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堀井On-Line
| 5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい |
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2016年06月08日(水)
* 私の住みたい社会 雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。 リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧? のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も 肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に 近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした 6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・ サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。 これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。 他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。 ≪ ☆「私の住みたい社会」 青山文平: 「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても 楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、 どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。 しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した 楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、 年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると 言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが なくても楽しめる社会」でしょう。 私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車 さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念 ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は 数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った ときは溜め息が出ました。どこをクルマで走っても、全域、自転車好きなら よだれが出そうな道ばかりなのです。 ちなみに欧州では、日本ではすっかり 下火になってロードバイクに取って代わられた、クルマで言えばジーブタイプ のマウンテンバイクもいまだに人気です。マウンテンバイクで走って楽しい シングルトラックなどの道が、遠征などしなくとも、毎ヨ暮らしている町の かたわらにあるからです。自転車造びが楽しいかどうかは道しだい。 自転車はいい道を楽しむ遊びであって、マウンテンバイクの不人気はそういう 道がないことを表しているのです。 ・・(中略) 「オカネがなくても楽しめる」遊びが、逆に消費を拡大させるかもしれません。 いま求められている遊びは、そういう深い遊びのような気がします。欧州には 「キャナル.ツアー」という楽しみがあります。実は、欧州には網の目のように 運河が張り巡らされていて、その運河を使うだけで地中海から北海へ抜ける ことが可能なのです。けっしてカネモチの遊びではなく、定年退職者の夫婦が、 キッチン・ベヅド付きの中古のボートがあれば、あと必要なのは燃料費と、 家にいてもかかる毎日の食費だけです。これまた、「カネがなくても楽しめる」 深い遊びなのです。そういう社会に私は住みたいのですが、いまの日本は、 さて、どうでしょうか。≫ ▼ 一月あたり6000円のスポーツジムに、週一のシネマ館通いで月に5000円、 月に一度の飲み会が10000円、読書の本題は近くの図書館が主で、ほぼゼロ。 毎朝のミニ・サイクリングがゼロ。パソコンとTV代が10000円で、酒と肴で 20000円で、大よそ合計5万円が、月あたりのお遊び代。これが「オカネが なくても楽しんでいる生活」かどうか分からないが、満足をしている。 振返ってみて、仕残してしまった悔いが少ないためか、遊ぶ金が欲しい、 何かが欲しいと思わないでいられるのが有難い。それぞれの時節に、充分 楽しんでいたのが大きい。家内の厚生年金受給が、こうなると大きい。 〜で、以下の文章に、続いていく。 ・・・・・・ 5198,ライフサイクルより、ライフコースへ 〜1 2015年06月08日(月) * 多様に選択される人生 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。 その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。 ≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、 ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが 同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル 研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を 考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を 取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース 研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀 後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫ 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。 ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、 ◎ ライフステージlife stage 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面, 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも, とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・ 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。 ◎ ライフサイクルlife cycle 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業, 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの 批判もなされるようになった。 ◎ ライフコースlife course 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう という研究意図があった。 ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。 私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を 生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。 ・・・・・・ 4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11 2014年06月08日(日) * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱! あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、 何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。 そこで、幼児から、その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に 対し、何か材料を探し、新たな装いをするしかない。それまで、顧客として 何を経験してきただろうか? そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の 勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と居酒屋くらい。対象の物件の 道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。 それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角 での手堅い商売。しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。 そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。で、問題は、その選定。 失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。 「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、 先に立たず。とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。 で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの居酒屋チェーンの『養老乃滝』。 さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は皆無だが、 これからは郊外の時代、非常に面白い立地、是非とも組みたい!」と、乗り気。 考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前 に書いたのを、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 人間、何事も忘れるから、勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。 二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。商業ビルの完成。そして、 二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、 最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。 顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態で なければ、出来はしない。それも血だらけで。その傷口が、その人にとって の事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら受け入れ、それに見合う ようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、 気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、 未開の荒野の西部。 江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの 地と、一段下に見られていた。そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ 世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、実情。その後の人生も、 狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! だから、面白いのである。 ・・・・・・ 4466, 余命半年 −4 2013年06月08日(土) 「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 * 末期から死ぬまで ー末期の現象をまとめてみると、 ≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、 急に悪化するケースや、凸凹であったりする。 ・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気 だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の 量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。 特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を 飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに 渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、 できることは早めにしておくべき。 ・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も 募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。 「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」 「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を 見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。 無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。 ・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、 呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで 保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、 傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、 死出への旅立ちにふさわしい。 ・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で 心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫ ▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち 合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。 母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの 一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、 精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。 ・・・・・・ 4092, 老いの見本帳ーダークサイト −12 2012年6月8日(金) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦(著) * 老いについて ーつれづれに 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、 寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージ になる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。それまで大よそ 半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。 寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきた ように老いていくのである。第二人称の死を身近でみる限り大往生は少ない。 あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの社会は嫌老が基本になって おり、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。老いの肯定など、 あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も肉体 も歪まない訳がないと割り切った方がよい。この本は、その歪んだ老人を 真正面から光?を照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れて おく必要がある。人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。 相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが理想的。古来から社会は 老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により 平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も 生きていかなければならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い 人生が待ち受けていることになる。世の中は青年と壮年を中心に回っている。 老兵は静かに去らなければならない。引き時を見失うと憎まれもの世にはばかる ことになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。老いることは、絶望に近い 意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。 人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きて いる人たちをいう。人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の 楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い老い方になっていく。 この本と、 「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?老いを見つめると、 背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きる しかないということか。娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、 世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。 地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、 それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、どれもこれも、想像を 遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く生きてきたのである。 あと10年が、更に・・ ・・・・・・ 3726, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜� 2011年06月08日(水) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 ここの12章に《どんな議論でも「絶対に負けない」十の鉄則》がある。 * 何ごとも十分に準備をする。ー適切な準備には、物語・シナリオをつくる ことと、関係者に役割を当てることが必要。 * 相手に聞いてもらえるように、心を開かせる。 ーウソをつかない。 * 議論にストーリー性を持たせる。 ー私たちは遺伝子による物語の話し手であり、聞き手である。 審番員、上司、家族、相手は物語を聞くように条件付けられている。 * 真実を語る。ー力の議論は、真実を語ることに始まり、 真実を語ることで終わる。 * 相手に自分の望んでいることを話すー正義の力を忘れないこと、 どんな議論にも備わる正義を見出し、求め、要求しなさい。 * 皮肉や冗談を避ける。ー相手に敬意を払うことで、私たちは 高い次元にたつ。 相手を軽蔑する人は、その次元に留まる。 * 論理を見方にする。ー論理は力だ。「論理は剣に似ている。 論理にうったえる人は、論理に滅ぼされる。」 * 行動と勝利は兄弟 ー緻密な防御をするより、最悪でも 真正面から攻撃をした方がよい。相手に主導権を握らせない。 * 自分の議論の弱点を認めなさい(自分の弱点を曝け出しなさい) * 自分の力を理解しなさい(自分自身に勝つ許可を与え、恐怖を乗り越える)。 これらが、この著書の柱。 ≪ 主体的であること、主導権を持つこと、準備を充分すること、シナリオを 練上げること、自分の力を信じること。 それが、勝利のコツになる。≫ 周辺をみて、事業も家庭も、うまくいっている人を観察すると、大体がクリア。 十人に一人か二人位だろう。それらの人は、同じような人と群れるから、それが 相乗効果として、ますますプラスが膨らんでくる。逆に、まったく無頓着に、 目先のこと、現象しか見ることが出来なくて、現象の底にある本質など考える ことすら出来ない人は八〜九割。その色濃い人に、不幸が八〜九割、集中する。 そして、それが自虐、他虐へとマイナス回転を始めることになる。さらに似た のが集うから、不幸に箔がついてくる。要は、永年かけた教養を積んで こなかった結果である。自分だけにマイナスの事態が積み重なってしまうか理解 出来ないため、自虐のドブ沼に嵌まり込む。「勝のセオリー」を、実際に身に つけることは、そう生易しくない。だから時間をかけ準備をし、積み上げていく しかない。 ところで日本の検察、この本の読みすぎ? 検察が権力をつかったシナリオとは?
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| 5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜④ |
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2016年06月07日(火)
* 妹役、さくらの誕生 <山田洋次:名越康文 対談>より 山田洋次の「さくら」を作り上げたエピソードが面白い。 兄、妹にも相性があって、相性の良いと、本当に可愛いらしい。 駄目な兄と、しっかり者の妹の「さくら」の関係が何ともよい。 浅草に「寅さん」の銅像があるが、今度、「さくら」の銅像が出来るという。 その「さくら」誕生のエピソードが面白い。 ≪ 名越:両親の愛情を十分に受けられなかった寅さんにとって、 やはり異母妹のさくらの存在は大きいですね。 山田『男はつらいよ』の設定を考えていた時、さくらが生まれるヒントに なった話に巡り合ったんです。それは、ある女性作家の、今から四十年以上前 の実体験でした。彼女はある日、東京から大阪に引越すため、汽車に乗ります。 そこに、ヤクザになっていた兄がやってきて、久しぶりに兄と妹が再会する。 そうこうしているうちに、発車のベルがジーンと鳴る。その時、急に兄貴が 「おい、気に入らねえ奴いるか?」と言ったというんです。そういう奴がいたら、 俺が殺してやる、ということでしょうね。 名越:すごい場面ですね。 山田:この話を知ってから、いろんなことを考えました。一体、お兄さんに とって妹とはどんな存在だったんだろう。もしかしたらお兄さんは、 「俺はこいつを不幸にしているんじゃないか」と思えてきて、妹が急にかわい そうになったのかもしれない。最後の言葉の意味は、「アイラブユー」です からね。もしこの妹をひどい目に遭わせた人間がいたら、俺は生かしちゃ おかない、と。 名越:鮮烈な絆の表現です。 山田:だから、寅にはそういう妹がいるんだなと考えたんです。 名越:四十八作を観て気づいたことは他にもたくさんあります。 たとえば、寅さんって世間にはふられてばかりだと思われているけれど、 実はかなりモテる(笑)。シリーズの三分の二くらいモテています。 山田:寅に会えて友達になって、「私、とても幸せだった」と言うマドンナは たくさんいます。でも、寅は、結婚については、決定的に自信がなかったん じゃないでしょうか。結婚生活には、恋愛関係の先に、もう一つ大きなバリア があって、それを乗り越えなければ結婚はできない。男と女のドロドロした 関係が生じることに、寅は我慢できない。そこが寅の哀れさでもある。 名越:寅さんは草食男子のような'ところもある。女性に対する不安や恐怖心を 持ってますよね。≫ ▼ 20歳で、創業人生を志したことで、パートナーの人選に慎重になっていた 上に、4人の姉たちのドロドロ?した様々な結婚生活の実態も見知っていた。 さらに姉4人との遜色ないバランスを考えると、安易な妥協もできないジレンマ があった。「この人と一生?」と思うと、そうそういないもの。で、「 」。 「寅さん」は、あくまで無知故に何ものにも捉われない想像上の人物像。 こんなのがいたら、周囲の人間まで巻き込まれ炎上されてしまう。その際どい 狂気が、物語を育んでいくとしても・・
・・・・・・・ 5197,歩くことが人間の特徴 2015年06月07日(日) 養老孟司の対談の中で、「人間の身体は、走るでなく、立っているでなく、 歩くに都合の良いように出来ている」という。考えるとき、独り黙想をしながら 歩くのが良いというのも、歩いている方が自然体のためである。 ★ 養老孟司対談より ≪ 養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離 を歩くのは動物の中で一番得意なのです。そういうことは殆ど教えられません。 人間は、単に転ばないように重心を移しながらバランスだけで歩いている。 四つ足の動物は自分の力で体重をまともに移動させなければならないのです。 田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、 山を登っているのです。 養老:だから、アフリカで発生して、南米まで行けたのです。あれは歩いて 行ったに違いない。アジアを通り北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。 田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、 人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く のだなと思います。 養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると 頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、 そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳 からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫ ▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく 変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、 一日、2〜5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、 どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。 その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。 〜次の言葉も、含蓄がある。 『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。 知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。 「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した ことにはならない」・・』 『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、 同じ桜でも違って見える』 ・・・・・・ 4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10 2014年06月07日(土) * 千葉・千城台ビル建設計画の着手 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの 建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが 社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、 華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。 現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、 死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の 散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、 姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、 性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、 私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を 与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、 創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、 成功させるのが、当面の課題。 まず考えたのが、この千城台のような団地の 商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給 公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、 テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台 ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての 転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。 その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、 ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな 課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。 これを見て、奇妙な偶然に驚いている。 ・・・・・ 2001年06月07日(木) [45] 創業の話 27歳、千葉千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。 準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。 今も忘れられない1973年5月30日であった。 11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない 千葉で我ながらよくやったと思う。この地獄の中で創業のノウハウしっかり 身につけることができたと思う。自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ 解決していくしかない。その時本能的に相手に両手で拝んでいた。 なぜか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。 軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。 当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。 また写真も写真日記にコピーしておきます。 ーーーーーーー H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、 いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。 千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン” と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより 高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、 最悪の出発となってしまたった。そしてオ−プン...! 完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列! しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、 地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、 今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より 夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々。 “勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。 それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても 仕事のうちという)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこして 大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。大手ス−パ−の創業期に 入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが.. その厳しさが全く違う。 はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。 あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という前提が あった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち 向かっていると、いつの間にか辛さが辛さでなくなる、適応能力が自然に ついてくるのだ。ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒” を飲ませているのだ。それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。 そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の本当の 恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても 足らない位の事件が月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で (他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んだ。 “これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、 お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵が ついてくる。ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいと思う。 標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。 創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと 振り返って思えるようになった。 創業は辛い! 1973.11.07〜 ・ 4465, 余命半年 −3 2013年06月07日(金) 「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津秀一著 * モルヒネか、プチッか 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、 プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。 ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。 著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。 ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。 一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を 減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。 末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、 「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは 別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。 何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から 死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。 生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで 良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、 古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を 聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。 三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の 一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。 「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。 高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。 生きている限り「他人は先、我は後」だが。 ・・・・・・ 4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11 2012年6月7日(木) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著) * 幸福とは 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、 この老人奇譚集の目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。 それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で 見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。それでも、 生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 ≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。 老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての 自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送る のは、まことに居心地の悪いことである。老いについて語り論じることは、 結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。 * ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない 平穏な毎日である。それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る (殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、 「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。ある雑誌に「人生の意味について」 を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな 分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味では なく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。 禅問答ではありませんが、答えは「……とでも言うしかありません」となって いて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。 老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できる ようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。 * 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、 楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象 との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に 喜ばしく感じられる出来事が別な人にはむしろ物足らなさや悔しさを惹起する ことなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる 日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こう に見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ 赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ 小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので 十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような 晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。 ・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げない というか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。 年寄りではなく、中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。歳を経たが ゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫ ▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。 また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。 それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに 早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。 とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。 それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
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| 5561,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜③ |
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2016年06月06日(月)
「基底欠損」を、ネット検索すると ≪ ■概要 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。 基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような 何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、 世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、 世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、 この基底欠損がみられる。≫ とあった。 ―― 名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、 恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、 山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、 『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、 山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」 と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。 ・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で 人から影響を受けない性質」 ・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな 『ザ・日本女性』」 ・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」 マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。 ▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り 乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人 の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、 優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、 基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。
・・・・・・ 5196,閑話小題 〜ギリシャが? 2015年06月06日(土) * ギリシャがユーロから離脱? ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、 かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、 欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは 財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。 ーネット検索で、最新レポートをみつけたー ≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、 ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに 賭ける人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国が それに妥協しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になる。 2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの 当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を 示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの 国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築 すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。 今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。 財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収 もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民 には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。 年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、 医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように 考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、 それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の 縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。 ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、 IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、 16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、 スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」 伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た (不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い 数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫ ▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を 映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会 を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」 がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが 漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が 用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。 「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。 ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員 として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。 建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか 生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある! 〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。 ―――― 3359, ギリシャ問題の深層 2010年06月06日(日) 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融 恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に 入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の) 金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、 「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、 エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった (当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、 GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の 収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が 13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。 加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も 受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。 ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。 それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。 ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、 まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が 出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、 欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、 イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、 御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。 ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧 諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても! という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの 土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、 その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。 ・・・・・・ 4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9 2014年06月06日(金) * ドン底の気分の最中、父親が末期癌に! 金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から 電話が入る。「父が検査で悪性の胃ガンが発見、緊急手術のため東京女子医大 に入院することになった。手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり 厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。父あればこその自分。20歳辺りから、 ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの育成プログラムの 一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の 事業の力関係は根本から崩れる。父親も、万一のことを考えて、実兄と私のため、 主だった財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。 父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功する ことを祈るしかなかった。そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって 見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って私を屋上に連れ出すが、躊躇をして 何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。後で知ったが、 多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、 父親が退院、私も、父の指示で、実家に戻ることになる。 色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの 日々の中、面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い 居酒屋と面白いスナックを見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。 これで大いに助かったが・・ 何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、 適当に漂っているのが好き。幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを 過ぎた変容を多く見ているため、今は綺麗だが、その後の・・ それなら、 浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。 しかし金沢も、あの辺りが限界。 彼氏持ちの同僚が、急に誘ってる?と、 その2ヶ月後、結婚で辞めていった。最近になって、それがマリンブルーの なせる業というのが解ったが、当時は、女は恐ろしい!と、思っていた。 女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワするしかなかった。 一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、 良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、 歴史の深さが全く違う!それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。 派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには親切だが、地元には、その承認を 得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、似ているが、 より厳しい。そして、急遽実家に!父親の余命一年の事態と、私のUターンで、 静かな小さな池が大きく揺れることになる。どこにもある御家騒動の始まり。 争いの種は、それぞれの立場にとっての理不尽が、怒りと争いの発端になる。 ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。 その前年も、同じ偶然があった。 ・・・・・・ 4464,余命半年 −2 2013年06月06日(木) 「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、 それを、自分で気づいてないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」 である。死も時節がある。 ただ悄然と消えていきたいもの。ーその辺りからー ≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は 生物であり、だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」 「殖やすように」そして「死ぬように」命じているという考えである。 生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。遺伝子は自らが 生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに 優れた遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配して もらわねばならない。だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は 交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続するように「なっている」のである。 要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、結果として「その種の 繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」である。 遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるよう にすることが遺伝子の欲求であり、それが本能に刷り込まれている。だから皆、 相手を求め、おまけとして快楽が付いて来る交配を行い、危険を冒して子供を 産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。 それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」 ためなのである。 この考えによると、死が到来するのも理解できる。 まず交配が行われて新しい個体ができれば、親の遺伝子は子に受け継がれる。 しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の組み合わせに よってより優秀な個体が生まれているかもしれない。そうすれば少なくとも 「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。 つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、 長い時間を生きずに死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えて しまった以上、もう他に大きな役割はないのである。次に、もし「死」が訪れ なければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。 そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫ ▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、 諦めきれないのが知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の 衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、独り夜半に目が覚めて、 その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と 悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。 ・・・・・・ 4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10 2012年6月6日(水) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著) * 老いを受け入れる 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、 未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した感情として被害者 意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、 異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。それは「尊厳を保った肯定的老人」 とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた 団塊世代を浦島とみるとよい。 ≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。 竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。 家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を 竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。 太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。 さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。 故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、 今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。 エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、 それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、 賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。 ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに 孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキーな ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか 心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに 我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々 にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。 生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって 我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、 玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫ ▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、 何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は 亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。 あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた 時空での行蔵、煙は時間?だろうか。
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| 5560,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜② |
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2016年06月05日(日)
* 強烈なミヤコ蝶々の母役 <山田洋次:名越康文 対談>より なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。 ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である 関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、 産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情 を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、 多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ 愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦の 最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。 ≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。 名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと 言われてしまう(笑)。 山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」 と言っていました。 名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫ ▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、 数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、 生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度 も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを 要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の 軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが 自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。 〜で、また偶然だが、以下につづく!
・・・・・・ 5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか 2015年06月05日(金) * 哲学という気晴らし 〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。 20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に 本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、 禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、 この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。 これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91) ≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。 その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと 転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、 視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から 文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。 法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや 否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。 哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、 だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、 それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、 俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を 横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、 自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学 へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。 それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。 とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、 滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で 「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を 寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学 を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」 と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎 のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を 期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」 と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた 話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に 見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、 それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、 こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」 という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて こない。≫ ▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、 いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空 ・・・・・・ 4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8 2014年06月05日(木) * 「語り直し」を始めて驚いたことは 3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。 ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。 嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。 むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、 味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いものである。生きてきた 課程で、日々、世界が変化している。そして自分自身も、大きく変化している。 特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、 最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは抽象画のような 記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、 同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、 金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。 同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から 下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの 家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの 若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落着く。 それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみに なっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を 師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。 「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」 と答えると、「どっちの娘がいいの?」と! 結婚相手など微塵だに考えて なかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。 考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつき レベルでは、多くの思い出はある。一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中に こそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。人生は多くの 出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かに エネルギーが入っていたことになる。結果が、どうであれ、野心を持って、 ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。 今だから言えるが、面白い日々だった。 ・・・・・・ 4463, 余命半年 −1 2013年06月05日(水) 「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。 「あと余命半年」と悟った時に何をするか?その時には、苦悩と苦痛が頭を 占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」 と言えるよう、普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。 それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の余命を宣言 されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死 の数倍の確率というのが現実である。その瞬間から悟りすまして生きるなど、 無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、平静に保つしかない。 ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある) ≪「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうする だろうか? とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。 あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外に旅行に出かけるだろうか。 いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまう。 半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、 その半年の間にやるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を 向かえることが出来る自信はあるだろうか? ・・まさに人の数だけ物語があり、 バッドエンドもハッピーエンドもある。ある時から、私は何がこの二つを 分けるか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に 色濃い闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から 老いることを、病気になる前から病気になることを、死ぬ前から死ぬことを 考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて 生きようと、そう思った人間にはそれ相応の最期が約束されるということが わかった。老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、 ものすごく精神力を使い、大変な作業である。ともすれば抑うつ的になって しまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、 最期ばかりか、明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・ ≫ ▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、そう遠くない先に直面する。 その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、 健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、 段階をおってるから、シビアで引き込まれる。緩和医療のお医者さんもあり、 著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨。 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言える ための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。 ・・・・・・ 4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9 2012年6月5日(火) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著) * 役割としての「年寄り」 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。 村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。 ≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰 間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、 老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験 や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が 持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。 長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。 「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、 それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵 した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の 最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの 万人の敬意とかが、その場を収めるのである。 ・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが 散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者 に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、 老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。 年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、 年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。 その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に 「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識 してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える 意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。 どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、 家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫ ▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という 著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・ どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、 目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。 彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな 年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
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| 5559,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜① |
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2016年06月04日(土)
最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、 以前は、再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。 TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。 特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が 始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、 家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。 * 寅は「基底欠損」 <山田洋次:名越康文 対談>より ≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。 名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。 「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。 山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫ ▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、 ことあるごとに聞いていた。 3人の子供を残して逝った父親の後添えに、 祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、 3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを 知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その 子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。 両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。 〜つづく
・・・・・・ 5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島 2015年06月04日(木) * 「南海トラフ巨大地震」について、 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島の西之島近くで 海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に 噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか? 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊 『地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の 可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜 ≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。 現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震は 869年 貞観地震(三陸沖)M8.4 大津波 878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型 887年 仁和南海地震(南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。 これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は 東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・ 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の 共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる 可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学 的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば 「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。 南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。 さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、 地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。 事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。 南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁 大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融 危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題 は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、 今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ 火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に 対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を 得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著 『地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と 仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫ また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。 ≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か? 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、 変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き 起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、 富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても 不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9 という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発 する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが, その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた 「貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な 変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、 日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫ ▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、 5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて のことだ。桜島、阿蘇山、箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている 日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に! 5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と! ・・・・・・ 4829,「事業人生を決心して45年」の語り直しー7 2014年06月04日(水) * 出口王仁三郎の虎穴問答 ここで大きな問題を起こしてしまった。ナンバーツだった取締役人事部長と 社長と対立の真中に立たされた。新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、 自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後に なって気づいたこと。 何度か会を重ねている内に、「県知事でも招待するか」 という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。 その辺から配送センター所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、 明らかに社長直の、会潰しが始まった。組合の温床になる恐れと、明らかに 部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので 途中で、今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止る動きが出てきた。 私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、預かりの中途半端な立場で、 非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。 その中で、何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事 招待の献金の相場が当時の100万(現在では7〜8百)など、私に知る由がない。 それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、 一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。 後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、囚人が一晩中、号泣するのが恒例 という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。 その頃、近くの書店で手にしたのが、大本教の出口王仁三郎の特集の雑誌。 そこに、大本教の弾劾裁判での、王仁三郎の「虎穴問答」があった。 あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧、裁判にかけられた 王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。虎穴に落ちてしまった人が、 助かるために、どうすればよいか? を裁判長に問いかけをする。ーネットからー 《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答 ・王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。 裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」 ・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」 ・王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。 刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへると殺しにくる。 どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。 それは食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたら あとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。 ・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。 王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。 そして、この問答が 事件の一大転機をもたらした。》 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から 多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば純粋、悪くいえば無知蒙昧。 が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。 「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること! 三年前も、最後の最後に、 『自分から喰われてしまえ!』という内語が、後押しをした。「逆境には根を、 順境には枝をはれ」というが、逆境こそ力が蓄える!・・傷だらけの上だが。 ・・・・・・ 4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4 2013年06月04日(火) 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著 * 第3章 仮説は一八○度くつがえる 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。 絶対安全は仮説でしかなかったのである。その事実の前で社会は直ぐに手の平を 返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で 呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ること を父と自分の経験から学んでいたので、幾かのシェルターを組み込んでいたので 何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。 全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いか。ーその辺りを抜粋ー ≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、 ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、実にさまざまな種類が あります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。 この章では、そういった仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・ 「医学界の負の遺産、ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)という ポルトガルの医者が、1949年度のノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、 ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。 (この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。) ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。 モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。そのきっかけは、 1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトン という人が、「チンパンジーにロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」 という報告を行ったのだが、それを聞いていたモニスがロボトミー手術を 精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をした。 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは 「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といっていきなり数十人の 手術をした。当時は、たとえば統合失調症や躁うつ病に対し、効果的な治療法 がなかったから」という。1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の 進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。結果的には、ロボトミー手術と いうのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまった。 1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫ ▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。 イラク戦争のフセインの科学兵器疑惑に、CIAの間違った調査でイラクに 攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。 人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、 すべての人に言えるから、諦めがつくが、それにしても、である。 逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか? という仮説も立つ。考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、 ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる! ・・・・・・ 4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8 2012年6月4日(4月) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) * 老いと鬱屈 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線 に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、そこには 難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ない で死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を 体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。老化は、否が応でも 毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら 群れてはならない。 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。 ≪ 老いは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」 人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり 面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなこと への免疫を獲得していく過程ではないのか。難儀なことを解決するのか、避けるか、 無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく次第に うろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないか とわたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。 嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや 苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい 事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性は できないものらしい。 だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が 見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどん グロテスクになっていき、鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなり つつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには 事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに 置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫ ▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺 するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則 である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、 その毒は体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、 体内の毒は、ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため 面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染む。 そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと 初めから割り切って孤立していた方が良い?
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2016年06月03日(金)
* サプリメント効果 ・サントリーのサプリメント、『ノコギリヤシ』。5千円のものが、一万人 無料という広告文につられてネット注文をし、飲みはじめてから一ヶ月。 効果は2〜3週間後に出るという文面どうりに、効果が出てきた。これまで、 夜半に8割かたはトイレに起きていたのが、今では三日に一度に減っている。 それに、肌に水気が増えて滑々してきた。 他に、サントリーの別広告で、 『セサミンEX』の格安広告を見て注文し、先のものと共に飲んでいる。 ・10年前には様様なサプリメントを飲んでいたが、今では、冬季の生姜湯と、 飲むヨーグルトと、水分補給用のビタミンC入り飲料だけ。 ところが、 年々、体力の衰えを感じてきたこともあって、再チャレンジすることにした。 ・これを飲み始めて、身体の方が、待ってましたという感覚。還暦から10年、 明らかに足腰の衰えが顕著。これだけの即効からして、無料提供をするわけだ。 50年来の腰痛と、パソコンの前に一日4時間も座っているためか、前屈みの姿勢 になりがちだが、姿勢も少し良くなったようだ。問題は価格。そこで、格安の ノコギリヤシのサプリメントがないかとネット検索をすると、あるある。 老いた老いたと身体の不調を愚痴るより、対策を探した方が良い。それより、 節酒が先決だが! 持病の腰痛、栄養バランスの悪さも要因だったのかも。 「老いたら子に従え」でなく、「老いたら、サプリメントバランスに従え」か。
・・・・・・ 5193,半隠遁五箇条 2015年06月03日(水) 『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 * 半隠遁五箇条 ≪ 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。 俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、 妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、五十歳を潮時に ‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。 1.「清貧の思想」にあらず 2. 趣味を追求するなかれ 3.不快を避ける 4.無理しても快適を得る 5.金に執着しない、 とした。 ・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』 ・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』 ≫ ▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、 似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 現状というより、目標を書くとすると、 <隠遁生活五箇状> 1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める 2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 �、「闇」―蛍と星とダークマターをみつめ �、「独」―独りでいること �、「閑」―逆茂木に囲まれて �、「怠」―怠け猿のように �、「懶」―心に余白を持つ 〜を意識して、世界に浸かる 3、その中でも、新しい知識、感動、感謝を貪欲に求め続ける 4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう 5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が 面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。 それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、 デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし! ・・・・・・ 4828,「事業人生を決心して45年」の語り直しー6 2014年06月03日(火) 金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから 始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、 円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり 何かの質問をする。逆質問は一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。 曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。 ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、 グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 ーそれについて以前書いた内容が以下である。 ー 359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー 【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。 初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。 研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。 センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初の 頃は感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に 問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時 大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、 繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さ を互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。 その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、 はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく 過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的 とする。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を 見る。ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で 一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。この訓練を通して、 自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、 自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、 初心を持ちそれを大事にする事である。 】 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に、会社は強くあらねば! ということを。人生に無駄なことなど何もない。 * ST訓練とは? ーネットで検索ー 《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し 行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では 「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。 すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。 つまり「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。 従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した 行動を柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙い。 一般的な効果としては次のような点があげられます。 (1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。 (2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。 (3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。 (4) リーダーシップを体験的に学びます。 (5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》 実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。 ・・・・・・ 4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3 2013年06月03日(月) 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著 * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」 という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、 それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した 思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が なくなる。 ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー ≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた 仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある 仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。 われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈 するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な 世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、 「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の 良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ 曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に 触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、 あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。 たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や 共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫ ▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、 その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の 崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。 それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが 崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、 身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。 舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、 万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的 にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。 現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が 見えているから。それも私の仮説でしかない。 ・・・・・・ 4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7 2012年6月3日(日) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著) * 中年と老年の境目 「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、 サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして 50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を 整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 ことがことだっただけ、ハッキリしている。 ≪ 【人生の総決算】 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に 囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった 性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ 象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。 少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に 根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。 もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。 暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で 自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に 居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。 それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に 歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような 時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、 むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを 振ることを強いられるということではないのか。 ≫ ▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの 「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。 私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。 肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって 半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい! ・・・・・・ 3721, ジャズについて −13 2011年06月03日(金) * 現代ジャズの新しい動きは? ー「音楽の本」三枝成彰著より ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた 【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたった ジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム「ピッチェズ・ブリュー」 が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。 その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類も できた。フュージョンとは、一言でいえば、ジャズのロック化を進めたもので、 ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽。 だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、 のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す勢いを失ったといっていいだろう。 なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自 すべき点もある。ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の 動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。 レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうが ラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を気持ちよく踊らせることがで きるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」 だったことを思い起こせぱ、これは面白い現象といえるのではないだろうか。 もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、 ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰して いるジャズマンもいる。その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける 音楽といえるだろう。 】 ▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、 誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと呼ばれるようになった。 黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合 して出来たもの。そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。 アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。 それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。 それが、そのままフュージョンとなったといえる。 ・・・・・・・ 3356, 風の画家・中島潔 2010年06月03日(木) 「風の画家・中島潔“いのち”を描く」 ーNHKのHPよりー 〜NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜) 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで 親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、源氏物語や詩人・金子みすゞ の世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。 その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。 京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。日本画の伝統とは無縁の画家が、 1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。中島は、ここで、 終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、何度も描いて きた金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年を かけてひたすら描き続けたイワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。 「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。 ▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔の清水寺の成就院の46枚の 襖絵をみて、息を飲んだ。日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と 溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔の言葉の一言 一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。 その絵の暖かい風を感じていた。本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」 と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは,母に 対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。それにしても 生命感の溢れた絵である。清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに 恐れ入る。中島潔が「金子みすず」の詩を幾か絵にしていることを初めて知った。 金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 この人の画集は、多くは出版されてないようだ。
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2016年06月02日(木)
アメリカの人口が、32000万人のうち、6500万人が『低所得者向け食料費補助』 を受けているというから、2割が受けていることになる。しかし、日本の 「相対的貧困率」は16%、別に驚くことではない。日本には生活保護がある。 貧富の格差の問題で、まず考えるは、自分の子供に期待するのが、第一歩になる。 韓国、中国では、将来の夢を子供に託して、お受験が激化している。日本では、 一時期、「ゆとり教育」を採りいれてしまった団塊世代の子供たちの弊害問題。 それが、そのまま、格差として表立ってきている。 * 後半の16〜30 から 『アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ』(2014/3/データ) ≪16. 一人当たりの平均資産では世界4位に入るアメリカも、中央値はランク外。 17. アメリカの5人に1人の子供が貧困線(1人当たり、1日1.25ドル) 以下の生活を送る。6人に1人の老人が貧困線以下の生活を送る。 18.アメリカの子供の貧困率は世界で2番目。日本は9番目に高い。 19.アメリカは先進国の中で最も相対的貧困率が高いが、日本も高いグループ。 (相対的貧困とは「ある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の 全人口に占める比率」であり、この率が高いほど格差のある社会といえる。 20. 2012年、1か月以内にフードスタンプ(低所得者向けの食料費補助) を受給したアメリカ人は6500万人に上った 21.アメリカの子どものホームレスは約120万人。半分を6歳以下が占める 22. 食事を無償で提供する場所に通うアメリカ人は2006年より46%増加した 23. 上位1%の富裕層が、世界資産の38%を保有している 24. 世界の80%の人は所得格差が拡大している国に住んでいる 25. 先の金融危機の1年後、上位25社のヘッジファンドは総250億ドルの収益を得た 26. ビル・ゲイツが持つ資産は500億ドル。これは世界140国の年間GDPより多い 27. アフリカ大陸の国の資産をすべて合わせても世界の総資産のうち1% 28. アメリカで上位0.01%は平均所得2734万ドル。一方下位90%は平均3.12万ドル 29. アメリカ下院議員で100万ドル以上の資産所持者は58%。 なお、100万ドル以上の資産保持者はアメリカ全体のうち1%にすぎない 30. 上位5%富裕層が、アメリカのすべての消費のうち37%を行っている ―――― ▼ 義務教育の中学時の日本全体がまだ豊かさから、ほど遠いものがあった。 当時の顔ぶれを成績順に見ると、家庭環境、とりわけ親レベルが、そのまま、 人生にうつし出されている。還暦、古希の会の出席者の現状からみて、そのまま、 拡大した人生を過ごしていたようだ。それぞれの家庭環境のアドバンテージの 格差が、そのまま比例して人生に影響している。欠席者には、人生に恵まれない? 人か、既に亡くなっていた人が多い。フランス革命の理念、『自由、平等、博愛』 は、その真逆の現実があるから、理想として掲げたもの。貧富の面からみても、 人生は不条理である。〜これも偶然だが、2年まえの同月同日の以下に続く〜 ・・・・・・ 4827,金持ちとは、10億以上の純資産を持つ人 2014年06月02日(月) * お金持ちの定義とは! お金の話題は、何か知らねど面白い!猛獣使いと同じで、危険な野獣を飼い 慣らしている内はよいが、一つ間違えれば喰い殺されてしまう。 金から自由になるには、自由になりたい分、確保しておく必要がある。 ーこの随想日記内検索と、ネット上から「お金持ち」について調べるとー < ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを 送る人4人、まだ働く人は5人しか居ない。あとの56人は政府か家族の援助を 必要とし、残りの34人は亡くなったそうだ。よく「引退すれば、生活費が減る。 だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違い。 なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。多くの保険機関は 高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持って いれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きる。> <金を気にしないで済む生活こそ豊かさ。で、金を気にしないで済む生活は、 幾らか。 そう考えると、人様々である。平均すると、家一軒があって、 蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万?ところで直接、両親の 生き方をみて、合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うこと。 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。> (随想日記内) <【富裕層の定義】ここでは、船井総研の小林氏が独自の方法で算出した 5億〜10億以上の金融資産を持つと推定できる3万4879人を「超富裕層」、 1億〜5億未満の金融資産を持つ166万1844人を「プチ富裕層」と定義する。 小林氏によれば、金融資産を1億円以上保有する個人は全国に169万6723人。 医師や税理士などのほか、大企業の役員・従業員、さらには公務員でも それくらいの金融資産を持つ人は少なくないと。たしかに、民間の給与所得は 1997年をピークに漸減傾向。しかし「給与の高い会社員同士の共稼ぎ家庭では、 当人たちも気がつかないうちに1億円以上の金融資産を持っているという ことはよくある」(小林氏)。実はさほど珍しくないお金持ちがこの層なのだ。 わかりやすくするために、「プチ富裕層」と呼ぶ。一方、雲の上の存在とも いえる本当のお金持ちは、それに比べればぐっと少なくなる。こちらは 「超富裕層」と表現しよう。小林氏は、金融資産1億円超の約170万人のなか から、職業や住居の特性、そして「馬主である」「高級外車を保有している」 などの属性を独自にポイント化し、合計してある点数以上に達した人を 超富裕層と定義づけた。「この方々はおおむね、金融資産を5億から10億円 以上保有していると思われます」(小林氏)> ▼ 日本のミニオンダラー(1億以上の現金)が170万人。 一家族×2・3人で、390万人として、3%。 ビリオンダラー(10億以上)が、 3万人×2・3人=7万人として、2000世帯に一軒になる。一般的に小金持ちは、 地方で金持ちの部類だが、全国レベルでは金持ちに入らない。しかし彼らは、 自分が金持ちと誤解しているのが、田舎者ということ。 私見では、 「不動産を時価評価の四割にし、借入を差引いた金額に現金など流動資産を プラスした総額が一億」か、「自由に使える流動資産が一億円以上」か、 のどちらかが小金持ちになるが、俗にいう『金持ち』には入らない。 この一桁上のビリオンダラー(一千万ドル以上)が、俗にいう金持ライン。 これは国内外、同じ。 バブル期の一時期に、そのライン上に入ったことが あった?が、今では、家内が小金持ち、私は居候の小間使。「金持ち」も、 相対的な言葉。今ではラーメン屋でチャーシューにすると、家内に 「ワッ、金持ち!」と、曰われる。 <最後のオチの言葉。味付けで、書いているのであって、 殆ど創作? 念のため!> でも、実態は、こんなものか? 5192,ロシアの小話 ぷらす4つ 2015年06月02日(火) * ロシアンジョーク ロシア帝国やソ連の圧制の中で、したたかな市民はジョークで、憂さを 晴らしていた。だから、内容は強烈な毒が含まれている。話す方も、聞く方も 命がけ。ジョークは、その内に秘められている毒が理解できればこそ笑いになる。
・ワルシャワの精神病院をソ連の視察団が訪れ、一人の患者に入院理由を尋ねた。 「亡命しようとしたからさ」 視察団は首を捻った。 「我が国なら政治犯収容所に入れるところだが?」 医者が答えた。 「いや、こいつはソ連に亡命しようとしたんです」
・工場の財産を労働者たちがくすねるのを防ぐため、門で守衛が見張っている。 その守衛が、手押し車に袋を乗せて通り過ぎようとするイワンに目を付けた。 「袋の中はなんだ? イワン」 「おがくずでさ。家でたき付けにするのを監督さんが許可してくれたんだ」 しかし、守衛はイワンの言葉を信用しない。 「開けるんだ!」 袋の中味がぶちまけられるが、おがくずしか入っていない。 次の日も同じ場面が繰り返される。 「今度はだまされないぞ。開けろ!」 イワンは袋を開ける。やはり、おがくず 以外なにもない。三日目、四日目と、同じことが繰り返される。 七日目、 ついに守衛は根負けしてしまった。 「なあイワン、お前が何かくすねてるってことはわかってるんだ。だけど、 もうおれは検査しないよ。おれは見て見ぬふりをする。誰にも言わない。 だから、こっそり教えてくれ。何をくすねてるんだ?」・・ 「手押し車」
・ 監獄で三人の囚人が話していた。 「おれはサボタージュのかどで逮捕されたんだ。工場に五分遅刻したもんで」 「おれは反対に五分早く出勤したために逮捕されちまった。スパイ容疑で」 「おれなんか、時間きっかりに職場に着いたんで逮捕されたんだぞ。 西側の時計を持っているという容疑で」
・ 第二次世界大戦後。終戦直後で皆食べるものに困っていた時代。街中で、 ある若い女性が一人の盲人に話し掛けられた。白い封筒に入った手紙を封筒の 表面の宛名の住所まで届けて欲しいのだと言う。帰り道だったため、女性は 快く引き受けた。そのまま二人は別れたのだが、暫く行って女性は、盲人男性 が他に要るものがないかと振り向いた。すると盲人だと思っていた男が白い杖 を小脇に抱え、健常者の様に反対方向に走って行くのが見えた。おかしいと 思った女性は、近くにあった交番に駆け込み、事情を説明した。 警官達は宛名の住所に突入し、そこで食用に売られている、山と積まれた 人間の死体を発見した。封筒には便箋が一枚。そこにこう書かれていた。 「こいつが今日最後の獲物だ」 ▼ ユーモア、ジョークを楽しむには、あるレベルの教養とセンスが必要。 その隠された捻りを一瞬で理解できないと笑いが浮かばないため、話し手も、 一発芸の要素が必要になる。そこで相手を選ぶしかないが、それが皆無? <ところで、ロシアの小話を7年前に、取上げていたのを忘れていて、 分類のにアップの際に気づいた。幸い、重なる内容は一つも無いので、 テーマを「ロシアンジョーク」から「ロシアの小話+4つ」に変更した。 7年前も、時間がタップリあったということか!> ・・・・・・ 2008/03/18 2540, ロシアの小話、8つ 小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。 その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、ソ連の体制時の小話だろう。 ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。 そのギリギリの中で、ひねりを入れた小話を「アネクドート」といいうが、 ロシア人は食事時などに、普段人には言えない鬱憤をぶちまけるために 作られたブラックジョークだからこそ、毒があり捻りに味がある? その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を趣味と している私でも、含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・
・息子が服をボロボロにして帰宅しました。 「どうしたんだ、お前」 ―父親が厳しく問い詰めました。 「隣りの子と喧嘩した」 「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を 買わなければならないじゃないか。」 「だからどうなの。」 ―息子が自慢気に答える。 「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは 新しい子供を買うことになるだろうさ。」
・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、 子「お母さん、僕、外国人になりたい」
・地獄に落ちたブレジネフは数ある罰の内の一つを選べといわれる。 レーニンは針の山でもがき、スターリンは煮えたぎる熱湯の中で苦しんでいた。 ところがフルシチョフは何とマリリン・モンローと抱き合っているではないか。 フルシチョフと同じ罰を所望するブレジネフに地獄の番人は答えた。 「とんでもない。あれはマリリン・モンローが受けてる罰です」
・ソ連共産党が70年かかって出来なかったことを、 エリツィンが僅か三年でやり遂げた。それは何だろう? 答え:国民に社会主義お良さをわからせた」
・16歳の娘を母親が教えています。 「私を見習いなさい。私は今45歳で、結婚して20年になるけど、 ずっと一人の男性だけを愛しつづけてきたのよ。」 「ってことは、パパが知ったらスキャンダルになるわね。」
・「私の将来の夢はパパと同じように月10,000ドル稼ぐようになることなの。」 「ええ、あんたのお父さん月に10,000ドルも稼いでいるの?」 「ううん、パパも夢見ているの。」
・「ちょっと、ウェイター!先週の日曜日はあんたんところには 出来立てのビールがあったじゃないか!」 「信じてください、これはそれと同じものです。」
・素っ裸の女性がバーに入ってきてバーテンに言います。 「ウイスキーちょうだい。え、何よ、そんな変な目で見て。 裸の女を見たことがないの?」 バーテンが答えます、 「いやあ、どこからお金が出てくるのかと思って...。」
・・・・・・ 2008/03/20 2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) −2 ・交通事情 ☆ 東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、 パラシュート姿の機長が出てきた。 「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」 ☆ 新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。 すぐに来て下さい!」 「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。 いいですか? 人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」 「はい、その通り。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」 「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」. 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、「神様、私はなんて愚かなのでしょう! 彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、 茶でも飲んでいれば....。」 ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。 体を起こし、汚れを叩き落として、 「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。 「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴も こぼさずに命中させてやる。 これに50ドル 賭けよう。 ただし、 こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、小便をバーの中全体に 撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そして バーテンダーにまでひっかかった。 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに 笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。 すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドル を賭けたのさ。このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、 笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
・授業中、先生と、生徒の会話。 先生: 「A君、隣のB君を起しなさい。」 A君: 「どうして? A君を寝かしたのは、先生なのに。」
・ウォッカばかり飲んでる亭主と奥さんの会話 奥さん「もう我慢できないわ!私をとるのか、ウォッカをとるのか、 どちらかに決めて頂戴!」 亭主 「その場合のウォッカとは、何本のことだね?」 ...
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2016年06月01日(水)
今さらだが、世界経済を主導してきたアメリカが変である。その苛立ちが、 泡沫候補のトランプを、大統領選の共和党候補に祭上げる結果となった。 そこで、世界の、それもアメリカ社会、とりわけ貧困と格差の現状はどうか? と検索すると、<『アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ』 (2014/3/データ)が出てきた。TPPで、太平洋沿岸各国の経済的障壁が取り 除かれると、自動的に日本社会もアメリカと同じようになる。とりわけ地方 経済は、経済的に大きく破壊され、中南米並みの生活水準になっていく。 その中で、勝組は脱出していくため、国家として、ますます劣化する。 以下は近未来の日本の姿である。(まずは15を取り上げる) 〜『アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ』〜
1. 上位1%が持つ資産は、下位90%が持つ資産の総量よりも多い。 2. 上位1%の資産で全米の33.8%を占有、2〜10%は37.7%、 上位11〜50%は26.0%、下位50%は2.5% 3.上位10パーセントで所得は5割、資産は7割を占める (日本ではそれぞれ41%と34%) 4. 上位1%の富裕層がアメリカの40%以上の金融資産を持ち、 上位20%で90%以上を占める 5. 下位50%のアメリカ人の総資産が全米の総資産に占める割合は、2.5% 6. 上位1%の所得シェアは1980年では10.0%だったが、2008年には21%に増加。 これは1920年代と同レベル 7. 1979年から2007年で、アメリカの上位1%の平均所得は34.7万ドルから 130万ドルに上昇したが、中間層はわずかしか上がっていない 8. アメリカの2002年から2007年のインカム・ゲインの内およそ7割は、 上位1%層に入った。これは1920年代と同レベル 9. 世界人口の半分近い30億以上の人は、1日150円以下で生活している 10. 米国一流企業CEOの平均所得は、労働者の平均所得の343倍 11. 低所得職の比率はこの30年でじわじわ上昇、現在では41%が低賃金職 (1982年、中産階級職は職全体の52%を占めていたが、2010年には42%に低下。 一方で、82年には30%ほどだった貧困階級職は2010年には41%まで上昇。) 12. 1979年と比べ、高校中退者の週給は20%下がり、大卒者の週給は20%上がった 13. リーマンショックで、GDP比での労働者収入はこの50年間で最低のレベルに 14. アメリカ人の半分は年収300万円以下 15. 1993年と比べて、アメリカのGDP(国内総生産)は37%伸びたが、 一般世帯所得は5%しか伸びていない 【 各項目同士、矛盾する数値が含まれているが、深く詮索はしない 】 ―――― ▼ これからして、終戦直後に生まれ、右上がりだった私達世代は、稀な時代 に生きた幸運に感謝したい思いである。深刻なことは、右上り経済を維持しよう とする保守政権が、代々、赤字国債を出し続けて未来に膨大な借金を重ねている こと。最後は、国家財政破綻で、しわ寄せが若い人たちにくる。 上位1%対99%の格差の問題が、中流階級の消滅として日本にも現れ出る。 イスラム対欧米の対立の象徴がISのテロ。これも1%対99%の世界的戦いである。 少なくとも、ギリシャの社会構造の特権階級3%、市民階級30%、奴隷(貧困) 階級67%の比率は維持しないと。1%と99%じゃ、いくらなんでも! しかし、これが現実。それも、情報社会、そのまま露出する! わが家は、家内は1%、私は99%の住人? (´_`;)トホ (;へ:)
・・・・・・ 5191,閑話小題 〜チャーチルの名言 2015年06月01日(月) チャーチルといえば、議会でのジョークだが、多くの明言を残している。 * チャーチルの名言 ・ 凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時で、風に流されている時でない。 ・ 金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし勇気を失うとすべて失う。 ・ 好転する前には、悪化するという段階もあり得る。 ・ 悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。 楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。 ・ 私は楽観主義者だ。それ以外のものであることは、あまり役に立たない。 ・ 愉快なことを理解できない人間に、世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。 ・ 人生最大の教訓は、愚かな者たちでさえ時には正しいと知ることだ。 ・ 重要なポイントを突くときは、如才なくやろうとか巧妙にやろうとか 思ってはいけない。ポイントを一突きせよ。 ・ 事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と 構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。 ・ 先を見すぎてはいけない。運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。 ・ 不利は一方の側にだけあるものではない。 ・ 私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を 言われようと何ともない。害になるよりはむしろ益になるくらいだ。 ・ 復讐ほど高価で不毛なものはない。 ▼ 「運命の糸は一度に一本しかつかめない」は、合点がいく。運命的な機会は、 一ときしか現れない。つかむには、準備が必要である。危機も、突然、怒涛の ごとくやってくるため、十年、数十年かけた準備が必要になる。 迷ったら、 逃げ口を用意をして挑むことが人生の要諦だが、それが読めないのが人間である。 ・・・・・・ 4826,「事業人生を決心して45年」の語り直しー5 2014年06月01日(日) * 金沢百万石での経験 � 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、 実社会の経験不足はまだまだ。 それと建設期限まで二年間半の期間があった。 そこで、何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で 知られていた「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店。 入社して知ったのが、西友との資本提携。会社は大きく動揺していた真只中。 資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、 当時の社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。その上に、 入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がりに 落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先 への新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒。 2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、 世のサラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、 よく言ったもの。何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。 三年前の決断は、こういう経験があればこそ出来たこと。前向きで自ら 崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの踏んばりは、避けるべき!という 体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の対立などあり、疑心暗鬼の ルツボ。当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない 震災クラスの事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパー の進出。私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと 提携し、北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされた。 � 金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえない ミニ京都風の味わいがある。特に、目を見張るような加賀美人が多く、表向き は男社会。いっけん厳しそうな男女間は、大らか。私の出身地の長岡藩では、 幕末の「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。 しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、 何ともいえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した 会社内の空気から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。 しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。 � 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、 子供服売場へと配置された。 ジャスコも含めて、多くの売場配転から 学んだことは、業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。 それを業態別の再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の 販売も、商品の一つでしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、 親しくさせて貰った取締役部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、 その後の事業立ち上げの教訓になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の 生活も、入社の一年4ヶ月後に、突然、家からの一本の電話が入った。 ーつづく ・・・・・・ 4459, 99・9%は仮説、ですか〜 ー1 2013年06月01日(土) 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著 今さらだが、全て夢幻、思いこみでしかない。現に、事業を色いろ立ち上げ、 40年近く経営。そして三羽の黒鳥の到来で、この結末。思い込みを実行し、 初めは上手くいったが、途中から、「思いの判断」が、「思い込みの判断」 に変化、当然ながら幕切れがあっ気なかった。しかも、その幕切れも、思って いたのと実際は違っていた。万一の備えを整えてあったこともあり、何とか 乗り越えた?が。創業と準備の苦しみからみれば、数分の一としか思えなかった。 一つ間違えれば自殺に追い込まれるイベントだが、腹を括り手順さえ踏めば全て は奪わないし、傍で見ていたほどではない。考えてみれば‘99・9%が仮説’も 仮説である。世の中、すべて仮説の上に成り立っていると割り切った方が面白い。 ーアマゾンの内容紹介ー 「最近どうも頭が固くなってきたなぁ」そんなあなたにつける薬は“科学”。 文系理系を問わず、科学のホントの基本を知るだけで、たったそれだけで、 あなたの頭はグニャグニャに柔らかくなるかもしれないのです。科学の基本… それは、「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」ということです。思いこみ、常識、 前例、先入観、固定観念…… そういったものにしばられ身動きがとれなく なっている人っていますよね? 「なんでこんな簡単な話が通じないんだ!」 ってイライラしますよね?そんなときは、この本を読んでみてください。 きっと、ものの考え方から世界の見え方まで、すべてがガラリと音を立てて 変わるはずですから。 プロローグ 飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない 第1章 世界は仮説でできている 第2章 自分のなかの仮説に気づく 第3章 仮説は180度くつがえる 第4章 仮説と真理は切ない関係 第5章 「大仮説」はありえる世界 第6章 仮説をはずして考える 第7章 相対的にものごとをみる 第8章 すべては仮説にはじまり,仮説に終る ▼ 科学ですべてが解明されていると思われていることも、突き詰めていくと、 実は何もわかっていないことが多い。試行錯誤と経験によって 「うまくいくこと」と、その科学的根拠が完璧にわかっていることとは別だ、 と指摘している。アベノミクスも、安部首相が方針を示したのが、今現在、 市場が思惑通りの反応を一時的にしただけ。そうこう考えると、全てのシステム も「取り敢えずの認識」に基づいての存在であり、決して安定的・決定的・ 絶対的な存在ではない。仮説が証明されのが定理。しかし、それさえも殆ど 怪しい。まして、常識とかいうやつのいい加減さ。ここで書いていること自体、 ほぼ仮説か、仮説の紹介。ただ、面白いから、暇つぶしと割り切っているから 続いている。考える大部分は仮説を立て、その証明を探している過程。 これで世人が動いていると思えば、深刻になることはない。 ・・・・・・ 4085, 閑話小題 2012年6月1日(金) * つれづれに ー地方都市の街中の空気 今日から6月に入った。 何とか世界恐慌になってないが、再び火種が チラホラしてきた。何時もの話題になるがギリシャ再選挙が、どうなるか? それとスペインとイタリアの危機も再燃してきた。4年前には北京オリンピック 終了後に、リーマンショックが起こった。今度はロンドンオリンピックと、 米・韓の大統領選挙待ちになる?のか、早くなるのか。リーマンショックの 次が欧州ということ。今度の大津波は、かなり激しくなるはず。それが中国と アメリカに連鎖し、日本にも当然、大きなクラッシュがやってくる。 絵空事でなく、現実問題だから恐ろしい。何処かから「危ない危ないというが、 何にも起きないじゃないか!」と聞こえてきそうだが。実際には彼方此方で 現象で出ているが表に出ないだけ。それだけ、深刻。今年度で「中小企業金融 円滑化法」の延期は終わり、来年度はないのは決定済み。そのため、銀行が 急激に融資先の選別を始めた影響が出始めてきたとか。自宅敷地内の貸家が 去年の10月から空き家になったが、殆んど引き合いがない。昨日、不動産屋 に行ったところ、去年の暮れから、まともな?借り手が消滅。たまに来るのは アジア系外国人と、生活保護の受給者の転居希望者だけ、とか。 週間現代の今週号で、「ギリシャ発世界恐慌特集の発火一歩手前の各国の 相関図」を分かりやすく書き出していた。こういう暗い世相を話題を、斜に 構えて敢えてするのは私自身が既に前ぶれの波を直撃を受けたためである。。 この世相の中で明る話題も見つけにくいことも事実である。しかし、これだけ 心が安定し、穏やかな日々も、あまり記憶がない。新潟でホテルを立ち上げ、 5年ほどして一息ついた時以来である。 こういう時は、何か不意をつかれた 危ない出来事が忍び込むから、気をつけないと・・ この状況下、弱り目に、 祟り目で一番打撃を受けるのが日本である。しかし一般的に、のんびりしたもの。 ・・・・・・ 3719, ジャズについて −11 2011年06月01日(水) * アート・ブレーキー −何故あの時にドラム奏者に注目が? ー「音楽の本」三枝成彰著 より 【ハード・バップ時代は、パワフルな演奏を支えたパートとして、 ドラム奏者に注目が集まった時代でもある。ジャズ・メッセンジャーズを 率いたアート・ブレイキー(一九一九〜一九九〇)はその代表である。まさに 雪崩を打つような連打。徐々に音が大きくなって、最後は怒濤のようにはじける 彼のドラムは、いやが上にもバンドの演奏をホットにうねらせた。 『モーニン』(五八年)のヒットで一世を風靡したほか、バンドからは多くの 有望な新人を輩出したことでも知られる。そしてもう一人、マックス・ローチ (一九二四〜)も忘れられない。四〇年代にはパーカーやマイルスと共演。 その後は、トランペット奏者クリフォード・ブラウンらとクインテットを結成し、 数々の名演奏を残している。もちろん、このハード・パップ時代には、 他の楽器演奏者にも多くの逸材を出した。名前だけをあげておこう。 ・トランペットはリー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス。 ・サックスではキャノンボール・アダレイ、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ ショーター、ブランフォード・マルサリス。 ・ピアニストでは、ホレス・シルヴァー、レッド・ガーランド、 レイ・ブライアント、フィニアス・ニューボーン、ソニー・クラーク、 ボビー・ティモンズ、ウィントン・ケリー。 ジャズファンならずとも、名前を耳にする面々が含まれているだろう。それだけ、 ハードパップ時代はジャズがもっともジャズらしく光り輝いた時代であった。】 ▼ 知った上で聴くのと、何となく聴いているのとでは、大きな差がある。 ジャズはアメリカが世界の中心になる、まさに右上がりの世相の中で、底辺の 黒人や、黒人と白人のハーフの人たちの間から、酒場の演奏の即興として生まれた。 それも、時代の動きに合わせて変化をしてきた歴史がある。それらを考えると、 私のような俄かファンがシタリ顔で分かったようなことは言えない。 年内はパソコンとiPodに入っている曲を可能な限り聴いて、それぞれの アルバムや曲が、どの時代の流れを含んでいるのか知りたい。 ・・・・・・・ 3354, 高校生でもわかる日本経済のすごさ ー2 2010年06月01日(火) 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著) ーp22 に、国民の家計を例にして、その辺を分かりやすく書いてある!ー 話に現実感を持たせるため、現在の日本の状況を、ある一家に讐えてみましょう。 世界一のお金持ちの家庭(日本国家)では、旦那さん(日本政府)が974兆円もの大金 を借りています。しかし、別に外部の金融機関などから借りているわけではなく 奥様(家計)から借りているのです。しかも、旦那さんはちゃっかり467兆円もの お金を、へそくりとして蓄えています。この家の奥様は、個人としては世界最大 の金持ちで、純資産額が1058兆円にも達しています。 結果、この家庭は 「家族としての純資産額が243兆円もの規模に及び、この金額は家庭の純資産と しては世界最大となっているのです。家の中で、最大の稼ぎ手である長男 (非金融法人企業)が最近、今一お金を稼いでこないため(法人税が減少している)、 仕方なく旦那は自ら一家の支出を工面している。とは言え、実際には奥様から お金を借りて、やりくりしているだけなのですが。しかも、その支出は基本的 には旦那さんの家族のために使っている(定額給付金や公共事業など)のです。 家族みんなが旦那さんからお金を受け取り、それを税金といった形式で再び 旦那さんに渡したり、またまた国債という形で貸し付けたり・・ と、 家庭内で、お金のキャッチボールを延々と繰り返している仕組みなのです。 家庭内で様々な形でお金の受け渡しを繰り返してはいるものの、家としては 世界一のお金持ち。これが現実の日本の姿なのです。 ▼ 何度か、この例え話は聞いたことがあるが、「スナックに金持ちが入って きたとして、それでスナックが豊かになることはない」とか、「大借金を 持った人がいたところで、スナックの借財が増える訳でない」というのもわかる。 要は国民が金とか現物の投資、外国の国債や株に逃げないことが前提である。 飽きれた子供や奥さんが何時の間にか預金を下ろして、他に移動する可能性 がある。この家は、他に二百数十兆の預金が外国にあるという。 但し、この家の親父は暴力団に脅されて500兆ほど大事そうな借用書と交換に 貸し付けているという。普通の家庭の」平均総資産が3500万あるが、借金は 半分ほどある。それを、どう見るかである。ただし、預金も、ある日(二年後) 価値が半減する可能性がある。「氾濫する川辺の家の家族」かい。
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2016年05月31日(火)
* シネマ、『ルーム』 http://gaga.ne.jp/room/ 先週、観てきたシネマの『ルーム』。ネットの評価は高い。内容はスリラー の恐怖ものでもなし、地味だが、考えさせられる内容だった。17歳で誘拐され 7年になる若い母親。監禁されていた納戸から、誘拐犯のタネの5歳の子供を 脱出させた結果、解放される。それまで、子供は、部屋以外の世界はTVと天窓 の光しか知らない。 映画の後半は、新しい世界を次々と知っていく子供の姿と、 犠牲になった母親の人生に対する葛藤が物語として続く。子供は、母親と二人で 過ごした納戸が懐かしなり訪ねるが、子供は、その狭さを改めて知る。 外を知らないのも人生だが。子供にとって、誘拐犯の父親に対しての思いは、 まさに、<母と子供にとって「その父の存在自体が悪」になる。評価、85点。 〜ネット上の映画解説〜 ≪・映画「ルーム」が描く、ブリー・ラーソン演じる若い母親ジョイと5歳の 息子の物語は、設定だけを聞けば随分エキセントリックに思えるかも知れない。 ある日突然誘拐され、7年間監禁され続けた悲劇の女性ジョイ。そして監禁部屋 で生まれ、外の世界を知らないまま5歳になったジャック。そんな母子がついに 解放されるのだが、目の前にあらわれた現実の世界は2人を困惑させてしまう…。 ・年にわたる拉致監禁、誘拐犯との間に生まれた息子、命を懸けた脱出劇と世間 からの好奇の目。数あるゴシップ的要素にも関わらず、レニー・アブラハムソン 監督は地に足を付けた演出で奇妙な環境で普通に生きようとする葛藤を等身大 に描き出す。
・狭い監禁部屋から出たことがないジャックは、テレビを通じてだけ外の世界を 覗いてきた。しかし息子に〈閉じ込められている〉と感じて欲しくないジョイは、 部屋の中が〈本物=現実〉で、画面の中の出来事は〈偽物=フィクション〉 だと教え込む。2人がいる部屋の外には空っぽの宇宙しかなく、出ると死んで しまうとウソをつくのだ。 ・ところが監禁部屋からの脱出によって母子の世界は一変する。実は部屋の 外には無限ともいえるリアルが広がっていて、ジャックは培ってきた認識や アイデンティティをすべてリセットしなくてはならなくなる。
・一方、ジョイが帰還を切望した外の世界は、一度解き放たれると皮肉にも 精神的牢獄になってしまう。2人だけで完結していた監禁部屋にいる限り、 社会という膨大な関係性の集積から無縁でいられたからだ。失われた7年の 重みと他者の存在が次第にジョイを追い詰めていく……。 ・結果としてジョイもジャックも生きるべき世界をゼロから発見し直さなくて はならない。痛みも喜びも伴うが、未知の物への期待感と新鮮な刺激は一歩 ずつでも前に進むことを後押してくれる。
・実はこの物語、驚くほどにわれわれが「映画を観る」感覚と似てはいないか。 われわれは映画のスクリーンと向き合い、未知の世界を探索することで世界観 を押し広げ、時に内面を見つめ直し、やがて自分自身の物語を見出す。 その〈発見〉こそが映画を観る大きな悦びだとは言えないだろうか? ・幼いジャックはさまざまな障壁にぶつかりながらも、常に世界を五感で感じ、 吸収することをやめない。その瑞々しさと観客の感覚とがピッタリ重なった 瞬間、魂に触れる小さな奇跡を起こす。≫ ――――ー
▼ 観ていて直ぐに、閉じ込められた小さな納戸が、何故か、地元の城下町に 重なって見えていた。新潟駅前の事業場と、出身地の城下町を寝ぐらに31年 を過ごしたが、これは首都圏のサラリーマンの生活形態と同じ。どうしても、 寝ぐらの狭さを感じていたが、住居は住居と割切れていた。 ところが5年前より、寝ぐら生活がメインとなる。これも、自分の厳格な? 生活習慣を守り、周りにスケジュールの壁を囲むことで、日々、生活して いるが、これも慣れれば悪くはない。 何処も住めば都になっていく。
・・・・・・ 2015年05月31日(日) 5190,閑話小題 〜チャーチルのジョーク チャーチルは、その風貌とおりのウィットにとんだジョークと名言を残した。 毒の含んだ言葉でもウィットに富んでいれば、場を和ませることが出来る。 * チャーチルのジョーク ・ 民主主義は最悪の政治形態らしい。 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。 ・ 女性議員が皮肉を言いました。 「もし私があなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」 するとチャーチルは、平然と答えました。 「もし私があなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」と。 ・ チャーチルに仮装舞踏会にはどんな衣装で出るのがいいかと聞かれた、 そのライバル女性議員(例の『毒を盛る』発言の彼史)のコメント。 「しらふで出るというのはどうでしょう」 (チャーチルは酒好きで、国会にも酔っぱらって出てくることしばしば) ・「期待される政治家とは「明日なにが起きるか」を、国民に予告できなくては ならない。そして次の日「何故自分の予言通りにならなかったか」を国民に 納得させる能力がなくてはならない。」 ・ ある政治家を評して 「彼は羊の皮をかぶった羊」 ・ 国会の答弁にて、エリザベス女王の戴冠式の準備に際し 「行進にはありとあらゆる労働者の代表を加えるべきです!」 と主張した労働党のある議員に、NOと返答したときのコメント。 「見物客の気持ちを考えねばなりません」 ・ 完全主義では、何もできない。 ・ 極めつけは! 当時獣医は社会的に低く見られていた。チャーチルが 獣医をしていたという噂があった。野党議員が議会でそのことを質問した。 「もしそうならまず初めに貴方をみてあげますよ!」議会は大爆笑だったとか。 ・・・・・・ 2014年05月31日(土) 4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4 <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著 * 自分の「スイートスボット」をさがそう この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、 一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、ひたすら気持ちが落ち込まない ことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、 要所要所に配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。 この時間帯が、第一のスイートスポット。6時過ぎに、ポタリングで信濃川の 大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。そして、午前中の読書と、ネット サーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・ とつづく。 森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、 このスポットを自由に謳歌できること。 もちろん、数年、数十年単位の ライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー 《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、 自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。 つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も 感じない状況に。心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを 「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっとエネルギッシで 生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の 刺激をえられるところだ。素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分で ハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。 だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が 低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、朝昼兼用の食事に出かけ ―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べ ながら噂話をしたり、笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたは スイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める外交型の 友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい 時間は終わりを告げる。・・・ 》 ▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験。人生観が変わるほどの最高の 感激・感動体験をいう。この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら 求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、人生が豊かさに なっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送 などを楽しむことが、私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、 秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログの下書き、読書、TVの スポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、 徹底して貫いたプロフェッショナルが、私の連れ合い。これが蓄積されると、 スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ! で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を 知ったら、怒り出すぞ!」というと、「あんたみたいな気短と一緒となら、 誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、 何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? どうもしません! そういうこと。 ・・・・・・ 2013年05月31日(金) 4458, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー5 『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著 * 2日目 "足腰を軽快に A・膝を回す体位……54 基本体位=仰向けに寝て、両手を膝を包み込んで、肘を伸ばし、 膝と手が離れないようにする。 1、「静かな一息」「軽く一息」を入れた後、息を出しながら、足の甲を 伸ばして、両膝を手前に引き寄せる 2、さらに、息を出しながら、肘を伸ばして、膝・股関節を開いていき、 膝と股関節を充分に開く。顎を引いてうなじを伸ばし、息を出し切る。 3、同時につま先を充分に伸ばして、「つま先ー>腰椎ー>胸椎ー>頚椎」 の順に「大地のアパーナ気」を引き上げる。 4、息を入れながら膝を閉じていき「基本体位」に戻す。 1〜4を、計三回行った後、「軽く一息」。 5、ここから逆回転で、合計三回する。 ▼ ポイントは、全身にくまなく「気血」が流れるように行う実践。 つま先はしっかり伸ばし「気」を引き上げて背筋を活性化すること。 呼吸は「入息1、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するよう行う。 全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいって いるとは限らない。相対的に血液が脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの 血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。 要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」 B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位: 基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹で ゆったり呼吸をする。 1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで 一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。 2、以下の足指の動作を、順々に行う。 「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側 (上)へー>足指を握る 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー> 「各自の一息」に戻り、息を整える。 ▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体によい。 毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回 のヨガで、これは初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千〜4千あり、 スポーツジムでは、その中の100種類に絞っているという。同じポーズでも、 その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、これだけ、 足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として 分断してくれる作用もある。 ・・・・・・ 2012年05月31日(木) 4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) * 孤島としての老い ≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、 どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。 どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に 崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。 すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような 感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような 出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも 掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。 だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な 敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで 怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、 悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈 してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような 不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在 だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを 見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。 その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島 となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、 わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫ ▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。 それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも 一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。 現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。 なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、 ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 それにしても暗い顔をした老人が多い。 ・・・・・・ 2011年05月31日(火) 3718, 閑話小題 △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は? 現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって 打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が 亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、確かな数値は、 推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。今回はまだ原発の事故が 収束に至ってない。今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ 未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に 近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に 見舞われ、その上にリーマンショックである。日本経済は深刻な事態の上の、 これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、 現時点の判断は、10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と 考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。 △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい! 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。 これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを聴いていたが、最近、 ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、 朝の土手のジャズが意外とよい。2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつける。 鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る単調な リズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・ ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後に あるため、夜明けにあっているためである。その上にスポーツ・ジムでも iPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。 「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズム とテンポというが、運動に本来あっている。にわかジャズファンの誕生だが、 これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。演歌に、クラシックに、 ロックに、カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? というのも、 何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 特に、こういう落ち込みやすい時期には。
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2016年05月30日(月)
* 父親の44周期に 私も、父親の亡くなった年齢まで、あと一年になる。その一年前に胃癌の 大手術を受けて、余命一年と宣告されていた。現在の私の年齢で、余命一年の 宣告を受けたことになる。手術直後、急遽、金沢から帰ってきて、千葉市郊外 の千城台ビルの建設計画に着手することになる。父親から直接、創業ノウハウ を受継ぐ貴重な経験になっていた。 父親は、年末年始と法事以外は、酒を一切に口にしなかった。大酒飲みの 私からして、いつ、癌の余命宣言を受けても不思議ではない。新潟での事業を 立ち上げた頃の営業関係の多くが飲酒過剰?で倒れ、既に亡くなっている。 で、私の死期を75歳にラインを引いたのは、あながち間違いでもない? 毎年、飽きもせず、父親のことを書いているが、これが私の供養。父親が、 ハッキリした具体的行動指標になってくれたのが、私のアドバンテージになって いたようだ。 事業も、最悪の想定を課して、平常から長年かけた準備をして おくことの必要性も学ぶことが出来た。数十年ぶり学生時代の友人が、 『お前は、用心深かった。それと、曲がりそうになるが、直ぐに元に戻る!』 という。 用心深い両親は学歴が無かった分、必死に基礎教養を日常生活から 求めていた。趣味も、しかり。早寝、早起きも同じ。連合いへの別立て給与 の支給と別口座預金も、実家からの継続習慣。今回の事業整理の決断も、 本能的に幼児体験と、両親の教えのベースが働いたため。その辺の下衆の 想定とは? 違っている。父親にとっての太平洋戦争と、敗戦は、それまでの 価値観が根本から変わった一大イベント。 日本人は軍人が230万人、 一般人が80万人死亡したが、東北大震災の死者の150倍である。 それでも、資産管理は、手堅くしており、何とか戦中、戦後の混乱期を、 何とか乗り越えていた。その幼児体験を、そのまま書けば、これほど面白い 舞台と物語はないはず。「すざましい!」の一言。 父親は二代目だが、私の、 この随想日記は、まさに悲しいかな、<売り家と唐様で書く三代目>の現代版 と自覚をしているが、実家文化のお陰で、何とか軟着陸をすることが出来た。 しかし、人生を十分に楽しんだことだけは、両親に負けてない。これ、負け犬 の遠吠えか! 45年の事業人生を十二分に楽しんだのだから、両親も許す? 「日々、是、口実」ということ! そういえば、母親に晩年に聞いた逸話。 <父親が徴兵されたが、肋膜で、除隊をされた。今さら、地元に帰れなく、 東京の同業者の一間に、一年間、居候していたことがあった> という。 父は一切、その話をしなかったが、他人には言えない話は、誰にもある。 父親に魂を通して『これ、話してよいか』聞いたところ、 『娑婆のことは、娑婆で判断して良い。死んでしまえば、そこまで、 此方は、此方の世界がある。』という。そう悪いところではなさそうだ。 それも、これも妄想でしかないが。 さて、花を買って墓参りだ。
・・・・・・ 5189,閑話小題 〜父親の42周期に 2015年05月30日(土) * 父親の42周期に 毎年、父への想いを書いた内容を読み返すと、年齢ごとの思いを書くこと、 書き残しておくことの秘儀の意味が見えてくる。父親の亡くなった年齢に、 あと二年でなる。 余命が少ないことを悟って死ぬまでの生き様、死にざまを 通して多くのことを学ぶことが出来た。 死んでしまえば、いっさい無。 物や金を残したところで、あの世に持っていけるわけでなし、あるのは暗黒の 死の不安と、人生の後悔。死を前にすると、世間とかいう壁がうき上がってくる。 そして、それが如何に、他愛がないものと思えてくる。 あの超保守的な父が、 何を思ったか、『赤旗』をとって読み始めて、自民党批判を始めていた。 それと、死に関する予備知識の絶対量が必要ということも痛感した。しかし、 誰も『自分が死ぬ!』とは思わない。『他人は先、我はあと』と確信している。 あの時の父の激しい生への希求が直接伝わって、「当りまえの、先ある人生が いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。 全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。 考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外 なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。 晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。 さて、墓参りだ! * 久々のジョーク ・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」 「アメリカンドッグさ。」 ・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が 『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」 ・・・・・・ 4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期 2014年05月30日(金) * 今日は父親の41周期 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、 似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、 ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。 その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、 父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を 繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子 のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、 多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、 両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、 それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に 恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、 何ものにも代えがたい。 * 内省の日々 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで 書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。 それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い 合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も 趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、 世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、 この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。 来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。 このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、 父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。 ・・・・・・ 4457, 今日は父親の命日 ー40周年 2013年05月30日(木) 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を 書いてきたが、父も本望だろう。私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、 目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。 亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青く なっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。私にとって父の死と、半年後 の千葉での創業と、結婚は、大きな分岐点で、父の死を引きずり悲しんでいる 暇は無かった。何事も直接跳ね返ってくる事業人生が始まったからである。 「親の死は子供に対する最大の贈物」という言葉のとおり、父の庇護が無くなり、 それから全ての責任が直接被さってきた。全てが未経験で、分からないこと だらけ、そこで亡くなった父親を心の底で呼び出し、「どうする親父?」と一緒に 考えていた。 次から次への難問が押し寄せ、判断、決断が迫られる。 頼れるのは、浅い経験と知識。それと「親父なら如何する?」の仮説の自問自答。 あの時からの40年の歳月は、やはり長い。世界も日本も、そして私も変わって しまった。情報化社会の本格的到来と、ソビエト・東欧の崩壊、中国の共産主義 の放棄が、大きく世界を変える要因になった。 心の底で父に、「ここまで激しい変化、親父も信じられないのでは?」と問い かけると、「私の想像を遥かに超えている。しかし、羨ましい限り。世界の果て も気楽に見れるし、知識情報も簡単に入手できるし・・ 混乱期としても豊かさ の範疇。少し先読みをし、変化を受け入れ自分が変われるかどうかだ」との返事。 過去の命日に、その時点の思い書いてきた。読み返えしてみると、成るほど思い は残るもの。私が書いているというより、父本人が書いてと思える位だ。 両親から生まれでて、両親の元に帰っていくイメージがあるだけで充分幸せ。 父を通して多くのことを学んだ。何があったとしても、両親の御蔭で、よい人生 を過ごせたと感謝している。さて、お参りだ! そういえば、母親の命日に、 このような文章を書いてない。もっと世話になったのに。 時々、夢にリアルに出てくるためか? ・・・・・・ 4083, 父の命日 ー39周忌 2012年05月30日(水) 5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。 39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。父が亡くなって5ヶ月後 に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、 ショックで茫然自失だったが、数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。 そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面 にぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスから ついてくることを知った。人間にはイザとなると、信じられない力が潜んでいる。 極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって 生まれてこのかた、父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなって気づいたが、 常に父を意識して、物事を判断してきていた。だから、その時に父が亡くなった タイミングは私にとってベストの贈り物だった。父の死と、事業の立ち上げと、 結婚と、私にとって初めて独り立ちであった。全ての計画、判断、実践を自分 がして、結果がストレートに帰ってくるのである。それが慣れるまでは、 「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと 感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか頼りにならない。とはいえ 決断しようにも自信がない。そこで自然と「自分が父だったらどうしただろう?」 の自問自答になる。そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くの ことを教えてくれていた。経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。 頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃 からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。しかし終わってしまえば、 それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、 殆んど後悔はない。創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わったが、 と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。 順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い 流されてしまえば諦めがつくというもの。この結果は、ワーストでもなく、 ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、 ベスト? 父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を 欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。 それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」 と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。 ・・・・・・・ 3717、閑話小題 2011年05月30日(月) * 今日は父親の38周忌 父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかった ので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。その時が精神的自立 の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人 兄姉の末っ子で、父親は特別に私を大事にしてくれていた。その意味で、私の 人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、 肯定的になれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、 刺激的な日々であった。結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景 に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。 『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して 人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』 大筋は、こんなものだが、 人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと 思っている。この事態でも、両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分一 でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、 消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っている から、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。それにしても、自分の息子に毎年、 このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。これが私の供養である。 * 地震保険について ・・・・・・ 3352, 父の命日(37周年) 2010年05月30日(日) 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の 彼方から思い出される。思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。 「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、 「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。これまで書いてきたが、 父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、 第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり 仏壇と仏具の販売で乗り切った。終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品 量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。古美術商の時代には、 地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、 時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」 というのが持論にあった。それは教養によってベースが築かれることを彼らから 学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、それがバネになった。 日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、 潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝5時に起き、仏壇で祈り、 新聞を隅々まで読むのが日常だった。その辺は私も同じで、これは家の文化 (ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、株屋ぐらい しか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と 最小限度しかとらなかった。(当時は、それが一般だったが) 年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、 その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬ ときのイメージは両親の手に引かれ、光の中に消えていく光景になるだろう。 毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。 書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になる。 人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、 それを重ねることで、魂に熟成していくのである。音楽家は音楽で、仏像師は 仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。 それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、 それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!
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