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堀井On-Line
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2018年06月12日(火)
『こんな長寿に誰がした!』ひろさちや(著) *‘人生100年’は本当にいいことか?
曽野綾子の、<人生の良いとこ60歳まで>説を、50歳ごろに知り、「10年間を、 30年分に圧縮して生きた経験」を何度か、ここで書いてきた。 現在から考えて みて、これが良かったと深く実感している。60歳を過ぎて、遣り残し感が少ない ため、気持ちに余裕が持てる。会社清算に対しても、節目の時節到来と… 迷いなく処理をすることになった。 この年齢に自分が到達しようとは思ってなかったので、年々、変わりいく、 年齢の日々が、何とも新鮮である。 「年寄りとは、自分より5歳年上をいう」という言葉がある。成るほど、私の 「5歳年上」は、77歳になるが、やはり75歳が分岐点で、止まることない老化を 実感する年齢のようだ。 私も、あと良いとこ2〜3年と実感はしている。 姉が二人、80歳に到達したが、見るからに厳しいそうだ。特に81歳が鬼門。 100歳まで親が生きたとしたら、それも矍鑠としていたら、周りは? 《 ー内容紹介ー 「人生100年」は、本当にいいことか? 延命治療を選ばざるを得ない医療の現実。 「治るはず」と、現実を受け入れられない患者と家族。経験を若い世代に伝えず、 権利の主張ばかり覚えたシニア世代。 誇るべき長寿とは違う形で超高齢化を 加速するこの国のありように、宗教思想家が鉄槌を下しつつ、本当に幸福な人生 の締めくくり方を提案する。 ーカスタマー・レビューー 【 生きることは苦しい。老人は長生きしたことが幸せか。枯れることが大事。 知識ではなく知恵。病気のとらえ方。そして減ることのない欲。こういった 永遠の真理がつづられています。所々で、キリスト教徒と仏教の智慧と心理は、 過去はパーソナルな形で時代を超えて伝達されていたのですが、このような形 での伝達が不可能となった今、著者はこの作業を自分の使命と考えているよう。 真理を指摘するのは簡単だが、実践することが難しい。実践できないまでも、 頭の片隅に置いておく。それくらいかな、凡人にできるのは。】 ― ▼ はからずして、ここまで生きた実感は、「ここまで生きて、21世紀の実相の 一部を垣間見ることが出来て本当に良かった。 年々の老化現象はあるが、 この激変の時代の一年一年の時代の重みを経験出来るだけで、充分、価値がある。」 人生、100歳までは?だが、やはり75歳辺りが死に時か! あと2年半ですか。 紀州のドンファンという痴呆症老人を見るにつけ、死際の難しさを知らされた。 ここで、「死ねない病」について述べているが、最も恐ろしい病のようだ。 誰知れずに自分の死を申告し、清潔な環境の死の家に入居し、スッと死ねる施設 があれば… 自ら死ぬ権利があってしかるべきだが。健常状態で、せめて5年は! 2年半と変わらない? そう思って生活していると、毎日がエキサイティングに。 このまま医療制度が拡充されると、100歳まで死ねなというが… それこそ残酷。 程ほどに… 〜で、5年前の文章に続く 成るほど! ・・・・・・ 4470, 最悪の結果に隠された、お宝は? 2013年06月12日(水) * この結果に意味があるとすると、それは何? 「三羽の黒鳥(9・11テロ、リーマンショック、3、11震災)の到来で、 この結果に終ったのに何か意味(価値)があるか?」が、問いかけとして残る。 これまでの人生の節目で、最悪の状況こそチャンスが隠されていた。今回も下手 に切り抜けるより、早々に止めた方がベストだった。 この一連の三羽の黒鳥の 到来前に、日本は支配国アメリカによる意図的なバブル経済の生成と、崩壊が あった。機を同じくソ連の崩壊と、中国の共産党支配化での資本主義経済の導入 で、世界を二分していた垣根が無くなった。更に欧州の経済統合による大混乱と、 アメリカの衰退が重なり、ここにきて一挙に混迷を深めている。 さて、私に とっての今回の一連の隠されたベストの意味=価値は何だろう?の問いかけ。 《 森の生活からキレイサッパリと決別し、サバンナの生活というより、 死に支度をすべし! そして、森の生活で、切り捨て目を背けてきたことに 対する再考。さらに、せっかく奇跡の星に人間として生まれたのだから、もっと 世界の広さと深さを知り、経験し、味わうこと 》が、結論。 「早々に隠遁生活に入り、老いと死に準備に本気に入れ」ということ。 昨日の随想日記に書いたが、日本人男性の健康年齢(寝たきりや介護を受けず 日常生活ができる年齢)が70歳。死亡平均が79歳からして、9年の介護が必要。 80歳を過ぎなら分かるが平均としても、「70歳から10年間も、介護など誰かの 世話になる生活が待っている」とは思いもしなかった。「好きなことが出来る のも、そう長くない」ことになる。9年間の不自由な介護状態なら長生きも 考えもの。 還暦を過ぎた辺りから生老病死の問題が、真正面からやってくる。 60歳までに、やりたい事をやり尽くした感があるので、焦りは少ないが、 甘くない近い将来が待っているのが現実である。そこで、「一日一日を、面白 おかしく生きる」しかない。また自分の「知識の球」「経験の球」の外側を少し でも広げることだ。もっと人生の少なさに焦るべきは、身近な人の死をみれば 分かる。そういう年齢に入った自覚をより持つべきである。前期高齢者に入った 65歳が、森の樹上の生活も早々止めて、一度、森から離れ、世界を見直す時節。 「今さら、そんな小さな己の世界を広げてみたとて、何になる」というが、そう としても、前向きに倒れた方が良い。知ること、行動すること、愛することを、 死ぬ瞬間まで少しでも広げることである。人生には多くの意味があって面白い!
・・・・・・ 5567,閑話小題 〜魂の御馳走 2016年06月12日(日) * 魂へ御馳走を与えてますか TVを観ていると、【ご馳走をするからと誘われ連れていかれた先が美術館。 そこで、『芸術作品が、魂への御馳走』と言われて吃驚した】と粋な場面が。 そこで私の魂への御馳走は何だったか考えてみた。幾つかの一つに、51回の 『海外ツアー』がある。資金的、時間的、精神的にも長年かけて、強硬な意思を 貫ぬかなければ不可能。心が折れそうな時、というより魂が衰弱した時、秘境、 異郷での大自然との邂逅や、立寄った美術館での名画との感動が魂への御馳走 になる。哲学の始祖であるソクラテスの、「人生の目的が魂の鍛錬」ならば、 大自然や、人類の歴史に残る芸術作品との触媒の感動で、自ら魂に滋養を与え 続けなければならなかった。40〜50歳代に年2回の秘境・異郷旅行の感動こそが、 魂の御馳走であった。魂の疲れが感動の滋養を必要としため、惹きつけられた のである。親は子供に、幼児期から一流の芸術作品や音楽をシャワーのように、 浴びせ続ける義務がある。 聞くところによると、家内は10歳代半ばまで、 あらゆる習い事に通っていたという。幼少期に、こういうのに多く接触させて おかないと、俗にいう、「世間人」になってしまう。 彼らは、噂話という 『毒団子』の餌で、魂をやられ、ゾンビになる。 幼児時期から少年期の頃、 父親は暇が出来ると、私を連れて古美術店に行き、茶道具や、仏像、絵画に 触れさせていたのも、一流品を幼児期から触れさせるためだったようだ。 そのお陰か、逆に、『そういう物は、自分が所有をするのではなく、美術館で、 幅広く鑑賞し、多くの作者の魂と触れるべきで、何故にわざわざ買うのか?』 と思っていた。 感動、感激、歓喜、感謝は、人間の感情の最たる部類になる。 それは、所有をしなくても可能なこと。 大自然が数億、数千万年かけて作り 上げた景観に自ら近寄り、荘厳な世界に我を忘れ、感動するのが魂への最高の 御馳走。大都会の良さは、美術館や大ホールが多くあり、一流の芸術作品や、 演劇などに多く触れる機会が多くある。地方の良さは、自然の懐が深いこと。 どちらも、それを感じ、受止める基礎がなくてはならないが。せっかく、 地球に生を受けたのだから、魂へ滋養を与え、鍛錬しなかれば生まれた甲斐が ないではないか。余裕がない? ならTVを通して滋養は充分に取ればよい!
・・・・・・ 5202,「人生はドラマだ」の演繹論的アプローチ 2015年06月12日(金) 〜『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所(著) * ドラマトゥルギー 哲学では、古来から人生を演劇に例えて、役割、演出、観客の目線から、 人生の意味を考えていた。それを社会学者が研究対象にしたのが以下である。 ≪ 「人生はドラマだ」といわれることもあるが、まさにそのようなものとして 社会を研究した学者がいる。アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンである。 ゴフマンは、人々が日常生活の中で、まるで舞台俳優のように演技し、周囲に 与える印象に気を配りながら行動しているという観点から、そのさまざまな実践 を詳細に描き出そうとした。ゴフマンのこのアプローチを「ドラマトゥルギカル アプローチ」(演劇論的アプローチ)という。 ゴフマンの指摘によれば、私たちは常に「会社員」「親」「教師」「患者」と いった社会から与えられた役割を状況に応じて演じ(役割演技)、自分の与える 印象を管理している(印象管理)。しかしゴフマンは、人々がただ自分の都合を よくするために印象管理を行なっているといいたかったわけではない。 ゴフマンは、印象管理が時に舞台の維持を、つまりその場の秩序を維持するため にも行なわれている、という点に着目した。「この状況では誰がどういう役割を 果たすべきなのか」という「状況の定義」が参加者に共有され、それぞれが役割 演技を行なうことで初めて、日常生活が成り立つと考えたのである。 たとえば教師が生徒の前で、自分のわからないことを巧妙に隠そうとしたとする。 もちろんこれは自分の体面を守るために行なわれていることでもあるだろうが、 その一方で「学校の授業」という状況を守るためにも行なわれている。 教師は生徒に勉強を教え、生徒は教師の授業を聞く。「学校の授業」は、「教師」 「生徒」という役割に基づいた一つの舞台であり、これが壊れてしまえば、 まさに学級崩壊になってしまいかねない。 しかし、人は一方的に与えられた役割を演じるばかりではない。役割から敢えて 距離をとり、そこに役割から離れた別の自分を示そうとする場合がある。これを 「役割距離」と呼ぶ。「学校をサボる」ことを考えてみるとわかりやすいだろう。 往々にしてそういう場合、学校をサボって何かしたいことがあるというよりも、 それによって「生徒」という役割から距離をとることが第1の目的だったりする。 ゴフマンは、ドラマトゥルギーという観点を通じて、日常生活がごく些細な 不具合で破綻する壊れ物であり、役割演技と役割距離との駆け引きによって成り 立つ動的なものであるということを示そうとしたのである。「人生はドラマだ」 という言葉の通り、この観点は一見当り前のように思えるかもしれないが、 「現実が事実としてどうであるか」ではなく、「人々にとって現実はどう成り 立っているか」に視点を転換させることによって、人々のコミュニケーシヨンの あり方を研究するために重要な役割を果たしているのである。 ≫ ▼ 「世間様」の人々も、それが現実という幻想なら、それに同調するのも、 一つの在り方であり、役割ということになる。硬く、蛇蝎のように嫌うことも ないのである。旅行の効用の一つに、日常から「役割距離」を置いて、自分を 改めて見つめる効用がある。「印象管理」も、目新しい言葉だが、「役割演技」 に、必要なこと。その名人が、かのクレオパトラ。自分の美貌をわきまえ、 それを際立たせる「印象管理」が、抜群だったという。創業の組織つくりが、 そうである。役割を想定して人材を集め、訓練を入れ、役割を実行させる。 会社整理も、この視点からすると興味深い演劇になる。軟着陸?だからいえる?
・・・・・・ 4096、私は完全な本 "日本フル自殺 'ー2を作った 2012年6月12日(火) * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。 5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。情報化社会の到来が、 この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層 の真只中にある。中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、 その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、 文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。 ーこの本の冒頭から 【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼる ことはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、ミノス、シュメル、 マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、 ユカタン、エジプト、ヒンズー、イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教 キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものは やがて没落し、消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残って いる文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、 ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、 シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、の七つの「種」 と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であると トインビーは分類している。 過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」 の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体 の原因やその一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えて くれるものなのか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の進路選択、 日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。 こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の共同研究に着手したのであった。】 ▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。 人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。シナが極東社会の 本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の 卑小さを確認することで、砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理 作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、 学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から 変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い! ・・・・・・ 5932,閑話小題 〜人生、「あいうえお」が重要 2017年06月12日(月) <「人間の目利き」 曽野綾子:吉村作治> 〜アラブから学ぶ「人生の読み手」になる方法〜 * 人生、「あいうえお」が重要 人生でも、事業でも振り返えみると、岐路には「想定」を遥かに超えた ブラック・スワン(経済恐慌、歴史的テロ、自然災害…)が舞い降りて、 それが人生を変えていた。そして、最後は、当人にとっての「己の死」。 宇宙の、世界の中の微小の存在であるなら、当然のことだが、その小ささ、 狭さの認識が全くと言ってよいほどない。「想定外」という言葉こそ、己の 卑小さを露わにする。 アラブから、欧州に「アラブ難民」が大挙して流入 しているが、以下のアラブの「アッラー」の神への信心が大きく影響している。 〜「あいうえお」の人生訓が考えさせられる〜 ≪・吉村: 日本人は心配性なんです。こうなったら、そうなったら、 どう しようと、自分の考えの幅の狭いのを知らないで想定する。 だから、その幅を出たら「想定外だ、しようがない」と思うわけ。 アラブ人からしたら、想定すること自体が、自分の運命に対して、神様に 対して失礼なんです。全てが自分の力より大きな力で動いていると思うと 想定など出来ない。想定があるから想定外があるんで、想定しなくては 想定外はない。「無知の知」みたいだけれど。 ・曽野:もとは何もない民だから。食べ物も水さえない。 吉村さん、なにも ないところで生きていけないとしたらどうします。他人の物を盗むか、殺して 奪うか。あと一つ、自分が死ぬというのがある。しかしイスラムは自殺を禁じ ている。と言っても、イスラムでは自殺すると復活できないから、自然死です。 ・吉村:人生、「あいうえお」が重要なんです。「あ」は〈愛〉。「い」は〈意志〉。 「う」は〈運命〉、「え」は〈縁〉、「お」は〈恩〉です。この「あいうえお」 を大事にしていれば、悪くない運命を過ごせます。≫ ― ▼ 「あいうえお」も、それを生かせるかどうか。逆照射でみると、その 意味が浮かび上がる。 ・「愛」、特に両親からの愛の少ない人。 ・「意志」、意志薄弱の人。 ・「運命」、節目で、大きく流されていく人。 ・「縁」、因縁を生かせない人。因と縁を結合できない人。 ・〈恩」、恩義からほど遠い人。 何か誰かの顔が浮かび上がっているが、自分のことでもある? 想定外の対処は、長年の準備があるかどうか。まずは、日頃からの知識と、 先立つ「お金(資金)」。そして「健康」。そして人とのつながり。とすると、 「あいうえお」に行きつく。今思いついたのが、「たちつてと」の教訓。 「た」が、飯の基盤の「田」。 「ち」が「知恵・知識」。 「つ」が、「ツテ 「と」が、「とき」。何ごとも時間が大元。 言葉の遊びだが、一理ある?
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2018年06月11日(月)
* 何で、あの連中がサイコなの、 サイコを「悪口、陰口は、万引きより悪い」という説を、横スライドると分かり やすい。万引きは「軽度の泥棒」。それが身近な知人、他人の財布に、そして家宅 侵入の泥棒に… そして強盗殺人に行きつく。 陰口、噂好きの極端の人は、ごく身近に事例で多いので分かる。 80対20の法則からして、2割の人が8割の蔭口、内幕情報を言うが、そういう人を、 多くを誰しらずに、心の底で忌み嫌う。サイコをネット検索をすると「精神異常」 とある。上位2割に良いことの8割が、下位2割に悪いこと8割が集まるが、不幸系 は、悪口、噂話を生活のメインにしている。 亭主が愛人をつくってとか、出世コースより外れて、子供の出来が悪い…等々。 一般的には±(プラマイ)バランスが2対1だが、サイコは1対1か、それ以下が多い。 物理的にも、知的要素が下位ほどサイコになる。それは心の奥に静かに沈殿し、 他人の不幸を見ると、表立つ「変質的性格」。しかし、「サイコパス」は、 「猟奇性を秘めた異常犯罪(もしくはそれを行う者)」をいう。悪口、噂を妄信し、 行動に踏み出した重度の犯罪行為者をいう。だから心理学者は、軽度の傾向でも、 注意をすべしと… 問題は、生活環境、己の生き方から派生する。 『3:10:60:27の法則』の下位ほど、サイコの傾向が強いという説が、これ。 可能な限り、人を選び、ライフワークを貫く生き方が必要になる。 先日、見てきた『万引き家族』で、親父役の男が『俺が子供に教えられるのは、 万引きぐらいしかない!』と話す場面が、何とも哀しい。サイコ、サイコパスの 言葉を使うことも注意しないければ。いじめっ子が、弱者を見つけて、攻撃する それからして、マイナーの転嫁である。相手を選ぶこと。ライフワークを早々、 決めて貫くこと。あの人たちと距離をおくこと。 4C主義=チャンス、チェンジ、チャレンジ、コンペティションという チェーン店の行動理念があるが、激流に身を挺して生きる生き方が正しいとは いえないが、底に留まる場合、サイコ化する危険も多い。 4C主義こそ、 サイコパスへの道になりかねない。 サイコの言葉を知りえるかどうか。 その知識が、何気ない会話の中の危険を知らしめることになる。少なくとも、 8割の蔭口を業とする2割の人との距離を置くのが、その一歩。無知は罪である。 老いるとは、オバサン化するとは、サイコ化。別名、ゾンビ化、ヘドロ化する ことである。
・・・・・・ 5201,老年期の意味 2015年06月11日(木) * 目標なく生きる重要性 現役から、余生の時節に移行して、それまで見えていた社会の様相が、 全く違ってみえてきている。現役時代は目的的な強い束縛の中で日々を 過ごしてきた。何もしないことは良くないことと、信じて疑ってなかった。 現役の知人に、『何もすることがないのも、良いことだよ!』といった時に、 明らかに恐れと戸惑いが現れ出ていた。ただ、ブラブラと無目的的に日々を 暮らすと、日常の中の、景色が、違ってくる。それが御隠居の特権である。 京大教授の山極寿一の、「老後の意味」の論が面白い。 ≪ 人類の進化史の中で、老年期の延長は比較的新しい特質だと思う。 ゴリラやチンパンジーなど人類に近い類人猿に比べると、人類は多産、 長い成長期、長い老年期という特徴をもっている。多産はおそらく古い時代 に獲得した形質だ。人類の祖先が安全で食物の豊富な熱帯雨林から出て、 肉食動物の多い草原へと足を踏み出した頃、幼児死亡率の増加に対処する ために発達させたと考えられる。成長期の延長は脳の増大と関連がある。 ゴリラの3倍の脳を完成させるため、人間の子どもたちはまず脳の成長に エネルギーを注ぎ、体の成長を後回しにするよう進化したのである。 脳が現代人並みに大きくなるのは約60万年前だから、その頃すでに多産と 長い成長期は定着していたに違いない。 しかし、遺跡に明確な高齢者の化石が登場するのは数万年前で、ずっと 最近のことだ。これは、体が不自由になっても生きられる環境が整わなかった からだと思う。定住し余剰の食料をもち、何より老人をいたわる社会的感性が 発達しなければ、老人が生き残ることはできなかったであろう。 家畜や農産物の生産がその環境整備に重要な役割を果たしたことは疑いない。 ではなぜ、人類は老年期を延長させたのか。高齢者の登場は人類の生産力が 高まり、人口が急速に増えていく時代だ。人類はそれまで経験しなかった 新しい環境に進出し、あつれき人口の増加に伴った新しい組織や社会関係を 作り始めた。さまざまな軋礫や葛藤が生じ、思いもかけなかった事態が数多く 出現しただろう。それを乗り切るために、老人たちの存在が必要になった。 人類が言葉を獲得したのもこの時代だ。言葉によって過去の経験が生かされる ようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。 しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけにいるのではない。 年や壮年とは違う時間を生きる姿が、社会に大きなインパクトを与えることに こそ大きな価値がある。人類の右肩上がりの経済成長は食料生産によって 始まったが、その明確な目的意識はときとして人類を追い詰める。 目標を立て、それを達成するために時間に沿って計画を組み、個人の時間を 犠牲にして集団で歩みをそろえる。危険や困難が伴えば命を落とす者も出てくる。 目的が過剰になれば、命も時間も価値が下がる。その行き過ぎをとがめるために、 別の時間を生きる老年期の存在が必要だったに違いない。老人たちはただ 存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか。 その意味が現代にこそ重要になっていると思う。≫ ▼ 落語の『御隠居と与太郎』の問答が、正しく、これ。人生を消化した 御隠居と、何もしらない与太郎の無目的の状態の二人が、目的的社会に ついて笑い飛ばす。4年前に、それまでの自分の姿が急に面白くなり、腹の 底から笑ってしまった。それで憑物が落ちたのだろう、開き直れたようだ。 元もと、アウトサイダーを自認して、社会との関りを最小にしていたことも、 現在の日常を楽にさせてくれている。夕暮れには夕暮れ時の楽しみがある。 〜以下のことは森のこと。後は、娑婆娑婆したり、しなかったり!
・・・・・・ 4469, 余命半年 −5 2013年06月11日(火) 「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 * 生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五 「生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五」説によると、人間は75歳。 その辺りが大きな目安になる。去年、知人が75歳で亡くなったが、70歳 前後から急激に衰えていった。特に男は75歳、女性は80歳辺り。成るほど 後期高齢者の区切りである。この辺の健康状態で、あと何年かが決まって くるようだ。 ーその辺りからー ≪ 川上嘉明氏の著書『自然死を創る終末期ケア』を読んで、私は生物の生命 過程の事を知った。生物には成長期・生殖期・後生殖期の三つの時期がある という。そして人間は後生殖期が長いのが特徴であるとのことだ。なるほどと。 確かに昆虫など、生殖期を終えればすぐに死んでしまう種の数は多い。ほ乳類 の場合は、最大寿命と性成熟年齢が性の相関関係にあるとされ、生物の最大寿命 は生物の性成熟年齢×五であるらしい。最大寿命と言うのは、限界の寿命である。 人ならば性成熟年齢の十五歳×五の七十五歳が本来限界となるはずだ。 しかし、周囲を見回せば明らかなように、今や限界超えが当たり前。 図をみると、実際にヒトだけが逸脱して限界を超えてしまった。人類がなぜ 後生殖期が終わったのちに、これほどまでに生きられるようになったのか。 それは「医療」の発展ゆえである。ついぞ五十年くらい前までは「人生五十年」 の世界であった。しかし、人類にとってかなりの強敵であった感染症に対して、 西洋医学が優位に立つと、寿命はぐっと延びるようになった。もちろん栄養状態 の改善も影響しているだろう。あるいは衛生環境の改善等も。体格が世代を重ねる ごとに良くなっていることは、清潔で栄養に満ちた生活が提供されている 一つの証明でもあると考えられる。≫ ▼ ちなみに類人猿のチンパンジーは50歳、ゴリラは40歳後半で、50年前 までは、人間と変わらなかった。病気を治す術を得た分、長生きが出来るように なった。その最大寿命の75歳に近づいてきた。70を過ぎると、摂生してきた 人と、不摂生してきた差が鮮明になる。 私も酒の飲み過ぎもあり、その辺りが 大きな関門だろう。 ところで、介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、 自立して健康に生活できる期間を示す「 健康寿命」を2010年に男性70・4歳 (10年の平均寿命79・5歳)、女性73・6歳(同86・3歳)と厚生省が 初めて算出し、発表した。大体10年間が、介護か寝たきりなる。 あと3年で平均で達するので、現在、介護を受けても不思議でない。そうすると、 まだ元気な現在、好きなことが出来る時間的余裕が少ないことになる。 10年間の介護を考えると、末期ガンになってもジタバタしないで、悄然と 従うのが良いのかもしれない。そうこう考えると、老いの現実は厳しい! 介護、寝たきりまで平均3年、死まで12年? 男が平均70歳で、寝たきりか 介護? 周囲を見渡しても、そうだろうか? 自分を考えると3〜4年先に倒れ、 その2〜3年先とすると不思議でない。とすると二年前の会社整理は正解? ものは考えよう。
・・・・・・ 5931,閑話小題 〜狂ったドン様と、耄碌した泡沫候補 2017年06月11日(日) * 耄碌した泡沫大統領と、狂ったドン様 トランプ米国大統領は、現代版の裸の王様そのもの。本人も勝利をすると 思ってもいなかったため、白人至上主義や孤立主義を掲げ、ロシアの援護射撃を 要請するなど、やりたい放題。ところが間違って当選したのだからことは重大。 耄碌した泡沫候補は政治的経験もなく、適応が困難。 出来ることは朝鮮戦争を 仕掛けることぐらい。泡沫も、老い先少ないため、後は野となれ山となれ。 危ない要素が、あまりに大である。その隙に血迷ったドン様が、核弾頭ミサイル の開発に専念。国際社会に対し、脅しをかけているのが現状。 北の核ミサイル潰しなら、東洋人の100,200万人の犠牲も厭わないと…? 一番困るのは、矛先を向けられる東京とソウル市民? 大陸間核ミサイルが 完成する前の現在が最後のチャンスと、総攻撃の可能性が出てきた。叔父と 兄を殺し、目障りな側近を粛清し、得意満面な血迷ったドン様。日・米・韓と、 中国、ロシアとケッタイな役者が勢揃い。ロシアが、陰湿の手段で、朝鮮戦争 を仕掛け、その隙に、勢力拡大を目論むには最適な情勢になっている。ところで、 トランプが4年の任期を全うできる側の賭けのオッズは2倍。できない方は1・4倍。 先週のシネマは、数年前にあったテロを扱った <パトリオット・ディ>。 犯人の二人の兄弟の目線もあって、いつの間にか引き込まれていった。 直ぐに思い立ったのが、狂ったドン様、自分が何をしているのか全く自覚がない のだろう。とはいえ、数百万の生命がかかっているだけに、下手に手を出せない が、そのまま放っておくわけもいかず、思案のしどころ。欧州のテロ騒ぎに 引き続き、今度は、朝鮮半島と、日本の本土にも飛び火が? 成るほど、韓国人の7割が移住希望というのも理解できる。 父親の金正日ドン様、『男はつらいよ』のファンで知られていた。
・・・・・・ 5566,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 2016年06月11日(土) * 『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』 少し足らない流しのテキヤの映画を取上げること自体、少し憚るが、 人間の本質が、その足らなさから現われ出ているから、共感するのだろう。 『男はつらいよ』シリーズで最も良かったのは、リリーの三部作の完結篇。 TVの再放送で5〜6回以上は観ただろうか。 他に、印象に残ったのが、 石田あゆみマドンナの『男(赤)はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』。29作目。 これもシリーズで屈指の名作。片岡仁左衛門、柄本明の役者陣も見事である。 〜『ハイビスカスの花』を検索すると〜 ≪『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』は、1980年8月2日に公開された。 男はつらいよシリーズの第25作目。リリー三部作の完結篇。マドンナは 4度目の出演となる松岡リリー役の浅丘ルリ子。観客動員数は206万3千人。 尚、2006年3月、シリーズ全作品を放映したNHK-BS2が募集した人気投票で、 視聴者から「後半24作品中のベスト1」に選出された。 〜あらすじ〜 【博が街でリリーを見かける。リリーは寅次郎に逢いたいと博に告げる。 とらやで、寅次郎の噂をしていると、偶然寅次郎から電話があり、リリーが 逢いたがっていると伝えると、寅次郎は興味を見せない素振り。しばらくして、 寅次郎は柴又に帰ってくる。しかし間の悪いことに、とらや一行は水元公園に ピクニックへ出掛ける所であった。慌てて、荷物を隠し体裁を取ろうとする さくら達。その事で機嫌を損ねた寅次郎は、さくら達と大喧嘩をする。 出て行こうとする寅次郎の下へ、手紙が届く。手紙の内容は、リリーが沖縄で 病気で倒れたとの事で、寅次郎はあわてて沖縄に向かおうとする。皆で相談 しあった結果、飛行機で行く事に決まるが、寅次郎は断固拒否する。 博に説得されしぶしぶ了解するが、翌日飛行場で柱にしがみつき駄々をこねる。 そこへ通りかかったスチュワーデスに連れられ搭乗し、なんとか沖縄へ。 寅次郎と再会したリリーは涙を流し喜ぶ。次第に、彼女の病気はよくなり、 漁師町で一緒に生活を始める。しかし、その一方で地元の娘と浮かれる寅次郎。 ある日、ちょっとしたことで二人は大喧嘩。翌日リリーは沖縄を去ってしまう。 寅次郎は慌てて身支度を整え、手近な船に乗り、東京へ戻ろうとする。 島伝いに、時に行き倒れになりながらも、なんとか柴又にたどり着いた寅次郎。 そこで、偶然リリーに再会し、おおいに喜び合うのであった。さくらは、 リリーに寅次郎と結婚して欲しいと漏らし、寅次郎も「俺と所帯を持つか」と 発言するが、リリーは冗談として聞き流す。そうして、柴又駅で二人は悲しく 別れるのであった。好き合いながらも、お互いのプライドや体裁で一緒に なれないリリーと寅次郎であった。】 ≫ ▼ 考えてみれば、風に吹かれるまま、自由気ままでいられたのは、時代背景 が高度成長期にあったから。 その日暮しの安宿を泊まり歩く、ホームレスの テキヤの寅と、フリーの売れない歌手リリーの境遇は似ている。 以前、経営していたホテルの宿泊客に、全国を股にかけた、流しのホテトル嬢 が何人かいた。 夕刻に出掛け、朝帰りのため、聞き込みの刑事に怪しまれない よう、自分の職業の申告を最初からする。 外見からして、ごく普通の女性。 寅と、リリーの明日をも知らない危うさから生まれるドラマが、共感を呼ぶ。 最初は、1960年代半ばの、鶴田浩二や高倉健、池部良らを主役脇役に据えた 「ヤクザ映画」のパロディとして企画された映画が、シリーズ終了後、20年 も経つのに、今でも、再放送されるのは、現在、失われつつある日本の家族の 原型が、そこにあるため。TV欄を見ながら、『また寅か、されど寅ですか〜』 〜これも偶然、寅さんの生き様、「目標なく生きる重要性」が書かれている〜 寅の生き様こそ、人間のあるべき姿かもしれない。 「アホ違うねん、パーなんや」 で、「パーは、どっちがねん?」
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2018年06月10日(日)
* 『万引き家族』 カンヌ受賞作に魅かれた見てきたが。成るほど、それだけの内容。 「疑似家族物語」とも言えるが… 駄菓子屋の親父が少年に、「妹まで万引きを させるなよ!」と諭すが、そこでハッとする。そして、わざと、万引きをして 捕まる。訳ありの幼女を住まわせて全国的誘拐事件になり、それが発覚。 静かで穏やかな日々の中に、恐ろしいほどの緊張感が漂う。 《 〜あらすじ〜 高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れ そうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり 込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。 足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族 だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。 冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に 連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることに。 だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える 秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。》 ― ▼ 「離婚率が、日本で35%、アメリカ50%、ベルギー、オランダなどは7割辺り。 家庭内離婚?を含めると、8割超が崩壊!」が家庭内の実態である。訳ありの 御婆さんの家に、年金目当てに、訳ありの人達がシェアハウスのように寄宿する。 外目で見れば、祖母と、両親と、3人の子供が家族の体裁。その疑似家族が、実際 の家族以上に寄添い暮らす。万引きで生計を補填しているため、危うさが逆に、 生々しく温かい生活感を醸し出す。 ―― * 県知事選、誰を入れる? まさか落下傘男? 今日は県知事選。 迷うことなく原発の再開反対派の女性候補? 悪さ比べの感が強い選挙だが、副知事経験者としても、パラシュート候補の 軽さは否めない。当り前だろう、二度も大地震があったのに再稼働賛成が見え みえの男に誰がいれますか。原発の直下に二つの活断層があるし… 元もと知っていて強引に誘致したのでは? 前県知事の下ネタにしても、 何処か?のマワシモノがリークしたと仮説をたてると、合点がいく…。 私の人生にそう先がないとしても、若者を考えれば、反対は当然のこと! 前の県知事選で保守系を入れたが、今から思い返せば、間違い。再稼働など とんでもない。 北朝鮮問題は、そう簡単に終わりませんよ。北朝鮮より、 アメリカが問題。旧式兵器の在庫処分の必要性があるし。そう簡単な問題でない。 8割の確率、いや9割の確率で… 勝負はついている。 としても、県の経済を考えると… だが。騙されていたのは地元民。 しかし、利益を得たのも既成事実。毒喰えば皿まで… もあるが。 でも駄目!
・・・・・・ 4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6 2013年06月10日(月) 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著 * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には 驚くようなことばかり。極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化 だけで表現出来るのだろうか。地球という惑星もしかり。これらは知的設計者が 存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。 そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り 出した絶対者の主役でしかない。我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も 存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があって も不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より 遥かに衝撃的である。 ーその辺りを抜粋してみるー ≪ もしかして、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない…。 こういった突飛な考え方を、頭ごなしに否定してはいけません。科学では、 どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれているからと いって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。・・「大仮説」と 呼ばれる仮説があります。現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のこと。 でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」であっても、 頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見で これまでの常識がひっくりかえって、大仮説こそが「白い(正しいと思える) 仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった 37%。 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、 「インテリジェント・デザイン説」というものがあります。直訳すると 「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、 約6千年前に人類は神によって創られたという「創造者説」が一般的でした。 それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ 進化していったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)。 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」 に対する対立仮説なんです。これは、カリフォルニアサンディエゴ校で 1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的 設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、 形を変えた創造説といえなくない。ただし、聖書に書かれているような神様で はなく、あくまで知的設計者という言い方をします。 さて、この説を高校や 大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われている のです。「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教える べきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、対立する仮説と してはたとえば知的設計者説というものがあります」というように教えるべきか。 そういう論争なんです。日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎに なっているんです。 ・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、 ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの 科学理論であると思っている人は37%。たくさんある仮説のうちのひとつに すぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。 残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだ では進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫ ▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、 4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の我々の 世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラー の神が、それにあたると主張するだろう。最後は宗教問題に行き当たる。 宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。
・・・・・・ 4835,「出羽の守」の功罪 2014年06月10日(火) ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、 『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、またか〜何様じゃ御前は。 東京は東京、産地は産地だろうに!と。高校を卒業し上京した時、注意された のが、私の口癖、『いわゆる○○』。無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。 小さな厚い殻から、社会や知識を置換えていた、自身の出羽の守を指摘された のである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。 ーまずは、その一つからー 《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する 「出羽の守(かみ)」。うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともな こともある。その弊害と効用とは。 * ペンギンに飛べと言うな 野島博之さん(予備校講師) 「出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、 実に多様なものを取り入れてきた。古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は 朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。 ・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、 ときどきの文明を高次化してきたこと。 ・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、 やがて日本化・独自化したことです。 日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は 中国の古典に学んで、宮城が都の中央に位置する藤原京という壮大な都を築いた。 ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の 最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって 宮城を都の北端におく平城京の建設開始。東京スカイツリーを3基も建てた 国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、 また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、 茶の湯や枯山水がわかりやすい。いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随 しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。 よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常な エネルギーを発揮しています。この過程で、帝国主義的な態度や行動も身に つけた。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、そうした 行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の 教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。そこには仕方のない面もありましたが、 ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は 自分で飛べ」とけしかけられています。でも、日本は飛んだことのないペンギン のようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、 ペンギンはペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。 ・・(中略) イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。 ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって工夫して工夫して、 また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 ペンギンは空は飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。 (聞き手・尾沢智史) 》 ▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、 「長岡出羽守」の世界。実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、 同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの地区の出羽守には、 プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名) 出羽守八郎」。流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追い ついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。ネットは、デジタル の世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きく なっていく。 ・・・・・・ 5930,閑話小題 〜褒められることと、貶されること 2017年06月10日(土) * 褒められること、貶されること 人とは貶されたことは直ぐに忘れるが、褒められることは、いつまでも 憶えているもの。若いうちは逆だったが… これは生きていく上の知恵で、 褒められたことを何度も思い返し、嫌なことは隅に追いやるためである。 だからこそ、人は生きていけるのだが。 作家の渡辺淳一が、「女性に持てたいなら、心を込めずに褒めなさい」と 述べていたが、正に、女心のアヤをついている。何気なく、思いのままフッ と褒めた言葉が、いつまでも心に残るもの。貶すも、褒めるのも、たった一言 で済むのならば褒めるが勝ちである。女性の多い職場に長くいて感じることは、 思いの外、美人は持てないということ。そしてナルシストのこと。視線は感じ ても、直(じか)に、褒められる機会が少なく、褒め慣れていないのである。 だから、下心を?持たないで、さりげなく褒められるのに弱い。逆に貶される ことに、人は、意外と強いのである。 何故に、こうなるのだろう? 褒められると、全人格まで肯定された錯覚に陥るからである。営業専門職は、 「褒め殺し戦術」を身に着けることが第一歩とあいなる。一番、巧妙なのが、 「教えを乞う」のである。そして、教え頂いたことに過剰反応を示すのだ。 有能な営業マンは、それ故に、相手以上に、相手の知識、ノウハウを身に 着けていき、芸術的技術となっている。 当然、女性にも向けられるが、逆に 警戒されて門前払いされるケースが多いようだ。 20、30歳代の頃、「三度褒め」を若い美人に限って、心がけていた。 より効果があるのは、内語として繰返し思っている方が、より相手に伝わる? で、持てていたかといえば… そうでもないのは如何なることか。 この「三度褒め」、全ての人に実施していたら、人生、変わっていたのだろう。
・・・・・・ 5565,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 〜�� 2016年06月10日(金) * 世の中にはこんなに面白い人たちがいるんだ! 火野正平 この番組で立寄る道路沿いの食堂の場面がよい。家内は、その場面になると、 台所からやってくる。食堂の御上さんの、さり気ない人柄に味わいが滲み出る。 番組は、この3月で六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で 百日は自転車に乗っている。 私はまる7年間、一年230日間として、 1600日、一日、12キロMとして、大よそ、1万7千キロになる。ただし、 私の場合は、同じ道を一周して帰ってくる散歩かわりのポタリング。一度、 雨道でスリップをして地面に叩きつけられたことがあるが、転倒は、一度だけ。 〜後半からコピー 【 この番組のいいところは、手紙に書かれている風景が見えなくても、 それで終わりにすること。例えばタ焼けって、天気が悪かったら見えないけど、 それはそれ。「見えないからごめん」って。静岡に二週間いても富士山が一回 も見えなかったり、富山に行っても全然立山が顔出さなかったり。 あとは「心の目」で見てください、と。 よく「人との触れ合いが面白い」と言われるけど、そこまで意識はない。 番組だから地元の人に声をかけているだけで。もちろんべっぴんは好きだよ。 遠くにいても、可愛いと直ぐわかる。後で番組を見直しても、こんなきれいな 人をよう見つけたなと思うことも多い。でもそれ以上に「世の中にはこんなに 面白い人たちがいるんだ」と気がついた。いい子、可愛いおばちゃん、おもろい 爺ちゃん。そういった人たちに、俺は嫌われていなかった、というのも驚いた。 自分でもあまり良いイメージはないだろうなと思っていたから。 これは発見やった。休みのときも、街でよう声かけられるもの。 五年もやっていると、体がしんどくなることもある。前期高齢者だから。 基本的には日曜に集合して、月曜から木曜まで走って、金・土が休み。 監督もカメラマンも音声もローテーションで交替していくけど、俺だけは 出ずっぱり。だからギャラが一番高いんだと思うけどさ。また冬は放送が なくて三カ月ぐらい休むから、春は旅に出て最初の一、二週はしんどい。 「今回は大丈夫か?」ってなるけど、三、四週とやるうちに「行けるん違うか」 ってなる。体が順応できるようになっているんだね。これまでトレーニングも、 体調管理なんてしたこともない。検査も行ったことないし。きっと管理なんか したちストレスがかかって逆におかしなると思うね。野放しで行けるところ まで行きたい。そうしたらこの前テレビに養老孟司さんが出ていて、78歳で タバコは吸うし、酒も飲むし、検査も絶対に行かないって言っていた。 解剖医なのに(笑)。それを見て新しい目標が出来たなと思ったよ。最後の最後に 密かに行きたいと考えている自分の「こころの風景」はある。カウァイ島なんだ けど、本当に涙が出てくるような風景なんだ。いつかご褒美で行かせてくれへん かなと思っているけど、ど、うやろう。『にっぽん縦断』やから難しいかもな。】 ▼ 前期高齢者の火野は、雨天の時は、結構しんどそうだ。通りすがりの人や、 乗用車から、『いつも、見てますよ』の声が、視聴者全員の声を代弁する。 7年間の毎朝のミニサイクリングで、平日の信濃川の長岡大橋と大手大橋を、 iPodで音楽を聴きながら、鳥の声と、爽やかな空気と陽光を受け走っていると、 『早起きと、一寸した工夫で、毎日、夢のような快適な時間を過ごせるのに、 何故、誰も気づかないのだろう?』と思うこと度々。この閉ざされた時空の中 では、毎朝、毒出しをしないと、精神のバランスが保てないこともあるが。
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2018年06月09日(土)
* 世間を『3:10:60:27の法則』で分析すると 数日前の『3:10:60:27の法則』から、世間という妄想を分解する。 世間度数は、下位にいくほど影響度が高くなる。それは、法則それ自体が、 それを語っている。 《 ハーバード大学が調査して実証したデータ。 人生は、 ・27%の人が、何も知らず、自分からは何もせずに生きている人 ・60%の人が、知っているけど、行動しない人 ・10%の人は、知ったことを、出来るようにした人 ・そして3%の人は、無意識に出来てしまう人です。 この27%と60%を足した87%の人達がサービスを受ける側の人、 13%の成功者が提供する側の人です。もっとキツイ言い方をすれば、 87%の仕掛けられる側と13%の仕掛ける側に分かれています。》 ― ▼ 以前に、私と家内との会話を事例に「世間話のでき方」のテーマを書いた。 ただ流されるまま生きてきた87%が、何気ない会話や、親元や学校で、知らず に感化された分厚い固定観念。それに様々な環境が、本人を世人に育て上げる。 知識と経験を積むにしたがい、そのカラクリに気づくことになる。だから、まず 手軽な読書習慣と、読書録の作成が必要になる。それがないと、考えない世人と して蔑視され、無意識のうちに自身を分類することになる。 会話は出来るが、 対話が出来ない層が87%。当然、13%にも存在するが、その比率は低くなる。 そこに長年かけたライフワークがあるかどうか。後にコピーするが、やはり、 5歳までの基盤構築が必要ではなかろうか。逆に基底欠損の人が多い。
【熊:おれは27%で、寅は60%、八ちぁんは10%、大家は3%かい。 寅:いや、俺は40%さ。八は世間をシリアスに貶しているからな。 でも歳をとるたび、人嫌いになってるからね。 大家:私が3%ですか。5〜6%辺りじゃないか。それにしても、 この法則を世間度数に当てはめるとは流石。世間、現実に埋没するほど、 危険なことはないことは確かだよ。 今日から、『終わった人』という 映画が上映されるというけどね。東大出の銀行マンでも、ライフワークを 持たないと、こうなるんだ。 八:このブログを読める層は、ライフワークの必要性を気付いているだろうが… 仲間内のゴルフか、カラオケが、それじゃあ、節目がつくれないよ。 寅:10年前にさ、映画室が10ある映画が郊外に出来た際に、八つぁんに 勧められて月に1〜2度通いを始めてさ。御蔭で、少しは世界は広まったよ。 八:まだまだ、私は毎週だよ、毎週。それに寝室で、連日、4時間近くは、映画 とドラマ三昧さ。それが飽きないの。 熊:世間話の功罪、何時も聞かされているので、注意して他人様の話を聞くとさ、 あれってヤバイよ。この御蔭で、最下層より上層の35%と思ってるんだ。 大家:そのとおり、馬鹿な中傷を言わなくなったしね。 八:バカは死ななきゃ治らないというけど! 人の粗探しより、自分の好きな ことをしろよ。 そう誰も自分は違うと思ってるらしいが…。
世人:何にも考えず、何もしないで、周りの気だけをつかい、楽しそうに諂って 生きてきたが、ちっとも面白くなかったよ。だから、他人に腹が立つんだよ! 「上を見れば腹が立ち、横をみれば腹が立ち、下を見れば底がなし、さ」 誰か私の人生を慰めて欲しいけれど、今さらか! 若い時節の私が、今の私を 嘲笑しているようだし、何か大きい穴がポッカリ空いている苦痛を誰ぞ知る! 『基底欠損』と一言でいうが、それは、両親の質の問題だろう。それと時代。 寅:世人の生き方も良いじゃないですか。それも良しと、心の底からいえるかだ。 ただ自分がバカだと自覚はしているがね。一番、立腹すべきは、あんた自身さ。 泣いて、喚いて、七転八倒し、全身で感動し、感涙しなかったことは、アンタ 自身の問題。おれ、これでも、してきたさ。だから、ここで実存しているんだよ。 熊:俺だってそうだよ。尤も何も知らない、持たないことで、逆に実存してるけど。
・・・・・・ 5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか 2015年06月05日(金) * 哲学という気晴らし 〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。 20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に 本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、 禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、 この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。 これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91) ≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。 その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと 転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、 視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から 文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。 法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや 否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。 哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、 だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、 それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、 俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を 横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、 自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学 へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。 それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。 とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、 滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で 「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を 寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学 を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」 と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎 のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を 期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」 と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた 話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に 見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、 それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、 こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」 という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて こない。≫ ▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、 いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空 ・・・・・・ 2016/06/04 フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、 以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。 TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。 特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が 始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、 家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。 * 寅は「基底欠損」 <山田洋次:名越康文 対談>より ≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。 名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。 「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。 山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫ ▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、 ことあるごとに聞いていた。3人の子供を残して逝った父親の後添えに、 祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、 3人には冷たくせざるをえず、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを 知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その 子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。 両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。 〜つづく ・・・・・・ 2016/06/05 フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜��
* 強烈なミヤコ蝶々の母役 <山田洋次:名越康文 対談>より なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。 ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である 関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、 産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情 を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、 多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ 愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦の 最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。 ≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。 名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと 言われてしまう(笑)。 山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」 と言っていました。 名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫ ▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、 数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、 生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度 も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを 要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の 軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが 自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。 〜で、また偶然だが、以下につづく!
2016/06/06 フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜��
「基底欠損」を、ネット検索すると ≪ ■概要 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。 基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような 何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、 世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、 世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、 この基底欠損がみられる。≫ とあった。 ―― 名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、 恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、 山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、 『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、 山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」 と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。 ・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で 人から影響を受けない性質」 ・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな 『ザ・日本女性』」 ・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」 マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。 ▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り 乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人 の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、 優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、 基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。
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2018年06月08日(金)
哲学の窓 〜「モナド」とは
* 精神的存在の原子にあたる言葉、「モナド」 神の存在が深く信じられていた古代、中世には精神的存在の原子にあたる言葉 を語ることは、神への冒涜として論じられなかったのか。概念上の『点』としての 『モナド』。そして『予定調和』で最善に導かれていく考えは、非常に面白い。 〜『哲学用語図鑑』ーP120 ≪ 世界を精神的存在と考えるなら、それらを分割していくことが可能になる。 ライプニッツは、この精神的存在の原子に相当する概念を、『モナド』と呼んだ。 そして、世界は、このモナドが調和しあって出来ていると考えた。彼によると、 「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされていると いう考えを多元論という。 モナドは、原子論に似ているが、原子のような物質ではなく、概念上の「点」。 モナドは1つとして同じものはなく、互いに連絡し合う手段を持っていない。 「モナドは窓を持たない」 すべてが神のプログラミング通り動くとされている。 精神を分割し、更に分割し、その上に分割した最小の点がモナドである。 モナドが世界を最善になるように予定調和で最善の世界を創るもので、世界は 偶然できたものではないと… 要するに楽観的に世界を捉えているのが特徴。 ライプニッツにとって、世界はただ「ある」のではなく、神が最善の状態に くだしたから、そう「なった」のです。これを「充足理由律」という。 要するに、どんな出来事にも十分な理由がなければならないという原理。≫ ― ▼ 物理的存在の、原子は、古代哲学から取上げられていたが、精神的な 最少単位については考えられなかった。そこでライプニッツが、初めて取上げ 注目された考え方。面白い考え方だが、人間に都合のよい神の楽観的傾向が見て とれる。世界の知性が問われる現代。トランプ、金、習、プーチン、安倍… 何でしょうか? モナドの最小の『点』からして… モナドですか? 現代の国際政治を問うこと自体が、間違っている。 どうなるのでしょう。 「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされているはず」 なのに。
・・・・・・ 4466, 余命半年 −4 2013年06月08日(土) 「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 * 末期から死ぬまで ー末期の現象をまとめてみると、 ≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、 急に悪化するケースや、凸凹であったりする。 ・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気 だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の 量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。 特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を 飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに 渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、 できることは早めにしておくべき。 ・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も 募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。 「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」 「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を 見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。 無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。 ・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、 呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで 保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、 傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、 死出への旅立ちにふさわしい。 ・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で 心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫ ▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち 合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。 母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの 一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、 精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。 ・・・・・・ 5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい 2016年06月08日(水) * 私の住みたい社会 雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。 リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧? のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も 肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に 近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした 6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・ サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。 これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。 他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。 ≪ ☆「私の住みたい社会」 青山文平: 「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても 楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、 どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。 しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した 楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、 年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると 言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが なくても楽しめる社会」でしょう。 私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車 さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念 ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は 数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った ときは溜め息が出ました。どこをクルマで走っても、全域、自転車好きなら よだれが出そうな道ばかりなのです。 ちなみに欧州では、日本ではすっかり 下火になってロードバイクに取って代わられた、クルマで言えばジーブタイプ のマウンテンバイクもいまだに人気です。マウンテンバイクで走って楽しい シングルトラックなどの道が、遠征などしなくとも、毎ヨ暮らしている町の かたわらにあるからです。自転車造びが楽しいかどうかは道しだい。 自転車はいい道を楽しむ遊びであって、マウンテンバイクの不人気はそういう 道がないことを表しているのです。 ・・(中略) 「オカネがなくても楽しめる」遊びが、逆に消費を拡大させるかもしれません。 いま求められている遊びは、そういう深い遊びのような気がします。欧州には 「キャナル.ツアー」という楽しみがあります。実は、欧州には網の目のように 運河が張り巡らされていて、その運河を使うだけで地中海から北海へ抜ける ことが可能なのです。けっしてカネモチの遊びではなく、定年退職者の夫婦が、 キッチン・ベヅド付きの中古のボートがあれば、あと必要なのは燃料費と、 家にいてもかかる毎日の食費だけです。これまた、「カネがなくても楽しめる」 深い遊びなのです。そういう社会に私は住みたいのですが、いまの日本は、 さて、どうでしょうか。≫ ▼ 一月あたり6000円のスポーツジムに、週一のシネマ館通いで月に5000円、 月に一度の飲み会が10000円、読書の本題は近くの図書館が主で、ほぼゼロ。 毎朝のミニ・サイクリングがゼロ。パソコンとTV代が10000円で、酒と肴で 20000円で、大よそ合計5万円が、月あたりのお遊び代。これが「オカネが なくても楽しんでいる生活」かどうか分からないが、満足をしている。 振返ってみて、仕残してしまった悔いが少ないためか、遊ぶ金が欲しい、 何かが欲しいと思わないでいられるのが有難い。それぞれの時節に、充分 楽しんでいたのが大きい。家内の厚生年金受給が、こうなると大きい。 〜で、以下の文章に、続いていく。 ・・・・・・ 5198,ライフサイクルより、ライフコースへ 〜1 2015年06月08日(月) * 多様に選択される人生 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。 その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。 ≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、 ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが 同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル 研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を 考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を 取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース 研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀 後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫ 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。 ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、 ◎ ライフステージlife stage 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面, 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも, とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・ 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。 ◎ ライフサイクルlife cycle 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業, 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの 批判もなされるようになった。 ◎ ライフコースlife course 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう という研究意図があった。 ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。 私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を 生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。 ・・・・・・ 4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11 2014年06月08日(日) * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱! あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、 何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。 そこで、幼児から、その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に 対し、何か材料を探し、新たな装いをするしかない。それまで、顧客として 何を経験してきただろうか? そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の 勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と居酒屋くらい。対象の物件の 道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。 それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角 での手堅い商売。しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。 そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。で、問題は、その選定。 失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。 「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、 先に立たず。とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。 で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの居酒屋チェーンの『養老乃滝』。 さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は皆無だが、 これからは郊外の時代、非常に面白い立地、是非とも組みたい!」と、乗り気。 考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前 に書いたのを、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 人間、何事も忘れるから、勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。 二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。商業ビルの完成。そして、 二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、 最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。 顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態で なければ、出来はしない。それも血だらけで。その傷口が、その人にとって の事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら受け入れ、それに見合う ようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、 気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、 未開の荒野の西部。 江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの 地と、一段下に見られていた。そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ 世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、実情。その後の人生も、 狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! だから、面白いのである。
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2018年06月07日(木)
『世界の自己啓発 50の名著 エッセンスを読む』 T・バトラー=ボートン著 * ふりかえって、実感としてのこの法則は? アメリカ的合理主義といえば、実利主義と、80対20の法則、そして今では、 スティーブン・コヴィーのビジネスマンのバイブルともいえる『7つの習慣』。 中学校に入り、俗にいう「ノメシ」という参考書の存在を知り、試験前に、必死に 赤線をひいて憶えたもの。この存在を知っているかどうかで成績に左右する? 人生という面でライフワークを持ってきたかで、それは明らかに2割の部類に 入る。 私のそれは、秘異郷ツアー。その体験の積み重ねが、魂そのものに、 何かしら重要要素があると気付いていた。 この書を読んだ20年前に、 これは、人生の80対20法則の20に入ると…。その後の10年間で、20数回、行く ことになった。この80の下、20を分け、「20:60:20の法則」もある。 ネット検索で見つけたのが、更に面白い『3:10:60:27の法則』。 《 ハーバード大学が調査して実証したデータ。 人生は、 ・27%の人が、何も知らず、自分からは何もせずに生きている人 ・60%の人が、知っているけど、行動しない人 ・10%の人は、知ったことを、出来るようにした成功者 ・そして3%の人は、無意識に出来てしまう大成功者です。 この27%と60%を足した87%の人達がサービスを受ける側の人、 13%の成功者が提供する側の人です。もっとキツイ言い方をすれば、 87%の仕掛けられる側と13%の仕掛ける側に分かれています。 ― ここには明らかにマインドの差がありました。 ・27%の『知らない何もしない』人のマインドは、人をあてにしたり、運命論者 のように、なんとなく過ごすだけ。生活保護をあてにする人も多くいました。 ・60%の『知ってるけど、やらない』人ののマインドは夢や希望を持っているけど、 そこへの道筋をしっかり定めないでいる人。変化を恐れて今に留まる人たちです。 ・10%の『知ったことを、実践して、出来るようになった』人のマインドは、 3年〜5年くらいの未来をしっかり考えられた人たちです。 ・そして3%の『無意識で出来てしまう』成功者たちのマインドは 人生の目標に使命感あって、それに向かって進んでいた人たちです。 他にもこの割合をこのように定義している人もいます。 ・27%の人達は、Take & Take(常に人から価値をもらおうとする) ・60%の人達は、Take & Give(価値を与えられたら返す) ・10%の人達は、Give & Take (人に価値を与え見返りを得る) ・3%の人達は、 Give & Give (人に価値を与え続ける) もしくは、 27%の人 ・・・ 三流の人 60%の人 ・・・ 二流の人 10%の人 ・・・ 一流の人 3%の人 ・・・ 超一流の人 ― ▼ 能力分類される、中学校最終年のメンバーの顔が思う浮かぶ。 成るほど、各自がそのままスライドした人生を過ごしてきたようだ。 ここで、誰もが思うのは、自分は、どの辺りだったか? そこで出てくる言葉、<他者と比べないこと> の言葉が出てくる。 こう考えればいい。『それぞれの持味の要素で切り込めば、それぞれ違う。 あの人は、あの分野で、私は、この分野で、秀でているだけのこと。』と。 その意味では、やはり長年かけたライフワークが必要になるが… それもこれも、生きている内、3日もすれば生臭い宇宙の彼方へ… 最後は、『 ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい 』ですか。
・・・・・・ 4465, 余命半年 −3 2013年06月07日(金) 「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津秀一著 * モルヒネか、プチッか 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、 プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。 ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。 著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。 ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。 一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を 減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。 末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、 「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは 別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。 何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から 死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。 生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで 良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、 古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を 聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。 三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の 一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。 「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。 高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。 生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・・ 5197,歩くことが人間の特徴 2015年06月07日(日) 養老孟司の対談の中で、「人間の身体は、走るでなく、立っているでなく、 歩くに都合の良いように出来ている」という。考えるとき、独り黙想をしながら 歩くのが良いというのも、歩いている方が自然体のためである。 ★ 養老孟司対談より ≪ 養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離 を歩くのは動物の中で一番得意なのです。そういうことは殆ど教えられません。 人間は、単に転ばないように重心を移しながらバランスだけで歩いている。 四つ足の動物は自分の力で体重をまともに移動させなければならないのです。 田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、 山を登っているのです。 養老:だから、アフリカで発生して、南米まで行けたのです。あれは歩いて 行ったに違いない。アジアを通り北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。 田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、 人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く のだなと思います。 養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると 頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、 そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳 からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫ ▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく 変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、 一日、2〜5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、 どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。 その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。 〜次の言葉も、含蓄がある。 『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。 知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。 「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した ことにはならない」・・』 『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、 同じ桜でも違って見える』 ・・・・・・ 5927,ネットの未来 〜ネットの住民には 2017年06月07日(水) <「鈴木さんにも分かるネットの未来」川上量生著> * ネット住居派と、ネットツール派 ネットとTVの未来をテーマにした面白い本である。寝室にソニーの 4K・TVを入替をして5ヶ月経過。一日、3〜4時間は、録り溜めの映画か、 ドラマか、ドキュメントを見ているが、一度、TVを入れると別世界になる。 また、廊下を隔てた仏間の机上のパソコン前に4時間は座っている。これも、 座ると同時に、現実世界から遮断され、唯我独尊の世界になる。 この2つのマシーンの未来をテーマなら、面白くない筈がない。 〜まずは、ネット世界の住人について、まとめた〜 ≪ ネットを利用している人には二種類の人種がいる。 ネットをツールとして利用する人と、ネットに住んでいる人の二種類。 ・ネットを便利なツールと思っている人をネットツール派、一般はこっち。 ・リアルな現実世界ではなく、バーチャルなネットの中に自分の居場所があると 思っている人=ネット住処派と定義。著者は、自らを「ネット原住民」とする。 当然、重なるが比重の問題。家内は明らかにツール派で、私はネット住処派。 ここで、「住処派の住人は、パターンとして特別な趣味を持っている人」で、 彼らが困っている共通のテーマが、同趣味を持つ仲間を見つけにくいこと。 マイナーの趣味を持つ人を近くで見つけよとするのは難しいが、ネットだと、 全国から探せるため、比較的仲間を見つけやすい。特に現実社会で仲間を見つけ にくいオタクはネット仲間と相性がよく、現実社会よりもネットに仲間と帰属 意識をもつ。もう一つのパターンが、そもそも友達が少ないか、いない場合。 現実社会でイジメにあっている人、落ちこぼれている人、そういう人たちは、 現実社会では居心地が悪くて、ネットがにべ場所になります。ネット社会の方で こそ輝ける人生を送れる、人気者になれる、憩いを感じる、そういう人がネット 住人になれるのです。≫ ― ▼ このテーマ日記も、地元原住民にとって、特殊な切口をするネット住処派 変人のネタ探しと、上から目線でみるには丁度よい情報源というところ?。 <井戸の蛙、井戸の外の世界は見えずとも、満天の空を見ることができる>が、 ずばり、オタク世界の本質である。 ネットの面白いところが、<内省だけならず、外の数多の「内省」>を気楽、 かつ簡単に出来ること。だから、毎日が面白く楽しい、充実した時間に様がわる。 要は、「クールヘッド、ウォームハート」の視線で、ネットや、チャネル・ サーフィンが可能になるということ。今では、TVでYouTubeに高画質の動画が 見れるため、ポテトチップオタクも、ネットオタクの仲間入り。自然界を、 現場に立った生の視界を、人間の視力の数倍、数十倍で見ることが可能のこと。 それ故に、毎日が、TV画面で、現実世界でも、過って見たことがない世界に 出会うことになる。映像は映像でしかないとしても、これがバーチャル世界の 住処派の面白いところ。 ハヤブサの首に超高速のカメラをつけて、林の中を 滑空する映像や、南米の祭りで、街中に放たれた闘牛に住民たちが素手で立ち 向かう映像は、迫力満点。 そういうこと!
・・・・・・ 5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 2016年06月07日(火) * 妹役、さくらの誕生 <山田洋次:名越康文 対談>より 山田洋次の「さくら」を作り上げたエピソードが面白い。 兄、妹にも相性があって、相性の良いと、本当に可愛いらしい。 駄目な兄と、しっかり者の妹の「さくら」の関係が何ともよい。 浅草に「寅さん」の銅像があるが、今度、「さくら」の銅像が出来るという。 その「さくら」誕生のエピソードが面白い。 ≪ 名越:両親の愛情を十分に受けられなかった寅さんにとって、 やはり異母妹のさくらの存在は大きいですね。 山田『男はつらいよ』の設定を考えていた時、さくらが生まれるヒントに なった話に巡り合ったんです。それは、ある女性作家の、今から四十年以上前 の実体験でした。彼女はある日、東京から大阪に引越すため、汽車に乗ります。 そこに、ヤクザになっていた兄がやってきて、久しぶりに兄と妹が再会する。 そうこうしているうちに、発車のベルがジーンと鳴る。その時、急に兄貴が 「おい、気に入らねえ奴いるか?」と言ったというんです。そういう奴がいたら、 俺が殺してやる、ということでしょうね。 名越:すごい場面ですね。 山田:この話を知ってから、いろんなことを考えました。一体、お兄さんに とって妹とはどんな存在だったんだろう。もしかしたらお兄さんは、 「俺はこいつを不幸にしているんじゃないか」と思えてきて、妹が急にかわい そうになったのかもしれない。最後の言葉の意味は、「アイラブユー」です からね。もしこの妹をひどい目に遭わせた人間がいたら、俺は生かしちゃ おかない、と。 名越:鮮烈な絆の表現です。 山田:だから、寅にはそういう妹がいるんだなと考えたんです。 名越:四十八作を観て気づいたことは他にもたくさんあります。 たとえば、寅さんって世間にはふられてばかりだと思われているけれど、 実はかなりモテる(笑)。シリーズの三分の二くらいモテています。 山田:寅に会えて友達になって、「私、とても幸せだった」と言うマドンナは たくさんいます。でも、寅は、結婚については、決定的に自信がなかったん じゃないでしょうか。結婚生活には、恋愛関係の先に、もう一つ大きなバリア があって、それを乗り越えなければ結婚はできない。男と女のドロドロした 関係が生じることに、寅は我慢できない。そこが寅の哀れさでもある。 名越:寅さんは草食男子のような'ところもある。女性に対する不安や恐怖心を 持ってますよね。≫ ▼ 20歳で、創業人生を志したことで、パートナーの人選に慎重になっていた 上に、4人の姉たちのドロドロ?した様々な結婚生活の実態も見知っていた。 さらに姉4人との遜色ないバランスを考えると、安易な妥協もできないジレンマ があった。「この人と一生?」と思うと、そうそういないもの。で、「 」。 「寅さん」は、あくまで無知故に何ものにも捉われない想像上の人物像。 こんなのがいたら、周囲の人間まで巻き込まれ炎上されてしまう。その際どい 狂気が、物語を育んでいくとしても・・
・・・・・・ 4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10 2014年06月07日(土) * 千葉・千城台ビル建設計画の着手 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの 建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが 社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、 華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。 現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、 死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の 散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、 姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、 性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、 私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を 与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、 創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、 成功させるのが、当面の課題。 まず考えたのが、この千城台のような団地の 商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給 公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、 テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台 ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての 転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。 その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、 ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな 課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。 これを見て、奇妙な偶然に驚いている。
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| 6293,閑話小題 〜シネマ観賞 ―『のみとり侍』 |
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2018年06月06日(水)
* バカ殿が、何と長岡藩主の…! 先日 「のみとり侍」を見てきたが、何と長岡藩の江戸屋敷の侍の… 愚鈍の殿様に嫌われた情けない下級武士の話。話題の映画の割には地元と話題に ならなかったのは、プライド高き長岡モノゆえに…。これでは長岡藩の名折れ。 春を囲った「のみとり侍」が、田沼意次の囲い女と懇意となり、田沼から、 <「のみとり侍」にされたのは、藩内不正調査をを良しとしない藩主が主人公を 陥れるため、仕組まれた陰謀>と知らされる。 田沼は賄賂政治の諸悪の根源の イメージが定着しているが… 最近は再評価されているようだ。 【ストーリー】 越後長岡藩藩士の小林寛之進(阿部寛)は藩主の気分を害してしまい、表向きは 猫ののみとりを商売にしつつ、実態は床で女性の相手をする裏稼業「のみとり」 を命じられる。長屋で暮らす人々の助けを借りながら新たな生活を始めて、間も なく出会ったおみね(寺島しのぶ)が、最初の「のみとり」の相手となる。 亡き妻にそっくりな彼女にときめく寛之進だったが「下手くそ!」とののしられ、 伊達男の清兵衛から女の喜ばせ方を学んで腕を磨いていく。 ― ▼ 観客50〜60人の半分は高齢者だったが、長岡藩江戸屋敷が舞台と知った 瞬間、館内がどよめいた。そういう私も驚いた。 現実離れした江戸時代の 風情が何とも良い。
* YouTubeに再び ―ブラックYouTubeの楽しみ 一昨年暮れに、寝室に大型TVを入替えた時に、嵌ったのだYouTube。ところが 今年に入ってからは、全く見ることがなかったが、先月末から再び見ている。 録画3百本の録り溜の存在は大きい。その中で最も面白そうなのを選ぶ。 その上に、連日、Wowowで面白い映画放映されるため、YouTubeなどのネット 配信の映像を見る時間がない。 TVだったら、カットされる残酷シーンものが、YouTubeでは検閲なくみれる。 中南米の何処かの国の祭りの余興で、闘牛を街中に放ち、街の通りで牛を揶揄う。 身体を盾にした死をかけた遊び。以前からあったが、今では撮影機能が年々と アップしたため、迫力がアップ。傘や、布きれ一枚で、突進してくる牛をかわす。 それが滑って転んで、牛にグチャグチャにされたのが、そのまま、放映される。 当地のTV番組だろうが、ボコボコにされた場面を、次々と出し、スタジオ全員 で笑い飛ばすのもあった。 酷いのが、ムササビスーツを着て、断崖を飛び降りる失敗したケースだけを 編集したものや、インド象が街中で暴れて次々と、群衆を襲う生生しいのとか。 生きたまま、ライオンに食べられていく水牛とか… ホワイトYouTube?では、スイスアルプスの山頂から、ドローンで山々を背景に 自らを撮影したものとか、ドローンのスピードレースの映像とか、巨大波の サーフィンとか… これらも、あと1〜2週で飽きるのだろうが。いい歳を して何をしているかだが、面白さの感受性は年齢に関係ないこと。 静かにクラシックも良いのだろうが、これまた実に面白い!
・・・・・・ 5926,閑話小題 〜居間のTVが寿命に 2017年06月06日(火) * 居間のTVが寿命に 去年暮れに7年以上使った寝室のTVを入れ替えた。4Kのアンドロイド機能の ついたものだが、異次元の世界に迷い込んだと錯覚をするほどで、評価は100点。 ソニーのTV画面、最高の出来というだけはある。 居間は旧来のもので、それぞれ3〜4時間は見ているが、新しいTVと旧式の画面が、 覚醒前と覚醒後の精神世界の違いは、かくありと、その都度、考えてしまう。 まだ発売されてないが、8KTVとなると、如何なるものか。寝室の旧式TVは 7年以上使ったが、2年前にブルーレイビデオを購入したと同時に、WoWoW の複数契約をして、映画・ドラマ、ドキュメントなど300本を限度一杯の録り 溜をしてきた。面白そうな順にみているが、自分がセレクトした内容もあって、 どれも面白い。これにYouTubeの映像を見ると、一般放送を寝室で見ること は、ほぼない。アンドロイド機能で、Amazon、蔦屋、グーグルなどの、 レンタル映像は、ネット経由。ということは、既存の電波の経由は、あまり 見ないことになる。既存放映の受動選択が、ネット経由の能動選択に様変わり ということになる。それにしても、半年前までは想像もできなかった、驚き の日々である。 〜5ヶ月前に、書いてあった内容より〜 ≪ 閑話小題 〜シェルター内事情 2017/01/05 * 居間から寝室へ重点移動 ★ 一昨年の11月に寝室のTVにWoWoWの二台目契約をした上で、ブルーレイ を入れて13ヶ月、経過した。 居間では外界の音が入ってくるが、寝室は、 ほぼ無音状態。この間の録画数が300本を超え、限界状況の表示が出てきた。 今では録画する都度、優先的に何かを見るか、消しているが、これは、 『録りだめしても、二度と見ないのでは?』の対策がある。映画に飽きた気分 転換に、小まめに録画一覧を見て、頭部分だけを見るのもよい。 習慣的に見ていると、これ自体が面白くなる。 また再び続きから見るのも、 連続ものを見るようで抵抗がなくなる。 面白いものは、何があれ面白い。 ★ 年末年始の一週間、面白い番組が目白押しのためベッドにクギ付け状態。 それに飽きると、廊下を挟んだ仏間の一角のパソコン前に移動するか、居間 まで出張をし、お茶を飲む生活。その寝正月も、昨日からはスポーツジム通い が始まり、TV漬け生活も終わった。といっても、図書館と、スーパーの酒と、 ツマミの買出し、が加わるだけだが。 6年続けてきた、週一のシネマ通いは、 今年から減らす予定。ベッドで映画を連日見れば、二週に一度で充分?だが、 実際はどうなるか。『こんな生活、飽きない?』という声が聞こえてきそうだが、 そうでもないから困ったもの。雪国の冬場は「晴耕雨(雪)読」で、シェルター に閉じ籠りを楽しむしかない。 <50歳代の還暦までの10年間に、30年分を圧縮して生きる>が、実際に、 そこまで出来たかどうかは別としても、この年齢になると、気持ちを穏やかに させてくれる。老いの愚痴、怒りは、世間的制約で、出来なかったこと、実践 できなかった、不燃焼が起因している。で、攻撃は、弱者や、社会そのものに 向かう。次々と立ちあらわれるフラッシュに、独りごとを呟く自分がいる。≫ ― ▼ そうこうみると、高齢者の7割が自宅引き籠り、そのままになる。人間は、 直ぐに適応する。日々が新鮮で、かつ面白ければ、これで良いじゃないかと。 居間のTV、何か相性が良くて、いや、良すぎて、家内と時間配分をして、一日、 10時間?は見ていた。7年余りでガタがくるのは当然。で、私は、おバカに。 今更だが。 で、居間のTVは? 可能な限り持たせて、次世代の到来を待つ? 脳の奥から、『黄昏に、TVや、こんなのを書いてないで、古典などをジックリ と読み込んだら!』の声。
・・・・・・ 5561,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 2016年06月06日(月) 「基底欠損」を、ネット検索すると ≪ ■概要 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。 基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような 何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、 世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、 世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、 この基底欠損がみられる。≫ とあった。 ―― 名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、 恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、 山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、 『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、 山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」 と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。 ・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で 人から影響を受けない性質」 ・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな 『ザ・日本女性』」 ・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」 マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。 ▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り 乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人 の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、 優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、 基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。
・・・・・・ 5196,閑話小題 〜ギリシャが? 2015年06月06日(土) * ギリシャがユーロから離脱? ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、 かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、 欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは 財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。 ーネット検索で、最新レポートをみつけたー ≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、 ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに 賭ける人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国が それに妥協しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になる。 2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの 当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を 示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの 国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築 すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。 今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。 財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収 もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民 には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。 年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、 医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように 考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、 それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の 縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。 ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、 IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、 16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、 スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」 伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た (不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い 数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫ ▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を 映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会 を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」 がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが 漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が 用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。 「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。 ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員 として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。 建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか 生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある! 〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。 ―――― 3359, ギリシャ問題の深層 2010年06月06日(日) 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融 恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に 入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の) 金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、 「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、 エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった (当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、 GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の 収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が 13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。 加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も 受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。 ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。 それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。 ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、 まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が 出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、 欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、 イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、 御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。 ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧 諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても! という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの 土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、 その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。
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2018年06月05日(火)
『世界の自己啓発 50の名著 エッセンスを読む』 T・バトラー=ボートン著 * 80対20の法則ですか 20年前に読んだ本だが、読返して、なかなか面白い。 その要約が、要約本にあったが、当然のことだが、私の要約より遥かに 切口が新鮮で、面白く、解りやすい。
≪ ・効果の8割は努力全体の2割から得られるという紹介する法則は、いま 一つピンとこないが、売上のほとんどは、全品目の2割から上がる。とか、 カーペットの摩耗は、殆どが、全体の2割に集中する。 個々の数字は少々違うかもしれないが、世の中の動きが基本的に教えよう としているのは、基本的に不均衡ということ。 ・法則が示す結果は、知らないものには、魔法のように見えるだろう。 それは「最小の法則」と言われ元もとあったことだが… ―50対50の信念 vs 80対20の法則― 普通の知識で考えれば、費やされた努力と、得られる結果は、5分5分だが、 時代の進化は、これだけでは通用しない。簡単にでき、しかも好きなことを すべきである。そうすれば、他人よりずっと有利になり、その分野の頂点に たてる。80対20の法則で動いている世界は、この活用をしたものが、遥かに 大きな成果が期待できる。 ―時間革命― 私たちが価値あると思うもののほとんどは、費やした時間のごく一部から 得られる。大いに効率を高め、より幸福になり、より稼ごうと思ったら、 その「ごく一部」を10,20と言わす最大限に増やさなければならない。 私たちの社会は時間に対する評価が、あまりに低いと! 「時間管理など必要でない、必要なのは時間革命だ」 コッチは、「ほとんどの人は、的外れなことを、一生懸命やりすぎている」 という。大事な時間を、非合理的に湯水のごとく使っている。 ―よく知ってることなら怠けても大丈夫― たえず何かをして奮闘しているのに、結局、何もしていないのである。 コッチは、ドイツ将校のマトリックスを紹介し、「最高の将軍とは、ミスが最小 で、もっとも先見の明があり、有能でありながら怠惰な傾向がある者」と定義。 スターになるために不可欠なのは、「怠ける能力を磨く」ことだと述べる。 困難なことや、難しいこと、尊敬されそうなありふれたことより、簡単に出来る ことに集中すべきである。 驚くべきことに、資本主義では、個人が自分自身で あるというだけで成功し、豊かになれるようになっている。自分の能力を最大限 に発揮すれば、ごく小さいながらでも極めて高い価値ある独自の分野を自ずと 築くことになる。この法則は、野心と、悠然と自信に満ちた態度の組合せである。 内省的な思考、習慣にとらわれない時間の使い方、そして「快楽主義的な哲学」 を必要とする。「はたらくほど成功する」と考える私たちの文化において、 徹底的に虐げられてきたと、コッチは考え、やっていることを愛するほど、 その道に上達する出来、他人に役にたてるからだ。 コッチは、ジョセフ・フォードのある言葉を紹介している。 <神は、宇宙を相手にサイコロをふられるが、そのサイコロは細工されている。 いかに宇宙が「予測された通りに不均衡か」を教えることで、80対20の法則が、 私たちが自ずと有利に賭けられるようにしてくれる。好きでもないことに 長じるより、自分にしかない才能を充分に発揮するというのが重要なことだ。 そうすれば、秀でるだけに留まらず、傑出した存在になることができる。≫
― ▼ 改めて45年の細やかな事業人生を振返りって、有り余った時間を面白、 可笑しく、使い切ってきた思いが残っている。多くは、外交的で、目先の 時間に追われて、怠ける機会も少なく、周囲の目線に気遣い、一生を終える。 そのことに気づきもせずに。それも人生だが… 『今・現在、楽しいかい?』 『これまで、どうだ面白かった?』の問いに、『楽しい!』と心の底から言える?
―――― 2003/06/29 『80対20の法則』ー読書日記 リチャード・コッチ著 ー私の解説ー 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。約100年前の イタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスにおける所得と資産の分布を 調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見し、2つの奇妙 な事実に気が付いた。「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」 という数理的事実を発見した。以前からABC分析や戦略論などがあったが、 この本は非常にわかり易い内容であった。この法則を知っているかどうかで、 数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。7つの法則ー最優先事項ーに、 要約すると似ているところがある。人は無意識的に「如何でもよい方の80」を 選択しているように思えて仕方がない。どの要因の20%が結果の80%を決定 するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。
■80対20の法則ってよく聞くものだが、この本を読むと「一人勝ちの経済」 「スピードの経済」とも絡みあい、そのバックボーンとなっている。 この法則を知るか知らないかは大きな分岐点。
★80対20の法則は、われわれが何をすべきかを教えてくれる。 努力の平均水準を上げるのではなく、努力を集中する。決められたコースを 走るのではなく、近道を探す。最小限度努力で人生の支配権を。多くの分野で 平均点をとるのではなく一つの分野で卓越した成績を上げる仕事でも自動車の 修理でも、自分でやらずにできるだけ専門家に任せる。よくよく考えて、仕事と 会社を選ぶ。できれば、他人に雇われるより、他人を雇った方がいい。 一番得意とすることで一番楽しいと思うことだけをやる。あたり次第にチャンス に追いつくのではなく、気を沈め、仕事量を減らしゴールへの最短距離に照準を あてる油が乗り切った時期に訪れる幸運の連続を大切にし、それを元手に将来の 成功を確保。
★成功している企業は、努力で最大限の収益を上げられる市場で事業を行っている。 そして、投資収益率の絶対水準が高く、なおかつ利益率が競争相手より高くなければ、 成功している企業とはいえないこれはすべての企業にいえることだが、現在最大の 「黒字」を上げている市場分野や顧客グループにまとを絞れば、業績を目覚ましく 伸ばすことが常に可能である。最も黒字を出している分野に資源を再配分し、 他には資源と経費の全体の水準を下げなければならない。社内の不均衡を解消する ことで、黒字を増やすことができる。最高の黒字を出している会社の部分・営業所 ・部門などを見つけ、抜本的な改善策をメリット、改善の見込みがなければ、 その部分での資源投入をやめることで、それができる。
☆80対20の法則を生かした付加意思決定の原則
極めて重要な決定はそれほど多くはない。何かが決定を下す前に行って目の前に 二つの書類を受けがあると想像してみよう。机の上によくある掲載箱と未決箱の ような箱の代わりに、重要な決定というラベルを張り、もう一方に重要でないと いうラベルを張る。そして重要な決定に入るものは20のうち一つくらいである ことを思い出しながら、頭の中で決定事項を振り分けていく。重要でないものに ついては、あれこれ頭を悩ましてはいけない80%のデータを集め、使える時間の 20%で80%の分析を行い、残りの時間を100パーセントを使って下す。 そして、下した決定が100パーセント正しいと信じて、果敢に行動する 下した決定が間違っているかがわかったら、すぐに考えを変える。市場をという のは休みなく動き続けているものなので、山のように積まれた分析結果をより、 市場の方がはるかに正しいのだから、実験を恐れてはいけない。間違った決定版 にしがみついてはいけない。市場の流れに逆らってはいけない。 事態が思い通りに突き進んできたら、掛け金を2倍に増やしていく。 なぜうまくいっているのかわからなくても、追い風が吹いている間に全力で従う。
★多数より常に少数の方がはるかに重要 ★生産性が低い分野から生産性が高い分野に資源をうつすのが、起業家の 仕事であり自由市場の本来の役割である。しかし、起業家も市場もその役割
・・・・・・ 2004/03/21 1082, 「80対20」革命 −1 (読書日記)
前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。 この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」 (TBSブリタニカ、1998年)の続編である。 前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、 非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。
この新著は更に深耕された内容といってよい。 ビジネスに特化し、「より少ない労力で富と幸せ」を獲得する方法が書いてある。 特に大きな組織から自立し、個人として成功するための方法を、具体例を多数 紹介しているのが特徴である。
もともと『80対20の法則』はパレートが発見をした法則である。 前回も書いたが、ここでおさらいをしてみる。
ーイタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートが1897年に発見した法則で 今では社会の様々な分野で実証されている経験則である。 例えば、 「会議では20%の出席者全体の80%を決める」 「営業マンの上位20%が、利益の80%を出している」 「納税者の上位20%が税金総額の80%を負担している」 など、いろいろと当てはまるのです。
これは、自然界にも当てはまる。 例えば、働きアリの集団でも本当に一生懸命に仕事をするのは2割で、 残りの8割のアリたちは、仕事を怠けているという。 「働く2割か、怠ける8割か」が、生まれつき決まっているか、と言うと、 そうでも無い。試しに、働いている2割のアリと、怠けている8割のアリを 分けてみるとまじめに働いていた集団の8割が怠け始めるという。 反対に、怠け者のアリの集団では、2割が働き始める、というから不思議である。 人間の場合ありえないと思うが。
つまり集団をどう選んでも、やがて全員の2割が平均以上に働いて、 残り8割は怠けてしまうという結果に落ち着くのが実験結果という。
ーこれを人間に喩えると… 怠け者を全員解雇して、よく働きそうな人間ばかりを雇用し直しても、 しばらくするとやっぱり、結果は同じことになる。 どこの会社でもみられる「なんで、うちの社員は働かないんだ!」 という悩みが、無くならないことが、このことよりよくわかる。
本書にはこのパレートの法則でいうところの20%を、 自分の中に見つける方法が多く書いてある。
著者はこの本の『主人公』である“80対20人間”について、こういっている。 ・「おそらく一パーセントにも満たない人々が、ほぼすべての変化をもたらしている。 創造力豊かな個人が、これまでの物事のあり方を変えているのである。」(31P) ・「こうした80対20人間の特徴のひとつは、独自の強みを生かそうとすると 同時に、多くの弱点をも自覚していることである。 80対20人間はその弱点を補うため他の個人を必要とする −80対20人間が能力を発揮できるのは、周りに他の人たちがいるからなのだ。」 「私が「個人」と言った場合、「個人とその小チーム」の意味であるということを 覚えておいてほしい。」 (38P) つづく ・・・・・・ 2004/03/22 1083, 「80対20」革命 −2(読書日記)
この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」 が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して新しく有益なものを作りだす 『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、 どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・
特徴的なのは、 「何かを創造したいなら、まず自分の20�佑離好僖ぅ�(強み)を見つけ、 伸ばさなければならない。新しいビジネスをつくりたいなら、ビジネスについて 考えることからはじめてはならない。自分自身について考えることから始める べきである」 個人の中にある20�佑離好僖ぅ�(強み)に対して忠実であるべきである。 この並外れたスパイクを自分で見つけ、強力に育て上げなくてはならない。 そして「取るに足りない多数」を外に外注に出し、エネルギーを 「きわめて重要な少数」の20�佑肪蹐阿海箸世伴臘イ靴討い襦�
20�佑凌諭垢寮源裟�は80�佑凌諭垢裡看椶任呂覆ぁ�何とその二乗の 16倍なのである。
・農業革命(10000〜7000BC)ー> 産業革命(1750〜1850)ー> 経営者革命(1900〜1950)ー> 80対20革命(1980〜2020) へとニューエコノミーの時代は移行している。 ・時代背景という面でみると、 農業経済ー>市場資本主義ー>経営資本主義ー>個人主義 へと変化している。 ほとんどの企業が主要な個人を中心に回る時代がやってくるだろう。 個人のスパイクこそが重要な資源に取って代わるのだ。 個人主義が資本主義に取って代わるのだ。 −−−− 以上は私が主観を込めて、まとめてみたものだが、 優秀な個人が世の中を支配する時代になってくるのか? 下手をすると、違ったカタチの独裁の時代になるのか? 結局は動物社会と同じところに行き着くということか? (一番優秀な個しか生き残れないのでは?) 等、考えさせられることが多い本であった。 それもグローバルという単位であるから、企業も個人も激しい競争に 直に巻き込まれる時代になったのだ。
・・・・・・ 2004/03/23 1085, 「80対20」革命 −3(読書日記)
現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが 求められている。 その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。
ところで、その途方もない 「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか? この書で解りやすく書いている。
・創造活動の一つは、「既存のものを再構築する」ということである。 「日の下に新しきものなし」と旧約聖書にも書いてある。
一万年前の農業革命も、自然の中に元々あったものを再編成をして、 はるかに生産性の高いものにした。 そして1750年以降の農業革命は、古来の生産様式を再編成をして、 規模と機械の効力を利用した。 現在のバイオテクノロジーは自然の行為を真似をして、その速度を上げ、 新たな変更を行っているに過ぎない。
・第二の特徴は、 「もっとも大きな強力な力を増大させる」というこである。
自然な力は無数にある。生物も生物でないものも。 創造に役立つものはその中の少数のものだけである。 有益なものは少数しかない。 植物の中で、滋養分が多いのは少数である。 栽培方法でも、優れているものは少数である。 生産物の中で、多産のものは少数である。
・創造の第三の興味深い点は、 「創造は、アイデアと個人がぶつかり結託するときに生じる」ということである。 創造の本質は物理的なものではなく、知的なものである。 マイクロソフトのアイデアは砂漠の砂遊びから生まれたのではなく、色々な アイデアをいじくり回したことから生まれた。 創造に必要なものは、アイデアと個人、それも少数のアイデアと個人である。 偉大な科学的飛躍はすべて、元をたどれば個人や小チームがあれこれ考え 再構築した少数の豊かなアイデアである。
・ビジネスの創造には、第四の特徴がある。 「ビジネスの創造は、顧客にとって価値が向上するものでなくてはならない」 ということである。より多くのものをよりやすく提供することである。
創造をおこなうことが不思議でもなんでもないのは、 科学者の非凡な才能や狂気じみた発明家、霊感を得た起業家だけである。
ところで、 どの企業も事業構造の変革を求められているが、 その更なるイノベーションターゲットを何処に求めるかが課題である。 自分の使っている時間を、いま一度振り返ってみる必要があるようだ。 使っている時間の10から、20倍のものを生み出せるものは無いだろうか? そう今まで考えたことがあっただろか。 その一点で、もがき、のたうちまわっただろうか? ノーである。 もっとも大事なことは、このもがき苦しむことである。 厳しいが!
・・・・・・ 2004/04/06 1099, 「80対20」革命 −4
「自分の20�佑離好僖ぅ�(強み)を見きわめる問い」が考えさせられる! ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか? 一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。 どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。 人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。 あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、 どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、 現在の自分について考えてみて書いてみた。 ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、無かった部分が よく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記 に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって いるからだ。もう見せているから今更だが。 全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。
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2018年06月04日(月)
* 全身全霊で土壇場で3〜4日かけて… 7年前に立場が逆転、白目が、黒目に総替わり。だいたい1シーズン(3ヶ月) に一度位は、直接的な嫌がらせを経験する。 客商売を長年、続けていると、 お客とのトラブルは日常茶飯事。それを面白がり楽しむ知恵が出てくる。 しかし表向きは平然としているが、世人の底が見えすえているので怒りは 半端ではない。それを予兆して、私にとって2ランク上レベル?のスケジュール をたて7年、実行してきた。その習慣の中から見えてくる世人は、それはそれは… 半径5k圏の世界が面白く、愛おしくさえ… 17年前に本格的に個人HPを立上げ、ネット世界にサテライトを開設、日常の 現実世界を覆ってしまった。スマートフォン・タブレット端末の普及で、SNS などのソフトが世界を覆い、これまた世界の人々の日常を変えてしまった。 が、まだまだ、世界は、私たち世代を含めた昭和二桁世代が多く占めている… 日本にとって歴史に残るバブルを生きてきた世代も存在し、化石時代の原人から、 古代人、現代人、宇宙人?などが混同している時代である。
サイコ襲来は3ヶ月に1度ぐらいペース。 それは不意打ちが多い。淡々と した生活には、これが必要事項。もし、これがないとしたら、エネルギー源が 失われることになる。 折角なら楽しめば良い。50、100回、自分の首が削ぎ 落される経験も、サイコパスには必要と。怖れる前に、実践したらよい。 但し、感知されないように。 ―― ポン督: 腹が立ってショウガナインダよ。何とかしないと心が爆発しそうだよ。 あの野郎どもへの怒りを如何したら鎮められるか、誰か教えてよ。 寅: なら八つぁんの出番だね。色いろ工夫して、やってるじゃないか。 八: これが面白い?のなんの。7年前から、地元の長岡の自宅で、ジム通いと、 月一ぐらい地元の学校の同期会の出席や、カラ友と飲みに出るぐらいだが…。 その中で突然、見知らぬ人や、手の平を返した知人の嫌味、罵声が飛ぶ。 要するに、自分の心の傷口の血を、 他人の傷に塗りつけるあれ。岩穴から 出れなかった自分への鬱憤がね、誰か 標的が出来ると… それは軽度の サイコパスだが、その自覚は全くない。 その繰返しで出来た爛れが肥大化し サイコパスに転嫁する猛毒の恐ろしさを知らない。TVのワイドショー、週刊誌 は、これらサイコバス症候群を顧客に設定し、番組を構成する。その一つが、 尾ひれはひれのついた噂話と陰口。飲み屋の酒のツマミ。 ニャロメ! 熊: アンタが何時も言ってる世人というアイツラだ。俺よりバカというけど。 寅: バカなら、この長屋の大家、八つぁん、熊と俺と同じじゃないか。 大家: 違いは、己のバカが自覚できるか否かだよ。でも、イメージで100回も ソックビを落とすと、何か病気や事故の現象が出てくるというのも分るね。 八: 誰にだって、還暦、いや50歳の峠を越えると、自分だけでなく、身内に 病などの問題を抱えている。それが、何処かに現れ出て不思議でないしね。 これで、2週間で怒りの8割は消えるの。合理的だろう。で、次のが出てきて、 相手がかわるの。で、その2〜3年後には、事故とか、重い病になる物語さ。 関係ない他人の傷口に自分の膿を塗りつける人は、元もと病んでいるからね、 自分の膿が、そのままブーメラン効果で返ってくるのさ。何も不思議じゃない。 要するにミニ物語化してね、全身全霊で内的に抹消する手順を踏むこと。 残ってしまうと、それこそ膿むだろう。気合のエネルギーは人一倍あるからね。 大家: あんたのは年期が入っているから尋常ではないよ。 八: だって、相手だって気合が入っているし、ヘドロに、この位が当然さ。 ヘドロに、このバカっていうのが、一番にバカだよ。ったく!
ポン督: アンタに言われて、やってみたが、スッキリ効果がないね。 八: そりゃ、全身全霊じゃないからさ。まだ気合が足りない。50回もイメージ すれば、腹の虫もおさまるよ。収まらないのは気合と憎しみが足りないためさ。 収まったら、それで良いじゃないか。誰も傷つけないし、我が内なる抹消で済む。 100回で、終わるケースが大部分。 200回はレッドラインの実感がするしね。 自分も相討ちになるからね。 一度、200回を、やってみたよ。頭にきたもの! 寅: 俺なら500回は叩き落とすね。あやつ、こういうことにひ弱だもの。 でも、これは良いよ。誰を傷つけるわけでなし。いや、もしかして? 大家: 200回のソクビ落としは、キツイよな。物語化すると、別次元の力が 湧きでる経験は私にもあるからね。心底に沈殿する前に、吐きだすんだ。 健康にも良いよ。 これが、本当のサイコキラーだね。 八: 毎週、ストレス解消にシネマ館に行くだろう。あのドタバタ劇の主人公 のエネルギーを充電しにいくの。毎朝の信濃川へのポタリングも、大手大橋を 歩きながら、地球の中心にエネルギー源マシーンをイメージして、10分、 深呼吸をしながら自分の魂に流入するイメージを持つ。そして、後の数分、 身体中の毒素が、押し出されるイメージもね。自分の魂は自分でコントロール しないとね。サイコキラーに汚されることはないさ。とにかく、ストレスを 溜めないことさ。 ポン督: さっそくやって見るよ! 俺は病室だから、1000回だよ。100人にさ。 八: マズイこと教えたかな。それより、茫然自失で、芯が壊れているか。 神様: そっ首落としより、祈りなさい。大切な恩人じゃないですか。 八: そりゃ、このままじゃ、自分にも跳ね返ることぐらいは知っている。 一年後に、解除するイメージで解放するのさ。気の毒?だもの。そうでも しないと、心底の奥底は死体の山積みだもの。年4人として30人になる。 清水の中としても腐るしね。 寅: この辺りは、実践したものしか言えない言葉だね。 熊: サイコが一番大事な人ってのは、俺でも分かるよ。まずカカアからか〜。 ポン督: キミ、面白いね。 気持ちが半分、楽になったよ。 寅: この男だけは、教えない方が良かったのでは? 大家: それも、態勢に従った想いだろう。自爆しただけのことですよ。
・・・・・・ 5924,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜4 2017年06月04日(日) * 母親と供に 宇宙船内の両親の席の母の隣に座り、一方的に話した内容とは。 ≪ 父親も尊敬してましたが、貴女も人間として見上げる存在でした。 亡くなった時、医師の希望の解剖の結果、心臓の4分の1が壊死していたこと を知り愕然としました。2人の息子を死なせ、母としての責任と後悔で重度の ノイローゼに陥ってしまったことは知っていました。それでも、心臓が四分の一 も壊死していたとは。 中学校2年の時に、夜半、心臓発作のため、立川病院の 院長自らが駆けつけて、止まりかけた心臓のマッサージをしながら、大声で、 『堀井さん、自分で生きようとしなければ助かりません。苦しくても生きたいと、 思って自ら立ち上って下さい!』と絶叫していたのを覚えています。 言語に絶する苦しみが当時の私に伝わっていたと思ってましたが、殆ど分かって なかったということですよね。 白髪が逆立ち、両手を上に突きあげ。私を見て、 「助けて!」と、絶叫していましたね。 その急場を乗越えた後、少しずつ病状が 良くなっていく過程で、新興宗教に助けを求めたり、宗教書や倫理書を熟読する ことで、苦しみの種を、一つずつ取除いて立上っていく姿を身近で見ることが 出来ました。貴女の生い立ちは、生れて直ぐに父親が亡くなり、男後家の義父に 苛め抜かれたと、ことあるごとに聞いてました。実母も義父に気遣い、表向き 幼女の貴女には冷たくしていたと。 親からの直の愛情を、子供に与えられた 経験のなさが、仕事の忙しさも手伝って、目先、ガムリャラに生きるしかなく、 息子の不幸を招いたと、聞いていました。これは子供の私たちにも影響をあった ようです。 その反動が、私に集中し、孫のような特別待遇をして貰いました。 結果的に、それが良かったか、悪かったか。貴女は、子供でも分かるような、 宗教書や倫理の本を何気なく、茶の間において、自然に読ませてくれていたのが、 間接的教育だったのですね。 10年近くの重度のノイローゼの中で気づいたことは、「過酷の環境下での、 『無教養』が、取返しのつかない不幸の原因だった」ということですよね。 私自身も、「知識の絶対的不足」に気づいたのは、地元を離れた学生時代。 オープンハウス的な寮生活で、全国の多くの人と、私生活を共有したためです。 「面白い共同体の寮があって、実に社会勉強になる」と、何処かから聞きつけ、 放り込まれましたが、その実態について、殆ど話した事はなかったですが… これが絵に書いたような雑多の家庭事情を持った玉石混合の25室の寮。その部屋 には、その友人も多く出入りをしており、良いにつけ悪いにつけ、赤裸々な様々 な品位を垣間見ることが出来ました。これが、面白い別次元の空間。都会の寮や、 アパートなら、こんなものでしょうが… そういう貴女と33年間も同居することが出来、あまりに多くを学ぶことが 出来たことが、この地球ツアーで一番の成果だったようです。両親にならって 何が創業人生を目指してきたのが、この程度で、です。 『ご覧のとおり、そのまま結構!』とは、あなた方を省みると、決して 言えません。何はあれめぐり会えたことが、一番の感謝すべき幸運だったと、 黄昏の日々を過ごしています。≫ ー ▼ 書いて初めて気付くことが、あまりに多い。愛情は与えることであって、 受けているだけではダメということですね。
・・・・・・ 5559,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜�� 2016年06月04日(土)
最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、 以前は、再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。 TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。 特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が 始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、 家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。 * 寅は「基底欠損」 <山田洋次:名越康文 対談>より ≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。 名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。 「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。 山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫ ▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、 ことあるごとに聞いていた。 3人の子供を残して逝った父親の後添えに、 祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、 3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを 知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その 子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。 両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。 〜つづく
・・・・・・ 5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島 2015年06月04日(木) * 「南海トラフ巨大地震」について、 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島の西之島近くで 海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に 噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか? 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊 『地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の 可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜 ≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。 現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震は 869年 貞観地震(三陸沖)M8.4 大津波 878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型 887年 仁和南海地震(南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。 これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は 東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・ 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の 共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる 可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学 的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば 「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。 南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。 さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、 地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。 事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。 南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁 大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融 危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題 は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、 今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ 火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に 対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を 得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著 『地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と 仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫ また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。 ≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か? 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、 変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き 起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、 富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても 不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9 という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発 する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが, その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた 「貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な 変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、 日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫ ▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、 5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて のことだ。桜島、阿蘇山、箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている 日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に! 5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と!
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2018年06月03日(日)
<あいつ今何してる? 2018年5月23日(水) 19:00〜20:00 特別編 名門高校の先生の記憶に刻まれた天才&奇才卒業生は今?> * 鬼才の今! 家内が録画をしたのを翌日に見たが冒頭の女性のケースからして驚いた。 親の「何で?という好奇心を徹底的に伸ばす」という教育方針。 子どもの 「何で?」の質問に対して、面倒くさいと思わずにとことん付き合う親の姿勢。 それ故に、友達から嫌われるが、それを徹して乗越え、異能になった姿が良い。 私も社会科学が大好きで、それ故に、小さな世界に馴染み過ぎた人からは、 嫌われてきた。 <折角の人生、何やってるんだ>の自問自答が、 自分だけでなく、他者にも向いていた。問題は脳の質の問題になる。 私の場合、才能、基本が出来てないため、奇人・珍人の類… 。 彼女は、その後も、エリートコースを着実に歩んできた… 「上を見上げればキリがない、下を見れば底がない… だが。 事例で取上げるだけの価値が充分にある人物のようだ。 ◇内容1 【生徒】2000年卒の青木瑛佳さん 1.茨城県屈指の進学校・江戸川学園取手高校…教師歴30年以上の超ベテラン 教師が「こんな生徒出会ったことない!」 ・「教師の上を行く天才」 ・「常に廊下で人間観察して“あの子は成績が上がって来た"など同級生を分析」 ・「質問が鋭すぎて教師が恐れていた」 ・「当然のように東大に現役合格」など…天才と奇才を兼ね備えた学年No.1 の秀才少女は一体今何をしているのか! 【現在の仕事内容】 �� 国立環境研究所の研究員 環境省が行う10万人対象の国家プロジェクト「エコチル調査」に携わっている。 エコチル調査は、化学物質等の環境要因が子どもの健康にどう影響するか、 赤ちゃんがお母さんのお腹にいる時から13歳になるまで定期的に健康状態を 確認し、明らかにする調査。 �� 法政大学で心理学の講師(英語only) �� 子育て 【進路】 江戸取(首席)⇒東大理2⇒東京大学大学院⇒コロンビア大学大学院⇒帰国後、 区役所等で働く⇒現在 ― ▼ ネット検索によると、《優秀さから妬みからのイジメが半年間が続いた。 彼女は勉強だけは絶対に負けないという強い気持ちでイジメを乗り越え難関校 全て合格し、通いやすい私立江戸川学園取手中学校に主席で入学した。この頃 から子供を研究したいと思いを抱いたという。そのキッカケについて公立中学の ある女の子がいじめに遭い、不登校になってしまった。という話を聞き、自身も いじめに遭っていたが不登校にならなかった違いについて理由を知りたくなって しまったという。そのため人間関係などを観察し、その経験を職業にしたいと 考え東京大学理科二類を志望。しかし、心理学は本来は文科三類で学ぶので 真逆の進学を進んでいる。その理由を聞くと文系の友達ばかりになるのは面白く なく、文系以外の人も観察したいと思い、理科二類に現役合格した。2年生まで 理系の人間を観察し、定員2名という文学部社会心理学課程へ進み、心理学を 本格的に研究開始した。そこで最先端の心理学を学ぶことを勧められコロンビア 大学大学院に進学した。》 世の中は広いし、色いろの人生がある。「何故、何故、何故」の好奇心を追い 求める姿勢を上手く誘導して伸ばしていく親の能力を見逃すことが出来ない。 イチロウも、大谷も、ロジックを基本から鍛え上げていたようだ。 「何で、何で、何で?」と、トコトン追及する知的好奇心。これが人間の原点 ということか。これにスマートフォン、タブレットの機能の果てない進化。 「親の因果が子に報い」のプラス・バージョン。親の資質から派生しないと… 能力、履歴とかではなくて、何故何故の問いかけの秘儀そのままを追及した、 彼女の人生の一端を垣間見れたことに驚いてしまった。 そこには、 「虐め」の存在が。その怒りこそ、エネルギーの炉になっている。虐める方も、 親の不仲が原点にあり、彼女の場合は、その方面に。親の立場から原点を再構築 しなければならない。
・・・・・・ 5193,半隠遁五箇条 2015年06月03日(水) 『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 * 半隠遁五箇条 ≪ 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。 俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、 妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、五十歳を潮時に ‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。 1.「清貧の思想」にあらず 2. 趣味を追求するなかれ 3.不快を避ける 4.無理しても快適を得る 5.金に執着しない、 とした。 ・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』 ・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』 ≫ ▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、 似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 現状というより、目標を書くとすると、 <隠遁生活五箇状> 1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める 2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 ?、「闇」―蛍と星とダークマターをみつめ ?、「独」―独りでいること ?、「閑」―逆茂木に囲まれて ?、「怠」―怠け猿のように ?、「懶」―心に余白を持つ 〜を意識して、世界に浸かる 3、その中でも、新しい知識、感動、感謝を貪欲に求め続ける 4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう 5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が 面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。 それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、 デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし!
・・・・・・ 5923,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜3 2017年06月03日(土) * 武澤信一教授 遠くの席に、武澤ゼミの武澤信一教授の姿が見えたので、 隣席に座って、思い切って一方的に話しかけてみた。 ≪ 先生が亡くなられて20年近くになります。 武澤ゼミの一年間の思い出は、 何もかもが新鮮でした。 ・八王子のゼミ・センターでの泊りがけのセミナー。 ・NECのコンピュータ工場訪問。 ・出光の造船工場の作業現場での組織を一望する体験。 ・自由課題の「卒論」に四苦八苦した経験。 ・一年に及ぶ、ケース・スタディの討論会。 様々な企業内トラブルのケースの現象を一次とすると、その背景に、 二次、三次の構造と背景を洞察し、対策を立てる手法を、一年間かけて 学んだことは、何によりも変え難い経験になりました。仏教語で、それを 「真・仮」とも言いますよね。現象を「仮」、二次的構造を「真」と。 ゼミを終えて部屋から出たとき、目のまえが黄色に見えていました。 人事管理は、それほど、重い仕事ということですよね。 地頭で考えぬく訓練は、戦場の真中で出来ても、なかなか出来ること ではありません。創業は、正に、その都度、目の前に現れた困難に対し、 その背景にある構造を直感し、手持ちの材料を組み立て変えて、新たな価値 を作り上げることでした。としても、ドン・キホーテのような、己の姿を 思い出すたびに、赤面しています。先生が亡くなられ、その後、暫く出席 していた奥様が亡くなられた現在も、年に一回、ゼミ出身のメンバーが経営 する赤坂見附のフランス料理店で、数十人が集まって、生前のまま「偲ぶ会」 に変わって今でも開かれています。 ホテルを開業後、一度、新潟の何かの学会のおりに、泊まっていただき、 古町で語りあかしたことが、今でもハッキリと憶えています。≫ ー ▼ <ところで、この宇宙船内とは、何なんでしょうか>という先生の問い かけに、<何なんでしょうか〜>と、赤面する私。父親と、武澤先生が、 私の陰として、「馬鹿なお前は、ひたすら、挑戦と、変化と、己の無知との 闘いを続けるしかと、凝視しているような。で、独り、早朝に、こんな 瞑想をしている。 ・・・・・・ 4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3 2013年06月03日(月) 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著 * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」 という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、 それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した 思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が なくなる。 ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー ≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた 仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある 仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。 われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈 するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な 世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、 「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の 良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ 曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に 触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、 あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。 たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や 共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫ ▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、 その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の 崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。 それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが 崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、 身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。 舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、 万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的 にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。 現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が 見えているから。それも私の仮説でしかない。 ・・・・・・ 5558,閑話小題 〜サプリメント効果 2016年06月03日(金) * サプリメント効果 ・サントリーのサプリメント、『ノコギリヤシ』。5千円のものが、一万人 無料という広告文につられてネット注文をし、飲みはじめてから一ヶ月。 効果は2〜3週間後に出るという文面どうりに、効果が出てきた。これまで、 夜半に8割かたはトイレに起きていたのが、今では三日に一度に減っている。 それに、肌に水気が増えて滑々してきた。 他に、サントリーの別広告で、 『セサミンEX』の格安広告を見て注文し、先のものと共に飲んでいる。 ・10年前には様様なサプリメントを飲んでいたが、今では、冬季の生姜湯と、 飲むヨーグルトと、水分補給用のビタミンC入り飲料だけ。 ところが、 年々、体力の衰えを感じてきたこともあって、再チャレンジすることにした。 ・これを飲み始めて、身体の方が、待ってましたという感覚。還暦から10年、 明らかに足腰の衰えが顕著。これだけの即効からして、無料提供をするわけだ。 50年来の腰痛と、パソコンの前に一日4時間も座っているためか、前屈みの姿勢 になりがちだが、姿勢も少し良くなったようだ。問題は価格。そこで、格安の ノコギリヤシのサプリメントがないかとネット検索をすると、あるある。 老いた老いたと身体の不調を愚痴るより、対策を探した方が良い。それより、 節酒が先決だが! 持病の腰痛、栄養バランスの悪さも要因だったのかも。 「老いたら子に従え」でなく、「老いたら、サプリメントバランスに従え」か。 ・・・・・・ 4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7 2012年6月3日(日) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著) * 中年と老年の境目 「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、 サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして 50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を 整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 ことがことだっただけ、ハッキリしている。 ≪ 【人生の総決算】 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に 囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった 性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ 象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。 少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に 根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。 もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。 暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で 自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に 居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。 それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に 歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような 時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、 むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを 振ることを強いられるということではないのか。 ≫ ▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの 「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。 私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。 肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって 半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
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