堀井On-Line



5706,マネー・ワールド � 〜資本主義の未来

2016年10月29日(土)

 第3週の「巨大格差のその先に」が、現在の世界を端的に示している。
社会主義圏が消滅してしまった結果、資本主義の弱肉強食の一強総取りが、
ますます強くなり、貧困層が露出し始めている。日本の宗主国のアメリカが
弱体化を始めた現在、日本は、その影響をもろに受けている。
特に地方経済が惨憺たるもの。 〜その辺りより〜
  ☆ 世界的に巨大格差が広がっている
≪・日本では6人に1人が貧困層で、先進国 30ヶ国中、メキシコ、トルコ、
 アメリカに次いで世界四位に、平均は7人に1人になっている。 超富裕層
 に富が集まり続け、もっとも裕福な62人と下位36億人の資産が同じ。
 現在の世界の人口が約70億人なので、世界の人口の半数の人と62人の
 資産が同じという驚愕な内容。36億人の平均年収が5万円、62人の平均が
 3兆円という膨大な差。世界各国で、この巨大格差で資本主義に対して、
 デモが起こっている。
・その中で、「共有型経済」なるシステムが出来上がりつつある。
 日本でも中古の販売が伸びていて、無料で物をやり取りできるスマホ
 アプリなどが人気。当人にとって不用でもほしい人が案外いるので、
 これを推し進めた経済がどのようになっていくか。
・巨大な格差の実例として、米シアトルでは、テントシティーと呼ばれる
 テント村が市内に8か所あり、公的に認められている。ここ数年、不動産
 が高騰し、仕事があるが住むところがない人が多くいる。シアトルに
 テントシティーなどがあるとは。働いていて、家が借りられないのは、
 日本の地方では考えられない。これに対して、富裕層は、“ビリオネアが
 アメリカには500人いる。
・右上がり社会では、‘シャンパンタワーのグラスからしたたり落ちるよう
 に富が下に分配されるが、低成長になると、そのシャンパンタワーの一番
 上のグラスが大きくなり、下には流れない。「シャンパンタワーのように
 上が満たされれば、下が潤ってくる可能性は高いので格差も必要なことだ」
 という主張があるが、シャンパンタワーの一番上のグラスが大きくなると
 富を全部飲み込んでしまうのが現状」との解説は、わかりやすい。
・日本でも一人親の貧困率が50.8%と世界最高レベル。最近は貧困問題が
 話題に出るが、まだ極貧は少ないが、貧困で子供の進路が選択できない話題
 が、最近多く聞くようになった。
・アメリカで新たな動きが始まっている。モリス・パール(元資産運用会社)
 がパトリオティック・ミリオネアという団体を設立して、「富裕層への増税」
 「最低賃金の引き上げ」を掲げて、貧困層を中間層へ引き上げるための活動
 を始めている。
   ☆ 資本主義経済から「共有型経済」
・アダムスミスが唱えた資本主義の感情で重要なものを「利己心」と「共感」
 を上げていて、共感は相手の不利益にも考えを及ぼすことだと言う。
 この時代、この共感が薄れてきているので、格差が広がっているのでは
 ないかということでした。≫
▼ Amazonで購入する本の多くが新中古本。一度、店頭に並んで返品された本
 だが、新品と何らかわらない。電化製品は、ネット上から買えば、2割以上は
 安い。知恵さえ使えば、現座の日本では何とか生きていけるが、今後は如何
 なることやら。資本主義社会では、社会格差が勤労意欲となり、必要悪と
 されるが、一強多弱が過ぎると社会の停滞を引き起こす。

・・・・・・
5341,女はムズムズ、男はムラムラ 〜身の下相談
2015年10月29日(木)
          ー身の下相談にお答えしますー 上野千鶴子
  * 社会学者の人生相談 
       〜性欲が強くて勉強できません
                   相談者浪人生 女子18歳
 生涯独身の社会学者が、身の下相談とはいかに?である。
まず、目に付いた若い女性の性欲に対する答えが軽妙でよい。 
  〜その相談と返答〜
≪ 18歳の女子浪人生です。私は性欲が強いんじゃないかと悩んでいます。
小さい頃から性に関して関心があり、自分でも不思議でした。自慰行為を
しては嫌悪感にさい悩まされました。今は自分の行為を、自分で理解できる
ようになりましたが、情けなくなってしまいます。何より今困るのは、性欲
が強いために勉強ができないということです。自習室にいるときは別ですが、
家にいるとそういう行為に逃げている気がします。 性に関してはこれから大人
になれば、いくらでもそういう機会はあるでしょうが、勉強は一番やらなければ
いけないことですし、私自身も一番やらければいけないことですし、私自身も
勉強が好ぎなので、そのようなことばかり考える時間を持ちたくありません。
 女性も男性のように性に関心を持ったり、性欲が強かったりするのは当り前
だとは思いますが、私はまだ子どもなのにそんなことばかり考えるのは少し
不謹慎だと思ってしまいます。私はまだ性交渉を持ったことはありません。
いたずらに性交渉を持つべきじゃないという思いが性欲が強いこととつながって
いるのでしょうか? 今は時期的に性欲が強いんだろうと思うのですが、どう
うまく自分と付き合っていけばいいのか、同じ女性として上野千鶴子さんに
ご意見、アドバイスいただければと思います。
  ● 回答〜むずむずしたら自分でほぐしましょう
 回答者のご指名を受けて、光栄です。下ネタに強い、と思われたんですね、
アタリです。あなたは性欲が強いとか。どうしてそう思ったんですか?だれか
と比べてみたんですか? だれでも小さいときから性に関心を持っていますし、
その関心はだんだん強くなります。18歳はとうてい「子ども」とは言えません。
他人とくらべてどうかはわかりませんが、おそらく人生のなかでいちばん体力
とともに性欲の強い盛りじゃないでしょうか。男性に聞くと、20歳くらいが
ピークでそれから性欲は衰えるいっぽうだそうですよ。性欲と性交欲とは
ちがいます。性欲は相手がいなくても満たすことができます。
性交欲は対人関係を求める欲望だから、こちらはすこしやっかいですね。
相手が同意しないと成りたちませんから。でもあなたにあるのは性交欲では
なく性欲でしょう?それなら話はかんたんです。むずむずしてきた時は、肩の
こりをほぐすように自分で緊張を解いてあげましょう。 江戸時代には
「自行安味」とも呼ばれていたくらいですから。
 マスターベーションを「自涜」と呼んで撲滅しようとしたのは明治人、
それを「自慰」というやさしいことばに呼びかえたのは大正期の性科学者たち。
青柳有美はマスタベーションを「人工遂情」と訳して「気がはきはきして頭が
すっきりする」と書いています。セックスのよいところは必ずフィニッシュが
あること。それにマスタベーションは妊娠の心配もないし、だれにも迷惑が
かからないため、すっきりしてから勉強に向かうほうが集中できるでしょう。
セックスには2種類あって、マスタベーションは自分の身体とのエロス的な
関係・性交は他人の身体とのエロス的な関係のことです。どちらかがどちらか
の代用をすることはできません。自分の身体のエロス的な使用のしかたを
知らない人が、他人の身体とエロス的な関係を結ぼうなんて、無免許運転みたい
なものでふらちです。自分のエロスのツボをよお〜く学んでおくと、実際に
相手のあるセックスをしたときに、そのセックスのクオリティのよしあしが
よくわかりますからね。己を知り、敵を知らば百戦あやうからず。
あれ?性交は闘いじゃありませんでした。セックスを他人を支配したり
侮辱したりするためにやから使う輩もいるけど、これもふらちですね。≫
▼ シングルを生涯貫いてきた、若いときから著名な社会学者の上野千鶴子が、
 若い女性の性欲の悩みをズバリ回答するのも、面白いもの。

・・・・・・
4976,閑話小題 〜TVドラマのマッサンを見たことがある
2014年10月29日(水)
   * 面白い出会い 
 1967年の学生時代に、軽井沢・万平ホテルのレストランで、
NHK・朝ドラ「マッサン」を見たことがある。軽井沢友愛山荘のヘルパー
をしていたある日の午後、車で5分ほどの万平ホテルにコーヒーを飲みにいった
ところ、品の良さそうな老人が、秘書らしき人とコーヒーを飲んでいた。
近くの人が小声で、「あの人が、ニッカの創業者の竹鶴さんだよ」といって
いるのが聞こえてきた。二人とも黒のスーツにノーネクタイの白ワイシャツ姿。
品が良いが人を寄せ付けない空気が、その席に漂っていた。私の連れの話では、
奥さんがイギリス人で、数年前に亡くなったたという。当時も知名人だった。
まさか、47年後の朝ドラ主人公として、たち現れるとは思いもよらなかったが!
 懐かしい思い出の一コマであった。調べてみると、奥さんリタは1961年に、
マッサンは1979年に亡くなっていた。生まれが1894年というから、当時の年齢
は73歳。当時、かなりの年寄りに思えたのは、私が若かったため? ところで、
当時、親しくしていた友人を軽井沢に連れて行ったが、その後、軽井沢に別荘
を持ったという・・ その友人とは、卒業間際に大喧嘩をして、絶交状態? 
人生、色いろある。 所々にある大きな池と並木道を、山荘の宿泊客や、
同僚のホステラーと、早朝、歩いた良い思い出がある。学生時代には、将来の
手がかりも何もかも無かったが、背中に羽があるかのように飛び回っていた。
   * 家内が、ある会の議事録の筆記を頼まれて
 毎日、文章を十数年来、書いてきたこともあり、文章書には抵抗はないが、
家内にとって、議事録をまとめるのは初めての経験。必死の形相で四苦八苦。 
以前もイタリアのポンペイで迷子になった時の対処の礼に、機内で添乗員に
メモ書きに添えて礼金を渡すことにしたが、その文章が書けないという。
そこで、私が、家内にかわって書いたことがあったが・・ 
また、『どうしたら良いか?』というから、『上手く書こうと思うな。
雛形を探し、とにかく、拙速に書き上げること。問題は、その後の、書直しを、
何度かすること』と、答えた。 こういうのは、一気に書きあげるしかない。
この程度の随想日記でも、前日まで書上げた内容を、60〜90分もかけ添削を
している。 そう簡単に、気持ちの入った文章など出来ようはずがない。
 何事にも、言えることだが。
・・・・・・
4609, 閑話小題 ー金からの自由
2013年10月29日(火)
  * 金からの自由と解放感!
脳科学者・認知科学者の苫米地英人の『君は一万円札を破れるか』を図書館で
みつけ借りてきた。銀行に倒産させられた?バイオ企業の雄だった林原の専務の
著書『破綻』と並列に読むにちょうど良い内容。 脳科学者が、金融、特に
お金の本質を書くと、こうなるのか、と読むと尚の事、面白い。後日、ここで
取り上げるが、 概要といえば、《お金は経済支配者の洗脳でしかなく、
早めに呪縛を解いた方がよい》、と。森林(現実、経済社会)から、サバンナ
(隠居生活)に出ると、森での思い込みの枠が明確に見えてくる。長年の間、
恐れていた倒産で、汚名をきて、曝し首になっても、「それが、どうした!」
と開き直ってしまえば、何んてことはない。 地方の中小の三分の一が、今日
明日の資金繰りに追われ、残りの大部分が一歩手前。まともは1〜2割もある
かなしか。事業整理をした結果、今までの心労はゼロに近い。事業をやり直す
気持ちなどさらさらない。独り4時起床、ブログを書き上げ、6時にポタリング
に出て・・と、一日のプログラムを淡々とこなす日々。お金が無くて、不自由を
するかといえば、皆無といえば嘘?になるが、ほぼなし。全て、やりつくした
感があるため、別に今さら。酒もビールも、味などかまわなく、美味いと思えば
美味いと感じるから不思議。リッツカールトン・ホテルのレストランが、偽装
のネタの料理を出していた云々?そんなもの、業界の連中からみれば日常茶飯事
で、何を今さら。 食通とかいう人が、能書きたれていても、それが、いかに
下らないことか、料理人が一番良く知っている。とれたての魚や、野菜を産地で
食べるのが一番美味しいし、それ以上の味があろうはずはない! 
一流シェフの料理が美味いなど錯覚。その錯覚も良いことは良いが・・ 
目隠しをし、料理、酒の味見をすれば分かること。平べったい顔の若い女性に、
整形をし、プロが化粧をし、ブランドの衣装を着せれば、誰でも絶世?の美女。
それと同じで、料理の味も集団催眠の一種。そういう変身番組を土曜日の9時
過ぎにTVで毎週、お笑いで放映している。お金も、同じ。紙切れを、あたかも
価値があるように洗脳、現物を騙し取る。米国の基軸通貨のドルがそうである。
更にバラまいたドルを米国債で回収すればよい。ネズミ講と同じで、国家が
倒れない限りは大丈夫。 世界はバカばかり、欺し証文(お金)と、大事な
時間を対価にした労働や資産を、紙切れと平気で交換する。それで何かが買える
からだ。その証文の価値は、一部の連中が紙切れに印刷をし、価値があると
洗脳しただけの詐欺そのもの。それが、森林から出てみると、鮮明に浮かび
上がって見えてくる。とはいえ「金から自由になるには、気にしないで済む、
何がしかの金が必要」という現実がある。地方では、年3百〜4百万の支出に
耐えられる金額が目安。それさえ確保すれば? その生活に甘んじれば、
金から自由になれる、それ以上は同じことになる。1千万以上の生活を20数年
してきたが、充実感があったが、現在と大して変わりはしない。いや、金の
呪縛から解放された分、現在の方が良い。以前、「会社を良い状態で、息子に
引き渡した状態をベターなら、整理をし曝し首の現在がベストの実感がある」
と書いた、それである。 それもこれも、それぞれの成り行き。
どうでも、よいこと。 「饅頭嫌い!」の落語の話かも?が、オチ。
・・・・・・
4234, プレイボーイの人生相談 ー2
2012年10月29日(月)
 今東光の回答も面白いが、柴田錬三郎の回答も単調直入に切って
捨てるところが面白い。
   * 愛の本質とは?
● わたしは、18歳の女子学生です。愛の本質について悩んでいます。
 今まで3〜4人、肉体関係のあった人がいますが、わたしの求める愛では
ありませんでした。いまも一人の男性と、月に二〜三回あっているのてすが、
彼と分かれたあとの何ともいえないむなしさはいったい、なんなのしょうか?
 ー愛の本貿とは何んでしょうかー
◎ チンビう同志が裸体をくつつけ合つて愛の本質など判りはせん。
 魂というものについて、まず考えなくてはならないのだ。君には、それを
考える能力がないらしい。一八歳にしかならないのに、もう数人の関係を持つ
とは、驚くべきズベ公ぶりだ。行為そのものが、どうせ、二〜三分の動物的な
エンヤコラに相違ない。 だからキミは、セックスさえも知らないのだ。
 まず、阿保らしいセックスを中止して、愛するということは何かを知るために、
名作といわれる古今東西の恋愛小説を読みたまえ。 魂の美しさ、苦しさ、
清らかさ、そして浄化を知るがよい。
   * 惚れて、許して、妊娠し…
● 私は十八歳の女子学生。今、市内のある喫茶店でアルバイトをしています。
 店のバーテンをどうしようもないほど好きになってしまいました。 相手も
私を思っているようです。でもその人は結婚しているらしいのです。人の話を
聞いたのだからハッキリわからないけれど、聞く勇気もありません。でも時々、
彼にがらかわれているようにも思えるのです。 相手は遊びのつもりでしようか。
◎ 嬉れて、からだを許して、一度ぐらい妊娠して人工中絶して、やがて、
 すてられて、なかばヤケになって、新宿あたりの酒場のホステスになって、
だんだん美しくなって、野心を起して、酒場のマダムになる野心を起して、
いろいろの男から、金をひき出して、ついにその無理がたたって、ダマした男
に殺されて、バラバラにされるかね。
▼ いずれの世の中も、悩みは同じ。悩み、悶え苦しんで、その格闘の中から、
 人生は生まれてくる。いずれにしても、人生は真正面からぶつかるしかない。
とはいえ綺麗過ぎる人生も、つまらないが、汚いのも考えもの。
「小汚い人生を小奇麗にして生きることこそ、避けるべき??」か。
それとも、そんなことを一切、無視すべきか。 どちらにしても同じ。
 ・・・・・・
3869, 地球の中心点からの声 
2011年10月29日(土)
   * 瞑想のヒント?
 二年前から、早朝のウォーキングをポタリング(ミニ・サイクリング)
に切り替えたが、それ以前は25年以上近くの土手を歩いていた。
1万から1万5千歩を目標にしていたこともあって、週末には2時間以上歩いて
い時期もあった。しかし1時間も歩き続けると腰が痛くなり、屈伸をしたり、
何度かシャガミこむ。その内に、そこで深呼吸をするようになっていた。
屈伸は10回ぐらい繰返すと不思議と腰痛が引く。ある時に思いついたのが、
しゃがんだ時に地球の中心点まで気持ちを落としみ、そこからエネルギーを
汲みあげ、逆に立ち上がったときには、天に向けてエネルギーが宇宙の彼方に
向かうイメージである。呼吸法などの本から租借した呼吸法ということになる。
その時に、何時の間にか擬人化した声と対話するようになっていた。 
しかし最近になってウォーキングからポタリングに切り替えたため、殆ど、
その呼吸法をすることはなかった。ところが、昨日の朝、ポタリングの途中、
信濃川の大手大橋の上を引きチャリをし歩いていると、地球の中心点が頭に
浮かんできて、呼びかけてきた。
《ワシ(中心点)をリアルにイメージしろ。そして、ワシと繋がったと思え。
 この一点の声を聞こえる奴は少ない。何時でもよい。目を瞑り、そのイメージ
を持つのだ。 それで地球の中心に己を置くことができ、そのエネルギーを
得ることが可能になる。まずは、ここを歩いたときは必ず、この瞑想をしろ!》
 本当の話である。地球の大元に繋がる?イメージは面白い!もしかして頭が
変になってきたか。元もと変だから、何だろう。内なる声か、はたまた妄想か。
ただ、純粋にイメージを持てば、これは内なるエネルギーの大元に繋がること
になる? 外に向かっていたエネルギーが内向きになった結果か、それとも
鬱から躁への切り替え時のイメージか、これは。呼吸をしてくれという身体の
叫びが正体か。深呼吸は意識的にしていたが、まだ足りないようだ。 
毒が溜まる状況下、エネルギーが枯渇ぎみ、ということ。 
深呼吸が精神の大元そのもの。 中村天風の教えと同じである。 


5705,マネー・ワールド � 〜資本主義の未来

2016年10月28日(金)

  今さら経済の話題でもないが、NHKスペシャルの
『マネー・ワールド資本主義の未来』の三回シリーズの録画をみた。
 今世紀に入ってから世界の政治・経済の異常さは、ただならぬものがある。 
 冷戦の終結、1995年のウィンドウズ95の発売、スマートフォンの普及と、
 電子機器の飛躍的進化で、現実社会の上を覆うような別世界が出来上がり、
 フラットになってしまった。その結果、国家、民族、宗教の垣根が低くなり、
 一部の人たちの総取り傾向が、中間層の没落を招いている。それが、マネー
 ・ワールドを変え、人々の生活を激変させている。
  2500年前のギリシャの社会構造が、「3%のトップ、30パーセントの中間層、
 67%の隷属層」。それが、現在でも、言葉を変えて、そのまま続いている。
 3%に従い、社会を主導してきた30%が、ネットや、電子機器の進化で、いま
 まさに隷属層に落ちようとしている。それがマネー世界で端的に表れてきた。 
  何ともシリアスな現象だが、情報化社会の功罪そのものである。
   〜NHKのHPの番組紹介より
◇ 第一回、マネー・ワールド<資本主義の未来(1)世界の成長は続くのか>
≪ 米大統領選挙を左右する大富豪とホームレスの「巨大格差」。
 2500億円の詐欺事件の首謀者が語る「大企業の不正」の内幕…。
 世界中で相次ぐ“お金”をめぐる大異変に、爆笑問題の二人が分かりやすく
 切り込む! いま「マイナス金利」「モノを買わない若者」など、日本でも
 異変が。それは250年続いてきた経済成長の終わりではないか?今後も世界
 は成長を続けられるのか?資本主義のスケールで現代を読み解く新シリーズ。≫
◇ 第二回、マネー・ワールド (2)国家VS.超巨大企業
≪ 私たちの暮らしやお金、格差問題まで、すべてに関わる資本主義。
 シリーズ2回目は、経済を誰がコントロールすればいいのかを考える。
 国境を越えてグローバルに活動する巨大企業が次々と誕生。なかにはビジネス
 に支障が出たとして国家を訴える裁判が多発。財政に深刻な影響の出た国まで
 現れている。国家が企業をコントロールしてきた資本主義。それが今、企業が
 国家を飲み込む事態が起きている。この先に一体何があるのか、考える。≫
◇ 第三回 マネー・ワールド 第3週〜巨大格差のその先に
≪ 近代資本主義250年の歴史の中で、現在は格差が最も広がっていると言われる。
 巨大格差の先には何が待っているか。元米国労働長官のロバート・ライシュ氏や、
“世界一貧しい大統領”と呼ばれたホセ・ムヒカ氏ら知の巨人たちに話を聞く。
 また、自らへの増税を求める米国の富裕層グループの活動や、経営者の報酬を
 10分の1に削って従業員の最低賃金を7万ドルにした企業の社会実験などを通じて、
 格差是正の可能性を探る。≫
▼ まさか事業整理に至るとは、その時に至るまで思ってもいなかった。
 アッという間である。情報化による社会の変化に対応できなかった結果である。
第三回の<巨大格差問題>の特集がシリアス。これは後で取り上げる。現実の
生活で、セブンイレブンで弁当を買い、トヨタの自動車に乗り、ユニクロの
ジャケットとズボンを着て、マイクロ・ソフトのウィンドウズを使い、iPad
とiMacのパソコンを使い日々を過ごす。それぞれが巨大企業の製品である。
更にAIとロボットが、中間層の仕事を奪う事態が進むことになる。 〜続く

・・・・・・
5340,もし上野さんが美人だったら? 〜身の下相談
2015年10月28日(水)
               〜社会学者の身の下相談
  * もし上野さんが美人だったら?
         ー身の下相談にお答えしますー 上野千鶴子 
「私は美人故に読書量が少なかった。そうでない貴女は読書量が多く、知名な
学者になっておられる。その私は、どうしたら、その深みに到達できるのか?」
という辛らつな質問。 何かやらせ?のようだが、それはないという。
  ● 質問: もし上野さんが美人だったら? 相談者主婦60歳
≪ 60歳の主婦です。 愚息たちが独立し、ひとりの時は本ばかり読んで
 過ごしています。が、読んでも読んでも足りないくらい読みたい本が次々と
出てきます。若い時代に「きれい」と言われるような部類に入っていたため、
ちやほやされながら過こしたことが悔やまれます。
 そこで上野千鶴子さんにぜひ質問したいことがあります。
もし上野さんが絶世の美女に生まれついたとしたなら、現在のように、社会
の底辺にまで目をやる社会学の道に進んでいたでしょうか? フエミニズムや
ジエンダーの問題、引きこもり、おひとりさまの考察も、ミソジニー
(女性に対する憎しみや軽侮)のあの深さに到達したのでしょうか。≫
  ● 回答 人生がそんなに単純ならねえ…
≪ アメリカにこんなジョークがあります。
 キャンパスをメークの似合うきれいな女性がパンプスで歩いていたら、
教授秘書。すっびんで、さえない、若くない女性なら、教授、なぜかというと
花のハイスクール時代に、きれいな女の子は男の子にもててデートに忙しく、
勉強どころではないのに、きれいでない女性はこつこつとお勉強して名門大学
へ入り、成果を上げるから、と。かのボーヴォワールも、妹と何かにつけ比較
され、親に「あなたはかわいくないから、お勉強をいっしょうけんめいしなさい」
と言われ続けてきたとカそれならフェミニズムは「ブスの女のルサンチマン」
だという(今か40年も前にオヤジメディアが唱えた説は正しいのでしょうか。
娩曲な言い方ながら、あなたは全く同じことを言っていることになりますね。
あなたの説は容貌人生決定説です。人生がそんなに単純なら、どんなにいいで
しょう。証言しておきますが、ウーマンリブに参加した女たちにはきれいな
女性がたくさんいました。きれいな女性は男にセクハラされ、ストーカーされ、
利用されていましたし、ブスの女性は男に無視され、黙殺され、からかいの対象
になっていました。きれいでもブスでもない、その中間の大多数の女性は男に
つけこまれ、ふりまわされ、あなどられていました。残念ながらそれが40年前
の女性の現実でした。察するにあなたはそこそこ幸福な人生を送ってこられた
ようですね。それを容貌のせい、とお考えでしょうか。「若い時代」と限定が
あるので、女の容貌の価値が賞味期限付きだとは知っておられるのですね。
ということは「若い時代」が幸福のピークで、それからずっと下降線をたどって
きたということでしょうか。察しのとおりわたしは「顔の不自由な」ひとですが
(笑)、これまで生きてきた上で男女を問わず他人と関係をつくるのに、
そのせいで不都合があったことは、一度もありません。弱者に想像力を持つ
ためには、自分自身が弱者でなければならない理由もありません。
この年齢になって読みたい本が次々に出てきたんですって! なんてすてき。
本と読者は出会いもの。若いときに本を読まなかったことを容貌のせいに
してはいけません。容貌は容貌、幸幅は幸幅、知織欲はそれとはまた別、
その間に何の相関もない、っていうことぐらい、本を続めばわかりますよ。≫
▼ 美人カースト制で恵まれた人だった質問者が、それ故に読書の絶対量が
少ない自分を責めている見識そのものが低い。容貌には賞味期限があり、
知識は絶対量が増すほど質に転化する。女性は容貌で大きく人生を左右する。
しかし、そこに品性と教養が伴なって、光の色が変わってくる。 
人生に、「もし」や「たら」は無い。一期一会の積重ねが、その人となり。
「女性のセックスの質量は、容貌に大きく左右される」、統計があるとか。
容貌が崩れる前に、『やりたい時が、やれる時』と知るべし(笑い)。
・・・・・・
2014年10月28日(火)
4975,閑話小題 〜好きなこと、非日常
   * 嫌いなこと、無感動
 酒席での、ある人の一言が気に入った。
『私の好きなことは非日常!嫌いなことは無感動、無反応!』
私の趣味の秘境ツアーは、非日常と感動を求めて海外に出ることにある。
毎日1〜2つはみるTVドラマも、週1度は、通っているシネマも非日常世界の
仮想体験をするため。人生を振り返ってみて、思い出されるのは非日常的のこと
ばかり。しかし本当に大事なのは、その時節の日常。背景があればこその非日常。
したがって、この二つの組合せを知恵で生かせば良い。老いるということは、
日常に埋没し無感動になること。子供の頃の、青春時代の、あのキラキラ
した気持ちは、どこにいったのやら。
  * 塩の話
 サラダは、だいたいが塩がする。このサラダは塩の意味から派生した言葉。
ラテン語で塩のことをサルsalと呼ぶ。このsalから様々な言葉が派生した。
例えばサラーリーマン(salary man)がそれ。サラリーマンは和製英語だが、
そのサラリーsalary(給料)は塩sal。古代ローマでは、兵士の塩代のことを
ラテン語でサルsal(塩)にちなんでsalariumといい、これがsalaryサラリー
(給料)となった。 塩と同じくらい貴重なものという意味で、給料salarium
が使われていた。他にも、例えばsauce(ソース)、sausage(ソーセージ)、
salami(サラミ)、soldier(ソルジャー:兵士:塩をもらう人)がある。
 塩は空気や水とともに、人や動物が生きていく上で欠かせない。
これは生命が海から誕生したことと関係がある。世界で生産される塩の三分の二
が、岩塩を材料としている。岩塩は5億〜2千万年前に地球の地殻変動で海が
陸地に閉じ込められ、水が蒸発後に土砂が堆積してできたもの。
人類は魚介類や獣肉を食べて自然に有機塩を摂取する以外に、塩を意識
しだしたのは5千年前からと推定される。食物の味を高め腐らせない塩は、
古くから霊力を秘めていると崇められ、お清めや、相撲などで土俵にまくなど、
清浄の力で穢れを払う目的がある。「しおらしい」は、「塩を欲しがる」女性の
仕草が由来のようだ。 「塩梅がよい」「塩加減がよい」「敵に塩を送る」
「青菜に塩」「ナメクジに塩」「傷口に塩」など、諺にも多く使われている。
・・・・・・
4608, 孤立無業
2013年10月28日(月)
 朝日新聞の書評に、『孤立無業(SNEP)』 玄田有史〈著〉があった。
ネット検索で調べると、多くのレビューが出てきた。そこで、その幾つかを
まとめてみた。孤立無業から独居老人に、そして孤立死を迎えることになる。
死ぬ時は、誰もが孤立死だが。
《  * 孤立が就労意欲を奪う
 日本の若年無業者を「ニート」概念を用いて論じた東大社会科学研究所の
玄田有史が、新たな分析視角を提唱。ニートが15歳から34歳の無業者を
指すのに対し、本書が取り上げる「孤立無業」は、20歳以上59歳以下の未婚で
無業者のうち(在学中を除く)、ふだんずっと一人でいるか、一緒にいる人が
家族以外にいない人々を指す言葉。孤立無業者は、家族と一緒にいる時間が
ふだんある「家族型孤立無業」と、ずっと一人の「一人型孤立無業」に分類。
その春、ウォール・ストリート・ジャーナルの日本版ウェブサイト『JAPAN
REALTIME』が「孤立無業者『SNEP』が急増中」という記事を掲載したことで、
ネット上で「SNEP」に注目が集まることとなった。玄田教授によると、「SNEP」
のインターネット利用率は41.3%にとどまり、孤立していない無業者に比べる
と20ポイントも少ない(2006年のデータ)。 
 〜玄田教授への質問〜 ―孤立無業と聞いても新しい概念とは思えませんが。  
玄田:孤立無業は、英語でいうSolitary Non―Employed Personsの頭文字を
 取ってSNEP。Solitaryには「ひとりぼっちの」「他人とつきあいのない」
「孤独な」「寂しい」といった意味があるように、無業者の中でもふだん
ずっと 一人か、一緒にいる人が家族以外にはいない人々のことを指します。
   ―ニートや引きこもりとどう違うのですか。
玄田:まず年齢の定義が違います。ニートは15〜34歳の若年無業者を指す一方、
 孤立無業は20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業者。仕事をしていない
点ではニートと同じですが、ニートは仕事を探す活動や準備をしていない無業者、
SNEPは友人や知人との交流のない無業者、約9割が6か月以上働いていません。
外出をめったにしない人もいますので、その意味では引きこもりはSNEPに
含まれていると考えていい。 また、過去1年にスポーツや旅行、ボランティア
などの社交活動を一切行っていない割合が高いのが特徴です。
  ――孤立無業者はどのくらいいるのですか。
玄田:総務省統計局の「社会生活基本調査」から導き出したところ、2006年に
112万人いた孤立無業が2000年代に急増し、2011年時点で162万人に達している
ことが分かりました。これは60歳未満の未婚無業者の実に約6割を占めています 》
▼ 老後にも「孤立無業」が待っている。特に男の場合、縦社会に慣らされて
きたため、横社会では、孤立しやすい。それでも160万以上は驚き。 何とか
60歳に辿りついたが、それまでに一つ間違えれば『孤立無業』があった。
倒産は、ほぼ、孤立無業が待っている。事業は船底一枚下が地獄。だから必死に
考え、力と知恵が湧き出る。 最後は挫折で、孤立無業である。特に大都会での
「孤立無業」は厳しい。「独りは良い」というのは、独りでないからこそ 
言えること。人の間にあってこそ、人は人間になる。先日、初老の独り暮らしの
人が、アルバイトで何とか生活している状況をリポートしていたが、鬼気(危機)
迫る深刻なもの。あの時、何もかも放り出し、独り東京の郊外に身を隠し、
年金暮しか、生活保護の道もあった。大部分が、それに近い。そこで寂しさと、
心の傷を癒すため、酒に溺れアル中、そして孤立死・・ としても、一歩も、
かたい岩場の穴に閉じこもった人生より遥かにまともに、思うのだが、
当人は、凍りつく日々。緩んだ方々より凍死? 何か最近、緩んできた?
・・・・・・
4233,プレイボーイの人生相談 ー1
2012年10月28日(日)
以前、この中の今東光の回答の幾つかを取り上げたことがあった。
先日、図書館で再び借りて読んだが、今東光の珍妙な味わいある内容に決して
劣らないものが多くあった。回答者は、他に柴田錬三郎、吉本隆明、アントニオ
猪木、開高健、赤塚不二夫、岡本太郎、武田鉄矢などなど。 その幾つかを取り
上げるが、面白い! 若者向けの雑誌のためか、「性についての悩み」が多い。 
                  『プレイボーイの人生相談』(集英社)
   ーまずは武田鉄也からー  <愛につながる性の道>
相談:「彼女はいるのですが、どうしても風俗通いがやめられません。風俗に
 行くと、彼女には要求できないことも要求でき、とにかくハマってしまう」。
回答:「実はセックスというのはお互いを汚しあうことなんです。だから、
 本当にキミが彼女のことを好きなら、彼女と一緒に汚れる性を体験しなければ
本当の性は完結しないんだ。(中略)・・・ お互いを汚し合い、互いを洗い
合うところに本質があるんだ。キミが風俗にハマっているのは、相手を洗って
あげる必要がないからなんだよね。例えばレストランと一緒で、自分が食べた
ものを後片付けする必要がないから、気楽だし、好き勝手注文することができる。
毎日レストランじゃ飽きちゃうし、お金も続かなくなる。そうすると、やっぱり
自分の家で食べるご飯が中心になるし、いちばん落ち着ける場所になる。
だから自炊をするんだけれども、自炊をするために魚を買ってさばいてみれば、
はらわたは出るし、生ゴミなんかたくさん出るわけ。すると当然、部屋は汚れる。
実は本当の性、セックスというのはそういうことなんです。今のあなたは彼女
とのセックスを汚さないように、散らかさないように、後片付けがしやすい
ようにやってると思うんだ。でもさ、若いんだったらふたりで片付けないと
片付けきれないぐらい汚したりしていいんじゃないかな。
キミはもっと獣性や野生を出して彼女を汚すべきなんだ。そして、その汚れを
ふたりできれいに片付ける。そんなところに、本当の愛につながるセックス
の道というのがあると思うんです」。≫ 
   <何のために生まれてきたか? と考えて>
相談:「最近、ボクはなんのために生まれてきたのかと考えることがあります。
人間ってなんのために生まれてくるんでしょうか」。
回答:「ただ、その問題を考えている人たちは、みんな悩みながら、なぜか
 突拍子もないことをやり始めているんです。簡単な例を挙げてみましょう。
桃太郎という昔話があります。よく考えてみてください。桃太郎っていうのは
実に変なヤツですよね。桃から生まれたといわれて、ある日突然、鬼ヶ島へ
鬼退治に行くわけです。だいたい桃から人間が生まれるわけがないと思って
いますね。そんなことは子供でもわかります。それに、自分にはおじいさんと
おばあさんしかいない。村の友達と比べれば、なぜなんだろうと不思議がる。
そこで、桃太郎は鉢巻を締めて考えたんでしょうね。「オレはなんで生まれて
きたんだろう?」。その結論は「オレは鬼退治をするために生まれてきたんじゃ
ないだろうか?」だったと思うんです。オレはどうやらふつうのやつとは違う、
なにか突拍子もないことをするために生まれてきたんだ。その突拍子もないこと
はなにかと考えたときに、それが「誰もやらない鬼ヶ島を攻めること」だった。
突拍子もないことをやることで桃太郎は、オレはなにか?という答えを
見つけたんだ」。
▼ 私なら、こう回答する。≪そんな人生の大問題の手軽な答えなどないよ。
「何のため生まれてきたのだろうと頭の中で繰り返しながら、本屋と図書館を
見て回りなさい。必ずあるから。そしたら、まず、おわりと、最終章を読み
なさい。そこになかったら、序文を読めば、多くのヒントがあるよ。
とにかく、自分で答えを探すこと、それが一番大事なことだよ!≫


5704,自分のための人生 〜��

2016年10月27日(木)

   ◆これが人生だ!
 幸福であるためには、充実した時間の積み重ねが必要である。
停滞した社会の中で、人生は、日常を暖かく明るく営むことことだ。
 〜以下の一節が良い。
≪ 何よりも大切なことは、彼ら人生の達人が自分自身を愛しているということ。
「成長したい」という願望に促されて彼らは行動する。どちらかを選択せよと
 言わたら、必ず彼らは自分を大切にするほうを選ぶ。自己憐憫や自己否定や
 自己嫌悪に陥る隙を、自分に与えない。彼らは幸福を追い求めたりはしない。
 生きることがすなわち、彼らにとっての幸福である。
  次に引用するのは、これまで述べた<充実した生き方>の要約である。
< 幸福を見つけようとすることが、何よりも幸福から遠ざかってしまうこと
 なのである。 歴史家のウィル・デュラントは、知識の中に幸福を見いだ
 そうとしたが、見つけたものは幻想だったと書いている。
 彼は次に旅行の中に幸福を求めたが、退屈しか見いだせなかった。
 さらに、富の中に求めたが、仲たがいと心配しかなかった。
 著述の中に幸福はないかと探したが、疲労しかなかった。
 ある日彼は、眠っている赤ん坊を抱いた女性がクルマの中で夫を待って
 いるのを見かけた。しばらくすると、夫が列車から降りて近づいた。
 そして、その女性にやさしくキスをし、次に、その赤ん坊にも眠っている
 のを起こさないようにそっとキスをした。
 それから、その家族はクルマで去っていってしまったのだが、後に
 残されたデュラントは、そのとき、はたと幸福の実体に思い当たった。
 むきになって幸福を追求するのをやめてみたら、
「日常生活のすべての営みが幸福を含んでいる」ことに気がついた。
 現在という時を最高に充実させることによって、あなたも、幸福の傍観者
 ではなく、幸福な人間のひとりになれるのである。> ≫
▼「いま、ここ、わたし」の垂直が永遠につながっている。その垂直を大事に
 して生きればよい。そのためには、日常が充実してなくてはならない。
メーテルリンクの夢幻劇。 <貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルが、
クリスマス・イブの夜、仙女の訪問を受け、その言い付けで「青い鳥」を探し
に出かける。「思い出の国」「夜の宮殿」「未来の王国」などを探しまわるが、
どこにも「青い鳥」は見つからない。ようやく自分たちの家に帰ってきたとき、
すべては夢だったことがわかる。そして「青い鳥」(幸福)は家で飼っていた
キジバトだったことを知る…> 人生も、気持ちの持ちようの日常にある。

・・・・・・
5339,構造主義とポスト構造主義 〜��
2015年10月27日(火)
  * ポスト構造主義とは   〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 ポスト構造主義とは、現状を追認する保守的思想形態に陥りがちな構造主義を
批判、多様性を認める必要性を説いた。米ソ対立、自民党対社会党の二項対立
から、ソ連崩壊と中国の資本主義化などを経て、現在の、混沌とした社会を
語るに「ポスト構造主義」は、正にうってつけ。 〜その辺りから〜
≪「ポスト」とは、「の後に」という意味です。ですから、ポスト構造主義とは
構造主義の後に登場した思想のことを指します。ただし、「ポスト」構造主義と
いう呼称から想像できるように、実存主義における「実存」や構造主義における
「構造」にあたる明確なキーワードがそこには欠けています。
 これは、もはや現代が一つのキーワードで包括的に語れる時代ではなくなって
しまったことを反映しているのかもしれません。この名称そのものは、八○年代
にデリダを中心としたフランス現代思想を積極的に受容したアメリカで生まれた。
当初は主に文芸批評の領域で用いられていましたが、やがてフランスにも逆輸入
され定着していったようです。
 構造主義は、私たちをとりまく諸制度の中に潜んでいる諸構造の分析に
主眼を置いていました。ただそのために、ややもすると現状を追認する
保守的思想形態に陥りかねない危険性がそこには内在していたのです。
 このような構造主義のあり方に不満を覚えたデリダ、ドゥルーズ、リオタール
らは、西洋の文化形成を根本から疑問視したニーチェやハイデガーといった
思想家の考えを受け継ぐ形で、思索を展開します。この考えの中心は、哲学に
つきものの「同一性の思考」の批判にあります。「それはなんであるか」という
問いのスタイルを特徴とする形而上学は、本質という観点からすべてのものを
一様にとらえる営みです。ここでは本質からはずれたものは、すべて不純物と
して排除されるより他にありません。つまり、本質(A)か本質でないか(非A)と
いう基準だけですべてが選別される。ここに多様性や変化の余地がありません。
 ポスト構造主義は、そうした決めつけが哲学形而上学の常套句だと批判した。
ただし彼らは、対象への正面からの批判や否定を避けました。なぜなら、
このような態度は結局否定すべき対象と同じ土俵にとりこまれてしまうからです。
肝心なのは、Aか非Aかという二項対立的な価値付けにもとづく土俵そのものを
揺さぶることなのです。このため、〇リオタールは、相手の流れに乗りながら
その方向をずらしていく「漂流」というスタイルを、〇デリダは、対象の中に
住み込むことで内側から亀裂をもたらす「脱構築」という方法を、〇ドゥルーズ
は、一カ所への定住を嫌う「ノマド(遊牧民)」的運動という戦略を採ることに
なったのです。また実践面において、後期のフーコーや晩年のサルトルのように、
知と権力の共犯関係を暴くことや、フェミニズムや少数民族の自立運動への
積極的な支援が行なわれました。構造主義からポスト構造主義への移行点を
なした出来事に、1968年にフランスで起こった五月革命(パリを中心に起こった
学生、労働者、市民による反政府運動)があります。この事件は、後に日本にも
飛び火して学生主導で進行する学園紛争を巻き起こしました。この事件は、
もはや学問が大学という隔離された制度の内部では安住できなくなったことを
象徴する出来事でした。今必要なのは、学問を完成したものとして受けとる
のではなく、知が生まれつつある現場に身を置き続けることなのです。
だからポスト構造主義では、生成や出来事がより重要視されるのです。≫
▼ これからすると、現代の世界情勢は、この思想に沿っている。
 世界は「漂流」をし、内側からの亀裂をもたらす「脱構築」になり、 
民族の大移動といわれるシリア難民などの欧州への移動が始まった。
その根は情報化がある。それは生成や出来事が一瞬にして地球の隅々まで
周知される世界である。個々人がスマホという情報機器を持ってしまった。
これは、ポスト構造主義も「新しい?主義」に取って変わる起因になるのか。
・・・・・・
4974,閑話小題 ー韓国が変なわけ
2014年10月27日(月)
   * どうなっている? 韓国の実情
 韓国の「セウォル号沈没事故」「地下鉄事故」「野外コンサート事故」など、
たて続きに、日本では考えられない事件が起きている。その背景には、韓国経済
の崩壊と、歪な社会背景があるようだ。 ーネットで調べた幾つかを羅列するが、
末恐ろしい日本の未来が垣間見れる。 〜これが隣国の現実。
≪ ・大学進学率は日本の54%に比べ90%ある。
(日本の専門学校的なものも含む)しかし就職率は、その半分も満たない。
 その上、全体の7割が非正社員。日本との物価の差はないにかかわらず、
 月収が7万8千円。2011年だが、ニートの数が100万人。ニート率が
 日本の3・7倍。失業率が20%もある。
・年金は、月に一人8400円、老人の自殺は日本の自殺率の4〜5倍。
・サムソンは、実際は外資が54%を握っている。その規模は総企業の4分1。
利益に至っては、韓国の大企業の半分をサムソンが稼ぎ出している。
そのうち携帯関連が7割。中国の企業がとってかわると、韓国経済は、
さらに大きく揺らぐことになる。
・主な銀行の株式を、半数以上が外資が握っており、韓国の上場株式の8割が
外資が握る。そのため大企業は外資の利益のために動くことになり、その結果、
給与が低くおさえられる。経済危機で、IMFが乗り込んできて、アメリカに
完全支配国家になり下がった状態といえる。サムソンは利益の15%しか税金
を納めてなく、安い給料で働かせ、稼ぎ出した利益は外資が持ち出す仕組み。
・ジニ係数が、0・53にもなっていて、これは、暴動が起きるレベル。
ちなみに日本は0.33、危険ラインは、0.4といわれる。
・強盗が日本の二倍。暴行事件が3倍。殺人が5倍。強姦が40倍も発生。
強姦常習者には電子足輪がつけられる。
・何と「韓国民の4人のうち3人が韓国より出て行きたい」といい、
アメリカの4人に1人、豪州の5人に1人が買春婦という。マスコミで流布
されている状況と、あまりにかけ離れている。
・韓国人は、誰も、こんな状況になるとは、望んだことでない。
知らなかったため。
▼ これらから、現在の日本は天国のようだが、韓国の現状は、日本が国家的
 リストラが出来ないままだと、10年内に、似た状況になるとみてよい。
韓国と中国政府は、国家的揺らぎが起こると攻撃対象を日本に向ける。
日本は戦争を憲法で禁じているのだから、これほど都合の良い国はない。
この状況では、韓国の近未来は、更に 厳しい状況になると予測され、
その後を日本は追うことになる。経済不況について、スペインなど南欧の現地
レポートで驚いていたが、韓国も似ている状況になっていた。
日本も、確実に後追いをしているのが現実。
・・・・・・
4607, そして、人生はつづく ー7
2013年10月27日(日)
   * そして、『私』の人生はつづく
「そして、人生はつづく」に、それぞれが、「そして、『私の』人生はつづく」
と、想定するだろう。私の場合、「51歳で母を亡くした時、還暦までに人生の
やりたいことを燃焼する」と、決心した。到達時に心の底で「万歳!」。
そして、人生がつづいて8年近くになる。二年半前に会社整理せざるを得なり、
本来は致命傷だが、軟着陸?もあって、立ちなおりは早い。既に燃焼した人生が
あったこともある。20歳で事業創業の人生を決め、踏み出して45年スパンの
事業人生。その物語の終わりのピリオドが会社整理。誰にでも、何事にも挫折が
必ず待っている。私にとって還暦が区切り。還暦から新たなステージが始まって
第一の区切が65歳時の事業精算。次は死期を覚悟する「余命半年」の宣言時か、
寝たきりになった時、そして最期は、プッツンの前日から数秒前辺り。その時、
全てが夢幻と気づく・・ ところで、一昨日、タクシーに乗って早そう、
50代後半の運転手が、身の上話を始めた。「両親の仲が悪く、離婚。母親に
引き取られ、母一人子一人の母子家庭。生活が厳しく、直ぐに働かざるをえなく、
結局、水商売の世界へ。職場のホステスと結婚したが、カミさんが客と浮気、
離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、母親ともに育て上げた。
子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことは
なかった・・」と、数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、
よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、恥も何もない・・
実は、お客さんを乗せたことがあり、身の上話をしたことがあったんで」と。 
タクシーで、必ず景気とか、収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。
以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。人生は一度、歯車が
狂うと、孫子何代、その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に
備え(シェルター)をつくっておくべきは、身をもって言えること。
助けてくれるのは自分だけ! 「自分だけは、自分の会社だけは、大丈夫!」と、
つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変
させている中、各人の「そして、人生がつづく」。 情報化、グローバル化、
まさかの事態(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。
特に、グローバル化は、島国の日本にとっては大きなマイナスをもたらす。
それぞれの『私』も、思い込みでしかないが・・


5703,つれづれに哲学 〜限界状況 

2016年10月26日(水)

  * ヤスパースの、『限界状況』
 人生には誰もが「山あり谷あり」「晴れの日も、雨の日」もある。
節目には極限を遥かに超えるような事象が嵐のように、押し寄せてくる。
そして、最期に、まさか自分にという『死』が、覆い被さってくる。
それまでの日常では有り得ないような、心の苦悩と、肉体的苦痛が・・ 
 その前の猶予期間の極限状況に、孤独と挫折を味わうことになる。 
  〜ネットで、『限界状況』を検索すると〜
≪ハイデッガーの”ライバル”の哲学者に、ドイツのカール・ヤスパース
(1883〜1969年)がいる。精神病理学者・哲学者・政治評論家などの
さまざまな側面があった。 ヤスパースもハイデッガー同様に”ナチス政権” 
に大きく影響された。 妻が”ユダヤ人”であったことや、ナチスに対する 
”反抗”で当時、教鞭をとっていたハイデルベルク大学を追われてしまう・・
その妻が 強制収容所”へ送致されることになり、夫妻は自宅に2人で立て
籠もって抵抗するが、”収容所移送”が決定されてしまい、もはや自殺する
直前まで追い詰められ、その移送予定日が あと数十日程度に迫った1945年
3月30日にアメリカ軍が彼の住むハイデルベルクを 占領したことで収容所
への移送を免れた。この戦争体験が彼の哲学に対して 大きな影響を与えた。
ヤスパースは、この経験から”限界状況”をテーマにした思想を構築した。 
 それは、人間には ”限界状況” というものがある。それは
”死” ・・・ 死んでしまう という状況 
”苦” ・・・ 苦しみの状況・ さまざまなことで 苦悩する状況
”争” ・・・ 争い・闘争・戦争の状況
”責” ・・・ 罪を責めること  ”人間の原罪”を責めること    
 これらは人間の”日常生活”を”粉砕” してしまう”人間の運命”と 
されるもの。これは、人間の力、科学の力で克服できない状況。
 ”限界状況”の典型例が”自己の死”である。
ヤスパースは、「人間は普段、”気晴らしなどにふける”ことによって、
すでに”限界状況”の内にあることを 忘れてしまっている・・」とした。
 人間は、その”現実”を”自覚”すると自分自身の“挫折”と”限界”を悟る。
そして なぜ人間には”限界”があるのか?・・ 等々、深く考えることになる。 
また、この状況を”誰にも頼れない”・・と自覚することになり、
それまで感じたことのない”孤独”と”絶望”に 陥る。
 そして、「人間とは 極めて”弱い存在”」と 自覚することになり、
そこで、「人間を”超えたもの”が存在するのではないか?」と考え始める。
それを”包越者”または”超越者”という表現で 表わそうする。
そして、「人間は、その”超越者”と”交わる”ことで「真実の生き方」
である”実存”に 目覚めてゆく」と主張した。 
さらに”交わる”とは”自己開示”を意味しており、各人が自分自身に、
”閉じこもる”ことなく”他者”へと向かい自己自身の存在に対する意識を 
”反省するべき”とも 説いた。 最終的には・・・
”超越的存在”に面することにより、自らの有限的な存在が”反省”させられ
その”超越的存在”に面している自己自身という自分の存在の”確信”が 
得られる。これを ヤスパースは”絶対的意識”と説いたのです。≫
―
▼ 「業火に焼かれる」とは、よくいったもの。まさに、限界状況の中で
 味わう苦悩。この苦悩を経て、絶対的意識に到達できる。弱い人間には
宗教が必要になる。死を前にして強い人間なぞは存在しない。人間の原罪を
それぞれが真正面から見つめること、そう、「正 中心 一点 無」で、
見続けることが、業火を少しでも和らげてくれる。人生には、四苦八苦、
四楽八楽、感動、感激、至高体験、激怒、業火の雨など、いろいろある。 
 どこ吹く風の少々の天然?が、現に存在している! 自分も?

・・・・・・
5338,構造主義とポスト構造主義 〜�
2015年10月26日(月)
   * 構造主義とは    〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 19C末に亡くなったニーチェの思索が「現代哲学」の土台になっている。
第二次大戦後、サルトルとともに広まっていった実存哲学は哲学を超えた
流行現象になった。レヴィ・ストロースが文化人類学の領域から構造主義を
提起した。これは西洋哲学を根底から揺るがすものだった。社会学を学ぶもの
にとっては、構造主義とポスト構造主義を明確に把握する必要があるため、
ここで取り上げることにした。考えてみれば、社会学とは社会構造と、構成
要素の人間を解明すること。 〜その辺りから〜
≪ 私たちは、自分の意思を伝えるのに日本語という言語を用います。
 言語には特有の文法構造があり、それに即して話さないと何も伝えられない。
つまり私たちは、日本語という言語の構造によってしゃべらされているのです。
初めて英語を学んだとき、兄も弟も「ブラザー」の一語で済ますとは、何と
おおざっぱな言語だと思いませんでしたか? これは、英語が他人をまず同胞
(家族)かどうかという観点で捉えるのに対して、日本語は目上か目下かという
観点を重視するという違いを反映しているのです。 つまり言語が異なれば、
社会構造も異なるのです。 今でこそ私たちは、時代や文化が違えば見方も
異なることを当然だと思っています。しかし、その態度は学生紛争のころなら
日和見だと自己批判を迫られたでしょうし、戦前の日本なら天皇をないがしろ
にする非国民だと弾劾されたかもしれません。このように自分の生きる時代の
価値観としての諸構造からは誰も自由になれないことを教えてくれたのが
「構造主義」です。構造主義は、フランスで生まれた20世紀後半を代表する
思想的潮流です。この思想は当初から、狭義の哲学とは無縁な様々な学問が
集まって展開された点に、大きな特徴があります。
 構造主義の祖はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールであり、
フランスで構造主義のロ火を切ったのは文化人類学者レヴィ・ストロース。
かつて構造主義の四天王と呼ばれた人物を見てみても、精神分析学者である
ジャック・ラカン、文芸批評家のロラン・バルト、マルクス主義者のルイ・
アルチュセール、思想史家のミシェル・フーコーと、哲学者は一人もいない。
 また、一口に構造主義といっても共通の見解や綱領もありません。
ただ彼らの仕事には、共通の特徴があったのです。それまでは、人間の社会的・
文化的営みを考る上で、そうした制度を創った人間が中心に置かれていました。
これに対して、彼らはその活動を根底で規定し方向づける「構造」こそ大きな
意味があると考え、その構造を様々な領域で探究したのです。
 ストロースやラカンは、五〇年代からその探求を開始していましたが、
構造主義そのものが世間的に知られるようになったのは、レヴィ・ストロース
が『野生の思考』(1962年)を出版したのをきっかけに生じたサルトルとの論争
によってでした。『野生の思考』は、それまで非合理とみなされたいわゆる
未開人の神話的思考が、西洋近代の科学的思考に劣るどころか、感性的表現で
世界を組織化する「具体の科学」だと主張して、西洋近代の理性中心主義への
反省と西洋中心的発展史観の解体を促しました。ただ彼の意図は、単に西洋の
論理を相対化することでも、未開の思考を賞賛することでもなく、人類に普遍的
な論理性や心性の構造を探りだすことにありました。レヴィ・ストロースは、
その最終章でサルトルの思想が西洋近代社会の人間像だけをモデルにした理論
構築だと批判しました。西洋近代は、歴史は人間の手で自由に創造されるもので
あり、人類は幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ進歩していくという歴史観に
基づいていました。構造主義は、そんな人間主体の全面的自由を疑ったのです。
この論争は反響をよび、実存主義から構造主義への世代交代を印象づけました。
しかし、統一的な学派でなかった構造主義は、七〇年代以降記壕論的探究や
ポスト構造主義へと拡散していくことになります。≫
▼「人々の活動を根底で規定し方向づける『構造』こそ大きな意味がある」と、
 未開人の神話的思考から、欧米の理性中心主義を疑った。これは、それまで
無批判だった欧米主義を根こそぎ、揺らがす出発点になった。その社会構造が、
ネット社会の到来で根こそぎ揺らいでいる。ネット社会の構造とは如何なる
ものか、どの方向に向かうのか? 面白そうだが、先は限られている。 
・・・・・・
4973,閑話小題 ーよい先生とは
2014年10月26日(日)
 * 「数学科」より「子ども科」へ!   
            〜『大丈夫、なんとかなるさ』近藤勝重著より
なかなか、示唆のある内容である。 ーまずは、その辺りから 
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの地名の意味を質問した
ことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか!」と怒声を上げたと
いうのだ。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したこと
はない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある
学校で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが
自分の仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることでは」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」を
教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがて子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子は、答える。
「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」
『こころのチキンスープ』で知った話だが、その先生の言葉をぼくなりに
想像してみた。こんな感じではないか。「エディ正解まであと一歩よ。
公式はちゃんと使えているわ。あなたならきっとできる」 ≫
▼ 学生時代に「人事管理」「キリスト教倫理」「経営学」など、影響を
 受けた教授は、その科目を超えた、「青年学」だったようだ。 授業を通じ、
これからの人生を如何に生きるか、どうあらねばならないか、を教えていた。
そう、専門課程を通してベースになる教養の必要性を教えていたようだ。 
現在の私の学問は、一度、子どもにたち返って、原点から考え直すこと。
自分を子供に見立てた「子ども学」が、私の科目である。純真な気持ちで哲学や
文学を通して、どうしようもない自分を学び直す、学びとすれば、何かが見えて
きそうだ。現実に溺れたまま、この歳まで生きてきた男が、急にガンを宣告され、
それまでの生き方そのまま自分に問われる。そして、それまで生きてきた姿
そのままで、死んでいく。これは、全ての人に当てはまること。この数年来、
死ぬ時に、両親と手をつないで雲の彼方に上っていくイメージを作り上げてある。
とすると、「子供学」を通した「死生学」になる。「もっともっと楽しんで
おけば良かった」と、それでも後悔するはずだから、一日一日を大事にし、
楽しむことが、いま与えられた課題になる。「いま現在、実行している!」
という内なる声は、勘違い! それにしても、毎日が面白いが・・
 まだまだ、楽しみが足りない!ということ。 
・・・・・・
4606, 閑話小題 ージェネリック家電
2013年10月26日(土)
   * ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が
一定期間を経過したことによって特許切れになった薬品を、他社が格安で製造
販売できるようになった薬」。ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち
(一世代前)した製品の部品を集め半額から10分1の価格に抑えた専門メーカー
の商品。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加している
という。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、
家電チェーンの店先には、何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。
そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。半月前に
5年間使ったデジカメが壊れ、新たに買うことにした。当初からデジカメは
カシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後
だったが、今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が
800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の多機能付きか迷ったが、
ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。デジカメは、
日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それに
しても安い。20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セット
を買った。百万円以上はするような高級家具が、30万円。そこで、社長に
聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤ
から輸入したもの。デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、
本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」
の走りだろう。考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。
型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、使用目的に絞り込んで
トレードオフをしている点では同じ。5百、千円ならいらないが、百円なら・・ 
韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、
格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
・・・・・・
4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
≪1886年、アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」
 の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、頭痛薬「コカ・コーラ」として
売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があった。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつもの
ようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、あいにく手近なところに
水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客は
すっかり元気になり、効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、
シュワッと泡の出るコカ・コーラがアメリカ中に広まっていった。
日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味
だったのか、あまり売れず、いったんは発売が中止になった歴史がある。
再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の
兵士や、その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に
輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。 
 しかしルーツは一つなのである。ではこれらのお茶は何が違うのかというと、
製造方法が違うのだ。 製造過程で、葉の発酵具合を変えることで、まったく
違う種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸して
もんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は半発酵させた茶で、青茶ともいう。
そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵
させる過程で、独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔かすに適していた。
 ・・・・・・・
3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
       「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。
昼間でも家の外に人の気配がすると、玄関に走り出し吠える。家を守ってでも
いるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。
父が入院している病院に向かっていた。病室に入ると人工呼吸器につながれる
瞬間であった。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。
よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、微動だにせず機械と息を
合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずる
かのような音と共に機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス
音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。父の法要が済み、
一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。
茶色のトイプードルが我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことを
きかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、
まさにその日であった。これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、
真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に
映し出されていた。その時に居間の障子越しから夕陽が仏像を照らした。
それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は
何の日、ハッとした。父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 
両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。


5702,自分のための人生 〜��

2016年10月25日(火)

 
   * 不安に感じるより、まずはやってみる
 20歳で、両親のような「創業」を決意、それ以来、その影に怯えながら、
何とか不安を乗りこえてきた。前向きに暗闇の未知の世界に向かって踏出す
恐怖心は、誰にもある。そこで、「その時は、その時!」の言葉に従い、
その都度、具体化をしなければならない。
 人は、失敗を恐れるあまり、新しいことに挑戦するのをやめてしまうが、
転がってしまえば、じぐざぐでも、前には進む。
「失敗と、成功の経験の積み重ねこそが、成長の土壌」になる。面白いことに、
ドン底にこそ、小さいチャンスの糸が見えてくる。それも準備があればこそ、
糸先が見える。 まずは、不安を乗越えて一歩踏出すこと。これは、事業でも、
秘異境旅行でも言えること。 
 人生は生きている最期までがプロセス。その時点時点で、選択した項目に
全力を出しきること自体が、節目を強くすることになる。『面白かった!』
の実感が、何もかも吹飛ばしてくれる。 畜群には、それが見えない。
 今ではネット・ゲームやマネジメント・ゲームがあるが、自分を博打の駒
にする醍醐味に到底及ばない。 いや、今では、その方が遥かに面白い?
 何れの石ころも、遠目でみれば、カタチと、大きさが大小の違う砂利。
としても、生きていくには砂利なりに前向きでなければ?
 事業も、秘異境旅行も、その都度、不安を乗越えた一歩から始まる。
≪P・200 未知のものを避けているとき、自分のその行為に気づく
 ことが大切だ。その瞬間に自分自身に言い聞かせてみよう。
「人生、必ずしもいつも、自分の行き先がわかっていなくてもかまわない」と。
<型にはまっている>と気づくことが、それを変えていく第一歩である。
 少し冒険をして、型にはまったやり方から抜け出してみよう。
何の予約もせず、地図も持たないで、行き当たりばったりの休暇を過ごすのも
いい。何が起こっても、自分を信頼して事の処理に当たるのだ。
たとえば、新しい仕事の面接を受けてみる。あるいは、「よくわからない」
「理解できない」と言って、これまで避けてきたような人と話してみる。
 自分の偏見を疑問視してみると、そのために自分が何の進歩もなく、
おもしろ味のない人間であることが、すぐにわかる。
自分とは違うタイプの人に多く会えば会うほど、今まで自分がどれほど損を
してきたか、自分の恐怖心がどれほど愚かだったか、よくわかるだろう。
これを見抜くことができれば、未知の世界は避けるべきものではなく、
むしろどんどん探索すべき場所になるだろう。・・ (中略)
覚えておいていただきたい。人間にかかわることは全て、自分と無縁でない。
自分にその気があれば、何にでもなれる。このことをしっかり心に刻み込んで
おき、安全で逃避的な行為に陥ったら、思い出そう。
失敗を恐れる気持ちは、往々にして、他人の反対や嘲笑に対する恐怖心。
 他人には他人の考えがあってけっこう、自分とは関係ない。このように、
自分の行為を他人の言葉ではなく、自分自身の言葉で評価しよう。
自分の能力は優劣で決まるのではなく、ただ他人とは違うというだけである。
            < 『自分のための人生』〜6章 > より ≫ 
▼ 人間は「習慣」で動く生き物。それを利用して、一日の行動スケジュール
 の質量を、数ランク上げれば、それが第二の天性として身についていく。
 新しい時節に新しいことを始めるには充分の準備が必要となる。そして、
 いざ踏み出し繰返すと、思いのほか、スムーズに動き出す。
  畜群をネット辞書で検索すると
【「畜群」- 意味(独)【Herde】「ヘールデ」
 「超人」を理想とするニーチェが指摘した 集団から突出することを恐れる
 人間の特徴。 囲われた群れから孤立することを嫌い、欲望を抑えて、
 利他的に努める性質...】とある。所詮は、何れも石ころは石ころ、砂利で
 しかないが、それを自覚出来ているかどうか? 出来ていれば、石群から
 離れ、急流に身を置き、面白可笑しく転げまわるだろうに。畜群でしかない
 自分の石(人生)小ささを、日々、面白がっているに過ぎないが。
  ところで、畜群の人生、何が悪い? 「和して同ぜず」でなく、
 「和して同じる」のが悪いからか。付和雷同が一番悪い。良しとするのが、
 「畜群」ということか。ネット世界には「ネット畜群」なる生き物もいるが。

・・・・・・
5337,本当に、数字は「ウソ」をつかないのか?
2015年10月25日(日)
              〜『考える練習』 保坂和志著
  * 一面だけの情報なら、それは正確とは言えない
 マスコミの報道は、ニュースという短期間の視聴者の関心を惹きつけるのが
仕事のため、どうしてもオーバーな報道をしたがる、そこに、大きな誤差が出る。
現在問題になっている、2cmの杭の段差問題が、それである。哲学書を読み
続けていると、こういうニュースの欺瞞性が見えてくる。たまたま、図書館で
見つけた、以下の内容が、正に、それを言いあてている。〜その辺りから抜粋〜
≪ 消費税を上げなくてはダメだという理由に、年金問題がある。
 年金は何十年か前は8人で1人を養っていたのが、いまは3人で1人を支える
「騎馬戦状態」だと言われている。 それも2050年頃には1人で1人を支える
「肩車状態」になるという。だから税収を確保しなきゃいけないというんだけど、
でもそれは年金だけを見たときの話でしょう。たとえば70年代は、家族を考えて
みた場合、専業主婦のいる家庭に子ともが1人か2人だったわけだから、1人の
働き手が最低2人養っていた。いまは共稼ぎで子ども1人のところも多いじゃない? 
子どもが2人いても共稼ぎ家庭なら1人で1人を養うことになるし、一人っ子なら
0・5人しか養ってない。うちなんかは、子とも0だ。猫はいるけと。
 そこに年金が肩車状態になったって、1人増えるだけじゃん。それならいけない
はずはない。だからここには考え方の誘導があるんだよ。誘導があると、みんな
その流れの中でしか考えなくなってしまう。いちばんわかりやすいのは、労働
人ロの割合だと思う。全人口に対して労働人口の割合が増えてることだけは
間違いないんだよ。それなのにお金が足りないというのは、一人ひとりの給料が
安いからでしょう。大企業が消費税に賛成している理由は、正社員を減らして
非正規雇用を増やして賃金をもっと減らしたいからと思うんだよ。だから、
消費税増税はいまの人件費削減の流れの後押しになる、ということなんじゃ
ないかと思う。情報を一部分だけ出して、いかにも根拠があるかのように統計
を見せて、「数字はウソをつかない」とかって言っても、一面だけの情報なら、
それは正確とは言えないよね。タバコの発ガン率とか、メタボの人が脳卒中
になる確率とか、運動不足の何とか率とかって.いろいろ出てくるじゃない。
これをしている人はそれが15%上がる、30%上がるってさ。でも、もともと
そういう症状になる人が全体の何%いるかまで出ていない限り、何%増えようが
減ろうが、説得力はないはずだよ。この店で宝くじを買えば当たる率が30%
上がるっていったてじゃあ買おうって人はいないよね。宝くじなんてもともと
当たらないんだから。タバコを吸ったら肺ガンになる確率が30%上がりますよと
言われても、一生のうちに肺ガンになる確率が5%だとしたら、それが30%増え
ようがたいしたことはない。まあ数字自身は「ウソ」をついてはいないのかも
しれないけど。気が利かないだけで。じゃあ、それは厚生年金で、国民年金の
話と混同してる?そうかもしれないけど、国民年金と厚生年金の一体化とかも
言ってるんだからいいんだよ。≫
▼ 自頭で考える訓練をしておかないと、マスコミの、世間の好い加減な
垂流し情報をそのままを信じ込んでしまい溝沼のボウフラに陥る危険がある。
9割以上が、上記のような情報のため、一線を画さなければならない。
・・・・・・
4972,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 〜�
2014年10月25日(土)
  * ツアーゲームの醍醐味
 ツアーは、ツアーゲームという方が、その本質をついている。
  ーネット辞書によると、
≪ ツアーとは、基本的にはパンフレットやインターネットサイトなどで
 宣伝して旅行者を募集し、旅行代理店で旅行契約を締結し代金の収受を行う。
行程表に従った団体行動で集合場所から解散場所まで全行程に添乗員が同行する
形態が基本であるが、1990年代からは添乗員が同行せずに所定の往復の交通と
宿泊(に加えオプショナルツアー)で構成されるフリープランが台頭し、
旅行者のニーズに合わせて選択できる。
 :利点として
・添乗員が同行するパッケージツアーでは、現地での不安感が少ない。
・比較的多くの観光名所を観光バスなどで短時間に効率よく周遊出来る。
・現地の情報の事前収集がされているので、参加者は、情報収集のエネルギー
 が少なくて済む。
・団体料金が適用されるため、自由旅行や手配旅行より旅行費用が割安な
 ケースが多い。
・旅行業者は3つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保障責任)
 を負うため、手配旅行に比べて安心。
 :欠点としては
・観光ルートが時系列で細かく設定されており、せわしなく感じる場合がある。
 また、自由時間が少ないため観光内容に物足りなさを感じることもある。
・行動の大半を他の参加者と共にするため、煩わしく感じる場合がある。
・近年、格安航空券やホテル代の割引が個人客にも開放されており、自由旅行
 や手配旅行の方が安くなることも少なくない。特に1人参加で1人部屋追加
 料金を支払う場合はかなり高くつく。また、辺境地をチャーター便や
 貸切バスで周遊するツアーも高額になりやすい。
・土産物店や免税店に何回も立ち寄らされることがある。現地での観光を
 放棄する方法もあるが、ツアーによっては認めないものもある
 (土産物店等が旅行会社と契約してマージンを旅行会社に払っている)≫
▼ 以上だが、一般的にツアー旅行は、フリープラン派と、パッケージ派に
 分かれる。49回のツアー経験から、フリープランでの現地代理店との直接
交渉のパックは、旅行代理店の裏づけがないため、現地の ガイドの好い加減な
扱いが多い。少し窮屈でも、私はパック旅行にしている。アフリカとか南米
専門の弱小旅行代理店は、(何度かの経験からみて)やめた方がよい。
マニュアルと、チェックリストが皆無のため、添乗員の劣悪な扱いを受ける
ケースが何度かあった。代理店は、それぞれ客層を絞っている。その時々で、
代理店の浮き沈みが激しい業界である。JTB、日本旅行、近畿ツーリスト、
HIS、阪急旅行社の順に重心が移動している。自分は何を旅行で求めるかで、
その相手先を決めるが、私の場合、値段と行き先の内容になる。
 ツアーゲームは、私にとって最高の遊びであり、別腹の多くの体験と感動
が詰まっている。それぞれのツアーの延長が、TVやブログで見るなどしながら、
今も続いている。その度、新たな経験がある。
・・・・・・
4605, 閑話小題 ー今回は、い〜かな
2013年10月25日(金)
   * 「今回は、い〜かな!」
 一昨日の夜、家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。
その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい〜かな、
とヤンワリと断った」と。そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』
を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。「『い』をつければ、
いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして
「あっ、そっか!」 それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、
こういう言葉の彩の面白さに反応しない。 以前、何処かの居酒屋で、
店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を
飛ばしたが、全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれて、
何とか場は持ったが・・ ま、いいか! 「今回は、い〜かな!」は、巧い
断り方。営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。
   * ぽっくりシューズ
 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、
『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく
「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 
 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面に
ギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、サドルの前に腰を出し、女またぎで
両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく)だが、緊急停止の場合、
短身もあり、2〜3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れては
きたが、やはり不安で、厚底シューズを検索で調べ、アマゾンから購入した。
送料込で3900円。早速、送られてきた現物は、何と、ぽっくり下駄にそっくり、
ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズ
と変わらないし、踵部分が削られ、中央が膨らんでいる。失敗かなと思いつつ、
履いてみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。
 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、
姿勢を正して歩かないと不安定になる。 足元が三分の一しか接しないため、
姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため疲れが残るがウォーキングに最適。 
自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。踵から脚を踏み込み前に重心
移動すると、楕円形のため勢いつき身体が移動しやすい。よく考えたものだが、
自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、げ落ちそうになった。
・・・・・・
4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5
2012年10月25日(木)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ
 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと
塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、やけに美味しかった。
マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。
≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズを
 かけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。その起源をたどると、
18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。
マヨネーズが誕生したのは、イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな
港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。
フランス軍を率いていたリシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を
縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれて
いたが、一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎ
を求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。戸惑う料理人に、
リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。
料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品であるオリーブオイルとレモン、
ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が
満足するか不安に思った料理人は、少しでも料理をグレードアップさせたい
との思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 
マヨネーズがこの世に誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリュー
がレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として
マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫
▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、
 不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。これとケチャップも、
冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。
 ・・・・・・・
3865, 嘘みたいな本当の話 ー3
2011年10月25日(火) 
 * 財布    「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 
10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。そのうち6回は
誰かが拾ってくれて、返ってきました。日本はよい国だと思う。 東京都 マキ
  * 傘
 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。
聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合った
のだという。そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と
声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。こんな東京でそんなことしている人
見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。
地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、
バイトに遅れるわけにもいかない。覚悟を決めて人混みのなかを走りかけた
とき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」
見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、
バイト先まで走ってくれた。ー東京都 佳恵
 〜〜
 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。家内の実家が建材店をしており、
年に一回、取引先を招待して倉庫で、展示会をしていた。そこには古物商、
ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。その古道具屋の仏像の中に、
20センチ位の大きさの象牙の阿弥陀仏が目に入った。値段を聞くと45万円。 
買う気がないので冷やかしで、「25万円なら買うけど・・」というと、
ケンモホロロに断られた。そこの娘婿とは知らなかったようだ。
で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書
とともに、その仏像が直送されてきた。何気なく、その仏像の台座の下を
みると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。もちろん新しく
刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、
亡くなった娘?のものかは分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、
私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、顔を
青ざめて忠言してくれた。仏像は精巧に彫ってあり、数珠の玉まで細かく
見えるほど。中越大地震のおり、その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 
今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無いだけ」と、興味なし!
 ・・・・・・・・


5701,自分のための人生 〜��

2016年10月24日(月)

           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
   * 幸福の人ほど「知的」になるのはなぜか?
 幸福の人は概して「知的」である。「知的」だからこそ、幸福と言える。
知識とお金の使い方を熟知すれば、身をたすけるが、問題は使い方になる。
 分類される前の中学の同級生の上位2割と、下位2割の成績の人たちの、
その後の幸福度を比較すると、その後の人生で、現象的にみてだが、比例して
拡大している。著者は、「人は自分の望むとおりに頭をよくすることができる。
才能は資質よりも、どれだけ時間をかけるかに負うところが大きい。」と、
看破する。  〜その辺りから 〜p74             
≪・自分自身の基準に当てはめて考えれば、自分を知的だと思うこともできる。 
 事実、幸福になればなるほど人は知的になるものだ。例えば代数や書き取り
などの分野が苦手なのは、今までに行ってきた選択の当然の結果として、
そうなったにすぎない。こういう課題のうちどれでもいい、練習に十分な時間
をかけようと決めさえしたら、まちがいなくうまくなる。自分を過小評価して
いるとしたら、それはそういう考えを受け入れてしまったからだ。学校の成績
のように常に変化するものを基準にして自分と他人を比較するからである。
・こんなことを言うとびっくりするかもしれないが、人は自分の望むとおりに
頭をよくすることができる。才能は資質よりも、どれだけ時間をかけるかに
負うところが大きい。
・標準学力検査の成績基準を見てみよう。この基準が示すところによれば、
1年生レベルで優秀な生徒がとる得点を、高学年レベルでは大多数の生徒が
とっている。また、なかに他の生徒よりもかなり早く習得する生徒もいるが、
最終的にはほとんどの生徒が各学習課題を習得する。ところが、ある技能を
完全に習得するには、他人より時間がかかる生徒には、ただそれだけのことで
「不可」というレッテルが貼られてしまう。
・この点に関して、ジョン・キャロルは「学校における学習形態」の一モデル」
という論文の中で次のように述べている。
< 適性とは、学習すべき課題を習得するのに要した時間の総和である。
  この公式的記述が暗に示しているのは、十分な時間が与えられれば、
  どんな生徒でも課題を習得できるという仮説である。 >
十分に時間をかけ、かつ努力すれば、決心次第でほとんどどんな学問上の
技術も習得できるだろう。≫
▼ 一つのことを成すには一万時間の集中した継続が目安になる。その為には、
 好きでなければ続かない。継続は進歩につながっていく。知識の蓄積から
湧き出る知恵が、自然と幸福に導いていく。 
<「えっ!そんな知恵がなくても、充分幸せですよ!」に、
 「両親からいただいた性格だからですよ。他人と比較しないからですよ。
  知らずと幸せな仲間を選んでいるからですよ  それは。」>  
 〜で、以下の内容に脈絡が続く。

・・・・・・
5336,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー��
2015年10月24日(土)
   一1人の時間を持て余す者は、二人の時間も持て余すー
 老いの大きな問題に『孤独』がある。特に独身の場合は大きな穴が
 心の中にスッポリと開いているのだろう。そのためには、自分の世界を
 つくり、ダンデゥズムに徹し、孤高に生きるのも人生の一つ。
≪ ◎ 質問 =このまま一人孤独に人生を終えたくはないのです…
 私はこの年になってもまだ結婚をしたことがない50歳の独身です。
仕事を離れるとほとんど人とおしゃべりする機会もありません。
飲みに行ってもほかの客とはあまりしゃべりません。
自分から心を開かなければ相手も私の心を分かってくれないということは
承知しています。会社もあと十年弱で定年ですし、その後の人生はこのまま
孤独に過ぎて、ある日部屋の中でひっそりと終わるのかと思うと不安です。
心を割った話ができる相手、できれば女性を見つけたいと思っています。
でもいままでにそのような出会いはありませんでした。
今後出会いはあるものでしょうか?、(五十歳男性) ≫
≪ ◎ 答え=孤独を孤高にまで高める生き方を目指せ
・シマジ: この前のように三十代の男性からの相談なら「書を捨てて
 女を口説け」、というところだが、五十代となるとそうともいえないな。
仕事以外ではほとんど人とおしゃべりをしない。飲みに行ってもほかの客とは
距離を保つ。おそらく、相談者はずっとそういう生き方をしてきたのだろうし、
他人に自分の領域を侵されるのが苦手で、一定の距離を保つほうが楽だった
のだろうだとしたら、この齢になっていきなり社交的になれといっても、
それは無理な相談。女性に対しても尻込みしてしまうタイプだろうな。
こういう人が人生の晩年を一緒にすごす女性を見つけようと焦ると、下手を
すると結婚詐欺に引っかかりかねない。だから、無理はしないほうがいいね
・シマジ: だからこそ、孤独を恐れる凡人を脱して、相談者には孤高を目指
してほしい。肌のぬくもりやおしゃべりの相手が欲しいなら、猫を飼えばいいん
じゃないか。猫はいいぞ、しみじみと会話ができるからな。俺の知合いの作家
の話だと、飼い猫をあんまり可愛がりすぎるものだから、結婚したばかりの妻が
怒ってね。、「猫と私とどっちが大事なの?」うていう言葉に「そりゃ猫だ」
と答えたものだから、新妻に家を出て行かれたそうだ。人間の女より、猫の
ほうが一緒に暮らしていて心穏やかでいられるというのは否定しがたいね。
・シマジ: 金と時間と情熱を注ぎこんだ一人の時間を豊かにするには、膨大
の情熱と知恵が必要だ。一人で孤独だと思うのではなく、誰にも邪魔されない
自由な時間をどれだけ豊かにしようかと真剣に考えるところから、人生の愉しみ
が広がっていくんだ。まさに人類のステキな時間。心の中に星が降る時間だね。
だから、相談者が仮に本やお酒に興味がないなら、別の手段でもいい。
自分が興味を持っているものをもっと深く探っていく気持ちを持てば一人の時間
を貴重に思えるんじやないかな。それにね一人の時間を愉しめる人でなければ、
二人の時間も愉しめないと思うんだよ。一人をエンジョイできる人間は、二人
になればますます相手と自分を愉しませられる。一人を持て余す人間は二人に
なってもやはり相手と自分を持て余して、退屈な時間を過ごすんじゃないかな。≫
▼ 家にオウム科最小のインコがいる。居間のガラス戸を隔てた先の籠に一匹、
 鎮座しているが、人恋しいため常にピーピーと呼びかけている。時どき、
餌を与えたり、頭を撫ぜてやるが、何か心が癒される。猫を飼うと、異性にも
関心が無くなり、ますます縁遠くなるというが・・ 
・・・・・・
4971,閑話小題 ー飛行機の座席にみる社会構造
2014年10月24日(金)
   * 人生を憎めば、人生は憎しみを返す
 「あなたが人生を憎めば、人生は憎しみを返す」。
これを「人生を愛せば、人生はあなたを愛し返す」と言い直すことが出来る。
現在の私の状況は、まさに、この二つの間で揺れ動いていい筈だが、しかし・・
この状況を肯定することで何とか平静を保っている。不幸系の人は、まず憎しみ
を持った受止め方をする。何でマイナーな考えを持つか? よく観察すると、
育った環境が大きく左右している。 まず、親を憎むことが、そのまま自分の
人生を憎むことなる。「相方には、両親に愛され育った上に、運がある人かを
第一にして見分けなさい」という。幼児から20歳代までに、プラス・マイナス
の両極端の世界を垣間見てきた。やはり金持ち喧嘩せず。異性に惹かれるのは、
自分と違った要素を持つ人。しかし、それは短期間だけで、長い目で見れば、
その違いが性格の不一致になる。そこから憎しみが湧き出て、争いが子供に
大きく影響し、その結果、子供は両親を憎むことになる。90%の夫婦間が
実質破綻をしている?というが、子供はたまったものでない! そこで、
「されど、妻(夫)を愛す。人生を愛す!」が、人生を生抜く要諦になる。
   * 飛行機の座席に垣間見える社会構造
 飛行機は、集約された社会構造が、そのまま露出する場所。
見てみないふりしかない。飛行機の座席のランクには、一般的にファースト
クラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがある。
  ーその料金体系といえばー  (欧州の場合)
・エコノミー: 12万〜50万(12万は格安、50万は割引の無い
        正規運賃で、サーチャージ込み)
・プレミアムエコノミー: 20万〜50万(本来はエコノミーの正規料金
             を支払っている人に対するサービス)
・ビジネスクラス:   36万〜90万(90万は割引の無い正規料金)
・ ファーストクラス: 150万前後(割引料金は基本的にありません)
▼ 私のような格安パックツアーは、大型機の後部座席が主で、旅行代理店が
 年間契約で3万5千〜7万円の格安で仕入れ契約をする。だから少々、窮屈を
我慢をすれば格安旅行が可能になる。ちなみにホテルも、観光シーズンのピーク
を除けば、三分の一、五分の一の仕入れが可能。 だから、パックツアーに慣れ、
使いこなせば、結構、価値ある旅行が可能になっている。私は格安パックツアー
もあって、エコノミーだが、たまたま満席で、ビジネスクラスを5〜6回、
一度だけラッキーなことにファーストクラスに乗ったことがある。4分1の
確率で、窓側3人席に家内と2人になるが、ほぼビジネスと同じ環境?になる。
露骨な格差を目前で見せつけられても、そこは非日常世界、瞑想には最適な時空。
・・・・・・
4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1
2013年10月24日(木)
   「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー(著)
 このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分に
なりがちだが、本列島は地勢的にみて、雨量の多さが豊かさをもたらしている。
著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学を出て、日本
在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。
彼女は、日本の多湿な雨に、特性を見出している。この本は雨読にはピッタリ
の内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に出会えるから良い。    
  ー内容紹介ーより
 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか――
生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方
 雨が好きな人は少ない。でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。
ある時は私たちをエネルギーで満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は
希望、または静かな省察の時を与えてくれる。雨は私たちの生活のリズムを
減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかける。 
雨には意味、存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。
雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流
する境界に在るのだ。雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと
雨を好きになってみては?
 ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 
   ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか
  [レビューより]
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。
「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、
この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り
始めた雨と土の匂い、雨は何処から降ってくるのかを確かめるために雨天のなか、
天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。
それは私にとっては両親、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさ
へと導かれるものだ。この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」
というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を
楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。
雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。誰でも人生は自由なのだな
と改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、
 不思議と一瞬一瞬をより深く、存在意識を持ちながら味わえるようになる。」
と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、深くため息を
つく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また
「超越」という概念にも気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、
自然の制御できない性格なども分からせてくれる。そう、自然をより美しく、
そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。ーつづく
・・・・・・
4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、
 さまざまな種類が発売されている。ティーバッグのはじまりは一〇〇年ほど
前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉の
サンプルを絹の袋に入れておいたところ、客の一人が誤ってそれにお湯を注いで
飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。
一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。
もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じで。戦乱の続く当時、
刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。
戦場ではのんびり薬を煎じている暇などない。そこで金創医たちは、細かく
刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が
抽出できるようにしておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも
便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時は産科医を
している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点
で共通していた。今でも、婦人病の漢方薬に袋に入ったものがよくあるのは、
金創医が処方していた名残である。≫
▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。
 即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンがあった。お湯を
注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、
ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの携帯食としておおいに売れたという。
彼らは戦場で、それをカジリ食べていた。学生時代の昼飯として、
よく食べていた。
 ・・・・・・
3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
 * さかさまな世界-  
        「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに
踏み込む足裏が痛い。右手をそっと後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、
左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。大学に入学
して初めてのバイト先。苛立った僕はその後、事務員の女たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと
届かないんですもん。ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、
和式はたまらなくつらいんですよ」僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは
顔を見合わせる。 ひとりの事務員が切り出した。「あの……トイレヅト
ベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落として
しまった・・ 拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、
次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。同時に、私の足元でひざまずいて
いた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。我に返り慌てて振返ったが、
無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。 岐阜県 横山奈津子
  * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミが
ひとつ入っていた。 長崎県 トンビ
▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、
 一生に一回あるかないか。 こういう思いもかけない偶然は、誰も経験して
いるが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
「洗濯バサミ」、これもあり得る話。野生の鳥は思いもよらない頭脳を持つ。
そうでなくては、四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 
こういう話は純真に聞き入れる方だ。
・・・・・・・・
3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―「起こりえる未来」の読み方≫中原圭介(著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」
の道半ば。これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を
予測して、事前に手を打っておくことが必要。経済予測脳をもっていれば、
誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が
可能になる。それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を
送ることができるのか。 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。
特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、変化をジックリと見極め、
それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けて
 どう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し
 予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのか
 を捉えるようになる。 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、
 人と社会は非合理的な側面が含まれるため、色いろな基礎教養をベースの
 上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、
そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。その背景には本格的情報化
社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を
持ちはじめた20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネット
などの情報手段の革命。そのことを、明確に把握していないと、現在の状況を
見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが・・・ 
世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマに
しているが、それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。
そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦、世界恐慌、そして第二次
世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 
  特に、茹で蛙の日本は、である。  
 


5700,「現代に求められる知性とは何か」

2016年10月23日(日)


                『知の読書術』佐藤優著  
   *「現代に求められる知性とは何か」
 過去からのフラッシュで人生を振返り、独り赤面することしばしばの日々。
そこに現れるのが己の知性の限界と、品性の問題に行き当たる。良心に反する
ことは、極力しないよう心がけてきたが、一つの判断には+−の様々な要素が
含まれる。その時には気づいてないマイナス面が、重く思い出されてくる。
 戦場の極限で、矛盾が積み重なり、心の底に沈殿、それが心の病として、
何時までも付きまとうという。戦場では知性も、理性も、問題の外になる。
イラクとアフガニスタンに派遣された米兵は200万人。そのうち50万人が帰還後
も心の 病を抱えているという。目前で仲間を失い、敵を殺すという戦闘経験が
心的 外傷後ストレス障害を発症させ、多くが自殺まで至る。その縮小版が、
老いとともに生じてくる。そこに、長年培われた教養が必要とされる。
 グローバル化の中、世界がフラットになり、今までの常識が通じない中で、
「教養の再生」が大きなテーマになる。 これからは、「教養共同体」を再生
が重要と、以下のように、著者は述べる。
≪・「教養共同体とは、自分たちの教養や思想を社会に還元していく
 ような教養人のネットワークのことを言う。資本主義や国家の暴走は、
『給料を上げろ!』『戦争反対!』と声をあげるだけではブレーキをかけられ
ません。 なぜか ―それは戦争を推進するような運動や排外主義的な運動も、
その背後にはどんなに稚拙であれ必ず思想の組立てがあるからです」
・また、「知識人や教養人が思想の組み立てや教養の構築を怠ると、
その空白を縫うように、粗雑な反知性主義者が物語を語り始めます。
そして現代の日本には、政治家やビジネスエリート、運動家に至るまで、
論理の体をなしていない気合主義や自己啓発のような物語が溢れています」
・そして、このように訴える。
「こうした乱暴な思想はやがて人々を動員し、物理的な暴力性となって
秩序を破壊します。排外主義的なヘイトスピーチの登場はその兆候です。
反知性主義的な思想の暴力性に対抗するには、知識人や教養人が連帯して、
別の思想・物語を語らねばなりません。だからこそ知識人・教養人の共同体や
ネットワークが、今の時代にはたいへんな重要性を持っているのです」
 反知性主義がはびこる国家に未来などない。そのためにも、「教養共同体」
が重要になってくる。≫
▼「教養共同体」は、ネット世界で『ネット教養共同体』として容易になる。
 ネットの端末機器の進化は留まることなく進化しているが、情報を教養と
して効果的に身につけるには、基礎教養が必要になる。が、子供の頃からの
ベースがないと、教養共同体の理解と共用は難しい基礎教育格差の問題がある。
米国のトランプ、フィリピン大統領のような反知性的思想の持ち主が、同類の
人たちを扇動し、国家を危機に向かわせる。集団心理は本来、反知性的である。

・・・・・・
5335,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー��
2015年10月23日(金)
    ー結婚しなさい。いい相手を俺が紹介してあげようー
 私に今東光が乗移ったら、『サッサと転職をしろよ。次の職場で後悔する
状況に直ぐに陥るから、少しはマトモになるはずじゃ!』というだろうに!
 ≪ ◎ 質問: 信念や主張がなく、すぐ諦める自分がもどかしい
〈 私の悩みは「こだわり」がないことです。そのためか、人にただ流される
 生活をしているような気がします。仕事をするうえでも、周りの人が
「こうするべきだ!」と強く出してくると、「だったらそ札でいいんじゃない」
と迎合しがちで、会議などでもあまり意見はいいません。何かを強く主張を
して揉めるくらいなら、初めから諦めてしまうほうが面倒がなくていいと
思ってしまいます。人材開発・組織開発の仕事をしていますが、この仕事は
すぐ結果が出るような類のものではなく、周囲とのコンフリクトが当然の
ようにあります。それだけに、信念やこだわりがなく、すぐ諦めてしまう
自分がもどかしいです。三十歳を超えて、このままだと仕事は中途半端な
ままで終わりそう、と不安です。(三十歳女性) 〉
  ◎ 答え=人生で最大の罪悪は退屈すること
・シマジ: うーん、難しいな。俺とは全く違うタイプだ。何が原因で自己主張
を諦めるようになったか分からないが、相談者は人生に退屈をしているんじゃ
ないか。主張しない、迎合する、すぐ諦める。これではノッペリした平板な毎日
で退屈で仕方がないだろう。俺は人生で最大の罪悪は退屈をすることだと思うよ。
何だっていい。何か一つのことに十年ものめり込めば、間違いなく自分の世界が
できる。確固とした価値観や美意識が形作られ、オリジナルの主張や、譲れない
一線としうものが生まれる。すぐに諦めることもなくなると思うがな。
・アソシエ: 趣味に打ち込んでみたら変わりますかね。
・シマジ: 実のところ、「たしなむ」レベルではあまり変わらない。結局のところ
「道楽」でもまだ足りず本当は道を極めるところまで行かないと世界は作れない。
つまり「極道」まで行く必要があるんだが一まあ、そこまで要求するのも酷だから、
まずは何か打ち込めそうなものを探してみてはどうかね。空手なんかどうだ。
・アソシエ: いきなり空手ですか。 (略)・・・
・シマジ: 経済力があって頼れるいい男を見つけて結婚すれぽ、相談者は
昔ながらの良妻賢母になり、幸福な結婚生活が送れると思う。何も仕事で成功
するばかりが人生の幸福でほない。自分の意見を強く主張し、周囲と競い合って
仕事で成果を上げるということが向いていない人もいるんだ。そういう人は無理
をして仕事場で「できる女」を目指さなくてもいいと思う。
というわけで、相談者には旦那さん候補としてこ人の男性を紹介しよう。
じつは、いい人がいたら紹介してくれと二人の男から頼まれているんだ。
いま、その男たちの写真を持ってくるよ。
・アソシエ: まっと待って。それは人生相談の範疇を超えているような気が。
・シマジイ: どうしてだね。人生相談というのは相談者の悩みに真剣に対峙
 するものだろう。少なくともシバレン先生、今東光大僧正、開高健文豪は、
相談者に胸襟を開き、自らこれと信じるということを真剣に語った。
人生に正解なんてありはしないんだ。だから人生相談にも正解やあるべき姿
なんてない。語るだけでなく、人助けの実践的サポートまでやる人生相談が
あってもいいじゃないか。俺は、この相談者の幸福は結婚にあると思っている。
そして、良妻賢母になることを確信している。相談者に結婚する気がないなら
無視してくれれぽいいだけだ。もし、その気があるなら、連絡してくれ。≫
▼ こういう人は、男にもいる。学生時代など20歳半ば頃までは、
 経験の絶対量が少なく、まず周囲と同化することに神経がいって当然。
女性なら家庭に入ることで逃避する道があるが、男は、そうはいかない。
人生に正解はないとしても、より良い道は自分でしか切り開けない。
で、知恵を絞り出すしかない。この後の二人の対話が面白いが、止めておく。
・・・・・・
4970,野心のすすめ
2014年10月23日(木)
   * 野心という山登り    〜「野心のすすめ」林真理子著
 創業の準備を含め45年間、その最後は、この様だったが何故か後悔はない。
野心があったからこそ出来た様々な成功と、挫折経験は何物にも変えがたい。 
自分の限界の壁が常に目の前に立ち上がっていて、何時も溜息をついていた。
 野心を持っていると、「棒ほど願えば針ほど叶う」になる。棒ほど願わなくて
は針ほども叶わないのである。創業の頃は、高度成長期の絶好の環境があった。
それに、条件づくりに父が陰で協力をしてくれたこともあった。
野心は志と似ている。自分では志と思っても、人から見れば野心というのだろう。
何かに志をたてると、それが高く、大きいほど、その差が見えてくる。
そして、途中で、頓挫させるような難関が次々と立上がってくる。しかし、今さら、
後は引けないという瀬戸際で、壁が崩れ、内在した力が沸々と湧き出てくる。 
ー以下の内容が、野心を解りやすく要約している。  
≪ 野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。
 本を読み始めると、自分はどれほど無知なんだろうとか、この分野を知らない
のはまずいなあとか、この先また別の本を読んでみたいなと思う。努力をする人
にはいろいろなページが開いてくるんです。反対に、本をまったく読まない人は、
何を読めばいいかわからないし、そもそも本の存在すら意識下に入ってこない。 
自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも
頑張ってみることです。野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上が
どんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような場所まで来て、下を
覗いてみると、登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに
群れている。でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。
自分はこの先、あの高いところまで登れるのかという不安を常に抱えながら、
ズルズルと下に落ちたくないから常に手を抜けない。なぜ、わざわざ辛い思いを
してまで山登りを続けられるのでしょうか。それは、必死で登って来た場所から
見る景色があまりに美しく、素晴らしい眺めを自分の力で手に入れて味わう
満足感と幸福をすでに一度知ってしまったからです。そうなったら最後、
もっと美しい景色が見たい、もっと満足したい、もっと幸福を味わいたい、
と、さらに上へ上へと登りたくなる。 平地で遊んでいる人間には一生見えない
美しい景色、野心を持って努力をした人間だけが知る幸福はあります。
もちろん辛い試練だって待っているかもしれないけれど、野心という山を登ろう
とする心の持ちようで、人生は必ず大きく変わってくる。チャレンジしたから
こそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。
人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生への第一歩を踏み出して
くださる方が、増えることを祈ります。さあ、山に登ろう! ≫
▼「やってしまった後悔は、日ごと小さくなるが、やらなかったことの
 後悔は日ごと大きくなる」の彼女のモットーが、良い。三年前の経験で、
つくづく思ったことは、山の麓で遊んでいた人たちほど、攻撃してきたこと。
特に、城下町の体質が、人間関係にられ一生を棒にふった人の割合が多い。
それが、「他人の血で、自分の一生を棒にふったという傷口を洗おうとして
いる姿そのもの」に私には見えていた。しかし、実際に、人生の夕暮れ近くに
なって、それも有り!ということに気づいた。 山登りの景色も、麓の景色も、
大して変わりはしない、ということ。しかし、麓でも何かにチャレンジして
ないと、麓の美しさ、面白さに気づかない。 ともあれ、何かに挑み、闘い、
変化する中で、人生は面白くなるようだ。せっかく、地球に知的生物として
80年を頂いたのだから! 有りがたく頂戴しないと!
・・・・・・
4603, 閑話小題 ー呆けも大変だけど・・
2013年10月23日(水)
   * 呆けも大変だけど、しっかりしているのも?
 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた
義母と三人暮らしという。「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」と。
その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。
{ 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。
亡くなる半年ぐらい前のこと、元旅館の女将をしていた母の最も親しかった
92歳の友人が、実娘に付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。最期のお別れ
という空気が、そこに漂っていたが、呆けは全くなく元気そのもの。
家内が台所で、こっそりと、「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、
さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! むしろ・・}
 その時の一期一会の二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、
される方も、するほうも、大変である。「呆けは老いの苦痛を和らげるため
神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむのも芸のうち、
ということ。
   * 米国のデフォルト危機
 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。
計画的世界恐慌、このタイミングがベストに思えたが? まずシリア爆撃に
目先を向け、のドサクサにデフォルトだったのでは?国家戦略からして、
オバマ二期目の二年目。やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで
先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。日本と同じく国債増発しか予算が
組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル投入と同じで、
死ぬまで続けるか、恐慌を起こし精算しかない。そのプロセスを踏まない限り、
米国債を出し続けるしかない。 水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。
更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。その上、
世界恐慌が表立ってきたら、どうなるのか。まずハイパーインフレとすると、
年金生活者は?今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。
「まさか!」は起こってからでは遅いが備えは可能。「まさか!」が、危ない。
私の「まさか!」は、リーマン。備えてはいたが、現実に起こると「まさか」
が、「まさか」でなくなる。その典型が、「まさか!東京電力が」・・
一万円前後していた株価が、今では500円、これも国家管理になればゼロの
可能性がある。安定株の筆頭だったのに。
・・・・・・
4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3
2012年10月23日(火)
  * 餃子の形の由来
 餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いもの。
≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起もの
 として餃子を食べるしきたりがある。 その理由は、あの独特の形にある。
鮫子の形は、清の時代まで中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形から
きている。そのため鮫子は「富貴」「多子」の縁起をかついだおめでたい食べも
と考えられてきた。中国では、年の初めに鮫子を食べると一年間お金に困らずに
暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。中国における鮫子は、
まさに日本の「おせち料理」のような存在であるといえるのだ。
それでは鮫子の発祥地はいったい中国のどの辺りなのだろう。じつは比較的
最近の一九六八年、新彊ウイグル自治区のトルファンにあるアスタナ遺跡で、
なんと唐の時代の鮫子の化石らしきものが発見された。この発見により、
このトルファンの地が餃子の起源と考えられている。
この化石は、トルファンに展示されている≫
  * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた
≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選した
 のが食品加工業者アぺールの発案した瓶詰めという方法だった。その作り方は、
瓶に調理した食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。そのあと
湯せん鍋で沸騰加熱して殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま
持ち運ぶことができる。この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、アペール
は莫大な賞金を手にした。ナポレオンの快進撃を支えた瓶詰めは、ほぼ同時期に
イギリスで発明された缶話めとともに、今でも人々の食卓を支え続けている。≫
▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを更に小さく
 個人用パッケーかに詰替えたことになる。最近、コンビニが勢いづいているが、
これも、スーパーの家族用の品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を
中心にしたことが、消費者の支持を受けたことになる。
・・・・・・・
3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は!
2011年10月23日(日)
「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。
反対に、「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのもある。
脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」
という。日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授に
なりたいと は思わない。何となくなりたいと思う理想のイメージの人には
なれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定をしているはず。
ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいもの
になりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。翼を広げ羽ばたいて
いると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。
「なりたい」と真に思わなければ、なりたい自分になれる訳がない。
逆に「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのは、
【某セミナー】の教え。≪ 「なりたくたってなれない。でも、なりたいと
思っているのがそもそも間違い。」 そもそも、なれないものに多大に努力を
つぎ込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、ネガティブなものの
事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生き
かたをいいます。いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだから
なれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」とか「カラーコンタクト
を入れれば」・・とかドンドン付け足し、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿
とは違った「なりたいもの」の仮面を作り上げてしまう愚」を説いている。
これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、
しっかりした指導者か見識が必要。しかし真になりたいものを見つけ、それに
向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行く
のも道理。「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が
針を棒に変えてしまう。なりたいと願うことは、エネルギーをそこに集中して
いることになる。やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたい
ものに、なっていく。司法試験に多くの人が挑み、大多数の人が挫折していく。
しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。しかし一生をかけても
合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。
なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。


5699,老老介護の現実

2016年10月22日(土)

  * 姉夫婦と従兄弟が老老介護の年齢に
 先日の通夜に東京から日帰りでやってきた従兄は、老老介護の真只中。
総武線沿線の葛飾と千葉市近郊に、姉夫婦が三組、父方の親戚が三組が住む。
そのうち姉夫婦の一組と、いとこの二組の連れ三人、4分の1が亡くなっている。
そして残る三組は老老介護の真最中。平均年齢が80歳代に入った老老介護は
日々是戦場状態。長寿が果たして幸せかどうかの問題につき当たる。それでも、
近くに親戚と子供たちが住んでいるのが幸い。連れ合いは、生きているだけ
でも老いの身には支えになる。末っ子のため、従兄弟も含めた自分の数歩先の
モデルの人生、山あり谷ありが垣間見える。 さほど多くない市内の従兄弟や、
義兄が、去年から今年にかけて3人も亡くなった。後は誰が先か後かの問題。
<死ぬまでは生きている、死んだ瞬間から無になるから、自分の死はない。>
と思えば気が楽。現実は、「先に逝ったもの勝ち!」「先に呆けたが勝ち!」
 ブログ内検索で『老老介護』を入れたところ、以下の文章があった。
  実にシリアスの内容である。
――
2011/09/14
閑話小題 〜老老介護
  * 老老介護
 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、
案内され小座敷の隣に80歳は超えている老夫婦の先客がいた。
少し妙な直感がしたが、別に気にはとめてなかった。しかし私たちが入店
した時には食事が終わっていたのに、私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を
飲みながら周りの客の話を聞いている雰囲気が伝わってきた。それは別に問題
ないが、家内がセルフ・サービスのコーヒーを取りに行ったところ、帰りかけで
入り口にいた御婆さんが、家内に「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたら
よいですか?」と話しかけてきたので、家内は戸惑い「私には、どうにもなら
ないんで、店の人に御願いしたらどうですか」と、少し冷たく答えたという。
連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、明らかに痴呆症が半分
入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷いときの辛さを痛感する
ので(痴呆が入ってなくとも)誰彼なく言いたいのも分かる・・・
長生きは有難いが、そこに精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。老いた
だけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という思いで、
一日一日を生きる時節になってきた。あの人は誰かに愚痴を聞いて欲しかった?
のか。長生きはしたいが、老いたくない。この矛盾が老いの問題になってくる。 
――
2015/05/17
人生相談という気晴らし! 〜��
             『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
 さすがの個人主義の哲学者も、老老介護の相談には歯切れが悪い。
介護の世界は複雑で、根深い。極限の場面で、真実を知ったところで、
せめて、気晴らしになるぐらい。最期の最期は、宗教に頼るしかない?
≪ Q:  〜老老介護から人の〈生〉と〈制度〉を問う〜
 私は七十四歳の女性。以前の「死ぬ作法」の記事を読み考えるところが多く、
質問させていただきます。私は現在、九十五歳の母親の介護をしております。
昔であれば一番上の子供が還暦を迎えるころには親は天に旅立ってゆくもの
でしたが、医療の進歩もあり、寝たきりであっても延命治療が続いております。
世間では後期高齢者医療制度が問題になっていますが、むしろ末期の医療現場を
考えていただきたいと思っています。人が生きるとはどういうことであるのか、
死に近い位置から医療をはじめ生きるということを見直すことが必要ではないか
と思っております。哲学のご見地から、寝たきりとなった高齢者の生、死について
何かご示唆いただきたくお願いします。ちなみに私の兄弟三人は皆、病に倒れ
入院生活を送っています。私が倒れたら、どうすればいいものか不安で一杯です。
  A:  〜われわれは「生きている」ことの意味が分からないのです〜
これは大変難しいご質問です。私も大学でここ十年ほど「生命倫理」の講義を
受け持ちましたが、さまざまな学説を紹介することはできても、自分の意見を
言えといわれると、とたんに分からなくなる状態です。 逃げのようですが、
あなたのご質問に対して「哲学の見地から」何の示唆もできない、と言うほか
ありません。哲学は人を救えないものです。正確に言えば、世界とは、私とは、
時間とは、善悪とは、何か分からなくて悩んでいる人をある程度救えますが、
幸福になりたい人を救う能力は皆無だと確信しています。むしろ、哲学とは
不幸になってもいいから真実を知りたいという欲望をもっている人にのみ
開かれている。真実は必ずしも人々に慰めや、平安や幸福を与えるわけでは
なく、逆に不安や不幸を与えるとしても、あえてそれを追究するのですから、
相当ヘンな欲望ですね。そもそも、われわれは「生きている」ことの意味が
分からないのです。ですから、生きているほうが、死んでいることより「いい」
ことを論証できないのです。哲学は「いかに」生きるか「いかに」死ぬかを
教えることはできず(それを安直に言い出す哲学者はニセモノ)、人間が死ぬ
ことの意味そのものを問い続けることができるだけです。私も人間ですから、
直観的に「人を殺してはいけない」とか、「老人を虐待してはいけない」という
ことは理解できますが、さらに「なぜ?」と問うと途方に暮れてしまいます。
まさに、ここに問題を見出す人のみが哲学に突き進むのであり、そんなことは
何の問題でもない、目の前に苦しんでいる人がいれば助けるのがあたりまえ
ではないか、という考えの人は決して哲学の門にはいらないでしょう。・・ ≫
▼ 難しく、深刻な問題だが、決して他人事ではない。人生の最期は、決して
 不幸から逃れることが出来ない現実がある。それに対し、「南無阿弥陀仏」か、
「南無妙法蓮華経」と唱えるしかない。哲学は、「ことの道理」を追求すること
が出来ても、人を救うことは出来ない。ということは、人生相談に、哲学は
向いてないことになる。だから、逆に質問の内容そのものの甘さを指摘して
納得させるのが、ベストになる。『人の心の問題は、ほっとけ!』と。

・・・・・・
5334,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー��
2015年10月22日(木)
  元・プレーボーイ編集長の島地に、亡くなった三人がのり移った設定の
人生相談だから、面白くないわけがない。ランダムだが、面白そうな相談から
紹介していく。
   ー大企業で出世する男の見分け方を教えてくださいー
〈 私がつき合っている男性は慶応大学卒の28歳、某大手電機メーカー勤務です。
有名企業ですが、このご時世、サラリーマンの一寸先は闇。彼が出世競争を勝ち
抜ける人かどうかを知りたいのです。私も大手といわれる保険会社勤務ですが、
ずっと仕事を続けるつもりはありません。というか、専業主嫁になりたいです。
ただし、貧乏臭い節約生活は送りたくありません。銀座で気軽にショッピングを
したり、一流のレストランでランチができるくらいの余裕のある生活が希望です。
そのためには、旦那さまにかなりの稼ぎがないことには。かといって、ベンチャー
経営者なんていうのは、蟹産の危険と考中合わせで不安定だからイヤ。大企業で
出世する人がいいのです。そういう人の共通点って何でしょうか。どんなところ
で見分けられるでしょうか。こんな質問をしたら、コメントは欄では非難轟々
かもしれませんが、本音でお蜀きします。(27才女性) 〉
  ーお答えー
〈・シマジ:その慶応卒の彼氏とやらに会って、食事をしながら二時間も話せば、
出世するかどうかをぴったりいい当ててあげるよ。だが、一般論として出世
する男はこうだとはいい難いな。それこそ千差万別だ。だから、会わずに語る
のは無責任だな。無責任だが、これだけはいえる。この男が大企業の中での
競争を勝ち抜き出世するだけの知力と感性の持ち主なら、相談者を一生の伴侶
として選びはしない。すなわち、相談者を妻にするような男なら出世の見込みは
薄く、出世する男なら、いずれ相談者と別れるだろう。
・アソシエ:辛口ですね。
・シマジ:相談者の本音の質問を本音で答えたまでだよ。出世をする人間の
大事な条件の一つが人を見る眼力だ。大きな組織の中でこれぞという先輩や
上司を探り当て、その人に教えを請い、その人を尊敬して命がけでついていく。
あるいは営業マンなら、取引先のキーパーソソを見極め、そこにしっかりと
食い込み、人脈を広げていく。いずれにせよ、そうした人を見る眼力があれば、
女のたくらみも見通してしまうだろう。それにしても、相談者の考えは浅いな。
だってそうだろう。日本の大企業の中で課長に出世をする男には眼力が必要だ。
課長になり、部長になり、ついには役員になったとして、どれほどの生活が
できるというんだ。第一、子供はどうする。子供が二人もできたら、優雅に
お買物にラソチになんていっていられなくなる。しかも、教育に金がかかる。
こういう相談者だから、子供に有名幼稚園や小学校をお受験させるだろう。
そのうえで、有閑マダムよろしくブランド品のショッピングに精を出し、
高級レス.トランでランチ三昧なんてことをしようとしたら、数千万の可処分
所得が必要になる。ということは旦那は税込みで一億円近く稼がなくては
ならず、サラリーマンには到底無理な話だ。〉
▼ 以前、田圃や小川に生息する〈タガメ〉について書いた。蛙や、小魚に
 抱きつき、栄養分を死ぬまだで吸い取る昆虫で、日本の専業主婦に酷似
しているという分析の書籍を、ここで紹介した。 何か、誰かさんみたい?
  〜二年前に取り上げた内容を下にコピー〜
・・・・・・
4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジがゴーストライター
2013年12月19日(木)
  * 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作 
                ー『知る悲しみ』島地勝彦著
 図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。
例の『水の上を歩く? 酒場でジョーク』島地 勝彦・開高 健 (著)の、
元プレーボーイ編集長の島地の著書。「知らない悲しみより知る悲しみ
のほうが上質である」とは、言い得て妙だが、何と『極道辻説法』
の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白。生臭坊主の
名回答も、シマゲジの創作とは・・ ーその一節を書き出してみるー
・矢野「いまインターネットなどで『今東光語録』が箴言集のように
 扱われています。ところが私などから見ますと、どう考えても大僧正の
 興味のテリトリー外のテーマなどが書かれてありまして、ずばり
 訊きますが『和尚前白』は大憎正が書いたもの?
・島地「今日はすべて告白しよう。あれは全部オレが書いたものだよ。
 しかしよく分かったね。読み込んでいるなあ、矢野は」
・矢野「ただ『速記録』で実際に大僧正が語った回想や時評をうまく
 リライトされているのもあります。ですから島地さんの全くの創作ばかり
 とは言い切れない。今日は漢幸雄さんが収集した『和尚前白』を持参して
 きましたので、どれが完全に島地さんの創作なのか教えてくれませんか」
・島地「いいとも。(『和尚前白』を読み進めながら)第一回からオレの文章。
 確かに。うまいなあオレは。(国連総会演説を取上げた回を示し)これもオレ。
 高校野球の話、これもオレだ。この回は大僧正の話をまとめたもの。これも
 オレじゃないかな。ほんとに大僧正が愚依してるね。いま読んでも面白い!」
・矢野「スポーツや外国小説がテーマのものやアル・カポネの話もみんな
 島地さんの創作なんですね」
・島地「もちろん、そうだよ」
・矢野「このインタビューを読んでひっくり返る人、いっぱいいますよ。
 いま島地さんは『乗り移り人生相談』という連載をされていますが、
 まさに当時から大僧正に乗り移ってたことになりますから」
▼ 私もひっくり返った一人である。島地が今東光に憑依しないと、
 あれだけの名回答は出てこない。そうすると、この本の題名「知る悲しみ」
に通じてくる。「知らない悲しみより、知る悲しみの方が上質」としても、
読者の一人として、知らない方が良かったと思うのが人情。ここで紹介されて
いる「エロ・アーカイブ」は興奮した。飼犬の秋田犬と夫婦の3P?を生々しく
書いてあるが・・ 今度ここで紹介しようか?ー【スカトロ・マニア】犬の
ロッキーを恋人にした私の妻ーと検索すると出てくるが、お勧めはできない。
成るほど、「知る悲しみ」そのもの・・ 上質かどうかは別!
・・・・・・
4969,生まれたことをどう考えるか
2014年10月22日(水)
           「生まれたことをどう考えるか 」船木 英哲 (著)
  *「生まれたことをどう考えるか」は、人生の根本的問いかけ
 学生時代から、この根本問題を考えてきたが、そう簡単ではない。しかし、
「何を馬鹿な!猿が生まれてきたことに意味があるかを考えるのと同じ。
意味など後付の理屈」と決め付けることもできる。この問いかけは、
「人生を如何に生きるか」に通じる。フランクルの「人は良く遊び、良く働き、
良く学ぶため生まれてきた」を一番気に入っているが、これに「良く休む」を
加えると、ベストに思えるが。実際、生まれてきた理由などないはず。
  まずは、ーアマゾンの内容説明よりー 
《 生まれるとはどういうことか、(生まれ、生きる主体である)心とは何か
 の問題を追うことで、人間や世界の存在を考察し洗い直し、生まれたことに
意味はあるのかどうか、意味があるとすればそれは何か、どういうものが
考えられるのかの問いに迫ったものである。・・(本文より)》 
 ーその一部を抜粋してみるが、最初から最後まで似たような内容が続くー
≪ ◇ほんのわずかな時間、意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの
 心臓や肺が動き、わたしが呼吸するということは、わたしが意識的に作り
出していることではない。わたしが眠っている、わたしの意識のない間も、
心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。わたしの意識の状態に
関わりなく、呼吸、さらに体温調節、消化、酵素の分泌など生命維持に
必要な営みは行われている。生きているということは、生きている各人の
意識とは別なところで成り立っている。自分が生きているということは、
根本的に自分が作り出しているようなことではない。
 ◇ わたしは生きるか死ぬかを選択し、その通りに実行することができる。
もちろん自ら死ぬという選択、実行には、多大な困難が伴うであろうが、
場合によっては、意を決し行うこともできる。わたしは現在生きる選択をし、
骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは自分の力で
自分の生からすべて作り出しているのではない。何かによってわたしが生き
られるような状況があるから、わたしは生きてゆけるのであり、生きるか
死ぬかの選択ができるような状況にもあるのである。
◇ わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、
100年前や500年前ではなく、わたしの生まれたときに生まれたこと、
他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに生まれたこと、さらには、
わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなく
人間であったこと、また、他ならぬこのわたし、この自分であり、わたし
固有のDNAをもっていること、死すべきものであることなどは、わたしの作り
出したことではなく、わたしに与えられたものとしてわたしにあることである。
わたしは今挙げたような制約の中、抗えない何かで生きることを決定付け
られている。生まれること、そして、どういうものとして生まれるかは、
生まれる者の自由にはならない。そして、わたしはいずれ死ぬように
決定付けられている。・・≫
▼ 生まれたことが偶然か、必然かの存在論の問題もある。この論は、唯心論
の人生感を面白半分に読むに丁度良い内容か。偶然生まれ、必然的に死んでいく、
ただそれだけと割切れないのが人生である。自分の人生は自分しか生きること
が出来ない。その自分の世界こそ、全てと考えれば著者の言わんとすることが
理解できるが。「ただ、生まれ、子づくりを楽しみ、死んでいくだけ」で、
充分と思えば充分だが。それでも、求めただけ、生まれ生きたことに意味が
出ることも確か。ところで、『なぜ、自分は生まれ、生かされたのだろう?』
・・・・・
4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!
2013年10月22日(火)
 * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手の
ファイナンシャル・プランナーの一言が印象的。「セミナーで、まず言う
ことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。スーパーに千円だけを
持っていき、買い物を一週間続けることを勧めています。それが出来ないなら
カゴを持たないで買物をしてください。カゴを持たないと沢山、持てないから、
どうしも買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものが
わかってきます。習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 
シビアな話だが、体で憶る第一歩。 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。
大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回のランチと、週一のシネマと、
月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの小遣い。 
元はといえば、出処は40年与えてきた給与の一部? で今や発言権は三分一。
 この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、ジーンズ二本、電動アシスト
自転車、iPad、7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分?こんなもの?
その都度、小言をいわれるが、さほど欲しい物がないのは年齢のせい? 
欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 財布には必ず?万以上は入れている。
使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、安いもの。
年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ そこで昨日、車に財布を置いて、
千円だけ持ってスーパーで買物をしたが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。
財産を使い切り、まず楽しみ、貧乏を楽しむのも面白いのかも。他人事でない、
自分のことか!それでも心はリッチ? 楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。
日々、是、好日、いや口実か。年金暮しも、楽むしかない。


5698,閑話小題 〜県知事選の結果に ~��

2016年10月21日(金)

   * ドラフト会議
 昨夜、ドラフト会議があった。指名枠にある選手にとって、人生を左右する
運命がクジ引きで選択される場面は、みる者には、たまらなく面白い。
幸運?にもとれた選手が当りか外れは、数年経ってしか判明しない。
翌年から、中軸として活躍するのもいれば、プロ向きでなく、そのまま消えて
いく選手も多い。 大相撲は、本当に強いのは、そのまま、幕内まで、駆け
上がっていくのが通例。何故か怪我が少ない。最近、こういう大物は、白鵬と、
朝青龍以外、存在しない。十両と、幕下に、個性的な力士が数人いるが、大物
というと、どうだろう。 有望力士が多くが怪我で消えていくケースが多い。
高校野球と高校相撲と柔道に数名、超大物がいるが、これらがプロとして
表だってくるには、あと3~4年は要する。
   * 県知事選の結果に ~��
 県知事選に、原発再開慎重派の県知事が生まれた。この結果は、地元経済に
とって大打撃になる。柏崎刈羽原発は、世界最大の規模である。その近くで、
二度の大地震が現実に起きている。一つ間違えると、福島原発事故のように、
溶解の可能性もあった。再開に異議をとなえた泉田は、明らかに策略?と、
おぼしき手段で、再選を断念した。三期で充分だが、原発に対する現地民の
危機感を、森元長岡市長は読み違えた。選挙運動の彼の態度には、既に県知事
の風格が滲み出ていた。
 もう一つ、東京都知事選挙に続いての新潟県知事選の自民党の敗退の意味
するところは、利権の塊のような風貌の幹事長の傲慢な態度と、本性を露骨に
表してきた自民党の体質。これが、そのまま、TVや、ネットで流れている。
豊洲市場の談合疑惑や、盛り土の変更問題、明らかに汚職の痕跡が露わである。
更に、富山市の市議の不正受給の問題もある。北方領土の返還交渉成立直後、
アベノミックスの失敗が表立つ前の衆院の解散を目論んでいるが、前回のような
二匹目のドジョウがいるかどうか。改憲には賛成の私には複雑な感がするが。

・・・・・・
5333,ノンセンス辞典 ー��
2015年10月21日(水)
       〜BRUTUSの「谷川俊太郎」ーノンセンス辞典〜
≪ ・【思想】= 思いつきの別名。その思いつきが新奇であればなおいい。
  たとえばひとりの子どもが、〈空は青くないよ、空は茶いろだ〉と言えば、
 あの子には思想がある、というふうに用いる。思想を体系化しようと試みたり
 思想に生命を賭けたりすることは、今日では邪道とみなされている。
 ▽ 思想を思いつきとは言い得て妙で、本来、そんな大げさなものでもない。
 カントの〈コペルニクス的大転換の『対象に認識が従うのではなく、
 認識が対象を従える〉も、初めは思いつきだったのだろうか? 
 過去、現在、未来の時間軸を入れると、直感でわかることだが。
・【文化】= 蝿が一匹もいないこと、または蝿が適度にいること、
 または蝿が無数にいてもちっとも気にならぬこと。
 ▽ 蝿がいるのは、それが発生する環境があるから、気にならないのは、
  慣れてしまうこと。それも文化?
・【前むき】=頭部を前方にむかって固定した状態。人によってその頭部が
 やや左へ、或はやや右へ傾くことがあるが、後さえふり返らなければ、
 三六〇度どの方向をとっても、前だと言える利点がある。
 ▽ 「前向き」の人とは、人生を振り返っても、慙愧の念に捉われない人。
  振返ると、そこには後悔することばかり、「今、ここ、私」の垂直の
 瞬間には前向き方が、遥かに楽である。
・【ミクロ・デス】= メガ.デスの反意語。メガ.デスは、他人が大量に死ぬ
 ことを意味するが、ミクロ・デスは、自分がたったひとりで死ぬことを意味する。
 ごく最近の新造語らしく、用例はまだ見当らない。
 ▽ 誰もが最期は独り、ミクロ・デスで終わる。孤独死は万人のもの。
・【わいせつ】= 写真、絵画等に描写された陰毛を、黒インク等によって
 抹消することにより、消滅すると考えられている人間の基本的属性。
 常に快感を伴っているが、快感を不快感とする事実誤認の例も少くない。
 ――
『狂気なしでは、何事も成し遂げられない』ーエヴァ・ペロン
 (アルゼンチンの政治家1919〜52年)の言葉がある。
 ここで思いついたのが、以下のノンセンスな言葉!
【創造】=創造をなす新しい着想は、既存からみたら狂気であり、
それを全身全霊で成す行為は己を凶器にする覚悟がなければ進まない。
〈創造は、狂気の着想を凶器になって体現すること〉というノンセンス
の言葉が成り立つ。その結果、<お前は一体、何をしてきたというのか!>
の後悔の念が苛むこと。一番の苦悩は「何も手ごたえがなかったこと!」
・・・・・・
4968,閑話小題 ー女のカースト制度
2014年10月21日(火)
   * 美人カースト制度
 先日のTVのトークショーで、ある女性タレントが、女世界の
「美人カースト制」の存在を話していた。言われてみれば成るほど! 
『女社会には、美しさの三角形をなしたカースト制があり、美人ほど、
その階層が高く、歴然とした序列が決まっている。美人は同レベルの人
だけで仲間をつくり、それ以外は仲間に入れない。入れると、僻み妬みが
入りバランスが崩れるため。』とか。女という生きものは、自分を引き立たす
ため、少し劣っている人を仲間にすると思っていたが・・ 女性職場の経験
からみて、思い当たる節がある話。特にギャルまでは、美しさが大きな価値
判断になる。それまで育ってきた過程で、彼女らには値踏みが付いてきたし、
自覚がある。美人かどうかは、両親からの問題(親の因果が子に報い)だが、
これは本人には、どうにもならない運命の問題。私の姉4人は美人系だったが、
顔と身体の均整が取れているだけで、それが何?でしかない。が、独身時には
うら若い女性となると、全く違って見えてくる。 初対面の女性同士はまず、
相手の年齢や服装や住所やバッグなどの持ち物から「相手のレベル」を察知、
自分に近いかどうかを判断してから付合い方を決めてくる。  
 女カーストには、他にマンションカースト、ママカースト、
 ヒルズカースト、キャリアカースト制度がある。
◎マンションカーストは、住んでいるマンションと、住んでいる階層で、
◎ママカーストは、旦那の社会的格付けで、
◎ヒルズカーストは、そのヒルズ(丘の上の住民)のレベルで、
◎キャリアカーストは、職場などの、キャリアで格付けされる。
面白いといえば面白いが・・ 逆に超越さえしてしまえば、本当に楽なだが・・
それにしても、美人カーストの存在とは、面白い! で、往年の美女? 
その後、どうなった? 年齢でバランスを崩してしまえば、ただの?? 
だから、コンプレックス広告に引っかかる。バランス修正で世界が一変する
なら、韓国みたいに、どんどん整形すればよい! 即席で、化粧があるが、
見慣れてしまえば、皆、同じ。いや、そうでもないか? 
まあ、娑婆は面白い! 石も集まりゃ、砂利だが。
・・・・・・
4601, 読書という体験  ー3
2013年10月21日(月)
          「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝著
 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を
受講者自らが選び、直接、受講生同士が、情報を交換させる方式。一長一短が
あるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りー
《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、
 明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなかいい線まで来ている。
読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の
読書しない基準は、一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに
何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も30%を超えるほどになった。
やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきて
もらい、それを持って教室内を自由に動き回り、学生同士で情報交換をして
もらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ
刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、
自然に読書欲がかき立てられる。おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくり
にはもってこいだ。「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。
私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切ることにして
いる。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、
知識に対する「あこがれ」の熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に
火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい影響
を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに
紹介する先生がいた。本を律疏むことがどれほど楽しいことであるかが、
その話しぶりや表情から伝わってきた。本は買って、線を引きながら読むもの。
本は自分のものにすることが大事。全部読み切れなくても気にすることはない。
途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。
並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。量が大事だ。人から借りた本
は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。
本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせ
ながら読んでいるものだ。...》
▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、
 この直の方法を兼用すれば、更に良い。その点、私たちの時代より、現在の
方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを
持たせ、イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、
交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、のと同じ。一二年間、
このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、
励ましてくれる要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。
それも同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、読み方、受け止め方、
すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開
して欲しいが。何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は
勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。

・・・・・・
4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1
2012年10月21日(日)
 このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。
身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、習慣から衣食住の由来を
面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。
  * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章         
             ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
 クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。面白いもの。
≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の
 形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァとオスマン帝国(トルコ)の
戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍が
トルコ軍を退けた証である。一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都
ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、
業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて
侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに気づかなかったが、地下から
聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを
焼いていたパン職代たちだ。パン職人の通報によりトルコの急襲を知った
オーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。
喜んだ皇帝は、パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちが
その返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。
その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形
がクロワッサンの定番となっていった。ただし、そのころのクロワッサンは
まだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、
オーストリアの皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行した
パン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、一九二〇年代の
パリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ 
▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。
トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄をパンの形にして、
それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、
歴史に触れることになる。
・・・・・・
3861, スポーツジムの景色 −4
2011年10月21日(金)
  * スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 
自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、何気なく見て
いるだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えて
いる人から、私のように健康を兼ねたレジャー目的の人など様々である。 
少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午
までの二時間、滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売
仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、男は60歳以上
のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる
女性仲間の社交界の場的要素もある。といって、男の私が肩身が狭いことはない。 
自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知って
いたら、10年前から入っていたはず。パソコン教室も、スポーツジムも、
サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを
人的気づかいなしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 
私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。エアロビでは、プロ
のインストラクターが指導するプログラムが多く、若い男のインストラクター
の追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を
仕事などでこなしているので、こういう場では、一会員として群れることなく運動
をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 
とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。3・11の影響が、大きいのは
何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、
一見華やかに見えるが、給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの
要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 
半年少したって、効果はといえば、大有り。足腰が、この数年来衰えたと感じて
いたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。
何事もまずは半年。
  


5697,閑話小題 〜愚痴言う老人

2016年10月20日(木)


   
   * 愚痴言う老人
 とある家の法事に出席する度に、いつも聞こえてくるのが、
 ✖の愚痴と小言。聞いていて不快だったこともあり、その幾つかを
 記憶している。
・まず7~8年近く前、「後期高齢者の名前が気にくわない。」
 「免許証の返納も、私たちには嫌味としか聞こえない。」
  私も、あと4年になると解らないでもないが。
・「最近の若者はなってない。」 
 この言葉、数千年前のエジプトのピラミッドに書いてあった
 人類永遠のテーマの事実を知らないため、平気で人前で言う。
 永遠のテーマといえば、旧約聖書の「カインとアベル」の、長男カインと
 父アダムとの親子対立。最近、飲み会で、「長男と二世帯同居をしたが、
 これが大きな誤りだった。」と愚痴るから、「それ、旧約聖書にも出てくる、
 人類永遠のテーマで、タブーは元もと分かっていたこと。」と諭すと、
 「全く知らなかった!」と宣う。
・「昔は、本当に良かった。それにしても、生きづらい世の中だ。」
 この言葉は、老化状況をはかる物差の言葉、これを言いだしたら、
 認知症の初期?現象。
・今回の通夜の席では、「あの人、リタイアをして威張れなくなったので、
 その怒りを周囲にぶつけている。」これは、一線から退いた万人にいえる
 ため、誰も良い気持ちがしない。 特に私には?
そうこう、書きだしてみると、さほど酷い愚痴でもない? しかし70〜80歳を
超えた愚痴は、毒を含んで生なましく語るためか、聞こえた人の心に黒く残る。
 本を読まないで、「世間話」に明け暮れしてきた人生がうかがえる。
もしかして、ここで書いてきた怒りの籠った内容、こんなものでない?
 老化は日々進んでいく。 問題は、その自覚と対策。今さら遅いか?
つくづく老いて思うことは、長年かけた教養の程度。下は見えても、上は
見えてないから始末が悪い。「・・ったく」と思うことが、あまりに多い。
こうして他者を批判するのは、所詮は、内なる己を語っているにすぎない?
とすると、自分の仮身を語っているに過ぎない。
4年前に、「老いの鬱屈」についての書評があった。
故人の家の法事で、この人の愚痴を聞いたことや、多くの半ボケ老人を
目の当たりにして、以下の本を図書館で見つけて、テーマにしたようだ。
―ー―
2012/06/04
老いの見本帳ーダークサイト −8
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いと鬱屈
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と
視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、
そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで一生
何も出来ないで死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 
その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。
だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとで動じない」
人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするような
ことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、
避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、
とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの
喜ばしい側面ではないかとわたしは思っていたのだった。 
 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々
の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属
のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 
だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら
難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても
鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには事欠かない。遅かれ早かれ、
この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである・・≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺する
 のに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則。」
は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、
ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。
これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと初め
から割り切って孤立していた方が良い?

・・・・・・
5332,閑話小題 〜人生のリハビリ
2015年10月20日(火)
   * 人生のリハビリ
 会社清算から4年半になるが、現時点の実感は、その結果のリハビリより、
「創業の準備を含めた事業人生45年間で歪んでしまった異型の自分を一度
リセット、本来の人間性に戻すべく、再出発の日々を過ごしている」という
ところか。 資本主義という拝金主義から、一度離れて、地球上の大自然、
身近な自然、文化・文明を見直し、せっかく訪れた地球を改めて見直し、
人生を振り返り、味わうために、現在の自由な時間を与えられていることに
気づくことだ。リセットは、こういうものか。 ある意味、人生で一番、
落ち着いた時である。異型があるから、今がある。
   * ぬるい幸福は人を駄目にする
 「ぬるい幸福は作家を駄目にする」という作家の言葉があるが、これは万人
にも言えること。そのぬるい幸福を私たち凡人が目指しているのだから・・
「そのどこが悪い!」といえば、それまでだが、その人は、そこまで。
人の一生は、常に変化する社会と、時代の中で、「変化、闘い、挑戦」が
間断なく押し寄せてくる。考えてみれば、ぬくい幸福などは束の間の幻想。
今が、その「ぬるい幸福」の時かも。しかし、その一瞬の味わいが、
人生の味になる。 今さら駄目でも何でもよい!ぬるさが一番である。

・・・・・・
4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後
2014年10月20日(月)
  * 4時間の熟睡後に
 以前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが
0時前後。一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝。
ところが起床の4時まで、半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと
長年かけ工夫している。臨床心理士によると、「布団の中の考え事は、たいてい
考えすぎ。とりあえず起きて、トイレや、水を飲んだりして体を動かすと良い」
という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、その時間を苦痛と
思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。それでも時に
不快いに思うと、煉獄につながれた状態?になる。「このボ〜ッとして状態こそ、
最高!」と、心に言い聞かせていると、そう思えてくるから不思議。週2〜3回
のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、大の字になり全身を脱力をして
横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っているイメージを
持つようにする。これを楽しめるかどうかが、問題でもある。
で、このところ一種の瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20〜30回、寝返りをうつというが、
寝返りは、その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもある
という。成るほど、寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 
仰向けの姿勢が良いとされているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃から
とっている。胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発の
クッションと枕を使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
         「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 教養を培う〜�◆  住笋痢崙表颯璽漾廖‘8鏡吃А�
 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する
授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、
学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、
良い教授、良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、
時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。
 主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 
学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに
関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の
内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、
翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、
論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの
根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、
コンピューターによる抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、
残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生
といえる。読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで
感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』
および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、宮本常一『忘れられた日本人』、
無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』など。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、
それらがそこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の
大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った
新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしているのですか」と反問され、答えに
窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の
道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが
本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど手にした
ことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の
 硬さを感じ取っている。万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い
壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。
で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 
それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、
活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、
一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、
そのまま外に出るから恐ろしい!  
・・・・・・
4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
  * つれづれに ー青竹エアロ
スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにある
ステップ台をインストラクターの誘導で12人が一同にするエアロを連続二回と、
週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われて
いるが、どうも30〜50人の合同でやるのは苦手である。ところが、
先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。
ヨガ用マット上に青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり
下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。これまで何度
か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。このプログラム、まだ
始まって三回目だが、30人の定員は満員。「初めての人は挙手を」に対し、
何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、その両側に
一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。
その三箇所を交互に音楽に合わせて乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢
出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのが
よい。ジムも競争が激しいようで、改善していないと、他のジムに客を取られる。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は
充分ある。私は二時間滞在しているので一日につき千円、20日で二万円の価値
の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 
その割に軽い腰痛は治らないが、それでも足腰が軽くなっている。 
ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我家にきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けて
あるが、時々、狂ったように攻撃する。しかし錘で、その都度、棒を一回転し
元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転する
ようになった。 また籠から離れようとすると、回転を何度もし、傍にいて
欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示
が、棒を回転する芸で注意を引くことが加わった。一年前に飼っていた中型の
コガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、オウム科で最小
(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。幼鳥のうちは
大人しかったが、最近になり、その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと
何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。 最初はペットを毛嫌いして
いた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・
インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。それもあり冬に向かって、
このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬
する能力に驚いてしまう。 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、
起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、インコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は
壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、籠の中を狂ったように
飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、
私が車で帰ってくると、感知する。駐車場を一台貸しているが、それには全く
反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ」が面白い。

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