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堀井On-Line
| 6149,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −3 |
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2018年01月13日(土)
* 書きネタが無いと、御呼びですか! 大家さん: 書きネタが無くなると、御呼びですか。仕方がないがね。 熊さん: 北朝鮮が、オリンピックに参加だってさ。有得ないと思ってたがね。 寅さん: 精一杯の虚勢さ。まあ、物資不足は明らかだこそ、ここが土壇場。 国そのものが張りぼて。よくぞ、やってるよ。そろそろボロが出るさ。 大家* 中国が、本気になってきたからね。そこに、韓国が抜け駆けをして、 オリンピック参加の勧めの尻尾振りをしたから、アメリカと中国は動転? 韓国も開戦ともなれば、百万、二百万の死者も出るから、解るがね。 八っあん: この時節に冬季オリンピックとは、何でまた?の疑問が残るね。 ここまでは、手を出せまいという思惑のためですか。 熊さん: これほど辛辣な挑発を繰返したのだから済やしないよ。 寅さん: 何かマンジリしなかったが、数ヶ月の猶予期間を稼げただけでも 良しじゃないかい。ただ間延びをしただけだと思うけどね。 八つぁん: どうも私たちの心の底には、最悪の事態を期待する悪魔が存在 しているところがあるね。アメリカ人なら、まさか大陸間核ミサイル が飛んでくるとは思わないから、今のうちにヤッチマエと。 熊さん: どうも朝鮮半島問題は暗くなるから、大相撲の話題にしましょうや。 といっても、これはモンゴル人問題になるか。 …でも気が晴れるね。 大家さん: 朝青龍と白鵬が長年かけてつくり上げた「横綱アドバンティジ・ システム」が、露わになり、使えなくなったから、今までとは違うよ。 これは八つぁんが創った造語だけど、ズバリ言当てているね。 八つぁん: それでもやってくる可能性があるね。貴乃花の母親に手紙でも 出して、バラエティで10回、このキーワードを繰返せば、ポチとはいえ、 立合いの張り手を禁止条項にせざるを得なくなるね。 熊さん: 「横綱アドバンティジ」の実情を聞いて、白鵬と遠藤の立合いを 見てから、白鵬への見方が全く変わったよ。 大陸と島国の考え方、 体質の問題になるよ。開放したのだから…云々か、日本の国技だから、 島国用に合わせなければならないとか…。確かに難しいのは解るけど。 大家さん: 白鵬への大横綱とかいう特別視が無くなったのは大きいね。 新弟子からして誰も偉大な力士と思わなくなってしまったのは、本人に とって衝撃さ。でも、その孤独こそ、最も大事なことだが、その自覚は、 逆上せガエルになった当人には、土台、無理だろうね。 八つぁん: 今場所は、色いろな面で面白いだろうね。大鵬の孫もデビュー するしね。ところで、先日、元・琴欧州が開いた小部屋のブルガリア人 の新弟子のドキュメントを見たけど、一人の新弟子の稽古の激しさが 直接、伝わってきたね。土俵の中でのド突きあい、殴りあいだね。 あれじゃあ、強くなるわけだ。 大家さん: 私も見ていたが… 他の部屋の幕下力士が「御前は気が弱い!」と 注意していたのが、本人には堪えたようだね。「自分は東欧から遠来して いるだけでも気が強いはず。何で気が弱いと言わなければならないのか!」 と…。 幕下力士は、「気が弱い」と、「気が優しい」の言い違いを していただけ。気が優しいのは、気が弱いとは、違うのさ。 熊さん: こういう問題があるからこそ、面白いんだよ。白人、赤、茶色の 人種が肌の色を超えて戦うからさ。俺も、哲学的になってきたね。
・・・・・・ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 2015年01月13日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久 「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。 成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。 瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。 ーその辺りから抜粋ー 〜P90 ≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。 「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。 たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、 次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは 常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。 暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」 の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。 「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。 なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、 その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命 の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、 相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。 植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、 それこそ知性によってとらえられるものだろうと。 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、 そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。 が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、 「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい ことを感じるようになってきた。・・ ≫ ▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、 自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。 地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。 その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき 宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。 ・・・・・・ 5417,人生で最も大切な技術 ー�� 2016年01月13日(水) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福の探求 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、 24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教に ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を 行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を 任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの 言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。 〜まずは、アマゾンの内容紹介〜 ≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の 指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の 道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世の フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望 された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。 現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果 に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として 人道的プロジェクトに従事する。 ≫ 〜リチャード ギアの内容紹介より〜 ≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、 これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も 叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫ ▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見 を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に 一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を 惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。 挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。 パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に 戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを 見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる 議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、 インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか! 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。 ・・・・・・ 4687, エッセイ力は人生力 ー2 2014年01月13日(月) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * エッセイを書く目的と、日記との違い ーまずは、その辺りの抜粋より 《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、 おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは 十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように 書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心 の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。 きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識 されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身 がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、 書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように 客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分 以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、 もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、 ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも (つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。 それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」 しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。 だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容 こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」 に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。 人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、 そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的 であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。 ・・・・・・ 5782,多国籍タウンで夢を追う 2017年01月13日(金) < にっぽん紀行:オオクボ・ドリーム 〜東京大久保 多国籍タウンで夢を追う〜> 2017年1月9日放送(18:10〜18:45NHK総合) * Tokyo Okubo 外国人の夢 行き交う街で 大久保が今では町全体が外国人街の様相を示していると、以前から聞いていた。 その実情を外国人の目線からレポートした内容で、非常に興味を持ってみた。 世界各国、特にアジア各国から重い事情をもって来日して必死に働く彼らの姿は、 アジアの縮図を見ているよう。一つ間違えると、不法労働者として、国外追放に なる立場。貧しい母国には仕事も希望もない。ネット検索に「大久保ドリーム NHK」と入れると、以下の通り要約した紹介があった。舟板一枚下は奈落の底。 ≪ よく大久保を訪れるというレポーターが大久保を案内。ホットク、ケバブ など世界の食にありつけると紹介。この街の住民の3割が外国人、彼らは夢を 求めてやってくる。バブル景気を境に大久保には外国人が増え始めた。商店街 では、インドネシア語や中国語、ロシア語など様々な言葉で放送が流れる。 外国人が経営する店も軒を連ねる。一方で移り変わるも激しい。 ★パキスタンからやってきたシャヒーンさんは、大久保では名のしれた実業家で アリババと呼ばれ、タイ料理店を10店舗展開している。 アリババはつねに 新しいビジネスを探している。この日も不動産業者と交渉していた。 アリババは、この街には面白さがいっぱいあると話した。 ★インド出身の料理人、モハメド・ユースフさんは、一旗あげたいと日本に やってきた。得意料理のニハリや、ビリヤニを紹介した。給料は手取り16万円、 5万は家族へ仕送り、3万円は小遣いで、のこりは貯金している。自分の店を持つ のが夢だと話した。ユースフさんは店の近くのアパートで、同僚と一緒に暮らす。 彼にはインドに妻と3人の子どもがいる。いつか家族を日本に呼びたいと話した。 メインストリートから一歩入った住宅街には多くの外国人が住んでいる。 ユースフさんが働くインド料理店の2階にはモスクが作られた。また、キリスト 教教会には以前からの韓国の人に混じって、フィリピンやベトナムなど7カ国の 人たちがやってくる。 ユースフさんは、ランチタイムの客の入りが悪いことが 気になっていた。2日後、ユースフさんは道でチラシを配っていた。チラシを 見て、店を女性が訪れ、おいしいと話した。仕事の間、ユースフさんはインドの 妻に電話をしていた。今年中に日本に家族を呼び寄せるつもりだという。 ★ミャンマーからやってきたチッピョンさんは娘のパンズンさんと8畳一間で暮ら している。ミャンマーの地方の町で家族5人で暮らしていたが、軍事政権で身の 危険を感じてチッピョンさんが日本に、その後、娘を呼び寄せた。娘は日本語を 勉強している。午前4時半、チッピョンさんは仕事にでかけた。夜は居酒屋で アルバイトをしている。娘の学費70万円を稼がなければならないのだ。時給千円 前後のアルバイトで生活を繋いでいる。そのころ娘は昼ごはんを作っていた。 チッピョンさんが戻り、2人で昼食を食べた。食事の後、チッピョンさんは仮眠を。 ★大久保の路地裏にある仏堂は、中国や台湾の人たちが多く訪れる。12月上旬、 中国出身の高さんが訪れ、写経をしていた。100ページ近い写経をやりとげる。 高さんは、10年前に来日。沖縄や大分のホテルで働き、10日ほど前に契約が切れ 仕事を失った。仏堂の管理人、游人樺さんは、高さんを気にかけていた。いつも は6時に仏堂を閉めるが、高さんのために空けていた。翌朝7時、写経が完成し、 仏様にお供えした。高さんはこの仏堂の近くに住んでいたという。車に家財道具 が詰め込まれていた。しばらく友達の家を転々とするという。大家さんの好意で 車だけ置かせてもらっていた。高さんは「ありがとう」という曲が好きと聞かせた。 高さんは、故郷に錦を飾れるようになってから帰りたいと話した。≫ ――― ▼ シリアスな内容で、身近にアジアの底辺の窮状を見せつけられる。彼らは 隠れ経済難民で、これでも故郷の生活からしたら恵まれているのだろう。 難民受入れに厳しいと言われても、観光ピザで数知れず流入している実情がある。 自宅の目前にアパートがあり、東南アジア系の若者が住んでいるが、騒いでも、 何ら気にならない空気のような存在。<アメリカの中・下層白人が、トランプを 支持するのが分かる>と思う日々が遠くない将来、やってくるのだろうか。 アメリカの大部分の被支配階層の人たち、いつか当ててやろうと信じている から絶対格差に耐えられるという。
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2018年01月12日(金)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著) * 輪廻転生を考える 輪廻転生は如何だろう?『遺伝子学の論からすれば遺伝子が自ら生延びる為に 生物の身体を乗換えるという。 己の身体の中は、数知れない遺伝子から成り 立っており、己が消滅しても遺伝子は子供を通して次世代に受継がれる。 この身体は両親の結合で生まれ出てきた。宇宙開闢以来のたった一つの生命。 しかし、アナザーワンの一つ。輪廻転生は疑問だが、似た存在と、己と何が違う というのか?」 しかし、父親の死をまじかにし、思いもしない霊体質を10数年、 持った経験がある。幽体離脱とか、幽霊らしき存在の実感とか… それもあって、 著者の『輪廻転生論』に共鳴するのだろう。面白いところでは、アフリカからの 帰路の飛行機内で似たような経験がある。疲れ切った中の夢で、自分の身体が 地面から浮遊していく。ハッとして地面に戻ろうとするが、機内の足元も消え、 空中をタダ独り、ふっ飛んでいる。その恐怖感は極限を超えていた。 私より霊体質が遥かに大きい人の体験談、実感は、説得力がある。 これも、夢、霊感の言葉を切口にした‘内観’になる。 <内観ばかりしてないで、外観? をしてみたら> ていう貴方へ。 <外観しかできないアンタ、内観をしたら!> 野暮ですか? 〜その辺りから〜 ≪ 肉体で、現生にいることは確かに苦痛である。因果のサイクルから解脱 しない限りわれわれはいつまでもこの世に生れてこなければならない。 この世は、神の国に入るための修行の場である。この修業の場で修行を怠れば、 永遠に神の国に入ることが許されず、魂までもこの世から消滅しかけない。 これ以上の不幸はどこにあろうか。肉体であろうと、魂であろうと、この宇宙 の何処かにあることは素晴らしいことである。肉体でいることがたとえ苦痛でも、 あの霊界に閉じこめられているよりましだ。果たしてどれくらの時間、霊界に いたのだろう。… 神の国にいた者も選ばれたものでなければならないが、転生してくる者も 霊界の試験のパスをしてもう一度修行するためにこの世に、選ばれた者ばかり。 このように考えると、この現象界は魂を向上させるための場所であるともいえる。 われわれは過去世から因果を背負ってこの世に転生してきている。一日でも早く、 因果を帳消しにして神の国に入るべきである。その為に、神は善を与えている。 しかし、一方に善を試すために悪を与えている。 輪廻転生のない唯物的な一回こっきりの人生なら神はわざわざ人間に善を 与えなかったはずだ。一回こっきりの人生なら好き勝手にしてエゴイステック に生きればそれでいいはずだ。人間に理性があるのは人生が一回性でない証拠 である。たった一回で、人間は悟れないことを神は御存じだから、数多くの転生 を繰返す中で、善悪の何かを悟って、最終の人生で因果から解脱をして神の国 の住人になるのである。まことに気の遠くなる話だ。自分のことを考えると 怖ろしくなる。一体あと何度転生を迎えればぼくは因果のサイクルから抜出せる のだろう。あの恐ろしい霊界に再び戻らなくてはならないのかと思うとぞっと する。なぜぼくが霊界を恐ろしいかと思うかというと、現在の自分の本性を よく知っているからである。なんともいやな自分である。こんな粗雑な罪深い 自我が霊魂になった時、霊界で体験するビジョンを想像しただけで、身の毛が よだつ。『チベットの死者の書』では、「汝は肉体を持っていないのだから、 たとえ身を切られようと恐れることはない」と諭している。 しかし、たとえ肉体がなくとも肉体感覚だけは残っているはずだ。よく夢の中で 体験する恐怖がある。あれに似た様なものだろう。いや、あれ以上に増幅されて いるはずだ。人間は死ぬと天国か地獄に行くといわれる。天国も地獄も、その 人間の因果次第であり、全て想像が作るビジョンである。これはあくまで幻覚で あるが、霊の世界ではすざましいリアリティを持っているはずだ。夢が幻想で あるにもかかわらず強いリアリティを持っているように。… ≫ ― ▼ 前準備を含めて50年以上の実務を終えて第二か、第三の人生を踏み出して 7年間、心の底では輪廻転生を繰返していたような。因果応報のカエリ矢が、 次々と… これでも、後味の悪くなることは、極力、避けてきたが。 恐ろしい自分の言葉の刃が、自己被虐、自己嫌悪として向けられる。成るほど、 現生だけでは解決できないはずだ。 ヒトラー、スターリン、毛沢東を考え合わ せると分かるだろう。殺した数だけ、転生が必要である。生臭い彼らの魂が、今 でも漂っているとすると…。心に疚しいことは最小のはずだったが 娑婆娑婆! ・・・・・・ 2001/12/19 [70] 夢についてー2 「何か欲しい!とか、どこかに行きたい」といかいう夢と、夜見る夢との 共通点が非常に多い。トイレを探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいき たい状況である。 次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後も 自分のなかに生きている!’というが、私にとって、夢の中で、実際生きている。 痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が 私の中で事実生きているのだ。 ↓に以前書いた文章をコピーしてきます;。 ―― 2001/12/19 [69] 夢について−1 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。 年に一〜二回熊に追われている夢を見る。熊に追われて二階‐三階の部屋に 逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。 熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰も?経験する 夢のようだが。 一度凄い夢を見た。 以下、10年以上前に社内報に書いた文章をコピー。 ーー 霊的体験‐ 平成4年 7月 二十年近く前になるが、父の死後の四九日まで何度か不思議な体験をした。 死後一週間後位か妙な夢。私自身が父の気持になり “死にたくない。もっと 生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢。 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が 自身で、実感できたのである。 父が‘なんだ自分はこうして生きているでは ないか’という内的実感。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった という不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。 その二〜三日後の夢も強烈な夢(?)。何やしら強烈な恐怖感が覆ってきた。 その時、父のベットで寝ていたが、思わず“おやじ助けて!”と言った瞬間、 廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が足をひっぱられた瞬間、ベットに しがみついた。 その時、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。 全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事が多くある…。 あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。 2001/06/30 ーー 2003/04/25 不思議-シンクロニシテー ・以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で 不思議なことがおこることが多い。不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回 はある。先日も葬式から帰った後に散歩にでると、過去15年以上を散歩をして いるコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時のこと。 葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下 を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論 はじめてである。 ・前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前、近くの分家にあたる従兄が自死 した時のある現象である。納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が 舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになっていた。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が偶然に 一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。 こういう現象を、ユングが「意味ある偶然の一致」といっている。 ・涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。 それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。自然に囲まれた地方に おきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない! ―― H0511妙な夢―(�機� ・ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとする が半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと 身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周しても どってきて布団に入る。ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。 まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 ・また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて (そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが? 何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。 ・こんな事もあった。これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音が。 はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではない。 当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。 ―― H0511妙な夢―(�供� ・秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、何かの気配に横を見ると 女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕を抓ったが痛い。 これは面白いと、 じっくりとみた。 全体が白光色の黒髪の27-8才位の、のっぺらした美人。別に 恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に、 会社の人にその話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!” といわれ、はじめてゾーッと。 ・またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、 ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。 ・その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという。 これも乗ったら危険と直観し去けた夢。あれに乗ったらどんな景色がみえた のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な実感があった。
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2018年01月11日(木)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著) * 寿命は70〜80年で丁度よい それそろ寿命の尽きる御年頃に入ってきたが、この辺りが消え時だろう。 80歳後半ばまでとは思わないのは、長年の不摂生のため、そこまでは到底無理 と直感している心の保険かも…。<古希を過ぎれば皆、同じ>が、現在の心境! 〜80歳適正寿命説を著者が理路整然と説明する。 ≪ …人間は死を迎えてやっと一段落するのである。もし人間の一生がが5百年 もあれば、今のボクなら、その途中で狂人になってしまう。人間がもっと進化 していれば別だが。進化していない状態で、こんなに生かされてもどうにもかな わない。第一、5百年の間、毎日毎日他人と競争し、妻と憎しみあい、金儲けを 考え、―ああ、考えただけで気が狂うじゃないか。5百年の間に作った因果の 重みを一体どのように処理すればいいかというのだ。 今の人間の進化状態からいえば7、80歳の寿命が限度であろう。 死ぬことによって一旦ひと休みをして、前世の記憶を一切合切、きれいさっぱり 忘れて、別の顔と別の名を持って、新たな環境に生れてくるのが一番いいこと。 前世を忘れると同時に人間は死後の世界で経験してきた様々な出来ごとも忘れて 転生してくる。もし、憶えていたら、彼の一生は大混乱を起こすだろう。… …人間の想念というのは波動だと思う。幽霊は波動の塊であろう。言い方を かえれば想念の塊ということになる。強い想いを持ったまま死んだ人間はその 時の想念がそのまま霊魂の中に残され、それがしばしば形となって三次元世界に 物体現象を起こすようだ。… ≫ ― ▼ 17年近く連載してきた随想日記のHP。今生の想いの墓場として、全霊を入れ 書き続けてきた。『私には生霊の墓参りをして貰った方が向いている』と… これで。 その時々の想いは死んだ後でも残るが、「生前に御参りをして貰って いるのだから残す必要もない」ともいえる。 数年は残すが、5年後以降は 息子の判断で消去してもらう…。 その間は、魂は生き続ける? 毎日、自分 の17年分の‘生霊’を成仏させている、現生霊。 明日になれば、ただの笹音。
・・・・・・ 3578, 10年一昔というが ー2 2011年01月11日(火) この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。 更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、 ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。 これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。 この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー 1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争 3、ネット社会の出現 4、デジタル機器の飛躍的進化 5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む 6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ 7、アメリカで初の黒人大統領が選出 8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される 10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、 たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは 想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化 の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。 それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、 それほど長く続かないと見るべき? ・・・・・・ 4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6 2013年01月11日(金) 「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる 心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。 人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある ≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、 たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、 「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。 ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、 殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、 殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。 ・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の 少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。 ‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、 几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん) 魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、 自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向 の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より 数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、 その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい 課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫ ▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、 まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」 という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から 見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。 それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは 石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か 知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大 津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・ ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、 そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう 思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは 魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、 実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。 この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば 良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、 みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、 「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。 そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。 ・・・・・・ 5050,生と死をめぐる断想 ー4 2015年01月11日(日) * 免疫学者・多田富雄の受苦 7〜8年前、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を 取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を 「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。 「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。 ーその辺りを抜粋するー ≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。 1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を 著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。 2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、 言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、 字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを 奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。 利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを 口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が 打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく 遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な 生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。 初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。 まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。 自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・ 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき 転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが 見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。 【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。 私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫ ▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した実感がある。 それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」のように宙に 浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナーのエネルギーの風 でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』と、呼ぶことに。 コヤツ晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、過去未来に平気で飛んでいく。 そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。 ・・・・・・ 4685, 10年日記 2014年01月11日(土) 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、 これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、 その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。 《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、 5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い 切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅 になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想 日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。 この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、 10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。 更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を 仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』 年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年 経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、 結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、 書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。 これも加えたいが・・・ 》 ▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」 であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。 忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて 「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、 よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった? ・・・・・・ 5780,中国で急増するネットショップ村に密着 2017年01月11日(水) <中国で急増するネットショップ村に密着 ……NHKスペシャル> * 中国社会がネットで結ばれると 8日のNHKスペシャル『中国14億の消費革命〜ネット通販 若者の夢と挫折〜』と、 9日の、にっぽん紀行『オオクボ・ドリーム〜大久保 多国籍タウンで夢を追う〜 (18:10〜18:45NHK総合)がシリアスな内容。 ネット社会が別だてに形成された現代を、そのまま、現れ出したテーマである。 ネットでハッとすることが何度かあった。Windows10を追加入力をしようと、 家電で買ったソフトを入力しようとするが、私には難しい。そこで、ネットで、 マイクロソフトに質問を入れたと同時に、顔写真が出てきて、「その問題を 3500円で請け負います」と顔写真入の画面が出てきた。しかし数日後に、次男が 正月休みに帰ってくるので、それから考えようと応じなかった。(で、息子が、 アッサリと解決をしてくれた)それより、マイクロソフトへメールにヒットして、 即座に解決の見積もりをしてくる情報ネット世界に驚かされた。ヤフーのブログ に、パキスタンのフンザ村の写真を載せたところ、何時の間にか、ネット上に 乗っていた。(検索に フンザ 写真と入れたところ、その中に何枚かが、何と 私の撮ったもの)。 〜まずは『『中国14億の消費革命〜ネット通販』より〜 ≪ 経済成長の鈍化で、「世界の工場」から構造変換を迫られる中国。 いま新たな成長の起爆剤と期待されているのが、ネット通販(EC)である。 2015年の販売額は約60兆円余り。アメリカを抜き、世界一の通販大国に 急成長した中国が考えているのが、ネット通販を通して、今まで豊かさから取り 残されてきた「6億人の農村人口」の購買力を目覚めさせること。いま政府は “14億人の消費欲”を1つのテーブルにのせようと大号令をかけている。 番組では、急増する“ネットショップ村(淘宝村)”の現場に密着。 そこは村全体がネット通販のプラットフォームになっており、年間の売上は 約670億円にも達する。全国からやって来た若者が次々とネットショップを 起業し“現代のチャイナドリーム”を目指して、激しい競争を繰り返している。 さらに、中国政府は、民間企業と協力して、広大な国土の隅々に4万ものネット 通販のサービス拠点の設立を計画。高齢者や農民に、肥料や日常品、農具までも ネットで購入させることで、新たな消費革命を起こそうとしている。14億の 消費革命で、農村は、中国は、どう変わるのか? 新たな夢を抱きあがく若者 や、政府の戦略を通して、中国のダイナミックな変化をみつめていく。≫ ――― ▼ 中国人の特徴に、「流砂の民」という言葉がある。大陸的個人主義の性格が 強すぎて、まとまりがなく、掬い取っても指の間から落ちていく。半面、友人、 親戚間の繋がりは強い。 そこにネットが持ち込まれれば、中国の強さと弱点が 出てくる。それが農村部の消費拡大に繋がれば、それは膨大なエネルギーになる。 中国は歴史の深い国、ソ連解体の試練を乗越えた?ロシアのように、強靭な国に なっていくだろう。そして、あの大統領を選択したアメリカの衰弱は更に進む! ・・・・・・ 5415,だれもわかってくれない ー�� 2016年01月11日(月) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * パワーレンズ パワーを有効に引上げるには、よりパワーを持った人やグループに認められる 必要がある。そのためには、対象のパワーアップの手助けが可能と、アピール する必要がある。企業採用も、昇進が、これである。 社会も、結婚生活も、 パワーバランスで成立している限り、パワーを持つこと、それをデスプレーし、 アピールすることが必要である。 ーパワーレンズー項目の要約よりー ≪ ★ パワーレンズレは、誰でもつけたり外したりするのです. ★ パワーを持つ人は、あなたのことをきちんと認識してくれません。 その理由は多くの場合、相手が自分の目標達成に集中していて、ほかの人 の問題や考えにまで気がまわらないからです。ショートカットを駆使して 大まかに理解するので、他者の複雑で微妙な点までは目に入りません。 ★ パワーは状況によって変わります。ある時点であなたよりパワーを持って いた人が、別の状況ではパワーが低下することもあります。パワーは動的で常に 変化しているので、「パワーレンズ」は、誰でもつけたり外したりするのです。 ★ パワーを持つと、ステレオタイプや先入観により強く依存するようになる。 パワーのある人に自分を特別な個人として認めてもらうことは至難の業。 ★ 大きなパワーを持つ人が他者について的確に理解しようとするのは、それが 自分の目標達成のために必要なときです。だからこちらが有用な存在、つまり 相手の目標達成を助ける人になることが大事です。そうすれば相手は、時間と 精神的エネルギーを使ってあなたを正しく見極めることに意味があると思って くれます。 ≫ ――― ▼ パワーは集中と、その維持の中から生まれ出てくるため、アップ続ける には、長年かけること。生きていく必要条件である。そのパワーも、所詮は、 直ぐに消え去る一現象。特に女性の伴侶選びは、一生を左右するため、シビア なレンズになっている。で、一生かけてパワーを吸取られる浮世の無限地獄。 結果、自律神経失調症など精神がやられる。その対策として、独りを楽しめる ライフワークが必要となる。一番、手っとり早いのが、読書だが・・
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2018年01月10日(水)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』 横尾忠則 (著) * 悟りに至るとは 図書館の返却コーナーで見つけた本。指導を受けた禅師が、座禅やヨガの 目的の「悟り」について、『人間は、元もと悟った状態だったが、成長するに従い、 次第に分別くさいモノの考え方をするようになり、悟りの状態から遠のいていく。 それを座禅で赤子のような心に戻していく』のが根本と… 夜半の布団の中でする、ヨガの死者のポーズの時の心持と同じような。 〜その辺りから ≪ 座禅は、ある意味で去来する雑念との戦いのみたいなところがある。 現在抱えている問題に限らず、すでに記憶の壁の向こう側に去ってしまった ような大昔の事柄が再び壁を乗越えて、こちら側の現在の自分の心に迫って きたりする。つまり潜在意識に溜まっていた想念が座禅をすることで顕在化を したのだ。座禅は潜在意識の顕在化を必ずしも否定をしない。むしろ、これで、 心の奥の毒素が吐き出すことができる。心の奥の不透明な種子を「安楽死」 させることが出来るのではないか。… 心の底にじっと閉じ込められている想い や考えが、何か問題が生じた時に一気に駆け上がってきて、我々の表面意識を ゴチャゴチャにして問題を悪化させてしまう。だからそのような問題に振り 回されないようにするため座禅をしなさい、と禅僧はいう。 …雑念は底なし沼のように、ボコボコと泥の泡のように潜在意識から昇ってくる。 それをとことん吐き出せば、煩悩はなくなるはず。そして純粋無垢な赤子の ように… 座禅をすることで、悪想念を消して、気が付いたら悟っていた状態に 持っていくのが禅の学習らしい。≫ ― ▼ 毎日の行(業)の一つが、午前中の、この随想日記の準備と、仕上げ。 心の奥のネタ(毒素)が中心になるためか、同月同日分の過去文を読返しも 含め、瞑想と悟りのような心持が、内観そのもの。2〜3時間は、あっという間。 毒素そのままを言葉にして公開しているのだから… 今さらだが。 〜で、以下につづく ハワイ流 瞑想法である。 ―――― 2017年12月28日 ウニヒピリ(潜在意識) 『ウニヒピリ〜 ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」』 イハレアカラ・ヒューレン (著), * ハワイの3つの意識 ハワイ版「潜在意識と、その治療(洗濯)法の癒し本」というところか。 「本来の自分」であるインナーチルドに出会い、ケアする。そして宇宙に 開放してやる。「ハワイの地で、心、魂の洗濯」とイメージするだけでも、 開放される心持になる。ハワイに身を置くだけでも、本来の自分に戻れる。 <最後の部分の要約が「肝心」。最後の方だけでもご覧のほど!> 〜Amazon 内容紹介〜 ≪・ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」。 これを、ハワイ伝統医療のスペシャリストであり「ハワイの人間州宝」の 故モーナ女史が、現代社会で活用できるようアレンジしたのが 「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」です。 そんなホ・オポノポノのなかでも、最も大切な「ウニヒピリ」(潜在意識) について、初めてきちんとまとめられたのが本書。ホ・オポノポノを正しく 実践するためにも、必ず知っておきたい究極の真理です。クリーニングを通して 自分のウニヒピリと出会い、そしてケアしていくことで、ホ・オポノポノの目的 のひとつでもある本来の自分すなわち「セルフ・アイデンティティー」と出会う ことができるはず。あなたが今までその存在すら気づかなかった「ウニヒピリ」、 その子は今でもあなたからのケアを必ず待っています。 ・「ウニヒピリのケアをすることは、自分をほんとうの意味で解放し、全宇宙が 真の自由を得るために欠かせないプロセスです。ウニヒピリがクリーニングに 参加しなければ、記憶は再生されつづけるばかりで、過去の問題や傷を繰り返し 人生のなかで体験する状態から、決して自由になることはありません」 (ヒューレン博士「あとがき」より)≫ 〜ビュアー評〜 ・【 ハワイに伝わるシンプルな癒しの秘法「ホ・オポノポノ」では、 「自分」というものを3つのものから出来ていると考えます。 1つ目は表面意識である「ウハネ」、 2つ目は超意識である「アウマクア」、 3つ目は潜在意識である「ウニヒピリ」です。 ウニヒピリは心理学で言うところの「インナーチャイルド」に似ていますが、 個人的な記憶のみならず地球の誕生から現在に至るまでの全ての生物や無機物 が体験した記憶が保管されているところを指します。ホ・オポノポノによる 癒しはウニヒピリと繋がり記憶を徹底的にクリーニングしていくことによって もたらされます。】 〜ネット上の批評より〜 ・【ウニヒピリの協力がなくては、インスピレーションを受け取ることができ ません。私たちの中にある3つのセルフ、表面意識(ウハネ※)、潜在意識 (ウニヒピリ)、超意識(アウマクア※)がちゃんと存在し、それぞれの役割 を果たす。そうすることで、初めてすべての存在の源である“神聖なる存在” とつながります。表面意識から“神聖なる存在”につながろうとする人が多い のですが、流れとしては、表面意識が潜在意識に降りて、そして初めて超意識に 上がって、上の“神聖なる存在”につながっていきます。その順番が大事。 ウニヒピリのケアがあって、初めて上とつながれるわけです。 ※ウハネ…表面意識。私たちが日常で認識している意識。クリーニングを スタートさせる部分。ウニヒピリにとっては母親のような存在。 ※アウマクア…超意識。ウニヒピリから届いたクリーニングの働きを、 唯一“神聖なる存在”に届けることができる。】 ― ▼ 要約すると、<自らの記憶に向けて、「どの記憶が問題を引き起こして いるのだろう」と問いかけた後に、「ありがとう」「ごめんなさい」 「許して下さい」「愛しています」の言葉を繰り返すことで実践される。 大切なのは、ウニヒピリの存在を認めること> 毎日、20〜21時に就寝、0〜1時から半睡眠状態に入る。それが「ウニヒピリ」。 そして4時に起床をして、前日に書いた、この文章が「ウハネ…表面意識」。 その修正が、「アウマクア…超意識」になる。クリーニングは、そのプロセス で考える?ことで、衆人の視線を意識し修正することが、これになる。 過去の同月同日の文章数年分を読返している自分は超意識になる。 世間人とは、超意識が欠落している存在。 超意識の欠落は、表面意識も、 潜在意識も、狭く、浅いまま、群れたままで終世を向かえる。他人事でない、 自分のことでもある。それなら納得…? 神聖なる存在への意識ですか。 その存在に向けて、「正・中心・一点・無」ですか。5円玉を神聖なる存在と すると、真中の穴(一点)が無? 本体の外側が… お後が宜しいようで。 ・・・・・・ 4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2 2014年01月10日(金) 〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 * 私の体験例より・・ 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが 多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を 始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を 任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島 などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。 その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。 おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。 以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで 他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。 考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の 姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた 新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が 開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、 公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには 条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。 それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく 新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が 載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば 儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、 父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。 時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」 二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。 抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる! 予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、 次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、応募しない手はない」 と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると 七万人の十字路の角地の隣接地からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。 そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、 実家の会社名義で買うことになった。これも、当時の合併した直後の ジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげ。 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、 焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を立ち上げ、無我夢中で 取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、 長岡に帰ることになった。 これも私にとって大きはチャンスになった。 千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。 それが新潟駅前シリーズ の事業資金。 まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、 思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、 この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。他人を傷つけ、銀行の担当 から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのもの じゃないか?」と詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。 10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂(全身全霊の エネルギー)だけ。言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視? 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。 ・・・・・・ 5414,閑話小題 = 寒い朝〜つれづれなるままに 2016年01月10日(日) * 寒い朝〜つれづれなるままに ☆ 北朝鮮が、再び核実験をおこなったが、水爆ではなさそうだ。 今のところ不明だが、年明け早々、イラン、アラブの国交断絶や、 世界的の株式の暴落などを含めて世界は更に混沌としてきた。 米国大統領の最後の年もあって世界の混乱に拍車がかかる年になる。 ☆ ロシア、中国、欧州、米国の、どこから発火しても、その火の手 は一瞬に世界を駈け回る。原油も暴落、30ドルを割りそうな気配。 ロシア、中東など資源で潤ってきた国々も、これで資金が不足すると、 それが戦争やテロの火種になって難民を輩出する。 ☆ 積雪、多ければ多いで大変だが、無ければ無いで、水の循環に 狂いが出る。オゾン層の破壊による地球温暖化は深刻だ。 ☆ 年賀葉書が例年どおり、毎年、差出した人から、そのまま届いた。 現役時代は個人宛てが70通位だったが、今では50数通に減った。 ☆ 小学校時代の恩師から、『自分史』が送られてきた。 30年前に頂いた個人史は18pの小冊子だが、これは、一冊の本。 先生の信条は、「話すより、手紙を書く」で、筆や、ペンでスラスラと 書かれた手紙は、それだけで、一つの作品のようである。 私は、 この随想日記を墓場と見立てて、個人史的なことも書いている。 分類が項目が、目次にして、駄文を切取って、構成すれば、本になる。 まず母親の残した『自分史』を送ろうかどうか? 思案中! ☆ 今日から大相撲が始まる。一時、熱が冷めていたが、不祥事後は、 ガチンコ勝負の徹底で人気を回復させている。 人気回復に、若い女性の取り込みを戦略にしたこともあるが、観客席に、 その姿が少なく、中年女性が目に付く。 ・・・・・・ 5779,閑話小題 〜年初に、つれづれに 2017年01月10日(火) * 何? アメリカ 世も末かい! 日本国の事実的宗主国の当主が、隠れ極右の泡沫男に変ったら、どうなる? 気違いに刃物とは、このこと。これでは 今年は去年よりも大荒れになる。 去年が英国のEUからの離脱と、米国の泡沫候補トランプの大統領の選出。 その裏に、ロシアのプーチンの策謀があったというから…お粗末もいいとこ。 オバマが80点なら、20~30点程度の泡沫を大統領に選ばせたのだから 米国も地に落ちたもの。 ちなみに、小ブッシュは40点。 支持をした中・下層の白人が一番、圧迫されるというのに…これは歴史的惨事。 まずトランプが不動産屋ということ。長期ビジョンが少しはあるが、実業家の 本能で、目先の実績を優先する習性が染みついている。その上に平気で嘘をつく。 世界政治を大きく左右するアメリカ大統領には最も向いてない人物。それさえ 理解できないのが中・下層の白人の程度。低劣なハリウッド映画並の物語の 様相である。まず年末まで重大な隠された問題が出てくる? それもプーチン の仕掛けで…? 来年の夏までは持たない? 二流俳優上りのレーガンは、 レーガノミクスで対応したが、後始末が、それは大変だった事実がある。 * 大相撲が始まった 大相撲が始まったが、この数年、腕白相撲上りの個性的な力士が出てきた。 「正代」が関脇に、「遠藤」に加えた「北勝湖」と「御嶽海」が上位に顔を並べ、 新潟出身の「小柳」が十両上位に上がってきた。これに小兵力士の数人が加わる。 昨年末の全日本相撲選手権、全日本学生相撲選手権を見ると、モンゴル人、腕白 上りの将来性のあるのが何人かいる。 腕白相撲上りは、子供頃から基本が叩き 込まれている。しかし、大陸系のモンゴル人と骨格が違う。 ところで、目先の今場所はどうなる? 白鵬が本命?。相撲に対する姿勢が 他とは圧倒的に違う。ただ強いだけでなく、強靭の精神力・人間力があるが、 土俵年齢が賞味期限を超えている。それにつけても、女子供のファンが多い。 ・・・・・・ 4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5 2013年01月10日(木) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −� お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧に なってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、いつも金銭哲学を聞いて 育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。その一つが、時節ごとに 使うべき金は使うべし、残しても、後でみると不安を具現化した残物でしか ないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。 財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。 で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、それが正解。 満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、 それがベースになっている。 ーその辺りを抜粋するー ≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに 決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、 誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に 左右される。そのため1000ドルの利益は、たとえ額は同じでも、金持ち より貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」 富そのものは幸せに 関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには 興味ない。あるのは、こうした形態の富がもたらす、満足や喜びである。 賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。 お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。 人は絶対量でなく、相対量に敏感である。しかし効用を推定することは難しい。 それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、 心の中で自分を未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に 尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、明日に一歩 足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、 出来事が起こる前にそれを経験できる能力のおかげで、我われは誤りをおかす ことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧から ほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、実現しない細部を穴埋めを し、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていること を無視できず、あとで起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。 しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を凝らして みたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる 脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、かならずしも導いてくれない としても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫ ▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感 してきた。その効用(価値)は、経験と情報でほぼ予測可能である。 その上、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった 細部をプラスして見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに 余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、 振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。その時々を最大限、 楽しんでいた。 人生は、それでよいと、この歳になる身に沁みて思える。 ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。面子は面子で、それも可愛い。
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| 6145,閑話小題 〜あと9日で72歳ですか! 先は少ない |
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2018年01月09日(火)
* 元気でいられる数年を如何に! 老化の問題を突詰めると、「最後の10年を如何に生きるか!」になる。 「長生きはしたいが、寝たきりや呆けでは…さて如何に?」になる。 ・健康寿命が男性:71歳。女性が74歳(4年前の統計)。 ・寿命は30年前に比べ、男性が6歳延び81歳、女が7歳延び87歳に(去年)。 とすると、男は9〜10年間、女は13年の介護生活の末、亡くなることになる。 その平均介護年齢を超えて一年、老化現象が年々、如実に出てきている。 前期・後期高齢者の折返しの75歳を境に「どんな努力も水の泡」(渡辺淳一) と宣う。 これからすると、いいとこ3年。 一休の歌 「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」そのままが、前方 から迫りくる時節にある。青・壮年期に共に闘った取引先の担当も、過剰飲酒 が祟ったためか過半数は故人に。私は、有難いことに、毎日が充実し、面白く、 可笑しい日々が続いているが、常時、充実状態にしてないと、深淵の闇に飲み 込まれてしまう。 いつも悲観的?文章を書いているが、実は、そうでもない。 「余命、あと半年!」と宣言された瞬間、灼熱の砂漠でただ独り‘生への渇望’ で七転八倒することに。どのみち通る、避けれない道。後期高齢者年齢まで僅か 千日の娑婆!になった現実があるが、10年以上も生き延びる可能性もある。 思い残すことを最小にと、17年近く、連日、行蔵を書き残してきた。 世界の名残りと地球の果てを、数多く見てきた…。そこで実相を見てきたか? というと疑問が果てなく残る。これまでは、身近で見えていた両親の後姿に 先導されていた。 「最後の10年を如何に生きるか!」の視点からして、7年前の会社清算に、 3年を加えると、10年になる。碁盤の白石が黒石に反転した目線で、人生の プロセスでの行蔵を見つめ直して、「この結果も悪くはない」との諦念 も出来つつある… あと少しで72歳! 来年も健康体で、 <ああ既に73歳ですか!>をテーマに書きたいもの。…お後が宜しいようで!
・・・・・・ 5048,修羅場の極意 −2 2015年01月09日(金) 『修羅場の極意』佐藤優著 *「夫のアル中」と「カネがない」のが最大の修羅場 西原理恵子との対談の表題にある『修羅場の極意は、「最悪」の シュミレーションをすればよい』だが、修羅場はいつ来るか、どういう 状況の下にくるかもわからない。準備のしようがないように思えるが、 長期的な体質づくりは可能である。そこで、自分が何をしたくて生きて いるのか、を明確にして、優先順位を決め「最悪」状態になっても「やる」 と決めれば、何とかなるもの。 ーその辺りからー ≪ 佐藤 西原さんの最大の修羅場はいつですか? 西原 戦場カメラマンだった夫がアルコ孟依存症で、家の中で暴れていたとき ですねアルコール依存症って大変な病気で、理性が吹飛んで、野生の生き物 みたいになっちゃう。だから強い者にはペコペコして、弱い者は徹底的に いじめる、という動物のような人格になってしまう。二十四時間、私のことを 罵倒していました。私はアルコール依存症という病気の知識がなくて、この人 は著しく性格の悪い人だと思い込んで、二人の子どもを守るために離婚した。、 佐藤 酒は怖いですよ。僕もロシアで山ほどアルコール依存症の人を見ました。 あの国は男の平均寿命がものすごく短い。64歳くらいです。そして、死因に ウオッカが関係しているケ支が多い。アルマル依存症による内臓疾患だけで なく、酔っ払って交通事故や機械に巻き込まれる事故も少なくない。 またはアルコール依存症に関係があると思われる自殺も多い。 西原 アルコール依存症患者の生還率は二、三割とされています。 佐藤 でも旦那さんは帰ってきた。 西原 そうなんです。治療を終えて、「ただいま」って帰ってきた。 最初は怖くて目も合わ軸せられなくて。でも二日目くらいで結婚する前の優し かった頃に戻っていることに気づいた。 西原 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。病気に ならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、この世の中 には存在しません。そのとき専業主婦だったら家の中は滅茶苦茶になる。 夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、家庭は修羅場になります。 専業主婦は極めて危険なお仕事です。夫を治すために莫大なおカネがかかり、 半年後にちゃんと死なせるためにも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。おカネがないと、たいていの人は獣に なってしまいます。おカネがないと男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる 危険性が高くなる。 佐藤 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を シミュレーションしておくと。それで、原因を理性的に分析して、その危険が ある芽を潰していくということですね。これはすべてのことに応用できる。 西原 子どもを東大に行かせようなどと高望みしない。いい子に育てようといった 漠然とした理想も描かない。最悪の危機管理から逆算するのであって、上は 想定していません。 西原 人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身につけば いいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。それと、 女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、それさえ気に しないで生きていける強度があればいいと思っています。 ≫ ▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい! だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター? 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。 ・・・・・・ 4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4 2013年01月09日(水) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー� 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に 移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、 あまり変わりはしないことに気づかない。 ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。 ≪ …何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろう とし、相手はできるだけ安く買おうとしただろう… 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと 思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する 科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年 にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、 赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな 国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな 国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用 逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は 増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。 ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。 でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに 働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。 われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり 食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力 をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが 一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、 どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や 装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、 いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫ ▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。 それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、 常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。 だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。では中流と上流との幸福感は、 どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は 思いのほか大きい。中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも 買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。 一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。 心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。 ・・・・・・ 5413,だれもわかってくれない ー�� 2016年01月09日(土) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * 信用レンズ まず、この3つのレンズを簡潔に要約すると・・ ・信用レンズ: 初対面の相手を評価する際に働く、温かみと、 それを伝える能力が大事。誠実でウソをつかないこと。 話しをしている間、目を逸らさないことがポイント。 ・パワーレンズ: 会社における上司など権力者が持っている認知の特徴。 例えば、「私にとって役に立つことを示せ。さもなくば消えろ」 「自分を守ってくれるパワーがあるか」 ・エゴレンズ: 自分の過去の意思決定や立場を守るための認知の特徴。 このレンズの目的は、ただ一つ、自己肯定感を守ったり、 高めることが可能かどうか。このお陰で、私たちの殆どが、 自分が平均より賢く、魅力的で、道徳的に優れていると 思っている。したがって、何かうまくいけば自らの実力と思い、 うまくいかないと、状況や誰かのせいだと考える ー他に ・予防レンズ: 失敗を回避することに重きをおく特徴。 慎重でリスクや問題がよく見える。 ・促進レンズ: チャレンジして成功することに重きをおく のが特徴。リスクが見えづらく、楽観視しがち。 誰でも、今より良い暮らしを手に入れることと、今あるものを守る ことの両方を同時に望むが、どちらかに偏るもの。 一番大事なことは、ある人にとって「向上すること」だが、 ある人にとって「安全であること」。 ーー まずは、「安全で、安心できる相手かどうか?」の「信用レンズ」より。 そのポイントを、以下のように上げる。−P130− ☆「信用レンズ」= 初対面の相手があなたを見極めようとするときに 最初に考えるのは、「信用できる人間かどうか」ということです。 早く言ってしまえば、「敵か味方か」ということです。 ☆ 人を信用するかどうかの判断は、ほぼ完全に無意識のうちに行なわれ、 それは「人間的温かみ」と「能力」の印象に基づきます。「温かみ」は、 相手の味方になろうとしていることの表れで、「能力」はそういう意図を 実践できることを意味します。 ☆「温かみ」を伝えるには、相手に注意を払います。話している間は目を 合わせること、微笑むこと、うなずいて理解を示すことなどです。 またそれが適切なら、共感を示したり相手を気遣つたりします。 一番大事なのは、誠実でウソがないこと。こちらが先に相手を信用して 安心させることも、場合によっては効果的です。 ☆ 目を合わせるというのは、「能力」を示すことにも有効です。そして、 背筋を伸ばして座りましょう。個人的な心配事などをやたら話しては いけません。あまり卑下するのも、自慢もよくありません。少々謙虚な くらいにすると、相手は感心してくれます。自分をあまり有能だと 思えないという人は、「パワーポーズ」を試してみてください。 ☆ リーダーとして部下から信頼と忠誠を得たいと思うなら、 「能力」よりも「温かみ」のイメージを優先的に発信することです。 ーー ▼「だれもわかってくれない」のは当然のこと。少しはわかってくれて、 友人で、わかってくれなくとも、一緒にいるだけでホッとするのが親友? この3つのレンズは、大方、直感で判断するが、この選定の結果、過半数 以上が、間違いだったことに気づき、『男(女)運が悪かった!』と嘆く。 運が悪いのでなく、頭が悪いだけだが、その自覚がないから始末が悪い。 その鬱積を周辺の噂話の創作に向けるため、ガスが湧くヘドロのドブとなる。 挑戦、変化、戦い続け、脱皮しないと、肥大し歪んだ、あの世間人に陥る。 ・・・・・・ 5778,閑話小題 〜瞬間瞑想の方法 2017年01月09日(月) * 瞬間瞑想の方法 ヨーガでは、いろいろな場面を思い起こし呼吸に集中する瞑想がある。 たとえば、「寄せては返す波の音」「山の向こう側に昇る朝日」「澄んだ空を 飛んでいる白い鳥」「海を照らす大きな満月」など。これらを、私たちは 自分の経験に伴ったイメージを持って忘我の状況に入る。 私には、「寄せては返す波」のイメージが良く、一瞬で瞑想状況に瞬間に導く。 呼吸から入る瞑想で、寄せる波が「呼」で息を吐出し、返す波が「吸」。 これをイメージして呼吸すると心が休まる。4〜11月の8ヶ月間、自転車で信濃川 の土手架かる二つの大橋を一周して帰ってくる。その時に、対岸にあるベンチで、 数分、川を挟んだ岸辺をボーッとして眺めているが、これも瞑想の一種? それと、大橋を1k、ヒキチャリウォークをするが、これも似たような状況。 更に、ベッドでTVを見疲れた時に、�・outubeで「瞑想音楽」を楽しむのも瞑想? 夜半の0〜4時までの「死者のポーズ」も、瞑想タイム。 瞑想のキーワードから、様々の思い当たることが出てくる。般若心経もしかり。 これを唱えている忘我も、瞑想タイムになる。瞑想も妄想も、現在の私にとって 同じようである。で、これが日常になると耄碌してきたと評される。 耄碌とは瞑想状態が平常となると、これも悪くない? 阿保違いまんねんパーの 世界ですか。これは… 世間、世界からの解放。生からの開放、因縁からの開放! としても、確かな自分が、世界があればこそ、言えること。パーでは無理か。 ・・・・・・ 4683, スマート革命 ー4 2014年01月09日(木) 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を 読むまでは知らなかった。半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行 を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。今では 中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。ーその辺りから 《 既存SNSのミクシィ、既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。 ミクシィは2013年4−6月期が赤字となっただけではなく、通期の赤字見通しを 発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、 200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、 スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)への対応が後手に回ったという 指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。 一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの 新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、中国では微信、韓国はカカオトーク、 米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップなどが台頭。 筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、 多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに移って高速で指を動かして 入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って 高速で指を動かすと言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの組み合わせ」 が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型 ソーシャルゲーム」を滅す原因となるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに 基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか? 筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」 (仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、国内のフェースブックとLINEの 企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字 になっています。調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・ ローソン フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人 Au フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人 LINEが優位であり、1桁違いますね。大手企業はマーケティング、広告投資を フェースブックでこれからも続けるでしょうか? また初のインターネット 選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。 この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。 明らかに日本のLINEが先行しています。米国で対話アプリが本格的に広告を含む 企業マーケティングに乗りだしたらフェースブック収益は足元を揺さぶられる。》 ▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目 されたが、その内容はリアルそのもの。先日、一年ぶりに新潟のSEをしている 知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、 若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後には スマートフォンとタブレットPCの変化がある。更にメガネ型PCなどの装着式PCが 普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。 動きは激しい!
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| 6144,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −2 新春談義 |
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2018年01月08日(月)
* 新春談義 ‘一触即発の恐ろしさ’ 八つぁん: 大家さん、今年も大変な年になりそうな雲行きですね。秋口に アメリカ下院選が行われるため、起死回生を狙った朝鮮戦争も考えられる 雲行き。100万単位の死者も覚悟の上に… 一触即発状態じゃないですか。 大家: 北朝鮮の金様の自爆覚悟の瀬戸際戦略も、これでは、一つ狂うと日韓 を巻き込んだ破滅に至るよ。 ますます開戦は避けられない雲行きだね。 一番利益を受けるのはプーチン、トランプ、習主席と、世界中の軍事産業。 八つぁん: 日本も非常な危険状態に置かれている。平和ボケした日本人には、 東北大震災の数倍、数十倍の戦災状態のイメージが出来ないんだよ。 戦争の経験者も数少なくなった。 大家: 政府は、既に情報コントロールをしているよ。冬季オリンピックを 無事終わらせて、選手と観客の帰国に紛らわせ、滞韓米人を帰国させた上… この年末年始にも可能性があったが…。 開戦ともなれば、思いもしない 国内でのテロ攻撃が考えられ、これまでの日常が一変する。ペットボトル と、トイレットペーパーの買置きぐらいはしておかないとね。 熊さん: あっしがトランプなら開戦に踏込むね。老い先も短いことだし。 あの言動は‘俺並み’じゃないか。オバマの綺麗ごと治世が懐かしいよ。 八つぁん: 何れも陰陽があるからね。でも、トランプには陰の部分が多すぎる。 クリントン女史に比べると、バカどうしは先が読めないため手ごわいのでは。 熊さん: そうさな〜、あっしがドン様だったら、クリントンの方が組み易いか。 大家: 最近、妹が幹部に抜擢されたが、ピンポイント爆撃か、脳卒中で急死を した場合の後継者を考えてのこと。この妹がプーチンと情報を共有して知恵 を借りているとみると、この一連の戦略が解るような。 熊さん: それにしても、韓国の現大統領というのは何じゃい!。国家同士が 合意し金までとっておいた決め事を反古にするとは。国家の態をなしてない じゃないか。「国 敗れて山河あり」というより、「惨禍あり」そのもの。 気の毒といえば、気の毒の国だよ。 八つぁん: 地勢上のリスクを甘く見ていると、日本も韓国の後追いだよ。 寅さん: 先ずは、改憲さ。 仲たがいした隣家が敷地内を二分し、爆弾と 鉈を振り上げた、一触即発の中で、平和ボケした腑抜けが、「争い事は いけません」と鼻声で声高らかに運動会の準備…。先はしれているよ。 大家さん: 「そのマサカが起こるのが娑婆世界」 日常は表象でしかなく、 百年、千年に一度のマサカが世界を動かし、変動させる。茹で上がった のは、脳も体が動けない。 八つぁん: 準備のしようがない?っていうけど、疎開先として地方のホテル に、万一の場合を考えて予約も可能だよ。笑われてもいいんだよ。予約金 の一万円も入れとけば、ほとぼりが冷めた後、解消すれば戻ってくるさ。 生まれた時節が太平洋戦の敗戦の半年後、そして、そろそろお別れに近づく 現在が…戦争前夜? 不思議な廻りあわせ。決まったわけじゃないが。 熊さん: あんたみたいに達観できないよ。まだ、やり残しが山ほどあるし、 食べるものから節約してきた小金がある。俺のダチ公は、その時々に面白 おかしく使ってスッカラカンさ。こうなると、奴の方が得をしたのさ。 「カネを持っちゃ、あの世に行けないし、楽しんだコトを持っていくんだ」 と薄笑いをしていたが、その通りじゃないか。 寅さん: 「あのダチ公」って、俺のことじゃないか。 実は親父から、 死際に教訓として教えて貰っていたんだ。だから、熊さんの慌てようが… 別に快楽主義じゃないよ。「良く働き、学び、遊ベ」の‘良いバランス’と、 常に大波の到来を予測し、心の行蔵に「楽しんだ充実感」を貯め込んで いただけだよ。それを知らないお前さんの自業自得さ。 八つぁん: それって、親父じゃなくて私が御前さんに教えたことだよ。 寅さん: あんたの代わりに、私が代弁してやったのさ。御蔭で良かったよ。 大家さん: でもね、私のようなノンビリして、ボ〜ッとした人生も、悪く ないよ。行蔵の中味は少ないが、代々引き継いできた「蔵」とお宝は、 それはそれで、自己満足が出来るのさ。引継ぎランナーは、それなりに。 寅さん: まず、比較しないことだね。ところで私が話に参加したと同時に、 何か、甘ったるい内向きな内容になったね。 熊さん:〈大家さんと俺様〉対、〈八つぁんと寅さん〉になってきたね。 でも、不安だろう、御前さんのような生き方では。 寅さん: 「死んで三日もすれば300年前に死んだと同じ!」って、他からも 教えて貰ったからさ。 そしてコツは、「他人さまと、比較しないこと。 同化しないこと。独善でも、独悪でも良し、独りだけの世界を持つこと」 大家さん: 寅さんも、良いことをいうじゃないか。 八つぁん: あの二人の掛合いの根本が、この対話の根にあるんだよ。 どうにもならない二人の、根本が。寅さん、熊さん以下が、核弾頭の ボタンを握ってしまったのが、大問題なのさ。 熊さん: あの二人と比較しないでよ。あんまりだよ。でも、現実だもんね。 大家さん: 第二次世界大戦を挟んで、スターリン、毛沢東、ヒトラーなどに 権力を与えたために、数千万、いや一億以上の死者を出していまった。 何か、プーチン、習主席を加えた4人の顔ぶれが悪すぎですよ。 八つぁん: これからして、百万、二百万の犠牲者も、あながち多過ぎで 躊躇することでもないように思える。 権力を持つと、猿は狂うのよ。
・・・・・・ 5412,だれもわかってくれない ー�� 2016年01月08日(金) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 *「信用レンズ」「パワーレンズ」「エゴレンズ」 世間とは、一般的に、個々の立場から延長する人間関係を言い、 本人、家族、近所、その知り合いと広がった人たちの繋がりを総称する。 人間は複雑で、この3つをベースにした歪んだレンズを通した世界に住む。 個々人にとって、それが現実で、全世界になるが、それを客観視できない ため、小さな世界から一歩も外に出ることが出来ない世間という名の牢獄で、 一生を終えることになる。 そのレンズを、著者は、「信用レンズ」 「パワーレンズ」「エゴレンズ」の3つに分けて、ここに前向きな 「促進レンズ」と、後ろ向きの「予防レンズ」を加える。のっけから、 そんなレンズの視線を気にしないで、自分のレンズを冷静にみて、 生きていくべきだが、これが難しい。 〜アマゾンの内容より〜 ≪ そんなつもりで言ったのじゃないのに、勝手にそうと決めつけられたり、 自分では笑顔でいるつもりでも、だれも話しかけてくれなかったり…。 こういった「誤解」は、オフィスでも、学校でも、家庭でも、老若男女関係 なく、つねに起こる問題です。ところが近年、その仕組みは科学的にかなり 解明され、予測することが可能になってきています。社会心理学の研究に よると、人は育った環境や性格によって、大きく3つのレンズ「信用レンズ」 「パワーレンズ」「エゴレンズ」をつけ世の中を見ていることがわかりました。 あなたがコミュニケーションしようとしている相手はどのレンズをつけて いるのか、あなた自身はどのレンズを通して相手を見ているのか、まずは それを理解することが、スムーズなコミュニケーションにつながる秘訣だと、 著者は言います。 本書は、モチベーションと目標達成分野の第一人者で、 コロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとる社会心理学者が、誤解の原因と 解消法について具体的事例を挙げながらわかりやすく解説した実践的な1冊。≫ ▼ この3つのレンズで、世間の視線を分けると、その嫌らしい縄目が透けて 見えてくる。多くの人が、この歪んだレンズの共同幻想の飼殺しで終わる。 3つのレンズを、連れあい相手を探す時のレンズと例えると、解りやすい。 ・一生の伴侶として信用してよいか、温かみがあるか? 「信用レンズ」 ・自分の望む生活を維持できるパワーを持っているか? 「パワーレンズ」 ・我がままを許容してくれるか?のレンズで、相手を見定める。「エゴレンズ」 ライオンの群れが、ボスライオンが失踪したとき、メスグループが、新たな ボスを選定するプロセスを映しだしたTVドキュメントを見たことがあった。 メスにすれば、外部の強いオスにボスが群れから追い出されれば、子供は 皆殺しになるため、ボスの選定は当然、厳しくなる。これが人間社会だと、 一つ間違えると、一生をボウにふることになる。「貴方の事など誰も解って くれない!」 そこで、努力をするか、壁をつくるか? どうでもいいか? ・・・・・・ 5047,閑話小題 〜全人類と全アリンコの重さは同じ 2015年01月08日(木) * 全人類と全アリンコの重さは同じ どうでもよい話だが、全アリンコと全人類の体重は同じぐらいで、地球上に、 一京(一兆の一万倍)のアリが存在し、他の昆虫の総体重の10倍はあるそうだ。 ケニアの草原にはアリズカの山が延々とあり、それを餌にするアリクイという 動物までいる。 アリには奴隷アリもいて、他のアリに強制的に働かされている のもいる。地下に葉っぱを発酵させ、コケを栽培させているアリもいる。 ある意味、地下社会の支配者でもある。 * つれづれに 〜アベノミクスって大丈夫? 犬も歩けば保守にあたる、って感じになってきた。景気と国勢が右下がりも あって、20数年かけて総中流社会が総下流に下がっている。世界全体が 重苦しく停滞していく中、不安心理の裏返しなのだろう。アベノミクスの金融 緩和で、株高、円安、物価高に重心が動き出したが、地方には景気浮揚の実感は なく、どんよりとした黒い雲が、覆いかぶってきた。 隠居の身、40年以上の 緊張感から開放され、フワフワ浮いたような毎日。それが思いのほか良くもある。 そして原油が50ドル以下とは驚き!ロシアなど輸出の8割を占める資源大国は 一挙に変になってきた。ちなみに、最近、モノを買わなくなった。買わなくとも 済むからだ。税収の二倍の国家予算で、国の借金が国民一人当たり7百数十万と いえば、誰もが不安になろうというもの。目先を、6年後の東京オリンピックに 向けて何とか乗り切ろうというのだろうが。 ・・・・・・ 5777,福田恆存の「私の幸福論」〜�� 2017年01月08日(日) 「私の幸福論」福田恆存著 * 快楽と幸福 ーA 『面白かったから、まあ、いいや』 『折角、大よそ80年の地球ツアーに○○しに来たのだから、 深く広く味わい尽くさないと、勿体ないじゃないか』 の内語を呟いている自分がいる。これは快楽主義に影響されてのこと? 私のレベル?からみて、数ランク上のスケジュールをたて日々を過ごして いるが、これが慣れれば快適そのもの。 賢者の快楽主義の、「見とおしを きかし、よく計算する」ことを意識した構成ではないが、少し近い感がする? そうもしないと、老人性鬱病か、分裂症、痴呆症に陥る危機を実感するため 実践しているが、慣れてしまえば、快楽まではいかないが、快適である。。 その結果、更に徹底した唯我独尊の個人主義者になっている。 〜その辺りを抜粋 ≪・私たちは疲れないように歩かなければなりません。疲れるくらいなら、 歩かないほうがいい。しいて目的地を定めて、そこに到達するために、 肉体を酷使するなど、ばかげた話ですし、また悪でもあります。目的は先に あるのではない。歩くことそのことのうちに快楽が見いだせないくらいなら、 歩かないほうがいい。目的は未来の到達点にあるのではなく、現在の歩く行為 そのもののうちにあるということになります。得られるか得られぬかわからぬ 未来のために、現在を犠牲にしてはならぬわけです。
・私たちは、自分の欲望を真に知ってはおりません。ただ禁じられているがゆえ、 その枠を破ることにのみ、自分の欲望があると錯覚している。 (中略)… はてしもない欲望に、いいかえれば、つねに求めて得られぬ不満というものに 絶望してしまいかねません。そして、自暴自棄になり、いよいよ快楽からは 遠ざかるというわけです。
・どんな賢者なら「見とおしをきかし、よく計算する」ことができましょうか。 自然と人間との間の、他人と自分との間の、さらに自分のなかの無意識と意識 との間の、さまざまな欲望の衝突に直面して、誰がすべてを見とおし、これに 決定的な裁きをつけることができるでしょうか。一人の個人に、それだけの 大事業が可能であるとは考えられません。
・すべてを見とおし、よく計算することが、個人の力にあまるとしても、 自然科学や社会科学の助けを求めれば、それがなんとか可能になりはしないか ということであります。大ざっぱにいえば、それは正しい。 が、その科学的方法もまた、なにものかに笑われることがないのだろうか。 人生を、そして社会を快適なものにするということが、現代では最高の 「美徳」になっていはいないでしょうか。 ≫ ―― ▼ 何か、見透かれているような内容である。以前、「歩行とダンス」という テーマで書いたことがある。(以下、参照) 両親がことあるごとに、言って いた、「好きになるまで集中し続けなさい!」と同じ。「旅行」と「旅」の意味 あいに似ている。「旅」は、行くまでのプロセスに価値をおく。振返れば、長い 「旅」だった。エネルギーを入れた分だけ、そのまま返ってきた。踊りは快適で 快楽で、見通しも計算もないからこそ良いもの。泣いても笑っても同じ空である。 ――
2001/12/21 [164] 目的と手段
目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。 ‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。 営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、 営業が反対に手段になってしまう。 何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。 手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。 といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシ。 目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。 ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。 至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、 イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。 どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性 とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、 いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって 逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか? ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、 自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。 馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー ーー H0609歩行とダンス 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が 面白かった。“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。 ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。それではドア に向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容で、人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容。 今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ ダンスをして、ドアまでいってやれ”と一人笑った。 大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく “私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間 でまわってくる。それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!” 当意即妙であった。ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンス としてリズムをとりながらパターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに 向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れて しまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。 ・・・・・・ 4315, 考える力 2013年01月08日(火) 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、行蔵は大したことはない。 毎日2〜3時間の読書を50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに 我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを積む 機会が少なかったということか。現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、 タブレットでPCゲームを一日に1時間は遊んでいる。26歳からの事業人生、 何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。 ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。 点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。読書で心を集中し、 その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに 繋がっていたはず。それがマンネリとなると、考えも甘くなる。私の考える力が ついたのは、この随想日記を書くようになってから。常に何かテーマを探し出し、 小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。 また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくって しまうと、考えざるを得なくなる。それを習慣にしてしまえば、年月が経つに つれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が 面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、 己の底の浅さに呆れている。 ある哲学者によると、《人間の脳は ‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。 でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。 これに匹敵する震災レベルの大波は、これからも、次々と襲ってくる。 それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連の カオスより遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、 他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たるベースが無ければ、他人の 先読み装置の利用など不可能。情報化と、厳しい環境は、考えるにベスト。 カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。 手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、何と恐ろしく、面白いものと、 割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない!
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2018年01月07日(日)
『ウニヒピリ〜 ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」』 イハレアカラ・ヒューレン (著), * ハワイの3つの意識 ハワイ版「潜在意識と、その治療(洗濯)法の癒し本」というところか。 「本来の自分」であるインナーチルドに出会い、ケアする。そして宇宙に 開放してやる。「ハワイの地で、心、魂の洗濯」とイメージするだけでも、 開放される心持になる。ハワイに身を置くだけでも、本来の自分に戻れる。 <最後の部分の要約が「肝心」。最後の方だけでもご覧のほど!> 〜Amazon 内容紹介〜 ≪・ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」。 これを、ハワイ伝統医療のスペシャリストであり「ハワイの人間州宝」の 故モーナ女史が、現代社会で活用できるようアレンジしたのが 「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」です。 そんなホ・オポノポノのなかでも、最も大切な「ウニヒピリ」(潜在意識) について、初めてきちんとまとめられたのが本書。ホ・オポノポノを正しく 実践するためにも、必ず知っておきたい究極の真理です。クリーニングを通して 自分のウニヒピリと出会い、そしてケアしていくことで、ホ・オポノポノの目的 のひとつでもある本来の自分すなわち「セルフ・アイデンティティー」と出会う ことができるはず。あなたが今までその存在すら気づかなかった「ウニヒピリ」、 その子は今でもあなたからのケアを必ず待っています。 ・「ウニヒピリのケアをすることは、自分をほんとうの意味で解放し、全宇宙が 真の自由を得るために欠かせないプロセスです。ウニヒピリがクリーニングに 参加しなければ、記憶は再生されつづけるばかりで、過去の問題や傷を繰り返し 人生のなかで体験する状態から、決して自由になることはありません」 (ヒューレン博士「あとがき」より)≫ 〜ビュアー評〜 ・【 ハワイに伝わるシンプルな癒しの秘法「ホ・オポノポノ」では、 「自分」というものを3つのものから出来ていると考えます。 1つ目は表面意識である「ウハネ」、 2つ目は超意識である「アウマクア」、 3つ目は潜在意識である「ウニヒピリ」です。 ウニヒピリは心理学で言うところの「インナーチャイルド」に似ていますが、 個人的な記憶のみならず地球の誕生から現在に至るまでの全ての生物や無機物 が体験した記憶が保管されているところを指します。ホ・オポノポノによる 癒しはウニヒピリと繋がり記憶を徹底的にクリーニングしていくことによって もたらされます。】 〜ネット上の批評より〜 ・【ウニヒピリの協力がなくては、インスピレーションを受け取ることができ ません。私たちの中にある3つのセルフ、表面意識(ウハネ※)、潜在意識 (ウニヒピリ)、超意識(アウマクア※)がちゃんと存在し、それぞれの役割 を果たす。そうすることで、初めてすべての存在の源である“神聖なる存在” とつながります。表面意識から“神聖なる存在”につながろうとする人が多い のですが、流れとしては、表面意識が潜在意識に降りて、そして初めて超意識に 上がって、上の“神聖なる存在”につながっていきます。その順番が大事。 ウニヒピリのケアがあって、初めて上とつながれるわけです。 ※ウハネ…表面意識。私たちが日常で認識している意識。クリーニングを スタートさせる部分。ウニヒピリにとっては母親のような存在。 ※アウマクア…超意識。ウニヒピリから届いたクリーニングの働きを、 唯一“神聖なる存在”に届けることができる。】 ― ▼ 要約すると、<自らの記憶に向けて、「どの記憶が問題を引き起こして いるのだろう」と問いかけた後に、「ありがとう」「ごめんなさい」 「許して下さい」「愛しています」の言葉を繰り返すことで実践される。 大切なのは、ウニヒピリの存在を認めること> 毎日、20〜21時に就寝、0〜1時から半睡眠状態に入る。それが「ウニヒピリ」。 そして4時に起床をして、前日に書いた、この文章が「ウハネ…表面意識」。 その修正が、「アウマクア…超意識」になる。クリーニングは、そのプロセス で考える?ことで、衆人の視線を意識し修正することが、これになる。 過去の同月同日の文章数年分を読返している自分は超意識になる。 世間人とは、超意識が欠落している存在。 超意識の欠落は、表面意識も、 潜在意識も、狭く、浅いまま、群れたままで終世を向かえる。他人事でない、 自分のことでもある。それなら納得…? 神聖なる存在への意識ですか。 その存在に向けて、「正・中心・一点・無」ですか。5円玉を神聖なる存在と すると、真中の穴(一点)が無? 本体の外側が… お後が宜しいようで。 ・・・・・・ 4681,閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3 2014年01月07日(火) * この現象から考えさせられたこと ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっている ケースが多いことから、これはユングの「意味ある偶然の一致」ではないかと 思い立った。その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見た事もある。 静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブルで 多くの人が、事故や病気になっているはず? か?というと、そうでない! また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けている ので、私は、今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。 事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。それを避けての 創業など無理。この仮説から演繹法と帰納法が具体的ケースでみると解りやすい。 演繹法は、まず仮説を立て、その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に 因縁のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3〜4年以内に事故か 病気が生じる現象。そこから、これユングのシンクロニシティでは?と行き着く。 これを書いていて、「バカくさ!」と思える部分と「偶然にしては出来すぎ!」 が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が奇跡。さらに生物が存在し、 知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。このテーマ 自体が無知蒙昧丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、 さも不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、私自身が信じて いたのだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。 その思いを書き出すことで、如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に 気づかされる。それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ?? ここで、気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけ でなく、むしろ感謝する対象である。怒りと感謝が相まっていることに気づく。 夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ! 以前から怒りなどマイナーの念に囚われた枠外に出る鍵として、10回、目を つぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。そうすると、そこから一歩、 外に出ることが出来る。 感謝を間違いなく、互いに忘れている。 この人生の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!』 / _ノ \ | ( ●)(● <おっと、それ以上は言うなよ…ったく!> . | (__人__)____ | ` ⌒/ ─' 'ー\ | /( ○) (○)\ . ヽ / ⌒(n_人__)⌒ \ ヽ |、 ( ヨ)Ωチーンi~ / `ー─− 厂 / | 、 _ __,,/ \ ・・・・・・・ 3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1 2011年01月07日(金) 時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から ー10分ルールー 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えると、 その環境や行動に脳が順応することをいう。弱点だと思い込んでいた性質が、 この10分ルールで変えることも可能になる。最近、テレビのバラエティーでよく あるのは、最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、 オープニングが始る場面に多く行き当たる。 これは10分間、視聴者に予告を 含め馴染ませれば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。 このルールを知っているといないのとでは大きな違い。既に亡くなったが、 ある知人に「とにかく一晩寝てから、怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は 消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。 これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐える ことをルールと捉えた法則。これまで決断するまでに、計画が固まった後に 時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、 目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを 知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、逆の立場で、その辺の 人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。 だから、ある時間耐えれば良い。 次は、ー90分ルールー 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、 大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、90分を過ぎると 実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。 ・・・・・・ 5046,修羅場の極意 −1 2015年01月07日(水) 『修羅場の極意』 〜まずはアマゾンの内容紹介〜 面白い本である。人生には、それぞれの人の修羅場がある。今では、 結婚し、甘いハネムーンの後、修羅場を経験した後、4割が離婚に至り、 その過半数以上が貧困に陥っていく。 何度か修羅場に出あい、乗越えて 生きていくのが人生。 地獄は彼岸にあるのではなく、現世にある。 −アマゾンの内容紹介と、目次であるー ≪ 敵を作り、嵐に巻き込まれた時、 うろたえるな! 「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ! 修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法と技法がある。 イエス、宇野弘蔵、西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べる? ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは? 外交と政治の修羅場を駆け抜け、 獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。 ○目次 ーはじめに――東京拘置所での谷底生活から I 偉人たちのサバイバル術 1章 助言者は絞り込め【マキアベリ】 2章 逆説的発想で事態を打開せよ【イエス・キリスト】 3章 「偽装」というテクニック【ドストエフスキー】 II 反面教師たちの失敗学 4章 破壊的影響力の秘密【ヒトラー】 5章 悪知恵にだまされるな【オットー・ケルロイター】 6章 “正義漢"の勘違い【スノーデン】 III 「獄中」の教訓は役に立つ 7章 独房で筆者の精神を救ってくれた教え【内村剛介】 8章 経済学と小説の力【宇野弘蔵】 IV ヴァーチャルな修羅場、リアルな修羅場 9章 人間関係に役立つ神学者の言葉【ディートリヒ・ボンヘッファー】 10章 ノマド的�処世術�【安藤美冬】 11章 不作為は悪【小説『インフェルノ』のラングドン】 対談 「最悪」のシミュレーションだけすればいい【西原理恵子】 おわりに――「時」を見極めるということ ≫ ▼ 人生は、いずれにしろ甘くはない! 修羅場の修羅は、阿修羅が語源。 辞書によると、【阿修羅のもともとはインド神話における「アスラ」 という名の魔神であり、インドラ神と戦いを繰り広げた鬼神であった。 一般的には戦いの神としてのイメージをもたれており、そのため激しい 争いの場を、その名をとって修羅場と呼んだりもする。】とある。 身近な修羅場といえば、夫婦間の争い。 夫側の酒癖、女癖の悪さや、 互いの粗探し、金が無いことからくる争いが、修羅場の起因となる。 そこで、〜うろたえるな!「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ!〜になる。
・・・・・・ 5411,新年に 〜情報と知識の違いについて 2016年01月07日(木) 〜『残酷人生論』池田昌子著 * 情報と知識の違いについて 以下の文章は、哲学者の故池田晶子が20年前、Windows95が 世に出てきた頃に書かれた文章である。その後の激変したネット情報化社会 の現在でも、そのまま通用する内容。 高度をコードと捻っているところが 面白い。知識とは違った有効な生情報も、情報社会に生きるものにとって 重要な要素である。情報と知識の違いを簡潔に説いている。〜その辺りから〜 ≪ 前に、情報は「しょせん」情報だと言いました。高度情報化時代なんて のは、要するにコード情報化時代、コードを引っこ抜いちゃえば、タダの箱。 タダの箱を前にして、人はやっぱりタダの人だと。とはいえ、そのタダの人が、 タダの人のままに広くコミュニケーション可能になるということは、やはり 画期的なことで、オンライン・ショッピングなんぞには私はもとから興味が ないが、この点に関してならば、さしものコード情報化時代にも希望の光は 射している、と思える。 ヒラ社員がわからず屋の部長の頭越しに、いきなり社長と交渉できるとか、 無名の新人が、阿呆な編集者をパスして、堂々作品を発表できるとか、地位と 肩書なきゆえに虐げられてきたタダの人々に、その実力を発揮できる機会が 平等に開かれるということは、文句なく素晴らしいことだ。これはほんとに よいことだ。 それがほんとに可能になれば。 普通に人は、とくに日本は、地位と肩書が偉ければ偉いと思っているが、 情報優先のネットの上では、そんなの何の意味もない。すると、旧態依然の 権力機構は、やがて軒並み崩壊するだろう。年功序列、性差別、情実、根回し、 御挨拶、地位と肩書ゆえに威張っていた無能な人々が、地位も肩書もないが しかし有能な人々に、おいおとされてゆくことになるのだ、なんて愉快! これは革命! ところで、地位も肩書もないが有能な人というのは、タダの人であっても、 やはりタダの人ではない。したがって、情報ネットによって実現する平等社会 とは、裏を返せば、これまで以上に実力本位の競争社会である。 実力がなければ、たとえネットの上であれ、やっぱり何の意味もない。 競争の現場がネットの上に移り、余分な障害物が減っただけのことであって、 何のための競争か、ということを考えずに競争している人間社会の在り方と しては、以前と何ひとつ変わっていない。 それだから私は、やはりこう感じざるを得ないのだ。 情報化時代 それが、どうした__と。 人がまず理解していないのは、情報は知識ではないということだ。 情報は外から受け取ることによって流通する。しかし知識は、或るAがなぜ Aなのか、と立ち止まり考えることによってのみ知られ得る。情報は流通するが、 知識は決して流通しない。流通する知識は知識ではない。すでに情報だ。 なぜなら、考えて知る、とは、自ら考えて知ることしか意味しないからである。 したがって、そこに在る同じAであっても、情報と知識とでは、知られる仕方が 正反対を向いているわけで、その差がまさしく、無知と知との差だ。 さて、人は多くの情報を知ることによって、いったい「何を」知っていること になるのか。我々は「何のために」競争しているのか、それを知っているのか、 どうか。 私は思うのだが、今後しばらく押し寄せてくる情報ネット化の大波は、 折にふれ人類を訪(おとな)う大掃除としてのあの大洪水のようなものと。 洪水の引いたあと残っているのは当然、地上に広く流通していたあれこれの 情報群ではなく、もとより流通することのあり得ない、星のように高く光る あれら普遍的な知識だけであるはずだ。(一九九六年四月号)≫ ▼ この随想日記も、押寄せる情報群の中から、選んだエキスをパックにし、 知識化する有効な手段になっている。一度、パックすれば、毎年の同月同日 に読み返し知識の再認識が可能になる。それにしても、絶対的知識量の不足に 今さら驚いているが、それを自覚出来ているだけ、少しは、まし? <情報と知識とでは、知られる仕方が正反対を向いているわけで、その差が まさしく、無知と知との差だ>は、これを書き続けて実感すること。 読みっぱなしで、忘却の彼方に消えていく内容の読書感の記録が無かったら、 「無知と知」の差ぐらいは軽く出来てしまう。無知の人間は、考えるしかない。 『世間』という、あの群れの特徴は、身近な情報を、考えないで横流しをして いる輩たちをいう。それが、彼らの現実だからである。 で、絡めとられ ゾンビの一員になった粗末な人生が、巷に溢れている。考えないのは罪である。
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| 6142,読書日記 〜「続・下流老人」 ー4 問題は、最期10年を如何に? |
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2018年01月06日(土)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来・2016/12> * 深刻な地域格差 20年近く前になるか、当時、経営していたビジネス・ホテルのフロントに フランス帰りの20歳後半の料理人が、「就職先が決まるまで」と準社員として 勤務していた。そこに片田舎の新卒女子が同僚として働いている内に親しくなり、 結婚。 『フランス帰り』に憧れた純朴な娘が一方的に惚れた結婚と聞いていた。 そして妊娠、退社をしたが… フランス帰り料理人は、務め先が見つからず、 そのまま勤務をしていた。が、生活が成りゆかず、離婚。嫁は子供をつれ出戻り のコース。ここまでは、どこにもある話。後で聞き知ったのが、その後、彼女は 元亭主に子供の引取りを依頼、第二の人生を歩みだしたが、その苦悩は如何ばかり。 「時間の経過とともに後悔が膨らむのは自明」だが、ここで見てとれるのが… 知識・経験不足と、貧困問題。今どきの日本人の3組に1組、アメリカで2組に1組、 西欧では3組に2組の割で離婚というが。当然、そこには苦悩と混乱が発生する。 大学時代の同級会で、嫁がルーマニア人という男の愚痴。さすが全国区の話題。 <金銭にシビアにも程がある。同じ欧州人でも、貧しい国の人間は、人間性まで 貧しい。とにかく卑しい。アジアならタイやベトナムは農業・漁業が盛んで 豊かだが、ラオス、フィリピンは違う。姿かたちは最初のうち>と息巻いていた。 <日本は太平洋ベルトラインなど大都市は比較的豊かだが、そこを外れた地方は… とりわけ過疎地域は…>。 淀みが水場を悪くするというが…。 参考になるのが自殺率。上位10県を高い順にみると、秋田、青森、岩手、島根、 新潟、宮崎、山形、高知、和歌山、佐賀。 最も高い 秋田県の10万人あたりの 自殺数42.1は世界第1位のリトアニアの44.7(2002年)より低いが、世界第2位 のロシアの38.7(2002年)を超えている。私の住む新潟県は5位になる。5年前に 女性がワーストになっていた。 下位5県を低い順に あげると、奈良、神奈川、 徳島、千葉、愛知。比較的、気候が穏やかで、大都会に近隣して豊かである。
・・・・・・ 5045,生と死をめぐる断想 ー2 2015年01月06日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 頼藤和寛 〜にもかかわらず、生きる 『人みな骨になるならば』頼藤和寛著 の書評を数年前、ここで取上げた。 底しれないニヒリズムと、「にもかかわらず、真摯に生きる」頼藤の姿に 心が動かされた。ここで岸本は、「だから」「しかるがゆえに」の換わりに、 「にもかかわらず」の頼藤の生き様、言葉に励まされる。ーその辺りよりー ≪ 願望に基づく世界観の構築を、彼は拒む。自らの避けられない死際にしても その立場を徹底する。その姿は、認識の鬼とでも形容したくなるような、ある種 の凄みを持っている。医師を続けてきた頼藤は患者から「何も悪いことをして いないのにどうしてこんな病になったのか」という抗議を幾度も聞いてきた。 彼は述べる。科学的に研究をすれば、善人と悪人とで罹患率や平均余命などに 有劣の差はないと、証明されてしまう。心理学は善悪に関して死後の因果応報を 信じがちな人ほど願望充足的な推論や希望的観測を多用するという実験結果を つきつけてくるかもしれないと。「自然現象に人間的な道理は通用せず、 来世で辻褄を合わせようとする世界観は心理的な自慰にすぎないことを強く 示唆している」。(頼藤和寛『人みな骨になるならば』) ・おそらく世界の実相は、人間の都合とは無関係にある。 「このことを、実は、何千年もおんちょうのあいだ人類は怖れてきた。 われわれは幸福がなにかの恩寵によるもので、耐え難い災厄ですら なんらかの意味をもつと信じたがった」。 ・「世界には、ニヒリズムを突き崩せるような物証は何もない。なぜなら われわれは、自分が信じたいように世界を観たのではなく、人間に可能な かぎり禁欲的に宇宙のありのままを見据えてきたからである」 しかし、前向きに生きれば治癒につながる、「だから」前向きに生きるとする なら、その基盤は脆弱だ。「前向き」でいたのに亡くなっていった人は、周囲を 見渡しただけでもどれほどいることか。治癒を期待し前向きに自分を保つなら、 それでも再発進行した場合、「ならばどう生きても同じだ」と投げ出すことに なりかねない。「だから」「ならば」「しかるがゆえに」の論理の危うさを 感じていた私に、「にもかかわらず」の哲学は頼もしく思えた。世界には 説明のつかないことがたくさんある。説明不可能性に耐えよ。そう著者に 言われている気がした。「何千年ものあいだ人類は怖れてきた」と彼が言う 世界の実相。人間が受け入れやすいようその上をおおっていたべールを、 近代科学がはぎとって暴いてみせたところでなお、人々が怖れているならば、 世界の実相がやはり「怖れるに足る」ものだからだろう。何千年も怖れられ 続けてきたものに、たまたま近代以降に生れたからといって、人間がひとり 丸腰で対峙することが、果たしてできるものだろうか。自分がニヒリズムを どこまで貫けるだろうかという疑問もある。・・≫ ▼ 死の淵から生還した人にとって、「にもかかわらず、生きる」より、 「にもかかわらず、生きている」ことになる。死は、特に己の死は、 直視できない永遠の課題。だから、宗教が必要になる。神の御国に 帰っていくイメージである。生くさい恐ろしい死のイメージを、長年かけ、 優しい神様がいる天国のイメージへの転換が必要になる。死んでしまえば、 それまでよ。にも関わらず、彼岸には、あの世が待っているイメージ。 で、以下の三年前の内容に繋がっていく! 丁度、あの修羅場?の最中 ーー。 2011/03/18 3279, 人みな骨になるならば −1 「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。 初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の 後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、 本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され 亡くなった。そのプロセスを書きのこした本『わたし、ガンです ある精神科医 の耐病記』も出されている。「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、 この本のテーマである。そして次から次へと繰り返される虚無思想。 ・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ一人一人の 人生が一種の無駄である。」とか。 ・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」 ・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと、人は生きて いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。 ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。 【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に 不愉快な現実である。たぶん、宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の 松が生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるために 人間は実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、そのような酷薄な 現実に堪えられないようだ。それに堪えるため人間は自分の意味を膨らませる ため、自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、 に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、 「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを エゴ・トリップという。自分を膨張させようとする、あえない試みである。 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがきに 至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい という目論見が透けて見える。 】 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、 このエゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れ、感動した経験を多く 持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろうか。 特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが 良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップ でしかないのか? そう思うと気が楽になるが! ・・・・・・ 5775,閑話小題 〜あと10日で71歳 2017年01月06日(金) * あと10日で、71歳ですか! 50歳、60歳と峠を越えてきたが、70歳代の峠からの老化の日々は甘くない。 社会的には、65歳時の廃業?を境に背負っていた責任からの解放を実感している。 肉体的に日々、足腰が弱っていくのが分かる。50年以上の腰痛持ちの身に老いは 弱点をついてくる。それに加え、同世代の人たちが、次々と亡くなっていくのも、 この年齢の風景。「背後に感じていた死神の気配が、70歳を超えると、前面から 迫る感じになる」というが、成るほど! 何はともあれ「好奇心」は人一倍ある。 アンドロイドTVと、パソコン、タブレットPCが、その好奇心を満たせてくれる。 それにしても71歳の年齢の自分が信じられない。TVで、大病などで老け気味 の60歳過ぎの人を見て、この人より自分が10歳も年上?と、愕然とすること屡々。 スポーツジムは、様々の年代の人たちの陳列の場? 若い人から見れば、かなり の年齢である。生きていればこその喜びも哀しみもある。 それに加え、ネット などの情報端末の進化した機器と、そこから入る知識を得るだけでも面白い。 食欲も衰えてない。何を食べても美味しい。美食も、過分すぎるほど満足した。 そのためか、牛丼、回転ずしなどのB級グルメも飽きずに美味しいと思える。 あと4年で後期高齢者の仲間入りだが、その辺りが鬼門か。 非日常も良いが、 日常こそ味わいが隠れている。夕暮れ時のアカネ空の時節がベストということ… ・・・・・・ 4680, 偶然からチャンスを見つけだす能力 2014年01月06日(月) ー偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方 ー沢泉 重一(著) * 人生は偶然を織りこむ絨毯づくり! 人生を振返ると、出会った人、出会った出来事が果たして偶然だったか、 必然だったのか、考えさせられる。偶然に機会を見出すためには、目指す夢と 目的が必要になる。そこに機会を見出すには素養と準備が前提だから。 その偶然からチャンスを見出す能力「セレンディピティ」は、イスラムの寓話 「セレンディップの三人の王子」が語源。ドラゴンを退治する巻物を探すため、 自慢の王子が送り出される旅の途中で、多くの危険と苦労を味わうが、 そのつど判断力を働かせ、それぞれ理想的な姫と知りあい、幸せに暮らした という神話の原型が、そこにみてとれる。英和辞典には「当てにしなかった ものを偶然うまく発見する才能」とある。 ー内容紹介とレビューからー 【 偶然のチャンスをいかに生かすか、見出す秘訣がここにある。 世界的発見の多くは、"偶然の所産"であった。 古い寓話に由来する言葉 <セレンディピティ>は、偶然のチャンスを生かす力を指すキーワードとして、 科学者や先端的ビジネスマンの間で高い関心をよびつつある。】 ー読者プレビュー ●【「セレンディピティ」は、狭い意味では「探していたものを、他を探して いるときに偶然に見つける能力」。この本ではより広く「偶然を見逃さずに 成功につなげる能力」という意味で使っている。 著者が編み出した 「偶察力(偶然を察知する能力)」という言葉は、しっくりくる。 面白いのは、セレンディピティを高める方法論。世界的革命をもたらした 発見の共通点をあげたり、トマス・クーンの唱えるパラダイムシフトの関係や、 シンクロニシティとのちがいなどを述べている。さすがセレンディピティ研究 の先駆者が書いたものだけあり、これは発想に役立つと思うところが多かった。 とくに「7 セレンディピティの向上」の章では、意図的にセレンディピティを 高めるための一連のシステムを紹介している。偶然という現象について述べた本 はアーサー・ケストラーなどがあるが、この『偶然からものを見つけだす能力』 はその偶然を人間の力によってうまく引き出して利用しようというもの。 「自分にできるかも」という期待感をもたせてくれる。また、偶然がともなう ブレークスルーは、ともなわないよりも大きな成果をもたらしうるというから、 セレンディピティを高めたい気持ちは高まる。】 ●【「偶察力」という言葉に置き換えて、これを一種の「能力」とし、仕事に、 日常生活に、趣味に言葉遊びに、知的仕掛けとして使っていこう、という話。 驚嘆すべきは、著者の博覧強記ぶり。セレンディピティを巡って、起源、歴史、 古典、映画、科学論、科学史、書籍、新聞、雑誌、ネットなど、おおよそ あらゆる情報ソースを駆使し、ちょっとした日常の場面で、どんな場合にどう 適用していくのがおもしろいのか、を、わかりやすく書いた文章です。】 ▼ 必死に捨身で何かを目指していると、その何かより、プロセスでプラス・ マイナスの機会に出くわす。そこが、分かれ目で信念が試される。人生の節目 には思いもよらない機会が隠されている。 そこで、運命を恨むか、他者の 中傷に汚れるか、自分の信念を見つめ直し、新しい一歩にするか、その人次第。 その意味で、この言葉は人生を振り返るに、考える糸口になる。 節目は、 順境のアップスケール(脱皮)より、逆境の破壊の状態の方が多い。その時、 思いもよらない学び、チャンスが現れる。私にとって、現在の節目はベスト? それが「セレンディビティ」の一言に凝縮。遇察力が飛躍的に向上、御陰で 様々な見えてなかったことが鮮明に見えてきた。 人生は短し!より濃厚に日々を生きろ!ということ。 ・・・・・・ 5410,新年に 〜貧乏の性分 2016年01月06日(水) * 貧乏の性分 〜『貧乏の神様』柳美里著 芥川賞の売れっ子作家の柳美里の本を、図書館や書店でみかけていた ため、その印税たるや常識的にみて数千万は軽く超えていると思っていた。 ところが、預金ゼロ、電気光熱代の支払いも窮しているという内容である。 私を鑑みると、幼児の頃から商売で苦労していた両親をみていたことと、 その両親から子守唄のように「金の重要性」について、聞かされていた。 特に節約と、万一の備えとしての長期的預金の必要性が、人生の基本と インプットされてきた。その割りに、最後は、この様だが、総額の15%前後 を家内名義の給与として40年近く積立をしていた。(残りの85%は、使う ことにしてきた)。それが、5年前の節目時の命綱になったいた。 「貧乏の性分」の逆を考えると、「節約、長期預金、小銭を大事に扱う」 になる。金を敵のように扱えば、返り討は至極当然。 〜その辺りから〜 ≪ 2012年3月16日からは南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬 ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という番組の パーソナリティを務めています。3月6日現在で第143回まで放送されました。 この仕事は、無報酬です。これからは、交通費も宿泊費も食費も支給 されません。その経費が年間いくらに上るのかを計算したことはありません。 自宅に1万円だけ置いて、5万円を持って南相馬に1週間滞在する、という ような生活を続けているのです。 非常識だと思います。 けれども、 書くことを仕事に選んだ18歳の時から金銭的や時間的には無理はしても、 自分の性分や生き方には無理ない仕事をしようと決めたのです。・・(略) この15年間、貯金をしたことはありませんでした。 お金の使い方、金銭感覚は、両親から受け継ぐものの一つかもしれません。 わたしの父と母は、ほぼ年子で4人の子どもを拵えましたが、ただの一度も 貯金をしませんでした。父はパチンコ屋の釘師で高給取りでしたが、競馬や ポーカーや将棋などの博打で給料を摩って、家にはお金を入れませんでした。 生活費を稼ぐために母はキャバレーのホステスとして夜の勤めを始めた のですが、給料日前には困窮を極め、白飯に緑茶や麦茶をぶっかけただけの お茶漬けやパン屋からタダでもらってきたパンの耳などで食い繋ぎました。 わたしの父母の両親も貧乏人でした。それこそ親の敵のように父と母が 散財を繰り返していたのは、収入が支出を上回ることに罪悪感のような ものを抱いているのではないかと思わざるを得ないのです。 倹約や貯金は、お金持ちの習慣なのではないかという気すらします。 つまり、そういう家庭内の習慣を子孫や社員に文化として伝授したから、 お金持ちになったのではないか、とー。 父親に刺身の小皿に醤油が残っているのを見餐められて、「自分の使う分を 見越して醤油を出せないような奴はまともな経営者になれん!」と殴られた、 というある大会社の社長の幼少時のエピソードを思い出したりもします・・≫ ▼ ネット検索によると、柳美里は「無頼派の系譜の作家」と評されていて、 小説ネタには、この性分があればこそ。としても、これは、つらい性分。 在日朝鮮人の大陸的気質もあるのか? 三代続いた家族の金銭感覚は、 一般人とは少し違うようだ。病気、事故とか、寝たきりになった時に、 如何するのだろう。他人事ではないか? 事業を立ち上げる度に、 「もし、失敗したら、如何する?」の内語も一緒に立ち上がる。30年、40年 かけてきた万一の備えも、この不安、恐怖から出てきた知恵。一般的にいえば、 「消費社会は、収入の2割増しの欲望を掻き立てる。しかし、日本人は、 2割を預金か、投資にまわす性向がある」。 固定社会の島国の知恵だろう。
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| 6141,読書日記 〜「続・下流老人」 ー3 サイレントプア問題 |
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2018年01月05日(金)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来・2016/12> * サイレントプア 何事も皺寄せは弱者の方に行くが、多問題家族や、シングルマザーの貧困層 だけでなく、都会と地方格差の問題がある。青森や沖縄など地元大学関係者など の話に、「うちの地方など‘貧乏が普通の状態’がある。それ以前に、自分の 貧乏すら気づいていない。誰も声を上げない貧乏を‘サイレントプア’という。 過疎化など人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同 生活の維持が困難になっている集落を「限界集落」という。跡継ぎもおらず、 高齢者が地方に一人だけ取残される現象は‘家族消滅’の象徴である。 私を含めた姉・兄の甥姪の地元在住は、私の長男の一人だけ。あとは首都圏。 高齢化にともない、年金補助金不足から、政府は、「一億総活躍社会」と囃し たてているが、女・老人も極限まで働け!ということ。誰が還暦過ぎても働い ものか。例外はいるが… お金が、あればこそ面白いが、金欠なら、話は別。 要するに‘高齢者の働かない自由’が奪われた社会になることを意味する。 生涯現役社会が、本当の豊かさの訳がない。 ― * 介護難民の増加 〜下流介護難民 それぞれの人生の格差が、そのまま上流老人と下流老人の格差が生じるため、 ことは深刻。グレードの高い老人ホームの一時金だけで4億のものもあるという。 逆の「下流老人」は、実に厳しい状況になる。それを改善する手立てのサービス は、現金ではなく、現物支給でなくてはと、著者は強調する〜 『 …つまり一律の現金給付では‘個々人の生活の必要’に即した弾力的な 制度運用ができない。簡単な話。『車椅子をあげます』という時に、障碍者の ふりをして車椅子を貰う人はいません。でも、『現金であげます』といったら、 障碍者のふりをして現金を貰おうとする人はたくさん出てくる。現金と現物は 違うのです。だから普遍的ニーズを満たすために現物支給をすべしと言っている のです。』 スペインやギリシャで生活困窮者への食事提供をTVで放映していた。 誰もが下流介護難民の可能性がある。死んでしまえば、それも解消される? 「長生きをしたくもあり、したくないもあり…」生きている故に言えることだが! 〜で、以下に続く ・・・・・・ 5044,生と死をめぐる断想 ー1 2015年01月05日(月) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 死をそばに感じて生きる 〜団十郎の辞世 ー 色は空 空は色との 時なき世へ ー 以下は、序文の冒頭の内容。日本人の2人に1人の割合でガンになり、 3人に1人の割合で亡くなるという。高齢化で、ガンになるまで、死ななく なった結果、死を意識する時間が長くなったこともある。今では死に関する 知識を、一般の人が、ネットなどから死生観を収集したり、表現できる機会が 増えている。 ー まずは序文の冒頭からー ≪ 2013年2月に亡くなった歌舞伎俳優の市川團十郎の辞世の句だ。 葬儀の場で長男の團十郎のパソコンに残されていたという。 詠まれたのは前年の十二月、亡くなる数ヶ月前である。 色は空(そら)、空は色(いろ)との 時なき世へ、と海老蔵は読んでいた。 この句に接し、『般若心経』の中のあの一節を思い浮かべる方は多いだろう。 色即是空 空即是色。それに寄せて読むならば、冒頭の句は、 色は色(しき)空 空(くう)色(しき) との時なき世へ、となる。 色はかたちあるものと、ひらたくは言われる。空は空っぽ、何もない、という ことか。空しい、ということか。かたちあるものは実は何もない、空しい、と 教えているのか。そうではない。(略)・・ このことは追々深めたい。 時なき世とは。時間のない世。時間を超えた世。超時間性は永遠と言換えられる。 それは、この世に対するあの世なのか。この「時なき世」が團十郎の句では 「色は空空は色」と「との」でつながる。「との」は、と言われる、とか、と 聞いている、の意だ。色即是空、空即是色とかねてより聞いている時なき世。 「へ」は方向を示す助詞である。色即是空、空即是色とかねてより聞いている ところの 時なき世へ、自分はこれから行くのである。團十郎の死生観を 表す句と言える。(略)・・ 團十郎が、死を前に遺した五七五が、芸についての 教えでなく死生観の表出だったのは、私には少し意外、けれどもすぐに理解できた。 團汁郎は長く血液のがんを患っている。治療の副作用による絶え間ないめまいと 吐き気を無間地獄と、あるインタビューでは曝えていた。何度も再発入院し、 骨髄移植をしていた。・・・≫ ▼ 色を「しき」と「いろ」、空を「くう」と「そら」と、息子が間違えて 言ってしまった可能性もあるが、真偽はわからない。栄華を極めたあと、 とたんの苦しみの死際の言葉であればこそ、心に響く。 即興の辞世! 《 色即是空 死んでしまえば それまでよ 空即是色 》 ・・・・・・ 5409,新年に ー「過去」は過ぎ去らることはない 2016年01月05日(火) *「過去」はわたしを忘れない 〜『貧乏の神様』柳美里著 芥川賞作家の柳美里の『貧乏の神様』の中にあった言葉。 現役時代の「森の生活」の時節は、過去は遠い彼方のように思っていたが、 還暦を過ぎる「サバンナの生活」に移行したころから、以下のように 過去への心象風景がチョイと変わってきた。 〜その一節より ≪ ・・「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、 わたしは、「過去」は決して過ぎ去らない、と思うのです。 自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、 精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去) が露出する―― 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、 過去の落とし穴に足をとられそうになりました。 わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。 過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま 更新されるのです。未来は全て過去にある、という言葉の意味を、 40歳を過ぎて噛み締めています。≫ ▼ <過去を忘れても、過去はわたしを忘れない!> <未来は全て過去にある> の言葉が先の少ない時節の胸に刺さる。 秘・異郷を中心に50回のツアーに行った先のどこかが、TVの旅番組で、 毎日のように現地レポートされる。その度に、それぞれの記憶が露出し、 その体験した記憶に、新たな現地の映像が加わっていく。この随想日記も、 早朝に15年分を読み返していると、過去からの声が、それぞれの同月同日の 「いま、ここ、わたし」の声が、ざわめきのように「いま、ここ、わたし」 に語りかけてくる。 葬式で、故人の決して後味が良いだけでない思い出が、 心の足元を揺らがすことがある。サバンナ(御隠居)の生活では、有り余る 時間の中で、過去の堆積物から思いもよらないフラッシュが沸いて出る。 あの暗い老人は、その暗黒の堆積物の暗部に引き込まれた結果である。 「因果応報」「因縁」というが、隠れている過去は、何かをキッカケに 表立ってくる。それが現在か、近い将来になるかでしかない。 人生とは、過去という荷物を担いで、一歩一歩を独りいく道のりである。 ・・・・・・ 5774,閑話小題 〜シェルター内事情 2017年01月05日(木) * 居間から寝室へ重点移動 ★ 一昨年の11月に寝室のTVにWoWoWの二台目契約をした上で、ブルーレイ を入れて13ヶ月、経過した。 居間では外界の音が入ってくるが、寝室は、 ほぼ無音状態。この間の録画数が300本を超え、限界状況の表示が出てきた。 今では録画する都度、優先的に何かを見るか、消している。 『録りだめしても、二度と見ないのでは?』の対策がある。映画に飽きた気分 転換に、小まめに録画一覧を見て、頭部分だけを見る習慣付をするとよい。 習慣的に見ていると、これ自体が面白くなる。 また再び続きから見ると、 連続ものを見るようで抵抗がなくなる。 面白いものは、何があれ面白い。
★ 年末年始の一週間、面白そうな番組が目白押しのためベッドにクギ付け状態。 それに飽きると、廊下を挟んだ仏間の一角のパソコン前に移動するか、居間 まで出張をし、お茶を飲む生活。その寝正月も、昨日からはスポーツジム通い が始まり、TV漬け生活も終わった。とはいえ、それに図書館と、スーパーの酒 とツマミの買出し、スポーツジム通いが加わるだけ。 6年続けてきた、週一の シネマ通いは、今年から大よそ半分にする予定。ベッド内で映画を連日見れば、 二週に一度で充分?だが、実際はどうなるか。 『こんな生活、飽きない?』 という声が聞こえてきそうだが、そうでもないから困ったもの。雪国の冬場は、 「晴耕雨(雪)読」で、シェルターに閉じ籠りを楽しむしかない。 <還暦までの10年間に、30年分を圧縮して生きる>が、実際に、そこまで出来た かどうかは別としても、この年齢になると、気持ちを穏やかにさせてくれる。 老いの愚痴、怒りは、世間的制約で、出来なかったこと、実践できなかった、 不燃焼が起因している。で、攻撃は、弱者とか、社会そのものに向かう。 次々と立ちあらわれくるフラッシュに、独りごとを呟いている自分がいる。 ・・・・・・ 3197,つれづれに ー 閑話小題 2010年01月05日(火) * 人生味わえば、8割は良いことになる 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性 が語った言葉が良い。「人生、生きてきて、良いこと2割。辛いこと8割だった。 しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」が、印象 に残った。「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。 その話し相手に行っていたが、彼らが終戦の一月前に出撃していった。 彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。そのお陰で、 疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、 味わえば、良いことが8割に変わる!」と、しみじみと語っていた。 そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが! * 面白いものである! 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。書いていると自己嫌悪に 陥るのである。自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマが なくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、どうもこうも、 ならなくなる。お手上げである。しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。 その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚 である。だから続けることができる。これは人生と同じじゃないか? そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じ。 その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。 その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 * 婚活ブームの後は、離活ブームだと! 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞 の社会面トップで取上げていた。20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所 にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、 呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な 気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。以前なら親が説得する程度のことを、 親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、 分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、 連れ添ったものなら分かっているはず。 後記)去年に、偶然に同じような テーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
・・・・・・ 4679, スマート革命 ー2 2014年01月05日(日) * スマート革命とは? 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。 これは「スマート革命」を象徴したもので、ジョブスは、まずは企業向けの 大型コンピューターを個人・家庭用の宅上型に作り変えたパソコンをiMac として世に出した。次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、 iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTVを世に 出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始めしばらく経つが、 今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。その書籍も紙に印字する 形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。 私の命名だが、これスマートショップ。この動きは、スマート自動車、 スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが 劇的に普及している。携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式 のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」。テレビ操作、パソコン入力も、 電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも会話式 アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。 ーアマゾンの読者レビューからー 《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を 使い分けるようになると予測。 それに合わせて1)新しいイノベーション の形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。 まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース 従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力で パソコンと会話」していた。しかしスマート革命時代には機器と生活者の インターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。 米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、 ユーザーインターフェースのあり方を「ソーシャルロボット」と呼びました。》 ・・・・・・ 3937, 閑話小題 2012年01月05日(木) * 年末年始 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月 になるが気持ちは何も変りない。ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に 反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。 まだ事業を 続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 事業から一歩退いてみると、この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。 TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。正月で特別なことと言えば、 蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。 * 元旦の殿町で 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、 合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。次男夫婦は地元の同級生と 二次会とかで別行動。今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が 元旦でも営業をしているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。 その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、 危なそうな客。一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、 ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩を して飛び出してきたという。暫くして「マスター、一軒回ってまた来るね!」と 出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」 と言ってしまった。ところが、「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。 御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、 慣れたもので「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。 そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。 長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。ようは、呼吸。 押しても引いてもダメで、「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか 言っていれば良い。危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。 で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、 「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。初めての店で、 「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、 飲み逃げの手助けをしたことになる。 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。 それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。 ・・・・・・・ 3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか? 2011年01月05日(水) 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。 また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も 弱者肯定の見本のようなもの。ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス 思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、 ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。 楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が人間にはあるようだ。 それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、 野獣に襲われ食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さない ように、その記憶を長く残した。逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに 忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。 その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪い ことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。 だいたい、良いこと悪いことが同量 が起こっていると考えればよい。しかし良いことを思い出す訓練をしていると、 どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と 勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、自然、その方に自分から 擦り寄っていく。例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアー の経験は、週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを 放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、再び訪ねている 感覚で見ることができる。自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくる。 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似した TVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。その繰り返しの中から怒り、 憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。 だから、嫌なことは、意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。言葉を持ってしまった 人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。 これが、マイナス思考を更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身を つくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。
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| 6140,読書日記 〜「続・下流老人」 ー2 家族原理主義 |
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2018年01月04日(木)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 2016/12> * 多問題家族 以前、それまで身近で具体的に聞いたことがなかった貧困問題に遭遇し、 驚いことを想いだした。(後でコピー) そのままが、Amazonのビュアーの 投稿にあった。多問題家族には2つの大きな特徴がある。一つは貧困問題。 二つ目は、問題家族同士の‘共依存’の関係にあること。フリーター同士の 結婚。水商売同士の出会いと結婚。 それを熟知しているキャリア?は、 そこから拾いだしてくれる白馬の王子様を探すが、王子様は、リスク負担を 考えて第一条件はバランスのとれた仲間内から… それはシビアに。 〜投稿も、シリアスな問題だけに説得力がある〜 <「30までには結婚して親を安心させてあげないと」、 「大晦日はやっぱりこたつで家族団らんしながら紅白歌合戦だよね」…なんて、 私たちが何の気なしに言ってしまうセリフ。こういった発言の裏に隠れている のは、日本を覆う“家族信仰”の呪縛かもしれません。
『家族という病』 (下重暁子/著、幻冬舎)は、そんな“家族信仰”について、長年第一線で 世の中を見つめてきたジャーナリストである著者が切り込んだエッセイです。
著者の下重は1936年生れ。早稲田大学卒業後、NHKを経てフリーのアナウンサー として活躍後、文筆活動に入りました。本書では、“家族”の実態をえぐり ながら、従来の思い込みを一刀両断していきます。> ―― <「結婚はしないの?えっ、子供ほしくないの?じゃあ老後はどうするの?」 結婚→出産→子育て→老後 そうやって未来が目論見どおりに運ぶと思っているお花畑思考故に、それ以外 のハッピーエンドルートは存在しないと無意識で一概に決め付けて、こんな煽り 文句が当たり前に出てくるのが世間一般ですから、信仰度合いに差があるにしろ 世間一般は家族信者であることは間違いありませんね。… …女は30で賞味期限が切れるから、出来るだけ若いうちに出来るだけ稼ぎの いい男をとっつかまえて結婚して、若い方が体力がある分育児に向いているから 若いうちにとっとと出産して、リスクヘッジのために子供は2人くらい作って、 50手前で大体の子育てを終えて後は老後を迎えるだけ… 世間ではこれが一番のハッピーエンドルートらしいですよ。> ― ▼ 結婚問題に突き当たると、まず頭に浮かんだのが、4人の姉との比較。 家柄、学歴、センス、清潔感と明るさのバランス。ついつい色気に比重が 偏りがちになるが… 相方は一生の伴侶。 職業選択と同レベルの決断…。 「当たるも八卦、外れも八卦」だが… 大方(9割)は「誤解で結婚、理解し 離婚(家庭内も含む)」に、あい至る。深刻なのは、シングルマザーと、子供 の貧困問題。日本のひとり親世帯の貧困率は54.6%で、相対的貧困率は16%で 世界で6番目に 高い。以下の問題は、如実に、この問題になる。 何人かに 声をかけたが「誰も全く反応しなかった」。これが現実。娑婆は厳しい。 そういう私が独身なら、多問題家族の人には、まずは距離を置く。 ―― 2006年10月18日(水) 2024, ある煉獄の中にて 才八∋ウ_〆(∀`●) これからの内容は本人の同意を得て書いている。 (もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、 裏切り行為になる。本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書い てもよいです!」…)そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題 (嫁・小姑など家に存在する)不条理。Aさんの話を聞くうちに浮かび上がって きた奥行きの深い話。どこの家にも、このような問題はあるが、あまりに複雑な 構図である。 それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが 浮かび上がってくる。 〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す) ・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区の実家に出戻った。 ・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半) が存在。 家は大きな家ではない。 ・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。 そしてAは女子短大を卒業、新潟の私の会社に就職して5年目になる。 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職。 ・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。去年から働きに 出れなくなり収入も途絶えた。 ・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが 崩れてしまった。 子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働け ないため収入が途絶えたことで、最も弱い立場の陥り、その結果として鬱病に なりかけている。 ・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は 重度の鬱病になり廃人に…。A一人の収入では母親を引き取れない。そこが地獄 絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと母は間違いなく潰れてしまう… いう内容。 露骨に言ってしまえば、 ☆ ・「行かず後家」と、・その実家に「出戻ってきた母」と、・嫁の立場の 「お祖母さん」と、・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す 小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’ということになる。 (以下、字数の関係でカット2009年10月18日) ・・・・・・ 5773,「イスラム世界との対話は可能か」〜塩野七生 2017年01月04日(水) IS問題、中近東と欧州のテロと戦争問題、数千年前のユダヤとアラブ の問題のため、その根は深い。今後、永劫に続いていく問題である。 一年前の<文藝春秋新年特別号>の塩野七生のコラム記事 「イスラム世界との対話は可能か」が、欧州と中東問題を考える参考になる。 〜このコラムを簡略にすると〜 ≪・「多神教と一神教のちがいは、多神と一神の数ではなく、 『自分は信じていないが、信じている他者の信仰は尊重するのが多神教』で、 反対に、『一神教は、自分が信じている宗教だけが真の宗教で、他はすべて 邪教』になる。邪教の徒であるからには、殺すのもOK、奴隷にするのもOK。」 筆者は、多神教の方が、一神教よりも自然への畏敬、他者との共生、思い やりなどの点で優れていると述べる。。 ・「この人々(穏健イスラム教徒)は、首切り集団を非難して言う。 彼らがやっていることは、「ジハード」(聖戦)ではない、と。 それでいながら聖戦自体は、否定しないのだ。」 ・「両宗教(イスラム教とキリスト教)の共生の証として、ヨーロッパにも より多くのモスクを建ててほしいと言う。これにキリスト教側は、口には 出さないが、心中では、「イスラム諸国の大都市に、ヨーロッパ並みに壮麗な キリスト教会を建てるのは認めていないのに、なぜ?」と思っている(P.92~93) ―― ▼ 島国の日本は砂漠の民の一神教にはそぐわない。世界は白、赤、黄、黒色 と、それらが混合した人種で成立っている。 白はユダヤ、キリスト教。 赤がイスラム教。キリスト教。黄色が仏教。インドは、それら混合した差別教 のヒンズー教。それらに国家、民族等が組合さって差別化されている。 イスラムとキリスト教の対話が可能か?と問われれば、アラブと欧州人の同居は、 所詮、無理の話。砂漠の民が、豊かな地の欧州人の考え方が全く違う。 人種混合国家のアメリカが、トランプを大統領に選出したのは、中産階級未満の 白人が起こした乱である。ということは、今後、人種差別と、殺戮が更に拡大 していくことになる。恐ろしいかなである。トランプは、プーチンが後ろ盾で つくられた傀儡とまではいわないが、彼のクリントンへの「メール問題」は、 明らかに… ? トランプは、最後には、オバマの影に押しつぶされ消滅 する運命にある。 問題は、副大統領が大統領に替わった時に、どうなるか!
・・・・・・ 5408,2016年 新年に ー�� 日本衰退は1985年から始まった ーB 2016年01月04日(月) 『グローバリズムという病』平川克美著 * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーB バブル崩壊は、第二次大戦以来の敗戦であり、以来、衰退が続いたまま。 アメリカのいうがまま、バブルを引起し、その結果のバブル崩壊である。 欧米系の金融機関は、これをチャンスに、株式などで大儲けをした。 経済支配下にある属国の手を捻っただけだが、日本にとって塗炭の 苦しみが待っていた。 ≪ アメリカ側は日本企業の競争力の原泉である、日本の銀行の融資力を殺ぎ, つぎに日本の産業全般に行きわたっている構造、とりわけ関税障壁をターゲット にした構造改革を日本側に迫った。「貿易の不均衡をなくし、日本が経済発展 するため」という表向きの形容とは違って、このときのアメリカにとっては 日本の産業力はまさに「死活的脅威」であり、この脅威を取り除くための 「経済戦争」を仕掛けようとしていた。 ルール変更であった。 日本は当時空前のバブルに沸いていた。銀行もまた多額の不動産を抱え込んで おり、それを資産計上していた。それゆえに前記の世界の銀行ベストテンに 六行も入るという状況がうまれていたわけである。 1988年、スイスのバーゼルにおいて、銀行の健全化に向けての国際基準が 策定されてた。それがBIS規制である。国際業務を行うためには、8%を超える 自己資本比率が必要であるということが定められた。 表向きは、金融システムの健全化ということであった。 1991年2月には、日本のバブルが崩壊する。そうなると、含み資産を自己資本 に計上していた日本の銀行は、時価会計の適用によって自己資本率を一気に 悪化させる。 日本の銀行が採りうる措置は二つしかない。 ひとつは、総資産を減ずること。 ひとつは、複数の銀行を合併・統合させることで自己資本比率を上げること。 実際に何が起きたのか。それを時系列に眺めてみよう。 盤石だった日本の銀行は、BIS規制と、それに続く金融ビッグバンによって合併 統合・倒産を繰り返し、さらには株式を持ち合っていた生保会社の大型倒産が 続いた。銀行、保険会社、政府が三位一体となって落伍者を出さない日本の金融 システム、つまり護送船団方式は、このとき完全に分断され、崩壊していった。 普通は、こんなことは起こらない。ましてや短期間のうちに、これほどの規模 で銀行システムが変容するなんていうことが、市場の原理だけで起きることは ありえない。 一九九六年四月、三菱銀行と東京銀行が合併 一九九九年四月、国民銀行破綻 六月、東京相和銀行破綻 八月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が、事業統合を発表 八月、なみはや銀行破綻 一〇月、新潟中央銀行破綻、 一〇月、住友銀行とさくら銀行が合併を発表 ≫ ーー ▼ 1991年のバブル崩壊より7〜8年後に証券会社の倒産、大手銀行の倒産、 大統合になった。とすると、リーマンショックを大地震に例えると、今年辺りが 津波が到達する時節になる。それが、世界株式市場の暴落として日本か、欧州、 中国発になるのか、津波と違い予測不能。私は、その二年半後に、自然災害の 東北大地震と共に沈んでしまった。ISのテロをカタチを変えた格差間の戦争と すると、既に始まってしまった? 戦争は、超保守で体制を固めないと、国の 維持が難しいためか、怪しげな風が先進国に吹き出してきた。
・・・・・・ 5043,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー6 2015年01月04日(日) 『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著) * 捕食されてきた人間 人間は肉食や草食もする雑食だが、猛獣の餌として捕食されてきた。 そこには食うか食われるかの長年かけた弱肉強食の熾烈な闘いがあり、 仲間同士の知恵を駆使をして生抜くしかなかった。当然、人間どうしの肉食 もあった。ボルネオや、南米など未開の地では、ごく最近まであった習慣。 人は狩猟をするか、されるかの瀬戸際で、集団で知恵を身につけ、言葉と 道具を身につけ、生き延びてきた。 ーその辺りから抜粋ーエェー(◎-ω-)♪~ ≪ 有史以前、ヒトはみな食人をしていたというのもショックだが、同時に、 ヒトはヒトならぬ肉食獣にエサとして食われてきたという話もショックだ。 しかし、ドナ・ハート・ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』 は、ヒトは捕食される動物であったから、かくのごとく進化することができた。 「かくのごとく」というのは、ヒトが二足歩行で大きな脳を持ち、ことばを 使うことで複雑な内容を持つ情報伝達ができるようになったこと。 集団で社会生活を営むようになり、単体ではできない大きなプロジェクトを 力を合わせてやりとげるようになったということ、つまりヒトが文明を作る ことができた唯一の動物になったという意味である。 ヒトは肉体的には あまりにもひ弱な存在であった。捕食者の恐怖から逃れようとするなら、 そのような生き方(社会を作り文明集団として生きる)を選択せざるをえなかった ということなのだ。かつて、人類進化はヒトが狩りをすることを覚えたところ からはじまったとする、「マン・ザ・ハンター」説が一世を風靡した。 しかし、自然人類学者の著者は、その説は客観的証拠にてらして誤りだという。 多数の原始時代の人骨を調べていくと、原始人たちが野獣に噛み殺され、 食われていたということがはっきりわかる。噛み砕かれた頭蓋に残る歯型と、 野獣の牙がピッタリ一致するのだ。ヒトがどれほど捕食されてきたか、 疑う余地のない証拠が次から次に出てくる。・・・≫ (。・´ω`・。)オォ怖〜 ▼ 私たちが爬虫類や、蛇などに直感的嫌悪感を持つのは、原始的記憶が脳に インプットされているため。根強い悲観的傾向があるのは、捕食されてきた 生存危機の記憶がなせる業。だから、人間には本能に悲観的傾向がある。 しかし、悲観主義は、人間自身の行動範囲を狭める要素になる。それを カバーするのが知識と能力で、悲観1に対し、3倍の楽観主義が必要となる。 ・・・・・・ 4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1 2013年01月04日(金) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の 時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた期待が妄想でしかなかった とかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 人間にとって想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから一歩も出ることが 出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。 ≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデン ゲートを思い出したり、宇宙ステーションを想像したりするのは、そのどれを 建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、 この三つの中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で 経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で経験することだが、 「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという 姿で経験することに他ならない。人間の脳の最大の業績は、現実の領域には 存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、 われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、 人聞の脳は‘先読みする装置’で‘未来を作る’ことがもっとも重要な仕事だ。 ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると 言える場合が少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、 もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジーの脳も、 餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を 予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)と過去の出来事(「前にこの においがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、 つぎに起こる可能性がもっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに 食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは 人間だけの特有の予測。前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。 それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。 ≫ ▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを 考えるのが好き。旅行を例にすると、行き先を探し、決め、決まったら、 その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、 それも旅行の楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。 その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。そして嫌のことは 帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、 間違った予測が多いのは、経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、 相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか?
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