堀井On-Line



6359,読書日記 〜嫌なことはやらない

2018年08月11日(土)

            <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
   * まずは「嫌いなことをしない」
 「好きな事をやる」より、まず「嫌いな事をしない」が、第一歩。
戦略とは「何に焦点を合わせ、集中することより、何を絶対にしないかを
決めることを優先すること」といいうが、人生でも、ビジネスでも同じ。
黒柳徹子の「仕事も、遊びも、好きなことしかしない」からこそ、現在でも現役
でいられるコツ」の言葉は有名だが、それ以前に「嫌いなことはやらない!」が
優先するとは… 20歳の頃、「キリスト教倫理」の課題に『人生の将来設計図』
が夏休みの宿題にあった。 考えあぐねた結果、『創業人生を生きる』で、両親
の戦後の転職の苦労話を書き連ね、自分も、同じ人生を生きたいと、書上げ提出。
その時に、驚いたことに、丁寧な長文の返事が返ってきた。
 『素晴らしい、その人生を生きるべきです!』
この遣り取りで、自分の性格が一変してしまった。丁度、都会生活と、寮の先輩
夫婦がペアレントをしていた軽井沢山荘のヘルパーに駆り出されて、単調な学生
生活から抜け出し始めた頃であった。何か世界が明るく輝き出したような… 
 世界は「自由、平等、博愛」を理想としているが、世界は真逆。それらは一つ
ずつ自分で獲得するものと。人生は自分の意思で選択するものと。考えるとは、
何が好きで、何が嫌いかから出発する。
 
  〜著者の、以下の部分が、一番の要点…
≪ テレビの創成期の日本テレビのプロジューサーだった井原高忠さんが
 書いた『元祖テレビ屋大奮戦』という本に、ガツンとやられた。…
<自分の好き嫌いで仕事をしている!これこそ理想だ>と思いました。
漠然とした自分の方向感覚が出来ました。以来、井原さんが僕のモデルです。
会ったことがないが、勝手に心酔しています。彼の本の素晴らしいところは、
<「好きなことをしろ」より「嫌いなことをするな」である>というメッセージ
が前面に出てくるところです。 フツーの人はそもそも自分が好きなことが何か
わからない。それで困っているのに「好きなことをやれ!」って言っても…。
好きなことはわからなくても、まず嫌いなことをやらないと決めたのです。≫
―
▼ 兄姉たちは、両親から距離を置いていたが、末っ子の私は、常日頃、
 親元にまとわりついて育ってきた。 面白いのが、商売のコツの話。
情報と知識の重要性、特に読書と新聞購読がベースと… それと知恵の捻り
出しの具体的ケースの数々。何ごとも好きになるまで努力をすること。
それと師と仰ぐ人の存在。父は津上製作所社長の「津上退助」「野本恭八郎」。
努力の量も、質に変化していくこと。ここでいう、『努力の趣味化』。
まずは「嫌いなことをしない」こと。好きなことをすれば、当然「嫌いなこと」
は薄れていく… ただし、これも慣れ、コインの裏表と同じく、そこに素晴ら
しい何かが隠れていることがえてして多い。時と、場合次第である。 
 誰がすき好んで、17年も連日、頼まれたわけでなし、小難しいテーマを
取上げ、書きつづけますか。嫌が応でも意地で続けてきたため。 
人生で一番良かったことは、嫌なことでも、嫌と思わなくなれたこと。
良し、悪いの比率が6対1のため。好きを増やすか、嫌いを減らすかは人による。
<500mで安住してきた人、大好き。> お前自身のことかい? 皮肉かい?

・・・・・・
5262,贅沢を敵にしない 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月11日(火)
              〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 贅沢を敵にしない        
 ここで何度も書いているが、小・中・高・大学の同級会に毎年、出席して
いるが、進学するほど当然、空気が違ってくる。その大学でも、進級するに
つれ、属したグループの人の質(知識、家柄、人柄,etc)もアップしていく。
 4年前から、世界が住居の長岡だけに狭まったが、この小さな世界の段差が
嫌でも見えてくる。この城下町は未だ『贅沢は敵』の精神が付いてまわる。
 稼いだだけ、堂々と使えば良いだけだが。で、30年間、堂々と使ってみて、
どうだったか? いや、良かった。本当に!使った分は、あの世とやらに、
持っていける。ということで、両親にも教わっていたが、以下の論に納得! 
≪ やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。
 貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。しかし、経済的に豊かな
状況からのみ何かが生産されるということではない。心が豊かであれば、
あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずある。
豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういった
ものから必ず生まれるものがある。
 しかしまた、いくら莫大な資産を持っていようとも、それを使わなければ
何かが生まれてくるということはない。当然のことながら、贅沢から生まれる
ものは多い。贅沢を好む気持ちからでさえ、蕩尽からでさえ生れるものがある。
ケチ、節約、出し惜しみ、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなもの
は生まれない。それでは、豊かなに生きられない、人生を十全に生きられない、
いきいきと生きられない、ということを意味する。
 たとえば、返済に数十年もかかるローンを組んだために好きな本も買えずに
図書館から借りては返し、質の悪い衣服をまとい、質素な物を食べなければ
ならない生活というのは、それ自体が豊かなことではないし、豊かなものを
生むのがとても難しくなる。実際に、そのために子供すら育てられない家庭が
あるのだ。粗食だの節約だの質素だのというのは、早々に人生を見切った老人
にまかせておけばいい。わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないため
にも、豊かさを好み、贅沢を味方にしておかなければならない。
 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いの
ためだけに生きることが人生といえるのだろうか。それはそもそも人生と呼べ
るのか。 豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生である。
 あのイエスさえ、粗末な衣服をまとってはいなかった。ニーチェもまた
質素な生活はしていなかった。昼はいつもホテルのレストランでステーキと
オムレツを食べていた。ニーチェは、人間はもともと贅沢を好むものと述べる。
 人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空より
も狭い空をあおぎたがるだろうか。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな
手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅沢に向いているのだ。
 たしたちは、机上の計算をするだけで金銭を得ることが当然だと思っている
ような経理的な人間にだまされてはいけない。これだけの金しかないのだから
この程度しかできないと彼らはいうのだ。彼らは金こそ可能性と力だと思い込ん
でいる。数字の計算が重要だと思っているような彼らより、本当に生産に
たずさわっている人たちは知っているはず。狭さよりも広さ、制限よりも解放、
圧迫よりも自由、計算上の明日よりも望みを含んだ今、貧弱よりも豊満、臆病
よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったものこそ、人間をもっとも
人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。かがんで身構えて
いては何も掴めない。踏み出し、進み、手を伸ばし、欲望をあらわにし、
求めなければならない。賛沢は何かを捨てることではない。何か新しいことを
得ることだ。贅沢は人間の能力を解放することなのだ。〜p109〜111  ≫
▼ 上記の意味すら理解できない人が、地方には多い。周辺の思惑に左右され、
「かがんで身構えて何も掴もうとしない!」 そう、ただ彷徨っているゾンビ
のような人が、身近な顔色を伺っているだけ。近づかなければ良いだけだが、
それが、また・・ 21歳時に、一ヶ月で、現在の300万以上の大学の欧州一周
ツアーに参加してみて、それまでの、小さな先入観が粉々に粉砕された。
そこで知ったのが、上記のこと。可能な限り力を発揮し、その力で、最大限、
豊かさを得て、この世を楽しむことこそ人生。 だからこそ創業を目指した。
 創業45年の人生、一応、豊満で、面白おかしい経験が行蔵に残っている。
贅沢は敵でなく、素敵である。どの道、直ぐに死ぬのだから!で、以下に続く!

・・・・・・
4897,閑話小題 ーシャバシャバ
2014年08月11日(月)
   * 娑婆とは
 「娑婆」の定義を知りたいとネットで検索したところ、次の内容があった。
≪ 娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦に耐える自由の
 ない世界としている。しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとって
の外の自由な世界を意味する。これは江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の
地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」
になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では
変わっていない。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマの出所シーンで
「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や
新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が
「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。≫ 
≪「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉。「此岸」
(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界
ともいいます。「娑婆」とは昔のインドの言葉で、堪忍土とも訳され、耐え忍ぶ
世界という意味です。≫ とあった。
▼ 父の口癖が娑婆。日常的に世間を娑婆と言換えて使っていたため、たびたび
 聞いていた言葉。商家は、日常が戦場の真只中で四苦八苦世界の側面があった。 
終戦直前に、空襲の焼夷弾で街が焼かれた直後に物心がつき、一家は転業を
しながら日々を過ごす娑婆世界の環境であった。若者言葉に「やばい」と
「シャバ」をかけ「シャバイ」があるとか。今の私の日々は、シャバイになる?
この言葉から「ショバイ」が連想される。ショバイ日々、商売に熱中する日々。
ショバショバである。現在の私は「ショボショボ」になるのか!

・・・・・・
5992,閑話小題 〜最後の講義・12 ー石黒浩:対談
2017年08月11日(金)
   * 人の感情を推し量ることからの開放
 大人数の家族の末っ子として育ったこともあり、周囲に気を使い過ぎる
きらいがある。 SJでも、軽い会釈か、挨拶さえしないで独り、無言で、
イージーライン、ヨガ、ウォーキングマシン、マッサージのコースを大よそ、
2時間、熟している。メンバーをみると、3分の2が独行で、残りが2〜3人で
談笑しながら過ごす。対話の話題には、こと欠かないが、日常会話は苦手。
どうしても口が重くなってしまう。 まずは、何気なく褒めれば良いのは
分かってはいるが… 表情を最小にしたロボットが、思いの外、重宝して
いるようだ。無表情な部分を人は、想像でカバーしているようだ。無口で、
無表情の人に何やら魅かれるのは、そのせいである。
――
<石黒>
 アンドロイドの研究を行ってきた結果、最終的に行きついたのが、
「人の存在をどうやったら表現できるか」、「その条件は何か」ということ。
人間の脳は、「見る」と「聞く」を足し合わせて、1+1の2で認識すると
思われがちですが、実は、2つ情報が重なったときに、4とか5に反応する
しくみになっています。その結果、「知っている」という状態になるのです。
ハグビーの場合も2つの情報は「声」と「触感」です。
 人間そっくりのアンドロイドをつくって分かったことは、人間は大事では
ない要素を引き算して認識するということです。さらに、あるところまで行き
つくと人間は相手のことを想像でカバーし始めます。テレノイドが受け入れ
られるのは、人間は、「誰かはっきり認識できる相手に話しにくいこともある」
という性質があるからです。後期高齢者や認知症の人は、人に対して申し訳
ないといった感情から、話ができなくなっています。ところがテレノイドに
対しては、自分の記憶の中で適当な想像を働かせながら話すことができます。
<本荘>
 それは面白いですね。リアルな人間よりも、テレノイドに対しては、人間に
対する遠慮のような感情が湧かなくなるから、ピュアに受け入れられるのですね。
<石黒>
人間は相手のことを推察しますが、相手の感情を直接見ることができるわけ
ではない。すべて自分の想像の産物です。ネガティブな想像をはじめれば、
とことんネガティブになってしまう。ところが、ロボットだと分かっていれば、
ネガティブな想像をしなくなります。 私たちが行った実験では、高齢者、
認知症の人、自閉症の子ども、みんなロボットが大好きです。
今の社会では、人の感情などを推し量る必要があるため、そこで問題が起きる
ことが多いのです。もちろんロボットで全ての問題が解決できるわけではあり
ませんが、少なくとも治療の手段にはなります。ロボットを使用してある程度
話せるようになれば、人間を相手にして話す、といった活用です。 既に、
自閉症専門病院では、小型のコミュニケーションロボットであるCommUが使われ
ています。精神障がいの女の子の例ですが、大ゲンカをする嫌いな相手の女の子
がいるのですが、嫌いな理由は一切医師には言わない。しかしCommUにはすべて
話すのです。CommUを通じて、次は相手の女の子と話すことを約束した結果、
普通に話すことができて、関係を回復させることができました。 
心に引っかかっている、ちょっとした何かを取り除く助けになるかもしれない。
それがロボットの可能性です。
<本荘>
認知症や精神障がい以外にも、ロボットは、転職や職探しのケースで効果がある
と聞きましたが。
<石黒>
 ジョブカウンセリングも同様、人間のカウンセラーだと遠慮して言えないこと
があります。遠隔操作のロボットであるとわかっていれば、心を開きやすい傾向
があります。マツコロイドのお悩み相談は何度もやりましたが、相談者は素直に
話してくれます。落ち着いて緊張することなく、論理的に話せるのが特徴です。
――
▼ スマートフォンの普及で、仲間同士がネットで繋がりを持つことが可能に
 なった昨今、ブログが、感情の吐きだしとして有効に働くことになる。
マイナスも多いのだろう。 歳を重ねる度に、人は自閉症的になるようだが…
・・・・・・
5627,お金に強くなる生き方
2016年08月11日(木)
           【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 年収600万で上位10%
 佐藤優の【お金に強くなる生き方】というテーマに惹かれて図書館から
借りてきた。現実的な内容で合点がいく。年収600万で上位10%とは驚き。
 正社員の収入が414万円で、非正規を含めると、中央値が300万半ばになる。 
これが現実である。 〜その辺りを抜粋する〜
《 先ほどの国税局の調査で平均年収が414万円。この数字は平均で、高所得者
 に引っ張られているため。実際は、これより低い。「年収300超〜400万以下」
が17・4%。 男女別に見ると、男性が「年収300超〜400万以下」が18・7%が
最も多く、次いで、「400〜500万以下」が17・1%。 女性で最も多いのが
「100万〜200万以下」で、26・1%、次いで「200〜300万以下」が21・8%になる。
 おそらく、この数字が一般的な日本人の給与所得者の実感に一番近い。
つまり、年収300万台が中央値である。日本の労働者の年収上位10%には、年収
580万台の人が入ります。年収600万なら間違いなく上位10%に入る。
 どうもバブルの頃のイメージが抜けきれず、平均値のマジックに惑わされるが、
年収500万位が平均的な数字のような感覚があるが、現実は、かなり違っている。
300〜400万も稼いでいれば自分を卑下する必要もないのに、何か焦って、変な
投資をして騙されるケースが多い。》
▼ 「年金生活者」の言葉自体に問題がある。「年金補助生活者」が性格な答え。
 これが浸透してないため、不平が政府に向かう。とはいえ、三人に一人が預金
ゼロというから、僅かな年金では生活できない。そこで、「生活保護制度」で
何とか生きていける。とはいえ、バブル崩壊以降は、厳しさは増している。
 〜で、これも偶然だが、以下に続く!
 ・・・・・・
4155, 閑話小題 ーオリンピックも後半に
2012年08月11日(土)
   * オリンピックも終盤に入った
 ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本として
はメダル数が多い。外国にならいメダルが取れそうな種目に集中してきた効果が、
ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。
国が衰るとオリンピックやサッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。
 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、
浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。
9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、ユーロ圏の経済危機で焦臭い
動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、
無事終了して欲しいもの。テロリストも国を背負っているので躊躇するのが
道理だが、それが通らないのが彼ら。
  * 地平線の距離は?
 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、
20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。一番身近では海原と空の境目
がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニア
のセレンゲッテーの草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 
私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。
  * つれづれに
 この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の
帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは60年、70年先も生きて
いるのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。
一線を退いたこともあるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは
無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が取り壊され
更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で
楽しそうに佇んでいた。恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住む
のを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。


6358,閑話小題 〜年寄りの不幸感覚

2018年08月10日(金)



   * 老いの自覚を…
 年齢と共に、年々、肉体的、精神的の老いの新感覚に唖然とする。
ボクシング協会の老醜丸出しの78歳の会長。ここまで唯我独尊となると、
漫画の世界。 引き際を間違えた典型。勝手に立場を悪用して「終身会長」
とは、何をか言わん。 …ハーフの朝鮮人で、元暴力団・準構成員上がり。
前科が無かったのが幸いし、過去の身体検査から漏れたようだ…
論理は、ヤクザの脅しと同じ手法。脅し口調に、ナダメと涙を駆使して、
自分のペースにまきこんでいく。演劇的で面白いといえば面白いが… 
よくみればハッタリかましのオジイチャン。肉体系駆使の格闘技の世界は、
こういうのが多く生き残っているようだ。

  * 再び、長岡花火の話題に
 一昨夜、TVで長岡花火のハイライトを放映していた。今日も同じ内容かどうか
定かでないが… 放映される。それを見ていたところ、家内がYouTubeの4k録画
を『綺麗だから見たら!』という。昨年、熱の冷めやらぬ8月末に「大曲の花火」
を見ながら、YouTubeの長岡花火を見ていたが、今年は、その前に、見ることに。
この数年、寝室で独りで見ていたことを家内は知らなかったようだ。
 今年も家内は二日間とも、駅まで自転車で行き、あとは駅か信濃川に向かう
群れに加わり二キロ程先の大手大橋近くまで行くという。数年前まで同行して
いたが、家内も自由気ままの単独行動に慣れてしまった。
 二日目のこと、家内の後ろの男の人がフェニックスに感極まって、
<『凄い、凄い!』の感動そのままの言葉が伝わってきた… けれど、もう私
には、それほど感動は無い…。>と宣わく。 花火文化の中で、毎年、繰返し
見れば、初回の格差は大きくて当然。これは悠久山、福島江の桜にも言えるが。 
 
 夜空の比較の話なら、北極圏のオーロラと段違いのスケールの差がある。
比較すること自体、オカシイ自慢話の領域になる。
――――
2003/10/13
922, アイスランド旅行記−2
              ー 2003年10月13日(月)
   ーアイスランドを印象順に書いてみる
・何といっても、『オーロラ』である。
 オーロラは二度目だが、前回のノルウエーのトロムソは外れであった。
 今回は一回だけだが大当たり!しっかり目に焼き付けてきた。
 ー明日オーロラについて書く。
・海に突き出た雄大な断崖のディルホゥラエイのパノラマが素晴らしい。
 高さ100mの断崖がどこまでも続く絶景と、断崖から見えた果てしない
 海岸線が何とも美しい。
 北の果てという感じが一番でている場所であった。
・クレーバルバトン湖の背景に広がる景観は、 正しく月の景色に一番似て
 るといわれている。スターウォーズの映画の場面を思わせる茶色のパノラマ
 が別の惑星にいるようだ。アームストロングがここで訓練をしたという。
・氷河から流れ出た滝が、それぞれ素晴らしい。
 何といっても迫力のあったグトルフォスの滝が印象的であった。
 イグアスの滝に似ており、北極のイグアスとう感じだ。
 またスコォガフォスの滝の美しさも忘れることができない。
・霙の中で見た3〜4分ごとに吹き上げるストロックルの間欠泉も
 アイスランドならではのものだ。
・溶岩でできている大地がほとんど国を覆っている。
 土がまだ殆どできていないのだ。大地の上を数百年かけてできた20cm
 ほどの苔が土の役割をはたして、その上を草が生えているのだ。
 我々は何げない土の上に住んでいるが、数億年かけて有機物の新陳代謝を
 繰りかえして土になっていったのが、このアイスランドに来てよく解った。
 岩山も緑の苔が覆っていて、景色としはアイスランドならではの異様な景色だ。
・少し場所を移動しただけで、景色がドンドン変わっていくのが印象的である。
 テーブルマウンテンや溶岩で出来た岩山、氷河に荒涼とした荒野などなどだ。
 そこに羊と馬が放牧されている。
 その中で目立ったのが、アイスランドポニーという小型の馬である。
 冬でも極北の寒さに耐え、そのまま放牧をしておいても大丈夫だという。
 性格が穏やかで欧米で人気があり輸出用だという。
 
 見た感じとして似ている国としては、ニュージーランドとパタゴニアである。
 氷河とどこまでも続く荒涼とした大地と、吹き付ける冷たい風は北も南も一緒だ。

「一生に一度に行きたいアイスランド」という言葉が一番にあっている国である。
    本当に世界は広い!

――――
2003/10/14
923, アイスランド旅行記ー3
          ー 2003年10月14日(火)
ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラが
カーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。
 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。

 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。
 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と話しかけてきた。
「実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。
 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。
しかし、この言葉の意味が実際見て初めて解った気がした。
 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうのだろう!
 
・・・・・・
2018/03/07
閑話小題 〜大変な人のでき方

   * 旅は根こそぎ人生観を変えた
 何度も書いてきたが、51年前の21歳の「30日間・欧州旅行」が人生を変えた。
国内さえ殆ど旅行したことがない私が、年間20万人しか渡航してなかった当時に、
ツアーに大金持ちの子女・子息たちと豪遊旅行に参加したのだから…、当時の
日常との段差が如何ばかりか。それまでの人生と、その後の人生というほどの
段差によるカルチャーショックが、そこにあった。 
 良かったのが、事前情報が皆無に近かったこと。名所名跡に出あいがしらの
感銘がより大きくなっていた。その衝撃は、その後の秘異郷旅行のライフワーク
に繫がっていた。 
 
 当時よく聞いた話が「カルチャーショックで気が変になる人が多々ある」。
今では情報化で現地の事前情報があるため少ないようだ。私も帰国後の数ヶ月は
自失茫然状態であった。それまでは、私なりの世界観、価値観を保って秩序を
守ってきたが、そのベースが根本から揺れ、それが新たな再生になっていた。
 老いる度に、私たちは小さな世界に閉じこめられ、その世界しか知らなかった
ことに気づき、慌てる。その後、数知れない衝撃を受ける度に、生き方、人生観
が根こそぎ変化していった。成るほど、「大変な人」と言われるのは至極当然。
私の限界の中の衝撃で、破壊と再生の「変化」を経験すれば、「変」が大きく
なる筈である。 とはいえ、その道のプロ、例えば、秘境の地への赴任とか、
添乗員から見たら、何をバカなことと笑われる半端なド素人でしかない
。 
 一歩、旅行に向け踏出すと、非日常の世界になる。 新幹線から成田線に
乗継いで、機内に入ると、非日常が、日常になり、これまでの普段生活の日常が
非日常に逆転する。黄色のミニ集団の一員として、こちらの正しいことは、旅先
では正しいとは限らない世界になる。世界は多様であり、それぞれが特殊であり、
また自分の世界も特殊であることに、気づかされる。それぞれの地域で、それ
ぞれの言葉を話し、様々な考え方をし、地産地消をしており、それぞれの文化
の中で生活をしている。その実体験が旅行の醍醐味になる。一回の旅行で、
ホテルや、観光先や、乗り物内で、様々な文化文明に触れ、感動や感激をする。
変わっていく旅先に順応しながら、自分も変わっていく。感動、感激の経験は自分
の感情を豊かにする。旅に出て、感動し、感激し、感涙する度に、違った自分に
変化していることに気づく。

一年前に入れた4KTVが内なる世界を変えた。『アクティブ・カウチポテト族』
と言うが、世界の秘異郷先を、実際の人間の視力より、遥かに鮮明に映し出す。
今では、YouTubeで4kの映像を見ることが可能になっている。数十年経っても、
これで追体験が可能になる。更にブログで、旅先からライブの生々しい写真と
映像と実感の言葉を見ることが出来る。 21世紀は、楽しみ方を知ってるものに
とって面白い時代だ。 これは何事でも言えることが…


6357,閑話小題 〜つれづれに哲学=言語ゲーム

2018年08月09日(木)

   * 日常生活の中で言語を考える!
1日1テーマで、文章を書上げ、ここに提示しているが、これはテーマ探しから、
起承転結の文を書上げ、推敲し、完成に至るゲームでもある。毎日、何か黒い影
に追いたてられている感覚になるが、これも慣れ。気ままに、ゲーム感覚で、思い
のままにテーマを決めて、論理を組みたてる遊び。どうしても、過去の話に捉われ
がちになるが、前向きな創造的内容も多くある。 5年、10年、17年間、読み続けて
いる読者(自分も含め)に向け書いている点でゲームに近い。
 ウィトゲンシュタインとは少し意味合いが違う。彼は日常用語に注目し、
諸活動に織り込まれた言語に注目し、分析する。 〜その幾つかを紹介する〜

≪ 言語ゲームとは、言語哲学者ウィトゲンシュタインの用語。
 彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、
諸々の活動に織り合わされたものとして考察した。
このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年〉)。
 そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、
言語はそれを写し取る道具である」とする古典的言語観を解体しようとする意図がある。
・言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば
 火事を知らせる場合のように、「自己や他者に対するなんらかの活動」なのである。
・第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。
 個人の内的感覚でさえも、そうしたルールに基いてはじめて表現され理解されうる。
・第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど
 存在しないとされる。 例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールに
 基いて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。
こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的ニュアンスを強く帯びることになった。
現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校
や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、
それぞれの特質を分析することができるからである。≫

≪ 言語の本質はなにか、というのを考えて行き着いた概念。
例として挙ているのは、石置き場におけるやりとり。親方が「柱石」と叫ぶとする。
すると、弟子が柱石を持ってきてそれを親方に渡す。この場合、別にその「柱石」
という語の意味を把握して何かの行為をしているわけではない。この台詞を聞けば
このように行為せよ、というのを既に習得していて、それに従って行為したという
だけだ。だから、たとえばこの「柱石」という言葉は、別のところに行けばまた
別の意味を持ってくるわけである。個々の状況から独立した言葉の意味というものは
存在しない。すべての語の意味は、状況に規定されるものだ、ということになるわけ。
このことを、ゲーム(互いに理解しているルールに基づいてやりとりするもの)と
似ているという理由で言語ゲームと呼んでいる。≫

―
▼ <諸活動に織り込まれた言語活動という点で、このブログ活動は言語ゲーム。>
 新たな読者が読みはじめて半年、一年では、脈絡が理解しにくいだろうが、
慣れてしまえば、こんなものか?と。ウィトゲンシュタインの後期には、日常言語
に立ちもどって日常会話に注意を向け分析をしている。哲学者たちは神、魂などの
語りえないものについて語ろうとしているわけになるが、彼は哲学から、こういう
形而学を排除し、語りえないことには沈黙を守るべし!と主張した。それは、この
ブログを読めば、生半可な知識、情報を、未消化で提示している愚かを気づくはず。
それでも、私にとってプラスと思えるから続けている。毎日、同月同日分の
文章を読み直しているが、書き、提示する目的が自分自身向けのためか、状況説明
が甘い欠点と、それ故の誤解も多くなる。大相撲協会の怪しげな体質を代表とする
諸々のスポーツ協会の問題。現在は、レスリング協会、日大アメフト問題、そして
ボクシング協会へと問題が移動しているが、彼らの言語活動から垣間見る異常な
世界が、言語ゲーム感覚で何とも面白い。格闘技など、言語の代わりに「暴力」を
入替えた「暴力ゲーム」でしかないため、そこには、『言葉足らず』の活動が
独り歩きし、独特の世界を形成する。「力」とは「知空」とゲーム感覚で当て
はめるのも言語ゲームですか。スマートフォンの進化の御蔭で、言語ゲームから、
インスタバハエの『映像ゲーム』に世の中は変化をしている。これも、添えて書き
こまれた言語次第だが、それさえ必要としない映像が溢れている。
豊かさって何でしょう? その根本が、世界で問われている。「意味の意味?」…
 さて、エネギー補充のため、信濃川土手に向けて出発だ! 
・・・・・・
5260,永劫回帰  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月09日(日)
             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 永劫回帰 〜人生の肯定
 ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本
では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。
『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141
≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存
しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で
あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。
考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、
同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。
「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、
自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。 
人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。
生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、
そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、
まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。
永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との
近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。
世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている
ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには
別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ
自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。
人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。
 つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、
あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。
 しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。
つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と
しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度
きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を
現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。
二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、
ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、
このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は
きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性
に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の
弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」
に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも
それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。
ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫
▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の
 私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、
本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば!
ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。

・・・・・・
5625,人生を幸福で満たす20の方法 〜��
2016年08月09日(火)
         <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
    * 空虚な日々を楽しむ方法  
  5.海を渡って心をリセット
≪ あなたは、あなたという船の船長です。乗組員がいてもいなくても、海に
乗り出した以上、あなたは航海しなければなりません。漕ぎ手や修理係りは
来てくれるでしょう、でも舵取りはあなたの役目です。・・(略)
  川では小さすぎる。隔てるものもあるが、文化を結びつける働きもする。
 しかし、海は「文化を隔てる」ものである。だから、海を渡ると、実に
 多くのことが見えてきて、心も経験も豊かになる気がする。海を渡ることは、
 リセットの極意である。 ・・海を渡るということは、自然の境界を越える
 ということである。自然や文化を大きな変化を体験できるということ。
 これは、一つの冒険であり、リセットの極意でもある。 ≫
▼ 21歳の「欧州30日間の旅行」は、人生にとっての大きな分岐点(リセット)
 になった。アラスカ経由でデンマークのコペンハーゲンに下り立った時の、
あの空気と、宿舎への道すがらのバスからみた光り輝く緑の中にある街並み。
その時から行く先々の光景のどれもが、異界を見ているようであった。
この経験は、それからの人生の浮沈みの中で大きな支えになっていた。
 その時の経験が私にとって、いかに衝撃だったかである。それから10数年は、
仕事、家庭に専念、十数年間は出ることが出来なかった。 40歳前半辺りから、
年に二回は出るようになっていた。年に二度のリセットで、何とか人生の峠を
のり超えてきた。これも絶対量が蓄積すると、強力な磁力なる。

・・・・・・
5990,5991閑話小題 〜最後の講義・10(11) ー石黒浩:対談
2017年08月09日(水)
  * 複数体のロボットが人間に与える変化
     〜3つの小型ロボットに役割分担〜
1つが男性、2つ目が女性、3つ目が色々知っている先生の役割にした
ロボットと客を対話をさせて、指輪の購買を喚起させる実例を紹介。
現場では既に活躍しているようだ。 〜石黒のHPより〜
≪ 人工知能やロボティクスの発展によってロボットが当り前のように
 働いている未来。そこでは、どんな情景が広がるのでしょうか。
複数台のロボットが人とコミュニケーションを図った最新の実証実験を、
第一人者の石黒浩教授が評価します。
   〜意思決定を促す3体のロボット〜
1 、結婚を決めたカップルを対象に

石黒 この映像は、どこで撮影されたものですか?
稲川 結婚前のカップルが、プロのアドバイザーに結婚式に関する相談が
 できる店舗「ゼクシィ相談カウンター」です。ここでは、結婚準備や式場に
 ついて様々なことを相談できますが、その中の1つとしてブライダルジュエリー
 もご案内しています。
 ブライダルアドバイザーの方が、カップルの2人から結婚式に対する希望を
 聞いた後、その希望に合う結婚式場をピックアップする時間があるんですね、
 その7〜8分をいただき、人間の代わりにロボットが指輪の選び方、買い方を
 説明するシーンです。
―
(動画内の音声)
Sota(ブルー)「あっ、お客さんだ。ここに来たってことは、
        ついに結婚するんですね」
Sota(ピンク)「今日は結婚が決まったラブラブなお二人と指輪の
        お話がしたいな」
Sota(オレンジ)「そこの綺麗なあなた、いま幸せですよね」
Sota(ブルー)「やっぱりね」
Sota(3体)「結婚、おめでとう!」
――
石黒 それぞれのロボットの役割分担があるのですね。
稲川 ブルーが男性、ピンクが女性、オレンジが色々知っている先生という設定。
   ブルーと対面する形で左側に男性、ピンクと対面する形で右側に女性が
   て、挙式のアドバイスを受けに来店した際にブライダルジュエリー
   (本検証では婚約・結婚指輪)に対する購買意欲を喚起しようと。
   ゼクシィ相談カウンターはジュエリーショップと提携しています。
   顧客の送客につなげられるかを検証するため、ジュエリーパンフレットの
   持ち帰り率の向上を検証しました。ロボットは目線を男性と女性、両方に
   目配せしながら語りかけています。ロボット同士の対話にカップルが参加
   していく感じを出していますね。        ≫
――
▼ この着想には驚いた。漫才ロボットに使えそうだ。ボケと突っ込みの漫才の
 ソフトを入替えれば、数限りなく聞くことが可能。 先週、見た『トランス
フォーマー』が、人間代わりに、宇宙の彼方の星からきたロボット同士を闘わす
物語。これでは残酷さからくる気分の悪さが少なくて済む。実社会で、アルバイト、
パートタイマーが、ロボットに近い状態。 思考作業を極力取除いた単純作業を
従事する人間のロボット化である。ロボットには判断作業も可能となれば、これ
如何に? その上の単純労働を管理するのが、「一般社員」になるが、その上の
管理職は、システム化で、極力少なくてよい。とすると、トップと、スタッフと、
サービス部門に、ラインのスペシャリストしか、人間の能力を要しなくなる。
金融機能など、その最たるものと、先日の週刊誌の見出しに載っていた。
 自動車のロボット化が、そう遠くない未来に(5〜10年後)に売りだされる
見通しのようだが、この応用が、全ての分野で起こるとすれば、人間の存在とは
何ぞやという根本問題が生じてくる。

――――
閑話小題 〜最後の講義・11 ー石黒浩:対談

 ロボットそのままを人間に当てはめて考えることが出来る。
一対一の対話の訓練、複数の人達との対話。その対話は物語を伝え、互いに
理解しあうことが目的である。その為には、互いに信頼感がなくてはならない。
ということは、ロボットは、人間を深く理解してないと、創れない。
   〜その辺りから〜

   ―対話のつくり込みが肝心―
・石黒 売り子がロボットが人間に代わって販売業務をする際、僕は「対話戦略」
  がすべてだと思っています。大阪�眦膕阿凌損良�売り場に設置した「ミナミ
 ちゃん」の場合、実際に購入してもらうことにこだわりました。�眦膕阿念貳�
売り上げがある販売員を数ヶ月かけて観察し、彼女の対話戦略を組み込んだ。
数日間のイベントとして非日常的な存在のロボットに関心が向けられるでしょうが、
これまでの実験結果、イベント性効果の持続はせいぜい3日間だとわかっています。
ロボットが人間に代わるためには、ちゃんと対話を通じて人間を説得できるよう
にしなくては。年齢、性別、性格、売り場の状況、全部想定して対話の中身を
デザインできたらいいですね。男女も「ケチ」「見栄っ張り」といったタイプ別
に場合分けして、それらの相性まで考えると、どちら側を説得すれば買ってくれる
のかなど、説得の仕方が全部変わるんですよ。
――
   ―ストーリーを伝える存在―
・稲川 ミナミちゃんと違って、今回の実証実験で3台のロボットを
  使いました。この台数は適正だったと思われますか。
・石黒 男女が相談する意思決定ですし、悪くなかったと思いますよ。ただ、
  3台の関係性は複雑なので、対話の構造に気づく必要が出てきます。
 私たちの研究室では複数台のロボットを使って様々な実験を行っているので、
共同研究をしていただければ、対話戦略をいくらでも教えられます(笑)。
少しだけヒントを教えると「人はなんのために対話するのか」を考えればいい。
簡単に言えば、自分の中にないストーリーを取り込んで、共感し、自分の想像の
世界を膨らませることにあるんですよね。ただ、取り込むときに納得できないこと、
共感できないこともあるわけです。共感しやすくするため、男性役、女性役の
ロボットをいかに使うかという枠組みを考えればいい。人はそこに冷静な観察者
として引き込まれていくはずです。
――
  ーロボットとの信頼感のある対話―
・石黒 婚約指輪に関しては、男女の間で意思決定するバランスだから良かった
 と思いますよ。それが、例えば「1人の男性を説得する」といったケースでは、
女性がいたらダメなんです。すべての対話で、パターンを変えないといけません。
よく私たちが設定するのは、1対1で人間同士で対話するとき、ロボットを
「陪席者」として隣に置くというシチュエーションです。
昔は医者の横に「大丈夫よ」「そうよ」なんて言う役割の看護婦がいましたが、
それに代わるものです。最近は人手が減って医者とマンツーマンで喋らなくては
いけないでしょう。あれって結構、緊張しませんか?
・稲川 確かにそうですね。
・石黒 あくまで主役は医者と患者の対話ですが、横に置いたロボットが相槌を
 打ち、ときどき代わりにロボットは先生と喋るわけです。患者はそれを横で
見ている。すると意思決定がすごく楽になるんですよ。1人で意思決定しなくても
いいと感じるので。東大病院と阪大病院の外来で臨床実験をしたときは、実際に
アンドロイドを医者の横に置くと、患者の理解度が有意に上がることが示された。
―
▼ 一強のベストのソフトを、多弱の人達のソフトに入替えれば、それだけ社会
 が進化することになるが、実態は、そうはならないことを歴史が示している。
<「人はなんのために対話するのか」と言えば、「自分の中にないストーリーを
取り込んで、共感し、自分の想像の世界を膨らませることにある」と述べている。
この随想日記は、読書や、ネット、TV、実体験などから得た知識、経験をテーマ
にして物語化して、将来の自分や、読み手に伝えることが目的。受け取る読み手
は、様ざまな解釈をして…?? まあ、読まれないより、批判するより、遥かに
面白いこと上なしを実感しているため、「そのまま、結構」になる。
・・・・・・


6356,読書日記 〜努力の趣味化

2018年08月08日(水)

          <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
   * 好きこそものの上手けれ!
 両親が常日頃、言っていた言葉が、『仕事も何でも、取組んだら好きになるまで
集中し努力すること。そうすると努力が遊びになる。それと質の良いライバル。』 
そのわりに、この程度とは、これ如何に? 人生、最大の謎? いや楽しみ過ぎ!
 
・この随想日記も趣味、遊びの領域に入るのに10年近く要した。で、己の限界が
この程度と我ながら内省するしかないが、この程度の文に、テーマ探しと選定を
入れると、2〜3時間のエネルギーが入っているため、どれもこれも愛着を感じ
取ることが出来る。ここで編者は、『努力の娯楽化』とは言いえて妙である。
17年数ヵ月続いたのだから、ライフワークである。
・いま一つのライフワークの『秘・異郷を中心にしたツアー・ゲーム』 
地球儀を五目目版に見たてゲーム感覚で埋めていく、これは『娯楽の長期継続化』。
所要期間、30〜40年。夫婦と子供を含めて4000万、年150〜200万が高いか安いか? 
は…別問題。『一点豪華主義』と、国内旅行は中断、普段の生活は合理主義に
徹していたため、家計の収入内で収まっていた。
・あとは、早朝散歩とポタリング(自転車散歩)。早朝散歩が30年、チャリが
10年近くになる。駅裏にある自宅から、長岡大橋と大手大橋を一時間かけ一周
するが、この間が、公園として整備されている上に、左右50キロの展望が抜群。
パリのセーヌ川、ドナウ川の展望に遜色ない景色。これを4〜11月の8ヶ月間も
毎朝、味わえる… 毎朝、ほぼ誰も、歩行者も、チャリダ―も居ないのは、
実際のところ知らないため? さすがに、土日は少し居るとしても少ない。
・それと毎日、数本はみているドラマと映画、これも… 
・更に読書習慣!
話は、尽きなくなるので、この辺で止めておく。

  好きと嫌いと どれほど違う 命ただやる ほど違う

残照の中で、好きなことをスケジュールで紡いで楽しんでいるが、
天気晴朗なれど、大した遠くない先に、うねりが近づいているような。
――――
Amazon 説明:
《 何をやるにしても「好きこそものの上手なれ」が最強の原理原則だと信じて
 いる楠木建が、さまざまな分野で余人を以て代え難い仕事をしている19人との
対談を通じて、それぞれの才能の起点にある「好き嫌い」を探る対談集。
〜レビュより〜
【「客観的に見れば大変な努力投入を続けている。しかし、当の本人はそれが理屈
 抜きに好きなので、主観的にはまったく努力だとは思っていない。むしろ楽しん
でいる。すなわち『努力の娯楽化』、これが仕事における最強の論理だというのが
筆者の考えだ」】
【「自分のほうを向いた趣味と違って、自分以外の誰かの役に立っての仕事。
人に価値を提供しなければ話にならない。人の役に立てるということは、そのこと
についてよっぽど上手だということ。じゃあ、なぜそれほど上手なのか。有り体に
言って努力投入してきたから。しかも、長い間やり続けているということですね。
結局のところ、努力量の積分値が大切に決まっている。ここから先がポイントだが、
『努力の長期継続』といっても、実際のところフツーの人にとってはなかなか難しい。
僕にしてもそうです。娯楽なら何の苦もなく続けられるのに、努力は続かない。
で、ある時に脳内革命が起きた。『努力』をしようと思うから続かない。
『努力が努力じゃない状態』になればいい。すなわち『努力の娯楽化』が仕事の
カギだという発想です。客観的には努力であることがその人にとっては娯楽に
等しくなる。その理由は、要するに『好きだから』。以上の一連のロジックの最初
と最後を取ると、『好きこそものの上手なれ』になる」。
自分の一番好きなことは何か、よし、その好きなことをこれからも続けていこうと、
心に誓った私。】
―
▼ 普通の人でも、「努力の長期継続」で普通でなくなる。で、努力を遊びに
 すれば良い。遊びはゲーム化。ゲーム化とは、ルールを何気なく決めていくこと。
それが出来るかが境目のポイント。そこで目につくのが、何も考えない、しよう
しない世間様の存在。 だから、繰返し、しつこく、取上げている。何でそんな者
というが、舟底に知らずにヘバリツク牡蠣のように舟を沈めてしまう力を持つ。
好きこそモノの上手けれを見いだせないで、それを他者に向けるヘドロ。
他者の中のそれは、自分の姿だから。半径500m、直径1000mの世界では、常に
舟底の牡蠣が… それも良いのだろうが、半世紀もかけて殺ぎ落としてきたのだ
から、今さらとなる。だから、好きなことを見つけ『努力の娯楽化』をしないと!
「あいつら、何やってんだ。それも夕飯時の残照の中で。」が、自分に言えること
だから? 美味い酒飲んで、涼しい部屋で、面白いTVの映画をみて、グッスリ寝て、
朝早くから、これ書いて、チャリで、信濃川で新鮮な空気と霊気を浴びて、朝風呂
入って、インコに餌やって、ジュースを飲んで、ネットサーフィンをして、それも
【努力の趣味化』の御蔭ですか。 …というより、痴呆化の入り口ですか?
他人のは分かるけど、自分だけは。合せ鏡で同年代を見ていると、それはもう… 
殆どが自己否定を他者否定への振替作業が主となり、身体同様の硬直化が日々進行。
――――
4152, 「B層」の害毒
2012年08月08日(水)
   【ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒】ー適菜収著 より
 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば
(何度か取り上げたが)、小泉元総理が「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動
されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として
国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類、B層を選挙の
ターゲットとしたことに由来する。これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。
この層について、著者は以下のように分析している。
≪ 「B層」とは何かというと、
◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉
 とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した
 権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、
 再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」
 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。
◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかおかしいと感じている人。
 今の世の中を深く軽蔑している人。そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けて
 みるべきでしょう〉という
◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 
〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」「誰それ?」
 などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 
◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性
 は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生した
 キリスト教カルトです。〉(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」
「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。バカなんでしょうか?
 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫
▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいという
 ことである。これまで、マスコミは、大衆として、彼らを捉えて、その操作を
駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン=
モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、
自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。
これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、
社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。
現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、あのざまで、
C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響は
モンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた
端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。

・・・・・・
5624,人生を幸福で満たす20の方法 〜��
2016年08月08日(月)
          <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜
3.手触り感のある生活
<迷ったら、天に、地に、命に触れよう。それがあなたのこころを
 すませ原点にかえしてくれるから。>
<何故、ではなく、どうすれば、と問いなさい>
▼ カーライルという詩人が、一人の女性か. ら身の上の悩みを相談された時、
「帰って、あなたの針箱の 中を整理しなさい。そうすればあなたの悩みは
やがてなくなります」と答えたというが、まさに、これ。無心で何かに集中
すると、無心の彼方から問題解決のヒントが、沸いてくる。そういえば、
朝ドラで、編集長役が、ヒントを考えるときに、「知恵の輪」に集中する
手法を使っていた。
 ――
4.幸福に働くために
 働けることは幸福なことである。 果たすべきことをやる。
 仕事に楽しみを見出し、感謝することである。
「働き、遊び、学び」は、人間が生きていく上で必要な要素である。
「恒産あって、恒心あり」である。
「いま、ここでしか出来ないことを、自分から見つけてすること」である。
▼ 外海なら、一つの判断ミスで、致命傷になる。 だからこそ面白いが、
視界は、その人の能力範囲しか見えない。孝不幸など、考えていられる
ほど自然現象は甘くない。万一の場合の、準備が常日頃から必要になる。
空虚な日々など、経営にあろう筈はない。
 
・・・・・・
4527, 生きる悪知恵  ー6
2013年08月08日(木)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました
Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い
 出しました。昔からお絵かきが好きな子でマンカもよく読んでいましたが、
 まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいい
 わけでもなく、この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるなら
 なってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの漫画家になる
 なんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが
 才能があるかどうかわかりません。娘に才能があるかどうか、どうやって
 判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科があるようですし、
 そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? 
 アドバイスいただればと思います。 
A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を
 冷静に見比べることができるようになったこと。300人の絵を並べて、その中
 で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、
 この人が一番?」なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに
 自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。でも、
 予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 
 で、「ダメだ、こりゃ」って、自分の実力がいかにないかとわかって、
 「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校
 みたいに人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。
 ・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、親が判断すること
 でなく、それは世間様が判断すること。・・まあ、別に漫画家じゃなくても、
 高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対する
 ことはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうが
 いい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は
 貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 
 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」
 って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。
 だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。
▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味で
 やるのと、それで生活していくのは別問題。17〜8年前になるが、甥っ子が
京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身と聞いた。
当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の
名前を逆読みにした「きもと○○」という。次々と若い漫画家が出てくる中で
若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、
専門学校に入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に
馴染むからである。
・・・・・・
5989,閑話小題 〜最後の講義・9 ー石黒浩:対談
2017年08月08日(火)
   * 新しいことは説明しても理解されない
 具体的人物をモデルに、例えば、落語の米朝とか、夏目漱石のロボットに
する効用は出来上がって初めて見えてくる。事前説明の理解は夢物語でしかない。
 米朝の落語をロボットで保存し、高座で披露するとか… 「石黒ロボット」を
通してロボット論の講演をさせたり。本人の代り、世界各地にロボットを派遣、
講演し、ネットで問答をすることが可能になっている。今では、石黒本人より、
ロボットの講演依頼が多いという。 今後は、テロの危険のある要人のロボット
講演で使われる可能性もある。
――
<石黒>  僕のプロジェクトは、自分自身の中では論理がつながっている
 のだけれども、他人へ説明するのがすごく難しいといったケースが多い。
 遠隔操作型アンドロイドをつかったロボット研究のときも、誰もこれが
 世の中に役立つとは信じてくれまいと確信していました。そのため、協業者
 に対しては、「僕が提案することに対して、一切説明を求めてはいけない」
 ということでスタートしました。結果は大成功しました。少しアーティスト
 っぽいアプローチかもしれません。でも新しいことは理由を説明するのが
 難しく、いくら言っても納得してもらえないので、見せるしかない。
<本荘>
  商品やサービスでも、最初はアホじゃないか。と言われたものがヒットして
 いますよね。企業でも、「俺を信じろ、言う通りにしろ」というかたちで稟議
 を通すと、夢が実現できるかもしれないですね。
―
▼ 世界中のビジネスの殆どが「代行業」という。人型ロボットの講演などは、
「お手伝い」そのものになる。孤独な老人に対する会話、対話の代行ロボットも、
現れてきた。最近のTVにはユーチューブなどで、行きたい、観たい出先の
映像が気楽に呼び出されるため、自分が飛んで行った錯覚に陥ることがある。
ドローンという飛行物体を人型にすると、何だろうか? アトムですか。
それより、8kTVとか、立体TVでも充分ですか。空間移動なら�坑髻�TVでも。
・・・・・・
5259,閑話小題 〜インサイドヘット(シネマ感想)
2015年08月08日(土)
     〜インサイドヘット:なぜ、“カナシミ”は必要なの…?〜
   * シネマ 〜インサイドヘット 感想 
 先週みたシネマの感想になるが、面白い切口である。心の中の感情を
擬人化した人形のアニメとしての遣り取りに興味を持ってみたが、難しい
感情問題を、軽妙に?扱っているところが良い。ヒロインのヨロコビと、
カナシミが、「思い出保管庫」の世界に迷い込んでしまうが、その辺りが、
難しい問題を含む。 自分を考えると、膨大な保管庫から、フラッシュで
多くの記憶が漏れ出て己を悩ます日々だからこそ、色いろ考えさせられる。
  〜 ネットの映画ビュアーより〜 
≪ 思春期の戸惑いと成長を脳内アドベンチャーに重ねて描く世界初の
 フルCG長編アニメ「トイ・ストーリー」を1995年にリリースして以来、
おもちゃや車、昆虫や魚などさまざまなものに人格を与え、彼らが感情豊かに
関り合う上質のストーリーを紡いできたピクサー・アニメーション・スタジオ。
同社の20周年作品で、“感情”そのものを複数のキャラクターで表現する
コンセプトを初めて知ったとき、「今度はそう来るか!」という期待と、
「ファミリー層には難解かも?」との懸念が相半ばした。
 物語の外側=人間世界の主人公は11歳の少女ライリー。
ミネソタの田舎町で両親の愛を一身に受けすこやかに育ってきたが、家族で
引っ越したサンフランシスコでの暮らしに馴染めず、気持ちが不安定になる。
この辺から、ライリーの内側=脳内世界のヨロコビ、カナシミ、イカリなど
5つの感情たちがダイナミックに動き出す。彼らがいる司令部から、ある事件に
よってヨロコビとカナシミが放り出され、広大な思い出保管所に迷い込む。
感情の制御がきかなくなったライリーを救うために、ヨロコビたちは司令部に
戻ろうと駆け回るが……。
 ライリーの外側で起きるドラマと内側の感情たちによる冒険が、相互作用
しながら平行して進む――聞いただけでは複雑そうだが、実際に観てみると、
繊細な表現で魅力的に描かれたキャラクターたちと、心理学などを踏まえた
深みある設定、創造性に富んだ展開に94分間引き込まれっぱなし。
CG描画の面でも、うっとりするほどリアルな質感を伴うサンフランシスコ
の街並み、柔らかい光の粒で描かれた感情キャラたちの揺れる髪、さりげなく
視線をいざなう仮想カメラの滑らかなポジション移動など、技術の進歩を
印象づけるビジュアルと卓越した演出センスが随所に光る。 ・・・
鑑賞後は、頭の中が解きほぐされ、心がふわりと軽くなった。(高森郁哉)≫
▼ ヨロコビに影のように付添うカナシミの役割を解りやすく示している。
 カナシミは色いろの記憶を悲しみに書き換えてしまう強力な力を持つ反面、
ヨロコビを引きたてる力を持つ。ここでは、イカリに対して、注目されて
なかったが、実はイカリこそが司令塔を動かす力を持っている。虎に例えると
解りやすい。なだめ、飼いならし、時には、その背に乗って奔りまわることも
できる。 感情の擬人化した人形アニメとは、哲学的切り口でもある。


6355,閑話小題 〜つれづれに夏

2018年08月07日(火)

◉ ボクシング協会の会長。同年代に近い?が、時代掛かった昭和残存の唯我独尊
の姿が、自分に被さって見えて気恥ずかしくなった。…そういえば、偉そうな肩書
『何々協会会長』になって、急にふんぞり返って… とかくあるケース。 
ヤクザの親分とのトラブルで、怒らせてしまいネタバラシをされたザマ。さすがに
TVで放映されるプロの世界タイトルマッチには、疑惑の判定は少なくなった。

◉ 毎日のように入ってくるニュースは、災害絡みのニュースばかり。 国内では、
中越地震、柏崎刈羽沖地震の二つの地震から、大きな地震、噴火、大豪雨が、たて
続きに起こっている。それ以前の淡路・神戸大地震が、前ぶれとも考えられる、
地球規模の自然災害の一連のため、手の施しようがない。
 過って、こんな自然災害の連鎖は無かった。東欧とソ連解体、中国の自由
経済圏への参入。インドなどの自然化石エネルギーの爆発的消費の拡大が大きく
影響を及ぼしている。首都圏直下型地震、富士山噴火、南海トラフ巨大地震など、
何が起きても不思議でない状況と悲観的見方も出来る。で、今日を愉しみますか。

◉ 金曜日の振替で、昨日、映画『ミッション・インポッシブル』を見てきた。
評価は85点。極限の中で、主役は絶対死なないと解っていても、次々と押寄せて
くるアクションに、爽快さより恐怖心が先に立つ。とはいえ、製作会社の思惑に
乗って、何時の間に、その世界に順応し楽しんでいる自分がいる。老いのストレス
は年々大きい。その分、楽しむしかない為、必要悪でもある。何かの標語?の、
『最短距離の最大インパクト』があるから、これほど人気になる。映画館の観客は
老若男女60人位はいた。終了後の15時過ぎに、SJのヨガに参加。帰って、高校野球
を見ながらビールを飲んで20時過ぎに就寝。

◉ 昨日の中越、慶応高校の一戦、最後の回の三・本塁間のタッチプレー、
私の眼には中越選手へはノータッチ、20センチほどの間隔があいており、
セーフに見えたが。当人もビデオを繰返し見るだろうが、高校野球にこそビデオ
判定システムを入れるべきと痛感。一生一度のゲームに、あれじゃ浮かばれない。

◉ 今ほど、20分をかけて過去文を読返したが、特に今日の過去文が、自分で書く
のも何だが、面白い。毎日、毎日、よくネタが尽きないもの。時どき、芯の底
からバカバカしくなるが、今さら、「こんなに面白いことを止められない」。 
努力というより、『娯楽』。没頭して、自分を消してしまわないと集中出来ない 
フロー状態の結果のようだが…。

・・・・・・
4151, 虎穴問答
2012年08月07日(火)
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という
衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県
知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。
そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を
思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきか
の決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
  ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、
「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が
虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。王仁三郎が、
「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家
だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が
はじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
刃むかっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。
どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは
食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも
残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 
王仁三郎はこの問答で大本事件を語った。裁判長はさすがにうたれるものが
あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が法廷に
流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答は
もうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの
犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地
に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。
これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や
 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴
問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と
例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短
の道になる、と考えることができる。 事業断念も決意も、虎を3つの断層=
9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災と
みなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。
 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを
読んだが、これが面白い。

・・・・・・
4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45
2014年08月07日(木)
   * 面白かったという手応えが残った有難さ! 
 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の
再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助
の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。 
経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。
先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で
《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、
実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 
逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。
 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーを
ひたすら注ぎ込んできた。それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省に
なっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を重ね、1日、2〜4時間の読書
を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。
それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識
へのチャレンジが少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟
のことばだが、私には、逆の「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。
最期に、この結果が当然である。逆の結果としても、私には大して変わらない? 
ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、事前で考えていたことと、
大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 
まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。
<倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき
決断であって、ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から
得た実感である。もちろん、ケースによるが。激動の時代ほど、事業サイクルが
短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた<倒産は悪い>
という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。
『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる>
<取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、
多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければなら
ないことがある! 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情が
ない限り、起業家などすべきでない! しかし、後悔が少ないのは、日本の
歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、起業の面白さを
充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残って
いるのは、有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。装置産業の
プラス面の「時間持ち」と、マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、
振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。

・・・・・・・
3786, ユング −17
2011年08月07日(日)
  * ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、
 身についておたこともあり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。
ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、
そのまま発達すればよかった。大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、
そのセンスが強力だった。また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたと
いう記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、
シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱の
ような体験をしたのだから、これは信じるしかない。ユングがフロイトと
対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 
 奇妙な偶然の一致の不思議さ。これは多くの人が経験しているはずだが、
 それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他
 愛無い話をしている」と心底で感じていた。しかし人生経験を積み重ねる
 うちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかった
 ことを知った。幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ること。
 共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。
 これも個人が持っている、ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう
 考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる
 不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先
 にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の
 鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めて
 いるからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がり
 である。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に覗き見ることが可能に
 なったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽を
 はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。
 ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。
 ネット世界の出現こそカルト?

・・・・・・
5988,閑話小題 〜最後の講義・8 ー石黒浩:対談
2017年08月07日(月)
   * 意識の場所を指し示すことは難しい
       ―他人を見る以外自分の姿は見えない―
 彼は、小型の人型ロボットを幾つか並べて、色いろな相談の質問に対応する
効用を示している。専門分野が違ったフレンドリーの人型ロボットなら、対話
も進むことになる。初めて知った時は、仰け反るほどの驚きであった。
 ――
<石黒> 「嫌なことはやらない」というのを貫いています。やりたいことを
 やるのは小学校の時から同じです。だから、つらいと思った記憶はありません。

<本荘>  普通、これはやるけど、これはやらない。と決めてしまうと、
 可能性が限定されそうですが、石黒さんは興味のあるものだけをやるという
 考えを持ちつつ、他分野・異業種の人と関わり、フィールドを広げていますね。
<石黒> 他人を見る以外に自分の姿は見えてこないじゃないですか。
 自己意識を持つには、人と関わるしかないわけです。異業種の人でも、意外に
 自分との共通点を見つけると面白くなって、一緒に何かをしたくなります。
 要するに、すべて自分を知るためです。自分自身や人間という存在に興味を
 持っているので、大抵何でもできるし嫌なことはないわけです。

<本荘>  一般の人は、自分の録音した声を聞いたり、録画したものを見たり
 するのは違和感があると思いますが、石黒さんはそういう感覚はないのですか。
<石黒> 自分自身の感覚がよくわからないフワフワしたものだから、それを
 確かめたい思いがあるので全く抵抗がありません。もしかすると、リアリティ
 がないのかもしれませんね。「意識の場所」は、このあたり(場所)にあると、
 ピンポイントで指し示すことは難しいですよね。
――
▼ 秘異郷ツアーには全国から「面白い人、大変な人」を選りすぐったと信じ
 ざるをえないこと屡々。その旅仲間の中に、それぞれが合せ鏡で自己を見つめる
研修をしていることになる。行先は、異世界が次々と現れ出てくるから面白いこと、
この上ない。違った異世界を目指し、感動するのが目的。どれもこれも、生涯、
忘れえぬ人生体験になる。<他人だけでなく、他所を見る以外、自分の居場所は
見えてこない。> ということ。魂を大自然に開放するため、私たちは旅に出る。
・・・・・・
4526, 生きる悪知恵  ー5
2013年08月07日(水)             
  * 中ニの娘が父親と、今だ風呂に入っているのですが  
            「生きる悪知恵 」西原 理恵子 (著)
Q :  中2の娘が父親とお風呂に入っているのですが
A :  ・・ここは日本のお母さんたちの合言葉は「毛が生えるまで」。
 毛が生えたら自然と恥ずかしがり入らなくなります。吉田戦車のマンガに
あったけど、お父さんにとっては毎日がカウントでしょ。娘が一緒にお風呂に
入ってくれなくなるまで「あと何日」っていう、その時が来るまでじっくり
味わわせてあげてくださいよ。娘が「パパ大好き」って、すごくいいいこと。 
私も女子高だったんで、パパ大好き派の子いっばいいて、もう夜、パパの布団
に潜り込んで寝てたぞという子、結構多かった。 そこまでいかなくても、
腕組んで歩いたり、それはもう、パパ嫌いで、「臭いんだよ、オヤジ」
という家庭に比ぺたら天図みたい。ましてや「オヤジ死ね」って言ってる息子
がいるのに比べたら、どれだけいいか(笑)。ある意味、ぜいたくな悩みですよ、
好きなだけパパっ子にさせてあげてください。心配しなくても大丈夫。
毛が生えたら娘のほうから人らなくなりますから。
中2だから、そろそろでしょう。まさにカウントダウン。 
・・アメリカなら父娘が一緒に風呂に入ると逮捕されるとか。
▼ 数年前に、次男とツイッターでやり取りしたことがあったが、直ぐに、
「父と息子がツイッターをするとは 前代未聞」とのツブヤキが入って、
 やめたことがある。「だからこそ面白い」と今から考えれば良かったが・・ 
   * 60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました
Q :数年前に母を亡くしてから、一人暮らしをしていた60歳代の父が30歳代
 の女性と同棲。妙にやつれてきました
A :「体が心配」って言うけど、腹上死したらそれはそれで最高に幸せな
 死に方じゃないですか。いがみ合ったり、寝たきりになったり、見たくない
ようなものばっかり見せて死ぬんですよ、普通。そんな嫌な死に方するのに
比べたら、もう万々歳。どうせいつかは死ぬんだし、これが最後の恋なんだ
から、好きにさせてあげましょうよ。 何の問題もありません。
放っときゃいいんです、ハイ。  結論、腹上死したらラッキーと思え!
▼ やつれた理由を下ネタと決め付けるのも何だが、やつれるほどの
 精力が残っているなら、最上の幸せ!」
・・・・・・
5623,人生を幸福で満たす20の方法 〜��
2016年08月07日(日)
         <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜ゲーム感覚でチャレンジ
≪ 2.ゲーム感覚でチャレンジ
 楽しいチャレンジしてますか? 「楽しいチャレンジ」と「重荷」の差は、
「大変でも楽しい」と思えるかどうか。子供の頃から母親に、「何かをやろうと
決めたら、楽しみになるまで集中すること。始めたら絶対に諦めないこと。
それとライバルを見つけて、負けないこと」と言われてきた。母は何事も、
それでやり遂げてきた。著者は暗闇の中で、幸福を満たすに、人一倍の苦労が
必要だったろう。 それを前提で、これを読み解くと、一言一言が胸に刺さる。
ゲーム感覚は、もう一人の冷静な自分を見つめる視点を持つことが可能になる。
 26歳から新規事業に向け動き始めたが、何もかもが初めてもあり、店にしろ、
ビルにしても、立上げは一通りの困難が次々と押寄せる。それを繰返すうちに、
事業とは、これらを解決するプロセスと実感できるようになる。ならば事業は、
困難解決プロジェクトとして、ゲーム化をし、楽しむことが、合理的で面白い
ことに気づくことになる。この随想日記も、15年数ヶ月、ほぼ、休んだことが
ないが、これもゲーム化で楽しんでいる。2〜3ヶ月に一度は、全くテーマが
浮かばず、呆然とする。問題は、ここから。 そういう時ほど、よい文章が
書けることを体験上知っているためか、どこか心に余裕がある。でなくては、
続かない。5年前の事業整理も、その一連をゲーム化をして楽しんでいる私が、
準備期間を入れた45年間の総括として割切っている私が、確かにそこに居た。
 そして、それを笑っている蓄群も、である。
〜以下は、やはり偶然だが、何故か、面白い繋がりになる〜


6354,読書日記 〜修羅場を愉しむ

2018年08月06日(月)

          <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
    * 修羅場は人を純化させる!
  ヤマトホールディングスの社長の木川眞の言葉〜
『修羅場では人間はものすごく純化する!』が目に入った。20歳、30歳代は、
修羅場の連続。 有能の人からすれば、能力不足が招いた事態でしかないが、
私にとって、初めての経験。 ひたすら、真正面に無心で全身で立ち向かい、
知恵を出しながら「貫き抜けること」しか頭にない一種、無心の気違い状態。
 それは純化した心持であればこそ可能になる。20歳代後半、30、40、60歳代
の半ばに、修羅場がやってきた。 失敗は許されない。そこで自分を道具に
化して、無心の何かに憑りつかれた純心の魔物のような存在が感じ取れた。
それが後々、返り矢として問われるが、当然、覚悟の上。甘んじるしかない。
 挫折、崩壊の節目時の修羅場に到達した中の純粋性から知恵が湧出てくる。
節目に、チャンスを見出すのは、その内なる純粋性の知恵からであり、普段の
自分から昇華したエネルギーである。人生に大から少なかれ誰も経験すること。

 ロマン・ローランの『ベートーベンの生涯』にある手紙の一節、
『苦悩をとおり抜けて歓喜に!』の言葉を代表に様々な言葉がある。
他にも、
『純粋な心だけが美味しいスープを作る!』
『不死の心を持つ我々人間は、苦悩と歓喜の為だけに生まれる。その中で
 最も優れた者は、苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得ると言える。』
『友よ拍手を! 喜劇は終わった。』
『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』
『音楽とは精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。』
『困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。』
これらの言葉の中に、彼の辿ってきた修羅場の激しさを感じ取ることが出来る。

交響曲第9番「合唱付き」ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ヴァイオリン・ ソナタ第5番「春」。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の代表曲に、
その純化した魂を感じ取ることが出来る。特に難聴の病になった時の絶望感その
ままの、交響曲第5番「運命」が魂をうつ。『苦悩を付き抜けて歓喜に至る』、
そのままが伝わってくる。余命数ヵ月を直感したときに、誰もが陥る絶望感。
その後の『歓喜』はあるのだろうか? いや、乾いた『ピーッ、プツン!』か。

・・・・・・
4892,定年後の4年目のリアル −2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、
 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、
 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで
 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に
向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。
しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減
してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得
も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で
計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の
拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。
 
・・・・・・
5257,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー��
2015年08月06日(木)
      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 爬虫類から哺乳類への主役交代
 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、
環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。
知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、
何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜
≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが
 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。
さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら
暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、
私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる
ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style
の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない
大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。
地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・
 ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき
 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件
の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の
ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場
するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー
スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。
乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。
ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。
この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる
のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな
動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく
似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。
体長は50�僉�穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。
またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。
この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。
これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。
しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型
爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる
ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。
しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると
皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。
彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて
支配していた動物たちだったのです。」≫
▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の
 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、
大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、
そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。

・・・・・・
5987,閑話小題 〜最後の講義・7 ー石黒浩:対談
2017年08月06日(日)
    ―所属する集団で意識が左右される―
 20歳代を振りかえ考えると、意識、価値観が、その時々に所属した集団で
大きく変わっていった。その中で、自分の志(天に輝く星)を目安にして判断
していったが、若さが故のエネルギーがあってこそ。大きな判断ミスは比較的
少なかった? それぞれの節目時での自問自答を、少ない経験と知識の範囲で、
するしかなかった。 何事にも自由に触媒し、実戦出来ることが、若さの特権
であった。20歳で「創業」を志して、21歳で「欧州+東南アジア・ツアー」に
参加をし、アッパーの人種を知り、22歳で「武澤ゼミ」に参加。そして、
「ジャスコの合併」に立ち合い、その後、産能大に編入。その後、金沢に
一年半、修行の身を経験。 26歳で千葉市郊外の新興住宅地・千城台で、
「千城ビル」の一年の準備。27歳で最大の協力者の父親の死に立ち合う。
その半年後に結婚と同時に、ビル内で飲食ビルを立上げ、焼きたての、
パン屋のFC店をオープン。数ヶ月後に実家で「御家騒動」が生じて、急遽、
二つの店は知人の紹介で経営委託をして、Uターン。振返ると、濃厚な10年間
だった。尤も、30歳代は、さらに濃度が増していったが。「所属する集団で
意識が左右される」というが、その中で、それに流されない強力な意志が必要
となる。それは「発狂」状態。狂う時には、狂わないと、出来ないことがある。
学者の生き方と自ずから違って当然。他人のことなど、所詮は理解しようが
ないし、出来るわけがない。 〜その辺りから〜
 ――
≪ <本荘>
皆さんの中で、小学生のときに、人の「気持ち」や「考える」ということに
対して、疑問を持ったことのある方はいますか。
<石黒>
みんな問いは持っていると思います。その問いを大人に投げかけると、
「うるさい」と言われ、「そういうことは、大人になったら分かるよ」と、
うそをつかれるのです。僕自身は、人の話を聞かない子どもでした。授業参観
とかで、先生の言ったことを全部無視して、1人だけ絵を描いていたら、それを
見た母親が泣いていました。自分は、「人とは違うのだ」と思いました。
<本荘>
アインシュタインみたいですね。 以前、中学生に対して「若いのだから、
何でもトライすればいい」と言ったところ、「初めてそういうことを言われた」
と返されたことがありました。 周りの大人は、日常的に「(○○を)やっては
いけない」、「オマエにはできない」などと言ってしまっているのです。
<石黒>
もっと不思議なのが、PTAなどの場において、「こういった親はダメだ。」
と説いて周囲からは賛同されている大人が、家に帰ると、自分自身がダメな大人
になってしまうことです。つまり、所属する組織や群れに適応するように振る
舞うことができても、別の集団に属した瞬間に意識が変わってしまう。
自分の中で、何が疑問で何を解決しないといけないかを考えていないと、集団の
意識に簡単に振り回されてしまう。だから人の話を聞いてはいけないのです。≫
――
▼ 6年前に長岡・新潟間の31年間の通勤生活を終えて、自宅周辺の生活圏に
収まった。高校を卒業をして30歳近くまでの県外生活を含め、合計43年間を、
曖昧な二重生活をしていたため、現在、息苦しい生活を強いられているが…
 とはいえ、割切ってしまえば、それはそれで… 問題は受け止め方。
<共同体には、それぞれの長年かけた価値観や道徳感があり、それを前提に生活
している中で、何やら得体のしれない妙なことを、ここで書いている。>が現状。
 最近、泡沫候補上がりのトランプが大統領になって失態を重ねているが、
根底に、「コミュニタリアニズム」がある。「自分の生れた場所や、仲間が第一」
の考え方。地域社会は、外の世界に対する無知のヴェールで覆われているため、
本来、強固である。グローバリズムの弊害が顕著になっている現在、原点回帰も、
当然かもしれない。EUの問題と同じ。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、
唯我独尊の姿勢も、情報化故に必要となる。 ロボットはロボットでしかない。
されどロボットでもあるが。 所詮、人間の心など、泡沫でしかない。

・・・・・・
5622,人生を幸福で満たす20の方法 〜��
2016年08月06日(土)
          <人生を幸福で満たす20の方法> 三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜好奇心が世界を開かせる
 好奇心が幸福を満たすための第一歩という切口は新鮮である。
老いるとは好奇心が萎んでしまうことだろう。特に知的好奇心から萎む。
教養とは知的好奇心のベースを言うのだろうが、その枯渇したのが「おばさん」。
現象を、そのまま現実として受け止める蓄群である。やはり、知的好奇心が、
萎んだ心を開放させてくれる。
≪  1、好奇心で心を満たそう
  情報の八○パーセントを受け持つといわれる視覚を失うのは、正直なところ
 かなりしんどいことである。しかし、その特色を生かして音を味わい、音で
できた風景を心のなかに再構築することは実に楽しい。これによって、私は
scenelessからscenefulへ止と生まれ変わることができた。そして、ここまでの
道程を楽しくリードしてくれたのは、他ならぬ好奇心だったのである。
  好奇心は、幸福の真空を埋めるばかりか、このように人生に新しい世界を開き、
人を生まれ変わらせる可能性を秘めた宝物だと思う。それを豊かに養い、年齢に
関係なく育てていくポイントはただひとつ。少しでも印象に残ったことがあったら、
それを迫いかけて一歩を踏み出すことである。
 素朴な疑問を素直に追いかけ、何か新しいこと、面白いことはないかと目を
キラキラ輝かせ、耳をピンと澄ませて受信アンテナの感度を上げていくのである。
もちろん、野次馬はいけないけれど、よい好奇心、特に知的好奇心は、必ずや
私たちにワクワクする世界を開いてくれることだろう。

 きょうからできること
興味の向かなかった分野を覗いてみよう
きょう発見したことをメモしてみよう
明日は何をチェックしようか、と考えてみよう  ≫
――
【とにかく、やってみましょう!やれたらそれだけ豊な1日になるのです】
子供の頃の好奇心は、何処に行ったのだろうか。何もかもが面白く、世界は
光り輝いていた。そして、学生時代にみた世界の、あの輝き。高度経済成長期
に青春を過ごせた幸運。 好奇心は感性である。磨くほど、それは光り輝く。


6353,閑話小題 〜二年続けて「長岡花火は行かずしまい!

2018年08月05日(日)

    * 猛暑の朝、やはりTVの話題ですか!

 ◉ 暑い夏は、寝室でTV映画とスポーツ観戦を
 一月生まれもあってか、暑さに弱い。そこで、例年のごとく、寝室に籠って
録画した映画とドラマ三昧。ブルーレイの300本以外に、ディスクに数十本、録画
をしたのを、当たるも八卦と、一番面白そうなのから順次見ているが、当たりが
当然、多い。 空いていたら迷わず録画をして、閑な時間に頭出しをして、90点
に到達してないと消去をする。それでも、なかなか少ない。それでも時々、飽き
がくるが、そこで、YouTubeの何時もの定番のコースへ。
 
 ◉ ワールドカップも終わり…
 甲子園の高校野球が今日より始まる。地元からは中越高校が出るが、相手は
慶応高校で、強豪チーム。残念だが、8〜9割は勝てないのだろうが、そう思って
みれば、負けても落ち込みは少なく済むし、甲子園、何が起こるか分らない。
前評判の良いのは、この数年、準々決勝まで勝ち上がっていたチームばかり… 
多くの有望選手もいる。さて、今年のスターに誰が? ますます俗っぽくなった
自分が良いのか悪いのか。 成るほど、<命短し、恋せよ乙女>である。

 ◉ 去年に続き、今年も花火見物に行かず自宅のTVで…  
 以前から人混みが苦手。会場で生でみるか? ドッチが好きかの好みの問題に。
現場に溶込んで雰囲気と共に楽しむか、冷房の効いた寝室で、独り、電気を消し
TVで見るのも、なかなかのモノ。TVの画面がリアルで、これはこれで…
 3日、BS:TBSのライブの花火中継に回すと、花火案内人が見たことのある
お年寄りがいた。 …それが何と小学校同期生の「長谷川健ちゃん」。
「60歳超えからは、その5歳上は「大年寄り」と言うが…。 先生の子息で、
当時から、人を寄せ付けない異様な感があった人。 当時から現在に至るまで、
殆ど口はきいたことがなかったが、古希の同期会のスナップの写真を送って
くれた。 無難に花火の蘊蓄を話していたが、どこかソワソワした浮いた感が
あったが、これで当分、良い、悪いの世間話のネタの恩恵?を受ける羽目に。

 ◉ 私の知人に数年前にリタイアした人がいる。それをキッカケに65インチの
 有機TVを入替えたのはいいが、夫婦して嵌って、夫婦交代制で見ているため、
24時間、TVを付けっぱなしで、僅か二年で、加熱のため、修理に出したとか。
考えてみたら、我家の二台のTVを合算すると他山の石ではない。 
NHKで、4k、8kの専門チャンネルが新設され、これが生活を一変えるというが。
現在でも現場の数倍、数十倍の臨場感を味わえる?と、言うから…。
これにゴーグルでも使えば、更にライブ感が増す。
 
・・・・・・
4891,定年後の4年目のリアル −1
2014年08月05日(火)
             「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、
ここで書いてきた内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで
内容紹介を見たところ、前著の『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』
の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ私の内容の方がシリアスの筈・・  
 ーまずは、内容紹介よりー
《 ◇お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている?
不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。
特に定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」
「孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を
引き合いに出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思い
わずらう必要もないことがほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り
回され、不必要なほど不安になってしまっているというのだ。たとえば貯蓄や
健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、自らを引き比べて
不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とはあまり
関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さ
を保つ方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなり
の自分を認めていくのが自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつ
だともいえる。 ・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、
そうした事実を正面から受け入れて、初めて本当の人生に出会える。そのうえで
一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の理想的な
生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、心をほっとしてくれる。》
▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージを
していたサバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。
森の住人には、それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている
内容のようである。しかし、これは森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。
私の場合は、ハードランディングだったとしても、万一の備えを長年にかけして
いた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。そして
4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってくる。
この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていく
のが、定年後の理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけ
でなく、怒り、哀しみが伴なう。老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。
哀しみに覆われた日を何とか過ごすのもリアルの一日になる。逆に有余る時間で、
思いのままに一日を過ごす楽しみもある。
夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの!

・・・・・・
5256,蓄群本能  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月05日(水)
             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 蓄群本能 
 誰も持っている『群蓄本能』。城下町では、その小さな世界で群蓄本能が、
互いの足の引張りあいになり、その個性を内に押しとどめるしかなくなる。
違うということが、マイナスの世界。割切るしかないとしても。〜その辺りから〜
≪ わたしたち現代人はただなんとなく、道徳とは個人の行為に関する規範だと
 思い込んでいる。あるいは、人間性が生んだ規範、社会を健全に生きるための
知恵のようなものだと思っている。 ところがニーチェは、「道徳とは、共同体
のために個々人の内部で作用する一種の畜群本能から生まれたものなのだ」
(『悦ばしき知識』116)という。 この畜群本能というのは、「共同体が個人より
も価値が高いのだから、個人の利益より共同体の利益を優先すべきということと、
「一時的な利益よりも永続的な利益を優先させる」という、国家や社会の全体を
益するための考え方を因習とし継承してきたあげく生まれた。
 たとえば、盗んではならないという身近な一つの道徳律を考えても、ニーチェ
の説はあてはまっているように見える。実際に、空腹ゆえにパンを盗んでも、
社会に損失を与えたとして罰せられる。そして、「個人よりも全体を優先する
という因習が覆う社会で人間は教育され、生活してきた」。よって、「人の心に
ある道徳性とは、これらさまざまな因習の全体に向かう感情にすぎないのだ」
になる。一般的な道徳が自然な心情や宗教の神の配慮から生まれてきたのでは
なく、利益の重さをどこにおくか、つまり功利がその出発点になる。
そう考えた二ーチェは、もちろん道徳の発生を理性に見るカントに反対する立場
にいるわけだ。二ーチェのこういう考え方は、現代哲学で使われている用語で
いえば明らかに構築主義的だということはもうわかるだろう。
 だから、ニーチェはこうもいう。
・「道徳的、倫理的であるというのは、古くからあった掟、古くからの因習に
 従順であることを意味しているのだ」・・
・「良心の中身とは何か。幼少時代のわれわれが尊敬し、かつ恐れた人々が、
 理由もなく規則的にわれわれに要求してきたものすべてが良心の中身だ。
 …そういうさまざまな古い権威に対する信仰が良心の源泉なのだ。したがって、
 良心は人の胸の中にある神の声などではない。その人の心の内にいる幾人かの
 人間の声である」(「人間的」)
 つまり、良心は群れとして生きる人間がみずから生み出したものだということ。
だから、本当に個性的であることはいやがられるし、個性的ゆえに良心の痛みを
覚えやすい。しかし、そこを越えなければ、新しいものは出てこないのだ。
けれども、自分の中に巣くっている古い群れの声にしたがわない行為、考え、
発見はどれも社会からは悪だとみなされる。過去をふりかえれば、みなそう。
新しい思想、新しい知識、新しい方法は、それぞれの時代で弾圧され、
狂気だとみなされ、犯罪扱いされてきた。≫
▼ 一匹狼的か、群れる羊の一匹として生きるか。論語も蓄群の精神マナー?
 確かにマナーは必要だが、古くからある因習に従順過ぎると、世界を自分
から小さくするし、個性的人生からは遠ざかることになる。「個性、個性と
いうが、所詮は砂利の一つの石ころじゃないか」ともいうが、その石ころの
デザインを自分でしてきたか、してなかったか? それも同じことか?

・・・・・・
5986,閑話小題 〜最後の講義・6 ー石黒浩:対談
2017年08月05日(土)
 ロボット学者ゆえに、切口が新鮮である。自分のロボットをつくり、常日頃、
対峙すると、無機物のロボットの、サルトルのいう、「対自」「対他」「即自」
が、クッキリと浮かび上がってくるのだろう。 ヨガの仕上げの5分間の
「死者のポーズ」として、宇宙の彼方から魂の抜けた己の姿を逆照射する
イメージと同じような。「定年までの自分」と、「それ以降の自分」の対峙も
似たような? これらは、一般的には「余命半年、3ヶ月」と宣言された時に、
初めて、自分に突きつけられるのだろう。落語の米朝のロボットが、生身の
米朝と高座に上がっている写真があるが、文化遺産として残すには最適だろう。

――
   ―人の気持ちの正体とは―
<本荘> 石黒先生は小さいころから「テーマ(問い)」を持たれましたよね。
<石黒> 僕は、小さいころ夢がなくてぼんやりしていたのですが、小学5年の時、
「人の気持ちを考えなさい」と大人に言われて衝撃を受けました。
その気持ちを考えることは大事なことなのに、考え方自体を一度も教わって
いないし、大事にしろというその「気持ち」を見たことがないわけです。
皆さんは「気持ち」が何か知っていますか。

<本荘> 「気持ち」を100字以内で説明せよ、というやつですね。
<石黒> そうです。「気持ち」でも「考える」ということでもどちらでもよい
ですが、それを定義した瞬間にコンピューターが勝ってしまいます。 だから、
小学校5年生のときには、「自分の考えている次元とは違う世界に行けるなんて、
大人はすごい」と思っていました。ようやく高校生ぐらいになって、全員うそを
ついていると分かったので卒業しないままずっと学校の中にいるのです。
▼ 石黒は、「気持」について、逆照射して考えるため、曖昧な定義を
 戒めているのでは? 
―
そこで、<「気持ち」を100字以内で説明せよ>の私の答を即興で書くと…
【「気持ち」で浮かぶ言葉は、感情である。感情といえば「喜怒哀楽」と、
「感動、感激、感謝」になる。「クールヘッド、ウォームハート」と分けると、
温かい心。逆に、冷たい心とは、生物の本能の「エゴ」を優先すること。】
 たまたま、考えを進めるに、去年の以下の文章が参考になる。ロボットには
無い真逆の問題だから。幸・不幸など、感情でしかないことが浮かびあがる。

・・・・・
4149, 強迫性障害
2012年08月05日(日)
 オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、
彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいない
と気が済まないし、何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の
冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に
長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』のモデルになった
大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、
「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触を
避けるようになり、自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は
孤独死を遂げた。 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー
≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。
自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人には大変つらい病。
よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたか
どうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというもの。本来これらの行為
は安全を確保するために誰でも行うが、それが何回も何十回も確認しないと
気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が
必要となります≫ とあった。 これは、心の病と、脳の病の原因があり、
それぞれの治療がおこなわれているという。心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ
が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、喪失の悲しみを乗り越え
られないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。
そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。
定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合い
との死別。傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、
合唱の先生をしていたが、未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを
隠れテーマにして)いた。その姉が私に「誰も平静を装っているが、死別の傷の
ためか尋常でない何かを感じる!」という。躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害
も、誰もが多かれ少なかれ持っている。それをコントロールしようとしてできる
ものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に近い症状が幾つかある。
多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、異常な
生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、
その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。
私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱として
あったのとが、症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを
束ねるのが自己になる。


6352,ある老女の遺書−3 魂の書との邂逅

2018年08月04日(土)

   * 老人の時節に、再び
 一昨日、同月同日分の文章をコピペのため振返ると、この文章に出会った。
これを読んだのは22年前、その6年後にテーマにしていた。 捨身で人生を
楽しんでいた56歳、この個人HPを開設し二年目に入っていた。壮年から、
老年に一歩、足を踏み入れた頃で、人生のハイライトの時節。
海外ツアーには、
【39】パタゴニア。ー002・12。
【38】スイス。ー2002・07。
【37】西アフりカ ーコート−ジボアール・ガーナ・ベナン・トーゴ
    ―2002・03
その6年前の1996年には、
【22】 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ―1996・06    
【21】エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)―・02に参加。 

当時、少し過剰気味かと思ったが、この感動の御蔭で、翌年、5年半のアルツ
ハイマー病の母親を見送った後に、心というより‘魂のスイッチの切替’に
なった人生を俯瞰させてくれた内容である。
 で、現在、前期老齢者の半ばを超えた72歳。近未来に、彼女の状況と、
心境が、間違いなくやってくる。このテーマを書いて16年。一年、一年が、
新たな老境との出会いになる。何もかもが面白く、新鮮で、知らないことばかり。

・・・・・・・・・・
2002年08月02日(金)
475, ある老女の遺書−1

 この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま
写し書きしてみる。ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの
中から見つかった詩、書き置きです。
≪「何がわかっているのです! 看護婦さん、あなたは何をわかっているの? 
 さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も
緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。(努力して、やってみて
欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも気にかけない様子で、
靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、
長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんな
ふうにあなたは私のことを考えているの? もしそうなら、看護婦さん、目を
開いて、私を見つめてごらん。あなたのいうままに、あなたにしたがって食事
をし、私がじっと静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
・私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
・十六の若い少女のときはウキウキし、すぐに愛する人に巡り会えることを夢み、
・やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると
約束した誓いの言葉。                 ー続く
――――
476,ある老女の遺書ー2
2002年08月03日(土)

・25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
・30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
・40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
・50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、
 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
・夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。

私は年老いた女。自然は残酷だ。
老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!
しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。

そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。

さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、
気難しい老女でない、‘私を知って!’
… …
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。
一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。
いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。

―
▼ < この古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も
  再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
 私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、
あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。>
 老人の深い悲しみ、怒り、心の悲鳴が聞こえてくるようだ。

442  子供叱るな、来た道じゃ
    年寄り笑うな 往く道じゃ

    来た道、往く道、一人道
    みんな来た道、往く道じゃ

    これから通る、今日の道
    通り直しのきかぬ道
    いまやらねば、いつ出来る
    わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中)
443  八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444  腹たたば 鏡を出して
    顔をみよ、鬼の姿が
    ただでみられる
445  僕は(+)(−)をはずして生きるという事を、
   若い時よりやっていたと思います。
   常識でいえば(−)と考えられる事も、
   体験の大きさでは(+)(−)も同じ。
  (+)3と(−)300なら、マイナスが損と思うが
  (+)(−)の符号をとれば…(日野啓三)  
                 〜『事業百訓』より〜

・・・・・・
5620,恋愛心理学 〜��恋愛論の最終章
2016年08月04日(木)
          『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 恋愛論の最終章
 恋愛論、美人論は、なかなか面白いが、そろそろ最後にする。
「美人が何だ、それが如何した」といえば、それまでの話。しかし、綺麗で、
優しい女性は年齢に関係なく、やはり良い。清潔感と、緊迫感に、色気が
加わった一期一会の出会いの中で、何ともいえない輝きが生じる生身の美は
人生の花でもある。 特に20歳前半の一瞬の輝きは、美の極致を垣間見ること
が出来る。全国の美人を数多く見てきたが、地域ごとの個性の輝きがある。
特に金沢の加賀美人は、その趣からして美人の極致だった。世の中には、いる
のである。とはいえで、そうそう絶世の美人は存在しない・・ 
 若い女性の美は一時的輝きでしかない。それを知ってか知らずか、
男たちは、目が眩み一生を棒にふることになる。 新潟県は美人の産である。
これは、水と、米に、関係している。 全国的にみて、近くに大きな神社が
あるところに美人が多い。水、米が上質で、人の出入りが、淀みを少なくする。
 越後新潟でも、弥彦神社の近くは、昔から芸者の産地?と言われてきた。
細面の色白の美人である。
 ところで、森光子が最盛期の天地真理に、
「この輝きと美しさは、いつまでも続くものではないのよ」と諭したという。
「その時には、何のことか理解できなかった」と、往年になって語っていた、
のが印象的だった。 女性の美も生花と同じ一瞬の輝きでしかない。
それもこれも、幻想、幻覚の一つでしかない。大自然の美に感動させられるが、
女性の美は、そのミニ版というところ。
・・・・・・
3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)
  * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍
 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が
交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方
を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の
重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた
かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという
考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、
非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に
なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、
「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも
良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に
なってしまう。
 ー発達派の治療態度ー
 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を
取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で
相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、
治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、
治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を
「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、
集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の
 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて
しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って
治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 
両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚
させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
・・・・・・
5255,ルサンチンマン  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月04日(火)
               〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * ルサンチマン
 ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教
に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。
支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、
中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、
キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー
≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。
 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。
古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた
支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分
たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、
そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考
から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた
道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される
ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと
ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた
道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。
こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、
こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者
のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的
な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の
道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、
あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。
 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。
この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。
たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。
これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。
  ールサンチマンー
どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、
やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教
道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。
強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマンと
いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの
道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。
 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の
発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域
から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の
民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、
戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫
▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず
槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的
に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて
当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。
・・・・・・
5985,閑話小題 〜最後の講義・5 ー石黒浩:対談
2017年08月04日(金)
        〜多摩大学客員教授・本荘修二:特別対談
   * 夢を言い訳にするな
 過去を、特に若い時節を振返ると、「夢の実現」のため、世界を小さく
閉ざしてきたようだ。それ故に得たことと、失ったこと、機会ロスをした
ことが頭の中をよぎる。『お前、何をしてきたのか?』と。まずは読書から
して、限定してきたようだ。
<よく見れば薺(ナズナ)花咲く垣根かな> の芭蕉の句のとおり、小さな
 世界が無限に存在していた。しかし…
まさか、夢のマイナス面を、ズバリ指摘するのも、新鮮である。
「夢ツリー」を心に鮮明に持ってこそ知りえたこと、出来たことがある。
 
   ー夢は持ってはいけませんー
<本荘> 本日は、石黒さんと一緒に「夢を実現させる力」というテーマで、
話を進めます。みなさんの中で、石黒さんが書かれた「アンドロイドは人間に
なれるか」という本を読んだ人はいますか?これを読んだ人は、夢を実現させる
力を分かっていると思います。 ちなみに僕は夢を持ったことがありません。
<石黒> 僕も同じで、いつも学生にも「夢は持っちゃいけない」と言っています。
早めに夢を持ってしまうと、幅広い事柄について勉強しない言い訳として夢を
使ってしまうので、夢は持たない方がいいと言っています。自分の能力はどん
どん拡張していくはずなのに、夢によって潰されてしまう感じがします。

<本荘>
夢の実現という例として、セリエAに所属するサッカーの本田圭佑選手が、
小さいころの文集に書いた夢がかなったということで大人たちが過剰に美化して
いましたが、私は違うのではないかと。夢は育みつくるもので、どんどん変化
して当たり前なのです
<石黒> 夢を持つことでうまくいく人もいるかもしれませんが、確率的には
ほとんど意味がありません。夢を1つしか持てないと、やらないことの言い訳
に使われてしまいます。私は、夢を持つなら100万個くらい持てと言っています。

――
▼ 20歳で、「創業を目指す」と、一匹狼としての生き方を決心した瞬間から、
 周囲が全く変わってみえるようになった。時代背景もあったが、日々の何も
かもが新鮮で、面白く、明るく輝きを増していた。
 しかし、背後から黒い得体のしれない影が覆うようになっていた。
いま考えてみると、内なるエネルギー、そう両親の期待?だった。「夢ツリー」
があればこそ、人生を豊かにしてくれたが、せっかく地球ツアーの機会を与え
られたのに、小さなツリーに縛られて、それ以外に、大したことが出来なかった
人生を眼前に突き出され、狼狽えるのが大方の人生? いや違うか。
 今さら、「夢ツリー」は、視野教唆で、マイナスといわれても… 
最期は充実感の手ごたえがあったかどうか。これもそれも、夢幻でしかないか。
 夢ツリーに、行蔵としての、電飾や人形とか、おもちゃを吊るして楽しむのも
楽しいもの。ただし、部屋の一角に収めて置き、時々、独りで眺めること。
・・・・・・
4890,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 〜2
2014年08月04日(月)
   * 自分のアンドロイドを講演会場に!
 自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。
奇妙な感覚ではないか?そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、
人々との交流の感覚はどんなだろうか? ーその箇所のコピーからー
≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば
 使っています。数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形
も試みました。アンドロイドを講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるとき
だけ、インターネットを介して遠隔操作で私が答えます。最近では、私よりも
アンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。私が直接出向くと、ホテル
代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 人間国宝の桂米朝師匠の
アンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで師匠そっくり
で、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって
初めて、無形文化財が有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。
将来は多くの人がアンドロイドを所有して、自分の分身として活用する日がくる
かもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたいという欲求を
詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。
このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。
しかし、いくら技術が進歩しても、機械には代行できない何かが残る。
それこそが人間らしさの源泉ではないか。私がアンドロイドを作るのは、
人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。 私は抱き枕型通信ロポット
「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、本体を抱きしめ
ながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫
▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を
 目の前にして解説していた。ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。
あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを入れたくなる
ゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボット
も面白い。ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が
多いから、玩具メーカーにとって、ロボット系玩具は宝の山だろう。
メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、ある意味、
ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない
端末が現れ出てくる。


6351,幸福な人ほど「知的」になるのはなぜか?

2018年08月03日(金)

              <「自分のための人生」ダイアリー著>
   * 知性は、幸福なればこそ
 この本の小項目、<幸福な人ほど「知的」になるのはなぜか?>が、
面白い。知性のある人は概して幸せそうである。何故か美人は、清潔感と、
明るさと、質素感がある。生れ育ってきた過程と、家庭環境が相まって
自然と、そうなったのだろう。自然と、そこには知性が育まれている。
 ここで、
≪『適正とは、学習すべき課題を習得するのに要して時間』であると。
この言葉が示しているのは、充分の時間を与えられれば、どんな人でも課題を
習得できるということ。知性は、遺伝とか、他から与えられるものではないと
いうこと。知的な人ほど、「この世には、いくら学んでも学びきれないことが
ある」と知っている。彼らは、「分からない」と言うことを恐れません。
知らなければ、学べばいいのです。本当に頭のいい人は、知らないことに落ち
込まず、「知らない」を「知る」に変える努力をします。知性とは、自分の知識
の限度を心得ていることなのです。≫ とある。
―
▼ 都会に出て、周囲を見渡した時にまず実感したことは、都会人の読書量の
 多さと、話題の豊富さ。それ以前に話術のセンス。ただ、無口でいるしか
ない劣等感に陥ってしまう。そして、まずは読書をするが、まずは絶対量から
入るしかない。部屋や、図書館に籠って読書に熱中すると、心が落ち着く反面、
何故か疎外感が強くなり、誰か友人と群れたくなる。で、行きつく先が女友達。
その質を深く考えることなく、一生の伴侶を決めてしまう。
 「良いこと3:悪いこと1以上が幸福の目安とすると、その状態なればこそ、
知性を呼寄せることになる。17年前に、個人HPを開設し、「一日一テーマを
自らに位置付けた。50年程前には、一日、二時間の読書時間の確保を…ライフ
ワークにした。それにしては、大した質量のベースでないが、この二つの
生活習慣が、51回の秘・異郷ツアーの別腹の世界を構築させてくれた。
さらに、40年以上の早朝散歩とポタリングも、然り。以前に書いたが、現在の
私の幸せ度数は『6対1』である。7年前の節目に、構築した生活習慣が大きく
影響を与えてくれる。それと、このブログの17年にわたる随想日記の継続と
蓄積がある。些細で、自慢は出来ないが、それでも、6:1の幸福感が、下支え
になっている。知性は、己より質量が上だと、霞んで見えるが、逆になると
鮮明になるから恐ろしい。そのまま性格、特に幸福度数の質量に現れる。

・・・・・・
5619,閑話小題 〜日本五大花火大会について
2016年08月03日(水)
  * 日本五大花火大会について
 昨日、今日と、長岡花火。昨夜は、早朝の自転車コースの水道町公園に
19時半から20時半まで一時間ほどの花火見物に行ってきた。「フェニックス」
が終わるのを待って、帰ってきたが、空が曇っていたが、「フェニックス」が
上がる頃には、何とか空が晴れていた。 〜ネット検索によると〜
<二大といえば「大曲」「土浦」。三大で、「長岡」が入る。
 次に、PL、諏訪湖、片貝、熊野、 袋井、豊田とある。>
 〜他のネットでは、
< 1位 長岡まつり 大花火大会;
  2位 全国花火競技大会(大曲の花火);
  3位 土浦全国花火 競技大会;
  4位 ふくろい遠洲の花火;
  5位 赤川花火大会;
  6位 豊田おいでんまつり花火 大会;
  7位 常総きぬ川花火大会;
  8位 熊野大花火大会;
  9位 古河花火大会;
  10位 水戸 ...           >
 それぞれの特質があって、どれがベストかは言いがたいようだ。
長岡花火は、二年前に、『この空の花』で、映画化されて一躍、有名になった。
昭和24年の夏、山下清が日本一の花火を見るため長岡に現れた。その翌年、脳裏
に焼き付けた記憶で生まれたのが、貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」である。
 これらを鑑みると、三大花火の一つというのが、正しいのだろう。
10年前までは、ツアーなどでの自己紹介で<長岡出身です>といえば、
<『田中角栄』『田中真紀子』の出身地ですね!>だったが、
「フェニックス」以来、<「長岡花火」の長岡ですね!>と言われるようになった。

・・・・・・
5254,下流老人 
2015年08月03日(月)
 去年になるが、 NHKスペシャル、ー老後破産:長寿という悪夢ー
をみて衝撃を受けた。家内も厚生年金のため、人並みの生活は出来そうだ。
先日、新聞の雑誌広告で、『下流老人』という言葉が目に付いたので、
ネット検索をすると、以下のような厳しい内容が出てきた。
≪ ・ ー下流老人とは、
1、収入がない、2、資産がない、3、社会的ネットワークがない老人をいう。
 総務省の家計調査や、所得統計から貧困ラインから下流範囲を推測するが、
生命保険会社や金融機関では、老後生活の費用は最低ラインで20万円、ゆとり
ある暮らしには30万円超が必要という。ほとんどの老人世帯は最低ラインで、
ゆとりある老人世帯は一握り。(これは金融商品や保険を売るため使われる。)
・2014年の我が国における65歳以上の高齢者人口は3300万人、総人口に占める
割合は25.9%と、共に過去最高を記録しているが、大づかみに言って、そのうち
600〜700万人が「下流老人」と見なされている。内閣府の調査でも(2010年)、
65歳以上の高齢者世帯の「相対的貧困率」が22.0%となっていることから、
この推計は大きく的を外してはいない。老人と若者の間の「世代間格差」
が問題となっているが、老人の間の「世代内格差」も凄まじいものがある。≫
▼ 10年、20年スパンでみると、9割の老人が「下流老人化」するという。
 老いれば、金を使う場面も少ないから、さほどの問題ではない?と、たかを
括っていられない。死ぬまでは金が要るが、死んだ瞬間から、生活費がゼロ
になるので、当人にとっての持ち金は微妙な問題でもある。 それでも
総世帯の15%が「下流」というから、やはり老人の立場は弱い。本格的
な国家衰退が始まってきたが、そのシワ寄せは、まず弱者に襲いかかる。
ギリシャが問題になっているが、それより、日本が遥かに深刻である。
ひたすら直視しないで、先送りしか手立てがないだけ。その限界の年が、
今年から来年。その矛先が、まずは老人と、母子家族。何がオリンピックか!
目先を凌ぐ、末期患者のリンゲルと同じ。その責任は、選んだ国民にあり。

・・・・・
4522, 生きる悪知恵  ー1
2013年08月03日(土)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 図書館の返却コーナーで見つけた本で、面白そうなので借りてきたが、これが
面白い! 著者は、このところ売れっ子で、岩井志麻子、中村うさぎなどと
女無頼を売りにしている。しかし答えは至ってまともで、的を得て、簡単。
「被害者面するな。世間体やプライドとか言ってる暇あったら、あの手この手
を使って状況を打開しろ」で、「人生、生き延びてナンボ」が一貫している。
  ーアマゾンの内容紹介ー
=『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子が、
波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、家族関係から仕事、おカネの問題まで、
あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイ。 主な項目は以下の通り。
「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」
「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」
「結婚して5年。妻がブクブク太っています」
「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」
「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」   
「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」
「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」  
「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」
「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。=
  ー「はじめに」の冒頭からして、これ(以下)であるー
≪ ・・私の故郷の高知県なんか、すごいですよ。
 高知で一番大きな会社はどこかっていうと「生活保護」。
「あれだけお金払える会杜、ほかにない」って。で、生活保護をもらえる人は
貯金しない人だから、きっちり毎月全額を飲み食い、遊興費で使ってくれる。
それで高知県の経済が回っている。それはまあ半分冗談ですけど、実際ケース
ワーカーさんに話を聞いたら、「確かに腹の立つヤツもおる。こいつは
インチキやろ、というのもおる」と。だけど、「具合悪くて働けんゆうたら
そうかもしれんし、そんなに悪ないゆうたら悪ないかもしれんし、人間なんだ
から玉虫色なんです。ただ、それで生活を立て直す人たちも確実にいることを
覚えてお いてください」と言うてました。日本人って「正直であれ」とかよく
言うけど、真面目すぎるのも生きづらい。もっとウソつきでいいんじゃないかと。
 私がこれまで漫画家として生きてこれたのは、正直じゃなかったから。
ウソをつくのを悪いと思うてない。一番最初のお客さんである編集者を、
いかにダマすかというところから始まりています。締め切りがギリギリで
絶対OKもらえなさそうな人には、最初にくだらないA案を見せて、あとにもう
ちょっとマシなB案をもってくるとか、目くらまし的なことをやって。あと、
10万円欲しいときには、最初に「100万円くれ」って言ってみるとか。
火事場泥棒みたいなことは我ながらうまいかな、と思いますね。もうひとつ
よかったのは、プライドがなかったこと。私の仕事は客を笑かしてナンボなので、
自分の表現がどうとか関係ない。もらえる仕事は何でもやってきた。
身もフタもないことを平気でできるというのは大事です。プライドでご飯は
食べられません。誰だって働けなくなる日は来るんだから、とにかく働けるうちは
働いてお金を貯めておけ、と。だから、今でも仕事はどんどん入れてる。
国とか会社をアテにしてたら酷い目に遭いますよ。》
▼ 西原は「借金を重ねながらも夫を看取り、子供を育て、誰に頼らないで
 大量の仕事をこなしながら、ここまで至った。人生・体験に基づいた
回答だから、「生き延びたもの勝ち! 横から攻めたり、一旦逃げたり、
ダメな時の解決は人任せ」 でも嫌に説得力がある。男には書けない
開き直りが面白みを増している。

・・・・・
3782, ユング ー15
2011年08月03日(水)
  * ユング心理学、3つの流れ ー ? 元型派  
 ☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ   
< 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに
 対して、『元型派』は変容や自己実現はフィクション・幻想であるとする。
そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を
傷つけるとして、変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを
大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の神話の
解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて
死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、連れ帰る途中に、決して後ろを
振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて
消えてしまった。そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座に
なってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。}
 この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって
男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。しかし、イメージそのものを
大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしている
ことが大切」である。 竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、
自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や
女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中の
イメージや登場人物・アイテムについて、じっくり 話し合い、そのイメージ
と遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。
  ー元型派の治療態度とはー
 元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。
古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、患者のイメージにいかに
寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを
目的とする。 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、
昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、
その夢は単に、その人だけのものでなく、人類に普遍的なものだったり、時空を
こえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒される。
 このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容
が生じてくるのであり、変容を起こそうと思ってはいけないのが、元型派の
基本的態度である。 >     (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが
 特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから孤独感が薄らいでいく。
何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。〔イメージそのものを大切にする
元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」〕
とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように接すれば生き生きして
くるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!


6350,読書日記 〜久しぶりの 『道は開ける』 〜2

2018年08月02日(木)

              『道は開ける』 D・カーネギー (著),
   * あなたにはロックフェラーを超える財産がある
 半世紀の年月を超え、以下の言葉の衝撃が鮮明に甦ってくる。
数年前の会社整理で直感したことが、『‘空即是色’で良いじゃないか。」
考え方、見方をを変えれば、それで済む。65歳はビジネスのリストラ時節。』
 この『日々 是 口実』で、辛うじて精神のバランスを保っていた。
失ったモノ、コトより、残せたコト、モノで楽しめば良いと… 
「善、悪は他人の気まぐれ!  良し、悪しは自分の正否」と、
自問自答するしかなかった日々。

≪ カーネギーの講義のマネジャーをしていたハロルド・アボットは、
 10秒もかからない出来事によって、それまでの10年を超える学びを得て、
すべての不安が消えたという。
食料品店の経営に失敗した彼は、貯金を失っただけでなく、返済には7年も
かかる借金もあった。銀行で当面の金を借りようと、とぼとぼと歩いていた時、
両足のない男がやってくるのが見えた。彼はローラースケートの車輪をつけた
小さな木の台に座り、握った木の角材を使って前進していた。
両足のない男の目が合ったとき、その男は素晴らしい笑顔で挨拶してくれたのだ。
「おはようございます。良い朝ですね」。元気よくそう言ってくれた足のない男
を見たとき、アボットは自分がどんなに恵まれていたかがわかった。
自分には足が2本あって歩くこともできる。
私たちが所有する豊かな富を考えれば、お金がなくてもいつも陽気でいられる。
・あなたは両目を1000億円で売る気はあるだろうか? いくらなら両足と交換する?
・体の一部ではなく、子どもや家族ならどうだろうか? あなたが持つ財産を合計
 すれば、それがロックフェラー家とフォード家とモルガン家の財産のすべてを
 差し出されても、渡したくないほど価値があるものだということがわかる。
私たちは、すでに持っているもののことは滅多に考えず、いつも、持っていない
もののことを考えてしまうのだ。 ≫
―
▼ 日本に『ヨガ』を導入した中村天風が、常日頃、教えているのが、このこと。
<私たちが所有する豊かな富を考えれば、お金がなくてもいつも陽気でいられる。>
 このことを忘れるさせるのが、常日頃、ここで語る『世間』様。半径500mに
固執する衆愚の人たちの妄想。死んでも気づかないから、これも生き方だが。
『道が閉じてしまった!』 ことすら理解できなく、目先を右往左往して生きる。
すでに持っているもののことは滅多に考えず、いつも、持っていないもののことを
考えてしまう人たち。だから、他者の浮沈みで、失ったモノしか見えない。得て、
しまい込んだコトが見えないのである。世界は500mの外にあるのを理解できない。
これらを衆愚というが… 何時の間にか、私たち?も、この溝沼に… ? 

・・・・・・
5618,閑話小題 〜長岡祭の花火
2016年08月02日(火)
   * つれづれに、長岡花火
 地元の長岡祭りが、昨日から三日間にわたり開かれている。
今日と、明日は<長岡花火>。 信濃川の土手の見物席の準備も出来ている。
今夜が、花火日和かどうか、どうだろう。毎年、家内と土手までチャリでいき、
土手を歩いたり、適当に座ったりして観ている。
――
 都知事選、予測どおりに小池が勝利を収めた。 小池勝利というより、
二人のの自滅である。問題は、今後、スタッフをどう固めるかだ。民進党の
党首が、推薦候補の落選を予測してか、次期の代表戦挙の不出馬を言明。
これでは勝てる訳がない。 自・公推薦候補も、ポチの、それも、座卓犬
そのもののイメージがマイナスに働いた。
――
 自民党の幹事長が、自転車事故で、首を負傷、辞めることになった。
下手をすると、車椅子生活になるのか? 都知事選の最中、何か、動きに
事件? という不自然さが残る。
――
 サントリーのゴマセサミンと、ノコギリヤシと、フコイダンセサミンを飲み
始めて、三ヶ月経ったが、たしかに効果はあった。慢性の腰痛が半減した上に
気力が満ちた感覚が強くなり、肌がスベスベしてきたような。サントリーの
正価は、どれも4〜5千円。 少し高いため、半額以下の他メーカーの同類を
ネットで探して、代用している。問題は、三ヶ月以上、続けられるかどうか。
これはお勧めである。

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5253,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー��
2015年08月02日(日)
      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
  * 6500万年前の恐竜絶滅で、哺乳類が主役に
私たちは、数知れぬ地球規模の困難を乗り越え、現在に至っている。特に、
哺乳類の、そして類人猿の誕生は、進化上、あまりに大きい出来事である。
その辺りを、ネット検索をすると、番組の内容が、そのまま記述してあった。
≪ 2年前、中国で発見された胎生の能力を持った最古の哺乳類の化石がある。
エオマイア(黎明期の母)。 恐竜が全盛を極めていた1億2千500万年前の地層
から見つかりました。現在、お腹の中で子供を育てるすべての哺乳類の祖先に
あたると考えられています。恐竜の脅威と低酸素の環境という暗黒の時代の中、
哺乳類は子孫を確実に育てあげ、未来にかける戦略を強めていたと考えてられる。
季強博:「低酸素の環境ではからに閉ざされた卵による繁殖は決して有利とは
いえません。そこで子孫を確実に残す為に哺乳類は繁殖の方法を替えたのです。
体の中で子供を育てる胎生の方が卵に比べ、酸素と栄養分をより多く子供に供給
することができます。私は哺乳類が繁殖の方法を胎生へと替えた背景には低酸素
時代という環境が密接に関係していたと考えています。」
 胎生を行うようになった哺乳類では母親と子供が胎盤と呼ばれる新しい臓器に
よって結ばれました。胎盤の中では、へその緒とつながる子供の毛細血管へと
母親の赤血球が勢いよく吹き付けられています。母から子へ、まるで母親の愛情、
そのもののように優しく吹き付けられる酸素たっぷりと含んだ赤血球。
新鮮な酸素が常に母親から与えられ、わが子の成長を支えるのです。
低酸素時代が凍死して始まった全く新しい母と子の関係。子供を愛しみ、確実に
育てる哺乳類のLifestyleが完成したのです。恐竜の時代が始めてから
1億6千万年後、再び地球を大変動が襲いました。突然現れた直径10キロの隕石
の衝突がもう一つの大量絶滅を引き起こし、恐竜の支配は終わりを告げた。
 酸素濃度も回復し、地球は再び全く新しい時代を迎えることになりました。
2億5千万年前と6千5百万年前に起きた2度の大量絶滅、研究者たちはその
二つの出来事がなければ現在の複雑な生物の世界は決して生まれなかったと
考えるようになっています。暗黒の時代を力強く生き抜いた哺乳類は再び地球の
支配者として返り咲いた。恐竜から効率的な呼吸システムを受け継いだ鳥たちは
それを飛行へと応用し大空を自由に舞うようになりました。そして私たち人類は、
祖先から受け継いだ酸素の効率的な利用によって思わぬ飛躍を遂げています。
大きな脳を手に入れたのです。重さでは全体重のたった2%に過ぎない人間の脳
は肺が吸い込む酸素の実に20%を消費しています。祖先が獲得した酸素の効率
的な利用がなければ私たちの人類の高度な知能は決して生まれなかったのです。
大きな脳を持った人類は、科学技術を一気に発展させました。その力は今や地球
の未来を大きく左右するにまで、膨らんでいます。人類を含む多様な生命が
息づく地球、それはかつて私たちの祖先が大量絶滅を始め数々の試練を戦い
抜きた結果、生み出されたものだったのです。・・≫
▼ 脳という考える司令塔は、肺からの酸素の20%を消費する。有酸素運動
 が、体に良いのは、脳にとって酸素が有効に働くため。早朝のウォーキングで
酸素と、太陽のエネルギーを取入れる必要性が、このことから分かる。
 6億年前には地球の全てが凍りついてしまう全球凍結が襲いかかり、
この変動の後、小さな微生物だった祖先は劇的に大きくなって、多細胞生物
となり大型生物へと進化していった。4億年前に豊かなサンゴの海を襲った地殻
変動、住処を失った私たちの祖先は上陸へと挑んだ。この時、獲得したのは
私たちの手や足。2億5千万年前、シベリヤの巨大噴火から始まった大量絶滅、
その絶滅を辛うじて生き延びた後、私たちの祖先は子宮で子供を育てるという
能力を身につけた。3300万年前、南極から始まった厳しい寒冷化、木の上
という新天地に進出した祖先はエサ不足を生抜くため、優れた目を発達させた。
そしておよそ700万年前、私たち人類が生まれた。偶然だが、以下にーつづく

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4888,閑話小題 ー温暖化と氷河
2014年08月02日(土)
  * 温暖化と水資源問題
 世界の淡水の8割が氷河という。せいぜい数パーセントもあるかなしかと
思っていた。考えてみれば、北極も南極も氷で覆われており、アルプスや、
ロッキーも、ヒマラヤも氷河がある。シベリアには永久氷土がある。
としても、ナイル川やアマゾン川や、湖など水量の数倍もあるとは。
ということは、氷河は地球の水のダム。世界各地の氷河に行くと温暖化による
消失が、必ず話題に挙がる。  ーネットによるとー
《 地球全体の水資源の約97.5パーセントは海水が占め、残り2.5パーの淡水の
 8割が氷山・氷河。その中で飲み水、工業用水は残り3割。その約9割は地下
に眠っている地下水。その部分を差し引くと残りは0.075パーセントになる。
しかし、人間が直接その水を採取できる湖・河川はさらに限られるので、
ここからまた目減りして、結局「0.01パーセント」。その貴重な水を巡っての
紛争が世界中で起きている。ヨルダン川(イスラエル、ヨルダン、レバノン)、
ナイル川(エジプト、スーダン、エチオピア)、チグリス・ユーフラテス川
(トルコ、シリア、イラク)、ガンジス川(インド、バングラデシュ)など。
2009年のスイス・ダボス会議では、「いずれ水はオイル(石油)よりも投資
価値が出てくる」と指摘されていたが、まさに的を射たコメントである。》
《 日本は世界有数の多雨国で,単位面積当たりの平均年間降水量は世界平均
 の約2倍。しかし人口密度が高く,平均年間降水量を人口一人当たりにすると
世界平均のわずか1/5になる。一見,日本は,水資源に恵まれているように
見えるが,降水の多くは梅雨時や台風の時期に集中するうえに,多くの河川は
規模が小さく,勾配が急で,距離も短いため,雨が降っても水は短時間で海に
流出してしまう。多雨国なのに資源としての「水」には恵まれていない水資源
“小”国。さらに言えば,日本の食料の自給率は約40%で,大量の農作物を
輸入に頼っているが,仮に日本国内で栽培しようとすると大量の水が必要。 
日本は,実質的に大量の水=バーチャルウォーター(仮想水)を輸入している
ことになる。生活水準が向上するにつれて水の需要は増え続けるが,世界の
約2割の人たちは安全な飲み水すら利用できずにいる。》
《 世界の哺乳類の4分の1、鳥類の8分の1、両生類の3分の1、植物の
7割の種が危機に 瀕している」。・・タンザニアの「キリマンジャロ国立公園」
では1万年以上 維持されてきた万年雪が20世紀だけで8割失われ、このまま
だと15年以内にすべて なくなる。》
▼ 上記の現実は、我われ日本人にあまり知られてない。現に、私も知らな
 かったこと。水資源小国とは! それでも大雨や積雪などの地下水がダム
代わりなっている上に、7割が森林などの自然に恵まれている。いざとなれば、
井戸を掘ればよい! これらから考えると、やはり森林・農業保護は必要。
それにしても、総水量の0.01%とは! 

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5983,閑話小題 〜最後の講義・3 ー石黒浩
2017年08月02日(水)
   * 人間はロボットになる?  〜NHKブログより
≪「もし今日が人生最後だったら、どんなメッセージを残すのか?」。
アメリカの有名大学で行われる「最後の講義」が日本でも始まる。
登壇するのは世界的なロボット工学の権威で、自分そっくりのアンドロイドを
作ったことで知られる石黒浩・大阪大学教授。 彼が語る「すべての人間は
ロボットになる」という驚くべきメッセージ。ロボットを通して人間の存在に
ついて考え続けてきたトップランナー。≫
「いつ死ぬかわからないのだから、講義はいつも最後と思ってやっている」
「明日命が消え去ってしまったとしても、後悔がないように生きる。」と、
自らの研究についての厳しい姿勢を表明する。

・「千年後の人について、環境変化について行けず滅亡」。
 「有機物から無機物へ生存する生命体が限定される」と
テーマは「千年後の人間」。100年後でなく、千年後。 ロボットを作るのは、
人間を探求したいからであり、ロボットを研究することで見えてくる「人間」
は、人間存在の根本に迫る問いに応えるものになる。1000年後に有機物が滅び、
無機化した人が残る可能性があると言う。

・「人間が生まれたことの意味を考えれば、ロボットになろうとしてるような
 気がしてしょうがない」

・無機物から誕生して再び無機物へ
<生命の限界を超えてロボットを進化させるため、障害になりうるのは何か。
 それは、脳の機能をコンピューターに置き換えられるか。ということだと…
 コンピューターは、すでに人間が理解し、定義づけできている物事であれば、
 その処理や対応能力において、人間をはるかに上回ります。今後、人間が
 機械に置き換わる場面が増え、最終的には、人類は自身のすべてを機械の体
 に置き換えることになります。「つまり、人類は無機物から生まれ、また、
 無機物に戻ろうとしているのです。
 地球が誕生して偶然有機物ができて、進化の最終形態として人間があります。
 その人間はロボット(技術)をつくり出し、すべてを人工物(無機物)の体
 に置き換えて、生物の制約である120年の寿命を超えようとしている。
 人間という有機物の体は、知能を加速させるための一時的な手段と言えます。
 有機物は適応能力が高いので進化を加速することができたのですが、一方で
 複雑な構造ゆえに壊れやすく、維持ができない。
 だから、最終的にすべて無機物に置き換えることで、有機物の限界(寿命)
 を超えていくことができるのです。
――
▼ 「本人とロボットの講演どちらにしますか?」というと、殆どがロボット
 という返事。本人よりロボットが見たいのである。スマートフォンの機能を
埋め込めば、海外講演を国内から質問などは、会場のロボットを通して、即答
できる。何か「分身」そのものの感覚は奇妙だろう。 少し違うのだろうが、
ブログも似ている。書上げた当日分を含めて17年分の文章を毎日、目を通すが、
時空を超えた、その時々の、自分に出会ってるような感覚。
毎日、自分も、世につれ変化しているのが分かる。過ぎてしまえば、何事も
夢幻、幻想でしかない。その時々で考え、判断していたことが、何と軽く、
浅く、底が浅いことが確認できる。己が知っている範囲の狭さ。読返すことで、
そのことを毎日、思い知らされる。しかし、触媒する多くの媒体を通した人にも
見ることになる。そのほろ苦さ。自動運転の車が、数年先? に売りだされると
いうが、これが完成すると、この応用が、あらゆる分野で応用できる。
とすると、多くは無機質なロボットが人間の作業に取って変わることになる。
 〜で、偶然、長期スパンの内容が、2年、3年前の内容へと続く… 
千年単位でみれば、人間などという生物が無機物に成ろうが成りまいが、
たかが戯言! 無機物なら、このスパンでも刻印可能になる。そういうこと!
 花火でも見て、今日を楽しめばよい。 で、皆様も楽しんでいる。

・・・・・・
4521, がんで死なない生き方 ー2
2013年08月02日(金)
        「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著
   ー更に、印象に残った箇所を抜粋するとー 
・何より重要なのが早期発見。すい臓がんのように発見が難しく進行が早い
ものもあるが、早期に発見すれば約9割が治る。例えば乳がんの場合、1cmの
腫瘍が2cmになるまで1年半かかるので、その間に見つけることが大切
(それより小さいと発見が難い)予防が可能になりピロリ菌感染者が減って
いるので胃がんは減少傾向にある。元々ウイルス感染が引き金になるガンもある。
・治療の中心は、いわゆる三大治療。手術、放射線治療、科学治療。ただし、
 抗がん剤について、それだけの完治は難しい。サプリメントなどの代替医療
 の効果は医学的に証明されていない。ウイルス療法など新しい手法もいろいろ
 出てきてはいるが、まだ検証中という段階を出ていない。総じて、実態として
 は26年前から大きく進歩しているとはいえない。また、治るものはともかく、
 末期のものについては必ずしも無理な治療をしないという選択肢もありうる。
 ‘ガンは死期を迎える2〜3週間前くらいまで日常生活を営めるピンコロ型に
 近い病気’である。
・福島原発の事故を受けて、がんへの影響も解説している。被爆しない方が
 好ましいが、一般の人たちへの影響という点で見れば生活習慣やたばこと
 いった要因に比べて、その一つの程度でしかない。 最近話題になっている
 内部被爆について、実際は内部被爆と外部被爆の影響を明確に分離して
 考えることは難しい。そして、現時点で空気や食べ物より土壌の汚染に
 一番気をつけるべき。
・野菜嫌いの人の発がん性リスクは、放射能被爆の100ミリシーベルト
 に相当する。また、受動喫煙も100ミリシーベルトに近い。
・現在、日本人の2人に1人ががんになるが、男性は6割弱、女性は4割強。
 がんの死亡者数は、男性が女性の1.5倍だが、20歳から55歳では、女性の
 方ががんの発症者数が多い。30代のがん発症は、女性は男性の3倍。
▼ 青壮年時期の20〜55歳は、女性の方が発症者数が多いとは知らなかった。
とすると、55歳を過ぎると、遥かに男の方が、多いことになる。この年齢に
なってみて、「生老病死」の問題に直面すると、生易しい問題でないことが
分かる。皆で老いれば怖くなさそうに思うが、生老病死に関しては、それぞれ
孤立した問題。それぞれ独自で直面するしかない。著者の同僚7人の医師全員
がタバコを吸わないという、その結果を見ているからだ。そのうちの一人が、
「最近の事情が変わったようで、医学部百人の授業で聞いたら、
一人もタバコを吸っていない」という。

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