堀井On-Line



5836,閑話小題 〜エキサイティング・ジム

2017年03月08日(水)

   * エキサイティング・ジム
 ジムに通いだして6年、平日の昼会員の枠一杯の月20日も通っているので、
日割りにすると300円の価値は充分にある。インストラクターの指導のもと、
12人のメンバーが交互に置かれたマシーンとステップ台を25分かけて二周
するイージーラインを毎回のベース。それに週4回のヨガエアロと、ベルト式
マッサージと、ランニングマシーンの組合せで、大よそ2時間半が平均滞在
時間が日課になる。健康的な明るさと、多くが他者に我関せずのところが良い。

 ところで昨日のモーニングショーで、最近の変り種のジムを紹介していた。
・サンドバックが数十台並んだスタジオで、インストラクターの大きな掛声で、
 グローブで殴りつけるのを主にしたジム。
・取っ手の付いたトランポリンが数十台、その上を合同で跳んだり跳ねたり
 する エクササイズ。
・クラブとエアロを融合したようなジムで、暗闇に光るミラーボールの下、
 踊るエクササイズ。
どもれもこれもスポーツジムのイメージを超えた内容だが、全身運動で、
トリップする仕組み。よく考えたものだ。 ハリウッド映画で、酒や薬物を
飲んで高級クラブでエキサイトをして踊りまくるエキスをエアロに取り入れ、
集団でトリップさせるとは。 メガネ型動画プレイヤーのアプリで、その場面
をつくればよい。独り部屋の中での踊り? 考えただけで気持ちが悪いが、
当人にとっては大して変わりはしない? いや、違うか。
 地元のエアロも、競争が激化しているようで、その対策として、様々な
エアロビックスを用意してあり、内容が日々、進化している。私は参加して
ないが、80人が参加する人気エアロもあるようだ。これを続けているといない
とでは、大きく違ってくると実感する。加老とは、毒素が沈殿が底知れずに
増すこと。運動を如何に遊びに昇華して楽しめるかが、ポイントか。

・・・・・・
5471,こう生きて、こう死にたい ー2
2016年03月08日(火)
             「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著) 
   * 死生観の構図
私たちの死生観は、青少年期、成年期、壮年期、老年期によって受止め方が
違ってくる。当然、死が差迫った老年期は、一言一言が実感として受止める
ことになる。常に死と向合った戦国の武将や、剣豪の言葉は、真に迫ってくる。 
 津本陽の小説の中の侍の死生観が、この年齢になってこそ理解でき、心を
和らげてくれる。死があっての人生である。
―――
・「生ずるものはかならず滅する。かように変化をくりかえすのは、
業あるゆえじや。善因善果、悪因悪果と申して業はそれに従いさまざまの
あらわれかたをいたす。 いつ人が何時に生れてきたか。死ねばいずれへ
参るかは、すべて業にみちびかれてのことで、人には分らぬようになっておる。
生死は始めなく終りなき宇宙界より見れば、またたきいたすほどにもなきこと
じゃ。どれほど長命いたせしとて、めでたくも何ともない」
                  〜『大悲の海に 覚鑁上入伝』

・「生物はみな、いつかは死ぬ。死んで十万億土を旅して、お浄土へゆく」
                  〜『雑賀六字の城』

・死ねば、すべてはおしまいだ。この世の不安も不自由も、とろで俺は、
死を怖れているのだろうか、と酔った頭で考え,は、死をこわがっては
いない自分をたしかめる。      〜『剣のいのち』

・ 殺生は武士のならいじゃ。儂もいずれは死ぬ。迷わず成仏いたせ。
                  〜『名臣伝』

・ 世俗の雑事から遠ざかりたい。兵法日下開山の栄誉を求めて、何の価値
があるのか。人はみな死して一団の灰となるのみではないか。生きて殺生を
重ねるのも、自ら命を絶って山野に朽ちはてるのも、太虚のうちにうごめく
微細な人間がえがく一瞬の幻影にすぎないという考えが、武蔵を深い虚無
の奈落へひきこんでゆく。      〜『宮本武蔵』

・ 老修験者は惣角に教えた。
「まず無心になることじゃ。そのうえで、神を信じよ。己が神の分霊で
あることを信じよ。心底に一点の疑念もなく信じることができたとき、
わが身に神の御力が宿るのじゃ」   〜『鬼の冠』

▼ 最後の老修験者の言葉がよい。「無心になり、己が神の分霊であることを
 心底信じることが出来れば神の力は宿る」は、その言葉どおり。それも、
これも、宇宙からみれば、微塵なこと。

・・・・・・
5106,閑話小題 〜韓国が変
2015年03月08日(日)
   * 韓国が変
 今さらだが、ますます韓国が変。韓国フェリー転覆事故、そのセウォル号
オーナーの変死事件。そして大韓航空の一連が収まったら、今度は米国大使
への傷害事件。あまりに何もかもが雑。 前大統領と現大統領の素質もあるが、
政権維持のための日本に対するバッシングは見え見え。韓国は、ほぼ米国に
経済占拠をされ、殺伐とした空気。隣には北朝鮮が存在し、米国の経済圧力
との板ばさみ。国民の7〜8割が海外移住を望んでいるというが。
それらを象徴する事件。これも近未来の日本の姿? 世界が動乱期に入って、
一番弱い?朝鮮半島が、その象徴として現れ出た事件。とすると次は日本? 
南欧?中国? 大統領が換わるたび、その劣化が鮮明に見えてくるのも、
如何なものか! ところで、ネットに以下のような日本との対比があった。
1.日本人男性と女性ともは韓国人より「やや小柄」
2.性格は日本人より直情的、直感的
3.日本人の平均年収は韓国人の約2倍
4.韓国は日本よりも少子高齢化が進んでいる
5.韓国の失業率は世界で2番目に低い
6.韓国の学生の読解力は世界一位
7.美容整形をしたことのある韓国人は日本人の2倍以上
8.韓国の強姦件数は、日本の40倍以上
9.窃盗事件、殺人事件ともに日本が件数が少なく、麻薬事件は日本が多い
10.韓国人の幸福度は低く、自殺者が多い。自殺率は10年世界一
 隣国のことを言ってはいられないのが日本。国家予算が、収入に対して
二倍になっても、その削減が出来ない事態。目先、5年後の東京オリンピック
に目を向けさせ、その事実から自己逃避をしているだけで、そのツケはくる。
ある日、国債と、株式相場の暴落となって襲いくる。で、「日本は、もっと変」
・・・・・・
4741,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜1
2014年03月08日(土)
    * 「ソロモンの指輪」の物語が面白い!    
  まずは、ーネット検索の内容からー
【 昔、ソロモン王は、悪をはたらく72人の悪魔たちを真鍮でできた器に
 入れて封じ、湖底深くしずめたとされます。しかし時を経て、そうとは
知らないバビロニアの民が湖底より引き上げて、封を開けてしまった。 
かくして人と悪魔がともに住む時代がやってきた。時が経つにつれ、ソロモン
王自ら望まなかった名誉をも手に入れていた。外国の女性もふくめ妻700人、
側女300人も仕えさせるほどとなっていた。賢明なソロモン王でも、長い間
ライバルもなく、一人勝ちの状態が続けば慢心する。それを見た神が罰として、
悪霊を遣わした。 その悪霊は、ソロモン王に化けて、知恵の象徴である
ソロモン王の指輪を奪い、海深くに投げ捨てた。悪霊はその後、ソロモン王に
なりすまし、本物のソロモン王を城から追い出した。指輪を失ったソロモンは、
知恵も誉れも無くし、自分を王だといっても信じてもらえず、物乞いしながら
生きながらえる毎日でした。やがて3年の月日がたち、ソロモンは、別の王国の
王宮料理人と知り合い、見習い料理人となりました。 そのうち彼の料理が気に
入られ、そして王女に慕われるようになりました。 やがて二人は結婚を決意。
しかし、王様は、料理人との結婚を許さず、二人を砂漠に追放した。
二人は砂漠を彷徨い歩くうち、運よく海岸へ出て、とある漁港へたどり着く。
空腹を満たすために、そこの漁師からなんとか水と魚を分けてもらい、魚を
調理しようとお腹をあけると、神の名が刻まれた指輪がでてきました。
その昔、悪霊に海へと捨てられた彼の指輪だったのです。それを指にはめると、
たちまち力が蘇った。ソロモンは、その指輪を着けてエルサレムに戻り、偽の
ソロモン王を倒して王座を取り返ました。 そして、ともに砂漠をさまよった
王女を唯一の妻として一生幸せに暮らしました。】
▼『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)からの三部作と、前日譚にあたる
『ホビットの冒険』が3部作として、2012年から2014年にかけて2部が公開され、
2部まで、都合5作を見てきたが、これが面白い!旧約聖書外伝のこの
「ソロモンの指輪」が原型かどうか? キリスト教圏の人たちにとって、
誰も知っている物語。その辺りが、欧米と日本人の見方の違いになるが・・
ところで、生まれてこの方、指輪などしたことがなかった!
・・・・・・
4374, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー6
2013年03月08日(金)            
 * 平等も格差も遺伝子に組み込まれている    
       「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
 チンパンジーに、既に平等が埋め込まれているとは驚きである。
長年の間の試行錯誤の結果である。ということは、それから進歩した人間は、
平等から一歩進めて「公平」という概念になる。この辺りが一番難しい。
容姿も、能力も、人種も、生まれてきた環境も、その人によって違っている。
当然のことながら、人間は不平等に生まれつく。しかし、チンパンジーの
遺伝子に平等も格差も組み込まれている意味を考えてみる必要がある。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 二頭のチンパンジーを、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に入れ、
 片方にキュウリを与えるえるとおいしそうに食べる。ところがもう一方の
チンパンジーにバナナが与えられると、いきなり怒り出して、手にしていた
キュウリを壁に投げつける。さっきまであんなにうれしそうだったのに。
霊長類学者のドゥ・ヴァールは、こうした観察結果から極て重要な発見をした。
平等はチンパンジーにとって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」。
 ぼくたち人間も、「平等」に強いこだわりをもっている。人種差別でたくさん
の血が流れるのも、バックパッカーがぼったくられに延々と文句をいうのも、
同じ人間として平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に
刻み込まれた生得的な価値観なら、なぜ世の中は格差社会になるのだろう。
それは、「格差」もまたぼくたちの遺伝子に刻印されているから。
 初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらにも手が
届くところにリンゴを置くと、互いに取りあう。負けがつづくと威嚇の表情を
見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に所有権があることを認めている。
 ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を
出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴から二頭の間で自然に序列が
生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲る
ようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で遊ばせるとごく自然に
階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、この傾向は明瞭)。
サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識に支配したり従ったりする
強力なちからが働いている。人間の耳には、五〇〇ヘルツより低い周波数は
意味のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話を
すると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。 ひとは無意識のうちに、支配する側に
ハミング音を合わせるのだ。≫
▼ サルの研究では、サルと人間の重なる部分から、人間の本質を探っていく。
 特にサル社会の「平等」と「格差」との微妙な調整がポイントとなる。
生まれて死ぬまで、高校、大学、会社、事業、結婚相手などの選定が延々続く。
  その結果、都会では、住む地域まで格差ができる。その最たるものが皇居。
アフリカの王族国家を見れば、システムの馬鹿馬鹿しさが見て取れるのに、
自国になると分からない。
 ・・・・・・・
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、ほぼ休まず書いてきた。
自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標だが、
四千回を契機に、時どき休むことにする。また五千回に到達した時点で半年位は
休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した
内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し
知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける
動機づけにしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いた
ため、それが、そのまま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内
そのものでもある。自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。
今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。 
書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で
奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が
無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。しかしブログに
字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。
それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年も
しないうちに、自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなく
なる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、
書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。 
また分類ボックスの一番下に、過去の文章の検索が出来るようになっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、
と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
 以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
・・・・・・・・
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をして休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、随想日記を書き始めた日を境に
自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。20〜30人位?の人に
毎日読まれていると思うと、見守られているような感覚になる。作家などの
物書きが必死になって書くのも解るような気がする。死ぬ前に全てを消し去る
のもよいし、また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らない
のだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の
遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと
一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。ス〜と書ける日はよいが、全く書けない
日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
・・・・・・
2006/09/25
2001, 二千日の随想日記! おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも
何かの因縁である。 (字数制限のためカット 2014年03月08日)
・・・・・・・
3634,  閑話小題   
2011年03月08日(火)
 * てっぱん
 毎朝のNHKの連続TV小説の「てっぱん」が面白い。私生児?の19歳の女性の
目を通して家族問題をテーマにしたもの。舞台は大阪と尾道。下宿先の訳あり
の住人たちが個性的で人情があり、互いを支えあっているという設定。
実際の社会は、この夢のような暖かさはない。逆に虐めと見下げの中で、
本人は崩れていく。往年の美女、藤純子がお祖母さん役で、番組そのものを
引き締めている。全体に流れている湯気が出ているような暖かさは、
家族崩壊が問題になっている中、大きな問いかけになっている。
それにしても、19歳のヒロインの持てること。逆に周囲の男たちの持てない
ことが何か不自然である。 それがTV小説であるが。それと、ここには悪役、
三枚目役が全くといってよいほど出てこない。 それも良いのかもしれない。
 * 携帯電話の買い換え
 先日、家内の携帯電話の買い替えのお付き合いをした。 私の携帯電話を
半年ほど前に、iPhonからドコモに買いかえたばかりなので、家族割引
もあるので家内もドコモにした。 私も家内も型落ちのゼロ円のもの。
しかし半年前には2〜3万はしたもの。その二つを比べると、その差に驚いて
しまった。携帯は日進月歩なのである。売り場は半分はスマートフォンで占め
られていたが、これまでの携帯電話ではカメラ機能が強化されたものがメイン。
数年で、大部分がスマートフォンになるのだろう。世界中の情報が、これら
端末情報機器から大量に流される時代。一時代前までの社会的格差は、その
まま情報格差に比例していた。それが、フラット化していけば、社会的格差が、
これまでと違ったカタチになってくることになる。これが北アフリカ、中東の
アラブ圏で起こっている変動として現れている。パソコンも、卓上、ノート、
そしてタブレット型と進化をしてきた。携帯電話からスマートフォンへ雪崩を
うって移行を始めたが、これがどの方向に変化していくのか? スマート
フォンとタブレットの境目は、どの辺になるのだろう? 35歳が子供の頃から
ゲーム器やパソコンに慣れ親しんで育ってきた年代の分岐点となる。
その人たちが社会の中心点になろうとしている現在、時代は大きく変わった。 
もう化石人間などという言葉は、誰も使わなくなった。誰もが使えるように
なってきたからだ。しかし、情報格差は、違う意味で果てしなく広がり出した。


5835,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −5

2017年03月07日(火)

    
     < 体感!グレートネイチャー!「奇跡のビッグウェーブを追え!
           〜アメリカ ハワイ〜」(BSプレミアム)2月25日21:00
  * ビックウェーブのド迫力
 映し出される映像の圧倒的迫力に魅入って自分に、「いい歳をして、何を
しているのか?」の内なる言葉は軽く打ち砕かれる。ムササビスーツを着て、
頭の先にビデオカメラを装着してムササビのように滑空する録画や、大津波で
流される街の衝撃的映像を見るにつけ、魔物に憑かれたように冷静に見ている
自分に驚かされること屡々である。
 大空に展開されるオーロラや、アフリカのサバンナの野生動物の生死をかけて
生きる姿は、現地でないと分からない。 が、現在のデジタル技術は、それを
カバーするところがある。その一つが高さ20mのハワイの巨大サーフィン! 
色々な撮影手法で迫力ある波間の一瞬を映しだす。ハワイには、様ざまな要素
が重ねって神秘的な大波が打ち寄せる!
  〜NHKの説明では〜    
≪・ハワイ・オアフ島ノースショア。真冬になると巨大波が押し寄せる海岸線。
 20mもの波はエメラルド色の分厚い壁。重低音を響かせて白砂のビーチで
砕け散る。取材班は熟練のサーファーとともに、巨大波を追跡。目の当たりに
したのは高さ15m、5階建てのビルに匹敵する巨大な波。キラキラと輝きながら
刻々と形を変え、まるで生きたガラス彫刻のようにうごめく。 
 波の先端が丸まって円柱型のトンネルが形作られる「パイプライン」。
その内側の世界を熟練サーファーに取り付けた小型カメラで写し取る。
・なぜノースショアには大きな波が到来するのか?ハワイ諸島の空と海を縦横
無尽に探索し、たどり着いたのはホットスポット型噴火によって点々と並んだ
ハワイ4島の絶妙な位置関係。日本の嵐に端を発した波が、巨大波となって
たどり着く奇跡的なメカニズムだった。今までのグレートネイチャーとは一線
を画す、清涼感あふれるエンターテインメント大作。巨大波が放つ圧倒的な
自然美をたっぷりと体感する。≫
――
▼ サーフィンに魅入られ移住してきた父親と息子。父がパイプラインの中を
 サーフィンする一瞬を撮影する。本人の頭にはカメラがある。その迫力ある
映像の世界は見ている者にも共同体験の錯覚をもたらす。去年あたりから、
メガネ型動画プレイヤー が家電店頭に並ぶようになったが、これが次世代の
バーチャルの世界? あと10年、生きたくなってきたが… 3年間に圧縮可能?
 もっとも、今どきのハリウッド映画の世界は、バーチャルそのもの。
「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅言葉が
あるが、毎週、異次元世界を見ているのに、今さら何を? 
 …で、次は「パンプローナの牛追い祭」 その次は、「リオのカーニバル」
「イグアスの滝」「グトルフォスの滝」「イスラエル巡礼の旅」。 …行って
見てないが、「メッカ巡礼」の集団礼拝が面白そう。 
  <行ったつもりの世界異境の旅>のテーマがコンセプト?

・・・・・・
5470,人生で最も大切な技術 ー28 フロー状態
2016年03月07日(月)
   * フロー状態を経験する
 金沢の衣料チェーに一年半ほど勤めていた時や、実家の衣料量販店で、
服に値札の糸通しをしていた時に、三十分も続けていると、奇妙な悟りの
ような奇妙な心持になる。これをフロー状態というらしい。〜その辺りより〜
≪ 誰にでも、一つの活動、実験または感情に猛烈に没入する、という経験が
あるだろう。クレアモント大学院心理学部のミハリ・チクセントミハイ教授の
提唱するフロー理論は、まさにそのことを論理化したものである。1960年代に
創造的なプロセスを研究していた同教授は、一つの事実に思い当たった。
 画家は、創造プロセスが順調なとき、作業に完全に没頭していて、完成まで
その状態に止まり、疲労も空腹も不快感も一切意識しない。作業が終わると、
突然に関心が消える。このとき画家は、「フロー状態」を経験しているのである。
その時間中は、自分のしていることへの没入のほうが、最終的な結果よりも
価値が高い。この現象に好奇心をそそられた教授は、活動の喜びが一番の
インセンティブとなる、画家、登山家、チェス名人、外科医、作家、肉体労働者
たちと数多くの面談を行った。同じ岸壁を十数回登ったロッククライマーに
とっては、頂上にたどり着くまでのプロセスが喜びであって、登頂はそれほど
重要でないのは明白である。特別の目的地もなしに、音楽を奏でながら、
またはトランプで一人ゲームを楽しみながら、ヨットで湾を巡洋するヨットマン
にとっても同じことが言える。このようなときに人は、「活動そのものに完全に
没頭している。エゴや時間を超越する感覚がある。どのような活動、動作、
思考も、前のものを引き継いでいる。それはジャズ演奏のようなものである。
自分の全存在が巻き込まれ、自分の技術を最大限に駆使する」。
 フロー論に近い状態まで心を没頭させること、ということを自ら発見した。
通訳で、講師が話している間は、心を完全に応えられる状態にしておく。
すなわち、心を一切の雑念が入り込まないように解放した白紙状態に保ち、
緊張を伴わないで注意を集中した状態にしておく。こうして耳に入る内容を
伝達する。それは、一杯になった水差しから別の水差しに中身を移し変えるのと
同じ作業である。出発点と講義の脈絡だけを記憶しておけばいいのである。
こうすれば続々と耳に入る詳細も、概して、骨を折らずにこなせる。
 心が注意集中状態でしかもリラックスしているので、長々した複雑な講義でも、
極めて忠実に再構築することができるのである。雑念や外的な出来事が翻訳の
フローを断絶する場合、魔力は消え、本筋に戻るのが難しくなる。
この事態に陥ったときは、いくつかの詳細が記憶から漏れる。数秒間、
心が真っ白になる。フロー状態を正しく経験するには、メモは取らないほうが
いいだろう。すべてがとんとん拍子に運ぶとき、スムーズな流れが穏やかな
喜びを醸しだしてくれる。自意識とは、自分自身の観察であるが、それが
事実上不在になり、疲労を忘れ、時間の経過は、遠くからは見えない川の流れ
のように、知覚することがなくなる。チクセントミハイ教授によれば、アイロン
掛けとか組立てラインなどの最も平凡で単調な作業中にフロー状態を経験する
こともある。ただし、経験するかしないかは、時間の経験の仕方にかかっている。
フロー状態を経験しない場合、事実上どの活動も、耐え難いとまでは言わない
までも、退屈でうんざりしてくる。同教授は、フロー状態に入りやすいタイプと
そうでないタイプがあることも発見している。≫
▼ 早朝の、この文章の仕上げで、気持ちを集中させ、完成までの2~3時間は、
アッという間に過ぎ去っていく。この時も、一種のフロー状態。この程度の
文章に、ネタさがしと、下書きを入れると3時間を要している。何でまた?
というが、そのフロー経験そのものが良いから続いている。少しでも、嫌と、
思ったら到底続くものでない。フロー状態だから、前年の同月同日の内容に、
不思議な偶然として繋がるのだろう。
・・・・・・
5105,社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔
2015年03月07日(土)
       「毛沢東の大飢饉〜史上最も悲惨で破壊的人災」
                   フランク・ディケーター(著)
  * 毛沢東の大飢饉
 もう四半世紀前の1989年になるが、北京経由の桂林へのツアーで、
現地人ガイドが桂林で何気なく発した言葉に驚愕をした。
『文化大革命の時、それぞれの村に死体が山のように積まれていた。
私の村でも、積まれているのを見た。桂林では、あそこ!」と、指をさす。 
 現地で生々しい虐殺の話を聞くのは初めて。日本では、聞けない話。
旅行当時、北京の天安門広場近くには通勤途上の人民服の人が乗る自転車で
溢れていた。 資本主義的近代化?に向かう一歩手前の中国の姿だった。
  〜アマゾンの案内より〜
<15年以内にイギリスを追い越す」と宣言した毛沢東が始めた「大躍進」
政策は、人肉食すら発生した人類史上まれに見る大飢饉と産業・インフラ
・環境の大破壊をもたらした。香港大学教授が中国各地の公文書館を精査。
同館所蔵の未公開資料と体験者の証言から「大躍進」期の死者数を4500万
(大半が餓死。うち250万人が拷問死、裁判なしの処刑死)にのぼると算出。
中国共産党最大のタブーの全貌を明らかにし、北京が震撼した衝撃の書!>
  =投稿者の内容より=
≪ もし地獄というものが、あるとすればこの時期(1958〜1962)
 の中華人民共和国の姿であろう。この大躍進の前に、小躍進という大災害
があり、主としてスターリンのソホーズ・コルホーズを、中共がまねをして、
同じような飢餓と腐敗を味わったのであるが、たくみに、フルシュチョフと
張り合う形で、イギリスの鉄鋼生産量を追い抜くという、ばかげた、いや、
恐ろしい計画が、毛沢東がその権力維持の為に、発動される。それが大躍進
という地獄。共産主義国家において、しかも独裁者のもとでは、一度動き出した、
この地獄のプランは止められない。止めようとする者は地獄に落とされる。
およそ、考えられる地獄の様相はすべて盛り込まれている。単に餓鬼地獄だけで
なく、暴力、強姦毒殺、自殺のような他殺、親殺し、子殺し、人身売買、人肉や
泥、糞尿を食べる人、食べさせられる人、あらゆる冷酷のかたち、あらゆる
サデズムの形態で現実におこなわれる。発狂、逃亡、集団死、強盗、暴力
あらゆる悪徳、腐敗、無恥、がどのようにどこでおこなわれたかを、綿密に
書いていく。墓場から死体を掘り出し、あるいは飢餓で死んだ死体を肥料に
してまく。この歴史を国民に教えることはタブー。このような地獄のうえに、
その誤りを指摘する劉少奇を粛清するために、毛沢東は第一次文化大革命、
第二次文化大革命へと権力維持装置をフル回転させるわけだが、ここで
日本でも教養人にファンの多い周恩来などは、自分の命を守る方に
うごいていたこと忘れてはならない。身近な人が、身近な人に襲い掛かり、
子供といわず、婦女子、老人をたたき殺す、その異常死の数4500万人
ともいわれた大躍進の地獄は、人々の心から、忘却されてない。≫
▼ これに文化大革命を加えると、7〜8千万人が死んだというから、
 人口の一割に当たる。もし日本だったら一千万人が犠牲である。
1958〜1962年なら私が中学校の頃、隣国では、こういう惨劇が!
・・・・・・
4740,<つまずき>の事典 〜   ー8
2014年03月07日(金)
  * 「他人歓迎」       <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 既に亡くなったが、長年、連続テレビ映画の『ララミー牧場』の解説をし、
「さよなら、さよなら、またお会いしましょう」で終わる名調子の淀川長治
の言葉を紹介している。
☆ 『 映画は、ただ娯楽というだけじゃなくて、いつでも人間勉強させて
 くれるので、私は映画に命をかけました。ちょっと大げさですけど、映画
 への愛が今日の私を作りました。(中略)そして私は、映画から3つの
 言葉を学びました。「がんばれ、苦労、来い」。二番目は「他人歓迎」。
 “他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい、映画は、
 そう言っていました。もう一つは「私はいままで、嫌いな人に一人も会った
 ことがない」。映画を見ていて、こういう言葉が出てきた時に、私はメモ
 しました。家に帰ってから、それを身につけようとして、今日まで来て、
 どうやらどんな人とも仲良しになれる気持ちになりました。愛は、本当に、
 豊かな人生をもたらしてくれます。』  :淀川長治「美学入門」より
  〜ネット調べると、以下も、なかなか良い〜
☆『愛というものがあるからこそ、人間は美しく生きられる。
 愛のない人間は汚い。お金だけで行きている人間は汚い。
 アメリカの言葉にもあります。「金で買えるすべてのもの、それは悪魔
 でも買える。しかし・・金で買えないものを持っているのが、人間。」
 それは、愛ですね。愛は金では買えませんね。そういうことも映画から
 教えられました。』         :「大人の学校ー入学編」
☆『キザな言い方だが、講演するときもこのあと私はきっと死ぬのだと
 自分に言い聞かせることにしている。するとその講演に命をかける。
 二時間がまるで20分ぐらいの勢いでしゃべってしまう。講演の後は
 汗でびっしょり。けれども不思議なことにこの方が疲れない。思いっきり
 やったという私だけの満足感が疲れを忘れさせる。』『人は必ず死ぬ。
 一日を十分生きなければ損だ   :格言[いつも人生最後だと思う]
☆『チャップリンは幼少時代ひどい苦労をなめた。貧しさのあまり頭が変に
 なった母とチャップリンは二人暮らしになった。父を5歳で失った時に
 母は発狂した。腹違いの9歳の兄はこの家から逃れて船のボーイになった。
 5歳のチャップリンは食べるものがなくなってマーケット裏に捨てられた
 残飯を拾ったこともあった。その苦労がのちのチャップリン喜劇の中で
 いかに生きて描かれているかがわかるのである。それにこの母が実は
 偉かったのである。気が鎮まって正気を戻すと、小さな我が子を枕辺に呼び
 「イエス様はお前が運命を全うすることをお望みなのだよ」と何度も諭した。
 つまり自殺をするなということである。それは小さな我が子に言うよりも
 苦しい自分に言って聞かせたのであろう。 そのチャップリンの苦労が
 のちに幸せの花を咲かせたのである。思えば神様は人間を豊かに幸せに
 するためにいつも苦労させるのだ。:格言[苦難のあとに幸せの花が咲く]
▼ チャップリンのコメディの基本となる「悲惨な生活の喜劇化」。
 彼の芸は道化師の芸からの頂きで、「サーカスのネタばらし=自分自身
のネタばらし」である。少年の頃から、お金を稼ぐため、大道やステージに
立って注目を集めるために道化師の芸を盗んだ。子供の頃の生活のための
知恵は、万人の心をうつ。『一日を十分生きていれば、どんな場面でも
乗越えることが可能である』が、それが一番難しい。 
『一日を充実させる』さえ心掛ければ、十分!


5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4

2017年03月06日(月)

   * 世界の絶景をドローンで空撮
 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿
した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、
節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。
 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ
をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面
をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。
その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた
星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの
空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。
  〜2人のネット記事から〜 
【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。
 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、
これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン
だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。
「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。
世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の
写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が
近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。
それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」
いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん
が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ
2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を
のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した
映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、
BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。
  ● 2人が旅から得たものは?
 ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。
例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略)
上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、
すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。
パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて
いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない
とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」
 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験
だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。
千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を
していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している
映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、
『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。
 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示
している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の
オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、
最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、
「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。
――
▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の
 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。
この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの
進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代
からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ
があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の
受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。
〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。
・・・・・・
5469,人生で最も大切な技術 ー27 黄金の時間への回帰
2016年03月06日(日)

 5年前から、早朝から「黄金の習慣」を編上げたスケジュールを淡々と過ごす
日々が、そうと言えるが、どうだろう。世間的なことを、ほぼ無視できるし、
一人、ほぼ単独でこなしている。一番の心の切替が出来たのは、20時から4時間、
爆睡をした後の、4時間の半睡を、瞑想のように過ごす。4年前からジムのヨガを
週に2〜3回、参加しているが、最後に死者のポーズを5分ほど行う。それと同じ
感覚にすると、かなり酷似した感覚になる。 歩の時間が、成金の時間帯に
変わっている。 〜その辺りから
≪ 一日に一度、ほんのわずかな時間でもいい、心を内省する時問を持ったら
 どうだろう。たしかに、知的な会話や頭を使わないですむ娯楽もそれなりに
楽しいものではある。だが、それらが本当の満足感を与えてくれるだろうか。
心を内側に向けよう。山のように習得するだろう。毎日わずかの暇を見つけて、
利他的な考えを養成し、心がどのような働きをするかを観察するのは非常に
価値のあることである。こうした心の探査は、地域情報やスポーツ記事を読む
時聞に比べて千倍も多くのものを得る上、永続性がある。世間的なことを
すべて無視しろ、と言っているのではなく、時間が有効に使われるべきだ、
と言っている。現代人は思考ゼロの状態にはまり込んでいるのである。
 挫折を味わうとか、仕事が空回りする等の経験をした場合は、
「すべてを客観的に捉え直す」ことにわずかの時間費やす。だが、その方法と
費やす時間が問題なのである。辛い時間が「さっさと過ぎ去る」のを待ち、
「気持ちをまぎらわす」何らかの気晴らしを熱心に探そうとする。 それが
ほとんどの場合だろう。だが、俳優と場面は変わっても、芝居は続くことを
忘れてはならない。湖の畔、丘の上、静かな部屋に座り、自分の奥深い部分が
どのような構造になっているのかを観察してみたらどうだろう。まず、自分の
人生で何が一番大切か、それをじつくりと検証する。続いて、それまで時間を
割いてきたさまざまな活動を点検し、基本的に重要な事や活動を優先して順位
をつける。日常的な活動のうち、必要性の低い部分を、沈思黙考と内側に目を
向ける時間に切り替えることもできるだろう。長年にわたり、英国を離れて
隠遁生活を続けたテンジン・パルモ尼はこう記している。「人は瞑想の時間が
ないと嘆くが、それは正しくない。廊下を歩いている間、信号待ちの間、
コンピュータで作業中、列に並んで順番を待っている間、と入浴中、髪を梳か
している時でさえ瞑想はできる。今この瞬間に存在しているだけでいい。
心についての余計な解説は要らない」。 人生の残ざれた時間は有限である。
人間は、生まれたその日から一秒、一歩ごとに死に近づいている。
チベットの隠者、バトゥル・リンポチェは詩的な表現をしている。
  日没に太陽が沈むように、命が次第に残り少なくなると、
  死が、長ぐ伸びた夕暮れの影のように近づいてくる。
▼ 別に、私が黄金時間を満喫しているということでなく、御隠居生活
 そのものが、心の持ちよう、考え方で、それに近づける状況ということ。

・・・・・・
5104,閑話小題 〜絶食系男子・女子
2015年03月06日(金)
   * 絶食系男子・女子
 いつの時代にも、様々な男女のタイプがいる。学生時代は、志すところが
あってか、機会は有り余るほどあったが、特定の相手はいなかった。卒業の
半年前に、ゼミの教授に「学生時代に相手を見つけておきなさい」と言われ
焦って探したが時、既に遅かった。しかし、勤務先は女性の職場、それぞれの
転勤先には、こんな美人が実際に存在しているのに驚かされた。対象の年代は、
団塊の世代で、私の世代は終戦直後の男の絶対数が少なく、環境として非常に
恵まれていたため、一人に固定されると、その特権を放棄することになる。
そこでフワフワしているのが、最適。それも、22〜27歳の間だけ。 昨今、
肉食系、草食系と言われていたが、今では絶食系男子、女子が増えているとか。
過去に一切、付き合ったこともないし、その気がない?と街頭インタビューを
していたが、「傷つくのが怖い」「自信がない」「面倒だ」「理想の人が
いないし、いても相手は無理」とか、様々。どれもこれも身に覚えがある。 
 誰も無意識で、自分のレベルより1〜2ランク上の相手を望むが、情報化は、
それをテレビや、ネット上で具体的に提示する。そのうち、それが最低条件に
変化していることに気づかない。悪いことに、映画やTVドラマで、理想的
ヒーローやヒロインの虚像を焼き付ける。現実に、そんな相手は存在しないし、
いても相手はミスマッチとなる。で、どえらい失恋を重なるうち、諦める
しかない。次は拒食系男子・女子が出てくる? ところで、その番組の中で、
「レンタル彼女・彼氏」があるという。ただ数時間デートをするだけで、
何も?無しで、二万数千円。その方が気楽で良いという。解らない時代だ。
・・・・・・
4739,<つまずき>の事典 〜   ー7
2014年03月06日(木)
* 私は人一倍こわわがり屋!(植村直己)<つまずき>の事典>中村邦生編著
 誰でもこわがり屋で、神経質である。もし、そうでないなら無知か、無神経
である。それを登山家の植村が逆に準備を周到にすることで乗り越えてきた。
私も、人一倍こわがりで、神経質の性格を乗越えてきた。初めてのケニアも、
 生きて帰れるかどうか、到着するまでは恐ろしさで震えていた。でも、
サファリ地区に入れば、何とことはない、世界で名だたるレジャーランド。
要は、決心できるかどうか。人生と同じである。 ーその辺りを抜粋ー
《 ☆ 人から「そんなに次次に危険を冒してこわくないのか」と、よく
 聞かれるがとんでもない、私は人一倍こわがり屋。危険に直面したとき、
自分だけはなんとしても生きたい、と思うのである。普段の生活では表に出ない
利己的なものが、危険に遭遇した時、あらわれるのである。ー植村直己『冒険』〜
 植村直己(1941~84)は登山家・冒険家。兵庫県生まれ。モンブラン、
キリマンジャロ、南米のアコンカグア、エペレスト、北米のマッキンリーと
世界初の五大陸最高峰登頂者となった。チョモランマを除いては単独登頂。
他にも、アマゾン川を筏で下ったり、北極圏一万二千キロを犬ゾリ単独走破
などを成し遂げた。この希有の冒険家も明大山岳部に入りたての頃は、
新人の中でも最もパテが早く、使いものにならなかったという。
 この『冒険』は一九八○年刊行の自伝的冒険記。引用は単独行への新たな
挑戦を語る章の一節。この「利己的なもの」という言葉に続けて、
「北極圏の犬ゾリ旅行のとき、ひとたび食糧が欠乏して生命に危険を感じると、
それまで家族のように接してきた犬も食糧に見えた」と告白している。
植村直己は「未知の世界に立ち向かうとき、私はあらゆる準備に時間をかける。
そして、成功への可能性が見つかったとき、初めて行動に移る」と自他ともに
認める慎重居士であった。しかし一九八四年、マッキンリーの冬期単独初登頂
に成功した帰路、消息を絶った。43歳の誕生日を迎えた後であった。
この登頂は南極大陸横断という挑戦に備えてのことだった。》
▼ 長期の設備投資の事業をしてきたが、20〜30年以上の投資のため、
 多くの時代の波に曝されることになる。判断と、決断は、それを前提にするが、
そんな先が読める訳がない。そこに底知れぬ恐怖感がまとわり付く。そのため、
万一の備えをつくっておくしかない。今回の一連で、大部分の人が計画倒産と
思ったようだが、そんな小利口なことなど、私に出来ようがない。出来るのは、
再投資の度に、リスク管理を積み重ねてきた。そこには利己的な自分が顔を出す。
 気が小さく、愚鈍で、利己的な自分と常に出会うことになる。
だから綺麗ごとが綺麗ごとと自覚できない人の心中が透けて見えてくる。
ドラマと、現実は違う。その内面は、ドラマでは表現できない。
それは、自分で経験するしかない。
・・・・・・
4372, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー5
2013年03月06日(水)               
  * セックス原理主義から遺伝子中心主義へ    
         「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
 フロイトがユングにとってかわって久しい。そのユングも科学の進展のためか、
これまた時代遅れになっている。フロイトの説くエディコンプレックスの人間の
本性は、あまりに極端である。身近にいると、性欲対象から逆に外れてしまう。 
幼児期からの女友達と結婚するケースが殆ど無いことをみても分かること。
 ーまずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ 幸いなことに現在では、エディプスコンプレックスがまったくのでたらめ
 だということが証明されている。フロイトは、男の子の母親への欲望は生得的
なもので、それを文化的に抑圧し近親相姦をタブーとすることで社会が成立して
いると考えた。でもそうすると、ヒトとほとんど同じ遺伝子を持ちながら
文化的なタブーのないチンパンジーやオラウータンなどの類人猿は、近親相姦で
子どもを産んでいることになる。ところが詳細な野外調査によって、彼らが
じつに巧妙な方法で近親相姦避けていることが明らかになった。たとえば人間に
いちばん近い類人類ボノボは、思春期になるとメスが冒険的になり、故郷を
離れてほかの群れに加わる。それに対して内気な雄は、母親とともに群れに残る。
この無意識のプログラムによって、ボノボの兄弟姉妹が性交することはない。
遺伝子的にみて、近親相姦はきわめて不利な繁殖方法だ。・・
 ・・・いま精神分析に代わる新たな‘こころの原理’が登場してきた。
ダーウィンの進化論を、遺伝学や生物学、動物行動学、脳科学などの成果を
踏まえて検証し発展させようとするもので、進化心理学(進化生物学、社会生物学)
と呼ばれている。ダウィンの理論は、生物は自然淘汰によって、より効率的に
子孫を残こそうに進化してきたというものだ。長い進化の過程を生き延びて
こなければいまここには存在しないのだから、これは考えてみれば当たり前で、
コロンブスの卵みたいな話だ。
この単純な理論で、キリンの首が長くなったり、クジャクの尾羽が絢欄豪華に
なったり、生物学的にはチンパンジーと大して変わらないヒトがとてつもない
知能を持つようになった理由がきちんと説明できる。進化論はナチスの宣伝に
利用されたり、聖書の教えを否定する冒�と批判されたり、なにかと評判が
悪いけれど、現代の進化論(新ダーウィニズム)はさまざまな知の領域を横断
してとても洗練されたものになってきている。 ・・・ ≫
▼「遺伝子は、自らが生き残るために生物の身体を使う」という。 
 当分は新進化論が主流だろう。結婚相手は、北海道とか、九州など遠くの
地域の人の方が、遺伝子的にも良いと聞いたことがある。地方から一度、
都会に出たほうが、色いろな人と接する機会が多くなる。それは海外にも言える。
その遺伝子の性格は非常にエゴが強いときている。遺伝子も、乗り移った身体が
弱ければ、そこで終わってしまう。 ところで、孔雀の絵柄、誰がデザイン
したのでしょうね。
 ・・・・・・・
3998, 宇宙は本当にひとつなのか ー3
2012年03月06日(火)
         「宇宙は本当にひとつなのか」 ー村山斉著
「暗黒物質ーダークマター」「暗黒エネルギー」「多次元宇宙」「多元宇宙」
が、この本のキーワード。まず「暗黒物質ーダークマター」から取り上げる。
  * 「暗黒物質ーダークマター」とは?
 目で見えなくて正体不明だが重力を持つように観測されるものを暗黒物質
と呼ぶ。銀河は遠くに行っても星やガスの速度は遅くなっていない。このため
には、見えない物質(暗黒物質)が銀河の端に行くほど増加していなければ
ならないことになる。また、遠くの銀河団の光が巨大な重力により曲げられる。
これから暗黒物質が存在していることがわかる。そもそも、この暗黒物質が
なければ、地球も、太陽も、星も、銀河も生まれなかった計算になる。
この暗黒物質は何物とも干渉しないので、今この瞬間にも私達の周辺、身体を
すり抜けている。暗黒物質の有力候補がアクシオンと、超対称性粒子の
ニュートラリーノであると理論的に予言、期待されている。
ニュートリノ観測結果から、銀河系の中にある星はすべて原子できていると結論。 
銀河系全体では、その中心からの回転速度の観測から、見えないが重力を持つもの
(暗黒物質と命名)が存在し、宇宙進化のシミュレーションから暗黒物質が
存在しないと現在の宇宙は存在しなかったことになる。最新の宇宙研究の現場で、
この「暗黒物質」をつかまえる一歩手前まで来ている。現在、仮説としては、
「暗黒物質は異次元から来る使者という可能性」が、まじめに議論されている。
  ー以下は、暗黒物質についての箇所であるー
【 私たちは学校で、万物は原子でできていると習いました。
 ですが、その原子は宇宙全体の5%にもならないのです。ここで疑問に
 なるのが、残りの95%は何なのか。実は約23%は暗黒物質で、約73%を
 占めるのが暗黒エネルギーなのです。全部足すと誤差の範囲でちゃんと
 100%になります。暗黒物質も暗黒エネルギーも、名前はついていますが
 その正体はわかりません。】
【 この考え方が最初に提起されたのは1933年のことです。銀河団の銀河
 の運動を観測したフリッツ・ツビッキーが、最初にそういった。最近の観測では
 銀河団のほとんどが暗黒物質でできている。どうしてそれが分かるのか?
 重力レンズ効果を利用し暗黒物質の分布が分かります。重力レンズ効果とは、
 アインシュタインが予言したもので、光は重力に引っ張られて曲がる。 
 そのため、遠くにある銀河や星の光は変形して地球に届く。この重力レンズ
 効果が、今は正確に測定することができるようになったのです。暗黒物質の
 分布地図作りではっきりしたことは、暗黒物質は原子ではない、つまり宇宙に
 ある物質の8割以上は、原子ではないということ。】
【 暗黒物質は、ニュートリノ以上に、他の物質と反応せずに、地球なども
 すぐに通り抜けてしまう物質です。電子やニュウトリノと同じような小さな
 粒々の粒子だと思われる反応はしない重い素粒子と想像される。】
▼ ビッグバンから、この宇宙が始まったというが、その元になる素粒子が、
 どうして生まれたかは謎のまま。暗黒物質が、他の宇宙から来たというなら、
 ビッグバンの原因が、暗黒物質が来た原因を探し求めていく中で分かって
 くるのでは?と思われる。


5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3

2017年03月05日(日)

   * 現在も驚愕の日々が続く 〜ドローンで空撮
 昨年の秋に東京の葛飾に住む一回り年上のカメラマニアの従兄から、
「4kTVと、ビデオカメラが如何に素晴らしいか」を教えてもらい、寝室の
6年半使用のTVを少し早めに買換えた。当然、さほど余裕がない立場の身、
家内からの激しいバッシングを受けることに相成った。 従兄が語った
「私は進行ガンで老老介護の日々。生まれるのが10年早かった。ドローンに
8kカメラをつけて、名所の自然を空中から撮ってみたかった!」という悲鳴
に近い口惜しさが直に伝わっていた。そこで一月かけて、4kTVとは如何なる
ものか、家電店を10回近く見て回った。特に「ソニーの‘ブラビア’は別次元
の世界に誘う。4kだが実際は8kに近いしろもの」という殺し文句を数人の担当者
から聞くことができた。 人間の視覚を遥かに超えた4k・8kの画面は、現地
で見るより数倍に視覚能力を持つ。 TV検索によるネットサーフィンで昨日、
行きついたのが、
<ハネムーンに400日! BBCも取り上げた日本人夫婦の仰天新婚生活>の映像。
 そういえば、去年の暮れに話題になりワイドショーで取上げていた。
  〜ネット検索によると〜
【 「一生分の夫婦の話題づくりをしよう」
 そんな一言から、ある夫婦の壮大な旅路が始まった。関西国際空港から飛び
立った2人は400日をかけて地球を一周、48か国を巡った。2人は自分たちのこと
を「ハネムーントラベラー」と呼ぶ。400日間の世界一周旅行は彼らにとっての
新婚旅行だったのだ。新婚旅行で世界一周というのもユニークだが、彼らの旅
にはもうひとつ独特な試みがあった。行く先々でドローンを飛ばし、世界各地の
名所の空撮映像をSNSで公開していたのだ。これをイギリスの国営テレビ局BBCが
報じたことによって、2人はいちやく有名人になった。千貴さんがネット上に
アップした一連の動画の合計再生数はいまや1000万回を超えるという。
400日間もの旅路は夫婦に何をもたらしたのか、そして夫婦を旅にいざなった
ものは何だったのか。2016年8月に日本に戻った。新たな生活を営み始めた2人に
話を聞いた。<ドローンから撮影した絶景はこちら> 】
▼ 従兄も、これを見たのだろうが、写真マニアなら実に無念のはず。
 私が50年かけて51回、合計延べ500日間、予算が3500万円。 
この二人は、予算500万で、400日。家賃3万円のアパートに暮らし、徹底した
節約生活を送り、2年でこの大金を貯めたという。それにドローンに4kビデオ。
何とも羨ましい限り。プログラマ―のため、仕事で路頭に迷うことがないという。
2人の行先の多くが重なる… 毎日、真昼間から寝室に籠り、異世界に入り込む
のも、変といえば変だが、それでも精神は異世界で羽ばたいている。
 〜で、再び、文脈が、去年の同月同日の内容に続く。

・・・・・・
5468,人生で最も大切な技術 ー26 退屈と孤独を越えて
2016年03月05日(土)
   * 退屈と孤独を越えて
 退屈とは、何ら楽しみを見つけ出すことの出来ない状態で、楽しみの準備が
出来てない状態をいう。身辺を見ていると、本当に多い。楽しみは、10年、20年、
40年かけての準備を要する。それがないから退屈になる。目先の気晴らしと、
楽しみとは、似て非なるもの。 
≪ 退屈は、気晴らしを唯一の頼りとする人が避けることのできない宿命である。
 その人は、人生を一つの大きな娯楽と捉えるが、見世物が終わった瞬間に惨め
になる。退屈は、時間に価値を見出さない人の罹る疾患である。
 反対に、時間には計り知れないほど大切な価値があることを理解する人は、
日常的な活動や外からのさまざまな刺激からの、わずかの休憩時間を余すこと
なく活用し、どの瞬間にも備わっている、芳しく澄んだ音色を味わう。
その人は、退屈の意味も味も知らず、精神的に枯渇することがない。
 孤独にも同じことが言える。米国人の15%が、週に一度は強度の孤独感を
経験している、という報告がある。人間関係または世の中との接触を断つ人は、
エゴの幻想に陥り、群集の中で孤独を感じる。あらゆる事象には相互依存性が
あることを理解する人は、決して孤独に陥らない。 
 隠遁者を例にしよう。たった一人で過ごすにもかかわらず、宇宙のすべてと
調和し、一致していると感じることができるのである。
 注意力が散漫で集中できない人にとって、時間は、混乱した心に入り込む
物憂げな環境音楽のようなもので、まったく無為無益なものになる。
このタイプをセネカは次のように表現している。その人は、長く生きたのでは
なく、長く存在したに過ぎない。航海に出た途端に嵐に遭遇し、あらゆる方角
から絶え間なく吹きつける強風に翻弄され、同じ誹をぐるぐると回鄭している
状態を、長期航海と言えるだろうか。そのような人生は、航海ではなしに運命
による翻弄と呼ぶに相応しい」。≫
  * 楽観論の真の意味
≪楽観論には非常に深い次元がある。すなわち、人間の置かれた状況の如何
 を 問わず、あらゆる人間には変革への可能性があり、それを現実化できる。
その次元を指している。他ならぬこの可能性が、生きることに意味を与えて
くれるのである。人生はほとんど価値がない、と考えるのが究極の悲観論で、
逆境であれ歓喜の時であれ、一瞬一瞬が宝であることを理解するのが究極の
楽観論である。両者の違いは、単なるニュアンスの違いではなく、物事の見方
が根本的に違うという点が強調されるべきだろう。人間がどちらの見方をする
ようになるかは、心に平和をもたらし、それを強めることができる充足感を
自分の中に見出しているかどうか、で決まるのである。≫
▼ 一瞬一瞬が宝ということは、歓喜の瞬間こそお宝ということ。感動は、
 人を変える力がある。その蓄積は、決して減ることがなく、歓喜を呼寄せる
力を持つ。
・・・・・・
5103,悪夢の21世紀 ー7
2015年03月05日(木)
    * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜�
   ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
 「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
 の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
 最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
 出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。 
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
 特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
 することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
 壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
 全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
 ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
 容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
 ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
 ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
 というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
 見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
 専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
 わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
 すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
 ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
 いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
 バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
 収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
 やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
 市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの
 ではありません。それらは、世界を一層混沌へと落し込むでしょう。』≫
(15)≪『そうではなく、われわれが、われわれの歴史的経験と文化を確認
 しつつ、しかも日常の常識(コモン・センス)に立ち返って将来の社会像や、
 よき生というものを構想する力というほかないでしょう。それは決して
 専門主義からは出てこないものなのです。一種の総合力と構想力なのです。≫
▼ ニヒリズムでは、世界は救われない。やはり総合力、構成力が必要である。
 民主主義、自由主義が正しいと信じてきて、今さら何を信じろ!というのか。
長くとも、10年先に生きているかどうかと、考えると虚無になるが、せっかく
地球に奇跡的に生を受けたのだから、知る限りの知識と経験を貪欲に求めて
やろう、と生きるべきだが。 
・・・・・・
4738,<つまずき>の事典 〜   ー6
2014年03月05日(水)
* 据え膳食わなねど高楊枝の後悔と・・ <つまずき>の事典>中村邦生編著
人生の黄昏時になると、若い時の愚行と共に、
絶好の機会でありながら、犯さなかった愚行の悔い?が交差する。
  ーここで紹介している内容からー
《「男が最も悔やむ愚行は、絶好の機会でありながら犯さなかった愚行です。」
                    ヘレン・ローランド『男への案内』
ヘレン・ローランドは、アメリカのジャーナリスト・作家・主に若い女性への
愛と結婚をめぐるユーモラスで、皮肉な寸言を得意とした。例えば、「結婚前、
男はあなたの言ったことを夜中あれこれ考えて眠らずにいるが、結婚後はあなた
の話がまだ終わらないうちに眠ってしまうものなんです」といったように。
 o(・`ω´-+) --☆Wink…o(;-_-;)oドキドキ♪ _+)(/_;) 
 引用の警句「絶好の機会でありながら・・」を読んで、忸怩たる思いが込み
上げてこない男はいないだろう。もちろんこの種の「愚かさ」は、特に男だけに
限られたものではないが。しかしこれはやはり男のもの。つまり「悔やむ」
という未練の引きずり方のだらしなさにおいて、男独自のものである。
そもそも「絶好の機会」などというものからして、常に後になってみなければ
気づかないようにできている「機会」なのだ。》  (“o(>ω<)o”))オシイー!! 
▼「あの時、もし、愚行をしてしまったら、どうだったか」を考えると、
 やはり留まる理由があったから。逆に「愚行の失敗の結果が現在の自分」
と思うと、これまた複雑な心境である。「踏みとどまって良かったのか、踏み
とどまらずに云々・・」などを考えることが、引きずっている男の哀しさ。
結婚を考えると、解りやすい! 男は強力な下半身のエネルギーによる愚行で
結婚相手の判断を狂わせ、一生かかって後悔する。その結果が世の男たちの、
 姿だが。「若気のいたりの愚行が無いのが一番の愚行、若気のいたり!」と、
今東光が身の下相談で言っていたが。
「いい女、いい男」は、「いい女、いい男に見えるため、思えるだけ!」
というのが解らず、家庭内離婚を含め、大部分が一生かかって後悔する。
人生の大部分が愚行で成立している。「絶好の機会」は「絶体的危機」だった。


5832,『私の「戦後70年談話」』〜 �  崋禺圓燭舛悄�

2017年03月04日(土)

           『私の「戦後70年談話」』(2015、岩波書店)
 この本は、戦前生まれの41人の著名人が、各々の戦時中の体験を語り、
戦争と平和についての思いを綴った特集本。 終戦直後に生まれて71年。
何れの内容も私の人生に重なっている。『戦争は良くない』が底にある。
 ランダムに、その幾つかを取上げてみる。
  * 「若者たちへ」   ジェームズ三木(脚本家)1935年生まれ
               (三木氏は、満州で敗戦をむかえた)
≪ 若者たちに遺言しておく。戦争を起こすのは国家ではない。
 国家になりすました「時の政府」である。権力を維持するために、
国民に被害者意識を植えつけ、マインドコントロールして外敵をつくる。
場合によっては国民にも銃口を向ける。
 もうひとつ、戦争の本当の意味は、大量に人を殺すことである。
武器は人を殺す道具であり、軍事演習は人を殺す訓練である。
戦争に駆り出された兵士は、240万人が戦死をした。…(中略)
中国本土や東南アジアで、一千万人も殺した光景が、心にこびりついている
のと、国に命を捧げずに生還したのは、後ろめたさがないからだ。…(中略)
 日本の首相の靖国参拝が、中国の批判を受けたっときも、国のために戦死
した英霊を参拝してどこが悪いと居直ったが、中国人にしてみれば、国土を
荒らしまくり、父母や祖父母を殺した東洋鬼(トンヤンクイ)が、祀られて
いるのだから、面白くないだろう。日本人の歴史認識が薄いといわれるのは、
まさしくこのことで、ものごとを相対的に見ていない。若い世代にきちんと
歴史を教えないまま選挙権の年齢を下げるのは、どうも危なっかしい。…(中略) 
 旧満州にいた200万の日本人は、着のみ着のまま追い出され、戦争難民として
引き揚げた。頼みの祖国は米軍に占領され、爆撃で焼け野原になっていた。情け
ないことに私たちは、鬼畜米英とさげすんでいた米兵に、ギブミーチョコレート
と、へらへら揉み手して飢えをしのいだ。私たちは権力者に、騙されていたのだ。
はっきりいっておくが、核兵器を廃絶しない人類は、やがて滅亡する。
国家間の戦争なんてやれるはずがないのに、軍事力を強化して何の意味がある。
この国の存続を望むなら「永世中立」を宣言すること。人類の歴史をつなぎ
たければ、国境も国籍もなくし、世界を一つの憲法、ひとつの通貨で結ぶこと。
若者よ、がんばってください。
――
▼ 現在の様相が、太平洋戦争直前の様相に似てきている。米国の衰弱とソ連邦
 の解体で中国の力を増し、日本や東南アジアの海域に触手を出してきている。
日本も、敗戦時の政治家の孫が権力を握って同じ道を歩もうとしている。この書
は自戒の書として読む価値は充分にある。戦後から45年は成長期、残りの20数年は
停滞期にある。その辺りが、私たちに世代の人生に比例して重なる。300万人の
死者を出し、1000万以上のアジア人を殺した太平洋戦争は、日本にとって、最大の
歴史的大事件。世界にとっても、第一次+第二次世界大戦は人類史上の歴史的惨事。
そして70年。何かビッグウェーブが? 『今世紀中に人類が滅びる?』という嫌な
予言が日々、真実味を帯びてきた。

・・・・・・
5467,人生で最も大切な技術 ー25 人生は長くない
2016年03月04日(金)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 黄金の時間、鉛の時間、浪費の時間
 考えさせられる内容だ。黄金だけでなく、鉛も、浪費の時間も必要だが、
その兼合いが必要である。「人生は長くない」が、有益の黄金の時間を
過ごしてきた者にとって、人生は短くはない。 〜その辺りから〜
≪ 時間は、注意をそらしている間に、指の間から知らず知らずにこぼれ散る
黄金の粉末に喩えられる。最大限に利用される場合、時間は、意義深い人生の
布を紡ぐために、日常という横糸を往復させる杼(機織りのときに横糸を通す
道具)に喩えられる。幸福の探求においては、時間が最も貴重な財産であると
気づくことこそが最も重要なことになる。だからといって、人生を過ごす上で
意味深い重要な物事をすべて排除することにはならない。大切な人生を浪費
する原因を排除することが大切だと言っているのである。
 セネカ哲学書にはこう書いてある。「時間が不足しているのではなく、
余りにも多くの時間を無駄に過ごしているだけである」。人生は長くない。
重要な物事を先延ばしすることで人は多くを失う。人間に残された年月または
時間は、いとも簡単に消失する。知らぬ間に砕け散る値打ちの高い物質と似る。
このように非常に価値があるにもかかわらず、時間には自衛力がない。
通りすがりの誘拐者に難なく連れ去られる幼児のようなものである。
黄金の時間の受け取り方は人さまざまである。活発な人にとっては創造、
建設、達成、他者の幸せに自分を捧げる時となる。瞑想者にとつては、内面の
世界を理解し、人生の本質を再発見するために、自分の内側を凝視する時間
となる。その間は活動していないように見えても、今の瞬間の真価をはっきり
と認識し、他者を助けられる自分に内側の質を向上させる時は、黄金以外の
何ものでもない。隠遁者にとっては、生きているどの瞬間も宝であり、時間は
絶対に無駄にできない。
 ハリール・ジブラーン〔1883〜1931年レバノンの詩人〕の表現を借りるなら、
隠遁者は沈黙の中で「その心を通して時の囁きを音楽に変えるフルート」と
なるのである。怠け者は「時間を潰す」ことを考える。なんと由々しき表現
だろう。怠け者にとって、時間は、長々とした、単調で、荒涼とした1本の線
のようなもの。待機、遅延、退屈、孤独、退行に我慢できない人にとっては、
鉛のように重くのしかかる、自由を奪うものとなり、人生そのものが耐えられ
ないだろう。過ぎゆく一瞬一瞬が、拘束感と単調さを増すだけである。
時間を、恐れるべき死への秒読みと捉える人がいる一方、生きていることに
うんざりして、望むべき死への秒読みと捉える人もいる。この種の人にとっての
時間を、ハーバード・スペンサー〔1820〜1903年イギリスの哲学者、社会学者、
倫理学者〕は、「潰せない時間がその人たちを潰す」と表現している。
 時間とは苦痛で退屈な経験に過ぎないと考える人は、一日の終わり、一年の
終わり、人生の終わりに、自分が何もしてこなかったことに気づき慌てふためく。
また、誰にでもある成長の可能性にまったく気づかずに、過ごしてきた事実の
露呈に驚愕する。・・≫
▼ フランスのヴぇルジュリという哲学者が、【私たちは、幸福を外側に求めて
 いるが。それは幸福を物のように語ることである。それは、私たちが幸福で
あり、幸福が物でなく、私たち自身である ことを忘れている。】と言っている。 
 幸福は、どこかにある物でも、いつでも手に入れられるものでもない。
いま幸福になれない人は、いつまでも幸福になれない。私たちが生きているのは
「今」。今の私たちをとりまく世界を、まず肯定しなければ、来るはずのない
幸福を目ざして苦労するだけで終わっていまう。「いま、ここ、わたし」を
肯定するするしかない。
・・・・・・
5102,閑話小題 〜空を飛びまわるニワトリ
2015年03月04日(水)
   * 空を飛びまわるニワトリ
 以前だが、TVニュースのレポートで、神社で野生化したニワトリが、
樹木の枝を飛びまわっている姿の記憶がフラッシュしてきた。このニワトリ、
野犬に追われ、やむなく飛んでいるうちに、飛べるようになったようだが、
これは、人間の能力と同じ現象ではないか。野犬から身を守る生死の境で、
普段、使わない本来もっている羽の機能を使ったためである。生命が生まれて
20億年、現在の人類の祖先から20万年、経過している。脳には、生命として、
動物として、人間として、あらゆる生死をかけた経験が蓄積され、それを使い
生き残ってきた。その記憶が脳と身体に刻印されているのが、究極の危機から
目覚めてくる。その一つに火事場の馬鹿力がある。後家の踏ん張りも?
 私なんぞ、境内の木々の枝をコケッコと鳴いて飛びまわるニワトリ?
枝の上から、柵内の飛べないニワトリをみていると、何か人間の姿に?
   * つれづれに
 ☆ この30年近く、我家のペットはインコ。いまので10代になるが、
 名前は「ピー子」。7代まではボタンインコだったが、8代目がメキシコ・
コガネインコ、そして4年前から、世界で最も小さいルリハ・インコである。 
性格が大人しく、絵から抜出したように可愛いが、年を重ねる度に、野生が
顔を出し、攻撃的になる。外出先から帰ると、駐車場から察知し鳴きさけぶ。
このインコも驚いた時に、飛んで逃げるが、普段は飛べない。人間と同じだ。
 ☆ 先週の金曜日に観たシネマ『アメリカン:スナイパー』を観た。
 中東で160人を射殺したスナイパーが、退役後、心的外傷を負った男に射殺
される。その心的外傷の男が何ゆえ射殺したのか考えてみたが、私の結論は、
「自分が殺害したアラブ人への償いを、その英雄を射殺することで果たした?」
と考え至ったが、どうだろう。 キリスト教原理と、イスラム原理主義
との戦いが、21世紀の大きなウネリになる。 もう、おちおちアフリカ、
中東に旅行に行けなくなってしまった?
・・・・・・
4737,<つまずき>の事典 〜   ー5
2014年03月04日(火)
  * 思い出のグリーングラスの意味  <つまずき>の事典>中村邦生編著                  
 半世紀近く前の学生時代、トム・ジョーンズが大ヒットを飛ばし、森山良子が
日本版で歌った「思い出のグリーン・グラス」の歌詞の意味を、この本で初めて
知った? 当時、その意味を知っている人が多かったのだろうが、現在になって
知ろうとは! この原曲の本当の意味は「若い死刑囚が、執行の朝、望郷の夢
から醒めた哀しい歌だった」 当時、何も知らなかったのか? 
知っていて、その心情を深く思わなかったのだろうか?その方が、もっと酷いが。 
当時の底の浅さが、思いやられる! 多くの人が死の直前に走馬灯のように思い
出す故郷は、こんなものだろうか。ーあるブログから、元歌の歌詞の訳を引用ー
 ーー
故郷の街並みは昔と同じ    列車を降りると 両親が迎えに来てくれている
通りを走ってくるメアリーが見える    金髪でさくらんぼのような唇の
故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ  そうなんだ 皆が迎えに来てくれる
両手を差し伸べて 優しく微笑みながら 故郷の緑に触るのは気持ちが良いものだ

古い家はまだちゃんと建っている   壁は干からびてひび割れてはいるけれど
そして僕が遊んだあの古い樫の木もある 愛しいメアリーと一緒に小道を歩くんだ
金髪でさくらんぼのような唇の   故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ

そして僕は目覚める 辺りを見回してみる   僕は灰色の壁に囲まれている
そして気づくんだ そうなんだ 僕は夢を見ていたんだ と
看守がいるし 悲しそうな顔をした年老いた牧師がいる
夜明けには 腕を掴まれ歩くんだ それから僕は故郷の緑に触れることになる

そうなんだ 皆が僕に会いに来るんだ  あの古い樫の木陰のところに
皆は僕を故郷の緑の下に横たえるんだ
ーー
▼ Youtubeで、この歌を改めて聞いてみた。 この意味を知ってから聴くと、
 歌が違って聴こえてくる。私の幼児の頃の家と、家族と、店の人たちを、
思い浮かべると、魂の故郷に帰ったような気がする。熟年になってきて、
死が近い将来?に近づいてきた現在、この歌の味わいは、ことさらである。
 そういえば、この随想日記で「白い雲に乗って」のテーマで、
書いたことを思い出した。


5831,閑話小題 〜しまった! ー「しまった!」の総括ー 18

2017年03月03日(金)

          
          「失敗の心理」しまった!」ジョゼフ・T・ハリナン著
   * 「しまった!」の総括
 ランダムに印象に残ったところからテーマにしてきた。どれもこれも思い当る
 ふしがあるテーマ。須らく、さんまの「アフォ違いまんねん、パーなんねん」
――
・人は(90%は)間違るもの。
・手ごわいのが「あと知恵バイアス」〜更に危ないのは当人が気づてないこと。
・専門家によれば、視野のなかで高解析度をもつ範囲は角度にすれば親指の幅の
 僅か二度だけ。「見たつもり」「知っていたつもり」で、実は何も知らない。
・都合よく無意識でつくり変えた話でも、二度三度繰返すうちに、いつしか
 「記憶」そのものになってしまう。
・人はみな「意味」を探す だから物語化をして問題整理が必要となる。
・意外と大事な「色」の問題。黒いユニフォームのチームは、ペナルティを
 取られる可能性が高くなる。
・ギャンブラーは、なぜ自信満々なのか? 買った局面を度々、思い出すため。
・ドイツの音楽をBGMで流すと、ドイツワインの売り上げが上がる。
・状況は「偉大な杖」の如し〜ハロウィンで、首つり自殺を見逃しがちになる。
 正月に起こったことは、正月、思い出すことが多い。
・人間は「嘘つき」である。何故なら、情報伝達の間に、ほぼ歪んでいく。
・人間は、自分を人並み以上と思う。〜自分が無知蒙昧など微塵も思わない。
・馬鹿の一つ覚え。 〜一度覚えた方法を知ると、改善、改革しようとしない。
・人は馬鹿である。 〜学生と教員に単純なゲームさせ、洒落た服装の教員と、
 冴えない教員とでは、前者の場合は自信をなくし、後者には自信満々だった。
 〜さらに、コインの裏表を当てるゲームで、八百長で数回、当てるように
 仕組んだ方は自信過剰になり、裏表を当てる能力を持っていると信じるように
 なっていた。賭博場が、素人を誘い込むのは、これ。背後にある組織の力に
 気づくことなく独立をして失敗するのは、このパターン。
・人は自制しない。 〜いや、「出来なくなる」というのが、正しい。
・焦点幻想。 〜人は焦点をしぼる的を間違える。複雑の問題の場合に、
 簡単な方に注意の的を絞りがちになる。
・人生の資産は、時間をどのように使うかにある。
――
目次を見ながら、抜粋したが、どれも、これも、思い当たるふしがある。
基本は、志村けんと加藤茶のコントの『呆け老人の対話』が、その要約。
突っ込みも、呆け役も、その要領を得ないで、遣り取りをしている。
あれが実は日常の真実の姿。 他人同士の中では、鮮明に見えるが、
これが自分のこととなると、全く見えなくなる、人間の悲しさ。
追)馬鹿に「楽観」も「悲観」もないが、再び、去年の内容の文脈に
 つながる。心底、人間そのものが「失敗の塊」と思う。 特に私は! 

・・・・・・
5466,人生で最も大切な技術 ー24 楽観主義と悲観主義
2016年03月03日(木)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 楽観主義と悲観主義、この二つの世界観
 楽観だけではモノゴトは上手くいかないし、悲観主義だけでは、面白くは
生きていけない。この年齢になると、「もう○○歳」と「まだ・・」と考える
かで、大きく違ってくる。『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志
のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ』
と、アランが『幸福論』でいうが、やはり意志が受止め方を変えていく。
 〜その辺りから〜
≪・楽観論者とは、この問題は一時的、制御可能、特定の状況と関係している、
 というふうに考える人。「そのような些細なことで大騒ぎするのは理に
適っていない。すぐに片づく。自分で解決できる。いずれにせよ、これまで
常に解決できた」をモットーにする。
・一方、悲観論者は、問題は長引くだろう(この種の問題は簡単に片づかない)、
やることなすことが裏目に出る(私には期待しないでほしい)と考える人である。
また、生まれつき精神的な欠陥があると思い込み、「何をしても結果は同じ」
と冷めていて、「生まれつき幸せとは縁がない」と結論づける。
現代人の多くが不安感に苦しんでいるが、これは悲観論と密接に関係している。
悲観論者は常に災難を予想し、慢性的な不安症にかかっていて、疑い深く
なっている。不機嫌で、苛立ち、神経過敏になり、世の中や自分への信頼感を
失っていて、常にいじめの犠牲になっている、捨てられる、無視されている、
などと取り越し苦労する。≫
 * 楽観論に対する論外な非難
≪・心理学の世界では長年にわたり、多少抑うつ的な人のほうがものの見方が
 「現実的」で、楽観論者は、苦痛の伴う状況よりは、愉しい出来事に長々と
思いをはせ、過去の実績や達成を過大評価する傾向がある、と信じられてきた。
仮にそれが真実なら、楽観論者に比べて、悲観論者の方が目を大きく開けて、
状況をより明快に評価する傾向がある、という理屈になる。また、その説が
正しければ、悲観論者は、「現実は必ずしも、笑えるほどに愉快なことばかり
ではないだろうが、物事はあるがままに見るべきだ」と考える。
・一方の楽観論者は、たしかに愛想は良いが、救い難いほど世間知らずで、
無警戒な夢想者で「夢から現実世界に戻されるのが落ちだ」という議論になる。
どうやら、以上が正当化されてきたのは、単に偶然が重なっただけらしい。
各種の研究が進展中だが、その結果、客観的で超然としていて用心深い、
と考えられていた悲観論者の判断は不適切、ということが立証されたのである。
日常生活で起こる、現実的な状況に注目すると、楽観論者のほうが悲観論者
よりも現実的かつ実用的なアプローチをとることが実証されている。≫
▼ 明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけでまるもうけ」という。
「生きてるだけでまるもうけ」は、「死」が視座にあればこそ言える言葉。
長門裕之の妻の故・南田洋子が晩年、この言葉を口癖にしていた。ならば、
生きているうちに楽しむだけ楽しまなければ! 
・・・・・・
5101,悪夢の21世紀 ー6
2015年03月03日(火)
   * ニーチェが看破したキリスト教の価値観 
(12)≪ 思想家ニーチェは、来る200年はニヒリズムの時代になる、と言った。
 ニーチェが死んだのは世紀の変わり目1 9 0 0年だった。ニヒリズムは人々が
 共有できる大きな価値観の崩壊。キリスト教が約束した福音も近代主義の福音
 も、ヨーロッパが生み出した大きな価値観であった。人々の幸福を保証する
 ものだったはず。ニーチェはそんな価値観は脱ぎ捨てろと言った。キリスト教
 や近代主義の理想にとらわれては駄目と言った。そんな幸福はちっぽけなもの
 だし、人はそんな価値によっては幸福になれないと言うわけ。 ニーチェは
 キリスト教は人間を見苦しいまでに自虐的な存在にし、自由や平等や人権などを
 唱える近代社会は極めて偽善的で欺瞞的ないやらしい社会だ、と言った。
 今日アメリカがグローバルな正義として打ち出している自由や民主主義、平等
 や人権、公正な市場経済などは、ニーチェの発想からすれば、何とも欺瞞に
 満ちたインチキくさい正義だとの論理。ニーチェの言い分が全面的に正しいか
 は別としても、今日、最早、自由や民主主義、平等や人権、公正な市場経済
 など無条件に信じられない。この「正義」の背後に、「力」の競争や闘争が
 隠されていることに誰もが気づいてしまったから。だから、市場しか見てない
 者は、規制改革を徹底して行い競争を強化すれば経済は効率化できる、という
 ことしか眼中にない。成長戦略しか見ていない者は、教育から観光から
 エネルギーから人間の生命や医療まで、すべていかにG D Pを押し上げるか、
 の観点からしか見ていない。人権主義者は、女性の職場であれ、家庭であれ、
 学校であれ、人間関係を権力関係としてしか見ていない。政治学者や政治
 評論家は、もっぱら政治を民主化という観点からしか見ていない。ある種の
 ナショナリストは、すべて中国が悪い、韓国が悪い、という観点に立つ。
 一方、平和主義者は憲法9 条にしか関心がない。≫
▼ ニーチェは、近代社会を偽善的、欺瞞的、社会と看破し、その根源が
 キリスト教にあるとした。人生振り返って、哲学では、ニーチェに一番、
影響を受けていた。特に欧米主義にドップリ浸かっている自分に徐々に
気づく過程が私の人生だった。世の論説をみると、ニーチェが看破した
価値観に即して論じているようだ。そして、世界は益々動乱になっていく。
20世紀の半ば1946年に、地球上に人間として生まれ、21世紀を15年を生きたが、
あの世からの視線で見直すと、面白い時代の狭間を生きてきた事を思い知る。
・・・・・・
4736,<つまずき>の事典 〜  ー4
2014年03月03日(月)
           <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 言ってはならぬ、闘いが無益などと
 人生の終盤に、あまり良い結果ではなかった?が、自分の人生を
全面否定する気持ちは最小である。気持ちは「天気晴朗なれど、波高し」。
 この詩は、誰にでも訪れる人生の終焉で、励ましを与えてくれる。
《  言ってはならぬ、闘いが無益などと
   努力も傷手も無駄などと
   敵はなお息絶えず、怯むこともなく
   事態は相も変らず元のとおりだ、などと。
 ーアーサー・ヒュー・クラフ「言ってはならぬ、闘いが無益などと」P-44
アーサー・ヒュー・クラフはイギリスの詩人。ラグビー校でトマス・アーノルド
に習い、その息子マシューと生涯にわたる親交を結んだ。マシュー・アーノルド
の追悼詩の傑作「サーシス」はクラフを悼んだもの。「言ってはならぬ、
闘いが無益などと」は窮地にあってなお不屈の心をうたった詩として知られる
(引用は冒頭の一節)。また第二次大戦中にチャーチルがルーズベルトへの放送
の結びにこの詩を引用し、イギりス国民を励ましたという逸話を持っている。
クラフには「一度も闘わないよりは、闘って敗れた方がましである」
という有名な言葉もある。  》  
  ーネットで、調べたところ、以下の訳があった。   
【 悪戦苦闘しても無駄だ、
  骨折り損だし、怪我をするだけだ、
  敵は一向に怯(ひる)まないし、逃げる気配もない、
        結局元の木阿弥だ、などと言ってはならない。
  希望を抱いて馬鹿をみるなら、心配が杞憂に終わることもある。
        もしかしたら、ここからは見えない戦場の一隅で、
  まさに今、君の戦友が逃げる敵を追っているかもしれない、
        君さえいなければ、勝利は味方のものかもしれないのだ。
  疲れきった様子で浜辺にうち寄せている波も、
       いくら苦労しても一歩も前進してはいないように見える。
  それでも、ずっと彼方の湾や入江では、じわじわと、
       そして、黙々と、大きな潮がみちかけているのだ。
  夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、
       光が射してくるのではない。
  東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、
       西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。 
               ー平井正穂編『イギリス名詩選』より 】
▼ 現在の私に、一言一言が実感として響いてくる。 何もしない人ほど、
 いや出来なかった人ほど、「闘いが無益で、努力も痛手も無駄」と言い張る。
闘いもない、さしたる努力もない人生ほど、毒が溜まり、精神を腐らせている。
その毒を、他人に?に向け、吐き出すしかない人々の哀れさを、この節目で
タップリと見せて貰った。「世界は広い。そして深い!」人類は成功によって
導かれてきたが、その背後には99%の失敗と挫折がある。それが人生だ。


5830,閑話小題 〜しまった! ー「印象操作」ー 17

2017年03月02日(木)


          
          「失敗の心理」しまった!」ジョゼフ・T・ハリナン著
   * 嘘つき それとも「印象操作」が人間の常
 人間は、嘘つきで、印象操作をあたかも事実のように捩じ曲げる。問題は、
それに怖れて慄いて、自分の自由を束縛すること。 地方、とりわけ城下町は、
固定社会である。小さな世界で、互いに監視し合い、良くいえば相互信頼、
悪くいえば、相互依存で生きるしかない。で、体裁を繕うためにまず、己の
「印象操作」に精を出す。それが結果として城下町精神とかのバケモノになる。

≪ 何処の地でも、「うわさ」という世間人の嘘がまかり通っている。
 何人かの学生に対し、数週間、他人に話した内容を記録するように依頼。
話題の多くは社交行事のことで平均2・7回は再話された。これは意外でなかった。
意外だったのは、話の婉曲の程度だ。学生たちは真実を曲げたばかりか、予想
以上に歪めていた。 
・全談話の61%に情報の追加、省略、最少化をおこなっていた。それでも、
 その程度そうしたかと尋ると、全体の42%しか認めなかった。この差は大きい。
・改変の最たるものは重要なディテールの省略、36%もの話にあった。
・ついで誇張と最少化が26%。
・そして13%がまったくの捏造―もとの出来事と関係ない情報を占めていた。
その上に、学生は話を聞き手の好みに合わせただけでなく、さらに重要なことに
 自分の目的に合わせていた。特に面白い話題には、更に嘘を付け加えていた。
・・・(略) 人間はなぜ、このような嘘をつくのだろう? トヴァンスキーの
考えでは、一つの説明としては、語ることの目的の設定という。…(略)
談話は、事実を語る手段ではなくて、ある目的を達するための手段にもなる
と彼女は主張する。そしてその目的の一例をあげた。
<たとえば相手に何かを思わせ、自分へのアクションを起こさせるため。
 自分を好きに思わせるため、頭がよい、しっかりしていると思わせるために>
その意味では、対話の目的とは事実を伝えることではない。印象をつくりだす
ことだ。だから話の正確さが二の次で、印象操作が優先されがちになる。
…(略) 要するに、私たちは自分の嘘を本気で信じるようになる。に関らず、
このプロセスが自分の中で進行していることには気づかないのである。≫
――
▼ バケモノはバケモノ。とって喰われないための自己防御に一生を費やし、
 人生を終える。それも人生。決して、非難は出来ない。世間人の世間話とは、
所詮は、こんなもの。地区内炎上が日々、漫画的に行われている。
カルフォルニアのロスの中華街の中国社会を例にとると解りやすい。
中華街の常識は、そこだけの世界のこと、街を一歩出れば、それは非常識。
コスプレのような「印象操作」で、娑婆と競い諂うのも、面白いが…。
 後記)偶然だが、4年前の文章に文脈が丁度良くつづく。そういうこと!

・・・・・・
4368, 歳を取りそこねる人たち ー2
2013年03月02日(土)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦 (著)  
「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち
受けている」というのが本当のところ。そして最期は死ぬのである。
その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。
  * 幸福のふたつの文脈
≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日
 である。それは往々にして退屈に感じたり、無価値に映る。だが、大病を
 患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】
 の有難さに気づく。現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに
 淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人にとって
 手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。
・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
 楽しいこと、満足感を得ること―― そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象
 との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分喜ばしい
ことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。
 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを
 告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とが
 まったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、
 学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、
 そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズ
 をしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
 感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた
 (へいや、今でも信じている)。… ≫
▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、
 満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。自虐的な性格もあり、
倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、
これは最適。 ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー
《 老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生の
 なかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、小説に描かれた味わい深い
老人たちを参考にしながら、その探求の過程において示されるのは、著者の
考える素敵な老いや適切な「年寄り」のかたちも若干はあるが、ほとんど、
みっともなかったり、哀しかったり、ときには常識をはずれさえするグロテスク
な老いの姿。他者と生き別れ死に別れた孤独のなかで、死の可能性が充実した
ゾーンへと入っていく時、空間の戸惑いのなかで、人間が抱えている厄介な
ものが唐突にあらわになる。老いるとは、あらゆる出来事に対する達観した
精神の獲得といったようなものではなく、人生が与えてくる難儀さに傷つけ
ながら、なんとか過ごしていくことではあるまいか。》
 肉体も精神も老いぼれ朽ち果て、無になる。それで良いではないか。 
ただ、噂話や愚痴を言い合う老人の群れに入らないことだ。

・・・・・・
5465,新約聖書は、共同幻想の『おとぎ話』
2016年03月02日(水)
   * キリスト教のアキレス腱
 大自然の働きを、神になぞらえて、共同幻想をつくりあげ、何とか人類は、
ここまできた。モーゼのつくり上げたアラーの神Xも、ユダヤ教、キリスト教、
そしてイスラム教の神とした共同幻想。しかし、この情報化社会では、共同幻想
の甘さが露呈してきた。 〜その辺りを哲学者は、以下のように表現している。
≪ 西洋といえばキリスト教である。はじめは数人の信徒しか持たなかった
キリスト教が、世界を支配するようになる。これは世界の不思議の一つである。
もっとも宗教というものは、たまたまタイミングがあえば爆発的に流行るもの。
仏教やイスラムにしても最初数人の開祖、信徒は数名であった。
 さて、キリスト教であるが、その教義にはもともと不自然なところがあった。
キリスト教は一神教である。しかし、イエスを神とみたため、話がややこしい。
イエスは「父なる神に呼びかけている。そうすると神は二人いるのか? 父なる
神とイエスが神なのか? いやいや、そうではないという。神はもちろんお一人
である。父なる神とイエスさまと聖霊は三つのものであるが、しかし、ほんとうは
一つであるという。これが「三位一体説」である。これまで誰もまともに説明
できた人間はいないのである。かのニュートンも、これには悩み、『聖書』を
徹底研究し、最後にはイエスは神ではないという結論に達するのであった。
 よく考えてみよう、もしイエスが神であるとすれば、「生まれた」というのは
おかしくない,か? 神が生まれるのか? 神は物事を生み出す原因であり、それ
自身は何からも生まれるものではない。生まれたとすれば、神を生んだもの、
つまり神以上にすごいものがあることになるのではなかろうか。
 あるいは、イエスが神で、神を生んだのがマリアとすれば、マリアのほうが
偉いのではないか?そういう意見も出てくる。イエスは死んでよみがえったと
いうけれど、しかしそもそも神が死ぬものであろうか?十字架の上でイエスは
血を流し、苦しんでいるようであるけれど、しかし神が痛さを感じるものか? 
ともかく、三位一体説はかなり問題のある理論なのである。 しかし、めちゃ
くちゃであろうとなかろうと、イエスが神だ、とするのがキリスト教である。
イエスは神ではない、とするとキリスト教の存在理由がなくなってしまう。
 しかし、根っこが問題ありの教義であるから、当然、これを批判する人間は
いつの時代にも出てくる。そうするとどちらが正統でどちらが異端であるか、
という争いがはじまる。キリスト教にはこの手の争いがつきないのである。・・≫
▼ キリスト教原理主義国家がアメリカ。ユダヤ教原理主義がイスラエル。
 アメリカ大陸でイギリスを中心に立ち上げた国がアメリカ。カナダは、
フランスが立ち上げた国。これと、欧州連合と、アラブのポチに対しての
戦いが、本格的世界大戦の様相を表しているのが現在の世界。その結果、
以下の内容に続いていく。
・・・・・・
5100,悪夢の21世紀 ー5
2015年03月02日(月)
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜��
  ー 自由、民主主義の普及こそ混乱の元凶ー
 最近では、「アラブの春」の一連の独裁国家の打倒。その結果、現れ出た
のが、「イスラム国」。キリスト教原理主義のアメリカが主導する世界に対し、
独裁者から解放されたイスラム教徒たちは、対抗するためイスラム原理主義に
向かうのは自然だが、それにしてもモハメッドの頃の戒律厳守とは・・。
( 9 ) ≪ 欧米的価値観の勝利? 現状はそれどころではない。
 イスラムとアメリカの対立が益々激化。民主化したはずのアラブは混迷に
中に迷い込み、新興国を巻き込んだ市場経済のグローバリズムは、資源や
市場をめぐる果てしない競争へ突き進んでいる。しかし、自由、民主主義の
普遍性、市場競争の普遍性などの近代主義こそが混迷を招く張本人。
だから、事態はかなり厄介である。近代主義を押し進め、グローバル化
していることそのものが問題。だから、今日生み出されている様々な
危機的な事態を乗り越える方法が見当たらない。自由、民主主義、
人権思想、市場経済のグローバル化や技術革新によって問題は解決しない。≫
(10) ≪ 人々の自由が拡大すれば拡大するほど、人々は益々自由を求め、
 その自由は相互に衝突する。それを調停するのは最後には「力」になる。
民主主義は問題を解決しない。民主主義そのものが、多数という「力」の原理。
イスラム教のような人民主権でなく「神権政治」を訴える宗教が出てくれば、
民主主義は有効性を失う。人々が豊かさを求めて市場競争をするほど、利害は
衝突する。グローバルな市場競争は、徐々に帝国主義的な様相を示してゆく。≫
(11) ≪ 今日の世界的な人口増加と新興国の経済成長を前にすれば、
 資源問題、環境問題、食糧問題の三点セットは、すでに世界的な問題。
世界的な問題とは、「世界」が我々の外にあるものではなく、我々も
そこに含まれ、いやがおうにも当事者になってしまっているという意味。≫
▼ 中東問題は、数千キロ離れた海の向こうのことだったが、ネット社会は、
 その生々しいテロや処刑を一瞬にして現前させる。この川崎中一殺人事件は、
明らかに、イスラム国の斬首の映像に影響されたもの。「目には目を、歯には
歯を」は、ハンムラビ法典や旧約新約両聖書に出てくる。我々は、これを
「やられたらやり返せ」という意味で使っているが、同害報復までの法で、
過度な報復を防ぐためである。「倍返しとかダメ」と。4000年前、すでにこの
ような、争いの拡大を防ぐ知恵があった。原理主義の衝突はニヒリズムを生む。
老いは、日々、ニヒリズムを強くする。しかし、生きているうち!いまのうち!
で、二年前の内容が、偶然だが続く! 


5829,閑話小題 〜しまった! ー 視点の変更から考えるー 16

2017年03月01日(水)


  
   * 視点の変更で考える
 この本で、「ローソク問題」が紹介されている。考えたものである。
箱入りの画びょうと、箱を分ける発想に考えに至らない。思いつくのは極、
一部の人たちだけ。人生も似ているところがある。手持ちの材料の再点検を
して、使い方を考える。考えて考えて考えて、無い知恵を出す。そして、
「機能的固着」に気づいて、一歩外に出て、視点の逆転をする。役割における
「機能的固着」は、私たちの人生を牢獄にする。それが… ある日、突然に、
『さあ、自由に羽ばたきなさい!』と、不要物として、放り出されたとしても、
成す術が出来てない。 〜以下は「ローソク問題」ネット検索で調べた内容〜
《 …心理学者のKarl Dunkerは、ある実験をした。
 被験者に図を見せて、ロウソクと、マッチと、箱一杯の画びょうがあります。
テーブルに蝋がたれないようにロウソクを壁に取り付けてくださいと尋ねた。
被験者たちはなかなか正解に辿り着けない。この問題は、ちょっとした発想の
転換を必要とする(でも労力は要らない)、結構な難問なのだ。
 この実験では、もう一枚の図が用意されている。大きな差はない。
パーツは全て同じだ。でもその図では、画びょうが箱の外に出ているもの。
テーブルの上にあるのは、マッチと画びょうとロウソクと、箱。
これで同じことを被験者に求める。「テーブルに蝋がたれないようにロウソク
を壁に取り付けてください」こうすると、被験者たちは易々と正解に辿り着く。
もともとの問題が解けない理由は「機能的固着」のためだとされている。
人々は、画びょうが入っている‘箱’の存在に気がつかない。気がついても
その真の価値に気がつかない。箱の機能を無意識に固定してしまっている為だ。》
▼ 箱から画びょうを外に出した後に、内側から壁にとめて、土台にする考えに
 至るのは非常に難しい。そこで元もと外に出しておくと、直ぐ正解に辿りつく。
中村天風のカリアッパとの禅問答、『一度、コップの水を空にしてから、新しい
水を入れろ』の教えに通じる。私たちの日常生活でも、固定してしまった箱に
目を捉われ、その中身を取り出したり、箱そのものを他に利用しようとしない。
死を直前にした虚無の怖れに直面して、それまで縛られ、拘っていた固着に
初めて気づく。そして、独り、『しまった!』と嘯くのが人生の常。そして、
般若心教を急ごしらえで学ぶことになる。それさえ極、一部だけ。
そこで、ドリップアップをした向こう側からの逆転の視線が必要となる。
 
・・・・・・
5464, 『中村ウサギー他者という病』 ー2
2016年03月01日(火)
   * 自殺未遂の顛末
 彼女が書くと、いまいち、シリアスに感じられないのは何故?
自殺をしようとする時には、何か夢うつつの思考ゼロの状態というから、
当人が後で書いた内容は、軽いタッチになるのか。それは、死刑執行直前に
助かったドフトエフスキーのとはチョッと違う。死刑のそれはと、著者の
死にたい気持ちは違う。 〜内容は、あまりにもシリアスである。
≪ 死にたいと思ったことは、それまでにも何度かあった。が、
足が立たないのでタオルを取りにひとりで浴室に行くこともできない。
「身体が不自由だと自殺もできないのだな」と、薄く笑って諦めた。
しかしここ最近、私の身体はめきめきと回復して、家の中なら自分の足
で歩けるようになった。だから、「もう死ねる」と思ったのである。
 まず浴室に行ってタオルを取って、首に巻いてドアノブに結び付けた。
だいぶ回復したとはいえ、まだまだ身体が思うように動かせないので
腕もよく上がらず、ドアノブにタオルを結び付けるのはひと苦労だった。
 ようやく結んで体重をかけたら、レバー式のドアノブだったために
タオルが滑り落ちてしまい、失敗に終わった。 これは、いかん。
息を整えて、もう一度トライした。今度はドアノブから滑り落ちないよう、
しっかりと結んだ。足に力が入らないので、このような作業を中腰で行なう
のは、なかなか大変だった。
 それでもなんとかタオルを結び付け、腰を下ろす要領で体重をかけた。
気管が圧迫されて、うめき声ともつかぬ奇妙な音が聞こえてきた。
私の喉から出ている音だが、聞いたことのない声だった。顔面が充血して
くるのがわかった。そして、ものすごく苦しくなってきた時に、つい
身体がもがいてしまった。するとタオルがほどけて、またしても
失敗に終わった。人間の理想の死に方は、やはり「急死」であろう。
 自分でも死んだことに気づかないほど突然死ぬのが一番だ。
私はそのチャンスを逸してしまったので、次に死ぬ時は大いに苦しむ
羽目になる。自分で死ぬのは、思いのほか、難しいのだった。
これなら、入院中に心肺停止した時のほうが、ずっとラクだった。
呼吸停止の時だって、こんなに苦しくなかったし。≫
▼ 女流無頼漢作家としての彼女の文章は、シリアスだが引付けられる。
 それが自殺の場面では、こうなるのである。死刑になるまでの
心の風景を書いた手記を読んだことがあるが、それは、恐ろしく
リアルの内容だ。ガン末期で、死期を悟った時の恐怖も同じだろう。
それにしても、骨太の人である。
・・・・・・
2015/09/12
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 女とは何か、の問い
 女の自意識のねじれと矛盾の言語化を何とアッサリと表現するとは驚き。
これは男も似ているが、受身である点で大きく変わってくる。 確かに、
「人間的価値」より、「性的価値」が「商品価値」として、優先するため、
それを高める化粧品や、ファッション衣料が売れている。プロの作家の
言語化は、流石である。  〜その辺りから〜
≪ 私とは何かという問いから始まって、人間とは何かを突き止めたかった。
 そしてまた、人間とは何かを考えているうちに、女とは何かという問題にも
突き当たったのである。私は自分を女という主体として捉え、その「私」は
「人間」であり「女」であると当たり前のように考えていたのだが、そもそも
「人間」であり「女」であることの定義は何なのか。 特に「女」という性別
に生まれてきたことで、自分が「欲望する主体」であると同時に「欲望される
客体」であり、そこに快と不快の両方が混在するアンビバレントな存在である
という認識を持ったのである。 
 男から一方的に性的欲望の標的とされるのは、私の心に支配への恐怖や反発
を生じさせる。若い頃、夜道を見知らぬ男に付け回されたり電車の中で痴漢に
遭ったりするたびに、私は自分が常に男から性的な視線で見られており、
しかも彼らは私の意思とは関係なくその欲望のはけ口として私の身体を使う
つもりなのだと感じた。それはまるで自分が人間ではなく物のように扱われて
いるかのような屈辱感と、彼らに力ずくで欲望の餌食にされるのではないか
という恐怖感を、私にもたらしたのだった。
 が、その不快さの一方で、私は男たちに求められることにナルシスティックな
快感を覚えることもあった。年を取って男たちに相手にされなくなってくると、
自分の価値が暴落したような気分になっ、た。それは決して私の「人間的価値」
の暴落ではなく、あくまで「性的価値」の問題に過ぎないこともわかっていたが、
しかし女の場合、「性的価値」は「商品価値」と密接に結びついているため、
まるで自分が価値のない商品に成り下がったかのような悲哀を味わったのだ。
 男たちに「性的道具」のような「物」扱いされることに怒りを感じながらも、
自分の価値を「商品価値」と捉えて「物」扱いしてしまう… その矛盾が、
理屈で解消されるものならまだしも、生理的な「快・不快」感と結びついて
いるため、よけいに始末に負えない。どんなに理性が「こんなものは根拠薄弱
で非論理的な感情だ」と結論づけたところで、やっぱり心は傷ついてしまうのだ。
それが人間というものではないか。
 私はこの「女」という生き物の自意識のねじれと矛盾を、自分の体験や感覚
を通して言語化しようとしてきた。私を、そして女を、「言葉」で再構築し、
人々に届けたいと願ったのだ。そのためならデリヘルでも何でもやった。
それがどれだけ世間から白い目で見られるかも承知していたが、それでも
「知りたい」「言語化したい」という欲求のほうが遥かに強かったのだ。 
 世の中の「自分がわからない」と嘆く女たちに、「女がわからない」と
ぼやく男たちに、私は自分の言葉を届けたかった。
諸君、我々は「主観」という濫の中から抜け出せず、互いに他者を理解し得ない
まま、閉鎖的な脳内世界の中で孤独に、生きている。だが、その隔絶された
各々の世界を繋ぐのが「言葉」なのである。だから私は「言葉」を諦めない。
それが私と他者を繋ぐ唯一の絆なのだから。 ≫
▼ 抜粋の文章をカットしようと上記を読み直すと、それが辛い。言葉に魂が
乗り移っているためである。ここまで書ければ、本望だろうが、それだけ傷が
深いのである。「言葉」に魂が乗り移ったのを「言霊」というが、成る程!

・・・・・・
哲学について
2015/09/11
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 自分とはいったい何者なのか?
 世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が
ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。
それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、
出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。
 大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか
を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか
ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 〜その辺りから抜粋

≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。
 なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは!
私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、
私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、
そういう理屈なのであろうか? 
 おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ
ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして
いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」
と言われたことで、私は激しい屈辱感を味わい、同時に、自分がずっと見下して
きた世間からの評価をいかに必要としていたか、強烈な痛みとともに思い知った
のである。これほどまでに尊大にして卑屈な人間を、私は他に知らない。
私は己の愚かさに呆れ果てているが、それは自己卑下と-か謙遜とかいった
ものとはまったく別の次元のものだ。
 私はいったい何者なのだろう。この問いに、またもや私は立ち返る。
何度も自分に問いかけ、一度も答えを得られなかった問いだ。これからも
たぶん、答えなんか見つからないに違いない。その答えを見つけるには、
私はあまりに己を知らな過ぎるのだ。 私は何者なのかを突き止めることが
私の人生の大命題なのだとしたら、これはもうきわめてパーソナルなテーマ
であるから、世間から承認されたり評価されたりする類のものではあるまい。
 私がその答えを見つけたとしても、誰の役にも立たないからだ。
 ならば、私は世間から排除されようが拒絶されようが痛くもかゆくもない、
ということになる。人がどう思おうと、私は自分のテーマを変えるつもり
はない。私は私にしか興味がないのだ。
 そんなふうに考えたら、なんだかちょっと気が楽になってきた。
おそらくこれからも私は態度を改めることなく、世間を馬鹿にし続ける
だろうし、そんな世間から許しをえたいとも思わないからだ。
世間が私を必要としなくても、私が私を必要としている限り、私は私の
ために生き続ける。それがどんなに傲慢なことかわかったうえで、あえて
そういう生き方を選択する。
 このように私が世間と隔絶した場所で生きようとすることと、私が本気の
言葉を諦めずに人々に投げかけ続けることは矛盾しているように思われるかも
しれない。が、私が言葉を投げかける相手は、決して「世間」ではない。
 私が言葉を届けたいのは、わざわざお金を払ってまで私の文章を読んで
くれる人々だ。その人たちの心に何かが届けばもうそれ以上は望むまい。
私はずっと「私とは何者なのか」という問題に拘泥し続け、その答えを得る
ためになりふり構わず生きてきた。「私」を解析することで、広く「人間」
というものの核心に迫れるのではないかと思ったからである。
 私は「人間」を知りたかったのだ。 私とは何かという問いから始まって、
人間とは何かを突き止めたかった。・・・ ≫
▼ 現在の、私の心情に、重なる部分が多い。数十万人?に向けて書く
 内容だから力が入りようが自然と違ってくるのだろうが、この湧き出て
くる力は、心拍停止から蘇った経験があればこそ。そう、4年前の一連の
出来事が、『脱皮』だったことを、彼女の脱皮した文章から、自覚した。
 『脱皮』といえば、51歳の時、母親を見送って、さて如何するか?
と考えたとき、還暦までに、死ぬまでの大よそ30年分のしたい事を
可能な限り、やり尽くすと決めた。 その時も『脱皮』であった。
だから8割?の有象無象を無視できる! 人生、良いように出来ている。


5828,閑話小題 〜しまった! ー幸せはとても役に立つー 15

2017年02月28日(火)


     
   * 幸せはとても役に立つ
「幸せであること」は、まちがいを防ぐのに役にたつことは周知の事実。
この数年、幸福論に興味を持って、幾つかテーマとして取上げてきた。
「マイナス1に対しプラスが3〜6倍の幸福状態」をつくり上げておくべし。
間違えても、逆の状態の傍に行かないこと。その識別と判断は意外と簡単。 
言葉に、その全てが現れ出ている。 〜その辺りから〜
≪ 調査結果によると、大多数(7割)の人たちは幸せと感じている。
 それは好都合である。幸福度とある種のミスには関連があるからだ。
幸せの人は創造性が高く、その人の習慣がミスをしにくくしている。
面白いことに、人を幸せにするに大した労力を必要としない。実験室では、
そうだ。御菓子を上げるとか、コメディ映画を見せるとかで、たいてい事が
足りる。「幸せグループ」にはドタバタや古い西部劇をみせ、「不幸せ
グループ」に、「曲線下面積」の映像をみせた結果、前者が75%正解率で、
後者は25%。同じような作用は、家電売り場での買い物にもあらわれていた。
前者は決断が早く、あれこれ迷うことが少なく、不幸系より、買い物を
楽しんでいた。≫
▼ 進学、進級など節目ごとに、周りの人間関係が明確に変わっていった。
 幸福系の人の割合の変化である。 学生時代も、社会人時代も同じ。
小さな成功を重ねるにつれ正比例して近寄ってくる人が変わっていく。
学生時代の地方出身者は、私生活では、アパート生活で分断され、生活の
自立が出来ても、三食の用意に莫大なエネルギーを要する。都会の自宅生活
の人たちとは大きなハンデがあったが、それも慣れてしまえばしめたもの。
大都会の真ん中での自由気ままな生活は、人生にとってバカンスでもある。
その意味では、現在の生活は、何とも微妙。 内的には、日々、感動と、
未知の発見の連続と、老いの現実が入り乱れて激動している。まず今日一日
を幸せに過ごすこと。探せば、種は数限りなくある。問題は探せるかどうか、
気づくかどうか、何を生き甲斐とするかを明確にしてあるかどうか。
「まさか」の坂が来た時に後悔しないように… 今日一日の「いま・ここ」
を活きたもの勝ち。これは永遠に続く断崖でもある。これは待ってくれない!
 
・・・・・・
5462,閑話小題 〜「流行ってるには訳がある!」
2016年02月28日(日)
   * 眼鏡屋のカテゴリーキラー
 ー「流行ってるには訳がある!」 その訳とは!ー
数年前から、シネマに隣接するSC内と、長岡駅中SC内に、いつも満員の
眼鏡チェーンがあった。若い人が中心で、私には関係ない店と思っていた。 
 二週間ほど前にチラシに、「年配向けの商品を扱っていて、初回のお客様には
千円割引きます」というキャッチフレーズ。家内に聞くと、「強い度数の眼鏡
も扱っていて値段は同じ。とにかく廉くファッショナブル。店に行くたび、
欲しくなる新商品が店頭に並んでいる」という。
 ニケ月前に、免許証書換えのため、近くのSC内にあるカテゴリーキラーの
『眼鏡市場』で、眼鏡を買ったが、読書には度数が強すぎる。既存のものは、
普段の生活に限度がきていたため、二つの度数の中間の新たな購入を決めた。 
 最近、家内が長岡駅中SC内の、その『JINS』という店で、ファッション
眼鏡を購入し、サングラス代りに外出するようになった。一般的に、眼鏡は女性
にとってマイナーだが、それはむしろファッショナブル。そこの売りは、
眼鏡の強度に関係なく値段は7〜9千円。私も、それにつられて購入したのが、
数日前に届いた(度数が強いため一週間を要した)。初回購入者の千円引きの
恩典を含めて税込み7500円。安すぎるのが不安だったが、まず試着してと、
数日使ってみて驚いた。 軽くて、強度の度数の胸苦しさが少ないのが良い。
『眼鏡市場』は、『眼鏡スーパー』と『弐萬円堂」のカテゴリキラーだが、
『JINS』は、その『眼鏡市場』の更なるカテゴリーキラーで、その半額近い。
フレームは百円ショップの玩具みたいでチャチだが、ファッショナブルで、
その軽さが良い。中国製なら100〜200円?だろう。 店名からして、
「ジーンズのように気楽な眼鏡を格安に」が売りのようだが、それがよい。
特殊のレンズ以外の眼鏡は、30分で引渡されるようだ。以前かっていた7〜8万
の眼鏡が手元にあるが、これは何? 背広と、Tシャツとジーンズの服装の
例えになる。TPOSで眼鏡を使分ける時代ということか。百貨店と専門店の
背広と、ユニクロの普段着では、自ずから目的が違う。ところで、最初、店内に
入った時の、女子高校生の「場違いな!」という視線。70歳なら仕方がないのか。
 
・・・・・・
2015年02月28日(土)
5098,遊ぶこと ー人間であること −��
              〜「人間であること」時実利彦著
   * 遊ぶこと 〜勝負すること
・ 第三の遊びは勝負をすることで、前頭連合野にそなわっている競争意識、
 そのうらはらの劣等感や嫉妬心などの暴発をやわらげようとする。
 人間はオリンピックを頂点に、様々な勝負事を考え出した。勝負の世界には、
 職場の上下は関係ない。仕事の上の鬱憤を、マージャンや、ゴルフ場で晴らす
 ことが出来る。これは、動物世界にはない。
▼ 今ではワールドカップが、その頂点になっている。これは一種、代理戦争
 のようである。もう一つ、仕事や事業をゲーム化して、自分自身との勝負事に
 してしまう自己達成がある。 度が過ぎると勝負依存症になる危険が潜む。
   * 遊ぶこと 〜創造の喜び
・ 第四の遊びは、仕事や芸道、日常の行為に創造の喜びを体得することで、
 もっとも人間らしい人間だけができる崇高な遊びの行為である。趣味に
 生きるということも、そのねらいは同じ。この4つの遊びには、それぞれの
 存在意義があるが、最初の三つは誰でも出来るが、問題は、この、芸道や、
 仕事に、「創造の喜び」を体得することである。人間の尊厳というが、この
 創造の喜びを具現している姿に当てはめることが出来る。どんな僅かな仕事
 でも、どんな厳しい仕事でも、そこに喜びの心が体得できる人間としての
 遊びをしたい。
▼ 仕事でも、創業でも、趣味の世界でも創造の喜びを見出すことが出来る。
 子供のセーターを編む母親の姿が、それを物語っている。
小さいながらも小さな商業ビルなどを立ち上げてきた。初めて手がけた時に、
問題の全てが吐き出された。創造には、まず難問が次々と襲いかかってくる。
そこで、思いもしなかった内なる底力が、湧き出てきた。その過程が、創造
行為になり、そのまま次に繋がる。主体的難問解決過程を「遊び」にすればよい。
・・・・・・
2014年02月28日(金)
4733,心を上手に誘導する方! ー2
     「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)
  * 「思い込み」だけでも減量(何でも)できる!
「思い込み(バイアス)に縛られ、何も考えないで一生をおくってしまう」
マイナス面もある。が、その思い込み「世界は、あなたが考える通りにある」
を、プラスに転用すればよい。人間の思いには膨大な可能性を含んでいる。
その思い込みを科学的にやろうという類の本が数多、販売されている。
 ーその辺りを抜粋するー
《 ある調査によって、こういった現象の結果が身体にも影響して出てくると
 証明された。その調査では、ホテル勤務の肥満ぎみの部屋係の人々が二つの
グループに分けられた。肥満方のグループには、部屋の掃除をするとスポーツ
をしたときと同等の負荷が身体にかかり、客室を掃除するだけで痩せる効果が
あるという調査結果を伝えておいた。もう一つのグループには、そのことを
伝えなかった。結果はどうだろう。「スポーツ」効果を伝えたグループの被験者
ほぼ全員が、それまでの生活を変えることなく三週間後に減量に成功したのだ。
もう一つのグループは、体重が減らなかった。この調査結果にもとづけば、
「被験者は自分が痩せると期待していた。だからその効果が表れた」という
研究者の主張は正しいだろう。我々のもつ期待は、ほかの人のことをどう
思うかにも影響する。初対面の人を紹介されるとき、非常に成功した重要人物
として紹介された場合と、どんな人なのか説明なしに紹介された場合とでは、
相手に対する私たちの反応はまったく違うだろう。私たちは無意識のうちに
相手のイメージを自分の期待に合うようにつくり上げてしまうのだ。
この現象は、研究によって裏づけられている。・・
 また、ある学校の教師たちに、あるクラスから無作為に選んだ生徒の
グループに、他の生徒と比べ、成績が平均以上だったという情報が与えられた。
すると年度末に、ある結果が出た。成績がよいとされたグルーブの生徒は、
ほかの生徒より格段によい成績をとった。ほかの生徒よりもよい成績が期待
されたグループの生徒は、より好意的に評価された! もしかすると、教師は
このグループの生徒に甘くなっていたのかもしれない。そして、ほかの生徒に
対するのとは異なる口調で話しかけていたかもしれない。とにかく教師の期待
だけで、そのグループの生徒が変化したことは事実である。
つまりこういうことが言える。私たちが受け取る情報がどんなものであれ、
それを受け敬ったことの結果がいつでも表れる! 私たちの文化、経験、五感、
期待が、私たちを取り巻く世界を唯}無二のものにしている。 だから、
世界は誰にとっても同じというわけではない。先に触れたように、
世界は私たちがとらえるままにある。》
▼ リタイアをして、つくづく気づくことは、「思い込み」にガンジガラメに
 縛れれていた、それまでの自分。それはプラスにもマイナスにもある。
「人間は、思い込みの中でしか生きられない」ことも確か。思い込みを、一度、
離れるために、読書、瞑想が必要になる。思い込みを、冷静に見つめるため、
「良く遊び、良く学び、良く働く」を基準にしているが、もう一つ、空を
イメージしている。前者をドーナツとすれば、真ん中の穴が、空と例えると、
少しは理解できる?で、「思い込み」をドーナツとすると、穴は内的無意識、
ドーナツの外側の周辺が、がユング心理学のいうところの「集合的無意識」。
他のドーナツも、コーヒーもある。
・・・・・・
2013年02月28日(木)
閑話小題 ー熱気球事故
   * 熱気球事故
 一昨日、エジプトで熱気球が墜落して日本人4人を含む19人が死亡した。
ルクソールといえば、屋外博物館といわれるほど多くの遺跡群がある。そこは、
エジプトの都テーベがあった場所で、市域はナイル川によって分断されている。
日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿
など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、
王家の谷や王妃の谷などがある。王家の谷にあるツタンカーメン王墓は有名。 
先週、シネマで「ヒンデンブルグ」をみたが、これも超大型の熱気球である。 
熱気球は、初めて行ったケニアのマサイマラで、乗ったことがあった。
7〜8人の定員で、カナダ人のペアのカップルが船長と副船長だった。
オプションで、草原での朝食付きで2万5千円。早朝も真っ暗な中、迎えの
ジープに乗って気球のところまで行く。ジープは、我われを置いて直ぐに
気球の到着する場所へ直行し我われを待つ。出発基地の広場にある気球に、
ボンベの熱風を吹きつけ、膨らます。温風が空気より軽い原理で風船は上昇。
吊らされるバスケットは垂直になっていて、その手すりの内側にしがみ付く。
そして、飛び立つと垂直のバスケットは水平になる。一度浮いてしまうと、
安定をして乗りこごちは良い。それもマサイマラの草原の日の出が見れる
ように時間に設定しているため、景色はこの上ない。着陸地まで一時間近くの
御来光と大草原を見る空の散歩である。シマウマやヌーの群れが眼下にみえる。
目をこらすとライオンが二匹、気球に驚いたのか走っている。改めて感動が
よみかえってくる。ルクソールに一歩、足を踏み入れた時の衝撃は今でも
鮮明に残っている。5千年の歴史が、そのまま伝わってきたからだ。 
この気球からの景色も絶景だろう。私が行った時には時間的に余裕がなく、
乗らなかったが、一万円なら安いし、価値は十分ある。 
今回の事故は、着陸時にガスバーナーの管が折れて3Mの地点から300M
まで上昇して爆発し墜落。船長は、飛び降り命に別状はなかったが、他の
19人は亡くなった。300Mの上空では助かるわけがない。
旅先で、セスナやヘリの遊覧飛行のオプションがあるが、これが絶品である。
他にマッキンレー、イグアスの滝、アスカの地上絵、テーブルマウンテン
などで乗ったが、人生の絶頂のトキである。残念なのは、エベレストの飛行が
天候が荒れて中止になったこと。あまり書かないが、かなり際どいことが
何度もあった。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」である。 不運は仕方ない!
・・・・・・
3991, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2
2012年02月28日(火)
* パチンコ屋の仕掛け
 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル
総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの売上げが占めている。
子供を含めて一人あたり15万円。これは明らかに賭博であるが、どういう訳か
廃止論が出て来ない。この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と
癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。チョットした市の郊外
には必ずパチンコ屋がある。 ギャンブルと見なされてない遊びの文化のようで
何の規制もない。 受験が終わって、友人と初めて行ったのがスロットマシーン
とパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。人がギャンブルに嵌りこむのは、
大損しても、稀に勝った快感の記憶が残り、その味を求めて繰返す仕掛けがある。 
業者の方は、勝った際の高揚感や恍惚感を高める工夫をする。
パチンコ店の音楽やパチンコの光と音などである。 そして勝つための技術が
必要と錯覚させる仕掛けをつくる。負けたのは、勝つための技術料金と錯覚
させる。 もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。スロットの場合、AAAが
当たりの場合、ABAや、AABが出ると、「当たり損ねた」と考える。しかし、
外れは外れでしかない。その辺の気持ちを逆用するようゲームは出来ている。
 ギャンブル依存症の人は、脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に
多くなっている。 それは麻薬中毒の似ている。iPadを購入して以来、
パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の
星が三つでる。失敗すると、グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出る。 
それも、あと一歩のところで達成できないようになっている。金を賭けている
訳でもないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行け
ないほど熱中する。難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。 
私の周辺でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円が
ピンとこないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。 
韓国は、悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。この不景気で、業界は
壊滅的打撃を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
 ・・・・・・
2011年02月28日(月)
3626, デトックス
  ーまず「デトックス」を、ネット辞書で調べるとー
【 「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、
 余分なミネラルなどを取り除く健康法。体調がよくなる、肌が若返る、
生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。従来の健康法は
サプリメントなどによって足りない栄養素を補うという足し算方式だったが、
これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、食品や水道水など
を通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて
蓄積されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、
最近の研究でわかっている。 脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、
ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを体内にためない
ためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。
ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが体内に
取り込まれるのを防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、
ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。肝臓の解毒力を高める
亜鉛やセレンを含む緑黄色野菜などを組み合わせて、取り込まれた毒素を
排出するのが効果的である。 また、不要な成分を取り除く「デトックス
サプリメント」も発売されている。 】
ー以上だが、これとは別の話になるが、活性酸素が人間に溜まると、
これが病気を誘発する。冬を除いて毎日散歩を続けているが、雨などで
数日休んだ後に、久々に歩くと身体全体に溜まった毒素が体外に排出していく
感じがする。これが身体に溜まった活性酸素の排出か?と思ったことしばしば。 
身体に新鮮な酸素を入れると血液が洗われる。またストレスも毒素になる。
知らないうちに溜め込むと病気を誘導する。毒を入れないことと、溜めないこと。
インスタントや冷凍食品の防腐剤、米や野菜にふりかけられた防虫剤などが
長年にかけ我々の身体に蓄積されている。体内の毒素のデットストックを
デトックスするということ。私もデトックスサブリメントとして二種類の酵素を
飲み続けている。とはいえ、毒はたっぷり溜まっているのだろう。子供時代は
インスタント食品や、防虫剤がかけられた米・野菜は無かったので良かったが、
団塊世代の後の世代の人たちは、これから後遺症が出てくるはず。
だから、この言葉が注目されているのである。


5827,閑話小題 〜しまった! ー人工肛門の話ー 14

2017年02月27日(月)

 
   * 人工肛門の現実 
 人間として、人工肛門をつけることほどの屈辱はないだろう。その運命を
受け入れ諦念に至る自己葛藤は並み並みならぬはず。そこに(シリ)アス
な究極の心理のアヤを見いだす。 生きていればこそ人生。〜その辺りから〜
【 あるミシガン州の病院で行った調査がある。人工肛門の形成手術を受けた
半分が一時的人工肛門ですんだが、残りの半分は永久人工肛門だった。すべての
患者は半年にわたって、生活全般の満足度評価するよう依頼された結果が意外。
永久肛門の患者の満足度がどんどん、改善された一方で、いずれは普通の肛門に
戻せる患者は不満をかなり残していた。 なぜか? その研究者の結論は、
「なまじ希望があると、適応が妨げられる」というものだ。つまり、逃げられない
状況に陥った人は、受け入れることを学んでいく。そして、早く受け入れられれば、
それだけ満足度も高くなるなる。 この発見は、フロイトの時代から蓄積された
心理学の研究の結果と一致している。… 言葉を換えば、人は「適応」する。
だから遠目から見ると、こんなはずでなかったと思うことが多いのだ。】
―
▼「なまじ希望があると、適応が妨げられる」は、この6年来、実感してきた。
「まさか自分が」と受け入れるには、あまりにも、そのギャップが大きいが… 
逆に、ギャップに過剰適応で楽しんでいる自分が「何ともはや」が現実。
45年かけた「起承転結」の実業人生。その<「結」の結果は重要だが、人生
全般からみれば、あくまで二次的要因>と受け入れれば、それが「結」になる。
最後の決断直前の3・11東北大震災が後押しをした。その奇妙な偶然の重なりに、
「よりにもよって」と、不思議な感覚になっていた。シンクロニシティである。
 既に亡くなった知人の二人が、大腸ガンで人工肛門をつけていた。
体裁屋だった二人が意外なことに、それまでよりも、明るくなっていた。どん
底から這上った(生きているだけ儲けもの)の諦念が、明るさに加わったため。 
 私の場足、会社清算における諦念に至る葛藤から見える、それぞれが持つ
「バイアス(偏見)」の観察と分析が何とも面白い経験。それぞれが持っている
薄っぺらな解釈?と、実態間のギャップが透けて見える様。これも、あくまで
自分の思いこみ。そうこう考える心奥の静かな対話の面白さ。それは過っての
人生を見つめ直すことにもなっていた。
 あと一月余りで、『死んで花見が出来ようぞ』の時節。
 激変の最中、今年も面白い年になりそうである。
『まさか』の坂さえなければよしとする。そういう年齢か。
 
・・・・・・
5461,こう生きて、こう死にたい −1
2016年02月27日(土)
         「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著)          
   * 織田信長は超現代人
 当時の織田信長の戦略・戦術を駆使すれば、欧州全体を凌駕できる
能力があったという。群雄割拠の戦国時代の中 何の先入観も持たず、
与えられた条件の中で、整理をし、再構築し、判断、実行して、天下を
治めたのだから、想像を絶した能力がなければ不可能。何時の時代でも、
日本人の信長好きは変わらないが、それだけの人物だったようだ。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介より〜
<人生は一場の夢。この時代をどう生きるか。人間50年、運命の不可思議、
神仏の効験、サムライの美学、勇気と臆病など、津本・自らの作品から
抜粋した、歴史の英傑群像に学ぶ箴言集。>
 作家・津本の以下の説は、当時、話題になっていた。
≪☆ 私は織田信畏のことを、超現代人のと呼んでいる。なぜかー。
 現代人は学校教育の恩恵をうけて大変知識はあるが、物事を判断するとき、
教育によってえた学識や先入観にわずらわされてしまい、自分が本来もって
いる叡知、あるいは思考力を発揮できないでいる。それに対して信長は現代人
よりはるかに理性的で合理的。既成のすべてを疑ってかかり、与えられた条件
を自分のなかで整理し、再構築し、判断する。実行するに当たっては果断。
それゆえに、私は信長を‘超現代人’と呼ぶのである。 『旋風陳信長』
☆ 信長の性格の際立だった特徴は、意識のうちに何の先入観も持っていない
 ことである。戦国期の侍は、大義名分によって行動した。彼らが依拠した
武家社会の枠組みは、「すべての武士の主人は将軍である」という約束である。
 武田信玄は、将軍の補佐役になるのが生涯の念願であった。上杉謙信は、
足利将軍家の分家である関東公方の管領職(副将軍)になるのが、生涯の念願
であった。彼らはいずれも、自分の生まれる以前から社会に自然物のように
存在した、社会の枠組みに立脚して、行動をおこそうとした。
 だが、信長は何物にも絶対的な価値を認めない人物であった。領国、金銀、
官位にも、それ自体の属性としての絶対的価値を認めず、自分の置かれた
状況に応じて、それらがどれほどまで利用できるかという、利用価値の判断
をするのみであった。 『乾坤一滴』
☆ 明晰な論理を展開し、合理的判断をした後は、迷わず、自ら信じた道を
 押し進む。そして潮時を計って、攻める時は一気苛性に、退く時は、躊躇
しないのが信長の戦いぶりであった。  『武将の運命』≫
▼ 1575年、織田信長が3000丁の鉄砲を三列に並べ連続射撃を行い、無敵の
 武田騎馬 軍団を打ち破ったが、これは欧州でもなかった画期的戦術。
この戦術を使えば欧州を制覇出来たのではとさえ言われている。死を賭けた
勝つか負けるかの瀬戸際で考えたため、次々と戦略・戦術が湧き出てくる。
当時の最先端の鉄砲に柵を立て、騎馬軍団の進軍を阻止し、その後ろから、
三列の鉄砲隊の合理的射撃。当時の鉄砲の射程は短く、再発射まで時間が
かかる。戦慣れしていれば、次の射撃までの間に敵陣に切り込むが、近づいた
彼らを待っていたのは第二陣の射撃。更に追い討ちをかける第三陣がいる。
そして再装填を済ませた第一陣と繰り返えす。どれもこれも、当時は、想像も
出来なかった戦術、戦法。 後講釈の説があるとしても、『超現代人』の
言葉に何の違和感が出てこない。
・・・・・・
5097、遊ぶこと ーうさ晴らし
2015年02月27日(金)
         〜「人間であること」時実利彦著
   * 遊ぶこと 〜うさ晴らし
≪ ・第二の遊びはうさ晴らしである。新皮質の理性、知性に抑圧されている
 辺縁皮質の本能の欲求と情動の心をかなえさせる。人間は、集団生活の中で、
フラストレーションがおき、その辺緑皮質を乱しかねない。そこで、あらゆる
手段で、それを解消しようとする。それは原初から存在している遊び、つまり、
歌であり、踊りであり、お酒(酩酊)である。 新皮質は、アルコールに
非常に敏感で、辺縁皮質がまだまいってないのに、さっさと麻痺してくれる。
ほろ酔い人生は、「鬼のいぬ間の心の選択」、「うさの捨てどころ」になる。
もう一つの手段は、リズミカルな刺激を脳に与えることで、統合の座である
新皮質の活動が弱まり、理性や知性の抑止力が鈍り、そのすきに、心の憂さを
晴らしてくれる。 アルコールで脳を麻痺させ、歌をうたい、踊ることで、
溜まったストレスを発散させる。  (『ルバイヤード』小川亮作訳)
  こよい、また、あの酒つぼをとり出してのう
  そこばくの酒に心を富ましめよう
  信仰や理知のきずなを解き放ってのう
  ぶどうの樹の娘を一夜の妻としよう 
これは、ハムヤードの有名な4行詩である。
ぶどう樹の娘は、ブドウ酒。酒の効用を心にくいまでに歌い上げている。≫
▼ スポーツジムは「うさ晴らし」に最適である。ポップスなどの音楽を
 バックに、合同でエアロをするのも場所が場所のため、抵抗感がない。
居酒屋もカラオケもしかり。ストレスは万病の元、前向きに発散することだ。
事業も人生も、生きている限りフラストレーションが起きて当然。
その数倍のストレス解消のスケジュールを日常に組みこんでおけばよい。
だから花金(金曜)には、サラリーマンが居酒屋、スナックで羽目を外す。
 これをやり過ぎて、何度か大失敗をした。しかし、これが無かったら、
ストレス障害で早死していた? 私の一番の「憂さ晴らし」は異郷ツアー。
仕事と、アルツハイマーの母との5年半の生活と、事業のストレスが重なり、
非常に危ない状態で、ストレスでストレスを解消するしかないと、敢えて、
短期間で発散できる恐怖の異郷ツアーに参加してきたが、これが即効!だった。
・・・・・・
4732,閑話小題 ー年金生活者になって垣間みえてくる貧困問題? 
2014年02月27日(木)
 年金生活に入って、事業人生の気の張りも緩み、かわり映えのない日々が続く。
年金生活になれば、娑婆ッケも抜け、今さら欲しいモノも、してみたいコトも
然程ない。還暦までが人生の面白いところ。あとは、自然の流れに身を委ねて、
日々、面白、可笑しく生きることを心掛けるしかない。生活に心配ない収入が
あるかないかだが、自然に適応するから不思議。同世代が、二ヶ月後から古希。 
残された人生の期間が、あと平均10年になる。そのうち9年間が介護を必要
とする、というから、そう甘くはない。比較的恵まれた環境の生涯だったが、
ここにきて、周辺が寒々とした空気になってきた。貧困問題である。
以前も書いたが、世界と比較した相対的貧困問題である。この東北震災の
影響が今後、さらに深刻になり、日本は貧乏国になることは避けられない。 
  以前にも少し取り上げたが、ーその辺りをネットでみるとー
《 日本の貧困率についての最新のデータ、OECDの2009年の統計によれば、
 日本の相対的貧困率は16.0%で、この年に調査された中では、イスラエル
20.9%、トルコ19.3%、チリ18.5%に次いで4番目に相対的貧困が高い。
同年調査された韓国(15.3%)よりも高い率。2009年には調査されなかったが、
かねて貧困率が高いアメリカ合衆国が17.3%(2010年)、メキシコが20.4%
(2010年)である。日本より貧困率が高いメキシコ、トルコ、チリはいずれも
OECDには加盟しているが、先進国と言える経済力ではないため、日本は先進国
の中でイスラエル、アメリカに次いで3番目に貧困率が高い国になる。
逆に西欧諸国は大半が10%以下、全調査国中最も低いスウェーデンとデンマーク
の5.3%を筆頭に、北欧の貧困率が低い。厚生労働省の調査では、日本の相対的
貧困は2009年の時点で16.0%は、データが存在する1985年以降で最も高い数値。
2007年の国民生活基礎調査で、日本の2006年の可処分所得の中央値(254万円)
の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象となる。これは、単身者では
手取り所得が127万円、2人世帯で180万円、3人世帯で224万円、4人世帯で
254万円に相当。日本は、かっての調査で北欧諸国並みの水準で「一億総中流」
と言われたが、1980年代半ばから2000年にかけて貧富格差が拡大し相対的貧困が
増大した。なお、ジニ係数と相対的貧困率は定義が異るので一概に比較は
出来ないが、単身世帯を含めたすべての世帯における年間可処分所得(等価
可処分所得)のジニ係数で国内格差をみると日本はアメリカ・イギリス・
カナダ・オーストラリアの英語圏諸国より格差が小さく、フランス・ドイツと
ほぼ同程度の格差であった。相対的貧困率は、1980年代半ばから上昇している。
この上昇には、預貯金や不動産を所有しつつも収入は年金しかない「高齢化」や
「単身世帯の増加」、1990年代からの「勤労者層の格差拡大」が影響を与えている。
「勤労者層の格差拡大」を詳しくみると、正規労働者における格差が拡大して
いない一方で、正規労働者に比べ賃金が低い非正規労働者が増加、また
非正規労働者間の格差が拡大しており、これが「勤労者層の格差拡大」
の主要因といえる。》と、やはり深刻である。
▼ 年金生活に入って、家にいるケースが多い上に、見栄など、どうでも良い
 年齢だが、それでも思わぬ出費が次々かさむ。リーマンショックによる静かな
恐慌と、大震災による影響で、マイナスの影響を受けるのは、貧困層。我われ
世代は「良い時代」を生きてきたが、これから「悪い時代」に生きることになる。 
良い時代を知らないから、それが当り前?
・・・・・・
4365, セックスがあいさつ代わりの類人猿
2013年02月27日(水)
        『あなたのなかのサル』 フランス・ドゥ ヴァール
 読書の合間に、Youtubeの他に、アマゾンのネットサーフィンをしている。
で、見つけたのが、この本である。ボノボの、この習性を知ってはいたが、
立ち読みでも面白い! これが人間の隠された本質かもしれない。
  ーまずは、ともあれ、この中の一節からー
≪ セックスがあいさつ代わりの類人猿ボノボは、発見が遅かったにせよ
人間のタブーに接触のためか、あまり知られていない。何と一時間半に一回
セックスする。体格的にもずん胴なチンパンジーよりスマートで、より人間に
近いと思われるこの類人猿、そのため動物園にもTVのお茶の間にも登場しない。
このフリーセックスというか、挨拶代わりのセックスは、子殺しを防ぐことから
起こったのかもしれない。父親がわからなければ、外から来たオスに殺される
ことが防げる。セックス相手のオスから庇護を与えられるからお得である。
ボノボでは若いメスは相手にされない。熟女が歓迎される。若いメスは性皮の
腫れをパスポートにして、新しい集団におちつくのである。ボノボはメスの
ほうが権力をもつ。メスはほかの集団のオスともセックスすることによって、
オスの縄張りの意味をなくして、ボノボは平和な社会の可能性を開くのである。
 人間はセックスを社会生活から隠す。あいさつ代わりのボノボと違って、
セックス相手をひとりのオスに絞ることによって、育児の支援を受けるのである。
ために家が必要になった。チンパンジーは劣位のオスはセックスをとがめられる。
 人間はチンパンジーのように縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、
メスを囲い込む。子孫や経済の共有がないから外集団との争いが絶えないと
思われるのである。ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる
必要があるのではないかとヴァールはいう。人間はチンパンジーのように
縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、メスを囲い込む。
子孫や経済の共有がないから、外集団との争いが絶えないと思われる。
ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる必要があるのではないか
とヴァールはいう。チンパンジーには集団での権力闘争や序列関係があり、
観察記録には如実にそれが現れる。人間はそれがあたかも存在しないか
のように暮らすから、動物たちの観察記録が参考になる。
 動物たちは序列を明確にする。それをボティランゲージではっきりとわかる
ように表わす。劣位の者は腰を低くしたり、腹を見せる。
人間には序列があるはずだが、それを明確に表わさないし、ときには無意識に
行っているのに意識の底に潜りこませるのである。それを明確に意識の昇らせる
ために、このようなチンパンジーの観察記が役に立つのである。≫
▼ Youtubeに、この映像がある。(今日のバードウォッチに掲載) 
これをTVで放映は出来ないのは当然。人間に最も近い類人猿の永年かけた
知恵というから考えさせられる。食肉系女子を重ねると、いやに納得する。
近親間ではどうかは、分からないが、恐らくないのだろう。
考えてみれば、これが桃源郷の世界ということ? 一時間半に一回ですか!
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3990, 日本の、今そこにある危機
2012年02月27日(月)
 産経新聞一面に世界協力銀行の企画部長の論説【日本の、今そこにある危機】
の論説が現在の日本の実態を分かりやすくまとめてある。これが現在の日本。
* 日本のGDP(一人あたり)2000年には世界第3位だったものが
  2008年には23位に低下
* 国際競争力は1990年には世界1位だったが2008年には22位に低下
* プラント(生産設備)輸出では2006年に韓国に抜かれ、今や成約実績で
  3倍以上引き離されている
* 貿易収支は31年ぶりに赤字転落
* イギリスエコノミストは『自動車の海外生産比率が2003年の49%から
  2014年には76%まで上昇する』と予測。
* 日本の国と地方の債務の対GDP比率は213%でイタリアの129%を
  大きく上回っている。
* サマーズ元財務長官(オバマ政権経済顧問)は『日本はもう終わっている』
▼ 莫大な借金を政府部門が抱えているのに金利が上昇せず、円高が続くのは、
 債務の95%を国内で保有しているため。このマイナス・スパイラルも、
ますます加速しているが、これに対し政治が混迷をし思い切った対策が出来ない。
 もう「日本は終わった」のか? 更に東北大震災と、首都直下型地震と、
東海、東南海、南海地震が待ち受けている。これから10年間は、日本は
激しく衰退するしかないのか。 首相は一年しか持たないで交代するパターンを
繰り返し、ある日突然、国家破綻の道をひた走り、国内は空洞化。国民は今そこ
にある危機にさえ鈍感で、ゆで蛙状態。国が滅びるとは、こういう姿か。
充てがわれた民主主義の行き着き先が、これ。 
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3625, 人は人生に何を求めるのか
2011年02月27日(日)
 人生の終盤に差し掛かり、ふと「人間は一生を何のために生きているのか?」
という学生時からの問いが再び俄然と立ち現れてくる。何度も問いかけ、問い
かけられてきた問題だが、この年齢の、その問いかけは自分の人生の奥から
沸きあがってくるから学生時代のそれとは違ってくる。「己の魂を磨くため、
高めるため」というのが、現在のアリキタリな答えになる。キュープラー・ロス
のいうレッスンとは魂を磨き高めるためである。それは社会的に成功したとか、
何かを残したとかいうことより、内側に一歩踏みこんだ自分独りだけの醒めた
問いかけと、その答えになる。 そこで、何度も問かけてきた、「魂とは、
そもそも何ぞや?」という根源的な話になる。魂とは= 物理的には、大宇宙の
中の微細な最大100年間与えられた肉体。それに対し、魂は、己の心の背後に
広がる内的宇宙と、そこに繋がっている己をいう。それは「いま、ここ」から
過去・未来に広がり宇宙に通じている。それを人間は一生をかけ心を通して広げ、
高め、開放していくことが、人生が求めること。 自分の人生が半年、三ヶ月と、
区切られたときに、己は果たして何を求めていたのか、問題が立ち上がる。
「人生は魂の研磨を通して己を高めること」とすると、そこに知識と経験が必要。
求める対象にエネルギーを集中していく過程で己を高めることそのことが人生。 
よく遊び、よく学び、よく働く、こと。その3つを心がければ、自動的に求めて
いるところに近づくはずだが。人生が何を求めているかというフランクルの哲学
になっていくが。 そんな難しいことを考えることもない。 
今ここ、を大事にすればよいのだが!

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