|
堀井On-Line
|
2018年07月02日(月)
* 今年、最も面白かった映画とは… この半年で、シネマ館と自宅寝室で400〜500本の映画とドラマをみてきた。 シネマ館では24本見たが、最高評価は90点。それよりも、寝室のブルーレイに 録画をしてあった『ブレイブ ワン』の評価が95点だった。そこで、この批評を 書くため昨日、改めて見たが、面白いものは再度見た方が余裕を持てるから良い。 当時、私の勧めで、家内も見たが、本人も面白かったという評価。 人気のラジオパーソナリティが、思わぬ被害者から、立派な?ギャング 殺戮ハンターに変身していく過程の筋書きが、スリリング、かつ惹きつけられる。 〜まずは『ブレイブ ワン』のあらすじ〜 ≪・エリカ(ジョディ・フォスター)はラジオパーソナリティーとして活躍中、 婚約者のデイビットと結婚が決まっている幸せな生活を送っていた。 ある日セントラルパークをデイビットと散歩中、三人の暴漢に襲われてしまう。 デイビットは死亡、エリカは瀕死の重症をおった。しばらくしてようやくエリカが 目を覚ました。婚約者の死を知ったショックと事件の恐怖から外へ出られなくなる。 ・護身用に銃を手にいれたエリカ。それを使う日は突然訪れた。コンビニで殺人 事件を目撃してしまったエリカは強盗から殺されそうに。とっさに銃で相手を 撃ち殺してしまう。このことがきっかけで凶悪犯罪者を殺害していくことに…。 世間の人たちは犯罪者を殺害する謎の人物を、勇気ある行為だと尊敬の意から 『処刑人』と呼ぶ。 ・ラジオパーソナリティーとして復活したエリカもまた、番組内でそれに触れる。 事件の捜査をしていたマーサー刑事は、エリカのファンでもあることから彼女 とコンタクトをとった。次第に友情を深めていく二人。 一方で自分達を襲った犯人が検挙されないことへの苛立ちを隠せなくなってきた エリカは、自分で探し制裁することに。ついに3人を見つけたエリカは二人を銃殺。 最後の一人を殺そうとしたところへマーサー刑事が突入してきたのだった。≫ ―― ―ネットの感想より― 《 粗筋だけ見ると婚約者を殺された女性の復讐劇に見えるが、実はそんなに 単純なものではない。 暴漢に襲われて恐怖心を持つ女性の心理状態が良く描けて いるし、偶然とは言え凶悪犯罪者を殺害していくということへの葛藤が見ていて 苦しくなるくらい見事に描けている。 彼女の中の善悪が心の中で闘い、一人で 自問自答しながら迎えていくラスト。そこまでのスピード感もたまらない。 ジョディ・フォスターという演技力のある女優をキャスティングしたかとも絶妙。》 ― ▼ 最後は、このギャングハンターに甘い結果になるが、それも良しという気に することで、後味の悪さを消している。<私の中に、ひとりストレンジャーが 住みついてしまった>という彼女の独白が真に迫っている。 私の中にも、この数年、想像上のストレンジャーがサイコパス?想定者への 首を削ぎ落している。「何故か2〜3年で、事故か、病魔に陥るから、まか不思議 というストーリー」付き。それも結果が2〜3年後に現れ出る筋書のため、罪悪感が 残らない。人生の後半ともなれば、2〜3年内には当人の身辺に不幸はある。それを 物語とし編集すればよい。リアルで気味が少々悪くなることもあるが、それはそれ。 全エネルギーを一瞬、オーラごと殺ぎ落とす快感がある上、内的消去効果に。 とすると隠れサイコか、私こそ。 サイコパスには、サイコで… 勿論、冗談。 上記のような筋書きの映画、ドラマが特にストレス解消になる。ハリウッド モノには、ストレス解消モノが多い。格差社会に対する鬱憤晴らしを映画で?… 最近では、人間同士の殺戮では後味の悪さが残るため、大型ロボット、動物同士 の代行モノが多くなっている。 YouTube上に、野生動物同士の死闘の実写が多く投稿されている。 ライオンと水牛の群れ同士の凄惨なドックファイトを大型TV上で見ると、我を 忘れ見入ってしまう。それと、闘牛、とりわけ、街中で放たれた闘牛を一般市民 が命をかけて一瞬かわす遊び。これが、数知れず次々と投稿されている。ストレス が多々あるが故に、こういう面白い映像と向かい合えるから、ストレス善玉論が 頭を持ちあがってくる。閑なるが故だが… ― 熊:それにしても八つぁん、根こそぎする上に、これでは、浮かばれないよ。 寅:全てが引っくり返って、心に余裕が無くなったからさ。 八:この歪みの視点から見えてくる社会がさ、何せクリアで新鮮に思えるからさ。 新たな切口の発見が、毎日毎日、目の前で新鮮に展開するからね。 大家:何か「偽悪趣味」が、これで全面的に露見したね。 八:今さらさ… それにしても、偶然だが、去年の同月、同日の 映画評も面白いね。 ・・・・・・ 5952,閑話小題 ーシネマ『22年目の告白』 2017年07月02日(日) * 『22年目の告白 私が殺人犯です』 〜映画評 一昨日みてきた邦画、『22の告白^私が殺人犯です』が、思いの外、 面白かった。ネタバラシになるが、名乗り出た得体のしれない殺人犯が、実は 被害者の親族が整形をした人物だったり。ライブで殺人犯と対峙し、追及して いたキャスターが実は犯人だったり、なかなか面白い逆転が続く。評価・90点 〜HPの説明より〜 【 2012年の韓国映画『殺人の告白』をリメイクしたスリラー映画。 〜あらすじ〜 1995年。日本の東京で起きた5件の連続絞殺事件。警察の捜査 もむなしく時効を迎え、未解決事件となる。それから22年後、会見を開き自分が 犯人だと名乗り告白本を出版する。犯人の名前は曽根崎雅人。 彼の告白本は ベストセラーとなり、表舞台へと現れた彼の行動は日本中を翻弄するが… 】 ▼ 思っていたより、暗さ、残虐さ、凄惨さは抑えてあった。それより、仰け ぞるような、意外な展開に固唾をのむ場面が続く。ネット上で、韓国映画の リメイクと知り納得。 面白かったといえる映画にヒットするかしないかは、 見続ければこそ言えること。 何はともあれ、最近、当たりが多い。 ―― * 人は、置かれた状況に順応する生き物 リタイア後の平々凡々の日々に、飽きもせず順応し、結構満足している。 この随想日記を16年以上書き続け、蓄積してきた心のベースがあるからだろう。 人間は状況に順応する生き物。肩の荷を下してしまえば、気張ってきた人生が 逆に何だった?と… 面白く、充実はしていたが、それは今でも同じこと。 〜以前、ここで取上げた幸せに関する道理〜 《 一般的に考えられる「幸せと、不幸」を取上げ。幸せは、5〜10億の宝クジ に当たること、不幸は首から下の麻痺になる頸髄損傷になること。しかし、 アメリカだが、5年以内に95%の人が、その全てを失う。 逆に最悪に思える 頸髄損傷の場合、自殺すら出来ないため、諦めざるを得ないため、その運命を 直に受け入れ、周囲に生かされていることに感謝をするため、幸福感が増す。》 「使い果たす、どこが悪い」は、私の実感にあるが… 宝クジは、如何だろう? 似たようなものか。「状況」というより、「変化」だろうが。状況、環境 の外的変化には、内的な態度の変化が必要だが、前もった準備いかん。 で、また偶然だが、以下につづく
・・・・・・ 5587,幸福の条件とは 〜�� 2016年07月02日(土) <「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著> *「恒産なければ恒心なし」 10年前までは、『幸福』という言葉は何故か、何処の場の会話、対話で 軽過ぎる言葉として避けられていた。ところが、長期の不景気などで、社会が 混沌としてきたためか、テーマとして扱われるようになってきた。 幸福の条件とは、まず生活に支障のない最低限の収入がなければならない。 「貧すれば鈍す」「金持ち、喧嘩せず」「恒産なければ恒心なし」で、人は、 裏づけある豊かさがあってこそ幸せになれる。いかなる場合も、万一の備えが 「先立つもの」があればこそ。蓄えが無ければ、いざという時、何も出来ない。 花街の色男も、前提が金持ち。 〜ここで、まず、それを指摘する〜 ≪ アダム・スミスは『道徳感情論』の中でこんなことを述べています。 「健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけ 加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の 増加はすべて余分なものだというべきだろう」。 たしかに、その通りで、 人間は、健康で、負債がなく、良心にやましいところがなかったら、それで 充分なはずです。収入のさらなる増加は、増加した分に見合った幸せを 正比例的にもたらすというようなことは決してないのです。 たとえば、健康で、負債がなく、良心にやましいところのない年収五百万円の Aさんという人がいたとしましょう。このAさんと比べて同じ条件の年収五千万の Bさんが10倍幸せかといえば、そんなことはないのです。幸せ度を測定する機械 があったとしたら、せいぜいのところ1・2倍くらいの数値を残すにちがいない。 物質的な豊かさのもたらす幸せが正比例的になるなどということは原理的にあり えないのです。しかしながら、こうしたことが幸福の必要条件であるとしても、 それはあくまで一定以上の収入があった場合に限られます。 生活を維持するのに欠かせない最低限の収入がなければ、人は幸福と感じる ことができないのです。「恒産なければ恒心なし」です。 ところで、一昔前の日本人のアンケートに対する回答を見ますと、 「自分は中流である」と考える人の割合が90%近くに達していました。 これは、自分は健康で、負債がなく、良心にやましいところがないばかりか、 一定以上の収入があると考える「恒産あるゆえに恒心あり」の人が90%近く いたことを意味しています。つまり、日本はかなりの程度まで理想的な社会に 近づいていたのです。 それなのに、いまはどうでしょう。「健康で、負債がなく、良心にやましい ところのない」のにもかかわらず、幸せを実感することのできない人々が、 社会の両方の端でどんどん増えてきているのです。片方は、当然、一定以上の 収入を持たない「恒産なし」の人、つまり、ワーキング・プアの人々の増加です。 これらの人々は、最初のうちこそ、健康で、負債がなく、良心にやましいところ のない状態でいられても、収入が次第に減じていけば、そのうち負債が生まれ、 健康でなくなり、ついには良心に疚しいことまでするようになるかもしれません。 これは、大きな社会問題です。しかし、二十一世紀の社会にとってより解決困難 なのは、もう一方の端、つまり富裕層における不幸せな人々の増加です。≫ ▼ 確かに、500万と5000万の収入で、10倍の幸せは得られないが、10倍で ないとしても、散在の行蔵は、その中に、何かを残してくれる。より稼ぎ、 より使ってこそ、お金(能力)である側面を持っている。小・中・高・大学と 進学するにつれ、幸せそうな人が格段に増えていく。両親の質?で、その前提が、 ある程度、決定される不条理がある。結婚相手も、つり合いで選ぶケースが多い。 結婚も、「悪貨が良貨を駆逐する」。いや、結婚そのものが、そういうものか。 ・・・・・・ 5222,閑話小題 〜中学校の古希会 〜�� 2015年07月02日(木) * 中学校・古希での見聞とは 卒業から古希の会まで半世紀以上、それ以来、初めて出会った人が何人かいた。 また、様々な日々を過ごしている人の話を聞いたが、それがユニークで面白い。 <月に一度、東京駅近くの居酒屋に大学時代の友人が集まり、13〜17時まで 酒を酌み交し、17時半の新幹線で帰ってくる。年に一度ぐらいは、それぞれの 地方の友人の所を訪ねて、地元を案内してもらう。>とか。 <去年、大病をして死線を彷徨い3ヶ月入院した。>とか、女性では、 小児麻痺で、片脚が少し短く、俗にいうビッコをひいていて、何時もオドオド していた女性が、最近、手術で正常に戻り、見違えるほど明るく、嬉しそうに、 「正直に本当に嬉しい!」と言っていたり、少し暗く神経質だった男が、 明るい人格者風?な教師になって、<出世コースを登るか、教師として現場に 残るかの分かれ道で、現場に残った。それが良かった!> とか、様ざま。 私のように地方で、肩肘を張っていたのが、9・11テロ、9・15のリーマン ショック、3・11地震であえなくダウンしたのもいるし、田舎の成功者?として、 金を、これ見よがしにチラつかせていた人が、??で倒れ、死の恐怖に怯えて いる人もいた・・ 駅前を学校区にした中学校は、分類される直前のため、 「人生の事前事後」が漫画的に垣間見えてくる。たかが人生、されど人生である。 還暦より、古希の方が、様ざまな人生が色濃く出てくる。 とすると喜寿は? * つれづれに 新幹線内の焼身自殺があったが、50年間、犯罪?による死者が無かったとは 奇跡的である。 際どい場面を、新幹線内で目撃をしてきたので、「半世紀」も 無かったこと自体が、不思議である。車内や、ホームには隠しカメラとか保安が 緻密になされていることを犯罪者は、知っているため、タブーなのだろう。 新幹線内で時々目にするのが、三国人のエゴ丸出しのマナー不足の振る舞い。 特に子供が酷いが・・親は見てみぬふり。それに対する、日本人の無視の冷やか な態度と、それさえ分からない彼ら。 ヤクザが、私の前席の一番前に座り、 トイレの手洗所の獲物を狙い、カーテン内に引き込んで・・ 助ける以前に、その迫力に、唖然と席から見ているだけだった・・ 酔った労務者風の乗客が母と私に絡んできた時、脅し返したこともあった・・ ほぼ全席、サラリーマンが気に入らなかったか、甘くみたか、やはり労務者風 の男が大声で、「この虚勢犬どもめ」と喚き、悦にいっていたのが、車掌が 来ると、急に大人しく黙ってしまい、その後は、最後まで狸寝入りとか・・ その中で、一度も死者が無かったとは驚き。新幹線通勤30年には、色々ある。 ・・・・・・ 4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と! 2014年07月02日(水) * ぼんやりと、考えてみると! 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた 過去の語り直しをシリーズで書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」 の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、切り口から見える当時が、 新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換える ことが可能なのか。世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、 それは真実の記憶になるのか? バカがバカと自覚できないのが世間様。 その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが俗世界。 そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。 過ぎ去った昔と現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、 間違いなく、時間差の中で違う人が存在している。それが、自己と、自分の、 言葉の意味の違いになる? 刻々変化する世界と、自分の受け止め方の変化。 両者とも、儚い泡のようなものでしかない。なるほど、《ぼんやり》とは、 「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。 「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。 「懶」―心の余白。の様というが、 過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、 《無我夢中》の言葉の対比が、何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、 輝きになるが・・ 人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 ぼちぼち、過ごすしかない。 * 夢と現実の境目で 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査 をすると浮かぬ声。知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで 頭が一杯で、落ち込んでいるという。その後、その結果がどうか?は、大腸だけ に電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を入れたが不在。 その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、 どうだった?』と聞くと、『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』 と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と後悔したが、時すでに遅し!》 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、 夢だったか分からない。そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、 あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、電話をしたところ、 『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。
|
|
|
|
2018年07月01日(日)
* 何ってこっちゃ! インコが何か変で… 昨日の昼、インコにチーズの一片を差出すと、今までなかった変な目つきが 気になっていた。口にエサを差し出すとき目が合せるが、目蓋を明けていられず、 下がるのである。緊張すると目が空からになる時の現象で、インコも同じか、 それとも老化と思っていた。その話を夕食時に家内に話すと、暑さで水を飲み 尽くし空からで、渇水状態じゃない?と指摘されて水溜を見ると、案の定、飲み 尽くしていたのである。だいたい2週に一度の割だったので、まだまだ有るもの と思っていた… で、水を入れると5分ほど、起き上がりこぶしの鳥のように、 水を息をつかさず飲んでいた。好きな餌をやると、ピッピィと喜びのサインを 示すが、頭を上げる度に、繰返していた。 渇水による眼の異変を読めなかった 自分に厭きれる次第。飲み終わった後に、ホッとしたのか片隅で、直に寝入った 姿に、我ながらの無神経さ後悔した。 ―― * 小確幸とは 小確幸たる言葉が印象的である。還暦、古希の峠を越えて、さしたる幸福も 望みようもないが、ここまでくると、日々の、小さな、確かな幸福を味わうことが 目標になる。 〜ネット辞書によると。 《 小確幸とは「小さいけど、確かな幸福」を略して単語化したもので、 小さくても確かな幸せを感じて生きていけば、なんとななるというニュアンス。 作家:村上春樹が自身の著書『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』 の中で用いた造語である。小確幸は特に台湾で流行し、用いられた。》 ― ▼ 小さな幸せ作りなら、私も家内も名人だろう。私は、毎日、2〜3本の録り溜の ブルーレイの映画かドラマを見るが、日々新たに追加する新規のトレードオフから、 生き残っているのはベストのモノばかり。そこから選ぶため、それはそれは… ある晴れた日、部屋を掃除し、ネットサーフィンの合間に、本を読み、昼寝する。 ジムで運動して疲れた帰ったとき、冷たいコーラを飲み、アイスクリームを食す ことも小確幸。その意味では、現在の日々がベストである。アイスクリームも、 コーラも、ブルーレイの録り溜も、前もった準備があればこそ。 考えてみれば、老いの楽しみは、この「小確幸」の中にこそあるのでは?
・・・・・・ 4489, 怒らないって本当は恐い! ー4 2013年07月01日(月) * 怒りの四分類 『怒りの作法』小川仁志著 ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを 4つに分類している。 ーまずは、その辺からー ≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」 「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。 ・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンといいます。 ・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、 ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。 ・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。 ・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、 怒りの感情を表に出さないパターン。 ・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。 この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できて いるとはいえない。・・(中略)そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、 問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの指標によって 分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの 4つに分けることが出来る。 それぞれ見てみましょう。 △ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、 「自爆型」と呼ぶ。彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に 表すことはありません。だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を 究明し、それを解決しようともしないのです。したがって、怒りは自分の中で 増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。あたかも怒りで自爆 してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。 つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、 テロリストや無差別殺傷の犯人に多い。 △ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りという のは、「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すこと はありませんが、少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。 ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけには いかないのです。 △ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、 「ラッパ型」といえます。怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に 結びつけようとはしないのです。いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ 立てるだけで、問題を解決しようという建設的な姿勢はこれっぽっちもない場合 をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多いといえるかも しれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、 この語は「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒り には何の展望も描けないのです。 △ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」 の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうという もので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫ ▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。 その痛みを時間の経過の中で耐えている間に、考えるという働きが出てくる からである。怒りっぽい私など、何時も独り心の中で、このプロセスの中にいる。 結局、全ての怒りは時間が解決する。怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。 怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。
・・・・・・ 4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25 2014年07月01日(火) * 無我夢中の面白い4年半であった! ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが 「無私の精神」(小林秀雄著)。 「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。 現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人。 物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」 何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。! その頃、激情を抑えた状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。 「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの棒に自分に譬え、 孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。対象に全身全霊を入れれば、 それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。しかし時間が 経てば、何の未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく 吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が入ったような感覚。 長年かけて積上げ られた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、実感。 現場と、 幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、 そのまま成果になるため、楽といえば楽である。仕入は、問屋やメーカーには、 大のお客様。慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。 反面、一つ間違えると、実績に直に跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上 とすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。それも、産地に現金 支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華 することも可能である。 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを 建替え、残留の大半を入替え、統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れ、 ホッとし、自分を振るかえると、今度は自分自身の問題。そのまま留まると、 実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。それと私に、権利という基盤が無い! それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間暖めていた新潟ホテル シリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、 信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。 「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知って いると知らないとは雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。 ・・・・・・ 5951,閑話小題 〜道具(手段)が目的を変える時代 ー2 2017年07月01日(土) * 20〜50%の確率でバーチャルワールド? ネットで映像や動画みたり、4kTVで、これまでのTV画像より数倍の鮮明な 映像をみるにつけ、このまま科学進化が進むと、5〜10年後の世界は如何なる 世界になるのか、すえ恐ろしい気がする。既に8kTV以上の画面に研究主体が 移動しているという。 信長が最期に舞ったという『敦盛』。 <人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり>は、桶狭間の戦い前夜、 清洲城の信長は、今川義元軍の尾張侵攻を聞き、まず『敦盛』のこの 一節を謡い 舞い、陣貝を吹かせた上で総攻撃をした。信長だけでない、私たちも、 人生を振返れみれば夢幻のような、一瞬の雷光がごときである。 〜ネット検索で、「バーチャルワールド?」と入れると明快な書き込みが〜 ≪★ この世はリアルかフェイクか。今の常識が永遠の常識だとすれば、愚問。 人類が生活するこの世界がすべてシミュレーションによる造りものだとしたら、 天と地がひっくり返るどころではない。「いやいや愚問なんかじゃないよ」と 言わんばかりに、シミュレーション仮説なるものが世界中の科学者たちによって 熱心に研究されている。 「この世は技術的にとても進んだ文明によって、微に入り細を穿ううち創られた 豊かなシミュレーションソフトウェアだ」とするシミュレーション仮説は、英国 オックスフォード大学のニック・ボストロム教授によって提唱された。 「我々の世界は20〜50%の確率でシミュレーションソフトである」という投資銀行 メリルリンチの発表が、この仮説を煽った。同社が顧客に向けて配布した経済予測 レポートで、急成長している仮想現実(Virtual Reality)、拡張現実(Augmented Reality)分野の重要性を強調しているのだが、その中に「我々はすでに20〜50% の確率でバーチャルワールドに住んでいる」と記述されているのだ。おおっぴらに 冗談を言う性格でもない投資銀行が「未来の人類がどこかの時点で過去の人類、 つまり現在の我々をシミュレーションする決断を下した可能性がある」ことを 指摘しているのだから、どうも笑ってすませにくい。 ★ もし現在の我々がコンピュータによるシミュレーションの世界に住んでいない とすれば、未来の人類は高度なシミュレーション装置を造る技術に到達しないまま 滅びてしまったのか、過去の人類をシミュレータに閉じ込めて操ろうとしなかった のか、いずれの可能性もある。 ★ 一方、シミュレーションの中で生きているなら、人類の滅亡が回避された 可能性の証しにもなる。思い切ったこの仮説に、好奇心を大きくくすぐられる。 シミュレーションの中で生きているか否かを証明する方法がない現状において、 仮説は仮説の域を超えることはない。高度化したテクノロジーが不可能を可能にし、 未来が過去をシミュレーションの中に収めるとすれば、その意図はどこにあるのか。 未来の人類は、現実とバーチャルの見分けがつかない仮想現実空間をつくり出す だろう。脳と人工知能の接続によって、仮想現実を空間につくって見せるという よりも、脳の作用により“実在しないものが見える”アプローチが一般的になる かもしれない。 ★ 解像度を極度に高められた場合、視覚的にはバーチャルも現実のように映る。 現実のように映れば映るほど、脳は錯覚を起こす。錯覚が持続し、常態化したなら ば、仮想と現実の境界線は溶け始める。その時、バーチャルをフェイクだと言い 切れるのだろうか。人類が仮想現実を現実のように捉えて生きるようになったと すれば、仮想という言葉は外れ、仮想現実は現実となる。僕は、テクノロジーは 仮想と現実の境界線を結局溶かしてしまうと考えている。その果てに、シミュレー ション仮説は仮説ではなくなるかもしれないし、「現実」を再定義する必要に 迫られる。≫ ― ▼ パソコンとTVの前に一日、4時間ずつ、計8時間。起きている半分近く、 四角の画面を睨みつけ、異空間のバーチャル世界に漂っている。去年の暮れに 4kTVを寝室に入れてから、没入感が何段階か上昇したこともあって、バーチャル ワールドの世界に没入しているため、上記の実感が強くなっている。映画館より、 鮮明な画面を自室でみるとは思いもしなかったこと。これにゴーグルで360度の 映像空間に入った感覚は? いや〜、実業での、身体を張った恐怖感と、達成感、 挫折感、充実感。 やはり、仮想現実とは全く違う。 <達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ> としても、仮想の味でも十分、価値(味)がある。 ・・・・・・ 5586,閑話小題 〜70歳は、一つの大きな人生の区切り 2016年07月01日(金) * 70歳を過ぎて半年経つが、 70歳を過ぎて、何かが心の中で大きく変化したようだ。 健康年齢からすれば、いつ何時、寝たきりなど介護生活の入って不思議でない 年齢である。海外ツアーも、70歳を過ぎると団体行動に支障をきたすとして 歓迎されない。また、スナックに行っても、場違いのようである。 それもあってか、還暦を過ぎる頃から、頻繁に同級・同期会が開かれている。 振返えみるに、8年とか、10年の人生節目の分岐点で、冷静で、正しい判断 をしていた。いや、正しくない決断に気づいていない可能性がある。 どの決断が正しいか、間違っていたかは、あくまでも、思い込みである。 そこで、「充実をしたいたか否か」を基準に考えるとよい。これからすると、 プラス100の順境と、マイナス200の逆境の出来事も、マイナス200の方が 充実をしていたことになる。その視点で人生を振返ってみると、それぞれの 局面が違った捉え方になる。そこに面白かったが加わっていれば・・ * 英国離脱決定から一週間 EUからの英国離脱の国民投票から一週間になる。思わぬ離脱決定で、 株式・為替相場は大きく動揺をしたが、現時点では少し落着いてきた。 リーマンショックのような目先相場の混乱は大きくはないが、5〜10年スパン からみると、比べようがないほど、複雑かつ歴史的問題を含んでいる。 もしかすると英国連邦の解体も有りうる。 現代に残存している近代の終焉 というと、少し大げさか。 問題は世界のパワーバランスが、大きく崩れる 可能性もある。今年の後半は、何でも有りの状況になってきた。株を買うなら、 軍事関連? それにしても、離脱はないだろう! 英国も地に落ちた。 ・・・・・・ 5221,閑話小題 〜今年も半分が過ぎた 2015年07月01日(水) * つれづれに 〜今年も半分経過した ・そういえば、昨日で今年も半年が経過した。身辺では、さしたる出来事もなく、 1月15日に古希を向かえ、数日前に中学校の同期の『古希の会』があった。 身辺では、このくらい。 前の会社の債権関係の動きは一年半、全く無し。 ・国内では、小さな噴火が頻繁に起きたが、数百人、数千人単位の死者が出る ほどの規模のものは、まだない。しかし、不気味に、頻繁に起きている。 以前、これほど続くことなどなかった。やはり3・11が契機である。 ・経済もアベノミクスで金融が緩んでいるためか、倒産が目立たない。 安部政権になって、資金供給量が二倍になったにもかかわらず物価は、 今までは安定してきたが、円安効果で、物価の高騰は始まってきたようだ。 ・ギリシャが、今日、デフォルト?になるが、これで、株価大暴落とまでは いかないようだ。その行方は茨の道だが、落ちどころは分からない。 現政権を選挙で勝たせた責任を国民自身が現実で受け止めることになる。 数年前に、ギリシャに行ったが、地中海の温暖な気候の中で、誰が一生懸命 働くかである。恵まれた環境が、その原因とは皮肉である。 ・自民党と組んだゼネコンマフィアが、オリンピックの箱物をネタに、規模の 拡大を始めた。自民党に勝たせすぎたツケが、日本にもまわってくる。 必ず起きるといわれる、大噴火、南海トラフト地震、そして国家財政の破綻を 考えると、ギリシャ、韓国の後追いをしている。 ・一年前にはスガタもカタチもなかった、イスラム国という、得体の知れない イスラム原理主義の集団が、世界中でテロを本格化を増してきた。 ネットで呼びかければ、何処でも共鳴者による爆弾攻撃が可能という。 まだ日本で起こってないが、これもどうなることやら。 新幹線から50年。死者が一人も出なかったが・・ついに焼身自殺が出た。 ・75歳に死亡推定年齢を決めたが、前後3年のブレを入れると、最短で、 二年半になる。直ぐだが、その焦りが無いのは、どこかで信じてないから? 70歳を超えると、背後にあった死の不安が、前方に位置をかえて向かって 来るというが、成るほど、そのとおりのようだ。
|
|
|
| 6317,読書日記 〜エスキモーの「叩き犬」 〜2 |
|
|
2018年06月30日(土)
* チーム強化策のヒント ◉ 小・中・高校と進級するにつれ、何れの世界にも虐めがつきまとう。 叩き犬、叩かれ犬のような立場は、社会経験で誰も経験すること。 日大アメフト部の元監督とコーチを犬橇のエスキモー。犬が部員で、叩き犬が 鉄砲玉の部員に例えを前回に書いた。アメフトの練習試合で、事前に相手の フォワードを潰すのが戦略の一環だった。 ◉ 日馬富士の暴行事件も、白鵬を頭にした犬橇のエスキモー・チームの八百長 システムづくりと推測された。モンゴルル力士の八百長シンジケートづくりで、 叩き犬に選ばれたのが貴乃岩である。貴乃花親方が、それを察知して警察に 直訴してマスコミを揺るがす大スキャンダルに発展した事件。日馬富士の首切り で幕が下りたが、白鵬が逮捕なら大相撲存続の問題になるところ。 本場所を跨いだ各部屋の稽古土俵は来るもの拒めずの世界。当時の横綱に白鵬、 鶴竜、日馬富士と、大関・照ノ富士が組んで、若手潰しは、成すがまま。 あの事件以来、白鵬の一人勝ちはなくなった。40回の優勝もいわく付きの代物。
◉ 「叩き犬」の連想で「嚙ませ犬」がある。闘犬用語で若い闘犬に自信をつけ させるために噛ませる犬を指す。ボクシングの若手有力選手が出だしの頃に、 盛りを過ぎた元チャンピオンと試合を組む。ところが、間違えて「嚙ませ犬」 が勝つことがある。ヘビー級は、一発当ると思惑が吹っ飛ぶ世界。 ◉ お笑い番組の『笑点』の大喜利が、そうである。エスキモー役が司会で、 6人の個性を 持ったレギュラーと、叩き犬の座布団運びが、3問の回答の 珍問答が売りのバラエティ。そこでは、受けない回答に全員のムチが入るが、 何か存在感のない、座布団運び役へのイビリが笑いを誘う。 ◉ チームプレーでの失敗は、どうしても怒りの対象になる。現在、行われて いるサッカーの試合で究極の場面で致命的失敗がある。「日本対セネガル戦」 のハンドによる退場。『あれさえなければ…』を、一生、背負うことになる。 日本中、いや世界中の社会では、この「叩き犬」の問題は、耐えることなく つづくことに。 他人事ではない、 「だから人生、面白い」など笑っているが… 何せ、傷口を、不意打ちに、 力任せに切り込んでくるのだから… その直後の心の対応が、何ともスッカと する!、何事も受止め方次第。 <チャクラごとに。そりゃ、相手の魂が壊れて然るべきと思うよ。>の想念で。
マイノリティーへの叩き犬ですか、世の中は! 富山の拳銃強奪殺人事件。 こころの処理さえ間違わなければ… 叩き犬でないとしても、犬橇の犬、 最小の経験で済んだのが人生の最大のハッピー。何代も続いたサラリーマン系の 友人の一言。『そんなの慣れさ、結構、それが面白いんだよ!』 ですと。 野良犬より、良いのかもしれない? 受け止め方次第ですか!
〜野良も、以下ぐらいでないと、語る資格はないが…
・・・・・・ 2015年06月30日(火) 5220,「エリック・ホッファー自伝」 〜�� 「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳 * すべてを読書と思索に明け暮れた「沖仲仕の哲学者」 10年前に購入して流し読みをしたまま、本棚に眠っていた本。 流し読みなど著者に失礼と思わせる内容。いずれの場面も、臨場感があり、 ホッファーの、その時々の世界に引きこまれる。〜アマゾンの商品説明より〜 《「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生 を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築き あげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。 7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。 「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」 という彼は、10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選びながら、 劇的な生涯を送ることになる。 トマトの収穫、ホップ摘み、砂金発掘などの季節労働。そのかたわらで、 化学、数学、鉱物学などあらゆる学問にまい進し、読書と思索を重ねていく日々。 そんなある日、彼は町のレストランで大学教授と出会い、これを機にドイツ語 翻訳や研究の手助けなどのアルバイトをはじめる。あまりに研究熱心な彼に、 教授は研究所での職を用意してくれるのだが、「本能的にまだ落ち着くべき ときではないと感じた」彼は、ふらりと季節労働者の生活へ戻ってしまうのだ。 「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠の よそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」。 自己と徹底的に対峙し、自己欺瞞と戦いつづけたエリック・ホッファー。 まず学ぶべきなのは「学問」そのものではなく、彼が貫いた学問への、 そして、人生への「姿勢」かもしれない。》 ▼ いずれの言葉もシンプルで、鋭く突き刺さってくる。辿ってきた人生が、 究極の哲学への求道者の姿そのもの。戦場の真只中で、独り、戦う、狙撃兵 のようである。労働に励んで、28歳の時、「今年の終わりに死のうが、 10年後に死のうが、いったい何がちがうというのか」という感覚に見舞われ、 自殺を図るが、未遂に終わる。そこで、「曲がりくねった終わりのない道と しての人生を」を送ることを決意。その後、10年を、季節労働者として カルフォルニアを徘徊する。青年期に読んでいたら、間違いなく人生が変わった いただろう。「永遠のよそ者」「他の惑星からの訪問者」とは、言い得て妙。 人生を道として求めれば、この二つは、強弱あっても、当然ついてまわる。
・・・・・ 2013年06月30日(日 4488, 閑話小題 ー今年も、はや半年 * 今年も、はや半年 今年も半分が過ぎてしまった。経済は円安、株高で少し微風が吹いているが 何時、破裂するのか予断が許せない。先日、読書日記の『静かなる大恐慌』で、 既に世界は恐慌に入っているというが、現在の日本には、その認識が少ない。 表面は静かだが、水面下は一日一日と深刻化している。何時、何処で、歴史的 大事件が勃発するのか。これは発生するまで、誰も知るすべがないが、間違い なく起こるのは確か。 株式の暴落は大方が9月か10月に起こるが、年例行事 にように、何とか翌年に引き伸ばしているのが現状。「数年来、恐慌だ、戦争だ、 と騒ぎだてているが、何にもないじゃないか?」というかもしれないが、表て 立った時には、国家非常事態。とはいえ、膨大は不良債権も、国家間の決め事 なら、静かに沈殿させて先延ばしをしておけば、それはそれで罷り通る。 個人的には、これだけ平穏で落ち着けたのは希。早朝から就寝するまで、 ほぼ同じ日程を繰り返している。 * 今年に入ってシネマ、28回 リタイアから三年目に入って気が緩み始める現在が、ストレスからくる ウツ症が来そうな時期。刺激的?人生を過ごしてきたので、反動は大きいはず。 早朝から、ネットや、ポタリング、読書、スポーツジムにと、スケジュールを 組み何とか落ち込みを防いでいる。現在はストレスの無いのが一番のストレス 状態? 週に一度の映画鑑賞は、費用対効果という面でも非常に効果がある。 これまでシネマにいった回数を数えてみたが、26週で28回。行かなかった 週が二回。週二回が4回もある。これまで一度も70点以下が無いのが良い。 私の評価として、邦画の平均80点に対し、ハリウッドは90点。デジタル技術 の大画面の迫力は圧倒的である。邦画の見劣りはあるが、3〜4回に一度位が 丁度良いバランスである。卓上型手帳の週単位のページに入場券を貼り付けて いるが、内容は殆んど憶えてない。これだけはネットの評価そのまま。もちろん、 それを確認していく。家のTVで、シアターで、「デジタルが創り出した 仮想空間の世界に浸かる日々」になる。 ・・・・・・ 2017年06月30日(金) 5950,閑話小題 〜チワワじゃね〜 * チワワじゃね〜 稲田防衛大臣のミスが相変わらず続いているが、国の防衛を任せるのに、 「ちわわ」のような座卓犬顔はいただけない。国家を治める柱に二つの暴力装置、 内向きには警察権力、外には軍事力が必要になる。外国の侵略から国民を衛る ための暴力装置には当然、ハッタリも必要。チワワに比して、アメリカは 大型犬のボクサーの様相。2人が並んで歩く姿は、現在の日米の軍事力の差が、 そのまま現れ出ている。この2ショットはブラック・ジョークそのもの。 石破元防衛相ぐらいの強面でないと。その辺りが首相には分かってない。
* 今年前半の総括は 今日で、今年の半期を終わる。例年のように、前半は比較的平穏で、後半に 大きなニュースが集中する。去年は、折返し地点の6月23日に、英国の「EU 離脱か残留」の国民投票で、離脱が決まった。国家として、EUにしても晴天の 霹靂だった。また、年末のアメリカ大統領総選挙では、アメリカ白人主義の泡沫 のトランプが大統領になってしまった。これは、アメリカ建国と、南北戦争の 精神の根本精神の否定である。 今年になっても、相変わらずISによるテロが 続いて、イスラム対ユダヤ・キリスト教の対立の構図が世界に拡散をしてきた。 その根本は、白人対有色人種、富める勝者対貧者の対立。北朝鮮のドン一族や、 日本の象徴天皇にしろ、それを取巻く人たちと負組の格差は、歴然としている。 古代ギリシャの社会構図の<支配層3%・市民30%・奴隷67%>が、そのまま 現在でも続いているのが現実。世界からみると日本に住んでいるだけで、 市民層以上になる。世界は67%の奴隷層、いや貧困層が存在している。 その対立構造と、その間の争いが、現状。 その日本国内をみれば、やはり、 ギリシャの社会構造に酷似している。生物であれば、これは仕方がないこと? 今年最大の政治的イベントの「フランス大統領選」で、EU存続を主張した 大統領が圧勝して、事なきをえた。問題は、泡沫のトランプが、どのような カタチで自滅していくか? の政治ショーである。発火次第で、数百万単位の 死傷者が出る「第二次朝鮮戦争」になる可能性も。で、ロシアは、北方に軍事力 を集結を? 北海道が丁度良いエサになる。 南は中国による沖縄辺りか。 そこで、「チワワじゃね〜」になる。
・・・・・・ 2016年06月30日(木) 5585,お別れの作法 〜��
<「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法 >矢作直樹(著) * 千里眼の不思議 ネットの進化につれて、何故か、「千里眼」とか、テレパシーへの興味が 薄れてしまった。デジカメで撮った写真をネットでやりとりが、千里眼より 遥かな能力を持つことになった。しかし、面白いのは面白い! 進化と退化の プロセスで多くの能力を持ち、かつ失われてきた。 〜その辺りを抜粋〜 ≪日本で最初にシェクスピア全集の完訳をおこなった英文学者で、後に日本の 近代スピリチュアリズム研究者の先駆けとなった浅野和三郎(1874-1937)は、 海軍機関学校の教師をしていた時、西洋医学で治らなかった三男の熱性疾患が、 女性祈祷師の予告通り治ったことから、心霊の世界に興味を持ち始め、やがて 教祖、出口ナオの「お筆先」と呼ばれる自動書記の内容を知りたいという 動機から大本教に入信しました。そして、1916年大本に接近してきた秋山真之 (日露戦争時の連合艦隊作戦担当参謀)と知遇を得、秋山は浅野に密かに、 日露戦争日本海海戦にまつわる秋山自身の千里眼体験を語ったのです。 <1905年5月下旬、鎮海湾の日本連合艦隊は、バシー海峡を通過したロシア・ バルチック艦隊がウラジオストックに入る航路として、対馬海峡なのか、 太平洋から津軽海峡を通過するのか、の判断に神経をすり減らしていました。 秋山は、連日連夜、頭を絞って疲労困憊の極致にありました。そして24日の夜、 士官室で横になって考えを巡していた秋山が、つい、うとうととしかけた瞬間、 突然眼前に、対馬海峡を二列になって北上して来るバルチック艦隊の様子が見え ました。これは天啓だと直感して、直ぐに驚くほど緻密な「七段構えの戦法」 の計画を練り上げたのです。27日未明、まさに先の千里眼による情景と寸分 違わない隊形でバルチック艦隊がやって来ました。ここに日本の勝利が巡って 来ました。> 覚醒状態からすぐに睡眠に入らない場合の中間的状態は、体外離脱しやすく、 思念が強いと瞬時にその場に移動出来るとされていて、秋山の場合もまさに、 これに当てはまるかと思います。こうした現象を経験すると、その方面の知識 がないばかりに怖がる方も多いと思いますが、怖いものではありません。≫ ▼ 父親が亡くなった直後、魂の継承みたいな不思議な現象を何度か経験した。 10年の間、体外離脱とか、シンクロニシティ=「意味のある偶然の一致」、 「共時性」が、あまりに多く起こっていた。それも、現在では、少なくなった。 現在では、それが、怒りの対象本人か、連れ合いの不幸の招来という「共時性」 で残っているような? その研究が、ユングによって取上げられている。 日露戦争日本海海戦に、秋山自身の千里眼体験が勝利を導いていたとは驚き。
・・・・・・ 2014年06月30日(月) 4855,閑話小題 ー完全自動運転の車が * ロボットカーが現実に? 最近、グーグルとか日産が、ロボットカーの公開を始めた。 それも、2020年までに販売?とか。初めてニュースで見たときには、 思わず目を疑った。SFの世界でも、自動運転車など聞いたことが なかったが、今では、実際に試作車が走り始め、販売時期まで明示している。 ネット辞書には、『ロボットカーとは、人間の運転なしで自動で走行できる 自動車。日本語では「自動運転車」』とある。それが現実に現れ出るとは・・ ウェアラブル・パソコンや、ロボット掃除機にしても、一時代前には考え られなかった商品が次々と、現れ出てきている。デジタルによるユビキタス の限りない進化のため。 面白い時代である。 * つれづれに ースズメとエールの交換 夕方、庭で一匹のスズメがピイピイと呼びかけてくる。これまで、ベランダ からのペットのインコが呼びかけに、口笛で答えていたが、今度は庭のスズメ の呼びかけに、口笛で答えている。実際はインコに興味があるようだが。 エール交換も20分経った後、ドアを開けると、一直線で飛んできて、2Mの ところで、慌ててトンボ返り。可愛いものである。で、連日、同じ時間帯に 鳴きかけてきている。 よく観察すると、他の仲間もいるようだ。インコが、 家人を求めて鳴いているのがスズメを引き寄せるようだ。 御隠居は御隠居で、日々、面白い発見がある。 * 考えてみたら、今年も折り返し、ですか! 明日から、7月。今日で、今年も半分、過ぎてしまった。 例年、前半は比較的、落ち着いているが、後半に、大きな事件が起きている。 今年は、現在、行われているワールドカップが、メインで、それが今年の境目。 再び、アルゼンチンの債務不履行が、出てきている。これまで、ロシアの クリミア半島の奪取が起きている。韓国も、多くの民度レベルが問題として 表立ってきている。北朝鮮や、経済等の問題から、あの大統領では、ますます、 脆弱になっていく。ある意味で、近未来の日本の姿である。 問題は、中国を筆頭にした後進国と、欧米の経済問題。それに加え、日本の 6年後の東京オリンピック開催の決定が、後で禍根を大きく残すはず。 大震災クラスの経済のクラッシュが、いつ何時、起きても不思議でない 綱渡りの日々が続くことになる。『前半は、経済クラッシュが無かった』が、 隠れ大ニュースかもしれない。 私は、とにかくも、半年、無事!
|
|
|
|
2018年06月29日(金)
* 半年ですか半年 ・あと数日で、半期を経過ですか! ハヤッで、面白いように日々が過ぎ、 この繰返しのまま死んでいくのも良しである。 このブログに毎日、一テーマ をを書上げることと、TVで、ドラマと映画、世界の秘・異郷の大自然を見る ことで充分満足している日々… 御幸せで有難い御隠居生活。慣れてしまえば、 この状況も住めば都。ヘドロの要素は付録と割切り、人と比較しないことを旨 とした閉じ籠り? ・3ヶ月(現役当時は1〜2月)に一度飲んでいた酒友が自宅前で転倒し骨折。 で、この半年間、何十年ぶりに居酒屋とカラオケに一切行くことがなかった。 これが一番の出来事ですか。行かなければ行かないで、この年齢では当然。 別に飲み出歩きたいと思わない。これは海外旅行も同じ。 ・不幸では、3番目の姉の連れ合いが85歳で、高校の同期生が亡くなった。 この年齢になれば、無事経過こそがベストの出来事。健康面は腰痛以外は良好。 毎週金曜日の「シネマ通い」は、一月末以外は、皆勤。今日を含めて24回に。 SJ通いは、7年以上、週5日、皆勤に近かったが、最近、月曜か土曜日を休む ことにした。早朝のポタリング(ミニ・チャリ)1時間に、2時間の運動は、 健康的過ぎ、これでは推定死亡年齢?を遥かに超え、「死ねない病」になる 恐れが出てきた。予定では、あと2年半だが、このままでは…
― * ワールド・サッカー、予選通過 昨夜は、熟睡していた0時過ぎに、近所の絶叫の『ター!』の大声で眼が 覚めた。家内は隣で爆睡。そこでTVをつけると、終了10分前。アジショナル タイムを入れた一番のサワリの20分を幸運にも観ることが出来た。 前日のドイツ敗戦を日本に当てはめる解説は誰もしてなかったが、紙一重で、 同じ道を辿る可能性があった。ドイツが終盤に放ったゴールが悉く外れ、 逆に二点入れられ敗戦。その再現かとヒヤヒヤしてみた。 裏番組で『セネガル対コロンビア戦』の結果では、予選敗退の可能性が あったため、微妙な采配が必要だった。次戦7月3日まで楽しみが延びた。
・・・・・・ 5584,60歳までに、人生を前倒しをしていて! 2016年06月29日(水) 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、 つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、 1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの 事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」 といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。 病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、 「人生に、やり残した無念」があると増幅する。 とすると、老後の残務整理は、 それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、 しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。 一般的に、 「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。どうだろう? 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。 60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、 最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、 計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。 この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある 文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。 その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。 ―――― 2003/06/16 50歳の頃ー1 −60歳までの人生 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。 丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の 損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという 自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら 息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。 その時に考えたのは、 「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳 までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。 ・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か? ・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう ・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。 その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。 本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし 「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を 教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、 そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と 娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを 始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の 前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆 であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた 直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。 「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。 元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない 分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に 飛び出せるのではないかと考えている。 最近、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどで アフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。 この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。 あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。 ―――― 2006/05/23 1876, 10年後に後悔する事とは? おはよ〜!(*^ワ^*)i あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。 「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく 生きかたをする」である。(七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談) 私が十年前に考えたことは、 (。-`ω-)ンー 「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。 20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。 それがこの程度の変化でしかなかったのか?。 という自問自答は残るが。 現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。 後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、 「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」 とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。 想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、 それ以上である。後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミス が最悪だったということ。 それが想定可能かといえば、可能である。 ということは最善の準備と同じぐらい大事なことになる。 (‐”‐;) ところで10年後に何を後悔するだろう? 一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。 いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいれば もっとシビアな手が打てたはず。 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた? ・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。 現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・ それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか?-ω-`A) フゥ… ・死んで、この世にいない。誰も、もうこの男のことを憶えていない。 二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもない。 (しかし、自分がいないのだから後悔しようがないか!) ・脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、 同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。 ・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。 10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけば よかったと、毎日の生活の追われる日々。 ありそうな10年後の姿である。より深く時代を読まなくては! 酒にも、病気にも注意しなくては! ――― 〜2016年6月29日・記 この2年後に、リーマンショックが起きて世界経済は大混乱をした。 その煽りを受けて、3年後に事業清算に至ったが、何とか、それまでの 生活の延長上にある。大病もなく、この随想日記を書き続けている。
・・・・・・ 5219,閑話小題 〜中学校の古希会 2015年06月29日(月) * 中学校の古希の会 一昨日、湯沢のニューオータニで長岡市立東中学校の『古希の会』に参加。 一次会が17時から19時半、二次会が、その直後から別会場で開かれた。 9割が、そのまま移動。 参加総勢が61名で、女性34名、男性27名の割り。 同期360名のうちの二割弱になるが、年齢からみて多い参加者である。 男は大よそ4分1が亡くなっている。 私のクラスは、52名中、10人出席。 男6名、女4名。市内在住の男は、私1人の参加。県外が4人になる。 死亡は、男27名中7人、女性は2人。 喜寿は、恐らく今回の半分だろう。 連れ合いの看護や、当人自身の問題で欠席が多々あるという。 卒業以来、 初めて会う人が同クラスで二人で、教師と、自衛隊を勤め上げていた。 様々の人生模様があるが、出席者は比較的恵まれた人たちだろう。大病で、 ゲッソリした人が何人かいた。 自衛隊、教師、病院の薬剤師、日立、小松、 など仕事はさまざま。古希となると、元肩書きなどの意識が消えているので、 昔の時代に立ち戻りやすいようだ。多く人が「古希の実感ゼロ」という。 司会を自から申し出たが、思いのほか緊張してしまったのに驚いた。 直前に500mlの缶ビールを飲んだこともある。その上に、一線から引いて、 何かが緩んでしまったということか。17時から19時半まで一次会。 その後、近くのスナック風の宴会場で二次会が開かれた。私は20時53分 の新幹線で帰ってきた。これだけの同期の人が集まるのは、これが最後。 喜寿は、この半分〜三分の二だろう。 翌日の二日酔いは全くなかった。 後は急勾配の坂、70歳代が控えている。特に、男にとって厳しい。 そこで、「あと10年は生きるつもりだったが・・マサカ」の坂が? 私なら「あと5年は・・ マサカ!」になる。プラマイ3歳だから、 二年半を無事なら想定内、先は短い! とにかく古希の関所を超えた!
・・・・・・ 4854,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー24 2014年06月29日(日) * 転進の決断と、次への構想 そこで、新潟駅前の更地と、現在のアクロスプラザ近くの角地の更地を 有効に生かすことが急務と考えた。その角地は兄名義、新潟駅前は私名義。 背に腹は変えられないと、考えに考えた結論が、兄名義の更地を売却し、 新潟駅前に、ビジネスホテルにした遊休資産の活用である。その一角に 当時の稼ぎ頭の学生服を入れる構想。結論からいうと、鉛筆ビルの衣料 量販店の建替えは、時代の要請ではなかったことに逸早く気づいていた。 但し転用可能のビルでもある。兄は、当初に打ち上げたファッション衣料 チェーン化に集中すべきと主張!私と意見が分かれた。 「もし、やりたいなら、出ていってやれ!」と。そこで思い出したのが、 ここに戻った時点で、「実兄との問題もあり、5年間が目安!」と公言して いたこと。「身の引き時!30歳代前半からみて、ここで決断をしないと、 姉夫婦と同じトラブルを、実兄とすることになる。同じエネルギーなら、 新規事業に集中する方が遥かに有利」と、直感が働いていた。あのままでは、 間違いなく相打ちになった。2〜3ヶ月に一度の名古屋、岐阜、大阪、岡山 などの仕入れで、各地のビジネスホテルに泊まっていた。その仕入れ後に、 同行した同僚との現地の料理屋での一杯が楽しみになっていたが、食事代は 限られている。そこで、安いホテルを探し、その差額を加えるしかない。 その出張が宿泊客のニーズを知る立場になっていた。 産地の岐阜駅周辺 にも、客室主体のビジネスホテルがあって、そこを定宿にしていた。 立地は二等地だが、ユニットバスのある格安ホテルである。さらに現在は 無くなったが、倉敷に大学校庭をイメージした、レンガをモチーフにした スケェアガーデンホテルがあった。そのイメージをレンガ外装に、客室主体に したホテルと、学生服ショップを併設させれば、間違いなく大当たりする!と。 で、何度か実兄と衝突をするうち、半年後を期限にと、思い切った次の創業 の決断をする。あの兄に本当に本店が? その後、20期、全て赤字で消滅。 他人事ではない! 激変の時代、利益を出すのは本当に大変である。 これを書いて見えてきたのは、私も、実力相当の結果に終わったこと。 それと、引き時のタイミングの見極めの難しさ、である。
・・・・・・ 5949.閑話小題 〜つれづれに、明け方に 2017年06月29日(木) * 明方、つれづれに ・ 片方の年齢が75歳をこえた老々介護が、三割を超えたと報じていた。 どうも老いるに従い、社会の隅に追いやられるようである。しかし娑婆 には面白そうな、まだ経験してないことがあまりに多い。その一つがゴーグル をつけたソニー・プレイステーションVRでのゲームの体験と、それを使った YouTubeの動画での絶景観光。この齢でプレステでゲームに興じるのも変か?
・ 学生時代に、深夜の2〜3時に起きて酒を飲む「夜明けの酒」の経験を 思い出した。友人が誰かと体験をしたが妙な酔いかたが良かったと聞いて、 数人で飲んでみた。 深酒をしないで泥酔状態のサイケ感覚にトリップをした。 水商売の人は、客や、同僚とのアフターで経験済み? これは慢性化すると、 身体も脳にも良くないはず。学生だからできた経験。朦朧と黄色にみえる朝日 が何とも! 今度、夜の6時に寝て、0時に起きて何処かのスナックに行って、 二時間ぐらい酒を飲んでみますか? 年齢を考えると、危ないか? 毎朝、4時に起床して、この文章を完成し、アップして、信濃川の大橋を一周 してくる方が、サイケ調ですか、今度、缶ビールでも、持っていってみようか? これは事故が危ない。
・ 一昨日、TVで見た映画が、「強い麻薬でトリップをしたグループの 経験と、その結果がもたらす錯乱した狂喜の世界」を映像で垣間見る内容。 トリップ後にやってくる反動の世界の一端に、視聴者が引込まれる筋立て。 酒類、薬物を介さなくとも、映像に波長に合わせれば、トリップに近い状態に なれる? <所詮、別世界の何かがつくり上げたバーチャル世界の住人>なら、 自ら積極的に、入り込むのも手である。 で、飲酒過剰で、この始末。
・・・・・・ 4487, 怒らないって本当は恐い! ー3 2013年06月29日(土) * 怒るとは哲学することである 『怒りの作法』小川仁志 著 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで 「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると、「まだ遣り 残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが 沸くという。そして当然、「死とは何?」に行きつく。怒りは対象を 根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する 怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに 怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに 疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと 理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。 現代社会とは異なり、 容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の 本質とは何なのかと。その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛上げられてきた。 世の中を説明するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、 カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが 西洋社会で怒りを露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺい するために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、いわば現実に 対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。 怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは 人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。それはまさに哲学の営みにとって 不可欠の要素であるといえます。 ・・・当たり前のことに怒る、わからない ことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。 怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き 受ける営みにほかなりません。 まさに怒るとは哲学することである。 ≫ ▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、 エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。 創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み 上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、 彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。 この一連の出来事で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、 怒りの本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を 見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、 実体験で非常に理解できた。結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出て くるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、 哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ 怒ったのだろう? 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で 何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動?
|
|
|
|
2018年06月28日(木)
〜『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』 曽野綾子著より * 叩き犬と日大アメフト部 これを読んで、暫しショックと驚きで茫然… その数日後、思いついたのが、 日大アメフト部の一連の事件の、鉄砲玉のラグビー選手のこと。選手間では、 精神的に圧力をかけて選手を追い込んでいく内田前監督のターゲットになる ことを選手たちは『ハマる』と呼んでいた。プラスに考えれば、見込みがある から対象にされるから判断は難しいところ。 しかし、エスキモーの犬は… ポン督として、「チーム強化策として、その位でないと宿敵校は破れない」 というのも至極当然かもしれない。 〜『死の準備教育』曽野綾子著より ≪ 本多勝一のカナダ・エスキモーのレポートに、面白い話がある。 それは、犬橇のことで、エスキモーは橇の前面に犬を扇方に立ててひかっせる。 もっとも長い綱をもらい、先頭に立つのは、頭のいい優等生の犬で、これが群れ を引っ張る。ところが、いつも、綱がたるんでしまっているのが一匹いるという。 綱がたるんでいるということは、橇を引くのに全く役立ってない。こんな犬は、 連れて行かなければいいのに、と本多氏も思うが、それが面白い。 この犬は、たえず振り下ろすムチの目標として存在価値がある。犬たちは、 一種のパニックに陥りながら走るが、この能無し犬は、いつもムチを受けて キャンキャン啼き声が他の犬を奮い立たせる。この犬のお尻は、あまりに多くの ムチを受けるので、次のムチが自分の上に落ちてくるかと、絶えず振り返る。 この犬は、この世に生れてよかった、ということはないが、その姿は、私を慰め てくれる。 この犬のような存在になって生きることも意味があるのだと、 思わせてくれる。≫ ― ▼ これをヒントにポン督(日大アメフト監督)とコーチが考えたチーム強化策 か如何かは分からない。 サラリーマン社会の浮沈みの中では「叩かれ犬」の 経験をしている人は多いだろう。 この逆の話もある。養殖場の魚を活気つける ため、食肉種の魚を数匹入れるという。自然界では、その存在が有って然るべし だから。定年後、急に元気が無くなるのは、食肉魚の存在がいなくなるため。 いや、小池で酸欠不足?。それとも、家庭内食肉魚に追回され疲れはてるため?
・・・・・・ 5218,聴覚の方が、視覚情報より根源的! 2015年06月28日(日) 『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 * 聴覚の方が、視覚情報より根源的! 全盲の辻井伸行が、譜面をみないで多くの曲を弾きこなすことに不思議?と 思っていたが、「皮膚の外側全部が宇宙」と聞くと成るほど、「聴覚の方が、 視覚情報より根源的!」というのも納得できる。 〜その辺りから〜 ≪ 堤◎ ー目に見えるものだけを信じることはなぜ危険なのでしょう? 佐治◎ 一耳のほうが優れているともいえます。目は見たいようにものをものを 見る特性が顕著です。 聖書にも「神の姿をかたちづ〜てはいけない」と書かれ ているでしょう。神の姿が見えようとすると、自分に都合の良い神をつくりだして しまって、極端の場合は、その神の命令によって、という思い込みから殺傷事件 を起こしてしまう。 それも、脳のメカニズムに関係してくるらしいのですが。、 堤◎ ーどんなメカニズムでしょう? 耳との違い?. 佐治◎ ー目は三種類の色を識別する細胞からできています.「RGB」、つまり 赤REDと緑(GREEN))と、青(BLUE)の細胞にどういう光が入るかによって いろいろな色を識別します。 ところが耳の聴覚器官は、二万五〇〇〇種類 くらいの細胞が縦に並んでいる。ある音が片側からやってきた場合、われわれ は二つの耳で、その方向を識別できます。ところが音が片側の耳に入って、 次にもう片側の耳に入るまでの時間差は一〇〇〇分の一秒くらいで、神経の 伝達速度では、間に合わない。となると、音源の方向を識別できないはずです。 そこで・片方の耳から入ってくる音は細胞の上から、もう片方は下から入って きて、その合致する位置から、脳が計算して方向の認識をしている。 しかも、目から入った信号が脳に到達する時間と、耳からの信号が脳に到着 する時間を比べると、耳からのほうが速い。つまり、耳のメカニズムのほうが ある意味では優れています。人類の進化の歴史を見ても視覚情報は、母親の 胎内にいる時にはシャットアウトされている。でも、音だけは聞こえている。 視覚情報のほうが優先されているということです。聴覚情報は、より根源的 ということです。 堤◎ ーならば目の不自駐方の感じ方は全然違うのでしょ-か? 佐治◎ ー生まれながら全盲の人の言葉を借りると、「先生にとっての宇宙は、 月とか太陽とか星なんでしょうけれど、ぼくにとっての宇宙は、皮膚の外側が ぜんぶ宇宙なんです」という。すごいですね。・・・ 佐治◎ ー目が不自由で、耳は健常な人と、逆に耳が不自由で、目は健常な人 とでは、感じている世界はまったく違うようです。 佐治◎ ー全盲のピアニスト、辻井伸行さんによると、カルテッドでの共演など、 通常はアイコンタクトで合わせますが、彼は、相手の呼吸を耳で読むといって いた。われわれには五感があるが、そのなかでいちばん深いところに入って いくのが音情報です。≫ ▼ 動物は海中から陸上に、上がって進化?してきた。海中は視覚より聴覚の 方が生存競争に有効に働くため、人間も、その流れを引継いでいるのだろうか。 ウツの対策に音楽療法があると、この書で述べているが、iPodで軽音楽を聴き ながらの早朝の自転車散歩で、その実感は確かにある。 情報端末の進化は、 聴覚、視覚情報を、より手軽に修得可能にする。
・・・・・・ 5583,閑話小題 〜暇とは、こんなに忙しいものか 2016年06月28日(火) * 暇とは、こんなに忙しいものか 欧州サッカー選手権とプロ野球、WOWOWの映画とTVドラマと、時間が 足りないほどTVを観るのに忙しい。他動的で後ろ向きだが、面白いのは面白い。 これにスポーツジムとポタリングとパソコンと読書が加わる。更に近くの‘ ツタヤ’のビデオ・レンタルでも借り始めたら、本当にどうなるか? で、レンタルは、ウィンドウショッピングに止めているが面白そうなのが 多くある。 隠居になってみて、内向きの忙しさとしても、こんなに面白い 日々とは思いもしなかった。苦しみ1に対して、楽しみ3の割合に意図的に 加えていることもある。これは楽しい時間をスケジュールに組めば済む。 例えば、早朝のペダリングだったり、TVで観る映画やドラマや、金曜日の シネマ通いだったり、この随想日記のテーマ探しと書上げだったり・・ これは75歳を健康年齢の目安に設定すると、自由に動けるのは、あと4年半! とすると当然、何事にも貪欲になる。 <死んで花実が咲くものか>だが、 70歳という自覚が少ないためか。同年代の知人友人が次々と倒れるためか。 * 2016年上半期 重大ニュース あと数日で、今年の上半期が終わろうとしている。世界をみると、ベルギー・ ブリュッセル国際空港のテロと、アメリカの大統領泡沫候補が共和党の代表に 選ばれたこと。国内では、枡添都知事の辞任と、熊本地震ぐらいだったが、 先週になって、『英国のEUからの離脱』という政治的激震が起こった。 この影響は、今後、5〜10年と続くが、日が過ぎる度に、事の重大さに 世界は震撼としている。離脱自体も然ることながら、ドイツ、フランス、 イタリアなどにも離脱の動きが大きくなる。スペインのように、英国の離脱 を受けて、逆に熱が下がった、思わぬ効果もある。当初、トランプに順風と 思えたが、これまた逆のようだ。毎日の為替・株の相場から目が離せない。
・・・・・・ 5948,閑話小題 モンテッソーリ教育 −1 2017年06月28日(水) * モンテッソーリ教育とは 天才将棋少年の藤井君の秘密の一つが、幼児期の「モンテッソーリ教育」 にあったという。そこで調べてみると、知的障害児の感覚教育で知的水準を 上げる効果から、貧困層の健常児への独特の教育に発展し、この教育法が欧米 社会に広がったという。要するに天才教育である。 家内には私の持ってない異様な能力がある。聞くところによると、直ぐ上の 兄が、生まれて間もなく死んでしまったため、両親が、我がまま放題に育てた。 それが、習い事にも現れて、バレー、小唄、習字など、次々と本人の気分に 従って、1〜2年で変わっていった。その辺に、変な能力? 異常な位の好奇心 の元にあるのではと、思ってきたが、それを当人が、自分で、してきたことに。 ただし、『受験勉強で、そのエネルギーの全てを使い果たして、この有様!』と 宣う。知的好奇心と、マスコミに取上げられる流行に対する直感は、異様に強い。 この教育法を読むにつれて、武澤ゼミの基本が、ここにあったと、気づくこと になる。知識にしろ、経験にしろ、私たちは小さな世界に閉じ込めれれている。 まず、その認識をして、外にも内にも、その壁を壊さなければならない。 その前に、その壁に入らない教育法が、これである。 〜ネット検索によると〜 ≪ 20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。 イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的 障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立 した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な 教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」 と呼ばれるようになる。 1907年、ローマに最初に誕生した「子供の家(Casa dei bambini)」は…
・・・・・・ 4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23 2014年06月28日(土) * 仮店舗と、本店ビルの建設 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな 規模きかかわらず、多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、 大手の大成建設と、準大手の淺沼組に絞られた。しかし、500万の金額の差で 浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六元帥の元直属の部下で、 何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。しかし、500万の差が、 実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、 トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。今から考えると、 建設は、一割以内の差なら、最大手を選ぶのが順当だった。ただし、浅沼組も、 悪くはなかったが。見積もり過程で、得体の知れない建設業界の不気味さを 感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の(マフィアのような) シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく 変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退した ばかりの専門店街があった。その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた 関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、11月に新規オープンになる。 新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を三倍にした 割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。 既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。 それと大型店の影響で、駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。 その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの講習に三ヶ月に一度の割に 聴講にいっていた。そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』 と、繰返し、聞いていた。 現に、この10年間、各地で、それを目の当りに してきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、店舗運営と、仕入と販売に 縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。その頃、ヨーカ堂に 出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。 ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引をさせて欲しい という。 ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的 ホット商品ばかり。内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、 短期的には闘えても、長期的消耗戦では、勝てないのではないか?である。 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、 やる気満々!私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、 縛られるものはない。引き時では?と。 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、 ハワイ旅行に行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、 それまでの疲れ全てを取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅前 シリーズでも、やっていた。その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた! ・・・・・・ 3746, 閑話小題 2011年06月28日(火) ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに 出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には、 「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、 体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や 感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を 待っている。その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、 今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。 そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・ 原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの 輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、 あれは数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明。 それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。 ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップから だが、包装を開けてみると、靴下二足。白系と黒系の無地もので、よく見ると、 立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、踵、そして土踏まずの箇所が、 それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見た ことがあった。スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め 付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に欠かせなくなる。これなら 2〜3千円を出してでも買いたくなる。ところで昨日、ジム用の着替えの スポーツシャツをと専門店にいったところ、何と「3Dシャツ」のコーナー があった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。 それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ったが、 これも良い。元々あったのだろうが、ベトナムで、トレード・オフをし価格 ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったが。これも、デフレの一現象。
|
|
|
|
2018年06月27日(水)
* 麻薬の二次災害 麻薬を吸った高揚の音楽、『上を向いて歩こう』『今日は赤ちゃん』 『夢で会いましょう』などから、その一部を感じることが出来る。 作曲家の故・中村八大は重症の薬中患者。あの感覚は異次元の快感の世界。 何曲か、それらしきα波のCDをネットで購入しiPodに入れ、時々、 聴いている。 『余命、半年』と宣言されたら、考えても良いが… やはり止めておくべきと、和歌山ドンファンなどの一連の報道が教えている。 私の至高体験は、秘異郷ツアー先の大自然との邂逅の感動体験と、アルコール による高揚感が多々ある。薬物中毒には、禁断症状がついてくるため始末が悪い。 「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅語がある… 美味い酒は数限り飲んできた。酒の肴と、美女を侍らせば別に薬物使用の必要も ない筈だが… 中毒者は、金の無いため? 中間カットの薬にいくのか? 問題は止めどなく深みにはまること? 二次災害の問題が当然生じる。 「CSI: 科学捜査班」というラスベガスなどを中心に最新科学を駆使した操作 技術で様々な凶悪犯罪を解明していく1話完結形クライム・サスペンスがある。 これが面白い、10数年にわたり数百本はみただろうか。 その一つに、麻薬にやられた妻に、支配された夫との共犯事件の筋書きがあった。 表向きは普通の夫婦が、実はサイコパスで… これに近い話を知人から聞いた。 <鬱病の治療薬の長期服用から薬中が酷くなり、痴呆症に陥った姉が、夫と供に 妻の妹のところにやってきて、「高校時代にお金が紛失したが、犯人は絶対に アナタ。正直に言いなさいよ」 旦那も止めるふうもなく…40,50年前の話を> 身内に痴呆症の人を抱えたことのある人は、理解できるはず。 私は5年半… これをマダラ呆け状態で周辺に言って周るため、たまったものではない。 薬中の場合にも多々ある。私にも、幾つか憶えがある。具体的には、あまりに 酷すぎて書けない内容。そこに、世間バカが絡み込んでくるから始末が悪い。 ならば、不幸系ほど世間様度数が高くなる…その観察を楽しめば良い。
―――― 2007/07/06 LSDを一服した状態とは、どんな状態? −1
植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。 「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが 古今東西、植草甚一の読んだ麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。 図書館で借りてきた本だが面白そうなので、一とおり目を通して、中古本だが、 直にアマゾンで注文をいれた。麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬 をまさか使うことは出来ないし、中毒になったら取り返しがつかない。 といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を、経験してみたい誘惑も。 まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態か、 知識として知りたくもなる。手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。
私の枕元には、麻薬を使った状態に近づける音楽のCDがある。 買ってから10年近く、寝る前などに聴いてきたが、寝つきがよい。 酒を飲んでホンワカした気分と同じである。 私の場合、秘境旅行や、酒席などで至高体験を数知れないほど経験してきたので、 アルコールや、寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積があり、 体質的に脳内には回路が出来ている。まあ、それはいい!
以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの 「麻薬への旅」の中の一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か 持っているが、どれも似ている。面白く解りやすいので紹介しておこう。 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー ーーー p・12~13 ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1�舛涼傭覆�150フラン 前後(ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、ヒッピーの顔ぶれは変るが、 いつも400人ぐらいいるそうだ。力トマソズには彼らの連絡場所になっている 「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さなキャバレーがあるが、 ある日のことリーというアメリカのヒッピーがLSDを持ってやってきた。 そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた 小コミュニティのテソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、 みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、 著者ポルは書きはじめる。暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。 遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。
みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。 夜の静寂さ。二十分したとき、耳のうしろの首筋が急に熱くなったかと思うと、 舌ざわりが金属的になった。まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。 すると始まったなと思う感覚の変化。神経が局部的にピリッと硬直し、 その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった気持である。 いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、 まわりの知覚世界に溶けこんでいく。それがすこしたつと、こうなった。 焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、 いや火の向うに存在しているようだ。というのは火や明りや影が、 ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、まわりの世界を、 ぼくが上からブタをしているような気持になってきたからである。それなのに、 ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。
と同時に余計だと思う漠然としたものが、仮面をかぶったように引っこんで しまった。そうして宇宙的になりはじめた精神的内部の知覚作用。 いろいろなものが重なり合って見える。 その重なりかたの度合が強烈な作用をもっていて、たがいに矛盾するかと思うと 無限の連想へとみちびいていく。そのときレコードをかけた者がいて、 チベットの宗教音楽が流れてきた。
すると意識がより複雑になり、その音楽は、ぼくが作曲したものではないか、 なぜならばくの体内から生まれてきたようだし、ぼくの思考と厳格に一致して いるからだ。単調だが美しく流れていく音楽は、ぼくなのである。 一つの音が、つぎの音になるまでにハッキリと分離して耳に入ってくる。 ぼくと周囲との溶解状態が、さっきよりずっと完全なものとなった。
ハシーシやメスカリンが効きだしたときのように、しぜんと目ぶたがふさがる。 すると音楽が目に見えてきた。一つの音が明りで書いたようになり、キラギラと 雑色になって飛び散る。無限に大きい万華鏡のまん中にいるようだし、ある音が、 ほかの音よりも強くぼくのなかで反響し、それが後頭部や胃のあたりをシピれさせ、 打楽器の音が強烈な電気ショックのように全身を飛びあげるようにするのだった。 ぼくは手を見る。それは歪んだり、大きさや色の具合が変化したりする。そばに いる仲間の顔を見ると、小さなダイヤモソドがちりばめられていてピカピカと輝き、 とても美しい。ぼくは目を閉じる。するとまた心の奥ふかくへと落ち込んでいく。
自己と別世界との溶解。非現実の現実的な知覚状態。 これは,「シュールモア」(超我)と呼びたい。 そのときの解放感は、口ではいえないくらい気持を昂揚させる。 道徳的な規準といったタブーのすべてが取りのぞかれてしまうのだ。 そうした宇宙をなにかのシソポルや連想や知覚の種類や合理的なイメージで 説明しようとしても、文字や言葉は単純化された嘘になるだけである。 ただあとで考えたことだが、人間というものは、いかに不条理で憐れむぺき存在か、 歴史や文化の発展のなかで「権力」に支配されて生きてきたのだ。 そこから解放されるものがLSDだということはハッキリといえるのだった。
そのとき誰かの笑い声がした。なぜ笑ったのだろう。 それは、ぼくが四十年間というもの、無知だったことを笑っているような気がする。 三十人くらいの仲間が、誘われたように笑い声を出し、ぼくもいっしょに笑いだした。 以上は「麻薬への旅」の、ほんの一部の紹介だが、LSDの研究は、 ますます興味ぶかくなってきた。
・・・・・・ 5582,閑話小題 〜まさか、離脱派が勝つとは! 〜�� 2016年06月27日(月) * 欧州サッカー選手権と、EUの離脱問題 今回の英国のEUからの離脱問題。欧州サッカー選手権の最中の熱い時期の タイミングが良くなかった。英の自国内も含めた、欧州同士のサッカー試合を 通した代理戦争のような試合が行われている最中の離脱成否の国民選挙である。 何とか抑えてきた抑えてきた愛国心、郷土愛が欧州連邦を崩す切欠になるのか。 英国とユーラシア大陸の位置関係と、日本とアジア大陸の地勢上の立ち位置 から類推してみると似ている。日本に大陸から大挙して押し寄せて、街の一角 に住んだとしたら、当然、離脱をしたくなる。 中国、韓国、フィリッピン、 インド人が、近くのアパートに住んで、大声で深夜、騒いだとしたら、それは 拒否反応を示しす。現に自宅前のアパートの何世帯が、住人である。 我慢できないレベルではないが、数倍になったとしたら、考えるだろう。 それも犯罪が激増するとしたら・・ 離脱問題が、大した問題でないのか、想像を絶した大問題なのか、二日間、 新聞、TV、ネットの情報を通して考えてみたが、これはパンドラの箱が開いた リーマンショック以上の大問題。プラス面に光が当てられたグローバリズム の問題が、マイナス面に表出した一現象である。これでトランプがアメリカ 大統領に選出される可能性が出てきた。EUは、解体もありうる。それと、 スコットランドの独立もである。 ソ連邦解体と、中国の共産主義政策の放棄と、情報社会の到来をみた上に、 EUの壮大な生成の実験と、その崩壊過程?まで目撃できるとは! 驚き。 アメリカの不良債権も、各国政府、金融機関の金庫の中に押し込まれたまま。 何かの切欠で表立った時、世界恐慌は表立つ。今週は、先週に続いて見もの! まず株式と為替から。現役だったら、夜も寝れないだろうに。 アベノミックスは、株安、円高の潮目で、失敗が露呈してくる。娑婆は面白い。
・・・・・・ 5217,神学と物理学と哲学の三位一体論 2015年06月27日(土) 『立花隆の書棚』立花隆・蒼田純一写真 * 神学と物理学と哲学の三位一体論 書店の店頭で数ヶ月前から黒表紙の『立花隆の書棚』という分厚い本が並んで いた。面白そうだが買うのを控えていたのを図書館で見つけ、さっそく借りた。 その「まえがき」の内容が良い! ≪ 「やはり、若い才能というのはあるもので、昔のいい本にもう一度出会う のも悪くないが、若いブリリアントな才能の持ち主と出会うことは嫉妬の対象 にこそなれ、なかなか賛嘆の対象にはならなかった。しかし、七十を過ぎて、 素直に、何でも、よいものはよい、と言いたくなった」 ・・・(略) 『20歳の君へ』の中で、キリスト教の三位一体説を取り上げ、父なる神と、 子なる神と、精霊なる神が一体であるとはどういうことか、それに対する異論から、 最初の異端、アリウス派が生まれたという話をした。 「イエス・キリスト=神」とする正統的な三位一体論に対して、歴史上、 異論を唱える教派が何度も出ては、異論とされてきたのである。現代においても、 アメリカで最も有力な教派(ユニテリアン)が同じ見解の下に集団を作っていて、 アリウス派の現代版と目されるということを指摘した。 「現代版三位一体論を考えるなら、今こそ、神学と物理学と哲学の三位一体論を やるべきだと思う。それは、光とエネルギーと物質の三位一体論であり、これは 物理学の公式で書き表せば、E=mc2のアインシュタインの相対論と、E= hνの プランクの量子力学から導き出せる。これがこの本を書きながらたどり着いた 一つのことである。・・ 光とエネルギーと物質は、結局は同じものであり、 われわれ自身も、われわれを作ったものも、われわれが作り出してきたものも、 すべてこの三位一体説の中にあるのである。≫ ▼ そもそも光とは? エネルギーとは? 物質とは何か?を知らなければ ならない。結局は同じものというが、それは何か?である。 猫ビルなどの 書棚の写真を見ていると、本という媒体という物質。そこに込められた著者の エネルギー。光は情報・知識ということか。 あるいは、人間そのものも、 肉体が物質、エネルギーが行為、光は情報・知識になる。どれもこれも磨き 続けないと、劣化を始める。 問題は行き先の設定。それぞれ違ってくるが。 ・・・・・・ 4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22 2014年06月27日(金) * 本店ビルの建替えへ そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂の 傘下になっていた。そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発 ビル計画が立ち上がっていた。当地は、その四角にあり、要になるため、当然、 参加の打診があった。私が生まれ育った旧ビルも30年も経って寿命もきていた。 私は当初、共同ビルに参加には賛成だったが、共同ビルの設計は当然、大型店に 都合よいレイアウト。即刻、参加取りやめになったが、この機会に新ビルを 建替えることになった。私には千葉・千城台ビル立上げの経験がある。 この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は千葉と同じ 設計事務所と、担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、 新ビルの立上げを、身近に見ていた幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの 経験を加えての設計の立案、この建物は、その後の建物でのベストの傑作の設計。 扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提において、テナントビルなどに 転用可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。二階以上のフロアーと地下を メインの1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。 この建替プロセスほど、人生で面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗り うつって建てたような建物。現在は予備校として稼動しているが、実兄が、通り 相場の3〜5割高で売却が出来た。その買った人物が、その後に取組んだホテル 創業のスタッフだった因縁があった。ニヶ月でコンビ解消をしたが・・その人も、 私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。 10年後には、異種の ブラックスワンの出現で・・? 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことに なったが、私の手で壊すのも大きな因縁。仮店舗への移動のため、閉店売出しで 一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。旧ビルへの御別れで、 飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。 長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられた。 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。 何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を 1Fに落とし、運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。 ・・・・・・ 4485, 怒らないって本当は恐い! ー2 2013年06月27日(木) 『怒りの作法』小川仁志 著 * 日本人はなぜここまで怒らないのか 何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 ーその部分を抜粋ー ・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的に とらえられるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。 三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを 秘めた感情。 したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める 必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それを うまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。 ・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に 暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。 しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、 理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらう ことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。 ・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。 長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り 上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、 楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」 が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、 喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。 ・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに 上げられる。彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。 モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的のため従順な人間になる。 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、 自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考えるようになる。 日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型はアフリカやモンゴル。 中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。農村的なるものの エートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、求められる。 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を 睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村 出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、 人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。 もう一つ、気候と関連するものに地形がある。 小さな島国の日本人は、 外部に対して、まず慌て動揺する。 ・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。 30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。 思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を 極めていた。一緒に共通の夢「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・ それ以降、個人主義が拍車をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。 権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方が ましだからです。 ▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が 出来ないからである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいか、 ただ呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々の中で憎しみに変わろうと している。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。 そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。 とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。 何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。
|
|
|
|
2018年06月26日(火)
* 薬物について… 学生時代後半の二年ほど親しくしていた友人が軽い覚醒剤の常用者? その特徴は、気分にムラがあり躁鬱の起伏が激しいこと。「心の起伏の コントロールに私を当てていたのでは?」と、疑ったこともあったが、明るく 話題豊富で、純粋で面白いことこの上なかった。彼は3〜4年と○○ゼミに 参加しており、4年の進級時に私をゼミに誘い、推薦してくれた掛けがえない 恩人だった。一度、埼玉の自宅に遊びにいき、夕食を家族とともにし、一泊 したことがあった。父親譲りで、俗にいう‘ハッタリ’屋が特徴であった。 妹が、なかなかの美人。当時のアルバイト先の軽井沢山荘に同行したことも あってか、現在、軽井沢に大半の時間、住んでいると聞いている。 親戚以外で泊まり込みは、4回目だったが、学生時代の特権の一つ。逆に、 友人を自宅に泊めたのはドライブがてらの複数人だったため10人以上はいた。 首都圏の人は、地方の家に何故か泊まりたがる。 30年経営していた会社の取引先に、鬱病治療の服用で深い薬中になった人 がいた。素知らぬふりをして観察していたが、学生時代の友人との共通点は、 気が優しく、孤独に弱く、人と群れていないと不安になるタイプ。或る時、 突然、切れ、病的に怒り狂う。 世間病の合併症?が、薬効で爆発する現象 が屡々ある。気分の切替が下手。 半世紀前の青年期の頃、親戚に覚醒剤中毒の人がいた。当時、覚醒剤は薬局 で売っており、今ほど取締は厳しくなかった。眼が座り、顔はスカッとして、 それはそれは明るく場を持ち上げていた。 数錠、口に入れガリガリと…。 10数年前に鬼籍に入ったが…前記のタイプと同じ。 数年前に、「タレントが、銀座ホステスと、覚醒剤使用のセックスで快楽 云々… 死亡事件」が話題になったことがあった。和歌山の色ボケした老人が、 若い妻に覚醒剤を盛られた?殺人疑惑がマスコミを賑わせている。被害者が 常用者でなかったため、殺人疑惑が増しているが、痴呆症で若い妻との快楽に 服用していた可能性もあるため、事件の解明は難しい。痴呆症と、薬物依存の 合併症の典型の事件。脱糞とか、実情は酷いとの証言もある。 〜つづく 以下は、『至高体験』の検索で出てきた文章 悟りを開いた坊様のような… 修行でなく、薬物でなく、何で、 こんな状況になれる? 毎朝のチャリでの一時間の遊行で、少し近い 心的状況になってはいるが… ――――
私が至高体験と呼んでいるものが 異様に増えてきたな…と春あたりから思っていました
以前の至高体験は向こうからのプレゼントでした 1年に、2,3回あったら、かなり調子いい方で 1年の内に1回もないという時期もあったようなペースでした
ふとしたときに、突然訪れる、至福の体験 明るすぎる輝く光だけになる体験 草の前に佇んだり、海を見ていたりとか 何でもない時に訪れる
その何でもない時、というのはよく言われる形としては、 「無」に入っている瞬間とも言えるかもしれない
私はあの豊かな瞬間を、「無」だとは思えないのですけれど… 「無」は「全」かもしれないけれど それが、向こうからのプレゼントではなくなった 私が、意識的に至高体験の中に入って行ける
というよりも、私が入って行きたい領域の前に 至高体験がヴェールのようにかかっているようなのです
そのヴェールを上げると、あの世界が在る そのヴェールが、自分で意識的に上げられるようになってきたらしいのです これは一重に、トレーニングのおかげだと思っています
ひとつひとつの美しさが増す 全てが輝いて、私の内に映って入ってくる
どうやら、ヴェールが上がりっぱなしになりかけているようで 世界の美しさが、直接、ダイレクトに私に語り掛けて来て あまりに素晴らしいのでした
この、良くて困るところは 友人が子どもを抱きしめているとかの 日常的な瞬間に号泣しそうになることです(笑) あまりに素晴らしく、美しくて…ね
日常は、見える以上の深みを湛えている…!!
・・・・・・ 5216,借金人間 製造工場 2015年06月26日(金) 『借金人間 製造工場―“負債"の政治経済学』 マウリツィオ・ラッツァラート (著) * 借金苦は権利書と共に、サラバ! 公立、私立大学の6割が奨学金を受けていて、平均300万。旅たち時点で、 既に借金人間である。日本の国債が1千兆円、一人当たり750万の借金を 負わされている。社会全体がローンとクレジットに覆われ、国家予算全体が 国債で半分が賄われている。国家も、社会も、個人も借金人間の塊だ。 ーアマゾンの案内が、ミニ概要になっている。 ≪ “負債"が世界を支配している! 私たちは、借金しているのではない。 金融資本主義によって、借金させられている! 欧州で話題のベストセラー! 現在、国家の“負債"も、個人の“借金"も、世界的に急増しつづけており、 国家財政にとっても、私たちの人生にとっても、最大の脅威となっている。 では、なぜ“負債/借金"は、それほどまでに増大しつづけるのか? 書は、今ヨーロッパで注目される社会学者・哲学者が、経済学から、ニーチェ、 ドゥルーズ/ガタリ、フーコーの哲学までも駆使しながら、“借金/負債"とは 何かを、古代ギリシャから現代までの歴史をさかのぼり考察し、現在では、 グローバル資本主義による個人・社会への支配装置として機能していることを 明らかにした、欧州で話題のベストセラーである。本書は、現在、最も世界的な 注目を集めている問題をあつかっている。とくに興味深いのは、それを表層的な 経済問題の議論を超えて、ダイナミックに歴史的に考察を深めていることである。 哲学者にして社会学者でもある著者にとって、社会的なもののパラダイムは、 象徴的交換ではなくて、“債権者/負債者"の関係にほかならない。 「各個人を、借金を背負った経済的主体に変えること」―これが、我々が現在 生きている経済システムである。 “借金人間"こそが“経済的人間"の新たな 相貌、と著者は喝破する。“借金人間"である我々は、 ・住居を得る権利を持っているのではなく、住宅ローンの権利を持っているだけ。 ・教育を得る権利を持っているのではなく、学歴を得るために奨学金を組む 権利を持っているだけ。 ・現在の経済システムにとって、負債(借金)は、社会的コントロールの願っても ない道具である。それは“人々の未来を所有する"ことを可能にするからである。 つまり“人々の予測不可能な行動"をあらかじめ封じ込めることができる。 ・そして、“借金は返済するべきだという倫理を製造すること"の背後に、 “罪悪感の製造"を見る。 著者は、マルクス、ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ/ガタリなどを援用しながら 考察を深める。最も刺激的なのは、現在、われわれは、負債と永遠に手を切る ことができないというところだろう。これは、著者のテーゼの中で最も注目すべき 指摘であるが、人類の歴史において“負債(借金)"とは、太古の社会では“有限" なものであったが、近代化の過程で“無限"なものへと移行し、さらに金融資本 主義の誕生によって、けっして完済することのない“借金人間"が創り上げられて いったというものである。こうして我々は、借金を背負い返済しつづける “現代のシジフォス=☆"となったのである。 ――『ル・モンド』評 ☆ 【シジフォスとは、ギリシャ神話で、狡猾 な コリントスの王。 ゼウスの怒りにふれ、死後、地獄に落とされて大石を山頂まで 押し 上げる罰を受けたが、大石はあと一息のところで必ず転げ落ちたという。】≫ ▼ 消費社会において、常に2割増の過剰消費の欲望が掻き立てられる仕組みに なっていて、そこにローンという落し穴が組み込まれ、蟻地獄に陥っていく。 私の事業が装置産業のため、長期ローンの恐ろしさも知らず、結果は、このザマ。 ホテル4棟のオーナーではなく、最大時に23億の借金の土地屋敷の権利書を 持っていただけ。で、整理をして、初めてそのことに気づく。しかし、 「ただ権利書と相殺しただけ」も事実。だから、これで良かった!が実感で、 何も命を奪われることもない。 経験しなければ、この道理を実感できない! ・・・・・・ 4484, 怒らないって本当は恐い! 2013年06月26日(水) 『怒りの作法』小川仁志 著 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは 絶対タブーの中で育った。それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを 学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に驚いた。この本でナチスの大衆 誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念 で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を 振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動 のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動の アクセルにせよ」というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えて しまうほどのインパクト。私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れず ノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。喜怒哀楽の中で一番疎んじられている 怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)これを、コミニケーション の扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの訴える 強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、 怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。 これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。 逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 そこに作法が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、 しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。 《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、 「正しく怒ること」が大事ということ。アリストテレスの「中庸」という 思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。 怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、 然るべき仕方で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方 であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。怒ることは、必ずしも 悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。 もっと怒るべきなのに。(p3)》 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。 怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。 そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。
・・・・・・ 5946,閑話小題 〜驚異の天才将棋士 2017年06月26日(月) * 驚異の天才将棋士 中学三年の将棋の藤井4段が、負けなしの28連勝で歴代トップに並らんで、 今日、29連勝に挑戦する。これが、いかに凄いかを大相撲に例えると(幕下 でない)幕内付け出しの新弟子(実際にはない)が、横綱を含めた上位力士に 28連勝をしている歴史的所業。新入プロ棋士としては 自閉症か、発達障害的の感がするが。彼の練習相手は、かなりレベルの高い 将棋ロボット? とすると、ソフトの進化につれ、数年後には、もっと凄い子 が出てくる可能性が? 小学4年の時に、羽生名人の角落ちの勝負に勝ったと いうから、羽生は白鵬に値する。 それだけの力量があったということ。 TVの特集で、親方にあたるプロ棋士の師匠に練習試合だが、勝っていた。 〜ネットで彼の記録を検索すると〜 【 ☆ 脚光をあびることになった数々の記録 ・最年少棋士 藤井四段が14歳2か月でプロになるまでは、加藤一二三九段の14歳7か月が 最も早い記録でした。この記録は62年間破られることなく続いていました。 その加藤九段が藤井四段のプロ公式戦の最初の相手となったのは感慨深い ものがあります。 ・プロ入り初年度を全勝 プロ入りした初年度を全勝したケースは、清野静男(1949年度・9勝0敗) 以来、67年振り。(藤井四段は10勝0敗) ・新人連勝記録 デビューから10連勝。1995年松本佳介(現六段)、 1996年の近藤正和(現六段)。 なお、中学生棋士のデビュー後の連勝は、羽生三冠、渡辺竜王の6連勝。 ・最多連勝記録 神谷広志八段の28連勝(1986〜1987年にかけて)。 なお、藤井四段の28連勝は対アマの2局を含んでいる。(2017年6月21日現在) ・他にも… 竜王戦、棋王戦の挑戦者決定トーナメント進出と史上最年少での予選通過。 第67回NHK杯戦に史上最年少での本戦出場。新しい風が吹く時、過去の記録に 光が当たる。 これは、イチロー選手がメジャーリーグで長年破られなかった 記録に光を当てたのと似た状況である。】 ― ▼ 去年の暮れに、シネマで、29歳で逝った実在の天才棋士の村山聖の映画、 『聖の青春』をみていた。 〜映画案内によると〜 《幼少期より「ネフローゼ」という腎臓の病気を患っている村山聖は、完治 しない身体と戦いながら将棋界最高峰の「名人」を目指していた。大阪の師匠 の森のもとで七段まで上り詰めた聖だが、彼の前に同世代の天才棋士の羽生 が立ちはだかった。羽生に負かされた聖は、その側で将棋をしようと上京。 周囲に迎合しない強烈な個性は時に摩擦を生むが、将棋に没頭して結果を出して いくその姿勢に、みなもいつしか彼を支えるようになる。そんな時、聖の身体に 癌が見つかる…》 将棋界を知るにはうってつけの映画。 村山聖も極端な内向きだが性格が強い青年。将棋一点にエネルギーを集中 すればこそ、天才棋士になれた。電脳の匂いは、しなかったが、如何だろう。
|
|
|
| 6312,閑話小題 〜3、5、10億の宝籤に当ったような経験ってある? |
|
|
2018年06月25日(月)
* 人生で大当りした経験は? <・人生で、3、5、10億の宝籤に当ったような経験ってある?>って言われれば、 何回もあると答えられる。その幾つかの一つが、何度も書いてきた21歳時の 「30日間、欧州一周旅行」。その10年後に、余裕が出来て、ハワイに行くことに なるが、40歳から本格的ライフワークに格上げし、合計51回が籤の景品になる。 ・これに準備期間15年と、30年間の実業を加えた45年の事業人生。 ‘装置産業の選択そのことが大当り’であった。新潟駅前シリーズのビジネス・ ホテル事業は、これ。 20年以上は、これほど面白く、刺激に満ちた日々は、 心の財産として深く残っている。最後は、事業断念で終わったが、遣り残した 後悔は全くない。良かったのが、装置産業のため、立ち上げた後に、余裕時間 が与えられること。海外ツアーも、この17年間続いたブログ作成も、読書時間 の確保も、余裕時間があればこそ。小さな世界だが、時間だけは満ち足りていた。 ― ◉寅:高度経済成長時代に、宝籤を当てた自慢話じゃないか。何か感覚が時代 掛かっていて変だよ。終戦直後に生まれた時節が大当りで、その成長に合わせて 舞上がった凧でしかないじゃないか。父親が明治38年生まれなら、然もあらんだ。。 ◉熊:俺だって宝籤を大当てして、人生を楽しみたかったよ。 ◉大家:人間として生まれ、この年齢まで生きてこられただけで、充分に宝籤の 大金を得ることより、遥かに奇跡的だよ。それも、この日本に。 ◉八:何か、周りを見渡すとさ、小さな既成概念に捉われて、何にも知ろうとも、 見ようともしないんだから。ガチガチの世間バカに囲まれて、それを全世界と 信じて疑わないんだよ。家内の愚痴になるけどね。居間のボードにね、代々 ある、あるいは世界中で買ってきたコーヒーカップとか、グラスがあるの。 それを使おうとしないの。地震で、時々、2〜3割が粉々になっても、使おうと しないの。勿体ないから時々、使うと嫌な顔をするの。あれと同じことを、 自分たちの持っているお金や、能力に気づかないでさ。 ◉大家:それを使うには、習慣の力を利用すると、何時も八つぁんが言ってるね。 時間も、お金も、使って何ぼのものでしょう。宝籤で当たっても、その使い方 を知らずに、5年で、スッカラピンになるというじゃないか。有効に如何に 使うかが問題だよ。 ◉神様:地球旅行に人間の身体をもらって、何しに来たの?人生を味わい、 地球の大自然を果てしなくみて、存在する日々を味わうのが人生の役割なのに。 ノンビリしすぎですよ。一回、こっきりなのに。せっかく、宝籤に当って、 地球旅行に来ているのに。それさえ気づかないとはね! ―――― 5215,閑話小題 〜私の高度成長時代 〜�� 2015年06月25日(木) * 欧州旅行、一ヶ月 大学の『海外旅行研究会』という愛好会が企画した40名参加のツアーで、 当時の参加費は30日間で、32万円。他を含めると40万円。現在換算で300万相当。 その前年に、海外旅行の規制が大幅に緩和され、非常に好評だった前年のツアー に続いての企画。当時、親しくしていた友人から、この企画に参加しないかと、 誘われていたが、「私とは別世界」と、決め込んでいた。ところが、たまたま、 軽井沢の山荘で、アルバイト仲間との仕事が終わった後の4人のティータイムで、 近々、海外旅行の予定が無いのが私だけだった。 その時、「自分も行こうと思えば可能のはず。そう、父親が幼稚園の頃から、 晦日にお年玉をもらったのを、積立預金してくれた10数万を、高校時代に選ばせ 買った『科研』の株式が値上がりをしていた。あれを売って残りを父親に借金を すれば可能なはず」と、その夜半に思い立ち、バイト終了後、実家にとって帰った。 まず母親を説得、そして父親を説得した。 その一ヶ月は、馬小屋のような寮生活 とは全く違った世界に浸った。20歳の年齢で、国内旅行の経験も、海外の情報、 知識も殆どない中での欧州を十数カ国の旅行。20年間の固定観念が根こそぎ 壊され、帰国後、数ヶ月は茫然自失。その頃、父が、突然、私の寮を訪ねてきて、 生活の実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。友人関係が、自ずと金持ちの 子弟に代わっていった。その友人達は、スカイラインGT、イタ車のカルマンギア などのスポーツカーを持っていた。彼らのお気に入りが、逆に私のボロ寮の部屋。 一度も、見たこともない底辺の漫画的世界に、逆に安らぎを感じた? 軽井沢の別荘地で見た富豪の邸宅群、そして、友人の私生活を見るにつけ、 「事業を興し勝組になる」という思いが強くなっていった。そして、学生時代 の最終の4年に、武澤ゼミに入会することになる。 事業の最後はクラッシュ? だったが、後悔はない。 高度成長時代の右上がりは熱気が溢れていた。 この温もり、時代が変わって抜けることはない。良い時代に奇跡的生きてきた。 逆目線でみれば、「この馬鹿が出来上がった原因は、この旅行と時代」になる。
・・・・・・ 2015/09/18 閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか * 5億円当たったら何に使いますか? 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』 の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと 1位、高級マンションなど住宅購入 2位、お店などの起業 3位、世界一周 (豪華客船の旅など) 4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム) 5位、整形手術 の順であった。 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という 答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現 したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、 気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を 託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、 可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。 その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』 とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ 御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、 あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した? である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が 失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。 その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・ が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。 ・・・・・・ 2013/06/17 宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい? 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。 SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、 「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー 【 問い= 例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。 1等 1億円 20名 2等 1千万円 20名 3等 百万円 200名 4等 5万円 30000名 例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか… 【 答え= ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、 「11組111111番」になるのと同じです ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと 同じくらいの確率だそうです。 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。 1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。 一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として 新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。 それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で 金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。 生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が 宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、 したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。 ・・・・・・ 2015/06/21 宝くじを当てた95%が、5年以内に 『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著) * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、 その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を 増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で 壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、 二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40 ≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった 人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。 「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に 証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを 被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場 まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、 100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。 『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、 その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な 反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社) ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」 という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで 成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金 を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、 "当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、 「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫ ▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、 後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、 遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、 その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。 いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。 そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。 遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより 「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い? ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。 「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。 『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。
・・・・・・ 5945,閑話小題 〜シネマ感想 「タップ ザ ラストショー」 2017年06月25日(日) * 「タップ ザ ラストショー」ー映画感想 期待してなかった分だけ面白かった。ラスト30分のショーが、タップダンス に興味のない私でも、引込まれていた。このショーだけでも、観る価値十分。 NHKのニュース枠で、水谷豊のインタビューで、「出演者の大方を、俳優に タップダンスをさせるか、タップダンサーを俳優にするかで、ダンサーを選ぶ ことにした」と語っていた。流石に、そのダンスには心を打つ何かがあった。 苦労の末、やっと開演にこぎつけるが、何故か、涙が溢れ出そうになる、 筋立てはさすが。何ごともプロの世界は厳しい。 〜映画の紹介より〜 ≪「相棒」の杉下右京役でおなじみの俳優・水谷豊の監督デビュー作。 水谷が40年前から思い描いていた天才タップダンサーが主人公の企画を、 自身の初メガホンにより映画化。 とある理由から大きな怪我を患い一線を退いたタップダンサー・渡新二郎。 天才の名をほしいままにしていた栄光の時代から10数年を経て、渡は足を引き ずり、酒におぼれる毎日を送っていた。そんな渡が旧知の劇場支配人・毛利 から「最後のショーを演出してほしい」という相談を持ちかけられる。最高の 舞台で劇場を閉めたいという毛利の思いに、渋々依頼を引き受けた渡のもとに、 さまざまな事情を抱えたダンサーたちが集い、タップへの思いを若きダンサー たちに託そうと決意する渡の止まった時間が再び動き出す。監督の水谷は 主人公・渡役を演じ、岸部一徳、北乃きいらが脇を固める。≫ ― ▼ 評価は90点。邦画としてはベストに近い。 『相棒』の主役をしている 水谷豊だったから、少し甘いが。ハリウッドのドンパチかと、迷ったが、 数回に一度は邦画を挟む方針に従って決めた。メインのダンサーの演技はいま イチだが、その分、タップダンスがカバーしていた。それにしても、自宅で みる映画を含めて年に300〜400本は、見過ぎ? どのみち、夢幻なら、 映像世界で、広く味わえばよい。 もしかして重症の映画オタクですか? 小さな肉体に閉じこまれ、短い人生の時間の中で、気楽にドロップ出来るのが 映画なら、それも良い? これだけは何もかもが面白く感じるのだから… 娑婆娑婆の甘塩っぱさも悪くはないとしても。 タップといえば、スペインのジプシーのフラメンコと、アルゼンチンタンゴ のショーを思い出すが、これらtp比較するのは野暮というもの。 あれはあれ、これはこれ。 ――― 2003/09/06 遥かなるアルゼンチンタンゴ 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の 2時間番組を放送していた。昨年末にアルゼンチンに行って、本場の アルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており丁度よいタイミン。 (感想文は後にコピー) 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた 内容の濃いものであった。アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の 悲哀と愛を歌い続けてきた。バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリン など中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。 その隅々までタンゴの一部になっているようである。 パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの 過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。その時パリにやってきていたカシミール・ アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。 それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話が残っている。
この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。 南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに、世界中の踊りや歌を携えて 船乗りたちがながれてきた。そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。 キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い出来上がっていった。 執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴと いうようになった。 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。 変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。 男女が身体を離して踊るのではない。 二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。 男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。 ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で 200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。 音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。 全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、 それがアルゼンチンタンゴである。 ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。 スペインのフラメンコは一人踊りか、集団で踊るかだ。 それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。 ――― 2002年12月21日(土) 617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4 アルゼンチンタンゴがすばらしい! 昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が 女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。 その踊りが西欧の人達に認められていった。 従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが 2時間以上にわたって繰り広げられた。 全く期待をしていかなかったのが良かったのか、 初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。 今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。 辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。 この旅を締めくくるに最高のイベントであった。 写真を見てもらえれば解るはずだ。 よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。 この旅行は心に多くのものを残してくれた。
|
|
|
|
2018年06月24日(日)
<『「知」の読書術』佐藤優著> * 20世紀は今だに続いている 朝鮮戦争は、今だに続行中であり、北による核実験、大陸弾道弾実験は、 その戦略の一環である。それは、20世紀の延長線上にあり、ソ連崩壊も含めても、 まだ短い20世紀の延長上の出来事と捉えると、この朝鮮戦争危機の一端が理解 できる。決して、北の金王朝が変でも何でもない当然の存在という考えも、 この説から垣間見ることが出来る。
≪ イギリスの歴史学者エリック・ボブズボームが提唱する「長い19世紀」と 「短い20世紀」という考え方。 ・「長い19世紀」とは、1789年のフランス革命から1914年の 第一次世界大戦が勃発するまでの時代、 ・「短い20世紀」とは、1914年からソ連が崩壊する1991年までを指す。
ソ連崩壊はアメリカ主導のグローバリゼーションの時代に歴史が移行したかの ように思われたが、21世紀の今日、ナショナリズムや帝国主義が再び世界を覆い つつある。それで、前世紀の遺物が墓場から戻ってきたかのように思われるが、 その認識は間違っている。世界大戦はいまなお継続しているし、20世紀はいまだ 続いていると言って過言でない。19世紀、いや1648年の「ウェストファリア条約」 の時代にまで遡って、人類の抱えている諸問題の実態を正確に把握しなければ ならないということ。
前者が「啓蒙思想の時代」、すなわち理性を用いて知識を増やし、科学技術を 発展させれば理想的な世の中が実現する、という考え方だ。しかし、政治的には 民主主義と自由主義、経済的には自由経済を基盤とする資本主義が発展したが、 最終的に第一次世界大戦という、「大量殺戮・大量破壊」へと帰結した。 ボブズボームは、ここに「時代の切れ目」を見出した。 ・19世紀の市民革命と産業革命(=二重革命)の時代、 ・資本の時代、帝国の時代から、破局の時代・黄金の時代・危機の時代の 三期に分かれる「短い20世紀」へ時代は変わっていく。
ボブズボーム著 『20世紀の歴史 ー 極端な時代』は、その「短い20世紀」 を詳しく分析している。過去の歴史を検証する上で、ボブズボームのように時代を 「意味の固まり」して捉える見方はとても重要だ。… ≫ ― ▼ 中東、北アフリカ、アジアなどの諸問題は、欧州の世界戦略の一環の政策が 根にある。それ以前に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の争いまで、拡大 して考えられる。人種間、民族間、国家間、宗教間の相克の問題でもある。 極東の島国で、その問題を最小の影響で済んできたが、今ではグローバル化は、 それを許さなくなった。それも米朝の真中で、核ミサイルの絶好な標的になる。 この著書は4年前に書かれたものだが、朝鮮戦争危機にある現在に、書かれた ような内容。悪いことに、こともあろうにトランプ大統領が選ばれて… 北朝鮮 の懐柔など、中国、ロシアの諸事情からみて簡単な案件ではない。そういうこと!
・・・・・・ 5579,突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月24日(金) 『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著 *「虎穴問答」と、余命宣言 これまで、「虎穴問答」について何度か書いてきた。以下は4年前の内容。 『余命宣言』された本人にとって、治療余地のない、二年以内に間違いなく 死んでしまう病気が虎。いつ何時、陥った虎穴に飛びこんできて襲われる運命 の中、救われるために、自ら食われてやれば愛と誇りが残ることになる。 以下のスピーチは、まさに、虎穴問答の悟りと同じ。死をマイナスに捉えず、 積極的に、明るく迎えることが、虎に自ら食われてやることに、あい通じる。 ≪ 所属している川口ロータリークラブの、決戦というか、人生の幕引きの スピーチが始まりでした。会場を埋めた約八十人を前に、余命宣告を受けた 身であることを告げ、死に対する自分の向き合い方などを語り、最後に このような話を付け加えました。 「多くのことの始まりには理由はありませんが、どう終わらせるかは 自分で考えて決めることができます。」生まれた理由は見つけられません。 しかし、終わるための納得する理由は、自分で見つけられます。自分で、 人生の終わりの意義を、明るく納得するように考えればいいんです。 私のラストテーマ、"死を、積極的に、明るく迎える"こと。死を恐れ、 死を忌み嫌い、死を避けながら終わるのではなく、前向きに納得できる ものとして組み立てていくのが大事だと思っています。私は、最後まで 元気を出していきたいと思います。」会場は水を打ったように静かでしたが、 私が明るく話すので、途中からは笑いも起こりました。ほとんどの方は 驚きつつも、好意的に受け止めてくれたようです。≫ この虎穴問答、私の事業の幕引きのときも引合いに出していた。 辛い、厳しい、誰もが経験する最期の一週間の苦痛の中で、後向きにならず、 立ち向うことが出来るか否か。息が出来なくなり、最期は窒息状態でもがき、 死んでいく。ガンの壮絶な苦しみとは違った苦痛。 ――― 2012/08/07 虎穴問答 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という 衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県 知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」 の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった 問答。そして自から、その会を潰すことになった。 去年の倒産劇の時も、 この問答を思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで 頑張るべきかの決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。 逃げまくった末に、食べられるか、自ら、早々、食べられてやるか? ーネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー ≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、 「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が 虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 王仁三郎が、 「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家 だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が始まる。 <人間より虎のほうが強いから逃げようとすると殺される。刃むかっていっても 同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。どっちに しても助からない。けれど一つだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。 こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほう から食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれる ものがあったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が 法廷に流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴 問答はもうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と 誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に 死地に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかう。 これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫ ▼ 戦前・戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴 問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死などの四苦八苦と 例えることができる。それぞれの苦を、自ら受け入れることこそ解決の最短の道、 と考えることができる。事業断念も決意も、虎を3つの断層=9・11テロ、 9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災とみなし、 その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、 先んじて喰われてしまおうと、最後に思い出したのが、この問答。 当時、大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。
・・・・・・ 5214,私のゴールデンタイム 2015年06月24日(水) * ゴールデンタイム 30数年前から就寝を20時半、起床を4時(冬場は4時半)にした。 就寝して4〜5時間、爆睡後、起床するまでの4時間、半睡状態が続く。 その間、脳が活性化をして、様々のプラスとマイナスの思いが起こってくる。 このコントロールが難しいが、これも慣れると、思いの大波の上のサーフィン をしているような感覚になる。で、時どき、睡魔に沈むが、これは自然に 任せておけばよい。そして起床をして、前日書き上げた随想日記の下書きの 当日分を、推敲し完成する。と同時に、翌日分のテーマと内容も書き始める。 その時、0〜4時までの半睡状態で考えたことが、材料になることもある。 そして、ブログにアップした後に、一時間の自転車散歩に出発する。 帰ってきて7時半にコーヒーを飲み、軽い食事後、風呂に入る。それまでの 0時〜9までが、私のゴールデンタイムになる。 9時過ぎから12時近くの読書 タイムも、ゴールデンタイムに加えてもよいが、9時から17時までは、シルバー タイムに区分した方が生活実感に近い。すると、17時から20時のTVを見ながらの 晩酌やiPadタイムの時間帯はプラチナタイムになる。20時から0時は、そのまま 爆睡タイムか。 現在、週に三日間、スポーツジムで45分間の、「ヨガ」に 参加しているが、毎回、終了直前の5分間に、ヨガマットの上で「大の字」に なって、全身を弛緩してマントラを聞きながら、「死者のポーズ」をとる。 その時のイメージを0〜4時に思い浮べて、瞑想の要素を入れたところ、 その時間帯のマイナス思考の割合が少なくなった。その時間帯のフラッシュ バックや半睡を冷静に見つめる視線を持つことが出来る。老いは、どうしても 弱気になり、動揺が起こり沈みがちになるが、バウンドをつけるのは自分だけ! 生きてきた、そのまま、老いて死んでいくというが、なるほど。 娑婆!
・・・・・・ 5944,閑話小題 〜道具(手段)が目的を変える時代 2017年06月24日(土) * 道具(手段)が目的を変える時代 テレビ・スマートフォンの進化が時代を変えている。その一つが動画投稿の TV放映。御隠居の日常生活に浸っている身にとって、パソコンのネットとTV は社会の窓そのもの。井戸の外の生の社会は疎くなっても、天空(ネットとTV) の世界は、井戸の外より現実社会が狭くなった分、深くリアルに知ることになる。 御隠居の立場は、こんなもの。 目的は達成と同時に手段になる。この道具を、 手段として割切り利用すればよい。そのうち遊びが知らぬまに目的になっていく。 夜の巷の世界は、営業という名の「遊び」で持っている。ゴルフは一線を離れ、 営業目的が無くなると、面白みが半減するという。ネット社会が、現実社会を 覆う別世界が出来て、世の中を一変させた。 これはスマートフォンなどのPCの 普及がある。強者の最大の収穫利益が上質の情報の取得だったが、この道具が 全世界の誰にも、ほぼ平等に持てるようになってしまった。端末機能の進化は、 権力者の思惑を遥かに超えて進化した。これが世界の混乱の最大要素。これが 手に負えなくなると、原理主義の狂信者たちが、人間社会を一度、根こそぎリ セットと破壊に走る。核爆発と細菌テロである。それが北朝鮮のドン様であり、 ISのテロ。 これでは来世紀を待たず、世界は消滅する可能性がある。 端末の進化は、決してマイナス面だけでない。4kTVの画面は人間の視覚の 数倍の能力を持つ。現場に立ったライブより、何処の場所からでも、リアル感覚 を経験できる。これを考える上に、面白いニュースがある。 《 2016年9月26日 - 投資銀行・メリルリンチのシンクタンクが、驚く発信を 行っている。そのレポートで今後の経済において現在成長がめざましいVR、ARの 分野の重要性を特に強調しているのだが、その中で「我々はすでに20〜50%の 確率でバーチャルワールドに住んでいる」という。≫ 如何だろう? 内容が、あまりに奇抜すぎるので、数日後に改めて。
・・・・・・ 4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ! 2014年06月24日(火) * つい本音が出てしまう! 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 普通の子女史が売春する値段が世界共通で、その地区の平均給与の一週間分とか。 それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前 の2007年暮れから6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が 112円。一割しかドル安になってない。常識的にみれば、三分の一の40円 以下になって然るべきなのに。その差額は? アメリカが刷った分、何もしない で手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、どこが違うのだろうか? 当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。これも3倍になっておらず、 不自然。 大元が、コントロールしているため。最後は、お金だが、その価値も 当てにはならないことが、これから垣間見れる。 金の本質は所詮幻想! としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に戦争を起こし、 ドサクサでハイパーインフレにし、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、 世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、 貧乏な中国、ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる 図式が近未来の姿。で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 当地の住民のインタビューが的を得ている。 『最後は金だろうが、それを 担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。 本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。 * 都議会の女性差別?発言 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だが、偶然、マイクに拾われ、 大騒ぎになってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。 少子問題を取り上げる当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくり をして、その範を示せ!』というのも一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。 阿部首相が、「この難局には、更なる女性の社会進出が必要」と政策を掲げて いる中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、女性蔑視発言と、 嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかった だろうに、言葉は恐ろしい。 ・・・・・ 4482, 静かなる大恐慌 ー2 2013年06月24日(月) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら 止めることは出来ない。それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、 乗り越えなければならない現実がある。 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると ◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わり を迎えた。それを繰り返さないために何が必要かを考えることこそ、この危機 の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁) ◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎた グローバリゼーションへのバックラッシュのなかで、いかにグローバル化路線 を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。 それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための 「大きな政府」の必要性になる。 ◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、 「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなり もったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。 ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を 今さら変えることも否定も出来ない。この事態は何事も事前に対策をとる ことが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、 何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは 到底思えない。 これらから、以下の問題点が見えてくる。 ・グローバル化は大きな政府をつれてくる。 (格差や失業は福祉でカバーしなければならない) ・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。 ・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。 ・グローバル化は新興国の足かせになる。 ・グローバル化は地方を疲弊させる。 ▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。 パソコン、携帯電話が地球の隅々まで行渡りネット社会が現実社会の上を 覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも 民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが 全く確立出来てない。その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊して いる「アラブの春」といわれる現象である。したがって、政治経済の混乱は、 あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、 数千年に一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのでは なく、可能な限り静かに順応していくしかない。
|
|
|
|
2018年06月23日(土)
* 人皆、基底欠損 2年前にフーテンの寅の「基底欠損」について取上げた。この数日、 <人間それぞれの「基底欠損」があるのでは>と、考えついた。私の母親が、 明らかに基底欠損の要素を、ここで書いた。 が、これは母だけでない、 殆どの人にあるのではと…。 中学校の最終年の成績下位の家庭環境が、 悪いのを当時、垣間見て唖然としたことがあった。 ・10坪ほどの居酒屋の店上の6畳ほどの部屋に母親と住んでいたとか、 ・戦災孤児?で寺に拾われ、作男のように扱われていたとか、 ・継母と折合いが悪い無口のヒネタ男とか、 ・親戚の店の2F倉庫の一角に母親と2人で住んでいる男とか、 ・親父の手伝いで土日は、必ず土方仕事を終日していた等々… 当時の私も大家族下で、子供部屋もなく、居間で教科書を寝ころで読むぐらい。 急に成績が上がったキッカケが、部屋の一角に机を与えられたとか、姉の一人が、 結婚で出て行って空室を与えられたとか。 あの環境下で、姉たちの成績が比較的良かったのは、如何していたのか? 彼女らはアンチョコという参考書を買い込み、試験の前夜、徹夜に近い勉強を するのがノウハウで、それを代々、引継いでいた。大人数家族には、プラスも マイナスの要素が混在していた。義務教育の分別前の中学校のクラスの上位二人 は、一人っ子と、二人兄弟で、母親は厳しい教育ママ。両親からして下位の子と 違っていた。 私の基底欠損は、8人兄姉の末っ子の立ち位置と、商家の階上で 10歳まで生活していたこと。街中の全てが同環境だから基底欠損とは言えない。 勉学のベースの指導は誰一人もなし。あるのは試験前夜のアンチョクの集中 勉強では… 救いだったのが、父親が末っ子の私を溺愛してくれたこと。 私の家内といえば、兄が、出産直後に亡くなったため、この子は死なせては ならないと、幼児頃から過保護に育てられた状況が、基底欠損? 基底肥大? 『3・10・60・27の法則』の3のようで、幸せが身に付いていて、平然と、 『私は特別の存在』を確信している唯我独尊のお姫様。 若い盛りの娘は気の 迷いで一時的に誰もそうらしいが、容姿の変貌が、それを許さなくなる… 他人の基底欠損の歪みには敏感に気づき、陰口で指摘するが、丸出しの己の 変形には、まるで気づかない。で、世の中、世間が、修羅場に変容する。 一神教は、まず絶対神を想定し、基底の岩盤を各自に与える役割をして、 基底欠損のカバーの役割を与える。日本では、それが曖昧な『世間様』という から、「烏合の衆」の危険が満ちている。 次回は、島国日本そのものの基底欠損をテーマにしてみよう。面白そうだ! とすると、トランプの政治家としての基底欠損が、直ぐに思い立ってくる。
・・・・・・ 2016/06/04 フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、 以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。 TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。 特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が 始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、 家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。 * 寅は「基底欠損」 <山田洋次:名越康文 対談>より ≪ ◉山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。 ◉名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。 「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。 ◉山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫ ▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、 ことあるごとに聞いていた。3人の子供を残して逝った父親の後添えに、 祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、 3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを 知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その 子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。 両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。 〜つづく
・・・・・・ 2016/06/05 フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� * 強烈なミヤコ蝶々の母役 <山田洋次:名越康文 対談>より なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。 ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である 関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、 産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情 を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、 多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ 愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦の 最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。 ≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。 名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと 言われてしまう(笑)。 山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」 と言っていました。 名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫ ▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、 数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、 生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度 も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを 要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の 軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが 自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。 〜で、また偶然だが、以下につづく! ・・・・・・ 2016/06/06 フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 「基底欠損」を、ネット検索すると ≪ ■概要 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。 基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような 何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、 世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、 世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、 この基底欠損がみられる。≫ とあった。 ―― 名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、 恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、 山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、 『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、 山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」 と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。 ・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で 人から影響を受けない性質」 ・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな 『ザ・日本女性』」 ・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」 マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。 ▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り 乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人 の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、 優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、 基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。
|
|
|
|