堀井On-Line



6039,閑話小題 〜「すみません」じゃ、すまされめい

2017年09月25日(月)

       < 意味としての心〜「私」の精神分析用語辞書ー北山修著 >
   * 「すむ」と「すみません」
 何か頼みごとや、迷惑をした時に使う『すみません』という言葉。
へりくだる場合に使うが、「すみません」なら、「すむ」の否定の言葉でもある。
その意味合いが、なかなか面白い。 〜その一部から〜 
≪  ▽ すむ
 <「すむ」という言葉は、漢字で済む、澄む、清む、そして棲む、住むと使い
 分けられる。そして時間的に「すむ」、濁ったものが「すむ」、そして定住
する「すむ」などのそれぞれの場合で、あちこち動いていたものが、やがて
落ち着くという意味を中心にして展開しており、意味論的には互いに十分重なって
いる。そして、「すむ」「すます」の否定形である「すまない」「すみません」
にこだわり、すんでいるかどうか気にしていきているのです。>
  ▽ すまない
< …周りに濁りや乱れ、騒ぎを生じさせたことについて「すまない」といい、
 相手だけでなく自分も内的にすんでいないことを進んで認め、謝罪の言葉と
しているわけです。それは対話の相手に向けられ謝罪であると同時に、すんで
いることを最高の規範の一つとして共有する周りや、周囲、つまり共同体に
対して、自らすんでないという、浄化の不十分さを慎んで重し上げている。
それは「すまなさ」という罪意識というより、その内容が収まりの悪い汚点、
落ち着かない部分として抽象的に自覚されている。これが事態を不安定にして、
濁りを生じさせたことを認識させ、ときに、その責任の可能性を早くに先取り
して「すまない」という陳謝になるのです。>
―
▼ 『謝罪の王様』という映画を数年前に見た。企業のお詫び会見で、土下座を
 したり、深々と頭を20秒間下げる様を面白おかしく物語にしていた。謝れば
何か許される緩い空気が日本にはある。 韓国は政権が代わると、日本コンプ
レックス感情の強い国民向けに、71年前の虐待を取上げ、反日キャンペーンを打つ。
「すまされない」のである。加害者の日本が経済的に遥かに豊かなれば当然のこと。
北のドン様の反米感情が、これ。
 <北朝鮮の最貧の状況は、白人第一主義の米国の世界支配にある。 
ロシア、中国は、実質、資本主義に鞍替えしたが、共産主義を唯一保つ「金王朝」
が国民を守っている。その為には、核弾頭ミサイルを保持する何が悪いか!>
 アメリカの隷属国家として、表立っては独立しているが、その実態は、中国、
ロシアの防御塀の存在でしかない。 成るほど、「すまない」訳である。
で、次々にミサイルを上空に撃たれている。日本は、何時の間にか、軍事大国に
化している。それをアメリカが利用しようとしない訳がない。とすると深みに、
嵌っていくのは世の習い。

・・・・・・
5672,閑話小題 〜幸運の人と、不運な人
2016年09月25日(日)
   * 人は、すべからく幸運である
 以前、書いたことばかりだが、思いのまま、「幸不幸」について書いてみる。
・人間は、「いま、ここに、私」として存在するだけで、幸運である。
 「神様の御導きびき」といえば、それまでだが、幸運な偶然の一致の重層で、
 存在している。他者と比較が、この幸運を見えなくしている。
・自らを幸運なタイプと自認する人と、不幸と自認する人との、一生の間の
 運命の差は膨大になる。不運な人は、チェンスがあっても、自分が駄目と
 思っているため、目前にあっても気づかない。どうせ、駄目だからが無意識
 のうちに働き、そのチャンスに気づかない。
・幸運な人は、チャンス到来に、そら来た!と敏感である。何せ、幸運だから。
 幸運であるには、何があっても上位に自らを置かなくては。まずは20%に、
 そして、6%、3%、1%にと。 
・幸運な人は、幸運のある同類を呼ぶ、というより集合する。幸せ本には、
 まず、「幸運の人に近づけ」と。彼らには、幸運を自ら引き寄せる力がある。
・以前、<幸運を呼寄せる力を得るためには、『般若心教』を暗記をして、
 ことあるごとに唱えなさい>と、創造工学の先生の講義を聞いて、早速、
 二週間かけて暗記をした。「色即是空 空即是色」と、心を澄ませておけば、
 情報選択と決断も間違わない。運とは、判断し、その行為が、正しい場合を、
 「幸運」といい、間違った場合を不運という。だから、情報に対する純粋な
 視線が必要となる。特に、情報過多の現在こそ、重要である。
・生活習慣は、第二の天性である。 二ランク上の生活習慣を立て実践すれば、
 二ランク上の人になれる。その差は、時間とともに莫大になる。
・「恒産あって、恒心あり」、長年かけた蓄えが必要となる。なぜ?といえば、
 人の心を自由にも不自由にする力が、金銭の有無に厳然としてある。お金の
 心配からの解放が純粋な心を生み、それが幸運を呼ぶ。(真逆もあるが)
・自分の世界をつくって、門を開放し、取捨選択をして浄化、続けること。
▽ 過去を振り返ると、冷汗が出るほど、多くの危険が多かった。が、何故か、
 間一髪、すり抜けていた。親から引継いだ倫理観とか、学んできた知識、
情報からくる判断が、運の悪さを最小にしていた。特に、自問自答の「自答」
が大事ということ。良い本を選択、読み続けろ、そして楽しめ、ということ。

・・・・・・
5307,全球凍結(スノーボールアース) 〜��
2015年09月25日(金)
       『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
    * 海、その水深4000mの世界 
 番外になるが、全球凍結から地球上の70%を占める海に興味が向く。
「海を制するものが世界を制する」というが、各国の輸出入の多くは船による。
その海の中は如何なるものか? 〜ネット検索によると 
≪ ・海洋部平均水深: 3729 m。
・地球表面における面積比. 陸 の割合 約30%. 海の割合 約70%.
 海の中で太平洋の占める割合.50%。
・世界で一番深い海は、日本の南東に位置するマリアナ海溝。
 深度は約11,000mで、世界一高い山であるエベレストも沈みます。
・海底は3000mから6000mの深さのところが最も広い。
 地球表面の70%を占める海の海全体の98%が「深海」です。
 「深海」とは、太陽の光の届かなくなる200m以深のすべての海をさし
 暗黒、低温、高圧が世界を支配します。「超深海」とは、6,000m以深の
 海域をよび、主に海溝で濃構成されています。
・深層海流=全海洋をめぐる海水の大循環があります。
 北大西洋北部のグリーンランド沖と南極海で冷やされた海水が沈みこみ、
 冷たく重い深層水になります。深海底を移動した深層水は、インド洋北部
 と北太平洋でわき上がり、海流の一部となって出発点にもどります。
 この大循環はベルトコンベアー循環とよばれ、グリーンランド沖で沈んだ
 海水が北太平洋にたどりつくには約2000年かかります。この循環は、ただ
 海水が移動するというだけではありません。海水中にふくまれる栄養分を
 運ぶ大切な役目も果たしており、海の生物の生活にも大きく影響しています。
・深海の食物連鎖=陸の植物のように、海では植物プランクトンが太陽の光と
 海水に溶けているリンや窒素を使って栄養を作り出します。その栄養を、
 動物プランクトン、そして魚が利用します。海の中には私たちの目に
 見えない微生物もたくさん生きています。細菌や原生動物も栄養の循環の
 一翼を担っています。このように海に生きるすべての生物がつながり
 あって海の生態系は成り立っているのです。 ≫
▼ 海には海の世界が存在しており、今だに知られてないことが多い。
 この海の上部1000mが凍りつき、その下が地熱のため海水で存在し、
そこで何とか微生物が生延び、真核生命に進化していった。私たちが青に
惹かれるのは、海の青さの原始的記憶からくるもの。とすると、緑は森、
茶色は大地の記憶。黒は宇宙の背景か。せっかく地球に生れてきて、平均
80年の猶予を与えられた割に、小さな固定観念の世界に押し込まれて、
何もしないで、何も知らないで、悟りきった風に消えていくのが人生! 
・・・・・・
4942,野口秀世だけが、何故?
2014年09月25日(木)
  * 偉人といわれる人も    〜「お金の正体」日下公人著より
 どこかで聞いた内容だが、偉人といわれる人も光の当て方を変えると、
そんなものかも。戦後教育、いや明治以来の国家づくりも、西欧文明の価値観
の世界の仲間入りをするため。 開国をして国際社会に、うって出なければ
世界列強の餌食になっていたのは明らかである。 ーその辺りからー
≪ 幕末、イギリスと戦争したり、四ヶ国連合艦隊と戦争したりして、
 いち早く欧化にめざめ文明開化した。だから、それを追い越すためには
旧旗本も薩長の下につくのでなく欧米と直結しなくては、というわけだ。
産地直結運動である。そこで、留学生になって欧米に行き、欧化すると自分は
薩長より上だという意識になる。だから新渡戸稲造はクリスチャンになったり、
向こうの現地人と結婚したりした。 野口英世についても、昔「文藝春秋」
に書いてあったが、ちょうど同じ時期に東北出身のお医者さんで、ツツガムシ
病の研究と治療法に一生を捧げた人がいた。なぜこっちを褒めないか。
日本人ならツツガムシ病を治してくれた人のほうがよほどありがたいのに、
野口英世ばかり褒めるとは、文部省は常識がないと書いてあった。そのとおり。
ヨーロッパをぐるっと回って、なぜこんなに熱帯病、熱帯植物、熱帯動物の
研究所や博物館がたくさんあるのかと思った。考えてみれば、ヨーロッパは
アジアや南米やシベリアを侵略して、何かをかっぱらってきて豊かになった
のだから、それをもっと盛んにするための研究をしている。アメリカも同じ。
そもそも寒冷地のロンドンやベルギーに熱帯植物研究所とか熱帯病研究所が
あるのはおかしい。その淵源は、たとえばタンザニアを植民地にしてコーヒー
か何かを栽培すれば儲かるのではないかと、大挙して白人が行ったら、風土で
半分以上死んだことがある。ここでまず風土病の治療法を研究するが、
研究も危険な仕事である。それを日本人がやってくれるから、大変ありがたい。
ともあれ熱帯病の研究所は白人により資源奪略のためのもの。それを野口英世
が学問の最先端と思って、身を投じた。フォード研究所の庭を探すと小さな
銅像が一つあるらしい。それを日本は国家的名誉としている。 
医学は西洋伝来だからそうなるのも無理はないが・・・ ≫
▼ 日本は、明治維新まで、中国文明の価値観に大きく影響されていた。
 ところが、その中国を侵略をしていた当時の実態を見て、欧米の思想、
価値観、を国家一丸として導入し、現在に至っている。世界は、肌色の他に、
地域別でみると、「アジア人 57%、ヨーロッパ人 21%、南北アメリカ人 14%、
アフリカ人 8%となっている。その黄色人種多くを占めるアジアに、重心が、
移動している。 しかし、世界にはカースト的構造があって、白、赤、黄色、
黒の肌の順に階層化された世界が厳然と存在する。
野口英世も、その価値観からみた偉人?の一人でしかない。
「人はすべて一時的世界内存在でしかない」ことを自覚すれば楽である。
・・・・・・
4575, ほめことば練習帳 ー2
2013年09月25日(水)                    
  第1歩 感動を伝えるほめ言葉   「ほめことば練習帳」山下景子著
「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。
そのためには、積極的に大自然、芸術作品、小説、一流の人の講演会などに
接することである。 今ではTV、インターネットで、接する機会が多くある。
まずは機会を増やして感動量を多く経験するしかない。そうすると、その面積、
体積の接触面が大きくなり、大きくなるにつれ、感動対象が増えてくる。
感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの自分の「分」の際
(極限)を、破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。
  ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー
【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。
 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。
ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。
その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまり、ほめるとは、
「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。ところで、
心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。
羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、
ちょっぴり心が病んでいる状態。そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、
心の健康のバロメイターといえるかもしれません。だからこそ、幸せな人ほど、
よくほめるということでしょう。その逆手をとって、ほめることによって、
幸せになることもできるのではないでしょうか。】
   第一歩の感動を伝えるほめ言葉
{凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙
/天晴れ/溜息が漏れる/拍手/喝采/ 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが
落ちる/昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/口果報}
▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、
 そのまま、言葉で表現出来ることが重要になる。記憶として残すためである。 
そのためには健康な心が必要となる。対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積
こそ、その人そのもの。感動、感激、感謝は、心が純真で、張り詰めてこそ
大きく振動する。と同時に、それを感じるとる素養が無ければ。人生は如何に
多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が
多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。
感動を伝えることも、与えてくれた対象に対し言葉として、表現することで、
対象も、自分の心にも残ることになる。ロッキーの大自然の光景に接した時、
「これを見た『前』と『後』といえるほどの感動だ」という言葉が自然と
出てきた。一級品、一流の人、絶景に接すれば、素養に比例して言葉が自然と
出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。
・・・・・・
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
   * スマート家電
「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを
発表したが、「変?」と思ったのは私だけでないはず。外出先からの遠隔操作
でエアコンや、炊飯器のスイッチをいれたりするのが、果たして便利な生活
なのだろうか?それも付加価値と称して値段が何割、いや何倍も高いのは、
消費者ニーズとは大きくかけ離れる。発表された「スマート家電」はエアコン、
ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、体組成バランス計、
活動量計、手くび血圧計の八製品という。洗濯機や炊飯器、電子レンジは、
スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用
アプリでメニュー選択し、製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。
近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせた
コースの設定をスマホに入力し、これを洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。
こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電のコントローラーとしても
使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、致命傷になる。
これではサムスンに負ける訳だ。
   * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって16年経つが、その年月は長い。
今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。先日、倉庫で母親のアルバムを
見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を
撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。
当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の人生を生きてきた。
私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから生まれることが多い。
夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者
の魂と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台。
両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。
独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
・・・・・・
3835, ツール(道具)について考えてみる ー2
2011年09月25日(日)
  ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の
 働きを外の世界に置換え、さらにその働きを拡大したり延長したものといえる。
たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにした
ものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換えたものである。
ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで
表現し、器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。
また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、
創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても
機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の働きを助けるためのもの。】と。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を
変えることもある。自分の目的に最適なツールに出会えるかどうかが、その人
の範囲を決めてしまうことになる。学生時代を振り返ると、努力のわり成績が
良くなかったのは、どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 
試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、
その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、
兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリは、
まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。どれ一つとっても、人間の
叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に
使えるのだから驚異的である。銀行の支店の一つや二つの全機能が小さな
チップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時
にコピーされ普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前。
「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」されたベストの
ツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。
現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。

 


6038,閑話小題 〜シネマ観賞評

2017年09月24日(日)

   * 『三度目の殺人』 〜シネマ・評
≪ それはありふれた裁判のはずだった。殺人の前科がある三隅が、解雇された
 工場の社長を殺し、火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し死刑は確実。
しかし、弁護を担当することになった重盛は、なんとか無期懲役に持ち込むため
調査を始める。何かがおかしい。調査を進めるにつれ、重盛の中で違和感が生れる。
なぜ殺したのか? 本当に彼が殺したのか? 得体の知れない三隅の闇に呑み込ま
れていく重盛。 弁護に必ずしも真実は必要ない。そう信じていた弁護士が、
初めて心の底から知りたいと願う。その先に待ち受ける慟哭の真実とは?≫
―
▼ 前半は淡々と物語が進行するが、途中から、殺された社長の不正と娘との
 関係が暴かれていく。同じ年頃の娘を持つ犯人が、それを察知し… 評決直前、
その娘が、弁護士に告白するが、裁判長、検察は、今さらと取り合わない。
 容疑者は、当初から母親の殺人依頼というが、誰も受け入れてもらえない。
三度目の殺人とは、裁判関係者による死刑判決を「三度目の殺人」と簡潔に表現
したもの。 娘が嘯く、『関係者は誰も真実を述べてない!』 の言葉が重い。
72年近くの人生で実感じたことは、この言葉。社会、いや娑婆とは、左程の世界。
なら、閑静の世界=「読書、ネット空間、映画鑑賞、旅行の世界などに浸して、
隔離した孤高の時間」を持たなければ… 周囲からすれば『大変な奴』だろうが。

   * 母親の命日に
 母の命日だ。老いれば老いるほど、両親に感謝の念が深くなる。
毎年、供養で色いろ書いてきたが、様ざまな人生体験をしてきたが、両親の後姿を
見てきたため、どれもこれも、深刻に考えず何とか乗越えてきた。さて、墓参りだ!
振返ると、11回も母親について書いてあるが、成るほど、「書くことの秘儀」を
実感する。 両親から受け継いだ愛情は魂の継承になる。
 <楽しみ方が足りない、もっともっと楽しめ、それが御前の務め!>と、
仏壇から地鳴りの様に響いてきた。実際、楽しみが少ない!さて、何にしようか? 
 
・・・・・・
5671,閑話小題 〜母親の命日に
2016年09月24日(土)
  * 今日は、母親の20回忌。
 昨年の母親の命日には、それまで書いてきた母親について纏めてあった。
10数年、毎日、書き続けてきた過去からの贈り物である。自画自賛になるが、
もし子供に、亡くなって20年近く後に、このように想い出してもらえたら、
幸せだろうに。 末っ子で特別視された恩返しと考えれば当然だが。
 親子の関係は、特に父親との関係は、シックリいかない永遠のテーマ。
順調にエリートコース?を歩いてきた知人が、ある時、深刻そうに、
『何か私は、父親に愛されなかったような気がする。』と、話してくれた。
最近、特に思うのは、『人格の背骨は、両親の愛情で作られている』である。
末っ子は末っ子で、兄・姉から軽く扱われ虐められ、大変だったが、両親からは、
「特別扱いされ、何があっても守られ、許される」という妙な甘い意識があった。
 父親が亡くなってから、複雑な家族環境のため、「独り立ち」が、否応なく
求められた。そこから、両親から受けた愛情と精神の背骨を感じるようになった。
 次々に立ち塞がる難問に、「父なら如何しただろう?」の自問自答で湧き上る
知恵に大いに援けられた。その上、同居の老いた母親の温みが直に伝わっていた。
 追)去年、母親について書いた文章を纏めたが、もし、それをしてなかったら、
  昨日、一昨日、時間をかけて同じことをしていたはず。私は去年も、今年も
 同じ私である。母は父と伴に、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた。
常に何かを目指し努力をしていた後ろ姿を垣間見えていた。会社清算の痛みも、
「痛、痒い!」と思えるのも、万一の備えの上に、両親の修羅場を見ていたため。
70年の人生を振返ると、両親の懐で、面白、可笑しく、生きてきたと実感する。 
父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」では、決してない。死んだ後にも、
背骨として子供たちの中に生き続けている。ところで私は 子供に対し、両親の
ように膨大な愛情を与えてきたのだろうか? それにしても、甘さ丸出しで、
ネホリハホリ書いたもの。

・・・・・・
5306,閑話小題 〜今日は母親の命日
2015年09月24日(木)
  * 今日は母親の命日
 今日は母親の命日、19回忌になる。早いものである。
ほぼ毎年、父の命日には思い出などを取り上げるが、振返って調べると、
母の命日には、時どきしかなかった。しかし、その前後に夢に必ずといって
いいほど出てくる。昨日の朝方も、夢に出てきた。寝室の二つの
ベッドが、廊下をおいた差向かえにある仏間に移動してあって、寝室には
一つだけ母のベッドが置いてある。その枕元には文庫本が一冊あり、何かの
読書指導書。さすがと思ったところで目が覚めた。
また今朝方も極楽にいるような夢をみた。
《自宅の1Fの勝手口の前に、花園に色々の種類の花が咲乱れている。
そこに様々な小鳥や鳩の大きさの鳥が次々やってくる。そこで、デジカメで、
写真を撮るが、いつの間にか、その花園の赤い花が、周囲に広がっている。
鳥と花の兼合いが、何とも美しくて写真を撮ることを忘れて見入っている。》
 これを書いていて、この夢が実は母親の贈りものでは?と、思いついた。
この随想日記から、母について書いていた文章を内部検索で調べると、
以下の内容が出てきた。書くこと、書き残こして外部化しておくことは、
心の、想いの刻印になる。 燃焼しきった人生は、奥行きが深い。
 極楽の景色を、母に鮮明に見せて貰ったことになる。毎日、世界の絶景を
ブログに乗せているが、極楽的光景を連日、目にしている背景があるようだ。
 さて、ポタリングをして、母の墓参りだ。
―――――
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
  * 母の命日
 昨日は母親の16回目の命日。亡くなって、16年経つ。
やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。
先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で
当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に
生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の
人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから
生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出る。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂
と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。
両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。
独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
  * スマート家電
 ( ・・略 )
・・・・・・
2007/04/24
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?
              (。・8・。)ノ おはよう!
   *一昨日の朝方の夢
10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢。
晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。
不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、
「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、
また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」
と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。
さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」の
ようだ。そこで目が覚めた。普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議が感覚。
‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、‘宇宙的自己と
しての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’ようであった。
現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。

「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。
誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?
あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。
夢も考えてみたら不思議である。
犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。
 以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。
そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白い
ものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。
夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。
それも身近な母や父などの夢は、特に!

ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。
家系としての筋道?   胡散臭いが!        
               ホンジャ  (~▽~*)/
・・・・・・
2006/09/24
2000, 継父
        (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをする
ことがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた
悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後に、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いた。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての
国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、
断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くの
セレブの前で話すには自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。

母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 WOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。     ーつづく
 さて墓参りだ!
ーー
書いた後に気がついたことだが、
ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! 
・・・・・・
2004/09/25
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
 十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の
「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。
そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた
母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんで
いたようであった。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。
「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」
と依頼されたという。

いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。
「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまった。
こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会
がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人は
ふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。
森信三氏も似たようなことがあったというが。それから数年後の1992年に、
森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。

話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は
幸せな人生をおくり、下4人は??
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。
「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の
小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。
・・・・・
2004/09/24
1270, 母が亡くなって、まる八年!ー命日に,母の魂に捧げる

今日の9月24日が母の命日。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰に
とっても共通である。父の真の厳しさと、母の優しさの深さを知るのは、
自分がその年齢になって初めて解るものだ。

世界広しといえども、母は一人である。そして、ただ無条件で愛して
くれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。

愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。

人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で
ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。

 ー命日ということで、母のことを少し話してみる。
母は特異な家庭環境の下で育った。兄一人、姉一人の三番目に生まれた
二年後に、実父が亡くなってしまった。そこで祖母は、(後妻でなく)
後夫をもらった。(要するに男後家)

その後、後夫の子供が4人生まれた。
後夫は当然のことながら、前夫の子供を徹底的に苛めた。
特に一番幼い母が、その対象になった。
祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。

そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。
ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。

それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。
その結果、重度のノイローゼになった。私が7〜10歳の時である。
立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった直後の解剖で判明) そういえば、私も子供を抱きしめる
ということは一切しなかった。その苦悩・苦痛の中から、神様のような
優しさを持つようになった。そして強さも。

その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで
多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。
どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。
      さあ墓参りだ!      23日6時半ー記

・・・・・・
2002/10/15
ー堀井シマ短歌集ー  

6年前に亡くなった母の「短歌集」から時々コピーを載せます。

ー堀井シマ短歌集ー  (1)

・窓の下逆巻く波のはげしくてわが生涯の縮図の如し    −1

・蛙鳴き夏を呼び込む水張田にビルの影寫り小波のたつ   −2

・どくだみの影ゆれ動くせせらぎの石を渡りて広き野に出づ −3

・川岸に釣竿たれ居る子供等のビク覗けば鮒一尾なり    −4

・仏壇に献げし碗の茶の中に梅花うつぎは香り放ちぬ    −5

――
ー堀井シマ短歌集ー  (2)

・大椿大島よりの土産花部屋蔽ふごとく大きく開く    −6

・袋田の三段の滝夢のなかに亡き友がきて元氣に笑ふ   −7

・夕闇の中白き木蓮万と咲く東山魁夷に描き貰ひなば   −8

・雲上に仏の在す仏国殿慈悲たたへ拝む諸人救はんと   −9


・雲深き山の里にも桜咲き舞ひ散りながら下草を染む   −10

――
ー堀井シマ短歌集ー  (3)

・湯の宿に見る八海銀山駒ヶ嶽山頂の残雪�咾鮓�る如し  −11

・朝顔の蔓うら枯れて落ちし実の秋田のなかに黒く光れり −12

・いつの間にか喜寿とはなりぬ友ら多く賀詞を賜ひぬありがたきかな
                           −13
・枯葉舞ひ地上に落つる間もなくに又もや風に吹かれ飛び散る−14

・五歳の孫友の泳げる�咾魏茲�て特別賞を貰ひかへりぬ  −15

^――
堀井しま短歌集ー4

剣道にはげむ男の孫それなりに力をつけて貫禄をもつ  −16

雪とくる音に目覚むる春の明け臥所をなほも離れがたかりー17

羽衣の謡の聞こゆ亡き友の家なき空地に茫々として   −18

南山の向うは日出づる日本なり連なる山に紅き陽の照る −19

ソウルにて博物館に展示さる砧青磁に天竜七官     −20

――
堀井しま短歌集ー   (5)

白と青の雲の織りなす象徴画空のカンバスに無限に拡がる−21

残雪は牙むく如く嶺に冴えてなだりは青き夏の立山   −22

立山の頂きに佇つ若き等は頭を垂れをりおもひ思ひに  −23

雨後の庭靜まりかへる片隅に目をくりくりと足元の蛙  −24

手水鉢かけひの上の青蛙水したたるを覗きみすらし   −25

・・・・・・
2002/10/12

母から聞いた話である。
母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いが
うまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の祖母の励ましの話が良い。

「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」
私の一番苦しい時に聞いた言葉であった為か、強い印象が残っている。
小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得する。

祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。
人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」
という気持ちの意味が背後にある。

人生から逃げ回っている人が本当に多い。
逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。
このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。

「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。
苦しむから歓喜があるのだ。
マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。

最後の一言は必要ない?!
硬い話を最後で落とす為です?

遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。
仕方がないので隣にならんであった、母の見合用と聞いていた写真を
スキャンする。


6037,閑話小題 〜今度は携帯とタブレットが…

2017年09月23日(土)


   * 6年前のタブレットが
 6年使用してきたタブレットPCが不調。またガラケイの携帯電話も、リタイア
もあって使用頻度が激減。しかしiPadはパソコンがあるので別に必要が無いが、
これまで非常に重宝してきた。スマートフォンもデジカメ機能など新しいアプリ
も気になる。そこで一昨日、ドコモショップに、昨日は PCデポ で事情を話し、
説明を受けてきた。ドコモで、iPadの新機種と、ガラケイ二台のiPhoneの買替え
の見積もりをしたところ、2台分で、月額8千〜1万円もコストがアップとの結果。
以前なら迷わず切替えたが、年金暮しもあり躊躇した。ならば現状のままか、
中古か、他メーカーで探すしかないと PCデポで、他の可能性を聞いてみた… 
 当然だが、コストそのままに正比例して値段が設定されている。WiFiの環境
があるので、中古iPadか、格安の他メーカー? 今さらだが、「年金暮しは、
こういうことか」と。 他に朝鮮情勢もある。購買意欲が明らかに減少する。
身軽で、気楽な身分としても、これは危ない!
 ―
   * 第二次朝鮮戦争の可能性は?
 ここまでいうか、やるかの御二人のやりとり、品位も何もありはしない。
こんどの締付けは、北にとって厳しいはず。ファジーなテロを仕掛けてくる
可能性がある。 私がアメリカのトップブレーンと仮説した脳で考えると、
<数百万?の死傷者も致し方ない! クリントン政権時の危機の時に数十万の
 犠牲者で、処理をしておくべきだった。その先延ばしの結果が、これなら。
 当然、ロシアのプーチンの思惑通りとしてもだ。>
安倍首相には、その時期が知らされてはないが、10月中は無いが、自民党不利
なら、選挙戦最中にやるだろう。アメリカには安定した安倍政権が必要条件。
韓国では、57%の国民が「開戦無し」と見ているようだが、「狼少年化?」。
やはり、注意しておかなければならない異常事態。「韓国のソウルが危ないが、
日本も同じくらい危ない。」が、現実。 
 … 「東京オリンピック開催確率」の数値を問うことは、絶対にタブー?

・・・・・・
5670,【賢者の言葉】�ぁ  船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーD
2016年09月23日(金)
   * 自分の才能を発揮する6つのレッスン          
  ショーン・スティーブンソンは、
『自分の限界を超えてさらに前進するにはどうすればよいか、自分に与えられた
才能を存分に発揮して人々と分ち合うには何をすればよいか』の6つの方法を説く。
≪ 1:心を通わせる
 人とだけでなく自分自身とも心を通わせる。恥ずかしいという気持ちは、
 自分自身のことを考え始めた瞬間にわいてくる。周りの人に手を差し伸べよう
 として無私無欲で考えたり行動したりし始めると、恥ずかしさは消えていく。
☆ ブログを書き続けていると、以前の自分に同調したり、逆に間違った考え
 だったことに気づき反省させられることが多い。それ自体が自分に心を通わ
 せる行為になる。心を通わせるには言葉と握手などボディタッチが有効。
 ――
  2:自分に対する言葉に注意する
 優しい言葉は人を素敵な気分にすることができる。人を傷つける言葉は害を
 及ぼす。想像してみるといい。毎日ずっと毒のある言葉ばかりを浴びていたら、
 いつか病気になってしまうだろう。
☆ ブログは、何を書いても、自慢話に陥るのは否めない。
 だから自嘲気味に書いて丁度よい。人の考える7割がマイナスのこと。
 だが、せめて自分にはプラスの言葉を投げかけないと。
 ――
  3:身体で自信を表現する
 心と身体は別々の存在だと思われているかも知れない。でも本当は、心と身体
 は一体である。身体を変えることによって心の状態も変えることができる。
☆ 早朝の、信濃川一周の自転車乗りは、土手川原の緑と川面の空気を吸込む
 ことで、心身とも洗われる。途中、大橋を牽きチャリをしながら、地球の芯と
 会話をする。これが気力を充実させる。 球芯が、自分に仮身したような。
――
  4:意識のフォーカスを定める
 自分の望まないもの、自分にはないもの、世の中は不公平だと思うこと、そう
 いった部分ばかりに意識を向けている人は、その後もずっと悩み苦しんでいる。
☆ 内語に気をつけなければ。自分を自分で大切にすれば、悩みは半減するはず。
 そのために、読書習慣をつくらないと。毎日毎日、マイナス要因を濾さないと!
――
  5:ピットクルー(仲間)は慎重に選ぶ
 現状を変えるために何も行動しようとしない人は、その後も何も変わらない。
☆ 仲間の最たる人は、連れ合い。だから神様は一番、相性の悪いのを選ばせる。
 距離を置くため。相性の良いより、悪いほうが、人生、豊かになることが多い?
――
  6:自分の人生は自分で所有する
 自分の問題を人のせいにしたり何かのせいにしたりして責任転嫁し、言い訳を
 続けている人はどんどん弱くなっていく。
☆ 「自分の人生とは何ぞや?」という疑問が残るが、「自我を押通した人生」
 ということ?「志を持って、突進んだ人生」「自問自答を、独り続けた人生」
 「自分の人生で良かったことは、なにひとつ無かった」の愚痴こそ、自分の
 人生を自分で所有できなかった有様である。
▼ 上記の6つのレッスン、毎日、心をこめた日記を書き続ければ、ほぼカバー
 出来ること。 「日記御宅も、如何なものか」は、私の自問自答になる! 

・・・・・・
5305,全球凍結(スノーボールアース) 〜��
2015年09月23日(水)
 『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
  * 穏やかでなかった地球環境
 わずか20年前まで、地球は比較的穏やかな、生物が進化するに都合のよい
環境と考えられていた。三度も、地表が凍りついた氷の惑星だった時期がある
など想像すらされてなかった。ところが赤道域で、氷河の痕跡が発見された
ことで、全球凍結説が出てきた。これで生命が全滅する可能性があったが、
これを乗越えるべく、真核細胞が生まれ出てきた。危機が、革命的進化を
生み出したのである。  ーその辺りからー (『新潮45』、280‐281頁)
≪ ・たけし:そもそも、なぜ全球凍結したかは分かっていないんですか。
・田近:考え方としては温室効果が急になくなったからと推察できます。
 原因としては、火山活動が弱くなったからではないかと私は考えています。
火山から排出される二酸化炭素が少なくなると、(二酸化炭素は温室効果ガス
であるので)温室効果が弱まります。その結果、気温が下がって、
地表を覆う氷河の面積が増えていくことになります。
・たけし:寒くなって氷河が増えると、地球上の白い部分が増えて、ますます
 太陽光線を反射していってしまう。
・田近 そうです。それを惑星アルベド(太陽放射を反射する割合)といいます。
 氷で覆われる面積が広がると、惑星アルベドが増加して寒くなり、さらに氷の
面積が増えて…と、正のフィードバックが起き、全球凍結に至ったと考えられる。
氷河堆積物を調べていくと、約二十二億年前と、約七億年前、約六億五千万年
前の三回、全球凍結が起きていた証拠が発見されています。
・たけし では、少なくとも三回、地球は氷の星だった可能性があるわけですね。
・田近:そうです。ただ、この説には、地球が全て凍りついてしまうと、全ての
 生物が消滅してしまわないかという疑問が生じました。そうしたら、私たちも
存在しないことになってしまうので、そんなことはありえないというわけです。
研究者のイメージの中では、地球は金星や火星といった他の惑星とは違って、
今のような穏やかな環境がずっと維持されてきたと思われてきました。
ですから、海の水が全て蒸発してしまうとか、全て凍ってしまうとか、
そんな極端なことは地球では起こらなかったと信じられていました。
スノーボールアース仮説は、これまでの考えを覆す説だったので、
学界からの反発も大きかったんです。
・たけし:地動説を唱えたガリレオみたいなものですね。
・田近 私が学生の頃、そんな説はもちろんありませんでした。
 地球は穏やかな環境が続いてきたのだと考えられていました。
それが何故なのかが、実は私の研究テーマだったんです。
・たけし: まったく今とは逆の研究だったんですね。
・田近: 気候が変動することは、誰もが知っています。しかし、それは
 小さな変動だから、私たちは生きていけるわけです。しかし、大きな変動が
起こったら、生きていけないですよね。では、どうして地球上で大きな変動が
起こらないのか。「それを説明しなさい」と言われたら、誰も説明できない。
ですから、それを解き明かそうとしていました。
・たけし:その穏やかな環境で、生命は進化してきたと考えられてたわけ。
・田近:そうです。だからこそ、スノーボールアース仮説は、それまでの
 考えを覆すような説でした。科学では、こうした考え方が大きく転換する
ことが時々あります。八〇年代に、恐竜が絶滅したのは、地球と小惑星の
衝突が原因だと提唱されましたが、あれも当初、相当な反発がありました。
今でこそ定説ですが、当時はそんな天変地異で恐竜の絶滅を説明するのは、
とんでもないという意見が根強くありました。・・・≫
▼ ネット上で、氷河時代の迷い石の写真の幾つかをみつけヤフーのブログに
 掲載したが、その多くは二万年前の氷河期のもの。どれが20億年、7億年
前のものか、私には分からないが、自然の力のなせるわざ。現在の海の深さが
平均四千m弱と富士山と同じ位だが、当時と現在は違うとしても、その大部分
が凍り付いたという。しかしアイスランドのように、北極でも、火山で地熱が
あって温泉が沸いている場所もある。また、海底でも地熱で細菌が生きていた
可能性があったから現在の我々が存在している。面白い惑星に生まれたもの。
この地球の旅で、多くの知識を得て、面白い経験をさせて貰った。
 現世のことも大切だが、宇宙からの逆照射の視線も必要である。 
・・・・・・
4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会
2014年09月23日(火)
   * 56年前の坂之上小学校の同期会
 一昨日は昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。会場は長岡の奥座敷
といわる蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。
出席者が西澤先生をふくめ25名。 前回より数人少なかったが・・ 
18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が開かれ、
22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。
その4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会
であった。南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ
帰ってきた人たちがいた。小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 
10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして良かった。私のクラスの
担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。
幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。
奥さんを10年前に亡くされ、独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人で
こなしている。近くに近くの川崎小学校の校長をしている長男が、住んでいる
ため、一人暮らしの心配は無いという。ガタがきている私たちとは、出来が
違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、今では同期会
にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。
・・・・・・
4573, 2050年の世界 ー7
2013年09月23日(月)       
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部(著)
 10年前にスマートフォン、タブレットPCが、ここまで普及すると誰が
想像できただろうか。まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の
姿の予測など不可能である。せめて10年先の情報技術の成果の一端を見て
みたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを
目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。
それより、それぞれ持っている脳機能にPCが連動するような機能も出てくる。
  * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより
 インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理
 されるデーター量は指数関数的な割で 増えているので、経済、
 社会ともに今後の変化を加速する。
・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、
 発見、知識の共有を拡大するものに重点が置かれていく。
・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。
・記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多
 がわたしたちの時代のごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の
 成長率の四倍、コンピェーターの演算能力は九倍の速さで増大している。
・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセント
 の伸びで成長していたが、二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりが
 できるスカイプの登場で減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社
 が各国の通信市場を独占していたが、技術革新によってその地位はより
 相対化 されていく。
・マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワーク
 コンピューター化するユビキタスネットワークを推進する。
・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが
 集められるようになり、社会、経済ともに変容する。たとえば、すべての
 自動車がどの道路をどのように何時間かけて通ってきたかを捕捉できる
 ソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。
・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。
・アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、
 それにかかる時間はどんどん短くなっている。電話は一八七六年に導入
 されて大衆化するまでに三五年かかった。一九九一年のウェブの誕生から
 アメリカの人口の四分の一に普及するまでは、わずか七年を要しただけ。
・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも
 及ばない。二〇一〇年の時点の世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な
 命令数で演算能力を計測すると、人間の脳がおよそ五分間に発生させる
 神経インパルスの最大数ほどにしかならない。
▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。
 その魅力に惹かれて、毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。
これも情報技術の進化の現象の一つ。TVも、スマホと連動する情報端末
(スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの二極化は、
ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。
・・・・・・
4198, 閑話小題 ーとある話
2012年09月23日(日)
   * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話
 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえた話。
 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 
ある女性Aから・・・
A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も
   預金があるというけど、どうなの?」
B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」
A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」
C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、
   あれば、そっちに向けてるわよ!」
A:「Dさんはどう?」  少し考え込んでいた彼女
D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラー。
 その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で
聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で
一世帯の預金高について書いたが、平均預金1150万を 鮮明に記憶している。
    ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・
≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値
 (答えた世帯の中間の値)は前年500万より80万円少ない420万円。
・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。
  ー40世帯に一世帯になる。
・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で
 月額30万円の年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べ
「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。
 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら
 0の人を加えたら、過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表
 した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫
▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を
 育てあげ家のローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 
平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が中の上以上
クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、地方では上クラス。
推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。
日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどり
の馬鹿そのもの。ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 
(本人から聞いてみた)それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、
使い方が実に巧い。だから金の方から近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方
イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い? 何は使える時に使うもの!
森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。サバンナには味がある。 


6036,閑話小題 〜もう衆院選挙! その結果は?

2017年09月22日(金)

   * 自民党が本当に勝てるの?
 前回と同様、任期満了まで1年以上残し衆院を解散するという。
まだ汚職疑惑が生々しく残る中、果たして思惑通りに勝利するのだろうか。
第二次朝鮮戦争勃発の可能性が膨らむ中、そのための体制造りもあるのだろうが。
第二政党の民進党が解体の危機の中でチャンスとみたのだろうが、自民党議員も、
スキャンダルが次々と発覚、そう甘くないはず。大よその開戦時期が知らされて
いるなら納得。決断するなら年内。ミサイルを撃ちこむなら、世界最大規模の
柏崎・刈羽原発。とすると他人事ではない。
ところで、暴言で自民党から追放された女子議員。その後の発言からみて、
挫折経験がないのだろう。何が起こってしまったか理解できないようだ。
会社清算の我が立場からして、このブログの公開も止めておくべきだが… 
この自虐的性格は今さら! 実際のところ、自分のシリアスの視線が我ながら
何とも面白い、そのままを、物語っているのだから。
で、解散の成否より、結果が問題だが、戦後最大の危機の有事の戦争の可能性を
煽った自民党が、何とか勝利をするシナリオに落ち着くのか。〜ネットによると
【 安倍晋三首相が今月下旬召集の臨時国会冒頭を含めた早期の衆院解散に踏み
 切るとの見方が政界で広がっている。投開票日は10月22日か29日になる公算だ。
北朝鮮が核実験やミサイル発射など挑発行為を続ける中、内閣支持率が回復した
ことや、民進党から離党者が相次ぐなど野党が混乱していることが背景にある。
読売新聞が9月8日から10日にかけて行った世論調査では、安倍内閣の支持率は
50%と前回8月調査の42%から8ポイント上昇した。民進党は臨時党大会で前原
誠司代表が就任したが、その後も笠浩史衆院議員らが離党届を提出。東京都の
小池百合子知事に近い若狭勝衆院議員らが結成予定の新党もメンバーがまだ確定
していない。 ー政治評論家の有馬晴海氏は、
<安倍首相が28日に予定されている国会召集日に解散に踏み切ると予想し、
衆院選で「与党で3分2の勢力を失っても、過半数を取ってしのげれば、安倍
首相が来年の総裁選で再選する道も開ける」と分析。 また北朝鮮情勢は
「秋以降の方がより激化する可能性もある」とし、内閣支持率が回復傾向にある
ことも考えると「解散するのは今しかない」との見方を示した。】
―
▼ 北朝鮮にとって、日本に何かを仕掛けるチャンスにもなるため、非常に危険
 な状態でもある。問題は、小池知事が、知事の座を投げ打って新党をつくるか
どうか? 資金や人材からして、どうだろう? もう一人のキーマンの小沢一郎
が、どう動くかも注目される。いずれの党にとっても、修羅場になる選挙。
資金、票集めなど、政治家は尋常な神経ではなれない職業。
選挙で勝つための「地盤」「看板」「鞄」の3バンが潤沢でなければ、一朝一夕
では成りえない職業。間違ってなるのもいるが、直ぐにボロが出るからシリアス。

・・・・・・
5669,閑話小題 〜マイナスが大きいほどプラスも大きくなる!
2016年09月22日(木)
           <「20歳からの人生の考え方」外山滋比古著>
   * マイナスが大きいほどプラスも大きくなる!
 何気なく、目を通していたら、このテーマがあった。以前のテーマに
した、<幸福の状態は、マイナス1対プラス3の状態>があった。
「マイナス1をカバーするには、三倍のプラスを集めるエネルギーを要する」
ということ。それ自体が、プラスの幸福をもたらす。だから好きになるまで、
徹するしかない。 この言葉を、ネット検索すると、以下の内容があった。
《 アランの言葉に、『すべてのマイナスと見える出来事は、
「縦線、つまり気づきへと至る 垂直の動きを待っている」』がある。
換言すると、マイナスが大きいほど、気づきもプラス も大きくなる。
『どんな、ささいなことでも、悩みがあるのは誰だって苦しいもの。
 悩みや挫折がない人生が、いい人生と考えるのは大きな間違いです。
悩みがあることはかえって、それをバネにして成長するチャンスで、
まずは、自分の頭で、徹底的に、次の行動を、考えることが大切です!
それができれば、他人のアドバイスに素直に耳を傾けられるし、マイナス
が大きければ大きいほど、次にやってくるプラスも大きくなるのです。』、
「人生はプラスとマイナスの交錯であり、 マイナス先行の方ががよい」
との人生観を説いている。 》
▼ この道理は、〈人生は、プラスとマイナスの交差であるが、
 人はプラスばかり望みたがる。マイナスがあって初めてプラスがある。
しかも、マイナスが先行してないと、不運である。私たちは、それを認めたく
ない心情があって、それで不幸になる。楽あれば苦あり、ではなく、苦あれば
楽あり。人間は苦から逃げられないのだから、むしろ、ありがたい先生、
と考えたほうが懸命である。〉に要約できる。 〜いま一つは、
〈無敵大敵 〜人生には敵がつきもの。無敵を謳歌しているものは、
 苦難の敵とわたり合う力を身につけないまま、転落する。敵は案外、
味方である。〉 がある。
ここで、「三代目がなぜ失敗するか」を、無敵大敵で説明している。
敵こそが、力をつけてくれるが、三代目は、それがないため失敗をする。
一見、マイナスの敵こそが、自分に力をつけてくれる。欠点こそが長所を
カバーする。逆に、信じていた味方に足を救われる。これが世のならい。

・・・・・・
5304,スノーボールアースについて 〜��
2015年09月22日(火)
      『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
  * 赤道域から氷河の名残りが見つかった
 二ヶ月前に、NHKスペシャルの再放送「全球凍結〜地球大進化46億年ー� 廖�
の感想記を書いた。その詳細が、〜新潮45・2015年5月号〜で、ビートたけし
と東大大学院の田近英一の対談『スノーボールアースについて』があった。
再放送の内容は後でコピーするが、これは、その続編のような内容。再放送では、
二度の全球凍結とあったが、実際は三度。この新説が出てから、まだ20年しか
経過してない。 人が地上に生まれてきたことを、地球への旅と譬えると、
地球誕生と、生命、人間の誕生、そして、この地球の全球凍結は、旅人として、
非常に興味を惹きつけられる。 先が見えてきた人生、振り返ると、面白い惑星
での旅路の真只中にいたことになる。 〜その辺りから (『新潮45』279頁) 
≪:たけし:宇宙から見た地球は「青い星」というイメージがあるけれど、
 ここ二十年ぐらいの研究でかつては「白い星」だったことが分かってきた。
地球全体が氷河で覆われた凍った星で、そんな地球を真っ白な雪玉にたとえて
「スノーボールアース」と言われているんですね。
:たけし: 先生はその分野についての権威ですが、氷河の名残りって意外に
 身近なところにあるんですね。ニューヨークのセントラルパークに「迷子石」
というのがある。大きな岩の塊が一つだけポツンとあるので、迷子石と呼ばれて
いるのだけど、あれは氷河によって削り取られた岩石が運搬された(氷河堆積物)
だという。つまり、セントラルパークは大昔、氷河で覆われていた。
しかし、怪談みたいに、昔は石が勝手に移動してきたと言われていたとか(笑)。
:田近: 昔は多分、なんでそんなところに「迷子になった石」があるのか
 分からなかった。地球の歴史を調べてみると氷河期というものがあって、
迷子石が氷河によって運ばれてきたことが明らかになりました。ニューヨークの
迷子石はわりと最近(約2万年前)のものです。ところが、古い時代の氷河堆積物が
当時の赤道域からも見つかるようになりました。これが大きな謎だったのです。
:たけし: 赤道域で氷河堆積物の証拠が見つかった時、カリフォルニア工科
 大学のジョセフ・カーシュビンク博士が「そんなことあるはずがない」と、
誤りを証明しようとしたら、逆にその報告を立証する結果が出てしまったという。
:田近: その結果を説明するためには、赤道も氷河に覆われていて地球が全部
 凍りついたと考えればいい。これがスノーボールアース(全球凍結)仮説で、
1992年に提唱されました。
:たけし: 間違ったところを検証しようとして、かえって新しい発見に
 つながっていくのは面白いですね。
:田近: それをどうしてなのかと考え続けたことが偉いのです。そこが境目。
赤道域に氷河堆積物があった事実から、全球凍結の仮説に持っていくのは、
実はかなりの勇気がいる話で、誰にでもできるわけではないと思います。 ≫
▼ NHKの再放送を見るまでは、全球凍結の言葉さえ知らなかった。
 人類は、地球自身も、宇宙も、人間そのものもほとんど分かっていなかった。
ビッグバン理論が、2003年に宇宙観測の結果、確定してから我々の宇宙が、
10の500乗の多宇宙の一つでしかない多宇宙説が出てきた。そして、そこから、
暗黒物質、暗黒エネルギーが、この宇宙にループ上の管を通って供給されて
いる説が、有力になっている。地球では、このスノーボールアース説である。
・・・・・・
5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー��
2015年07月30日(木)
ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー
 の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜
《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や
 全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で
始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化
してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》
   * 二度の全球凍結
生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。
(二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、
「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから
生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。
何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、
生命は生延びてきた。  〜その辺りから〜
≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の
ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を
集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた
状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。
不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。
 古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、
新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。
そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは
ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成
による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。
 しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱
になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は
コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、
生命は大型化を可能にした。≫
▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の
大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。
動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。
生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を
選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い!
・・・・・・
4939,「あなたの家の宝物は何ですか」
2014年09月22日(月)
* 我家の宝物は私です!      〜『お金の正体』日下公人著より
「あなたの家の宝物は何ですか?」に、「わたしです!」の答えが良い。 
何度も書いてきたが、多くの兄姉の末っ子として生まれ、両親、とりわけ
父親に孫のように扱われて、幼児の頃から、法事や外出時には、私を連れ歩く
ことが多かった。また、母親も、忙しい商売の最中でも、時々だが寝しなに、
「世界で一番大好き」と抱きしめてくれていた。
その温もりが、人生の修羅場で、自分を大きな支えになっていた。
親に愛された温もりこそ、お宝になる。 ーその辺りからー
≪ 昔、伊藤忠商事の人事部長から、こんな話を聞いたことがあった。
 若い女性を採用するとき面接をするが、あらかじめ渡した質問状に
「あなたの家の宝物は何ですか」というのを入れた。そうするとたいていは
「なんでも鑑定団」に出てくるようなものを答えるが、「子供」と書いた女性が
いたという。「子供って何ですか? あなたの子供のはずはないでしょう」と
聞と、彼女は「そりゃあそうです、わたしのことです。わたしがわが家の宝です」
と答えた。父親が工場で働いているので、夜遅くまで残業して、疲れて帰って
くるが、ときどきは酒を飲んで、酔っ払ってから寝る。 そのときはわたしの
頭をなでて、『わが家の宝は子供だよなあ』と言う。父さんがそう言ってた
から、わたしは家が宝だと思っています、と答えた。 人事部長は感激して
採用したが、「はたせるかな、いい女性でした」と語っていた。つまり、かつて
の日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、子供が
育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい何を
するためのものですか、ということになってしまった。だがふたたび、お金の
背後にある人間の気持ちとか社会とかを考える時代がやってきたと思う。≫
▼ やはり基本は夫婦仲の温もり。温かい人の根っこが、そこから生まれてくる。
 その割には、温みが少ないのは何だろう?終戦直後に生まれて、ドサクサの
生活環境もあったのか? 20〜30人に一人の割合で、その温もりが、そのまま
出ている人がいる。それが品位と重なった時、内なる優しさが熟成される。 
「あなたの(家の)お宝は何?」の質問そのものが、お宝。そして、「わたし」
こそが、お宝である。 その「わたし」とは、外界との触媒の中で、
「こころざし」「行蔵」「温もり」「知識」「品性」などから成り立っている。
ということは、子供に、一流の芸術作品、一流の人物、大自然の景観などに
シャワーのように浴びさせるのが、親としての勤めになる。それ以前に、
まず自分に対しての勤め。それこそがお宝である。 
とすると、やはり家系と、温もりが大事?  
・・・・・・
4572, ほめことば練習帳
2013年09月22日(日)
  * ほめることは、それだけで立派な行為!   
                「ほめことば練習帳」山下景子著
 これは良い本である。テクニック書でなく、幸福への玉手箱と言っていい。
 ーまずは、「はじめに」の冒頭部分からー
《「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源だといいます。
 「秀」は「穂」と同じで、高く秀でているものや、目立つもの、優れたもの
のこと。古くは、祝ったり、祝福したりするという意味で使われていた。
「ほめる」というと、どうしても、よい評価を与えることと思いがちですが、
そうではなかったのですね。素晴らしいことを共に喜び合うという方が、
本来の「ほめる」に近い。古代、日本人は、言霊を信じていました。
言葉には、魂がある。そして言葉に出すことで、事柄として表現する。
そういう思想もあって、素晴らしいと思ったことは、どんどん口に出して
伝えようとしたのでしょう。良いのものは、相手に良いと伝える。
優れたものに感動した時は、それを周囲に伝える。・・
 一方、ほめられるということは、嬉しいこと。これは、ご褒美にもなる。
特に上位者や権力者からのお言葉は、ありがたいご褒美となります。
そこから次第に、高い評価を与えるという意味に使われるようになる。
 ここでは、祝福し、共感し合う、そんな「ほめ言葉」を原点に、さまざまな
言葉が収集されている。題名は、ほめことば練習帳だが、練習して上手になり
ましょう、といったテクニック的内容でない。ほめ言葉という贈り物を、
6つの引き出しに分類して収集している。 それを6つステップとして
第1歩 感動を伝えるほめ言葉   第2歩 能力に敬意を表するほめ言葉
第3歩 潤滑油となるほめ言葉   第4歩 魅力を引き出すほめ言葉
第5歩 人生を応援するほめ言葉  第6歩 幸せになるほめ言葉 がある。》
▼「感動を伝え、能力に敬意し、潤滑油にすれば、相手の魅力を引き出せて、
 人生を応援し、幸せにする」のがほめ言葉。訓練のステップを踏めば、
ほめ言葉は、素晴らしい「贈り物」「褒美」になる。褒美とは、美しさを
褒めること。そのために褒め言葉の語彙を多く知って置かなければならない。
人生を振り返って、もっと、褒める訓練をしておけば良かったと深く後悔。
贈り物というより、チップとして気楽に与えれば良いことは分かっているが、
実践となると難しい。それにしては、営業関係者のそれは、まずは枕言葉
として自然と出てくる。女性の職場いた頃に気づいたことは、美人ほど、
「美人だね」、「可愛いいね」と言われないこと。だから、三回、間接的
表現で言うことにしていた。元気がないとき、「どうした?」に、
「色いろあって落ち込んでいるの」に対して、「美人は大変だ!周りと同じ
ことをしても、それだけで何か言われるからね」とか。「美人は性格が良い
のが多いから、それだけで好き」とか。「服装のセンスがいいね。姉から、
女性の見分け方は、化粧と服装のセンスを見なさいと教わったけど」とか。
殺し文句を言ってきた割に持てなかったが。 美人でも、優秀な人でも、
直接に「認証」してもらいたいのが人間。だが、なかなか言って貰えない。
そのため、優秀な人、美人ほど、大金を払う。ブランド物を身につけるのも、
そのひとつ。母の口癖「相手を認めてあげなさい!誰もが、認めて欲しい
のだから」があった。その割に実行しなかった。
「ほめること、感謝すること、それは既に行為である」が基本。


6035,閑話小題 〜米国・トイザらスが倒産

2017年09月21日(木)

   * ネット社会到来の象徴
 <米国・トイザらスが倒産>のニュースには驚いた。
 日本の法人は、今のところ大丈夫だが。 〜ネット新聞によると〜
【 かつて玩具業界の巨人と言われたトイザらスが9月18日、米連邦破産法の
 適用を申請して破綻した。負債総額は約52億ドル(約5800億円)と報道。
アマゾンでの玩具の売上が、2016年に四半期あたり40億ドルまでに膨らんだ
一方で、トイザらスは2013年以降、利益を生み出せていなかった。ただし、
トイザらスにも失地回復のチャンスはあった。
世間がドットコムバブルに沸いた2000年、アマゾンとトイザらスは10年契約を
結んだ。これはアマゾン上でトイザらスが唯一の玩具の販売業者となる契約で、
トイザらスの公式サイトをクリックするとアマゾン内のトイザらス専用ページ
に飛ぶ仕掛けになっていた。この取り組みは当初、アマゾンとトイザらスの両社
にメリットをもたらすと見られていた。しかし、アマゾンはその後、トイザらス
が十分な商品を確保できていないことを理由に、他の玩具業者らをサイトに招き
入れ始めた。トイザらスは2004年にアマゾンを提訴し、10年契約を終了させた。
そして2006年に自社サイトを立ち上げた。しかし、その後のトイザらスの動きは
遅すぎた。 トイザらスの場合は今年5月になってようやく、Eコマース事業の
立て直しに向け、今後3年間で1億ドルを投じるとアナウンスした。しかし、
彼らの取り組みは遅すぎたとしか言えない。
最新の統計では米国人の90%が今も実店舗で買い物を楽しんでいる。しかし、
小売業者を破滅に追い込むには、残りの10%が実店舗での購入をやめるだけで
十分だ。米国では今年に入り、靴の販売のペイレスシューソースや、子供服の
ジンボリーらが相次いで破産した。トイザらスがもっと早く、大きな投資を
ウェブ向けに行っていればこの事態は防げたはず。
トイザらスもまた他の小売業者と同じ破滅への道を歩んでしまった。】
―
▼ ネット社会・到来を象徴するニュース。先日、スポーツシューズと、
 デニムのベレーを衝動買いする直前、「いや、ネットを見てから!」と
思いとどまり、検索すると、まず出てきたのが『Amazon』の販売コーナー。
見ている内に、「まあ後で」になったが、勿論、より気に入ったもので、
安価のものが次々と出てきた。iPhoeが手元にあれば、その場でも、検索可能。
となると、実店舗の販売は大変だ。まだ米国人の90%が今も実店舗で購入して
いるというが、この流れは止まらないだろうに。
 ネット販売が「2割」を超えると大問題というが、それも、近未来に間違い
なくやってくる。 Amazonが何で書籍関連からネット通販を始めたというと、
「本が一番、手軽だったため」。他にも様々な分野の小売の大型書店、靴、
子供服の大型チェーンが、ネット店舗の影響で倒産が続いている。面白い!
といえば面白いが、ベストの商品と、システムしか残れないことになる。

・・・・・・
5668,【賢者の言葉】��  〜ショーン・スティーブンソンの言葉 ーC
2016年09月21日(水)
   * 『傷ついている人は人を傷つけ、癒されている人は人を癒す!』
 5年前からの一連の中で、倒産をした者に対する『差別』は思いの他、大きい
ことを実感してきた。『被差別民』の扱いである。自分が逆の立場の時は、
「終わった経済敗者」として、排除された人と特別視をしていた。 
資本主義社会なら当然、経済難民と見られて当然。カラスが、生きもが弱点を
曝すだけで、攻撃を加えるのと同じ。で、その先頭に立つのが、「下位にあって、
無為に過ごしてきた人たち」。なぜか、直接攻撃をしてきた人たちが、2〜3年内
に、家族か本人が、事故か、大病などのアクシデントが起こる。これは、今回
だけでなく、これまでの節目でも経験してきた。「傷ついている人こそ、二人称
の人の不幸に、己の傷口が疼くため」である。「他人の傷口に、自分の血を
塗り込みたいその衝動が、自らの毒になり、家族に異変が生じる。
<他人を指さす時、親指は上に(天の理)、他の3本の指は己を指している>
 指摘する対象を天理と思いこんだ思いは、己の内なる認識を指摘しているに
過ぎない。一般的に、10倍の誇張で思い込む癖が脳にあるから始末が悪い。
 天理思いの、ほぼ全てが、これ。だから「世間」の妄想は信用してはなら
ない最大の敵になる。 それに、気づくのは、余命数ヶ月と宣告された時。
まだ、気づけば良いが。この世のことは、夢まぼろし、特に世間とかいう、
馬鹿の壁が、自分の世界を狭めていたことに、人生のハテに気づく! 
が、時は既に遅い。一つのことを成そうとすると、他の多くを捨てなくては
ならない。しかし、捨てても捨てても、上手くいかないのが娑婆。だから、
せめて他者の傷を蹴り上げるしかない。そこで一番、痛むのが己の傷口。
自分の傷口は、自分しか癒せない。自己治癒は可能だが、それは長年かけると
自ずと癒しが大きくなる。傷つく度に、傷口を清潔に治療しておかないと! 
膿んでしまう。その膿は、自分だけでなく、他人をも殺してしまう猛毒に化す。
その観察だけでも、この経験は充分の価値がある。「痛痒い!が、面白い!」
 その辺りにも、膿を振り撒いている輩がいる。「マイナス3に、プラス1」
の状態、いや、「マイナス6に、プラス1」 曽野綾子ではないが、
「泥棒以下の人たち」 それからすると、万人が常習万引き者になるが・・

・・・・・・
5303,閑話小題 〜白鵬のいない大相撲も悪くない
2015年09月21日(月)
   * 白鵬のいない大相撲も悪くない
 「終わってしまえば、やはり白鵬か!」が、この8年も続いていた。
先場所、白鵬が序盤に敗れたとき、解説の舞の海が『白鵬、弱りましたね!』
の名文句?に反発したのか、最後に何とか優勝をした。優勝インタビューで、
その言葉に反論したが、思い当る節があったから。そして、今場所の初日
からの二連敗と休場で、彼の指摘が正しかった証明になったのも皮肉。
これだけの大記録をつくりあげたのだから、そろそろ限界になって当然。
 で、三日目から白鵬が不在だが、先入観の[終わってしまえば、白鵬」が
無くなった分、面白みが出てきた。良く出来たもので、大横綱候補の照の富士
の地固めの場所に? そして半年〜一年遅れで、逸の城が照の富士に追いつく? 
あとは、遠藤がどうなるか? 毎日、20本の懸賞がつき、あれだけの大歓声が、
相手力士は目の色を変え挑んでくる。その中で、それ相応の相撲を取らないと
勝てないため、自然と力と勝負勘がついてくる。それ故に潰される可能性も
大だが、過っての千代の富士のような相撲力と花がある。少なくとも大関の
可能性はある。一連の不祥事から、危機感を持った力士の真剣度が観客を
呼寄せている。後は、日本人の大力士が望まれるが、どうだろう?
   * 終活の時節に入ったが・・
 実兄・実姉、私の合計9人きょうだいのうち、4人が既に亡くなった。
末っ子の私が、あと数ヶ月で70歳なら当然だろうが、生存している5人と、
その連れあいの平均年齢も80歳近い。 先日、10数年前に亡く
なった一番上の姉の連れあいの葬式に参席したが、何か寒々としてきた。
寝たきり、痴呆なども他人事でない。 身辺整理も4年前の会社整理で、
大部分が終わってはいるが。14年半にわたって、言い残したいことは、
ここで書いてきたし、死に関する知識も積んできたし、諦念も、ある程度は
出来ている? 良いにつけ、悪いにつけ、時代の激変を目の当たり出来た
ことと、世界の隅ずみの光景を見ることが出来たことも、幸運だったと、
いえることが有難い。としても、まだまだ見たりない、味わいたりないこと
ばかり。「前向きに、貪欲に未知を求める」が、現在の活きる道しるべか。
・・・・・・
4938,閑話小題 ー節目年齢の呼称と、厄年
2014年09月21日(日)
   * 長寿年齢の呼称と、厄年   〜還暦は満年齢、その他は数え年〜
 先年、還暦が終わったと思ったら、あと半年で古希になる。色いろあったが、
アッという間である。ここまで生きてこられたことに我ながら驚いている。 
同期の男の4人に1人の割で亡くなっている。これが10年後には2人に1人の割りに。
もう、何時お迎えがきても、死に時と割切るしかない。
  ーそこで長寿年齢の呼称を調べると
60才 還暦(かんれき)60年で十二支の組み合わせが一回りすることから。
70才 古稀(こき) 唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで。
77才 喜寿(きじゅ)  喜の草体が七十七と読まれるから。
80才 傘寿(さんじゅ) 傘の略字が八十と読まれるから。
88才 米寿(べいじゅ) 米の字を分解すると八、十、八。
90才 卒寿      卒の通用異体字が卆だから。
99才 白寿(はくじゅ)  百の字から一を引くと99になるから。
100才 百寿(ももじゅ) 白の字に一を足すと100になるから。
108才 茶寿 草冠を二十 その下が米に見立てて88を足すと108。
111才 皇寿  皇の字を白、一、十、一に分解して99を表す白に
             足すと111になる。
112才 珍寿    112歳以上は珍しいため。
 ところで、人には「厄年」がある。人生の中で不幸や災難が降りかかり
やすい年のこと。厄年は、中国の陰陽道・思想からもたらされたもので、これが
一般に広まったのが江戸時代のこと。江戸時代には、厄年は数えで男性が25歳、
42歳、61歳。女性が19歳、33歳、37歳だったが、現在では、男性が25歳、42歳、
女性が、19歳、33歳とするのが一般的である。その中で、男性は42歳、
女性は33歳が「大厄」と呼び、その前後を「前厄」「後厄」といって、
恐れる風潮がある。
 自分を振り返ると、その辺りが絶頂期であると同時に、大きな落し穴があり、
節目時でもあった。家長制度のあった時代から、核家族、弧族の時代へ変化して
いる現在、果たして長寿が幸せか疑問である。 まずは、父の亡くなった歳まで
二年が目安。 次の目安が喜寿が7年数ヶ月。傘寿まで11年ヶ月。健康年齢
(介護を受けないで済む年齢)を3年先と想定して、人生の余白を埋めていく
ことが当面の判断基準になる。老いても3S(チャレンジ、チェンジ、
コンペティション)の開発と、フラッシュで浮かんだ記憶を捉えて、遡ることに
ヒントがありそうだ。 「いい年をして」の「何をするにもいい年」とプラスに
解釈して、ソロで、彼方此方を渡り歩くことが良いのは分かってはいるが、
老いからくる面倒くさい!が先に立つ。
・・・・・・
4571,閑話小題 ー火事に遭遇   
2013年09月21日(土)
   * 火事に遭遇
 何時ものポタリングで、長岡大橋から川西にわたり、大手大橋から再び、
長岡大橋に戻って水道町公園前に来たとき、長岡大橋の道路を隔てた向こう側
から煙が立っていた。工場の煙のような、火事のようでもみえる。まずはカメラ
で写真を撮り、次に近づいて撮ったが、まだ警察も消防もきていない。
写真を撮ったのは長岡大橋のバイパスの上からで、現場まで150m先、
駆付けるか、帰ろうか迷ったが、帰ることにした。少しバイパスを走ると
パトカーと消防が追い越していった。シャッターチャンスにタイミングよく
撮れたが・・・(9・19記)
  ー9・20日、追記ー 
 昨日の火事。今朝の新聞によると、72歳のご主人が亡くなったとある。
18歳の孫と老夫婦の三人暮らしで、6時40分に台所からの出火、孫と
連れそいは逃げて無事。あのまま近くまでいっていたら、修羅場に立ち会った
ことになる。まさか、死者まで出ているとは! 改めて写真をみると凄い煙。
通行人は、まさかと関心なさそうに見向きもしないし、車も止まらずいくし・・ 
死者が出た火災の写真とは!新聞社に送ろうか?いや止めておく! 
朝のポタリングには必ずカメラを持って出るが、こういう日に限って忘れる
ことが多いが・・ ところで火事といえば長岡駅前の商家に住んでいた頃に、
4軒ほど先の「監物ビル」の大火災があった。近所の二人の少年の火遊びが
原因だったが、自宅のある店のビルが、その熱で熱くなったことと、近くで
遊んでいたため、警察に呼ばれ事情聴取をされたことも記憶に残っている。
更に斜め前の丸大という衣料品店が全焼したのも見ている。
   * 来春、購入予定の自転車を前倒しで発注
 来春三月に購入予定をしていた電動アシスト自転車を、前倒しで注文。
現在の電動アシストのマウンテンバイクのブレーキが前後の車輪とも不調で、
やむなく注文。ブレーキの不調を運転で逆に楽しんでいる自分が怖くなった。
我ながら変な性格である。今度のものはパナソニックの電動アシストで、
タイプはクロスバイク。来週早そうの入荷予定。
・・・・・・
4196, 呪いの時代 ー13
2012年09月21日(金)                                
    * 原発供養          「呪いの時代」内田樹著    
 この東北大震災に際し皇室一族が最大限のお見舞いをしていた。
国家の元首として、歴史的大惨事に現地に真っ先に行かれ、見舞うことが役割
として最優先されることだが、その行為に呪鎮の意味が入っているとみる
ことができる。 ー以下も納得できるがー
≪ 一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを畏れ、隔離
することでいっときの安心を買い、日本人は荒ぶる神を金儲けの道具にまで
堕落させ、その在所をずっぽりとベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、
怖くも何ともないよ」と言い募ることでいっときの安心を買った。 どちらの
安心が長持ちするものだったかは今回の事故があらわにした。 福島原発の
ふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を
受けたのではないかと思う。その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全
設備の手抜きに心底驚愕したのではないかと思う。どうして原子力のような
危険なものを、こんなふうに「雑に」扱ったのだろう… と海外の原子力
研究者は頭を抱えたはず。そこまでして「コストカット」したかったのか? 
日本人は命より金が大事なのか? もちろんそうではない。話は逆なのだ。 
あまりに怖かったので、「原子力は所詮金儲けの道具にすぎないという嘘」
を採用した。原発の設備をあれほど粗雑に作ったのは、原子力に対する
恐怖心をそうやってごまかそうとしたからなのである。「こんなものいくら
粗雑に扱っても抵抗しやしねんだよ」と蹴ったり、唾を吐きかけたりして、
「強がって」みた、 (・・・中略)
・・原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、
呪鎮の儀を執り行うべきだったと思う。盛り土をして、原子炉を土中に置く
のである。塚に草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような広々とした場の下に
原発を安置する。そこに神社仏閣を勧請する。「原発神社」。荒ぶる神が
とりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれて
いることを感謝するのである。 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、
「原発祭り」を挙行する。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、
恐るべき力の暴発を抑制してくれていることを感謝する。(・・中略)
 ・・・ 福島原発の設概工事のときにも、間違いなく地鎮祭は行われた
はずである(地鎮祭を執行しなければ、建築現場には誰も入らない)。
なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。地鎮祭をしないと、日本人の作業員
が現場に入ってくれないのなら、中国からでもフィリピンからでも建築労働者
を連れてきて断行すればよいではないか。 なぜ地鎮祭を行うのか。
それは平屋の家を建てる工事においてでさえ、行われる。「恐るべきもの」
の不意の現場での警戒を怠れば、思いがけない事故が起こることを現場の
働く人は経験知として知っているからである。地鎮祭は地祇を鎮めるため
ではなく、人間の緊張を亢進させるための心的装置なのである。・・・≫
▼ 「原発供養をすべし」とは、思いもよらぬ切り口。供養すれば済む問題でも
 なかろうが。ビル建設で地鎮祭を何度か経験したが、それはそれで大事な神事。
しかし世界中のビル工事で行われるかといえば、そうでもなく、日本的心的装置。
施工業者と、施主と、土地・建物を一つの魂にする儀式ということか。
最後は祈るしかないという、ブラックジョークか。
 ・・・・・・
3831, 閑話小題
2011年09月21日(水)
  * 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差
 東京の学生時代は寮暮らしだったが、そこは地方出身者の巣窟。
それに比べ大学はミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。
クラブに入って驚いたのは、都会人の会話のセンス。常にジョークか駄洒落を
飛ばし会話を楽しんでいる。友人も教養課程のクラスでは席が固定されている。
そこで二分されるのが、都会出身者と地方出身者。服装からセンスが違う。
しかし都会出身者は、地方人の素朴さに惹かれ反面、どこか田舎者と見下げる。 
地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、日常の三食の
食事など生活のハンデがある。友人を見てキツイそうなのがアパート生活者。
地方出身者は孤独な都会の一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女を
つくるなど、まだ純真な身にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、
どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。やっと声がかかってくるのが学生
生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。とはいえ、女性の方は二段階
上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと)その中で4人の姉
たちを比較し、その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。
 現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ?
それからして、ギャップは、あまりに大きい。という訳で私は学生時代に結婚
相手を見つけないまま終わってしまった。友人をみると、学生時代の相手と結婚
したのは三分一ぐらい。結婚相手を決めることは互いに、人生を大きく左右する
ほどの決断。目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる可能性があるのが結婚。 
更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うこと。25人の地方出身者の寮に
入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。しかし、必死に本を読んでいた
ことも確か。それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違う。
それでも、色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、
一ヶ月の欧州旅行、アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。
小学校から大学時代を通して、大学が最も恵まれていた。卒業直後、就職で地方
にいったこともあり、もう一皮ぬけなかったのが、良かったのか悪かったのか。 
それもこれも、同じだが・・ しかし、話が合うのは今でも都会の人たち、
というより揉まれた人たち!  


6033,閑話小題 〜哀しい「孤独の群たち」

2017年09月20日(水)

   * 何処の世界にも一定数いる「陰口」の達人
 陰口といえば、井戸端会議の小母さんと、営業のネタに駆使してきた男達が
思い浮かぶ。旦那に逃げられたり、死なれた不幸傾向が強い人。地域社会の
縛りの中で劣等感が強く、それをバネにマイナスの差異を探し出し、下世話の
タネを探し、「陰口」を業とする人。
人間社会は、「トップ層3%、中間層30%、その他」で、構成されている
厳然たる事実がある。 これは「古代ギリシャの、王族、市民、奴隷」と、
現代のアメリカの社会構造と同じ。
・他人との比較優位によって価値が生まれる「地位財」。
 「所得」や「社会的地位」「車」などがこれに含まれる。
・他人が持っていることとは 無関係に、その自体に価値があり喜びを得られる
 のが「非地位財」。現代では、この二つを達成のレベルからでも判断できる。
まず、「地位財」「非地位財」を持つ人は、陰口が少ない。「陰口は万引き並に
忌み嫌われる暗黙知」を熟知しているためで、思いの外、多くの人は言葉を選ぶ。
(当然、例外もある) この暗黙知を知らない人が1〜2割の割辺りか。
社会学者リース マンが『孤独な群衆』で、社会的性格の三類型の一つ「外部志向型」
を指摘。 他の「伝統志向型」および「内部志向型」と対比させ、
<(羅針盤)で舵をとりながら生涯の目的に向かって進む代わりに、レーダーに
よって捉えられた、手近にある目標に従うのが常である。このレーダーも同じく
幼年期に据え付けられたものだが、両親や他の大人は、いつでも周囲の人々に
調子を合わせ、彼に対する親や大人たちの反応と親・大人に対する自分の反応を
たえずにらみ合わせていくようにと教え込まされている。> 
 都会でも田舎でも、個々が分離されて孤立するのが常になる『孤独の群衆』に
化して、内幕情報=陰口の罠にはまってしまう。で、何処にもいる「陰口」の
達人が重宝される。しかし、蛇蝎のごとく嫌われる運命にある。彼らの言葉が、
「普通じゃない」。その「普通」が異常のことを全く理解できない世界が「娑婆」。
〜「この内容そのもの自体が<陰口>じゃないかい?」 の内なる声〜

・・・・・・
5667,【賢者の言葉】�◆ 船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーB
2016年09月20日(火)
   * 3つの「でも」が行動を制約している
 「でも」「だって」「どうせ」という 3つのネガティブの言葉がある。
 その中でも、特に「デモ」が、クセモノで、人間の思考と行動の前に大きく
 立ち塞がっている。勝手に自分の周りに囲い、縛られている事に気づかない。
・「でも」の後に、今はやれない! 
・「だって」の後には言い訳、
・「どうせ」には、自己否定の言葉が続く。
 これを多様する人たちが「世間人」。ショーンは、内なる最大の敵、
 その「でも」を指摘する。 〜その辺を抜粋〜
≪ ネガティブ思考を心の中から追い出し、あなたがずっと望んでいた
 結果を出すための実践的な方法をこれから知ることになるからです。
 あなたも含め、人間には2つの共通点があります。
・ひとつは人間には感情があるということ。
・もうひとつは、多くの人間は、とても暗く、ネガティブ思考で、自分たち
 の行動を制約してしまうということです。 
実はこれによって、私たちは夢をあきらめたり、素晴しい愛をつかみ損ねたり、
豊富な資産を構築できなかったりしています。 その「でも」は、
 『言い訳のデモ』『恐怖のデモ』『自信のなさのデモ』から成立っている。
� ,泙此◆屬任癲廚濃呂泙襦惴世ぬ�のデモ』です。「でも、時間がないんだ」
「でも、お金がないんだ」このように言っている間は、言い訳から抜け出せない。
�◆〇笋燭舛旅堝阿鮴�限する2つ目の「でも」は、「恐怖のデモ」です。
「でも失敗したらどうしよう」「恥をかいたらどうしよう」「でも皆をがっかり
させたらどうしよう」など「でも〜したらどうしよう」という形をとります。
�� 最後のは、自信のなさからくる「でも」。それは、「でも私は〜じゃない」
という風に表現されます。「私は背が低いから」「私はきれいじゃないから」
「頭がよくないから」といったもので、自分には生まれたときから何かが欠けて
いるという思い込みが、この地球上で最も有害な考え方なのです。
 しかし、あなたが人生を変えるには、「でも」を捨て腰を上げねばなりません。
私たちが陥りやすいのは、「でも」に満足してしまうことです。言い訳に頼って
いる期間が長ければ長いほど、言い訳はどんどんふくらんで大きくなります。
実際、自分の人生をまさに丸ごとすべて言い訳で過ごしている人もいます。
言い訳の上にあぐらをかいている人は多いのです。それは様々な厄介事から
私たちを解放してくれるからです。「もちろん、私だってそうしたいのは山々
だけど、でも、私には無理」このように「でも」の上にどっかりと腰を下ろして
しまうと、あなたは退化し始めます。「でも」に腰かけている時間が長ければ
長いほど、あなたは弱くなります。それでも自分の求めるものは変わりません。
 では「でも」から抜け出す方法とは何でしょう。何をすればよいのでしょうか?
それは立ち上がり、確固たる態度をとることです。自分の人生や健康、成功、
人間関係に責任を持つのです。必要なのは、「自分の人生に責任を持つこと。」
そのためには立ち上がる筋肉を鍛えねばなりません。そして、立ち上がるため
には、立ち上がるレッスンが必要になってきます。≫
▼ 志を立てる、目標を明確にしておく、自身の生き方のミッションをを言明化
 しておく、日記を書き続ける・・ などで、この「デモ」から、自らを開放
しておかなければならない。その努力をしないと、(自らをを舟に喩えて)、
その舟底に「デモ」という牡蠣が多くヘバリ付き、重く、動きがとれなくなる。
 老年に至ると、この牡蠣が知らぬ間にへばり付き、その上に、足腰の弱体化が
加わり、万年の鬱症状態に引きづり込む。人生の行蔵に対して、日々、
「デモ」、あの時、違った判断をしておけばと後悔するのが、一番、きつい
「デモ」になる。で、その矛先が、他者の不幸に向かっていく。幸福を祝えば、
自らも、その一端を味わえるのに、その逆をしてしまう。無知は恐ろしい。
そういえば、行蔵のフラッシュに、「言い訳のデモ」を繰り返している日々か?
 それが、また面白い。まあ、暇も好いものだ。肯定的に「デモ」は使える。
<「でも」面白かったから、いいや>が、私が多様している内語の一つ。
<「クソ」、面白くない> より、後味が良い。これも受け止め方の妙。
<あの時、思い切って決断しておけば良かったのに!>は、意外と少ない。
 後悔、後に立たずで、一期一会で、生きてこられたのが、救い?
いや、「デモ」の内語で、人生の面白みを半減してきたのか? 両面ある?
・・・・・・
5302,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー��
2015年09月20日(日)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * コピーライティングの基本
 個人HPを14年5ヶ月、「はてな」ブログを開設をして8年になる。
ほぼ休むことなく続いてきたのは、マイナスの数倍のプラスを実感するため。
上京してまで、『資産防衛セミナー』に通った内容を大口借入れの銀行担当に
見られ?、貸剥しされそうになったり、ビュアーの悪意の視線を実感しても、
それも大事な視線と割切り続けてきた。その内容を後から読み返すと、自分の
枠が、クッキリと見えてくる。そして、「だから何だ?」「なぜ拘る?」
「遠くから見れば所詮、砂利の石ころ!」と、我を振り返る。
 〜その辺りから〜
≪・「文字離れの時代」など言われることもありますが、とんでもない! 
今日ほど、メール・ブログ・FaseBook・メールマガジン・HPなどで、
文字を読んだり書いたりする時間が長くなっている時代は、ありません。
つまり、もはや、すべての人にとって「コピーライティング(文章を書くこと)」
は、最重要の項目であり、「成功に欠かせない要因」となっている
  ☆ コピーライティングの基本ポイント14
1.ポジティブに
2.相手にしてほしいことを伝える
3.特定の人に向けて書く
4.サービスを提供し、リスクを回避する
5.より多くを語るほど、より多く売れる
6.自慢しない
7.見出しの目的は、興味のある人々を見極めること
8.好奇心を誘う
9.具体的に
10.あなたのストーリーをすべて話す
11.写真を賢く使う
12.商品(文章)は最良のセールスパーソンである
13.テストで証明する
14.効果が出ている文章は変えてはいけない
――
・あなたがよいコピーを書きたいのであれば、自分の広告を読み直し、
書き手ではなく、「読み手として自分自身に次の3つを問いかけること」。
●【1】 だから何なの?
●【2】 そんなこと、どうでもいいでしょう?
●【3】 私にどういう関係があるの?
・「1年で1億稼げる」より「1週間に192万円稼げる」と表現する
   広告における一番の問題は「信頼性」です。
・「ベネフィット」を明確にすると、よい反応が得られる(中略)
「このノートパソコンは12インチと、小さいサイズだ」というのは特徴で、
ベネフィットは、特徴のあとに「だから、……」をつけたときに出てくるもの
を指します。つまち、「だから、このノートパソコンは、カバンに入りやすく、
持ち運びしやすい」というのがベネフィット(利益)です。
・成功者のコピー(真似)をしたいという人は成功者をコピーをしたい
のではなく、成功者が得ている結果をコピーしたいだけなのです。
あなたは、「誰かになる」必要はありません
・人の行動を起こすスキルは、もっとも高い報酬がもらえるスキルです
▼ 昨年の秋に、日野啓三著『創造する心ー書くことの秘儀』の感想文を
 書いていた(下にコピー)。 学生時代の日記を読み返すにつけ、書き残す
価値、意味を考えさせられる。それが人生の境目であれば、そこに存在して
いた自分の心が、そのまま焼きついている。もっともっと、書き残しておけば
良かったが、後の祭り。その点で、ブログは重要な働きがある。
・・・・・・
4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・
2014年09月20日(土)
   * つれづれに 〜厳しさを増す娑婆
 土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめた実感がある
ため、それぞれを立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた実感がある。
これは、実際に経験しないと、理解できないだろうが。
『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。
それと、「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。 
最初の依頼時に「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、
「綺麗汚いは有得ない。あるのは、良い倒産、悪い倒産だけ!」終えて振返ると、
まさに、そのとおり。 前もって最悪の事態に整えていれば、目先は好調だが、
備えのない事業体より、遥かに良いと思うが?危機管理のある中小は、私の知る
限りで一割もないのでは。今さら遅いとしても、『事前の一策は、事後の
100策より勝る』で、やれることは、しておくべきでないか。ここで、
円安になってきたのは、日本の政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。
更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。以前の事業で、
この3%の消費税アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。会社も、家庭も、
支出を更に絞めてくるためだ。アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、
この不況下、甘い仕事は少なくなっている。この三年半の間、経営に疎い家内の
口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。SC内の店の転廃業や、スーパー
の店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった
ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。 
事業など、まして創業など、すべきでない!
『元手の2億を地道に5億にするより、30数億に膨らまして楽しみ、使い
果した人生も悪くない』と、独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思う
しかないし、その甘塩っぱい感覚の日々。箱物事業には、有余ったオマケ(時間)
があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、『ま、これでもいいか!』。
・・・・・・
4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
2013年09月20日(金)         
 * 万能薬としての「語り直し」   
        『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延(著)  
 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、
上に立つものほど多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線から
みた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。
人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、
最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する
以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しを
するしかない。早稲田二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に
彼女が出来たところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 
彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し? まずはー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって
 初めて教える者の大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、
親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。
つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できる
のである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることが
できることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごと
について、その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとは
違うことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という
言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、
単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと
について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、
元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下
出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を
送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々。
しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが
少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、
それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、
生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に
とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 
 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。
できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを
遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、
自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ
である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、
私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える
ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった
 ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。
これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。
その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば
良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 
・・・・・・
4195, 呪いの時代 ー12
2012年09月20日(木)                     
 * 「片づかなさ」の人間性     
               ー第8章 これからを生き延びる智恵
贈物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。
これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底して
カットしてきたが、私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。
これが、つくづく間違いだったと反省していること。結局、人との付き合いは
贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する
「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。以下は ーその辺の抜粋ー
≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題
 を端的にこうまとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を
義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け
取った人にその返礼をさせるのか」 モースも、マリノフスキーも、
レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が人間集団を
形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると
「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ
取って言えば「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな
気がする」という「負積感」のこと。いや、ほんとに。だから、この「負債感」
を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと思います。
「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、
価値のあるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには
尽くされません。というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることでは
ないからです。そうではなくて、「これは贈り物だ」と思った人がそう思った
瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂ったかたちで贈与という
儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。
   (字数制限のためカット 2015年9月20日)


6032,閑話小題  〜ハイデッガーの「世人」とは?

2017年09月19日(火)



  * またまた同じテーマで…
 地方都市に住んでいるため行動範囲が狭くなってしまう上に、対話できる相手
が少ない憂さ晴らしで、これを書いているところもある。 先日、「世間」に
ついての文章を書上げ、アップをしようとした直前に、「ネット内検索」に
「世間」と入れたところ、4ヶ月前に、酷似した批評が書いてあったため、
疲れがドッと出たが、急遽、他のテーマを書上げた… 。
前のテーマの内容も、ほぼ同じ語り口。そこで、この二つを比較するのも愛嬌と、
そのまま、提示することにした。 問題は、以前の方が力が入っていること?
 ところが、昨日の同月同日の過去文に、 <『コトの本質』松井孝典著>の
「世間論」。これが本質をついている。<世間とは、リアルの社会を内部モデル
化した様相>と見切れば、これで充分のはずだが、何故か、書きたくなるのが
「世間」。同レベルで、閑のためか。 アウトサイダーを気どっても、所詮は
先祖様からの枝葉の存在でしかない。しかし、「誰にとっても生地は聖地」。
そこは汚してはならない生活圏。分かってはいるが、一度、得た自由の感覚を、
今さら変えることは出来ない。で、…私の内部モデルの心象風景は、とある
地方の「城下町モデル」。全国、いや全県的普遍性とネタの新鮮さに欠けるが、 
娑婆の味が沁みている。  
<『あの人、いま、どうなった(が〜?)』『あのバカ、今ではさ〜!』と、
城下町鴨が、今日もガーガーとガ鳴りたてる。> これが私の内部モデル。

――
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
               『コトの本質』松井孝典著
 * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相            
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けて、それがバーチャル
であることさえ気づかず人生を終える。だからライフワークを持っていないと、
自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、ライフワークの価値が
見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、低俗の人との二極分化が
明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間というが、誰もが、どこかに
兼備えているから始末が悪い。それが年をとるにつれ老醜として露出する。
老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
――
   〜次は、先日の文章から〜
  ハイデッガーの「世人」とは?
≪  * 日常性と非本来的な生き方
 ここで何度も、「世間」について書いてきた。成行きから、30歳近くで、
出身地にUターンをしたが、沈みこまない対策として、アウトサイダーに徹する
ことを決心して40年も経過した。 新潟市と長岡市の住職分離をしていたこと
もあり、世間様とかいう「世人」に最小の接触で済んだが、6年前から、住だけ
になり、生活環境が違ってきた。 周囲には、私も含めて「老人」の割合が多い。
「閑居」の「閑」の字のとおり、心の周囲に塀を囲み、厳格なほど?の日程を
熟すことで、何とか「門の中の木」の下、日々を過ごすイメージを保っている。
 そこで、役立つのが‘ハイデッガー’‘カント’‘ニーチェ’の哲学や、
‘ドラッガー’の合理主義の思想。 特に、ハイデッガーの「世人論」が良い。
地方だけでなく、それぞれの世界には「世人」が住む。知らずに、この「世人」
に毒され、一生を成す術を潰され過ごすことになる。
  〜ネットで、‘ハイデッガー’を検索すると…
≪・ハイデガーは、<我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけではない。
 我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのかを真剣
には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日その日を
他人や物(道具)との関わりの中で生きている>と。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と呼び、
人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きているとする。
人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じように
「物事を考える個性のない平均的な生き方」をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は 人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 ・世人の特徴は次の二つにまとめられる:
�� 平均性 :シマウマのように同じ図柄の生き方
�� 免責 :この語には、責任免除、責任回避という二つの意味が含まれている。
 この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、特定の
 行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。この免責
の好例は、恐らく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛だろう。それは
一向に捗らない。その理由は明らかである。私がやめても、どうにもならない。
皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を転嫁し、自分の行為
に目をつぶる。 このとき、世間や他人が自分の保証人になっている。世間は、
そのようなことは、皆がやっているという理由で、個人の責任を免責する。
 では、世間とは、いったい誰をさすのだろうか。それは誰でもない。つまり、
世間は、個人の行為を保証する。しかし、保証人としての責任を負う者は、誰も
いない。世間は、他人の責任を免除してくれるが、責任は負わない。こういう
性格を持ち、世間に埋もれて生きる生き方が、世人の日常的なあり方である。
 ハイデガーによれば、世人は、目先のものに気を奪われ、平均的な考えに従い
無責任に行動し、自分自身の存在を真剣に考えない。しかし人は、あるとき、
自分自身の存在を意識し、なぜ自分が存在するのかを問い、非本来的な生き方
から、本来的な生き方をするようになる。では、いつ人は、自分自身のあり方を
真剣に考えるようになるのだろうか。それは、他ならぬ自分自身の死に直面した
ときである。他人の死ではなく、自分自身の死に直面することによって、人は
自分自身の人生の有限性に気づき、そこで初めて自分が生きていること、自分
自身が存在していることの重みを自覚し、自分自身のあり方を真剣に考える。≫
―
▼ 世人そのもののような男が、「進行ガン」が発見され動転して、世界観が
 一転して哲学的になったいた。 26歳の頃、父親が余命1年の末期ガンが発見
され、修行先の金沢から呼び戻されて、父の生への心の渇きの一端に触れること
に相成った。この学びは、人生感を一変させてくれた。「何はともあれ、死んで
しまえば、それまで。世間、世界は夢幻。出来るうちに、好きなことを、好きな
だけ、すればよい!」
 創業を目指すということは、全て直接、自分に責任がかかる。言訳する位なら、
平凡な人生に甘んじればよい。それを乗越えるには、常日頃から、考え、考えて、
考えなければならない。学ぶほど、生きるほど哲学的になるのは、ごく当然。
 「死」こそ、非日常性で、虚構の世界を壊す、今を出現させてくれる。≫
――
  ーさらに4ヶ月前のテーマと内容ー
≪ 2016/05/14  哲学者は、世間人を、「世人(せじん)」という
   * 日常性と非本来的な生き方
 人間は一般的に、規格人間の生き方を良しとし、平均的に、責任を持つこと
なく、生きようとする。世間とは、こういう生き方を良しとし、人と違った
生き方を蛇蝎のごとく嫌う。人生は非日常の中から、新しい世界が広がる。
しかし、人は日常の繰り返しを好しとする。ハイデッガーは、人間の持った、
その習性を真正面に取上げている。 〜ネットで、「世人」を検索すると〜
≪ ハイデガーによると、我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけでは
 ない。我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのか
を真剣には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日
その日を他人や物(道具)との関わりの中で生きている。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と
呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きている
とする。人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じ
ように物事を考える個性のない平均的な生き方をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。 世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は、人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 世人の特徴は次の二つにまとめられる:
�� 平均性 Durchschnittlichkeit
�� 免責 Entlastung:この語には、責任免除、責任回避という
 二つの意味が含まれている。
  この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、
 特定の行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。
 この免責の好例は、おそらく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛。
 それは一向にはかどらない。その理由は明らか。私ひとりがやめても、どう
 にもならない。皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を
 転嫁し、自分の行為に目をつぶる。 ≫
▼ 知性とは、教養とは、規格人間に埋没した己に気づく知識の質量のこと。
 決して、同調するための情報ではない。常々、「世間」を取上げ、埋没して
いる自分を何とか救い上げてはいるが、平均性を求め、責任回避をしている。
『和同の精神』という、長岡高校の精神がある。和すれど、同じない心がけ。
「世人」にも、その属している質もあろうが。情報化社会が、「情報世人」
(いま、私が創った言葉)たる、何も考えられない俗人を生み出している。
しかし、最も格差を生む、情報の質量の格差は大幅に改善されることも事実。
「世間の、どこが悪い」「世人のどこが悪い」というと、小さい世界の中に
閉じ込められている自分に気づかないこと。いや気づかない方が良いのかも。
 で、また偶然だが、丁度よく、以下の内容に続く。

・・・・・・
5666,【賢者の言葉】�  船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーA
2016年09月19日(月)
               【賢者の言葉】・ビッグピクチャーズ監修 
 ショーンは、生まれたときに既に死の宣告を受け、「犠牲者」として生きる
幾つもの理由が用意されていた。彼は小人症を煩い、車いす生活を余儀なく
されている。18歳時に、クシャミなどで起きる200回以上の「骨折」を経験する
も克服し、現在は世界中で講演し、情熱とパワーを与え続けている。
彼の言動はビル・クリントンなど著名人にも影響し、米国では「身長90��
車いすのモチベーター」として知らない人がない人物。小人症でありながら、
12歳時に米国大統領になりたいと願い、その手始めに大統領府勤務を願い、
勤務をしている。    
   * 魔法の質問 〜これは人生のギフト? 重荷?
 とにかく、型破りで、前向きである。 〜その辺りを抜粋〜
≪『起こったことを人生のギフトと思うか?人生の重荷と思うか?』 
 これが、私の人生を変えた『魔法の質問』です。身長90cmの身体で、
常に厳しい現実と向き合っていた。骨の成長が十分でなく、折れやすい。
ある年の愉しみにしていたハロウィーンの時、彼が唯一、仮装の世界でこそ、
堂々と自身の存在を「普通」が当たり前というリアリティから身を隠せると
いう意味で、私がイキイキできる日だった。小学校4年の、その日、彼の最も
恐れていた不可抗力で骨折した。そのとき、痛みと苦痛で、全身に汗が吹き
出すほど流れ、痛みに喘ぐ彼に、母は、じっと私の目を見つめて言いました。
<『ショーン、これは人生のギフトだと思う?それとも、重荷だと思う?』>
 それどころではない苦痛に耐え、怒りとイライラで、母にこう言う。
『何を言ってるだ?ギフトは誕生日にもらうもので、開けて喜ぶもの。』」
と、いま痛みの中にいる当時からすれば、当然の言葉だろう。だが、
母のこの言葉は、その後の人生を大きく変えた。そして現在、に至る。≫
▼ 65歳になった直後、こともあろうか、会社整理を決断するに至った。
 その数ヶ月前までは、まさか現実に至るとは考えてしなかった。
事前に決めておいた、「償却前の営業利益が赤字なり、予備資金を取り崩す
事態になったら、会社を清算をする」、になってしまった。で、断行したが、
人生の最終段階での、この結果は大きな痛手。しかし、幾つかのシェルター
を用意していたこともあって、平常の日々をすごし、現在に至っている。
65歳の節目の事業整理は、中途半端に係わっているより、綺麗さっぱりした
区切りのベストの事態。人生がくれたベストの結果(プレゼント)!
これは、「ベターというより、ベストの結果」と思えるようになった。
 その数年後に、100数十年の老舗の会社を潰した男が、宴会で前のテーブル
に座って、開口一番、『おれ、この事態に感謝している!』と、私の気持ち
とホボ同じことを言い放った。 それに対し、生意気そうに、『あんたも、
これで一人前になれたな!』と、答えていた。人生のプレゼントの中身を
味わっているうちに、その味に気づいたようだ。 何事も受取り次第で、
中身の取捨選択が違ってくる。
<「自分に向かっていう言葉」によって自分が創れるのです> が、毎日、
これを書き続けていることもあってか、実感できる。その割りに、お前は?
 今日もまた、「日々、口実」である。

・・・・・・
5301,閑話小題 〜持て男の「三高、三平、四低」
2015年09月19日(土)
   * 持て男の「三高、三平、四低」
 これもモーニングショーの話題だが、社会ウォッチングとして面白い。
経済成長期に流行した持て男の条件が「三高」。バブルが崩壊をして、
このかた「三平」に。そして次ぎは「4低」という。
 ◎ バブルに流行した「3高」とは、「高学歴・高収入・高身長」
 ◎ 時は過ぎ、今の流行は「3平」は、高くを求めず、
   「平均的年収・平凡な外見・平穏な性格」
 ◎ 次の時代のモテ男!は、「4低」
   「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」がモテる時代。
 だが、そんな低依存の男からすると、「そんな女いらない」の声! 
で、未婚率、離婚率が大幅に右上がっている異常事態。
 独身女性への男への希望は、殆どの女性が経済的力量が増えたため、
微塵の甘さがない。まず「預金」と「年収」。 預金は、最低でも500万。
できることなら1000万。年収なら500〜600万。 とすると、30歳
前半までの男の多くは結婚対象外になる。驚いたことに、35歳を超えた独身
男性の結婚できる割合が7〜8%、40歳を超えると、2〜3%しか結婚が
できないことになる。ということは、男性は35歳までに結婚するのが半分
というから6割しか結婚できないことになる。それまでに何とか結婚しないと、
9割が結婚不可能になる。 ーネットで生涯未婚率を検索したのが、以下ー
《 ☆ ー生涯未婚率は男35%、女27%にも:少子化対策無力ー
 少子化社会対策白書のあまりの覇気の無さに驚き、国勢調査から生涯未婚率
を予測し直して男35%、女27%にもなる結果を得ました。非正規雇用は増える
ばかりで、若者の生活を不安定にさせている根源は政府施策です。
『安倍政権が嫌いな雇用安定こそ少子化対策の核心』で指摘した通りです。
生涯未婚率は人口学で50歳時点の未婚率と定められています。
2010年国勢調査で20代前半だった世代が50歳に到達する25年後には、
現在に倍する生涯未婚者であふれる事態になります。
 NHKの《少子化白書 晩婚・晩産化は進む》は
《生涯未婚という人の割合は、平成22年には、▽男性が20.14%、
▽女性が10.61%で、いずれも過去最高に達し、「未婚化」とともに
一生結婚するつもりはないとする「非婚化」も進んでいると指摘し》
《内閣府は「若い世代は雇用が不安定で、所得が低い傾向にあり、こうした
経済的理由から結婚に踏み切れない人が増えているのではないか」と分析》
と伝えました。 》
―――
▼ コンビニ、気楽な独身生活、ネットによる繋がりがあって、別に結婚の
 必要性を感じないのだろう。情報化で、女性に対する憧れも消滅してしまい、
世の中がニヒル化していることもある。バブル崩壊以降、特に若者に住み辛い
社会が到来している。高度成長期を生きてきた私たち世代にとって、信じられ
ない現象。それにしても、「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」
がモテる時代とは、驚き。何か、年金暮らしの御隠居に丁度良い、生き方が、
これからの若者の姿からして、日本の近未来に悲観的になってしまう。


6031,閑話小題 〜「わたし」と「わたくし」

2017年09月18日(月)

       < 意味としての心〜「私」の精神分析用語辞書ー北山修著 >
   * 「わたし」と「わたくし」
 40歳の頃か、<「私」を「わたくし」に替えて使えば、人生が変わる>と知り、
暫く意識をして「わたくし」と使っていたことがあった。言葉使いが確かに少し、
丁寧になっていた。 フォーク・クルセダーズの結成に参加し、「帰ってきた
ヨッパライ」を代表作を持つ作詞家でミュージシャンの北山修が精神医学の
医院の院長で色々な大学の教授をしていることを、この書で初めて知った。
 ここで、「わたくし」の語源にカクシ(隠し)が入っているという。
<「世を渡るものが互いに非を隠す意」とは、内に隠される「非」という中身が
 無ければ成立しない。 その「非」の一つが罪であるとすれば、罪はツミや
ツツシミと縁が深いという意見があるように、日本語で言う「私」こそ私的に
含まれる罪の置き場所なのでしょう。> と… 。 
  〜ネット検索によると〜
【 私(わたくし・わたし) - 語源由来辞典
 私の語源は、「われ」「わが」などの「わ」に関係すると思われるが、それ
以上のことは 解っていない。「わたくし」は中世前期頃まで「公(おおやけ)」
に対する「個人」の意味で 、一人称の代名詞として用いられ始めたのは、中世
後期以降。「わたし」 は 女子供が使う言葉で、男が使う言葉でなかった… 】
 成るほど、面白い。 この著書で、「わたし」について、
< 子供と、もう一人の子供の父親を、母親の「私」が取り持った二面性の世界
 を生きる「つながり」のあることを理想とする。「わたし」という言葉には、
「わ」という最小単位が連なって「わたし=我+足し=私」となり、三角関係が
角を立てず、丸く円になるイメージが抱かれる。 こうして母親の掌の上で、
みんな転がされている。>
―
▼ 家の中では皆の平等が実現して、頂点の母親にぶら下がるのが家庭という、
図式になる。しかし、そのため、私たちは三角関係で揉まれる機会や、孤独や、
分離感を味わう機会を失ってしまう。「わたくし」といえば、「男はつらいよ」
のフーテンの寅さんの口上、「わたくし、生まれ も育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテン の寅と発し…」
を思い出す。 複雑な家庭環境で、問題児?だが、仏様のような心を持つテキヤ
が起こすイザコザが、「わたくし」の仄々とした世界…〔「わ」の最小単位が
連なった「わたし=我+足し=私」と、「ワタカクシ」〕を醸し出す。
寅の中にある「私」こそ「私的に含まれる罪の置き場所」と、監督は言いたい
のだろう。30数億年の生命の歴史からして、原罪の重さは並大抵ではない。
「わたくし」とは、それを背負って生まれた「わたし」のことである。
 これが、少し理屈っぽいが、何気なく思っているが、実は何もしらない
「わたし」のことである。「わたくし」が、「わたし」に、地鳴りのように、
〔わかるかな~ わからないんじゃない シャバシャバ〕と、問いかけてきた。

・・・・・・
5665,シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜��
2016年09月18日(日)
               『ウフィツィ美術館』 09/08 10:40
   * 世界的名画・名品が勢揃い!
 何ごとも、記録を残さないと、忘却の彼方に消えていく。世界的芸術との
触媒は、時空を超えて大きな響きを伝えてくれる。それを切欠に、作品の背景
の世界を知ることになる。家にある、日めくりの格言に「継続は進歩なり」が
ある。右に左に揺れて、目標に向かい継続をすれば、それが進歩になる。
このような世界的名画を意識して触媒し続ければ、魂が進化する。 鑑賞を
続けるうちに、鑑識眼が付いてくる。それが、魂を純化する力になる。
その力は、人間に対しても作用する。地元に縛られ、外に出れないなら、地元
にやってくる世界的名品の美術展に行けばよい。良いのは誰が観ても解るはず。
   ―――
  ★ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
建設当時、ヨーロッパ最大だった大聖堂。ブルネッレスキが設計したドームは
二重構造になっている。今もフィレンツェでは 最高の高さを誇り、この大聖堂
より高い建物を建てないことが不文律となって街並を守っている。
  ★ 受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
レオナルド・ダ・ヴィンチの単独デビュー作。聖母マリアの表情の硬さなどに
稚拙さはあるが、空気遠近法による青みがかった風景の描写や鳥の羽をモデルに
した天使の翼など、天才の片鱗が随所に伺える。
  ★ ダヴィデ像(ミケランジェロ・ブオナローティ)
敵の巨人ゴリアテを石で倒した若き英雄ダヴィデの像。ダヴィデは、女性であり
ながら知恵を使って敵を倒したユディトと並び、周囲の大国に脅かされながらも
独立を守るフィレンツェのシンボルとされた。
  ★ ブランカッチ礼拝堂
礼拝堂の壁画のマザッチョ「楽園追放」はリアルな感情表現、人体の正確な表現、
さらに地面に落ちる影を描いて奥行きを現した。それまでにはなかった、絵画
表現におけるルネサンス美術の革命を先取りしている。
  ★ 東方三博士の礼拝(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
生まれたばかりのイエスをアジア人の老人、ヨーロッパ人の青年、アフリカ人の
少年の三博士が礼拝するという画題。三大陸・三世代、すべての人間がイエスに
ひれ伏すという意味だ。未完だが、伝統的な構図を打ち破った意欲作。
  ★ メデューサ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ)
凸面鏡に映した自画像をメデューサに見立てたもの。首を切られ、血を噴き出す
姿で自らを描くところに歪んだ自意識が伺える。明暗の強いコントラストに
ドラマを浮き上がらせる彼の手法は多くの追随者を生んだ。
  ★ 東方三博士の行列(ベノッツォ・ゴッツォリ)
メディチ家私邸の礼拝堂に描かれた壁画。ロレンツォ・デ・メディチや父ピエロ、
祖父のコジモ、孫のジュリアーノらメディチ家の人々が東方三博士などとして
美化して描かれる。パトロンとしてのメディチ家の権勢が伺える。
  ★ 春(サンドロ・ボッティチェリ)
ヴィーナスを中心にゼフュロスやフローラなどギリシャ・ローマ神話の神々が
描かれる。ヴィーナスは聖母マリアとも解釈できるなど、古代ギリシャの思想
とキリスト教とを融合する新プラトン主義の表現とも読める。
  ★ アンギアーリの戦い(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
フィレンツェ政庁の命でヴェッキオ宮殿「五百人広間」に描かれるはずだった壁画。
が油彩の顔料に混ぜたロウが溶け、失敗に終わる。壁画の上にはヴァザーリが
別の絵を描いたため、今は見ることができず、他の画家の模写だけが残る。
  ★ ヴィーナスの誕生(サンドロ・ボッティチェリ)
貝殻の上のヴィーナスは古代ローマ彫刻を引用した「はじらいのヴィーナス」
と呼ばれるポーズをとる。西風の神ゼフュロスなど寓意に満ちた古代の神々が
描かれ、古代ギリシャの哲学など、ボッティチェリの知識の深さが伺える。
   ―――
▼ ホロフェルネスの『首を斬るユディト(アルテミジア・ジェンティレスキ)』
 の絵画が圧倒的。 当時珍しかった女流画家の作品。 ユディトが敵の大将、
ホロフェルネスにとりいって泥酔させ、寝入った男の首を斬ってユダヤ民族を
救うヒロインの逸話。 強姦にあった経験から男嫌いになった画家は、嬉々と
首を斬る女性に、自分自身の憎しみを投影させている。そういう背景を知って
観るか観ないかで、観方が全く違ってくる。 家内の知人が曰く、
『美術展で、絵画の前で、何時までもボーっとしている人、どうして?』 
家内、『国立一期校を出ているのにさ、開いた口が閉まらなかったわ!』


・・・・・・
5300,閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか
2015年09月18日(金)
   * 5億円当たったら何に使いますか?
 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』
の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと
1位、高級マンションなど住宅購入
2位、お店などの起業
3位、世界一周 (豪華客船の旅など)
4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム)
5位、整形手術 の順であった。
 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という
答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現
したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、
気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を
託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。
 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、
可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 
『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。
その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い
ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』
とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ
御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、
あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した?
である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。
 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が
失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。
その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。
 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・
が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。
・・・・・・
2013/06/17
宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい?
 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
 SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、
「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  
  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、
          「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと
   同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて
   いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも
  ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 
  10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 
  買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 
  つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として
  新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。
 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に
  とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、
 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。
それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で
金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。
生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が
宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、
したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。
・・・・・・
2015/06/21
宝くじを当てた95%が、5年以内に
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著)
  * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で
壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う!』 良いでないか。


6030,閑話小題 〜一昨日のシネマは『ダンケルク』 

2017年09月17日(日)

   * 一昨日のシネマは『ダンケルク』 
 北朝鮮の‘僕ちゃん’が勇ましく胸を張っては見せているが、隣国の中国、
ロシアとの直接首脳会議に出ることさえ出来ない有様からしても、彼の小心さ
が見て取れる。「気違いに刃物」の武器を「核弾頭ミサイル」の保持に替えた
瀬戸際の恫喝。出来るのは、ここまで? この陰の主役はプーチン。アメリカ
大統領に泡沫候補のトランプを後方支援で祭上げ、北朝鮮と対峙させるとは… 
この劇画的世界が、連日、核実験、ミサイル発射で生々しく報じられている。
しかし、2人のかけ合い漫才が何時までも続くわけがない。
 この映画『ダンケルク』をみても、直接の被害者は国民。戦争を起こさない
に越したことはないが…  映画評価は85点。  
≪【ストーリー】1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー
 海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の
猛攻にさらされる中、トミーら若い兵士たちは生き延びようと策を講じる。
一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長は息子
らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットが、
数的に不利ながらも出撃する… 圧倒的なスケールで活写される戦闘シーンや、
極限状況下に置かれた者たちのドラマに引き込まれる。≫
 ――
   * 再び、同じテーマを書いていた
 昨日の朝、やっと書きあげたテーマ日記をアップをしようとしたが、
「もしかして以前に、書いていたのでは」とHP内検索をすると、4ヶ月前に、
ほぼ同じ内容のものが書いてあった。 ガックリしたが、気持ちを切替える
ため、スケジュールのとおり、早朝のポタリングに出て、改めてテーマを考え、
辛うじて書上げた。度々あることだが。数日前の過去の文章にも、「同じ失敗」
の愚痴が書いてあった。

・・・・・・
5664,シネマ評『ウフィツィ美術館』 〜��
2016年09月17日(土)
                『ウフィツィ美術館』 09/08・10:40
  * ウフィツィ美術館の歴史
 映画の内容紹介のHPに、ウフィツィ美術館の歴史が簡潔にまとめてある。
そこには欧州文化の底知れぬ奥行きの広さと深さが垣間見れる。大英博物館、
ルーブル美術館、バチカン美術館などに、あれだけの名画を、国内外の万民に
公開している。ある意味、国力の誇示でもある。 〜HPより〜
≪ 登場する作品の多くが収められているウフィツィ美術館は、ロレンツォの
 傍系で、ひ孫にあたるコジモ1世(1519〜1574年)によって建設された行政庁舎
がもとになっている。コジモ1世は、画家・建築家であり、同時代の画家たちを
紹介した著書「芸術家列伝」でも知られるヴァザーリに設計を依頼、1580年に
それまで分散していた役所や裁判所などを一つにまとめた建物を完成させた。
 ウフィツィとは英語のオフィスである。このウフィツィでは1581年から建物の
一部で絵画や彫刻などが部分的に公開されており、近代的な美術館としては
ヨーロッパ最古と目されている。1743年、コジモ1世の末裔であり、メディチ家
最後の人間となったアンナ・マリア・ルイーザが死去する。彼女のもとには
メディチ家が300年にわたって蒐集してきた絵画、彫刻、宝石などの美術品が
残された。彼女の遺言により、これらの宝物はトスカーナ政府に寄付される。
 1769年、ウフィツィ美術館でメディチ家のコレクションの一般公開が始まった。
以来約250年、今ではイタリアで質・量ともにトップクラスのコレクションを誇り、
世界でも最も多くの人が訪れる美術館となっている。
 本作には進行役として、ロレンツォ・デ・メディチ(1449〜1492年)が登場。
名優サイモン・メレルズが演ずる、この人物は何者か。 ロレンツォの祖父は
フィレンツェで「祖国の父」とうたわれたコジモ・イル・ヴェッキオ(1389〜
1464年)。 絶頂期のメディチ銀行を率いて建築家・芸術家を庇護した。
ロレンツォは病弱だった父の死に伴い、わずか20歳でメディチ家の当主となる。
政治・外交に長け、生前から「イル・マニーフィコ」(偉大なる)と呼ばれた。
哲学や芸術にも造詣が深く、ロレンツォの時代にヴェロッキオ、ボッティチェリ、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらが活躍している。
また彼はコジモが創設したプラトン・アカデミーに加わる。ボッティチェリの
絵に現われる新プラトン主義の意匠はプラトン・アカデミーで培われたものだ。
 ロレンツォの死後メディチ家は失脚、追放の憂き目を見る。ロレンツォ・イル
・マニーフィコがその称号の通り、真に偉大だったかどうかは見解の分かれる
ところだが、彼の死によってフィレンツェにおけるメディチ家の黄金時代が
ひとまず幕を下ろした。≫
▼ 500年近い歴史を持つ美術館に、ルネッサン時代の美術品が管理されている。
 欧米人だけでなく、人類の遺産でもある。当時の、メディチ家の当主が、
案内役で説明する設定が良い。彼が、若き日のミケランジェロを自邸に下宿
させ、集めた彫刻の飾られた庭園を開放し勉強させた逸話がある。悩んでいる
時間があったら、ネット上でも良いから、大自然、そして、一流の芸術品に
可能な限り触れること。その触媒から精神が清められていく。で、ないと!?

・・・・・・
5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月17日(木)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 世界観をつくる
 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。
達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、
価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか?
そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、
自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、
その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。
  その世界観を分析、その作り方を提示している。
≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー
�/�念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある
 �▲襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襦�ハードルを下げる
 ��上位2つのニーズ: 貢献と成長
 �ぜ蠱福А.法璽困鯔�たす行動
 �ゼ舁廚幣播澄Аヽ安Δ妨�けた焦点
 ��主要な質問: メリットの多い質問
 〜 上記を,説明すると 〜
� /�念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ
 ・・(中略)  多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、
「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の
 エネルギーを費やしている現実があります。
�◆.襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襪燭瓩痢崋�分なりのルール」が
 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。
 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル
 を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、
 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証
�� 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、
「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを
「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。
�ぁー蠱覆蓮▲法璽困鯔�たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、
 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’
‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、
 望む雰囲気をつくり出す手法」です。
�ァ‐播世髻�内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから
 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する
 ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。
�Α.瓮螢奪箸梁燭ぜ遡筺Аー綉い砲覆辰浸�、迷いが出た時、
 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の
 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫
▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での
 ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を
保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、
二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。
それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、
人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、
どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く!
・・・・・・
4934,コトの本質 −4
2014年09月17日(水)
  * 二十世紀の共同幻想は破綻した   『コトの本質』松井孝典著
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、
現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。
何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は
今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った
カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に
日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想が
 あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後
といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を
規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 
現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想
に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する
ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって
問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること
ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、
それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために
生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味
(共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、
互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、
それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が
理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、
共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない
とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想
というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、
当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。
しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて
いる我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、
生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、
高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング
ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15
のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。
20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、
面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。
・・・・・・
4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
       「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延(著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、
平均10年近くの介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うように
なってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが
人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。
そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、
悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていく
のだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述ー
  * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日は
 ー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。
その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ
猛暑の中、その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともに
ホテルに、チェックインした。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーン
という耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、
ごく短時間だが意識を失っていたという)。仕事柄、少しは脳のことを知って
いる私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった
と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分の
どこかで起こったのではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、
それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に
麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。
左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。 これはへたをすると、
ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…そんな不安さえ
頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない
私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気に
なっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的
には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットから
パスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた
カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうして
いる間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が
到着し(・・略) 救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか
窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前
を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が
読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、
どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に
かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、
極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、
あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に
思い浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で
意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、月並な
表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、
 救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。
状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく書きのこしている。
 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは
思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。


6929,どうだろう、第二次朝鮮戦争は?

2017年09月16日(土)

  * これじゃ、戦争に?
 北朝鮮が国連の制裁決議にかかわらず、再び日本上空を通り越したミサイル
を撃ち込んできた。アメリカ、中国のメンツまるつぶれである。しかし、万一、
第二次朝鮮戦争が勃発すれば、数百万単位の死者が出ることになる。それを
見越した大胆な挑発。悪いことに、アメリカには老い先短い白人第一主義の
トランプが大統領となれば… 。「もし、戦争勃発なら?」と、考えただけ
でも凍り付く思いになる。以下の記事が、もし端的に、その結果を示している。
≪ 米朝軍事衝突が起きたら…「朝鮮半島ほぼ壊滅」 
     元在韓米軍大尉が警告  9/10(日) 7:55配信 産経新聞
【ワシントン=黒瀬悦成】北朝鮮と米国との緊張が臨界点に達し、軍事衝突が
起きたとき、何が起きるのか。在韓米軍で対北朝鮮軍事演習のシナリオ策定に
携わったチェタン・ペダッダ退役陸軍大尉は米外交専門誌への寄稿で、
「北朝鮮は間違いなく敗北するが、朝鮮半島の大半が壊滅する」と警告。
  ◆数時間で死者数万人
寄稿で描かれた想定では金正恩体制は国際社会の制裁で危機に陥り、体制の維持
が困難になったと判断した場合、「韓国への奇襲攻撃」で活路を見いだそうとする。
ただ、北朝鮮軍は弾薬や食糧不足などから戦闘能力は「数日間」しか持続せず、
一気に決着をつけようと、最初の数時間で南北非武装地帯周辺や在韓米軍駐屯地、
日本の海空防衛施設にミサイルで集中攻撃をかけてくるとみられる。
北朝鮮は約2500〜3千立方トンのサリンやVXガスなどの化学兵器、炭疽菌など
の生物兵器を保有し、これらをミサイルに搭載して米韓の空軍基地や補給ルート
に撃ち込み、米韓の作戦遂行や兵力の移動能力の減衰を図る可能性が高い。
同時に北朝鮮のサイバー部隊121局が米韓の銀行や韓国の送電施設にサイバー
攻撃を展開。停電や通信遮断による社会混乱への対処で米韓軍や警察が人員を
割かれる状況となる。  北朝鮮による攻撃開始から数時間で死者は数万人に達し、
ソウルの大半が灰燼に帰する。数百万人が国内避難民と化すとみられる。
  ◆日米中に大量の難民
在韓米軍は初日で数百〜数千人が犠牲になるが反撃。米軍は日本や豪州、米本土
から増援部隊を数日以内に送り込む一方、航空機や巡航ミサイルで非武装地帯
周辺の砲兵部隊や北朝鮮全土の空海軍基地を攻撃。数時間後、北朝鮮の陸海空軍
は事実上壊滅する。しかし、北朝鮮は沖合の潜水艦から特殊部隊を韓国沿岸に
上陸させ、非武装地帯に掘られた地下トンネルを通じて部隊を韓国領内に侵入。
トンネルは1時間に8千人を移動させることが可能とされる。韓国潜伏の北朝鮮
工作員が韓国政府要人暗殺やサボタージュなどのゲリラ戦術も展開。
最後は米韓軍に撃退され金正恩体制も崩壊するが、死者は数十万人に達する
ことが確実視される。中国に難民が流入し、日米は南北から大量の受け入れを
強いられる。朝鮮半島の復興には数十年かかる。これは北朝鮮が核兵器使用に
踏み切らない場合のシナリオで、日本や米西海岸に核弾頭搭載の弾道ミサイル
を撃ち込んだ場合、被害は桁違いに増大する。 ≫
―
▼ これらからみて、アメリカは現在の中東のシリア、イラク同様に 北朝鮮に
 戦争を仕掛けるとみる方が自然。とすると、現在は、「嵐の前の静けさ」か。
安倍政権、最悪のシナリオを立ててあるのだろうか。

・・・・・・
5663,『エゴの力』�ぁ 船鼻璽�ング
2016年09月16日(金)
               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * ドーキング説について
 『エゴの力』で、直ぐに浮かぶのがドーキング説。ネットで検索をすると、
以下の解説があった。
≪ ドーキングの仮説から導かれる結果が
 「究極の利己主義が利他的行動を生む」と
 「単純で気のいい戦略が進化の上では最も有利である」の2つの結論。
・前者は、人間の生き方にも通ずるように感ずる。賢い人は、他人を助けて
その結果が何倍もの自分の利益(満足感や幸福感も利益と勘定して)となって
戻ってきて幸福になっていく。 自分が不幸になるような利他的行動をする
ことは、世の中にはあまり無いのではないだろうか(不幸の定義にもよるが)。
古人も「情けは人の為ならず。」とことわざに残している。
・一方、単純で気のいい戦略というと、米国を思い浮かべてしまう。
米国は、外部から侵略されひどい目に合わされたという経験が無いため、
国家としては基本的には単純で人がいいようだ。単純で気のいい戦略が
最も生き残る可能性が高いというシミュレーション結果は大変興味深い。
ソ連は崩壊したが、米国は種々の問題を抱え込みながらも、これからも、
ずっと世界最大の一等国であり続けるのではないだろうか。
 ドーキンス説は、ダーウィン説と比べて、個体と遺伝子との優先関係が逆転
している。では、そのことに、どんな意味があるのか?それは、「血縁淘汰説」
との関係から判明する。ダーウィン説は、自然淘汰という発想を用いて、進化
という概念をかなりうまく説明した。しかしながら、この説明に反する現象が
見つかった。それは「利他的行動」である。たとえば、ミツバチやリカオン
などでは、「自分の子を育む」という行動をとらず、「他者の子を育む」と
いう行動を取る。これは、「個体は自分の子を残すことが自分の利益になる」
というダーウィン説に反する。こうして、ダーウィン説は矛盾にぶつかった。≫
▼ 学生時代に、『人は利己主義を乗越えることが可能か?』の命題に突き
 当たった。そこで、教養課程のクラス担当の「文学」の教授に、コンパの席
で思いきって聞いてみた。その時の答えが、『一粒の麦は、地に落ちて
死ななければ、一粒のまま。だが、 死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を 憎む人は、それを保って
永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12 ..)の一説を言われた。
そして、『一粒の麦は泣いていたよ!』を加えていた。 私の解釈は、
『自分のエゴを殺せば、多くの命を助けることができる。利己主義は人間の
本質。それを乗越えるには、弛まぬ貢献の努力が必要。』
 最近、知ったのが、高名な文学研究者で、その後、新たに建てられた館に
「野口記念館」と、大学の奨学金に「野口奨学金」とあった。
  〜ネットで『一粒の麦』と検索したところ、
【聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指す。人はなぜ死ぬのか。
あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか、の問いへの大いなる答えが、
この言葉には秘められている。次の世代へ命をつなげることが、自然の持つ
「強さ」だと。個体が不老不死になると、沈滞が免れない。世代が更新される
一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、
社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。要は、
「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと思うわけ。】
とあった。 フランクルが、死の収容所で経験したことは、究極の状況で、
人のために平気で自分の命を投げ出す人たちの存在。深い信仰と、諦念と、
衝動などが、重なってのことだろうが。

・・・・・・
5298,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー��
2015年09月16日(水)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * 法則 3 〜リーダーシップを高める
 ここで、 〜リーダーシップの「3つのカギ」と「5つの柱」〜が提示して
あるが、今から考えてみても納得できる。だが、これは、あくまで起業のケース。
「達成する方法が分かる目標」は目標として小さすぎる〕は、本当である。
パラシュートで、敵地の真只中に飛び降りた時、その対応は出たとこ勝負。
目先の問題を一つずつ解決をしていく、それが起業である。何も知らないで
右往左往しているうちに、解決策が自然と現われ出てくる。崖っぷちに身を
置いてこそ、その知恵が湧き出てくる。リーダーシップも同じ。先頭に立って、
踏んばればこそ、それが発揮できるが、その背後に、十二分の準備が必要だが。
≪ ーリーダーシップを発揮する3つカギー
 ❶「基準を上げる」 ❷「信仰を持つ」 ❸「ビジョンを持つ」
  ーリーダーシップ5つの柱ー
❶ 自分の価値観を知る
❷ 人間関係をマスターする
❸「状況」を変えるのではなく、「意味づけ」を変える
❹ 時間をマスターする
❺ 感情をマスターする  
 〜 法則3の章末の‘まとめ’より
● リーダーシップの有無は、育てたリーダーの数で決まる
● 訓練を欠かさず、「健康」「知性」「感情」「精神」の4つの基準を上げる
●「達成する方法がわかる目標」は目標として小さすぎる
●「自分中心」から「他者中心」の意識が感情面での成長
●「ビジョン」の真髄は、「成長」と「貢献」の中にある
● リーダーシップ能力を高める5つのキーワードが
 「価値観」「人間関係」「意味づけ」「時間」「感情」 ≫
 〜ピーター・セージの格言〜より
● 心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」です。
● 私たちは「意味づけを選ぶ」ことができます。
  できごとが意味を決めるのではありません。どんな状況においても
 「力をつける意味づけを探すこと」があなたを幸福にします
● 組織の責任者としてやるべきことは、「人々が持っている最良のものを
  出させること」で、それは「人々が持っている最良のものを発見させる
  こと」よりなされる
● リーダーシップとは「正しいことを行なう勇気」のことです
● ゴールを設定するときに「達成の仕方がわかっている」とすれば、
  そのゴールは小さすぎます。成長の余地はありません
● その人の人間性を試したければ、「力」を与えよ
● 目標設定する理由は目標達成するためではありません。
 「目標達成できる自分に成長するため」です
●「自分への無条件の愛」が最初にあり、その後「他人への無条件の愛がある」
● すべての中心は「愛」でなければならない
● あなたが何をしても、しなくても、あなたには「愛される価値」がある
 ――
▼ 話は少し逸れるが、「出身地だけは、起業をするな!」という鉄則がある。
 起業の地が新潟駅前で、新幹線で出身地から30分の距離があるが、
地元だったら、間違っても、ここに留まることは出来ないだろうに。
良質な?金融債権以外は、無かったこともあるが。それでも心の傷は深い。
 ー心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」ー
と、あるが、私は、「せめて自分自身が自分を肯定するしかない」。
ある意味で、私のバイアスで、肯定の意味づけを自身でするしかないし、
せめて自分を、まず自身が愛するしかない。 まずは自分に対する
リーダーシップと、セルフコントロールが必要になる。挫折などといって
いられないのが、実は、一番の状況か。 そこに必要なのが自身の温みになる。
その元の「愛」は、両親から受け継がれる。リーダーシップの元は自身の温み!
・・・・・・
4933,コトの本質 −3
2014年09月16日(火)
   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典著
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、
今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方
から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を
捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう
見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。
グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。
また、彼方から太陽や地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて
 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて
みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、
この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、
私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして
考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論
から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、
まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、
これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、
私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、
なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角
 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化
が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に
しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の
日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、
白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、
あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。
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4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
      「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
  * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る
ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ
の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。
これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は
それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる
ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた
記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は
自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が
鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。
それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、
家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」
と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」
ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、
嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。
やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 
その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと
だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと
割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの
色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、
暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、
まずは自分を納得させるしかない。
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4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって
「日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た
堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、
橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の
しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。
既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店
と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、
これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路
に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ
を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の
品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン
を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を
みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。
それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は
5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の
老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。
「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に
家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家
の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、
一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車
をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ
病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、
けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力
の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が
女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で!

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