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堀井On-Line
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2017年09月05日(火)
* 旅客機を別として、空中を飛んだことは 旅行先で空中を飛んだのは(旅客機を別として)、 ・バンジージャンプを二度。<ニュージーランド、南アフリカ> ・パラセーリング(パラシュートで、ボートに引っ張られ空中を飛ぶ) を二度。<フィジー> ・気球を一度。<ケニア> ・ヘリコプターを二回。<イグアスの滝と、ビクトリアフォールズ> ・セスナ機を3度、<マッキンレー、テーブルマウンテン、ナスカの地上図> 飛んでみた。 空中を直接、飛んだ経験は印象に強く残る。 圧巻はバンジージャンプ。 極限でのリアルな恐怖体験は、呼吸困難になるほどの異質の体験である。 何とも優雅なのは、南アフリカの気球からの景観。 書き残すことの秘儀が垣間見れる。 私にとっては、魂の刻印になる。
―――― ーH0705 バンジージャンプ (ビクトリア滝) ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むと ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よく みるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。思わず “私もやりたい!”今年の5月にニュージランドで43mの高さを挑戦! 今度はその二倍以上もある。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて OKの返事! 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。 国境警備員も 本当かと何回も念を押した。 そして……。飛び込み台に立って気がついた。 「高さと恐怖心は正比例である事に!」氷つく恐怖心!後ろをふりむいて “やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ! 何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろよ!” 何とそこには高速道路で170�劼離好圈璽匹納屬鬚呂靴辰浸�の世界と同じ ような空をとんでいる感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけて いく風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりに なり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。 (次はヘリコプターよりのジャンプ!と思い立ったが… 断念をした) ―― (ニュージランド、クラフトチャーチ) 四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、 まさに“身も氷るおもい”そのものであった。 あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。 立って下を見た瞬間まさに金縛り。自分は何でこんな事をしてしまったのか。 自分がここより飛びおりる?… 本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。 そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに四回も私の目をみて念を おしたのも頷けた。 ―― H0609 ケニア・サファリ紀行(�供法� �� 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を 命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の コントラストのすばらしさと、 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。 そして小学校の近くを走っている時みた、 子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。 �� 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。 毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として 自然と一体となり絵になっているのだ �A當�の牧場の乗馬もよかった。 新鮮な空気と草の臭い! その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか! �ささ紊茲蠍�たアフリカの広大な草原。 下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。 �シ,知�て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声! ケニア人の90�涌幣紊蓮�一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。 それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、 物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、 その貧しさに涙を溜めて訴えていた。 日本人の観光客は、年間に一万人に 満たないという。その点で超穴場といえよう。 実感として、一試合で二本のホームランを打った感! であった。 ―― H0807 インカ帝国<夢の旅> ナスカの地上絵編
AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に、 一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化である。 彼等は何を思ってか九百k�屬砲錣燭觜�大な大平原に、 直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。 (その絵と同じものが、当時の土器に描かれているので、 彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。 それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわす カレンダー説などあるという。 灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。 それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。 その数がペルー全土で二百以上あるという。 そしてその多くがナスカに集中している。 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。 本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。 少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは と確信したくなる光景であった。 ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる 縦横に描かれた直線は誰に見せる為のものであろうか不思議そのものだった。 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖に すむ原住民の素朴な生活、そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、 強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏にやきついてはなれない。
高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの 聖なる不思議な日々であった。 (次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、 テーブル・マウンテンとエンゼル・フォールに是非行きたいものである。) (H 8.6/6〜6/12 ) ―― H0909 ギアナ旅行記
この数年、秘境の旅に凝っている! そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。 南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。 そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。 更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が 広がっていた。 インディオの操縦で四日間にわたった 「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った 絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。そこより落ちる滝は多い ときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、世界最長の落差の エンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、 麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。ここでは生物 の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。 そして涙が自然と流れ出てきていた。 二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。 「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、 フッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、 このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、 そして滝だけであった。 ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。 でもそれだけがすばらしいのだ。そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、 新しい世界をかい間見た十日間であった。 圧巻は、セスナで観たテーブル・マウンテンの全景。 (H9.8/23〜9/)
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▼ 以上だが、読返すと、TVからの記憶の追体験は、充分可能と納得する。 これなら、記憶の一部を、この世に残せるし、思い残すことなく全てを抱き 旅立てる。 デジカメが普及する前の写真が多いが、デジカメは便利な代物。
https://blogs.yahoo.co.jp/horii862000/folder/1646884.html
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2017年09月04日(月)
* 近代の始まりは、「ルネッサンス」から 14〜16世紀は中世と近代の境目で、哲学ではデカルト、芸術ではダヴィンチ、 ミケランジェロなどが活躍。テーマの「ルネサンス」は、中世の微睡みを打破 する「文芸復興」を目指す運動をいう。 〜ネット辞書によると〜 ≪ 14〜16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起った革新的な文化運動。 renaissanceは「再生」を意味するフランス語だが,「文芸復興」と訳される ことが多い。ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ 新しい文化を生み出そうとする運動で,思想,文学,美術,建築など多方面に わたった。まずイタリアで始ったが,それにはいくつかの条件が働いていた。 ひとつには北イタリア諸都市の経済的繁栄があったこと,またこれら諸都市が 古代のギリシア,ローマと同じように都市国家の構造をもっていたこと, さらに地理的に古代文化の伝統を伝えるビザンチンやイスラム世界に近接して 接触が多かったことなどである。ここでは市民の現実的世俗的感覚がキリストや 聖者をも人間化する志向を生み出し,ギリシア,ローマの古典やその美術的様式 が尊重され,独特の市民文化が育っていった。この市民文化は特に都市の支配層 である富裕な上層市民の要求に支えられ,ヒューマニズム (人文主義) の立場が 貫かれていた。しかし諸都市のコムーネ体制が衰えて,より広い領域を支配する 君主国家が発達するにつれ,ルネサンスの性格も変化した。15世紀後半から文化 は市民的性格を失って,君主の保護のもと宮廷文化的性格を帯びるようになった。 そして後期ルネサンス文化の中心地であったローマで 1527年に起きた略奪事件 (→ローマの略奪 ) で,イタリアのルネサンスは終息したとされている。 ルネサンスの運動は 16世紀にはアルプスを越えてフランス,ドイツ,イギリス, ネーデルラントなどヨーロッパ各地に広まり,それぞれの文化的伝統および 社会的状況と結びついた独自のルネサンス文化を生んでいく。アルプス以北の 特徴の一つは聖書の研究を通じて信仰の内容を問いかけたことで,これは宗教 改革に連なる面をもった。 ≫ ― ▼ 近代化で欧米文化が底上げされ円熟した19世紀は、近代と現代の境目の世紀。 芸術(とりわけ、音楽、絵画、文学)の世界に大きなうねりがやってくる。 その400〜500年前に近代の夜明けが「ルネッサンス」で、背景には経済的繁栄が ある。その現代も、21世紀辺りから情報社会の到来で大きく変化を始めだした。 インテル社の共同創設者であるムーア(1929〜)が、<半導体の集積密度は18〜 24カ月で倍増し、チップは処理能力が倍になっても更に小型化が進むという法則> を提唱したが、これが加速をして現在に至っている。これは、10数年で、1000倍 の処理能力になるが、ユビキタスとして周辺にも普及し、便利な生活用品が日々、 向上している。その最たるものが、TVや、スマートフォン、タブレットなどのPC。 そのことは、ここで繰返し取上げてきた。何故に、「ルネッサンス」かといえば、 当時の「新大陸発見」と、現実社会を覆って出来た情報化社会と、似ているため。 近代、現代の境目と同様の新しい時代の到来が、情報化社会である。混乱は、 「再生」を孕んだ新たな価値観を模索する材料を提示していると見ればよい。 行き着く先は、「2045年問題」か、はたまた、何か? 今世紀を待たずして、 世界は消滅していくのか?「ルネッサンス」の様相の中に鍵が?「良質な妄想?」
・・・・・・ 5651,閑話小題 〜SJの現場で! 2016年09月04日(日) * チャレンジ5! 二回目の最終日に ・週に3〜4回だったSJでのヨガ・エアロ、試みに二週前から週に5回に挑戦、 SJに行く日は欠かさず参加、昨日で二週間連続10回目になる予定だった。 「昼間の割引コース」の枠内5日間で、月、火、木、土曜日が一回、水曜日 は12時半と15時の二回のプログラムが組まれている。週5回は少々キツイが、 SJの5年半の運動効果と、ヨガの4年半の鍛錬効果で、足腰の重さが半減から 三分の一に減っている。他にも、4ヶ月前から飲みはじめたサプリ効果もある。 先週、5日続けた効果で足腰がより軽くなった為、今週も、「チャレンジ5!」 の標語を内語で呟き、続けてきたが、一昨日のシネマをみた後、腰が変に痛く なってきた。で、昨日は迷ったが、とにかく、10日目、あと一日続けることに した。 その土曜日は、平日コースと、土日・祭日コースが重なるため、人気 のヨガは、午前中に予約チップを取っておかないと満席になる。経験則で、 11時過ぎに、取りにいったところ、既に満席である。顔見知りが、その場に いて、「11時前にきたが既になかった。二時間半前にきて満席とは、ちょっと ね〜」と愚痴。で、「チャレンジ5」の二週連続は最終日で未達成になった。 * 5千万の預金への嫉妬 ・仕方なく、イージーラインを二回続けて参加した後、ベルト・マッサージを していると、二人の中年女性の会話が聞こえてきた。興奮しているので自然と 声が高鳴っていた。それが面白い。 誰かが帰った直後らしく、 『5千万の預金、どうしたら出来るというの。今の私たちには絶対に無理。 話を合わせるしかないので、聞いていたのに。何を言っているのよ。』と。 話の途中で、早々、帰ってきたが、どこにもありそうな話。 ・以前も、書いてことがあるが、長岡駅裏の居酒屋で一人ランチを食べていた時、 近くのSJ<コナミ>の会員らしき中年女性らしき人たちの会話。 『大都会のサラリーマンは、二千万の預金が残るらしいけど、内には無いわ。 貴女の旦那はお医者さん。その位はあるわよね。』に、 『ローンで自宅を買って、まだ残債があるわ。とんでもないわ。』で、他の人 に話を向けると、『それって、夫婦で、一人で?』と自然な答え。 当然、その場が、白けていた。前に取り上げた『5千万の預金』の、続きと酷似 しているが、全く違う人。 家庭間の格差の問題が、こういう場で、知らずに 出てしまうのは仕方がないこと。これも、家内に言わせると、『恵まれた世界の 人たちの範疇の話。そこに行けるだけ有難いと思わないと』だと。 * 白馬のリゾートホテル社長の話 ・去年末の東京の学生時代の同級会で、長野で中型のリゾートホテルの社長を しているAという男が、酒を注ぎに来たときの会話。 A:会社整理をしたと聞いていましたが、大変でしたね。私のところも大変 ですが、オーストラリアとか、台湾、中国の観光客で何とか凌いでいます。 私:何とか、夜逃げをしないで、そのまま、自宅に住んでいます。それでも、 家内も40年間の厚生年金で、家内名義の給与を別にしていたので、生活は 何とか出来ています。 で、二人とも、厚生年金ですか? その辺りから、相手の様子が変と気づいたが、とき既に遅し。 A:家内は長年、病気に伏して給与を与える訳にいかず、年金も国民保険だけ。 そんな、余裕など、全く無いのが現状。 ―― 本人が謙遜で言ったかどうかは不明だが。 無神経だったことは違いない。 私にとって、現状の自分を肯定するのに必死で、ここの言い訳でも、多くの人 を傷つけているはず。いくら自分の心の軌跡として書き続け、公開していると しても、困ったもの。「その返り矢が多いことも気づかぬ愚かしさ」 「自分の血で、他人の傷口に塗り付けている己の愚かしさ」 傍からは、それが面白いのだろうが。 で、以下に丁度よく脈絡が続く。
・・・・・・ 5286,閑話小題 〜老人漂流社会「親子共倒れを防げ」 2015年09月04日(金) * NHKスペシャル 老人漂流社会「親子共倒れを防げ」 ーNHKスペシャル 老人漂流社会「親子共倒れを防げ」ーを、 この日曜日のゴールデンタイムに放送していた。 以前にー老人漂流 「老後破産の現実」ーを取上げ、話題になったが、団塊の世代が老後を むかえた現在、大部分の老人にとって深刻な問題だ。 想定外の9・11テロ、 リーマンショック、3・11震災で、あっけなく事業整理に終わってから4年、 何とか、今までの生活を維持はしているが、目先には大恐慌が待っている。 老人世帯の9割は、他人事ではない。 〜NHKの内容紹介のブログより〜 ≪ 中高年の子どもがリストラや親の介護をきっかけに、高齢の親を頼って 同居するケースが急増している。こうした親子は、子の失業や親の病気などを きっかけに「親子共倒れ」に追いつめられていくケースが少なくない。 密着取材とアンケート調査で「親子共倒れ」が広がっている実態を明らかにし、 どうすれば未然に防ぐことができるのか、専門家を交えて考えていく。≫ ▼ 放送の翌日、見ていた家内が青くなって、録画をみるよう勧められた。 蓄えがなく、癌と分かっていても、病院にいくことも出来ないケース。 親の窮状を、みるに見かねて退職し、面倒をみているため、二人の生活を維持 できる収入もなく窮地に陥るケース。息子と同居するようになって、年金が 打切られて生活が成り立たなくなったケースなどが痛ましい。退職時に、 ある程度の蓄えがあっても、癌などで高額の治療費を払い続けるうちに、 蓄えが底をつくケースもあり、その可能性は、誰にも起こりうること。 国民の3割の預金が300万以下で、全世帯の収入額の中間点の人が600万。 全体平均は1000万円。上位2割の平均が3000万という。 とすると、貯蓄が1千万以下の人が三分の二となると、誰もが老人漂流社会 の当事者になる可能性を大きく持つことになる。近未来を考えると末恐ろしい。 世界は、何とか大恐慌の一歩手前で平成を保っているが、いつ何時、火の手 があがる可能性を膨らんでいる。やはり心せねばならないが、一歩先に、 事業清算をした我が身、毎日、賑わせている「東京オリンピック」バカ騒ぎが、 何とも面白く、哀しく、痛ましく思える日々。少し考えろ、何がアベノミクス! 成るほど、尻尾だけでなく、頭も、やられている! ・・・・・・ 4921,一度、死んでみましたが −3 2014年09月04日(木) * 死の淵からのルポの凄み 〜�� ー淡々とした文章だが、内容が内容だけに凄みがあるー ● 細やかな喜び ーp48 いま寝ているベッドは、"オリ"のようだ。 気を緩めて、身体を狭めると、 柵の範囲がすかさず小さくなってくる。 一度、詰められると、迫ってきた柵は、 もう動かない。身体全体が、不自由な位置で止まる。あらゆる方向へ、もう一回、 自分の手足を伸ばす必要がある。右手で左の柵を持って、右半身を持ち上げる。 または、その逆。目の前に、柵が迫る。 柵のなかで、のたうちまわる。 トドみたいだなあ、といつも思う。思うようになかなか動けないのだが、 ベッドの柵を持って、バタンバタン、ドタンドタン。ほんの少し、右に寄れた。 それでも、‘身体’を感じて、ボクは嬉しいのだ、自分で、自分の身体を、 動かせたことを。 だけど、いつもできるわけでもない。≫ ● 書くことが、生きること ーp222 自動体位交換機能付きのエア蓄ベッド。それに助けられて、ボクは寝ている。 1時間おきにガーガーと音をさせて、エアーが入る。そして、ボクの身体は右に 傾いた緊左に傾いたりする家族が1〜2時間おきに椅子に座らぜてくれたりもする。 自分では動けないからだ。 こんなに身体が変わってしまったのが、いまでも 信じられない。つらかった。けれど、どうだろう? そうなってしまった身体を 嘆いていても、しかたがないじゃないか! このつたない文章が、いまのボクにできることなのだ。 どうしても書かなくてはならなかった。ボクには唯一、書くという機能を神さま が残してくれていた。書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気が するから、ボクは書き続ける。脳のほうはさっぱりだけど、書くことができる。 その機会を与えてくれた友人や仕事仲間に、感謝しても感謝しても、足りない くらいだ。本当に、ありがとう。これからもボクはつまらなくても、忘れても、 書き続けると思う。これからもずいぶん、面白い人生を送ることができそうだ。 迷惑をかけてしまうかもしれないが、これからが楽しみだ。書くことが、生きる ことなのだ。 書いて、書いて、書きまくるぞ。 ー2013年12月 神足裕司 ▼ 著者は、家族が身近に世話をしてくれているが、介護重度5の老人は 生きていること自体が拷問。これは、病院の利益、家族の無知のため、拷問の ため生かしておくのと同じようなもの。安楽死も最近になって正面から取り 上げられるようになったが、まだまだである。 現在の私は、「知ること、 書くこと、何気ない日常を味わい楽しむこと」が、生きることになっている。 そうこう考えると、まだまだ日常生活を色濃く、その間の「ぼんやり」時間を 大事にすべきだが・・ ―――― 4554, 横尾忠則の老人論 2013年09月04日(水) 「猫背の目線」横尾 忠則 (著) 横尾の戒老録だからこそ、風がわりで面白い。「猫背の目線」とは 「老人のものの見方」という意味である。私より10歳年上で3年前の初版で、 古希越えの経験が書いてある。 再来年に古希越えの私に丁度良い老人論。 ーアマゾン内容紹介ーより ☆ 体の声を無視した結果がストレスを起こす。老年を迎えた猫好きの アーティストは、嫌なことはせず、好きなことだけをして生きる。少し日常の 目線をずらしてみれば、あなたも今日からできること。最新エッセイ集! ☆ 古稀を迎えた猫好きの芸術家は考えた。 「忙しいのは他人の時間に振り回されるから」「病気自慢が体を浄化する」 「努力は運命の付録のようなもの」―老年が人生を仕上げる時期ならば、 ひとつ人生を遊んでやろう、遅ればせながら隠居を実行しよう。自然に、 創造的に生きたい老若男女必読。 ー アマゾンのレビューの内容がよい! 出版社か、筆者自身?の書き込みと疑いたくなるほど、である。 《「今まで芸術と生活を二つに分けて、芸術に集中さえしていれば生活を 疎かにしたってどうってことないと考え、全てを芸術論でかためてしまう 人生観を送ってしまったところがあった。芸術は芸術の中でのみ完結する という錯覚は、完全に幻想だったことが理解できた気がする」 この言葉が核心といっていいだろう。 若い頃から、ナルシシストで 自意識過剰の横尾は、75歳になる今年も、そこから抜けるために未だ苦労して いる。自意識過剰から抜けるための試みの一つが、全国あちこちでやっている 公開制作である。 公開制作について横尾は「(公開制作を行っていると) 無私になる。不思議なことに雑念が去来しなくなる。『私』の意識が薄れる」 と語る。この公開制作時のテーマは「T字路」である。なぜT字路なのか? それは62〜63歳の頃に10年ぶりに帰った故郷の西脇で、子供の頃に良く通った、 T字路に建つ模型屋が奥の壁を残して、あとは見る影もなくなっている姿に、 膝が崩れ落ちるような衝撃を感じ、そのT字路を描くことでノスタルジーを もった「個人」から自由になり「普遍的な個」と感じるからだ。 横尾は幼児の頃に叔父の家に養子に入り、溺愛され育った。彼にとって 過去の記憶はすべてよきものと言っていいだろう。決して忘れたい過去に苦しむ 人間ではないのである。芸術と生活は別、と考えて60代にまで至ったこと 自体にに驚くが、同じくナルシシストで、「芸術と日常生活は別」と同じこと を言っていた三島由紀夫に傾倒し多大な感化を受けていたことを考えると、 不思議ではないのかも知れない。》 ▼ 横尾は「隠居は、嫌なことをしない、好きなことだけをする生き方らしい」 と、述べている。それからすれば、昔から隠居ということになる。目先、 不自由でない位の金と、有り余る時間が人生を通してあった。 足らなかったのは、それを使うほどの能力。 事業人生の結果は、自己精算に 近い事業整理で終わったが、充実感が残った。それは、有り余る自由な時間に 恵まれていて、事業も生活も趣味も楽しんだ手応えが残っているから。 そう思うしかないが・・ ・・・・・・ 4179, プライドと自尊心と虚栄心 2012年09月04日(火) * 「プライドが高い」「誇り高い」「自尊心が高い」の違いは? 言葉のイメージとしては良い順に・自尊心がある・誇り高い・プライドが高い ー 哲学者の池田昌子は、このへんのことを解りやすく説いている。 (ー14歳からの哲学ーより) ≪「自尊心がある」はプラスを含んだ言葉で、「プライドが高い」は自分の 弱さをカバーするための防御する気持ち。自分がしていることを自覚できるのは、 それについて考えられる精神を所有している人間だけ。精神は自分を自覚する。 精神としての自分を自覚する。そこで精神にとって精神よりも大事なものは ないと知る。なぜなら、精神としての自分にとって何が大事かを考えることを 知ることができるのが、まさに精神だからだ。自分を大事にするとは、 つまり精神を大事にすることである。「自尊心」とは、自分を尊ぶ、自分を 愛するということの、本当の意味がこれだ。自尊心を持つことと、プライドが あるということは、間違いやすい。誰も自分が大事で、プライドがあると思って いれば、他人に侮辱されても腹が立たないはずだ。なぜなら自分で自分の価値を 知っているなら、他人の評価は気にならないはず。もし腹が立つなら、 自分の価値より他人評価を価値としているからだ。それは自尊心でなく、 虚栄心ということになる。≫ ▼ 自尊心は『本当に自分を尊く思える心』。プライドとは全く違う。 人から否定的な事を言われたり、弱い自分がさらけ出されても自尊心が高ければ、 心は揺らがない。自尊心が低いと、他人の評価を気にしてプライドと言う虚勢で 弱い自分をカバーする。プライドの高さは虚勢の高さに他ならない。 自分を尊び、価値ある存在と信じる自尊心とは違う。そのため自尊心の低い人 ほどプライドが高くなる。年齢をかさねるにつれ、それが小さくはなるが、 女子と小人は、その壁がますます高くなっていく。誇り高いというのは プライドと意味は似ているが、虚勢の高さはプライドほど高くはない。 自尊心とは自分に自信があって生まれる。プライドは、自信がないための防御 の柵をいう。無知蒙昧のカラ元気。 居るよ、こういう人!地頭が悪いというか、 底がない? 何か、自分のこと?と思い知る。プライドも自尊心もズタズタ? が現在の私だが、ことの本質(世界恐慌)をみれば極当然のこと?? と、プライドの心が囁き出す。そして、そのプライドの壁の上から、 そこに来ている恐慌の大津波を眺めている日々。
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| 6015,閑話小題 〜ペットの‘ピー’がビーッと鳴いて |
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2017年09月03日(日)
* ハロウィンのカボチャ カラスが、あいも変わらず自宅の周辺で騒いでいるため、「カラス除けの 目玉の風船」を百均のダイソーに買いに行ったが、置いてなかった。しかし、 ハロウィンのコーナーにカボチャに悪魔の顔を記してある袋があった。 これなら、もしかして大丈夫か?と、買ってきたが、その前に、ペットの ‘マメルリハインコ’の鼻先に、突き出してみたところ、ビーッと鳴いて 羽根をバタつかせて枝から転げ落ちてしまった。その後、丸一日、籠の奥に 身を隠していた。ならばと、2Fの玄関脇の手摺に、目立つように括り付けた。 まる二日経つが、カラスは近づいてこない。 で、昨日、玄関先から周囲を 見渡すと、50m先の電線から、一羽の若いカラスが、ジッと偵察?している姿 があった。 目玉の風船「短期的には警戒するが長期的には効果がない」と 云うから、1〜2週間後には、再び騒がしくなるのだろう…
* スキップ・トレース (シネマ感想) 昨日のシネマは、ジャッキー・チェンが演じるドタバタ。内容といえば、 <ベテラン刑事が詐欺師を追ってロシアへ向かう。その香港警察の刑事と、 米国人詐欺師。刑事も、なぜか追われる身となり、大地を駆け巡る。> 他のシリアスの戦争ものと、迷った挙句、「逃げ回る背景の大自然が卓越 していて絶品}という言葉につられ、決めた。が、期待を裏切らなかった。 中年のジャッキーチェンも、味があるというより、見苦しいが、それはそれ。 千円僅かで、30分もするかしないうちに別世界に誘ってくれるのは、1週間 単位の区切りとしてベスト。 〜評価:甘く見て80〜85点 ところで、「ハッピネスの状態がハッピーを呼寄せる。プラス3にマイナス1。 出来たら6対1」というが、私の実感は、どの位? 「5対1」辺り!。 さて、信濃川土手のチャリ散歩だ。
・・・・・・ 5650,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜�� 2016年09月03日(土) * 後妻業が面白い 昨日のシネマは、ハリウッド映画、『グランド・イリュージョン〜見破られた トリック』か、どうか、迷った末に『後妻業』をみることにした。昨今、離婚が 増えた分、再婚組が多く存在している。 『後妻業』があるなら、『本妻業』と いう専業主婦業の言葉も成り立つ。まあ、8〜9割方が、家庭内破綻をしている というから、長期、短期的に、多かれ相手を追いやっている?。 本妻業という プロ意識があればよいが。 小魚や、蛙に取りつき、一生かけ栄養分を吸い尽す 「タガメ」が『本妻業』の本質である。隠れ後妻業の方がたは、ドキッとして いるはず。 再婚は大変な筈だ。退職金かわりの資産がなければ誰がやるか? 〜今日は、シネマの内容紹介。 明日はネットの映画評を紹介予定。 ≪ 『後妻業の女』 「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くす タイプやと思います」と、結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する 小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロ。耕造(津川雅彦)もその一人。 二人は惹かれあい、結婚。幸せな夫婦生活を送っていた、はずだった――。 2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子 (長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を 相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実 が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う“後妻業の女”だったのだ! そして、 その背後には結婚相談所長の柏木(豊川悦司)がいた。 「結婚相談所に限って言えば、男の高齢者がよくモテる。第一条件は資産が あること。持病があればなおいい。看取る時間の効率が良いから女同士の取り 合いになったりする…」 次から次へと“後妻業”を繰り返してきた小夜子と 柏木、二人を追及する朋美と裏社会の探偵・本多(永瀬正敏)、小夜子の次の ターゲットであり彼女が本気で愛してしまった不動産王・舟山(笑福亭鶴瓶)、 そして彼らを取り巻くひと癖もふた癖もある人々…。 今、愛とお金をめぐるドラマが始まる――!! ≫ ▼ 350席の中ホールの客席が、ほぼ、熟年夫婦と、中年女性の二人連れで、 埋まっていたのには驚いた。かって無かったことである。この映画の圧巻は、 可愛らしく自己紹介する小夜子役の(大竹しのぶ)の魅力。そして裏の悪女の 顔を使い分ける演技は絶品。その彼女に男たちはイチコロ! その下唇を突き 出した悪女顔は、鬼気迫る迫力がある。清純派から悪女までをソツなくこなす 大竹しのぶに、大女優の片鱗を垣間見れる内容でもある。 評価;90点
・・・・・・ 5285, ー「原因」と「結果」の法則 ー 〜�� 2015年09月03日(木) ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著) 学生時代に読んだカーネギーや、最近では「7つの習慣」のコヴィー博士など の啓発本のハシリの本。森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に 移行したこともあり、純粋に、こういう考え方を受け入れることが出来る立場に なった。良い原因をつり続ければ、良い結果が現れることは分かってはいるが・・ そこが生身の人間。 四苦八苦は、人間に生まれてきたからにはついて回るが、 その三倍の楽を常に心がければ、何事も上手くいく!ことになる。 三倍を楽しむことは、日常生活の細部を楽しむ習慣化すれば決して無理ではない。 ピュアーな心根を持って、日々の細事を楽しめばよいだけ。 ーまず、アマゾンの商品内容の説明文より ・< デール・カーネギー、オグ・マンディーノなど、現代成功哲学の祖たちが、 もっとも影響を受けた伝説のバイブル『AS A MAN THINKETH』。聖書に次いで 一世紀以上ものあいだ読まれつづけている、驚異的な超ロング・ベストセラー! 「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。 私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。 『原因と結果の法則』は、目に見える物質の世界においても、目に見えない 心の世界においても、つねに絶対で、ゆらぐことがないのです」(本文より)> ー次に、あるビュアーより ・《「私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境 (結果)に運んできた」ということになります。つまり、自分の「思い」が 自分の「人生」を創り上げているということです。人の幸不幸は、その人の 環境と、その環境をどう思うか、その人の人格によって決まります。 環境が幸せなものならそれだけ幸せになりやすい、また、幸せになれる 人格をもつ人はそれだけ幸せになりやすい、ということです。 幸せになるためには、自分の環境を(幸せなものに)変えるアプローチと、 自分の人格を(幸せになれるべく)変えるアプローチがあるわけです。 自分の環境を変えるためには、自分が幸せになれるような目標をもって 努力すればいいのでしょう。 自分(の人格)を変えるためには、自分 (の心)を育てる努力をすればいいのではないでしょうか。》 ・《 何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが啓発書。 本書は1902年に英国の作家によって記されたもので、世界に数多くある啓発書 のルーツとも言われている。意外なことに、日本語版は今回が初出となる。 現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない と説く。結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある 支配的な思いにあると言う。「人間は身勝手な欲望を放棄しているとき、 搾取する側、される側のどちらにも属さない」という記述からは、当時の 英国社会に蔓延していた閉塞感を宗教以外の論理で解消したいという狙いが うかがえる。「自己制御は熟練技能」という啓発書の基本が、1世紀前に存在 していたことは興味深い。》 ▼ この年齢になっても、いや、なったからこそ、この原因と結果の法則には、 考えさせられる。 「いま、ここ、わたし」は、これまでの、自分の 「おもい」の結果である。 自然に任せておけば、大方は、いいこと、 わるいことは、五分五分になるが、意識して、いいことにアプローチをすれば、 わるいこと1、よいこと3にすることが出来る。それを対象、環境にも応用が 出来る。嫌なことがあったら、よいところを3つ探せば、確かに、そこにある。 自分の人生でも、同じことがいえる。老いると自己嫌悪に陥りやすくなり、 過去の全てをマイナスの視点で照射してしまいがちになる。 しかし、その視点で凝視すると、三倍、十倍のプラスの経験がある。 ・・・・・・ 4920,閑話小題 ー女社会のカースト制度 2014年09月03日(水) * お笑い、女社会のカースト制度 以前、目白の高級?住宅街の住人の「渡り僧侶」の奥さんが、 このカースト制度社会で虐められて、相手の子供を殺してしまう痛ましい 事件があった。 今朝のTVで、そのカーストの実態を放送していた。 「巷の社会学」を40数年、独学を続けてきたため、その扱いが面白おかしく 一人ニヤニヤしながら見ていた。それによると、階層が、セレブ、中間層、 最下層の三階層あって、大部分を占める中間層が、セレブもどきの小金持と、 普通のサラリーマンに分かれている。そして最下層は、その中に入れずに 除外されている人たち。 その色分けは、セレブは高級マンションから アパートの住まいと、子供の学校のレベルと、夫の年収と社会的地位などで される。セレブもどきは、中級のマンションか一般住宅の住人で、一億前後の 資産? 最下層はアパートか、中間層から排除された人。それをわきまえ ないと、露骨な嫌がらせか、村八分にあうという。高層マンション住民にも、 上層階ほど値段が高いので、自然と上ほどランクが高くなるとか。 男社会の仕事の現場も似ている。 それは面白いが、一切に触れないように、 アウトサイダーに徹し、ガードを張って生きてきたが、この事態に、差別? の露骨な嫌がらせに何度か受けたが、20年近く前から、森の住人から、 サバンナに軸足を移動していたため、動揺は少なかった? というより、 コミカルな蔑視の対象にしてきた。 ところで数年前、家内のところに、見知らぬ人から一枚の手紙が来た。 その内容が「近くの高齢者向マンションの住人で、人伝に貴女が共立女子大 出身と聞きました、何かの御縁、お茶でも飲みませんか」の誘い。断る理由も ないので、早速、ホテルのレストランでコーヒーを飲んできたが、時々、 同窓の集まりがあるので、参加しませんかの誘いであった。 あとで知ったが、この会の新潟支部長の長男と、私の長男が高校の同級生で、 その人からの指示があったのでは?と推測された。で、何時の間にか、 その世界にドップリ浸かり、今では支部長の妹分?のようだ。 人から見たら、カースト制のセレブ?か、セレブもどきの世界。 その顔ぶれは?? 慶応出の女子部会も、あると聞いたことがある。 この視点でみれば、家内はセレブ社会の住人に入り込んだ「セレブもどき」で、 私は最下層の住人になる。いや、最下層からも弾けだされた人非人。 元もと触れなければ、一切関係ない世界。これに拘り視界狭さくをしている のが世間様。娑婆娑婆である。 ーまた偶然だが、以下の文章は、子供時代の目線の中に、 その存在が、モロに現れ出ている。 ・・・・・・ 4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2 2013年09月03日(火) 写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をして いたか思い出してみた。私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、 各々の実家の職業は全員、憶えていた。半分以上は幼稚園から同窓で何処かで 同クラスだったためだろう。 焼鳥屋、自転車屋、ペンキ屋、乾物雑貨屋、 美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、青果卸業など、駅前もあって 商店主の子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、 社長をしている)と土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然。 中学校は全員、東中学校に進み、2、3年時での同クラスは男は私を含め7人。 女は3人。その後の人生をみると、高校と、大学に進むにつれ分別され、 そこで大部分が決まってしまう。それ以前から血筋で決まっていた? 当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。 やっと商店内の生活から解放された。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め 始めていた。目の前のライバルがハッキリしたこともある。実家の力関係と、 相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が出来ようとしていた。 その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、 テストで百点をとってみな! そうすると、他も自然に良くなるから!」 その時、「これだ!」と思い、実践したのが勉強の目覚めの第一歩。 他に店から自宅と生活環境が変わったことが成績に大きく左右をした。 また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。 勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。その上、居間に TVが入って夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、 「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。そこでガムシャラな勉強を始めた。 一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら地元の受験校さえ 入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる重要性を 学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分が ディズニーのキャラのように見える。頭でっかちで、親が、そのまま縮小した ような姿で、未来の人生に向かって精一杯生きていた。 この切り口は、 人生の全ての場面に当てはめることが可能。自分とは過去の積み重ねから 成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。この文章を書いて いて気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無) に逆照射すれば、同年代になる。その意味で、団塊の世代にとって、 昭和三十年前半は意味がある。里帰りということか。 やはり「人生は生きているうち」。 ・・・・・・・ 4178, 事実と真実と真理について 2012年09月03日(月) * 「真実」と「事実」の違い 事実の中にある真実とは、そもそも何かという素朴な問いかけがある。 以前、自宅に電話の苦情があった。「さっき、お宅の犬に突然に飛びかかられた。 子供のヒモが外れたのは分かるが、危険過ぎないか。腹の虫が収まらないので、 電話をした」と御立腹の様子。ところが家には子供も犬もいないので、 「何かの間違いではないですか?」というと、「御宅の前のアパートに住人で、 駐車場から突然、飛びつかれた」という。そこで「電話番号を間違えたのでは?」 というと「間違いない」と、押し問答。後で分かったことだが、自宅奧の貸家の 住人が、何時の間に犬を飼っていたのである。それなら勘違いは分かる。 アパートの住人は裏に、もう一軒、家が存在しているなど知るよしがない。 事実は、我家の駐車場から飛び出してきた犬が突然、飛びかかったのである。 その現象の事実は、そうだが、真実はこうである。今回の倒産劇で、B層、 C層レベルの創作話が多く流れたようだが、誰も好意的解釈などするはずがない。 ー 以下は、、ネットで、「事実と真実」を検索してみた内容である ー ≪●「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、 または理解を通して視られるものが『真実』である」 ● 事実と真実の違いは、5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」に ついて言うのが事実です。表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが 真実を見つけるということ。真実を追求するというのは、 事件や問題の 背後にある何故そうなのか、を見つけること。 ● 真実・・・嘘のないこと、本当のこと 事実・・・現実に起きたこと 本来なら「真実」=「事実」に ならなければならないが、うはならないことが多く「多くの人間は見たい 現実しか見ない」。 真実とは「見た人が見たい現実をみているもの」、事実は一つだが真実は 人の数ほどある。 真実はそれを口にする人の価値観と切っても切り離せない。 「事実」は人間の外部にあるものだが、「真実」は人間の内部にあるもの。 「客観的事実」という言葉はあっても「客観的真実」という言葉を聞かない。 問題は、人の認識がそういうものである以上、はたして、「事実」を「事実」 として認識できるのか?という問題が生じる。そうなると、「真実」という のは本当にあるのか?という疑問も生じる。≫ ▼ 寺山修司の言葉に「真実の最大の敵は事実である」がある。真実は、 事実の中にある、それぞれの解釈でしかない場合が多いからである。世間では 「事実の最大の敵はウワサである」になる。それがウワサがB級層では事実に なってしまう。教養とは、そのへんを見分ける知識の蓄積をいうが、とにも かくにも考えない人が多い。ひと事ではないが。そういえば、学生時代のゼミで、 ケーススタディを一年間してみた。次回分のケースのプリントを渡された内容を 10人ずつ二グループに分かれて議論して、それを持寄り20人の円座を組んで 再び議論する。提出された問題の中の答えとの誤差を、更に議論する。 半年も月4回もしているうち、その誤差が無くなっている。 事実=現象の中の真実、真理を見通す能力の訓練だった。 ・・・・・・ 3813, 無知の涙 2011年09月03日(土) * 問題は悪意より無知から生じる――ハンロンの剃刀 ー「ハンロンの剃刀」とはー 「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(愚かさによって充分に説明できる ことを悪意のせいにすな。)」頭にきた行為が愚かさで説明できれば、必要以上 に悪意を想定するな!ということ。この定理を知ると、不満やトラブルに遭遇 した時に、相手が本当に悪意に基づくものか、無知や愚かさからくるものか、 を間をもって判断できる。そうすれば、その大部分が無知から生じていること を知る。しかし現実に厄介なのは、悪意より無知からくる方で、無知の自覚が ないから始末が悪い。「知らぬが仏の恐ろしさ」を、他者に、多く見てきた。 いや、それ以上に過っての自分を振り返ると無知の涙を経験してきた。今もか。 人生は無知から生じる問題を解決するプロセス。大体のことが、この法則で (少なくとも他人への)怒りをなだめることができる。それで問題は半減。 「本来、人を理解するのは至難のわざ」である。 自分さえ分からないのに、 他人のことなど分かるわけがない。その他者に悪意を見出しても何にもならない、 という道理は納得できる。一番怖いのは、無知の善意。あとで、悪意がつく。 ー「ハンロンの剃刀」をネット検索で調べるとー 【 ハンロンの剃刀とは、オッカムの剃刀の代用品である。あくまで代用品 なので、切れ味はそれなりである。しかし、その切れ味の悪さは単に研磨屋 の腕が悪かったり、粗悪な鋼を使ったりしているためであって、別に悪気が あった訳ではない。もちろん穿った見方をすれば「腕を磨いておかないのは 研磨屋の怠慢すなわち悪意である」とか「素材に良質な鋼を用いないのは商業 倫理に悖る卑劣な行為」とか言えないこともないが、そう何でもかんでも バッサリ切り捨てないのが優しさと言うもの。 要するに「無能な(≒悪意はない)んだから、許してよ」という言い訳。 「無能で説明できるなら、それに悪意は存在しない。】 何かドッキとする言葉。 無知蒙昧を、一々取り合わない、 腹を立てるだけロスということ。出来たら、孤高でありたいが・・無理。
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2017年09月02日(土)
* 4kTVを入替えて8ヶ月 去年暮れに、寝室のTVを7年ぶりに入替えた感想を何度か書いてきた。 その1年前に、ブルーレイを入れ、WoWoWの2台目契約をして、1年分の 映画、ドラマ、海外旅番組など、私専用の300本を録画していたこともあって、 毎日が面白さが格段、上がった。その上、TV画面がフルハイビジョン以前の 100万画素から1100万画素にアップ。0・3の視力が3・0になっと同じようなもの。 更に、ネット配信で、YouTubeなどの映像が自由にみることが可能になった。 これは、生のリアル社会より、虚構のドラマや、旅人の代行をするレポーター の映像に埋没する「オタク」に陥ってしまう。 まだ、スポーツジムと、 早朝のポタリングと、図書館と、随想日記で自己主張の外出が組んであるため、 平衡感覚を保てるが。 5〜7年スパンで、TVを入替えてきたが、7年前に入替えた時の驚きも大きく、 日常のTV生活が大きく変わってしまった。地上波の全ての番組を自動録画を 28時間分してくれる。ゴールデンタイム19〜24時まで設定すると、約5日分を 録画をしつつ、過ぎた分を消していく。これでゴールデンタイムの気になる 番組から開放される。その分、録画したドラマや、BSの番組を見れる上に、 録画機能が内蔵されているのが、意外と便利。イチイチ録画機を立ち上げる ことなく録画を呼出せるのが、便利になっていた。ところが、今度の4kは… ということで、ますますオタクバカになっている。 〜HP内検索をすると、よくぞ!と感心するほど、詳細に書いていた。 余程、閑とみえる。
・・・・・・ 2017/06/17 閑話小題 〜話題の「4k、8kTV」とは 〜1 * 2k、4k、8kTV 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。 その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、 視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。 〜ネット検索で調べると〜 ≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目 されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと 呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる 8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。 フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても 液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫ ― ▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。 同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」 と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、 これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで 関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、 今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、 納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。 8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」 が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に…
―――― 5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 2017年02月01日(水) * 冥途の土産に ・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの 録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月 経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に 秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。 決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、 やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。 奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。 これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、 何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 ・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから 終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に した世界に変っていた。 ・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される 力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。 ・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像 を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、 葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が 違う」と聞いた情報。 ・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像 世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では 圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。 「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」 ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった ためという。 ・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代 になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。
―――― 5804,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −2 2017年02月04日(土) * 鮮烈荘厳で神秘に満ちた粟粒の光景 たまたま、7年前の写真家・白川義員の文章があった。 4k8kTVで、YouTubeサイト、『世界の秘境 高画質』などで検索すると、 次々と息をのむ光景が出てくる。それも現場で見るのと遜色ない神々しい シーンなら… 何おか言わんである。4k8kのビデオカメラから映し 出された世界中の秘異境の高画質のものなら、感動しないわけがない。 間違いなく旅先で神秘的な光景を見ることが出来るとは言えない。絶妙な 天候などで、外れる可能性を含んだ上で、その神々しい光景との一期一会の 出会いが感動を高めてくれる。 『長岡花火 フェニックス』と、音声入力 をすると、現場の裸眼で見るのとは違った高性能カメラが映しだす信じがたい 色彩の花火が息もつかさず現れ出てくる。 以下の文章にある、 <スゴイ景色との出会い>が、現場とは違ったカタチで、TV画面を通して、 気楽に見れる。 毎日、その画面を見て、独り溜息をついている。 秘異境での光景との出会いが沈殿してあることもあるが。 それもこれも、高質な『キーワード』に順じて写真、映像が出てくる。 経験があればこその『キーワード』であり、映像である。これが、プロだけで なく、一般人が高性能のデジカメを持てる時代の産物である。 例えば国際線の 機長が、機上で目にした下界の光輝く景観の写真集を、図書館で見つけたことが あった。機長しか見れない光景だからこそ素晴らしいのである。 娑婆に執りこまれていては、見ても見えず。そちらから、娑婆を新たに 見れば、内幕情報とか何とかなど、何おかいわんになって然るべきになる。
―――― 5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3 2017年03月05日(日) * 現在も驚愕の日々が続く 〜ドローンで空撮 昨年の秋に東京の葛飾に住む一回り年上のカメラマニアの従兄から、 「4kTVと、ビデオカメラが如何に素晴らしいか」を教えてもらい、寝室の 6年半使用のTVを少し早めに買換えた。当然、さほど余裕がない立場の身、 家内からの激しいバッシングを受けることに相成った。 従兄が語った 「私は進行ガンで老老介護の日々。生まれるのが10年早かった。ドローンに 8kカメラをつけて、名所の自然を空中から撮ってみたかった!」という悲鳴 に近い口惜しさが直に伝わっていた。そこで一月かけて、4kTVとは如何なる ものか、家電店を10回近く見て回った。特に「ソニーの‘ブラビア’は別次元 の世界に誘う。4kだが実際は8kに近いしろもの」という殺し文句を数人の担当者 から聞くことができた。 人間の視覚を遥かに超えた4k・8kの画面は、現地 で見るより数倍に視覚能力を持つ。 TV検索によるネットサーフィンで昨日、 行きついたのが、 <ハネムーンに400日! BBCも取り上げた日本人夫婦の仰天新婚生活>の映像。 そういえば、去年の暮れに話題になりワイドショーで取上げていた。 〜ネット検索によると〜 【 「一生分の夫婦の話題づくりをしよう」 そんな一言から、ある夫婦の壮大な旅路が始まった。関西国際空港から飛び 立った2人は400日をかけて地球を一周、48か国を巡った。2人は自分たちのこと を「ハネムーントラベラー」と呼ぶ。400日間の世界一周旅行は彼らにとっての 新婚旅行だったのだ。新婚旅行で世界一周というのもユニークだが、彼らの旅 にはもうひとつ独特な試みがあった。行く先々でドローンを飛ばし、世界各地の 名所の空撮映像をSNSで公開していたのだ。これをイギリスの国営テレビ局BBCが 報じたことによって、2人はいちやく有名人になった。千貴さんがネット上に アップした一連の動画の合計再生数はいまや1000万回を超えるという。 400日間もの旅路は夫婦に何をもたらしたのか、そして夫婦を旅にいざなった ものは何だったのか。2016年8月に日本に戻った。新たな生活を営み始めた2人に 話を聞いた。<ドローンから撮影した絶景はこちら> 】 ▼ 従兄も、これを見たのだろうが、写真マニアなら実に無念のはず。 私が50年かけて51回、合計延べ500日間、予算が3500万円。 この二人は、予算500万で、400日。家賃3万円のアパートに暮らし、徹底した 節約生活を送り、2年でこの大金を貯めたという。それにドローンに4kビデオ。 何とも羨ましい限り。プログラマ―のため、仕事で路頭に迷うことがないという。 2人の行先の多くが重なる… 毎日、真昼間から寝室に籠り、異世界に入り込む のも、変といえば変だが、それでも精神は異世界で羽ばたいている。 〜で、再び、文脈が、去年の同月同日の内容に続く。
ー――― 5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4 2017年03月06日(月) * 世界の絶景をドローンで空撮 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿 した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、 節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面 をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。 その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた 星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの 空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。 〜2人のネット記事から〜 【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、 これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。 「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。 世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の 写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が 近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。 それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」 いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ 2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した 映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、 BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。 ● 2人が旅から得たものは? ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。 例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略) 上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、 すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。 パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験 だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。 千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している 映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、 『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示 している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、 最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、 「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。 ― ▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。 この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの 進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代 からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の 受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。 〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。
ー――― 5835,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −5 2017年03月07日(火) < 体感!グレートネイチャー!「奇跡のビッグウェーブを追え! 〜アメリカ ハワイ〜」(BSプレミアム)2月25日21:00 * ビックウェーブのド迫力 映し出される映像の圧倒的迫力に魅入って自分に、「いい歳をして、何を しているのか?」の内なる言葉は軽く打ち砕かれる。ムササビスーツを着て、 頭の先にビデオカメラを装着してムササビのように滑空する録画や、大津波で 流される街の衝撃的映像を見るにつけ、魔物に憑かれたように冷静に見ている 自分に驚かされること屡々である。 大空に展開されるオーロラや、アフリカのサバンナの野生動物の生死をかけて 生きる姿は、現地でないと分からない。 が、現在のデジタル技術は、それを カバーするところがある。その一つが高さ20mのハワイの巨大サーフィン! 色々な撮影手法で迫力ある波間の一瞬を映しだす。ハワイには、様ざまな要素 が重ねって神秘的な大波が打ち寄せる! 〜NHKの説明では〜 ≪・ハワイ・オアフ島ノースショア。真冬になると巨大波が押し寄せる海岸線。 20mもの波はエメラルド色の分厚い壁。重低音を響かせて白砂のビーチで 砕け散る。取材班は熟練のサーファーとともに、巨大波を追跡。目の当たりに したのは高さ15m、5階建てのビルに匹敵する巨大な波。キラキラと輝きながら 刻々と形を変え、まるで生きたガラス彫刻のようにうごめく。 波の先端が丸まって円柱型のトンネルが形作られる「パイプライン」。 その内側の世界を熟練サーファーに取り付けた小型カメラで写し取る。 ・なぜノースショアには大きな波が到来するのか?ハワイ諸島の空と海を縦横 無尽に探索し、たどり着いたのはホットスポット型噴火によって点々と並んだ ハワイ4島の絶妙な位置関係。日本の嵐に端を発した波が、巨大波となって たどり着く奇跡的なメカニズムだった。今までのグレートネイチャーとは一線 を画す、清涼感あふれるエンターテインメント大作。巨大波が放つ圧倒的な 自然美をたっぷりと体感する。≫ ―― ▼ サーフィンに魅入られ移住してきた父親と息子。父がパイプラインの中を サーフィンする一瞬を撮影する。本人の頭にはカメラがある。その迫力ある 映像の世界は見ている者にも共同体験の錯覚をもたらす。去年あたりから、 メガネ型動画プレイヤー が家電店頭に並ぶようになったが、これが次世代の バーチャルの世界? あと10年、生きたくなってきたが… 3年間に圧縮可能? もっとも、今どきのハリウッド映画の世界は、バーチャルそのもの。 「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅言葉が あるが、毎週、異次元世界を見ているのに、今さら何を? …で、次は「パンプローナの牛追い祭」 その次は、「リオのカーニバル」 「イグアスの滝」「グトルフォスの滝」「イスラエル巡礼の旅」。 …行って 見てないが、「メッカ巡礼」の集団礼拝が面白そう。 <行ったつもりの世界異境の旅>のテーマがコンセプト?
―――― 5837,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −6 2017年03月09日(木)
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2017年09月01日(金)
ー幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著) * 想像してごらん 仕事なんてしなくてもいいのだと ‘はじめに’冒頭の、ジョン・レノンの「イマジン」の著者の「替え歌」が良い。 リタイアから、このかたの私の気持ちそのもの。 ・「創業を心に決めた20歳の時節。その計画に従い、自己配転をしていた時節」 ・「時節到来と、創業を始めた34歳の時節」 ・それとも「還暦までに、30年分を圧縮して生きると、決心した51歳の時節」 ・「事業清算を決断をした65歳の時節」 まず第一歩が、目先の他者評価を無視すること。これは現在も続いている。 これに慣れると人生が激変する。社会が全く違って見えてくる上に、俄然人生 が面白くなる。 この替え歌のような「自らに由る」自由意志が生まれてくる。 世間体とかいう妄想から解放される。せっかく80年の生命体を頂いたのだから。 譬えるなら「他の宇宙から、80年間地球観光ツアーのため、心身を与えられ、 地上に放りだされたのだから」… 仕事などしない方が良いに決まってる。 生きるために必要な術なら、「前半は仕事。後半は遊び」と、出発点で割り 切る生き方がよい。自由、平等、博愛など妄想だが、それでも心の奥底に、 指標として必要欠くべからざる理念。 6年前に、このことに気付き、ここで似たようなことを書いてきた。 背中に天使の様に羽根が生えフワフワ浮いている感覚。 < 自分勝手に、何に縛られていたのだろう。縛っていたのは自分自身。 朝起きて、パソコンに向かい、ひとテーマの文章を完成し、ネット上に上げ、 自転車で信濃川土手の二つの大橋を一周して、居間でTVをみながら、コーヒー を飲んだ後、朝食ととり、朝風呂に入り、午前中は読書か、ネットサーフィン。 … 少し物足りない感がないでもないが、見渡すと、殆どの人達が、反面教師。 「あれは、何じゃ」で、それは吹き飛んでしまい、以下の歌詞のとおりになる。
≪ ーはじめにー 想像してごらん 仕事なんかしなくてもいいのだと。 ほら、簡単だろう? 気が向けば働けばいいし、遊んで暮らしたってかまわない。 自分の時間を犠牲にすることなんてないんだ。
想像してごらん 束縛なんかないのだと。 そんなに難しくないだろう? 好きな土地に住もう。田舎でも、都会でも。 旅するように移り住むのもいいし、リゾート暮らしも素敵だね。
想像してごらん。 目覚めと共に起きて、眠くなればベッドに入る生活を。 疲れたら横になればいいし、気が乗れば徹夜したっていい。 明日のことなど気にしないで。
想像してごらん。 朝の陽射しの中で飲むビールを。 いつでも旅に出られる気ままさを。 そして、ありったけの情熱を傾けられる、何かのことを。
そのために君がしなければならないことは、ただ、ひとつ。 それは、残りの人生を過ごすために必要なお金をつくってしまうこと!
ひょっとして、今、笑ったかい?
君は言うかもしれない。金持ちの戯言だって。 運や才能に恵まれた人間の自慢話だって。 いや、決してそんなことはないんだよ。 必要なのは、ちょっとした努力と、コツだけさ。 ――
本書には、そのコツが書かれている。 そんなに難しいことじゃないんだって、わかってくれると思うよ。 ちょっとした努力の方は、自分でなんとかしてくれ。 この本を手に取るくらい好奇心旺盛な君なら、問題なくできるはず。 ただし、常に用心を怠らないように。両目をしっかりと見開くこと!
幸運を祈る。 ≫
ネットで、歌詞を検索すると
Imagine there's no Heaven It's easy if you try No Hell below us Above us only sky Imagine all the people Living for today...
Imagine there's no countries It isn't hard to do Nothing to kill or die for And no religion too Imagine all the people Living life in peace
You may say I'm a dreamer But I'm not the only one I hope someday you'll join us And the world will be as one
Imagine no possessions I wonder if you can No need for greed or hunger A brotherhood of man Imagine all the people Sharing all the world
You may say I'm a dreamer But I'm not the only one I hope someday you'll join us And the world will live as one
想像してごらん 天国なんて無いんだと ほら、簡単でしょう? 地面の下に地獄なんて無いし 僕たちの上には ただ空があるだけ さあ想像してごらん みんなが ただ今を生きているって...
想像してごらん 国なんて無いんだと そんなに難しくないでしょう? 殺す理由も死ぬ理由も無く そして宗教も無い さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって きっと世界はひとつになるんだ
想像してごらん 何も所有しないって あなたなら出来ると思うよ 欲張ったり飢えることも無い 人はみんな兄弟なんだって 想像してごらん みんなが 世界を分かち合うんだって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって そして世界はきっとひとつになるんだ ―― 森山良子 今日の日はさようなら 歌詞
いつまでも 絶えることなく 友達でいよう 明日の日を夢みて 希望の道を
空を飛ぶ 鳥のように 自由に生きる 今日の日はさようなら またあう日まで
信じあう よろこびを 大切にしよう 今日の日はさようなら またあう日まで またあう日まで
<忘れてしまったな、この感覚。 「イマジン」と共にTVのYouTubeで聴いてみようか>
さよなら さよなら さよなら はい さようなら!
・・・・・・ 5648,「家、ついて行ってイイですか?」 ー�� 2016年09月01日(木) * ぬいぐるみに話かける男 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずというより 偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性と奥深さを見ることが出来る。 先日みた、「ぬいぐるみ」に話しかける青年が印象に残った。 そこで、 「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索したところ、違う人 がネット上で、「ぬいぐるみ依存の自分は変か?」の問いかけがあった。 「なりすまし」? それともTVに出た人かどうか不明。 都会には、地方出身の孤独な群集が多い。彼らは過去を引きずり、面白く、 哀く、ほろ苦く、温かく、複雑な人生劇場を生きている。〜まずは問いかけ〜 ≪ 20代後半の男。 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を 重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに 今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中 とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので 洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。 そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、 話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、 1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、 昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。 他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」 だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。 捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。 ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと 思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか? キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫ ▼ 青年がぬいぐるみに語りかける実演を見て、「大の男が気持ちが悪い!」 とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、この随想日記が、ヌイグルミ に近い存在と思えたため? 親元を離れ、大都会で暮らす孤独は、慣れるまでは 本当に辛く侘しいもの。しかし、青年期に親元から離れ自立することは、人生の 重要な必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、都会 で新たな友人を見つけ、新たな自分をつくるチャンスである。 私が以前に書いたはずの、「家、ついて行ってイイですか?」をブログ内検索 をすると、以下のようにあった。 読返してみて、「いま、ここ、わたし」は、 垂直に立って、現在と、過去と、未来にループして、多くの時空を飛びまわる ことが出来るということに気づいた。だからこそ、止められない。何度も経験 することは、過去の文章に、「あなたは誰?」と見知らぬ誰かを実感する。 「いま、ここ、わたし」が、それぞれの場面に吸い込まれているため。 ―――― 2016/04/12 「家、ついて行ってイイですか?」 ー�� * 最近のTVは、実に面白いのが多い。 その時どきのウェーブがあるが、最近のTVは、面白いのが多い。 『Youは何しに日本へ?』『家、ついて行ってイイですか?』『世界街歩き』 『火野正平 こころ旅』など、軽い目線で、街や村の道路で声をかけたり、 街歩きをする番組などである。チョッとした旅行をしたいが、面倒だったり、 通りすがりの人の私生活や人生を生(なま)で覗いてみたい気持ちを代行 して、ズカズカと入っていく面白さは格別。 『家、ついて行ってイイですか? 』を検索すると、以下の内容説明があった。 < 終電を逃した人に「タクシー代を出すので家について行ってイイですか?」 と声をかけ、家を見せてもらいインタビューをおこなう。 深夜、急に訪れる 片づけられていない素のお宅は、その人の人生ドラマが 散りばめられた宝箱。 そして誰しもが、一見フツーでも 、ぜんぜんフツーじゃない 人生ドラマを 持っている! そんな素敵な市井の方々の人生譚を覗いていきます。> 昨日見たキャバクラ嬢や、美容師の変態ギャルのキャラクターと実態に、 お笑い5人のスタッフが、呆然と声を失う。最近、見始めたばかりなので、 過去分を動画のYoutubeで見ると、あるある面白い人生が。 『YOUは何しに日本へ?』の検索には、 < 空港に居合わせた外国人(永住・帰化した人物なども含む)に 「YOUは何しに日本へ?(Why did you come to Japan?)」と問いかけその返答 の様子や、気になる返答をした人に密着取材を依頼し来日した目的を果たす様子 を放送する。番組内では性別・年齢問わず名前ではなく外国人はすべて"YOU" (複数ではYOUたち)と呼称するが、密着時には混同を避ける意味もあり個人名 も使われる。基本的には半日から数日間の密着であり放送も一度限りだが、 長期の旅行や研修に密着する場合、放送回をまたいだり、しばらくしてから 後日談が放送されたりするケースがある。基本的に密着時はYOUの日程に合わ せて行動するため、出先の店舗や施設ではその場で撮影交渉を行うことが ほとんど。> それぞれの分霊に、これまで生きてきた触媒が取囲んで自分を形成している 姿が浮き上がる。死ねば、その分霊ともども消滅する。その分霊は、これまで も、今後に、人類が存続する限り浮かび上がってくる。人生は、その触媒の 質量で形成されるが、そこには両親の格差で、大きく左右されるが、可能な 限り、そこからアップスケールし続けるかどうかもある。その触媒で、一番、 手軽なのが、書籍と、TV、友人、ネットなどがあるが、自然との触合いも 欠かすことが出来ない。情報化の時代、「閑」と少々のお金こそ財産になる。
・・・・・・ 2015年08月31日(月) 5282,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� ーその時、言葉は私の「神」となるー(新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 言葉は自意識の申し子 著者の自我そのままの言葉が、直接、私の心に届いているのは、魂から発した 言葉だからである。 会社断念をして、何か後ろめたさを持つようになってから、 私の書く、随想日記の文章が、「自意識の私」より、「自我の私」へ、言葉の 比重が変わったためだろう? ネット上に公開すること自体が、実は、 「自意識の私」に縛られていることになる。「自我の私」がまる見えだが。 ≪ 我々はもはや引き返せない。他者の中で己を形作る「客体としての私」が、 「私」の大半を占めている以上、我々は自意識の地獄から抜出すことができない。 そして我々は、他者の中で生きるために「言葉」を発明した。 「言葉」は「自意識」の申し子である。他者を理解したい、他者に理解されたい、 他者と繋がりたいという必死の想いが「言葉」を生んだ。 「あなたに私の気持ちを届けたい」その祈りにも似た強い想いは言霊、となって 言葉に宿り、相手の心を揺り動かす。言葉とは本釆、そういうものであったのだ と思う。だからこそ言葉は神であった(ヨハネによる福音・第一章第一節)」のだ。 他者の中で生きていく時、私は言葉以外の武器を持てない。「空気を読む」という コミュニケーションも苦手だし、心にもないお世辞や社交辞令といった口先コミュ ニケも得意じゃない。言葉がなければ、私は人の世で生きていけないだろう。 だが、それは武器であるだけに、凶器にもなり得る。人の心に届けようとして 相手の心を突き刺してしまうことも多々あるのだ。が、そんな体当たり コミュニケーションも、そこに相手に対する好意や信頼があれば、より深い 人間関係を築くことができる。お互いに血を流しながら、まっしぐらに相手の 心の奥へと突き進んでいく。それが本気の言葉であればあるほど、我々は互いの 魂に触れ合うことができるのである。そこには嘘も悪意も存在しない。 だからこそ安心して胸襟を開くことができるのだ。そして本気の言葉が届き合い、 剥き出しの魂が触れ合った瞬間、我々は互いに対する深い理解と共感に満たされ、 以前よりももっと相手のことを好きになる。この人になら何を言っても大丈夫、 どんな自分を見せても受け容れてくれると、心の底から信じられる。 それが、私のコミュニケーションだった。もちろん、これが通用する相手は 限られる。だから私は友人が少ない。しかし真の友人なんてものは少数精鋭で いいと思っている。これからも私は本気の言葉を投げ続けるだろう。 私は、そのために生きると決めたのだ。私は自分が何のため生きているのか ずっと知りたかった。特に死に損なってからは、自分は何故生きているのかと 繰り返し自問した。答はまったく見つからず、生きているのが苦痛で、 「どうしてあの時に死なせてくれなかったのだ」と医者に当違いの恨みを 抱いたりもした。ところがそんな時に、思いも寄らぬ人の計報が入って、 私は激しく動揺した。自分は生きる理由もなく生きているというのに、 死んで欲しくない人が亡くなりてしまうという、この理不尽。人の生死には 道理も必然性もないのだ、と、つくづく思った。私は何者かに連れ戻された わけでもなければ、正当な理由のもとに生かされているわけでもない。 生きる理由なんかないのだ。それが耐えられないというのなら、理由は自分で 見つけるしかないではないか。諸君、こうして私は、自分の言葉のために 生きようと決めたのだった。何故なら私は、成り行きとはいえ、何十年も 言葉を生業としてきたからだ。もはや私には言葉しか残ってないからだ。 私にしか語れない私だけの言葉を、私はこれからも探し続ける誰かに届きます ようにと祈りながら言葉を綴る。その時、言葉は私の「神」、となるのだ。 ≫ ▼ 著者の「自我の私」の言葉である。成るほど、これなら万人の 心まで 届くだろう。それと、死線から戻ってきたが故の心の苦しみは、想像を 絶するほど厳しいから、その言葉そのものが、本人にとっても「神」になる。 ・・・・・・ 2014年08月31日(日) 4917,「個人から分人へ」 ですか! * 永遠の問い、「私とは何か」 平野啓一郎「私とは何かー個人から分人へ」の久垣啓一評が解りやすい! ≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使って いるindividualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。 そして本当の自分なるものがあるという考え方が間違いのもとではないか、 というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けることが可能な存在 であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の 分人のネットワークによって成り立っているという。 そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。 ・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性。 ・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を 変えることだ。 ・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。 ・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を 創出しようとする行為だ。 ・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。 ・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的 になっていける。 ・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。 それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのが ストーカー。 ・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、 きめ細かなつながりを発見させる思想である。 ・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、 今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。 むしろ矛盾する複数のコミュイティに参加することが大事なのだ。個人を複数 の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。 分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されている と考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながって いるのではないか。≫ ▼「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。 だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やして いる自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに 存在している。秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け込んで いる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を増やす 行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。 自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも森の生活のうちである。
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2017年08月31日(木)
ー新潮45 6月号・特集:私の寿命と人生 『実際の長生きは苦しい』 久坂部羊― * 老衰は、そんな生やさしいものじゃない 身につまされるテーマである。確かに、この年齢まで生きることが出来て 有難いと思っている。特に、20年来の本格的情報化社会への激変は、刺激的、 かつ劇的であった。ネット社会が現実社会の上を覆って別世界をつくったが、 これを目の当たりに出来たのは人類の一員として無上の喜びである。。 逆に、医療効果で、寿命も延びてきたが、その影も浮び上がっている。 姉、兄、その連れあい、いとこ、など身内が70、80歳半ばに到達した。 痴呆症を含めた老々介護などの問題が直面している。長寿がめでたいのは過去 の話。他人事と思っていたが、古希を過ぎた現在、自分の問題にもなってきた。 ― ≪ 医師で作家の久坂部羊氏による「実際の長生きは苦しい」は高齢者医療に 携わる氏の本音であり腑に落ちる内容である。元気のままで長生きできると 思っている人が多いがそれは夢想であり、実際は体が弱り機能が衰え、生き物 としてダメになっていくのを実感するのが長生きだという。 がんにせよ心臓・脳血管障害にせよ老化によるものなので自然の寿命なのである。 それをなまじ病院などに行けば無理やり死を遠ざけられ想定外の苦しみを味わう ことになる。病院に1,2か月通っても良くならなければ医療は無力とあきらめた ほうがいいという。≫ ≪ メディアでは盛んに健康、アンチエイジングを謳っているけれど、高齢者 医療の現場は大変なことになっている。「老衰」で死にたいと、多くの人は 思っているのではないだろうか。実際、私もそう思ってた。でも、久坂部さん いわく、「老衰はそんな生やさしいものではない」と。確かに眠るように、と 言っても、よく最後は肺炎でとか聞くけれど、実際は息苦しいだろうし…。 どんなに死を恐れ、拒絶し、悲しんでいる人も死に顔は無表情だったという。 死はそんなに悪くないということ。≫ ≪ … 死をどう考えていますか? ・久坂部: 私は死を全面否定しない。死は悲しいし、つらいし、苦しい。 しかしそんな死にも良いところはある。そう考えることでバランスが取れる。 … 高齢者の大半が病院にかかっていますが ・久坂部: 老人の病院通いは害が大きい。時間と労力、お金をかけて検査を 重ねた結果、分かったのが治らないということだけだったりする。それなら 何もしない方が有意義だ。老化が原因の病気に対し、医療は限界がある。 病院に行けば治るというのは幻想です。≫ ― ▼ いざ、自分に「余命半年」と告げられると、動転するようだ。長生きの リアルを知らない人が、長寿に憧れ、メルヘンの世界をイメージするが、 それは綺麗ごとに終始するメディアと、健康関連業者だけ。死ぬに死ねないで、 「健康法で、長年、散歩をしてきたが、あれが悪かった!」とさえ… 「で、どうすればよいか?」というと、「自然な寿命を受入れること」。 現実問題としては、「病院に行かないこと」。 医師として多くの看取りをしてきた著者が、<「死を受け入れることは 難しくない。いつも、死のことを考えていれば慣れるし「あきらめ」もつく。 ヤケクソではなく、「明らかに観る」という意味の「あきらめ」が必要>と。
・・・・・・ 2016年08月31日(水) 5647,「家、ついて行っていいですか」 * ぬいぐるみに話かける男 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。 先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。 ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。 「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。 都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い 人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・ ≪ 20代後半の男。 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を 重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに 今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中 とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので 洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。 そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、 話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、 1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、 昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。 他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」 だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。 捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。 ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと 思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか? キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫ ▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、 「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、 この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の 中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から 自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、 都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように 書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。 何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する。 ―――― 2016/04/12 閑話小題 〜最近のTVは、面白いのが多い * 最近のTVは、実に面白いのが多い。 その時どきのウェーブがあるが、最近のTVは、面白いのが多い。 『Youは何しに日本へ?』『家、ついて行ってイイですか?』『世界街歩き』 『火野正平 こころ旅』など、軽い目線で、街や村の道路で声をかけたり、 街歩きをする番組などである。チョッとした旅行をしたいが、面倒だったり、 通りすがりの人の私生活や人生を生(なま)で覗いてみたい気持ちを代行 して、ズカズカと入っていく面白さは格別。 『家、ついて行ってイイですか? 』を検索すると、以下の内容説明があった。 < 終電を逃した人に「タクシー代を出すので家について行ってイイですか?」 と声をかけ、家を見せてもらいインタビューをおこなう。 深夜、急に訪れる 片づけられていない素のお宅は、その人の人生ドラマが 散りばめられた宝箱。 そして誰しもが、一見フツーでも 、ぜんぜんフツーじゃない 人生ドラマを 持っている! そんな素敵な市井の方々の人生譚を覗いていきます。> 昨日見たキャバクラ嬢や、美容師の変態ギャルのキャラクターと実態に、 お笑い5人のスタッフが、呆然と声を失う。最近、見始めたばかりなので、 過去分を動画のYoutubeで見ると、あるある面白い人生が。 『YOUは何しに日本へ?』の検索には、 < 空港に居合わせた外国人(永住・帰化した人物なども含む)に 「YOUは何しに日本へ?(Why did you come to Japan?)」と問いかけその返答 の様子や、気になる返答をした人に密着取材を依頼し来日した目的を果たす様子 を放送する。番組内では性別・年齢問わず名前ではなく外国人はすべて"YOU" (複数ではYOUたち)と呼称するが、密着時には混同を避ける意味もあり個人名 も使われる。基本的には半日から数日間の密着であり放送も一度限りだが、 長期の旅行や研修に密着する場合、放送回をまたいだり、しばらくしてから 後日談が放送されたりするケースがある。基本的に密着時はYOUの日程に合わ せて行動するため、出先の店舗や施設ではその場で撮影交渉を行うことが ほとんど。> それぞれの分霊に、これまで生きてきた触媒が取囲んで自分を形成している 姿が浮き上がる。死ねば、その分霊ともども消滅する。その分霊は、これまで も、今後に、人類が存続する限り浮かび上がってくる。人生は、その触媒の 質量で形成されるが、そこには両親の格差で、大きく左右されるが、可能な 限り、そこからアップスケールし続けるかどうかもある。その触媒で、一番、 手軽なのが、書籍と、TV、友人、ネットなどがあるが、自然との触合いも 欠かすことが出来ない。情報化の時代、「閑」と少々のお金こそ財産になる。
・・・・・・ 2015年08月31日(月) 5282,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� ーその時、言葉は私の「神」となるー(新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 言葉は自意識の申し子 著者の自我そのままの言葉が、直接、私の心に届いているのは、魂から発した 言葉だからである。 会社断念をして、何か後ろめたさを持つようになってから、 私の書く、随想日記の文章が、「自意識の私」より、「自我の私」へ、言葉の 比重が変わったためだろう? ネット上に公開すること自体が、実は、 「自意識の私」に縛られていることになる。「自我の私」がまる見えだが。 ≪ 我々はもはや引き返せない。他者の中で己を形作る「客体としての私」が、 「私」の大半を占めている以上、我々は自意識の地獄から抜出すことができない。 そして我々は、他者の中で生きるために「言葉」を発明した。 「言葉」は「自意識」の申し子である。他者を理解したい、他者に理解されたい、 他者と繋がりたいという必死の想いが「言葉」を生んだ。 「あなたに私の気持ちを届けたい」その祈りにも似た強い想いは言霊、となって 言葉に宿り、相手の心を揺り動かす。言葉とは本釆、そういうものであったのだ と思う。だからこそ言葉は神であった(ヨハネによる福音・第一章第一節)」のだ。 他者の中で生きていく時、私は言葉以外の武器を持てない。「空気を読む」という コミュニケーションも苦手だし、心にもないお世辞や社交辞令といった口先コミュ ニケも得意じゃない。言葉がなければ、私は人の世で生きていけないだろう。 だが、それは武器であるだけに、凶器にもなり得る。人の心に届けようとして 相手の心を突き刺してしまうことも多々あるのだ。が、そんな体当たり コミュニケーションも、そこに相手に対する好意や信頼があれば、より深い 人間関係を築くことができる。お互いに血を流しながら、まっしぐらに相手の 心の奥へと突き進んでいく。それが本気の言葉であればあるほど、我々は互いの 魂に触れ合うことができるのである。そこには嘘も悪意も存在しない。 だからこそ安心して胸襟を開くことができるのだ。そして本気の言葉が届き合い、 剥き出しの魂が触れ合った瞬間、我々は互いに対する深い理解と共感に満たされ、 以前よりももっと相手のことを好きになる。この人になら何を言っても大丈夫、 どんな自分を見せても受け容れてくれると、心の底から信じられる。 それが、私のコミュニケーションだった。もちろん、これが通用する相手は 限られる。だから私は友人が少ない。しかし真の友人なんてものは少数精鋭で いいと思っている。これからも私は本気の言葉を投げ続けるだろう。 私は、そのために生きると決めたのだ。私は自分が何のため生きているのか ずっと知りたかった。特に死に損なってからは、自分は何故生きているのかと 繰り返し自問した。答はまったく見つからず、生きているのが苦痛で、 「どうしてあの時に死なせてくれなかったのだ」と医者に当違いの恨みを 抱いたりもした。ところがそんな時に、思いも寄らぬ人の計報が入って、 私は激しく動揺した。自分は生きる理由もなく生きているというのに、 死んで欲しくない人が亡くなりてしまうという、この理不尽。人の生死には 道理も必然性もないのだ、と、つくづく思った。私は何者かに連れ戻された わけでもなければ、正当な理由のもとに生かされているわけでもない。 生きる理由なんかないのだ。それが耐えられないというのなら、理由は自分で 見つけるしかないではないか。諸君、こうして私は、自分の言葉のために 生きようと決めたのだった。何故なら私は、成り行きとはいえ、何十年も 言葉を生業としてきたからだ。もはや私には言葉しか残ってないからだ。 私にしか語れない私だけの言葉を、私はこれからも探し続ける誰かに届きます ようにと祈りながら言葉を綴る。その時、言葉は私の「神」、となるのだ。 ≫ ▼ 著者の「自我の私」の言葉である。成るほど、これなら万人の 心まで 届くだろう。それと、死線から戻ってきたが故の心の苦しみは、想像を 絶するほど厳しいから、その言葉そのものが、本人にとっても「神」になる。 ・・・・・・ 2014年08月31日(日) 4917,「個人から分人へ」 ですか! * 永遠の問い、「私とは何か」 平野啓一郎「私とは何かー個人から分人へ」の久垣啓一評が解りやすい! ≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使って いるindividualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。 そして本当の自分なるものがあるという考え方が間違いのもとではないか、 というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けることが可能な存在 であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の 分人のネットワークによって成り立っているという。 そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。 ・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性。 ・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を 変えることだ。 ・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。 ・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を 創出しようとする行為だ。 ・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。 ・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的 になっていける。 ・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。 それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのが ストーカー。 ・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、 きめ細かなつながりを発見させる思想である。 ・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、 今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。 むしろ矛盾する複数のコミュイティに参加することが大事なのだ。個人を複数 の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。 分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されている と考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながって いるのではないか。≫ ▼「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。 だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やして いる自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに 存在している。秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け込んで いる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を増やす 行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。 自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも森の生活のうちである。
・・・・・ 2013年08月31日(土) 550, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ 『長岡市の昭和』という写真集の広告の折り込みが、今月だけで二度も朝刊に 入っていた。それも、一枚目は表面トップに実家の商店ビルの写真で、二度目は、 裏側に、何故か小学校五年時のクラスの集合写真。出版社に誰か同級生でもいる のかとネットで調べてみたが??7名の小さな長岡市内の出版会社で、県内だけ でなく全国の各市の昭和の街の写真集を出している会社。団塊の世代以上を 狙ったものだが、旧長岡市内の人たちに限定2000冊としても9990円で売れる のだろうか?その方が心配になる。しかし他は、HPを見ると完売となっていた。 その小・中・高校時のアルバムが、引越しなどで紛失、同級会などで誰かが 持ち込んだのを見るしかなかった。で、51年の時空を超え、このチラシの集合 写真を何度か見ているうちに、当時のことが、次次と思い出してきた。 11〜12歳は、人間としての最終の熾烈な闘いがあって、そこで、ほぼ性格も能力 も決まるという。クラス内の力関係などで、誰かが常にターゲットにされる、 あまり気持ちの良くない年頃。そのため心の傷は深く残るもの。その最たるのが、 まあ、書くのは止めておく・・ 自分も似たようなものだったろう。 手取り早く学歴からみると、慶応一人に、立教三人、あとは大学名は不明だが、 数名、卒業しているから、街中の小学校として並みというところ。 学校の先生の子弟は新大付属小学校がある。ここで目立つのは長岡青果市場の 社長の息子で慶応と明治の教授をしたが既に故人になっている人とか、土田塗装 とか、何処かの中学校の先生とか、多種多彩。女性の方は皆目分からないが、 少し目立っていた三人が三人とも離婚?死亡数は男20人中に4人。女は分からない。 主任は非常に厳しいので有名な西沢先生。その後、多くの小学校校長を歴任し、 最後は何処か教育長をされた人で、定年時に400人が祝いに集まったという。 20年近く前に、私が経営していた新潟駅前ホテルに泊まって、古町を数軒、 飲み歩いたことがあった。せっかくなので、この数日、当時の記憶をたどって いるが、51年の時空を超えて嫌な記憶を中心だが幾らでも出てくる。 太平洋戦争と長岡空襲の影響も色濃く残っていて、口に出さなかったが、 戦争孤児とか様々な問題を各家庭が抱えていたようだ。 そうこう振り返って みると、子供の頃の記憶から、繁華街で、父親の大きな影響下で、負けん気が 強い遊び好きの生意気な子供だった。今だ続いているが・・ 当時、家庭内で 多くの問題があり、母親が倒れてしまい、住居が商業ビル3Fから、歩いて7分 ほどの駅裏に移転していた。その辺りから、やっと学業に目覚め始めてきた。 生活環境は本当に大事である。
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2017年08月30日(水)
* アメリカ分断の大元は 図書館から『新潮45・6月号』を借りてきたが、面白いリポートがあった。 【世界を呑込む「超一極集中」社会〜アメリカの暴走」を著者が解き明かす― 上位0.1%の超富裕層がすべての富を牛耳り、ますます金持ちに (小林由美)】のレポートがあった。 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった〜 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった… 【 アメリカ“強欲資本主義”の現実 <池上彰が『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美・著)を読む> ・アメリカのトランプ大統領による予算教書が五月に提出されました。 アメリカの大統領には予算編成権がありません。予算を編成するのは議会。 そこで大統領は、「こういう予算を組んで欲い」という要望を予算教書として 提出するのです。 トランプ政権は所得税や法人税の大幅減税を打ち出して います。金持ちほど大幅に税金が戻ってきますが、庶民には恩恵がありません。 その一方で、貧しい家庭に食料を支援したり、低所得者が医療を受けられる ようにしたりする施策は予算が大幅にカットされます。去年の大統領選挙で トランプに投票した支持層が打撃を受ける予算案です。金持ちは一段と金持ちに、 低所得者はさらに生活が困窮していく。アメリカの現状を象徴する予算案。 金持ちの一極集中が進むアメリカ。書名通りの事態が進行しています。 ・アメリカの所得格差が大きいことは日本でも知れ渡っています。国民のわずか 1%の人が富の大半を所有している。そういう認識を持っている人が多いと思い ますが、もはやそんな状態ではないと著者の小林由美さんは指摘します。 上位0・01%の2014年の平均年間所得は2009百万ドル(約32億円)という驚く べき数字です。上位0.1%で見ると平均所得は6百万ドル(約6億6千万円)ですが、 上位1%で見ると、126万ドル(約1億4千万円)に下がります。 過去の歴史を 見ると、1980年代以降、上位0・1%の所得は増え続けているのに、それより 下位はほとんど増えていないという現実があります。 ・こんな格差社会で我が子を「勝ち組」にするには、質の高い教育を受けさせる 必要があります。そのためには幼稚園から私立に入れる。ところが私立の幼稚園 の学費は日本円で年間300万円。私立大学の四年間の学費は計3300万円。 いったい誰が払えるというのか。もちろん奨学金制度はありますし、学費ローン を借る手もありますが、大学卒業と同時に多額のローンの負債を抱えることに なる若者も少なくありません。「大学を卒業して社会人として第一歩を踏み出す 時には、多くの人が既に多額の借金を負っている。これがアメリカの現実です」 ・こんなアメリカで繁栄を謳歌しているのが金融業です。資金を集めて投資する ファンド。その周辺には、アナリストやトレーダー、ブローカー、投資顧問、 コンサルタントなど数多くの人が群がります。「こうした介在者の増大が金融 サービス従事者を増やし、その人件費と利益が金融サービス業の付加価値として 国内総生産(GDP)に現れ、不動産金融も含めると、金融サービスはGDPの12% 近くを占める主要産業になっています」 ・強欲資本主義の支え手である富裕層は、自らの利益のため政治家に接近する。 「民主党は都市の進歩派富裕層やハイテク産業から政治資金を得て、都市部に 集中しているマイノリティを取り込み、共和党は重厚長大産業やエネルギー、 金融界から政治資金を得て、中西部や南部に集中している貧しい白人を取り込んだ」 アメリカという国が分断されるわけです。アメリカという国を分析する著者の筆法 は鋭く、ときにアメリカに対して絶望的な気分になりますが、他方でアメリカの 強さも知ることができるのです。(池上 彰) ― ▼ トランプ大統領になって以来のアメリカの分断は、この本を読むと、理解 出来るようだ。10年前に、同じタイトルの本を出している。出だしからして、 <アメリカ人は4種類しかない。超金持ちと、仕事のプロと、貧乏人と、社会的 落ちこぼれだ--。>である。この現実が社会問題にならないのは、誰もが、 アメリカンドリーム、「いつか私も大成功し… 」の妄想があるため。現在の 日本も、同じ傾向になっている。 情報機器も含め4割が情報関連を占めている 現在、若い人は、何はともあれ上質な情報と知識に対し、敏感であらねば。
・・・・・・ 5646,不幸な国の幸福論 〜�� 2016年08月30日(火) <不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> * 考えない、正しく悩めない ここまで生きてきて、思うことは、多くの「人は、考えない」ということ。 だから、正しく悩めない。5年半前に、会社の清算に至ったが、その創業設計に、 破綻前提に、万一に備えを組みこんでいた。幼児期に、太平洋戦争の戦災に焼け だされた中の両親の血の滲む苦労の後姿を見て育ったこともある。夜半、隣で、 母が父に、『死にたい、何もかもが嫌になった』と話しているのが聞こえていた。 両親にとって、長年かけて築いた財産の大部分を長岡空襲で焼け出された前後に、 様々な問題が家庭内に起こっていた。両親は、子供8人を含めた10人家族分を 稼がなければならなかったため、普通の働きでは、生活出来ない。(当時は、 多くの家庭が大家族だったから、別に珍しいことではないが)。この幼児体験が あったため、準備を含めた45年の事業人生、大変だったとか、会社整理に対し、 何ら後悔がない。決めた時から、万一の場合の覚悟もしていた。 何事も、 『事前の一策は、事後の百策に勝る』で、そのため、考えて考えて考えなければ ならない。博打は恐怖を見据えて、乗越える中で勝機がやってくる。そのため、 考えない人は、直ぐに感知できていた。日本人は、島国で海に守られている閉鎖 社会。考えないで済まされることも、ある。 〜ネットによる書評から〜 ≪ 日本人特有の性質は、自分で考えることをせずに評価の基準を他者に求め それに合わせようとする。狭い人間関係の中で簡単に人間にレッテルを貼り、 本来なら複雑な要素から出来ている人間を単純に理解してしまう。それが故に 別の環境であれば何でもないことでも必要以上の敗北感やつまづきを覚える。 だが、気の持ちようでいつでも人間は幸福を手にすることが出来る。 本来幸せに形なんかない。むしろ理想の幸せの形を決めてしまった時から、 自分はアレが足りない、コレが出来ないとあら探しをしてしまい不幸が始まる。 人生万事塞翁が馬である。変えることが出来ないものを受け入れる冷静さ、 変えることが出来ることを変える勇気、そしてその2つを見極める知恵。 正しい諦めから生まれるしなやかさを手に入れれば、幸福はもうそこにある。≫ ▼ この城下町では、「同化圧力」が異常に強い。だから、地元の長岡高校の 校訓、「和して同ぜず」の和同の精神があるが、実際は、同化しないと、 「どうかなる」のが実情。地元の41年前になるが、Uターンをしてきて、 直ぐに直感したのが、この「同化圧力」の毒素で、脳がやられる恐れである。 そのため、地元の卒業校の同級会以外の会は、一切、参加しないことを決めた。 会社整理で、この御蔭で、人間関係では最小のストレスで済んでいる。 人間は感情の動物、理性で割切れといっても、そうはいかないが、感情が 元もと皆無のため、同級生の範囲で済まされる。怒りの感情は、全てここで? <考えない、なやめない、カッパエビセン> が、何故か浮かんできた。
・・・・・・ 5281,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月30日(日) ーその時、言葉は私の「神」となるー (新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 言葉は原罪から生まれた 他人からみた私を意識する「自意識」過剰が果たして罪なのか。 二つの私、「自意識の私」と「自我の私」の両者が頭の中で、常に問答をする。 老齢期では、「私の人生、果たして、これで良かっただろうか?」と。 良かったのだろうか? 人間は生きている限り、原罪を犯すもの。 老いて、その原罪を見つめて悔悟する。知識を持つことは原罪なのか? 知恵を持つことが原罪なのか。他者=世間の目を神のごとく信じるのは、 プラ・マイの両面を持つ。 最後は、自分の自意識で、どう受け止めるか? 死線を漂い、社会復帰をする中で思った心の奥底は深いもの。〜その辺りから ≪ ああ、諸君。「自我の私」として唯我独尊で生きるのと(もちろん、孤独は 感じない。もとより孤独という概念がないからね)、「自意識の私」として 他者と繋がりながら傷つけ合いながら生きるのと、どちらが幸福なのだろうか? 少なくとも心肺停止前の「自我の私」で生きていた私は、多幸感に満ち満ちて いた、他者のいないたったひとり楽園に住んでいて、寂しさも不安も感じず、 その中でぬくぬくと微笑んでいた。周りの人々から見たら、それは呆けた抜げ殻 であったようだが、本人はそんなことちっとも気にかけず、ふわふわと漂い 幸せに生ぎていた。・・心肺停止の後に生ぎ返って、目覚めた私は自意識も取り 戻していた。肉体が回復すればするほど、自意識も回復し、他者との関係に 悩まされるようになった。特に例のMXTVの降板以降は、人と会うのが嫌になって 完壁に引きこもった。社会に拒絶された気分になってひどい孤独感に苛まれ、 誰にも必要とされない自分にはもはや何の価値もないと苦しんだ。 おそらく「自我の私」であったなら、そのような苦しみは味わわなかっただろう。 「孤独」も「自分の価値」も、他者との比較や承認から生じる相対的な概念である。 他者を通して自己を確認するから、他者から拒絶されることが自分の存在まで 脅かすのだ。自己の存在の絶対性を疑いもしない「自我の私」は、仕事を失って 経済的な不安を感じることはあっても、それを己の存在意義の問題とは捉えまい。 そうやって考えると、我々の苦しみの原因は、ほぼ「自意識」に起因している ように思える。 我々は「自意識」を持つべきではなかったのか。エデンの園で 幸福に暮らしていたイヴに蛇が勧めた「知恵の実」は、やはり禁断の木の実で あったのか。「自意識」を持つことで我々は他者の目に裁かれ続け、他者に 見捨てられる不安に怯え、大きな苦しみを背負うこととなった。だから聖書は それを「原罪」と呼んだのか。「自意識」は「罪」であったのか。 犬や猫は鏡に映った自分の姿を「私」だと認識しない。鳥にいたっては、鏡の中の 自分に向かって求愛のダンスを踊るらしい。彼らには己を客体視する能力がない。 彼らにとっての「私」は、ほぼ百%「自我の私」である。彼らは幸せなのだろうか。 他者にとっての客体ではなく、「私」という主体としてのみ生きていくことは、 どんな苦しみも生じさせないのだろうか。いや、待て。「苦しみがない」ことを 「幸せ」と考えていいのだろうか? 苦しみば確かに幸福感とは程運いものでは あるが、我々は「甘美な苦しみの自意識」というものも知っているではないか。≫ ▼「起こってしまったことは変えられなくとも、受止めかたは変えられる」と いうが、これも、「自意識の私」を「自我の私」への変換ということ。 「他者を通した自己の確認」を超越して、己の原罪を見つめることが必要である。 そこまで自分を追詰めないと、内なる二つの問答が、蒟蒻問答になる。
・・・・・・ 4916,一度、死んでみましたが 2014年08月30日(土) 『一度、死んでみましたが』神足 裕司著 * 重介護5のスーパー闘病記 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上で あることに気づくのは、失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢 の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、10年は死んでしまう。 TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。 実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、 去年12月に、不自由なベッドで書いた『一度、死んでみましたが』という スーパー闘病エッセーを出していた。コラムニスト復帰の第一弾の本を、 偶然、図書館で見つけ、借りてきた。脳の大手術で、現在も殆ど動くことが できず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、この書を 読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。 50歳半ばから還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、 癌で死んでいるが、どれもこれも、最期は壮絶な状態。これは、その実況 中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、そのまま伝わってくる。 本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。 「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、 そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子のレビューより ≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許し いただきたい。本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気に なれなかった。怖かったのだ。父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん 百%ではない。ページを繰っていけば、彼がこれまで積み上げてきたものが、 私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまうのではないか、 そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても 紡ぎ出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、 以前の筆者にも書けなかったのかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の 修飾語を用いながら、ページを埋め尽くすのが豊穣な表現だとするならば、 この本はそれには当たらないかもしれない。むしろ、そのような表現は 全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。 少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現は あり得なかったのだろう。切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、 ミスタッチだと思われかねないフレーズ。彼の憧れたジャズピアニストを 思い出す、なんていったら笑われるだろうか。 ・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」 とは「友人」とは、そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのある テーマについて、文章を書いているその瞬間の筆者にとっての虚飾のない、 研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに思われながら、 どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。 くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち 止まって「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。≫ ▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を 味わうしかない。どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい 人のようだが・・ 本人は、このスーパー闘病記を、自分の愛読者に読んで もらうことが、慰めのようだ。私のエッセイ『事業人生を決心して・・』 の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、この事態になった」と 吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。 ・・・・・・ 4549, 六韜三略 2013年08月30日(金) 学生時代に、守屋 洋著『六韜三略』と海音寺潮五郎著『孫子』を読んだ時 の面白さと驚きは今でも憶えている。純朴で、欲と欲の争いに立たされる前の 学生時代に読んでいたため、社会に出てから丁度良い手引き書になっていた。 この思想を通して人間をみると、その心底が透き通って見えるようで、 世俗が幼稚に思えてくる。 ー当時の感想はー 《人間は欲で動いているが、それを隠して綺麗ごとを並びたてる社会的動物。 それを前提に一切を無にして諸現象を一度、疑ってみること。そして冷静に 本質を捉えること。利害対立の場に立った場合は、よりシリアスに徹すべし》。 そう割り切ると、誠意の外面の奧に隠された心底が手に取るように見て取れた。 これに学生時代のゼミの(現象の)事例研究が叩き込まれていれば、アウト サイダーになるのは自然。人生に戦略的である必要性を、この書で実感。 人生への鳥瞰の視線でもある。 ーネットで、『六韜三略』を検索するとー 《「六韜」は文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の六篇からなることによる。 「韜」は弓袋( 秘訣)。「略」は機略の意味。「三略」は、上略、中略、 下略の三篇からなることによる。 二つとも「太公望の兵法」であるから、 主張を統一して判断すべしというスタンス。もう一 つは内容である。 『六韜』が兵法のうち戦略・謀略を担っているのに対し、『三略』が政治思想、 軍事思想を担っている。『三略』はリーダー、『六韜』はマネージャー の書 ..》 《 劉邦の軍師となって漢の国の柱石となる張良が、若い頃、行きずりの老人 から「明朝5時、ここに来い」と命じられた。言われたとおりその場所に 行くと老人はもう来ていて、「年寄りを待たせおって。また明日だ」と言って 去った。 翌朝、今度は3時に行ってみると、また老人は待っていて 「まだまだだ」と同じように去る。 張良は意地になって「今度は絶対に 待たせない」と徹夜して老人を待った。すると老人はニコニコと笑って六冊の 書物を渡し、「よく勉強して世のためになれ」と肩を叩いた。 『六韜』は「虎」「竜」を始めとした六巻の兵法書で、「虎の巻」の語源。 『三略』は、前・中・後の三巻からなる兵法書で、『六韜三略』は 中国はもちろん日本の戦国大名の兵法書としても親しまれた。》 《 中国の兵書、六韜と三略の2書。前者は太公望呂尚、後者は黄石公の 撰述と伝え、併称して韜略の書という。 いずれも後世の偽書であるが、 宋代、『武経七書』のうちに組み入れられ、中国古兵法の教科書として広く 読まれてきた。・六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民の術、 富国強兵の策を説くもの 》 ▼ これを参考に黙し対処したら、これほど難しい相手はいない・・ この書を通すと、面白いように物事が透けてくる。心静かに、これを読み 続ければ、その中の原理原則が己を導いてくれる・・ 学生時代に、 この二書を読んでいたので、いざこざの真只中で、対峙した人の言葉を一度、 突き放し、疑い、静かに自問自答する余裕が出来ていた。問題は、その都度 「正中心一点無の心境で道理は何かを考える」しか解決は出来ない。
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2017年08月29日(火)
ー幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著) * 「現状維持バイアス」と「保有効果」 この本で紹介している「現状維持バイアス」と「保有効果」。人生は、常に、 この二つとの戦いと言って過言ではない。自分だけでない、親兄弟、連れ合い、 同僚のそれらもある。情報機器の劇的進化をする社会の中で、このバイアス を乗越えて自分を変化させ生き延びなければならないから現代人は大変だ。 とはいえ、この二つ、動物としては生きる術でもある。〜ネット検索によると ≪ ☆ 現状維持バイアスとは 「大きな変化や未知なるモノを避け、現状を維持したくなる」という心理作用。 バイアスとは「先入観」「偏見」という意味。人は、変化そのものを嫌います。 その背景にはプロスペクト理論における「損失回避性」が働いているからと いわれています。損失回避性は、 「人は利益から得る満足度より同額の損失から得る苦痛の方が大きいと判断する」 という心理作用です。現状を変えることによって「何かを失うかもしれない」と いう不安が「何かを得られるかもしれない」という期待よりも上回るのが、 現状維持バイアスがかかる理由なのです。≫ ▼ 3C主義=チェンジ、チャレンジ、コンペティションという主義は、現状 維持バイアスを打破するにはベスト。人間は本能的に、「変化、挑戦、闘い」 を避ける。しかし、成長、進化には、現状打破が必要条件である。第二の天性、 「習慣」というシステムも現状維持が出来る、良質なら悪いことではない。 ー ☆ 保有効果とは 人は、現在所有しているものや環境に、それを所有していないときよりも価値 を感じる傾向があります。これが「保有効果」です。これは、新しいものを手に したときに得られるメリットよりも、現在持っているものを失うことや環境が 変化することによるデメリットを大きく感じるとも言えます。 保有効果のWeb広告活用例 【例1:ダイエットジム】 効果がなければ全額返金 入会前に絶大な安心材料となる返金保証。「実際に返金を要求されたらどう しよう…」と不安になり、なかなか大々的にアピールできない方もいらっしゃる と思います。しかし「手続きが面倒くさい」などの保有効果が働くため、実際に 利用する人はほとんどいないようです。どんどんアピールしましょう! 【例2:保険会社】 契約しなくてもOK!保険の見直しを相談するだけで粗品をプレゼント! 【例3:ファッション通販】何度でも試着・返品OK 届くまでは「現物を見て気に入らなかったら返品しよう」と思っていても、 いざ自宅に届き「自分のもの」になってしまうと、保有効果が働き返品しづらく なってしまいます。返品送料を無料にしてアピールしているサイトもありますね。 ▼ テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」をみていて思うことは、「何で金まで 払って手元に置きたがるのか? それより遥かに良いものは、世界に幾らでも あるのに、美術館でジックリとみれが良いものを!」の疑問。絶対数をみてない ためだが、その人の好みもあるため…これ以上は言及できない問題である。
・・・・・・ 5645,不幸な国の幸福論 〜�� 2016年08月29日(月) <不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> * 幸福を阻む考え方・生き方 著者が東京発大阪行きの新幹線に乗車したところ、典型的な上流と 思ぼしき上品な奥様方3人のグループがすぐ後ろの席に場所を取った。 ご婦人たちは京都に着くまでの時間、大きな声で“会話”の話が著者の 耳に飛び込んできた話題を紹介している。 〜要約すると〜 《・「ご主人、部長になられたんですって? さすがねぇ」 ・「さすがどころか、やっとなのよ。○○さんはもう役職待遇なのに」 ・「でも同期の中では二番目に早いご出世だって聞いているわよ。羨ましいわよ。 息子さんは○×大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」 ・「主人の母校の△△大に行かせたかったのに落ちちゃって。○×大も悪くは ないけど、義姉のところの子供たちが△△大出て外務省だから肩身が狭いのよ。 それに娘の相手がねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校 しか出てないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで・・」 京都駅で降りていく三人組は、それぞれブランドのバッグを持ち、ブランド らしき服やアクセサリーで着飾っていた。 夫は難関大学出身で、日本有数の 大企業で働いているらしい。 住んでいるのは東京・世田谷の高級住宅街。。 著者は「快楽の踏み車」の言葉を用いている。 カゴの中で踏み車に乗って ぐるぐる回転するハツカネズミ。そう自分で自分の欲望を果てしなく肥大化させ、 疲れ切ってしまう人間たちを重ね合わせている。 与えられた理想形「これこれの条件を満たせば幸せになっる」を疑うことの ない人は、そのレールの上は走れても、レールから一歩はずれたら、自分が どのように考えて進んでいけばいいのかわからなくなる。外的価値に拘れば、 束の間の満足と引き換えに、永遠の二十日鼠の、快楽のふみ車をまわし続ける ことになる。》 ▼ 面白い内容である。私が5年前の会社整理をした時に、外的価値に縛られ 一生を終えるハツカネズミと、ドブネズミに罵声を浴びせられた。しかし、 ネズミはネズミと分かっているから平然としていられる。新潟駅前のチンピラ に何度も暴言罵声を浴びせられてきたが、これ以下の連中と確信できるので 超然としていられる。 家内が某女子大の県内の地元OB会で、大小規模の経営者婦人たちとの会話は 大同小異で、こんなもの? オーナー会社の御婦人が中心もあり、少し違うが、 亭主の力関係が、そのまま当人に跳ね返ってくる。それを何とも思わないのが 家内の特性。幼少期の幾かの習い事のベースと、受験高校に在籍、地方の子女に 人気の女子大(短期)を卒業。実家の仕入先のメーカの茶汲みを丸の内でして、 その直後、私と見合い結婚。 割引新幹線で年に10回は東京名所巡りが趣味。 40回近い秘境・異郷の修羅場をくぐってきた経験がある。そこで、遥かに違った 人種とのやり取りの経験も多々ある。 「あなたの状況がどうして? 私には 関係ないこと!」の開き直りがある。 開き直りは私にも無いではないが、 遥かにドライときている。 元もとサラリーマン系ハツカネズミの単一思考 など何もない。5年前に「もしか、原信のレジをしなければならないの?」と、 する訳が無いのに、至って超然。この程度は、彼女にとって、幸せを阻止する 要因でない。単一の理想系すらない。生まれ、楽しみ、その時が来たら、死ぬ。 こういうのを幸福形(系)の人という。 それにつけても、私は何をしてきた? 以下の「うさぎちゃん」みたいのも、存在しているのに。
・・・・・・ 5280,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月29日(土) ーその時、言葉は私の「神」となるー 中村うさぎ 〜心肺停止になって考えたこと! (新潮45/6月号) * 二種類の私と、純粋な自我 死に際を経験すると、傍目に縛られすぎてきた自分に気づかされる。 そして、裸の己を直視し、それを言語化し、それに従うことが、自分の真実を 生きることと、著者は悟る。 死線を漂うと、虚無の彼方から、宇宙の向こう 側から、小さな世界に縛られている自分を客体化する視線を持つ。 その実体験から得た、重層の心の構造を、醒めたタッチで解体する。 ≪ 心肺停止の数日前に私は別人格になっていたらしい、という話を以前に 書いたと思う。 ・・誇大妄想的な発言を真顔でしてみたり、「魂が抜けて 言葉だけ残った空っぽの中村」になっていた。あの時の私はいったい何者だった のだろう、と今でも時々考える。あの頃の私は別人になっていたわけではなく、 自意識とかいうものを一切失い、純粋な「自我」のみになっていたのでは。 私が「私」と言う時、そこには二種類の「私」が混在しているように思う。 ・ひとつは「他者から視られている私」という「客体としての私」で、 ・もうひとつはデカルト言うところの「我思う、ゆえに我あり」的な 「主体としての私」である。 「客体としての私」は「自意識」に支配されており、 「主体としての私」は「自我」そのものだ。たとえぼ「世界を救う」などと いった壮大にして荒唐無稽な使命感を私が意識の底に抱えていたとしても、 それが他者の目にどんなに愚しく狂気じみて映るかを知っている「自意識の私」 は決して人前でそのような発言をしないし、何とか己の意識下に無理やり、 その人格を封印してしまうだろう。だが当時の私は、そのような他者の視点で 己を視るというスキルが崩壊していて、頭に浮かんだことを自意識の検閲なしに ぺらぺらと喋っていたのだった。まさに「我思う、ゆえに我あり」だ。 私が思考し、私が語るから、私は「私」の存在を実感する、という感覚。 そこに他者は介在しない。他者を通して自己確認することもない。 私という主体を中心に世界は存在し、自分の存在価値など問う必要もない。 「価値」などという相対的な概念が最初からないのだ。なんと単純明快な 世界だろう。アダムとイヴが他者の目を気にして己を恥じたり隠し立てしたり することもなく、素っ裸で歩いていた「エデンの園」そのものではないか。 「自我の私」のみで生きるということは「エデンの園」に戻るということである。 他者の評価に怯えることもなく、己の存在価値だのに悩まされることもなく、 獣のように天衣無縫に生きられる楽園の生活。が、その代わり、社会性は著しく 失われる。自意識が高度に発達した現代社会で、このような人間は生ていけない。 生きていくことを許されない。 ≫ ▼ 先日、一番上の義兄の葬式に参列した。地元の名士?の中で、精一杯、 背伸びをして生きた人だった。表面的な人付き合いに生きるのも、それは それで、一つの生き方である。それぞれにとって、中味は別として、それが 全世界である。ただ、自意識に支配されている、「客体として私」を、 「主体としての私」が、見つめ、「自意識過剰」を「自我」がコントロール する基盤が必要となる。それが教養である。「独り」を「独り」で楽しめる 素養は、家系を含めた長年の蓄積が必要となる。城下町は、それは有り余って いる筈だが、変化を嫌う体質が、「独り」の世界を小さく変質させてしまう。 ・・・・・・ 4915,閑話小題 ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」 2014年08月29日(金) 宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。 これはスターの内的要素の骨格である。 「ブスの25か条」 「美人の25か条」 1.笑顔がない ⇒ 常に笑顔で 2.お礼を言わない ⇒ 前回のお礼の挨拶から 3.美味しいと言わない ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に 4.精気がない ⇒ 精気を満たす 5.自信がない ⇒ 自信を持てる何かを持つ 6.愚痴をこぼす ⇒ 愚痴は言わない 7.希望や信念がない ⇒ 希望と信念を持つ 8.いつも周囲が悪いと思っている ⇒ 周囲のお陰様に気づく 9.自分がブスであることを知らない ⇒ 自分の程度をわきまえる 10.声が小さくイジケている ⇒ 声が大きく溌剌としている 11.なんでもないことに傷つく ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に 12.他人に嫉妬する ⇒ 他人の美点を凝視する 13.目が輝いていない ⇒ 何ごとにも興味をもつ 14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる 15.責任転嫁がうまい ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ 16.他人をうらやむ ⇒ 人を賛美する 17.悲観的に物事を考える ⇒ 楽観的に、そのためには教養を 18.問題意識を持っていない ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける 19.他人に尽くさない ⇒ 人の役にたつ生き方を 20.他人を信じない ⇒ 信じられるだけの知識を持つ 21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ 22.謙虚さがなく傲慢である ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ 23.アドバイスや忠告を受け入れない⇒アドバイス、忠告を聞き、受け入れる 24.自分が最も正しいと信じ込んでいる ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと 25.存在自体が周囲を暗くする ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること ▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、 誰もがブスの要素が多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラ ジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの輝きを心掛けるため。物理的 貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。 タカラジェンヌのミニスターを、まず彼女たちは演じることから始まる。 そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 幸せへの道しるべ!である。 ・・・・・・ 4548, 2050年の世界 ー1 2013年08月29日(木) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 2050年までを見通すことで現在を理解できる 何気なく図書館の返却コーナーで手にとった本だが、英『エコノミスト』 誌の各ジャーナリストが20の分野で予測。これが面白いが限界も見て取れる。 この激動の時代に、40年先の予測など所詮は無理な分野もあるが、人口趨勢 など予測可能な分野もある。だから面白い。 5〜10年先を予測したければ、40年先を考えてみればよい。 ーアマゾンの内容説明ー 〈 2050年日本のGNPは韓国の半分になる。 グローバルな一流誌英エコノミスト誌が、総力をあげ、科学、政治、人口、 経済、女性、などの20の分野で2050年までの世界を予想 〉 まずは‘はじめにー「2050年までを見通すことで現在を理解できる」’の冒頭 ≪ 世界人口が10億人になったのは、18OO年ごろのことだが、それまでに 人類は20数万年の歳月を費やしている。ところが、 60億人から2011年の 70億人に違するまで要した時間はわずか10数年。このような変化に驚くほどの 速さで展開する大規模な変化は―メガチェンジーと呼ぷにふさわしいもの。 実際、わたしたちはメガチェンジに囲まれている。技術は信じられないほどの スピードで拡散しており、ネットや携帯電話の進歩は言うに及ばず、現在では コンピューターから大量の情報を入手したり、フェイスプックやツイッター などのソーシャル・ネットワークを通じて、大量情報を受信したり、発信する ことが可能である。また、世界経済は私たちの目の前で着々とアジアへ 重心を移している。このような変化はどれも、人々の生活と、企業の戦略と、 国家の政策と、地球の将来展望に深遠な影響を与える。 ー本書は2の重要な目的を持っているー ☆ 第一の目的は、人々の健康から財産まで、あらゆる側面から世界を変革 するトレンドを特定し探求することだ。本書では、身の周りの話題をひとつ ひとつ論じてみたい。この手法を採用すれば、わたしたちは、ヘリコプター から地上を見下ろすように、俯瞰図を掌握することができるだろう。 ☆ 第二の目的は、第一の目的で確認したトレンドにより、2050年の世界が どのように形作られるかを予測することだ。一見すると、これは非常識なほど 大きな野望かもしれない。 ダン・ガードナーが自著「専門家の予測はサル にも劣る」で論じた、人類の歴史には百パーセントデタラメな予言が のらべられている。1914年、英国人ジャーナリストのブレールスフォードは、 「近代国家間の国境の線引きが最終決定されたことは、政治的にはこれ以上 ないというほど確実である。私見を述べると、今後、既存の六大国間で戦争は 勃発しないだろう」と記した。第一次世界大戦が始まったのはその直後。 米国経済学者のフィッシヤーが「わたしの予想では、これから数カ月の間に株式 市場は大幅に上昇する」と予言したのも、1929年の株価大暴落が起きる1週間前。 果たして人間が未来を知ることは可能なのか? あすの天気を予想するのさえ 難かしいのに40年後の世界をどうして描き出せるのか? おそらくこの四十年の あいだに、わたしたちはブラック・スワンの詳れを絶えず目撃させられるはず だとはいえ、未来を予測してみる価値はある。奇妙だが、2050年を予測する ことは、来週や来年を予想することよりも簡単。実際、ナシム・タレブも 一世代以上先の予測を好んでいる。 長い年月で「今日において脆弱な ものが壊れて消える」からだ。》 ▼ 次回から、めぼしい部分を抜粋しながら考えてみる。40年前といえば、 文化大革命が終盤を迎えていた頃。そこで、現在の中国を予測できたか? その十数年後にソ連の崩壊、東欧の共産圏の消滅。日本のバブルと崩壊。 その10年後の9・11テロ、7年後のリーマンショック、その3年後の東北大震災。 それより、世界中の人々が形態パソコンを持ち、ネットで繋がるとは誰が予測 できただろう。40年後に存在しなくとも、どんな時代か考えるだけで面白い!
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2017年08月28日(月)
閑話小題 〜駐車場事故は3割!
* 大手大橋をヒキチャリをして… ・先日、スポーツジムに、ヨガ予約・チップを取りに行った帰りの駐車場内で、 80歳半ばの老女が自転車に乗ったまま、突然、飛び出してきた。「危ない!」と、 思わず叫びながら急ブレーキを踏み、1m手前で辛うじて停止、事なきを得た。 その横道は一時停車の文字が書いてあるが、痴呆症が入った風で… 今まで、 無かった経験。雨だったら間違いなく事故っていた。 「交通事故の3割は駐車場事故」と聞いていたため、特に注意をしていた。 老女をひけば、ほぼ運転手側の責任になる。しかし、これでは避けようがない。 自動車運転の経験もなく、痴呆症が入った老女の自転車運転は、恐ろしい限り。 ・半年ぐらい前に、同じSC内のスーパーで買物をした後、駐車スペースから バックで出ようとした際に、80歳半ば過ぎの老人が運転席の前を横切った。 「ならば相方がいるはず」とバックを一瞬控えて、後ろを見ると、その連れ 合いらしき老婆が飛び出してきた。その直後、「もう、運転を止めよう。 前期高齢者が、後期高齢者を轢いてしまうケースになるところ!」」と、 真剣に考えてしまった。 ―― * 世の中、喜びや悲しみで満ち溢れている 雨のため、早朝のポタリングを休んでいたが。昨日は大丈夫だった。 早朝の自転車散歩は、心身にとって、非常に良い。昨日の朝、大手大橋を ヒキ・チャリをしながら、「この辺りから… 不明だった少年が飛び降りた のでは?」と思うと…。 人生の深淵を垣間見る思いであった。 来春は高校に入学、その3年後に大学で上京し、色いろな人と出会い、 酒を飲んで、人生を語り、殴り合い、旅行に出て、恋愛をし、失恋をし、 就職をし、結婚をして家庭をつくり、挫折を重ね、泣いて笑って、数限り なく感動し… などの全て失ったのである。 もし自分の子供だったら、 両親の気持ちは如何ばかりか。人は、ただ生きているだけでも充分だが、 それは、生抜いてきた人の言葉。
・・・・・・ 5644,不幸な国の幸福論 〜�� 2016年08月28日(日) <不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> 面白い本である。さして貧しくもなく、隣国からの攻撃の危険もなく、 何が不幸の国かと思うが、何か重苦しい空気が日本を覆っている。この本の 発行は9年前で、今では自殺数は3万を割ってはいるが、大きい変化はない。 日本は経済悪化が、そのまま不幸に直結する数少ない先進国という。 家内がよく口にするのが、「私の友人の何人かは、美人で、家庭が裕福なのに、 絶対タブーの言葉の<自分は不幸せ>と、平気に口にする。傍で見ていて幸せ を絵に書いたよう状況なのに。家庭なら幾つかの問題を抱えていて当然なのに、 勝手に、全体の幸・不幸を決めてしまっている!」 である。 「それは外に出ないから、一人遊びが出来ないから、基礎教養がないから、 世間とかに押しつぶされているため」と、私が答える。 これは著名な精神科の先生が書いた「幸福論」だが、同調する箇所が多い。 ー内容紹介ー 《 ー挫折と逆境こそが「幸福」の要件であるー 経済は破綻し格差は拡大する一方、将来への希望を持つことが難しい日本に あって、「幸せ」は遠のくばかりと感じている人は多い。しかし、実は日本人は 自ら不幸の種まきをし、幸福に背を向ける国民性を有しているのではないか―。 精神科医、心理学者である作家が「幸せになれない日本人」の秘密を解き明かし、 幸福になるための発想の転換法を伝授する。追い求めている間は決して手に いれることのできない「幸福」の真の意味を問う、不幸な時代に必読の書。 》 ★ 次回から、各項目ごとに取り上げるが、まずは、一番のエキスの部分〜 ≪ かなり痛んでいるとはいえ、GDPで世界第?位の経済大国であり、世界一の 長寿国(女性。男性は4位)で、他国と比較して街は清潔で、犯罪も少ない。 警察庁発表資料によると、1999年から2008年までの自殺者は、357,854人に上る (年間3万人超)。しかも、自殺未遂者はその 10倍は存在すると推定されている。 さらには、年間3万人どころか、実際には10万人が自殺しているという説もある。 というのも、病院以外の場所で医師に看取られず不慮の死を迎えると、すべて変死 扱いになるというが、日本では変死者数も90年代後半から急増していて、年間14〜 15万人で推移しているからだ。WHOは、変死者のおよそ半数が自殺と述べており、 日本以外の国では変死者の半数を自殺者統計に加えている組が多い。仮にこの 数字を日本が計上すれば、自殺率世界一のリトアニアを抜き去ってしまう。≫ ▼ 北欧も自殺率が非常に多い。これは閉ざされた世界で、暗夜が続くことに ある。日本も裏日本の秋田、山形、新潟に自殺率が多い。 気候からくる、 閉鎖社会が大きく影響をしているが、孤独に対する逞しさが無いことも原因。 汁の出そうな閉鎖社会で、如何に孤高を保つかは、長年かけた基礎教養と、 少々の挫折と逆境経験が必要。 閉鎖社会はお笑いゾンビ製造機械そのもの! ただし、ゾンビは、八割、いや九割のカタガタだが。この大断層の中でこそ、 こういう世界も、あって良いのかも? 「取り上げるだけ、見えるだけ、影響 を受けている」ということか。 家内が東京と、新潟に、それぞれ年に10日、 行くのもわかる。しかし、平気で、世間様とやらの波乗りが出来ている。 それが当り前だとすると、私が偏屈ということか。 まあ、いいか! 以下の「うさぎちゃん」と同じく、私も心肺停止のようなもの? お後が宜しいようで。 ・・・・・・ 5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月28日(金) <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著> 〜心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号) * ナルシシズムと自己愛と、自尊心 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。 状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、 毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け 殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、 女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。〜その辺りから〜 ≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。 何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、 生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分 を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。 人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い については私なりの定義がある。 ・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年 ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。 そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、 正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、 相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。 ・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、 「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と 「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。 「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」 はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて 愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」 よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同 されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、 私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや 「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長 線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である 「ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を 失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも 醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。 己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪 したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、 自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。 理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。 このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、 いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。 ・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、 目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、 公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、 的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷 に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって 盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。 それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫ ▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、 その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。 「ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。 その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。 ・・・・・・ 4914,閑話小題 ー代々木ゼミナールの7割の校舎が閉鎖 2014年08月28日(木) * 代々木ゼミナの7割の校舎が閉鎖 「代々木ゼミは、三大予備校の1つとして浪人生を中心に多数の生徒を集め、 全国に校舎を展開してきたが、少子化に伴う受験生の減少などで、29の校舎 のうち7割以上に当たる22の校舎を閉鎖する方針を決めた」というニュースが 数日前に一斉に流れたが、 隔世の感がする。 ーネットによるとー 《 ・ピーク時には41万人の予備校生が、今では6万人。近年は大学全入時代 に入り、浪人生の数も減少している。不況が続いた中で家庭でかけられる 教育費が非常に少なくなって、浪人をすることにブレーキがかかっている。 ・大学入学者の浪人生の割合は1985年の約4割から約1割に減少。その上に、 1990年の85%が予備校依率存が、現在では30%まで下落している。 ・1980年代の半ば頃から生徒数が減少,90年代以降,その速度がさらに高まった。 1990年では14万2千人だったのが,2000年には4万9千人に,2011年の2万4千人に 至っている。ピークの1977年を基準とすると,予備校生の数はおよそ10分の1に。 ・大学進学率は1966年に16.1%だったが76年には38.6%、今では50%と大幅に 上昇、受験戦争という言葉も登場するほど大学進学は当り前になり、予備校は 急成長を遂げた。中でも代々木ゼミナール・駿台予備校・河合塾は三大予備校。 ◎河合塾は理系の国公立、◎駿台予備校は特に難関国公立大学、 ◎代々木ゼミナールは私立文系の大学受験を中心に浪人生向けの大学受験指導 をしてきたが、そこに市場の規模が大幅に縮小したことが大きな要因である。》 ▼ 今では私立大学の45%が定員割れ、浪人をする必要が無くなった。 ネット活用で自宅浪人も可能なことや、東進ゼミのような『衛星放送ゼミ』で、 地方各地でも一流講師の授業が聞けるのも大きなマイナス要因である。 私の事業で、売上が3分1に驚いた現象より劇的である。20年前に、新潟に 代ゼミが進出した直後に、新潟予備校が倒産したが、今度は、その代ゼミが 時代の潮流に直撃したことになる。校舎は転用可能のようだが、不動産業として 生き残れるか、どうかである。次にくるのは専門学校の類。崩壊過程が既に 始まっている?・・ グローバル化、情報化による「隠れた大恐慌」が 引き起こしている「中産階級総崩壊」の、一象徴である! ・・・・・・ 4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ 2013年08月28日(水) * 秘異境ツアーからのフラッシュ 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。 アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現 するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。 秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、 それを解釈をしている余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして 記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。還暦を過ぎた頃 から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに 旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように 行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多く の記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来た ことに感謝している。『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。 * 消費税の増税の是非 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。 それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな 負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。 しかし財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、 上げないも地獄なら上げるしかない。現在の年金の収入では、月に10万円持ち 出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。 当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠 されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。 自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。 家の中は要らないゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。 で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本 から精算するしかないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は 無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる! ・・・・・・ 4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 2012年08月28日(火) * 認知科学者は間違っていた? 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解 しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、 思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観 が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。 「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。 論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに 変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の 大前提を覆ることになる。」と、いう。 緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 ー以下の部分は、その部分ー ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。 西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、 分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を 理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。 形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる 人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が 革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は 間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。 人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は 思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的 メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を 認知するということである。 注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる 人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。 アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。 こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が 関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的 でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物 を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫ ▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名 になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。 また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。 それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。 争いは永遠に続くことになる。
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2017年08月27日(日)
* 北のミサイルについて 昨日、モーニング・ショーで、北朝鮮によるアメリカへの挑発の特集をみて いたら、日本海にミサイル打ち上げのテロップが流れてきた。番組構成として ベストタイミングで、‘まさか?’の緊張が走ったが、直ぐに短距離ミサイル と判明をした。 金王朝の体制維持には、戦争を煽る瀬戸際外交で、近距離の 人質?の生命の交換条件の脅しでしか体制を維出来ないことは、韓国民が熟知。 韓国の人口が4700万人、ソウルが1000万人で全国民の21%がソウルに集中、 首都圏には2000万人前後。韓国国民の4割がソウル周辺に集中する、まさに 「最重要拠点」である。そこから軍事境界線まで、直線距離で約37K。 大宮から東京駅までの距離でしかない。 韓国民の7割が海外移住を望んで いるというのも理解できる。潜入したプーチンのスパイが、境界線からソウル 近郊にミサイルを撃ち込んだら、(逆もある)どうなるのでしょう。 核ミサイルの脅しほど有効な手段はない。その親指人形が、パペット本体の 中国まで、脅し始めたのだから、何をかいわん。儒教の影響の強い国で、叔父 と実兄を殺すのだから、当人は疑心暗鬼で怯え慄いて当然。そ反動が、いつか 核戦争になり、比較的安定していた東アジア(朝鮮、日本、台湾)が、現在の 中東状況になり、難民が大挙して、押し寄せる可能性が強い。悪いことに、 アメリカはトランプで、分断を始めた。「国家統一の手段として、戦争を!」 と、意固地の頭で考えないでもない。側近は次々と辞め、残っているのは 軍人上がりの老人だけ。「数百万の死者としても、やるなら、今のうち!」 で… 恐ろしい限りだが、意外と早い両者の体制崩壊も感じとれる。
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5643,「賢い子」に育てる究極のコツ 〜��
2016年08月27日(土)
<「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)> * 「子」を「自分」に置換えると? 「賢い子」を、「賢い自分」置換えると、どうなるか。 その3つの秘密道具=「秘密道具1ー図鑑」、「秘密道具2ー虫とり網」、 「秘密道具3ーピアノなどの楽器」のキーワードを、現在の私の世界の道具に すると、どうなるか。 ・まずは『図鑑』 〜図鑑の対象を難しい哲学や、とっつきにくい聖書、 古典文学、世界の聖地、秘境・異郷、大自然の絶景を図鑑にした本がある。 空間と配置と重視し、絵入や文字の大小で鳥瞰しやすくしてある。 学業が強くなかった原因を、現在から振り返ると、ノートのとり方に問題が? ノートの記録を図鑑を参考に応用すれば良かったのだ。読返す度に、書き足し ていけば良かった。 それも、後講釈でしかない。 現在ではアイコンと、 ファイルの配置のパソコン画面が、それにあたる? ウィンドウズ95が、 画面を図鑑にするアイディアで、世界を変えてしまった。 ・『虫とり網』 虫を情報として捉えると、網はネット(検索)になる。 現実社会の上を、ネットが覆ってネット社会が新たに出来てしまった現在、 これを如何に使いこなせるかどうか。この随想日記も、ネット検索が無ければ、 連日、書き続けることは不可能。 ・『ピアノなどの楽器』 〜これを幼児期に身に着けたかどうか。耳からの 情報収集が大きく人生を分ける。楽器演奏は、集中力と、継続力が無くては、 決して習得できない。そこに、それを指導する先生の存在が必要になる。 それも、幼児期の頃からというから。ということは、このテーマの「自分」 の置換えは、テーマとして成立しなくなる。「今さら・・」だが、何か一つでも、 楽器演奏をしておけば、より豊かな心を持てたはず。 学生時代からステレオを 身近に置いていた。現在は買い集めたCDの2000曲入りiPhoneを二つ。あくまで、 早朝のポタリングの走行中だけ。 「賢い子」を、<「心豊かな自分」に育てるコツ>をテーマにすべきだったか。 PCと、ネット活用は、少しは、賢い自分を育ててくれている。で、このザマ!
・・・・・・ 5278,「読書の腕前」 ー�� 2015年08月27日(木) 〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜 * 独りの楽しさと、読書 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。 これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年 前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、 底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜 ≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。 たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、 というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、 あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、 「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、 谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。 「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら 〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、 大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化 する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を 占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。 本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。 出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり 自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」 ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」 ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本 ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。 「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。 詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも 表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、 とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる のはいつだってひとりの自分なのだ。 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。 だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という 言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、 伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。 『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。 それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な 時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。 「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。 「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。 なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、 「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、 と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫ ▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、 「ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本に 偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点 では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。 ・・・・・・ 4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5 2014年08月27日(水) 『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著 この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、 <京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。 (古今東西の幸福論を読み漁った結果) 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。> 『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど 余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという 説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。 ーまずは、その辺りを抜粋ー ≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。 それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより 鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの 高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、 専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが 泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての 美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動 を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、 そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫ ▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない 不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、 実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに 驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える 様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く 見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く! ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、 4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界! (一言多いが)平屋もマンションもある・・・ ・・・・・・ 4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの? 2013年08月27日(火) * 小学、中学校の同級会で、どうしてる? 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席 するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。 それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに 来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、 ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。 「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、 「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを 味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、 実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、 結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、 現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、 この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、 「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、 が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった 『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。 (番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに 浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が 胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、 ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの 一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も 重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。 ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が 起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の 生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が 交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。 次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 ・・・・・・ 4171, 閑話小題 ーつれづれに 2012年08月27日(月) * つれづれに このところ尖閣諸島、竹島や北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に 仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック状態で、組みやすいタイミング とみてだ。しかし日本にとって、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに 丁度良い問題。関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけて くれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための目先の意図的な小競り 合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、 景気は減速。韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、 失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。極東も不安定状況に なってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 深刻なら経済が一挙に際どくなる。一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を 特集していた。スペイン移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブル とか、アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。 5年、10年後の日本の状況である。 * iPad導入、一年 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、 使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。居間と書斎に卓上型のiMacを 置いているが、居間のPCは家内が専ら使って、そこで私はiPadを使っている。 TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ 読みが専らである。気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。 それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、 日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが! ・・・・・・ 3806, 哲学人 ー� 2011年08月27日(土) * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での 三年間)は、一般的な遺産をひとつと、個別的な遺産をいくつか残してくれた。 一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく西洋の 歴史に関する概略的な知識が残った。こうした知識は習得に数年間の研究を 要するので、当然たいていの人は、いや、高学歴の人でさえもっていない。 物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、対象が 音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、ともかく決まって歴史的な 側面が認められる。私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった 観点から眺める傾向がある。また、過去の人物をより広い文脈に置く傾向もある。 そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の 状況、その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなど を認識するのである。さらに私は、現実が絶えず変化しつづけることを踏まえ、 ‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。 いま起きていることには特別な重要性がある、そう思いこんでいる人が大勢いる ようだが、私はそうではない。過去全体がいまへとつながっているのであって、 かつてのどのいまとも同じように現在は一時的なものであり、ときに総体として の過去のなかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を 問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない大きな歴史の流れのなかの任意の 時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは絶えず変化し、各個人の 死後もつづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、 ほかより多少なりとも絶対的な時点もない。こうした思いが私の骨の髄まで染み こみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】 ▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」 と思い込んでしまう。それが自分が生きてきた時代という理由だけで・・ しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。 従って、日本史や、世界史を何度でも読み返し、自分の置かれた時代を冷静に 見つめるため、地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。 グーグルアースとは別に。
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