人がない人物。小人症でありながら、
12歳時に米国大統領になりたいと願い、その手始めに大統領府勤務を願い、
勤務をしている。    
   * 魔法の質問 〜これは人生のギフト? 重荷?
 とにかく、型破りで、前向きである。 〜その辺りを抜粋〜
≪『起こったことを人生のギフトと思うか?人生の重荷と思うか?』 
 これが、私の人生を変えた『魔法の質問』です。身長90cmの身体で、
常に厳しい現実と向き合っていた。骨の成長が十分でなく、折れやすい。
ある年の愉しみにしていたハロウィーンの時、彼が唯一、仮装の世界でこそ、
堂々と自身の存在を「普通」が当たり前というリアリティから身を隠せると
いう意味で、私がイキイキできる日だった。小学校4年の、その日、彼の最も
恐れていた不可抗力で骨折した。そのとき、痛みと苦痛で、全身に汗が吹き
出すほど流れ、痛みに喘ぐ彼に、母は、じっと私の目を見つめて言いました。
<『ショーン、これは人生のギフトだと思う?それとも、重荷だと思う?』>
 それどころではない苦痛に耐え、怒りとイライラで、母にこう言う。
『何を言ってるだ?ギフトは誕生日にもらうもので、開けて喜ぶもの。』」
と、いま痛みの中にいる当時からすれば、当然の言葉だろう。だが、
母のこの言葉は、その後の人生を大きく変えた。そして現在、に至る。≫
▼ 65歳になった直後、こともあろうか、会社整理を決断するに至った。
 その数ヶ月前までは、まさか現実に至るとは考えてしなかった。
事前に決めておいた、「償却前の営業利益が赤字なり、予備資金を取り崩す
事態になったら、会社を清算をする」、になってしまった。で、断行したが、
人生の最終段階での、この結果は大きな痛手。しかし、幾つかのシェルター
を用意していたこともあって、平常の日々をすごし、現在に至っている。
65歳の節目の事業整理は、中途半端に係わっているより、綺麗さっぱりした
区切りのベストの事態。人生がくれたベストの結果(プレゼント)!
これは、「ベターというより、ベストの結果」と思えるようになった。
 その数年後に、100数十年の老舗の会社を潰した男が、宴会で前のテーブル
に座って、開口一番、『おれ、この事態に感謝している!』と、私の気持ち
とホボ同じことを言い放った。 それに対し、生意気そうに、『あんたも、
これで一人前になれたな!』と、答えていた。人生のプレゼントの中身を
味わっているうちに、その味に気づいたようだ。 何事も受取り次第で、
中身の取捨選択が違ってくる。
<「自分に向かっていう言葉」によって自分が創れるのです> が、毎日、
これを書き続けていることもあってか、実感できる。その割りに、お前は?
 今日もまた、「日々、口実」である。




6397,閑話小題 〜左手薬指の秘密 〜2

2018年09月18日(火)

       『指に輪ゴムを巻くと腰、ひざの痛みが消える! 』
           田川 直樹(著), 松岡 佳余子(著), 樋田 和彦(著)
   * 輪ゴム療法が、元もと存在していた!
 前回、偶然、見つけた左手薬指の輪ゴム巻き。 ネット上にないかと検索して
見たが、無かった。ということは、これは私の発見。 とはいえ、別に特許が
とれるわけでなし… しかし、ネット上で、‘輪ゴム巻き’の本が幾つか出て
いることを知った。 そこで新たに知ったのが、5本の指の間を左手第3関節部分
に、1本の輪ゴムを捩じって付ける方法と、右足の中指に三重にした輪ゴム
を付ける方法。 実際にやってみて、親指は付けなくていい… 私のケースは、
効果は同じ位。  〜ネット検索で一番、面白そうな書籍が、これ〜
< 内容紹介
 どこのご家庭にもある輪ゴムが最高の治療器具になる!
ゆるーく手足の指に輪ゴムを巻きつけるだけで、ツボを刺激し、自律神経の
バランスや体のゆがみを整えて、 多くの不調や症状がピタリと止まります。
輪ゴムを巻いておくだけだから、だれでも手軽に、簡単に、手間いらずで
体の悩みが解消できる「輪ゴム療法」をぜひお試しください。
対応する症状は、なんと107種類! あなたの悩みにもきっと応えられるはず。
   目次:
第1章: 不調の元になる体の歪みを輪ゴム1本で解消! 超簡単! 「輪ゴム療法」
指に輪ゴムを巻くだけで体のゆがみをとり100超の不調を撃退する「輪ゴム療法」

第2章: 手に輪ゴムを巻いて握り開きするだけで全身をケアできる!
「手の輪ゴム巻き」 手に輪ゴムを巻いたら血圧が正常化! やせた、痛みが消えた、
視力が上がった人続出 気になる症状別の輪ゴムの巻き方ポイントを一挙公開 >
ー
▼ 輪ゴム効果は、あくまで対処治療。腰痛原因に心理的要素が大とある。
 しかし一時療法としても、これを知っていれば有効になる。この内容は、
2日後に書いているが、微熱が冷める1週間後に、再び、取上げるつもり!
『輪ゴム療法』にお熱とはね! 腰に腰痛ベルト、指に輪ゴム!ですか。
暇って、御隠居って、面白いってこと!

・・・・・・
6032,閑話小題 〜ハイデッガーの「世人」とは?
2017年09月19日(火)
  * またまた同じテーマで…
 地方都市に住んでいるため行動範囲が狭くなってしまう上に、対話できる相手
が少ない憂さ晴らしで、これを書いているところもある。 先日、「世間」に
ついての文章を書上げ、アップをしようとした直前に、「ネット内検索」に
「世間」と入れたところ、4ヶ月前に、酷似した批評が書いてあったため、
疲れがドッと出たが、急遽、他のテーマを書上げた… 。
前のテーマの内容も、ほぼ同じ語り口。そこで、この二つを比較するのも愛嬌と、
そのまま、提示することにした。 問題は、以前の方が力が入っていること?
 ところが、昨日の同月同日の過去文に、 <『コトの本質』松井孝典著>の
「世間論」。これが本質をついている。<世間とは、リアルの社会を内部モデル
化した様相>と見切れば、これで充分のはずだが、何故か、書きたくなるのが
「世間」。同レベルで、閑のためか。 アウトサイダーを気どっても、所詮は
先祖様からの枝葉の存在でしかない。しかし、「誰にとっても生地は聖地」。
そこは汚してはならない生活圏。分かってはいるが、一度、得た自由の感覚を、
今さら変えることは出来ない。で、…私の内部モデルの心象風景は、とある
地方の「城下町モデル」。全国、いや全県的普遍性とネタの新鮮さに欠けるが、 
娑婆の味が沁みている。  
<『あの人、いま、どうなった(が〜?)』『あのバカ、今ではさ〜!』と、
城下町鴨が、今日もガーガーとガ鳴りたてる。> これが私の内部モデル。

――
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
               『コトの本質』松井孝典著
 * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相            
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けて、それがバーチャル
であることさえ気づかず人生を終える。だからライフワークを持っていないと、
自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、ライフワークの価値が
見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、低俗の人との二極分化が
明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間というが、誰もが、どこかに
兼備えているから始末が悪い。それが年をとるにつれ老醜として露出する。
老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
――
   〜次は、先日の文章から〜
  ハイデッガーの「世人」とは?
≪  * 日常性と非本来的な生き方
 ここで何度も、「世間」について書いてきた。成行きから、30歳近くで、
出身地にUターンをしたが、沈みこまない対策として、アウトサイダーに徹する
ことを決心して40年も経過した。 新潟市と長岡市の住職分離をしていたこと
もあり、世間様とかいう「世人」に最小の接触で済んだが、6年前から、住だけ
になり、生活環境が違ってきた。 周囲には、私も含めて「老人」の割合が多い。
「閑居」の「閑」の字のとおり、心の周囲に塀を囲み、厳格なほど?の日程を
熟すことで、何とか「門の中の木」の下、日々を過ごすイメージを保っている。
 そこで、役立つのが‘ハイデッガー’‘カント’‘ニーチェ’の哲学や、
‘ドラッガー’の合理主義の思想。 特に、ハイデッガーの「世人論」が良い。
地方だけでなく、それぞれの世界には「世人」が住む。知らずに、この「世人」
に毒され、一生を成す術を潰され過ごすことになる。
  〜ネットで、‘ハイデッガー’を検索すると…
≪・ハイデガーは、<我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけではない。
 我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのかを真剣
には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日その日を
他人や物(道具)との関わりの中で生きている>と。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と呼び、
人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きているとする。
人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じように
「物事を考える個性のない平均的な生き方」をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は 人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 ・世人の特徴は次の二つにまとめられる:
�� 平均性 :シマウマのように同じ図柄の生き方
�� 免責 :この語には、責任免除、責任回避という二つの意味が含まれている。
 この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、特定の
 行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。この免責
の好例は、恐らく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛だろう。それは
一向に捗らない。その理由は明らかである。私がやめても、どうにもならない。
皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を転嫁し、自分の行為
に目をつぶる。 このとき、世間や他人が自分の保証人になっている。世間は、
そのようなことは、皆がやっているという理由で、個人の責任を免責する。
 では、世間とは、いったい誰をさすのだろうか。それは誰でもない。つまり、
世間は、個人の行為を保証する。しかし、保証人としての責任を負う者は、誰も
いない。世間は、他人の責任を免除してくれるが、責任は負わない。こういう
性格を持ち、世間に埋もれて生きる生き方が、世人の日常的なあり方である。
 ハイデガーによれば、世人は、目先のものに気を奪われ、平均的な考えに従い
無責任に行動し、自分自身の存在を真剣に考えない。しかし人は、あるとき、
自分自身の存在を意識し、なぜ自分が存在するのかを問い、非本来的な生き方
から、本来的な生き方をするようになる。では、いつ人は、自分自身のあり方を
真剣に考えるようになるのだろうか。それは、他ならぬ自分自身の死に直面した
ときである。他人の死ではなく、自分自身の死に直面することによって、人は
自分自身の人生の有限性に気づき、そこで初めて自分が生きていること、自分
自身が存在していることの重みを自覚し、自分自身のあり方を真剣に考える。≫
―
▼ 世人そのもののような男が、「進行ガン」が発見され動転して、世界観が
 一転して哲学的になったいた。 26歳の頃、父親が余命1年の末期ガンが発見
され、修行先の金沢から呼び戻されて、父の生への心の渇きの一端に触れること
に相成った。この学びは、人生感を一変させてくれた。「何はともあれ、死んで
しまえば、それまで。世間、世界は夢幻。出来るうちに、好きなことを、好きな
だけ、すればよい!」
 創業を目指すということは、全て直接、自分に責任がかかる。言訳する位なら、
平凡な人生に甘んじればよい。それを乗越えるには、常日頃から、考え、考えて、
考えなければならない。学ぶほど、生きるほど哲学的になるのは、ごく当然。
 「死」こそ、非日常性で、虚構の世界を壊す、今を出現させてくれる。≫
――
  ーさらに4ヶ月前のテーマと内容ー
≪ 2016/05/14  哲学者は、世間人を、「世人(せじん)」という
   * 日常性と非本来的な生き方
 人間は一般的に、規格人間の生き方を良しとし、平均的に、責任を持つこと
なく、生きようとする。世間とは、こういう生き方を良しとし、人と違った
生き方を蛇蝎のごとく嫌う。人生は非日常の中から、新しい世界が広がる。
しかし、人は日常の繰り返しを好しとする。ハイデッガーは、人間の持った、
その習性を真正面に取上げている。 〜ネットで、「世人」を検索すると〜
≪ ハイデガーによると、我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけでは
 ない。我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのか
を真剣には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日
その日を他人や物(道具)との関わりの中で生きている。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と
呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きている
とする。人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じ
ように物事を考える個性のない平均的な生き方をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。 世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は、人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 世人の特徴は次の二つにまとめられる:
�� 平均性 Durchschnittlichkeit
�� 免責 Entlastung:この語には、責任免除、責任回避という
 二つの意味が含まれている。
  この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、
 特定の行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。
 この免責の好例は、おそらく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛。
 それは一向にはかどらない。その理由は明らか。私ひとりがやめても、どう
 にもならない。皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を
 転嫁し、自分の行為に目をつぶる。 ≫
▼ 知性とは、教養とは、規格人間に埋没した己に気づく知識の質量のこと。
 決して、同調するための情報ではない。常々、「世間」を取上げ、埋没して
いる自分を何とか救い上げてはいるが、平均性を求め、責任回避をしている。
『和同の精神』という、長岡高校の精神がある。和すれど、同じない心がけ。
「世人」にも、その属している質もあろうが。情報化社会が、「情報世人」
(いま、私が創った言葉)たる、何も考えられない俗人を生み出している。
しかし、最も格差を生む、情報の質量の格差は大幅に改善されることも事実。
「世間の、どこが悪い」「世人のどこが悪い」というと、小さい世界の中に
閉じ込められている自分に気づかないこと。いや気づかない方が良いのかも。
 で、また偶然だが、丁度よく、以下の内容に続く。


6396,閑話小題 〜ヨーカ堂撤退を考える!

2018年09月17日(月)

    * 長岡ヨーカ堂が撤退ですと!
 郊外にあるアピタにある映画館に隣接している空地に、『東京家具センター』
の店舗の2階建て鉄骨が立上った。延べ2,000坪はあろうか。これで、リバー
サイド(ユニ系)周辺が格段と良くなる。かくいう私は毎週欠かさずシアター通い。
 ところで柏崎店に次いで、長岡駅前のヨーカ堂が、来春、撤退という。これで
駅周辺は大きく廃れることになる。駅構内にある専門店街『こころ』と連動して、
長岡駅前の商業施設としての機能を果たしてきた。世界最大の柏崎原発の休止は、
地元経済にとって大打撃! その結果の現象。 柏崎、長岡… 次は新潟店?
 家内は週二回、わざわざ30分かけ、イオン内のスポーツジムまでバス通い。
その一回は、バス代節約もあり、私のシネマの終わりを待って、一緒に帰宅。
その間1〜2時間は、イオンと、リバーサイドSCアピタでウィンドショッピング。 
これに月に1度の新潟通い。更に年10回、新幹線の割引券を使って、御登り。
肩に羽根がはいているように、すいすいと…  『自分は特別人種?』と勝手に
決めこんでいるから…大変なモノ。「資産をコトに替えて、あの世に逝く!」と、
何の心の制約がない。 誰に頼まれたわけでなし、こんなブログ書きに、日に
数時間も吸取られ、我が内なる世界に埋没している私は馬鹿亭主… 
 確かにブログ御宅は、間違いがないが!  
   〜ヨーカ堂撤退を専門的にいうと〜
<ヨーカ堂は駅前型GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)から
本格的に撤退、セブン・イレブンの世界網へ本格的に重心を移動する一環!> 
百貨店と共に、疑似百貨店(GMS)の終焉の一現象。 駅構内の専門店街が
残っても、駅周辺の吸引力が激減する。 駅裏のダイエーの撤退跡の『山下家具』
に対する『東京家具センター』が、新旧の世界の差が明確に現れ出る。
ますます旧市内は、暗く淀んだ街になる。情報革命と、車社会によるダウンタウン
の衰退と、原発城下町の衰退の一現象。その重なりによる変質と歪みが加速する。
ヨーカ堂文化の支えを無くしたら如何なる! 「この20年の家内の行動要素」と、
「ヨーカ堂撤退と東京家具センターのオープン」が、その全てを表出している。
第四銀行と北越銀行の合併。これは銀行機能のAI化と、地方経済の衰退と
大都市一極化による自然現象でもある。 特に手の平サイズのパソコンの普及に
よる行動パターンの変化は、私たちの行動方式を根こそぎ変えてしまった。

・・・・・・
4934,コトの本質 −4
2014年09月17日(水)
  * 二十世紀の共同幻想は破綻した   『コトの本質』松井孝典著
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、
現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。
何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は
今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った
カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に
日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想が
 あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後
といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を
規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 
現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想
に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する
ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって
問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること
ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、
それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために
生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味
(共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、
互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、
それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が
理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、
共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない
とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想
というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、
当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。
しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて
いる我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、
生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、
高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング
ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15
のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。
20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、
面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。

・・・・・・
5664,シネマ評『ウフィツィ美術館』 〜��
2016年09月17日(土)
                『ウフィツィ美術館』 09/08・10:40
   * ウフィツィ美術館の歴史
 映画の内容紹介のHPに、ウフィツィ美術館の歴史が簡潔にまとめてある。
そこには欧州文化の底知れぬ奥行きの広さと深さが垣間見れる。大英博物館、
ルーブル美術館、バチカン美術館などに、あれだけの名画を、国内外の万民に
公開している。ある意味、国力の誇示でもある。 〜HPより〜
≪ 登場する作品の多くが収められているウフィツィ美術館は、ロレンツォの
 傍系で、ひ孫にあたるコジモ1世(1519〜1574年)によって建設された行政庁舎
がもとになっている。コジモ1世は、画家・建築家であり、同時代の画家たちを
紹介した著書「芸術家列伝」でも知られるヴァザーリに設計を依頼、1580年に
それまで分散していた役所や裁判所などを一つにまとめた建物を完成させた。
 ウフィツィとは英語のオフィスである。このウフィツィでは1581年から建物の
一部で絵画や彫刻などが部分的に公開されており、近代的な美術館としては
ヨーロッパ最古と目されている。1743年、コジモ1世の末裔であり、メディチ家
最後の人間となったアンナ・マリア・ルイーザが死去する。彼女のもとには
メディチ家が300年にわたって蒐集してきた絵画、彫刻、宝石などの美術品が
残された。彼女の遺言により、これらの宝物はトスカーナ政府に寄付される。
 1769年、ウフィツィ美術館でメディチ家のコレクションの一般公開が始まった。
以来約250年、今ではイタリアで質・量ともにトップクラスのコレクションを誇り、
世界でも最も多くの人が訪れる美術館となっている。
 本作には進行役として、ロレンツォ・デ・メディチ(1449〜1492年)が登場。
名優サイモン・メレルズが演ずる、この人物は何者か。 ロレンツォの祖父は
フィレンツェで「祖国の父」とうたわれたコジモ・イル・ヴェッキオ(1389〜
1464年)。 絶頂期のメディチ銀行を率いて建築家・芸術家を庇護した。
ロレンツォは病弱だった父の死に伴い、わずか20歳でメディチ家の当主となる。
政治・外交に長け、生前から「イル・マニーフィコ」(偉大なる)と呼ばれた。
哲学や芸術にも造詣が深く、ロレンツォの時代にヴェロッキオ、ボッティチェリ、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらが活躍している。
また彼はコジモが創設したプラトン・アカデミーに加わる。ボッティチェリの
絵に現われる新プラトン主義の意匠はプラトン・アカデミーで培われたものだ。
 ロレンツォの死後メディチ家は失脚、追放の憂き目を見る。ロレンツォ・イル
・マニーフィコがその称号の通り、真に偉大だったかどうかは見解の分かれる
ところだが、彼の死によってフィレンツェにおけるメディチ家の黄金時代が
ひとまず幕を下ろした。≫
▼ 500年近い歴史を持つ美術館に、ルネッサン時代の美術品が管理されている。
 欧米人だけでなく、人類の遺産でもある。当時の、メディチ家の当主が、
案内役で説明する設定が良い。彼が、若き日のミケランジェロを自邸に下宿
させ、集めた彫刻の飾られた庭園を開放し勉強させた逸話がある。悩んでいる
時間があったら、ネット上でも良いから、大自然、そして、一流の芸術品に
可能な限り触れること。その触媒から精神が清められていく。で、ないと!?

・・・・・・
6030,閑話小題 〜一昨日のシネマは『ダンケルク』 
2017年09月17日(日)
   * 一昨日のシネマは『ダンケルク』 
 北朝鮮の‘僕ちゃん’が勇ましく胸を張っては見せているが、隣国の中国、
ロシアとの直接首脳会議に出ることさえ出来ない有様からしても、彼の小心さ
が見て取れる。「気違いに刃物」の武器を「核弾頭ミサイル」の保持に替えた
瀬戸際の恫喝。出来るのは、ここまで? この陰の主役はプーチン。アメリカ
大統領に泡沫候補のトランプを後方支援で祭上げ、北朝鮮と対峙させるとは… 
この劇画的世界が、連日、核実験、ミサイル発射で生々しく報じられている。
しかし、2人のかけ合い漫才が何時までも続くわけがない。
 この映画『ダンケルク』をみても、直接の被害者は国民。戦争を起こさない
に越したことはないが…  映画評価は85点。  
≪【ストーリー】1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー
 海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の
猛攻にさらされる中、トミーら若い兵士たちは生き延びようと策を講じる。
一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長は息子
らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットが、
数的に不利ながらも出撃する… 圧倒的なスケールで活写される戦闘シーンや、
極限状況下に置かれた者たちのドラマに引き込まれる。≫
 ――
   * 再び、同じテーマを書いていた
 昨日の朝、やっと書きあげたテーマ日記をアップをしようとしたが、
「もしかして以前に、書いていたのでは」とHP内検索をすると、4ヶ月前に、
ほぼ同じ内容のものが書いてあった。 ガックリしたが、気持ちを切替える
ため、スケジュールのとおり、早朝のポタリングに出て、改めてテーマを考え、
辛うじて書上げた。度々あることだが。数日前の過去の文章にも、「同じ失敗」
の愚痴が書いてあった。

・・・・・・
5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月17日(木)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 世界観をつくる
 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。
達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、
価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか?
そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、
自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、
その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。
  その世界観を分析、その作り方を提示している。
≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー
�/�念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある
 �▲襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襦�ハードルを下げる
 ��上位2つのニーズ: 貢献と成長
 �ぜ蠱福А.法璽困鯔�たす行動
 �ゼ舁廚幣播澄Аヽ安Δ妨�けた焦点
 ��主要な質問: メリットの多い質問
 〜 上記を,説明すると 〜
� /�念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ
 ・・(中略)  多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、
「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の
 エネルギーを費やしている現実があります。
�◆.襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襪燭瓩痢崋�分なりのルール」が
 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。
 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル
 を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、
 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証
�� 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、
「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを
「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。
�ぁー蠱覆蓮▲法璽困鯔�たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、
 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’
‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、
 望む雰囲気をつくり出す手法」です。
�ァ‐播世髻�内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから
 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する
 ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。
�Α.瓮螢奪箸梁燭ぜ遡筺Аー綉い砲覆辰浸�、迷いが出た時、
 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の
 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫
▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での
 ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を
保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、
二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。
それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、
人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、
どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く!

・・・・・・
4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
       「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延(著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、
平均10年近くの介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うように
なってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが
人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。
そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、
悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていく
のだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述ー
  * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日は
 ー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。
その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ
猛暑の中、その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともに
ホテルに、チェックインした。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーン
という耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、
ごく短時間だが意識を失っていたという)。仕事柄、少しは脳のことを知って
いる私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった
と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分の
どこかで起こったのではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、
それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に
麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。
左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。 これはへたをすると、
ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…そんな不安さえ
頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない
私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気に
なっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的
には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットから
パスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた
カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうして
いる間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が
到着し(・・略) 救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか
窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前
を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が
読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、
どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に
かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、
極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、
あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に
思い浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で
意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、月並な
表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、
 救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。
状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく書きのこしている。
 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは
思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。


6395,閑話小題 〜左手薬指の秘密

2018年09月16日(日)

               『楽天家は運を呼ぶ』高橋三千綱著
   * 薬指に輪ゴムを三重に折って付けてみて
 まずは、以下の部分(p123)から
< 坪井師範が教えた「薬指の秘密」の効果は驚くべきものがあった。
 それは薬指の第二関節にそっと唇をつけることである。そこは指輪をはめる
場所で気流が心臓に通っている。そこに舌先を軽く押付け、5つ数える。
すると驚くなかれ身体が柔らかくなり、肩と腕の力が抜ける。呼吸が深くでき
やすくなり、気持ちが落ちつく。ことに緊張しているときなど効果的だ。
試して成る程と思ったら受験生などの子供に教えてやることだ。荒んでいた
親子関係がスムーズになり、子供に精気が甦る。日常の武道は案外、そんな
ところに潜んでいる。>
ー
▼ これを読んで実行してみたが、何かピンとこない。そこで目の前にあった
 輪ゴムを3重に折って、薬指の第二関節の部分に付けてみた。20分ほどして
立ってみると、気のせいか? 重かった腰が数分の1に軽減したような。
それと動悸が少し高まったような異様な感覚… それもあってか、早朝、雨で
中止したポタリング(チャリ散歩)に、行く気になっていた。 「何なに?」
と思ったらダメ元で左手の薬指に付けてみたらいい。絶大な効果でないとしても、
何かを感じるはず。 〜ネット検索によると〜
【古代ギリシアから、左手の 薬指は心臓に直結している指と考えられ、
 「心臓は人の心」とも言われていて、愛情を約束するため、結婚という
 契約のために、左手薬指につける慣わし。】
【自律神経と心臓に関わっているので、この指の第三関節を右手で握って
 揉んで下さい。そうすると明らかに脈拍が下がり、バクバクが落ち着いて
 くるのが分かります。】とある。
「何でまた直に輪ゴムを左手薬指に…」というと、10数年程前、左手の薬指
に紐に絡めた4〜5�兮腓離殴襯泪縫Ε狎个魄�って寝ていたことがあった。
これをすると熟睡できるため。「何故、輪ゴム?」 「たまたま目の前に
あったため」 ネット写真検索をすると、左手に5本、同個所に付けたのが
あった。そこで、これを中断して、指の5本付けて30分ほど、ベッドでヨガの
死者のポーズで横になってみた… 薬指だけの数倍、精気が漲ったような!
世の中は知らないことで満ちている! 晴間をみて、ポタリングにでも試して
みようか。

・・・・・・
5663,『エゴの力』�ぁ 船鼻璽�ング
2016年09月16日(金)
               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * ドーキング説について
 『エゴの力』で、直ぐに浮かぶのがドーキング説。ネットで検索をすると、
以下の解説があった。
≪ ドーキングの仮説から導かれる結果が
 「究極の利己主義が利他的行動を生む」と
 「単純で気のいい戦略が進化の上では最も有利である」の2つの結論。
・前者は、人間の生き方にも通ずるように感ずる。賢い人は、他人を助けて
その結果が何倍もの自分の利益(満足感や幸福感も利益と勘定して)となって
戻ってきて幸福になっていく。 自分が不幸になるような利他的行動をする
ことは、世の中にはあまり無いのではないだろうか(不幸の定義にもよるが)。
古人も「情けは人の為ならず。」とことわざに残している。
・一方、単純で気のいい戦略というと、米国を思い浮かべてしまう。
米国は、外部から侵略されひどい目に合わされたという経験が無いため、
国家としては基本的には単純で人がいいようだ。単純で気のいい戦略が
最も生き残る可能性が高いというシミュレーション結果は大変興味深い。
ソ連は崩壊したが、米国は種々の問題を抱え込みながらも、これからも、
ずっと世界最大の一等国であり続けるのではないだろうか。
 ドーキンス説は、ダーウィン説と比べて、個体と遺伝子との優先関係が逆転
している。では、そのことに、どんな意味があるのか?それは、「血縁淘汰説」
との関係から判明する。ダーウィン説は、自然淘汰という発想を用いて、進化
という概念をかなりうまく説明した。しかしながら、この説明に反する現象が
見つかった。それは「利他的行動」である。たとえば、ミツバチやリカオン
などでは、「自分の子を育む」という行動をとらず、「他者の子を育む」と
いう行動を取る。これは、「個体は自分の子を残すことが自分の利益になる」
というダーウィン説に反する。こうして、ダーウィン説は矛盾にぶつかった。≫
▼ 学生時代に、『人は利己主義を乗越えることが可能か?』の命題に突き
 当たった。そこで、教養課程のクラス担当の「文学」の教授に、コンパの席
で思いきって聞いてみた。その時の答えが、『一粒の麦は、地に落ちて
死ななければ、一粒のまま。だが、 死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を 憎む人は、それを保って
永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12 ..)の一説を言われた。
そして、『一粒の麦は泣いていたよ!』を加えていた。 私の解釈は、
『自分のエゴを殺せば、多くの命を助けることができる。利己主義は人間の
本質。それを乗越えるには、弛まぬ貢献の努力が必要。』
 最近、知ったのが、高名な文学研究者で、その後、新たに建てられた館に
「野口記念館」と、大学の奨学金に「野口奨学金」とあった。
  〜ネットで『一粒の麦』と検索したところ、
【聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指す。人はなぜ死ぬのか。
あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか、の問いへの大いなる答えが、
この言葉には秘められている。次の世代へ命をつなげることが、自然の持つ
「強さ」だと。個体が不老不死になると、沈滞が免れない。世代が更新される
一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、
社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。要は、
「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと思うわけ。】
とあった。 フランクルが、死の収容所で経験したことは、究極の状況で、
人のために平気で自分の命を投げ出す人たちの存在。深い信仰と、諦念と、
衝動などが、重なってのことだろうが。
・・・・・・
4933,コトの本質 −3
2014年09月16日(火)
   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典著
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、
今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方
から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を
捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう
見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。
グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。
また、彼方から太陽や地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて
 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて
みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、
この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、
私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして
考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論
から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、
まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、
これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、
私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、
なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角
 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化
が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に
しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の
日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、
白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、
あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。
・・・・・・
4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
      「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
  * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る
ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ
の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。
これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は
それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる
ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた
記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は
自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が
鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。
それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、
家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」
と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」
ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、
嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。
やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 
その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと
だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと
割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの
色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、
暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、
まずは自分を納得させるしかない。
・・・・・
4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって
「日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た
堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、
橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の
しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。
既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店
と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、
これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路
に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ
を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の
品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン
を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を
みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。
それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は
5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の
老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。
「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に
家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家
の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、
一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車
をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ
病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、
けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力
の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が
女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で!


6394,閑話小題 〜「平成」も終わる、さっさと引退しましょうよ、キミたち!

2018年09月15日(土)

    * ヘドロ世界の殿様蛙よ
◉ 今度はウェートリフティング協会の会長がやり玉に!
『○○協会の会長』『○○市教育長』『青年会議所理事長』とかいう奴。
その職を得ると、人間がガラッと変わってしまうのは周辺を見れば分かる。
そこにドドメ色の目をした古キツネが擦り寄って、持ち上げ、その気にさせる。
そこに烏合の衆の連中が神輿を担ぎ… 世間様祭り(溝沼ヘドロ)のエログロ
世界そのものの饗宴…。 その具体的な物語の生々しいのが… 何やしら? 
 その拡大したのが韓国大統領職周辺世界。未だ朝鮮戦争が終戦してないため
絶大な権限が大統領に与えられて腐敗の温床になっている上に、儒教社会の
構造上、汚職阻止は絶対無理という。大統領職をマトモに辞した人は存在しない。
 
◉ レスリング、ボクシング、体操協会、日大アメフト部にしろ、パワハラ当事者
 は対応を誤って後手を踏み、自らの首を絞めた後、最後は解任、辞任劇が通例に
なりつつある。スポーツ競技で暴力は通例だが…。セクハラの次が「パワハラ」。 
本来、世の中はパワハラで成り立っているのに… ポピリズム弊害の最たる事例。 
弱肉強食が世の習い。「強くてはならない」のである。業績を利用して、まずは
『○○長』の座。それさえとれば、弱肉強食の強者の肩書を得て利権漁りの手順
になる。ヘドロ世界には、ボウフラには快適環境。ボウフラをネット検索すると、
<「カ」の幼虫の俗称。水中にすむが,汚水,たまり水,清水とそれぞれすむ。
種類が異なる。腹端の呼吸器を水面に出して呼吸…> 何か地方大名のようで、
これ以上書くのは、止める。トンボの幼虫「ヤゴ」とて同じだが、人間の血を
狙わない。
 
◉ 日大監督と理事長、ボクシング協会の会長の精神構造から様々なことが浮び
 上がってくる。過ってバブルに浮かれていた我姿も…。だが、バブルで踊った
経験も、なかなかな! 破裂の20年後に、最後のトドメが直撃し… 因果応報。
<踊る阿呆に、踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら、踊らな損損!> だが、問題は、
その後のカエリ矢。 よく見ると、昭和の残物のこびり付きでしかない。
やはり「断捨離」。 「平成の終了の年度に、こういう問題が噴火始めた。
ということは、「カタチをかえ、様々の分野で何かが起こる」ということだ。

・・・・・・
5297,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー��
2015年09月15日(火)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 法則 2 ーお金のつくり方
 ここで、お金を得る方法として5つをあげている。
「勤めるか、相続か、盗むか、ギャンブルか、ビジネスをする」をあげ、
ビジネスでの成功を勧めている。ビジネスとは、「利益を創出すること」で、
宝クジの当たる確率が1400万分の1に対し、ビジネスは「5%」の
20分の1。とすると70万倍の確率である。「経済の歴史」から、有史
以来、常に「人口の5%が経済的に自立した人たち」である。 これは、
時代や地域に関係なく、あらゆる時代、国、地域に共通する。身近な例で、
私の世代では、まず高校の進学校に20%が、次は国立大か、私立なら早慶、
上智、同志社あたりに5%に絞り込まれる。そして、上場企業の勤め人か、
上級公務員になるか、実家の事業を継ぐか。数ヶ月前に、中学の「古希の会」
が湯沢で開かれたが、卒業時の成績が拡大したままが、その人生のようだ。 
死んだり、ウダツの上がらないのは、出てこれないが、私みたいなのもいる。
 ここでは起業を勧めている。とすると、20歳時に「創業}の人生を決意
したのは、賢明だったことになる。で、このザマだが、充実感は残った。
  〜章末の「まとめ」より〜
● お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」
● お金とは、「社会への貢献度」を示す指標
● ビジネスの選択は.「できること」ではなく「情熱」で選ぶ
● 起業に必要なのは「資金」ではなく.よりよい「戦略」
●「購入額」と「購入頻度」がビジネスを成長させる秘訣
● 起業を成功させる5つの秘訣は.
 1.まず、「情熱」を持てる仕事か、
 2、次が、「ニーズ」より「ウォンツ」の商品かサービス
 3、どうすれば「付加価値」を上げることが出来るか、
 4、自分がいなくても会社がまわる「しくみ」をつくる、
 5、成功の「モデリング」をすること
  「成功したビジネス事例のエッセンス部分」を、形を変えて
  「自分のビジネスに応用してあてはめる」こと。
  〜巻末の、ピーターからの「格言」より〜
◎ あなたがお金を少ししか持っていないとき、それを気分が落ち込んでいる
 ことの言い訳にするのであれば、「常にお金が少ないという状態」が続きます
◎ よりよい戦略とは、「よりよい質問をすること」です
◎ 「人の感情を動かし、行動を起こしてもらう能力」は、どんなビジネス
 においてももっとも高い価値が支払われるスキルです
◎ 意思決定をする際に、この3つの質問をすることが大切です
 「1・何がもっとも大切なのか?」「2・私は何が本当にほしいのか?」
 「3・何がもっとも貢献できるのか?」
◎ 方法はまったく関係ありません。「情熱」さえ注げれば、
 方法は必ず現れるのです。どんな状況でも常に「道はある」のです
◎ お金とはあなたが社会に「どういう貢献をしたか」の証明なのです。
 そして、豊かなマインドとは、「先に貢献し、そのあとでお金をもらう
 というマインド」なのです
◎ ビジネスをスタートするのに「お金」は必要ありません。
「よりよい質問」を自分自身に投げかける必要があります分 それは、
「どうしたらより多くの価値を加えることができるのか?」という質問です。
―――
▼ 成るほど、上手くいっている時は、上記などの法則に当てはまり、
 丁度よい塩梅で油断をしている時に、突然、想定外の事変で、転覆するのが
事業、いや人生のなりわい。幼児のときから、両親に規模は小さいが、起業
経験を、聞いてきた割に小さく縮んでしまった。でも、45年間の物語が、
そこにあった。何より良かったのが、『時間』と『閑』があったこと。
そこで、ふやけてしまった結果が、これだったが。人間の型だけは?
・・・・・・
4932,コトの本質 −2
2014年09月15日(月)
 * 未知の外界に接し、子供のように興奮する!    
                 『コトの本質』松井孝典著
現在の毎日が、まさに〔未知の外界に接し、子供のように興奮する日々〕。
45年間の事業も、その日々だったし、秘境ツアーも同じ。 現在も、
その延長にあるためか? 毎日が充実をしている。 ーその辺りからー
≪ 大学という環境で、私はいつもエネルギーが高い状態を保てます。
 歳をとると、普通は、だんだんその状態から落ちていくわけです。
安定した軌道上に落ちてしまって、変化がなくなってくる。引退するときに、
よく、刺激を受けなくなったとか、燃えなくなったとか、モチベーションが
なくなったとかいいますが、同じこと。私は、脳の内部モデルを更新していく
ということが、無性に楽しいわけ。毎日のように、生命や地球、太陽系、
銀河系、宇宙について、次々といろんな新しいことがわかるわけでしょう。
タイタンに探査機が軟着陸して、探査するとか、どんどん未知の現象が眼前
に飛び込んできます。それについてどう思うか、考えさせられているわけ。
夢中になります。わくわくします。子どもみたいなものです。未知の外界に
接して、興奮する日々を送る。本当は、そのような機会をより多く与える
ことが子どもの教育にとって必要なことなのです。他と接することによって
おのれを知る。これが教育の基本です。いまの教育に欠けているのは、まさに
その点です。それが欠けているから、自分を持たず自分の頭で考えられない、
ろくでもない子どもが育ってしまうわけで、ほんとは、子どもというのは
そういう環境下におくべきなのです。外界と接し、境界を拡大することに
よって、自らを知るわけです。それが、おのれとはなんぞやを認識すること
でしょう。そのような経験を通じて自己ができてくると、初めて自分の頭で
考える、あるいは自分の意見というものがいえるようになる。さらに、
どこまでこの意見は通用するのか。それはここまでしか通用しないとか、
いろいろなことを経験して、普遍性、あるいは世間を知ったうえで、
さらに深いレベルで自分の判断ができるようになるわけです。
 成長するということは、ここまではわかっているという、外側の境界を、
いつでも広げ続けていくことですから、毎日が楽しくてしようがないはずです。
新しい事象に接することで、その境界が広がっていくわけです。ここだけの
領域でしか通用しないことが、あ、ここでもそうなんだ。さらにここでも
そうなんだ。 ・・・≫
▼ 著者の本を何冊か読んで、ここでも、紹介したことがあった。宇宙の彼方
 から逆照射の視点で見直し、 地球をシステムとして捉える。そして、
その一つとしての人間圏を改めてみると、気がつかなかったことが、見えてくる。
まさに、地球を支配しているサルが、その自然圏の資源を使い放題で、破壊を
している。綺麗ごとを言っている私も、その恩恵を受けているサルにすぎない。
未知の外界は漆黒だが、光を当てると?
・・・・・・
2017年09月15日(金)
6028,閑話小題 〜大相撲・炎上
   * 横綱・大関の権威失落
 大相撲が大変な事態になっている。私の相撲ファン歴からして、これほどの
大関・横綱の権威失落の事態は初めてで、理事長自らが辞任しても然るべきほど
である。初日から4人横綱のうち3人が休場。残る一人の横綱が前半で2勝3敗とは、
これいかに。上位に上がったばかりの阿武咲が横綱初挑戦で金星を挙げ5連勝。
日馬富士の負け方が空中に1回転して裏返し。その上に、大関の照の富士が負傷、
3人の大関も2人が休場ともなれば。 面白といえば面白いが、この惨状では、
首を傾げざるをえない。その背後には若手に実力があるのが何人か台頭してきた
ことがある。もしかして、半年、1年後の番付が、これかとも… 
 ファンが、相撲協会の心配をする必要がない。横綱・大関の権威の崩壊を
見ながら、誰が優勝をするかを楽しめば、「また白鵬!」よりも遥かに刺激的。
「何で今の若手が強いのかって?」というと、勝つために頭(情報機器)を活用、
稽古土俵から考えているため。それも親がかりで。 将棋の新生人と同じ。
白鵬が、それ。素材が良いだけでは難しい。一月前に、高校横綱のトーナメント
を見たが、その中で、強そうなのが数多く見かけた。底辺の育成が出来ていると
いうことか。 
   * 地方銀行消滅
 ふと、去年分の同月同日分をみると、以下なるテーマ「地方銀行消滅」を
書いていた。「第四銀行と北越銀行の合併」をテーマにしていた時には、これを
書いていたことを失念していた。数年で、3分の1、5分の1に再編・統合なら、
早々に、合併するのも当然のこと。健全ということになる。ただし地方豪族化
した体質、塗炭の苦しみになるだろう。

――――
2017/03/17
閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合
  * 北越と第四銀行の経営統合、の号砲一発
 昨日の夕方、TVのニュースで「地元NO・1と、NO・2の地銀の統合合併の
ニュースが報じられた。 6年前に一線を離れた身としても、驚きは大きい。
実際にあるとすれば、元・第二地銀の大光銀行と北越銀行と思って当然。
まさか殿様?の北越と第四銀行とは鳩に鉄砲の組合せ。
「合併に対等はなし」の通例からして第四の吸収になるが、目的は人員と
関連会社の整理。機械化と、ネット化などの合理化で、人員の三分の?が
不要になるという。ニュースであまり取上げられてないが、2年前の
北陸新幹線開通のマイナス効果。それと、二つの地元の大地震の損害と
原発停止による経済の弱体化も大きな要素。 
 〜ネット記事から
≪・新潟県の地方銀行で最大手の第四銀行(新潟)と二番手の北越銀行
(長岡)が経営統合する方向で最終調整に入ったことが、16日分かった。
4月にも基本合意を交わした上で、2018年春をめどに統合を目指す。
統合の形態は共同持ち株会社を設立して、2行が傘下にぶら下がる方式を検討。
将来的な2行の合併も視野に入れる。2行は統合による規模の利益の追及など
によって経営効率を高め、今後の生き残りを図る。
2016年9月末時点での2行の連結総資産額を単純合算すると、8.2兆円。
統合が実現すれば、全国の地銀約100行・グループの中で10位台に浮上
する、大規模な地銀グループが誕生することになる。
・2行を経営統合へと突き動かした要因は大きく二つ。
一つは、ここ数年で相次いでいる他の地銀再編と同じく、地元地域の人口減少と
超低金利環境だ。 国立社会保障・人口問題研究所によると、2行が地盤を持つ
新潟県における25年時点での15〜64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少
するという推計結果(13年3月推計)が出ている。
2つめは、足元の経営環境も16年2月の日本銀行によるマイナス金利政策の導入
以降、一層厳しさを増している。超低金利の状況において、預金と貸出金の
金利差である利ざやの縮小が進んでいるためだ。
対前年同期比で見た、2行の16年4〜12月期決算における業績がそれを示唆する。
一般事業会社の営業利益に当たる実質業務純益では、第四が26.7%減の117億円、
北越銀行が18.9%減の65億円。さらに、連結経常利益では2行共に3割以上の
減少という苦境に陥っている。この状況が長く続けば、将来的に地元である
新潟県の地域金融を支えられなくなるかもしれない。そんな危機感が2行を
統合交渉のテーブルに着かせた。≫
――
▼「15〜64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少」は、この記事で知ったが、
 深刻な事態である。常識的にみれば、中越地区は3割減?。これからして、
この合併は、当然といえば当然。第四にとって第二地銀との合併は避けて当然。
その結果が第四+北越銀行の組合せ。「地方経済の弱体化モデル地区の象徴」
として、越後長岡は取上げられる。全体エネルギーが、3分の2に落ちている
感はあったが… それでも合併で何とかなる?から、よいのか。
 今後10年で第四の3分の1、北越の2分1の人員と店舗の整理があって然るべき。
目的は時代に即した合理化。 地銀の整理淘汰の号砲一発。
今夜と明日の殿町の巷は如何なることに? 金融関係者は青い顔、中小・零細
経営者は赤い顔で。今さらだが、「毒喰えば皿まで」。県知事は建設省出身者
の選択しかなかった? 床柱だった北海道拓殖銀行の倒産は、地元道民が乾杯
をあげたという。地元は、如何なることに? 倒産でもないし… 
越後新潟も、新潟市一極化は、ますます顕著になる。ここというより、地方の
常識は非常識。負け犬の遠吠えでしかないが… ワオ〜ン。 いや、キャン!
――――
2017/04/08
閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合 −2
   * 大蔵直轄統治の大光は
・数日前になるが、地銀の第四と北越銀行頭取の合併に関する 記者会見が
TVニュースで流れていた。気のせいか、第四頭取は明るく、北越の頭取は
下向き加減の暗い顔をしていたような? しかし、健全な経営体質なら、
前向きの統合策として評価されて然るべき決断。で、残る大光は、地勢上から
他県の有力な地銀との連合が筋道なるが…  考えてみれば、今まで動きが
無かったのが不思議。デフレと、首都圏一極化と、情報化による地方経済の
疲弊は、直接、金融機関の劣化に正比例する。20数行あった都市銀行は三行
まで激減した中で、地銀以下の集約は無かった方が不自然であった。
銀行の本質は職業柄、高利貸しの悪質の特性をも持つ。力の有る者に媚り、
弱者から利益を毟り取る。世界最大規模を誇る柏崎・刈羽原発の再開が見込め
ない現在、地元経済の劣化は進む中で、締め付けは厳しくなる一方。それが
銀行憎しのガスを充満をしている。その最中のリストラの号砲一発。その弱肉
強食の現実が、世間とかいう人食いネズミ群の絶好の餌食?になっていく。
立場が一転、弱者の「こんなはずではなかった」へ、文字通りに立つ。
・バブル崩壊後、大手地銀自ら格下げをした「リソナ銀行」?が、バランス
からしてよい?…云々が、連想創作の「天の声」として1人歩きをしそうな。
しかし、天領と、大波で削ぎ落とされた体質の銀行では、体質が違い過ぎる。
ちなみに次男の嫁さんと、両親がリソナ母体?の一つの旧埼玉銀行の出身。
また兄嫁が大手銀行出身。更に家内の妹が、一度退社後の子育てを終えた頃、
元上司に請われ、地銀のパートを20年続けている。
・大蔵官僚として、天領の天下り先の地銀の『頭取』の座は残したいが、
問題は単独のリストラ能力の有無。直轄統治でも無理、と思うのは官僚役人
の力を知らないから? このようなコンニャク政経談議。 今後、材料は
絶えることはない… 状況は条件の意味に近い。城下町小唄の世界にドップリ
浸かってしまった私。「先手の一策は、事後の百策に勝る」という。 
この時節が、先手かどうか。以下の「一切は、君の自由だ」に、無理があるが、
文脈としてつながる。 「未来の健全のために、ご自由に、どうぞ!」 
――――
5662,閑話小題 〜地方銀行消滅
2016年09月15日(木)
   * 地方銀行消滅   〜地方銀行消滅 (朝日新書)津田倫男 (著)〜
 先日の新聞広告の、<『地方銀行消滅 』〜105行から20行に>が刺激的。 
  〜アマゾンの内容紹介には〜
《銀行名が消え、組織も行員も消える再編の奔流を、いかに乗り切るか?
 全国6ブロックの新勢力図を発表! 地銀、第二地銀の計105、大手信金を
あわせて140ほどの金融機関が5年後には20~30に再編・統合されてしまう。
人口減少がもたらした「金融戦国時代」に生き残るのは、どこか!?
その理由は!? 元・敏腕バンカーが大胆に予想する。》
▼ 20数年前に20数行あった都銀が、数年でメガバンク3行になった。
 地方経済の衰弱化が進んでいる中、地銀の再編の推進が行われなかった方が
不可解。世界不況が深刻化する中、人口減が進む地方経済は深刻な弱体化が
進行、待ったなしの地銀再編の合理化は当然の成行き。常識的にみて、地方再生
とかいうが、その疲弊は政治力では何ともならない。地方豪族化した一部の
土着プチブルと我世を謳歌した地銀も、世界的大不況と、グローバル化で、
大幅な合理化対象になる。


6393,閑話小題 〜久々の海外ツアー

2018年09月14日(金)

   * ライフワークの海外ツアー
◉ 40歳代に16回、50歳代に24回の海外ツアーも、60歳代に入って年に一回に、
 60歳半ばからは、諸事情?により隔年に一回。 この数年来のツアーは
(貧者の私は)家内の鞄持ち?と、腰痛との兼ね合いがあり、楽しさ、面白さ
半減だが。それでも、「行ける時に、行ける場所に、行って良かった」と実感。
 これまで私が52回、家内が40回、あと4回で、2人合計100回になるが、もう
無理? 台湾、インドネシアなら可能? このライフワーク、私の魂にとって、
大きな財産であり、心の絶対最適温度を保ってくれる。
◉ 40歳後半から6主に欧米文化の外側の秘・異郷から埋めていった後に、還暦
過ぎから欧州中心に切替ていた。 古希からは渡航は中止していたが、先回、
『北イタリア・アルプスと、ドロミテ街道の旅』。極限近いトレッキングでも、
腰痛が最小で済み、その景観に感動の連発。あの世への土産の一つに加えること
が出来た。「北イタリアからみたマッターホルンと、モンブランと、ドロミテ
街道の絶景の旅」。スイスアルプスの延長シリーズになるが、逆サイドの、
「オーストリア・ドイツアルプス」のパックもある。これは、もう無理!先回
も、行先がデープのため、同行者は年・数回組ばかり。隔年の私たちとは感覚が
違っていた。<魂の痕跡を残そうと、50歳代に狂ったように?楽しんだのが正解>
◉ イタリアの出国審査時に、パスポートの間に、日本への再入国までの保管の
 ため、千円札6枚を挟んだのを忘れ、そのまま出してしまい、怪しい人の出国
賄賂?と勘違いされる一歩手前… のオチまでついてしまった。また入国手続き
は「完全自動化」。パスポートを指定された画面にはり付け、顔をカメラ前に
さらす認証システムのため、行列はホボ解消されていた。‘全身に溜まっていた
ストレスがバッサと落ちた感覚’は何時ものとおり。世間様とやらの冷たい目線
と、年金暮しと、腰痛を抱えてのツアーも厳しいものがあるが… 何があっても
続けるのがライフワーク。「行けるが花」 いや、何がともあれ、「行くが花」。

・・・・・・
5661,『エゴの力』�� 〜総論・B
2016年09月14日(水)
               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
 ネット上の解りやすい概略を検索すると、アマゾンの投稿に、最適なのが
あった。エゴを、「人間の感性の発露以外の何ものでもない」「己の好きなこと
を通じてエゴを磨くこと」と著者はいう。それらから考えると、私の秘・異郷を
中心とした旅行で磨いた感性は、確かに人生を変えた。回数を重ねるほど、
『エゴの力』が増したことになる。好きなことを継続するほど『エゴ』が強く
なる。それが個性である。
    =アマゾンの投稿=
≪ 本書で、「人間の強さとは何かといえば、その人間の備えた個性の力」
(100p)というテーマを中心に、エゴについて語っている。石原さんほど
老成しているわけではないが、私も50歳を過ぎ、このテーマには賛同する。
 石原さんは冒頭、「エゴとは人生を左右する力、人間の個性。個性とはその
人間の感性の発露以外の何ものでもない」(4p)と定義し、織田信長、東郷
平八郎、出光佐三などの行動を引き合いに出し、成功の裏にはエゴの発露がある
ことを紹介する。そして、松下幸之助の言葉「経営には勘が必要だが、勘だけ
ではだめだ。またデータ、コンピューターだけではだめだ。資料をいくら重ね、
データをいくら分析しても限界がある。経営に成功するための原則がある。
その原則のなかで絶対必要条件ともいえるのは経営の哲学、経営理念や志だ」
(46p)を引用する。
・第2章では、恋愛とエゴについて語る。『八百屋お七』『娘道成寺』を引合いに、
「男のエゴの虚弱さというものを、またある意味で人間の備えた弱さを示す象徴
かもしれません」(81ページ)と解説する。 また、明治維新の功労者や太平洋
戦争の英霊達にもエゴを見いだすという。古今東西の小説や歴史上の人物に典拠
を求めるあたりは、いかにも石原さんらしい展開である。
・第3章では、趣味であるヨットを通じて、好きなことを通じてエゴを磨くことが
できると語る。
・第4章では教育や就職について語り、「他者との関わりが自分のエゴ、自我を
切りつけ、損なうことの端的な事例は間違った教育、あるいは間違った躾による
ものが実に多い。特に躾・教育は幼年から始まって成人になるまでの、まだ自我
が確立される前の未成年の段階で一方的に行われる作業ですから、その影響は
極めて容易だし、また大きなものがあります」(148ページ)と指摘する。
・第5章では田中角栄による金権政治を振り返り、「お金というものは決して
ただのお金ではなしに、人生を左右しかねぬ、その使いようによって極めて
貴重で微妙な人生のための小道具」(213ページ)と語る。
・最後に、「世界がアメリカンスタンダードで統一されることはありえない
のと同じように、人間全体に統一規格があてはまることは絶対にありえない。
それと同じように、それぞれの強いエゴを備えている人間たちに人間の
スタンダードがありうるはずはありません」(217ページ)と結んでいる。≫
▼ 遺伝子の研究から、「生命の本質は利己主義の発露にあり>、と言われる。
 生命は、単独では生延びることが出来ないため、仲間を利するしかない。
だから、尤もらしい理屈をつけて、他のため、生きると社会正義と論じる。
成るほど! 自分に力がなければ、他を助けることが出来ない。「興産あって、
恒心あり」。特に人間は、「利己は生命の本質と認め、他利を加える必要性」
がある。男女間のエゴの発露は、人類最大の永遠のテーマになる。
・・・・・・
6027,死の恐怖は観念でしかない ー明るく死ぬために 〜3
2017年09月14日(木)      、
   * 死ぬということは
「余命数ヶ月」と告げられた作家が、病院の帰路、都内の駅前の喫茶店から、
雑踏を眺めて、「自分が死んでも、彼らは、そのまま、生き続ける!」と氷つく
孤独感そのままを書いていたのを憶えている。哲学者は、これを観念のなせる
虚構とという。死ぬのを恐れるのは、愛する家族との永遠の別離。プッツンの
瞬時、「私」なるのが消えるため、「自分が死ぬ」という言葉が成り立たない
のは自明のこと。一人称の自分が死ぬわけがない。雑踏の通行人が、そのまま、
生き続けることも当人の思い込み…  中島の、<私が住んでいる世界、私が
見ている世界は「このようにある」のではない。 客観的世界のあり方と、
「私がある」というあり方は全く異なる>の言葉に、「独り死にいく恐怖は、
長年かけて作られた観念でしかない」と…。とすると、寂寞の観念そのものが、
自分を孤独地獄に落しこんでいることになる。「明るく死ぬためには、いずれ
死ぬ? そして永遠の彼方に消し去られる「私」と、「他者」の問題を直視し、
問答を続けなければならない。 「存在」と「認識」そして「死」の命題が、
年々、面白く、かつ切実になってきたのは、背後から正面に周ったため?
【 〜2004/10/02
  1278, 人生(時間)のセイムスケール−2 より〜
★「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。
 そして、終着駅が近いと知ったとき、〈別の人生もありえたのでは〉
 と夢を見る。しかし、列車を乗り換えることはできない」
                       (田中 誠)
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
                       (山田風太郎)
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
                       (正宗白鳥)
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。
 しかし、「今」死にたくないのだ」      (山田風太郎)

★「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」
                        (フロベール)
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
                       (山田風太郎)

★「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」
                     (橋本多佳子)
★「死が生にいう。
〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
                     (山田風太郎)

★「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
 今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇」
                     (フィリップ・アリエス) 】
―
▼ 『("^ω^)・・・ 御あとがよろしいようで、はい、さようなら!』
(こう言い残し、七転八倒をして死んで逝きたいが、私のは「畜生め」入り?)

・・・・・・
5296,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月14日(月)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 『自分を超える 5つの法』とは
 自分の長期目標を掲げて、そのための宣言書で明文化をして、それに精進
していけば、日々、自分を超えることになる。そこに自ずと3C主義=
チャレンジ(挑戦)、チェンジ(変化)、コンペティション(闘い)が生じる。
それは現役である限り続くが、楽しむことが出来るかどうかが鍵となる。
  〜その5つの法則とは
法則1: 成功の心理学(「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす
  安定感のニーズ 多くの人は何かを求めるとき「安定感」を基準にしてしまう
法則2: お金のつくり方(お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」
  お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ほか)
法則3:リーダーシップを高める(「リーダーシップ」は育てたリーダー数で
  決まるリーダーシップを発揮するカギー 「基準を上げる」 ほか)
法則4:世界観をつくる(自分に「力を与える世界観」をつくり上げる
「成長」と「貢献」が世界観をパワフルにする ほか)
法則5:10倍強くなる文章術(すべての人にとって「文章を書くこと」は、
    最重要の項目である
  コピーライティングは「創造力を高めた状態」で行なおう ほか)
  ――
   * まずは、法則1:の「成功の心理学」より
「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす。
  〜そのニーズ(欲求)とは
1、安定感のニーズ
 :多くの人は何かを決めるとき「安定感」を基準にしている。
2、不安定感のニーズ
 :人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる、不安定の量に
  正比例する。 行動のさなかでは、恐怖は消える。
3、重要感のニーズ
 :真の「重要感」を持った人とは、使命を帯びた偉人である。
4、愛とつながりのニーズ
 :すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」である。
5、成長のニーズ 
 :すべての生物は、成長し自分以外のものに何らかの貢献をする。
 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠である。
6、貢献のニーズ
 :「力(パワー)」とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
 正比例して与えられる。
  〜法則1 のまとめ〜
◎ 人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる不安定量に正比例する
◎ 行動のさなかでは.恐怖は消える
◎ 真の「重要感」を持つた人とは.使命を帯びた偉人
◎ すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」
◎ 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠
◎ ー力(パワー)とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
  正比例して与えられるー 
▼ どうしても人間は、不安定より安定を優先するが、これが間違いの元。
 ブッダが亡くなる時に、「この世の中の ことは、すべてのことは移ろい
ゆくものである。従って怠りなく努めなさい」という言葉を残した。
自然界にも、人生にも、「確実なこと」など何もない。あるのは変化だけ。
 人生には、「変化と、刺激」が必要である。とすると、そこには、不安定
が伴うが、その量に比例して質が上がっていく。安定過剰のヘドロ人間は
大よそ8割と見てよいが、それこそが娑婆である。「したい時が、やれる時!」。
その時にしておかないと、ゾンビになる。しかし、変わりゆく世界の中に
あって変わらないもの、それを つかんだ人間が、世界の、人間の、本当の
意味をつかむことが出来る。それは逆に変化の中にこそ、現れ出てくる。 
何か仏教めいてきたか! 


6392,閑話小題 〜「…生きるために食べろ」と言いますが!

2018年09月13日(木)

     * 食べるために生きるな。生きるために食べよ。
 最近、週一度の映画観賞前のササヤカな外食が楽しみ。 牛丼、回転寿司、
カツ丼店の何れかだが… これが全く飽きないから摩訶不思議。 他に2ヶ月
に一度は、家内とステーキ・ランチか、焼肉ランチか、シャブシャブ店に行く。
 今では、安ランチで満足できる自分に吃驚。 遥か以前になるが、誰かに、
『近所に出来た「サエゼリア」が美味しい!これで充分満足!』と言った相方に、
『美味しいのを食べ尽したから言えること。普通は、味に敏感。高いイタ飯屋の
デナーと、空間が楽しみ。サエゼリアなら冷凍食品の方を選ぶ。 何か、嫌味に
しか聞こえない!』と言われたが… 成るほど! 
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」の、この言葉も、捉え方一つで、
様々に解釈される。『食べるために生きて何故悪い!生きるために食べるのは
当り前。生活のためだけで生きていけない人間の存在を考えない言葉。生甲斐の
ため生きよとは、<衣食足って礼節を知る>で、足りなければ仕方がないだろう』
 
 山田風太郎が、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」新聞連載
の随筆。 飄々とした語り口で、老いること、生きること、死ぬことを独創的、
かつユーモラスにつづったのが印象に残っているが、今度は、私の順番? 
で、風太郎が果たして、「食べるために生きるな。生きるために食べよ」に
対して、『毎食を味わっているのに、何をぬかす! 今さら生きるために食べろ
だと… たっく。人間って、飯を食って、糞して死ぬだけ。その食事に対し、
ツベコベ言うな!』と、相成るはず。しかし、最晩年ともなれば、悲しいことに、
「生かしておくために、食べさせられる」になる。あと何回、晩飯を食べられる
のだろう? 多く食べたく(長生きしたく)もあり、食べたくもなし。 
長生きそのものが病気とすると、これから病気が日々、重症化していくことになる。 
 で、如何した?如何もしません。 美味い飯を食べ、今日一日を愉しめば充分! 

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5660,閑話小題 〜シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜��
2016年09月13日(火)
 フィレンツィに3度行き、その都度、ウフィツィ美術館を訪れている。
フィレンツィの観光コースに必ず含まれているからである。現地ガイドの説明
を聞き、生の名画をみるのも良いもの。見る度に、それぞれの名画が身近に
感じられてくる。この映画では、その名画と、フィレンツィの街並みが撮影
されている。その映画なら見ない手はない。で、予想とおりに、3D・4kの迫力
ある映像に圧倒された。 現地の慌しい人込みで、説明を聞きながら、一作品
に数分しか凝視できない名画を、シネマ館でジックリと観る醍醐味が良い。
現地で観る本物より、デジタル加工された立体的な画像が生々しく迫ってくる。
ある意味、現地の本物を観るの変わらない?というと、大げさか。TV番組で、
その作品と、解説を何度か、見聞きしてきたことも、そう思わせるのだろう。
  〜シネマの映画案内より〜
《 日本×イタリア 国交樹立150周年を迎える記念すべき年に“イタリア・
 ルネサンス絵画の 宝庫”ウフィツィ美術館と世界遺産の街フィレンツェを
 世界最高水準3D・4Kテクノロジー で撮影した本美術ドキュメンタリー! 》
《 花の都フィレンツェ。そうつぶやくだけで、うっとりとした気分になる
 美術ファンは多いはずだ。ウフィツィ美術館を始め、市内の教会や美術館、
広場のそこここに珠玉のルネサンス美術が顔を出す。その背景には銀行業で巨万
の富を蓄えたメディチ家の存在があった。当時、いくつかの共和国に分かれて
いたイタリアでフィレンツェ共和国の実質的な支配者となり、後に教皇まで
輩出し、中世ヨーロッパで権勢を誇ったキリスト教世界のトップにたった家柄だ。
 ロレンツォ・メディチを始めとするメディチ家の人々は、自らの為政の場や
住まいを飾るためミケランジェロやダ・ヴィンチ、ボッティチェリらに絵画や
彫刻を依頼する。教会にも布教のための壁画を寄進し、壮大なドームを備えた
聖堂を建てる。こうしてわずか2キロ四方程度のエリアに巨匠たちの至宝が
ひしめき合う、それ自体が一つの美術館であるような街が生まれた。
 本作ではウフィツィ美術館が収蔵する傑作の数々のほか、サンタ・マリア・
デル・フィオーレ大聖堂やシニョーリア広場、国立バルジェッロ博物館などに
並ぶ至高の絵画や彫刻、建築を高精細3Dで見ることができる。なかでも2011年
から修復が進められてきたレオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」が
映像では初公開となるのに注目だ。またフィレンツェ・ルネサンスの代表作と
いえるボッティチェッリ「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」、
ミケランジェロ「聖家族」、ラファエロ「ひわの聖母」などの作品群も
じっくりと堪能できる。世界遺産の街、フィレンツェの花が文字通り咲き
誇る映像は最初から最後まで見逃せない。》
▼ 現地の作品の前では、まず作品に集中し凝視する。そして、作者と、
 その作品の背景を知る。それは、TVや、写真集を再び見た時のため。
現物からの波動は、作家の魂の波動である。それに反応する心が感激と感動。
そのために、短時間でも、心を集中し凝視するしかない。
 人生とは、感動と感激と畏敬の念、で織成す連続体である。
それを作品で表現するのが芸術家。世界は広くて、深い!そして、面白い!

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4563, 2050年の世界 ー5
2013年09月13日(金)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 英『エコノミスト』編集部 (著)
  * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章)
  ー まずは要約部分よりー
・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、
 その殆どが外れている、
・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。
 良いニュースは目立たず、人々の記憶に残りにくいからだ。 
 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間に
 あるので、そういう予言をすることが受け入れられる。
・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。
・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、
 「技術革新」よる「低価格化」を無視している。
・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに
 安い値段で必要なものが手に入るようになった。
・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに
 三〇分かかったが、今では三分だ。
・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、
 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。
・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。
 たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる技術は、移植医寮
 そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術
 の発見によって、癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な
 場所に送るという治療を大衆化させる。
・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。
 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。
・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は
 良化している。いまの新興国が先進国なみの経済水準になる二〇五〇年
 までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。
▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」
 が出てくるからだ。その中で情報機器と、バイオテクノの革新は、
 予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。
 人間には、長期楽観、短期悲観が経験を通して認知バイアスとしてある。
 それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。40年前の予測が悲観的
 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を
 転げ落ちている。そして日本は、20数年前のバブル崩壊から現在にわたって
 惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況をみれば
分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ 
 バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか?

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5295,閑話小題 〜慎太郎と佐々の死生観の対話
2015年09月13日(日)
       文芸春秋2,015年7月号特集「老いと健康の危機管理術」より
   * 信長の死生観には共感するね
 図書館で立読みをしていたら、石原慎太郎と佐々淳行の対談の、「老いと死」
についての以下の部分にひかれて借りてきた。80歳を過ぎた、お二人の諦観が
滲み出ている内容である。      
佐々: 私は、自分の家で死ぬつもりでいた。だから少し無理をして、
 鉄筋で三階地下室付きという家を建てたんです。自分の部屋で死んで、
葬式も自分の家から出そうという、前近代的なお葬式観だった。
そのための部屋も作ったし、お客さんの誘導路まで考えた。
家族と別れて暮らすなんていうことがあり得るとは思っていなかった。
ところが周りを見ていると、‘お葬式は身内で密葬をやって、あとで
ホテルとかどこかの会館で偲ぷ会って'いうのをやる。これが定着した。
石原:俺は遺言に「葬式不要、戒名不要。我骨は必ず海に散らせ」と書いた。
 去年出した『私の海』な(幻冬舎)には辞世
(「灯台よ汝が告げる言葉は何ぞ我が情熱は誤りていしや」)も載せた。
佐々:僕もかなり考えが変わったよ。でも、葬式無用っていうのは、ちょっと。
石原:僕は信長が好きなんだけど坂口安吾の『織田信長』っていう短編の
 エピグラフに、信長の愛唱した小唄があるのよ。信長といえば『敦盛』の
「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり一度生を受け滅せぬ者の
有るべきか」でしょう。僕は知らなかったんだけど、安吾が引用しているのは、
「死のふは一定、しのび草には何をしよそ、一定かたりをこすよの」と」いう
小唄なの。「かたりおこすよの」がわからなくて、ある国文学者に聞いたんです。
そうしたら「おこす」は、おこがましいの「おこ」で、「人が死んだあとに
皆な勝手、なことを言いやがるけど、死んだ人間にとってはバカみたいな話だ」
という意味なんだな。痛烈なニヒリズムですよ。信長は徹底したニヒリスト
だったんだね。偲ぶ会をやったり追悼記を出すなんていうのは、その信長の
小唄と同じことで、いまさら何を言ってるんだということですな。
佐々:でも、お別れ会さえやらないで、さよならも言わずに去っていくのもね。
石原:僕は敬愛した政治家はめったにいないんだけど、賀屋興宣という人には
 私淑したんです。無類の財政家で、日本で初めて統制経済をやった人です。
戦前に大蔵官僚から政治家になって、A級戦犯で服役したあと、政界に復帰。
晩年に賀屋邸へ行ったら、髪も真っ白になって、サンルームで瞑想されていた。
「先生、何をお考えですか?」と訊いたら「人間が死ぬというのはどんなことか。
興味があるので一生懸命考えている」。「それで、死ぬってどんなことですか?」
「いや〜死ぬというのはつまらないね。私はだんわかってきた。死んだら、
一人で暗い道を黙って歩いていくんですよ。そのうち、葬式で泣いて送って
くれた家族も私のことを忘れてしまって、世間も忘れる。第一、彼らも忘れなきゃ
やっていけませんからね。それだけじゃなしに、自分が自分を忘れちゃうんです。
来世なんかありませんよ、石原さん。だから死ぬのはつくづくつまらないですね」
と言って、小さく笑うんだよね。すごいニヒリズムだと思ったね。
この段になってくると、そんなことを思い出しますな。 ≫
▼ 佐々が入った、介護つき有料老人ホームに、石原が訪ねて行われた対談。
 自宅に近く、三食昼寝付きで、何でもやってくれるそうだ。中産階級?向けで、
商社の支店長とか、サラリーマン社長だった人や、旦那がいるが、面倒を見切れ
ない奥さんだけが入っているとか。リハビリは別だが、食費や光熱費を入れて
30万位という。「奥さんも一緒かと思ったが、少し費用が足りないのでやめた」
とか。最近、同年代のタレントが夫婦して入居したとかという話は聞いたが!
古希を過ぎると、どうも娑婆の景色が変わって見えてくる。
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6026,リベラリズムとは
2017年09月13日(水)
    * リベラリズムとは
 最近、いやにこの言葉を見かけたり、聞いたりする。
そのまま解釈すると「自由主義」になるが、欧米では、<富の再配分などを
通して経済的な弱者を救済し、福祉国家的政策を支持する立場>をいう。
自由主義を主張するロールズにとって、<ベンサムの功利主義の弱点を克服
するために、自分が男か女か、白人か有色人種か、健常者か否かなどが分から
ないことを前提とした「無知のヴェール」を皆なでかけた状態で、どのような
社会を作ればよいか考えるべき>と主張した。 
 その為にロールズは、3つの原理を導きださせると考えた。
・1つが、「基本的自由の原則」で、個人の自由は原則的に保証され。
・2つ目が、「機会均等の原則」で、公正な競争の機会は平等でなければとし、
・3つ目が、「競争による格差調整の原則」。これは、最も不遇な人々の生活
     が改善され、調整されなくてはならないとする原則。
自由主義とはいえ、再配分を前提としなくては、不平の充満が爆発を誘導する
からだ。これに批判を加えたのが、ノージックで、<税金を集めすぎて富を
政府が集中すると国家権力が肥大化してしまうと考えた。国家はあくまで、
暴力、窃盗、詐欺などの侵略行為を防ぐにとどまる最小国家であるべき>と。
この考え方は「リバタリアニズム(自由至上主義)」という。これに対して、
サンデルはリベラリズムをリバタリアンとは違ったカタチで否定、批判した
のが、「コミュニタリアズム」である。<自分のコミュニティの倫理や習慣を
重視して暮らすべし。個人のアイデンティティは育った環境や、共に歩んで
きた仲間と切り離して考えることはできない> と、考えるに至る。
白人でもないし、黒人でもない自分は、生まれ育った場所、仲間が一番好き!
という素朴な心である。トランプ大統領の「白人第一主義」も、これに近い
のか? トランプは、アメリカ独立の理念を根こそぎ否定するから、自滅は
時間の問題としても、数年は要するから、困ったもの。「リベラリズム」の
キーワード、ひとつとっても、これだけ奥行きが深くなる。 この隙間に、
チンケの軍事独裁国家に好き放題にされるから、問題深刻である。
「基本的自由の原則」「機会均等の原則」「競争による格差調整の原則」など、
絶対的権力者にとって軽く全否定される戯言でしかない。そこは未だに、
臨戦の世界。これもまた、文明の相剋ということになる。スターリン、毛沢東、
ヒトラーも、知らない間に気違いに変貌してしまうが、絶対権力はそのまま。
数百万、数千万の大量虐殺に至る。50〜100年スパンで考えると、その時節に
到着しつつある? 人類の将来を考えると、人類の半分か、三分の二が、淘汰
され、生き残った三分の一が、新たな文明を立ち上げた方が?という悪魔?の
思想もあって然るべき。 それが21世紀とすると、特に今世紀前半は、過酷な
時節になるとしたら、第二次朝鮮戦争勃発も何ら不思議ではない。
国家を持たないクルド族、ジプシー、かってのユダヤ民族が、いかに悲惨か… 
リベラリズムもいいが、国家あっての国民ということを忘れないことだ。

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4930,パワレルな知性 ー8
2014年09月13日(土)
   * たけしの品格      『パワレルな知性』鷲田清一著
たけしの品格について、が面白い!たけしは、「この男はダメ!」がキャラ。
人間はすべからくダメな人間だが、それを良い人間、有能な人間のコスプレを
しているだけ。コスプレが、コスプレを笑っているのが娑婆の実態。 
これが分かってないから、世の中、他人が、歪んでみえる。
「歪んだのが歪んだのを歪んでいる」と今さら言うのが間違いの元。 
「たけしは、それを剥いだ有りのままを笑いで剥き出すことで、
己の品格を表現している」は、褒めすぎ?  ーその辺りからー
≪ 最後は言語学者らしくこう締める。 「『品格のある日本語』というのは、
 借り物ではなく、じぶんが一番よく知っている言葉で語られるものですよね。
方言なんかはとても品格がある」。つまり「品格」について語るその地声に
言い及ぶところに、金田一の衿持が現われでているとおもう。じぶんについて
語る言葉が信用できるかどうかは、語られるじぶんに対してどれほどの距離が
とれているかにかかっている。「離見の見」と高尚なことを言わなくてもよい。
何かについて語るとき、そのように語っているじぶんがどこから語りだして
いるのか、それについての明確な意識をもっているかどうかに、その言葉の
真はかかっている。何かについて語るとき、いつもどこか断片的であって、
語りつくさない。語りだすのは否応もなくつねに地上のどこかからであって、
語りつくすというのは、じぶんがこの地上のどこでもないある特権的な
場所にいると錯覚することである。 それこそ品格に欠けることである。
 これに対して北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、
それこそ綱渡りをしてきた。いきなり北野はいう。「どうしようもない人」、
これがじぷんにとっての最高の誉め言葉だと。「人から、『あこがられている』
と言われると、失望させないように自らを律したりするじゃない? 
そういうのが大嫌いで、頼むからあきらめてくれって。『この人はだめだ』って
言わせるためにわざわざ変なことをやる。『どうしてそういうことをするの』
って言われるのが一番好き」。北野もまた、この世の価値序列から外れる
ところに「品格」を見る。「みんな社会的立場上、言えない部分があるけれど、
俺の場合、お笑いというジャンルが隠れみのになっていて、意外に好きなことを
言っちゃっている」。たしかに、「トツプには立ちたい」けれど、そしてそれは
「すごく下品」なことだけれど、同時に、「何をやっても勝てない相手がいる」
ことは身に沁みている。だからちゃらんぽらんと見えるほど、いろんなものに
手を染めてきた…。 首尾一貫していないこと、立派な「先輩」と見られたら
すぐにそれを裏切ること、つまりじぶんを模倣しないこと、そういう囚われの
なさに肩肘張らない自由を見る。ここにもなるほど、みずからへのクールな
距たりがある。その距たりを構えずにほのめかし、北野は最後にこうつぶやく。
「いつも何か考えているけれど努力して考えているわけじゃない。魚に
『アンタ、いつも泳いで偉いね』とは言わないじゃない?」じぶんが壊れる…。 
そういうあぶない場所にじぶんをもってゆきながら、かろうじて身を持す、
ぎりぎりのところでみずからを揺さぶることのない人に、「品」はぜったいに
訪れない。… ≫
▼「まあ、お笑いの、たけし、だから!」という免罪符を取ってしまって
いるから、今さら誰も非難できない。こうなれば、好き放題、言い放題。
週刊誌も、『たけしに愛人!』など、今さら誰も興味を示さない。
昔の芸人は、こういう人が多かったというが・・ いつも、あぶないところに、
自分を置いてきたので、いやに、同感する。じぶんが壊れる直前に、常に身を
呈してきたが、実際のところ、既に壊れていたのでは? 
 〜ところで、三年前の一連のイベントからこの方、ギリギリ生きて
こなかった人格に、あまりに多く出会った! 輩をヘドロという。              


6391,閑話小題 〜「逃げる」ことも前向きである

2018年09月12日(水)

   * 「逃げる」ことも前向き!
 なかなか含蓄のある言葉。(特に私には) 今でいう、「断捨離」。
「節目をつくる」を他の言葉に切替えると、「積極的に逃げる」こと。
前もって組込んであるシェルターがあれば、「予定挫折」になる。自分を
追いつめ、崖っぷちで開き直り立向かうこともあれば、危いと思ったら、
逃げることも時に必要である。何かを得ようとしたら、何かを捨てることも
必要。本格的情報化の時代の中、「挑戦」「戦い」「変化」が必要になる。
 
 人生の基本は『孤独』。私たちは、宇宙に浮かぶ微細な一点でしかない。
自分の人生は自分でしか守れない。 そのためには、孤立し、孤独に徹して、
新たな挑戦をし、戦い、変化し続けるしかない。ただ難しいのが逃げ方。
「事前の一策は事後の百策に勝る」の、事前の一策が必要。 人生の目標が
あればこそ、確信を持って逃げることができる。「身を捨ててこそ浮かぶ
瀬もあれ」とは、捨て身になってはじめて活路を見出し、事を成し遂げる
ことができるということ。
 
 負け戦で有名なのが、家康の「三方ヶ原の戦い」。ここで武田信玄に手痛い
敗戦をした家康は、浜松城へと逃げ帰った。 その時、騎乗で脱糞していた。
その際に描かせたというのが、通称「徳川家康三方ヶ原戦役画像」。  
結局は死ぬ身。「逃げたって」「攻めたって」所詮は同じ。逃げてこそ、
次の挑戦の機会が出来ようというもの。 何が悪いかというと、
逃げる準備がないこと! 常に頭に最悪に対する絵図があるか? 
 
 逆も言える、「頭に最善の絵図」を持っているか?
私の最善の絵図の一つが、旅先での感動、至高体験。それが無くて、何が人生。 
至福体験、至高体験の蓄積が強力な磁石となり、そこに引き寄せられる!

・・・・・・
6025,明るく死ぬために ー2、ほどほどの人生で良いのか
2017年09月12日(火)
             ―「明るく死ぬための哲学」中島義道著―
   * 人生、ほどほど上手くいって死んではならない
・「人生、ほどほど上手くいっていた私が何故に?」 6年前の会社清算。
そこに至る直前の3ヶ月前までは、心の底では、思いもしなかったが、現実は
過酷である。 その答えは簡単、「事業を始めたから。一点集中に拘ったため。
バブルの波に乗り膨張、破裂しただけのこと。」 振りかえ見れば、丁度よい
引き時ということか。
・1990年のバブル崩壊は日本にとっての歴史的節目。応仁の乱、戦国時代、
明治維新、太平洋戦争の敗戦と匹敵する事態。 その上、21世紀初っ端の
9・11テロが文明の相剋(ユダヤ・キリストとイスラム教徒の争い)の号砲。
現在の中東の動乱で数百万人が欧州に難民として流出。ISによるテロが、
あいも変わらず続いている。同時に、数百年、数千年単位の、世界的大震災の
幕開けが重なっている。
・長岡空襲の廃墟の中、敗戦の5ヶ月後の1946年1月に生を受け、奇跡的経済
成長の環境下、「人生、ほどほど上手くいっていた」が、思いもよらない
「9・11テロ」・「リーマンショック」・「東北大震災」のブラックスワンの
到来。で、事業清算。 これらは、私にとって、陰陽の解釈が可能。
それは、「人生、ほどほど上手くいって死んではならない」というサイン?
せっかく頂いた80年の人生。 地球自らが創造した大自然の景観に数多く
触れることも重要だろうが、人類が知り得た真理を掘下げることも必要である。
・<「ほどほど上手くいく人生」は、寝転がってでも得ることが可能。
私たちは、いや私は、この「ほどほど上手くいった人生の虚構」を追い求めて
いたのでは。だから振返ると、全てが可笑しく、馬鹿しい姿が垣間見えてくる。
「人生、ほどほど上手くいって死んではならない」ということは、
「幸福を第一に求めてはならない、真実が第一で、幸福は第二にすべし」
ということ。哲学者なら当然のことだが、一般人は? 幸福第一ですか。
 たとえ話で、「地球散策の帰路の宇宙船内の回顧で、何と想うか」だ。
自己欺瞞がないではないが…
『 実に面白かった! 節目と、どん底。 数知れない旅先の〔至高体験〕。
 更にいうと、〔未知との遭遇〕! 』 

・・・・・・
4562, ポタリ、ポタリ、ポタリかな!
2013年09月12日(木)
 4月〜11月の8ヶ月間、毎朝一時間、4年続けて雨の日以外、合計
一万キロ以上も乗り続ければ、自らをポタリスト(ポタリング=自転車散歩)
と宣言してよいだろう。4年前になるが、「電動アシストのMTB
(マウンテンバイク)が、格安で、スポーツチェーン店から通販サイトで
売り出される」という新聞記事を読み買うことにした。そして乗って仰天! 
ママチャリを年に1〜2度しか乗ったことのない私が、その日を境に、
冬季間と雨天以外は、ほぼ毎日12キロは乗っている。 自転車で15分の
距離に信濃川があり、二つの大橋を一周して帰ってくると丁度一時間、
早朝の運動に最適である。ある本に、「江戸時代に舟に車輪をつけた陸舟車
というのが試作されたのが第一号」とあった。さしづめ電動アシスト自転車
を舟とすると、エンジン付きカヌー。手で漕ぐか、脚でペダルを踏むかの違い。 
この自転車に出会うまでは、自宅から300M先にある栖吉川の土手を30年近く
ウォーキングをしてきた。ところが、道路拡張工事で散歩道が数年間も交通
ドメになったタイミングに、電動アシストのMTBを購入。一気に、4キロ
程先の信濃川まで行動パターンが広がった。電動アシストのうえ、MTBの
車種が良かった。 軽くて、小さくて、小回りがきいて、6段変速ギア。 
変速ギアのついたスポーツ自転車も一度も乗ってないうえに電動アシスト。
驚くのは当然である。 東京在住の学生時代のゼミの後輩がカヌーの愛好家で、
数年前、車にカヌーを積んで新潟にきて、阿賀野川河口と、寺泊の浜辺で同乗
させてもらったことがある。それもヨットカヌー。彼の別荘が川口湖にあり、
長年、乗りこなしていた。羨ましいと思ったが、今さら私には無理。 
そこで、スポーツ自転車を陸のカヌーとみたて、電動アシストにすればよい。
早朝、電動アシストの力を借りて、信濃川の土手を飛ばすのも快感。 
乗っていると、自分がいかに軽く小さい存在で、空中遊泳をしているような
感覚になる。現在のものも限界に近づいてきたので、消費税のアップ直前の来春
2〜3月に、もう一台を買う予定にしている。クロスか、折りたたみのMTBか、
電動のついてない10数万の高級車か? それまで半年間の選定が楽しめる。
これを購入すると胸を張って、「古いMTBと、クロスバイクの二台を持って
いるポタリスト」と宣言ができる。車やオートバイで高級車といえば数百万だが、
自転車では、30〜50万も出せば超高級車、十数万なら高級車になる。
ーブログ内の検索で、以下のような文章があったが、時間の経過とともに
内容が濃くなっている。一つのキーワードで検索で過去分を拾うと、
書き遺した価値が味わえる。肌で風を切ると、頭が冴えてくるのも良い。
 低空の飛行艇のようにも・・・ 少しオーバーか!
・・・・・・
2013/07/29
スポーツ自転車の勧め! ー4               
   * マウンテンバイク    「自転車で痩せた人」高千穂 遙(著)
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを
走るため、特徴は丈夫かつ軽快さである。ただ値段の安さに惹かれ買ったが、
私の毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の
 マリン郡で、ヒッピー達がビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、
急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。同時期に
北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、
一つのジャンルの大量生産で一般に広がっていった。MTBの定義は、
【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の
乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等
の向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途に
よって様々な形態が存在する。】である 》
▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。
 それとママチャリと同じく、普段の生活でも使えるマルチのところがよい。
親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場では、
丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家は「モドキ」
とか「ルック車」などと呼んでいて、良いイメージはない。その見分けは
デザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのもある。
私のようなスポーツ車初心者に向き。 まずは軽く小回りがきき、乗りこなし
がスムースが入口になる。 次は、クロスバイクにするつもりだが、折畳み式
も捨てがたい。スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな
生活の中で、これはソロで出来る手軽な趣味になる。 早朝に加えて午後から
のポタリングの習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に
使うことも考えてよい。趣味としてポタリングにするとなると、違った切り口
が出来てくる。それより、まず事故に気をつけなくては。これまで色々なMTB
を見て、デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていた。
――
スポーツ自転車の勧め! ー3 ー2 ー1は、
字数制限でカット(バードウォッチにコピー)          
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2013/06/25
電動アシスト自転車に乗って、はや4年
 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。ーまずは、その時の文章より 
   ー3131,期待どおりの電動自転車 2009年10月31日(土) 
≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。
 自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、長岡駅前から歩いて20分のところ
にある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコに15分、
ユニ系SCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前近く
まで戻って、家に着いたのが50分後。万歩計をみると2500歩になっていた。
50分というと5500歩になるから、半分近くになる。疲れは、ウォーキング
と同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。
一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど乗ることはなかった。
そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの
自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力を
かけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要する
が、その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。
コースは線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、
大きな橋までの登り坂とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの
道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。
 ところで、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた
長男が「すぐに、盗まれるよ!」というのも分かる。小型のためボックスカー
に、簡単に乗せる事が可能だからである。一年ほど前に、家内に電動自転車を
買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。あと
数年先がよいと思うよ」といって、買うのを止めた経緯もあった。
スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫
▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング
(ミニサイクリング)に切り替えた。同じ一時間で、コースは東バイパスから、
長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、
長岡大橋に戻り、同じコースを逆コースで帰ってくる。 冬期間(12〜3月)
と雨天を除くと、ほぼ毎日、乗っている。大よそ、年に200日として7百回以上、
一日、14キロで1万キロ、地球を半周も走ったことになる。 スポーツチェーン
のネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって大当たり。
現在は値下げで49800円。もうボロボロだが、何とかあと一年使って買換える
つもり。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。
 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを
買うつもりだが・・ 自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプ
などがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。来年の購入予定は
ナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴き
ながらの早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。
最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。
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2013/03/27
閑話小題 −つれづれに
 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿
はないのは寒いためだろう。分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、
日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。 毎日15キロ、
一年200日として三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車は
ボロボロになって当然。リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で
一日が限度。この買換は一年後の予定?だが、持つか?  あと一年で4年で
一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の
花壇にいたカラスに、小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根を
そば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ 
メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは・・・
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2012/08/21
つれづれに
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の
大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。
車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身
麻痺で自走式車椅子。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、
背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。
本人は不在で、まさか聞く訳もいかないし、そのまま遣りすごしたが。
その前に何か(熱中症とか?) あったのだろう。ポタリングを始めて4年目
になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。
去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。
燕も少なくなった。多いのはカラスだけ。 
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2012/06/15
閑話小題 
  * 自転車のパンク
 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、
年に二回はパンクをする。たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで
自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと割り切っている。
一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。昨日もパンクを
したので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を
聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため
次世代が店を継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、スーパーが
大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。パンクの修理時間は平均、
20分。それで千二百円は悪くないが、私の見立てでは一日4〜5人。
奥さんがパートなら兼業商家なら何とか?
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2012/04/14
閑話小題
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた
4月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから
7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、
午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の
組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車
の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、
お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート
フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ
変え始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。


6390,心に残った言葉 〜とにかく全部書け! 〜2

2018年09月11日(火)

* とにかく毎日書け!
 「いま、ここ、わたし」は、過去、現在、未来も同じく永遠に垂直に立ち上がる。
一テーマを書き続けた後、5年、10年、15年後に読返すと、何気なく書いた内容が、
読返す度に違った視点に変化する。何もかもを書きだすプラス、マイナス面がある。
22歳から24歳にかけての具体的日常の細事の記録こそ、半世紀を超えた魂の宝。
 人生の変り目の感情と理性そのままの心象風景の記録は、現在の自分の心底で
共鳴する一番の話し相手。例えば「1968年10月」「青雲寮」の検索で、当時を呼び
出し可能になる。 この随想日記は、「とにかく一テーマの自分で納得する文章を
書きつづける!」が、目標。旅行中は、身近な人に頼んで、書き下ろしていたのを、
コピペをしてもらって凌いでいた。「とにかく毎日書きつづけろ!」 
全部じゃないとしても!
以下の文章は、16年前に書いた、50年前の日記の内容。具体的メンバーの名前と、
一日の記録が記されているにすぎないが、私にとって銀色に輝く青春の魂の記録。
しかし、もっともっと具体的な心象をの全てを書いておけば良かった。
その中でも、比較的に具体な一日の描写があった。当時の非日常のため記録した
のだろう。書き記してないと、忘却の彼方に消えていたはず。

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< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。自家用車持参のゼミ員の車で、
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスへ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
―――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >

―
▼ 孤老化している使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
 「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分の
 テーマ日記の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけて
きて良かったと実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いては
いるが、やはり、公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、
偽善の内容になっていくところが絶妙である。公開すると、それが即、
見抜かれるため、シリアスかつ、露悪に成りざるを得ないのである。
エゴまるだしの「このバカが!」と思われてこそ、面白い筋立てになる。 

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5658,『エゴの力』�◆ 疏輜�
2016年09月11日(日)
          『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * 『エゴの力』�◆ 疏輜�
 「エゴ」といえば、日本人にはマイナーな印象だが、包丁と同じで、使い方
次第でプラスにもマイナスにもなる。綺麗ごとで人生を切り開けない。
「健全なエゴを如何に内に育てる必要性」を著者は説く。江戸幕府は士農工商
の身分制度の中で、エゴを抑えることが美徳とされた。考えないこと、他人と
同じであることが、第一とされていた。<エゴイスト>は、社会から抹殺される
環境にあった。  =アマゾンの内容紹介=
《 織田信長もイチローもヘミングウェイも…成功する人物はみんな真っ当な
“ジコチュー" 「怯むな」「おもねるな」「諦めるな」悔いのない人生を送る
 ための新たなバイブル!【人生を決めるのは神でも仏でもない。己の感性だ】
・思いつきが報いられる組織は伸びる ・織田信長こそ完璧な自己中心主義者
・感性を磨きたければ趣味を持て ・強固な自我で老いと向き合う名選手たち
・恋心というエゴの恐ろしさ ・浪費こそが最大の貯金
・日本という国の「エゴの資質」 etc…
恋愛、結婚、進学、就職、転職、起業…人は人生の岐路で悩んだ時、第三者の
助言やマニュアルを頼ろうとするが、結局何を選択するかを決めるのは自分自身。
その人の「エゴ」である。つまり、失敗しない人生を送るには強くて健全なエゴ
を育てるしかない。博覧強記の著者が古今東西の文献、偉人の足跡からその人物
のエゴが光り輝いた感動的瞬間を蒐集。人生の定理とともにエゴという力の
蓄え方がよく分かる画期的自己啓発エッセイ。
▼ 私の身近にも、「エゴの塊」のような人がいる。エゴイストほど、それを
 オブラートに巧妙に包む知恵がある。エゴとは、その人の感性というが、
理性ー>悟性ー>感性の三重構造のベースを、自ら明確にしておくべきである。
個性は、この三重構造のベースそのものと言える。創業、起業は、「エゴイスト」
に徹しなければならない。そのカエリ矢が、今になって次から次へと、突き
刺さってくる。だから、日々が面白いのも事実。極限を超えようとする時に、
エゴが顔を出してくるのは、誰もが経験すること。エゴを蔑む人は、極限に
立ったことの無い人だ。俗にいう、「世間様たち」「行動範囲数十mの人たち」。
家内に言わせると、そういう人が実に多いらしい。 ジムと近所のSM以外、
何処にも行きたがらない人たち。 そういえば、最近の私も似たようなものか。

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4928,パワレルな知性 ー6
2014年09月11日(木)
     * 人間の持つ二重性    『パワレルな知性』鷲田清一著
 「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも1トンの塩をいっしょに
舐めなければならない。」と、須賀敦子に諭したイタリア人の姑の言葉が、
古典や人とのつき合い方についての根本を示している。人間は、40億年の
生命の進化の歴史を背景に持つ複雑怪奇な生きもの。自分の中にある
グレーソーンに多くの何かが隠されている。 ーその辺りからー
≪ ・・白黒つけられないこと、グレイゾーンにあることこそ、じつは大きな
 意味をもっているのではないかとおもってきた。「噛みきれない想い」を
抹消しないこと、それが思考の次のステップの火床になるのではないか、と。
そのことを日常のさまざまな局面で確かめてみたかった。わたしは子どもの
頃から、物ごとを見るとき、表面上の意味とは反対の意味を背後に透かし
見る癖があった。その癖の源となったのは、幼少期のある体験である。
 わたしは、京都の下京区という下町の生まれである。お寺が多く。
そこを通り抜けると島原という花街があるという土地柄で、わたしは子ども
のころ、若い修行僧や芸妓さんとよく道ですれ違った。修行僧は冬でも裸足
に草履履で、服装もきわめて簡素で、逆に、芸妓さんはきらびやかなきもので
着飾っていた。子どものころのわたしは、「お坊さんは寒いのに可哀相やなあ」
とおもい、「芸妓さんは優雅やなあ。おいしいもの食べ、きれいなきもの着て」
とおもったものだ。 しかしその後、そうした表面的な印象とは逆の面が
見えた出来事があった。
・一つは、祖母から「お寺さんは貧相な格好に見えるけど、わたしらが知らん
 『浄土』という、この世にはない幸福を知ってはるんよ」と言われたこと。
・もう一つは、芸妓さんがお座敷に出る前に地味な洋服姿で銭湯に行き、
 帰り道にお宮に参って「早う故郷に帰れますように」と祈っている姿を
 見たことである。
貧相の極みに見えた修行僧の心にはこの世ならぬ幸福があり、豪奢の極みに
見えた芸妓さんの心には寂しく哀しい想いがあった。わたしはそのことを
知って、「物ごとって、見た目だけやないんやなあ。わからんもんやなあ」
と、世の中に対する見方が少し変わった気がした。わたしが哲学の道に
進んだのも、子どものころから身についた‘物ごとの裏側を見透かす癖'
が遠因となったのかもしれない。・・・ ≫
▼ 実家が衣料小売商をしていて、4階建ビルの3Fに4〜10歳まで育った
 ため、日常が戦場真只中! その上に両親を含めた10人家族と、住込み
従業員が4Fと2Fに同居していた。更に猫と、猿と、犬が、同居とくれば、
まさしく小説の世界。そこで、子供ながらに、様々な不条理の場面を見てきた。
子供でも、裏と表が分かるのである。そこでは、まずは自分を自分自身で守る
しかなかった。その中で姉たちは、成績優良だったから、いま考えると不思議。
その末っ子となれば、「沈黙こそが金」を身につけざるを得なかった。
全てがグレーゾーンで、裏も表も、斜めも、底もある生々しい世界で、娑婆
そのもの。それが、その後の社会経験の中で、危険な場面を乗越えるノウハウ
になっていた。 直感的リスク管理が、幼児時代に身についていたことになる。
人間科学を学び続けて知ったことは、『人間の持つ多重性』である。 
幼児、少年時代の、この体験の上に、学生時代の寮生活と、武澤ゼミの
「ケーススタディ」が加わっていた。今回の節目の一連の構えを備えていた
のも、それらの蓄積があればこそ。人間の持つ多重性の奥底を知ればこそ。 
で、この結果、この様だから、何を言わんか。それにしても、見え過ぎるのも、
面白い反面…?奇妙なもの!
 後記)ところで、読み返してみたところ、私の内容の方が中味が濃い? 
    いや、丁度よい? 悪い?
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6024,明るく死ぬために 〜1、まずは内容紹介から
2017年09月11日(月)
        『明るく死ぬための哲学』中島義道 (著)
 この春に出たばかりの、中島の本。「どうせ死んでしまう」と、死に対して
異常なほど恐れ慄き、逆に直視して、どこまでも堀下げている。死のイメージ
は暗く、絶望に満ちている。あれだけ気丈の人が、目先に余命を告げられると、
その恐怖に、恐れ慄く。数十年、いや、一生かけて自問自答して、自分自身で
土台を構築をしておくべき問題である。「人間は死なない。なぜなら自分が
死ぬことを見ることができないから」というエピクロスの言葉が実に納得できる。
 成るほど、70歳を過ぎると、後方から前方に回って近づいてくるというが…

  ー内容紹介ー
 私が住んでいる世界、私が見ている世界は「このようにある」のではない。
客観的世界のあり方と、「私がある」というあり方はまったく異なるのだ。
「私がある」とは、私がこの世界には属さないということである。
では私が死ぬ、とは果たしてどういうことなのか?
私が死ぬとき、私は新しい〈いま〉に直面する――。
子どものころから死とは何かを問い続けてきたカント哲学者が、
古希を迎えて改めて大難題に挑んだ哲学的思索。
 はじめに
1章:古希を迎えて
2章:世界は実在しない
3章:不在としての私
4章:私が死ぬということ
  =Amazonビュアーより=
《 中島哲学に最も共感を覚えるのは、それが死を ―とりわけ「私の死」を―
 モティベーションとしている点である。「哲学の最大問題は死である」という
中島の言葉には全く同感であるし、ともすればタブーになりがちな死を真正面
から論じているのは哲学だけであろう。「死がなければ哲学もなかった」と
ショーペンハウアーも言っている。
 一般常識によれば死とは「世界から私が消滅し、私の死後も世界は存続する」
ことを意味する。しかし中島はその残酷さに耐えられなかった。そして二つの
突破口を見出す。
・一つ。世界はそもそも実在しない。よって私が死んでも私は何も失わない。
・もう一つ。私はそもそも実在しない。実在しない私が消滅することに意味はない。
 中島は自分が消滅して世界が存続するよりも、自分の死とともに世界が消滅
する方がまだ救われるというようなことを言っている。しかし自分は全くそうは
思わない。どうせ自分が消滅するなら、むしろ世界は存続してほしいと思う。
そのせいもあるのか「世界は実在しない」という中島の一方の戦略は、それが
正しいか否かは別にして、少くとも自分にとって死の解毒剤とはなりえなかった。
 むしろもう一方の「私は実在しない」という戦略の方が、自分にとっては
はるかに有効だと思われた。もっとも「私は実在しない」という議論自体は、
それほど目新しいものではない。サルトルは対自存在としての私を「無」として
定義したし、永井均の自我論もとどのつまりは<私>を身体や記憶とは無関係な
「世界の原点」として位置づけている。ドーナツの穴はドーナツを食べても
何一つ傷つかない。 しかしながらもう一つ、中島の指摘していない突破口が
あるような気がする。それは「私にとって死は実在しない」というものである。
 死は必ず他人に訪れる。私が死ぬとき、私はもうそこにはいない。エピクロス
が言うように「死があるときわれわれはなく、われわれがあるとき死はない。
よって死とわれわれのあいだにはいかなる関係も成り立たない」。
私と死はあくまでも無関係にとどまる。そもそも私が死ぬことは証明されていない。
未来は常に不確定であり、私と他人はあくまでも別人である。しかるに今まで
死ななかった他人が一人もいないという過去が、私の死という幻想を未来に描き
出す。死の絶対的確実性は、過去と未来の同一視、他人と自分の同一視という、
実は何の根拠もない二つの倒錯に由来する。 その倒錯は、おそらくは言語に
よってもたらされた(この点では中島と一致する)。死は言語というプログラム
において不可避的に発生したバグである。死が誕生した経緯をひもとけば、
それが幻想に過ぎないことが分かるかも知れない。もっとも分かったところで、
それを消すことはできない。死を忘れるということは、人間であることをやめる
ということだ(それでも死を忘れることができれば、人生はどんなに明るく
楽しくなることだろう)。
――――
▼ これまで、挫折し、打砕かれた時、〔どうせ、死んで無に帰すのだから〕と、
 解毒剤にしてきたが、解毒剤そのものが、激痛の元になる? 平均80数年の地球
滞在が終盤に至ろうとする現在、「世界は世界として、ありのままにいて欲しい」
というのも、観念でしかない。「そこそこの人生なら、その真逆の人生が良い」
と、死は教えてくれる? それを信じて疑ったことにない私に、最後の最後に、
『神が教えてくださった!』 何を?『ほどほどの人生は、ほどほどにしろ』と。

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