堀井On-Line



6239,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜3

2018年04月13日(金)

   * 芸子コスプレ? 花街街
 「ひがし花街」に入って、数組の芸子らしき連れが歩いていたが、若くて
艶やかだが、何か不自然。 直に、観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。
一年程前にTVで京都・祇園の舞子姿の着物のレンタルサービスを報じていたのを
見たからである。早速、「金沢、花街 着物レンタル」で、検索したところ
以下の通り出てきた。 『着物レンタルができるスポット7選』の店の一つの
プラン説明である。7店のレンタルプライスは、セットで4000〜5000円。
 手頃の値段である。ある店の説明文が、分かりやすい。

――
【 金沢街歩きプラン4,500円(税抜)
 モノトーンモダン風、レトロ椿姫風、パステルメロウ風、大正ロマン風など
テーマを決めて、300種類以上の着物からお気に入りの1点を見つけて金沢街歩き。
これが私のキモノ道!今日は私が姫なのです。自分が主役になる晴レの日。
そんな時には何の遠慮もいらないの。おもいきり飾って、重ねて盛ってたくさん
つけて。お着付けから着物・帯・和装小物・草履まですべて料金に含まれている
ので、手ぶらでご来店頂いても大丈夫です。

01.お電話orメールでご予約
 ご希望の日・ご来店時間をお聞きして、予約の空きを確認致します。
ご予約はホームページの予約フォームより承っております。当店よりメールで
一両日中に予約を承りました旨を返信させて頂きますのでご確認くださいませ。
02.ご来店選ぶ楽しみ、着るシアワセ。
 SHOPにご来店頂き受付をお済ませ頂きましたら、レンタルプランのご案内をさせて
頂きます。お気に入りの着物を見つけて金沢街歩き。帯や帯揚げ・帯締めのコーディ
ネートに迷ったらSTAFFがお客様のスタイルアップのお手伝いさせて頂きます。
  着物選び時間約20分〜30分

03.着付け綺麗に見える着付け=着心地の良い着付け
 落ち着いた金澤町家の和室で本格的な着付け体験。年間2万人を超えるお客様
の着付けを行うプロの着付け師が親切、丁寧にスタイリング。「綺麗に見える
着付け=着心地の良い着付け」をお楽しみください。かわいい帯結びや小物使い
などのスタイルアップはプロにお任せください。
  着付けのお時間約15分
04.ヘアセット一期一髪
 ヘアスタイルはお客様にとって着物の次に大切なところ。お選びの着物と
お客様のイメージをスタイリストと創り上げる一期一髪のスタイリング。
FORMALからCASUALまでブライダルやパーティーシーンで活躍中の
プロスタイリストが繰り出す旬のヘアアレンジをお楽しみください。
 ※当店ではお客様がご自由にお使い頂けるヘアーセットスペースも
  御用意してます。
 ヘアセットのお時間約20分
05.ご出発
 お支度が済んだらご出発。
兼六園入口だからとっても便利!金沢随一の観光スポットです。徒歩圏内で
21世紀美術館・東茶屋街、長町武家屋敷・近江町市場など金沢探訪には最適
なエリアです。アクセス便利なロケーションなので、ご出発からご返却まで
楽々ご利用頂けます。

06.ご返却
・楽しくお出かけの後は、18時までに当店にお戻りください。
お預かりの荷物のお渡して、お着替えが終わりましたら返却完了です。
お帰り支度のお時間約5分
・翌日返却
翌日の12時までに当店にご返却下さい。
・ホテル返却
レンタルされた着物は、ご宿泊先のフロントで返却頂けるサービスです。
お預かりしたお洋服やお荷物は当日の18時までにご宿泊先のフロントに弊社
STAFFがお届けしておきます。お届けした袋にレンタルされた着物や小物を
入れていただき、翌日のチェックアウトの際にフロントにお預け頂けると
返却完了となります。                   】

―
▼ 少し着付けを身に付ければ誰でも可能な仕事だ。相手は1限、中古を
 集めればサホド初期投資はかからない。遊びとして合理的である。特に外人は
喜ぶだろう。これらの情報もネットで簡単に得ることが出来るし、予約制も取
入れれば、互いのロス時間も最小に済む。現地で、和服の結婚衣装姿の撮影も
していた。結婚式のプランの一つのようだ。
 ところで、石川県の人口が、新潟県の人口の丁度、半分の115万人とは驚き。
北陸3県の人口は300万で、新潟県の2割程しか多くない。
しかし、存在感が数倍も感じられるのは、背景に、能登半島と、飛騨高山、
富山などの山々の自然の幸が豊富のため。それと、加賀百万石の秘められた
豊かさがある。それが、香林坊、片町、「ひがい茶屋街」「にし茶屋街」
「主計茶屋街」や、兼六園を代表とする文化を営々と作り上げている。
<それにつけても… カッパエビセン>  知らないことも時に必要です!
でも、知る悲しみを通過しないと人は成長しません。 何を言ってるの?
――――
H0407城下街小唄
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。その大手通り
のほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちり
できており漫画的ですらある。
 彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。
特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、彼等の出す“ウワサ”
がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”
の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。
(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”
と評価される。固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベスト。
“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”
を聞いた、今は下火になったのだが、新興の各業界の�癸韻亮卍垢�十人あまり
�癸韻�、ゆえに聞くに耐えない“ウワサ”を流された。“一種の集団いじめ”
なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである。 それがおもしろ
おかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、自らの名が出るか
どうか怯えている。“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる
“ちほう社会”そのもの。

・・・・・・
4409,隠居大学ーよく遊びよく遊べ −7
2013年04月12日(金)
 第六時限「遊行の旅に出よう」ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 安野光雅
    * いのち短し恋せよ 人生は! 
 御隠居には自由気ままで何事も楽しめる特権がある。桜は咲き誇った時だけ
でなく、桜絨毯にも何ともいえない美しさがある。散った花も花である。人生は
二度なし、その時どき、すべきことをしておくべき。しない後悔より、してみた
後悔がよい。「いのち短し恋せよ 人生」である。今でも遅くない、
自分のバイアスに気づき取り払うこと。それが、御隠居の残された最後のお勤め。
今までの枠を超え楽しまなくては、長生きの甲斐がない。
どちらにしても先は長くはないのだから。
≪ 天野: 落葉の風情なんてまるで意味のないものと思われていますよね。
 安野: あのね、わたしの家の近くには桜並木があって、春には窓から
  花見ができる借景なんです。この前、ある人が近所に引っ越してきて、
 その人も最初はキレイな桜を見て「素晴らしい、素晴らしい」って喜んで
 いたの。ところが、秋になって落ち葉が家に入ってくるようになうたら、
 こりゃ住めたもんじゃないっていって、引っ越しちゃった。花も落葉もある
 いいところなのに。落葉は風が吹くと竜巻ぎみたいになって、クルクル
 回ったりしてね、いいなって思うんだけど。
天野: 落葉のそういう風情を楽しむのは、遊び心の一つなんですよね。
 機能的なことだげ考えたら、そんなのないほうがいいってことになっちゃう。
 だけど、そういう、なんとなく無駄なようだけど風情があることの中に、
 何かこう人生を感じたり面白味があったりするなあと思うんですよ・・(略)
安野: ・・・いまの現代の文明が昔を超えたかというと、超えていないわけ
 ですよ。ミケランジェロみたいな絵を描けっていわれても描けない。
 ミケランジェロはおろか、まだ人間以前のクロマニヨン人が描いたラスコー
 の壁画だって描けませんよ。電気もない、真っ暗な洞窟の壁に、あんなもの
 どうやって描いたんだろうと思うけど。文明は進化したかもしれんけど、
 文化はさほど進化していない。だから、古いものだからって、
 バカにするのは違うんですよ。
天野: 人間は技術文明の上では巨人になっても、文化や芸術の面では木偶の坊
 になったっていう人がいるんだけど、同感だね。せめて現代の隠居は、落葉の
 風情の楽しみ方みたいなものを次の世代に伝えていけたらいいと思います。
安野:『即興詩人』に憧れてイタリア全土を周遊するなんて若いころの話で、
 今では、仕事だから、仕方がないから行っているものも多いんです。
 私は言葉が分からなくても行くからね。そういうと、言葉とか、食事は
 どうするか聞かれる。高学歴の人に多いね。でも、困ることなどない。
 宿屋に行けば、「部屋探しに来たんだな」って思われるし、八百屋に行けば、
「野菜を買いに来た」と思われる。レストランなどでは上から三つ目にしている。
 たいてい食べられるものが出てくる。 一度、とんでもないものが出てきた
 ことがあったけどね。(笑い)  
天野: 隠居生活は、遊行の旅のようなもの。日々気ままに、
 好きなほうに歩いていけばよい。面倒なことをしないで。
安野: そう、なんでも、自分の思いのまま、楽しんでやってみたらいい。
 言葉など必要ない。いのち短し恋せよ少女、ですよ。≫
▼ 何ごとも楽しむ人生を過ごせたので、あまり人生に後悔はない。
 いい時代、いい家庭に恵まれたことを感謝している。あとは、過去の思い出と、
現在の楽しみを味わい尽くすことである。死んでしまえば、それまで。生きて
いるうち。 それにしてもバイアスが邪魔をする。「ハミングしながら
スキップ気分で何事にも触れること」は分かっているが、いま一つ。
・・・・・・
5141,閑話小題 〜二年で円の通貨量が二倍になったが
2015年04月12日(日)
  * 二年間で円の通貨量が二倍に!
 二年前、日銀の黒田総裁が、「2012年末に138兆円だった資金供給量を14年末
には約2倍の270兆円に拡大。長期国債の購入量も2年で190兆円と2倍強に、
上場投資信託などリスク性資産の購入も増やす。インフレターゲットは2%。」
と発表した。ところが、先日のニュースで、「2年間で円の通貨量が
2倍になったが、インフレ目標の2%はゼロのままと、日銀が公表」と報じた。
 リーマンショック後、米国は数ヶ月で二倍、現在は三倍以上にドルを増刷、
為替相場が3分の1になったかといえば、7年前と同じ。日本の供給量は
2年で二倍。しかし為替相場は3分の2。株価は安倍首相が就任した2012年
12月26日の終値は1万0230円36銭だから、2倍になった。日本も米国も通貨量を
2〜3倍にしたにも関わらず、インフレにならないところが摩訶不思議。
アベノミクスは中長期的にみて明らかな失政が見てとれるが、保守本流の
頭脳は膨張以外、考えが至らない。「後は野となれ山となれ」である。太平洋
戦争突入の数年前の様相と似てきている。家内を見ていると、物価の値上げに
対する反応に敏感だが、これは一般主婦の趨勢。スタグフレーションの様相を
示している。保守本流は、早くいえばアメリカの忠実なポチ。強者に優しく、
弱者には厳しい。先日、図書館で借りてきた、『金持ちが確実に世界を支配
する方法』の「1%による1%のための勝利戦略」が、まさに現在の政権と
酷似している。とって付けの、政策など、直ぐに、その正体を現れ出るが、
その前に衆議院選挙を昨年末に断行した安部も、強かである。この国民を
して、この政府。とはいえ、激動期には保守本流で中心を固めないと、
学芸会のような政治ごっこの政党に、国は荒らされる! まだ、マシ?
・・・・・・
5871,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜5
2017年04月12日(水)
 ニュートラルゾーンを過ぎて、いざ旅立ち。脱兎のごとくシナリオとおりに、
踏み出していくしかない。大きく吸込んだ息を、思い切り吐出す気合。あるもの
全てを全身全霊で吐出す。大よそ10年の一節目を、全身で吸込み、一気に吐き
出す気合。人生を振返れば、このような経験は誰もしてきたはず。秘異境ツアー
も、これと似ている。 傍(ゾンビ)からすれば「なに、これ」の発狂だろう…
   ★ 第3段階……何かが始まる
≪・何かの始まり、すなわちあなたが新たにやりたいことは、必ずしも明確な
 あなたの意思や計画を前提としてない。偶然の出会いや出来事が、何かの
始まりにつながることの方が多い。例えば、私にはたまたま飲み屋で隣に
座った男と意気投合して、その人の下で働くことになったという知人がいます。
もちろん、その運命の出会い以前に、知人はすでに十分なニュートラルゾーンを
体験し、新たな始まりに向かう準備がある程度できていたということもあるが。
・新たな始まりは、しばしばあいまいで、言葉で的確に表せません。むしろ、
抽象的なイメージや印象の中に、始まりのヒントが隠されています。他者との
対話を通じて、そのイメージや印象がより具体的な「やりたいこと」として
浮かび上がってくることもあるかもしれません。しかし、確信を持てなくても、
また準備不足でもいいので、気になっていることを始めてみることです。
・さて、新たな始まりに対しては、しばしば内的な抵抗が生まれます。
それは、安全で慣れ親しんだ現状が壊れてしまうかもしれないという恐怖心から
くるものです。また、周囲の反対という外的な抵抗にも遭遇することが多い。
新たな始まりには、内的、外的な抵抗が生じやすいことをあらかじめ理解して
おき、適切に対応することが求められます。
 また、新たな始まりは、すぐには結果に結び付かないものです。
目標達成のために必要な日々の地道な積み重ねをおろそかにしないこと。
結果を出すことに目を奪われすぎないようにしましょう。≫
――
▼ 敵地のド真ん中に、独りパラシュートで飛降りるような経験。
 これはキャリアを育てるための高速配転される本人の、その都度、経験する
心情になる。社会に出て30歳半ばの10数年間、その都度、茫然自失しつつ、、
目の色を変えて「自己配転」をしてきたが、面白いより、やはり異常体験? 
 「何かが始まる」のではなく、「何かを始める」から、そこに何かが現れる。
問題は、第2段階までの準備の質と量。 「カタチ」つくりの、「カ」=神のカ、
着想、意味ある偶然。「タ」、田圃のタ、で計画、準備。「チ」が血、知、恥、
を入れて完成形になる。 アメリカの大金持の最上?の遊びに、
< 手製で飛行機をつくり、その出来と運転具合を競う大会に参加し、自慢し
合うゲーム>を、TVドキュメントでみたことがある。そこには格別の知的
センス、金力、膨大な時間、維持続ける能力を要する。この大会参加は、
第3段階にあたる。第1、第2、第3段階の全てが行蔵として残るから、結果に
無頓着でいられる。「失恋の何が悪いか!」成就より、まだまし? 
「日々、是、口実(好日)」で、己を癒しているのか、これは? 大体、
こんなところが落ちに。「何かを始めるから、何かが終わる」 人生と同じ。
  「人生、暇つぶしなら、最上のことを」 探せば、それぞれにあるはず。
・・・・・・
5506,閑話小題 〜最近のTVは、面白いのが多い
2016年04月12日(火)
   * 最近のTVは、実に面白いのが多い。
 その時どきのウェーブがあるが、最近のTVは、面白いのが多い。
『Youは何しに日本へ?』『家、ついて行ってイイですか?』『世界街歩き』
『火野正平 こころ旅』など、軽い目線で、街や村の道路で声をかけたり、
街歩きをする番組などである。チョッとした旅行をしたいが、面倒だったり、
通りすがりの人の私生活や人生を生(なま)で覗いてみたい気持ちを代行
して、ズカズカと入っていく面白さは格別。
 『家、ついて行ってイイですか? 』を検索すると、以下の内容説明があった。
< 終電を逃した人に「タクシー代を出すので家について行ってイイですか?」
と声をかけ、家を見せてもらいインタビューをおこなう。 深夜、急に訪れる
片づけられていない素のお宅は、その人の人生ドラマが 散りばめられた宝箱。
そして誰しもが、一見フツーでも 、ぜんぜんフツーじゃない 人生ドラマを
持っている! そんな素敵な市井の方々の人生譚を覗いていきます。>
 一昨日見たキャバクラ嬢や、美容師の変態ギャルのキャラクターと実態に、
お笑い5人のスタッフが、呆然と声を失う。 最近、見始めたばかりなので、
過去分を動画のYoutubeで見ると、あるある面白い人生が。
 『YOUは何しに日本へ?』の検索には、
< 空港に居合わせた外国人(永住・帰化した人物なども含む)に
「YOUは何しに日本へ?(Why did you come to Japan?)」と問いかけその返答
の様子や、気になる返答をした人に密着取材を依頼し来日した目的を果たす様子
を放送する。番組内では性別・年齢問わず名前ではなく外国人はすべて"YOU"
(複数ではYOUたち)と呼称するが、密着時には混同を避ける意味もあり個人名
も使われる。基本的には半日から数日間の密着であり放送も一度限りだが、
長期の旅行や研修に密着する場合、放送回をまたいだり、しばらくしてから
後日談が放送されたりするケースがある。基本的に密着時はYOUの日程に合わ
せて行動するため、出先の店舗や施設ではその場で撮影交渉を行うことが
ほとんど。> 
 それぞれの分霊に、これまで生きてきた触媒が取囲んで自分を形成している
姿が浮き上がる。死ねば、その分霊ともども消滅する。その分霊は、これまで
も、今後に、人類が存続する限り浮かび上がってくる。人生は、その触媒の
質量で形成されるが、そこには両親の格差で、大きく左右されるが、可能な
限り、そこからアップスケールし続けるかどうかもある。その触媒で、一番、
手軽なのが、書籍と、TV、友人、ネットなどがあるが、自然との触合いも
欠かすことが出来ない。情報化の時代、暇と少々のお金こそ財産になる。


6238,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2

2018年04月12日(木)

   * こんにちは、わが青春の金沢へ
 日帰りの『金沢、富山コース』。国内のバスツアーは、十数年前に、、
夜行バスで行った『京都の桜観光』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主…
 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
  〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
――――
2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
   ー平家ー鉄板焼き
 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が
油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような
親父で、その話を聞いているだけでよかった。
 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。
「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴
を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。
それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
――――
5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
――――
2014/06/05
「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
   
* 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づく
か気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、
多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いもの
である。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、
大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に
いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、
抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との
東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋
で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下
を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。
ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、
「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、
「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」
と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も
考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが
青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、
「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、
創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、
人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を
自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
――――
2014/06/03
「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か
質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  
ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め
の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は
感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い
かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声
で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り
返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを
互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的と
する。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう
決まっている、その人のソフトのベースもある。
 この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、
人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付ける
こと、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に会社は強くあらねば!ということを。
人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。つまり
「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を
柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。

――――
2014/06/01
「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
   * 金沢百万石での経験
�� 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の
経験不足はまだまだ不足。それと建設期限まで二年間半の期間があた。そこで、
何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた
「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友と資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の
社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がり
に落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先への
新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。
2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、世の
サラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく言ったもの。
何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。三年前の決断は、こういう経験が
あればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの
踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の
対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。 
 当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない震災クラス
の事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、
北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。

��金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ
京都風の味わいがある。特に目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。
いっけん厳しそうな男女間は、非常に大らか。私の出身地の長岡藩では、幕末の
「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。
しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何とも
いえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した会社内の空気
から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。
しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。

�� 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、
子供服売場へと配置された。ジャスコも含め、多くの売場配転から学んだことは、
業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の
再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つ
でしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、親しくさせて貰った取締役
部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、その後の事業立ち上げの教訓
になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、入社の一年4ヶ月後に、
突然、家からの一本の電話が入った。      ーつづく
――――
2005/06/29
1548, わたしの酒中日記−11
金沢−7
1972年7月20日

明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。
二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。

ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。
夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。
金沢で初めて食したが、良い思いでになった。

その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。
同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。

金沢の夜も今日で最終になった。
一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。
気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、
そと者の社員は人間扱いはされない。

金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。
背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。

対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。
比べること自体が問題であるが。

幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、
今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。
金沢に住んで、このことがよくわかった。

長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。
金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。
日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。
相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。
箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。

とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。
外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。

さらば!金沢。


6237,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー

2018年04月11日(水)

  昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。
地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、
早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅
への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 
・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、
・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』
・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。
家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの
秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、
桜の開花が一週間早まり満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。
それでも、満足できる散策。
 その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、美味しかった。
「ひがし茶屋街」の散策を1時間ほどして、帰路についた。
金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。
立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、
マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、
女性専用のマンション寮が大うけで、若い女性の就職希望が殺到していた急激
な右上がりの会社で知られていた。しかし、勤めて半年もしないうちに、ドル
ショックが起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る
激動の最中。社長と、ナンバー2、3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。
 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの
相談と、信頼の構築。 肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。
最悪が故に、面白いことが多かった。女子寮内に、誰か茶道に通っている人
が居ないかと聞いて、寄宿していた寮の近くの一般家庭の主婦が
教えている家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに数人、
金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通いながら、
様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでいた。金沢は外モノには優しく、
仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣いが歴然としている階級社会。
男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、男をたてる世界。
富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、金沢に… 。
当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる茶屋街が「ひがい茶屋街」
「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで集められ、現在
に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店のパンフレット
配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられない。
出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、芸子の
スッピン顔だったと、今回の散策で気づいた。それでは綺麗なはずだ。
 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除いて、四日市、神戸、金沢、新潟、
長岡市と、仕事で渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が
一番の粒揃いで‘粋’があった。文化面で一番、影響を受けているのが、
京都の文化である。北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、
他に、料理文化の深さ。現在はどうか知らないが、おでん屋、小料理屋、
喫茶店に味わい深い店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、
どの場面も、青春の真只中の思い出は尽きない。時代は、経済が激動の
中でも、右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。 
ドップリ地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。
  これを書いた20分後に、ポタリングに出発し花見をする予定。
長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。
習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ…日常の世界に
舞い戻った。一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくること
になるが…

追: いま気づいたが、3年前に、以下を書いていた。
  少し出来過ぎだが、こんなものか。話題の在庫が少ないだけだが。

・・・・・・
5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
   * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評
ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか
 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、
これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。
《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。
彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を
“さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症”
になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに
襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」
と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給
自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め
ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略)
クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見
どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息
していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も
ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん
ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人
たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を
続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、
タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村
に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り
くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず
のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》
▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、
 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、
主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、
脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!

・・・・・・
4775,ぼんやりの時間 ー8
2014年04月11日(金)              
  * 「懶」 ー心の余白    「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが
懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。
事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を
知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、
お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。
《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の
 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の
人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。
懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎)
の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?.
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、
それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか
の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の
定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、
東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化
しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして
きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと
動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を
捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは
思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。
 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。
「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに
これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的
瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》
▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった
 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。
それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が
似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては
いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! 
いや、埋めようがない!
・・・・・・
5870,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜4

2017年04月11日(火)

 昔から、「逆境には根を、順境には枝をはれ」と言われてきた。
若い時の大病、浪人暮らしなどニュートラルゾーンの七難八苦の苦労は買って
でも、するだけの価値は充分ある。その空虚感は、当人には一大事だが、なれば
こそ、多くのタネがみえてくる。孤独の極みが、強力な磁石に自らなることに、
ということ? 
   ★ 第2段階……ニュートラルゾーン
≪ ニュートラルゾーンは、何かの終わりに伴うさまざまな喪失感を受け止め、
 耐えるべき時期です。ニュートラルゾーンにおいて人は深刻な「空虚感」を
味わう。始まりとの間にある空白の期間であり、進むべき方向が分からず、
ただ立ち止まって逡巡しているだけに思えるが、決して後ろめたく感じる必要
はない。空虚感は、終わりまでのプロセスの自然な結果であり、実は、新しい
人生のための下地が準備される時期だからです。
 だから、こうした空虚感から逃れようとじたばたせず、むしろその感覚に
素直に降伏するのです。もちろん、これはとてもつらいこと。しかし、新たな
「再生」のための「死」(過去の自分との決別)を象徴しているのが、こうした
空虚感です。この空虚感の中からこそ、新しいあなたが再び誕生するのだと考え
ましょう。ブリッジズは、ニュートラルゾーンの体験を意義あるものにする
ための具体的な対応を6つ示しています。
●1.1人になれる特定の時間と場所を確保する
(孤独の中でこそ、人は内なる声を聞くことができます。早起きをして散歩
 する。仕事の後、落ち着けるカフェでゆっくり休むなど、一時的にでも離れて
 真に 孤独になれる時間と場所を確保をする。)
●2.ニュートラルゾーンの体験の記録を付ける
 (ニュートラルゾーンにおいて自分の心をよぎるさまざまな
 気持ちや考え、アイデアを書き留めましょう。)
●3.自叙伝を書くために、ひと休みする
(自叙伝を書くことで、過去の振り返りと整理ができ、
 上手に何かを終える ことができるのです。)
●4.この機会に、本当にやりたいことを見いだす
(とことん自分と対話する機会です。さまざまなしがらみや固定観念や他者の
 影響を切り離し、素直に自分の心に「何がしたいのか」と問い掛けてみる。
●5.もしいま死んだら、心残りは何かを考える
(ブリッジズは、自分の「死亡記事」を書いてみることを提案しています。
 自己分析の練習になります。生年月日、両親、兄弟、学歴、所属、賞、
 趣味、そして、最後の言葉をメモ程度でいいので書いてみます。死亡記事を
 書くのはぴったりの作業です。この死亡記事から、過去の自分の人生で
 やりきれてないこと、本当にやりたいことが見えてくるかも。)
●6.数日間、あなたなりの通過儀礼を体験する
(昔、若者は、一人前の成人として認められるために、15歳など、特定の年齢
 に達すると住む村から一定期間離され、そこで何らかの試練が与えられ、
 また孤独な時間を過ごす「通過儀礼」を体験させられたもの。≫
――
▼ 始りと終りの間のニュートラルゾーンに、「空虚」と「発芽」がある。
 空虚が強いほど、「発芽」の力、新たな「心、観、学、術、体」の‘芯’が、
自ずと蓄積される。<心の芯を強固にし、その観方で、学んだ事を術に高めた
結果、それが体として具現化。> それを水面下で準備する時節が、この時節。
 99%が、落込みからの諦念が、その肥しになるが、そこに自然と楽観が出る。
そうこう考えると、トランジション理論は、創造論、創業論のベースである。

・・・・・・
5505,下流老人 ー��
2016年04月11日(月)
 『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 』で、「下流老人」の用語を
提示をした藤田孝典 が、その定義を、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、
およびその恐れのある高齢者」とした。 既に貧困老人は700万人に及んで
おり、相対的貧困率は22%、高齢者の4〜5人に1人の割合だが、
その少し多めの人を入れると、3人に1人となる。お金は天下のまわりもの
だが、愚痴を言いたいのも分かる。  〜著者のレポートによると、
<・2014年の高齢社会白書によると、3千万円以上の預金を持っている
 高齢者は25%もいるが、蓄えが十分と答えた人は、わずかに3・4%しか
いなかった。既に一割が安心して暮らせる水準だが、あとの9割は不安定の
状態におかれている。
・例えば、自営業で働いてきた夫婦の場合、二人の国民年金は、13万円。
税金などを引かれて10万そこそこなら、生活保護並みか、それ以下になる。
 生涯平均年齢400万のサラリーマンをみると、厚生年金が16万、妻が
国民年金として、その加算が22万として、手取18〜9万では、ほぼ生活
保護並み。夫が、ガン等の病になれば、即、困窮生活に入る危険がある。
・その上に、子供が失業をして実家に頼ってきた場合も、困窮理由になる。>
▼ 4人に1人が3000万の預金とは驚き。老人の貧富の格差があまりに大きい。
 NHKや、民放のTVで、下流老人の厳しさの実態事例を放送しているが、
これは何処にも見られる話。 周辺を見渡すと、比較的豊かな人が多いが、
3分の1か、4分の1は、瀬戸際にあり、傍でみても、非常に厳しいのが分かる。
貧困老人問題が関心が持たれるのは、老後の貧困が、特殊な人ではなく、
平均的サラリーマン生活を送って来た人にも、近い将来現実になりつつある
ことがわかってきたため。 去年の6月30日に起きた71歳の老人による
新幹線車内でガソリンをかぶっての焼身自殺を図った焼身事件。 当人は、
その月から年金だけの生活になって、改めて受給額の少なさを実感し、不満を
周囲に漏らし、自殺をほのめかしていたことが事件後に、明らかになった。
 その年金受給額は月12万円。居住していた杉並区の生活保護基準は14万
4千円。 年金受給額が生活保護基準を下回っていた。それまで清掃業の仕事
をしていたが、仕事がなくなり、年金だけの生活。もっと少ないと生活保護を
申請するケースが多いが、12万は、生活保護基準を下回るが、極端にひどく
はなく、普通の勤め人生活を送ってきた人が、年金暮しで単身生活を送る
標準的なケースという。 この老人は、将来を悲観してしまったのだろうが、
特殊なケースではないとか。老いてからの貧乏は身に染みるが、9割が、
その淵とは・・ 老いた夫婦の場合、「先に逝ったもの勝ち」も、あながち?


6236,閑話小題 〜 「人間は血のつまった袋である」(カフカ)

2018年04月10日(火)



   * 寺山修司 ・語録より
 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。
それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に
読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会
の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー
などは特にそうだ。
 〜ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。
――――

 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 ―
 “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは
変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが
幻影の体験なのである。”
 ―
“われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を
生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”

“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている
とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから
「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、
すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に
ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”

“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという
ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”

“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。
回帰するやつは、みんなくたばれ。”

“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も
はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という
ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を
終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は
主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ
である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”

“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を
実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だ。
 …私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えること
もある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」
である―というわけだ。”

――――
▼ “昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。
それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?…
…人は誰でも、現在的な存在である。…「わたしが一番きれい」だと感じるのは、
いつだって現在なのだ。” の詩が、鋭く突き刺さってくる。
老年に至ったためだろう、泥沼のように過去が、容赦なく現在の私を脅かす。
閑居は、良いことばかりではない。心の中は、快晴の時も、大嵐の時もある。
今の私にとって、「現在は、過去の影でもある」。過去と現在の対話で、何時も
圧倒するのが、過去である。年齢だろう。「老いることは無念!」と言ってた、
伯母の言葉の実感が徐々に身に染みてきた。それを寺山の詩から思い知るとは… 
‘生きていればこそ’ではあるが。

・・・・・・・
3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての
  立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より
  二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。
  グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、
  部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
  これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、
 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後
  10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
  この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る
  しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、
  「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが
  (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない
  人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌
  という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下
  のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。
  この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能
  汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の
  ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
  に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。
  リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史
  に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、
  客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、
  ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 
  青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ
  みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
  この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、
  建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・
  どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
・・・・・・
4033, シングルイン、31年間の総括 ー9
2012年04月10日(火)
   * つれづれに ー9割がた終了
 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを
加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 
この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件
で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 
一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を
サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに
逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 
これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷
が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中
し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、
深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測
される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が
なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して
いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 
最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。
その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、
拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた
ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
・・・・・・
5869,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜3
2017年04月10日(月)

 計画通りに予定挫折などの自己配転を続けるには、「ウエットな心情に、
ドライな頭脳」が必要になる。本来、心は弱く、傷つきやすく、その結果、
生じるのが、離脱、アイデンティティや、方向感覚の喪失感である。
それらを克服していくプロセスで生じてくる覚醒と、信念の芯の強化が自然と
生じてくる。 「正 中心 一点 無」を想念し、問題の中心点を只管、想い
続けるしかない。 それが予定挫折としても、厳しさは同じ。 
 トランジションを3段階に分けた内容とは
  ★ 第1段階… 何かが終わる
≪ 何かが終わるとき、自分の意思で終わらせられる場合と、自分は望まない
のに外部の状況や他者の影響で強制的に終了させられる場合があります。これを
仕事でいえば、前者は自己都合による退社、転職。後者は企業都合による解雇、
転勤、異動などで、慣れ親しんだ仕事、職場から無理やり離される場合です。
後者は、自分が望まない変化であることも多いため、ひどく落ち込んだり、
やる気を失う人もいるでしょう。
 強制的であれ自分の意思であれ、これまで持っていた何かから離れることは、
心理的な痛みを伴うものです。うまく物事を終わらせることが容易でないのは
そのためです。しかし、何かの終わりは何かの始まりでもあります。
たとえ自分が望まない終わりだとしても、新しい自分を発見する良い機会だと
考えて気持ちに折り合いを付け、過去と決別する必要があります。ブリッジ氏は、
「アンラーン(un-learn)せよ」、つまり、「過去の考え方を捨てよう!」と
提案しています。
 さて、何かの終わりをうまく処置するのが難しい理由は、終わりに
 直面した人のほとんどが経験する以下のような感覚があるからです。
•離脱(Disengagement)
 それまで慣れ親しんできた場所や人から引き離されることから生じる感覚。
•アイデンティティの喪失(Disidentification)
 過去の世界とのつながりを断ち切ることで、自己定義の手段を失ってしまい、
 自分は何者であるかということが分からなくなる感覚。
•覚醒(Disenchant)
 自分がこれまで属していた世界に抱いていた楽観的な見方は幻にすぎないと
 気付く感覚(会社や他者に裏切られた場合により強く感じるもの)。
•方向感覚の喪失(Disorientation)
 今後どの方向に進むべきか、そのために何をするべきかといった目標や計画が
 失われる感覚(解雇など強制的な終わりによってもたらされやすいもの)。
 何かの終わりに伴う上記のような感覚からは逃げることなく、
次のニュートラルゾーンにおいて、とことん味わいつくすことが重要です。≫
―
▼ まず直面するのが、孤立と、孤独に伴う自己喪失感。そこで必要なのが
 幼児時期から、これまでの親からの愛情の温み。それと、小さな成功体験。
そして読書習慣による時空を超えた他者との触媒。一度、生身の世界から離れ、
自分の信念と、能力の棚卸をすること。特に強みと弱みを見据えること。
そこにあるのは、何の力も、魅力も、温かみのない、小さな哀れな自分。
それを直視してから、具体的に歩みを進めるしかない。過去を引きずらない
ことが、最も重要なことは、周囲を見渡せば一目瞭然。捨てきれない自分が、
ここにいる。どの道、誰もが直ぐに死ぬのだから… どの道、同じですか。
・・・・・・
4774,ぼんやりの時間 ー7
2014年04月10日(木)
                「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   * 「怠」―「1日四時間労働」の夢
「怠」肯定の論など、それもラッセルというから驚いた。ーその辺りからー
《 英国の哲学者であり数学者であったバートランド.ラッセルは、一九三二年
『怠惰への讃歌』という論文を雑誌に発表。怠けることは「いいことなのだ」と
いえば、昔はむろん、いまでもかなりの反発を買うことになるだろう。
 お前は怠け者の味方をするのか、この世に怠け者が横行すればマジメに働く
ものは損をする、働くことをおろそかにする世の中なんかおしまいだ、など
など非難のツブテはつきないだろう。怠けることは大切なことだと主張した
ラッセルでさえ、「何もしないで怠けているものに、悪魔がいたずらをする」
という子どものころに聞いた格言を紹介し、怠けることを恐れるあまり、いま
まで一生懸命に働きつづけてきたと回想する。 それでもなお、ラッセルは
「仕事はよいものだ」という信念こそ、恐ろしく多くの害をひきおこしている
と主張する。 ラッセルはなぜ「仕事はよいものだ」という世問一般の常識を
批判し、「怠惰はよいものひぽだ」という主張をしたのか。
 人びとが生きるうえで大切なのは「閑」である、という思いがラッセルの
主張の根幹にある。勤労は神聖であり、働くことはすばらしいものだという
考え方は、支配者、富裕階級が、働くものにそう思いこませるためにいい
つづけ、その企みが一般にもひろまったとラッセルは考える。 
 少数の特権階級は、他人の労働のおかげで多くの閑な時間を享受している。
自分たちの快適な閑を守るためにも、特権階級は働く人に向かい、「働くこと
は大事なこと」といいつづけてきた。 「私が本当に腹からいいたいことは、
仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害毒をこの世にもたらして
いるということと、幸福と繁栄に至る道は、組織的に仕事を減らしていくに
あるということである」と、ラッセルは書いている。 文明が起こってから
産業革命まで、人ぴとはせっせと働いてきた。妻も、働ける年齢になった
子ども働いてきた。しかし、最低の生活支える分しか手元には残らず、
食料は支配者階級が管理した。飢饉のときは、余剰物資は支配階級の管理下
にあり、多くの労働者は餓死した。労働者たちは、十分な閑をもつどころで
はない貧しい暮らしをつづけいた。 》
▼「人生で最も大切なことに縁が無くなるのは、暇な時間が無いため」と、
 ラッセルが指摘する。 私の選んだ事業は装置産業だった。 当たりさえ
すれば、当分は何もしないで済む時間が、褒美として差し出される。当初は、
戸惑い、暇を持て余し次の設置に取組んで、最後は、過剰投資でダウンした。
しかし、その間の膨大の時間は、何ものにも代えがたい贈物であった。 
冷静に考えれば、長期装置産業など、この激変の時代に、そぐわないが、
後悔が少ないのは、膨大の「怠」の時間を得ていたため。これは当事者で
なければ理解できない実感。そのため、解放された現在、肩に羽がはえ、
空中を飛んでいる感覚がある。いずれも、同じでしかない、ということ。 
生きるのは、辛く、哀しく、面白く、滑稽な、ことである。立場が変われば、
見方も変わる、ということ! 振返ると、挫折して呆然としていた時に、
人生で一番、必要なことをしていた。聖書を読んだり、講演を聞きに行ったり、
旅をしたり、溢れる言葉の整理とか・・
・・・・・・
5504,愛と孤独   ―池田晶子の言葉 〜��
2016年04月10日(日)
     『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田晶子(著),
  * 疑わなければ、信じられない
《 人間は、まず自分を信じていなければ、他人を信じることはできません。
 自分の中の普遍的なものを見出すことで、自分を信じると同じに他人を
信じることができるのです。普遍的なもの、つまり、誰にも共通のその真実
を見出すためには、人は考えなければなりません。 考えるということは、
疑うということです。自分の、他人の、あらゆる言動や心の動きを、
これは何か、本当か、真実はどこにあるのかと、徹底的に疑うことで、
真実は初めて見出されるのです。だから人は、疑わなければ、信じられない。
そして、信じていなければ、疑えないのです。》  〜『私とは何か』
☆ 「信じるものは救われる」でなく、「疑うものは救われる」、いや、
 一度、「信じなければ、疑えない」ということ。疑うこともなく、
信じることもなく、百まで生きた人の一生。 これも人生である。
会社整理から5年経過、そこで見えてきたのが、自分と他人の浅い底。
自分の人生を中途半端に生きてきた蟠りの対象にもってこいの対象になる。
それが逆照射で炙り出てくるのは、それぞれの人の、そして自分の歪な姿。
――
   * わかる力は愛である
《「わかろう」という意志、これは何か。言うまでもない、優しさである。
 わからないものをわかろう、自分ではない他人をわかろう、この想像的
努力のまたの名は、ほかでもない、愛である。愛のない人にはわからない、
愛のない人が、わかっている以上のことをわかることはあり得ない。
なぜなら、最初から、わかる気がないからである。わかる気のない人に、
なぜわかるわけがあるか。愛していないものを、なぜわかる気になれるか。
わかる力は、愛である。えてして人は気づいていない、真の知力とは、
愛する力であることを。》         〜『残酷人生論』
☆ 「真の知力とは、愛する力である」とは・・ 愛する人のことを知り
 たがるのは分かるが、逆に嫌いな人は、生理的に遮断して、脳から消して
しまう傾向が私には強くある。愛するには訓練を要するが、必要な訓練である。
「哲学とは、知を愛すること」というが、わかろうとする力こそ、愛の産物。
成るほど、親の愛とは、いや万人の愛は、理解する力、本源である。
――
  * 愛とは、
《 内に引き籠もるほど、外へ開ける完結することで、底が抜ける自分と
 他人を分けられないのは、他人と自分だからである。愛とは、つまり
こういうことである。 》     〜『リマーク』
☆ 書くとは、文章化するとは、物語化するとは、一時的に、自分の内に
 引き篭もることである。それが深いほど、気持ちが入るほど、外に開ける
ことになるため、自分の底が割れることになる。それが同調すれば、自分も
他者もなくなる。 だから、この随想日記が15年も続いた。


6235,閑話小題 〜変じゃないかい?

2018年04月09日(月)

   * 不可解な? この絶妙なタイミングに…
 何か不可解な事件が起きた。大統領の自宅のあるビルの火災にしては、
マスコミは騒がない。このタイミングからして、家族に対する無言の威圧になる。
 〜ネット記事によると
【 トランプ米大統領の自宅があるニューヨーク中心部のトランプ タワーで
 7日夕、火事が発生し男性1人が死亡した。消防士4人も負傷した。原因不明。
大統領は不在だった。火災が起きた際、トランプ氏やメラニア夫人はワシントンに
滞在中で、親族はビルにいなかった。同タワーはトランプ氏が2017年1月に
大統領に就任するまでオフィス、住居として使用。現在もトランプ氏の私邸と、
長男らが経営する不動産会社トランプ・オーガニゼーションの本社がある。
 市消防局によると、原因は調査中。火が出たのは分譲住居部分で、家具などが
燃えて室内はほぼ全焼したという。火災発生時に50階(58階ビル)の窓から赤い
炎が見られ、タワー付近は大勢の人が集まって騒然となった。(2018/04/08) 】
―
寅さん:時が時だけに、何か薄気味悪い時に、嫌な火災が起きたよな。
大家さん:だろう!人の出入りの激しいビルの中で、チェックは難しいはず。
  北朝鮮からすれば、斬首作戦とか言ってるが、他人事ではないよ。
  ドローンで、強力爆弾を積んで突っ込めば、それで済む話。
  大たい、そんな物騒な場所に大統領になっても住み続ける方が変ですよ。
熊さん:俺だって、その位のことは常識と思うよ。どうしたのトランプちゃん。
寅さん:俺もトラだけど、俺と同レベルかいな。 NHKの番組で、解任の続く
  ホワイトハウスの実情を取上げていたが、共和党内も、この大統領の存在
  に、苦慮していると言っていたね。あれは間違って泡沫がロシアの力を
  借りて、大統領になってしまった漫画の世界だね。
大家さん:でも、無謀な政策の実行の段になると支持率が上がるということは、
  やはり、アメリカの本心を、そのまま実行しているだけということですか。
八つぁん:少し話が変わるが、北がオリンピックを機会に、中国に擦り寄ったり、
  韓国や、トランプ大統領と会談というけど、その前に決裂の可能性が高い。
  で、このタイミングに火災だろう。ミサイルの外に、この手もあるかも?
  の予告ということ? とにかく、あそこは移動した方がいいね。
大家さん:時間稼ぎの手段ぐらいは、知っていて、早期に決裂するのが、トランプ
  大統領の思惑さ。ロシア取引疑惑と、無能隠しに、戦争しかないもんな。
八つぁん:金ちゃん、やり過ぎだったよ。あれじゃ核戦争になっても仕方ないよ。
  最悪の事態には、最悪の役者が揃うというけど、よくぞ揃った物。これは
  歴史に残る迷場面ですよ。
熊さん:俺もそう思うよ。これまで、騙しっぱなしだもの北は。いくら何でも、
  もうだまされないよ。で、決裂さ。
大家さん:トランプ:金対談までか、その前の、韓国大統領:金対談までは
  大丈夫だろうが、やはり、緊迫した事態を注視しておかないとね。
 
 追) 何とかなるのかな〜 本当に?
  あれから7年、何とかなったじゃないですか。
――――――
4406, 大丈夫、なんとかなるさ
2013年04月09日(火)          
  * よい先生、わるい先生  ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 
 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの
レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは
思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に
とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、
ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から
二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 
  ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問
したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた
という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは
ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校
で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の
仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」
を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。
「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 
「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫
▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 
 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に
残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳
ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを
書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、
「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の
子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。
「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。
  とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? 
まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! 
・・・・・・
5503,エヴェレスト 神々の山嶺 ―映画感想
2016年04月09日(土)
 「山岳遭難もの」は、苦手だが、『映画道』という言葉があるなら、
この『エヴェレスト 神々の山嶺』を避けてはなるまいと、シネマの日も
あって、昨日の昼ごろ、心を奮い立てみてきたが、これが思いのほか、面白い。
私の邦画の評価で95点は上の上。 人間の極限状況は、そのまま、人生道
にも通じるところがある。  〜まずは、内容紹介より
《 日本のエヴェレスト遠征チームに参加していたカメラマンの深町誠は、
 滑落事故で仲間を失い、登頂は中止になってしまう。
行き場を失い、ネパールの首都・カトマンズを彷徨っている中、骨董屋で
ある古いカメラを発見する。それは、1924年6月8日、エヴェレスト登頂に挑み
ながらも行方不明となったイギリスの登山家ジョージ・マロニーのカメラと
思われるものだった。 マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかと
いう登攀史上最大の謎に魅せられた深町は、証拠となるカメラを追い、
一人の男に辿り着く。消息不明だった伝説のクライマー、羽生(はぶ)丈二。
彼はなぜ日本から姿を消したのか?その男がなぜカトマンズにいるのか?
「天才クライマー」と呼ばれながら、無謀で他人を顧みない彼の孤立した
過去を調べるうちに、深町はその生き様にのみ込まれていく。そして、羽生に
人生を翻弄されながらも、彼を愛し続ける女性・涼子と出会う・・・。
二人の男と、一人の女。それぞれの想いが交錯する中、己の人生を賭け、
世界最高峰の“神々の領域”へと足を踏み入れる男たちの挑戦が始まるーー。
                  岡田准一、阿部寛、尾野真千子、》
 〜登山家の[羽生丈二]の言葉が良い。
――

足が動かなければ手であるけ
てがうごかなければゆびでいけ
ゆびがうごかなければ
歯で雪をゆきをかみながらあるけ
はもだめなら
目であるけ
目でゆけ
目でゆくんだ
めでにらみつけながらゆけ
めでもだめだったら
それでもなんでもかんでも
どうしようもなくなったら
ほんとうにほんとうに
ほんとうのほんとうの
どうしようもなくなったら
もうほんとうに
こんかぎり あるこうとしても
だめだったら

思え
ありったけの
こころで思え

―想え。           [羽生丈二] 
――

そこに山があるからじゃない。ここにおれがいるからだ。
ここにおれがいるから、山に登るんだよ。
               [羽生丈二]
――
▼ 魂から絞り出た言葉が、これか、と思わせる内容。お勧めである。
・・・・・・
5138,閑話小題 〜二人の旅路
2015年04月09日(木)
  前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集
『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。
 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より
 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から
≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。
 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の
 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」
 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。
 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、
 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫
  〜ネットに、心のこもった投稿があった〜
《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、
枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。
父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の
中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制
送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、
柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の
貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。
しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ 
いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ
の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も
許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省
に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を
期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇
仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、
2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。
もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、
柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府
の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は
亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。
2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は
遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、
哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 
格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》
▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、
 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。
その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。
それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。
・・・・・・
4773,ぼんやりの時間 ー6
2014年04月09日(水)
                「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「閑」ー逆茂木に囲まれて
 森の生活(世俗)を抜け出て、ご隠居(サバンナ)の世界に入った現在が、
まさに逆茂木の「閑」の世界である。閑の字は、門の中の一本の木がある。
それが、ぼんやりの世界である。 ーその部分を抜粋し、考えてみるー
《 さかもぎの刺のある木の枝をならべて積み、垣にしたものを逆茂木という。
 トゲトゲの垣を周囲にめぐらせておけば、「邪魔者はたやすく突破できない。
逆茂木の内側では、人はのんびりと過ごすことができるし、閑をたのしむこと
もできる。それが閑という字の意味だ。 およそ、そんな意味の文章が
『閑適のうたー中華愛諦詩選』の冒頭にあった。・・ 
 だれにも知られてない宿でぼおーっとして過ごすとか、めったに人の来ない
尾根道で二時間も三時間もぼんやりしたときをもつとか、そういうのが逆茂木
に囲まれた「閑」の状態というのだろう。閑は時間であり、空間である。 
それはときに逆茂木の内側という空間を表し、同時に逆茂木の内側に坐り
つづける時間を表す。そして、「閑」と「ぼんやり」は表裏の関係にあると
いってもいい。現代人にとっては、隠れ家を逆茂木で囲むには、それなりの
工夫が必要になる。 白居易の詩『閑適の詩』に、こんなくだりがあった。
   心足る(みちたる) すなわち 富(とめる)なり
   身暇なり(からだひまなり) すなわち貴(とうとき)なり 
(中略)・・ やがて吉井勇は、こんな歌をうたうようになる。
目を閉ぢて半珈を組みて或る夜半はほのぼのとして涅槃おもふも苦しみ、
楽しみながらたどりついた一つの境地が、この歌にはある。
(中略)・・旅をすること、自然度の高いところに隠ること、日々、
散歩をすること、温泉に入ること、閑をもつこと、独りになること、
雑事から解放されたこと、すばらしい土地の人びとに会えたこと、そして
たっぷりとぼんやりする時間に恵まれたこと、勇は、高知の猪野沢温泉で、
そういうぼんやり道の骨子になる部分の実践をしたことになる。
そのよみがえりは偶然のことではなかった。》
▼ 「せめてミニ書斎を持て!」とは、この閑の独りだけの時空を持て、
 ということになる。現に、この二m四方の、この空間は私だけの世界で、
BGMが流れ、2台のパソコンからは、欲しい情報、知識の殆どを手に入る。
今では、タブレットなどのモバイルPCという優れものもあり、何処へにも
持ち出し可能である。とはいえ、やはり自分の空間も必要である。雪もとけ、
自転車散歩(ポタリング)を再開したが、信濃川の土手の休憩で「ぼんやり」
を意識的に始めたが、これがなかなか良いが、難しい。先を急ぐ気持ちが、
勝ってしまい、直ぐに立上がってしまう。木の下や、ベンチで30分でも
一時間でも、小春日和の中、寝転べば良いのが分かっていても、気が競ぐ。

・・・・・
5868,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜2
2017年04月09日(日)
  ☆ トランジションの3段階
 第2段階の「ニュートラルゾーン」に何かしらのチャンスが隠されている。
・どん底に落込んだ中で「聖書」の真髄に触れるとか、
・経済成長期の中で、千葉市郊外の新興住宅地(完成時5万人)の中心十字路の
 商業地を確保とか、
・新潟駅前の進出が、新幹線オープン時期だったりとか、
・その新潟撤退の決断の直前に、後押しのような東北大震災に遭遇、迷いなく
 事業撤退が出来たとか… 等々。
人生を生きていく上に何かが存在しているような。それは、プラスにマイナス
にも働いてくる。表向きはマイナス状態だが、その背面には、大きなプラスが
隠されていたり、逆だったりする。それが‘機’、‘気’というのだろう。
問題は捉え方。
 ブリッジズ理論では、トランジション(転機)を3段階とする。
  〜その辺りから抜粋〜
≪ 第1段階……何かが終わる
  第2段階……ニュートラルゾーン
  第3段階……何かが始まる
 すべてのトランジションは、何かが終わるところから始まります。
米国の学校では、卒業式のことを「コメンスメント」(Commencement)と呼ぶ。
その意味は文字どおり「始まり」です。学校を卒業することは、学校生活の
終わりであると同時に、「進学」「就職」といった新しい人生の始まりもある
ということで、卒業式をコメンスメントといいます。 何事にせよ、私たちは
新しいことを始めるためには、以前の古いことを終わらせる必要がある。
 ニュートラルゾーンは、前述したようにどっちつかずの宙ぶら状態ですが、
自分をとことん見つめ直す機会であり、忙しい日常から一歩引いたところで、
あれこれ考える時間を持つという点において、一種の猶予期間(モラトリアム)
だといえます。私たちは、ニュートラルゾーンを経験した後で、ようやく新しい
一歩を踏み出すことができるのです。
〜次回でそれぞれの段階を乗り切る方法について詳しく説明しましょう。≫
――
▼ 創造には、必ず崩壊が背景にある。関東大震災は、都心の再開発に
 欠かせない条件だった。人間の成長にとって、挫折も然り。アップスケール
(脱皮)には、それまでの殻からの脱皮を必要とする。学生時代は社会に
旅立つ猶予期間。そこで何故に生きるとか、全く違った各地の人や、書籍を
通して、違った時代の人との触媒を経験するための猶予期間でもある。
現時点の御隠居状態は、生の向こう側への旅立の猶予期間。来し方を振返り、
それぞれのトランジションを見つめ直す機会を与えられている、ということ。
本当の転機は、余命期間を告げられた時節だろうが… その時は、気が動転、
人生の何たるかを考える余裕などない筈。その時、<共同無意識の一つが、
この私でしかない、ただ消え去るのみ> と、すり減るほど唱えるしかない。
 で、以下の登山家[羽生丈二]の言葉につづく。

ほんとうにほんとうに
ほんとうのほんとうの
どうしようもなくなったら
もうほんとうに
こんかぎり あるこうとしても
だめだったら
 思え
ありったけの
こころで思え
―想え。


6234,閑話小題 〜ストーカーについて

2018年04月08日(日)

   * ストーカーの特徴とは
 最近、元アイドルにつきまとっていたタクシードライバーが逮捕された。
相手にされず逆恨みによるストーカーによる殺人事件も定期的に起こっている。
そこでストーカー研究者が上げる特徴を調べると…
 ・他人をコントロールしたがる(支配的な趣向)
  自らの言動を他人のせいにする(責任を持てない)
  社会的に孤立しやすい(社会への適応能力がない)
   の三つの性格を持つ。
 ・自分をつねに周りの被害者(犠牲者)と感じている
 ・日常的に嘘をつき騙すことが得意
 ・怒りをともなう愛情を持つ
 ・権利を主張したがり、他人への要求が多い
 ・拒絶を受け入れることが出来ない
 ・他人がいなくては自己を確立できない(依存心が高く、自立心がない)
 ・標準的か、もしくはそれ以上の高い知性を持つ
 
思い込みの激しい、唯我独尊の人で、まず浮かんだのが、刑事モノTV
ドラマ『相棒』の陣川公平、その人物像は、
【警視庁捜査一課の経理担当。階級は警部補。大阪府寝屋川市出身。
刑事を目指して部屋中指名手配犯の写真を張り巡らしているが、思い込みの
激しい性格のため、二度も誤認逮捕を起こして、一度特命係に左遷される。
すぐ捜査一課に復帰し、その後も度々登場するが、思い込みが激しく人の話を
聞かないキャラクターにどんどん拍車がかかって、あちこちの事件に首を
突っ込んではひと騒動起こしている。良くも悪くもお人好しなので、呆れられ
つつも人物評自体は悪くないが、その性格を利用される事も少ない無い。
思い込みが激しいために失敗が多いが、冷静に全体を俯瞰すると先の事を考え
行動出来る漢らしさを持っており、当て馬となって他人の恋を援助したり、
下記では杉下を先んじた事がある。】 とある。このタレントの演技が抜群。
<日常的に嘘をつき騙すことが得意>以外は、そのままストーカー・キャラ。

この幾つかの要素は、誰にもあるのだろうが… それが好意のある異性に
集中し暴走し、つきまとうとストーカーになる。4人の姉たちの薫陶と生身を
見ていた御蔭で、冷静でいられたが、巷には相性の良さそうな理想に近い女性
は思いの外、多い。数多の人を観てきた中で、この特徴を備えた人の顔が思い
浮かんできた。己が作り上げた虚構の世界に支配され、それが特定の女性に
向かった結果だが。被害者は恐ろしい限り。こういう人を「内省的」という
より、「内向的」、いや造語で、「内性的」というのだろう。
片想いなら誰もするが、それが発展して粘着し捻じれた結果だろうか。
元の連合いに、執着し発展するのもあるそうな! …で、図書館で、
『ストーカー加害者〜 私から、逃げて下さい』を借りてきた。
この本のサブタイトルで、粘着型、求愛型、一方型の分類が理解しやすい。
それぞれの好みがあって社会は成立している。その拗れた行為を言う。
当人曰く「隙だらけ!」というが。付いている機能は同じと考え及ばないから、
やはり無知の成せる業。何の世界は、男も大変だが、女は、もっと大変だ!

・・・・・・
5137,閑話小題 〜定年・夫婦で走った40日
2015年04月08日(水)
    * 定年・夫婦で走った40日
 昨日のアーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容。
平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、
今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店
の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。
48台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。
  〜まず、NHKの番組案内より
≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって
 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた
中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。
伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ
と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の
心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫
▼ 47人の平均年齢が67歳、年齢は50〜70歳半ばまで。
 とすると、私と家内の平均と同じ。それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を
振返り、語り合う。それまでの子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、
向き合うことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。
二人参加の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽?
されていたトラブルが、圧縮された移動空間で、噴火する。だから、成田離婚の
悲喜劇が起こる。ツアーで、百回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の
10回以上は今までなかった。多くて7〜8回。 24組の参加者で、一組の
脱落者が出なかったことに驚かされた。夫が『二度、殺したくなった』に、
妻が『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。
ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。
「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。
・・・・・・・
3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の
問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという
問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの
立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、
そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・)
色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた
立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦
関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好
になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン
とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。
ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。
その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、
     そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
   2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。
   「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
  3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」
  「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」
▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。
・・・・・・
4772,ぼんやりの時間 ー5
2014年04月08日(火)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「独」―独りでいること  ーぼんやり道
「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、
死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が
無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。
  ー以下の部分に納得するー
《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行
 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば
「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる
ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、
群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」
が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、
心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという
気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。
「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに
過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか
何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを
分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」
 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」
というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす
ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。
「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」
ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは
かなり重なっている、と私は思う。・・(略)
「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら
飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画
のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、
あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と
ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり
の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。
ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・
 リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、
重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて
重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ
湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家は
作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない
ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり
することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。
謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》
▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット
 サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、
完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。
 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、
孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、
急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。
この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が
混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して
楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって
いくこと。とすると!
・・・・・・・
5867,閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合 −2
2017年04月08日(土)
   * 大蔵直轄統治の大光は
・数日前になるが、地銀の第四と北越銀行頭取の合併に関する 記者会見が
TVニュースで流れていた。気のせいか、第四頭取は明るく、北越の頭取は
下向き加減の暗い顔をしていたような? しかし、健全な経営体質なら、
前向きの統合策として評価されて然るべき決断。で、残る大光は、地勢上から
他県の有力な地銀との連合が筋道なるが…  考えてみれば、今まで動きが
無かったのが不思議。デフレと、首都圏一極化と、情報化による地方経済の
疲弊は、直接、金融機関の劣化に正比例する。20数行あった都市銀行は三行
まで激減した中で、地銀以下の集約は無かった方が不自然であった。
銀行の本質は職業柄、高利貸しの悪質の特性をも持つ。力の有る者に媚り、
弱者から利益を毟り取る。世界最大規模を誇る柏崎・刈羽原発の再開が見込め
ない現在、地元経済の劣化は進む中で、締め付けは厳しくなる一方。それが
銀行憎しのガスを充満をしている。その最中のリストラの号砲一発。その弱肉
強食の現実が、世間とかいう人食いネズミ群の絶好の餌食?になっていく。
立場が一転、弱者の「こんなはずではなかった」へ、文字通りに立つ。
・バブル崩壊後、大手地銀自ら格下げをした「リソナ銀行」?が、バランス
からしてよい?…云々が、連想創作の「天の声」として1人歩きをしそうな。
長岡市内の4行のうち、二行が統合なら、残り二行の統合案も奇抜でない。
しかし、天領と、大波で削ぎ落とされた体質の銀行では、体質が違い過ぎる。
ちなみに次男の嫁さんと、両親がリソナ母体?の一つの旧埼玉銀行の出身。
また兄嫁が大手銀行出身。更に家内の妹が、一度退社後の子育てを終えた頃、
元上司に請われ、地銀のパートを20年続けている。 
・大蔵官僚として、天領の天下り先の地銀の『頭取』の座は残したいが、
問題は単独のリストラ能力の有無。直轄統治でも無理、と思うのは、官僚役人
の力を知らないから? このようなコンニャク政経談議。 今後、材料は
絶えることはない… 状況は条件の意味に近い。城下町小唄の世界にドップリ
浸かってしまった私。「事前の一策は、事後の百策に勝る」という。 
この時節が、先手かどうか。以下の「一切は、君の自由だ」に、無理があるが、
文脈としてつながる。 「未来の健全のために、ご自由に、どうぞ!
 ・・・・・・
4405, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −5
2013年04月08日(月)
    四時限 宇宙人を目指そう  『隠居大学』 天野祐吉
 * 隠居をすると自由になれるー宇宙人を目指そうーお相手 谷川俊太郎
 ここで、「人生はカマボコ形グラフ」とあるが、そうかもしれない。
右下がりは以前、還暦だったのだろうが、今は古希か。体力からみると、
私は古希が目安。リタイアーをした後、スポーツジムに連日通いだしてから
足腰は寧ろ、強くなってきた。知能も、バイアスが取れてきた分、
これも良くなった?ようだ。とに角、面白い。 
≪ 谷川:うん、それもあるし、ぼくは幼児に戻れるというふうに思って
 います。われわれ世代は高度成長の時期と重なっているからか、人生に
ついても右肩上がりのグラフで考えるくせがついていたんですよね。
けれど、やはり母の介護を経て、「老い」ということを身近に考えるよう
になって、鶴見俊輔さんらがいうような「人生はカマボコ形グラフ」なんて
ことが、実感としてすごくよくわかるようになった。ある程度上がったら、
下がっていくのが自然なんですよ。それはさっき言ったように自由になったり、
解放されたりすることも含めて。
 天野:下降ということは、嘆くばかりのことではない。
 谷川:そう、人間の加齢を考えるとき、樹木の年輪にたとえて考えるのが
わかりやすいと思っています。中心に0歳の自分がいて、一歳、五歳……と
だんだん経験とともに年輪が増えていき、いちぽん外側に現在の自分がいる。
だから、どんな年齢の老人のなかにも、0歳や三歳の幼児がいる。
これは心理学でもそういう考えがあると思うんです。そして、働き盛りの
中年期を経ったら、今度は積み重ねてきた年輪が一枚一枚、はがれていく。
つまり年をとればとるほど、中にもともといた自分、幼児の自分に戻れる
のではないかというのが、持論です。
 天野: なるほど。年輪となる厚い木の皮は、たんに経験ではなく、
社会的な制約というようなものでもあるんだ。
 谷川: 中年期のひとだって、本当は幼児の自分を持っているわけです。
そしてその部分は、本当はもっと自由になりたいといつも思っているはず
なんですよ。われわれのように詩を書くような人間は比較的自由に幼児の
部分を出せますが、会社組織のなかにいると、そうもいかないでしょう。
だから会社が終わって飲み屋さんに行って、ママさんに甘えるという
かたちで幼児性を解放しているんじゃないかと、そうにらんでいます。
 天野: なるほど(笑)。つまり幼児化、宇宙人化は、もともとできたこと
が下降したり変質したりするわけではなく、むしろ、 自然な姿に戻って
いるということですね。≫
▼ 「加齢を樹木の年輪にたとえて考えるのがわかりやすい」というのが
 言いえて妙。一番外の厚い皮が社会的制約、も面白い。その樹皮を外し
てやるのが御隠居の第一歩。一度外すと「遠き日は 年とるごとに 近くなり」
になっていく。振りかえると、してしまった後悔と、しなかった後悔がある。
後悔あとに立たず、だが・・ 解放され自由になるのは良いが、それを
楽しめないと重荷になってくる。 私の知る限り3分の2。
何故解る?顔に出ているもの。せめて楽しいふりをしたら。
・・・・・・
5502,一切は君の自由だ ―池田晶子の言葉 〜�
2016年04月08日(金)
       『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 』池田 晶子(著),
   * 一切は君の自由だ
《 もしも私が教育者の立場なら、子供や生徒に、「好きにしろ」と教える
 だろう。世の中には善いことも悪いこともないのだから、自身が善いと感じ、
自身が悪いと感じる、そのことにのみ従って行為せよ。一切は君の自由だ、と。
「売春がなぜ悪い。私の自由だ」と言う女子高生に、大人が反論できなくて
困っているのだそうだ。
「なぜ悪い」と問われれば、こう答えてやればいい。
善悪を知らないというそのことが悪い。知らないということが悪いことだと
知らないことが悪い。それは誰にとっても悪くないが、お前にとってだけは
大いに悪い。                 『残酷人生論』
☆ 人生を振返り、様ざまな過去の記憶がフラッシュのように湧き出る。
 その中で、マイナスの記憶をみると、無知が起因することが多い。
ここで、「一切は自由だ。世の中で善いも悪いもない。自分が何も知らない
ことを知らないことが悪い」と、ソクラテスの「無知の知」を引合いに出す。
哲学の第一歩が、何も知らない自分を前提に、他者との対話、そして書籍を
通した触媒から知識を積み重ねることである。「一切は君の自由だ」とは、
恐ろしい言葉でもある。何故なら、何も知らないことが解ってないからだ。 
――
   * 金では手に入らないもの
 人は、金によってよいものが手に入ることに慣れてくると、金それ自体
をよいものと思うようになる。手段と目的とが同一になったのだね。
困ったことはだね、このとき人々は、よいものは金で手に入るものという
考え方に慣れすぎていて、金では手に入らないよいもの、すなわち、「善」
という価植の欲し方がわからないということなのだ。いくらた金を積んでも、
金を貯めても、善だけは手に入らないのだ。なぜなら、いいかね、善は、
タダだからだ。                『無敵のソクラテス』
☆ タダなら、限りなく善行をすればよいが、金で手に入らない善こそ、
価値があることを知らない。 「金で手に入らない善とは何か?」を、
考えたことがあっただろうか。まずは、「迷惑をかけないよう己を律する」
「目先のことを後回しにしない」「困った人に手助けをする」など、自分の
規範の中で実行をしているつもりだが・・ 「金では手に入らぬ善行」を
改めて考えると、「無心な心」「純粋な愛情」「感謝の心」「感激できる魂」
「感動できる心の張り」「毎日の最善の習慣」。 それでは、金で手に入る
「もの、こと」とは何だろう。 想像しただけでもゾクゾクしてくる。
たかが金、されど金だが、感謝、感激、感動する魂が分母あればこそ。
とはいえ、何があればこそ、魂の振動に近づける機会が多くなる。
振動しないで錆付いている自分に気づいていないで、最期の最期に・・


6233,閑話小題 〜「人は成熟するにつれて若くなる」

2018年04月07日(土)

『人は成熟するにつれて若くなる』ヘルマン・ヘッセ (著),‎
   
   * 成熟は、若さを誘う
<「わがままこそ最高の美徳」>と同様、Amazon内検索で見つけたヘッセの本。
還暦、古希を過ぎて暫く経つが、肉体の劣ろいは感じても、気持ちは40、50歳時
と殆ど変わってない。後先が少ないためだろうが、好奇心だけは、ますます冴え
わたっている。老化で「バカの壁」が薄れてきたためだろう。私としては、
「成熟のため!」と思いたいが、如何考えても思い当たる節がない。
以下のヘッセの言葉は、鋭く私に問いかける。
 ――
             <☆は、思い立ったこと>
≪・<老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじ
 ように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ。>
 
・<老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも
 知っている。私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。
私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない。>
  ☆ 生贄ですか、あれが生贄… 。

・<六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの
 心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たち
を見つめるのである。いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり
変わってしまった家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。
そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、私たちは
鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。>
  ☆ 最近、故人も、現に生きている人も、同列に思えるようになってきた。

・<見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練と
 なって、気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。
望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうである
ように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、
期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。
―そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から
逃れて『ヴィータ・コンテムプラティーヴァ』、すなわち『静観の生活』に
到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆する。>
  ☆ この過去文を読んで、毎日、実感している。

・< 若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、
 私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、
私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあったこと
を思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年を
とってそのような年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり辛抱強くなったと考えよう。>
  ☆ 上杉鷹山の言葉といわれる【 子ども叱るな来た道だもの年寄り笑うな
 行く道だもの来た道 行く道 二人旅これから通る今日の道通り直しのできぬ道】
が思い浮かんできた。 人生の何れかの途上で世界をみている。そうこう言って
いるうちにゲームオーバー、プッツン! そう簡単に死なせてくれないか?

―
▼ 老い先短くなると、寺山修司の<ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない>
 の言葉が空虚に聞こえてくる。 <ふりむけ ふりむけ 先には時間がない>
になる。だから、焦り、苛立つ老人が徘徊する。その一人ですか? 
 女子供に近づくな!というが、あと、老人を加えた方がいい。耄碌とは呆けに
妄想が加わるから恐ろしい。その世界に一歩も、二歩も、踏み込んでしまった。

・・・・・・
4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4
2013年04月07日(日)
  * 第三時限 いい加減にしなさい 
           ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に
感じているのは私だけでないだろう。御隠居は日々この感慨を持ちながら
人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ
ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を
迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な
 要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ
 がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、
 一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき
 には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて
 しまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、
 新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。
 老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている
 けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、
 その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。
 でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」
 をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、
 ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので
 しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は
 違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか
 ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを
 与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが
 ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ
 アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、
 頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、
 過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に
 毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。
 それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。
 「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4771,ぼんやりの時間 ー4
2014年04月07日(月)
             「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「ぼんやり」と響き合う一文字 ー�
 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。
そして、以下の5文字がよい。その最初が闇とは・・ 
闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子に
なっている状態なのか。 その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
   ☆ まずは「闇」から
《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れて
 しまったのか、恋人が見つけられず、そうやってふらふらしていたのか、
いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守って
いるうちに、蛍の光はふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまった
のかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・
崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、
一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。蛍の光とは違って、星の光は
ずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙では
やはり闇が主役なのだという思いがわいた。ごく感覚的にいえば、
銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの
視界に入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはず。
花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、真の闇を失えぱ、花火は
いくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を
放つことの意味が出てくる。夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 
・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、
緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みを
つくっているのに大切な役割を果たしているはずと思っている。・・ 》
▼ ここで、宇宙を支配しているダークマター、ダークエネルギーを引合に
 だし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその エネルギーとして、考えると
闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。
そうである、もっともっとボ〜っとするべきである。
・・・・・・
4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
        「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や
特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。
谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を
読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた
文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも
 てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい
ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活
するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は
少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると
危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに
抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり
得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや
ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。
人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての
夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を
喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、
青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。
彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと
その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。
彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは
そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、
コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、
コスモスと戦った。 ≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。
 それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで
あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて
かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって
青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる
くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ
彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を
果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的
になる。獣にならなくては創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者に
なっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 
本当の生活者になるのは、これから。 
・・・・・・
5866,閑話小題 〜トランジション 人生の転機に :トランジション理論 〜1
2017年04月07日(金)
   *  節目(過渡期)を乗り切る
人生には多くの節目時がある。青少年期までは、幼稚園、小学、中学、高校、
大学と、区切りが明確にある。その後は、結婚、子供の誕生、転職、子供の
旅立ち、リタイアなどの区切りがある。その間に大病、事故などの危機と、
思いもしないチャンスがある。そこで、如何に対処するか、その準備があるか
ないかで決まる。節目云々というより、備えを整えているかどうかの問題。
 男女とも20、30、40歳代の前半辺りの体質と社会的立ち位置の変り目に、
厄年としての転機が待っている。専門が社会学もあって、ライフワークとして
の読書のテーマが、人間性の問題。 〜その辺りを、ネット検索をすると〜
≪ ブリッジズのいう「トランジション」は、日本語では「過渡期」と訳すのが
 分かりやすい。例えば、転職をみると。現在の会社を離れようと思い始めて
転職活動を行い、別の会社での採用が決まって、新しい会社で働きだすまでの
期間がトランジション、すなわち過渡期です。
 私たちは、スパッと気持ちを切り替えて転職することがなかなかできません。
多くの場合、会社を辞めるかどうしようかと思い悩む時期があります。変化を
求める一方で、変化を恐れる気持ちもあり、「変わりたい」「変わりたくない」
という両極端の感情の間で揺れ動くわけです。
 この時期は、前回の記事でも触れた「ニュートラルゾーン」(中立期)と
呼ばれます。心理的につらい日々が続く期間ですが、決して避けるべきもの、
無意味なものではありません。むしろ、ニュートラルゾーンは、トランジション
において最も重要な時期です。 
 とはいえ、転職が簡単ではないのは、転職活動自体だけではなく、
過去・現在の自分(BEFORE)と未来の新しい自分(AFTER)との間に挟まれた
中途半端な状態であるニュートラルゾーンがあなたを苦しめるからです。
ブリッジズのトランジション理論は、このニュートラルゾーンを含む過渡期
をどう乗り切るかについて有益で具体的なアドバイスを与えてくれています。≫
―
▼ ここで、8年、10年周期とかの人生の周期論を、幾つかテーマにしてきた。
 生命として、大よそ10年単位で、大きく体質も社会的立場が変っていく。
問題は人生の設計図とか、志が有りや否か。節目をチャンスとして打てるか? 
変身出来るかどうか。その決断を孤独の際でしたかどうか。
 最後は、「孤独の世界を持っているかどうか」になる。
・・・・・・
5501, 愛と孤独 ~池田晶子の言葉 〜��
2016年04月07日(木)
     『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),  
  < 孤独の味わい方 >
   * 不自由なのは誰のせいか
《 人が、自分の自由に気づこうとしないのは、ほんとは自由なんか欲しく
 ないからである。ほんとのところは、自由になんかなりたくないのである。
なぜなら、自由になったら、何もかも自分でしなければならないから、
そのことをほんとは知っているからである。
生きるも死ぬも、私の自由だ
ああ素晴らしき哉、絶対自由、この絶対自由が、しかし人は深いところで
怖いのである。生きるも死ぬも自分の自由だなんてそんな怖い自由はイヤ、
それで、生きるも死ぬも考えるのも、社会やら国家やらにまかせて不自由と
言いつつ、じつは安心していたいのである。》    〜『残酷人生論』
 ☆ 自由とは「生き方の幅」で、その幅が大きいほど、より自由といえる。
自由は、「〜からの自由」と、「自らに由る選択肢の自由」がある。
むしろ、不自由の中にこそ自由を見出せることがある。羊は羊、囚人の不自由
の中の自由も、そこにある。所詮は、その人の妄想でしかないのが自由である。
一時なりとも解放された感動、感激の一瞬の自由の味わい、至高体験のそれ!
  * 他人の悪口が気になる人へ
《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な
 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に
なるのですね。よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、
自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、
自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない
ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、
ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》〜『人生は愉快』
 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者と
しての内なる、記者としても目線でみえてきた現象の面白さは格別である。
プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、
楽しんだ結果でしかないからだ。所詮、悪口とは、その人間そのものの影!


6232,閑話小題 〜逃げろ、生きろ

2018年04月06日(金)

閑話小題 〜逃げろ、生きろ

              <「群れるな」寺山修二著>
   * 逃げろ、生きろー 『旅の詩集』より
 強烈なインパクトのある文章である。
誰の心の奥底には、生命が進化してきた過程に、あるいは、「若気の至り」
による原罪が隠されている。その「若気の至り」の儀礼通過をしてない人間を
私は信じないと下ネタ女流作家の言葉があって。 寺山は、アメリカで、これを
目にして、逃げた奴隷は、今でも逃げ続けているのだろう、そして「逃げろ、
生きろ」と思ったと… 
 
≪ アメリカへ行ったときの話をしよう。私はケンタッキーの旧家に民宿し、
 チャーチル・タウンで行われるケンタッキー・ダービーの開催日を待っていた。
夜中に停電があって、庭では犬が吠えていた。女主人はもう九十歳を過ぎていた
ので、私がかわって、地下室にある配電盤をたしかめにゆくことになり、燭台を
もって石の階段を下りていった。私はそこで、思いがけぬものを見出したのだった。
 「逃げたわが家の奴隷をさがしています 懸賞金つきです」
それは卒業証書か何かのように、額に入っていたが、中には一人の黒人の写真が
入っているのだった。写真の中で、黒人は笑っていた。私には、この埃をかむった
古い手配書がどんなドラマを秘めているのかよくわからなかった。
おそらく、事件の核心にふれるためには「アメリカの歴史」にまでかかわって
いかねばならないことだろう。
しかし、逃げていった一人の黒人は、(百年の時の経過を超えて)いまでも、
まだ、シカゴかマンハッタンのハーレムにかくれているのではないか、という
気がした。かくれている黒人は、ときどき、このケンタッキーの家のことを思い
出すこともあるだろう。夏に咲く花のことや、喘息病みの女主人のこと。
そして、一度逃げはじめたものにとっては「逃げる」ことが生きることになり、
どんな充たされた場所や条件を与えられたとしても、定住すること自体が桎梏
であるということに気づき、「永久逃亡」のほかに、生きるすべがないという
ことを悟るのである。≫

―
▼ 昔みた重い夢の話をしよう。私が、強姦をして山の中に埋めた殺人者本人に
 なって逃亡している夢である。前もっていうが、〈男の多くが、この類の夢を
みている〉ことを、あるフロイト系の本で知ったが、当時は全く知らなかった。
その夢が連続したドラマになって、毎晩のように続いていたことがあった。
そう、アメリカのTv連続ドラマ『逃亡者』があった。それもあって、この内容に
異様に反応したのだろう。私は引き際は心得ている。これが私の特徴でもある。
 7年前も! その30年数年前も然り。昔みた夢の殺人犯が、自分自身の心底に
ある原罪である。 良くいえば、自己配転、予定挫折。悪くいえば、「逃走」
になる決断。それに対峙する私に、「逃げろ、生きろ!」と、絶叫する誰か! 
「永久逃亡」しか、生きるすべがないのが人間。若い時、勤務先の老いた夜勤の
(太平洋戦争の生残りのパイロットだったという)オジサンに言われた一言。
 「黒い影が見受けられるが、何に追われているの?」。 今から思うと、
「自分の理想の影」。青雲の影である。今でも、逃げ回っているのだろう。
無知蒙昧のバカの影である。面白いのが、他者の陰影の重なり。殺人逃亡犯が、
逮捕をされ、監獄で大イビキを書き、寝入っている日々? 
 ここで、「捨てる」ー『書を捨てよ、町へ出よう』に対する某・書評が良い!
【 一つの時代に、詩人がいた。その詩人は、ライスカレーの幸福に安逸する
サラリーマンに嘆息し、生活を極貧の底に落とす程に全てを捧げてでも
マセラティ(イタ車)を買えと、平均を逸した極点を持てと言った。詩作も、
競馬も、自殺も、その手段だ。時代を捉える言葉がある。社会評論家が語る
無味乾燥な「分析」ではなく、例えば文学の中にポロッと出て来る、その時代に
おける「いま、ここ」を捉える言葉。それはもちろん、僕たちの「いま、ここ」
ではない。しかしご存知の通り、そのかつての「いま、ここ」は、時に千年の時
をも耐えて語り継がれることもある。】

・・・・・・
4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3
2013年04月06日(土)
        『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』天野祐吉、お相手
* 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師
   ー人生二毛作の進めー
 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう
作物を二度栽培すること。二期作は同じ作物を二度栽培をすること。
人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。
 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変える
ことは無理。ならば移住するか、その土壌に合った新しい作物を長年かけて
用意しておかなければならない。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきた
 サラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、いっぺんひっくり
返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生
は自分が自分の大将になり、自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。
そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな
隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと思っているんですよ。
ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませて
もらいました。二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を
二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲をつくったら、
二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目の
ようなものであって、前半の人生と同じものをつくったんじゃ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね
 逆になります。そもそも、前半で立てた志というのは、学校出て就職したら
ある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。わたし自身も
そうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても
成長しているような気になって、それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作と
 いうのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、
嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・
世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目
 をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こう
としがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたし
もね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の
勤め先を定年退職後、もう一度別の学校に勤めに出たが、がよくなかった。≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。
 転進すべき節目時に決断している。情報を持っていたのである。逆に一毛作
でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、
それもご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。
死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
5500,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜��
2016年04月06日(水)
          『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
  * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  〜その辺りから〜  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ』
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。
・・・・・・
4770,ぼんやりの時間 ー3
2014年04月06日(日)
           「ぼんやりの時間」辰濃 和男(著) 
  * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間
次の問いかけー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 
  まずはーアマゾンのレビューよりー
《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」
 を大切にする少女だ。・・ エンデの作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」
が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。むだだと思われる時間を奪われた
人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている
時間はそれこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。
むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。灰色の紳士たち、つまり
時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を
『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて
灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。いわば詐欺そのものなの
だが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、
自分たちの生活を貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやって
きた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の一角に住まわせて
もらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら
聴くのが好きだった。モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな
時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、モモがモモらしく
生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは
「荘厳なしずけさ」を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つ
ことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちのインチキを見破る
ことが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと
仰ぐ習性からしだいに遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピード
とか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を眺めるなんて
無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなこと
なのか。そういうむだがあるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになって
いるのではないかとエンデは問いかける。》
▼「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った
 偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。国内に不安を押し付け、さほど多く
ない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。
その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学など
の言葉は詐欺工学と言い換えてよい。おちおちしていると全てを失ってしまう。
豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。
その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。
だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやりしてないで、有効に使うか? 
その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態では
ないか。『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした
時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。
・・・・・・
5865,7つの習慣 ー3
2017年04月06日(木)
        「7つの習慣-成功には原則があった!
                スティーブン・R. コヴィー 」
 英国の小説家チャールズ・リードは、
 コヴィーの言わんとすることをこう、まとめている。
【 思いをまけば、行いを刈り取る。行いをまけば、習慣を刈り取る。
  習慣をまけば、人格を刈り取る。人格をまけば、運命を刈り取る。】
   ♦ 【習慣は段階を踏んで】
  著者は、習慣は段階を踏んでと、7つの習慣を提示する。
→「第1の習慣(習慣は、知識、スキル、やる気の3要素から成っている)
  =主体性を発揮する(自己責任の原則)」
→「第2の習慣=目的を持って始める(自己リーダーシップの原則)」
→「第3の習慣=重要事項を優先する(自己管理の原則)」
→「第4の習慣=Win-Winを考える(人間関係におけるリーダーシップの原則)」
→「第5の習慣=理解してから理解される(感情移入のコミュニケの原則)」
→「第6の習慣=相乗効果を発揮する(創造的な協力の原則)」と、
  順を追って身に付ける必要性を強調している。
→「第7の習慣=刃を砥ぐ。
 この第1〜第3の習慣を「私的成功(個人が自己を高め、真の意味の
「自立」を勝ち取る段階)」、第4〜第6の習慣を「公的成功(他人と協力し、
影響の輪を広げる段階)」と位置づけている。
―
▼ この理論は、20歳の頃に知った、名著・カーネギーの『道は開ける』
『人を動かす』の流れを含んでいる。これをベースに、「Win-Win」と、
「能率から効率へ」が加わった内容と、アドラーの心理学の理論がある。
前向き、肯定的明るさである。習慣は第二の天性。プラスの習慣を加える
ことは可能である。その積み重ねが「天性を磨く」、「刃を砥ぐ」ことに
なる。7つの習慣は、政治、経済だけでなく、一般生活の中でも応用できる。
「幸福の創造」にも繋がる。幸せな人は、より幸せに。不幸な人は、より
不幸になる習慣が、そこにある。 で、7割の人たちは、自分たちを、
幸せなことに、「そこそこ幸せ」と思っている。だから生きていける!
・・・・・・
5135,知の逆転 〜�
2015年04月06日(月)
              ー知の逆転ー
  * 帝国主義の終わり ーA
             対談相手 〜ノーム。チョムスキー
 名前は聞いたことがあるが、成るほど面白く、鋭い。
  〜まず、チョムスキーの人なりと、学説から
≪・ノーム・チョムスキーは、プラトン、フロイト、聖書と並んで、最も引用
 回数の多い著者であり、「生きている人の中でおそらく最重要な知識人」
(ニューヨーク・タイムズ)と形容される、MITエ科大学の言語学教授にして、
哲学者、政治活動家。 著作は200冊を越え、50ヶ国語に翻訳。
・全ての言語にはその深層に共通する文法が存在し、そこからさまざまな表層
構造が生成されるのであり、人間は言語の基本文法を生得的器官として持って
生まれ、不十分なインプットで十分な言語能力が発揮されるような脳の仕組み
になっているとする。この「普遍文法」の提唱(1955年、57年)は、言語学分野に
革命をもたらした。
・1960年代のベトナム反戦演説を皮切りに、反戦、反暴力の姿勢を貫いて、
アメリカが「デモクラシーを広める」という名目のもとに行っている、自分の
言うことを聞く抑圧的な政府(チリのピノシエやニカラグアのコントラなど)を
支援して民主主義を阻止するというような他国への軍事ならびに経済介入は
テロリズムそのものだ。そのお先棒を担いでプロパガンダを煽っているのが
アメリカのマスメディアであり、特にエリートは常に提灯体制の提灯持ちに
なりやすいと、アメリカの覇権主義を厳しく批判する活動を続けている。
・また、広島と長崎への原爆投下は人類史上最もひどい犯罪の一つであると
明言すると同時に、第二次世界大戦における日本帝国主義の犯罪も厳しく糾弾。
・さらに、世界経済は多様化したほうがショックに強くなる一種の存続と同じ、
多様性を保つことが社会全体の体力を強くする。・・
・細々とした講演活動を地道に続けて少しずつ人々の目を事実に向けていき、
いまでは時代がチョムスキーに追いついてきて、講演は常に人があふれて、
世界中からのインタビュー依頼がひきもきらない。≫
▼ 「資本主義の将来は、市場原理主義だけでは必ず破綻するとし、民間
 ビジネスは、強い政府によって守られることを望んでいる。」という。
中国のような大国で、流砂の民といわれ、個人主義の強い人民の国では、
特に、中央の統制が強くなければ体制が維持できない。それは、アメリカの
市場経済主義も同じ。


6231,閑話小題 〜遊びについての断章

2018年04月05日(木)


            <「群れるな」寺山修二著>

 昨日、「加山雄三とヨット」のテーマで、遊びについて書いたが、手元に
図書館から借りて積上げてある10冊の本の中に、『遊びについての断章』が
あった。これまで「遊び」について繰返しテーマにしてきた。
 「遊べるうちに遊んできなさい! 直、泣くときが来るんだから!」と
諭され、数十年が経つ。確かに切ない場面が多々、あったが、その数倍、
数十倍、楽しいことがあったのが実感。遊びの価値を両親の後ろ姿に
学んだことに加え、学生時代に味わっていたこともある。
      
   * 『遊びについての断章』 
       ー人生は遊びながら年老いて行く―
 ‘JRA’のCMのために書いた原稿。
実際に使われたものはこれからの抜粋である。
このCMのなかでの寺山は得意の肩かけコートで町をあるき、府中のスタンドを
バックにたたずむ。その後ろであの独特の語り口でこの断片を朗読していた。
 
――

かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく
   *
遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、
そしてあることを捨てる
   *
人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる
   *
ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくあ大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と
遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
遊びは、不運な人たちにも
「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです
だからぼくは、いつでも自分に掛ける
   *
どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、
ツキがまわってくるんです
はじめて競馬場へ行ったとき
はじめて玉突きを覚えたとき
はじめて女を口説いたとき
だからぼくは
皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです
政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる
そういうもんじゃないのかな、遊びなんて
   * 
人生が終わると、遊びも終わってしまう
しかし、遊びが終わっても人生は終わらない
遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる
出会いと別れのくり返し
そこが遊びのいいところなんだね
   *
人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる
そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある
「誰が故郷を思わざる」なんて唄は
競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか
   *
人生が、いつばん安上がりの遊びである
死が、いちばん高くつく遊びである
   *
遊びは、人生の時刻表である
人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ
人生は汽車である
旅をしながら年老いてゆく
   *
遊びは不幸な人間の第二の人生である
遊びは不幸な人間の第二の魂である
   *
人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる
それは遊びである
ドストエフスキーは言っている
「一杯の茶のために、世界など滅びていい」
   *
夢の中で無くしたものを
目がさめてからさがしたって見つかる訳はない
現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない
人は誰でも二つの人生をもつことができる
遊びは、そのことを教えてくれるのです

―
▼ 個人のHP内の検索で調べると、次々と出てきた。
 まあ真面目に遊びながら書いだこと。


・・・・・・
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)
                   −読書日記−
 ー遊びをせんと生まれけむー
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。

・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 
「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。
  遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 
確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、
人間にとって最も有用な行為になる。

「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、
 遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び
好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された
動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして
行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 
たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを
つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器
であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも
有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育
するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを
銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より
もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。
必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。
人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに
生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を
発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、
余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 
自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・
私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は
エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》
〜〜
遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を
バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは
とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、
働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを
仕事にすれば良い。

・・・・・・
2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
2008年11月20日(木)
 ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、
干葉拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、
「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。
その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化である。個別的生命は全体の部分である。個別的
生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。朝から二度
倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。
  年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つである
ことを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で
体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房の中で、
自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が
あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に
生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と
 違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中
で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点
を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に
楽しみ、味わうかにある。それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなる。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】
という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の
人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! 
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難
や悲しみ、というのが少しは分かるが。
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。   
何か際どい話になってきたが。
・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を
目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして
楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。
人生には、ある程度の長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、
能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすること。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、
誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、
本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、
幾らでも転がっている。「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、
高杉晋作の辞世の歌である。彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼
(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけた
というが、成るほど上手い歌である。いずれにしても、ゲーム化した段階で、
自分を客観視する冷静さを持つことになる。何が起きても「その時は、その時。 
それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそゲーム化で
身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分
が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで
話題になっている。ウィキペディアによると、
【原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案
された「The Checkered Game of Life」。日本版は、1968年、株式会社タカラ
(現タカラトミー)から発売された。タカラトミーの発表によると、日本版の
累計出荷数は 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。
ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が
左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、
人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されて
いる、息の長いゲームである。】 面白そうなので、一度試してみたいもの。

・・・・・・
2017/10/02
閑話小題 〜「遊び」の意味合いとは
       <意味としての心〜「私」の精神分析用語辞書ー北山修著>
   *「遊び」の意味合いとは
「遊び」については、数多く読み、ここで書いてきた。『夜と霧』の著者、
フランクルの、<人生の要諦は「よく遊び、よく学び、よく働く」にある>
に納得し、また身近では両親の生き様の後ろ姿をみて、バランスをとって
生きてきた。 想い返せば12歳頃までは無心に遊んでいたが、中2後半から
受験勉強に重心を移動、暗い受験生になっていた。
 そして20歳から将来設計を考え、両親に倣って「創業」を目指す人生を
考るようになっていた。その翌年、「30日間・欧州一周旅行ツアー」への参加
で人生観が一変。 当時の海外渡航は20万人。殆どがビジネス関係者の中、
当時の私の精神的体力では極限?であった。一ヶ月で当時の40万、現在で
350万を遊びに費やした経験は甚大。旅行先の大自然、文明、文化との邂逅に、
何度も絶頂体験をしていた。腹の底から笑ったり、感動したのは幼児期以来、
いや初めての経験である。世界は想像を絶した広がりと、深さがあることを
実感した。それまでの世界認識は何だった? 「遊び楽しむこと自体が目的」
の意味合いを僅か1ヶ月で実感してしまった。「絶頂体験を求め、ひたすら
努力し続けること。その為に、「良く学び、働く」こと。その「良く」には、
目的地と、「遊び、学び、働き」のバランスと効率を良くすること。
 年齢を積重ねるにつれ、「より資金を貯めておけば、もっと働いておけば!」
よりも、「もっと遊んでおけば良かった!」と思うのが人間の常。
 つい最近まで、「勤勉・勤労」の反対語が「遊び」の宗教的な意味合いが
強かったが、今では、「健康や創造性の原点」に位置づけられ、
<車のハンドルとタイヤ間の「遊び」のような「ゆとり」「自在さ」「自由」
 な遊びとして認められ、強調されるようになっている。
「ハレ」と「ケ」が、交替するように働いたり、遊びこそ、効率を上げる
楽しい人生の必要条件、絶対条件として… >
 情報化社会の中で、知識と経験は益々膨らんでいく中で、狭い肉体と柵に
縛られ、心は自由を求めて悲鳴を上げている。それを開放してくれるのが、
「至高体験」。この上ない感激、感動体験。これは映画でも、絵画鑑賞でも、
音楽会でも可能。その感受性の鋭敏さは、それらの経験の蓄積から生じてくる。
そのためには、極限に自分を置いて追い求めなければなるまえに…
 真剣に遊ぶのも、ちゃらんぽらんに遊ぶのも、お好みによる。



6230,閑話小題 〜加山雄三とヨット

2018年04月04日(水)

   * 遊びをせんと生まれけむ!
 人間の価値は、それぞれ重複するが、遊び、働き、学び、と分けて考えると
理解しやすい。何処に重きを置くかになる。それも時節により変化する。
幸福を目指すか、充実して人生を目指すかにより、大きく左右される。世の中
には生れつき幸福な人がいる。波乱万丈としても、加山雄三は、その部類に
含まれる。その趣味がヨットであることは、よく知られている。そのヨットが
全焼したというニュースが流れ、加山が涙を流した映像が映し出されていた。
 問題は、保険に入っていたかどうか。入ってなくとも、80歳の年齢からして、
そう遠くない旅立ちの未練が少ないのが幸いするとも穿った見方も出来る。
 「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぬ)れせんとや生まれけん
         遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動( ゆる)がるれ」

《 西伊豆町の港で、俳優で歌手の加山雄三が事実上のオーナーのプレジャー
 ボート「光進丸」が炎上した火災で、出火当日に船内でエアコンなどの点検が
行われていたことが2日、下田署への取材で分かった。同署は出火との関連の
有無を調べる。同署によると、船を管理する地元の船舶修繕会社の従業員が1日
午後1時ごろから約1 時間、船内で作業した。エアコンは、カビの発生を防ぐ
ため常時稼働しており、点検でも異常はなかったという。火災は1日午後に発生。
出火当時、船は無人でけが人はない… 》

―
▼このヨットは、27歳の時に自ら設計に加わり建造した中型クルーズ船「光進丸」
の3代目。値段は4〜5億。趣味として、自ら設計に加わったヨットの航海は最高の
贅沢な遊びになる。 幸福を絵に描いたような男の一人である。
 幸せな男を絞ると、は、植木等(タレント)、赤塚藤雄漫画家)、関野吉晴
(探検家・人類学者・外科医)、数年前に亡くなった鳩山邦夫などあげられる。
逆に野球一つに絞った長嶋茂雄のようなの幸せがある。 関野は、
アフリカからユーラシア大陸を経て、 広大な無人の新大陸(南北アメリカ大陸)
へと旅した。グレート・ジャニーなどの旅をするために医師になった冒険家。
加山雄三に似て趣味を貫徹するために職業を選択している。
 7年前に事業整理を決断したが、その時に思ったのが、このヨットのこと。
ホテルとヨットを類推して、<彼がヨットを失っても、設計段階から参加した
ヨットの創造の喜びと、航海を楽しんだ行蔵は酷似している。元は、そこで既に
取ってあることを当事者以外は知り得ない!> と、思っていた。 1〜2年も
しないうちに、彼も諦めがつく? まさか、その心の内を吐露するわけがない。
しかし、悔いは少ないはず。
 わたし個人として、遊びの切口では、9割方は満足しているが、まだまで遊び
足りなかったという悔いは少ない。加山と比べようがないが、羨ましい限り!
 そこで… 「上を見れば、キリがない、下を見れば底がない、横をみれば
情けない!」の言葉が浮かぶが。これも元もと少ない。 人生、こんなもの!

・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”
−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を放送していた。フランクルの
著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 
  ーNHKのブログによると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への
 案内役だと説いた。最終回では、フランクルの言葉に支えられながら生きて
きたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた
運命を引き受け、それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの
見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望をどのように見いだす
べきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。
メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、
《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、
  下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。
 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。
  上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。私たちは
  下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)
  を過ごした過去は、充分に価値があり、その人そのものになる。 
 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、
  生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。
 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が印象的。
 フランクルといえばー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、挙げられる。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。また、ー人生には発見されるべき価値や
  意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。
・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も
進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。地球温暖化の中で原子力
発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流
での惨事である。思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、
そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に日本経済は
崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、
3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機に
なってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、
それ以降、世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、
米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。今年から来年にかけて、
世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的
大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が
営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。それも66年前に
日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済
バブルがはじけ、右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界
第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も
起こっている。9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、
9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、
そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼る
しかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と
放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日
をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。
被災民は、全国民!
・・・・・・
4768,ぼんやりの時間 ー2
2014年04月04日(金)
     * 「ぼんやり」礼讃    『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
 受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の
世界では生きていけない。逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。
時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、決して物質的に豊かに
なれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 
ここで、リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。
これまで否定的だった「のんびり」こそ礼讃するに値する時節到来ということ。
 ーその辺りから
《 ・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
 小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日の
なかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、ぼんやり
を体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける
静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く
吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりした気分になり、
さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態に
なればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな
大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところは、きっとあなたの好き
な木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。
しかし串田は、それを手品師のように鮮やかに結びつけている。
その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなり
と合点した。よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、
相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、それらはみな、長い黙想の
なかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている・・ 》
▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 
 地域柄、何ごともおおらか。挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。
こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。大柄で、スロー
テンポで、陽気で、こころ優しくぼんやりしている。先進国が優れている!が、
戯言と、直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくる。
3月半ばの15時からポタリングを再開した。途中で5分ほど信濃川の土手で
休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、
気分は良い。が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。
今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。信濃川の土手で
春うららの中の転寝は、気持ちが良い。他人様の転寝を見ていたが、自分に
置き換える知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで毎日、
20分間、ボッケっとしているが、確かにリラックスする。生きているうち、
元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
5863,在宅医療の現実 〜こんなはずじゃなかった
2017年04月04日(火)
  * こんなはずじゃなかった〜医師・早川一光
多くの死を見送り、在宅医療を患者の立場になって推し進めてきた老医師が、
いざ自ら癌になり、在宅医療の患者になった時、出てきた言葉だからこそ重い。
去年、近くの従兄が亡くなったが、家人の挨拶で、『最期の入院をした時に、
家で死にたいと強く言われたが、出来なかったのが心残り!』と語っていた。
 しかし、在宅医療にも限界がある上に、死を目の前にした恐怖と苦痛緩和
のための設備は、病院の方が良い。その判断は本人より、医師に委ねられても?
その難しい問いかけを、真正面から取り上げている。
♦ まずは、京都新聞で2016年1月から週に1度連載された、早川一光さんの
 聞き書き「こんなはずじゃなかった」より。 (2016年5月26日放送)
≪ 地域医療のパイオニアとして知られ、NHK連続ドラマのモデルにも
 なった老医師が、がんになりました。自宅で、自らが作り上げた手厚い
在宅医療、在宅介護に支えられながら、医師は、「こんなはずじゃなかった」
と語り、それを名にした新聞連載を始めました。医師の名は、早川一光、92歳。
 戦後、京都市西陣で住民立の堀川病院を作り、「在宅医療」という言葉も制度
もなかった時期に積極的に地域に出る活動を展開。「西陣の路地は病院の廊下や」
を合言葉に、病院を出ても安心して医療を受けられる体制を整えました。
「わらじ医者」の愛称で親しまれる老医師が、自ら患者になり、死を見つめた時、
現在の医療や介護について何を感じ、何を伝えようとしているのでしょうか?
「こんなはずじゃなかった」とは何を指しているのか?
 番組は、自宅のリビングに置かれたベッドで一日の大半を過ごしつつ発信を
続ける早川医師の暮らしを描き、未来に向けたメッセージを聞き取ります。≫
♦ 次は、NHKスペシャルのHPより
≪ 医師 早川一光さん 人生のしめくくりを支える“在宅医療”の草分け
 3年前から自宅で療養生活に 口から出たのは「こんなはずじゃなかった」
自らの死を見つめる医師 医療の未来に向けたメッセージ。
 ただ命を長くするだけで人は幸せになるだろうか?
1950年 京都 西陣の人がお金を出し合って作った診療所。所長は当時26歳の
早川一光さん 。目指したのは「在宅医療」と「訪問看護」精力的に続けた
活動はやがて国の制度に取り入れられた。早川さんはいま93歳
「俺は何をしてきたんやろう。今が天国かと思うと、かえって地獄じゃないか」
「早川先生が死ぬのを怖がってる姿はものすごく意味があると思います」
と看取りを託す根津医師。
「人を看取る時、医師にはなにができるのか?」と、ベッドの中から問い続ける
現在、自宅で亡くなる人の割合は全国で1割ほど。
【心に残った言葉は?】に、 「生きて、生きて、生きとってや。
―
▼ そう遠くない近将来に、私にも間違いなく直面する問題。
「出来ることなら 自宅で」という思いは誰にでもあるのだろうが… 
この番組を見て、これでキッパリ、病院で死ぬと思い定めることが出来た。 
その後は、早川医師、持ち直し?現在も御存命のようだ。 当人と在宅医療
医師、そして老妻と語る言葉の一言一言が非常に重く響いてくる。 老いれば
老いるほど、心の奥から沸き上がってくる「こんなはずじゃなかった」の思い。
「私の人生、こんなものか」なら、まだしも。 特に私には? いや、万人か!
・・・・・・
5133,知の逆転 〜��
2015年04月04日(土)
   「知の逆転」〜ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー&他
 * まずは概要から
                〜 内容(アマゾンより)
< 「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学に
革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転
させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。
「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」
 ―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。>
  〜ビュアーの書込みが、概要を簡潔に言い表している。
《 本書は、元NHKのディレクターのサイエンスライターによる、知の巨人たち
への質の高いインタビュー集だが、ピックアップされた知の巨人たちが豪華。 
・名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド。
・生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起したノーム・チョムスキー。
・映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、
・人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、
・アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、
・DNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞のジェームズ・ワトソン。
 インタビュー集なので、個々の情報はそれほど深くはないが、それでも、
知の巨人たちによるこの世界の解釈には、何度もうならされました。・・(略)
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられてきたけれど、
たくさんの情報がそれぞれ本来の姿をよく映し出すようになると、思い込みと
想像と誤解が減った分、それらの世界が必要以上に大きく見えることもなく
なってしまった。中東紛争はじめ、インターネットを通して世界中の様々な
人間の生きざまを目のあたりにすると、この生は仮のもの、この世にあるもの
全ては悲しいものという、『方丈記』の意識が、時代精神となってくる。
いきおい深いかかわりを避け、食べるものも着るものも住む処も、そして人に
さえ、こだわりを持つことを避けるようになる。生物として自分をアピールする
ために、他の人間と少しは違っていたいけれど、こだわるほどの、つきつめる
ほどのことはない、とー。潤沢な情報は、かくしてロマンを奪い去りつつある。
唯一ロマンが残っているとすれば、それは人と人・人と物・人と雰囲気との
ケミストリー、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人は
まだほとんど制御できないものだから。人生は出会いが全てかもしれない。
人や動物や物との出会い、色彩音楽や一文との出会い。この世で生きるのは難儀
だが、わずかでも強く心に残る出会いがあれば、それでけっこうやっていける。》
▼ インタビュアーの質問が、鋭く、その返答そのままが、読者にとって
 理解しやすい。特に私が知りたかった、「情報社会のゆくえは?」は、面白い。
学問の常識を逆転させた彼らの視線は、私の常識を根こそぎ破壊してくれる。
この年齢での常識の破壊こそが日々を面白くする! 我が内なる常識の壁。
「あとがき」の6人に対する評がよい。 「ダイヤモンドは静謐にして鋭い室内楽、
チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よい
ジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点を当てたソナタ、レイトンは
ドキドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にした
コンチェルト、といった感じでしょう。」  私には書けない言い得て妙の評。


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