|
堀井On-Line
|
2017年01月27日(金)
<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * お嬢さまことばのすすめ 『お嬢さま系学校』出身の家内の御言葉に、結婚以来、何か威厳のような 威圧を受けてきた。 『畜生!』というと、『あらお下品な!』に、まず唖然。 (お下品言葉は実姉達も言わないが)。著者は、男でも、お嬢言葉は参考に なるという。 学生時代の手形が「品性ある言葉使い」。 早大理事の自宅庭先にある25室の、今でいう「シェアハウス」のような寮は、 全国各地の様々な職の実家を持つ学生たちとの共同生活。片方通行の土間の 廊下に、木ドア一枚の仕切り。鍵はかかるが、誰かがドアを叩けば、入室を 断れない不文律があった。何れの実家も裕福そうだが、仕送りはカツカツ?で、 誰も金欠状態。私生活は、自炊・洗濯などの心配で精一杯だったが、二年半ば 頃から、それにも慣れ、学生時代の自由の面白さが出てくる。その頃、軽井沢 山荘のヘルパー仲間や、コンパ、合コンの日帰りバスツアーなどでの女子大生 との出会いの場があった。実践女子、共立女子、聖心女子大などの学生が身近 にいた。そこで吃驚したのが、それぞれの子女の言葉使いの上品さ。 何代か 続いた家系の子女の言葉使いは、それはそれは… まさに以下のお嬢さまことば の羅列。「ごめん遊ばせ」「ご機嫌よう、さようなら」などお嬢言葉が日常会話に 出る世界。「お兄様」「お父様」と「お」付である。他人の評価、悪口、実家の話、 個人の自慢は絶対タブー。卒業と同時に入った流通業の生現場の、カジュアル で、清潔感ある艶っぽさに、優しい女性たちだったが、言葉使いの段差があまり にも…。 言葉と意識の大きな段差に慣れるまでの一時期、奇妙な感覚になって しまった。 カジッタラ?駄目よ、とはいえ… TPOSが整えすぎている。 姉4人の基準があったため、そこで抱え込む?ことはなかった。 〜「お嬢さまことば」をネット検索すると〜 《 ・わたくし =私。 ・〜遊ばす =「ごめん遊ばせ」 ・あら =驚きの言葉。「あらあら、こんなに服を汚しちまつて」 ・いいこと =いいですか。「今度あなたのお家に遊びに行つてもいいこと?」 ・お〜 =「おズボン」「おりぼん」「お花」「おつもり」「およしなさい」 ・〜さま =「お母様」「ごもつともさま」 ・〜さん =「人参さん」「おばかさん」「お茶目さん」 ・随分ねえ=ひどい事を表す表現。「わたくしを点取り虫だなんて、随分ねえ」 ・〜ちやま =親愛感を込めた叮嚀語。「伯母ちやま」 ・なくって? =ないですか?(疑問形) なくってよ =ないのよ ・まあ = 「〜嫌だわ」 ・まし =「ませ」のなまり。叮嚀な依頼。 ・モチ =「もちろん」を縮めた語。女学生の流行り言葉。 「一緒に行きませう」「モチ(もちろん)よ」 ・よくつてよ、よろしくつてよ いいですよ ・〜わ = 〜です。〜だ。決意や主張、驚き等を表す。 「私待つわ」「まあ嫌だわ」 》 ―― ▼ 言葉使いに関して、社会人になるまで厳しく躾けられていた。 しかし、実社会に出たころから流通関係などのサービス業の現場にいた こともあってか、かなり痛んでしまった。それでも標準並み? 出所が城下町で、『おれ』『お前』を普段使うが、都会の学生間ではタブー。 ギョッとした顔で、厳重注意をされた。『男はつらいよ』の主人公が、美人の お嬢さま好み。その言葉使いの段差を巧みに利用し笑いを誘うが、成るほど、 言葉から滲み出る魅力は大きい。 『御免あそばせ、お腹がゆるいので、御不浄に行きますか』 人は時には、誰も知らないところに行きたがるもの。 『あらら、良くってよ』だってさ。<朱に交われば赤くなる>というが。 『それではご機嫌よろしく!』 何かホノボノとしてきた。
・・・・・・ 5430,閑話小題 〜腰痛をおしての除雪作業2時間! 2016年01月27日(水) * 甘利経済相の汚職問題、これ、おかしくないか? 明らかにアメリカとのTPP交渉で宗主国の尾っぽを踏んだ見返りの 謀略? たまたま、日曜の夜に放映された冷戦時代のCIAとKGBの謀略の 秘密映像の録画を、昨日、見たが、時もぴったり。見せしめのたの計画? 甘利というだけ、‘あまり’にも無防備。 * 腰痛をおしての除雪作業2時間! 積雪が1mあり、一昨日、スポーツジムに出かけようとしたが、 駐車場の出入口は除雪をしないと、外出は無理。そこで、ジムのトレーニング 替わりの除雪と割切ることにした。 除雪も結構、面白いが、しかし腰痛には 要注意い! 仕方がない、痛むなら痛めと、恐々始めた。道路の除雪した雪が、 幅7〜8mはある駐車場の出入り口に1m以上もあるため、除雪に2時間を 要した。その後、出入りに余裕をもたせるため、あと1時間は、要すると判明。 腰痛もあり、かって2時間の除雪経験は初めて。昨日あたりに腰痛が出る のでは、と不安だったが、今のところ大丈夫。 ヨガと、エアロビの効果が あったのか。 元もと腰痛は、昭和38年の「長岡三八豪雪」で、長岡高校の 校舎の除雪で痛めたもの。 雪道をジムへの道すがらユックリと運転したが、 雪道は凸凹で、後でみたら、後部は擦った傷跡がシッカリとついていた。 気をつけても、つくのはつく。 * 70からは、診療負担が2割に減額 新しい健康保険証が送られてきた。70歳からの診療負担が3割から 2割負担に減額と、あった。ただ、それだけの話だが、切替日が今月末、 「週末の歯科の予約、来週に変更すれば一割御得!」と、家内が睨む。
・・・・・・ 5066,閑話小題 〜何気ない一日の使い方 2015年01月27日(火) * つれづれに ー何気ない一日の使い方 ― ご隠居生活に入って、あと二ヶ月で4年になる。家内は専業主婦歴42年。 その生態が見えてくる。毎日のように、医院、スポーツジム、お友達とお茶、 スーパーやショッピングセンターに外出。ふと姿が見えないと、200m先の スーパーに夕方の値下げ品を探しに出かけている。こういう隙間時間の使い 方は、私の10倍以上のキャリアが成せる技。とにかく足が軽い。 で、昨日も、一昨日に続いて、年二回の恒例の乗り放題の格安切符で東京に! 昨日は、孫の顔をみて、予めネットで調べていたホットスポットを回った後、 大宮まで長野新幹線に乗って、上越新幹線に乗り換えて帰ってきたという。 やはり乗っている人種?が上越新幹線と、ちょっと違うとか。東京の名所は、 どこもかしこも外国人だらけ!というのは、この数年で入国者が二倍になった から、そうだろうが。ところで、ご隠居生活は社会からのドロップアウト。 元もとアウトサイダーを標榜していたので、疎外感とか、戸惑いは殆どない。 日常の生活習慣を決め、大方、その通りに、こなしているからである。 読書と、ネットで、知らない事を知る時間があるのが良い。 ― 20時過ぎに就寝し、夜半の0〜1時に目が覚め、4時位まで、顕在意識と、 潜在意識が混濁した半睡状態の中にいるが、これは機中の座席の時間帯と 同じような感覚だが、濃さが薄い。 最近、週に4回はSJでヨガで、 死体のポーズを、最後の5分間していることも、その時間帯の意識に影響を しているのだろか。死体になったつもりで宇宙を漂うポーズ。 ― 最近になって、当り前のことが、当り前に思えるようなってきた。 思い込みの深さと、その軽さの自覚? 最後の結果が、格好が悪かった ことが、多くの気づきを喚起してくれているようだ。逆に言えば、大方は、 その自覚を経験していない。だから、それが面白い。 思い込みの深さと、その軽さの自覚のなさ! ― ちなみの思うことは、両親の有難さ。これだけで、充分に 生まれてきて良かったと実感できる。八人兄姉の末っ子で、孫のような 感覚だったのだろう。とにかく、優しかった。現在、小中学校の同級生を 思いやると、芸者置屋の子、戦災で孤児になってお寺の養子とか、 継母のためヒネタ子や、小さな居酒屋の2Fに住んでいた子とか、戦争 の爪あとが、そのまま子供を直撃していた。それにしても、貧しかった。 〜6年前の同月同日分を見たら、偶然だが、以下の内容があった。 ―――― 2854, 格差世襲 −2 2009年01月27日(火) リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。 ・特に教育方針に違いが表れている。 「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」 「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、 子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ―― 2853, 格差世襲 −1 2009年01月26日(月) ー 貧困とは溜めのない状態 ー 格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木) 階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。 他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、 半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。 (字数制限のためカット 2016年1月27日) ・・・・・・ 4701,閑話小題 ー夕方がいちばん楽しめるとき! 2014年01月27日(月) * 残照の中で! 「日の名残り」カズオイシグロ <2167, 「日の名残り」読書日記 2007/03/10 >の、 老執事が旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がよい! 「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。 だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろ を振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。 何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。 わしを見てごらん。引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたも わしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー 「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。足を伸ばして、 のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらん。 夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」 男が立ち去ってから20分ほど になります。私はここに残り、いまの瞬間を ー桟橋のあかりが点燈するのをー 待ってました。~~(-。-;)y-~~. さきほど申し上げましたが、楽しみを求めて この桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。 その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、 多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間かもしれません。 では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された 時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。 ―― 「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える 能力だと言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発された だけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人 にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。 ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、 中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。 外部の出来事には ーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしく とも、動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るようにー 執事職を 身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえごろつき 相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、 自ら脱ごうと思ったとき意外にはなく、それは自分が完全に一人のときに 限られます。まさに『品格』の問題なのです。」 ▼ これを書いた7年前と、色いろあった現在では、味わいが違っている。 御隠居生活という夕方では、前向きな気持ちで、残された時間を最大限 楽しむこと。私のように、最後は、この様な終り方で、うわべが剥げ落ち、 中の演技者の生の私がむき出しになった状態でも、楽しみだけは充分ある。 自分に誠実にあることしか頼るすべなく、独り立ち竦み、残照で世界を眺め 直し、湧き出てきたきた言葉は? 肯定、肯定、絶対肯定。 そして、人生万歳! である。 ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ ヾ(_ _)ノ モヒトツ ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪ <ー kryaΣ(´д ` メ)アホダー!! ・・・・・・ 4334, 自殺者増加の意外な要因 2013年01月27日(日) 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。 去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる 思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を 重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという 隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、 ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、 身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの 介入が、その防止につながる。 ーこの記事をまとめるとー ○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。 ○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。 ○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。 ○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、 首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。 ○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、 5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの 共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 また県民性もある。 ○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と 不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに 抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を 評価するー住民気質が、必要。 ▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。 ≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、 自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。 ・・・・・・ 3959, 閑話小題 2012年01月27日(金) * マイウェイ マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが 面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、 あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中 戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。 またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。 この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、 やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人 がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に 奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、 凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが 出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な 動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。 あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。 そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。 * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡 閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、 欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と 高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が 停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌 のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は 別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に 何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、 ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。 それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。
|
|
|
|
2017年01月26日(木)
<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * 3つの煩悩、5つの欲望 今さらの話だが、人間には心の迷いがある。これを仏教では「煩悩」という。 百八煩悩というくらいに、人の心は色いろな道に迷う。なかでも、最も人の心を 毒す代表的な煩悩が3つ。 「貪欲」「瞋恚(しんに)」「愚痴」、略して 「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」といい、これを三毒という。 「貪欲」は、むさぼりの心であり、自分だけ利益を得ようとする強欲な心。 「瞋恚」は怒りの心。愚痴は迷いの心である。 また人間の欲には五つある。 食欲、睡眠欲、性欲という本能的欲望のほかに、財欲、名誉欲の五欲である。 これらを正す修行、八正道がある。 まずは、このブログが、まさに「貧・瞋・痴」そのもの。それなら隠せば 良いものを、わざわざ書き連ねる品性の悪さが垣間見られる。それでも自覚 しているだけマシだが… いや、自覚なしか。考えるとは、前提を疑うこと。 ということは仏道とは矛盾することが多くなる。矮小のプライドがなす心の 歪みが俯瞰でき我ながら滑稽。 著者は、矮小なプライドの奴隷に縛られた 自分からの家出の勧めを平易に説き、その為の「沈黙」業を勧めている。 老いて「「貧・瞋・痴」の奴隷化をした人は、何処にも見られ、痴呆化の バロメーターにもなる。他人様の中のそれには気づくが、自分のは無頓着。 書きだすとは、自分を曝け出すことで、自分を習うことになっている。 再び偶然だが、去年の以下の脈絡として続く。<自分の苦悩からの自由>…
・・・・・・ 5429,人生で最も大切な技術 ー�� 苦悩と不幸の違い 2016年01月26日(火) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみと不幸の違い ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕 と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、 〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を 俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、 不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに 気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜 ≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別 する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。 サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、 定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、 痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。 【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、 まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。 私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、 そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、 当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、 自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】 自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する 動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で 何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として 生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、 等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。 なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と 関連するとはいえ、本質的な関係はない。 四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が 自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。 残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸 と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する 仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。 人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、 人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫ ▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、 【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により 日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄 に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。 四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】 とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは! 四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と 内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか? 急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、 一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、 その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。 ・・・・・・ 5065,あわいの力 ー�� 2015年01月26日(月) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * お能の世界とは この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に 魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、 <芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹 から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、 その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。 猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの 「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」 として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある ≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。 ・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。 ・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに シテ方を演じるようなことはありません。 ・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫ ▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄 の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。 『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』 〜〜 4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人! 2014年01月26日(日) * 映画館貸切?の念願成就! 映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、 その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が 入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に 私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。 内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。 若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される 感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい? とすると、一割以下のコストは価値がある! * 近所の喫茶店 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店 『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは 何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって 夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、 価値がある。コーヒー・パンレストランという風。 * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、 これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。 ―― 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ ・・・・・ 4333, 自己とつきあうということ −3 2013年01月26日(土) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること! ≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を 意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ 存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の 途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを 問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような 方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、 自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己 といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。 そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や 変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、 状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて 何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する 自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が あらわれてくるであろう。・・・ ≫ ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、 書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が 出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。 その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、 書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を 決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’ と実感できるかだ。 ・・・・・・ 3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4 2012年01月26日(木) * 「他責的」な新型うつの病理 ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー ≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような 幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、医師のもとを訪れる消費者、 いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。 なぜ、この欲望はこんなに強くなったか? まず、消費社会が購買意欲をかき 立てるために「あきらめるな」「すべて可能である」といったメッセージを送り 続けた結果、あきらめきれない人が増えた。断念せずにすむ手っ取り早い方法が 開発されたことが宣伝されればされるほど、以前であればあきらめを受け人れ ざるをえなかった人も、あきらめきれなくなった。とりわけ、「こうありたい」 という自己愛的イメージにとらわれている人ほど、「自分はこんなもんじゃない」 という思いが強いので、自分を「底上げ」してくれる手段にすがって、あきらめを 何とか回避しようとする。当然、自己愛の強い人ほどあきらめきれないが、現在、 こういうタイブが増えている。少子化の影響もあって、子育ての失敗が許されなく なり、親の期待がもろに子供の肩にのしかかるようになったからである。 親の期待とは親の自己愛の再生にほかならず、敗北感や不全感にさい悩まれて いる親ほど、自分自身が放棄せざるをえなかった自己愛を、よりいっそうわが子 に投影する。 子供は、親の期待に応えなければ愛してもらえないと肌で知って いるので、親から投影された自己愛を引きずったまま成長していくわけである。 子供が多くの時間を過ごす学校という場で、自己愛的イメージを徐々に断念 させて現実の自分を受け人れさせる、つまり「身の程を知る」ようにさせる システムが機能しているかというと、現状は正反対。何しろ、「やれぱできる」 「誰にも無限の可能性がある」といった類の幻想を盛んに吹き込んでいるから。 こういう幻想を吹さ込まれ続けて「なりたい自分」のイメージだけが肥大して いくと、現実の壁にぶつかって自己愛的イメージと現実の自分のギャップに 直面したとき、ふくらむだけふくらんだ自己愛の風船をどうやってしぼぽせたら いいかわからず、落ち込んでうつになる。おまけに、現実の自分が 「これだけでしかない」のは、オ能、努力、意欲が足りなかったせいなどとは 決し思えない、いや思いたくないので、他人にせいにして責める。 これが「他責的」な新型うつの病理である。≫ ▼ 私も八人兄姉の末っ子で、両親から特に大事にされ育ったため、 心のどこかで常に親の期待に答えようと意識していた。青年期は、その葛藤の 中で常に、「自分はこんなものじゃない」と、自分の「底上げ」を心掛けていた。 27歳で父が亡くなった時、創業の激務もあったが、何かから解き放たれた ような気持ちがあった。 当時は高度成長期、誰もが坂の上の雲を目指していた。 先日、青年期に読んだ「精神論」について書いたが、「誰も無限の可能性がある」 の刷り込みだったか、右上がりに必要だったのか? 偶然だが、下記の去年の 文章が関連している。 アメリカそのものが、深刻なノイローゼである。
・・・・・・・ 3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −1 2011年01月26日(水) 「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著) 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている 内容とは大きな隔たりがある。度々、アメリカに滞在した普通の目線で 平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させている という論には納得する。 ーアマゾンの内容紹介よりー ≪ なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか? アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。 経済格差の国・アメリカと、 幸福格差の国・日本。世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本… 長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の 第一人者の著者が、そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、 初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。 〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、 米国の一般の人々の社会における価値観、その元になる宗教、特にプロテス タンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が 抱える最重要課題、日本における人々の社会への不信感について論じている。 そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で 大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。 では日本における心の問題を 社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性に ついて述べているが、日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける 存在になっていない〉 ▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本 主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。そのほんの少しの患者を、 一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が 出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。 この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。 日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」 を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、 カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく
|
|
|
|
2017年01月25日(水)
* つれづれに大相撲 〜�� 何を間違えたか、稀勢の里が優勝をして横綱になった。「実力だけでは なれないのが横綱。その一番大切な何かが稀勢の里には欠けている」と横綱・ 白鵬に言わせた何かが、今場所には付いたのか。それとも実力が備わったのか。 二人の横綱が途中休場をしたことも、プラスに働いた。 父親が、「息子が横綱 になるのが気の毒だ」と言わせしめた気の弱さ優しさ。 もう直ぐ31歳の遅咲き、 3年以上は綱を張りたいのだろうが、無理? 名大関で終わる典型的な力士に見え たが。 そろそろ不祥事が起きる時期に入った。丁髷姿で大柄で、目立つため、公共の 場で、派手に遊べない。「谷町」も、以前のように祝儀も貰えない時節、結局、 巧妙に近づいてくるヤクザや、芸能世界の玩具にされる状況は変わらない。 * 名前の由来 以前、書いたことがあるが、父方の法事の隣席に、「家老」という名の風格の ある人がいた。市会議員に、その名の人がいたようだったが… 名前が名前だけ に印象が残っていたが、当人?。 選挙のための源氏名としては非常に有効。 酒を酌み交すうちに、「立派な名前ですね。元は何処のご家老様ですか?」と 話を向けると、慣れたもの。 <いや、そんな大それた由来ではなく、元もとは 「螻」で、オケラと馬鹿にされるので、改名を考えた時、せっかくなら「家老」 と思い立っただけ>とのこと。 小学校の4年時に「けら写真館」の娘さんが隣席 になったことがあったが、「オケラ」などの揶揄いはなかったようだ… 学生時代に大恋愛をして結婚をしたが、早々にガンで亡くなったと聞いていた。 大学生時代に「小作」「渥美清」という名がいたし… 確率からして、27人 集まると一組は同じ名がいるという。名前は、ミニ物語というが。
・・・・・・ 5428,人生で最も大切な技術 ー�� 幸福は可能か 2016年01月25日(月) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福は可能か インド独立の父 マハトマ・ガソディの以下の言葉が良い。 < 手に入れられる外的自由の大きさは、ある瞬間の成長段階で獲得済の 内的自由の大きさに比例している。それが自由についての正しい考え方なら、 自己の内側を変革することにエネルギーのすべてを集中すべきである。> 外的自由から、逆に内的自由を得ることも、しばしばあったが、やはり、 内的自由から入るのが順当だろう。節目を打つというのは、挫折や、成功から、 これまでのステージから次の段階への変化にエネルギーを集中すること、 外的自由から、内的自由を得るための行為と思索をいう。読書で、著者の 世界にトリップするのは内的世界の自由を得る身近な手段。また、瞑想も しかりである。今ではTVも、インターネットもある。 〜その辺りから〜 ≪ 精神的な修行は、驚くほど多くの結果をもたらす。日々わずかの時間を 瞑想に割くだけで、精神を鍛えることができる。想像以上に多くの人たちが 通常の家庭生活を営み、仕事に励みながらこうした訓練を続けている。 このような生活態度のプラス面は、煩わしい時間のやりくりといったマイナス 面をはるかに超えている。こうした訓練を続けることで、現実的な日常生活の 中で心の変革の旅に乗りだすことができるのである。パストゥール研究所で 研究に取り組みながら、パリの生活にどっぷり漬かっていた頃、数分しか実行 しなかったにもかかわらず、毎日の瞑想は非常に有益だった。 日々の活動の中に、芳香が漂い、これまでにない価値を見出すことになった。 ここで言う瞑想とは、単なるリラクゼーションではなく、内面に目を転じる ことである。思考がどのようにして生まれるのかを静観し、憂うつなものも 陽気なものも、すべての思考の裏に常に潜んでいる平安、静寂、純粋な心の 様相をじっくりと見つめる作業である。それは思ったほどに複雑で難しいこと ではない。ほんのわずかな時間を割くだけで、瞑想がもたらす効果を実感し、 結果を認識するようになる。自分の中で起こっていることを内観する、その 経験を少しずつ身につけることで、思考経路をよりよく理解するようになる。 その結果、心の毒を洗い流すコツがつかめるようになる。 心の平和を少しでも感じられるようになれば、生気溢れる感覚の維持と煩雑 な職業を両立することが難なくこなせるようになる。同様に、心身が不安定で 不安感の強い状態(過度の自己中心としばしば関連する)から自分を開放する ことができたとき、恐怖心は弱まり、人に対して自然に心を開き、「人智を 超えた存在の気まぐれ」と呼ばれる運命に翻弄されずに、それに直面できる ようになる。国だろうが教会だろうが、あるいは専制君主でさえも、 人々に人間性向上を義務づける権力を持たない。これは本人の意思で選択する しかない。統計遺伝学者のルカ・キャヴァリ・スフォルツァとその息子 フランチェスコが雄弁に述べている。 【心の自由は、自分が制限するか、制限することを許した他者が制限する場合 を除けば、限界がない。その自由は偉大な力をもっている。個人を変革させ、 その能力を最大限に伸ばし、人生のあらゆる瞬間に、完全な満足感をもたらす。 個人が意識を成熟させれば、世界も変わる。なぜなら世界は個人の集合体だから。】 ▼ 私にとっての午前中の読書や、ネットや、寝室や居間でみるTVドラマと 映画も、内的世界を自由に飛びまわっていることになる。それに比例して、 外的世界が広がっていることも確かだが、瞑想で、心の内から、広大な宇宙と つながることは、外的自由より遥かに解放されることも確かである。 ・・・・・・ 5064,あわいの力 ー�� 2015年01月25日(日) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * シテの「あわい」の役割 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした 半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。 そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜 《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。 「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、 人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか? シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。 古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が 「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。 あっちとこっちをつなぐ不思議な力! 異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、 古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、 「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫ ▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について 書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」 の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、 「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが? この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。 ・・・・・・ 4699,末期がん、その日のための予習を ー2 2014年01月25日(土) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。 人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された 救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、 好きなDVDの用意か? シリアス過ぎる? 第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より ・日本人の2人に1人がかかる国民病 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない! ・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。 遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし! ・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく ー長生きの負の部分と割り切るしかない! ・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし! ・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、 少しでも減らす算段を!その差は大きい ・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく ・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に ・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・ ・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、 目の前にある「いま」を大事に生きる ・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する ・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と 生きれば、怖れは減る ・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 罰が当たったと思う必要はない ・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責 ・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ ・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割 ・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る ・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏! ・「看板かじり」は精神的に脆い ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし ・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし ・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。 感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる ・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという 気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を ・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある ・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ ・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう 意図的にコントロールする ・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ! ▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が 来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟ ・・・・・・ 4332, 自己とつきあうということ −2 2013年01月25日(金) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜 することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。 特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。 戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。 そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。 * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー ≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。 「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。 彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、 忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。 オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退 すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に 引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」 との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、 他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が 強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの 考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。 われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」 や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、 その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 ・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に 向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束 され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、 両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、 生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、 この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫ ▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を 避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に 沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに 行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、 一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、 人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、 音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている 時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。 社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。 ・・・・・・・ 3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3 2012年01月25日(水) * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。 ≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には 100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。 うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、 中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。 アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、 1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと 40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫ ▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断 基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん 止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、 その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に 仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした 落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人 が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の 発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の 数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用 があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。 ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの 副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、 気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。 合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。 これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 うつを和らげるが、身体に蓄積していく。 ・・・・・・・ 3592, 閑話小題 2011年01月25日(火) * ワールドカップとオリンピックの差 「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」 と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を 上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。 見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。 勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし 金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。 * ところ変われば、意味が違う (字数制限のためカット 2012年1月25日)
|
|
|
|
2017年01月24日(火)
<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * スローパンク フローパンクという聞きなれない言葉があった。〜ネット検索をすると〜 《スローパンク:ゆっくりと空気が抜けていくパンクのこと。 「走っていて、気がついたら空気圧が減っていた」という現象がこれに当たる。 いったん空気圧が低くなっても、空気を入れるとある程度走れるときもある。 原因は、タイヤに異物が刺り、中のチューブに微細な穴が開いていることが多い。 この場合、異物を取り除くと一気に空気が抜けることがある。そのほか、バルブ 不良、バルブ根元部分の亀裂、チューブの劣化などが原因のことも。》 ▼ 人生、老いる頃からスローパンクをして、最期は、走行不能になり、 消えていくのが定め。ここで、「話し言葉も、行動もスローパンクに従い、 生きなさい。天皇のお言葉も、行為もスロー。意味も中身もありはしない。 天皇それ自体が象徴。それで良い」と勧める。それをパンクの状態と類推する ところが面白い。この随想日記自体が、面白い知識・情報を探し、ダイジェスト にして書いているスローバンクと真逆の習慣。面白いのは、「お嬢さん言葉」を 有効に使って間をおいて「沈黙」を保つことを勧めている。露骨な嫌な視線と 言葉に、ただ沈黙をするしかないが、その場決済の、あるイメージを持つ。 内面エネルギーは人一倍強いので… 結果、内面から抹消したことになる。 まさか、こんな内面処理の技術を身につけるとは。処理後は、目の前にいても、 いないと同じ。まさか、自分が??… 想像もできないだろう。 スローパンクは、その逆。天皇のように、お嬢様のように、ユッタリと空気が 抜けるように、日々過ごせば良い。 空気の抜けたタイヤと車輪の痛みは激しい。 ちゃっかり、ポイントだけは抑えているため、周りは大変! ったく。 私のタイヤの空気は? 時々、パンク防止剤を入れ替えているが、どうも悪路で 振動がきつい。 あの男、空気の抜けた自転車で、ガタガタ音をたてて走っている。 自分も同じ姿だろうに。
・・・・・・ 5427,人生で最も大切な技術 ー�─_�楽は見せかけの友人 2016年01月24日(日) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福と快楽 …重大な混同 「安楽こそ幸福」といえば、欧米の長期のバカンスがある。合理的日常から 離れて、ひたすらボ〜っとする。遊び慣れ快楽など今さらの人が求めるのは、 生活の雑事から開放され、ひたすら大自然と一体になること。それが安楽。 文化人の行きついたところが、「安楽」なら、未開人と何処が違うのか。 で、構造主義に到達する。〜その辺を抜粋〜 ≪ 外的な要因と精神的態度、すなわち心構えのうち、どれが本当の幸福を もたらすもので、どれがそれを阻害するものかを見分せようとする場合、 「幸福とそれに似て非なる特定の状況」とをはっきり区別することが必要。 最も起こしやすい間違いは、「快楽を幸福」と取り違えること。 ヒンズー教には、「快楽とは幸福の影に過ぎない」という教えがある。 快楽は、肉体的、美的、知的な刺激を受けた直接の結果である。 場所とか瞬間などの条件が揃った特定の状況において、束の間の快楽を 経験することができる。快楽は本来、一定で、快楽に誘引される感動は 直ぐにかすんで無色になり、ついには不快感さえ味わうようになる。 ・・(略)快楽はまた個人的な経験でもある。その大部分が自己中心的で あるがゆえに、自分本位に陥り、時には他者の幸せと矛盾することもある。 性的行為は、快感を相手と交換しあうことで相互に快楽を得る。しかし、 この種の快楽も、相互関係と利他の心が中心にある場合にのみ純粋な幸福を 感じられるものである。他者を犠牲にし、快楽を経験することもできるが、 そこから幸福を得ることはまずない。 快楽は、残酷、暴力、傲慢、欲、 その他の心情と結びつくこともあり、本当の幸福とは両立しない。 フランスの作家で批評家のドールヴィイは、「快楽とは狂人の幸福であり、 幸福は聖人の喜びである」と書いている。中には復讐や拷問を楽しむ人間 もいる。同様に、競争相手の破滅に有頂天になるビジネスマンもいれば、 盗品を肴に祝杯を傾ける盗賊もいるし、闘牛の観客は牛の死を見て狂喜する。 そのどれもが束の間の快楽に過ぎず、時にはそれが病的な高揚状態をもたらす。 これらも幸福とはまったく無縁である。・・・(略) 快楽とは異なり、心が純粋に生気に溢れた状態は、たとえ状況に影響 されることがあっても、支配されることはなく、意気消沈することはない。 持続性があり、経験を積むうちに鍛えられる。時間の経過でそれは第二の 天性と呼ばれ習慣として体得され、達成感という副産物をもたらしてくれる。 本物の幸福は、活動とは無縁である。それは人間の在り様、すなわち、 心がどのように機能するかについて正しい理解に到達することで、感情の バランスが見事にとれている状態を指す。 普通の快楽は、快適な対象と 接したときに生じるが、その接触がなくなると快楽は消滅する。 反対に、永続的な安楽は、内なる本質と完全に調和している期間中ずっと 持続する。 安楽は、自己への執着を超えて、内側から発散してくる平安な 無我の状態を一つの側面とする。自分とうまく調和できている人は、 家族、隣人、場合によっては社会全体とも良好な関係を維持するために 自発的に貢献しようとする。 要するに、快楽と幸福は直接的な関係がない。 だからといって快適な感覚を求めてはならないということはない。 壮大な景色、海水浴、バラの香りの楽しみをすべて止めなければならない 理由はない。ただ、心の平静さが損なわれ、満足感を得ることに執着し、 快楽の妨げとなる何事をも毛嫌いするようになると、快楽は障害となる。 快楽は、幸福どは本質的に異なるとはいえ敵ではない。ただ問題になるのは、 快楽がどのように経験されるかである。所有に取りつかれるとき、あるいは、 心の自由が妨げられるとき、食欲と依存症の兆候が頭をもたげ、幸福が妨害 される。一方、心地よい瞬間とか、心が平静で自由な状態で経験される快楽は、 幸福に影を投げかけることはなく、かえって幸福を引き立てることになる。≫ ▼ 40歳半ば、母親の軽い痴呆症や、病など家庭内問題が山積し、兎に角、 目先のストレスを解消する必要性があった。 そこで見つけ出したのが、 秘・異郷ツアー。未知への旅の不安は並大抵ではないが、大自然との邂逅が、 ストレスへの即効薬に気づいた。それまで、年一回のツアーが、2〜3回に なっていた。極限の日々が、想像を絶する大自然や、異文化、異文明の出会い に導いてくれた。あと講釈としても、「この大自然と出会うため、この日々 のストレスがある」と、思わせるほど強烈なインパクトがあった。 それらの邂逅での一瞬の至高体験から湧き出て蓄積された『安楽の池』が、 心の奥に静かに佇んいるから、何ごとにも平然としていられる。 『快楽の池』は、あるか? 〜以下が偶然だが、脈絡として続いていく。 『快楽の池』『安楽の池』『地獄の池』の管理のため、人は神をつくった? ・・・・・・ 5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜�� 2015年01月24日(土) ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー * 日本人と宗教 以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。 これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、 人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という 避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想を つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の 世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー ≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど 特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、 「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように 答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も 意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた 「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、 結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」 と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、 あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在 としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに 対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の 言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道 などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米 であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。 このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫ ▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として 我々を支配する。 ・・・・・・・ 4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を 2014年01月24日(金) * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 ーその辺りを抜粋 《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の 6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。 さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳 となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は 12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで 人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の 大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで (1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは 如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を 毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》 ▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。 で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、 何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに 個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。 男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている 人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。 お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺 の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、 ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した! * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だ 「滑稽」 高橋新吉 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉 ・・・・・ 4331, 自己とつきあうということ ー1 2013年01月24日(木) * 自己への思考の旅 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら 「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、 【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから 逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて 読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を 振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。 一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。 そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、 今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも 道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、 目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、 手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、 自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか 少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を 説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して 自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている 他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた 出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように 違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが 自己への旅の醍醐味であろう。》 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの 45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。 非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、 実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番 知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、 後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の 経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。 要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。 ・・・・・・ 3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2 2012年01月24日(火) 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、 それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。たまたま周辺の何人かの異様な 言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、 周辺に怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤としてプライドが異常に高いのが特徴。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩き つけ潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、 情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、怒りの原因を探しやすい ためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と 自然災害と現在でも信じている。借入総額の七割を返済しても、残り三割の 総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも 言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 以前書いた、文章をコピーしてみる。 ≪ 2011/06/28 閑話小題 ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに出る のが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には「あなた群」 というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たち からの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、 その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、今回の倒産劇の 「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。 そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・ 原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの輪で、 「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは 数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明である。 それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫ ▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りを ブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか?
|
|
|
| 5792,閑話小題 〜トランプを大統領にしたアメリカの民度 |
|
|
2017年01月23日(月)
* トランプを大統領にしたアメリカの民度 去年の『新潮45・4月号』に<トランプを大統領候補にするアメリカの民度> の、レポートがあった。 共和党本流の複雑な事情のレポートだが、それだけ アメリカが痛んでしまった焦りがある。結果からみると、一度、アメリカを 閉じて建直す時期に来ているとも解釈可能。団塊の世代の二人の元首相が、 首相と、副首相に返りざきアベノミックスの経済成長を計っているのと比べ、 よほど健全? 日本にとって太平洋戦争以来、最大の危機。ブラックスワン というより、ブルースワン? オバマが8年かけた社会保険制度も一瞬で消えた。 大地震は起こってしまった。問題は、大津波の襲来。結果として、アメリカ 国内の不満が、公共の場でのテロを誘発することになる。パンドラの箱は開いて しまった。ただ、キッシンジャーが隠れブレーン?の説がある。これでフランス の極右のルペンが政権でも取ったとしたら… こうなると、20、30歳代の高度成長期の恩恵を受け、充実した青・壮年期を 過ごせたことに感謝している。 このテーマを日本に置換えると、 <安倍首相をトップに頂き、今だ経済成長を妄想している日本の民度>になる。 3年後に東京オリンピック? 災害対策で東京一極の政治経済の機能を国家 一丸となって分散に集中するのが正道のはず… しかし、これが日本の民度。 そのおり、タイミング的に適切なTV番組「ザ・リアル・ボイス」があった。 ≪いよいよ1月20日、ドナルド・トランプが合衆国第45代大統領に就任。 “不法移民の強制送還”“女性蔑視”など、過激な発言を繰り返してきた トランプ氏。今でも全米各地で「反トランプ」のデモが発生しています。 アメリカ国民は、トランプに何を期待し、どう受け止めているのでしょうか? 22日(日)の「ザ・リアル・ボイス」では、「ダイナーからアメリカの本音が 聞こえる�供廚搬蠅掘▲▲瓮螢�国民の生の声を紹介します。訪れたのは選挙 期間中に注目を集めた、ロサンゼルス、ウェーコ、ランシング、フェニックス の4都市の大衆食堂「ダイナー」。「なぜ今トランプなのか?」という質問に 対し、住民たちからはどんな声が出てくるのでしょうか? 取材時の様子など、番組を担当している日置一太プロデューサーに話を伺った! 人々の本音が聞ける大衆食堂“ダイナー” ─―番組ではニュースでも報じることがない、その場所でしか聞けない本音= “リアル・ボイス”がたくさん聞けたようですね! そうなんです。“ダイナー”はさまざまな人が集まり、本音がもっとも聞ける 場所なんですよ。そこでアメリカ国民が思っていることを素直に聞くという、 とてもシンプルな構造の番組です。 昨年放送した「“ダイナー”からアメリカ の本音が聞こえる」に続く、アメリカ編第2弾なのですが、前回の放送後、 「現地で暮らす人の体温が伝わってくる番組だった」「何を感じて、どのように 暮しているのか──その空気感が伝わってきた」「ニュースで語られている背景 がわかり、深く理解することができた」などの反響をたくさんいただきました。 今回も、再び各地の“ダイナー”と呼ばれる大衆食堂を訪ね、「トランプ時代 にどう向き合おうとしているのか」という質問をぶつけ、本音を聞いてきました。≫ ▼ 思いのほか、冷静な国民の反応で、これが本音の結果という感を受けた。 あれだけ戦争で傷ついた割には、恩恵を受けてない長年の苛立ちの蓄積が あればこそ。こういう反動があって然るべきと…
・・・・・・ 5426,閑話小題 〜シネマ、『白鯨との闘い』が面白い! 2016年01月23日(土) * シネマ、『白鯨との闘い』が面白い! 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、 【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラ。マッコウクジラ の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が 白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。 一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが 反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長 ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に 鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命 ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、 食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で 「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】 ▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に 引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流 する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、 「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。 * 4日間乗り放題の新幹線で 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で 乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。 当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば 東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。 このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、 良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分 を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生! 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、 『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』 私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の 持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、 独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち? ・・・・・・ 5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜�� 2015年01月23日(金) < 本日「いいかげん」日和 一日一話 >ひろさちや(著) * 貧・病・争と宗教 「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、 優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、 何ごとも良い方向に運ぶということ。 ≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ― と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、 そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が 治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。 わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった 本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、 嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。 宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。 嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫ ▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方 でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん 即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω ・・・・・・ 4697,末期がん、その日のための予習を ー1 2014年01月23日(木) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。 父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え 去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、 何度か、ここで書いてきた。 【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、 死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。 だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、 ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者 との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。 『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に 取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい! まずは ーアマゾン〜内容紹介ー 《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」 の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで 死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の 患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。 余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族 ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という 命題をつきつける。 ●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている ●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い ●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ ●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか ●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな ●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。 宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。 これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。 末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。 がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、 それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。 ・・・・・ 4330, 弧族の人たち 2013年01月23日(水) 「孤族の国 ーひとりがつながる時代へ」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著) NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 全国53の事例でつづった渾身のルポ。太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入 させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人。 繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。 65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と過去最高を記録 し、全世帯に占める 割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に 自殺率が急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、 定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。 ー内容紹介(amazon)ー 急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。 高齢になったら、病気になったら、職を失ったら―その先には孤立という罠が 待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、 39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に 離散した集落、独身無職女性の苦悩など多数の事例から変容する家族と社会の あり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死 … 他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。 朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。 【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた 軽自動車の後部座席から遺体で発見された佐藤正彦さん、享年55。 DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、 遺骨を保管。司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さん は、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班がその足取りを追い、 浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。 ▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。 高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、いちばん低いのが独り暮らし という。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。 ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを 紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。最後は県外にいる娘の近くの アパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と 高齢化社会の中で、大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題。 麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。 ・・・・・ 3955, 他人を責める「新型うつ」について 2012年01月23日(月) * 生存適応戦略だった「ユウウツ」 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で 何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、 なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・ 【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大・野村総一郎教授の 著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である 「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために 獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、 うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという 無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。 また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。 ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。 その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、 あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。 このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、 かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、 マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、 悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。 人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、 ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを 得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに 関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。 野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】 ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より ▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、 大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。 それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、 独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。 しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。 これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。 それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。 「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に 集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻 撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。 振り返れば節目時は鬱だった! ・・・・・・・ 3590, 戦略ネット会議システム −2 2011年01月23日(日) K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、 大手銀行に応募をして入社した人物の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に 対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、 掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、 その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、 探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚 が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り 入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いている だけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに知恵を出しあえば、 多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題も あるだろうが、互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、 内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。 その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、 新たに顕在化すること」こそ、企業にしろ、個人としても革新ポイントのコア。 この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいること は何? それを練り上げあげているのか?この恐慌の一番底が来年に到達しようと する中で、どうする?」そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。
|
|
|
|
2017年01月22日(日)
<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * 否定の魔力 〜帯にある<五つの手習い>にひかれて手にした本〜 現在の日常の態度のようでもある 【 その1.まったく何かにケチをつけずに1日を過ごしてみる その2.天皇陛下のようにスロウに、徹底的に自己を抑制して喋る その3.正義で相手を論破することをやめる その4.「買いたい」「食べたたい」欲望にかられたら、 「ドウデモイイ」と念じる その5.身近で大切に思う人に対してこそ、つねに幻滅しておく】 ★ この随想日記を書き始めて、もう直ぐに17年目に入る。こうして公開する ことで、言いたいこと、聞いてほしいことも書いているので、沈黙と、ほど 遠い生活といっていいだろう。どうだろう? けっこうケチをつけ、否定する ことで、間接的に自慢している自分がいるのでは? 御近所にも、知人にも、 「他人への否定の魔力」を売りにしている俗物が結構、存在をしている。 心の中の検事役が極端に勝っている人たち。「えっ、自分のこと?」と思う人 が多くいるはず。腐ったような女なら未だしも、大の男ときたら、笑って 済まされない。哲学は、問題の前提を疑うこと、否定することが、第一歩。 否定を否定したら、まず思考停止になる。 〜「否定の魔力」(p71)より ≪ 批判にしろ、悪口にしろ、つまるところ何かを「否定」することには、 怪しげなまりょくがあるのやもしれません。 すなわち、「否定」とは、 「私ってステキでしょうー! こんな私を見て」てふ呪文。 「あいつはダメだ」と否定すると、その「あいつ」と比べて自分が素晴ら しい人間になったかのような魔力がかかるのであります。 多くの人は、自分を語りをしたい、自慢をしたい。だけれど、自分を ストレートに自慢するのは恥ずかしい。それでも、人の心ってのはほって おくと無駄に気持ちが良くなりたくなるゆえに、ついつい、「じゃあ、 ちょっとバレにくいやり方で自慢してみようかー」と、否定トリックの 魔術にはまってしまう。否定が自慢と気づかなかったとしても、残念ながら、 否定ばかりする人の周りにいると、良い気持ちがしない、そのトリックが うすうす感じられるからこそ… ≫ ▼ 6年前に事業整理をして以来、家内と僅かな知人以外に、ますます心を 閉ざす 傾向にある。その分、ここで言いたい放題で、プラマイゼロだが。 ブログで書くことは、直接的、間接的に自慢話。16年間、自慢話をしてきた ことになる。普段でも無意識で自慢のタネを探して、とうとうと内語で自慢 話をしている馬鹿さ加減に、驚くことがある。偽善を超えて、露悪、偽悪、 虚悪を演じている己がいる。事業清算のプロセスで、否定トリック魔術の丁度 よい酒のツマミにされているのだろうが… 半径1〜2キロmが全世界の正義が あって然るべき。 サンフランシスコの中華街の正義というやつ。街を一歩 出れば何、これ… 否定の三倍の肯定の精神が必要になる。 これを意識しておかないと、悪臭が漂ってくる。だから、ひたすら「沈黙」 をするしかないということ? スポーツジムで、ひたすら沈黙を保っているが、 これが面白い。無言も、一つの独特の態度。 そこには様々な態度がある。
・・・・・・ 5425,閑話小題 〜年明け早々に何かが始った 2016年01月22日(金) * 年明け早々に何かが? 4年前の同月同日のファイナル・クラッシュを読み返すと、極論と、 思われるが、これも今までリンゲルをうって、それを延期しただけ? そのマグマが、さらに溜まっている。先日のTVのニュースで、 阿部首相と、麻生副首相と、黒田日銀総裁が、テーブルに並んでいたが、 麻生と、黒田が伏目顔で、何か重大な事態が、起きようとしているのを、 知っている素振りにみえた。 これだけ、金融緩和をして、年明けから3千円 の株価の下落である。〜ある経済ジャーナリストの、ブログのコメント ≪ NY株も上海株も小康状態の中で、日本株が急落している。 日本株も「弱気相場圏」入りしたと思われる。 投資家の心理的ダメージ修復には時間を要する。 日経平均1万6千円、円115円、原油25ドル近傍へ相場が一斉に 大きく揺れるときが、全員弱気による売りのクライマックスになりそうな展開。 それにしても、新年から日本株 2勝10敗 となると、未体験ゾーンである。 米利上げと中国経済は、政策対応で、少なくとも止血剤的効果は見込める。 問題は、政策対応が効かず、制御不能に陥った原油相場だ。 原油安は原油輸入国の日本にはプラスといったところで、投機主導の相場 には軽くスル―されてしまう。先物空売りが急増すれば買戻しが入るという 市況の法則も通用しない。下がったら、もっと売る、というモードに入っている。 俯瞰すれば、原油市場は、新常態の需給均衡価格を荒っぽく模索している。 20ドル台では、供給サイドの新規油田開発がストップするので、長期的に 需給は締まると分かっていても、相場は下方へオーバーシュートしてしまう。≫ かなり、厳しい局面に入っているようだ。≫ ▼ この文章は、数日前に書かれたが、あれよとというまに、 「日経平均1万6千円、為替115円、原油25ドル」へ相場はふれている。 「前もって決断した5年前の事業清算は正解」と思わせる大津波の本格到来か。 で、これも偶然、以下の2013年01月22日(火)、2012年01月22日(日)の < * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 > < * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は 大破局に向かっている!」〜3954, ファイナル・クラッシュー6 > に、脈絡がつながっていく。 納得である。 ・・・・・・ 4329, 財政恐慌 −5 2013年01月22日(火) * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち 終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 ーまずは、その辺からー ≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、 人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が 引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、 なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。 ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、 国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処 しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。 その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、 かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度 ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。 そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避 のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、 見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを 流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、 政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。 経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。 その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。 要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う 恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、 内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。 数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて ない勢いで内から外へ流れ出す。≫ ▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも 日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。 しかし茹で蛙状態の日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。 ・・・・・ 3954, ファイナル・クラッシュ ー6 2012年01月22日(日) * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は 大破局に向かっている!」 ≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、 アメリカの浪費型経済システムと見ている。まずアメリカ、そしてイギリス を含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な 破局に巻き込まれる見通し。しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に 借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まる ことも、あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの 経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体がファイナル・ クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険 要因が存在する。日本である。私の予想では日本政府はもう一段階の格下げに あい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。その後、日本に引きずられて アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、 日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。この点が著者ヒューゴと私の見解の相違 である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけ、最終的な結末は大差ない。 日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。 懸念されているのは、日本政府の財政状況。日本政府の負債は、財務省の発表 によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、 二〇一一年にも国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用 により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を上回る。 そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、 今以上に支出を増やそうとしているのだ。日本では報道されていないが、 海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。 IMFの発表を見ていても、東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因と みなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに 世界経済のメルトダウンの引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。 震災後に行われたG20の会合でも、その方向でミーティングが進行していた。 ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の 不振を、政府が財政支出の増加でカパーしようとしたことだ。 これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、 日本が生き残ってきたこと。それは政府の財政支出の拡大により支えられていた。 これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が日本経済を 破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。これについては世上、 金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、 私見では少子高齢化である。日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、 老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故という のは想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、 これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、 もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化 せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの過剰消費という 外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが 今、まさに止まろうとしている。 ≫ ▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。 前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。それも電気料金の 値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態。 時流が先行して現れ出る仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、 毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと 事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、 その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。 結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。 ・・・・・・ 5061,閑話小題 〜何を慌てている? 2015年01月22日(木) * 何を今さら イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが 世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの 首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、 展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを 画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と 異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも 分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は 許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、 この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを 狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、 映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが 世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、 東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』 と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、 生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、 世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、 直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作 が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として 必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。 ・・・・・・ 4696, 悲観のプロセス12の段階 2014年01月22日(水) * 悲観のプロセス12の段階 『心を癒やす言葉の花束』デーケン著 ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。 挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、ほぼ同じ悲観のプロセスを 経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? ーまずはその辺りからー 《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、 自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。この階段は個人差 があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも 順番を飛び越えることもある。 1段階:精神的打撃と麻痺状態: 愛する人の死という衝撃によって、 一時的に現実感覚が麻痺状態になる。心身のショックを少しでも 和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒り を感じる。「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」 5段階:敵意とルサンチマン(妬み): 周囲の人々や個人に対して、 敵意という形で、やり場のない感情をぶつける 6段階:罪意識:悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い 込み、実生活でもそのように振る舞う 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、 早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心):日々の生活目標を見失った空虚 さから、どうしていいかわからなくなる 10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、 現実に勇気を持って直面しようとする 11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは 健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、悲嘆プロセスを 乗り切りつつあるしるし 12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生: 以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、 より成熟した人格者として生まれ変わる 》 ▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが 『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。 ・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。 ・怒り: なぜ自分が死ななければならないかという怒りを周囲に向ける段階。 ・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。 何かにすがろうという心理状態である。 ・抑うつ:なにもできなくなる段階である。 ・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。 これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を 「明らか」にして、受容することで心安らかになることが最終の段階。 その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 それを果たして楽しめる?
|
|
|
|
2017年01月21日(土)
〜「下位36億人」と「上位8人」が同額資産 国際非政府組織(NGO)は2017年1月16日〜、 格差には驚かされるが、ごく一部の勝組の総取りが現実であり、それ以外は、 余り豊かではないが、周辺だけは、その一部の分け前が与えられる。高度情報 社会(ネット社会)は、こういうことになる。年々、その格差は大きくなり、 止まることはなくなる。その最たるロボット化が人間を阻害する時代が、より 顕著になり、その利益は、ごく一部の者たちに絞られる。2000年前の世界では、 一般市民にはローマ劇場を与えられ、演劇や、剣闘士の戦いなどの娯楽を与え、 市民を慰撫していたが、今ではTVとスマートフォン、タブレットの中に納め、 家の中で幽閉されるようになっている。 で、その大元を抑えているのが、彼ら という縮図が、格差の数字に端的に現れだされる。 〜この内容とは〜 ≪<世界で最も裕福な8人と世界人口の貧しい半分の36億人の資産額が同じ>と する報告書を発表した。この報告書は、スイスのダボスで17〜20日に開催される 世界経済フォーラム(ダボス会議)に先駆けて発表された「99%のための経済」。 資産額の上位8人の合計金額は4260億ドル(約48兆7000億円)に上り、米マイクロ ソフトのビル・ゲイツや、フェイスブックの共同創業者マーク・ザッカーバーグ氏、 アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏らが名を連ねる。 オックスファムが1年前に発表した報告書では、世界人口の半分に匹敵する資産 を保有する富豪の人数は62人とされていたが、インドや中国などに関する富の 分配のデータが明らかとなり、試算し直したところ、2016年では9人だった。≫ また、 ≪貧困と不正を撲滅するために世界100ヶ国以上で展開する英国の非営利団体、 オックスファムは最新の報告で、世界中のトップから1%の富裕層の持つ資産の 合計が、それ以外の99%の資産の合計を超えました。 そして、2014年1月にBUZZAP!では「世界で最も裕福な85人が人類の貧しい半分の 35億人と同量の資産を握っている」とした記事を掲載しましたが、2年後の現在 ではこの数字はさらに先鋭化し、最も裕福な62人が人類の貧しい半分の人口と 同量の資産を握るまでになっています。この数字は2010年には388人であった ことから、より富の専有が進んでいることを明確に示しています。 オックスファムはこの偏りの大きな原因として、無税富裕層や企業の資産を誘致 するために税金を無税もしくは極めて低い税率にしている国や地域「タックス ヘイブン(租税回避地)」を名指しで批判。タックスヘイブンの存在によって 富裕層や大企業が本来所属する国に支払うべき税金から逃れることで、社会保障 や医療、教育などの公共サービスや富の再分配が正常に行われず、富裕層や 大企業のみが肥え太る原因になっているとします。 また、格差拡大の背景には労働賃金の国民所得に占める割合の低下も指摘されて おり、最低賃金を生活賃金の水準に引き上げ、男女間の賃金格差を解消すること も提唱しています。さらに、政府は大企業やロビイストからの影響を最小限に 抑制し、徴税対象を労働者と消費行動から富裕層と資本利益へとシフトすべき であるとしています。≫ ―― ▼ この流れは、止まることなく続き、何らかのカタチで、破壊活動が起こる。 その一つが難民問題で、これは、まだ序曲で、世界的規模で、拡大する。 貧富の問題の、とりわけ問題は最悪の状態に置かれた難民の冬場の処遇。 5年前に、舟板一枚下を覗いてみたが、そこは今まで想いもしなかった世界が あった。サメの群れが口を開け、鋭い目と歯が不気味に光っている闇の世界。 元もと、そこにあったが、落ちようとしたからこそ、見えた世界である。 別段、騒ぎたてることもなし、誰も最期は<死>という舟下の海が待っている。 とはいえ、99%より、1%の方が、本音、良いもの! 〜これまた偶然、去年の同月同日に、同じようなテーマで書いていた〜 ・・・・・・ 5424,閑話小題 〜世界の貧富 2016年01月21日(木) * 世界の貧富 欧米の貧富の格差は「上層が3%、中流・30%、その他」という。 日本も、バブル崩壊以降、これに近づきつつある、日本は3分の2が下流? 先日のTVニュースで、<世界の金持の62人の資産総額が206兆円で、 世界の下位半数の36億人の総額と同じ>と報じていた。金持の一人当りは、 3・3兆円で、下位の36億人の平均は5万7千円。6年前は、388人が下位 半数と同額というから、更に少数に絞られた。 『世界がもし100人の村だったら』に < すべての富のうち、100人のうち、6人が59%をもっていて、 みんなアメリカ人で、74人が39%を、20人が、たったの2%を 分けあっています >とある。この本の出版から大分、前なので、より 格差が広がって、そこにはロシア、中東などが多く入っているだろう。 先進国の一員だった日本も、冷戦終了以降、地政学的有利性が小さく なった上に、グローバル化もあって、国内格差が更に大きくなっている。 TPP問題も中長期的にみて、日本にとっては大問題。アメリカの経済的、 軍事的支配力は、ますます強くなるのは自然の成り行き。 * 終末医療 先日の‘「クローズアップ現代」の終末医療の“最期のとき”をどう決める’ で、末期患者が苦痛で頭を掻き毟っている場面が映像で流されていた。 これが死に際の現実である。それもNHKのゴールデンタイムに。その現場に、 5〜6歳の子供が涙を流しながら立合っていたが、身近の人の死に際の苦闘は、 幼児教育として一番の教えになる。その人は、撮影当時71歳、私より2歳上。 3〜7年?以内に、自分にも起こる死に際でもある。〜NHK・HPの内容紹介〜 ≪クローズアップ現代“最期のとき”をどう決める“終末期鎮静”をめぐる葛藤! いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が 静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、 眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなった がん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。 自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、 遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせて しまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。 自宅で最期を迎えるがん患者が増る中、終末期医療はどうあるべきか考える。≫ ▼ 父親が苦痛で頭を掻き毟っている姿が目に焼きついている。 最期は、医師が近親者の同意の上に、呼吸を止めることが多い。 壮絶な死に際が現実だからこそ、「ピンピンコロリ!」が理想になる。 だからこそ、「いま」「ここ」の「わたし」を慈しむしかない。 で、以下につづく! ――― 2015/10/05 不平等を歴史に学ぶ 〜�� 【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】 〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著 新潮45・2015年3月号 * 上位1%や上位10%への富の集中 中流社会の、三分の二のサラリーマン対、残り下位の構図が崩れた現在、 この本では、“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。 ネット社会の到来が、世界をグローバル化を促進させ、一部だけが勝ち組に、 残りは負け組の社会になっていく。この著書で、ピケティは、その点を クローズアップして我々に問題提示をしている。 〜ここで筆者は 「過去の不平等は戦争や革命により暴力的に解消された、しかし著者の 目論見は、この失敗のスリリングな回避にある」とある。さらに・・ ≪ 格差社会という言葉はすっかり日常に定着した感がある。“1億総中流” と言われたのも今は昔、最近では社会の二極化が懸念されるようになった。 日本だけではない。不平等の拡大は世界的な傾向である。特に顕著なのが アメリカ。 “1%vs99%”とも言われるように、人口の1%の富裕層の富が 増加する一方で、大多数の国民の所得は伸びていない。最近では上位1% どころか0.1%、或いは0.01%の超富裕層の富が急激に増加している事実が 明らかになっている。なぜこれほどの富の集中が起きるのか。 この問題を考える上で目下大変な注目を集めているのが、 ピケティ氏の『21世紀の資本』である。・・(略) 本の内容は至極真っ当だ。不平等のデータを過去200年以上に亘って 収集・整理した上で自説を展開するピケティ氏の理論は、類書には無いわかり やすさと説得力がある。日本の格差論争はこれまで、非正規やワーキングプア の増加が問題視されてきた。非正規の割合はこの20年で増え続け、現在では 労働人口の35%を超えている。年収が200万円を超えないワーキングプア (働く貧困層)も、若年層を中心に増加の一途を辿っている。 平均的なサラリーマン(中位層)とそこに入れない貧困層(下位層)の格差が、 従来の格差論争であった。 それに対して『21世紀の資本』が扱うのは、 「上位1%や上位10%の富裕層への富の集中がなぜ生じるのか」という問題。 これまでの格差論争が“65%vs35%”の格差を問題にしてきたとすれば、 こちらは“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。 この本がアメリカでベストセラーになった理由もここにある。 ・・ ≫ ▼ アマゾンのビュアーの『21世紀の資本』を要約によると 《本書の主たる主張はごく簡単に言い表すことができ、何度も繰り返されている。 - 人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率は成長率を上回っている。 (つまりr>g)であると、富は賃金所得や産出を上回って成長し、持てるもの と持たざるものの格差はどんどん拡大。事実、20世紀以前には一握りの金持ち と大多数の生活に困窮する庶民で社会が構成されていた。 - 20世紀後半に比較的格差が縮小し、そこそこ裕福な中間層が出現して穏健な 市民社会が実現したのは、2度の世界大戦による富のリセット、インフレ、 各国の格差縮小的な税政策、歴史的に見て例外的な高度成長の継続、などの 要因が重なったためであったが、今や成長の時代は終わりを告げ再び格差拡大 の時代に戻ろうとしている。 - 格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎と した累進資本税の導入が最適な解決策である。》と、要約を、まとめている。
・・・・・・ 5060,閑話小題 ー樹海のふたり 2015年01月21日(水) * 映画「樹海のふたり」 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。 富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、 WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。 〜ネット検索の内容より〜 ≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き 出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は 高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち 掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、 そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫ ▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと 接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、 「自殺は、自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」 ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、 思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・ ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画は国内の製作は無理! 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。 (陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。 そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先 と高をくくっていられるうち、これは長年の蓄積が必要。』と答えていたが。 「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を 続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、 9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、 妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ! ―― 503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ 2013年07月15日(月) 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様 なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。 軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、 初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、 インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、 死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、 決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が 痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。 生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが 迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が 水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、 このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して 浮かび上がってくる。 ーウィキペディアによるとー ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。 観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の 様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に 向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、 映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、 橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、 遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。 中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか 語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが その中で分かる。≫ ▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、 それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が 河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人 がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、 シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず! ・・・・・・ 4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある 2014年01月21日(火) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 企業家と経営者との違い! 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的 判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的 アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類 あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる 《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」 の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的 な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解 しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が 可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら 通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。 しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生 すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、 その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測 とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。 一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば 設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して 絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると 説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、 「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。 彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。 これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて 投資する態度につながります。・・・ 》 ▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災 (リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。 これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、 行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然? 創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、 この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、 20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が 良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! のは、ご覧の通り。 「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。 「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。
|
|
|
|
2017年01月20日(金)
* さて見もの 今日、トランプが新大統領に就任の予定だが、見もの。アメリカの白人層に とって移民に対し食傷気味なのは解らないでもない。今日のデモがどうなるか? マスコミはスキャンダルを掘り起こすだろうし、ロシアの犯罪モドキ?陰謀説を 書き立てる。それに加え、暗殺の危険もある。移民の国で、自分の両親も移民 なのに、それを露骨に否定するとは… 要するに「ゲルマン系白人を優位を、 前提にしよう」という単純な発想。で、彼らの不満を煽り建てたキャンペーンの 裏に、アメリカ分断を狙うロシアのプーチンの策謀が加わった結果が、これ。 アメリカの民度は、これ程低いと! 70歳のトランプも今さら、性格は変える ことが出来ない。「過去を忘れても、過去は忘れない」の格言が、そのまま、 問題として現れ出てくることになる。70歳ともなれば誰にも当てはまる道理? それが、大統領となれば、ことは穏やかでは済まされない。 この中にあって、経営者にとって毎日がスリルとサスペンスの日々になる。 世界のトップが、「?」とくれば、ある日、目が醒めたらブラックスワンが数羽 舞っている? イギリスの前首相が、自ら保身のため、「EU存続か、離脱」の 国民投票に打って出たため、長年かけたEUが、今では存続の危機に立っている。 このレベルの決断は、有識者が議会で充分討論をして結果を出すべきで、ズブの 素人の判断に委ねるべきでない事案。直接、国民に判断してよい問題と、悪い 問題がある。その最悪の事態がトランプの選出。それも、KJB出身のプーチン に手を突っ込まれた劣悪の選出となれば、国家は真っ二つに割れて然るべし。 クリントン一家と、ブッシュ一家の権力のパスに辟易としていた国民が、根本 から国家戦略の大転換を求めるのは解らないでもないが、それが経済恐慌、勃発 的世界戦争に至らなければよいが。オバマも「何を自分は今までしてきた?}と、 思い悩んでいるのだろう。「白の心、黒知らず」いや、「黒の心、白知らず」か。 よく見れば、こんなものだろう。 有色、中でも黄色の時代が、今後の趨勢か。 今の黄色は中は真っ白とくるから、何が何だか分かりません。 ・・・・・・ 5423,人生で最も大切な技術 ー�А/瓦瞭眤Δ鮟六襪垢� 2016年01月20日(水) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は 「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、 この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて 毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、 内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜 ≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。 アリストテレスいわく、 「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択 するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」 それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、 幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、 最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福 「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。 それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。 苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を 立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。 こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。 無知は、向上心を歪める。 チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。 「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、 ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の 固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。 仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と 苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。 例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、 自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の 満足感をもたらしてくれると期待している。 悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。 にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人 は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、 ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。 こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。 唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。 この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと 自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的 健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様 と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革 への燃えるような願望を抱くことが望ましい。 瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間 保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を 静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ 味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。 あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない 人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成 の瞑想はどれも未完成に終る。≫ ▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない 気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、 分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い! この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの! ・・・・・・ 5059,花嫁への3つの母の教え 〜�� 2015年01月20日(火) 【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】 ひろさちや(著) これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー < 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、 笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。 わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。 ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を 楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと 「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」 につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。 極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。 それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)> * 花嫁への3つの母の教え 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・ ≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。 三つ、絶えず鏡を見なさい。 これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。 こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、 結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、 美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後 の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫ ▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。 ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。 許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。 ・・・・・・ 4694, 知恵と、教養と、知性の違い 2014年01月20日(月) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 知恵と、教養と、知性の違い この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー ・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 教育とは「今日行くところがある」 【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。 ・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、 人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」 知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、 なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと 努めている、という。 ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、 神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。 ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的 活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・ 芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて 積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な 音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。 ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。 「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた 素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。 これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは 年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。 ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、 自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。 ・・・・・ 4327, 10年日記も最終年 2013年01月20日(日) 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。 2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期 滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした 部屋の一つの出来上がりが不満。 2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで 再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。 2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想 の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活 救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。 2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。 騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。 2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。 積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。 2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、 駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。 2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の 長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。 合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 私は、欠席にする。 2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。 山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。 2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」 (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。 その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。 ▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の 時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を 死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。 2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。 9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル にする様子が窺われる。記録は記憶!である。 ・・・・・・ 3952, 閑話小題 2012年01月20日(金) * ロボジー ーシネマ感想 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め近未来の私たち世代の姿として、 考えさせられた。科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に 入れてロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンス で日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・ 独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手の ミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。無機化したロボットと 孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺に なってしまう瀬戸際で、最後は何とか落ちがついている。評価は80〜85点。 年末年始の映画は私の見たいのは少なかったが、また面白そうなのが目白押し。 千 円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを 題材に描くオリジナルのコメディドラマ。弱小家電メーカー・木村電器で働く 小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」 を開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、 一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に入ってもらうことにする。 しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中 から注目を浴びてしまう。ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、 ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。ロボット開発を担当する 3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】評価 ★★★★☆ * 大相撲初場所 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで 大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。その中で、幕下、十両に日本人 の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出て くるはず。これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け 知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで関取になる初めての 力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも 何人か相撲力の強いのがいる。しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並み の力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで 面白くなる。それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が勝てるわけがない。 今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 とはいえ日本人になり手がいない。 ・・・・・・・・ 3587, 東京ウォーク 2011年01月20日(木) * 無料カフェ JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。 家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。二日間は妹と、 三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月 にできた御煎餅屋の無料カフェ。家内曰く「去年に行った時もタダだったが、 今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。 去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、 有料化のためか、少なくなっていた。」最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ 無料のカフェを出したとニュースにあった・・ 煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 現に家内は、まず、そこでコーヒーと煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。 こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に会いにいくとか、歌舞伎、美術館 廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、 「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、 一歩外に出る方が疲れがとれるはず。帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、 非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが! 飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館 などを廻り、夕方は浅草あたりの居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰って くるのも面白そうである。新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、 地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける結果になっている。 これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。 全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!
|
|
|
|
2017年01月19日(木)
* つれづれに大相撲 〜�� 20年、NHK大相撲の解説をしている「北の富士」が、心臓病の手術で今場所 は休んでいる。スキャンダル塗れの現役時代だったが、解説者としてははまり役。 以前、「神風」という元力士の解説は、歯切れが切れて、相撲ファンを楽しま せてくれていた。途中から「玉ノ海」と交互に出ていたが、何時の間にか消えて しまった。相撲解説としては、「神風」の右に出る人はいない。 ラジオ放送を含めて65年以上も相撲を趣味としていた者にとって、半端な解説 は耳障りである。 横綱をはった「大乃国」や「北の富士」と「舞の海」とでは 一言一言の滲み出る実感の重みが違う。 その中で、舞の海が堂々と持論を披露 するには、余程の苦労をしているのだろう。解説者は、まず自分が好角家で、 その楽しみを、視聴者に伝えるのが第一歩。論理力のない人の解説は、聞く 方も大変。 中でも「高見盛」の解説が劣悪。愚直が売りの力士だったが… 白鵬最盛時代が終り、 ・これまで目立たなかった地味なモンゴル人が台頭を始め、 ・怪我などで出遅れた「逸ノ城」「照ノ富士」のグループと、 ・学生相撲出身の「遠藤」「正代」「御嶽海」「北勝富士」「小柳」の若いが 相撲センスがある新興グループ。新鮮なチビッ子力士は、あくまでアナザー。 地元出身の「小柳」は、あと1年後の力士。目先の期待はしない方が良い。 ・そして、潜在能力が燻っている元期待された力士たち。 大相撲、のめり込まないで適当に観ている分には面白い。
・・・・・・ 5422,人生で最も大切な技術 ー�� 2016年01月19日(火) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜現実と洞察 現実と同察の間には、必ず差異がある。その差異で間違いを起こして、 それを埋めていく過程が人生だが、その差異が、ますます大きくなった結果、 不幸が現れ出る。恋愛など無明同士の儚い感情の結果は、ご覧のとおり。
≪ 現実とは何か。仏教では、現実とは、物事のあるがままの姿のことを言う。 人間の心は、いろいろな層が重なりあい、絡まりあって構成されているが、 そうした心の構成に修正されないあるがままの状態を指している。 表面に見えているものと、あるがままの本当の姿との間にギャップがあれば、 人間はこの世と永遠に対立し続けることになる。タゴール〔インドの思想家〕 は、「自分たちが世界を誤って見ておいて、世界が自分たちを裏切る、と嘆く」 と書いているが、人間はとかく、つかの間の儚いものを永久不変と勘違いして、 苦しみの原因である富、権力、名誉、快楽へのあくなき欲望を、幸福の目的と 受け取ってしまう。知識というと、大量の情報を手にすることとか、学問に 秀でることと考えがちだが、真実は、物事のあるがままの姿を理解すること なのである。私たちは、表に現れている仮の姿を、そのものに本来備わった 性質をもった、何ものにも依存せずに独立して存在するもの、と勘違いする 悪習からなかなか抜け出ることができない。何が「善」で何が「悪」かを 日常の経験から判断するし、その善悪を区別する「私」についても同じように 具体的な実体ある存在と考えてしまう。 仏教では、この誤解を「無知 (または無明)」と呼ぶ。無知は、苦しみを導く根源である執着と嫌悪を 強力に反映している。エテイ・ヒレスムは、簡潔な表現でこう述べている。 「そのような大障害は、常に仮の姿に過ぎず、現実の姿ではない」。 無知と苦しみの世界は、サンスクリット語でサンサーラ(輪廻転生)、 すなわち、存在の本来の姿ではないものを真実の姿と妄想する、 人間の誤った見方から起こる心の世界のことである。 目に見える外面的世界は無常に変化する無限の原因と条件が絡まり あって構成されている。例えば、太陽が雨のカーテンを横切って輝くときに 虹が出るのを考えてみよう。その虹を作りだす要因の一つでも消滅すれば虹は 見えなくなる。いかなる現象も原理はそれと同じで、独立した固有のものは 何一つなく、相亙依存の関係で存在している。この世のあらゆるものは因果の 力の影響を受けている。この基本的な考え方が正しく把握できたとき、この世 に対する見当違いの見方が修正され、物事のあるがままの姿を正しく見られる ようになる。これこそが真の洞察である。洞察は、単なる哲学的な論理の 組み立てとは違う。精神的な盲目とか苦しみの最大の原因である、心を乱す 感情を一掃するための根本的なアプローチなのである。 どの一粒のゴマからも油が抽出できるのと同じで、生物はすべて完成に至る 潜在性を秘めている。このように物事を捉えるなら、無知とは、単に完成の 可能性に気づかない状態だ、ということがわかるだろう。ちょうど、自分の 小屋の床下に埋められた宝の存在を知らずに、どん底の生活をする乞食と同じ である。自分本来のあるがままの姿を実現することは、隠された宝を手に 入れるのと同じことで、本当に意義深い人生を送ることを可能にしてくれる。 それは、心の平和を得る最も確実な方法であり、純粋な利他心を引き出す方法。 ジョージ.ベルナノス〔20世紀前半の仏国のカトリック作家〕はこう述べる。 「まるで、嵐の真っ只沖にあっても、静まり返っている巨大な湖の底のように、 何ものもそれを変えることができない」。安らかで心地よいこうした状態に ある幸福感をサンスクリット語で「スカ(安楽)」という。安楽とは、聡明さに 欠けた状態と苦痛の感情から自らを解き放つときに自然に現れる、精神の健全 さが永続する状態をいう。私たちが、ベールを通さず、偏見もなしに世界を あるがままに見るための叡智ともいえる。そしてまた、心の自由と利他の 心に向かって、歩を進める喜びなのである。 ≫ ▼ ご隠居生活に入って、準備を含めた45年間の肩の荷がおりたためか、 毎日をより新鮮に味わうことが出来るようになった。しかし、45年も 決して否定してはいない。面白く、充実していたためもあり、 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と諦念の心境になっている。 せっかく「地球旅行」に参加できたのだから、可能な限り、知り、味わい 尽くさなければ、生きてきた甲斐がないじゃないか。 色即是空、空即是色! で、去年の同月同日の文章につづく! ・・・・・・ 5058,閑話小題 〜中の人・外の人 2015年01月19日(月) ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜 * 着ぐるみの「中と、外」 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。 異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような 不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。 ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が 何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。 常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 〜その辺りから〜 ≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。 僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。 真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部 にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」 と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの 真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は 「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた 一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。 内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域 を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、 お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間 領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら 目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と 「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の 循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。 「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。 そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫ ▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、 『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人 =よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。 そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、 これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重? ・・・・・・ 4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 2014年01月19日(日) * がん哲学外来科なるもの 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。 その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、 その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが 見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。 亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』 なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。 がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想 日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、 何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど 土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、 その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。 それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い! といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。 100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって 膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ? * パソコン売り場にて iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。 しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、 iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、 この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり 入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型 でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。 次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。 やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの 可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。 消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。 これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! ・・・・・・ 4326, つれづれに ー歯医者 2013年01月19日(土) * 歯医者 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。 通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。 現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、 やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉 をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。 それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが 無くなってきた。 * 血圧計 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は 100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、 えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130 の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。 運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、 晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 * 大相撲ーつれづれに 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに 逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。 横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。 10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。 ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、 どんどん落とせば、これまた面白いか? ・・・・・・ 3951, 閑話小題 2012年01月19日(木) * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、 細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、 本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間 以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産 ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に 伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。 バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・ 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、 老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人 が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる 「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り 込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では 銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で 客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減 すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。 おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、 公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・ * 日本に再び大地震があるか? 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について 仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する 内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」 と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、 その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで 起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に 東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に 巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。
|
|
|
|
2017年01月18日(水)
* 咽喉風邪が再発… 去年の暮れに、咽喉風邪で10日ほどクシャミの連続だったが、現在も 同じ状況。理由は、早朝の寒冷の中での随想日記の書き上げと、アップ。 風邪の原因としても中断できないのが凡夫の習性。で、正月明けから再発。 今回は、早々に風邪薬を飲んで3〜4日、寝たが、暮れと似た状況。土曜日と、 月・火曜のジムは休んだが今日は? 咳でエネルギーを使うため、兎に角疲れる。 * アメリカ大統領にトランプが就任する ことの本質は、政治に全くの素人の実業家・泡沫候補のトランプが、ロシア のKJB上りの元スパイ・プーチンの策謀によって大統領になってしまったこと。 下ネタの写真が存在しているとか取り沙汰されているが、まあ大変な事態。 まずは、中国、ロシアから、難題を突きつけられるが、あれでは直ぐに力量 不足が表立ってくる。ドイツ系移民の白人至上主義者も、アメリカの自浄作用 が働き窮地に立たされる。ハリウッド映画並みというより遥かに質が悪い。 過っての言動の録画が事あるごとに表立ってくる。これがアメリカだけでなく、 世界の風潮になり、混乱が拡大すること間違いなし。面白いといえば、それまで だが… その隙に、尖閣列島に中国の空母が横付けになり、基地建設も? 「頭とシャッポは軽いほど良い!」と言ってられないのが日本。シャワシャワと いうより、ザワザワでなければよいが。
・・・・・・ 5421,人生で最も大切な技術 ー�� 2016年01月18日(月) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜あるがまま 5年前の節目時以来、少し気持ちは沈んではいたが、比較的冷静であった。 学生時代からの早朝の2〜3時間の読書習慣や、ネットサーフィン、スポーツ ジムなどの日程を組み、只管、その積み重ねてきたが、それが内面的世界= 「心のシェルター」の役割にになっていた。このブログが、その形跡になるが、 逆に、逆照射してみえてくる上っ面の世界の好い加減な面白さを味わうことが できた。 というより、自分の上っ面の好い加減を合せ鏡で見えてきた。 〜以下の内容は、現在の気持ちそのままに代弁のようである。 で、これはこれで得がたい貴重な体験と思えるようになっている。 ≪ 心の平和を維持する技を体得した人は、成功して鼻高々になることも なければ、失敗して意気消沈することもない。そのような人は、どのような 経験もつかの間のものに過ぎず、それにこだわることがどれほど無意味かを十分 に理解している。そのため、どのような経験でも、深く平穏な心の状態を保つ ための修行の一つにしてしまうのである。事態が悪化したり、逆境に置かれたり しても、「激突」して破滅する危険はない。その人の幸福は確固たる土台に 根ざしているため、心がぐらつかず抑うつの底に沈み込むこともない。 オランダの若き女性、エッヒ・ヒレスムは、アウシュビッツ収容所で 命を落とす1年前に次のような注目すべき心境を書き残している。 「内面的な生活を体得したなら、収容所の塀の外側にいようが内側にいようが、 一向にへこたれない。私は、既に数千の強制収容所で数千回の死を心の中で 経験している。私の心はすべてを知っている。どのような新しい情報も、 もはや私を苦しめることはない。とにかく、私はこの世のあらゆることを 知っている。それでも、この人生は美しいと感じられるし、あらゆる瞬間が 意義深いものと思える。あらゆる瞬間がそうである」。 香港で開かれた公開セミナーに出席した折、聴衆の中から一人の若者が私を 名指してこう質問した。「人が生き続けなければならない理由を一つあげて ください」。この本は、その若者の質問に対するささやかな回答と言って差し 支えない。 というのは、幸福とは、命を慈しむことに他ならないからである。 生きる理由を見失うということは、底知れぬ苦しみのどん底に突き落とされる ことである。外的な条件が幸福を左右するのと同じくらい大きな影響力を、 苦しみが心の状態に与えるのである。このことを正しく理解することは、 生きる価値のある人生を謳歌するための前提条件である。 では、どのような心の状態が生きる喜びを奪い、逆に、どのような 状態が喜びを膨らませてくれるのだろうか。 世界観を変えるということは、短絡的な楽観主義に切り替えることでも、 逆境を軽減するために人工的な陶酔感に浸ることでもない。 不満や欲求不満の奴隷になってしまうと、心はとりとめなく混乱してしまう。 それは、廃嘘の壁を塗りたくるように愚かな行為であり、ただ、「幸せだ、 幸せだ」と繰り返し自分に言い聞かせるような無駄な試みに過ぎない。 幸福を探求することは、ばら色の眼鏡を通して人生を見ることでも、世の中に はびこる痛みや不完全なものに目を閉ざすことでもない。幸福はまた、 あらゆる犠牲を払って狂喜を長続きさせようとする試みとも異なる。 憎しみや執着などの、心をゆがめる毒素を浄化することであると同時に、 実体のない上辺の姿とあるがままの真実の姿の間のギャップをなくす作業 であり、物事を大きな視野で展望する方法を学ぶことである。 そのためには、心がどのように機能するかをよりよく理解し、物事の本質を 正確に洞察する力を体得することが必要となる。なぜなら、苦しみは、 その最も深い部分で、現実についての本当の性質を誤って把握してしまう ことと密接につながっているからである。≫ ▼ 人生は生きてきたとおり老いて、死んでいくものと実感する。 〜幸福とは、命を慈しむことに他ならない〜 人生は命を慈しむこと である。そのためには、物事の本質を把握しなくてはならない。 学び続けなければならないのである。世界は広くて深い。 ・・・・・・ 5057,閑話小題 〜「字のない葉書」 2015年01月18日(日) * 「字のない葉書」 向田邦子のエッセイ、「字のない葉書」がよい。 〜途中からだが・・ ≪ ・・終戦の年の四月、小学校一年の末妹が甲府に学童疎開をすることに なった。すでに前年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、 下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったが、三月十日 の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家 全滅するよりは、と心を決めたらしい。妹の出発が決まると、暗幕を垂らした 暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を 付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。 「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ポストに入れなさい」と言ってきかせた。 妹は、まだ字が書けなかった。あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束を リュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くように はしゃいで出かけていった。 一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。 紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って 行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださった とかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の 小マルは、ついにバツに変わった。 そのころ、少し離れた所に疎開していた 上の妹が、下の妹に会いに行った。下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干し のたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いた そうな。まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行った とき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に 寝かされていたという。(略)・・ 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。 茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、 やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて 泣くのを初めて見た。あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に 近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのか それともなくなったのか、私は一度も見ていない。≫ ▼ 字のない○×だけの葉書でも、書かれてない空白に情報が詰まっている。 ○×だけで、多くの感情を表現できるもの。自分は分からないが、14年間の、 このブログにも、エネルギーだけは十分に詰め込んだため、多くの情報が 詰まっていたのだろう?成るほど、後で読み返すと、経験の痕跡は言葉で 残すことが可能と実感する。ダイアリーに心の天気図を◎○△×を付けて おくのもよい。で、昨日は○のち×!気象も、記録が可能で、△×。夕飯? シネマ評、TV観戦の大相撲もドラマ評も、可能。 問題はするかしないか。 ・・・・・・ 4692, 中年期の8つの危機 2014年01月18日(土) 『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、 晩年の老年の危機になる。以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、 老醜として現れ出ることになる。 ーまずは、その8つの危機から � 時間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める) � 自分の役割意識の危機(多くは中年期までに社会的に一つの役割をはたす) � 対人関係における危機(協調や柔軟性が失われ対人関係が巧くいかなくなる) � 価値観の危機(若い頃の価値観が揺らぎ始める) � 思いわずらう危機(健康や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える) � 平凡な人生の危機(仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち) � 死に直面する危機(段々と死に向かっていることを意識させられる) � 真面目になりすぎる危機 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、 この問いかけの内容と言ってよい。 還暦後の問題は、まさに、この問題。 「�先が少ない �粗大ゴミ化 �他人が煩わしいが、寂しい �人生への否定的鳥瞰(後悔)�将来への不安 �平凡な日々 �死の恐怖(無知) �真面目になりすぎ 」とすると、私のこと?かと、心の中を見透かされた ような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い 解決方法は読書習慣。長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えて きた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて 向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」8割以上の既婚カップルが、 「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。 しかし配偶者の75%が、「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、 より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が必要という。 そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間 を共有性を説いている。 そういえば、�の真面目になりすぎる危機、 禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に 求めると、�〜�をクリアーするしかない。それも自分との格闘の中で。 そうすると、�になってしまう、ということ。それも、これも森林から、 サバンナへの移行時の危機。�の平凡な日々でも、読書生活の質もある。 そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。 ・・・・・ 4325, 財政恐慌 −3 2013年01月18日(金) ー次の質問群であるー 『財政恐慌』浜矩子著 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか、 ● 我々は地図を持っているのか ▽まずは「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか」より * さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、 行くべきところに近づいている。現象的には、すでにもう随分遠くまできている。 日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。経常収支の 黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 日本の資本が海外で稼ぎ出した利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしら になっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。 最近の流行り言葉が「絆」であることは、決して偶然ではないだろう。 日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。 ▽「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか」 * これはなかなか難問。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。 自分にとって最適な場所に着いているのに、それに気づかない。これは怖い ことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。 そう願う思いのあまり、対応のしようによっては、せっかく行きたかった はずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。 ▽ 「我々は地図を持っているのか」 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。 それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、「ハングリー精神」の復活を 夢見る思いである。 ▼「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。 そして既に下り坂に入っている。したがって、経済成長という言葉は方向を 間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になった のは、憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業。 あくまで憲法改正の最後の機会のため。著者の立場からみれば、成長を再びと 願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。ただ、最終目的は、 憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く 動乱には適してない」のが、私の見方。 ・・・・・・ 3950, 未婚時代の婚活 ー2 2012年01月18日(水) * 女性は二ランク上を狙う 「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が? って何時も話題になります」という。それに対して男女共いえるが、自分を ワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上 を求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を 逸してしまう。 若い時から周囲の男からチヤホヤされているうちに一番の 女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。 逆に内面は熟し素敵である。そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵 な女性が売れ残ってしまう。その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。 収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、 その焦りを見せられない。そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも 相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。 「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。結婚した今でも、 王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。人間は、そんなものかもしれない。 1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、 誰ひとりも、そのことを疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、 以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。 女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない 厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、焦りで満ちているが、 誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、 どうしても婚活は二の次になる。逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を 良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのならフリをするしかない。 女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。まずは、 自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 妥協すること。 自信のある何かを持つこと。 ・・・・・・・ 3585, 「とりあえず、5年」の生き方 2011年01月18日(火) 「とりあえず、5年」の生き方 ―諸富祥彦 (著) ーアマゾンの内容紹介ー あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか? それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか? 以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら 後悔とともに人生を終えるかもしれません。 □自分の大好物を最後までとっておく人 □「将来のために今日はガマン」と考える人 □「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人 □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人 □30代で1000万円以上貯金がある人 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。 たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、ほんの 少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。そのヒントを「仕事」「お金」 「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」といった分野ごとにまとめてある。 ▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。そして「とりあえず、還暦までに残り の人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。 まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、 達成できなかったが、43回までは達成した。更に50歳半ばで個人のHPをつくり 思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。 反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえた とき、心の中で独り万歳をした。その直後は、何をしてよいか分からなくなった。 そこで出てきた言葉が「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。 そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で 中途半端の状態になってしまった。 で、後半。「来年は無い。今年中にやる べきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の 峠の到達地点とした。ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが 書いてあったので驚いてしまった。ここまできたら人生の喜劇化もよいだろう。 いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
|
|
|
|