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堀井On-Line
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2015年10月13日(火)
飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、 動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。 初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも 鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、 全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせていた。 動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ 野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、 飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、 卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。 このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。 人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。 そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に 書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。 それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。 人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の 両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味 を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。 人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。 飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌! 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が 絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。 サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、 目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、 心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、 するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし 聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた ?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。 ・・・・・・ 閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −4 2014年10月13日(月) * 国宝指定は、不利! 家宝などが国宝に指定されると殆どが不利という。寺などは客寄せになるが、 売買は規制されるし、大した保管料でもないのに盗難や火災などから厳重に保管 しなくてはならない。そのため、よいものほど指定前に深くもぐってしまい 表には出てこない。 相続税も、税務署に把握されているので節税しにくい。 もし美術館が買いにくれば、予算が少ないため大きく買い叩かれる。 高校の頃、柏崎の旧家の「蔵出し」に父に連れられていった記憶がある。 蔵出しとは、旧家が金繰りのため蔵の骨董品を放出すること。 10人位の骨董商が、蔵の中で、その家の代々続いた骨董品をセリで落とす。 父も何点か買求めたが、シリアスな空気に驚かされた。骨董品の立場からすれば、 蔵から蔵への住処の移動。それが、部屋に飾られ日の目を見ることは少ない。 美術館で展示されることが、美術品にとって、作者にとっても良いことになる。 保有欲、購買欲は人間の性が分かるが、そのエネルギーを美術館まわりに 向ければ良いと思うのだが・・ ところで、別番組に、骨董品の競売そのものを、面白おかしくショー化した 番組が、出来てよいのでは? あくまで、バラエティーの範疇だが、やはり 企画が難しい? それぞれの価値観があるのだろう。 先日も、世界のお宝を見てきたが、その素晴らしさは当然のこと。 ところで、「秘境ツアー」は、「世界の大自然観光お宝鑑定団」の一時参加 ツアーということになる。 その付録の各国を代表する美術館の国宝クラスの お宝が、どれもこれも感動もの。特に、ロンドン、パリ、マドリッドの美術館は、 往年、世界各国から奪略してきたお宝の宝庫である。最近、見たのがパリの、 ルーブル、オルセイ、オランジュリーなどの美術館。 これらを決して、欲しいとは思わない。そこに見れば充分である。 所有さえ放棄してしまえば、素晴らしいことに、その数十倍、数百倍、 多くの満足を得ることができる。 ・・・・・・ 4593, そして、人生はつづく ー4 2013年10月13日(日) * 生き直すために! 朝日新聞のオピニオン「耕論」『生き直すために』小田嶋隆ーのコラムが面白い! 先回の「そして、人生はつづく」は、「生き直し」でもある。この年齢になると、 一年ごとが生き直しの日々。筆者は、生き直しは、「やめる」ことから始まる という。 やめることは捨てること。最近、断捨離という言葉を聞くが、 その捨てることが難しい。 捨てて捨てて捨て去ることは悲しく辛い。 が、それを前向きにすることで、辛さを軽減出来る。 ーまず内容の前半の要約をすると・・ 《 「人生やり直し」を二度経験している。1980年に大学を卒業して、 新卒で入った会社を8ヶ月で辞めた。何をするわけでなく、ただ不愉快な ことがあったから逃げただけ。当時、上場企業の正社員というコースから 一度外れると再チャレンジが難しく、3〜4年アルバイトをしていたが、 バンド仲間の知人からパソコン入門ライターを勧められ、パソコンバブルも あって、それが当たった。しかし30歳前後から、アル中になり、酒浸り。 酒が切れるとウツ状態になる。自殺をしないためにも酒を飲み続けた。 それもあり、仕事が減った39歳時に断酒をしたが、5日間、断酒をしたら、 眠れず、幻聴まで出てきた。そこで、心療内科に行くとアルコール依存症と 診断され、「このままだと、40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール 性痴呆。もう一生飲まないしかない」と宣言された。それまで人と会うのも、 音楽を聴くのも、野球を見るのも、酒を飲みながら。医者に「酒をやめると いうことは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と言われ、慣れ親しんで いたことを次々やめた。断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス で、「棚卸し」というが、いわば人生のリセットをする。酒をやめてみると 膨大の時間が余る。何をしていいのか分からない。サッカー観戦だったり、 自転車を乗り回したり、イグアナを飼ったりして時間を潰した。・・》ーつづく ▼ 何かを捨てるということは、「空即是色」の現象面の一つ。 「空にしてこそ新たな色が現れてくる」。筆者は、上場企業を8ヶ月で辞め、 犬に例えると宅上犬から野良犬になった。そこで、彷徨い歩いているうち アル中になり、39歳で断酒。そこで得たのは膨大の時間。自分の能力、弱さを 認めることから出発しないと、アル中から脱出できない。物書きと、創業を 目指した私とは大きな違いがある。目標がハッキリすれば、選択することが 見えて、自然と、「やめる」ことが見えてくる。20歳の頃、創業を決心した 時から、私が捨てたのは「世間体」と世間の常識。そうとはいえ、本当に 捨ててきたかというと、捨てきれる訳がない。決断、決心をする時にまず意識 してきた。これを捨てるには、まず全てを根こそぎ疑うこと。ここでは 「やめる」と言っているが、まず自分の常識を破壊する。人生にやり直しなど 出来ようがない。天を信じて捨るべき時に、捨るべきことを、捨ないと・・ 捨てることを決断することで、自ずと節目が出来る。 「脱皮できない蛇は死ぬ」 脱皮出来ないゾンビが街を徘徊している。 ・・・・・・ 4218, 神は妄想である ー1 2012年10月13日(土) ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、 「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。欧米のように、 生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で 育ってない日本人は、神様目線が殆どない。殆んどは「神は妄想」と思って いるし、神の話など家庭内では皆無。しかし欧米では無神論者は同性愛と 同様か変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者など の狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。 まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより ≪ なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」 と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会のあり方は、 おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に 携わっている著者は、かねてから宗教への違和感を公言していたが、9・11の 「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられ なくなった。「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、 あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについてあらゆる方向 から鋭い批判を加えていく。宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。 神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今では インテリジェント・デザインを自称する、進化論を学校で教えることに 反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。 あえて反迷信、反・非合理主義の立場を貫き通す著者の、畳みかけるような 舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫ ▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的 ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、注目された内容。 9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉 に対し、知人から注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。とはいえ、知識を 持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。 自然以外に、まず、それにアブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。 それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑 に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは至極当然で、その対立は 激しさを増している。 そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる 視点も、よく分かる。「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」 と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの猿が進化した 生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、 自然世界の時間をかけた進化などをさせてきた、自然法則を神として 理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく ・・・・・・ 3853, シリアスでストイック 2011年10月13日(木) 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。 シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と 捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。コミックでは、 「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。 ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という 場合は自分に厳しい人という意味。「今回のヒロインはシリアスでストイック なキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、 「ヒロインは極めて真剣で、原稿などの締め切りに追われている作家などは、 シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。漫画でいえば、 「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。 そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイック に過ごさなければならない」。まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。 いや、「ファニー」の一日かもしれない。その対義語ではないが、正反対の キャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風 変わった。」という意味。お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。 サンマ、タモリなどが、このキャラ。 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスで ストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を 変えれば、違って見えて当然だが。人生を振り返ると、この3つが混在している。 私の場合、「リアル」で、かつ「コミック」も加わる。 まともに生きれば シリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれて いなくては、とすると?・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ? ・・・・・・・ 3488, インコのクシャミ 2010年10月13日(水) ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。 身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。 籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣である。 しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場でジッとしている。 呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。 そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸。 母が亡くなる直前も、 そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで 椅子に座り、みていた。時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、 片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。 そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。小さくクショッと人間のように するのである。そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、 熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、クシャミ までするとは思ってもなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲って いるのをみて、何だろうと思い、8〜9分は死ぬと思い込んだが。 寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。 インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも 愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。クシャミをし、全身の毛が 逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。 ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコを している」が、そのまま全身から伝わってくる。全身で苦しみ、全身で喜びを 表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は 「ありのまま」で生きている。だから、ペットとして人間に好かれるのである。 衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。
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2015年10月12日(月)
ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿 * 「残念」な日本のネット社会 ネットが普及し、「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったというが、 アラブの春の民主化が正しかったのか、間違っていたのか? を例にとると 分かりやすい。独裁者は、「バカがウエブで繋がった結果」と見ていたのだろう。 烏合の衆は、所詮、流砂のように掌から零れ落ちていく。ネットの利点は計り 知れないものがある。当然、その影は付いてくるが、それも一つの社会悪と 割切るしかない。問題は、それに慣れてないこと。 〜その辺りから〜 ≪ 結局、何でもほどほどのバランスで食べればいいのだろうが、 ネット上の意見にはとにかく極端なものが多い。深刻に悩んでいる人が多い からだろうが、癌や妊娠、出産、子育てに関ずる話題にも、トンデモ知識が 溢れている。知り合いの医師も、ネット上での知識を患者が頑なに信じすぎて いて、「知恵袋ではこう書いてあります」と言って聞かないと愚痴っていた。 結局、ウェブ2・0は実現したのだろうか。少なくとも『ウェブ進化論』を 書いた梅田望夫自身は、その夢をあきらめてしまったようだ。 彼は2008年、自身のプログで水村美苗の『日本語が亡びるとき』を好意的に 紹介したが、それに批判的な意見が殺到した。さらに梅田が役員を務める企業 のサービス「はてなブックマーク」も、彼への批判で溢れた。これに対して 梅田は、「はてぶのコメントには、バカが本当に多すぎる」とツイッターで 発言、大炎上した。さらに2009年にはネットメディアでのインタビューで、 日本語圏のネット空間が「残念」であるとコメント、再び炎上。要は、ネット で発生してしまう「衆愚」問題に梅田は耐えきれなくなってしまったのだろう。 中川淳一郎が断じるように、インターネットが普及しすぎた結果、 「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったようだ。確かに中川の論じる ように、ネット上には読解力がなく、ジョークも通じない、「暇人」が多い ように思う。このーヶ月で3回くらい炎上した僕も、どうしても中川説に賛同 したくなってしまう。しかし、『ウェブ進化論』ではすでに、衆愚の問題に ついても論じられていた。たとえネットに溢れる情報が玉石混合でもいい。 それを個入に合わせてカスタマイズしてくれる「自動秩序形成システム」に、 梅田は期待をかけていた。実は同じような議論は最近でも続いている。 要は、技術の力でネット空間がよりよいものになるはずという楽観論である。 現在、ネット空間は、PV数(閲覧数)至上主義。だから、とにかくアクセスを 稼こうと、扇情的な見出しや、誰かを傷つけるようなコンテンツが跋扈して しまう。しかしそれはネット空間が発展途上だからと楽観論者は言う。 先日収録した「ニッポンのジレンマ」という番組でも、ウェブメディアで 活躍する論者たちが素敵な未来語りをしていた。そのような未来が本当に 実現されるのかはわからない。だが、少なくとも言えることがある。 そうした「情報技術が明るい未来をもたらす」という議論は昔から繰り 返されてきたということ、そして技術の力では、大して社会が変わって こなかったという残念な事実である。「ニューメディア」「マルチメディア」 「高度情報化社会」、そして「インターネットと形を変え流行してきた。 しかし、衆愚の問題}にとってもそうで、技術の力で社会の形が大きく変わって きたようには思えない。少なくともウェブ2・0が宣言されてから10年で、 日本社会は大きく変わってない。ネット空間には「バカと暇入」が増えた だけのように見える。なぜか。答えは簡単で、衆愚とは何もネット空間 だけの問題でなく、この社会の問題である。 ▼ 問題は、衆愚の結合である。これまで衆愚を一神教が、結合してきた。 問題は、その手段としてウェブが使われるのか、それとも、その虚構を 根こそぎ破壊してしまうのか。何せ、相手は2000〜3000年の歴史がある 絶対神のアッラーである。当分の間は、ネットで衆愚を収めるだろう。 残念なのは、日本の衆愚だけでない、世界の衆愚である。バカは世界の 何処にも存在し、底辺ほど直ぐに繋がり結合する。しかし、優秀な者同士も 繋がり、アップスケールの機会が与えられている。情報環境空間がネットで 地球上に広がったのである。 ・・・・・・ 閑話小題 ー美人の黄金比 2014年10月12日(日) * 美人の黄金比 誰もがその人を美しいと感じる、“美人の法則”が存在するという。 1:目を中心にして、「頭の頂点まで」の長さと「アゴの先まで」 の長さが同じであること。 2:「目と目の間」の長さと「鼻の幅」が同じであること。 3:「目と目の間」の長さと「目の幅」が同じであること。 4:「口の幅」が「鼻の幅」の1.5倍であること。 5:「顔の横幅」が「鼻の幅」の4倍であること。 上記5種類の「顔の黄金比」に対して、誤差が「0」に近ければ近いほど良いと されています。ちなみに、一般的な人の顔の誤差数値は「1.1」〜「1.3」とか。 どうでもよい話? 要は、傍目でみたバランスが上記だと美人ということ? それにしても綺麗で優しく温かみがあり、清潔感がある人が、一般的に美人 というのだろう。それに、教養が、まずベースにあることが前提である。 美人は、顔と全身のバランスでしかない。そのバランスの均整も一時のもの。 身近で、姉達や、同僚などを見てきて、その時期は、わずか5年間でしかない。 だから、それが良いのである。 ・・・・・・ 2013年10月12日(土) 4592, そして、人生はつづく ー3 * 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく』 5月の連休明けにシネマでみた「アバウト・シュミット」が、まさに 「そして、人生はつづく」をテーマにしている。 ーその概略をHPでみるとー 《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアと ペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。人生の終盤を迎えて大きな 転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソンが 見事に表現。監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭 アレクサンダー・ペイン。アメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で 定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。彼はこれまで妻ヘレンと 今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。 そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、 シュミットは会社中心の生活リズムが染みついていたせいか手持ち無沙汰になる 日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死。そして葬儀の準備に追われる シュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくる のだった…。》 ▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でも それなりの人生を送っていると思っていたが、定年をむかえた直後、妻が 急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む 娘を車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで 接したことのない世界の人たち。その旅で、これまでと違った様々な経験をする。 それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。職場と連れ添いの喪失で、 なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。 妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。5月の連休明けに、この映画を 見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しの部分がある。 また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで 自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて知人に拾われ、働き出し、営業 で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は 老けていた。数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の 娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越した。現在も「そして、人生は続いている」 のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうか・・ ・・・・・・ 4217, 開国という強迫観念 ー4 2012年10月12日(金) * 「開国」とは何だろう ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り 変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。TPP(環太平洋戦略的 経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに 不利になるため、従うしかない。属国から離脱など出来ないように囲い込まれて しまっているのが日本である。 ーその辺りからー ≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、 「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」だといって きました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、 本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。「開国」とは異質なものに 出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。 「開国」とは、何よりまず、異質な文化、社会、宗教などに出会うことです。 そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。 独自性です。自国の、自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他 国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることが 「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということ ではない。世界には、西洋もあれば、中国も、インドもイスラム諸国もあるのです。 しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、 決してイスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や 「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。 いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」と いった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。「世界標準」とは アメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことです。 「世界に乗り遅れる」というのは実は「アメリカに見捨てられる」という ことなのでした。 ≫ ▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。 そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を覆って しまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人が ポケットに持ち歩けるようになった。それで、個人情報の受発信が気楽に、 しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し 進めることになる。それは、情報をコントロールでき利用できるものと、 出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが アメリカの一部の人たち。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。 垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の日本の水準から見れば下流。 総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流と いうことになる。預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を 入れると、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、 日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、 歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。 ・・・・・・ 3852, ツレがうつになりまして ー3 2011年10月12日(水) 鬱病のタレントは、音無美紀子、小山明子、萩原流行、千葉麗子、 生田悦子、岸部四郎。 音無美紀子、高島忠男、小川宏、木の実ナナなど 多くいる。作家では夏目漱石、北杜夫がいる。タレントの何人かが手記を 出しているが、本当に辛そうだ。老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常 になる。長生きの人生の利子。私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、 その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小?で済んでいる。 対策として、直後から、 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 =合計三時間の運動で身体を動かす。 * 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 * 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。その為に、哲学書を一歩 踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。しかし、この結果に 対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。 当然のことだが。欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなる こと。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大なエネルギーを要する。 そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、辛さが積もっていく。 私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、 その崩壊は最小で済んでいる。所詮は、娑婆娑婆! もしインサイダー人間 だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。地域社会を 象の皮膚の隙間とすると、そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると 気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。経験からして、心の傷は癒える のに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。時間が全てを解決すると腰を 据えるしかない。結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 見渡してみると重い経験者は一割。軽いのを入れると三分の二。 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、 映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。それが出来ないから 欝になるから、これ愚答。そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、 悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を 変える、味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 書店か図書館に行くと、(神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が 感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。これは神様の情け。 気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。
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2015年10月11日(日)
ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿 『新潮45』〜悪夢の21世紀 より * 懐かしいウエブ2・0 もう10年近く前になるが、梅田望夫の『ウェブ進化論』と、佐々木俊尚の 『ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点』などを読んで、ネット時代 の明るい未来を信じて現在に至っている。ところが、梅田ブログも7年前から更新 されておらず、マスコミから消えてしまった。何かあったのだろうかと思って いたところ、『新潮45』の特集の中で、ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー というテーマで、古市憲寿という若い学者の手記があった。 それによると、 ネットの未来に明るい側面をうたい上げた梅田が、ネット上で衆愚?に総攻撃 を受け、嫌気をさしたのが消えた理由。考えてみれば、衆愚はネット社会だけ でなく、社会の大部分を占めている現実がある。 知的側面でも中流対下流の 対比、65%対35%が、10%対90%に下流が激増したようだ。その彼らを尊重する のが民主主義というから始末が悪い。 ネットは気違い(衆愚)に刃物でしか ないのか? という問いかけである。 〜その辺りを抜粋〜 ≪(p48) 10年ほど前、「ウェブ2。0」という言葉が流行したことがある。 多くの人が情報の受け手に過ぎなかった「ウェブー1・0」時代が終わり、 「みんな」が情報発信者になれる時代が訪れた、という騒がれ方をしていた。 プログやmixiといったソーシャルネットワークがブームになり、ウィキペディア などの集合知が注目を集あていた時代のこと。2006年にベストセラーになった 梅田望夫の『ウェブ進化論』によると、ネット上のコンテンツは玉石混合という。 しかしそれを集合愚と断じてしまうのは早計である。 これから一般人が表現を するハードルはどんどん下がっていく。すると母集団が増え、良いコンテンツの 割合も自然と上がっていく。さらに個人の趣味に合わせ情報を提供するシステム が高度化していくだろう。要はテクノロジーの力によって、理想的な総表現社会 が実現されていく夢を梅田は語っていた。確かに有象無象のネットユーザー の「表現」と、テクノロジーの組み合わせが、人々の役に立つことがある。 僕が一番参考にしているネット上での集合知は「価格・oom」だ。 専門性が必要とされず、主観が介在する余地が少ない情報を集める時、ネット上 での集合知は威力を発揮する。「価格・com」のミソは価格という、誰が見ても 比較しやすい情報を集約している点にある。価格よりもやや客観性が落ちるが、 使用者による商品レビューも参考になる場合が多い。電化製品を使うのに専門性 なんていらないし、思想信条が評価に大きな影響を及ぼすとは思えない。 専門性ともイデオロギーとも無縁の領域で、ネットの集合知は大いに役に立つ。 だが電化製品よりも個人の趣向や経済状態が反映されやすい食の分野になると、 集合知は少しずつ怪しくなってくる。通常の雑誌では無理だろう詳細な情報や 写真が掲載されている「食ベログ」。だが星の数や食に対する判定になると 当たり外れが多い。さらに難しいのは医療や法律といった高度に専門的な分野。 共に本来は長期間、高等教育機関に通わないと専門家になれない領域。 しかしネット上には自称専門家による怪しい情報が盗れている。 たとえば 「Yahoo!知恵袋」の医療情報などは、本当に玉石混合。「牛乳で免疫力を高める」 とか「めかぶ、を食べると代謝が高まる」とか、あらゆる食品が体にいいことに なっている。そうか、牛乳やめかぶを食べればいいのかと思ったら、今度は 「牛乳は毒。飲んでいるのは日本人くらい」といった自称専門家説にぶち当たる。≫ ▼ みんなが情報発信者になれば社会が豊かになる?と、梅田望夫が明るい 未来を謳い上げたが、現実はゴミ知識と炎上騒ぎのバカ騒ぎ。当の本人も、 その馬鹿馬鹿しさに、姿を消してしまった。その衆愚の一人が、この私。 飽きもせず、毎日、数時間もかけ、頭の中身をネットに公開している。 利点もあるがマイナス面があまりに多過ぎる。が、暇潰しには丁度よい代物。 ・・・・・・ 閑話小題 ー"老後破産"の現実 2014年10月11日(土) *「老人漂流社会 "老後破産”の現実」 家内が青い顔をして、昨夜放送の「老人漂流社会 "老後破産”の現実」 を見たが、ショックだった、録画に入れてあるから、見てみたら!と言う。 で、早速みたみたが・・ ーNHKのHPよりー ≪まず「都内の80代男性、年金支給日の前になると現金が底をつく。 月10万円の年金。アパートの家賃6万円。「まさかこんなんなると思わない ですねえ」3年前にガンを患い治療する80代男性、医療費が重い負担。 月3万円の預金を取り崩して生活。≫ ≪ 区内の独居高齢者は4700人。相談員は11人。対策が追いつかない。 区のアンケート調査では、年金だけでは安心して暮らせないという声が。 アパートで一人暮らしする田代さん83歳。年金月10万円。家賃6万円。 残額4万円。家賃の安い住宅に引っ越そうにも引越し代がない ≫ ≪ 秋田県。高齢化率が31.6%。とくに高齢化が進む湯沢市。 コメ農家をしていた西館さん84歳。いまは田んぼは親戚に任せている。 年金は月2万5000円。夫は15年前病気で亡くなった。心筋梗塞で倒れ、 10年あまり入退院を繰り返し。医療費の支払いで、年金の保険料を払えず。 故郷を離れ嫁いだ嫁に会うこともできない。「余裕ないでしょ。だから 自分のもらった年金でどこまでやっていけるかって考えるの」湯沢市の 一人暮らしの高齢者は約3000人。西館さん、食費に回す金がほとんどない。 おかずの材料は野山に取りに行く。「フキは干したら柔らかくなる」 光熱費を払うと生活費は1万円。食費は月4000円しか使わないと決めている。 「魚は、田んぼに流れてくる水でとってきた。金かからないでしょ、 自分でとってくるんだから」心臓に狭心症の持病があり、発作がいつ起こる かわからない。発作を抑える薬は、街の中心部まで1時間かけて病院に通い 受け取る。次に発作が起きれば危険だという。≫ ▼ こういう人が、身近に人知れず多くいる。私自身も、一つ判断を 間違えば同じような身の上。これは、生老病死の問題そのもの。 何か身につまされてしまった。しかし、死んでしまえば、皆、同じ! ・・・・・・ 4591, 2050年の世界 ー18 2013年10月11日(金) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきた。大地震、津波、異常 気象なども、地球温暖化と関連した現象。これまでの後進国が経済発展で、 国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、 それが地球温暖化に拍車をかけることになる。 しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。 * 第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ ・気候変動について現時点で正確に予想する方法は確立されていない。 エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、経済成長がどうなるのか、 気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が 多すぎるためである。 ・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、 温暖化に結びつくということはコンセンサスとしてあり、だからこそ、 これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。 ・1992年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約。 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明。 ・第二の進展は、1997年の同条約の会議で合意された京都議定書。 富裕諸国はこの議定書のもと、2003年の二酸化炭素排出量について、 それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし各国の数値目標には ほとんど強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られず 不参加となってしまった ・2009年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書 よりもっと野心的な数値目標を、富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせる はずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を達成するため には、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。 ・そうした中、2010年のメキシコのカンクン会議で中国が、2020年までに経済の 炭素集約度を四〇〜四五パー削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化 炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。中国では、 福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい 原子力発電所を増設。風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増加。 ・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増える ことにより、海洋地下資源開発の促進、あるいは新たな漁獲域の出現など 大きな変化があるだろう。 ・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。 成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することによって温暖化を防ぐ案が あるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため 実現はしないだろう。 ▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。 その結果、温暖化問題が、より深刻化していく悪魔の循環が、日々、大きく なっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、 このままでは、現実問題になってくる。 ・・・・・・ 4216, 開国という強迫観念 ー3 2012年10月11日(木) * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的 城下町の世界。とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れること だった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。新潟市でさえ 外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国。 住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。 それも首都圏から見れば似たようなもの。それを逆照射してみると、世界という より欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。 5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、 その文化の高さに驚いた。当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼす ほどの近代化された軍隊だった。世界>東京>地方の図式は、こと日本において、 決して当てはまらないのである。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は 「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。東京へ行くことは、 また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいる ことは内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、 「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、「地方」や「田舎」は特異な 「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を 聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、 田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりする。 だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを突きつめて ゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。「開国の論理」とは、 まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の 近代化とはまさしく「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。 「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのもの といってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、 これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。この同じ論理を もう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、 「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、 さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的 文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した 「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫ ▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。 その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と蔑んでみている。 当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方 出身者に向ける。地方の人も、自然と固定観念に染み付き、自虐の念になる。 しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。 大方が気がつくには死期が迫った時。 ・・・・・・・ 3851, ツレがうつになりまして −2 2011年10月11日(火) この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。 欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。学生時代の 友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になって以来、 古町などで15年ほど隔月ごとに飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の 聞き役。支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に 向いてしまう。それも数値責任を達成した上だから、たまったものでない。 トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の辛らつな 虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。主人公も、外資系の会社で、 リストラ、効率化、顧客主義、徹底したコスト削減、顧客のクレーム処理で 神経を磨り潰す。几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、 鬱病が表立つ。そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ 死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を 打ち止めになった出版会社の担当に「ツレがうつになりまして、お願いします、 仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、 欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。その必死さにうたれた 担当が、その人を紹介し、それが、この「ツレがうつになりまして」を書く キッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、 ウツに追い込まれる人が多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。 他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しく ない。事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を 自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も当然起きてくる。 その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を 冷笑している心の奥の視線もある。当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが 恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、 あれこれの思いが巡る。それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。 それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は 言葉で言い難い。事業を興し、上手くいっている時は、この世の春。 しかし、ある時点から転落するように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 それでも手元資金が完全枯渇する前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。 ≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、できることからやるの 「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく ・・・・・・・ 3486, つれづれに ー閑話小題 2010年10月11日(月) * ガラパゴスに戻って 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモ の携帯に切り替えて7日が経つ。二年前にiPhoneに切り替えたドコモの 携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になった こと、画面が大きくなったこと、カメラが810万画素になり、タッチ式に なったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。 他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、 ということで今の機種を選定した。しかし他機種で4〜5万を出したものなら、 その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。 * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、 2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、1994年のピークの664万円に比べ 2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり 続けている。世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働き に出たり労働時間を延長したこと、などがある。増税などを含めると、世帯の 収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の 世代の大量の定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行 とともに日本経済はますますダウンしていく。おそらく10年で、更に2〜3割 以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円に なると、勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。 反面、 それほどの貧困感は出ることはないだろう。中古市場や、フリー(不用品の 無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあう システムがネットを通して働くからだ。貧乏だが、最低限のモノや情報には 不自由しない時代になっていく。
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| 5322,閑話小題 ー5年前に、10年の余生と想定して |
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2015年10月10日(土)
* 老いの恐ろしさ 数日前のポタリングの帰路、信号が赤に変わったのに、ボ〜ッとして何か 勘違いしたのか、そのまま車道に進入をしてしまった。何で車が向かって 走ってくるのだろう?としか、考えられないとは。 直後に気づいたため、 事なきだったが、これまで二度、車で赤信号に気づかず、そのままつき切った ことがあったが、二日酔いと、旅先で疲れが原因だった。今回は老いだろうか。 魔が差し事故にあうときとは、こんなもの。 70歳以上の免許書換え前の講習会で、「交通事故の当事者は3分2が65歳 以上の高齢者。老いによる注意緩慢が原因です。」と聞かされた。 毎朝一時間、冬期を除き年に8ヶ月、6年以上走ってきたが、来年春先から、、 週末の二日間に切り替えるべきか。 * 5年前に、あと10年の余生と想定して 65歳の節目で、あと10年の75歳辺りが寿命と、気楽に考え5年近く。 間もなく半分が経過する。10年前は一昔に感じるが、5年はアッという間。 とすると、もう残された時間も直ぐにくる。数ヶ月後に70歳になるが、 父は、この年にガンが見つかり、一年後に亡くなった。 死についての 知識が皆無だったこともあり、死の恐怖に悶絶をしていた。誰もが、 直面する恐怖。その凍りついた空気は、そのまま周囲に伝わってきた。 老いと死の問題は、人類の永遠のテーマ。 70歳を過ぎると、背後からの 漠然とした不安から、前側に移動し迫ってくるという。ここにきて、長生き をしたいとか、後悔の念が少いのは意外。好きなように生きたためだろう。 いざ直面すると、違うのだろう。 5年は何とか?だが、10年は? その時、『死ぬのは死ぬ。助かるは助かる。ガタガタするな! それにしても面白かった!』が、内語になるのか? その時には、こんな事が書けないだろうから、今にうちに書いている。 ・・・・・・ 脳がよろこぶ話 ー4 2014年10月10日(金) 対談ー夏樹静子『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談 * 脳という最大のミステリーを、文学と科学で読み解く 私も腰痛持ちで、その苦痛は、言葉では表現できない程辛い。 付き合いだして丁度50年になる。最後に一番辛かったのが、5年前のこと。 その時から本気になって幾つかの対策をしたのが功を奏して、今では、軽い 腰痛は年中続いているが、重いものは、あれ以来ない。更に、二年半前からの 週二回のヨガが、良いみたいである。しかし、少しでも身体を冷やすと、 直ぐにでも痛みが増してくる。 ≪ 夏樹:脳より腰がミステリ!。(笑) 茂木:一時はイスにも座れなかったぐらいだったという。 夏樹: もう、イスが怖くて怖くて。イスに座れないというところから始まった んです。ある朝、いつものとおり家族が出ていって、書斎に入って、さて仕事 をしようと思ってイスに座ったら、どうしても嫌だといわんばかりに。腰が 上体を支えるのが嫌だと言い出した。そういう感じで、座っていられなくて。 茂木:腰の反乱ですね。 夏樹:それから三年間というもの、ドクターショヅピングっていう言葉は 好きじゃないけど、いろんなところであらゆることを試したんです。 でも、注射も、薬も、東洋医学も、何ひとつ効かず、それどころか原因さえ わからないもので、あきらめて、絶望的になって、家で寝ていたわけです。 イスに掛けられないし、立ってもいられない。一日中、ううっいたいといって 動けないような激痛も頻発して、異様な倦怠感もあって、鉄の甲羅を背負わ されたみたいに、部屋を横切るのにも這って行くっていうぐらいでした。 もう万策尽きたと思っていたところに、主人の友人から紹介された心療内科 の先生がいらして、最初に先生が、私の話を二時間、聞き取ったんです。 茂木: おつらかったでしょう。 夏樹:先生がおっしゃるには、全部心因性なんだ、心が原因なんだと。 私は全然信用しなかった。張り切って仕事してきて、ストレスも何も感じて なかったから、そんなはずはないって言ったんだけど、「あなたの潜在意識 は疲れ切って、休もうよ、休もうよと言っています」って。愚かな私が意識と 潜在意識の乖離に気が付かないから、とうとう潜在意識がこのままでは死んで しまう。生体としてやっていけなくなるから、幻の病気をつくり出して、 そこに逃げ込んだ「疾病逃避」というんです。しかも、これだけ拗らせて しまったら、ちょっとやそっとじゃ治りませんよ、もう小説書き辞めて、 一主婦として生きなさいと。私はもう、そのころになると、痛みとの戦いに 精も根も尽き果てたという感じで、「わかりました、もう断筆しまう」 と言ったら、じわじわと、本当に日一日と、二週間の絶食療法の三年間の 地獄の苦痛が、約三週間でまったく消えた。ずいぶん早く潜在意識が 折り合ぞくれたもんだと驚いたりもしたもんです。 ≫ ▼ 座る姿勢と、精神的圧迫が、腰に集中していたことになる。 何か、事業から引退したと同時に、様々な神経症から、解放されたが、 それだけ、知らないうちに大きな重荷になっていたようだ。だから強がりで なくて、後悔とか、挫折感は、ほぼ無く、何か毎日がスッキリしたような日々。 ・・・・・・ 4590, 閑話小題 ー謝罪あれこれ 2013年10月10日(木) このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVの ニュースで報道されている。そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という 映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。土下座は江戸時代の大名 行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため 武士がやらせた慣習。謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。 映画で、記者会見など頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど効果があると・・ さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。 ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より) 空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、 “土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画『謝罪の王様』 でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が 気になってしまうのか。 専門家は、2000年以降、謝罪会見などで経営者の 土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、 相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。 “土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。 (NHK説明より) 早速、プレビューを見てきました。ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマ として今世紀最高を記録したこともあり、多くの方がご覧になったと思います。 その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。 企業の不祥事などで、社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目に するようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という意味が 加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 中には、土下座するまでもない場面で、土下座を強要させられることもある。 私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。 土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たような そんな居心地の悪い気分になることも事実。番組を通して分かってくるのは、 ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座 することで、それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、 土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに向かうべきでは ないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんの こんな言葉です。「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いは ありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください! ▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の被害者のように怒り、 呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も 変だが、見ている方も、明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、 本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。大場面なのに、殆ど 悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送 の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、 あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。 元もと罪の意識もないのだから救いようがない。 選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い! ・・・・・・ 4215, 開国という強迫観念 ー2 2012年10月10日(水) ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か? 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では 首都圏の大學か、地方大學に分けられる。一般的に都心の大学進学は、進歩的 文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識 と教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地を つくるため。自由の立場で、世界を、社会を、人間を見つめるための猶予期間。 しかし、最も重要なことである。 ーその部分からー ≪「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型。戦後のいわゆる進歩的文化面は、 自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」 を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは 事実。彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。 では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全くそんなことはありません。 ・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点 にやってき、その後は「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。 進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉 されていった。知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、 彼らは、彼らに都合のよい西洋思想や学問を取り入れて、それを「科学」と いい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」= 「専門的」=「先進的」であり、これに対し、「日本的思考」=「非科学的」= 「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」 「専門家」「先進的」の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」 「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と 同じ。この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に 立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という特権的立場を手に入れた。 ・・(中略) この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を 開かないと、世界の潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、 必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、 「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。 それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式だったのではないか。 この「世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえてみよう。・・≫ ▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が 果たしては特異で後進的か?を、問うている。それまでの欧米は、自分たちは 文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させる建前 で、世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。 日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、という刷込みではないかと、 著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。真の 支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! ・・・・・・・ 3850, ツレがうつになりまして −1 2011年10月10日(月) 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。TVでも放映され 話題になったストーリー。ところで、もう亡くなってしまったが、前の会社の 取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に 暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。ところが20数年前の バブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。その症状のまま営業や知人先 に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 躁の時は、晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、再発の報告と相談 に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や 精神科学の本の言葉で、何とか危機を乗り越えてきた体験があるので、 痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは ≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいこと ではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人はいないのと同じ。上司に 正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりに すれば、それ以上悪くなることはないし回復は最短になる。とにかく拗らせない で治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度は来ていたが、その都度、 初めに飛び込んでくるのは私のところ。欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから 状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが 山ほどある。しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時 入院をするようになっていた。会社は管理職からヒラになったが、最後まで 病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、 他人に危害を加えるかどうか。その辺はギリギリでセーブをしていた。 彼の場合、多くの友人がいて、それを見守って許してくれる人間性があった。 営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。その人も7年前に 癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。欝による失態も、 決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 そういう経験があるので、この映画に感情移入をし、涙をしながら見入って しまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 足腰の関節が痛くなり、何らかの成人病が出てくる。 欝になるな!という方が 無理な話。その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、割り切り きった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた 方が良いことになる。私は子供の頃から仏壇前のお経だった。 次回は、映画の感想文・・ ・・・・・・・ 3485, エッセイ脳 ー2 2010年10月10日(日) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー ・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、「どのように」にあたる部分がBになる。 単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは 読み手(公共)の納得の方が優先されなければならない。そのため、 「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先されなくては ならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる 題材を探さなければならない。 ・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていても よい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。テーマに合わせて 題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、 抽象的だが題材は個別、具体的になる。 ・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、 へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。「ある=起、ある=承、 へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして「へえっ〜=転」が、 書きたいことの中心。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、 言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを考えればよい。 他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。 したがって「転、起、承、結」の順になってくる。それはテーマが与えられ ない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。 ・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみ の文、セリフ「 」に括られるもの、などある。これは小説でも同じである。 もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。 ・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら 面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイこそ、エッセイの エッセイの由縁である。セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、 さらに再現性がある。 ・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。 必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」)を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。 ・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。 ・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル) に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば 人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。
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2015年10月09日(金)
* 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。 その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の 法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、 『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。 後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は 今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。 ≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省 は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。 受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。 増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。 増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。 日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法 改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、 どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族 の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。 これに住宅扶助等の諸々が加えられる。 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度 おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。 確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に 浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収 100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める 300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の 9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」 と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。 布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。 実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」 と答えている。 (略)・・・ 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く 環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、 将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の 後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも 実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫ ▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしているようだ。 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。 それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。 「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化 社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。 ・・・・・・ 脳がよろこぶ話 ー2 2014年10月09日(木) 対談ー小菅正夫『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談 *「平気で生きている」ことの強さ 三年前に、めったに出来ない経験をしてみたが、いざとなると意外と平気。 よほど、事業立ち上げの準備期間の15年間の方が厳しい状況であった。 足元が、固まってない不安と、虚無感は、何とも厳しいものがあった。 開き直りもあるが、全力で、し終えた実感があるが、まだ見ぬ計画段階を 独りで、ひたすら具体化をするのは非常に厳しい。あった物を失うことより、 無いものを形にするほうが、何倍、何十倍のエネルギーを要する。 ーその辺りよりー ≪ ・茂木:共通の幸福の条件ってあるんですかね。 ・小菅:先ほど申し上げた通り、まず食べ物を発見したとき、ちゃんと食べ られたとき。それと繁殖。交尾がちゃんとできた、出産がちゃんとできた、 育児ができた。これだけです。彼らはホントにそぎ落とした生き方しているから。 ・茂木:ムダがない。 ・小菅:ムダがないというより、余裕がない。生きていくだけで精一杯。 ・茂木:もともと野生環境は厳しい。 ・小菅:人も日本人を基準に考えたらダメ。僕もこの前ケニアに行っていた んだけど、ホントにね、痩せた子ども。ハエがたかった子どもが街にいる。 それを抱えているお母さんが物乞いをしている。人ですらそうでしょう。 ましてやチンバン�も死んだ子ども抱えて、ライオンだってごく一部の幸運 な子どもしか育たない。彼らがそういう環募なかで生きているということは、 われわれとちょっと次元が違うと思う。それで満足というよりも、本当に それしかできない。余裕がない、僕らは食べ物を取ったらその後、何か 楽しみが待っているけど、彼らはそこから、せっかく自分の身体の中に入れた エネルギーをなるべく長持ちさせるようにゆっくり休んでいる。(中略)・・ ・小菅:百何歳の曹洞宗の禅師のインタビューで、「悟りとは何ですか」 という、質問者がたずねた。「平気で死ぬことですか」と。そしたら禅師は、 「平気で生きていることですよ」― あれ、動物と同じだと思った。 動物って平気で生きている。たとえばうちにアサコていうゾウがいました。 六十歳超えていて、最後の臼歯が半分欠けて落ちた。それであまり食べられ なくなっちゃったんだけど、それでも平気で生きている。気にしない。 文句言わない。今までとまったく変わらない生き方をしている。 そしてパタッと倒れて死もんでいく。 あの平気さっていうのはね。 宮崎さんという方が「平気で生きていることが悟り」と言うんだったら、 動物はみんな悟っているなと。 ・茂木:不思議ですね、そうすると修行を積まれた高僧の方がたどりついた 境地というのは、もっとわれわれの祖先が動物だった時代に持ぞいたもの かもしれない。われおれは忘れちゃっているだけなんですかね。 そういう蓄があるんだと思う。≫ ▼ でも、「平気で死ぬこと」も、動物の大きな特性である。 人間の最大の問題は、肉体的苦痛と、苦悩への恐れの解決である。 確かに、底知れぬ苦痛と、苦悩の中、消滅していくのだろうが・・ ・・・・・・ 4588, 2050年の世界 ー16 2013年10月08日(火) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ ・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。 ・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。 ・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。 ・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の 巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。 ・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。 中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、複数政党制ゆえの混乱で 民主主義は苦しむことになる。 ・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対する さまざまな形のバイアスのかかり方。 ・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、 規制当局に圧力をかけるということだ。 ・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で 情報操作を受けている。 ・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。 ・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。 ・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える 「経済第一主義」と、この「公共心」が大きな対立事項となり、 民主主義を揺るがしていくことになる。 ▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が 出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。 特に、 この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの 権力者で支配されているというが、実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、 民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数 に存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。 自由には制限があるが、各々違うため問題が次々と派生、世界を混乱に陥れる。 しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると 信じたい。自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。 友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。その辺のバランスは、 人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。 それが、現在の自民党、民主党の対立軸である。 ・・・・・・ 4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は? 2012年10月08日(月) * 去年は凄い年だった! で、今年は? 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、 北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、 ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死など など。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し 中国国内の日本企業が焼討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュ はないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。去年に発生した問題 は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。 しかし、ひと月で、中国のトップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして 日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごす ことになる。それと、スマートフォンの普及が、世の中の変化を、推し進める。 これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまった ということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か? また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、 再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? * 多人数兄姉の末っ子として 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌 になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての立ち位置に生まれ育った。 下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影で、その虐めは陰湿そのもの。 しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で 緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。 それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないこと は見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は大声で泣くこと。 大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。 両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチ つくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、家庭に恵まれて いたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。 これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。 ・・・・・・・ 3848, 料理はメディア 2011年10月08日(土) * 料理はメディア、コミュニケーションのツール ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫ 【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、 こんなにまずいのはどういうわけだろうとね。それはしかし、自分の中で 考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは 「よく味わう」こと。それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」 と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということ が肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を メディアとする、コミ二ケのあり方です。昔は、人を招いてご馳走することを 「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。 つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに 委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に 招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、 全然料理の味なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、 主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けている 人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長に なっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗し出してきたものを、 知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。薀蓄など語る必要はない。 「美味しいな〜」だけでいいんです。】 ▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれ客は 店に行く。その個性が店のメッセージ。美味しいものを食べつくしてきたので、 それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す 雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に得々と話している人 がいたが、これほど不愉快なことはなかった。家内も私も、美味しい料理の 場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなる ことを知っているからだ。チョットした店構えの店で、売りにしているものが 美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。 食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。 ・・・・・・・ 3483, フューチャリスト宣言 2010年10月08日(金) 「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著) ー内容(アマゾンより) インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺 になり、ネットでの評判がパワーとなる。過去に何を成したかではなく、 いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬は ないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ ネットの側に賭けよう。未来創造の意志をもって疾走しよう。 フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。 〜〜 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎 の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を明るい視点で見つめる 「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸 とした社会の変化や人間の存在のあり方の変化を語り合っている。 「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。 1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目が アップル社のリンゴ、そして4つ目が「フューチャリスト宣言」。 肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、 それを可能としたツールが日ごと進化し、身近に新しい可能性が次々と出来る。 「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」と茂木 は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」 という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは 「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」 の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、 この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に捉えなければ、 生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や 一匹狼たちにやさしいと語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで新しい何かを創りあげる 可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは 「学ぶ」という最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、ここで二人は、 「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性を その特質としている」と語る。「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に 対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが機能する可能性が ネットにはあることだ。茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験というシステムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、 あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。今更いう までもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。
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2015年10月08日(木)
* TPPが合意されたが リタイアの身だが、TPP合意のニュースをみて、日本が今までと全く違った 領域に一歩、踏み込んだ妙な感覚になった。保護されてきた産業にとって 大打撃だろう。 日米を中心にした環太平洋経済圏の世界に入ったということ。 敗者はペルーやチリの貧民と同格の生活に入り、勝者は、アメリカの大金持ち と同格になる。TPP成立は、さらに競争激化を我々に強いてくる。私たちの 世代の時代背景が、奇跡的に恵まれていたのである。貧富の差も、さらに 拡大し、一部勝組の総取りになる。65対35の総中流から10対90、1対99の 総下流時代が、近未来に待っている。 * 曲線コースと直線コース 2日続きのノーベル賞が日本人に決定したが、 一昨日の朝日新聞の「天声人語」が考えさせられる内容だった。 ≪「自然は曲線を創り人間は直線を創る」と書き出す随筆が湯川秀樹博士にある。 丘陵の輪郭から草木まで自然には直線はない。しかし田の区画や人家の屋根や 壁などは、すべて直線を基調としている。人間はなぜ直線を選ぶのか。 日本初のノーベル賞学者の考察は奥深い。 今年のノーベル医学生理学賞に 決まった大村智さん(80)の来し方に、その短文が浮かんだ。 直線コースを歩んだわけではない。定時制で教え、大学院で学び直し、 微生物を探して土にまみれ――いわば曲線の歩みで大輪の花を咲かせた。 「成功した人は、人より倍も3倍も失敗している」はご自身の体験だろう。 とかく誰もが効率のいい直線を歩きたがるが、曲がったり折れたりの 道端にこそ宝がある。教えられるような受賞の笑顔だった。 冒頭の湯川博士の随筆は「極微の世界」という著書にあって、人間は 曲線的な自然の外貌にひそむ直線的な法則を発見してきたと続く。そして、 さらに奥へと進めば、いっそう深い自然の神髄に触れるのではないかと語る。 その極微の世界の研究で、昨夜は梶田隆章さん(56)の物理学賞が伝えられた。 素粒子のニュートリノに質量があることを証明した業績は、宇宙の成り立ちを 探る分野での重要な一歩だとされる。 宇宙間の万物を表して「天地人」などという。ビッグバンから138億年、 大宇宙では微の極みの「人」が自然の神髄を求める知的ロマンに、素人ながら 興味と感動は尽きない。さて、3日続きの興奮はあるか。(10月07日 朝刊)≫ ▼ 宇宙の果てから降注ぐトリノ(素粒子)は1㎝に650億個。それは、 地球をも通り抜けていくという。 その発見に世界の科学者は必死だが、 それに質量があることを証明したというから、ノーベル賞に値する。 その素粒子は、我々に住む宇宙からではなく、他宇宙?からのモノなら、 話は、当時のコペルニクスの天動説など比べようがない驚愕に値する説。 質量を持った素粒子とは何かは、私でも時間をかければ理解できるのだろうか。 ・・・・・・ 2050年の世界 ー17 2014年10月08日(水) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ ・第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。 それは冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたから。 ・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって 劇減できると考えたが、9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、 それは誤っていたことがわかった。 ・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争を しかけられるだけの力を持ってきている。インターネットを基盤とする 既成の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が 持ち運びできる新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を 搭載できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。 ・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、 水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。 ・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期に おいては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は管理され実際には 起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。 ・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずの アラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に頼らず、独自に核を 持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリア などが核を保有しようとする ・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に 組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく専門家もいる。 彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。 ・無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。 ・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算 を回せなくなる。 ▼ そうこう考えると、40年の間で、核戦争が起きない方が不思議で、必ず、 何度か起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が犠牲になったが、一桁上 の人たちの犠牲も有りうること。まだ、国家単位の核攻撃の内容だが、他の 科学兵器を含めた使用もある。狂った猿の兵器が、ますます強大になっていく。 ・・・・・・ 4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は? 2012年10月08日(月) * 去年は凄い年だった! で、今年は? 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、 北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、 ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死など など。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し 中国国内の日本企業が焼き討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きな クラッシュはないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。 去年に発生した問題は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、 ここまで引き延ばしただけ。しかし、ひと月で、中国のトップの交代、 アメリカと韓国の大統領選挙、そして日本の政権交代の可能性もある。 更に欧州危機と、中東もイスラエルによるイラン核施設攻撃の危険がある。 世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごすことになる。 それと、スマートフォンの普及が、世の中の変化を、より推し進める。 これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入って しまったということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。 「今年は、まだ小沢か?また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党を つくったが、再浮上をするかどうか?常識的にみれば無理だが、どうか? * 多人数兄姉の末っ子として 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 母一人子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌 になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての 立ち位置に生まれ育った。 下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影になり、その虐めは陰湿。 しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で 緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。それもあり常に 知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないことは見ないふり、 陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。 大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。 両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分を カタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、 家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。 これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。 ・・・・・・・ 3848, 料理はメディア 2011年10月08日(土) ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫ * 料理はメディア、コミュニケーションのツール 【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、 こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。それはしかし、自分の中で 考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは 「よく味わう」こと。それがおいしかったら「うまいなあ、実にうまいなあ」 と言って、おいしそうな表情をして、食べる。この「食べる表現」という ことが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を メディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。昔は、人を招いてご馳走 することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微 ですね。つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も 多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに委嘱 して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋で もてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に招いたかというと、 ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味 なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、 主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けて いる人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、 板長になっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して 出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。 薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】 ▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて 客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。美味しいものを食べつく してきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、 店の醸し出す雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケ が始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に 得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。 家内も私も、美味しい料理の場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。 それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構え の店で、売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、 その交渉の前後に食事を共にとる。 食事を通してメッセージが幾重にも 伝わる効果があるからだ。
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2015年10月07日(水)
【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】 〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著(新潮45・2015年3月号) * アメリカの格差拡大と、そもそも「“資本”とは何か」 「アメリカの千分の一世帯が、九割の世帯とほぼ同じ資産を持つ!」という。 情報化によるグローバル化は、その格差を更に大きくする。TPPで、世界の GDP40%の環太平洋の経済圏が出来ることになった。関税の垣根が低く なることは、競争の激化は、アメリカ並みの格差の拡大を意味する。 恐ろしいが、この流れは止めようがない。 〜その辺りから ≪ アメリカは、先進国でも別格に富の集中が進んでいる。 上位1%の所得が国民所得全体に占める割合(所謂“1%占有率”)は、 1986年には9%だったが、2012年には19%にまで増えている。小さい数字に 見えるかもしれないが、日本(2010年の段階で9.5%)やフランス(8%) と比べるとこの数字は際立っている。資産格差のほうはもっと深刻だ。 『エコノミスト』誌の記事によると、アメリカの上位0.1%に当たる16万世帯 の資産総額は、下位90%の1億5000万世帯の資産総額にほぼ匹敵するという。 『21世紀の資本』は、所得や資産の上位層への集中を示すデータ (“1%占有率”や“10%占有率”)を用いて、それがなぜ生じたのかを 歴史的・理論的に明らかにする本である。今までのところ、富の集中は アメリカで顕著に表れているが、本書の議論に従うなら、これはアメリカ 社会に固有の現象ではない。先進国なら今後どこでも生じるだろうと予測。 今現在、日本ではアメリカほど極端な富の集中は起きていない。 “1%占有率”は1980年代(7%台)から現在(9.5%)までそれほど変わって いない。だからこれまで日本の格差論争では、富裕層とそれ以外の不平等は それほど重要視されていなかった。ところが、ピケティ氏らが整備した 『世界高所得データベース』を見ると、上位10%の占有率は日本でも上昇中で あることがわかる。2010年には40%と、先進国でもアメリカ(48%)に次いで 大きい。因みに、日本の上位10%の平均所得は約900万円である。 日本ではアメリカのような大金持ちは少ないが、“小金持ち”の割合は 着実に増えている。“1%vs99%”の対立はまだ起きていないとしても、 “10%vs90%”の対立なら日本でも既に始まっているのだ。ピケティ氏は 複数のインタビューで、「日本も遠からず上位層への富の集中が激しくなる」 と警告している。では、なぜ富の集中が起きるのか。そこにはどんな メカニズムがあるのか。 『21世紀の資本』の内容を確認しておこう。 格差や不平等の説明には、これまで様々な説が存在した。工業化の初期段階 で起きるとする説(クズネッツ仮説)はよく知られているが、それ以外にも 最近では、IT等の新技術の登場に適応した高技能労働者の賃金が上昇している とする説(賃金プレミアム仮説)や、労働節約型の技術進歩が失業や低賃金を 生んでいるとする説(“機械との競争”仮説)、また金融の規制緩和等政治 と一部の利害団体の結託が不当な利益を生んでいるとする説(政治原因説)等、 様々である。だが、どの仮説も実証的な見地からの反論が多く、決定打に 欠けていた。他方、『21世紀の資本』でピケティ氏が提唱するのはもっと シンプルな仮説だ。タイトルにもあるように、「“資本”が不平等の 歴史的な推移を説明する有力な変数となる」というものだからである。 「“資本”とは何か」というのは経済学における大問題だが、ピケティ氏は これをあっさりと「人間以外の資産として所有できて、何らかの市場で取り 引きできるものの総和」と定義している。具体的には、工場等の物的設備・ 不動産や住宅・株や債券等の金融資産がそれに当たる。日常的に用いられて いる用語では、資産とほぼ同じ意味と考えて良い。資産を持つ者が持たない者 に比べて多くの収入を得るのは自明だ。労働による所得に加えて、利子や 配当等資産から発生する収益も得られるからである。・・・ ≫ ▼“10%vs90%”の対立は、既に起こっているのは実感する。それが、端的に 現れ出るのが、現役勝組と、資産を持たないリタイア負組の格差である。 その勝組も、準備不全だと、直ぐに下流老人の仲間入りになる。 水面下で 世界恐慌に入った現在、株価の大暴落を切欠に、我々を直撃する。 他人事ではない。現に私はリーマンショックで、事業清算をしている。 ・・・・・・ 2050年の世界 ー16 2014年10月07日(火) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ ・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。 ・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならないだろう。 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられるだろう。 ・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。 ・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の巧妙な マスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。 ・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が 前進し、逆にインドは、複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。 ・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずる さまざまな形のバイアスのかかり方である。 ・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、 規制当局に圧力をかけるということだ。 ・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ、等を通じて操作されやすいこと。 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で 情報操作を受けている。 ・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。 ・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。 ・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える 「経済第一主義」とこの「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を 揺るがしていくことになる。 ▼ 民主主義が果たしてネット社会でベストの政治体制だろうか?という疑問 が出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。特に、この 変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの権力者で 支配されているという。実際のところ、そうだろう。自由、平等、博愛が、 民主主義の前提にある。しかしグローバル化には、その前提を受け入れない 世界が無数に存在している。それらが距離の壁が取り払われ、一緒になれば、 そこに争いが出てくるのは当然のこと。自由にも色いろある。しかし、 そこには自ずから、制限があるが、その制限が違うから問題が多く派生する。 それが世界を混乱に陥れることになる。 ・・・・・・ 4212, 閑話小題 ー旅行仲間の便り 2012年10月07日(日) * 旅行仲間から便り 先日、7年前に北イタリアのツアーで一緒した神戸の夫妻からアイスランド のビデオ(DVD)が送られてきた。ご主人は元NHKのカメラマン。リタイア後に、 ご夫婦で世界各国を旅行している。当時、私たちがアイスランドに行った 直後で、「そこを勧められたことを思い出して送ることにした」と、手紙に 添えてあった。その直後に手紙で、イングランド南部のツアーに誘われたが、 既にギリシャに決めていたこともあり、次の機会にと、お断りをさせて もらったいきさつがあった。それもあり、その次の旅行先にイギリス一周 コースを選んだが、ウェールズなど片田舎は何ともいえない歴史の深さの趣き があり、「あのツアーも良かったはず」と思ったもの。 ビデオは、ご主人が 元プロでカメラ視線が決まっており、奥さんがナレーターをした本格的な内容で。 羨ましい趣味である。ご夫婦は旅行先は欧州が中心だったようだ。 ツアーのキャリア組みには、価値共有の仲間意識が出来ている。自慢するで なく、互いの行ったところを披瀝し、情報交換の楽しみが共有できる。 イスラエル、パタゴニアも、新羅ウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを 抜けアフガン国境のツアーなど、現に行ってきた人の「生の話」を聞いたから こそ行けたもの。財産として、金か、土地として残すか、「こと=行蔵」として 残すか、その人の考え方による。私は、感動、感激を求める「こと」の方を 選択してきたが、それで良かったと思っている。秘境ツアーなど贅沢の極みだが、 本気になり探すと信じられないほど格安で、内容のあるツアーは幾らでもある。 また、それを探すのが面白く楽しい。現在、隔日ごとに、行った先の世界の旅 番組を見ているが、それぞれの旅行の延長を、そのまましている気持ちになれる。 ツアーとしても、それぞれの旅は、帰ってきてからも続いている。 先も短いこともあり、来年から年一度の旅行を再開したいが、 世相が悪くなる中、いざとなると迷いが出るだろうが? ・・・・・ 3847, 創造的破壊 2011年10月07日(金) 「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、 古いものの破壊が、そこにある。新しく創造されたものも、時間と共に古くなり 破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、創造のベース として捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれ かわるための破壊になる。但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。 しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。竹の節は、これがあるから 大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。 予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、人生の前半に、多くの節目が あったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を 充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。 創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、 【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって 唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な新しいものによって駆逐 されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスを そう呼んだ。不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げる ものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いもの を打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、 組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。「脱皮できない蛇 は死ぬ」 も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、 そこまでいくと、退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなして いるといってよい。・・・ 】 ▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。 情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、 創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが 生き残るシステムも決して否定できない。現在の世界の政治、経済の大混乱も、 ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている 創造的破壊。この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、 合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を 創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ) が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ?
・・・・・・ 3482, ライフログのすすめ −2 2010年10月07日(木) 『ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! 』 ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。 デジタル機器の進歩と、値段の劇的な安さの実現と、その記録も無限大に可能 になり、その分析も可能になってきた背景がある。モバイル携帯など、それらを 可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集し ネットに記録保存をすればよい。それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、 モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。これに近いのが モバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、 ついている。それが記録されるサイトに自動送信すればよい。モバイル携帯の 一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、 これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の 記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、誰と会ったとか、 何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、 どんな写真を撮ったとか、自動的に記録保存して、牽引をつけ整理し、 パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャル ネットワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が 利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、バラバラだ。 共通の ツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられてない。 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、 著者は公開を否定している。公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。 自分の全てを電子記憶にし、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。 公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。「僕たちはいつか、 自分の目にしたものや耳にしたものすべてを記録できるようになる」と。 その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているから。 その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという 理由はないという考えに夢中になったのである。 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した 久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。この本を読んで自分の Web上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより 「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」になってしまった。 したがって、 私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタル に記録する! 」であり、私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた 「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。 著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、 思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、毎日の読書や日常をデジタル化して ファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、 「ライフログ」のシステム化されたものが、あるはず。これを読んでいて デジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 二度とない人生の記録か! ・・・・・・・・ 3107,つれづれにー閑話小題 2009年10月07日(水) * 中川昭一の死について 実際のところは藪の中になるだろうが、状況からみたら誰からみても自死。 父親の死も当初は色いろな説が乱れ飛んだが、自死に落ちついたのは数年 経ってから。あの酩酊?会見で自民党も大ダメージになったことは否めない。 一年前には鳥をも落とす勢いだったが。そして落選、政治の世界は一寸先は闇 とは、よく言ったものである。鈴木宗男も政治的に致命傷を負った。 直接、間接的にしても中川親子の死に大きく影響を与えたことになり、敵に 包囲されてしまった。中川が政治的な挫折をもたらしたのは身から出た錆。 あれこれみて政治家だけはなりたくはない。 * オリンピックの東京の落選 石原都知事も政治的には大ダメージになってしまった。権力を持つと人間は 変わるものである。時間の経過とともに慇懃になっていくが気になっていた。 やはり二期で辞めるべきだった。立候補をした時に、もし東京が落選をしたら 都知事として責任をとるといっていたようだが、ここに及んで辞めないと言葉を 翻したが、普段言っていることと違うじゃないかい、と言いたくなる。 それにしても、招致のお祭り騒ぎはいい加減にすべき。日本一国が150億円 の予算のかかるシステムは根本から変えるべきである。しかしブラジルの決定は 正しい。世界の良識が働いたようだ。昨年の中国は問題があったとしても 順番からいって正当だったし、次の英国も順番としてよい。今度の決定も、 一度も開催されたことのない南米の開催は一番真っ当。そうこうみると 次々回はインドか、エジプトあたりにか。いや先進国と新興国との交互と 考えると、1900年来行われてないパリ。 * 新潟国体も終わり、恐慌景色が再びか~! 7月半ばの新潟競馬から始った恒例の夏景気と、秋の五連休、そして ミニ神風の新潟国体も終わって、来週から再び大不況の冷たい風に曝される。 (週末は身障者の大会がある)予約状況からみると5月の連休明けの異常事態。 一応は来年の二月決算の目途は立ったが、それでも日本全体の景気が上向かない と、どうもこうもしようがない。やはり中小・零細企業の三年間返済ストップは 必要のようだ。そうもしないと、パニックは必定である。
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2015年10月06日(火)
〜『世界の哲学・思想』小須賀健著より * もっともっと本を読んでおけば良かった 学生時代の卒業まじかに、「もっと読書量をこなしておくべきだった!」と 気づいたが、時が既に遅し、ノイローゼ気味になり留年さえ考えた。しかし、 まず一度社会に出てから考えることにし、その代わり、一日2〜3時間の読書を 自分に課すると決心、それが現在まで40数年続いている。それが学生時代の 一番の収穫だった。 今から振返って、学生時代の砂場には数知れない経験が 詰まっていた。 〜哲学入門的な本の冒頭に以下の内容があった〜 ≪ なぜ私たちは、一人前の大人になってから「もう少しまじめに学校の勉強 をやっておけばよかった…」と反省したりするのでしょうか。 じっさいに 学校にいたときには、「こんな勉強がなんの役に立つのかさっぱりわからず、 まじめにやる気になどなれなかった」という人が(私も含め)ほとんどでしょう。 では、大人になってから、もう少しまじめにやっておけばと反省するのは、 社会に出て勉強の必要性が身にしみてわかったからなのでしょうか。 どうもそのようには思えません。どんな職業であれ、「自分の仕事に学校の 勉強が役立った」と確信した、などという話はあまり聞いたことがありません。 義務教育で学ぶ勉強が実社会で役に立つはずだ、という思いこみがまったく 幻想であることは、みんな分かっています。社会で要求されるのは、効率よく 仕事をこなすこと、あるいは無駄なく目の前の課題を片づけていくこと。 こうした日々を送っていると、逆に学校時代における学習という行為が、 そのような効率や目的から自由であったことが理解できるはずです。 古代ギリシアの人々は、人口の二倍にもおよぶ奴隷に基本的な生産労働を 行なわせることで、少なからぬ時間的余裕を謳歌していました。 ただ、彼らはこの余暇の時間を、漫然と過ごしていたわけではありません。 こうした時間を使って、自分を磨く、あるいは教養を高めるといった活動に 励んでいたのです。この「余暇」をギリシア語で「スコレー」といいますが、 この語が英語のスクールの語源であることはなかなか示唆的です。 おそらく、もともと学ぶという行為は、生産性とか利便性といった功利目的 からは隔絶されたものだったのです。今私たちが、学校時代を振りかえって ちゃんとやっておけばよかったのにと後悔を覚えるとき、そこでイメージされて いる勉強もおそらくそのようなもの、つまり功利性とは無縁に過ごせた時間 への郷愁なのではないでしょうか。 しかし、じつさいの学校における教育はどうでしょう。学校は、社会とは 区別される領域でありながらも、社会への通路でもあるために、社会一般の 価値観がその中に侵入してしまいます。そのため勉強するのはいい大学に入る ため、あるいは楽な人生を送るためといった功利的な発想がすでに蔓延して います。私たちが外から夢想するほど、学校での勉強はうらやましいものでは ありません。たぶん学生のころにもっとちゃんとしていればよかったと振り かえって後悔する人は、仮に今それが可能になったとしても、同じことを 繰りかえして漫然とときを過ごすだけでしょう。そのときにできなかった人は 今もできないままなのです。それなら振りかえるのはやめて、今からしたい ように勉強すればいいのです。逆に後悔しても、そのときは勉強できるような 余裕も環境ももてなかったという人もおられるでしょう。そういった人たちも 含めて、何かの役に立つとか、なにかのためにやるとかといった一切の功利性 から離れて、学問(ここでは哲学に限定ざれますが)と向きあってみたいと 思われる方に、すこしでも参考になればと思って書いたのが、この本です。≫ ▼ リタイア後から、私レベルだが、読書の質が少しだがアップした感がする。 学生時代に読んだ本で、社会に出てから自分を支えてくれたのは、効率とか、 創造工学とかいう内容のものより、何かに迷い、吹っ切るために、孫子や、 諸子百家、聖書、仏教書、漱石、鴎外、川端全集などが、面白く没頭して 読んだ本だった。 確かに、ドラッガーの『集中、得手に帆を張れ、内部より 市場に焦点を!』などの知識も、役にたったが・・ で、このザマ。 何にも社会経験のない純真なまっさらな時節に、何も捉われることなく 読んだ本こそ、独り彷徨う中で、強い指標になっていた。「逆境に根を、 順境に枝を張れ」というが、その栄養分の元は実体験と培った知識である。 人生の晩秋に枝の葉は枯れても、枝として残る。この年齢で、たわわな 葉っぱを求め、枝を張ることしか知らない人を無知の人という。 要するに、あのケモノの臭いの強い『世間人』。 ・・・・・・ 2050年の世界 ー15 2014年10月06日(月) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか ーのまとめ ・世界的な高齢化によって、年金と健康医療費の増大は、国家財政にとって 大きな負担になる。 ・社会保障費の増大は、防衛費や教育費など国家にとって欠くべからざる 分野の予算を圧迫してきている。 ・先進国のみならず、新興国もインドを除いては、社会保障費の増大に ともなう国家財政の悪化の懸念がある。 ・しかし、そうした国家財政の悪化は、改革によって防ぐことができるもの。 ・年金については、雇用期間の延長、あるいは、富裕層には選択的に 支払わないなどの措置がすでにとられつつある。 ・健康医療費については、オランダのように、貧困層や弱者には、政府が 援助をし、そうではない部分で、民間の医療保険に市場を開放するなど して、費用削減の効果をすでにあげている。 ・ベビーブーム世代の年金の受取額は一人ひとりは大幅に減ることになる。 しかし、それで、一回きりの費用増大のショックをやわらげることが可能。 ・開発途上国では、将来の高齢化を見こして余裕のあるうちに、年金の賦課 方式から積立方式への転換が比較的容易に行なわれるだろうし、そうした 措置をした国家は、将来に備えることができる。 ・政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つ、戦略的な財政備蓄の 確保の必要性がある。未来の国庫は、例えば気候変動に伴う極端な気象現象 による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。 ▼ この問題が、日本の将来の最大のネックになる。富裕層と、有能な若者は、 日本を見限り移住するだろう。問題は、少子化と高齢化である。そして、 一部の富裕層が富を独占する歪な社会が、世の中を不安定化する。40年でなく、 あと10年もしないうちに、国家財政の破綻と、非常事態宣言が行われる ことになる。それが、数年先かも知れないのである。 ・・・・・・ 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力 2012年10月06日(土) * ライオンの魂 「異郷日記」西江雅之著 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく 惹きつけられるものばかり。アフリカでは、今でも魔術が信じられている ところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つー ≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで 生活をしていた頃のこと。村人の話によると、雄のライオンのなかには、 死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の 姿勢を保っている状態では、ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に 吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。 ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間に ライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは弾丸並みであった。 そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。 まことしやかに話すというのではない。本気で語っているのである。 東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。 それを家に置いておいたり、携帯していたりすれば、戦争に行っても 弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・ などなど、如何なる災害からも身を護ってくれると信じられている。 ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。 直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それは どうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで結石のようになった もののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって 近所の人にそのことを話したら、なんということか、その後の何日か、 わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを 手に入れた途端に、それまでは一度もなかった害の恐しさを経験する ことになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める 人心を惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫ ▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、 購入して所有したことがあったが、何故か不幸が続いて気持ちが悪くなり、 売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に 残っている。私の高校の知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を 撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。 それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、 信じないかだけである。現在、「神は妄想である」という遺伝学者の本を 読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、 信じる者は救われるか! 逆か? ・・・・・・ 3846,‘よい写真を撮る’コツは ? 2011年10月06日(木) 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。 それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。私もスナップ写真を中心 に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになった のが、デジカメで写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで 済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、 自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。写すというより、 その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」 と、指示された目線で撮るとよい。その為には対象の景色に、まず感動し、 その感動をカメラに収める気持ちが必要である。また小さな花をアップにし、 その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場 の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から 構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。 だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると比較的良いのが撮れる。 それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の 女性などの撮影現場をTVでみたが、徹底的に相手をリラックスさせ、 その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること 自体を忘れさせてしまう。動物も人間も見られると緊張する生き物。 電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。 人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、 撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。今まで、デジカメは 少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、 構えて良い写真を撮ろうと、構図の選択に構えが出てしまうからである。 対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想。 その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。 何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。 ・・・・・・・・ 3481, ライフログのすすめ 2010年10月06日(水) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー 人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、 そして普段は気にかけない自分の位置情報や生体情報まで、人生の「すべて」 をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。 仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャル な分身に人生を語らせることも可能だ。いいことずくめの「ライフログ」の 時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター 科学の重鎮が、その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。 (ビル・ゲイツ) ▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席 研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている70歳を超たゴードン・ ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として 利用することの可能性や実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの 容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」をほぼ 保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。10年近く 前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、書きっぱなしだった読書感や、 毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ 休むことなく続けてきた。ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要る。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。 五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで生きようと考え 実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。 まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば私にとって黄金の習慣になる、 と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」 と思い知った。10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、 ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも深さも 違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも 事実である。 「ライフログ化」というコンセプトのブログや商品も出てくる はず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 私も10年のキャリアがあるから、経験を生かせる筈だが。 面倒か!夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日 デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、それもライフログの一つになる。 高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を 木目細かく書き続けてきたという。 ・・・・・・・ 3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4 2009年10月06日(火) 昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、 以下は、それをメールで教えたくれた林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、自民党から 民主党に変わると、政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。 * 堀井 様 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、 テレビにもよく出てくる山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足 を債務者に」と題して書いていました。ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え 置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」と手のひらを 返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられて いた10月3日の読者の声欄の投稿です(これは立派な投稿でした)。 あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは「日銀統計によると全国145銀行 の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。 実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの 点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」としていた点です。 「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」 でした。(これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も 確かめずに書くのか、につながってきます。)この「記者の視点」はこちらの 指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。 このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁。 先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」と言ってくること、 「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところ。) そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に 対しての私の一番の批判点です(朝日新聞お前もか、というところ)。 それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえ なってきます。最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の 「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に 入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に 電話する気になったのですが…)。 ではまた ー林 * To: 林様 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。 早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。これは、マスコミの マイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が 早いですね。と同時に、やはり良識が残っているということで、林さんの 電話が大きく影響したようです。今日も、フジTV系が扱っていた以外は、 何かいずこも避けていたようです。ますます面白くなってきましたね。 再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと 思っています。手前味噌になったら、ご勘弁を! 堀井 ―― 朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。 「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」と常日頃 から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、 少しタイミングが遅い?「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で !目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目?
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2015年10月05日(月)
【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】 〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著 新潮45・2015年3月号 * 上位1%や上位10%への富の集中 中流社会の、三分の二のサラリーマン対、残り下位の構図が崩れた現在、 この本では、“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。 ネット社会の到来が、世界をグローバル化を促進させ、一部だけが勝ち組に、 残りは負け組の社会になっていく。この著書で、ピケティは、その点を クローズアップして我々に問題提示をしている。 〜ここで筆者は 「過去の不平等は戦争や革命により暴力的に解消された、しかし著者の 目論見は、この失敗のスリリングな回避にある」とある。さらに・・ ≪ 格差社会という言葉はすっかり日常に定着した感がある。“1億総中流” と言われたのも今は昔、最近では社会の二極化が懸念されるようになった。 日本だけではない。不平等の拡大は世界的な傾向である。特に顕著なのが アメリカ。 “1%vs99%”とも言われるように、人口の1%の富裕層の富が 増加する一方で、大多数の国民の所得は伸びていない。最近では上位1% どころか0.1%、或いは0.01%の超富裕層の富が急激に増加している事実が 明らかになっている。なぜこれほどの富の集中が起きるのか。 この問題を考える上で目下大変な注目を集めているのが、 ピケティ氏の『21世紀の資本』である。・・(略) 本の内容は至極真っ当だ。不平等のデータを過去200年以上に亘って 収集・整理した上で自説を展開するピケティ氏の理論は、類書には無いわかり やすさと説得力がある。日本の格差論争はこれまで、非正規やワーキングプア の増加が問題視されてきた。非正規の割合はこの20年で増え続け、現在では 労働人口の35%を超えている。年収が200万円を超えないワーキングプア (働く貧困層)も、若年層を中心に増加の一途を辿っている。 平均的なサラリーマン(中位層)とそこに入れない貧困層(下位層)の格差が、 従来の格差論争であった。 それに対して『21世紀の資本』が扱うのは、 「上位1%や上位10%の富裕層への富の集中がなぜ生じるのか」という問題。 これまでの格差論争が“65%vs35%”の格差を問題にしてきたとすれば、 こちらは“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。 この本がアメリカでベストセラーになった理由もここにある。 ・・ ≫ ▼ アマゾンのビュアーの『21世紀の資本』を要約によると 《本書の主たる主張はごく簡単に言い表すことができ、何度も繰り返されている。 - 人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率は成長率を上回っている。 (つまりr>g)であると、富は賃金所得や産出を上回って成長し、持てるもの と持たざるものの格差はどんどん拡大。事実、20世紀以前には一握りの金持ち と大多数の生活に困窮する庶民で社会が構成されていた。 - 20世紀後半に比較的格差が縮小し、そこそこ裕福な中間層が出現して穏健な 市民社会が実現したのは、2度の世界大戦による富のリセット、インフレ、 各国の格差縮小的な税政策、歴史的に見て例外的な高度成長の継続、などの 要因が重なったためであったが、今や成長の時代は終わりを告げ再び格差拡大 の時代に戻ろうとしている。 - 格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎と した累進資本税の導入が最適な解決策である。》と、要約を、まとめている。 ・・・・・・ 2050年の世界 ー14 2014年10月05日(日) 2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十一章 新興市場の時代 ーのまとめ、 ・四十年前、新興国市場は存在していなかった。鄧小平はまだ追放の身。 インドの首相インディラ・ガンジーは、銀行を国有化し、大企業を押さえ 込み、社会主義に転向。チリは社会主義政権で、アジェンデ大統領は コンピューターで計画経済ができると信じていた。先進国にとって開発 途上国という言葉は、政府の腐敗を意味しており、途上国にとって 投資は、海外資本による纂奪を意味していた。 ・それが変わったのは、開発途上国が資本主義と和解し、その技術、資本、 インフラをとりいれ、世界の資本市場で、安い労働力をつかって製造工場の 役割を果たすようになったからだ。 ・ゴールドマン・サックスが、BRICsという言葉を使って新興国市場の成長に 世界の目を向けさせたのは二〇〇三年のことだが、実際はその予測を二倍 くらい上回る規模にブラジル、ロシア、中国は成長した。 ・これは・経済成長が指数関数的に、すなわち規模が増えた分を利用して さらに増えるからで、現在の先進国のうち、二〇五〇年までに、経済の世界 規模で上位七力国に残るのはアメリカのみ。あとは、中国、インド、 ブラジル、マレーシア、インドネシア、メキシコにも抜かれると予想される。 ・ある国の工業化の時期が遅れれば遅れるほど、その速度は速くなる。 しかし、その速度は、他の要因にも左右される。そのなかでもっとも大きな ファクターは、教育である。生産性を向上させるさまざまな手法や技能は、 教育程度の高い労働人口を持つ国で速く広まる。 ・フィリピン、エジプト、メキシコ、インドネシア、バングラデシュ、 パキスタン、ナイジェリアなどの新興国で、教育年数が二〇五〇年までに 著しく延びて、生産性の高い労働力をその国に生み出し、経済成長を あと押しするだろう。 ・中国は二〇二五年を境に急速に高齢化が進み、人々はそれまでに海外にため 込んだ海外純資産をとりくずし始める。そして中国は労働力不足におちいる。 ・今中国は、六五歳以上の人ひとりに対して、就労可能年齢の労働者(つまり、 二○歳から六四歳までの人)が七・九人いる。二〇五〇年には、わずか 二・二人。日本は現在の時点で、退職者ひとりを労働者二・六人が支える。 ▼ 現在の日本が、このまま衰退していくとは思えないが、極東の陸の孤島 の日本が、その地政学的な有利さの中で、教育に熱心だったことも含めて、 世界第二位の経済立国に上り詰めた。しかし、これまで。これからはネットが 世界を覆う時代である。インドの貧民窟街の少女にも、ネット上では大きく チャンスがある。そういうハンデを背負った人たちと競っても、太刀打ち するには、余程のことがないと難しい。 ・・・・・・ 4210, 異郷日記 ーサンジバル 2012年10月05日(金) 「異郷日記」西江雅之著 * サンジバルの逸話 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い 続けないと人生の自殺者になってしまう。硬い殻に閉じこもり、しがみつく しかない人生こそ避けなければならない。ーその辺を抜粋してみるー ≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど 離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、多くの村が 散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物の すべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは史実虚構が入り交じる物語に 埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、 アラビア数字が消えかけている大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、 緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、 奴隷、征服者、イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの 声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、 高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた 歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、道行く人の 内部にすべり込んでくる。 (・・・中略) わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。 ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻った ばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。「アッ・サラーム・アライクム (汝の身に安らぎあれ)」。若者は老人に言った。「アッ・サラーム.アライクム」。 老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? お前のおじいさんは、海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。 それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」 若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。 あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ恐ろしがらずに 平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしは ザンジバルで、何人もの知人にスワヒリ語で何度も同じ話をした。 「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が 恐ろしいことなんだ」と、わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。 そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫ ▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、 節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。何処の道理も同じ。 著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、 すべて異郷と感じている。」と述べている。そうでなくては、流れ者のように 世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の 外側を、異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の 誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。それ以外は職場は 新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。と同時に、しがみつき、 安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている 感がする。それでも、まだまだ楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、 それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。 ・・・・・・・ 3845, 地獄への道は善意で舗装されている 2011年10月05日(水) 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、 「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。 『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が 印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだことを記憶している。 特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、 それを知らない人が多い。善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。 しかし一つ歯車が狂うと、「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。 営業を生業とするものは善意をノウハウとする。それが相手にとってのニーズ であり、対象の懐に入る手段。善意、好意を示され喜ばない人間はいない。 この格言は昔から言われいる基本である。 ーウィキペディアによるとー ≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた当時 までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」 (地獄への道は善意で舗装されている について)ーユリウス・カエサル *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」 (地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、 「地獄への道は善意で、天国の道は階級闘争と俺の濃い髭で舗装されている」 などと語ったと言う。 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。 その結果、十字軍や宗教戦争、魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい 地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、 「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。 つまり、 犯罪と知らずに窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意に なるのである。法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた 全ての惨劇や、人間同士の軋轢は、全ては善意が引き金になっていると 言っても過言ではない。しかし、ウィキペディアでもコミュニティの 円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとることが推奨されているように、 人間同士の意思疎通や、社会の構築とその円滑な運営には「善意」が 必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶してきたことは 言うまでも無い。哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、 地獄への道である善意をよすがとしなければ生きていけない人間、 保てない社会を悲しみ、「救いはないね!救いはないんですか?」 と絶叫したことは、あまりにも有名である。 ≫ ▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、 恨まない範囲で示すと割り切ることだ。善意も捨石として、直接の見返りを 求めないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないから福が来る。 ・・・・・・・ 3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー13 2010年10月05日(火) * 旅行代理店の選定は?
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| 5316,閑話小題 〜本を読まないのはケダモノと同じ |
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2015年10月04日(日)
藤原正彦・レポート〜「読書と教養」が国民の大局観を育てる〜 * 読書と教養が大局観を育てる 読書をしない人は、直ぐに分かる。これだけは、隠しようがない。 今でも遅くない、学歴、血筋とは関係なく本だけは読まないと! ここで、その読書と教養の必要性を、鋭く簡潔にまとめている。 ≪ 教養を、積極的に身につけていくにはどうすればいいか。 もちろん、実体験を重ねることは非常に大切です。様々な人間と会い、 話をして、恋をしたり、裏切られたり、騙されたり、喧嘩をしたり、悲しい 別れにあったり、そういった体験すべてが教養になる。それが、後々の選択や 判断にあたって効いてくる。ただ、やはり実体験で得られるものは限られます。 1人の人が一生の間に関わることができる人間の数は限界があります。 ましてや、深く意思疎通をすることができるのは、その中でも一握りだけ。 そうすると、実体験による教養というのは、非常に重要だけれども、 限られたものにならざるを得ない。 その点、読書を通してなら、古今東西の賢人の言葉に耳を傾ることができます。 あるいは、庶民の哀歓に涙すること、もできる。金持ちの驕り、貧しい人々の 苦しみに触れることもできる。美しいものに感動することもできる。 ありとあらゆる経験をなぞることができるのです。しかも、本には、誰かが 考えた「思考の形」が、まるごと詰まっています。普通の人がふだん喋る話は、 たいてい筋も順序もめちゃくちゃです。でも、本は、どんな本であれ、著者が 読者を説得するために必死になって書いていて、ちゃんと構造というものを 持っている。それを読むと、なるほどへ脳ミソの回転、論理の展開、とは、 こういうふうにするのだということを会得できる。物事をきちんと体系化する 能力、構造を分析する能力が身につくのです。 ・・(略) うちの女房の祖父は、今の愛知教育大学の前身の岡崎師範の教頭や時習館 高校の校長をつとめた教育者ですが、彼はいつもこう言っていたそうです。 「1日1ぺージでもいいから、必ず本を読んで寝なさい。1ページも読まないで 寝るのは、けだものと同じだ。けだものと人間との違いは、1ページでも いいから、本を読むことだ」と。 だから彼の子どもたちは、寝る前に2〜3へージでも本を読んで、寝ていた そうです。この教育の効果は絶大で、そうやって育った子どもたちは、皆、 一角の人物になっています。'本を読まない人間というのは、けだものと同じ。 だからこそ、これからの子どもたちにどうやって本を読ませるようにするか、 真剣に考えなければなりません。 例えば、齋藤孝氏の言うように、小中学校の通信簿の国語に、「読書」 という欄をつけ加えるのもいいでしょう。そうすれは、多くの親が率先 して本を読ませるようになる。子どもの頃に本の面白さに触れれば、 本が好きになる。独創的で素晴らしいアイデアです。 私が考えるのは、東大の入試で読書を課すという方法です。 例えば定員の1・2倍までは学力一本で判断し、そのあと、定員の1倍まで しぼる過程では、読書を中心に面接する。入試の3年以上前に課題図書を 100冊くらい挙げて、それについていろいろ聞くのです。そうすれば きっと、学生は目の色を変えて読むようになるでしょう。東大がやれば、 ほかの国立大学や私立大学も真似をする。そうすると、子どもの時から本 を読むようになるし、読む習悩さえつけば、面白さが段々とわかってくる。 もちろん、「朝の読書」運動が成功したように、他にも方法はいろいろ あると思います。若い頃に読んだ本というのは、とりわけ感激するものです。 そうした読書体験が失われることのないように、今こそ大局観をもって この国の出版文化を守っていかなければなりません。≫ ▼ 読書の積み重ねのないのは、年を重ねると表立ってくる。 特に 青年期に読書習慣を身に着けておかないと。しかし、実際は10歳。 とすると、受験に追われ、大学から本気になって読書を始めた私は20年近く 遅かったことになる。その弊害が、今でも続いている。子供の頃から、母親が 常日頃から読書の必要性を説いていたが、その割りに読書をしてこなかった のは私の素養の低さである。しかし、現在でも、吸い取り紙のように、知識が 入ってくるのは、長年の読書習慣の効果もある。いや、知的余白が有余って いるためか。これは余白という言葉自体が間違っている! 空即是色である。 ・・・・・・ 2050年の世界 ー13 2014年10月04日(土) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) * 第十二章 グローバリゼーションとアジアの世紀 ーのまとめ ・『エコノミスト』誌グループのシンクタンクであるエコノミスト・インテリ ジェンス。ユニットは、今後の世界経済をおおまかにいって三つのシナリオ に分けており、そのうちのひとつ、コントロールされたグローバリゼーション の状態で進むと考えている。リーマンショックや欧州危機などによって、 市場主義に対する警戒から政府は一定の規制をグローバル化に対して課して くるが、市場は開かれている状態だ。 ・"後戻りするグローバリゼーション"というシナリオでは、不穏な空気の 中で保護主義の気運が高まると見ている。先進世界の大半で、経済の弱体化と 高失業率が不安を生み、保護主義をあおる。これにより、"コントロールされた グローバリゼーション"という基本予想と比べると、2010年から2030年の世界 の年間成長率は数パーセント削られ、この期間全体では世界の生産高が大きく 落ち込むことになる。 ・シナリオの三つ目、"凋落したグローバリゼーション"は、1914年から1945年 の縮小の時代に似ている(グローバリゼーションに背を向ける)。もしこれが ふたたび起こると、成長に悲惨な結果をもたらすだろう。世界の成長率は年率 約1%にまで低下し、ひいては世界全体のひとりあたりの所得も減少する。 最も大きな打撃を被るのは新興市場、なかでも最貧国だろう。 ・一番蓋然性の高い最初のシナリオで考えると、最も重要な地位を世界経済で 占めでくるのはアジアの経済で、2050年には、半分がアジア経済となる。 ・しかし、その中で日本は相対的に、急速にプレゼンスを失っていく。 2010年には、世界経済の5・8パーセントを占めていた日本のGDPは、2030年には、 3・4パーセントになり、2050年には、1・9パーセントになる。経済成長の スピードも西ヨーロッパを下回り、今後40年を通して、1・1〜1・2パーセント で推移する。その結果、2010年には、アメリカの七割あった日本のGDPは、 2050年には相対的に58・3パーセントまで低下する。 ・今後40年間にひとりあたり実質GDPが最も大きく成長するのはアジアの 発展途上国(4・7パーセント)で、サハラ以南のアフリカ諸国(4・4パーセント)、 中東と北アフリカ(3・9パーセント)がこれに続く。ラテンアメリカ(3・3パー)と 東ヨーロッパ(3・2パーセント)は、新興市場地域の中で最も速く成長する国々 に後れをとる。 ▼ 「アジアの人口は現在6割を占めているので、平均に近づくだけ」 ということができる。それにしても、日本の見通しは悪い。2010年には、 世界経済の5・8パーセントの日本のGDPは、2030年、3・4パーセント、2050年 には、1・9パーセントというから、惨憺たるもの。若者が将来に夢がもてない のも理解できる。今までが良すぎたと割り切れない問題である。アジア開発銀行 のアジア経済を展望する報告では、中国やインドが順調に成長を続けた場合、 GDPに占めるアジアの割合は現在の27%から52%へ。中国は20%、インドは 16%。日本は現在の約9%から3%程度に低下するが、アジアの需要を取り込み、 1人あたりGDPは3万ドルから8万ドルに増えると予測している。それも これも、あくまで予測。3万ドルの半分と思ってしまうのは、悲観的すぎるか! ・・・・・・ 4209, アラン 幸福論 2012年10月04日(木) 『アラン 幸福論』 合田正人著 アランといえば幸福論で、まず思いつく人。幸福論と言えば、スイスの ヒルティ、イギリスのラッセル、アランの幸福論など「世界三大幸福論」。 アランのそれは93の断章からなっていて、かみくだいた、「幸福小咄」 「幸福のコラム」といった軽いもの。とはいえ、ちゃん哲学に関するもの。 かれの幸福論は、観念論というより、あくまで日常生活に立脚して 幸福への指標を導き出した文学的にも優れたものとして読まれてきた。 アランは、「人は誰にでも幸福になれる」そして「人生の主役になれ」、 そのために「ダンスのように人と付き合え」、 最後に「幸福になることは義務である」と断言している。 ーここで紹介されている断章の一部よりー 〔 解)は、私の主観 〕 ・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。 という言葉のとおり、「哲学は、生についての省察である」という立場から、 幸福は誰かに与えられるものではなく、「自らの意志と行動によって つくりだすもの」であると説いた。 ・不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていれば いいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。」 解)王子のようにただ待っているだけの人が何と多いことか。 待つだけでなく、不平不満を言い、人のせいにする大多数のように。 ・自分で自分を不幸にし、その不幸を伝染、増大させていく人々こそが 本物の不幸をもっと不幸にしていく」 解)正反対もいえる。 ・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。 解)だから人生は意思の格闘技である。 ・快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから 快楽を抑制することができる。 解)金持ち、喧嘩せず。 ・喜びは行動とともにやってくる。 解)行動の行は決心、判断の意味がある。 自分の勘を信じて行動をし続けよ、ということ。 ・幸福は自分の手作りである。解)時間をかけ、ライフワークを続けることか。 ・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。 解)自嘲も笑いか? ・未来に幸福が見えているなら、すでに幸福である。 解)おもしろそう!楽しそう!と思うことから何事も始まる。 ・悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。 解)意志が濁ると意地になる。楽観6の悲観4の割合が丁度よい? ▼ アレンではないが、「幸福になる五ヶ条」が目前のパソコンに貼ってある。 「一、今日一日、親切にしようと思う」 「一、今日一日、明るく朗らかにいようと思う」 「一、今日一日、謙虚にしようと思う」 「一、今日一日、素直になろうと思う」 「一、今日一日、感謝をしよと思う」である。 これがいざ実行となると難しい。 ・・・・・・ 3844, 正常性バイアスと同調バイアス 2011年10月04日(火) 日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」 が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。 その内容は、 ≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、 何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。 ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまった ケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると 【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを 心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。当然、日常性を保護する ために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて 収まるだろう」とか「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震 などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、 緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、 そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で被害が甚大化している。】 とある。また同調バイアスは、 【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】 ▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにする。 そこで気づいたことは、この千年に一度の大地震と津波を察知して直ぐに 逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。この大津波から連想される のが、リーマンショック。これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的 大津波=大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。 その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。 日本の大多数の中小企業 と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波 (ハイパーインフレ)が目先に来ているのが現実とし受けとめることが出来ない。 何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。 その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動 に唖然とすることしばしば。「御前のところは低地だが、自分のところは上 (業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった 大津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」という単純な 視線が冴えてくる。 色いろなシェルターや近くに裏山があるから、大丈夫の ようだが・・人は人の智慧がある? 轟音をたてて、そこに来ている事実を、 「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、動物的直感を狂わす。 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 株式の暴落も始まっている。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 この費用は増税で賄うしかない。 その各家庭の預金は、回りまわって、 アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 ギリシャ国民の、あの鈍感さは察知しても、自国になると! 偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。 韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、 隣はカルト国家がある。 ・・・・・・・・ 3479, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! −2 2010年10月04日(月) 昨日の「韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートの続きである。 日本も「失われた20年」と言われているが、その間に韓国では「国家財政破綻」 の中で 国家リストラが断行されていた。日本も小泉・竹中コンビが金融再編成 で大鉈を振るい、また自民党を破壊。しかし政権与党の民主党には政策理念が 見えてこない。 ―まずは、昨日の続きの要点であるー ・IMFの改革を通してそれまでの古い柵が消え、経済が自由化されアメリカ ナイズされたことで、韓国は大きく変わった。それまであった終身雇用が崩壊し、 年齢よりも能力が重視されるようになリ、社長でも経営がうまくいかないと 株主にクビにされる。現在、韓国では四十五歳定年が定着しているが、これも 経済破綻が起点となっている。ベンチャーも盛んになり、三十代、四十代の社長 が数多く出てきている。 国全体が破壊から再生に立ち上がろうとしている。 ・国が経済破綻すると、庶民の資産はどうなるのだろうか。 破綻と同時に 起きたのが、金利の急上昇。破綻前は13%だった住宅ローン金利が、いきなり 二倍以上の27パーセントまで上がった。このため、マイホーム購入の契約が 次々と破棄され、新築社宅の売れ行きが急激に落ち、同時に価格も下がった。 すでにローンを組んでマイホームを購入していた人は、支払い額が急激に増えた。 当時、韓国ではほとんどの人が住宅ローンを変動金利で借りていたので、 金利が二倍になった途端に払えなくなり、延滞者も急増。この延滞利息が、 なんと六〇%。とても払えず家を手放し、親元などに身を寄せる人が激増した。 ・株価は四分の一。預金金利が暴騰し31パーセントになった。 ちなみに物価は経済破綻をしても、それほど上がらなかった。 ▼ 以上だが、日本の失われた20年も異常だったが、国家破綻の韓国の惨状 には驚きである。現在はアメリカナイズされた国に変身しているが、その間、 日本は長期不況でただ、立ちすくんでいるだけ。 今後10年、韓国に近い惨状 は覚悟すべきである。日本の地方は既に恐慌の様相を示している。 残る関東と東海地区も、リーマンショックで、それぞれ原爆が落とされた状態。 今のところエコ・ポイント制度などのカンフル剤で持たせているが、これも 今年の暮あたりで終了。既に暗雲が漂い始めてきた。 金利が暴騰したら 日本経済は即死になる。とはいえ、ハイパーインフレとは、そういうもの。 ・・・・・・・・ 3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3 2009年10月04日(日) 昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と 「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。亀井節で、この評論家を 根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。 都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、 あまりに酷い。亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、されて当然。 何を言っても議論にならないレベル。最後は、「この程度のしか コメンテーターはいないのか、この局は」と適切な御言葉で切り捨てていた。 まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 生の現実に接してないからである。参考のために、そのコメンテーターは、 岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター) 高橋進(日本総合研究所 副理事長) 森本敏(海外事情研究所所長)。 (字数制限のためカット10年10月4日) ・・・・・・・・ 2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか? 2008年10月04日(土) 「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1 竹森 俊平 (著) この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って 読んだが、成るほど面白い!世界恐慌の様相を示してきている米国発の 金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。 ーまずは、その部分からー なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。 その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を 維持するために、経済システムの「自動制御装置」が働いた結果であった。 高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や政府が、 さまざまな手段を動員して高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、 結果としてバブルが生まれた。あまりにも単純なルールに従って動く「 自動制御装置」は、システムの安定をもたらさないこともある。特定の要因 だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、かえって システムの安定が乱される可能性があるからだ。今回のサブプライム危機も、 「自動制御装置」が「高い経済成長率」という一つの要因にあまりに重点を 置いてきた結果といえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、 今後は「自動制御装置」も根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生 に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。 その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済 の成長率は低下する。これが結論。 −−−− 解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。 (字数制限のためカット09年10月4日)
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