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堀井On-Line
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2018年08月31日(金)
* まあお暇なことで…
創業となるとトラブルの連続。そこに嫉妬、妬みが加わる。
バブル華やかな頃、経営の神様と言われた故・邱永漢が、
『地元で事業を興すな。烏合の衆の中で革新(創業)をすること自体、
大きな無理がある。それぞれ代々の因縁で雁字搦め、絶対に避けるべし!』と。
5年近く、実家の本店を引継いでみたビジネスを通してみた地元社会が、
邱永漢そのままの現実に、驚くやら、飽きれるやら。地元は私にとって限界。
で、邱永漢の論に従い、新潟駅で起業を始めることにしたが、これが正解。
長岡とは風土が全く違う開放された社会。長岡では、日本地図そのまま見るが、
新潟では180度ひっくりかえし日本海を背景に見る。これは、金沢でも同じ。
新潟市の本質は天領文化が故に、外海と表日本に向けて開かれている。
血筋、因縁など、アナザーワン。その事業を清算して住み心地良い?御屋敷
で、7年半前から御隠居暮し。そこで生じるのが城下町住人との感覚の違い?
気持ちは地元を去った100%が外モノ。その一部の軋轢も一通り終わりつつ…?。
長岡というより、地方は納豆のようなベタベタの人間関係。
地元は、小・中・高校の人間関係で済ませ、距離が置いていたのが幸い?。
それでも平均、3〜6ヶ月に一度は、何やらの「サイコパス」が一瞬の隙を
ついてくる。今では手慣れたもの、全身全霊でイメージで 打砕く。
これがストレス解消にうってつけ。‘その1〜2年後に何かの巡り合わせで
因果?が現れるという物語にして…。あとは自然の成りゆき…。 これで
怒りが冷まる期間が二週間、1年後に完全忘却。ところが、その辺りに対象に
マイナーが具体的に現われ出る。それも罪悪感と後味の悪さが残らない範囲で。
これを「内的処理」として丁寧に実践。それが来年3月〜8月に、めじろ押し。
どうなるのでしょうか? 私自身のカエリ矢の可能性も。
ところで、図書館で、『怒り〜心の静め方』という本を借りてきた。
まあ、可愛らしい内容である。
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2017年08月31日(木)
6012.閑話小題 〜実際の長生きは苦しい
ー新潮45 6月号・特集:私の寿命と人生
『実際の長生きは苦しい』久坂部羊―
* 老衰は、そんな生やさしいものじゃない
身につまされるテーマである。確かに、この年齢まで生きることが出来て
有難いと思っている。特に、20年来の本格的情報化社会への激変は、刺激的、
かつ劇的であった。ネット社会が現実社会の上を覆って別世界をつくったが、
これを目の当たりに出来たのは人類の一員として無上の喜びである。。
逆に、医療効果で、寿命も延びてきたが、その影も浮び上がっている。
姉、兄、その連れあい、いとこ、など身内が70、80歳半ばに到達した。
痴呆症を含めた老々介護などの問題が直面している。長寿がめでたいのは過去
の話。他人事と思っていたが、古希を過ぎた現在、自分の問題にもなってきた。
―
≪ 医師で作家の久坂部羊氏による「実際の長生きは苦しい」は高齢者医療に
携わる氏の本音であり腑に落ちる内容である。元気のままで長生きできると
思っている人が多いがそれは夢想であり、実際は体が弱り機能が衰え、生き物
としてダメになっていくのを実感するのが長生きだという。
がんにせよ心臓・脳血管障害にせよ老化によるものなので自然の寿命なのである。
それをなまじ病院などに行けば無理やり死を遠ざけられ想定外の苦しみを味わう
ことになる。病院に1,2か月通っても良くならなければ医療は無力とあきらめた
ほうがいいという。≫
≪ メディアでは盛んに健康、アンチエイジングを謳っているけれど、高齢者
医療の現場は大変なことになっている。「老衰」で死にたいと、多くの人は
思っているのではないだろうか。実際、私もそう思ってた。でも、久坂部さん
いわく、「老衰はそんな生やさしいものではない」と。確かに眠るように、と
言っても、よく最後は肺炎でとか聞くけれど、実際は息苦しいだろうし…。
どんなに死を恐れ、拒絶し、悲しんでいる人も死に顔は無表情だったという。
死はそんなに悪くないということ。≫
≪ … 死をどう考えていますか?
・久坂部: 私は死を全面否定しない。死は悲しいし、つらいし、苦しい。
しかしそんな死にも良いところはある。そう考えることでバランスが取れる。
… 高齢者の大半が病院にかかっていますが
・久坂部: 老人の病院通いは害が大きい。時間と労力、お金をかけて検査を
重ねた結果、分かったのが治らないということだけだったりする。それなら
何もしない方が有意義だ。老化が原因の病気に対し、医療は限界がある。
病院に行けば治るというのは幻想です。≫
―
▼ いざ、自分に「余命半年」と告げられると、動転するようだ。長生きの
リアルを知らない人が、長寿に憧れ、メルヘンの世界をイメージするが、
それは綺麗ごとに終始するメディアと、健康関連業者だけ。死ぬに死ねないで、
「健康法で、長年、散歩をしてきたが、あれが悪かった!」とさえ…
「で、どうすればよいか?」というと、「自然な寿命を受入れること」。
現実問題としては、「病院に行かないこと」。
医師として多くの看取りをしてきた著者が、<「死を受け入れることは
難しくない。いつも、死のことを考えていれば慣れるし「あきらめ」もつく。
ヤケクソではなく、「明らかに観る」という意味の「あきらめ」が必要>と。
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2016年08月31日(水)
5647,「家、ついて行っていいですか」
* ぬいぐるみに話かける男
ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという
より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。
先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。
ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した
ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。
「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。
都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い
人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・
≪ 20代後半の男。
家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが
あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を
重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに
今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中
とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので
洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。
そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり
することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、
話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、
1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない
こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、
昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。
他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」
だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ
もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に
とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。
捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。
将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。
ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと
思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん
じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって
いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して
ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか?
キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫
▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、
「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、
この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の
中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から
自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、
都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように
書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に
ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。
何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する
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| 6378,閑話小題 〜同月、同日分を先に読んでみて |
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2018年08月30日(木)
* 過去文からテーマを考えた テーマを考えあぐねて、同月、同日の17年余のテーマの幾つかを読みをして、 その感想を書いてみることにした。何時も、当日分を書いた後に読返していた。 当日の文章から、「過去」をふり返っていたのが、過去の文章内容からテーマを 起案するのは初めての経験。新たな気持ちで読返すと、思いの外に重く真面目 くさったテーマばかり。この程度でもテーマ探しを入れると3時間のエネルギー が入っている。それが重苦しさ?を生み出している。本来、生真面目?なのか。 毎日、過去の文章をコピペする過程で読返しているが、真っさらな気持ちで ジックリと読返すのは初めて。毎日、一期一会で選び出してきたテーマと内容。 ネット上に連日ともなると、極度の緊張と、集中が必要となる。尤も、それが 狙いだが。としても、我ながらシリアスである。それも毎日毎日。 そうともしてないと、精神のバランスが保たれないため? こんなことを 誰に頼まれた訳でなし。ただ面白いため。秘異郷の大自然の光景との邂逅で、 日々、生きている価値が認識出来るようになったためだろう。極限を超えて、 広く、深く、明るく、経験と知識を重ねる必要性を、改めて感じた。 重くても、軽くても、暗くても、シリアスでも良し。広げ、掘下げた知識、 経験しか、世界は感知出来ない。 で、このテーマは何? 過去の文章は、 今の私に何を語りかけてくる? <肩に羽根を付けて、もっと、舞え>と! これが隠れテーマ! 死んで三日もすれば、元もと存在してないのと同じこと。
・・・・・・ 4916,一度、死んでみましたが 2014年08月30日(土) 『一度、死んでみましたが』神足 裕司著 * 重介護5のスーパー闘病記 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上で あることに気づくのは、失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢 の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、10年は死んでしまう。 TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。 実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、 去年12月に、不自由なベッドで書いた『一度、死んでみましたが』という スーパー闘病エッセーを出していた。コラムニスト復帰の第一弾の本を、 偶然、図書館で見つけ、借りてきた。脳の大手術で、現在も殆ど動くことが できず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、この書を 読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。 50歳半ばから還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、 癌で死んでいるが、どれもこれも、最期は壮絶な状態。これは、その実況 中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、そのまま伝わってくる。 本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。 「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、 そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子のレビューより ≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許し いただきたい。本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気に なれなかった。怖かったのだ。父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん 百%ではない。ページを繰っていけば、彼がこれまで積み上げてきたものが、 私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまうのではないか、 そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても 紡ぎ出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、 以前の筆者にも書けなかったのかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の 修飾語を用いながら、ページを埋め尽くすのが豊穣な表現だとするならば、 この本はそれには当たらないかもしれない。むしろ、そのような表現は 全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。 少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現は あり得なかったのだろう。切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、 ミスタッチだと思われかねないフレーズ。彼の憧れたジャズピアニストを 思い出す、なんていったら笑われるだろうか。 ・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」 とは「友人」とは、そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのある テーマについて、文章を書いているその瞬間の筆者にとっての虚飾のない、 研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに思われながら、 どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。 くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち 止まって「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。≫ ▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を 味わうしかない。どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい 人のようだが・・ 本人は、このスーパー闘病記を、自分の愛読者に読んで もらうことが、慰めのようだ。私のエッセイ『事業人生を決心して・・』 の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、この事態になった」と 吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。
・・・・・・ 5646,不幸な国の幸福論 〜�� 2016年08月30日(火) <不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> * 考えないと、正しく悩めない ここまで生きてきて、思うことは、多くの「人は、考えない」ということ。 だから、正しく悩めない。5年半前に、会社の清算に至ったが、その創業設計に、 破綻前提に「万一に備え」を組みこんでいた。幼児期に、太平洋戦争の戦災に 焼けだされた両親の血の滲む苦労の後姿を見て育ったこともある。 夜半、 隣で、母が父に、『死にたい、何もかもが嫌になった』と話しているのが聞こ えていた。 両親にとって、長年かけて築いた財産の大部分を長岡空襲で焼け 出された前後に、様々な問題が家庭内に起こっていた。両親は、子供8人を 含めた10人家族分を稼が必要があったため、普通の働きでは、生活出来ない。 (当時は、多くの家庭が大家族だったから、別に珍しいことではない)。 この幼児体験があったため、準備を含めた45年の事業人生、大変だったとか、 会社整理に対し、何ら後悔がなかった。決心をした時点から、万一の覚悟も 立てていた。 何事も、『事前の一策は、事後の百策に勝る』。そのためには、 考えて考えて考えなければならない。博打は、恐怖を見据え、乗越える中で 勝機がやってくる。そのため、考えてない人は、直ぐに感知できていた。 日本人は、島国で海に守られている閉鎖社会。考えないで済まされることも、 ある。 〜ネットによる書評から〜 ≪ 日本人特有の性質は、自分で考えることをせずに評価の基準を他者に求め それに合わせようとする。狭い人間関係の中で簡単に人間にレッテルを貼り、 本来なら複雑な要素から出来ている人間を単純に理解してしまう。それが故に 別の環境であれば何でもないことでも必要以上の敗北感やつまづきを覚える。 だが、気の持ちようでいつでも人間は幸福を手にすることが出来る。 本来幸せに形なんかない。むしろ理想の幸せの形を決めてしまった時から、 自分はアレが足りない、コレが出来ないとあら探しをしてしまい不幸が始まる。 人生万事塞翁が馬である。変えることが出来ないものを受け入れる冷静さ、 変えることが出来ることを変える勇気、そしてその2つを見極める知恵。 正しい諦めから生まれるしなやかさを手に入れれば、幸福はもうそこにある。≫ ▼ この城下町では、「同化圧力」が異常に強い。だから、地元の長岡高校の 校訓、「和して同ぜず」の和同の精神があるが、実際は、同化しないと、 「どうかなる」のが実情。地元の41年前になるが、Uターンをしてきて、 直ぐに直感したのが、この「同化圧力」の毒素で、脳がやられる恐れである。 そのため、地元の卒業校の同級会以外の会は、一切、参加しないことを決めた。 会社整理で、この御蔭で、人間関係では最小のストレスで済んでいる。 人間は感情の動物、理性で割切れといっても、そうはいかないが、感情が 元もと皆無のため、同級生の範囲で済まされる。怒りの感情は、全てここで? <考えない、なやめない、カッパエビセン> が、何故か浮かんできた。
・・・・・・ 5281,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月30日(日) ーその時、言葉は私の「神」となるー (新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 言葉は原罪から生まれた 他人からみた私を意識する「自意識」過剰が果たして罪なのか。 二つの私、「自意識の私」と「自我の私」の両者が頭の中で、常に問答をする。 老齢期では、「私の人生、果たして、これで良かっただろうか?」と。 良かったのだろうか? 人間は生きている限り、原罪を犯すもの。 老いて、その原罪を見つめて悔悟する。知識を持つことは原罪なのか? 知恵を持つことが原罪なのか。他者=世間の目を神のごとく信じるのは、 プラ・マイの両面を持つ。 最後は、自分の自意識で、どう受け止めるか? 死線を漂い、社会復帰をする中で思った心の奥底は深いもの。〜その辺りから ≪ ああ、諸君。「自我の私」として唯我独尊で生きるのと(もちろん、孤独は 感じない。もとより孤独という概念がないからね)、「自意識の私」として 他者と繋がりながら傷つけ合いながら生きるのと、どちらが幸福なのだろうか? 少なくとも心肺停止前の「自我の私」で生きていた私は、多幸感に満ち満ちて いた、他者のいないたったひとり楽園に住んでいて、寂しさも不安も感じず、 その中でぬくぬくと微笑んでいた。周りの人々から見たら、それは呆けた抜げ殻 であったようだが、本人はそんなことちっとも気にかけず、ふわふわと漂い 幸せに生ぎていた。・・心肺停止の後に生ぎ返って、目覚めた私は自意識も取り 戻していた。肉体が回復すればするほど、自意識も回復し、他者との関係に 悩まされるようになった。特に例のMXTVの降板以降は、人と会うのが嫌になって 完壁に引きこもった。社会に拒絶された気分になってひどい孤独感に苛まれ、 誰にも必要とされない自分にはもはや何の価値もないと苦しんだ。 おそらく「自我の私」であったなら、そのような苦しみは味わわなかっただろう。 「孤独」も「自分の価値」も、他者との比較や承認から生じる相対的な概念である。 他者を通して自己を確認するから、他者から拒絶されることが自分の存在まで 脅かすのだ。自己の存在の絶対性を疑いもしない「自我の私」は、仕事を失って 経済的な不安を感じることはあっても、それを己の存在意義の問題とは捉えまい。 そうやって考えると、我々の苦しみの原因は、ほぼ「自意識」に起因している ように思える。 我々は「自意識」を持つべきではなかったのか。エデンの園で 幸福に暮らしていたイヴに蛇が勧めた「知恵の実」は、やはり禁断の木の実で あったのか。「自意識」を持つことで我々は他者の目に裁かれ続け、他者に 見捨てられる不安に怯え、大きな苦しみを背負うこととなった。だから聖書は それを「原罪」と呼んだのか。「自意識」は「罪」であったのか。 犬や猫は鏡に映った自分の姿を「私」だと認識しない。鳥にいたっては、鏡の中の 自分に向かって求愛のダンスを踊るらしい。彼らには己を客体視する能力がない。 彼らにとっての「私」は、ほぼ百%「自我の私」である。彼らは幸せなのだろうか。 他者にとっての客体ではなく、「私」という主体としてのみ生きていくことは、 どんな苦しみも生じさせないのだろうか。いや、待て。「苦しみがない」ことを 「幸せ」と考えていいのだろうか? 苦しみば確かに幸福感とは程運いものでは あるが、我々は「甘美な苦しみの自意識」というものも知っているではないか。≫ ▼「起こってしまったことは変えられなくとも、受止めかたは変えられる」と いうが、これも、「自意識の私」を「自我の私」への変換ということ。 「他者を通した自己の確認」を超越して、己の原罪を見つめることが必要である。 そこまで自分を追詰めないと、内なる二つの問答が、蒟蒻問答になる。 ・・・・・・ 6011,『超一極集中社会アメリカの暴走』 2017年08月30日(水) * アメリカ分断の大元は 図書館から『新潮45・6月号』を借りてきたが、面白いリポートがあった。 【世界を呑込む「超一極集中」社会〜アメリカの暴走」を著者が解き明かす― 上位0.1%の超富裕層がすべての富を牛耳り、ますます金持ちに (小林由美)】のレポートがあった。 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった〜 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった… 【 アメリカ“強欲資本主義”の現実 <池上彰が『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美・著)を読む> ・アメリカのトランプ大統領による予算教書が五月に提出されました。 アメリカの大統領には予算編成権がありません。予算を編成するのは議会。 そこで大統領は、「こういう予算を組んで欲い」という要望を予算教書として 提出するのです。 トランプ政権は所得税や法人税の大幅減税を打ち出して います。金持ちほど大幅に税金が戻ってきますが、庶民には恩恵がありません。 その一方で、貧しい家庭に食料を支援したり、低所得者が医療を受けられる ようにしたりする施策は予算が大幅にカットされます。去年の大統領選挙で トランプに投票した支持層が打撃を受ける予算案です。金持ちは一段と金持ちに、 低所得者はさらに生活が困窮していく。アメリカの現状を象徴する予算案。 金持ちの一極集中が進むアメリカ。書名通りの事態が進行しています。 ・アメリカの所得格差が大きいことは日本でも知れ渡っています。国民のわずか 1%の人が富の大半を所有している。そういう認識を持っている人が多いと思い ますが、もはやそんな状態ではないと著者の小林由美さんは指摘します。 上位0・01%の2014年の平均年間所得は2009百万ドル(約32億円)という驚く べき数字です。上位0.1%で見ると平均所得は6百万ドル(約6億6千万円)ですが、 上位1%で見ると、126万ドル(約1億4千万円)に下がります。 過去の歴史を 見ると、1980年代以降、上位0・1%の所得は増え続けているのに、それより 下位はほとんど増えていないという現実があります。 ・こんな格差社会で我が子を「勝ち組」にするには、質の高い教育を受けさせる 必要があります。そのためには幼稚園から私立に入れる。ところが私立の幼稚園 の学費は日本円で年間300万円。私立大学の四年間の学費は計3300万円。 いったい誰が払えるというのか。もちろん奨学金制度はありますし、学費ローン を借る手もありますが、大学卒業と同時に多額のローンの負債を抱えることに なる若者も少なくありません。「大学を卒業して社会人として第一歩を踏み出す 時には、多くの人が既に多額の借金を負っている。これがアメリカの現実です」 ・こんなアメリカで繁栄を謳歌しているのが金融業です。資金を集めて投資する ファンド。その周辺には、アナリストやトレーダー、ブローカー、投資顧問、 コンサルタントなど数多くの人が群がります。「こうした介在者の増大が金融 サービス従事者を増やし、その人件費と利益が金融サービス業の付加価値として 国内総生産(GDP)に現れ、不動産金融も含めると、金融サービスはGDPの12% 近くを占める主要産業になっています」 ・強欲資本主義の支え手である富裕層は、自らの利益のため政治家に接近する。 「民主党は都市の進歩派富裕層やハイテク産業から政治資金を得て、都市部に 集中しているマイノリティを取り込み、共和党は重厚長大産業やエネルギー、 金融界から政治資金を得て、中西部や南部に集中している貧しい白人を取り込んだ」 アメリカという国が分断されるわけです。アメリカという国を分析する著者の筆法 は鋭く、ときにアメリカに対して絶望的な気分になりますが、他方でアメリカの 強さも知ることができるのです。(池上 彰) ― ▼ トランプ大統領になって以来のアメリカの分断は、この本を読むと、理解 出来るようだ。10年前に、同じタイトルの本を出している。出だしからして、 <アメリカ人は4種類しかない。超金持ちと、仕事のプロと、貧乏人と、社会的 落ちこぼれだ--。>である。この現実が社会問題にならないのは、誰もが、 アメリカンドリーム、「いつか私も大成功し… 」の妄想があるため。現在の 日本も、同じ傾向になっている。 情報機器も含め4割が情報関連を占めている 現在、若い人は、何はともあれ上質な情報と知識に対し、敏感であらねば。
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| 6377,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜2 |
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2018年08月29日(水)
<チンパンジーと人間との違いは想像するちから |松沢哲郎・動物心理学者、霊長類学者> * 持ち運べる言語(情報・経験を)を獲得 Amazon内のネットサーフィンに、以下なる内容があった。 人間教育の原点が、この辺りから出発している。自己認識と同時に、人は 他者認識も必要である。自己と他者の違いから、自己と他者を理解する能力 が培われる。その意味では学生時代のシェアハウスのような「寮生活」は ベストに働いた。各自の共通する要素と、違った要素を振り分ける目線である。
≪・西アフリカのギニアで25年間チンパンジーを見てきた。チンパンジーから 見た、人間とは何かとは、生活史や親子関係から見ると共に育てる、共に育つ 「共育」そして、「認める」が人間の特徴となる。 チンパンジーは「教えない教育」「見習う教育」である。それは、師匠と弟子の 関係に似ている。認識における「関係性」(三つを超える)、再帰的構造(入れ子) の有無がヒトとチンパンジーを分ける。自己認識(自他の明確な区別)について、 ヒトでは3歳迄と4〜5歳からでははっきりと分かれる。自分が見ているものとは 違う認識世界に他者がいるというのが分かるのは4〜5歳になってからである。 そして他者を理解するというのは自己埋込み的な再帰的構造にある。≫
・人間とは何か。言語という情報、経験を持ち運べるものを獲得した。 そして、想像(イマジネーション)するちからである。 チンパンジーは、絵を描くが抽象的である。似顔絵を与えるとなぐり書きを するか僅かに顔の輪郭をなぞる。多分、眼の前にある、そのものを見ている。 たとえ一瞬であるとしても。想像できる時間と空間の広がりは極めて狭い。 だから、チンパンジーは絶望しない。人間は、そこにないものを思考する。 だから、人間は絶望するし、希望も持てる。 最新の成果として、チンパンジーの子どもが人間の大人よりも優れた直観像 記憶を持っているという発見がある。人間は、それを失う代わりにシンボル、 表象、言語と呼ばれる認知機能を手に入れた。直観像記憶は、他者と共有出来ない。 そして、脳の容量は決まっているからだ。日本の研究は、欧米の母子分離による 研究でなく日本オリジナルな「観察参与」という方法によるものである。
・人の希望や絶望もこの「想像するちから」を身に付けたところから始まった。 人は、系統樹でチンパンジーから分かれてから後、言語や文化、あるいは文明は 飛躍的に発達したかもしれないが、その代償としてチンパンジーたちの 「明日を思い煩うことのない心」の世界からは遠く離れてしまった。≫ ー ▼ 情報機器の飛躍的進歩は、ネット上に写真・録画などの画像を記録し、 公開出来るようになった。逆に言えば、想像力の減退につながる。ポルノ 写真が、その代表。言語獲得で、想像力が生まれ、その過剰が文化、文明が 生まれていった。この「テーマ日記」も、毎日、膨大に入ってくる情報・経験 を物語風にして、パッケージすること。そこにHP内検索機能を付けて、忘却の 彼方の記録を瞬時に引き出せる。 拙い脳の大枠の公開でもある。今さらと… としても、非常に危険である。過去の文章を読返すと、そこに現れ出るのは、 過去の自分という他者。明らかに現在の自分ではない。誰だろうか、過ぎ去った あの人は? そこから過去の他者と、現在の私の会話が始まる。これが内省?
・・・・・・ 5645,不幸な国の幸福論 〜�� 2016年08月29日(月) <不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> * 幸福を阻む考え方・生き方 著者が東京発大阪行きの新幹線に乗車したところ、典型的な上流と 思ぼしき上品な奥様方3人のグループがすぐ後ろの席に場所を取った。 ご婦人たちは京都に着くまでの時間、大きな声で“会話”の話が著者の 耳に飛び込んできた話題を紹介している。 〜要約すると〜 《・「ご主人、部長になられたんですって? さすがねぇ」 ・「さすがどころか、やっとなのよ。○○さんはもう役職待遇なのに」 ・「でも同期の中では二番目に早いご出世だって聞いているわよ。羨ましいわよ。 息子さんは○×大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」 ・「主人の母校の△△大に行かせたかったのに落ちちゃって。○×大も悪くは ないけど、義姉のところの子供たちが△△大出て外務省だから肩身が狭いのよ。 それに娘の相手がねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校 しか出てないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで・・」 京都駅で降りていく三人組は、それぞれブランドのバッグを持ち、ブランド らしき服やアクセサリーで着飾っていた。 夫は難関大学出身で、日本有数の 大企業で働いているらしい。 住んでいるのは東京・世田谷の高級住宅街。。 著者は「快楽の踏み車」の言葉を用いている。 カゴの中で踏み車に乗って ぐるぐる回転するハツカネズミ。そう自分で自分の欲望を果てしなく肥大化させ、 疲れ切ってしまう人間たちを重ね合わせている。 与えられた理想形「これこれの条件を満たせば幸せになっる」を疑うことの ない人は、そのレールの上は走れても、レールから一歩はずれたら、自分が どのように考えて進んでいけばいいのかわからなくなる。外的価値に拘れば、 束の間の満足と引き換えに、永遠の二十日鼠の、快楽のふみ車をまわし続ける ことになる。》 ▼ 面白い内容である。私が5年前の会社整理をした時に、外的価値に縛られ 一生を終えるハツカネズミと、ドブネズミに罵声を浴びせられた。しかし、 ネズミはネズミと分かっているから平然としていられる。新潟駅前のチンピラ に何度も暴言罵声を浴びせられてきたが、これ以下の連中と確信できるので 超然としていられる。 家内が某女子大の県内の地元OB会で、大小規模の経営者婦人たちとの会話は 大同小異で、こんなもの? オーナー会社の御婦人が中心もあり、少し違うが、 亭主の力関係が、そのまま当人に跳ね返ってくる。それを何とも思わないのが 家内の特性。幼少期の幾かの習い事のベースと、受験高校に在籍、地方の子女に 人気の女子大(短期)を卒業。実家の仕入先のメーカの茶汲みを丸の内でして、 その直後、私と見合い結婚。 割引新幹線で年に10回は東京名所巡りが趣味。 40回近い秘境・異郷の修羅場をくぐってきた経験がある。そこで、遥かに違った 人種とのやり取りの経験も多々ある。 「あなたの状況がどうして? 私には 関係ないこと!」の開き直りがある。 開き直りは私にも無いではないが、 遥かにドライときている。 元もとサラリーマン系ハツカネズミの単一思考 など何もない。5年前に「もしか、原信のレジをしなければならないの?」と、 する訳が無いのに、至って超然。この程度は、彼女にとって、幸せを阻止する 要因でない。単一の理想系すらない。生まれ、楽しみ、その時が来たら、死ぬ。 こういうのを幸福形(系)の人という。 それにつけても、私は何をしてきた? 以下の「うさぎちゃん」みたいのも、存在しているのに。 ・・・・・・ 5280,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月29日(土) ーその時、言葉は私の「神」となるー 中村うさぎ 〜心肺停止になって考えたこと! (新潮45/6月号) * 二種類の私と、純粋な自我 死に際を経験すると、傍目に縛られすぎてきた自分に気づかされる。 そして、裸の己を直視し、それを言語化し、それに従うことが、自分の真実を 生きることと、著者は悟る。 死線を漂うと、虚無の彼方から、宇宙の向こう 側から、小さな世界に縛られている自分を客体化する視線を持つ。 その実体験から得た、重層の心の構造を、醒めたタッチで解体する。 ≪ 心肺停止の数日前に私は別人格になっていたらしい、という話を以前に 書いたと思う。 ・・誇大妄想的な発言を真顔でしてみたり、「魂が抜けて 言葉だけ残った空っぽの中村」になっていた。あの時の私はいったい何者だった のだろう、と今でも時々考える。あの頃の私は別人になっていたわけではなく、 自意識とかいうものを一切失い、純粋な「自我」のみになっていたのでは。 私が「私」と言う時、そこには二種類の「私」が混在しているように思う。 ・ひとつは「他者から視られている私」という「客体としての私」で、 ・もうひとつはデカルト言うところの「我思う、ゆえに我あり」的な 「主体としての私」である。 「客体としての私」は「自意識」に支配されており、 「主体としての私」は「自我」そのものだ。たとえぼ「世界を救う」などと いった壮大にして荒唐無稽な使命感を私が意識の底に抱えていたとしても、 それが他者の目にどんなに愚しく狂気じみて映るかを知っている「自意識の私」 は決して人前でそのような発言をしないし、何とか己の意識下に無理やり、 その人格を封印してしまうだろう。だが当時の私は、そのような他者の視点で 己を視るというスキルが崩壊していて、頭に浮かんだことを自意識の検閲なしに ぺらぺらと喋っていたのだった。まさに「我思う、ゆえに我あり」だ。 私が思考し、私が語るから、私は「私」の存在を実感する、という感覚。 そこに他者は介在しない。他者を通して自己確認することもない。 私という主体を中心に世界は存在し、自分の存在価値など問う必要もない。 「価値」などという相対的な概念が最初からないのだ。なんと単純明快な 世界だろう。アダムとイヴが他者の目を気にして己を恥じたり隠し立てしたり することもなく、素っ裸で歩いていた「エデンの園」そのものではないか。 「自我の私」のみで生きるということは「エデンの園」に戻るということである。 他者の評価に怯えることもなく、己の存在価値だのに悩まされることもなく、 獣のように天衣無縫に生きられる楽園の生活。が、その代わり、社会性は著しく 失われる。自意識が高度に発達した現代社会で、このような人間は生ていけない。 生きていくことを許されない。 ≫ ▼ 先日、一番上の義兄の葬式に参列した。地元の名士?の中で、精一杯、 背伸びをして生きた人だった。表面的な人付き合いに生きるのも、それは それで、一つの生き方である。それぞれにとって、中味は別として、それが 全世界である。ただ、自意識に支配されている、「客体として私」を、 「主体としての私」が、見つめ、「自意識過剰」を「自我」がコントロール する基盤が必要となる。それが教養である。「独り」を「独り」で楽しめる 素養は、家系を含めた長年の蓄積が必要となる。城下町は、それは有り余って いる筈だが、変化を嫌う体質が、「独り」の世界を小さく変質させてしまう。 ・・・・・・ 4915,閑話小題 ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」 2014年08月29日(金) 宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。 これはスターの内的要素の骨格である。 「ブスの25か条」 「美人の25か条」 1.笑顔がない ⇒ 常に笑顔で 2.お礼を言わない ⇒ 前回のお礼の挨拶から 3.美味しいと言わない ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に 4.精気がない ⇒ 精気を満たす 5.自信がない ⇒ 自信を持てる何かを持つ 6.愚痴をこぼす ⇒ 愚痴は言わない 7.希望や信念がない ⇒ 希望と信念を持つ 8.いつも周囲が悪いと思っている ⇒ 周囲のお陰様に気づく 9.自分がブスであることを知らない ⇒ 自分の程度をわきまえる 10.声が小さくイジケている ⇒ 声が大きく溌剌としている 11.なんでもないことに傷つく ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に 12.他人に嫉妬する ⇒ 他人の美点を凝視する 13.目が輝いていない ⇒ 何ごとにも興味をもつ 14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる 15.責任転嫁がうまい ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ 16.他人をうらやむ ⇒ 人を賛美する 17.悲観的に物事を考える ⇒ 楽観的に、そのためには教養を 18.問題意識を持っていない ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける 19.他人に尽くさない ⇒ 人の役にたつ生き方を 20.他人を信じない ⇒ 信じられるだけの知識を持つ 21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ 22.謙虚さがなく傲慢である ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ 23.アドバイスや忠告を受け入れない⇒アドバイス、忠告を聞き、受け入れる 24.自分が最も正しいと信じ込んでいる ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと 25.存在自体が周囲を暗くする ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること ▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、 誰もがブスの要素が多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラ ジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの輝きを心掛けるため。物理的 貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。 タカラジェンヌのミニスターを、まず彼女たちは演じることから始まる。 そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 幸せへの道しるべ!である。 ・・・・・・ 6010,幸せの確率 −5 2017年08月29日(火) ー幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著) * 「現状維持バイアス」と「保有効果」 この本で紹介している「現状維持バイアス」と「保有効果」。人生は、常に、 この二つとの戦いと言って過言ではない。自分だけでない、親兄弟、連れ合い、 同僚のそれらもある。情報機器の劇的進化をする社会の中で、このバイアス を乗越えて自分を変化させ生き延びなければならないから現代人は大変だ。 とはいえ、この二つ、動物としては生きる術でもある。〜ネット検索によると ≪ ☆ 現状維持バイアスとは 「大きな変化や未知なるモノを避け、現状を維持したくなる」という心理作用。 バイアスとは「先入観」「偏見」という意味。人は、変化そのものを嫌います。 その背景にはプロスペクト理論における「損失回避性」が働いているからと いわれています。損失回避性は、 「人は利益から得る満足度より同額の損失から得る苦痛の方が大きいと判断する」 という心理作用です。現状を変えることによって「何かを失うかもしれない」と いう不安が「何かを得られるかもしれない」という期待よりも上回るのが、 現状維持バイアスがかかる理由なのです。≫ ▼ 3C主義=チェンジ、チャレンジ、コンペティションという主義は、現状 維持バイアスを打破するにはベスト。人間は本能的に、「変化、挑戦、闘い」 を避ける。しかし、成長、進化には、現状打破が必要条件である。第二の天性、 「習慣」というシステムも現状維持が出来る、良質なら悪いことではない。 ー ☆ 保有効果とは 人は、現在所有しているものや環境に、それを所有していないときよりも価値 を感じる傾向があります。これが「保有効果」です。これは、新しいものを手に したときに得られるメリットよりも、現在持っているものを失うことや環境が 変化することによるデメリットを大きく感じるとも言えます。 保有効果のWeb広告活用例 【例1:ダイエットジム】 効果がなければ全額返金 入会前に絶大な安心材料となる返金保証。「実際に返金を要求されたらどう しよう…」と不安になり、なかなか大々的にアピールできない方もいらっしゃる と思います。しかし「手続きが面倒くさい」などの保有効果が働くため、実際に 利用する人はほとんどいないようです。どんどんアピールしましょう! 【例2:保険会社】 契約しなくてもOK!保険の見直しを相談するだけで粗品をプレゼント! 【例3:ファッション通販】何度でも試着・返品OK 届くまでは「現物を見て気に入らなかったら返品しよう」と思っていても、 いざ自宅に届き「自分のもの」になってしまうと、保有効果が働き返品しづらく なってしまいます。返品送料を無料にしてアピールしているサイトもありますね。 ▼ テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」をみていて思うことは、「何で金まで 払って手元に置きたがるのか? それより遥かに良いものは、世界に幾らでも あるのに、美術館でジックリとみれが良いものを!」の疑問。絶対数をみてない ためだが、その人の好みもあるため…これ以上は言及できない問題である。
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| 6376,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜1 |
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2018年08月28日(火)
<チンパンジーと人間との違いは想像するちから |松沢哲郎 ・動物心理学者、霊長類学者> * 想像力は感激、感動から 今さらだが、人間たる由縁は「想像するちから』である。霊長類学者が 語る論は説得力がある。想像の力は、異質との出会いと邂逅から生まれ出る。 それが発達、発展して人間は万物の霊長と言われるようになった。 人間は 一万時間を一つに集中すると、専門能力が形成されるという。そこで、毎日、 一テーマを自らに課して17年。二万時間をブログに投入し、蓄積をしてきた。 「馬鹿の考え休むに似たり!」の休息にいなっていた? 何かを得たか?の 問題ではない。休まるのである。 得た一つが、集中の継続から得た想像力。 夜半の半睡眠かgら起床し、書きかけのテーマの内容を考える。 ふと【検索】で、「チンパンジーと人間」を入力すると、面白いのがあった。 ー ≪ もっと簡単な方法は外国に行くこと。外国に行き、外から日本を見れば、 どういう国かすぐわかる。これと同じように「人間とはなにか?」という問いを 立てられたとき、人間に近いチンパンジーという「アウトグループ(よそもの)」 を知れば、人間がより深く理解できます。 地球に住む数千万種類の生命のなかで、いちばん人間に近いのがチンパンジー であるというのが、21世紀の人類が到達した理解です。ヒトゲノムが2003年に、 チンパンジーゲノムも2005年に解読されました。これによって両者のゲノム 塩基配列が98.8%同じだとわかった。新しい人間観が生まれるなかで、いちばん 重要なアウトグループがチンパンジーなんですね。 人間とあまり変わらないチンパンジーと、私たちはどこが違うのか。 人間の特徴は「想像する」ということです。チンパンジーは未来を想像しない から絶望はしませんが、人間は容易に絶望する。でも、絶望するのと同じ能力の 「未来を想像するちから」があるから、人間は希望をもてる。私たちは必ず 死にます。だけど、自暴自棄にはならない。「毎日をよりよく生きよう」と 思うのが人間で、そう思い、希望をもつように進化してきたのです。≫ ー ▼ 過って霊長類学者にして京都大学総長だった山極 壽一(1952年〜)が同じ ようなことをいっていた…。 松沢氏は、人間が有している「想像力」に注目。 ところで米国合理主義に、プラス思考を発展しイメージを豊かにすることで、 自己育成をするプログラムがある。 またヨガを最初に持込んだ中村天風も。 その理念『積極一貫』の中から「想像力」を育成する効果を説いている。 『想像する能力』は、感動、感激する心から生まれ出る。大自然でもよい、 世界的芸術作品との邂逅でもよし。感激、感動は、その瞬間、対象と同化する。 その蓄積が、熟成し、更に感動を求め、自己を開放していく。そして、次の 新たな感動を求めて想像が膨らむ。好きなことを見つけ、継続することが 第一歩のようだ。
で、偶然、以下の内容に脈絡として続いていく。 ・・・・・・ 4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ 2013年08月28日(水) * 秘異境ツアーからのフラッシュ 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。 アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現 するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。 秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、 それを解釈をしている余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして 記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。還暦を過ぎた頃 から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに 旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように 行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多く の記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来た ことに感謝している。『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。 * 消費税の増税の是非 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。 それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな 負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。 しかし財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、 上げないも地獄なら上げるしかない。現在の年金の収入では、月に10万円持ち 出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。 当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠 されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。 自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。 家の中は要らないゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。 で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本 から精算するしかないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は 無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる! ・・・・・・ 4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 2012年08月28日(火) * 認知科学者は間違っていた? 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解 しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、 思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観 が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。 「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。 論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに 変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の 大前提を覆ることになる。」と、いう。 緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 ー以下の部分は、その部分ー ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。 西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、 分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を 理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。 形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる 人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が 革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は 間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。 人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は 思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的 メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を 認知するということである。 注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる 人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。 アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。 こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が 関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的 でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物 を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫ ▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名 になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。 また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。 それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。 争いは永遠に続くことになる。
・・・・・・ 5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月28日(金) <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著> 〜心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号) * ナルシシズムと自己愛と、自尊心 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。 状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、 毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け 殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、 女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。〜その辺りから〜 ≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。 何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、 生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分 を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。 人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い については私なりの定義がある。 ・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年 ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。 そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、 正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、 相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。 ・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、 「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と 「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。 「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」 はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて 愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」 よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同 されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、 私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや 「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長 線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である 「ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を 失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも 醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。 己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪 したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、 自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。 理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。 このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、 いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。 ・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、 目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、 公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、 的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷 に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって 盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。 それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫ ▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、 その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。 「ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。 その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。 ・・・・・・ 6009,閑話小題 〜駐車場事故は3割! 2017年08月28日(月) * 大手大橋をヒキチャリをして… ・先日、スポーツジムに、ヨガ予約・チップを取りに行った帰りの駐車場内で、 80歳半ばの老女が自転車に乗ったまま、突然、飛び出してきた。「危ない!」と、 思わず叫びながら急ブレーキを踏み、1m手前で辛うじて停止、事なきを得た。 その横道は一時停車の文字が書いてあるが、痴呆症が入った風で… 今まで、 無かった経験。雨だったら間違いなく事故っていた。 「交通事故の3割は駐車場事故」と聞いていたため、特に注意をしていた。 老女をひけば、ほぼ運転手側の責任になる。しかし、これでは避けようがない。 自動車運転の経験もなく、痴呆症が入った老女の自転車運転は、恐ろしい限り。 ・半年ぐらい前に、同じSC内のスーパーで買物をした後、駐車スペースから バックで出ようとした際に、80歳半ば過ぎの老人が運転席の前を横切った。 「ならば相方がいるはず」とバックを一瞬控えて、後ろを見ると、その連れ 合いらしき老婆が飛び出してきた。その直後、「もう、運転を止めよう。 前期高齢者が、後期高齢者を轢いてしまうケースになるところ!」」と、 真剣に考えてしまった。 ―― * 世の中、喜びや悲しみで満ち溢れている 雨のため、早朝のポタリングを休んでいたが。昨日は大丈夫だった。 早朝の自転車散歩は、心身にとって、非常に良い。昨日の朝、大手大橋を ヒキ・チャリをしながら、「この辺りから… 不明だった少年が飛び降りた のでは?」と思うと…。 人生の深淵を垣間見る思いであった。 来春は高校に入学、その3年後に大学で上京し、色いろな人と出会い、 酒を飲んで、人生を語り、殴り合い、旅行に出て、恋愛をし、失恋をし、 就職をし、結婚をして家庭をつくり、挫折を重ね、泣いて笑って、数限り なく感動し… などの全て失ったのである。 もし自分の子供だったら、 両親の気持ちは如何ばかりか。人は、ただ生きているだけでも充分だが、 それは、生抜いてきた人の言葉。
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2018年08月27日(月)
* いまないものに憧れて 朝日新聞‘beランキング’に『行ってみたい時代』のテーマの記事があった。 私の生きた時代が太平洋戦争の敗戦半年後から現在までの72年に至っているが、 人生のメインを、この時代に乗れただけでも非常に幸運である。右上がり経済と、 バブルの高揚。おまけに「第二の敗戦(バブル敗戦とデフレ)を味えたのだから… 〜私の行ってみたい時代? 『現在の年齢のままだったら 20年後! 加齢するなら 10年後!』 『過去限定なら… 5〜9歳と、20歳代、50歳代後半! それと大正時代。』
〜記事の一部より〜 < あのころはよかったなあ。最近そんな言葉をつぶやいてばかりいるあなた、 タイムスリップができ、過去に戻れたら、いいと思いませんか? 「歴史はくり返す」と言います。過去へ行けば、歴史の謎が解けるかも。 で、日本のどの時代へ行ってみたいですか? 「どんな時代へ行っても、命の危険はなく、無事に現在に戻ってこれるものと します…」 遠くの平安、江戸など遠い過去の中で、ここで1、2位を占めた のが「近い過去」。 ・第一が高度経済成長期(1955〜73年)。50代以上の世代、特に男性が多い。 ・次が「バブル期」1989〜92年)。こちらは、女性が多かった。 「遊びも、恋愛も、仕事も楽しかった。もう一度、無茶してみたい。」 ・3位が、「平安時代」(794〜1185)。何と平安時代が300年もあった。 ここまでが300票前後で、 ・4〜5位が幕末(1853〜68年)と、江戸後期18C初頭〜1853年)、両者とも 200票半ば。> ― ▼ 自分が終戦の半年後に生れて、廃墟の中から、経済成長期に。 そしてバブルとバブル崩壊で経済敗戦で、デフレ経済を20数年経験した。 世界は1992年のソ連・東欧の崩壊、2001年の9.11テロから、イスラム教と、 キリスト教国の本格的戦争が始まり、現在に至る。 日本経済未だに経済敗戦 のショックから抜出せない。団塊世代の�鏡い蓮⊃討鮓�て育ったが、その下の 世代は、それを知らない為に、憧れるのだろう。比較的恵まれた?家庭環境に あったことも含めて、ベストに近い人生環境であった。一つ間違えると、朝鮮、 ベトナムのように、国を二分され… もう二度とこない国家繁栄のピーク時代に、 生きてこられたのである。今では、日常的に、地震、台風、火山とたて続きに 発生している。それは国家としての財政基盤を大きく削ぐことなるが、何故か 誰も直視しようとしない。 で、親の代の「竜宮城」のおとぎ話の名残りに、 憧れるしかない。味わい尽くした私たちは、沈黙するしかない。 しかし、よく出来たもの。科学技術の進化が、情報化という時代をもたら してくれた。そこに情報格差という大問題が、生れている。未来、現在だけで なく、過去の情報も鮮明に映し出し、次世代に提示する。我々の世代に少ない のは、近未来の情報化がもたらす恩恵。羨ましい限りだが、未来は少ない。 「いま無いのが、見えてきた近未来の情報社会」 その狭間に私たち世代が 立たされ、消え去ろうとしている。近未来の一端を毎日、味わっているが、 羨ましい限りである。 「上を見れば限がない、横をみれば情けない、下を見れば底がない」 まさに周囲の情報がリアルタイムに知りざるを得ない哀しみと喜びを 味合えるのも余裕があればこそ。何も知らないのも生き方のひとつかも! 時代の変遷も、情報環境も、人生も、驚きの連続。 夢見ているようである。 「辛うじて楽しんでいる」というのが実感。 両親、特に父親が、戦中、戦後の混乱の中で、倫理的に厳しく過ぎた? 反動を、私に向けてくれた感があった。その上に、この時代である。
・・・・・・ 4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5 2014年08月27日(水) 『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著 この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、 <京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。 (古今東西の幸福論を読み漁った結果) 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。> 『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど 余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという 説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。 ーまずは、その辺りを抜粋ー ≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。 それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより 鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの 高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、 専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが 泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての 美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動 を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、 そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫ ▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない 不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、 実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに 驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える 様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く 見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く! ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、 4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界! (一言多いが)平屋もマンションもある・・・ ・・・・・・ 4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの? 2013年08月27日(火) * 小学、中学校の同級会で、どうしてる? 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席 するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。 それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに 来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、 ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。 「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、 「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを 味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、 実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、 結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、 現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、 この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、 「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、 が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった 『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。 (番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに 浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が 胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、 ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの 一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も 重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。 ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が 起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の 生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が 交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。 次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 ・・・・・・ 5278,「読書の腕前」 ー�� 2015年08月27日(木) 〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜 * 独りの楽しさと、読書 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。 これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年 前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、 底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜 ≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。 たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、 というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、 あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、 「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、 谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。 「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら 〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、 大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化 する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を 占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。 本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。 出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり 自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」 ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」 ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本 ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。 「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。 詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも 表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、 とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる のはいつだってひとりの自分なのだ。 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。 だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という 言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、 伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。 『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。 それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な 時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。 「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。 「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。 なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、 「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、 と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫ ▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、 「ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本に 偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点 では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。 ・・・・・・ 5643,「賢い子」に育てる究極のコツ 〜�� 2016年08月27日(土) <「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)> * 「子」を「自分」に置換えると? 「賢い子」を、「賢い自分」置換えると、どうなるか。 その3つの秘密道具=「秘密道具1ー図鑑」、「秘密道具2ー虫とり網」、 「秘密道具3ーピアノなどの楽器」のキーワードを、現在の私の世界の道具に すると、どうなるか。 ・まずは『図鑑』 〜図鑑の対象を難しい哲学や、とっつきにくい聖書、 古典文学、世界の聖地、秘境・異郷、大自然の絶景を図鑑にした本がある。 空間と配置と重視し、絵入や文字の大小で鳥瞰しやすくしてある。 学業が強くなかった原因を、現在から振り返ると、ノートのとり方に問題が? ノートの記録を図鑑を参考に応用すれば良かったのだ。読返す度に、書き足し ていけば良かった。 それも、後講釈でしかない。 現在ではアイコンと、 ファイルの配置のパソコン画面が、それにあたる? ウィンドウズ95が、 画面を図鑑にするアイディアで、世界を変えてしまった。 ・『虫とり網』 虫を情報として捉えると、網はネット(検索)になる。 現実社会の上を、ネットが覆ってネット社会が新たに出来てしまった現在、 これを如何に使いこなせるかどうか。この随想日記も、ネット検索が無ければ、 連日、書き続けることは不可能。 ・『ピアノなどの楽器』 〜これを幼児期に身に着けたかどうか。耳からの 情報収集が大きく人生を分ける。楽器演奏は、集中力と、継続力が無くては、 決して習得できない。そこに、それを指導する先生の存在が必要になる。 それも、幼児期の頃からというから。ということは、このテーマの「自分」 の置換えは、テーマとして成立しなくなる。「今さら・・」だが、何か一つでも、 楽器演奏をしておけば、より豊かな心を持てたはず。 学生時代からステレオを 身近に置いていた。現在は買い集めたCDの2000曲入りiPhoneを二つ。あくまで、 早朝のポタリングの走行中だけ。 「賢い子」を、<「心豊かな自分」に育てるコツ>をテーマにすべきだったか。 PCと、ネット活用は、少しは、賢い自分を育ててくれている。で、このザマ! ・・・・・・ 6008,閑話小題 〜北のミサイル発射 2017年08月27日(日) * 北のミサイルについて 昨日、モーニング・ショーで、北朝鮮によるアメリカへの挑発の特集をみて いたら、日本海にミサイル打ち上げのテロップが流れてきた。番組構成として ベストタイミングで、‘まさか?’の緊張が走ったが、直ぐに短距離ミサイル と判明をした。 金王朝の体制維持には、戦争を煽る瀬戸際外交で、近距離の 人質?の生命の交換条件の脅しでしか体制を維出来ないことは、韓国民が熟知。 韓国の人口が4700万人、ソウルが1000万人で全国民の21%がソウルに集中、 首都圏には2000万人前後。韓国国民の4割がソウル周辺に集中する、まさに 「最重要拠点」である。そこから軍事境界線まで、直線距離で約37K。 大宮から東京駅までの距離でしかない。 韓国民の7割が海外移住を望んで いるというのも理解できる。潜入したプーチンのスパイが、境界線からソウル 近郊にミサイルを撃ち込んだら、(逆もある)どうなるのでしょう。 核ミサイルの脅しほど有効な手段はない。その親指人形が、パペット本体の 中国まで、脅し始めたのだから、何をかいわん。儒教の影響の強い国で、叔父 と実兄を殺すのだから、当人は疑心暗鬼で怯え慄いて当然。そ反動が、いつか 核戦争になり、比較的安定していた東アジア(朝鮮、日本、台湾)が、現在の 中東状況になり、難民が大挙して、押し寄せる可能性が強い。悪いことに、 アメリカはトランプで、分断を始めた。「国家統一の手段として、戦争を!」 と、意固地の頭で考えないでもない。側近は次々と辞め、残っているのは 軍人上がりの老人だけ。「数百万の死者としても、やるなら、今のうち!」 で… 恐ろしい限りだが、意外と早い両者の体制崩壊も感じとれる。
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2018年08月26日(日)
* 一度抜いた方便を今さら ネット上にあった「長岡弁」を紹介してきたが、忘却の彼方の言葉が次々と 出てくるには驚いたが、私自身が気づかない長岡弁を使っている可能性がある。 県外に住んだ経験がないと、標準語を使う機会がないため、方便しか使えない。 前回の続きになるが、まだまだ面白いのがある… ― なじら(ね) : [慣用語]相手の調子やある物事に対する評価を求める。 「〜はどうですか」に当たる。 なんぎい :[形容詞]具合が悪い、の意。 ねーなる :[ラ五動詞]無くなる、の意。 「亡くなる」は :「のーなる」ないし「なくなる("な"を高く発音)」と 言い分ける場合が多い。 のめしこき :面倒くさがり、の意。 馬鹿〜 :[助詞]強調表現。すごく、の意。 馬鹿はえー = すごく速い。 冷やかす :[サ五動詞]食器(ご飯茶碗など)を水に浸す、の意。 ぶちゃる : [ラ五動詞]捨てる、の意。不要なものを破棄する、 放置するという意。 ぼっこす : [サ五動詞]壊す、の意。 もぐす :[サ五動詞]沈める、の意。燃す[サ五動詞]燃やす、の意も。 やっこい : [形容詞]柔らかい、軟らかい、の意。物理的なやわらかさ を表し、穏やかや融通が利くといった意味では用いない。 よした :子供に対して、よくやったと言う時に用いる。必ずよした よしたと2回言う。 ― ▼ TVの普及で、若者の標準語に触れる機会が増え、様変わりのようだが。 まずは言葉が重い。中学校の同期会があるが、確かに長岡弁が多く行うが、 年に3〜4回ともなれば、違和感が全くない。一度、抜いた方言。元に戻ることは ないようだ。地方が閉鎖的になるのは、言葉の問題が大きく関わっている。 これは日本という国にも言えること。長岡弁の最大の特徴が「〜が」を語尾に 多用すること。 これが金沢では、「〜け?」が付く。 「いーけ?」→「いいですか?」 「そーけ?」→「そうですか?」 「かーけ?」→「蚊ですか?」 「きーけ?」→「木ですか?」 「くーけ?」→「食べますか?」 「けーけ?」→「毛ですか?」 「こーけ?」→「こうですか?」 三重弁では 「〜わや」「〜なん」「〜なんさ」など「そうなの」と相手に確認する表現。 「そうや二〜」「そうなん」→と若い女性が話すと、それは色っぽくなる。 これらと比べると、長岡弁は、ふくよかさが足りない。(人による?) 土壌が御国言葉をつくるようだ。 … 『シャッコイ雪に数ヶ月もモグサレ、 雪ホゲで身体をぼっこし、ズルのが難ぎいて、のめしこいて、せつねいって』
・・・・・・ 5642,閑話小題 〜幸・不幸の実相 2016年08月26日(金) * 幸・不幸の実相 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、 起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。 よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、 痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生 への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、 目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、 出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、 群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。 そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」 ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。 ―― * オリンピックも終わって リオのオリンピックが、先日、終了した。 メダルの数からして、今回の オリンピックは、丁度良い塩梅の数。何はともあれ、テロが起きなかっただけ でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす 追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が 激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。 冬季(12月〜3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。
・・・・・・ 4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4 2014年08月26日(火) * 現場の壮絶! 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。 デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。 臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 ーその辺りからー ≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。 彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。 そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を 殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」 そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。 家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼 のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として 生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの 鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに 調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。 LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら 兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を 持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、 それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫ ▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトに よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような 弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺 されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が 『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、 平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理? 〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜 ・・・・・・ 5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月26日(水) ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! * 人生の価値とは何か 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった? 『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、 『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 〜その辺りから〜 ≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、 その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、 何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生 こそが、その人の作品なのだ。 むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を 変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。 それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と 臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。 不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、 まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」 である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して いるのだ。 私の人生は、私そのものである。 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ 重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、 世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、 その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、 その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず 価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。 たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に 無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。 「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という 過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。 何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、 己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、 多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」 「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。 何者にもなれない人生、何事も為し遂げられない人生にだって価値はある、と。 人生は結果ではなく、そうやって答を探して長い長い旅をする、あなたのその 足取りこそが貴重なのであり、その過程の積み重ねがあなたにしか生きられない この世で唯一無二の人生を形作っていくのだ、と。≫ ▼『ご覧のとおり、そのまま、結構!』を、4年前の事業断念時に自分自身に 対して言い聞かせていた。バブル崩壊が、どれだけ大きな経済敗戦だったかを 見抜けなかったことが、ある。 盤石と信じていた事業が根こそぎ崩壊するのも、 一瞬の出来事。更に同時進行の情報革命も、大きな要素に加わる。 これに9・11テロ、リーマンショック、3・15大地震なら、仕方ない。 面白かったから、まあいい、と思えるのは、何とか避難が出来たから。 『総括として、面白かった!』という実感は、何ものにも代えがたい。
・・・・・・ 6007,閑話小題 〜水難事故って、本当? 2017年08月26日(土) * 自死として、真正面に向合うことが供養では? 遺書でも出てこない真実は限り分からないが、「遺体には外傷はなく、 少年には持病があり、体調が心配されていた」という。それも登校日の前日。 どんなに哀しかったことか。悲しいことに、死んだ方が幸せな人が、世の中 には存在する。…別に私(貴方)のことではありません。 死ぬには死ぬ深い訳がある。 〜ネット・ニュースによると〜 ≪ 〜不明の中3男子を遺体で発見、誤って川に転落か 目立った外傷なし〜 新潟県長岡市で行方不明になっていた中学3年生の片桐悠馬さん(15)が 24日午前、およそ20キロ離れた燕市の川で遺体となって見つかりました。 片桐さんは、20日早朝に自宅を出たまま行方不明になり、前日に「最近走り に行っていない」と話していたことから、ランニングコースだった川沿いを中心 に捜索が続いていました。警察は、誤って川に転落したとみて調べています。 片桐さんが通っていた中学校は、25日が2学期の始業式でした。(24日)≫ ― ▼ 中3の少年の遺体が、数十キロ下流で発見されたということは、増水して いる本流に流されたと推察される。 そのランニング・コースが、早朝の ポタリング(チャリ散歩)コースに重なる。特に、土日・祭日には、老若男女 がランニングをしている姿が多く見られる。何度か、すれ違っていたはずだが… 知る限り、川に転落など間違っても考えられない。川面は土手から離れている。 自らの意志でないと川には近づけない、とすると… ところで、虐めは、どうだろう。 10年程前に知人が、長岡大橋で車が動け なくなり、衝動的?に投身をした… 大手大橋上をヒキチャリをしながら、 ・「あと3月と宣告されたら、この辺りから飛込みも有りだが、増水が前提。 ならば新潟飛行場近くの阿賀野川の河口辺り?ここは日本海沖まで流され、 上がらない… 」と、思わないでもない。 ・家族のため、海外ツアーに参加、多めの保険をかけ、何処かの絶壁から 事故を装って足を滑らし… ・それとも東京湾の何処かで、一切の身分を隠して… 〜今どき、変な冗談が大変な事態を引き起こすか? そこで思い浮かぶのが、夏目漱石の義父が宣った、 「人は死ぬまで苦しまなきゃならない!」の真言? 私には管をまかれて悶絶死が似合っているか。実際、キツイだろうが。 シリアスに向合えば、その時に、動転しないで済むと、露悪的に書いている。 問題は、その時に、死に対し、「正・中心・一点・無」になれるかどうか。 なれる訳がないと知りつつも、土壇場の土台上のイメージの基礎は必要。 ・・・・・・・・・・・ 4170, 金正日の料理人 2012年08月26日(日) * 若きドン様の親の敵討ちは残酷! 何気なくTVをみていたら、北朝鮮の金正日の元料理人が出ていた。これが 漫画的ドラマ仕立。その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」 で、金正恩や、そののファミリーと食事をした写真があった。 父・金正日を 裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在のドン様に感激 している、という筋書き。その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、 正恩の計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、再会した 二週間前の夜半に苦しみだし、両手を三回突上げ絶叫し、亡くなった」という。 心臓発作だった。 『呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、 その事実を知らしめ、今度は長女を殺す、という脅しをかけ、北朝鮮の メッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも明らか。その後、妻と娘 を残して帰国し、TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘されると、 「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。北朝鮮に愚弄されて いる姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 リアルで現在進行中のため、料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 独裁国家のドン様を裏切り愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。 これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージをしてきたことになる。 逆にみれば、この程度の連中でしかない。マスコミが、料理人を抹殺するか、 パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。現地の家族が本当に 存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、 色いろの仮説がたつ。コミック漫画の悲劇、喜劇? くさい話だけは確かだが。 ・・・・・ 4545, 閑話小題 ー夏対策 2013年08月26日(月) * 暑さ対策! 居間、寝室では扇風機で冷をとるのが基本。しかし30度を超えるとクーラー を付けるが、今年は、その頻度が多い。扇風機の場合は、補助として保冷剤の 入った首巻きを三つ冷凍庫で冷やし一時間ごとに入れ替える。これが効果がある。 更に先日、寝室用に保冷枕を購入し使い始めたが、これも良い。 冬生まれもあって夏の暑さには特に弱いが、それでも、いざとなればクーラー があるという余裕があるから出来るのだろう。 * 業種店が、新規出店? 車で二分ほどの三沢のSCの運動ジムに週五日通っているが、道路一つ隔てた 敷地に2Fの建物の鉄骨が立ち上がってきた。3〜4ヶ月前に「地元のスポーツ店 が、東バイパス出口に出店!」という新聞記事を見ていたので、着工と同時に、 これでは?、と思っていたが、先日に家内から、それが地元スポーツ店と 知らされた。地元のスポーツ店も典型的な業種店。自然消滅は時間の問題と 見ていたが、それが新規の出店とは意外! 家内が言うには、「近くに高校や 中学が多いので、運動着やスポーツ用品が学校単位の需要があるのでは?」。 家内の方が、よほど世情に詳しい。全国チェーン店が捨てた(地元しか手に 入らない)インサイダー営業が存在している、ということ? としても、 私には疑問が残るのは、私がアウトサイダーのため? それとも、幾つかの SCの重なっている郊外の一等地で、大手のスポーツチェーンに囲まれ苦戦。 その原因が業種店の限界と知らず、スポーツ店の無店地帯の東バイパス地区に 移転で起死回生を図るためなのか?としたら・・ 最悪のケース。 常識的にみれば破滅行為!しかし、街中から移転して20年?近く、ブランド物に 的を絞り、営業では学校関係に地道な営業努力の結果、二店目の出店に至った? と、考えるしかない。立地センスは最適だが、黒鳥の舞降りる中で、どうなる? 毎日のように、窓から見えているので書いたが・・ 更に最悪のケースは、 順調な数字を上げていて、移転でなく拡大としての二店目の場合。 恐ろしいのは二店目の甘い計画。
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2018年08月25日(土)
ネットに、数多の長岡弁があるある。こうして真正面に向合うのは 初めてだが、首都圏の法事などででる話題が「長岡弁」。姉三人が車で20分 以内に住んでいるため、長岡弁から抜出せないようだ。元もと、駅前の繁華街 に住んでいて標準語に慣れていたと思いきや、どうも、そうではないという。 私の場合、上京をして標準語を使えるまで2年近い時間を要した。それでも 寮生活で日常生活で多くの人との接点が多かった利点があった。 改めて当時 を思いだすと、無意識で標準語を外国語として組込んでいたようだ。それまで 話してきたほゞ全てが癖の強い長岡弁なればこそ。全てが標準語に置換え可能 であった。 福島、秋田など東北各地の地方出は、もっともっと癖があった。 〜ネットにあった長岡弁を二回に分けて、幾つかを紹介してみる〜 あっちゃい、あっちぇー : [形容詞]熱い、暑い、の意。(対:しゃっこい) あんにゃ、あねさ :兄、姉の意。 一緒くた :混ざっている、の意。 いっぺこと :沢山、の意。 おじ、おば :弟、妹の意。いずれも"お"を高く発音する。 おっかかる :寄りかかる、の意。 おっぱなす :放っておく、放置する、の意 おめさん :貴方、の意。 おめった :お前たち、の意。 かしがる :傾く、の意。 がすごみ、 :屑の意。専ら廃棄物のことなど罵倒語。 かんじん、くゎんじん :卑しい、卑しい人、の意。 きーもむ :心配する、の意。 げっぽ :ビリ、最下位、の意。 けつまづく :勢いよくつまづく。「け」は蹴るの意。 けむ、けぶ :煙、の意。 豪儀(ごうぎ) :大変、すごい、(人が)堅牢な、気が強い。 こすい :ずるい、の意。 こって :すごく しゃぐ /しゃつける :なぐる、たたく、の意。 しゃっこい、ひゃっこい :冷たい、の意。(対:あっちゃい)。 しょーしい :恥ずかしい、の意。 しょったれ :だらしがない、の意。 …らすけ、すけに : [接続詞]「〜から」「〜だから」の意。理由を表す。 ずる :[ラ五動詞]動く、の意。「電車がずる」は、電車が (普通に)動く・進むことであり、脱線の意味はない。 せつない :悲しい,辛い,苦しい,参った,困ったなど不愉快系感情。 せぼんこ :猫背 そ(ー)いが :「そうなのだ」、の意。 そろっと : [副詞]そろそろ、の意。静かにゆっくり、慎重に、の意。 だまかす :[サ五動詞] 騙す、の意。 たまげる :[ラ五動詞] 驚く、の意。 ちっと、ちっとばか(し) :[副詞] 少し、の意。 …らて :…だよ、の意。 とぶ :[バ五動詞]走る、の意。 (ん)な :お前、の意。
― ▼ 「げっぽ」「こすい」「しゃぐ」「ずる」「ためげる」「とぶ」など、 数十年ぶりに目にする言葉。特に「げっぽ」は、旧知の友に再会したような気分。 年に数回ある同期会で、ほぼ誰とも会話がない。昔とった杵柄で、「ふんふん」 と聞役になるしかない。御品よくしてるのではなく、恥ずかしくて(しょうしくて) 言葉が出てこない。「こって」「…らすけ」も使えない。よくよくみると、昔ながら の城下町言葉が脈々と続いているのだ。新潟に通っていた30年で、新潟では多弁に、 地元では無口になったのは、言葉の問題も大きい。使い分ける必然性もなかった。 柏崎出身の家内は、ほぼ標準語。私と家内の両親も、方言は皆無に近かった。 7年半通っているSJの会員の言葉つかいは長岡弁が多いが、気になるほどでない。
・・・・・・ 6006,閑話小題 〜随想日記、6000回超え、 2017年08月25日(金) * 随想日記も、6千回超え 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、 ‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の 時間とエネルギーを使うしかないのが逆に利点になるが、時おり何も浮かばず、 茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、 「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、 情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する 物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ 法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、 個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、 外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に 有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」 の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策 のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下 だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの 軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。 少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿 丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。 ―― 2014/11/22 閑話小題 ー今日で5000回! * この随想日記も5千回 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、 その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、 やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・ この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、 この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて 問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。 面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、 殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に 公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室 を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、 手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」 として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな」 のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。 もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。 アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。 なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」 を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー ―― 4000, 4000回の随想日記 2012年03月08日(木) 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」 をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも 11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回 を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を 書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。 「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、 クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた 分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、 ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産 とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結 でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣 をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分 だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。 しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、 アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が 何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、 毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。 また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と 入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。 ―― 3000、3000回か〜 2009年06月22日(月) この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣 だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の 白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の 経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が 魂ということになる。 ーー 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火) 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。 更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。 調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。 しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて 一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。 父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。 いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく 変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって 書くのも解るような気がする。
死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。 いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。 ・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。 といってこの程度の内容であるが。 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。 それでも何とか書くからよいのだ。 書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。 書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。 書き続けることは、書き重ねることになる。 書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。 深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。 その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている? このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。 千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。 来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に 切り替え集中しなくてはならない。 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか? どうなるか?自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
・・・・・・ 5641,閑話小題 〜ジムに異変が! 2016年08月25日(木) * 通っているジムが活気づいてきた 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の 「コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の 私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、 街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、 二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、 外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう 見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、 週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、 かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい! ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、 最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、 「ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を 持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。 平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。 市場規模:4,316億円 施設数 :4,375軒 会員数 :4,193,706人となっています。 この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。 会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、 売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。 まあ、日々、お幸せなことで!
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2018年08月24日(金)
* お笑いで済まされない危機! 少し収まりかけていたトランプ劇場、何やら火の手が本格的に上がりだした。 たびたび閲覧する<豊島逸夫の手帖>の『 トランプ大統領、女性スキャンダル (2018年8月22日)が、アメリカ国内の緊迫度を紹介している。
《 今米国はこの話題で持ちきり。日本のモリカケみたいな騒ぎで。トランプ氏 の個人弁護士マイケル・コーエン氏が、選挙資金法違反などを認め司法取引に 応じたのです。トランプ氏のお相手女性に13万ドルの口止め料を払ったと されています。いよいよ女性スキャンダルからお尻に火がついてきましたね。 当のストーミー・ダニエルズ嬢は今や米国で最も話題の女性でしょう。 60minutes という人気テレビ番組で60分にわたる生インタビュー が放映された時は、6千万人の米国人が見たほどです。翌日職場はこの話題で 持ちきりでした。かなり際どく生々しい話でしたから。 この問題がロシアゲート疑惑にも飛び火してます。口止め料についてロシア人 富豪も関わったとされるからです。ロシアゲートを捜査中のモラー特別検察官 率いる精鋭弁護士チームもマイケル・コーエン氏を聴取するようです。 トランプ氏にとってはこれから中間選挙を控える段階で極めて「やばい」ね。 国民の関心をそらすために保護主義などをこれまで以上に激しく展開する可能性 もあるので要注意です。昨晩米国のテレビを見ていたら、NYの裁判所ビルの前 にカメラが並び、コーエン氏が有罪を認めると同時に脱兎の如く記者たちが走り 出てきたので「日本と同じだな」と思いました。これから詳細が明らかになり 事態が急展開する可能性もあるので要注意です。》 ― ▼・寅:出ては消えを繰返してきた、トランプのスキャンダル。くすんだ火の手 が、本格的上がってきたね。元もと、アメリカ建国の理念を全面否定した泡沫、 ロシアのスパイ網に助けられ当選したことが衆人が知るところ。 ・大家:よくぞ、ここまで持ったことが、アメリカの不健全? ということ。 こんなのが大統領に選出されるのが変ですよ。北朝鮮というより、中国とロシア がトランプが弾劾される前に、アメリカに痛手を負わせようと打合せた茶番劇が、 米朝首脳会談。困ったもんだね。 ・熊:与野党も、中間選挙の大敗を待っている節があるのは、俺でも分かるよ。 「これで、自分は相応しくない人材と少しも思ってないから始末が悪い」と、 ある側近が言ったとか言わんとか。でも、これがアメリカの中核の本音さ。 ・八:この男だったら、北が隠密に核開発をしていると決め込んで保身のための 戦争を仕掛ける可能性が出てきたね。あってはならないことだが、日本が 丁度良い標的になる。いざとなると誰も助けてくれないのが国際政治。 ・寅:だいたい北朝鮮が核廃棄するなんて有得ないこと。国家としての脳梗塞状態 ですか。いや、このままじゃ脳溢血? ベストの筋書きは、本人が、その病で 倒れること? ・大家:「プーチンよ、何てことをしてくれのさ」である。バカなポピリズムを 最大限に利用してくれたね。年末は何が起きても不思議じゃない状況ですか。 ・八:あの肥満度からして、体力的限界も含め、何かあるよ!
・・・・・・ 6005,幸せの確率 −4 2017年08月24日(木) ー幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著) * 地位財・非地位財 〜幸せになる近道は「非地位財」の追求 会社清算の結果、「地位財」を無くしたが、「非地位財」が行蔵として残った。 この感覚は、解りやすくいうと、充実感、達成感の手ごたえで、第三者からは 窺い知れないこと。趣味で手造りのヨットを完成し、世界一周をすれば、目的は プロセスと満足感。 最後に遭難をして全て失ったも、悔いがないのと同じ。 〜その辺りの、簡潔な洞察が面白い〜 ≪ 幸福について、「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。 経済学者のロバート・フランクは ・周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、 ・他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理。
「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの 物的財。一方の「非地位財」は、健康、自由、愛情などです。この2つの違いに ついて、心理学者のダニエル・ネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、 「幸福の持続性が異なる」と論じています。図では「結婚」が両者の間にある。 これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという 社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」 「家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。
重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福 は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を 目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。
それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう。〔目の前に ぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう〕のでしょうか。フランクは、 人間は自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。 子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争に 勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる 「地位財の獲得」を目指してしまう。
しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。 平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が 高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。 ≫
― ▼ とすると、本来は、地位財を非地位財に交換するのが目的だったため、 結果は何であれ非地位財以上?の何かを手に入れたため、サバサバできている。 5年半にかけ、アルツハイマーの母親を看送った51歳から、還暦まで、好きなこと を遣り尽くすと決心、10年近く捨身で生きた。その時が、非地位財を、さらに 昇華させ消しさっていたことになる。その後、10年少し経ったが、地球の生活が ますます面白くなっている。いい歳をして、意固地になり、肩肘を張り、比較地獄に 汲々としている「世間人」が可愛らしくもある。その最たる者が内なる化物だが…
〜ところで、8年前に日本文理が、決勝戦に進出していた〜 さらに、5年前にはトランプの本を読み書評までしていた。ったく! 以下、参照…
・・・・・・ 3063,閑話小題 2009年08月24日(月) * 日本文理高校が決勝だと 日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。 国体開催の一月前ということもあり是非とも優勝をしてほしいもの。 今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には勝てないと 踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県 にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、 ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、 この天候で稲作も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。 たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。 * 新インフルエンザの恐怖 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も 考えなくてはならない。半年も客が誰も泊まらないこともありうること。 そうすると「 」 考えても仕方がないことだが、現実に有りえることである。 この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が消耗して いるので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需 を計算に入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。困ったもの。 支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。 タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、 10日の潜伏後で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延 するのは火を見るよりあきらか。一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで 大問題になっている可能性が大である。新潟国体の縮小も充分に有りうること。 これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる! そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。 高校野球の優勝か どうかより、直撃を受ける本体、大問題である。不安と不機嫌の日々がつづく。 ・・・・・・ 4168, あなたが大金持ちではない10の理由 2012年08月24日(金) 「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプ著 アマゾン内のネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著 「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。 耳が痛いが・・ まず基本的な考えは「お金持ちになりたいなら、 お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。 まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。 そう振舞ってもダメなのはダメだが・・・ ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは � ゝ戮澆鬚箸蕕覆�ちゃいけない・・・と思っている 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 まず自分が好きになる仕事を選ばなくては! �◆/臾欧箸蕕覆�ちゃ・・・と思っている 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。 �� 集中力に欠けている 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。 それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。 �ぁ.謄�ノロジーに頼り過ぎ メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。 �ァ〜蠎蠅隆�待値を考慮していない賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 相手の期待を知って初めて効果があがる。 �Α|膣屬僕蠅蠅垢�ている 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきこと をやらなくては何も進まない。人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。 �А\�功グセをつけていない 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。 �─^媚弖萃蠅�いいかげん 「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。 多くの人が意思決定を 「一目ぼれ」のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは 「あの子のことをどう思う?」と聞いているのと同じ。意見を聞きつつ、 注意深く意思決定を進めること。 �� 家族とうまくいっていない。 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。 �� 好奇心をもっていない 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、 成功の鍵。起きていることすべてに興味を持つこと。 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。 上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、 ほぼ上記をカバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。 お金は、お金を意識しないで済む程度が一番よいという。年齢にもよるが、 一般的に100万ドルか、一億円が目安。 ・・・・・・ 3803, 哲学人 ー�� 2011年08月24日(水) ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。 その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞 《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほ あやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を 弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを 比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。 マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。 * ウパニシャッドとは ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という 本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。この本の中で、唯一、 私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。驚いたことに 次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで成り 立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、 それに対して実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は 直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれて いた。それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、 そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れる ことのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。 突きつめると、実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく 個々に分離しているのは、イメージだけである。また、イメージはあくまで イメージであって、主観的ではかないものである以上、そしてとくに、人間には 生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、イメージを 幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、 人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には 万物はひとつである。」… 私には、この見解は確認できないように感じられた のである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知るすべが見当たら なかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。 私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えて いることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定して いたーのだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば 確かに、現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠が ないように思われる。】 ▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。 その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的 残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのは イメージである。そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、 そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。 恋愛など、性欲がつくりあげたイメージのダンスでしかない。 ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。 ・・・・・・・ 3438, 腰痛について 2010年08月24日(火) 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回 書いている。そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめる ほどの腰痛はない。一年間何もないのは近年には記憶がない。低反発マットと、 海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、立振動のバイブレーション・マシーン効果 がでているようだ。四足だったサルの祖先を持つ人間が、両足で立って歩くように なったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が長い人とか、 立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。 日常的に心がけることは、 ・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、 ・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、 ・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、 ものを拾うときは、腰から上は立てたまま膝を曲げる。 ・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと ・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと ・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による 内臓の冷えも危険 ・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、 注意をすること ・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること などなど、ある。 腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、 ある程度は押さえ込むことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を 25年間も続けることも出来たし、姿勢は良くなった。その結果、全身の血の 巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。 ・・・・・・・・ 2698, 閑話小題 2008年08月24日(日) *大曲の花火 昨夜は、秋田の大曲の花火をNHkのハイビジョンでみた。 この数年の年中行事の一つになっている。電気を消した見ていると、自分が 土手で見ている気分になる。プロの花火師の評論が面白い。花火には「菊」と、 「牡丹」の形があるとか。 丸い花火は割りものとか、云々。 大曲は、日本中のプロの花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。 開くタイミング 10点、 開き具合 30点 色彩および配色 30点 技術 30点 の比率で評価される。 地元の長岡の花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。 〜〜 *日本野球がオリンピックで敗れた訳 日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、 星野監督の選定ミスである現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘 が全く無くなっている。せめて副監督として古田元ヤクルト監督をつけておく べきで、御友達感覚の監督、コーチで勝てるわけがない。選手が、星野監督と コーチの前で、すくんでしまって実力を発揮できなかった、ということ。 更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を大きく指した。本人の一生の傷になる。 数年間は針の筵だろう。ニュースに流れた日本人の観客のヤジ 「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、それくらい星野 には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方をしたのだから。 それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎただけ。 ただ星野は、酷かった。 人生は、こんなものだろう、 所詮は!+−ゼロ。 〜〜 *オリンピックが終わるか これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で行われた ことと、お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。といって決勝 進出と、注目された試合だけだが。前回の三分の二の金メダルだったが、こんな ものだろう。テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・ 中国にとっては大成功のオリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。 独裁国家がオリンピックを開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、 ナチのドイツとソ連の崩壊から推測出来る。これから10年間は、大きな試練が 待っている。上海の万博まで持つだろうが、火はついたことは間違い。
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2018年08月23日(木)
* アップする前に、全て消去 「何てこっちゃ〜!」。 昨日の朝方のこと、アップする直前に、チョッと した勘違いで、書上げた文章全てを消去してしまった。17年半で3回目になる。 このテーマの内容は止めておいた方が良いというサインと、自分を納得させる しかない。こうなりゃ、意地でも何か書上げてポタリングに出かけようとしたが、 やはり無理。で、違う書きかけのテーマに差替えて改めて今朝方、あらため読むと、 やはり大幅な修復が必要。やはり、注意されるべくして注意されたのである。 〜カットした昨日のテーマ内容をそのままを、かいつまみ書くと〜 ≪「前日の朝、信濃川の土手でのトラブルの話。長岡大橋を渡った西側の土手で、 後ろから大声で、「道の真中を走るんじゃない!」と、怒鳴られた。みると、 本格的チャリダ―。7〜8mの土手で真中を走って何故悪いのか、数秒考えても 何故か分からない。ところが数百m先で、自転車を停めて、道端の金具を拾って いたので、「何故、真中か悪いのか分からないので、その理由を教えて!」 と聞くと、激怒をして「この馬鹿野郎。何を言いやがる!」と。何々と、戦闘 態勢に入り、‘ベルトを抜いて殴りかかるイメージ!をもって睨むと、急に怖気 ついて、自転車を急発進して、走り去っていった。体格は大柄のアスリート風。 その後、同じ場所を自転車を走らせて「何故、真中を走っていたか」を考えた。 整備された土手の自由道路で、正面からウォーキング、犬の散歩、チャリダ―が テンデンに行きかうため、中央から少し左側を走りながら、その都度、左右に ハンドルを切って寄せる。何も怒鳴られる筋合いがない。明らかにチャリダ― の優越行為。まさか、何か言い返されると思っていなかったようだ。 生きていればこそ、怒ることが出来る。喜怒哀楽で怒りが一番のエネルギー源。 怒れ怒れ、もっと怒ればよい。そして、その分、喜び、哀しみ、楽しめばよい。 おさえる必要などない。≫ ― ▼ 上記を改めて読み直すと、誰も居ないからこそ左側に沿って走るのが道理。 直に思いついたのが、ジムで12人定員でステップ台とストレッチマシーン を交互にやる「イージーライン」というエアロ。終わる直前、マシーン台を 拭くのが礼儀。しかし、面倒なので肩にかけたタオルをマシーンに被せる。 ところが人によって、汗を拭いたタオルでも嫌がる人が当然いる。後の女性に露骨に 嫌な顔をされた。で、当然、私も「怒りへの処置」をした。10年近く誰も 居ないことをよいことに道路を傍若無人に走っていた。スポーツジム、近所でも 誰とも目を合わさず、挨拶もしない態度。一番上のボタンから掛け違えている。 私も社会というより、まず「500m内の世間」に生きている。 今さら、 愛想も直せないし… 意識をして会釈でも始めますか。 そう、誰も居ない時こそ、マナーの勉強ですか。 <人は人、我は我。されど仲良く>ですか、娑婆は! 『偉そうに何を書いているかだ、この野郎!』 ったく!嫌な野郎だ。 で、新しい試み、これをアップする前に、一度、ポタリングに出てから、 帰った後に、新鮮な気持ちで、これを読返し、更に校正する必要があるようだ。 ハイ出発! 一時間後 …で、帰ってきました。日常の中の非日常を書くのが日記。 生きていればこそ。毎日の非日常の中に、日常に慣れてしまって気づかない ことが隠されているということ。人それぞれが、歪な日常を過ごしているが、 第三者には見えるが、当人だけが気づかない。それが娑婆といわれる由縁。 ということに気づきました。「そうだよな〜、歪だよな!」
・・・・・・ 3802, 哲学人 ー� 2011年08月23日(火) * 驚きを忘れた人々 (P/29より) 【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。 真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の 経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、 まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。 私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、 それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる 感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、 子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な 特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは 「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の 泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な 世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、 それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を 問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして 退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい 理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を 逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる 事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの 共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、 世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、 物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの 人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が 見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、 人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、 17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、 芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、 なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、 私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に 何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも 重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】 ▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ 代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、 あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、 この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。 大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。 ・・・・・・・ 3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2 2010年08月23日(月) * あと5ヶ月で65歳になるが 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、 決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも 恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年 近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、 小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の 文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、 そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、 アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。 それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の 破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。 特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの 右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い 時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。 その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。 それにしても知らないことが多すぎる。
・・・・・・ 6004,幸せの確率 −3 2017年08月23日(水) ー幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著) * 高い貯蓄率、ただその一言につきる 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』 早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が 高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を引き 合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望 もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが 出来たのは、家内への給与と、厚生年金積立てがあればこそ。40年近くになれば、 チリも積もれば小さな山になる。それは両親の方針で、中小企業の知恵でもある。 (Amazonの内容紹介) ≪ r>g 「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか? 18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの 重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、 世界的ベストセラー。 〜本文より〜 ・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、 長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある 仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組 に基づいたものでもある」 ・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に 戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」 ・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何 ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率 「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる」 ・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え 始める時期はとうに来ているのだ」 ・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫ ― ▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率 が1〜2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと ‘r’の側になってしまえば、後半の人生を幸せに過ごすことが可能になる。 「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、 楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生を 全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって 欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せの状態、 「プラス3〜6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題は人生観。 著者は、医者になり、独立をして成功。創業利益も背景にある。〜つづく
・・・・・・ 5639,女はギャップ 〜�� 2016年08月23日(火) <「女はギャップ」名越康文 (著)> * 男の鎧とは 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、 臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、 不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。 「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人 がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。 男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、 美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。 (内容紹介) 「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。 この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす 「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も 必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。 ▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。 ・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。 ・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。 臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」 が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。 「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、 気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの 店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。 ・・・・・・・ 3062,階級社会だと! −2 2009年08月23日(日) 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。 その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊の プロセスを身近で何人か見てきた。その崩壊は人間性の崩壊になる。 階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が 無くなれば階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。イギリスは階級制度 のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように 受け入れるシステムになっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値 の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、家柄より学歴を優先する 社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 (字数制限のためカット 2011年8月23日) ・・・・・・・・・ 2697, 散歩について 2008年08月23日(土) 散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば 毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが 歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、 この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では 6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には 散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、 敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は 歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前 を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ どころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、 その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が 生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。 私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。 大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など 出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も 取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識 しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら 歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩を健康のためとか、考えるため、 というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、 スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った 年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに 話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)
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2018年08月22日(水)
* 今度、生まれたい動物は? 先日の早朝、大手大橋で、ヒキチャリをして歩いていると、30�僂曚斌椶隆屬法� 白いものが落ちてきた。カラスのフンである。電灯の上を見ると、カラスが一羽。 ‘さて、これは狙ったものか、偶然か?’ 20年前の駅前でやはり、カラスの フンがもろに… その時、思ったのは「ウンがついたので宝籤でも買うか?」 その直前にも自転車を乗っている時に鼻先に落された。 数ヶ月後の新聞で、カラスのフン攻撃?が意図的か否かのテーマの記事があった。 そこで、学者のコメントが、「カラスは頻繁に糞をするので、機会が増える為で、 意図的でない」と。私は「カラスの遊び心」と… 鳥は滑空する生きもの。 地上では見えないモノが見えているのだろう。他の生物に生まれるなら、鳥類。 墜落死も出来る。HP内の検索をすると、何とまあ、多くのテーマがあった。
―― 2017/08/22 閑話小題 〜カラスの話 * カラスの話 これまで、何度かカラスについて話題にしてきた。早朝のポタリングで、 2つの大橋の手摺や、道すがら、電柱のカラスと毎日、御対面をしている。 一ヶ月前、自宅の2F玄関前にいたカラスを強く追い払ったところ、その場所と、 1Fの門の横にある電柱から、毎日のように大量のフン攻撃が続いている。 意図的か偶然か、判明できないが、掃除をしても、直ぐに汚してくる。 10数年前になるが、近所を自転車で走っていた時、前方から低空で前車輪 にフンをかけていった。 その直後、新聞とラジオで、「カラスのフンかけは、 意図的かどうかを専門家が答える内容を報じていた。専門家は、「あくまで偶然。 とにかく、小出しで、回数が多いための偶然」と否定的。 散歩とポタリング を含めて40年近く出歩いているため、一番、接触が多いのがカラス。 得体のしれないカラス社会のごく一部は垣間見れるが、鳥類は「空飛ぶ恐竜」 そのままの原型が一番多く残っている。 〜以下がネット内検索の内容。日頃、余程、閑(時間持ち)のようだ!〜 ―――― 2014/07/24 閑話小題 ー最近、またカラスが・・ * 最近、またカラスが・・ このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が 鳴響いている。 一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が 続いている。ポタリングを毎日2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。 その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が 次々とやってくる。 ー去年に書いた内容といえばー ≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)> 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に 糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に 考えていた。 ところが一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、 専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。 よくあるので、取り上げたのだろう。 答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら 利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的。専門家とはいえ、 私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。 で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で 威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって 見ていたが、明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦。 よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、 決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。 上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。 4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫ ▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、 どうも、我家のインコが 野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット? と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々減っているのが 気がかり。 至近距離の田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の 我家の庭のテリトリー争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が 多くなると、今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、 軽井沢、那須などに行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。 ―――― 2013/03/27 閑話小題 −つれづれに * 一昨日、カラスの交尾をみた。 ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが 舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこに オスが・・ メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは… ―――― 2011/11/11 閑話小題 〜〜 * カラスの怒り 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から 飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かの鉢合わせをした。 カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていったが、体制を立て直した のだろう、30Mも行かないうちに自転車の数m先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇 してきた。それを4度も繰返したことから、怒り心頭で怒っているのが分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。散歩などで時おり威嚇してくる。 黒色系の服装が刺激するのだろう。鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。 それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。人間社会との微妙 な距離を守り、共存している。土鳩・カラス・雀は世界の街の何処にでもいる鳥 ―――― 2007/11/04 2406, カラスの話 −2 「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。 ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら (Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。
先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に (亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。 その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、 「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。
「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラスの研究 があった。彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。 ・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、 ・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の 「ク」の音階で聞こえるという。それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、 人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。
この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、 成る程、意思交換をしている。 カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッ という短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。それと、朝晩 の集会での意思交換をしている。
話は少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬をからかっている場面に 出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。 その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。 飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。 それをまた、私も見ていたのだから・・・ カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。 最近のカラスは、一番身近な野生?の動物である。
―――― 2007/06/18 2267, 「遊び」 (゜∇^*)オハヨ♪ 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から 「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。 その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、 年、月、週の計画に組み込んでいた。 人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。 「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。 人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。 そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。 何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化 が楽しみへ持ち上げるポイントであった。 ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。 到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、 遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として 一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然 とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象を与える。 学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。 遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。 一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。同じ人生、楽しまなくては! 何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。 … (略) ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察 から認められている。その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。 ・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、 ・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、 ・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、 ・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた “遊び”といわれる。 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。 「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に 襲われた場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、 それを遊びにすることが、高度な知的行為である。 ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に遊びが入っている ところが、注目に値する。 d=(^_^)=b 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜! 何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、 ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、 ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。 ―――― 2006/10/24 2030, カラスの話 (*^○^*) ハ〜 ヨウ 20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。 低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、 今でも思っている。時々からからかったりしていたからだ。
散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。 雀や、セキレイや、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。 日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、時には襲うようだ。
ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。 小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、 ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。 また電線に千羽以上もとまっていることもあった。 あれは何かの集会ではないだろうか?
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、 動物学者の研究観察から認められている。 その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、 ・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で 仲間と遊んだり、 ・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、 ・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて 始めた“遊び”といわれる。 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。 「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた 場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びに することが、高度な知的行為である。
遊びのほかにも、驚くべき観察がされている。 取ってきた木の実を土に埋めて隠しても、その場所を正確に記憶している。 驚くべきことは「百箇所以上に埋めた場所と、それぞれの賞味期限も知って いて丁度良い時期に掘り出して食べていた」という観察もある。 その瞬時に記憶する能力は人間以上とさえいわれている。
イギリスの動物学者のエメリーの研究によると、 一度隠した木の実を、別の場所に移し替えたので観察をしていたところ、 過去に自分が隠した木の実を盗られたカラスに見られたときだった、 というから人間並みの知能といえよう。ハイエナが自分の巣穴を覚られ そうになった時に、子を違う巣穴に移すのに似ている。
他にも、銭箱から小銭を盗ってきて、鳩の餌を売っている自動販売機に その盗んだコインをくちばしで投入、餌を得たり、 また胡桃を空高くから落として割る行為もよく知られている。 街中で生きる内に知恵がついたのだろうが・・・
「羽の生えた類人猿」とは、言いえて妙である。逆のカラスの立場から見れば、 人間は「羽の無いカラス」といえる。弱っている動物をみると、それだけで攻撃 する習性など、そっくりである。 自然世界には、面白く不思議なことが満ちている。 ただ、見てないだけである。いや、見ても観えてないのだろう! \(^▽^*)バイ!
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