堀井On-Line



6007,閑話小題 〜水難事故って、本当?

2017年08月26日(土)

   * 自死として、真正面に向合うことが供養では?
 遺書でも出てこない真実は限り分からないが、「遺体には外傷はなく、
少年には持病があり、体調が心配されていた」という。それも登校日の前日。
どんなに哀しかったことか。悲しいことに、死んだ方が幸せな人が、世の中
には存在する。…別に私(貴方)のことではありません。
 死ぬには死ぬ深い訳がある。 〜ネット・ニュースによると〜
≪ 〜不明の中3男子を遺体で発見、誤って川に転落か 目立った外傷なし〜
 新潟県長岡市で行方不明になっていた中学3年生の片桐悠馬さん(15)が
 24日午前、およそ20キロ離れた燕市の川で遺体となって見つかりました。
片桐さんは、20日早朝に自宅を出たまま行方不明になり、前日に「最近走り
に行っていない」と話していたことから、ランニングコースだった川沿いを中心
に捜索が続いていました。警察は、誤って川に転落したとみて調べています。
片桐さんが通っていた中学校は、25日が2学期の始業式でした。(24日)≫
―
▼ 中3の少年の遺体が、数十キロ下流で発見されたということは、増水して
 いる本流に流されたと推察される。 そのランニング・コースが、早朝の
ポタリング(チャリ散歩)コースに重なる。特に、土日・祭日には、老若男女
がランニングをしている姿が多く見られる。何度か、すれ違っていたはずだが…
知る限り、川に転落など間違っても考えられない。川面は土手から離れている。
自らの意志でないと川には近づけない、とすると… 
 ところで、虐めは、どうだろう。 10年程前に知人が、長岡大橋で車が動け
なくなり、衝動的?に投身をした… 
 大手大橋上をヒキチャリをしながら、
・「あと3月と宣告されたら、この辺りから飛込みも有りだが、増水が前提。
 ならば新潟飛行場近くの阿賀野川の河口辺り?ここは日本海沖まで流され、
 上がらない… 」と、思わないでもない。 
・家族のため、海外ツアーに参加、多めの保険をかけ、何処かの絶壁から
 事故を装って足を滑らし… 
・それとも東京湾の何処かで、一切の身分を隠して… 
〜今どき、変な冗談が大変な事態を引き起こすか? 
 そこで思い浮かぶのが、夏目漱石の義父が宣った、
「人は死ぬまで苦しまなきゃならない!」の真言?
私には管をまかれて悶絶死が似合っているか。実際、キツイだろうが。
シリアスに向合えば、その時に、動転しないで済むと、露悪的に書いている。
問題は、その時に、死に対し、「正・中心・一点・無」になれるかどうか。
 なれる訳がないと知りつつも、土壇場の土台上のイメージの基礎は必要。

・・・・・・
5642,閑話小題 〜幸・不幸の実相
2016年08月26日(金)
    * 幸・不幸の実相
 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて
いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、
起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。
よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。
 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、
痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生
への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、
目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、
出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、
群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。
そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」
ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。
――
   * オリンピックも終わって
 リオのオリンピックが、先日、終了した。 メダルの数からして、今回の
オリンピックは、丁度良い塩梅の数。何はともあれ、テロが起きなかっただけ
でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。
 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす
追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が
激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。
 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。
冬季(12月〜3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。

・・・・・・
5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年08月26日(水)
       ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号)
               〜心肺停止になって考えたこと! 
   * 人生の価値とは何か
 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった?
『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、
『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ
という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を
し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた
ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 〜その辺りから〜
≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。
 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、
その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、
何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生
こそが、その人の作品なのだ。
むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ
ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を
変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。
それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と
臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。
不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、
まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」
である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して
いるのだ。 私の人生は、私そのものである。
 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ
重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、
世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、
その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、
その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに
なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば
ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ
のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず
価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や
いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。
たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に
無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。
「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という
過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。
何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き
ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、
己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、
多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」
「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも
ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。
何者にもなれない人生、何事も為し遂げられない人生にだって価値はある、と。
人生は結果ではなく、そうやって答を探して長い長い旅をする、あなたのその
足取りこそが貴重なのであり、その過程の積み重ねがあなたにしか生きられない
この世で唯一無二の人生を形作っていくのだ、と。≫
▼『ご覧のとおり、そのまま、結構!』を、4年前の事業断念時に自分自身に
 対して言い聞かせていた。バブル崩壊が、どれだけ大きな経済敗戦だったかを
見抜けなかったことが、ある。 盤石と信じていた事業が根こそぎ崩壊するのも、
一瞬の出来事。更に同時進行の情報革命も、大きな要素に加わる。
これに9・11テロ、リーマンショック、3・15大地震なら、仕方ない。
面白かったから、まあいい、と思えるのは、何とか避難が出来たから。
『総括として、面白かった!』という実感は、何ものにも代えがたい。
・・・・・・
4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4
2014年08月26日(火)
   * 現場の壮絶! 
 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。
デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。
臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 
 ーその辺りからー
≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。
 彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。
そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を
殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」
そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく
ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。
家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼
のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として
生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする
こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの
鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする
ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は
LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に
させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに
調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。
LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら
兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を
持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する
ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、
それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫
▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトに
 よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような
弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺
されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が
『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ
ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では
タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、
平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 
憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理?  
〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜
・・・・・・・・・・・
4170, 金正日の料理人
2012年08月26日(日)
  * 若きドン様の親の敵討ちは残酷!
 何気なくTVをみていたら、北朝鮮の金正日の元料理人が出ていた。これが
漫画的ドラマ仕立。その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」
で、金正恩や、そののファミリーと食事をした写真があった。 父・金正日を
裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在のドン様に感激
している、という筋書き。その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、
正恩の計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、再会した
二週間前の夜半に苦しみだし、両手を三回突上げ絶叫し、亡くなった」という。
心臓発作だった。
『呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、
その事実を知らしめ、今度は長女を殺す、という脅しをかけ、北朝鮮の
メッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも明らか。その後、妻と娘
を残して帰国し、TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘されると、
「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。北朝鮮に愚弄されて
いる姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 
リアルで現在進行中のため、料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 
独裁国家のドン様を裏切り愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。
これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージをしてきたことになる。
逆にみれば、この程度の連中でしかない。マスコミが、料理人を抹殺するか、
パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。現地の家族が本当に
存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、
色いろの仮説がたつ。コミック漫画の悲劇、喜劇? くさい話だけは確かだが。
・・・・・
4545, 閑話小題 ー夏対策
2013年08月26日(月)
  * 暑さ対策!
 居間、寝室では扇風機で冷をとるのが基本。しかし30度を超えるとクーラー
を付けるが、今年は、その頻度が多い。扇風機の場合は、補助として保冷剤の
入った首巻きを三つ冷凍庫で冷やし一時間ごとに入れ替える。これが効果がある。
更に先日、寝室用に保冷枕を購入し使い始めたが、これも良い。
冬生まれもあって夏の暑さには特に弱いが、それでも、いざとなればクーラー
があるという余裕があるから出来るのだろう。
   * 業種店が、新規出店?
 車で二分ほどの三沢のSCの運動ジムに週五日通っているが、道路一つ隔てた
敷地に2Fの建物の鉄骨が立ち上がってきた。3〜4ヶ月前に「地元のスポーツ店
が、東バイパス出口に出店!」という新聞記事を見ていたので、着工と同時に、
これでは?、と思っていたが、先日に家内から、それが地元スポーツ店と
知らされた。地元のスポーツ店も典型的な業種店。自然消滅は時間の問題と
見ていたが、それが新規の出店とは意外! 家内が言うには、「近くに高校や
中学が多いので、運動着やスポーツ用品が学校単位の需要があるのでは?」。 
家内の方が、よほど世情に詳しい。全国チェーン店が捨てた(地元しか手に
入らない)インサイダー営業が存在している、ということ? としても、
私には疑問が残るのは、私がアウトサイダーのため? それとも、幾つかの
SCの重なっている郊外の一等地で、大手のスポーツチェーンに囲まれ苦戦。
その原因が業種店の限界と知らず、スポーツ店の無店地帯の東バイパス地区に
移転で起死回生を図るためなのか?としたら・・ 最悪のケース。 
常識的にみれば破滅行為!しかし、街中から移転して20年?近く、ブランド物に
的を絞り、営業では学校関係に地道な営業努力の結果、二店目の出店に至った?
と、考えるしかない。立地センスは最適だが、黒鳥の舞降りる中で、どうなる? 
毎日のように、窓から見えているので書いたが・・ 更に最悪のケースは、
順調な数字を上げていて、移転でなく拡大としての二店目の場合。
恐ろしいのは二店目の甘い計画。


6006,閑話小題 〜随想日記、6000回超え、

2017年08月25日(金)

   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが逆に利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
――
2014/11/22
閑話小題 ー今日で5000回!
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな
かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 
 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった
ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室
を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」
として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな」
のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。
もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも
11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回
を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む
つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を
書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と
して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ
にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その
まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 
自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた
分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、
ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産
とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結
でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣
をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分
だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する
ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、
アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が
何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって
しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。
また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と
入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣
だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない
からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 
その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く
ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の
経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が
魂ということになる。
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の
つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく
変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う
と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって
書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して
しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって
きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん
だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・
5641,閑話小題 〜ジムに異変が!
2016年08月25日(木)
    * 通っているジムが活気づいてきた
 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の
「コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の
私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、
街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 
但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。
 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、
二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、
外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう
見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、
週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、
かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい!
 ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、
最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、
「ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を
持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。
平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。
 市場規模:4,316億円
 施設数 :4,375軒
 会員数 :4,193,706人となっています。
この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。
会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、
売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。
 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。
  まあ、日々、お幸せなことで! 


6005,幸せの確率   −4

2017年08月24日(木)

         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
               アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
   * 地位財・非地位財
        〜幸せになる近道は「非地位財」の追求
 会社清算の結果、「地位財」を無くしたが、「非地位財」が行蔵として残った。 
この感覚は、解りやすくいうと、充実感、達成感の手ごたえで、第三者からは
窺い知れないこと。趣味で手造りのヨットを完成し、世界一周をすれば、目的は
プロセスと満足感。 最後に遭難をして全て失ったも、悔いがないのと同じ。
  〜その辺りの、簡潔な洞察が面白い〜
≪ 幸福について、「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。
 経済学者のロバート・フランクは
・周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、
・他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理。

「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの
物的財。一方の「非地位財」は、健康、自由、愛情などです。この2つの違いに
ついて、心理学者のダニエル・ネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、
「幸福の持続性が異なる」と論じています。図では「結婚」が両者の間にある。
 これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという
社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」
「家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。

重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福
は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を
目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。

それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう。〔目の前に
ぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう〕のでしょうか。フランクは、
人間は自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。
子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争に
勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる
「地位財の獲得」を目指してしまう。

しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。
平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が
高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。 ≫

―
▼ とすると、本来は、地位財を非地位財に交換するのが目的だったため、
 結果は何であれ非地位財以上?の何かを手に入れたため、サバサバできている。
5年半にかけ、アルツハイマーの母親を看送った51歳から、還暦まで、好きなこと
を遣り尽くすと決心、10年近く捨身で生きた。その時が、非地位財を、さらに
昇華させ消しさっていたことになる。その後、10年少し経ったが、地球の生活が
ますます面白くなっている。いい歳をして、意固地になり、肩肘を張り、比較地獄に
汲々としている「世間人」が可愛らしくもある。その最たる者が内なる化物だが… 

〜ところで、8年前に日本文理が、決勝戦に進出していた〜 
さらに、5年前にはトランプの本を読み書評までしていた。ったく!
 以下、参照… 

・・・ ――
3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。
国体開催の一月前ということもあり是非とも優勝をしてほしいもの。
今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には勝てないと
踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県
にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、
ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 
新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、
この天候で稲作も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。
たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。
   * 新インフルエンザの恐怖
 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も
考えなくてはならない。半年も客が誰も泊まらないこともありうること。
そうすると「  」 考えても仕方がないことだが、現実に有りえることである。 
この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が消耗して
いるので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需
を計算に入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。困ったもの。
支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。
タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。
 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、
10日の潜伏後で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延
するのは火を見るよりあきらか。一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで
大問題になっている可能性が大である。新潟国体の縮小も充分に有りうること。 
これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる!  
そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 
数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。 高校野球の優勝か
どうかより、直撃を受ける本体、大問題である。不安と不機嫌の日々がつづく。 
・・・・・・
4168, あなたが大金持ちではない10の理由
2012年08月24日(金)
     「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプ著 
 アマゾン内のネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著
「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。
耳が痛いが・・ まず基本的な考えは「お金持ちになりたいなら、
お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。
まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。
そう振舞ってもダメなのはダメだが・・・
  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは
� ゝ戮澆鬚箸蕕覆�ちゃいけない・・・と思っている
 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 
  まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!
�◆/臾欧箸蕕覆�ちゃ・・・と思っている
 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。
 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。
�� 集中力に欠けている
 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。
  それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。
�ぁ.謄�ノロジーに頼り過ぎ
 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。
�ァ〜蠎蠅隆�待値を考慮していない賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 
  相手の期待を知って初めて効果があがる。
�Α|膣屬僕蠅蠅垢�ている
 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきこと
 をやらなくては何も進まない。人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。
�А\�功グセをつけていない
 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。
 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。
�─^媚弖萃蠅�いいかげん
 「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。 多くの人が意思決定を
 「一目ぼれ」のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは
 「あの子のことをどう思う?」と聞いているのと同じ。意見を聞きつつ、
  注意深く意思決定を進めること。
�� 家族とうまくいっていない。
 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。
�� 好奇心をもっていない
 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、
成功の鍵。起きていることすべてに興味を持つこと。
 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。
上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、
ほぼ上記をカバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。
  お金は、お金を意識しないで済む程度が一番よいという。年齢にもよるが、
一般的に100万ドルか、一億円が目安。
・・・・・・
3803, 哲学人 ー��
2011年08月24日(水)
 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。
その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 
また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほ
 あやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を
弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを
比ぶれば、夢幻の如くなり  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 
所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。
   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という
 本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。この本の中で、唯一、
私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。驚いたことに
次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで成り
立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、
 それに対して実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は
直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている
のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれて
いた。それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、
そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れる
ことのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。
 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。
突きつめると、実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく
個々に分離しているのは、イメージだけである。また、イメージはあくまで
イメージであって、主観的ではかないものである以上、そしてとくに、人間には
生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、イメージを
 幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、
人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には
万物はひとつである。」… 私には、この見解は確認できないように感じられた
のである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知るすべが見当たら
なかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。
私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えて
いることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定して
いたーのだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば
確かに、現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠が
ないように思われる。】
▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。
 その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的
残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのは
イメージである。そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、
そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。
恋愛など、性欲がつくりあげたイメージのダンスでしかない。
ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。
  ・・・・・・・
3438, 腰痛について
2010年08月24日(火)
 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回
書いている。そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめる
ほどの腰痛はない。一年間何もないのは近年には記憶がない。低反発マットと、
海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、立振動のバイブレーション・マシーン効果
がでているようだ。四足だったサルの祖先を持つ人間が、両足で立って歩くように
なったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が長い人とか、
立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。
  日常的に心がけることは、
・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、
・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、
・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、
 ものを拾うときは、腰から上は立てたまま膝を曲げる。
・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと
・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと
・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による
 内臓の冷えも危険
・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、
 注意をすること
・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること 
 などなど、ある。
腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、
ある程度は押さえ込むことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を
25年間も続けることも出来たし、姿勢は良くなった。その結果、全身の血の
巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。

・・・・・・・・
2698, 閑話小題
2008年08月24日(日)
 *大曲の花火
昨夜は、秋田の大曲の花火をNHkのハイビジョンでみた。
この数年の年中行事の一つになっている。電気を消した見ていると、自分が
土手で見ている気分になる。プロの花火師の評論が面白い。花火には「菊」と、
「牡丹」の形があるとか。 丸い花火は割りものとか、云々。
大曲は、日本中のプロの花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。
開くタイミング 10点、 開き具合 30点  色彩および配色 30点  
技術 30点 の比率で評価される。
地元の長岡の花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。
 〜〜
 *日本野球がオリンピックで敗れた訳
日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、
星野監督の選定ミスである現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘
が全く無くなっている。せめて副監督として古田元ヤクルト監督をつけておく
べきで、御友達感覚の監督、コーチで勝てるわけがない。選手が、星野監督と
コーチの前で、すくんでしまって実力を発揮できなかった、ということ。
更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を大きく指した。本人の一生の傷になる。
数年間は針の筵だろう。ニュースに流れた日本人の観客のヤジ
「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、それくらい星野
には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方をしたのだから。
それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎただけ。
ただ星野は、酷かった。 人生は、こんなものだろう、 所詮は!+−ゼロ。
 〜〜
 *オリンピックが終わるか
これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で行われた
ことと、お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。といって決勝
進出と、注目された試合だけだが。前回の三分の二の金メダルだったが、こんな
ものだろう。テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・
中国にとっては大成功のオリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。
独裁国家がオリンピックを開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、
ナチのドイツとソ連の崩壊から推測出来る。これから10年間は、大きな試練が
待っている。上海の万博まで持つだろうが、火はついたことは間違い。
       


6004,幸せの確率   −3

2017年08月23日(水)

         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
             アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * 高い貯蓄率、ただその一言につきる
 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』
早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が
高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を引き
合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて
いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望
もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが
出来たのは、家内への給与と、厚生年金積立てがあればこそ。40年近くになれば、
チリも積もれば小さな山になる。それは両親の方針で、中小企業の知恵でもある。
 (Amazonの内容紹介)
≪  r>g
「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、
 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」
 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に
よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか?
18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの
重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、
世界的ベストセラー。
 〜本文より〜
・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、
 長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある
仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組
に基づいたものでもある」
・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に
 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に
戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何
ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率
「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる」
・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え
 始める時期はとうに来ているのだ」
・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、
 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、
 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫
―
▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率
 が1〜2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと
‘r’の側になってしまえば、後半の人生を幸せに過ごすことが可能になる。
「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、
楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生を
全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって
欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せの状態、
「プラス3〜6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題は人生観。
著者は、医者になり、独立をして成功。創業利益も背景にある。〜つづく

・・・・・・
5639,女はギャップ  〜��
2016年08月23日(火)
           <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 男の鎧とは
 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で
どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、
臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、
不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。
 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。
「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人
がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが
よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ
ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。
男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち
がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、
美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。
 (内容紹介)
「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。
この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす
「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も
必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。
▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。
・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。
・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。
臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」
が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。
「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、
気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの
店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が
あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。

・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる
事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ
ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの
共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、
世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの
人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が
見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない
ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、
人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、
17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて
いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ
と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、
なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、
私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に
何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない
ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう
からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを
ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ
ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、
あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、
この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。
大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 ・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、
決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも
恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした
ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年
近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた
のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが
できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、
小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく
できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の
文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、
そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。
それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の
破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。
特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの
右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い
時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。
それにしても知らないことが多すぎる。
 ・・・・・・・
3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊の
プロセスを身近で何人か見てきた。その崩壊は人間性の崩壊になる。
階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が
無くなれば階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 
時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。イギリスは階級制度
のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように
受け入れるシステムになっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値
の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、家柄より学歴を優先する
社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
・・・・・・・・・
2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば
毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが
歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、
この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では
6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には
散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、
敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は
歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前
を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ
どころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が
生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。
私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて
いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて
いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など
出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も
取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識
しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら
歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩を健康のためとか、考えるため、
というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った
年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに
話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)


6003,閑話小題 〜カラスの話

2017年08月22日(火)

   * カラスの話
 これまで、何度かカラスについて話題にしてきた。早朝のポタリングで、
2つの大橋の手摺や、道すがらの電柱のカラスと毎日、御対面をしている。
一ヶ月前、自宅の2F玄関前にいたカラスを強く追い払ったところ、その場所と、
1Fの門の横にある電柱から、毎日のように大量のフン攻撃が続いている。
意図的か偶然か、判明できないが、掃除をしても、直ぐに汚してくる。
 10数年前になるが、近所を自転車で走っていた時、前方から低空で前車輪
にフンをかけていった。 その直後、新聞とラジオで、「カラスのフンかけは、
意図的かどうかを専門家が答える内容を報じていた。専門家は、「あくまで偶然。
とにかく、小出しで、回数が多いための偶然」と否定的。 散歩とポタリング
を含めて40年近く出歩いているため、一番、接触が多いのがカラス。
得体のしれないカラス社会のごく一部は垣間見れるが、鳥類は「空飛ぶ恐竜」
そのままの原型が一番多く残っている。
 〜以下がネット内検索の内容。日頃、余程、閑(時間持ち)のようだ!〜

――――
2014/07/24
閑話小題 ー最近、またカラスが・・
   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が
鳴響いている。 一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が
続いている。ポタリングを毎日2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。
その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が
次々とやってくる。  ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に
糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に
考えていた。 ところが一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、
専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。
よくあるので、取り上げたのだろう。 答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら
利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的。専門家とはいえ、
私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。
で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で
威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって
見ていたが、明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦。
よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、
決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。
 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。
上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、
どうも、我家のインコが 野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット?
と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 
そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々減っているのが
気がかり。 至近距離の田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の
我家の庭のテリトリー争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が
多くなると、今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、
軽井沢、那須などに行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。

――――
2013/03/27
閑話小題 −つれづれに
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。
ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが
舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこに
オスが・・ メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは… 

――――
2011/11/11
閑話小題 〜〜
   * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から
飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かの鉢合わせをした。
カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていったが、体制を立て直した
のだろう、30Mも行かないうちに自転車の数m先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇
してきた。それを4度も繰返したことから、怒り心頭で怒っているのが分った。
カラスにも人間のような意地があるようだ。散歩などで時おり威嚇してくる。
黒色系の服装が刺激するのだろう。鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。
それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。人間社会との微妙
な距離を守り、共存している。土鳩・カラス・雀は世界の街の何処にでもいる鳥
――――
2007/11/04
2406, カラスの話 −2
 「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。
ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら
(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。

先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に
(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。 
その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、
「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。

「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラスの研究
があった。彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の
「ク」の音階で聞こえるという。それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、
人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。

この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、
成る程、意思交換をしている。 カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッ
という短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。それと、朝晩
の集会での意思交換をしている。

話は少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬をからかっている場面に
出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・・
カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。
最近のカラスは、一番身近な野生?の動物である。

――――
2007/06/18
2267, 「遊び」
                (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から
「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。
その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
年、月、週の計画に組み込んでいた。
人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。               
「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。
人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。
そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。
何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化
が楽しみへ持ち上げるポイントであった。
ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。
到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、
遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として
一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然
とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象を与える。
 学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。
遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。
一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。同じ人生、楽しまなくては!
何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。
 … (略)
 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察
から認められている。その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた
 “遊び”といわれる。
 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に
襲われた場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、
それを遊びにすることが、高度な知的行為である。
 ーー 
イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に遊びが入っている
ところが、注目に値する。   d=(^_^)=b
 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。

――――
2006/10/24
2030, カラスの話
           (*^○^*) ハ〜 ヨウ
20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。
低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、
今でも思っている。時々からからかったりしていたからだ。

散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。
雀や、セキレイや、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。
日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、時には襲うようだ。

ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。
小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、
ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。
また電線に千羽以上もとまっていることもあった。
あれは何かの集会ではないだろうか?

カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、
動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。

・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で
 仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて
 始めた“遊び”といわれる。
 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びに
することが、高度な知的行為である。

遊びのほかにも、驚くべき観察がされている。
取ってきた木の実を土に埋めて隠しても、その場所を正確に記憶している。
驚くべきことは「百箇所以上に埋めた場所と、それぞれの賞味期限も知って
いて丁度良い時期に掘り出して食べていた」という観察もある。
その瞬時に記憶する能力は人間以上とさえいわれている。

イギリスの動物学者のエメリーの研究によると、
一度隠した木の実を、別の場所に移し替えたので観察をしていたところ、
過去に自分が隠した木の実を盗られたカラスに見られたときだった、
というから人間並みの知能といえよう。ハイエナが自分の巣穴を覚られ
そうになった時に、子を違う巣穴に移すのに似ている。

他にも、銭箱から小銭を盗ってきて、鳩の餌を売っている自動販売機に
その盗んだコインをくちばしで投入、餌を得たり、
また胡桃を空高くから落として割る行為もよく知られている。
街中で生きる内に知恵がついたのだろうが・・・

「羽の生えた類人猿」とは、言いえて妙である。逆のカラスの立場から見れば、
人間は「羽の無いカラス」といえる。弱っている動物をみると、それだけで攻撃
する習性など、そっくりである。
  
 自然世界には、面白く不思議なことが満ちている。
ただ、見てないだけである。いや、見ても観えてないのだろう!
                    
                    \(^▽^*)バイ!


6002,「死ぬまでは苦しまなくちゃ」の覚悟

2017年08月21日(月)

         ー 「世間の捨て方」ひろさちや著 ―
   *  死ぬまでは苦しまなくちゃ
 「身内の最期の悶絶を見て、早々の安楽死を望むが、それは現象の問題と
いうことを忘れているのかも」という問いが、内から浮かび上がってきた。
悶絶の末、「もう、いいや」という諦念へのプロセスも最期の最期には…
考えさせられる。還暦、古希を過ぎた人には、その覚悟は出来ている?

≪ 森鴎外の次女の小堀杏奴が、こんなことを書いてました。
 鴎外の長女莉莉と次男不律が同時に百日咳にかかったときのことです。
生後半年の次男が死んで、長女も危篤になり高熱が出て、あまりに可哀そうで
見ていられないと言って、医者は「モルヒネを打ちましょうか」と提案をし、
安楽死をさせようとした。すると、医者であった鴎外は「自分もそう思う」と
同意し、奥さんも賛成、まさに注射を打とうとする時、奥さんの御父さんが
やってきて、その場面をみて、こう怒鳴ったという。
「馬鹿もの!何をやってんだ。人間はそんなに苦しかって、死ぬまで苦しまな
ければいけないのだ」 その一言で長女の命が助かりました。
鴎外はお義父さんに完璧なまでにやられました。でも、「俺も医者として
言いたい」と思ったのでしょう。その数年後に、安楽死の問題を取扱った
『高瀬舟』を書いてます。…≫
―
▼ ハッとする問題の提示である。私は常日頃から、<駄目だとしたら、
 早々に「モルヒネ」を打って安楽死をして欲しい>と家内に言っている。
子供のケースとは、前提が全く違う。しかし、「余命3ヶ月・半年」と宣言
され、死ぬまでの間、これまで生きてきたエネルギーを使って悶絶する?
のだろうが、鴎外の義父の言った「人間はどんなに苦したって、死ぬまでは
苦しまなければいけないのだ」の言葉が杖になる? 人生経験を味わい尽く
した老人なればこその言葉である。「どんなに苦しくとも生きろ」という人の
基本である。宗教心を持つ人間にとって当り前のことだが。神様に頂いた
命。苦しいときは苦しいまま生きるものだという真理を忘れて、どうしたら
楽になれるかを追求しがちなのが人間。しかし、「せっかく頂いた命を
面白おかしく生きる」のことも大事である。死んだ瞬間、元もと無かった
のと同じことになるのだから。

・・・・・・
5637, かわいい自分に旅させよ ー��
2016年08月21日(日)
            <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * 芸術とは
 ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの
主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、
博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。
それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその
まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを
高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。
≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。
 それを「言葉」でなそうというのが文学。
さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。
理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。
これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。
 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、
僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。
 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、
アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う
た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは
見失おうとしているのではないでしょうか。
 自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを
小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と
「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。
 僕には夢があります。
バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。
ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに
衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。
 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の
筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫
 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ
  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。
 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計
したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が
見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが
可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、
「大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて
きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを
取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

・・・・・・
5272,「エリック・ホッファー自伝」〜�А 愆�望より勇気を』
2015年08月21日(金)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット、
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
・・・・・・
4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
  * TVが比較地獄をつくった  「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 
自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない
人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の
術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。
ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスを
チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。
そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような
群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が
ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。
テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を
重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、
朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと
一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。
この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 
 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに
耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、
現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較
地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、
自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、
群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、
ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を
 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」
とかは、まさに比較地獄の世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」
になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。
そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の
理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか
なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を
TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、
ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、
シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで
「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 
「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、
「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。


6001,「自己実現」と「自我実現」

2017年08月20日(日)

   * 「自己実現」と「自我実現」の違い
 自己実現を果たすべく生きてきたが、「自我実現」でしかなかったのか?
そういえば私も、40代後半から、事業面だけでなく、私的ライフワークに、
シフトを大きく変えていた。
  〜ネットに、理解し易い内容があった〜
≪・『「自己実現」は、スイスの心理学者であるユングが考えたもので、
 彼は人生の前半は「自我実現」を目指し、後半に「自己実現」に取り組むのだ』
 と言いました。
 私がみなさんの相談にのっている感覚だと、30歳台〜40歳台頃に、この
「自我実現」から「自己実現」へのコーナーを曲がる人が多いなと感じます。
 自我実現から、無意識と共に歩む「自己実現」に入ってきている人はたくさん
 いるはずです。
  ☆<その人生の前半に目指す「自我実現」と、
    人生の中盤から目指していく「自己実現」の違いは何でしょうか?>
 =ユングいわく「自我実現」とは、「社会的に評価されるようなこと」
  分かりやすく言うと、
【やると決めて、それができた!→みんながすごいと言ってくれたり、
 自分も達成感がある→自分を褒められる、認められる】
 そんな感じが、自我実現モード。
「意識的・理性的に予想していた(意図していた)成功や実現を得ていく」とか
「(目に見える形で)何かできたら、自分を認められる」というのは、自我実現
 的といえます。
=それに対し「自己」とは、意識だけでなく、無意識も含んだものを意味します。
 ですから、「自己実現」というのは、 潜在意識や無意識という訳のわから
 ない要素が突入してきますので、思い通りにいかないことも増えます。
☆ <え?自己実現って、やりたいことを実現することではないの?>と思うかも
 しれませんが(それが普通の反応かもしれません)
 人生中盤以降で取り組む、ユングのいう「無意識と共に歩む自己実現」とは、
【どうなるかを決めて、その通りに実現させてナンボ】(自我ワールド)から
【どうなるかわからない世界も、自分の中に取り込んで統合していく】
 (自己ワールド)という世界になってくるという意味があります。
・でも・・・いままで、どうするか決めて、結果を出したら自分を認めてきた、
 コントロール好きの「自我」にとって、どうなるか分からず、訳も分からず、
 成果が見えないというのは、コントロール不可能ですから、ストレスフルで、
 怖いものです。そうなると、自我にとって、自己は脅威になり、必ず、自我は
 抵抗します。
「わけのわからない事とか、どうなるかわからない世界を取り込むなんて、
 振り回されるし嫌!」
「そんなの不安で耐えられない」
「成果が見えなかったら、どうやって自分を評価するの?」
「成果がなければ、誰も認めてくれないんじゃないの」
このような思考の自分は、ヤングな自我実現モード。 …  ≫
―
▼ 何気なく使っている、「自我」「自己」も、無意識が含まれるかどうかで、
 分かれてくるという。「自己ワールド」と、「自我ワールド」の境目を明確
にしておかないと、自己分裂に陥ることになる。そう、「他者の自我」に、
「自分の自己」が、押しつぶされる「群れの自己」いや「群れの中の自我」に
陥ることになる。それが「世間」という群れの正体、「劣化した自我ワールド」
の立派な一員の姿である。
オバマ前米国大統領と、トランプを、例えてみると、「劣化した自我ワールド」
は、明らかに? 腐った裸の王様のシャッポを被ったアメリカの混乱、天罰と
言えば、それまでだが… 面白いことも確かである。

・・・・・・
5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定
2016年08月20日(土)
   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、助け
られたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階で、
最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを「畜群」
には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
・手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

・・・・・・
5271,閑話小題 〜天津の大爆発 
2015年08月20日(木)
   * 天津の大爆発 
 〜まずは、この事件のニュースの一部から
【 爆発現場の空気中から高濃度の有毒な神経ガスが検出されていたと伝え
 爆発現場の倉庫には700トンのシアン化ナトリウムや、800トンの硝酸
アンモニウムなど、 40種類以上の危険化学物質計3千トンが保管されていた。
中央テレビによれば、専門家は「こうした物質が水と混ざったり、アルカリ化
したりして神経ガスができるほか、 爆発の過程で化学反応を起こし、有毒性の
ガスが生じる」と 指摘した。 中央テレビでは「神経ガスを吸い込めば呼吸器
系統や心臓などが突然停止し、死亡に至る可能性がある」と紹介した。】
 テロではないと思うが、どうだろう。数百人が爆死をしたと思われるが、
実際の死者数は表立てないだろう。 もし危険物質の存在と、ずさんな管理の
隙をテロリストに狙われたなら、ことは深刻。この事故、中国政府にとって、
株価暴落、二度の人民元の引下げ直後であり、あまりにタイミングが悪い。
 ネット上の、この事件による影響についてのコメント、
≪ 世界第四位の港、天津大爆発はタイミングが悪かった。
 輸出依存型経済モデルから内需主導の経済への戦略的転換点で、
この大事件が起こり、日本企業を巻き込み、サプライチェーンが破断された。
ときあたかも、目指す内需は不動産不況の余波で盛り上がらない。
大都市では不動産価格の上昇も見られるが、全体で見れば、まだ住宅過剰在庫
を持て余している。新規住宅建設が低調なので、そこで使用される素材である
鉄やセメントなどの需要も急減している。そうなると負の連鎖で、鉄やセメント
工場の設備投資は増えない。更に、新たな経済を主導する産業セクターとして
期待されている医療、教育、観光、情報産業などへの移行も遅々として進まない。
現状を放置すれば、世界的経済減速で旧経済モデルの輸出も盛り上がらず、かと
いって新経済モデルの産業も伸び悩む、経済構造変換の端境期にあるわけだ。
そこに天津大爆発の追い打ち。 既に、習政権は、人民元切り下げという
「伝家の宝刀」を抜き、力づくで、中国製品の国際競争力を高め、他国の輸出
を奪う戦略に出ていた。今回の急激な人民元切下げは終息したようだが、また、
近い将来、その第二ラウンドが起こるだろう。通貨安競争は終わってない。≫
▼ この爆発は、世界第四位の港の保管庫で起こった事件。毒ガス、化学兵器
 の保管庫?というのは明らか。あの穴の大きさからみて、ただならぬ爆発
だったことが分かる。共産党内部の権力闘争の真只中で起こった化学兵器倉庫内
の大爆発、単純な火災爆発でないと見るべきである。何か変だが、それを
隠すため、矛先が海洋への領土侵略に、より強く向かう可能性が高くなる?
・・・・・・
4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1
2014年08月20日(水)
     『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
  * 小さな神様見つけ方  〜� 幻のプロ歌手への夢  
 前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を
図書館から借りてきた。『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 
その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。
 まず、インドネシアのストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。
≪ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、
 決して意気消沈しているわけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、
肩を組んで流行の歌をうたったりしています。私はそんな姿を見て、彼らの
精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、私は理由を
知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話がある
ことに気づいたのです。それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。
 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。
だけど、歌さえうまくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになる
んだ。昔、この町のストリートチルドレンに毎日歌をうたって上手になった人が
いた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、音楽プロデューサーに
スカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。
僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功
する方法だからだ。僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』 
 似たようなことを多くのストリートチルドレンが喜々として語っていました。
彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は何人もいるそうです。
ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。
彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることは
ほとんどありません。だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌を
うたいつづけている。私は何人もの子供たちからこの話を聞くにつれ、
「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。 ある日、レコード販売店
を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、
『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った
子供は社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』≫
▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。
 しかし、そこは欧州の話。インドネシアでは不可能だろう。その中で、
小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも必要だろう。
ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアを
慕っている。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、
それぞれの「小さな神様」を見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。
ありきたりだが、私は両親。 母親が常日頃の口癖、
『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から私を守って
いてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、
極限になると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 
ただ末っ子のファザコン、マザコンでしかないが・・ 有難いことである!
・・・・・・
4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住
2013年08月20日(火)
 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の
低い国への移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。
所得税も、日本の4割未満とか。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 
《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化や
 金融の高度化により、短期間で富を築くことができるようになったためだ。
こうした新富裕層を自国に移住させ経済を活性化させようという国も増えている。 
所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込む。
日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や各国の思惑を
取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。〜ネット検索によると
《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で
 調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)
以上持つ人と定義した。国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位を
キープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復
もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層の金融資産のうち
4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高いことが伸びに寄与した。
2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、
上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国
(16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米。
景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。
富裕層人口は世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル
(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。
▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格
 のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリで
スポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いいが、そこには金の情報
が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本
では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、
金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に
2万6千人存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、
ある日、何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上
の金融資産があれば、シンガポール辺りに。
・・・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。


6000,「心を震わすことが、考える出発点」

2017年08月19日(土)

           ー「ひとり達人のススメ」山折哲雄著―
   * 「まずは、心を震わすこと」
 学生時代の卒論『流通革命論』を書くため、1ヶ月ほど大阪・船場の衣料問屋
に住込んだことがあった。 最終の夜、慶応出の社長に、北新地のクラブで、
「若いうちに、感動、感激する能力を養うこと」と、教わった。その後の生き方
に大きな教訓になっていた。 前年の21歳時の『30日間の欧州一周旅行』の
感激・感動経験が何ものにも替えがたいことを改めて知った。 次々と息を
つかせない衝撃的感動が、その後の人生を大きく変えることに相成った。
そのためには、まず己の感覚が研ぎ済まされていること。そして、自分の意思
で、そこまで辿り着かなければならない。
(今ではTV・ネットで、比較的楽に様ざまな場面に立ちあえるが…生体験は違う)
  〜その辺りから〜
≪「ヤイコシラムスイェ」。直訳すると「自分自身に対して自分の心を揺らす」
 ということから「考える」というアイヌ語。「ヤイ」が「自分自身」のこと、
「コ」は「に対し」、「シ」は「自分の」、「ラム」は「心」、「スイェ」が
「を揺らす」になる。 考えるということは、単に頭で考えるのではなく、心を
揺らすほど感動することであり、魂を振動させることだと、アイヌ語は教える。
現代の私たちは、考えることを、論理を立てて、合理的に、言葉で思考を構築
していくことだと思っている。それは大切だが、もっと重要なことがあると、
このアイヌ語が教えている。… … 戦後教育は、知識を教えるだけ、詰め込む
だけだった。その前に「考えること」を教えることが必要で、それは要するに、
感動することを学ばせるということだったはず。≫
―
▼ 振りかえ見れば、人生の大きな境目が、この旅行。その後、数限りない感激、
感動体験をしてきたが、この感動体験があればこそ。 20歳・21歳の立志と感動
体験と、幼児期の家族単位の創業体験が、私のアイデンティティ。 それらが、
好奇心を補強しているような。 その頃から、絶対的読書量の少なさを実感し、
早朝読書を始めていた。現在、TVのYouTubeで、過去に感動した旅先や、絵画を
観て、感激・感動の追加経験をしている。これが現場の再体験の感覚となり、
綺麗な画面と雰囲気が、視聴するというより、追体験を現実にしているような
感覚になっている。今ではVr(バーチャル・リアリティ)で、より深い追体験が
可能の実体験をしているような。〜で、以下の同月同日の文章に続く…
 好奇心は、何故か、今でも衰えがないが、「馬鹿は死ななきゃ、直らない」
今でも遅くない。図鑑でも、買いますか。「…ったく、頭の悪いのだけは!」
――
5635,「賢い子」に育てる究極のコツ
2016年08月19日(金)
          <「賢い子」に育てる究極のコツ:瀧 靖之 (著)>
   〜まずは、内容紹介より
《 本書は、16万人の脳のMRI画像を解析・研究してきた瀧靖之先生による、
 脳の力を最大限に伸ばす子育ての本です。 世界最先端の脳研究から、
「ぐんぐん伸びる子」と「そうでない子」の差が見えてきました。
「頭のいい子」「能力の高い子」は皆、好奇心のレベルが他の子どもより高い。
  好奇心を伸ばすコツは、たったの3つ。
「秘密道具1ー図鑑」
「秘密道具2ー虫とり網」
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」を子供の成長に合わせて取り入れていく
ことで、その子は学ぶことや知ることがもっと大好きになり、脳はみるみる
賢く育っていきます。さらに脳の発達に合わせた習い事で、芸術的センスや
運動能力・語学力も伸びやすくなります。 》
▼ 結論からいうと、賢い子に育てるには、「好奇心」の強い子に育てること。
 そのために、まず身の周りの自然などが分かりやすく掲載されている図鑑を
与えるのは道理。 また、昆虫採取などの実体験は必要。音楽の演奏もいい。
「人生最初の習い事は?ピアノと英語なら、ピアノが勝ち!」という。
「賢い子」と「成績の良い子」はもちろん違う。本当の意味で「賢い」とは
「自ら進んで学習する能力がある」ということ。子どもの脳は、学校の勉強
だけでなく、人間関係や社会についてもさまざまなことを日々「学習」
しながら成長する。『二人の息子の部屋に、百貨図鑑を置いていた。暇だと
何時も見ていた』と家内は言う。 下の子にはピアノ与えた。 二人とも、
ゲーム好きで、少し嵌りすぎたきらいがあった。
 7〜8歳の頃、近くの大学生だった従兄弟にバイオリンを勧められ、
『教えてやるから、バイオリンを買ってもらいなさい』と・・ 
で、父親に頼むと、即刻、『駄目!』と拒否をされた。あの時に父に、
『何があっても、止めない』ことを条件にバイオリンを始めていたら、
人生が変わっただろうにと、40歳を過ぎた頃から思い返してきた。
両親の素養も必要ということ。尤も、バイオリンは私には向いていないが。
幼児期に、真に受けて始めていたら、人生は変わっていたはず。
 レコードと本の購入は、フリーで、何も言わなかった。

・・・・・・・
5270,閑話小題 〜久々の大物が出現
2015年08月19日(水)
   * 久々の大物スターアスリートが出現
 高校野球に、久々の大物・清宮選手がデビューをした。まだ15歳だが、
風貌は20歳後半。三年前のTVの報道で、彼の大物ぶりを報じていた。
当時のプロの目から見て、「ベーブルース並み」の潜在能力があると
報じていたが、「まさか!」と思っていた。当時の身長は、現在とほぼ同じ。
 この4試合を見る限り、決して、その言葉が大げさに思えないが。
球をとらえる前さばき、全身のシナリ、バットの鋭さ、ふてぶてしさ、
風貌、どれもを見ても、イチロウ、松井秀樹レベルか、それ以上?
 しかし、ネット上の記事の辛口のものもある。
《 準々決勝含む4試合で16打数8安打の打率5割。2試合続けて本塁打を
放つなど、計4試合で8打点。本塁打まで打った1年生のどこが「まだまだ」
で、「パワーヒッター」じゃないのか?。「脚力を含めて絶対的なパワーが
ないしフォロースルーも小さい。打つポイントが体に近く、ボールを最短距離
でとらえているので基本的にはセンターから左方向へライナーを飛ばすタイプ。
スイング自体もコンパクトで、レベルよりダウンスイングに近いため、打球も
上に上がりづらい。ホームランバッターがよく、とんでもなく高いファウル
フライを打ち上げますけど、そういう飛球がいまの清宮にはありません。
松井や清原が1年生で甲子園デビューしたときと比べると体のキレ、躍動感、
スピード、パワーで物足りない印象ですね」(同)
 別の球団のベテランスカウトによれば、「東海大甲府戦(15日)の本塁打
にしても、芯でとらえればあれくらいの飛距離は出て当然。それより何より
対戦する投手のレベルがヒド過ぎる。130キロちょっとで、打ちごろのボール
が甘いコースに来れば打って当たり前。清宮だけがとらえているならともかく、
それ以外の早実の打者までボカスカ打ってるじゃないですか」。》
 少し買被り過ぎに、この位の内容で少し冷静に見た方が、本人にも
良いのだろうが、問題は今日明日の内容になるが、やはり逸物である。
 相撲でも、同年代の少年に清宮並みの大物が、何かの大会で優勝をした。
こっちは買被り? それぞれのスポーツに、こういうのが次々と現れてきた。
親がかりのマシーンをつかった天才教育の結果だろうが、清宮は、まだ12歳で、
既に183�僂離▲好蝓璽箸箸靴峠侏莨紊�った身長があったところがポイント。
 一風変わった、沖縄のトルネード投法のピッチャー、アフリカのハーフ、
オジサン顔の15歳の超大物など、面白いのが出てきた。時代は、変わった。

・・・・・・
4905,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー49
2014年08月19日(火)
   * 総括の総括 ー��
 このテーマのシリーズも、目安だった50回に近づいてきた。
しかし、思いついた時々に‘つれづれに’加えていくことにした。 
ホテル事業の準備段階までのことは、今まで、深く振り返ったことが
無かったので、書き出してみると面白い。しかし肝心のホテルは転売時期を
逸し、後半の15年間は、2001年の9・11テロと、2004、2007年の中越地震と、
刈羽沖地震が発生。 2008年のリーマンショックを経て、2011年の3・15の
東北大震災を向かえ、その直後の3月30日に倒産に至った。 
 経営的には、2001年の9・11以来、右下がりの坂を駆け降りていた。
1985年から始まったバブルは、1989年の株式の納会で最高値をつけた翌年
11月に、半値の20000円まで下げた。更に、数年かけ、最高値の5分1の8000円
以下まで下げた。「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬に起きた現象ではない。
崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象で、その進行は
地域や指標の取り方で異なる。崩壊は1991年10月ごろ始まったが、その頃、
ソ連、東欧の共産圏の社会主義圏が崩壊をした。中国は実質的に社会主義を
放棄、資本主義に変わり始めていた。バブルとバブル崩壊が日本の大転換期で、
欧米に先立って、崩壊過程に入っていた。事業は改革を続けないと、「へ」
の字のように右下がりの結果、消滅をしていく。時期的に3分1が上り坂で、
3分2が下り坂になる。これは店も同じ。 開業以降、バブルを含めて10年が
利益の面からみて上り坂で、後の10年はナダラカな下りで、最期の10年は、
急激な下りになっていた。リーマンショックで地方経済は大打撃。
 しかし、新潟駅前に留まっていたのが、撤退には都合が良かった。
 現在も、4棟のうち3棟が、同じ名前でホテル営業が続いている。 
買い手が、名前を引き継ぎたいというから、快諾をした。同じホテル名なら、
表向きオーナーが変更しただけで、事業体の生命が続いていることになる。
拒否も真剣に考えたが・・ まあ、いいだろう! と。

・・・・・・
4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある
 2013年08月19日(月)
         「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手に
とった時に、「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を
目次の中で見つけ借りることにした。 会社から離れ、日常生活で「ひとり」
でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、話をしたい
とかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。
これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に
決心した第一歩が「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、
人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を中心にした独学が芯になった。
振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。学のためには、
独(ひとり)になること。スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、
シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的な
テリトリーになる。慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。  
 まずはアマゾンのー内容紹介ーより
《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、
 はっきりしません。ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じ
られます。それは、私たち日本人の感性に訴えかける「無常観」や「死生観」
が込められているからです。2011年3月11日。そこから意識され始めたのが
「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。しかし「孤」
があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。
精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」
になることで得られる充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や
「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した死を迎えるためにも、
いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。
どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか… すべての
答えが「ひとり」の中にあります。どうやったら「ひとり達人」になれるか? 》
▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、
「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」
が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。感激、感動
で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること
自体で、既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出た
ことである。それは、その外側から自分の世界の限界を知り、思考していること
になる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に還る折り返しをいうが、
誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!

・・・・・・
4163, 老年行動学 ー1
2012年08月19日(日)
    「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から
離れ、家庭中心の生活に入ると、急に老いを目前に突きつけられた感がする。 
思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、それぞれの時節に袋に
閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。図書館で借りてきた本だが、
なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、
面白い本がある。 要は、人生を通して学び続けてきたかどうかだろうが。  
  ーアマゾンの内容紹介ーより  
【  =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!=
 あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、
思うことがありませんか? たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、
毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに
頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒って
いる人....。 ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような
行動には、実はそれなりの理由があります。その理由を探り、高齢者の行動と
心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】
▼ 冒頭の「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」が面白い。
「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」
の問いを立て次のように答えている。
≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。
 うつの人などはネガ寄りですが、通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。
なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。
いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている
意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きる価値のある存在だ」という
自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。
そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、
無意識のうちに集め、記憶し、脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ
寄りに保つことによって、生き続けるのです。 この基本的なしくみは若者も
老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は
ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい
写真を見せると若者は悲惨な写真を見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る
時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、生きていく上で
必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。
人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人は
どのようなとき自分を攻撃し、自分はどのような状況で傷つき、どのように
苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられる。
それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、
もうそのようなそのようなことを学習する必要はありません。しかも、高齢に
なって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに
保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブな
ことに目を向けた方が生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’
を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫
 ー老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。
なる程、この年齢になって気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。
実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で6歳の差があるという。
アメリカでは、男が15〜16歳、女が22〜23歳もある。私は10歳近くは若い。
というより、年齢に気持ちがついて行けない。


5999,閑話小題 〜トランプ劇場

2017年08月18日(金)



   * 事実は小説より奇なり
 国際政治が、ブラックコミックの様相を現してきた。私流に言わせると、
< ソ連崩壊前のKGBの一員が、スパイの手法を活用してロシア大統領に上り
 つめた。政敵を闇のうちに葬るのはお手のもの。それを国政政治でも通用
することを知り尽くしていれば、彼の思惑どおりに世界を操ることが出来る。
そのひとつが、アメリカ大統領選で泡沫候補の白人ファースト主義のトランプ
を国家単位で勝たせること。黒人の大統領と、女の国務長官に長年、不満を持つ
白人主義者は、こぞってトランプを支持した。それを国家単位のスパイ総動員で
後方援助をして思惑どおりに大統領に祭り上げ、国家分断を目論んだ。それが、
アメリカ建国以来の最低、最悪の大統領の下で、ハリウッド映画並みの分断が、
連日のデモ。 ロシアのスパイ上がりプーチンが、北朝鮮に、ミサイルと核の
技術を与えて、米韓日と北朝鮮の戦争をあおっている。 >
―
 面白いと笑ってはいられない重大な局面であるが… 世界大戦を狙う、
武器商人のシンジケートにとって、これ以上の機会はない。「世界は理性より、
感情で動く」を地でいくフリをしたトランプにとって、北朝鮮戦争は神風か?
中国も然り。北朝鮮は、疲弊した中国経済と、世界進出の隠れ蓑になっている。
 で、私の結論は、「戦争か暗殺」は必然。
クリントン女史の大統領より、トランプが遥かに面白いことは確かだが… 

――――
2017/08/14
閑話小題 〜第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
   * 第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
 「そう遠くない先に、朝鮮戦争はある」とみるのが、自然である。
第二次朝鮮戦争は、アメリカの力を削ぐに、中国、ロシアにとって非常に
優位になる。その点、トランプ大統領と、金主席は、これ以上ない人材。
まずは、ロシアが大統領選で小細工をして、トランプ大統領を祭り上げ、
次は、中国が…? もってこいの取組になる。しかし、始まれば、数百万単位
の死傷者が出るが、この百年だけでも、数千万単位の死者、餓死者を出してきた。
戦争は、そういうもの。 但し、以前のように、中国、ロシアは、北朝鮮へ、
直接的支援が出来ない。その時、ロシアと中国は、沖縄、北海道を狙う?
「戦争は何でもあり」である。とすると、私の人生は、「第二次世界大戦
直後に生まれ、第二次朝鮮戦争直前の狭間に生きた」ことになる。
 日本にとっても、トランプと、金主席は、偉大?な厄病神に御なりですか。

――――
2017/05/20
『しあわせ仮説』 −8「純粋な悪」を、トランプ大統領にみる
            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * 諸悪の根源は「純粋な悪」
 哲学的に表現すれば「素朴な実在主義者」の心のありよう、有りていに言えば、
「大人、子供に見られる表層の現象で決め付ける幼稚な精神と知能の持ち主」。 
幼稚な心は、自分たちの世界を破壊されることが「純粋な悪」。誰の心にも
ある「純真な心」でもある。それ故に猛毒を含む。 このフィルターで、
世界を単純に切り取ると、これが面白い。
 ー今回は、アメリカの白人の本音、「白人至上主義」ー
黒人のオバマに対して、2期・8年間、不満を持っていた比較的恵まれない白人層
にターゲットを絞り、ロシアの間接的?援助も加え、まさかの泡沫が当選した。
そ素朴な白人優位主義と、有色人種への偏見を前面にうち立てたトランプ。
全くの政治に素人である。純朴に、白人の優位性を脅かすことを「純粋な悪」
とする彼らの偏見は、グローバリズムに逆行する側面がある。これは、他民族を
受け入れてきたアメリカの理念と逆行する上に、ナチスの思想にあい通じる。
そろそろ、これに気づきだした国民に弾劾され処分されるのは時間の問題… 
 世界は白色、赤色、黄色、黒色の順の人種差別が歴然としている。その露骨に
現われ出ているのがインドのカースト制度。4層が、さらに細かく500層になって
いて、その網目から逃れることが出来ない。何せ3千年かけてつくり上げた階級。
交通事故で、最下層の被害者に対し、日常的に轢逃げが罷り通っているという。
 ISは赤色人種のイスラム原理主義を忠実に守り、それを守らないのは、
「純粋な悪」として殺害か奴隷というから恐ろしい。対する欧米は白色人種を
中心に国力に比例した序列がある。日本は地政学的に、白色(米国)側の、黄色
のポチ。ドス黄色の中国には、島国のため、独自のウス黄色だったため、ポチ
として、庭先の犬小屋に番犬?として、敷地内に飼われている? 白人至上者
から見れば、こんなもの。で、逆オバマ効果で、こんな人物を大統領にした。
 としても、日本は飼主がどうであれ、忠実な犬を装ってないと、エサの配分
が減らされる。門から外に出ようものなら、直ぐにドス黄色・中国の攻撃対象
になる。ふ抜けた日本の「純粋な悪」は、他国からの「侵略と、戦争」。
「平和憲法の改憲」である。何せ72年前に三百万人が亡くなっている。
ポチでも何でも、目立たないように犬小屋で大人しくするしかない。
バナナ(外が黄色で、中が白色)とか、イエローモンキーと言われようが、
ただ大人しく、忠犬を装うしかない。何?としても、大統領の一存で、
「沖縄は中国に、北朝鮮はアメリカに」の取引で、中国に売り飛ばされない
とは限らない。取引を業とするトランプなら、ありえない話ではない。

――――
2017/05/04
『しあわせ仮説』 −3 〜素朴実在論と、純粋悪
           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 純粋悪
《「純粋悪は、素朴実在論の究極形態である。これが、大半の長期的な
 暴力形態の循環の究極的原因である。無差別殺人など、その犯行動機で
よく言われる、
 貧困のせい、虐待のせい、格差のせい、環境のせい、etc...
そんな外的要因(不純物)が存在しない「悪」。そんなものが無くても
成り立つ「悪」。 純粋悪=完全悪を「純粋悪」という。》
《 哲学で、私はよく世界が幻想であるという考え方に遭遇した。それは
 深い意味がある。20年間道徳心理学を学んだ末に、理解できたように思う。
人類学者のクリフォード・ギアツは、
 <人は、自分が紡いだ意味の網目に吊るされている動物である>と書いた。
つまり、私たちの住む世界は実際には、岩や木、物理的な物体から構成されて
いるのではなく、侮辱や機会、地位の象徴、裏切り、成人や罪人で構成されて
いるのである。これらはみな、人類の創造ぶつであり、それなりに存在するが、
岩や木が実在するという意味では実在しない。 これらはバリーの
『ピーターパン』の妖精のようなもの。あなたが信じるときにのみ存在する。》
―
▼ 個人も、集団も、その純粋悪に気づかない。北朝鮮が、この現状。
 素朴実在論は、この毒である「純粋悪」の汚染の自覚も持たない。
トランプ大統領も、金主席も、自分が素朴実存主義者という自覚がない。
世界を、日米韓を純粋悪のバイアスで見ている。 (逆も言えるが)
目的は手段を正当化するが、そこからも「純粋悪」が派生する。
カント倫理学における 根本的な原理であり、無条件に「〜せよ」と命じる
絶対的命法に似ている。私は、我々は絶対正しく、「外の人」は、所詮は
旅人、時間が経てば消えていく。しかし、消えるのは? そう呟く人たち。
 9・11事件のテロリストの行為の理由を「私たちの自由への憎悪」と述べて、
驚くべき心理洞察の低さを露呈した。アラブ諸国の長年にわたる屈辱と怒りの
歴史から出ていることを、一概にした市民を大量殺戮にするに至った。
知識も知恵も経験も少ない私たちは、素朴実在論を述べ、「純粋悪」の毒を
吐くしかないが、そのことを少しでも自覚できるかどうか。そのためは、
独学でいいから自分の世界を広げるための知識と、新たな経験を必要とする。
・「純粋悪」もピーターパンの妖精のように、「素朴実在論者が、純粋に
悪と思っているなら、存在している」ことになる。 それで自分を縛り付けて
牢獄の罪人に押し込んでしまう。しかし、牢獄が全世界なら、知らないまま
消え去るなら、それはそれで人生の完結になる。全て、自分自身に言えること。
 
――――
2017/04/18
世界がもし100人の村だったら お金篇 〜1
     『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
             池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
    〜まずはAmazon(内容紹介)より〜
≪ 「お金」を糸口にすると、世界の仕組みがよりリアルにわかる!
   累計160万部のシリーズ最新
 世界のGDPは2000年からの15年で2倍以上になりましたが、
貧しさはなくなりません。
 世界がもし100人の村だったら
1人の大金持ちの富と 99人の富はだいたい同じです。
なぜ、そうなったのでしょう?

 イギリスのEU離脱、トランプ大統領就任……
新しい時代に生きるわたしたちが知っておくべき世界の実態を
わかりやすい数字と解説で紹介する 新『100村』の「お金篇」、緊急出版! ≫
 ―― 主な個所を抜粋 ――
▼ 出版以来、15年経過するが、
・ その後の世界はネットが飛躍的に普及し、
 世界の半数近くがネット環境を持つようになった。
・ 人口は60億人から73億人と20%増加。
・世界のGDPは2倍以上になりましたが、貧しさはなくならない。
・100人のうち、
 26人が子供で
 74人が大人で、
 8人がお年寄り
・60人がアジア人で、
 16人がアフリカ人で、
 13人が南北アメリカ人で、
 10人がヨーロッパ人で、
 あとは南太平洋地域の人です。
・54人が都市に、46人が農村や砂漠や草原に住んでいる。
 その都市に住む54人のうち12人がスラムの住人です。
・33人がキリスト教
 23人がイスラム教
 13人がヒンドゥー教
 7人が仏教を信じている
 18人が、ほかのさまざまな宗教を信じているか、
 あるいは何も信じていません
――
▼ 僅か15年で、世界の人口が2割も増えているとは驚き。
 このままいけば20年数年後に100億人になる。地球にとっては
異常な人口過剰状態になる。そこで起こるのが何らかの自然淘汰。
そして現在起きている一強多弱の世界。そこには当然、争いが多発する。
「お金は、剥き出しの真実」とすると、この<お金篇>は、
シリアスの世界を、そのまま写しだすことになる。 〜つづく

――――
2017/03/13
閑話小題 〜トランプの時代
   * トランプ大統領の選択
 トランプ大統領の選出と現状を私流に表現するとこうなる。
< 歴史的大失態で選出された現米国大統領は、泡沫候補上りで政治について
 全くの無知。その上に歴史的知識も、基礎教養も歴代にみて最低に思われる。
この男が世界を動かすというから、日ごと混沌する。一つ間違えると世界は、
第一次・第二次世界大戦時代の戦争状態に後戻りする可能性が出てきた。
彼の支持層が国内の大方の負け組の白人至上主義の保守派。一挙に南北戦争
時代に舞い戻った様相を示し始めた。隣国メキシコ人は黄色人種が多い国。
その対応は、まさに黄禍主義。その延長が日本や中国などに露骨に現れてくる。
大統領選で、ロシアがトランプ有利にと後方支援で動いた証拠が表立つのか?
 イスラム教は、アラブ・北アフリカ圏内なら通用するが、一歩外に出れば、
災害の火種になる。仏教徒やキリスト教徒とは、全く肌が合わない。異教徒の
文化がイスラム教と違うという文明の相克で、殺し合いの拡大が始まって当然
のこと。その上にイスラム教徒の仲間割れが始まった。避難民が欧州に殺到する
中で、イギリスがEU圏からの離脱を決定し、EUそのものの存在も危うくなって
いる。その流れの中で、アメリカ御本尊も、白人至上主義を選んでしまった。
さて、如何なる? > ―物語にすると、こんなものだが。
――
 突然、グローバル化の先頭に立っていたアメリカが、「アメリカ第一主義」
を打ち出すとは「鳩に豆鉄砲」のよう。シェールガスの生産で、エネルギーを
自前で確保が出来たことも背後にある。北朝鮮がアメリカに対し大陸間弾道弾
で「原爆を打ち込む」と脅かせば、70歳も過ぎの老人なら、その手段を持つ前
に、原爆を打ち込む可能性を考えるのが自然である。
・怪しげな泡沫候補上りの裸の王様トランプと、
・生粋のスパイ上りの狡猾なプーチンと、
・糖尿で頭がイカレタ、粛清と原爆保持しか能がない坊やと、
・密室の温暖育ちで怖いもの知らずの習主席と、
面白い面々が出揃った。あとはフランスに極右の女首相でもなれば…。
さらに韓国に、「北朝鮮と大幅に妥協してでも統一」を前面に掲げた気弱な
新大統領の可能性が大きい。その中で、日本は安倍首相しかいないのか。 
今度のブラックスワンは、原爆を抱えている可能性がある? 

――――
2017/02/18
緩和小題 〜しまった!  ー 6 トランプ大統領選出は?      
      < しまった! 「失敗の心理」を科学する
                ジョゼフ・T・ハリナン (著) > 
   * トランプ大統領選出は凶か吉か?
 既に失権をした韓国大統領と、アメリカの新たなトランプ大統領の選出。
誰の目にも「選定の失敗」は明らか。判断するには少し尚早だが、その辺を
考え読みとってみる。
・韓国の場合、怪しげな新興宗教の教祖が、元大統領の娘に目をつけ、大統領
に祭り上げて黒幕になろうと画策し、自分の娘を同じ学校に入学させ近づけ、
大統領の階段の誘導に成功し、大統領にさせた。その結果、教祖の娘が陰の
大統領になり好き放題。 韓国映画並みの劇場型コミック物語そのもの。 
・トランプ大統領も然り。黒人大統領と、元大統領夫人の金髪白人女候補の
世襲に不満を持つ中下層の白人層に狙いをつけ、ロシアの後方援助を得て当選。
全くの素人が絶大権力を持つと、こうなるという珍現象が日々、ニュースで
話題になっている。 二流役者から成り上がったレーガン元大統領でさえ、
カリフォルニア州知事の実績があった。それも俳優で、蔭のシナリオ作家?が
書いた大統領役を忠実に演じればことが済んだ。しかし暗殺されかけたが… 
 それに比べて、この御人、あまりに粗末な裸の王様。TVや、ネットが、
政治的に軽いオツムを、そのまま公開することになる。気づいていないのは、
大統領本人だけ。落目のアメリカの拍車をかけることになる。
どの切口をとっても、あまりに隙だらけ。弾劾裁判の可能性を排除できない。
軽いオツムの公開といえば、「このブログも?」と、斜め後から聞こえてくる… 


5998,「考えるとは、まずは、ひとりになること」

2017年08月17日(木)

      「ひとり達人のススメ」山折哲雄(著)
          ―ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある― 
   * 「考えるとは、まずは、ひとりになること」
≪ ・現代の若者は、見事なほどモノゴトを考えようとしないように見える。
 そして、ひとりになることを極端に嫌がる、人嫌いになっている。… 
・「ひとり=不安な状態」というのは、社会が作り出した雰囲気と思ってます。…
・戦後教育に原因があるという「ひとりで考える」ことを忘れた日本人。
姿勢を正して、呼吸を整え、瞑想する、それがひとりになる出発点だ。
この教育は、戦後の家庭でも学校でも地域でもしなかった。これは重大な
問題です。日本が平等主義の時代になると、人間関係が横並びになり、仲間内
で簡単に群れるようになりました。群れは寄りかかる相手がいるため安心の
ため、ひとりを避けるようになる。行動する時も、何かを考える時も、群れた
状態の中でそれをしている。…
・人間関係には縦の軸がある。師と弟子、上司と部下。親と子。その関係の中で、
上のものが下のものに、自分の経験や知恵を教えていく。そこには強制的な力が
働くが、それをしっかり受け止めて、ひとりで考える。この緊張感を抜きにして、
人は成長しながら生きていくことはできない。しかし、戦後の横並び平等主義は、
この上からの強制的な力を避けようとする傾向を生み、ひとりでいることが
耐えがたくなってしまった。これは見逃せない大きな社会的問題です。
私たちは縦の軸を蔑ろにしてしまった。≫
―
▼ 考えるとは、判断すること、決断すること。 正しい判断、決断に、己の
 甘さが土台を弱くする。「馬鹿の考え、休むに似たり」も確かにある。しかし、
決断の結果の成否が、考えを深めることも確か。 20時過ぎに就寝するため、
0時には目覚める。そこから4時までの起床まで、様ざまな想いや、不安が錯乱し、
意識と無意識の世界を交差する。それを面白い!と考えるかどうかは、訓練次第。
「要するに考えていることになる」と思えば、これは最高のカオス。大海をヨット
で漂うと同じ? 死ぬときは、こんなものかと。そして起床、これを成書している。

・・・・・・
5633,お金に強くなる生き方 〜��
2016年08月17日(水)
            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 高い学歴も、金で入手可能
 ここで、「子供を幼児から投資対象にする辛らつな世界が現実に存在する」
という。こうしたのが、官僚、弁護士、医師などになって、世の中を牛耳る
のだから、一般人はたまったものでない。中国の一人っ子政策で、親が自分の
将来を託すために子供教育に全てを捧げている。大学でも、付属の小学校から、
エレベーターで上がってきた人は、受験勉強で魂を磨り減らしてきた連中より、
違った強みと弱みをあい持っている。卑近の例で、幼稚園、保育園に通った人
と、通ってなかった人は、何かが(温みの有無)違っていた。〜その辺りから〜
≪ 資本主義社会において、お金は絶対に必要です。私たちは、生きていくため
 に必要な食料、衣服、住宅、水道光熱費、サービスなどを商品として購入します。
自分で商品をつくってもそれが必ず売れるとは限りませんが、お金があれば
どのような商品でも買うことができます。商品は、いつもお金に対して「片思い」
をしているのです。
 高い学歴も、生後10カ月から月24万円の授業料がかかるプレスクール(保育園)
に子供を通わせれば手に入ります。主流派の経済学者(近代経済学者)は、人間を
投資対象と見ることを躊躇しません。
 慶応義塾の中室牧子准教授は以下のように指摘しています。
【 人的資本投資の収益率は、子どもの年齢が小さいうちほど高いのです。
 就学前がもっとも高く、その後は低下の一途を辿っていきます。そして、
一般により多くのお金が投資される高校や大学の頃になると、人的資本投資の
収益率は、就学前と比較すると、かなり低くなります。 (中室牧子著
『「学力」の経済学』ディスカヴァー・トゥエンティワン・2015年)】
 中室氏の言説にはそれなりの説得力があります。新自由主義的な弱肉強食の
競争社会では、富裕層の子供は幼児期から良質の教育を受け、集中して机に
向かう習慣と礼儀正しさが身につきます。だから小学校に入ってからも自発的
に勉強し、その流れで進学校に進み、偏差値の高い大学に入ります。
すると官僚、起業家、弁護士、医師、公認会計士など、社会のエリート層に
なる可能性.が高まります。≫
▼ オリンピックでメダルを取るのは、幼児の頃からの天才教育が背後にある。
 そこまでしないと、そこは、戦えない世界。最近、日本も外国に比べて
劣らないのは、こういう幼児から教育を取り入れた成果。20歳の頃から、一日、
2〜3時間の読書を自分に課してきたが、半世紀も続けた割に、効果というと?
これは、効果とかいう問題ではないが、としても。 5歳までの生活環境と両親
の教養レベルがあったということ? 尤もこれは、全ての人に言えることだが!
5年前の事業整理から5年半、めげなかったのは、多くの日常生活の「独行」の
生活習慣があったことがある。  〜で、これも偶然だが、以下につづく!

・・・・・・
5268,人生を愛する気高さを持つ 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月17日(月)
                 〜ニーチェ「超」入門〜 白取春彦著
   * 人生を愛する気高さを持つ
 人生は、何事が起きようが絶対肯定!にある。
どの道、私たちは宇宙のチリとして消滅していくのだから、せめて、
己だけは「天上天下、唯我、独尊」「絶対肯定」の覚悟で生きたいもの。
 以下は、著者がニーチェの人生の全面肯定を要約した部分。
≪ 人生を愛さないのならば、生きている価値はない。
 人生はすでに始まってしまったのだから、人生そのものを愛するのが、
人生を味わいつくすベストな方法だ。自分の人生なんてと嘆く人は、
今の人生から逃げたがっている人だ。しかし、どこへ逃げようとするのか。
熱狂へか。享楽へか。陶酔へか。安逸へか。癒しへか。あるいは死へか。
 しかしそれらもまた、死でさえ人生の中にあるのだから、人生から逃げる
ことなどまったくもって不可能。人生はゆったり全面的に享受するしかない。
自分の身に起こったいっさいの事柄を享受し、肯定するのだ。それは人間
として気高いことなのだ。 自分の身にだけはつごうの悪いことが起こらず、
幸せと良い出会いと潤沢さだけが舞い降りてくるように、と多くの人は願う
かもしれない。もしそのようなことがあるならば、人の生ではないだろう。
生そのものが成り立たないだろう。すると、人はやっぱり逃場がほしくなり、
宿命とか運命とかを信じようとする。何もわからならないでいる状態よりも、
オハナシでもいいから、ストーリーがほしくなるのだ。 自分の意思では
どうにもならない事柄、なんとも理由がわからない事柄を選んで、宿命とか
運命といったカテゴリーへと納めてしまう。そういう傾向をあてこんで、
領収書が発行されない商売を開く輩。 占い師たちだ。
 ところで、ニーチェは運命愛を持つことを勧めている。
すると、ニーチェは占い師たちのように運命や宿命を信じていたのだろうか。 
そうではない。二ーチェは、人の身上に起こる事柄を運命と呼んだにすぎない。
そして、どんなことが起きようとも、いっさいを受けとめて肯定するようにと
くり返し主張したのだ。これがニーチェの運命愛だ。あるのは人生の全面肯定。
何が起きようとも、「よしっ」という態度だ。決断がつらい結果を生んでも
「よしっ」という態度だ。自分のなすことすべてを肯定する態度だ。
・・(略) 部分的な時間を人生と呼ぶのではない。人生はすべてを指す。
部分的になんらかの物差しをあてて測定して結果とするのはあまりにも小さ
すぎはしないか。人生を全面肯定する人は、今のこの人生がもう一度そのまま
くり返されても、ツァラトゥストラのように「よしっ、もう一度」という。
 なぜならば、どういう決断をしようとも、まったく悔いがないからだ。
すべてを享受するのだから、反省や後悔など起こりようがないのだ。
むしろ、人生とはこういうものかとおもしろがるだけなのだ。
それは、人間としてとても気高いことではないだろうか。周囲の人々に
人生の尊さと、生きる意欲を我が身をもって教える人ではないだろうか。
それよりも、何が起きてもひるまず、たじろがず、むしろ不敵な笑みを
浮かべて取組む生き方のほうが人間としても高貴ではなかろうか。≫
▼ 中村天風の『積極一貫』の主張が、ニーチェの引用であることが
 見て取れる。 父が死期を悟り、死に逝くときに、母親に、
『再び生れ変わって、全く同じ人生を生きたい』と言ったという。
戦中、戦後の動乱の中を激しく生きたのを知っているいるから、
よくぞ、言えたものである。羨ましい限りである。激しく生きただけ、
後悔が少なくなるということか。 振返ってみて、本当に良い時代に
生を受けたことに感謝する。人間として生を得ただけでも奇跡だが!
・・・・・・
4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!
2014年08月17日(日)
   * ポタリングは、危険! だから面白いのだが
 電動アシスト自転車を乗り始めて5年、一万数千キロは走ったことになる。
急なドシャ降利の中、赤信号になる前に強引にかけ抜けた直後、スリップをし
転倒、自転車共々、数メートルも投げ出された。心臓が固まり、息が止まり
そうになったが、何とか骨折も無く、立ち上がることが出来た。
それ以来、雨と、スピードには充分に注意をするようになった。
乗り続ければ、大事故の可能性が自転車にはある。 近くに住む従兄は、
ポタリングを数年間続けたが、電信柱に衝突して、その危険なことを察知して、
一切、乗らなくなった。特に交差点での左折車の出会いがしらの接触事故には
注意をし、数回は右後ろを振り返っている。
 半月ほど前に、ある交差点で右後ろを二度振り返ったとき、50歳絡みの
農家風の夫婦が話に夢中になっているのが見えたので、車道に入る直前に念の
ため、一度、急ブレーキをかけたところ、旦那らしき運転手が、左を見ない
まま、左折をした。 その瞬間、私に気づいて慌てて急ブレーキ、臨席の
奥さんらしき人はフロントに激しく突っ込んでいた。 常日頃から十二分に
注意してなかったら大事故! 恐ろしい限りである。毎日の1〜2回の
ポタリングでは、危険を最小にするため、車の少ない土手とバイパスの沿道が
95%のコースにしている。 それでも長年の間には人身事故の可能性は大。
土手とバイパス沿道は、加害者のになる可能性がある! 
それにしても、乗っている開放感は格別である。
   * 晩酌に、毎晩、5本以上の缶ビールでは
 私の中学校の同級生が急逝をして2ヶ月が経つが、ショックが今でも大きく
残っている。故人は7〜8年前に転んで腰骨を骨折したが、何とか半身不随に
ならずに、少しだが足をひいて歩いていた。去年の同級会の三次会に二人で
スナックで飲んだ時に、『晩酌が楽しみで一日、缶ビールを5本は飲んでいる』
という話を聞いて、驚いた。その上、運動不足なら! 発見された時には、
末期の膵臓ガンで、苦しみ抜いた末に亡くなったという。 
ツアーの旅先や周囲で、缶ビール5本以上を毎晩、晩酌をする話を、何人からも
聞いていたが・・ 私は缶ビール一本に、ノンアルコール一本を目指しているが、
どうしても、ウィスキーのオンザロックか、焼酎のお湯割りが加わる。
これでも、何か危ない領域の感がする。
・・・・・・
4536, 閑話小題 ー種銭の話
2013年08月17日(土)
  * 山種証券の創業者の種銭
 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。
山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。
《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。
 それを保健所に持っていくと、一匹あたり僅かな報奨金が貰えることを知り、
ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の許可を得てヒヨコを飼って
雑米を与え育て、卵を産ませて、売って投資資金の種銭をつくり投資を始めた。》 
 これからして株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。そういえば、
父が子供達に似たような実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、
年末にお年玉を子供達全員が貰う。それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、
父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、それぞれの預金通帳に入金する。
そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、その通帳の残高
を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。
 子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を
持たせることが父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み
上げる重要さを時間をかけ教えていた。家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 
地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。そして高校の入学時に、
10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから何か値上がり
しそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に見る
ようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の
値上になった。 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 
 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、学生仲間4人と話していた時
のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、さほど
豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、
その時に知った。当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 
私も決心をすれば行ける?との思いが出た。その時、考えたのが、あの種銭。 
 その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と
誘われていたが、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万〜350万。その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!あと25〜
30万、都合をつければ私でも行ける!』と、思い立った。アルバイト期間が
終わって向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。
そこで列車の中で「頭の固い父に、そのまま頼めば断られる、なら母親に
相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると必ず逆を言うから、
夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
 父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいた
ようだが、後悔した様子はなかった。その欧州旅行が、人生を変えてしまった。
あの一ヶ月間の経験のカルチャーショックで半年間は、呆然自失状態。
頭が変になる一歩手前。当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。
それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。それがわたしには良かった。
見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、凱旋門、
ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで
知らなかった人種との接触。何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、
タイミングとしてベストだった。
 まとまった種銭は、お金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備に
なってしまう。問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備が、
人生を決める」と、両親からと、学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだ
ことである。今回の最悪の事態でも、長年かけた万一に備えていたシェルター?
が、我身を救ってくれた。
・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
 ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。
自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれ
ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は
ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも
代え難い財産である。   
  ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
 20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。 当時の
 住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで
 衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。  
 成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素も
 あったが級長にされた。街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、
 異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まって
 しまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だった
 が追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの
 術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が
 粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの
 全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に
 帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで
 東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の
 宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の
 伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、
 死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。
 翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の
 できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、
 商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い
 ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は
 一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。
 30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。

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