堀井On-Line



6169,読書日記 〜生命にとっての知と、人工頭脳 −2

2018年02月02日(金)


              <『人工知能の哲学』松田雄馬著>
 強い知能とは、「精神を持つ」知能である。だから、精神論を馬鹿にする
なかれである。問題は、純粋で、崇高で気高く、力強いかどうか。20代、30代
の自分が今さら懐かしい。若さゆえの清濁のそれは、それとしてもだが… 
「人工頭脳」の本質を哲学をすることから人間の頭脳、生物のづ頭脳を問う
ことになる。だから説得力があり、理解しやすいのである。
   △ 人間に出来て、機械に出来ないこと
≪・「弱い人工知能」にとって、まず「何が出来ないか」を知ることが重要だ。
 それは「自ら意味を作り出す」ことと考えられる。…私たちの脳は「生存脳」
と「社会脳」が関わる中で、豊かな社会性を作り出している。社会性は、他者の
「行為の意味」に対して「共鳴」し、「他者理解」を行う中で形成されていくと
考えられる。…私たちが世界を認識できるのは、私たちが「身体」を持つからだ。
機械にとっての「意味」は、こうした「身体」を中心に置いた考察が必要だ。
私たちにとっての「意味」とは、「行為の意味」であり、「行為」を行うには
「身体」が不可欠になる。「身体」にとっての「意味」は、「身体」と「環境
(状況)」との関係において、即興的に作り出される。そのために、強い知能が
必要になる。それが人間たる由縁である。
 ―
   △ 意味を持つとは「物語」を見出すこと
・「椅子」を認識するに、「椅子に座って考え事をする」「椅子に座って休む」
といった「物語」を見出している。自身の物語の中に、椅子という存在を見つける
ことで、関係性を見出す。これは、まさに「意味を見出す」ことである。≫
 ―
▼ 学生時代のゼミ友との様々な議論が忘れられない。その一人の、自由課題が、
 <人生の年代ごとの価値観の変遷>という、思いもよらないテーマに驚いた。
奇抜な言動が面白い人物だった。結局、テーマが実力に伴わない?ことも
あってノイローゼ気味になって卒業の直前、ゼミをやめるはめになった。
 価値観といえば、太平洋戦争と敗戦は、明治維新、戦国時代、二度にわたる
蒙古襲来と撃退、を超えた日本の歴史上、最大の事件だった。その廃墟の中で
アメリカ主導の民主主義に国民は戸惑った。父が死際に、「太平洋戦争を境に
した二つの人生を生きた気がした。」と語っていたが、価値観の劇的変化が、
そう言わせたのだろう。「天皇」中心の軍閥主導の思想を妄信するのが善で、
個人の考えを口に出すの悪だったのが、根本から、否定され、自由、民主主義と
言われても、何が何やら? と、戸惑うのも当然のこと。全体主義の中の市民の
「弱い知能」から、アメリカ的個人主義の、個々人の「強い知能」が求められた
動揺は大きかった。生きる意味が、「国家天皇への御奉仕」から、個々人の
人生を全うする生き方への変更である。そして器用な日本人は素朴な性格も加え、
即座に適応。地政学的の関係で、共産圏からのアメリカの防御盾と位置づけされ
現在に至っている。怖ろしいかな、今では、北朝鮮からのアメリカの盾に? 
 韓国、日本、台湾は、中国、北朝鮮、ロシア人からみれば、「バナナ」。
中は白で皮が黄色。イエローモンキーと揶揄されるのも理解できる。そして、
それなりの「強い知能」を持った白人第一主義のトランプ大統領の登場となる。
彼らにとって、日・韓・台湾は、地勢上の盾でしかない。必要になれば、当然
戦場にすると考えるべきである。とにかく、「弱い知能」の人達からなる、
盾でしかない。ならば今の内と… 熊さん、寅さんの政治談議的になったか。
 ――
熊さん: 石ころも少し離れて見りゃ砂利じゃないかい。
寅: せっかく寝ていたのに起こすなよ。砂利じゃなくて、砂だろ。
大家さん: せっかく、八つぁんが真面目くさってきたのに台無しじゃないか。
八つぁん: いいんだよ、こんなもんだよ。金サマと、トラちゃんの掛合いを
  みていると、情けないというより、神様の思し召しと思えるよ。この二人
  から、根こそぎ、人生の砂場を鳥観し、考え直せとね。 
  釈迦の説教、屁、一つとしてね。いや二つか。選ぶ方も選ぶ方だがね。
大家さん: 民主主義と、独裁主義の限界を、そのまま、提示させているだけ。
  これが現実としてね。
神様: これからビッグ・ブラックスワンが、次々と到来しますよ。大量に!
熊: 有り金持って、酒を買ってくるよ。酒で気を紛らわすしかないよ。
大家さん: 我が家にはシェルターが、あるの。
神様: さっき、全部、焼いておいたよ。どのみち、同じことだもの。
寅さん: 八つぁんよ、何で俺たちを呼び起こすんだよ。ハチャ滅茶じゃ。
八つぁん: 「弱い知能」が気になって、最後に掻き混ぜたくなったの。
熊さん: チョッとストーブの温度が高いからじゃ? 
 
追)偶然だが、以下の通り、「弱い知能」は、世間と寝て、隣家の火事に
 鈍感になって、もらい火で全焼か焼死ですか。ノウタリンとは私ですか。
 それとも? 
――――――
5802,なぜ日本人は世間と寝たがるのか ―読書日記 1
2017年02月02日(木)
      <なぜ日本人は世間と寝たがるのか: 空気を読む家族
                         佐藤 直樹 (著) >
   * 世間とは何か?
 私の好きな?「世間学」の本。 しかし何故か私は世間が大嫌い。
「私」という個人に目覚めた為である。逆に、世間には、「私」という個人に
目覚めてない人が、殆ど。 何処かしこにも存在する、18歳までに擦り込まれた
常識に縛られていることすら気づかず一生を終える人たち。 日本人には欧米の
‘社会’が根付かなかったという。
ホンネが「世間」、タテマエが「社会」の二重構造が日本社会の特徴。小さな
島国では致し方がない。「世間」=「自分(の周囲)」、「社会」=「他人」
の切口がある。それもこれも、脳内の妄想のなせる業でしかないが。それでも
情報化の進展で、その圧力は減っても、まだまだ根が深く、こびり付いている。
いま流行りの「おもてなし」も、世間が織りなす特徴。
   〜まずは、内容(Amazon)より〜
≪ なぜ、妻を「ママ」とよぶのか。母子心中は、どうしてなくならないのか。
 事件の加害者家族がメディアで謝る理由は。 よく考えたら奇妙なことが、
あふれている。“「私」なき国”の家族のありようを徹底解剖。
 「世間学」で読み解く日本の実像。≫
  〜あるレビューより〜   <解りやすく要約してある>
《 著者は、日本は、西欧に倣って近代化せざるを得なかった、どの「発展
 途上国」の中でも、人間の尊厳と一体の「個人」の輸入に失敗した唯一の国。
そのため底部に「世間」(ホンネ)という人間関係が存在し、その上に社会
(タテマエ)という人的関係が存在する2重構造になっている。
日本の家族は、「世間」の侵食に対して、個人が存在しない為に「愛情原理」
をもって社会に対抗・対立できる西欧の近代家族と異なり対抗できない。
98年、アーカンソーの学校乱射事件では、メディアによる犯人少年の実名
報道に対して、実名を知った人々から、その家族には手紙が殺到したのだが、
その内容のほとんどが、犯人少年の家族を激励する内容であった。
 戦前の天皇制ファシズム体制の中では、国という「公」に対して、「私」
としての国民が滅私奉公を強いられた。戦後、国に取って代わったのは企業や
会社であり、世間もそれに準じるので、「公」である企業に対して「私」で
あるその構成員が滅私奉公を強いられている。「家族思いの良い夫」=
「公としての家族に滅私奉公してくれた良い夫」と。
 80年代以降の高度資本主義=高度消費社会の成立の中で、家族や学校を巻き
込む形で外部の経済原理=市場原理が席巻する。それによって「愛情原理」を
もつ家族が「解体」され、子どもも商品経済に巻き込まれる。
 お金さえ持っていれば市場経済は大人と子どもを区別しないので、子どもは
小さな大人」となる。この風景は、どことなく欧州の「中世」に似ている。
こうして日本では近代家族が成立しないまま、個人を単位とする社会が進む。
 こうした状況を背景として、96年には選択的夫婦別姓法を盛り込んだ民法
改正案が国会に提出される。
 フランスでは、婚外子出生率の上昇などで60年代以降、その問題は表面化し、
99年のPACS法の成立で、事実婚をしているカップルに法律上、結婚している
カップルと同じ保護を与えた。フランスの52%、スウェーデンの55%と比べて
日本の婚外子は2%、と依然として低い。 これは「できちゃった婚」のように
世間体を考えて、子どもができたら結婚しなけばならないと、「いえ」が完全に
内面化されているから。 夫姓も96%あり、妻が夫の「いえ」に入るという
「世間」における「身分制」が貫徹していると考えるしかない。
 結婚後の姓についての考え方は、83年の47%から10年ないし15年間は03年に
29%と伝統的な意見が減少したが、最近の5年間では4%増え、98年と同じ数字に
なり、世の中全体が保守化している。
 日本の夫婦間では、互いにその名を呼ぶことは稀で、子どものいる場合、
互いに「お父さん」「お母さん」と読んで、何の違和感も感じない。
 これは自分たち夫婦が男と女の関係としては既に終わっているということを、
堂々と宣言していることに他ならないが、子どもを中心としたタテの関係の
親族名称を使うことは、家族の呼び方として極めて安定したものであるだけで
なく、日本の家族においては子どもの存在が必須条件であることを暗黙の内に
示している。男自体も大人の男性ではなく「成人した幼児」で、妻に対しては
まるで「母親」に対するような態度で接するマザコンでしかなく、「支配ー服従」
か「包むー包まれる」関係になりやすい日本の「母子関係」もあいまって、
はじめは恋愛関係であった夫婦も時間が経てば母子関係として安定的になる
ので、「ママ」や「お母さん」という呼び方は、その関係を象徴している。
 先進工業国のうちでも日本で犯罪発生率が極めて低く抑えられているのは、
「世間を離れては生きて行けない」との思いが存在しているからである。
それは、幼児期に子どもたちが両親の権威を受け入れ、両親からの期待に無理
やり答えさせられると同時に、両親に依存することを許され「存在論的安心」を
得られることを学ぶからで、西欧の独り寝などの独立した存在としての扱いで
なく、沢山の身体的接触によって「小さな大人」でなく「大きな子ども」と
して扱われ、過剰に両親に依存するようになる。この依存と支配の受容の関係は、
ウチ集団への依存とその社会集団による社会統制の受容の関係となる。
 悪いことをした時、米の親が家に閉じ込め、日本の親が家から締め出すと脅す
ことに象徴されるように、日本では罰がウチ世界からの排除であることを学ぶ。≫
――
▼ ホンネ=世間、タテマエ=社会の図式の日本社会でも、現実社会の上に
 別個に出来たネット社会の潮流の中で、大きく変化をしている。否が応でも、
それぞれがスマートフォンを持てば、「家」より各個人の結びつきが優先される。
とはいえ、その「私」が貧弱のままのため、「世間」とかいう魔物に執りつかれ、
身動きが出来ない。サラサラの砂のように、それぞれがバラバラで、まとまりが
つかない中国人の特質のように… 
 次回は、<「世間」の4つのルール>をテーマにする。世間は世界中に
あるが、ここでは、「一神教的欧米世間」に対し、「日本的世間」である。
・・・・・・
5072,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー7
2015年02月02日(月)
        『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著)
* 進化は必然か偶然か 〜ブライアン・スウィーテク著『移行化石の発見』
 地球の大気圏が一度、消滅をして、再び同じ状況下で、同じようなプロセス
を経たとしたら、同じような生命と類人猿が生まれるだろうか?という素朴な
疑問があるが、それに対して「存在は偶然の積み重ねでしかない!」と!  
と断言している。 〜その辺りから
≪ 昔から、ダーウィンの進化論を信じない主要な論拠の一つが、種が進化
するときの中間形態の化石が発見されていないということにあった。
しかし、近年、見つからないがゆえに‘ミッシング・リンク’と呼ばれてきた
中間形態の化石が続々と見つかりはじめている。ブライアン・スウィーテク
『移行化石の発見』は、そのような驚くべき化石の発見史の物語。
 たとえば、クジラは陸にあがった哺乳類が再び海に戻った種だが、陸上を
四本足で歩いていた時代の化石が見つかっているし、鳥は恐竜から進化した
という説が長らく本当のこととされなかったが、移行期の羽毛におおわれた
恐竜の化石が発見されて本当だと信じられるようになった。
 面白いのは最終章「進化は必然か偶然か」。ある環境が与えられたら、
ある進化が起こるのは必然なのか。別のいい方をするなら、この地球環境が
人間を産み出したのは必然なのか。ある進化が起きたとき、やり直したら同じ
進化が起きるのか。一九八八年ミシガン大学で大腸菌を使って壮大な実験が
行なわれた。全く同じ大腸菌群を育て、五百世代ごとに冷凍保存していった。
 三万千五百世代で重大な進化が起きた。世代をずっとさかのぼって、サンプル
解凍で多数のやり直し実験をしたところ、また三万世代で大きな進化が起きたが、
進化の方向は違っていた。さらに実験を続け四万世代まで来ているが、結論は、
進化は偶然の上に偶然が積み重なって起きるのだから、同じ進化は二度と
起こらないというもの。人間も同じで、この進化は偶然の積み重なりで起きた。
地球環境がさらに数億年続いても同じ進化は起こらない。我々人間が滅んだら、
人間が再生することはない。・・・ ≫
▼ これは、個々の人生でも同じ。偶然の積み重ねが現在の自分であって、
 何事も一期一会である。だから、志や、信条を明確にして、日々、生きな
ければならない。志、信念を強く持って、偶然を機会として、将来を切り開いた
結果が必然のように錯覚してしまう。それにしても存在は、不思議である。
・・・・・・
4707,<つまずき>の事典 〜分別  ー2
2014年02月02日(日)
            <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 何ゆえに神はノアの方舟に人間を選んだのだろう?
『ノアの箱舟の上で俺たちは絶えず不可解な気持ちで頭を悩ましていたんだ、
どうして神は他の明かにもっと優れている候補をさしおいて、人類を被保護者と
して選ぶことになったのかって。神がもし他の種を選んでいたら、そのほとんど
は人間なんかよりずっと忠実なことに気づいただろうさ。もしもゴリラを支持
していたら、神への不服従にしたって人間の半分も犯さなかったんじゃないか。
そうなけりゃ第一、洪水だって起こす必要はなかっただろうね。一バーンズー
 箱舟の密航者であるキクイムシが語っている一節。{神が「人類を被保護者
として選ぶ」ことにしたのは、地球環境から言えば取り返しのつかぬ〈過失〉
であったのは間違いない。したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、
紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿であることを自慢している。しかし
猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。したがって、ある
フランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿で
あることを自慢している。しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしない
だろう」。』
 ▽ 人間こそ、地球の大気圏の生物にとって、ガンそのもの。
   * 分別
 『どんな愚者でも真実は言えるが、嘘の上手のつきかたには、分別のある人間
   である必要がある』 ーサミュエル・バトラー
 ▽ 今まで平気で真実を誰かまうことなく公言してきた。それも常に上から
  目線で! 時と場合で、嘘と真実を混ぜ合わせて語ることこそ、分別ある
 人間のすること。そうこう考えると、この随想日記の公開は非常に危険。 
 真理と真実を直感したまま書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、
 愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 
   * 失敗には安らぎがある
 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に
 似ていた。失敗というのは明快で、そして確実なものだ。確実なものの中には、
 いつも安らぎがあるのだ。』ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」
 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な
 心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の緊張が切れたこともあるが、
 この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など
 考える必要もない。実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に
 引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、
 確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が
 常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。


6168,読書日記 〜生命にとっての知と、人工頭脳 −1

2018年02月01日(木)

              <『人工知能の哲学』松田雄馬著>
   * 「知」とは何か?
 面白い本である。人工知能を考える時に、まず浮かぶのがドローンである。
自撮り無人ヘリである。数m、10m、100mの距離を設定すると、本人を空中
から自撮りするロボットである。 自然空間などでの空撮にとって、革命的
ロボットで、AIなど最新科学がフルに活用されている。しかし、あくまで、
道具であるが、テロとして使用されると危険な代物になる。
 〜印象に残った部分をランダムに抜粋してみる〜
≪ ・私たち人間を含む生物が生きる空間は、時じ刻々と変化する予測できない
 「予測できない「実空間」である。こうした「実空間」においては、得られる
 情報は不完全であり、その不完全な情報に基づいて、環境に適応して生きて
いかなければならない。すなわち、不完全な情報で、環境との「調和関係」を
作り出していくことが、生命にとって必要な「知」と考えられる。
 ・人工知能は、「強い人工知能」と、「弱い人工知能」があるが、今のところ、
「強い人工知能」は存在しない。「弱い人工知能」は、あくまで、人間が使う
道具である。そのため、人間が行っているどんな仕事でも、「弱い人工知能」
であっても、それだけで仕事を行うことは不可能である。
 哲学者ジョン・サールの考え方によると、次の2つに分類される。
強い人工知能:知能を持つ機械 (精神を宿す)
弱い人工知能:人間の知能の代わりの一部を行う機械
 重要なのは、現在、私たちが用いている「人工知能」は、あくまで、
「人間の知能の代わりの一部を行う機械」である「弱い人工知能」に過ぎない。
この軸を持っておくと、様ざまな論調を冷静にみることができる。
<ある校長の話で、「ある木を切っている大工に「何をしているのですか?」
 と尋ねると、「私はただ木を切っているのではなく、皆さんが快適な暮らしが
出来る家を作っているんです。」と答えたというんです。「木を切る」職業は、
作業効率化で失われていくかもしれないが「素敵な暮らしを作る」という観点で
仕事をしていれば、仕事が減るばかりどころか、いくらでも作り出せるのです。>
――
▼ このブログに毎日、6千回以上も書き続けられたのは、ネットと、情報機器
 の活用無くしては絶対に無理。それと職業柄もあって、自由時間が充分あった
こともある。自らの価値(意味)を元に、その時々に、パックに出来るのは、
身体を持つ私だけである。といっても、問題は私の「軽い脳」、いや「弱い知能」。
1万5千時間も投入した行蔵の中身も、所詮は、哀しいかな貧乏人の蔵の我楽多。

・・・・・・
4706,<つまずき>の事典   ー1
2014年02月01日(土)                      
            <つまずき>の事典> 中村邦生編著
図書館内を彷徨っていると、そこに住む天使が、その時どきの最適な本に
導いてくれる。今回は、これ。そろそろ節目も終わり、切り替え時期。 
冷静に<つまずき>を見つめ直すに丁度よい本である。
新たな創造前には、崩壊が必要。この挫折経験から、傍からみえた現象は
ワーストだが、私の人生にはベストと仮説をたてると、そう思える。
「これまで信じていたことが、ほぼ全てが間違っていたのでは?」という
視点が、大きな収穫。実際に経験すればこそである。
  ーアマゾンの内容紹介ー
【 世の中楽しいことばかりじゃない!様々な挫折があればこそ生まれた
 名言・名句の数々。"つまずき"の中に人生をみつめ、自分の失敗を笑う
勇気がでてくることばのアンソロジー。英米・日の文学作品・映画・芝居や
ヒットソング・広告コピーから選んだ237句にスパイスの利いたコメントと
原文を添えた。小さな文学事典を兼ねた作家・作品案内でもある。】
   * 新たなチャレンジに迷っている時に
「君はこれまで何度も失敗した、覚えてはいないかもしれないが。
 はじめて歩こうとしたとき 君は転んでしまった。はじめて泳ごうと
 したとき 君は溺れそうになってしまった、そうだったろう?」
▼ 転ぶことも人生の一部。自分の手と足で立ち上り、新しい人生に歩き出す
チャンスでもある。つくづく実感したのは、私にはこれがベスト!ということ。
で、次のチャレンジは?そう、あれ? いや、まだまだ、楽しみが足りない?
   * 世界の涙の総量は一定なのさ
《『世界の涙の総量は一定なのさ。だから、誰か一人が泣きだすたびに、
 どこかで別の誰かが泣き止むんだ。同じことは笑いにもあてはまるよ』と、
サミュエル・ベケット(二十世紀を代表するアイルランドの文学者)は、
ある登場人物に言わせています。もし自分が悲しみに沈んでいる状態にある
とすれば、この世界の誰かのところにあった涙がたまたま自分のところに
集まっているのに過ぎず、そのことによってその人の悲しみや苦しみを密かに
和らげていることになるからだ。もちろん逆の喜びの総量に関しても同じことが
言えるだろう。涙も笑いも実は私たちすべての者が分ち持っているのである。》
▼「泣いても笑っても同じ空」 (ノ∀`)っても(;_;)ても、同じなら、
 笑っていた方が良いが、時に悲しみも必要。「人生、あざなえる縄のごとし」
で、哀しみも、笑いも、同じ束の藁。それが人生。そう思えば、冷静でいられる。
喜怒哀楽のどれもこれも、人類の一定量の共有物と思えば、バランスをもって、
引き出せばよい。ところで、私の人生には哀しみが足りなかった! 実感として、
「喜3、怒2、哀1、楽4」の割合。楽の4を2にし、哀を3で丁度良い?で、
神様は、この結果を与えた!が、今で2? いや1のまま? σ@(゚∀ ゚) クルクルパ
・・・・・・
5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界
2017年02月01日(水)
  * 冥途の土産に
・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの
録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月
経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に
秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え
の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。
決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、
やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。
奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。
これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、
何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 
・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから
終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に
した世界に変っていた。
・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 
最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される
力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て
いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る
ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。
・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像
を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、
葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が
違う」と聞いた情報。
・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見た映像
世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では
圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。
「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」
ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった
ためという。
・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし
だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代
になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き
をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。
・・・・・・
4339, 自己とつきあうということ −5
2013年02月01日(金)
      「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
ー 人間が壊れやすく、制御が容易でないことについて、ヘラクレスと
 同じ頃にブッダは以下のように述べている。まずは、その辺りを抜粋。
  * ブッダが説く「自己制御」の必要性!
▽「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?  
 自己をよくよくととのえたならば、得難き主を得る。」おそらく、ブッダ
 ほどに自己の危険性、脆さ、悪への傾向を意識していた人はいない。
 彼は、自分が自分の主になることのむずかしさ、自分をよく整えることの困難
 さを知りぬいていたがために、ことあるたびに自己制御の必要性を説いた。 
▽「善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、
 善いことは、実に極めてなし難い。」 ブッダは、不要なことに心傾けて、
 必要なことをしない人間、自分を制御することから遠い人間の現実を直感。
  ブッダはまた、ヘラクレイトスの強調する「思慮を健全にたもつこと」から、
 人間がいかに遠い存在であるかを繰返して述べた。 
▽「避けねばならぬことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ
 (=必らず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、
  邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。」ブッダによれば、
 真に必寝なことを考えることよりも、邪悪な思いにかられ、嘘をつき、
 愚かしいことをたくらむことに忙しく、汚れ、滅びていくのが人間であると。
▽ 「人間が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口を
 言って、その斧によって自分自身を斬るのである。」ブッダは、自分のことは
 棚にあげて、他人のことをけなじたり、悪く言わずにいられない人間の傾向を
 巧みな比喩でいいう。
  * 自己を乱す力!
▽「この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように堅固に
 安立してー知恵の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。――しかも
 それに執着することなく。」ブッダは、身体が愛欲や欲情、妄執の源泉であり、
 心を汚れたものにする不浄なものであると見なし、身体の誘惑から身を守ること
 の必要性を強調した。心は不断に身体によって汚染される危険にさらされており、
 制御されなければならないものであった。
▽「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心を
 おさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす」
 へラクレイトスと同様に、ブッダも欲情や危険を身体の内に見ていたことは
 否定できない。ブッダは、先にも述べたように、自己を、自己の主となるべき
 ものであると見なしていたが、それはまた、自分の心に一定の方向を与え、
 乱れやすい自分の心を制御するという課題を担うことを意味しでいた。
 ブッダにとっての自己とは、自己によって注意深く配慮し、支配、制御すべき
 ものだったのである。ブッダが身体をネガティブに捉える観点には賛同しかねる
 としても、注意を促している点は共感できる。
▼ 釈迦は弟子たちに向かい「修行僧たちよ、 すべては移ろいゆく。
 怠りなく努め励めよ」 と言い残され入滅された。世の変化に対し、己も変化する。
そのために己の中の動物性をコントロールし、心を整えることが目指すところである。
・・・・・・
5435,人生で最も大切な技術 ー��
2016年02月01日(月)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * セルフの分解
 セルフをネット辞書でみると、
☆ 「自己・自我・自身」「自身で」と、
☆ ユング心理学で,無意識を含む心全体の中心であり,かつ心の外
 にもあって意識と無意識の調和を図る超越的な存在。
ここでは、「私」+「人格」=「セルフ」の分解 が明快。〜その辺りから〜
≪ この問題をより深く理解するために、詳細な分析に再挑戦してみよう。
個人的アイデンティアイの概念には「私」「人格」「セルフ」の三つの側面が
ある。これらの側面は基本的にはたいした違いはないが、自分は自分である、
というアイデンティティへの執着の仕方が違うことを反映している。
・「私」は現在に存在する。「空腹だ」とか「存在する」と考えるのは「私」
 であり、 意識、思考、判断、意思の発信源である。要するに、現在の状態
 を経験するのが「私」である。
・精神神経学者、デビツド・ガーリンは、「人格」の観念はより広範囲である
 として、 次のように結論づけている。「人間の肉体的、精神的、社会的な
 存在の多様な側面が組み込まれた過去、現在、未来を通じ、ダイナミックに
 流れる流動体であり、その境界線は流動的である。
『人格』は以下のように広い範囲に該当する「肉体(健康状態などの)、
 個人的な考え(極めて個人的な感情などの)、性格(良い人などの)、社会的
 関係(個人的生活と職業生活を分離するなどの)、一般的な意味での人間
 (人格を尊重するなどの)」。このように時間を越えた連続体は、過去の
 自分のイメージにも未来の投影にもつながり、個々の人間が他と異なって
 いて、独自の質を備えていることを明示する。・・・(略)
 今この瞬間を経験する「私」を、存在の連続体である「人格」に結びつけると、
「セルフ」が出現する。デビッド・ガーリンの説明にあるとおり、人間には、
複雑なグループ分けを、「実体」という一つのグループにまとめることで単純化
を図り、次に、その実体は恒常的特性を持つ、と結論づけようとする傾向がある。
環境が刻一刻変化することがなく、ほとんどの現象が永続するという考え方を
受け入れたほうが、世の中で楽に機能できる。・・・ ≫
▼この「セルフの狭い世界を、コップ一杯の水に喩え、一握りの塩を入れれば、
飲料水に相応しくなくなり、セルフの壁を突破すれば、同じ一握りの塩を入れ
ても、味が変わらない巨大の湖のように心が広がる。」と例える。
 老いていく利点が、この湖のように広がることだが、一つ間違えると、溝沼
のように淀んでいく。大方の人にとって、老いるとは無念である。〜纏めると、
「私」+「人格」=「セルフ」。現在の状態を経験するのが「私」。
「人格」は存在の連続体。「存在の連続体」を「習慣の集合体」にすると、
そこに天性が現れ出る。5400のテーマの、その日分の内容が「私」。
その全ての内容に、私の「人格」が現れ出ている。「そのまま結構」だが、
どぶ沼のボウフラや、逆に湖の大魚と自己錯覚した比較社会の小魚には? 
・・・・・・
5071,ツィッター、その雑念のゴミばこ 〜1
2015年02月01日(日)
         『ツイッター、その雑念のゴミばこ』横尾 忠則(著)
 ツイッターを、そのまま本にした面白い本である。たしか糸井重里の
『ほぼ日刊イトイ新聞の本』という、同じようなHPサイトの舞台裏や
対談などを書いた本があったが、この著者・横尾の呟きは、どのページを
ランダムに開いても、引き付けられる内容である。その場で思い浮かんだ
雑念?を、そのまま公開することで、それ自体を価値ある素材にしようと
している。私の随想日記は、一応、起承転結に捉われているが、ただ、
思いのままの雑記。だからこそ、光っていて鋭い。そこで、時系列でなく、
ランダムにパラパラと開いて感応した箇所を拾い上げてみる!
――人生の中で一番初めに自由になった! と思ったのは父が死んだ時だった。
その次に自由になったのは母の死だった。    May 10/2010 13:14
 愛情は実は執着だったことをその時初めて知った。
 愛は相手を自由にさせるが、情は相手を束縛する。 May 10/2010 !3:21
▼ 私にとって父親の存在があまりに大きかったため、父の死に自失呆然。
 その時、創業準備を父親と供にしたこともあり、その死は、『さあ、
これからは、お前一人でやりなさい!」というタイミングになった。
そして、孤独、自由の中の決断の恐ろしさ、不安が、そのままエネルギー
の源と知ることになった。 それから24年後の母親の死。これも、哀しい
出来事であったが、ただ姿が見えなくなっただけで、極く近くにそのまま
いるようで、今でも数ヶ月に一度は夢に出てきている。「愛情は執着」とは、
成るほど! 準備を含めた45年の事業人生、結果のいかんに関わらず、
離れてしまえば、夢幻。執着、後悔、無念など、跡形も無くなってしまう。
残ったのは、行蔵の記憶と、幾つかの書類のダンボールと、冷たい視線だけ。
だからこそ、むしろ、胸の中で愛おしまなければ、生きてきた甲斐がない!
 父母の愛情も、子供にとっても、親にとっても、執着。まず、第一歩は、
そこから離れることだが・・ 愛も、情も、人にとってのベース。
 何をしてきたのだろう、お前は! 外は雨と共に風が吹いている。
で、昨年、一昨年の、以下の内容に続く!偶然だが、お後が宜しいようで?
・・・・・・
3964, ゲーミフィケーション ー2
2012年02月01日(水)
 【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 
                 25日NHK・クローズアップ現代 】
  * 結構、面白いゲーム化
 私の趣味の一つが「秘境・異郷ツアー」だが、いや、だったが? 
回数を重ねるにつれ、いつの間にかゲーム化になった。旅行中の楽しみの一つに
ツアー仲間の情報交換があるが、ベテランほど旅先をゲーム感覚で構成している。
パリ、ロンドン、ローマとか都会文化を楽しむ都会派。 アフリカ大陸専門の
サファリ派、南米派、インド派、シルクロード派、秘境・異郷派など、それぞれ
の趣味に合わせて行き先を組み立てていく。そして、まず予算と行き先の選定、
旅行代理店のツアーの選定、そして、旅行準備。それが面白く楽しい。 
それで一ヶ月は楽しめる。そして旅行中の10日間、帰ってから、写真や資料の
整理の一ヶ月で、大よそ三ヶ月近く楽しめる。その上、行った先は、毎日何処か
のTV局で放送している。見るたびに、その旅行の延長にいるような気持ちになる。
何ごともゲーム化をして楽しめば、それが記憶をパッケーをする効用になる。
「面白くなき世を面白く」は、自分の経験を、上から目線でゲーム化することと
同じ。その意味で、ゲーム化は日常生活を面白可笑しく活きるノウハウでもある。 
ゲーム機メーカーや、ゲームソフトメーカーには、大きな事業チャンスが限りなく
広がっている。ゲーム機メーカーが、ブルーレイ録画を売り出したが、これなど、
その典型。ゲームは、簡単に知恵が発揮できる場面を提示してくれる。
面白いとは知恵を発揮し生じる感情である。ゲームといえば、最近は聞かなく
なったが、「マネジメント・ゲーム」があった。 社員教育のソフトで、
各自が会社を設立して、戦略をたて、市場の想定をした基盤の中で競争する。
企業とは何かを知るに、もってこいだが、麻雀や将棋を多くこなしたものが有利。 
私は経験ないが、「人生ゲーム」というのもある。これも若いうちにやって
おけば、人生を鳥瞰でき、目先にとらわれない生き方が出来よう。
男女の遊びをゲーム化しているのもいるが。「準備のゲーム化を手順に入れる
習慣」に、人生の秘儀があるようだ。平凡な一日をゲームと生きるとしたら・・




6167,閑話小題 〜映画鑑賞 

2018年01月31日(水)

    * 「祈りの幕が下りる時」
 ハリウッド映画の何かと、決心して評価を見たところ、3・4(5)。
そこで邦画で何か面白そうなのうと調べたところ、この『祈りの幕が下りる時』
の4・4で急遽、変更して決めたもの。シネマ観賞予定(金曜日)の翌日が初日
だったが、横殴りの雪もあり一昨日に変更、ジムを休んで行くことになった。
成るほど、4・4だけの内容である。早速、 私の評価も4・5。90点である。
最初から終わりまで、息をつかせない面白さ。最後には、製作者狙いのお涙が
流れ出ていた。涙を流すのは2年に一度位…。 前作のシリーズの東野圭吾原作
「新参者」シリーズが3本も出ているので、早速借りる予定。
  〜HPの説明から〜
≪2010年4月に連続ドラマとしてスタートした東野圭吾原作「新参者」シリーズ。
阿部寛演じる日本橋署に異動してきた刑事・加賀恭一郎が、 謎に包まれた殺人
事件の真犯人を探すというミステリー要素と、事件の裏に隠された人の心の謎を
解くというヒューマンドラマ要素がこれまでにない“泣けるミステリー”として
大きな話題に。 2本のスペシャルドラマ「赤い指」「眠りの森」『麒麟の翼
〜劇場版・新参者〜』を経て、遂にシリーズ完結作『祈りの幕が下りる時』が
映画化される。事件の鍵を握る美しき舞台演出家・浅居博美を演じるのは松嶋
菜々子。そして監督は「半沢直樹」、『私は貝になりたい』を手掛けた福澤克雄。
重厚かつ緻密な演出でシリーズに新たな風を吹かせる。
――
 東京都葛飾区小菅のアパートで女性の絞殺死体が発見される。
被害者は滋賀県在住の押谷道子。
殺害現場となったアパートの住人・越川睦夫も行方不明になっていた。
やがて捜査線上に浮かびあがる美しき舞台演出家・浅居博美(松嶋菜々子)。
しかし彼女には確かなアリバイがあり、捜査は進展しない。
松宮脩平(溝端淳平)は捜査を進めるうちに、現場の遺留品に日本橋を
囲む12の橋の名が書き込まれていることを発見する。
その事実を知った加賀恭一郎(阿部寛)は激しく動揺する。
それは失踪した加賀の母に繋がっていた――。
 加賀恭一郎“最大の謎”がついに明らかに。»
――
▼ 昨日、SJにヨガの予約チップを取りの帰りすがら、蔦屋の検索機で調べよう
 としたが、作品名を失念したまま帰ってきた。 で、1日、時間をおいたところ、
如何でもよくなっていた。これがシリーズ最高傑作ということは、他は期待した分、
失望をするからだ。あとは成行き… 「フリーハンドは素晴らしきかな」である。
 後記)下記の過去文を出来具合の順に並びかえるため、毎日、読返しているが、
  我ながらシリアスな内容に驚いている。それも毎日。冬期間の早朝は寒さも
 あり、身が引き締まることもあるのか。自ら言うことでもないが、1年過ぎれば、
自分であっても、自分ではない赤の他人のような冷静な得体のしれない獣の臭いが?
 それも脳タリンの、腑抜けの("^ω^)・・・

・・・・・・
2013年01月31日(木)
4338, 嘘と真実
   * 嘘は真実の糸を織り込んである
 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。
私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、
その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。
伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色
したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 
 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、
更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、
それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。
何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る
のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。
ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。
・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド
・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない   ーバイロン
・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、
       誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ
・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム
・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。
   だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル
・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。
   そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー 
・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。
   そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル
・ 半分の真実は嘘より恐い           ーフォイヒタースレーベン     
・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。     
                          ーショウペンハウェル
 それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは
ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。
『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは
その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、
何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。
事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ
ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、
真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる
しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」
ということか。深入りしないこと!
・・・・・・
2014年01月31日(金)
4705,末期がん、その日のための予習を ー3
     ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』
に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように
過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと!
  * 第二章がんになって見えてくるもの
がんとの闘い・自分自身との闘い  
  ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分
がんは人を哲学者にする      
  ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする
ムダを捨てれば頭も心もクリアに  
  ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと
がんだからこそ手に入るものがある 
  ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。
まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける  
  ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう?
がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ 
  ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学
ほんとうの自分を見つける旅    
  ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる
使命感があれば充実した日々    
  ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる
自分が「なすべきこと」は何か   
   ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。
その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ      
   ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。
    暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時     
自分を変えることは感動のドラマ  
   ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる
がんは「人間力」を高めるチャンス 
   ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。
辛いががんは親しい人たちを大きく育てる 
   ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・
がんになっても「与える喜び」はある 
   ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝
最高のプレゼントは笑顔   ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ((〃゚艸゚)
本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが
               あった本と、読みたかった本を手に取ること
許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、
               「人に会うこと」と答える人が一番多い  
「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に
               すがりたい患者がいるが、あるわけがない?
死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。
               なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll))怖ァ・・
死は敗北ではない     ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか?
             これは何故生きる?の問いと同じ
人生の目的は「品性の完成」    
 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。
死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、
  それまでの一生分を生きることになる!
「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人
の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。
▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。
その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い
体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、
これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 
「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?((;◔ᴗ◔;))
・・・・・・
2016年01月31日(日)
5434,人生で最も大切な技術 ー��
    『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール  
  * エゴの対応
 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め
ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。
スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている
のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを
こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。
 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、
ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、
目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。
それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、
内容は誰も同じような自問自答?  〜その辺りから〜 
≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で
自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。
対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に
精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、
「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。
教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者
がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。
これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。
 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。
これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、
まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気
づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係
ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地
からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを
希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」
と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。
▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、
 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。
 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの
対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。
 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。
・・・・・・
2015年01月31日(土)
5070,閑話小題 〜夜明けのスキャット
 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章
≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。
 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、
先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを
持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ
を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、
目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の
光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 
「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、
実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 
ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、
私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? 
というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、
光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ
ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう
不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・
 ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。
〜これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 
 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫
▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、
横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。
その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 
面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、
際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは?
 そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ
直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け
止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた?
ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、
三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 
その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症?
・・・・・・
2017年01月31日(火
5800,ミネルバ大学という未来の大
   * 未来の大学の構造とは
《世界中から集まったクラスメイトと一緒に4年間、世界の7つの国際都市に
 住みながら、現地の企業、行政機関、NPO等でのインターンをする学生生活を
想像してみてください。授業は午前中の2コマだけ。午後は事前課題と自由時間
で、その国の暮らし、文化を体感し、多様性を身につけることができる学生生活。》
 これだけで、グローバル化の基礎が充分に身についていくのが理解できる。
世界を股にかけたキャリアの養成カリキュラムである。それも20歳そこそこで、
その基礎を身につけるのだから… まだ、開校以来二年半で在校生が300人。
厳選された若者に、このカリキュラムである。 
 インターンとは、【専門職につく前に研修施設で実施修練を行う者をいう。
医師のインターンは、独立して診療できる医師になる前の課程としての実習生。】
――
▼20歳で創業を決意し以来、独りでカリキュラムをつくり、それに沿った実体験で
自分づくりをしてきた。まず、イオンの創業に参加、その後、産能大に編入後に、
再び体力づくりのため、金沢の新興衣料服チェーンに期限付きで入社をした。
その後、千葉市校外の5万人ほどのニュータウンの中央十字路にある新興商業地区
で郊外型飲食ビルを立上げた。 その後、実家の御家騒動で、急遽、Uターン。
実家の衣料量販店に4年半、従事し、その後、新潟駅前でビジネスホテルを立上げ、
30年。2001年の9・11テロ。2008年のリーマンショック、2011年の3・11大震災直後、
撤退を決意をした。 三匹の黒鳥(思いもよらない大変事)の到来も、振返れば、
「止めろ」というサインと思えば、諦めもつく。
 金沢時代にドルショック、千葉の立上げ時に、石油ショック。そして、21世紀に
入ってからは3羽の黒鳥である。その発信源は一部のシンジケートの意思による。
この未来の大学は、その発信源を抑えるには、現地にネットを張って置け!も
理解できなくもない。現実社会からのアップスケールしていく人材に変容する? 
そこで解脱こそが、人間としての生きる目的に気づく? 所詮は娑婆は娑婆と。
 〜で、偶然だが、以下の去年同月同日の文脈に続いていく。
一度、上記のコースで10〜20年、キャリアを積んだ上に、解脱するのが理想?


6166,閑話小題 〜キツネとハリネズミ −3

2018年01月30日(火)

     * 熊さん、寅さんを加えた対談
 また、熊さん大家さんだが、何か4人が出てくると、話がスムースになり、
単純化するので… それと内なる友達と雑談しているようでホッとする。
そこで、「キツネとハリネズミ」と、熊さんたちと対談させたらと思い
立った。 が、案の定、やはり、不自然になったが、辛うじて物語になった。
――
大家さん: 私を司会に、キツネとハリネズミの対談の進行をあい至すことに。
  これだけでは、話がギクシャクするのは目に見えているので、助っ人に
  熊さん、寅さん、八つぁんに加わってもらう。
熊さん: 何で、俺なんだよ。今回だけ、実際の熊になったつもりで話すよ。
大家さん: そりゃ困るよ。あんたは呆けの熊だからこそいいんだよ。
  ところで、コンさんよ。エライところに引合いに出されたね。
キツネ: 大たい、人間様はオイラに良いイメージを持ってないね。子狡いとか。
  何でも餌にする雑食の奴とかね。
ハリネズミ: オイラなど、敵がくると丸まってさ… 食肉動物の子供がまず
  私の針の犠牲になるのさ。この前など若いライオンが余程腹が減ったのか、
  執拗に絡んできてさ。前足二本と、額に何本も刺さってさ。駄目なのを知ら
  ないでさ。 行動範囲の小ない専守防衛の代表格として引合いに出されてね。
  実際に動くのは嫌いでね… それにしても神様は、何でこんな針を…
  メスには、何時も手こづっているよ。余程、機嫌がよくないと絶対無理。
寅さん: 分かるわかる。
熊さん: 若いうちは、気にいった女性が近くにくると緊張してさ、気持ちと
  裏腹でハリネズミのように全身から針が立つような状態になってさ、困った
  ものだったよ。
ハリネズミ: 時々、キツネさんが羨ましくね。行動範囲が広くて、調子と愛想
  が良くてさ。
キツネ: いや、餌探しだけでヤットなの。その上に、他の野獣の餌になる危険が
  あるし。特に猛禽類が何処から襲ってくるか分からないしさ… 両親と兄とも、
  奴らに何処かに連れていかれ行方不明さ。 ハリさんのように、誰も見向きを
  しないで、日々を楽々生きているのを見るにつけ…羨ましい限りだよ。
  自分がいま、生きているのが不思議なくらい。だから面白いのもあるけどね。
八つぁん: まあ、互いを羨やんでも仕方がないよ。そう生まれてきたことが、
  宿命として早く受入れるんだね。 例えに使われただけさ。
大家さん: でもね、こと人間に関していうと、自分の武器の利点を知らなすぎ!
  もっと知っておくべきですよ。それを熟知すれば、それぞれの弱点をカバー
  出来るしね。
寅さん: ハリさんは行動範囲が狭いことと、ノロマなことが欠点だね。
  コンさんは、空の猛禽類の攻撃が命取りになる。そこで、岩場などで襲われ
  そうになった時に、岩を背にしてハリさんを盾にするとか。 猛禽類は、
  よほどエライ目にあったのか、ハリさんを見ただけで近くにこないからね。
  キツネは雑食だから、広いテリトリーの餌場を知っている。だから補完すれば
  いいんだよ。
八つぁん: 人間の成長とは、ハリネズミと、キツネの掛け合わせたように進化?
  していけば良いんだろう。人間は、10代、20歳代までは、ハリネズミ的で、
  成年期に向かってキツネ的要素が強くなっていくんじゃないか。それを成長と
  勘違いする間違いに気づかない。
大家さん: 確かに、その通り。小難しいことをいうと、実存主義と、構造主義
  の違いということになる。
熊さん; なるほど、身体の構造が違うから、構造主義ですか?
大家さん: そう言われれば、その通りだ。
八つぁん: 顔かたち、容姿が整っているだけで、人間の評価が違ってくる。
熊さん: そうだよ、付いているのは同じなのに。
寅さん: その上に、親の貧富が、そのまま、運命というより、宿命になって
  しまう。運命は変えられても、宿命だけは、どうもこうも。
八つぁん: 確かに、神様(自然)は、人間を不自由に、不平等にして、憎しみ
  あうようにして、建前として、『自由、平等、博愛』を理想の旗に掲げた。
熊さん: 理想と現実は、えらく違うね。
寅さん: だから面白いことを俺だって分かるよ。そこが熊さんと違うんだよ。
大家さん: だから寅さんは、寅なんだよ。比べちゃいけないと何時も注意して
  るじゃないか。
 <下をみれば底が無い、上をみれば果てがない、横をみれば情けない> ってね。
熊さん: 俺など、情けなくて情けなくて… まずは寅に馬鹿にされ続けてさ。
キツネ: まあ、生の危険に直面してないから、こんな生易しいことがいえるんだ。
ハリネズミ: ったく、その通り。俺なんて、滅多に餌に有り付けないし、餌にも
  ならないんだよ。そして、小さいテリトリーで、餌とメスの取り合いで齷齪し
  生涯を終えるんだよ。
八つぁん: とすると、外交的な寅さんは、さしずめ、キツネタイプ。熊さんは、
  ハリネズミタイプですか。
熊さん: そう言われると、思い当たる節があるね。いつもカカアが、ハリを
  オンたってさ。たまったもんじゃないね。
寅さん: 昨日だってさ、ダチがさ、猛禽類に目の前で浚われてさ。
  「ハイさようなら!」の声を残して空の彼方に消えていったよ。
  猛禽類は悪い奴の例えだよ。念のために…
大家さん: 司会が私だから、そろそろ、話を〆させてもらいます。
  熊さんは、カミさんや、寅さんと仲良くし、愚痴を言わないで怒らない。
  寅さんは、長屋の外で、いい気にならならないで、気を許さない。
  八つぁんは、長屋の住人を馬鹿にしたり、気を許さないことだね。
  エッ、私… そうさね、小さな長屋の大家の身分を自戒しないとね。
八つぁん: 寒む!
熊: 眠む!
寅: 腹減った!
――
▼ で、偶然だが、以下の3年、2年、4年前の文脈に続いていく。

・・・・・・
5069,あわいの力 ー�
2015年01月30日(金)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
  * 日本の「心(こころ)の三重構造」
 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、
< 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、
「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜
≪ 「心」は、三層構造である。 
 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、
 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり)
 ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。
― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。
 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう
違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。
こころ変わりという言葉があるでしょう。
― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な
 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」
という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を
いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、
その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を
さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が
戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら
「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて
しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。
 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。
言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍
された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め
させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。
 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという
ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍
された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの
「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。
― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも
通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と
いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、
一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫
▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い
 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、
「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、
現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、
渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で!
 * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。
・・・・・・
5433,人生で最も大切な技術 ー�� 純粋意識
2016年01月30日(土)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 心の本質、純粋意識の経験
 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快
でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、
座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜
≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで
 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、
感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。
 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの
特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。
それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が
そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された
自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在
でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。
 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって
生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の
しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。
特別に存在するのか。 答えは否である。
 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対
の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識
に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考
ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。
「思考をゼロにする目的は何か」
「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。
 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安
や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて
後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。
このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを
つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと
がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。
それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が
理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。
この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟
するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、
どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に
妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。
 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く
聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた
概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、
仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫
▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。
 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に
没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の
眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、
どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、
考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。
これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。
・・・・・・
4704,「考える」と、「思う」の違い
2014年01月30日(木)
   *「考える」と、「思う」の違い  ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。
「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を
組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝
した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 
  ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、
 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には
余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう
未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として
理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を
置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、
思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと
考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに
補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた
ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の
うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ!
▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、
「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」
「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ
(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」
「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が
どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。
英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。
だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり
して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。
「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。
積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン

・・・・・
4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」
2013年01月30日(水)
  * 「私には友人が一人もいません」
 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が
何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。
だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、
その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の
コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる
タイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。
大方が飲み友達だが・・ しかし、堂々とTVの前で「私には友人がいません!」
と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、独り部屋の
中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。
別に友人など求めず、単独に徹すれば、これほど自由なものは無いはず。
一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。
仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に
数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを見るぐらい。情報化の時代に逆に、
こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。
糖尿で片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、外出をいないという。
ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 
家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうも私が先。
時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽい
のが目だってきた。
  * アップル株が
 アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 
時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手のエクソンモービルが返り咲き。
「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になった
が、週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少。
カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、ここで表面化したのだろうか。 
問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。
「あれは、ジョブスの強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が
出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、居間の
テレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。
検索が出来ない上に、それ以前に無気力な人が目だってきた。」とか。
それも、iPhoneが解決する。 


6165,閑話小題 〜相撲談義(初場所)

2018年01月29日(月)

   * モンゴル人対、日本チビッコ相撲
 初場所はジョージア出身・栃ノ心の幕内優勝で終わった。14勝1敗である。
前評判は良かったが、誰も、この力士の優勝を予測する者はいなかった。
 いつもは前日までに下書きをしたのを書き加えたり、修正をするが、今回は
ライブの談義になる。 さて御立ち会い!
≪ 熊さん: いや大家さん、八つぁんの講釈を聞いて御蔭で面白かったよ。
 大家さん: そりゃそうだ。まず白鵬の『横綱アドバンティジ』が場所前から
   問題になって封じられ勝てなくなったな。左張り手と同時に右腕
   の肘打ち。スプレーでガチガチに固めてあるキワモノ。上位の横綱は使え
   ても下位の者は、無礼になる。貴ノ岩の暴行事件は、これに従わない
   貴乃岩に対するモンゴル力士の八百長仲間への勧誘で偶発的に起こった
   事件。偶発とはいえ、白鵬主導だったのは状況からしてあきらか。
 八つぁん: モンゴル対日本人の対決そのものとみると、これほど面白い
   場所はなかったね。結果は、相討ちで、その間隙をぬって東欧人力士が
   優勝をさらってしまった。鳶にアブラゲというところ。
 寅: フロックだべ! フロック。純朴だから、直に阿波踊りを始めるよ。
   それだけ、夜の巷は誘惑が強いからね。まず、4年前に幕下まで陥落した
   古傷を稽古場で、さりげなく集中的に狙われるね。特に、モンゴルにね。
 熊さん: 稀勢の里は、もう駄目なのは間違いないが、白鵬は?
 八つぁん: 次の場所は必死に頑張るが、年内は無理だろうね。その前に、
   貴乃花親方からの刑事告訴もあるかもしれない。
 寅さん: 鶴竜、4場所も休んだあとの、11勝は合格じゃなの。
   他の2人の横綱の御蔭で、助かった部分があるがね。
 大家さん: 鶴竜、どうだろう? 白鵬、稀勢の里、なき後の繋ぎとして
   あと二年は頑張らないと。高安と、逸ノ城辺りが出てこないとね。
 八つぁん: 白鵬を頂点にしたモンゴル人支配の構図は、ほぼ崩壊したね。
 大家: まだ判断するのは早いよ。肉食系は、草食系とは違うよ。
   骨格と筋肉の質が草食系とは違うからね。旭天鵬をみれば分かるだろう。
 熊さん: 栃ノ心の活躍に刺激を受けて、大人しかった東欧系力士などに
   火がつくんじゃないの? 
 寅さん: 先場所、今場所、高校相撲上がりの4人が入門してきたね。
   早速、先場所入門した二人が、序の口の優勝決定戦に出てきたね。
   来場所は大鵬の孫と、朝青龍の甥っ子がデビューするしね。
 大家さん: この4人は強くなるよ。怪我さえなければね。
 八つぁん: 今場所を総括すると、個々の相撲内容が真剣なのが多くて合格。
   最近、相撲そのものと同時に、砂被りの観客の服装と、表情見物が面白いの。
   それに地域性があってさ。
 大家さん: あの辺に居るのは選ばれしもの達だもの。それなりの金額と。
   長年の因縁が無いと、座れませんよ。
 八つぁん: カメラ目線の要所に、洋装、和装の綺麗どこや有名人が目立つね。
   当然、相撲協会も広告代理店を使って、国内外向けに、彩を考えているよ。
   以前だったら、目立たないのが、今では大型TVで鮮明だからね。≫
 ―
▼ というわけで、相撲の神様が存在をしていたら。こう結論するのでは?
 < あくまで、相撲は興行の世界。しかし私(神)に供える儀式。儀式で
  悪いのが、格式だち過ぎること。それと白鵬の様に逆上せあがっちゃ
 いけません。品よく、明るく、楽しませてくれれば、充分。その点、
充分に合格ですよ。貴乃花親方、良いじゃございませんか、純朴で。
長い目で見て下さい。今回の事件も、彼の御蔭で浄化をしたじゃないですか。>
 まあ… 暇人の独り言。
・・・・・・
5068,あわいの力 ー��
2015年01月29日(木)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * 「道具」を持たないワキ 〜身体が道具
 身体そのものが「道具」というワキの存在が面白い。
これは何もワキに限ったことではなく、すべての人間に当てはまること。
アスリートは、肉体が道具!、いかに勝利につながる道具に身体をつくり
上げていくのが勤め。 人生を演劇に喩えると、役割が道具になる。
その役割としての道具には道が備わっている。 ーその辺りから抜粋ー
≪・「お道具」ということばですが、能の世界では鼓や笛を楽器といわずに
 「お道具」といいます。「道具」というのは「道が具わっている」から
 「道具」だといわれることがあります。語源としては間違っていますが、
 しかし「お道具」の性格をよくあらわしています。お道具は、それ自体で既に
 道が具わっている。しかし、それを演奏する自分の道が具わっていなければ、
 いい音が出ない。何年もの修行によって自分の道が具わったときに、はじめて
 「お道具」が本来の輝きを発し始める。つまり、シテ方や笛方、鼓方は、
 「道具」を通じて能楽師としての道を歩んでいくことができる。
 しかし、道具を持たないワキ方は、それができない。
・こんなふうにして、ある程度自分の音を鳴らせるようになると、
 その人の弟子にまた笛を譲り渡し、その弟子が何十年もかけて自分の音を
 十分に鳴らせるようになると、また次の弟子に笛を受け継いでいきます。
 そうやって、数百年にもわたって、「道具」を次につないでいくわけですが、
 ワキはそのための「道具」が何もないじゃないか。そう、シテ方や笛方、
 鼓方の人たちは言うのです。 が、じつはワキ方にも「道具」はあります。
 それは、自分の身体です。自分の身体と「道具」として向き合い、いかに
 つきあっていくか、というのがワキとしての道の歩み方です。さらにいうと、
 このことは何もワキにかぎったことではなく、すべての人間にとって当て
 はまること。どんな人間も、身体を持たずして生きることはできませんから。
・能の笛というのは、わざと音が出づらいようにつくられているんじゃないか
 と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた
 結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て
 はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、
 人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫
▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。
 今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。
その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能」
の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。
文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、
時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が
多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。
それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。
・・・・・・
4336, 自己とつきあうということ −4
2013年01月29日(火)
  「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。
この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、
2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。
そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。
 * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め)
≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。
 なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期
ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、
「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、
探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の
次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。
彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。
「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。
(断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を
ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。
しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる
ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。
よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて
いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。
「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて
購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三)
ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで
かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。
人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため
にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた
ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、
自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫
▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。
 その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、
そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った
ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。
ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、
殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩
という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目
には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は
守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」
「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、していた。
このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と
「神」と「自然」についてである。「私の事業」が崩壊して、残ったのは
「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、
問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。
これも気づくかどうかの問題だが・・「欲する者を魂[命]をかけて購う」、
その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。
・・・・・・
4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題
2014年01月29日(水)
  * 若年女性”の貧困問題
 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する
“若年女性”の貧困〜」を放送していた。隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者
より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られている
のを日々、実感する。  (まずは、NHKのHPの番組趣旨より)
《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、
 早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を
抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。
中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだ
シングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化
していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫り
にしていく。  ーあるプレビュー    \(;$д$@)\ カ.金-\\\   
 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、
57.5%と男性の2倍以上。そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満と
いわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。
朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。
コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円前後の仕事です。
別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは
考えられないという。 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代の
シングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円
未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた
風俗店の話が衝撃的でした。風俗店で働く女性の中には、店側が提供する
住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いという。
公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼る
というのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。
▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦が
 やむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、困窮者の数が増えている。
実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、その実態を
垣間見てきた。 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に
置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。
 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に
「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てている人がいる」という話を
聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として
現れてきている。「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、
しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという!
・・・・・・
5798,エドテック 〜技術革新で教育を変える
2017年01月29日(日)
 NHKTVで、<テクノロジーが教育を変える 世界の『エドテック』最前線>
を放送していたが、何かしら不思議な感覚に捉われてしまった。現実社会とは
別にネット社会が世界を覆ってしまった現在、当然、情報機器とネットを駆使
した教育環境も比例して進化して然るべきである。ネット社会は、教育の根本
変革が求められて当然のこと。  〜番組HPの紹介には…
【世界をリードしてきたITの一流企業や大物たちが、熱い視線を注ぐ
 新たな分野。それは…。
ビル・ゲイツ氏 は、「技術革命で教育を進化させる。」と。
今、最先端の技術を教育の現場に活用する動き「エドテック」が、アメリカや
ヨーロッパなど世界で注目されているのです。バーチャルリアリティーや人工
知能の利用が進む中、教育現場にも大きな変化が起きようとしています。
テクノロジーで教育に革命を起こす「エドテック」。その最前線に迫ります。
佐藤 「『エドテック』という言葉。“初めて耳にする”という方も多いかも
 しれません。この言葉は“エデュケーション=教育”と“テクノロジー=技術”
 を組み合わせた造語です。」
田中 「インターネットやデジタル機器が職場や家庭のあらゆる場面に浸透
 する中、教育にもテクノロジーの波が押し寄せています。」
佐藤 「こちら、ロンドンで始まった世界最大のエドテックの展示会です。
100か国以上の教育関係者と、900以上の企業が参加しています。
 紹介されたのはバーチャルリアリティーなど、さまざまな装置を使った教材。
 会場には学校の先生や子どもたちも訪れ、熱い視線を送っていました。
 エドテック市場は、来年には、世界で6兆円規模になるとも言われています。」
参加企業の担当者: 「エドテックは、大きなビジネスチャンスです。」
田中 「さて、このエドテック。 教育現場でどのように活用され、何が変わり
 始めているのか。 急速に導入が進んでいるアメリカを取材しました。」
  :教育が変わる!“エドテック”最前線リポート:藤田享子記者(国際部)】
――
▼ 情報端末の進化には驚かされる。TV一つとっても、4k、8k画像のTVに、
 ネットなどの多機能が付いた、アンドロイドTVである。白黒とカラーTVの段差
より遥かに大きな革新を始めている。大型家電店の担当が、「これは異次元のTV」
というのも大げさでもない世界に誘う。情報端末の進化と同時に、エドテック
が世界を変えている。ここにも教育格差の問題が出るとしても、現実は現実。
幼児の頃からタブレットPCを玩具かわりに与えられ、バーチャル世界で、多くの
経験をする時代である。これは子供たちの教育素材だけでなく、全ての世代にも、
その一端を利用して、多くの知識を得ることが可能になる。 21世紀の入口
の風景の一つとすると、成るほど、これかと納得する。毎日が刺激的である。


6164,閑話小題 〜キツネとハリネズミ −2

2018年01月28日(日)

          『クラウド時代の思考術』パンウドストーン著
   * キツネとハリネズミタイプの事例
 まあ、シェークスピアとダンテを対極におくとは、解りやすい分析である。
 その二つを兼ね備えているのがトルストイとバーリンはいう。トルストイ
 自らはハリネズミ族に属していると信じていたようだ。 
  〜その辺りから抜粋〜
≪ 政治哲学者アイザイア・バーリンは自身の著書『ハリネズミと狐』で、
 トルストイの超大作『戦争と平和』の歴史哲学を真っ向から論じた。
バーリンは、ダンテは“ハリネズミ”であり、
 シェイクスピアは“狐”と分析
 ─では、トルストイは? ロシア文学者で東京大学名誉教授の川端香男里に
『ハリネズミと狐』で語られるトルストイの姿を聞いた。
【『戦争と平和』を真っ向から論じた本は日本では数少ないですが、外国では
たくさんあります。あまたの文献の中で傑出しているのが、『戦争と平和』の
歴史哲学を論じた、ラトヴィア出身の政治哲学者アイザイア・バーリンの著書
『ハリネズミと狐』でしょう。
 バーリンは、人間類型を二つに分け、
第一に、一つの基本的ヴィジョン・体系を中心にして、自分の作品を求心的に
 構築して行く「一元的」タイプを置きます。
第二に、遠心的に拡散した「多様な」対象を、自分固有な心理的・生理的脈絡
 の中にとらえようとするタイプを置きました。
そしてギリシアの詩人アルキロコスの詩の断片「狐はたくさんのことを知って
いるが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている」を、バーリンは上記の
二つのタイプにあてはめ、第一部類をハリネズミ族、第二部類を狐族と名付けた。
 第一類の代表選手はダンテで、第二類の方はシェイクスピアです。
・プラトン、パスカル、ヘーゲル、ドストエフスキイ、ニーチェ、イプセン、
 プルーストはハリネズミであり、
・ヘロドトス、アリストテレス、モンテーニュ、エラスムス、モリエール、
 ゲーテ、プーシキン、バルザック、ジョイスは狐です。
ロシア文学はバーリンによれば、プーシキンとドストエフスキイという二つの
極の間で成り立っています。ところでトルストイはこの二つの部類のいずれに
属しているといえるのでしょうか。 バーリンの仮説では、
トルストイは本来は狐族であるのに、自分はハリネズミ族であると信じていた、
とされます。トルストイほど世界の多様性ともろもろの状況の多面性を明確に
把握していた作家はいません。しかもトルストイはこの多様な世界を普遍的に
説明してくれる統一原理を終生求めて止みませんでした。狐とハリネズミの共存
です。対象の多様性を明敏に知覚することのできたトルストイは、既存の統一的
原理のまやかしに反発し、それをロシア化され単純化された合理的教説で破壊
して行きました。このような破壊の背後には必ず、本物の統一的原理があるはず
という「ハリネズミ」の信念がありました。
ですからトルストイの破壊・否定は、真理の探究と表裏一体だったのです。≫
▼【 熊さん: 俺なんて、針ネズミじゃなくて、ドブネズミだね。
  寅さん: じゃあ、俺はモグラですか。せめてリスかモモンガ?
    こうシリアスにタイプに選り分けられると嫌になるよ。ったく。
 大家さん: とするとワシはムジナ辺りですか。
八つぁん: 一応、役割はキツネですがね… じゃあ私は何でしょうか。
  ハリネズミに近いハツカネズミ? 私が、‘世間人’を子キツネというが、
  他人様の家族の内情の覗き込みのネタを餌に渡り歩くのを性にする人たち。
  とすると、子ネズミの方が適切な言葉になるね。
大家さん: 世間様の話は、御品が悪くなるから止めておきましょうや!
  誰もが持っている悪い癖だもんね… 
寅さん: 八つぁんが「世間」の話をすると、俺のことかと冷や冷やだよ。
  俺はね、裏話に花を、いやゴミを添えて楽しむしかないのさ。悩がないから。
  熊さんは、素朴だが、俺は少しマシな役割のようですか。
熊さん: 呆け役なんだろう。それも天然呆け役。でも、純粋な疑問ほど道理
  を突くって言うじゃないか。しかし寅さんは、少し捻った性格なんだろう。
寅さん: 低俗の中の上が俺、下が御前だよ。
八つぁん: 呆け役の切口に彩をつけるには二人の呆けが必要だからさ。
  何かさ、自分の言えないことを二人が代弁してくれて便利だね。
  しかし、品格が下がったね。
大家さん: ワシの役割は、八っあんの中の知性というか、冷静さを持った
  役割だろう。それにしては、自分で、それが全く感じられませんね。
熊さん: だいたい、これを書いている奴の程度が低いからね! 
八つぁん: 『 … 』  
寅さん: ここまで話を引っぱって、落ちがこれ? 俺らを呼び出すのも、
  そろそろ止めたら。 …いや、大相撲の総括で言いたいことがあるか。】

・・・・・・
4702,漂流者たち
2014年01月28日(火)
  * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ     
                  ー『散文』谷川俊太郎著より
  ーこれは全文であるー  
【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代)
                       の心境に似ている?】
《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の
ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。
むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく
知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を
考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。
それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、
生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、
ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を
造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、
牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい
んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、
こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく
生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、
正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念
の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて
いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは
今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の
中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと
あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。
彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港
からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい
若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、
おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに
いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康
であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば
このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、
わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。
そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。
エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世
にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。
 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない
だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を
求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛
の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、
若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。
おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》
▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を
 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。
仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と
他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望
がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった!
など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。
そして、今は家の中の漂流者?   (>_<)ゞ  (ノ_<。)うっ
・・・・・・
5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い
2015年01月28日(水)
  * つれづれに 〜雑念そのままに
― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。
 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。
― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。
 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、
餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、
ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、
枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした
起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。
枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求
不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。
―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。
 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く
あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに
30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。
今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。
この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で
見る限り、飛躍的進化の兆しはない。
―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、
「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。
次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ?
何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。
―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した
のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに
従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。
 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を
振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく!
恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*)
・・・・・・
3595, 閑話小題
2011年01月28日(金)
   * 危機感が無さ過ぎる日本
 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 
2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。
その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海
地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。
そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り
になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が
あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的
思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では
2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。
ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない?                     
   * 10人を11人の年金で賄う?
 先日の新聞記事を見て、目を疑った。
「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が
背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する
だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。
去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え
ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに
悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。
 * チュニジアの政変について
 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと
見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの
情報化が背景にある。その影響がアルジェリア・リビア・エジプトにも波及、
暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国
連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融
恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。
・・・・・・
5431,人生で最も大切な技術 ー�� 〜苦しみを最大限に利用する
2016年01月28日(木)
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 苦しみを最大限に利用する
 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。
父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 
ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み
をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか?
≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた
  カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。
【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛
 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。
心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。
私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で
燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福
を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ
この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを
理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、
肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを
発見させてくれるのである。】
 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。
逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、
心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。
こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる
のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない
だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に
受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、
というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応
を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと
失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、
シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに
何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫
▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、
 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き
出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、
『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔
で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕?
は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている
日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が経験
したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。この、心の内外、精神と
肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 
 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。
娑婆は、それぞれが、それぞれの知識、経験しか見えないため成立っている。

・・・・・・
4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン
2013年01月28日(月)
   * ドラマ メイドインジャパン
 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 
三回シリーズの一回目。粗筋といえば 
≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命
 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。
財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏
に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業が
タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、
現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫
 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニック、ソニー、
シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。
10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では
28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと
サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前
の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、
時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。
それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから
恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは
私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、
付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、
ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻
を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、
何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラーに
なったタブレットPCやスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気
自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気
スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を
早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に
なるものなど、発想の転換(カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、
中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。
制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。


6163,閑話小題 〜ドローンの進化

2018年01月27日(土)

    * 世界を変えるドローンの進化
 久々に、TVのアンドロイド機能を使ってYouTubeを見たのがドローン。
当初、軍事用につくられたが、今では一般の玩具や、実用に転嫁されてきた。
軍事用無人飛行機を小型化して爆弾の換わりにカメラ機能を充実させ、自撮り棒
カメラの空中版(水中版もある)として、この数年、飛躍的に進化している。
数m、10m、20m上空から、本人を撮影する。この機能が年々、進化しており、
値段も劇的に下がっている。
・登山やハイキングなどで、山頂から、ゴーグル型ディスプレイを身につけて、
 山頂にいる自分を3Dで見るドローン。 
・ドバイのドローン専用の780mのレースで、世界の32チームが参加するレース
 も紹介されていた。決勝戦は勝ち残った4チームによるもので、10代半ば
 の少年が優勝をして2800万の賞金を獲得した映像。 それも競技者が、
 ゴーグル型ディスプレイで運転する映像のため迫力満点。
・カヤックの激流下りを10m〜20m上空周辺から撮影したり、
・邸宅プールの水中で撮影したドローンの映像も紹介されていた。
・ドローンも、蚊型、蜂型、鳥型の小さなものから、自家用車のようなものや、
 軍事用のミサイル発射可能のものや、小型軽量戦車などに応用した、さまざま
なものがあった。これらの幾つかは既に普及しており、4Kカメラの映像が、
YouTube上で、各人のTV、PC、スマートフォンからの受発信が可能になっている。
21Cとは、こういうものかと… スマ―フォン・タブレットと、ドローンと、
各種ロボットが、果てしなく世界を激変しようとしている。
【 熊さん:オイラの時代は終わったということ?
 寅さん:残念だが、そういうことさ。寂しいけどね。
大家さん:大丈夫だよ。この時代だからこそ、デジタル化して、あんた達にも
 恩恵できるよ。ただ、絶対的格差が大きくなるよ。嫌なのは、それを鮮明に
 自覚しなければならないことさ。
八つぁん:大家さんや、私の年齢なら達観出来るけど、熊さん、寅さんみたいの
 一世代下の時代に取り残された人には辛いだろうね。でも、割切れば、
 デジタル化の恩恵を受けられるのは、素晴らしいよ。
熊さん:この中で生きていくのは、そりゃ辛いよ。スーパーの夕方に行けば、
 分かるよ。オイラみたいなのが多くいるよ。
寅さん:いいじゃないか、そんなことを気にしている分には。ゲームにすりゃ。
 いいんだよ。今さらじゃないか。うちのカミさんなど、夕方になると行方
 不明になるんだ。200m先のスーパーに自転車で行くんだ。それを楽しんで
 いるんだ。しかしね、レジでフッと後ろをみると、内幕情報屋の小母さんが、
 ジッと籠を見ているらしいよ。
大家さん:私など、カカアに死なれてから宅配弁当さ。これが便利なのさ。
八っあん:不味くて食えないというじゃないですか。
大家さん:客の口も肥えているから。結構うまく作ってあるよ。スーパーの冷食
 に美味いのがあるから、一品、付け加えるの。フリカケも真空パックの煮物も、
 なかなかのものだよ。
寅さん:何時の間にか、エラク話がそれたね。それにしても便利な世の中だね。】
―
▼ 一歩、浮世から離れてみて、社会の変化が面白く感じるのは、日常生活が
 便利になった実感と、健康だから。これも、何年続くか… そう思って目先、
精一杯、面白おかしく生きているしかないが。 

 
・・・・・・
3959, 閑話小題
2012年01月27日(金)
  * マイウェイ
 マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが
面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、
あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中
戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。
またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。
この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、
やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人
がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に
奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、
凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 
当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが
出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な
動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 
何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。
あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。
そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。
  * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス
 この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡
閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 
原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、
欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある
ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と
高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が
停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌
のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は
別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 
逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に
何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を
ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、
ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。
それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。
「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」
と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して
ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を
上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の
ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。
見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ
も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。
勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし
金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド
カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。
  * ところ変われば、意味が違う
(字数制限のためカット 2012年1月25日) 




――――
2854, 格差世襲  −2
2009年01月27日(火)
リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。
・特に教育方針に違いが表れている。
「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む
リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」
「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、
子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 
(字数制限のためカット 2012年1月27日)
――
2853, 格差世襲  −1
2009年01月26日(月)
ー 貧困とは溜めのない状態 ー
格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木)
階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。
他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、
半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。
 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。
 (字数制限のためカット 2016年1月27日)
・・・・・・
4334, 自殺者増加の意外な要因
2013年01月27日(日)
 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。
去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる
思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を
重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという
隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、
ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 
自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、
身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの
介入が、その防止につながる。
  ーこの記事をまとめるとー
○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。
○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。
○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。
○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、
  首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。
○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、
  5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの
  共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 
  また県民性もある。
○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と
  不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 
  ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに
  抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を
  評価するー住民気質が、必要。
▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて
 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。
目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。
後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに
多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを
兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。
≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他
 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から
一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、
自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! 
まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。
・・・・・・
5430,閑話小題 〜腰痛をおしての除雪作業2時間!
2016年01月27日(水)
   * 甘利経済相の汚職問題、これ、おかしくないか?
 明らかにアメリカとのTPP交渉で宗主国の尾っぽを踏んだ見返りの
謀略? たまたま、日曜の夜に放映された冷戦時代のCIAとKGBの謀略の
秘密映像の録画を、昨日、見たが、時もぴったり。見せしめのたの計画? 
甘利というだけ、‘あまり’にも無防備。
   * 腰痛をおしての除雪作業2時間!
 積雪が1mあり、一昨日、スポーツジムに出かけようとしたが、
駐車場の出入口は除雪をしないと、外出は無理。そこで、ジムのトレーニング
替わりの除雪と割切ることにした。 除雪も結構、面白いが、しかし腰痛には
要注意い! 仕方がない、痛むなら痛めと、恐々始めた。道路の除雪した雪が、
幅7〜8mはある駐車場の出入り口に1m以上もあるため、除雪に2時間を
要した。その後、出入りに余裕をもたせるため、あと1時間は、要すると判明。
 腰痛もあり、かって2時間の除雪経験は初めて。昨日あたりに腰痛が出る
のでは、と不安だったが、今のところ大丈夫。 ヨガと、エアロビの効果が
あったのか。 元もと腰痛は、昭和38年の「長岡三八豪雪」で、長岡高校の
校舎の除雪で痛めたもの。 雪道をジムへの道すがらユックリと運転したが、
雪道は凸凹で、後でみたら、後部は擦った傷跡がシッカリとついていた。
気をつけても、つくのはつく。
   * 70からは、診療負担が2割に減額
 新しい健康保険証が送られてきた。70歳からの診療負担が3割から
2割負担に減額と、あった。ただ、それだけの話だが、切替日が今月末、
「週末の歯科の予約、来週に変更すれば一割御得!」と、家内が睨む。
・・・・・・
5796,「自分」から自由になる沈黙入門 −4
2017年01月27日(金)
       <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
   * お嬢さまことばのすすめ
 『お嬢さま系学校』出身の家内の御言葉に、結婚以来、何か威厳のような
威圧を受けてきた。 『畜生!』というと、『あらお下品な!』に、まず唖然。
(お下品言葉は実姉達も言わないが)。著者は、男でも、お嬢言葉は参考に
なるという。 学生時代の手形が「品性ある言葉使い」。
早大理事の自宅庭先にある25室の、今でいう「シェアハウス」のような寮は、
全国各地の様々な職の実家を持つ学生たちとの共同生活。片方通行の土間の
廊下に、木ドア一枚の仕切り。鍵はかかるが、誰かがドアを叩けば、入室を
断れない不文律があった。何れの実家も裕福そうだが、仕送りはカツカツ?で、
誰も金欠状態。私生活は、自炊・洗濯などの心配で精一杯だったが、二年半ば
頃から、それにも慣れ、学生時代の自由の面白さが出てくる。その頃、軽井沢
山荘のヘルパー仲間や、コンパ、合コンの日帰りバスツアーなどでの女子大生
との出会いの場があった。実践女子、共立女子、聖心女子大などの学生が身近
にいた。そこで吃驚したのが、それぞれの子女の言葉使いの上品さ。 何代か
続いた家系の子女の言葉使いは、それはそれは… まさに以下のお嬢さまことば
の羅列。「ごめん遊ばせ」「ご機嫌よう、さようなら」などお嬢言葉が日常会話に
出る世界。「お兄様」「お父様」と「お」付である。他人の評価、悪口、実家の話、
個人の自慢は絶対タブー。卒業と同時に入った流通業の生現場の、カジュアル
で、清潔感ある艶っぽさに、優しい女性たちだったが、言葉使いの段差があまり
にも…。 言葉と意識の大きな段差に慣れるまでの一時期、奇妙な感覚になって
しまった。 カジッタラ?駄目よ、とはいえ… TPOSが整えすぎている。
姉4人の基準があったため、そこで抱え込む?ことはなかった。 
  〜「お嬢さまことば」をネット検索すると〜
《 ・わたくし =私。
 ・〜遊ばす =「ごめん遊ばせ」
・あら  =驚きの言葉。「あらあら、こんなに服を汚しちまつて」
・いいこと =いいですか。「今度あなたのお家に遊びに行つてもいいこと?」
・お〜 =「おズボン」「おりぼん」「お花」「おつもり」「およしなさい」
・〜さま =「お母様」「ごもつともさま」
・〜さん =「人参さん」「おばかさん」「お茶目さん」
・随分ねえ=ひどい事を表す表現。「わたくしを点取り虫だなんて、随分ねえ」
・〜ちやま =親愛感を込めた叮嚀語。「伯母ちやま」
・なくって? =ないですか?(疑問形)
 なくってよ =ないのよ
・まあ = 「〜嫌だわ」
・まし =「ませ」のなまり。叮嚀な依頼。
・モチ =「もちろん」を縮めた語。女学生の流行り言葉。
 「一緒に行きませう」「モチ(もちろん)よ」
・よくつてよ、よろしくつてよ いいですよ
・〜わ = 〜です。〜だ。決意や主張、驚き等を表す。
 「私待つわ」「まあ嫌だわ」            》
――
▼ 言葉使いに関して、社会人になるまで厳しく躾けられていた。
 しかし、実社会に出たころから流通関係などのサービス業の現場にいた
こともあってか、かなり痛んでしまった。それでも標準並み?
出所が城下町で、『おれ』『お前』を普段使うが、都会の学生間ではタブー。
ギョッとした顔で、厳重注意をされた。『男はつらいよ』の主人公が、美人の
お嬢さま好み。その言葉使いの段差を巧みに利用し笑いを誘うが、成るほど、
言葉から滲み出る魅力は大きい。
 『御免あそばせ、お腹がゆるいので、御不浄に行きますか』
人は時には、誰も知らないところに行きたがるもの。
『あらら、良くってよ』だってさ。<朱に交われば赤くなる>というが。
『それではご機嫌よろしく!』  何かホノボノとしてきた。


6162,閑話小題 〜キツネとハリネズミ −1

2018年01月26日(金)

           『クラウド時代の思考術』パンウドストーン著
   * キツネとハリネズミの生き方
 経験から知っているのが、スペシャリストか、ジェネラリストでいくかの選択。
これは古代詩人が看破していたこと。学生時代の友人でハッキリしていたのが、
一人の異性とジックリ付き合うタイプと、浅く広く適度に付き合うタイプである。
仕事も、人間関係も然り。「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミ
は大事なことをひとつだけ知っている。(アルキロコス)>
‘古代ギリシャの詩人アルキロコスは、人生にはキツネとハリネズミという
2つの生き方があり成功者はしっかりとそれを決めている’と言う。
世界を一つの概念からなるメガネから見るのか? 
あるいは様々な視点から眺めるか?を決めた人たちが、結果を残してきた。
そして、キツネ型とハリネズミ型の才能が、結びつくと最強なチームが生まれる。
 Appleはキツネ(ジョブズ)とハリネズミ(ウォズニアック)の強みの組み合せ
で、成功をした。個々の知識と経験を生かせる、さまざまな分野のスペシャリスト
たちとコラボの能力が必要となる。自分の強みと他者の強みを組み合わせができる
新種になることが未来の成功のためには、欠かせません。 
  〜ここで…
< 教えるのがいちばん難しいのは、問うべき大事な問題を特定する直感です。
知的好奇心と言ってもよいでしょう… …教育を受けるなら、さまざまな筋肉を
たくさん動かせるように、できるだけ多様な科目を学ぶべきです… 
…専門的な技能はいつでも学べる、そういうことは解決すべき問題に直面したり、
現実的な必要性に迫られたりしたときのほうが学ぶ意欲が高まるものです。専門
を、あまり早い時期に絞り込むのは問題。
あまりに早いタイミングで自分の専門分野を決めるのではなく多様性を重視した
ほうが、面白い結果が得られるというのです。 多くの体験や様々な知識があった
ほうが、人生を面白くできるのです。シンガポール国立大学学長のタン・チョー
・チュアンも同じように考えています。
 私がますます強く感じるのは、幅広い知性の重要性です。理由は2つ。
一つには、私たちが仕事や生活のなかで直面する課題の多くが複雑化している
ことがあります。課題がさまざまな分野や領域に関連するようになっている。
幅広い知的基般皿がなければ、複数の分野にまたがる潜在的な関連性を見抜く
ことはできないでしょう。
もう一つには、かつては私たちが生涯に手掛ける仕事は3つか4つくらいだと
考えられていましたが、今では平均的な卒業生は10とか12といった種類の
仕事をこなす可能性があります。それらの仕事がいくつもの異なる分野にまた
がることも想定されるので、軽快に頭を切り替えられるような知的基盤を持た
なくてはいけないのです。≫
ー―――
▼ この例えからすると、私は明らかに「キツネの生き方」の要素が強かった。
 しかし準備期間15年を含めた45年の仕事人生は、ハリネズミである。
この随想日記も17年間、続いたのだからハリネズミだが、内容はキツネ?
それともハリネズミ? 私のライフワークの、『地球景観・観光ツアー』。
行先は、ハリネズミというより、キツネ。地球を碁盤目に見たて、外側から
埋めていく。少し贅沢であったが、コストの10倍の価値が充分にあった。
殆どが観光シーズン終了際のキワモノ狙い。その情報探しから、楽しむ。
 51回の内容を振返って、深さをもっと実感するには、半分をケニア・
タンザニアか、スペインに集中する選択もあった。しかし、8割の全てがベスト
と思えるため、これで間違いはなかった。 
さて今、「キツネとハリネズミの対話」を思いついた! 面白そう。
 司会を大家さん、対談仲間に、熊さん、寅さんを入れて…  近々に? 

・・・・・・
3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −1
2011年01月26日(水)
  「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著)
 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている
内容とは大きな隔たりがある。度々、アメリカに滞在した普通の目線で
平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。
 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させている
という論には納得する。 ーアマゾンの内容紹介よりー
≪ なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか?  
 アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。 経済格差の国・アメリカと、
幸福格差の国・日本。世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本…
長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の
第一人者の著者が、そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、
初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。
〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、
 米国の一般の人々の社会における価値観、その元になる宗教、特にプロテス
タンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が
抱える最重要課題、日本における人々の社会への不信感について論じている。
そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に
 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で
大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。 では日本における心の問題を
社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性に
ついて述べているが、日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける
存在になっていない〉 
▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本
 主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。そのほんの少しの患者を、
一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから
スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が
出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。
この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。
日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」
を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、
カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって
いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく
・・・・・・
5429,人生で最も大切な技術 ー�� 苦悩と不幸の違い
2016年01月26日(火)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 苦しみと不幸の違い
 ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕
と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、
〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に
ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を
俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、
不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに
気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜
≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別
 する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。
サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、
定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、
痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と
なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。
【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、
 まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。
私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、
そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、
当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの
である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの
だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、
自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】
 自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する
動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で
何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として
生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、
等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。
なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と
関連するとはいえ、本質的な関係はない。
 四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が
自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。
残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸
と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する
のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ
で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する
仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。
 人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、
人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫
▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、
【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により
日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄
に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような
ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。 
四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による
ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】
とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは!
 四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と
内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか?
 急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、
一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、
その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。
〜〜
4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人!
2014年01月26日(日)
   * 映画館貸切?の念願成就!
 映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、
その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が
入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に
私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。
内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。
若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される
感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい?
とすると、一割以下のコストは価値がある! 
   * 近所の喫茶店
 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店
『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは
トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは
何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって
夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、
価値がある。コーヒー・パンレストランという風。
  * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より         
 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、
これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。             
 ――                             
 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 
 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ
・・・・・・
5065,あわいの力 ー��
2015年01月26日(月)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
  * お能の世界とは 
 この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に
魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って
いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、
<芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹
から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、
その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。
猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの
「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」
として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた
ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある  
≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。
 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。
 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。
・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。
 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。
 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。
・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。
 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。
 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の
 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。
 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら
 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに
 シテ方を演じるようなことはありません。
・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが
 きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの
 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に
 いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」
 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、
 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない
 じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫
▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている
 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄
の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が
インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。
『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』
・・・・・
4333, 自己とつきあうということ −3
2013年01月26日(土)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 
 * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること!
≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在
 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる
ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を
意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ
存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の
途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを
問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような
方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。
自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、
自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己
といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。
そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や
変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、
状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて
何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する
自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある
かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が
あらわれてくるであろう。・・・ ≫
▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。
 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、
書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 
だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が
出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。
その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。
 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる
ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 
晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、
書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が
ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を
決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’
と実感できるかだ。


6161,5年前の『ブラック・スワン』の読書日記・再読

2018年01月25日(木)

 ‘ブラック・スワン’のキーワードを目にして、以前、テーマにしたことを
思いだしHP内検索をしたところ、5年前の文章が出てきた。当時は、北朝鮮問題
は今ほど深刻化でなかった。 一年数ヶ月前の2011年11月に父親の金正日が死去。
権力継承から日が浅く、ここまで緊迫した事態になろうとは思いもよらなかった。
このテーマを書いてから5年、開戦前夜の緊迫感が漂い、ブラック・スワン(
「第二次朝鮮戦争」)の鳴声がチラホラ生生しく…。鳴声は幻聴か?と耳を疑い
聞こえぬ素振り。『まさか朝鮮半島と、日本と合わせて数百万人単位の犠牲者が
出る核戦争が起きるわけがない』が、本心だろう。しかし、72年前に、広島、
長崎に原爆が投下され数十万の市民が爆殺された。太平洋戦争では市民を含め
300万人が犠牲になった。 悪いことに、去年、ロシアの?で、白人第一主義の
トランプ大統領が就任。そこに北朝鮮が核開発とミサイルの実験で挑発。
ダメ押しで第三国が開戦のキッカケの謀略でも仕掛ければ!凄惨な核戦争勃発も
充分に有り得る話。正月に首都圏から帰省した次男に、『万一の場合は、疎開先
として迷わず、ここに向かいなさい。』と進言。50年近く前は、ドルショックと、
石油ショックが起き。20数年前にはバブルと、その崩壊で日米経済戦争に敗れた。
そして2001年の9:11テロと、報復のアフガンとイラク戦争。2008年のリーマン
ショックと、東北大震と福島第二原発事故が起こった。そして全国各地で地震と
火山噴火が相次いでいる。その流れからして、朝鮮有事があっても不思議でない。 
 こうなると、‘ブラック・スワン’と呼べないかも。 ここで、
< 毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は、
「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く>と。
 ある朝、起きて開戦勃発を知った数日後に、それまでの世界が一変する。
去年の一年間で、北朝鮮の難破船、いや魚舟が100数舟も死体とともに漂着した。
ミサイルを日本上空を超えて何度も打込み、「東京を火の海にする!」と恫喝。
5年前とは全く違った状況に。一年後の正月明けの今日、どんな状況で、この
文章を読むことになるのだろう。 「その前に、病死の心配しろ!」ですか。
―――――
4381, ブラック・スワン −1
2013年03月15日(金)
         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」
                   ナシーム・ニコラス・タレブ著
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。近くに数羽、
来ているが、何の化身か分からない。とてつも恐ろしそうなのは分かるが…
 人間など儚いもの。 ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、この新しい
発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」は、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。
タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。
 一つは予測できないこと。 二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。
三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際
よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられ
たりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、とタレブ
は言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて取るに
足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚を
つかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、私たち
にはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
「ブラック・スワン」に立向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示。  
 ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き
かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。
しかし、そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測
できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な
不確実性の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は
一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、講釈
になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果をもたらす
にも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は
「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。ただし、
その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。限定された経験
から安易に結論を導き出すことへの警鐘。たしかに、今回の金融危機で沢山の
七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。
 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような
 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。 だから、
人生は面白く、刺激に満ちている。
―――――
2013/03/16
ブラック・スワン ー2
         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」
                  ナシーム・ニコラス・タレブ著
  書店で数年前から何度か手に取ったが買わなかった。 が、衝撃的で、
世界の見方は一変しなくとも変わるはず。どうも、近くに数羽、来ているよう
だが、「何の化身」か今のところ分からない。人間など儚いものである。
  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、この新しい
発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、 誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに
よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。
二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん
起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見え
なくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、と著者
は言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。 私たちはどうでもよくて取る
に足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に
虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、
私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
「ブラック・スワン」に立向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示。  
ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し
聞きかじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。
しかし、そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測
できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な
不確実性の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は
一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴。 
 <一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する>
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、
講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を
もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な
七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。
限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。たしかに、今回の
金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、東北地震3・11は、ブラック・スワンそのもの。
「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。 これは、このような
歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。だから、人生は
面白く、刺激に満ちている。
―――――
ブラック・スワン ー3
2013/03/24
        「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」
                   ナシーム・ニコラス・タレブ著
  * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。
大雑把でいえば世界恐慌と大戦。今世紀に入って13年になるが、9・11テロ、
リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 
地震などの天変地異、経済動乱、戦争が何かのキッカケで突然起ことになる。
しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 
人生はマサカという形で、ある日、突然に、我われに襲いかかる。特に断絶の
境目には起きやすい。情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識
は大量に私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異
を除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。
1〜2年スパンでは、イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と
破綻か、分裂か、朝鮮戦争の勃発あたりか。地震か富士山噴火も考えられる。
「まさか」だから、こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、
現在まで舞い降りてきた黒鳥を想像できようはずがない。昨日、シネマで「相棒」
の劇場版をみてきた。《殺人事件の背後に、官僚と政治家による銀行閉鎖の
「X−day」のネット上での暴露が隠されていた…》というリアルな脚本。
数日前にキプロスで銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。
明日にでも、ここで書くが、アベノミクスの批判とも受け取れる内容。
意図的にハイパーインフレを起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから恐ろしい。
ある日を境に、黒鳥が一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。
今世紀に入って現在に至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。

・・・・・・・
3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3
2012年01月25日(水)
 * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは    
      ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美
 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。
≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には
100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。
うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて
おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、
中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。
アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、
1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと
40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫
▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断
基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん
止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、
その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に
仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 
それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした
落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人
が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の
発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の
数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用
があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。
ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが
あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの
副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、
気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。
合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。
これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 
うつを和らげるが、身体に蓄積していく。
・・・・・・
5064,あわいの力 ー��
2015年01月25日(日)
         ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * シテの「あわい」の役割
 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした
半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。
そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜
《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。
「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、
人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。
そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか?
 シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。
古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が
「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。
 あっちとこっちをつなぐ不思議な力!
異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、
古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、
「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫
▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した
 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について
書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」
の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、
「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて
いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが?
この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。
 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。
・・・・・・
5794,閑話小題 〜つれづれに大相撲 〜��  
2017年01月25日(水)
   * つれづれに大相撲 〜��
 何を間違えたか、稀勢の里が優勝をして横綱になった。「実力だけでは
なれないのが横綱。その一番大切な何かが稀勢の里には欠けている」と横綱・
白鵬に言わせた何かが、今場所には付いたのか。それとも実力が備わったのか。 
二人の横綱が途中休場をしたことも、プラスに働いた。 父親が、「息子が横綱
になるのが気の毒だ」と言わせしめた気の弱さ優しさ。 もう直ぐ31歳の遅咲き、
3年以上は綱を張りたいのだろうが、無理? 名大関で終わる典型的な力士に見え
たが。
 そろそろ不祥事が起きる時期に入った。丁髷姿で大柄で、目立つため、公共の
場で、派手に遊べない。「谷町」も、以前のように祝儀も貰えない時節、結局、
巧妙に近づいてくるヤクザや、芸能世界の玩具にされる状況は変わらない。
   * 名前の由来
 以前、書いたことがあるが、父方の法事の隣席に、「家老」という名の風格の
ある人がいた。市会議員に、その名の人がいたようだったが… 名前が名前だけ
に印象が残っていたが、当人?。 選挙のための源氏名としては非常に有効。 
酒を酌み交すうちに、「立派な名前ですね。元は何処のご家老様ですか?」と
話を向けると、慣れたもの。 <いや、そんな大それた由来ではなく、元もとは
「螻」で、オケラと馬鹿にされるので、改名を考えた時、せっかくなら「家老」
と思い立っただけ>とのこと。 小学校の4年時に「けら写真館」の娘さんが隣席
になったことがあったが、「オケラ」などの揶揄いはなかったようだ… 
学生時代に大恋愛をして結婚をしたが、早々にガンで亡くなったと聞いていた。
 大学生時代に「小作」「渥美清」という名がいたし… 確率からして、27人
集まると一組は同じ名がいるという。名前は、ミニ物語というが。


6160,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −5

2018年01月24日(水)

熊さん: まだネタ切れが続いていますか。ったく。
八つぁん: そういう日が二日も続くのは珍しいよ。こうなれば頼れるのは
   熊さん、寅さんだけだよ。
寅さん: まあ、いいけど。今日は大相撲のことで、口を濁せばいいんだろう。
熊さん: 白鵬が、早々に休んだね。張り手と肘打ちを禁じらると、この様さ。
  来場所、優勝すれば、充分と思っているのだろう。相撲協会も、次の横綱
  候補が出てくるまでは何とか鶴竜と2人で持たせたいのさ。 白鵬の両足の
  親指の骨折もあるが… 
八つぁん: 男色行司のセクハラが加わった上に、今度はエジプト人の大砂嵐の
  「無免許運転事故事件」が発覚。早速、休場じゃあ。 防犯カメラに映って
  いるのに、言い逃れとは!下手すると追放だよ。協会も、親方も、これだけ
  は防ぎようがないよ。
寅さん: しかし相撲内容は、ガチンコ(八百長無しの真剣勝負)で面白いね。
  立合いの一瞬の勝負というところも面白いね。
大家さん: こと相撲なら、ワシが出てこないと… 第二群に、阿炎、朝の山、
  豊山、モンゴルの水戸龍とかが控えているし、その後には、今場所デビュー
  した大鵬の孫と、朝青龍の甥っ子もいる。その前に、逸ノ城の再生もあるね。
熊さん: 日馬富士、どうするのだろうね。国に帰ってもつまらないし。 
  唯一、鶴竜が伸び伸びと頑張ってるね。
寅さん: 白鵬と日馬富士の重しが取れたからさ。稀勢の里は、どう?
大家さん: 下半身が細って踏ん張りがきかないのは、引退前の力士の特徴。
  復活など夢のまた夢。絶望的さ。前の朝潮の引退時とそっくり。
八つぁん: 来場所、白鵬の復活が無かったら、引退しかないね。八百長も、
  張手も、肘打ちも無理ならね。40回の優勝って何だったのだろうね。
  昇進と優勝実績に、人間的成長がついていけなかっただけですか。
大家さん: 基礎教育もない、モンゴル人に品格を求めるのは土台無理。
  要するに、「国技の最高の座に相応しい品格があるフリをしろ」という
  ことでしょう。どのみち、神前の余興でしかないもの。
熊さん: それにしては、次の横綱候補が見当たらないね。
八つぁん: あと二年を白鶴コンビで持たせて… 白鵬が引退をすることで、
  全体が活性化するんじゃないですか。それと、国技とかいっての無税の
  特権を放棄すべきと思うが… 海外に門戸を開いてしまったのだから…
寅さん: 毎回、引っ張り出され、話しているけど、内容は殆ど同じじゃない?
  これじゃ、詰まらないよ。私らを引っ張り出したせいか、品格が落ちたよ。
  自分でいうのも何だがね。
八つぁん: 池田晶子女史じゃないが、ソクラテスを出したり、大川隆法の
  有名人の降臨をさせ対話じゃないがね… 
八つぁん: 最近、土俵周り客の観察が面白いよ。
大家さん: 私も、アンタに言われて見ているけど。面白いよ。
  東京場所だと、有名人をカメラ目線の先に芸者とか、水商売の思われる
  人を置いてるね。砂かぶりは、一般人の入手は難しいというがね。
寅さん: 携帯電話に知人らしき人から、頻繁に電話が入っているようだし、
  スマホで撮った写真を送っているようだしね。砂かぶり席から直接生中継
  映像の配信も、既にあるかもしれない。
熊さん: 野球の審判の帽子にカメラをつけた映像を時々みるが、行司の冠に
  つけても良いんじゃない。どうでもいいことか。
八つぁん: それにしても、10年、20年前に比べて段違いに面白くなっている。
  ガチンコが多くなったからですよ。大家さん、熊さん、寅さんのファンは?
   私は、実は見当たらない。宇良、炎鵬と、豊山、遠藤あたり。
  そして、突いて引くしかない千代大龍と千代丸。
大家さん: 御嶽海、幕下の炎鵬あたり。
熊さん: 日馬富士だったが、辞めさせらたので、今では宇良。それと逸ノ城。
寅さん: 阿炎と遠藤。強いのか弱いのか分からないのがよい。


・・・・・・
4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を
2014年01月24日(金)
  * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく 
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 
ーその辺りを抜粋
《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、
 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の
6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。
さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳
となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は
12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで
人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の
大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで
(1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは
如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を
毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》
▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ
 だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。
で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、
何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに
個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。
男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている
人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 
元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。
お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺
の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが
プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、
ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した!
 * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だ          「滑稽」 高橋新吉
 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉
・・・・・
4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
 * 自己への思考の旅    
         「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら
「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、
【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を
 たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから
逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて
読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を
振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。
そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の
テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、
今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 
 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ
 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも
道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、
目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、
手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、
自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか
少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を
説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して
自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて
しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている
他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた
出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き
つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが
自己への旅の醍醐味であろう。》
▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない
 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの
45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。
非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して
いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、
実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番
知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、
後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 
後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の
経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー
の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
5793,「自分」から自由になる沈黙入門 −2
2017年01月24日(火)
       <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
   * スローパンク
 フローパンクという聞きなれない言葉があった。〜ネット検索をすると〜
《スローパンク:ゆっくりと空気が抜けていくパンクのこと。
「走っていて、気がついたら空気圧が減っていた」という現象がこれに当たる。
いったん空気圧が低くなっても、空気を入れるとある程度走れるときもある。
原因は、タイヤに異物が刺り、中のチューブに微細な穴が開いていることが多い。
この場合、異物を取り除くと一気に空気が抜けることがある。そのほか、バルブ
不良、バルブ根元部分の亀裂、チューブの劣化などが原因のことも。》
▼ 人生、老いる頃からスローパンクをして、最期は、走行不能になり、
 消えていくのが定め。ここで、「話し言葉も、行動もスローパンクに従い、
生きなさい。天皇のお言葉も、行為もスロー。意味も中身もありはしない。
天皇それ自体が象徴。それで良い」と勧める。それをパンクの状態と類推する
ところが面白い。この随想日記自体が、面白い知識・情報を探し、ダイジェスト
にして書いているスローバンクと真逆の習慣。面白いのは、「お嬢さん言葉」を
有効に使って間をおいて「沈黙」を保つことを勧めている。露骨な嫌な視線と
言葉に、ただ沈黙をするしかないが、その場決済の、あるイメージを持つ。
内面エネルギーは人一倍強いので… 結果、内面から抹消したことになる。
まさか、こんな内面処理の技術を身につけるとは。処理後は、目の前にいても、
いないと同じ。まさか、自分が??… 想像もできないだろう。
 スローパンクは、その逆。天皇のように、お嬢様のように、ユッタリと空気が
抜けるように、日々過ごせば良い。 空気の抜けたタイヤと車輪の痛みは激しい。
ちゃっかり、ポイントだけは抑えているため、周りは大変! ったく。 
私のタイヤの空気は? 時々、パンク防止剤を入れ替えているが、どうも悪路で
振動がきつい。 あの男、空気の抜けた自転車で、ガタガタ音をたてて走っている。 
自分も同じ姿だろうに。
・・・・・・
5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜��
2015年01月24日(土)
            ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー
   * 日本人と宗教
以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。
これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、
人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という
避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想を
つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の
世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー
≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など
 を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど
特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、
「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが
よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。
 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように
答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も
意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた
「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、
結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」
と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、
あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。
 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在
としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに
対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも
それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の
言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。
 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道
などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米
であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。
このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず
のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫
▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、
 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として
 我々を支配する。

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