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堀井On-Line
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2015年09月23日(水)
『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』 * 穏やかでなかった地球環境 わずか20年前まで、地球は比較的穏やかな、生物が進化するに都合のよい 環境と考えられていた。三度も、地表が凍りついた氷の惑星だった時期がある など想像すらされてなかった。ところが赤道域で、氷河の痕跡が発見された ことで、全球凍結説が出てきた。これで生命が全滅する可能性があったが、 これを乗越えるべく、真核細胞が生まれ出てきた。危機が、革命的進化を 生み出したのである。 ーその辺りからー (『新潮45』、280‐281頁) ≪ ・たけし:そもそも、なぜ全球凍結したかは分かっていないんですか。 ・田近:考え方としては温室効果が急になくなったからと推察できます。 原因としては、火山活動が弱くなったからではないかと私は考えています。 火山から排出される二酸化炭素が少なくなると、(二酸化炭素は温室効果ガス であるので)温室効果が弱まります。その結果、気温が下がって、 地表を覆う氷河の面積が増えていくことになります。 ・たけし:寒くなって氷河が増えると、地球上の白い部分が増えて、ますます 太陽光線を反射していってしまう。 ・田近 そうです。それを惑星アルベド(太陽放射を反射する割合)といいます。 氷で覆われる面積が広がると、惑星アルベドが増加して寒くなり、さらに氷の 面積が増えて…と、正のフィードバックが起き、全球凍結に至ったと考えられる。 氷河堆積物を調べていくと、約二十二億年前と、約七億年前、約六億五千万年 前の三回、全球凍結が起きていた証拠が発見されています。 ・たけし では、少なくとも三回、地球は氷の星だった可能性があるわけですね。 ・田近:そうです。ただ、この説には、地球が全て凍りついてしまうと、全ての 生物が消滅してしまわないかという疑問が生じました。そうしたら、私たちも 存在しないことになってしまうので、そんなことはありえないというわけです。 研究者のイメージの中では、地球は金星や火星といった他の惑星とは違って、 今のような穏やかな環境がずっと維持されてきたと思われてきました。 ですから、海の水が全て蒸発してしまうとか、全て凍ってしまうとか、 そんな極端なことは地球では起こらなかったと信じられていました。 スノーボールアース仮説は、これまでの考えを覆す説だったので、 学界からの反発も大きかったんです。 ・たけし:地動説を唱えたガリレオみたいなものですね。 ・田近 私が学生の頃、そんな説はもちろんありませんでした。 地球は穏やかな環境が続いてきたのだと考えられていました。 それが何故なのかが、実は私の研究テーマだったんです。 ・たけし: まったく今とは逆の研究だったんですね。 ・田近: 気候が変動することは、誰もが知っています。しかし、それは 小さな変動だから、私たちは生きていけるわけです。しかし、大きな変動が 起こったら、生きていけないですよね。では、どうして地球上で大きな変動が 起こらないのか。「それを説明しなさい」と言われたら、誰も説明できない。 ですから、それを解き明かそうとしていました。 ・たけし:その穏やかな環境で、生命は進化してきたと考えられてたわけ。 ・田近:そうです。だからこそ、スノーボールアース仮説は、それまでの 考えを覆すような説でした。科学では、こうした考え方が大きく転換する ことが時々あります。八〇年代に、恐竜が絶滅したのは、地球と小惑星の 衝突が原因だと提唱されましたが、あれも当初、相当な反発がありました。 今でこそ定説ですが、当時はそんな天変地異で恐竜の絶滅を説明するのは、 とんでもないという意見が根強くありました。・・・≫ ▼ ネット上で、氷河時代の迷い石の写真の幾つかをみつけヤフーのブログに 掲載したが、その多くは二万年前の氷河期のもの。どれが20億年、7億年 前のものか、私には分からないが、自然の力のなせるわざ。現在の海の深さが 平均四千m弱と富士山と同じ位だが、当時と現在は違うとしても、その大部分 が凍り付いたという。しかしアイスランドのように、北極でも、火山で地熱が あって温泉が沸いている場所もある。また、海底でも地熱で細菌が生きていた 可能性があったから現在の我々が存在している。面白い惑星に生まれたもの。 この地球の旅で、多くの知識を得て、面白い経験をさせて貰った。 現世のことも大切だが、宇宙からの逆照射の視線も必要である。 ・・・・・・ 4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会 2014年09月23日(火) * 56年前の坂之上小学校の同期会 一昨日は昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。会場は長岡の奥座敷 といわる蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。 出席者が西澤先生をふくめ25名。 前回より数人少なかったが・・ 18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が開かれ、 22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。 その4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会 であった。南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ 帰ってきた人たちがいた。小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして良かった。私のクラスの 担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。 幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。 奥さんを10年前に亡くされ、独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人で こなしている。近くに近くの川崎小学校の校長をしている長男が、住んでいる ため、一人暮らしの心配は無いという。ガタがきている私たちとは、出来が 違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、今では同期会 にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。 ・・・・・・ 4573, 2050年の世界 ー7 2013年09月23日(月) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部(著) 10年前にスマートフォン、タブレットPCが、ここまで普及すると誰が 想像できただろうか。まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の 姿の予測など不可能である。せめて10年先の情報技術の成果の一端を見て みたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを 目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。 それより、それぞれ持っている脳機能にPCが連動するような機能も出てくる。 * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理 されるデーター量は指数関数的な割で 増えているので、経済、 社会ともに今後の変化を加速する。 ・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、 発見、知識の共有を拡大するものに重点が置かれていく。 ・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。 ・記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多 がわたしたちの時代のごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の 成長率の四倍、コンピェーターの演算能力は九倍の速さで増大している。 ・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセント の伸びで成長していたが、二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりが できるスカイプの登場で減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社 が各国の通信市場を独占していたが、技術革新によってその地位はより 相対化 されていく。 ・マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワーク コンピューター化するユビキタスネットワークを推進する。 ・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが 集められるようになり、社会、経済ともに変容する。たとえば、すべての 自動車がどの道路をどのように何時間かけて通ってきたかを捕捉できる ソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。 ・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。 ・アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、 それにかかる時間はどんどん短くなっている。電話は一八七六年に導入 されて大衆化するまでに三五年かかった。一九九一年のウェブの誕生から アメリカの人口の四分の一に普及するまでは、わずか七年を要しただけ。 ・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも 及ばない。二〇一〇年の時点の世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な 命令数で演算能力を計測すると、人間の脳がおよそ五分間に発生させる 神経インパルスの最大数ほどにしかならない。 ▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。 その魅力に惹かれて、毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。 これも情報技術の進化の現象の一つ。TVも、スマホと連動する情報端末 (スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの二極化は、 ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。 ・・・・・・ 4198, 閑話小題 ーとある話 2012年09月23日(日) * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえた話。 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 ある女性Aから・・・ A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も 預金があるというけど、どうなの?」 B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」 A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」 C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、 あれば、そっちに向けてるわよ!」 A:「Dさんはどう?」 少し考え込んでいた彼女 D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラー。 その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で 聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で 一世帯の預金高について書いたが、平均預金1150万を 鮮明に記憶している。 ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・ ≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値 (答えた世帯の中間の値)は前年500万より80万円少ない420万円。 ・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。 ー40世帯に一世帯になる。 ・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で 月額30万円の年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べ 「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら 0の人を加えたら、過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表 した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫ ▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を 育てあげ家のローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が中の上以上 クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、地方では上クラス。 推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。 日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどり の馬鹿そのもの。ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 (本人から聞いてみた)それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、 使い方が実に巧い。だから金の方から近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方 イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い? 何は使える時に使うもの! 森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。サバンナには味がある。 ・・・・ 3833, 閑話小題 2011年09月23日(金) * 病上手の、死に下手 「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、 それで良いのかどうか? 用が済んだら、さっさと消えるのも必要かも。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。 ネット辞書で、 【“よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で 言われてきた】病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、「病上手」のかわりに、 「生き上手の、死に下手」に置換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」 という意味と同時に、「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」 ということ。身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。 これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」 があった。なるほど!言いえて妙。逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って 考えてみると、その方が頷ける? 「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。 * パソコン・ゲーム iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになって フロントからみえる道路を疾走する。左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもする(大事故にならない設定) 終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ奇妙な 気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドル とアクセルとブレーキでコントロール。これも面白い。他にも幾つかフリーの ゲームを使っている。とにかく始めたら2時間3時間など直ぐに経つ。 ゲームに熱中している子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。 しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、まだ半歩しか足を踏み入れてないが、底知れぬ面白い 渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。 ・・・・・・・ 3468. 閑話小題 2010年09月23日(木) * 検察の特捜主任検事を逮捕 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。 ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。押収資料を改ざんしたと いうから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を 読んだことがある。彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を 強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通るという のが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、 国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた所業が多くあったとが窺える。 検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから 想像を絶する世界? 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは 夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。検察もたまった ものでない。情報化で国家権力を持った者でも、以前のように抑えることが 出来なくなってきたのである。手記からすると暴力装置を持った官僚、 それが検察、末端が警察。 * 尖閣漁船衝突問題について ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』 を読むと「目から鱗」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と 「私」しかない中国。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげ説明。 ▼ ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、 父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。 父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は 「孔子は公を無視している」という。 ▼ これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」 に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、日本人が 「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。 明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。 ▼ そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側 の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に従う とかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、 日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。 ▼ その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで 延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、中国側が 「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。 楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。 ▼ 容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、 あまり意味があるとは思えない。事件を通じ違いを知ったとすれば、その方 が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】 ― 以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、 結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。「第二次世界大戦で、日本が 中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。 中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。
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2015年09月22日(火)
『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』 * 赤道域から氷河の名残りが見つかった 二ヶ月前に、NHKスペシャルの再放送「全球凍結〜地球大進化46億年ー①」 の感想記を書いた。その詳細が、〜新潮45・2015年5月号〜で、ビートたけし と東大大学院の田近英一の対談『スノーボールアースについて』があった。 再放送の内容は後でコピーするが、これは、その続編のような内容。再放送では、 二度の全球凍結とあったが、実際は三度。この新説が出てから、まだ20年しか 経過してない。 人が地上に生まれてきたことを、地球への旅と譬えると、 地球誕生と、生命、人間の誕生、そして、この地球の全球凍結は、旅人として、 非常に興味を惹きつけられる。 先が見えてきた人生、振り返ると、面白い惑星 での旅路の真只中にいたことになる。 〜その辺りから (『新潮45』279頁) ≪:たけし:宇宙から見た地球は「青い星」というイメージがあるけれど、 ここ二十年ぐらいの研究でかつては「白い星」だったことが分かってきた。 地球全体が氷河で覆われた凍った星で、そんな地球を真っ白な雪玉にたとえて 「スノーボールアース」と言われているんですね。 :たけし: 先生はその分野についての権威ですが、氷河の名残りって意外に 身近なところにあるんですね。ニューヨークのセントラルパークに「迷子石」 というのがある。大きな岩の塊が一つだけポツンとあるので、迷子石と呼ばれて いるのだけど、あれは氷河によって削り取られた岩石が運搬された(氷河堆積物) だという。つまり、セントラルパークは大昔、氷河で覆われていた。 しかし、怪談みたいに、昔は石が勝手に移動してきたと言われていたとか(笑)。 :田近: 昔は多分、なんでそんなところに「迷子になった石」があるのか 分からなかった。地球の歴史を調べてみると氷河期というものがあって、 迷子石が氷河によって運ばれてきたことが明らかになりました。ニューヨークの 迷子石はわりと最近(約2万年前)のものです。ところが、古い時代の氷河堆積物が 当時の赤道域からも見つかるようになりました。これが大きな謎だったのです。 :たけし: 赤道域で氷河堆積物の証拠が見つかった時、カリフォルニア工科 大学のジョセフ・カーシュビンク博士が「そんなことあるはずがない」と、 誤りを証明しようとしたら、逆にその報告を立証する結果が出てしまったという。 :田近: その結果を説明するためには、赤道も氷河に覆われていて地球が全部 凍りついたと考えればいい。これがスノーボールアース(全球凍結)仮説で、 1992年に提唱されました。 :たけし: 間違ったところを検証しようとして、かえって新しい発見に つながっていくのは面白いですね。 :田近: それをどうしてなのかと考え続けたことが偉いのです。そこが境目。 赤道域に氷河堆積物があった事実から、全球凍結の仮説に持っていくのは、 実はかなりの勇気がいる話で、誰にでもできるわけではないと思います。 ≫ ▼ NHKの再放送を見るまでは、全球凍結の言葉さえ知らなかった。 人類は、地球自身も、宇宙も、人間そのものもほとんど分かっていなかった。 ビッグバン理論が、2003年に宇宙観測の結果、確定してから我々の宇宙が、 10の500乗の多宇宙の一つでしかない多宇宙説が出てきた。そして、そこから、 暗黒物質、暗黒エネルギーが、この宇宙にループ上の管を通って供給されて いる説が、有力になっている。地球では、このスノーボールアース説である。 ・・・・・・ 5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー① 2015年07月30日(木) ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜 《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や 全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で 始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化 してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》 * 二度の全球凍結 生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。 (二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、 「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから 生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。 何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、 生命は生延びてきた。 〜その辺りから〜 ≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を 集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた 状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。 不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。 古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、 新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。 そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成 による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。 しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱 になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、 生命は大型化を可能にした。≫ ▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の 大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。 動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。 生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を 選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い! ・・・・・・ 4939,「あなたの家の宝物は何ですか」 2014年09月22日(月) * 我家の宝物は私です! 〜『お金の正体』日下公人著より 「あなたの家の宝物は何ですか?」に、「わたしです!」の答えが良い。 何度も書いてきたが、多くの兄姉の末っ子として生まれ、両親、とりわけ 父親に孫のように扱われて、幼児の頃から、法事や外出時には、私を連れ歩く ことが多かった。また、母親も、忙しい商売の最中でも、時々だが寝しなに、 「世界で一番大好き」と抱きしめてくれていた。 その温もりが、人生の修羅場で、自分を大きな支えになっていた。 親に愛された温もりこそ、お宝になる。 ーその辺りからー ≪ 昔、伊藤忠商事の人事部長から、こんな話を聞いたことがあった。 若い女性を採用するとき面接をするが、あらかじめ渡した質問状に 「あなたの家の宝物は何ですか」というのを入れた。そうするとたいていは 「なんでも鑑定団」に出てくるようなものを答えるが、「子供」と書いた女性が いたという。「子供って何ですか? あなたの子供のはずはないでしょう」と 聞と、彼女は「そりゃあそうです、わたしのことです。わたしがわが家の宝です」 と答えた。父親が工場で働いているので、夜遅くまで残業して、疲れて帰って くるが、ときどきは酒を飲んで、酔っ払ってから寝る。 そのときはわたしの 頭をなでて、『わが家の宝は子供だよなあ』と言う。父さんがそう言ってた から、わたしは家が宝だと思っています、と答えた。 人事部長は感激して 採用したが、「はたせるかな、いい女性でした」と語っていた。つまり、かつて の日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、子供が 育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい何を するためのものですか、ということになってしまった。だがふたたび、お金の 背後にある人間の気持ちとか社会とかを考える時代がやってきたと思う。≫ ▼ やはり基本は夫婦仲の温もり。温かい人の根っこが、そこから生まれてくる。 その割には、温みが少ないのは何だろう?終戦直後に生まれて、ドサクサの 生活環境もあったのか? 20〜30人に一人の割合で、その温もりが、そのまま 出ている人がいる。それが品位と重なった時、内なる優しさが熟成される。 「あなたの(家の)お宝は何?」の質問そのものが、お宝。そして、「わたし」 こそが、お宝である。 その「わたし」とは、外界との触媒の中で、 「こころざし」「行蔵」「温もり」「知識」「品性」などから成り立っている。 ということは、子供に、一流の芸術作品、一流の人物、大自然の景観などに シャワーのように浴びさせるのが、親としての勤めになる。それ以前に、 まず自分に対しての勤め。それこそがお宝である。 とすると、やはり家系と、温もりが大事? ・・・・・・ 4572, ほめことば練習帳 2013年09月22日(日) * ほめることは、それだけで立派な行為! 「ほめことば練習帳」山下景子著 これは良い本である。テクニック書でなく、幸福への玉手箱と言っていい。 ーまずは、「はじめに」の冒頭部分からー 《「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源だといいます。 「秀」は「穂」と同じで、高く秀でているものや、目立つもの、優れたもの のこと。古くは、祝ったり、祝福したりするという意味で使われていた。 「ほめる」というと、どうしても、よい評価を与えることと思いがちですが、 そうではなかったのですね。素晴らしいことを共に喜び合うという方が、 本来の「ほめる」に近い。古代、日本人は、言霊を信じていました。 言葉には、魂がある。そして言葉に出すことで、事柄として表現する。 そういう思想もあって、素晴らしいと思ったことは、どんどん口に出して 伝えようとしたのでしょう。良いのものは、相手に良いと伝える。 優れたものに感動した時は、それを周囲に伝える。・・ 一方、ほめられるということは、嬉しいこと。これは、ご褒美にもなる。 特に上位者や権力者からのお言葉は、ありがたいご褒美となります。 そこから次第に、高い評価を与えるという意味に使われるようになる。 ここでは、祝福し、共感し合う、そんな「ほめ言葉」を原点に、さまざまな 言葉が収集されている。題名は、ほめことば練習帳だが、練習して上手になり ましょう、といったテクニック的内容でない。ほめ言葉という贈り物を、 6つの引き出しに分類して収集している。 それを6つステップとして 第1歩 感動を伝えるほめ言葉 第2歩 能力に敬意を表するほめ言葉 第3歩 潤滑油となるほめ言葉 第4歩 魅力を引き出すほめ言葉 第5歩 人生を応援するほめ言葉 第6歩 幸せになるほめ言葉 がある。》 ▼「感動を伝え、能力に敬意し、潤滑油にすれば、相手の魅力を引き出せて、 人生を応援し、幸せにする」のがほめ言葉。訓練のステップを踏めば、 ほめ言葉は、素晴らしい「贈り物」「褒美」になる。褒美とは、美しさを 褒めること。そのために褒め言葉の語彙を多く知って置かなければならない。 人生を振り返って、もっと、褒める訓練をしておけば良かったと深く後悔。 贈り物というより、チップとして気楽に与えれば良いことは分かっているが、 実践となると難しい。それにしては、営業関係者のそれは、まずは枕言葉 として自然と出てくる。女性の職場いた頃に気づいたことは、美人ほど、 「美人だね」、「可愛いいね」と言われないこと。だから、三回、間接的 表現で言うことにしていた。元気がないとき、「どうした?」に、 「色いろあって落ち込んでいるの」に対して、「美人は大変だ!周りと同じ ことをしても、それだけで何か言われるからね」とか。「美人は性格が良い のが多いから、それだけで好き」とか。「服装のセンスがいいね。姉から、 女性の見分け方は、化粧と服装のセンスを見なさいと教わったけど」とか。 殺し文句を言ってきた割に持てなかったが。 美人でも、優秀な人でも、 直接に「認証」してもらいたいのが人間。だが、なかなか言って貰えない。 そのため、優秀な人、美人ほど、大金を払う。ブランド物を身につけるのも、 そのひとつ。母の口癖「相手を認めてあげなさい!誰もが、認めて欲しい のだから」があった。その割に実行しなかった。 「ほめること、感謝すること、それは既に行為である」が基本。 ・・・・・・ 4197, 呪いの時代 ー14 2012年09月22日(土) 「呪いの時代」内田樹著 * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機 ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー 東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を 最大限していたので、最大規模の地震と津波にしては、これでも最小の被害。 しかい太平洋沿岸で近い将来、必ず大震災が起こるというから、大変な事態。 恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も工場の移転が始まることになる。 日本は、ますます疲弊することになる。 ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー ≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたり できる危険のこと。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない 危険のことである。喩えていえば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り 時間1分で、1点のビハインドは「リスク」である。このリスクは監督の采配や、 ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。 一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは 「デインジャー」である。対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれてない。 だが、そういう場合でも、周囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ 逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。 こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確寧が高い。 でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに 行くと厭なことが起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定を キャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。 9・11テロの日も、 「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が 何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス.ベースで示すこと は誰にもできない。・・東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、 生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」と言うような発言を してはならない。それは死者を二重に穢すことになるからである。 私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちは その都度「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。「他ならぬ 私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想 でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件である。 だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな 気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは 当然のことなのである。そうすべきなのである。私が生き残ったことに意味が あると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。 誰かがそう 思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。 そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、 ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」と いうことを身を以て証明しなければならない。だが、私たちの社会は戦後66年間 あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察 しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処できるにはどうすれば 開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない ≫ ▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、 3・11東北大震災の「デインジャー」によるが、「リスク」レベルの要素 が無かった、とはいえない。 それでも、当初からの事業設計に万一の 「デインジャー」対策を組み込んでいたので、九死に一生を得ることができたが? 「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。 「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。 これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と決めていた。 御陰で事業をたたみ裏山に辿着いたが、下を見るとノンビリとした 世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。 ・・・・・・ 3832, 毒を溜めない! 日々 ー2 2011年09月22日(木) * 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。 という私も、その手になるか。 怒りは感情の動物、それは仕方ない。しかし、 その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。そのうち、 その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、「怒り」が「怨念」 に変わる。それは本人にとって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、 自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に 中村天風の「箴言集」をトイレと、書斎の机近くの本棚に置き、ことあるごとに 読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、天風の言葉は、 それを半減させる効用がある。何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが 天風の言葉。天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に 響いてくる。老化は人の心を冷やす働きがある。人間の肉体も生(なま)もの、 古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と痛み を受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。 しかし精神が傷むからマイナーの言葉に支配される側面もある。人間で一番大事 なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。何にでも興味を もって、その存在に驚くこと。「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。 「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまう のが老い。若いのに老化してしまっているのが大部分? 無知は老化に極似 している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。その壁が人間の脳 には毒になる。 言葉は恐ろしい魔物の側面がある。特に他者への侮蔑の言葉は、 その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も自分を傷つける。 それは弱者の武器になるが、自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は 心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が底から沸々 湧いて出る。それを常に浄化しておかないと顔に出る。やはり宗教しかないか、 人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?
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| 5303,閑話小題 〜白鵬のいない大相撲も悪くない |
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2015年09月21日(月)
* 白鵬のいない大相撲も悪くない 「終わってしまえば、やはり白鵬か!」が、この8年も続いていた。 先場所、白鵬が序盤に敗れたとき、解説の舞の海が『白鵬、弱りましたね!』 の名文句?に反発したのか、最後に何とか優勝をした。優勝インタビューで、 その言葉に反論したが、思い当る節があったから。そして、今場所の初日 からの二連敗と休場で、彼の指摘が正しかった証明になったのも皮肉。 これだけの大記録をつくりあげたのだから、そろそろ限界になって当然。 で、三日目から白鵬が不在だが、先入観の[終わってしまえば、白鵬」が 無くなった分、面白みが出てきた。良く出来たもので、大横綱候補の照の富士 の地固めの場所に? そして半年〜一年遅れで、逸の城が照の富士に追いつく? あとは、遠藤がどうなるか? 毎日、20本の懸賞がつき、あれだけの大歓声が、 相手力士は目の色を変え挑んでくる。その中で、それ相応の相撲を取らないと 勝てないため、自然と力と勝負勘がついてくる。それ故に潰される可能性も 大だが、過っての千代の富士のような相撲力と花がある。少なくとも大関の 可能性はある。一連の不祥事から、危機感を持った力士の真剣度が観客を 呼寄せている。後は、日本人の大力士が望まれるが、どうだろう? * 終活の時節に入ったが・・ 実兄・実姉、私の合計9人きょうだいのうち、4人が既に亡くなった。 末っ子の私が、あと数ヶ月で70歳なら当然だろうが、生存している5人と、 その連れあいの平均年齢も80歳近い。 先日、10数年前に亡く なった一番上の姉の連れあいの葬式に参席したが、何か寒々としてきた。 寝たきり、痴呆なども他人事でない。 身辺整理も4年前の会社整理で、 大部分が終わってはいるが。14年半にわたって、言い残したいことは、 ここで書いてきたし、死に関する知識も積んできたし、諦念も、ある程度は 出来ている? 良いにつけ、悪いにつけ、時代の激変を目の当たり出来た ことと、世界の隅ずみの光景を見ることが出来たことも、幸運だったと、 いえることが有難い。としても、まだまだ見たりない、味わいたりないこと ばかり。「前向きに、貪欲に未知を求める」が、現在の活きる道しるべか。 ・・・・・・ 4938,閑話小題 ー節目年齢の呼称と、厄年 2014年09月21日(日) * 長寿年齢の呼称と、厄年 〜還暦は満年齢、その他は数え年〜 先年、還暦が終わったと思ったら、あと半年で古希になる。色いろあったが、 アッという間である。ここまで生きてこられたことに我ながら驚いている。 同期の男の4人に1人の割で亡くなっている。これが10年後には2人に1人の割りに。 もう、何時お迎えがきても、死に時と割切るしかない。 ーそこで長寿年齢の呼称を調べると 60才 還暦(かんれき)60年で十二支の組み合わせが一回りすることから。 70才 古稀(こき) 唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで。 77才 喜寿(きじゅ) 喜の草体が七十七と読まれるから。 80才 傘寿(さんじゅ) 傘の略字が八十と読まれるから。 88才 米寿(べいじゅ) 米の字を分解すると八、十、八。 90才 卒寿 卒の通用異体字が卆だから。 99才 白寿(はくじゅ) 百の字から一を引くと99になるから。 100才 百寿(ももじゅ) 白の字に一を足すと100になるから。 108才 茶寿 草冠を二十 その下が米に見立てて88を足すと108。 111才 皇寿 皇の字を白、一、十、一に分解して99を表す白に 足すと111になる。 112才 珍寿 112歳以上は珍しいため。 ところで、人には「厄年」がある。人生の中で不幸や災難が降りかかり やすい年のこと。厄年は、中国の陰陽道・思想からもたらされたもので、これが 一般に広まったのが江戸時代のこと。江戸時代には、厄年は数えで男性が25歳、 42歳、61歳。女性が19歳、33歳、37歳だったが、現在では、男性が25歳、42歳、 女性が、19歳、33歳とするのが一般的である。その中で、男性は42歳、 女性は33歳が「大厄」と呼び、その前後を「前厄」「後厄」といって、 恐れる風潮がある。 自分を振り返ると、その辺りが絶頂期であると同時に、大きな落し穴があり、 節目時でもあった。家長制度のあった時代から、核家族、弧族の時代へ変化して いる現在、果たして長寿が幸せか疑問である。 まずは、父の亡くなった歳まで 二年が目安。 次の目安が喜寿が7年数ヶ月。傘寿まで11年ヶ月。健康年齢 (介護を受けないで済む年齢)を3年先と想定して、人生の余白を埋めていく ことが当面の判断基準になる。老いても3S(チャレンジ、チェンジ、 コンペティション)の開発と、フラッシュで浮かんだ記憶を捉えて、遡ることに ヒントがありそうだ。 「いい年をして」の「何をするにもいい年」とプラスに 解釈して、ソロで、彼方此方を渡り歩くことが良いのは分かってはいるが、 老いからくる面倒くさい!が先に立つ。 ・・・・・・ 4571,閑話小題 ー火事に遭遇 2013年09月21日(土) * 火事に遭遇 何時ものポタリングで、長岡大橋から川西にわたり、大手大橋から再び、 長岡大橋に戻って水道町公園前に来たとき、長岡大橋の道路を隔てた向こう側 から煙が立っていた。工場の煙のような、火事のようでもみえる。まずはカメラ で写真を撮り、次に近づいて撮ったが、まだ警察も消防もきていない。 写真を撮ったのは長岡大橋のバイパスの上からで、現場まで150m先、 駆付けるか、帰ろうか迷ったが、帰ることにした。少しバイパスを走ると パトカーと消防が追い越していった。シャッターチャンスにタイミングよく 撮れたが・・・(9・19記) ー9・20日、追記ー 昨日の火事。今朝の新聞によると、72歳のご主人が亡くなったとある。 18歳の孫と老夫婦の三人暮らしで、6時40分に台所からの出火、孫と 連れそいは逃げて無事。あのまま近くまでいっていたら、修羅場に立ち会った ことになる。まさか、死者まで出ているとは! 改めて写真をみると凄い煙。 通行人は、まさかと関心なさそうに見向きもしないし、車も止まらずいくし・・ 死者が出た火災の写真とは!新聞社に送ろうか?いや止めておく! 朝のポタリングには必ずカメラを持って出るが、こういう日に限って忘れる ことが多いが・・ ところで火事といえば長岡駅前の商家に住んでいた頃に、 4軒ほど先の「監物ビル」の大火災があった。近所の二人の少年の火遊びが 原因だったが、自宅のある店のビルが、その熱で熱くなったことと、近くで 遊んでいたため、警察に呼ばれ事情聴取をされたことも記憶に残っている。 更に斜め前の丸大という衣料品店が全焼したのも見ている。 * 来春、購入予定の自転車を前倒しで発注 来春三月に購入予定をしていた電動アシスト自転車を、前倒しで注文。 現在の電動アシストのマウンテンバイクのブレーキが前後の車輪とも不調で、 やむなく注文。ブレーキの不調を運転で逆に楽しんでいる自分が怖くなった。 我ながら変な性格である。今度のものはパナソニックの電動アシストで、 タイプはクロスバイク。来週早そうの入荷予定。 ・・・・・・ 4196, 呪いの時代 ー13 2012年09月21日(金) * 原発供養 「呪いの時代」内田樹著 この東北大震災に際し皇室一族が最大限のお見舞いをしていた。 国家の元首として、歴史的大惨事に現地に真っ先に行かれ、見舞うことが役割 として最優先されることだが、その行為に呪鎮の意味が入っているとみる ことができる。 ー以下も納得できるがー ≪ 一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを畏れ、隔離 することでいっときの安心を買い、日本人は荒ぶる神を金儲けの道具にまで 堕落させ、その在所をずっぽりとベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、 怖くも何ともないよ」と言い募ることでいっときの安心を買った。 どちらの 安心が長持ちするものだったかは今回の事故があらわにした。 福島原発の ふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を 受けたのではないかと思う。その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全 設備の手抜きに心底驚愕したのではないかと思う。どうして原子力のような 危険なものを、こんなふうに「雑に」扱ったのだろう… と海外の原子力 研究者は頭を抱えたはず。そこまでして「コストカット」したかったのか? 日本人は命より金が大事なのか? もちろんそうではない。話は逆なのだ。 あまりに怖かったので、「原子力は所詮金儲けの道具にすぎないという嘘」 を採用した。原発の設備をあれほど粗雑に作ったのは、原子力に対する 恐怖心をそうやってごまかそうとしたからなのである。「こんなものいくら 粗雑に扱っても抵抗しやしねんだよ」と蹴ったり、唾を吐きかけたりして、 「強がって」みた、 (・・・中略) ・・原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、 呪鎮の儀を執り行うべきだったと思う。盛り土をして、原子炉を土中に置く のである。塚に草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような広々とした場の下に 原発を安置する。そこに神社仏閣を勧請する。「原発神社」。荒ぶる神が とりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれて いることを感謝するのである。 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、 「原発祭り」を挙行する。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、 恐るべき力の暴発を抑制してくれていることを感謝する。(・・中略) ・・・ 福島原発の設概工事のときにも、間違いなく地鎮祭は行われた はずである(地鎮祭を執行しなければ、建築現場には誰も入らない)。 なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。地鎮祭をしないと、日本人の作業員 が現場に入ってくれないのなら、中国からでもフィリピンからでも建築労働者 を連れてきて断行すればよいではないか。 なぜ地鎮祭を行うのか。 それは平屋の家を建てる工事においてでさえ、行われる。「恐るべきもの」 の不意の現場での警戒を怠れば、思いがけない事故が起こることを現場の 働く人は経験知として知っているからである。地鎮祭は地祇を鎮めるため ではなく、人間の緊張を亢進させるための心的装置なのである。・・・≫ ▼ 「原発供養をすべし」とは、思いもよらぬ切り口。供養すれば済む問題でも なかろうが。ビル建設で地鎮祭を何度か経験したが、それはそれで大事な神事。 しかし世界中のビル工事で行われるかといえば、そうでもなく、日本的心的装置。 施工業者と、施主と、土地・建物を一つの魂にする儀式ということか。 最後は祈るしかないという、ブラックジョークか。 ・・・・・・ 3831, 閑話小題 2011年09月21日(水) * 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差 東京の学生時代は寮暮らしだったが、そこは地方出身者の巣窟。 それに比べ大学はミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。 クラブに入って驚いたのは、都会人の会話のセンス。常にジョークか駄洒落を 飛ばし会話を楽しんでいる。友人も教養課程のクラスでは席が固定されている。 そこで二分されるのが、都会出身者と地方出身者。服装からセンスが違う。 しかし都会出身者は、地方人の素朴さに惹かれ反面、どこか田舎者と見下げる。 地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、日常の三食の 食事など生活のハンデがある。友人を見てキツイそうなのがアパート生活者。 地方出身者は孤独な都会の一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女を つくるなど、まだ純真な身にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、 どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。やっと声がかかってくるのが学生 生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。とはいえ、女性の方は二段階 上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと)その中で4人の姉 たちを比較し、その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。 現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ? それからして、ギャップは、あまりに大きい。という訳で私は学生時代に結婚 相手を見つけないまま終わってしまった。友人をみると、学生時代の相手と結婚 したのは三分一ぐらい。結婚相手を決めることは互いに、人生を大きく左右する ほどの決断。目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うこと。25人の地方出身者の寮に 入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。しかし、必死に本を読んでいた ことも確か。それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違う。 それでも、色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、 一ヶ月の欧州旅行、アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。 小学校から大学時代を通して、大学が最も恵まれていた。卒業直後、就職で地方 にいったこともあり、もう一皮ぬけなかったのが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・ しかし、話が合うのは今でも都会の人たち、 というより揉まれた人たち! ・・・・・・・・ 3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10 2010年09月21日(火) * アフリカに魅せられて ー4 ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を 目の当たりに見たような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラ に広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民 マサイ族の生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。 ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。野生保護区は、直径約16キロMの 火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、 ライオン、バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。外輪は2,400mの 高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。このためカルデラ 内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどは カルデラの外にでることはない。(象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカの サバンナに生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物 連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。上から下に下りて 見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの 野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。それぞれの動物のテリトリーがあり、 ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。 実際に地球上にアフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロMに 数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。ここから人類が アフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。 ・・・・・・・・ 3091,猫背の話 2009年09月21日(月) ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2015年09月21日)ー
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| 5302,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑦ |
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2015年09月20日(日)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * コピーライティングの基本 個人HPを14年5ヶ月、「はてな」ブログを開設をして8年になる。 ほぼ休むことなく続いてきたのは、マイナスの数倍のプラスを実感するため。 上京してまで、『資産防衛セミナー』に通った内容を大口借入れの銀行担当に 見られ?、貸剥しされそうになったり、ビュアーの悪意の視線を実感しても、 それも大事な視線と割切り続けてきた。その内容を後から読み返すと、自分の 枠が、クッキリと見えてくる。そして、「だから何だ?」「なぜ拘る?」 「遠くから見れば所詮、砂利の石ころ!」と、我を振り返る。 〜その辺りから〜 ≪・「文字離れの時代」など言われることもありますが、とんでもない! 今日ほど、メール・ブログ・FaseBook・メールマガジン・HPなどで、 文字を読んだり書いたりする時間が長くなっている時代は、ありません。 つまり、もはや、すべての人にとって「コピーライティング(文章を書くこと)」 は、最重要の項目であり、「成功に欠かせない要因」となっている ☆ コピーライティングの基本ポイント14 1.ポジティブに 2.相手にしてほしいことを伝える 3.特定の人に向けて書く 4.サービスを提供し、リスクを回避する 5.より多くを語るほど、より多く売れる 6.自慢しない 7.見出しの目的は、興味のある人々を見極めること 8.好奇心を誘う 9.具体的に 10.あなたのストーリーをすべて話す 11.写真を賢く使う 12.商品(文章)は最良のセールスパーソンである 13.テストで証明する 14.効果が出ている文章は変えてはいけない ―― ・あなたがよいコピーを書きたいのであれば、自分の広告を読み直し、 書き手ではなく、「読み手として自分自身に次の3つを問いかけること」。 ●【1】 だから何なの? ●【2】 そんなこと、どうでもいいでしょう? ●【3】 私にどういう関係があるの? ・「1年で1億稼げる」より「1週間に192万円稼げる」と表現する 広告における一番の問題は「信頼性」です。 ・「ベネフィット」を明確にすると、よい反応が得られる(中略) 「このノートパソコンは12インチと、小さいサイズだ」というのは特徴で、 ベネフィットは、特徴のあとに「だから、……」をつけたときに出てくるもの を指します。つまち、「だから、このノートパソコンは、カバンに入りやすく、 持ち運びしやすい」というのがベネフィット(利益)です。 ・成功者のコピー(真似)をしたいという人は成功者をコピーをしたい のではなく、成功者が得ている結果をコピーしたいだけなのです。 あなたは、「誰かになる」必要はありません ・人の行動を起こすスキルは、もっとも高い報酬がもらえるスキルです ▼ 昨年の秋に、日野啓三著『創造する心ー書くことの秘儀』の感想文を 書いていた(下にコピー)。 学生時代の日記を読み返すにつけ、書き残す 価値、意味を考えさせられる。それが人生の境目であれば、そこに存在して いた自分の心が、そのまま焼きついている。もっともっと、書き残しておけば 良かったが、後の祭り。その点で、ブログは重要な働きがある。 ・・・・・・・・ 2005年11月03日(木) 1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1 −読書日記 「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から 日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。 読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。 数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな 手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。 心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。 神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、 神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という 意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
ー「書くことの秘儀」ー ”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、 リアリティを生み出すことだ、” ”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、 悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。 死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。 それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。 食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、 われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。 一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、 ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、 ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を 特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。
”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」 「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」 本当に、このことはとても微妙で重要だ。 <「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。 インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”
”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、 よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、 自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械 のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”
”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十 万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、 溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。 ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”
”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは 「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。 心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”
”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、 書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、 世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に ”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。 神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。 彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが (特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう> という信念というより信仰に近いものだ。”
”少なくとも結果の保証のない賭け。 賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定 不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、 その安定と安心。” ー 読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。 [深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・・ 2004年11月03日(水) 1310, 23歳の日記−3 ー卒業式の思い出ー
大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は 殆ど無かった。ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。 最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目であるその記念日の記憶は、 大事なことと読んでいて実感する、それも年齢を重ねれば重ねるほど。 幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。
その日の父親の気持ちが、今あらためて振り返ってみると少しは 解かってくる。写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。 それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。
読み返していて感じることは、 「若いということは、若いというだけで光り輝いている」ことだ。 不安定で、歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが若い時の特徴。 それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。 それも振り返ってみて初めて気がつく。
ー1969年 3月24日ー 卒業式に出席する為に、8時半起床、10時半に四日市から東京に向け出発。 15時前に東京駅に到着する。大学時代の友人の川崎に電話を入れる。 一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、 大丈夫だった。絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。 万一の時は、就職もオジャンになってしまう。 その足で、寮に行く。 佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。その荷物を 持って、千葉の検見川にある(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらう ために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。 恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。 父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。 「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。父は何か 悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、自分を怒鳴りつけたい。 それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。 「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」本当に恥ずかしい。
ー3月25日ー 7時半に起床。 今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。 父と私に会う為だ。私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に 家を出る。寮で大家の奥さんに挨拶をする。 丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。 最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。 しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。 佐藤よ、ありがとう。これで壊れた関係を元に戻せたようだ。 これで恐らく会うこともないと思うが、良い友人に恵まれた。
さて、その後父と待ち合わせて、大学に行く。 これが本当に、本当に最後の最後の行事になってしまった。 まずは深井に会う。新橋しのだ寿司の御曹司で、無神経だったが 何ともいえない暖かさがあった。彼も興奮気味であった。 その後、武澤先生に会う。父を紹介した後、父ともども記念写真を撮る。 武澤先生には、言いたいだけいい、その結論を出さずしまいであった。
その後、河村、外山、石川、奥野、兼古、広瀬、皆が居た。 本当に最後ということで涙を浮かべて最後の握手をする。 彼らとも、もう二度と会えないのだろう。 思い出の深い校庭である。 ここが日本かと思われるような何ともいえないアメリカ的な雰囲気があった。 父が、私のところに多くの友人が次々挨拶に来るので唖然としてみている。 父は何か取り残されているようだった。しかし、それより全ての友人に 挨拶をする方が先である。卒業式は、一人一人が壇上に上がって, 総長から直接卒業証書を手渡された。その後、全員で校歌を歌い無事終了。 そして、学食に集まり、ビールで乾杯をして、コップを床に叩きつける。 これで学生時代とお別れという儀式である。
そして学校を後にする。ところが面白い現象がおきた。 ふと見ると、歩いているのが、入学当時のグループの兼古と奥野と 広瀬の4人なのだ。最後はそこに収まったということだ。 兼古は千葉の方向ということで、駅前の喫茶サルビアで思い出話と、 今後の人生について話し合う。そして電車で千葉の検見川まで一緒に 帰ってくる。これで、完全に学生時代は終わってしまった。 良い学生時代であった。そして、良い卒業式であった。 これだけ、素晴らしい!と思えるというのは、一生の宝になる。 明日から再び現実が待っている。
・・・・・・ 4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・ 2014年09月20日(土) * つれづれに 〜厳しさを増す娑婆 土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめた実感がある ため、それぞれを立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた実感がある。 これは、実際に経験しないと、理解できないだろうが。 『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。 それと、「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。 最初の依頼時に「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、 「綺麗汚いは有得ない。あるのは、良い倒産、悪い倒産だけ!」終えて振返ると、 まさに、そのとおり。 前もって最悪の事態に整えていれば、目先は好調だが、 備えのない事業体より、遥かに良いと思うが?危機管理のある中小は、私の知る 限りで一割もないのでは。今さら遅いとしても、『事前の一策は、事後の 100策より勝る』で、やれることは、しておくべきでないか。ここで、 円安になってきたのは、日本の政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。 更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。以前の事業で、 この3%の消費税アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。会社も、家庭も、 支出を更に絞めてくるためだ。アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、 この不況下、甘い仕事は少なくなっている。この三年半の間、経営に疎い家内の 口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。SC内の店の転廃業や、スーパー の店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。 事業など、まして創業など、すべきでない! 『元手の2億を地道に5億にするより、30数億に膨らまして楽しみ、使い 果した人生も悪くない』と、独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思う しかないし、その甘塩っぱい感覚の日々。箱物事業には、有余ったオマケ(時間) があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、『ま、これでもいいか!』。 ・・・・・・ 4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5 2013年09月20日(金) * 万能薬としての「語り直し」 『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延(著) 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、 上に立つものほど多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線から みた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。 人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、 最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する 以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しを するしかない。早稲田二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に 彼女が出来たところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し? まずはー次の箇所から ≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって 初めて教える者の大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、 親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。 つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できる のである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることが できることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごと について、その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとは 違うことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という 言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、 単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、 元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下 出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を 送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々。 しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが 少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。 もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、 それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、 生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。 できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを 遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、 自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。 変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、 私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》 ▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。 これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。 その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば 良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 ・・・・・・ 4195, 呪いの時代 ー12 2012年09月20日(木) * 「片づかなさ」の人間性 ー第8章 これからを生き延びる智恵 贈物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。 これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底して カットしてきたが、私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。 これが、つくづく間違いだったと反省していること。結局、人との付き合いは 贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する 「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。以下は ーその辺の抜粋ー ≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題 を端的にこうまとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を 義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け 取った人にその返礼をさせるのか」 モースも、マリノフスキーも、 レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が人間集団を 形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると 「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ 取って言えば「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな 気がする」という「負積感」のこと。いや、ほんとに。だから、この「負債感」 を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと思います。 「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、 価値のあるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには 尽くされません。というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることでは ないからです。そうではなくて、「これは贈り物だ」と思った人がそう思った 瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂ったかたちで贈与という 儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。 (字数制限のためカット 2015年9月20日)
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| 5301,閑話小題 〜持て男の「三高、三平、四低」 |
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2015年09月19日(土)
* 持て男の「三高、三平、四低」 これもモーニングショーの話題だが、社会ウォッチングとして面白い。 経済成長期に流行した持て男の条件が「三高」。バブルが崩壊をして、 このかた「三平」に。そして次ぎは「4低」という。 ◎ バブルに流行した「3高」とは、「高学歴・高収入・高身長」 ◎ 時は過ぎ、今の流行は「3平」は、高くを求めず、 「平均的年収・平凡な外見・平穏な性格」 ◎ 次の時代のモテ男!は、「4低」 「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」がモテる時代。 だが、そんな低依存の男からすると、「そんな女いらない」の声! で、未婚率、離婚率が大幅に右上がっている異常事態。 独身女性への男への希望は、殆どの女性が経済的力量が増えたため、 微塵の甘さがない。まず「預金」と「年収」。 預金は、最低でも500万。 できることなら1000万。年収なら500〜600万。 とすると、30歳 前半までの男の多くは結婚対象外になる。驚いたことに、35歳を超えた独身 男性の結婚できる割合が7〜8%、40歳を超えると、2〜3%しか結婚が できないことになる。ということは、男性は35歳までに結婚するのが半分 というから6割しか結婚できないことになる。それまでに何とか結婚しないと、 9割が結婚不可能になる。 ーネットで生涯未婚率を検索したのが、以下ー 《 ☆ ー生涯未婚率は男35%、女27%にも:少子化対策無力ー 少子化社会対策白書のあまりの覇気の無さに驚き、国勢調査から生涯未婚率 を予測し直して男35%、女27%にもなる結果を得ました。非正規雇用は増える ばかりで、若者の生活を不安定にさせている根源は政府施策です。 『安倍政権が嫌いな雇用安定こそ少子化対策の核心』で指摘した通りです。 生涯未婚率は人口学で50歳時点の未婚率と定められています。 2010年国勢調査で20代前半だった世代が50歳に到達する25年後には、 現在に倍する生涯未婚者であふれる事態になります。 NHKの《少子化白書 晩婚・晩産化は進む》は 《生涯未婚という人の割合は、平成22年には、▽男性が20.14%、 ▽女性が10.61%で、いずれも過去最高に達し、「未婚化」とともに 一生結婚するつもりはないとする「非婚化」も進んでいると指摘し》 《内閣府は「若い世代は雇用が不安定で、所得が低い傾向にあり、こうした 経済的理由から結婚に踏み切れない人が増えているのではないか」と分析》 と伝えました。 》 ――― ▼ コンビニ、気楽な独身生活、ネットによる繋がりがあって、別に結婚の 必要性を感じないのだろう。情報化で、女性に対する憧れも消滅してしまい、 世の中がニヒル化していることもある。バブル崩壊以降、特に若者に住み辛い 社会が到来している。高度成長期を生きてきた私たち世代にとって、信じられ ない現象。それにしても、「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」 がモテる時代とは、驚き。何か、年金暮らしの御隠居に丁度良い、生き方が、 これからの若者の姿からして、日本の近未来に悲観的になってしまう。 ・・・・・・ 4936,コトの本質 ー6 2014年09月19日(金) * 戦後、エリートが育たなかった 『コトの本質』 松井孝典著 「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題を いっている。それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はして こなかったことになる。 ≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると 思います。ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミ に出ている程度のことにある人のことです。自分の知っている範囲のことを すべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかのように、堂々としゃべる。 そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲 ではこうだ―といういい方をするのが当然なのに、そうではありません。 これっぽっちの経験しかないのに、それを拡大し、人類一般な話としてどうの こうのというような議論までするわけ。こういう状態を見ていると、この国は どうしようもない国になったなという感じがします。プロフェッショナルが いないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったということかも しれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートと いう意味ではありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかも その座標軸は古今東西の歴史から、芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それが エリートです。このような広い時空スケールの中に自分の尺度を持ち、 すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、 現在のいわゆ秀才というのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。 解くべき問題がつくれない人が、多い。問題がつくれない人はエリートでは ありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。 すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立ったために、 教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながら エリートは育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。 我の形成途上にある人間には、我なんてないのです。しかし、いまの教育では 前提として我があるかのように扱う。それが個人の尊厳だと誤解しているー すべての間違いの元はそこにあると思います。我とは何なのか、そもそも それを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を主張します。 我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。 それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。 それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫ ▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは?「ゆとり教育」 は、まともな両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに 大きくぶれるのは周辺を見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争 社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱から生まれ出るもの? 著者の説によれば、 全ての人がアマチュアになる。問題は自分がアマチュアと自覚できるかどうか。 キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育を押し付けられた 結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2〜4時間の 独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を 持ったのが40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたい とは思わないが、我とは何か? 自分の問題とは何か? 等を、考えられる 内部モデルを確立することが、まず必要ということ。 ・・・・・ 4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2 2013年09月19日(木) ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー {2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー} 《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに 耐えられないところから消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の 金融危機のニュースが入ってくる。100年に一度の恐慌が始った。 アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて 思え懐かしい。アメリカで震度6強の経済大地震が起こったのである。 そして、大きなウネリが起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず 世界中に押し寄せ始めた。津波と違うのは何年にもわたることである。ところが 日本は政治的空白の事態で頭がないのが現状である。これは2001年の9・11事件 に匹敵するか、それ以上の出来事。100年に一度の世界恐慌が、まず直撃する のは日本。これがアメリカの隷属国家の運命である。次は、アメリカの証券会社 二位のモルガン・スタンレー。緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。 シティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた米国金融 機関の惨状。そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、 果たして会社はどうなるのだろう? 逃げも隠れも出来ないが、生存に全てを かけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルになってきたということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。 国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。そして、次に来るのは 中間層が総下層になる。社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時 と同じような現象になる。年末から100円以下の株価の会社は銀行のしめつけで、 次々と倒産が始る。日本型社会主義の完全崩壊である。第二の敗戦が表面化して きたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは思って もいなかった。 私は、2008年9月16日14時をもって「世界恐慌」と判断。 そう判断すると恐ろしい。みる目が全く違ってくる。みる目が違うと判断も 違ってくる。人生で過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、まだ実感が少ない。茹で蛙になってしまったのだろうか。 現実に信じられような大混乱が直ぐに始るだろうから・・ ゴールドや、 資源を持っている国は、それを担保になるから、立ち直りが早い。しかし、 体力のない日本の行く末は・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 》 ▼ これを書いた二年半後には、私の事業の売上が半減、2001年9月の9・11テロ から三分の一まで激減し、事業断念に至った。この直後から、G20が始まり、 何とか表立った恐慌は抑えているに過ぎない。 米国の証券会社は全滅、米国の GM、クライスラーは国家管理。EUも、中国も、これから変になっている。 ただ、何処かの株式市場からの暴落を切欠に世界恐慌になるのは間違いない。 ただ、引き伸ばしているだけ。 そこで、2020年に「東京オリンピック」 を開催するというから、他国から見たらお笑い以前だろう。それだけ、 リーマンショックの影響は大きい。でも、これで自分の事業が崩壊するとは! で、「インフレターゲット3%目標」というから、素人の私でも、間違いは 判断できる。その上に、オリンピックとは! 大津波が襲来する直前の浜辺で 酒盛りの用意である。不思議なのは、地方の金融機関が、そのまま存続して いること。時限爆弾の山だろうが・・ 最後はハイパーインフレで、銀行閉鎖 になるのだろう。現状は、「恐ろしいことだ!になっているはずなのに、 リンゲルを無制限に射っているため?? ・・・・・・ 4194, 呪いの時代 ー11 2012年09月19日(水) * 交換経済から贈与経済へ 「呪いの時代」内田樹著 何か奇異に思える贈与経済とは、お金でも、物でも、情報・知識でも、 留めないで次に回せということ。情報に限って考えると納得できる。 ブログなどで自分の持っているベストの情報を公開(贈与)することで、 世界中の情報を共有できるようになった。情報化社会では、贈与という 言葉がキーワードになる。銀行預金は、その正反対になる。現在の世界的 不況は、一部勝ち組が得た利益を独り占めをして回さなくなったことにある。 ボランティアは慈善の贈与と解釈出来る。 ーその辺りからー ≪ 贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、 次に「パス」するということです。「自分のところに来たもの」というのは 貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分 のところで止めないで、次に回す。自分で食べたり飲んだりして使う限り、 保有できる貨幣に限界がある。先ほども言いましたけれど、ある限界を 超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」 以外のことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないような お金は「なくてもいい」お金だと僕は思います。それは周りの貧しい人たちに 「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たすことに使えばいい。 ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに 使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、 具体的に手で触れる「もの」に姿を変える方がいい。・・ ・・・その人がエンドユーザーであるような人間には贈与は届かない。 贈り物を受け取ったときに、目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれが パスされるような人のところにしか贈り物は届かない。そういうものです。 贈与経済が成り立つための要件は、ある意味きわめてシンプル。 市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを 含む相互扶助的なネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が 「もっぱら持ち出し」役を愉しむようなマインドをもつ人であること。 そういう人のところに選択的にリソースが集中するシステムが 贈与経済システムです。 ≫ ▼ 経済は商品と情報が回り進化することで向上する。その意味では、 日本が一時期そうであったように、国民が総中流が理想的である。 しかし、情報化社会は一部の勝ち組が総取りになる。その辺が難しい。 ・・・・・・ 3829, 閑話小題 2011年09月19日(月) * 絶え間ない変化と変身 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では 小さい事象が次々と起こっている。人生を、あらためて振り返ってみると 色々あったことに驚いている。 それらは絶え間ない変化の連続線にある。 生まれた0〜9歳までを考えても、新生児、幼児、児童、少年期と変わっていく。 10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に節目がある。 20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、父親である。その中で 絶え間なく変化と変身が要求される。30歳を過ぎると、青年期から成年期、 中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。 何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身の ダイナミックがなくなり、人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調を きたす。こうみると世界も、社会も、自分も常に時の流れの中で、変身し、 最期は「プッツン」で終わる。生き、老い、病になり、最後は死ぬしかない。 「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。とはいえ、あまり 神経質になっても結果は同じ。なら、自然体で変化を受け入れ従うしかない。 * iPad 初心者の呟き iPadを購入をして三週間をすぎたが、既に数ヶ月も過ぎたような気がする。 これは、私にとって非常にインパクトが大きい。この10年間、ネット、ネット といっている割に、ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、 便利で使い勝手のよいアプリと、ネット環境が劇的に進歩していたのである。 ゲームに面白そうなのを画サイトで見ていたが、「自分には縁のないもの」 と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使える。 ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。まず7つの画面に 切り替えられ分類出来ることで、使いかってが格段に良くなった。 ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。一日一日が面白い。 これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を余儀なくされる。 タブレットPCは、あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、タブレットPCが情報を、 さらに膨大に世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾が きかないカオスの時代になる。 これは中高年PC難民を救う。 ・・・・・・・ 3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9 2010年09月19日(日) * アフリカに魅せられて ー3 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が 遅れていて、その分アフリカ的である。まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと地続きであり、ケニア側をマサイマラ、 タンザニア側をセレンゲッティという。その広大な草原をヌーとシマウマが 楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。その群れに ライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス 領、タンザニアはフランス領だった。ケニアもタンザニアも、サファリが 大きな観光資源になっていて、国立公園内には現住民を除いて観光客以外に 入ることができない。サバンナで時おり現地の鮮やかな布をまとったマサイ族 などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。草原に彼方此方にいる のではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。ヌーとシマウマ の群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 群れがいないところで、ウサギやジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。 大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。 そのサバンナに6メートル位の土の道路が何処までも続く。走行中に他の サファリカーは、ほぼ見かけない。そこを同行のジープ数台で激走する。 車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に立って胸から上を外部に出せる。 そこで外を眺めると、たった一人でサバンナで走っているような錯覚になる。 車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。自分より強いという 認識があるという。だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。 しかし、時おり像のボスが襲うことがある。ボツナワのサファリで、その現場を 直接見たが、乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。 特に危ないのが、離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。 ケニアで、早朝に10人位のマサイ族が逃げてきたところに出くわした。 我われのジープを間に入れて、クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人がライオンの群れを撮影をしていて、 つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、群れに生きたまま食べられる 映像を見てしまった。 何でもありである。
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| 5300,閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか |
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2015年09月18日(金)
* 5億円当たったら何に使いますか? 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』 の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと 1位、高級マンションなど住宅購入 2位、お店などの起業 3位、世界一周 (豪華客船の旅など) 4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム) 5位、整形手術 の順であった。 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という 答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現 したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、 気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を 託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、 可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。 その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』 とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ 御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、 あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した? である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が 失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。 その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・ が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。 ・・・・・・ 2013/06/17 宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい? 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。 SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、 「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー 【 問い= 例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。 1等 1億円 20名 2等 1千万円 20名 3等 百万円 200名 4等 5万円 30000名 例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか… 【 答え= ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、 「11組111111番」になるのと同じです ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと 同じくらいの確率だそうです。 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。 1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。 一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として 新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。 それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で 金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。 生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が 宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、 したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。 ・・・・・・ 2015/06/21 宝くじを当てた95%が、5年以内に 『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著) * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、 その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を 増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で 壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、 二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40 ≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった 人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。 「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に 証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを 被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場 まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、 100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。 『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、 その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な 反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社) ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」 という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで 成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金 を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、 "当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、 「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫ ▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、 後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、 遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、 その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。 いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。 そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。 遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより 「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い? ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。 「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。 『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。 ・・・・・・ 4935,コトの本質 ー5 2014年09月18日(木) 『コトの本質』 松井孝典著 * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相 これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、 「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。 社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり 上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、 ほど遠いが気にかかる虚構世界である。 ーその辺りから ≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と 呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。 私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。 世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。 世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して 考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。 人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、 全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、 少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず 観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・ 社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、 内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、 世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫ ▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けている。 そして、 それがバーチャルであることさえ気づかず人生を終える。だからライフワーク を持っていないと、自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、 ライフワークの価値が見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、 低俗の人との二極分化が明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間と いうが、誰もが、どこかに兼備えているから始末が悪い。それが年をとるに つれ老醜として露出する。老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい! ・・・・・・ 4568,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー4 2013年09月18日(水) 「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著) * 幸せな人生とは、本人が決めること! 幸福感は、それぞれの人の核となる 魂の問題で、他人がとやかくいう問題でない。「不幸の極みと思っていたことが、 実は幸運の仮面を被っているにすぎない」と思えば、そう思えてくる。 実際に経験してみると、そこに多くの視点が見えてくる。本当の幸福感は 不幸の真只中にこそ、現れ出てくるのは人生経験を積むほど分かるはず。 ー以下の箇所はなかなか含蓄があるー ≪『サザエさん』の原作者の長谷川町子のマンガで、小学四年生のときに読み、 今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と 悪い神様の話だ。 何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。 これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を 惨憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身に次々と不幸 が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、最後は 絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」いうシナリオをつくりあげた。 はたして、男の子の身には次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。 ところがその臨終の場で彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生 だったと言い出す。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で人生を 終えることだったと述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間 とは よくわからないと言いながら、去っていく。こんな話だ。このマンガが 私の人生の原点。幸せな人生とは、あくまでも本人が決めることであり、 まわりがとやかく言うべきものではない。もとより、記憶のさまざまな 性質や、その生かしかたを知ったからといって、幸せになれるわけではない。 ただ、何も知らないよりは、知っておいたほうが、みすみす損をしないだろう と思われるだけだ。この本に書かれている「ヒント」をもとに、どのような 人生を生きるかは、最終的には、みなさんが決めることである。》 ▼ 以前に取り上げた「幸福の4階建」に、当てはめると分かりやすい。 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する中に幸福感が生まれる。 そこに自己実現の要素が入っている。 2階:獲得した「快」を永続させる。 そこに時間的要素を入れ、 いかに長続きさせる中に幸せがある。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。 苦労に苦労を重ねて得た幸せこそ、その最たるものだが、得てしまった 幸せより、不幸に見えた苦労の中にこそ、真の幸福の含量が多くある。 私のケースは、『サザエさん』の作者の物語とは真逆である。 思いもしない3つの大津波に飲み込まれて、この結果に終わった。 しかし、これこそベストでは?の、心の奥からの声に我ながら驚いた。 この「幸福の4階建」の意味が、いやでも実感をせざるを得ない。 現在の私は、この建物の3階辺りで、日々を過ごしているが、いつ何どき、 4階に駆け上がり、幸福感を味わうのだろう。その屋上のテラスからの 景色は、どんなものか? それもこれも、生きているうち! 今日一日を楽しむしかないか。
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| 5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑥ |
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2015年09月17日(木)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 世界観をつくる 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。 達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、 価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか? そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、 自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、 その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。 その世界観を分析、その作り方を提示している。 ≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー ①信念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある ②ルールと価値観: 大切なものを実感する。ハードルを下げる ③上位2つのニーズ: 貢献と成長 ④手段: ニーズを満たす行動 ⑤主要な焦点: 外側に向けた焦点 ⑥主要な質問: メリットの多い質問 〜 上記を,説明すると 〜 ① 信念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ ・・(中略) 多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、 「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の エネルギーを費やしている現実があります。 ② ルールと価値観: 大切なものを実感するための「自分なりのルール」が 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証 ③ 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、 「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを 「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。 ④ 手段は、ニーズを満たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’ ‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、 望む雰囲気をつくり出す手法」です。 ⑤ 焦点を、内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。 ⑥ メリットの多い質問: 弱気になった時、迷いが出た時、 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫ ▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を 保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、 二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。 それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、 人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、 どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く! ・・・・・・ 4934,コトの本質 −4 2014年09月17日(水) * 二十世紀の共同幻想は破綻した 『コトの本質』松井孝典著 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、 現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。 何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は 今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に 日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー ≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想が あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後 といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を 規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想 に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって 問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、 それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために 生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、 愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味 (共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、 互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、 それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が 理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、 共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想 というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、 当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。 しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて いる我々の人生を肯定すると思います。≫ ▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、 生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、 高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15 のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。 20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、 その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、 面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。 ・・・・・・ 4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3 2013年09月17日(火) 「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延(著) 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、 平均10年近くの介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うように なってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが 人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。 そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、 悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていく のだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。 ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述ー * 空白の五日間 《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日は ー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。 その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。 翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ 猛暑の中、その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともに ホテルに、チェックインした。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーン という耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、 ごく短時間だが意識を失っていたという)。仕事柄、少しは脳のことを知って いる私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分の どこかで起こったのではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、 それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に 麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。 左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。 これはへたをすると、 ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…そんな不安さえ 頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない 私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気に なっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的 には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットから パスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうして いる間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が 到着し(・・略) 救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか 窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前 を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が 読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、 どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、 極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、 あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に 思い浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で 意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、月並な 表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》 ▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、 救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。 状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく書きのこしている。 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは 思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。 ・・・・・・ 4192, 呪いの時代 ー9 2012年09月17日(月) *「今、付き合っている人いる?」の意味 ー草食系男子とは何? 「呪いの時代」内田樹著 最近は合コンとかいうのがあり、気楽に結婚相手を探すシステムが出来ている。 それと、ネットの交流サイトで知り合い結婚に至るのも多い。何気なく 「今、付き合っている人いる?」と声をかけるのも、実は巧妙な意味がある。 ーその辺を抜粋ー ≪とりあえずは恋愛の局面において「傷つかないこと」があります。 20年ほど前から「ロ説く」人が少なくなりました。それどころか「口説く」 という動詞自体がもう今の学生たちくらいの年齢では日常彙に含まれてない かもしれません。じゃあ、学生諸君は、交際を求めて何というか。 「今、付き合っている人いる?」です。これは、きわめて巧妙に構築された 「口説き文句」と思います。「今、付き合っている人いる?」という問いは、 一見すると客観的な事態についての価値中立的な問いのように見えます。 まるで、「今、雨降ってる?」とか「今、6時過ぎた?」と訊いているように 誰でも口にできるし、誰でもイエス・ノーで即答できるように作文されている。 まだ知り合ったばかりでお互いをよく知ないもの同士が、色いろあたりさわり のないことを話しているうちに話題も尽きてしまい、ふっと訊いてみた。 そういうふうなカジュアルな問いのようにみえる。あたかもその問いに対する 相手からの返答に自分はとりわけ関心があるわでがないけど、ちょっと聞いて みただけなんだけどと言わんばかりである。「今、付き合っている人いる?」 の問いに、仮に、「うん、いるよ」と即答されても、「ああ、そうなんだ。 ふ〜ん、でさ、キミ、音楽聴く?」というふうに、そんなことオレ的に関係 ないけどさ」的に修羅場から逃走できます。「いないよ」といえば、 「それなら自分と付き合わない?」と、いきなり具体的性行動レベルに切り 替えられる。「今、付き合っている人いる?」という問いを発する人は、 その言葉が性的アプローチであるかどうかの決定権を自分の側に留保している。 だから、「いるよ」という答られた場合は「この問いはただの社交的問いである」 と言い抜け、「いないよ」という答えが得た場合は「この答えは私に対する 性的関心の表明である」という解釈ににじり寄る。「キミが好きだ」という 告白に対しては、言われた側には無数の答え方があります。言葉で答えても いいし、鼻で笑ってもいいし、背中を向けて歩き去ってもいいし、何も聞え なかったふりをしてもいい(これはよくあるリアクション)。・・・ ≫ ▼ スナックやキャバクラなどで日常、会話されているポピュラーな言葉だが、 直ぐに思い浮かぶのは、「あんた美人だね!」「最近、シネマで何か見た?」 「オーラが漂っているね」「あなたの為に、この場があるような存在だね」とか がある。以前、女性の職場にいたときは、浅知恵で「三度褒め」を心掛けていた。 意外と異性は直接褒めないためか、三度目がポイント。少し軽いが誰にも 言っていれば変な誤解は受けない。言葉は相手を有頂天にも激怒もさせる。 最近は、褒めたことがない。 ・・・・・・ 3827, 集団爆笑 ー木曜五限の地理公民ー 2011年09月17日(土) (『ザ・万歩計』万城目学著) 人生では思わないハプニングで爆笑の渦に巻き込まれることがある。 以下は、ある随想にあったもの、思わず噴出した。 【 高見は一風変わった授業を進める教師だった。とにかく生徒を当てまくる。 次回までに解いてこい、と指定した範囲の問題を徹底し当てまくる。 彼は中学生の本質を、的確に見極めていた。甘い顔をして、放っておいたら どこまでも勉強せず、授業中、昼寝するだけ、という性悪説を信奉していた。 そして、その考えはおおむね正しかった。・・答えが間違っていると床に正座。 次に後ろの席の生徒が立つ。答えられない。正座。はい、次、また、正座。 こんな調子なので、クラスの九割が床に正座させられ、正規のイスに座る者が ほとんどいなかったこともある。おかげで、高見の授業は常に異様な緊張感 が漂っていた。事件は、この高見の授業で起こった。主役は三井。三井は強度 のビビリ。人前で怒られることに、極端な差恥を覚える性質の正直者。 あの日、高見に当てられ、問題文の朗読および解答を求められた三井は、傍目 にも哀れなほどビビっていた。斜め後ろの私の席からも、問題集を持つ手が、 緊張に震えているのが、はっきり見えたほどだ。三井は途中しきりに噛みながら 問題文を読み上げる。「アラビア半島の一角を占める、人口二百二十万人の オマーンの首都マスカットはアラア海とオマーン…」問題文は「首都マスカット はアラビア海とオマーン湾に面し、漁業と交易の中心地となっている」という 何でもないものだった。だが、三井はこのとき緊張からくる混乱の極み。 普段から冗談も言わない、根っから真面目な奴。ただ、男なら誰もが通る、 ちょっとした思春期の懊悩に、運悪く足元をすくわれてしまったのだ。 「アラビア海とオマーン……」で途切れ、数秒のブランクののち、三井は ぽつりと、「湖……」と続けてしまつたのである。その瞬間、大阪の片田舎の 男子校に笑いの爆弾が落ちた。教室に破裂した笑い声で本当に床が揺れていた。 いったん笑いが収まっても、誰かがふたたび笑いだすと、波となって全員を まきこんだ。 十分経っても、男どもはひたすら笑い続け、もはや授業どころ ではない。教壇の高見も笑っていた。「誰にでも間違いはある」とフォロー さえしていた。あれほど些細な間違いを見逃さず、なべて正座を命じていた男 の言葉とは思えなかった。もちろん、三井に正座命令はなし。三井の導いた 笑いは「鬼」と陰口された教師の心すら溶かしたのである。その日より三井の 名前は学校中に轟いた。あんなに笑った経験は、二度とない。とことん生真面目 な男が、私の人生最高のスマッシュ・ヒットを飛ばす。「人間には無限の 可能性がある」この言葉を聞くたび、思い出すのは、あの木曜五限の地理公民と 三井のこと。私が笑いの偉大さについて身をもって知った、十四歳の夏の午後。】 ▼ 以前に、ここでも書いたことがあるが、学生時代のドイツ語の授業で、誰か がドイツ語の訳をしていた。「・・その時、遠くから犬の鳴声が聞こえてきた!」 と、同時に遠くから、それを待っていたかのように、「ウ〜 ワンワンワン」 と犬の鳴声。その瞬間、かたい授業の最中、部屋中が爆笑の嵐。 あれだけ集団で腹の底から笑った経験はなかった。 ・・・・・・・ 3462, 純粋持続 −2 2010年09月17日(金) * 純粋持続と自由 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、 選択の自由を意味する。たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに 枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか自分の意志に 基づいて選択できる。そこに自由があるとされる。しかし、ベルクソンにいわせれば、 そのような分岐路を思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想で あり、生命の自由な持続に即したものではない。 生命にとっての未来というのは、 分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的 に創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一 であり、その発現としての純粋自我による行為。他方、物質界は一瞬前の過去を 惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、 物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 宇宙の万象は、 この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開である。 そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。 ▼ 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」。 その時は空間時間は消え、没頭している時、そこに「したいことを、 しているという自由」がある。純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も 空間も超越する。 (字数制限のためカット 2015年9月17日)
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| 5298,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑤ |
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2015年09月16日(水)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 法則 3 〜リーダーシップを高める ここで、 〜リーダーシップの「3つのカギ」と「5つの柱」〜が提示して あるが、今から考えてみても納得できる。だが、これは、あくまで起業のケース。 「達成する方法が分かる目標」は目標として小さすぎる〕は、本当である。 パラシュートで、敵地の真只中に飛び降りた時、その対応は出たとこ勝負。 目先の問題を一つずつ解決をしていく、それが起業である。何も知らないで 右往左往しているうちに、解決策が自然と現われ出てくる。崖っぷちに身を 置いてこそ、その知恵が湧き出てくる。リーダーシップも同じ。先頭に立って、 踏んばればこそ、それが発揮できるが、その背後に、十二分の準備が必要だが。 ≪ ーリーダーシップを発揮する3つカギー ❶「基準を上げる」 ❷「信仰を持つ」 ❸「ビジョンを持つ」 ーリーダーシップ5つの柱ー ❶ 自分の価値観を知る ❷ 人間関係をマスターする ❸「状況」を変えるのではなく、「意味づけ」を変える ❹ 時間をマスターする ❺ 感情をマスターする 〜 法則3の章末の‘まとめ’より ● リーダーシップの有無は、育てたリーダーの数で決まる ● 訓練を欠かさず、「健康」「知性」「感情」「精神」の4つの基準を上げる ●「達成する方法がわかる目標」は目標として小さすぎる ●「自分中心」から「他者中心」の意識が感情面での成長 ●「ビジョン」の真髄は、「成長」と「貢献」の中にある ● リーダーシップ能力を高める5つのキーワードが 「価値観」「人間関係」「意味づけ」「時間」「感情」 ≫ 〜ピーター・セージの格言〜より ● 心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」です。 ● 私たちは「意味づけを選ぶ」ことができます。 できごとが意味を決めるのではありません。どんな状況においても 「力をつける意味づけを探すこと」があなたを幸福にします ● 組織の責任者としてやるべきことは、「人々が持っている最良のものを 出させること」で、それは「人々が持っている最良のものを発見させる こと」よりなされる ● リーダーシップとは「正しいことを行なう勇気」のことです ● ゴールを設定するときに「達成の仕方がわかっている」とすれば、 そのゴールは小さすぎます。成長の余地はありません ● その人の人間性を試したければ、「力」を与えよ ● 目標設定する理由は目標達成するためではありません。 「目標達成できる自分に成長するため」です ●「自分への無条件の愛」が最初にあり、その後「他人への無条件の愛がある」 ● すべての中心は「愛」でなければならない ● あなたが何をしても、しなくても、あなたには「愛される価値」がある ―― ▼ 話は少し逸れるが、「出身地だけは、起業をするな!」という鉄則がある。 起業の地が新潟駅前で、新幹線で出身地から30分の距離があるが、 地元だったら、間違っても、ここに留まることは出来ないだろうに。 良質な?金融債権以外は、無かったこともあるが。それでも心の傷は深い。 ー心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」ー と、あるが、私は、「せめて自分自身が自分を肯定するしかない」。 ある意味で、私のバイアスで、肯定の意味づけを自身でするしかないし、 せめて自分を、まず自身が愛するしかない。 まずは自分に対する リーダーシップと、セルフコントロールが必要になる。挫折などといって いられないのが、実は、一番の状況か。 そこに必要なのが自身の温みになる。 その元の「愛」は、両親から受け継がれる。リーダーシップの元は自身の温み! ・・・・・・ 4933,コトの本質 −3 2014年09月16日(火) * 地球システムと、人間圏 『コトの本質』 松井孝典著 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、 今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方 から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を 捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう 見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。 グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、 ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。 また、彼方から太陽や地球を見ることができる。 ーその辺りからー ≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、 この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、 私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして 考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という 概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論 から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、 まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、 これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、 私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、 なくてはならない概念です。 ≫ ▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化 が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の 日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、 人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、 白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、 あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。 ・・・・・・ 4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2 2013年09月16日(月) 「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著) * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。 これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。 現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた 記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。 「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は 自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が 鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。 それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、 家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」 と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」 とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」 ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、 嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。 やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。 「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと 割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの 色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、 暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、 まずは自分を納得させるしかない。 ・・・・・ 4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー 2012年09月16日(日) * カテゴリーキラー 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって 「日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た 堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、 橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。 既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店 と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、 これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路 に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを 知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の 品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。 それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? * 近所の人の突然死 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は 5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の 老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。 「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に 家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家 の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、 一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車 をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ 病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、 けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力 の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が 女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で! ・・・・・・ 3826, 閑話小題 2011年09月16日(金) * 血圧か〜 スポーツジムで血圧を測りだしてから一月ほどたつ。130前後〜150後半 が、このとこの数値。以前から、この位だった。気にすれば気になるし、気に しなければ別に問題はない。体重は、二十年、標準を保っているし、食事も気を つけている。ただ酒量が多いことが問題。親戚で脳卒中で寝たきりの人は少ない。 ほぼガンか老衰で亡くなっている。でも、血圧も、血糖値も気にしなければ! ところで、一昨日の運動を終えた直後で158、昨日はリクライニング室の マッサージの直後のためか128。高いのか?こんなものか? 先日、公営の 小さなジムにある測定器では120だった。状況により大きく左右するようだ。 脳卒中で半身不随は辛いだろう。頭は全く変わらないというし。大学時代の少し メタボ気味が二人、半身不随になってしまった。 * パソコンゲーム これまでゲーム歴は、ソニーのPSPと、学生時代のパチンコ(数ヶ月に一度位) 以外、ほぼない。ここでiPadを購入したおかげで、さっそくフリー(無料)の ゲームを幾つかダウンロードして使いだしたら、これが面白い。午前中は スケジュールに追われているが、午後は時間がタップリある。それでも仮眠を したり読書やネットで時間をとられるため、夕食後からTVを見ながらゲームに 嵌っている。2〜3時間は時間がたつのを忘れてしまうほど。止めようと思って も、もう一回、もう一回と延々と続けてしまう。これを幼児の頃から楽しんで いたら、現実で自分をゲームの主人公にした夢の追及とか、目標のため目先の 苦労をすることなど避け、ゲームで達成感などを味わった方が遥かに楽に思える のだろ。 なるほどバカになるわけだ。 * ど忘れ 数日前に、以前に一度『哲学人』を、この随想日記に書いていたことに 後になって気づいたばかり。ところ再び昨日の朝、三年前の同月同日に、全米 NO1の弁護士の著書『議論に絶対負けない法』の感想文があるのに気づいたしだい。 これまでも、せっかく書き上げた後、何か書いていたような気がしブログ内検索 で書いていたことが判明し、没にしたことは何回もあった。しかし二回もたて 続きに気づくとは、やはり少し変か?やはり年齢のなせること? 書いたと同時に、ハッキリいって内容は一年後に、ここで再読する以外は皆無。 その分、後で読むと面白いが・・・ ・・・・・・・・ 3461, 純粋持続 −1 2010年09月16日(木) ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。 * 粋持続と真の時間 【たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、 こま切れにしたりすることはできない。このように概念や言葉から離れて 内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。 その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、 止めようなき自発、能動によるもの。これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。 この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。というのも、空間化とは 数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、そ れはもはや流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって 古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】 〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ 時計や、手帳やカレンダーなど空間に時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、 お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。それを真の時間と勘違い している。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も 直感で知っている。日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を 忘れている。人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を剥がしてみると、 そこには本当の時間が姿を現すかのようである。その「本当の時間」を 「眠った時間」の状態から分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」 と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を如何に確保できる かにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く 確保できるからである。空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが 果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。人間は定期的季節 の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、 さらに三等分して一月、そして一日、という単位を作っていった。農耕にとって、 それが大きく役立った。しかし、それは人間が作った約束事でしかない。 人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。 その時間こそ真の時間と看破したのである。 ー つづく
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| 5297,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー④ |
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2015年09月15日(火)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 法則 2 ーお金のつくり方 ここで、お金を得る方法として5つをあげている。 「勤めるか、相続か、盗むか、ギャンブルか、ビジネスをする」をあげ、 ビジネスでの成功を勧めている。ビジネスとは、「利益を創出すること」で、 宝クジの当たる確率が1400万分の1に対し、ビジネスは「5%」の 20分の1。とすると70万倍の確率である。「経済の歴史」から、有史 以来、常に「人口の5%が経済的に自立した人たち」である。 これは、 時代や地域に関係なく、あらゆる時代、国、地域に共通する。身近な例で、 私の世代では、まず高校の進学校に20%が、次は国立大か、私立なら早慶、 上智、同志社あたりに5%に絞り込まれる。そして、上場企業の勤め人か、 上級公務員になるか、実家の事業を継ぐか。数ヶ月前に、中学の「古希の会」 が湯沢で開かれたが、卒業時の成績が拡大したままが、その人生のようだ。 死んだり、ウダツの上がらないのは、出てこれないが、私みたいなのもいる。 ここでは起業を勧めている。とすると、20歳時に「創業}の人生を決意 したのは、賢明だったことになる。で、このザマだが、充実感は残った。 〜章末の「まとめ」より〜 ● お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」 ● お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ● ビジネスの選択は.「できること」ではなく「情熱」で選ぶ ● 起業に必要なのは「資金」ではなく.よりよい「戦略」 ●「購入額」と「購入頻度」がビジネスを成長させる秘訣 ● 起業を成功させる5つの秘訣は. 1.まず、「情熱」を持てる仕事か、 2、次が、「ニーズ」より「ウォンツ」の商品かサービス 3、どうすれば「付加価値」を上げることが出来るか、 4、自分がいなくても会社がまわる「しくみ」をつくる、 5、成功の「モデリング」をすること 「成功したビジネス事例のエッセンス部分」を、形を変えて 「自分のビジネスに応用してあてはめる」こと。 〜巻末の、ピーターからの「格言」より〜 ◎ あなたがお金を少ししか持っていないとき、それを気分が落ち込んでいる ことの言い訳にするのであれば、「常にお金が少ないという状態」が続きます ◎ よりよい戦略とは、「よりよい質問をすること」です ◎ 「人の感情を動かし、行動を起こしてもらう能力」は、どんなビジネス においてももっとも高い価値が支払われるスキルです ◎ 意思決定をする際に、この3つの質問をすることが大切です 「1・何がもっとも大切なのか?」「2・私は何が本当にほしいのか?」 「3・何がもっとも貢献できるのか?」 ◎ 方法はまったく関係ありません。「情熱」さえ注げれば、 方法は必ず現れるのです。どんな状況でも常に「道はある」のです ◎ お金とはあなたが社会に「どういう貢献をしたか」の証明なのです。 そして、豊かなマインドとは、「先に貢献し、そのあとでお金をもらう というマインド」なのです ◎ ビジネスをスタートするのに「お金」は必要ありません。 「よりよい質問」を自分自身に投げかける必要があります分 それは、 「どうしたらより多くの価値を加えることができるのか?」という質問です。 ――― ▼ 成るほど、上手くいっている時は、上記などの法則に当てはまり、 丁度よい塩梅で油断をしている時に、突然、想定外の事変で、転覆するのが 事業、いや人生のなりわい。幼児のときから、両親に規模は小さいが、起業 経験を、聞いてきた割に小さく縮んでしまった。でも、45年間の物語が、 そこにあった。何より良かったのが、『時間』と『閑』があったこと。 そこで、ふやけてしまった結果が、これだったが。人間の型だけは? ・・・・・・ 4932,コトの本質 −2 2014年09月15日(月) * 未知の外界に接し、子供のように興奮する! 『コトの本質』松井孝典著 現在の毎日が、まさに〔未知の外界に接し、子供のように興奮する日々〕。 45年間の事業も、その日々だったし、秘境ツアーも同じ。 現在も、 その延長にあるためか? 毎日が充実をしている。 ーその辺りからー ≪ 大学という環境で、私はいつもエネルギーが高い状態を保てます。 歳をとると、普通は、だんだんその状態から落ちていくわけです。 安定した軌道上に落ちてしまって、変化がなくなってくる。引退するときに、 よく、刺激を受けなくなったとか、燃えなくなったとか、モチベーションが なくなったとかいいますが、同じこと。私は、脳の内部モデルを更新していく ということが、無性に楽しいわけ。毎日のように、生命や地球、太陽系、 銀河系、宇宙について、次々といろんな新しいことがわかるわけでしょう。 タイタンに探査機が軟着陸して、探査するとか、どんどん未知の現象が眼前 に飛び込んできます。それについてどう思うか、考えさせられているわけ。 夢中になります。わくわくします。子どもみたいなものです。未知の外界に 接して、興奮する日々を送る。本当は、そのような機会をより多く与える ことが子どもの教育にとって必要なことなのです。他と接することによって おのれを知る。これが教育の基本です。いまの教育に欠けているのは、まさに その点です。それが欠けているから、自分を持たず自分の頭で考えられない、 ろくでもない子どもが育ってしまうわけで、ほんとは、子どもというのは そういう環境下におくべきなのです。外界と接し、境界を拡大することに よって、自らを知るわけです。それが、おのれとはなんぞやを認識すること でしょう。そのような経験を通じて自己ができてくると、初めて自分の頭で 考える、あるいは自分の意見というものがいえるようになる。さらに、 どこまでこの意見は通用するのか。それはここまでしか通用しないとか、 いろいろなことを経験して、普遍性、あるいは世間を知ったうえで、 さらに深いレベルで自分の判断ができるようになるわけです。 成長するということは、ここまではわかっているという、外側の境界を、 いつでも広げ続けていくことですから、毎日が楽しくてしようがないはずです。 新しい事象に接することで、その境界が広がっていくわけです。ここだけの 領域でしか通用しないことが、あ、ここでもそうなんだ。さらにここでも そうなんだ。 ・・・≫ ▼ 著者の本を何冊か読んで、ここでも、紹介したことがあった。宇宙の彼方 から逆照射の視点で見直し、 地球をシステムとして捉える。そして、 その一つとしての人間圏を改めてみると、気がつかなかったことが、見えてくる。 まさに、地球を支配しているサルが、その自然圏の資源を使い放題で、破壊を している。綺麗ごとを言っている私も、その恩恵を受けているサルにすぎない。 未知の外界は漆黒だが、光を当てると? ・・・・・・ 4565, 2050年の世界 ー6 2013年09月15日(日) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) * 第十九章 距離が死に、位置が重要になる 《 テクノロジーが距離を葬った。通信費は限りなく無料に近づき、様々な ソフトウェアーでこれまで以上につながるようになり、‘どこにいるか’が かってない程重要になる。》 これは10年前から現在に遡って言えること。 その何処かにいるのかさえ、重要で無くなる可能性がある。 大相撲やプロ野球の観戦も、現場より居間の大型TVの方が面白くなりつつある。 その意味でグーグルアースは、ますます重要な位置を占めてくる。 ー第十九章のまとめーより ・『エコノミスト』誌編集主任だったフランセス・ケアンクロスは一九九七年 に『距離の死』という本を書き、そのなかで通信費が技術革新で安くなり、 距離は障害ではなくなると予言したが、二〇一一年現在の時点でそれは 現実になりつつある。 ・一九九七年には、アメリカと欧州の電話料金は、一分あたり平均で八一セント、 二〇一一年には、スカイプを使えば2セントですむようになった。 ・国際間のテレビ電話会議とも言える「テレプレゼンス」はすでに商業化 されているが、今後はそれが家庭に安価に進出していくだろう。 ・携帯電話に搭載されるさまざまなソフトで、距離はさまざまな分野で意味を なさなくなっている。テキストメッセージで現金を移動させるモバイルマネー もそのひとつ。 そういうサービスで最も成功した一例が、二〇〇七年に ケニアで始まったM-PESAだ。 〔 *(M-pesa、エムペサ)とは、ケニアにおいて人口の約3割(1,300万人) が登録 するほど普及しており、銀行口座を持たない貧困層の金融システム へのアクセスを可能 にしたとして名高いSafaricom社のモバイルバンキング〕 ・典型的な発展途上国で百人あたりの携帯電話台数が一〇台増えれば、 GDP成長率を○・八ポイント押し上げる効果がある。 ・ウェブ空間上で、人の集えるソフトは、専制的な政府が集会の自由を圧迫 しているときも、それを迂回できる道を提供した。 ・距離が意味をなさなくなったことを利用し、各地域、各文化圏の労働力、 技術力の特長を生かした国際分業がやりやすくなった。そのぶん、どこで何を する、という位置が重要になってきた。開発の得意なシリコンバレー、スペック をもとにプログラミングをするのが得意なインドのバンガロール、厳格な運用 システムを創ることが得意なドイツ、といった具合である。 ・常時接続の世界により人々は互いに話すことに興味を失ったように見える。 市場調査会社二ールセンによると、アメリカでは携帯電話の加入者が自分の端末 で話す時間は、二〇〇七年からの四年間で、一カ月あたり一〇〇分以上短縮され、 七〇〇分になった。 ▼ネット社会が世界を覆い尽くし、それが全てを変え始めているが、その行方は 誰も知る由がない。それが距離より、それぞれの立ち位置を重要にさせていく。 家族や隣人より、ネットで継った友人が優先されるネット社会が現にきている。 そうこう考えると、「自分」「私」の哲学的問題も出てくる。 「ネットで継った私は何者だろうか?」「ネット社会とは何?」 ・・・・・・ 4190, 呪いの時代 ー8 2012年09月15日(土) * 草食系男子とは何だったのか 「呪いの時代」内田樹著 団塊世代の下の年代に草食系男子が多くなったようだ。今に限らず、 私たちの年代にも肉食系と草食系男子は別れていた。しかし中流階層が 下流階層に移行している現在、その比率が高くなってきた。この暗い世相の 中では、男子も下を向いて草を食べているしかないのだろう。50歳以下の 男たちをみると、多い。しかし自分が、この世代にいたら、草食系になりざる をえないのも確か。長期的右下がりは、いかんともしようがない。 ー 以下の部分が面白い! ー ≪ 僕のゼミで、このところ年に二回も「草食系男子」を自由研究発表のテーマ が取り上げる。学生たちは、草食系男子と現にかかわり深い当事者のみなさん ですから、その報告には「現場を見抜いたもの」にしか語れないリアリティがある。 ー以下、僕が彼女たちから聴き取った情報の一部を開示したいと思います。 草食系男子の特徴は、とにかく「弱い」ということです。きわだった特徴は 「すぐ泣く」、それから物を決めるのが苦手。「どこに行く?」とか。 「何を食べる?」とか訊いても答えられない。できることなら女の子に全部 決めてもらいたがる。身体的には細身・お洒落で・髪の毛の手入れと美肌に 関心が高い。かわいいしぐさ(胸の前で両手を組んで、口をとがらすとか、 外見的には哺乳類の幼生、なかんずくげっ歯類に通じる風貌をしている。 では、このような「草食的ふるまい」がもたらす生存戦略上の利点とは何で しょう。ある特異な社会的態度が集団的に採用される場合に「生存戦略上有利である」 という無意識的な判断が下されたためと考えるのが合理的です。実際に有利であるか どうかはともかく、有利であるという判断は下された。とりあえず誰でも思い つくのは、それが「弱い立場」にあることを強くアピールすることによって、 これ以上攻撃されることを抑止する機能を持つという仮説です。 僕も、この仮説には妥当性があると思います。 弱い犬が股間に尻尾を挟むのと 同じように、 あるいはマウンティングをされるのを尻を向けて待つ弱いサルのように、 「弱い」ポーズを取ることで、これ以上の攻撃を予防することが出来ます。 一種の「安全保障」として機能する。・・ こういうことが可能になったのは、 公的な「強いシステム」と、それに収奪され抑圧され管理されている 「弱い個人」という二元的な対立図式に置いて、常に「弱い個人」の個に正義 があるというチープでシンプルな物語を国民が選好したからである。草食系男子 は、おもに性的関係の局面で発揮されるが、とにかく傷つくことを恐れる。・・≫ ▼ バラエテー・ショーに出てくる若いタレントを、ほぼ、こんなのばかり。 私たちの年代から見れば「女の腐ったような男」「人畜無害のヤサ男」。 疑似ホモ化である。逆に司会とか、キャスターは肉食系を思わせる逞しそうな 女が目立っている。これもグローバル化・情報化によるのだろう。 ・・・・・・ 3825, 生命保険について 2011年09月15日(木) 一昨日のNHKの連続ドラマで「生命保険」をテーマにした連続ドラマが始った。 後で録画を見るつもりだがシビアな内容だろう。生命保険は名前のとおり命を かけた博打。 当たった時には、当人は娑婆にいないが、残された人に保険金 が支払われる。そのため胡散臭さが漂う。母親が生前、「自分には八百万の 保険がかけてあり、死ねば支払われる」と遺言書にあった。しかし、契約書では 80歳で切れていた。母の勘違いというより、保険屋が、そのことを言って なかったようだ。私は「保険は体の良い組織的詐欺の要素を持ったシステム」 という持論があり、保険などかけたことはない。 ーある本に、その辺のことが分かりやすい説明があった。 【 生命保険の保険料は、男性の場合、十万人が一斉に生まれ、順次死亡して、 百七歳で全員が死亡するという前提で、毎年の死亡確率を出し、これを元に 算出される。 四十歳の男性の場合、生き残っている九万七千三百九十人中、 年間に死亡するのは百四十四人。つまり、九万七千三百九十一人が払った 死亡保障の保険料は、不幸にも亡くなった百四十四人がもらい、その年は 終わりということになります。十万人生まれた男性が、半分の五万人を切る のは八十二歳。死なない限り払った保険料の元は取れない。】 「自分が死んだ後の身内のことを考え、保険に入っておく」という理屈は 分からないでもないが、それをネタに利益を得ようとする保険の仕組まれた システムは、契約書に業者に有利に作られているのは、当然のこと。 火災保険は、万一を考えると必要だが、それで「も利益団体の言いなり」と いうことを考えておくべきである。古来から金融の本質は、保険のあるという。 だから、そこは、専門家でさえ知りえないほどの騙しが隠されている。 私が保険嫌いのため、家内は心配で、家内名義の給料を38年間預金をして いたことを、一年前に知った。それが、この事態(倒産)の命綱になっている。 保険は、生々しい世界だが、この情報化のため、保険のオバサンの多くが 淘汰されつつあるという。 それと零細の業者も、ほぼ大手によって淘汰。 再編成もすざましいという。 何処も同じということだ。 ・・・・・・・ 3460, つれづれにー政治談議 −2 2010年09月15日(水) * 管首相の大勝利 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。 これは日本経済にとって深刻な問題。ある意味で致命的である。目先は分裂 することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。 この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、 彼が経済、外交音痴であることが判明。当分の間、政権を担うとなると考えた だけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底に 向けて容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。 我われに商売は直接、景気が直接反映するから敏感になる。結果からみれば 小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか分から ないし、次の選挙の資金確保という大問題に直面する。この歴史的危機でも 国家天下より、御身大事を優先するしかないのか。地方議員や、サポーター などの票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。 一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに自分の出番が 来ることを彼が一番知っている。二人の演説を聞いていて、管首相の内容が 国家のトップとして内容が乏しいのが渦中にいると分からないようだ。 過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れない のだから、民主党の議員レベルの質を問われて然るべきである。無政府状態が 当分続く。そして景気はますます悪化する。 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる? ー 以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日)
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| 5296,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー③ |
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2015年09月14日(月)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 『自分を超える 5つの法』とは 自分の長期目標を掲げて、そのための宣言書で明文化をして、それに精進 していけば、日々、自分を超えることになる。そこに自ずと3C主義= チャレンジ(挑戦)、チェンジ(変化)、コンペティション(闘い)が生じる。 それは現役である限り続くが、楽しむことが出来るかどうかが鍵となる。 〜その5つの法則とは 法則1: 成功の心理学(「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす 安定感のニーズ 多くの人は何かを求めるとき「安定感」を基準にしてしまう 法則2: お金のつくり方(お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」 お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ほか) 法則3:リーダーシップを高める(「リーダーシップ」は育てたリーダー数で 決まるリーダーシップを発揮するカギー 「基準を上げる」 ほか) 法則4:世界観をつくる(自分に「力を与える世界観」をつくり上げる 「成長」と「貢献」が世界観をパワフルにする ほか) 法則5:10倍強くなる文章術(すべての人にとって「文章を書くこと」は、 最重要の項目である コピーライティングは「創造力を高めた状態」で行なおう ほか) ―― * まずは、法則1:の「成功の心理学」より 「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす。 〜そのニーズ(欲求)とは 1、安定感のニーズ :多くの人は何かを決めるとき「安定感」を基準にしている。 2、不安定感のニーズ :人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる、不安定の量に 正比例する。 行動のさなかでは、恐怖は消える。 3、重要感のニーズ :真の「重要感」を持った人とは、使命を帯びた偉人である。 4、愛とつながりのニーズ :すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」である。 5、成長のニーズ :すべての生物は、成長し自分以外のものに何らかの貢献をする。 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠である。 6、貢献のニーズ :「力(パワー)」とは、世の中に貢献したいという思いの強さに 正比例して与えられる。 〜法則1 のまとめ〜 ◎ 人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる不安定量に正比例する ◎ 行動のさなかでは.恐怖は消える ◎ 真の「重要感」を持つた人とは.使命を帯びた偉人 ◎ すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」 ◎ 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠 ◎ ー力(パワー)とは、世の中に貢献したいという思いの強さに 正比例して与えられるー ▼ どうしても人間は、不安定より安定を優先するが、これが間違いの元。 ブッダが亡くなる時に、「この世の中の ことは、すべてのことは移ろい ゆくものである。従って怠りなく努めなさい」という言葉を残した。 自然界にも、人生にも、「確実なこと」など何もない。あるのは変化だけ。 人生には、「変化と、刺激」が必要である。とすると、そこには、 不安定が伴うが、その量に比例して質が上がっていく。安定過剰の ヘドロ人間は大よそ8割と見てよいが、それこそが娑婆である。 「したい時が、やれる時!」。その時にしておかないと、ゾンビになる。 しかし、変わりゆく世界の中にあって変わらないもの、それを つかんだ人間 が、世界の、人間の、本当の意味をつかむことが出来る。それは逆に変化 の中にこそ、現れ出てくる。 何か仏教めいてきたか! ・・・・・・ 4931,コトの本質 −1 2014年09月14日(日) * 喜びの根源とは ー魂の響き! 『コトの本質』 松井孝典著 〈 我を絶えず外界と衝突照合させ、そこで内部モデルが一新されるときの 快感はたとえようもない 〉という著者の切り口が新鮮である。 それが人生では、挫折とか転進などの節目に生じるアップスケール(脱皮) の時に生じる喜びになる。それと、壮大な自然の出会いの感動や、芸術の強振 の感激も同じである。「この感動は人生の大きな節目になる!」という感動が、 まさに新しい内部モデルである。秘境先のリアルな光景に感動して、魂に刻み つけ、バーチャルになる一連が、私のライフワークの秘境ツアー。 そのバーチャルと、TV番組の行先のバーチャルが重なって感動が蘇える。 ーその辺りからー ≪ リアルとバーチャルとか言いますが、とりあえずリアルと呼んでいるもの が外界と考えていいでしょう。意識に拘らず在るもの、といってもいいでしょう。 内部モデル的に整理されものが、バーチャルです。それは、リアルとは違います。 それはモデルですから。リアルというものをどう整理するか、というのは、 内部モデルの在り方に関わります。すっきり整理された内部モデルでは、 背後にあるものがすべて見えます。「ことが見える」という表現の中に、内部 モデルのすっきり感があるわけです。外界を投影した内部モデルの中で、 めいりようで、リアルな外界の構造が、明瞭に位置づけられるということです。 生きていくということは、交わるということです。我というもの、これは 大脳皮質の中に内部モデルとしてつくられるのですが、それは、外界と関わる ことによってつくられることになります。外界と関わることで、内部モデルが つくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければつくられ ません。我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。 人間の生においては「我とはなんぞや」というところの我の概念が生まれて こなければ、何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、 我という概念です。他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。 これはペアになっている概念です。 三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、 と考えられています。他を認識したその瞬間に、それを認識している自分と いうものができます。そういう段階から、絶えず外界を認識する作業を経て、 その瞬時、瞬時につくられているのが、脳の中にできている内部モデルです。 我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わることによって、内部モデルを 構築していく作業が、生きるということになります。その瞬間、その瞬間は、 それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を照合させ、 修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。そうやって内部 モデルができ、変容していく過程すべてが、生きるということです。 私は、考えることを仕事としたいと思いそれを続けているようなものですから、 学生時代からずっと考えるということとは何なのか、それを考え続けています。 自分という対象を、外から見て分析すると、これまで構築された内部モデル、 それが私の人生と考えています。私をいいかえると、私の内部モデルが それで、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫ ▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、 分かりやすい! 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルに かえていることになる。過去の文章を振り返ると、実感として納得する。 リアルは消えるが、バーチャルは映像、言葉としてリアルの一端を残す。 だから、バーチャルを侮ってはいけない。リアルとバーチャルは裏表。 そのバーチャルは、書換え可能ときているから複雑になる。 ー偶然だが、以下の文章に続くー ・・・・・・ 4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1 2013年09月14日(土) 『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著) * 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性 ‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。 それは知識だ’が納得出来る。 ≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す 工夫からもうかがい知ることができる。たとえば、どこかできいたことがある かもしれないが、円周率を何万桁も覚えているという日本人がいる。円周率は、 小数点以下、無限に続く意味のない数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も 暗記しているのが、原口謹さんだ。かつて私は、この原口さんと、五四歳のとき に円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた友寄英哲さんの記憶能力について調べた ことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、同年代の人たちとそれほど ちがいはなく、特殊な才能は何一つみられないことがわかった。 しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、「語呂合わせ」を使う 技能に長けていた。つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。 語呂合わせは、端的に言えば、数字の羅列のような意味のないものに意味づけ することだ。原口さんも友寄さんも、けっして若いとは言えない年齢であるにも かかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、二人が意味づけという記憶の 秘訣を使っているからにほかならないのだ。もちろん、何万桁もの数字の語呂 合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した努力を忘れてはならない のだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろう。 それは知識だ。知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもって いると、まったく理解できないような事柄であっても、自分の知っていること との類似点をみつけるなどして、意味づけが可能になる。たとえば、難解小説を 読むときに、作者の生育環境や交友関係などを知っているとよく理解できること があるが、これが知識による意味づけの一例だ・・ ここで重要なことは、知識が増えれば、その後新しい事柄に出くわしても その意味づけが可能となり、記憶に残る。ひいては、新たな知識として頭の中に 加わるということだ。つまり知識が増えるほど、新たな事柄の意味づけがより 多面的にできるようになり、知識に加わりやすくなる。よい循環が生まれるわけ。 逆に知識が乏しければ、新しい事柄も記憶に残らず、いつまでも知識は貧弱な ままという悪循環に陥ってしまう。一六世紀から一七世紀にかけて活躍した ベーコンは「知は力なり」と言ったが、まさに記憶にとって、知識は力なり」 なのだ。原口さんも友寄さんも、会って話をしたときに一番強く感じたのは、 もっと新しいことを知って、知識を増やしたいという、旺盛な好奇心をもち 続けているということだった。つまるところ、彼らの記憶力の秘訣である 多面的な「意味づけ」は、旺盛な好奇心あってのものだということなのだろう。》 ▼12年以上も随想日記を書き続けて、これにエネルギーを費やしていること に疑問を持たないことはない。反面、この御陰で人一倍の旺盛な好奇心を持ち 続けている利点がある。さらに記憶媒体になる上に、公開することで、情報と 知識のギブ・エンド・ギブにもなる。印象に残った読書内容を感想と共に 「起承転結」でパックにすることで、自分の知識として残すことが出来る。 知識が増えた分、新しい事柄や知識に出くわした時、その意味づけが深くなり、 記憶に残る。少しキツイが、私にとってベストの習慣になっている。 続ければ続けるほど、自分の底の浅さに愕然とする。 ・・・・・ 4189, 呪いの時代 ー7 2012年09月14日(金) 「呪いの時代」内田樹著 * 婚活も、「適職イデオロギーの刷り込み」の一種 ー第5章「婚活」と他者との共生ー ここで著者は、「ほぼ全ての結婚は、最後は『失敗だったな』と思うもの!」 と断言する。家庭内離婚を含め過半数が破綻しているのは知っていたが、ここで 殆んど全部というから驚きである。知人などから、こっそりと、『失敗だった』 という愚痴を聞くと、禁断の秘密を知ってしまったと思ったが、全部が、そういう ことなら話は別。 実際に暮らして分かる相性もある・・ ーその辺からー ≪ 婚活もイデオロギー的洗脳によってエンドレスの願客を作り出すという ビジネスモデるにおいては就活と同じ。就活における「適職イヂオロギー」 にあたるのが、「運命の赤い糸で結ばれた宿命の配偶者幻想」です。 世界のどこかに私だけに宿命づけられた一人の配遇者がいる。その人に 出会わなければならない。出会いさえすれば永遠の幸福が約束される… この赤い糸イデオロギーは幼児期からさまざまな物語を経由して、子ども たちに植え付けられます。この幻想から自由であることはきわめて難しい。 そのイデオロギーに悼さすかたちで結婚情報産業が呼びかけます。 ≪「この世の中に、あなたにだけ約束された人がいます。あなたはまだ その人に出会っていません。何故でしょう? それは『出会い』が足りない からです。私たちが、その出会いを提供しましょう。もちろん有償」・・ ≫ 「あらゆる結婚は(と申してよいでしょう)「これは失敗だったな」という 後悔を当事者たちにもたらします。必ず。 だから、ご心配には及びません。 僕たちは配属者の選択において、必ず間違いを犯します。そして、後になって 「なんで、こんな人と結婚しちゃうたんだろう…」と空を仰ぐことになる。 ・・ そうですよね。頭に血が上ると「この人こそ世界でたった一人の私だけ のための人だ」というような夢想に酔うが、普通はあまり継続しない。 「では、結婚しましょう」ということになり、両家の親族に挨拶に行き、 新居の家具を買いに行き、式の段取りをしているうち、「ほんとにこの人で いいのかなあ」という懐疑の念が兆してくる。「赤い糸イデオロギー」は 平たく言えばただの夢想ですから、現実の「やすり」でこすられるとポロポロ と剥落してくることは避けがたい。何となく「マリッジ・プルー」になっている うちに新婚旅行に行き、そこでいびきをかいて寝る夫や、トラブルが起きるたび 「あなた、なんとかしてよ」ときいきい叫ぶ妻にうんざりし、婦りの飛行機の中 では口もきかないというようなことが起こる。 いや、これは「あなたの場合」 じゃなくて、ほとんど全て(95%くらいの)夫婦についてなさていることなんです から、ほんとうは少しも心配するには及ぱない≫ ▼ これを読むと、社会の見方と人生観が一変する人もいるはず。とはいえ、 やはり夫婦というシステムは、一部動物と人類が作りあげてきた。やはり、 結婚と、その後の我慢はしておくべき。身も蓋も無い話だが、そういうこと。 ・・・・・・ 3824, 閑話小題 2011年09月14日(水) * スポーツジムに通って半年、その効果は? 月に一〜二度位しか休むだけで半年間ほぼ皆勤でスポーツジムに通っている。 スポーツジムの休日の金曜日と日曜日は市の公民館の中のスポーツ施設に行くが、 変化があって、これはこれでよい。お陰で体調は、非常に良くなった。足腰が、 この数年来、重くなってきたが半分以上は元に戻ってきた。 健康ジムの 「イージーライン」というプログラムに参加しているのが良い。12人一チーム で、若い女性のインストラクターの掛け声で、全員が互いを意識しながらやる ため、手抜きは最小になる。特に初めと終わりのストレッチが、非常に良い。 ここが要と、入念に足腰の関節部分に気持ちを入れる。このストレッチを早朝の ミニ・サイクリングの途中の土手のベンチの横で休憩の合間にもやるが、いま 一つ気合が入らない。 あの場でやるから良いのである。二年前に、酷い腰痛 になってから、居間や書斎の椅子に、低反発クッションを、寝床には低反発枕 と低反発クッション、居間には腰痛用の健康機器を入れたため、腰痛は最小に 収まった。そこに更に、健康ジム通い、体には良いはずである。また健康ジム そのものが持つ明るい雰囲気が良い。ここで痛感したことは、足腰に大きな 重圧がかかっていること。それを一日に数度、丹念に揉み解す習慣は最重要事項。 歳を重ねると足腰の弱体化から自然に猫背になっていく。これが、良くない。 前かがみの老人は不健康に見える。「老化すると、人は老人になる」というが、 老齢期に人生のそれまでのツケが一挙に老い被さってくる。そこで、まずは 足腰と、頭の老化は人一倍、気をつけないと・・ 成るほど、老いるとは、辛いことだ。 * 老老介護 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、案内された 小座敷の隣に80歳過ぎの老夫婦の先客がいた。少し妙な直感がしたが、別に 気にはとめてなかった。しかし私たちが入店した時には食事が終わっていたのに、 私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を飲みながら周りの客の話を聞いている 雰囲気が伝わってきた。それは別に問題ないが、家内がセルフ・サービスの コーヒーを取りに行ったところ、帰りかけで入り口にいた御婆さんが、家内に 「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたらよいですか?」と話しかけたので、 家内は戸惑い「私には、どうにもならないんで、店の人に御願いしたらどう」と、 少し冷たく答えたという。連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、 明らかに痴呆症が半分入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷い ときの辛さは痛感するので(痴呆が入ってなくとも)誰彼なく言いたいのも 分かる・・ 長生きは有難いが、精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。 老いただけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という 思いで、一日一日を生きる時節になってきた。 あの人は誰かに愚痴を聞いて 欲しかった?のか。長生きはしたいが、老いたくはない。 この矛盾が老いの問題になってくる。 ・・・・・・ 3459, 今日の民主党党首選は? 2010年09月14日(火) 昨日のヤフーの私のブログに 《小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。 選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話。真っ当でないのが、衆院選で当選 している可能性があるから、外れるかも・・ そこまで程度が低くない? 政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか 我われの身を守ってくれない。だから恐慌の現在、特に注目せざるを得ない。 小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。短命でも良いから、 政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、負けた方が良い。 その方が首相の立場で再編するより、やりやすいはず。だから党首選に立候補 して、接戦をすること自体が目的。その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。 そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に勝負があった ことになる。 それより民主党の代議士が真っ当かどうかの方に興味がある。 何でマスコミが、その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。 アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。ネットでは8割が 小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 (字数の関係上、カット11年09月14日)
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