堀井On-Line



5786,閑話小題 〜つれづれに大相撲

2017年01月17日(火)


  * つれづれに大相撲
 初場所が始まって、はや後半になる。いつもの場所と同様、
<全勝の稀勢の里が、最後は残念ながら優勝を逸しました>の物語の様相に
なってきた。前の親方が、他の部屋への稽古を禁止したのが、いざとなると、
負けてしまう脆弱な性格をつくりあげたようだ。白鵬も、やはり相撲年齢も
あってか最盛期の力はない。だから面白いのだが。一連の八百長相撲の問題で
ヤリニクイだろうが、阿吽の呼吸で??でもしないと… この男には!
  * 張り手の禁止が必要では
☆ 白鵬と、朝青龍の時代から張り手が多くなったが、これは変だと常日頃から
 思っていた。上下関係の厳しい大相撲の世界で横綱の顔を張るなど、とんでも
ない思いこみを利用した卑劣な行為。張る方も、脇が甘くなり、差されてしまう
危険が大。先場所、張られて脳震盪をおこした力士がいた。今場所も、その恐怖
が残っていてか、初日はオドオドしていた。 やられたらやり返すのが、プロ。
必ず2倍は張り返せばよいが。そこを逆に狙われる? 相撲は立合いから数秒で
勝負がつくため、立合いの駆け引きが面白いが、張り手の瞬間、何か白ける。
  * チビッ子相撲上りの中に?
☆ 最近、チビッ子相撲上りの相撲取りの方が、野性味は少ないが、子供の頃
 からの基本があるため、強そうなのが出てきた。指導者も方針を変えたようだ。
だから、年末に全日本相撲選手権、学生相撲選手権で、逸材を見抜くのを楽む
ようになっている。もう5年前になるが、中村大輝が二年生の時に、東日本学生
相撲選手権で優勝をしたとき、これは強くなると思ったことを憶えている。
来場所入門組の中にも有力なのがいるが、現在の2年3年にも多くいるようだ。
相撲は年寄りの楽しみということか? そうこうみると、外国に開放したのも、
正解だったのかもしれない。ただしアジア系に限り…

・・・・・・
5056,閑話小題 〜つれづれに
2015年01月17日(土)
   * つれづれに
☆ 一昨日の新潟駅周辺で、後ろから連れのオバサンの話が聞こえてきた。 
 その話題の内容とは、「年金は、とにかく前倒しに貰った方が良いみたい。 
 ところで〇〇さんの主人、定年で一日中、家にゴロゴロしていて、何処にも
 出かけないというけど、小遣いを一万しか与えてないのなら、出かけようが
 ないわよね・・プライドが高いので、財布が空なら人とも会えないしね〜」 
 と、何か深刻の内容。そして物価値上がりの愚痴が続いていった。
☆ 地元のカラオケスナックでは、60歳位のチイママのところに電話が何度も
 入って真剣な顔。聞くと、「アパート持っているが、その住人が気分が悪くなり
 救急車を呼んだが、親戚が分からないので、大家の私に連絡があった。
 本人は生活保護を受けていて・・ でも、どうしようもないしね」とか。 
 何か、切ない話ばかり。 
☆ 最近、人に会うたびに、顔色がツヤツヤしているといわれる。自分でも鏡を
 みると、そう思うが・・ スポーツジムの効果があるのだろう。朝、4時起床
 からのスケジュールを真面目にこなしているので、当然だが・・
☆ どうも冬期間(12〜3月)は、チャリが雪道のため乗れない。
 早朝のポタリングはストレス解消というより、エネルギーの充電になる。
 それでも週3〜4回のスポーツジムでのエアロヨガがあるからまだ良いが。
☆ 人から聞いた夫妻の話が凄い。「旦那の職場からも、一人娘と親も含め、
 夫婦して年賀葉書が一通こない」という。ただ、それだけの話だが・・ 
 夫婦自閉症ということ? 老いる度に、最後は、誰もが津軽海峡冬景色?
・・・・・・
4691, 苦しみは、深いレベルの「神秘」
2014年01月17日(金)
          『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著
  * 現実を「問題」と「神秘」の二つの次元に分けるがよい
 ー苦しみは、深いレベルの「神秘」である解決できる「問題」ではないー 
ガブリエル・マルセルの言葉が良い。「神秘の典型的な愛、自由、人間、自然、
出会い、存在、誕生、生、死、悪」などが解決しようとするから苦悩が生まれる。
人生は、成るほど神秘的のはずである。「生きるとは、問題解決の連続と思って
きたが、解決できない苦悩の中で、七転八倒すること」なら、次つぎ襲ってくる
苦悩も素直に向き合える。 ーその辺りを抜粋ー
《 苦しみに、簡単な解答はあり得ません。その理由は、苦しみという現象が、
 「問題」ではな「神秘」の次元に属しているからです。ですから、私たちが
苦しみを体験するとき、出口のない真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような
不安や焦燥にかられ、無力感に打ちのめされるのでしょう。私の恩師、ガプリエル
・マルセルは二十世紀のソクラテスとも言われた偉大な仏の哲学者でしたが、
彼は人間が直面する現実を「問題」と「神秘」の二つの次元で考えました。
 「問題」は、客観的にみて、知識や技術で解決することができる問いかけです。
しかし世の中にはコントロールすることも、把握することもできない、深い領域
が存在しています。それが神秘です。神秘の次元のものを、神の次元のように
客体化しようとすれば、大きな過ちを犯すことになります。たとえば、医者が
患者をみて病気を診断し、薬や手術などの治療法を検討する。これは病気を
問題として解決しようとしているわけです。 一方、治る見込みのない患者に
対しては、多くの医者は「もう手の施しようがない」と匙を投げます。
これは、患者の生と死を単なる技術的な「問題」の次元でのみとらえているから、
何もできないという答えになってしまうのです。けれど、たとえ病気を治すと
いう解決ができなくても、残された時間を有意義に過ごす手助けをすることで
患者の苦しみを和らげることもできます。それが「神秘」の次元で考えるという
ことなのです。典型的な神秘の次元に属するものとしては、愛、自由、人間、
自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪なども挙げられます。 今の教育は、
ほとんどが問題解決のための技術的な教育に偏り、あらゆる神秘を単なる問題
解決の次元で片づけようとする傾向がありますが、そこに現代社会の大きな
欠陥が隠されているように思えてなりません。 マルセルは、神秘に属する
ときは、自分の限界を認めることが大切だと強調していました。人為を超えた
神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き会う
のが望ましい姿勢と言えましょう。どうしようもない苦しみにさらされた
ときも、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、
新たな段階へと踏み出せるのではないでしょうか。古代キリスト教の教父
と言われるアウレリウス.アウグスティヌスは、十九歳のとき親友を突然病気
で亡くしました。彼は、そのときの苦しみを回顧録で、こう綴っています。
 「今や自分にとって、自分自身が大きな謎となってしまった」
ここでいう「謎」とは、あきらかに神秘の次元を指します。同じ十九歳なのに、
親友は死に、自分は生きている。それまで当然だと思っていた親友との日々の
生活が、実は当たり前のことではなかった― この苦しい体験が、彼にとって、
人生の神秘について深く考えるきっかけとなりました。アウグスティヌスが、
西欧の歴史上、最も優れた思想家の一人となったのは、この大いなる神秘に
真剣に取り組んだから・・・》
▼【人為を超えた神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」
 を持って向き含うのが望ましい姿勢】が良い。色いろ、七転八倒してみて、
「何だ私は、この程度の人間なんだ」と限界を割り切ることが、諦めであり、
悟りになる。この節目時に、腹の底から笑った後に、ドッと肩の荷が下りた。
そのフワフワ感が何とも良い。神秘的だが面白い人生ですか〜
・・・・・
4324, 財政恐慌 −2
2013年01月17日(木)
  ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー  『財政恐慌』浜矩子著
≪   ー 今回の質問の内容 −
 ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
 ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
 ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」
□ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期
 が終わり、ニクソン・ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、
 失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を
 味わい、格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 
 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、
 時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。
◎ 我々はどこに行きたいのか
□ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金
 問題や通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。
 そのような安らぎの天地を求めている
◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
□ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。
 だが成長神話は古い。それに、この間を通じて日本経済はそれなりに成長
 してきた。ところが、それによって人々が安心することができるように
 なっているわけでない。今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。
 大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。
  そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫
▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた
 金が不動産投資などバブルを引き起こした。そして5年後のバブル崩壊。
その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。
その結果の膨大の借金。偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは
決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。
・・・・・・
3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1
2012年01月17日(火)
  * ユーロとドル安が続いているが、
 欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きて
ないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。地震(リーマン・ショック)
より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。ニュースで近じか
仏大統領が大きな決断を下すという。ドルは50円、ユーロは60円、株価は
6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。日銀の白川総裁が、
「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力
が弱っているため大打撃になる。 分かっていたことだが。 
問題は、三月あたり・・・
「日本の論点 2012」ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」
が、この辺を分かりやすく書いている。
《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。
 直接的な要因として挙げられるのが、米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和
政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三千億ドルに
およぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。
これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。成果については賛否
両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落
すると考えるのがふつうだろう。しかし、円が高い理由はそれだけではない。
日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに
「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはず
であり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。 つまり、為替
レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえ
二〇〇〇年から今日までの十一年間で、米国の消費者物価指数は約三〇%上昇。 
いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レート
の水準は一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レート
によって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。
とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。
つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、デフレの国の通賀は高く
なりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高く
なるのは、必然であるといえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。
海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を
下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の
制限といった国内産業の合理化を促す。さらにそれは生活基盤を失わせる
雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます
円高が進行する。こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの
円高対策も実効性は薄い。》
▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、
 スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが日本の三倍近いのに驚いた
ことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。
  それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? 
ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。
 ・・・・・・・
3584,閑話小題
2011年01月17日(月)
 * 日めくりの格言
    「仕事に雑用はない!」  そうか! そうだ! 
   これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。
 * セレンディピティとは
  − ウィキペディアによると、
 <セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは
  別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見した
  という「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、
  ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。
   例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡
  『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。>
  ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。
  それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが?
  * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」
  これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。
  まったく理解できないが、感覚的には面白い。
  ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、
【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」
 「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」「やっふぃ」「もいきー」
 「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20が
 あるとか。それぞれの言葉の意味や出所だが、
・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。
 『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 
・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」
・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。
 病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」
・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。
・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団
 『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ歌い踊る中で
 使用される掛け声」などである。…
ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら
 良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、
 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の
 別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。
  ・・・・・・・・
3209, 年金支払い総額 1400万
 2010年01月17日(日)
「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 
41年間で総額1388万円である。(以前の年金通知の中にもあった
かもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動
などからみて3倍が妥当。実質の支払額は 1400×3=4200万は
積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。 
 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。
21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>4284万になる。 
成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、これを過去に食い散ら
してなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段?
をしていたのである。その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる
時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。未来のために
積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 
酷いものである。腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、
国家のダウンサイジングが現実のものになるとは思ってもいなかったのだろう。 
数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。こういう事態
をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。
いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 
年金税も現実問題として有りえる。
 ・・・・・・・・
2844, 「ほめる」言葉  −1
2009年01月17日(土)
 《精神対話士》の「ほめる」言葉 ーメンタルケア協会偏 読書日記
図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書
と思ったが、《精神対話士》の、という部分が気になり借りてきた。ところが、
なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が並んでいる本。
基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。この本を編集
した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーする。
< 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。
「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウ
するための根幹となる「生きがい」を見失いがちになることに着目。それらの
人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる
「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため
精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。この本は、精神対話士の効用の
一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。「温かいひと言」を相手に投げかける
ことで、親密な人間関係を築けることを教えている。>
 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。
こういう場合、アマゾンは有り難い!私が人を褒めると、知人や同級生に
驚かれることが何度かあった。「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて
殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 
私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。「営業用の褒め言葉」を
聞きなれているため?言えないのである。全て知った上で「嫌味」を言うより、
営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。
  (字数制限のためカット 2012年1月17日)


5785,閑話小題 〜アンドロイドTV 三週間後

2017年01月16日(月)

  * アンドロイドTV 三週間後
 昨年暮れに寝室のTVを入替えたが、これがアンドロイドTV。
グーグルとソニーの共同開発のソフトのアンドロイドが組み込まれたTVで、
コントローラに声認識が付いて、キーワードの声認識で、YouTubeなどの番組、
映像を呼び込んでくる。今までは20インチのパソコン画面だったが、今度は
大型TV。それが見たことがないようなクリアーの画面となれば、オーバーに
いえば、毎日が異次元の日々に様変っている。
 タブレットと同じ位に驚かされたPC。特に、秘境の大自然の光景に惹れたが、
過去の蓄積がさせているため。 「ゴッフのヒマワリ」と声認識で入力すると、
美術館で、現物をみるより繊細に加工された、より綺麗な絵画が現れたとした
ら… それが大自然の光景なら、更に素晴らしい。白川義員のヒマラヤ上空を
見たことがあるが、これも人間の裸眼で見るよりも遥かに美しい光景を映し
出していた。
 数年後には4k、8k画質の画像が、配信されるというが、これでは映像世界
が様変るだろう。世界各地の名所で自撮棒で撮った4k映像を編集し投稿した
映像が幾つか投稿されているが、どれもこれも息を呑む異次元の世界。 
私の数十回の秘異境ツアーそのままを撮影し編集したとしたら、これらに決して
劣らないと思う。が、当時は、デジカメさえない時代。
 当初、アンドロイドTVはPC機能が入っているものと勘違いしたが、これは
オプション。パソコン機能の端末を購入すればよい。 6年半前のTVとは、
機能性能からみて一桁違うアップしている。
  〜AndroidTVをネット検索より…
【 AndroidTVでできることは
※「テレビ画面で、インターネット配信映像を見られる」
※「スマートフォンやタブレットをリモコンにして、配信動画をテレビで表示できる
Chromecast互換機能『Google Cast』が使える」
※「Android TV向けのアプリが実行できる。ゲームやさまざまなアプリを実行できる」
という3つが挙げられます。
・1つ目は、スマートテレビとしては当たり前の機能ですが、YouTubeだけでなく、
Google PlayムービーやHuluといったビデオオンデマンド配信サイトの映像も購入し、
テレビでそのまま鑑賞することができます。ちなみにGoogle Playムービーなど
Google Play関連からコンテンツをダウンロード・購入する場合、Googleアカウント
が必要となりますが、既にAndroidスマートフォンで使っていたGoogleアカウントを
AndroidTVでも共有できます。GoogleアカウントのAndroidTVへの登録は、Android
スマートフォンで指定にURLにアクセスし、画面に表示されるパスコードを、
AndroidTVに入力するという簡単なオペレーションで行うことができます。
・「Google Cast」は、「Chromecast」互換とも言える機能です。
Androidスマートフォン・タブレット、およびiPhone、iPadといったiOS搭載機器
から映像をキャストできます。キャストとは、Androidスマートフォンなどの端末
からURLを指定し、そのURLの動画を写すという機能のことです。
・そして「アプリ実行」は、AndroidTV搭載のテレビであれば、テレビ単体でAndroid
向けのアプリを実行することが可能という機能を指します。 Androidスマート
フォン・タブレット用には多くのアプリケーションがGoogle Play から提供されて
いますが、Android TVでも同様にGoogle Playからアプリをインストールし、実行
することが可能です。テレビのGoogle Play画面からインストールすることも
可能ですし、PCのGooglePlayからリモートでインストールさせることも可能です。
・ちなみに、Android TV用のアプリケーションは、Androidスマートフォン・タブレット
用に開発されたアプリケーションに、多少の改修(Android TV用ライブラリのリンク、
Android TV向けUIに対応した操作の追加)が必要となりますが、ほぼ共通のソースを
使うことが可能で、モジュールもAndroid TV・スマートフォン両方対応のものと
なります。
 ――
▼ 去年の秋口に地元の従兄の葬式に、東京下町に住むカメラマニアの従兄が来た時、
「84歳で進行ガン。あと10年遅れて生まれたかった!4kテレビと、4kカメラを
4台持っているが、これが素晴らしい。ドローンにカメラをつけた空中写真を撮るのが
夢だったが!」と語っていた。彼の年齢は85歳だが、このテレビに切替える切っ掛け
になった。そこで、考えたのが、これまで行った秘異境と、遺跡、美術館などを、
アンドロイドTVで映像を通して訪ねること。白黒TVとカラーTVでシネマを見るのと、
違うように。情報、音量、迫力はシネマに及ばないが、画面は、この方が良い?
 パナソニックとソニーのTVは、これに絞った付随した機器グループの戦になるとか。
―――
5764,パソコン融合TVの時代に
2016年12月26日(月)
   * 再びYouTube
 以前、ÝouTubeが面白くて、別のブログ『バートウォッチ』に、面白そうな
映像を紹介していたが、今では各TV局がチョイスをして放映している。
 一月ほど前、家電チェーンの売場を暇に任せ彷徨っていると、売場担当者に
『アンドロメダTVが最近売れてますよ』と声を掛けられた。ソニーがグーグル
と共同開発したアンドロメダを基本にしたパソコンとTVを融合した、一言で
いえば『画面検索付パソコンテレビ』。グーグルの検索機能をコントローラに
付けて、音声入力をすれば、目的の映像を呼寄せる機能。 選択したÝouTubeに、
「4k画面 築地 マグロ」と発声すると、4K画面のマグロの解体シーンが
映しだされた。ミソは「4k画面」のキーワード。一般放送で、まだ4k放送は
少ないが、YouTobeには4k録画の映像が投稿されている。それは、これまでの
映像とは違った鮮明な画面。担当がいうに『売れているのが、アンドロTV』。
そこで家でチラシを改めて見ると、ÝouTube付が有るのと無いのがある。
 新しい方のソニーのPCで、その画面をみると4kで入力された画面があった。
生々しい現場で撮影され投稿された映像、例えば、『シナイ山の初日の出』
『北欧のクリスマスイブの光景』『聖地の祈り』『ナイル川クルーズ』とか、
『サントリニー島の日没』等々、何でもござれ。これらを大画面TVの音声検索
で瞬時に茶の間で見れるのだから驚いてしまう。18ケ月〜24ヶ月で、情報機器
が半額に下り続けているというが、商品としての機能が、それ分アップする。
 パソコンTVが、既に売れ筋の主流になっていたとはね。グローバルになるわ!

・・・・・・
5420,人生で最も大切な技術 ー��
2016年01月16日(土)
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 目次をそのまま掲載したことはあまりないが、深く立入り、全体を俯瞰する
ためにも、あえて載せることにした。目次をランダムに、いずれのページを
開いても、深い響きが届いてくる。「著名な哲学者の父親があってこそ、この
人物あり」を思わせる構成である。西欧文明の真只中で英才教育?の素養が
あればこそ、チベット仏教の真髄が見える。 中村天風の『積極一貫』
『絶対肯定』の人生への姿勢と似ている。中村天風も、チベットで偉大な師
について修行している。
  〜目次〜  ●幸福の探求
 はじめに
第1章 幸福に関する名言        第13章 羨望
第2章 幸福は人生の目的から      第14章 自由への大いなる飛躍
第3章 両面の鏡 内から外から     第15章 幸福の社会学
第4章 見せかけの友         第16章 幸福の実験
第5章 幸福は可能か         第17章 幸福と利他心
第6章 苦しみの錬金術        第18章 幸福と謙遜
第7章 エゴのべール       第19章 楽観主義、悲観主義、世間知らず
第8章 自分の考えが一番の敵になるとき 第20章 黄金の時間、鉛の時間、 
第9章 感情の川            第21章 時の流れと共に
第10章 厄介な感情とその治療法    第22章 幸福の倫理学
第11章 欲望             第23章 死を意識した幸福
第12章 憎しみ            第24章 道
                   瞑想の実践  あとがき
 ーー
 「まえがき」の、何ゆえ、順調なキャリアを捨て、チベット仏教徒に
 なったのか? 親子の葛藤はどうか? 〜その辺りを抜粋する〜
《 ・・前途洋々に滑り出したかに見えたキャリアを唐突に放り投げて
 しまおうとする私に対し、父は失望を禁じえないようすだった。しかも、
「仏教に反対するつもりは毛頭ない。純粋で率直な仏教的教えは、各種
の宗教的教義の中でも独特の立場を確立している。究極の厳密さを要求する、
西欧の哲学者からも重視されていることは事実」と好意的に話しているとは
いえ、確信的な不可知論者である父が、仏教を真剣に受けとめる日が来よう
とは夢にも思わなかった。久しく顔を会わせないのは当り前で、父のほう
からダージリンとブータンまで足を伸ばして会いにきてくれたこともあった。
記者の質問に対して、「息子との間をさえぎる雲があるとすれば、それは
アジアのモンスーンだけだ」と応じている。
 こうして私が発見したものは、盲目的な信仰心の強要ではなく、
豊かで実際的な心の科学、利他の心に基づいて生きる技術、深遠な哲学、
内側を本質的に変革する精神的鍛錬などと表現できるだろう。この35年間、
私が理解してきた科学的精神と矛盾すると感じたことは一度もない。
<仏教とは要するに、経験主義的な真理の探求に他ならない>のである。
こちらに来て、「常に幸福」な状態が続いている、という人物に何人も
出会っている。これらの人たちは、一般的に考えられている幸福な人とは
異なり、現実とは何か、何が心の本質か、などを深く洞察し、他者に対する
慈悲心に満たされた状態にある人たち、と呼ぶに相応しいだろう。生まれつき
人一倍幸福を感じることのできる人は世間にたくさんいる。だが、彼らの幸福
は脆くて不完全なものである。これに対し、永続的な幸福を体得するには技術が
必要であること、内側の平静さ、今この瞬間の気付き、利他の心に根ざした愛、
といった人間に本来備わっている能力を開発するには、それなりの努力と訓練が
必要であること、などが次第にわかり始めた。深遠で静寂な観想の方法論と
英知を言葉と行動で具体的に範を示してくれる生きた見本に直に触れる、
という経験は、間違いなく充実した人生を歩むためのお膳立てができた、
といっても過言でない。「私の行動は真似せずに言葉にだけ従え」といった、
真理の探究者を失望させる、多くの教えとは一線を画す本物の教えに
出会ったのだった。 》
▼ 「意味ある偶然の一致」としても、前年の新年明けの
 同月同日に、この幸福論に丁度良い回答をテーマにしていた。
<「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。>
このことに気づくため瞑想をし、「永遠のいのち」に宿る「わたし」に
気づいた状態が幸福という。これ以上の明快な答えは見当たらない。
 これを知り、〔「わたし」<「いのち」〕という発想に私も、少し近づけた。
「遺伝子は生物の体を借りて、代々、生き延びてきた」という遺伝子の科学者
のいうのが、遺伝子の「いのち」が、生物のからだ(いのち)に例えると、
少し理解できる。「わたし」が80年の人生を終えても、遺伝子という
「いのち」が生き延びていく、と思えば、死の恐怖は減る。
 「いのち」−「わたし」=「永遠のわたし」 か?
 「いのち」+「わたし」=「有限のわたし」 になるのか?
何か、岸本葉子と、リカールの妖術にかかったようである。
・・・・・・
5055,生と死をめぐる断想  ー6
2015年01月16日(金)
           『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
   * 時代という背景
 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。
著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。
癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち
にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜
≪「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編)
という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ
が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として
いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。
「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、
第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。
取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。
 坐  岡田虎二郎と岡田式静坐法
 霊  大本と鎮魂帰神
 心  森田療法の心と癒し
 食  マイクロビデオテックの世界観
 気  野口晴哉と「全生」思想
・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。
・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、
・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、
 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、
 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。
・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。
・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一
 が発展させた、狭義には食事療法だ。
・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法
 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。
・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者
 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。
・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。
・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、
 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも
 一定の 成功をおさめている。 ≫
▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。
 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、
多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに
人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった
経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。
・・・・・・
4690, 身近な貧困 ー4
2014年01月16日(木)
   * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困
 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」
ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと
同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。
あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を
絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という
逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。
まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。
ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。
ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐
マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に
使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード
で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。
そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 
問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。
しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。
チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な
面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処
が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を
もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、
充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」
さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、
秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、
『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。
ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 
世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。
帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、
そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな
肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。
これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 
気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、
聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。
一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。
決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、
以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。


5784,閑話小題 〜今度は71歳ですか

2017年01月15日(日)


  * 今度は71回目ですか
 昨日は誕生日の前日だったが、地元ステーキチェーン店で、細やかな誕生日
祝いをしてきた。 昼間の千円ランチでの誕生祝いの品は、皿にアイスとか、
ケーキがついた、飾りには小さな閃光花火がチリチリと光っていた。
隔年ぐらいは、その線香花火に癒されている。
 この年齢になると、祝いというより、あの世への一里塚の感が強くなる。
還暦か、その一年後の70歳代になったら、自分への贈物をと考えた挙句、
アンドロイドTVの買替えを思いついた。家内に察知されれば、即、潰される。
 とはいえ、年金生活者には重負担。家内の罵声覚悟の上だったが… それが
何とも、老いの身に堪える。で、何とか乗り越えた。一番喜ぶのは家内。
この5年半はタブレットPCに夢中だったが、今度は、これに気持ちが移行する。
で、結果として、思い通りに大正解。 これが思いのほか極上の機能。
白黒からカラーTVへのアップスケールした以上の画期的代物。一時、3Dテレビ
が話題になったが、この立体的に見える画面であれば、その必要性は薄れる。
例とえば、大相撲の力士が土俵下で映し出されるが、同時に観客席の観客の
姿かたちと表情が力士と同じ位に鮮明に見える。 相撲も面白いが、様々な
コーデネイトや、長年かけて出来上がった、様々な仕草を見ているだけで、
現場の臨場感がある。何か異次元世界に足を踏みこんだ感がする。17時〜20時
までは居間で晩酌をしながらTVを見ていたのが、今では1時間もしないうちに、
奥の院の寝室に行く。居間のTVでは頭が痛くなるため。 
 明日は、このアンドロイドTVをテーマにする。

・・・・・・
5419,閑話小題 ー今日で満70歳ですか
2016年01月15日(金
  * 世界的不況が更に深刻のようだ
☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 
世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、
120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が
背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、
株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。
☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で隣席の有名な夏はゴルフ場、
冬はスキー場で某リゾートホテルを経営している人に、
『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、
奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』
と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え
などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! 
まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』
と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。
地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 
☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光
発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を
知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック
規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その
クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、
株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、まず年金生活者
など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。
  * 今日で満70歳 
 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、
一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。
そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。
そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を
噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。
 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重みを実感する。
60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、
これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。
 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。
<楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。
 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した
<「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」は妄想で
 しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻!
これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。
まあ、我ながら、本当に真面目、いや馬鹿真面目なことだ。
喩えでいうと、「精神的な腰痛もちが、日々を生きていくための杖代わり
に、書き続けている」が、よくも15年も毎日、飽きもせず。

・・・・・・
5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2
2015年01月15日(木)
   * 古稀ですか ー2
 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ
気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、
同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。
 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。
当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな
文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆?
どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が
亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、
母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が
面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折?
の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。
 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、
己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、
「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・
 この程度としても、恵まれていたし、面白かった!
現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。
それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、
面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? 
・・・・・・
4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜
2014年01月15日(水)
   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、
同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、
それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は
マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居
になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて
いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、
情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、
もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。
他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている
自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 
誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、
自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、
「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・
〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。
今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。
そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した
・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 
こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」
であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話
になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
 * ネットカフェ難民から、マック難民へ
 * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略)
    * 67歳か〜
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。
父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、
自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、
欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の
大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか
と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 
それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡
を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、
去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの
風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。
10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打
で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを
大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず
だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは
欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。
66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。
仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に
思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい
の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、
考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを
見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 
とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに
なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在
しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって
しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の
経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き
連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。
二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る
ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年
を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代
に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること
にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも
深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、
見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、
還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で
一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。
父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」
として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた
というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 
それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。
特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」
この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」      
それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
・・・・・・
3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。
現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。
それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の
蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。
この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業
直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を
御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの
入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。
これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が
あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には
65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が
集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。
加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 
還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。
そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。
現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 
充分、狂ってきたが?!
・・・・・・
2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
2009年01月15日(木)
 * 63歳の誕生日か〜
 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、
姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く
なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、
人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を
見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)

・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳代!       
 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w (⌒_⌒; タラタラ     
60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、
感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。       
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が
「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に、『エッ!』驚いた。
サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、
そうかもしれないが。
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。
  時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。
3、面白かった。
4、悔いはない!である。

人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして
自分の家庭、職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。
人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。
 少しは大人しくしなければ!
それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」
それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。           
             ★:゜o( ̄▽ ̄*)>*
・・・・・・
1月15日  1969年
 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。
 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

  〜以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。
 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。


5783,福田恆存の「私の幸福論」〜��

2017年01月14日(土)

              「私の幸福論」福田恆存著
   * 快楽と幸福 ーB

 快楽に近い言葉に、「快適」がある。
ネット辞書によると、
「快適」は「心地よい」、
「快楽」は「楽しく過ごしている時に感じる喜び」とあった。
これからして『幸福』とは「快適な状況」で、「喜びを感じる楽しい感覚
ということになるが、それほど簡単に幸せには決めつけられない。これは、
生物だけが実感できる感覚といえば、その極めの体験が『至高体験』。
大自然の壮大な景色などや、偉大な芸術作品に出会った時の感動で、対象の
波長と一体化した状態をいう。感激は心の振動、感動は魂の振動である。
  〜その辺りを抜粋〜
≪ 快楽や快適を目指すところには、その底に利己主義がひそんでおります。
 刹那的な快楽主義の場合、誰の眼にもそれは明かです。
が、エピキュリアニズムのような個人主義になると、外界にわずらわされぬ
「不動の心」というような精神的美徳を表看板にしているので、私たちは
その底にある利己主義に気づきにくいのです。
さらに、社会主義、共産主義、福祉国家となると、貧しい人々の利害を考え、
「最大多数の最大幸福」というような合言葉が出てくるので、そこに利己主義
があるというようなことに、誰も気がつかないのであります。 

人間は人間の道具にはならない。にもかかわらず、快楽というものをつきつめて
いくと、どうしてもその極限には、相手を自己の欲望充足手段としか見なさぬ
生きかたに辿りつくのです。だから、私は快楽というものを、おのれ一人に
しかかかわらぬ孤独な迷妄だというのです。

快楽の思想にはなにかが欠けている。私たちはそのことを反省すべきです。
皮肉なことに、私たちに欠けているものの一切を埋めようとする快楽思想に、
わたしたちにとってもっとも大切ななにかが欠けているのです。
それは幸福の観念であります。

「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、
「快楽」でないということにすぎない。

私たちは自分の欲するものを得るために戦わなければならない。
その戦いにおいて勇敢でなければなりません。が、今日、「正義」の戦い
を称道する人たちの大部分が、ただ勝利のためだけしか考えていない。
そうなると、敗北すれば、すべては犬死にであります。

将来のことを考えたら、誰も自信がもてないのが当然であります。
思うに、私たちはなにか行動を起すばあい、「将来」ということに、
そして「幸福」ということに、あまりにこだわりすぎているようです。
将来、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるか
どうかわからない、が、自分はこうしたいし、こういう流儀で生きてきた
のだから、この道を採る」そういう生きかたがあるはずです。いわば自分
の生活や行動に筋道をたてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」
になっても、それはやむをえぬということです。

「将来の幸福」などということばかり考えていたのでは、いたずらにうろうろ
するだけで、どうしていいかわからなくなるでしょう。たまたま、そうして
得られた「幸福」では、心の底にひそむ不安の念に、たえずおびやかされ
つづけねばなりますまい。それは「幸福」ではなく、「快楽」にすぎません。≫
――
▼<「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、
 「快楽」でないということにすぎない。>  幸・不幸は、あくまで
受止め方でしかないが、「恒産あって恒心あり」が前提にある。快楽を
満たすためには、満たすだけの力量が必要。私たちは、利己主義と個人主義を
混同してしまいがちになる。公共、公正を守った上に、自分優先に考えるのが
個人主義である。しかし、公共・公正の解釈は各自違うため、誤解が生じる。
 考えてみれば、不幸も、幸福も一時的妄想に過ぎない。
【笑っても、泣いても同じ空】なら、笑える状況を自らつくっておいた方が
良いが、どうだろう。隣人を卑下した笑いではなく! 互いに楽しむ笑いでさ。
追文) これも全くの偶然で、以下の文章に文脈として続いていく…

・・・・・・
5418,人生で最も大切な技術 ー��
2016年01月14日(木)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  *「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション!
 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー�◆廚鬟董璽泙暴颪い拭�
ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5
『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの
幸福論につながる丁度よい答えであった。
< 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が
「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。>
何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で
はないか!と。・・> 
 ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、
帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を
書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の
対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に
感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の
経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。
秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感
などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、
余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は
恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、
<「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という
発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた
何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。>
 リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、
後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の
半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に
なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。
それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い!
・・・・・・
5053,閑話小題 ー古希ですか!
2015年01月14日(水)
  * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ
 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。
よくぞ無事?に到達したもの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が
70歳前半までに亡くなる。それでも生きているの人は、刃物が入っている人?
 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。
仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは!
気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。
 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩
 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲
ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」
との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、
あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。
9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」
という思いは意外と少ない。
 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした
『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。
  世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり   (49)
  何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50)
  何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)
  ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
                   あぢきなの世や (52)
  夢幻や 南無三宝(53)
  くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)
  何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (55)
現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、
うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、
『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
 あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん!
・・・・・・
4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末!
2014年01月14日(火)
   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 
特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で
追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 
 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 
  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝
を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一
は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ
一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって
富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。
延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて
MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘
に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一
は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】
▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、
 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま
勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。
ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝
として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で
同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会
の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。
この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。
下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
・・・・・・
4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック  「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という
ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。
この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。  
  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため)
 8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、
 短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応
 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 
 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの
 ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、
 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って
 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年
 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の
 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は
 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の
 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、
 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。
 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える
 のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
・生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。
 決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品
 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。
 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。
 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機」 水野和夫著  
「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。
これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」
の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20
世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、
「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、
米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。
そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、
「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、
リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って
いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、
第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊
の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、
日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま
一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。
その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。
▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。
 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。
その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。
その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル
として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。
それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って
攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
・・・・・・・・
3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解
しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。
恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える
力が以前に比べ少しついた。毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返して
いると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。 そこで、その範囲でしか
理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を
深めておかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶
することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに
唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに
見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが
普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で
消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、
無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案
を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、
沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 
一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島
に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は
広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。
今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、
中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される!
 ・・・・・・・・
3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 
ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。
ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え
文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。
キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど
「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け
可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う
とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している
というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。
どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)


5782,多国籍タウンで夢を追う

2017年01月13日(金)

       
     にっぽん紀行:オオクボ・ドリーム
        〜東京大久保 多国籍タウンで夢を追う〜
               2017年1月9日放送(18:10〜18:45NHK総合)
  * Tokyo Okubo 外国人の夢 行き交う街で
 大久保が今では町全体が外国人街の様相を示していると、以前から聞いていた。
その実情を外国人の目線からレポートした内容で、非常に興味を持ってみた。
世界各国、特にアジア各国から重い事情をもって来日して必死に働く彼らの姿は、
アジアの縮図を見ているよう。一つ間違えると、不法労働者として、国外追放に
なる立場。貧しい母国には仕事も希望もない。ネット検索に「大久保ドリーム
NHK」と入れると、以下の通り要約した紹介があった。舟板一枚下は奈落の底。
≪ よく大久保を訪れるというレポーターが大久保を案内。ホットク、ケバブ
 など世界の食にありつけると紹介。この街の住民の3割が外国人、彼らは夢を
求めてやってくる。バブル景気を境に大久保には外国人が増え始めた。商店街
では、インドネシア語や中国語、ロシア語など様々な言葉で放送が流れる。
外国人が経営する店も軒を連ねる。一方で移り変わるも激しい。
★パキスタンからやってきたシャヒーンさんは、大久保では名のしれた実業家で
アリババと呼ばれ、タイ料理店を10店舗展開している。 アリババはつねに
新しいビジネスを探している。この日も不動産業者と交渉していた。
アリババは、この街には面白さがいっぱいあると話した。
★インド出身の料理人、モハメド・ユースフさんは、一旗あげたいと日本に
やってきた。得意料理のニハリや、ビリヤニを紹介した。給料は手取り16万円、
5万は家族へ仕送り、3万円は小遣いで、のこりは貯金している。自分の店を持つ
のが夢だと話した。ユースフさんは店の近くのアパートで、同僚と一緒に暮らす。
彼にはインドに妻と3人の子どもがいる。いつか家族を日本に呼びたいと話した。
メインストリートから一歩入った住宅街には多くの外国人が住んでいる。
ユースフさんが働くインド料理店の2階にはモスクが作られた。また、キリスト
教教会には以前からの韓国の人に混じって、フィリピンやベトナムなど7カ国の
人たちがやってくる。 ユースフさんは、ランチタイムの客の入りが悪いことが
気になっていた。2日後、ユースフさんは道でチラシを配っていた。チラシを
見て、店を女性が訪れ、おいしいと話した。仕事の間、ユースフさんはインドの
妻に電話をしていた。今年中に日本に家族を呼び寄せるつもりだという。
★ミャンマーからやってきたチッピョンさんは娘のパンズンさんと8畳一間で暮ら
している。ミャンマーの地方の町で家族5人で暮らしていたが、軍事政権で身の
危険を感じてチッピョンさんが日本に、その後、娘を呼び寄せた。娘は日本語を
勉強している。午前4時半、チッピョンさんは仕事にでかけた。夜は居酒屋で
アルバイトをしている。娘の学費70万円を稼がなければならないのだ。時給千円
前後のアルバイトで生活を繋いでいる。そのころ娘は昼ごはんを作っていた。
チッピョンさんが戻り、2人で昼食を食べた。食事の後、チッピョンさんは仮眠を。
★大久保の路地裏にある仏堂は、中国や台湾の人たちが多く訪れる。12月上旬、
中国出身の高さんが訪れ、写経をしていた。100ページ近い写経をやりとげる。
高さんは、10年前に来日。沖縄や大分のホテルで働き、10日ほど前に契約が切れ
仕事を失った。仏堂の管理人、游人樺さんは、高さんを気にかけていた。いつも
は6時に仏堂を閉めるが、高さんのために空けていた。翌朝7時、写経が完成し、
仏様にお供えした。高さんはこの仏堂の近くに住んでいたという。車に家財道具
が詰め込まれていた。しばらく友達の家を転々とするという。大家さんの好意で
車だけ置かせてもらっていた。高さんは「ありがとう」という曲が好きと聞かせた。
高さんは、故郷に錦を飾れるようになってから帰りたいと話した。≫
―――
▼ シリアスな内容で、身近にアジアの底辺の窮状を見せつけられる。彼らは
 隠れ経済難民で、これでも故郷の生活からしたら恵まれているのだろう。
難民受入れに厳しいと言われても、観光ピザで数知れず流入している実情がある。
自宅の目前にアパートがあり、東南アジア系の若者が住んでいるが、騒いでも、
何ら気にならない空気のような存在。<アメリカの中・下層白人が、トランプを
支持するのが分かる>と思う日々が遠くない将来、やってくるのだろうか。
アメリカの大部分の被支配階層の人たち、いつか当ててやろうと信じている
から絶対格差に耐えられるという。

・・・・・・
5417,人生で最も大切な技術 ー��
2016年01月13日(水)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、
24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。
 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教に
ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を
行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を
任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。
 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの
言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介〜
≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。
 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の
指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の
道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世の
フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望
された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。
現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果
に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として
人道的プロジェクトに従事する。 ≫  
  〜リチャード ギアの内容紹介より〜
≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い
 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、
これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ
ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も
叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫   
▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の
 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見
を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に
一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を
惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。
挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。
パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された
ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に
戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に
なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを
見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。
 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる
議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、
インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか!
 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。
・・・・・・
5052,生と死をめぐる断想  ー5
2015年01月13日(火)
            『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著)
  *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久
「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。
 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。
成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。
瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。
  ーその辺りから抜粋ー  〜P90
≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。
「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。
たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、
次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは
常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。
暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 
 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと
などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」
の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。
 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。
「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。
なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、
その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命
の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、
相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。
植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、
それこそ知性によってとらえられるものだろうと。
 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、
そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。
が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、
「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ 
それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい
ことを感じるようになってきた。・・ ≫
▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション
 でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、
自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。
地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。
その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき
宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。
・・・・・・
4687, エッセイ力は人生力 ー2
2014年01月13日(月)
              「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * エッセイを書く目的と、日記との違い
    ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く
 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、
おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って
エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく
なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは
十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心
の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。
きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識
されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身
がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように
客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ
にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分
以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、
もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に
なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、
ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも
(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」
しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり
えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の
 メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い
ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。
だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容
こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」
に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、
そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的
であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・
4320, 病気の9割は薬なしで治る
2013年01月13日(日)
        「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、
現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、それでも日本の医療制度は世界
で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いて
くれた内容。大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師
の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。
  ー内容説明(アマゾン)ー
「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」
「薬は10種類知っていれば何とかなる?」「みんな最後の医者にはなりたくない」
「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・浜松医大名誉教授が名誉を
捨てて?、患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫
  ーまずは概要ー
≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。 日本全国
 約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。今や医者から
みたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」
というと、何年後かに病気になったときに、ああ言われたから、安心していた
のにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。
「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは
医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、何ともないと不安になり、
「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良い
のは「更年期障害」です。これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる
病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って
さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。
これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、「不摂生のためでなく、
本人の責任でない」という思いが安心感につながる。
 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、
病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。その場合、ウツ病とか、
気の病とか言うのを患者は嫌う。一番、抵抗なく受け入れられるのが、
「自律神経失調症」。「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、
いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・ お医者さんが、
「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。
これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、患者さんが安心するから一応出して
おきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、
運動しかよくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって
みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続けるようにしておけば、必ず治る。
そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。≫
▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。
 それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは掛離れて当然のこと。 
命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。
命にかかわるなら、新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、
その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。とはいえ脳卒中やガンで倒れれば
医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 


5781、スポーツジムにて

2017年01月12日(木)

   * スポーツジムにて
 スポーツジムでエアロビとヨガに参加している自分が何か不思議な気がする。
通い始めてはや6年近くなるが、旅行か、腰痛か、風邪気味で休んだ以外、ほぼ
休んだ記憶がない。昨年暮れに1300回参加の記念品を貰った。ジム全体が開放的
にレイアウトされていて、雰囲気が健康的なのが良い。実は、こういう公共の場
が好きではないが、健康にはかえられない。 
 ジムなら1人では出来ないエアロビも、指導者による誘導で集団でポップスの
音楽に乗るなら可能になる。個人的接点を最少にして、挨拶も会釈どまりで、
沈黙を保つようにしている。開店以来6年も通い続ければ、主のようなもの。
城下町社会の悪臭?も少ない。 滞在時間は2時間〜2時間半。レジャーランド
と割切れば、最適な空間。 時たま、当てつけの言葉や嫌な視線を感じるが、
『良いこと3に、良くないこと1つがこれ!』と内語で唱え平然としていれば、
それで済む。気にするから気になるのであって、気にしないなら、それで済む。
ここに来ている限り、老化は最小? その場は社会の縮図そのもの。夫婦連れ、
親子、仲間連れ、単独者など様々。 職業も、リタイア、主婦、パートの合間
など、様々。 このジムは<初心者向け>が売り。平日コースは、現役が皆無
のところが良い。
 ヨガは、一回45分間行われ、平日コースの時間帯で週5回、3〜4回の割合
で参加している。これは、修行という感はなく、エアロ風ヨガと素人向け。
50人枠が、ほぼ満席で、火・水曜日は、予約チップを事前に取りにいかないと
参加できないほどの人気。腰痛対策のセルフマッサージに最適。 精神的にも、
癒される。会費が月6千円、週5日、20日間で一日300円は価値がある。
★ 追文)書き終えた後、HP内検索に<スポーツジム>と入れたところ、
 以下の過去文があった。まあ、真面目に書いていたものだが、その背景の
心象風景の実感と、自分の息遣いが心に染みてくる。

―――
2016/11/15
閑話小題 〜スポーツジムで聞こえてきた風景
  * スポーツジムで聞こえてきた風景
 30年間、自宅のある長岡と新潟間を新幹線通勤をしていたこともあり、
スポーツジムなどの公共の場で、横目線の会話を聞くことは、同級会を
除いて殆ど無かった。あとは居酒屋とスナックと、年2回の海外ツアー先の、
旅仲間位である。ところが、スポーツジムは、種々雑多の世界の真っただ中。
夫婦連れ、親子、友人同士や、単独で黙々とスケジュールをこなす人など、
水平視線の社会観察が、なかなか面白い。 その幾つかというと・・
・いつも同じエアロに参加している中年女性が、数日、休んでいたが、
知人と話す内容が、「<数日前に、1日だけ腰痛治療で入院した。医者に、
家に居ると、家事・雑用など動くので、入院をして横になりなさい>
と言われた通り、一日中、病室で寝てきたが、成るほど調子が良い!」とか。 
 5月と11月は定期的に腰痛が重くなる我が身。雨が続くと、早朝のチャリ
乗りが出来ないため、早朝3時間はパソコン前に鎮座することもあってか、
その直後の家の移動は、前屈みの姿勢になる。腰痛は、「とにかく横になる
のが一番」というのは経験から解っていたが・・
・つぎは、ロッカールームで聞こえてきた話。
「今日、これが終わったら、1人で湯沢に一泊の湯治に行く予定。 
安宿だが、独りで何もするでなし、酒を飲んだり、風呂に入ったりする。
その宿は私のような一人客が多い。ストレス解消に、こうでもしないと!」
人様ざまのストレス解消法があるようだ。
 ポイントは、単独で、日常世界から一歩出てボッとすること。
・ジムの『平日、昼間コース』には、中高年の女性が中心。
水商売風、家庭の主婦、パートの合間に来る人とか。そこには唯我独尊の
大阪風オバサンも来ている。 
 ロッカールムで、隣の初老の男が知人にボヤク内容とは、
「さっき、ヨガの予約チップの最後の1枚を取ろうと手を出したところ、後ろ
からオバサンが大声で、『その1枚、私の!』と言われ、思わず手を引っ込めた。
その迫力の凄かったこと。」 この手のオバサン的な人は、どこにもいる。
 そういえば、並んでとった何時もの定位置に小物バックを置いて、ヨガマット
をとりにいって戻ると、そこにオバサンがいて、指をさして、アッチが空いてる」
と宣う。「いや、ここは私の定席なので」というと、シブシブと、移動して
いったが、こういうのは日常茶飯事。 基本として、こういう場は、譲って
きってはいたが、あまりに図々しいのは・・ 
 夫婦の力関係が、そのまま出るのだろうが、色いろ面白い!

―――
2016/08/25
閑話小題 〜ジムに異変が!
   * 通っているジムが活気づいてきた
 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の
「コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の
私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、
街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 
但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。
 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、
二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、
外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう
見まねの指導を始めたが、大して変わりはしない? 時に週4回参加もあるが、
週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、
かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい!
 ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、
最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、
「ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を
持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。
平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。
 市場規模:4,316億円
 施設数 :4,375軒
 会員数 :4,193,706人となっています。
この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。
会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、
売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。
 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。
  まあ、日々、お幸せなことで! 
―――
2012/07/26
スポーツジムの景色 ー2
 去年の同月同日にスポーツジムについて書いていたので、その一年後の感想を
書いてみる。所用で市外に出てた以外に、気が進まないとかで休んだことは一度
も無い。露骨な卑しい?視線を感じて、何度も止めようと思ったことがあったが、
「とにかく一年」と思っているうちに何とも感じなくなっていた。その後、各種
のエアロビックスのプログラム全てに参加してみたが、三月からのスローヨガに
週二回だけに参加している。(勘違いで一回休んだ以外は全勤)
 それと円座に置かれた6台のマシーンと、交互に置かれたステップ台を、
インストラクターの掛け声で12人が参加するイージーライン(30分)を連続
二回と、ウォーキングマシーン(20〜30分)が私の日課。滞在時間は平均
二時間である。
 16ヶ月になるが、40年、50年以上の足腰の関節の硬化が徐々に解れて
きた実感がする。しかし、「養生に預金無し」で、続けるからこそ価値がある。
とにかく雰囲気が明るいのが気に入っている。早朝4時過ぎから13時過ぎまで
が午前の部で、午後の部は13時過ぎのスポーツジムから21時に就寝するまで。 
その意味で、日課として大きな位置を占めている。顔見知りになっても軽く会釈
するだけで、個人的会話はゼロ。ただ独り黙々とコースをこなして帰ってくる。
この一年で変化したことは、午前中から午後になったこと。会員は老若男女、
幅広い。それらの人が毎日、同じプログラムに参加する。
 4〜11月までは一日三時間の運動量は健康にとって、このうえない。
金・日曜・祭日は、休日と契約規定で参加出来ないため、近くの市営のスポーツ
ジムに参加をしているが、これも相変わらず通っている。値段は三ヶ月1800円
で、これも慣れると丁度良い使いかってになる。今のところ新しい生活環境の中、
何とか肉体も精神も正常を保っている。人間は働きの中で社会に組み込まれて
いると思っていたが、そうじゃないことが分かってきた。全て一人一人の思い
込みで生きているだけ!「一日一日を面白可笑しく生きること」ただ、それだけ。
ところで時どき会うスナックのママさん、「毎日、風呂とサウナだけで、他は
気が向かないと行かない」といいう。私の場合、スローヨガだけ参加という
使い方もある。そういえば一言二言話す同じ年代の男性がいるが、ヨガだけで
帰っていくが、六回参加して一回千円としても十分に価値がある。
 一週間の日程の中で、他に二回の図書館通いがあるが、他に新しい世界を探す
時期にきているが・・ 毎日をフワフワ浮いたよう気ままにいるのが、こんなに
充実感があるとは思わなかった。母親も家内も、これをやっていたのだ。
これが「日々是悠々」なら、私は数十年も「日々是恐々」だったということ。
「私は生活を楽しむ人、貴方は働く人」だったか?。

―――
2012/05/13
つれづれに ースポーツジム、その後
   * スローヨガ
 このところ、スポーツジムのスローヨガに参加している。連続参加が勘違いで
14回で途切れたが、これまで18回参加した。ヨガのポーズは腰と背骨の矯正
に絶好である。大よそ30〜40人が参加しており、火・木曜日の午後の週二日。
平日の午後、これだけの人数が一同、暗闇の教室でヨガをするのも奇妙な感覚。
慣れるのに7〜8回はかかったが、慣れてしまえばしめたもの。60×120��
のマットの上で色々のポーズをとるが、ヨガの先生曰く、「ヨガは、このシート
が全宇宙と思って、自分独りと思って下さい!」 一回、50分だが、あっという
間に、時間が過ぎてしまう。始まると周囲の人が意識から消えてしまうのがよい。 
シートの中の自分と先生の世界が、それぞれ出来てしまう。ところで、専門の
ヨガ教室だったら幾ら?と値踏みをしてみたが、一回、千円の価値はある。 
週二日、月に6回(二回、休む?)として6千円になる。これだけでSJの会費
の元が取れることになる。時間帯もあるが、9割が中年女性である。

―――
2011/10/21
スポーツジムの景色 −4
 スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。自分も、その
一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、何気なく見ているだけで面白い。 
肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えている人から、私のように
健康を兼ねたレジャー目的の人など様々である。少し痴呆が入っているお婆さん
もいる。私は午前中の開店直後の10時〜正午までの二時間、滞在している。 
時間帯からして過半数が主婦。 明らかに水商売仲間内のグループもいる。スポーツ
クラブは女性がメインで、男は60歳以上のリタイヤしたて?の人が目立つ。
弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる女性仲間の社交界の場的要素もある。
といって、男の私が肩身が狭いことは全くない。自分で選択したメニューを
独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。大方の会員の平均滞在時間
は、二時間だろうか。 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、
もし実情を知っていたら、10年前から入っていたはず。 パソコン教室も、
スポーツジムも、サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、
自分のコースを人的気づかいなしに済ますことも出来る。通勤列車と思えばよい。 
私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。 エアロビでは、
プロのインストラクターが指導するプログラムが多く、若いインストラクターの
追いかけの中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を仕事
などでこなしているので、こういう場では、一会員として群れることなく運動を
しているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 
とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。3・11の影響が、大きいのは
何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、
一見華やかに見えるが、給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの
要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 
半年少したって、効果はといえば、大有り。 足腰が、この数年来衰えたと感じて
いたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。
まずは半年である。

―――
2011/08/14
スポーツジムの景色 −3
 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか? というと、体重は元もと早朝の
ウォーキングと、サイクリングの効果で、適正体重を20年以上は保っていた。

―――
2011/08/12
スポーツジムの景色 −2
 このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中
に関わらず会員で満タンで、「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに
社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 まずは値段の安さである。 

―――
2011/07/26
   * スポーツジムの景色 −1
 スポーツジムに通い始めて4ヶ月足らずになる。そこには中年女性を中心に、
あとは年代は30歳から80歳半ばまで様々で、平均40歳半ばというところか。 
65歳の私が場違いという感は全くなく、中年女性の二人連れが目立つ。
夫婦は数組。男女は一対三の割合だが、私の選んだコースが平日中心の10〜17時
までコースで、主婦が中心ということもある。スタッフに客の集中する時間帯を
聞いたところ、夜と、土・日曜日という。それでも私の行っている午前中でも
満杯だった会員が、5月の連休明けから、急減した。ここでも東北大震災が直撃
しているようだ。(二ヶ月先払いのため、その影響は2ヶ月先に出る)
 そこで、顔見知りが二人いたが、地元だから当然のこと。 場所は自宅から
車で1〜2分(500メートル先)のところにあり、まだオープンして半年も
経ってない。 ここのオープンは私にとって渡りに舟だが、イメージと実際に
通った実感は大きく違う。一年以上、通ったと通わないとでは、これでは大きな
差が出て当然である。これは是非とも勧めである。
 私の場合、オープンの10時に行って、イージーラインの予約札をとって、30分
近くはマッサージ・ルームで過ごす。そして10時半からの25分間のイージー
ラインに参加する。これは6台のマシーン(腰、肩、脚など)で、バランス良く
配置され、一人のインストラクターが指導するシステムになっている。
それが終わると再び、マッサージ・ルームか、ランニング・マシーンで30分
過ごす。その後、エアロビックスか、再びイージーラインに参加し、大よそ
二時間で終了する。
 週に一度は外出をして、近くで昼飯をとって午後のエアロビに一部に参加する。 
早朝の、この随想日記の書き上げ、信濃川の川辺のサイクリング、そして、この
ジムが、昼までの生活習慣の三本柱になっている。午後からは、本を読んだり、
録画を見たり、昼寝をしたり気ままに時間を過ごす。 頭も身体もフル回転で
健康そのもの。昼飯が非常に美味いこと、このうえない。成るほど、この日々は、
平凡で、刺激が少ないが、それでも良い。ギアチェンジをしてみて、リタイアを
した人は、実際に何をして過ごしているのか不思議だったが、成るほど合点した。 
誰とも殆ど口をきかないとしても、そこにいるだけで孤独感は少なくなる。
レオタードなどを着た女性たちのエネルギーに溢れた場所は、そこに居るだけで
充電になる。特にブラで補填した? 胸の膨らみには!
 


5780,中国で急増するネットショップ村に密着

2017年01月11日(水)

          <中国で急増するネットショップ村に密着
                        ……NHKスペシャル>
  * 中国社会がネットで結ばれると
 8日のNHKスペシャル『中国14億の消費革命〜ネット通販 若者の夢と挫折〜』と、
9日の、にっぽん紀行『オオクボ・ドリーム〜大久保 多国籍タウンで夢を追う〜
(18:10〜18:45NHK総合)がシリアスな内容。
ネット社会が別だてに形成された現代を、そのまま、現れ出したテーマである。
 ネットでハッとすることが何度かあった。Windows10を追加入力をしようと、
家電で買ったソフトを入力しようとするが、私には難しい。そこで、ネットで、
マイクロソフトに質問を入れたと同時に、顔写真が出てきて、「その問題を
3500円で請け負います」と顔写真入の画面が出てきた。しかし数日後に、次男が
正月休みに帰ってくるので、それから考えようと応じなかった。(で、息子が、
アッサリと解決をしてくれた)それより、マイクロソフトへメールにヒットして、
即座に解決の見積もりをしてくる情報ネット世界に驚かされた。ヤフーのブログ
に、パキスタンのフンザ村の写真を載せたところ、何時の間にか、ネット上に
乗っていた。(検索に フンザ 写真と入れたところ、その中に何枚かが、何と
私の撮ったもの)。
   〜まずは『『中国14億の消費革命〜ネット通販』より〜
≪ 経済成長の鈍化で、「世界の工場」から構造変換を迫られる中国。
 いま新たな成長の起爆剤と期待されているのが、ネット通販(EC)である。
2015年の販売額は約60兆円余り。アメリカを抜き、世界一の通販大国に
急成長した中国が考えているのが、ネット通販を通して、今まで豊かさから取り
残されてきた「6億人の農村人口」の購買力を目覚めさせること。いま政府は
“14億人の消費欲”を1つのテーブルにのせようと大号令をかけている。
番組では、急増する“ネットショップ村(淘宝村)”の現場に密着。
 そこは村全体がネット通販のプラットフォームになっており、年間の売上は
約670億円にも達する。全国からやって来た若者が次々とネットショップを
起業し“現代のチャイナドリーム”を目指して、激しい競争を繰り返している。
さらに、中国政府は、民間企業と協力して、広大な国土の隅々に4万ものネット
通販のサービス拠点の設立を計画。高齢者や農民に、肥料や日常品、農具までも
ネットで購入させることで、新たな消費革命を起こそうとしている。14億の
消費革命で、農村は、中国は、どう変わるのか? 新たな夢を抱きあがく若者
や、政府の戦略を通して、中国のダイナミックな変化をみつめていく。≫
―――
▼ 中国人の特徴に、「流砂の民」という言葉がある。大陸的個人主義の性格が
 強すぎて、まとまりがなく、掬い取っても指の間から落ちていく。半面、友人、
親戚間の繋がりは強い。 そこにネットが持ち込まれれば、中国の強さと弱点が
出てくる。それが農村部の消費拡大に繋がれば、それは膨大なエネルギーになる。
中国は歴史の深い国、ソ連解体の試練を乗越えた?ロシアのように、強靭な国に
なっていくだろう。そして、あの大統領を選択したアメリカの衰弱は更に進む!

・・・・・・
5415,だれもわかってくれない ー��
2016年01月11日(月)
      『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著
   * パワーレンズ
 パワーを有効に引上げるには、よりパワーを持った人やグループに認められる
必要がある。そのためには、対象のパワーアップの手助けが可能と、アピール
する必要がある。企業採用も、昇進が、これである。 社会も、結婚生活も、
パワーバランスで成立している限り、パワーを持つこと、それをデスプレーし、
アピールすることが必要である。 ーパワーレンズー項目の要約よりー
≪ ★ パワーレンズレは、誰でもつけたり外したりするのです.
 ★ パワーを持つ人は、あなたのことをきちんと認識してくれません。
  その理由は多くの場合、相手が自分の目標達成に集中していて、ほかの人
 の問題や考えにまで気がまわらないからです。ショートカットを駆使して
 大まかに理解するので、他者の複雑で微妙な点までは目に入りません。
★ パワーは状況によって変わります。ある時点であなたよりパワーを持って
 いた人が、別の状況ではパワーが低下することもあります。パワーは動的で常に
 変化しているので、「パワーレンズ」は、誰でもつけたり外したりするのです。
★ パワーを持つと、ステレオタイプや先入観により強く依存するようになる。
 パワーのある人に自分を特別な個人として認めてもらうことは至難の業。
★ 大きなパワーを持つ人が他者について的確に理解しようとするのは、それが
 自分の目標達成のために必要なときです。だからこちらが有用な存在、つまり
 相手の目標達成を助ける人になることが大事です。そうすれば相手は、時間と
 精神的エネルギーを使ってあなたを正しく見極めることに意味があると思って
 くれます。 ≫
 ―――
▼ パワーは集中と、その維持の中から生まれ出てくるため、アップ続ける
 には、長年かけること。生きていく必要条件である。そのパワーも、所詮は、
直ぐに消え去る一現象。特に女性の伴侶選びは、一生を左右するため、シビア
なレンズになっている。で、一生かけてパワーを吸取られる浮世の無限地獄。 
結果、自律神経失調症など精神がやられる。その対策として、独りを楽しめる
ライフワークが必要となる。一番、手っとり早いのが、読書だが・・
・・・・・・
5050,生と死をめぐる断想  ー4
2015年01月11日(日)
   * 免疫学者・多田富雄の受苦
 7〜8年前、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を
取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を
「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。
「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。
  ーその辺りを抜粋するー
≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。
1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を
著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。
2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、
言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、
字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを
奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。
利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを
口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が
打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく
遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な
生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。
初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。
まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な
そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。
自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・
 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき
転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め
て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も
できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも
はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが
見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。
 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。
【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。
  私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫
▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した
 実感がある。それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」
のように宙に浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナー
のエネルギーの風でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』
と、呼ぶことにした。コヤツ、晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、
過去未来に平気で飛んでいく。そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。
・・・・・・
4685, 10年日記
2014年01月11日(土)
 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、
これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、
その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 
そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 
「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。
《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー
 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、
5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い
切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。
10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅
になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して
みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想
日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。
この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、
10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。
更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を
仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』
年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年
経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 
今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、
結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている
ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、
書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。
これも加えたいが・・・ 》
▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている
 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」
であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。
忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて
「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、
よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった?
・・・・・・
4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6
2013年01月11日(金)
     「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著
 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる
心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して
いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。
人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている
と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある
≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が
 ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、
たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、
「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。
ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、
殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、
殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。
・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の
少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。
‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、
几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん)
魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、
自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向
の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を
していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より
数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、
その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい
課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫
▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い
 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、
まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」
という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から
見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。
それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは
石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か
知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大
津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく
ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 
ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・
ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 
純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 
これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、
そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう
思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは
魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。
 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、
実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。
この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば
良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 
どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、
みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、
「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。
そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。      
・・・・・・
3943, 閑話小題
2012年01月11日(水)
    * つれづれに ー不況景色
 このところ急に身の回りが寒々としてきた。自分の状態が状態だけに、そう
見えてくることもあるが。私の甥っ子が「メガネ・スーパー」に努めているが、
先日、検索すると、株価が100円を割っており倒産の瀬戸際とあった。
銀行の株式相場を見ていたら案の定、震災地の銀行の幾つかの株価が50円前後。
あの「みずほ銀行」も100円前後。マスコミも情報コントロールをされ、
そのことを取り上げない。20年以上、屋敷内の貸家も空家になって三ヶ月目。 
3月、4月の転勤時期に入居を期待しているが、どうなることか? 
現在、消費税アップが問題になっているが、前の事業を考えてみても、消費税が
10%になったら借金ゼロでも存続は無理。これは他の多くの事業でも当てはまる。
増税を反対をするのは分かるが、国の税収が激減し、収入が支出の半分以下なら
上げざるをえない構図になっている。現在の日本国内では金を使わない算段は
いくらでもある。これでは貧乏症の日本人の消費マインドは、大きく冷え込み、
長期の景気低迷になる。 世界的な経済の氷河期に入った。昨夜もNHKのクローズ
アップ現代を一時間延長して、欧州危機、世界恐慌危機についての放送していた。
また先日も東北被災地の失業問題の特番を組んでいた。これが数十年も続く?

  * バンジージャンプの命綱が切れた
 ニュースで、南アフリカのボツナワ国境にあるザンベジ川のバンジージャンプ
で、飛び降りた若い女性の命綱が切れ落下、落ちていく映像が報じられていた。
それでも奇跡的に助かり、自力で川辺に泳ぎ着いたという。よく助かったもの。
人間が川に飛び込んで助かる限度が40Mというから、一度バンドした後に
紐が切れた高さが、40M以下だった為に、奇跡的に助かったことになる。
打ちどころが少しでも悪かったら、もちろん即死である。これまで、飛び降りた
人が5万人、その一人に私も入っている。これまで、紐が切れたりした事故は
無かったという。それにしても私も50歳で、よくやったものだ。
・・・・・・・
3578, 10年一昔というが ー2
2011年01月11日(火)
 この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで
ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に
ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。
更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、
ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。
これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。
この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。
 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー
1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争
3、ネット社会の出現      4、デジタル機器の飛躍的進化
5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む
6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ
7、アメリカで初の黒人大統領が選出 
8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 
9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される
10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる
 この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、
たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは
想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化
の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。
それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、
それほど長く続かないと見るべき?


5779,閑話小題 〜年初に、つれづれに

2017年01月10日(火)

 
   * 何? アメリカ 世も末かい!
 日本国の事実的宗主国の当主が、隠れ極右の泡沫男に変ったら、どうなる? 
気違いに刃物とは、このこと。これでは 今年は去年よりも大荒れになる。 
去年が英国のEUからの離脱と、米国の泡沫候補トランプの大統領の選出。
その裏に、ロシアのプーチンの策謀があったというから…お粗末もいいとこ。
オバマが80点なら、20~30点程度の泡沫を大統領に選ばせたのだから
米国も地に落ちたもの。 ちなみに、小ブッシュは40点。
支持をした中・下層の白人が一番、圧迫されるというのに…これは歴史的惨事。
まずトランプが不動産屋ということ。長期ビジョンが少しはあるが、実業家の
本能で、目先の実績を優先する習性が染みついている。その上に平気で嘘をつく。
世界政治を大きく左右するアメリカ大統領には最も向いてない人物。それさえ
理解できないのが中・下層の白人の程度。低劣なハリウッド映画並の物語の
様相である。まず年末まで重大な隠された問題が出てくる? それもプーチン
の仕掛けで…? 来年の夏までは持たない? 二流俳優上りのレーガンは、
レーガノミクスで対応したが、後始末が、それは大変だった事実がある。

  * 大相撲が始まった
 大相撲が始まったが、この数年、腕白相撲上りの個性的な力士が出てきた。
「正代」が関脇に、「遠藤」に加えた「北勝湖」と「御嶽海」が上位に顔を並べ、
新潟出身の「小柳」が十両上位に上がってきた。これに小兵力士の数人が加わる。
昨年末の全日本相撲選手権、全日本学生相撲選手権を見ると、モンゴル人、腕白
上りの将来性のあるのが何人かいる。 腕白相撲上りは、子供頃から基本が叩き
込まれている。しかし、大陸系のモンゴル人と骨格が違う。 
 ところで、目先の今場所はどうなる? 白鵬が本命?。相撲に対する姿勢が
他とは圧倒的に違う。ただ強いだけでなく、強靭の精神力・人間力があるが、
土俵年齢が賞味期限を超えている。それにつけても、女子供のファンが多い。

・・・・・・
5414,閑話小題 = 寒い朝〜つれづれなるままに
2016年01月10日(日)
   * 寒い朝〜つれづれなるままに 
☆ 北朝鮮が、再び核実験をおこなったが、水爆ではなさそうだ。
 今のところ不明だが、年明け早々、イラン、アラブの国交断絶や、
世界的の株式の暴落などを含めて世界は更に混沌としてきた。
米国大統領の最後の年もあって世界の混乱に拍車がかかる年になる。
☆ ロシア、中国、欧州、米国の、どこから発火しても、その火の手
 は一瞬に世界を駈け回る。原油も暴落、30ドルを割りそうな気配。
ロシア、中東など資源で潤ってきた国々も、これで資金が不足すると、
それが戦争やテロの火種になって難民を輩出する。
☆ 積雪、多ければ多いで大変だが、無ければ無いで、水の循環に
 狂いが出る。オゾン層の破壊による地球温暖化は深刻だ。
☆ 年賀葉書が例年どおり、毎年、差出した人から、そのまま届いた。
 現役時代は個人宛てが70通位だったが、今では50数通に減った。
☆ 小学校時代の恩師から、『自分史』が送られてきた。
 30年前に頂いた個人史は18pの小冊子だが、これは、一冊の本。
先生の信条は、「話すより、手紙を書く」で、筆や、ペンでスラスラと
書かれた手紙は、それだけで、一つの作品のようである。 私は、
この随想日記を墓場と見立てて、個人史的なことも書いている。
分類が項目が、目次にして、駄文を切取って、構成すれば、本になる。
 まず母親の残した『自分史』を送ろうかどうか? 思案中!
☆ 今日から大相撲が始まる。一時、熱が冷めていたが、不祥事後は、
 ガチンコ勝負の徹底で人気を回復させている。
人気回復に、若い女性の取り込みを戦略にしたこともあるが、観客席に、
その姿が少なく、中年女性が目に付く。

・・・・・・
5049,生と死をめぐる断想  ー3
2015年01月10日(土)
   * 死に対する恐怖 ー岸本英夫氏の場合
 宗教学者の故・岸本英夫氏が、東大教授であったアメリカ滞在中の1954年に
悪性の皮膚癌のが発見され、余命数ヶ月と宣言され、10年にわたる闘病生活で、
常に死を見つめてきた。〜『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』から
≪「人間にとって何より恐ろしいのは、死によって今持っている『この自分』
の意識がなくなってしまうこと。 死の問題を突き詰めていくと、それが
『この今意識している自分』が消滅することを意味すると気がついた時、
人間は愕然とする。 これは恐ろしい。何よりも恐ろしいことである。
身の毛がよだつほどおそろしい。死後の生命存続ということが、煎じつめると、
その一点にかかっている。何とかして、「この自分は」いつまでもその個体意識
をもちつづけうるということが確かめられればと願う。 これが近代的来世観。
 しかし、どうであろう。死によって肉体が崩壊すると、感覚器官や神経系統も
消滅する。脳細胞もまったく自然要素に分解してしまう。生理的構造が何もなく
なった後で、「この自分」という意識だけが存在することが可能だと考えようと
するのは、相当に無理がある。これは近代においても、人によって、その見解の
異なるところがあるように思われる。私自身、はっきりいえば、そうしたことは
信じることはできない。そのような考え方はどうも、私の心の中にある合理性が
納得しない。私の心の中の知性は、そう考える。≫
▼ 世界中の宗教を研究する岸本英夫。「世界の生命が何らかの形で死後も続く
と主張するところが共通する」が、そう信じて死んでいくことに否定しないが、
彼自身は、それを受けいれることが出来なかった。 死によって、肉体が崩壊
すれば、脳細胞も消滅する。生理的構造が無くなれば、「この自分」の意識
だけが残るというのは相当無理があるのではと。死後の世界を否定するのは
苦痛を伴う。その結果、自分がどこに行くかを問わない、というもの。
死後の生はないと決め、人間が与えられている今、この命だけと思い定めて、
「この自分」が確かに存在している生の期間に集中する。身の毛がよだつ
死の恐怖も、充実感に溢れる生き方をしていれば克服できると、彼は言う。
 その後、死は「別れのとき」という考えに到達する。人間が別れを経験し、
耐えることができた別れの、より大きく全体的なものだと。 そこまで、
心が到達して、平安を得る。私自身、父親の「生命飢餓状態」を、一年間、
身近で見ていて、父親が、煩悶の中で教えてくれた人生と、その結末。
【元気なうち、生きているうちが花! 死んでしまえば、それまでよ!
ただひたすら毎日を楽しめ!】に、深く納得する。死んで花見ができようか!
 で、以下の一年、二年前の文章につづく! 偶然だが、そういうこと。
・・・・・・
4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2
2014年01月10日(金)
         〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 
   * 私の体験例より・・
 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが
多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 
新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を
始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を
任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島
などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。
その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。
おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。
以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで
他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。
考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の
姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた
新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が
開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、
公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには
条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。
それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく
新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が
載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば
儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、
父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。
時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」
二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。
抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる!
予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、
次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、応募しない手はない」
と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると
七万人の十字路の角地の隣接地からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。
そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても
よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、
実家の会社名義で買うことになった。これも、当時の合併した直後の
ジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげ。
 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、
焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を立ち上げ、無我夢中で
取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、
長岡に帰ることになった。 これも私にとって大きはチャンスになった。
千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。 それが新潟駅前シリーズ
の事業資金。 まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、
思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 
 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、
この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。他人を傷つけ、銀行の担当
から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのもの
じゃないか?」と詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。
10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂(全身全霊の
エネルギー)だけ。言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 
事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 
般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視?
 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 
人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。
・・・・・・
4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5
2013年01月10日(木)
      「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                    ーダニエル・ギルバード著
   * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −�
 お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧に
なってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、いつも金銭哲学を聞いて
育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。その一つが、時節ごとに
使うべき金は使うべし、残しても、後でみると不安を具現化した残物でしか
ないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。
財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。
で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、それが正解。
満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、
それがベースになっている。
  ーその辺りを抜粋するー
≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに
決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、
誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に
左右される。そのため1000ドルの利益は、たとえ額は同じでも、金持ち
より貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」 富そのものは幸せに
関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには
興味ない。あるのは、こうした形態の富がもたらす、満足や喜びである。
賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。
お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。
人は絶対量でなく、相対量に敏感である。しかし効用を推定することは難しい。
それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、
心の中で自分を未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に
尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、明日に一歩
足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、
出来事が起こる前にそれを経験できる能力のおかげで、我われは誤りをおかす
ことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。
 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧から
ほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、実現しない細部を穴埋めを
し、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていること
を無視できず、あとで起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。
しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を凝らして
みたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる
脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、かならずしも導いてくれない
としても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫
▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感
 してきた。その効用(価値)は、経験と情報でほぼ予測可能である。
その上、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった
細部をプラスして見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに
余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、
振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。その時々を最大限、
楽しんでいた。 人生は、それでよいと、この歳になる身に沁みて思える。
ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。面子は面子で、それも可愛い。
 ・・・・・・
3942, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー2
2012年01月10日(火)
     「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 
                            水野和夫著
  * 事実は真実の敵である
‘はじめ’の次の言葉が、この本の全てを要約している。
≪ 我々がシュミットのいう「世界史」の終わりに近づいているに一刻一刻と
 近づいているにもかかわらず、その認識がなく、グロバリゼーションを
「ヒト、モノ、カネが国境を越えるプロセス」と考えて資本の反革命の片棒を
担いでいる。・・ 「事実は真実の敵だ」といったのは、ミュージカル
「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたD・ワサーマンである。
グロバリゼーションの「事実」とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える
自由な移動」であり、その「真実」とは、帝国システムをなす中心と周辺を
結びつけるイディオロギーである。≫
▼ ここで、二つの経済震災と、一つの自然震災を著者は「近代の自己敗北」と
「歴史における危機」とみる。近代は、過去の遺産を食い潰し、未来の利益を
横取りをしたと看破している。現在の日本のy財政や年金を例にみても、その
ことが納得できる。ヒト、モノ、カネの移動をグロバリゼーションの事実だけ
みて、その真実を知らないと、近代科学のもつ恐ろしい力に飲み込まれてしまう。 
その上に、ひとりひとりの手には、高性能の情報端末を持つ時代になっきた。
情報化社会でグローバリゼーションを止めることは不可能。 
グローバル化は金融や情報だけでない、細菌なども含まれる。
今回は大地震と津波、そして原子力発電の破壊が重なった大震災だったが、
鳥インフルエンザや、狂牛病などの細菌汚染もあるから、ことは重大になる。
それぞれの地区、国内の問題が、一瞬に世界に広がってしまう危険が増した。
帝国システムをなす中心だけでなく、最悪の問題にとって変わって世界の周辺
各国に結びつける作用になる。これこそ、グロバリゼーションの事実であり、
真実といえるのである。 従って、この本のテーマの「終わりなき危機」が
グローバリゼーションの真実ということになる。インドや、中国のような膨大な
人口を広い国内に抱えている国が、最後に生き残ることになるのか? 
グローバリゼーションは、それぞれの文化を破壊する。
それが一番、恐ろしいことである。 きしくも、下にある二年前の
「一〇〇年前の世界一周 ー2」の文章が、それを語っている。
・・・・・・・
3577、10年一昔というが ー1
2011年01月10日(月)
10年一昔というが、それにしても激しい変化である。 
 10年前の2001年といえば、
・前大統領のブッシュがゴアに僅差をつけて大統領になり
・9・11テロが発生、アルカイダと断定し、アメリカは
 アフガン攻撃をし、タリバン政権は崩壊した。
・国内では、小泉が「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」
 などのフレーズで、首相に就任。 田中真紀子が外相になったが、
 直ぐに能力に問題ありと失脚。
・イチローが大リーグのマリナーズに移籍、豪語したとおりにMVPを獲得。
・この年に、アップルがiPodを発売し、携帯デジタル音楽プレーヤーが
 爆発的に売れ始めた。
・皇太子妃に第一子の愛子様が誕生。
 これが21世紀の幕開けであった。
 それから、ブッシュはアフガンに攻撃の後、イラクに侵攻、泥沼に入った。
 そして、リーマンショックという大事変が起きてしまった。
その結果、失われた10年をそのまま引きづり、失われた20年と日本経済と
社会は疲弊してしまった。首相は、小泉の後、一年ごとに交代し、現在に
至っている。その間の失政による混乱は、あまりに悲惨である。戦後、
間接的アメリカによる統治で日本そのものが骨抜きにされたことは言う
までもない。小泉元首相の改革で垣根が低くなったが、格差は拡大。
これも仕方がないこと。


5778,閑話小題 〜瞬間瞑想の方法

2017年01月09日(月)

  * 瞬間瞑想の方法
 ヨーガでは、いろいろな場面を思い起こし呼吸に集中する瞑想がある。
たとえば、「寄せては返す波の音」「山の向こう側に昇る朝日」「澄んだ空を
飛んでいる白い鳥」「海を照らす大きな満月」など。これらを、私たちは
自分の経験に伴ったイメージを持って忘我の状況に入る。
私には、「寄せては返す波」のイメージが良く、一瞬で瞑想状況に瞬間に導く。
 呼吸から入る瞑想で、寄せる波が「呼」で息を吐出し、返す波が「吸」。
これをイメージして呼吸すると心が休まる。4〜11月の8ヶ月間、自転車で信濃川
の土手架かる二つの大橋を一周して帰ってくる。その時に、対岸にあるベンチで、
数分、川を挟んだ岸辺をボーッとして眺めているが、これも瞑想の一種?
それと、大橋を1k、ヒキチャリウォークをするが、これも似たような状況。
更に、ベッドでTVを見疲れた時に、Ýoutubeで「瞑想音楽」を楽しむのも瞑想? 
夜半の0〜4時までの「死者のポーズ」も、瞑想タイム。
 瞑想のキーワードから、様々の思い当たることが出てくる。般若心経もしかり。
これを唱えている忘我も、瞑想タイムになる。瞑想も妄想も、現在の私にとって
同じようである。で、これが日常になると耄碌してきたと評される。
耄碌とは瞑想状態が平常となると、これも悪くない? 阿保違いまんねんパーの
世界ですか。これは… 世間、世界からの解放。生からの開放、因縁からの開放!
 としても、確かな自分が、世界があればこそ、言えること。パーでは無理か。
 
・・・・・・
5413,だれもわかってくれない ー��
2016年01月09日(土)
      『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著
   * 信用レンズ
  まず、この3つのレンズを簡潔に要約すると・・
・信用レンズ: 初対面の相手を評価する際に働く、温かみと、
      それを伝える能力が大事。誠実でウソをつかないこと。
      話しをしている間、目を逸らさないことがポイント。
・パワーレンズ: 会社における上司など権力者が持っている認知の特徴。
      例えば、「私にとって役に立つことを示せ。さもなくば消えろ」
      「自分を守ってくれるパワーがあるか」
・エゴレンズ: 自分の過去の意思決定や立場を守るための認知の特徴。
      このレンズの目的は、ただ一つ、自己肯定感を守ったり、
      高めることが可能かどうか。このお陰で、私たちの殆どが、
      自分が平均より賢く、魅力的で、道徳的に優れていると
      思っている。したがって、何かうまくいけば自らの実力と思い、
      うまくいかないと、状況や誰かのせいだと考える
 ー他に ・予防レンズ: 失敗を回避することに重きをおく特徴。
      慎重でリスクや問題がよく見える。
     ・促進レンズ: チャレンジして成功することに重きをおく
      のが特徴。リスクが見えづらく、楽観視しがち。
  誰でも、今より良い暮らしを手に入れることと、今あるものを守る
  ことの両方を同時に望むが、どちらかに偏るもの。
  一番大事なことは、ある人にとって「向上すること」だが、
  ある人にとって「安全であること」。
ーー
まずは、「安全で、安心できる相手かどうか?」の「信用レンズ」より。 
 そのポイントを、以下のように上げる。−P130−
☆「信用レンズ」= 初対面の相手があなたを見極めようとするときに
 最初に考えるのは、「信用できる人間かどうか」ということです。
 早く言ってしまえば、「敵か味方か」ということです。
☆ 人を信用するかどうかの判断は、ほぼ完全に無意識のうちに行なわれ、
 それは「人間的温かみ」と「能力」の印象に基づきます。「温かみ」は、
 相手の味方になろうとしていることの表れで、「能力」はそういう意図を
 実践できることを意味します。
☆「温かみ」を伝えるには、相手に注意を払います。話している間は目を
 合わせること、微笑むこと、うなずいて理解を示すことなどです。
 またそれが適切なら、共感を示したり相手を気遣つたりします。
 一番大事なのは、誠実でウソがないこと。こちらが先に相手を信用して
 安心させることも、場合によっては効果的です。
☆ 目を合わせるというのは、「能力」を示すことにも有効です。そして、
 背筋を伸ばして座りましょう。個人的な心配事などをやたら話しては
 いけません。あまり卑下するのも、自慢もよくありません。少々謙虚な
 くらいにすると、相手は感心してくれます。自分をあまり有能だと
 思えないという人は、「パワーポーズ」を試してみてください。
☆ リーダーとして部下から信頼と忠誠を得たいと思うなら、
 「能力」よりも「温かみ」のイメージを優先的に発信することです。
 ーー
▼「だれもわかってくれない」のは当然のこと。少しはわかってくれて、
 友人で、わかってくれなくとも、一緒にいるだけでホッとするのが親友? 
この3つのレンズは、大方、直感で判断するが、この選定の結果、過半数
以上が、間違いだったことに気づき、『男(女)運が悪かった!』と嘆く。
運が悪いのでなく、頭が悪いだけだが、その自覚がないから始末が悪い。
その鬱積を周辺の噂話の創作に向けるため、ガスが湧くヘドロのドブとなる。
挑戦、変化、戦い続け、脱皮しないと、肥大し歪んだ、あの世間人に陥る。
・・・・・・
5048,修羅場の極意 −2
2015年01月09日(金)
                 『修羅場の極意』佐藤優著
   *「夫のアル中」と「カネがない」のが最大の修羅場      
  西原理恵子との対談の表題にある『修羅場の極意は、「最悪」の
 シュミレーションをすればよい』だが、修羅場はいつ来るか、どういう
 状況の下にくるかもわからない。準備のしようがないように思えるが、
 長期的な体質づくりは可能である。そこで、自分が何をしたくて生きて
 いるのか、を明確にして、優先順位を決め「最悪」状態になっても「やる」
 と決めれば、何とかなるもの。 ーその辺りからー  
≪ 佐藤 西原さんの最大の修羅場はいつですか?
西原 戦場カメラマンだった夫がアルコ孟依存症で、家の中で暴れていたとき
 ですねアルコール依存症って大変な病気で、理性が吹飛んで、野生の生き物
 みたいになっちゃう。だから強い者にはペコペコして、弱い者は徹底的に
 いじめる、という動物のような人格になってしまう。二十四時間、私のことを
 罵倒していました。私はアルコール依存症という病気の知識がなくて、この人
 は著しく性格の悪い人だと思い込んで、二人の子どもを守るために離婚した。、
佐藤 酒は怖いですよ。僕もロシアで山ほどアルコール依存症の人を見ました。
 あの国は男の平均寿命がものすごく短い。64歳くらいです。そして、死因に
 ウオッカが関係しているケ支が多い。アルマル依存症による内臓疾患だけで
 なく、酔っ払って交通事故や機械に巻き込まれる事故も少なくない。
 またはアルコール依存症に関係があると思われる自殺も多い。
西原 アルコール依存症患者の生還率は二、三割とされています。
佐藤 でも旦那さんは帰ってきた。
西原 そうなんです。治療を終えて、「ただいま」って帰ってきた。
 最初は怖くて目も合わ軸せられなくて。でも二日目くらいで結婚する前の優し
 かった頃に戻っていることに気づいた。 
西原 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。病気に
 ならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、この世の中
 には存在しません。そのとき専業主婦だったら家の中は滅茶苦茶になる。
 夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、家庭は修羅場になります。
 専業主婦は極めて危険なお仕事です。夫を治すために莫大なおカネがかかり、
 半年後にちゃんと死なせるためにも莫大なお金がかかりました。
 最大の修羅場はおカネがないこと。おカネがないと、たいていの人は獣に
 なってしまいます。おカネがないと男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる
 危険性が高くなる。
佐藤 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シミュレーションしておくと。それで、原因を理性的に分析して、その危険が
 ある芽を潰していくということですね。これはすべてのことに応用できる。
西原 子どもを東大に行かせようなどと高望みしない。いい子に育てようといった
 漠然とした理想も描かない。最悪の危機管理から逆算するのであって、上は
 想定していません。
西原 人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身につけば
 いいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。それと、
 女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、それさえ気に
 しないで生きていける強度があればいいと思っています。 ≫
▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、
 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで
 おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを
 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい!
 だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター?
 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態
 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。
・・・・・・
4683, スマート革命 ー4
2014年01月09日(木)              
              「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
  * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません
 あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を
読むまでは知らなかった。半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行
を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。今では
中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。ーその辺りから
《 既存SNSのミクシィ、既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。
 ミクシィは2013年4−6月期が赤字となっただけではなく、通期の赤字見通しを
発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、
200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、
スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)への対応が後手に回ったという
指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。
一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの
新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、中国では微信、韓国はカカオトーク、
米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップなどが台頭。
筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、
多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに移って高速で指を動かして
入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って
高速で指を動かすと言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 
全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの組み合わせ」
が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型
ソーシャルゲーム」を滅す原因となるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに
基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか?
筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」
(仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、国内のフェースブックとLINEの
企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字
になっています。調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・
 ローソン  フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人
 Au  フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人
 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人  
LINEが優位であり、1桁違いますね。大手企業はマーケティング、広告投資を
フェースブックでこれからも続けるでしょうか? また初のインターネット
選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。
この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。
明らかに日本のLINEが先行しています。米国で対話アプリが本格的に広告を含む
企業マーケティングに乗りだしたらフェースブック収益は足元を揺さぶられる。》
▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目
 されたが、その内容はリアルそのもの。先日、一年ぶりに新潟のSEをしている
知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、
若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後には
スマートフォンとタブレットPCの変化がある。更にメガネ型PCなどの装着式PCが
普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。 動きは激しい!
 ・・・・・・
4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4
2013年01月09日(水)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                      ーダニエル・ギルバード著
  * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー�
 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に
移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、
あまり変わりはしないことに気づかない。ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。
≪ ・・何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろうとし、
相手はできるだけ安く買おうとしただろう・・ 
 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと
思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する
科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年
にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、
赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め
ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル
の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より
ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな
国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな
国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用
逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に
あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は
増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。
ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。
でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに
働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。
われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ
をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の
チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり
食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力
をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが
一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、
どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や
装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、
いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ
は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける
のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫
▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の
 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。
それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、
常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。
だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。では中流と上流との幸福感は、
どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は
思いのほか大きい。中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも
買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。
  一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。
心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。


5777,福田恆存の「私の幸福論」〜��

2017年01月08日(日)

              「私の幸福論」福田恆存著     
   * 快楽と幸福 ーA
『面白かったから、まあ、いいや』
『折角、大よそ80年の地球ツアーに○○しに来たのだから、
 深く広く味わい尽くさないと、勿体ないじゃないか』
の内語を呟いている自分がいる。これは快楽主義に影響されてのこと? 
私のレベル?からみて、数ランク上のスケジュールをたて日々を過ごして
いるが、これが慣れれば快適そのもの。 賢者の快楽主義の、「見とおしを
きかし、よく計算する」ことを意識した構成ではないが、少し近い感がする?
そうもしないと、老人性鬱病か、分裂症、痴呆症に陥る危機を実感するため
実践しているが、慣れてしまえば、快楽まではいかないが、快適である。。
その結果、更に徹底した唯我独尊の個人主義者になっている。
   〜その辺りを抜粋
≪・私たちは疲れないように歩かなければなりません。疲れるくらいなら、
 歩かないほうがいい。しいて目的地を定めて、そこに到達するために、
肉体を酷使するなど、ばかげた話ですし、また悪でもあります。目的は先に
あるのではない。歩くことそのことのうちに快楽が見いだせないくらいなら、
歩かないほうがいい。目的は未来の到達点にあるのではなく、現在の歩く行為
そのもののうちにあるということになります。得られるか得られぬかわからぬ
未来のために、現在を犠牲にしてはならぬわけです。

・私たちは、自分の欲望を真に知ってはおりません。ただ禁じられているがゆえ、
その枠を破ることにのみ、自分の欲望があると錯覚している。 (中略)…
はてしもない欲望に、いいかえれば、つねに求めて得られぬ不満というものに
絶望してしまいかねません。そして、自暴自棄になり、いよいよ快楽からは
遠ざかるというわけです。

・どんな賢者なら「見とおしをきかし、よく計算する」ことができましょうか。
自然と人間との間の、他人と自分との間の、さらに自分のなかの無意識と意識
との間の、さまざまな欲望の衝突に直面して、誰がすべてを見とおし、これに
決定的な裁きをつけることができるでしょうか。一人の個人に、それだけの
大事業が可能であるとは考えられません。

・すべてを見とおし、よく計算することが、個人の力にあまるとしても、
自然科学や社会科学の助けを求めれば、それがなんとか可能になりはしないか
ということであります。大ざっぱにいえば、それは正しい。
が、その科学的方法もまた、なにものかに笑われることがないのだろうか。
人生を、そして社会を快適なものにするということが、現代では最高の
「美徳」になっていはいないでしょうか。    ≫
――
▼ 何か、見透かれているような内容である。以前、「歩行とダンス」という
 テーマで書いたことがある。(以下、参照) 両親がことあるごとに、言って
いた、「好きになるまで集中し続けなさい!」と同じ。「旅行」と「旅」の意味
あいに似ている。「旅」は、行くまでのプロセスに価値をおく。振返れば、長い
「旅」だった。エネルギーを入れた分だけ、そのまま返ってきた。踊りは快適で
快楽で、見通しも計算もないからこそ良いもの。泣いても笑っても同じ空である。
――

2001/12/21
[164] 目的と手段

目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。
‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。
営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、
営業が反対に手段になってしまう。
何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。
手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。
といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。
以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシ。
目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。
ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。
至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、
イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。
どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性
とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、
いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。
目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって
逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか?
ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、
自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。
馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー
ーー
H0609歩行とダンス
 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が
面白かった。“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。
ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。それではドア
に向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。
非常に含蓄のある面白い内容で、人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容。
今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・
ダンスをして、ドアまでいってやれ”と一人笑った。
大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく
“私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間
でまわってくる。それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”
当意即妙であった。ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンス
としてリズムをとりながらパターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに
向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れて
しまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。
そしてその反対に逆の人も。

・・・・・・
5412,だれもわかってくれない ー��
2016年01月08日(金)
     『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著
  *「信用レンズ」「パワーレンズ」「エゴレンズ」
 世間とは、一般的に、個々の立場から延長する人間関係を言い、
本人、家族、近所、その知り合いと広がった人たちの繋がりを総称する。
人間は複雑で、この3つをベースにした歪んだレンズを通した世界に住む。
 個々人にとって、それが現実で、全世界になるが、それを客観視できない
ため、小さな世界から一歩も外に出ることが出来ない世間という名の牢獄で、
一生を終えることになる。  そのレンズを、著者は、「信用レンズ」
「パワーレンズ」「エゴレンズ」の3つに分けて、ここに前向きな
「促進レンズ」と、後ろ向きの「予防レンズ」を加える。のっけから、
そんなレンズの視線を気にしないで、自分のレンズを冷静にみて、
生きていくべきだが、これが難しい。
 〜アマゾンの内容より〜
≪ そんなつもりで言ったのじゃないのに、勝手にそうと決めつけられたり、
 自分では笑顔でいるつもりでも、だれも話しかけてくれなかったり…。
こういった「誤解」は、オフィスでも、学校でも、家庭でも、老若男女関係
なく、つねに起こる問題です。ところが近年、その仕組みは科学的にかなり
解明され、予測することが可能になってきています。社会心理学の研究に
よると、人は育った環境や性格によって、大きく3つのレンズ「信用レンズ」
「パワーレンズ」「エゴレンズ」をつけ世の中を見ていることがわかりました。
あなたがコミュニケーションしようとしている相手はどのレンズをつけて
いるのか、あなた自身はどのレンズを通して相手を見ているのか、まずは
それを理解することが、スムーズなコミュニケーションにつながる秘訣だと、
著者は言います。 本書は、モチベーションと目標達成分野の第一人者で、
コロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとる社会心理学者が、誤解の原因と
解消法について具体的事例を挙げながらわかりやすく解説した実践的な1冊。≫
▼ この3つのレンズで、世間の視線を分けると、その嫌らしい縄目が透けて
 見えてくる。多くの人が、この歪んだレンズの共同幻想の飼殺しで終わる。
 3つのレンズを、連れあい相手を探す時のレンズと例えると、解りやすい。
・一生の伴侶として信用してよいか、温かみがあるか? 「信用レンズ」
・自分の望む生活を維持できるパワーを持っているか? 「パワーレンズ」
・我がままを許容してくれるか?のレンズで、相手を見定める。「エゴレンズ」
ライオンの群れが、ボスライオンが失踪したとき、メスグループが、新たな
ボスを選定するプロセスを映しだしたTVドキュメントを見たことがあった。 
メスにすれば、外部の強いオスにボスが群れから追い出されれば、子供は
皆殺しになるため、ボスの選定は当然、厳しくなる。これが人間社会だと、
一つ間違えると、一生をボウにふることになる。「貴方の事など誰も解って
くれない!」 そこで、努力をするか、壁をつくるか? どうでもいいか?
・・・・・・
5047,閑話小題 〜全人類と全アリンコの重さは同じ
2015年01月08日(木)
  * 全人類と全アリンコの重さは同じ
 どうでもよい話だが、全アリンコと全人類の体重は同じぐらいで、地球上に、
一京(一兆の一万倍)のアリが存在し、他の昆虫の総体重の10倍はあるそうだ。
ケニアの草原にはアリズカの山が延々とあり、それを餌にするアリクイという
動物までいる。 アリには奴隷アリもいて、他のアリに強制的に働かされている
のもいる。地下に葉っぱを発酵させ、コケを栽培させているアリもいる。
ある意味、地下社会の支配者でもある。
  * つれづれに 〜アベノミクスって大丈夫? 
 犬も歩けば保守にあたる、って感じになってきた。景気と国勢が右下がりも
あって、20数年かけて総中流社会が総下流に下がっている。世界全体が
重苦しく停滞していく中、不安心理の裏返しなのだろう。アベノミクスの金融
緩和で、株高、円安、物価高に重心が動き出したが、地方には景気浮揚の実感は
なく、どんよりとした黒い雲が、覆いかぶってきた。 隠居の身、40年以上の
緊張感から開放され、フワフワ浮いたような毎日。それが思いのほか良くもある。
そして原油が50ドル以下とは驚き!ロシアなど輸出の8割を占める資源大国は
一挙に変になってきた。ちなみに、最近、モノを買わなくなった。買わなくとも
済むからだ。税収の二倍の国家予算で、国の借金が国民一人当たり7百数十万と
いえば、誰もが不安になろうというもの。目先を、6年後の東京オリンピックに
向けて何とか乗り切ろうというのだろうが。
・・・・・・
4682, スマート革命 ー3
2014年01月08日(水)    「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)       
  * エッ 自動運転の車が近未来に販売?             
 スマートカーの現時点の究極は自動運転。それが7〜8年内に発売予定の
ニュースには驚いた。以下は著者の内容だが、この本が発刊されたのが
凡そ一年前。これほど早く自動運転の車が現実になるとは、誰も予測して
なかった。如何に科学技術が進んでいるかの証である。それもあって、
何か、この内容がズレてさえいる。 ーその辺りを抜粋するー
   <ドラマ「ナイトライダー」の夢の実現>
1980年代に国内でもテレビ朝日が放映したドラマ「ナイトライダー」の夢
がスマート革命により実現されようとしています。人工知能の塊である
ドリームカーの「キット」(あの開発用のキットを意味する)と運転手
マイケルとが楽しく会話しながら事件を解決すると言った筋書きでドラマは進む。 
自動車がガソリンから電気自動車へと変化する端境期に当たって、スマートカー
にもWiFiネットワークの根と茎が生えて、各種のサービスをクラウドから持って
来る時代になってます。車のナビゲーションや娯楽は外部からサービスとして
提供される。両手をハンドル操作に奪われた運転者は各種サービス操作を
音声で実施する時代が来ています。そうなればまるで車は人の友達のように
感じられます。日本家電が須らく負け組みに陥る中、センスの良いトヨタは
「トヨタフレンド」のサービスをPHVなどのプリウス向けに開始しています。
ドライバーが「プリ君」(プリウス)に友達申請して会話をする訳です。
「プリ君」は電池切れや最適な充電時間帯をドライバーに教えてくれます。
非常に残念なのは「プリ君」が話さない点ですが、早晩、「プリ君」には
会話力が付加されるでしょう。
  <マウスやキーボード、ブラウザーが不要になる?>
音声処理やジェスチャー処理、顔認識などの擬人化インターフェースの時代
には、機器が人の友達として立ち現れます。(昔、筆者もIBMのオフィス
コンピューターを大型汎用機のハネウエル機に苦労して接続した事がありました
が、その時IBMのS32はハネウエル機を仮想IBM360として認識していました。
技術的に説明するとこうなります)擬人化インターフェースの時代は
ナチュラルコンピューティングの時代とか「ソーシャルロボットの時代
(人が機器を人として認識する時代)」と呼ばれていますが、いよいよ機器が
「現代のピノキオ」に変身する時代がまた一歩深まった。
そうなればマウスやキーボード、ブラウザー、タッチすら時代遅れです。
▼ Googleがメガネ式の情報端末のモニター向け販売を始めた。これが普及すると
 更に世の中が一変する。その意味で、今年は本格的装着式スマート機器の新機種
が表立ってくる年になる。ワクワクする話だが、これが現実の流れになる。
その上に、想像を遥かに超えた知恵を絞ったアプリが次つぎと出現、情報格差が
更に大きくなってくる。こと情報端末に関して、未来予測は、不可能である。 
 まさかスマートカーが現実に?
・・・・・・
4315, 考える力
2013年01月08日(火)
 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、行蔵は大したことはない。
毎日2〜3時間の読書を50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに
我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを積む
機会が少なかったということか。現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、
タブレットでPCゲームを一日に1時間は遊んでいる。26歳からの事業人生、
何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。
 ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。
点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。読書で心を集中し、
その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに
繋がっていたはず。それがマンネリとなると、考えも甘くなる。私の考える力が
ついたのは、この随想日記を書くようになってから。常に何かテーマを探し出し、
小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。
また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくって
しまうと、考えざるを得なくなる。それを習慣にしてしまえば、年月が経つに
つれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が
面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、
己の底の浅さに呆れている。 ある哲学者によると、《人間の脳は
‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。
でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。
これに匹敵する震災レベルの大波は、これからも、次々と襲ってくる。
それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連の
カオスより遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、
他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たるベースが無ければ、他人の
先読み装置の利用など不可能。情報化と、厳しい環境は、考えるにベスト。
カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。
手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、何と恐ろしく、面白いものと、
割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない!
・・・・・・・
3940、新年にあたり ー4
2012年01月08日(日)
  * 御先祖・四四太郎様の警告  ー�
 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。
子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、この津波は世界にとっても
日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。これは80年前の
1930年代の大恐慌と同じか、それより遥かに大きいから始末が悪い。
以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。しかし情報化社会では、
その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きて
いた16世紀あたりから白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり
支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、
300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国
させたのがアメリカである。その後、日本は日清、日露戦争で勝って調子
づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされ
てきた。そのアメリカが、経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のこと。
 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、
覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を
失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の復讐を恐れたアメリカに
骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。
まあ、お前さんも66歳、今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器を
フルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。
 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明
を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい仕掛けが隠されている
のを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が
優位に立ってしまうことだ。これは、最優位のものが、情報により総取りが
可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。
これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も
同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしているグループが実際に存在していて、
情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界を
どうとでも動かせる。まあ、この辺で話は止めておくが・・ 娑婆は御前さん
の想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは
自分の地頭で考えるしかない。要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、
それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。
度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる
評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。 言葉狩りとかいうらしいが、
目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。
あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、
この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ!

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