|
堀井On-Line
|
2017年06月26日(月)
* 驚異の天才将棋士 中学三年の将棋の藤井4段が、負けなしの28連勝で歴代トップに並らんで、 今日、29連勝に挑戦する。これが、いかに凄いかを大相撲に例えると(幕下 でない)幕内付け出しの新弟子(実際にはない)が、横綱を含めた上位力士に 28連勝をしている歴史的所業。新入プロ棋士としては 自閉症か、発達障害的の感がするが。彼の練習相手は、かなりレベルの高い 将棋ロボット? とすると、ソフトの進化につれ、数年後には、もっと凄い子 が出てくる可能性が? 小学4年の時に、羽生名人の角落ちの勝負に勝ったと いうから、羽生は白鵬に値する。 それだけの力量があったということ。 TVの特集で、親方にあたるプロ棋士の師匠に練習試合だが、勝っていた。 〜ネットで彼の記録を検索すると〜 【 ☆ 脚光をあびることになった数々の記録 ・最年少棋士 藤井四段が14歳2か月でプロになるまでは、加藤一二三九段の14歳7か月が 最も早い記録でした。この記録は62年間破られることなく続いていました。 その加藤九段が藤井四段のプロ公式戦の最初の相手となったのは感慨深い ものがあります。 ・プロ入り初年度を全勝 プロ入りした初年度を全勝したケースは、清野静男(1949年度・9勝0敗) 以来、67年振り。(藤井四段は10勝0敗) ・新人連勝記録 デビューから10連勝。1995年松本佳介(現六段)、 1996年の近藤正和(現六段)。 なお、中学生棋士のデビュー後の連勝は、羽生三冠、渡辺竜王の6連勝。 ・最多連勝記録 神谷広志八段の28連勝(1986〜1987年にかけて)。 なお、藤井四段の28連勝は対アマの2局を含んでいる。(2017年6月21日現在) ・他にも… 竜王戦、棋王戦の挑戦者決定トーナメント進出と史上最年少での予選通過。 第67回NHK杯戦に史上最年少での本戦出場。新しい風が吹く時、過去の記録に 光が当たる。 これは、イチロー選手がメジャーリーグで長年破られなかった 記録に光を当てたのと似た状況である。】 ― ▼ 去年の暮れに、シネマで、29歳で逝った実在の天才棋士の村山聖の映画、 『聖の青春』をみていた。 〜映画案内によると〜 《幼少期より「ネフローゼ」という腎臓の病気を患っている村山聖は、完治 しない身体と戦いながら将棋界最高峰の「名人」を目指していた。大阪の師匠 の森のもとで七段まで上り詰めた聖だが、彼の前に同世代の天才棋士の羽生 が立ちはだかった。羽生に負かされた聖は、その側で将棋をしようと上京。 周囲に迎合しない強烈な個性は時に摩擦を生むが、将棋に没頭して結果を出して いくその姿勢に、みなもいつしか彼を支えるようになる。そんな時、聖の身体に 癌が見つかる…》 将棋界を知るにはうってつけの映画。 村山聖も極端な内向きだが性格が強い青年。将棋一点にエネルギーを集中 すればこそ、天才棋士になれた。電脳の匂いは、しなかったが、如何だろう。
・・・・・・ 5581,お別れの作法 〜�� 2016年06月26日(日) <「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法 >矢作直樹(著) * お別れの作法 引続き、死に関するテーマの本になる。『死』は、はまると面白い。 窓口は広く、底が深い、人類の永遠のテーマであるからだ。「死後の生」を 信じてないが、なくては困る。言語脳を持った人間は、イメージを持つことが 可能になった。その一つが死後の世界。死後の世界もまた妄想だが。それを 集団で強固に持てば、その世界の有無に関わらず、共同幻想として一個人を 取込んでしまう。その最たるのが一神教。 世の中には、人知を超えた不思議 がある。だから、面白いのである。 〜まずは、アマゾンの内容紹介 ≪「死後の生」があるからこそ、逝く人にも、送る人にも、なすべき大事な ことがある。医師として大勢の死に逝く場面に立ち会い、ときに他界の存在を かいま見て理解した、生と死の意義。死は終わりでない。新しい生命への 旅立ちである。旅立つ魂を見送る臨床医の温かいまなざしの書。 ――― 誰もに必ずいつか訪れるその日を、どう迎えるか。あなた自身が死を意識 するようになった時、あるいは、あなたの大切な人の死を、意識せざるを 得なくなった時、そして、大切な人を亡くしてしまったあなたにも、 知っておいてほしいことがあります。 ――― 「死後の生」があるからこそ、 逝く人にも、送る人にも、なすべき 大事なことがあります。医師として大勢の死に逝く場面に立ち会い、 時に他界(あの世)の存在をかいま見て理解した、生と死の意義。 ――― 30年以上、医師として常に死と向き合う現場に身を置き、常識を超える 幾多の現実を体験して理解した、魂や「あの世」の存在の可能性と、それを 理解したからこその、「お別れ」に関する逝く側、送る側それぞれの、 なすべき大事なことを紹介します。人に「死後の生」が存在することが 理解できると、あなたの生きる、今、この瞬間の捉え方が変わります。 お別れは、亡くなった方を弔う儀式であると同時に、あの世への感謝の 気持ちを表現する場であり、さらには生きている私たちが新しい明日を 始めるための区切りなのだと感じます。 ――― 魂の不滅を理解すると、「意味のない人生などない」ことがわかり、 死に臨む態度が変わります。私は医師として、大勢の死の場面に立ち 会ってきましたが、今まさにこの世にお別れを告げようとしている人は、 まるで何かを見つけたような、ちょっと驚いたような表情に変化する方が 少なからずいらっしゃいました。 何かを見て、顔をほころばせたように思えた方もいらっしゃいます。 そんな表情を長年目にしていくうちに、死が幸福であるとは言わないまでも、 死ぬことが一概に不幸なことだとは思わなくなりました……。 》 ――― ▼ 余命告知をされると違うのだろうが、そのの恐怖感が、歳を重ねる度に 少なくなっている。死に関する知識の積重ねもあるのだろう。男性の平均 寿命の80歳までは生きたい?が、あと4〜6年か? それで、充分?満足。 魂の不滅というより、遺伝子が、何処で周りまわって生延びていくことを、 輪廻転生と仮説をたてると、何故か納得する。プッツンで一度、チャラ! そして、新たな両親から分霊を頂き、触媒を通し新たな自分をつくっていく。 一度、チャラになることを何故に恐れるのか、その知識が少ないためだ。
・・・・・・ 5216,借金人間 製造工場 2015年06月26日(金) 『借金人間 製造工場―“負債"の政治経済学』 マウリツィオ・ラッツァラート (著) * 借金苦は権利書と共に、サラバ! 公立、私立大学の6割が奨学金を受けていて、平均300万。旅たち時点で、 既に借金人間である。日本の国債が1千兆円、一人当たり750万の借金を 負わされている。社会全体がローンとクレジットに覆われ、国家予算全体が 国債で半分が賄われている。国家も、社会も、個人も借金人間の塊だ。 ーアマゾンの案内が、ミニ概要になっている。 ≪ “負債"が世界を支配している! 私たちは、借金しているのではない。 金融資本主義によって、借金させられている! 欧州で話題のベストセラー! 現在、国家の“負債"も、個人の“借金"も、世界的に急増しつづけており、 国家財政にとっても、私たちの人生にとっても、最大の脅威となっている。 では、なぜ“負債/借金"は、それほどまでに増大しつづけるのか? 書は、今ヨーロッパで注目される社会学者・哲学者が、経済学から、ニーチェ、 ドゥルーズ/ガタリ、フーコーの哲学までも駆使しながら、“借金/負債"とは 何かを、古代ギリシャから現代までの歴史をさかのぼり考察し、現在では、 グローバル資本主義による個人・社会への支配装置として機能していることを 明らかにした、欧州で話題のベストセラーである。本書は、現在、最も世界的な 注目を集めている問題をあつかっている。とくに興味深いのは、それを表層的な 経済問題の議論を超えて、ダイナミックに歴史的に考察を深めていることである。 哲学者にして社会学者でもある著者にとって、社会的なもののパラダイムは、 象徴的交換ではなくて、“債権者/負債者"の関係にほかならない。 「各個人を、借金を背負った経済的主体に変えること」―これが、我々が現在 生きている経済システムである。 “借金人間"こそが“経済的人間"の新たな 相貌、と著者は喝破する。“借金人間"である我々は、 ・住居を得る権利を持っているのではなく、住宅ローンの権利を持っているだけ。 ・教育を得る権利を持っているのではなく、学歴を得るために奨学金を組む 権利を持っているだけ。 ・現在の経済システムにとって、負債(借金)は、社会的コントロールの願っても ない道具である。それは“人々の未来を所有する"ことを可能にするからである。 つまり“人々の予測不可能な行動"をあらかじめ封じ込めることができる。 ・そして、“借金は返済するべきだという倫理を製造すること"の背後に、 “罪悪感の製造"を見る。 著者は、マルクス、ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ/ガタリなどを援用しながら 考察を深める。最も刺激的なのは、現在、われわれは、負債と永遠に手を切る ことができないというところだろう。これは、著者のテーゼの中で最も注目すべき 指摘であるが、人類の歴史において“負債(借金)"とは、太古の社会では“有限" なものであったが、近代化の過程で“無限"なものへと移行し、さらに金融資本 主義の誕生によって、けっして完済することのない“借金人間"が創り上げられて いったというものである。こうして我々は、借金を背負い返済しつづける “現代のシジフォス=☆"となったのである。 ――『ル・モンド』評 ☆ 【シジフォスとは、ギリシャ神話で、狡猾 な コリントスの王。 ゼウスの怒りにふれ、死後、地獄に落とされて大石を山頂まで 押し 上げる罰を受けたが、大石はあと一息のところで必ず転げ落ちたという。】≫ ▼ 消費社会において、常に2割増の過剰消費の欲望が掻き立てられる仕組みに なっていて、そこにローンという落し穴が組み込まれ、蟻地獄に陥っていく。 私の事業が装置産業のため、長期ローンの恐ろしさも知らず、結果は、このザマ。 ホテル4棟のオーナーではなく、最大時に23億の借金の土地屋敷の権利書を 持っていただけ。で、整理をして、初めてそのことに気づく。しかし、 「ただ権利書と相殺しただけ」も事実。だから、これで良かった!が実感で、 何も命を奪われることもない。 経験しなければ、この道理を実感できない! ・・・・・・ 4851,「事業人生を決心して45年」の語り直しー21 2014年06月26日(木) * 旧社員の入替と、パート化 数ヶ月で冬物を大成功させ、その勢いで翌年の春、夏物まで勢いよく商品が 回転した。しかし、次の秋物が、2期目に入ったにも関らず不調に終わって、 その影響で、次の冬物の不調につながった。一シーズン失敗すると、あとの2期に 大きく影響を及ぼす恐さを肌身で知る。その時、何であれシーズン単位の成功が、 翌シーズンの成果の絶対条件!そのため仕入の成功と、良質な知識と情報が 営業成績を左右することを知った。「利は元(仕入れ・情報)にあり」である。 仕入れには、『10、4、2、1の原理』がある。導入期に10の商品を幅広に 展開。最盛期は、それを売れ筋を4を、次に2、最後は1に集中させていく。 見切り時期には、導入期と最盛期の売残り品に、メーカ処分品を加えて格安で処分。 それを円滑にするには、担当者の仕入、販売、在庫調整の即断が可能な権限を現場 に落とさなければならない。スーパーの生鮮食品と同じで、売りきって何ぼである。 それは、月単位か一日単位か、の違いだけ。そこで数値責任を明確にした部門別 管理が必要となる。最初の一年間は、日々、そのため互いの対話が続いていた。 熱くなる反面、冷静な客観性が求められる。そこには、商品、数値、担当、顧客 を鳥瞰する目線が必要になる。 だから、難しいといえば非常に難しい。 その道10年、20年の経験の前任が、未経験者な私には絶対無理!と断言する のは当然のこと。その中で、数ヶ月で、以前より客足が増えたのには、彼らも 驚いたはず。店は繁盛して何ぼの生き物。 ところが、数ヶ月もしないうちに、 残留の社員が次々と辞めはじめた。全く素人の私が仕入れた商品に呆れ、新しい 伝票システム、マニュアル、日報、朝礼など、次々と変る中、過って辞めていった 社員達の中傷があった。辞めていった穴埋めに、パート・アルバイトでカバー するしかなかったが、皮肉なことに、それがプラスになっていた。新規のパートで 応募してくるのは、結婚をして、子供が小中学生になり手が離れ始めた、過って の販売経験者が主。筋金入りで、生活費の補填という目的を持っていて、去って いく人達より遥かに良質。新しいマニュアルや、部門別管理の徹底は、入替わった 人が即日、戦力にする仕組みでもある。新システムは、人件費などの経費などの 激減効果になっていた。その頃、石油ショックの影響もあって、就職事情が大きく 変わり、翌年の新卒に上質の人材が多く含まれていた。 新システムに直ぐに 馴染んだ彼らが、1〜2年で、即戦力になっていた。事業人生を決心して 10年間で得た経験と知識が、瀬戸際の中で、完全燃焼をしていた。 ・・・・・・ 4484, 怒らないって本当は恐い! 2013年06月26日(水) 『怒りの作法』小川仁志 著 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは 絶対タブーの中で育った。それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを 学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に驚いた。この本でナチスの大衆 誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念 で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を 振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動 のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動の アクセルにせよ」というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えて しまうほどのインパクト。私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れず ノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。喜怒哀楽の中で一番疎んじられている 怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)これを、コミニケーション の扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの訴える 強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、 怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。 これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。 逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 そこに作法が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、 しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。 《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、 「正しく怒ること」が大事ということ。アリストテレスの「中庸」という 思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。 怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、 然るべき仕方で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方 であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。怒ることは、必ずしも 悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。 もっと怒るべきなのに。(p3)》 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。 怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。 そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。
|
|
|
| 5945,閑話小題 〜シネマ感想 「タップ ザ ラストショー」 |
|
|
2017年06月25日(日)
* 「タップ ザ ラストショー」ー映画感想 期待してなかった分だけ面白かった。ラスト30分のショーが、タップダンス に興味のない私でも、引込まれていた。このショーだけでも、観る価値十分。 NHKのニュース枠で、水谷豊のインタビューで、「出演者の大方を、俳優に タップダンスをさせるか、タップダンサーを俳優にするかで、ダンサーを選ぶ ことにした」と語っていた。流石に、そのダンスには心を打つ何かがあった。 苦労の末、やっと開演にこぎつけるが、何故か、涙が溢れ出そうになる、 筋立てはさすが。何ごともプロの世界は厳しい。 〜映画の紹介より〜 ≪「相棒」の杉下右京役でおなじみの俳優・水谷豊の監督デビュー作。 水谷が40年前から思い描いていた天才タップダンサーが主人公の企画を、 自身の初メガホンにより映画化。 とある理由から大きな怪我を患い一線を退いたタップダンサー・渡新二郎。 天才の名をほしいままにしていた栄光の時代から10数年を経て、渡は足を引き ずり、酒におぼれる毎日を送っていた。そんな渡が旧知の劇場支配人・毛利 から「最後のショーを演出してほしい」という相談を持ちかけられる。最高の 舞台で劇場を閉めたいという毛利の思いに、渋々依頼を引き受けた渡のもとに、 さまざまな事情を抱えたダンサーたちが集い、タップへの思いを若きダンサー たちに託そうと決意する渡の止まった時間が再び動き出す。監督の水谷は 主人公・渡役を演じ、岸部一徳、北乃きいらが脇を固める。≫ ― ▼ 評価は90点。邦画としてはベストに近い。 『相棒』の主役をしている 水谷豊だったから、少し甘いが。ハリウッドのドンパチかと、迷ったが、 数回に一度は邦画を挟む方針に従って決めた。メインのダンサーの演技はいま イチだが、その分、タップダンスがカバーしていた。それにしても、自宅で みる映画を含めて年に300〜400本は、見過ぎ? どのみち、夢幻なら、 映像世界で、広く味わえばよい。 もしかして重症の映画オタクですか? 小さな肉体に閉じこまれ、短い人生の時間の中で、気楽にドロップ出来るのが 映画なら、それも良い? これだけは何もかもが面白く感じるのだから… 娑婆娑婆の甘塩っぱさも悪くはないとしても。 タップといえば、スペインのジプシーのフラメンコと、アルゼンチンタンゴ のショーを思い出すが、これらtp比較するのは野暮というもの。 あれはあれ、これはこれ。 ――― 2003/09/06 遥かなるアルゼンチンタンゴ 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の 2時間番組を放送していた。昨年末にアルゼンチンに行って、本場の アルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており丁度よいタイミン。 (感想文は後にコピー) 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた 内容の濃いものであった。アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の 悲哀と愛を歌い続けてきた。バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリン など中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。 その隅々までタンゴの一部になっているようである。 パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの 過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。その時パリにやってきていたカシミール・ アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。 それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話が残っている。
この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。 南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに、世界中の踊りや歌を携えて 船乗りたちがながれてきた。そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。 キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い出来上がっていった。 執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴと いうようになった。
男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。 変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。 男女が身体を離して踊るのではない。 二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。 男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。 ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で 200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。 音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。 全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、 それがアルゼンチンタンゴである。
ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。 スペインのフラメンコは一人踊りか、集団で踊るかだ。 それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。 ――― 2002年12月21日(土) 617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
アルゼンチンタンゴがすばらしい! 昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が 女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。 その踊りが西欧の人達に認められていった。 従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが 2時間以上にわたって繰り広げられた。 全く期待をしていかなかったのが良かったのか、 初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。 今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。 辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。 この旅を締めくくるに最高のイベントであった。 写真を見てもらえれば解るはずだ。 よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
この旅行は心に多くのものを残してくれた。 ――― 2002/12/21 パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4 アルゼンチンタンゴがすばらしい! 昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さ晴らしのため船員同士 が女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。 その踊りが西欧の人達に認められていった。 従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが 2時間以上にわたって繰り広げられた。 全く期待をしていかなかったのが良かったのか、 初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。 今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。 辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。 この旅を締めくくるに最高のイベントであった。 写真を見てもらえれば解るはずだ。 よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。 この旅行は心に多くのものを残してくれた。 ・・・・・・ 5580,閑話小題 〜まさか、離脱派が勝つとは! 2016年06月25日(土) * まさか、英国がEUから離脱とは ほぼ、大部分の人が、最後の最後は英国はEU内に留まると思っていた。 何でも賭けにする英国内の掛け率も残留派の有利を示していた。更に直前に なって、残留の流れと世論調査が示していた。経済の世界から退いた立場でも、 この意味することは理解できる。 本来、この時期に何で国民投票をしたのか、重大な疑問がある。EUの問題は 100年、200年スパンの欧州全体の問題を、英国の一首相の一存の、国民投票の 直接投票で決められてしまうとは。 これで凡庸のキャメロンの歴史的失態の烙印 がおされることになった。 この飛び火は、英国一国の離脱問題だけでなく、 EU各国内の離脱派に大きく力を与えることになる。 ドイツ、フランス、 イタリアも、可能性がある。それだけでなく、英国連邦の崩壊も、視野に 入ってくる。現在でも、EUは、すばらしい理想主義であり、未来永劫、その 理念を維持してもらいたいと思っていた。それが、あの男のために・・ 最も、打撃を受ける国の一つが日本。金融混乱を見越し、比較的安全?と 思われている円に資金が向かう。一時的にしろ、アッサリと100円を割ったが、 当面は90円に向かっていく。来年には、70円代、60円代も、ありうる。 としたら、どうなる日本。4年後のオリンピックと浮かれている場合か。 この株安、円高は、長年のデフレで疲弊した日本経済には、あまりに重い。 「アベノミクスは、金融面からしたらドル安、株高を目指してきた」が、 これで潮流は明らかに逆流に変わった。アベノミックスの不自然な強引な 好景気への舵取りが、これで大きく狂うこと必定。この参院選挙も、票を 落とす。 ブラジルなど、経済後進国にも、この影響が直撃してくる。 そうこうみると、隠されてきた『世界恐慌』が、年末か、来年辺りに、 表立つのか。当面は、オリンピックに大衆のエネルギーを向けるだろうが。 ネットの記事に解りやすいのがあった。 【ー「EU離脱」ならこうなる!世界の未来が変わる6・23国民投票ー なぜ国民投票に踏み切るのか。2013年1月に実施を決めたキャメロン 首相は当時、その理由を演説で次のように説明した。 「国はそれぞれ異なり、違う選択をするものだ。全てを統合できない。 例えば、もしEU本部が英国の議会や医師の意向に反して英国医師の勤務時間 を決め、『EUの決定に従うことは欧州単一市場とEUに加盟する国の義務だ』 というなら、そんな主張は間違っている」 そもそも英国がEUに加盟したのは、関税を撤廃した「欧州単一市場」 に参加して経済を活性化するためだった。しかし、現実のEUは違った。 「多くの英国人には受け入れがたい水準の政治統合に向かっている」と首相は 指摘した。EU本部の肥大化した官僚組織が「無駄な規制」を乱発し、ギリシャ など財政危機に陥った国の救済に加盟国は財政支出を強いられ、「英国民の いらだちは高まっている」。EUが英国の改革要求に取り組む猶予を与えた後、 「英国民に判断を任せるべきだ」として国民投票を打ち出したのだ。 それから3年半。キャメロン首相は「残留すべし」と主張するが、世論調査では 離脱・残留の両派は拮抗(きつこう)。6月に入ると「離脱派優勢」が伝えられ、 波紋は瞬時に世界に広まった。英ポンドとユーロはドルに対して値下がりする 一方、円は16日に一時103円台に達するほど急激な円高が進んだ。 株価は主要市場で軒並み下げ、とりわけ日経平均株価は直近高値の8日から17日 にかけて7%超も急落した。値下がり率が4%台の英国や1・5%の米国に 比べて影響が大きい。】 ▼ 英国の通貨は、ポンドのまま、その影響は、さほどないと思いたいが、 そうはいかない。何より、EU内と、各国の民族、宗教問題に飛び火する 可能性が大きい。その本体の英国連邦の内部で、EUの残留賛成派が、独立を 求める機運が出てくる。アメリカ大統領選挙にも多大な影響を与える。 トランプにとって大きな追い風になる。EU解体もありうる歴史的事変になる! それにしても、この50年、世界も、日本も、大きく変わったものだ。 〜で、以下に続く ―――― 5215,閑話小題 〜私の高度成長時代 〜�� 2015年06月25日(木) * 欧州旅行、一ヶ月 大学の『海外旅行研究会』という愛好会が企画した40名参加のツアーで、 当時の参加費は30日間で、32万円。他を含めると40万円。現在換算で300万相当。 その前年に、海外旅行の規制が大幅に緩和され、非常に好評だった前年のツアー に続いての企画。当時、親しくしていた友人から、この企画に参加しないかと、 誘われていたが、「私とは別世界」と、決め込んでいた。ところが、たまたま、 軽井沢の山荘で、アルバイト仲間との仕事が終わった後の4人のティータイムで、 近々、海外旅行の予定が無いのが私だけだった。 その時、「自分も行こうと思えば可能のはず。そう、父親が幼稚園の頃から、 晦日にお年玉をもらったのを、積立預金してくれた10数万を、高校時代に選ばせ 買った『科研』の株式が値上がりをしていた。あれを売って残りを父親に借金を すれば可能なはず」と、その夜半に思い立ち、バイト終了後、実家にとって帰った。 まず母親を説得、そして父親を説得した。 その一ヶ月は、馬小屋のような寮生活 とは全く違った世界に浸った。20歳の年齢で、国内旅行の経験も、海外の情報、 知識も殆どない中での欧州を十数カ国の旅行。20年間の固定観念が根こそぎ 壊され、帰国後、数ヶ月は茫然自失。その頃、父が、突然、私の寮を訪ねてきて、 生活の実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。友人関係が、自ずと金持ちの 子弟に代わっていった。その友人達は、スカイラインGT、イタ車のカルマンギア などのスポーツカーを持っていた。彼らのお気に入りが、逆に私のボロ寮の部屋。 一度も、見たこともない底辺の漫画的世界に、逆に安らぎを感じた? 軽井沢の別荘地で見た富豪の邸宅群、そして、友人の私生活を見るにつけ、 「事業を興し勝組になる」という思いが強くなっていった。そして、学生時代 の最終の4年に、武澤ゼミに入会することになる。 事業の最後はクラッシュ? だったが、後悔はない。 高度成長時代の右上がりは熱気が溢れていた。 この温もり、時代が変わって抜けることはない。良い時代に奇跡的生きてきた。 逆目線でみれば、「この馬鹿が出来上がった原因は、この旅行と時代」になる。 ・・・・・・ 4850,閑話小題 ー自動車ウォッチングで見えてきたのは 2014年06月25日(水) * 閑話小題 ー自動車ウォッチから見えてきたことは 22年乗ったソアラの寿命も果て、中古の『マークXジオ』を入替えたが、 後悔をしないため、一週間、地元の中古車センターを10軒以上を見て回った。 そのため、私にとっては、一応ベストに近い選択であった。 これはホンダの多機能車の『オデッセイ』を意識したワゴン車。その差異は、 ターゲットを団塊の定年層にしたもの。座席が三列で、二列、三列目は座席を 倒すと荷台になる。展示場で、隣にあった『マークX』と、ギリギリ迷ったが、 昨秋に製造中止になり値崩れをした、Xジオの方にしたが、気持ちのどこかに 「セダンの方が良かったのではないか?」と、引っかかりが残っていた。 一週間、気持ちを集中して中古車を見て回った結果、あることが見えてきた。 車を選定するに、まず予算。次は何年乗るか? 年齢からみて、7〜8年。 それなら中古車で充分。次は、安全を考え、中型車のセダン、スポーツタイプ、 ワゴン。次は、ひと目で車種が分かりにくく、「屋敷」とのバランスがとれた 外形のものを基準にして、最終的に、これに決めた。ソアラに比べ少し重いが、 半月後の現在、殆ど後悔はない。毎日の信濃川へのポタリングで、信号待ちや、 大手大橋で引きチャリをしながら、通過する自動車ウォッチグが、最近、面白く なっている。その車の選定には、様々な要因が重なっている。それがボンヤリ 眺めていると、面白くて飽きないのである。 そこで気づいたのが、6割が 軽自動車と小型車。雪国もあるが、中型車以上のセダンが意外と少ないこと。 7割がワゴン、SUVか、それに類するもの。それも、ミニバンと、ワゴン車 が目立っている。セダンは、車種全体からみたら大よそ15%で7台に1台。 中型車以上で4台に1台の割合。ワゴン、ミニバン、ハッチバックなどの比率 も、3対1には驚いた。 何か「いい年をワゴンタイプは、いかがなものか」 という引っかかりがあったが、これはこれで?と、納得。 それにしても、 22年で、時代も車も、変わったもの。この程度のことさえ知らない。 人は、それぞれ違った色のサングラスをかけているが、その自覚がない! ・・・・・・ 4483, 電動アシスト自転車に乗って、はや4年 2013年06月25日(火) 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。まずは、その時の文章より ー3131,期待どおりの電動自転車ー 2009年10月31日(土) ≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。 自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、長岡駅前から歩いて20分の 大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコには15分、 ユニ系のSCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前 近くまで戻って、家に着いたのが50分後。万歩計をみると、2500歩に なっていた。50分というと5500歩になるから半分近くになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに 乗るぐらい。一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど乗ることは なかった。そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシスト の自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力を かけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、 その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。コースは線路の下 をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂 とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の 加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。ところで、通販で注文して 送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が、「すぐに、盗まれるよ!」 というのも分かる。小型のためボックスカーに、簡単に乗せる事が可能だから。 一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って 直ぐに盗まれてしまった。あと数年先がよいと思うよ」といわれ買うのを止めた 経緯もあった。スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫ ▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング (ミニサイクリング)に切り替えた。同じ一時間で、コースは東バイパスから、 長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、 長岡大橋に戻り、同じコースを逆に帰ってくる。 冬期間(12〜3月)と雨天を 除くと、ほぼ毎日、乗っている。大よそ、年に200日として7百回以上、一日、 14キロで1万キロ、地球を半周、チリ辺りまで走ったことになる。 スポーツチェーンのネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって 大当たり。現在は値下げで49800円。もうボロボロだが、何とかあと一年使って 買換えるつもりである。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを買う つもりだが・・ 自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプ などがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。 来年の購入予定は ナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴き ながらの早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。 最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。
|
|
|
| 5944,閑話小題 〜道具(手段)が目的を変える時代 |
|
|
2017年06月24日(土)
* 道具(手段)が目的を変える時代 テレビ・スマートフォンの進化が時代を変えている。その一つが動画投稿の TV放映。御隠居の日常生活に浸っている身にとって、パソコンのネットとTV は社会の窓そのもの。井戸の外の生の社会は疎くなっても、天空(ネットとTV) の世界は、井戸の外より現実社会が狭くなった分、深くリアルに知ることになる。 御隠居の立場は、こんなもの。 目的は達成と同時に手段になる。この道具を、 手段として割切り利用すればよい。そのうち遊びが知らぬまに目的になっていく。 夜の巷の世界は、営業という名の「遊び」で持っている。ゴルフは一線を離れ、 営業目的が無くなると、面白みが半減するという。ネット社会が、現実社会を 覆う別世界が出来て、世の中を一変させた。 これはスマートフォンなどのPCの 普及がある。強者の最大の収穫利益が上質の情報の取得だったが、この道具が 全世界の誰にも、ほぼ平等に持てるようになってしまった。端末機能の進化は、 権力者の思惑を遥かに超えて進化した。これが世界の混乱の最大要素。これが 手に負えなくなると、原理主義の狂信者たちが、人間社会を一度、根こそぎリ セットと破壊に走る。核爆発と細菌テロである。それが北朝鮮のドン様であり、 ISのテロ。 これでは来世紀を待たず、世界は消滅する可能性がある。 端末の進化は、決してマイナス面だけでない。4kTVの画面は人間の視覚の 数倍の能力を持つ。現場に立ったライブより、何処の場所からでも、リアル感覚 を経験できる。これを考える上に、面白いニュースがある。 《 2016年9月26日 - 投資銀行・メリルリンチのシンクタンクが、驚く発信を 行っている。そのレポートで今後の経済において現在成長がめざましいVR、ARの 分野の重要性を特に強調しているのだが、その中で「我々はすでに20〜50%の 確率でバーチャルワールドに住んでいる」という。≫ 如何だろう? 内容が、あまりに奇抜すぎるので、数日後に改めて。
・・・・・・ 5579,突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月24日(金) 『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著 *「虎穴問答」と、余命宣言 これまで、「虎穴問答」について何度か書いてきた。以下は4年前の内容。 『余命宣言』された本人にとって、治療余地のない、二年以内に間違いなく 死んでしまう病気が虎。いつ何時、陥った虎穴に飛びこんできて襲われる運命 の中、救われるために、自ら食われてやれば愛と誇りが残ることになる。 以下のスピーチは、まさに、虎穴問答の悟りと同じ。死をマイナスに捉えず、 積極的に、明るく迎えることが、虎に自ら食われてやることに、あい通じる。 ≪ 所属している川口ロータリークラブの、決戦というか、人生の幕引きの スピーチが始まりでした。会場を埋めた約八十人を前に、余命宣告を受けた 身であることを告げ、死に対する自分の向き合い方などを語り、最後に このような話を付け加えました。 「多くのことの始まりには理由はありませんが、どう終わらせるかは 自分で考えて決めることができます。」生まれた理由は見つけられません。 しかし、終わるための納得する理由は、自分で見つけられます。自分で、 人生の終わりの意義を、明るく納得するように考えればいいんです。 私のラストテーマ、"死を、積極的に、明るく迎える"こと。死を恐れ、 死を忌み嫌い、死を避けながら終わるのではなく、前向きに納得できる ものとして組み立てていくのが大事だと思っています。私は、最後まで 元気を出していきたいと思います。」会場は水を打ったように静かでしたが、 私が明るく話すので、途中からは笑いも起こりました。ほとんどの方は 驚きつつも、好意的に受け止めてくれたようです。≫ この虎穴問答、私の事業の幕引きのときも引合いに出していた。 辛い、厳しい、誰もが経験する最期の一週間の苦痛の中で、後向きにならず、 立ち向うことが出来るか否か。息が出来なくなり、最期は窒息状態でもがき、 死んでいく。ガンの壮絶な苦しみとは違った苦痛。 ――― 2012/08/07 虎穴問答 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という 衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県 知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」 の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった 問答。そして自から、その会を潰すことになった。 去年の倒産劇の時も、 この問答を思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで 頑張るべきかの決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。 逃げまくった末に、食べられるか、自ら、早々、食べられてやるか? ーネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー ≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、 「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が 虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 王仁三郎が、 「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家 だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が始まる。 <人間より虎のほうが強いから逃げようとすると殺される。刃むかっていっても 同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。どっちに しても助からない。けれど一つだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。 こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほう から食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれる ものがあったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が 法廷に流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴 問答はもうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と 誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に 死地に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかう。 これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫ ▼ 戦前・戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴 問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死などの四苦八苦と 例えることができる。それぞれの苦を、自ら受け入れることこそ解決の最短の道、 と考えることができる。事業断念も決意も、虎を3つの断層=9・11テロ、 9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災とみなし、 その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、 先んじて喰われてしまおうと、最後に思い出したのが、この問答。 当時、大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。 ・・・・・・ 5214,私のゴールデンタイム 2015年06月24日(水) * ゴールデンタイム 30数年前から就寝を20時半、起床を4時(冬場は4時半)にした。 就寝して4〜5時間、爆睡後、起床するまでの4時間、半睡状態が続く。 その間、脳が活性化をして、様々のプラスとマイナスの思いが起こってくる。 このコントロールが難しいが、これも慣れると、思いの大波の上のサーフィン をしているような感覚になる。で、時どき、睡魔に沈むが、これは自然に 任せておけばよい。そして起床をして、前日書き上げた随想日記の下書きの 当日分を、推敲し完成する。と同時に、翌日分のテーマと内容も書き始める。 その時、0〜4時までの半睡状態で考えたことが、材料になることもある。 そして、ブログにアップした後に、一時間の自転車散歩に出発する。 帰ってきて7時半にコーヒーを飲み、軽い食事後、風呂に入る。それまでの 0時〜9までが、私のゴールデンタイムになる。 9時過ぎから12時近くの読書 タイムも、ゴールデンタイムに加えてもよいが、9時から17時までは、シルバー タイムに区分した方が生活実感に近い。すると、17時から20時のTVを見ながらの 晩酌やiPadタイムの時間帯はプラチナタイムになる。20時から0時は、そのまま 爆睡タイムか。 現在、週に三日間、スポーツジムで45分間の、「ヨガ」に 参加しているが、毎回、終了直前の5分間に、ヨガマットの上で「大の字」に なって、全身を弛緩してマントラを聞きながら、「死者のポーズ」をとる。 その時のイメージを0〜4時に思い浮べて、瞑想の要素を入れたところ、 その時間帯のマイナス思考の割合が少なくなった。その時間帯のフラッシュ バックや半睡を冷静に見つめる視線を持つことが出来る。老いは、どうしても 弱気になり、動揺が起こり沈みがちになるが、バウンドをつけるのは自分だけ! 生きてきた、そのまま、老いて死んでいくというが、なるほど。 娑婆! ・・・・・・ 4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ! 2014年06月24日(火) * つい本音が出てしまう! 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 普通の子女史が売春する値段が世界共通で、その地区の平均給与の一週間分とか。 それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前 の2007年暮れから6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が 112円。一割しかドル安になってない。常識的にみれば、三分の一の40円 以下になって然るべきなのに。その差額は? アメリカが刷った分、何もしない で手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、どこが違うのだろうか? 当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。これも3倍になっておらず、 不自然。 大元が、コントロールしているため。最後は、お金だが、その価値も 当てにはならないことが、これから垣間見れる。 金の本質は所詮幻想! としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に戦争を起こし、 ドサクサでハイパーインフレにし、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、 世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、 貧乏な中国、ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる 図式が近未来の姿。で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 当地の住民のインタビューが的を得ている。 『最後は金だろうが、それを 担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。 本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。 * 都議会の女性差別?発言 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だが、偶然、マイクに拾われ、 大騒ぎになってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。 少子問題を取り上げる当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくり をして、その範を示せ!』というのも一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。 阿部首相が、「この難局には、更なる女性の社会進出が必要」と政策を掲げて いる中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、女性蔑視発言と、 嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかった だろうに、言葉は恐ろしい。 ・・・・・ 4482, 静かなる大恐慌 ー2 2013年06月24日(月) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら 止めることは出来ない。それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、 乗り越えなければならない現実がある。 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると ◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わり を迎えた。それを繰り返さないために何が必要かを考えることこそ、この危機 の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁) ◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎた グローバリゼーションへのバックラッシュのなかで、いかにグローバル化路線 を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。 それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための 「大きな政府」の必要性になる。 ◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、 「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなり もったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。 ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を 今さら変えることも否定も出来ない。この事態は何事も事前に対策をとる ことが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、 何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは 到底思えない。 これらから、以下の問題点が見えてくる。 ・グローバル化は大きな政府をつれてくる。 (格差や失業は福祉でカバーしなければならない) ・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。 ・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。 ・グローバル化は新興国の足かせになる。 ・グローバル化は地方を疲弊させる。 ▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。 パソコン、携帯電話が地球の隅々まで行渡りネット社会が現実社会の上を 覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも 民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが 全く確立出来てない。その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊して いる「アラブの春」といわれる現象である。したがって、政治経済の混乱は、 あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、 数千年に一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのでは なく、可能な限り静かに順応していくしかない。 ・・・・・・・ 4108、パニック! 2012年6月24日(日) * 大恐慌、実体験談! 「大恐慌!」スタッズ・ターケ著 日本人の近い未来を予測させられる本である。80年前の大恐慌の経験を、 30年後の1960年後半にシカゴを中心に金持ちから貧乏人、白人、黒人、日本人 などが大恐慌時代の生々しい現実をインタビュー形式で答えている。実体験なので、 これからの暗い現実を垣間見ているようだ。直撃を受けて生活に困った人、運良く、 乗り越えた人などいろいろある。ここでは生きのびることが、その世界の掟。 世間知らずだった人々に、突然世界が押し寄せてきた当時のアメリカの生々しい 現実がリアルである。大恐慌は、バスタブの栓が抜けるように始まったとある。 それが年内に始まる可能性が大という。他人事でない、私の場合、現実に一年前に 先駆けて起こってしまった。そのため、それが始まった時の混乱がリアルに見える。 鼻声で他人事で嘲笑している顔が、海岸線にいた津波の犠牲者に二重写しに見える。 ーアマゾンの内容紹介ー 80年前、人びとはあの“つらい時代”をいかに生き抜いたのか? そして今、われわれはどう生き抜けばいいのか!『仕事!』『「よい戦争」』 等でインタビューの名手と謳われたスタッズ・ターケルが、ローズヴェルト 政権の中枢部から失業者、役者、犯罪者にいたるまでさまざまな階層・職業の 人びと132人にも及ぶ声を赤裸に再現、あの“つらい時代=大恐慌時代”を なまなましく蘇らせる。 * 「恐慌(デプレッション)」って言葉は聞いたことがないよ。 つらい時代(ハード.タイムズ)だって、みんなは言ってた。今も。 ーロジャー、十四歳アパラチア地方の少年、シカゴ在住 * 大恐慌っての、今なら面白いかも。ホント、すごいことじゃないかな。 路上生活をしたって、「ほら、家に帰って学校に行ってくれさえすれぽ一万$ あげるから」なんて誰にも言われないんだもの。今のぼくらには選択の余地 がある。もし選ぶことができなかったら、どんな感じかな? ートム、二十歳 * このことをおたしは記憶にとどめています。人によっては頭のなかから 追い払ってしまうことですが。わたしは忘れたくない。自分の最高の思い出を それで汚したいわけではなくて、それはそこに存在していてほしいんだ、なに しろ実際に起こったことだから。これが真実、歴史でしょ。ーシーザー.チャペス * 彼らが愛したのは、死んでしまったわたしたち。 彼らはわたしたちの誤りをすべて忘れた。わたしたちの名前はごたまぜにされた。 物語は長かった。若者たちは踊った。焚き火にくべる新たな大枝を切ってきた。 そして言った、さあ話の続きを聞かせてよ。それからどうなったの? わたしたちには沈黙があった… ージェネヴィーヴ・タガード、婦九四〇年 ▼ 黒人のインタビューで、「貧しい俺たちにとって、大して変わりはないね」 という言葉が印象的だった。誰かがアフリカの難民を呼びよせて福島の惨状を みせたが、何も言わないで帰った。彼らにとって、それが日常でしかなかった。
|
|
|
|
2017年06月23日(金)
浜三枝の著書『孤独って素敵なこと』で、今は亡き「松本民芸家具」 の創始者である池田三四郎先生の思いでを次のように述べている。 ≪ 箱根の家が完成したときに、池田先生を招いた時の質問。「美しいという ことは、どういうことでしょうか?」に、 「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも 美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得している かどうかなんだ。私は毎日、散歩をしながら、道端の草や花や、すれ違う動物 や昆虫とも話をしているんだよ。暮らしの身の回りにいる者たち、そこにある 物の、あるがままの美しさを感じる心が大切なんだよ。」そして、 「ひたすら道具や器を、そして自然を見て学びなさい」と、 「民芸で一番大きいのが家だ」とも。 その池田先生より、届けられたのが朱色の根来塗の燭台と、小さなガラス絵。 囲炉裏の部屋にこの燭台を置くと、箱根の家の印象が明るくなりました。 ガラス絵を柱に飾ると、優しい雰囲気が家に加わりました。 こんなに家に ぴったりするものをよく選んでくださったと、その審美眼に改めてほれぼれと 感動し、また美意識が一緒だと嬉しく思いました。≫ また<浜美枝ダイアリー>の中で、 ≪「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的 に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する 人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは 人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分 自身が復讐されつつあるとは言えないか…」と。 ― ▼ 「美とは何か?」を考えると、まずはバランス。それも、エネルギーの 満ちたバランス。そして、それを感じとる感受性。その感受性は、感動、 感激の重なりから熟成していく。だから幼児の頃から、道具、器、自然の美に ことあるごとに触れて、感受性を育む必要がある。それには、親が幼児期から、 それに触れる機会を与える義務がある。小学生までの学力は、家庭内の文化的 格差によって左右される。例えば、「読書好きの親を持つ子どもは、本が好きに なりやすい」「親が医者だと子どもも医者になる確率が高い」とか、「茶道や お花の先生をしている親の子は、礼儀作法が身についている。これらは家庭内 の文化資本による。 ウィキペディアによると、文化資本とは、 「金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。」 要するに、血筋、家系が大きく人間の素質に左右される。そのカタチが、個性 ということになる。成るほど、そういうこと。無暗に人を評価しないことだ。 で、いま思いついたのが、「民芸で一番面白いのが、生身の人の姿・形だ」
・・・・・・ 5578,突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月23日(木) 『あの世へ逝く力』小林玖仁男著 * 死にゆくとき、心は不安から解き放たれる 死に際も不安だが、死期を悟った後の心の葛藤と肉体的苦痛も最重大事。 それまで生きた分の人生を圧縮して生きるというから、生易しくはない。 <もう少し生きたい>のが、万人の願いだが、<もう、いい加減、死にたい> 人も当然いる。「死にたくない」には、人生に遣り残したことがあるため。 充分に人生の元をとった実感があるだけ、救いがあるが、やはり長生きを しなくては。歳を重ねるたび、『もの、金銭』より、『こと、行蔵』に、そうそう、 移動していたことに安堵する。 〜その辺りより〜 ≪ 以前、NHKスペシャルで立花隆思索ドキュメント「臨死体験で死ぬとき心は どうなるのか」が放映されて話題になりました。死の最先端の研究をしている 世界中の学者を、立花隆が半年も取材してつくった番組で、「人類が答えを追い 求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎。その謎に挑む立花隆の思索の旅」 というものでした。七十三分にわたる難しい内容で、堅い番組にもかかわらず、 視聴率が11パーセントもあったといいます。 番組のあと、立花隆は『文藝春秋』にこう書いています。 <『放送した番組を見ました』とか『面白かったです』という反応はあるのだが、 今回は『有難うございました』と多くの人に言われた。こういう経験は初めて だった。何故かと言えば、エンディング部分で『死はそれほど恐いことじゃない。 おそらく眠りにつくのと同じくらいの心の平静さをもって死ねるはずだ』という ところに共感を持たれた人が多かったのではないか。年をとればとるほど誰しも、 自分が死ぬ時はどういう風に死ぬんだろうと気にかかる。しかし医療技術が 進んだ今日、お迎えが来るまで、けっこう時間がかかるものらしい。 人間最晩年になると、もうこれ以上生きていなくてもいいやと思いつつ、 それでも自分から進んで最後の旅に出る気にもならない。ある種の優柔不断の 中に生き続ける。その根源にあるのは、最後の旅の中にどうしても残る一定の 未知の部分への不安だろうと思う。あれだけお礼をいう人が多かったのは、 未知なる部分への恐れをあの番組のエンディングがあらかた取り去ってくれた ということを意味している> 私は、立花氏のこの取材を、「膝を打つ」快挙と思いました。 私自身、死の恐怖が薄れていくのを実感しつつ、未知なる部分に向かう旅の道 のりを静思しながら、「死はそんなに怖くない」と同じことを思い、それを 大きな声で言う人がもっといるべきだと思っていたからです。 立花氏は、その後もNHKに再登場したり、『文藝春秋』『週刊文春』へ、 「死ぬとき心はどうなるのか」のレポートを次々と掲載、話題になりました。 その『週刊文春』の中では、立花氏はこうも書いています。 「回復の望みがなく、あとに待つのはひどい苦痛ばかりということになったら、 そして本人の望みがそれしかないなら、安楽死は許されて然るべきだと思います」 こういう極論を有識者が言ってくれると気持ちがとてもラクになります。 「どうしても苦しくなったら安楽死を選んでもいい」と思ってもいいのだ。 もちろん外国で安楽死をするのは心情的に躊躇するものがありますが、 「伝家の宝刀」を抜いてもいいと後押ししてもらえるだけで、心強いです。≫ ▼ 死ぬ原因は、生まれてきたため。死亡率100%である。当り前のことだが、 生まれる前には存在してなかったし、死んだ後にも存在しない。宇宙時間 からすれば、平均寿命の80年は、一瞬である。その中にあって、そのことが 自覚できないで、蓄群の常識とやらに惑わされ一生を終える。それもこれも 妄想でしかない。同じ妄想なら、より鮮明にみたいもの。映画、TVで映像 による妄想を、書籍で文字を通した妄想を鮮明化してみれば良い。せっかく、 貰った人生、より広く、深く、味わって終えたいもの。 もっと、貪欲に!
・・・・・・ 5213,閑話小題 〜私の高度成長時代 2015年06月23日(火) * 私の高度成長時代 文藝春秋:2月号の特集に、『素晴らしき高度成長時代』の特集があり、 それぞれの高度成長時代の思い出の手記があった。1960、1970年代では、 今では想像を絶する右上がりの経済成長の時代で、各家庭には電気洗濯機、 テレビ、冷蔵庫が普及をはじめていた。昭和39年には東京オリンピックが 開催され、私は団塊の世代の直前の生まれで、同期の競争という面では、 絶対数が少ないこともあって、競争意識が少なく恵まれた環境であった。 10歳までは駅前の繁華街に、11歳〜18歳までは長岡駅裏に住んでいた。 高校を卒業直後に駅より徒歩10分の今朝白に両親にとって終の住家として、 当時としては豪邸を建てていた。その直前に進学のため上京した学生寮に、 何かの縁で入ったが、そこが500坪の敷地内に馬小屋のような「くの字」の 平屋。土間の通路の片面に、4畳半と6畳の部屋が20室ほど並んでいた。 そこは今でいうシェアハウスのような共同生活で、国内の様々な地方出身の 学生が住んでいた。 各部屋にはドアがあるが、誰かがノックをすれば、 入室拒否が出来ない不文律があった。それで、様々な赤裸々な私生活を知るが、 人間を知るにはプラスにもマイナスにも働いた。そこで教えられたのは、 まず文学など基礎教養の絶対量の必要性を実感する反面、剥き出しのエゴと 品位が、まる見えになること。各自の素性を聞くことも、話すこともタブーで、 一学生という身分で、分け隔てのないのが学生時代の特徴である。地方出身者 と、東京在住では、生活の質は大違い。炊事洗濯のエネルギーは思いのほか、 大変である。時代は高度成長時代の真只中、学生時代を満喫していた。 学生時代を大雑把に分けると、 ・1〜2年が、クラブの合気道と合宿。 寮生活。 ・2年の半ばから、軽井沢の山荘の手伝いと、夏休みの『人生設計』の構想。 ・3年は欧州の一ヶ月の旅行と、そこで親しくなった友人たちのと交友。 ・4年が武澤ゼミの入会と、そこでの卒論。 六日町の禅寺「雲頓庵」通い。 3〜4年を通して、合コンが7〜8回はあった。 現在から振り返ってみて、やはり、2年の夏休みの『キリスト教倫理』の教授 に出された宿題、『将来の人生設計案』の提出。この時に、人生で初めて、 自分の将来を真剣に考え、提出した。時は、日本経済の高度成長、真只中。
・・・・・・ 4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20 2014年06月23日(月) * 衣料品の季節物は投機商品 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。 新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、何もかも初めて。 セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、 その混毛もある。その裏を見ると、生産メーカーや、素材などが表示してある ことすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。 ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、 毎日が、高速配転という名の現場教育で、連日が未知との出合いは経験済み。 キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような 創業者を目指す」と決意したとき、それは、新規事業を立上げるキャリアを身に つけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を 自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、 この結果に終わったのは、10年目か、少なくとも15年目で、その事業から身を 引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を 繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、 茹で蛙になってしまい、バブル崩壊とネット社会の到来がもたらす激変を読め なかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。 最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、 「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。話は戻る。現場に飛び込んでみて、 季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に 分け、それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、 季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。それが商品毎に違うため、 年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら 「切った(殺傷)、張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、 はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」になる。これには、 経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がない と確信するのも分かる。しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てを すると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。 これに、 エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の 生活環境と、創業を決意しての10年間の自己配転の全てが、極限の中で、 プラスに働いていた。 ・・・・・・ 4481, 静かなる大恐慌 ー1 2013年06月23日(日) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も 述べているが、マスコミはテーマにしない。タブーかどうか分からないが? 地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、 私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしない というより、明日は我身で黙るしかない。 その現状そのままを、ズバリ書いて ある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね 合わせ、世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。 ー まずは、プロローグより ー 《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と 同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済 の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が 激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」 の復活しかない。この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。 グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への急反転という ショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》 ーその幾つかを抜粋してみたー ☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、 それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄えると (『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義という システムは、一見、アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは 機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本 主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95) ☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。 資本主義は人々の欲望の塊が原動力。それを野放しにすれば必ず反動という 自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。 現在の世界経済を1920年代の大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。 20世紀初頭の第一次グローバル化と、その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。 そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。今は、その後1970年代の ブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。 ☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、 このうちどれか2つしか同時に成立しない。グローバル化と民主主義が成立 すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、 日米のように国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた 国家主権と民主化を重点とした政策が必要。 ▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。 そして、現在も、酷似しているという。現在のネットが、当時としては電話の 普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを抑えて いるが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その 先頭に立っている。著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に 重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか選択の余地はないのでは と考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。 恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が 消し飛ぶほどの何か、例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と 太平洋戦争のような。 −つづく
|
|
|
|
2017年06月22日(木)
* 「ベストエフォート」とは 「ベストエフォート」とは、《日々、できる限り全力を尽くしている感覚を 持つことで、大きな結果が出なくとも、全力を出していることが大事と考える。 例えば、大事業を起こせなくとも、毎日、やれるだけのことをしているという 実感があれば、それで十分と考え、自分を支える継続的な成功体験になる。》 このベストエフォートの言葉を知った時、この随想日記を16年、続けてきた 意味そのままを言当てられたように思えた。 『ともかく、ベストをつくして一日一文を書き上げる』と。 6年前の節目で、挫折からの落込み対策に「少し厳しい日課」を立て、 実施してきたが、これが私にとって「ベストエフォート」のプログラム? 私の範囲では、これ以上ないプログラムだったが、数ヵ月もしない内に習性 になり、現在に至っている。鬱症状態に追詰められる前の、事前の一策である。 面白いことに、この日程を熟す内に、何かしら面白い感覚、「内なる自己」 というか、「真なる自己」が、クッキリと浮上がってきた。その視線で他者と、 普段の自己の間に顔を出すのである。 〜ネット検索によると、こうとも〜 《最大の結果を得られるよう努力することをいう。通常、委任契約等における 受任者の負うべき義務を規定する場合に使われる用語で、そのような努力が なされないときは債務不履行責任を負うものの、そのような努力がなされた うえは、結果に対する責任を負わないことを定める際に用いられる。》 仏教でいう『全機=十分に機能する人間』と意味が似ている。人は須らく、 ひたすら努力をして、結果は天にまかせるしかないもの。
・・・・・・ 5577,突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月22日(水) * 死ぬこと(事業整理も)は、不幸なことか 5年前に、悪あがきの悪例を身辺で幾つも見ていたこともあり、追詰められる 前に事業断念をした。その一瞬の決断の間合いがポイントだった。 その時、 『事業整理は決して悪いことではない。適切な時期であれば、むしろ良い。』の 考えがあった。 創業、実業を経験し、最後は清算の決断に至る、文章作法でいう「起承転結」 のフルコースになる。 思いもよらないブラック・スワンの到来でも、何とか 軟着陸に至ったが、倒産は倒産。その一年後に地元の運送業者が買取って、 同じホテル名で現在も運営をしている。弁護士の力量と、事前の備えがあって、 思いの外、スムーズにいった。一般的には、10〜40年かけた備えの体質に 一切、気づいてない。で、内なる俄か判事になって、好き勝手な裁判話になる。 しかし自らの財務体質に気づかない。「事業設計の段階で、万一のシェルター の組みこみ」など、知る由もない。 その戯言が想像できるから面白い。 〜その辺りから〜 『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著 ≪ 人が死ぬと「不幸があった」と言い、「病魔には勝てなかった」とも言う。 死をすべて「不幸」とか「敗北」にしてしまうのです。この脳への刷り込みに よって、社会中みんなが間違った方向を向いてしまっています。 生まれ落ちた全員が死ぬのに、その全員が、最後は負け戦? 結末は「不幸なこと…」で「敗北」だと決めつけてしまうのは、あまりにも 乱暴でひどい話です。人間の尊厳に対して非礼な話であり、この発想パターンは とてもおかしいと思います。 その結果、人々は死ぬ前から必要以上に死に恐怖を持ち、死んだあとも、 必要以上に深い悲しみに包まれてしまいます。悲しまれるよりも「ありがとう」 と言われたほうがいい。 私は今まで幸せに生きてきたし、幸せの中で満足して逝きたいから、 この「死」=「不幸」「敗北」という大間違いは正しておきたいと思うのです。 ある宗教に「抜苦代受」という考え方があります。教祖の子が二人、早くに亡く なったのですが、霊界のこの二人が「信者の苦しみを抜き去り、代わりに二人が 受けている」という教え。簡単にいえば「お星さまになって守ってくれている」 ということ。ここでは死を「不幸」とせず「希望」に転じています。 違う宗教の教えでは、「短命な一生では、生かすはずの能力が余っているので、 生まれ変わるときはその分が足され、豊かな才能を持った人として生まれてくる」 という教えがあります。ここでも死は「希望」です。 死を悲劇としてとことん追いつめるのか。早い死にも肯定する理由を見つける のか。すべては考え方の問題に過ぎません。≫ ▼ 事業清算で、人生の大方の問題が解決してしまった。綺麗さっぱり、 焼き尽くし、未練も悔いも残らないプラス面に暫くして気づくことになる。 「事業清算」=「不幸」「敗北」は、間違い。 前後一年間は、迷惑をかけた 罪と罰の時節だが、前後の一年を除けた30年、いや45年は、面白く、幸せな日々。 何の事情の知らない人たちの俄か裁判の判決に従うことはない。楽しんだ充実感 こそが私にとっての「実体」。で、批判した人が、死ぬか、不幸に陥っていく。 これが、不条理ではなく、『条理』である。いや、『情理』か。 で、偶然に、以下につづく。 ・・・・・・ 5212,3%の本当に幸せな成功者から学んだこと 2015年06月22日(月) 『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著) * 世の中全体の一割が成功者、3%が心満たされた人たち この本に、【いわゆる「成功者」「お金持ち」と言われる人たちは、世の中 全体の10%ほどいて、7%が「お金があっても時間がないとか、人間関係や、 健康に恵まれておらず、本当に幸せでない」と言われている。】とある。 別に、金満や、成功者でないとしとも、5人、いや3人に2人は、けっこう 幸せと思っているようだ。 私の場合、会社整理というハードランディングに 近い着陸だったが、ショックによる鬱症対策に、早朝から就寝するまで、好きな、 楽しいと思えるスケジュールを組みこんだ。そうもしないと、自滅する可能性が あった。それらを、淡々とこなすことで、心身の健康管理をしている。 このストレスの「苦」は、たやすく消せるシロモノでない。それをカバーすには、 その3〜6倍の「楽」をスケジュールに組み込むしかない。著者はテーマで、 3%が心満たされる人と決めつけているが、私の見立てでは、金満でない人も 含めると、3割だろう。そのうちの上位の一割の3%が、十分に心満たされて いるということか。 金だけは有るにこしたことはない。 去年の暮れに、【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】エイカー著 を取上げたが、その中で、<ボジティブ比〜繁栄と衰退を分ける「ロサダライン」 を、マルシャル・ロサダが発見、2・9013という数字で表した。 これは、業績の よいチームと、悪いチームにおける「ポジティブな意識」と「ネガティブな意識」が、 2・9013対1以上でなければ、そのチームに成功はもたらされない> という法則を取り上げた。大富豪になるほど、その比率が飛躍的に高くなると 著者は言いたいようだ。 世の中を見渡すと、『貧すれば鈍す』か、 その真逆である。上手くいったから、成功したから豊かということではなく、 豊かだから上手くいく。で、どうした?どうもしません! 全て夢幻。 ところで面白い時間帯を見つけた。 20時から4時間爆睡後の、0時から4時。 意識し、茫洋として無意識との塀上と見立て過去、現在を浮遊する。 これ、昼間やると、ボケ! ・・・・・・ 4847,閑話小題 ー75歳が死の目安が、級友と一致 2014年06月22日(日) * 75歳が死の目安が級友と一致して 前回、葬式で連合いを亡くしたばかりの同級生のことを書いた。 私が「75歳を死亡年齢に目安に、歯医者以外、病院に行かないことにした」 と他の級友から聞き、曰く、「数年前に、ある病院で検査をしたところ、肝臓 に、オデキがあると言われ、肝臓ガンと覚悟を決め、親戚を集めた家族会議を して、生前葬の案も出たが、その前に、別の病院で検査を勧められ、再検査を したところ何もなかった。それから、一切の検査をしないことにした。 母親と父親の死亡年齢を合計し、半分にすると75歳。その年齢の目安と、 病院に行かない方針が同じことに、驚いた」と。しかし、死や、生について の知識を持っている様子がなく、漠然とした不安が全体を覆っていた。 少しでも、その類の知識を持ったと持たないとでは雲泥の差になるが・・ 私の平均余命11年。そのうち介護年齢9年、寝たきり6年とすると、 決して長寿は、私らしくない。下手に治療で死にそこなうと、薬の逆効果で、 拷問のようは束縛の寝たきりか、痴呆症が出てくる。ならば出たとこ勝負。 75歳を目標、目安にした。その分、運動量を多くし、食生活を気をつけて いるが、いざ、余命を告げられ、目先は後悔をして逝くことになっても・・ 死に方、自分の選択も有りである。 * つれづれに ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーをテーマに、回を重ねて 書いているが、思いもよらない当時の記憶、40数年前の出来事が、昨日の ように、次々に連動してフラッシュバックしてくる。それだけ、激しい日々 だったが、封印しておいた記憶を見つめ直すのは、当時の自分を慰め、癒すと 同時に、多くの過ちを知り、後悔も出ることになる。それは、それぞれの 行蔵から、自省をすることにもなる。私は何をしてきたのだろう? 「面白かった!」だけでは済まない、未熟な己が、厳然と、そこにいる。 神様は、人生を自省させるため、老後という余白を人生に与えたようだ。 私を含めた大部分には、基礎教養の絶対量が足りてない。だから 「死ぬまで勉強」が必要になる。周辺を見わたすと、それが分かるが、 自分自身になると分からないのが人間の性。 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」 =「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に 往ける者よ さとりよ 幸いあれ 」。 「往ける者よ」を「過ぎ去りし日の自分」に置換えて、「青き者よ、 幸いあれ!と、祈り直すしかない。成るほど、私は、こんな人間だったか! と・・ 南無阿弥陀仏の念仏は、そのためある! 私もお近い ようで? 「では、皆様、さようなら!」 ・・・・・・ 4480, 宇宙に外側はあるか 2013年06月22日(土) ー内容紹介ー 「宇宙に外側はあるか」松原隆彦 (著) ◎ 私たちの住んでいるこの宇宙がここに確固として存在している、 つまり唯一絶対の存在である、ということは疑いようもなく当たり前の ことだと思われるでしょうか。実は、現代の物理学の知識をもって この宇宙を眺めてみると、そんな基本的なことさえも疑わしくなってきます。 いま、人類の宇宙を見る目は大きく開かれつつある。宇宙の何がわかって いて、何がわかっていないのか? 宇宙の全体像とは? 宇宙の「外側」とは? 人類はどこまで宇宙のことを知ることができるのか? 現代宇宙論のフロンティアへと旅立つ一冊。 ◎ 目 次 第 1 章 初期の宇宙はどこまで解明されているか 第 2 章 宇宙の始まりに何が起きたのか 第 3 章 宇宙の形はどうなっているのだろうか 第 4 章 宇宙を満たす未知なるものと宇宙の未来 第 5 章 宇宙に外側はあるか ▼ 宇宙論を分かりやすく解説してあって、私のように最近、興味を持ち 始めた素人向けの本。村山斉著「宇宙は何でできているのか」と 「宇宙は本当にひとつなのか」のフォローに丁度良い内容。 村山斉の著書は、明快で分かりやすいが、それでも一歩も二歩も踏み込んだ 内容だが、この本の第1章から第4章までは、宇宙論の優しい入門のあらまし。 第5章で、マルチバースがあるかないかに触れているが、ハッキリした説明が無い。 私のような入門者にとって第1〜第4章の方が、噛み砕いてあって、分かりやすい。 村山斉の二冊を含めた三冊が私にとっての宇宙入門書になるが、としても 何がなにやらである。 プロローグに ≪ 現代宇宙論が明らかにしたことの中で最も大きな驚きのひとつは、 「宇宙は永遠不変のものではない」という事実。約137億年前に宇宙の始まり があるという「ビッグバン理論」が確立したことで、このことが明らかになった。 この宇宙に「始まり」があることがわかると、根源的な疑問がたくさん湧いて きます。≫ がある。 ーその疑問とは、 「宇宙はどうして始まったのか」 「宇宙が始まる前は何だったのか、宇宙が始まる前の宇宙は宇宙ではないのか」 「宇宙に始まりがあるなら、宇宙に終わりもあるのか」 「宇宙に終わりがあるとすると、宇宙の終わりの後には何があるのか。 次の宇宙が始まるのか」 「そもそも、始まったり終わったりするような宇宙はどこに存在するのか。 この宇宙よりももっと大きな、何か得体の知れないものの中にこの宇宙が あるのか」 等々である。マルチバース、それも10の5百乗の宇宙の存在 の可能性には驚いた。村山斉著「宇宙は本当にひとつなのか」に詳しく 書いてあるが、コペルニクスの地動説と同じ位の驚きを与えた根源的な問題 である。そうこう考えると、再び、人間原理の問題の戻ってきざるを 得なくなる。 宇宙は面白い! 宇宙お宅のブログにはビックリ。 ・・・・・・ 4106、私は完全な本 "日本の自殺 'ー9を作った 2012年6月22日(金) * 情報の洪水が人間を劣化させる これが書かれた37年前にはパソコンとインターネットが世界中にこれほど 普及するとは思ってもいなかっただろうが、正に現在、情報の洪水が世界を覆い、 個々人の判断を狂わせ地球規模の集団自殺の様相になっている。その大混乱の 一つが、この金融恐慌であり、世界経済は溺死状態?にある。今後10〜20年 は、このカオスは続き、その行く末は誰も分からない。下記の部分が、日本だけ でなく、地球規模のカオスになっているから、ことは深刻。 情報機器とネット の進化が、文化、文明レベルで世の中を変えてきた。 【 ◎ 第一に、われわれは人間経験全体のなかに占める直接経験の比重が相対的 に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの提供する情報を中心と する間接経験の比重が飛躍的に増大したことに伴うさまざまなマイナスの副作用 について検討しておかねばならない。一般に情報量の増大といわれているものは、 人間経験との関連でみるならば、このように各個人の経験世界というものが、 ますます大きく他人の経験に依存するようになるということにほかならない。 マスコミを通じて与えられる間接経験の世界は、一方ではあまりにも混沌として 脈絡がなく精神分裂症の様相をすら呈している。他方でマスコミの提供する膨大 な情報によって見せつけられている世界の、安直なトータル・イメージは、 情報の質が悪いと現実世界とは似ても似つかない虚構の世界となる危険がある。 知力を高めるために作られたはずのマス・コミによって人間がだまされ、知力を 低下させられ、真実の視界が妨げられるという皮肉な現象が生ずる結果となる。 ◎ 情報化の代償の第二は、情報過多に伴う各種の不適応症状の問題である。 高速度に流れる大量情報が、人間の脳の情報処理能力を大幅に上まわった場合、 人間はしばしば情報過多の神経症状に陥る。短絡型、自閉症型、分裂症型 という三つのタイプのものがある ◎ 情報化の代償は第三に、情報の同時性、一時性と関連している。 社会の変化のスピードが早くなると、人間と情報との関係が極めて一時的な ものになってくる。このような現在(1975年当時)の情報環境の下では、 新奇な情報を極端に求める傾向が強まっている。膨大な現在進行型の情報の 氾濫なかで情報のライフ・サイクルは短縮化し情報は消耗品化し、情報使い 捨ての傾向が極端になってくる。大量高速情報から自己を防衛するひとつの 安易な適応方法は、忘れぽっくなること、つまり健忘症になることであり、 歴史的な連続性の感覚を喪失して刹那主義的な生き方を採用することである。 ◎ 情報化の代償の第四は、以上のようなマイナスの副作用とも密接に結び ついているところの、情報受信と発信との極端なアンバランス。 本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じてはじめて 可能となるものであるのに、この思考のプロセスをじっくりと通過させない ために、短絡型の、論理的思考力のない人間が量産されてくることにもなる。 ◎ 情報化のマイナスの副作用は、第五に、マス・メディアによる異常情報、 粗悪情報の過度拡散傾向となって影響を与えている。情報化の代償、弊害に ついて累々と述べているが、これは情報過多の問題なのか、質の悪い情報を 発信し、それも何も考えずに受信することの 問題なのか、それとも膨大な 粗悪情報がマス・メディアを媒介として流され続けることが問題なのか、 いろいろと考えさせられる。】 ▼ 情報の洪水は、それに対処可能な人と、そうでない人との情報格差を 生み出している。それは脳力と貧富の差に直結することになる。それは劣化 だけでなく、悪用で社会をいとも簡単に騙せすことが可能になった。反面、 電子知能は飛躍的に進化している。世界中の身知らずの個々人がネットで 結ばれ知恵と情報の共有が可能になってきた。それは一時代前からみたら、 SFの世界の様相である。
|
|
|
| 5941,自由な脳のつくり方 −強固なマインドセット |
|
|
2017年06月21日(水)
<「世界一自由な脳のつくり方」茂木健一郎著> * マインドセットとは 「人生は、18歳までに洗脳された固定観念、常識を生涯かけて破壊して いくプロセス」である。常識という名の牢獄に押し込まま、定年をむかえ、 それに初めて気付き、涙する。それさえ気付かずに、もやもやした不満を、 周囲に八つ当たりするのが、俗にいう「世間」。18歳までのセットが如何に 強固であるかは周知のはず。親は、可能な限りしなやかなマインドを、子供 にセットするため、家族旅行や美術館などで、世界の広さ、深さを長年かけ、 教え込み、常識にとらわれない基礎教養のベースを幼児期から構築しておく 必要がある。ということは、両親の質の掛け合わせで、ほぼセットが 決まっている。これは壁にもなり、土台にもなる。 〜その辺りから〜 ≪ マインドセットは以下のように定義されています。 経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。 暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。 マインドセットの言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、 多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから 来ている。 靴を販売する会社の営業マン2人がアフリカへ現地調査に向かい、靴を履かず に裸足で生活する人々を目のあたりにしました。それを見た1人の営業マンは ・「誰も靴を履いていないので、売れる見込みはありません」と報告、 ・もう1人の営業マンは「誰も靴を履いていないので、無限大の販売見込みが あります」と報告しました。 報告の方向性からも分かるようにこの2人は真逆のマインドセットの持ち主で、 当件での成果に差が生まれるといえるでしょう。この例では、行動する前から 諦めてしまう癖がついている人と、プラス思考が出来る人の間に、大きな違いが 生まれるということが学べます。 ドゥエック教授は、マインドセットという概念を提唱した第一人者。 教授は研究で、子どもの成績や学習意欲・行動は、 ・「努力しても変わらない」(硬いマインドセット)という考えの持ち主か、 ・「努力次第で伸びる」(しなやかマインドセット)という考えの持ち主かに よって、変わることが分かったとしています。 マインドセットによってあらゆる能力に差異が現れ、ひいては人生の幸不幸に 影響するというのです。またマインドセットを変えるのは簡単ではないけれど、 それは可能であるとしています。マインドセットを変える、すなわち固定観念を 再構築することは、簡単ではありません。それこそ子供のころからついた習慣 という基礎部分を全面的に改修しようというのですから、強い意志を持って 臨まなければなりません。とはいえそれは決して難しいことではなく、 ポイントをおさえることで、効果的に改善していくことができます。≫ ― ▼「慶応幼稚舎」などに、親が必至の思いで入園させるのは、真っ新な幼児期 にマインドセットをするため。逆に言えば、この頃、しなやかマインドセット をしておかなければ、大方と変わらない能力にとどまることになる。 恐ろしいのは、「知っていること以外は何も知らないこと。もっと恐ろしいのは、 そのことすら知らないこと」 その範囲で物事を捉え、思い付きで決めつける、 人間の愚かさ。他者に見えても己のそれは、見えない。この「随想日記」は、 その露呈の列記になる… 読む方からしたら、これほど、面白いことはないはず。 キャリアとうのは、職場転換、転職で、マインドセットを切替え続けた結果、 身についていく能力。深い穴は、まずは広く掘らなければならない。 それもこれも、死んで三日も経てば、みな同じ。 そういうこと!
・・・・・・ 5576,突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月21日(火) 『あの世へ逝く力』小林玖仁男著 * モノゴトは、「断・捨・離」に向かう 著者の場合、二年生存率はゼロに近いというから、置かれた状況は厳しい。 身辺の整理を直ぐに実行しなければならない。 私の父親も、余命一年といわれて、退院直後に、姉夫婦の思惑?に反して、 会社の株式と、個人名義の不動産を、母と、姉夫婦と、実兄と、私に4分割 して亡くなっていった。それが父の断捨離であった。 そのお陰で、現在の 自分がある。 この本は、終わりまで、著者の生の緊迫感が直に伝わってくる。 ≪ 何をやり、何を捨てるか。 ゴールが見えている者にとって「仕分け」は喫緊の重要課題です。 「仕分け」は、例の《死の五段階》でいえば、最終段階の「受容」(あきらめる) の中の作業。「あきらめる」という言葉には、そもそも「明らかにする」という 意味もあり、辛い現実を明らかにし、積極的に受け入れようとする段階です。 余命のゴールに向って仕切り直すと、これからは「断捨離」になりました。 「断行.捨行.離行」。断ち切って、捨てて、離れて、悠々自適になること。 モノへの執着から解放されて、身軽で快適な余生を手に入れることです。 じつは今まで私のいちばん苦手なことでしたが、ここいちばんでできないと なりません。「もったいないから」と大事に持っていても、遺品のほとんどが ゴミになってしまいます。要らない物は断つ。使わない物は捨てるか、人に あげるか、バザーに出すか。モノへの執着からはサッパリと離れる。 こういう発想が必要です。 社会生活や人との関係と違って、物は捨てればそれで済みます。私が住んで いる賃貸マンションは、私が最終入院をしたら解約することにしました。 その前に、物という物はみんなじゃんじゃん捨てて、人が欲しそうな物だけを 残します。形見分けも始めました。ネクタイをバンバン差し上げていたら、 かわいい後輩に時計も狙われたので進呈しました。 ・あの世には何、持っていけません ・こちらから差し上げないと、相手からくれとは言えません。 ・もらってもらわないと、遺品はほとんどゴミになります。 これは何とも清々しい作業でした。ゴミを出すたび、人にあげるたび、 生への未練も捨てられました。 そして、モノの次はコトを片します。 人生に、片を付ける。大事なこと、 完結したいことの優先順位を付け、やりたいことを、「片付け」ていくのです。≫ ▼ 5年前の事業清算の決断の中で、自ら創った会社の事業整理を淡々と、 それも、ゲームのように実行している自分を2m後方から見つめている、 自分が存在していた。この随想日記を書き続けた効能でもある。目先の生活に 窮することがない事もあるが、弁護士事務所が代行して全てを処分してくれた。 結果、後悔も、執着が何も残らなかった。独り、布団の中で、大声で喚いたり、 惨めな自分を笑ったりした。 少しでもワダカマリが残ると、ストレスの種に なる。だから、逆手に、この状況を乗りきるために、厳しめな一日の、一週間 のスケジュールを組み、厳格に実行することにした。この辺りは手馴れたもの。 少しは強がりの言い訳に思えるかもしれないが、ハッピーエンドより、この方が 良かったと、直ぐに思うようになっていた。数十年にわたる準備もあったが。 この書中に、弁護士の単語がない。アドバイスにしろ、身辺整理に、その職能 が必要のはずである。「こちらから差上げないと、相手からくれと言えません」 は、言いえて妙である。「もらってもらわないと、遺品はゴミになる」も然り。
・・・・・・ 5211,宝くじを当てた95%が、5年以内に 2015年06月21日(日) 『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著) * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、 その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を 増やしたが、2001年の9・11と、2008年のリーマンショックと、2011年の3・11の 10年で壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、 二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40 ≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった 人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。 「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に 証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを 被ることがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場 まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、 100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。 『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、 その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な 反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社) ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」 という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで 成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金 を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、 "当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、 「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫ ▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、 後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、 遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、 その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。 いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。 そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。 遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより 「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い? ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。 「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。 『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。 ・・・・・・ 4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で 2014年06月21日(土) * 同級生の急逝の式場で 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 通夜を含めて中学校の同級生6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月! 七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、 『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような? その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、 出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に 故人と、二人飲んだのが最期。「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」 と真顔で話していた。自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、 グッタリ!急遽、中止。 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、 今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、 こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j 家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。 入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは 死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、 大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の 金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、 スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。 「早いもの勝ち」は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な 人から、聞こえてくる。 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。 不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 ・・・・・・ 4479, 歌舞伎町 写真集 2013年06月21日(金) 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけた が、その生々しさに驚いた。日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察 などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。 その続編が、この『歌舞伎町』 権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』 文ー李小牧、写真ー権徹の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲る たびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した世界にタイムスリップしてしまう。 生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。新潟駅前の飲食繁華街で 事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、 女装したオカマをはじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視 カメラが設置されて状況は一変した。今ではガラス張りで明るい猥雑さに なったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町「人間劇場」との出会いに ついて、以下のように書いている。 《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。当時、 四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。ゼミの撮影テーマが「新宿」 だったこともあって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。 あるとき、歌舞伎町交番前で鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをして いる場面に出くわした。あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを 取り出して撮影することさえできなかった。このエキサイティングな街は、 いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に強い衝撃を受けた。 このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真は おもしろくなる。東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し 続けてくれる。ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》 ▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、 妨害や嫌がらせが少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けにみた「探偵はBARにいる2」が、 夜の世界を何気なく描き出している。二年前に‘その一’を見たが、なかなか 面白い。そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。 その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。 写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。
|
|
|
|
2017年06月20日(火)
* 帰路の宇宙船内で独り思うこと 考えてみたら、人生後半からのライフワークの「秘異郷ツアー」は贅沢 な趣味である。40歳代半ばのプレッシャーは御たぶんに漏れず大であった。 その解消も含めて年・2回の旅行を自らに義務付け、何があっても行くと決心、 20年以上、行き続けてきたことは、ここで何度も書いてきた。家内と2人で 年150〜200万の出費は、現役当時は苦労することなく捻り出せていた。 振返えった実感としての価値は、値段の3倍以上である。地球上の自ら の立ち位置を、宇宙側から逆照射して見る感覚が何とも絶妙で面白い。 このテーマも、地球上の秘異境を宇宙に拡大したもの。何処の地でも、 人間、動物、自然環境の普遍的事象は様々。それぞれ違う時間が流れている。 その経験を重ねるたび、地球の広さと、深さと、意味そのままが見えてくる。 「観光」の言葉は軽い響きがあるが、自然自らが地球上につくり上げた「光」 を神自らの目で観るような感覚は人間としての本分になる。新たな別物の魂が 独立し、その視点で自分と、自ら存在する世界を鳥観している感覚を持った ような。内なる別の魂が、行った先の魂と邂逅、その場で自ら燃え尽きるよう な経験。これが「魂の出会い」というのだろう。 宇宙彼方の星から、地球への観光旅行をした帰路の宇宙船内で、覚めた目で、 人生の観光を思い出し総括するのも、なかなかの味。生きている内が花である。 <「宇宙船に乗っていいよと言われたら、どんな席かなんて聞いている 場合じゃない。さっさと乗るだけだ。」〜シェリル・サンドバーグ> で、地球にやってきて、帰りの宇宙船での地球観光の総括が、これ。 キリスト教に、『煉獄』というのがあった。 〜ネットによると〜 <浄罪界ともいう。キリスト教において神により罪をゆるされ義とされたが, その罪の償いをまだ終っていない死者の霊魂が死後至福の状態に導かれるまで, 残された償いを果すためにおかれると信じられる苦しみの状態。この状態に ある死者のために祈ることが可能であり,またよいこととされる。ダンテの 『神曲』第2編はこの信仰に基づく。この教義はカトリック神学者間にも解釈上 の問題があり,プロテスタントでは概して煉獄の存在を否定している。> 私の思いついた「別宇宙からの観光論」は、生死の境目で人生を、因縁ある 亡き人と語り合う、際ものの対話で、枠が私の人生の因縁ある人だけ… そういえば、哲学者の池田晶子女子の哲人との対話も、『幸福の科学』の 教祖様も、歴史的人物を呼び出し? 対話をしていた。 まあ、難しいことは 考えないで、因縁ある何人かと、帰路の宇宙船内で、総括の対話そすればいい。 それにしても、学生時代の誓い、『己の魂(良心)にとって、やましいことは しない』で、あわやの危険を何度もさけてきた。『良かったか悪かったのか』と 思い返すことしばしばだが。最期は、プツン前の自己対話の中で終わる… ・・・・・・ 5575, 閑話小題 〜適正寿命 2016年06月20日(月) * 適正寿命 ある本の中に、『適正寿命』という文字があった。漠然と長生きできれば よいと思っていたが、経済面、健康面、生き甲斐面の3つの条件が整った上 での、適正な人間の寿命を考えると、死にそこなわない、『適正な寿命』の 時節が考えられる。 男性の場合、健康年齢(寝たきりや介護を受けず日常 生活が可能な年齢)が70歳。死亡平均年齢が80歳からして、10年の介護が必要。 とすると、適正寿命は、その中間の75歳辺りか。 70歳になった私の実感から しても、その辺り? 数年前に、仮説で、私の健康年齢を75歳に設定をした。 で、そろそろ、ガンか、脳梗塞の兆候が出てきそうだが。 何せ、平日は、 平均3時間も運動をし、何とか未病で抑えているため、表立っては、いたって 元気。「死ぬべきときには、死ぬがよい」が、余命半年か、一年と確定したら 動転し、奈落の底に沈むのだろうが。 * 今週が注目 この23日に、英国のEUからの脱退か居残りかの正否の国民投票がある。 最後の最後は、残留だろうが、これだけは終わってみなければ分からない。 もし脱退なら、世界の景気が更に落ち込むことになり、アメリカ大統領選や、 独国、仏国にも大きな影響を与える。今年前半の一大イベントになるか否か。 時を同じくして欧州サッカー選手権の国別の戦いが、佳境に入っている。 今回から、機会がある度にTVで観ているが、これが面白い。他国同士でも 観客の熱狂に引き込まれる。彼らにとって、サッカーを通したリアルタイムな 代理戦争に参戦している感覚である。 リタイアをすると、自分の立場の デバイスが小さくなるため、何事も新鮮に受止めれるようになる。 ・・・・・・・ 5210,大脱出 〜お金、健康、格差からの・・ 2015年06月20日(土) 『大脱出――健康、お金、格差の起原 』アンガス・ディートン(著) * お金、健康、格差からの大脱出 いまひとつピンとこない内容だが、切り口は新鮮で面白い! 進歩には格差の 問題が生じる。それは、金銭だけでなく、健康問題にも関係する。小・中学校の 同期をみると、進学ごとに分類される前の社会の縮図がそこに見て取れる。 この年齢になっても、その格差は少しの浮き沈みが少しあっても、大した変化は 見られない。 何をもって貧しいか、豊かかの問題があっても、貧しい人は 貧しいまま? 豊かな人は豊かのまま。 同級生の男子の三割は亡くなったが、 何故か成績が悪い人が7割がた。すべからく、人は金、健康、容姿、両親の 愛情量に格差があり、その中に沈んでしまう。 〜アマゾンの内容紹介〜 ≪ 世界はより良くなっている ――より豊かになり、より健康になり、 平均寿命は延びている。しかしその反面、貧困という収容所から「大脱出」を 果たせずに取り残された国や人々がいる。産業革命以来の経済成長は、大きな 格差も生んだのだ。経済発展と貧しさの関係について最先端で研究を続けてきた 著者が、250年前から現在までを歴史的にたどりながら、成長と健康の関係を 丹念に分析することで、格差の背後にあるメカニズムを解き明かす。 「本書は、進歩と格差の間の終わりなきダンスについて記している。 …単純に考えると、貧困からの脱出は金銭的な問題だと思いがちだ。 だがお金と同じくらい、もっと重要なのかもしれないのが健康と、 繁栄する機会を手に入れられるだけ長生きする確率の向上だ。 …富の歴史について語る本は数多くあるし、格差の歴史について語る本も多い。 健康と富がいかに密接な関係にあり、健康の格差が富の格差をいかに鏡のように 反映しているかについて語る本もたくさん出ている。私はその両方について 一冊で語りたいと思う」(はじめに) ≫ ▼ その格差も浮き沈みがあり、目まぐるしく変化する。元プレイボーイ誌の 編集長の島地勝彦が、作家の故シバレンに受けた薫陶、『いいかシマジ、 平等や民主主義なんてものは、人生に何も生んでくれやしないんだ。上質の 脳みそに裏打ちされた、えこひいきを享受出来る人生を歩まなければダメなんだ。 えこひいきされるようじゃなくちゃ一人前とはいえない、みんなと同じように 行列に並んでいては凡庸な生き方しかできないだ』が、面白い。沈んだまま では・・ 沈む時には沈めばよいが、何事も備え! 国の幸福度は、たいがい、 平均年齢で計ることが出来るという。その点、ロシアが酷いという。解るが! その点、日本は平均年齢が最上部にあるが、幸福感が少ないのは何故だろう。 島国で、海が要塞となって長い歴史の中で、揉まれてないため。 小学校から大学まで、同期会・同級会は可能な限り出ているが、格差と 健康問題は、嫌でも目に付く。上質な脳みそは、自らつくっておかないと! で、このザマだが。これも、格差の範疇で沈んでしまったということ? 石ころの大小、形を比較したって、所詮は砂利の話。 気にしないこと! ・・・・・・ 4845,「事業人生を決心して45年」の語り直しー19 2014年06月20日(金) * ペガサスクラブの加入と、システムの改革 衣料量販店は、天候と相場を敏感に読み、時間差で勝負するのが要。 それには情報を多角から取り、後は直感に頼るしかない。その感覚を、 僅か数ヶ月で知ることになる。そのため、産地の大問屋の太いパイプが 絶対に欠かせない。 その冬のシーズンも大成功のうち終わり、事務所で 円座をして、ストーブで温めた日本酒を乾杯した時の旨さが格別。毎日が、 全てが新鮮で、知らないことだらけ。その経験そのものが面白く、次々と 知恵が湧き出ていた。 その年の暮に、チェーン店展開を指導する『ペガサスクラブ」に入会し、 衣料チェーンの展開を錦の美旗にする。そして、大御所の渥美俊一のセミナー に隔月ごとに聴講することになる。このカリスマ、当時の新興チェーンの 拡大に大きく影響していた。卒論に、その著書をネタ本にしたこともあり、 そのセミナーの面白さは、この上ない。おまけに、聴講者はチェーンの幹部。 チョットした会話でも充分に元がとれた。現場でも、セミナーでも、全てが 学びの場になっていた。振返ってみて、当時の自分自身は、父親の秘蔵っ子で、 20歳代でジャスコ、いとはん勤務。そして、貸ビル建設と、その中で、 養老乃滝、ベーカリーをオープンさせていたのだから、凄いエネルギー。 姉夫婦が焦るのは肯ける。 ところで、改革で直ぐに手をつけたのが、 ジャスコ、いとはんで取り入れていたチェーンストア統一伝票システム。 これは、5枚綴りの複写で、・仕入先別、仕入伝票1[青] ・仕入伝票2[緑] ・仕入伝票3[灰色] ・物品受領書4[茶色]・納品書5(控)[紫]になっていて、 大口の仕入先に持ってもらい、仕入れ商品の内容を書いて、同封してもらう。 そのうち一枚が先方に、残りの4枚が、そのまま、商品管理、仕入管理、 経理の支払管理に使えるシステム。これは部門別管理にも大きは働きをする。 また、部門別内の小項目が、そのまま、商品管理にもなる。 数値責任が 明確になれば、仕入れや、販売を担当者に大幅に権限委譲が可能になる。 そのベースをつくるに、2〜3年はかかるが、旧来の社員も何の抵抗もなく、 あっさりと導入出来たのは、システムが、シンプルで、便利であるため。 もちろん、大手のメーカー、問屋が多くが、このシステムを取り入れていた。 次に、仕入れと販売の担当責任制度である。現場の情報を、仕入れに直結 するには、仕入れ権限を現場に与えること! 帰って一月も経たないうちに、 翌年の新入社員の採用の時期になった。 さて、何人にしようかと、考えて いると、長年、勤務の内幕情報屋的存在の総務の女史が、「思いきって多く 入れた方が良いですよ!」と、助言?してくれた。 要は「殆どが辞意を持った 社員が、多いですよ!」ということを察知し、当初の予定の二倍の13名を、 採用する。 ところが、翌年の年次を含め、新しいシステム導入に、丁度 良い教育対象になっていた。 次は、TKCの伝票システムの導入である。 これも、思い切って判断した。そして、接客などのマニュアルの作成と、 売上日報の解りやすくしたカジュアル化。 不信感の強い既存社員からの 情報は皆無の中、それならば、欲しい情報を日報に書かせればよいと、 次々と、項目を増やしていった。こういった現場での知恵は、立ち上げの 経験から、身についていた。創業は、瀬戸際に自らを追込み、ことに 直接触れ、エネルギーと知恵を融合しカタチ創ること! ・・・・・・ 4478, うつ病 ー高島忠夫の場合 2013年06月20日(木) ーカスペ! 真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」 〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜 ーが感動的であった。 一昨日のゴールデンタイムに放映されたが、二時間がアッという間であった。 「うつ病」については、何度か書いてきたが、高島一家の底なし沼のような状況 そのままがドラマになる。芸能界きってのおしどり夫婦と言われた高島と寿美。 高島は98年頃からうつ病、糖尿病、パーキンソン症候群、 さらに、3年前 には不整脈で心臓にペースメーカーを付ける15時間にも及ぶ手術を受けていた。 ーまずはTV局のブログよりー 【“日本一有名な芸能一家”高島ファミリー。一家の主、高島忠夫がテレビ の表舞台から姿を消して5年… その自宅にカメラが入った。いったい何が あったのか。献身的に夫を支える元宝塚歌劇団のトップスターである妻、 寿美花代の思いを通じて、いますべてが明らかになる!そして、夫婦として 「死ぬまでにやりたかったこと」… それは忠夫の夢の実現。寿美花代は、 ある賭けに出た。“最後になるかもしれない”家族旅行へ…。】 ▼ 高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で明かした悲劇。 夫妻の第1子の長男・道夫が生後5カ月で殺害されたのは、1964年 (昭和38年)8月。住み込みで働いていたお手伝いの 少女(当時17歳)が 風呂に沈めて殺害したもの。 寿美はこの時を振り返り、「夜中に、道夫が いないと、探し回り、最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。 夜中2時すぎぐらいに、あちこち病院行ったが、どこも受け入れてくれなく、 やっと1軒 受けてくれた時には…」。 家政婦は殺人罪で起訴され、 懲役3〜5年の不定期刑となった。事件後に、赤ちゃんの泣き声や、 「ママー、苦しいよ」という泣声のいたずら電話が頻繁にかかってきていた。 高島忠夫も既に82歳。寿美花代は81歳。その夫を懸命に支えてきた寿美は 「介護うつ」も経験。「介護で一番大事なのは 完璧にやろうと思わないこと」、 「忠夫は私を本当に姫のように優しくしてくれた人。いまはその恩返し」と。 番組では俳優として活躍していた頃の若き日の高島の姿や、バラエティー番組 の様子など懐かしい映像も出ていた。 この隠れた“主役”は寿美。妻の目線、 2人の息子の母親の視線で番組は進んでいく。番組では、うつ病患者の家庭の 危機状況が、多く語られて無かったが、実際は壮絶。ただ事実を語り映し出す だけで、物語になっていた。二年前の倒産劇で気をつけたことは、脳をやられない (うつ病に陥らない)こと。そのためには、運動と、マイナーの毒?から身を 守ることであった。ゾンビは自分の傷口の膿を擦りつけてくるから、性質が悪い。 その中で、堕ちこまないように作り上げた生活習慣こそ、最大の成果だが、 それでも時々、傷口が痛む。それにしても、寿美の開き直りは凄みがある。 少し性質の悪い連合いだったら、病院の中で亡くなっていただろうに。 ・・・・・・ 4104、私は完全な本 "日本の自殺 'ー7を作った 2012年6月20日(水) * 豊かさの代償 ー読書日記 37年前はアメリカのアジア戦略上の重要な位置にある日本は、特別待遇を 受けていた。その結果、豊かさを享受出来た反面、その甘えの体質が日本人に ついてしまった。それが、豊かさの代償という現象でもある。 以下の部分は、その辺りをついている。 【 日本を第二のローマ帝国としてしまいかねない日本社会内部の自壊作用の メカニズムを、まず豊かさの代償という角度から順次解剖していくことに したい。豊かさの代償として、次の三点を理解する必要がある。 ◎ 第一は、資源の枯渇と環境破壊という代償である。 豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の 高騰を招き、他方で生産、消費の過程での廃棄物が増大して環境の質の悪化を もたらす。 豊かさの代償としての資源不足と環境悪化による欲求不満、 イライラの増大が日本社会の内部に自壊作用のメカニズムを発生させる ひとつの原因となっていったのである。 ◎ 第二は、使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に 与えるマイナスの諸影響という代償である。使い捨ての生活様式は、単に 資源の浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらすのみならず、その生活 の質の点で大きなマイナスの副作用を内包する。使い捨て的な生活は一時性、 新奇性に高い価値を与えるが、人間とものとの関係がかりそめの一時的な 関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に 極めて安定を欠いたものとなる。欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつに なっても充足感が得られない状態になってしまう。 ◎第三は、便利さという代償である。 便利さの代償として、日本の青少年の体力や知力の低下が進行していった。 自制心、克己心、忍耐力、持続力のない青少年が大量生産され、さらには、 強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かなる感受性、責任感などを 欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生した。戦後日本の繁栄は、他方で ひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に不安定で 無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。それはまた伝統文化を 破壊することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を 麻痺させ、日本人の精神生活を解体してしまった。 この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用の メカニズムの基盤をなしていった。】 ▼ 66年の人生の中で物質的貧困から豊かさになっていき、それが失われて いくプロセスの登りと下りを国家と個人で、実体験してみた。まだ下りは 道半ばだが、あと10年で日本は貧困国家になる。30〜40年前の、 あの豊かさは何だったのか。あの経験はしないより、してみて良かった。 笑うべき時に笑えばよい、いずれ泣くとき後悔が無くなる。 腹の底から笑っておいて本当に良かった。 あとは自嘲か。
|
|
|
|
2017年06月19日(月)
* 無知は、教養より金がかかる <教育にはカネがかかる。とはいっても無知にもカネはかかる。 〜クラウス・モーザー卿 > ☆ 何とまあ、人生をシリアスに切って捨てた言葉である。 そう、人は無知で失った方が、知っていたが故に得たことより遥かに多い。 なればこそ、無知を少なくし、知識など教養を長年かけ蓄積しておかないと。 私の場合、5歳までの、家系としてのベースが貧弱だったということ? いや、それは99%の人たちに当てはまること。ならば学び続けるしかない。
* BE(なる)―DO(する)―HAVE(持つ) <目標は、この3つのうち『持つ』の部分。スタイルが良くなりたい、恋人や 配偶者といい関係を持ちたい、あるいは百万ドルほしい、こういった目標は どれも何かを『持ちたい』です。目標が決まると、次に、そのため何をなす べきか、リストを決めまtす。問題は、スタイルが良くなる、金持ち、BEの状態 になること> ☆ 以前、<上手くいったから幸福になるのではなく、幸福であればこそ 恐れることなく上手くやれる>という幸福論の一つの道理について触れた。 < BE(なる)の状態なればこそ、―DO(する)のプラス循環の結果、―HAVE (持つ)になる> 6年前の大きな節目からこの方、見えたのが、マイナーの 人たちの視線。彼らは自らの傷口の膿を、他人の傷口に塗りつける自傷行為の 業の磁力が強い。マイナーのばい菌は、人に塗りつけると、他者のばい菌が、 当人の膿を更に濃厚にする。その毒のため、何人かが倒れていったような。 自業自得、いや事業自毒。 これは私自身にも当てはまることだが。 で、当時、直ぐに実行した手順が、2ランク上の習慣づけ。慣れてしまえば、 習慣自体は「第二の天性」となるはずだが… ただ淡々とコナシテいる。 ベストのことは、張りのある充実感と、毎日が兎に角、面白いこと。 〈・BE=充実感のある日々 −> ・DO=生活習慣 −> ・HAVE=楽しみ〉 『こんな日々の何が楽しい?』かって。 『いいじゃないですか!これで…』 「知らないバカ」と、「知ってるバカ」と、どちらがマシ? 「知ったかバカ」もいるが、「知ってるバカ」は、まだ、すくいがあるか?
・・・・・・ 5574, 突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月19日(日) 『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著 * 自殺願望の八割が、いざとなると 苦しめるために生かしておくような延命治療なら、そうそうの安楽死を選択 したいが、現実は痛み止めの薬を強くすることで早めに死に導く。安楽死に ついて、まだまだ議論が足りないようだ。 考えてみれば、人間は穏やかな 自殺か、安楽死の道を歩いている。 自分の死の決断こそ、最期に残された 人間の最大の自由の行使になる。 〜その辺りから〜 ≪ 現在スイスでは安楽死が認められていますが、興味深いデータ報吉がある。 自殺蓄助による安楽死を希望する場合、希望者の医療記録を徹底的に分析し、 生き続けていくのが困難だと判断された場合にのみ致死量の薬が処方される そうです。しかしここからが驚くべきことなのですが、安楽死のための薬の 処方が可能と判断された患者でも、いざ安楽死可能と分かった時点で"自殺願望" が弱まるというのです。その割合が何と八割もの人々の自殺願望が急速に冷める。 つまり、「苦しみながら死を待つ。この生き地獄から抜け出すことが可能と 分かれば、この理不尽に社会が理解さえ示してくれれば、我慢もできる」と 言っているのです。やはり、倫理観からも、宗教観から見ても、家族の手前も、 「苦痛だから死ぬ」というのは、どこかでなじめないのかもしれません。 だから、「この苦しみに、大いなる同情と、法的な権利さえくれればそれで いい。我慢もできる」と。気持ちを分かってさえくれればー。そういうこと なのではないのでしょうか。≫ ▼「苦痛を最小に消え去りたいため、余命を告げられたら、早々、リンゲルの 大量投与を」と思っていたが、「いざ安楽死が可能になると、八割が自殺 願望から冷める」という事実。何だろう、これは? 〜ところで、私が生死に関する言葉で、気に入ってるのが、 <死ぬことは、生前の自分が存在しなかった状態に戻るだけ> <遺伝子が私の身体を借りていただけ、それが無くなっても、数限りない 遺伝子が、何処かの身体を通して生き延びる。「私」など他愛のない存在> <充実した過去と現在を生きている(きた)なら、死など、恐れることはない> <死んでしまえば、それまでよ。生きている内、できる内。> <当人にとって、『死』は存在しない。死んだ瞬間、本人は存在しないのだから> <宇宙の彼方から地球へ旅に来て、見るだけ見て、するだけして、帰っていく のが死である。> それにしても、辛いだろうに。
・・・・・・ 5209,閑話小題 〜何気ない会話の中で 2015年06月19日(金) * 何気ない会話の中で 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて いるが、話を1〜2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす 中で、私が、『以前も話をしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員 になったと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。 『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、 夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。 自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。 15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。 こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに 掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた 恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、 様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。 小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。 彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。 何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、 目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。 数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・ 『ああ〜、面白かった!』と、心底から言えるかどうか。 そういえる背景には、いえるだけのエネルギー量が必要だが。 ・・・・・・ 4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18 2014年06月19日(木) * 衣料量販店のコツ 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。 家業そのもののパパママストア。出社日から多くの判断が次々と求められたが、 衣料量販店経営など全く知らない白紙からの出発。ところが、その白紙状態が、 結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。 四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争 激化と、新興のチェーン店の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、 当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、冬期間は、雪の壁が、町を 遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。 金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店の ファッション衣料店が、そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、 駅前のメイン通りに並んでいた。しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、 その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、「超繁盛店」で全国で 知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の 意をくんだ残留者は無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底を ついてくる。その中、地元の問屋の一社が、当面、全面協力をしていた。 そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こしてきた。 普通なら、導入期に一通り秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、 稼ぐ。しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、 現金を持って初めての仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での 仕入れは、今でも忘れられない。そして、何とか値崩れの仕入れが終わった。 そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、メーカーへの飛込み仕入れ。 その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。 まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、 商品を選び出し仕入れていく。それも現金で。右上り時代の中で、誰も忘れて いた商売の原点を、動物的直感で綱渡りの瀬戸際で、始めていた。何とか一月が 過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が訪ねてきた。店頭の立話しだったが、 現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、『当社として、 全面的に協力します!』という。暫くしてから、その意味を知った。それは 『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』 であった。これが、大きかった。それに現金を持って産地を歩く、基本的原理を、 父から教わっていたことも大きい。これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の 相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。その中、その年末は、 思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。他の大型店は、事前 予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。 その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、 半値以下の大量仕入れ。それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりに なって当然。 時代の流れもあって、全てが、プラスに働いていた。 激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。 ・・・・・・ 4477, アベノミクスへの疑問 2013年06月19日(水) 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ 取っていた。ここでバブル経済とは、とんでもない誤りを犯そうとしている。 「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。 それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。 何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の 前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた 「文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ー があった。ネットで調べたところ、これを簡略したブログの内容があった。 ★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』 文藝春秋4月号の一部を抜粋ー ≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って 一儲けしたい投機家ばかりだ。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな 要因のうち、何一つコントロールできない。 ◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。 だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金があり余っている。 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い 切れない「ブタ積」が山ほどある。 ◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復した わけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て 資産が、国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。 ◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、 自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、 ?「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、 ?「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 しかし、この政策は完璧に破綻。 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、 全くのイリュージョン(妄想)で、「国際的に価格競争力を失ったのは 円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に 立っていないことだ。 ◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは 「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。 ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本に もたらし、その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫ ▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関がプラス になるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると (5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、自殺、経営 責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。そう遠くないある日、 中国かアメリカの投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。 ・・・・・・ 4103, 閑話小題 ースローヨガ 2012年6月19日(火) * スローヨガ スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加。 ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ 教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。それ以来、ヨガ教室のイメージが悪く なり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきている。 私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。 これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、ヨガのポーズを とっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に 馴染んでくる上、終了前の10分位の間、仰向けで大の字になって意識を 身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、 全身から力を抜いて宙游した気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。 それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻り たくなくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周する のを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。大手大橋で弥彦山 から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸 をして「地球の中心点を擬人化したX」と対話を10分近くしている。 それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的 にもベストの経験を、毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。 早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。「ヨガは肉体も精神も 宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のこと だろう。魂が現れ出るということか。 * 日本の初めての流行歌は? 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。明治元年・一八六八年 三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、東海・東山両道から江戸に 向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 現代の流行歌第一号は、大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』 の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、 翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。 流行歌のスタンダード・ナンパーとして、現在も広く演奏され、うたわれている 「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた 松竹が、当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」 と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。他にの説が多くあるが。
|
|
|
|
2017年06月18日(日)
* 有機TVとは 「究極の没入体験」の実現を目指したと、ソニーのうたい文句の 「有機TV」が発売された。早速、家電店の店頭でみてきたが、去年暮に 発売された4kTVと少しだけ立体的だけで画質は大して変わりなかった。 〜そもそも有機TVとは何ぞやを検索すると… ≪ 有機ELテレビとは、電圧をかけると発光する性質を持った材料を、 ディスプレイに使ったテレビのことをいいます。この発光する材料には、 ジアミン、あんとらせんという有機物が使われているので、「有機EL」 という名前が付いていて、別名「有機エレクトロ・ルミネッセンス」とも 呼ばれています。 有機ELテレビで使われている有機物は、電圧をかける と有機物そのものが発光するので、テレビのディスプレイを非常に、薄く することができます。 従来の液晶テレビでは、画像を表示するディスプレイが前面にあり、 発光部分が後ろにあるバックライト方式のため、有機ELテレビのように 薄くするには、限界がありました。またプラズマテレビでも、ディスプレイの 後ろに放電スペースや、蛍光体を配置する必要があり、液晶テレビと同様に、 ある程度の厚みが必要になります。 しかし、有機ELテレビは、自発光の ためバックライトや放電スペースが全く不要になるため、ディスプレイの 厚みを3〜4ミリ程度まで、薄くできるのです。 その他にも、有機ELテレビには、 ・コントラスト比が高く、画像がクリアで発色も良い ・応答速度が速いので、動画も滑らかに表示される ・消費電力が少ない ・プラスチックなどで、ディスプレイ本体を作ることができるので、 曲面で使用したり、折り曲げ可能なテレビやディスプレイもできる などのメリットがあります。≫ ≪ 今、有機ELと液晶を比較すると、有機ELは画質に優れ、超薄型の格好 良さも魅力です。デメリットは、比較的高価で、画面サイズを含め、製品の 選択肢が少ないことです。一方、液晶は、家庭用テレビとして長い歴史があり、 絶対的な明るさ、価格や画面サイズを含めて自在に選べる製品の豊富さなど、 まだまだ魅力は多いものです。 ・照明を充分暗くして映像美を優先するなら「有機EL」を、 ・日中、直射日光が差し込むような明るいリビングなので明るく鮮明な映像を 得たいなら「液晶」を選ぶと良いでしょう。 今後、有機ELは構造がシンプルなため、壁に貼り付けるような超薄型や、 さらなる低価格化が期待できます。一方の液晶も技術開発が進んでいて、 現行の有機ELを超えるコントラスト性能も視野に入ってきました。≫ ― ▼ 評論家によると、コストなど考えると、現在は4kが買い時で、有機TVは、 次の買いかえ時の7〜8年先辺りか。 ソニーの有機TVの謳い文句、 「究極の没入体験」。毎週、シネマ館まで、わざわざ行くのは、この没入体験 を味わうためだが、寝室に独り籠り、ドラマ、映画をみるのは、「没入体験」 を深めるためだったことになる。 ところで、シャープが「8kなみの4kTV」となうったのを7月に売りだす… <フルハイビジョンの4倍の解像度を持つ4K対応テレビ「アクオス」の新製品。 4Kパネルを使用しながら、4Kの4倍の画素数の「8K」に匹敵する超高画質が 特長。しかし80インチのみで値段が168万。>まだ尚早のようだ。 追)「なにか、特に最近、内向きのテーマばかりだね」の声が聞こえて きそうだが、実際、映像のバーチャル世界に没入すると、現実と、非現実の際 の面白い世界が出来上がり、そこにいることで、心を充実させる現実がある。 これが21世紀? ISあり、北朝鮮の何あり、アメリカ孤立主義あり、中東 の欧州への大量避難民あり、新たなネット世界の構築あり… 大激動の波の ウネリは、ますます大きくなっていく。
・・・・・・ 5573,突然、余命宣告を受けました ー�� 2016年06月18日(土) 『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著 * 言葉のチカラが、心を救う 言葉の力は絶大である。【心の傷を通して、あなたの優しさが沁みてくる】 死に直面したから、人と心の優しさを感受できるのである。死に対しても、 [正・中心・一点・無]に向合っていけば、無限の慈愛を得ることが出来る。 後ろ向きになるほど、恐怖心は大きく圧し掛かってくる。あの世に逝くのにも 力が必要のようだ。しかし、全身脱力で。 ≪ 恐怖感が薄らいでくると、徐々に死の覚悟らしきものが見えてきました。 それは友人たちをはじめとする多くの人の言葉に支えられた(ている)からでも あります。濁流に呑み込まれそうな私を引き上げてくれ、どうかすると叫び 駆け出したくなるほどの際どい精神状態を、何とか押しとどめてくれました。 ・「悪魔と取引してでも生きることを考えてみて」 友人。 ・「父も間質性肺炎だったが苦しいのは最後の一週間。なら他の死も同じ」友人。 ・「これからは、なるべく僕がそばにいて支えるようにします。それに小林さん からは、まだまだ吸収したいものがたくさんあるから、横で盗みたいんです」 知人の息子さん。 ・「神社仏閣は、当時の陰陽師が決めたパワースポット、行けば落ち着きます」 「我慢せず泣き喚いたほうが楽になる。私が手を貸しますから」ライフコーチ。 ・「夕日の没れるが如し(万事休む時である)」鹿島神宮のおみくじ「凶」の言葉。 ・「小林さんがどう死を達観しようが、僕はまだ認めないですから」大学の後輩。 ・「大変なことがあると自分が大きく変われますよ」占い師。 ・「ふるさとに行かれたことはとても良かうたですよ」占い師。 ・「小林さんは新しいステージに立った。死を覚悟したから、生を大切に 生きられます」占い師。 ・「気持ちと、運気と、医療と、努力が整えば、より長く生きられます」占い師。 ・「求めなさい、そうすれば必ず与えられます」教会の牧師。
・「笑えば必ず、病気は持ちこたえられます」ライフコーチ。 ・「もう、ろくでないことなんか、なぁ〜も気にせんでよかと。たっぷり お金を用意して世界一周クルーズでも行ったらよか。ところで、死ぬにも お金がかかるけたい。あんた大丈夫?」博多の知人女性。 こういう言葉の全部が私を勇気づけ、奮い立たせ、「死の覚悟づくり」を 手助けてくれました。≫ ▼ 父親は余命宣告どおり、一年で亡くなった。その間、自分の心と、母親を 観察をしていたが、最愛の人とはいえ、あくまで他人事。その刹那さの一部も 引受けることなど出来はしない。そうと思わないと、精神のバランスを保てない。 子宮の管に巻かれ息苦しい苦痛の中から産まれ、最期も一人、管にまかれ七転 八倒の中で死んでいく。生まれるも一人、死ぬも一人である。最期の一週間は、 もう生きていたくなくなるほど、苦しめばよい。そう割切るしかない。 元気な身体と、良好な精神状態で、出来る限り生きたいが、時期がきたら、 早々、逝くのも悪くない。40、50代で亡くなった人には、少し早めに逝かれたと 思っていたが、そうでもなかった? 当人にとって、丁度良かった? 偶然だが、で、以下に続く! ―――― 5208,「自分」という言葉自体が「自然の分身」 2015年06月18日(木) 『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 * 世界を通して私自身のことを学ばされる こだまでしょうか 〜金子みすず < 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか > ≪ 佐治:人間という生きものは何か?の答えは自分で考えていても 何も出てこない。「自分を包括する宇宙を知ることで、人間というのが 見えてくる。 私たちは自分の顔を自分で見ることはできません。 相手の顔は見えるけれど、自分の顔は鏡に映しても左右反対ですし、 小さい粒子の集合体である写真がそのまま自分の顔だともいえない。 だからあえていえば、私の表情は、あなたの表情のなかに見るしかない、 ということになりますね。あなたの表情を見て、私の表情を推測している。 堤:相手がいてこそ、自分のことがわかる。鏡なんですね. 佐治:そこに宇宙の研究の目的があるというわけですね。繰り返しますが、 自分のごとを知るためには、自分を包括している宇宙のことを知ること。 それによって自分が見えてくる。それが宇宙研究の目的です。 堤:私は昔あたまでっかちな理想に燃えていて、国連で働いていたころは、 いろいうな悪いものを排除したり、世界を転換させなければ平和はこない と思いこんでいました。でもジャーナリストになり、取材していくと、 二人の人のなかにも善と悪が同じくらいあって、一つの国のなかにも 善と悪があることに気づかされた。広く世界を見ようとするほどに、結局 自分自身と向きあわされる。世界を通してじつは私自身のことを学ばされる。 佐治:当然ですね。それを数学の言葉でいうと、フラクタル(どんな微小な 部分をとっても全体に相似している)構造だということになるのでしょうね。 全体のものは自分という部分にすべて投影されているということ。世界って そういうふうにできているわけです。そうでなければ世界というのは物理的に 存在しえない。木の全体像を考えれば、全部、Y字形の枝の分岐でできているで しょう。その分岐の仕方によって松の木になったり桜の木になったりしている。 木をよく見ると、全体もY字形になっているし、枝も葉っぱもY字形になっている。 つまり、全体というのは、部分のなかに投影されているというのが、数学的に 見た世界像です。全体を見ることによって、自分がわかるということですね。≫ ▼ 心の合せ鏡を持つ必要性をいっている。世界を、宇宙を合せ鏡にして、己を 知ることだ。逆に、己を合せ鏡にして世界を見ると、歪んだ小さな自分の分が 見えてくる。「こだまでしょうか」の、幼児の問いかけが、そうである。 内語で、さて「遊ぼうか」と問いかけ、そう「遊ぼうか」と。 「今日は、寝てようか」といえば、「そうだ、寝てよう」と。 「俺って馬鹿か」というと、「つくづく俺って馬鹿だ」と返ってくる。 「これで良かったのかな」といえば、「今さら、仕方がない」と、ブツブツ。 ・・・・・・ 4843,「事業人生を決心して45年」の語り直しー17 2014年06月18日(水) * 二店を、経営委託に! そして、実家に 『出たいというなら、出ていけばよい!』と、私も、母と兄の意見も同じ だったが、それでも妥協策を探したが、 事態は深刻になっていた。そして、 母、姉、兄と、私が最後の話合いをしたが、姉は頑なに出ていく、という。 姉夫婦が最後は折れてくると思っていたことを、しばらく後に、姉夫婦と行動を 伴にした社員が、「どの道、直ぐに必ず帰ってくる」と、話していたことから知る。 姉夫婦のピークは、僅か二年で終わった! Uターンが決まると、問題は、 開店したばかりの二店の問題。そこは大手チェーン店の利点が出てくる。 養老乃滝も、ベーカリーも、「金が無いが独立した店舗運営の希望者」は 幾らもいる筈。そこで、まず、蝶理のベーカリーの担当に、「二店で80万で 経営受託する人がいないですか?」とぶつけた。すると、「自分が間接的だが 受託する!」と、話は簡単に決まった。彼が受けなくとも、両方の本部は、 希望者を直ぐに探し出した筈だが。私には渡りに舟。その後、二年もしない内に、 他の空きスペースが埋まって、ビル経営としては上出来の結果となって、五千万 投資の貸ビルが、年の家賃が千七百万までになっていた。 その五年後には、 銀行を通して一億で売り抜けた。ビル経営の視点でも、この事態がプラスに働いた。 そして、九月初旬に千葉から長岡に戻ってきた。まず、実兄と「本店か、支店か、 どっちを受け持つ」かと、相談すると、兄が「自分は、そのまま支店を、本店を 御前に任せる」という。 本来は、兄が本店に乗り込むのが筋だが、本店に自ら 乗り込むのは気が引けたようだ。入って直ぐに尻込みをするのが分った。 そこは既存社員の冷やかな空気が色濃く残っていた。さっそく、一人ずつ、 別室に呼び出しての話合いからの出発。そこに、私への不信感が大きく根付いて いることを知る。彼らには、私は悪役の張本人。それでも残ってくれただけで、 充分であった。 さて、どれから手をつけるかである。 地元銀行の北銀と大光相互は、義兄に感化され、倒産寸前と判断していた中、 メインを北銀から、当時の都銀の「太陽銀行」に変更。これは、私と実兄の仲人 をした営業担当で、この一連で相談にのってもらった因縁から。会計事務所も、 税理事務所から、会計事務所に変更。実感は、生まれ育った商家の真っ只中に、 20年ぶりに落下傘で舞い降りたような不思議な感覚。 数ヶ月もしないうち、 全てが面白くなり、水を得た魚のようになっていた。そこは10歳まで生活を していた生家。火がつくのは当然といえば当然。4年半後、役割が終えての 自らの総括は、達成感では、120点。 ジャスコ、千葉、長岡、新潟も、 「引き(時)」であった。(新潟は、最後の最後で、引きが、遅かった?) ・・・・・・ 4476, 閑話小題 ーオノマトペ 2013年06月18日(火) 6月11日のNHKの情報番組「クローズアップ現代」で、「にっこり」「ドキッ」 などのオノマトペの魅力を取り上げていた。擬声、擬音語には、その背後の豊か な情報を伝達する力があるという。 ーNHKのHPによるとー ≪ 「ぐにゃり」に「ほっこり」。「ぱみゅぱみゅ」に「じぇじぇじぇ」。 今、私たちの身の回りでオノマトぺ=擬音語、擬態語が急速に増えている。 放送では、 * トップスポーツの現場から。「“べちょべちょ”」「“ぬめぬめ”」 * 新製品の開発を模索する企業でも。「“ガシガシ”」 * ロボットの人工知能の研究現場まで、“どどどどっ” と熱い視線を集めているのです。人を引き付ける理由は、オノマトペが 持つ音の爆弾とも言われる、“ドキッ”とする力。オノマトペは、普通の言葉 とは比べものにならない豊かな情報量を持っていることが明らかになった。 言語学者は、「普通の言語では、そぎ落されてしまったものが全部、オノマトペ の中に引きずり込まれて凝縮する。」 大手コンビニチェーン 広報 「“もちっと”ホットケーキや、“もちもち”くるみパンが、人気があります。」 商品名に、“もちもち”と付けると、売り上げが5倍に増える。そんな都市伝説 のようなうわさが、駆け巡っているという。大手コンビニチェーンの広報では、 「“ふんわり”とか、“サクッ”としていない商品は、比較的“もちっと”。」 おいしいを感じる言葉のアンケート調査でも、“もちもち”や、“もっちり” がどんどん急上昇する一方で、“コシのある”や“舌ざわりのよい”は、 “ひゅるひゅるっと”急降下。短く直感的に伝わるオノマトぺがランキングを 席けん。オノマトペは、“パキッと”堅いイメージのある国会でも増殖・・ ≫ ▼ 小泉元首相が、一言コメントで、国民の‘考えない層’の取り込みで世論を 巧く誘導したが、「一言実感売り手コメント」とも言える。ツイッターの発信は、 現場感覚のオノマトペのようなもの。スマートフォン、タブレットの情報端末も、 現場感覚のオノマトペを親しみやすくしている。早朝の信濃川の土手の、ある場所 で「あ〜あ、清清するな!」と独り呟いているが、これも、それか。 変わった スナックの名前に、‘ひとり静か’‘それから’‘そこ’‘どん底’などあるが、 オノマトペのニュアンスの店名が増えてくるだろう。で、「面白スナック名」と 検索したら、「まぬけ」「あくびちゃん」「夜光虫」「団地妻」「メロメロ」 「あんたが大統領」「スナックとしま」(池袋にある)「いい娘(こ)銀行」 「居酒屋どんぶり勘定」。 そこで考えついた面白いスナック名・・ {化け猫、寄生虫、からおけ音痴、娑婆娑婆、ここそこあそこ、ノミスケべイ}。 とっておきは、「ま、いいか!」以前、新潟駅前にあった? 「へっくしょん」「ずぼずぼ」「プッツン」も? ・・・・・・ 4102、私は完全な本 "日本の自殺"ー6を作った 2012年6月18日(月) * 危機は日本人の内部にある 日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によって つくられた精神が生み出したもの。戦後民主主義は自由、民主、平等主義の 上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出ているのである。 バブル崩壊、9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災 の影響をモロに受けてしまった日本は、ここで大きな試練に立たされている。 そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、更なる崩壊が進んでいる。 【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓ ◎共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現 ↓ ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失 ↓ ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体 というプロセスで進行した。 この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似 している。日本の没落の危険は資源問題や輸出市場などの客観的、外部的、物質的 制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的 条件のなかにこそひそんでいるのである。没落の真の危険は、日本人がこの危機や 試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦 しようという創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、日本人が 部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、長期の未来を 考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自壊していく 危険のなかに、存するというべきなのである。豊かさも便利さも、そして情報化、 都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く掲げて きたプラスの諸価値を含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを 伴わない絶対的プラスは存在しえない。自然科学と同様である。節度を越え、 調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。それは、資源問題、 公害問題を通じて少しずつ理解されている。豊かさ、福祉、自由、平和、平等など に実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉 国家は人間と社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義 と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的要因ではなく、むしろ内的 要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと 捉えることができるので、意思さえあれば対処可能なのかも知れないが、内的要因 については、まずもって自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることが できない、そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】 ▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿。 ここで、「この問題は決して克服できない問題でない」とあるが、結果として 果たして克服してきたか疑問である。問題は、ここに書いてあるとおり 「日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつある」ことである。 その上にグローバル化による価値観の多様化もある。 日本の自滅は文明の自滅でもある。
|
|
|
|
2017年06月17日(土)
* いま話題の「2k、4k、8kTV」とは何? 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。 その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、 視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。 〜ネット検索で調べると〜 ≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目 されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと 呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる 8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。 フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても 液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫ ― ▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。 同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」 と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、 これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで 関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、 今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、 納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。 8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」 が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に…
―――― 5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 2017年02月01日(水) * 冥途の土産に ・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの 録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月 経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に 秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。 決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、 やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。 奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。 これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、 何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 ・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから 終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に した世界に変っていた。 ・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される 力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。 ・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像 を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、 葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が 違う」と聞いた情報。 ・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像 世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では 圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。 「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」 ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった ためという。 ・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代 になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。
―――― 5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3 2017年03月05日(日) * 現在も驚愕の日々が続く 〜ドローンで空撮 昨年の秋に東京の葛飾に住む一回り年上のカメラマニアの従兄から、 「4kTVと、ビデオカメラが如何に素晴らしいか」を教えてもらい、寝室の 6年半使用のTVを少し早めに買換えた。当然、さほど余裕がない立場の身、 家内からの激しいバッシングを受けることに相成った。 従兄が語った 「私は進行ガンで老老介護の日々。生まれるのが10年早かった。ドローンに 8kカメラをつけて、名所の自然を空中から撮ってみたかった!」という悲鳴 に近い口惜しさが直に伝わっていた。そこで一月かけて、4kTVとは如何なる ものか、家電店を10回近く見て回った。特に「ソニーの‘ブラビア’は別次元 の世界に誘う。4kだが実際は8kに近いしろもの」という殺し文句を数人の担当者 から聞くことができた。 人間の視覚を遥かに超えた4k・8kの画面は、現地 で見るより数倍に視覚能力を持つ。 TV検索によるネットサーフィンで昨日、 行きついたのが、 <ハネムーンに400日! BBCも取り上げた日本人夫婦の仰天新婚生活>の映像。 そういえば、去年の暮れに話題になりワイドショーで取上げていた。 〜ネット検索によると〜 【 「一生分の夫婦の話題づくりをしよう」 そんな一言から、ある夫婦の壮大な旅路が始まった。関西国際空港から飛び 立った2人は400日をかけて地球を一周、48か国を巡った。2人は自分たちのこと を「ハネムーントラベラー」と呼ぶ。400日間の世界一周旅行は彼らにとっての 新婚旅行だったのだ。新婚旅行で世界一周というのもユニークだが、彼らの旅 にはもうひとつ独特な試みがあった。行く先々でドローンを飛ばし、世界各地の 名所の空撮映像をSNSで公開していたのだ。これをイギリスの国営テレビ局BBCが 報じたことによって、2人はいちやく有名人になった。千貴さんがネット上に アップした一連の動画の合計再生数はいまや1000万回を超えるという。 400日間もの旅路は夫婦に何をもたらしたのか、そして夫婦を旅にいざなった ものは何だったのか。2016年8月に日本に戻った。新たな生活を営み始めた2人に 話を聞いた。<ドローンから撮影した絶景はこちら> 】 ▼ 従兄も、これを見たのだろうが、写真マニアなら実に無念のはず。 私が50年かけて51回、合計延べ500日間、予算が3500万円。 この二人は、予算500万で、400日。家賃3万円のアパートに暮らし、徹底した 節約生活を送り、2年でこの大金を貯めたという。それにドローンに4kビデオ。 何とも羨ましい限り。プログラマ―のため、仕事で路頭に迷うことがないという。 2人の行先の多くが重なる… 毎日、真昼間から寝室に籠り、異世界に入り込む のも、変といえば変だが、それでも精神は異世界で羽ばたいている。 〜で、再び、文脈が、去年の同月同日の内容に続く。 ー――― 5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4 2017年03月06日(月) * 世界の絶景をドローンで空撮 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿 した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、 節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面 をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。 その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた 星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの 空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。 〜2人のネット記事から〜 【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、 これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。 「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。 世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の 写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が 近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。 それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」 いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ 2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した 映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、 BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。 ● 2人が旅から得たものは? ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。 例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略) 上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、 すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。 パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験 だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。 千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している 映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、 『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示 している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、 最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、 「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。 ― ▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。 この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの 進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代 からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の 受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。 〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。 ー――― 5835,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −5 2017年03月07日(火) < 体感!グレートネイチャー!「奇跡のビッグウェーブを追え! 〜アメリカ ハワイ〜」(BSプレミアム)2月25日21:00 * ビックウェーブのド迫力 映し出される映像の圧倒的迫力に魅入って自分に、「いい歳をして、何を しているのか?」の内なる言葉は軽く打ち砕かれる。ムササビスーツを着て、 頭の先にビデオカメラを装着してムササビのように滑空する録画や、大津波で 流される街の衝撃的映像を見るにつけ、魔物に憑かれたように冷静に見ている 自分に驚かされること屡々である。 大空に展開されるオーロラや、アフリカのサバンナの野生動物の生死をかけて 生きる姿は、現地でないと分からない。 が、現在のデジタル技術は、それを カバーするところがある。その一つが高さ20mのハワイの巨大サーフィン! 色々な撮影手法で迫力ある波間の一瞬を映しだす。ハワイには、様ざまな要素 が重ねって神秘的な大波が打ち寄せる! 〜NHKの説明では〜 ≪・ハワイ・オアフ島ノースショア。真冬になると巨大波が押し寄せる海岸線。 20mもの波はエメラルド色の分厚い壁。重低音を響かせて白砂のビーチで 砕け散る。取材班は熟練のサーファーとともに、巨大波を追跡。目の当たりに したのは高さ15m、5階建てのビルに匹敵する巨大な波。キラキラと輝きながら 刻々と形を変え、まるで生きたガラス彫刻のようにうごめく。 波の先端が丸まって円柱型のトンネルが形作られる「パイプライン」。 その内側の世界を熟練サーファーに取り付けた小型カメラで写し取る。 ・なぜノースショアには大きな波が到来するのか?ハワイ諸島の空と海を縦横 無尽に探索し、たどり着いたのはホットスポット型噴火によって点々と並んだ ハワイ4島の絶妙な位置関係。日本の嵐に端を発した波が、巨大波となって たどり着く奇跡的なメカニズムだった。今までのグレートネイチャーとは一線 を画す、清涼感あふれるエンターテインメント大作。巨大波が放つ圧倒的な 自然美をたっぷりと体感する。≫ ―― ▼ サーフィンに魅入られ移住してきた父親と息子。父がパイプラインの中を サーフィンする一瞬を撮影する。本人の頭にはカメラがある。その迫力ある 映像の世界は見ている者にも共同体験の錯覚をもたらす。去年あたりから、 メガネ型動画プレイヤー が家電店頭に並ぶようになったが、これが次世代の バーチャルの世界? あと10年、生きたくなってきたが… 3年間に圧縮可能? もっとも、今どきのハリウッド映画の世界は、バーチャルそのもの。 「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅言葉が あるが、毎週、異次元世界を見ているのに、今さら何を? …で、次は「パンプローナの牛追い祭」 その次は、「リオのカーニバル」 「イグアスの滝」「グトルフォスの滝」「イスラエル巡礼の旅」。 …行って 見てないが、「メッカ巡礼」の集団礼拝が面白そう。 <行ったつもりの世界異境の旅>のテーマがコンセプト? ―――― 5837,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −6 2017年03月09日(木) *「感激・感動・感謝」は一つの能力? 最近、考えたことは、<「感激・感動・感謝」は、至高体験などの積み重ねで つくられる‘能力’ではないか>という内なる問いかけ。感情の豊かさとは触媒に より立ち起ったこれらの感情の蓄積で培われた情念の質量ではないかと。 恋愛感情も、そうかもしれない。 毎日、飽きずにTVをみて、読書をして、 ネットサーフィンをし、毎週、シネマ館の映像に感激、感動する。これも知らず と感情を豊かにしているのでは?…と。今ではWowowなどで映画が無尽蔵に流され、 知らぬ間に大きく影響を受けてしまう。しかし、あくまで受動態でしかない… 人生を、この3つの感情の視点で振り返ると、如何に多く至ったことか。 どの場面で、それに至ったか? そこに、人生の秘儀があったような。汗と涙が、 そこにあった。これに至る前には、まずは「驚き」がある。いや、この感情の後 にもある? その結果、「これは何だろうという問いが立つ」ことになる。 触媒により「感激・感動・感謝」の激情が立り上り、触媒に対する「問い」の 積み重ねが、人生を前向きにし、豊かにする。それが18歳までに作られた壁に 気づき、乗越える原動力になっていく。 その壁の厚さの程度が「世間人指数」 の高い人。日常に圧し潰され、常識をそのまま信じて、疑いもせず一生を終える。 これを壊すのは、「感激・感謝・感謝」の積重ね。 これが脳をクリアーにして、 「バカの壁」の存在に気づく切っ掛けとなる。今では、TV画面を通しての触媒が 中心だが、それでも探しただけ、無尽蔵に『本当かよ!』が現れ出てくる。 この程度でも… まだまだ日々が面白い。明日のシネマ館は何をみるか? カミさんは数日前に??で「○○ショー」で、私は寝室でTV…。家庭内格差は 広がるばかり。「山は向こうから来ない、歩いていくしかない」のは分かって いるが、腰痛持ちの身の私は… ああそう、長年かけた4k8k並みの「感激・感動 ・感謝」の受信脳力がある。で、寝室で寂しくTV三昧。 迷う家内に、『直ぐ泣くときが来る。したいうち、出来るうち、今のうち』 と励ましている。 50歳代に「可能の限り、していて良かった」と実感する。
|
|
|
|