堀井On-Line



5426,閑話小題 〜シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!

2016年01月23日(土)

   * シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、
【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラ。マッコウクジラ
 の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が
白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。
一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが
反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長
ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に
鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命
ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の
キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」
に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、
食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で
「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】
▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に
引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流
する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、
「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。
   * 4日間乗り放題の新幹線で
 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で
乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。
当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば
東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。
 このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ
が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。
 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 
幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、
良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分
を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生!
 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、
 『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』
私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に
しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の
持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、
独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち?
・・・・・・
5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜��
2015年01月23日(金)
      < 本日「いいかげん」日和  一日一話 >ひろさちや(著)
   * 貧・病・争と宗教
「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、
優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と
いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、
何ごとも良い方向に運ぶということ。
≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ―
 と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、
そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく
のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が
治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい
まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。
わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。
 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった
本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と
いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、
嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。
宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。
嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが
できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫
▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを
 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方
でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん
即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω
・・・・・・
4697,末期がん、その日のための予習を ー1 
2014年01月23日(木)
        ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。
父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え
去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。
 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、
何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、
死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の
イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、
ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に
すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 
哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者
との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に
取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
   まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。
 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」
の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで
死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の
患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。
余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 
多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか
に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族
ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という
命題をつきつける。
●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている
●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い
●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ
●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか
●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな
●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 
 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、
 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。
宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 
予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。
これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム
に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。
末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。
がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、
それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。
・・・・・
4330, 弧族の人たち
2013年01月23日(水)
  「孤族の国 ーひとりがつながる時代へ」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著)
 NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 
全国53の事例でつづった渾身のルポ。太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入
させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人。
繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。
65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と過去最高を記録 し、全世帯に占める
割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に
自殺率が急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、
定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。
  ー内容紹介(amazon)ー
急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。
高齢になったら、病気になったら、職を失ったら―その先には孤立という罠が
待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、
39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に
離散した集落、独身無職女性の苦悩など多数の事例から変容する家族と社会の
あり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死 …
他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。
朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 
 ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。
【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた
軽自動車の後部座席から遺体で発見された佐藤正彦さん、享年55。 
DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、
遺骨を保管。司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さん
は、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班がその足取りを追い、
浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。
▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。
 高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、いちばん低いのが独り暮らし
という。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。
ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを
紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。最後は県外にいる娘の近くの
アパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と
高齢化社会の中で、大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題。 
麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。
・・・・・
3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
  * 生存適応戦略だった「ユウウツ」
「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で
何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、
なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在
 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大・野村総一郎教授の
著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である
「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために
獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、
うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという
無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。
また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。
ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。
その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、
あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 
生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。
このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、
かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、
マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、
悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。
人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、
ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを
得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに
関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。
野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】
  ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得
 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、
大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。
それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、
独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。
しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。
これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。
それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。
「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に
集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻
撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。
振り返れば節目時は鬱だった!
 ・・・・・・・
3590, 戦略ネット会議システム −2
2011年01月23日(日)
 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、
大手銀行に応募をして入社した人物の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に
対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、
掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、
その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、
探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚
が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り
入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの
ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いている
だけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに知恵を出しあえば、
多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題も
あるだろうが、互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、
内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。
その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、
新たに顕在化すること」こそ、企業にしろ、個人としても革新ポイントのコア。 
この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。
 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいること
は何? それを練り上げあげているのか?この恐慌の一番底が来年に到達しようと
する中で、どうする?」そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。
 ・・・・・・・・
3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
 孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」
の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。
 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」。
そして、還暦をむかえて一人「もとをとった!」と、ほくそ笑んだ。
 今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、
次の絶対言明が見つからないのである。しかし「死もまた愉し」の中の、
次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を
 立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。とりあえずは1年だけ考える。
あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。
1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。 
新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、
つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。
これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことでは
ないかと思うんです。 ≫
 若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活
をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。ーそのような境遇で、会得したことは、
【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、
日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。私には、どうも無理のよう
だが・・。彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。内容は毎年同じで、
原稿用紙。 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
 結核療養所で石田波郷、福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ  ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり  ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず ・來し方の見わたすかぎりおぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり   ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
 ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
 


5425,閑話小題 〜年明け早々に何かが始った

2016年01月22日(金)

    * 年明け早々に何かが?
 4年前の同月同日のファイナル・クラッシュを読み返すと、極論と、
思われるが、これも今まで、リンゲルをうって、それを延期しただけ? 
 そのマグマが、さらに溜まっている。先日のTVのニュースで、
阿部首相と、麻生副首相と、黒田日銀総裁が、テーブルに並んでいたが、
麻生と、黒田が伏目顔で、何か重大な事態が、起きようとしているのを、
知っている素振りにみえた。 これだけ、金融緩和をして、年明けから3千円
の株価の下落である。〜ある経済ジャーナリストの、ブログのコメント
≪ NY株も上海株も小康状態の中で、日本株が急落している。
 日本株も「弱気相場圏」入りしたと思われる。
 投資家の心理的ダメージ修復には時間を要する。
日経平均1万6千円、円115円、原油25ドル近傍へ相場が一斉に
大きく揺れるときが、全員弱気による売りのクライマックスになりそうな展開。
それにしても、新年から日本株 2勝10敗 となると、未体験ゾーンである。
 米利上げと中国経済は、政策対応で、少なくとも止血剤的効果は見込める。
問題は、政策対応が効かず、制御不能に陥った原油相場だ。
 原油安は原油輸入国の日本にはプラスといったところで、投機主導の相場
には軽くスル―されてしまう。先物空売りが急増すれば買戻しが入るという
市況の法則も通用しない。下がったら、もっと売る、というモードに入っている。
俯瞰すれば、原油市場は、新常態の需給均衡価格を荒っぽく模索している。
20ドル台では、供給サイドの新規油田開発がストップするので、長期的に
需給は締まると分かっていても、相場は下方へオーバーシュートしてしまう。≫
 かなり、厳しい局面に入っているようだ。≫
▼ この文章は、数日前に書かれたが、あれよとというまに、
「日経平均1万6千円、為替115円、原油25ドル」へ相場はふれている。
「前もって決断した5年前の事業清算は正解」と思わせる大津波の本格到来か。
 で、これも偶然、以下の2013年01月22日(火)、2012年01月22日(日)の
< * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 >
< * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は
   大破局に向かっている!」〜3954, ファイナル・クラッシュー6 >
 に、脈絡がつながっていく。 納得である。
・・・・・・
4329, 財政恐慌 −5
2013年01月22日(火)                    
    * 死に至る無限ループ    『財政恐慌』浜矩子著 
 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 
これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち
終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 
   ーまずは、その辺からー
≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。
 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、
人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が
引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、
なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。
ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、
国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処
しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。
その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。
 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を
ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、
かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度
ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。
そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。
 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避
のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、
見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを
流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る
のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ
ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、
政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。
 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること
を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り
やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。
経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。
その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る
ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。
要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う
恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや
その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、
内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。
数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて
ない勢いで内から外へ流れ出す。≫
▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに
 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも
日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。
しかし茹で蛙状態の日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 
国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。
・・・・・
3954, ファイナル・クラッシュ ー6
2012年01月22日(日)
 * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は
                  大破局に向かっている!」
≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、
 アメリカの浪費型経済システムと見ている。まずアメリカ、そしてイギリス
を含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な
破局に巻き込まれる見通し。しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に
借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まる
ことも、あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの
経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体がファイナル・
クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険
要因が存在する。日本である。私の予想では日本政府はもう一段階の格下げに
あい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。その後、日本に引きずられて
アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、
日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。この点が著者ヒューゴと私の見解の相違
である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけ、最終的な結末は大差ない。
日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。
懸念されているのは、日本政府の財政状況。日本政府の負債は、財務省の発表
によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、
二〇一一年にも国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用
により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を上回る。
そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、
今以上に支出を増やそうとしているのだ。日本では報道されていないが、
海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。
IMFの発表を見ていても、東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因と
みなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに
世界経済のメルトダウンの引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。
震災後に行われたG20の会合でも、その方向でミーティングが進行していた。
ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の
不振を、政府が財政支出の増加でカパーしようとしたことだ。
これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、
日本が生き残ってきたこと。それは政府の財政支出の拡大により支えられていた。
これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が日本経済を
破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 
なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。これについては世上、
金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、
私見では少子高齢化である。日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、
老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故という
のは想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、
これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、
もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化
せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの過剰消費という
外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが
今、まさに止まろうとしている。 ≫
▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。
 前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。それも電気料金の
値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態。
時流が先行して現れ出る仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、
毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと
事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、
その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。
結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 
この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。
・・・・・・
5061,閑話小題 〜何を慌てている?
2015年01月22日(木)
   * 何を今さら
 イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが
世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの
首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、
展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。
 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを
画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と
異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。
 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも
分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は
許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、
この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを
狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する
のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、
映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが
世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、
東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。
 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』
と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、
生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、
世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、
直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作
が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として
必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 
 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。
・・・・・・
4696, 悲観のプロセス12の段階
2014年01月22日(水)                     
 * 悲観のプロセス12の段階  『心を癒やす言葉の花束』デーケン著 
  ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。
 挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、ほぼ同じ悲観のプロセスを
経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? 
  ーまずはその辺りからー
《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、
 自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。この階段は個人差
 があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも
 順番を飛び越えることもある。
 1段階:精神的打撃と麻痺状態:  愛する人の死という衝撃によって、
    一時的に現実感覚が麻痺状態になる。心身のショックを少しでも
    和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。
 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。
 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。
 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒り
    を感じる。「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」
 5段階:敵意とルサンチマン(妬み):  周囲の人々や個人に対して、
    敵意という形で、やり場のない感情をぶつける
 6段階:罪意識:悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める
 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い
    込み、実生活でもそのように振る舞う
 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、
    早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要
 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心):日々の生活目標を見失った空虚
    さから、どうしていいかわからなくなる
10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、
    現実に勇気を持って直面しようとする
11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは
    健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、悲嘆プロセスを
    乗り切りつつあるしるし
12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生:
    以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、
    より成熟した人格者として生まれ変わる 》
▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが
  『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。
・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り: なぜ自分が死ななければならないかという怒りを周囲に向ける段階。
・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
 何かにすがろうという心理状態である。
・抑うつ:なにもできなくなる段階である。
・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
  これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を
「明らか」にして、受容することで心安らかになることが最終の段階。
その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 
それを果たして楽しめる?

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3589, ユダヤ人 魔法のコトバ
2011年01月22日(土)
    「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著
 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。
世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも
及ばない説得力を持つ。
 ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー
* 成程!
 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上
  のことだから」ー米国投資家・ベルナルド・バル−ナ
 解)逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。 
   40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。
* 笑うしか術がない時
  人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 
 解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。
  ところで、笑えるのは本当に深刻だろうか? 愚問か!
* 物忘れ
 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを
  上げるのを忘れるようになる。そして最後には、ジッパーを下ろすのを
  忘れるようになる」  コメディアン ージョージ・ハーンズ
 解)これ、笑っていられない年齢になってきた!
* 口の軽い奴
 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」ータルムード
 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を
  聞く人、そして対象になっている人」
 解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。
  酒が入ると、他人事ではないか・・
* 夢も悪夢もあったけど
「夢も悪夢もあったが、夢があればこそ悪夢を乗り切れた」ージョナス・ソーク
解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと
  挫折が待っている。「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ
 (夢)がかなったのだ」も、道理。


5424,閑話小題 〜世界の貧富

2016年01月21日(木)

    * 世界の貧富
 欧米の貧富の格差は「上層が3%、中流・30%、その他」という。
日本も、バブル崩壊以降、これに近づきつつある、日本は3分の2が下流?
 先日のTVニュースで、<世界の金持の62人の資産総額が206兆円で、
世界の下位半数の36億人の総額と同じ>と報じていた。金持の一人当りは、
3・3兆円で、下位の36億人の平均は5万7千円。6年前は、388人が下位
半数と同額というから、更に少数に絞られた。
 『世界がもし100人の村だったら』に
< すべての富のうち、100人のうち、6人が59%をもっていて、
 みんなアメリカ人で、74人が39%を、20人が、たったの2%を
 分けあっています >とある。この本の出版から大分、前なので、より
格差が広がって、そこにはロシア、中東などが多く入っているだろう。
 先進国の一員だった日本も、冷戦終了以降、地政学的有利性が小さく
なった上に、グローバル化もあって、国内格差が更に大きくなっている。
TPP問題も中長期的にみて、日本にとっては大問題。アメリカの経済的、
軍事的支配力は、ますます強くなるのは自然の成り行き。
   * 終末医療
 先日の‘「クローズアップ現代」の終末医療の“最期のとき”をどう決める’
で、末期患者が苦痛で頭を掻き毟っている場面が映像で流されていた。
これが死に際の現実である。それもNHKのゴールデンタイムに。その現場に、
5〜6歳の子供が涙を流しながら立合っていたが、身近の人の死に際の苦闘は、
幼児教育として一番の教えになる。その人は、撮影当時71歳、私より2歳上。
3〜7年?以内に、自分にも起こる死に際でもある。〜NHK・HPの内容紹介〜
≪クローズアップ現代“最期のとき”をどう決める“終末期鎮静”をめぐる葛藤! 
 いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が
静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、
眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなった
がん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。
 自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、
遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせて
しまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。
自宅で最期を迎えるがん患者が増る中、終末期医療はどうあるべきか考える。≫
▼ 父親が苦痛で頭を掻き毟っている姿が目に焼きついている。
 最期は、医師が近親者の同意の上に、呼吸を止めることが多い。
壮絶な死に際が現実だからこそ、「ピンピンコロリ!」が理想になる。
だからこそ、「いま」「ここ」の「わたし」を慈しむしかない。
 で、以下につづく!
・・・・・・
5060,閑話小題 ー樹海のふたり
2015年01月21日(水)
   * 映画「樹海のふたり」
 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。
富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、
WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。
 〜ネット検索の内容より〜
≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の
 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き
出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は
高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち
掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、
そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫
▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー
 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと
接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 
 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、
「自殺は、自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」
ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、
思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・
ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画は国内の製作は無理!
 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。
(陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。
そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先
と高をくくっていられるうち、これは長年の蓄積が必要。』と答えていたが。
「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を
続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、
9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、
妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ!
――
503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様
なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。
軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの
ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、
死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、
決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が
痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが
迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に
なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、
このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。
観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を
カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の
様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に
向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、
映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、
橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、
遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。
中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか
語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが
その中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、
 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している
うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、
それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック
な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が
河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人
がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、
シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
・・・・・・
4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある
2014年01月21日(火)
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 企業家と経営者との違い! 
 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的
判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的
アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類
あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる
《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 
 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」
の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的
な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて
おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解
しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と
マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が
可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら
通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。
しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生
すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、
その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測
とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。
一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば
設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して
絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると
説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、
「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに
よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。
彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。
これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて
投資する態度につながります。・・・ 》
▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が
 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災
(リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。
これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、
行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然?
  創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、
この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、
20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって
しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が
良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! 
 のは、ご覧の通り。  「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。
「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 
 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと
 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。
・・・・・・
4328, 財政恐慌 −4
2013年01月21日(月)                 
   ー次の質問群よりー     『財政恐慌』浜矩子著   
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか 
● 我々はここで立ち止まりたいのか
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
   * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。
 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからである。
 日本経済は成熟した。大人の経済になった。
 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。
   * 我々はここで立ち止まりたいのか
 それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かに
かかっわっている。「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで
経っても立ち止まっていたい場所にはならない。成熟した経済社会が、居心地の
悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。
   * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか


5423,人生で最も大切な技術 ー⑦ 心の内側を熟視する

2016年01月20日(水)

        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
  * 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する
 ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は
「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、
この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて
毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、
内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜
≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の
 うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。
アリストテレスいわく、
「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択
するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」
それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、
幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、
最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福
「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。
 それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。
苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を
立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。
こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。
 無知は、向上心を歪める。
 チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。
「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、
ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の
固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。
 仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と
苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。
例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、
自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる
ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが
まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の
満足感をもたらしてくれると期待している。
 悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。
にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人
は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、
ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと
して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。
 こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。
唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。
この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと
自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する
ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的
健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様
と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革
への燃えるような願望を抱くことが望ましい。
 瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間
保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を
静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ
味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。
あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない
人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成
の瞑想はどれも未完成に終る。≫
▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない
 気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない
のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、
分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い!
この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの!
・・・・・・
5059,花嫁への3つの母の教え 〜①
2015年01月20日(火)
  【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】
                      ひろさちや(著)
 これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
< 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。
 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、
笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。
わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。
ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を
楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと
「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは
ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」
につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。
極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。
それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に
もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)>
  * 花嫁への3つの母の教え  
 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。
 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・
≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。
 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。
 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。
 三つ、絶えず鏡を見なさい。
これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。
こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、
結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。
 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、
美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後
の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫
▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は
 テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。
ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。
許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。
・・・・・・
4694, 知恵と、教養と、知性の違い
2014年01月20日(月)
ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 知恵と、教養と、知性の違い
 この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー
・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 
  教育とは「今日行くところがある」
【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄
 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」
 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア
 は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。
・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー
 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 
 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、
       人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」
 知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、
  なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」
 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと
   努めている、という。
  ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、
   神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
  ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的
   活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・
   芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて
   積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な
   音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
  ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。
   「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた
   素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。
   これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは
   年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな
   ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。
   ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、
   自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
・・・・・
4327, 10年日記も最終年
2013年01月20日(日)
 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、
 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、
 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。
2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期
         滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした
         部屋の一つの出来上がりが不満。
2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで
         再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って
         しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。
2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想
         の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活
         救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。
2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。
         騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち
         を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。
2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。
         積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。
2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、
         駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 
         今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。
2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の
         長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。
         合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 
         私は、欠席にする。
2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。
         山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。
2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」
        (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。
         その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。
▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、
 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の
時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を
死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。
2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 
今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。
  9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル
にする様子が窺われる。記録は記憶!である。
 ・・・・・・
3952, 閑話小題
2012年01月20日(金)
    * ロボジー ーシネマ感想
 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 
軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め近未来の私たち世代の姿として、
考えさせられた。科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に
入れてロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンス
で日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・ 
独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手の
ミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。無機化したロボットと
孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺に
なってしまう瀬戸際で、最後は何とか落ちがついている。評価は80〜85点。 
年末年始の映画は私の見たいのは少なかったが、また面白そうなのが目白押し。 千
円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 
【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを
 題材に描くオリジナルのコメディドラマ。弱小家電メーカー・木村電器で働く
小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」
を開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、
一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に入ってもらうことにする。
しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中
から注目を浴びてしまう。ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、
ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。ロボット開発を担当する
3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】評価 ★★★★☆
   * 大相撲初場所
 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで
大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。その中で、幕下、十両に日本人
の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出て
くるはず。これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け
知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで関取になる初めての
力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも
何人か相撲力の強いのがいる。しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並み
の力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで
面白くなる。それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 
ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が勝てるわけがない。
今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 
とはいえ日本人になり手がいない。 
・・・・・・・・
3587, 東京ウォーク
2011年01月20日(木)
 * 無料カフェ
 JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。
家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。二日間は妹と、
三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月
にできた御煎餅屋の無料カフェ。家内曰く「去年に行った時もタダだったが、
今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。
去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、
有料化のためか、少なくなっていた。」最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ
無料のカフェを出したとニュースにあった・・  
煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 
現に家内は、まず、そこでコーヒーと煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 
昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。
こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 
その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に会いにいくとか、歌舞伎、美術館
廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、
「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、
一歩外に出る方が疲れがとれるはず。帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、
非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが!
飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館
などを廻り、夕方は浅草あたりの居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰って
くるのも面白そうである。新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、
地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける結果になっている。
これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。
全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!
 ・・・・・・・
3222, フリー −2
2010年01月20日(水)
「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著  
著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、
大変なことになる。一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して
変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。
三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 
デジタルのため圧縮をすれば幾らでも付け加えることが可能になり、カメラ機能は
限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラ
の値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し
進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が出現したと見ると分かりやすい。 
その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 
先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速し
だしたというのである。それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を
推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 
現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。
私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。アマゾンのネットを通して売り主
から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の
手数料が利益になる。アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に
売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに
移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は
時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。ネット新聞を
見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで
80枚1万円で通販で販売されている。ほぼ無料である。それらは図書館に
行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンで
みれるコーナーもある。面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 
アメリカで始ったものだが・・・・    ーつづく


5422,人生で最も大切な技術 ー⑥

2016年01月19日(火)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福に関する名言 〜現実と洞察
 現実と同察の間には、必ず差異がある。その差異で間違いを起こして、
それを埋めていく過程が人生だが、その差異が、ますます大きくなった結果、
不幸が現れ出る。恋愛など無明同士の儚い感情の結果は、ご覧のとおり。

≪ 現実とは何か。仏教では、現実とは、物事のあるがままの姿のことを言う。
 人間の心は、いろいろな層が重なりあい、絡まりあって構成されているが、
そうした心の構成に修正されないあるがままの状態を指している。
表面に見えているものと、あるがままの本当の姿との間にギャップがあれば、
人間はこの世と永遠に対立し続けることになる。タゴール〔インドの思想家〕
は、「自分たちが世界を誤って見ておいて、世界が自分たちを裏切る、と嘆く」
と書いているが、人間はとかく、つかの間の儚いものを永久不変と勘違いして、
苦しみの原因である富、権力、名誉、快楽へのあくなき欲望を、幸福の目的と
受け取ってしまう。知識というと、大量の情報を手にすることとか、学問に
秀でることと考えがちだが、真実は、物事のあるがままの姿を理解すること
なのである。私たちは、表に現れている仮の姿を、そのものに本来備わった
性質をもった、何ものにも依存せずに独立して存在するもの、と勘違いする
悪習からなかなか抜け出ることができない。何が「善」で何が「悪」かを
日常の経験から判断するし、その善悪を区別する「私」についても同じように
具体的な実体ある存在と考えてしまう。 仏教では、この誤解を「無知
(または無明)」と呼ぶ。無知は、苦しみを導く根源である執着と嫌悪を
強力に反映している。エテイ・ヒレスムは、簡潔な表現でこう述べている。
「そのような大障害は、常に仮の姿に過ぎず、現実の姿ではない」。
無知と苦しみの世界は、サンスクリット語でサンサーラ(輪廻転生)、
すなわち、存在の本来の姿ではないものを真実の姿と妄想する、
人間の誤った見方から起こる心の世界のことである。
 目に見える外面的世界は無常に変化する無限の原因と条件が絡まり
あって構成されている。例えば、太陽が雨のカーテンを横切って輝くときに
虹が出るのを考えてみよう。その虹を作りだす要因の一つでも消滅すれば虹は
見えなくなる。いかなる現象も原理はそれと同じで、独立した固有のものは
何一つなく、相亙依存の関係で存在している。この世のあらゆるものは因果の
力の影響を受けている。この基本的な考え方が正しく把握できたとき、この世
に対する見当違いの見方が修正され、物事のあるがままの姿を正しく見られる
ようになる。これこそが真の洞察である。洞察は、単なる哲学的な論理の
組み立てとは違う。精神的な盲目とか苦しみの最大の原因である、心を乱す
感情を一掃するための根本的なアプローチなのである。
どの一粒のゴマからも油が抽出できるのと同じで、生物はすべて完成に至る
潜在性を秘めている。このように物事を捉えるなら、無知とは、単に完成の
可能性に気づかない状態だ、ということがわかるだろう。ちょうど、自分の
小屋の床下に埋められた宝の存在を知らずに、どん底の生活をする乞食と同じ
である。自分本来のあるがままの姿を実現することは、隠された宝を手に
入れるのと同じことで、本当に意義深い人生を送ることを可能にしてくれる。
それは、心の平和を得る最も確実な方法であり、純粋な利他心を引き出す方法。
 ジョージ.ベルナノス〔20世紀前半の仏国のカトリック作家〕はこう述べる。
「まるで、嵐の真っ只沖にあっても、静まり返っている巨大な湖の底のように、
何ものもそれを変えることができない」。安らかで心地よいこうした状態に
ある幸福感をサンスクリット語で「スカ(安楽)」という。安楽とは、聡明さに
欠けた状態と苦痛の感情から自らを解き放つときに自然に現れる、精神の健全
さが永続する状態をいう。私たちが、ベールを通さず、偏見もなしに世界を
あるがままに見るための叡智ともいえる。そしてまた、心の自由と利他の
心に向かって、歩を進める喜びなのである。 ≫
▼ ご隠居生活に入って、準備を含めた45年間の肩の荷がおりたためか、
 毎日をより新鮮に味わうことが出来るようになった。しかし、45年も
決して否定してはいない。面白く、充実していたためもあり、
「ご覧のとおり、そのまま結構!」と諦念の心境になっている。
せっかく「地球旅行」に参加できたのだから、可能な限り、知り、味わい
尽くさなければ、生きてきた甲斐がないじゃないか。 色即是空、空即是色!
 で、去年の同月同日の文章につづく!
・・・・・・
5058,閑話小題 〜中の人・外の人
2015年01月19日(月)
        ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜
   * 着ぐるみの「中と、外」
 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。
異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような
不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。
ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が
何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。
常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 
 〜その辺りから〜
≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。
 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ
と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。
僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。
 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。
真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を
かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー
で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も
いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。
 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部
にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる
こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」
と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの
真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は
「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。
 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい
しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて
いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた
一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。
 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。
内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域
を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、
お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間
領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら
目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と
「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる
ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の
循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。
「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。
そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫
▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の
 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、
『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人
=よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。
そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。
 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、
これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重?
・・・・・・
4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 
2014年01月19日(日)
  * がん哲学外来科なるもの 
 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。
その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、
その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが
見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。
亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も
その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。
 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』
なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。
がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想
日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、
何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど
土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 
 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、
その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。
それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い!
といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。
100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって
膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 
死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ?
   * パソコン売り場にて
 iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。
しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ
パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、
iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに
iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、
この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり
入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 
春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか?
あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型
でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。
次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから
iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。
やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの
可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。
消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。
これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! 
・・・・・・
4326, つれづれに ー歯医者
2013年01月19日(土)
  * 歯医者
 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。
通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。
現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、
やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉
をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。
それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが
無くなってきた。
  * 血圧計
 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな
ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は
100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、
えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン
というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130
の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。
運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、
晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 
  * 大相撲ーつれづれに
 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 
そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも
あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に
わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに
逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。
横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。
10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。
ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、
どんどん落とせば、これまた面白いか? 
・・・・・・
3951, 閑話小題
2012年01月19日(木)
  * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴
 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、
細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、
本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間
以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産
ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に
伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の
シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。
バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 
殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・
 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、
老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人
が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる
「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り
込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では
銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で
客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 
全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減
すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。
おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、
公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・
  * 日本に再び大地震があるか?
 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について
仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する
内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が
あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」
と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 
それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、
その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる
ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで
起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に
東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス
の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に
巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。
・・・・・・
3586,  閑話小題 
2011年01月19日(水)
  * 何故、ここでタブレット式パソコンか
 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他の
メーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。何故ここで薄い
板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか?
を考えてみた。まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと
重ねて何処にでも気楽に持っていける。そして書籍もネットを通して購入でき、
かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの
「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、
ソーシャルネットがセットでブレイクする。それにツイッターである。
それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。
無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まった
ということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。
  * 迷ったら、やる!
 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測?
で私のところに来ているようだ。30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んで
いるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。
そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が
起こると、神妙な顔をして相談に来る。ノートを開いて二時間ほど私と対話
をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。
 ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスを
しようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」の一言で、助けられた
ことがあった。年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは
今度書く。その時に「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と
話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、
「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で
判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。「なるほど!」と、
合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても
行動面で一歩下がってしまう。そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、
丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、
「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。炬燵の中でTVも良いが。


5421,人生で最も大切な技術 ー��

2016年01月18日(月)

        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福に関する名言 〜あるがまま
5年前の節目時以来、少し気持ちは沈んではいたが、比較的冷静であった。
学生時代からの早朝の2〜3時間の読書習慣や、ネットサーフィン、スポーツ
ジムなどの日程を組み、只管、その積み重ねてきたが、それが内面的世界=
「心のシェルター」の役割にになっていた。このブログが、その形跡になるが、
逆に、逆照射してみえてくる上っ面の世界の好い加減な面白さを味わうことが
できた。 というより、自分の上っ面の好い加減を合せ鏡で見えてきた。
  〜以下の内容は、現在の気持ちそのままに代弁のようである。
 で、これはこれで得がたい貴重な体験と思えるようになっている。
≪ 心の平和を維持する技を体得した人は、成功して鼻高々になることも
 なければ、失敗して意気消沈することもない。そのような人は、どのような
経験もつかの間のものに過ぎず、それにこだわることがどれほど無意味かを十分
に理解している。そのため、どのような経験でも、深く平穏な心の状態を保つ
ための修行の一つにしてしまうのである。事態が悪化したり、逆境に置かれたり
しても、「激突」して破滅する危険はない。その人の幸福は確固たる土台に
根ざしているため、心がぐらつかず抑うつの底に沈み込むこともない。
 オランダの若き女性、エッヒ・ヒレスムは、アウシュビッツ収容所で
命を落とす1年前に次のような注目すべき心境を書き残している。
「内面的な生活を体得したなら、収容所の塀の外側にいようが内側にいようが、
一向にへこたれない。私は、既に数千の強制収容所で数千回の死を心の中で
経験している。私の心はすべてを知っている。どのような新しい情報も、
もはや私を苦しめることはない。とにかく、私はこの世のあらゆることを
知っている。それでも、この人生は美しいと感じられるし、あらゆる瞬間が
意義深いものと思える。あらゆる瞬間がそうである」。
 香港で開かれた公開セミナーに出席した折、聴衆の中から一人の若者が私を
名指してこう質問した。「人が生き続けなければならない理由を一つあげて
ください」。この本は、その若者の質問に対するささやかな回答と言って差し
支えない。 というのは、幸福とは、命を慈しむことに他ならないからである。
生きる理由を見失うということは、底知れぬ苦しみのどん底に突き落とされる
ことである。外的な条件が幸福を左右するのと同じくらい大きな影響力を、
苦しみが心の状態に与えるのである。このことを正しく理解することは、
生きる価値のある人生を謳歌するための前提条件である。
 では、どのような心の状態が生きる喜びを奪い、逆に、どのような
状態が喜びを膨らませてくれるのだろうか。
 世界観を変えるということは、短絡的な楽観主義に切り替えることでも、
逆境を軽減するために人工的な陶酔感に浸ることでもない。
不満や欲求不満の奴隷になってしまうと、心はとりとめなく混乱してしまう。
それは、廃嘘の壁を塗りたくるように愚かな行為であり、ただ、「幸せだ、
幸せだ」と繰り返し自分に言い聞かせるような無駄な試みに過ぎない。
幸福を探求することは、ばら色の眼鏡を通して人生を見ることでも、世の中に
はびこる痛みや不完全なものに目を閉ざすことでもない。幸福はまた、
あらゆる犠牲を払って狂喜を長続きさせようとする試みとも異なる。
憎しみや執着などの、心をゆがめる毒素を浄化することであると同時に、
実体のない上辺の姿とあるがままの真実の姿の間のギャップをなくす作業
であり、物事を大きな視野で展望する方法を学ぶことである。
そのためには、心がどのように機能するかをよりよく理解し、物事の本質を
正確に洞察する力を体得することが必要となる。なぜなら、苦しみは、
その最も深い部分で、現実についての本当の性質を誤って把握してしまう
ことと密接につながっているからである。≫
▼ 人生は生きてきたとおり老いて、死んでいくものと実感する。
 〜幸福とは、命を慈しむことに他ならない〜 人生は命を慈しむこと
である。そのためには、物事の本質を把握しなくてはならない。
学び続けなければならないのである。世界は広くて深い。
・・・・・・
5057,閑話小題 〜「字のない葉書」
2015年01月18日(日)
   * 「字のない葉書」
  向田邦子のエッセイ、「字のない葉書」がよい。 〜途中からだが・・
≪ ・・終戦の年の四月、小学校一年の末妹が甲府に学童疎開をすることに
 なった。すでに前年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、
下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったが、三月十日
の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家
全滅するよりは、と心を決めたらしい。妹の出発が決まると、暗幕を垂らした
暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を
付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。
「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ポストに入れなさい」と言ってきかせた。
 妹は、まだ字が書けなかった。あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束を
リュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くように
はしゃいで出かけていった。 一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。
紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って
行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださった
とかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。
 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の
小マルは、ついにバツに変わった。 そのころ、少し離れた所に疎開していた
上の妹が、下の妹に会いに行った。下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干し
のたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いた
そうな。まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行った
とき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に
寝かされていたという。(略)・・
 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。
茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、
やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて
泣くのを初めて見た。あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に
近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのか
それともなくなったのか、私は一度も見ていない。≫
▼ 字のない○×だけの葉書でも、書かれてない空白に情報が詰まっている。
 ○×だけで、多くの感情を表現できるもの。自分は分からないが、14年間の、
このブログにも、エネルギーだけは十分に詰め込んだため、多くの情報が
詰まっていたのだろう?成るほど、後で読み返すと、経験の痕跡は言葉で
残すことが可能と実感する。ダイアリーに心の天気図を◎○△×を付けて
おくのもよい。で、昨日は○のち×!気象も、記録が可能で、△×。夕飯?
シネマ評、TV観戦の大相撲もドラマ評も、可能。 問題はするかしないか。
・・・・・・
4692, 中年期の8つの危機
2014年01月18日(土)
         『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、
晩年の老年の危機になる。以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、
老醜として現れ出ることになる。 ーまずは、その8つの危機から
� 時間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める)
� 自分の役割意識の危機(多くは中年期までに社会的に一つの役割をはたす)
� 対人関係における危機(協調や柔軟性が失われ対人関係が巧くいかなくなる)
� 価値観の危機(若い頃の価値観が揺らぎ始める)
� 思いわずらう危機(健康や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える)
� 平凡な人生の危機(仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち)
� 死に直面する危機(段々と死に向かっていることを意識させられる)
� 真面目になりすぎる危機
 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、
  この問いかけの内容と言ってよい。 還暦後の問題は、まさに、この問題。
「�先が少ない �粗大ゴミ化 �他人が煩わしいが、寂しい 
�人生への否定的鳥瞰(後悔)�将来への不安 �平凡な日々 �死の恐怖(無知)
�真面目になりすぎ 」とすると、私のこと?かと、心の中を見透かされた
 ような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い
 解決方法は読書習慣。長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えて
 きた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する
 だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて
 向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」8割以上の既婚カップルが、
「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。
 しかし配偶者の75%が、「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、
 より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が必要という。
 そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間
 を共有性を説いている。 そういえば、�の真面目になりすぎる危機、
 禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。
 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に
 求めると、�〜�をクリアーするしかない。それも自分との格闘の中で。 
 そうすると、�になってしまう、ということ。それも、これも森林から、
 サバンナへの移行時の危機。�の平凡な日々でも、読書生活の質もある。
 そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。
・・・・・
4325, 財政恐慌 −3
2013年01月18日(金)
    ー次の質問群であるー    『財政恐慌』浜矩子著 
 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
   我々はどうすればわかるのか、
 ● 我々は地図を持っているのか
▽まずは「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか」より
* さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、
 行くべきところに近づいている。現象的には、すでにもう随分遠くまできている。
 日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。経常収支の
 黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 
 日本の資本が海外で稼ぎ出した利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしら
 になっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。
 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。
 最近の流行り言葉が「絆」であることは、決して偶然ではないだろう。
 日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。
 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。
▽「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
 我々はどうすればわかるのか」
* これはなかなか難問。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。
 自分にとって最適な場所に着いているのに、それに気づかない。これは怖い
 ことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。
 そう願う思いのあまり、対応のしようによっては、せっかく行きたかった
 はずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。
 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。  
▽ 「我々は地図を持っているのか」
 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。
 それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、「ハングリー精神」の復活を
 夢見る思いである。
▼「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。
 そして既に下り坂に入っている。したがって、経済成長という言葉は方向を
 間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になった
 のは、憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業。 
 あくまで憲法改正の最後の機会のため。著者の立場からみれば、成長を再びと
 願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。ただ、最終目的は、
 憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く
 動乱には適してない」のが、私の見方。
・・・・・・
3950, 未婚時代の婚活 ー2
2012年01月18日(水)
  * 女性は二ランク上を狙う
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?
って何時も話題になります」という。それに対して男女共いえるが、自分を
ワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上
を求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を
逸してしまう。 若い時から周囲の男からチヤホヤされているうちに一番の
女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。
逆に内面は熟し素敵である。そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵
な女性が売れ残ってしまう。その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。
収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、
その焦りを見せられない。そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも
相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。
 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。
「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。結婚した今でも、
王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 
誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。人間は、そんなものかもしれない。
1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、
誰ひとりも、そのことを疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、
以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。
女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない
厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、焦りで満ちているが、
誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、
どうしても婚活は二の次になる。逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を
良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのならフリをするしかない。
女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 
とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。まずは、
自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 
妥協すること。 自信のある何かを持つこと。
 ・・・・・・・
3585, 「とりあえず、5年」の生き方
2011年01月18日(火)
「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら
後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          
□「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  
□「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。
たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、ほんの
少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。そのヒントを「仕事」「お金」
「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」といった分野ごとにまとめてある。
▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 
 人生の区切りの時とジックリと考えた。そして「とりあえず、還暦までに残り
の人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、
達成できなかったが、43回までは達成した。更に50歳半ばで個人のHPをつくり
思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえた
とき、心の中で独り万歳をした。その直後は、何をしてよいか分からなくなった。
そこで出てきた言葉が「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で
中途半端の状態になってしまった。 で、後半。「来年は無い。今年中にやる
べきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の
峠の到達地点とした。ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが
書いてあったので驚いてしまった。ここまできたら人生の喜劇化もよいだろう。
いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
 ・・・・・・・・
3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き屋
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題
になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。投資金額が格安
で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 
加盟料金40万、指導料20万、その他・・(店舗内装、取得は別)
《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、
開業資金が500万」というから、内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、
ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率
10パーセント以下だから、当たると、これほど面白い商売はない。
パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それ。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザ
そのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に売るものもある。 
たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの
生地、中味は餡の、これまでは無かった鯛焼きチェーンもある。
これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で
資金回収が可能。これは世界にも通用する可能性がある。誰もが手軽に出来る
ということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に
行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。誰も知らない地で、ゼロから
再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 (字数制限のためカット 2012年01月18日)


5420,人生で最も大切な技術 ー③

2016年01月16日(土)

        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 目次をそのまま掲載したことはあまりないが、深く立入り、全体を俯瞰する
ためにも、あえて載せることにした。目次をランダムに、いずれのページを
開いても、深い響きが届いてくる。「著名な哲学者の父親があってこそ、この
人物あり」を思わせる構成である。西欧文明の真只中で英才教育?の素養が
あればこそ、チベット仏教の真髄が見える。 中村天風の『積極一貫』
『絶対肯定』の人生への姿勢と似ている。中村天風も、チベットで偉大な師
について修行している。
  〜目次〜  ●幸福の探求
 はじめに
第1章 幸福に関する名言        第13章 羨望
第2章 幸福は人生の目的から      第14章 自由への大いなる飛躍
第3章 両面の鏡 内から外から     第15章 幸福の社会学
第4章 見せかけの友         第16章 幸福の実験
第5章 幸福は可能か         第17章 幸福と利他心
第6章 苦しみの錬金術        第18章 幸福と謙遜
第7章 エゴのべール       第19章 楽観主義、悲観主義、世間知らず
第8章 自分の考えが一番の敵になるとき 第20章 黄金の時間、鉛の時間、 
第9章 感情の川            第21章 時の流れと共に
第10章 厄介な感情とその治療法    第22章 幸福の倫理学
第11章 欲望             第23章 死を意識した幸福
第12章 憎しみ            第24章 道
                   瞑想の実践  あとがき
 ーー
 「まえがき」の、何ゆえ、順調なキャリアを捨て、チベット仏教徒に
 なったのか? 親子の葛藤はどうか? 〜その辺りを抜粋する〜
《 ・・前途洋々に滑り出したかに見えたキャリアを唐突に放り投げて
 しまおうとする私に対し、父は失望を禁じえないようすだった。しかも、
「仏教に反対するつもりは毛頭ない。純粋で率直な仏教的教えは、各種
の宗教的教義の中でも独特の立場を確立している。究極の厳密さを要求する、
西欧の哲学者からも重視されていることは事実」と好意的に話しているとは
いえ、確信的な不可知論者である父が、仏教を真剣に受けとめる日が来よう
とは夢にも思わなかった。久しく顔を会わせないのは当り前で、父のほう
からダージリンとブータンまで足を伸ばして会いにきてくれたこともあった。
記者の質問に対して、「息子との間をさえぎる雲があるとすれば、それは
アジアのモンスーンだけだ」と応じている。
 こうして私が発見したものは、盲目的な信仰心の強要ではなく、
豊かで実際的な心の科学、利他の心に基づいて生きる技術、深遠な哲学、
内側を本質的に変革する精神的鍛錬などと表現できるだろう。この35年間、
私が理解してきた科学的精神と矛盾すると感じたことは一度もない。
<仏教とは要するに、経験主義的な真理の探求に他ならない>のである。
こちらに来て、「常に幸福」な状態が続いている、という人物に何人も
出会っている。これらの人たちは、一般的に考えられている幸福な人とは
異なり、現実とは何か、何が心の本質か、などを深く洞察し、他者に対する
慈悲心に満たされた状態にある人たち、と呼ぶに相応しいだろう。生まれつき
人一倍幸福を感じることのできる人は世間にたくさんいる。だが、彼らの幸福
は脆くて不完全なものである。これに対し、永続的な幸福を体得するには技術が
必要であること、内側の平静さ、今この瞬間の気付き、利他の心に根ざした愛、
といった人間に本来備わっている能力を開発するには、それなりの努力と訓練が
必要であること、などが次第にわかり始めた。深遠で静寂な観想の方法論と
英知を言葉と行動で具体的に範を示してくれる生きた見本に直に触れる、
という経験は、間違いなく充実した人生を歩むためのお膳立てができた、
といっても過言でない。「私の行動は真似せずに言葉にだけ従え」といった、
真理の探究者を失望させる、多くの教えとは一線を画す本物の教えに
出会ったのだった。 》
▼ 「意味ある偶然の一致」としても、前年の新年明けの
 同月同日に、この幸福論に丁度良い回答をテーマにしていた。
<「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。>
このことに気づくため瞑想をし、「永遠のいのち」に宿る「わたし」に
気づいた状態が幸福という。これ以上の明快な答えは見当たらない。
 これを知り、〔「わたし」<「いのち」〕という発想に私も、少し近づけた。
「遺伝子は生物の体を借りて、代々、生き延びてきた」という遺伝子の科学者
のいうのが、遺伝子の「いのち」が、生物のからだ(いのち)に例えると、
少し理解できる。「わたし」が80年の人生を終えても、遺伝子という
「いのち」が生き延びていく、と思えば、死の恐怖は減る。
 「いのち」−「わたし」=「永遠のわたし」 か?
 「いのち」+「わたし」=「有限のわたし」 になるのか?
何か、岸本葉子と、リカールの妖術にかかったようである。
・・・・・・
5055,生と死をめぐる断想  ー6
2015年01月16日(金)
           『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
   * 時代という背景
 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。
著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。
癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち
にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜
≪「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編)
という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ
が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として
いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。
「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、
第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。
取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。
 坐  岡田虎二郎と岡田式静坐法
 霊  大本と鎮魂帰神
 心  森田療法の心と癒し
 食  マイクロビデオテックの世界観
 気  野口晴哉と「全生」思想
・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。
・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、
・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、
 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、
 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。
・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。
・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一
 が発展させた、狭義には食事療法だ。
・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法
 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。
・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者
 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。
・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。
・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、
 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも
 一定の 成功をおさめている。 ≫
▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。
 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、
多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに
人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった
経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。
・・・・・・
4690, 身近な貧困 ー4
2014年01月16日(木)
   * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困
 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」
ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと
同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。
あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を
絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という
逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。
まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。
ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。
ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐
マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に
使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード
で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。
そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 
問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。
しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。
チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な
面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処
が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を
もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、
充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」
さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、
秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、
『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。
ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 
世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。
帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、
そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな
肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。
これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 
気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、
聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。
一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。
決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、
以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
・・・・・・
4323, 財政恐慌 −1
2013年01月16日(水)
              『財政恐慌』浜矩子著
 ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。
現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮び上がらせている。
  * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう 
 ー まずは、「人生の不確実性」について ー
≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。
 その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家である。 
交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物。
彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に
異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー「ミスタービーン」として、
彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。
だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄
の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。
ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。
市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、
ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも
今日の日本を語っているがごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来
最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、
「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、憤懣が溜まり、あらゆる試練
に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が
消える時、準備万端整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに
決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」ここから、
その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。
 ーそれらを、この紙面上に再現してみようー
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
  ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
    どうすればわかるのか       ● 我々は地図を持っているのか    
  ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか  ● それとも我々は元に戻って
    最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫
▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? 
 いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。人生の8〜9合目
 に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、
 立ち止まっていて良いのか、などを考えるに良い質問群になる。最初から
 出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。
 両親の生き様を見て、ある程度は、解っていたが・・  
 次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。
・・・・・・
3948, 未婚時代の婚活
2012年01月16日(月)              
  * 普通の男性は1パーセントしかいない!
 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが
分析をしていた。それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業
にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。伴侶を決めるのは、女性も
男性も、一生の一大事。そうそう満足できる相手には巡りあえることはない。
そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。
この歳になっても、今だ・・ 著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚
できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、
「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 
「いい男は、なぜか皆んな早婚」「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォー
で独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」 確かに、現象面
から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。
 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしか
いないことになる。普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。
:普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感:
普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。
「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすとすると、 
:会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。
それぞれを高望みをしなくとも、全てを満たす人は100人に一人になる。
そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも
取り上げているが、グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚
か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が一目でわかるもの。
ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。
200〜400万の6割が未婚。200万以下は7割以上が独身だった。
「いい男が早婚」なのは、年収だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。
女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。
一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性にはモテるわけでないが、
それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢
を収めてしまう。また女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢
を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに目立たない
うちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。    
                     ーつづく
・・・・・
3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)
 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の
広告記事をたて続けに出している。そこで会員登録をし、HPのソフトを使って
驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換。
   (字数制限のためカット 2016年01月16日)
・・・・・・
2843, 雲屯庵 −3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。外見は茫洋としているが、この男がなかなか
の博識で、俗にいう玉。最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の
養子になったか?、名前だけ継いだのか?この人が語った「異世界」の話しが
面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。そこで僧侶の
感覚で、朝6時に出社。他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 
三時間も前に来て働いているのだから、上司に直ぐに認められ、一〜二年も
しないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。別に、必死に働いた
のではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、
激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、ショックであった。何時の間にか、
周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのよう。
 また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。
その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと「何?の方の世界」はシステム
(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚
のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。そういえば
「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と能力が
十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。
この歳になっても、少し綺麗な女性が身辺に来ると「直ぐに手をつける?」等々、
なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。更には、預金通帳には
?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、
この位にしておくが、40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して
変わらない。名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの


5419,閑話小題 ー今日で満70歳ですか

2016年01月15日(金)

  * 世界的不況が更に深刻のようだ
☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 
世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、
120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が
背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、
株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。
☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で隣席の有名な夏はゴルフ場、
冬はスキー場で某リゾートホテルを経営している人に、
『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、
奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』
と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え
などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! 
まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』
と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。
地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 
☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光
発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を
知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック
規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その
クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、
株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、まず年金生活者
など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。
  * 今日で満70歳 
 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、
一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。
そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。
そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を
噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。
 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重みを実感する。
60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、
これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。
 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。
<楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。
 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した
<「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」は妄想で
 しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻!
これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。
まあ、我ながら、本当に真面目、いや馬鹿真面目なことだ。
喩えでいうと、「精神的な腰痛もちが、日々を生きていくための杖代わり
に、書き続けている」が、よくも15年も毎日、飽きもせず。

・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳代!       
 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w (⌒_⌒; タラタラ     
60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、
感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。       
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が
「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に、『エッ!』驚いた。
サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、
そうかもしれないが。
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。
  時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。
3、面白かった。
4、悔いはない!である。

人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして
自分の家庭、職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。
人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。
 少しは大人しくしなければ!
それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」
それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。           
             ★:゜o( ̄▽ ̄*)>*
・・・・・・
1月15日  1969年
 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。
 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

  〜以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。
 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。
・・・・・・
5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2
2015年01月15日(木)
   * 古稀ですか ー2
 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ
気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、
同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。
 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。
当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな
文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆?
どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が
亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、
母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が
面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折?
の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。
 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、
己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、
「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・
 この程度としても、恵まれていたし、面白かった!
現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。
それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、
面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? 
・・・・・・
4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜
2014年01月15日(水)
   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、
同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、
それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は
マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居
になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて
いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、
情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、
もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。
他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている
自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 
誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、
自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、
「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・
〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。
今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。
そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した
・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 
こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」
であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話
になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
 * ネットカフェ難民から、マック難民へ
 * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略)
    * 67歳か〜
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。
父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、
自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、
欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の
大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか
と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 
それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡
を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、
去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの
風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。
10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打
で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを
大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず
だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは
欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。
66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。
仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に
思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい
の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、
考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを
見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 
とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに
なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在
しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって
しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の
経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き
連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。
二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る
ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年
を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代
に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること
にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも
深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、
見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、
還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で
一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。
父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」
として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた
というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 
それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。
特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」
この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」      
それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
・・・・・・
3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。
現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。
それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の
蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。
この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業
直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を
御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの
入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。
これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が
あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には
65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が
集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。
加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 
還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。
そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。
現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 
充分、狂ってきたが?!
・・・・・・・
2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
2009年01月15日(木)
 * 63歳の誕生日か〜
 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、
姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く
なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、
人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を
見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)


5418,人生で最も大切な技術 ー②

2016年01月14日(木)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  * 「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション!
 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー②」をテーマに書いた。
ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5
『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの
幸福論につながる丁度よい答えであった。
< 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が
「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。>
何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で
はないか!と。・・> 
 ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、
帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を
書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の
対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に
感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の
経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。
秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感
などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、
余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は
恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、
<「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という
発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた
何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。>
 リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、
後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の
半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に
なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。
それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い!
・・・・・・
5053,閑話小題 ー古希ですか!
2015年01月14日(水)
  * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ
 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。
よくぞ無事?に到達したもの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が
70歳前半までに亡くなる。それでも生きているの人は、刃物が入っている人?
 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。
仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは!
気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。
 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩
 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲
ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」
との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、
あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。
9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」
という思いは意外と少ない。
 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした
『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。
  世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり   (49)
  何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50)
  何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)
  ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
                   あぢきなの世や (52)
  夢幻や 南無三宝(53)
  くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)
  何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (55)
現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、
うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、
『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
 あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん!
・・・・・・
4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末!
2014年01月14日(火)
   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 
特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で
追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 
 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 
  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝
を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一
は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ
一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって
富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。
延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて
MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘
に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一
は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】
▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、
 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま
勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。
ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝
として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で
同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会
の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。
この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。
下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
・・・・・・
4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック  「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という
ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。
この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。  
  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため)
 8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、
 短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応
 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 
 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの
 ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、
 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って
 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年
 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の
 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は
 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の
 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、
 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。
 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える
 のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
・生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。
 決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品
 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。
 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。
 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機」 水野和夫著  
「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。
これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」
の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20
世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、
「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、
米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。
そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、
「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、
リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って
いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、
第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊
の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、
日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま
一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。
その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。
▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。
 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。
その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。
その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル
として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。
それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って
攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
・・・・・・・・
3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解
しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。
恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える
力が以前に比べ少しついた。毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返して
いると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。 そこで、その範囲でしか
理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を
深めておかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶
することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに
唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに
見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが
普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で
消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、
無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案
を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、
沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 
一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島
に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は
広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。
今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、
中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される!
 ・・・・・・・・
3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 
ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。
ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え
文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。
キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど
「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け
可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う
とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している
というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。
どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)


5417,人生で最も大切な技術 ー①

2016年01月13日(水)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、
24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。
 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教に
ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を
行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を
任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。
 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの
言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介〜
≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。
 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の
指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の
道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世の
フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望
された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。
現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果
に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として
人道的プロジェクトに従事する。 ≫  
  〜リチャード ギアの内容紹介より〜
≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い
 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、
これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ
ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も
叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫   
▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の
 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見
を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に
一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を
惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。
挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。
パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された
ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に
戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に
なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを
見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。
 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる
議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、
インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか!
 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。
・・・・・・
5052,生と死をめぐる断想  ー5
2015年01月13日(火)
            『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著)
  *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久
「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。
 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。
成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。
瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。
  ーその辺りから抜粋ー  〜P90
≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。
「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。
たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、
次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは
常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。
暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 
 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと
などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」
の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。
 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。
「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。
なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、
その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命
の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、
相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。
植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、
それこそ知性によってとらえられるものだろうと。
 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、
そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。
が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、
「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ 
それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい
ことを感じるようになってきた。・・ ≫
▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション
 でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、
自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。
地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。
その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき
宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。
・・・・・・
4687, エッセイ力は人生力 ー2
2014年01月13日(月)
              「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * エッセイを書く目的と、日記との違い
    ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く
 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、
おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って
エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく
なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは
十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心
の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。
きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識
されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身
がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように
客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ
にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分
以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、
もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に
なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、
ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも
(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」
しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり
えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の
 メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い
ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。
だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容
こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」
に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、
そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的
であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・
4320, 病気の9割は薬なしで治る
2013年01月13日(日)
        「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、
現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、それでも日本の医療制度は世界
で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いて
くれた内容。大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師
の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。
  ー内容説明(アマゾン)ー
「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」
「薬は10種類知っていれば何とかなる?」「みんな最後の医者にはなりたくない」
「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・浜松医大名誉教授が名誉を
捨てて?、患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫
  ーまずは概要ー
≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。 日本全国
 約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。今や医者から
みたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」
というと、何年後かに病気になったときに、ああ言われたから、安心していた
のにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。
「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは
医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、何ともないと不安になり、
「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良い
のは「更年期障害」です。これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる
病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って
さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。
これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、「不摂生のためでなく、
本人の責任でない」という思いが安心感につながる。
 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、
病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。その場合、ウツ病とか、
気の病とか言うのを患者は嫌う。一番、抵抗なく受け入れられるのが、
「自律神経失調症」。「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、
いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・ お医者さんが、
「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。
これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、患者さんが安心するから一応出して
おきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、
運動しかよくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって
みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続けるようにしておけば、必ず治る。
そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。≫
▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。
 それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは掛離れて当然のこと。 
命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。
命にかかわるなら、新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、
その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。とはいえ脳卒中やガンで倒れれば
医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 
 ・・・・・・・
3945, ファイナル・クラッシュ ー4
2012年01月13日(金)
      「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」  
 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。
彼らは、リーマンショックを大地震と例えれば、それから発生する大津波=
ファイナル・クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用
利益を狙っている。その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られ
ファイナル・クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。前ぶれ波の直撃で
惨事を受けた立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。
 ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー
【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、
 金融関係の仕事に就いてチャネル諸島(英仏海峡、イギリス王室属領)や
イギリスで働き、出版当時はあるプライベートバンクのファンドマネジャー
となっていた。プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる商業銀行
とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、預かり資産に対して無限責任
を負うパートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの
富裕層を顧客とし、その資産の保全や運用を主な業務としている。 ロスチルド
(日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)メロンといった
家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えの
ファンドマネジャーを囲っている。著者はそうしたファンドマネジャーとして、
「この地球上で最も裕福な人たち」の資産運用を担当しているという。
資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円程度は
必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。ファンドマネジャーは、
だいたいロンドンかニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックス
ヘイブンであるガーンジー島に住んでいるのは、税金を嫌ってのことだろう。 
おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 私はこれまでにも、
彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の
資産家には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、顧問会計士、子弟教育
コンサルタントがいる。かかりつけの家庭医がいるのと同じようなもの。
イギリスには、ファンドマネジャーを家族で引き継ぐ習慣もある。ちょうど、
執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。
私はイギリス人の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャー
を繹介してもらい、それを私の日本人の顧客に紹介するようなこともしていた。
私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書ではペンネーム
「ヒューゴ」で通す。】
▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます
 豊かになるように出来ている。それがリーマンショックで一部は破綻したが、
その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、どのプロに任せればよいかを
資産家は考えていればよい。それは実績と、それに裏付けられた信用である。
世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から吸い
上げるシステムは数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。
・・・・・・・・
3580, 何故、民主党が駄目か!
2011年01月13日(木)
 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 
国家崩壊の下地を自民がつくり、その上を民主党が加速して突っ走っているのが
現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま現在に至っているため。 
世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来して
いる中で内向きな福祉重視では、対応できない。元もと世界は長年かけ人種格差、
国家格差、経済格差がつくられている。現に白人が有色人種を支配している
厳然たる事実がある。米英を頂点とした白人国家が、後進国援助という建前を
立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。そのことが長年の時間をかけ、
民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界
を覆い、様相が一変してきた。国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、
その結果、フラット化が始った。それが日本にも押し寄せてきている。明治来、
自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造をつくり上げ支配してきた。
そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、
三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、平等を旨とした民主左派に
政権を与えた。それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。
これまで右上がりの経済成長の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も
不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。そこに社会主義的政策を
真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。国家という枠を超えたグローバル化は、
当然弱肉強食が激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治
であって、格差そのものは、止めようがない。小泉元首相は間違った政策をとった
のではなく当たり前の政策をとっただけ。何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、
日本人が優遇されるのか?それは日本人だからだ。その日本人の中でも格差が
つくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。公平と平等は違うのである。 
戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化
教育をされてきた。その両輪として加担したのが自民党と社会党である。
自民党も社会党も、あたかも貴族院の様相。 中国とアメリカの大国の間で、
真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、
軍備力を徹底的に補強するしかない。原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件。 
現在の日本の民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として
生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 
とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・
 

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