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堀井On-Line
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2015年06月25日(木)
* 欧州旅行、一ヶ月 〜この馬鹿の出来かた! 大学の『海外旅行研究会』という愛好会が企画した40名参加のツアーで、 当時の参加費は30日間で、32万円。他を含めると40万円。現在換算で300万相当。 その前年に、海外旅行の規制が大幅に緩和され、非常に好評だった前年のツアー に続いての企画。当時、親しくしていた友人から、この企画に参加しないかと、 誘われていたが、「私とは別世界」と、決め込んでいた。ところが、たまたま、 軽井沢の山荘で、アルバイト仲間との仕事が終わった後の4人のティータイムで、 近々、海外旅行の予定が無いのが私だけだった。 その時、「自分も行こうと思えば可能のはず。そう、父親が幼稚園の頃から、 晦日にお年玉をもらったのを、積立預金してくれた10数万を、高校時代に選ばせ 買った『科研』の株式が値上がりをしていた。あれを売って残りを父親に借金を すれば可能なはず」と、その夜半に思い立ち、バイト終了後、実家にとって帰った。 まず母親を説得、そして父親を説得した。 その一ヶ月は、馬小屋のような寮生活 とは全く違った世界に浸った。20歳の年齢で、国内旅行の経験も、海外の情報、 知識も殆どない中での欧州を十数カ国の旅行。20年間の固定観念が根こそぎ 壊され、帰国後、数ヶ月は茫然自失。その頃、父が、突然、私の寮を訪ねてきて、 生活の実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。友人関係が、自ずと金持ちの 子弟に代わっていった。その友人達は、スカイラインGT、イタ車のカルマンギア などのスポーツカーを持っていた。彼らのお気に入りが、逆に私のボロ寮の部屋。 一度も、見たこともない底辺の漫画的世界に、逆に安らぎを感じた? 軽井沢の別荘地で見た富豪の邸宅群、そして、友人の私生活を見るにつけ、 「事業を興し勝組になる」という思いが強くなっていった。そして、学生時代 の最終の4年に、武澤ゼミに入会することになる。 事業の最後はクラッシュ? だったが、後悔はない。 高度成長時代の右上がりは熱気が溢れていた。 この温もり、時代が変わって抜けることはない。良い時代に奇跡的生きてきた。 逆目線でみれば、「この馬鹿が出来上がった原因は、この旅行と時代」になる。 ・・・・・・ 4850,閑話小題 ー自動車ウォッチングで見えてきたのは 2014年06月25日(水) * 閑話小題 ー自動車ウォッチから見えてきたことは 22年乗ったソアラの寿命も果て、中古の『マークXジオ』を入替えたが、 後悔をしないため、一週間、地元の中古車センターを10軒以上を見て回った。 そのため、私にとっては、一応ベストに近い選択であった。 これはホンダの多機能車の『オデッセイ』を意識したワゴン車。その差異は、 ターゲットを団塊の定年層にしたもの。座席が三列で、二列、三列目は座席を 倒すと荷台になる。展示場で、隣にあった『マークX』と、ギリギリ迷ったが、 昨秋に製造中止になり値崩れをした、Xジオの方にしたが、気持ちのどこかに 「セダンの方が良かったのではないか?」と、引っかかりが残っていた。 一週間、気持ちを集中して中古車を見て回った結果、あることが見えてきた。 車を選定するに、まず予算。次は何年乗るか? 年齢からみて、7〜8年。 それなら中古車で充分。次は、安全を考え、中型車のセダン、スポーツタイプ、 ワゴン。次は、ひと目で車種が分かりにくく、「屋敷」とのバランスがとれた 外形のものを基準にして、最終的に、これに決めた。ソアラに比べ少し重いが、 半月後の現在、殆ど後悔はない。毎日の信濃川へのポタリングで、信号待ちや、 大手大橋で引きチャリをしながら、通過する自動車ウォッチグが、最近、面白く なっている。その車の選定には、様々な要因が重なっている。それがボンヤリ 眺めていると、面白くて飽きないのである。 そこで気づいたのが、6割が 軽自動車と小型車。雪国もあるが、中型車以上のセダンが意外と少ないこと。 7割がワゴン、SUVか、それに類するもの。それも、ミニバンと、ワゴン車 が目立っている。セダンは、車種全体からみたら大よそ15%で7台に1台。 中型車以上で4台に1台の割合。ワゴン、ミニバン、ハッチバックなどの比率 も、3対1には驚いた。 何か「いい年をワゴンタイプは、いかがなものか」 という引っかかりがあったが、これはこれで?と、納得。 それにしても、 22年で、時代も車も、変わったもの。この程度のことさえ知らない。 人は、それぞれ違った色のサングラスをかけているが、その自覚がない! ・・・・・・ 4483, 電動アシスト自転車に乗って、はや4年 2013年06月25日(火) 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。まずは、その時の文章より ー3131,期待どおりの電動自転車ー 2009年10月31日(土) ≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。 自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、長岡駅前から歩いて20分の 大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコには15分、 ユニ系のSCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前 近くまで戻って、家に着いたのが50分後。万歩計をみると、2500歩に なっていた。50分というと5500歩になるから半分近くになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに 乗るぐらい。一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど乗ることは なかった。そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシスト の自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力を かけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、 その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。コースは線路の下 をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂 とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の 加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。ところで、通販で注文して 送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が、「すぐに、盗まれるよ!」 というのも分かる。小型のためボックスカーに、簡単に乗せる事が可能だから。 一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って 直ぐに盗まれてしまった。あと数年先がよいと思うよ」といわれ買うのを止めた 経緯もあった。スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫ ▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング (ミニサイクリング)に切り替えた。同じ一時間で、コースは東バイパスから、 長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、 長岡大橋に戻り、同じコースを逆に帰ってくる。 冬期間(12〜3月)と雨天を 除くと、ほぼ毎日、乗っている。大よそ、年に200日として7百回以上、一日、 14キロで1万キロ、地球を半周、チリ辺りまで走ったことになる。 スポーツチェーンのネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって 大当たり。現在は値下げで49800円。もうボロボロだが、何とかあと一年使って 買換えるつもりである。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを買う つもりだが・・ 自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプ などがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。 来年の購入予定は ナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴き ながらの早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。 最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。 ・・・・・・ 4109, 閑話小題 ーつれづれに 2012年6月25日(月) * タクシー運転手の「声」の投書内容 昨日の朝日新聞の『声』に、タクシー運転手の投書が気になった。 「連休明けから景気がおかしいとか、野田政権の改革なき増税とか、原発再稼動 への批判ばかり。実際にタクシーの売り上げも悪い」という内容。もともと5月 の連休明けに売り上げの一段落ちは恒例だった。としても、今年の落ちは厳しい。 実際に事業を無理をして続けていたら、今ごろには深手で力尽きていたはず。 一年先までの資金繰りが読めた事業だったので、早々に見切りをつけたが、本当に 決断をして良かったと実感している。ホテルの買い手が直ぐにつき、5つの新潟 駅前物件が処分出来たが、現時点では無理だろう。消費税が内税ということもあり、 経費の5パーの負担は限界を超える。その上に、値上げによる売上げダウンは 避けられない。とはいえ、増税以外に収入を増やす手立てがないのも事実。 民主党も自壊段階に入った上、小沢も完全に終わり。あの自民党の面々を見ると、 石原か橋下しかいないのだろう。現場の先端は震撼としているのだろう。 * 原監督の件で、マスコミはダンマリ 土日のワイドショーで原監督の下ネタで大騒ぎをするかどうかみていたが、 殆ど扱いは無かった。読売の渡辺恒夫が恐ろしいのか、影の話合いがあったのか? 一局を除いて、どのTV局も扱い無し。誰がみても後ろに暴力団が関係して いるのは分りきったこと。ということは早かれ遅かれ原監督はプロ野球から追放 になるのが自然の流れ。巨人のスター選手なら、下ネタの2〜3はあって当然だが、 警察に相談しなかったのが致命的。うやむやに闇の中に葬り去られるか、 恐喝犯が逮捕されるか、見もの。 恐喝の二人のうち一人が交通事故?数年前に 死亡しているという・・ 事件が事件だけに、それも事故かどうか? おまけに、リークしたのが元球団代表の清武なら、これ以上面白い筋立てはない。 やはり当分は、これが槍玉に上げられ、その間に、消費税が可決される。 現役の巨人監督のスキャンダルなど、これまで聞いたことがない。 それも輝かしい功績があり大スターである。 ・・・・・・・ 3743, 閑話小題 2011年06月25日(土) * エアロビックス スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、 スタジオで色々なプログラムをこなしている。15〜20分の休憩をおいて何かが 30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど 参加者が少ない。男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして 恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。 年代が高い人や メタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの 間の空間で、インストラクターの指導で、12人がステップ台とマシーンを 交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの 参加者が冷たい?視線で、行列に並びながら見ている構図になっている。 このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて 参加してきたが、この梅雨の湿気で一回限りにしている。 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟を して参加したが、意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」 「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」 など10回以上は参加した。 最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついて いくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。それにしても、 あの熱気は凄い。時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを 堪えている。今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、 ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。面白そう だが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか? ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる 時間帯では、2〜3割位は減った気がする。不景気が影響しているのだろうか。 ・・・・・・・ 3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2 2010年06月25日(金) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく 一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、老歴期までの準備の蓄積 の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の 最終の中学校の同級生を見ると、その時の成績順が、人生の生き方を決めている。 一番が慶応大教授、二番がレコード協会専務理事、三番が・・ そんなことは、 この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったが、 街中の学校区ということで集まっていただけ。地元には新潟大学の付属の 小中学校もある。学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の 子供が行く学校。子供なりに、腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。 最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校にわざわざ越境していたと 数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材が いたようだ。 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は 東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。 もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を表すというが、 次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が 就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。そうこう考えると、両親の 質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。 その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、 先日の広島のマツダの無差別殺人は、これらの不条理が本人に覆いかぶさった 結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。 結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。これが果たして、不条理を乗り越える役割 とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。 ・・・・・・・・ 3003、アルコール依存症 2009年06月25日(木) これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、 一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。といって私から酒の癖の悪さを 取ったら、これほどツマラナイ人間はいない?と、一人うそぶき飲み続けている。 少なくとも10年は命を削っている。人間関係も10倍、いや100倍は広がって いただろう。 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、 アルコール依存症という。(但し国際基準) ・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が 弱くなってきて、1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。 ー適応 ・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状 (禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、 イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。 ・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」 「ビールだけにしとくつもり」 ー適応 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」 で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。 ・4番目は、何度か酒をやめよう減らそうと試みるがうまくいかない。ー半適応 ・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が 長くなってきた。 ー不適応 ・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなった。ー不適応 ・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、 まだ飲んでいる。 ー適応 これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。 特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、半分の3・5が適応 するから、軽いアルコール依存症というところか。また国際基準というから。 少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の 死因でも自殺がトップ。年間3万3000人の自殺者が出ているが、その 15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。過度の酒は緩慢な自殺 の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから 止められない。しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚して いなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。 解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。 ・・・・・・ 2639, 世界の原子力発電の実情はどうか? 2008年06月25日(水) このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。 更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉エネルギーが見直されている。 地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態 今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。 一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、今では影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。 ーー 世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、運転中が429基 (約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、計画中が47基(約5217万kW)と される(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカが 最大で、06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、 59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ (約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。 ーーー 情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が 一挙に消えた。それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替 エネルギーの比率を大きくしてきたから。それでも、日本は危機状態といって よいから、必要悪としてもなくてはならない。 ・・・・・・ 2007/08/06 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている? (字数制限のためカット2010年6月25日)
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2015年06月24日(水)
* ゴールデンタイム 30数年前から就寝を20時半、起床を4時(冬場は4時半)にした。 就寝して4〜5時間、爆睡後、起床するまでの4時間、半睡状態が続く。 その間、脳が活性化をして、様々のプラスとマイナスの思いが起こってくる。 このコントロールが難しいが、これも慣れると、思いの大波の上のサーフィン をしているような感覚になる。で、時どき、睡魔に沈むが、これは自然に 任せておけばよい。そして起床をして、前日書き上げた随想日記の下書きの 当日分を、推敲し完成する。と同時に、翌日分のテーマと内容も書き始める。 その時、0〜4時までの半睡状態で考えたことが、材料になることもある。 そして、ブログにアップした後に、一時間の自転車散歩に出発する。 帰ってきて7時半にコーヒーを飲み、軽い食事後、風呂に入る。それまでの 0時〜9までが、私のゴールデンタイムになる。 9時過ぎから12時近くの読書 タイムも、ゴールデンタイムに加えてもよいが、9時から17時までは、シルバー タイムに区分した方が生活実感に近い。すると、17時から20時のTVを見ながらの 晩酌やiPadタイムの時間帯はプラチナタイムになる。20時から0時は、そのまま 爆睡タイムか。 現在、週に三日間、スポーツジムで45分間の、「ヨガ」に 参加しているが、毎回、終了直前の5分間に、ヨガマットの上で「大の字」に なって、全身を弛緩してマントラを聞きながら、「死者のポーズ」をとる。 その時のイメージを0〜4時に思い浮べて、瞑想の要素を入れたところ、 その時間帯のマイナス思考の割合が少なくなった。その時間帯のフラッシュ バックや半睡を冷静に見つめる視線を持つことが出来る。老いは、どうしても 弱気になり、動揺が起こり沈みがちになるが、バウンドをつけるのは自分だけ! 生きてきた、そのまま、老いて死んでいくというが、なるほど。 娑婆! ・・・・・・ 4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ! 2014年06月24日(火) * つい本音が出てしまう! 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 普通の子女史が売春する値段が世界共通で、その地区の平均給与の一週間分とか。 それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前 の2007年暮れから6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が 112円。一割しかドル安になってない。常識的にみれば、三分の一の40円 以下になって然るべきなのに。その差額は? アメリカが刷った分、何もしない で手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、どこが違うのだろうか? 当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。これも3倍になっておらず、 不自然。 大元が、コントロールしているため。最後は、お金だが、その価値も 当てにはならないことが、これから垣間見れる。 金の本質は所詮幻想! としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に戦争を起こし、 ドサクサでハイパーインフレにし、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、 世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、 貧乏な中国、ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる 図式が近未来の姿。で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 当地の住民のインタビューが的を得ている。 『最後は金だろうが、それを 担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。 本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。 * 都議会の女性差別?発言 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だが、偶然、マイクに拾われ、 大騒ぎになってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。 少子問題を取り上げる当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくり をして、その範を示せ!』というのも一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。 阿部首相が、「この難局には、更なる女性の社会進出が必要」と政策を掲げて いる中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、女性蔑視発言と、 嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかった だろうに、言葉は恐ろしい。 ・・・・・ 4482, 静かなる大恐慌 ー2 2013年06月24日(月) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら 止めることは出来ない。それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、 乗り越えなければならない現実がある。 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると ◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わり を迎えた。それを繰り返さないために何が必要かを考えることこそ、この危機 の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁) ◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎた グローバリゼーションへのバックラッシュのなかで、いかにグローバル化路線 を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。 それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための 「大きな政府」の必要性になる。 ◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、 「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなり もったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。 ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を 今さら変えることも否定も出来ない。この事態は何事も事前に対策をとる ことが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、 何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは 到底思えない。 これらから、以下の問題点が見えてくる。 ・グローバル化は大きな政府をつれてくる。 (格差や失業は福祉でカバーしなければならない) ・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。 ・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。 ・グローバル化は新興国の足かせになる。 ・グローバル化は地方を疲弊させる。 ▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。 パソコン、携帯電話が地球の隅々まで行渡りネット社会が現実社会の上を 覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも 民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが 全く確立出来てない。その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊して いる「アラブの春」といわれる現象である。したがって、政治経済の混乱は、 あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、 数千年に一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのでは なく、可能な限り静かに順応していくしかない。 ・・・・・・・ 4108、パニック! 2012年6月24日(日) * 大恐慌、実体験談! 「大恐慌! 」スタッズ・ターケ著 日本人の近い未来を予測させられる本である。80年前の大恐慌の経験を、 30年後の1960年後半にシカゴを中心に金持ちから貧乏人、白人、黒人、日本人 などが大恐慌時代の生々しい現実をインタビュー形式で答えている。実体験なので、 これからの暗い現実を垣間見ているようだ。直撃を受けて生活に困った人、運良く、 乗り越えた人などいろいろある。ここでは生きのびることが、その世界の掟。 世間知らずだった人々に、突然世界が押し寄せてきた当時のアメリカの生々しい 現実がリアルである。大恐慌は、バスタブの栓が抜けるように始まったとある。 それが年内に始まる可能性が大という。他人事でない、私の場合、現実に一年前に 先駆けて起こってしまった。そのため、それが始まった時の混乱がリアルに見える。 鼻声で他人事で嘲笑している顔が、海岸線にいた津波の犠牲者に二重写しに見える。 ーアマゾンの内容紹介ー 80年前、人びとはあの“つらい時代”をいかに生き抜いたのか? そして今、われわれはどう生き抜けばいいのか!『仕事!』『「よい戦争」』 等でインタビューの名手と謳われたスタッズ・ターケルが、ローズヴェルト 政権の中枢部から失業者、役者、犯罪者にいたるまでさまざまな階層・職業の 人びと132人にも及ぶ声を赤裸に再現、あの“つらい時代=大恐慌時代”を なまなましく蘇らせる。 * 「恐慌(デプレッション)」って言葉は聞いたことがないよ。 つらい時代(ハード.タイムズ)だって、みんなは言ってた。今も。 ーロジャー、十四歳アパラチア地方の少年、シカゴ在住 * 大恐慌っての、今なら面白いかも。ホント、すごいことじゃないかな。 路上生活をしたって、「ほら、家に帰って学校に行ってくれさえすれぽ一万$ あげるから」なんて誰にも言われないんだもの。今のぼくらには選択の余地 がある。もし選ぶことができなかったら、どんな感じかな? ートム、二十歳 * このことをおたしは記憶にとどめています。人によっては頭のなかから 追い払ってしまうことですが。わたしは忘れたくない。自分の最高の思い出を それで汚したいわけではなくて、それはそこに存在していてほしいんだ、なに しろ実際に起こったことだから。これが真実、歴史でしょ。ーシーザー.チャペス * 彼らが愛したのは、死んでしまったわたしたち。 彼らはわたしたちの誤りをすべて忘れた。わたしたちの名前はごたまぜにされた。 物語は長かった。若者たちは踊った。焚き火にくべる新たな大枝を切ってきた。 そして言った、さあ話の続きを聞かせてよ。それからどうなったの? わたしたちには沈黙があった… ージェネヴィーヴ・タガード、婦九四〇年 ▼ 黒人のインタビューで、「貧しい俺たちにとって、大して変わりはないね」 という言葉が印象的だった。誰かがアフリカの難民を呼びよせて福島の惨状を みせたが、何も言わないで帰った。彼らにとって、それが日常でしかなかった。 ・・・・・・ 3742, 世界でひとつだけの幸せ 2011年06月24日(金) * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では 考え方の一つとして割り切ってみている。その最たるものが、中村天風の「 積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、 置く習性になっている。現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。 その辺のタイミングは心得ている。あまりポジティブ思考に固執すると、 嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。 ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。 当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、葛藤が大きくなる。しかし、 そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。ところで、この本、 読み始めたが面白い。 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や 悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた 生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを発揮したから、ここまで 到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待って いる」という考え方は説得力がある。そこで私の強みとは何か?を、人生を振り 返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」 であった。初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。当然といえば 当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、 可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。 その一つが、10年前にHPをネットで公開し、因縁のある人に学んだことを 晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 で、このザマ? それでもかまわない。その通りである。この習慣そのものが、 自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていく ことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままにしてあるが、治そうとしない、 だらしなさがある。人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、 形而上に変換し、考えることだが・・・ ・・・・・・・ 3377, 人は風呂に何を求めるのか 2010年06月24日(木) 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れて いればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。世界中で、汗をかくほどの 湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かる のも日本人だけ。だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンの シャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として半地下の小屋で火を 焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。これが、焼き石を持ち込むことに 替わり、焼き石に水をかけて蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。古代ローマも、 各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。 ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴 から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂に なっていく。「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、 現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、汗をかいた後に、汗や 垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の 気持ちになっていた。刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。だから、日本人は 昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると温泉に長時間の療養を してきたのである。 国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題に なったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。 ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。 ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に 30分ほどつかる。その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。 5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、信濃川岸のサイクリングか ウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、 帰って新聞を読んで、風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、 気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。 ・・・・・・・・ 3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件 2009年06月24日(水) 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の 至近距離にあるホテルの美容室に勤務している娘が昨夜帰ってきて泣きながら、 殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」 という。 特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。 新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュースでは100万円 以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかった のだろう。 それにしても、事務所内は血の海で、血の足跡が外まで続いていた というから、凄惨な殺し方のようだ。月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金から みて、極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって 決めておいて逃げたのだろう。犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの 可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、 黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 (字数制限のためカット 2012年6月24日)
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2015年06月23日(火)
* 私の高度成長時代 文藝春秋:2月号の特集に、『素晴らしき高度成長時代』の特集があり、 それぞれの高度成長時代の思い出の手記があった。1960、1970年代では、 今では想像を絶する右上がりの経済成長の時代で、各家庭には電気洗濯機、 テレビ、冷蔵庫が普及をはじめていた。昭和39年には東京オリンピックが 開催され、私は団塊の世代の直前の生まれで、同期の競争という面では、 絶対数が少ないこともあって、競争意識が少なく恵まれた環境であった。 10歳までは駅前の繁華街に、11歳〜18歳までは長岡駅裏に住んでいた。 高校を卒業直後に駅より徒歩10分の今朝白に両親にとって終の住家として、 当時としては豪邸を建てていた。その直前に進学のため上京した学生寮に、 何かの縁で入ったが、そこが500坪の敷地内に馬小屋のような「くの字」の 平屋。土間の通路の片面に、4畳半と6畳の部屋が20室ほど並んでいた。 そこは今でいうシェアハウスのような共同生活で、国内の様々な地方出身の 学生が住んでいた。 各部屋にはドアがあるが、誰かがノックをすれば、 入室拒否が出来ない不文律があった。それで、様々な赤裸々な私生活を知るが、 人間を知るにはプラスにもマイナスにも働いた。そこで教えられたのは、 まず文学など基礎教養の絶対量の必要性を実感する反面、剥き出しのエゴと 品位が、まる見えになること。各自の素性を聞くことも、話すこともタブーで、 一学生という身分で、分け隔てのないのが学生時代の特徴である。地方出身者 と、東京在住では、生活の質は大違い。炊事洗濯のエネルギーは思いのほか、 大変である。時代は高度成長時代の真只中、学生時代を満喫していた。 学生時代を大雑把に分けると、 ・1〜2年が、クラブの合気道と合宿。 寮生活。 ・2年の半ばから、軽井沢の山荘の手伝いと、夏休みの『人生設計』の構想。 ・3年は欧州の一ヶ月の旅行と、そこで親しくなった友人たちのと交友。 ・4年が武澤ゼミの入会と、そこでの卒論。 六日町の禅寺「雲頓庵」通い。 3〜4年を通して、合コンが7〜8回はあった。 現在から振り返ってみて、やはり、2年の夏休みの『キリスト教倫理』の教授 に出された宿題、『将来の人生設計案』の提出。この時に、人生で初めて、 自分の将来を真剣に考え、提出した。時は、日本経済の高度成長、真只中。
・・・・・・ 4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20 2014年06月23日(月) * 衣料品の季節物は投機商品 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。 新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、何もかも初めて。 セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、 その混毛もある。その裏を見ると、生産メーカーや、素材などが表示してある ことすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。 ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、 毎日が、高速配転という名の現場教育で、連日が未知との出合いは経験済み。 キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような 創業者を目指す」と決意したとき、それは、新規事業を立上げるキャリアを身に つけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を 自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、 この結果に終わったのは、10年目か、少なくとも15年目で、その事業から身を 引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を 繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、 茹で蛙になってしまい、バブル崩壊とネット社会の到来がもたらす激変を読め なかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。 最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、 「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。話は戻る。現場に飛び込んでみて、 季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に 分け、それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、 季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。それが商品毎に違うため、 年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら 「切った(殺傷)、張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、 はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」になる。これには、 経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がない と確信するのも分かる。しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てを すると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。 これに、 エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の 生活環境と、創業を決意しての10年間の自己配転の全てが、極限の中で、 プラスに働いていた。 ・・・・・・ 4481, 静かなる大恐慌 ー1 2013年06月23日(日) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も 述べているが、マスコミはテーマにしない。タブーかどうか分からないが? 地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、 私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしない というより、明日は我身で黙るしかない。 その現状そのままを、ズバリ書いて ある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね 合わせ、世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。 ー まずは、プロローグより ー 《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と 同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済 の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が 激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」 の復活しかない。この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。 グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への急反転という ショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》 ーその幾つかを抜粋してみたー ☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、 それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄えると (『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義という システムは、一見、アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは 機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本 主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95) ☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。 資本主義は人々の欲望の塊が原動力。それを野放しにすれば必ず反動という 自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。 現在の世界経済を1920年代の大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。 20世紀初頭の第一次グローバル化と、その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。 そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。今は、その後1970年代の ブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。 ☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、 このうちどれか2つしか同時に成立しない。グローバル化と民主主義が成立 すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、 日米のように国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた 国家主権と民主化を重点とした政策が必要。 ▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。 そして、現在も、酷似しているという。現在のネットが、当時としては電話の 普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを抑えて いるが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その 先頭に立っている。著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に 重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか選択の余地はないのでは と考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。 恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が 消し飛ぶほどの何か、例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と 太平洋戦争のような。 −つづく ・・・・・・ 4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト) 2012年6月23日(土) 第二章 まだ自分をさがしているの? ーデカルト― * 我狂う、ゆえに我なし! 「哲学で自分をつくるー19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著) デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。 ≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、 としている。「Aという定理は間違っている」ということを新たな「Bという定理」 から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」 が言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っている のであって、狂っていないことになる。私は先ほど狂っていたが、今は正常です、 と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるものと してデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、 「私が考えるということは、狂ってない人間」の特権と化すのである。 ・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」 場合は「我狂う」という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言って いるに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって最初から排除されて いるわけである。≫ ≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、 考え尽くした上で、疑えないものなぞない、という結論に至った。この世に 何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いを さらに突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、 「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、ということである。つまリ、 疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」である ということ。懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かな ものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や「本当の自分」を探ると いうことは、至極当然のことで、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。 ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」 を見つけることができると思っている。だが、それは本当に可能なのだろうか。 もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、 今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。 だが、ソクラテスが目指したのは【魂の鍛錬】で、「私らしさ」ではなかった。 彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。「ソクラテス」はいたが 「私」ではなかった。この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば 江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」 の元祖なのだろうか。実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中 に確実なことがあるのかを見極めることであった。探していたのは確実性であり、 「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。確実なもの として「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかった。≫ ▼<「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない> は、「嘘つきのパラドックス」に似ている。エピメニデスという哲学者が 「クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス自身が クレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも 嘘つきなのだろうか。だとすると「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も 嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。では エピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきだろうか? という哲学問答である。人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、 ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。狂っていたなずと、 狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 これは私だけではなく万人にいえるが・・・ ・・・・・・・ 3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? 2011年06月23日(木) 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を 誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。この疑問に至ったのは、新聞広告で 「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著) を知り、アマゾンで 概要を読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアが パチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。 ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれに なった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き 去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を 取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての 店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて 新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている 識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット2012年6月23日) ・・・・・・・ 3376, 生涯に直面する四つの不条理 2010年06月23日(水) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 * 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容。 ー 以下はネットで調べた概要 ー 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。 一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。 これは厳然たる事実である。市場主義者は機会の均等を前提として社会の あり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいとは 教育に力を注いだもの。世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の出産率は2.13で、 夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実は じわじわと階層化が進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて 高い者たちが直面する不条理である。 二、次は、若者たちが直面する不条理。社会に出るときの背景に恵まれたか どうかである。青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から 職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者に なれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、時に一生その人につきまとう ことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。 三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。高度経済成長の時代 には生活の場を女性が一手に引き受けて、生産の場を稼ぎ主の男性が担うという 役割分担論でやってきた。不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。 男女の働き方が欧米に較べ大きく異なっているのは、労働市場が男女で分断され、 女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ社会的支援 が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産と はっきりした差異があることである。医師は男性、看護師は女性が多いという 風に断絶している。 四、最後に高齢者たちの不平等である。高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄え がものをいう人生の終盤期であり、蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。 「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は同居する 家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには 周到な老後設計が求められる。高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて 高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、日本の 高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌 するが、日本では年金だけで生活できないので老後の心配から、いつまでも 働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が 60%から20%へと急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加。 単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。大世帯という集団が 解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。 ▼ 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、老後の不安は最小にしてあるが、 この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、 恵まれた両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。 成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。老後は、それほど為残した こともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。 その段差が世代間格差か。
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2015年06月22日(月)
『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著) * 世の中全体の一割が成功者、3%が心満たされた人たち この本に、【いわゆる「成功者」「お金持ち」と言われる人たちは、世の中 全体の10%ほどいて、7%が「お金があっても時間がないとか、人間関係や、 健康に恵まれておらず、本当に幸せでない」と言われている。】とある。 別に、金満や、成功者でないとしとも、5人、いや3人に1人は、けっこう 幸せと思っているようだ。 私の場合、会社整理というハードランディングに 近い着陸だったが、ショックによる鬱症対策に、早朝から就寝するまで、好きな、 楽しいと思えるスケジュールを組みこんだ。そうもしないと、自滅する可能性が あった。それらを、淡々とこなすことで、心身の健康管理をしている。 このストレスの「苦」は、たやすく消せるシロモノでない。それをカバーすには、 その3〜6倍の「楽」をスケジュールに組み込むしかない。著者はテーマで、 3%が心満たされる人と決めつけているが、私の見立てでは、金満でない人も 含めると、3割だろう。そのうちの上位の一割の3%が、十分に心満たされて いるということか。 金だけは有るにこしたことはない。 去年の暮れに、【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】エイカー著 を取上げたが、その中で、<ボジティブ比〜繁栄と衰退を分ける「ロサダライン」 を、マルシャル・ロサダが発見、2・9013という数字で表した。 これは、業績の よいチームと、悪いチームにおける「ポジティブな意識」と「ネガティブな意識」が、 2・9013対1以上でなければ、そのチームに成功はもたらされない> という法則を取り上げた。大富豪になるほど、その比率が飛躍的に高くなると 著者は言いたいようだ。 世の中を見渡すと、『貧すれば鈍す』か、 その真逆である。上手くいったから、成功したから豊かということではなく、 豊かだから上手くいく。で、どうした?どうもしません! 全て夢幻。 ところで面白い時間帯を見つけた。 20時から4時間爆睡後の、0時から4時。 意識し、茫洋として無意識との塀上と見立て過去、現在を浮遊する。 これ、昼間やると、ボケ! ・・・・・・ 4847,閑話小題 ー75歳が死の目安が、級友と一致 2014年06月22日(日) * 75歳が死の目安が級友と一致して 前回、葬式で連合いを亡くしたばかりの同級生のことを書いた。 私が「75歳を死亡年齢に目安に、歯医者以外、病院に行かないことにした」 と他の級友から聞き、曰く、「数年前に、ある病院で検査をしたところ、肝臓 に、オデキがあると言われ、肝臓ガンと覚悟を決め、親戚を集めた家族会議を して、生前葬の案も出たが、その前に、別の病院で検査を勧められ、再検査を したところ何もなかった。それから、一切の検査をしないことにした。 母親と父親の死亡年齢を合計し、半分にすると75歳。その年齢の目安と、 病院に行かない方針が同じことに、驚いた」と。しかし、死や、生について の知識を持っている様子がなく、漠然とした不安が全体を覆っていた。 少しでも、その類の知識を持ったと持たないとでは雲泥の差になるが・・ 私の平均余命11年。そのうち介護年齢9年、寝たきり6年とすると、 決して長寿は、私らしくない。下手に治療で死にそこなうと、薬の逆効果で、 拷問のようは束縛の寝たきりか、痴呆症が出てくる。ならば出たとこ勝負。 75歳を目標、目安にした。その分、運動量を多くし、食生活を気をつけて いるが、いざ、余命を告げられ、目先は後悔をして逝くことになっても・・ 死に方、自分の選択も有りである。 * つれづれに ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーをテーマに、回を重ねて 書いているが、思いもよらない当時の記憶、40数年前の出来事が、昨日の ように、次々に連動してフラッシュバックしてくる。それだけ、激しい日々 だったが、封印しておいた記憶を見つめ直すのは、当時の自分を慰め、癒すと 同時に、多くの過ちを知り、後悔も出ることになる。それは、それぞれの 行蔵から、自省をすることにもなる。私は何をしてきたのだろう? 「面白かった!」だけでは済まない、未熟な己が、厳然と、そこにいる。 神様は、人生を自省させるため、老後という余白を人生に与えたようだ。 私を含めた大部分には、基礎教養の絶対量が足りてない。だから 「死ぬまで勉強」が必要になる。周辺を見わたすと、それが分かるが、 自分自身になると分からないのが人間の性。 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」 =「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に 往ける者よ さとりよ 幸いあれ 」。 「往ける者よ」を「過ぎ去りし日の自分」に置換えて、「青き者よ、 幸いあれ!と、祈り直すしかない。成るほど、私は、こんな人間だったか! と・・ 南無阿弥陀仏の念仏は、そのためある! 私もお近い ようで? 「では、皆様、さようなら!」 ・・・・・・ 4480, 宇宙に外側はあるか 2013年06月22日(土) ー内容紹介ー 「宇宙に外側はあるか」松原隆彦 (著) ◎ 私たちの住んでいるこの宇宙がここに確固として存在している、 つまり唯一絶対の存在である、ということは疑いようもなく当たり前の ことだと思われるでしょうか。実は、現代の物理学の知識をもって この宇宙を眺めてみると、そんな基本的なことさえも疑わしくなってきます。 いま、人類の宇宙を見る目は大きく開かれつつある。宇宙の何がわかって いて、何がわかっていないのか? 宇宙の全体像とは? 宇宙の「外側」とは? 人類はどこまで宇宙のことを知ることができるのか? 現代宇宙論のフロンティアへと旅立つ一冊。 ◎ 目 次 第 1 章 初期の宇宙はどこまで解明されているか 第 2 章 宇宙の始まりに何が起きたのか 第 3 章 宇宙の形はどうなっているのだろうか 第 4 章 宇宙を満たす未知なるものと宇宙の未来 第 5 章 宇宙に外側はあるか ▼ 宇宙論を分かりやすく解説してあって、私のように最近、興味を持ち 始めた素人向けの本。村山斉著「宇宙は何でできているのか」と 「宇宙は本当にひとつなのか」のフォローに丁度良い内容。 村山斉の著書は、明快で分かりやすいが、それでも一歩も二歩も踏み込んだ 内容だが、この本の第1章から第4章までは、宇宙論の優しい入門のあらまし。 第5章で、マルチバースがあるかないかに触れているが、ハッキリした説明が無い。 私のような入門者にとって第1〜第4章の方が、噛み砕いてあって、分かりやすい。 村山斉の二冊を含めた三冊が私にとっての宇宙入門書になるが、としても 何がなにやらである。 プロローグに ≪ 現代宇宙論が明らかにしたことの中で最も大きな驚きのひとつは、 「宇宙は永遠不変のものではない」という事実。約137億年前に宇宙の始まり があるという「ビッグバン理論」が確立したことで、このことが明らかになった。 この宇宙に「始まり」があることがわかると、根源的な疑問がたくさん湧いて きます。≫ がある。 ーその疑問とは、 「宇宙はどうして始まったのか」 「宇宙が始まる前は何だったのか、宇宙が始まる前の宇宙は宇宙ではないのか」 「宇宙に始まりがあるなら、宇宙に終わりもあるのか」 「宇宙に終わりがあるとすると、宇宙の終わりの後には何があるのか。 次の宇宙が始まるのか」 「そもそも、始まったり終わったりするような宇宙はどこに存在するのか。 この宇宙よりももっと大きな、何か得体の知れないものの中にこの宇宙が あるのか」 等々である。マルチバース、それも10の5百乗の宇宙の存在 の可能性には驚いた。村山斉著「宇宙は本当にひとつなのか」に詳しく 書いてあるが、コペルニクスの地動説と同じ位の驚きを与えた根源的な問題 である。そうこう考えると、再び、人間原理の問題の戻ってきざるを 得なくなる。 宇宙は面白い! 宇宙お宅のブログにはビックリ。 ・・・・・・ 4106、私は完全な本 "日本の自殺 'ー9を作った 2012年6月22日(金) * 情報の洪水が人間を劣化させる これが書かれた37年前にはパソコンとインターネットが世界中にこれほど 普及するとは思ってもいなかっただろうが、正に現在、情報の洪水が世界を覆い、 個々人の判断を狂わせ地球規模の集団自殺の様相になっている。その大混乱の 一つが、この金融恐慌であり、世界経済は溺死状態?にある。今後10〜20年 は、このカオスは続き、その行く末は誰も分からない。下記の部分が、日本だけ でなく、地球規模のカオスになっているから、ことは深刻。 情報機器とネット の進化が、文化、文明レベルで世の中を変えてきた。 【 ◎ 第一に、われわれは人間経験全体のなかに占める直接経験の比重が相対的 に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの提供する情報を中心と する間接経験の比重が飛躍的に増大したことに伴うさまざまなマイナスの副作用 について検討しておかねばならない。一般に情報量の増大といわれているものは、 人間経験との関連でみるならば、このように各個人の経験世界というものが、 ますます大きく他人の経験に依存するようになるということにほかならない。 マスコミを通じて与えられる間接経験の世界は、一方ではあまりにも混沌として 脈絡がなく精神分裂症の様相をすら呈している。他方でマスコミの提供する膨大 な情報によって見せつけられている世界の、安直なトータル・イメージは、 情報の質が悪いと現実世界とは似ても似つかない虚構の世界となる危険がある。 知力を高めるために作られたはずのマス・コミによって人間がだまされ、知力を 低下させられ、真実の視界が妨げられるという皮肉な現象が生ずる結果となる。 ◎ 情報化の代償の第二は、情報過多に伴う各種の不適応症状の問題である。 高速度に流れる大量情報が、人間の脳の情報処理能力を大幅に上まわった場合、 人間はしばしば情報過多の神経症状に陥る。短絡型、自閉症型、分裂症型 という三つのタイプのものがある ◎ 情報化の代償は第三に、情報の同時性、一時性と関連している。 社会の変化のスピードが早くなると、人間と情報との関係が極めて一時的な ものになってくる。このような現在(1975年当時)の情報環境の下では、 新奇な情報を極端に求める傾向が強まっている。膨大な現在進行型の情報の 氾濫なかで情報のライフ・サイクルは短縮化し情報は消耗品化し、情報使い 捨ての傾向が極端になってくる。大量高速情報から自己を防衛するひとつの 安易な適応方法は、忘れぽっくなること、つまり健忘症になることであり、 歴史的な連続性の感覚を喪失して刹那主義的な生き方を採用することである。 ◎ 情報化の代償の第四は、以上のようなマイナスの副作用とも密接に結び ついているところの、情報受信と発信との極端なアンバランス。 本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じてはじめて 可能となるものであるのに、この思考のプロセスをじっくりと通過させない ために、短絡型の、論理的思考力のない人間が量産されてくることにもなる。 ◎ 情報化のマイナスの副作用は、第五に、マス・メディアによる異常情報、 粗悪情報の過度拡散傾向となって影響を与えている。情報化の代償、弊害に ついて累々と述べているが、これは情報過多の問題なのか、質の悪い情報を 発信し、それも何も考えずに受信することの 問題なのか、それとも膨大な 粗悪情報がマス・メディアを媒介として流され続けることが問題なのか、 いろいろと考えさせられる。】 ▼ 情報の洪水は、それに対処可能な人と、そうでない人との情報格差を 生み出している。それは脳力と貧富の差に直結することになる。それは劣化 だけでなく、悪用で社会をいとも簡単に騙せすことが可能になった。反面、 電子知能は飛躍的に進化している。世界中の身知らずの個々人がネットで 結ばれ知恵と情報の共有が可能になってきた。それは一時代前からみたら、 SFの世界の様相である。 ・・・・・・・ 3740, 閑話小題 2011年06月22日(水) ◆ 長寿の秘訣 先日のNHKで 腹7分目の猿と 腹いっぱい食わせた猿を20年実験した 映像があった。腹一杯の猿の半分が死んでいるのに対し、空腹の方の猿は八割が 生存するという。それにしても、隣り合わせの檻に入れられた二匹の猿の姿の差に 愕然としてしまった。全ての生き物に、ある遺伝子のスイッチがあり 飢餓状態の 方が健康にいいという内容であった。 101歳のアメリカ人男性は二十歳の頃 から食事制限していて外見は70〜80歳ぐらいに見えた。 小食粗食は、 身体に良いとは頭では知ってはいたが・・ TVでも、実際にモニターが数人、 三割カットした食事を7週間で試みた結果、遺伝子のスイッチが入った結果を 出ていた。これを健康食品で可能かを取り上げていた。レスベラトロールという 物質が、遺伝子にスイッチを入れるという。最近、コマーシャルで目にする 「ブルーベリー」などに含まれているという。これを飲み続けると長生き出来る というなら、小食を心がけた上に、これさえ飲んでいれば長寿になるようだ。 私のように食事に、ある程度の満腹感がないと食べた気がしないのは、 長生きは出来ないか。 ◆ 一メートルと、一kgの基準の割り出し方 やはりTVの番組で知ったことだが、「一メートルは北極から赤道までの1万、 その延長上の南極までで、2万。一周で4万分の一が一(キロ)メートルの基準値 になっている。 また一キロは一リットルの水の重さが原点という。これも初めて 知ったこと。といことは、私の重さは、1・8Lのボトル32本分になる。 そんなものなのか。 ◆ 65歳以上の人口比は? 2010年度の65歳以上の高齢者は前年より46万人多い2944万人 (総人口比23.1%)と過去最高を更新した。40年前の1970年度で、 7・1パー、1980年度で9・1、90年度で12パー、2000年度で17パー、そして、 去年で23・1パーセントになった。何と、40年で3倍以上になったことになる。 大よそ14人に一人から、4人に一人になってしまった。65歳になった現在、 私より若い人は4分の三になってしまった。これは、欧米の16パーセントを 遥かに超えた数字である。 2020年には、30パーセントに近づくと言われており、 その年金だけで国家の財政は成り立たなくなる。恐ろしいことに、これは欧米 社会も、今まで経験をしたことのない事態。日本経済の不振も、この辺にある。 とはいえ、アジアなどから、どんどん外国人を移住させるのも問題が出る。 ・・・・・・・ 3375, 大相撲の野球賭博について 2010年06月22日(火) 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。不祥事が年中行事。 野球賭博、覚醒剤とか、一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの 別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、神社で力自慢が 祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。 (次数制限のためカット 2012年6月22日) ・・・・・・・・ 3000、3000回か〜 2009年06月22日(月) この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、 ただ習慣だから続けているだけ。(次数制限のためカット 2012年6月22日) ・・・・・ 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火) 一昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。 更に旅行をして休んだ一日分を加えると約35〜40が合わない。 (次数制限のためカット 2012年6月22日) ・・・・・・・ 2636, ミラクルターキー 2008年06月22日(日) wowowで放映しているユーロサッカー(欧州サッカー選手権)が面白い。 ヨーロッパのナンバーワンを決めるもので、四年に一回開かれている。昨夜は 準々決勝で、クロアチアとトルコ戦があった。私は、あまりサッカーには馴染めて ないが、サッカーにかかわらず準々決勝からは、みることにしている。どの競技も 順々決勝が一番面白い内容になるといわれている。やはり期待したとおりに、 面白い内容であった。 トルコは、このシリーズで、逆転劇で奇跡的に勝ち 上がってきたという。昨日たまたま終了の30分前にチャネルを回したら、 0対0で熱狂的な場面。もちろんライブである。延長戦の最後の一分に クロアチアが一点を入れた。誰もが流れからみてもクロアチアの勝利と 信じていた。終了時間を明らかに超えていたが、たまたまトルコの攻撃だった為、 試合がそのまま行われていた。そしてトルコの放ったシュートが入ってしまった。 ミラクルシュートとは、こういうのをいう。実のところ、時間終了間際のミラクル シュートを見たのは始めて。0対0の試合の最後の一分で互いに点数を入れるのを ライブでみるのも初めて。それも互いに際どいシュートが何度も入りそうになった 試合であった。そして、最後はPK戦でトルコの勝ちであった。クロアチアにとって 99�勝っていた試合、何人もの選手が悔し涙を流していた。ユーロサッカーは ワールドサッカーの合間の、オリンピックの年に開かれる。欧州にとっては、 ワールドサッカーや、オリンピックとは違うプロ筋の中味の濃い試合が多い。 その後、巨人対ソフトバンク戦と、女子バレーの日本対トルコ戦を観ても面白く ない。当然だろうが。 会場の熱気が違うこともある。現在、準々決勝のロシア 対オランダ戦を現在見ながら、この文章を書いているが、圧倒的におしていた ロシアがたて続きに二点を入れ三対一になって勝ったところである。 ちなみにオランダは、今年の優勝候補で、圧倒的な強さで勝ちあがってきた。 終了時間は6時12分である。 それにしても国内リーグとはパスやシュート 鋭さが全く違う。ライブのサッカーの試合を見ながら、書くのも面白い!
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2015年06月21日(日)
『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著) * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、 その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を 増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で 壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、 二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40 ≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった 人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。 「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に 証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを 被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場 まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、 100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。 『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、 その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な 反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社) ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」 という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで 成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金 を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、 "当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、 「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫ ▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、 後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、 遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、 その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。 いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。 そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。 遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより 「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い? ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。 「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。 『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。 ・・・・・・ 4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で 2014年06月21日(土) * 同級生の急逝の式場で 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 通夜を含めて中学校の同級生6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月! 七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、 『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような? その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、 出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に 故人と、二人飲んだのが最期。「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」 と真顔で話していた。自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、 グッタリ!急遽、中止。 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、 今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、 こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j 家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。 入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは 死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、 大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の 金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、 スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。 「早いもの勝ち」は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な 人から、聞こえてくる。 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。 不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 ・・・・・・ 4479, 歌舞伎町 写真集 2013年06月21日(金) 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけた が、その生々しさに驚いた。日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察 などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。 その続編が、この『歌舞伎町』 権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』 文ー李小牧、写真ー権徹の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲る たびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した世界にタイムスリップしてしまう。 生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。新潟駅前の飲食繁華街で 事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、 女装したオカマをはじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視 カメラが設置されて状況は一変した。今ではガラス張りで明るい猥雑さに なったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町「人間劇場」との出会いに ついて、以下のように書いている。 《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。当時、 四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。ゼミの撮影テーマが「新宿」 だったこともあって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。 あるとき、歌舞伎町交番前で鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをして いる場面に出くわした。あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを 取り出して撮影することさえできなかった。このエキサイティングな街は、 いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に強い衝撃を受けた。 このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真は おもしろくなる。東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し 続けてくれる。ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》 ▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、 妨害や嫌がらせが少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けにみた「探偵はBARにいる2」が、 夜の世界を何気なく描き出している。二年前に‘その一’を見たが、なかなか 面白い。そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。 その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。 写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。 ・・・・・・ 4105、私は完全な本 "日本の自殺 'ー8を作った 2012年6月21日(木) * 現代文明がもたらす幼稚化 これが書かれた37年前からスーパーなどのチェーン店などが多く現れて きて手軽に何でも手に入る、一億総中産階級社会になった。それは幼稚な愚民 の群れであり、大量生産・大量消費の結果である。 ー以下はその辺りを指摘ー ≪ 現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、 一体なにによってもたらされたのであろうか。 ◎ 第一に実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの 増大、都市化、情報化の進展と教育の普及など高度現代文明が もたらした 恩恵それ自体が、このような精神状態を副作用として惹き起こしていたのである。 思考力、判断力の衰弱と幼稚化傾向は、 高度現代文明それ自体の産物である。 ・・・インプットとアウトプットとを結びつける複雑な仕組みについて思考や 判断を働かせるのは馬鹿げてたことだ。そんなものはブラックボックス化 してしまえ、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」「税金は減らせ、 しかし 社会福祉は大幅に増やせ」こういう種類の要求を駄々っ子のように 叫びながら、この要求を実現するような便利なおもちゃを作れと言う。 そういうインプットとアウトプットとを結びつけるような調子のよいブラック ・ボックスは到底作製不能だと言っても、「そんなことを考えるのはわれわれ の仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押してこのおもちゃで 遊び続けることなのだ」と足をばたばたさえ、挙げ句の果てに癇癪を起こして 手当たり次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末。 やがてかれらは群をなして群衆心理の陶酔を楽しみ始める。思考力、判断力 の全般的衰弱と幼稚化は、第二に情報化の代償、つまり マスコミの発達と 教育の普及の代償として生じている。エンゲル係数で現代の消費生活の構造を 知ることができないのと同様、文盲率の減少や進学率の増大などで現代文化の 内容を判断はできない。「学歴ある文盲とでも呼ぶべき現代人」のあいだに 見受けられる恐るべき知力の低下、倫理能力の喪失、判断力の全般的衰弱の 秘密が、いまこそ本格的に解明されなかればならないであろう。かっての時代 の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じてテスト した知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。 かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、 しかし少なくともかれらの生きている生活空間に関しては現代人の到底及び 得ない賢明さと生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の 直接体験をしっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを 停止したまま中途半端で、皮相な知識の受け売りで世界中のできごとに 偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。こうした思考力、 判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に満ちあふれ、 恐るべき情報汚染を惹き起している。 情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間は やがて幼稚な狂信者となり、暗殺をしたり、ハイジャックをしたりする犯罪者 と化していく。われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化 のメカニズムを直視し、これを克服するための新しい努力を全力を挙げて 開始せねばならない。マスコミの発達と教育の普及の代償として捉えている 点が、すばらしくもある。少なくとも教育の普及があれば、思考力、判断力 の全般的衰弱と幼稚化を回避できると思ったが、そうでなかった。≫ ▼ 当時書かれた、この警告は、さらに深刻な社会現象になって現れ出ている。 国家収入の二倍の国家予算を組んでも国民の要求を答えざるを得ないのが現状 の日本。国家そのものが判断も決断も出来ない幼児化をしている。 情報化の影の部分である ・・・・・・・ 3739, 自分の居場所のみつけかた ー� 2011年06月21日(火) * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性 ーP・150 「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 【 私たちは通り過ぎる人々の群の中に自分の居場所を見ることはできません。 その中の何者かと出会い、互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、 それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。本来、知性という ものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の 差など、自分と違う立場というものを理解し行くのには知性が必要です。 けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、 その知性によって増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用 されてしまいます。それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく 考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。 善意が当たり前だということは、感謝が足りないと見えることもあるかもしれ ませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。 逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々 意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと思うから気がつかない。 なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくら いじめても面白くないから仲間に入れてしまえ、ということになって、人間関係 がうまくいきやすい。これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり 前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。 他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくら でも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、善意そのものさえ、 「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとして いる」と勘ぐったり、誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしている のでないか」など素直に喜べない。 】 ▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右 されるということを意識して修正するしかない。それに役立つのが知性である。 だから自分で知性を磨くしかない。そのため、他人の話を聞き、本を読み続ける こと。その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った 者は、善意も悪意も読み取る習性がある。常に人の間で緊張しているのは、 そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが 付きまとってきた。私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。 だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの喫茶店に 通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。 ・・・・・・ 3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2 2010年06月21日(月) ーしあわせを感じる「技術」ー東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。 ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。 なるほど、この通りであるー ≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、 より実質に近づいていく。ジグソーパズルのピースを多く集めれば集める ほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、 情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々 が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 戦後、TVや教育などを通じて、 『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたは ひとりの人間である。男も女も平等である。個人はすべからず自己実現すべき、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・ 輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、 日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。その狭間である仮想世界、 『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから 脱する方法があるのだろうか。「自分はいったいどういう人間なのか、何を したいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。 こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしている だけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルの ピースのひとつひとつをクリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』 というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには 「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。 あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫ ▼ しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージを ジグソーパゾルのピースで組み立てる、というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。 それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも 大事だろう。若い女性が小さなノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、 好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
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2015年06月20日(土)
『大脱出――健康、お金、格差の起原 』アンガス・ディートン (著) * お金、健康、格差からの大脱出 いまひとつピンとこない内容だが、切り口は新鮮で面白い! 進歩には格差の 問題が生じる。それは、金銭だけでなく、健康問題にも関係する。小・中学校の 同期をみると、進学ごとに分類される前の社会の縮図がそこに見て取れる。 この年齢になっても、その格差は少しの浮き沈みが少しあっても、大した変化は 見られない。 何をもって貧しいか、豊かかの問題があっても、貧しい人は 貧しいまま? 豊かな人は豊かのまま。 同級生の男子の三割は亡くなったが、 何故か成績が悪い人が7割がた。すべからく、人は金、健康、容姿、両親の 愛情量に格差があり、その中に沈んでしまう。 〜アマゾンの内容紹介〜 ≪ 世界はより良くなっている ――より豊かになり、より健康になり、 平均寿命は延びている。しかしその反面、貧困という収容所から「大脱出」を 果たせずに取り残された国や人々がいる。産業革命以来の経済成長は、大きな 格差も生んだのだ。経済発展と貧しさの関係について最先端で研究を続けてきた 著者が、250年前から現在までを歴史的にたどりながら、成長と健康の関係を 丹念に分析することで、格差の背後にあるメカニズムを解き明かす。 「本書は、進歩と格差の間の終わりなきダンスについて記している。 …単純に考えると、貧困からの脱出は金銭的な問題だと思いがちだ。 だがお金と同じくらい、もっと重要なのかもしれないのが健康と、 繁栄する機会を手に入れられるだけ長生きする確率の向上だ。 …富の歴史について語る本は数多くあるし、格差の歴史について語る本も多い。 健康と富がいかに密接な関係にあり、健康の格差が富の格差をいかに鏡のように 反映しているかについて語る本もたくさん出ている。私はその両方について 一冊で語りたいと思う」(はじめに) ≫ ▼ その格差も浮き沈みがあり、目まぐるしく変化する。元プレイボーイ誌の 編集長の島地勝彦が、作家の故シバレンに受けた薫陶、『いいかシマジ、 平等や民主主義なんてものは、人生に何も生んでくれやしないんだ。上質の 脳みそに裏打ちされた、えこひいきを享受出来る人生を歩まなければダメなんだ。 えこひいきされるようじゃなくちゃ一人前とはいえない、みんなと同じように 行列に並んでいては凡庸な生き方しかできないだ』が、面白い。沈んだまま では・・ 沈む時には沈めばよいが、何事も備え! 国の幸福度は、たいがい、 平均年齢で計ることが出来るという。その点、ロシアが酷いという。解るが! その点、日本は平均年齢が最上部にあるが、幸福感が少ないのは何故だろう。 島国で、海が要塞となって長い歴史の中で、揉まれてないため。 小学校から大学まで、同期会・同級会は可能な限り出ているが、格差と 健康問題は、嫌でも目に付く。上質な脳みそは、自らつくっておかないと! で、このザマだが。これも、格差の範疇で沈んでしまったということ? 石ころの大小、形を比較したって、所詮は砂利の話。 気にしないこと! ・・・・・・ 4845,「事業人生を決心して45年」の語り直しー19 2014年06月20日(金) * ペガサスクラブの加入と、システムの改革 衣料量販店は、天候と相場を敏感に読み、時間差で勝負するのが要。 それには情報を多角から取り、後は直感に頼るしかない。その感覚を、 僅か数ヶ月で知ることになる。そのため、産地の大問屋の太いパイプが 絶対に欠かせない。 その冬のシーズンも大成功のうち終わり、事務所で 円座をして、ストーブで温めた日本酒を乾杯した時の旨さが格別。毎日が、 全てが新鮮で、知らないことだらけ。その経験そのものが面白く、次々と 知恵が湧き出ていた。 その年の暮に、チェーン店展開を指導する『ペガサスクラブ」に入会し、 衣料チェーンの展開を錦の美旗にする。そして、大御所の渥美俊一のセミナー に隔月ごとに聴講することになる。このカリスマ、当時の新興チェーンの 拡大に大きく影響していた。卒論に、その著書をネタ本にしたこともあり、 そのセミナーの面白さは、この上ない。おまけに、聴講者はチェーンの幹部。 チョットした会話でも充分に元がとれた。現場でも、セミナーでも、全てが 学びの場になっていた。振返ってみて、当時の自分自身は、父親の秘蔵っ子で、 20歳代でジャスコ、いとはん勤務。そして、貸ビル建設と、その中で、 養老乃滝、ベーカリーをオープンさせていたのだから、凄いエネルギー。 姉夫婦が焦るのは肯ける。 ところで、改革で直ぐに手をつけたのが、 ジャスコ、いとはんで取り入れていたチェーンストア統一伝票システム。 これは、5枚綴りの複写で、・仕入先別、仕入伝票1[青] ・仕入伝票2[緑] ・仕入伝票3[灰色] ・物品受領書4[茶色]・納品書5(控)[紫]になっていて、 大口の仕入先に持ってもらい、仕入れ商品の内容を書いて、同封してもらう。 そのうち一枚が先方に、残りの4枚が、そのまま、商品管理、仕入管理、 経理の支払管理に使えるシステム。これは部門別管理にも大きは働きをする。 また、部門別内の小項目が、そのまま、商品管理にもなる。 数値責任が 明確になれば、仕入れや、販売を担当者に大幅に権限委譲が可能になる。 そのベースをつくるに、2〜3年はかかるが、旧来の社員も何の抵抗もなく、 あっさりと導入出来たのは、システムが、シンプルで、便利であるため。 もちろん、大手のメーカー、問屋が多くが、このシステムを取り入れていた。 次に、仕入れと販売の担当責任制度である。現場の情報を、仕入れに直結 するには、仕入れ権限を現場に与えること! 帰って一月も経たないうちに、 翌年の新入社員の採用の時期になった。 さて、何人にしようかと、考えて いると、長年、勤務の内幕情報屋的存在の総務の女史が、「思いきって多く 入れた方が良いですよ!」と、助言?してくれた。 要は「殆どが辞意を持った 社員が、多いですよ!」ということを察知し、当初の予定の二倍の13名を、 採用する。 ところが、翌年の年次を含め、新しいシステム導入に、丁度 良い教育対象になっていた。 次は、TKCの伝票システムの導入である。 これも、思い切って判断した。そして、接客などのマニュアルの作成と、 売上日報の解りやすくしたカジュアル化。 不信感の強い既存社員からの 情報は皆無の中、それならば、欲しい情報を日報に書かせればよいと、 次々と、項目を増やしていった。こういった現場での知恵は、立ち上げの 経験から、身についていた。創業は、瀬戸際に自らを追込み、ことに 直接触れ、エネルギーと知恵を融合しカタチ創ること! ・・・・・・ 4478, うつ病 ー高島忠夫の場合 2013年06月20日(木) ーカスペ! 真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」 〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜 ーが感動的であった。 一昨日のゴールデンタイムに放映されたが、二時間がアッという間であった。 「うつ病」については、何度か書いてきたが、高島一家の底なし沼のような状況 そのままがドラマになる。芸能界きってのおしどり夫婦と言われた高島と寿美。 高島は98年頃からうつ病、糖尿病、パーキンソン症候群、 さらに、3年前 には不整脈で心臓にペースメーカーを付ける15時間にも及ぶ手術を受けていた。 ーまずはTV局のブログよりー 【“日本一有名な芸能一家”高島ファミリー。一家の主、高島忠夫がテレビ の表舞台から姿を消して5年… その自宅にカメラが入った。いったい何が あったのか。献身的に夫を支える元宝塚歌劇団のトップスターである妻、 寿美花代の思いを通じて、いますべてが明らかになる!そして、夫婦として 「死ぬまでにやりたかったこと」… それは忠夫の夢の実現。寿美花代は、 ある賭けに出た。“最後になるかもしれない”家族旅行へ…。】 ▼ 高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で明かした悲劇。 夫妻の第1子の長男・道夫が生後5カ月で殺害されたのは、1964年 (昭和38年)8月。住み込みで働いていたお手伝いの 少女(当時17歳)が 風呂に沈めて殺害したもの。 寿美はこの時を振り返り、「夜中に、道夫が いないと、探し回り、最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。 夜中2時すぎぐらいに、あちこち病院行ったが、どこも受け入れてくれなく、 やっと1軒 受けてくれた時には…」。 家政婦は殺人罪で起訴され、 懲役3〜5年の不定期刑となった。事件後に、赤ちゃんの泣き声や、 「ママー、苦しいよ」という泣声のいたずら電話が頻繁にかかってきていた。 高島忠夫も既に82歳。寿美花代は81歳。その夫を懸命に支えてきた寿美は 「介護うつ」も経験。「介護で一番大事なのは 完璧にやろうと思わないこと」、 「忠夫は私を本当に姫のように優しくしてくれた人。いまはその恩返し」と。 番組では俳優として活躍していた頃の若き日の高島の姿や、バラエティー番組 の様子など懐かしい映像も出ていた。 この隠れた“主役”は寿美。妻の目線、 2人の息子の母親の視線で番組は進んでいく。番組では、うつ病患者の家庭の 危機状況が、多く語られて無かったが、実際は壮絶。ただ事実を語り映し出す だけで、物語になっていた。二年前の倒産劇で気をつけたことは、脳をやられない (うつ病に陥らない)こと。そのためには、運動と、マイナーの毒?から身を 守ることであった。ゾンビは自分の傷口の膿を擦りつけてくるから、性質が悪い。 その中で、堕ちこまないように作り上げた生活習慣こそ、最大の成果だが、 それでも時々、傷口が痛む。それにしても、寿美の開き直りは凄みがある。 少し性質の悪い連合いだったら、病院の中で亡くなっていただろうに。 ・・・・・・ 4104、私は完全な本 "日本の自殺 'ー7を作った 2012年6月20日(水) * 豊かさの代償 ー読書日記 37年前はアメリカのアジア戦略上の重要な位置にある日本は、特別待遇を 受けていた。その結果、豊かさを享受出来た反面、その甘えの体質が日本人に ついてしまった。それが、豊かさの代償という現象でもある。 以下の部分は、その辺りをついている。 【 日本を第二のローマ帝国としてしまいかねない日本社会内部の自壊作用の メカニズムを、まず豊かさの代償という角度から順次解剖していくことに したい。豊かさの代償として、次の三点を理解する必要がある。 ◎ 第一は、資源の枯渇と環境破壊という代償である。 豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の 高騰を招き、他方で生産、消費の過程での廃棄物が増大して環境の質の悪化を もたらす。 豊かさの代償としての資源不足と環境悪化による欲求不満、 イライラの増大が日本社会の内部に自壊作用のメカニズムを発生させる ひとつの原因となっていったのである。 ◎ 第二は、使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に 与えるマイナスの諸影響という代償である。使い捨ての生活様式は、単に 資源の浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらすのみならず、その生活 の質の点で大きなマイナスの副作用を内包する。使い捨て的な生活は一時性、 新奇性に高い価値を与えるが、人間とものとの関係がかりそめの一時的な 関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に 極めて安定を欠いたものとなる。欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつに なっても充足感が得られない状態になってしまう。 ◎第三は、便利さという代償である。 便利さの代償として、日本の青少年の体力や知力の低下が進行していった。 自制心、克己心、忍耐力、持続力のない青少年が大量生産され、さらには、 強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かなる感受性、責任感などを 欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生した。戦後日本の繁栄は、他方で ひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に不安定で 無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。それはまた伝統文化を 破壊することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を 麻痺させ、日本人の精神生活を解体してしまった。 この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用の メカニズムの基盤をなしていった。】 ▼ 66年の人生の中で物質的貧困から豊かさになっていき、それが失われて いくプロセスの登りと下りを国家と個人で、実体験してみた。まだ下りは 道半ばだが、あと10年で日本は貧困国家になる。30〜40年前の、 あの豊かさは何だったのか。あの経験はしないより、してみて良かった。 笑うべき時に笑えばよい、いずれ泣くとき後悔が無くなる。 腹の底から笑っておいて本当に良かった。 あとは自嘲か。 ・・・・・・・ 3738, 自分の居場所のみつけかた ー� 2011年06月20日(月) 【 * 勝ち負け社会のカラクリ P−100 「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 だいたい、社会の価値システムなどというものはその時代がつくる幻想に 過ぎない。今は市場社会ですから金儲けが価値観の基底にある。金を儲けよう とする企業家は市民大衆を導いて「消費者大衆」へと変身させることを考える。 その際に用いられるのは「不安」です。ヒットラーのナチズムからオウム真理教 まで、大衆動員の手段は不安の醸成ですが、消費者大衆の動員も不安を動力として 行われます。まず市民たちの中に「無能力」や「醜悪」への不安を流す。 たとえば「英語を巧みに操ることの能力が現代社会にとっていかに必要か宣伝する。 それによってその能力が乏しい人の不安をかきたてれば、英語の教材屋や英語 学校が繁盛する。言葉なんてその必要が出てくればいくらでも使いこなせるように なるものですから、英語能力に関する不安などは将来という幻想の一つに過ぎない。 将来なんて、あるかないかわからないものですから、それを実在と考えること そのものが幻想なのです。株で儲けたという人の話題は株ブームに乗り遅れる不安 をかきたてています。将来の不安というものがアチコチに散蒔かれているのが 「勝ち負け社会」の特徴です。幻想に乗らない人は最初から勝ち負けゲームに 乗りません。世の中を地位、名誉、金の勝ち負けゲームと見なすと、このゲーム にはゲームにつきものの公平のルールというものが決定的に欠けています。 だいたい人生ゲームの参加者である子どもは自分に配分される親を選べない。 この点ではトランプのカード配りに似ています。ゲームの最初から勝つに決まって いるようなよいカードが配られている参加者もいれば、勝ちようのない持ち札の 人もいる。親の金力、人脈、知的資産、美貌に恵まれない人は人生ゲームの負けが 決まっている。しかし人生ゲームはトランプと違って、勝者だけが参加できる 第二次、第三次、第四次のゲームが用意されているから、ひとまずの勝者だって、 いずれ敗者になるというカラクリになっている。 要するに世の中をこの種の ゲームと見なすとすれば勝者はひと握り、敗者は圧倒的多数となります。 ところで、この大衆社会の中で力を持っているのは少数派ですか多数派ですか? 衣装やダンスの流行からお笑い芸人のハヤリスタリまで、カギを握っているのは 一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」じゃありませんか。 世の中は彼ら向きにできているから、地位・名誉・金に恵まれた人々への ジェラシー(嫉妬)やエンヴィー(羨望)に身を焼かれる必要などないのです。 そこを間違えるから「敗者の恨み」にのたうつテロリストになってしまう。】 ▼ それでも、負けるより勝つほうが良いに決まっている。要は、いずれ 巡ってくる負けの時に、どのように対処するか。現在の自分の現状は、まさに、 人生も勝ち負けゲームと割り切ってしまえば楽である。 「全米N0・1弁護士の勝ちセオリー」を書いて、日の経たないうちに、 これだもの、支離滅裂か・・ 勝ち負けに囚われないということか! 不安を利用し巧みに大衆を誘導するのが、ビジネスの背景といえば、これから 10年は健康ビジネスが良くなる。<一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で 無教養で悪趣味な多数派」が世の中をほぼ占めているなら、あえて「敗者の恨み」 にのたうつテロリストに自らなることもないか!> 我が内なる沼は清潔に! ・・・・・・ 3373, 凄い時代 2010年06月20日(日) *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一著 「はじめに」の前半に、要約がズバリ書いてある。まず、その部分から。 ー「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先は全く新しい世の中に なるだろう。二年前の2008年の洞爺湖畔で8ケ国のサミットが開かれた。 それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や 17ヶ国の会合に当てられたのは、国際金融の建て直しと世界大不況の対策。 たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、変わってしまった・・ 2009年の世界経済は政策支援の「集中治療室」状態。各国とも生命維持装置の カテールが何本もつけてある。しかし、やがて抜きはじめる。その時こそ、 本当の衝撃が始る革命的改革期だ。それが2011年になるだろう。 本当の「凄い時代」である。なぜそうなのか。 (字数制限のためカット 2012年6月20日) ・・・・・・・・ 2998,他人に厳しく、自分に甘く 2009年06月20日(土) 「世界は感情で動く」 ー3 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー * 他人に厳しく、自分に甘く
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2015年06月19日(金)
* 何気ない会話の中で 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて いるが、話を1〜2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす 中で、私が、『以前もしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員 をしたと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。 『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、 夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。 自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。 15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。 こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに 掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた 恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、 様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。 小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。 彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。 何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、 目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。 数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・ 『ああ〜、面白かった!』と、心底から言えるかどうか。 そういえる背景には、いえるだけのエネルギー量が必要だが。 ・・・・・・ 4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18 2014年06月19日(木) * 衣料量販店のコツ 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。 家業そのもののパパママストア。出社日から多くの判断が次々と求められたが、 衣料量販店経営など全く知らない白紙からの出発。ところが、その白紙状態が、 結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。 四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争 激化と、新興のチェーン店の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、 当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、冬期間は、雪の壁が、町を 遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。 金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店の ファッション衣料店が、そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、 駅前のメイン通りに並んでいた。しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、 その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、「超繁盛店」で全国で 知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の 意をくんだ残留者は無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底を ついてくる。その中、地元の問屋の一社が、当面、全面協力をしていた。 そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こしてきた。 普通なら、導入期に一通り秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、 稼ぐ。しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、 現金を持って初めての仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での 仕入れは、今でも忘れられない。そして、何とか値崩れの仕入れが終わった。 そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、メーカーへの飛込み仕入れ。 その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。 まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、 商品を選び出し仕入れていく。それも現金で。右上り時代の中で、誰も忘れて いた商売の原点を、動物的直感で綱渡りの瀬戸際で、始めていた。何とか一月が 過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が訪ねてきた。店頭の立話しだったが、 現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、『当社として、 全面的に協力します!』という。暫くしてから、その意味を知った。それは 『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』 であった。これが、大きかった。それに現金を持って産地を歩く、基本的原理を、 父から教わっていたことも大きい。これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の 相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。その中、その年末は、 思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。他の大型店は、事前 予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。 その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、 半値以下の大量仕入れ。それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりに なって当然。 時代の流れもあって、全てが、プラスに働いていた。 激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。 ・・・・・・ 4477, アベノミクスへの疑問 2013年06月19日(水) 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ 取っていた。ここでバブル経済とは、とんでもない誤りを犯そうとしている。 「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。 それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。 何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の 前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた 「文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ー があった。ネットで調べたところ、これを簡略したブログの内容があった。 ★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』 文藝春秋4月号の一部を抜粋ー ≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って 一儲けしたい投機家ばかりだ。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな 要因のうち、何一つコントロールできない。 ◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。 だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金があり余っている。 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い 切れない「ブタ積」が山ほどある。 ◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復した わけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て 資産が、国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。 ◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、 自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、 �「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、 �「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 しかし、この政策は完璧に破綻。 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、 全くのイリュージョン(妄想)で、「国際的に価格競争力を失ったのは 円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に 立っていないことだ。 ◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは 「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。 ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本に もたらし、その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫ ▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関がプラス になるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると (5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、自殺、経営 責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。そう遠くないある日、 中国かアメリカの投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。 ・・・・・・ 4103, 閑話小題 ースローヨガ 2012年6月19日(火) * スローヨガ スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加。 ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ 教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。それ以来、ヨガ教室のイメージが悪く なり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきている。 私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。 これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、ヨガのポーズを とっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に 馴染んでくる上、終了前の10分位の間、仰向けで大の字になって意識を 身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、 全身から力を抜いて宙游した気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。 それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻り たくなくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周する のを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。大手大橋で弥彦山 から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸 をして「地球の中心点を擬人化したX」と対話を10分近くしている。 それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的 にもベストの経験を、毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。 早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。「ヨガは肉体も精神も 宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のこと だろう。魂が現れ出るということか。 * 日本の初めての流行歌は? 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。明治元年・一八六八年 三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、東海・東山両道から江戸に 向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 現代の流行歌第一号は、大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』 の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、 翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。 流行歌のスタンダード・ナンパーとして、現在も広く演奏され、うたわれている 「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた 松竹が、当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」 と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。他にの説が多くあるが。 ・・・・・・・ 3737, 自分の居場所のみつけかた ー� 2011年06月19日(日) 「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学著 この�を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の 「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?と思われる異常 教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 奇妙な偶然である。 ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。 【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、 教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。 事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感 あふれるドラマを作り上げた。ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後 の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに 語り出す。「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は 事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」教室内は一瞬に して静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。 その一人の犯人の少年は、モンスターママによる幼児の頃の執拗な教育で、 歪んだ手のつけられない少年になっていた。】 ▼ なかなか面白いストーリーである。現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。 どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。両親の関係が、そのまま子供形成 に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ 子供が育ってくる。子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は危機迫るものがある。 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、心の中で 大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、他に行けば何かがあるはずと 焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、 自己崩壊を生むことになる。 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った 世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。 更に携帯電話など情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、 その対応が分からない。親からして、「自分の居場所」が見つからないのだから、 子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。 現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社 からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。ある意味で、アメリカ による日本属国化政策の完成が現在の日本である。我々は、その恐ろしい現状を 目撃していることになる。他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生 だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の 政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、 思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか! ・・・・・・・ 3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり! 2010年06月19日(土) しあわせを感じるには「技術」がいる ー2 ーしあわせを感じる「技術」ー東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 * 不幸になりたがる人たちからのヒント どうも年齢のせいか何かやろうとすると「めんどうくさい」が先に立ってきた。 先日ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。 多くの人が 「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、「不幸になり たがる人たちからのヒント」で「めんどうくさい、が不幸のはじまり!」に、 ハッとした。そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない。 たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持 を選ぶ人の方が多数派」という。その根底にあるのが「めんどうくささ」だと したら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。これは、人間は「低位安定」 を心奥で求めている結果ではないかと。「低位安定」から、どうすれば抜け出す ことができるか? これからの脱却は「めんどうくさい」との戦でもある。 著者は陳腐な結論と断わって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・ まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。それができない者には、現状を 変えようといこうとする力など生まれない。不幸を願うものはいないが、 不幸へと続くレールから外れようとしないものは多い。現状維持の方が楽に 思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない 何かが逆に新しい事態に直面するのを避けているのである。 私は不幸系の人は 身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに 「自律神経失調症」という病がある。 問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。その積み重ねの結果 「めんどうくさい病」に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、 フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。他人事ではない、年齢からくる 老いが「めんどうくさい」病に知らないうちに陥っているのである。秘境ツアー にしても、事業にしても、ブログも、自分が幸せと思えた瞬間は、それを乗り 越えた結果であった。 しかし「めんどうくさい」も、すべて否定はできない。 自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。 世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。老齢になったら、否が応でも 低位安定になってしまう。面倒を克服するには、習慣化がよい。それを積み 重ねていけば良いが、それ自体が面倒か〜 さて、棚の整理だ! それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか! ・・・・・・・ 2997、定年か〜 ー2 2009年06月19日(金) 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著) 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中 の折り合い」が大問題になるのは解る。定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」 と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、深い男の悲哀を 感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・ 私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が 始るのが常。「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない 男たちの見本帳のような本を取り上げている。人口問題研究所の統計だと、 離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど 短いとか。だから離婚も耐えなければならないのである。ある生保の調査に よると、女性の1割以上が「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。 一、午前中は一歩も書斎を出ないこと 二、小遣は現在の2万5千円 三、食事の内容には一切要求をつきつけない 四、仕事の上でやむを得ないと 認める以外は外出を禁じる 五、これらを不服として大声を発することをしない これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。 ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に予測していたが、 女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ 事態に戸惑う。「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。 時間単位で公私を区切る近代的雇用とは比べようもない、運命共同体的な四六時中 の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。離婚をして独り暮らしをして いる同年輩の人が実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。 ここで一句 「うれしくも 悲しくもあり 独り味」 「笑えるうち 笑っておけと 涙目で」 そう遠くない日が待っているが、 その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
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2015年06月18日(木)
『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 * 世界を通して私自身のことを学ばされる こだまでしょうか 〜金子みすず < 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか > ≪ 佐治:人間という生きものは何か?の答えは自分で考えていても 何も出てこない。「自分を包括する宇宙を知ることで、人間というのが 見えてくる。 私たちは自分の顔を自分で見ることはできません。 相手の顔は見えるけれど、自分の顔は鏡に映しても左右反対ですし、 小さい粒子の集合体である写真がそのまま自分の顔だともいえない。 だからあえていえば、私の表情は、あなたの表情のなかに見るしかない、 ということになりますね。あなたの表情を見て、私の表情を推測している。 堤:相手がいてこそ、自分のことがわかる。鏡なんですね. 佐治:そこに宇宙の研究の目的があるというわけですね。繰り返しますが、 自分のごとを知るためには、自分を包括している宇宙のことを知ること。 それによって自分が見えてくる。それが宇宙研究の目的です。 堤:私は昔あたまでっかちな理想に燃えていて、国連で働いていたころは、 いろいうな悪いものを排除したり、世界を転換させなければ平和はこない と思いこんでいました。でもジャーナリストになり、取材していくと、 二人の人のなかにも善と悪が同じくらいあって、一つの国のなかにも 善と悪があることに気づかされた。広く世界を見ようとするほどに、結局 自分自身と向きあわされる。世界を通してじつは私自身のことを学ばされる。 佐治:当然ですね。それを数学の言葉でいうと、フラクタル(どんな微小な 部分をとっても全体に相似している)構造だということになるのでしょうね。 全体のものは自分という部分にすべて投影されているということ。世界って そういうふうにできているわけです。そうでなければ世界というのは物理的に 存在しえない。木の全体像を考えれば、全部、Y字形の枝の分岐でできているで しょう。その分岐の仕方によって松の木になったり桜の木になったりしている。 木をよく見ると、全体もY字形になっているし、枝も葉っぱもY字形になっている。 つまり、全体というのは、部分のなかに投影されているというのが、数学的に 見た世界像です。全体を見ることによって、自分がわかるということですね。≫ ▼ 心の合せ鏡を持つ必要性をいっている。世界を、宇宙を合せ鏡にして、己を 知ることだ。逆に、己を合せ鏡にして世界を見ると、歪んだ小さな自分の分が 見えてくる。「こだまでしょうか」の、幼児の問いかけが、そうである。 内語で、さて「遊ぼうか」と問いかけ、そう「遊ぼうか」と。 「今日は、寝てようか」といえば、「そうだ、寝てよう」と。 「俺って馬鹿か」というと、「つくづく俺って馬鹿だ」と返ってくる。 「これで良かったのかな」といえば、「今さら、仕方がない」と、ブツブツ。 ・・・・・・ 4843,「事業人生を決心して45年」の語り直しー17 2014年06月18日(水) * 二店を、経営委託に! そして、実家に 『出たいというなら、出ていけばよい!』と、私も、母と兄の意見も同じ だったが、それでも妥協策を探したが、 事態は深刻になっていた。そして、 母、姉、兄と、私が最後の話合いをしたが、姉は頑なに出ていく、という。 姉夫婦が最後は折れてくると思っていたことを、しばらく後に、姉夫婦と行動を 伴にした社員が、「どの道、直ぐに必ず帰ってくる」と、話していたことから知る。 姉夫婦のピークは、僅か二年で終わった! Uターンが決まると、問題は、 開店したばかりの二店の問題。そこは大手チェーン店の利点が出てくる。 養老乃滝も、ベーカリーも、「金が無いが独立した店舗運営の希望者」は 幾らもいる筈。そこで、まず、蝶理のベーカリーの担当に、「二店で80万で 経営受託する人がいないですか?」とぶつけた。すると、「自分が間接的だが 受託する!」と、話は簡単に決まった。彼が受けなくとも、両方の本部は、 希望者を直ぐに探し出した筈だが。私には渡りに舟。その後、二年もしない内に、 他の空きスペースが埋まって、ビル経営としては上出来の結果となって、五千万 投資の貸ビルが、年の家賃が千七百万までになっていた。 その五年後には、 銀行を通して一億で売り抜けた。ビル経営の視点でも、この事態がプラスに働いた。 そして、九月初旬に千葉から長岡に戻ってきた。まず、実兄と「本店か、支店か、 どっちを受け持つ」かと、相談すると、兄が「自分は、そのまま支店を、本店を 御前に任せる」という。 本来は、兄が本店に乗り込むのが筋だが、本店に自ら 乗り込むのは気が引けたようだ。入って直ぐに尻込みをするのが分った。 そこは既存社員の冷やかな空気が色濃く残っていた。さっそく、一人ずつ、 別室に呼び出しての話合いからの出発。そこに、私への不信感が大きく根付いて いることを知る。彼らには、私は悪役の張本人。それでも残ってくれただけで、 充分であった。 さて、どれから手をつけるかである。 地元銀行の北銀と大光相互は、義兄に感化され、倒産寸前と判断していた中、 メインを北銀から、当時の都銀の「太陽銀行」に変更。これは、私と実兄の仲人 をした営業担当で、この一連で相談にのってもらった因縁から。会計事務所も、 税理事務所から、会計事務所に変更。実感は、生まれ育った商家の真っ只中に、 20年ぶりに落下傘で舞い降りたような不思議な感覚。 数ヶ月もしないうち、 全てが面白くなり、水を得た魚のようになっていた。そこは10歳まで生活を していた生家。火がつくのは当然といえば当然。4年半後、役割が終えての 自らの総括は、達成感では、120点。 ジャスコ、千葉、長岡、新潟も、 「引き(時)」であった。(新潟は、最後の最後で、引きが、遅かった?) ・・・・・・ 4476, 閑話小題 ーオノマトペ 2013年06月18日(火) 6月11日のNHKの情報番組「クローズアップ現代」で、「にっこり」「ドキッ」 などのオノマトペの魅力を取り上げていた。擬声、擬音語には、その背後の豊か な情報を伝達する力があるという。 ーNHKのHPによるとー ≪ 「ぐにゃり」に「ほっこり」。「ぱみゅぱみゅ」に「じぇじぇじぇ」。 今、私たちの身の回りでオノマトぺ=擬音語、擬態語が急速に増えている。 放送では、 * トップスポーツの現場から。「“べちょべちょ”」「“ぬめぬめ”」 * 新製品の開発を模索する企業でも。「“ガシガシ”」 * ロボットの人工知能の研究現場まで、“どどどどっ” と熱い視線を集めているのです。人を引き付ける理由は、オノマトペが 持つ音の爆弾とも言われる、“ドキッ”とする力。オノマトペは、普通の言葉 とは比べものにならない豊かな情報量を持っていることが明らかになった。 言語学者は、「普通の言語では、そぎ落されてしまったものが全部、オノマトペ の中に引きずり込まれて凝縮する。」 大手コンビニチェーン 広報 「“もちっと”ホットケーキや、“もちもち”くるみパンが、人気があります。」 商品名に、“もちもち”と付けると、売り上げが5倍に増える。そんな都市伝説 のようなうわさが、駆け巡っているという。大手コンビニチェーンの広報では、 「“ふんわり”とか、“サクッ”としていない商品は、比較的“もちっと”。」 おいしいを感じる言葉のアンケート調査でも、“もちもち”や、“もっちり” がどんどん急上昇する一方で、“コシのある”や“舌ざわりのよい”は、 “ひゅるひゅるっと”急降下。短く直感的に伝わるオノマトぺがランキングを 席けん。オノマトペは、“パキッと”堅いイメージのある国会でも増殖・・ ≫ ▼ 小泉元首相が、一言コメントで、国民の‘考えない層’の取り込みで世論を 巧く誘導したが、「一言実感売り手コメント」とも言える。ツイッターの発信は、 現場感覚のオノマトペのようなもの。スマートフォン、タブレットの情報端末も、 現場感覚のオノマトペを親しみやすくしている。早朝の信濃川の土手の、ある場所 で「あ〜あ、清清するな!」と独り呟いているが、これも、それか。 変わった スナックの名前に、‘ひとり静か’‘それから’‘そこ’‘どん底’などあるが、 オノマトペのニュアンスの店名が増えてくるだろう。で、「面白スナック名」と 検索したら、「まぬけ」「あくびちゃん」「夜光虫」「団地妻」「メロメロ」 「あんたが大統領」「スナックとしま」(池袋にある)「いい娘(こ)銀行」 「居酒屋どんぶり勘定」。 そこで考えついた面白いスナック名・・ {化け猫、寄生虫、からおけ音痴、娑婆娑婆、ここそこあそこ、ノミスケべイ}。 とっておきは、「ま、いいか!」以前、新潟駅前にあった? 「へっくしょん」「ずぼずぼ」「プッツン」も? ・・・・・・ 4102、私は完全な本 "日本の自殺"ー6を作った 2012年6月18日(月) * 危機は日本人の内部にある 日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によって つくられた精神が生み出したもの。戦後民主主義は自由、民主、平等主義の 上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出ているのである。 バブル崩壊、9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災 の影響をモロに受けてしまった日本は、ここで大きな試練に立たされている。 そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、更なる崩壊が進んでいる。 【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓ ◎共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現 ↓ ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失 ↓ ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体 というプロセスで進行した。 この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似 している。日本の没落の危険は資源問題や輸出市場などの客観的、外部的、物質的 制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的 条件のなかにこそひそんでいるのである。没落の真の危険は、日本人がこの危機や 試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦 しようという創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、日本人が 部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、長期の未来を 考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自壊していく 危険のなかに、存するというべきなのである。豊かさも便利さも、そして情報化、 都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く掲げて きたプラスの諸価値を含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを 伴わない絶対的プラスは存在しえない。自然科学と同様である。節度を越え、 調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。それは、資源問題、 公害問題を通じて少しずつ理解されている。豊かさ、福祉、自由、平和、平等など に実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉 国家は人間と社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義 と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的要因ではなく、むしろ内的 要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと 捉えることができるので、意思さえあれば対処可能なのかも知れないが、内的要因 については、まずもって自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることが できない、そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】 ▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿。 ここで、「この問題は決して克服できない問題でない」とあるが、結果として 果たして克服してきたか疑問である。問題は、ここに書いてあるとおり 「日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつある」ことである。 その上にグローバル化による価値観の多様化もある。 日本の自滅は文明の自滅でもある。 ・・・・・・・ 3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜10 2011年06月18日(土) * 具体的な弁論は? ー ミロのビーナスの腕 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレー の木々を伐採して醜い宅地にしてしまうことに対する反対論を述べた。 「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリのルーブル美術館に 所蔵される前、ベネチア芸術の美術商の手に入りました。この時すでに、この像 は人々の注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な 気品を与え、完壁な芸術作品から発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。 人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。そして時がたつにつれ、 像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力が あると考えられるようになりました。美術商は、このビーナスの小さなかけらが ほしいという大衆の要求を利用すれば、大もうけできることに気づきました。 ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をしてやって来て、小さな かけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。持っていれぽ美しくなれると 信じていたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを 作って、そのあと本物のビーナスを粉々に壊してしまおうと考えたのです。 粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売るよりも、はるかに 巨額のお金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を 持っている職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。 「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。彼は命令しました。 彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとしたちょうど その時、目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされた。 それと同時に、ミロのビーナスの反対側の手も切り落とされました。 肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。 それはビーナスは決して壊されてはならないという神のお告げだ、と職人たちは 思いました。それから間もなく、ミロのビーナスはルーブル美術館のものになり、 今日にいたるまで、美しいものを愛するすべての人のために大切に保存されて いるのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる 人間の彫刻家が創造したものではありません。この谷は、神様がお創りになった 芸術作品なのです。事実を把握しているであろう世界的な旅行家の多くは、 そびえ立つ孤峰と汚されていない湖がいくつもあるこの谷は、世界で最も美しい 谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しよう とした強欲な美術商の手にあったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかに あるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】 ▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、 勝てるはずがない。ミロのビーナスのこの逸話、聞いたことがあるような、 ないような? ネットで調べても、この話は出てこない。片方の腕に林檎を 持っていたという説がある。 ・・・・・・・・ 3371, 込み込み六千八百円のホテル 2010年06月18日(金) 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに 「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで 歌い放題で全部で六千八百円だった。仲間10人で土日の高速代金の千円を 利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。 (字数の関係でカット2014年6月18日) ・・・・・・・・ 2996,定年か〜 ー1 2009年06月18日(木) 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー北 連一(著) 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、 「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、地元のスナック などで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と 言われ、その意味も最初は分からず、解釈してもらって分かる次第。 特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は定年後の日々を切り替えるのは 大変だろうと察する。私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては 来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。群れから離れて奥さん 1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。そして、まずは 「老人性うつ病」が襲ってくる。これは抉らすと危ない。現在の私も少し 「うつ病」気味である? とにかくムカツク。いや、恐慌下の売上不振か。 そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる内容。 具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の奥さんとの力関係を取り上げる。 ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、新たに小さな家での息の詰まる ような関係。「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる 一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 この本は「定年退職前後はこう いうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 【 定年前に‘やっておいてよかったことは’料理ができるようになっていた, 遊び仲間がいる,ローンが終わっていた,書斎と書庫を持っていた,娘たちを 追い出したことだと吐露する。‘やっておけばよかったことは’,会社離れを する前に,定年後のシミュレーションをやっておく,妻とのコミュニケーション をとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】 こういう人生もあるのかというような内容だが「定年の敵は女房だ!」という 人のケースなど、深刻な内容も赤裸々に取り上げている。8人兄姉の末っ子だった ことや、親戚に多くの従兄弟たちの生き様がみえる立ち位置に居たことから、 「人生の敵(ミカタ)は女房」というのは深く肯けるが。その辺は、受け止め方 の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、 最大の問題ということ。それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうか。 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
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2015年06月17日(水)
先々週にみたシネマ『予告犯』が面白かった。 〜ネットで検索すると、 【 ある日、Tシャツ姿に、新聞紙製の頭巾を被った謎の男がネットに奇妙な 動画を投稿し始める。「明日の予告を教えてやる―。」集団食中毒を起こした 上に、法律上の不備を指摘し開き直った食品加工会社に対し、「食い物の扱いも 知らないこいつらに、俺がきっちり火を通してやる」と予告。 警視庁サイバー 犯罪対策課に所属するキャリア捜査官・吉野絵里香は近年多発するサイバー犯罪 の数々を取り締まっていた。謎の男による犯行予告動画の存在に関する報告を 受けた吉野は謎の予告犯=“シンブンシ”の捜査に乗り出す。すると食品加工 会社の工場が放火される事件が発生。予告動画が現実のものとなり、その後も 予告動画の内容が実行されるという事件が多発する。 “シンブンシ”は ネット社会で炎上した無思慮な当事者たちに次々と制裁を下していく。 模倣犯も出現、遂には政治家殺害予告にまで至り、“シンブンシ事件”は 社会現象へと発展していく…果たして彼らの究極の目的とは? ネット社会を震撼させる衝撃の結末は!?】で、私の評価は、90点で、 邦画としては高評価になる。 ところが、WoWoWで、TVでも連続シリーズの 放送が始まった。 TVドラマの内容とは、 【 映画『予告犯』から一年後の日本、痴漢で逮捕されたウェブライター水谷。 彼は冤罪を訴えるが有罪判決を受けてしまう。痴漢冤罪被害者の会に出席した 水谷は得体の知れない男、佐久間に出会う。そして佐久間の提案で、佐久間の 率いる覆面集団と共にネット上で身の潔癖を訴える公開裁判を開くことに同意、 というのが今作のストーリーの導入。】 ▼ コミックのシリーズを、まず映画化し、コラボで、その一年後を設定に した続きをTVドラマ化でフォローするとは、面白い。 TVを見た人は映画を、 映画を見た人はTVを見るからだ。映画では主犯格が、仲間の罪を全て背負って 自殺をして終わるが、TVの主犯格は、なんと現役の裁判長の設定は、コミック でこそ可能な設定。更にネット上の裁判で、視聴者が判決を決めるというのも、 面白い。有罪となると、被告はネット上に曝され、何処に行っても、スマート フォンのカメラの被写体として狙われ、発信され、街を歩けなくなる。 現実社会の上に、ネット社会が現実にカバーしてしまったからこその物語。 「手のひらに入った情報端末(スマートフォン)の、現実社会に対するテロ」 が、隠れテーマか。 まあ、面白くなってきた。 ・・・・・・ 4842,「事業人生を決心して45年」の語り直しー16 2014年06月17日(火) * 姉夫婦が、今度は創業の立場に! 私が身を引いた直後から、実兄への圧力が強まり、義兄と暴力沙汰の危険な 場面があったと、実兄からの電話。実兄の『窮鼠、猫を噛む』には、姉夫婦の 思わぬ誤算?それも計算通り? 両方である。私を出して条件が揃ったとみた、 姉夫婦が、実兄と母親に『これでは経営が出来ない。兄が出ていくか、 さもなくば、主な従業員を連れ独立する。その際には、自分達の株式と不動産は、 その筋?に売却する』と通告してきた。 母と実兄が、その案を飲むと、計画 通りになる筈だった。しかし、それを聞いた母が激怒!姑の立場もあり姉夫婦 寄りだった母が、姉夫婦の『排除』を決断をしてしまった。老いても創業者の 片割れ。姉にとって実母の決断は軽くはない。その上に半数を持った株主で、 社長解任権がある。その豹変に、私も、周辺も驚いてしまった。 二人の計画『まず社長という名を取り、その立場を利用した父の遺留分の有利 な確保し、次に三人の株式と本店の不動産の確保の筋書き』を当初から母に 伝えていたが、その筋書通りの動きに、二人を見限ったのが姉夫婦の大誤算。 私は、父の遺産の手前勝手の配分で、二人の手の内を読んでいたが、実兄と母は、 二人の実行段階で初めて二人の計画に気づたことになる。姉夫婦が出て行く! と聞いた時、『エッ、何?』と、耳を疑った。私には『この程度の会社の引継ぎ は朝飯前。これは次のステップ!』でしかなかった。しかし、義兄にとって、 20年以上もかけ父と築き上げた会社の運営は、私たちには絶対無理!と確信し、 銀行、問屋、メーカーに告げていた。義兄と、伴に出て行った5人に、自分たち のノウハウと実績への自信があったが、それはワーカーのそれである。 小さな世界の第三者と、行動を伴にした社員にとって、愚弟二人のヒールが、 ヒーロー・ヒロイン役の姉夫婦へのクーデター! それも三文小説のような 御家騒動でしかなかった。しかし裏の筋書きは、実は父親? イザとなると、 ひ弱な姉夫婦の性格を知っていて、最後は、株の配分と、筋金の強い方が 勝ち残る!という、影の脚本があって、母も聞いていたはず。 「木に竹を継ごうとしても、それは所詮は無理」。結果として、残った方が木に なるとしても・・ で、最後は、姉、実兄、私の全て消滅!が、更なるオチが、 何とも妙。私の筋書きは、私だけが? だが、そうは甘くはない! ;´Д ) この結果は、姉夫婦と私の立場との逆転を意味していた。今度は、二人の創業 の実力と、私の実力が試される。互いに相手をヒール役に仕立て、見下したため、 互が見えなくなっていた。創業など、出来たらやらないがよい。やるなら、緻密 な下準備と、長い時間と、身近な理解者と、幸運など全て必要。しかし、二人の 準備は、別にあった。その上、給料の高い5人と、私生活、月に百万円以上の コスト問題のハンデがあった。 それでも、当時は、高度成長期。 次の問題は、千城台の立上げたばかりの二店をどうするか? ・・・・・・ 4475, 宝くじが当たる確率(何倍?)は? 2013年06月17日(月) 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。 SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、夢を買っている!」 と思っていた。 ー 教えて!Goo 、によると ー 【 問い= 例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらいか。 1等 1億円 20名 2等 1千万円 20名 3等 百万円 200名 4等 5万円 30000名 例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか… 【 答え= ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、 「11組111111番」になるのと同じです ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと 同じくらいの確率だそうです。 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている そうです。1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分 の1ということになります。 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじに も着いているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組み 合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1ですね一等は宝くじでは この組の数が二桁 あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは 千万分の1となりますよね ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として 新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。 それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、 30年で金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。が、そうはいかないのが人間。 生を受け、今、存在していること自体が奇跡、それを生き切らなくて何が宝くじ。 せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、したいこと、 買いたい物など、何も無いのも面白くないが。 シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ・・ ・・・・・・ 4101、私は完全な本 "日本の自殺 'ー5を作った 2012年6月17日(日) * 日本が直面する困難 ここで書かれていた直面する困難の延長上に、現在がある。 現在の危機は 文明がもたらしたもの。人間は歴史から何も学んでいないのである。 その知恵の浅さに驚きざるをえない。自分を振り返れば分かることだが。 ーまずは、要点の抜粋からー 【 まさに巨大化した世界国家(ローマ帝国)がその心臓部(ローマ)の繁栄 をもたらし、そして実に皮肉なことに、この繁栄こそがめぐりめぐってやがては、 世界国家(ローマ帝国)の心臓部(ローマ)を衰弱させることになっている。 この意味では、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償であったのだ。 現在(1975年)、日本経済はその処理をひとつ誤ると日本を没落に 追いやりかねないいくつかの重大な困難に直面しているといわれている。 ◇ その第一は、資源・エネルギーのきびしい制約である。 海外依存度の高いわが国にとって資源問題は明治維新以降の近代日本の アキレス腱であり、第二次世界大戦そのものが資源をめぐる国家間の衝突で あったはずだが、 七〇年代の日本はこの歴史的経験から中途半端な教訓しか 学ばなかった。 資源・エネルギーの長期安定供給の確保はすでに困難となって きており、抜本的な総合対策が講じられない限り、この面から日本経済は フィジカルな破局を迎える瀬戸際に立っている。 ◇ その第二は、環境コストの急上昇である。 環境コストの増加は他の諸条件との均衡を失することなく、長期的、総合的 視野に立って進められるべきであった。なぜなら、環境コストの上昇は、企業 収益の低下と価格上昇をもたらす可能性があり、まず輸出競争力の低下を通じて 貿易にも影響をもたらす。公害防止の大義名分のもとに長期的、総合的配慮を 欠いたきびしい規制のごり押しを続けることにより、日本の企業がつぶれ、 経済が破滅に陥るようでは、それこそ環境改善コストの源泉そのものが 失われてしまうことになることは明らか。 ◇ 第三は、労働力需要のひっ迫と賃金コストの急上昇である。・・・ 生産性を上回る大幅な賃金上昇は、物価に転嫁されるしかなく、かくして賃金・ 物価の悪循環によるインフレ要因は、前述の資源コストなかんずく石油価格の 高騰によるインフレ要因と結びついて事態を深刻なものにしている。】 ▼ 上記の3つの問題 �資源問題、�環境問題、�賃金と物価の悪環境問題は、 日本にとっても、世界にとっても待った無し。これは文明規模の問題になる。 20年前のソ連・東欧・中国の計画経済の放棄により自由主義圏が拡大、更に 問題が大きくなっている。その意味では21世紀は、世界的混迷が拡大して いくが、その先端にあるのが日本。 情報化による知識の平準化が進む半面、 その最先端の情報を握ったグループの独裁も懸念される。直面する問題の 肥大化は避けられない。 ・・・・・・・ 3735, 自分の居場所のみつけかた 2011年06月17日(金) 「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 ‘まえがき’の『 私の毎日は診察室という穴蔵にこもって、 「生きていてしょうがない」「死にたいというより消えたい」などという人々の 声に耳を傾けることですが、それらの訴えが母との居場所を求める仔の叫び声に 聞こえることがあります。他人にそれを求めなくても、自分の心の中ですでに 母がいることに気づけば楽だろうと思うのですが、それがうまくいってない。 彼らが意識している心の中の母はほとんどの場合、彼らを責め、叱咤激励する 母だからです。どうしたらこの「心の中の母子関係」を改善できるのかと迷う 毎日なのです。が、その中から突然元気になる人々が少なからずいて、びっくり させられます。どこがどう変わったというのでもなく、「まあ、このままの自分 でいいや」と言い出すのです。居直るというか、「人として生きるのは苦しいが、 その苦しいところが楽しい」といった心境のようです。こうした人々について いつか書いてみたいと思っていました。』が、この本のアラスジになる。 どうも人は自分の安心できる居場所がないのが悩みのようだ。 過って、 「自分の居場所」のテーマで書いたことがあった。9年前に<2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 >を書いていた。 まず、その内容から・・ 【 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がないということは、非常に 厳しい状態の時である。自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の 場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。20代のある時、 ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。まず部屋に椅子 と机に本棚に本と手帳を配置する。それで、あなたの居場所ができあがる。 あなたが座ると何気なく自分の物を机の上などに配置し、いつの間にあなたの場所 ができている。」 犬のマーキングのようなものか。 私だけでなく人間は 同じようことをしているはずだが、少し過剰? 《 居場所とは、・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ 》 そうすると趣味に没頭している時と場所が心の居場所だ。 毎朝あげるお経も そうかもしれない。 引っ越したら、別に住まいだけでなく、まずは居酒屋、 そして昼飯を食べる店と自分の座る席。 猫もそれを本能的にしているはずだ、 テリトリーとして。 】 ▼ 私の場合、大人数家族の末っ子で、あまり母は叱咤激励をしなかった。 目が行き届かなかったのだろう。著者は精神的に心の奥底で母親の影響が 大きく、目の前に居なくとも自分の安心できる場所を確保できない人を患者に した先生だ。現在、会社を倒産で失った事態である。会社は当然、居場所の 大きな部分を占めていた。 が、あまり喪失感はない。つきつめると、生前の 両親との関係が良好だったことにあるのか?。喪失に伴う痛みが、心の奥では 何とか吸収してくれるのも、自分との折り合いが比較的うまくいっているためか。 会社の事務所に座っていた居場所が、同じ感覚で、仏間の一角の書斎コーナー に移動できたこともある。そこに座っていると、本当に落ち着く。毎日が日曜日 になった現在、家内と居間で対峙していて、互いにイライラしてくると、 家内が寝室のTVの前に行くか、私が仏間に行くかで、住み分けが可能である。 その意味で、本拠地が出来てホッとしている。それとも、このHPが居場所? 毎朝、10年分を読み返している時が、居場所に居る! 感がする。 ・・・・・ 3370, デジカメを買えかえた! 2010年06月17日(木) 私はパソコン、デジカメ、iPod、iPhone、デジタル一眼レフ、 デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ(デジカメ写真の蓄積端末) などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称 しているが、今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。 (TVとビデオ機器とステレオもあるが・・) その中でデジカメとiPodと iPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。ブログの読書日記を書くさい 本の文章の取り込みにも、デジカメを使っている。 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 ) ・・・・・・・・・ 2995、ピーク・エンドの法則 2009年06月17日(水) ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、 「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合い で決まる」という法則である。映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場の シーンと最後のラストシーンになる。「終わりよければすべてよし」という のも当てはまる。経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには 関係ない特徴がある。人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところ がある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と最後あたりの記憶が、 その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の 秘境を中心にして旅行に出ているが、後半になるほどに、この旅行は良かった と互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 間違っても良くない話はしない。 帰ってきてからも、同じこと。せっかく行ったのだから、楽しい思い出にして しまう。どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、 そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、そして人間関係もである。 エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要。しかし、その最後が 難しいのである。人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せ つけられてきたが、他人事ではない。人間は歳をとると、肉体だけでなく、 精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、 最後の宿泊日には、その中では一番良いホテルに泊めるケースが多い。 また、文章でも同じこと。最後の一行が肝心。で、いつも落ちに気を使う。 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、 そして落ちが必要となるが・・・。 ・・・・・・・・・・ 2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1 2008年06月17日(火) 「無法バブルマネー終わりの始まり」松藤民輔:著 この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、 「日本の金融機関は労せずして、欧米の金融機関に《不戦勝》 してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。 どこもかしこも、毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、その余裕が なかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。さらに、資源のない 国だから、1974年、1978年のオイルショックを経験してきた御蔭で、日本は 世界で一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。それは、政治家 ではなく、国民一人ひとりが、そして企業が生き残りをかけて闘ってきた 結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。弱みを克服 しているうちに強みをつくってしまったのである。それによると、EUの 1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、中国の8.7倍、ロシアの18倍である。 ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れない うちに、とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を実現していた。 また東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、本社が8割も集中した 国を創りあげてしまったのである。 ( 字数制限のためカット 2012年6月17日 )
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2015年06月16日(火)
* こんな美しい情景をみたのは初めて 昨日の朝みた、夢の中の「海に沈む夕景の美しさ」には驚いた。 右手の海に、まさに沈まんとするオレンジ色と、赤と、紫と、金色が混合して 縦に紫色の海に突き刺さった光景に、我を忘れ魅入ってしまった。近くから 『ここで日没を多くみてきたが、こんなのは初めてだ!』というため息交じり の声が聞こえてきた。で、その直後に目覚めたが、その感動の光景はクッキリ と残っていた。画家は、こういう夢を多くみるのだろう。それにしても、脳は 凄い画家としての創作能力があるもの。お近くなってきた? 現実に、このような日没を感動してみてたから、脳が創作をしたのだろう。 ケニアのサバンナ、ギリシャのエーゲ海の夕景、坂出の瀬戸内海の夕陽、 カトマンズの郊外の夕景、シリアのパルミラ遺跡の近くの高台からみた日没。 http://blogs.yahoo.co.jp/horii862000/archive/2015/6/15 そういう視点で思い出したら、あるある、いくらでも。それぞれのTPOSの背景が、 その夕映えをクローズアップする。夕映えといえば、新潟で事業を立ち上げた 頃、高速道路の延長線の東バイパスからみた紫に染まった雲と、夕景が これまで見たことがない息を呑むもの。たしか、連れの人が、誰かに、 『この光景を見れただけでも、新潟に移住してきた価値がある!と、脳から 言葉が湧き出てきた』と、酒席で話しているのが聞こえてきた。 * 「折々のことば」(鷲田清一) 〜朝日新聞一面より 〜人類学者は「ヴュジャデ」を通じてひらめきを求める。(トム・ケリー)〜 《 はじめて見るのに、かってどこかで見たことがあるように思うのがデジャヴュ (既視感)。 ヴュジャデはその逆で、見なれたものをまるではじめて見るかの ように見ること(未視感)。 駄洒落(だじゃれ)である。偉大な発見はたいてい、 ありふれたものを新しい目で見るところから生まれる。 米国の経営者による 「イノベーションの達人!」(J・リットマンとの共著、鈴木主税訳)から。》 ▼ 「既視感」に対し、「未視感」は、いいえて妙である。このところ、自分を、 「未視感」で改めてみている。また、過っての旅行先をネットサーフィンで、 他人目線の写真をみるのも「未視感」になる。 毎日、御対面する、自分の十数年 分の文章も、そうである。 ・・・・・・ 4841,「事業人生を決心して45年」の語り直しー15 2014年06月16日(月) * 40年前の御家騒動の顛末 父は全てを知って、自分亡き後は、 <私と、実兄と、姉夫婦が、平等の立場で闘え!>と、条件を整えてくれた。 当時の姉夫婦との経験差が歴然としていることを憂慮、姉夫婦にハンデを与える ため、生前贈与をしてくれていた。姉夫婦にとって、二人分の権利をアテにして いたが、姉一人分だけだった。それが大きは不満だったのを見てとった。 父にしてみれば、年に当時の、一千万近い社交費を数年来、使っていた姉夫婦に 怒りが蓄積をしていた。 父は親戚など幾つかの遺産争いの仲介を頼まれ、 その実態を熟知しており、生前贈与をすることで、姉夫婦の独占を防いでくれた。 私には『これは御前の為!』と、こっそり教えていた。『専務は補佐としての 運営能力があるが、経営能力はない!』とも。それに私は、『以前から商売の本質 が解ってないことを、自分も見抜いていた!』と、答えていた。 争いが起きた時点で、ジャスコ、いとはん、の勤務と、千城台ビルと、養老乃滝と ベーカリーの立上げを含めた6年で、創業のベース(無心で全てのエネルギーを 計画に叩きつけるベース)が出来始めていた。さらに、目標に対する自己能力の 限界の設定と、不足部分の見極めと、その補充手順を身に付けていた。更に、 それを楽しむことも。 「いとはん」でドルショック、「千葉の千城台」で 石油ショックを経験。震災クラスの歴史的事件が長期投資には、必ず起こる前提 で計画をたてておく必要性を肌で感じ取っていた。そのため長期投資のビル建設 では、「建物は売り前提に、(建設単価が高くても)買い手の用途変更を前提に した設計をすべく、柱を壁側に置くか、極力少ない、スケルトン可能な鉄骨鉄筋 にすべし」が、父の極意。 これを書いて気づいたのが、千城台ビルは父が私を 通して造った最後の仕事だったこと。父は、太平洋戦争で長岡空襲(ブラック スワン)で、ほぼ全ての財産を失った経験から、常に時代の激変を前提に計画を 立ることを知っていた。それがスケルトン可能なビルの設計と、建設になっていた。 それもあって、三年前の物件など、手がけたビルは、売りに出すと即売になった。 それもこれも、父の魂が宿っていたからである。それでも三羽のスワンの到来で 一瞬のうちに飲まれたのだから、諦めもつくというもの。この先、スワンが何羽 も先に控えての『東京オリンピック』。 幸あれ!である。 主要各国は、それを知って、何処も手を上げなかった中での、これ。 絶対的ミスを、石原、阿部コンビがしてしまった。 話を戻すと、次は実兄と義兄の衝突!それも姉夫婦にとって計算の上! が見て取れた。 その渦中、急遽、母親から長岡に呼び出される。 『私の持分の株式と、本店の私名義の不動産を私に譲れ! その見返りに、 千城台ビルと新潟駅前の更地を与える』と・・ 何の事か直ぐに理解で きなかったが、姉夫婦の次の戦術に母が乗せられたことを悟る。 戦中戦後と父親と苦労を共にした母が身を引けというし、悪くない条件。 その場で即断。直後に、名義変更になった。が、それでは話が収まらない。 ・・・・・・ 4474,最悪の結果に隠された、お宝は? ー2 2013年06月16日(日) * 「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、奥の正体 先回、「最悪の結果云々」と書いたが、私の人生から見れば、最善の結果とも 解釈出来る。まる三十年の最終日の記念日に、偶然としても事業を終え、一年も しないうちに六つの抵当物件が売れ、金融負債以外は、ほぼ負債ゼロ。 「早々に隠遁の生活に入り、老いと死に準備に本気に入るように!」と、 65歳を区切りにするため三羽の黒鳥を遣わせた。これが人生から私への贈物。 勝手に隠れたお宝の正体と正当化と見てとれるが・・ 創業時点から(万一を考えて)親戚や家族には一切、事業には入れなかった。 長期装置産業のため、大きな変動を幾つか乗り越えなければならない。 そこに、家族を入れると共倒れのリスクが出る。その時が身の引時と思っていた。 結果として順調の状態で息子に事業継続するより、この方が良かった。 (そう思うしかないが) 私の知人や周辺を見ていて、思うことは、 「世界も、身近の事業環境が激変をしている。無理と思ったら、早々に事業継続 の断念をすべき」ということ。私の場合、事業整理には五千万を要して、何とか 清算?に近い状況だった。 この激変の正体は、20世紀前半の第一次世界大戦 から世界恐慌を経て第二次大戦に渡る30年以上の混沌に匹敵するか、 それ以上の歴史的スケールの変動で、あと20年は続くとみてよい。 今度の件の結果に隠されたサインとは、《 現在は歴史的激変の真只中にあり、 日本は世界に先立った変動の事態にある。これから世界が激動に入りつつある。 それもあって中途半端な規模では事業は成り立たないことに早く気づくこと。》 それと機をいつにして、私自身がリタイアの年齢になった。 「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、お宝の正体。 この一連の中で感じたことは、「日本の危機感が少なすぎる」こと。 裏山の天辺から、外海と内海への津波を見ている気分。裏山に避難した私を、 多くの人が笑ってる姿が見えてくる。その彼らに政府が泡踊りを勧めている のだから、これエログロ。 ・・・・・・ 4100, ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1 2012年6月16日(土) アマゾン内のネットサーフィンをしていたら、 「ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1」という言葉が目に入ってきた。 一般的には2:1だそうだが、ポジティブであろうと意識することで3:1に 引き上げることが出来るという。 不自然に4:1、 5:1に引き上げようと する無理が出る。マイナス部分から目をそむけることになる。「ポジティブ」 という概念は、精神論で語られることが多かったが、21世紀の心理学と言われ 欧米では教育界、ビジネス界などでもその成果が応用されている。 100%のポジティブを求めるのではなく、ネガティブを3:1の比率で最初 から割り切ってしまうのも良い。秘境ツアーなどに参加すると、旅行中に 一通りのトラブルを経験する。それも慣れてくると起きて当然と割切りが出来る。 僻地という圧縮された時空で日常には無いトラブルに遭遇する機会が多くなる。 しかし、それさえ楽しむ心構えが経験の積みから、自然と出来てくる。 そして、その数倍の感動の場面に出会うことになる。旅行もネガティブの比率 を経験を重ねることで四分の一にすることが可能になるということ。 最初の数回はネガティブな方に気持ちが動くが、慣れてくると、ポジティブに 気持ちを集中できるようになる。 人生も似たようなもの。私の見立てでは 八割の人はネガティブ感情に支配されていて人生全体を暗く平凡にしている。 少しの訓練と習慣で変えることが出来ることを知らない。 人間に宗教が必要 なのは、神を信じることでネガティブな感情をポジティブな感情に押し上げる 効果があるからである。 日本では中村天風の教えがある。 「積極一貫」を常に心がけ、肯定的言語を意識的に使うことで己を御す教え。 それと呼吸法と瞑想を取り入れてあり、なかなか奥行が深い。 最近、心掛けていることは、マイナスの言葉が出たときに、意識してプラス 用語を使うようにしている。オウゴン比率3:1は、頭に浮かぶ内語にも、 映画、本、行動選択にも当てはまる。暗いより明るい気持ちでいた方が良い。 ・・・・・・・ 3734, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜� 2011年06月16日(木) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 【 * 人生は「自己中心」の法則が握っている 私が部屋に入っていくと、そこにいる人は私が来たのが感じでわかると 言うのを聞くと、私は今でも驚く。それは彼らの認識だ。だが私にとっても、 その部屋、その領域は自分のものであって、自分はその中心にいる。 私にとって、宇宙のすべてのものは自分からはじまる。これを「自己中心」 の法則と呼ぼう。この法則はあなたにも当てはまる。これは子供じみた見方では ないだろうか。幼稚な性格を暴露しているのではないだろうか。こういう自己 中心的な見方で世界を見るのは、子供だけだからだ。だが、私は自分の幼稚な 世界観を大切にしている。私はセラピストが要求する大人らしさと戦う。 成熟と死は、似た者同士だ。私は精神科学者の冷淡で断定的な見方に抵抗する。 彼らは私たちにレッテルを張るが理解はせず、私たちを分析するが愛さず、 私たちに関して黒か白かと割り切った冷淡なレポートを書くことはできるが、 私たちの喜びや愛情、悲しみなどの感情について、そして自分自身の感情に ついてはたった数行すらも書くことはできないのだ。 私は絶対に大人に ならないことを誓う。子供らしい見方を絶対に失わないこと、喜びを感じる 子供の部分を絶対に捨てないと、子供のすばらしい自発性、魔法のような 創造性、純真な心を絶対に投げ捨てないことを誓う。私は自分のなかの 子供らしさの最後のかけらにしがみつきながら(死ぬことがあるなら)死んで いくだろう。子供の持つ畏怖の念と純真さがあってはじめて、死を体験する ことができると思うからだ。 空の星を見てごらんなさい。 三百六十度、ぐるりと回って眺めてごらんなさい。 あなたは宇宙の中心に いるのではないだろうか。部屋のなかにあるものを見てごらんなさい。 あなたが回転すれば、あなたから見て、部屋のなかのものもあなたを軸として ぐるりと回転しているではないか。それを認めなさい。あなたはあなたという 宇宙の中心にいるのではないか。もしわれこそ自分の宇宙の中心を占める王様 だと思わなければ、他の誰かか他の力がその場所を占めることになる。 他人が自分の中心を占めているということは、自分が他人にそうすることを 許可しているからに他ならない。だが、すでに学んだとおり、他の人や力を そこに置いているのは「自分の力」だ。王位に就かせたり、宇宙の中心に 置いたりする力を自分が持っているならば、私たちは自分自身にもっと敬意を 払うべきではないだろうか。 これについて、さらによく考えてみよう。 私の許可なくしては、どんな人もどんなカも私の宇宙の中心部を奪い取る ことはできない。だとすると、許可という言葉は、力を意味する言葉になる。 私はどんな人でも私の中心を占める許可を与える。私は自分の宇宙の中心を 占める許可を自分自身に与える。あなたに、私の師に、神に与える。 だが、許可を与えるのは私自身だ。】 ▼ 仏教的教えが建前上、根づいている日本で、ー人生は「自己中心」 の法則が握っているー などという本音はなかなか書けない。 最近になって、遺伝子学者ドーソンが、「すべての動植物の遺伝子には、 遺伝子自身の繁栄を優先するような メッセージが組み込まれている」という ‘「個の利己主義」「種の利己主義」=「遺伝子自身の利己主義」’の研究 発表をした。だから自己御都合主義が良いと言っているわけでない。 それが、生物、人間の原点であり、社会は、それで成り立っている前提を 認めるべし、ということ。そのエゴのぶつかり合いが裁判で議論になる。 その渦中の弁護士が言うから、言葉が重い。 ・・・・・・・ 3369, Youtubeでみる津波の映像 2010年06月16日(水) 何度もYoutubeでスマトラ沖地震の津波映像を見ているが、百年か五百年に 一度の経済恐慌のイメージとして見ると、現在の置かれている立ち位置が見える。 マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が流されて いく映像を全国放送では流せないが、Youtubeは次から次へ生々しいのが出てくる。 津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。 そして、気づいた時には大波に流されていく。 映像は、あどけない子供が 大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・ この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震 を震源とした大津波が日本に押し寄せている。「輸出産業の拠点として名古屋が、 金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。 その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れる ことになったが、もっと酷いのが地方経済。現在、政府が中小企業への緊急金融 救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波 でしかない。それでも、この惨状。そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。二年後にはハイパー インフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では 消費税の値上げも・・ もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業は コスト増で立ち行かなくなる。どうなるのだろ? とはいえ国家も大幅な税収減 で、それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。 Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。
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