堀井On-Line



5896,『しあわせ仮説』 −4 〜愛は恐れを克服する

2017年05月07日(日)

           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 愛は恐れを克服する
 シリアスな話になるが、義務教育の終わる中学校のメンバーを思い浮かべると、
成績上位の2〜3割と、下位の2〜3割を比較すると、上位は両親が揃っていて、
比較的裕福あるのに対し、下位の人たちは、両親か片親を戦災で亡くなったか、
家が貧しい生活環境にあった。これは当人の責任ではなく、運命の問題になる。
ある程度、安全であればこそ、勉強や、遊びにも注意が向く。 逆に幼児の頃、
両親に愛情過剰な位に与えられた人を何人か知っているが、これは性格が強い。
絶対的愛情を親から注がれ育った人は、生涯を通じて、恐れを克服して勇敢に、
遊べる上に、何事にもチャレンジする傾向になる。愛着理論を、ここで紹介して
いるが、ネット検索をすると、以下のとおり。
≪ 乳幼児が、不安や不快などストレスを感じている状況で、自分の親など周囲
 の養育者に対して泣いて訴える、あるいは接触を求めて甘えるなどして、親密な
きずなを形成しようとする愛着行動に関する理論。英国の児童精神分析学者
ボウルビーが提唱したもので、動物に生来備わっている自分の生命の安全を確保
しようとする本能に基づく生得的行動により、自分の訴えや要求に答えてくれる
限られた養育者との間で愛着(アタッチメント)が形成されることがたいせつと
考える。愛着は1歳ころまでに形成されるが、訴えや要求に対する応答が密なほど
安定した愛着(安定型愛着)が形成され、小児期以降に安定した対人関係をつくり
あげる礎(いしずえ)となる。しかし、安定した愛着が形成されない不安定型愛着
では愛着形成障害を生じ、その後の心身の不安定や行動障害をもたらす。 
 ボウルビーは「愛着」の形成過程を次の四つの段階に分けている。
・まず生後3か月ころまでの第1段階では愛着はまだ形成されず、周囲の注意を
ひこうとだれに向かっても同じように泣いたりほほえんだりする。
・しだいに養育者とほかの人物を区別するようになる生後6か月ころまでの
第2段階では、養育者に対してとくに強く反応し、笑ったり凝視したりする、
あるいはあとを追うような行動もみられる。
・生後6か月〜2歳ころまでの第3段階では愛着が確実に形成され、養育者を安全
基地とし、そこからある一定の範囲で行動したり探索行動をおこして、ふたたび
基地に戻る。また、成長するにつれて自分の要求を主張し、実現に向けて執拗な
行動をとるようにもなる。
・3歳以上の第4段階ともなると、養育者との身体的接触を求めることは少なく
なり、養育者の意図や感情を理解し、協力して行動するようにもなる。≫
ー
▼ 中高校生の頃、同居していた甥っ子が、毛布に愛着を持つ依存症だった。
 今ではそれも、様々なキャラクターの人形があり多様化しているようだ。
職住一緒の商家だったこともあってか、幼稚園の頃、若い色白の女店員が、
対象だった?ような。なぜか魅かれるのが愛情豊かな長女系。で、生涯、支配
される我が身のような人生になる。人気番組の『家についていっていいですか』
で、都会の単身住まいの若い男の部屋に大きな人形があったのは驚いた。
都会の孤独地獄を癒してくれるそうだ。 私は、座卓の上に鏡を置いて、自分
自身と話していたが。それでも、様ざま寮生が1〜2時間は、部屋に来て談笑
していた。 考えてみれば、このブログも、そのようなものですか…

・・・・・・
5531,閑話小題 〜たかがプライド、されどプライド
2016年05月07日(土)
   * たかがプライド、されどプライド
 誰も心の奥底にプライドを持っている。それも中途半端な誇り。
それは中途半端に傷ついた経験しかないため。しかし何度も傷つき、立上がる
中で、中途半端な誇りの底が抜けて、虚無に通じていく中で、本物の誇りに
鍛えられる。若い時の誇りは、まだ柔でしかない。
 〜まず、「プライドとは何か?」を格言から考えてみる。
 ―――
☆ 「プライド」と「お金」だけは、何があっても守り抜くのよ
                ー朱子(ベニス)『君が主で執事が俺で』
☆ プライドだとか恥ずかしいとか、そんなつまらないことにこだわらないで、
 仕事も恋愛も、自分からどんどん扉を叩くの。そうすれば、もっともっと
 新しい扉が、開いてくるわよ  ー加賀まりこ
☆ 親はなぜ学校に行け、というかと言うと、行かないと子供の将来に
 かかわると思うから。しかしそういう親には、子供は学校でいじめられて
 死ぬほどつらい気持ちを正直に言えない。子供には、かわいそうなくらい
 プライドがあるから、土壇場になるまで言わない。子供が恥ずかしさを
 忍んで訴えたときは、ほんとうに追い詰められたときです。
 場合によっては、休学、転校してもいいんですよ  ー里中満智
☆ 女の想像をこえて、男はプライドに命をかけるものなの。
 むしろプライドに命をかけられない男は、男じゃないわ 
                   ービアンキ『REBORN!(リボーン)』
☆ 些細なことであっても、オーバーに感動してあげましょう。たった、
 それだけのことでも、相手のプライドや自尊心にかかわる一番の欲求を
 満たすことになるのです       ージョセフ・マーフィー
☆ 自信のない人ほど中途半端なプライドにしがみついて、謝ることができない。
 ここで謝ったら、自分の人格が全部否定されると思込んでいるのですー中谷彰宏
☆ 仕事へのプライドほど貴重な財産はない ーメアリー・パーカー・フォレット
☆ 僕は人の質を決定するのは、その人が自分にプライドを持っているかどうか
 だと考えている。他人に見せるプライドではない。自分自身への誇りである
                    ー連城三紀彦
☆ プライドを捨てるプライドを持て   ー作者不明(格言)
☆ 人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ
 事があります、と言い切れる自覚ではないか    ー太宰治
☆ 女の喜びは、男のプライドを傷つけることである ーバーナード・ショー
☆ 物事は万事「必死に打ち込んだ」経験が必要なんだよ。
 それが人間の誇りを支えてくれるんだ      ーいしぜきひでゆき
☆ 失敗は誇り。それだけリスクを冒したということだから 
                       ーベンジャミン・ローゼン
☆ 人生は決して後戻りできません。進めるのは前だけです。
 人生は一方通行なのですよ         ーアガサ・クリスティ
――
▼ 5年前の会社整理で深く実感したことは、リスクを冒さない人ほど、他者の
 失敗に辛辣になる。特に組織人ほど、それが強い。思いの外、平気だったのは
その大きさに比例した必死な打ち込みをしてきた実感があるため。 だから、
目先の心が折れても?魂までは折れなかったようだ。プラモデルと同じ。
創りあげ、軌道に乗せただけで、元がとれた実感がある。批判者のそれは、
その経験がないから、上っ面の批判になる。成るほど、「失敗は誇り」である。
挫折を重るほど、芯のプライドが強くなるのは、リスクへの恐怖を乗越えたため。
 ところで、軟弱なプライドも、最後の砦の中の拠りどころで必要ではないか!
  で、偶然だが、以下につづく。 成るほど・・
――――
5166,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜��
2015年05月07日(木)
   * 心は科学者か弁護士か
 心理学者いわく、《 真理にたどり着く方法は二つある。科学者の方法と、
弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し観察結果を説明できる理論
をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論から
スタートし、それを裏づける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けよう
とする。人間の心は、科学者と弁護士の両方で協力するようにつくられている。
つまり、客観的真理を意識的に探し求める存在であるとともに、信じたい事柄を
無意識に熱を込めて主張する存在でもある。これらの二つの方法論が競い合う
ことで、わたしたちの世界観は形づくられている。》
▼ 科学者が帰納法、弁護士が演繹法、と解りやすい事例で説明したもの。
これから引出されるキーワードが、判事。正・反・合の合である。居酒屋など
での誹謗中傷は、ヤリ玉の対象を酒の肴に、内なる科学者、弁護士、判事が、
掛けあいで肴に談義すること。心の中では、自分を正当化する弁護士が有利だが、
誹謗中傷では、判事が絶対優位に立つ。他愛のないものだが、それが、その連中
のレベルの内容で、そこの子狐の役回りが仕入れたネタに尾ひれはひれをつける。
それらをヘドロという。その意味では、城下町はドブ沼そのもので、そのガスは、
強力な破壊力を持つ。だから、近寄らないで、ここまできた。実は、そのガスで、
自分自身が殺されていることさえ分からないため、断絶の時代の中で、烏合の衆
として生きるしかない。その老いた醜悪が増長し、周囲を悩ます材料になる。
 そういう人たちの初老性鬱病(良い人仮面病)ほど哀れなことはない。何せ、
一生をかけて偽善の仮面を被り生きてきたのだから! 露悪でいくか、偽善か?
・・・・・・
4801,閑話小題 ー朝日新聞デジタル
2014年05月07日(水)
  * 朝日新聞デジタル版
 以前から、迷っていた朝日新聞のデジタルに加入。
現在のキャンペーン中に、申し込めば新聞代プラス500円の追加料金で済む
(平常は、千円)。別にパソコンで見る必要もないと思ったが気になっていた。
最低期間が半年で、月初めなら、その月が無料で7ヶ月間なら、試してみる
価値があると判断した。で、三日経ったが、これが正解。記事の一つを
クリックすると、そこだけがクローズアップする。更にテキスト記事に転換
可能で、スクラップも出来る。間違いなく、新聞紙を手にとって見るより便利。 
これがプラス500円ならお勧め。朝食前後に、一度、全体のページに目を通し、
昼飯か、夕食時に、印象に残ったところを、いま一度、目を通していたが、
スクラップは、ほぼすることはなかったが、これからはする!また、一日単位
でタブレットなどにダウンロード出来るので、ネット環境が無くても、持ち
運び見ることが出来る。 また家庭内の他のパソコンからも、手軽に記事に
目を通すことが可能である。現在の私は、書斎と寝室にいる時間が多いため、
何度も、気楽に、記事に目が通せるところが良い。実感で、読む時間が
今のところ、二倍になっているが、数ヶ月後には3〜4倍にはなるのでは? 
ページ一覧も可能で、一面、社会、政治、経済・マネー、国際、スポーツ、
カルチャー、オピニオン、などから、記事を拾うことが出来る。紙面が、
そのまま、ビジュアル化して見ることも出来る。 その文字の大小も選択
できるところも良い。紙の新聞を見た後に気楽に読むのに最適ということ。
これまで30分読むか読まないかだった、iPadか卓上なら、プラス30分ぐらいは、
読むのでは! 日中、居間と書斎と寝室のTVとパソコンの間を流離う身に
とって、紙聞紙の持ち運びから解放されるのは、大きい。加入を家内に告げると
、まず大きく拒否反応を示したが、これは何時ものコース。一番、これを
読むのは間違いなく、本人になるが、それが分かってない、何時ものコース。
今まで読まなかった、連載小説や、読者の声の、コーナーを早速、読み始めて
いる。新聞社も、紙面+デジタル版のカタチで生き延びようとするのでは。
月刊誌も、店売りの他に、宅配にして、デジタル版を100円+すればよい。
それなら「新潮45」か、「文藝春秋」を購入するだろう。 それにしても
デジタル版は良い! 他に、雑誌の幾つかが読み放題の「ビューン」に
入っているが、これも良い!
・・・・・・
4434, サードマン現象とは
2013年05月07日(火)
 母親が晩年になってから、たびたび「私には守護霊がいる。それは子供の頃
に亡くなった父親。何時も私を見守ってくれ、いざ何かあると、私を良い方向
に導いてくれる」といっていたが、気持ちの問題だろうと聞き流していた。
また先日亡くなった将棋の米長邦雄が講演で、「何時も父親の位牌を布団に
持ち込み、父に話かけていた」というのを聞いたことがある。 
 先日のNHK教育(PM7:00〜7:40地球ドラマチック)で、サードマン現象を
再放映していた 。これはジョン・ガイガー著「奇跡の生還へ導く人ー極限状況
のサードマン現象)をインタビューなどで編集したもの。で、その概要とは・・
◎ 9・11の世界同時多発テロで、ニューヨークのワールドトレードセンター
ビルに旅客機が二機衝突した事故で、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ
瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、どこからとも
なく聞こえた声に従い、突き進んで命を救われたとか。
◎ 多くの登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに初めて
 登頂したヘルマン・ブールを危機の中、励ました声。
◎ アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ、人類初めての単独飛行をした
 リンドバーグを支えた声。
◎ アメリカの宇宙士が極度の緊張の合間の休みに神のような何かの存在
 を感じたとか。生命の危険にさらされた苛烈な環境の時、自分を奮い立たせる
 声を聞く能力が備わっているというのが「サードマン現象」といわれ、その
「第三の人物」は、その極限状況を克服するために精神的な助けをしてくれる。 
 この現象は、かつて神や守護天使とか守護霊として受け止められることも
 多かったが、現在、それを人間の生理的・心理的機構が生み出した幻だとも
 いわれる。過酷な極限状態において発動する右脳の原始的?スイッチの感じ。
 知らない誰かや父親、自分自身、守護天使、などがそこに存在する感覚という。
 脳は危機的な状態や生命の危機が起きたり、体験すると「潜在的脳力」が働く。
 私たち人類の先祖は過酷な自然の中で、獲物を狩ったり果実を採取してきた。
 20万年前の人類の先祖は「サバイバル」の極限の中で、恒に「サードマン現象」
 が起きていて、これらの遺伝子が先祖代々受け繋がられ、現代人にも存在して
 いると、考えられる。以前は450年前の先祖の堀井宗親という仮身を、現在は
「地球の中心点」を擬人化した「球芯様」と、両親の霊を話し相手にしている。
 それは自分の魂の仮身である。 この「球芯様」、最近は、ヨガの最中とか、
 夜半のベッドで囁きかけてくる。それが、思いもよらない問いかけをするから、
 面白い。 また、幾つかの創業の時など、極限の状態に自分を置くと、何故か
 異常な力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力というか、底知れない力が自分の
 中心から立ち現れくる。原始的、動物的知恵と力で身体も心も浮いたように
 勝手に動き出す。誰にも経験があるはずだ。 以前、家内が世田谷と同じ面積
 のある、ポンペイの遺跡で、迷子になってしまった。それも日が暮れる直前。
 警察は来るは、遺跡のスタッフが総出で捜索に当たるは、現地ガイドと添乗員
 は、青くなって駈けずりまわった中、色々あって本人は一時間先にあるホテル
 に何とか帰りついていた。何かの折に書くが、いざとなると、異常な力が
 湧き出るということ。 サードマンを創って話相手も面白い、是非お勧め!
・・・・・・・
4060, 要は、受け止め方である!
2012年05月07日(月)
 人生、色いろ経験を積み重ねた後に過去を俯瞰すると、その行蔵はどうにでも
解釈できる。 ついてなかった人生としても、視点を変えれば、ついていた人生と
脚色出来る。受止め方次第で過去も現在も、そして未来も変わってくる。 
 中村天風は「全ての受け止め方を『積極一貫』にし、肯定的であれ!」と説く。 
人生は問題の山、その中心点が何か考えつくし無心に立ち向かうしかない。 
これからは、自分の人生を、どのように受け止めるかが人生の問題になってくる。
受け止め方を変えることは、行蔵の中の要素を仕分け直すことになる。それで、
これからの人生の方向を変えることになる。そのために記憶さえ変えるのが
人間の業。 それは行蔵の要素をどのように解釈するかになる。そこでも知識の
絶対量が必要になる。分別ない人間の身勝手な解釈では、ますます歪になろう
というもの。「運」があるか、ないかは、「運は自ら運ぶこと」と解釈すれば、
運そのものが意志の問題になる。運がない人は意志が弱いと解釈出来るというもの。 
「人生に起こったことは無駄のものなし」と、信じていれば、最悪のことも結果
としてプラス材料になる。 そうこう考えると無知は、それだけで罪の原因になる。 
知らなかっただけで、どれほど多くの失敗を重ねてきたことか。人類も私もである。
初めから自分のミッションを明文化しておけば、それが信念になり、途中経過の
失敗も成功も、受け止め方がハッキリしているので、ブレが小さく済む。 
おい方一つで、荷物も軽くなると、同じ。これからの日本は坂を転げ落ちる
ように衰退する。そこで何が必要か? 教育制度の再構築と、憲法改正。無理?
 ・・・・・・・
3694, 自己を見つめる −16
2011年05月07日(土)
  * 幸福について (不幸について) ー3  
            「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、
この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。・・略 しかし、そのために、
人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないで
あろう。というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や
障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 
格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 
実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、それなりの自己
集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 
けれども、いかに精進したとしても、非力で有限な人間には、完全な意味での
幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているという
ことは、まだなすべきことを残しているということと同義である。
なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、
欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 
その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、憧れにみち、その実現
状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、
目下は自分にその充実がいまだ与えられておらず、また、あらゆる意味での
完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、
そのまま、不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きている
かぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、与えられず、叶えられず、
許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】
▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、
 二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。その人によって大かれ
少なかれ、不平不満、神経質、我執、理屈を言い張る部分を持っている。
それが膨張すると、周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな
要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。それは血筋、家系にも
関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 
それを乗り越えるのが、人生。そのプロセスこそ人生である。そう割り切って
しまわないと、冷静に立ち向かうことができなり、破滅が待っている。  


5895、閑話小題 〜ゲントの祭壇画

2017年05月06日(土)

   * ゲント聖バーフ大聖堂祭壇画「神秘の子羊」
 去年春にベルギーの空港でテロがあった。その二週間前に到着、観光後の、
一週間前に出発したが、一つ間違えれば被害者になっていたかもしれなかった。
全日空がベルギーの直接便の就航を始めた直後のパリのテロのため、乗客が
激減し、ベルギー・オランダ、ドイツ、の何れの観光地も観光客は疎らであった。
その上にベルギーの空港のテロである。このツアーはパリのテロの直後で、
その数ヶ月前にもパリの美術館めぐりをしていた。そのため消極的だったが、
家内に引っ張られ鞄持ちのようについていった旅行だったが、内容は大当たり。
このコースは、欧州主要美術館巡りのゴールデンコースの一つ。
これまでは日本からベルギーへの直接便はなかった。 特に美術館が、どれも
これも非常に良かった。 その一つが、『ゲントの祭壇画』。
 〜ネット検索より〜 
《 ゲントの聖バーフ大聖堂にあるファン・アイク兄弟作の祭壇画「神秘の子羊」
 は、初期フランドル絵画の最高傑作と言われる作品。 15世紀に描かれたとは
 思えない。兄ヒューベルトの死後、エイクが制作を引継ぎ兄弟で完成した傑作。
・主題は開扉時下段中央に描かれている≪子羊の礼拝≫だが、上段部分、閉扉時
 部分に見られる細心綿密な写実描写など本作には特筆すべき点が多い。
・本祭壇画の開扉時下段中央に描かれている主題≪子羊の礼拝≫。
・ヨハネの黙示録に記される『諸聖徒日(天上諸聖徒と殉教者を祭る11月1日)』
 の場面を描いたとされる(拡大表示)。
・真紅の衣を纏い装飾的な玉座に座る、信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの
 中心となる位格・存在、キリスト教においての超越的絶対者の父なる神や、
 典型衣装とも云うべき濃紺の衣をまとう聖なる神の教典を読む聖母マリア、
 神の審判が迫ることを説き、人々に悔い改めの証として洗礼を施した、洗礼者
 聖ヨハネの描写は現実性を強く感じさせる、写実的描写を用いて描かれている。
これらの表現に画家の完成された(絵画技法的)技術と優れた才能を感じさせる。
なお開扉時の左下段翼部分≪正義の審判者≫は1934年盗難にあい行方不明のまま、
現在は複製画が入る。》
―
▼ 現地で初めて知ったことだが、この絵を見るためだけに、世界中から見学客
 が訪れている。特にスペイン文化圏で有名で、観光客のための直通の特急列車
が毎日出ているという。立花隆がガンになった時に、「死ぬ前にあの絵だけは
見ておきたい」と、わざわざゲントまで出かけていった逸話があるほど。
 ツアーに出るたびに、世界主要都市の美術館でシャワーのように、人類の遺産
美術品を浴びせられるように見続ければ、感動の質量の幅が拡大していく。
 これに地球自らが創り上げた大自然の美しさ。 神は、自分自身が創り上げた
姿を自ら見るために、人間をつくったというが、正にそのとおり。
 ゲント祭壇画も、それを感じさせる絵画の一つ。

 〜で、何時ものような偶然で、以下の脈絡として繋がっていく。
・・・・・・
5530,若者よ、外に出よ! ー� 日本には限界がある
2016年05月06日(金)
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 日本だけでは限界がある
 40歳前半までは、自宅に中・高の二人の息子がいた。そこで、行くところ
といえば国内の自動車旅行が中心だった。その二人が学園生活のため、上京
していったのを機会に、海外ツアー切替わっていた。その非日常の面白さに
惹かれたのが家内もである。一人では躊躇する秘境・異郷でも、家内と一緒だと
何とか行ける。また、非日常の中に家庭の日常を持ち込むのも慣れてしまえば
悪くはない。 夫婦してのホテルのレストランの朝食が何とも豊かな気持ちになる。
 学生時代の昭和42年に、大学の「海外旅行研究会」というクラブが企画した
『世界・30日の旅』の存在を知り、行ってはや、49年になる。当時の海外旅行者
は20万人。信じられない数だが、これがツアー観光の愛好者になる切欠となる。
何もかもが新鮮で、ただただ面白い経験だった。人生観が一変した経験である。
 なかにし礼の、以下の内容には大いに賛同するが、自分では書けない。
書けば上から目線が、露出する。 しかし、事実は事実である。
≪ 旅に出るならば1日でも早いほうがいい。自分の感受性が全部そこで
 晒されて、カメラにたとえるならいろんな映像を受け止めていることになる。
そのインプットは大きいものだ。そのインプットは日本にいてもできない類
のものなのだ。これは賭けてもいい。日本という国には限界がある。
刺激の限界だ。食べものだけ見ても、なんの刺激もない。それが日本の料理
だといえば、それは確かにそうだ。だが世の中の料理はそれだけではない。
「肉じゃがを作れる女性がいい」、とか言う男がいる。こういう人も旅行を
していない男と思う。世界の味を知らないからこうした面白くない発言になる。
 北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイにも肉じゃがはある。
それはスープという形で出てくる。肉じゃがの原型はビーフシチューだが、
これはさらにその原型だと言える。牛肉と芋が入ったこの肉じゃがの原型を、
現地の黒いビールを飲みながら食べる。これがうまい。明らかに元祖の味。
日本の肉じゃがよりも断然おいしい。だから日本は食事にしても、もっと研究
しなければいけないと思う。日本の文化は確かに素晴らしいものがあるが、
そこに踏みとどまって進化をストップしていい理由にはならない。・・(略) 
日本人のいいところはいっぱいある。創意工夫とか、細かいことに関する
こだわりとか・・ しかし、一方では何かにつけて「疑いを持つ」ことが
非常に罪悪視される環境になっている。それで画一的な価値観を植付け
られて、「肉じゃがを作れる女性がいい」などという頭になってしまう。
これではもったいない。
 だから若者よ、疑いを持つために旅をしなさい。
 そしていろんなものを自分にインプットする。
 インプットしたらさらに視野を広げて守備範囲を広げる。
 そうしないとインプットする内容も尽きてしまう。
だから何度も言うように、限りない欲望と探究心、好奇心を持ち続けないと
いけない。それは、夢という非日常の世界を見続けるためである。
寝たときにだけ夢を見るのでは寂しい。目醒めて、そこで夢を見るべきだ。≫
▼ 何度か書いたが、成田へのスカイライナーに乗って暫くすると、
「あ〜帰ってきた!」という妙な感覚になる。そこから非日常の刺激の強い
時空になるため、その蓄積が、磁石となって、旅を誘い、その非日常の世界が、
真なる時空、真実の自己であるような錯覚をもたらす。だから、別腹の
世界を自分の中に持っていて、暇な時間にトリップすることが出来る。
この現実世界に、世間の常識に対し、疑問を持ち続けることが出来る。
<目醒めて、夢をみることができる> 

・・・・・・
5165,閑話小題 〜一昨日で、まる14年になる
2015年05月06日(水)
  * 一昨日で、まる14年になる
 この随想日記を書きはじめて満14年目になる。その頃、通勤途中の長岡駅裏
近くにパソコン教室がオープン、渡りに舟で通うことにした。予め、「私の希望
は個人のHPを開設し、続けることと、ネットサーフィンを楽しみたいこと」
と、ハッキリしていた。丁度、ブログなるものが普及を始めた頃でもあった。
満14年となると、2001年5月で、9・11テロの4ヶ月前である。この頃から、
ブログが普及を始め、携帯電話の高度化も含めて世界が一変を始めた。
毎日毎日、傍からすれば、どうでもよいことを、飽きもせず、書き続けた
ものだが、あれだけ文章化が苦手だったのが、日を追うごとに面白くなって
いった。人間は、誰もが自分の話を聞いてほしいもの。書き始めると、周辺の
人が、毎日のように見てくれるようになった。そのため、力が抜けなくなる、
それが最大の効果と気づいた。それならと、読書日記などを中心としたHPと、
何気ない思いを書連ねるブログに、分けることにした。書き続けていると、
その積み重ねの効果が実感できるのが良い。それと習慣の力を実感する。
月に1〜2度、この数日もそうだが、書くテーマが思い浮かばなくなる。
しかし、習慣の力で、14年も続けていると、その乗り越えかたが、身に
ついていて、馬鹿力が湧き出てきて、普段より面白い文章が書ける。
次の目標は、あと6年の、まる20年間になるが、生きているかどうか?
とすると、まず来年のゴールデンウィークが目標になる。
 毎年、この時期には同じような文章を書いてあるのだろうが!
・・・・・・
4800,年金破綻報道の罠 ー�
2014年05月06日(火)
        <世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>
                 ー細野真紘 (2014年の論点100)
  * 基礎年金と、厚生年金と、老後の預金
 あくまで年金は老後生活の資金補助の位置づけ、とは知らなかった。
まず、老後の預金に、基礎(国民)年金が加わり、最後に厚生年金が加わる。
これを40年にわたって、かけてきたかどうかで、既に老後格差が、ついて
しまっている。父親の代から、連れ合いに別立てで給与を与え、健康保険と
厚生年金をかけるのが当然のようにいっていた。それは私の知識・知恵ではない。
 ー以下の部分は、年金を分かりやすく要約してあるー
《 ◎ まず国の年金は、大きく2種類があるのです。 1つ目が「自営業者」の
 「国民年金」です。中小業者は定年がないため、60歳以降も収入を得ることが
 できます。そのため、年金をもらうための保険料は(会社員などと比べると)
 安くなっていて、給料を預貯金に回せる割合が多くなっています。その老後
 にもらえる「国民年金」は満額で月6万6千円程度。つまり「自営業者」の
 ための「国民年金」は、「弁当」でいうと保険料を安くして、老後は最低限の
 「お米」だけもらえる位置づけで、「おかず」については60歳以降に働いた
 お金で買ったり、それまでの貯蓄で買ったりできる。
◎ その一方、「会社員」の場合は定年退職のため、定年以降は、収入を得る
 ことが難しくなってしまいます。そのため、会社員の場合は、現役時に(自営
 業者よりは多めに保険料を払うことで、国から「厚生年金」を死亡するまで
 受けとれることになっているわけです。これは「弁当」でいうと、会社員は
 定年があるので、現役時に(自営業者より)多めに保険料を払い、引退後に
 死亡するまで、国から「おかず付の弁当」をもらえるようにするものなのです。
 その「厚生年金」は月16万円程度となっています。合計で22〜3万になる。
 ちなみに、公務員の場合も会社員と同じ定年制になっているため、「共済年金」
 は「厚生年金」と同様に「おかず付の弁当」となっています(厚生年金と共済
 年金は分ける必要性が乏しいため、一元化する方向に向かっています)。
◎ 今では日本は「世界一の高齢化率」で、世界で最も65歳以上の割合が多い国
 となっています。そして、国の年金制度は仕送り方式なので、「将来は年金が
 もらえなくなる」という声がよく聞かれます。そこで、「現在の少子高齢化で、
 年金は破綻する」という論を考えてみましょう。まず、日本も含めて世界の
 先進国では、基本的に国の年金は、個人が自分のため蓄える「積立方式」
 ではなく、現役世代が高齢世代を支える「仕送り方式」です。そのため、
 テレビなどでは図表を使い、もっともらしく"年金破綻論"が展開されている。
 「今の年金制度は仕送り方式で、2010年現在では現役世代2・6人で高齢者1人を
 支えている騎馬戦型が、高齢化のピークの40年後には現役世代1・2人で
 高齢者1人を支える肩車型になる。こんな仕組は破綻する!」 これは一見、
 もっともらしく思えますが、実は単純な「ひっかけ問題」にひっかかってしまう。
 まず、国の年金制度は「仕送り方武」ではあるのですが、この「仕送り方式」
 にも「ひっかけ問題」が潜んでいて、多くの人は「これまでの保険料が、
 すべて高齢者の年金に支払われている」と錯覚している。ただ、現実に、
 そんなことになってなく、かっての現役世代が多かった時の保険料については、
 きちんと今後の年金の支払いに備えて国が「年金積立金」として保有してある
 わけです。そして、なぜ日本ではこのように極端な人ロ構成になっているのか、
 というと、「団塊の世代」の存在などの特殊要因があるためで、そのため
 「年金積立金」も世界一の水準にまでなっているのです。さらに年金の財源は、
 保険料だけではなく、あくまで「国の保険の仕組み」なので、財源として
 「税金」も入っているのです。 》
▼ ネットで積立残高を調べてみると120兆円あったが、問題は多くが日本国債に
 ばけていること。また、年金支払に税金も含まれていることは全く知らなかった。
だから、さほど心配する必要がない? 私の場合、家内も厚生年金に40年近く
入れていたので、合計で税込で350万(税抜きで300万余り)。持出しが
家内の預金から年間で??万になるが、地方もあって生活には不自由はない。
欲しいものや、旅行も、外食も、現役時代に十分、楽しんだため、TV番組で
追体験をしながら見ていれば充分。 中小企業者や個人営業の場合は、別立て
預金は当然のことで、敢えて言うことでもはない!でも、周辺で、してない人が
多い? また、保険屋と証券屋に騙されていたことすら気付いていない? 
他人事ではないが。今さら年金の話題に熱中するようじゃ、B層もいいところ? 
まあ、面白いが!
・・・・・・
4433, 閑話小題ー次のグーグルの新製品が面白い
2013年05月06日(月)
   * 次のグーグルの新製品が面白い
 ニュースでグーグルの次世代端末「グーグルグラス」を紹介していたのを
Youtubeでみたが、これは面白い。メガネのフレームの上部だけの柄に
超小型カメラがつけ、視線が、そのままネットの生中継で世界に配信される。
見知らずの人の視線が、そのままリアルで見れる面白さは格別。これは視覚の
ツイッター。「カメラ、ビデオ」と発音すると、その機能が立ち上がり自動撮影
するという。これをグーグル・アースに繋げると、アフリカや南米のある地域を
クリックし、見たいシーンを打ち込むと、誰かの目線が現れ出てくるのだろう。
ジンバブエのバンジージャンプが見たいといえば、飛び降りる画面を生で見る
ことも可能に? 日本橋三越本店の客か、店員の目線のアクセスも可能になるはず。
日本で売り出されるのは来年辺りだろうが、これが当たり前になるとしたら、
まさにSF世界。 いや現在もそうか。他のメーカーも、こういう類の情報端末
が出してくるはず。情報端末の進化は止まることはない! 良いのか悪いのか?
   * 何歳まで生きたいですか?の質問に
 ある調査で、「あなたは何歳まで生きたいですか?」の質問に、60歳未満が
8・5%、70歳未満が15・1%、80歳未満が31・1%、90歳未満が54・1%、100歳
未満が60・9%、百歳以上が僅かに9・3%という。更に150歳以上は6・5%。
私なら、90歳未満と答えるが、酒の飲み過ぎで無理。それにしても意外な結果。
神様がいたとして、「幾つまで生きたいのですか?希望を重視しますから」と
問われたら、やはり90歳と答える。「寝たきりでも良いですか?」と問われれば、
躊躇する。元気が前提、いや絶対条件になる。死ぬまで10年間は、何らかの形の
介護を要するというから、80半ば?これだけ面白い情報が手軽に入手できる時代、
出来るだけ長生きしたいが、「生老病死」の苦痛を考えるとどうだろう? 
不摂生もあり、せいぜい7〜8年か。
・・・・・・
4059, つれづれに ーネット社会の現在
2012年05月06日(日)
  * 飲食店の漫画の棚 ーデジタル本の世界
 喫茶店や中華料理店のランチの楽しみの一つに、本棚の週刊誌か月刊誌を
読むことがある。 最近、店内に入ると、iPhoneかiPadで、その店が
契約したネット上の本棚にアクセスして色いろの雑誌を読むことが出来るという。
店は一月7000円を業者に支払えば店内のネットで雑誌が見放題になるとか。
よく考えるものである。前回、70冊の蔵書をデジタル化にするため業者に
依頼したが、先日、久々に、そのHPを見たところ、デジタル化した本を
月980円で見放題のサービスを始めていた。 漫画が中心とあったので、
契約はしなかったが、これも面白い企画である。現在、私が契約しているのは、
朝日新聞のデジタル版と、朝日、毎日の週刊誌など数十冊が読めるビューン。
朝日のデジタル版は月1000円の加算。ビューンは月480円。 もちろん
有料でアクセス出来るブログがあるが、写真集のデジタル本に有料でアクセス
出来るのがある。幾つか買ってあるが、次々に更新されているのが良い。
  * スマートフォンと、タブレット
 現在、スマートフォンが爆発的に売れているという。iPhoneが初めて
売り出された時に買ったが、画面が小さすぎて、インプットに戸惑って使いこなす
ことが出来なかった。そこで学んだことは、二代目以降の機種変更になってから
購入すること。それもあってiPadは、二代目のiPad2になってから買う
ことにした。スマートフォンが爆発的普及は、携帯電話が世の中を変えたように、
世の中を更に大きく変えるだろう。 それはゲームや、ブログ、ツイッターなど
書き込みや閲覧の端末にも使える。小ささが逆に便利な場面で有効になる。
電車や、車の移動とか、昼休みに何処にでも持ち歩けるからだ。何ども書いて
いるが、現在、普通の携帯電話とiPadを使い分けている。PCは居間の
TVの前と、仏間の書斎コーナーにiMac一台ずつ、とiPad、合計三台
を使っているが、その使い分けのバランスは非常によい。これに読書とTVと、
ペットのインコとくれば、お宅そのもの。図書館と、スポーツジムと、早朝の
ポタリングと、週二日の近くの店のランチで息抜きをしているのが日課。 
これまでのスリルとサスペンスのストレスが少ないのが、逆にストレスである。 


5894,本物の教養 −4

2017年05月05日(金)

         <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 日本のリーダー層は勉強が足りない
 平和ボケをした日本は、リーダー層だけでなく、国民全体の教養度が大きく
低下したようだ。島国のため同質が求められ、それが、思考能力を削いでいる。
「和して同じず」の諺があるが、現実には、それぞれの意見を持つことが、
不協和音とされ、全会一致こそ最善とされる。島国もあるのだろうが。
 ここも、目次そのままを繋げると、要約になる。
  ――
    ―目次ー
 謙虚でなければ教養は身につかない 
 「この人は面白そうだ」と思ってもらえるか 
 面白さの源は「ボキャブラリー」 
 「広く浅く」でなく「広く、ある程度深い」素養が必要 
 決定的に重要なのは「自分の意見」を持っていること 
 欧米の若者とはすでに大学の段階で差がついている 
 学生が勉強しないのは会社がそれを求めないから 
 「考える力」をつけさせる連合王国の教育 
 「学生には自国の没落をリアルに認識してほしい」 
 自分の頭で考えないほうが都合がいい社会 
 「終身雇用、年功序列、定年」の特異な労働慣行 
 世界標準では日本の企業幹部は圧倒的に低学歴 
 これまでと同じ戦略ではもうやっていけない 
 日本にはまだかなり伸びしろがある 
  〜要点を抜粋する〜
【 ライフネット生命を創業する前、連続して合計六年間ほど、主として
 外国人相手の仕事をしたことになります。そのときの経験で痛感したのは、
ほとんどがドクター(博士)、マスター(修士)である外国のトップリーダー
に比べると、日本のビジネスリーダーはなんと教養が不足しているのか、という
こと。日本の大学進学率は50%を超えており、先進国のなかでもそれほど低く
はないのに、実際に外国のトップリーダーと向き合うと、まったくと言って
いいくらい歯が立たないと素直に認めざるをえませんでした。
 グローバルビジネスにおける人間関係は、ビジネスの中身で決まると思われて
いるかもしれません。欧米は契約社会だから、なおのこと、互いにとって利益に
なる、いわゆるウィン・ウィンの関係を築けるかどうかがすべてで、それ以外の
要素が入る余地はないとイメージしている人も多いでしょう。しかし実際に、
グローバルビジネスの現場で重視されているのは、「人間力」です。
 ウィン・ウィンの関係というだけなら、ビジネスパートナーの候補はいくら
でもいます。たくさんいる候補のなかからビジネスパートナーを選ぶとき、
大きくモノを言うのは、「この人と仕事をしたら面白そうだ」という属人的な
要素です。欧米人には、同じ仕事をするのであれば、面白い人と仕事をしたい
という気持ちがとりわけ強いように思います。
「面白そうな人だ」というときの「面白さ」の源が教養ということになるわけ
ですが、具体的にはどういうことでしょうか。
 まず「ボキャブラリー」が挙げられます。日本語に訳せば「語彙」ですが、
ここでは、たんに知っている単語の数の問題ではなく、話題が豊富でさまざまな
テーマで会話ができるという意味で、「ボキャブラリー」という言葉を使ってます。
「引き出しの数」と言い換えてもいいでしょう。専門家の場合は対照的に、
「狭く、深く」です。グローバルリーダーの場合、どちらとも少し違っていて、
「広く、ある程度深い」素養が求められます。しかも、個別に「狭く、深い」
専門分野を持ったうえでの「広く、ある程度深い」素養なのです。
 たとえば、マネジャークラス以上であれば大半の人が大学院を出ていて、
ドクターかマスターの学位を持っています。それどころか、異なる二分野で
学位をとった、ダブルドクターやダブルマスターの人も珍しくありません。
さらに自分の専門分野だけではなく、文学でも歴史でも自然科学でも、あらゆる
ジャンルに、一定レベル以上の深い造詣を持っているのです。数学のプロでも
ある経済学者のピケティが、文学にも並々ならぬ造詣を示したのはまだ記憶に
新しいところです。】
―
▼ 読書の質量のベースと、経験の質量の総量が、その人の素養になる。
 その素養の範囲でしか、人間は理解できない。それは独りで、長年かけて蓄積
していくしかない。基本は独学である。学校は、独学のベースを教わるところ。
また教養という点で都会の方が遥かに、刺激の機会に恵まれている。今では
ネットで世界が繋がったが、生の現実社会からの刺激も濃厚で面白い。
 外(世界)は広く、内は深いことを知るには、外に出て、それぞれの
内側をしるしかない。山は歩いてこない。自分から行くしかないが…
  
(ある内なる素朴な質問)
:何で、分かったようなことを書いていて、こんなバカなの?
:バカは死ななきゃ治らない。バカと気づいてない人よりは、少しまし。
:としても、バカはバカ! 気づいてない人など関係ないだろう。ったく!
  〜で、以下につづく〜 
 
・・・・・・
5164,パレーシア 〜真実を語ること
2015年05月05日(火)
  * ソクラテスのパレーシア 
            〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 危険を冒しながら真実をかたること。これがパレーシアだが、とはいえ、
社会において、その実行となると難しい。このブログを書き続けていると、
己の程度を曝け出し、多くの人を揶揄し傷つけてきた。気遣っていてもである。
想定の対話の相手を、数年先の自分にしているが、後で読み返し、第三者の
目を想うと冷や汗が出ることしばし。しかし、飾っていたら、長続きをしない
ことを自分が一番知っている。 〜以下の箇所は、哲学の本質を述べている。
≪ ソクラテスにとって最も大事なのは、相手をやりこめることではなく、
 自分の魂を磨くことであった。そのために命懸けで対話を行った。
この営みは「パレーシア」(真実を語ること)と呼ばれている。パレーシアとは、
危険を冒しながら真理を語るという実践を意味するギリシア語。ソグラテスが
裁判の際に立ち向かったやり方が、まさしくこのパレーシアである。
 たとえ心の中で真理が発見されたとしても、「私が思う」だけでは、それは
パレーシアとは無縁なのだ。パレーシアを通じた魂の鍛錬こそ、命のあるかぎり
やめてはならず、見返りを求めることなく、純粋な熱意に発した無償の責務で
あり、かつ、個人の内面的な人生訓にとどまるものではなく、結果的には他者や
共同体にとっても有益なものである、と考えられた。それゆえ、政治家になり、
ポリスを統治し他者の魂を気遣いたい者は、まず自分の魂を気遣うべきである、
とソクラテスは強調する。自分を気遣わない者は統治者としては不適格なのである。
ここには、身の魂の鍛錬に専心することが、他者や共同体を気導つことよりも
優先されるいという揺ぎのない確信が表明されている。 ・・(略)
ソクラテスの対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための(もしくは
認めさせるための)技術ではなく、相手に「問いかけること」、相手の主張を
「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この
「聞くこと」のための手法という点にあったのである。何かを「知っている」
から語るのではなく、何も知らないか、もしくは何ごともよく分かっていない
からこそ相手から何かを引きだそうとする。パレーシアの原点はここにある。
それゆえパレーシアとは「実直に語ること」ではあっても、単に一方的に
「包み隠さず語る」ということではない。ソクラテスのパレーシアは、政治家の
ように多数者に向かって語るものではなく、密接な一対一の関係が必要である。
またこの対話は、自分が主役としてふるまうのではなく、相手の話を引きだす
ようなやり方で行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分自身に
ついて語ることになる。 ここで、注意しなければならないことがある。
率直に語ること、もしくは相手の言葉に耳を傾けることは、後にキリスト教文化
ならびに精神分析においては、「告白」という形態をとって展開され、あたかも
地続きのもののように理解されることがある。だが、この両者は異なる。
パレーシアにとつて重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(つまり
論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。≫
▼ 成るほど、飽きもせず、連日、書き続けているのは、いまここの私が、
 数年先の、いまここの私に向け話している実感があるため。そして、近未来
の自分の感想を想定することで、私自身を見つめることになる。これを公開
するのは、あまりに危険だが。また、公開しないと続かない弱さもある。

・・・・・・
5529,若者よ、外に出よ! ー�� 会話は、プチ礼賛から
2016年05月05日(木)
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 対話ならいいが、どうも会話が苦手で
 リタイア後、、新しい出会いの場が極く稀になった。スポーツジムとか、
数少ない飲み会の場で、話したことがない人との会話が出来ない。
学生時代に、カーネギーの『人を動かす』の <人を動かす三原則>や、
<人に好かれる六原則>などを読み、実践してみたことがあったが、
効果は抜群だった(後でコピー)。年齢とともに、これらを忘れていた。
 その一つが「プチ礼賛」の勧め。これに「ありがとう」の口癖を
加えれば会話導入は効果抜群のはずだが、何時の間にか脱落していた。
 早速、兄弟の49日法要で、久々に会った親戚との会話に「プチ礼賛」を、
応用したところ、会話が捗っていた。要するにリタイア後に、何もかも
メンテをすべきだったのである。 <会話は「プチ礼賛」でうまくいく>を、
ほぼ全文、コピペし、考える。会話は真実より礼賛に重きをおくべし。
対話は真実の交換、掘り下げということ。男は対話、女は会話が似合うが。
≪ 日常会話で必要な会話術とは、自己紹介に始まる。自分のことを、嘘を
 交えてもいいから、面白く話せるかどうか。自己紹介イコール自己表現だし、
相手に自分を理解してもらうのは一番大事なことだと思う。そうすると相手も
自己表現するから、お互いが理解し合える。そしてプチ礼賛をすること。
 パッと会ったときに必ず相手を褒める。これは、日本ではなく、外国の流儀。
外国では当たり前の常識になっている。周りがゴマをすっていると思ったと
しても、そんなことはかまう必要はない。たとえば、服を褒めるとその服を
選んだその人を褒めていることになるわけだから、「素敵ね、これ、いくら?」、
「1900円」、うわ1最高」と褒める。しかし、うわべだけの礼賛だと底が割れて
しまう。真実そう思うように自ら努力することだ。そうすれば顔に嘘は出ない。
なぜかというと、相手を喜ばせなければ話は始まらないから。
中には「服を褒めないで私自身を褒めて」って言う人がいるけど、よっぽど
ヘソ曲がりなんだ、そういう人は。さて、人を褒めるときにほかに何を褒めれば
いいのか。実はなんでも褒められる。背が低ければ低いことを褒めればいいし、
背が高ければ高いことを褒めればいい。出身地を聞いたら、「あそこは大好き
なんですよ」と言えばいい。最初は嘘が混じっていてもいいが、次第にその
気持ちが本当になっていくものだ。だから人に会ったら、なんとなく褒め、
逆に褒められたら褒め返す。これはゴマすりではなくて、会話の糸口なのだ。
会話の小ネタといってもいい。そこから本題に入っていくときに、お互いに
気持ちのいいスタートを切るための潤滑剤だと思えばいい。≫
▼ 褒めるだけでは、ありきたり。そこで、「プチ礼賛」まで、心から褒め
 ないと相手の心は開かない。礼賛すると、みるみる、顔つきが変わっていく。
そうは礼賛されないため、心の奥から褒めると、それが礼賛になっていく。
好かれる前に、まずは人好きにならないと! それにしても、オバちゃんの、
あのフレンドリーは見上げたもの。 まずは褒める、その手際の良さ。
 ――――
  =人に好かれる六原則=
1.誠実な関心を寄せる
2.笑顔を忘れない
3.名前を覚える(名前は、当人にとって、最も快い、
 最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。)
4.聞き手にまわる
5.関心のありかを見抜く(相手の関心を見抜いて話題にする。)
6.心からほめる(重要感を与える――誠意を込めて。)
4799,よくもここまで騙したな
2014年05月05日(月)
   「よくもここまで騙したな これが[人殺し医療サギ]の実態だ!
       ーいのちを奪いながら金を奪うワンワールド支配者」
            船瀬 俊介 , ベンジャミン・フルフォード (著)
 以下の内容紹介だけでも、この書の半分は言い尽くしている?
あのベンジャミン。これぐらいでないと、面白くないが、医者の世界では、
今さらのこと? こういう視点も知っておいたほうがよい。ー内容紹介ー  
〜医療を殺人ビジネス化した者たちよ! 化けの皮はすでに剥がれている!
◎ がん患者1000人殺して一人前!
◎ 日本の内科医は1人平均1000人のがん患者を殺している
◎ 命を奪う、カネを奪う!  医者は完璧に白衣の殺人鬼、白衣の詐欺師!
◎ 日本の近代医学はどこをほじくり返しても詐欺とペテンと強盗と殺人だらけ
◎ 欧米医療というのは基本的に軍隊の医療
◎ 足を切断や伝染病の治療には欧米医療はいいが、糖尿病とがんといった
  慢性病のときは絶対に関わらない方がいい
◎ 漢方も鍼灸も食事療法や整体療法も弾圧された
◎ マッサージ、カイロプラクティック、サイコセラピー、
  ホメオパシーも弾圧された
◎ 自然治癒力をサポートして病気を治す伝統的なテクノロジーは
  全部弾圧され、薬物療法だけが生き残った
◎ 伝統療法は、金融マフィアによって保険対象外にされた
◎ 強制的に保険料を取って、自分たちの息のかかった殺戮医療マフィア
  にだけおカネを回すシステム
◎ 医療の問題は上に行くとラムズフェルド、ブッシュ、ロックフェラー
  らに行き当たる
◎ 医者に金も命も投げ出す崖っぷち日本人よ! 今こそ、自分の脳を疑いなさい
◎ 薬漬け、検査漬けの放射線大量照射に生物兵器の毒物注入まで
◎ 抗がん剤は元々は廃棄に困った化学兵器の原料
◎ 失敗する医者ほど儲かる /治す医者は失業  
◎ 医療は世にも不思議な失敗報酬の世界!
◎ 一番高い抗がん剤ペグイントロンは1グラム3億3170万円する
◎ マイクログラムまで薄めて使っても1回当たり何十万円、
  利益率は何万%にもなる
◎ 白血病はがんではない。 団十郎を殺した!?マイロターグという
  白血病の治療薬は、1グラム4800万円
◎ マイロターグは投与した患者の90・5%が死ぬ!  
◎ 輸血は人命を助けていない、むしろ殺している!?
◎ お年寄りが死ぬとわかるとここぞとばかりに点滴、投薬をやる香典医療
 というのがある。稼ぎどきならぬ殺しどき!
◎ 「現代医学の神は、唯一人しかいない、それは死神である」と
 ベストセラー書籍『医者が患者をだますとき』の著者ロバート・メンデルソン
 はいっている!  だから病院が営業停止中には死人が減る!?
▼ 少し?過激に思えるが、何度か目を通すと決して過激ではなく、こんな
 ものと気づくはず。医者にすれば、見送りの手助けだが、患者からすれば殺人? 
更に言えば、人間ドックや、健康診断が一般的に行われているのは世界で日本だけ。
先日、週刊ポストの広告見出しに、ー「血圧147は健康値」の怪奇ーがあった。
《人間ドック学会が健康診断の基準値を大幅に緩和。他に「総コレストロール
199ー>254」「悪玉コレストロール119ー>178」「中性脂肪149ー>196」など、》 
「これを元に、それまで飲んできた薬は何なんだ?」の疑問が起きて当然。
この変更だけをみても「健康人」を「病人」にして、薬漬けにする利権の闇が
見えてくる。医療行政と製薬会社の利益のため、一般国民が弄ばれている図式が
透けてくる。昔、父親が高血圧で何時も気にしていたが、当時、年齢プラス90が
目安と言う。ところが、5年前に医師から聞かされたのが130。
『これも、いい加減なので』と、言葉を加えていたが・・ で、健康センター
で測ってみると125〜160の間で、平均すると140辺り。父から聞いていた数値から
すると、私は158が目安。140は少し高めだが、これで良しと思っていたが正解。
これからして、医者は偉そうにしているが、詐欺、たかり、殺人集団?
・・・・・・
4432,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −4
2013年05月05日(日)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート3:自分の小ささを客観視する道ー「1億7125分の1と、70億分の1」
今度は、時間――宇宙と生命の歴史1についてである。世界の人口からみれば、
私は70億分に1。宇宙年齢からすると、人の一生は1億7125分の1の存在。そう
考えれば、深刻に自分の生き様など考えることはない。その自分の枠組も
勝手な定義でしかない。自分など何ということはない。 やっと、それが
理解できるのが最期の最期とくる。そのことが分からないから、
「死ぬのが怖い」のである。 ー まずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ すざまじく荒れ狂うひずんだ宇宙の中の、オァシスのような地球。
 光速で拡大することこそが普通である宇宙の中で、あたかも静かに見える
特殊で局所的な世界。そこに偶然生まれた人の命。なんとはかなく小さく特殊
な現象であることか。生命の誕生は、今から40億年前といわれている。 
地球誕生から6億年経った頃。霊長類が誕生したのは、6千5百年前。
現生人類であるホモ・サピエンスが出現七たのは25万年前。中国その他で
文明が誕生たのが今から6千年前(から9千年前)。そういわれても、どれも
大きな数字すぎて実感がわかない。そこで試しに、137億年前のビヅグバン
を、1月1日の午前零時、現在を一年後の12月31日の24時にたとえると。
つまり、宇宙の歴史を137億分の1に短縮してみると―― 
・ビッグバンは、1月1日午前零時 ・地球誕生は、8月30日 
・生命の誕生は、9月15日 ・霊長類が誕生したのは12月30日午前
 6時26六分(新年まであと1日と約18時簡) 
・原生人類のホモ.サピエンスが出現したのは12月31日午後11時50分 
・中国などで文明が生じたのが新年まで14秒前 
・人間の命は、80歳まで生きるとして、0・18秒。宇宙の年齢の、1億
 7125分の1。ちなみに、宇宙の直径が274億光年、人間の身長が
 170センチだとすると、人間の大きさは、宇宙の大きさの1・44×10
 の25乗分の一というとてつもない小ささだ。それに比べ人間の一生は、
 宇宙が経た時の1億7125分の1。時間の差は、空間の差よりもはるかに
 小さい。これは意外な気もする。1億7125分の1とは途方もなく小さい
 とお思いかもしれないが、地球の人口は70億人。あなたの心は、地球上に
 ある人間の心の70億分の1に過ぎない。一億7125分の1はそれよりも
 約四十倍も大きい。意外と宇宙の中での人間の一生も長いという気がしないでも
 ない。とはいえ、宇宙の年齢を一年にたどえると、人間の一生は0・18秒。≫
▼ 前にも書いたが、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している
 可能性があると知って世界観が変わった。上記のことすら、問題にならない。
ケセラセラだが、当面、死ぬまでの生活もある。一日一回、このような壮大な
宇宙と、その中の自分を考えればよい。象を世界に、その皮膚の間に住む寄生虫、
70億分の1の自分。その象も、この宇宙からみれば、10の500乗の宇宙
からみれば、チリですらない微細の存在。だからこそ、生きているうち!


5893,『しあわせ仮説』 −3 〜素朴実在論と、純粋悪

2017年05月04日(木)



           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 純粋悪
《「純粋悪は、素朴実在論の究極形態である。これが、大半の長期的な
 暴力形態の循環の究極的原因である。無差別殺人など、その犯行動機で
よく言われる、
 貧困のせい、虐待のせい、格差のせい、環境のせい、etc...
そんな外的要因(不純物)が存在しない「悪」。そんなものが無くても
成り立つ「悪」。 純粋悪=完全悪を「純粋悪」という。》
《 哲学で、私はよく世界が幻想であるという考え方に遭遇した。それは
 深い意味がある。20年間道徳心理学を学んだ末に、理解できたように思う。
人類学者のクリフォード・ギアツは、
 <人は、自分が紡いだ意味の網目に吊るされている動物である>と書いた。
つまり、私たちの住む世界は実際には、岩や木、物理的な物体から構成されて
いるのではなく、侮辱や機会、地位の象徴、裏切り、成人や罪人で構成されて
いるのである。これらはみな、人類の創造ぶつであり、それなりに存在するが、
岩や木が実在するという意味では実在しない。 これらはバリーの
『ピーターパン』の妖精のようなもの。あなたが信じるときにのみ存在する。》
―
▼・個人も、集団も、その純粋悪に気づかない。北朝鮮が、この現状。
 素朴実在論は、この毒である「純粋悪」の汚染の自覚も持たない。
トランプ大統領も、金主席も、自分が素朴実存主義者という自覚がない。
世界を、日米韓を純粋悪のバイアスで見ている。(逆も言えるが)
目的は手段を正当化するが、そこからも「純粋悪」が派生する。
カント倫理学における 根本的な原理であり、無条件に「〜せよ」と命じる
絶対的命法に似ている。私は、我々は絶対正しく、「外の人」は、所詮は
旅人、時間が経てば消えていく。しかし、消えるのは? そう呟く人たち。
 9・11事件のテロリストの行為の理由を「私たちの自由への憎悪」と述べて、
驚くべき心理洞察の低さを露呈した。アラブ諸国の長年にわたる屈辱と怒りの
歴史から出ていることを、一概にした市民を大量殺戮にするに至った。
知識も知恵も経験も少ない私たちは、素朴実在論を述べ、「純粋悪」の毒を
吐くしかないが、そのことを少しでも自覚できるかどうか。そのためは、
独学でいいから自分の世界を広げるための知識と、新たな経験を必要とする。
・「純粋悪」もピーターパンの妖精のように、「素朴実在論者が、純粋に
悪と思っているなら、存在している」ことになる。 それで自分を縛り付けて
牢獄の罪人に押し込んでしまう。しかし、牢獄が全世界なら、知らないまま
消え去るなら、それはそれで人生の完結になる。全て、自分自身に言えること。
 
・・・・・・
5528,若者よ、外に出よ! ー�А‖膽�然との邂逅の衝撃を体験しろ
2016年05月04日(水)
               『人生の教科書』なかにし礼著 
   * 大自然との邂逅の衝撃を体験しろ  
 ーピラミッドという衝撃を体験しろー のテーマから、さらに世界を広めた
ー大自然の神秘の衝撃を体験しろー のテーマが浮かんだ。ピラミッドは人間の
創造物だが、自然の神秘と美しさは、大自然自ら創った作品。その神秘の衝撃は、
魂まで振動が直撃する。 大自然には、山脈、大平原、滝、氷河、大海原、天空
のオーロラなどがある。 世界的遺跡など人間の創造物に驚愕するが、手つかず
の大自然の創造物にも驚かされる。『大自然は、自らの創造物を見たいため、
記録したいため、人間を創られた』というが、成るほど、納得することしばしば。
その幾つかの内の一つがギアナ高地。 〜ネット検索によると〜
【ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア
時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が
知られている。現在の形になったのは6億年前】とある。生物としての何かの記憶
が蘇るような懐かしい不思議な感覚。それは、現地まで汗し、辿り着いたから
こそ、味わうことが出来る感動である。己は宇宙の微細な地球の、小さな存在で
しかない実感が、その時、現れ出てくる。「現象界」と、「理想界」が、そこで
だぶって存在しているような世界である。「生きてきて良かった!」の実感が、
感動の後に、訪れる瞬間である。山は動かない、自ら汗して山にいけばよい。
――
H0909
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。更にそこから
オリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が
広がっていた。インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。
そこより落ちる滝は多いときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で
一番有名なのが、世界最長の落差のエンゼルフォールである。
その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、麓より見上げた
滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。
ここでは生物の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。
そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
(H9.8/23〜9/)

・・・・・・
5163,「現象界」「理想界」とは何
2015年05月04日(月)
   * 「現象界」「理想界」とは何のことだろうか。
              〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 日常にある「現象界」と、頭に浮かぶ「理想界」とは、そもそも何だろう。
その辺りを、『哲学で自分を創る』瀧本行人著に、分かりやすい内容があった。
青年期の理想に燃えた時、現象界そのものが、輝いて見えていたが、現在では
自ずから大きく違って見えている。人生を振り返ると、現実世界は、まんざら
悪くもなかったし、幻滅するほどでもなかった。 〜まずその部分を抜粋
≪・当たり前だが、世界は、ある人間の意のままにはならない。しかし私たちは
 そのような世界を想像することができる。この想像した世界が「理想界」。
 そしてそれを可能にしているのが理性。
・「現象界」とは単純に、日常的に把握できるありようだ。普段見えている
 この世界、感じとり生きている日常、である。
一方、「理想界」は、むしろ日常から離れて空想したり想像したりする。
もう少しカッコよくいえば思索したりする中で現われる想念とでも言おうか。
現象界においては、人それぞれの経験によって認識対象が異なって把握される、
ということは、人種や民族、大人と子ども、男と女によっても、私とあなたに
よっても、それぞれ異なって立ち現われるということである。更には時代も
異なればまた別の様相を持つことになる。だが実際人は、言葉を使って、
いろいろなものを一つにまとめあげ説明することができる。それが経験である。
現象界には直接存在しないものを、言葉、概念、用語、カテゴリーによって
まとめあげることによって、それらはこの世に登場してくる。
カントのこのような認識論は、理想界への言及と平行に走る両輪であった。
実際彼の大学での講義内容は人文地理学や「実用的な見地からの人間学」が主で
あったが、彼は現在ロシア領となっている一商業都市であるケーニヒスベルク
から一歩も外に出ることなく世界の諸現象を語ることができた。そしてカントは、
このとき「理想界」という抽象的なものを打ちたてることによって、人類共通の
普遍道徳のようなものがありうる、という議論をも可能にした。この点が重要な
意味を持ってくる。 いずれにせよ、デカルトやベーコンが人間の理性は
無際限に活用しうると考えていたのと比べると、理性に対するこのようなカント
の線の引き方は、まさしく「批判」であった。つまり、「非難」ではなく、
「限界づけ」なのである。そう考えると、私たちが「敵」と認識する対象は、
それが「敵」であると思うかぎりは、「敵」でしかない。敵という概念にある
人物やあるイメージをあなたが付与した時点で、その敵は、現実にそこにある
対象となると同時に、あなたの想像の産物にもなる。・・ ≫
▼ 「現象世界を、言葉を使って、一つにまとめあがることが、経験」とは、
 分かりやすい。体験を時間の経過をして言葉とイメージを記憶として、残った
のが経験ということ。我われは、どうも現象界と理想界を、混同してしまい
がちになる。しかし、現象界の中での理想界を思い浮かべる視線も必要である。
世界は想像の産物の幻想・幻覚なら、「幻滅界」もあって然るべき。
ところで、秘境ツアーなどで世界の観光でみた光は、これまで経験した、
「理想界」や「現象界」を遥かに超えたものだった。理想世界は、想定内で
しかない。そのことを、まずは実感してみないと!理性、感性より至高体験。

・・・・・
4798,年金破綻報道の罠 ー��
2014年05月04日(日)
<世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>ー細野真紘(2014年の論点100)
   * 年金の根本的誤解
 これを読むまで、年金を根本的誤解をしていた。<「それで老後の生活は十分」
というものではなく、あくまで「老後の最低限の 補助」という位置づけ>という。 
そうすると、我われ国民が、ほぼ誤解していることになる。我家も、家内の預金
を取崩し、年金に加えて生活しているが、この根本の考えが間違いだった!
 ーその辺りからー
《 年金について、TVで次のような街頭インタビェーが出てきます。記者:
「あなたの年金で生活は十分ですか?」年金受給者の主婦「いや、月5、6万円じゃ
全然足りない。だから、仕方なく預金を取り崩さないといけない状態だ」
 このようなやりとりが、何の疑いもなく放送され続けているが、これに基本的な
「誤解」があると気付いている人はどれほどいるのでしょう? まず、この記者の
質問自体がおかしいが、そもそも年金は、「それだけで老後の生活は十分」と
いうものではなく、あくまで「老後の最低限の補助」という位置づけ。
だからこそ昔から人は、自分自身で貯金をするわけです。これは、特に、日本
のような「低負担」の国では必然的な行動の結果です。 さらに言うと、
インタビェーでコメントしている入も、誘導尋問に乗っかっておかしな発言を
しています。それは、そもそも貯蓄は「老後の備え」として貯めていたわけで
「老後に取り崩す」というのは、極めて当然の行動のはず。それなのに
「国に感情をぶつける」ように答えてしまっているのです。なぜこの「矛盾
だらけのテレビ報道」に対して、これまで誰も疑問を抱かなかったのでしょうか? 
これは、一言でいうと「社会保障に関する教育の欠如」に尽きます。つまり、
教育が全く機能しでいないので、視聴者が判断できなくなってしまっているわけ。
 では、どのように「国の年金」を捉えておけばいいのでしょうか。これは、
日本の年金とは「老後に国から死亡するまでもらえるお弁当」だと捉えて
おくとイメージもしやすいし、根本的な誤解も減っていきます。・・・ 》
▼ 弁当の飯とおかずの例えが,解りやすい。ということは、大部分の人たちは、
 老後は飯だけの生活が待っていることになる。ネットで中小企業の数を調べて
みると、【2006年で、420万社で我が国の企業数の99.7%を占め、中小企業の
従業者数は2,784万人で我が国の雇用の約7割を占めている。また、国民総生産の
約2割を占める製造業においても、2008年には、中小企業は48.4兆円と製造業
付加価値額の約5割を占めている】とある。そうすると、国民の多くの老後に、
決して楽ではない生活が待っているのが現実。それから考えると、少ない
給与の中で2割は別途積立など蓄財が必要になる。消費税の3%値上げや、
インフレターゲットなど、国民にとって、実際には、聞捨てにならないこと! 

・・・・・・
4431, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −3
2013年05月04日(土)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート2:直ぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道
                       (時間的俯瞰思考の道)
 人はいずれ死んでしまう。直ぐか、そのチョッと先かの差でしかない。 
で、悲観的になるか、楽観的になるか。誰もが楽観的の方が良いと思うが、
悲観も時に必要。ブラック・スワンが80年の人生に、必ず何羽かが舞い降りる。
思いもよらないことだらけ、これが人生。だからハリケーンや地震多発地帯
の住宅ではシェルターが必要。それを人生にも組込む必要性がある。
そのためにも悲観は必要。悲観のレールに楽観の列車で走れば良い。 
  ー次の箇所が面白い!ー
≪ 人生は絶望か、希望か?では、本質的には意味のない人生を、
 どう生きればいいのだろうか。 以下の二つの方向性がある。
(1)どうせ人生は無意味なんだから、はかなく悲しい、と絶望に向かう生き方。
(2)人生には定められた意味などないから、人生の足かせを取り去り、むしろ
 自由に人生をデザインし軽やかに生きていこう、とう希望に向かう生き方。 
 (1)と捉えるか、(2)と捉えるか・・ 
あなたはもともとお金を持っていなかったとしよう。ところが何らかの理由
で今は一万円をもっている。しかし何らかの理由で、そのお金はなくなる。
これをどう捉える? どうせお金はなくなるんだから、はかなく悲しい、と
絶望するか、たまたま一万円持っていると希望を持つか。これと同じ。あなた
はもともと生きてなどいなかった。ところが、何らかの理由で今は生きている。
しかし、いずれまた無に戻る。中島義道だったら「この世に自分の意志では
なく生まれさせられ、苦しみあえいで生きねばならないから、はかなく悲しい」
と絶望するかもしれない。 (1)型の捉え方だ。 
 しかし、見方を変えれば「なんと幸運なことに、何の因果か、たまたま、
生きているかのような幻想を一時的に手に入れた。なんてラッキーなことか」 
これが(2)だ。 つまり、人生とはあぶく銭。生まれる前には何もなかった。
ところが、何の因果か、宇宙ができ、有機物の塊が生物になり、それが進化
して、人間になった。その中の一人として、何の偶然か、あなたが生まれた。
生まれたての時は、何も考えなかったが、脳が成長・学習して今に至った。
これがラッキーでなくて何? あなたにとって、宇宙史上最大のラッキー
の一つ。死刑というより、恵みだ。信じられない、鮮烈な奇跡である。
そんな奇跡を楽しまずして、この奇跡が再び失われてしまうことにフォーカス
を当て続けるなんて、もったいない。それよりも、この刹那の偶然を、大いに
楽しもうではないかが、それが、(2)だ。
 一万円を得たこの奇跡的な現在を喜ぶか、その一万円を失う未来を憂うか。
その違いが(1)と(2)の違いだ。(1)は、いま一万円を持っていることから出発
しようとするから、失うことの絶望に向かう。それって近視眼的ではないか。
一万円を得たという既得権は、既得権。それは当然としておいておき、一万円の
維持にフォーカスしている。それよりも、人生をその始まりから俯瞰する視点に
立ち、もともとゼロだったものが一万円になったこの人生のあぶく銭を楽しもう
ではないか、というのが(2)だ。 視野が広い。 ルートと関連付けるなら、
今一万円を持っていると思っているのは、幻想だ。本当は持っていないのだ。
誰かが「自由に使っていいよ」と言い、そっと貸してくれたのだ。
このラッキーな一万円を、幻想だと知りながら、ぱーっと使おうではないか。 
そして、なくなったら、なくなったとき。くよくよしたって仕方がない。
もともと持っていなかったのだ。・・・ ≫ 
▼「要は生のラッキーを楽しみ、死の恐怖を超越すべし」からすると、
 この辺りを理解してないと人生を誤る。それを教えるのが親の務めである。
必要なのが教養。生まれたときからの環境などが備わっているかどうかもある。
幸せな家系は幸せに、不幸な家系は幸せになる傾向が強い。26歳で千葉で、
34歳で新潟駅前で創業を決意をした時、特に新潟駅前の時は、500%の成功する
だろうという確信があったが、兎にも角にも、何にも知らない業種。土地の時価
を含めて当時の私の能力からして、やはり博打。魂が震える思いである。
で、自然考えたのが、上記のこと。「せっかく与えられたチャンス。もし失敗
しても、全てを失っても後悔はしない」と!だから現在、さばさばしている。
  万一の備えはしていたこともあるが・・ 人生も、「ご覧のとおり、
そのまま結構!」と、開き直りか。 日々是口実!

・・・・・・
4057, 随想日記も12周年
2012年05月04日(金)
 11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。
旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとにアップしていた。12周年
を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、
ここまで続けることが出来た。内容はともかく、「自分に納得できる文章に
すること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、
手を抜いた文は少ない。 大相撲、全日本柔道選手権、新年とか殆んど欠かさず
同日に、同テーマの感想を読むと不思議な奇妙な感覚になる。読んでいると、
変わらない自分と、変わってしまった自分に気づくことがある。ここまで書き
ためると自分自身の墓場そのもの。飾ろうにも飾ろうとしている自分が現れ出る。
従って正直に書くことになるが、それが人を大きく傷を付けてしまう。
言葉の力は大きい。大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象
と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに
気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、脳から文として出し、
吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し
11年分の自分に出会っているが、そこに自分の小さな歴史をみている。 
もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思う
ことさえある。 実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かった
こともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら面白い断片が
数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。
このシリーズは心底では自分に120点。だから逆に書き残さなかったのが
良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・
また人を傷をつけるのか? 毎日、書き出す習慣も慣れるとゲーム感覚になる。 
ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。


5892,『しあわせ仮説』 −2 〜素朴実在論と、純粋悪

2017年05月03日(水)

          『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 素朴実在論
  〜まずは素朴実在論をネットで検索すると
《 素朴実在論とは、実在論の一形態で「この世界は、自分の眼に見えたまま
 に存在している」とする考え方。子供などが持っている素朴な実在論である。
また大人などでも、哲学を学んだことがない一般人が抱きがちな実在観である。
この実在観の例をあげると、例えば、木の葉を見て、ミドリの葉が実在している
と思ったりすることである。 素朴実在論が哲学者によって未熟だと烙印を押さ
れるのは、一つには、上の木の葉の例で言えば、木の葉は夕日の中や薄暗がり
の中では黒かったりし、ミドリ色として決まっている木の葉があるわけではない、
ということからでもある。
 人間は素朴な状態なままだと、自分が肉眼で感じられた内容をそのまま存在
すると信じ、反対に、見えないものは存在していないと思い込む傾向がある。
また人は素朴な状態では、物というのは他の物とガツンとぶつからなければ動き
に変化はないと思っている。デカルトの渦動説にはそうした素朴な考えの影響が
あるということは科学史家が指摘している。また、ニュートンが万有引力を提唱
した時、同時代人がそれをオカルトだと呼んで非難したことには、「自分が
感覚器で感じられるものは実在しているに決まっており、反対に 自分の感覚器
で感じられないもの(見えないもの、触れられないもの)は存在していないに
決まっている」とする素朴な考え方を無自覚に持ったり頑強なまでに信じ込む人
が多い、という背景がある。今でこそ知覚できないことであっても実在している
ものはやはり実在しているのだ、という見方は知識として一応普及した。
だが現代においても人というのは、普通の人も科学者もしばしば、自分が知覚
できるものだけが知覚したように実在し、知覚できないものは実在していないに
決まっている、と素朴に思う傾向がある。》
―
▼ 「世界平和と、社会調和の最大の障害」が、素朴実在論である。
 それは、容易に個人レベルからグループレベルに拡大するため。そして、
それが「純粋悪」を生み出す。新潟駅前に事業の場に、長岡駅裏に住居にして
31年間、二つの都市を知らずと眺めてきた。そして現在、6年、長岡に住んでいる。
生れた地で生活をするに、深入りをしないことを基本にしてきたが、これが正解。
城下町は、素朴実在論そのままの世界。その根幹を成すのが、「純粋悪」の共同
幻想のドブ沼。その中での集団的残虐性は、漫画的ですらある。素朴実在を理解
すれば、それはそれで生きやすい。永年かけて作り上げたユートピアを守らんが
ため、理想的生活を追求するに異質のものを排除するには、徹した「悪人狩り」
が行われる。それは永年かけて作り上げられた世間様という根深いバイアス、
「純粋悪」にまで研ぎ澄まされているため、その影響は測り知れない。
とはいえ、所詮は素朴実在論の世界。問題は、そこから出たことがない人の比率。
 北朝鮮を悪例?とみれば、素朴実存論そのものの世界。ドン様と、その一族と、
取巻きのユートピアを脅かす不届きもの日米韓。少しでも反対でも唱えれば、
暗殺か、収容所へ。そして素朴実在論のトランプと金様が、その犠牲を顧みず、
お陰様で、全面戦争の危機に立っている。 

・・・・・・
5527,若者よ、外に出よ! 〜�Α.�ースト制のインドを知る
2016年05月03日(火)
 学生時代からインドのカースト制の露骨な差別社会を聞いていた。
で、あまり行きたくない国だったが、ペルーの山中で、軽い高山病になって、
三人が途中でダウン、一時間ほど仲間の帰りを待つ間に、互いに行ってない
旅行先の情報の交換をしたが、その人のお勧めが、インドだった。
『あまり気がすすまない』という私に、『もし、旅行道という言葉があると
すれば、インドだけは欠かしてはならない!』の言葉が、妙に説得力があった。
 当時の会社の取引先に‘一人旅’が好きな人が二人いたが、そろって、
インドの素晴らしさを話していた。「学生時代にガンジス川の日の出をみて
人生観が一変してしまった」話が、妙に頭に残っていたこともあり、インド行き
を決めたが、成るほど、そのとおりだった。妙に懐かしさは仏教国の為だが、
湧き出るような群集と、牛と乞食などが、街中で屯した雑然とした社会の
真っ只中に投げ出された感覚が、これまで経験したことがない世界だった。
 ー まずは、帰国直後の旅行記の幾つかをコピーする。
http://news.sina.com.cn/s/p/2010-08-23/074820954155.shtml
――――
2002/10/30
ある逸話ーインドで見たこと

インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本を
つきながらやって来た。素足で身に付けているののはパンツ一枚である。
それで飛行機に乗ろうというらしい。急を聞きつけた警察が数十名が周りを
取り囲んだが誰も手を出せない。空港の制服の女の人が間に立って説明をして
いるが、どうしても折り合わないのだ。パスポートも持たないでパンツ一枚で
国際線に乗ろうとしているのだ。

恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。
大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。状況から、恐らく「神の指示で
乗れといわれたのに何故乗せぬ!」と言って、強引に搭乗しようとしている
ようであった。最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を
最後まで見せ付けられた出来事であった。

インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と
街を我が物顔で歩いているのだ。宗教上で神聖な生き物なのだ。

以前にも書いたが、20%のある階級は餞民で人間とみなされない。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。同乗した車が餞民を轢き逃げしたが、
その後新聞でも何も載ってなかったとか。轢いた本人も犬を引いた程度
としか思ってなかったのに驚いた、と書いていた。まあ凄い社会である。
一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。

*4年前に書いた文章をコピー。
――――
 H1011 インド旅行記 ー私のみた北インド 

“インドとは...”など滞在一週間のツア−では表現できない。
面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
� 汚く、臭く、多種多様な人種、動物が“ごった煮”されている国であった。
映画の“深い河”や二本のTVドキュメント、本は五冊読んで実際行ってみて、
ここまで貧しく、奇異に感じるとは!

� 大部分がバスの異動であったため、点というより線でインドを見れた。
“街の生活”や“田舎の街道”よりみた地域ごとの暮らしが印象に残った。
小さな節穴より垣間見た程度であったとしても沢山の事を見て、
感じ取ることができた。

� ヒンドゥ−教の聖地ベナレス。生まれて初めて見た“美しい日の出”
その日の出がガンジスに反射する陽光!そこでの聖なる沐浴の光景!
三千年前とほぼ変わらぬ宗教的行事という。その岸辺での火葬の情景!
帰りの道すがらの物乞いの一団。ふと気づくとライ病の集団に一人囲まれていた。

� インドの2/3が最下層に属し、ほぼ乞食に近い生活をしているといって
オ−バ−でない。野良犬、野良牛、野羊と全く同じ感覚で一緒に生活している。
日本の80%が中流意識とは対極にあるといってよい。
帰ってきて今でも日本が逆に奇異にさえ見えてきた。
−完璧すぎる平等と潔癖症。そして豊かさが。

� インドはヒンドゥ−教とカ−スト制を抜きでは理解できない。
おおよそ4階級に身分制があり、皮膚の色により白系(一億人)、
赤系(一億人)、黄色(一億人)、黒色(四億人)に分類されている。
我々が街で目にするのは最下層の人たちが主で、動物並みにしか上層の人より
見られておらず、本人達もそう思いこんでいる!
(ヒンドゥ−教の教えがその裏付けされている)。
白色ほど身なりがキチッとしているのは私達でさえ判断できた。
レストラン、ホテルなどそれぞれ決まっており、決して違う層は入れない。

・・・・・・
2007/08/15
2325, ベナレス −1               
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と
文章を中心に構成されている。実は数年前に、この番組をみていたのである。
本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
 ーー
著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」
 ―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
<その内容の一部を抜粋してみる>
 −−−
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、
ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。
「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。

全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために
屋根から降ろされ、人びとの手によって担がれ火葬場へと向かう。
「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)
担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。

聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートは
ガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと
伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどで
あろうか。焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで
十数体の遺体がいちどきに焼かれる。

ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、
 このマニカルニカー・ガートである。
運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中ほどにあるガンジス河へと
つながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。そして組み上げられた
薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。茶毘は伝統的な方法で行われる。
亡くなった人にもっとも近い親族の男性が喪主を務め、基本的に女性は
火葬場に立ち入ることはできない。喪主は、マニカルニカー・ガートに
ある床屋で髪の毛やひげをそり、白い装束を身に付け身を清めた後、
自分の父親や母親の亡骸に最初の火を自らの手で灯すのだ。

遺体が燃え尽きるまでの時間は、おおよそ二時間。
その間遺族は、焼かれて行く遺体から五、六メートルほど離れた場所で
肉体が消滅して行く姿をじっと見守り続ける。目の前にはガンジス河が流れ、
煙は何物にも遮られることなく空へと昇って行く。
聞こえてくるのは薪がはぜる音、人びとのささやかな声、
そして、遺体がまた運び込まれたことを告げる
「ラーム・ナーム・サティヤ・へーレ」という声である。

しかし、なぜこの街には、インド各地から遺体が運び込まれてくるのだろうか。
この疑問に対して誰もが"何故、そんなわかりきったことを聞くのだという
ような顔をして「この街で茶毘に付されれば必ず天界にゆける。そう信じて
いるからだ」とこたえてくれた。
ヒンドゥー教では、人生は「生老病死」といった苦しみに満ちていると
考えられ、そして生まれ変わるたびに、その苦しみを味わわなければならない
とされている。この考え方は、仏教にも影響を与えた「輪廻」という思想。
この「輪廻」の輪から抜け出ない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。
こうした考えを信じる人びとにとって、ベナレスは生きることの苦しみ
から抜け出させてくれる救いの場所なのである。
遺体が焼かれた後、遺灰は目の前のガンジス河に流される。
最後に喪主の手で残された遺灰にガンジス河の水がかけられる。
こうして死者との別れの儀式は終わる。
ーー
以上のような文章と、写真が半々位で本が成り立っている。
しかし、読んでいても暗さがない。
いや、あるが、その先に明るさを感じるのである。
本の写真に死ぬ直前の人や、死んだ人の顔が次から次と出てきても、
何故か静かに見ることができるのである。
死を、ことさら大げさに見ることの方が寧ろおかしいのである。
                        つづく
・・・・・・
2007/08/17
2327, ベナレス −2
           。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、実のところ
ホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけ
ショックであった。ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・
マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、そして古代から現代
までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。

その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。
ガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。
そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。

この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。
生死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。
それが日本とは対照的なのである。
人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、老齢になった
ことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる
前に移り住む人もいる。

この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、
深さを増している。インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。
また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。
なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。
ここは死者の為の街であり、その準備の為の街である。

ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、
「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。
この街が私を呼んだのだ」と答えて、平然としている。彼らにとって、
ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、
その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。
 死が喜びとは!素晴らしいではないか!
                   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・
2007年09月08日
ベナレス−5
  ー多様なるインド世界ー
インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。
これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。
そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。
多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。
古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀
頃に相次いで生まれた。紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には
唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。
またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も
十五世紀に興起する。
ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のような
ものである。兄たるヒンドゥー教は古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、
そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。一方、弟の仏教は
そういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは
十三世紀にイスラーム教徒の仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。
仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では
現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。
庶民は心の底から平和を祈っているのである。
ーーーーー
解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民
との混血が、自分達の存在を脅かすと考え創った物語が三千年の時間をかけて
白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれ交わることなく現在に至って
いる。そして、今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。
人間は平等です? そんなことは有りえない!それはあくまで奇麗事というを、
インドの社会が正直に露出している。考えてみれば平等などあるわけがない。
それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。
優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。

・・・・・・
2007/04/16
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
          おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。その一つが交通事情。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から
正面に向かってギリギリのところまで迫ってくるあわや正面衝突!と、
思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、
国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。

慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では、
誰も前の席に座りたがらない。沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、
インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの
断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
ーベトナム交通戦争ー       (略)

・・・・・・
2006/08/30
1975, 写真家はインドをめざす
              ー読書日記 \(^▽^*)おは!                     
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、
この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。
この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。
読めば読むほどに何とも魅力のある本である。いや本が魅力がある
というより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。

カルカッタのマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。
路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、せめて屋根の
ある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を
冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。

インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7〜8頁の文章と、
10枚位の白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、
ここまで優しく鋭く人の心を捉えるのだろうか? 恐らく、一瞬の被写体
の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。


5891,『しあわせ仮説』 〜心の「象と象使い」

2017年05月02日(火)

             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著  
 象に鎖を繋ぐと、何度か抜こうとするが、駄目と諦めると、二度と引こうと
しなくなるという。人間も、現象として見えないが、似たようなもの。ここで、
「象と象使い」の例えを、「本能と理性」「意識と無意識」などに例えている。
しかし、この象が本当に何をしたいかと思ったら、象使いも彼にはかなわない。
ハッピーな象使いに、ハッピーな象が当たる? が、その確率は一割以下?
まあ、世の中を見れば直ぐにわかる。何とか折り合いがついているようだが。
   * 心の「象と象使い」
≪・著者は私たちの心を「象と象使い」に例え、本能と理性、無意識と意識など、
 いろんな言い方がありますが、象使いというのはわかりやすい例えと思います。
「象使いは、象がより良い選択をするのを助けるために象の背中に乗っている。
象使いはより先の未来を見通すことができ… 貴重な情報を習得できるが、象の
意志に反した命令をすることはできない」
・また本書の「幸せはあいだから訪れる」という考え方、
「だから、知恵を探すなら、けっして見つけられないと思うような場所、つまり
あなたに相反する精神の中を探すべきである… 純粋悪の神話という目隠しを
取り去ることができたら、そこではじめて何らかの良い思想に出会えるだろう」
・<幸福は「あいだ」から訪れる>。あなたと他者のあいだ、あなたと仕事の
あいだ、あなたとあなたより大きな何かとのあいだに、正しい関係を築くことで
訪れるのだ。わたしは、アメリカ人よりも日本人の方がこの考えに対して納得し
やすいのではないかと考えている(「日本語版への序文」)」。
・著者ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの
意志や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」
と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力が
あるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、
こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。
象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。
象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」≫
―
▼ 夫婦関係も然り。お互いが象であり、象使い。どちらかというと、象使いが
妻の傾向が強い?…「自分管理をしようとしたら、自分自身を幼児のように扱え」
と。 優しく、丁寧に、繰返し、褒めて、時には厳しく、前向きなプラス思考で、
成功体験と、大自然と芸術を可能な限り触れさせ、感動と感激を最大限に経験させ、
愛情を無条件に注ぐこと。実際は、自分に逆ばかりをしている。周りに影響され、
同化してしまうため。象だけならまだしも、象使いも自分の手に鎖をかけている。
無知は悪であり罪と、つくづく考えさせられる。これは他者の合せ鏡で、察知
するしかないが… 狂暴なのもどうだが、大人しいのも… 鈍重なメス象も?…
 〜で、文脈として去年の同月同日の内容につづく〜

・・・・・・
5526,若者よ、外に出よ! ー�� 世界の祭り  
2016年05月02日(月)          
   * 祭りから世界の楽しさを知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 
が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。
≪ ☆ パンプローナの牛追い祭り(2002/09/07 記)
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年
放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。
 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍
知られるようになった。
 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう
街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気
試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中
からその祭りに加わった。
 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
  最終日のエンデングと牛追いが見れる。
――――
4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ー  
 ・・この中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から
闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り
上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。
 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる
感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナを
愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を
見ているようであった。トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏に
あわせて歌を全員が歌っている。
 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。 ≫
――――
≪ ☆ リオのカーニバル(2003/04/23)
この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。
 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。
 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応等々ある。
プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
今年もなかなかの出来であった。
数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。
ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー
H0703  ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で
行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の
持時間で踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で
厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。我々のTV
新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝
チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ
ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして
“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。≫

――――
▼ 祭りは、普段の質素倹約した単調な生活の憂さ晴らしのための爆発の
『晴れ』を集団で楽しむ娯楽。特に、イタリア、スペインのラテン系の国の
祭りは歴史があって、ど派手。日常からの集団トリップの一端に触れるだけで
充分に価値がある。そこには、セックスと血と死の匂いが、漂っていた。
 リオのカーニバルには、「カーニバル・チルドレン」が、結果として誕生し、
捨てられ、ストリート・チルドレンになるという。

・・・・・・
・・・・・・
5161,不幸不利の7つの法則 〜�
2015年05月02日(土)
   * 不幸不利の法則を具現化した人
 絶対的に不幸な人も、幸福の人も存在しない。それぞれの人生の時節で、
孝不幸の比率が変わる。それと教養レベルでも・・ 不幸不利の法則を、
そのまま具現化したような人を、周辺に直ぐに見つけることができる。
内幕情報屋を売りにした「あの人!」。人の不幸を探し出し、噂話を探し
まわって、転々と人々の間を、尾ひれはひれを加え、舞いまわる人たち。
最近はネットに移行したから、始末が悪い。聞いている方は、その人間の
卑しさに気づいて軽蔑をしても、顔に出さない。情報化や都会化で、人は
表面的には誰とでもフレンドリーだが、実は、彼らは「孤独の群集」で、
他人の内幕を知りたがる。だから、こういう、「内幕情報屋」の存在が
必要となる。学生時代に読んだ、リースマン著『孤独の群集』の中で、
都会化が進むほど、「内幕情報屋」が、多く現れると論証していた。
自分の趣味と、一般教養を持たないと、現象界をそのままを現実、真実
として受入れてしまう。(偶然だが、一年前と4年前の同月同日の内容が、
そのまま書いてあった) 普通の人であれば、噂話も世間話をするし、
敢えて、特徴を取り上げることもなし、ただ無知なだけ!と割切ればよい。 
ところが、実は、その内幕情報屋の流される噂話が、個々人には、
「掟というトリック」が含まれている。それが各人の牢獄をつくり上げる。
これが「絶対不幸」の人たちを作り上げる。その結果、「不幸不利」を
なってしまう。そして、自分の世界を小さく小さくしていく。
「不幸不利」のスパイラルは、強力なマイナス磁力がある。
己の「不幸不利」に気づくには教養のベースか、死線を漂う経験などが
必要になる。小、中、高、大学の同級会に毎年、出席しているが、不幸不利
の人の比率が、進学するにつれ減っている。鬼のような形相のオバサンや、
時代かかった成金は皆無になる。豊かさ貧しさは、置かれた状況でもある。
幸福であれば、他人の不幸には興味が無頓着になる。不幸不利の人は・・
・・・・・・
4796,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜�
2014年05月02日(金)
   * 何かが変?なのは、自分? それとも巷の常識?
 先日取り上げた【「道徳」を疑え!〜自分の頭で考えるための哲学講義
  ー小川仁志著】の中で、イギリスの哲学者 フランシス・ベーコンの
「イドラ(本当のことを隠してしまう臆見)を取り上げていた。
 彼によると、人間には四つのイドラがあるという。
《・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、
 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じる。人間は自分が
 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できない。
・二つ目は「洞窟のイドラ」。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んでしまった
 かのように、個人の狭い事情により生じる思い込み。その人の受けた教育、
 影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い考えに入り込んでしまう。
・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込みです。
 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に
 弱いものです。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因?
・四つ目は「劇場のイドラ」です。それぞれの都合の良い物語を疑おうと
 しないで信じてしまうことをいう。》
:この結果、世間とかいう、ほぼ嘘で固められた常識を疑うことなく信じる九割
 以上の人達がつくられ、現に存在する。この方々は、殆どのイドラが全存在。 
 覆い隠されている真実の世界の存在など想像すら出来ないため、厄介そのもの。
 彼らには、「嘘もほどほどにしろ」より、「本当のことは、ほどほどに」と、
 対応するしかない。何故なら、本当のことは、イドラの世界からは見ることが
 出来ないから。本来、人間は共同幻想の中にしか生きることが出来ない存在。
 とすると、変なのは社会と、その中で生きる、私たち(個々人)になる。
 問題は、それを常に自覚できるかどうかが、境目になる。リーマンショック
 から、一段と世の中が変になっている。ところが何故か、それを覆い隠して
 いる何か、恐ろしい力。それが何だろう?「世界恐慌は静かに浸透しているが
 誰も声高に言わない。いや、言えない」のだろう。石ころの大小を言っている
 自分も、その中の砂利でしかない。結論は、「私も、一般常識とも、変!」 
 ということ。
・・・・・・
4429, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか 
2013年05月02日(木)
 * 死の恐怖を克服する七つの登山道とは   
           ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 人生で最大の難関が最期の死。ここで、死の恐怖を克服する著者の椎奨の七つ
の登山道が書かれている。スッと眠るように死にたいが、そうは簡単にいかない。 
長生きすれば「死に損ない」と言われそうだし、癌で、あと一年、数ヶ月と
区切られ悶々と死んでいくのも厳しい。現に父親が、そうであった。一年間、
傍にいたので、直に伝わってきた。砂漠の真只中に置かれたような生の渇望の
乾きは残酷である。実際に、その立場に置かれて経験しないと分からないこと。
死の恐怖の克服法は知らないより、知っていた方が遥かによい。生への渇望の
克服など無理といえば無理。肉体的に精神的にも、のたうちまわって死んでいく
しかないのが実態。だから恐れる。著者が死への登山道は言い得て妙である。 
  ーまずは、7つのルートとはー
ルート1  心が幻想だと理解する道(脳科学の道)
ルート2  すぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道(時間的俯瞰思考の道)
ルート3  自分の小ささを客観視する道(客観的スケール思考の道)
ルート4  主観時間は幻想だと理解する道(主観的スケール思考の道)
ルート5  自己とは定義の結果だと理解する道(自他非分離の道)
ルート6  幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
ルート7  リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ(思想の道)
▼ 次回から、それぞれのルートの要点を書き出してみるが、最近読んだ、
「宇宙は本当にひとつなのか」と「宇宙は何でできているいるのか」(村山斉著)
を読んで、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している可能性がある
と知り、単純だが、自分の人生も、死も、大した問題でないことを改めて知った。
これはルート3の、客観的スケール思考の道になる。この7つのルーツの道を繋ぐと、
≪ 人間の心は、本来幻想。人の一生は宇宙的スケールでみれば、瞬時でしか
 ない、直ぐ死ぬのも後で死ぬのも同じ。また微細な存在。知情意で捉えている
時間も幻覚。自分という枠組も定義で変わるもの。恐怖が幸福の対角にあるとし、
その幸福という感覚も幻覚。ただそれだけのこと。≫ ということになる。
般若心経そのものになる。だから、死に直面すると、写経を始めるのは効果がある。
こう、まとめると、各ルートを歩くのが面倒に思ったが、よく読むと、道筋には
含蓄に満ちた景色がある。目先の死を知ってから、それまでの一生分を生きる
のだから、学び足りないのは当然。


5890,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー6

2017年05月01日(月)



   * 日々、緊迫度が増す状況へ
 北朝鮮問題について、4月半ばから5回シリーズで書いてきた。
流れからして、全面戦争は避けられないとアメリカが腹を据えた時点で、
本格的な手順が始まる。いや既に始まっているのか。韓国と、仏大統領選挙
までは、開戦がないとみられるが、これが終わり、韓国新大統領への新布陣が
固まる8月まではアメリカも自制するが、9月以降は何でもありになる。
 アメリカの空母派遣は、親米派の韓国大統領を当選させる戦術と捉えられる。
いざ開戦危機となれば、暗殺、クーデターの可能性もあるが… どうだろう。
 ところで、横須賀に寄港している空母レーガンの動きもないが、いざ開戦時
の、補給のための交代戦力? それとも、首都圏への防空の布陣? 
 問題は、終戦後の周辺国への難民問題がある。 相応しくない大統領と、
幼稚で暗愚な主席となればこそ、起こるはずのない核兵器の使用を含めた
全面戦争になる可能性が大である。 それが8割とするなら… 
 「北朝鮮の深刻なガソリン不足で 平壌市内にあるガソリンスタンドは、
閉鎖されていて、人の姿はない。」とテレビが報じているが。
 毎日のように、御二人の漫画のような掛け合いを目の当りにしている
こと自体が信じられない。ドン様、カダフィか、フセインのような末路に
なるのだろうが、その前に数百万人の死傷者を道連れにする可能性を含む。
 問題は、ミサイルの飛来の可能性で、対岸の火事では済まされないこと。
暗殺、クーデターを恐れたドン様の自爆的粛清が更に激しくなる?
 
・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
   * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事に息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー2
   * 全面戦争にならないのか(8割の確率で)
 私がアメリカ大統領だったら、今のうちに核施設に全面攻撃を加える。
ましてトランプなら、8割以上の可能性の説に真実味を感じるが、如何だろう。
やはり、日本は平和ボケをしている。習主席がトランプに、「全面攻撃を容認
する代わりに尖閣列島への侵攻を黙認する」裏契約をする可能性も充分ある。
現在でなくとも、来年中には? 週刊誌の売らんがための煽り記事としても、
現実は、全面戦争に向かって動いている。 〜その辺りから〜
≪ ■ 高陽市安全都市課の職員が語る。
「わが市は目と鼻の先が北朝鮮なので、すでに臨戦状態です。市民からの問い
合わせが殺到したため急遽、10万枚のパンフレットを作成して市民に配付した。
それでも市民からの問合わせが日々、大量に来て、生きた心地もしない日々です」
 北朝鮮は4月9日、韓国国内の外国人に対しても、「韓国から至急離れないと
責任は取らない」という警告を発表した。これによって韓国では、ラーメンや
乾パンなどの非常食や、ミネラルウォーターの買い占めが起こっている。
韓国はまさに、「第2次朝鮮戦争開戦前夜」といった緊迫した状況なのである。
 そんな中、ケリー米国務長官が、4月12日から15日まで、韓国、中国、日本と
北朝鮮を取り巻く3ヵ国を回る、東アジア初外遊に出た。
  ■ アメリカ国務省関係者が語る。
「わが国はいままさに、韓国と合同軍事演習の最中で、いつでも実戦に移す
準備はできています。今回のケリー国務長官の3ヵ国訪問で最重要だったのは、
中国訪問でした。新指導者の習近平は、金正恩を救おうとしているのか、
それとも滅ぼそうとしているのかを、しっかり見極めようとしたのです」
これまでの東アジア地図は、日米韓vs.中朝という対立の構図だった。
前世紀末に世界の冷戦構造が崩壊したが、東アジア地域だけはいまだに、
冷戦構造を引きずっているからだ。
  ■ 8割の確率で戦争が起きる
 だがこの伝統の図式に最近、異変が起こっているのが、中国の態度の変化。
習近平政権は、いまの大荒れの北朝鮮をどう見ているか。外交関係者が明かす。
<かつて毛沢東と��小平は金日成を、朝鮮戦争を共に戦った"血を分けた誼"
と見なしていた。続く江沢民と胡錦濤は金正日を、兄弟国の"特別な弟分"と
見なしていた。金正日は計7回訪中したが、北京へ来れば必ず中国共産党の
トップ9が全員揃って歓待する習慣があった。だが習近平は金正恩を、単なる
"物騒な若造"としか見ていない。だから、北朝鮮のミサイル実験や核実験を
受けて、いともあっさりと、北朝鮮への重油・食糧・肥料の援助ストップを
決断したのだ。中国にとって絶対に看過できないのは、朝鮮戦争時代の悪夢
である米軍が北朝鮮に侵入してくることだけだ。それさえなければ、いつ
核兵器の矛先をわが国に向けてくるか知れない金正恩という狂った指導者が、
いつ失脚しても構わない。それが習近平新主席のホンネだ>
 4月10日には、中国共産党機関紙『人民日報』が発行する中国最大の国際
情報紙『環球時報』に、中国で最も有名な北朝鮮研究者の張瑰・中国共産党
中央党校教授が、次のような原稿を寄せた。
<朝鮮半島に近く戦争が起こる確率は、7割から8割くらいあるだろう。
北朝鮮にとって武力統一は、昔からの既定路線だからだ。金正恩は、金日成と
金正日が成し遂げられなかった祖国統一を、いまこそ果たそうとしているのだ>
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より ≫
▼ 首都ソウルから北朝鮮の距離は、東京と大宮の距離しかない。そこには
 2500万人が住んでいて、北の脅し文句が「ソウルを火の海にする」である。
それを二分した国家に向かってなら効果があるが、アメリカに向かって、
「大陸間ミサイルで核攻撃で火の海にする」と、実験を繰返せば、交戦好きの
アメリカが見逃すわけがない。白人優先主義を謳って当選した大統領にとって、
東洋人の100万、200万が生きようが死のうが、大した問題ではない。
 在日米軍と、二つの空母艦隊と、多くの原子力潜水艦に囲まれ、いつ何時、
攻撃を仕掛けられない南北朝鮮の人たちと、平和ボケの日本人とは、危機感が
雲泥に違う。それでも、何かしらしら危ないのは分かる。危機の察知の早い
株式市場と、為替の変動の兆候がないので、大丈夫? そうじゃないから…

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー3
   * 死傷者は400万人
 2500万人が住む首都ソウルに、北朝鮮が核弾頭付でなくとも、ミサイルを
撃ち込めば、百万単位の死者が出るのは周知のこと。北は、それを熟知して恫喝
して何とか体制を維持している。それ故に、韓国は大統領に莫大な権力を集中
せざるを得ないため、汚職をうむ土壌になっている。現在でも破綻している国家
に戦争は更に加速させる結果になること必定。しかし、アメリカには、東洋人の
100万や200万より、己の国家の安全の方が遥かに重要になる。
「第一次、第二次世界大戦から見れば、この程度は大したことがない」と、
考えても不思議ではないのか。     
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より
≪ ■ 北の妄想
 北朝鮮の国民は幼少時から、「朝鮮はアメリカと日本に勝利した軍事大国」
と教えられて育っている。 金日成軍事総合大学の軍事関係者は、
「アメリカを倒すのは、掌を返すくらい容易だ」と豪語しているほどだ。
 先日、朝鮮中央テレビは、3日間で韓国を占領するシナリオの映像を流した。
1日目に韓国の重要拠点を占領し、15万人の米兵を捕虜にする。
2日目に韓国の大多数の都市を占領し、
3日目にその他の地域を占領するというものだ。
朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、「朝鮮は世界中でアメリカに対抗できる
唯一の国である」と誇っているほどだ。
まさに皮肉たっぷりの筆致で北朝鮮の「井の中の蛙」ぶりを強調している。
 だが、張教授が述べている「7割から8割の確率で第2次朝鮮戦争が勃発する」
という予想は、すなわち中国政府の見解に他ならない。
 前出の韓国国防部関係者が続ける。
「北朝鮮は、南北の局地戦ならば、米軍は参戦しないと踏んでいるようだ。
だが、実際にはアメリカは、三つの条件さえ整えば、
第2次朝鮮戦争に参戦する可能性が高い。
 第一に北朝鮮の核やミサイルによって自国の脅威が増すこと。
 第二に戦争によって自国の兵士の損失が最小限に抑えられる見通しがつくこと。
 第三に中国の後押し、もしくは少なくとも黙認が得られること」
 前述のような習近平政権の"反金正恩政策"を見ると、金正恩除去に向けて
米中が手を組むというシナリオは、十分考えられるのである。
  ■ 死傷者は400万人
 それでは実際に、南北衝突となった場合、どのようなシナリオが想定されるか。
軍事評論家の世良光弘氏が解説する。
「第2次朝鮮戦争になった場合、北朝鮮は38度線沿いにある数千基の砲台から、
ソウルへ向けて一斉砲撃します。合わせて、スカッドミサイルもソウルへ向けて
撃ち込みます。しかし米韓は、その前にB2ステルス爆撃機を発進させ、精密誘導
爆弾で38度線の砲門や主要ミサイル基地を爆撃します。B2爆撃機の護衛には、
F22ステルス戦闘機が当たります。
 これに対し北朝鮮は、ミグ29戦闘機が迎撃しますが、まともに稼働するのは
30機程度で、たちまち撃墜されるでしょう。その間にも米韓は、F15Eストライク
イーグルやB52爆撃機、ホーネット戦闘機などを投入します。また海からは
トマホーク巡航ミサイルで平壌を爆撃します。そうして制空権を完全に押えた後、
戦車部隊やストライカー戦闘旅団などの地上部隊が38度線を越えて進軍します。
 こうして北朝鮮全域を制圧するには、3ヵ月くらいかかるでしょう。
それでも山岳地帯の坑道に隠れるであろう金正恩の身柄を拘束するには、
それ以上の時間がかかります」
 かくしてイラクのサダム・フセインのように、金正恩も拘束されて、
戦争は完全終結となる。その後、北朝鮮には、米中韓、それに日本とロシアも
加わった5ヵ国との協調政権が樹立されるというシナリオだ。
 だがこのシナリオが現実のものとなれば、第1次朝鮮戦争と同様、400万人
規模の死者を出すだろう。ちなみに中国は、金正恩から亡命要請が来ても、
断るという。≫
――
▼ 昨日の午後の政治トーク・バラエティー『そこまで言って委員会』が
 時が時だけに、ユニークな企画になった。プーチン、習主席、トランプ、
金主席の顔写真のお面を、各国の専門家に被せて、際どい質問をするもの。
専門家は、自分の意見と、お面の主の考える想定が混同するため混乱するが故、
隠れた真実が垣間見えたような錯覚が、ブラックジョーク、コメディ的である。
「これだけの危機の問題を、爆笑するのも問題では?」 というのも、
『そこまで言って委員会』の番組名からして野暮。 
 イエローモンキー(日本猿)が、寄ってたかって、
赤ザルと、白豚と、白熊と、白パンダを、寄笑い飛ばしているに過ぎない… 
としても、際どい笑いが何とも「平和ボケ」そのもの。南北朝鮮の人民に
とって一番ウケるのは日本攻撃であることを忘れないこと。

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー4
   * おい、おい、おい!
☆ ワイドショーの中で、日米の軍事専門家が語る目先の第二次朝鮮戦争の
 危機 が日ごと近づいているようだというが。当然、後方支援か、実質参戦
となれば、首都圏、原子力発電所が報復として狙われる。
 恫喝の文言の『ソウルを火の海に』が、『東京を火の海に』へと、何時の間に、
変わっても不思議ではない。「400万の死傷者が出る」なら、日本は1〜2割の、
数十万位は出る仮説を立て対処しなければ。 当然、潜入している北朝鮮軍人の
数百人?は、テロによる攪乱が考えられる。
☆ アメリカの元・軍事関係者が、「目先のベストの結果は、長い目でみれば、
 ワーストになる」を危惧した言葉が重い。 クリントン元大統領時代の軍事
危機で、数万の死傷者を危惧し、捨身で阻止したカーターを引合いに出して、
<もし中国が力で、目先の危機を乗越えても、引延ばした分、核弾頭で世界を
恫喝する力が、高まるだけ>と、引くに引けない現状を語っていた。
 そうこう考えると、8割の確率で第二次朝鮮戦争の可能性も、あながち誇張で
ない。日本の平和ボケそのものが、日本を破滅の道に向かわてきたことになる。
☆ 欧州はイスラム教とユダヤ・キリスト教とのテロを介した準戦争状態に
 あるが、今度は日本列島も似た状況に成りざるを得ないのか。
この数ヶ月のアメリカトップの動きからみると「戦争回避は無い」だが…
「歴史は繰返す」の言葉とおり、第一次、第二次世界大戦頃の道を繰返すしか
ないのか。 来年辺りには、この70余年の平和は夢幻だった?と、日本中が
嘯いている? のだろうか? 悲観的にみても、楽観的にみても、動乱に
巻込まれることは避けられない? 戦争勃発なら『国家非常事態宣言』に? 
  おい、おい、おい!

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー5
  * 北朝鮮の結末は
 北朝鮮の記念日の核実験はなかった。「中国が原油を止める事態ともなれば、
国家の存続が出来なくなる」という理由が出来て面子も立ったからだ。
それにしても、中国が原油供給停止の恫喝とは驚き。このままでは、そう遠く
ない時期に戦争か、原因不明の病死の発表で体制が変わるか?
 韓国に米国人20万人が滞在しているため、アメリカの奇襲攻撃がないこと
位は、南北朝鮮の人たちは知っている。ちなみに、駐韓日本人は6万人とか。
 しかし目先を乗り越えても、年内か来年辺には?・・ 近未来も同じなら、
今やっても同じと考えても不思議ではない。韓国人の7割が移住希望を持って
いるというのも、理解できる。
 このところ、沈黙を保っているロシアのプーチンにとって、朝鮮戦争は、
願ったりかなったり、とすると、この男がカギを握っているのかも。
小狡い北狐、中国からロシアに原油供給を委ねる可能性もある。
 ところで、韓国内は、この手の北の恫喝には慣れたもの、5月9日の大統領
選挙の方に遥かに注目度が高いという。
 
  * 結局、今年の花見はなし
 悠久山と福島江の恒例の花見、今年は行かずしまい。 近年、悠久山の花見
に行かなかった記憶はない。(信濃川土手の公園の桜は、早朝のポタリングで、
自転車を乗りながら見ていたが)。 毎日のようにTVで、世界の絶景紀行
モノを見ているのも影響している?のか、桜の当たり年ではなかったためか?
北朝鮮の恫喝のニュースで、そんな気分になれなかったのか。(それほど、
シャイでもないか) 鶯の鳴声を一度だけ、信濃川土手河原で聞いたが、自宅
の庭と、近所では一度も聞くことがなかった。


5889,閑話小題 〜愛人業とはね

2017年04月30日(日)


* 愛人業ですか
 先日、投資業を餌にした女詐欺師が逮捕され、取調官の「職業は?」に対する
返答が「愛人業」という。寝技で篭絡しながら騙す男を「さお師」というが、
女は、さしずめ、「つぼ師」と思いきや、その言葉はない。クラブのホステスや
ママは、半愛人関係を持つ客を何人か持ち、名刺に日付と暗号を入れておくとか。
  〜ネットで、供述を検索すると〜
≪  ☆ 山邉容疑者「投資するつもりなかった」
「つなぎ融資の女王」と呼ばれた山邉節子容疑者の逮捕から1週間。
取り調べに対し、「金を投資にまわすつもりはなかった」と供述していることが
警察関係者への取材でわかりました。
山邉容疑者は70人以上から少なくとも7億円を集めたと見られています。
取り調べには素直に応じ、聞かれてもいないことをよくしゃべるといいます。
・「職業は?」(捜査員)
・「愛人業です」
 「美容整形のために合わせて800万円使いました」(山邉容疑者)
62歳の山邉容疑者は、タイでは交際相手に38歳と偽っていました。
地元・熊本で山邉容疑者を知る人は・・・
「色気たっぷりの男性に好かれるようなタイプだと思っていた。(交際相手の)
会社の玄関に畳ぐらいの大きいブロマイド、自分がきれいに写っている上半身と
全身の写真を貼っていたから、『おや!』って思った。女性としてきれいだから、
みんなに見てもらいたいのかなとは感じていた。近所の人もそう言っていた」
                        (山邉容疑者を知る人)
山邉容疑者は、熊本市内でかつて経営していたスナックで、客らの話を聞く
うちに犯行を思いついたといいます。元本保証や高い利息をうたい、口コミや
愛人を通して出資者を募っていました。しかし・・・
「7年ほど前に金を集め始めました。最初から投資したり貸したりするつもりは
ありませんでした。ここまで広がるとは思っていませんでした」(山邉容疑者)
投資話は全くのうそだったことを認める供述をしているというのです。≫
――
▼ その金も、なる手の「さお師」に篭絡されて吸いとられていた。
 事件が事件だけに被害者の映像が出てこない。篭絡した客に、ホステスが
スナック、クラブの出店をさせる手法は、何処にでもある話。海外にに逃げれば、
大丈夫だろうと踏んでのことだが、まさか、全国ニュースで、ここまで騒がれる
とは思ってもいなかったようだ。
 現職の頃、あるクラブのママに、「あの娘、店を持ちたいみたいで、旦那探し
をしているけど、あなた、どう?」と、囁かれたことがある。 これは最も危険
なケースで、暴力団系の金貸しに搾り取られるケース。土建屋など成金の泡踊り
の典型事例になる。 
<女の身体の真ん中へんに しんしょぶっちゃる穴がある>の都都逸がある…
父親の口癖に、<愛人だけは持つな!>があった。後後にツケがまわってくる
のを多く見てきたからだ。 聞くところによると、<女子大生の2〜4年の定期
約款付で、20万だったが、今では不景気で15万まで下がっている>とか。
嘘か本当かどうかは定かでない。都会には、この手合いが幾らでもいるのだろう。 

・・・・・・
2016年04月30日(土)
若者よ、外に出よ! ー�� 〜学生生活は人、人生の砂場遊び
  
   * 学生時代は、人生の砂場遊び〜  
 古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震、刈羽沖地震、
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20〜45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼著
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
―――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

――――
2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」
という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう
生き方をしようかという内容と、批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・
002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと  ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を
余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り
行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要
ということ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んで
いったモデルがある。

・・・・・・
2002/10/27
ある時間の断片ー7 
        1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」だ。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
―――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いて
なかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによって来た。
一人になれないのが悩みでもあった。あの孤独の都会生活で最後に
は友人が吹き付けるように集まったのは本当に良い青春の財産だ。

――――
1月14日  1969年

11時過ぎに起床。
食後、卒論の最後の仕上げだ。
16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。
酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
酒井君に「私は防御が強すぎる。そして直に針を出して、人から自分を
守ろうとする。如何でもよいことまでも突き詰めてしまうと。
自分をあまりに大事にしすぎだと。
もっと自分を下から見るべきである。

・「観念構成のために最もよい燃料は経験である。
 直接的な経験は一番上等な燃料になる。こういう経験はいつまでも
 身についてくるし、必要な時にはドンドンでてくる」

・「賢人の最も美しいあり方は、きわめて控えめな言葉を使って、
 きわめて強烈なことを言うことにある」

・「自分自身の考えを信じること、人知れず深く考え、自分にとって真理で
 あることは全ての人にとって
――――
1月15日  1969年

 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。

 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

 以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。

 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。


5888,閑話小題 〜タクシードライバー

2017年04月29日(土)

   * タクシー車内は
 わけアリの運転手が、様々な事件に遭遇するドラマ
『女タクシードライバーの事件日誌』〜主演・余貴美子と、
『タクシードライバーの推理日誌』〜主演・渡瀬恒彦のドラマのほぼ全てを
何度か見ている。 渡瀬のドライバーは、元刑事の経歴を持つタクシー運転手が、
元刑事の視線を通して、乗客が関わる事件を解決する推理ドラマ。
2017年初夏に第40作の撮影が予定してあったが、主演の渡瀬が2017年3月に
死去したため、2016年放送の第39作で最後となった。
 余貴美子のドライバーは、亡き夫が事件に巻き込まれ死亡。 ドライバーを
しながら事件の真相を追うもの。 タクシー車内は、考えてみれば妙な空間。
一瞬だがフッと気が緩んでしまう運転手と客の目的地までの共有空間。
 景気話とか、ドライバーの身の上話が、色いろ考えさせられる。
 〜10数年程前、一度、書いた内容を検索したもの〜
【 25年ほど前に、札幌でタクシーに0時ごろに乗ったとき、
 運転手に「深夜の勤務は幾らほど出るのか?」と聞いたところ、
その内容に一瞬にして酔いが醒めてしまったことがあった。
「札幌はね~、最悪の景気なの。私も問屋を倒産させてしまって〜
最後の生き残りをかけて運転手をしているの。といって今さら正社員じゃ
無理なの。夜のタクシーは、殆ど私と同じ立場の中途半端の中年が小金を
稼ぐため、タクシー会社と契約して夜間だけ車を借りているの。
客を拾えなければ収入はゼロだから必死。何処で客を拾うか、ハンターと
一緒で勘が頼り。とにかく生きていかなくてはならないからね〜辛いよ!」】
 〜いま一つ〜  地元で、<稼ぎは、どのくらい?の質問に>
【 自分が子供の頃に、両親が離婚をして母親の女手一つで育てられ、
 生活の為、中学卒業と同時に働きに出たの。しかし、中卒じゃ、給料が
低いし…職を転々をした後、水商売に。そこで知り合ったホステスと結婚し、
店を開いたけれど、家内は一人娘を捨てて客と駆け落ち。結婚をして出て
いった。母親は今も元気で同居をしている。手取り17〜18万と、母親の
年金だけで、蓄えはない。人生に良いことは、あまり無く、虚しい。
これで母親が亡くなったとしたら、と考えると… 】
――
 海外の刑事ドラマや映画にも多く、加害者、被害者の立場で遭遇する
ストーリーが多くある。今では車内に録画機能がついているため、客も気が
許せない。来年あたりから、相乗りが認可されるというが、そこに更に
ドラマが生じるのだろう。大都会の移動空間の小さな密室に、様々な
‘人間的、あまりに人間的なドラマ’を乗せて、今も走っている。

・・・・・・
5523,若者よ、外に出よ! ー� トルコ編
2016年04月29日(金)
             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 トルコは日本人にとって何か懐かしいような馴染深い感じがする。
東西の境目の地勢的位置がトルコという国を特徴付けている。それと、
極東アジアの小国が、敵国・ロシアのバルチック艦隊を撃破したことも、
彼らにとって大きな衝撃として今でも残っていて、異様な親近感がある。
  * トルコで自分の中の神秘を知る
≪ トルコのイスタンブールという街は紀元前からずっと途絶えることなく
 現在も生き続けている街だ。そんな街はイスタンブール以外にない。
パリなんて街として始まったのは12世紀からだ。ニューヨーク、ロンドン、
東京、みんなまだ新しい街と言っていい。 紀元前から栄えていまだに続く
大きな街はイスタンブールだけなのだ。ボスポラス海峡を挟んで2キロ先に
アジアがあり、手前がヨーロッパという風景の素晴らしさ、東洋と西洋の文化
が交差し、融合し、新たなものを生み出してきた街。人類の歴史が濃縮された
街が今もなお残って生きている。そこに飛び込んでいくことは計り知れない
刺激を与えてくれるはずだ。コンヤという街がある、「スーフィー」という
イスラムの愛の神秘主義者たちの街だ。高い帽子をかぶり、白いスカート状の
服を身につけてクルクルと無限に回って踊る。セマー(旋回舞踏)という
踊りだ。これが素晴らしい。彼らは踊ることによって自分の中の奥底にある
愛に達する。その恍惚によって踊っている人は皆笑っている。すべての
雑念を捨て去った美しい舞踏は、スーフィーという愛の哲学者たちによる
人類の神秘の領域を垣間見せてくれる。イスタンブールとコンヤを旅したら、
もう「夢がない」なんて言っていられない。 ≫
▼ 「今までの旅行で、何処が一番よかった?」と、ツアー仲間から、度々、
 聞かれることがある。しかし、その都度、答えに窮し、「3分の2は優劣を
つけがたい」と答えるが、「それでは3つ挙げて」と、決まったような質問。
そこで、その都度、相手をみて変えるが、文化的カルチャーショックの
大きいのは、「エジプト・トルコの旅」と、初回の「欧州30日間の旅」である。
イスラム圏のエゴ丸出しの文化も、想像の域を遥かに超えたもの。
世界は広く、深い。そして濃厚である。現在、欧州では「トルコに近づくな!」
が合言葉だそうだ。テロだが、今ではパリと、ベルギーが、次の要注意国。
こうして過去の文章を読んでみて、憑かれて行ったものと我ながら感心する。
行蔵として、残るから良い。「行きたいうち、行けるうち、元気なうち」だ。
若者だけでなく、壮年も同じ。 壮年のうちだったからこそ、行けたからだ。
老年は? 高めなら、いくらでもある。少々の勇気と、金と、元気があれば。
――
   ーH0805 エジプト・トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩を
くり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。まさにSF映画やアニメ漫画に
出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と
息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の
秘密地下都市群。あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下の
マンションと形容できた。一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、
信仰の深淵さをみた思いであった。そして、その帰りのバスの中より夕景の
“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン
・サライ”も非常に印象的なものであった。十二列×八mの列柱が336本
整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの
石首が土台になっているのが神秘的。バック・グランド・ミュージックに
ベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったり。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中
より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。リンゴ大の四十数カラットの
ダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、
四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も
圧倒された。私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれ
たのには驚いた。 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか
触れる事はできなかったが、この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 
 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。五千の貴金属、みやげ物を
売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると
逆に面白いものばかりであった。殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。(1996年.1月30日〜2月8日)

・・・・・・
5158,不幸不利の7つの法則 〜�
2015年04月29日(水)
 そこで、幸福優位の7つの法則の真逆の言葉を書いてみる
  〜不幸不利の7つの法則〜
法則1: 不幸感の強い人は、周囲に人に違和感と、悲哀感と、絶望感を与える
  2: 心のマイナスへのレバレッジ化が強くなり、ドブ沼にはまりこみ、
     その毒を周囲にマイナスを振りまく
  3: 何事にもマイナス要素に対し敏感になり、何事もマイナスに考え、
     粗探しを求めて彷徨う、あの人たち
  4: 下降の勢いを他人に向けて、結果として傷口の血を周囲に塗りつけ周る
  5: ゾロ・サークルの円が、日々、小さく、固くなり、自分の首を絞める
  6: 20秒ルールが、悪く働き、下降曲線が身につき、悪い習慣が増強される
  7: ソーシャルに毒を撒き続けることで、その毒が返り矢で降りかかる
 多くは、四苦八苦に打ちのめされ、「貧すれば鈍する」の負の連鎖で、恨みを
買う劣者のスパイラルに入っていく。「順境には枝を、逆境には根を張れ」の
とおり、ただ、ジッと下を向いていれば良いものを。傍からみれば、私の現状は、
まさに、上記の法則のように見えているのだろが、何とか『不幸不利の法則』の
スパイラルから逃れている。 子供の頃から現在に至るまで、様々な『不幸不利」
の事例を見てきたが、それはそれは残酷なもの。とにかく、不幸不利の状況に
立たないことだが。 備えを普段からつくり上げておくしかない。
とはいえ、全ての人には、死という挫折が待っている。死ぬまでは生きている
のだから、死を悟る瞬間までは、幸せに生きなくては! 
ところで、毎年、小、中、高、大学と同級会に出席しているが、上に進むにつれ、
不幸不利の人の割合が、少なくなる。 これだけは、仕方がないことだが。
 『泣いても、笑っても、同じ空!』である。
 〜参考〜 「幸福優位の7つの法則」
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
・・・・・・
4793,「消費される物語」 ー3
2014年04月29日(火)
           朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
  * 自己完結せず外へまなざしを        作家・高村薫
 毎日、一文章を書き終える自己完結に精一杯で、内々に凝り固まっている
現状を批判するに、丁度良い内容のようだ。 それも、13年間にわたって、
束縛されてしまっている自分にである。 ーその辺りからー  
《 ■「我々の社会」という物語が揺らいでいるため、物語は過剰な作られ方
 をしているー人間の社会があるところには必ず物語が誕生します。原始時代
でも自分たちの集落とその外を分ける物語があったはず。日本で「古事記」や
「日本書紀」が編纂されたのも、律令国家が確立して自らの国史を欲したから。
つまり、物語は人間が生きていくうえで必要なものなのです。私たちの国、
私たちの王、家族、これらはすべて物語です。物語の特徴は、自分たちが見たい
もの、好ましいものを取り入れる一方で、見たくないもの、不都合なものは排除
することができるところにある。つまり虚構です。私たちは物語という虚構を
消費しながら生き、社会は虚構に支えられて維持されている。ですから、今日
さまざまな物語が次々と作られているのはそれほど不思議なことではありません。
 ただここへきて、その物語の作られ方が年々過剰になっているのは
「私たちの社会」という物語が揺らいでいるからです。例えはグローバル世界
では、人やモノの自由な往来が国境をなくしてゆくだろうと予想されていたのに、
実際には世界のあちこちで「私たちの国」という物語が不安定になって、その
穴埋めのために過剰な物語が生まれています。ナショナリズムの台頭もその一つ。
社会不安が増したり、経済状況が悪化したりして、人ぴとが自信や幸福感を
失うとアイデンティティーも揺らぎます。それを補うために、ことさら物語を
増幅させているのが今の世界です。これまでと大きく方向性の異なる安倍政権が
誕生したのは、新しい物語を語ってくれそうだという朋待が有権者にあるからで、
それが高い支持率の正体かもしれません。
 日本では、戦後続いた経済的な繁栄という物語が崩れた後、社会をまとめる
物語がなかなかできません。1990年代以降は、心の余裕がなくなつて、物語が
より内向きになっています。人は誰でも、より心地よい物語の方に惹かれます。
社会にはかって、本筋を外れてはならない暗黙の了解というか、節操があった
と思います。明るい未来が見えているときには、外に向かって積極的に開いて
いくことができたのですが、それが出来なくなってしまった。》
▼ 13年間で、5千近い文章、物語を書き続けてきたが、これが私を、更に
 内向けにしていた。これで、都合の良いように物語化して、都合の悪いことを
排除していたのである。混沌とするほど、それが大きくなっていくのを、冷笑
して、改めて読み返すのも、また、都合の良い物語である。小さく、小さく、
自己完結をしていただけだったのである。その知識を加えて、これからの文章を
書いていくしか、現在の私には術がないが。自己完結するから、次に進むことが
出来るともいえる。そういえば、単調な自己完結した日々を繰り返している
現状を、改めて考えてみようか? 読者の一部には、これが見えていたのだろう。 
今さら、自分は自分でしかない!と、思わなくては、ボキッと折れる。
・・・・・・
4426, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー9
2013年04月29日(月)
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
  * 日本人は実は会社が大嫌い
 これまで年功序列と終身雇用の日本的システムこそが人々を幸福にすると
信じて疑わなかった。が、実はサラリーマンは昔から会社が大嫌いでガマン
して働いていただけ。それが出来たのは高度成長でパイが拡大していたため。 
バブル崩壊で景気が落ち込むと、日本的雇用制度が虚構の上で成り立っている
のが露呈してきた。 著者は、ここで、
《 大卒内定率が50%を下回るのも、3人に1人が非正規雇用になるのも、
 中高年のサラリーマンにうつ病が急増するのも、日本人がアメリカ人の2倍
(イギリス人の4倍)の割合で自殺するのも、すべて、機能不全を起こした
日本的システムから生じる同根の現象》という。誰が好きこのんで年功序列の
終身雇用のラインにいるのではない。それなりの理由があるため。
  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ バブル最盛期の1980年代後半に行なわれた、仕事の満足度に関する
 日米比較調査がある。おそらくほとんどのひとは、日本と米国のデータが
すべて逆になっていると思うだろう。この調査結果は衝撃的で、私たちの「常識」
を根底から覆す。カリブォルニア大学と南カロライナ大学によるこの調査は、
日本の厚木と米中西部イソディアナポリス地区の製造業七業種の労働者それぞれ
4千人あまりを対象とした大規模なものだ。彼らは日本と米国の仕事観に際立った
違いを明らかにした。
* 結局のところ「いまの仕事にどれほど満足ですか」との質問に対し、
 満足との回答は米で34%、日本はその半分の17・8%。不満は米では
 わずか4・5%に対し、日本はその三倍の15・9%にのぼる。
*「あなにの友人にこの会社であなたのような仕事を希望したら、あなたは
 勧めますか」の質問には、米では63・4%が友人に勧めると答えたのに対し、
 日本はわずか18・5%だけだ。逆に勧めないと答えたのは、米が11・3、
 日本が27・6%だ。
*「いまあなたが知っていることを入職時に知っているとしてこの会社の
 いま一度、この仕事につきますか」の質問では、「もう一度やりたい」
 との回答は米ではじつに69・1%、日本は23・3%と三分の一にすぎない。
 二度とやりたくない」は米ではわずか8%、日本は39・6%と回答者の
 四割にものぼる。
*「いまの仕事は、入職時の希望と比較して合格点をつけますか」に対しては、
 合格点は米33・6%に対し日本はわずか5・2%にすぎない。否定にいたって
 は米の14・0%に対し、日本は62・5%と過半数を超える。もういちど
 繰り返すけれど、これは雇用崩壊が騒がれるようになった最近の調査結果
 ではない。80年代は日本企業が世界に君臨し"ジャパン・アズ、ナンバーワン"
 と呼ばれた時代であり、一方のアメリカでは、家族経営を信条としていたIBMや
 コダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模なリストラに追い込まれていた。
 それにもかかわらず、アメリカの労働者のほうが日本のサラリーマンよりも
 はるかに仕事に充実感を持ち、会社を愛し、貢献したいと思っていたのだ。≫
▼ アメリカの平均的家庭はプロテスタントで、働くことの価値の宗教的
 裏づけがある。日本にあるのは、儒教と朱子学の勤勉と、藩への滅私奉公の
意識ぐらい。それもアメリカの占領政策により、骨抜き。特に私は従属が大嫌い。
そのため会社に入らないで済ませるため、自分で会社を作る道を選んだ。
振り返ると、それが正解? 調査結果の内容は、国民の民度の問題でもある。
これでは経済の荒波が来れば、ヘチャルわけ。使われるのも大変だが、
使う方はモット大変。 * これらの質問の逆を考えて、何人肯定出来る? 
日本人と同じ比率? 肯定肯定、絶対肯定!と、感謝の言葉を繰り返す日々。


5887,閑話小題 〜21世紀に入って16年

2017年04月28日(金)

  * 21世紀に入って16年
 21世紀に入った2001年から、はや16年になる。
・まずは2001年9月のアメリカへのアルカイダによる「9・11テロ」から始まる。
 ユダヤ・キリスト教対イスラム教の戦いの火ぶたが開かれ、イスラム国を生む
 キッカケとなり、大量難民が大挙して欧州を目指すことになった。
・地震、津波などの自然災害が日常的に多発。2004年12月26日、スマトラ島沖で
 巨大地震が 発生、この津波がインドネシア、タイ、インド、スリランカなど
 の諸国 の沿岸を襲った。津波による死者は28万3千人以上にのぼる未曾有の
 大災害。国内では、2004年の中越地震、2007年の柏崎刈羽沖地震、そして
 2011年には、東北大震災が発生した。
・2008年のリーマンショックの経済的激震が、世界を襲った。
・21世紀に入る頃に、スマートフォンなどネット社会が世界的に普及をして、
 全世界の半数が携帯端末を持つようになったが、その情報化に対応する体制が
 全く不備のため、混乱を引き起こしている。現実社会の上にネット社会が新たに
 出来上がり、それが現実社会を支配するようになってしまった。情報機器と、
 世界的ネットワークの進化が、グローバル化を推し進めてきたが、ここで、
 その反動が起きている。
 ――
 21世紀に入った5月初旬からこの個人HPを開設し、5900近いテーマを書き
続けて現在に至っている。個人的経験として、20世紀後半の奇跡的経済成長期と、
21世紀のネット社会の出現を目の当りできたのは、非常に幸運といえる。
世界は明らかに混迷の時代に入ってしまった。近隣の北朝鮮情勢が不安定に
なってきて、70年余りの平和だった日本も、安閑としていられなくなった。
戦い取った自由民主主義ではなく、アメリカから与えられたシステム。
それが故の軟弱な基盤が、そのまま露呈している現実がある。フッと振返れば、
歴史的幸運世代の落とし子、そのままの一人でしかない自分、そして何故か
動揺している自分が、ここにいる。時代背景、その世代が、その人そのもの!
 71歳は、71歳である厳然たる事実がある。老いてしまった。 しかし面白い。

・・・・・
5522,若者よ、外に出よ! ー� .團薀潺奪匹箸い�衝撃を体験しろ  
2016年04月28日(木)
             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。
――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。“まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

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5157,不幸不利の7つの法則 〜��
2015年04月28日(火)
 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
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4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
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4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。
《起業では、何かをしようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保して
から、何をするか、どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の
事業を始めるところから考えるのが理想なのだろうが。創業というと、独自の
強力な個性が必要になる。 黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を
守るため、かき集められた浪人が、圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に
合わせた人集めの典型。このことは、教養についてもいえる。何かのために
知識を得るのではなく、知識のベースが、まず必要。それが教養。
大学も4年のうちの二年間が一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。
人生を振り返ると、本当に必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎
知識であった。教養課程は、その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方
の差は、そういう人材が身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界が
あった。「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。
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4051, シングルイン、31年間の総括 ー10
2012年04月28日(土)
   * つれづれに ー あれから一年
 去年の3月30日17時に会社を閉鎖して一年余りになる。激しく落ち込むと
覚悟はしていたが、思いのほか平静の日々を過ごすせた。会社経営から開放され
現在でも宙に浮いたようで、長年、重荷を背負っていたことに改めて気づいた
次第。日が経つにつれて、前倒しの決断をして本当に良かったと実感している。 
しかし世界も日本も国債と株価も何とか持ち堪えている。 早ければ、去年の
11月、遅くとも今年末と思っていた 辛うじて4月末現在、何とか維持し現在
に至っている。 世界の銀行と政府、企業の金庫の中に六千兆円の十倍の6京円
の不良債権が塩漬けになっている。何時、それが表面化するか時間の問題。
 一番早く表面化しそうなのが欧州だが、日本も、中国も、何が起こっても
不思議でない。日本は福島原発事故も解決したわけでなし、かつ原子炉54基
すべてが、止まったままである。更に政変含みの状態。 年末の米国と韓国の
大統領選挙まで持ちこたえるのか。会社名義のホテルと駐車場抵当物件の処分が
終わり、個人住宅も家内が買い取って全て終了した。ホテルも今までのホテル名で
再稼働を始めたという。有難いことである。 普段の生活が、もう少し手持ち
無沙汰で暇を持て余すと思いきや、全く、それはない。反面、倒産は倒産、
犯罪者に近い目で蔑視される事実に驚いた。一般債権は、ほぼゼロ。社員への
退職金の満額支払いは出来なかったが、国の一部たて替えを含めると平均八割
近く支払ったが、残債は残った。 一般債務分で補填すべきだったか? 
30年間、経理事務所の担当が言うには、「本当にキツイのはこれから」という。 
その意味が、まだ分からないが、差別?蔑視からくる世間様の何なのだろうが・・ 
今のところ「シラミ!」の10回の呪文で、気持ちの処理が可能。 自分を含め
シラミはシラミ。 スポーツジムと、iPad、シネマ通いと、図書館の御蔭で
何とか精神を保っている。好きなことだけが出来るからである。アウトサイダー
に徹してきたのも、結果として良かった。小さな襞(地域)の中で、煩わしい
因縁社会に組み込まれない生き方が、ここにくると楽。一歩、年金生活に入ると
景気とか社会に対する温感が鈍くなる。景気は最悪の筈だが、悲鳴が聞こえない。

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