堀井On-Line



5566,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜⑤

2016年06月11日(土)

    * 『男はつらいよ  寅次郎ハイビスカスの花』
 少し足らない流しのテキヤの映画を取上げること自体、少し憚るが、
人間の本質が、その足らなさから現われ出ているから、共感するのだろう。
『男はつらいよ』シリーズで最も良かったのは、リリーの三部作の完結篇。
TVの再放送で5〜6回以上は観ただろうか。 他に、印象に残ったのが、
石田あゆみマドンナの『男(赤)はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』。29作目。
これもシリーズで屈指の名作。片岡仁左衛門、柄本明の役者陣も見事である。
  〜『ハイビスカスの花』を検索すると〜
≪『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』は、1980年8月2日に公開された。
 男はつらいよシリーズの第25作目。リリー三部作の完結篇。マドンナは
4度目の出演となる松岡リリー役の浅丘ルリ子。観客動員数は206万3千人。
尚、2006年3月、シリーズ全作品を放映したNHK-BS2が募集した人気投票で、
視聴者から「後半24作品中のベスト1」に選出された。
  〜あらすじ〜
【博が街でリリーを見かける。リリーは寅次郎に逢いたいと博に告げる。
とらやで、寅次郎の噂をしていると、偶然寅次郎から電話があり、リリーが
逢いたがっていると伝えると、寅次郎は興味を見せない素振り。しばらくして、
寅次郎は柴又に帰ってくる。しかし間の悪いことに、とらや一行は水元公園に
ピクニックへ出掛ける所であった。慌てて、荷物を隠し体裁を取ろうとする
さくら達。その事で機嫌を損ねた寅次郎は、さくら達と大喧嘩をする。
出て行こうとする寅次郎の下へ、手紙が届く。手紙の内容は、リリーが沖縄で
病気で倒れたとの事で、寅次郎はあわてて沖縄に向かおうとする。皆で相談
しあった結果、飛行機で行く事に決まるが、寅次郎は断固拒否する。
博に説得されしぶしぶ了解するが、翌日飛行場で柱にしがみつき駄々をこねる。
そこへ通りかかったスチュワーデスに連れられ搭乗し、なんとか沖縄へ。
寅次郎と再会したリリーは涙を流し喜ぶ。次第に、彼女の病気はよくなり、
漁師町で一緒に生活を始める。しかし、その一方で地元の娘と浮かれる寅次郎。
ある日、ちょっとしたことで二人は大喧嘩。翌日リリーは沖縄を去ってしまう。
寅次郎は慌てて身支度を整え、手近な船に乗り、東京へ戻ろうとする。
島伝いに、時に行き倒れになりながらも、なんとか柴又にたどり着いた寅次郎。
そこで、偶然リリーに再会し、おおいに喜び合うのであった。さくらは、
リリーに寅次郎と結婚して欲しいと漏らし、寅次郎も「俺と所帯を持つか」と
発言するが、リリーは冗談として聞き流す。そうして、柴又駅で二人は悲しく
別れるのであった。好き合いながらも、お互いのプライドや体裁で一緒に
なれないリリーと寅次郎であった。】 ≫
▼ 考えてみれば、風に吹かれるまま、自由気ままでいられたのは、時代背景
が高度成長期にあったから。 その日暮しの安宿を泊まり歩く、ホームレスの
テキヤの寅と、フリーの売れない歌手リリーの境遇は似ている。
以前、経営していたホテルの宿泊客に、全国を股にかけた、流しのホテトル嬢
が何人かいた。 夕刻に出掛け、朝帰りのため、聞き込みの刑事に怪しまれない
よう、自分の職業の申告を最初からする。 外見からして、ごく普通の女性。
 寅と、リリーの明日をも知らない危うさから生まれるドラマが、共感を呼ぶ。
最初は、1960年代半ばの、鶴田浩二や高倉健、池部良らを主役脇役に据えた
「ヤクザ映画」のパロディとして企画された映画が、シリーズ終了後、20年
も経つのに、今でも、再放送されるのは、現在、失われつつある日本の家族の
原型が、そこにあるため。TV欄を見ながら、『また寅か、されど寅ですか〜』
〜これも偶然、寅さんの生き様、「目標なく生きる重要性」が書かれている〜
寅の生き様こそ、人間のあるべき姿かもしれない。
 「アホ違うねん、パーなんや」  で、「パーは、どっちがねん?」

・・・・・・
5201,老年期の意味 
2015年06月11日(木)
   * 目標なく生きる重要性
 現役から、余生の時節に移行して、それまで見えていた社会の様相が、
全く違ってみえてきている。現役時代は目的的な強い束縛の中で日々を
過ごしてきた。何もしないことは良くないことと、信じて疑ってなかった。
現役の知人に、『何もすることがないのも、良いことだよ!』といった時に、
明らかに恐れと戸惑いが現れ出ていた。ただ、ブラブラと無目的的に日々を
暮らすと、日常の中の、景色が、違ってくる。それが御隠居の特権である。
 京大教授の山極寿一の、「老後の意味」の論が面白い。
≪ 人類の進化史の中で、老年期の延長は比較的新しい特質だと思う。
 ゴリラやチンパンジーなど人類に近い類人猿に比べると、人類は多産、
長い成長期、長い老年期という特徴をもっている。多産はおそらく古い時代
に獲得した形質だ。人類の祖先が安全で食物の豊富な熱帯雨林から出て、
肉食動物の多い草原へと足を踏み出した頃、幼児死亡率の増加に対処する
ために発達させたと考えられる。成長期の延長は脳の増大と関連がある。
ゴリラの3倍の脳を完成させるため、人間の子どもたちはまず脳の成長に
エネルギーを注ぎ、体の成長を後回しにするよう進化したのである。
脳が現代人並みに大きくなるのは約60万年前だから、その頃すでに多産と
長い成長期は定着していたに違いない。
しかし、遺跡に明確な高齢者の化石が登場するのは数万年前で、ずっと
最近のことだ。これは、体が不自由になっても生きられる環境が整わなかった
からだと思う。定住し余剰の食料をもち、何より老人をいたわる社会的感性が
発達しなければ、老人が生き残ることはできなかったであろう。
家畜や農産物の生産がその環境整備に重要な役割を果たしたことは疑いない。
ではなぜ、人類は老年期を延長させたのか。高齢者の登場は人類の生産力が
高まり、人口が急速に増えていく時代だ。人類はそれまで経験しなかった
新しい環境に進出し、あつれき人口の増加に伴った新しい組織や社会関係を
作り始めた。さまざまな軋礫や葛藤が生じ、思いもかけなかった事態が数多く
出現しただろう。それを乗り切るために、老人たちの存在が必要になった。
人類が言葉を獲得したのもこの時代だ。言葉によって過去の経験が生かされる
ようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。
 しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけにいるのではない。
年や壮年とは違う時間を生きる姿が、社会に大きなインパクトを与えることに
こそ大きな価値がある。人類の右肩上がりの経済成長は食料生産によって
始まったが、その明確な目的意識はときとして人類を追い詰める。
目標を立て、それを達成するために時間に沿って計画を組み、個人の時間を
犠牲にして集団で歩みをそろえる。危険や困難が伴えば命を落とす者も出てくる。
目的が過剰になれば、命も時間も価値が下がる。その行き過ぎをとがめるために、
別の時間を生きる老年期の存在が必要だったに違いない。老人たちはただ
存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか。
その意味が現代にこそ重要になっていると思う。≫
▼ 落語の『御隠居と与太郎』の問答が、正しく、これ。人生を消化した
 御隠居と、何もしらない与太郎の無目的の状態の二人が、目的的社会に
ついて笑い飛ばす。4年前に、それまでの自分の姿が急に面白くなり、腹の
底から笑ってしまった。それで憑物が落ちたのだろう、開き直れたようだ。
元もと、アウトサイダーを自認して、社会との関りを最小にしていたことも、
現在の日常を楽にさせてくれている。夕暮れには夕暮れ時の楽しみがある。
 〜以下のことは森のこと。後は、娑婆娑婆したり、しなかったり!
・・・・・・
4836,「事業人生を決心して45年」の語り直しー12
2014年06月11日(水)
   * 閑話小題 ー事業人生を振返って、あらため気づいたことは
 人生を鳥瞰すると、その時々に直面する問題に無心で取組んでいると、違う
チャンスが生まれているのが見て取れる。これは、課題に対する「正中心一点無」
の奥底から自然に生まれ出る不思議な因縁。前向きに正面から中心点に無心で
取り組み続けると、自然と機会が生まれてくる。過去・現在・未来とも、その
正中心一点は、時代のウネリ。この数年来では、2008年9月15日のリーマン
ショックと、2011年3月11日の東北大震災と、津波による福島第二原発事故。 
このリーマンショック対策で、今でも世界主要20ヶ国のトップが一年に一度の
会合を開いているが。実は未解決案件!
 金沢にいた頃は、『ドルショック』。千葉の創業時には、『石油ショック』
が直撃。その直後の数年は、その重大さが理解できない。が、数年後に現象と
して現れ出てくる。千葉での石油ショックは、創業初戦の私を直撃をした。
あてにしていた道路一本前の空地の5百室のマンション計画が緊急中止。
周囲の空気が一変してしまった。ビル内のテナントは全く入る気配がなし。
軽い気持ちで始めた養老乃瀧のオペレーションは、手こずるし、本部から
手伝いの開店指導員は、店の乗取りをはかってくるし、その上に、お嬢様育ち
の家内は戦力に全くならない。また凶暴化した酔っぱらいの店内での喧嘩や、
因縁に対処が出来ないため、なすがまま。あたかも西部劇の酒場の場面の
ようで、一日一日が瀬戸際のドラマである。 これが創業の苦しみと、つくづく
思い知った日々。〈背中に、重い荷物を担いで、足には鉄の下駄を履いて歩いて
いるよう〉という実感があった。その時、戦中、終戦の最なか、両親は、この
数倍、数十倍の苦労した苦労話と、幼児期の両親の苦労姿を、改めて思い知る。
両親には戦災の中、一家の生活がかかっていた。 そして、父親の死。
これが、自分への父からの贈物と、実感する。今度こそ、頼れるのは、自分と、
取り組んだ事業のみと! しかし、それも三ヶ月、半年と経つ内に、仕込み、
仕入れなど、一日15時間の勤務時間が、12時間、10時間、8時間と
減っていった。そこで、養老の滝を一緒に取り組んだ相方に任せ、自分は焼き
たてのテイクオフのベーカリーに取組む。とにかく、このミニビルを何とか
「カタチ」にしなくては! と。
ー偶然、12年前同月同日に「創業のすすめ?」をテーマとして書いていたー
・・・・・・・・
2002年06月11日(火)
434,創業の勧め??
過去に創業を何回か繰り返してきた。好きで自分で望んだ事だから、
そう苦ではなかった。しかしそう甘くもなかった。
その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で
判断していかなくてはならない。ゼロからの出発である。
表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは
「発狂」である。まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに
創り上げていく工程を踏んでいるのだから。部外者の人は狂っているという。
そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。基本に忠実にゼロから一人で、
一日一日孤独の行為の積み重ねである。その時、見えるのは人間の
浅ましさと嫌らしさである。これは自分の事でもある、人間の底である。
・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。
・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。
 むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・
 ・・・・・・金である。
 それを命を賭けて投資するのである。なけなしの金と銀行から借りた
資金を合わせて、その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。  
 いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げ
しかない。500�の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。
それで実際のところ50�しかうまくいかないだろう。
 実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても
後悔はしないと。創業は勉強になる!! それでこの程度!

・・・・・・
4469, 余命半年 −5
2013年06月11日(火)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五
「生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五」説によると、人間は75歳。
その辺りが大きな目安になる。去年、知人が75歳で亡くなったが、70歳
前後から急激に衰えていった。特に男は75歳、女性は80歳辺り。成るほど
後期高齢者の区切りである。この辺の健康状態で、あと何年かが決まって
くるようだ。 ーその辺りからー
≪ 川上嘉明氏の著書『自然死を創る終末期ケア』を読んで、私は生物の生命
 過程の事を知った。生物には成長期・生殖期・後生殖期の三つの時期がある
という。そして人間は後生殖期が長いのが特徴であるとのことだ。なるほどと。
確かに昆虫など、生殖期を終えればすぐに死んでしまう種の数は多い。ほ乳類
の場合は、最大寿命と性成熟年齢が性の相関関係にあるとされ、生物の最大寿命
は生物の性成熟年齢×五であるらしい。最大寿命と言うのは、限界の寿命である。
人ならば性成熟年齢の十五歳×五の七十五歳が本来限界となるはずだ。
しかし、周囲を見回せば明らかなように、今や限界超えが当たり前。
図をみると、実際にヒトだけが逸脱して限界を超えてしまった。人類がなぜ
後生殖期が終わったのちに、これほどまでに生きられるようになったのか。 
それは「医療」の発展ゆえである。ついぞ五十年くらい前までは「人生五十年」
の世界であった。しかし、人類にとってかなりの強敵であった感染症に対して、
西洋医学が優位に立つと、寿命はぐっと延びるようになった。もちろん栄養状態
の改善も影響しているだろう。あるいは衛生環境の改善等も。体格が世代を重ねる
ごとに良くなっていることは、清潔で栄養に満ちた生活が提供されている
一つの証明でもあると考えられる。≫
▼ ちなみに類人猿のチンパンジーは50歳、ゴリラは40歳後半で、50年前
 までは、人間と変わらなかった。病気を治す術を得た分、長生きが出来るように
なった。その最大寿命の75歳に近づいてきた。70を過ぎると、摂生してきた
人と、不摂生してきた差が鮮明になる。 私も酒の飲み過ぎもあり、その辺りが
大きな関門だろう。 ところで、介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、
自立して健康に生活できる期間を示す「 健康寿命」を2010年に男性70・4歳
(10年の平均寿命79・5歳)、女性73・6歳(同86・3歳)と厚生省が
初めて算出し、発表した。大体10年間が、介護か寝たきりなる。 
あと3年で平均で達するので、現在、介護を受けても不思議でない。そうすると、
まだ元気な現在、好きなことが出来る時間的余裕が少ないことになる。
10年間の介護を考えると、末期ガンになってもジタバタしないで、悄然と
従うのが良いのかもしれない。そうこう考えると、老いの現実は厳しい!
介護、寝たきりまで平均3年、死まで12年? 男が平均70歳で、寝たきりか
介護? 周囲を見渡しても、そうだろうか? 自分を考えると3〜4年先に倒れ、
その2〜3年先とすると不思議でない。とすると二年前の会社整理は正解? 
ものは考えよう。
・・・・・・
4095、古代の皇帝の最後は
2012年6月11日(月)
 先月、ローマ人が現代日本にタイムスリップし2000年の時空を行ったり来たり
する「テルマエ・ロマエ」という映画をみてきた。当時のローマ皇帝は体制を
維持するため、何処の街にも劇場とローマ風呂をつくり住民を懐柔する政策を
とっていた。そこで歴代のローマ皇帝の最期が如何なるものかを調べてみたら、
その最期は壮絶なものが多い。 ーネット調べてみると
≪ 初代オクタヴィアヌス・アウグスツ帝(BC27)から、最後のアウグスツス
(AC476年)まで、503年間に、皇帝は81を数えた (名前だけの神聖ローマ
帝国は、1806年までも続いていたが、ここでは省く)81人という数も見方
によって違いが出る。時どき、数人併立したりしたからである。とりあえず
81人として、 平均在位年数は六年四ヵ月、あまり長くはない。
奇妙な偶然だが、古代ローマの継承者を次々と自ら任じた歴代ローマ教皇の平均
在位年数が、やはり六年四カ月になる。その諸帝の最期は、暗殺、毒殺、強制
された自殺、反対派に捕まって処刑などが34、戦死9、事故死1、計44人が
非業の死。死因すらもはっきりしないのが17帝で、ローマ式ベッドの上で
死ねたのはわずかに20帝、四人に一人でしかない。平均の六年四カ月以上在位
できた皇帝は22人、これも四人に一人にすぎないが、その中に、強制自殺
させられたネロや、親衛隊に殺されたコモドゥスなど非業死を合んでいる。
残る12帝も暗殺未遂などあったはず。≫ とあった。
▼ これだけ絶大で安定していた古代ローマ帝国のトップの地位は、逆に非常に
不安定であった。そこから人間的な権力闘争が垣間見るることが出来る。人間の
権力欲と闘争本能は決して変わることがない人間の業。未来永劫、この業による
争いは変わらず続くのだろう。人類は歴史から何も学ばないのである。
日本の首相は仕組みからみて一年間袋叩きでズタズタにする。実はズタズタは
国そのものであるのに、鬱憤をトップ攻撃に向ける。目先の安易を求め、
国が破綻しようが構わないギリシャと同じ。


5565,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 〜③

2016年06月10日(金)

  * 世の中にはこんなに面白い人たちがいるんだ!  火野正平
 この番組で立寄る道路沿いの食堂の場面がよい。家内は、その場面になると、
台所からやってくる。食堂の御上さんの、さり気ない人柄に味わいが滲み出る。
番組は、この3月で六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で
百日は自転車に乗っている。 私はまる7年間、一年230日間として、
1600日、一日、12キロMとして、大よそ、1万7千キロになる。ただし、
私の場合は、同じ道を一周して帰ってくる散歩かわりのポタリング。一度、
雨道でスリップをして地面に叩きつけられたことがあるが、転倒は、一度だけ。 
  〜後半からコピー
【 この番組のいいところは、手紙に書かれている風景が見えなくても、
それで終わりにすること。例えばタ焼けって、天気が悪かったら見えないけど、
それはそれ。「見えないからごめん」って。静岡に二週間いても富士山が一回
も見えなかったり、富山に行っても全然立山が顔出さなかったり。
あとは「心の目」で見てください、と。
 よく「人との触れ合いが面白い」と言われるけど、そこまで意識はない。
番組だから地元の人に声をかけているだけで。もちろんべっぴんは好きだよ。
遠くにいても、可愛いと直ぐわかる。後で番組を見直しても、こんなきれいな
人をよう見つけたなと思うことも多い。でもそれ以上に「世の中にはこんなに
面白い人たちがいるんだ」と気がついた。いい子、可愛いおばちゃん、おもろい
爺ちゃん。そういった人たちに、俺は嫌われていなかった、というのも驚いた。
自分でもあまり良いイメージはないだろうなと思っていたから。
これは発見やった。休みのときも、街でよう声かけられるもの。
 五年もやっていると、体がしんどくなることもある。前期高齢者だから。
基本的には日曜に集合して、月曜から木曜まで走って、金・土が休み。
監督もカメラマンも音声もローテーションで交替していくけど、俺だけは
出ずっぱり。だからギャラが一番高いんだと思うけどさ。また冬は放送が
なくて三カ月ぐらい休むから、春は旅に出て最初の一、二週はしんどい。
「今回は大丈夫か?」ってなるけど、三、四週とやるうちに「行けるん違うか」
ってなる。体が順応できるようになっているんだね。これまでトレーニングも、
体調管理なんてしたこともない。検査も行ったことないし。きっと管理なんか
したちストレスがかかって逆におかしなると思うね。野放しで行けるところ
まで行きたい。そうしたらこの前テレビに養老孟司さんが出ていて、78歳で
タバコは吸うし、酒も飲むし、検査も絶対に行かないって言っていた。
解剖医なのに(笑)。それを見て新しい目標が出来たなと思ったよ。最後の最後に
密かに行きたいと考えている自分の「こころの風景」はある。カウァイ島なんだ
けど、本当に涙が出てくるような風景なんだ。いつかご褒美で行かせてくれへん
かなと思っているけど、ど、うやろう。『にっぽん縦断』やから難しいかもな。】
▼ 前期高齢者の火野は、雨天の時は、結構しんどそうだ。通りすがりの人や、
 乗用車から、『いつも、見てますよ』の声が、視聴者全員の声を代弁する。
7年間の毎朝のミニサイクリングで、平日の信濃川の長岡大橋と大手大橋を、
iPodで音楽を聴きながら、鳥の声と、爽やかな空気と陽光を受け走っていると、
『早起きと、一寸した工夫で、毎日、夢のような快適な時間を過ごせるのに、
何故、誰も気づかないのだろう?』と思うこと度々。この閉ざされた時空の中
では、毎朝、毒出しをしないと、精神のバランスが保てないこともあるが。

・・・・・・
5200,ライフステージより、ライフコースへ 〜2
2015年06月10日(水)
      『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所(著) 
  * 個人の活動領域が重視されるライフコース
 ライフサイクル論では、家族を中心に捉えられているが、ライフコースは、
個人が中心に据えられている。戦前まで平均寿命が50歳だったが、今では80歳。
それぞれの第二、第三の人生のコースが自ずと多様に分かれてくる。
≪・・植物は種から芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、また種をつくり、枯れる。
 同じように動物もまた、親から生まれ、成長し、子をつくり、死んでいく。
このように、一つの生命の始まりから終わりまでに着目すると、それは循環して
いることがわかる。人間もまた、一つの生命で、動物であることを考えると、
他の動植物よりも複雑ではあるものの、それは循環しているように見える。
 すなわち、親から生まれ、成長し、家族をつくり、子供を育て、歳を取り、
そして死んでいくというわけだ。こうした、出生、成長、成熟、老衰、死亡という、
一生の中の規則的な過程を「ライフサイクル」という。とはいえ人間の場合は、
いうまでもなく、たんなる循環ではない。私たちは、たいていの場合、自分の
平均寿命(日本人の場合、およそ八○歳)を知っているので、自分が歳を取って
死ぬまでの人生を漠然と思い描いているかもしれない。けれども、たとえば、
乳幼児の死亡率の高さを考慮しなくてはならないものの、平均寿命が五〇歳を
超えたのは、実は戦後のことなのだ。さらに、人類の歴史を振り返ってみれば、
その大半は一〇代で亡くなっていたと考えられる。つまり、私たちが老いること
と死ぬこととを結び付けて考えること自体が、それほど自明なことではないのだ。
したがって、私たちの人生は、単に生物学的に捉えるのではなく、社会的・歴史的
影響と結び付けて考えられなくてはならない。こうして、「ライフコース」という
概念が必要となる。ライフコースとは、グレン.H.エルダーによれば、個人が年齢
別の役割や出来事を経ながら辿っていく人生の経路である。ライフサイクル論では、
生物学的な加齢が重視され、また、個人が家族の中で成長し、家族を形成し、家族
の中で人生を終えることが前提とされていたために、家族それ自体が注目される。
これに対してライフコース論では、家族の内部だけでなく、学歴や職歴、場合に
よっては兵歴など、社会変化の影響を受けやすい個人のさまざまな活動領域が
重視され、その経歴の複数の束として多様な人生が想定されている。そこでは、
個人は社会変化の影響を受けると同時に、社会変化をつくり出す存在でもある。≫
▼ 三組に一組は離婚する時代。これも一つの選択のコースである。一生未婚の
 ケースもあるし、離婚再婚を繰返すケースもある。事業創業人生を目指した
私のケースも、特殊なライフコースである。時代の社会変化が直撃し翻弄され、
その束が人生になる。元もと覚悟の上のため、最後の結果をスンナリ受け入れる
ことができた。この辺りは経験しないと分からないこと。 空虚しか残らない、
薄笑いを浮かべたライフサイクル論のドブネズミに到底理解など出来ようがない。
・・・・・・
4835,「出羽の守」の功罪
2014年06月10日(火)
  ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 
 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、
『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、またか〜何様じゃ御前は。 
東京は東京、産地は産地だろうに!と。高校を卒業し上京した時、注意された
のが、私の口癖、『いわゆる○○』。無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。
小さな厚い殻から、社会や知識を置換えていた、自身の出羽の守を指摘された
のである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。
  ーまずは、その一つからー
《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する
 「出羽の守(かみ)」。うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともな
 こともある。その弊害と効用とは。
   * ペンギンに飛べと言うな   野島博之さん(予備校講師)
「出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、
実に多様なものを取り入れてきた。古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は
朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。
・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、
 ときどきの文明を高次化してきたこと。
・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、
 やがて日本化・独自化したことです。
日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は
中国の古典に学んで、宮城が都の中央に位置する藤原京という壮大な都を築いた。
ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の
最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって
宮城を都の北端におく平城京の建設開始。東京スカイツリーを3基も建てた
国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、
また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、
茶の湯や枯山水がわかりやすい。いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随
しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。
よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常な
エネルギーを発揮しています。この過程で、帝国主義的な態度や行動も身に
つけた。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、そうした
行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の
教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。そこには仕方のない面もありましたが、
ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。
 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は
自分で飛べ」とけしかけられています。でも、日本は飛んだことのないペンギン
のようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、
ペンギンはペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。
・・(中略) イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。
ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって工夫して工夫して、
また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 
ペンギンは空は飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。
                      (聞き手・尾沢智史) 》
▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、
「長岡出羽守」の世界。実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、
同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの地区の出羽守には、
プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名)
出羽守八郎」。流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追い
ついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。ネットは、デジタル
の世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きく
なっていく。
・・・・・・
4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6
2013年06月10日(月)
 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
   * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界
 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には
驚くようなことばかり。極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化
だけで表現出来るのだろうか。地球という惑星もしかり。これらは知的設計者が
存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。
そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り
出した絶対者の主役でしかない。我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も
存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があって
も不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より
遥かに衝撃的である。 ーその辺りを抜粋してみるー   
≪ もしかして、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない…。 
 こういった突飛な考え方を、頭ごなしに否定してはいけません。科学では、
どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれているからと
いって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。・・「大仮説」と
呼ばれる仮説があります。現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のこと。
でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」であっても、
頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見で
これまでの常識がひっくりかえって、大仮説こそが「白い(正しいと思える)
仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった
37%。 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、
「インテリジェント・デザイン説」というものがあります。直訳すると
「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、
約6千年前に人類は神によって創られたという「創造者説」が一般的でした。
それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ
進化していったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)。
 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」
に対する対立仮説なんです。これは、カリフォルニアサンディエゴ校で
1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的
設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、
形を変えた創造説といえなくない。ただし、聖書に書かれているような神様で
はなく、あくまで知的設計者という言い方をします。 さて、この説を高校や
大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われている
のです。「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教える
べきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、対立する仮説と
してはたとえば知的設計者説というものがあります」というように教えるべきか。 
そういう論争なんです。日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 
それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の
ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎに
なっているんです。 ・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、
ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります
それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの
科学理論であると思っている人は37%。たくさんある仮説のうちのひとつに
すぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。
残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだ
では進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫
▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、
 4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の我々の
世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラー
の神が、それにあたると主張するだろう。最後は宗教問題に行き当たる。
宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。 
知的設計者か!
・・・・・・
4094, 嫌老社会
2012年06月10日(日)
        「嫌老社会 老いを拒絶する時代 」長沼 行太郎 (著)
  * 歴史的一回限りの、新種の階級問題
10数回にわたり「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
を取り上げて老いを暗黒面から考えてみた。昔から老いは嫌われ片隅に追い
やられてきた。ところが戦後の中核をなしてきた団塊世代が熟年をむかえ、
大量に溢れ出してきた現在、彼らを軸とした世代内の格差と、他の世代との
格差が、大きな問題になってきた。周囲に元気な人が多いため自分たちが老人
の意識が今ひとつ持てないのである。彼ら自身が老いを嫌い、その下の世代から
も目の上の瘤として厭われている。それが年金格差であり、貯金格差などを起因
とするから問題は複雑である。それは親子、嫁姑関係にも微妙に関係してくる。
   まずは、内容ーアマゾンから
【「老い」を嫌悪する時代そのものを問う! 今後、ますます高齢社会を
 迎える中、「老い」をどのように捉えればいいのか。「老い」を拒絶し嫌悪
する時代に、歴史的な背景から団塊世代の問題までを多角的な視点から論じ抜く。
高齢社会・日本において、いま考えるべきは「老い」の技術と思想だ。
団塊の世代の問題、老人は過去にどのように処遇されてきたか、老化を忌避する
社会の今後の展望 …誰もが避けられない「老い」をテーマとして、歴史的な
経緯から今後の展望まで多面的に捉えている。】
   ー世代内格差についてー
≪一般的に老いは、現役時代の収入・資産状況の結論が出て、それが固定化
 される現象であるから、老後には、現役時代に拡大した格差は固定された
ままで、リベンジがきかない。とくに、老後の生活水準では、企業年金を積み、
退職金の高い企業に勤めていたひとと、そうでないひととの間での格差が歴然
とする。 ・・・ 団塊世代では蓄えも退職金も世代内格差が大きいという
団塊世代を対象としたアンケート調査もある(『日経新聞』2006年1月8日)。
金融資産が500万円未満が34・4%、500万〜1000万未満が19・2%、これでほぼ
半数を超える。退職一時金も、「なし」が25・6%、500万円未満が22・8%で、
半数近い。言うまでもなく、団塊世代の多くのひとが、退職後も生活のために
働かなければならないと答えるのはこの事情があるからだ。つまり、日本社会
全体の「希望格差社会」(山田昌弘)、希望の持てる階層と希望を喪失した階層
とへの分裂社会への移行を、膨大な高齢層が集中的に表現することになるわけで、
団塊世代の場合、シニアデバイドは、世代問題、人口問題、収入階層問題、
という3つの次元の交点に現れる、歴史的に一回限りの、新種の階級問題である。
また、この団塊世代に始まる世代内格差は、団塊世代のあとにくる世代にも
継承拡大されていくことが予想される。≫
▼ 団塊世代の「金融資産が500万が三分の一の、過半数が1000万未満。
 退職金無しが四分の一、500万未満が半数。」という現実も厳しい。
これで20万そこそこの年金では、ギリギリの生活になる。この年代はバブル期に
良い思いをしたため、その段差は大きい。それでも半数は一千万以上の金融資産
があるし企業年金も入る。そのため現役時代の格差が、そのまま延長される。 
国家衰退は、個々人に直撃する。


5564,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 〜��

2016年06月09日(木)

  
   * 自転車に乗ってとうとう6年目  火野正平
 「文芸春秋・4月号」に火野正平の『自転車に乗ってとうとう6年目』があった。
私自身が、8年目になるので、これに触発され始めたのではない。兎にも角にも、
直に川辺の自然の中を電動アシストの力を借りて、疾走するのは、この上なく
気持ちがよい。 車輪付のグライダーに乗ったようである。
 数年前から、NHK/BSで、朝食を食べながら、この番組を観るのが
日常になっている。あの目線で、土手を突っ走った直後のため、何か延長上
にいるような錯覚をすることシバシバ。 人懐こい火野の生の声が聞こえて
きそうな文章である。  〜全文を2回に分けて紹介する。
【 最初にNHKプロデューサーの企画を聞いた時、「アホちゃうか」と思ったよ。
普通、火野正平にこんなの頼まないでしょ(笑)。俺が自転車に乗って日本全国を
旅する番組『にっぽん縦断こころ旅』(NHKBSプレミアム)も、今年の三日からの
放送でとうとう六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で百日は
自転車に乗っている。六十六歳でこれだけ乗っている人は、なかなかいないだろ。
確かに自転車は子どものころは好きやった。12歳からこの仕事をやっているけど、
子役で稼いだギャラの大半を自転車につぎ込んでいた。中学・高校では毎日
乗っていたし、サイクリングクラブにも入っていた。大阪の豊中に住んでいた
から、六甲山にもよう上ったな。
 だから番組で久々に自転車に乗ったときも、段差があるとこでは必ず尻を
浮かせていたし、体重移動も自然に出来ていた。スタッフはお尻が痛いって
言っていたけど、俺は痛くなったことはない。俺のケツが凄いのか?って思った
けど、体が覚えていたからなんだろうな。もちろん坂道はしんどい。大山の
鍵掛峠なんて「行くとこやない」って、スタッフもみんな愚痴っていたもの。
 自慢できるのは、これだけ乗っていてコケたことがないこと。昔はかなり
危ない運転をしていたけど、いまコケたら大怪我するかもしれないから、だいぶ
気をつけてる。若い頃はスピードが出すぎて、このまま行くと崖から落ちちやう
から、わざとコケて止める、なんてこともしていた。いま考えると恐ろしなるな。
自転車だと車じゃ見えないものが見える。風も、気温も、雨も感じることが
出来る。道端に虫がいたらそれも分かる。この番組は視聴者から貰ったお便りに
書かれている「こころの風景」を探しに行くのがメインテーマだけど、自転車
だからこそ見つけられる場所もある。たまに「何これ?」っていう場所もある
けどな。単なる路地の曲一がり角とか(笑)。   〜次回に続く〜 】 
▼ 最近、いやに同月同日分の内容が偶然にして出来すぎではと思えるほど、
テーマが同じか、続きものとして被ることが多い。恐らく、脳には自覚できない
何かがあるのだろう。 なんだろう、これは? それと、あの「布置」という
偶然。人生の節目で、己の心の血を、私の傷口に直接的にぬり付けてきた、
大部分の、当人か家族に、病気か事故が生じるのは?
 この年齢になれば、家庭内に、病気や事故の一つ二つはあって然るべきだが。
 数日以内に、「復讐するは我にあり」のテーマを書いてみる。
それにしても、ここまでシリアスの偶然の一致は、我ながら気持ちが悪い?
 いや、気持ちが良い! ですか。
・・・・・・
5199,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 
2015年06月09日(火)
 4月〜11月までの8ヶ月間、雨天以外の毎朝6時半から7時半まで
ポタリング(自転車散歩)を続けて、はや、6年数ヶ月になる。
家に帰った直後、NHK:BS『にほん縦断こころ旅』を見るのが日課である。
通りすがりの車の中から、『いつも見てますよ!』と声が掛けられる。
NHKの印籠を持った『水戸黄門』一行様の行列が、親しみをふりまいて
通り過ぎていく。火野正平は人懐こい風貌、性格が特徴。 町、村の小さな
食堂の食事の場面が地域性があってよい。また、それぞれの地区の人の暖かい
触れ合いも色を添えている。 先日、一人家さきで、休んでいる火野の隣に、
何気なく座って話しかけてきた80歳過ぎ?の老人との会話がよい。
 話の切欠に、老人が、『私の歳が幾つにみえますか?』に対し、
火野が、『そういうには、見た目より、遥かに歳をくっているでしょう』に、
『91歳です』と。確かに10歳は若く見えた・・ 老人は気なく人生を語る。
『戦争で、満州に4年間、抑留され、昭和24年、24歳の時に帰国した。
マイナス30〜40℃には・・』 火野は、『昭和24年は、丁度、自分が
産まれた年だ』と答えていた。 人に歴史ありで、何とも印象に残った会話。
 ーところで、NHKのHPから、この番組の案内をコピーしてみたー
≪  目指すのは、あなただけの「こころの風景」
 俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って日本全国を走ります!
その日の旅の目的地を決めるのは、みなさんから寄せられたお手紙です。
「人生を変えた忘れられない風景」「大切な人との出会いの場所」
「こころに刻まれた音や香りの情景」「ずっと残したいふるさとの景色」など、
お手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある
「こころの風景」を訪ねます。 たくさんの人々と出会い、上り坂にあえぎ、
下り坂に笑う、ぶっつけ本番の旅。(時にはチャリオをつれて、電車やバス、
船、軽トラック!?にも乗ります。)そして1日の旅の終わりには、どんな
「こころの風景」が待っているのか?これまで4年で8,188kmを走破し、
404日間(※)旅してきました。5年目の春は和歌山をスタートし、東海、
そして関東へ。東北の太平洋側を通って北海道を目指す14週間の旅です。≫
▼ 『世界まち歩き』という番組があるが、これは、世界の街を気ままに
 歩いた現場感覚を大事にした内容だが、火野正平・目線の自転車の道路から
みた光景がよい。自分の代わりに、自転車で、各地を見て廻ってくれる感覚が、
親しみを感じさせる。自転車で完走するのではなく、ところどころ、バスや
電車で繋ぐことも抵抗感が全くない。伴走の4人を含めて5台の自転車一行。
他に、地元のNHKのワゴンが、別目線で一行を遠めで撮影している。
 毎朝の一時間の自転車散歩、実感は、あんなもの。ただ違うのは、
早朝であること、毎日、同じ風景であること、そして独りということ。
長距離用サイクリング自転車に対し、私のは、電動アシストクロス自転車。
iPodで音楽を聴いていること。 同じことは、独りごとを言っていること。
 自然を楽しみ、味わっていること! 
・・・・・・
4834,つれづれに ーミニ物語の効用
2014年06月09日(月)
   * ミニ物語の効用
 連日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に考え事を
楽しめるようになった。人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、
サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、その言葉の羅列を繰返す。
一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマはー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を
 醒ますと、そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察
すると、やはり当時の部屋。これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実の
ような感じもする。すると、私は誰かの居住部分に無断で寝ていることになる。
まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、何時の
間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして夢からさめ、ウトウト
した後、覚醒した。現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年、の語り直し」
を書いているが、過去の折折を思い出すに、当時の具体的イメージの細部を
引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出されるのでは!と思い至った。
これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思う
だろうが、目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの
『花子とアン』のハナが、想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面
が度々、出てくるが、それを自分でも身に着ければ、より心が豊かになる。
度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナー
だが、22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、
実際には、その層には、受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、
殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ自転車を乗せ、近隣の山や海辺で
ミニサイクリングが可能なことが決めてになった。納車後に、初めて乗ったが、
やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに行って
乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラの
1・5倍の距離を走るが・・ 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 
もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。その辺の陰口?まで吟味
すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、
「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、どちらがきついか」
の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活
の厳しさ、さてどちらか? 前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。
後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、
各質問が下ネタなどエゲツナイ。 −要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 
 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 
 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、これが、
 あと二年も続くと思った時と、夜半に死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。
 何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?
  の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が
 良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、
 「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどでは
 ないが、やはり白眼の中、甘くない日々。失意平然としているつもりだが、
頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリング
とスポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々と
コナスことで、むしろ健康的であるが、やはり特異体験である。
それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・
・・・・・・
4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で
田中慎弥の芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、トップに取り上げていた論文を
見逃してしまった。最初は最近書かれた内容と思っていた。その内容が的を
得ているので冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された
論文と知り衝撃を受けてしまった。今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り
上げた主筆が瞠目したという内容。著者は「共同執筆・グループ1984年」。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは
高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘をならす
ものだった。それから37年、朝日新聞の若宮啓文主筆が1月10日朝刊の一面で、
この論文に注目し、「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」
と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 
敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、精神的には、ほとんど
敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然
自失の状態である。次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。
「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、身に覚えの
あることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。
欧米が主導してきた文明とは何だったのか。
・・・・・・
3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月09日(木)
         『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備が
あることは、言うまでもない。以下の部分は、この本の中の一番の要の部分。 
よく調べ、勉強し、実践し、準備の上で何事にものぞめば、準備を遊びになる
まで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。
【  * 私が百戦百勝している最大の秘訣
  準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は
当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できる
ような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明
できればいいのだが・・ 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して
前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、
 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を
生きることである。モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねたら、
おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、彼の呼吸が、
彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを
費やした周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど
賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えている普通の人になりたい。
準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な
並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、単に何かに向けられた
エネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、
私は労働をしていない。この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。
準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。
子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。
子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と同じように、夢中になり、
大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール
酋長が言ったように、「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは
夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 
あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだ
ろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。
暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。それなら、よく調ぺ、
勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。
自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から飛び
出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならない
ことが何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物ーつまり、あなに
ついて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 
 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を
使うんですかと聞かれる。以前、私は暗審員に催眠術をかけたということで
被告側のリーダー的な人から訴えられた。私は裁判所からこの計略に加わる
よう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】
▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席が
 あるのに、ホールには一人、厨房に一人か二人。あれは、セントラルキッチン
で、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。
スーパーより、ある意味で合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の
仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。
 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りが
してあるから強いのである。 人間も同じ。


5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい

2016年06月08日(水)

   * 私の住みたい社会       
 雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。
リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧?
のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も
肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に
近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした
6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・
サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で
コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。
これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。
他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。 
≪   ☆「私の住みたい社会」 青山文平: 
「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても
楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、
どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが
なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。
 しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した
楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ
よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い
て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、
年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると
言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが
なくても楽しめる社会」でしょう。
 私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車
さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念
ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は
数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った
ときは溜め息が出ました。どこをクルマで走っても、全域、自転車好きなら
よだれが出そうな道ばかりなのです。 ちなみに欧州では、日本ではすっかり
下火になってロードバイクに取って代わられた、クルマで言えばジーブタイプ
のマウンテンバイクもいまだに人気です。マウンテンバイクで走って楽しい
シングルトラックなどの道が、遠征などしなくとも、毎ヨ暮らしている町の
かたわらにあるからです。自転車造びが楽しいかどうかは道しだい。
自転車はいい道を楽しむ遊びであって、マウンテンバイクの不人気はそういう
道がないことを表しているのです。 ・・(中略)
「オカネがなくても楽しめる」遊びが、逆に消費を拡大させるかもしれません。
いま求められている遊びは、そういう深い遊びのような気がします。欧州には
「キャナル.ツアー」という楽しみがあります。実は、欧州には網の目のように
運河が張り巡らされていて、その運河を使うだけで地中海から北海へ抜ける
ことが可能なのです。けっしてカネモチの遊びではなく、定年退職者の夫婦が、
キッチン・ベヅド付きの中古のボートがあれば、あと必要なのは燃料費と、
家にいてもかかる毎日の食費だけです。これまた、「カネがなくても楽しめる」
深い遊びなのです。そういう社会に私は住みたいのですが、いまの日本は、
さて、どうでしょうか。≫
▼ 一月あたり6000円のスポーツジムに、週一のシネマ館通いで月に5000円、
 月に一度の飲み会が10000円、読書の本題は近くの図書館が主で、ほぼゼロ。
毎朝のミニ・サイクリングがゼロ。パソコンとTV代が10000円で、酒と肴で
20000円で、大よそ合計5万円が、月あたりのお遊び代。これが「オカネが
なくても楽しんでいる生活」かどうか分からないが、満足をしている。
 振返ってみて、仕残してしまった悔いが少ないためか、遊ぶ金が欲しい、
何かが欲しいと思わないでいられるのが有難い。それぞれの時節に、充分
楽しんでいたのが大きい。家内の厚生年金受給が、こうなると大きい。
  〜で、以下の文章に、続いていく。
・・・・・・
5198,ライフサイクルより、ライフコースへ 〜1
2015年06月08日(月)
  * 多様に選択される人生 
 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。
その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が
あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。
 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。
≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する
 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が
あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる
こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、
ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが
同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した
ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル
研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を
考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を
取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース
研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀
後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や
ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫
 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。
ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、
◎ ライフステージlife stage
 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面,
 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも,
 とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・
 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。
◎ ライフサイクルlife cycle
 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル
 においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業,
 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。
 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル
 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの
 批判もなされるようになった。
◎ ライフコースlife course
 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究
 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして
 これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。
 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を
 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう
 という研究意図があった。
ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。
私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を
生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。
・・・・・・
4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11
2014年06月08日(日)
   * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱!
 あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、
何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。
そこで、幼児から、その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に
対し、何か材料を探し、新たな装いをするしかない。それまで、顧客として
何を経験してきただろうか? そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の
勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と居酒屋くらい。対象の物件の
道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。
それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角
での手堅い商売。しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。
そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。で、問題は、その選定。
失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。
「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、
先に立たず。とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。
 で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの居酒屋チェーンの『養老乃滝』。
さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は皆無だが、
これからは郊外の時代、非常に面白い立地、是非とも組みたい!」と、乗り気。
考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前
に書いたのを、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 
人間、何事も忘れるから、勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。
二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。商業ビルの完成。そして、
二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、
最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。
顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態で
なければ、出来はしない。それも血だらけで。その傷口が、その人にとって
の事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら受け入れ、それに見合う
ようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、
気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、
未開の荒野の西部。 江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの
地と、一段下に見られていた。そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ
世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、実情。その後の人生も、
狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! 
だから、面白いのである。
・・・・・・
4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
          「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 * 末期から死ぬまで   
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の
 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、
急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気
だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の
量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に
とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。
特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を
飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに
渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、
できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。
母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの
一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、
精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する
ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。
  ・・・・・・
4092, 老いの見本帳ーダークサイト −12
2012年6月8日(金)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦(著)
  * 老いについて ーつれづれに  
 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、
寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージ
になる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。それまで大よそ
半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。
寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきた
ように老いていくのである。第二人称の死を身近でみる限り大往生は少ない。
あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの社会は嫌老が基本になって
おり、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。老いの肯定など、
あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も肉体
も歪まない訳がないと割り切った方がよい。この本は、その歪んだ老人を
真正面から光?を照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れて
おく必要がある。人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。
相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが理想的。古来から社会は
老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により
平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も
生きていかなければならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い
人生が待ち受けていることになる。世の中は青年と壮年を中心に回っている。
老兵は静かに去らなければならない。引き時を見失うと憎まれもの世にはばかる
ことになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。老いることは、絶望に近い
意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きて
いる人たちをいう。人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の
楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い老い方になっていく。 この本と、
「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?老いを見つめると、
背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きる
しかないということか。娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、
世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。
地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、
それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、どれもこれも、想像を
遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く生きてきたのである。
あと10年が、更に・・
・・・・・・
3726, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月08日(水)
     『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 ここの12章に《どんな議論でも「絶対に負けない」十の鉄則》がある。
* 何ごとも十分に準備をする。ー適切な準備には、物語・シナリオをつくる
  ことと、関係者に役割を当てることが必要。
* 相手に聞いてもらえるように、心を開かせる。 ーウソをつかない。
* 議論にストーリー性を持たせる。 
    ー私たちは遺伝子による物語の話し手であり、聞き手である。
    審番員、上司、家族、相手は物語を聞くように条件付けられている。 
* 真実を語る。ー力の議論は、真実を語ることに始まり、
  真実を語ることで終わる。
* 相手に自分の望んでいることを話すー正義の力を忘れないこと、
  どんな議論にも備わる正義を見出し、求め、要求しなさい。
* 皮肉や冗談を避ける。ー相手に敬意を払うことで、私たちは
  高い次元にたつ。 相手を軽蔑する人は、その次元に留まる。
* 論理を見方にする。ー論理は力だ。「論理は剣に似ている。
  論理にうったえる人は、論理に滅ぼされる。」
* 行動と勝利は兄弟  ー緻密な防御をするより、最悪でも
  真正面から攻撃をした方がよい。相手に主導権を握らせない。
* 自分の議論の弱点を認めなさい(自分の弱点を曝け出しなさい)
* 自分の力を理解しなさい(自分自身に勝つ許可を与え、恐怖を乗り越える)。
  これらが、この著書の柱。
≪ 主体的であること、主導権を持つこと、準備を充分すること、シナリオを
  練上げること、自分の力を信じること。 それが、勝利のコツになる。≫ 
 周辺をみて、事業も家庭も、うまくいっている人を観察すると、大体がクリア。
十人に一人か二人位だろう。それらの人は、同じような人と群れるから、それが
相乗効果として、ますますプラスが膨らんでくる。逆に、まったく無頓着に、
目先のこと、現象しか見ることが出来なくて、現象の底にある本質など考える
ことすら出来ない人は八〜九割。その色濃い人に、不幸が八〜九割、集中する。 
そして、それが自虐、他虐へとマイナス回転を始めることになる。さらに似た
のが集うから、不幸に箔がついてくる。要は、永年かけた教養を積んで
こなかった結果である。自分だけにマイナスの事態が積み重なってしまうか理解
出来ないため、自虐のドブ沼に嵌まり込む。「勝のセオリー」を、実際に身に
つけることは、そう生易しくない。だから時間をかけ準備をし、積み上げていく
しかない。 ところで日本の検察、この本の読みすぎ?
検察が権力をつかったシナリオとは? 


5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜④

2016年06月07日(火)

    * 妹役、さくらの誕生   <山田洋次:名越康文 対談>より
 山田洋次の「さくら」を作り上げたエピソードが面白い。
兄、妹にも相性があって、相性の良いと、本当に可愛いらしい。
駄目な兄と、しっかり者の妹の「さくら」の関係が何ともよい。
浅草に「寅さん」の銅像があるが、今度、「さくら」の銅像が出来るという。
 その「さくら」誕生のエピソードが面白い。
≪ 名越:両親の愛情を十分に受けられなかった寅さんにとって、
 やはり異母妹のさくらの存在は大きいですね。
山田『男はつらいよ』の設定を考えていた時、さくらが生まれるヒントに
 なった話に巡り合ったんです。それは、ある女性作家の、今から四十年以上前
 の実体験でした。彼女はある日、東京から大阪に引越すため、汽車に乗ります。
 そこに、ヤクザになっていた兄がやってきて、久しぶりに兄と妹が再会する。
 そうこうしているうちに、発車のベルがジーンと鳴る。その時、急に兄貴が
「おい、気に入らねえ奴いるか?」と言ったというんです。そういう奴がいたら、
 俺が殺してやる、ということでしょうね。
名越:すごい場面ですね。
山田:この話を知ってから、いろんなことを考えました。一体、お兄さんに
 とって妹とはどんな存在だったんだろう。もしかしたらお兄さんは、
「俺はこいつを不幸にしているんじゃないか」と思えてきて、妹が急にかわい
 そうになったのかもしれない。最後の言葉の意味は、「アイラブユー」です
 からね。もしこの妹をひどい目に遭わせた人間がいたら、俺は生かしちゃ
 おかない、と。
名越:鮮烈な絆の表現です。
山田:だから、寅にはそういう妹がいるんだなと考えたんです。
名越:四十八作を観て気づいたことは他にもたくさんあります。
 たとえば、寅さんって世間にはふられてばかりだと思われているけれど、
 実はかなりモテる(笑)。シリーズの三分の二くらいモテています。
山田:寅に会えて友達になって、「私、とても幸せだった」と言うマドンナは
 たくさんいます。でも、寅は、結婚については、決定的に自信がなかったん
 じゃないでしょうか。結婚生活には、恋愛関係の先に、もう一つ大きなバリア
 があって、それを乗り越えなければ結婚はできない。男と女のドロドロした
 関係が生じることに、寅は我慢できない。そこが寅の哀れさでもある。
名越:寅さんは草食男子のような'ところもある。女性に対する不安や恐怖心を
 持ってますよね。≫
▼ 20歳で、創業人生を志したことで、パートナーの人選に慎重になっていた
 上に、4人の姉たちのドロドロ?した様々な結婚生活の実態も見知っていた。
さらに姉4人との遜色ないバランスを考えると、安易な妥協もできないジレンマ
があった。「この人と一生?」と思うと、そうそういないもの。で、「   」。
 「寅さん」は、あくまで無知故に何ものにも捉われない想像上の人物像。
こんなのがいたら、周囲の人間まで巻き込まれ炎上されてしまう。その際どい
狂気が、物語を育んでいくとしても・・ 

・・・・・・・
5197,歩くことが人間の特徴
2015年06月07日(日)
  養老孟司の対談の中で、「人間の身体は、走るでなく、立っているでなく、
歩くに都合の良いように出来ている」という。考えるとき、独り黙想をしながら
歩くのが良いというのも、歩いている方が自然体のためである。
              ★ 養老孟司対談より
≪ 養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離
 を歩くのは動物の中で一番得意なのです。そういうことは殆ど教えられません。
 人間は、単に転ばないように重心を移しながらバランスだけで歩いている。
 四つ足の動物は自分の力で体重をまともに移動させなければならないのです。
田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、
  山を登っているのです。
養老:だから、アフリカで発生して、南米まで行けたのです。あれは歩いて
  行ったに違いない。アジアを通り北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。
田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、
  人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く
  のだなと思います。
養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン
  とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると
  頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、
  そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳
  からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫
▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく
 変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、
一日、2〜5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、
どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。
その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。
   〜次の言葉も、含蓄がある。
『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。 
 知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。
「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した
 ことにはならない」・・』 
『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、
 同じ桜でも違って見える』
・・・・・・
4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
2014年06月07日(土)
   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの
建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが
社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、
華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り
を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 
実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。
現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、
死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の
散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、
姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも
みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、
私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を
与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、
創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の
商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給
公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、
テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台
ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 
学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての
転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。
その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、
ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな
課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。
これを見て、奇妙な偶然に驚いている。
・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話
27歳、千葉千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。
11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 
を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない
千葉で我ながらよくやったと思う。この地獄の中で創業のノウハウしっかり
身につけることができたと思う。自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ
解決していくしかない。その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
なぜか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーーーーー
H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”
と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより
高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、
最悪の出発となってしまたった。そしてオ−プン...!
完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても
仕事のうちという)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこして
大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。大手ス−パ−の創業期に
入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが.. その厳しさが全く違う。
はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という前提が
あった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち
向かっていると、いつの間にか辛さが辛さでなくなる、適応能力が自然に
ついてくるのだ。ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”
を飲ませているのだ。それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の本当の
恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても
足らない位の事件が月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で
(他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。
そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んだ。
“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵が
ついてくる。ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
             創業は辛い! 1973.11.07〜 ・
4465, 余命半年 −3
2013年06月07日(金)              
         「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津秀一著
   * モルヒネか、プチッか     
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、
プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。
ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする
しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を
減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて
いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。
末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、
「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは
別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして
おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から
死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ
を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで
良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて
いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を
聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。
三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る
うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の
一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
        「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
   * 幸福とは   
「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、
この老人奇譚集の目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。
それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で
見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。それでも、
生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。  
 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。
老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての
自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送る
のは、まことに居心地の悪いことである。老いについて語り論じることは、
結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。 
近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない
 平穏な毎日である。それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る
(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、
「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。ある雑誌に「人生の意味について」
を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな
分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味では
なく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。
禅問答ではありませんが、答えは「……とでも言うしかありません」となって
いて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。
老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できる
ようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
 楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象
との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に
喜ばしく感じられる出来事が別な人にはむしろ物足らなさや悔しさを惹起する
ことなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。
こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる
日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こう
に見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ
赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ
小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので
十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような
晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。  
・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げない
というか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。
年寄りではなく、中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。歳を経たが
ゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。
 また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。
それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに
早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。
とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。
 それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。


5561,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜③

2016年06月06日(月)

 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。

・・・・・・
5196,閑話小題 〜ギリシャが?
2015年06月06日(土)
   * ギリシャがユーロから離脱?
 ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、
かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、
欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは
財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。
  ーネット検索で、最新レポートをみつけたー
≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、
 ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする
のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに
賭ける人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国が
それに妥協しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になる。
 2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの
当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を
示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では
ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの
国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ
の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや
フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築
すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。
今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど
で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。
財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては
いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収
もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して
いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民
には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。
年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、
医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように
考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、
それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の
縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。
ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、
IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、
16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、
スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」
伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ
ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た
(不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い
数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫
▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を
 映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会
を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」
がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが
漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が
用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン
など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く
なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。
「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。
ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員
として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。
建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか
生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために
いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある!
 〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。
――――
3359, ギリシャ問題の深層
2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる
ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融
恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に
入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の)
金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 
そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、
エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ
は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、
GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の
収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 
ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が
13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 
加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も
受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。
ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 
ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル
のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。
ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、
まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が
出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、
欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、
イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、
御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。 
ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧
諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても!
という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの
土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、
その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。
・・・・・・
4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9
2014年06月06日(金)
  * ドン底の気分の最中、父親が末期癌に! 
 金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から
電話が入る。「父が検査で悪性の胃ガンが発見、緊急手術のため東京女子医大
に入院することになった。手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり
厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。父あればこその自分。20歳辺りから、
ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの育成プログラムの
一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の
事業の力関係は根本から崩れる。父親も、万一のことを考えて、実兄と私のため、
主だった財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。
父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功する
ことを祈るしかなかった。そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって
見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って私を屋上に連れ出すが、躊躇をして
何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。後で知ったが、
多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、
父親が退院、私も、父の指示で、実家に戻ることになる。
 色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの
日々の中、面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い
居酒屋と面白いスナックを見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。 
これで大いに助かったが・・ 何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、
適当に漂っているのが好き。幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを
過ぎた変容を多く見ているため、今は綺麗だが、その後の・・ それなら、
浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。
しかし金沢も、あの辺りが限界。 彼氏持ちの同僚が、急に誘ってる?と、
その2ヶ月後、結婚で辞めていった。最近になって、それがマリンブルーの
なせる業というのが解ったが、当時は、女は恐ろしい!と、思っていた。 
女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワするしかなかった。 
一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、
良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、
歴史の深さが全く違う!それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。
派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには親切だが、地元には、その承認を
得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、似ているが、
より厳しい。そして、急遽実家に!父親の余命一年の事態と、私のUターンで、
静かな小さな池が大きく揺れることになる。どこにもある御家騒動の始まり。
争いの種は、それぞれの立場にとっての理不尽が、怒りと争いの発端になる。
ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー
  やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。 
  その前年も、同じ偶然があった。
・・・・・・
4464,余命半年 −2
2013年06月06日(木)
          「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、
それを、自分で気づいてないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」
である。死も時節がある。 ただ悄然と消えていきたいもの。ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は
 生物であり、だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」
「殖やすように」そして「死ぬように」命じているという考えである。
生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。遺伝子は自らが
生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに
優れた遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配して
もらわねばならない。だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は
交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続するように「なっている」のである。 
要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、結果として「その種の
繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」である。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるよう
にすることが遺伝子の欲求であり、それが本能に刷り込まれている。だから皆、
相手を求め、おまけとして快楽が付いて来る交配を行い、危険を冒して子供を
産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」
ためなのである。 この考えによると、死が到来するのも理解できる。
まず交配が行われて新しい個体ができれば、親の遺伝子は子に受け継がれる。
しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の組み合わせに
よってより優秀な個体が生まれているかもしれない。そうすれば少なくとも
「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、
長い時間を生きずに死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えて
しまった以上、もう他に大きな役割はないのである。次に、もし「死」が訪れ
なければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、
 諦めきれないのが知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の
衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、独り夜半に目が覚めて、
その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いを受け入れる     
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、
未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した感情として被害者
意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、
異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。それは「尊厳を保った肯定的老人」
とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた
団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。
 竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。
家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を
竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。
太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。 
故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで
あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、
今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。
エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、
賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに
孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキーな
ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか
心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに
我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々
にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。
生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、
玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、
 何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は
亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。
あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた
時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 


5560,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜②

2016年06月05日(日)

   * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次:名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦の
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 〜で、また偶然だが、以下につづく!

 ・・・・・・
5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
2015年06月05日(金)
   * 哲学という気晴らし  〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 
 こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま
した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。
 20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など
してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、
禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、
この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。
 これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空
・・・・・・
4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
2014年06月05日(木)
  * 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、
味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いものである。生きてきた
課程で、日々、世界が変化している。そして自分自身も、大きく変化している。
特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、
最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは抽象画のような
記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、
同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、
金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から
下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみに
なっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を
師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」
と答えると、「どっちの娘がいいの?」と! 結婚相手など微塵だに考えて
なかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつき
レベルでは、多くの思い出はある。一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中に
こそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。人生は多くの
出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かに
エネルギーが入っていたことになる。結果が、どうであれ、野心を持って、
ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。
今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
2013年06月05日(水)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。
「あと余命半年」と悟った時に何をするか?その時には、苦悩と苦痛が頭を
占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」
と言えるよう、普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。
それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の余命を宣言
されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死
の数倍の確率というのが現実である。その瞬間から悟りすまして生きるなど、
無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、平静に保つしかない。
  ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうする
 だろうか? とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、
その半年の間にやるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を
向かえることが出来る自信はあるだろうか? ・・まさに人の数だけ物語があり、
バッドエンドもハッピーエンドもある。ある時から、私は何がこの二つを
分けるか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に
色濃い闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から
老いることを、病気になる前から病気になることを、死ぬ前から死ぬことを
考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて
生きようと、そう思った人間にはそれ相応の最期が約束されるということが
わかった。老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、
ものすごく精神力を使い、大変な作業である。ともすれば抑うつ的になって
しまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、
最期ばかりか、明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・ ≫
▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 
 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、そう遠くない先に直面する。
その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
  健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、
段階をおってるから、シビアで引き込まれる。緩和医療のお医者さんもあり、
著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨。
 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言える
ための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 役割としての「年寄り」   
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。
村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを
した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。
≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰
間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、
老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験
や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が
持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。
「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、
それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵
した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の
最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの
万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが
散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった
ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者
に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、
老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と
いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。
年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。
その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に
「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて
くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識
してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と
いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える
意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。
どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや
Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、
家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には
なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる
 ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という
著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・
どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、
目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな
年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。


5559,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜①

2016年06月04日(土)

 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は、再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次:名越康文 対談>より
≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。 3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島
2015年06月04日(木)
   * 「南海トラフ巨大地震」について、
 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて
もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島の西之島近くで
海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が
あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に
噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか?
 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊
『地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の
可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜
≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に
 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。
現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震は
869年 貞観地震(三陸沖)M8.4 大津波
878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型
887年 仁和南海地震(南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。
 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。
これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は
東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・
 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の
共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる
可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学
的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば
「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。
南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。
さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、
地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。
事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。
南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁
大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融
危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題
は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、
今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ
火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に
対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を
得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著
『地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って
しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ
として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と
仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫
 また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。
≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か?
 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、
変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き
起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、
富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても
不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9
という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発
する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが,
その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた
「貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な
変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、
日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫
▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、
 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、
5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ
られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて
のことだ。桜島、阿蘇山、箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている
日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと
から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に!
5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と!
・・・・・・
4829,「事業人生を決心して45年」の語り直しー7
2014年06月04日(水)
   * 出口王仁三郎の虎穴問答
 ここで大きな問題を起こしてしまった。ナンバーツだった取締役人事部長と
社長と対立の真中に立たされた。新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、
自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を
つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後に
なって気づいたこと。 何度か会を重ねている内に、「県知事でも招待するか」
という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。
その辺から配送センター所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、
明らかに社長直の、会潰しが始まった。組合の温床になる恐れと、明らかに
部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので
途中で、今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止る動きが出てきた。 
私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、預かりの中途半端な立場で、
非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。
その中で、何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事
招待の献金の相場が当時の100万(現在では7〜8百)など、私に知る由がない。
それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、
一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。
後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、囚人が一晩中、号泣するのが恒例
という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。
 その頃、近くの書店で手にしたのが、大本教の出口王仁三郎の特集の雑誌。
そこに、大本教の弾劾裁判での、王仁三郎の「虎穴問答」があった。
あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧、裁判にかけられた
王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。虎穴に落ちてしまった人が、
助かるために、どうすればよいか? を裁判長に問いかけをする。ーネットからー
《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答
・王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。
  裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」
・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」
・王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
 刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへると殺しにくる。
  どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。
  それは食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたら
  あとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。
・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。
王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。 そして、この問答が
  事件の一大転機をもたらした。》
 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から
多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば純粋、悪くいえば無知蒙昧。 
が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。
「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること! 三年前も、最後の最後に、
『自分から喰われてしまえ!』という内語が、後押しをした。「逆境には根を、
順境には枝をはれ」というが、逆境こそ力が蓄える!・・傷だらけの上だが。
・・・・・・
4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4
2013年06月04日(火)
     「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
   * 第3章 仮説は一八○度くつがえる
 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。
絶対安全は仮説でしかなかったのである。その事実の前で社会は直ぐに手の平を
返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で
呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ること
を父と自分の経験から学んでいたので、幾かのシェルターを組み込んでいたので
何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。
全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いか。ーその辺りを抜粋ー
≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、
 ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、実にさまざまな種類が
あります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。
この章では、そういった仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・
「医学界の負の遺産、ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)という
ポルトガルの医者が、1949年度のノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、
ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。
(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)
 ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。
モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。そのきっかけは、
1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトン
という人が、「チンパンジーにロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」
という報告を行ったのだが、それを聞いていたモニスがロボトミー手術を
精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をした。
 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは
「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といっていきなり数十人の
手術をした。当時は、たとえば統合失調症や躁うつ病に対し、効果的な治療法
がなかったから」という。1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の
進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。結果的には、ロボトミー手術と
いうのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまった。
1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫
▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。
 イラク戦争のフセインの科学兵器疑惑に、CIAの間違った調査でイラクに
攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。
人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、
すべての人に言えるから、諦めがつくが、それにしても、である。
逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか?
という仮説も立つ。考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、
ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる!
・・・・・・
4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8
2012年6月4日(4月)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 老いと鬱屈   
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線
に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、そこには
難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ない
で死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を
体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。老化は、否が応でも
毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら
群れてはならない。  ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪ 老いは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」
 人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなこと
への免疫を獲得していく過程ではないのか。難儀なことを解決するのか、避けるか、
無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく次第に
うろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないか
とわたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。
嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや
苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい
事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性は
できないものらしい。 だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が
見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどん
グロテスクになっていき、鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなり
つつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには
事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに
置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺
するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則
である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、
その毒は体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、
体内の毒は、ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため
面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染む。
そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと
初めから割り切って孤立していた方が良い?


5558,閑話小題 〜サプリメント効果

2016年06月03日(金)

   * サプリメント効果
・サントリーのサプリメント、『ノコギリヤシ』。5千円のものが、一万人
 無料という広告文につられてネット注文をし、飲みはじめてから一ヶ月。
効果は2〜3週間後に出るという文面どうりに、効果が出てきた。これまで、
夜半に8割かたはトイレに起きていたのが、今では三日に一度に減っている。
 それに、肌に水気が増えて滑々してきた。 他に、サントリーの別広告で、
『セサミンEX』の格安広告を見て注文し、先のものと共に飲んでいる。
・10年前には様様なサプリメントを飲んでいたが、今では、冬季の生姜湯と、
飲むヨーグルトと、水分補給用のビタミンC入り飲料だけ。 ところが、
年々、体力の衰えを感じてきたこともあって、再チャレンジすることにした。
・これを飲み始めて、身体の方が、待ってましたという感覚。還暦から10年、
明らかに足腰の衰えが顕著。これだけの即効からして、無料提供をするわけだ。
50年来の腰痛と、パソコンの前に一日4時間も座っているためか、前屈みの姿勢
になりがちだが、姿勢も少し良くなったようだ。問題は価格。そこで、格安の
ノコギリヤシのサプリメントがないかとネット検索をすると、あるある。
老いた老いたと身体の不調を愚痴るより、対策を探した方が良い。それより、
節酒が先決だが! 持病の腰痛、栄養バランスの悪さも要因だったのかも。
「老いたら子に従え」でなく、「老いたら、サプリメントバランスに従え」か。

・・・・・・ 
5193,半隠遁五箇条
2015年06月03日(水)
               『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 半隠遁五箇条
≪ 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。
俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、
妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、五十歳を潮時に
‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。
  1.「清貧の思想」にあらず 
  2. 趣味を追求するなかれ 
  3.不快を避ける 
  4.無理しても快適を得る
  5.金に執着しない、 とした。
・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても
 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』
・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の
 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。
 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。
 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』 ≫
▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、
 似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、
 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔
 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 
 現状というより、目標を書くとすると、
   <隠遁生活五箇状> 
1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める
2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 
  �、「闇」―蛍と星とダークマターをみつめ �、「独」―独りでいること   
  �、「閑」―逆茂木に囲まれて   �、「怠」―怠け猿のように  
  �、「懶」―心に余白を持つ    〜を意識して、世界に浸かる
3、その中でも、新しい知識、感動、感謝を貪欲に求め続ける
4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう
5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する 
 まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が
面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。
それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、
デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし!
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4828,「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
2014年06月03日(火)
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり
何かの質問をする。逆質問は一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  ー
            359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初の
頃は感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に
問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時
大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、
繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さ
を互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的
とする。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を
見る。ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で
一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。この訓練を通して、
自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、
自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、
初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に、会社は強くあらねば!
ということを。人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。
つまり「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した
行動を柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙い。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
 実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。
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4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3
2013年06月03日(月)
    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
  * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」
という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、
それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え
ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が
なくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。
 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを
いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた
仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある
仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり
たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり
その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈
するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な
世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、
「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の
良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ
曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている
ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて
いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に
触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、
あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。
たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や
共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 
「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん
の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。
 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、
その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の
崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。
それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが
崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、
身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。
舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的
にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。
現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という
のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が
見えているから。それも私の仮説でしかない。
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4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著)
 * 中年と老年の境目          
「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、
サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして
50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を
整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 
ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に
囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった
性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ
象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって
しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ
たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。
少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に
根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と
なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか
のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。
もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ
といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。
暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で
自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な
チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で
あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。
それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に
歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ
ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような
時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい
のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを
振ることを強いられるということではないのか。 ≫
▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、
 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの
「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。
私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか
なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。
肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって
半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
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3721, ジャズについて −13
2011年06月03日(金)
   * 現代ジャズの新しい動きは?  ー「音楽の本」三枝成彰著より
 ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた
【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたった
 ジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム「ピッチェズ・ブリュー」
が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。
その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類も
できた。フュージョンとは、一言でいえば、ジャズのロック化を進めたもので、
ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽。
だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、
のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す勢いを失ったといっていいだろう。 
なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自
すべき点もある。ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の
動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。
レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうが
ラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を気持ちよく踊らせることがで
きるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」
だったことを思い起こせぱ、これは面白い現象といえるのではないだろうか。 
もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、
ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰して
いるジャズマンもいる。その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける
音楽といえるだろう。 】
▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、
誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと呼ばれるようになった。
黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合
して出来たもの。そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。
アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。
それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。
それが、そのままフュージョンとなったといえる。
  ・・・・・・・
3356, 風の画家・中島潔
2010年06月03日(木)
  「風の画家・中島潔“いのち”を描く」   
 ーNHKのHPよりー  〜NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜)
 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで
親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、源氏物語や詩人・金子みすゞ
の世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。
その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。
京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。日本画の伝統とは無縁の画家が、
1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。中島は、ここで、
終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、何度も描いて
きた金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年を
かけてひたすら描き続けたイワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。
「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。
▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔の清水寺の成就院の46枚の
 襖絵をみて、息を飲んだ。日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と
溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔の言葉の一言
一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。
その絵の暖かい風を感じていた。本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」
と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは,母に
対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。それにしても
生命感の溢れた絵である。清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに
恐れ入る。中島潔が「金子みすず」の詩を幾か絵にしていることを初めて知った。
金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 
この人の画集は、多くは出版されてないようだ。 


5557,アメリカに見る貧困問題 ―②

2016年06月02日(木)

 アメリカの人口が、32000万人のうち、6500万人が『低所得者向け食料費補助』
を受けているというから、2割が受けていることになる。しかし、日本の
「相対的貧困率」は16%、別に驚くことではない。日本には生活保護がある。
貧富の格差の問題で、まず考えるは、自分の子供に期待するのが、第一歩になる。
韓国、中国では、将来の夢を子供に託して、お受験が激化している。日本では、
一時期、「ゆとり教育」を採りいれてしまった団塊世代の子供たちの弊害問題。
 それが、そのまま、格差として表立ってきている。
   * 後半の16〜30 から
 『アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ』(2014/3/データ)
≪16. 一人当たりの平均資産では世界4位に入るアメリカも、中央値はランク外。
17. アメリカの5人に1人の子供が貧困線(1人当たり、1日1.25ドル)
 以下の生活を送る。6人に1人の老人が貧困線以下の生活を送る。
18.アメリカの子供の貧困率は世界で2番目。日本は9番目に高い。
19.アメリカは先進国の中で最も相対的貧困率が高いが、日本も高いグループ。
(相対的貧困とは「ある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の
 全人口に占める比率」であり、この率が高いほど格差のある社会といえる。
20. 2012年、1か月以内にフードスタンプ(低所得者向けの食料費補助)
 を受給したアメリカ人は6500万人に上った
21.アメリカの子どものホームレスは約120万人。半分を6歳以下が占める
22. 食事を無償で提供する場所に通うアメリカ人は2006年より46%増加した
23. 上位1%の富裕層が、世界資産の38%を保有している
24. 世界の80%の人は所得格差が拡大している国に住んでいる
25. 先の金融危機の1年後、上位25社のヘッジファンドは総250億ドルの収益を得た
26. ビル・ゲイツが持つ資産は500億ドル。これは世界140国の年間GDPより多い
27. アフリカ大陸の国の資産をすべて合わせても世界の総資産のうち1%
28. アメリカで上位0.01%は平均所得2734万ドル。一方下位90%は平均3.12万ドル
29. アメリカ下院議員で100万ドル以上の資産所持者は58%。
 なお、100万ドル以上の資産保持者はアメリカ全体のうち1%にすぎない
30. 上位5%富裕層が、アメリカのすべての消費のうち37%を行っている
――――
▼ 義務教育の中学時の日本全体がまだ豊かさから、ほど遠いものがあった。
 当時の顔ぶれを成績順に見ると、家庭環境、とりわけ親レベルが、そのまま、
人生にうつし出されている。還暦、古希の会の出席者の現状からみて、そのまま、
拡大した人生を過ごしていたようだ。それぞれの家庭環境のアドバンテージの
格差が、そのまま比例して人生に影響している。欠席者には、人生に恵まれない?
人か、既に亡くなっていた人が多い。フランス革命の理念、『自由、平等、博愛』
は、その真逆の現実があるから、理想として掲げたもの。貧富の面からみても、
人生は不条理である。〜これも偶然だが、2年まえの同月同日の以下に続く〜
 
・・・・・・
4827,金持ちとは、10億以上の純資産を持つ人
2014年06月02日(月)
   * お金持ちの定義とは!
 お金の話題は、何か知らねど面白い!猛獣使いと同じで、危険な野獣を飼い
慣らしている内はよいが、一つ間違えれば喰い殺されてしまう。
金から自由になるには、自由になりたい分、確保しておく必要がある。
  ーこの随想日記内検索と、ネット上から「お金持ち」について調べるとー
< ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを
 送る人4人、まだ働く人は5人しか居ない。あとの56人は政府か家族の援助を
 必要とし、残りの34人は亡くなったそうだ。よく「引退すれば、生活費が減る。
 だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違い。
 なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。多くの保険機関は
 高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持って
 いれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きる。>
<金を気にしないで済む生活こそ豊かさ。で、金を気にしないで済む生活は、
 幾らか。 そう考えると、人様々である。平均すると、家一軒があって、
 蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万?ところで直接、両親の
 生き方をみて、合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うこと。
 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 
 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。>  (随想日記内)
<【富裕層の定義】ここでは、船井総研の小林氏が独自の方法で算出した
 5億〜10億以上の金融資産を持つと推定できる3万4879人を「超富裕層」、
 1億〜5億未満の金融資産を持つ166万1844人を「プチ富裕層」と定義する。
 小林氏によれば、金融資産を1億円以上保有する個人は全国に169万6723人。
 医師や税理士などのほか、大企業の役員・従業員、さらには公務員でも
 それくらいの金融資産を持つ人は少なくないと。たしかに、民間の給与所得は
 1997年をピークに漸減傾向。しかし「給与の高い会社員同士の共稼ぎ家庭では、
 当人たちも気がつかないうちに1億円以上の金融資産を持っているという
 ことはよくある」(小林氏)。実はさほど珍しくないお金持ちがこの層なのだ。
 わかりやすくするために、「プチ富裕層」と呼ぶ。一方、雲の上の存在とも
 いえる本当のお金持ちは、それに比べればぐっと少なくなる。こちらは
 「超富裕層」と表現しよう。小林氏は、金融資産1億円超の約170万人のなか
 から、職業や住居の特性、そして「馬主である」「高級外車を保有している」
 などの属性を独自にポイント化し、合計してある点数以上に達した人を
 超富裕層と定義づけた。「この方々はおおむね、金融資産を5億から10億円
 以上保有していると思われます」(小林氏)>
▼ 日本のミニオンダラー(1億以上の現金)が170万人。
 一家族×2・3人で、390万人として、3%。 ビリオンダラー(10億以上)が、
3万人×2・3人=7万人として、2000世帯に一軒になる。一般的に小金持ちは、
地方で金持ちの部類だが、全国レベルでは金持ちに入らない。しかし彼らは、
自分が金持ちと誤解しているのが、田舎者ということ。 私見では、
「不動産を時価評価の四割にし、借入を差引いた金額に現金など流動資産を
プラスした総額が一億」か、「自由に使える流動資産が一億円以上」か、
のどちらかが小金持ちになるが、俗にいう『金持ち』には入らない。
この一桁上のビリオンダラー(一千万ドル以上)が、俗にいう金持ライン。
これは国内外、同じ。 バブル期の一時期に、そのライン上に入ったことが
あった?が、今では、家内が小金持ち、私は居候の小間使。「金持ち」も、
相対的な言葉。今ではラーメン屋でチャーシューにすると、家内に
「ワッ、金持ち!」と、曰われる。
<最後のオチの言葉。味付けで、書いているのであって、
  殆ど創作? 念のため!> でも、実態は、こんなものか?
 
5192,ロシアの小話 ぷらす4つ
2015年06月02日(火)
   * ロシアンジョーク
 ロシア帝国やソ連の圧制の中で、したたかな市民はジョークで、憂さを
晴らしていた。だから、内容は強烈な毒が含まれている。話す方も、聞く方も
命がけ。ジョークは、その内に秘められている毒が理解できればこそ笑いになる。

・ワルシャワの精神病院をソ連の視察団が訪れ、一人の患者に入院理由を尋ねた。
「亡命しようとしたからさ」  視察団は首を捻った。
「我が国なら政治犯収容所に入れるところだが?」  医者が答えた。
「いや、こいつはソ連に亡命しようとしたんです」

・工場の財産を労働者たちがくすねるのを防ぐため、門で守衛が見張っている。
 その守衛が、手押し車に袋を乗せて通り過ぎようとするイワンに目を付けた。
「袋の中はなんだ? イワン」
「おがくずでさ。家でたき付けにするのを監督さんが許可してくれたんだ」
 しかし、守衛はイワンの言葉を信用しない。
「開けるんだ!」 袋の中味がぶちまけられるが、おがくずしか入っていない。
 次の日も同じ場面が繰り返される。
「今度はだまされないぞ。開けろ!」 イワンは袋を開ける。やはり、おがくず
 以外なにもない。三日目、四日目と、同じことが繰り返される。 七日目、
 ついに守衛は根負けしてしまった。
「なあイワン、お前が何かくすねてるってことはわかってるんだ。だけど、
 もうおれは検査しないよ。おれは見て見ぬふりをする。誰にも言わない。
 だから、こっそり教えてくれ。何をくすねてるんだ?」・・ 「手押し車」

・ 監獄で三人の囚人が話していた。
「おれはサボタージュのかどで逮捕されたんだ。工場に五分遅刻したもんで」
「おれは反対に五分早く出勤したために逮捕されちまった。スパイ容疑で」
「おれなんか、時間きっかりに職場に着いたんで逮捕されたんだぞ。
 西側の時計を持っているという容疑で」

・ 第二次世界大戦後。終戦直後で皆食べるものに困っていた時代。街中で、
 ある若い女性が一人の盲人に話し掛けられた。白い封筒に入った手紙を封筒の
 表面の宛名の住所まで届けて欲しいのだと言う。帰り道だったため、女性は
 快く引き受けた。そのまま二人は別れたのだが、暫く行って女性は、盲人男性
 が他に要るものがないかと振り向いた。すると盲人だと思っていた男が白い杖
 を小脇に抱え、健常者の様に反対方向に走って行くのが見えた。おかしいと
 思った女性は、近くにあった交番に駆け込み、事情を説明した。
 警官達は宛名の住所に突入し、そこで食用に売られている、山と積まれた
 人間の死体を発見した。封筒には便箋が一枚。そこにこう書かれていた。
  「こいつが今日最後の獲物だ」
▼ ユーモア、ジョークを楽しむには、あるレベルの教養とセンスが必要。
 その隠された捻りを一瞬で理解できないと笑いが浮かばないため、話し手も、
一発芸の要素が必要になる。そこで相手を選ぶしかないが、それが皆無?
<ところで、ロシアの小話を7年前に、取上げていたのを忘れていて、
 分類のにアップの際に気づいた。幸い、重なる内容は一つも無いので、
テーマを「ロシアンジョーク」から「ロシアの小話+4つ」に変更した。
7年前も、時間がタップリあったということか!>
・・・・・・
2008/03/18
2540, ロシアの小話、8つ
 小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。
その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、ソ連の体制時の小話だろう。
ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。
そのギリギリの中で、ひねりを入れた小話を「アネクドート」といいうが、
ロシア人は食事時などに、普段人には言えない鬱憤をぶちまけるために
作られたブラックジョークだからこそ、毒があり捻りに味がある?
その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を趣味と
している私でも、含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・

・息子が服をボロボロにして帰宅しました。
「どうしたんだ、お前」 ―父親が厳しく問い詰めました。
「隣りの子と喧嘩した」
「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を
買わなければならないじゃないか。」
「だからどうなの。」 ―息子が自慢気に答える。
「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは
 新しい子供を買うことになるだろうさ。」

・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、
 子「お母さん、僕、外国人になりたい」

・地獄に落ちたブレジネフは数ある罰の内の一つを選べといわれる。
 レーニンは針の山でもがき、スターリンは煮えたぎる熱湯の中で苦しんでいた。
 ところがフルシチョフは何とマリリン・モンローと抱き合っているではないか。
 フルシチョフと同じ罰を所望するブレジネフに地獄の番人は答えた。
「とんでもない。あれはマリリン・モンローが受けてる罰です」

・ソ連共産党が70年かかって出来なかったことを、
 エリツィンが僅か三年でやり遂げた。それは何だろう?
    答え:国民に社会主義お良さをわからせた」

・16歳の娘を母親が教えています。
「私を見習いなさい。私は今45歳で、結婚して20年になるけど、
 ずっと一人の男性だけを愛しつづけてきたのよ。」
「ってことは、パパが知ったらスキャンダルになるわね。」

・「私の将来の夢はパパと同じように月10,000ドル稼ぐようになることなの。」
「ええ、あんたのお父さん月に10,000ドルも稼いでいるの?」
「ううん、パパも夢見ているの。」

・「ちょっと、ウェイター!先週の日曜日はあんたんところには
 出来立てのビールがあったじゃないか!」
「信じてください、これはそれと同じものです。」

・素っ裸の女性がバーに入ってきてバーテンに言います。
「ウイスキーちょうだい。え、何よ、そんな変な目で見て。
 裸の女を見たことがないの?」 バーテンが答えます、 
「いやあ、どこからお金が出てくるのかと思って...。」   

・・・・・・
2008/03/20
2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) −2
・交通事情
☆ 東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、
 パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
☆ 新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。
 船内放送「乗船の皆様方の中で、切符を分割払いでお求めになったお客様。
 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」

・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。
 すぐに来て下さい!」
 「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか? 人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
 「はい、その通り。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」

・「酔っぱらうってどういうこと」
 「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 
  酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」

・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」.
 「これ、腕時計だよ」

・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。
 落ちながら男は思う、「神様、私はなんて愚かなのでしょう! 
 彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、
 茶でも飲んでいれば....。」 ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、
 「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」

・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴も
 こぼさずに命中させてやる。 これに50ドル 賭けよう。 ただし、
 こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。
 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、小便をバーの中全体に
 撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そして
 バーテンダーにまでひっかかった。 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに
 笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。
 すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。バーテンダーは訊いた。
「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
  男は答えた。
「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドル
 を賭けたのさ。このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、
 笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」

・授業中、先生と、生徒の会話。
 先生: 「A君、隣のB君を起しなさい。」
 A君: 「どうして?  A君を寝かしたのは、先生なのに。」

・ウォッカばかり飲んでる亭主と奥さんの会話
 奥さん「もう我慢できないわ!私をとるのか、ウォッカをとるのか、
 どちらかに決めて頂戴!」
 亭主 「その場合のウォッカとは、何本のことだね?」 ...

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