堀井On-Line



5666,【賢者の言葉】�   船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーA

2016年09月19日(月)

               【賢者の言葉】・ビッグピクチャーズ監修 
 ショーンは、生まれたときに既に死の宣告を受け、「犠牲者」として生きる
幾つもの理由が用意されていた。彼は小人症を煩い、車いす生活を余儀なく
されている。18歳時に、クシャミなどで起きる200回以上の「骨折」を経験する
も克服し、現在は世界中で講演し、情熱とパワーを与え続けている。
彼の言動はビル・クリントンなど著名人にも影響し、米国では「身長90��
車いすのモチベーター」として知らない人がない人物。小人症でありながら、
12歳時に米国大統領になりたいと願い、その手始めに大統領府勤務を願い、
勤務をしている。    
   * 魔法の質問 〜これは人生のギフト? 重荷?
 とにかく、型破りで、前向きである。 〜その辺りを抜粋〜
≪『起こったことを人生のギフトと思うか?人生の重荷と思うか?』 
 これが、私の人生を変えた『魔法の質問』です。身長90cmの身体で、
常に厳しい現実と向き合っていた。骨の成長が十分でなく、折れやすい。
ある年の愉しみにしていたハロウィーンの時、彼が唯一、仮装の世界でこそ、
堂々と自身の存在を「普通」が当たり前というリアリティから身を隠せると
いう意味で、私がイキイキできる日だった。小学校4年の、その日、彼の最も
恐れていた不可抗力で骨折した。そのとき、痛みと苦痛で、全身に汗が吹き
出すほど流れ、痛みに喘ぐ彼に、母は、じっと私の目を見つめて言いました。
<『ショーン、これは人生のギフトだと思う?それとも、重荷だと思う?』>
 それどころではない苦痛に耐え、怒りとイライラで、母にこう言う。
『何を言ってるだ?ギフトは誕生日にもらうもので、開けて喜ぶもの。』」
と、いま痛みの中にいる当時からすれば、当然の言葉だろう。だが、
母のこの言葉は、その後の人生を大きく変えた。そして現在、に至る。≫
▼ 65歳になった直後、こともあろうか、会社整理を決断するに至った。
 その数ヶ月前までは、まさか現実に至るとは考えてしなかった。
事前に決めておいた、「償却前の営業利益が赤字なり、予備資金を取り崩す
事態になったら、会社を清算をする」、になってしまった。で、断行したが、
人生の最終段階での、この結果は大きな痛手。しかし、幾つかのシェルター
を用意していたこともあって、平常の日々をすごし、現在に至っている。
65歳の節目の事業整理は、中途半端に係わっているより、綺麗さっぱりした
区切りのベストの事態。人生がくれたベストの結果(プレゼント)!
これは、「ベターというより、ベストの結果」と思えるようになった。
 その数年後に、100数十年の老舗の会社を潰した男が、宴会で前のテーブル
に座って、開口一番、『おれ、この事態に感謝している!』と、私の気持ち
とホボ同じことを言い放った。 それに対し、生意気そうに、『あんたも、
これで一人前になれたな!』と、答えていた。人生のプレゼントの中身を
味わっているうちに、その味に気づいたようだ。 何事も受取り次第で、
中身の取捨選択が違ってくる。
<「自分に向かっていう言葉」によって自分が創れるのです> が、毎日、
これを書き続けていることもあってか、実感できる。その割りに、お前は?
 今日もまた、「日々、口実」である。

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5301,閑話小題 〜持て男の「三高、三平、四低」
2015年09月19日(土)
   * 持て男の「三高、三平、四低」
 これもモーニングショーの話題だが、社会ウォッチングとして面白い。
経済成長期に流行した持て男の条件が「三高」。バブルが崩壊をして、
このかた「三平」に。そして次ぎは「4低」という。
 ◎ バブルに流行した「3高」とは、「高学歴・高収入・高身長」
 ◎ 時は過ぎ、今の流行は「3平」は、高くを求めず、
   「平均的年収・平凡な外見・平穏な性格」
 ◎ 次の時代のモテ男!は、「4低」
   「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」がモテる時代。
 だが、そんな低依存の男からすると、「そんな女いらない」の声! 
で、未婚率、離婚率が大幅に右上がっている異常事態。
 独身女性への男への希望は、殆どの女性が経済的力量が増えたため、
微塵の甘さがない。まず「預金」と「年収」。 預金は、最低でも500万。
できることなら1000万。年収なら500〜600万。 とすると、30歳
前半までの男の多くは結婚対象外になる。驚いたことに、35歳を超えた独身
男性の結婚できる割合が7〜8%、40歳を超えると、2〜3%しか結婚が
できないことになる。ということは、男性は35歳までに結婚するのが半分
というから6割しか結婚できないことになる。それまでに何とか結婚しないと、
9割が結婚不可能になる。 ーネットで生涯未婚率を検索したのが、以下ー
《 ☆ ー生涯未婚率は男35%、女27%にも:少子化対策無力ー
 少子化社会対策白書のあまりの覇気の無さに驚き、国勢調査から生涯未婚率
を予測し直して男35%、女27%にもなる結果を得ました。非正規雇用は増える
ばかりで、若者の生活を不安定にさせている根源は政府施策です。
『安倍政権が嫌いな雇用安定こそ少子化対策の核心』で指摘した通りです。
生涯未婚率は人口学で50歳時点の未婚率と定められています。
2010年国勢調査で20代前半だった世代が50歳に到達する25年後には、
現在に倍する生涯未婚者であふれる事態になります。
 NHKの《少子化白書 晩婚・晩産化は進む》は
《生涯未婚という人の割合は、平成22年には、▽男性が20.14%、
▽女性が10.61%で、いずれも過去最高に達し、「未婚化」とともに
一生結婚するつもりはないとする「非婚化」も進んでいると指摘し》
《内閣府は「若い世代は雇用が不安定で、所得が低い傾向にあり、こうした
経済的理由から結婚に踏み切れない人が増えているのではないか」と分析》
と伝えました。 》
―――
▼ コンビニ、気楽な独身生活、ネットによる繋がりがあって、別に結婚の
 必要性を感じないのだろう。情報化で、女性に対する憧れも消滅してしまい、
世の中がニヒル化していることもある。バブル崩壊以降、特に若者に住み辛い
社会が到来している。高度成長期を生きてきた私たち世代にとって、信じられ
ない現象。それにしても、「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」
がモテる時代とは、驚き。何か、年金暮らしの御隠居に丁度良い、生き方が、
これからの若者の姿からして、日本の近未来に悲観的になってしまう。

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4936,コトの本質 ー6
2014年09月19日(金)
  * 戦後、エリートが育たなかった  『コトの本質』 松井孝典著
「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題を
いっている。それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はして
こなかったことになる。
≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると
 思います。ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミ
に出ている程度のことにある人のことです。自分の知っている範囲のことを
すべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかのように、堂々としゃべる。
そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない
ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲
ではこうだ―といういい方をするのが当然なのに、そうではありません。
これっぽっちの経験しかないのに、それを拡大し、人類一般な話としてどうの
こうのというような議論までするわけ。こういう状態を見ていると、この国は
どうしようもない国になったなという感じがします。プロフェッショナルが
いないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったということかも
しれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートと
いう意味ではありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかも
その座標軸は古今東西の歴史から、芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それが
エリートです。このような広い時空スケールの中に自分の尺度を持ち、
すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。
 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、
現在のいわゆ秀才というのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。
解くべき問題がつくれない人が、多い。問題がつくれない人はエリートでは
ありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。
すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立ったために、
教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながら
エリートは育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。
我の形成途上にある人間には、我なんてないのです。しかし、いまの教育では
前提として我があるかのように扱う。それが個人の尊厳だと誤解しているー
すべての間違いの元はそこにあると思います。我とは何なのか、そもそも
それを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を主張します。
我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。
それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。
それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫
▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは?「ゆとり教育」
 は、まともな両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに
大きくぶれるのは周辺を見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争
社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱から生まれ出るもの? 著者の説によれば、
全ての人がアマチュアになる。問題は自分がアマチュアと自覚できるかどうか。
キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育を押し付けられた
結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2〜4時間の
独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を
持ったのが40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたい
とは思わないが、我とは何か? 自分の問題とは何か? 等を、考えられる
内部モデルを確立することが、まず必要ということ。

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4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2
2013年09月19日(木)
  ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー 
{2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー}
《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに
耐えられないところから消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の
金融危機のニュースが入ってくる。100年に一度の恐慌が始った。
アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて
思え懐かしい。アメリカで震度6強の経済大地震が起こったのである。
そして、大きなウネリが起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず
世界中に押し寄せ始めた。津波と違うのは何年にもわたることである。ところが
日本は政治的空白の事態で頭がないのが現状である。これは2001年の9・11事件
に匹敵するか、それ以上の出来事。100年に一度の世界恐慌が、まず直撃する
のは日本。これがアメリカの隷属国家の運命である。次は、アメリカの証券会社
二位のモルガン・スタンレー。緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。
シティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた米国金融
機関の惨状。そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、
果たして会社はどうなるのだろう? 逃げも隠れも出来ないが、生存に全てを
かけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルになってきたということだ。 
それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。
国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。そして、次に来るのは
中間層が総下層になる。社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時
と同じような現象になる。年末から100円以下の株価の会社は銀行のしめつけで、
次々と倒産が始る。日本型社会主義の完全崩壊である。第二の敗戦が表面化して
きたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは思って
もいなかった。 私は、2008年9月16日14時をもって「世界恐慌」と判断。
そう判断すると恐ろしい。みる目が全く違ってくる。みる目が違うと判断も
違ってくる。人生で過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 
それにしては、まだ実感が少ない。茹で蛙になってしまったのだろうか。
現実に信じられような大混乱が直ぐに始るだろうから・・ ゴールドや、
資源を持っている国は、それを担保になるから、立ち直りが早い。しかし、
体力のない日本の行く末は・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 》
▼ これを書いた二年半後には、私の事業の売上が半減、2001年9月の9・11テロ
 から三分の一まで激減し、事業断念に至った。この直後から、G20が始まり、
何とか表立った恐慌は抑えているに過ぎない。 米国の証券会社は全滅、米国の
GM、クライスラーは国家管理。EUも、中国も、これから変になっている。 
ただ、何処かの株式市場からの暴落を切欠に世界恐慌になるのは間違いない。
ただ、引き伸ばしているだけ。 そこで、2020年に「東京オリンピック」
を開催するというから、他国から見たらお笑い以前だろう。それだけ、
リーマンショックの影響は大きい。でも、これで自分の事業が崩壊するとは! 
で、「インフレターゲット3%目標」というから、素人の私でも、間違いは
判断できる。その上に、オリンピックとは! 大津波が襲来する直前の浜辺で
酒盛りの用意である。不思議なのは、地方の金融機関が、そのまま存続して
いること。時限爆弾の山だろうが・・ 最後はハイパーインフレで、銀行閉鎖
になるのだろう。現状は、「恐ろしいことだ!になっているはずなのに、
リンゲルを無制限に射っているため??

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4194, 呪いの時代 ー11
2012年09月19日(水)                           
   * 交換経済から贈与経済へ     「呪いの時代」内田樹著  
 何か奇異に思える贈与経済とは、お金でも、物でも、情報・知識でも、
留めないで次に回せということ。情報に限って考えると納得できる。
ブログなどで自分の持っているベストの情報を公開(贈与)することで、
世界中の情報を共有できるようになった。情報化社会では、贈与という
言葉がキーワードになる。銀行預金は、その正反対になる。現在の世界的
不況は、一部勝ち組が得た利益を独り占めをして回さなくなったことにある。
ボランティアは慈善の贈与と解釈出来る。 ーその辺りからー
≪ 贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、
 次に「パス」するということです。「自分のところに来たもの」というのは
貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分
のところで止めないで、次に回す。自分で食べたり飲んだりして使う限り、
保有できる貨幣に限界がある。先ほども言いましたけれど、ある限界を
超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」
以外のことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないような
お金は「なくてもいい」お金だと僕は思います。それは周りの貧しい人たちに
「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たすことに使えばいい。
ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに
使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、
具体的に手で触れる「もの」に姿を変える方がいい。・・
 ・・・その人がエンドユーザーであるような人間には贈与は届かない。
贈り物を受け取ったときに、目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれが
パスされるような人のところにしか贈り物は届かない。そういうものです。
贈与経済が成り立つための要件は、ある意味きわめてシンプル。
市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを
含む相互扶助的なネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が
「もっぱら持ち出し」役を愉しむようなマインドをもつ人であること。
そういう人のところに選択的にリソースが集中するシステムが
贈与経済システムです。 ≫
▼ 経済は商品と情報が回り進化することで向上する。その意味では、
 日本が一時期そうであったように、国民が総中流が理想的である。
しかし、情報化社会は一部の勝ち組が総取りになる。その辺が難しい。
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3829, 閑話小題
2011年09月19日(月)
  * 絶え間ない変化と変身
 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では
小さい事象が次々と起こっている。人生を、あらためて振り返ってみると
色々あったことに驚いている。 それらは絶え間ない変化の連続線にある。 
生まれた0〜9歳までを考えても、新生児、幼児、児童、少年期と変わっていく。
10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に節目がある。
20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、父親である。その中で
絶え間なく変化と変身が要求される。30歳を過ぎると、青年期から成年期、
中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 
そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。
何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身の
ダイナミックがなくなり、人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調を
きたす。こうみると世界も、社会も、自分も常に時の流れの中で、変身し、
最期は「プッツン」で終わる。生き、老い、病になり、最後は死ぬしかない。
「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。とはいえ、あまり
神経質になっても結果は同じ。なら、自然体で変化を受け入れ従うしかない。   
  * iPad 初心者の呟き
 iPadを購入をして三週間をすぎたが、既に数ヶ月も過ぎたような気がする。
これは、私にとって非常にインパクトが大きい。この10年間、ネット、ネット
といっている割に、ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、
便利で使い勝手のよいアプリと、ネット環境が劇的に進歩していたのである。
ゲームに面白そうなのを画サイトで見ていたが、「自分には縁のないもの」
と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使える。
ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。まず7つの画面に
切り替えられ分類出来ることで、使いかってが格段に良くなった。
ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。一日一日が面白い。
これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を余儀なくされる。
タブレットPCは、あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。
 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、タブレットPCが情報を、
さらに膨大に世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾が
きかないカオスの時代になる。 これは中高年PC難民を救う。


5665,シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜��

2016年09月18日(日)

               『ウフィツィ美術館』 09/08 10:40
   * 世界的名画・名品が勢揃い!
 何ごとも、記録を残さないと、忘却の彼方に消えていく。世界的芸術との
触媒は、時空を超えて大きな響きを伝えてくれる。それを切欠に、作品の背景
の世界を知ることになる。家にある、日めくりの格言に「継続は進歩なり」が
ある。右に左に揺れて、目標に向かい継続をすれば、それが進歩になる。
このような世界的名画を意識して触媒し続ければ、魂が進化する。 鑑賞を
続けるうちに、鑑識眼が付いてくる。それが、魂を純化する力になる。
その力は、人間に対しても作用する。地元に縛られ、外に出れないなら、地元
にやってくる世界的名品の美術展に行けばよい。良いのは誰が観ても解るはず。
   ―――
  ★ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
建設当時、ヨーロッパ最大だった大聖堂。ブルネッレスキが設計したドームは
二重構造になっている。今もフィレンツェでは 最高の高さを誇り、この大聖堂
より高い建物を建てないことが不文律となって街並を守っている。
  ★ 受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
レオナルド・ダ・ヴィンチの単独デビュー作。聖母マリアの表情の硬さなどに
稚拙さはあるが、空気遠近法による青みがかった風景の描写や鳥の羽をモデルに
した天使の翼など、天才の片鱗が随所に伺える。
  ★ ダヴィデ像(ミケランジェロ・ブオナローティ)
敵の巨人ゴリアテを石で倒した若き英雄ダヴィデの像。ダヴィデは、女性であり
ながら知恵を使って敵を倒したユディトと並び、周囲の大国に脅かされながらも
独立を守るフィレンツェのシンボルとされた。
  ★ ブランカッチ礼拝堂
礼拝堂の壁画のマザッチョ「楽園追放」はリアルな感情表現、人体の正確な表現、
さらに地面に落ちる影を描いて奥行きを現した。それまでにはなかった、絵画
表現におけるルネサンス美術の革命を先取りしている。
  ★ 東方三博士の礼拝(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
生まれたばかりのイエスをアジア人の老人、ヨーロッパ人の青年、アフリカ人の
少年の三博士が礼拝するという画題。三大陸・三世代、すべての人間がイエスに
ひれ伏すという意味だ。未完だが、伝統的な構図を打ち破った意欲作。
  ★ メデューサ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ)
凸面鏡に映した自画像をメデューサに見立てたもの。首を切られ、血を噴き出す
姿で自らを描くところに歪んだ自意識が伺える。明暗の強いコントラストに
ドラマを浮き上がらせる彼の手法は多くの追随者を生んだ。
  ★ 東方三博士の行列(ベノッツォ・ゴッツォリ)
メディチ家私邸の礼拝堂に描かれた壁画。ロレンツォ・デ・メディチや父ピエロ、
祖父のコジモ、孫のジュリアーノらメディチ家の人々が東方三博士などとして
美化して描かれる。パトロンとしてのメディチ家の権勢が伺える。
  ★ 春(サンドロ・ボッティチェリ)
ヴィーナスを中心にゼフュロスやフローラなどギリシャ・ローマ神話の神々が
描かれる。ヴィーナスは聖母マリアとも解釈できるなど、古代ギリシャの思想
とキリスト教とを融合する新プラトン主義の表現とも読める。
  ★ アンギアーリの戦い(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
フィレンツェ政庁の命でヴェッキオ宮殿「五百人広間」に描かれるはずだった壁画。
が油彩の顔料に混ぜたロウが溶け、失敗に終わる。壁画の上にはヴァザーリが
別の絵を描いたため、今は見ることができず、他の画家の模写だけが残る。
  ★ ヴィーナスの誕生(サンドロ・ボッティチェリ)
貝殻の上のヴィーナスは古代ローマ彫刻を引用した「はじらいのヴィーナス」
と呼ばれるポーズをとる。西風の神ゼフュロスなど寓意に満ちた古代の神々が
描かれ、古代ギリシャの哲学など、ボッティチェリの知識の深さが伺える。
   ―――
▼ ホロフェルネスの『首を斬るユディト(アルテミジア・ジェンティレスキ)』
 の絵画が圧倒的。 当時珍しかった女流画家の作品。 ユディトが敵の大将、
ホロフェルネスにとりいって泥酔させ、寝入った男の首を斬ってユダヤ民族を
救うヒロインの逸話。 強姦にあった経験から男嫌いになった画家は、嬉々と
首を斬る女性に、自分自身の憎しみを投影させている。そういう背景を知って
観るか観ないかで、観方が全く違ってくる。 家内の知人が曰く、
『美術展で、絵画の前で、何時までもボーっとしている人、どうして?』 
家内、『国立一期校を出ているのにさ、開いた口が閉まらなかったわ!』


・・・・・・
5300,閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか
2015年09月18日(金)
   * 5億円当たったら何に使いますか?
 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』
の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと
1位、高級マンションなど住宅購入
2位、お店などの起業
3位、世界一周 (豪華客船の旅など)
4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム)
5位、整形手術 の順であった。
 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という
答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現
したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、
気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を
託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。
 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、
可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 
『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。
その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い
ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』
とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ
御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、
あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した?
である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。
 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が
失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。
その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。
 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・
が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。
・・・・・・
2013/06/17
宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい?
 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
 SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、
「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  
  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、
          「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと
   同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて
   いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも
  ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 
  10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 
  買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 
  つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として
  新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。
 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に
  とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、
 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。
それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で
金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。
生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が
宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、
したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。
・・・・・・
2015/06/21
宝くじを当てた95%が、5年以内に
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著)
  * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で
壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う!』 良いでないか。
・・・・・・
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
                 『コトの本質』 松井孝典著
  * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相            
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けている。 そして、
それがバーチャルであることさえ気づかず人生を終える。だからライフワーク
を持っていないと、自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、
ライフワークの価値が見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、
低俗の人との二極分化が明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間と
いうが、誰もが、どこかに兼備えているから始末が悪い。それが年をとるに
つれ老醜として露出する。老いることは、恐しい!
さらに、老いた群れは、醜く恐しい!


5664,シネマ評『ウフィツィ美術館』 〜��

2016年09月17日(土)

                『ウフィツィ美術館』 09/08・10:40
  * ウフィツィ美術館の歴史
 映画の内容紹介のHPに、ウフィツィ美術館の歴史が簡潔にまとめてある。
そこには欧州文化の底知れぬ奥行きの広さと深さが垣間見れる。大英博物館、
ルーブル美術館、バチカン美術館などに、あれだけの名画を、国内外の万民に
公開している。ある意味、国力の誇示でもある。 〜HPより〜
≪ 登場する作品の多くが収められているウフィツィ美術館は、ロレンツォの
 傍系で、ひ孫にあたるコジモ1世(1519〜1574年)によって建設された行政庁舎
がもとになっている。コジモ1世は、画家・建築家であり、同時代の画家たちを
紹介した著書「芸術家列伝」でも知られるヴァザーリに設計を依頼、1580年に
それまで分散していた役所や裁判所などを一つにまとめた建物を完成させた。
 ウフィツィとは英語のオフィスである。このウフィツィでは1581年から建物の
一部で絵画や彫刻などが部分的に公開されており、近代的な美術館としては
ヨーロッパ最古と目されている。1743年、コジモ1世の末裔であり、メディチ家
最後の人間となったアンナ・マリア・ルイーザが死去する。彼女のもとには
メディチ家が300年にわたって蒐集してきた絵画、彫刻、宝石などの美術品が
残された。彼女の遺言により、これらの宝物はトスカーナ政府に寄付される。
 1769年、ウフィツィ美術館でメディチ家のコレクションの一般公開が始まった。
以来約250年、今ではイタリアで質・量ともにトップクラスのコレクションを誇り、
世界でも最も多くの人が訪れる美術館となっている。
 本作には進行役として、ロレンツォ・デ・メディチ(1449〜1492年)が登場。
名優サイモン・メレルズが演ずる、この人物は何者か。 ロレンツォの祖父は
フィレンツェで「祖国の父」とうたわれたコジモ・イル・ヴェッキオ(1389〜
1464年)。 絶頂期のメディチ銀行を率いて建築家・芸術家を庇護した。
ロレンツォは病弱だった父の死に伴い、わずか20歳でメディチ家の当主となる。
政治・外交に長け、生前から「イル・マニーフィコ」(偉大なる)と呼ばれた。
哲学や芸術にも造詣が深く、ロレンツォの時代にヴェロッキオ、ボッティチェリ、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらが活躍している。
また彼はコジモが創設したプラトン・アカデミーに加わる。ボッティチェリの
絵に現われる新プラトン主義の意匠はプラトン・アカデミーで培われたものだ。
 ロレンツォの死後メディチ家は失脚、追放の憂き目を見る。ロレンツォ・イル
・マニーフィコがその称号の通り、真に偉大だったかどうかは見解の分かれる
ところだが、彼の死によってフィレンツェにおけるメディチ家の黄金時代が
ひとまず幕を下ろした。≫
▼ 500年近い歴史を持つ美術館に、ルネッサン時代の美術品が管理されている。
 欧米人だけでなく、人類の遺産でもある。当時の、メディチ家の当主が、
案内役で説明する設定が良い。彼が、若き日のミケランジェロを自邸に下宿
させ、集めた彫刻の飾られた庭園を開放し勉強させた逸話がある。悩んでいる
時間があったら、ネット上でも良いから、大自然、そして、一流の芸術品に
可能な限り触れること。その触媒から精神が清められていく。で、ないと!?

・・・・・・
5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月17日(木)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 世界観をつくる
 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。
達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、
価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか?
そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、
自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、
その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。
  その世界観を分析、その作り方を提示している。
≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー
�/�念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある
 �▲襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襦�ハードルを下げる
 ��上位2つのニーズ: 貢献と成長
 �ぜ蠱福А.法璽困鯔�たす行動
 �ゼ舁廚幣播澄Аヽ安Δ妨�けた焦点
 ��主要な質問: メリットの多い質問
 〜 上記を,説明すると 〜
� /�念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ
 ・・(中略)  多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、
「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の
 エネルギーを費やしている現実があります。
�◆.襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襪燭瓩痢崋�分なりのルール」が
 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。
 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル
 を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、
 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証
�� 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、
「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを
「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。
�ぁー蠱覆蓮▲法璽困鯔�たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、
 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’
‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、
 望む雰囲気をつくり出す手法」です。
�ァ‐播世髻�内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから
 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する
 ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。
�Α.瓮螢奪箸梁燭ぜ遡筺Аー綉い砲覆辰浸�、迷いが出た時、
 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の
 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫
▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での
 ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を
保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、
二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。
それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、
人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、
どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く!
・・・・・・
4934,コトの本質 −4
2014年09月17日(水)
  * 二十世紀の共同幻想は破綻した   『コトの本質』松井孝典著
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、
現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。
何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は
今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った
カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に
日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想が
 あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後
といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を
規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 
現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想
に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する
ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって
問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること
ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、
それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために
生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味
(共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、
互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、
それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が
理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、
共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない
とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想
というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、
当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。
しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて
いる我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、
生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、
高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング
ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15
のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。
20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、
面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。
・・・・・・
4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
       「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延(著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、
平均10年近くの介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うように
なってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが
人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。
そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、
悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていく
のだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述ー
  * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日は
 ー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。
その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ
猛暑の中、その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともに
ホテルに、チェックインした。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーン
という耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、
ごく短時間だが意識を失っていたという)。仕事柄、少しは脳のことを知って
いる私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった
と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分の
どこかで起こったのではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、
それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に
麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。
左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。 これはへたをすると、
ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…そんな不安さえ
頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない
私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気に
なっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的
には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットから
パスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた
カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうして
いる間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が
到着し(・・略) 救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか
窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前
を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が
読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、
どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に
かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、
極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、
あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に
思い浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で
意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、月並な
表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、
 救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。
状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく書きのこしている。
 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは
思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。


5663,『エゴの力』�ぁ 船鼻璽�ング

2016年09月16日(金)

               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * ドーキング説について
 『エゴの力』で、直ぐに浮かぶのがドーキング説。ネットで検索をすると、
以下の解説があった。
≪ ドーキングの仮説から導かれる結果が
 「究極の利己主義が利他的行動を生む」と
 「単純で気のいい戦略が進化の上では最も有利である」の2つの結論。
・前者は、人間の生き方にも通ずるように感ずる。賢い人は、他人を助けて
その結果が何倍もの自分の利益(満足感や幸福感も利益と勘定して)となって
戻ってきて幸福になっていく。 自分が不幸になるような利他的行動をする
ことは、世の中にはあまり無いのではないだろうか(不幸の定義にもよるが)。
古人も「情けは人の為ならず。」とことわざに残している。
・一方、単純で気のいい戦略というと、米国を思い浮かべてしまう。
米国は、外部から侵略されひどい目に合わされたという経験が無いため、
国家としては基本的には単純で人がいいようだ。単純で気のいい戦略が
最も生き残る可能性が高いというシミュレーション結果は大変興味深い。
ソ連は崩壊したが、米国は種々の問題を抱え込みながらも、これからも、
ずっと世界最大の一等国であり続けるのではないだろうか。
 ドーキンス説は、ダーウィン説と比べて、個体と遺伝子との優先関係が逆転
している。では、そのことに、どんな意味があるのか?それは、「血縁淘汰説」
との関係から判明する。ダーウィン説は、自然淘汰という発想を用いて、進化
という概念をかなりうまく説明した。しかしながら、この説明に反する現象が
見つかった。それは「利他的行動」である。たとえば、ミツバチやリカオン
などでは、「自分の子を育む」という行動をとらず、「他者の子を育む」と
いう行動を取る。これは、「個体は自分の子を残すことが自分の利益になる」
というダーウィン説に反する。こうして、ダーウィン説は矛盾にぶつかった。≫
▼ 学生時代に、『人は利己主義を乗越えることが可能か?』の命題に突き
 当たった。そこで、教養課程のクラス担当の「文学」の教授に、コンパの席
で思いきって聞いてみた。その時の答えが、『一粒の麦は、地に落ちて
死ななければ、一粒のまま。だが、 死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を 憎む人は、それを保って
永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12 ..)の一説を言われた。
そして、『一粒の麦は泣いていたよ!』を加えていた。 私の解釈は、
『自分のエゴを殺せば、多くの命を助けることができる。利己主義は人間の
本質。それを乗越えるには、弛まぬ貢献の努力が必要。』
 最近、知ったのが、高名な文学研究者で、その後、新たに建てられた館に
「野口記念館」と、大学の奨学金に「野口奨学金」とあった。
  〜ネットで『一粒の麦』と検索したところ、
【聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指す。人はなぜ死ぬのか。
あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか、の問いへの大いなる答えが、
この言葉には秘められている。次の世代へ命をつなげることが、自然の持つ
「強さ」だと。個体が不老不死になると、沈滞が免れない。世代が更新される
一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、
社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。要は、
「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと思うわけ。】
とあった。 フランクルが、死の収容所で経験したことは、究極の状況で、
人のために平気で自分の命を投げ出す人たちの存在。深い信仰と、諦念と、
衝動などが、重なってのことだろうが。

・・・・・・
5298,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー��
2015年09月16日(水)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * 法則 3 〜リーダーシップを高める
 ここで、 〜リーダーシップの「3つのカギ」と「5つの柱」〜が提示して
あるが、今から考えてみても納得できる。だが、これは、あくまで起業のケース。
「達成する方法が分かる目標」は目標として小さすぎる〕は、本当である。
パラシュートで、敵地の真只中に飛び降りた時、その対応は出たとこ勝負。
目先の問題を一つずつ解決をしていく、それが起業である。何も知らないで
右往左往しているうちに、解決策が自然と現われ出てくる。崖っぷちに身を
置いてこそ、その知恵が湧き出てくる。リーダーシップも同じ。先頭に立って、
踏んばればこそ、それが発揮できるが、その背後に、十二分の準備が必要だが。
≪ ーリーダーシップを発揮する3つカギー
 ❶「基準を上げる」 ❷「信仰を持つ」 ❸「ビジョンを持つ」
  ーリーダーシップ5つの柱ー
❶ 自分の価値観を知る
❷ 人間関係をマスターする
❸「状況」を変えるのではなく、「意味づけ」を変える
❹ 時間をマスターする
❺ 感情をマスターする  
 〜 法則3の章末の‘まとめ’より
● リーダーシップの有無は、育てたリーダーの数で決まる
● 訓練を欠かさず、「健康」「知性」「感情」「精神」の4つの基準を上げる
●「達成する方法がわかる目標」は目標として小さすぎる
●「自分中心」から「他者中心」の意識が感情面での成長
●「ビジョン」の真髄は、「成長」と「貢献」の中にある
● リーダーシップ能力を高める5つのキーワードが
 「価値観」「人間関係」「意味づけ」「時間」「感情」 ≫
 〜ピーター・セージの格言〜より
● 心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」です。
● 私たちは「意味づけを選ぶ」ことができます。
  できごとが意味を決めるのではありません。どんな状況においても
 「力をつける意味づけを探すこと」があなたを幸福にします
● 組織の責任者としてやるべきことは、「人々が持っている最良のものを
  出させること」で、それは「人々が持っている最良のものを発見させる
  こと」よりなされる
● リーダーシップとは「正しいことを行なう勇気」のことです
● ゴールを設定するときに「達成の仕方がわかっている」とすれば、
  そのゴールは小さすぎます。成長の余地はありません
● その人の人間性を試したければ、「力」を与えよ
● 目標設定する理由は目標達成するためではありません。
 「目標達成できる自分に成長するため」です
●「自分への無条件の愛」が最初にあり、その後「他人への無条件の愛がある」
● すべての中心は「愛」でなければならない
● あなたが何をしても、しなくても、あなたには「愛される価値」がある
 ――
▼ 話は少し逸れるが、「出身地だけは、起業をするな!」という鉄則がある。
 起業の地が新潟駅前で、新幹線で出身地から30分の距離があるが、
地元だったら、間違っても、ここに留まることは出来ないだろうに。
良質な?金融債権以外は、無かったこともあるが。それでも心の傷は深い。
 ー心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」ー
と、あるが、私は、「せめて自分自身が自分を肯定するしかない」。
ある意味で、私のバイアスで、肯定の意味づけを自身でするしかないし、
せめて自分を、まず自身が愛するしかない。 まずは自分に対する
リーダーシップと、セルフコントロールが必要になる。挫折などといって
いられないのが、実は、一番の状況か。 そこに必要なのが自身の温みになる。
その元の「愛」は、両親から受け継がれる。リーダーシップの元は自身の温み!
・・・・・・
4933,コトの本質 −3
2014年09月16日(火)
   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典著
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、
今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方
から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を
捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう
見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。
グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。
また、彼方から太陽や地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて
 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて
みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、
この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、
私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして
考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論
から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、
まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、
これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、
私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、
なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角
 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化
が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に
しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の
日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、
白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、
あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。
・・・・・・
4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
      「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
  * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る
ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ
の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。
これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は
それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる
ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた
記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は
自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が
鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。
それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、
家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」
と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」
ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、
嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。
やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 
その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと
だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと
割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの
色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、
暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、
まずは自分を納得させるしかない。
・・・・・
4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって
「日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た
堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、
橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の
しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。
既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店
と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、
これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路
に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ
を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の
品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン
を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を
みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。
それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は
5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の
老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。
「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に
家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家
の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、
一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車
をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ
病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、
けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力
の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が
女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で!
 ・・・・・・
3826, 閑話小題
2011年09月16日(金)
  * 血圧か〜
 スポーツジムで血圧を測りだしてから一月ほどたつ。130前後〜150後半
が、このとこの数値。以前から、この位だった。気にすれば気になるし、気に
しなければ別に問題はない。体重は、二十年、標準を保っているし、食事も気を
つけている。ただ酒量が多いことが問題。親戚で脳卒中で寝たきりの人は少ない。
ほぼガンか老衰で亡くなっている。でも、血圧も、血糖値も気にしなければ! 
 ところで、一昨日の運動を終えた直後で158、昨日はリクライニング室の
マッサージの直後のためか128。高いのか?こんなものか? 先日、公営の
小さなジムにある測定器では120だった。状況により大きく左右するようだ。
脳卒中で半身不随は辛いだろう。頭は全く変わらないというし。大学時代の少し
メタボ気味が二人、半身不随になってしまった。
  * パソコンゲーム
 これまでゲーム歴は、ソニーのPSPと、学生時代のパチンコ(数ヶ月に一度位)
以外、ほぼない。ここでiPadを購入したおかげで、さっそくフリー(無料)の
ゲームを幾つかダウンロードして使いだしたら、これが面白い。午前中は
スケジュールに追われているが、午後は時間がタップリある。それでも仮眠を
したり読書やネットで時間をとられるため、夕食後からTVを見ながらゲームに
嵌っている。2〜3時間は時間がたつのを忘れてしまうほど。止めようと思って
も、もう一回、もう一回と延々と続けてしまう。これを幼児の頃から楽しんで
いたら、現実で自分をゲームの主人公にした夢の追及とか、目標のため目先の
苦労をすることなど避け、ゲームで達成感などを味わった方が遥かに楽に思える
のだろ。 なるほどバカになるわけだ。
  * ど忘れ
 数日前に、以前に一度『哲学人』を、この随想日記に書いていたことに
後になって気づいたばかり。ところ再び昨日の朝、三年前の同月同日に、全米
NO1の弁護士の著書『議論に絶対負けない法』の感想文があるのに気づいたしだい。
これまでも、せっかく書き上げた後、何か書いていたような気がしブログ内検索
で書いていたことが判明し、没にしたことは何回もあった。しかし二回もたて
続きに気づくとは、やはり少し変か?やはり年齢のなせること? 
書いたと同時に、ハッキリいって内容は一年後に、ここで再読する以外は皆無。
その分、後で読むと面白いが・・・ 


5662,閑話小題 〜地方銀行消滅

2016年09月15日(木)

* 地方銀行消滅   〜地方銀行消滅 (朝日新書)津田倫男 (著)〜
 先日の新聞広告の、<『地方銀行消滅 』〜105行から20行に>が刺激的である。 
  〜アマゾンの内容紹介には〜
《銀行名が消え、組織も行員も消える再編の奔流を、いかに乗り切るか?
 全国6ブロックの新勢力図を発表! 地銀、第二地銀の計105、大手信金を
あわせて140ほどの金融機関が5年後には20~30に再編・統合されてしまう。
人口減少がもたらした「金融戦国時代」に生き残るのは、どこか!?
その理由は!? 元・敏腕バンカーが大胆に予想する。》
▼ 20数年前に20数行あった都銀が、数年でメガバンク3行になった。
 地方経済の衰弱化が進んでいる中、地銀の再編の推進が行われなかった方が
不可解。世界不況が深刻化する中、人口減が進む地方経済は深刻な弱体化が
進行、待ったなしの地銀再編の合理化は当然の成行き。常識的にみて、地方再生
とかいうが、その疲弊は政治力では何ともならない。地方豪族化した一部の
土着プチブルと我世を謳歌した地銀も、世界的大不況と、グローバル化で、
大幅な合理化対象になる。
 ――
  * ショッピングモールの衰退
<10年ほど前、争うように建設されたショッピングモールは日本中に3000ヶ所
存在する。ネットショップに客を奪われてブームはすぐに終わり、日本中に
廃墟ができている>と先日、Tvで報じていた。 2000年代に全盛期の巨大モール
の集客が減少し、廃墟化が進行。 郊外型ショッピングモールは、1950年頃の
アメリカで誕生し、モータリゼーションの発展と共に大流行した。1956年には
一つの街に匹敵する巨大モールに発展し、広大な駐車場を備えたスタイルが完成。
先ころ、モールに力を入れていたユニが、ファミリーマートに、吸収された。
 アマゾンなどネット通販以外に、存在感を示しているのが巨大ホームセンター
で、日本最大の店は東京ドーム3.9個分の、ジョイフル本田千葉ニュータウン店。
日本最大のモール「イオンレイクタウン埼玉」の敷地が東京ドーム約6個分ある。
ネット社会が、現実社会を覆った結果の、典型的な現象。これにコンビニは、
まだまだ伸びている。 深刻なのは百貨店。過っての情報発信基地だったが・・
そういえば、週に一回はユニのショッピングモールに映画を観に行っている。

・・・・・・
5297,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー��
2015年09月15日(火)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 法則 2 ーお金のつくり方
 ここで、お金を得る方法として5つをあげている。
「勤めるか、相続か、盗むか、ギャンブルか、ビジネスをする」をあげ、
ビジネスでの成功を勧めている。ビジネスとは、「利益を創出すること」で、
宝クジの当たる確率が1400万分の1に対し、ビジネスは「5%」の
20分の1。とすると70万倍の確率である。「経済の歴史」から、有史
以来、常に「人口の5%が経済的に自立した人たち」である。 これは、
時代や地域に関係なく、あらゆる時代、国、地域に共通する。身近な例で、
私の世代では、まず高校の進学校に20%が、次は国立大か、私立なら早慶、
上智、同志社あたりに5%に絞り込まれる。そして、上場企業の勤め人か、
上級公務員になるか、実家の事業を継ぐか。数ヶ月前に、中学の「古希の会」
が湯沢で開かれたが、卒業時の成績が拡大したままが、その人生のようだ。 
死んだり、ウダツの上がらないのは、出てこれないが、私みたいなのもいる。
 ここでは起業を勧めている。とすると、20歳時に「創業}の人生を決意
したのは、賢明だったことになる。で、このザマだが、充実感は残った。
  〜章末の「まとめ」より〜
● お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」
● お金とは、「社会への貢献度」を示す指標
● ビジネスの選択は.「できること」ではなく「情熱」で選ぶ
● 起業に必要なのは「資金」ではなく.よりよい「戦略」
●「購入額」と「購入頻度」がビジネスを成長させる秘訣
● 起業を成功させる5つの秘訣は.
 1.まず、「情熱」を持てる仕事か、
 2、次が、「ニーズ」より「ウォンツ」の商品かサービス
 3、どうすれば「付加価値」を上げることが出来るか、
 4、自分がいなくても会社がまわる「しくみ」をつくる、
 5、成功の「モデリング」をすること
  「成功したビジネス事例のエッセンス部分」を、形を変えて
  「自分のビジネスに応用してあてはめる」こと。
  〜巻末の、ピーターからの「格言」より〜
◎ あなたがお金を少ししか持っていないとき、それを気分が落ち込んでいる
 ことの言い訳にするのであれば、「常にお金が少ないという状態」が続きます
◎ よりよい戦略とは、「よりよい質問をすること」です
◎ 「人の感情を動かし、行動を起こしてもらう能力」は、どんなビジネス
 においてももっとも高い価値が支払われるスキルです
◎ 意思決定をする際に、この3つの質問をすることが大切です
 「1・何がもっとも大切なのか?」「2・私は何が本当にほしいのか?」
 「3・何がもっとも貢献できるのか?」
◎ 方法はまったく関係ありません。「情熱」さえ注げれば、
 方法は必ず現れるのです。どんな状況でも常に「道はある」のです
◎ お金とはあなたが社会に「どういう貢献をしたか」の証明なのです。
 そして、豊かなマインドとは、「先に貢献し、そのあとでお金をもらう
 というマインド」なのです
◎ ビジネスをスタートするのに「お金」は必要ありません。
「よりよい質問」を自分自身に投げかける必要があります分 それは、
「どうしたらより多くの価値を加えることができるのか?」という質問です。
―――
▼ 成るほど、上手くいっている時は、上記などの法則に当てはまり、
 丁度よい塩梅で油断をしている時に、突然、想定外の事変で、転覆するのが
事業、いや人生のなりわい。幼児のときから、両親に規模は小さいが、起業
経験を、聞いてきた割に小さく縮んでしまった。でも、45年間の物語が、
そこにあった。何より良かったのが、『時間』と『閑』があったこと。
そこで、ふやけてしまった結果が、これだったが。人間の型だけは?
・・・・・・
4932,コトの本質 −2
2014年09月15日(月)
 * 未知の外界に接し、子供のように興奮する!    
                 『コトの本質』松井孝典著
現在の毎日が、まさに〔未知の外界に接し、子供のように興奮する日々〕。
45年間の事業も、その日々だったし、秘境ツアーも同じ。 現在も、
その延長にあるためか? 毎日が充実をしている。 ーその辺りからー
≪ 大学という環境で、私はいつもエネルギーが高い状態を保てます。
 歳をとると、普通は、だんだんその状態から落ちていくわけです。
安定した軌道上に落ちてしまって、変化がなくなってくる。引退するときに、
よく、刺激を受けなくなったとか、燃えなくなったとか、モチベーションが
なくなったとかいいますが、同じこと。私は、脳の内部モデルを更新していく
ということが、無性に楽しいわけ。毎日のように、生命や地球、太陽系、
銀河系、宇宙について、次々といろんな新しいことがわかるわけでしょう。
タイタンに探査機が軟着陸して、探査するとか、どんどん未知の現象が眼前
に飛び込んできます。それについてどう思うか、考えさせられているわけ。
夢中になります。わくわくします。子どもみたいなものです。未知の外界に
接して、興奮する日々を送る。本当は、そのような機会をより多く与える
ことが子どもの教育にとって必要なことなのです。他と接することによって
おのれを知る。これが教育の基本です。いまの教育に欠けているのは、まさに
その点です。それが欠けているから、自分を持たず自分の頭で考えられない、
ろくでもない子どもが育ってしまうわけで、ほんとは、子どもというのは
そういう環境下におくべきなのです。外界と接し、境界を拡大することに
よって、自らを知るわけです。それが、おのれとはなんぞやを認識すること
でしょう。そのような経験を通じて自己ができてくると、初めて自分の頭で
考える、あるいは自分の意見というものがいえるようになる。さらに、
どこまでこの意見は通用するのか。それはここまでしか通用しないとか、
いろいろなことを経験して、普遍性、あるいは世間を知ったうえで、
さらに深いレベルで自分の判断ができるようになるわけです。
 成長するということは、ここまではわかっているという、外側の境界を、
いつでも広げ続けていくことですから、毎日が楽しくてしようがないはずです。
新しい事象に接することで、その境界が広がっていくわけです。ここだけの
領域でしか通用しないことが、あ、ここでもそうなんだ。さらにここでも
そうなんだ。 ・・・≫
▼ 著者の本を何冊か読んで、ここでも、紹介したことがあった。宇宙の彼方
 から逆照射の視点で見直し、 地球をシステムとして捉える。そして、
その一つとしての人間圏を改めてみると、気がつかなかったことが、見えてくる。
まさに、地球を支配しているサルが、その自然圏の資源を使い放題で、破壊を
している。綺麗ごとを言っている私も、その恩恵を受けているサルにすぎない。
未知の外界は漆黒だが、光を当てると?
・・・・・・
4565, 2050年の世界 ー6
2013年09月15日(日)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                〜英『エコノミスト』編集部 (著)
  * 第十九章 距離が死に、位置が重要になる
《 テクノロジーが距離を葬った。通信費は限りなく無料に近づき、様々な
 ソフトウェアーでこれまで以上につながるようになり、‘どこにいるか’が
かってない程重要になる。》 これは10年前から現在に遡って言えること。
その何処かにいるのかさえ、重要で無くなる可能性がある。
大相撲やプロ野球の観戦も、現場より居間の大型TVの方が面白くなりつつある。
その意味でグーグルアースは、ますます重要な位置を占めてくる。
   ー第十九章のまとめーより
・『エコノミスト』誌編集主任だったフランセス・ケアンクロスは一九九七年
 に『距離の死』という本を書き、そのなかで通信費が技術革新で安くなり、
 距離は障害ではなくなると予言したが、二〇一一年現在の時点でそれは
 現実になりつつある。
・一九九七年には、アメリカと欧州の電話料金は、一分あたり平均で八一セント、
 二〇一一年には、スカイプを使えば2セントですむようになった。
・国際間のテレビ電話会議とも言える「テレプレゼンス」はすでに商業化
 されているが、今後はそれが家庭に安価に進出していくだろう。
・携帯電話に搭載されるさまざまなソフトで、距離はさまざまな分野で意味を
 なさなくなっている。テキストメッセージで現金を移動させるモバイルマネー
 もそのひとつ。 そういうサービスで最も成功した一例が、二〇〇七年に
 ケニアで始まったM-PESAだ。
〔 *(M-pesa、エムペサ)とは、ケニアにおいて人口の約3割(1,300万人)
 が登録 するほど普及しており、銀行口座を持たない貧困層の金融システム
 へのアクセスを可能 にしたとして名高いSafaricom社のモバイルバンキング〕
・典型的な発展途上国で百人あたりの携帯電話台数が一〇台増えれば、
 GDP成長率を○・八ポイント押し上げる効果がある。
・ウェブ空間上で、人の集えるソフトは、専制的な政府が集会の自由を圧迫
 しているときも、それを迂回できる道を提供した。
・距離が意味をなさなくなったことを利用し、各地域、各文化圏の労働力、
 技術力の特長を生かした国際分業がやりやすくなった。そのぶん、どこで何を
 する、という位置が重要になってきた。開発の得意なシリコンバレー、スペック
 をもとにプログラミングをするのが得意なインドのバンガロール、厳格な運用
 システムを創ることが得意なドイツ、といった具合である。
・常時接続の世界により人々は互いに話すことに興味を失ったように見える。
 市場調査会社二ールセンによると、アメリカでは携帯電話の加入者が自分の端末
 で話す時間は、二〇〇七年からの四年間で、一カ月あたり一〇〇分以上短縮され、
 七〇〇分になった。
▼ネット社会が世界を覆い尽くし、それが全てを変え始めているが、その行方は
誰も知る由がない。それが距離より、それぞれの立ち位置を重要にさせていく。
家族や隣人より、ネットで継った友人が優先されるネット社会が現にきている。 
そうこう考えると、「自分」「私」の哲学的問題も出てくる。  
「ネットで継った私は何者だろうか?」「ネット社会とは何?」
・・・・・・
4190, 呪いの時代 ー8
2012年09月15日(土)                   
  * 草食系男子とは何だったのか 「呪いの時代」内田樹著
 団塊世代の下の年代に草食系男子が多くなったようだ。今に限らず、
私たちの年代にも肉食系と草食系男子は別れていた。しかし中流階層が
下流階層に移行している現在、その比率が高くなってきた。この暗い世相の
中では、男子も下を向いて草を食べているしかないのだろう。50歳以下の
男たちをみると、多い。しかし自分が、この世代にいたら、草食系になりざる
をえないのも確か。長期的右下がりは、いかんともしようがない。 
 ー 以下の部分が面白い! ー
≪ 僕のゼミで、このところ年に二回も「草食系男子」を自由研究発表のテーマ
 が取り上げる。学生たちは、草食系男子と現にかかわり深い当事者のみなさん
ですから、その報告には「現場を見抜いたもの」にしか語れないリアリティがある。
 ー以下、僕が彼女たちから聴き取った情報の一部を開示したいと思います。
 草食系男子の特徴は、とにかく「弱い」ということです。きわだった特徴は
「すぐ泣く」、それから物を決めるのが苦手。「どこに行く?」とか。
「何を食べる?」とか訊いても答えられない。できることなら女の子に全部
決めてもらいたがる。身体的には細身・お洒落で・髪の毛の手入れと美肌に
関心が高い。かわいいしぐさ(胸の前で両手を組んで、口をとがらすとか、
外見的には哺乳類の幼生、なかんずくげっ歯類に通じる風貌をしている。 
 では、このような「草食的ふるまい」がもたらす生存戦略上の利点とは何で
しょう。ある特異な社会的態度が集団的に採用される場合に「生存戦略上有利である」
という無意識的な判断が下されたためと考えるのが合理的です。実際に有利であるか
どうかはともかく、有利であるという判断は下された。とりあえず誰でも思い
つくのは、それが「弱い立場」にあることを強くアピールすることによって、
これ以上攻撃されることを抑止する機能を持つという仮説です。
僕も、この仮説には妥当性があると思います。 弱い犬が股間に尻尾を挟むのと
同じように、
あるいはマウンティングをされるのを尻を向けて待つ弱いサルのように、
「弱い」ポーズを取ることで、これ以上の攻撃を予防することが出来ます。
一種の「安全保障」として機能する。・・ こういうことが可能になったのは、
公的な「強いシステム」と、それに収奪され抑圧され管理されている
「弱い個人」という二元的な対立図式に置いて、常に「弱い個人」の個に正義
があるというチープでシンプルな物語を国民が選好したからである。草食系男子
は、おもに性的関係の局面で発揮されるが、とにかく傷つくことを恐れる。・・≫
▼ バラエテー・ショーに出てくる若いタレントを、ほぼ、こんなのばかり。
 私たちの年代から見れば「女の腐ったような男」「人畜無害のヤサ男」。 
疑似ホモ化である。逆に司会とか、キャスターは肉食系を思わせる逞しそうな
女が目立っている。これもグローバル化・情報化によるのだろう。
・・・・・・
3825, 生命保険について
2011年09月15日(木)
一昨日のNHKの連続ドラマで「生命保険」をテーマにした連続ドラマが始った。
後で録画を見るつもりだがシビアな内容だろう。生命保険は名前のとおり命を
かけた博打。 当たった時には、当人は娑婆にいないが、残された人に保険金
が支払われる。そのため胡散臭さが漂う。母親が生前、「自分には八百万の
保険がかけてあり、死ねば支払われる」と遺言書にあった。しかし、契約書では
80歳で切れていた。母の勘違いというより、保険屋が、そのことを言って
なかったようだ。私は「保険は体の良い組織的詐欺の要素を持ったシステム」
という持論があり、保険などかけたことはない。  
 ーある本に、その辺のことが分かりやすい説明があった。
【 生命保険の保険料は、男性の場合、十万人が一斉に生まれ、順次死亡して、
 百七歳で全員が死亡するという前提で、毎年の死亡確率を出し、これを元に
算出される。 四十歳の男性の場合、生き残っている九万七千三百九十人中、
年間に死亡するのは百四十四人。つまり、九万七千三百九十一人が払った
死亡保障の保険料は、不幸にも亡くなった百四十四人がもらい、その年は
終わりということになります。十万人生まれた男性が、半分の五万人を切る
のは八十二歳。死なない限り払った保険料の元は取れない。】
「自分が死んだ後の身内のことを考え、保険に入っておく」という理屈は
分からないでもないが、それをネタに利益を得ようとする保険の仕組まれた
システムは、契約書に業者に有利に作られているのは、当然のこと。 
火災保険は、万一を考えると必要だが、それで「も利益団体の言いなり」と
いうことを考えておくべきである。古来から金融の本質は、保険のあるという。
だから、そこは、専門家でさえ知りえないほどの騙しが隠されている。
私が保険嫌いのため、家内は心配で、家内名義の給料を38年間預金をして
いたことを、一年前に知った。それが、この事態(倒産)の命綱になっている。 
保険は、生々しい世界だが、この情報化のため、保険のオバサンの多くが
淘汰されつつあるという。 それと零細の業者も、ほぼ大手によって淘汰。 
再編成もすざましいという。 何処も同じということだ。 
 ・・・・・・・
3460, つれづれにー政治談議  −2
2010年09月15日(水)
 * 管首相の大勝利
 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。
これは日本経済にとって深刻な問題。ある意味で致命的である。目先は分裂
することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。
この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、
彼が経済、外交音痴であることが判明。当分の間、政権を担うとなると考えた
だけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底に
向けて容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。
我われに商売は直接、景気が直接反映するから敏感になる。結果からみれば
小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか分から
ないし、次の選挙の資金確保という大問題に直面する。この歴史的危機でも
国家天下より、御身大事を優先するしかないのか。地方議員や、サポーター
などの票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。
一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに自分の出番が
来ることを彼が一番知っている。二人の演説を聞いていて、管首相の内容が
国家のトップとして内容が乏しいのが渦中にいると分からないようだ。
過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れない
のだから、民主党の議員レベルの質を問われて然るべきである。無政府状態が
当分続く。そして景気はますます悪化する。
 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる?
  ー 以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日)


5661,『エゴの力』�� 〜総論・B

2016年09月14日(水)

               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
  ネット上の解りやすい概略を検索すると、アマゾンの投稿に、最適なのが
あった。エゴを、「人間の感性の発露以外の何ものでもない」「己の好きなこと
を通じてエゴを磨くこと」と著者はいう。それらから考えると、私の秘・異郷を
中心とした旅行で磨いた感性は、確かに人生を変えた。回数を重ねるほど、
『エゴの力』が増したことになる。好きなことを継続するほど『エゴ』が強く
なる。それが個性である。
    =アマゾンの投稿=
≪ 本書で、「人間の強さとは何かといえば、その人間の備えた個性の力」
(100p)というテーマを中心に、エゴについて語っている。石原さんほど
老成しているわけではないが、私も50歳を過ぎ、このテーマには賛同する。
 石原さんは冒頭、「エゴとは人生を左右する力、人間の個性。個性とはその
人間の感性の発露以外の何ものでもない」(4p)と定義し、織田信長、東郷
平八郎、出光佐三などの行動を引き合いに出し、成功の裏にはエゴの発露がある
ことを紹介する。そして、松下幸之助の言葉「経営には勘が必要だが、勘だけ
ではだめだ。またデータ、コンピューターだけではだめだ。資料をいくら重ね、
データをいくら分析しても限界がある。経営に成功するための原則がある。
その原則のなかで絶対必要条件ともいえるのは経営の哲学、経営理念や志だ」
(46p)を引用する。
・第2章では、恋愛とエゴについて語る。『八百屋お七』『娘道成寺』を引合いに、
「男のエゴの虚弱さというものを、またある意味で人間の備えた弱さを示す象徴
かもしれません」(81ページ)と解説する。 また、明治維新の功労者や太平洋
戦争の英霊達にもエゴを見いだすという。古今東西の小説や歴史上の人物に典拠
を求めるあたりは、いかにも石原さんらしい展開である。
・第3章では、趣味であるヨットを通じて、好きなことを通じてエゴを磨くことが
できると語る。
・第4章では教育や就職について語り、「他者との関わりが自分のエゴ、自我を
切りつけ、損なうことの端的な事例は間違った教育、あるいは間違った躾による
ものが実に多い。特に躾・教育は幼年から始まって成人になるまでの、まだ自我
が確立される前の未成年の段階で一方的に行われる作業ですから、その影響は
極めて容易だし、また大きなものがあります」(148ページ)と指摘する。
・第5章では田中角栄による金権政治を振り返り、「お金というものは決して
ただのお金ではなしに、人生を左右しかねぬ、その使いようによって極めて
貴重で微妙な人生のための小道具」(213ページ)と語る。
・最後に、「世界がアメリカンスタンダードで統一されることはありえない
のと同じように、人間全体に統一規格があてはまることは絶対にありえない。
それと同じように、それぞれの強いエゴを備えている人間たちに人間の
スタンダードがありうるはずはありません」(217ページ)と結んでいる。≫
▼ 遺伝子の研究から、「生命の本質は利己主義の発露にあり>、と言われる。
 生命は、単独では生延びることが出来ないため、仲間を利するしかない。
だから、尤もらしい理屈をつけて、他のため、生きると社会正義と論じる。
成るほど! 自分に力がなければ、他を助けることが出来ない。「興産あって、
恒心あり」。特に人間は、「利己は生命の本質と認め、他利を加える必要性」
がある。男女間のエゴの発露は、人類最大の永遠のテーマになる。

・・・・・・
5296,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月14日(月)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 『自分を超える 5つの法』とは
 自分の長期目標を掲げて、そのための宣言書で明文化をして、それに精進
していけば、日々、自分を超えることになる。そこに自ずと3C主義=
チャレンジ(挑戦)、チェンジ(変化)、コンペティション(闘い)が生じる。
それは現役である限り続くが、楽しむことが出来るかどうかが鍵となる。
  〜その5つの法則とは
法則1: 成功の心理学(「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす
  安定感のニーズ 多くの人は何かを求めるとき「安定感」を基準にしてしまう
法則2: お金のつくり方(お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」
  お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ほか)
法則3:リーダーシップを高める(「リーダーシップ」は育てたリーダー数で
  決まるリーダーシップを発揮するカギー 「基準を上げる」 ほか)
法則4:世界観をつくる(自分に「力を与える世界観」をつくり上げる
「成長」と「貢献」が世界観をパワフルにする ほか)
法則5:10倍強くなる文章術(すべての人にとって「文章を書くこと」は、
    最重要の項目である
  コピーライティングは「創造力を高めた状態」で行なおう ほか)
  ――
   * まずは、法則1:の「成功の心理学」より
「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす。
  〜そのニーズ(欲求)とは
1、安定感のニーズ
 :多くの人は何かを決めるとき「安定感」を基準にしている。
2、不安定感のニーズ
 :人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる、不安定の量に
  正比例する。 行動のさなかでは、恐怖は消える。
3、重要感のニーズ
 :真の「重要感」を持った人とは、使命を帯びた偉人である。
4、愛とつながりのニーズ
 :すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」である。
5、成長のニーズ 
 :すべての生物は、成長し自分以外のものに何らかの貢献をする。
 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠である。
6、貢献のニーズ
 :「力(パワー)」とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
 正比例して与えられる。
  〜法則1 のまとめ〜
◎ 人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる不安定量に正比例する
◎ 行動のさなかでは.恐怖は消える
◎ 真の「重要感」を持つた人とは.使命を帯びた偉人
◎ すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」
◎ 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠
◎ ー力(パワー)とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
  正比例して与えられるー 
▼ どうしても人間は、不安定より安定を優先するが、これが間違いの元。
 ブッダが亡くなる時に、「この世の中の ことは、すべてのことは移ろい
ゆくものである。従って怠りなく努めなさい」という言葉を残した。
自然界にも、人生にも、「確実なこと」など何もない。あるのは変化だけ。
 人生には、「変化と、刺激」が必要である。とすると、そこには、
不安定が伴うが、その量に比例して質が上がっていく。安定過剰の
ヘドロ人間は大よそ8割と見てよいが、それこそが娑婆である。
「したい時が、やれる時!」。その時にしておかないと、ゾンビになる。
しかし、変わりゆく世界の中にあって変わらないもの、それを つかんだ人間
が、世界の、人間の、本当の意味をつかむことが出来る。それは逆に変化
の中にこそ、現れ出てくる。 何か仏教めいてきたか! 
・・・・・・
4931,コトの本質 −1
2014年09月14日(日)
  * 喜びの根源とは ー魂の響き!  〜『コトの本質』 松井孝典著
〈 我を絶えず外界と衝突照合させ、そこで内部モデルが一新されるときの
 快感はたとえようもない 〉という著者の切り口が新鮮である。
それが人生では、挫折とか転進などの節目に生じるアップスケール(脱皮)
の時に生じる喜びになる。それと、壮大な自然の出会いの感動や、芸術の強振
の感激も同じである。「この感動は人生の大きな節目になる!」という感動が、
まさに新しい内部モデルである。秘境先のリアルな光景に感動して、魂に刻み
つけ、バーチャルになる一連が、私のライフワークの秘境ツアー。 
そのバーチャルと、TV番組の行先のバーチャルが重なって感動が蘇える。 
ーその辺りからー
≪ リアルとバーチャルとか言いますが、とりあえずリアルと呼んでいるもの
が外界と考えていいでしょう。意識に拘らず在るもの、といってもいいでしょう。
内部モデル的に整理されものが、バーチャルです。それは、リアルとは違います。
それはモデルですから。リアルというものをどう整理するか、というのは、
内部モデルの在り方に関わります。すっきり整理された内部モデルでは、
背後にあるものがすべて見えます。「ことが見える」という表現の中に、内部
モデルのすっきり感があるわけです。外界を投影した内部モデルの中で、
めいりようで、リアルな外界の構造が、明瞭に位置づけられるということです。
 生きていくということは、交わるということです。我というもの、これは
大脳皮質の中に内部モデルとしてつくられるのですが、それは、外界と関わる
ことによってつくられることになります。外界と関わることで、内部モデルが
つくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければつくられ
ません。我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。 
人間の生においては「我とはなんぞや」というところの我の概念が生まれて
こなければ、何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、
我という概念です。他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。
これはペアになっている概念です。
 三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、
と考えられています。他を認識したその瞬間に、それを認識している自分と
いうものができます。そういう段階から、絶えず外界を認識する作業を経て、
その瞬時、瞬時につくられているのが、脳の中にできている内部モデルです。
我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わることによって、内部モデルを
構築していく作業が、生きるということになります。その瞬間、その瞬間は、
それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を照合させ、
修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。そうやって内部
モデルができ、変容していく過程すべてが、生きるということです。
私は、考えることを仕事としたいと思いそれを続けているようなものですから、
学生時代からずっと考えるということとは何なのか、それを考え続けています。
自分という対象を、外から見て分析すると、これまで構築された内部モデル、
それが私の人生と考えています。私をいいかえると、私の内部モデルが
それで、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫
▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、
分かりやすい! 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルに
かえていることになる。過去の文章を振り返ると、実感として納得する。
リアルは消えるが、バーチャルは映像、言葉としてリアルの一端を残す。
だから、バーチャルを侮ってはいけない。リアルとバーチャルは裏表。
そのバーチャルは、書換え可能ときているから複雑になる。
  ー偶然だが、以下の文章に続くー
・・・・・・
4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1
2013年09月14日(土)
       『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著)
  * 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性   
‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。
  それは知識だ’が納得出来る。
≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す
 工夫からもうかがい知ることができる。たとえば、どこかできいたことがある
かもしれないが、円周率を何万桁も覚えているという日本人がいる。円周率は、
小数点以下、無限に続く意味のない数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も
暗記しているのが、原口謹さんだ。かつて私は、この原口さんと、五四歳のとき
に円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた友寄英哲さんの記憶能力について調べた
ことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、同年代の人たちとそれほど
ちがいはなく、特殊な才能は何一つみられないことがわかった。
しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、「語呂合わせ」を使う
技能に長けていた。つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。
語呂合わせは、端的に言えば、数字の羅列のような意味のないものに意味づけ
することだ。原口さんも友寄さんも、けっして若いとは言えない年齢であるにも
かかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、二人が意味づけという記憶の
秘訣を使っているからにほかならないのだ。もちろん、何万桁もの数字の語呂
合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した努力を忘れてはならない
のだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろう。
それは知識だ。知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもって
いると、まったく理解できないような事柄であっても、自分の知っていること
との類似点をみつけるなどして、意味づけが可能になる。たとえば、難解小説を
読むときに、作者の生育環境や交友関係などを知っているとよく理解できること
があるが、これが知識による意味づけの一例だ・・
 ここで重要なことは、知識が増えれば、その後新しい事柄に出くわしても
その意味づけが可能となり、記憶に残る。ひいては、新たな知識として頭の中に
加わるということだ。つまり知識が増えるほど、新たな事柄の意味づけがより
多面的にできるようになり、知識に加わりやすくなる。よい循環が生まれるわけ。
逆に知識が乏しければ、新しい事柄も記憶に残らず、いつまでも知識は貧弱な
ままという悪循環に陥ってしまう。一六世紀から一七世紀にかけて活躍した
ベーコンは「知は力なり」と言ったが、まさに記憶にとって、知識は力なり」
なのだ。原口さんも友寄さんも、会って話をしたときに一番強く感じたのは、
もっと新しいことを知って、知識を増やしたいという、旺盛な好奇心をもち
続けているということだった。つまるところ、彼らの記憶力の秘訣である
多面的な「意味づけ」は、旺盛な好奇心あってのものだということなのだろう。》
▼12年以上も随想日記を書き続けて、これにエネルギーを費やしていること
に疑問を持たないことはない。反面、この御陰で人一倍の旺盛な好奇心を持ち
続けている利点がある。さらに記憶媒体になる上に、公開することで、情報と
知識のギブ・エンド・ギブにもなる。印象に残った読書内容を感想と共に
「起承転結」でパックにすることで、自分の知識として残すことが出来る。 
知識が増えた分、新しい事柄や知識に出くわした時、その意味づけが深くなり、
記憶に残る。少しキツイが、私にとってベストの習慣になっている。
続ければ続けるほど、自分の底の浅さに愕然とする。
 ・・・・・
4189, 呪いの時代 ー7
2012年09月14日(金)
             「呪いの時代」内田樹著
* 婚活も、「適職イデオロギーの刷り込み」の一種  
   ー第5章「婚活」と他者との共生ー
 ここで著者は、「ほぼ全ての結婚は、最後は『失敗だったな』と思うもの!」
と断言する。家庭内離婚を含め過半数が破綻しているのは知っていたが、ここで
殆んど全部というから驚きである。知人などから、こっそりと、『失敗だった』
という愚痴を聞くと、禁断の秘密を知ってしまったと思ったが、全部が、そういう
ことなら話は別。 実際に暮らして分かる相性もある・・ ーその辺からー 
≪ 婚活もイデオロギー的洗脳によってエンドレスの願客を作り出すという
 ビジネスモデるにおいては就活と同じ。就活における「適職イヂオロギー」
にあたるのが、「運命の赤い糸で結ばれた宿命の配偶者幻想」です。
世界のどこかに私だけに宿命づけられた一人の配遇者がいる。その人に
出会わなければならない。出会いさえすれば永遠の幸福が約束される… 
この赤い糸イデオロギーは幼児期からさまざまな物語を経由して、子ども
たちに植え付けられます。この幻想から自由であることはきわめて難しい。
そのイデオロギーに悼さすかたちで結婚情報産業が呼びかけます。
≪「この世の中に、あなたにだけ約束された人がいます。あなたはまだ
その人に出会っていません。何故でしょう? それは『出会い』が足りない
からです。私たちが、その出会いを提供しましょう。もちろん有償」・・ ≫
「あらゆる結婚は(と申してよいでしょう)「これは失敗だったな」という
後悔を当事者たちにもたらします。必ず。 だから、ご心配には及びません。 
僕たちは配属者の選択において、必ず間違いを犯します。そして、後になって
「なんで、こんな人と結婚しちゃうたんだろう…」と空を仰ぐことになる。
・・ そうですよね。頭に血が上ると「この人こそ世界でたった一人の私だけ
のための人だ」というような夢想に酔うが、普通はあまり継続しない。
「では、結婚しましょう」ということになり、両家の親族に挨拶に行き、
新居の家具を買いに行き、式の段取りをしているうち、「ほんとにこの人で
いいのかなあ」という懐疑の念が兆してくる。「赤い糸イデオロギー」は
平たく言えばただの夢想ですから、現実の「やすり」でこすられるとポロポロ
と剥落してくることは避けがたい。何となく「マリッジ・プルー」になっている
うちに新婚旅行に行き、そこでいびきをかいて寝る夫や、トラブルが起きるたび
「あなた、なんとかしてよ」ときいきい叫ぶ妻にうんざりし、婦りの飛行機の中
では口もきかないというようなことが起こる。 いや、これは「あなたの場合」
じゃなくて、ほとんど全て(95%くらいの)夫婦についてなさていることなんです
から、ほんとうは少しも心配するには及ぱない≫
▼ これを読むと、社会の見方と人生観が一変する人もいるはず。とはいえ、
 やはり夫婦というシステムは、一部動物と人類が作りあげてきた。やはり、
結婚と、その後の我慢はしておくべき。身も蓋も無い話だが、そういうこと。


5660,閑話小題 〜シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜��

2016年09月13日(火)

 フィレンツィに3度行き、その都度、ウフィツィ美術館を訪れている。
フィレンツィの観光コースに必ず含まれているからである。現地ガイドの説明
を聞き、生の名画をみるのも良いもの。見る度に、それぞれの名画が身近に
感じられてくる。この映画では、その名画と、フィレンツィの街並みが撮影
されている。その映画なら見ない手はない。で、予想とおりに、3D・4kの迫力
ある映像に圧倒された。 現地の慌しい人込みで、説明を聞きながら、一作品
に数分しか凝視できない名画を、シネマ館でジックリと観る醍醐味が良い。
現地で観る本物より、デジタル加工された立体的な画像が生々しく迫ってくる。
ある意味、現地の本物を観るの変わらない?というと、大げさか。TV番組で、
その作品と、解説を何度か、見聞きしてきたことも、そう思わせるのだろう。
  〜シネマの映画案内より〜
《 日本×イタリア 国交樹立150周年を迎える記念すべき年に“イタリア・
 ルネサンス絵画の 宝庫”ウフィツィ美術館と世界遺産の街フィレンツェを
 世界最高水準3D・4Kテクノロジー で撮影した本美術ドキュメンタリー! 》
《 花の都フィレンツェ。そうつぶやくだけで、うっとりとした気分になる
 美術ファンは多いはずだ。ウフィツィ美術館を始め、市内の教会や美術館、
広場のそこここに珠玉のルネサンス美術が顔を出す。その背景には銀行業で巨万
の富を蓄えたメディチ家の存在があった。当時、いくつかの共和国に分かれて
いたイタリアでフィレンツェ共和国の実質的な支配者となり、後に教皇まで
輩出し、中世ヨーロッパで権勢を誇ったキリスト教世界のトップにたった家柄だ。
 ロレンツォ・メディチを始めとするメディチ家の人々は、自らの為政の場や
住まいを飾るためミケランジェロやダ・ヴィンチ、ボッティチェリらに絵画や
彫刻を依頼する。教会にも布教のための壁画を寄進し、壮大なドームを備えた
聖堂を建てる。こうしてわずか2キロ四方程度のエリアに巨匠たちの至宝が
ひしめき合う、それ自体が一つの美術館であるような街が生まれた。
 本作ではウフィツィ美術館が収蔵する傑作の数々のほか、サンタ・マリア・
デル・フィオーレ大聖堂やシニョーリア広場、国立バルジェッロ博物館などに
並ぶ至高の絵画や彫刻、建築を高精細3Dで見ることができる。なかでも2011年
から修復が進められてきたレオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」が
映像では初公開となるのに注目だ。またフィレンツェ・ルネサンスの代表作と
いえるボッティチェッリ「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」、
ミケランジェロ「聖家族」、ラファエロ「ひわの聖母」などの作品群も
じっくりと堪能できる。世界遺産の街、フィレンツェの花が文字通り咲き
誇る映像は最初から最後まで見逃せない。》
▼ 現地の作品の前では、まず作品に集中し凝視する。そして、作者と、
 その作品の背景を知る。それは、TVや、写真集を再び見た時のため。
現物からの波動は、作家の魂の波動である。それに反応する心が感激と感動。
そのために、短時間でも、心を集中し凝視するしかない。
 人生とは、感動と感激と畏敬の念、で織成す連続体である。
それを作品で表現するのが芸術家。世界は広くて、深い!そして、面白い!

・・・・・・
5295,閑話小題 〜慎太郎と佐々の死生観の対話
2015年09月13日(日)
       文芸春秋2,015年7月号特集「老いと健康の危機管理術」より
   * 信長の死生観には共感するね
 図書館で立読みをしていたら、石原慎太郎と佐々淳行の対談の、「老いと死」
についての以下の部分にひかれて借りてきた。80歳を過ぎた、お二人の諦観が
滲み出ている内容である。      
佐々: 私は、自分の家で死ぬつもりでいた。だから少し無理をして、
 鉄筋で三階地下室付きという家を建てたんです。自分の部屋で死んで、
葬式も自分の家から出そうという、前近代的なお葬式観だった。
そのための部屋も作ったし、お客さんの誘導路まで考えた。
家族と別れて暮らすなんていうことがあり得るとは思っていなかった。
ところが周りを見ていると、‘お葬式は身内で密葬をやって、あとで
ホテルとかどこかの会館で偲ぷ会って'いうのをやる。これが定着した。
石原:俺は遺言に「葬式不要、戒名不要。我骨は必ず海に散らせ」と書いた。
 去年出した『私の海』な(幻冬舎)には辞世
(「灯台よ汝が告げる言葉は何ぞ我が情熱は誤りていしや」)も載せた。
佐々:僕もかなり考えが変わったよ。でも、葬式無用っていうのは、ちょっと。
石原:僕は信長が好きなんだけど坂口安吾の『織田信長』っていう短編の
 エピグラフに、信長の愛唱した小唄があるのよ。信長といえば『敦盛』の
「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり一度生を受け滅せぬ者の
有るべきか」でしょう。僕は知らなかったんだけど、安吾が引用しているのは、
「死のふは一定、しのび草には何をしよそ、一定かたりをこすよの」と」いう
小唄なの。「かたりおこすよの」がわからなくて、ある国文学者に聞いたんです。
そうしたら「おこす」は、おこがましいの「おこ」で、「人が死んだあとに
皆な勝手、なことを言いやがるけど、死んだ人間にとってはバカみたいな話だ」
という意味なんだな。痛烈なニヒリズムですよ。信長は徹底したニヒリスト
だったんだね。偲ぶ会をやったり追悼記を出すなんていうのは、その信長の
小唄と同じことで、いまさら何を言ってるんだということですな。
佐々:でも、お別れ会さえやらないで、さよならも言わずに去っていくのもね。
石原:僕は敬愛した政治家はめったにいないんだけど、賀屋興宣という人には
 私淑したんです。無類の財政家で、日本で初めて統制経済をやった人です。
戦前に大蔵官僚から政治家になって、A級戦犯で服役したあと、政界に復帰。
晩年に賀屋邸へ行ったら、髪も真っ白になって、サンルームで瞑想されていた。
「先生、何をお考えですか?」と訊いたら「人間が死ぬというのはどんなことか。
興味があるので一生懸命考えている」。「それで、死ぬってどんなことですか?」
「いや〜死ぬというのはつまらないね。私はだんわかってきた。死んだら、
一人で暗い道を黙って歩いていくんですよ。そのうち、葬式で泣いて送って
くれた家族も私のことを忘れてしまって、世間も忘れる。第一、彼らも忘れなきゃ
やっていけませんからね。それだけじゃなしに、自分が自分を忘れちゃうんです。
来世なんかありませんよ、石原さん。だから死ぬのはつくづくつまらないですね」
と言って、小さく笑うんだよね。すごいニヒリズムだと思ったね。
この段になってくると、そんなことを思い出しますな。 ≫
▼ 佐々が入った、介護つき有料老人ホームに、石原が訪ねて行われた対談。
 自宅に近く、三食昼寝付きで、何でもやってくれるそうだ。中産階級?向けで、
商社の支店長とか、サラリーマン社長だった人や、旦那がいるが、面倒を見切れ
ない奥さんだけが入っているとか。リハビリは別だが、食費や光熱費を入れて
30万位という。「奥さんも一緒かと思ったが、少し費用が足りないのでやめた」
とか。最近、同年代のタレントが夫婦して入居したとかという話は聞いたが!
古希を過ぎると、どうも娑婆の景色が変わって見えてくる。
4930,パワレルな知性 ー8
2014年09月13日(土)
   * たけしの品格      『パワレルな知性』鷲田清一著
たけしの品格について、が面白い!たけしは、「この男はダメ!」がキャラ。
人間はすべからくダメな人間だが、それを良い人間、有能な人間のコスプレを
しているだけ。コスプレが、コスプレを笑っているのが娑婆の実態。 
これが分かってないから、世の中、他人が、歪んでみえる。
「歪んだのが歪んだのを歪んでいる」と今さら言うのが間違いの元。 
「たけしは、それを剥いだ有りのままを笑いで剥き出すことで、
己の品格を表現している」は、褒めすぎ?  ーその辺りからー
≪ 最後は言語学者らしくこう締める。 「『品格のある日本語』というのは、
 借り物ではなく、じぶんが一番よく知っている言葉で語られるものですよね。
方言なんかはとても品格がある」。つまり「品格」について語るその地声に
言い及ぶところに、金田一の衿持が現われでているとおもう。じぶんについて
語る言葉が信用できるかどうかは、語られるじぶんに対してどれほどの距離が
とれているかにかかっている。「離見の見」と高尚なことを言わなくてもよい。
何かについて語るとき、そのように語っているじぶんがどこから語りだして
いるのか、それについての明確な意識をもっているかどうかに、その言葉の
真はかかっている。何かについて語るとき、いつもどこか断片的であって、
語りつくさない。語りだすのは否応もなくつねに地上のどこかからであって、
語りつくすというのは、じぶんがこの地上のどこでもないある特権的な
場所にいると錯覚することである。 それこそ品格に欠けることである。
 これに対して北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、
それこそ綱渡りをしてきた。いきなり北野はいう。「どうしようもない人」、
これがじぷんにとっての最高の誉め言葉だと。「人から、『あこがられている』
と言われると、失望させないように自らを律したりするじゃない? 
そういうのが大嫌いで、頼むからあきらめてくれって。『この人はだめだ』って
言わせるためにわざわざ変なことをやる。『どうしてそういうことをするの』
って言われるのが一番好き」。北野もまた、この世の価値序列から外れる
ところに「品格」を見る。「みんな社会的立場上、言えない部分があるけれど、
俺の場合、お笑いというジャンルが隠れみのになっていて、意外に好きなことを
言っちゃっている」。たしかに、「トツプには立ちたい」けれど、そしてそれは
「すごく下品」なことだけれど、同時に、「何をやっても勝てない相手がいる」
ことは身に沁みている。だからちゃらんぽらんと見えるほど、いろんなものに
手を染めてきた…。 首尾一貫していないこと、立派な「先輩」と見られたら
すぐにそれを裏切ること、つまりじぶんを模倣しないこと、そういう囚われの
なさに肩肘張らない自由を見る。ここにもなるほど、みずからへのクールな
距たりがある。その距たりを構えずにほのめかし、北野は最後にこうつぶやく。
「いつも何か考えているけれど努力して考えているわけじゃない。魚に
『アンタ、いつも泳いで偉いね』とは言わないじゃない?」じぶんが壊れる…。 
そういうあぶない場所にじぶんをもってゆきながら、かろうじて身を持す、
ぎりぎりのところでみずからを揺さぶることのない人に、「品」はぜったいに
訪れない。… ≫
▼「まあ、お笑いの、たけし、だから!」という免罪符を取ってしまって
いるから、今さら誰も非難できない。こうなれば、好き放題、言い放題。
週刊誌も、『たけしに愛人!』など、今さら誰も興味を示さない。
昔の芸人は、こういう人が多かったというが・・ いつも、あぶないところに、
自分を置いてきたので、いやに、同感する。じぶんが壊れる直前に、常に身を
呈してきたが、実際のところ、既に壊れていたのでは? 
 〜ところで、三年前の一連のイベントからこの方、ギリギリ生きて
こなかった人格に、あまりに多く出会った! 輩をヘドロという。              
・・・・・・
4563, 2050年の世界 ー5
2013年09月13日(金)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 英『エコノミスト』編集部 (著)
  * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章)
  ー まずは要約部分よりー
・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、
 その殆どが外れている、
・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。
 良いニュースは目立たず、人々の記憶に残りにくいからだ。 
 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間に
 あるので、そういう予言をすることが受け入れられる。
・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。
・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、
 「技術革新」よる「低価格化」を無視している。
・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに
 安い値段で必要なものが手に入るようになった。
・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに
 三〇分かかったが、今では三分だ。
・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、
 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。
・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。
 たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる技術は、移植医寮
 そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術
 の発見によって、癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な
 場所に送るという治療を大衆化させる。
・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。
 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。
・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は
 良化している。いまの新興国が先進国なみの経済水準になる二〇五〇年
 までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。
▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」
 が出てくるからだ。その中で情報機器と、バイオテクノの革新は、
 予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。
 人間には、長期楽観、短期悲観が経験を通して認知バイアスとしてある。
 それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。40年前の予測が悲観的
 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を
 転げ落ちている。そして日本は、20数年前のバブル崩壊から現在にわたって
 惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況をみれば
分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ 
 バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか?
・・・・・・
4188, 呪いの時代 ー6
2012年09月13日(木)                 
 *「適職イデオロギー」の刷り込み   「呪いの時代」内田樹著
ー第5章「婚活」と他者との共生ー
「適職イデオロギーの洗脳」の切り口は面白い。そのため?まず3年もしない
うちに3分の1が夢やぶれ辞めていく。それだけでない、その後も、その影に
追われることになる。歌の文句ではないが「自分を待っている職があるはず」と。
そんなものは、あるはずはない。現実は、そんな軽い若者を拒否をする職場だけ。
そのため転々と幻影を求めてサマヨウしかない。私たちはコマーシャルで、
知らないうちに無防備に不安と劣等感と無知を煽られ多くの洗脳を受けている。 
  ーその辺りからー
≪ 就職活動を始めるに当たって最初に叩き込まれるのが「適職イデオロギー」。
 就職情報産業の営業マンがきて、大学2年生を購堂に集めて「空気を入れる」
ときに彼らはこう言います。「ひとりひとりには、この広い世界のどこかに、
ただひとつだけ適性に合致した天職がある。この一年余りで、諸君は自分に
適正に合致したこの職業にであわなくてはならない。そのために捧げうる就活に
全エネルギーを当時なければならない」と。学生たちは驚きますけれど、
だいたい根が素直な子たち、たちまち、この「適職イディオロギー」
に染め上げられる。
△ そして「自分が適職に出会えないのは、自分の何であるか知らないからだ」と、
△「世の中にどのような職業があるのかについてまだ十分に知らないからだ」と
いう2種類の「情報」不足によって説明されるということに、うっかり頷く。 
そうして適性試験を受けたり、目を赤くして就職情報誌に見入ることになるわけ
ですが、もちろんこれらの情報は無償ではありません。かの「適職イデオロギー」
を宣布してまわった営業マンの会社が課金して販売しているまわるのですから、
この段階で、「なんとなく家業継ぐか」とかいう「ゆるい」就職観はきびしく
排斥されます。 そして、私たちは「ほんとうに『こんな仕事』に就いていい
のだろうか」という不安から逃れられなくなります。就活中ももちろんですが、
実際に内定をもらった後も不安が鎮まらず、さらに就活を続ける学生が多くいる。
最初に内定をくれたところはそれだけ「ご縁」があるということなんだから、
そこでいいじゃないかと僕は学生に相談されると答えるのですが、僕のそういう
場当たり的な就職観に説得される学生はほとんどいません。
 ・・就職情報産業にとって、「適職イデオロギー」を深く内面化した若者は
エンドレスの顧客です。「この職場に骨を埋めよう」と覚悟をしているわけで
ないのだとしたら、「いつか出ていきたいが、今は出ていけないので我慢して
ここにいる」という「腰掛け」的な就労態度をありありと示すことになる。
「はやく出ていって『ほんとうに私の適正に合った仕事』がしたい」という
切ない思いは更につのる・・ 仕掛けになっている。就職情報産業は、
このビジネスの洗脳によって決して自由になれない人々を量産することで
利益をあげることを自覚しておいた方がいいと思います。・・ ≫
▼ 幻影を求めてさ迷う若者に、更に就職産業屋は顧客として利益を貪る
 ことになる。気が付いた時には、立派なフリーター。社会は、彼らを便利な
部品として使いまわす。グローバル化で人件費が抑えられる中で、ひ弱な
若者は火の目を見ることはない。 これと酷似しているのが婚活である。
結婚相手と、就職先も幻影でしかないことが自覚できない若者。それは次回。
 ・・・・・・
3823, 閑話小題 
2011年09月13日(火)
   * 『哲学人』の感想文を連載は、二年前に一度書いていた。
 昨日に気づいたことだが、二年前に、この下巻のー小説の作り方ーについて
取り上げていた。難しかったのだろう、それっきりで終わっていたが、
それ自体を忘れていたのは迂闊だった。無意識のリベンジだったことになる。
分類の検索で調べたが見落としたようだ。それにしても、思いもよらなかった。 
成るほど、さすが哲学者が実践した小説作法は実に分かりやすい。(下にコピー)
それにしても、ブライアン・マギーの教養のレベルに驚かされる。  
   * 初めての書くテーマのネタ切れ
 この10年間、ここで一応、起承転結を成した?文章を書き続けてきた。
最低でも2つの仕込み文はあったが、今回、初めてゼロになってしまい、
それ自体をネタに書いている。現在の読書感想文の『哲学人』が、私にとって
難しい。しかし、何とかギリギリで理解出来るから、なお疲れる。さらに、
iPadにエネルギーを大部分取られていることも重なっている。ひとつテーマを
書いても、ウェブ上では、それより遥かに素晴らしい情報が満ち溢れている。
そこをネットサーフィンしていた方がより広く深く世界をみることが可能。
それでも自分が10年間エネルギーを入れたサイトをiPadで何時でも見れるのは
悪くはないと、何とか気持ちを保っている。有料、無料を含めて、iPhone・ipad
のアプリは10万以上あるというが、その一端を次々にダウンロードして使って
みるが、その都度驚きの連続になる。別に、声高に、これは凄い!
という必要もないし、これに近いモバイル携帯電話で既に普及している。
何を今さらといえば、それまでのこと。話を戻すが、書くネタが無くなるほど
本音で書くので、読む方は面白いというが・・ 何も書けない焦りは何とも
言い難い。この辺が限界の際が見えてくる。書き続けるのは大変だが、
その分、張り合いにもなる。


5659,閑話小題 〜飲み屋街の巷で

2016年09月12日(月)

   * ヤクザ稼業も厳しそう
 数年前に、客単価を上げたのを切欠に行ってなかった行き付けのスナックに、
数日前に行ってきた。当時の客単価を3500円から5000円に値上げをしたため、
時代の逆行と判断して足が遠のいていた。それでも生延びているのは、何?
 10年近く前に、ママさん、車に跳ねられ、脳内出血で死にかけたが、
これが事故というより? 事件の疑問が残る出来事と聞いていた。 
 殿町の飲食街が最近、あのドギツイ、ピンク系の店の姿は消え、呼込みの男
たちの姿が皆無。その辺りの事情を聞くと、<今では、韓国系『マッサージ店』
が、その役割を果たして、ピンクは成立たなくなってしまった。 ヤクザも、
水商売からの‘テラ銭’の上納も厳しく、ピンク系の店も成立たなくなり、
事務所を引上げてしまい、姿を見かけなくなった!> という。
いずれの世界も、さま変わりということか。 
   * 年明けに無くした眼鏡が
 年明け、免許証の書きかえの検査用のメガネを新調をした。数日後、車で
外出した際に、その眼鏡が紛失をしたが、その記憶がない。で、運転席の周囲
を何度も探したが、見当たらない。その日、行った先など、一週間ほど探した
挙句、仕方なく新たに購入、現在に至った。ところが、それが、運転席と隣席
の間から、何故か出てきた。置いた扇子を探していたところ、凹んでいる小物
おきの下側に、隠れるように眼鏡ケースが入り込んでいた。 何度もそこを
調べたはずだったが。
   * 9・11から15年になる
 昨日で、9・11テロから15年。この日を境に世界が大きく変わった。
アメリカのテロ陰謀説があるが、如何だろう。 これを切欠に、アフガン、
イラクにアメリカが侵攻して、宗教戦争の様相になっている。それに加えて、
大地震が日常的に発生。 中国が、帝国主義の本性を剥き出し、侵略を開始。
アメリカは、イラク、アフガン戦争で体力を使い果たし衰弱。アメリカに
頼りきりの日本も、迷走を始めた。右上がり経済を維持しようとアベノミクス
で、三本の矢とかの政策を打上げているが、この失敗は火をみるより明らか。
結果として、現在の韓国のように、アメリカの占領化が進むことになる。
70年間の人生。500年、いや、200年の変化を生きたような実感がする。
 これだけの変化を味わい、世界をみれば、娑婆への未練は、あまりない。

・・・・・・
4562, ポタリ、ポタリ、ポタリかな!
2013年09月12日(木)
 4月〜11月の8ヶ月間、毎朝一時間、4年続けて雨の日以外、合計
一万キロ以上も乗り続ければ、自らをポタリスト(ポタリング=自転車散歩)
と宣言してよいだろう。4年前になるが、「電動アシストのMTB
(マウンテンバイク)が、格安で、スポーツチェーン店から通販サイトで
売り出される」という新聞記事を読み買うことにした。そして乗って仰天! 
ママチャリを年に1〜2度しか乗ったことのない私が、その日を境に、
冬季間と雨天以外は、ほぼ毎日12キロは乗っている。 自転車で15分の
距離に信濃川があり、二つの大橋を一周して帰ってくると丁度一時間、
早朝の運動に最適である。ある本に、「江戸時代に舟に車輪をつけた陸舟車
というのが試作されたのが第一号」とあった。さしづめ電動アシスト自転車
を舟とすると、エンジン付きカヌー。手で漕ぐか、脚でペダルを踏むかの違い。 
この自転車に出会うまでは、自宅から300M先にある栖吉川の土手を30年近く
ウォーキングをしてきた。ところが、道路拡張工事で散歩道が数年間も交通
ドメになったタイミングに、電動アシストのMTBを購入。一気に、4キロ
程先の信濃川まで行動パターンが広がった。電動アシストのうえ、MTBの
車種が良かった。 軽くて、小さくて、小回りがきいて、6段変速ギア。 
変速ギアのついたスポーツ自転車も一度も乗ってないうえに電動アシスト。
驚くのは当然である。 東京在住の学生時代のゼミの後輩がカヌーの愛好家で、
数年前、車にカヌーを積んで新潟にきて、阿賀野川河口と、寺泊の浜辺で同乗
させてもらったことがある。それもヨットカヌー。彼の別荘が川口湖にあり、
長年、乗りこなしていた。羨ましいと思ったが、今さら私には無理。 
そこで、スポーツ自転車を陸のカヌーとみたて、電動アシストにすればよい。
早朝、電動アシストの力を借りて、信濃川の土手を飛ばすのも快感。 
乗っていると、自分がいかに軽く小さい存在で、空中遊泳をしているような
感覚になる。現在のものも限界に近づいてきたので、消費税のアップ直前の来春
2〜3月に、もう一台を買う予定にしている。クロスか、折りたたみのMTBか、
電動のついてない10数万の高級車か? それまで半年間の選定が楽しめる。
これを購入すると胸を張って、「古いMTBと、クロスバイクの二台を持って
いるポタリスト」と宣言ができる。車やオートバイで高級車といえば数百万だが、
自転車では、30〜50万も出せば超高級車、十数万なら高級車になる。
ーブログ内の検索で、以下のような文章があったが、時間の経過とともに
内容が濃くなっている。一つのキーワードで検索で過去分を拾うと、
書き遺した価値が味わえる。肌で風を切ると、頭が冴えてくるのも良い。
 低空の飛行艇のようにも・・・ 少しオーバーか!
・・・・・・
2013/07/29
スポーツ自転車の勧め! ー4               
   * マウンテンバイク    「自転車で痩せた人」高千穂 遙(著)
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを
走るため、特徴は丈夫かつ軽快さである。ただ値段の安さに惹かれ買ったが、
私の毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の
 マリン郡で、ヒッピー達がビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、
急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。同時期に
北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、
一つのジャンルの大量生産で一般に広がっていった。MTBの定義は、
【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の
乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等
の向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途に
よって様々な形態が存在する。】である 》
▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。
 それとママチャリと同じく、普段の生活でも使えるマルチのところがよい。
親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場では、
丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家は「モドキ」
とか「ルック車」などと呼んでいて、良いイメージはない。その見分けは
デザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのもある。
私のようなスポーツ車初心者に向き。 まずは軽く小回りがきき、乗りこなし
がスムースが入口になる。 次は、クロスバイクにするつもりだが、折畳み式
も捨てがたい。スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな
生活の中で、これはソロで出来る手軽な趣味になる。 早朝に加えて午後から
のポタリングの習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に
使うことも考えてよい。趣味としてポタリングにするとなると、違った切り口
が出来てくる。それより、まず事故に気をつけなくては。これまで色々なMTB
を見て、デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていた。
――
スポーツ自転車の勧め! ー3 ー2 ー1は、
字数制限でカット(バードウォッチにコピー)          
・・・・・・
2013/06/25
電動アシスト自転車に乗って、はや4年
 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。ーまずは、その時の文章より 
   ー3131,期待どおりの電動自転車 2009年10月31日(土) 
≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。
 自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、長岡駅前から歩いて20分のところ
にある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコに15分、
ユニ系SCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前近く
まで戻って、家に着いたのが50分後。万歩計をみると2500歩になっていた。
50分というと5500歩になるから、半分近くになる。疲れは、ウォーキング
と同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。
一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど乗ることはなかった。
そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの
自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力を
かけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要する
が、その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。
コースは線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、
大きな橋までの登り坂とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの
道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。
 ところで、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた
長男が「すぐに、盗まれるよ!」というのも分かる。小型のためボックスカー
に、簡単に乗せる事が可能だからである。一年ほど前に、家内に電動自転車を
買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。あと
数年先がよいと思うよ」といって、買うのを止めた経緯もあった。
スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫
▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング
(ミニサイクリング)に切り替えた。同じ一時間で、コースは東バイパスから、
長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、
長岡大橋に戻り、同じコースを逆コースで帰ってくる。 冬期間(12〜3月)
と雨天を除くと、ほぼ毎日、乗っている。大よそ、年に200日として7百回以上、
一日、14キロで1万キロ、地球を半周も走ったことになる。 スポーツチェーン
のネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって大当たり。
現在は値下げで49800円。もうボロボロだが、何とかあと一年使って買換える
つもり。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。
 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを
買うつもりだが・・ 自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプ
などがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。来年の購入予定は
ナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴き
ながらの早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。
最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。
・・・・・・
2013/03/27
閑話小題 −つれづれに
 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿
はないのは寒いためだろう。分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、
日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。 毎日15キロ、
一年200日として三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車は
ボロボロになって当然。リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で
一日が限度。この買換は一年後の予定?だが、持つか?  あと一年で4年で
一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の
花壇にいたカラスに、小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根を
そば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ 
メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは・・・
・・・・・・
2012/08/21
つれづれに
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の
大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。
車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身
麻痺で自走式車椅子。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、
背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。
本人は不在で、まさか聞く訳もいかないし、そのまま遣りすごしたが。
その前に何か(熱中症とか?) あったのだろう。ポタリングを始めて4年目
になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。
去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。
燕も少なくなった。多いのはカラスだけ。 
・・・・・・
2012/06/15
閑話小題 
  * 自転車のパンク
 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、
年に二回はパンクをする。たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで
自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと割り切っている。
一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。昨日もパンクを
したので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を
聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため
次世代が店を継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、スーパーが
大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。パンクの修理時間は平均、
20分。それで千二百円は悪くないが、私の見立てでは一日4〜5人。
奥さんがパートなら兼業商家なら何とか?
・・・・・・
2012/04/14
閑話小題
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた
4月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから
7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、
午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の
組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車
の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、
お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート
フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ
変え始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。
・・・・・・
2011/11/08
閑話小題 ー自転車からの風景
  * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに
遊びに行くと、今から思うと焼鳥の串さしの仕込みを、御父さんがしていた。
子供なりに、仕事の場には近づいてはならないことは知っていた。
ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。そして、
食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れ
ないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、
成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。
私の幼馴染は何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが
店に出ていた。その店の前を二月ほど前に早朝のポタリングの帰りに通ったら、
店の看板が無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除
をしていた。そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に聞いてみたところ、
「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。姉さんも高齢と不景気
で止め時と言っていた」という。それにしても、幼稚園時代の記憶の原点の
一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
・・・・・・
3777, ポタリング
2011年07月29日(金)
  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。 −ネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光名所
 などに自転車を用いる「散歩」的なサイクリングをいう。 散走とも言う。
サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
 中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、チト
違うようだ。毎朝、ウォーキング代わりに、信濃川まで一時間、自転車で散走
をしているが、サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリング
という言葉があった。「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。
自転車は野球帽を少し深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。
また電動アシストなら、エネルギーは普通の自転車の三分一か、五分一で済む。
 近くのSCや図書館に気楽にいけるのも良い。この御陰で生活が一変した。 
イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、目的は自転車に
乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、長距離で、自転車で旅行を
する場合につかう。 東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの
場所に行くことが出来る。 現在、早朝の信濃川のポタリングが主だが、
今度は午後などに折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングする
のも面白そう。そうこう考えると、周囲に面白いことは、山ほどある。
ただ気づいていないだけである。ベストの敵はベターというが、その通り。
それにしても「ポタリング」という語感がよい。 これから少し与太るで、
「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。陰鬱の時、少し与太らないと
やってられない。 でも、自重の時期である。で、自転車でヨタルしかないか。
 少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、安い折りたたみでも買うか? 
でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?


5658,『エゴの力』② 〜総論

2016年09月11日(日)

          『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * 『エゴの力』② 〜総論
 「エゴ」といえば、日本人にはマイナーな印象だが、包丁と同じで、使い方
次第でプラスにもマイナスにもなる。綺麗ごとで人生を切り開けない。
「健全なエゴを如何に内に育てる必要性」を著者は説く。江戸幕府は士農工商
の身分制度の中で、エゴを抑えることが美徳とされた。考えないこと、他人と
同じであることが、第一とされていた。<エゴイスト>は、社会から抹殺される
環境にあった。  =アマゾンの内容紹介=
《 織田信長もイチローもヘミングウェイも…成功する人物はみんな真っ当な
“ジコチュー" 「怯むな」「おもねるな」「諦めるな」悔いのない人生を送る
 ための新たなバイブル!【人生を決めるのは神でも仏でもない。己の感性だ】
・思いつきが報いられる組織は伸びる ・織田信長こそ完璧な自己中心主義者
・感性を磨きたければ趣味を持て ・強固な自我で老いと向き合う名選手たち
・恋心というエゴの恐ろしさ ・浪費こそが最大の貯金
・日本という国の「エゴの資質」 etc…
恋愛、結婚、進学、就職、転職、起業…人は人生の岐路で悩んだ時、第三者の
助言やマニュアルを頼ろうとするが、結局何を選択するかを決めるのは自分自身。
その人の「エゴ」である。つまり、失敗しない人生を送るには強くて健全なエゴ
を育てるしかない。博覧強記の著者が古今東西の文献、偉人の足跡からその人物
のエゴが光り輝いた感動的瞬間を蒐集。人生の定理とともにエゴという力の
蓄え方がよく分かる画期的自己啓発エッセイ。
▼ 私の身近にも、「エゴの塊」のような人がいる。エゴイストほど、それを
 オブラートに巧妙に包む知恵がある。エゴとは、その人の感性というが、
理性ー>悟性ー>感性の三重構造のベースを、自ら明確にしておくべきである。
個性は、この三重構造のベースそのものと言える。創業、起業は、「エゴイスト」
に徹しなければならない。そのカエリ矢が、今になって次から次へと、突き
刺さってくる。だから、日々が面白いのも事実。極限を超えようとする時に、
エゴが顔を出してくるのは、誰もが経験すること。エゴを蔑む人は、極限に
立ったことの無い人だ。俗にいう、「世間様たち」「行動範囲数十mの人たち」。
家内に言わせると、そういう人が実に多いらしい。 ジムと近所のSM以外、
何処にも行きたがらない人たち。 そういえば、最近の私も似たようなものか。

・・・・・・
5293,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑧
2015年09月11日(金)
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 自分とはいったい何者なのか?
 世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が
ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。
それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、
出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。
 大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか
を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか
ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 〜その辺りから抜粋
≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。
 なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは!
私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、
私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、
そういう理屈なのであろうか? 
 おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ
ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして
いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」
と言われたことで、私は激しい屈辱感を味わい、同時に、自分がずっと見下して
きた世間からの評価をいかに必要としていたか、強烈な痛みとともに思い知った
のである。これほどまでに尊大にして卑屈な人間を、私は他に知らない。
私は己の愚かさに呆れ果てているが、それは自己卑下と-か謙遜とかいった
ものとはまったく別の次元のものだ。
 私はいったい何者なのだろう。この問いに、またもや私は立ち返る。
何度も自分に問いかけ、一度も答えを得られなかった問いだ。これからも
たぶん、答えなんか見つからないに違いない。その答えを見つけるには、
私はあまりに己を知らな過ぎるのだ。 私は何者なのかを突き止めることが
私の人生の大命題なのだとしたら、これはもうきわめてパーソナルなテーマ
であるから、世間から承認されたり評価されたりする類のものではあるまい。
 私がその答えを見つけたとしても、誰の役にも立たないからだ。
 ならば、私は世間から排除されようが拒絶されようが痛くもかゆくもない、
ということになる。人がどう思おうと、私は自分のテーマを変えるつもり
はない。私は私にしか興味がないのだ。
 そんなふうに考えたら、なんだかちょっと気が楽になってきた。
おそらくこれからも私は態度を改めることなく、世間を馬鹿にし続ける
だろうし、そんな世間から許しをえたいとも思わないからだ。
世間が私を必要としなくても、私が私を必要としている限り、私は私の
ために生き続ける。それがどんなに傲慢なことかわかったうえで、あえて
そういう生き方を選択する。
 このように私が世間と隔絶した場所で生きようとすることと、私が本気の
言葉を諦めずに人々に投げかけ続けることは矛盾しているように思われるかも
しれない。が、私が言葉を投げかける相手は、決して「世間」ではない。
 私が言葉を届けたいのは、わざわざお金を払ってまで私の文章を読んで
くれる人々だ。その人たちの心に何かが届けばもうそれ以上は望むまい。
私はずっと「私とは何者なのか」という問題に拘泥し続け、その答えを得る
ためになりふり構わず生きてきた。「私」を解析することで、広く「人間」
というものの核心に迫れるのではないかと思ったからである。
 私は「人間」を知りたかったのだ。 私とは何かという問いから始まって、
人間とは何かを突き止めたかった。・・・ ≫
▼ 現在の、私の心情に、重なる部分が多い。数十万人?に向けて書く
 内容だから力が入りようが自然と違ってくるのだろうが、この湧き出て
くる力は、心拍停止から蘇った経験があればこそ。そう、4年前の一連の
出来事が、『脱皮』だったことを、彼女の脱皮した文章から、自覚した。
 『脱皮』といえば、51歳の時、母親を見送って、さて如何するか?
と考えたとき、還暦までに、死ぬまでの大よそ30年分のしたい事を
可能な限り、やり尽くすと決めた。 その時も『脱皮』であった。
だから8割?の有象無象を無視できる! 人生、良いように出来ている。
・・・・・・
4928,パワレルな知性 ー6
2014年09月11日(木)
     * 人間の持つ二重性    『パワレルな知性』鷲田清一著
 「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも1トンの塩をいっしょに
舐めなければならない。」と、須賀敦子に諭したイタリア人の姑の言葉が、
古典や人とのつき合い方についての根本を示している。人間は、40億年の
生命の進化の歴史を背景に持つ複雑怪奇な生きもの。自分の中にある
グレーソーンに多くの何かが隠されている。 ーその辺りからー
≪ ・・白黒つけられないこと、グレイゾーンにあることこそ、じつは大きな
 意味をもっているのではないかとおもってきた。「噛みきれない想い」を
抹消しないこと、それが思考の次のステップの火床になるのではないか、と。
そのことを日常のさまざまな局面で確かめてみたかった。わたしは子どもの
頃から、物ごとを見るとき、表面上の意味とは反対の意味を背後に透かし
見る癖があった。その癖の源となったのは、幼少期のある体験である。
 わたしは、京都の下京区という下町の生まれである。お寺が多く。
そこを通り抜けると島原という花街があるという土地柄で、わたしは子ども
のころ、若い修行僧や芸妓さんとよく道ですれ違った。修行僧は冬でも裸足
に草履履で、服装もきわめて簡素で、逆に、芸妓さんはきらびやかなきもので
着飾っていた。子どものころのわたしは、「お坊さんは寒いのに可哀相やなあ」
とおもい、「芸妓さんは優雅やなあ。おいしいもの食べ、きれいなきもの着て」
とおもったものだ。 しかしその後、そうした表面的な印象とは逆の面が
見えた出来事があった。
・一つは、祖母から「お寺さんは貧相な格好に見えるけど、わたしらが知らん
 『浄土』という、この世にはない幸福を知ってはるんよ」と言われたこと。
・もう一つは、芸妓さんがお座敷に出る前に地味な洋服姿で銭湯に行き、
 帰り道にお宮に参って「早う故郷に帰れますように」と祈っている姿を
 見たことである。
貧相の極みに見えた修行僧の心にはこの世ならぬ幸福があり、豪奢の極みに
見えた芸妓さんの心には寂しく哀しい想いがあった。わたしはそのことを
知って、「物ごとって、見た目だけやないんやなあ。わからんもんやなあ」
と、世の中に対する見方が少し変わった気がした。わたしが哲学の道に
進んだのも、子どものころから身についた‘物ごとの裏側を見透かす癖'
が遠因となったのかもしれない。・・・ ≫
▼ 実家が衣料小売商をしていて、4階建ビルの3Fに4〜10歳まで育った
 ため、日常が戦場真只中! その上に両親を含めた10人家族と、住込み
従業員が4Fと2Fに同居していた。更に猫と、猿と、犬が、同居とくれば、
まさしく小説の世界。そこで、子供ながらに、様々な不条理の場面を見てきた。
子供でも、裏と表が分かるのである。そこでは、まずは自分を自分自身で守る
しかなかった。その中で、姉たちは、成績優良だったから、いま考えると不思議。
その末っ子となれば、「沈黙こそが金」を身につけざるを得なかった。
全てがグレーゾーンで、裏も表も、斜めも、底もある生々しい世界で、娑婆
そのもの。それが、その後の社会経験の中で、危険な場面を乗越えるノウハウ
になっていた。 直感的リスク管理が、幼児時代に身についていたことになる。
人間科学を学び続けて知ったことは、『人間の持つ多重性』である。 
幼児、少年時代の、この体験の上に、学生時代の寮生活と、武澤ゼミの
「ケーススタディ」が加わっていた。今回の節目の一連の構えを備えていた
のも、それらの蓄積があればこそ。人間の持つ多重性の奥底を知ればこそ。 
で、この結果、この様だから、何を言わんか。それにしても、見え過ぎるのも、
面白い反面…?奇妙なもの!
 後記)ところで、読み返してみたところ、私の内容の方が中味が濃い? 
    いや、丁度よい? 悪い?
・・・・・・
4561, 2050年の世界 ー4
2013年09月11日(水)
         「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 
                  英『エコノミスト』編集部 (著) 
本書は(第一部:人間とその相互作用)(第二部:環境、信仰、政府)
(第三部:経済とビジネス)
(第四部:知識と科学)それぞれ5章の合計20章から成る。
人間、宗教と政治、経済、知識と科学の、4つ括り。
次回からは後半ほど面白いため、20項目の一番最後から⑳⑲⑱⑰と
逆向きに取り上げる。 ーまず目次からー
  (第一部:人間とその相互作用) 
① 人口の配当を受ける成長地域はここだ ② 人間の病気の将来
③ 経済成長がもたらす女性の機会  ④ ソーシャル・ネットワークの可能性
⑤ 言語と文化の未来
 (第二部:環境、信仰、政府)
⑥ 宗教はゆっくりと後退する     ⑦ 地球は本当に温暖化するか
⑧ 弱者が強者となる戦争の未来    ⑨ おぼつかない自由の足取り
⑩ 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか
 (第三部:経済とビジネス)
⑪ 新興市場の時代      ⑫ グローバリゼーションとアジアの世紀
⑬ 貧富の格差は収斂していく ⑭ 現実となるシュンペンターの理論
⑮ バブルと景気循環のサイクル
 (第四部:知識と科学)
⑯ 次なる科学        ⑰ 苦難を越え宇宙に進路を
⑱ 情報技術はどこまで進歩するか  ⑲ 距離は死に、位置が重要になる
⑳ 予言はなぜ当たらないのか
▼ これを見ていると、人口の推計以外、どれもこれも、この程度ではない?と。
 日本一つ取り上げてみても、40年前の1973年は高度経済成長の真っ只中、
石油ショックで茫然自失。12年後にバブルが発生、5年後にバブル崩壊。
そして、失われた20年を経て、リーマンショックと東北大震災。現在は
1000兆円の借金を抱えている。明らかに10年後は国家破綻国の可能性が大。
まして、40年後は・・・ それでも、叩き台として想定するのは必要である。
最終章の「予言はなぜ当たらないのか?」の答えは、「土台無理のテーマ」。
情報化によるグローバル化で、世界が平準化していく結果は、誰も想定出来ない。
・・・・・・
4186, 閑話小題 ーヨーカ堂の正社員削減
2012年09月11日(火)
   * オスプレーを一番必要としているのは日本じゃないかい?
 政府がトラフ地震の被害情報を発表してから、次の大震災に対しての被害想定
が表立ってきた。道路が寸断された災害地に対する緊急の救済にヘリコプター
が一番有効に働くが、短距離しか有効に働かない。問題は中距離からの輸送。
そうオスプレーのような中距離の大量空輸が可能な緊急輸送手段こそ必要になる。
被害地の近くに飛行場は無いのである。問題は数千、数万の命に関わる問題、
危ないとかいっている場合でない。尖閣列島などの領土問題でもしかり。
もし戦闘になった時に最も必要になるのは中距離輸送。 オスプレーの着陸は、
別に住宅密集地にする必要がない、問題はコース。ヘリ機能はコースを如何
ようにも変えられる。こういう意見は、この国では口に出せない。
出せば袋叩きになる。何かがおかしい!
   * ヨーカ堂の正社員削減
 ヨーカ堂が現在の正社員8600人を4,000以上削減すると発表し、
パート比率を90%に引き上げるという。それだけ、経営状況が悪化している
ということだ。 ヨーカ堂グループは、セブンイレブンを持っているので、
グループとしての経営体質は良いが、その発生の元のGMSの業態のヨーカ堂店舗
を多く抱えている。それが正社員比率を一割まで減らすというから驚き。 
店舗も一割削減するため均衡縮小になる。情報機器が高度化しているため、
それほど店舗レベルの質の低下は避けられるのだろう。
地元の長岡駅前のヨーカ堂は、私と家内の目からみて死に体の店。
ファッション、雑貨に買いたくなる商品が皆無。


5657,閑話小題 〜SJの現場で!ー②

2016年09月10日(土)

    * 週、5回のヨガにチャレンジ
 先々週は週に5回、先週は4回、続けて参加したが土曜日の5回目の予約チップ
を2時間半前に取りに行ったところ、既になく、目標達成はならずなかった。。
今週は、4回続けてきたが、今日は如何に?と思いきや、先週同様、昨日から
腰痛が出ている。 過ぎたるは及ばざるがごとくで、週4で十分が実感。
 先日、ヨガの待合の行列の前の同世代の人に、知りあいが声をかけてきた。
『週に5回、出席しているが、欠かさず参加して何が良くなったか、今のところ
分からない』と。私の実感と同じような疑問。先週の土曜には、少し、腰痛気味
だったため、予約チップが無かったのが良かったと思っていた。
そこで、行列の間、同じ状況の私が答えは何だろう?と、暇にまかせて考えた。
『効果云々は、その人によるが、週5回は、毎日になる。好きで、調子が良く
なければ、出来ないこと。思うに、<大好きになるため>ではないか。
大好きになれば、参加する理由はなくなる。理由は<好きだから>になる。』
 大好きとしても、週5がキツイなら、週4に減らせばよい。週3回、予約チップ
を取りに行くのもキツイなら、それだけ好きになれないとことになる。
これは、人生すべてに言えること。継続は力であり、愛であり、知恵の母である。
 連日、続けることが出来るのは、集団でこそ可能。意思薄弱な私に、独りは
どだい無理。 蓄群と、群れる人たちの弱点を突きながら、自分は、群れヨガに
参加している。何をか言わんやである。 添乗員の付く、ツアーに参加して
世界の僻地に行けないのに、こと日常生活で、群れたがる人たちを冷ややかな
目線で見ている私が、ここにいる。 「集団セルフマッサージ」として費用
効果としては、最善だが。腰痛からして、今日は止めにする。 お暇なことで!

・・・・・・
5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑦
2015年09月10日(木)
         ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
  * 私の物語、私が書かずに誰が書く
 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー
を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、
バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。
それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き
残したもの。あとで余禄も書いてあったが。  〜その辺りから
≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、
自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界
の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け
されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、
同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。
 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の
物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットやヘンリー8世と
いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても
なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。
私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み
からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の
目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。
それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく
誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。
 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。
私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。
私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて
いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない
脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が
「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。
私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま
に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。
 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。
そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、
私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを
読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 
 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。
私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。
その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の
おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか…
それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の
本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。
そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、
わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、
故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する
侮辱なのである。・・・ ≫
▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、
 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。
物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、
他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、
壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。
・・・・・・
4927,パワレルな知性 ー5
2014年09月10日(水)
   * 専門主義と、教養     『パワレルな知性』鷲田清一著
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に
影響する経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、
音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の
自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ること
を可能にする。見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。
 ーその辺りからー
≪ 学者や専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、
専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外
の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度は
とれなくなってきた。 ・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、
じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうの
プロというのは他のプロとうまく共同作業ができる人のことであり、彼らに
じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと
伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けること
のできる人だということになる。一つのことしかできないというのは、
プロフエッショナルではなく、スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロで
ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。
「教養」とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てる
ことができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの
異なる視点から問題を照射することができるということである。このことに
よって一つの知性はより客観的なものになる。そのためには常日頃から、
じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、心懸けて
いなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいい
アンテナを張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族が
もっている感度の良さが必要である・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口
の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル
との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事
にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた
習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。
それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか
の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 
知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。
知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 
専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る
べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?
・・・・・・
4560・横尾 忠則の老人論 ー3
2013年09月10日(火)
 「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
    * コスプレの公開制作が面白い!
 コスプレはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為。
画家が、自分の描く風景の登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで
色いろな職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。
それも数日で同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んで
いるうち、その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も
身体も全身仮面で時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。
化粧と服装も、自分が主役のTPOSに合わせたコスプレ? ギャルとか、
キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
  ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、
 当初アトリエがなかったため美術館のスペースで絵を書く事が多かった。
それもただで場所を提供してくれるところはなく、「貸してあげるが公開制作
にしてくれないか」という条件が出された。絵は本来アトリに独り籠って
かく孤独な作業なのに人前で描くということは考えてもいなかったので、
果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、
むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。
人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、ストレスの原因を生むが
慣れてしまえぱ平気。背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのが
ヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの中でエネルギーに変換されてより
創造的になることを発見した。この場合の創造というのは無私になること。
不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。そう言う意味で座禅に近い
のかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。
その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。それはは考えるという
ことと描くということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早く
なり、手と心が同化していくのがよくわかる。だから時には一日で150号大
の作品が描き上がることさえある。観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで
見ているのが体に伝わるので、思わず手を休めるのを忘れ描き続けてしまう。
このことが描きてであるぼくを解放する。公開制作の味を占めたぽくは最近
また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。
公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。
そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。
街でよく見かけるー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてー
とこんな風景をよく見かけるでしょう。つまり鳶職スタイルである。
他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。
最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、次はケラケラ笑う。
それも一瞬、こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を
打ったようになる。 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面
になり、人格も他者になるわけだから不思議な解放感に襲われ、その結果、
実に自由な気分になるのである。そして描く行為そのものも絵と同じように
作品化されてしまう。だから観客はパフォーマンスを鑑賞することになる。
制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、
まずお客は場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。
われわれに向ける視線には明らかな拒否反応の色が見える。
「作業着のままでよく、ソフィスティケイトされた美術館のレストランに
入ってくるわね」という視線を投げてくると同時に「レストランの人たちは
何もいわないのか」と。ぽくがコスプレしていることがわからないのだけど。
そんな反応をぼくは実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、
普段体験できない経験にほくは悦に入っているというわけだ。》
▼ それは、自分自身にも人間そのものにも当てはまる。両親合作の心身を
「魂らしい自分の芯」が、コスプレ? としての自分を見つめ続けている。
さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、その環境の一人として、まず
服装から当事者になってしまう。そして観客も、その場の一人として
引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。
・・・・・・・・
4185, 呪いの時代 ー4
2012年09月10日(月)
             「呪いの時代」内田樹著
 * 脊髄反射的その場のつくろい  ー第3章「後手」に回る日本ーより
島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要。
しかし、情報化社会では、それは許されるものではない。現在の日本の政治は、
毎年、首相を交換させることで、その場のつくろいをしているに過ぎない。
それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて強いない。
そして一年もしないうちに引きずり下ろされる。
  ー以下の部分は、その理由を端的についている。
≪ 日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道で言うと、
 アメリカは基本的に「先手」の人であり、「日本は後手」の人ということ。
欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像という
ビジョンがあり、それが国民的規模で共有されている。日本には、そんなものは
ありません。終戦時に、それがなかった。とりあえず「アメリカ人が日本が
かくあるべしと考えていること」をもって国是とした。「自分で与えた憲法の
理念と背馳する命令が出せるほどの強大な国家には従属するしかない」という
経験則が存在したということです。それが日本の国是です。アメリカに従属する。 
・・相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく全神経を集中すること。
どれを武道では「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて
身動きならない状態ですが、構造的に「負ける」ことです。日本の政治が三流
であるということはそういうことです。政治家個々人の資質がどうこうでなく、
構造的に負けているのです。国家像が描けない、統治原理が語れない、外交
戦略が起案できないというのは個別的な知性の問題でなく、日本人全員が罹患
している国民的な病です。・・・ ≫
▼ 現在、日本が直面している問題は、まさに上記のことによる。数十年に
 渡って、間接的米国隷属国家として、当然、と言えば当然で、これしか
出来なかった。上司と部下の関係である。アメリカには建国の精神がある。
独立宣言書である。何かあると、ここに立ち戻って、立て直す。問題あるのは、
それから軌道がそれたと理屈づけ軌道修正をしてきた。明治維新も、太平洋
戦争の敗戦も、アメリカの圧力で変化を余儀なくされた。それに日本人の
特質もあり、後手という守りしか手が打てなかった。 現在の領土問題も、
これから起因して周辺各国から遊ばれている状態。   〜つづく

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