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堀井On-Line
| 5436,人生で最も大切な技術 ー⑯ 自分の一番の敵(苦脳)への即効薬は |
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2016年02月02日(火)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 自分の一番の敵(苦脳)への即効薬は 苦悩の危機管理である。終戦直後の幼児の頃、両親が創業に大わらわで、 家庭内は多くの問題を抱え、日々戦場。その中で、長兄、次兄が、戦死?した こともあって、小中高校時代は、神経質で暗い性格だったが、表立っては、 明るくふるまっていた。大人数の兄・姉達も、越後の特質もあり、それぞれ が独りの世界に閉じこもっていた。しかし、私には、父親が何かと骨董品を 愛でるように(ペットのように)外出時には、何時も連れ歩いてくれていた。 そこで聞く世間話が何とも面白こと、この上なかった。特に倒産、夜逃げ話、 妾など男女間の話題は、生々しい悲喜劇に満ちていた。 相続もトラブルを前提に、生前贈与でそれぞれの持分を確定したうえ、 亡くなっていった。その環境の中で、自分の身は自分でしか守れないことを、 商家の環境が知らしめていた。 久々に会う大学時代の何人か友人が、 『お前は、用心深かった!』と言われるのも、幼児からの生活環境がある。 会社整理は、厳しかったが、問題から目を逸らさず、『正 中心 一点無』 を心の中心に据え、そこから湧き出る考えに従うことで乗りこえた。 これは創業期から実践してきたこと。マイナス期には、ハイエナ人間が、 臭いを嗅ぎつけて擦り寄っていた。 得たこと3に、失ったこと1と割切れば、 人生、まんざら悪くない。 〜その辺りから〜 ≪ 外界で激変が起こっても、それが必ずしも最大級の苦悩をもたらすこと にはならない。戦時中に、自殺とうつ病の発生率が大幅に低下することが 実際に観察されている。天災も、勇気、連帯感そして生きる意志などの人間 としての最高の徳をときに導きだすゆ利他主義ど相互援助の心は、悲劇的な 経験による外傷後ストレス症を軽減するのに役立つ。心の安定を維持するのを 妨げたり弱らせたりするのは、大概の場合、外界の出来事ではなく、自分の 心とネガティブな感情である。 矛盾する感情どうしが胸の中で手を結び、その手を解くのを頑なに拒む。 これらの矛盾した感情と戦ったり沈めたりの努力は、無駄な抵抗である。 漸くそこから抜け出せたと思っても、新たな力で襲いかかってくる。 この種の感情的な苦痛は、鎮めようとすると抵抗し、取り除こうとする試みは ことごとく失敗に帰す。こうした戦いの間、自分の世界は、矛盾だらけの様相を 呈し、不幸、圧迫感、苦痛などの感情が生じる。一体、自分のどこが間違って いるのだろう。 思考は、最高の友にもなれば最悪の敵にもなる。 世界全体が敵に回った、という考えが生じると、あらゆる認識、あらゆる経験、 そして世界が存在することさえが苦痛源となる。そして、敵として立ちはだ かっているのは、他でもない自分の考えである。厄介な考えが、群れを成して 心にどっと押し寄せ、それぞれが混乱の度合いを深める筋書きを捻りだす。 自分の内側がいい状態でなければ、外側がうまくいくはずはない、日常浮かん でくる思考の中身を注意深く観察すると、世の中のスクリーンに映しだされる 自分の内面の映像がどれだけ色づけされているかが実感できるだろう。≫ ▼ 事業当初から、苦悩、怒りの質量を推測し、不快の気分は何日?何ヶ月? の痛みか推定、ほぼ日程とおり収まった。時間薬である。応急処置として、 問題の中心点を凝視、ただただ、見続けていると、それが思いの外、大した ことがないことに気づく。吠え付かれた時には? ・・書きだしたが、 それを楽しんでいる自分が生々しいので止めた! 何事も楽しめばよい! ・・・・・・ 5072,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー7 2015年02月02日(月) 『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著) * 進化は必然か偶然か 〜ブライアン・スウィーテク著『移行化石の発見』 地球の大気圏が一度、消滅をして、再び同じ状況下で、同じようなプロセス を経たとしたら、同じような生命と類人猿が生まれるだろうか?という素朴な 疑問があるが、それに対して「存在は偶然の積み重ねでしかない!」と! と断言している。 〜その辺りから ≪ 昔から、ダーウィンの進化論を信じない主要な論拠の一つが、種が進化 するときの中間形態の化石が発見されていないということにあった。 しかし、近年、見つからないがゆえに‘ミッシング・リンク’と呼ばれてきた 中間形態の化石が続々と見つかりはじめている。ブライアン・スウィーテク 『移行化石の発見』は、そのような驚くべき化石の発見史の物語。 たとえば、クジラは陸にあがった哺乳類が再び海に戻った種だが、陸上を 四本足で歩いていた時代の化石が見つかっているし、鳥は恐竜から進化した という説が長らく本当のこととされなかったが、移行期の羽毛におおわれた 恐竜の化石が発見されて本当だと信じられるようになった。 面白いのは最終章「進化は必然か偶然か」。ある環境が与えられたら、 ある進化が起こるのは必然なのか。別のいい方をするなら、この地球環境が 人間を産み出したのは必然なのか。ある進化が起きたとき、やり直したら同じ 進化が起きるのか。一九八八年ミシガン大学で大腸菌を使って壮大な実験が 行なわれた。全く同じ大腸菌群を育て、五百世代ごとに冷凍保存していった。 三万千五百世代で重大な進化が起きた。世代をずっとさかのぼって、サンプル 解凍で多数のやり直し実験をしたところ、また三万世代で大きな進化が起きたが、 進化の方向は違っていた。さらに実験を続け四万世代まで来ているが、結論は、 進化は偶然の上に偶然が積み重なって起きるのだから、同じ進化は二度と 起こらないというもの。人間も同じで、この進化は偶然の積み重なりで起きた。 地球環境がさらに数億年続いても同じ進化は起こらない。我々人間が滅んだら、 人間が再生することはない。・・・ ≫ ▼ これは、個々の人生でも同じ。偶然の積み重ねが現在の自分であって、 何事も一期一会である。だから、志や、信条を明確にして、日々、生きな ければならない。志、信念を強く持って、偶然を機会として、将来を切り開いた 結果が必然のように錯覚してしまう。それにしても存在は、不思議である。 ・・・・・・ 4707,<つまずき>の事典 〜分別 ー2 2014年02月02日(日) <つまずき>の事典> 中村邦生編著 * 何ゆえに神はノアの方舟に人間を選んだのだろう? 『ノアの箱舟の上で俺たちは絶えず不可解な気持ちで頭を悩ましていたんだ、 どうして神は他の明かにもっと優れている候補をさしおいて、人類を被保護者と して選ぶことになったのかって。神がもし他の種を選んでいたら、そのほとんど は人間なんかよりずっと忠実なことに気づいただろうさ。もしもゴリラを支持 していたら、神への不服従にしたって人間の半分も犯さなかったんじゃないか。 そうなけりゃ第一、洪水だって起こす必要はなかっただろうね。一バーンズー 箱舟の密航者であるキクイムシが語っている一節。{神が「人類を被保護者 として選ぶ」ことにしたのは、地球環境から言えば取り返しのつかぬ〈過失〉 であったのは間違いない。したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、 紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿であることを自慢している。しかし 猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。したがって、ある フランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿で あることを自慢している。しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしない だろう」。』 ▽ 人間こそ、地球の大気圏の生物にとって、ガンそのもの。 * 分別 『どんな愚者でも真実は言えるが、嘘の上手のつきかたには、分別のある人間 である必要がある』 ーサミュエル・バトラー ▽ 今まで平気で真実を誰かまうことなく公言してきた。それも常に上から 目線で! 時と場合で、嘘と真実を混ぜ合わせて語ることこそ、分別ある 人間のすること。そうこう考えると、この随想日記の公開は非常に危険。 真理と真実を直感したまま書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、 愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 * 失敗には安らぎがある 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に 似ていた。失敗というのは明快で、そして確実なものだ。確実なものの中には、 いつも安らぎがあるのだ。』ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な 心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の緊張が切れたこともあるが、 この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など 考える必要もない。実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に 引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、 確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が 常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。 ・・・・・・ 4340, 自己とつきあうということ −6 2013年02月02日(土) * ソクラテスと自己の問題 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 「人間は無知であり、無知であることに対しても無知である」というソクラテス の言葉が広く知られているが、それを本当に我われは理解しているかというと 疑問である。無知を自覚した上で、良く生きること、己の心と魂に配慮すること と2500年も前に、ソクラテスは気づいた。 ーその辺りを抜粋してみる ≪ ー汝自身を知れー 吟味することのない生は生きるに値しないと見なし、 よく生きることこそ人間のつとめだと考えたギリシアの哲学者、ソクラテス (前470〜399)も、自己へ配慮することの重要性を力説した。神殿の壁に記された 「汝自身を知れ」は、神から人間にくだされたメッセージであり、永遠の存住と しての神と異なり、つかの間の生を生きて死ぬほかはない人間に与えられた 「身の程を知れ」という意味のこめられたものとされる。その言葉は、神殿に 訪れる者たちに「神に過剰なことを望んではならぬ」という自戒を促すものと みなされる。・・ 。それゆえ彼が強調したのは、おのれの無知に気づき、 すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。そのために、自己は 配慮されなければならない。無知な状態に脱して、真の知を得るためには、 よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテナイ人への呼びかけに明らか。 【 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力に おいても、最も評判の高い、偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、 できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、 恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気に かけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、 心配もしていないというのは。】 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして 精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時、嫌味な老人として嘲笑 と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調している。 彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひつばられやすいものであり、それゆえに、 そうした方向を制御して、ひたすら「自己自身をよくすること」につとめなければ。≫ ー「よく生きる」という実践ー しかし、自分自身をよくするとは、いったい どうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということ ではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、 どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか 「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、 ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することである。≫ ▼ 一生かけて自分を覆っていた固定観念を叩き壊してきたつもりだったが、 振り返えれば、あまり壊れていなかったようだ。壊すほど、その奥には、 さらに頑強なバイアス(偏見)の岩盤が表出してくる。周辺を見渡すと、ゾンビの 群れが、彷徨っているのを見かける。己を忘れ、現実に溺れ死に、墓に埋められた ミイラが死に切れず徘徊しているのが、ゾンビ。 ・・・・・・ 3965, 首都圏崩壊の可能性、7割 2012年02月02日(木) 数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラス の直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する」という研究結果を発表した。 (政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、負傷者が数十万、倒壊・ 延焼が85万世帯」。東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。 85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、それも 仕方がない」と安穏としてはいられない。私が都内在住で幼い子持ちなら 移住を考えざるをえない事態である。外国人なら大挙の帰国も不思議でない。 直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。ビルは津波には避難場所に なるが、問題は古い建物の倒壊。それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、 あっさりと出てくるもの。あとは各自の勘になるが、それぞれ生活事情がある。 これまでは福島原発の放射能汚染に対して上から目線?で見ていた都民が、 そこより遥かに危険地区に住んでいる現実を突きつけられたことになる。 神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、 神戸市の人口が150万人の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして 6〜7万以上が亡くなる可能性がある。その上、首都の一極集中の機能が壊滅 をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、9・11、 9・15、3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本に とって、首都圏壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。 * ここで、仮説を立ててみる。 ≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が 年以内に90%の確率で発生する」という仮説。東京はパニック、現実問題 として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次大戦時の、 あの疎開が始まることになる。今まで小さな地震に対して気にしてなかった 都民は、かって無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。 富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたりに家族を疎開させ、外国人は我先に 家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫ 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故 以降に起きている。それが更に徹底して始まる。現に私の会社が3つの災害で、 あっさりと壊滅してしまった。そして、今度は、首都圏? まだ信じられない のが本当である。まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート�とする 「東北関東大地震のパート�」が動き出した、という見方をすべき? あの地震と津波は、東北関東大地震パート�でしかないとすると? パート�が東海・南海・東南海地震の可能性もある。 しかも、景気に対する悪影響は大きい。誰が、この事態で家を建て替えるか、 自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか? ・・・・・・・ 3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −3 2011年02月02日(水) 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。 そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本 の一面が見えてくる。日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは 想像以上に「家族」を大事にしている。その一つとして、子供と一緒に過ごす 時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。 それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、 日本人は16パーである。8割の人が「天国に行くか地獄に行くかを神が判断 する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒なら いざしらず、殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。 その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ非常に低い。 競争主義、成果主義もプロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。 彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、教会が心の拠りどころとしてある。 もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での 雄大な自然である。そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に 敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、豊かな農業があり、 聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、 他人の成功に一々目くじらを立てないで済むのである。英国人も日本人も アメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。 それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 日本青少年研究所が 2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると ・「私には人並みの能力がある」 日本人15・6パー 米国人56・5パー ・「私は他の人々に劣らず価値がある人間」日本人8・8パー 米国人51・8パー 私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。 ・「自分に起こったことは、すべて自分の責任」日本人25・2パー 米国人59・7パー 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。 他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。薩摩芋なら薩摩芋のままで 良かった? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ?
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2016年02月01日(月)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * セルフの分解 セルフをネット辞書でみると、 ☆ 「自己・自我・自身」「自身で」と、 ☆ ユング心理学で,無意識を含む心全体の中心であり,かつ心の外 にもあって意識と無意識の調和を図る超越的な存在。 ここでは、「私」+「人格」=「セルフ」の分解 が明快。〜その辺りから〜 ≪ この問題をより深く理解するために、詳細な分析に再挑戦してみよう。 個人的アイデンティアイの概念には「私」「人格」「セルフ」の三つの側面が ある。これらの側面は基本的にはたいした違いはないが、自分は自分である、 というアイデンティティへの執着の仕方が違うことを反映している。 ・「私」は現在に存在する。「空腹だ」とか「存在する」と考えるのは「私」 であり、 意識、思考、判断、意思の発信源である。要するに、現在の状態 を経験するのが「私」である。 ・精神神経学者、デビツド・ガーリンは、「人格」の観念はより広範囲である として、 次のように結論づけている。「人間の肉体的、精神的、社会的な 存在の多様な側面が組み込まれた過去、現在、未来を通じ、ダイナミックに 流れる流動体であり、その境界線は流動的である。 『人格』は以下のように広い範囲に該当する「肉体(健康状態などの)、 個人的な考え(極めて個人的な感情などの)、性格(良い人などの)、社会的 関係(個人的生活と職業生活を分離するなどの)、一般的な意味での人間 (人格を尊重するなどの)」。このように時間を越えた連続体は、過去の 自分のイメージにも未来の投影にもつながり、個々の人間が他と異なって いて、独自の質を備えていることを明示する。・・・(略) 今この瞬間を経験する「私」を、存在の連続体である「人格」に結びつけると、 「セルフ」が出現する。デビッド・ガーリンの説明にあるとおり、人間には、 複雑なグループ分けを、「実体」という一つのグループにまとめることで単純化 を図り、次に、その実体は恒常的特性を持つ、と結論づけようとする傾向がある。 環境が刻一刻変化することがなく、ほとんどの現象が永続するという考え方を 受け入れたほうが、世の中で楽に機能できる。・・・ ≫ ▼この「セルフの狭い世界を、コップ一杯の水に喩え、一握りの塩を入れれば、 飲料水に相応しくなくなり、セルフの壁を突破すれば、同じ一握りの塩を入れ ても、味が変わらない巨大の湖のように心が広がる。」と例える。 老いていく利点が、この湖のように広がることだが、一つ間違えると、溝沼 のように淀んでいく。大方の人にとって、老いるとは無念である。〜纏めると、 「私」+「人格」=「セルフ」。現在の状態を経験するのが「私」。 「人格」は存在の連続体。「存在の連続体」を「習慣の集合体」にすると、 そこに天性が現れ出る。5400のテーマの、その日分の内容が「私」。 その全ての内容に、私の「人格」が現れ出ている。「そのまま結構」だが、 どぶ沼のボウフラや、逆に湖の大魚と自己錯覚した比較社会の小魚には? ・・・・・・ 5071,ツィッター、その雑念のゴミばこ 〜1 2015年02月01日(日) 『ツイッター、その雑念のゴミばこ』横尾 忠則(著) ツイッターを、そのまま本にした面白い本である。たしか糸井重里の 『ほぼ日刊イトイ新聞の本』という、同じようなHPサイトの舞台裏や 対談などを書いた本があったが、この著者・横尾の呟きは、どのページを ランダムに開いても、引き付けられる内容である。その場で思い浮かんだ 雑念?を、そのまま公開することで、それ自体を価値ある素材にしようと している。私の随想日記は、一応、起承転結に捉われているが、ただ、 思いのままの雑記。だからこそ、光っていて鋭い。そこで、時系列でなく、 ランダムにパラパラと開いて感応した箇所を拾い上げてみる! ――人生の中で一番初めに自由になった! と思ったのは父が死んだ時だった。 その次に自由になったのは母の死だった。 May 10/2010 13:14 愛情は実は執着だったことをその時初めて知った。 愛は相手を自由にさせるが、情は相手を束縛する。 May 10/2010 !3:21 ▼ 私にとって父親の存在があまりに大きかったため、父の死に自失呆然。 その時、創業準備を父親と供にしたこともあり、その死は、『さあ、 これからは、お前一人でやりなさい!」というタイミングになった。 そして、孤独、自由の中の決断の恐ろしさ、不安が、そのままエネルギー の源と知ることになった。 それから24年後の母親の死。これも、哀しい 出来事であったが、ただ姿が見えなくなっただけで、極く近くにそのまま いるようで、今でも数ヶ月に一度は夢に出てきている。「愛情は執着」とは、 成るほど! 準備を含めた45年の事業人生、結果のいかんに関わらず、 離れてしまえば、夢幻。執着、後悔、無念など、跡形も無くなってしまう。 残ったのは、行蔵の記憶と、幾つかの書類のダンボールと、冷たい視線だけ。 だからこそ、むしろ、胸の中で愛おしまなければ、生きてきた甲斐がない! 父母の愛情も、子供にとっても、親にとっても、執着。まず、第一歩は、 そこから離れることだが・・ 愛も、情も、人にとってのベース。 何をしてきたのだろう、お前は! 外は雨と共に風が吹いている。 で、昨年、一昨年の、以下の内容に続く!偶然だが、お後が宜しいようで? ・・・・・・ 4706,<つまずき>の事典 ー1 2014年02月01日(土) <つまずき>の事典> 中村邦生編著 図書館内を彷徨っていると、そこに住む天使が、その時どきの最適な本に 導いてくれる。今回は、これ。そろそろ節目も終わり、切り替え時期。 冷静に<つまずき>を見つめ直すに丁度よい本である。 新たな創造前には、崩壊が必要。この挫折経験から、傍からみえた現象は ワーストだが、私の人生にはベストと仮説をたてると、そう思える。 「これまで信じていたことが、ほぼ全てが間違っていたのでは?」という 視点が、大きな収穫。実際に経験すればこそである。 ーアマゾンの内容紹介ー 【 世の中楽しいことばかりじゃない!様々な挫折があればこそ生まれた 名言・名句の数々。"つまずき"の中に人生をみつめ、自分の失敗を笑う 勇気がでてくることばのアンソロジー。英米・日の文学作品・映画・芝居や ヒットソング・広告コピーから選んだ237句にスパイスの利いたコメントと 原文を添えた。小さな文学事典を兼ねた作家・作品案内でもある。】 * 新たなチャレンジに迷っている時に 「君はこれまで何度も失敗した、覚えてはいないかもしれないが。 はじめて歩こうとしたとき 君は転んでしまった。はじめて泳ごうと したとき 君は溺れそうになってしまった、そうだったろう?」 ▼ 転ぶことも人生の一部。自分の手と足で立ち上り、新しい人生に歩き出す チャンスでもある。つくづく実感したのは、私にはこれがベスト!ということ。 で、次のチャレンジは?そう、あれ? いや、まだまだ、楽しみが足りない? * 世界の涙の総量は一定なのさ 《『世界の涙の総量は一定なのさ。だから、誰か一人が泣きだすたびに、 どこかで別の誰かが泣き止むんだ。同じことは笑いにもあてはまるよ』と、 サミュエル・ベケット(二十世紀を代表するアイルランドの文学者)は、 ある登場人物に言わせています。もし自分が悲しみに沈んでいる状態にある とすれば、この世界の誰かのところにあった涙がたまたま自分のところに 集まっているのに過ぎず、そのことによってその人の悲しみや苦しみを密かに 和らげていることになるからだ。もちろん逆の喜びの総量に関しても同じことが 言えるだろう。涙も笑いも実は私たちすべての者が分ち持っているのである。》 ▼「泣いても笑っても同じ空」 (ノ∀`)っても(;_;)ても、同じなら、 笑っていた方が良いが、時に悲しみも必要。「人生、あざなえる縄のごとし」 で、哀しみも、笑いも、同じ束の藁。それが人生。そう思えば、冷静でいられる。 喜怒哀楽のどれもこれも、人類の一定量の共有物と思えば、バランスをもって、 引き出せばよい。ところで、私の人生には哀しみが足りなかった! 実感として、 「喜3、怒2、哀1、楽4」の割合。楽の4を2にし、哀を3で丁度良い?で、 神様は、この結果を与えた!が、今で2? いや1のまま? σ@(゚∀ ゚) クルクルパ ・・・・・・ 4339, 自己とつきあうということ −5 2013年02月01日(金) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) ー 人間が壊れやすく、制御が容易でないことについて、ヘラクレスと 同じ頃にブッダは以下のように述べている。まずは、その辺りを抜粋。 * ブッダが説く「自己制御」の必要性! ▽「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくよくととのえたならば、得難き主を得る。」おそらく、ブッダ ほどに自己の危険性、脆さ、悪への傾向を意識していた人はいない。 彼は、自分が自分の主になることのむずかしさ、自分をよく整えることの困難 さを知りぬいていたがために、ことあるたびに自己制御の必要性を説いた。 ▽「善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、 善いことは、実に極めてなし難い。」 ブッダは、不要なことに心傾けて、 必要なことをしない人間、自分を制御することから遠い人間の現実を直感。 ブッダはまた、ヘラクレイトスの強調する「思慮を健全にたもつこと」から、 人間がいかに遠い存在であるかを繰返して述べた。 ▽「避けねばならぬことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ (=必らず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、 邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。」ブッダによれば、 真に必寝なことを考えることよりも、邪悪な思いにかられ、嘘をつき、 愚かしいことをたくらむことに忙しく、汚れ、滅びていくのが人間であると。 ▽ 「人間が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口を 言って、その斧によって自分自身を斬るのである。」ブッダは、自分のことは 棚にあげて、他人のことをけなじたり、悪く言わずにいられない人間の傾向を 巧みな比喩でいいう。 * 自己を乱す力! ▽「この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように堅固に 安立してー知恵の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。――しかも それに執着することなく。」ブッダは、身体が愛欲や欲情、妄執の源泉であり、 心を汚れたものにする不浄なものであると見なし、身体の誘惑から身を守ること の必要性を強調した。心は不断に身体によって汚染される危険にさらされており、 制御されなければならないものであった。 ▽「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心を おさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす」 へラクレイトスと同様に、ブッダも欲情や危険を身体の内に見ていたことは 否定できない。ブッダは、先にも述べたように、自己を、自己の主となるべき ものであると見なしていたが、それはまた、自分の心に一定の方向を与え、 乱れやすい自分の心を制御するという課題を担うことを意味しでいた。 ブッダにとっての自己とは、自己によって注意深く配慮し、支配、制御すべき ものだったのである。ブッダが身体をネガティブに捉える観点には賛同しかねる としても、注意を促している点は共感できる。 ▼ 釈迦は弟子たちに向かい「修行僧たちよ、 すべては移ろいゆく。 怠りなく努め励めよ」 と言い残され入滅された。世の変化に対し、己も変化する。 そのために己の中の動物性をコントロールし、心を整えることが目指すところである。 ・・・・・・ 3964, ゲーミフィケーション ー2 2012年02月01日(水) 【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 25日NHK・クローズアップ現代 】 * 結構、面白いゲーム化 私の趣味の一つが「秘境・異郷ツアー」だが、いや、だったが? 回数を重ねるにつれ、いつの間にかゲーム化になった。旅行中の楽しみの一つに ツアー仲間の情報交換があるが、ベテランほど旅先をゲーム感覚で構成している。 パリ、ロンドン、ローマとか都会文化を楽しむ都会派。 アフリカ大陸専門の サファリ派、南米派、インド派、シルクロード派、秘境・異郷派など、それぞれ の趣味に合わせて行き先を組み立てていく。そして、まず予算と行き先の選定、 旅行代理店のツアーの選定、そして、旅行準備。それが面白く楽しい。 それで一ヶ月は楽しめる。そして旅行中の10日間、帰ってから、写真や資料の 整理の一ヶ月で、大よそ三ヶ月近く楽しめる。その上、行った先は、毎日何処か のTV局で放送している。見るたびに、その旅行の延長にいるような気持ちになる。 何ごともゲーム化をして楽しめば、それが記憶をパッケーをする効用になる。 「面白くなき世を面白く」は、自分の経験を、上から目線でゲーム化することと 同じ。その意味で、ゲーム化は日常生活を面白可笑しく活きるノウハウでもある。 ゲーム機メーカーや、ゲームソフトメーカーには、大きな事業チャンスが限りなく 広がっている。ゲーム機メーカーが、ブルーレイ録画を売り出したが、これなど、 その典型。ゲームは、簡単に知恵が発揮できる場面を提示してくれる。 面白いとは知恵を発揮し生じる感情である。ゲームといえば、最近は聞かなく なったが、「マネジメント・ゲーム」があった。 社員教育のソフトで、 各自が会社を設立して、戦略をたて、市場の想定をした基盤の中で競争する。 企業とは何かを知るに、もってこいだが、麻雀や将棋を多くこなしたものが有利。 私は経験ないが、「人生ゲーム」というのもある。これも若いうちにやって おけば、人生を鳥瞰でき、目先にとらわれない生き方が出来よう。 男女の遊びをゲーム化しているのもいるが。「準備のゲーム化を手順に入れる 習慣」に、人生の秘儀があるようだ。平凡な一日をゲームと生きるとしたら・・ ・・・・・・・ 3599, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −2 2011年02月01日(火) ーアマゾンー〈レビュー2〉 150年に亘る交流(良いも悪いも)を重ねてもなお違和感を残す日米関係の 底流に何があるのかを的確に指摘。最大の楽天主義国米国と最大の悲観主義国 日本が同じ規範を持ち行動する事はできない。確かにレビューアーの経験でも 80%できれば成功とする米国流positiveさに対し20%できなければ失敗とする 日本流negative思想の差は大きく、常に確執と挫折を経験してきた。 その原因に筆者は米国(の本流たる人たち)に特徴的な宗教観、価値観、 家庭観等を挙げる。 同時に現在の金融資本主義者は米国の一部の「深刻な ノイローゼ患者」であり、それを米国の真の姿と誤解したまま日本に導入し、 そうでなくとも 破壊されつつある「心」を失わせた者と日本社会も糾弾。 (著者近著「非社会性の心理学」にも関連)余談だが、日米のpositive/ negativeさはある特定遺伝子の長さ(米国人は長く日本人は短い者が特に管理者 レベルで顕著)が影響しているとの説もあるようだ。こうなると最早理解しても 埋めきれない差異というべきかもしれない。米国の姿を通じて日本を知るための 必読書 〜はしがき〜に、要約が分かりやすくまとめてある。 要するにアメリカは、「家族」と「宗教」と「権威」を非常に大切にする国民。 これがアメリカ理解の基礎である。このアメリカの本質を間違えると、アメリカ 理解はとんでもない間違ったものになる。さらに私たち日本人は、我がままと 無責任を個人主義とはき違えるというおまけまでついてアメリカを理解してしまい、 それを受け継いだ結果、日本人の心は崩れてしまった。簡単に日米基軸というが、 世界一楽観主義の国であるアメリカと世界一悲観王義の国である日本との相互理解 がいかに難しいものかを分かっている人は、日本の政治家の中にいる。 アメリカはスーパー楽観主義の国であり、日本はスーパー悲観主義の国。 このことは本文中に詳しくデータを示しながら説明してある。 残念ながら、日本の歴代首相は誰としてこのことを分かっていない。 さらに世界一楽観主義の国でかつ戦勝国が世界一悲観主義でかつ無条件降伏を した敗戦国に押しつけた憲法が、これまた世界一理想主義で世界一楽観的である。 アメリカを間違って理解することの中には、いろいろと理由はあるが、そのうちの ひとつは次のことである。アメリカは基本的には今もなおプロテスタンティズム の倫理が支配している国であるが、アメリカについての情報発信地は偏った局部 の地域になっている。1970年版のギャラップ世論調査で見ると、プロテスタントが 六五%である。ユダヤ教徒が三%であるが、所得の最も高い層の人たちでは倍の六%。 東部の所得の高い人たちの層では、なんと一四%にもなる。 東部の大都市では住民の一七%である。 ▼ 一神教のシステムを多神教の日本に入れたマイナスの矛盾が、 ここにきて一挙に吹き出てきた。とはいえ、それを乗り越えるしかない。 ・・・・・・・ 3234, 閑話小題 2010年02月01日(月) * 何か変である 民主党が政権をとって動き出したのはよいが、どうも変である。 党是の官僚主導の打破は良いが、検察と元大蔵省査察が官僚の権益を守るため、 権力闘争の尖兵として露骨に動き出した。前より現在の検事総長が??と思って いたら、八月が交換時期。その先手と思えば合点する。民主党は民主党で、 「次官制度の廃止」の構えである。これは官僚にとって致命傷になる。 官僚の自己保身で行政が混乱させるのは当然の成り行き。国が壊れていく時は、 こんなもの?。「現在の検察はボロボロの汚れ雑巾。これが社会を掃除をすれば 逆に汚すだけ」と、誰かがのたまっていた。今年は日本も世界も恐慌三年目の 土壇場の一年になるのに、この様である。隠されているプライムローンなどの 債権が表面化してくるのが今年辺り。 カンフル剤効果も、何時までも射ち続ける ことは出来ない。ホテル宿泊からみる景気状況は、明らかに深刻な恐慌の様相を 呈している。今のところまだ失業率が5パーセントそこそこに抑えられているが、 ある日、欧米並みに10パーセントに向け動くはず。結果、社会不安が増大する。 何とも重い雰囲気が増大している。まず現象として出るのが疲弊した地方経済。 地元の最大規模の会社の悪化の問題が、今週に表面化するという噂がある? どうなるのだろうか。 * 新インフルエンザを、誰も騒がなくなったのは何故? 最近、如何いうわけかマスコミで新インフルエンザを取り扱わなくなった。 そう、どうもパンデミック騒ぎは、WHOに入り込んだ製薬会社の連中の、 その薬を売らんがためのパフォーマンス?と囁かれ始めた時からマスコミは 製薬会社の謀略説すら報じない。不思議なことに、毎年起こるインフルエンザ が、ほぼ消えたという。新インフルエンザと、とって代わった!というの変。 成田で、あれだけ水際作戦とかいったのも何だったのだろう。 私も、9月末に東欧旅行をキャンセルをした。世界は、どうなっている?
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2016年01月31日(日)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * エゴの対応 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。 スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、 ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、 目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。 それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、 内容は誰も同じような自問自答? 〜その辺りから〜 ≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で 自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。 対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に 精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、 「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。 教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者 がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。 これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。 これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、 まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気 づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係 ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地 からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを 希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」 と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。 ▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの 対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。 ・・・・・・ 2015年01月31日(土) 5070,閑話小題 〜夜明けのスキャット 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章 ≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、 先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを 持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、 目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の 光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、 実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、 私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、 光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう 不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・ ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。 〜これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫ ▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、 横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。 その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、 際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは? そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ 直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け 止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた? ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、 三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症? ・・・・・・ 2014年01月31日(金) 4705,末期がん、その日のための予習を ー3 ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』 に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように 過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと! * 第二章がんになって見えてくるもの がんとの闘い・自分自身との闘い ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分 がんは人を哲学者にする ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする ムダを捨てれば頭も心もクリアに ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと がんだからこそ手に入るものがある ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。 まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう? がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学 ほんとうの自分を見つける旅 ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる 使命感があれば充実した日々 ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる 自分が「なすべきこと」は何か ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。 その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。 暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時 自分を変えることは感動のドラマ ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる がんは「人間力」を高めるチャンス ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。 辛いががんは親しい人たちを大きく育てる ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・ がんになっても「与える喜び」はある ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝 最高のプレゼントは笑顔 ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ((〃゚艸゚) 本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが あった本と、読みたかった本を手に取ること 許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、 「人に会うこと」と答える人が一番多い 「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に すがりたい患者がいるが、あるわけがない? 死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。 なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll))怖ァ・・ 死は敗北ではない ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか? これは何故生きる?の問いと同じ 人生の目的は「品性の完成」 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。 死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、 それまでの一生分を生きることになる! 「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人 の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。 ▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。 その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い 体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、 これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?((;◔ᴗ◔;)) ・・・・・・ 2013年01月31日(木) 4338, 嘘と真実 * 嘘は真実の糸を織り込んである 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。 私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、 その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。 伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色 したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、 更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、 それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。 何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。 ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。 ・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド ・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない ーバイロン ・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、 誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ ・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム ・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。 だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル ・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。 そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー ・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。 そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル ・ 半分の真実は嘘より恐い ーフォイヒタースレーベン ・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。 ーショウペンハウェル それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。 『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、 何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。 事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、 真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」 ということか。深入りしないこと! ・・・・・・ 2012年01月31日(火) 3963, 貧乏ばあさん 「女一生の働き方」―貧乏(BB)ばあさんから 働くハッピーばあさん(BA)へ ー 樋口 恵子 (著) * 核家族の果ての貧乏ばあさん 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピー ではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと楽しくはないようだ。 が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在している。 そこそこ蓄えと、知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。 ー内容紹介ー ≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知って いますか?そう、日本の高齢女性は、実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかり。 日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、 夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。さらに、 多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど雇用が不安定なため、年金をはじめ とする社会保障につながりにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあ) に甘んじていないで、自らの手で幸せをつかみとる「HP」(ハッピーばあ さん) になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。 老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 これこそがこれからの日本女性が目指す道です。本書では、人生100年時代を 迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を 多数紹介。また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も 本書を読めばよくわかります。≫ ▼ 世界一の長寿国になった日本。平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳。 その中でリッチの年寄りは僅かであり、男より7歳も長生きする女性は、収入は 僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉 が生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの 6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。しかし、その中にあって人生の 過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られる という。本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、 その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。 ・・・・・・・ 2011年01月31日(月) 3598、 閑話小題 * 日本の自殺率は、世界で何番目 ? 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は 自殺率はどの位かと調べてみた。以前にも書いたことがあるが、一位から四位が 旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。ちなみに韓国が日本の八割 で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、英国が三割で52位。 イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に 抜かれたとしても世界第三位。旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。 北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに 直面してないことが重なっているため。日本の自殺率の多さは北欧病に似ている ためか? 日本の都道府県では秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。 * 中国にエジプト全土デモが飛び火? チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、 飛び火が中国全土に全土デモが広がり、(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など 2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは? という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満) が山のように積み上がっている。それがネットで瞬く間に火を噴く可能性がある。 「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。 それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が 理解できる。この見方も決してオーバーでない。」という脳の奥からの言葉が 不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ 消滅を始めてきた。20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、 人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が存在して いるかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 激変は辛いが、しかし ? ? ! ・・・・・・・ 2010年01月31日(日) 3233, 死は‘別れ’のとき ー2 * あなたと出会って良かった ! 昨日は高校の同級生の葬儀。150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。 通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。それぞれが 背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の 葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。 ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。 実は、この場面が好き。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。 故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの 声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。 ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を 焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ 切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、これほどの感動的な悲しい場面は 初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。奥さんと家族の感情が 自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が 止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 無いだろう!ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を!
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2016年01月30日(土)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 心の本質、純粋意識の経験 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快 でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、 座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜 ≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、 感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの 特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。 それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された 自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在 でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって 生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。 特別に存在するのか。 答えは否である。 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対 の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識 に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考 ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。 「思考をゼロにする目的は何か」 「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安 や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて 後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。 このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。 それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が 理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。 この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟 するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、 どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に 妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く 聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた 概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、 仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫ ▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に 没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の 眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、 どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、 考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。 これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。 ・・・・・・ 5069,あわいの力 ー� 2015年01月30日(金) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * 日本の「心(こころ)の三重構造」 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、 < 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、 「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜 ≪ 「心」は、三層構造である。 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり) ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。 ― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう 違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。 こころ変わりという言葉があるでしょう。 ― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」 という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、 その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が 戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら 「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。 言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍 された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍 された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの 「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。 ― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも 通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫ ▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、 「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、 現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、 渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で! * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。 ・・・・・・ 4704,「考える」と、「思う」の違い 2014年01月30日(木) *「考える」と、「思う」の違い ー『散文』谷川俊太郎著より 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。 「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を 組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝 した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 ーその辺りから 《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には 余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。 けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう 未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として 理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を 置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、 思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと 考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに 補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ! ▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、 「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」 「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と ◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ (必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」 「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。 英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。 だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。 「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。 積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン ・・・・・ 4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」 2013年01月30日(水) * 「私には友人が一人もいません」 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が 何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。 だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、 その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる タイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。 大方が飲み友達だが・・ しかし、堂々とTVの前で「私には友人がいません!」 と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、独り部屋の 中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。 別に友人など求めず、単独に徹すれば、これほど自由なものは無いはず。 一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。 仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に 数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを見るぐらい。情報化の時代に逆に、 こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。 糖尿で片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、外出をいないという。 ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうも私が先。 時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽい のが目だってきた。 * アップル株が アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手のエクソンモービルが返り咲き。 「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になった が、週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少。 カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、ここで表面化したのだろうか。 問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。 「あれは、ジョブスの強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が 出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、居間の テレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。 検索が出来ない上に、それ以前に無気力な人が目だってきた。」とか。 それも、iPhoneが解決する。 ・・・・・・ 3962, ゲーミフィケーション 2012年01月30日(月) 【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜クローズアップ現代】 * ビジネス、日常生活にゲームを持ち込む 最近クローズアップ現代が面白い。先回はビジネスや科学の分野などにゲームの 手法を取り入れ活用している事例を紹介している。私も以前より事業や人生に 「ゲーム化」を取り入れてきたこともあり、非常に興味を持って番組をみた。 ここでも、ゲーム化について何度か取上げてきた。ネットが世界的に普及して きた中で、ゲーム感覚で多くの人が協力する時代でもある。 驚いたのは、この番組の中で、コンビニの監視カメラを公開し、万引き監視を ゲーム感覚で察知し、店に知らせるシステム。ポイント制にして最高で月3万円が 貰える。先に見つけ連絡したものが勝ち、ポイントがつく。 −まずは、クローズアップ現代のHPより ≪人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外” の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。その名も “ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術 を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を搭載した新型車が登場。ゲーム的な 手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界の グローバル企業の70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質 の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかったエイズ治療の カギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決する アイデアを競わせるゲームを通じて、人類が直面する課題の克服に役立てていこう という試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。≫ ■ 人生のゲーム化といえば、目を剥いて怒る人もいようが、人生は、その人に とっての物語を生きることである。最期には死が待っているが、生老病死の 人生のサイクルとして、それぞれの障害を乗り越えるゲームが人生。そう思えば、 難関も、乗り越えるための壁として対処を想定ができるもの。何ごとも準備が 重要だが、その準備をゲーム化するのがミソ。何事も楽しまなくては続かない。 楽しむには過程の難関をゲーム化し乗り越えることである。ゲーム化すれば苦難 は数分の一になる。航空会社が販促として「乗った距離をポイント制にして 恩典をつける「マイ・レージ」というサービスがあるが、顧客の「私は、これだけ ポイントを集めている!」という自尊心と、特典で旅行できる恩典がヒットし、 今では、当たり前のように使われている。これもゲーム感覚で、ポイント集めを 楽しんでいる。 私も早朝から就寝まで、日程を組んで習慣化し、そのチェック として手帳に書き込んでいるが、実は一種のゲーム感覚で実行している。 倒産劇も、途中から手順に落として実行しているうち、ゲーム感覚になって しまい、自分で驚いた。他人から見たら、変じゃないかと思われて当然。 とにもかくも長期にわたり一つずつ壁を乗り越えなければならないのだから、 ゲーム感覚で冷静でなければ神経衰弱になる。毎日書いているこれも、 まずテーマ探し、材料集め、それを起承転結に仕上げ、何ども修正、 完成するゲームである。 ・・・・・・ 3597, 誤訳口臭論 2011年01月30日(日) 仏文学者の鹿島茂のコラムに「誤訳と口臭」論があった。面白い切り口である。 ≪ その昔、手がけた翻訳書における誤訳の指摘がされると、気が気ではなかった。 最初の翻訳書が出された時、誤訳の指摘に関する記事が専門の学会誌に掲載された。 読んでみるといちいちもっともな指摘で批判を甘んじて受けるしかないわけだが、 実際に指摘した人物の試訳を見ると、むしろそちらの方が誤訳だらけだ。 この程度のレベルかと、少し安心する一方で、無性に怒りが込み上げてきて、 その人間の過去の翻訳文章における誤訳の指摘を、今度は対抗して学会誌に掲載 すべく、原稿を書き始めたが途中で馬鹿らしくなって、結局やめてしまった。 このように、人の誤訳というのは見つけやすいものの、自分の誤訳は他人から 指摘されるまで分からないことが多い。 誤訳というのは「口臭」に似ていると 思われ、自分口臭に気がつかないまま「おまえの口は臭いぞ」と言うことに 似ているという。「だから、非常に攻撃的に他人の誤訳を指摘している人を見ると、 この人は、たぶん自分の口臭には気がつかないタイプの人なんだろうなと思う」。 「口臭のない人がいないのと同様に誤訳のない翻訳はない。これだけは真実である」 と、思いやられる。≫ 〜 だいたい、こんなことだが、政治家の足の引っ張りあいの国会答弁、 これって口臭でなく・・ これから思いつくのが「陰口口臭論」「悪口口臭論」 がある。これは、世間とかいう現象社会にドップリ漬かっている基礎教養の欠落 している人たちの放つ毒。放っている連中は面白いが、その毒をまかれた方は・・ 毒には毒をもって制するというが、それ以前に、毒婦、毒男には近づかない方が よい! 彼らには、それが全世界でしかない。これも口臭か! このブログをネットを通した口とすると、口臭を放ち放題ということか。 凄い口臭なのだろう!自分では気づかないが! だから誰も、ブログなど書かない! 素裸で、大通りに大の字で寝る覚悟が無ければ、もの書きになれないと、 瀬戸内寂聴が書いていたが。 私など無理無理! 絶対に無理!
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2016年01月29日(金)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 *エゴのベール 〜投影という防御機能 これからすると世間は、「精神の錯乱を錯乱と気づいていない、ごく普通の 人たち」になるが、問題は自覚しているかどうか。誰もが、それぞれ屈折した レンズの眼鏡をかけ、それを現実と勘違いをし、一生、気づくことなく終える ことになる。そこで瞑想を身につけるべきと、いう。要するに、世の中の殆ど が、実は精神の錯乱者? と、すると、私だけでは、ないのか(笑)。 錯乱はエゴのベールが、原因。 〜その辺りから〜 ≪ 精神の錯乱とは、現実の姿を正しく見ることを妨げ、事物の本質に対する 理解を曇らせるベール、と表現できるだろう。具体的には、幸福を見つけ だして、苦しみを避けるにはどう行動すべきか、という判断のできない状態。 外界に目を向けるとき、本来備わっている特性など不在であるにもかかわらず、 自分が目にする世界には確固たる実体が備わっているというふうに見てしまう。 また、内側に目を向けるとき、もう存在していない過去、そして未だ存在して いない未来の間に「私」を存在させて、意識の流れをそこに凍結してしまう。 事物を見るとき、目に見える表面の姿を実体として信じ込み、滅多に疑う ことをしない。また、人や物を見るとき、「これは美しい」とか「これは醜い」 と考えるが、それらの人や物に自分が感知したままの特性を焼き付けている だけであることには気がつかない。 そして「美しい」や「醜い」が人と物の根源的な特性ででもあるかのように、 自動的に当てはめてしまう。人間はまた、世界全体を「好ましい」と 「好ましくない」とに区別して見たがる。しかも、短命で儚い存在を永続 する存在と受け取ったり、世の中が実際には常に変化し続け、相互依存の 関係で成り立っているのに、どこにも無関係に独立した固有の性質がある、 というふうに見たがる。また、事象、状況あるいは人間の特定の側面だけを 取りだして、その面の性質に焦点を合わせて、「敵」「善入」「悪人」などの レッテルを貼りつけ、これらを本来の属性と勘違いしてそれにとらわれてしまう。 そうせずに、現実の姿を注意深く観察するなら、物事がそれほど単純なもので ない、ということが明らかになるだろう。 仮に、自分の目に入る対象が真に美しいか快適で、そうした価値が純粋に その対象に属しているなら、その対象はいつどこでも望ましいものであるはず だろう。とはいえ、誰も異議を唱えずに、「美しい」と普遍的に認められる ものがこの地球上に存在するだろうか。 仏教詩の中に次の一節がある。 「美女とは、恋人にとっては欲望の対象、修行者にとっては乱心の元、 狼にとっては格好の獲物」。 同様のことが嫌悪についても言える。 対象が本質的に嫌悪すべきものなら、もっともらしい理屈をつけて、誰もが それを避けるだろう。だが、物や人間にそうした性質や特性を単純に当て はめているに過ぎない、ということに気がつけば、すべてが変わってくる。 すべての美しい対象が、元々精神的に有益な価値が備わっているか、 というとそうではない。逆に、醜い対象物だからといって、それが精神を 阻害する性質が根本的に備わっているというものでもない。 同じく、今現在、自分にとって敵である相手でも、他の誰かにとっては 愛の対象である可能性は十分にある。今日の敵と、ある日、友情の絆を結ぶ 日が来るかもしれない。自分が勝手に対象に貼り付けた特性が、対象とは 切っても切れない属性であるかのように反応する。かくして、現実の姿から 自らを遠ざけ、自分の心の状態を他者や物に映しだす、投影という防衛機能を 容赦なく活動させながら、目に入る対象に対して、これは魅力あるとか、 これは嫌悪すべき、と感じつつけるのである。 ≫ ▼ 世間、社会のありようを、そのまま描写した内容である。これからして、 あまり世間原理主義教徒を、とやかく言うべきでない。要するに誰もかも が無知なだけ。問題は、その無知を自覚できるかどうか?家庭内で、それが 露出するため、親子、夫婦間で鬱憤が蓄積される。で、欧米では一神教が 発明され、絶対神の名のもとに、何とか破壊を防いでいる。 誰もかもが、 精神錯乱者と思えば、それも自分が最たる者と自覚すれば、許し許される? 内観を怠らず、瞑想と、分析を日常に取り入れるべし!ということか。 ・・・・・・ 5068,あわいの力 ー③ 2015年01月29日(木) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * 「道具」を持たないワキ 〜身体が道具 身体そのものが「道具」というワキの存在が面白い。 これは何もワキに限ったことではなく、すべての人間に当てはまること。 アスリートは、肉体が道具!、いかに勝利につながる道具に身体をつくり 上げていくのが勤め。 人生を演劇に喩えると、役割が道具になる。 その役割としての道具には道が備わっている。 ーその辺りから抜粋ー ≪・「お道具」ということばですが、能の世界では鼓や笛を楽器といわずに 「お道具」といいます。「道具」というのは「道が具わっている」から 「道具」だといわれることがあります。語源としては間違っていますが、 しかし「お道具」の性格をよくあらわしています。お道具は、それ自体で既に 道が具わっている。しかし、それを演奏する自分の道が具わっていなければ、 いい音が出ない。何年もの修行によって自分の道が具わったときに、はじめて 「お道具」が本来の輝きを発し始める。つまり、シテ方や笛方、鼓方は、 「道具」を通じて能楽師としての道を歩んでいくことができる。 しかし、道具を持たないワキ方は、それができない。 ・こんなふうにして、ある程度自分の音を鳴らせるようになると、 その人の弟子にまた笛を譲り渡し、その弟子が何十年もかけて自分の音を 十分に鳴らせるようになると、また次の弟子に笛を受け継いでいきます。 そうやって、数百年にもわたって、「道具」を次につないでいくわけですが、 ワキはそのための「道具」が何もないじゃないか。そう、シテ方や笛方、 鼓方の人たちは言うのです。 が、じつはワキ方にも「道具」はあります。 それは、自分の身体です。自分の身体と「道具」として向き合い、いかに つきあっていくか、というのがワキとしての道の歩み方です。さらにいうと、 このことは何もワキにかぎったことではなく、すべての人間にとって当て はまること。どんな人間も、身体を持たずして生きることはできませんから。 ・能の笛というのは、わざと音が出づらいようにつくられているんじゃないか と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた 結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、 人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫ ▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。 今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。 その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能」 の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。 文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、 時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が 多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。 それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。
・・・・・・ 4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題 2014年01月29日(水) * 若年女性”の貧困問題 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する “若年女性”の貧困〜」を放送していた。隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者 より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られている のを日々、実感する。 (まずは、NHKのHPの番組趣旨より) 《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、 早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を 抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。 中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだ シングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化 していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫り にしていく。 ーあるプレビュー \(;$д$@)\ カ.金-\\\ 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、 57.5%と男性の2倍以上。そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満と いわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。 朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。 コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円前後の仕事です。 別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは 考えられないという。 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代の シングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円 未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた 風俗店の話が衝撃的でした。風俗店で働く女性の中には、店側が提供する 住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いという。 公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼る というのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。 ▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦が やむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、困窮者の数が増えている。 実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、その実態を 垣間見てきた。 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に 置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に 「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てている人がいる」という話を 聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として 現れてきている。「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、 しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという! ・・・・・・ 4336, 自己とつきあうということ −4 2013年01月29日(火) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。 この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、 2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。 そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。 * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め) ≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。 なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期 ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、 「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、 探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の 次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。 彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。 「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。 (断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。 しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。 よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。 「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて 購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三) ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。 人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、 自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫ ▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。 その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、 そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。 ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、 殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩 という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目 には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は 守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」 「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、していた。 このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と 「神」と「自然」についてである。「私の事業」が崩壊して、残ったのは 「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、 問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。 これも気づくかどうかの問題だが・・「欲する者を魂[命]をかけて購う」、 その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。 ・・・・・・ 3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか 2012年01月29日(日) あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というのがあった。 私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、身につまされるテーマである。その子供 たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として社会の中核を占めている。 そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の 人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。その中で団塊世代の母親は 核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内 離婚を含めて過半数以上が家族崩壊をしているのが現状である。 ー 次の部分は考えさせられる内容である。 ≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、 男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に提案はあるか、 と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに 失敗した世代なので、その贖罪のために孫育てに励んで、働く次世代の女性を 支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。不登校や引きこもり、児童虐待、少年 犯罪、DVなど、家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた 団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の 伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。これまでは、自然に生まれていた 地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の 荒波から個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士の男性たちを 企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。それは日本社会独特の 家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。 今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声を そろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。 だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。 そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、子育てである。 なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」 に集約されると言ってもいいかもしれない。そして、その子育ての目標は、 すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波 へと押し出す役割である。けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、 この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなす ことと、子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうと したのは、結局、無謀な話だったのだ。そして、親の介護。 長寿社会では、 介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、 担いきれなかった。・・ 目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族 まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・ 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが 「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を家族の進化と考え、 知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、 本気で求められいると考えるべきだ。≫ ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。 一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない男女関係を 含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。 あまりに価値観が多様化したこともあるが。 ・・・・・・・・ 3596, お絵かきロボット 2011年01月29日(土) * 画像転換ソフト 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で 加工するのに凝っている。カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を 一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、 百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すれば するほど、その出来栄えに驚いている。これは人間のカタチはしてなくても、 「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵に すると、別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい 加工をするのだから、有料のものを使えば・・ 特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、 既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、イラストに転換してくれる。 旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思って いたのが、そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。何故に、 この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?というと、秘境の 一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った 写真が、数年を経った現在でも水彩画や、クレヨン画に変換出来るのが不思議で、 奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、 当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の 美しさを改めて意識させてくれる。気楽に使っている転換ソフトには限りない ノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の 中に流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。 現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。
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| 5431,人生で最も大切な技術 ー⑪ 〜苦しみを最大限に利用する |
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2016年01月28日(木)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみを最大限に利用する 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。 父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか? ≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。 【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。 心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。 私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で 燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福 を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを 理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、 肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを 発見させてくれるのである。】 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。 逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、 心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。 こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に 受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、 というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応 を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと 失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、 シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに 何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫ ▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き 出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、 『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔 で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕? は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている 日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が経験 したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。この、心の内外、精神と 肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。 娑婆は、それぞれが、それぞれの知識、経験しか見えないため成立っている。 ・・・・・・ 3230, 死は‘別れ’のとき 2010年01月28日(木) 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の 近藤さんの訃報が入ってきた。癌である。これで5人目、2割強が亡くなった。 ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録を残した学者がいる。 岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身の臨終 の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り 組んだ人。癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことで致命的な癌。 あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書ク。 「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。昼はまだ良い。夜が問題だった、 夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた 私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を もたげてきたことを知った。腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくない という強烈な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、 そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、 私は身をもって知らされた。」 岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、 ・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、 ・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。 ≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、 人はそれを耐えて、乗り越えてゆく。死はつらく悲しいことだが、それは人生に いろいろある‘別れ’の一種に過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。 今までの様々の ″別れ″と本質的に異ったものではないのではないか。 普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、死に対しても心の 準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活ができる と感じがする」≫ という。 〜〜 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛が あっただろう。もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を! ・・・・・ 3595, 閑話小題 2011年01月28日(金) * 危機感が無さ過ぎる日本 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。 その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海 地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。 そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的 思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では 2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。 ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない? * 10人を11人の年金で賄う? 先日の新聞記事を見て、目を疑った。 「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が 背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。 去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに 悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。 * チュニジアの政変について 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと 見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの 情報化が背景にある。その影響がアルジェリア・リビア・エジプトにも波及、 暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国 連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融 恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。
・・・・・・ 5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い 2015年01月28日(水) * つれづれに 〜雑念そのままに ― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。 ― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、 餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、 ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、 枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした 起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。 枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求 不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。 ―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに 30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。 今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。 この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で 見る限り、飛躍的進化の兆しはない。 ―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、 「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。 次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ? 何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。 ―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに 従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を 振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく! 恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*) ・・・・・・ 4702,漂流者たち 2014年01月28日(火) * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ ー『散文』谷川俊太郎著より ーこれは全文であるー 【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代) の心境に似ている?】 《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。 むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく 知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を 考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。 それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、 生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、 ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を 造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、 牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、 こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく 生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、 正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念 の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは 今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の 中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。 彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港 からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい 若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、 おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康 であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、 わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。 そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。 エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世 にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を 求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛 の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、 若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。 おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》 ▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。 仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と 他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望 がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった! など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。 そして、今は家の中の漂流者? (>_<)ゞ (ノ_<。)うっ ・・・・・・ 4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン 2013年01月28日(月) * ドラマ メイドインジャパン 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 三回シリーズの一回目。粗筋といえば ≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。 財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏 に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業が タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、 現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫ 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニック、ソニー、 シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。 10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では 28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前 の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、 時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。 それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから 恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは 私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、 付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、 ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻 を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、 何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラーに なったタブレットPCやスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気 自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気 スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を 早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に なるものなど、発想の転換(カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、 中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。 制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。 ・・・・・・ 3960,ファイナル・クラッシュ ー7 2012年01月28日(土) * 日本をいかに安楽死させるか ー 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾 【2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクという 名の小姿員会が開かれ、そこに日本の大使が呼ばれた。アメリカ議会では、 日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリカとしてどう対応すぺきかという 問題を公式に研究しているのである。誰がどう見ても、日本政府の財政破綻は 防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の 津波が押し寄せてくる。その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から 切り離し、日本を安楽死させるか、そのためのメソッドを研究している。 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を 聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、アメリカ政府では すでに彼らなりの崩壊のシナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する 一環として日本の大使を呼んだのだろう。日本を単独で安楽死させる方法として、 どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債の格付けを一気に一〜 二段階下げてしまうやり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱。 しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後なら、日本国債がデフォルト しても「やっぱりね」ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・ 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。 市場の国債の価格がそれだけ下がると、長期金利が上がってくる。 5%になったら何が起こるか。この金利は、世界的に見ればごく普通の金利。 既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円のアップである。・・・ それは国債と同額の金額になる。】 ▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく 政争に明け暮れるしかない日本。偶然だが、去年の今日(下記)に 「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。当時、そんなことより、 自分の会社が大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が出ている 内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、どっちにしても 同じ結果でしかなかったことも事実である。もう今さら国家天下でもないが・・ 小高い中腹の山から大津波がよく見えるから、同じようなことを書いている。 金融関係のトップクラスの人たちは、一番よく分かっているが。何も言えない。
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| 5430,閑話小題 〜腰痛をおしての除雪作業2時間! |
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2016年01月27日(水)
* 甘利経済相の汚職問題、これ、おかしくないか? 明らかにアメリカとのTPP交渉で宗主国の尾っぽを踏んだ見返りの 謀略? たまたま、日曜の夜に放映された冷戦時代のCIAとKGBの謀略の 秘密映像の録画を、昨日、見たが、時もぴったり。見せしめのたの計画? 甘利というだけ、‘あまり’にも無防備。 * 腰痛をおしての除雪作業2時間! 積雪が1mあり、一昨日、スポーツジムに出かけようとしたが、 駐車場の出入口は除雪をしないと、外出は無理。そこで、ジムのトレーニング 替わりの除雪と割切ることにした。 除雪も結構、面白いが、しかし腰痛には 要注意い! 仕方がない、痛むなら痛めと、恐々始めた。道路の除雪した雪が、 幅7〜8mはある駐車場の出入り口に1m以上もあるため、除雪に2時間を 要した。その後、出入りに余裕をもたせるため、あと1時間は、要すると判明。 腰痛もあり、かって2時間の除雪経験は初めて。昨日あたりに腰痛が出る のでは、と不安だったが、今のところ大丈夫。 ヨガと、エアロビの効果が あったのか。 元もと腰痛は、昭和38年の「長岡三八豪雪」で、長岡高校の 校舎の除雪で痛めたもの。 雪道をジムへの道すがらユックリと運転したが、 雪道は凸凹で、後でみたら、後部は擦った傷跡がシッカリとついていた。 気をつけても、つくのはつく。 * 70からは、診療負担が2割に減額 新しい健康保険証が送られてきた。70歳からの診療負担が3割から 2割負担に減額と、あった。ただ、それだけの話だが、切替日が今月末、 「週末の歯科の予約、来週に変更すれば一割御得!」と、家内が睨む。
・・・・・・ 5066,閑話小題 〜何気ない一日の使い方 2015年01月27日(火) * つれづれに ー何気ない一日の使い方 ― ご隠居生活に入って、あと二ヶ月で4年になる。家内は専業主婦歴42年。 その生態が見えてくる。毎日のように、医院、スポーツジム、お友達とお茶、 スーパーやショッピングセンターに外出。ふと姿が見えないと、200m先の スーパーに夕方の値下げ品を探しに出かけている。こういう隙間時間の使い 方は、私の10倍以上のキャリアが成せる技。とにかく足が軽い。 で、昨日も、一昨日に続いて、年二回の恒例の乗り放題の格安切符で東京に! 昨日は、孫の顔をみて、予めネットで調べていたホットスポットを回った後、 大宮まで長野新幹線に乗って、上越新幹線に乗り換えて帰ってきたという。 やはり乗っている人種?が上越新幹線と、ちょっと違うとか。東京の名所は、 どこもかしこも外国人だらけ!というのは、この数年で入国者が二倍になった から、そうだろうが。ところで、ご隠居生活は社会からのドロップアウト。 元もとアウトサイダーを標榜していたので、疎外感とか、戸惑いは殆どない。 日常の生活習慣を決め、大方、その通りに、こなしているからである。 読書と、ネットで、知らない事を知る時間があるのが良い。 ― 20時過ぎに就寝し、夜半の0〜1時に目が覚め、4時位まで、顕在意識と、 潜在意識が混濁した半睡状態の中にいるが、これは機中の座席の時間帯と 同じような感覚だが、濃さが薄い。 最近、週に4回はSJでヨガで、 死体のポーズを、最後の5分間していることも、その時間帯の意識に影響を しているのだろか。死体になったつもりで宇宙を漂うポーズ。 ― 最近になって、当り前のことが、当り前に思えるようなってきた。 思い込みの深さと、その軽さの自覚? 最後の結果が、格好が悪かった ことが、多くの気づきを喚起してくれているようだ。逆に言えば、大方は、 その自覚を経験していない。だから、それが面白い。 思い込みの深さと、その軽さの自覚のなさ! ― ちなみの思うことは、両親の有難さ。これだけで、充分に 生まれてきて良かったと実感できる。八人兄姉の末っ子で、孫のような 感覚だったのだろう。とにかく、優しかった。現在、小中学校の同級生を 思いやると、芸者置屋の子、戦災で孤児になってお寺の養子とか、 継母のためヒネタ子や、小さな居酒屋の2Fに住んでいた子とか、戦争 の爪あとが、そのまま子供を直撃していた。それにしても、貧しかった。 〜6年前の同月同日分を見たら、偶然だが、以下の内容があった。 ―――― 2854, 格差世襲 −2 2009年01月27日(火) リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。 ・特に教育方針に違いが表れている。 「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」 「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、 子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ―― 2853, 格差世襲 −1 2009年01月26日(月) ー 貧困とは溜めのない状態 ー 格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木) 階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。 他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、 半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。 (字数制限のためカット 2016年1月27日) ・・・・・・ 4701,閑話小題 ー夕方がいちばん楽しめるとき! 2014年01月27日(月) * 残照の中で! 「日の名残り」カズオイシグロ <2167, 「日の名残り」読書日記 2007/03/10 >の、 老執事が旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がよい! 「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。 だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろ を振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。 何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。 わしを見てごらん。引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたも わしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー 「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。足を伸ばして、 のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらん。 夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」 男が立ち去ってから20分ほど になります。私はここに残り、いまの瞬間を ー桟橋のあかりが点燈するのをー 待ってました。~~(-。-;)y-~~. さきほど申し上げましたが、楽しみを求めて この桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。 その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、 多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間かもしれません。 では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された 時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。 ―― 「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える 能力だと言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発された だけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人 にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。 ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、 中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。 外部の出来事には ーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしく とも、動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るようにー 執事職を 身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえごろつき 相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、 自ら脱ごうと思ったとき意外にはなく、それは自分が完全に一人のときに 限られます。まさに『品格』の問題なのです。」 ▼ これを書いた7年前と、色いろあった現在では、味わいが違っている。 御隠居生活という夕方では、前向きな気持ちで、残された時間を最大限 楽しむこと。私のように、最後は、この様な終り方で、うわべが剥げ落ち、 中の演技者の生の私がむき出しになった状態でも、楽しみだけは充分ある。 自分に誠実にあることしか頼るすべなく、独り立ち竦み、残照で世界を眺め 直し、湧き出てきたきた言葉は? 肯定、肯定、絶対肯定。 そして、人生万歳! である。 ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ ヾ(_ _)ノ モヒトツ ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪ <ー kryaΣ(´д ` メ)アホダー!! ・・・・・・ 4334, 自殺者増加の意外な要因 2013年01月27日(日) 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。 去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる 思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を 重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという 隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、 ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、 身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの 介入が、その防止につながる。 ーこの記事をまとめるとー ○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。 ○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。 ○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。 ○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、 首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。 ○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、 5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの 共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 また県民性もある。 ○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と 不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに 抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を 評価するー住民気質が、必要。 ▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。 ≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、 自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。 ・・・・・・ 3959, 閑話小題 2012年01月27日(金) * マイウェイ マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが 面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、 あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中 戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。 またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。 この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、 やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人 がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に 奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、 凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが 出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な 動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。 あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。 そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。 * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡 閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、 欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と 高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が 停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌 のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は 別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に 何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、 ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。 それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。 ・・・・・・・・ 3594, 教養とは何か? 2011年01月27日(木) これまで、何回か教養について書いてきた。一番に納得したのは 「18歳までに洗脳された思い込みから自由になるための知識と経験の蓄積」。 塩野七生著の「生き方の演習」の中に次のような一節があった。これも面白い。 「生き方の演習」 塩野七生著 P−45 ≪ 立花隆さんが東大で「東大法学部の学生は教養がない」と言ったら、 法学部の学生たちが、「先生、教養とは何ですか」と問い返したそうで、 それに怒って、彼の考える教養とは何かを『文藝春秋』にかいたんです。 立花隆さんは私の友人でもあり、たいへんに尊敬しておりますが、やはり考えが 違う時は違う。彼は「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、 これは、私に言わせると十九世紀的な教養の概念だと思うんです。十九世紀と いうのは、ヨーロッパの有産階級ができ上がった時期。その人たちは有産階級 ですから、お金があって、家もあった。働く働かないにかかわらず裕福だった わけです。そういう人たちが、「教養は役に立たないものである。しかし、 教養は大切である」っていうことを言っていたわけです。けれど、私の関心の的 である、それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。 たとえば、ルネサンス時代には、教養というものは役ところが、ルネサンス 時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに 盛んだったのが工房でした。ミケランジェロもそこで修業しているし、 レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつ だけを専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手 ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、画家などの仕事にも 通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻でも、画家的な視点で 人間を見れば、また別の見方ができると考えたわけ。・・つまり彫刻では、 建築家は、彫金家ではどんなふうにするか、とすべてを押さえると、今度、 絵を描く時、それまでと違った絵か描けると、彼らは思ったわけです。 そういうルネッサンス時代の教養が、教養の原点だろうと考えるのです。 ▼ 一つ穴を深く掘ろうとしたら、穴そのものを大きくするか、それなりの技術 と道具が必要になる。ダ・ヴィンチが、あらゆる分野に精通していたのは有名 だが・・ 地球に何をするため生まれてきたか?の問いに、「世界を知るため、 その人しか創れないものを創ること、そして子孫を残すこと」と答えが出るが、 「その人しか残せないものを残したとしても、千年、一万年単位でみれば、 泡でしかない。それを悟ることが教養」が、今日の落ち!
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| 5429,人生で最も大切な技術 ー⑩ 苦悩と不幸の違い |
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2016年01月26日(火)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみと不幸の違い ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕 と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、 〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を 俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、 不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに 気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜 ≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別 する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。 サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、 定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、 痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。 【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、 まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。 私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、 そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、 当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、 自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】 自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する 動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で 何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として 生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、 等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。 なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と 関連するとはいえ、本質的な関係はない。 四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が 自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。 残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸 と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する 仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。 人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、 人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫ ▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、 【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により 日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄 に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。 四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】 とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは! 四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と 内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか? 急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、 一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、 その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。 ・・・・・・ 5065,あわいの力 ー② 2015年01月26日(月) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * お能の世界とは この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に 魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、 <芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹 から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、 その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。 猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの 「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」 として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある ≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。 ・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。 ・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに シテ方を演じるようなことはありません。 ・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫ ▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄 の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。 『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』 〜〜 4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人! 2014年01月26日(日) * 映画館貸切?の念願成就! 映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、 その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が 入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に 私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。 内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。 若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される 感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい? とすると、一割以下のコストは価値がある! * 近所の喫茶店 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店 『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは 何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって 夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、 価値がある。コーヒー・パンレストランという風。 * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、 これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。 ―― 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ ・・・・・ 4333, 自己とつきあうということ −3 2013年01月26日(土) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること! ≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を 意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ 存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の 途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを 問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような 方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、 自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己 といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。 そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や 変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、 状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて 何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する 自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が あらわれてくるであろう。・・・ ≫ ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、 書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が 出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。 その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、 書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を 決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’ と実感できるかだ。 ・・・・・・ 3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4 2012年01月26日(木) * 「他責的」な新型うつの病理 ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー ≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような 幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、医師のもとを訪れる消費者、 いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。 なぜ、この欲望はこんなに強くなったか? まず、消費社会が購買意欲をかき 立てるために「あきらめるな」「すべて可能である」といったメッセージを送り 続けた結果、あきらめきれない人が増えた。断念せずにすむ手っ取り早い方法が 開発されたことが宣伝されればされるほど、以前であればあきらめを受け人れ ざるをえなかった人も、あきらめきれなくなった。とりわけ、「こうありたい」 という自己愛的イメージにとらわれている人ほど、「自分はこんなもんじゃない」 という思いが強いので、自分を「底上げ」してくれる手段にすがって、あきらめを 何とか回避しようとする。当然、自己愛の強い人ほどあきらめきれないが、現在、 こういうタイブが増えている。少子化の影響もあって、子育ての失敗が許されなく なり、親の期待がもろに子供の肩にのしかかるようになったからである。 親の期待とは親の自己愛の再生にほかならず、敗北感や不全感にさい悩まれて いる親ほど、自分自身が放棄せざるをえなかった自己愛を、よりいっそうわが子 に投影する。 子供は、親の期待に応えなければ愛してもらえないと肌で知って いるので、親から投影された自己愛を引きずったまま成長していくわけである。 子供が多くの時間を過ごす学校という場で、自己愛的イメージを徐々に断念 させて現実の自分を受け人れさせる、つまり「身の程を知る」ようにさせる システムが機能しているかというと、現状は正反対。何しろ、「やれぱできる」 「誰にも無限の可能性がある」といった類の幻想を盛んに吹き込んでいるから。 こういう幻想を吹さ込まれ続けて「なりたい自分」のイメージだけが肥大して いくと、現実の壁にぶつかって自己愛的イメージと現実の自分のギャップに 直面したとき、ふくらむだけふくらんだ自己愛の風船をどうやってしぼぽせたら いいかわからず、落ち込んでうつになる。おまけに、現実の自分が 「これだけでしかない」のは、オ能、努力、意欲が足りなかったせいなどとは 決し思えない、いや思いたくないので、他人にせいにして責める。 これが「他責的」な新型うつの病理である。≫ ▼ 私も八人兄姉の末っ子で、両親から特に大事にされ育ったため、 心のどこかで常に親の期待に答えようと意識していた。青年期は、その葛藤の 中で常に、「自分はこんなものじゃない」と、自分の「底上げ」を心掛けていた。 27歳で父が亡くなった時、創業の激務もあったが、何かから解き放たれた ような気持ちがあった。 当時は高度成長期、誰もが坂の上の雲を目指していた。 先日、青年期に読んだ「精神論」について書いたが、「誰も無限の可能性がある」 の刷り込みだったか、右上がりに必要だったのか? 偶然だが、下記の去年の 文章が関連している。 アメリカそのものが、深刻なノイローゼである。 ・・・・・・・ 3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −1 2011年01月26日(水) 「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著) 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている 内容とは大きな隔たりがある。度々、アメリカに滞在した普通の目線で 平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させている という論には納得する。 ーアマゾンの内容紹介よりー ≪ なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか? アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。 経済格差の国・アメリカと、 幸福格差の国・日本。世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本… 長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の 第一人者の著者が、そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、 初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。 〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、 米国の一般の人々の社会における価値観、その元になる宗教、特にプロテス タンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が 抱える最重要課題、日本における人々の社会への不信感について論じている。 そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で 大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。 では日本における心の問題を 社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性に ついて述べているが、日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける 存在になっていない〉 ▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本 主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。そのほんの少しの患者を、 一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が 出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。 この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。 日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」 を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、 カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく ・・・・・・・ 3228, フリー −5 2010年01月26日(火) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 * フリーワールド ー誘発された陳腐化ー(p271) ≪ 中国では、不正コピーが音楽消費の95パーセント占めているといわれる。 といって、ミュージシャンは動じない。彼等は多くの人が聞いてもらえるほど、 そのコンサートツアーのギャラが高くなるから、別に困らない。困るのは音楽 会社だけ。経済学には「海賊版パラドック」という用語がある。ファッション業界 を下支えする根本的なジレンマから生まれている。 つまり、「消費者は今年の デザインを気に入らなければならない。そのうえに、直ぐにそれに不満を持ち、 翌年のデザインを買いたいと思う必要がある。技術商品と違って、アパレル メーカーは翌年の製品が優れているとは主張できない。見た目が違うだけ。 そこで、消費者に熱を冷まさせる理由が必要となる。その解決策は偽物が多く 出回ることで、高級だったデザインが大衆向けのコモディティになることなのだ。 そうすると、そのデザインの神秘性が失われ、目の肥えた消費者は何か特権的で 新しいものを探さなければならなくなる。これが「誘発された陳腐化」と呼ぶもの。 コピー商品の登場で、そのファッションが流行に敏感な人のものから大衆のもの へとすばやく移り、敏感な人は何か新しいものを見つけなければならない。 中国では敏感の人とは。新興の富裕層と、中流階級で、10億の大衆はまだ、 その偽物を持つことで高級品の市場に足を踏み入れたばかりである。本物と 偽物の異なるセグメントをターゲットにし、互いに相手の役に立っている。 ≫ ▼ 偽ブランド品はメーカーにとって不可欠な存在だったのだ。 「偽ものが出回るほど、一般の人が憧れる商品としての価値の 証明になる」 上に、更に「誘発した陳腐化をうながしてくれる」。 悪役が善玉を引き 立ててくれる上に、善玉の次なる善行を引き出す役割になっている。
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| 5428,人生で最も大切な技術 ー�� 幸福は可能か |
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2016年01月25日(月)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福は可能か インド独立の父 マハトマ・ガソディの以下の言葉が良い。 < 手に入れられる外的自由の大きさは、ある瞬間の成長段階で獲得済の 内的自由の大きさに比例している。それが自由についての正しい考え方なら、 自己の内側を変革することにエネルギーのすべてを集中すべきである。> 外的自由から、逆に内的自由を得ることも、しばしばあったが、やはり、 内的自由から入るのが順当だろう。節目を打つというのは、挫折や、成功から、 これまでのステージから次の段階への変化にエネルギーを集中すること、 外的自由から、内的自由を得るための行為と思索をいう。読書で、著者の 世界にトリップするのは内的世界の自由を得る身近な手段。また、瞑想も しかりである。今ではTVも、インターネットもある。 〜その辺りから〜 ≪ 精神的な修行は、驚くほど多くの結果をもたらす。日々わずかの時間を 瞑想に割くだけで、精神を鍛えることができる。想像以上に多くの人たちが 通常の家庭生活を営み、仕事に励みながらこうした訓練を続けている。 このような生活態度のプラス面は、煩わしい時間のやりくりといったマイナス 面をはるかに超えている。こうした訓練を続けることで、現実的な日常生活の 中で心の変革の旅に乗りだすことができるのである。パストゥール研究所で 研究に取り組みながら、パリの生活にどっぷり漬かっていた頃、数分しか実行 しなかったにもかかわらず、毎日の瞑想は非常に有益だった。 日々の活動の中に、芳香が漂い、これまでにない価値を見出すことになった。 ここで言う瞑想とは、単なるリラクゼーションではなく、内面に目を転じる ことである。思考がどのようにして生まれるのかを静観し、憂うつなものも 陽気なものも、すべての思考の裏に常に潜んでいる平安、静寂、純粋な心の 様相をじっくりと見つめる作業である。それは思ったほどに複雑で難しいこと ではない。ほんのわずかな時間を割くだけで、瞑想がもたらす効果を実感し、 結果を認識するようになる。自分の中で起こっていることを内観する、その 経験を少しずつ身につけることで、思考経路をよりよく理解するようになる。 その結果、心の毒を洗い流すコツがつかめるようになる。 心の平和を少しでも感じられるようになれば、生気溢れる感覚の維持と煩雑 な職業を両立することが難なくこなせるようになる。同様に、心身が不安定で 不安感の強い状態(過度の自己中心としばしば関連する)から自分を開放する ことができたとき、恐怖心は弱まり、人に対して自然に心を開き、「人智を 超えた存在の気まぐれ」と呼ばれる運命に翻弄されずに、それに直面できる ようになる。国だろうが教会だろうが、あるいは専制君主でさえも、 人々に人間性向上を義務づける権力を持たない。これは本人の意思で選択する しかない。統計遺伝学者のルカ・キャヴァリ・スフォルツァとその息子 フランチェスコが雄弁に述べている。 【心の自由は、自分が制限するか、制限することを許した他者が制限する場合 を除けば、限界がない。その自由は偉大な力をもっている。個人を変革させ、 その能力を最大限に伸ばし、人生のあらゆる瞬間に、完全な満足感をもたらす。 個人が意識を成熟させれば、世界も変わる。なぜなら世界は個人の集合体だから。】 ▼ 私にとっての午前中の読書や、ネットや、寝室や居間でみるTVドラマと 映画も、内的世界を自由に飛びまわっていることになる。それに比例して、 外的世界が広がっていることも確かだが、瞑想で、心の内から、広大な宇宙と つながることは、外的自由より遥かに解放されることも確かである。 ・・・・・・ 5064,あわいの力 ー�� 2015年01月25日(日) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * シテの「あわい」の役割 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした 半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。 そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜 《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。 「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、 人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか? シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。 古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が 「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。 あっちとこっちをつなぐ不思議な力! 異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、 古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、 「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫ ▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について 書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」 の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、 「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが? この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。 ・・・・・・ 4699,末期がん、その日のための予習を ー2 2014年01月25日(土) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。 人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された 救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、 好きなDVDの用意か? シリアス過ぎる? 第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より ・日本人の2人に1人がかかる国民病 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない! ・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。 遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし! ・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく ー長生きの負の部分と割り切るしかない! ・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし! ・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、 少しでも減らす算段を!その差は大きい ・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく ・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に ・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・ ・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、 目の前にある「いま」を大事に生きる ・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する ・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と 生きれば、怖れは減る ・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 罰が当たったと思う必要はない ・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責 ・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ ・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割 ・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る ・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏! ・「看板かじり」は精神的に脆い ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし ・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし ・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。 感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる ・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという 気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を ・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある ・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ ・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう 意図的にコントロールする ・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ! ▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が 来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟ ・・・・・・ 4332, 自己とつきあうということ −2 2013年01月25日(金) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜 することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。 特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。 戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。 そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。 * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー ≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。 「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。 彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、 忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。 オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退 すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に 引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」 との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、 他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が 強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの 考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。 われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」 や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、 その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 ・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に 向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束 され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、 両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、 生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、 この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫ ▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を 避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に 沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに 行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、 一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、 人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、 音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている 時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。 社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。 ・・・・・・・ 3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3 2012年01月25日(水) * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。 ≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には 100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。 うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、 中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。 アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、 1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと 40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫ ▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断 基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん 止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、 その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に 仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした 落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人 が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の 発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の 数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用 があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。 ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの 副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、 気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。 合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。 これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 うつを和らげるが、身体に蓄積していく。 ・・・・・・・ 3592, 閑話小題 2011年01月25日(火) * ワールドカップとオリンピックの差 「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」 と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を 上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。 見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。 勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし 金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。 * ところ変われば、意味が違う (字数制限のためカット 2012年1月25日) ・・・・・・・ 3227, フリー −4 2010年01月25日(月) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 * 数百万点の中古品をタダで提供 ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー(p249) ≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに 住むデロン・ビールは、地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、 衛生面で問題があるということで拒否をされた。そこで、彼はゴミを減らすため、 フリーサイクルを立ち上げた。 ・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、 ・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは 非営利で、グーグルによるスポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入 から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル) 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって 運営されている。会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を 記さないと会員になれない。一たび会員になると、沢山の無料のモノが まっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的な プラットフォームはない。2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、 合計800万点になっている。≫(字数制限のためカット 2012年1月25日)
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| 5427,人生で最も大切な技術 ー⑧ 快楽は見せかけの友人 |
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2016年01月24日(日)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福と快楽 …重大な混同 「安楽こそ幸福」といえば、欧米の長期のバカンスがある。合理的日常から 離れて、ひたすらボ〜っとする。遊び慣れ快楽など今さらの人が求めるのは、 生活の雑事から開放され、ひたすら大自然と一体になること。それが安楽。 文化人の行きついたところが、「安楽」なら、未開人と何処が違うのか。 で、構造主義に到達する。〜その辺を抜粋〜 ≪ 外的な要因と精神的態度、すなわち心構えのうち、どれが本当の幸福を もたらすもので、どれがそれを阻害するものかを見分せようとする場合、 「幸福とそれに似て非なる特定の状況」とをはっきり区別することが必要。 最も起こしやすい間違いは、「快楽を幸福」と取り違えること。 ヒンズー教には、「快楽とは幸福の影に過ぎない」という教えがある。 快楽は、肉体的、美的、知的な刺激を受けた直接の結果である。 場所とか瞬間などの条件が揃った特定の状況において、束の間の快楽を 経験することができる。快楽は本来、一定で、快楽に誘引される感動は 直ぐにかすんで無色になり、ついには不快感さえ味わうようになる。 ・・(略)快楽はまた個人的な経験でもある。その大部分が自己中心的で あるがゆえに、自分本位に陥り、時には他者の幸せと矛盾することもある。 性的行為は、快感を相手と交換しあうことで相互に快楽を得る。しかし、 この種の快楽も、相互関係と利他の心が中心にある場合にのみ純粋な幸福を 感じられるものである。他者を犠牲にし、快楽を経験することもできるが、 そこから幸福を得ることはまずない。 快楽は、残酷、暴力、傲慢、欲、 その他の心情と結びつくこともあり、本当の幸福とは両立しない。 フランスの作家で批評家のドールヴィイは、「快楽とは狂人の幸福であり、 幸福は聖人の喜びである」と書いている。中には復讐や拷問を楽しむ人間 もいる。同様に、競争相手の破滅に有頂天になるビジネスマンもいれば、 盗品を肴に祝杯を傾ける盗賊もいるし、闘牛の観客は牛の死を見て狂喜する。 そのどれもが束の間の快楽に過ぎず、時にはそれが病的な高揚状態をもたらす。 これらも幸福とはまったく無縁である。・・・(略) 快楽とは異なり、心が純粋に生気に溢れた状態は、たとえ状況に影響 されることがあっても、支配されることはなく、意気消沈することはない。 持続性があり、経験を積むうちに鍛えられる。時間の経過でそれは第二の 天性と呼ばれ習慣として体得され、達成感という副産物をもたらしてくれる。 本物の幸福は、活動とは無縁である。それは人間の在り様、すなわち、 心がどのように機能するかについて正しい理解に到達することで、感情の バランスが見事にとれている状態を指す。 普通の快楽は、快適な対象と 接したときに生じるが、その接触がなくなると快楽は消滅する。 反対に、永続的な安楽は、内なる本質と完全に調和している期間中ずっと 持続する。 安楽は、自己への執着を超えて、内側から発散してくる平安な 無我の状態を一つの側面とする。自分とうまく調和できている人は、 家族、隣人、場合によっては社会全体とも良好な関係を維持するために 自発的に貢献しようとする。 要するに、快楽と幸福は直接的な関係がない。 だからといって快適な感覚を求めてはならないということはない。 壮大な景色、海水浴、バラの香りの楽しみをすべて止めなければならない 理由はない。ただ、心の平静さが損なわれ、満足感を得ることに執着し、 快楽の妨げとなる何事をも毛嫌いするようになると、快楽は障害となる。 快楽は、幸福どは本質的に異なるとはいえ敵ではない。ただ問題になるのは、 快楽がどのように経験されるかである。所有に取りつかれるとき、あるいは、 心の自由が妨げられるとき、食欲と依存症の兆候が頭をもたげ、幸福が妨害 される。一方、心地よい瞬間とか、心が平静で自由な状態で経験される快楽は、 幸福に影を投げかけることはなく、かえって幸福を引き立てることになる。≫ ▼ 40歳半ば、母親の軽い痴呆症や、病など家庭内問題が山積し、兎に角、 目先のストレスを解消する必要性があった。 そこで見つけ出したのが、 秘・異郷ツアー。未知への旅の不安は並大抵ではないが、大自然との邂逅が、 ストレスへの即効薬に気づいた。それまで、年一回のツアーが、2〜3回に なっていた。極限の日々が、想像を絶する大自然や、異文化、異文明の出会い に導いてくれた。あと講釈としても、「この大自然と出会うため、この日々 のストレスがある」と、思わせるほど強烈なインパクトがあった。 それらの邂逅での一瞬の至高体験から湧き出て蓄積された『安楽の池』が、 心の奥に静かに佇んいるから、何ごとにも平然としていられる。 『快楽の池』は、あるか? 〜以下が偶然だが、脈絡として続いていく。 『快楽の池』『安楽の池』『地獄の池』の管理のため、人は神をつくった? ・・・・・・ 5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜③ 2015年01月24日(土) ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー * 日本人と宗教 以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。 これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、 人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という 避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想を つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の 世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー ≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど 特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、 「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように 答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も 意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた 「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、 結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」 と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、 あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在 としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに 対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の 言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道 などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米 であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。 このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫ ▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として 我々を支配する。 ・・・・・・・ 4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を 2014年01月24日(金) * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 ーその辺りを抜粋 《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の 6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。 さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳 となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は 12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで 人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の 大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで (1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは 如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を 毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》 ▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。 で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、 何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに 個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。 男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている 人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。 お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺 の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、 ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した! * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だ 「滑稽」 高橋新吉 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉 ・・・・・ 4331, 自己とつきあうということ ー1 2013年01月24日(木) * 自己への思考の旅 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら 「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、 【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから 逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて 読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を 振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。 一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。 そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、 今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも 道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、 目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、 手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、 自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか 少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を 説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して 自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている 他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた 出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように 違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが 自己への旅の醍醐味であろう。》 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの 45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。 非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、 実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番 知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、 後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の 経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。 要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。 ・・・・・・ 3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2 2012年01月24日(火) 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、 それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。たまたま周辺の何人かの異様な 言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、 周辺に怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤としてプライドが異常に高いのが特徴。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩き つけ潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、 情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、怒りの原因を探しやすい ためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と 自然災害と現在でも信じている。借入総額の七割を返済しても、残り三割の 総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも 言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 以前書いた、文章をコピーしてみる。 ≪ 2011/06/28 閑話小題 ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに出る のが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には「あなた群」 というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たち からの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、 その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、今回の倒産劇の 「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。 そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・ 原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの輪で、 「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは 数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明である。 それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫ ▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りを ブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか? ・・・・・・ 3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2 2011年01月24日(月) * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、 ー3分ルールー ボクシングの1ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円。 これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本 を読むときに、いま一度、前書き、後書き、これから読もうとするページに目を 通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。これもポイントに集中 して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。 ー90秒ルールー これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。 驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束 するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような 行動をせず、じっと脳の興奮が収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。 私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い 習慣として身につけたい時に、学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を 与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。 ー30秒ルールー コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正 の時間である。これ以上になると、間延びをしてしまうし、それ以下では情報量 が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、 知らないうちに慣らされている面もあるが。そういえば、人と人間と、時と時間 の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
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