堀井On-Line



5466,人生で最も大切な技術 ー24 楽観主義と悲観主義

2016年03月03日(木)

『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 楽観主義と悲観主義、この二つの世界観
 楽観だけではモノゴトは上手くいかないし、悲観主義だけでは、面白くは
生きていけない。この年齢になると、「もう○○歳」と「まだ・・」と考える
かで、大きく違ってくる。『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志
のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ』
と、アランが『幸福論』でいうが、やはり意志が受止め方を変えていく。
 〜その辺りから〜
≪・楽観論者とは、この問題は一時的、制御可能、特定の状況と関係している、
 というふうに考える人。「そのような些細なことで大騒ぎするのは理に
適っていない。すぐに片づく。自分で解決できる。いずれにせよ、これまで
常に解決できた」をモットーにする。
・一方、悲観論者は、問題は長引くだろう(この種の問題は簡単に片づかない)、
やることなすことが裏目に出る(私には期待しないでほしい)と考える人である。
また、生まれつき精神的な欠陥があると思い込み、「何をしても結果は同じ」
と冷めていて、「生まれつき幸せとは縁がない」と結論づける。
現代人の多くが不安感に苦しんでいるが、これは悲観論と密接に関係している。
悲観論者は常に災難を予想し、慢性的な不安症にかかっていて、疑い深く
なっている。不機嫌で、苛立ち、神経過敏になり、世の中や自分への信頼感を
失っていて、常にいじめの犠牲になっている、捨てられる、無視されている、
などと取り越し苦労する。≫
 * 楽観論に対する論外な非難
≪・心理学の世界では長年にわたり、多少抑うつ的な人のほうがものの見方が
 「現実的」で、楽観論者は、苦痛の伴う状況よりは、愉しい出来事に長々と
思いをはせ、過去の実績や達成を過大評価する傾向がある、と信じられてきた。
仮にそれが真実なら、楽観論者に比べて、悲観論者の方が目を大きく開けて、
状況をより明快に評価する傾向がある、という理屈になる。また、その説が
正しければ、悲観論者は、「現実は必ずしも、笑えるほどに愉快なことばかり
ではないだろうが、物事はあるがままに見るべきだ」と考える。
・一方の楽観論者は、たしかに愛想は良いが、救い難いほど世間知らずで、
無警戒な夢想者で「夢から現実世界に戻されるのが落ちだ」という議論になる。
どうやら、以上が正当化されてきたのは、単に偶然が重なっただけらしい。
各種の研究が進展中だが、その結果、客観的で超然としていて用心深い、
と考えられていた悲観論者の判断は不適切、ということが立証されたのである。
日常生活で起こる、現実的な状況に注目すると、楽観論者のほうが悲観論者
よりも現実的かつ実用的なアプローチをとることが実証されている。≫
▼ 明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけでまるもうけ」という。
「生きてるだけでまるもうけ」は、「死」が視座にあればこそ言える言葉。
長門裕之の妻の故・南田洋子が晩年、この言葉を口癖にしていた。ならば、
生きているうちに楽しむだけ楽しまなければ! 
・・・・・・
5101,悪夢の21世紀 ー6
2015年03月03日(火)
   * ニーチェが看破したキリスト教の価値観 
(12)≪ 思想家ニーチェは、来る200年はニヒリズムの時代になる、と言った。
 ニーチェが死んだのは世紀の変わり目1 9 0 0年だった。ニヒリズムは人々が
 共有できる大きな価値観の崩壊。キリスト教が約束した福音も近代主義の福音
 も、ヨーロッパが生み出した大きな価値観であった。人々の幸福を保証する
 ものだったはず。ニーチェはそんな価値観は脱ぎ捨てろと言った。キリスト教
 や近代主義の理想にとらわれては駄目と言った。そんな幸福はちっぽけなもの
 だし、人はそんな価値によっては幸福になれないと言うわけ。 ニーチェは
 キリスト教は人間を見苦しいまでに自虐的な存在にし、自由や平等や人権などを
 唱える近代社会は極めて偽善的で欺瞞的ないやらしい社会だ、と言った。
 今日アメリカがグローバルな正義として打ち出している自由や民主主義、平等
 や人権、公正な市場経済などは、ニーチェの発想からすれば、何とも欺瞞に
 満ちたインチキくさい正義だとの論理。ニーチェの言い分が全面的に正しいか
 は別としても、今日、最早、自由や民主主義、平等や人権、公正な市場経済
 など無条件に信じられない。この「正義」の背後に、「力」の競争や闘争が
 隠されていることに誰もが気づいてしまったから。だから、市場しか見てない
 者は、規制改革を徹底して行い競争を強化すれば経済は効率化できる、という
 ことしか眼中にない。成長戦略しか見ていない者は、教育から観光から
 エネルギーから人間の生命や医療まで、すべていかにG D Pを押し上げるか、
 の観点からしか見ていない。人権主義者は、女性の職場であれ、家庭であれ、
 学校であれ、人間関係を権力関係としてしか見ていない。政治学者や政治
 評論家は、もっぱら政治を民主化という観点からしか見ていない。ある種の
 ナショナリストは、すべて中国が悪い、韓国が悪い、という観点に立つ。
 一方、平和主義者は憲法9 条にしか関心がない。≫
▼ ニーチェは、近代社会を偽善的、欺瞞的、社会と看破し、その根源が
 キリスト教にあるとした。人生振り返って、哲学では、ニーチェに一番、
影響を受けていた。特に欧米主義にドップリ浸かっている自分に徐々に
気づく過程が私の人生だった。世の論説をみると、ニーチェが看破した
価値観に即して論じているようだ。そして、世界は益々動乱になっていく。
20世紀の半ば1946年に、地球上に人間として生まれ、21世紀を15年を生きたが、
あの世からの視線で見直すと、面白い時代の狭間を生きてきた事を思い知る。
・・・・・・
4736,<つまずき>の事典 〜  ー4
2014年03月03日(月)
           <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 言ってはならぬ、闘いが無益などと
 人生の終盤に、あまり良い結果ではなかった?が、自分の人生を
全面否定する気持ちは最小である。気持ちは「天気晴朗なれど、波高し」。
 この詩は、誰にでも訪れる人生の終焉で、励ましを与えてくれる。
《  言ってはならぬ、闘いが無益などと
   努力も傷手も無駄などと
   敵はなお息絶えず、怯むこともなく
   事態は相も変らず元のとおりだ、などと。
 ーアーサー・ヒュー・クラフ「言ってはならぬ、闘いが無益などと」P-44
アーサー・ヒュー・クラフはイギリスの詩人。ラグビー校でトマス・アーノルド
に習い、その息子マシューと生涯にわたる親交を結んだ。マシュー・アーノルド
の追悼詩の傑作「サーシス」はクラフを悼んだもの。「言ってはならぬ、
闘いが無益などと」は窮地にあってなお不屈の心をうたった詩として知られる
(引用は冒頭の一節)。また第二次大戦中にチャーチルがルーズベルトへの放送
の結びにこの詩を引用し、イギりス国民を励ましたという逸話を持っている。
クラフには「一度も闘わないよりは、闘って敗れた方がましである」
という有名な言葉もある。  》  
  ーネットで、調べたところ、以下の訳があった。   
【 悪戦苦闘しても無駄だ、
  骨折り損だし、怪我をするだけだ、
  敵は一向に怯(ひる)まないし、逃げる気配もない、
        結局元の木阿弥だ、などと言ってはならない。
  希望を抱いて馬鹿をみるなら、心配が杞憂に終わることもある。
        もしかしたら、ここからは見えない戦場の一隅で、
  まさに今、君の戦友が逃げる敵を追っているかもしれない、
        君さえいなければ、勝利は味方のものかもしれないのだ。
  疲れきった様子で浜辺にうち寄せている波も、
       いくら苦労しても一歩も前進してはいないように見える。
  それでも、ずっと彼方の湾や入江では、じわじわと、
       そして、黙々と、大きな潮がみちかけているのだ。
  夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、
       光が射してくるのではない。
  東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、
       西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。 
               ー平井正穂編『イギリス名詩選』より 】
▼ 現在の私に、一言一言が実感として響いてくる。 何もしない人ほど、
 いや出来なかった人ほど、「闘いが無益で、努力も痛手も無駄」と言い張る。
闘いもない、さしたる努力もない人生ほど、毒が溜まり、精神を腐らせている。
その毒を、他人に?に向け、吐き出すしかない人々の哀れさを、この節目で
タップリと見せて貰った。「世界は広い。そして深い!」人類は成功によって
導かれてきたが、その背後には99%の失敗と挫折がある。それが人生だ。
・・・・・・


5465,新約聖書は、共同幻想の『おとぎ話』

2016年03月02日(水)

* キリスト教のアキレス腱
 大自然の働きを、神になぞらえて、共同幻想をつくりあげ、何とか人類は、
ここまできた。モーゼのつくり上げたアラーの神Xも、ユダヤ教、キリスト教、
そしてイスラム教の神とした共同幻想。しかし、この情報化社会では、共同幻想
の甘さが露呈してきた。 〜その辺りを哲学者は、以下のように表現している。
≪ 西洋といえばキリスト教である。はじめは数人の信徒しか持たなかった
キリスト教が、世界を支配するようになる。これは世界の不思議の一つである。
もっとも宗教というものは、たまたまタイミングがあえば爆発的に流行るもの。
仏教やイスラムにしても最初数人の開祖、信徒は数名であった。
 さて、キリスト教であるが、その教義にはもともと不自然なところがあった。
キリスト教は一神教である。しかし、イエスを神とみたため、話がややこしい。
イエスは「父なる神に呼びかけている。そうすると神は二人いるのか? 父なる
神とイエスが神なのか? いやいや、そうではないという。神はもちろんお一人
である。父なる神とイエスさまと聖霊は三つのものであるが、しかし、ほんとうは
一つであるという。これが「三位一体説」である。これまで誰もまともに説明
できた人間はいないのである。かのニュートンも、これには悩み、『聖書』を
徹底研究し、最後にはイエスは神ではないという結論に達するのであった。
 よく考えてみよう、もしイエスが神であるとすれば、「生まれた」というのは
おかしくない,か? 神が生まれるのか? 神は物事を生み出す原因であり、それ
自身は何からも生まれるものではない。生まれたとすれば、神を生んだもの、
つまり神以上にすごいものがあることになるのではなかろうか。
 あるいは、イエスが神で、神を生んだのがマリアとすれば、マリアのほうが
偉いのではないか?そういう意見も出てくる。イエスは死んでよみがえったと
いうけれど、しかしそもそも神が死ぬものであろうか?十字架の上でイエスは
血を流し、苦しんでいるようであるけれど、しかし神が痛さを感じるものか? 
ともかく、三位一体説はかなり問題のある理論なのである。 しかし、めちゃ
くちゃであろうとなかろうと、イエスが神だ、とするのがキリスト教である。
イエスは神ではない、とするとキリスト教の存在理由がなくなってしまう。
 しかし、根っこが問題ありの教義であるから、当然、これを批判する人間は
いつの時代にも出てくる。そうするとどちらが正統でどちらが異端であるか、
という争いがはじまる。キリスト教にはこの手の争いがつきないのである。・・≫
▼ キリスト教原理主義国家がアメリカ。ユダヤ教原理主義がイスラエル。
 アメリカ大陸でイギリスを中心に立ち上げた国がアメリカ。カナダは、
フランスが立ち上げた国。これと、欧州連合と、アラブのポチに対しての
戦いが、本格的世界大戦の様相を表しているのが現在の世界。その結果、
以下の内容に続いていく。
・・・・・・
5100,悪夢の21世紀 ー5
2015年03月02日(月)
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜��
  ー 自由、民主主義の普及こそ混乱の元凶ー
 最近では、「アラブの春」の一連の独裁国家の打倒。その結果、現れ出た
のが、「イスラム国」。キリスト教原理主義のアメリカが主導する世界に対し、
独裁者から解放されたイスラム教徒たちは、対抗するためイスラム原理主義に
向かうのは自然だが、それにしてもモハメッドの頃の戒律厳守とは・・。
( 9 ) ≪ 欧米的価値観の勝利? 現状はそれどころではない。
 イスラムとアメリカの対立が益々激化。民主化したはずのアラブは混迷に
中に迷い込み、新興国を巻き込んだ市場経済のグローバリズムは、資源や
市場をめぐる果てしない競争へ突き進んでいる。しかし、自由、民主主義の
普遍性、市場競争の普遍性などの近代主義こそが混迷を招く張本人。
だから、事態はかなり厄介である。近代主義を押し進め、グローバル化
していることそのものが問題。だから、今日生み出されている様々な
危機的な事態を乗り越える方法が見当たらない。自由、民主主義、
人権思想、市場経済のグローバル化や技術革新によって問題は解決しない。≫
(10) ≪ 人々の自由が拡大すれば拡大するほど、人々は益々自由を求め、
 その自由は相互に衝突する。それを調停するのは最後には「力」になる。
民主主義は問題を解決しない。民主主義そのものが、多数という「力」の原理。
イスラム教のような人民主権でなく「神権政治」を訴える宗教が出てくれば、
民主主義は有効性を失う。人々が豊かさを求めて市場競争をするほど、利害は
衝突する。グローバルな市場競争は、徐々に帝国主義的な様相を示してゆく。≫
(11) ≪ 今日の世界的な人口増加と新興国の経済成長を前にすれば、
 資源問題、環境問題、食糧問題の三点セットは、すでに世界的な問題。
世界的な問題とは、「世界」が我々の外にあるものではなく、我々も
そこに含まれ、いやがおうにも当事者になってしまっているという意味。≫
▼ 中東問題は、数千キロ離れた海の向こうのことだったが、ネット社会は、
 その生々しいテロや処刑を一瞬にして現前させる。この川崎中一殺人事件は、
明らかに、イスラム国の斬首の映像に影響されたもの。「目には目を、歯には
歯を」は、ハンムラビ法典や旧約新約両聖書に出てくる。我々は、これを
「やられたらやり返せ」という意味で使っているが、同害報復までの法で、
過度な報復を防ぐためである。「倍返しとかダメ」と。4000年前、すでにこの
ような、争いの拡大を防ぐ知恵があった。原理主義の衝突はニヒリズムを生む。
老いは、日々、ニヒリズムを強くする。しかし、生きているうち!いまのうち!
で、二年前の内容が、偶然だが続く! 
・・・・・・
4368, 歳を取りそこねる人たち ー2
2013年03月02日(土)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦 (著)  
「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち
受けている」というのが本当のところ。そして最期は死ぬのである。
その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。
  * 幸福のふたつの文脈
≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日
 である。それは往々にして退屈に感じたり、無価値に映る。だが、大病を
 患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】
 の有難さに気づく。現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに
 淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人にとって
 手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。
・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
 楽しいこと、満足感を得ること―― そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象
 との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分喜ばしい
ことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。
 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを
 告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とが
 まったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、
 学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、
 そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズ
 をしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
 感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた
 (へいや、今でも信じている)。… ≫
▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、
 満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。自虐的な性格もあり、
倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、
これは最適。 ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー
《 老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生の
 なかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、小説に描かれた味わい深い
老人たちを参考にしながら、その探求の過程において示されるのは、著者の
考える素敵な老いや適切な「年寄り」のかたちも若干はあるが、ほとんど、
みっともなかったり、哀しかったり、ときには常識をはずれさえするグロテスク
な老いの姿。他者と生き別れ死に別れた孤独のなかで、死の可能性が充実した
ゾーンへと入っていく時、空間の戸惑いのなかで、人間が抱えている厄介な
ものが唐突にあらわになる。老いるとは、あらゆる出来事に対する達観した
精神の獲得といったようなものではなく、人生が与えてくる難儀さに傷つけ
ながら、なんとか過ごしていくことではあるまいか。》
 肉体も精神も老いぼれ朽ち果て、無になる。それで良いではないか。 
ただ、噂話や愚痴を言い合う老人の群れに入らないことだ。


5464, 『中村ウサギー他者という病』 ー2

2016年03月01日(火)

 自殺未遂の顛末
 彼女が書くと、いまいち、シリアスに感じられないのは何故?
自殺をしようとする時には、何か夢うつつの思考ゼロの状態というから、
当人が後で書いた内容は、軽いタッチになるのか。それは、死刑執行直前に
助かったドフトエフスキーのとはチョッと違う。死刑のそれはと、著者の
死にたい気持ちは違う。 〜内容は、あまりにもシリアスである。
≪ 死にたいと思ったことは、それまでにも何度かあった。が、
足が立たないのでタオルを取りにひとりで浴室に行くこともできない。
「身体が不自由だと自殺もできないのだな」と、薄く笑って諦めた。
しかしここ最近、私の身体はめきめきと回復して、家の中なら自分の足
で歩けるようになった。だから、「もう死ねる」と思ったのである。
 まず浴室に行ってタオルを取って、首に巻いてドアノブに結び付けた。
だいぶ回復したとはいえ、まだまだ身体が思うように動かせないので
腕もよく上がらず、ドアノブにタオルを結び付けるのはひと苦労だった。
 ようやく結んで体重をかけたら、レバー式のドアノブだったために
タオルが滑り落ちてしまい、失敗に終わった。 これは、いかん。
息を整えて、もう一度トライした。今度はドアノブから滑り落ちないよう、
しっかりと結んだ。足に力が入らないので、このような作業を中腰で行なう
のは、なかなか大変だった。
 それでもなんとかタオルを結び付け、腰を下ろす要領で体重をかけた。
気管が圧迫されて、うめき声ともつかぬ奇妙な音が聞こえてきた。
私の喉から出ている音だが、聞いたことのない声だった。顔面が充血して
くるのがわかった。そして、ものすごく苦しくなってきた時に、つい
身体がもがいてしまった。するとタオルがほどけて、またしても
失敗に終わった。人間の理想の死に方は、やはり「急死」であろう。
 自分でも死んだことに気づかないほど突然死ぬのが一番だ。
私はそのチャンスを逸してしまったので、次に死ぬ時は大いに苦しむ
羽目になる。自分で死ぬのは、思いのほか、難しいのだった。
これなら、入院中に心肺停止した時のほうが、ずっとラクだった。
呼吸停止の時だって、こんなに苦しくなかったし。≫
▼ 女流無頼漢作家としての彼女の文章は、シリアスだが引付けられる。
 それが自殺の場面では、こうなるのである。死刑になるまでの
心の風景を書いた手記を読んだことがあるが、それは、恐ろしく
リアルの内容だ。ガン末期で、死期を悟った時の恐怖も同じだろう。
それにしても、骨太の人である。
・・・・・・
2015/09/12
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 女とは何か、の問い
 女の自意識のねじれと矛盾の言語化を何とアッサリと表現するとは驚き。
これは男も似ているが、受身である点で大きく変わってくる。 確かに、
「人間的価値」より、「性的価値」が「商品価値」として、優先するため、
それを高める化粧品や、ファッション衣料が売れている。プロの作家の
言語化は、流石である。  〜その辺りから〜
≪ 私とは何かという問いから始まって、人間とは何かを突き止めたかった。
 そしてまた、人間とは何かを考えているうちに、女とは何かという問題にも
突き当たったのである。私は自分を女という主体として捉え、その「私」は
「人間」であり「女」であると当たり前のように考えていたのだが、そもそも
「人間」であり「女」であることの定義は何なのか。 特に「女」という性別
に生まれてきたことで、自分が「欲望する主体」であると同時に「欲望される
客体」であり、そこに快と不快の両方が混在するアンビバレントな存在である
という認識を持ったのである。 
 男から一方的に性的欲望の標的とされるのは、私の心に支配への恐怖や反発
を生じさせる。若い頃、夜道を見知らぬ男に付け回されたり電車の中で痴漢に
遭ったりするたびに、私は自分が常に男から性的な視線で見られており、
しかも彼らは私の意思とは関係なくその欲望のはけ口として私の身体を使う
つもりなのだと感じた。それはまるで自分が人間ではなく物のように扱われて
いるかのような屈辱感と、彼らに力ずくで欲望の餌食にされるのではないか
という恐怖感を、私にもたらしたのだった。
 が、その不快さの一方で、私は男たちに求められることにナルシスティックな
快感を覚えることもあった。年を取って男たちに相手にされなくなってくると、
自分の価値が暴落したような気分になっ、た。それは決して私の「人間的価値」
の暴落ではなく、あくまで「性的価値」の問題に過ぎないこともわかっていたが、
しかし女の場合、「性的価値」は「商品価値」と密接に結びついているため、
まるで自分が価値のない商品に成り下がったかのような悲哀を味わったのだ。
 男たちに「性的道具」のような「物」扱いされることに怒りを感じながらも、
自分の価値を「商品価値」と捉えて「物」扱いしてしまう… その矛盾が、
理屈で解消されるものならまだしも、生理的な「快・不快」感と結びついて
いるため、よけいに始末に負えない。どんなに理性が「こんなものは根拠薄弱
で非論理的な感情だ」と結論づけたところで、やっぱり心は傷ついてしまうのだ。
それが人間というものではないか。
 私はこの「女」という生き物の自意識のねじれと矛盾を、自分の体験や感覚
を通して言語化しようとしてきた。私を、そして女を、「言葉」で再構築し、
人々に届けたいと願ったのだ。そのためならデリヘルでも何でもやった。
それがどれだけ世間から白い目で見られるかも承知していたが、それでも
「知りたい」「言語化したい」という欲求のほうが遥かに強かったのだ。 
 世の中の「自分がわからない」と嘆く女たちに、「女がわからない」と
ぼやく男たちに、私は自分の言葉を届けたかった。
諸君、我々は「主観」という濫の中から抜け出せず、互いに他者を理解し得ない
まま、閉鎖的な脳内世界の中で孤独に、生きている。だが、その隔絶された
各々の世界を繋ぐのが「言葉」なのである。だから私は「言葉」を諦めない。
それが私と他者を繋ぐ唯一の絆なのだから。 ≫
▼ 抜粋の文章をカットしようと上記を読み直すと、それが辛い。言葉に魂が
乗り移っているためである。ここまで書ければ、本望だろうが、それだけ傷が
深いのである。「言葉」に魂が乗り移ったのを「言霊」というが、成る程!

・・・・・・
哲学について
2015/09/11
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 自分とはいったい何者なのか?
 世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が
ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。
それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、
出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。
 大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか
を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか
ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 〜その辺りから抜粋

≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。
 なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは!
私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、
私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、
そういう理屈なのであろうか? 
 おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ
ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして
いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」
と言われたことで、私は激しい屈辱感を味わい、同時に、自分がずっと見下して
きた世間からの評価をいかに必要としていたか、強烈な痛みとともに思い知った
のである。これほどまでに尊大にして卑屈な人間を、私は他に知らない。
私は己の愚かさに呆れ果てているが、それは自己卑下と-か謙遜とかいった
ものとはまったく別の次元のものだ。
 私はいったい何者なのだろう。この問いに、またもや私は立ち返る。
何度も自分に問いかけ、一度も答えを得られなかった問いだ。これからも
たぶん、答えなんか見つからないに違いない。その答えを見つけるには、
私はあまりに己を知らな過ぎるのだ。 私は何者なのかを突き止めることが
私の人生の大命題なのだとしたら、これはもうきわめてパーソナルなテーマ
であるから、世間から承認されたり評価されたりする類のものではあるまい。
 私がその答えを見つけたとしても、誰の役にも立たないからだ。
 ならば、私は世間から排除されようが拒絶されようが痛くもかゆくもない、
ということになる。人がどう思おうと、私は自分のテーマを変えるつもり
はない。私は私にしか興味がないのだ。
 そんなふうに考えたら、なんだかちょっと気が楽になってきた。
おそらくこれからも私は態度を改めることなく、世間を馬鹿にし続ける
だろうし、そんな世間から許しをえたいとも思わないからだ。
世間が私を必要としなくても、私が私を必要としている限り、私は私の
ために生き続ける。それがどんなに傲慢なことかわかったうえで、あえて
そういう生き方を選択する。
 このように私が世間と隔絶した場所で生きようとすることと、私が本気の
言葉を諦めずに人々に投げかけ続けることは矛盾しているように思われるかも
しれない。が、私が言葉を投げかける相手は、決して「世間」ではない。
 私が言葉を届けたいのは、わざわざお金を払ってまで私の文章を読んで
くれる人々だ。その人たちの心に何かが届けばもうそれ以上は望むまい。
私はずっと「私とは何者なのか」という問題に拘泥し続け、その答えを得る
ためになりふり構わず生きてきた。「私」を解析することで、広く「人間」
というものの核心に迫れるのではないかと思ったからである。
 私は「人間」を知りたかったのだ。 私とは何かという問いから始まって、
人間とは何かを突き止めたかった。・・・ ≫
▼ 現在の、私の心情に、重なる部分が多い。数十万人?に向けて書く
 内容だから力が入りようが自然と違ってくるのだろうが、この湧き出て
くる力は、心拍停止から蘇った経験があればこそ。そう、4年前の一連の
出来事が、『脱皮』だったことを、彼女の脱皮した文章から、自覚した。
 『脱皮』といえば、51歳の時、母親を見送って、さて如何するか?
と考えたとき、還暦までに、死ぬまでの大よそ30年分のしたい事を
可能な限り、やり尽くすと決めた。 その時も『脱皮』であった。
だから8割?の有象無象を無視できる! 人生、良いように出来ている。


5463,『中村ウサギー他者という病』ー1

2016年02月29日(月)

〜『他者という病』中村うさぎ著
   * 「私が私でなくなっていく」恐怖
 去年、月刊誌『新潮45』で、彼女の手記にのめり込んでしまった。
シリーズとして後半に入っていたが、読んでいて何故か支障はなかった。
それが、一冊の本になったのを、先日、図書館で見つけたが、初めから
シリアスである。 <「私が私でなくなっていく」などという体験は、
そうそうできるものではない。ならば、それを書いていったらどうだろう>
と、筆先は力強く?進んでいく。 〜文章の出だしからして驚かされる〜
≪ 2012年の8月中旬、私は突然の病に倒れて入院し、約3ヶ月半の入院の間に
 一度の心肺停止と二度の呼吸停止状態を経験した。病名はいまだにわからない。
主治医は「スティッフパーソン症候群の可能性あり」と診断したが、あくまで
可能性であって確定にはいたらず(というのも、その後の検査の結果、いくつか
当てはまらない項目があったからだそうだ)、とりあえず対症療法として
「ステロイド」や「ホリゾン」といった薬が投与された。
「スティッフパーソン症候群」とは、「スティッフー=硬直する」
「パーソン=人」という意味で、要するに「硬直する人」という病名である。
 その名のとおり、入院してから私は日に日に身体が硬直してねじ曲がり、
激しく痙攣して全身に痛みが走るようになった。ついには立つことも歩くことも
できなくなって車椅子でしか移動できない身体になり、寝間着を着替えるために
看護師さんたちに触られるたびに激痛で大騒ぎするようになった挙句、ある時、
着替えの最中に突然死んでしまった。
 「ホリゾン」という薬が投与されるようになったのは、この心肺停止と呼吸
停止の二週間後からである。この薬のおかげで突っ張り痙攣といった症状は軽減
したのだが、相変わらず歩くことは叶わず、退院後もしばらくは車椅子生活を
余儀なくされた。 しかし「ホリゾン」が効いたおかげで、その後、私が心肺
停止や呼吸停止に陥ることはなくなり、手が震えて食事ができないような事態も
徐々に改善されていった。
 まあ、「めでたし、めでたし」と言いたいところではあったが、
じつはそう楽観的な事態でもなかったのである。
この「ホリゾン」という薬の副作用が、私にとっては大問題であった。
この薬は脳に作用して人格を変えてしまう、というのだ。
人格が変わったら、私は私でなくなってしまうのか?
「私」という自我は保ったままでも、周囲から見ると別人となってしまうのか?
想像するだに恐ろしいことであった。
「私とは何か」という問題をずっと追い続けてきた私が「私」でなくなったら、
私は何者を追えばいいのか、いや、それよりも、「ホリゾン」の副作用で
論理的思考力を失ってしまったら、私はもう思索のできない人間になるのか。
今までだってたいした思索はして来なかったじゃないかと言われればそれまで
だが、たとえ稚拙であろうとも、「考えること」は私の生き甲斐でありアイデン
ティティでもあったのだ。それを失うことは、ある意味、命を失うことより
恐ろしい。
 だが、「私が私でなくなっていく」などという体験は、そうそうできるもの
ではない。ならば、それを書いていったらどうだろう。
「死の体験」と並んで、それは貴重なルポルタージュとなるのではないか?
と、そのように考え直してみた頃、「新潮45」という雑誌に、今回の話を書く
こととなった。私が「死」によって何を感じたか、薬の副作用で「自分が自分で
なくなっていく」ことをどのように実感したか… そのようなことを書ければ
本望だと思った。が、あいにく、薬の副作用による人格変容に関しては、本人に
自覚がないため、客観的にレボートすることはできなかった。ただ、今回の
単行本化にあたって読み返してみると、「ああ、この時の私は明らかに
おかしいな」と気づくことができる。読んでいて赤面することもしばしぱ。≫
▼ 青年期の落ち込んだ時、何もかもが虚無のような、得体の知れない心理に
 陥ったことがある。自分の土台が消滅し、手がかりが全くない感覚である。
あの感覚の得体の知れない恐怖は何だったのだろう。
・・・・・・
3992, ビジネスマン退職後の誇りある生き方
2012年02月29日(水)
   ービジネスマン退職後の誇りある生き方ー キングスレイ・ウォード著
 * ある二十日鼠の研究
 この著書は10年前に買って飛ばし読みをし、書棚にあった本だが、
リタイア後に改めて読でみた。実際に、その年齢に達しないと理解できない
ことばかりである。以前読んだ時に記憶に残っている言葉に、「私にとって
年寄りは自分より15歳年上をいう」である。老後に失うものは記憶力と体力
というが、著者は、「物忘れは、記憶装置の取り出し機構が、いわばクシャミ
をしただけ」という。ここで、
≪ ある二十日鼠の研究がある。実験者に、一方のグループは愚鈍な鼠で、
 一方のグループは賢い鼠であることを告げられた。実験結果もその通りで、
賢いグループの方が愚鈍のグループよりも速く迷路からの出口を見出すことを
証明した。実験者たちは遺伝子の研究に関わっていると思っていたので、
実験はこの二つのグループの知能が同程度であり、この実験は予測が結果に
及ぼす影響のテストであることを知らなかった・・・≫とあった。
老齢は頭脳も肉体も衰退するというが、思い込みが老化を推し進める。
実際に、この随想日記を11年続けていて、それ以前より遥かに知能がアップ
し続けている実感がある。 スポーツジムに通いだして一年足らずになるが、
足腰の重さと腰痛が8割以上も良くなった。ただ習慣からくる慢性症状と老い
を勘違いしていることが多い。老いは失うものも多いが、得るものの方も
多いと、この年齢に達して思うこと。 若いときには傷つくことも多いし
不安定だったが、人生を精一杯生きている実感が溢れていた。どちらも同じ。
二十日鼠と対自としての自分は同じ。「努力すれば何とかなる」と、自分を
信じて努力を続けるのと、「自分はダメだ」と諦めて、その繰り返しを呟き
努力しないのとは数十年で雲泥の差ができる。 親にも責任がある。
「この子は親に似て頭が悪い」と言い続けるのと、「この子には凄い才能が
ある」と、褒め続けるのとでは、これまた本人にとって大きな環境の違い。
「死ぬまでは生きている、精々、前向きに楽しむこと」が誇りある生き方になる。
愚鈍な方たち、何故か自分をワザワザ愚鈍たらしめている。
何故なら愚鈍なことをしてきたからである。 他人事でないか・・ったく。


5462,閑話小題 〜「流行ってるには訳がある!」

2016年02月28日(日)

   * 眼鏡屋のカテゴリーキラー
 ー「流行ってるには訳がある!」 その訳とは!ー
数年前から、シネマに隣接するSC内と、長岡駅中SC内に、いつも満員の
眼鏡チェーンがあった。若い人が中心で、私には関係ない店と思っていた。 
 二週間ほど前にチラシに、「年配向けの商品を扱っていて、初回のお客様には
千円割引きます」というキャッチフレーズ。家内に聞くと、「強い度数の眼鏡
も扱っていて値段は同じ。とにかく廉くファッショナブル。店に行くたび、
欲しくなる新商品が店頭に並んでいる」という。
 ニケ月前に、免許証書換えのため、近くのSC内にあるカテゴリーキラーの
『眼鏡市場』で、眼鏡を買ったが、読書には度数が強すぎる。既存のものは、
普段の生活に限度がきていたため、二つの度数の中間の新たな購入を決めた。 
 最近、家内が長岡駅中SC内の、その『JINS』という店で、ファッション
眼鏡を購入し、サングラス代りに外出するようになった。一般的に、眼鏡は女性
にとってマイナーだが、それはむしろファッショナブル。そこの売りは、
眼鏡の強度に関係なく値段は7〜9千円。私も、それにつられて購入したのが、
数日前に届いた(度数が強いため一週間を要した)。初回購入者の千円引きの
恩典を含めて税込み7500円。安すぎるのが不安だったが、まず試着してと、
数日使ってみて驚いた。 軽くて、強度の度数の胸苦しさが少ないのが良い。
『眼鏡市場』は、『眼鏡スーパー』と『弐萬円堂」のカテゴリキラーだが、
『JINS』は、その『眼鏡市場』の更なるカテゴリーキラーで、その半額近い。
フレームは百円ショップの玩具みたいでチャチだが、ファッショナブルで、
その軽さが良い。中国製なら100〜200円?だろう。 店名からして、
「ジーンズのように気楽な眼鏡を格安に」が売りのようだが、それがよい。
特殊のレンズ以外の眼鏡は、30分で引渡されるようだ。以前かっていた7〜8万
の眼鏡が手元にあるが、これは何? 背広と、Tシャツとジーンズの服装の
例えになる。TPOSで眼鏡を使分ける時代ということか。百貨店と専門店の
背広と、ユニクロの普段着では、自ずから目的が違う。ところで、最初、店内に
入った時の、女子高校生の「場違いな!」という視線。70歳なら仕方がないのか。
 
・・・・・・
2015年02月28日(土)
5098,遊ぶこと ー人間であること −③
              〜「人間であること」時実利彦著
   * 遊ぶこと 〜勝負すること
・ 第三の遊びは勝負をすることで、前頭連合野にそなわっている競争意識、
 そのうらはらの劣等感や嫉妬心などの暴発をやわらげようとする。
 人間はオリンピックを頂点に、様々な勝負事を考え出した。勝負の世界には、
 職場の上下は関係ない。仕事の上の鬱憤を、マージャンや、ゴルフ場で晴らす
 ことが出来る。これは、動物世界にはない。
▼ 今ではワールドカップが、その頂点になっている。これは一種、代理戦争
 のようである。もう一つ、仕事や事業をゲーム化して、自分自身との勝負事に
 してしまう自己達成がある。 度が過ぎると勝負依存症になる危険が潜む。
   * 遊ぶこと 〜創造の喜び
・ 第四の遊びは、仕事や芸道、日常の行為に創造の喜びを体得することで、
 もっとも人間らしい人間だけができる崇高な遊びの行為である。趣味に
 生きるということも、そのねらいは同じ。この4つの遊びには、それぞれの
 存在意義があるが、最初の三つは誰でも出来るが、問題は、この、芸道や、
 仕事に、「創造の喜び」を体得することである。人間の尊厳というが、この
 創造の喜びを具現している姿に当てはめることが出来る。どんな僅かな仕事
 でも、どんな厳しい仕事でも、そこに喜びの心が体得できる人間としての
 遊びをしたい。
▼ 仕事でも、創業でも、趣味の世界でも創造の喜びを見出すことが出来る。
 子供のセーターを編む母親の姿が、それを物語っている。
小さいながらも小さな商業ビルなどを立ち上げてきた。初めて手がけた時に、
問題の全てが吐き出された。創造には、まず難問が次々と襲いかかってくる。
そこで、思いもしなかった内なる底力が、湧き出てきた。その過程が、創造
行為になり、そのまま次に繋がる。主体的難問解決過程を「遊び」にすればよい。
・・・・・・
2014年02月28日(金)
4733,心を上手に誘導する方! ー2
     「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)
  * 「思い込み」だけでも減量(何でも)できる!
「思い込み(バイアス)に縛られ、何も考えないで一生をおくってしまう」
マイナス面もある。が、その思い込み「世界は、あなたが考える通りにある」
を、プラスに転用すればよい。人間の思いには膨大な可能性を含んでいる。
その思い込みを科学的にやろうという類の本が数多、販売されている。
 ーその辺りを抜粋するー
《 ある調査によって、こういった現象の結果が身体にも影響して出てくると
 証明された。その調査では、ホテル勤務の肥満ぎみの部屋係の人々が二つの
グループに分けられた。肥満方のグループには、部屋の掃除をするとスポーツ
をしたときと同等の負荷が身体にかかり、客室を掃除するだけで痩せる効果が
あるという調査結果を伝えておいた。もう一つのグループには、そのことを
伝えなかった。結果はどうだろう。「スポーツ」効果を伝えたグループの被験者
ほぼ全員が、それまでの生活を変えることなく三週間後に減量に成功したのだ。
もう一つのグループは、体重が減らなかった。この調査結果にもとづけば、
「被験者は自分が痩せると期待していた。だからその効果が表れた」という
研究者の主張は正しいだろう。我々のもつ期待は、ほかの人のことをどう
思うかにも影響する。初対面の人を紹介されるとき、非常に成功した重要人物
として紹介された場合と、どんな人なのか説明なしに紹介された場合とでは、
相手に対する私たちの反応はまったく違うだろう。私たちは無意識のうちに
相手のイメージを自分の期待に合うようにつくり上げてしまうのだ。
この現象は、研究によって裏づけられている。・・
 また、ある学校の教師たちに、あるクラスから無作為に選んだ生徒の
グループに、他の生徒と比べ、成績が平均以上だったという情報が与えられた。
すると年度末に、ある結果が出た。成績がよいとされたグルーブの生徒は、
ほかの生徒より格段によい成績をとった。ほかの生徒よりもよい成績が期待
されたグループの生徒は、より好意的に評価された! もしかすると、教師は
このグループの生徒に甘くなっていたのかもしれない。そして、ほかの生徒に
対するのとは異なる口調で話しかけていたかもしれない。とにかく教師の期待
だけで、そのグループの生徒が変化したことは事実である。
つまりこういうことが言える。私たちが受け取る情報がどんなものであれ、
それを受け敬ったことの結果がいつでも表れる! 私たちの文化、経験、五感、
期待が、私たちを取り巻く世界を唯}無二のものにしている。 だから、
世界は誰にとっても同じというわけではない。先に触れたように、
世界は私たちがとらえるままにある。》
▼ リタイアをして、つくづく気づくことは、「思い込み」にガンジガラメに
 縛れれていた、それまでの自分。それはプラスにもマイナスにもある。
「人間は、思い込みの中でしか生きられない」ことも確か。思い込みを、一度、
離れるために、読書、瞑想が必要になる。思い込みを、冷静に見つめるため、
「良く遊び、良く学び、良く働く」を基準にしているが、もう一つ、空を
イメージしている。前者をドーナツとすれば、真ん中の穴が、空と例えると、
少しは理解できる?で、「思い込み」をドーナツとすると、穴は内的無意識、
ドーナツの外側の周辺が、がユング心理学のいうところの「集合的無意識」。
他のドーナツも、コーヒーもある。
・・・・・・
2013年02月28日(木)
閑話小題 ー熱気球事故
   * 熱気球事故
 一昨日、エジプトで熱気球が墜落して日本人4人を含む19人が死亡した。
ルクソールといえば、屋外博物館といわれるほど多くの遺跡群がある。そこは、
エジプトの都テーベがあった場所で、市域はナイル川によって分断されている。
日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿
など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、
王家の谷や王妃の谷などがある。王家の谷にあるツタンカーメン王墓は有名。 
先週、シネマで「ヒンデンブルグ」をみたが、これも超大型の熱気球である。 
熱気球は、初めて行ったケニアのマサイマラで、乗ったことがあった。
7〜8人の定員で、カナダ人のペアのカップルが船長と副船長だった。
オプションで、草原での朝食付きで2万5千円。早朝も真っ暗な中、迎えの
ジープに乗って気球のところまで行く。ジープは、我われを置いて直ぐに
気球の到着する場所へ直行し我われを待つ。出発基地の広場にある気球に、
ボンベの熱風を吹きつけ、膨らます。温風が空気より軽い原理で風船は上昇。
吊らされるバスケットは垂直になっていて、その手すりの内側にしがみ付く。
そして、飛び立つと垂直のバスケットは水平になる。一度浮いてしまうと、
安定をして乗りこごちは良い。それもマサイマラの草原の日の出が見れる
ように時間に設定しているため、景色はこの上ない。着陸地まで一時間近くの
御来光と大草原を見る空の散歩である。シマウマやヌーの群れが眼下にみえる。
目をこらすとライオンが二匹、気球に驚いたのか走っている。改めて感動が
よみかえってくる。ルクソールに一歩、足を踏み入れた時の衝撃は今でも
鮮明に残っている。5千年の歴史が、そのまま伝わってきたからだ。 
この気球からの景色も絶景だろう。私が行った時には時間的に余裕がなく、
乗らなかったが、一万円なら安いし、価値は十分ある。 
今回の事故は、着陸時にガスバーナーの管が折れて3Mの地点から300M
まで上昇して爆発し墜落。船長は、飛び降り命に別状はなかったが、他の
19人は亡くなった。300Mの上空では助かるわけがない。
旅先で、セスナやヘリの遊覧飛行のオプションがあるが、これが絶品である。
他にマッキンレー、イグアスの滝、アスカの地上絵、テーブルマウンテン
などで乗ったが、人生の絶頂のトキである。残念なのは、エベレストの飛行が
天候が荒れて中止になったこと。あまり書かないが、かなり際どいことが
何度もあった。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」である。 不運は仕方ない!
・・・・・・
3991, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2
2012年02月28日(火)
* パチンコ屋の仕掛け
 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル
総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの売上げが占めている。
子供を含めて一人あたり15万円。これは明らかに賭博であるが、どういう訳か
廃止論が出て来ない。この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と
癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。チョットした市の郊外
には必ずパチンコ屋がある。 ギャンブルと見なされてない遊びの文化のようで
何の規制もない。 受験が終わって、友人と初めて行ったのがスロットマシーン
とパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。人がギャンブルに嵌りこむのは、
大損しても、稀に勝った快感の記憶が残り、その味を求めて繰返す仕掛けがある。 
業者の方は、勝った際の高揚感や恍惚感を高める工夫をする。
パチンコ店の音楽やパチンコの光と音などである。 そして勝つための技術が
必要と錯覚させる仕掛けをつくる。負けたのは、勝つための技術料金と錯覚
させる。 もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。スロットの場合、AAAが
当たりの場合、ABAや、AABが出ると、「当たり損ねた」と考える。しかし、
外れは外れでしかない。その辺の気持ちを逆用するようゲームは出来ている。
 ギャンブル依存症の人は、脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に
多くなっている。 それは麻薬中毒の似ている。iPadを購入して以来、
パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の
星が三つでる。失敗すると、グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出る。 
それも、あと一歩のところで達成できないようになっている。金を賭けている
訳でもないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行け
ないほど熱中する。難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。 
私の周辺でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円が
ピンとこないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。 
韓国は、悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。この不景気で、業界は
壊滅的打撃を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
 ・・・・・・
2011年02月28日(月)
3626, デトックス
  ーまず「デトックス」を、ネット辞書で調べるとー
【 「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、
 余分なミネラルなどを取り除く健康法。体調がよくなる、肌が若返る、
生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。従来の健康法は
サプリメントなどによって足りない栄養素を補うという足し算方式だったが、
これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、食品や水道水など
を通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて
蓄積されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、
最近の研究でわかっている。 脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、
ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを体内にためない
ためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。
ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが体内に
取り込まれるのを防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、
ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。肝臓の解毒力を高める
亜鉛やセレンを含む緑黄色野菜などを組み合わせて、取り込まれた毒素を
排出するのが効果的である。 また、不要な成分を取り除く「デトックス
サプリメント」も発売されている。 】
ー以上だが、これとは別の話になるが、活性酸素が人間に溜まると、
これが病気を誘発する。冬を除いて毎日散歩を続けているが、雨などで
数日休んだ後に、久々に歩くと身体全体に溜まった毒素が体外に排出していく
感じがする。これが身体に溜まった活性酸素の排出か?と思ったことしばしば。 
身体に新鮮な酸素を入れると血液が洗われる。またストレスも毒素になる。
知らないうちに溜め込むと病気を誘導する。毒を入れないことと、溜めないこと。
インスタントや冷凍食品の防腐剤、米や野菜にふりかけられた防虫剤などが
長年にかけ我々の身体に蓄積されている。体内の毒素のデットストックを
デトックスするということ。私もデトックスサブリメントとして二種類の酵素を
飲み続けている。とはいえ、毒はたっぷり溜まっているのだろう。子供時代は
インスタント食品や、防虫剤がかけられた米・野菜は無かったので良かったが、
団塊世代の後の世代の人たちは、これから後遺症が出てくるはず。
だから、この言葉が注目されているのである。
・・・・・・・
2010年02月28日(日)
 3261, 日本の将来が暗いのは?
現在の日本が目先に直面している問題は大よそ
 ・二番底は回避できるか   ・財政破綻は防げるか 
 ・米国と中国のどちらに頼るか・企業経営は長期低迷を脱するか 
 ・民主党に期待できるか   ・政界再編成が、どうなるか
 ・当面の少子化をどうするか ・消費税を早急にアップできるか
日本人の平均生存年齢が80歳以上で、世界で一番高いのは知っていたが、
年齢の中央値が44歳とは驚いた。 各国の年齢の中央値は
  日本 43.9歳   米  36.7歳   中国 35.2歳  ベトナム 27.5歳
  メキシコ 26.7歳    ブラジル 28.8歳   ロシア 38.5歳
日本だけが異常に高い数字。 これは国民の年齢と捉えることができる。
これでは日本の将来に対して不安が生じるわけである。
この恐慌の中で、結婚適齢期の人たちの結婚時期が遅くなり、結婚しても、
せいぜい一人っ子。当分は平均値が上がるだろう。 
それは、即、国家税収の減少につながる。 暗くなるのは当然である。


5461,こう生きて、こう死にたい −1

2016年02月27日(土)

         「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著)          
   * 織田信長は超現代人
 当時の織田信長の戦略・戦術を駆使すれば、欧州全体を凌駕できる
能力があったという。群雄割拠の戦国時代の中 何の先入観も持たず、
与えられた条件の中で、整理をし、再構築し、判断、実行して、天下を
治めたのだから、想像を絶した能力がなければ不可能。何時の時代でも、
日本人の信長好きは変わらないが、それだけの人物だったようだ。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介より〜
<人生は一場の夢。この時代をどう生きるか。人間50年、運命の不可思議、
神仏の効験、サムライの美学、勇気と臆病など、津本・自らの作品から
抜粋した、歴史の英傑群像に学ぶ箴言集。>
 作家・津本の以下の説は、当時、話題になっていた。
≪☆ 私は織田信畏のことを、超現代人のと呼んでいる。なぜかー。
 現代人は学校教育の恩恵をうけて大変知識はあるが、物事を判断するとき、
教育によってえた学識や先入観にわずらわされてしまい、自分が本来もって
いる叡知、あるいは思考力を発揮できないでいる。それに対して信長は現代人
よりはるかに理性的で合理的。既成のすべてを疑ってかかり、与えられた条件
を自分のなかで整理し、再構築し、判断する。実行するに当たっては果断。
それゆえに、私は信長を‘超現代人’と呼ぶのである。 『旋風陳信長』
☆ 信長の性格の際立だった特徴は、意識のうちに何の先入観も持っていない
 ことである。戦国期の侍は、大義名分によって行動した。彼らが依拠した
武家社会の枠組みは、「すべての武士の主人は将軍である」という約束である。
 武田信玄は、将軍の補佐役になるのが生涯の念願であった。上杉謙信は、
足利将軍家の分家である関東公方の管領職(副将軍)になるのが、生涯の念願
であった。彼らはいずれも、自分の生まれる以前から社会に自然物のように
存在した、社会の枠組みに立脚して、行動をおこそうとした。
 だが、信長は何物にも絶対的な価値を認めない人物であった。領国、金銀、
官位にも、それ自体の属性としての絶対的価値を認めず、自分の置かれた
状況に応じて、それらがどれほどまで利用できるかという、利用価値の判断
をするのみであった。 『乾坤一滴』
☆ 明晰な論理を展開し、合理的判断をした後は、迷わず、自ら信じた道を
 押し進む。そして潮時を計って、攻める時は一気苛性に、退く時は、躊躇
しないのが信長の戦いぶりであった。  『武将の運命』≫
▼ 1575年、織田信長が3000丁の鉄砲を三列に並べ連続射撃を行い、無敵の
 武田騎馬 軍団を打ち破ったが、これは欧州でもなかった画期的戦術。
この戦術を使えば欧州を制覇出来たのではとさえ言われている。死を賭けた
勝つか負けるかの瀬戸際で考えたため、次々と戦略・戦術が湧き出てくる。
当時の最先端の鉄砲に柵を立て、騎馬軍団の進軍を阻止し、その後ろから、
三列の鉄砲隊の合理的射撃。当時の鉄砲の射程は短く、再発射まで時間が
かかる。戦慣れしていれば、次の射撃までの間に敵陣に切り込むが、近づいた
彼らを待っていたのは第二陣の射撃。更に追い討ちをかける第三陣がいる。
そして再装填を済ませた第一陣と繰り返えす。どれもこれも、当時は、想像も
出来なかった戦術、戦法。 後講釈の説があるとしても、『超現代人』の
言葉に何の違和感が出てこない。
・・・・・・
5097、遊ぶこと ーうさ晴らし
2015年02月27日(金)
         〜「人間であること」時実利彦著
   * 遊ぶこと 〜うさ晴らし
≪ ・第二の遊びはうさ晴らしである。新皮質の理性、知性に抑圧されている
 辺縁皮質の本能の欲求と情動の心をかなえさせる。人間は、集団生活の中で、
フラストレーションがおき、その辺緑皮質を乱しかねない。そこで、あらゆる
手段で、それを解消しようとする。それは原初から存在している遊び、つまり、
歌であり、踊りであり、お酒(酩酊)である。 新皮質は、アルコールに
非常に敏感で、辺縁皮質がまだまいってないのに、さっさと麻痺してくれる。
ほろ酔い人生は、「鬼のいぬ間の心の選択」、「うさの捨てどころ」になる。
もう一つの手段は、リズミカルな刺激を脳に与えることで、統合の座である
新皮質の活動が弱まり、理性や知性の抑止力が鈍り、そのすきに、心の憂さを
晴らしてくれる。 アルコールで脳を麻痺させ、歌をうたい、踊ることで、
溜まったストレスを発散させる。  (『ルバイヤード』小川亮作訳)
  こよい、また、あの酒つぼをとり出してのう
  そこばくの酒に心を富ましめよう
  信仰や理知のきずなを解き放ってのう
  ぶどうの樹の娘を一夜の妻としよう 
これは、ハムヤードの有名な4行詩である。
ぶどう樹の娘は、ブドウ酒。酒の効用を心にくいまでに歌い上げている。≫
▼ スポーツジムは「うさ晴らし」に最適である。ポップスなどの音楽を
 バックに、合同でエアロをするのも場所が場所のため、抵抗感がない。
居酒屋もカラオケもしかり。ストレスは万病の元、前向きに発散することだ。
事業も人生も、生きている限りフラストレーションが起きて当然。
その数倍のストレス解消のスケジュールを日常に組みこんでおけばよい。
だから花金(金曜)には、サラリーマンが居酒屋、スナックで羽目を外す。
 これをやり過ぎて、何度か大失敗をした。しかし、これが無かったら、
ストレス障害で早死していた? 私の一番の「憂さ晴らし」は異郷ツアー。
仕事と、アルツハイマーの母との5年半の生活と、事業のストレスが重なり、
非常に危ない状態で、ストレスでストレスを解消するしかないと、敢えて、
短期間で発散できる恐怖の異郷ツアーに参加してきたが、これが即効!だった。
・・・・・・
4732,閑話小題 ー年金生活者になって垣間みえてくる貧困問題? 
2014年02月27日(木)
 年金生活に入って、事業人生の気の張りも緩み、かわり映えのない日々が続く。
年金生活になれば、娑婆ッケも抜け、今さら欲しいモノも、してみたいコトも
然程ない。還暦までが人生の面白いところ。あとは、自然の流れに身を委ねて、
日々、面白、可笑しく生きることを心掛けるしかない。生活に心配ない収入が
あるかないかだが、自然に適応するから不思議。同世代が、二ヶ月後から古希。 
残された人生の期間が、あと平均10年になる。そのうち9年間が介護を必要
とする、というから、そう甘くはない。比較的恵まれた環境の生涯だったが、
ここにきて、周辺が寒々とした空気になってきた。貧困問題である。
以前も書いたが、世界と比較した相対的貧困問題である。この東北震災の
影響が今後、さらに深刻になり、日本は貧乏国になることは避けられない。 
  以前にも少し取り上げたが、ーその辺りをネットでみるとー
《 日本の貧困率についての最新のデータ、OECDの2009年の統計によれば、
 日本の相対的貧困率は16.0%で、この年に調査された中では、イスラエル
20.9%、トルコ19.3%、チリ18.5%に次いで4番目に相対的貧困が高い。
同年調査された韓国(15.3%)よりも高い率。2009年には調査されなかったが、
かねて貧困率が高いアメリカ合衆国が17.3%(2010年)、メキシコが20.4%
(2010年)である。日本より貧困率が高いメキシコ、トルコ、チリはいずれも
OECDには加盟しているが、先進国と言える経済力ではないため、日本は先進国
の中でイスラエル、アメリカに次いで3番目に貧困率が高い国になる。
逆に西欧諸国は大半が10%以下、全調査国中最も低いスウェーデンとデンマーク
の5.3%を筆頭に、北欧の貧困率が低い。厚生労働省の調査では、日本の相対的
貧困は2009年の時点で16.0%は、データが存在する1985年以降で最も高い数値。
2007年の国民生活基礎調査で、日本の2006年の可処分所得の中央値(254万円)
の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象となる。これは、単身者では
手取り所得が127万円、2人世帯で180万円、3人世帯で224万円、4人世帯で
254万円に相当。日本は、かっての調査で北欧諸国並みの水準で「一億総中流」
と言われたが、1980年代半ばから2000年にかけて貧富格差が拡大し相対的貧困が
増大した。なお、ジニ係数と相対的貧困率は定義が異るので一概に比較は
出来ないが、単身世帯を含めたすべての世帯における年間可処分所得(等価
可処分所得)のジニ係数で国内格差をみると日本はアメリカ・イギリス・
カナダ・オーストラリアの英語圏諸国より格差が小さく、フランス・ドイツと
ほぼ同程度の格差であった。相対的貧困率は、1980年代半ばから上昇している。
この上昇には、預貯金や不動産を所有しつつも収入は年金しかない「高齢化」や
「単身世帯の増加」、1990年代からの「勤労者層の格差拡大」が影響を与えている。
「勤労者層の格差拡大」を詳しくみると、正規労働者における格差が拡大して
いない一方で、正規労働者に比べ賃金が低い非正規労働者が増加、また
非正規労働者間の格差が拡大しており、これが「勤労者層の格差拡大」
の主要因といえる。》と、やはり深刻である。
▼ 年金生活に入って、家にいるケースが多い上に、見栄など、どうでも良い
 年齢だが、それでも思わぬ出費が次々かさむ。リーマンショックによる静かな
恐慌と、大震災による影響で、マイナスの影響を受けるのは、貧困層。我われ
世代は「良い時代」を生きてきたが、これから「悪い時代」に生きることになる。 
良い時代を知らないから、それが当り前?
・・・・・・
4365, セックスがあいさつ代わりの類人猿
2013年02月27日(水)
        『あなたのなかのサル』 フランス・ドゥ ヴァール
 読書の合間に、Youtubeの他に、アマゾンのネットサーフィンをしている。
で、見つけたのが、この本である。ボノボの、この習性を知ってはいたが、
立ち読みでも面白い! これが人間の隠された本質かもしれない。
  ーまずは、ともあれ、この中の一節からー
≪ セックスがあいさつ代わりの類人猿ボノボは、発見が遅かったにせよ
人間のタブーに接触のためか、あまり知られていない。何と一時間半に一回
セックスする。体格的にもずん胴なチンパンジーよりスマートで、より人間に
近いと思われるこの類人猿、そのため動物園にもTVのお茶の間にも登場しない。
このフリーセックスというか、挨拶代わりのセックスは、子殺しを防ぐことから
起こったのかもしれない。父親がわからなければ、外から来たオスに殺される
ことが防げる。セックス相手のオスから庇護を与えられるからお得である。
ボノボでは若いメスは相手にされない。熟女が歓迎される。若いメスは性皮の
腫れをパスポートにして、新しい集団におちつくのである。ボノボはメスの
ほうが権力をもつ。メスはほかの集団のオスともセックスすることによって、
オスの縄張りの意味をなくして、ボノボは平和な社会の可能性を開くのである。
 人間はセックスを社会生活から隠す。あいさつ代わりのボノボと違って、
セックス相手をひとりのオスに絞ることによって、育児の支援を受けるのである。
ために家が必要になった。チンパンジーは劣位のオスはセックスをとがめられる。
 人間はチンパンジーのように縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、
メスを囲い込む。子孫や経済の共有がないから外集団との争いが絶えないと
思われるのである。ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる
必要があるのではないかとヴァールはいう。人間はチンパンジーのように
縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、メスを囲い込む。
子孫や経済の共有がないから、外集団との争いが絶えないと思われる。
ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる必要があるのではないか
とヴァールはいう。チンパンジーには集団での権力闘争や序列関係があり、
観察記録には如実にそれが現れる。人間はそれがあたかも存在しないか
のように暮らすから、動物たちの観察記録が参考になる。
 動物たちは序列を明確にする。それをボティランゲージではっきりとわかる
ように表わす。劣位の者は腰を低くしたり、腹を見せる。
人間には序列があるはずだが、それを明確に表わさないし、ときには無意識に
行っているのに意識の底に潜りこませるのである。それを明確に意識の昇らせる
ために、このようなチンパンジーの観察記が役に立つのである。≫
▼ Youtubeに、この映像がある。(今日のバードウォッチに掲載) 
これをTVで放映は出来ないのは当然。人間に最も近い類人猿の永年かけた
知恵というから考えさせられる。食肉系女子を重ねると、いやに納得する。
近親間ではどうかは、分からないが、恐らくないのだろう。
考えてみれば、これが桃源郷の世界ということ? 一時間半に一回ですか!
・・・・・
3990, 日本の、今そこにある危機
2012年02月27日(月)
 産経新聞一面に世界協力銀行の企画部長の論説【日本の、今そこにある危機】
の論説が現在の日本の実態を分かりやすくまとめてある。これが現在の日本。
* 日本のGDP(一人あたり)2000年には世界第3位だったものが
  2008年には23位に低下
* 国際競争力は1990年には世界1位だったが2008年には22位に低下
* プラント(生産設備)輸出では2006年に韓国に抜かれ、今や成約実績で
  3倍以上引き離されている
* 貿易収支は31年ぶりに赤字転落
* イギリスエコノミストは『自動車の海外生産比率が2003年の49%から
  2014年には76%まで上昇する』と予測。
* 日本の国と地方の債務の対GDP比率は213%でイタリアの129%を
  大きく上回っている。
* サマーズ元財務長官(オバマ政権経済顧問)は『日本はもう終わっている』
▼ 莫大な借金を政府部門が抱えているのに金利が上昇せず、円高が続くのは、
 債務の95%を国内で保有しているため。このマイナス・スパイラルも、
ますます加速しているが、これに対し政治が混迷をし思い切った対策が出来ない。
 もう「日本は終わった」のか? 更に東北大震災と、首都直下型地震と、
東海、東南海、南海地震が待ち受けている。これから10年間は、日本は
激しく衰退するしかないのか。 首相は一年しか持たないで交代するパターンを
繰り返し、ある日突然、国家破綻の道をひた走り、国内は空洞化。国民は今そこ
にある危機にさえ鈍感で、ゆで蛙状態。国が滅びるとは、こういう姿か。
充てがわれた民主主義の行き着き先が、これ。 
 ・・・・・・・
3625, 人は人生に何を求めるのか
2011年02月27日(日)
 人生の終盤に差し掛かり、ふと「人間は一生を何のために生きているのか?」
という学生時からの問いが再び俄然と立ち現れてくる。何度も問いかけ、問い
かけられてきた問題だが、この年齢の、その問いかけは自分の人生の奥から
沸きあがってくるから学生時代のそれとは違ってくる。「己の魂を磨くため、
高めるため」というのが、現在のアリキタリな答えになる。キュープラー・ロス
のいうレッスンとは魂を磨き高めるためである。それは社会的に成功したとか、
何かを残したとかいうことより、内側に一歩踏みこんだ自分独りだけの醒めた
問いかけと、その答えになる。 そこで、何度も問かけてきた、「魂とは、
そもそも何ぞや?」という根源的な話になる。魂とは= 物理的には、大宇宙の
中の微細な最大100年間与えられた肉体。それに対し、魂は、己の心の背後に
広がる内的宇宙と、そこに繋がっている己をいう。それは「いま、ここ」から
過去・未来に広がり宇宙に通じている。それを人間は一生をかけ心を通して広げ、
高め、開放していくことが、人生が求めること。 自分の人生が半年、三ヶ月と、
区切られたときに、己は果たして何を求めていたのか、問題が立ち上がる。
「人生は魂の研磨を通して己を高めること」とすると、そこに知識と経験が必要。
求める対象にエネルギーを集中していく過程で己を高めることそのことが人生。 
よく遊び、よく学び、よく働く、こと。その3つを心がければ、自動的に求めて
いるところに近づくはずだが。人生が何を求めているかというフランクルの哲学
になっていくが。 そんな難しいことを考えることもない。 
今ここ、を大事にすればよいのだが!
 ・・・・・・・
3260, 日米「振り込め詐欺」大恐慌    ー2
 2010年02月27日(土)
  ーこの本の論旨というと
「アメリカ発の世界恐慌」がこれから始まるが日本はアメリカに洗脳された
ままなら、アメリカと一緒に崖から落ちて行くだけ。オバマは2年で大統領を
辞任し、ヒラリー大統領が登場する。現在のままでは「日米振り込め詐欺構造」
では日本が潰される。既に「日米振り込め詐欺」で私たちの年金が吹き飛ば
されたも同然で。日本の年金が国債などで吹き飛んで、近い将来には、3分の1
しかもらえない事態になる。しかし、これからはアメリカ処分案が実行される。
アメリカが処理しなければならない金額は4千兆円。 巨大バブル崩壊で
失われた世界の富は総額6〜8京円。その10分の1の処理が必要になる。 
その中で、日本はアメリカの洗脳から脱却しなくてはならない。ここで更に
日本から60兆円を貢がせようと策動する。これからアメリカは横柄な態度で
次から次へと日本に政治謀略を仕掛ける。
▼ 以上だが、隷属国家の日本は、民主党への政権移管でアメリカと日本の
 官僚たちからの呪縛から解放される時である。日本が稼いできた金は、
ドル本位制度とかいうシステムで殆んど絞りとられてきた。この著書は一年前に
書かれたが、著者の言うとおり、鳩山の脱税、小沢の政治資金疑惑など、
明らかに日本の官僚がアメリカに策動された動きになっている。
そして、今度はトヨタバッシングである。 現在が日本にとって大きな節目。
思い切ってアメリカと間を置くチャンス。アメリカは露骨に日本の貯蓄を狙う。 
この数年が経済危機に見舞われるが、大元のアメリカの傷は最小で済む。 
「振り込め詐欺」というより、「抱き込み詐欺」に戦術を変えようとしている。 
ドルを大幅に刷って、世界中のドルの価値を一方的に下げればよいだけ。 
それがドル本位制の正体である。アメリカは軍事だけではない、小麦、
トウモロコシなど、食物の生産国である。軍事と食料で日本など簡単に
コントロールできる。だから、いざとなると日本は腰が引けるのである。 
人口減少と、戦後教育、とりわけ「ゆとり教育」で日本人は、確実に骨抜きに
なってしまった現実がある。 頭と尻尾に、その傾向が大きく現れている。 
ここで、政界再編成を早く実施して、新しい時代に向けた体制をつくらなければ
ならない節目にきている。今さら鎖国もできないだろうし。 
欧州、アメリカが駄目ときたら、紆余曲折はあっても、中国、インドの時代か!


5460,遊びをせんと 〜�◆〕靴咾鯏�学する 

2016年02月26日(金)

   * 「YOUは何しに地球に来たの」
TV番組に「YOUは何しに日本に. Why did you come 」(東京放送)がある。
  〜ネットで、この番組を検索すると、
【 前代未聞の空港アポなしインタビュー。一寸先は全く読めない新感覚
ドキュメントバラエティ!日本を訪れる外国人の目的は?観光?仕事?留学? 
 …そこで我々は外国人たちの日本への玄関口、空港で勝手にお出迎えして
直撃取材を敢行。前代未聞の空港アポなしインタビューをやりまくりました。
するとそこは…面白外国人の宝庫。一寸先は全く読めない新感覚ドキュメント
バラエティ! 】とあった。人生も考えてみれば、80年のツアーである。
 これを「YOUは何しに、人間に」に転換した問いには、一般的には、
『働いて金儲けするためやってきた』とは、答えない。その多くは
『面白いことをして、美しい絶景をみて、美味しい料理を食べ、色いろな人と
出会い、可能の限り楽しみたい』と、答えるだろう。それに人生を重ね合わると、
答えは自ずと出てくる。何で難しそうなことを!というが、大部分の人は、
漫然として、それが分からない。それぞれが目先の目的は持っているが、
「私たちは地球に何しに来ているのか?」と訊ねても、分かっていない。
 宇宙サイズからみたら、私たちは短期間で地球観光に、そう、輝く『光』を
見るためにやってきた。決して闇を見に来たのではない。世間原理主義者は、
何故か光より、自分を含めた身辺の闇に目がいき、光を見ようとしない。
とはいえ背景の闇も必要条件で、深ければ深いほど、光は輝く。
 井戸の蛙、井戸の外の世界を見れないが、満天の星空を見ることができる。
この蛙に、「YOUは何しに地球にきたの?」と問われたら、  (*´д`*)ハァ
「宇宙より、井戸の外の世界をいっぱい見てみたい」と、思うだろう。
そこには、蛇も、鳥もいて危険だらけでも、世界を知る価値は十分ある。
 ところで、私は「何しに人間として地球に来たの?」と、問われれば、
〔危険を乗越えて、地球上の大自然と、文化・文明、人間を可能な限り知り、
それに感動(同化)し、空(無)への機中、ああ良かったと思えるために来た〕
が答えになる。 捨身にならなければ、そう簡単に世界は広がらない。捨身に
なれなかった自分が、ここにいる。面白く、悲しい、極上で極悪の世界がある。
人生は、生まれて死ぬまでの綱渡りである。 
  後記) 偶然だが、以下にちょうど良く続く。この偶然は何? 
 私たちは、遊ぶためにやってきて、遊び疲れて、帰りの機中から、ちぎれる
ほど手を振って、「さらば」をしたいもの。それには、まだ、遊び足りない? 
いや、もう充分か? 忘れてならないのは、遊ぶだけ、学び、働くことだが。
 いずれにしても、機中で泣きながら帰っていくのが人生。 (╥_╥); ゥヮ

・・・・・・
5096,遊ぶこと ー人間であること −��
2015年02月26日(木)
         〜「人間であること」時実利彦著
 ある本に、44年前に読んだ『人間であること』が紹介されていた。早速、
倉庫内の書棚で探し出し目を通しているが、当時、読書録をつけてなかったため、
印象に残ったページの折り目と、傍線の箇所と、少しの書込みしか、当時の記憶
はなかった。要約をノートに記録しておく必要性に気づかなかったのが青年期の
最大のミスで。そこで14年前から、随想日記で、公開し記録として残すこと
にし現在に至っている。 それ以前の20年間、2ヶ月に一度、社内報に
『事業百訓』として書いたのがあるが。『人間であること』を改め読み直すと、
考えさせられる内容。44年の経験が、その意味を理解する裏づけになったため
である。 当時、こんな格調の高い?本を読んでいたと我ながら感心するが、
真に理解していたかというと、疑問である。 ここではページ順でなく、
印象に残っている部分からランダムに選んでみる。まずはー遊ぶことーより。
  * 遊ぶこと ーA
   〜まずは、要約から〜
≪ オランダの分明史家のホイジンガーは、私たちの人間のあらゆる文明は
 遊びから始まったみてとり、‘ホモ・ルーデンス’(遊ぶ人)という書物を
書いている。彼の論旨には全面的に賛成できないとしても、「人間のある姿」と
一つの側面を捉えている。赤ん坊は赤ん坊なりに、子供は子供なりに、大人は
大人なりに、遊びを楽しんでいる。遊びは、動物も遊んでいる。日本猿の子供も
よく遊ぶが、7〜8歳でピタリと遊びを止める。しかし、人間だけは、遊びを
止めない。この答えは、脳の本質を、その仕組みに即すると出てくる。
 遊びを四つの異なる精神によって演出されている。
四つの遊びにはそれぞれ異質で、その存在意義がある。
・第一の遊びは模倣するという心にかきたてられた行動である。動物の脳は、
生まれた時、殆ど成熟しているが、未成熟な部分が模倣行動(遊び)で成熟、
発達する。よく遊ぶ動物はサルであるが、大人になると遊ばなくなる。
 しかし人間は大人になっても遊ぶ。それは人間だけが遊びを必要とする前頭
連合野を発達させているからである。私たち人間は、第二、第三、第四、と
 あの手この手で遊びをやている。・・・ つづく  ≫
▼ 第一は模倣、第二は憂さ晴らし、第三は勝負ごと、第四は創造である。
 それらは次回になるが、私の母が、『仕事も、勉強も、何事も、遊びに
なるまで打ち込むこと』と教えてくれたが、第二、第三は、馬鹿でも出来るが、
問題は第四。これは人間だけが出来る遊びという。この随想日記も、
14年の時間の結果、遊びになっている。     〜つづく 
・・・・・・
4731,閑話小題 ー結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
2014年02月26日(水)
  * 結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
 朝日新聞の土曜版に、美輪明宏の人生相談‘悩みのるつぼ’があるが、
これが面白い!先週は、結婚歴33年の57歳男性の「妻に振り回されて
いるのですが・・」の相談。
《・質問 <私はマイペースの行動して個人の時間を大事にしているが、
 妻は何時も他人のことを気にし、何か不安があると、口にし、私に共感を
 求めます。総合的に私は、その妻に振り回されています。> に対して、
・答は <いい歳をして何もわかってない。男女は精神的にも、生理的にも
 違っていて考え方が根本的に違うもの。結婚生活とは、忍耐、努力、諦め
 以外のなにものでもない。これが、その正体であり、本質。現在、日本の
 若者たちの間で「シェアハウス」が流行している。言わば共同下宿で、
 一人で生活するのが経済的、精神的に難しかったりする若者が暮らす。
 他人を必要としない時には、離れた部屋にいて、人の息づかいを感じたい時
 には、共有スペースに出ていって話をしたりする。結婚とは、そういうもの
 では? 還暦過ぎて、家に一緒にいるケースが多くなると、この姿勢が
 必要になる。妻を亡くしたことをシュミレーションしてみて、そのプラス
 マイナスを考えれば、自ずと答えが出るはず。妻のマイナスだけを見ずに、
 プラスもを考えて、感謝をしてみれば!> 》と、ギレがよい。
  家に入って3年近くになるが、互いに我が強いため大変だが。その間に、
 40年以上の結婚生活で至った結論が、上記の「シェアハウスと思えばよい!」 
 この三年間では、互いの居間の滞在時間を半々にすること。私がいる時間帯は、
 家内は食事の支度など家事をして、私が書斎で読書とパソコンや、寝室で
 ドラマなどを見る時間帯は、家内が居間と、棲み分けている。 
 就寝時間も私が20時過ぎ、家内が0時。起床時間は私が冬場4時半、
 夏場が4時。家内は7時過ぎ。結婚以来だが、互いに自分のスケジュールを
 淡々とこなすが、2〜3ヶ月に一度は恒例の喧嘩になるが、数日で元に戻る。
 そこに自然と「忍耐、努力、諦め」が滲み出る。色いろ見てきて「独り暮しの
 厳しさ」が分かるため、まず我慢、忍耐!だから、互いに違ったライフワーク
 と、共通の趣味が必要。定年期を向えた日本中の団塊世代が、家庭内では、
 忍耐、努力、諦めの鍛錬の諍いが生じている。私のように、立場が180度も
 逆転した者にとっては、この実感が強い!         
・・・・
4364, 嘘と真実 −3  
2013年02月26日(火)            
    ー『「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著』よりー
 嘘といえば、超能力と霊媒である。少しは本物もあるのだろが、99%は
タネがある。所詮は、思い込みでしかない。世の中の現象、嘘と真実が丁度よい
塩梅で混合している。営業活動は9割方は、これを知り尽くしたもの。絶対量と
質を持ったものが、知らないものへ都合良く誘導する。政治など、まさにこれ。
  * サイキックマフィア
≪ 50年前の1961年の頃、世界心霊主義者協会の理事で、世界で最も
 金を取る霊媒師の一人だったラマー・キーンは、全米各地で交霊会を催し、
神秘体験を求める人たちの前で霊視能力や念動作用、心霊療法などさまざまな
奇跡を演じてみせる。スター霊媒ともなれば湯水のごとくカネが流れ込み、
王侯貴族のような豪邸に暮し、美女をはべらせ最高級のレストランで食事をし、
一流のナイトクラブで札束をばら撒く夢のような生活が待っている。
彼がほかの霊媒とちがっていたのは、虚飾の生活に倦んで正直な生活に戻ろう
と思い直したことだ。彼は『サイキックマフィア』(太田出版)という本を書き、
‘幽霊ビジネス’のカラクリを暴露した。交霊会では、さまざまな"奇跡"が
演じられる。物体移動の実演も、そのひとつで、こんな感じだ。
会場から指名され壇上に上げられた男に、霊媒が訊く。「免許証をなくされたん
じゃない」怪訴そうな顔で、男は反論する。「そんなはずはないよ。免許証は
いつも財布に入れていたんだ」 「だったら、確認されたらどうですか?」
男が財布を開けると免許証はどこにもない。「お捜し物はこれですか?」
霊媒は、胸ポケットから男の免許証を取り出してみせる。もう少し手の込んだ
ものがある。交霊会で、年配の女性に霊媒が尋ねる。「最近、大切なものを
無くされたのではないですか?」そして、それを出してみせる。何ということは
ない。スリを雇って予め抜き取っていた。交霊会前に、広告などで参加者を募る。
霊媒は、その中から適当な人を選んで、人を雇って花を届けさせ、家の中の様子
をうかがい、情報を取る。そして、あたかも霊感があたったように、
その詳細を全員の前でいう。 ≫
▼ 要は事前に情報をとっていて、手品のように効果的に使えばよいだけ。
 どんな社会にも、神秘体験に惹かれる人たちがいて、‘本物の神秘体験’
を求めてオカルト世界を放浪する。そんな彼らのために、‘超能力’を演じ、
効率的に搾取する仕掛けができている。そしてサイキックマフィアが、
そういう連中の情報を互いに流している。キーンが、活躍したのは1960年代。
あれから半世紀が過ぎ、科学は進歩してが、そのテクニックは更に進歩した。
手品師が、こぞって霊媒師に変身していった。
・・・・・・
3989, カーネーション
2012年02月26日(日)
 朝の連ドラ「カーネーション」、初めから見続けてきたが、なかなか面白い。
デザイナーのコシノ三姉妹の母親と実家の商家を題材にしたドラマ。初めの
触れ込みは、「NHKの朝ドラで、一番がらの悪いヒロイン役」だった。これを
見るにつけ、私が育った実家が思い出される。このドラマの数十倍の濃さと
激しいドラマがあった。父が亡くなった後の私の代も次々と問題が起きていた。 
商家の家族には、あらゆる問題が全て現れ出る。この連ドラには、ヒロインの
三姉妹の母親の業が、赤裸々に表現されている。和装店から洋装店への業種
の転換と、親娘の商売上などの葛藤などの実話が背景にあるため非常にリアル。
また主役のタレントも役に憑依したような熱演。ヒロインの思い込みの強さと、
目の前の障害に身体ごとぶつかっていく姿は、私の20歳、30歳の頃の姿を
見ているようである。あの赤裸々の柄の悪さ?は、時代の変化に対応するに
自然に出てくる姿。 時代は商売に関係なく先に動いていく。その変化対応に
捨て身で取り掛からないと難しい。その辺を、このドラマは上手に脚色。 
 実在のコシノ三姉妹の子供の頃からの取っ組み合いの喧嘩も、リアル。 
私が事業を始め気づいたことは、事業に家族や親戚を入れないのが鉄則。 
事業は極限の限界の連続。そこで相打ちになる。コシノ三姉妹は、そのことに
気づいていたようだ。三姉妹の母親の子育ては、殆ど祖母が担っていた。 
浮き役としてのオバアサンの役割が、そこにある。人類の進化にオバアサンの
存在の役割があったという説がある。経験の知恵伝達をオバアサンを通して、
子孫に教えを伝える役割である。その役割を、とぼけたオバアサン二代が、
巧妙に果たしている。 それぞれが主体的に生きてこそ人生ということか。 
いずれにしても同じことだが・・・
 ・・・・・・・
3624, 自己の探究 ー1
2011年02月26日(土)
 「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
   ーアマゾンの内容
 悩む人にも、悩まない人にも。偉大な思想家たちの思索をたどりながら、
他者や世界と繋がる自己発見への旅。モンテーニュら偉大な思想家たちの
思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのより
よい関係の構築を模索する。
ーー
哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、
ソクラテス、モンテーニュ、パスカル、アミエルなど、を取り上げている。
「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための
「カタログ」でもある。どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に
対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。 
≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。
 日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題であることに
気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇
すると、自己は一種の棘となってわれわれを苦しめることにもなる。
----しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として
生きることがいかなることかが少しずつ見えてくるであろう。自己への旅は、
われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、
自分との対話や反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に
 変化することをやめないからであり、自己を探究する視線にも変化が伴うから。 
それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線
とが交錯するなかでくりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。 
そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
思っていた側面が疑わしくなる、自分の見方の狭さ、窮屈さが見えてくる、
もうひとつ先を読む見方が自分に求められてくる、というようにして自分を
軸にした思考がくりかえされる。この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって
偏狭な自閉的世界へと入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
▼ 60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしく
 なってきた。 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。最近、
自分の中に以前から下町などで見た歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になってきた。 
自分の老いを見つめることも自己探究。
・・・・・・・
3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
 2010年02月26日(金)
  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 
六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、そこの
住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の
僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。当時は、問答をして負けた方が、
寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、
その日は住職は留守だとして旅の僧を引き取らせますが、また来ると言われ、
困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと
言うので八五郎は代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、
住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで
問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って前に突き出すと、
住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。
(字数制限のためカット 2012年2月26日)


5459,閑話小題 〜文枝のギャグ

2016年02月25日(木)

  * 文枝のギャク
 桂文枝の愛人問題、落語家の有名人なら今さらの話。
奥さんにシゴカレ弱気になっただけ、で、何時の間にか消えゆく艶話の一つ。 
それにしても、女は強(したたか)か。「たけし」なら、ニュースにならない。
それが自然だからだ。「謝罪するから、責められる」だけの話。 降番覚悟に
『新婚さん、こめんなさい〜!』と、駄洒落をかましておけばいいのに。 
『独居老人になってしまう?』が既にギャグである。
  * 物忘れが・・
 最近、買ったばかりの眼鏡が行方不明。相手は眼鏡だけに、探すのが大変。
年寄の行為の過半数以上が物忘れの探しものか、そのフォローと聞いていたが、
自分が当事者になるとは。 65歳を過ぎ、一線から退いた時から、それまでの
緊張感が一挙に激滅したが、その時期から、物忘れが始まった。本格的に老いる
のは、これからだから、怖ろしい限り。週に5日、スポーツジムで2時間の運動と、
4〜5時間の読書とパソコンをし、ドラマ、映画を、数本見たりしていて、これ
だから無趣味だったら、どうだろう。 他人の噂話で、溜まった毒を吐くしか
ないのか。その自身の毒で死ぬより、死ぬべき時に早々、逝ったほうが良い?
  * スポーツジム、1100回
 昨日、スポーツジムのフロントでチェックインした時、
『今回で1100回になります。』と言われた。500回の時と同様、指定日以外の
日祭日の一日無料券をもらったが、何で1000回でなく1100回? あと45日で
まる5年とすると、年間平均220日あまりになる。 週五日制で、盆暮、祭日
などの休館と、旅行などでの休暇を差引くと、こんなもの。当初の冷ややかな?
視線に、ヌシになれば平然としていられる。体調が改善していく手応えがある
のが良い。それと雰囲気が明るく健康的で良い。インストラクターの掛声の
もと、ポップスをバックに、一同で踊るような動作をすると、何故か心が弾む。
ある意味、現在の私にとっての社会の窓である。これで月6千円、一日あたり
300円は格安である。満足度は90点。
  * 歯医者通い   (昨日のバードウォッチに掲載分)
 一年ぶりに歯医者通い。今回は週一の割合で5回で終了。歯垢をとって、
歯茎の治療。毎日、歯の間を歯間ブラシで磨いてくださいというが、これが
どうも・・ で、隔月に通うことにした。 時間帯もあるのだろうが、最近、
お客の数が少ないようだ。 家内も、??科の医院に通っているが、近くに
新しい医院が出来たところ、それまで満員だった患者が激減したという。
年金生活者なら、医療費は大きな負担になる。
・・・・・・
5095,悪夢の21世紀 ー3
2015年02月25日(水)
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜③  佐伯啓思著
(7・A)
≪ 端的に言えば、近代文明はヨーロッパという独自の「文化」の中で
成育し発展してきた。それが完成すると、普遍的な<文明> として世界化。
しかし、この文明化は、その< 文明> を生み出す「文化」のエネルギーを
枯渇させる。たとえば、ヨーロッパがキリスト教の神学的教養との闘争を経て
生み出した近代科学は20世紀に入ると実証科学としていかにも形式化された。
主権国家や国民国家も、ローマ教会とのプロセスで世俗的権力の自立を目指す
ヨーロッパの歴史から出てきたが、20Cに入ると、アジア、アラブ、アフリカ
など、あらゆる地域が国民国家へと編成された。中東など、地図を広げれば
分かるが、砂漠の真中に見事に一本の直線で、人工的に国民国家が作り出された
ことが分かる。民主主義も、王権との闘争の中から、古代ギリシャやローマを
参照しながら作り出された。だから、ヨーロッパでは民主主義への警戒感も
強かったが、20Cに入ると民主主義こそは理想的で普遍的な政治体制となった。
アメリカのウイルソン大統領は、第一次大戦への参戦にあたり、アメリカは
「世界の民主主義を守る」と言った。ヨーロッパが生み出した近代は普遍化され、
世界化され、普遍文明とみなされ、これを代表するのはアメリカであった。
2 0Cになるとアメリカは急に移民国家の様相を呈した。ロシア革命を逃れて
ロシアや東欧から流れ込み、ナチズムを逃れてユダヤ人が流れ込み、職を求めて
アジア人が流れ込んだ。→ アメリカは多様な民族や人種からなる「世界の縮図」
となり、アメリカこそは、「世界的な普遍文明」を代表することになった。
アメリカこそが、「民主主義」を代表するだけでなく、それを「世界化する使命」
を帯びるようになった。かくして、実証主義、科学技術、市場経済、民主主義、
自由な個人、基本的人権といった観念は、『グローバル・スタンダード』と
見なされていった。これが近代主義というもの。 アメリカなる国が、この
近代主義を理想としグローバル化を推し進めた。特に20世紀の二つの戦争後、
アメリカ的な近代文明が世界へと拡散する時代。それが一気に爆発するのが
1990年代以降、ソ連社会が崩壊し、冷戦が収束してからだった。
▼ イスラム国が、欧米がつくり上げたアラブ国家の枠組みを否定し、
 マホメットがイスラム経をつくった原点に立ち返り、新たなイスラム国家を
つくろうという理念は、発生して然るべきだが、、奴隷制度の復活とか、首切り
処刑や、その写真公開は容認できようはずがない。欧米が、近代になって
各地域の部族の首長を巻きこみ、勝手に線を引いて都合の良い国家をつくって、
そのまま現在に至っている厳然たる事実がある。9・11テロも、アメリカが
国家的陰謀で、テロを見逃していたという説もある。そして、アフガンと、
イラクの利権を狙った?とか。世界の隅々まで高性能の情報機器が普及し、
ネット社会が覆ってしまったことが、ニヒリズムに落ち込む結果となった。
偶然だが、以下の文章につながる! 
・・・・・・
4730,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー4
2014年02月25日(火)
 * 口ーマ帝国の繁栄と共通する国際巨大資本 〜�   
       ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 少しテーマと違う内容だが、国際巨大資本が、ますます肥大化をしている
反面、その恩恵を受けてきた新興国も変調の兆しが出てきた。巨大資本と
ローマ帝国の繁栄と衰退を類推して、その将来を見通すと・・ーその辺りからー
《 ローマ帝国が衰退した第一義的な原因は、ゲルマン人の侵攻とされています。
 しかし、その背景をより深く洞察すれば、�ゲルマン人に国を取り囲まれて、
新たな領土の獲得が困難となったこと、�その結果、戦争奴隷を獲得できなくなり、
ローマ帝国の経済基盤であった農業が衰退したことーのふたつが、実質的な衰退
の原因となったことがわかります。欧州から小アジア、北アフリカまでを制覇した
巨大帝国は、ゲルマン人の武力ではなく、自らの経済力の弱体化によって歴史から
姿を消したのです。 この構図は、現代の国際巨大資本が、新興国や途上国で
資本主義の領上を拡大している姿と似ています。欧米の巨大資本は、労働力の
安い新興国や途上国に工場を設け、安価な製品を先進国に送り出すことによって
巨額の利益を上げてきました。
 ローマ帝国が領土を拡大できなくなってから衰退したのと同じように、
労働力が安価な国を追い求めるフロンティア開拓式の資本主義は、いずれ限界に
ぶつかります。実際に中国では、急激な経済成長によって沿岸部では人件費が
高騰しており、価格を武器に輸出を拡大することが難しくなりつつあります。
 また、「リーマンショック」による世界不況で、欧米の消費は冷え込み、
先進国への輸出によって高成長を実現してきた新興国や途上国は、かつての
高成長を保てなくなってきました。これらの国々に工場を建設して製品を輸出
していた欧米の巨大資本も、同様に成長を保つに四苦八苦しています。
農産物の生産が立ち行かなくなって崩壊に追い込まれたローマ帝国と同じように、
国際巨大資本も"国際分業体制"というビジネスモデルの限界にあと10年か20年で
到達しようとしている。時代や場所が違っても、同じ状況と条件がそろえば
歴史は繰り返すのである。・・・ 》
▼ 世界はアメリカによって実質支配されており、グローバル化などは、
 アメリカ規格の基準の順守を前提としている。情報化によるネット世界も、
その大元はアメリカが握っており、おお方がコントロールされている。
近代化=西欧化だが、それが果たして幸福を意味するか?というと、どうも
おぼつかない。金=神では、幸せになれる訳がない。 私自身を振り返ると、
一日の三分の一以上は、テレビかパソコン生活。確かに面白く、便利だが、
少し不自然。スポーツジムや、電動アシスト自転車にしても、これまで無かった
マシーンを使った文明のリキ。せっかくだから、使わない手はないが、
それに比例して幸せになったかというと疑問である。しかし、私自身、
毎日が面白く、楽しく、時間が足りないほどで、一日がアッという間に
過ぎ去るのも確かで、近代化の恩恵を充分に受けている。 
 幸不幸は、近代化が云々の問題ではなく、生き方の姿勢の問題である。 
現代のローマ劇場が情報機器ということか。
・・・・
4363, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー7
2013年02月25日(月)
    「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
 * 情景描写の効果 ー鱒寿司の話
 伝える効果の「人プラス物」の他に情景がある。その中でとりわけ生活情景の
ワンシーンは抜群。その幾つかが紹介されているが、むしろ私の子供時代の
思い出になっている「鱒寿司の話」を書いてみた。
≪ 子供の頃、父が店の仕入れの御土産に、北陸まわりの車内販売で、鱒寿司を
 買ってきてくれた。笹の葉に包まれた鱒寿司は、当時の家族にとって最上の
食べ物だった。それを家族が集まり八等分の一切れが分配される。
その大きさが微妙に違っているのを固唾をのんでみているが、末っ子のため、
最後の一切れが私に配られる。それに醤油を一タリつけて食べると、それが
美味いのである。ケーキを切って食べるのと似ている。それから何年後に、
義兄が、車内で思いついて土産に買ってきた。その時の話が印象に残っている。
隣席の人が、車内販売の鱒寿司を幾つか買う義兄に連られて買い求めて、早速、
食べた。ところが期待したほど美味いと思わなかったのか、不思議そうに、
「それほど美味くないが、どうして、こんなに買うのですか?」と尋ねたので、
義兄は、「これは家族が集まり、幾つか切った一切れを団欒しながら食べるから
美味しいので、一人で列車内で食べるものでないですよ!」と教えたところ、
その人も納得していたという。≫
▼ これを書いていて、鱒寿司を兄姉と分かちあって食べた当時の情景が、
 鮮明に思い出てくるから不思議。 ウィキペデアによると、
【鱒寿司は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を
用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司の一種。】とある。今では、
スーパーなどで催事で時々、見かけるが買う気になれない。小学校の5年から
高校を卒業するまで、長岡駅裏に8年住んでいた。そのため、そこの生活が、
いやに懐かしい。母親が極度の「うつ病」になり、心筋梗塞を誘発し、あわや
死にそうになったり、近隣の遊び友達と遊んだり、十姉妹や文鳥、カナリヤを
飼ったり・・ あの受験勉強さえなければ、良いことずくめ。 
読書を薦めてくれる人はいなかった。
・・・・・
3988, 閑話小題 
2012年02月25日(土)
 * アマゾンの「なか見!」が良い
ネットの立ち読みとして最近、アマゾンのサイトの「なか見!」
を覗いているが、これで本一冊の半分以上の情報を得ることが可能。
その上に類似本が自動的に紹介されるので次々とチラ読みができる。
さらに、読者からの感想投稿文の要約が幾つかある。iPadで月々450円を
払うと多くの週刊誌や月刊誌を立ち読みでき、毎日の楽しみの一つである。 
その何冊かはバックナンバーをダウンロードすることが出来る。
バックナンバーでも、コラムとか、趣味のコーナーに面白いのが多くある。
去年の春にリタイアーし、気持ちに余裕ができ、腰を据えてネットや書籍を
読む環境が出来たのと、40数年の縛りから外れたのが大きい。
アマゾンのチラミの「なか見!」も、慣れてくると濃厚な読書タイムになる。 
あらためて「本はすごい!」「ネットはすごい!」と、実感する。
本屋の立ち読みをネットで可能になるのである。図書館と、近くのSCにある
蔦屋の書籍コーナーと、アマゾン内の書籍検索が、現在の私の情報収集の
ネットになっている。 ネット上に、まだ知らない有効なサイトが溢れて
いるのだろうが、私のレベルでしか、有っても、理解できないことも確か。
その人の経験と知識の範囲でしか、物事は理解できない。
だから好奇心と実行力が必要になる。
  * 生涯単身者
 私の従兄弟と私の兄を含めた17人のうち、早死にした私の兄三人を
除いて14人が結婚している。兄三人は既婚年齢を超えないで亡くなったので、
全てが既婚といえる。しかし私の息子を含めた甥っ子が9人にうち未婚が4人。
これから一人が結婚しても、三分一が生涯未婚の可能性がある。50歳まで
未婚の人の割合を「生涯未婚率」というが、1985年までは1〜3%で推移
していたのが、5年後の1990年に二倍の5・6%、2005年には16%で
6人に一人の割合に、現在30歳が50歳になる2030年には男30%が、
女22%と予測されている。今までの家族単位に重きを置く社会通念が、個人
単位になり、生活もコンビやスーパーで調理品や日用品を手軽に買うことが
出きる。目先、結婚する必要性がないのも大きな要因になっている。
ペットの犬は、子犬から飼わないと飼い主とはシックリいかない。
人間も同じで、適齢期を超えた者同士は、丁度良い相手と出会う確率は
歳を重ねるごとに低くなる。 30歳前後の男女と、40歳を超えた
男女とは、相性が年々悪くなっていく。
 ・・・・・・
3623, 日本人発明の食べ物
2011年02月25日(金)
 カレーはインドのものだが、ライスの上に乗せてカレーライスたるものを
作ったのが日本人である。日本人は西欧の香りのするカレーを、ハイカラ、肉食、
手軽というカレーライスに仕上げた。明治の頃に明治政府が肉食を勧めるために
天皇が肉を食べてみせた。そして仮名垣魯文がカレーレシピを作ったのが始まり。
カレーといえば新宿の中村屋の純印度式カリーは有名で、香りが何ともいえない。
これは、東京帝大前のパン屋のハイカラ文化の経由。そして、極めつけが、
インスタントカレールー。 これで誰もが手軽に夕飯にカレーをつくれる
ようになった。これは、同じ頃に「すき焼き」が日本特有のものとして大衆に
浸透していった。 更に、『きむらや』は明治七年に銀座に進出し、やがてパンに
アンを入れたものを売り出したのが始まり。これもカレー、すき焼きと共に
日本文化の一つになっている。これは饅頭の皮をパンに思いついたのだろう。
 そして戦後になって、『チキンラーメン』と『カップラーメン』である。
日本というより世界屈指の発明である。これは日清食品の、創業者の安藤百福が
つくりあげたもので、今や年間一千億食も食べられている。世界の一人当たり、
15食以上も食べられていることになる。 宇宙食として、災害や紛争の救援食
として、世界中の津々浦々まで浸透している。最近では、回転寿司である。
酢飯と魚が丁度、健康ブームとあいまって、爆発的に進出をしている。
古来からあるもの食文化を、外来のものとアレンジをして新たに日本人好みに
変えてしまったもの。最近は米粉を材料としたパンや麺なるものが出てきている。
 ところで、話しは違うが、日本の夜の世界のクラブ。着飾った女性が客に
サービス(踊ったり、歌ったり、話し相手になったり)する業種は日本だけ。
外国は、何?の前段階の品定めならあるが、ただ、接客や、雰囲気を楽しむのは
日本だけ。これは昔からある芸者遊びを現代版にしてものだが、何か、
上記の日本特有の食べ物と、進化過程が似ている。
 ・・・・・・・
3258、日米「振り込め詐欺」大恐慌 −1
2010年02月25日(木)
 日米「振り込め詐欺」大恐慌 
   ー 私たちの年金・保険は3分の1に削られる  副島隆彦/著
[要旨]オバマ大統領は2年で辞任し、世界は緊急の金融統制体制(預金封鎖)
に突入する。日経平均は4500円を割り込んで最安値を更新。金(ゴールド)
も買えなくなるから、今のうちに金にしがみつけ。
これから2012年までに何が起きるのか?
「9.15のリーマン(破綻)ショック」を事前に言い当てた著者の提言。 
年金などもらえると思ってはいけない。ドルは大暴落し、日本もアメリカと
一緒に沈む。暗黒の世界に突入して以後の3年を予測。
 ーカバー裏
・ 米国債とドルの大暴落でこれから「アメリカ発の世界恐慌」が始まる
・ オバマ大統領は2010年にドルを半値まで切り下げて辞任する(後はヒラリー)
・ FRBと米国務省は今から2000兆円のドルを刷り散らす
・ アメリカの「振り込め詐欺」(ネズミ講)で日本の700兆円が奪われた
・ 日本の年金資金の半分が吹き飛んで、もう年金は3分の1になる
・ NYダウ平均は3000ドル台へ、日経平均は4500円を割り込む    
・ 大銀行、大証券といえども潰れないという保証はなくなる
・ 日本も緊急の金融統制体制(「預金封鎖」)に追い込まれる   
・ 金(ゴールド)もいずれ買えなくなる
  〜〜
 この本は、去年の4月30日に発刊されている。アメリカの執拗な日本に対する
謀略は、著者が言うとおりになっている。鳩山の脱税容疑、小沢の政治資金問題で、
元秘書の逮捕など、あまりに露骨な日本攻撃である。ここで、さらにトヨタの
狙い打ち。そして、裏ではアメリカ国債の押し付けが行われている。
そのアメリカは、何処も買う余力がないので、日本にアメリカ国債を買うように
執拗に迫っている。それが、アメリカ「振り込め詐欺」である。
実際のところ、何処が違うのか? 同じである。


5458,遊びをせんと 〜遊びを哲学する ー①

2016年02月24日(水)

           〜『世界の哲学・思想』小須田健著 より
   * 遊びを哲学する
 楽しむといえば、「遊び」である。「遊び」に関しては、内なる評価は90点。
進学、進級するにつれ、遊びが一そう面白くなっていた。 実社会でも歳を
重ねるたびに、質量は上がっていた。その背後には、ストレスが解消もあった。
仕事も面白かったが、遊びも、数限りない蓄積がある。
『 よく働き、よく学び、よく遊ぶ 』 は、人としての目指す行動指標。
 充実の実感は、学びも、働きも、80点。その手ごたえが有難い。
仕事の面白かった経験より、辛い中での、遊びのトリップの経験こそ、人生の
価値にとって良いことは、今さら言うまでもない。 〜その辺りから〜
≪ ・理性と感性による二つの衝動が人間にはある、ということです。
 この二つの、一方は不変へ、一方は変化へ動こうとする人間の中でいかに
調和させるか? そこで、シラーが気づいたのは「遊戯」と「遊び」でした。
彼は、人類の大いなる遊びを歴史に求めます。ギリシャのオリンピアの競技、
ローマの闘技、マドリッドの闘牛、パリの見世物、ヴェニスのゴンドラ競漕、
ウイーンの狩猟等々。そして、血を流さずに、人体の美をも競いあい、鑑賞
させるギリシャのオリンピアの競技の遊びこそ最上と思いました。それは美を
求める遊びなのですから。シラーは、そこで「美しいものは単なる生命でも、
単なる形態でもない。人間に対し、絶対的な形式性と絶対的実在性の二重の
ものを授けてくれる生き生きした形態、それが美である。しかも、動物が
巣をつくる遊びは、その美を得させてくれる」としている。・・・
・ホイジンガーは、目を人類全体の歴史に向けて『ホモ.ルーデンス』年刊を
 まとめました。・・・ そこで、
「ホモ・ルーデンス」とは、ラテン語の学名になぞらえた人間の性格付けで、
「ホモ.サピエンス」(知性人)や、「ホモ・ファーベル」(作る人間、工作人)に
対比させた言葉で、意味は「遊ぶ人間」です。すなわち、人間を遊びを知るもの、
遊びと切り離せないものとして定義付けようとしたのです。彼はそこで、
人間の遊びの歴史は、「ホモ.ファーファル」の歴史より古いことを実証し、
「人間は遊ぶ存在である」と定義したほどでした。遊びの歴史を探ることこそ、
人類の歴史、文化の歴史を探る直接の素材であり、その手掛かりでもあるのです。
また、ホイジンガーの言葉で言いますと、「遊びの面白さは、どん名分析も、
どんな解釈も受け付けない」ものでした。いったん遊びだしたら、面白くて
もうやめられない、その遊び心を歴史的に記述したのが、ホイジンガーの
「ホモ・ルーデンス」でした。ホイジンガーは、カナダのインディアンなど
各国の諸民族に伝わる儀式を伴う遊びを検証し、古代ギリシャのアゴン
(競技や、子供の遊びなども含めて考証しながら、改めて「遊び」をキーワード
に、数々のその特性を発見しました。
「遊びは文化より古い」
「遊びは本気なものではない、と言ってはならない」
「遊びは、われわれのまだ知らない秩序を創っている」
「遊びは、人やものを結びつけ、また解き放つ共同性をもつ」
「遊びは、人間がさまざまな廓象の中に認めて言い表わすことのできる
 性質のうち、最も高貴な二つの性質によって充たされている。
 リズムとハーモニーがそれである」
「遊びは、本気でそうしているのではないもの、日常生活の外にあると感じ
 られるものだが、それにもかかわらず、遊んでいる者を心の底まですっかり
 とらえてし塞うことも01麓な、一つの自由な活動である」
「遊びは本気で何ものかを求めての競争であるか、あるいは何かを表す表現
 であるかのうである」  ≫
▼ 晩年の両親の後姿から、遊びは、その時点時点で計画的に消化しなければ
 ならないと、学んでいた。あれだけ楽しめば、悔いも、何も残らないだろう。
仕事の合間に遊ぶより、遊びの合間に働く位で丁度良いのかもしれない。
もっと遊んでおけば良かったと思っても、もっと事業拡大をしておけばなど、
終盤にさしかかった現在、全く思わない。仕事を趣味にし、楽しんだ実感が
あって満足できれば、それも遊び。思え返せば、仕事も、遊びも、面白かった!
 TVの番組に「YOUは何しに日本へ. Why did you come 」(東京放送)
があるが、これを「YOUは何しに、地球へ」と、問われ、『働いて金儲けする
ためやってきた』とは、答えない。 ・・これは、長くなるので次回へ!
・・・・・・
5094,タガメ女の正体  ー⑦
2015年02月24日(火)
       ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体〜深尾 葉子(著)
  * タガメ女度チェック
 カエル男に続いて、タガメ女度のチェック。
まあ、世の亭主、良いように飼い馴らされたもの。他人事ではないか!
  ☆ タガメ女度チェックシート
1.規則正しい生活を送っており、周囲から「ちゃんとしているね」と言われる
2.パートナーには「0時には帰る」という“カエルコール”を義務づける
3.相手が失敗をすると、「ほら、だから言ったでしょ」と言う 
4.いかに自分が日々の家事(仕事)を頑張っているかを周囲にアピール
5.習い事に夢中になっている
6.休日は友人と会ったり、イベントが目白押しだったりで忙しい
7.マンションの階層にこだわりをもっている(戸建ての場合は家の立地)
8.近所からどう見られるかにはかなり敏感だ
9.スマホではなくガラケー(ガラパゴス・ケータイの略。
日本国内では便利だが世界標準ではない)でドコモユーザーだ
10.住宅ローンを組み、「郊外のベッドタウン」で暮らしている
11.結婚願望は強かった(強い) 
12.まとまったお金は投資型の運用よりも郵貯や積立保険にまわす
13.アルバムが充実している
14.誕生目やクリスマスパーティなどのイベントを企画するのが好きだ
15.ディズニーランドが大好き
16.女子会では“意味のない会詰”を延々と続けられる
17.身近に独身のオタク男性などがいると不安になる
18.「主人は〜」(カレは〜、)というのが口癖だ
19.PTA活動(行事)では積極的に「役職」につき、懸命にこなす
20.働きながら子育てをする女性や独身女性とはあまり親しくしない
 ・0〜4:タガメ女度20%
 ・5〜10:タガメ女度50%
 ・11〜15:タガメ女度80%
 ・16〜20:タガメ女度100%
▼ 家内は問題なので、姉の一人を想定すると何と80%? 
 傍目でみても、それは大変? 専業主婦を持ったサラリーマンなら、
タガメ度80%は仕方がないか。婿取り娘なら100%?
「このオレに あったかいのは インコだけ」
「領土権 妻はリビング 俺仏間」というところか。
・・・・・・
4729,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー3
2014年02月24日(月)
 * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜�   
          ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 自分の節目を書いているような? 男女の組み合わせも、このようなペア
が多い? 私が?パラノで、家内が? 「パラノ」と「スキゾ」について、
浅田氏は『逃走論』で、次のように解説しています。
《・「パラノ型というのは偏執型(パラノイァ)の略で、過去のすべてを微分
  統合化して背負いこみ、それにしがみついているようなのを言う。パラノ
  人間は《追いつき追いこせ》競走の熱心なランナーであり、一歩でも先に
  進もう、少しでも多く蓄積しようと、目を血走らせて頑張り続ける」
 (『逃走論』)、それを読んでわかるとおり、これは前項で説明した
 「脱コード化」(近代資本制)社会における典型的な人間の姿を言い表わす。
・それに対し、「スキゾ型というのは分裂症(スキゾフレニー)の略で、そのつど
  時点ゼロにおいて微分ー差異化しているようなのを言う。スキゾ人間は、
 「追いつき追いこせ競走に追いこまれたとしても、すぐにキョロキョロ
  あたりを見回して、とんでもない方向に走り去ってしまうだろう」
  要するに、お金を求めてクラインの壺をぐるぐる回り続けるパラノ人間
  に対し、その行為を全く拒絶して、自分の思うままに生きるのがスキゾ人間
  であるということです。浅田氏は『逃走論』のなかで、パラノ人間は成長
  社会においてのみ肯定されるという本質を見事に探り当てています。
  頑張れば、それなりに結果(地位、報酬など)が得られる社会だからこそ、
 《追いつき追いこせ》の運動が活発化するのであり、それを否定するスキゾ
  人間は社会から異常者としてつまはじきにされます。いわゆる「おちこぼれ」。
  しかし、高度成長期ならいざ知らず、このデフレの時代には、パラノ的
  価値観の方が、むしろ異常と捉えられる。》
   ーネットで、この説明を解りやすい例えの内容があったー
【 1980年代、浅田彰氏を中心に、人間はパラノ型とスキゾ型の二つがある、
  と説く。・パラノは偏執型(パラノイア)のことで、十億円もってる
  吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな。
 ・スキゾってのは、つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬に
  すべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。もっとも基本的な
  パラノ型の行動といえば、《住む》ってこと。一家をかまえ、そこを
  センターとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうずたかく蓄積。
  妻を性的に独占し、産ませた子供の尻をたたいて、一家の発展をめざす。
  このゲームは途中でおりたら負け。《やめられない、とまらない》で、
  パラノ型になってしまう。これビョーキだが、近代文明はまさしくこうした
  パラノ・ドライヴによってここまで成長してきた。成長が続いている限りは、
  それなりに安定していられるが、事態が急変したりすると、パラノ型は弱い。
  砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕になりかねない。ここで《住むヒト》
  にかわって登場するのが《逃げるヒト》。何かあったら逃げる。
  ふみとどまらず、とにかく逃げる。そのため身軽じゃないといけない。
  家というセンターをもたず、たえずボーダーに身をおく。家財をためたり、
  家長として妻子に君臨したりはしないから、そのつどありあわせのもので
  用を足し、子種も適当にバラまいておいてあとは運まかせ。
  頼れるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ。】
▼ 家庭内をみれば、旦那がパラノ型で、妻がスキゾ型。定年前の男なら、定年
 までは、パラノ型で、その後は、スギゾ型。私自身は、50歳まではパラノ型で、
 それ以降は、スキゾ型に比重が移動。そして65歳からは、完全移行になった。 
 こう振り返ると、15年間の準備期間があったことになる。
 クラインの壺の渦中だと、自分自身が見えなくなっていた? 
・・・・・・
4362, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー4
2013年02月24日(日)           
 * 親しい友人は何もしてくれない理由   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲 著
 生きてきて感じることに、「親しい友人は何もしてくれない」という厳然たる
事実がある。当たり前のことだが、友人に物事を頼ること自体が間違っている。 
が、全く違う理由がある。 ーその辺を著者は次にように述べている
≪ 親しい友人同士は、長い付き合いのうちに、頼りあった友人関係は責任が
 伴うため淘汰されることを経験上知っている。強い親しい友人は似たような
仕事か環境であるため、助け合うに不向きである。知人の方が弱い絆で責任も
伴わないし、違う分野の世界だけ広い世界を持っている。そのため貨幣世界の
人の方が割り切って紹介しやすい。 貨幣空間の成功者は、人と人を結ぶことに
喜びを見出している。優秀な人材を紹介することで人間関係の貸借対照表に
資産を加えることが出来ることを経験上、彼らは知っている。 紹介された方は
心理的負債は負うが、これは金銭と違って返済義務はない。世界中のすべての人
と6次以内でつながるスモールワールドの貨幣空間では、たくさんの弱い絆の
向こう側に大きな鉱脈が眠っている。グローバル時代のビジネスでは、その
‘真理’を本能的に知っている人が、成功を確実に手に入れることが出来る・・≫
▼ ビジネス社会をみると、有能の人は、人間関係の貸借対照表の資産が多い。
 私など人間関係論を専門にしてきた割に全くというほど資産も、負債もない。
独りの世界も良いが、それにしてもである。ビジネスの世界を離れれば、
その資産もアテにならない。そこでネットで検索すると
《 友情は、共感や信頼の情をもって互いを肯定し合う人間関係、もしくは
そういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛のこと。しかし、それは
すべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に
存在する。》とあった。 基本は「人は人 我は我 されど親しく」である。
群れた老人ほど(若者もか)、不釣合いのものはない。最近、暴力団にかわって
「半グレ」が話題になっているが、自立できない半ガキの群れそのもの。
半子供だから群れるしかないのも分かる・・ やはり法律で締め上げるしかない。
何かしてもらう目的で、セッセと人と人を結びつけ、人間関係の資産を増やす
貨幣空間も、これまた面白いようだ。逆に、それとは全く違った資産勘定も
必要だが、歴史上の偉人とか小説上の人物でも親しい人は作ることができる。
・・・・・
3987, 宇宙論のコペルニクス以上の大転換 (宇宙は本当にひとつなのか)
2012年02月24日(金)
           宇宙は本当にひとつなのか ー1
  * 我々の宇宙は10の500乗分の1個でしかない!
2003年を境に宇宙論は、コペルニクス的大転換に匹敵するほど大きく変った。
コペルニクスが地球が宇宙の中心と思っていたところに、実は太陽が中心で、
その周りを地球が周っているに過ぎないと主張した以上の衝撃的進展という。 
それは、観測の結果から宇宙全体のエネルギーの内訳が明らかになった。
星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは宇宙全体の4・4%で、
目に見える星や銀河は、宇宙の中のほんの一部分でしかないものだった。 
ここで、残る96%は何か?というと23%が暗黒物質で、約73%が暗黒
エネルギー。それを合わせると、残りの96%になり、元素のエネルギーを
合わせると100%。しかし、その正体は殆ど分かってなかった。
つまり、宇宙の殆どが分かっていなかった。ところが、その暗黒物質が分かる
一歩手前まで来たのである。この暗黒物質の研究から出てきた考えが、宇宙は
もっと沢山、もしかしたら10の500乗個もあるかもしれないという宇宙多元論。
たくさんある宇宙の「たまたま」真空のエネルギーが十分小さかったものが
わずかあり、私たちの宇宙は、その一つだったという説。殆んど宇宙のことが
分かってなかった事実と、我々の宇宙は、気の遠くなるような多くの宇宙の一つ
でしかない裏ずけがで始めてきた。
 学生時代にビッグバンとブラックホールの理論を知ったときの新鮮な驚きを
今でも憶えている。その後の科学の飛躍的進展で、宇宙のことが格段に知られる
ようになった。その一つにブラックホールの先が違う宇宙への入り口ではないか
という説。それが2003年を境にコペルニクス的大転換以上に変わったという
のを最近、知ることになった。哲学が宇宙の外があるかどうかを論じているが、
科学は、宇宙はもっと多くあり、10の500乗もある可能性を論じている。 
科学が哲学を遥かに超えたことになる。 永遠の中の有限の存在を知った人間が、
その苦しみを緩和するためつくり上げた神も、多元宇宙論を知ると、所詮は、
そこまでということが分かる。 私にとっても、衝撃的大転換である。
137億年前のビッグバンで我々の(今度から、我々の、を付ける)宇宙が
出現し、その広がりには千から2千億の星からなる銀河が、100億もある。
そこには星の消滅の時に生じる空間の歪みが、ブラックホールになり、周辺の
星を吸い込んでいる。それは、どうも他の宇宙に通じる通路と思われる。
これが、私の知っていた宇宙である。それが、気の遠くなる数の多くの
宇宙の一つというと、根本が変わってくる。
  ・・・・・・・
3622, お姥捨てるか裏山へ
2011年02月24日(木)
            「日本の名著名言事典」より ー1
* お姥捨てるか裏山へ    「楢山節考」 深沢七郎著
  ーまずウィキペディアの「あらすじ」からー
 山に囲まれた信州のある村。今年も楢山の歌が歌いだされる季節になった。
村の年寄りは七十になると楢山まいりに行くのが習わし。六十九のおりんは
それを待っていた。息子の後妻も無事見つかって安心したし、山へ行く時の
支度はととのえてある。 済ませることはあともう一つ …。
 −塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る−
自分が行く時もきっと雪が降る…おりんはその日を待ち望む。
孝行息子の辰平は、お供で一緒に行くのだが、気が進まず元気がない。
しかし家計を考えて年明けも近い冬の夜、誰にも見られてはいけない
という決まりで背中に母を背負って楢山まいりへと出かけていく。
辛くてもそれが貧しい村の掟なのであった。ー以下の部分が凍りつくようである  
               ―「日本の名著名言事典」紀田順一郎著より
「お姥捨てるか裏山へ 裏じゃ蟹でも這って来る 這って来たとて戸で入れぬ  
 蟹は夜泣くとりじゃない」 山深い村で昔、年寄りを裏山に捨てた因習がある。
或る時、老婆を捨てたところが這って帰ってきてしまったので、家の者たちは
「這って来た、這って来た、蟹のようだ」と騒いで戸をぴったりと締めて中へ
入れなかった。家の中では小さい子が蟹が本当に這つて来たのだと思い込んで
しまった。 老婆は一晩中、戸の外で泣いていた。その泣き声を聞いて子供が
「蟹が泣いている」と云ったのである。 家の者が「蟹じゃないよ。蟹は夜
泣いたりしないなよ、あれはとりが哺いているのだ」と子供などに話しても
わけがわからないので、そう云ってごまかしてしまったのである。
この村では、白米は年に一度の楢山祭の時や、重病人でなければ食べられない。 
早くに嫁を貰うことは愚かなことで、それは少ない食料が減るからである。
「曾孫が生まれる」のは多産や早熟の者が続いているということで、嘲笑の対象。
老いても丈夫な歯を持っているのも恥ずべきで、食い意地が張っていて、浅ましい
と見做される。この村は七十になった老人は、裏の山へ捨てられる。息子が背板に
老いた親を乗せ楢山に登っていく時に一言も喋らず、後ろを振り返らないが山の掟。
▼ それほど遠くない時代に日本の山間部には、こういう風習があったようだ。
 現在の日本は不況不況と騒いでいるが、実際に、こういう時代が来ないとは
いえないことを知らない。隣国の北朝鮮が、これに近い惨状といっても、現実
としては考えられない。それにしてもリアルである。都会などの餓死などの
孤独死があるが、楢山考と何処が違うのだろう。


5457,閑話小題 〜政治を哲学する

2016年02月23日(火)

           「世界の哲学思想」小須田健著」より
   * 政治に対して哲学ができることは?
 政治には、烏合の衆をまとめて理想の世界に導く役割がある。そのためには
哲学が背景になければならないが、目先の力学も必要になる。政(まつりごと)
を治めるのが、まず第一になる。ここで「政治とは様々な意見の対立がある
ことを前提とした上で、おたがいに共有できる土台を作れるかを目指す」と、
明示している。 高度成長期には、成長を。低成長期には、低成長の政策を
とるのが政治。哲学は、それらを鳥瞰した視点を持たなければならない。
だから哲学からは安易な答えは出してはならない。 ここで、政治についての
本質をズバリついている。 〜その辺りから〜
≪ プラトンたち古代哲学者が活躍した時代から現代にいたるまで、哲学の扱う
 問題はあきれるくらい変わっていません。もともと哲学とは、千年単位で思考
する営みであるため、一年や二年といった短期的な問題に答えていくのには、
あまり向いていないところがあります。つまり哲学とは、政治や社会や、急務な
課題に答えるものではないのです。
 では哲学が、政治や社会問題に対してまったく無力かといえばそうでもない。
哲学は、どんな問題に対しても安易に答えを出してしまう私たちを戒め、
自制を促す力をもっています。数学の問題のように、ただひとつの明確な答え
が領域が確かにあります。しかし、現代の、政治・社会問題には簡単に割り
切ることのできない問題が山積しています。また、どんな問題にも正解がある
はずだと考えることは、危険な一面も併せもちます。このような人は、正解だ
と思えるものを見出したとき、それを錦の御旗のように振りまわして、自分以外
のすべての立場を否定する態度にでかねないものです。確信をもって他人を批判
する人々は、もはやその自分の確信そのものが誤っているかもしれないという
可能性をすっかり失念してしまいます。ある時点で正解と思われたものが、
いつまでも正解であり続ける保証など、どこにもありません。ですから、
「もうこれは正解でなくなったのではないか」と、絶えず自己吟味をして、
自分対して批判的な目をもち続けることが大事なのではないでしょうか。
これはけっして日和見の勧めではありません。わかることはわかり、解決できる
ことは解決していくべきなのはいうまでもありません。「今の自分にはわから
ないことがありうる」という観点を保ち続けることが大切なのです。
 哲学は、けっして万能の解決策を教えてくれる学問ではありません。
むしろ、適切なかたちで問題を提起してくれるのです。適切なかたちで問題を
提起することができれば、そのときに解決もある程度見えていることでしょう。
なんにでもわかったような顔をするのではなく、わからないことはわからない
と素直に認める潔さもときには必要なのです。
 民主主義の基本は、自分と遅う意見の持ち主の存在を認めることにあります。
ですから野党が存在しない一党独裁の国には、どういいつくろってみても本来の
意味での自由はないので。政治とは様々な意見の対立があることを前提とした
上で、おたがいに共有できる土台を作れるかを目指すのです。フランスの哲学者
スポンヴィルの言葉を借りるなら、「みんな一緒でエゴイストになれる」道を
模索するのが政治です。哲学的思考は、常に他の答え(正解)も在り得るのだ
ということを認識させてくれるものなのです。・・・≫
▼ 世界はキリスト教とイスラム徒の原理主義戦争の様相を呈しているが、
 これは、中東と、欧米の風土の違いからくる宗教観の違いがある。砂漠では
家長が絶対的権力をもって、家族を導かなければならない。過酷な環境では、
民主主義や個人の自由の主張はマイナスになる。イスラム原理主義を強引に
推し進めようとするISが、猛威をふるっているが、これを欧米に持ち込もうと
しても、土台無理がある。とはいえ、欧米の世界支配で、中東などの世界から
資源を奪略してきた現実と格差が、ネットで公然となってしまった。それは
民族間の相克であり根が深い! 21世紀の世界大戦は、既に始まっている?
世界恐慌、格差問題の露呈、世界大戦の図式が不気味に現実になろうとする。
・・・・・・
5093,タガメ女の正体  ー⑥
2015年02月23日(月)
      ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 〜深尾 葉子(著)
   * カエル男度チェック
  有難いことに、タガメ女と、カエル男度チェックシートがある。
まずは、☆カエル男度チェックシート  ( )内は、私自身のチェック
1.パートナーや家庭を大事にしている  (○)
2.周囲から「愛妻家ですね」と冷やかされたり、「恐妻家」と呆れられる(?)
3.気がつくと、「うちの女房が」「家内に聞かないと」の言葉がでている(×)
4.住宅ローンを組んでいる(×)
5.月の小遣いは一万〜三万円と決まっている(×)
6.職場にいるとなによりも落ち着くので、朝出勤をするときの気持ちは
 憂鬱というよりもウキウキしている(×)
7.時には、家に帰りたくない夜があってわざと寄り道をして帰宅する(×)
8.フェイスブックに奥さんや子どもたちの写真をひんぱんに公開している(×)
9.学生時代よりも社会人になってからのほうがよくモテたと思う(?)
10.よく部下や後輩に仕事を押しつけてしまう(?)
11.職場や周囲からは「コワモテ」だと思われている(○)
12.部下の指導力には自信がある(?)
13.周囲からは面倒見がいい親分肌だと思われている(×)
14.酔うと居酒屋の店員やタクシーの運転手に威圧的なことを言う(?)
15.大きな声では言えないが、けっこうセクハラっぽい言動をしてしまう(?)
16.渡辺淳一の小説が好きだ(×)
17.じつは若い愛人がいて、仲間内ではよく"愛人自慢"(浮気自慢)をいう(×)
18.女性と交際をしているときは、白分が主導権を握っていると思う(×)
19.正直に告白すると、マンガの「島耕作」のような生き方に憧れている(×)
20.たまには「俺も辛いんだよ」などと甘えたことを周囲に言ってみたい(×)
 ☆ あてはまった項目の数で、
   0〜4:カエル男度20%
   5〜10:カエル男度50%
   11〜15:カエル男度80%
   16〜20:カエル男度100%
(?)を0・5として加えると、私のカエル度 30%? 
  主観と傍目は違う? だから共生していける!いや、共演? 実演?
・・・・・・
4728,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー2
2014年02月23日(日)
  * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜�   
          ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 時代はバブル崩壊辺りから変わってしまった。と共に人間の生き方も、
ここで大きく変化を始めてきた。資本主義の論理の限界もみえた中で、
貨幣に縛られ振り回されている枠を見直そうという動きも出てきている。
先進国といわれてきた人たちと、後進国といわれる地の人たちの文化と、
果たしてどちらが優れているか? それが構造主義である。  
 ー以下の解釈が、明快であり、納得できるー
《「脱コード化」社会においては、貨幣が王に代わって社会の頂点に
 君臨するわけではありません。貨幣は、頂点と底辺の間(言いかえれば
「王座」と「世俗」の間を行ったり来たりと、めまぐるしく回転運動します。
人々は貨幣を追い求めるため、それを資本として活用することで商品や
サービスに換え、より多くの貨幣を手に入れるという生産活動を繰り返す。
「もっと豊かに」「他人より幸福に」という人々の思いに突き動かされて、
貨幣は資本となり、資本はさらに貨幣を生み出し、それが資本として再投下
されます。貨幣はそのような無限の運動を 繰り返すのです。
このように、貨幣が「王座」と「世俗」の間をぐるぐると回り続ける様子を、
浅田彰氏は『構造と力』の中で、「クラインの壺」をモデルに使って解説。
「クラインの壼」とは、境界も表裏もない壺のことです。 
実際の三次元世界では存在しえない形状ですが、円錐形である「超コード化」
社会との対比として、動的な「脱コード化」 社会のイメージを明確化
するために、このモデルを採用した。ここで注目したいのは「脱コード化」
社会においては、「貨幣が、人間の欲動をクラインの壷における反復運動の
エネルギーに転換させることによって、秩序を維持するための装置として
機能している」ということです。・・・
 ここの狙いは、哲学的な「ものの考え方」や「もののとらえ方」を身につけ
「経済予測」に生かす方法を説明することにある。・・現代の資本主義社会は、
人間がお金によって動かされ、生かされる社会であり、人間が幸福になれない
理由はそこにある、という話をしました。では、どうすれば人間は幸福に
なれるのでしょうか。そのひとつの答えとして、浅田彰氏が『構造と力』に続く
『逃走論』で提示するのが、「パラノ」人間から「スキゾ」人間への転換です》
▼ 最近、シルクロードの一つの村々の人たちの姿と、アメリカの都会の人たち
 の姿を比較すると、果たして彼らが先進をしているか疑問に思わざるをえない。
フンザの老人と子供の澄んだ姿と、あのファッションの姿を比べれば一目瞭然。
アメリカの主軸通貨のドルと、米国債を、貨幣と資本に当てはめると面白い。
アメリカ資本が二種類の紙切れで世界を牛耳ってきたことが見えてくる。
その循環の大元を握っていれば、紙切れの発行をするだけでモノが手に入る。
パラノ人間が、スキゾ人間から、ものを収奪してきたのが人類の歴史といっても
過言ではない。ブータンのように、地政学的に隔離されていれば、それはそれで
良いが。だから、生き方として、実社会人の時は、パラノ型で、50歳を過ぎた
辺りから、スキゾ型になる、そのため定年がある。森からサバンナである。  
・・・・・・
4361, 嘘と真実 −2
2013年02月23日(土)          
    「うそつきーうそと自己欺瞞の心理学」チャールズ・V・フォード著
  * うそつき 
 この本は、「嘘と真実−1」を書いた後で、図書館で見つけた本である。
この年齢になり人生を振り返ると、鮮明に己の行蔵がみえてくる。そこには、
自分に対する都合の良い言い訳や、無意識の浅ましい自分の嘘が浮かび上がる。
特に青少年期にまず身につくのは自分を騙すこと。自分の未熟さを認めたく
ないため、ウソで自身に対する「日々是口実」になる。身勝手の本性に小理屈
をつけ、まず自分に対する言い訳を考え、それを信じてしまう。
だから生きていられることもある。
ー以下は、この本の訳者の‘あとがき’中で語られている至言と
 いわれるフレーズ。 これだけで、要約になる。
「人は自分にうそをつくために他人にうそをつく」 
          《まず人は自負心を保つために自分にうそをつく》
「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』とき、より効果的うそをつく」
          《犯罪者の起点は、ここから始まる》
「うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実をわい曲する」
          《基本的技法は相手の聞きたがっているウソを語ること》
「うそのつき手あるいは聞き手のいずれか一方が主犯というわけではない。
           うそは双方向通行の人間関係による力学的作用である」 
          《 落ち目の会社にある不信の構造に見られる? 》
「優秀なセールスマン同様に政治家もまた、選挙民を相手に、選挙民の聞き
 たがっていることを語る。この関係は双方的なもので、政治家が有権者の
 自己欺まんを代弁することもある」
 《権力を求める政治家に自己愛的な人が多く、その特性がうそを助長する。
これ、恋愛もいえる。人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ」
 《集団内で相互に強化される自己欺瞞が、恐ろしい問題をひきおこす。 
                 現在の国内政治にも心当たりあり! 》
「正真正銘の真実を聞かされてがまんのできる人間はそうはいないものである」
          《逆にゴマすりも、熟練にまで高まると・・》
「幸福は、その希少性からして一つの精神障害として分類されるべきもの」
          《病的嘘つきは、脳機能不全と関連が多い》
「男が女に、また女が男に自分を見せる際には、隠れた本能的な力が
          ある種のうそを助長する」《だから恋愛が成り立つ》
「うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しえない」
「人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、もっともらしい
 ように思われるものであっても、その人の過去の歴史的事実とはあまり関係
 のないものだ…」《過去は、書き直され再編成され全く違ったものになる》
「…自分の人生に首尾一貫したものや意味を見いだそうというときには、
          正確な歴史的事実など重要ではないということもある」
「真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なもの
 でもなく、単なるコミュニケーションの形態にすぎない。その道徳的価値が判断
 されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるかによってである」
         《リアルのウソが効果ある》
「自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい」とあるが、
 人間は自分の真実の実像を見ていたら耐えられないのは自明である。そして、
「人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い」という欠点がある。
「うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、個人として
 栄えるために不可欠の要素」がある。自分が「不完全である」という事実を
 受け入れられないために、他者を批判し、他者を犠牲にすることにより、
 自分への批判をまぬがれようとしている(自己愛)人間が存在する。
▼ 性悪説の上で、性善説を説けば良いのか? それは他者だけでなく、
 自分を見つめれば分かること。本当のことってあるのだろうか? 
本当と思っているだけではないか? 時間の経過で、うそも本当になり、
本当もうそになる。利口者の自己欺瞞、馬鹿の正直者、その間に揺れるのが心。
利口者の正直者もあるし、馬鹿の自己欺瞞もある。
 ・・・・・・・
3986, 生保に入るバカ、入らないバカ ー3
2012年02月23日(木)
 ここで、著者は、保険会社の危なさを次のように書いている。
≪「生保」という商品は不思議で、ふだん買い物をして、商品を持って帰る段
 になって、買ったものが買い物袋に入っていない(しかも10万〜15万円分
足りない!)のに気がつかないのは、変だろう。(p.144)≫と・・・
セールスは顧客のためにというのは嘘で、会社のために、顧客の無知に付込んで
契約をする。それも弱者の不安を掻き立てて。最近は、成人病でポックリという
のが多いが、40歳後半までに死ぬ確率は非常に低い。65歳まで亡くなる
確立は2割である。それを死ぬか死なないかの5割の確率で命をかけた博打
をするのだから、保険屋が儲かるのは自明。(詐欺的)要素を持った商品を
セールスが言葉巧みに、貧しく無知の主婦を狙い撃ちにさせる。保険会社ビルが
立派なのは、顧客を信用させる小道具のため。国家予算と保険の売上が同額
というのだから呆れる以前に、むしろ感銘を受ける。
ー それでも生命保険に入りたい人に「生命保険のカラクリ」著者の
岩瀬 大輔は次のような心掛けを勧める
  ◎ 生命保険にかしこく入るための7か条
一、死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう 
二、加入は必要最小限、を心がけよう
三、まずは中核の死亡保障を、安い定期保険で確保する  
四、医療保障はコスト・リターンを冷静に把握し、好みに合ったのを選ぶ
五、貯蓄は金利が上がるまで、生保で長期の資金を塩漬けは避けよう
六、すでに入っていても「解約したら損」とは限らない。見直そう  
七、必ず複数の商品(営業マンではない)を比較して選ぼう 
◆ 数年前のことだが、家内が街中で見知らない女性にスカウトをされた。
 それが保険勧誘員。「何か保険セールスに御似合いのようで、如何ですか」
と勧誘されたと嬉しそうにいう。「典型的保険セールスのキャッチじゃないか。
カモがネギをしょっているように見くびられただけ。まさか乗ってしまったん
じゃなだろうな」と、私。 断ったというが、なる程!幾らでも手があるもの。
保険のブラックボックスは、あの契約書。好き放題、手前勝手でも法律の限界を
守って、全国レベルの経験則が入っている。相手は単独の無知の大衆。
マスコミも広告もあるので、それに触れない。私の両親は、数千万はゆうに
払ったがバックの話は聞いたことがない。Oとかいう関西系の保険屋の男に
食い物にされていた。
・・・・・・
2881,アメリカの住宅金融の惨状とは −2
2009年02月23日(月)
 ーサブプライム金融恐慌の構造と意義ー伊藤 誠  −2
                   (現代思想ー金融恐慌特集)
ここで著者は二階の建物で、このサブプライムローンを分かりやすく説明。
1Fが、借りてと貸しての間の第一次住宅金融市場をめぐる問題
2F が、一階部分で形成された住宅抵当権を集めて抵当担保証券として束ね、
 販売し取引する第二次市場の問題としている。
ここでは書かれてないが、隣のビルに格付け会社があり、隠れ通路でつながる。
格付け会社の直ぐ上の階には保険会社があって、そこが保険をかけることで
格付けを上げる仕組みになっている。そして、それを世界の金融機関に
ばら撒いていったのである。本人たちはプロの金融マンという自覚だったが、
その実態は態の良い詐欺でしかなかった。本人達の何割かは気づいていたが、
とにかく歩合を稼ぐことしか頭にない連中であった。特に世界を壊滅的に
までしたのは2Fにおいて重層的証券化をしたことに関わっていたことである。
 −−
 このように視覚化して、この問題を考えると分かりやすい。この問題の性質が
悪いのは、2Fの連中が、一階に御客を選ばず住宅を売りつけを推奨したこと。
1Fのものにとって、誰でも良いといえばホームレスにさえ住宅を売りつけた。
更に、住宅の値上がりを前提として、車のローンまでつけていたのである。
その毒に変わる可能性のあるサブプライム・ローンを、他の債権に一割の割合で
混ぜて束ねて売ってしまったから、他の9割の債権まで、腐った債権になって
しまったことは、何度も書かれてきたことだ。その債権は、世界中の金融機関、
そして資産家、中産階級の資産運用として売られ不良債権化しつつある。
この金融恐慌は、世界恐慌に発展・転化するだろうが、「世界恐慌」を専門と
する学者は、1929年の世界恐慌より遥かに大きい者になるという。
この恐慌は三年にわたり深化して、株価の暴落に続き、銀行恐慌の三次にわたる
波状的な大波に見舞われ、アメリカの全銀行の四割の倒産、失業率25パーセント、
デフレスパイラル、世界農業恐慌、再建金本位制による国際通貨体制の崩壊、
国際貿易の収縮、経済生活の崩壊をもたらした。
今回は、これに近い、それ以上ではないかという恐怖が広がり始めている。
しかし、日本の巨大なバブルの破裂、アジアの経済危機、ITバブルの破裂に
加えて、今回の経済危機でも何とか大崩壊が現在でも免れているのは何故? 
諸説あるが、今度考えてみる。

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