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堀井On-Line
| 6389,心に残った言葉 〜とにかく全部書け! 〜1 |
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2018年09月10日(月)
* 未来とは、今である。 ーマーガレット・ミード― この随想日記を含めて、ダイアリーなどに小まめにメモをする習慣があるが、 数年前からは、この二つ以外のメモをすることが少なくなっていた。何でもいい からメモは、その時点時点の心象風景を表現している。随想日記に全身全霊を 入れているため、日々の魂の刻印になる。それを毎朝、書きしるし、過去の同月 同日分の幾つかを読返すのは、内省になる。その上、キーワードでHP内検索が 出来るのが非常に便利。 例えば『娑婆』と入力をすると、17年分、6千数百の テーマの中から文章を検索、羅列してくれる。正しく「未来とは、今である」 として、いま現在、考え、書いていることが未来の今に、再会可能にしてくれる。 ネットサーフィンで、ある名言集のブログに、「未来とは、今である」があった。 毎日、書き続けるのは、今を未来に刻印することでもある。目標、夢は必要と 明確に示した内容である。
≪ 将来の夢や目標が明確になっている方は、 いまやらなければいけないことも、おのずと見えるもの。 一方で、まだ将来の目標が定まらず、 いま何をしたらいいのか悩んでいる方も多いとおもいます。 わたしのまわりでも、 「今後のために いま何をすべきなのかわからない」 という話を聞くことがあります。 そんなとき、映画『メンフィス・ベル』のシーンをおもいだすことがあります。 『メンフィス・ベル』は、第二次世界大戦中の英国にある米軍基地を舞台と した映画。とても危険な任務のなか、爆撃機「メンフィス・ベル」は、これまで 唯一、24回の出撃を無傷でのりきっています。25回目の任務を終えて故郷に帰る ため、最後の飛行に向かう10人の若き乗組員のストーリーです。 最後の目的地に向かう途中、メンフィス・ベルと並んで飛行するのは 初出撃となる「マザー・アンド・カントリー」。 その新人無線士がメンフィス・ベルの無線士ダニーに無線通信をおこないます。 新人「 こちら、マザー・アンド・カントリー メンフィス・ベル応答願います 」 ダニー「 何事だ? 無線は緊急用だぞ 」 新人「 すみません、ちょっと質問が飛行日誌についてですが、 無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも。」 ダニー「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」 新人「 どうも、お邪魔を 」 このシーンが今でも気になるのは、ダニーの 『 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる 』という言葉。 それは、人生にも当てはまるのではないかと感じます。すべてを書き留める ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、 感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。 だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち 込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。
若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに 全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。 その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを 学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。 ≫
― ▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き 留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。 「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。
・・・・・・ 5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年09月10日(木) ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 私の物語、私が書かずに誰が書く 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、 バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。 それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き 残したもの。あとで余禄も書いてあったが。 〜その辺りから ≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、 自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界 の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、 同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の 物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットやヘンリー8世と いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。 私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の 目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。 それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく 誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。 私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。 私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない 脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が 「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。 私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。 そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、 私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを 読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。 私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。 その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか… それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の 本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。 そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、 わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、 故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する 侮辱なのである。・・・ ≫ ▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。 物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、 他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、 壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。
・・・・・・ 4927,パワレルな知性 ー5 2014年09月10日(水) * 専門主義と、教養 『パワレルな知性』鷲田清一著 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に 影響する経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、 音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の 自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ること を可能にする。見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。 ーその辺りからー ≪ 学者や専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、 専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外 の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度は とれなくなってきた。 ・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、 じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうの プロというのは他のプロとうまく共同作業ができる人のことであり、彼らに じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと 伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けること のできる人だということになる。一つのことしかできないというのは、 プロフエッショナルではなく、スペシャリストであるにすぎない。 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロで ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。 「教養」とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てる ことができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの 異なる視点から問題を照射することができるということである。このことに よって一つの知性はより客観的なものになる。そのためには常日頃から、 じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、心懸けて いなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいい アンテナを張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族が もっている感度の良さが必要である・・≫ ▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口 の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事 にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた 習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。 それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。 知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?
・・・・・・ 6023,閑話小題 〜相撲談義 2017年09月10日(日) * 今日から大相撲… ・今日から大相撲が始まるが、4人の横綱のうち白鵬を含めた3人が休場で 興味は半減。まだ白鵬あっての大相撲。 若手が力をつけてきたが、横綱の器 は、見当たらない。休場が多いのは、結論でいえば、『ガチンコ(真剣勝負)』 が、拙いということか。 所詮は興業の世界、みる方からすれば、真剣勝負が 面白いが… やる方からしたら大変である。 ガチンコ相撲を見るにつけ、 朝青龍が不祥事で追放された幸運もあるが、白鵬は褒められて然るべき大横綱。 腕白相撲、高校相撲をみていると、強そうなのが多い。それと、若手力士にも 多く見かけるが、まず目先の大関、横綱の既存体制を維持しないと。 当然、上位陣に強いのが勢揃いするが、ここは死闘の場。 張り手が、上位の 特権のように使われるが、相撲は番付階級社会。下位力士が上位に張り手は、 やり辛い。やれば、稽古場で、リンチ状態の「可愛がり」が待っている。
・奇数の隔月に15日間、相撲がTV中継をしている。その間、平均して2〜3時間は みているが、特に4kTVを入替えてから、臨場感が格段アップしたため、面白さが 増したことは、何度か、ここで書いてきた。特に「初日」と「千秋楽」の緊張感 が良い。また土俵の溜り場の観客の服装と表情と反応。そして、待合の付人や、 呼出し、行司の所作も臨場感を醸し出す。
・解説は「北の富士」が特に秀でていて、次は「舞の海」。先般亡くなったが、 「千代の富士」と、「元・大乃国」辺りが良い。 相撲ファンの「有名人」が、 放送に加わるのは「当り、外れ(適、不適格)が大きく」いただけない。 ・大相撲をテーマにすると「ああ、私も歳をとったもの!」と、自ら思いしる。 幼児の頃からラジオで取組を聞いていたので、ファン歴は65年にもなる。 特に最近、横綱、三役より、幕下、十両の若手の有望な力士に興味がいくのは、 老いたためか。相撲取りは、潰しの効かない、大怪我の危険を伴った格闘技。 将来を考えたら、躊躇する職業。好きだからこそ、選択するとしても、だから 応援したくなるのだろう。
・・・・・・ 5657,閑話小題 〜SJの現場で!ー�� 2016年09月10日(土) * 週、5回のヨガにチャレンジ 先々週は週に5回、先週は4回、続けて参加したが土曜日の5回目の予約チップ を2時間半前に取りに行ったところ、既になく、目標達成はならずなかった。。 今週は、4回続けてきたが、今日は如何に?と思いきや、先週同様、昨日から 腰痛が出ている。 過ぎたるは及ばざるがごとくで、週4で十分が実感。 先日、ヨガの待合の行列の前の同世代の人に、知りあいが声をかけてきた。 『週に5回、出席しているが、欠かさず参加して何が良くなったか、今のところ 分からない』と。私の実感と同じような疑問。先週の土曜には、少し、腰痛気味 だったため、予約チップが無かったのが良かったと思っていた。 そこで、行列の間、同じ状況の私が答えは何だろう?と、暇にまかせて考えた。 『効果云々は、その人によるが、週5回は、毎日になる。好きで、調子が良く なければ、出来ないこと。思うに、<大好きになるため>ではないか。 大好きになれば、参加する理由はなくなる。理由は<好きだから>になる。』 大好きとしても、週5がキツイなら、週4に減らせばよい。週3回、予約チップ を取りに行くのもキツイなら、それだけ好きになれないとことになる。 これは、人生すべてに言えること。継続は力であり、愛であり、知恵の母である。 連日、続けることが出来るのは、集団でこそ可能。意思薄弱な私に、独りは どだい無理。 蓄群と、群れる人たちの弱点を突きながら、自分は、群れヨガに 参加している。何をか言わんやである。 添乗員の付く、ツアーに参加して 世界の僻地に行けないのに、こと日常生活で、群れたがる人たちを冷ややかな 目線で見ている私が、ここにいる。 「集団セルフマッサージ」として費用 効果としては、最善だが。腰痛からして、今日は止めにする。 お暇なことで!
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| 6388,閑話小題 〜まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑 −2 |
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2018年09月09日(日)
* 本当にどうなってる このテーマを書いてから一月以上が経つが、その後も、大阪直撃の台風と、 北海道の大地震が続いている。それも前回、書いた延長上の地区と捉えることも 出来る。さっそく、この異常気象に対する特番が幾つか組まれているが、当然の ことだが、オウム教の死刑執行に関連付けてはない。地震と台風との微妙な関係 は実証が難しいため語られないのだろうが、地球規模の温暖化によるオゾン層 破壊に関連しているのだろう。今世紀中まで、人間がつくり上げてきた世界の 終焉の仮説も立てておくべきでは? ― * 何とも面白くなってきた! 現在、モンゴル相撲に占拠されていた大相撲。 2人のモンゴル人横綱と、 大関の上位のアドバンテージ(張手、肘打ち風カチ上げ)の有効活用と、 逆に下位力士が張手が出来ないように稽古土俵で連合して潰しにかける暗黙の システムが露呈。それにあやかっていた日本人横綱、大関まで、引退の瀬戸際。 それがTVで映しだすため、彼ら自身が大混乱に陥ったアヤを楽しむブラックを 楽しむのが何とも味わいがある。ところが、先場所から、大関以上が開き直り、 アドバンテージを再開。さて今場所は? 数場所内に稀勢の里。来年中に白鵬、 鶴竜が引退が順当だが、二年後の東京オリンピックまで現役の目標があるため、 平成5,6年生まれと、彼らとのサバイバルが、面白さを倍増させてくれる。
・・・・・・ 2018年 8月4日 閑話小題 〜まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑
* ますます災害の頻度が増していく オウム教の教祖と側近の幹部の大量の死刑の一週間後に、 ・中国、四国地区で豪雨が発生、(以下にコピー…) ・その一週間後に、関東から上陸、左折して東海に向かう不自然な台風。 ・その一週間後に、関東をかすって、右旋回をして東北の海岸沖に向かった。
コジツケだが、オウム死刑囚の刑場を三回に分けて周ったことになる? 何かしら不思議な因縁の現象と思えないでもない。としても、形而上、表現しては ならない仮説だが。恐らく信者の何割かは、この仮説をたてて当然。台風の季節 到来としても、毎週欠かさない到来。「バカバカしい」で終わる話だが。 まだまだ物語が、続いていくのだろうか… こういう世界的異常気象などが頻繁に起きている時節に、何故か、トランプ、 プーチン、金主席、中国の習主席の顔ぶれが並ぶ。そして矢継ぎ早に、愚策が 公然と実施され、世界が息を飲む図式。世界的異常気象、本格的ネット社会の 到来、そして情報機器の果てることない進歩が、20世紀的社会構造を破壊する。 で、オウム教のようなカルト教団の勃興と衰退。
NHKBSプレミアムで5年前から【幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー】 の科学ドキュメンタリー番組がある。先日、この番組で、アメリカでは屡々、 社会現象としてUFO騒ぎが起きているが、これは第二次大戦以降から始まった。 国家には、神話が存在しており、そこにはミステリーな物語が存在している。 しかし、歴史の浅いアメリカでは、それに替わる物語として「UFO、宇宙人との 遭遇騒ぎが代行している」と… オウム教と、この豪雨、台風を関係づけるのも、 カルトに手助けになるため、この辺りで打ち止めにする。 ― 寅:7月末に、俺がさ、何か変?と、取上げただろう。その後さ、その変が、 延長して続いていないかい? 熊:最後の、東北の海岸線への台風も仙台の刑場と、辻褄があってるね。 八:それがカルトの教祖の手軽の手法さ。でも、大本教祖の出口王仁三郎が、 <空から火の玉が降ってくるぞ>と予言していたが、そのとおり、東京空襲、 広島、長崎への原爆投下で、現実になってしまった。 寅:変な予言めいたことを言う前に、上手く隠したね。これもコジツケ? 大家:そう見れば、少しは面白いが、何か八つぁん、変じゃないか。 前回の文章で、<魂で、対象の魂を屠る!> って話。あれ、やられた方は 堪らないよ。でも、私も、あんまり腹が立ったんで、やってみたよ。 10回でも、スッキリしたね。但し、アンタにね。
・・・・・・ 4559, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー3 2013年09月09日(月) * 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が 絡むので、集団は非常に複雑でデリケートで、その研究から人間の本質が垣間 見ることが出来る。平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。 極限の生活で生きていく上で、常に分かち合うのが合理的であるからだ。 しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を生み出し、さらに グローバル化が、それに拍車をかけている。 ≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、人食いとか カニバリズムは見たことがありますか。 関野〕うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。 たけし〕「人食い人種」とか言うじゃないですか。 アマゾンやニューギニアで、そうした風習はなかったのかな。 関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことは あったけれど、それを食べたかどうかは分からない。生贄にする人間は、 誰でもいいわけではなく、強い戦士でないといけない。 勇気をもらうとか、 そういう意味があるんです。しかし、アマゾンで生き延びるために相手を 殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。理由は、 アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは 餓死することはあり得ない。・・・ たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、 慰謝科として何十万円か払ったら、次のレースから子どもを放り投げようと して侍つている奴がいたらしい。そういうバカなことが起きてしまう。 関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源は40年以上も前に ローマクラブが声明を出しているのに、経済が絶対的に右上がりでなければ いけないと思ってしまうのは、やはり欲望のせいでずよね。欲望が膨れ上がる ことによって、一部の人たちたけが富を独占しようとしているのが現代の社会。 アマゾンの人たちと暮らすと、すごく平等なんです。僕は人間が誕生した時に 平等でないと滅ぴていたと考えています。 なぜかというと、まず弱かった ということが挙げられます。太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われて いたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、 狩猟なんかできなかったと見ている。】 ▼ レヴィ=ストロースの構造主義などがある。アフリカや南米で残っている 「未開人」の地に何千年も変わらない社会がある。そこは彼らにとって意味の ある極めて合理的な社会である。決して、西欧が文明の最先端にいるのでは ないのである。その社会の特徴は平等。文明社会は変化の積み重ねの結果の 産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が続いてきた。 そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。 その熱い社会の方が優れているという進歩史観に促われてきたが、それを 根こそぎ覆す説こそ見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が 出ているからだ。 私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、 追い越せで必死に生きてきた。そしてバブルの崩壊から、失われた20年から、 30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、未開社会にある「冷たい社会」 のシステム。 ここに至って何が「東京オリンピック」である。 あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。 「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない 劇薬であり最後のトドメ。年寄の冷水(酒)か? 「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。 先がない私たちには、これでよいが? 「それでは、落選した方が良かったか?」と、問われれば、 どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか! ・・・・・・ 5291,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年09月09日(水) ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号) 〜心肺停止になって考えたこと 8! 中村うさぎ ☆ 「口先コミュニケーション」 6月号を読んだ後、逆順の5月号の内容になる。私同様に、彼女もまた 世間様といわれる人たちを蛇蝎のごとく嫌っていて、その理由を、わざわざ、 「口先コミュニケーション」と項目を立てている。何も考えようとしない輩。 その言葉が、自らの想いや考えを伝えたり、まとめる手段ではなく、適当な 世間話の手段でしかないことを指摘する。彼らは、他者の理解など出来ようも ないし、必要もない。何故なら、会話と対話の差異を知りようもないし、 対話など死際での家族とのやり取りか、窮地に陥った時ぐらい。『新潮45』 の読者にも、世間様が存在することもあって、「口先コミュニケーション」 というお品のよい言葉にしたのだろうが、この一連の彼女の手記の多くが、 ドブネズミたちに言いたいこと、そのままが素直に書かれている。 〜その部分を抜粋〜 ≪ 私には、人の気持ちがわからない。同じ世界に生き、同じ空気を吸って 同じ場を共有し、同じ風景を見ているつもりでも、おそらく私の目に映って いるものと他人の目に映っているものはまったく違っていたりするのだろう。 我々は「主観」という名の脳内世界を現実世界だと思い込んでいて、 それがどんなに歪んでいても気づかないし、たとえ間違いを指摘されても おいそれとは自分の世界を描き変えられない。 こうして我々は、すぐ隣で 肩を並ぺている人とまったく違う風景を見ながら同じ体験を共有している気分 になっているのだ。そして、同じ風景や体験に一緒に感動しては、相手と心が 繋がったように錯覚している。本当は、それぞれが全然別の物語を生きている というのに。ああ、諸君。このようなことを私はずっと以前から了解していた はずだし、他人が感じていることと自分が感じていることは違うのだと己に 言い聞かせ、それを思い知らされるようなことが起きても動じない心づもりで あった。 『が、実際には、私は何もわかっていなかったのである。』 その証拠に今回、自分を理解してくれていると思っていた人々がまったく 理解もしていなければ信頼もしていなかったこと、私と仲良くしてくれている と思っていた人が私を蛇蜴のごとく嫌っていて陰でその心情を吐露しまくって いたことを知って、心の底から驚いてしまった。こんなのは世の中によくある ことなのだろうが、少なくとも私にとっては近年まれに見る出来事であった。 何故なら「周囲の人々」は心にもないお世辞や表面的な社交辞令などを言わず、 むしろ毒舌と呼ばれながらも本当に思ったことしか口にしない人々であり、 しかも言いたいことは相手に面と向かって告げる人が多いので、今回私を 驚かせた人々がずっとやっていたような口先だけのコミュニケーション作法 をすっかり忘れていたのだった。 だが、諸君、私は問いたい。 言葉が自分の想いや考えを伝えるものでなく、適当に相手をごまかすための ものならば、我々は他人の言葉の何を信じればいいのか。そして、そのような 口先コミュニケーションが世間一般の常識なのだとしたら、「誠実さ」とは いったい何か。そんなものは幻想なのか。少なくとも私は心にもない言葉は 絶対に言わないように心がけてきたし、たとえ相手にとって耳触りが悪くても 伝えるべきことはきちんと伝えてきたつもりである。それが「誠実さ」だと 私は思っていた。だが彼ら彼女らはそんな私を「幼稚」で「無神経」な人間 と思っていたようだ。 まあ、確かに「無神経」なのは認めよう。こんなにも 人の気持ちがわかってなかった私が繊細な感受性など持ち合わせているとは 思えない。しかし、それなら彼ら彼女らは、人の気持ちがわかっているのか。 少なくとも彼らは私が本気で語ってきた言葉を一切理解してなかったし 信用してもいなかった。私がどれだけ本気かわかっていなかったのだ。 彼らは私のことも自分たちと同様の口先人間だと思っていたのだろうか。 ならば、彼らはまったく私という他者を理解していなかったことになる。 そんな人たちに「人の気持ちがわかる」はずがないではないか。 彼らは私などより遥かに「空気の読める」人々である。だが、空気が読める からといって、人の気持ちがわかっているわけではなさそうだ。(略)・・ ・・ 私にとっては無意味な人間関係だが、それで彼らの世界が回っている のなら、それでよかろう。永遠に空気なるものを読みながら、中身のない 価値なき言葉を吐き続ければいいのである。それが君たちの入生だ。 そして、そんな君たちの人生や処世術に、私は何の関心も持てない。 念のために言っておくが、私は彼らの人生に価値がないと言っているのでない。 彼らの人生には彼らなの価値がある。ただ、その人生においては、言葉に 価値が与えられてないだけ。彼らは言霊のない世界に住んでいて、そこでは 空っぽの言葉が行き来している。が、おそらく言葉ではなく別のものに 価値があるんだろうから、それはそれで、いいんじゃないかと思う。≫ ▼ 死の間際から生き返り、改めて身辺を見たときの澄みきった感覚は、 4年前の経験や、過っての色いろ味わってきた。 「うさぎちゃん」が 怒っているのも、彼女の、それまでの脇の甘さからくるもの。世の人は、 大体が、この程度のものと達観すれば、そこに慈愛が湧き出てくる。 それだけ、世人は口先人間が、目先で、口先で、空っぽのことで騒いで いるに過ぎない。それを怒るとは、彼女自身も、同類になってしまう。 しかし、それらの多面をとらえて、全身で受け止めるのも彼女だからこそ。 『よくぞ、書いてくれた!うさぎちゃん』である。でもアフォか! 誰が? ・・・・・・ 4926,パワレルな知性 ー4 2014年09月09日(火) * カフェという集い −�� 『パワレルな知性』鷲田清一著 カフェといえば、TV番組の中にカフェ方式をとったのを幾つか見かける ことがある。特に日曜日に多いのは、休日の居間をカフェに見立て、気楽に 一週間分のニュースを異種の人たちの対話を通して楽しませるため。 関西系の『そこまで言って委員会』『サンデーモーニング』『笑点』、 がそれ。知らないうちに、視聴者が、その場に居るような感覚になってしまう。 そこでは、テーマを提示して、異種の業界の人たちに議論を面白おかしく進行 させ、楽しませるキャスターの役割が大きな要になる。 レギュラーには、 それぞれ役割があって、本人も、それをわきまえ対話に参加する。 バラエティ番組も、その傾向があるが。視聴者の多くが、非専門家を前提に、 各種専門家の議論を楽しませるのだから、出演者たちは大変のはず。 グローバル化とは、「多文化共生」になること。 カフェに似た文化に、 イギリスならパブ、スペインならバール。バールは、イタリア、スペイン などの南ヨーロッパで軽食喫茶店、酒場のことをいうが、一日、一回は立寄り、 誰かと話す文化が深く根付いている。特に大都会は「異文化、多文化共生」 の傾向が強くなる。しかし、情報化の時代、世界中がネットで結ばれ、 異種の価値観が交差する中、逆に、自国の文化を知っていなくてはならない。 情報化だからこそ、カフェや、酒場などで直接、異質の人との対話の中から、 知見を得ることが重要になっていく。フィリピンパブとか、ロシアンパブの 痴的会話?でなく、あくまで知的対話が前提になるが・・ 最近、喫茶店が見直されてきたが・・
・・・・・・ 6022,閑話小題 〜パノプティコンとは 2017年09月09日(土) ≪ パノプティコンとは、 ・英国の哲学者・法学者ジェレミー=ベンサムが考案した円形の監獄。 中心に監視塔があり、そのまわりに独房を放射状に配したもので、囚人同士 の接触はなく、常に看守の監視下にあることを意識させるようになっている。 フランスの哲学者ミシェル=フーコーが著書「監獄の誕生」において、少数の 権力者が多数の個人を監視する近代の管理社会の起源とみなし、広くその名が 知られるようになった。 ・中央の監視室はマジックミラーになっていて、囚人からは監視室内が見えない。 よって囚人は常に規律に従わなくてはならない。やがて誰に強制されるでもなく 自ら規律を守るようになる。この効果により、いつしか人は社会の矛盾に疑問を 持たなくなり、彼らの常識から外れた人を、「狂人」として排除していきます。 ・フーコー、民主主義を作り上げた権力を「生の権力」と呼び、それが一般常識 を作り上げたと考えた。 … ≫ ― ▼ 日本には『神』が存在しない代わりに、『世間』が存在する。身近な人間 関係では、狭い分、相互監視システムが強く働く。島国・日本は国土が小さく、 雨量が多く、多湿の、均質の価値観に飼い慣らされている。その枠内で、静かに 呼吸し、お互いに気を配りあう。 誰もが、円環の内側の独房に閉じ込められ、 息を潜めて暮らす。見えるのは視界の三分の二と、監視塔。それが、私たちの 日常に組み込まれている「世間の視線」。実は、これが妄想。それに気づくのは、 「生老病」に直面した後の「死」に直面したとき。独房の住人は、監視室と、 視界内の、独房の思惑の呪縛に怯え暮らす。それらから少しでも自己解放する には、運動時間で身体を動かすか、読書か、瞑想を取入ること。長年かけた 脱走の準備もある。まずは、自分が、この監獄の住人ということに気づくこと。 妄想を取り払い続けないと、「あのゾンビ」になってしまう。外側の世界も、 内も、広く、深い世界が広がっているのに… 他人事ではなく、私を含めた、 それぞれの「自分」のこと。今では、スマートフォンという便利な小さなカメラ という名の監視塔を各人が持ち始めたから始末が悪い?いや良い?
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| 6387,閑話小題 〜話題の店「ドンキホーテ」に行ってみた |
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2018年09月08日(土)
* ディスカウントストアで時計購入 外出時に時計が見つからないこと屡々、老いを実感する時である。 葬式の引出物のカタログで5000円程度の選定したのがあるが、ほぼ使わず動か なくなっていた… が修理を出す程でもなし。そこで近くのディスカウント の「ドン・キホーテ」に行ってみた。10年程前に新潟駅裏の店の開店に行って みたが、何かピンとこない感がした。 しかし今回、買うと決めこんでいたためもあってか商品揃いに驚いた。 時計売場には980円から数十万のブランド品まで種類が多く、見ていて飽きない。 客を察知をしたコーナーの客向けに?安さを強調した購買を促すマイク放送が 店員かわりに囃したて、購入したくなる雰囲気を醸し出す。チョイ忘れ補助用 のため、カジュアルなデジタル時計にした。 その後、普段、飲んでいる酒とツマミの値段を調べに酒コーナーに行くと、 酒飲みにとって一応、満足できる品ぞろえと価格。 成るほど、これでは客を 引き付ける訳と合点した。地方の自宅から車で7〜8分のところで、カジュアル な雰囲気を味わえるのだから… 評価は90点。 老年の私でもワクワクさせら れたのだから、若者にとって魅力のあるディスカウントショップ。酒の在庫が 切れたこともあり、今日の午後にでも再び行ってみようか? 年金暮らしに馴染んできたようだ!
・・・・・・ 6021,閑話小題 〜何時の間にか準戦争事態に… 2017年09月08日(金) * 北朝鮮の迷走で… ・尖閣列島の所属問題や、北朝鮮の迷走で、何時の間にか準戦争状態の状況に。 戦争といえば太平洋戦争を思い浮かぶ。 この大戦で日本は300万人を超える320 〜350万人とも)戦没者をだした。(海外で亡くなったのは240万人(兵士212万人)。 国内、海外を合わせ100万人前後が民間人犠牲者。日本の歴史上、最大の事件。 ・中国が尖閣列島を占拠をしても、アメリカは中国との直接対決を避ける? その上に、追詰められつつ北朝鮮が過敏にアメリカを挑発し、非常に危険な 状況になっている。 ロシアか中国の謀略で、韓国か北朝鮮からミサイルを 撃ち込み火の手をあげれば、ソウル周辺の2千万人の1割、200万の死者が出る 可能性がある。当然、中東のイラク、シリア難民が欧州に数百万も、なだれ込ん だように、日本と中国にも大挙、流入する。北にとって、人畜無害の日本は、 恐喝には最も効果がある。その前に、潜り込んだスパイのテロも想定できる。 ・このまま、北朝鮮の挑発が縮小するイメージが出てこない。「何処かで必ず!」 と考えるのが妥当。実戦を積重ねてきたアメリカとの長期戦は考えられないが、 泥沼に陥る可能性も充分にある。とにもかくも、両国のトップが軽すぎ。 朝鮮戦争は停戦のまま。 ・朝鮮戦争をネット検索すると〜 【朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) と大韓民国 (韓国) の間で 1950年6月 に始った紛争で,およそ 300万人が命を落した。米軍主体の国連軍が韓国側に 立って戦争に参加し,また中国が最終的に北朝鮮支援に動いた。戦況は目ま ぐるしく変化した末,戦争は 1953年7月,決定打のないまま終結した。】 再び開戦となれば、300万では済まないが、そこが北朝鮮の狙い目。 北の原子炉が破壊されると、放射能が日本上空に降り注ぐことになる。 まずは、今月、いや、この一週間が… 心配しても、これだけは! 日本は、東京オリンピックで御祭り騒ぎ。如何なっていくのでしょうか!
・・・・・・ 5655,『エゴの力』 � 創家颪海修�最大の預金 2016年09月08日(木) 『エゴの力』石原慎太郎著 * 浪費こそが最大の預金 石原慎太郎の著書に、「浪費こそが最大の預金」と、あった。二人の息子に、 スペイン、インド、エジプト・トルコ、ベネゼイラなどに連れていった。 一見、浪費だが、青少年期の、これらの経験は大きな預金になっているはず。 何事も、若いうちの経験が大きい。 倒産というカタチで会社整理をしたが、今では未練も後悔もない。実際に、 父親の影響もあり、創業(狂気)を目指し、自分を狂気の道具(凶器化)をし、 捨身で生きてきた。最後に(家族の手持資産)が数分の一になったが、元金の 数十倍を楽しみ、行蔵として最大の預金が残った実感がある。 そのため、 「浪費こそが最大の預金」という言葉が実感できる。 半世紀前の学生時代の「欧州30日の旅」が、今の300〜350万の費用だった。 幼児期からの大晦日に父などから貰った「お年玉」の積立金を、高校入学と 同時に金銭教育のためか、父親に何かを自分で選らべと勧められて買った株式 の20数万の元金があった。欧州に行きたいと決心した時、これをベースに10万 を貸して欲しいと、母親を通して父親に頼んだ。頭の硬い父親がスンナリと 承諾したのは、20年近くかけた資金をベースにした計画のため。 その30年後、母親の財産分与の話合いで、4人の姉たちに、 『あなただけ、父親が甘かった。学生時代に欧州旅行など私たちには考えも つかないこと。それに、大学を2つも行かせてもらって。不公平過ぎる!』と 詰られた。私にすれば、情報を得て、求めたからである。で、浪費の話に戻る。 創業から、幾つかのホテル物件に30数億以上を投資をし、最後は、数羽の ブラック・スワンの到来で、あえなく事業清算に至った。結果からして浪費に なるが、その経験は、その数倍の心の預金が残っている。 その辺りは第三者 に全く理解できない。浪費は、あの世に持っていける。 そのことを学生時代に、「欧州旅行」の浪費?から、学んでいた。 30億の投資経験の楽しみと、生きている内に失った経験は、あの世に持って いける。これは実体験をしてこそ分かる感覚。『100億残すより、100億失う方 が、その人にとって真の財産になる』という道理。同時に、敗者の泣き言でも。 〜これも、偶然だが、以下の同月同日のテーマに脈絡が繋がる〜 これからすると、私には、起業には向いてないことが実感できる。 ったく! ・・・・・・ 5290,起業こそ、自分を超えていく道 〜『自分を超える法』ー�� 2015年09月08日(火) ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 起業こそ、自分を超えていく道 ここで、「自分を超える5つの方法」を提示しているが、キーワードは 『起業』。実績あるの起業家が書いているだけに説得力がある。 〜アマゾンの内容より〜 〔考え方さえ変えればお金は必要ない。世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ の「史上最年少トレーナー」として活躍するピーター・セージ。22社の会社を 経営し、1兆円ビジネスを手がけるビジネス界の若き天才。 その「世界初の著書」で語られる、自分を超える「5つの法則」とは。〕 【著者プロフィール】からして面白い! イギリス若手No.1起業家。お金を使わずに、ビジネスを作り出すプロ。 世界No.1マーケッター、ジェイ・エイブラハムのビジネスパートナー。 資金なしから22社の企業を成功に導き、そのビジネス手腕は世界的に高い。 過去に二度、ビジネスパートナーを選び間違えて無一文になったものの、 2回とも再起してすぐに億万長者に戻った。また、3カ月間で、資産ゼロから 5億円の不動産を買うなど、極めて短期間で大きな結果を出したことで知られる。 最近では、起業家精神の分野で、世界のトップビジネススクールの1つである、 INSEAD(欧州経営大学院)の顧問委員会(パリ)に招聘されたり、学生企業家 協会の世界大使としてCEOに任命されるなど、経営のかたわら、講演家や コンサルタントとしても活動中。 また、ピーターは年に約1カ月間、自発的 にボランティアとして世界中を旅をしており、チャリティとして世界中から のべ数千万円もの金額を集めた。現在は「スペース・エナジー」という 事業に携わり、宇宙空間で太陽エネルギーを発電し、地球に供給する 「1兆円プロジェクト」に取り組んでいる。 ▼ プロフィールだけでも面白い。起業を勧めると同時に指導者でもある。 規模が桁違いだが、起業原理は納得する部分が多い。何かを決めるとき、 「安定感」を基準にすることより、「居心地のよい不安定」を優先せよ、 とは、成長過程では当然のこと。チャレンジ、チェンジ、コンペティション の成長サイクルでは不安定感がつきもの。20歳代に、この本が傍らに あったら、また違った人生になっていたはず。世界が大きく変化する中、 適応した新システムを提供することで、基盤を拡大するには起業しかない。 その点で、まったく力不足だった自分を思い知らされる内容である。 「優秀な起業家に、優秀な指導者あり」ということか。今さらだが・・
・・・・・・ 4925,パワレルな知性 ー3 2014年09月08日(月) * カフェという集い −�◆ 悒僖錺譽襪蔽寮�』鷲田清一著 カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読 するうちに、全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。 今では年に一回参加しているが、30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、 肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、一種のカフェのような集い の場を求めたため。とはいえ、当初は営業ネタを探して参加する人が過半数は いたが、それも良しだった。 ところで、学生時代の寮がまさにカフェの ようなものであった。今でいうシェアハウス。大きな屋敷の一角に、平屋で、 4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、角が炊事場と洗濯場 で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。 各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮という ものだが。炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが 幾つか並んでいると、つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。 そこでは、読んだ本や、政治経済、現在進行形の恋愛の話題が中心になる。 寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が半数を占めていた。 雰囲気は、 まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり! その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。 そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、 ごく当り前に交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州 旅行の仲間と、クラスの友人の網目が出来ていて、広いコモンルームや、 中庭、学食で誰かと話をしているかであった。学生だからこそ、自由に様々の 人と邂逅しえたのである。 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、 それぞれの立場があって、自ずと人間関係に制約があるが、学生時代は、 思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の恵まれた環境があった。 『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も 良かったことになる。プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、 不満もあったが、この環境が最良だったことに、これを書いていて気づいた。 この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、<人間には、教養とは別に、 想像を超えた、善良と邪悪が混在する人が存在する>ということを、知ること になる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。 秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない 人たちと1〜2週間、親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをして いるので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが様々な情報の宝庫のため、そこは ツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。 私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな 人がいる。いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか! 共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、 カフェの集いの面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』 になる。 時々、塩昆布茶も出るが。 ・・・・・・ 4558, 東京が、2020年の開催地に決定! 2013年09月08日(日) 5時20分に、次次回のオリンピック開催地が発表された。 その2時間前の3時に何時ものように目が醒めたため、布団の中で瞑想モード に意識を持っていき、「私が神としたら、3都市の何処を選ぶだろうか?」と 考えた。その結果はイスタンブール。5時からのTVの特別番組の選定会場で、 まずマドリッドの落選。あとの残ったイスタンブールと東京の二者択一の中で、 東京が決定された。 「そんなことをしている場合じゃないだろう!」が、 気持ちにあったが、いざ発表となると「東京」と願うのが人情。以前から、 「2020年の75歳が死に時」と思っていた。その年が、これで東京 オリンピック開催の年になったのである。一回目は昭和39年、18歳の年。 二回目は生きていれば75歳。現実は、世界も日本も2020年までは、 大きな試練が山のように待ち構えている。福島第一原発の汚染処理、世界恐慌 の対応、国家財政の破綻、国境問題等々がある。トルコか日本?の二者択一 というと、選ぶ方は、原発汚染への不安より、中東の政治的不安定と、欧州危機 を考えると、安全、安定面から、今回は極東の安定した都市の「東京」を選んだ。 これで、「2020」と「東京オリンピック」が、キーワードとして浮上、国家 として明るい目標が出来た。オバマがシリア攻撃を示唆したのもトルコにとって マイナスになった。タイミングをみていた? 日本のような島国では、一つ明確 な目標があれば元気が出るが、大きな問題が残っている。南海トラフ地震と、 東京直下地震、富士山噴火の可能性である。 福島第一の汚染に目を向けさせた のは戦術としては良かった。実際問題は、これらを考えると二つの都市の危険さ と遜色はない。 国内の政治面では、予想される混乱の中で、国民の目を オリンピックに向けさせることが出来る。今日を境に大きく空気が変わる。 今日は目出度い日になる! ・・・・・・ 4183, 呪いの時代 ー3 2012年09月08日(土) 「呪いの時代」内田樹著 * 記号の過剰化 ー第2章 「祝福」の言葉についてーより 呪いは怒りや羨望、嫉妬などの要素が相まって内面に作りあげられた一種 の記号と著者が指摘している。しかし怒りの感情を言葉にし繰り返すうちに、 その毒が己の脳を侵してしまう。鬱である。そこで医者から貰ったハッピー ドラッグで目先、散らしている内はよいが、いつの間に、呪いの感情を更に 強く苛んでいく。呪文は記号のため、反復するうち、その人そのものになって しまい、自滅の道をひた走ることになる。 次の箇所は、悲劇と喜劇の境い目 としてみると、うなずける。 ≪ なぜ、このようなニヒリズムが社会を覆うようになったのか。 それについて考えてみようと思います。僕はそれを「記号の過剰」あるいは 「過記号化」という枠組みで説明できるのではないかと思っています。 「呪い」は、その本質からして、記号的なものです。藁人形に五寸釘を打ち込む 「丑の刻参 り」という古典的な呪いの儀式がありますが、これ自体、きわめて 記号的な行為です。生身の人間の心臓にではなく、代替物の藁人形に五寸釘を 打ち込むわけですから。メタファーとして行われる殺人が生身の人間の生き死に 影響を与えるという信憑が共有されていないとこの種の類感呪術は有効性を持ち ません。つまり、藁人形が生身の人聞でないように、殺意や嫉妬、羨望や憎悪も 記号化されない限り呪いとして機能しない。忘れられやすいことですが、呪いが 機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。具体的、個別的、 一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、 一般的で、反復的です。それが記号的ということです。 なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。 情報とは「なまもの」が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージ されたもののことです。「高度情報化社会」とは情報だけが行き交い、 「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、 皮を剥がれ、血を抜かれれ、骨が切り離されて、細切れになってパッケージ されるという工程については誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。 医療でも過情報化の問題は深刻なもの。当今の医師たちは、なまものとしての 身体ではなく、「記号としての身体」を診療している。『医療崩壊』の著者 である小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコン のディスプレィに患者のカルテや検査数値が表示されます。患者が診察室に 入ってくると、医師は患者を診るより先に、まずディスプレイに表示された さまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている 時間よりもディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫ ▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは 違うため、それを扱う解説者は、記号としての言葉にして発信するするため、 呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、呪いと して、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽 な呪いの対象になる。だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、 何ら不思議ではない。そして、その行き先は?
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2018年09月07日(金)
最近のテーマで < 〜何やってんのか!〜 3日間×160人に対し、 老人一人×20分>をテーマにした。そこで何故、子供が、あのボランティアの 老人にだけ反応したのだろうか?の疑問が頭によぎった。幼児は捜索隊の犬に 怖れたが、野良猫には安心したのである。何故に? そう老人の終いの生甲斐 のボランティアの積重ねからくる人間の温みを直感したのでは? と。 野良猫といえば20年程前の記事を思いだした。 < 千葉駅前の伝説の猫 〜駅前で通勤の人たちの誰にでも愛されていた 伝説の猫の話。人好きで、誰にも擦り寄っていき、旧知のように愛されて いた猫。> ただそれだけの話だが、何故か頭に残っている。猫と人間の間 には、何万年か、数千年の付き合いがある。ネズミを捕るからである。 犬が外敵の番犬なら、猫は家内のネズミを駆除する役目と愛玩。 過って幾つかのテーマを書いてはずと、HP内検索をすると、やはりあった。 昼は従順な犬に、夜は奔放な雌猫のようなのが多く居る! 〜 その幾つかから面白そうな順に… 〜 ――
2011/07/04 野良猫の話 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。 某ゼネコンの担当で、4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、 その本社の営業会議で上司が営業の不甲斐なさを責め立てるに、 「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。それさえ出来ないのは野良猫以下だ! と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞かされたことがあった。 その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、野生の本能を 使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、とことん 飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、その中で勝ち抜けない」という比喩を 言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、修羅場の 闘いの中で、獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。 この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、その言葉 を解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。 私の知人が大手の??を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」 と頼まれたことがあった。その時に、長年、大組織を背景にした人が果たして 一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。振り返ってみて、 よくぞ、こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、 「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、外に 出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらない事態もある。 その覚悟があれば、上手くいく」と、偉そうに。 それでも本人は嫌な顔をしないで?聞いていた。 そのまま、その道に突き 進み、経験を生かして第二の職業で自己を確立している。そういえば、以前にも 同じような相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、 第二の人生をハッピー・リタイアーをした。 ギリギリの野生の立ち返り、見栄も外見もかきすて、ただ成功させるに、 どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた状態で、計画をこなして いくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、いや、もっと確率は低い。 それほど自立するのは難しい。だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業 のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。 本人は「頭を垂れて自分の方から聞きにくるかの第一歩からして計画のチェック をしにきているに過ぎない。」で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、 はい、さようなら!である。 何かをやろとしたら、準備、準備、準備が全て。 準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上 で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、やれば結果は火を見るより明らか。 否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、 血と汗を感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化して きたかが、大きく左右する。それとて死んでしまえば皆、同じ。 ―――― 2013/04/03 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2 『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 横尾忠則 * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。 専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。 家内をみると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり 青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応 するために、長年かけた準備が必要になる。 以下の対話は、なかなか面白い。 ≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。 横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。 天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいて みたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待 もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を与えるようにして。 そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。 こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたん ですね。そして、これって、多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。 世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、でも隠居 生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。 それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼い をしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、 表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、そして老年期 に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう 改良されたもの。「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい 人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。 家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。 誰?それ! ―――ー 2015/10/13 野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?
飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、 動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。 初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも 鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、 全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせた。 動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ 野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、 飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、 卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。 このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。 人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。 そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に 書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。 それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。 人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の 両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味 を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。 人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。 飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌! 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が 絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。 サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、 目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、 心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、 するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし 聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた ?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。
―――― 2018/04/01 閑話小題 〜猫の格言 * 猫の話 数日前のポタリングの道すがら、信濃川の大橋の袂の歩道に猫の死骸が 転がっていた。一人のウォーカーが立ち止まって、生きているかどうか、 見ていた。気持ちがいいものでないと思い、そのまま通過した。どうも、 自動車道で轢かれた後に、歩道に放置されたように思えた。もう一つの大橋を 一周して、その場所に様子見に戻ると、カラスが二羽、その猫を啄んでいた。 よく見ると、頭に血が付いていた。 私の実家は犬派で、名前は全てコロ。猫は一度だけ、小学生の頃、「タマ」 という三毛猫を飼っていたが、ネズミをガリガリ食べていたのをみたが、その 直後に捨てられてしまった。 猫と犬の数を調べたら、<「平成29年全国犬猫飼育実態調査」による飼育頭数 は、犬が892万頭、猫が952万6000頭で、長年にわたって多かった犬を2017年に 初めて猫が上回りました。>とあった。マンションは、犬より猫が飼いやすい ためだろうか。庭には、夏を中心に近所の猫の遊び場になるが、問題は糞。 姿を見る度に、小まめに足を強く踏み鳴らして追払っているため、少なくなって いる。10年ほど前に隣りの貸家に愛猫家がいて、庭にネットを張り、数匹飼って いたことがあった。そのため、庭は猫の集会所状態。10年近く、住んでいたが、 近隣の苦情がたて続いて、引っ越していったことがあった。 猫も曲者だが、 飼主も苦情対策には強か? 動物写真家、岩合光昭がネコ目線で世界中のネコを撮影する姿を、岩合自らが ネコに語りかける様子を紹介するNHK BS「岩合光昭の世界ネコ歩き」がある。 人気番組・日野正平のNHK-BS「にっぽん縦断こころ旅」の、冬場や、季間の穴を 埋めるように、年中、放映されているが、猫目線から、世界各地を見つめる光景 が好きで見ている。 そこで猫の格言から、人間から見た猫の世界を眺めてみた。 ところでアフリカの所どころで猫を見かけない地区があったので、聞いたところ、 直に食用になるためという。 …鳩もしかり。 ――
―猫の格言―
・ネコ科の一番小さな動物は最高傑作である。 レオナルド・ダ・ヴィンチ ・トラを抱きしめる喜びを知りたがる人間のため、神はネコをお創りになった。 フェルナンド・メリー ・犬を飼うことは出来る。だがネコの場合はネコが人を飼う。 なぜならネコは人を役に立つペットだと思っているからだ。 ジョージ・ミケシュ ・ネコを嫌う人には気をつけろ アイルランドのことわざ ・人が拒絶を理解するには、ネコに無視されればよい。 アノン ・自分の家が大好きだからネコが好きだ。 しばらくしたらその二つは見える魂になる。 ジャン・コクトー ・惨めさから抜け出す慰めは2つある。音楽とネコだ。 アルベルト・シュバイツァー ・我々は心の奥深くに同じ欲望がある。ネコはそれに沿って生活している。 ジム・デイヴィス ・ネコの目には、全てのものはネコに属していると映っている。 英語のことわざ ・どれだけ多くの時間をかけても、猫との良き思出は消えない。どれだけ 多くのテープを使おうと、ソファに残されたネコの毛は取り除けない。 レオ・ドウォーケン ・ネコの飼い主が知っているように、誰もネコを所有していない。 エレン・ペリー・バークリー ・ネコを嫌いな人は、来世ではネズミとして戻ってくる。 フェイス・レズニック ・この世でどうネコに接するかが、天国でのステータスを決める。 ロバート・A・ハインライン ・ネコも当然男の親友になれるが、ネコはそれを認めてはくれない。 ルイス・J・カミュティ ・ネコはどこに座れば我々が不便になってしまうか、 その正確な場所を数学的に計算できる。 パム・ブラウン ・ネコは気にかけてくれる。例えば本能的に、我々が何時に仕事に行かない といけないのかを知っており、目覚し時計がなる20分前に起こしてくれる。 マイケル・ネルソン ・ネコは人間に対する意見を持っている。殆ど何も言わないが、全部を 聞かないほうがいいのは確かである。 ジェローム・K・ジェローム ・ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。 エドガー・アラン・ポー ・ネコの愛より偉大なギフトがあろうか。 チャールズ・ディケンズ ・ネコは絶対的な正直さを持っている。 アーネスト・ヘミングウェイ ・僕は家にいるどの猫とも喜んで立場を変えていい。 ジョージ・ネイ ・イスタンブールで会った男が、絶対に神はネコだと言った。 どうしてそれがわかるのかを尋ねたらこう言った。 「神に祈っても、無視されるから」 ローウェル・トーマス ・犬は自分を人間だと思っている。猫は自分を神だと思っている。 犬は呼ばれたら、すぐに来てくれる。 猫はメッセージを取って去り、あとになって帰ってくる。 メアリ・ブライ ・猫の持つ清潔さ、愛情、忍耐力、尊厳さ、勇気の質を考えると、 何人が猫になる能力を持っているだろうか フェルナンド・メリー ・夫に出ていってもらった。うちのネコが夫にアレルギーだったので ビル・ダナ ・ネコのトレーニングは難しいと聞いていた。そんなことはない。 我が家のネコは僕を2日でトレーニングした。 ビル・ダナ ― ▼ 猫と人間の付き合いは1万年にわたる。その間に、ペット用として 改良?されてきた。その神秘性、優美性により愛され、東洋では幸福の 象徴にされてきた。幸福論を考えるに、猫を凝視すれば、そのヒントが 次々と現れ出てくるはずだ。またネズミを捕るため、航海の共に使われ もしてきた。エルミタージュ美術館では、常時、60〜70匹も飼われて、 ネズミ対策、顧客対策にしているという。昔から多くの芸術家に愛され、 アトリエで飼う画家が多いとか。 逆に嫌猫家のため「野良猫対策」で検索したところ、超音波とライトや 猫が嫌う匂いの粒状の薬品など様ざまのものがあった。 ところで人間には、猫タイプと、犬タイプがあるようだ。 男生は犬タイプが、女性は猫タイプが…比較的多いが。生きかたとして 猫が理想?だが。飼犬なら、犬も悪くはない? いや猫ちゃんですか。 二あ〜 ワンで、代々、我家のベランダではインコが鎮座している。
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2018年09月06日(木)
* 悩むな、考えろ! この言葉は、池田晶子の『無敵のソクラテス』の表紙の帯にあった言葉。 「悩むということは、問題に対して混乱した状態。問題の中心点のエネルギー が混乱をしている状態。考えるとは、その原因を探り、整理をし、解決する プロセス。その為には、蓄積された知識のベースが必要? とすると、既に 遅すぎる? いや、遅くはない。一冊の哲学入門書を見つけて、繰返し 自問自答をすればよいが、良い環境にないと途中で放り出すことになる。 ‘考える’とは、「正・中心・一点・無」で、問題を絞り込んでいくこと。 ‘悩む’のは、それが出来ずに混乱している状態。
今まで生きてきて実感する悪いことの最たることが「ストレス!」。 早々に亡くなった人の死因がガンによるが、大部分がストレス蓄積による 成人病。 問題は生活習慣に、早朝の運動を如何に埋めこんでおくかだ。 ストレス解消を怠ると、その毒が外に向かう。それでも、外部に向けること が可能なら良いが。良い人の型に入りこんでしまうと「悪い人」の役割が こなせない。これも、長年かけた習慣が必要。 『悩め、悩め、もっと悩め。そうすれば考えざるをえなくなるさ!』と 考えることもできる。長生きも良いが、その質の問題がある。
・・・・・・ 6019,閑話小題 〜人間は「使い捨てカメラ」である 2017年09月06日(水) * 人間は「使い捨てカメラ」である ジャーナリストの大江瞬の「人間・使い捨てカメラ・論」が面白い。 ≪ 12、24、36枚撮りのカメラは、写し終えると、そのまま現像所に送られる。 その後、カメラは解体され、フィルムだけが取りだされる。写し撮られた元の 風景は、カメラが製造される以前からあったもので、カメラがスクラップした 後も、そのまま残る。現像されたフィルムに、ピンボケだったり、何も写って なかったら、その人の人生は虚しく終わったのかもしれない。風景は残り、人間 だけが入れ替わる。… かつての音楽を聴きながら、そのアーティストたちは、 みんな死んだ人たちである。女性歌手ならデビュー当時の溌剌とした若さから、 美しさの絶頂の20代、アラフォー、ファイブの熟女となり亡くなる前の魔女の ような姿まで、その折々の歌声とともに記録映画・音声として残されるのは残酷 だが、それも偉大な芸術家の勲章である。… ≫ ―― ▼ デジカメが出来た現在、「使い捨てカメラ」をあまり見かけなくなった。 そこで考えたのが、「人間はデジカメラである・論」。 <デジカメの進化で、気楽に、安価で、何処でも写真が撮れ、一枚のSDに数千枚 の鮮明の写真を撮りおくことが可能になった。ビデオも可能のモノもある。 そして、ブログに記念として残せる。書くことより、撮影しネットにアップする 媒体が人間の役割になっている。その写真が美しいほど、本人が薄れていく。 本人にとって、それで充分に満足。そのネット上の蓄積が、同じ嗜好の価値と して円熟し、成長していく。カメラ、記録媒体は、止まることなく進化する。 これが人間にもいえるのでは?> 世界も、そこに生きる人間も刻一刻と変わっていく。カメラの機能も、それを 映し出すテレビやPCなどの媒体も人間の5感を遥かに超えて写し出す。それが、 進化し続けて止まらない。対象を一度、高性能のマシーンを通して見れるのも、 科学の恩恵。何か、本筋から大きく逸れたが。 これからすると、 「よりデジタル機能を多様すべし」になる。 仮想世界は、刺激的で面白い!
・・・・・・ 5653,「家、ついて行ってイイですか?」 ー�� 2016年09月06日(火) ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人 あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、 部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。 誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、 このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、 トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが 部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、 慣れるまでの1〜2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、 帰宅恐怖症的になって、喫茶店で同類と群れていた。3連休以上はキツイらしい。 しかし、この都会の孤独経験が貴重で良いのである。青年期の一時期、殻に 篭る生活が必要である。 現在、書斎コーナーのパソコン横に、両親が残した小さな布袋と百万長者像、 ネパールの市場で買ったミニ仏像、マリア像、自然石の仏様の像、仏像を彫り こんだ胡桃、ガラスの地球儀などが並べてある。息抜きに、撫ぜると、なぜか 気持ちが和む。それもあってか、ノイローゼや、落ち込みはホボ無い。 数ヶ月前から、就寝時に、梅干大の大きさのラジウム石を握り眠っている。 真中に穴が開いており、そこに紐を通して、指に絡めているため、熟睡しても 転げ落ちない。数年前に、一年以上使っていたものだが、復活。ラジウムが手 から直接伝わり熟睡できる。岩盤浴に近い効果があるのか、気が充満してくる。 就寝用の「ラジウム握ぎ握ぎ」ということか。 終の入院には、これらを 持ちこみ、枕元に、小さなオボンに並べて、手にはラジウム石を握り締めて。 イメージは、亡くなった家族に囲まれたイメージを持ち、虚空を彷徨いながら。 ―― * 「ぬいぐるみに話かけるのは変ですか」に対する返答 ≪ 〜No.7 回答者: こんにちは、いいんじゃないですかね〜、私ならキモくもないしドン引きも しません。私もお針は得意なので、修繕してあげたいです(笑) 以前交際してた男性がそんな感じで。20代後半のとき、百貨店のおもちゃ 売り場においてあったオレンジ色の熊のぬいぐるみに一目ぼれ。4000円ほど だったのですが、大のオトナ、しかも男が・・ と本人は熊を撫で回しながら 悶々と悩んでいましたが、「ほんならアタシがプレゼントしよか?」と提案 したところ、大喜びでした。幼稚園児の姪が「アレで遊びたい」とお願いしても、 ダメ! と触らせないくらいのかわいがりようです。 (彼の留守中に来て、 勝手に遊んでたらしいですが・笑) そこから何に目覚めたのか、古くなった シャツや家族の洋服をリサイクルし、テディベア作りにハマリ始めました。 パソコンで型紙から起こして作るような凝りようです。ぬいぐるみ作家って、 結構男性もいるそうですよ。そんな彼も40を過ぎましたが、オレンジ色の熊に 「みかんちゃん」と名づけ、今でも大切に飾ってあるそうです。 そんな人もいるということで(笑) ≫ ▼ アブラハムの創出したラージXの『神』は、この「ぬいぐるみ」に似ている。 それを共同幻想化したアラーの神である。問題は、人種間に分裂した仲間割れ。 人間には共同幻想が必要。コスプレは、その人形になって楽しむこと。ホテルの ロビーで、その集団に遭遇した時の驚き。若いから出来ること。 ハロウィンは、 それを祭りにして練り歩く行事。 数年前に行ったモントリオールが、その日で、 千人近い血だらけの殺人者の仮装行列に出会ったが、その面白かったこと! 人生の砂場の遊びは、深くて、味わい深いものがある。極限では、味わえない。 その先に何歩も踏み出さないと、それらとは出会えない。 「達磨さん、こちら向かんせ世の中は、雪月花(ゆきつきはな)に、酒と三味線」 【花見酒】 世の中は月雪花に酒と三味線 酒のない国に行きたき二日酔い、 また三日目に帰りたくなる ・・・・・・ 5288,「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 〜『自分を超える法』 2015年09月06日(日) ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * ミツバチが教えてくれた「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 ‘考え方さえ変えれば、お金は必要ない’と、自分を超える「5つの法則」 を提示する面白い本である。その中の、色いろな寓話が良い。 ランダムだが、ミツバチの寓話がよい! 〜ハチミツをつくることが、ミツバチの真の仕事ではない〜 ≪ ここで寓話を1つ紹介します。 起業家のキース・カニングハムから聞いた、ミツバチの話です。 ミツバチの生きる目的を知っているかい? もしミツバチに 「何のために生きているのですか?」と尋ねたら、きっとこう答えるだろう。 「ハチミツをつくることが仕事よ。せっせと蜜をつくるの。 なぜなら私たちはミツバチだから。」 キースが続けます。 「でも、その答えは必ずしも正しくない。ミツバチには、ハチミツをつくる ことなどよりも、はるかに重要な役割があるんだよ。その役割とは、花の 『花粉』を運び受粉の手伝いをすること。それにより花は咲くことができ、 生命が循環している。仮にその営みを取り去ったとしたら、すべての生態系 が崩壊してしまうほど、もっとも根本的、かつ絶対不可欠な役割を担っている」 当のミツバチは、おそらくそのことを知らないでしょう。もし、今全世界の ミツバチが自意識に目覚め、次のように言い始めたらどうでしょう? 〜無意識でやっていることが、貢献につながる〜 「ねぇ、私。生きる目的を知りたくなってきたの。仕事を放りだして山で 瞑想するわ。生きる意味の答えが見つかるまで、山頂のバラの茂みに しばらく引きこもるの。使命が見つかれば、充実感と情熱に満たされて、 また仕事に戻ることができるから、しばらく休むね。」 全世界のミツバチが突如そう言い出したら、花が咲かなくなり、 生態系の循環が停止してしまいます。 当のミツバチは気づいてないかもしれないが、 「毎日の仕事を精一杯こなすこと」で、彼らの「真の使命」がまっとう されているのです。 私が言いたいのはこういうことです。 〈あなたが日々無意識に自然体でできていることの中には、 実は世界に大きく貢献しているようなことがあるのです。〉 ≫ ▼ 人間は、言葉を持ったお陰で、「毎日を一生懸命すごすこと」の価値を 理解できる。とはいえ、目の前の問題に集中し続けてこそ、その先にある 「真の役割」が理解できる。人生を振り返ると、節目に大きな機会がある。 表面的には挫折というカタチを装うが、実は、生き方を変える節目時を 運命が提示をしてくれている。4年前の節目は、〔余白はさほど残されてない、 余裕を持って死に準備を始めなさい。まず手始めに、会社の整理から!〕 ・・・・・・ 4923,パワレルな知性 ー1 2014年09月06日(土) * 価値の遠近法 『パワレルな知性』鷲田清一著 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い! ーネットによるとー ≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。 � \簑个防�要なもの、失ってはならぬもの �◆,△辰討發いい韻匹覆�てもいいもの �� なくてもいいもの �ぁ\簑个防塒廚覆發痢△△辰討呂覆蕕覆い發� 彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を いろいろ示す。 「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。 四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。 当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、 違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。 「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。 「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。 いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。 推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。 「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。 さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、 とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、 不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。 わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。 国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を 仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という 勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」 野性的な思考が必要という。≫ ▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない> とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。 「価値の遠近法」の�ぁ↓�、�△函�一つずつ捨てて、�,帽覆襪海函� そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 「お金は、�◆△い筺↓ �」 ―――― 4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1 2013年09月06日(金) * 追われ追われて南米最南端 「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、 「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が 南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先 で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、 弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。 北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。 逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。 弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 僻地の人間は、そのためか優しい。 ーその辺りから抜粋ー 《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを しましたね(笑)。 関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング 海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、 東風は風速15M以上になることが多い。 たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと 言われているんですか? 関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。 たけし〕そういうことになります。 関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。 たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。 関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。 たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。 関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》 ▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、 変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。 脱皮できない蛇は死ぬ。
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2018年09月05日(水)
『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著 ウォーバートン,ナイジェル著 現役の哲学者が、哲学史にのこる巨人の感想が何とも異様に感じる。 要するに、門前の小僧レベルが、専門家の視点で、批判的に哲理を改めて 知る面白味ということ。ヘーゲルがカントへの挑戦とか。
* ヘーゲル ◉ マイケル・サンデル もっとも心を躍らせてくれたのがヘーゲル。理解するのは難しいけど、 カントの抽象的な道徳律に根本的な疑問を投げかけ、道徳律を具体的な 倫理生活に結ぶ付けました。かれのカントへの挑戦は哲学的に見て、もっとも ワクワクする仕事の一つです。 ―― * ニーチェ ◉ ジョシュア・ノーブ 私がニーチェより学んだことは、特定の疑問に対し、人々が普通どう考えるかを 安易に理解しようとすべきでない。より深く見つめる努力をし、何らかの方法で、 私たちが抱く通常の見方を疑うべきだ。さらには、そうして通常の見方に反発 すべきだと考えていたてんです。 ―― * アリストテレス ◉ ショーン・ケリー 彼がフロニモス(思慮ある人々)と呼ぶ観念を持っていることです。実生活を 生きる達人のような人々を指しています。興味深いのは、フロ二モスが、状況 の中で自分に求められているものを、熟考することも考えることもなく、即座に 認識する能力を自分自身の中に育てると考えていることです。それは極めて重要 なスキルのように思えるのです。
ー ▼ 日本が島国という立ち位置もあって、異質の考えそのものを否定するきらい が強い。情報化の時代に、個々人がサテライトオフィスをスマフォ、iPadに 持つ時代に、深く考えることなく、情報に流されてしまう危険がある。 一度、 現実、現象から離れた孤独の中でしか、それを熟成することはできない。
・・・・・・ 6018,閑話小題 〜空を飛ぶ 2017年09月05日(火) * 旅客機を別として、空中を飛んだことは 旅行先で空中を飛んだのは(旅客機を別として)、 ・バンジージャンプを二度。<ニュージーランド、南アフリカ> ・パラセーリング(パラシュートで、ボートに引っ張られ空中を飛ぶ) を二度。<フィジー> ・気球を一度。<ケニア> ・ヘリコプターを二回。<イグアスの滝と、ビクトリアフォールズ> ・セスナ機を3度、<マッキンレー、テーブルマウンテン、ナスカの地上図> 飛んでみた。 空中を直接、飛んだ経験は印象に強く残る。 圧巻はバンジージャンプ。 極限でのリアルな恐怖体験は、呼吸困難になるほどの異質の体験である。 何とも優雅なのは、南アフリカの気球からの景観。 書き残すことの秘儀が垣間見れる。 私にとっては、魂の刻印になる。
―――― ーH0705 バンジージャンプ (ビクトリア滝) ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むと ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よく みるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。思わず “私もやりたい!”今年の5月にニュージランドで43mの高さを挑戦! 今度はその二倍以上もある。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて OKの返事! 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。 国境警備員も 本当かと何回も念を押した。 そして……。飛び込み台に立って気がついた。 「高さと恐怖心は正比例である事に!」氷つく恐怖心!後ろをふりむいて “やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ! 何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろよ!” 何とそこには高速道路で170�劼離好圈璽匹納屬鬚呂靴辰浸�の世界と同じ ような空をとんでいる感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけて いく風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりに なり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。 (次はヘリコプターよりのジャンプ!と思い立ったが… 断念をした) ―― (ニュージランド、クラフトチャーチ) 四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、 まさに“身も氷るおもい”そのものであった。 あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。 立って下を見た瞬間まさに金縛り。自分は何でこんな事をしてしまったのか。 自分がここより飛びおりる?… 本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。 そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに四回も私の目をみて念を おしたのも頷けた。
―― H0609 ケニア・サファリ紀行(�供法� �� 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を 命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の コントラストのすばらしさと、 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。 そして小学校の近くを走っている時みた、 子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。 �� 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。 毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として 自然と一体となり絵になっているのだ �A當�の牧場の乗馬もよかった。 新鮮な空気と草の臭い! その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか! �ささ紊茲蠍�たアフリカの広大な草原。 下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。 �シ,知�て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声! ケニア人の90�涌幣紊蓮�一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。 それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、 物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、 その貧しさに涙を溜めて訴えていた。 日本人の観光客は、年間に一万人に 満たないという。その点で超穴場といえよう。 実感として、一試合で二本のホームランを打った感! であった。
―― H0807 インカ帝国<夢の旅> ナスカの地上絵編
AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に、 一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化である。 彼等は何を思ってか九百k�屬砲錣燭觜�大な大平原に、 直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。 (その絵と同じものが、当時の土器に描かれているので、 彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。 それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわす カレンダー説などあるという。 灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。 それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。 その数がペルー全土で二百以上あるという。 そしてその多くがナスカに集中している。 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。 本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。 少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは と確信したくなる光景であった。 ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる 縦横に描かれた直線は誰に見せる為のものであろうか不思議そのものだった。 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖に すむ原住民の素朴な生活、そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、 強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏にやきついてはなれない。
高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの 聖なる不思議な日々であった。 (次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、 テーブル・マウンテンとエンゼル・フォールに是非行きたいものである。) (H 8.6/6〜6/12 ) ―― H0909 ギアナ旅行記
この数年、秘境の旅に凝っている! そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。 南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。 そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。 更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が 広がっていた。 インディオの操縦で四日間にわたった 「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った 絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。そこより落ちる滝は多い ときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、世界最長の落差の エンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、 麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。ここでは生物 の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。 そして涙が自然と流れ出てきていた。 二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。 「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、 フッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、 このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、 そして滝だけであった。 ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。 でもそれだけがすばらしいのだ。そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、 新しい世界をかい間見た十日間であった。 圧巻は、セスナで観たテーブル・マウンテンの全景。 (H9.8/23〜9/)
―――― ▼ 以上だが、読返すと、TVからの記憶の追体験は、充分可能と納得する。 これなら、記憶の一部を、この世に残せるし、思い残すことなく全てを抱き 旅立てる。 デジカメが普及する前の写真が多いが、デジカメは便利な代物。
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2018年09月04日(火)
『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著 ウォーバートン,ナイジェル著 * ソクラテスだね ◉ ジョナサン・グラバー ソクラテスだな。彼の意見を多くを取入れてるからではないんだ。彼が全てを 発見したからだ。哲学をやっている人は皆そうだけど、僕も、ソクラテスが 発見した方法を使って教えている。 ・まず、「これについて、どう思う?あなたの意見は?」と人々に問いかける。 ・次に、最大限明確にするように要求する。「あなたが言いたいことは、こう いうこと、あるいは、ああいうこと?」。明確になったら、正反対の例がある ことを提示する。「それは君の見方だよね。だけど、このケースにこんな原理 を当てはめて考えてみたらどうだろう。君には思いもよらないだろうけど」。 それが哲学の方法さ。素晴らしいと思う。 ・更にソクラテスは狭い学究的環境に自分自身を閉じこめず、市場に出て人々 に語りかけた。彼はチャンスさえあれば、フィロソフィ・バイツをやってたんだ。 私の意見では、あまりに多くの哲学者が哲学を一種の秘教的専門問題として 扱っている。それは大きな損失だよ。 ◉ ディビット・エドモンズ ソクラテスが上記の言葉を述べるに至った流れを軽く説明します。 まず生きるに値する人生というのは「善い」人生であろうと想定します。 ただ生きるのではなく善く生きるべきだと ソクラテスは言っています。 それでは「善い」というのはどういうことか?それは「悪い」ということが 分かった時に初めて その意味がわかります。そしてソクラテスは「善悪」とは 何かもっというと正義とは何かということを考えます。 そして 「善と悪は相対的ではない」という結論に至ります。私はこれを初めて読んだ時 (多分中学生でしたが)「ソクラテスは何を言ってるんだろう?善悪なんて 相対的に決まってる」と思いました。あることが「善いor悪い」というのは 畢竟するに社会が決めることです。極端に言えば殺人でさえ戦争中は認められ 勲章すらもらえます。これはその社会が殺人を善としているからに他なりません。 その他のことについても善悪は基本的に社会がきめているはずです… それならば社会や政治によって変わる「善悪」は当然相対的であって絶対的な 善悪なんてあるはずないと私は最初にソクラテスを学んだ時は考えていました。
◉ マイケルサンデル 一時期、正義とは何かでブームになったハーバード白熱教室の マイケルサンデル氏の著作にあたると分かりやすい説明があります。 ソクラテスは「善と悪は絶対的だ」と主張します。(何故か気になる方は 本をお読みください)そしてそれは「問いかけと推論」を通じて見つかり しかもその時初めて道徳と知識は結びつくのだと言います。 (私の最初の考えは「問いかけ」不足です。) ということは「問いかけ」をしない人生というのは「無知な」人生で 「道徳を欠いた」人生ということになります。それは「善き」人生ではなく 生きるに値する人生ではないということになります。 よって最初に書いた「吟味されることのない人生など生きるに値しない。」 という名言になるのです。
・・・・・・ 6017,ルネッサンス 2017年09月04日(月) * 近代の始まりは、「ルネッサンス」から 14〜16世紀は中世と近代の境目で、哲学ではデカルト、芸術ではダヴィンチ、 ミケランジェロなどが活躍。テーマの「ルネサンス」は、中世の微睡みを打破 する「文芸復興」を目指す運動をいう。 〜ネット辞書によると〜 ≪ 14〜16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起った革新的な文化運動。 renaissanceは「再生」を意味するフランス語だが,「文芸復興」と訳される ことが多い。ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ 新しい文化を生み出そうとする運動で,思想,文学,美術,建築など多方面に わたった。まずイタリアで始ったが,それにはいくつかの条件が働いていた。 ひとつには北イタリア諸都市の経済的繁栄があったこと,またこれら諸都市が 古代のギリシア,ローマと同じように都市国家の構造をもっていたこと, さらに地理的に古代文化の伝統を伝えるビザンチンやイスラム世界に近接して 接触が多かったことなどである。ここでは市民の現実的世俗的感覚がキリストや 聖者をも人間化する志向を生み出し,ギリシア,ローマの古典やその美術的様式 が尊重され,独特の市民文化が育っていった。この市民文化は特に都市の支配層 である富裕な上層市民の要求に支えられ,ヒューマニズム (人文主義) の立場が 貫かれていた。しかし諸都市のコムーネ体制が衰えて,より広い領域を支配する 君主国家が発達するにつれ,ルネサンスの性格も変化した。15世紀後半から文化 は市民的性格を失って,君主の保護のもと宮廷文化的性格を帯びるようになった。 そして後期ルネサンス文化の中心地であったローマで 1527年に起きた略奪事件 (→ローマの略奪 ) で,イタリアのルネサンスは終息したとされている。 ルネサンスの運動は 16世紀にはアルプスを越えてフランス,ドイツ,イギリス, ネーデルラントなどヨーロッパ各地に広まり,それぞれの文化的伝統および 社会的状況と結びついた独自のルネサンス文化を生んでいく。アルプス以北の 特徴の一つは聖書の研究を通じて信仰の内容を問いかけたことで,これは宗教 改革に連なる面をもった。 ≫ ― ▼ 近代化で欧米文化が底上げされ円熟した19世紀は、近代と現代の境目の世紀。 芸術(とりわけ、音楽、絵画、文学)の世界に大きなうねりがやってくる。 その400〜500年前に近代の夜明けが「ルネッサンス」で、背景には経済的繁栄が ある。その現代も、21世紀辺りから情報社会の到来で大きく変化を始めだした。 インテル社の共同創設者であるムーア(1929〜)が、<半導体の集積密度は18〜 24カ月で倍増し、チップは処理能力が倍になっても更に小型化が進むという法則> を提唱したが、これが加速をして現在に至っている。これは、10数年で、1000倍 の処理能力になるが、ユビキタスとして周辺にも普及し、便利な生活用品が日々、 向上している。その最たるものが、TVや、スマートフォン、タブレットなどのPC。 そのことは、ここで繰返し取上げてきた。何故に、「ルネッサンス」かといえば、 当時の「新大陸発見」と、現実社会を覆って出来た情報化社会と、似ているため。 近代、現代の境目と同様の新しい時代の到来が、情報化社会である。混乱は、 「再生」を孕んだ新たな価値観を模索する材料を提示していると見ればよい。 行き着く先は、「2045年問題」か、はたまた、何か? 今世紀を待たずして、 世界は消滅していくのか?「ルネッサンス」の様相の中に鍵が?「良質な妄想?」
・・・・・・ 5651,閑話小題 〜SJの現場で! 2016年09月04日(日) * チャレンジ5! 二回目の最終日に ・週に3〜4回だったSJでのヨガ・エアロ、試みに二週前から週に5回に挑戦、 SJに行く日は欠かさず参加、昨日で二週間連続10回目になる予定だった。 「昼間の割引コース」の枠内5日間で、月、火、木、土曜日が一回、水曜日 は12時半と15時の二回のプログラムが組まれている。週5回は少々キツイが、 SJの5年半の運動効果と、ヨガの4年半の鍛錬効果で、足腰の重さが半減から 三分の一に減っている。他にも、4ヶ月前から飲みはじめたサプリ効果もある。 先週、5日続けた効果で足腰がより軽くなった為、今週も、「チャレンジ5!」 の標語を内語で呟き、続けてきたが、一昨日のシネマをみた後、腰が変に痛く なってきた。で、昨日は迷ったが、とにかく、10日目、あと一日続けることに した。 その土曜日は、平日コースと、土日・祭日コースが重なるため、人気 のヨガは、午前中に予約チップを取っておかないと満席になる。経験則で、 11時過ぎに、取りにいったところ、既に満席である。顔見知りが、その場に いて、「11時前にきたが既になかった。二時間半前にきて満席とは、ちょっと ね〜」と愚痴。で、「チャレンジ5」の二週連続は最終日で未達成になった。 * 5千万の預金への嫉妬 ・仕方なく、イージーラインを二回続けて参加した後、ベルト・マッサージを していると、二人の中年女性の会話が聞こえてきた。興奮しているので自然と 声が高鳴っていた。それが面白い。 誰かが帰った直後らしく、 『5千万の預金、どうしたら出来るというの。今の私たちには絶対に無理。 話を合わせるしかないので、聞いていたのに。何を言っているのよ。』と。 話の途中で、早々、帰ってきたが、どこにもありそうな話。 ・以前も、書いてことがあるが、長岡駅裏の居酒屋で一人ランチを食べていた時、 近くのSJ<コナミ>の会員らしき中年女性らしき人たちの会話。 『大都会のサラリーマンは、二千万の預金が残るらしいけど、内には無いわ。 貴女の旦那はお医者さん。その位はあるわよね。』に、 『ローンで自宅を買って、まだ残債があるわ。とんでもないわ。』で、他の人 に話を向けると、『それって、夫婦で、一人で?』と自然な答え。 当然、その場が、白けていた。前に取り上げた『5千万の預金』の、続きと酷似 しているが、全く違う人。 家庭間の格差の問題が、こういう場で、知らずに 出てしまうのは仕方がないこと。これも、家内に言わせると、『恵まれた世界の 人たちの範疇の話。そこに行けるだけ有難いと思わないと』だと。 * 白馬のリゾートホテル社長の話 ・去年末の東京の学生時代の同級会で、長野で中型のリゾートホテルの社長を しているAという男が、酒を注ぎに来たときの会話。 A:会社整理をしたと聞いていましたが、大変でしたね。私のところも大変 ですが、オーストラリアとか、台湾、中国の観光客で何とか凌いでいます。 私:何とか、夜逃げをしないで、そのまま、自宅に住んでいます。それでも、 家内も40年間の厚生年金で、家内名義の給与を別にしていたので、生活は 何とか出来ています。 で、二人とも、厚生年金ですか? その辺りから、相手の様子が変と気づいたが、とき既に遅し。 A:家内は長年、病気に伏して給与を与える訳にいかず、年金も国民保険だけ。 そんな、余裕など、全く無いのが現状。 ―― 本人が謙遜で言ったかどうかは不明だが。 無神経だったことは違いない。 私にとって、現状の自分を肯定するのに必死で、ここの言い訳でも、多くの人 を傷つけているはず。いくら自分の心の軌跡として書き続け、公開していると しても、困ったもの。「その返り矢が多いことも気づかぬ愚かしさ」 「自分の血で、他人の傷口に塗り付けている己の愚かしさ」 傍からは、それが面白いのだろうが。 で、以下に丁度よく脈絡が続く。
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2018年09月03日(月)
9月03日 読書日記 〜哲学と対決する ―3 『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著 ウォーバートン,ナイジェル著 * 哲学山の頂上は、カントですね! 私なら、一位がソクラテス。二位がカント、三位がニーチェになる。カントは <まずはじめに世界(もの)があって、それを人間が認識するのではない。逆に 人間の認識能力にあわせて世界(もの)は形づくられ、はじめて存在する。>と。 これはコペルニクス的転回と言われるほど。思ったことに、対象を入れ込む、 人たちに、その原始的傾向をみる。 〔 私たちは目の前にあるモノを、そこにあるのが当然のごとく認識している。 「リンゴがあるからこそ、私はリンゴを見ることができる」 「ストーブがあるからこそ、私はストーブの熱を感じることができる」 物体や刺激が存在して初めて、私たちはそれを目で見たり肌で感じることができる (客観的視点)と思いこんでいる。しかし、カントによる考えはこれとは全くの逆。 「私がリンゴとして見るからこそ、リンゴの姿として現れる」 「私がストーブの熱を感じるからこそ、ストーブの姿として現れる」 人間が認識することのできない「モノ自体(本当の世界)」がもともと存在して いて、それを人間の感性で認識して初めてリンゴやストーブといった形が形成 される(主観的視点)。つまり、赤くて丸く見えるのはリンゴの仮の姿(人間に よる見方)であり、リンゴの本当の姿を人間は知ることができない。〕
≪ ◉ オノラ・オニール 一部の風刺画よりもずっと共感を呼ぶカント哲学の独自の広い解釈を培って きたように思います。どちらかというと、あまり知られてない本を読んで 欲しい。カントを広く探っていくと、実に多くの興味深いことがあるんです。 ◉ スーザン・ニーマン 他の誰よりも勇敢です。彼の最も重要な洞察は、有るがままの世界とこうで あるあるべきという世界との間に大きな溝があり、両者とも同等の価値を 持っているということです。だから絶えず心の中にそれら二つを留めている 必要があります。それは極めて難しい心構えです。非常に現代的です。 ある程度、危険と隣り合わせの生き方をし、フラストレーションが絶えない ということですから。人はあれかこれか決めたがる傾向にあります。 ◉ トマス・ポッケ カントト言わざるをえない。理由は二つ。ただ単に素晴らしいが一つ。 カントは無尽蔵です。カントは読む度に、新しい発見があります。 だから、ありきたりだが、無人島に一冊持っていく本といえば、第一に 『純粋理性批判』を挙げます。もう一つは、哲学に向かうカントの真剣さ が好きなんです。たとえば、倫理学に関して、彼は信じられないほど慎重で、 真剣でした。倫理学を真に重要なことであるかのごとく扱っているのです。 もっとも、何年とかいうスパンでなく、何世紀かのスパンでみれば、 最終的にそうであることが判明するんですけどね。 ◉ A・W・ムーア カントだね。一つには、彼の哲学には信じられない広さゆえです。 もう一つ、彼の哲学には信じられないほどの統一性があります。 それは驚きしか言いようがありません。 ≫ ― ▼ 『純粋理性批判』に、三つの問いを挙げた。 (1)人間は何を知り得るか、(2)人間は何を為すべきか、 (3)人間は何を望んでよいか、の三つである。 アプリオリは、経験に先立つもの。...通常、客観的に存在すると思われている ものにも理性の介入があって初めて、そのように認識するのではないか、と主張。 現時点でも、世の哲学者は、彼を超えることができない。
・・・・・・ 6015,閑話小題 〜ペットの‘ピー’がビーッと鳴いて 2017年09月03日(日) * ハロウィンのカボチャ カラスが、あいも変わらず自宅の周辺で騒いでいるため、「カラス除けの 目玉の風船」を百均のダイソーに買いに行ったが、置いてなかった。しかし、 ハロウィンのコーナーにカボチャに悪魔の顔を記してある袋があった。 これなら、もしかして大丈夫か?と、買ってきたが、その前に、ペットの ‘マメルリハインコ’の鼻先に、突き出してみたところ、ビーッと鳴いて 羽根をバタつかせて枝から転げ落ちてしまった。その後、丸一日、籠の奥に 身を隠していた。ならばと、2Fの玄関脇の手摺に、目立つように括り付けた。 まる二日経つが、カラスは近づいてこない。 で、昨日、玄関先から周囲を 見渡すと、50m先の電線から、一羽の若いカラスが、ジッと偵察?している姿 があった。 目玉の風船「短期的には警戒するが長期的には効果がない」と 云うから、1〜2週間後には、再び騒がしくなるのだろう…
* スキップ・トレース (シネマ感想) 昨日のシネマは、ジャッキー・チェンが演じるドタバタ。内容といえば、 <ベテラン刑事が詐欺師を追ってロシアへ向かう。その香港警察の刑事と、 米国人詐欺師。刑事も、なぜか追われる身となり、大地を駆け巡る。> 他のシリアスの戦争ものと、迷った挙句、「逃げ回る背景の大自然が卓越 していて絶品}という言葉につられ、決めた。が、期待を裏切らなかった。 中年のジャッキーチェンも、味があるというより、見苦しいが、それはそれ。 千円僅かで、30分もするかしないうちに別世界に誘ってくれるのは、1週間 単位の区切りとしてベスト。 〜評価:甘く見て80〜85点 ところで、「ハッピネスの状態がハッピーを呼寄せる。プラス3にマイナス1。 出来たら6対1」というが、私の実感は、どの位? 「5対1」辺り!。 さて、信濃川土手のチャリ散歩だ。
・・・・・・ 5650,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜�� 2016年09月03日(土) * 後妻業が面白い 昨日のシネマは、ハリウッド映画、『グランド・イリュージョン〜見破られた トリック』か、どうか、迷った末に『後妻業』をみることにした。昨今、離婚が 増えた分、再婚組が多く存在している。 『後妻業』があるなら、『本妻業』と いう専業主婦業の言葉も成り立つ。まあ、8〜9割方が、家庭内破綻をしている というから、長期、短期的に、多かれ相手を追いやっている?。 本妻業という プロ意識があればよいが。 小魚や、蛙に取りつき、一生かけ栄養分を吸い尽す 「タガメ」が『本妻業』の本質である。隠れ後妻業の方がたは、ドキッとして いるはず。 再婚は大変な筈だ。退職金かわりの資産がなければ誰がやるか? 〜今日は、シネマの内容紹介。 明日はネットの映画評を紹介予定。 ≪ 『後妻業の女』 「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くす タイプやと思います」と、結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する 小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロ。耕造(津川雅彦)もその一人。 二人は惹かれあい、結婚。幸せな夫婦生活を送っていた、はずだった――。 2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子 (長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を 相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実 が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う“後妻業の女”だったのだ! そして、 その背後には結婚相談所長の柏木(豊川悦司)がいた。 「結婚相談所に限って言えば、男の高齢者がよくモテる。第一条件は資産が あること。持病があればなおいい。看取る時間の効率が良いから女同士の取り 合いになったりする…」 次から次へと“後妻業”を繰り返してきた小夜子と 柏木、二人を追及する朋美と裏社会の探偵・本多(永瀬正敏)、小夜子の次の ターゲットであり彼女が本気で愛してしまった不動産王・舟山(笑福亭鶴瓶)、 そして彼らを取り巻くひと癖もふた癖もある人々…。 今、愛とお金をめぐるドラマが始まる――!! ≫ ▼ 350席の中ホールの客席が、ほぼ、熟年夫婦と、中年女性の二人連れで、 埋まっていたのには驚いた。かって無かったことである。この映画の圧巻は、 可愛らしく自己紹介する小夜子役の(大竹しのぶ)の魅力。そして裏の悪女の 顔を使い分ける演技は絶品。その彼女に男たちはイチコロ! その下唇を突き 出した悪女顔は、鬼気迫る迫力がある。清純派から悪女までをソツなくこなす 大竹しのぶに、大女優の片鱗を垣間見れる内容でもある。 評価;90点
・・・・・・ 5285, ー「原因」と「結果」の法則 ー 〜�� 2015年09月03日(木) ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著) 学生時代に読んだカーネギーや、最近では「7つの習慣」のコヴィー博士など の啓発本のハシリの本。森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に 移行したこともあり、純粋に、こういう考え方を受け入れることが出来る立場に なった。良い原因をつり続ければ、良い結果が現れることは分かってはいるが・・ そこが生身の人間。 四苦八苦は、人間に生まれてきたからにはついて回るが、 その三倍の楽を常に心がければ、何事も上手くいく!ことになる。 三倍を楽しむことは、日常生活の細部を楽しむ習慣化すれば決して無理ではない。 ピュアーな心根を持って、日々の細事を楽しめばよいだけ。 ーまず、アマゾンの商品内容の説明文より ・< デール・カーネギー、オグ・マンディーノなど、現代成功哲学の祖たちが、 もっとも影響を受けた伝説のバイブル『AS A MAN THINKETH』。聖書に次いで 一世紀以上ものあいだ読まれつづけている、驚異的な超ロング・ベストセラー! 「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。 私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。 『原因と結果の法則』は、目に見える物質の世界においても、目に見えない 心の世界においても、つねに絶対で、ゆらぐことがないのです」(本文より)> ー次に、あるビュアーより ・《「私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境 (結果)に運んできた」ということになります。つまり、自分の「思い」が 自分の「人生」を創り上げているということです。人の幸不幸は、その人の 環境と、その環境をどう思うか、その人の人格によって決まります。 環境が幸せなものならそれだけ幸せになりやすい、また、幸せになれる 人格をもつ人はそれだけ幸せになりやすい、ということです。 幸せになるためには、自分の環境を(幸せなものに)変えるアプローチと、 自分の人格を(幸せになれるべく)変えるアプローチがあるわけです。 自分の環境を変えるためには、自分が幸せになれるような目標をもって 努力すればいいのでしょう。 自分(の人格)を変えるためには、自分 (の心)を育てる努力をすればいいのではないでしょうか。》 ・《 何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが啓発書。 本書は1902年に英国の作家によって記されたもので、世界に数多くある啓発書 のルーツとも言われている。意外なことに、日本語版は今回が初出となる。 現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない と説く。結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある 支配的な思いにあると言う。「人間は身勝手な欲望を放棄しているとき、 搾取する側、される側のどちらにも属さない」という記述からは、当時の 英国社会に蔓延していた閉塞感を宗教以外の論理で解消したいという狙いが うかがえる。「自己制御は熟練技能」という啓発書の基本が、1世紀前に存在 していたことは興味深い。》 ▼ この年齢になっても、いや、なったからこそ、この原因と結果の法則には、 考えさせられる。 「いま、ここ、わたし」は、これまでの、自分の 「おもい」の結果である。 自然に任せておけば、大方は、いいこと、 わるいことは、五分五分になるが、意識して、いいことにアプローチをすれば、 わるいこと1、よいこと3にすることが出来る。それを対象、環境にも応用が 出来る。嫌なことがあったら、よいところを3つ探せば、確かに、そこにある。 自分の人生でも、同じことがいえる。老いると自己嫌悪に陥りやすくなり、 過去の全てをマイナスの視点で照射してしまいがちになる。 しかし、その視点で凝視すると、三倍、十倍のプラスの経験がある。 ・・・・・・ 4920,閑話小題 ー女社会のカースト制度 2014年09月03日(水) * お笑い、女社会のカースト制度 以前、目白の高級?住宅街の住人の「渡り僧侶」の奥さんが、 このカースト制度社会で虐められて、相手の子供を殺してしまう痛ましい 事件があった。 今朝のTVで、そのカーストの実態を放送していた。 「巷の社会学」を40数年、独学を続けてきたため、その扱いが面白おかしく 一人ニヤニヤしながら見ていた。それによると、階層が、セレブ、中間層、 最下層の三階層あって、大部分を占める中間層が、セレブもどきの小金持と、 普通のサラリーマンに分かれている。そして最下層は、その中に入れずに 除外されている人たち。 その色分けは、セレブは高級マンションから アパートの住まいと、子供の学校のレベルと、夫の年収と社会的地位などで される。セレブもどきは、中級のマンションか一般住宅の住人で、一億前後の 資産? 最下層はアパートか、中間層から排除された人。それをわきまえ ないと、露骨な嫌がらせか、村八分にあうという。高層マンション住民にも、 上層階ほど値段が高いので、自然と上ほどランクが高くなるとか。 男社会の仕事の現場も似ている。 それは面白いが、一切に触れないように、 アウトサイダーに徹し、ガードを張って生きてきたが、この事態に、差別? の露骨な嫌がらせに何度か受けたが、20年近く前から、森の住人から、 サバンナに軸足を移動していたため、動揺は少なかった? というより、 コミカルな蔑視の対象にしてきた。 ところで数年前、家内のところに、見知らぬ人から一枚の手紙が来た。 その内容が「近くの高齢者向マンションの住人で、人伝に貴女が共立女子大 出身と聞きました、何かの御縁、お茶でも飲みませんか」の誘い。断る理由も ないので、早速、ホテルのレストランでコーヒーを飲んできたが、時々、 同窓の集まりがあるので、参加しませんかの誘いであった。 あとで知ったが、この会の新潟支部長の長男と、私の長男が高校の同級生で、 その人からの指示があったのでは?と推測された。で、何時の間にか、 その世界にドップリ浸かり、今では支部長の妹分?のようだ。 人から見たら、カースト制のセレブ?か、セレブもどきの世界。 その顔ぶれは?? 慶応出の女子部会も、あると聞いたことがある。 この視点でみれば、家内はセレブ社会の住人に入り込んだ「セレブもどき」で、 私は最下層の住人になる。いや、最下層からも弾けだされた人非人。 元もと触れなければ、一切関係ない世界。これに拘り視界狭さくをしている のが世間様。娑婆娑婆である。 ーまた偶然だが、以下の文章は、子供時代の目線の中に、 その存在が、モロに現れ出ている。 ・・・・・・ 4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2 2013年09月03日(火) 写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をして いたか思い出してみた。私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、 各々の実家の職業は全員、憶えていた。半分以上は幼稚園から同窓で何処かで 同クラスだったためだろう。 焼鳥屋、自転車屋、ペンキ屋、乾物雑貨屋、 美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、青果卸業など、駅前もあって 商店主の子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、 社長をしている)と土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然。 中学校は全員、東中学校に進み、2、3年時での同クラスは男は私を含め7人。 女は3人。その後の人生をみると、高校と、大学に進むにつれ分別され、 そこで大部分が決まってしまう。それ以前から血筋で決まっていた? 当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。 やっと商店内の生活から解放された。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め 始めていた。目の前のライバルがハッキリしたこともある。実家の力関係と、 相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が出来ようとしていた。 その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、 テストで百点をとってみな! そうすると、他も自然に良くなるから!」 その時、「これだ!」と思い、実践したのが勉強の目覚めの第一歩。 他に店から自宅と生活環境が変わったことが成績に大きく左右をした。 また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。 勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。その上、居間に TVが入って夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、 「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。そこでガムシャラな勉強を始めた。 一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら地元の受験校さえ 入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる重要性を 学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分が ディズニーのキャラのように見える。頭でっかちで、親が、そのまま縮小した ような姿で、未来の人生に向かって精一杯生きていた。 この切り口は、 人生の全ての場面に当てはめることが可能。自分とは過去の積み重ねから 成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。この文章を書いて いて気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無) に逆照射すれば、同年代になる。その意味で、団塊の世代にとって、 昭和三十年前半は意味がある。里帰りということか。
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2018年09月02日(日)
『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著 ウォーバートン,ナイジェル著 * 一番人気の‘デイヴィット・ヒューム ◉ ジョナサン・ウルフ <多分、ヒュームだろうね。26歳の時に、『人間本性論』を書いていたという のがその理由。その中には、とてつも独創的な新しい観念が幾千も詰まっている。 年端の行かない若造が、既に考えていたということは奇跡のような気がする。 無駄を省いた表現の信じられないほどの簡潔さにも感心させられる。1ページで 3つもの素晴らしい議論が読めるんだ。殆どの哲学者は、ヒュームの本の1ページに のっている観念を生み出すだけでも、自分のライフワークとして満足するのだね。 ◉ チャンドラン・クカサス 一つにそれは私自身の経歴に関わっている。私が修士の学生だった頃、体系的 に取り組み始めた最初の哲学者が彼だった。彼の常識的で人間的な姿勢に引か れるためです。私にとってあまりにも冷徹すぎるドイツ人ほど冷徹でない彼の 道徳の理解に心が引かれます。 ◉ バリー・スミス 一人挙げろといえばヒュームです。彼は僕らの人生のあらゆる側面を的確に理解 していたと思います。心はどのようにして動くか、僕はどのようにして世の中に 適応するか、徳性の性質、美の判断、政治学などすべてです。本当に彼は、僕らが 生きものとして生き物としてどのように動くか、心がどのようにして構築され、 どのように組織されるのかといったことを正確に理解しようと努めました。 ― ▼ ヒュームが多いのは、対象が哲学者だから。哲学書を読む度に、どう考えても 理解できない哲理ばかり、秀才、天才は、遥かに難しい論理を軽く理解し、その 先の世界に入って、更に論理を拡張している。その難しい哲理を、ヒュームは、 論理的に説くから、人気がある?
・・・・・・ 6014,閑話小題 またまた4kTVについて 2017年09月02日(土) * 4kTVを入替えて8ヶ月 去年暮れに、寝室のTVを7年ぶりに入替えた感想を何度か書いてきた。 その1年前に、ブルーレイを入れ、WoWoWの2台目契約をして、1年分の 映画、ドラマ、海外旅番組など、私専用の300本を録画していたこともあって、 毎日が面白さが格段、上がった。その上、TV画面がフルハイビジョン以前の 100万画素から1100万画素にアップ。0・3の視力が3・0になっと同じようなもの。 更に、ネット配信で、YouTubeなどの映像が自由にみることが可能になった。 これは、生のリアル社会より、虚構のドラマや、旅人の代行をするレポーター の映像に埋没する「オタク」に陥ってしまう。 まだ、スポーツジムと、 早朝のポタリングと、図書館と、随想日記で自己主張の外出が組んであるため、 平衡感覚を保てるが。 5〜7年スパンで、TVを入替えてきたが、7年前に入替えた時の驚きも大きく、 日常のTV生活が大きく変わってしまった。地上波の全ての番組を自動録画を 28時間分してくれる。ゴールデンタイム19〜24時まで設定すると、約5日分を 録画をしつつ、過ぎた分を消していく。これでゴールデンタイムの気になる 番組から開放される。その分、録画したドラマや、BSの番組を見れる上に、 録画機能が内蔵されているのが、意外と便利。イチイチ録画機を立ち上げる ことなく録画を呼出せるのが、便利になっていた。ところが、今度の4kは… ということで、ますますオタクバカになっている。 〜HP内検索をすると、よくぞ!と感心するほど、詳細に書いていた。 余程、閑とみえる。
・・・・・・ 2017/06/17 閑話小題 〜話題の「4k、8kTV」とは 〜1 * 2k、4k、8kTV 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。 その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、 視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。 〜ネット検索で調べると〜 ≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目 されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと 呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる 8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。 フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても 液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫ ― ▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。 同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」 と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、 これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで 関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、 今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、 納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。 8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」 が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に…
―――― 5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 2017年02月01日(水) * 冥途の土産に ・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの 録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月 経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に 秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。 決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、 やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。 奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。 これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、 何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 ・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから 終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に した世界に変っていた。 ・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される 力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。 ・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像 を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、 葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が 違う」と聞いた情報。 ・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像 世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では 圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。 「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」 ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった ためという。 ・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代 になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。
―――― 5804,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −2 2017年02月04日(土) * 鮮烈荘厳で神秘に満ちた粟粒の光景 たまたま、7年前の写真家・白川義員の文章があった。 4k8kTVで、YouTubeサイト、『世界の秘境 高画質』などで検索すると、 次々と息をのむ光景が出てくる。それも現場で見るのと遜色ない神々しい シーンなら… 何おか言わんである。4k8kのビデオカメラから映し 出された世界中の秘異境の高画質のものなら、感動しないわけがない。 間違いなく旅先で神秘的な光景を見ることが出来るとは言えない。絶妙な 天候などで、外れる可能性を含んだ上で、その神々しい光景との一期一会の 出会いが感動を高めてくれる。 『長岡花火 フェニックス』と、音声入力 をすると、現場の裸眼で見るのとは違った高性能カメラが映しだす信じがたい 色彩の花火が息もつかさず現れ出てくる。 以下の文章にある、 <スゴイ景色との出会い>が、現場とは違ったカタチで、TV画面を通して、 気楽に見れる。 毎日、その画面を見て、独り溜息をついている。 秘異境での光景との出会いが沈殿してあることもあるが。 それもこれも、高質な『キーワード』に順じて写真、映像が出てくる。 経験があればこその『キーワード』であり、映像である。これが、プロだけで なく、一般人が高性能のデジカメを持てる時代の産物である。 例えば国際線の 機長が、機上で目にした下界の光輝く景観の写真集を、図書館で見つけたことが あった。機長しか見れない光景だからこそ素晴らしいのである。 娑婆に執りこまれていては、見ても見えず。そちらから、娑婆を新たに 見れば、内幕情報とか何とかなど、何おかいわんになって然るべきになる。
―――― 5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3 2017年03月05日(日) * 現在も驚愕の日々が続く 〜ドローンで空撮 昨年の秋に東京の葛飾に住む一回り年上のカメラマニアの従兄から、 「4kTVと、ビデオカメラが如何に素晴らしいか」を教えてもらい、寝室の 6年半使用のTVを少し早めに買換えた。当然、さほど余裕がない立場の身、 家内からの激しいバッシングを受けることに相成った。 従兄が語った 「私は進行ガンで老老介護の日々。生まれるのが10年早かった。ドローンに 8kカメラをつけて、名所の自然を空中から撮ってみたかった!」という悲鳴 に近い口惜しさが直に伝わっていた。そこで一月かけて、4kTVとは如何なる ものか、家電店を10回近く見て回った。特に「ソニーの‘ブラビア’は別次元 の世界に誘う。4kだが実際は8kに近いしろもの」という殺し文句を数人の担当者 から聞くことができた。 人間の視覚を遥かに超えた4k・8kの画面は、現地 で見るより数倍に視覚能力を持つ。 TV検索によるネットサーフィンで昨日、 行きついたのが、 <ハネムーンに400日! BBCも取り上げた日本人夫婦の仰天新婚生活>の映像。 そういえば、去年の暮れに話題になりワイドショーで取上げていた。 〜ネット検索によると〜 【 「一生分の夫婦の話題づくりをしよう」 そんな一言から、ある夫婦の壮大な旅路が始まった。関西国際空港から飛び 立った2人は400日をかけて地球を一周、48か国を巡った。2人は自分たちのこと を「ハネムーントラベラー」と呼ぶ。400日間の世界一周旅行は彼らにとっての 新婚旅行だったのだ。新婚旅行で世界一周というのもユニークだが、彼らの旅 にはもうひとつ独特な試みがあった。行く先々でドローンを飛ばし、世界各地の 名所の空撮映像をSNSで公開していたのだ。これをイギリスの国営テレビ局BBCが 報じたことによって、2人はいちやく有名人になった。千貴さんがネット上に アップした一連の動画の合計再生数はいまや1000万回を超えるという。 400日間もの旅路は夫婦に何をもたらしたのか、そして夫婦を旅にいざなった ものは何だったのか。2016年8月に日本に戻った。新たな生活を営み始めた2人に 話を聞いた。<ドローンから撮影した絶景はこちら> 】 ▼ 従兄も、これを見たのだろうが、写真マニアなら実に無念のはず。 私が50年かけて51回、合計延べ500日間、予算が3500万円。 この二人は、予算500万で、400日。家賃3万円のアパートに暮らし、徹底した 節約生活を送り、2年でこの大金を貯めたという。それにドローンに4kビデオ。 何とも羨ましい限り。プログラマ―のため、仕事で路頭に迷うことがないという。 2人の行先の多くが重なる… 毎日、真昼間から寝室に籠り、異世界に入り込む のも、変といえば変だが、それでも精神は異世界で羽ばたいている。 〜で、再び、文脈が、去年の同月同日の内容に続く。
ー――― 5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4 2017年03月06日(月) * 世界の絶景をドローンで空撮 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿 した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、 節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面 をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。 その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた 星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの 空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。 〜2人のネット記事から〜 【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、 これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。 「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。 世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の 写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が 近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。 それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」 いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ 2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した 映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、 BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。 ● 2人が旅から得たものは? ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。 例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略) 上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、 すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。 パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験 だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。 千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している 映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、 『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示 している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、 最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、 「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。 ― ▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。 この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの 進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代 からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の 受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。 〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。
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2018年09月01日(土)
9月01日 読書日記 〜哲学と対決する ー1 『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著 ウォーバートン,ナイジェル著 *「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」 著者は、過去数年間、私たちと出会った哲学者に、事前の通告なしで、 「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」の質問を続けてきた。最初に挙げ られたのが、18Cに活躍したスコットラン人のデイヴィット・ヒュームだった。 彼が首位に挙げられる頻度の多さに驚いた。サンプルの20%以上にのぼったのだ。 プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ミル、ニーチェ、ウィトゲン シュタイン、といった他の著名な哲学者も多かったが、その頻度は、ヒュームに 遠く及ばなかった。 〜アマゾンの内容説明より〜 《お気に入りの哲学者は誰かと64人の哲学者にきいたところ、一番人気は意外 にも… 27人の哲学者について、現代の27人の哲学者がインタビューに答えて、 その神髄を語り尽くす。―やはり哲学を理解するには対話だ! 》 〜まえがき、より〜 <哲学は今や、2500年に及ぶ観念の歴史を持っている。それぞれの世代は、過去 の偉大な哲学者の本を読返し、解釈をし直す。過の最も重要な思想家について、 今日の第一線の解釈者に話を聞くことが出来たのは幸運である。 フィロソフィ・バイツが始まった時、懐疑論者たちは、秘教的話題とみなされる ものへの関心はごく小さいだろうと推測した。ところが、世界中の人々がプラトン の愛の見解、カントの先験的命題、サルトルの実存主義についての話に聞き入った。》 ー ▼ 「お気に入りの哲学者は誰ですか?」に対してダン・スペルベルが、一言、 <そいつは難しい質問だね。わしには、好みの哲学者などいない。哲学で わしが好きなのは、意味の相違や対話、つまり、相手とはまったく異なる視点を 持ちだして議論する能力なんだ。> が、グササリと刺さった。 日本人の最も欠けている能力である。
・・・・・・ 6013,幸せの確率 〜6 2017年09月01日(金) ー幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著) * 想像してごらん 仕事なんてしなくてもいいのだと ‘はじめに’冒頭の、ジョン・レノンの「イマジン」の著者の「替え歌」が良い。 リタイアから、このかたの私の気持ちそのもの。 ・「創業を心に決めた20歳の時節。その計画に従い、自己配転をしていた時節」 ・「時節到来と、創業を始めた34歳の時節」 ・それとも「還暦までに、30年分を圧縮して生きると、決心した51歳の時節」 ・「事業清算を決断をした65歳の時節」 まず第一歩が、目先の他者評価を無視すること。これは現在も続いている。 これに慣れると人生が激変する。社会が全く違って見えてくる上に、俄然人生 が面白くなる。 この替え歌のような「自らに由る」自由意志が生まれてくる。 世間体とかいう妄想から解放される。せっかく80年の生命体を頂いたのだから。 譬えるなら「他の宇宙から、80年間地球観光ツアーのため、心身を与えられ、 地上に放りだされたのだから」… 仕事などしない方が良いに決まってる。 生きるために必要な術なら、「前半は仕事。後半は遊び」と、出発点で割り 切る生き方がよい。自由、平等、博愛など妄想だが、それでも心の奥底に、 指標として必要欠くべからざる理念。 6年前に、このことに気付き、ここで似たようなことを書いてきた。 背中に天使の様に羽根が生えフワフワ浮いている感覚。 < 自分勝手に、何に縛られていたのだろう。縛っていたのは自分自身。 朝起きて、パソコンに向かい、ひとテーマの文章を完成し、ネット上に上げ、 自転車で信濃川土手の二つの大橋を一周して、居間でTVをみながら、コーヒー を飲んだ後、朝食ととり、朝風呂に入り、午前中は読書か、ネットサーフィン。 … 少し物足りない感がないでもないが、見渡すと、殆どの人達が、反面教師。 「あれは、何じゃ」で、それは吹き飛んでしまい、以下の歌詞のとおりになる。
≪ ーはじめにー 想像してごらん 仕事なんかしなくてもいいのだと。 ほら、簡単だろう? 気が向けば働けばいいし、遊んで暮らしたってかまわない。 自分の時間を犠牲にすることなんてないんだ。
想像してごらん 束縛なんかないのだと。 そんなに難しくないだろう? 好きな土地に住もう。田舎でも、都会でも。 旅するように移り住むのもいいし、リゾート暮らしも素敵だね。
想像してごらん。 目覚めと共に起きて、眠くなればベッドに入る生活を。 疲れたら横になればいいし、気が乗れば徹夜したっていい。 明日のことなど気にしないで。
想像してごらん。 朝の陽射しの中で飲むビールを。 いつでも旅に出られる気ままさを。 そして、ありったけの情熱を傾けられる、何かのことを。
そのために君がしなければならないことは、ただ、ひとつ。 それは、残りの人生を過ごすために必要なお金をつくってしまうこと!
ひょっとして、今、笑ったかい?
君は言うかもしれない。金持ちの戯言だって。 運や才能に恵まれた人間の自慢話だって。 いや、決してそんなことはないんだよ。 必要なのは、ちょっとした努力と、コツだけさ。 ――
本書には、そのコツが書かれている。 そんなに難しいことじゃないんだって、わかってくれると思うよ。 ちょっとした努力の方は、自分でなんとかしてくれ。 この本を手に取るくらい好奇心旺盛な君なら、問題なくできるはず。 ただし、常に用心を怠らないように。両目をしっかりと見開くこと!
幸運を祈る。 ≫
ネットで、歌詞を検索すると
Imagine there's no Heaven It's easy if you try No Hell below us Above us only sky Imagine all the people Living for today...
Imagine there's no countries It isn't hard to do Nothing to kill or die for And no religion too Imagine all the people Living life in peace
You may say I'm a dreamer But I'm not the only one I hope someday you'll join us And the world will be as one
Imagine no possessions I wonder if you can No need for greed or hunger A brotherhood of man Imagine all the people Sharing all the world
You may say I'm a dreamer But I'm not the only one I hope someday you'll join us And the world will live as one
想像してごらん 天国なんて無いんだと ほら、簡単でしょう? 地面の下に地獄なんて無いし 僕たちの上には ただ空があるだけ さあ想像してごらん みんなが ただ今を生きているって...
想像してごらん 国なんて無いんだと そんなに難しくないでしょう? 殺す理由も死ぬ理由も無く そして宗教も無い さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって きっと世界はひとつになるんだ
想像してごらん 何も所有しないって あなたなら出来ると思うよ 欲張ったり飢えることも無い 人はみんな兄弟なんだって 想像してごらん みんなが 世界を分かち合うんだって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって そして世界はきっとひとつになるんだ
―― 森山良子 今日の日はさようなら 歌詞
いつまでも 絶えることなく 友達でいよう 明日の日を夢みて 希望の道を
空を飛ぶ 鳥のように 自由に生きる 今日の日はさようなら またあう日まで
信じあう よろこびを 大切にしよう 今日の日はさようなら またあう日まで またあう日まで
<忘れてしまったな、この感覚。 「イマジン」と共にTVのYouTubeで聴いてみようか>
さよなら さよなら さよなら はい さようなら!
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