堀井On-Line



5203,人間だけが、教育されなければならない動物

2015年06月13日(土)

       『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
 「大地震で森からサバンナに追いやられたサルが四足か二足歩行に進化。
その結果、産道が狭くなり、未熟児の状態で出産。外敵から身を守るための
教育をしなければならなくなった。」という、論旨が面白い。
  * 人間だけが、教育されなければならない動物
≪ 佐治: あるとき、いまのアフリカあたりに、これまでなかったほどの
 大地震が起きました。いまもその痕跡が残っていて、隆起した山のあいだが
陥没して平原になっています。山に吹きつける風は上昇気流になり、雨が降って
山の森は豊かに保たれました。一方、陥没した部分には雨が降らしてカラカラの
サバンナになった。そこにいたサルさんたちは、さあ困った。いままでは木に
登って、遠くを見渡しながら、おいしいものがないか、危険な動物が来ないか
見ていられたのに、カラカラの草原になってそれができなくなってしまった。
 その結果、いつしか、遠くが見通せるように四本足から二本足になって立ち
上がりました。すると身体の背骨の上に頭がのる形になりますから、重くて
大きい脳を獲得できるようになり、人間になったのです。(註)
 ところが、二本足で立ち上がったことから骨盤の広さが70%ト狭くなった。
頭の大きい赤ちゃんを産めなくなり、自然分娩ができなくなります。
そこで人間は、未熟児のまま子どもを産まざるをえない宿命を背負う。
サルは生まれたばかりの赤ちゃんでも、自分で立ち上がって、お母さんの
おっぽいを飲めるけれど、人間の赤ちゃんはお母さんのサポートなしでは
何もできません。つまり、カントがいうように「すべての哺乳類のなかで、
教育されねば一人前になれないのが人間である」ということになります。
だから学校がある。小学生には「それが、君たちが学校で勉強しなくては
いけない理由です」としめくくりました。
<(註)アフリカで、800-1,000万年前に大地溝帯の活動が始まり、周辺に高地や
山脈を含む隆起帯が形成されたことにより、大西洋側から大陸東部に湿った空気
を運んでいた赤道西風がさえぎられると、大地溝帯の東側は徐々に乾燥して森林
が衰退し、やがて草原に変わっていった。森林に住んでいた多くの類人猿は、
この環境の変化に適応できずに絶滅したが、ヒトの祖先は樹上から地上に降りて、
直立二足歩行に移行した。すなわち、乾燥化によって木と木の間隔が広がった
ことにより、木から木への移動を行う際に地面に降りる必要が生じ、ついに
直立二足歩行を獲得した、とするものである。>
▼ 現在では、専門学校・大学を含めると8割が20歳過ぎまで親の庇護が
 必要となる。乳ばなれが出来れば目出度いが、そうはいかないのが人間様。
担任の先生が定年の年のクラス会の二次会で、この歳で、両親が90過ぎても
矍鑠として、自分を見守っている。これほど辛いものはない」とノイローゼ
気味に語っていたが・・ 趣味の世界があれば悩みが半減したのだろうが。
20歳頃に、自分の人生デザインを持てたかどうかが豊饒の人生か、そうで
ないかの大きな分れ目になる。今はネットがあり、情報は手軽に入るし、
趣味の道を深耕するのが比較的恵まれている。要は、意思するかしないか。
・・・・・・
4838,Quirt <内向型人間の時代> ー5
2014年06月13日(金)
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * ソフトパワー
 国にも、個人にも、内向型、外交型がある。さしずめ、江戸時代は内向型
国家の典型。そのため、鎖国の時代は、江戸文化という円熟した時代でもあった。
そこに外交型国家・米国の到来で大きは節目を迎え、近代国家へと歩み始める。
アメリカのカレッジで、白人系と東洋系の学生の差異に、そのまま見てとれる、と。
東洋系の持っている内なるパワーを「ソフトパワー」と、捉えている。  
   ーそこで、「ソフトパワー」をネットで検索するとー
《 ソフト・パワーとは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、
 その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、
共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力。
対義語はハード・パワー。 ・・・ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーによる
対外政策の重要性を説く上でブッシュ政権や、その中枢を占めたネオコンという
勢力に対し、客観的に評価または批判をし、軍事力や経済力など強制力の伴う
ハード・パワーにのみ依存するのではなく、アメリカの有するソフト・パワー
を活かすことの重要性を唱えた。  ・・ナイは、ソフト・パワーを構成する
要素を掲げている。ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な例と
して文学や美術、高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆の娯楽
などの大衆文化が挙げられる。ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通
の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策を
とれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な
価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが生まれにくいとする。・・ 》
  ーこの著書のソフトパワーの説明箇所から抜粋ー
《「ソフトパワー」、教授はそれを「火ではなく水によるリーダシップ」
 と呼んだ・・ 「アジア文化では、自分が欲しいものを得るために、しばしば
微妙な方法を使います。それはつねに攻撃的とはかぎらないが、けっして
ぶれない巧みな方法です。 最終的には、それによって多くを達成します。
アグレッシップパワーは相手を打ちのめすけれど、ソフトパワーは相手を
納得させて味方にしまいます」・・ ソフトパワーの実例とはどんなものかと
尋ねると、彼は目を輝かせて、アイデアと心をパネにしている人々のことを
話しだした。たとえば、各種の雇用者団体のまとめ役をしている人々―彼らを
達成するために、力学ではなく信念によって人々を結集してきた。
また、飲酒運転根絶をめさす母親の会は、カリスマ性ではなく思いやりの
パワーで世の中を変えようとする人々の集まりー そうした人々は自分の
メッセージを伝えるのに十分なコミニケーションスキルを備えているが、
本当の強さはメッセージの内容にある。 》
▼ この図式は、都会と、地方の関係と同じ。しかしアメリカを例にとれば、
 そのソフトパワーは、ハードパワーと同じぐらいに、充実していることは、
インターネット先進国ということからも垣間見ることが出来る。現役の時代は、
 パワーソフトの占める割合が高く、御隠居は、ソフトパワーに比重が移動する。
そのソフトは、長年の蓄積が必要。そのためにはハードパワーも必要である。
私のソフトパワーの蓄積は、数十年続けてきた、一日2〜5時間の読書。
 最近は、読書からネットとパソコンに比重が移動しているが・・ 
この二年間、スポーツジムのヨガに週二回、参加しているが、これは、
ソフトパワーそのもの。
・・・・・
4471, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー6
2013年06月13日(木)                      
             『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
   * 3日目 身体の前後両面と、手指を開く ー?
A・ 胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位 ーP66  
 基本体位= 金剛座(足を重ねない正座)をして、尻を浮かす
 ようにつま先だって、脚の前で手の平をつく(四つんばい)。
1、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」を入れながら、
 「天のプラーナ気」を引き入れ、天井を見上げるように顎を上げ、
  舌を巻き上げて胸を開き、背骨を反らして腰を入れる。
2、手の位置を動かさないで、肘を伸ばして息を出しながら、両膝を合わせた
  まま、かかとを床につけるようにして背中を開き、「大地のアパーナ」
  を引き上げるようにして、背中を充分に開く。
3、緩めて、少し息を入れながら、基本体位に戻す。そこで、「軽く一息」。
4、もう一度、1〜2を繰り返す。そして軽い一息を入れながら、膝裏を
  伸ばして、手に体重をかけるようにして、尻を持ち上げてつま先で
  立上がる。膝裏は充分に伸ばす。
5、息を出しきりながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を
  入れ、眉間を見上げるようにして顎を上げる。「軽く一息」入れていったん
  緩め、さらに出息とともに、かかとに体重をかけて「膝裏→腰→胸→顎」
  の順で背骨を反らせ、「大地のアパーナ気」を引き上げる。
6、「軽く一息」入れて緩めたら、ゆっくりと息を出しながら、膝をつき、
  [基本体位]に戻す。最後に、「軽く一息」→「静かな一息」→各自の呼吸」
  で、息を調えて金剛座に戻す。
 ▼ 犬猫が時々行う、横から見たら腰を頂点とした三角形の姿勢。前者は、
  座ったまま、後者は、後ろ脚を立てた姿。これもSJのヨガ教室で、
  必ず毎回、行っているポーズ。 
B・ 手の指を開く体位 ー P72
 [基本体位] 金剛座(P・69)になり・親指と人差し指をつけて手印を結び、
  肘を直角に曲げて前腕は床と水平に、手のひらを上向きにする。  
 ★立位でも、椅子に座った姿勢でもかまわない。
1,「静かな一息」→「軽く一息」の後、「深く一息」で息を満たしながら、
 手指が反るくらい充分に開き(パアの状態)、息を止めて少し保つ。
 ここで、肩に力が入らないよう注意。
2,ゆっくり息を出しながら[基本体位]に戻って「息」したら、もう1回??を行う。
3,さらに、?を行った後手指を開いたまま、息を止めて少し静止。息を止めた
 まま、ゆっくり親指から順に小指まで一本ずつ、指のつけ根から手前側に
 引き寄せるように折り込んでいく。このとき、指の緊張を緩めないように注意。
 最後に、親指を握り込むように「グー」でしっかり握る。★指を折り込むとき、
 開いているほうの指の関節が綾まないように、伸ばした状慧を保つ。
4,さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で
 開いていく。最後にしっかり開ききり、ゆっくり息を出しながら[基本体位]
 の手印に戻って「軽く・一息」。
5,再度、?、?、?を行う。計2回。
  [ポイント] どの姿勢の場合でも、背筋をピンと伸ばして行ってください。
 自分で開いたと思った状態から、さらにあと少し努力して・表面が「ジーン」
 と感じるくらい開きます。手のひらのみの実修と思わず、腕、肩、首、胸など
 上半身全体にかかわるものと思って、呼吸とともに全身的に行う。
▼ スローヨガでは、片方の手を上向きに開いて、もう一方の手で深呼吸を
 しながら反り返す。
・・・・・・・
4097, 予言の書「日本の自殺」 ー3
2012年06月13日(水)
  * 日本没落の予感 
【 ”小松左京氏の小説「日本沈没」では地殻変動で陸地の殆どが海面下に
 沈降するとう設定で、地質学的レベルでの日本沈没について扱っているが、
日本沈没の可能性については、単に地質学的レベルだけではなく、政治学的、
経済学的、社会学的、心理学的レベルでも存在しているのではないか、という
思いに駆られ、現代日本社会のなかに観察される没落の諸徴候群と思われる
ものを、諸文明の没落、とりわけギリシア・ローマの没落の研究と比較しつつ
検討を加えるという手間のかかる作業を進めたであった。” ・・
 ”例えば、プラトンによれば、ギリシアの没落の原因は、欲望の肥大化と
悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」
の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させて
いったというのである。”現在のギリシア危機をみると、まさにプラトンが
生きていた時代と同じ状況にある。これって歴史は繰りかえすということなのか。
 こうした歴史的資料の断片を通じて、ギリシア・ローマの没落過程に足を踏み
入れていけばいくほど、われわれは日本の政治的、経済的、 社会的、文化的
没落の危機の大きさをいまさらのように痛感させられるのであった。】
▼ 現在の日本は、37年前の予言のとおり沈没一歩手前にある。
 プラトンが当時のギリシャを批判した≪没落の原因は、欲望の肥大化と
悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の
主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させていった≫
が、現在の日本そのもの。2千数百年前のギリシャと何ら変わらない姿が、
日本だけでなく、欧米の現在の惨状である。この世界の激動期に日本没落の
予感がするのは当然で、転げ落ちる速度は時間とともに加速する。
・・・・・・
3731, 温泉旅館の苦悩
2011年06月13日(月)
 先週末の金曜日にTVで「ある旅館経営者の苦闘〜」を放送していた。 
妙高・赤倉温泉の旅館の苦闘が、その内容。ーまずNHKのHPの番組説明からー
≪ 東日本大震災から3ヶ月。自粛ムードが広がる中、観光産業が大きな打撃を
 受けている。県内有数の観光地・赤倉温泉も4月の宿泊客が例年に比べ大幅に
減少した。旅館を経営する荻野光貴さんは、かつてない経営難に直面。悩んだ末、
給料をカットしたところ会社を辞める従業員が続出する事態に陥った。 
観光客を呼び戻そうと、首都圏での売り込みや仲間の経営者と新たな旅行
プラン作りに動き出した荻野さん。 その苦闘の日々を見つめる。≫
■ 地方の駅前ホテルは、この10年間で大きく宿泊が減った上に、東北大震災。 
 私のケースもシュミレーションの結果、成り立たないと判断、そうそう事業を
たたんだ。 そのプロセスで、リゾート・ホテル、旅館の惨状が聞こえてきた。
温泉地の宿泊は、ほぼゼロで人影も疎ら。この冬の大雪で東北・北陸地区は最悪。
やっと春になり、取り戻そうとしていた矢先のこれ。赤倉の38歳の店主の苦悩の
姿が痛いたしい。長期衰退の上に、売り上げが前年の5分の1以下で、温泉街に
人影は殆ど見かけられない。それは本州の何処のリゾート地でも同じ事態。
このホテルでも何人か辞めていった。更に残った人たちの給与は半額にし何とか
凌いでいる。色いろの対策のイベントを考え出していたが、「山火事に一杯の
バケツの水の対策レベル」としか思えない。現在も放射能が大気に拡散を続けて
おり、それが雨などの循環で大地に水が沁みこんでいる。この事態で、温泉など
恐ろしくて・・・。 一年か二年の急場として乗り切れば何とかという事態では
ないため、深刻である。これは、全国の居酒屋でも同じである。何とか、凌いで
きた駅前の居酒屋も壊滅的な事態である。自分の身に先駆けて起こったことが、
これから全国で起き始めている。当方は、日本経済の3〜6ヶ月早く敏感に数字と
して出る。それからして、今月から来月にかけ経済恐慌として、事象として表れる。
温泉など、浸かってはいられないのは当然である。私に起きていた10年近くの
事象と苦悩をダイジェストで見ているようであった。
・・・・・・・
3366, 大不況で世界はこう変わる!  −1
 2010年06月13日(日)
 「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著)
 ーアマゾンの内容紹介からー
「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした
20世紀型資本主義の終焉である。全く“新しい経済”が始まる」と著者はいう。 
製造業破たんの危機は?  新興国は失速するのか?  そしてドル暴落の危険は?
「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、
世界経済のパラダイムシフトを読み解き、日本に不可欠な経済政策等を提言する。 
軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。
≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム
 崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を起こしてしまった。その被害
の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルは
それほど暴落しない。米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 
この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。それは大量生産・大量
消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。
戦後からアメリカを追続けたのが日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。
21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から「ネットワーク型資本主義」へ変る
役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。モノは先進国
ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。そこで消費として
新興市場国の台頭が求められる。環境問題と農林水産業が、オバマの
グリーン・ニューディールもあり注目される。世界は温暖化・フラット化・人口
過密化が、ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全
認識などへパラダイムシフトしていくことになる。 ここで先進国と新興市場国の
環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。その1つに一神教から
多神教的価値観へ、がある。アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだ
ろうか? 必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀
への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、道州制より
「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ 
 ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処
できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。この10年は、その意味で混沌
とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の
時代になる。その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコン
などの情報端末。そしてツイッターやユーチューブやユーストリームである。
情報化が人間のあり方を根本から変えていく世紀が21C。
「情報化で世界はこう変わる」である。
 ・・・・・・・・
2991,スナック・ママ の写真集
2009年06月13日(土)
       スナック・ママ の写真集『スナック』山田なおこ
 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。
スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、男にとっては
グチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、いつものママが迎えてくれる。
10年の歳月をかけ、北は札幌から南は石垣島まで、列島中のスナックを訪ね
歩いて撮影した写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。
近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。さっそく借りて
きたが、ジックリみると、ナカナカ一人一人の上半身のカラー写真が味がある。
スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、
ママの顔だけ写してきたエネルギーが、この写真集にタップリと入っている。 
時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を撮って
おけば良かったと、この写真集をみて後悔している。ほぼ全てが忘却の彼方。
この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、
気取りがないところが良い。何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを
開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと品定めをして、愛想よく
迎えてくれる。 (字数の関係でカット2015年6月13日)          


5202,「人生はドラマだ」の演繹論的アプローチ

2015年06月12日(金)

      〜『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所(著) 
   * ドラマトゥルギー
 哲学では、古来から人生を演劇に例えて、役割、演出、観客の目線から、
人生の意味を考えていた。それを社会学者が研究対象にしたのが以下である。
≪ 「人生はドラマだ」といわれることもあるが、まさにそのようなものとして
社会を研究した学者がいる。アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンである。
ゴフマンは、人々が日常生活の中で、まるで舞台俳優のように演技し、周囲に
与える印象に気を配りながら行動しているという観点から、そのさまざまな実践
を詳細に描き出そうとした。ゴフマンのこのアプローチを「ドラマトゥルギカル
アプローチ」(演劇論的アプローチ)という。
ゴフマンの指摘によれば、私たちは常に「会社員」「親」「教師」「患者」と
いった社会から与えられた役割を状況に応じて演じ(役割演技)、自分の与える
印象を管理している(印象管理)。しかしゴフマンは、人々がただ自分の都合を
よくするために印象管理を行なっているといいたかったわけではない。
ゴフマンは、印象管理が時に舞台の維持を、つまりその場の秩序を維持するため
にも行なわれている、という点に着目した。「この状況では誰がどういう役割を
果たすべきなのか」という「状況の定義」が参加者に共有され、それぞれが役割
演技を行なうことで初めて、日常生活が成り立つと考えたのである。
 たとえば教師が生徒の前で、自分のわからないことを巧妙に隠そうとしたとする。
もちろんこれは自分の体面を守るために行なわれていることでもあるだろうが、
その一方で「学校の授業」という状況を守るためにも行なわれている。
教師は生徒に勉強を教え、生徒は教師の授業を聞く。「学校の授業」は、「教師」
「生徒」という役割に基づいた一つの舞台であり、これが壊れてしまえば、
まさに学級崩壊になってしまいかねない。
しかし、人は一方的に与えられた役割を演じるばかりではない。役割から敢えて
距離をとり、そこに役割から離れた別の自分を示そうとする場合がある。これを
「役割距離」と呼ぶ。「学校をサボる」ことを考えてみるとわかりやすいだろう。
往々にしてそういう場合、学校をサボって何かしたいことがあるというよりも、
それによって「生徒」という役割から距離をとることが第1の目的だったりする。
ゴフマンは、ドラマトゥルギーという観点を通じて、日常生活がごく些細な
不具合で破綻する壊れ物であり、役割演技と役割距離との駆け引きによって成り
立つ動的なものであるということを示そうとしたのである。「人生はドラマだ」
という言葉の通り、この観点は一見当り前のように思えるかもしれないが、
「現実が事実としてどうであるか」ではなく、「人々にとって現実はどう成り
立っているか」に視点を転換させることによって、人々のコミュニケーシヨンの
あり方を研究するために重要な役割を果たしているのである。 ≫
▼ 「世間様」の人々も、それが現実という幻想なら、それに同調するのも、
 一つの在り方であり、役割ということになる。硬く、蛇蝎のように嫌うことも
ないのである。旅行の効用の一つに、日常から「役割距離」を置いて、自分を
改めて見つめる効用がある。「印象管理」も、目新しい言葉だが、「役割演技」
に、必要なこと。その名人が、かのクレオパトラ。自分の美貌をわきまえ、
それを際立たせる「印象管理」が、抜群だったという。創業の組織つくりが、
そうである。役割を想定して人材を集め、訓練を入れ、役割を実行させる。
会社整理も、この視点からすると興味深い演劇になる。軟着陸?だからいえる?
・・・・・・
4837,「事業人生を決心して45年」の語り直しー13
2014年06月12日(木)
   * センチュリー・ベーカリー
 千城台ビルの一角でオープンさせた養老乃滝1122号店も、色いろあって一年も
経つと落ち着いてきたが、石油ショックの影響でテナントは一軒も埋まらない。
それなら、再び、自ら新たな店のオープンと、何が新しい商売がないかと探し
あてたのが、焼きたてベーカリー。日経新聞の記事に『東レ系の商社・蝶理が
冷凍生地を主にした焼きたてのベーカリーのフランチャイズを本格展開』。
名前はセンチュリー・ベーカリー。再び、怖いもの知らずで、何とかやれる!と、
取り込むことにした。早朝、4時に起床。一時間以上先の東十条店に数ヶ月、
研修をした後に、開店になった。居酒屋、ベーカリーなど業種は違っても、
立ち上げ手順は同じ。それでも二年前での、ビルの立上げが重なってないだけ、
居酒屋のオープンより遥かに楽だったが、しかし、開店前後のパニックは同じ。 
店一軒の立上げは、全身全霊で、持っている全精力を叩きつけるしかない。
産みの七転八倒の苦しみは何ごとも同じ?その都度、地獄。今度は居酒屋と
違って、家内がバックアップをしてくれ、本部の担当と同郷もあって呼吸が
合って、何とか乗越えた。とはいえ、冷凍生地のパンだけでは、店内の商品構成
が成り立たないため、粉からミキサーで練り上げ、発酵させ、焼き上げる。
パン職人が一ヶ月ほど泊まり込みで手伝いにきていてくれたが、早朝4時前に
起床、パンの仕込みを開始! 全てを自分一人がする重労働である。
しかし焼鳥屋の開店からみれば、楽。まず、店を賑わさなければならないため、
牛乳の1・8Lパックを、原価の10円安の売価で、売りに出し、表立っては繁盛店
だが、その実情は採算すれすれ。それを知らない姉夫婦が、それを見て焦った
ことを見てとった。そして、実兄に対する既存社員と組んだ嫌がらせがピークに
達し、実兄とトラブルが起きていた。兄からは怒りの電話が連日続くが、二店の
運営で手一杯。それをチャンスと見ていたのは分かっていた。その話合いに、
早朝の3時に起床をし、仕込みと焼き上げを終えて、開店を家内に頼み、帰省を
していた。ノンビリしている家内でさえ、「姉夫婦は基本がなってない!」
という始末。(当の本人が一番なってない?) 私の視点も、真逆の環境の
6年間を過ごしてきたため、呆れ返って『何を姑息なことを、やってるんだ!』
である。しかし、二人の周到に計算された手順の御家騒動の序曲。 
 その極限の状況の中で、思いもよらない底知れぬ力、得体の知れない力が、
己を支配し勝手に動き出していた。極限を超えると、そこに原始的、動物的な、
得体の知れない力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力より、戦場の馬鹿力? 
これは極限では出ない! 極限を遥かに超えた場面でしか、この力は出ない。
そのためには断崖に立つしかない。それも捨て身で。小心な私など、その上に、
怒り主体の喜怒哀楽をエネルギー源にした狂人に徹するしかなかった!
この辺りから、創業の感覚が身に付いてきた。事業は常時戦場で闘い続けること。
一日を、48時間のつもりで、働き詰めなければならないこと。それが出来ない
なら、その下で、働くしかない。 しかし、時間の経過とともに、何時の間に
忘れるのが、人間の常。何時の間に、あの茹で蛙に自分?が・・ 
・・・・・・
4470, 最悪の結果に隠された、お宝は?
2013年06月12日(水)
   * この結果に意味があるとすると、それは何?
 「三羽の黒鳥(9・11テロ、リーマンショック、3、11震災)の到来で、
この結果に終ったのに何か意味(価値)があるか?」が、問いかけとして残る。
これまでの人生の節目で、最悪の状況こそチャンスが隠されていた。今回も下手
に切り抜けるより、早々に止めた方がベストだった。 この一連の三羽の黒鳥の
到来前に、日本は支配国アメリカによる意図的なバブル経済の生成と、崩壊が
あった。機を同じくソ連の崩壊と、中国の共産党支配化での資本主義経済の導入
で、世界を二分していた垣根が無くなった。更に欧州の経済統合による大混乱と、
アメリカの衰退が重なり、ここにきて一挙に混迷を深めている。 さて、私に
とっての今回の一連の隠されたベストの意味=価値は何だろう?の問いかけ。
《 森の生活からキレイサッパリと決別し、サバンナの生活というより、
 死に支度をすべし! そして、森の生活で、切り捨て目を背けてきたことに
対する再考。さらに、せっかく奇跡の星に人間として生まれたのだから、もっと
世界の広さと深さを知り、経験し、味わうこと 》が、結論。
「早々に隠遁生活に入り、老いと死に準備に本気に入れ」ということ。
 昨日の随想日記に書いたが、日本人男性の健康年齢(寝たきりや介護を受けず
日常生活ができる年齢)が70歳。死亡平均が79歳からして、9年の介護が必要。
80歳を過ぎなら分かるが平均としても、「70歳から10年間も、介護など誰かの
世話になる生活が待っている」とは思いもしなかった。「好きなことが出来る
のも、そう長くない」ことになる。9年間の不自由な介護状態なら長生きも
考えもの。 還暦を過ぎた辺りから生老病死の問題が、真正面からやってくる。
60歳までに、やりたい事をやり尽くした感があるので、焦りは少ないが、
甘くない近い将来が待っているのが現実である。そこで、「一日一日を、面白
おかしく生きる」しかない。また自分の「知識の球」「経験の球」の外側を少し
でも広げることだ。もっと人生の少なさに焦るべきは、身近な人の死をみれば
分かる。そういう年齢に入った自覚をより持つべきである。前期高齢者に入った
65歳が、森の樹上の生活も早々止めて、一度、森から離れ、世界を見直す時節。
「今さら、そんな小さな己の世界を広げてみたとて、何になる」というが、そう
としても、前向きに倒れた方が良い。知ること、行動すること、愛することを、
死ぬ瞬間まで少しでも広げることである。人生には多くの意味があって面白い!
・・・・・・
4096、私は完全な本 "日本フル自殺 'ー2を作った
2012年6月12日(火)
  * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」
 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。
5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。情報化社会の到来が、
この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層
の真只中にある。中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、
その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、
文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。 ーこの本の冒頭から
【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼる
 ことはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、ミノス、シュメル、
マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、
ユカタン、エジプト、ヒンズー、イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教
キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものは
やがて没落し、消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残って
いる文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、
ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、
シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、の七つの「種」
と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であると
トインビーは分類している。 過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」
の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体
の原因やその一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えて
くれるものなのか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の進路選択、
日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。
こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の共同研究に着手したのであった。】
▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。
 人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。シナが極東社会の
本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の
卑小さを確認することで、砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理
作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、
  学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から
変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い!
・・・・・・
3730, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー   〜�
2011年06月12日(日)
          『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
  * 人生を自由に生きるためには?       
【「なぜカエルがジャンプするのか」ではなく、「どうすればこの小さな
 生きものをジャンプさせられるか」である。もちろん、カエルには栄養分が
与えられなければならない。次に、カエルは自由にさせられなければならない。
群集の前に立った時、あるいは上司の部屋に座った時、私たちはカエルになり、
すでに見てきたように、あまりの恐怖心からジャンプすることなど到底できず、
ただ小さく気弱な声で泣言を発することしかできない。カエルを自由にさせる
というのは、私たちが人生を生きることのたとえである。
ほとんどの人にとって、自由になることは怖い。 私は人生のある時期、過去
という不健全な場所にしがみついていた。自分を解き放すことができなかったのだ。 
計り知れない深淵に落ちてしまうのではないかという恐怖をどうすることもできず、
そうしていたら身の破滅につながることが分かってはいても、過去にしがみつく
しかなかった。 この恐ろしい時期のある晩、たった一本の枝につかまって
崖っぷちからぶら下がっている夢を見た。私は何百Mも下の谷底を見下ろした。
そこで、自分が絶対に助からないことを悟った。手は疲れ果てて、ついに滑り
出した。結局は手を離さざるを得なかったが。だが、落ちながら、突然自由に
なったのを感じた。リラックスをしながら落ちていくのを楽しむこともできれば、
落ちていながら叫ぶこともできた。落ちながら、何とも言えない高揚した気分、
完全な自由な気分を味わった。 私たちカエルは崖から飛び降りよう、
経験を信頼をして旅を楽しもう、と私は提案をしているのだ。  
やってみなさい。 手を離しなさい。 ジャンプをしなさい。 】
▼ 海鳥の雛が、最初に断崖から海に向かって飛び出す時の映像を何度か
 見たことがある。本能に従い健気に恐怖に打ち勝ち飛びたつ。人間は、恐怖の
イメージがあるから、なかなかジャンプが出来ない。実際、今回の3つの震災で、
会社が倒産してしまった。どちらにせよ年齢からして、このままの状態は維持
出来ないなら早めに清算した方がよいことは、数字が雄弁に物語っていた。
決断をしてみると、自らの手から離れ、一人歩きをしていく。これもジャンプか。 
「べき時に、べく事を、べきすべき」だった。私の場合、これに似た絶対言明が
ある。「正中心一点無」である。問題の中心を直感で見つけ、気持ちを集中する。
「恐怖の目をにらめつける」も良い。イスラム圏に行くと、目玉の飾りの魔除が
ある。玄関で目の力で、厄を守る飾りである。動物は視線に非常に敏感である。
考えてみれば視線恐怖症は誰にも少しはある。日本は、それが世間の目になる。
恐怖は、ジャンプのエネルギーそのものになる。にらみ返すことが出来ればだが!
・・・・・・・・
3365, 「世逃げ」のすすめ
2010年06月12日(土)
          『「世逃げ」のすすめ 』ひろさちや著
 ー概要といえばー
 世間はおかしな物差しで人の価値を計ります。その「狂った」世間の物差し
を捨てられないならば、世間から逃げるしかない。世逃げとは、どこか別の
ところに逃げるのではなく、精神的に逃げることです。禅の洞山の無寒暑を
思い浮かべればいい。目盛りがないのだから測れません。だから、測れない
物差しが仏の物差しです。 測れないのではなくて、測らないのです。
仏の物差しは、物を測らない物差し。仏様は苦しみの世と言われました。
その苦とは、思い通りにならないことです。世逃げとは、思い通りにならない
ことを、思い通りにしようとしないことです。つまり、あきらめの思想です。
このあきらめとは、努力をするなということではなく、無駄な努力をするな
ということです。無駄な努力とは、思い通りにならないものを思い通りにしよう
とすることです。仏教は「出世間の教え」。煩悩にまみれた俗世間を厭い離れる
ことが、仏教の姿勢である。ならー「世逃げ」しなさいーと!「世逃げ」とは、
世間の物指しの他に、神の、仏の物指し(目盛りのない物指し)を持ちなさい、
ということである。
▼ 以上が概要だが・・ 二年前に、この本の中の「ある一文」を紹介したこと
があったが・・ ひろさちや、といえば仏教的視線で、 世間から一歩も二歩も
超越しなさいという論だろうと、思っていたが、「『狂い』のすすめ」の続編の
内容である。学生時代に社会学を専攻、人事管理のゼミ入って、人間の管理という
生々しい問題を冷静に捉えて、客観的?に見つめる「訓練の場」のゼミの真っ只中
に入った。そこでは哲学的にいえば、現象世界(感性、悟性)を、思考、訓練で
理性に昇華する訓練の場。教授は分かっていたのだろうが、その先は、それぞれ
選択した社会分野で目指す世界を自分で創造しなさい、それが「自由世界」だ。 
教養とは一枚一枚、束縛された固定観念を脱ぎ捨てることと思い知らされた。 
とはいえ自由は甘くはない。 サルトルがいう「自由という牢獄」での独りの
闘いを必要とする。 ここでは、仏教だけでなく哲学的思考も隠されている。
 狂い、失敗の繰り返しを40年以上やってきて? その結果、アウトサイダー、
珍獣として冷笑されている。しかし、その経験と哲学や宗教を学び続けなかったら、
とっくの昔に胡散臭い常識人になっていた。ここで「世間は人間を商品価値で
測っている」というが、世間とは、そういうもの。少し考えてみれば商品価値
だけが人間の価値でない。女性の容貌が衰えようとも、エリートコースを歩んだ
人が失墜しようが、エリートコースの肩書きや職業がすべてではない。それとは
別の変わらない価値がある。その変わらない価値を、初めから人生に求めなさい!
ということ。結局それは、社会的なものとは無関係な自分の好きな世界を構築して
おくことだ。フワフワした名声など、所詮は瞬時の現象。しかし、それでは自分は
商品価値で人を判断していたのでは?というと、ない!といったら嘘になる。
品性、教養、無心の人の傾向の強い人を認めてきたつもりだったが。
振り返ると、そうでもなさそうだ。商品価値の高い人ほど、それにともない、
無価値の価値を身に付けている人が多いのも事実。いや、数倍も逆のがいるか?
 あれ等をみると!その、あれ等の一面しか見てないのだろうが。
商品価値ね〜 モーツアルトも、ダビンチも、あの才能より、隣の善良な人が? 
良いとでも言うのか?
・・・・・・・
2990、1ドルを競りにかけると
2009年06月12日(金)
 「世界は感情で動く」マッテオ・モッテルリーニ著   ー読書日記
* 一ドル競りゲームから見えてくること
(字数制限のためカット 2015年6月11日)


5201,老年期の意味 

2015年06月11日(木)

   * 目標なく生きる重要性
 現役から、余生の時節に移行して、それまで見えていた社会の様相が、
全く違ってみえてきている。現役時代は目的的な強い束縛の中で日々を
過ごしてきた。何もしないことは良くないことと、信じて疑ってなかった。
現役の知人に、『何もすることがないのも、良いことだよ!』といった時に、
明らかに恐れと戸惑いが現れ出ていた。ただ、ブラブラと無目的的に日々を
暮らすと、日常の中の、景色が、違ってくる。それが御隠居の特権である。
 京大教授の山極寿一の、「老後の意味」の論が面白い。
≪ 人類の進化史の中で、老年期の延長は比較的新しい特質だと思う。
 ゴリラやチンパンジーなど人類に近い類人猿に比べると、人類は多産、
長い成長期、長い老年期という特徴をもっている。多産はおそらく古い時代
に獲得した形質だ。人類の祖先が安全で食物の豊富な熱帯雨林から出て、
肉食動物の多い草原へと足を踏み出した頃、幼児死亡率の増加に対処する
ために発達させたと考えられる。成長期の延長は脳の増大と関連がある。
ゴリラの3倍の脳を完成させるため、人間の子どもたちはまず脳の成長に
エネルギーを注ぎ、体の成長を後回しにするよう進化したのである。
脳が現代人並みに大きくなるのは約60万年前だから、その頃すでに多産と
長い成長期は定着していたに違いない。
しかし、遺跡に明確な高齢者の化石が登場するのは数万年前で、ずっと
最近のことだ。これは、体が不自由になっても生きられる環境が整わなかった
からだと思う。定住し余剰の食料をもち、何より老人をいたわる社会的感性が
発達しなければ、老人が生き残ることはできなかったであろう。
家畜や農産物の生産がその環境整備に重要な役割を果たしたことは疑いない。
ではなぜ、人類は老年期を延長させたのか。高齢者の登場は人類の生産力が
高まり、人口が急速に増えていく時代だ。人類はそれまで経験しなかった
新しい環境に進出し、あつれき人口の増加に伴った新しい組織や社会関係を
作り始めた。さまざまな軋礫や葛藤が生じ、思いもかけなかった事態が数多く
出現しただろう。それを乗り切るために、老人たちの存在が必要になった。
人類が言葉を獲得したのもこの時代だ。言葉によって過去の経験が生かされる
ようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。
 しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけにいるのではない。
年や壮年とは違う時間を生きる姿が、社会に大きなインパクトを与えることに
こそ大きな価値がある。人類の右肩上がりの経済成長は食料生産によって
始まったが、その明確な目的意識はときとして人類を追い詰める。
目標を立て、それを達成するために時間に沿って計画を組み、個人の時間を
犠牲にして集団で歩みをそろえる。危険や困難が伴えば命を落とす者も出てくる。
目的が過剰になれば、命も時間も価値が下がる。その行き過ぎをとがめるために、
別の時間を生きる老年期の存在が必要だったに違いない。老人たちはただ
存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか。
その意味が現代にこそ重要になっていると思う。≫
▼ 落語の『御隠居と与太郎』の問答が、正しく、これ。人生を消化した
 御隠居と、何もしらない与太郎の無目的の状態の二人が、目的的社会に
ついて笑い飛ばす。4年前に、それまでの自分の姿が急に面白くなり、腹の
底から笑ってしまった。それで憑物が落ちたのだろう、開き直れたようだ。
元もと、アウトサイダーを自認して、社会との関りを最小にしていたことも、
現在の日常を楽にさせてくれている。夕暮れには夕暮れ時の楽しみがある。
 〜以下のことは森のこと。後は、娑婆娑婆したり、しなかったり!
・・・・・・
4836,「事業人生を決心して45年」の語り直しー12
2014年06月11日(水)
   * 閑話小題 ー事業人生を振返って、あらため気づいたことは
 人生を鳥瞰すると、その時々に直面する問題に無心で取組んでいると、違う
チャンスが生まれているのが見て取れる。これは、課題に対する「正中心一点無」
の奥底から自然に生まれ出る不思議な因縁。前向きに正面から中心点に無心で
取り組み続けると、自然と機会が生まれてくる。過去・現在・未来とも、その
正中心一点は、時代のウネリ。この数年来では、2008年9月15日のリーマン
ショックと、2011年3月11日の東北大震災と、津波による福島第二原発事故。 
このリーマンショック対策で、今でも世界主要20ヶ国のトップが一年に一度の
会合を開いているが。実は未解決案件!
 金沢にいた頃は、『ドルショック』。千葉の創業時には、『石油ショック』
が直撃。その直後の数年は、その重大さが理解できない。が、数年後に現象と
して現れ出てくる。千葉での石油ショックは、創業初戦の私を直撃をした。
あてにしていた道路一本前の空地の5百室のマンション計画が緊急中止。
周囲の空気が一変してしまった。ビル内のテナントは全く入る気配がなし。
軽い気持ちで始めた養老乃瀧のオペレーションは、手こずるし、本部から
手伝いの開店指導員は、店の乗取りをはかってくるし、その上に、お嬢様育ち
の家内は戦力に全くならない。また凶暴化した酔っぱらいの店内での喧嘩や、
因縁に対処が出来ないため、なすがまま。あたかも西部劇の酒場の場面の
ようで、一日一日が瀬戸際のドラマである。 これが創業の苦しみと、つくづく
思い知った日々。〈背中に、重い荷物を担いで、足には鉄の下駄を履いて歩いて
いるよう〉という実感があった。その時、戦中、終戦の最なか、両親は、この
数倍、数十倍の苦労した苦労話と、幼児期の両親の苦労姿を、改めて思い知る。
両親には戦災の中、一家の生活がかかっていた。 そして、父親の死。
これが、自分への父からの贈物と、実感する。今度こそ、頼れるのは、自分と、
取り組んだ事業のみと! しかし、それも三ヶ月、半年と経つ内に、仕込み、
仕入れなど、一日15時間の勤務時間が、12時間、10時間、8時間と
減っていった。そこで、養老の滝を一緒に取り組んだ相方に任せ、自分は焼き
たてのテイクオフのベーカリーに取組む。とにかく、このミニビルを何とか
「カタチ」にしなくては! と。
 ー偶然、12年前同月同日に「創業のすすめ?」をテーマとして書いていたー
・・・・・・・・
2002年06月11日(火)
434,創業の勧め??
過去に創業を何回か繰り返してきた。好きで自分で望んだ事だから、
そう苦ではなかった。しかしそう甘くもなかった。
その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で
判断していかなくてはならない。ゼロからの出発である。
表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは
「発狂」である。まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに
創り上げていく工程を踏んでいるのだから。部外者の人は狂っているという。
そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。基本に忠実にゼロから一人で、
一日一日孤独の行為の積み重ねである。その時、見えるのは人間の
浅ましさと嫌らしさである。これは自分の事でもある、人間の底である。
・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。
・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。
 むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・
 ・・・・・・金である。
 それを命を賭けて投資するのである。なけなしの金と銀行から借りた
資金を合わせて、その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。  
 いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げ
しかない。500�の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。
それで実際のところ50�しかうまくいかないだろう。
 実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても
後悔はしないと。創業は勉強になる!! それでこの程度!

・・・・・・
4469, 余命半年 −5
2013年06月11日(火)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五
「生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五」説によると、人間は75歳。
その辺りが大きな目安になる。去年、知人が75歳で亡くなったが、70歳
前後から急激に衰えていった。特に男は75歳、女性は80歳辺り。成るほど
後期高齢者の区切りである。この辺の健康状態で、あと何年かが決まって
くるようだ。 ーその辺りからー
≪ 川上嘉明氏の著書『自然死を創る終末期ケア』を読んで、私は生物の生命
 過程の事を知った。生物には成長期・生殖期・後生殖期の三つの時期がある
という。そして人間は後生殖期が長いのが特徴であるとのことだ。なるほどと。
確かに昆虫など、生殖期を終えればすぐに死んでしまう種の数は多い。ほ乳類
の場合は、最大寿命と性成熟年齢が性の相関関係にあるとされ、生物の最大寿命
は生物の性成熟年齢×五であるらしい。最大寿命と言うのは、限界の寿命である。
人ならば性成熟年齢の十五歳×五の七十五歳が本来限界となるはずだ。
しかし、周囲を見回せば明らかなように、今や限界超えが当たり前。
図をみると、実際にヒトだけが逸脱して限界を超えてしまった。人類がなぜ
後生殖期が終わったのちに、これほどまでに生きられるようになったのか。 
それは「医療」の発展ゆえである。ついぞ五十年くらい前までは「人生五十年」
の世界であった。しかし、人類にとってかなりの強敵であった感染症に対して、
西洋医学が優位に立つと、寿命はぐっと延びるようになった。もちろん栄養状態
の改善も影響しているだろう。あるいは衛生環境の改善等も。体格が世代を重ねる
ごとに良くなっていることは、清潔で栄養に満ちた生活が提供されている
一つの証明でもあると考えられる。≫
▼ ちなみに類人猿のチンパンジーは50歳、ゴリラは40歳後半で、50年前
 までは、人間と変わらなかった。病気を治す術を得た分、長生きが出来るように
なった。その最大寿命の75歳に近づいてきた。70を過ぎると、摂生してきた
人と、不摂生してきた差が鮮明になる。 私も酒の飲み過ぎもあり、その辺りが
大きな関門だろう。 ところで、介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、
自立して健康に生活できる期間を示す「 健康寿命」を2010年に男性70・4歳
(10年の平均寿命79・5歳)、女性73・6歳(同86・3歳)と厚生省が
初めて算出し、発表した。大体10年間が、介護か寝たきりなる。 
あと3年で平均で達するので、現在、介護を受けても不思議でない。そうすると、
まだ元気な現在、好きなことが出来る時間的余裕が少ないことになる。
10年間の介護を考えると、末期ガンになってもジタバタしないで、悄然と
従うのが良いのかもしれない。そうこう考えると、老いの現実は厳しい!
介護、寝たきりまで平均3年、死まで12年? 男が平均70歳で、寝たきりか
介護? 周囲を見渡しても、そうだろうか? 自分を考えると3〜4年先に倒れ、
その2〜3年先とすると不思議でない。とすると二年前の会社整理は正解? 
ものは考えよう。
・・・・・・
4095、古代の皇帝の最後は
2012年6月11日(月)
 先月、ローマ人が現代日本にタイムスリップし2000年の時空を行ったり来たり
する「テルマエ・ロマエ」という映画をみてきた。当時のローマ皇帝は体制を
維持するため、何処の街にも劇場とローマ風呂をつくり住民を懐柔する政策を
とっていた。そこで歴代のローマ皇帝の最期が如何なるものかを調べてみたら、
その最期は壮絶なものが多い。 ーネット調べてみると
≪ 初代オクタヴィアヌス・アウグスツ帝(BC27)から、最後のアウグスツス
(AC476年)まで、503年間に、皇帝は81を数えた (名前だけの神聖ローマ
帝国は、1806年までも続いていたが、ここでは省く)81人という数も見方
によって違いが出る。時どき、数人併立したりしたからである。とりあえず
81人として、 平均在位年数は六年四ヵ月、あまり長くはない。
奇妙な偶然だが、古代ローマの継承者を次々と自ら任じた歴代ローマ教皇の平均
在位年数が、やはり六年四カ月になる。その諸帝の最期は、暗殺、毒殺、強制
された自殺、反対派に捕まって処刑などが34、戦死9、事故死1、計44人が
非業の死。死因すらもはっきりしないのが17帝で、ローマ式ベッドの上で
死ねたのはわずかに20帝、四人に一人でしかない。平均の六年四カ月以上在位
できた皇帝は22人、これも四人に一人にすぎないが、その中に、強制自殺
させられたネロや、親衛隊に殺されたコモドゥスなど非業死を合んでいる。
残る12帝も暗殺未遂などあったはず。≫ とあった。
▼ これだけ絶大で安定していた古代ローマ帝国のトップの地位は、逆に非常に
不安定であった。そこから人間的な権力闘争が垣間見るることが出来る。人間の
権力欲と闘争本能は決して変わることがない人間の業。未来永劫、この業による
争いは変わらず続くのだろう。人類は歴史から何も学ばないのである。
日本の首相は仕組みからみて一年間袋叩きでズタズタにする。実はズタズタは
国そのものであるのに、鬱憤をトップ攻撃に向ける。目先の安易を求め、
国が破綻しようが構わないギリシャと同じ。
・・・・・・
3729, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月11日(土)
          『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
【 * 常に主導権を確保せよ −そのためにー
 「スペンスさん、あなたは私たち陪審員を信用していなかったんですか」
「もちろん、信用していました。どうしてですか」。 私はあわてて答えた。
「あたは大変苦労して、私たちが人格の優劣によって、この評決を下すのでは
ないかと、心配している」とばかり話していたからです。私たちは事実に基づいて
評決を下したんです。どちらが魅力ある弁護士か、で決めたのではありません」
 突然、私は「自分」に魅力がないことを証明してしまったのだと気づいた。
手遅れだった。私は自分の言い分の正当性を陪審員に主張するよりも、相手の
弁護士を非難することに時間を使ってしまったのだ。 私が相手にあまりに
多くの力を与えたために、彼の主張は私自身の主張よりも正しいことになって
しまったのだ。私は自分の敵が誰なのか、まったくわかっていなかった。
 私は自分が作り出した絶対に勝ち目のない巨人に立ち向かっていたのだ。
私は自滅したのである。私はこの巨人に、私を打ち負かすのに十分な力を
そっくり与えてしまったのだ。 あのころは、今私がここで教えたいと思って
いることをまだ学んでいなかった。それは学ぶのも覚えるのも大変な勉強だ。
私たちはしばしば、自分が得意としていない分野を得意とする相手に出会う。
ほとんどの相手は自分より聡明で、博識で、頭の回転が速く、外見もいい。
相手のカを心配することに時間とエネルギー、全ての力を浪費し、相手に自分
の力を与えてしまう。 どんな議論をどんなにうまくやってのけても、相手を
変えることはできない。自分の力で変えることができるのは、自分自身だけだ。 
それ以来、相手に自分の力をこれっぽっちも渡すまいと私は思っている。
私は自分の力を自分の手元にしっかりと置いておく。そして自分の主張の準備
をするため、自分の主張に気を配るため、そして自分の依頼人の心配をするため
に使う。 私は自分に話しかけてくる、かすかな声に耳を傾けることを覚えた。
「大丈夫。君なら十分できる。もし自分自身を見つけ、ありのままの自分でいる
ことに力を使えば、もしできるだけ誠実に自分自身を表現すれば、もし子供
らしさの最後のかけらが残っているところ、つまり何の邪心もない心の奥底から
話をすれば、そこからすべての本当の力が生まれてくる。それで十分だ」。 】
▼ 相手に気を奪われ、自分の内なる知恵に耳を傾けなかった大失敗を通して、
 主導権を取るとは如何いうことか学んだのである。相手に気を取られ、
それが自滅を誘ったのである。それより準備をし、自分の内なる声に従って
対峙して主導権を取る方が近道。その辺のことが分からないから自滅をする
ことになる。ようするに自分のペースで議論を運ぶこと。そのためにシナリオ
つくりの準備を充分にすることである。これは議論だけでない、人生も同じ。
人生のシナリオと、その準備を数十年かけ作ること。シナリオが狂った?
 ・・・・・・・
3364, 人みな骨になるならば ー14
 2010年06月11日(金)
 * どうということはない地位と財産  P-126
≪ 財産や地位などというものは、「あるに越したことはない」のである。
ただし、「あるからといって、あるいは、ないからといってどうということ
はない」という点を忘れるのは問題である。現実に財産や社会的地位のある
ものの殆んどは、「あるからといってどうということはない」点に気づきにくい。
また恵まれない者ほど、「あるからといってどうということがない」と信じた
がりすぎる。もし「あるからといってどうということはない」のなら
「ないからといってもどうということはない」のだ。古来の聖賢たちが、
財産や地位を警戒してきたのは、ひとつには、いったん得てしまうと今度は
それを失わないために汲々としてしまいがちなこと、あるいはさらなる欲望に
とらわれがちなるとによる。なぜ、これらが警戒しなければならないことか
というと、それによって人生が空費されてしまうからである。財や名声を
追い続けていると百年に満たない生涯はたちまち尽きてしまう。
・・ 財産や地位の空しさを論証するのはたやすい。「あの世まで持って
いけるものではない」からである。一生かかっても使い切れない資産というのは
食べきれない料理と同じである。歴史に残るほどの偉業をなしても人類の歴史
そのものが永遠ではない。世界一の金持ちもいずれ死んで財産はそのうち
四散する。世界の帝王になったとしても跡目は誰かに譲るか簒奪される。≫
▼ 以上だが、分かっていても囚われるのが人間。「死んで三日もすれば
 三百年前に死んだと同じこと」とハッキリと自覚すれば、何も目先のことに
気持ちが大きく揺れることもないだろうに。生きていること自体が最も大事な
ことに気づく時は、死を自覚した時など切羽詰らないと、なかなか無い。
ここで、著者が最後に指摘しているように、「好きなことをして自然に転がり
込んでくるような名利でないかぎり、我が身や時間を切り売りしてまで欲しがる
べきではない。百億の資産、大臣の椅子といったところで、 所詮はサルが
食べきれないほどのエサを掻き集め、あるいは、ひとつのサル山での順位を
目一杯あげただけだ」ということ。われわれにはもっと他に大事なことが
あるはずだが。 無いよりも、有ったほうがと、言うのが本音になるが・・
・・・・・・・・
2989,歩く木
2009年06月11日(木)
 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。
アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保する
ために、根をタコ足のように伸ばして年に10数センチも移動する。アマゾンの中
でも樹木の争いがある。光の当たる方に根を伸ばし陰になったほうが腐っていく
のだそうだ。50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 
(字数制限のためカット 2012年6月11日)


5200,ライフステージより、ライフコースへ 〜2

2015年06月10日(水)

       『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所 (著) 
  * 個人の活動領域が重視されるライフコース
 ライフサイクル論では、家族を中心に捉えられているが、ライフコースは、
個人が中心に据えられている。戦前まで平均寿命が50歳だったが、今では80歳。
それぞれの第二、第三の人生のコースが自ずと多様に分かれてくる。
≪・・植物は種から芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、また種をつくり、枯れる。
 同じように動物もまた、親から生まれ、成長し、子をつくり、死んでいく。
このように、一つの生命の始まりから終わりまでに着目すると、それは循環して
いることがわかる。人間もまた、一つの生命で、動物であることを考えると、
他の動植物よりも複雑ではあるものの、それは循環しているように見える。
 すなわち、親から生まれ、成長し、家族をつくり、子供を育て、歳を取り、
そして死んでいくというわけだ。こうした、出生、成長、成熟、老衰、死亡という、
一生の中の規則的な過程を「ライフサイクル」という。とはいえ人間の場合は、
いうまでもなく、たんなる循環ではない。私たちは、たいていの場合、自分の
平均寿命(日本人の場合、およそ八○歳)を知っているので、自分が歳を取って
死ぬまでの人生を漠然と思い描いているかもしれない。けれども、たとえば、
乳幼児の死亡率の高さを考慮しなくてはならないものの、平均寿命が五〇歳を
超えたのは、実は戦後のことなのだ。さらに、人類の歴史を振り返ってみれば、
その大半は一〇代で亡くなっていたと考えられる。つまり、私たちが老いること
と死ぬこととを結び付けて考えること自体が、それほど自明なことではないのだ。
したがって、私たちの人生は、単に生物学的に捉えるのではなく、社会的・歴史的
影響と結び付けて考えられなくてはならない。こうして、「ライフコース」という
概念が必要となる。ライフコースとは、グレン.H.エルダーによれば、個人が年齢
別の役割や出来事を経ながら辿っていく人生の経路である。ライフサイクル論では、
生物学的な加齢が重視され、また、個人が家族の中で成長し、家族を形成し、家族
の中で人生を終えることが前提とされていたために、家族それ自体が注目される。
これに対してライフコース論では、家族の内部だけでなく、学歴や職歴、場合に
よっては兵歴など、社会変化の影響を受けやすい個人のさまざまな活動領域が
重視され、その経歴の複数の束として多様な人生が想定されている。そこでは、
個人は社会変化の影響を受けると同時に、社会変化をつくり出す存在でもある。≫
▼ 三組に一組は離婚する時代。これも一つの選択のコースである。一生未婚の
 ケースもあるし、離婚再婚を繰返すケースもある。事業創業人生を目指した
私のケースも、特殊なライフコースである。時代の社会変化が直撃し翻弄され、
その束が人生になる。元もと覚悟の上のため、最後の結果をスンナリ受け入れる
ことができた。この辺りは経験しないと分からないこと。 空虚しか残らない、
薄笑いを浮かべたライフサイクル論のドブネズミに到底理解など出来ようがない。
・・・・・・
4835,「出羽の守」の功罪
2014年06月10日(火)
  ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 
 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、
『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、またか〜何様じゃ御前は。 
東京は東京、産地は産地だろうに!と。高校を卒業し上京した時、注意された
のが、私の口癖、『いわゆる○○』。無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。
小さな厚い殻から、社会や知識を置換えていた、自身の出羽の守を指摘された
のである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。
  ーまずは、その一つからー
《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する
 「出羽の守(かみ)」。うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともな
 こともある。その弊害と効用とは。
   * ペンギンに飛べと言うな   野島博之さん(予備校講師)
「出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、
実に多様なものを取り入れてきた。古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は
朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。
・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、
 ときどきの文明を高次化してきたこと。
・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、
 やがて日本化・独自化したことです。
日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は
中国の古典に学んで、宮城が都の中央に位置する藤原京という壮大な都を築いた。
ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の
最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって
宮城を都の北端におく平城京の建設開始。東京スカイツリーを3基も建てた
国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、
また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、
茶の湯や枯山水がわかりやすい。いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随
しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。
よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常な
エネルギーを発揮しています。この過程で、帝国主義的な態度や行動も身に
つけた。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、そうした
行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の
教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。そこには仕方のない面もありましたが、
ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。
 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は
自分で飛べ」とけしかけられています。でも、日本は飛んだことのないペンギン
のようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、
ペンギンはペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。
・・(中略) イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。
ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって工夫して工夫して、
また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 
ペンギンは空は飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。
                      (聞き手・尾沢智史) 》
▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、
「長岡出羽守」の世界。実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、
同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの地区の出羽守には、
プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名)
出羽守八郎」。流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追い
ついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。ネットは、デジタル
の世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きく
なっていく。
・・・・・・
4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6
2013年06月10日(月)
 「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
   * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界
 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には
驚くようなことばかり。極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化
だけで表現出来るのだろうか。地球という惑星もしかり。これらは知的設計者が
存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。
そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り
出した絶対者の主役でしかない。我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も
存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があって
も不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より
遥かに衝撃的である。 ーその辺りを抜粋してみるー   
≪ もしかして、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない…。 
 こういった突飛な考え方を、頭ごなしに否定してはいけません。科学では、
どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれているからと
いって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。・・「大仮説」と
呼ばれる仮説があります。現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のこと。
でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」であっても、
頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見で
これまでの常識がひっくりかえって、大仮説こそが「白い(正しいと思える)
仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった
37%。 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、
「インテリジェント・デザイン説」というものがあります。直訳すると
「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、
約6千年前に人類は神によって創られたという「創造者説」が一般的でした。
それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ
進化していったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)。
 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」
に対する対立仮説なんです。これは、カリフォルニアサンディエゴ校で
1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的
設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、
形を変えた創造説といえなくない。ただし、聖書に書かれているような神様で
はなく、あくまで知的設計者という言い方をします。 さて、この説を高校や
大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われている
のです。「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教える
べきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、対立する仮説と
してはたとえば知的設計者説というものがあります」というように教えるべきか。 
そういう論争なんです。日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 
それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の
ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎに
なっているんです。 ・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、
ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります
それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの
科学理論であると思っている人は37%。たくさんある仮説のうちのひとつに
すぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。
残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだ
では進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫
▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、
 4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の我々の
世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラー
の神が、それにあたると主張するだろう。最後は宗教問題に行き当たる。
宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。 
知的設計者か!
・・・・・・
4094, 嫌老社会
2012年06月10日(日)
        「嫌老社会 老いを拒絶する時代 」長沼 行太郎 (著)
  * 歴史的一回限りの、新種の階級問題
10数回にわたり「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
を取り上げて老いを暗黒面から考えてみた。昔から老いは嫌われ片隅に追い
やられてきた。ところが戦後の中核をなしてきた団塊世代が熟年をむかえ、
大量に溢れ出してきた現在、彼らを軸とした世代内の格差と、他の世代との
格差が、大きな問題になってきた。周囲に元気な人が多いため自分たちが老人
の意識が今ひとつ持てないのである。彼ら自身が老いを嫌い、その下の世代から
も目の上の瘤として厭われている。それが年金格差であり、貯金格差などを起因
とするから問題は複雑である。それは親子、嫁姑関係にも微妙に関係してくる。
   まずは、内容ーアマゾンから
【「老い」を嫌悪する時代そのものを問う! 今後、ますます高齢社会を
 迎える中、「老い」をどのように捉えればいいのか。「老い」を拒絶し嫌悪
する時代に、歴史的な背景から団塊世代の問題までを多角的な視点から論じ抜く。
高齢社会・日本において、いま考えるべきは「老い」の技術と思想だ。
団塊の世代の問題、老人は過去にどのように処遇されてきたか、老化を忌避する
社会の今後の展望 …誰もが避けられない「老い」をテーマとして、歴史的な
経緯から今後の展望まで多面的に捉えている。】
   ー世代内格差についてー
≪一般的に老いは、現役時代の収入・資産状況の結論が出て、それが固定化
 される現象であるから、老後には、現役時代に拡大した格差は固定された
ままで、リベンジがきかない。とくに、老後の生活水準では、企業年金を積み、
退職金の高い企業に勤めていたひとと、そうでないひととの間での格差が歴然
とする。 ・・・ 団塊世代では蓄えも退職金も世代内格差が大きいという
団塊世代を対象としたアンケート調査もある(『日経新聞』2006年1月8日)。
金融資産が500万円未満が34・4%、500万〜1000万未満が19・2%、これでほぼ
半数を超える。退職一時金も、「なし」が25・6%、500万円未満が22・8%で、
半数近い。言うまでもなく、団塊世代の多くのひとが、退職後も生活のために
働かなければならないと答えるのはこの事情があるからだ。つまり、日本社会
全体の「希望格差社会」(山田昌弘)、希望の持てる階層と希望を喪失した階層
とへの分裂社会への移行を、膨大な高齢層が集中的に表現することになるわけで、
団塊世代の場合、シニアデバイドは、世代問題、人口問題、収入階層問題、
という3つの次元の交点に現れる、歴史的に一回限りの、新種の階級問題である。
また、この団塊世代に始まる世代内格差は、団塊世代のあとにくる世代にも
継承拡大されていくことが予想される。≫
▼ 団塊世代の「金融資産が500万が三分の一の、過半数が1000万未満。
 退職金無しが四分の一、500万未満が半数。」という現実も厳しい。
これで20万そこそこの年金では、ギリギリの生活になる。この年代はバブル期に
良い思いをしたため、その段差は大きい。それでも半数は一千万以上の金融資産
があるし企業年金も入る。そのため現役時代の格差が、そのまま延長される。 
国家衰退は、個々人に直撃する。
・・・・・・
3728, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月10日(金)
 *「必勝の議論」を組み立てる ー物語にして話しなさい    
         『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 ● 説得力を増強する議論構築法と表現の魔術
 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、
どんな場合でも、議論は一つの物語に変えることができる。議論には、そう、
三匹の子ぶたの家と同じように、骨組みがある。オオカミに激しく息を吹き
かけられて家が崩れ落ちるかどうか、吹き飛ばされるかどうかは、その家が
どんなふうに建てられたかにかかっている。全ての議論にとって最も強い骨組は
「ストーリー」である。 「さあ、お話をしましょう」 
 ストーリーを話すというのは、大昔からお互いに教え合う大事な手段だった。
たとえば焚き火を囲む集まり、一族が皆、焚き火を囲み、目をまん丸にした子供
たちが大人の後ろから覗き込んで一心に耳を傾けている。過ぎた日の物語を語る
長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。人々は物語から何かを学んだ。
サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森で
マストドンの王を仕留めた話、そして長老がいかにして嵐を生き抜いたか。 
愛の物語も、特別な秘薬の発見の物語、隣の種族との恐しい戦いの物語もある。
人間の知識はすべて太古にはストーリーの形で伝えられてきた。ストーリーを
話す生きものは、私たち人間だけ。ストーリーを話し、それを聞くという行為は、
人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な
経験として心のなかに残り、大人になった時に物事を判断したり決定したりする
際の拠り所になる。意識の中にも無意識の中にも永遠に植え付けられる。
私たちが楽しむ映画やテレビドラマ、芝居、これらは高度に進化した形の
ストーリーだ。 一番効果的なテレピコマーシャルは、三十秒あまりの小さな
ストーリーだ。 ジョークも小さなストーリーだ。 世に名を残した偉大な
教師はストーリーを使って教えた。キリストの壁え話もストーリーだ。 
・・工場の工場長が機械が故障したのを知った時、修理しようと集まっている
工員たちにまずする質問は「どういう話になってるんだ〜」 だろう。 
警官が私たちの車を止めてボクサーみたいな顔を前の座席に突っ込み、
まずつっけんどんに言う言葉は「さあ、話を聞かせてもらおう」だろう。 】
▼ この10年間の随想日記で、一日一話の物語を作っていたことになる。
 身近な縁者と、未来の自分が読んで納得できるように加工することで、
自分の情報整理と管理をしてきた。初めの数年は大変だったが、何時の間にか、
それが面白くなっていた。物語化すると頭に残るのである。後年に再び読んでも
新鮮さが失われていない。それにしても、実践から得たこの物語化は面白い!
 ・・・・・・・
3363, すでに世界は恐慌に突入した ー4
2010年06月10日(木)
  * ロボット・トレーダーとは!
「怪しげな超高速取引のロボット・トレーダーの優劣の戦いが始っている」と、
この本で紹介している。現在、ゴールドマン・サックスや大手ヘッジファンドは、
膨大の資金を投じて超高速超高速コンピユーターを導入し、取引に使っており、
今やニューヨーク証券取引所における、この高速取引のシェアは七割に達しよう
かという勢い。その中で問題とされているのは、フラッシュ・オーダーという
取引執行形態である。このフラッシュ・オーダーとは一般投資家の注文状況を、
一〇〇分の三秒ほど早く見ることができる。一方、超高速コンピューターは
○.○○〇四秒で、注文を処理することができる。一〇〇〇分の一秒の間に何百
という注文が執行できる。 これで、どういうことが起こるかというと、一足先に
一〇〇分の三秒早く一般投資家の売買動向がわかるので、その状況を的確に判断
して儲けにつなげるというわけである。たとえば、A社の株価は現在四九四円と
すると、この株価の売りと買いの注文状況が出たとする。この場合、成り行きで
一万株買ってくれという注文であれば、通常なら四九四円で買うことができる。
場にある四九四円の売りものを拾う形となるからです。ところが、ここに
フラッシュオーダーの機械がセットされていれば、一〇〇分の三秒早くこの成り
行き注文を感知することができる。すると一足先回りして、この四九四円の
売りものを買い付け、その後○・○○〇四秒の速さ、一万分の四秒のスピードで、
四九五円に売り注文を出すことができるのです。
(字数の関係でカット2012年6月10日)


5199,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅

2015年06月09日(火)

 4月〜11月までの8ヶ月間、雨天以外の毎朝6時半から7時半まで
ポタリング(自転車散歩)を続けて、はや、6年数ヶ月になる。
家に帰った直後、NHK:BS『にほん縦断こころ旅』を見るのが日課である。
通りすがりの車の中から、『いつも見てますよ!』と声が掛けられる。
NHKの印籠を持った『水戸黄門』一行様の行列が、親しみをふりまいて
通り過ぎていく。火野正平は人懐こい風貌、性格が特徴。 町、村の小さな
食堂の食事の場面が地域性があってよい。また、それぞれの地区の人の暖かい
触れ合いも色を添えている。 先日、一人家さきで、休んでいる火野の隣に、
何気なく座って話しかけてきた80歳過ぎ?の老人との会話がよい。
 話の切欠に、老人が、『私の歳が幾つにみえますか?』に対し、
火野が、『そういうには、見た目より、遥かに歳をくっているでしょう』に、
『91歳です』と。確かに10歳は若く見えた・・ 老人は気なく人生を語る。
『戦争で、満州に4年間、抑留され、昭和24年、24歳の時に帰国した。
マイナス30〜40℃には・・』 火野は、『昭和24年は、丁度、自分が
産まれた年だ』と答えていた。 人に歴史ありで、何とも印象に残った会話。
 ーところで、NHKのHPから、この番組の案内をコピーしてみたー
≪  目指すのは、あなただけの「こころの風景」
 俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って日本全国を走ります!
その日の旅の目的地を決めるのは、みなさんから寄せられたお手紙です。
「人生を変えた忘れられない風景」「大切な人との出会いの場所」
「こころに刻まれた音や香りの情景」「ずっと残したいふるさとの景色」など、
お手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある
「こころの風景」を訪ねます。 たくさんの人々と出会い、上り坂にあえぎ、
下り坂に笑う、ぶっつけ本番の旅。(時にはチャリオをつれて、電車やバス、
船、軽トラック!?にも乗ります。)そして1日の旅の終わりには、どんな
「こころの風景」が待っているのか?これまで4年で8,188kmを走破し、
404日間(※)旅してきました。5年目の春は和歌山をスタートし、東海、
そして関東へ。東北の太平洋側を通って北海道を目指す14週間の旅です。≫
▼ 『世界まち歩き』という番組があるが、これは、世界の街を気ままに
 歩いた現場感覚を大事にした内容だが、火野正平・目線の自転車の道路から
みた光景がよい。自分の代わりに、自転車で、各地を見て廻ってくれる感覚が、
親しみを感じさせる。自転車で完走するのではなく、ところどころ、バスや
電車で繋ぐことも抵抗感が全くない。伴走の4人を含めて5台の自転車一行。
他に、地元のNHKのワゴンが、別目線で一行を遠めで撮影している。
 毎朝の一時間の自転車散歩、実感は、あんなもの。ただ違うのは、
早朝であること、毎日、同じ風景であること、そして独りということ。
長距離用サイクリング自転車に対し、私のは、電動アシストクロス自転車。
iPodで音楽を聴いていること。 同じことは、独りごとを言っていること。
 自然を楽しみ、味わっていること! 
・・・・・・
4834,つれづれに ーミニ物語の効用
2014年06月09日(月)
   * ミニ物語の効用
 連日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に考え事を
楽しめるようになった。人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、
サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、その言葉の羅列を繰返す。
一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマはー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を
 醒ますと、そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察
すると、やはり当時の部屋。これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実の
ような感じもする。すると、私は誰かの居住部分に無断で寝ていることになる。
まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、何時の
間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして夢からさめ、ウトウト
した後、覚醒した。現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年、の語り直し」
を書いているが、過去の折折を思い出すに、当時の具体的イメージの細部を
引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出されるのでは!と思い至った。
これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思う
だろうが、目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの
『花子とアン』のハナが、想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面
が度々、出てくるが、それを自分でも身に着ければ、より心が豊かになる。
度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナー
だが、22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、
実際には、その層には、受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、
殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ自転車を乗せ、近隣の山や海辺で
ミニサイクリングが可能なことが決めてになった。納車後に、初めて乗ったが、
やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに行って
乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラの
1・5倍の距離を走るが・・ 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 
もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。その辺の陰口?まで吟味
すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、
「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、どちらがきついか」
の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活
の厳しさ、さてどちらか? 前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。
後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、
各質問が下ネタなどエゲツナイ。 −要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 
 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 
 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、これが、
 あと二年も続くと思った時と、夜半に死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。
 何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?
  の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が
 良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、
 「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどでは
 ないが、やはり白眼の中、甘くない日々。失意平然としているつもりだが、
頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリング
とスポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々と
コナスことで、むしろ健康的であるが、やはり特異体験である。
それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・
・・・・・・
4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で
田中慎弥の芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、トップに取り上げていた論文を
見逃してしまった。最初は最近書かれた内容と思っていた。その内容が的を
得ているので冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された
論文と知り衝撃を受けてしまった。今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り
上げた主筆が瞠目したという内容。著者は「共同執筆・グループ1984年」。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは
高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘をならす
ものだった。それから37年、朝日新聞の若宮啓文主筆が1月10日朝刊の一面で、
この論文に注目し、「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」
と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 
敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、精神的には、ほとんど
敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然
自失の状態である。次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。
「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、身に覚えの
あることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。
欧米が主導してきた文明とは何だったのか。
・・・・・・
3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月09日(木)
         『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備が
あることは、言うまでもない。以下の部分は、この本の中の一番の要の部分。 
よく調べ、勉強し、実践し、準備の上で何事にものぞめば、準備を遊びになる
まで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。
【  * 私が百戦百勝している最大の秘訣
  準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は
当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できる
ような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明
できればいいのだが・・ 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して
前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、
 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を
生きることである。モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねたら、
おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、彼の呼吸が、
彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを
費やした周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど
賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えている普通の人になりたい。
準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な
並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、単に何かに向けられた
エネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、
私は労働をしていない。この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。
準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。
子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。
子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と同じように、夢中になり、
大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール
酋長が言ったように、「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは
夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 
あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだ
ろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。
暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。それなら、よく調ぺ、
勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。
自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から飛び
出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならない
ことが何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物ーつまり、あなに
ついて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 
 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を
使うんですかと聞かれる。以前、私は暗審員に催眠術をかけたということで
被告側のリーダー的な人から訴えられた。私は裁判所からこの計略に加わる
よう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】
▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席が
 あるのに、ホールには一人、厨房に一人か二人。あれは、セントラルキッチン
で、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。
スーパーより、ある意味で合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の
仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。
 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りが
してあるから強いのである。 人間も同じ。
 ・・・・・・・
3362, すでに世界は恐慌に突入した ー3
2010年06月09日(水)
  * アメリカの公共事業は、戦争!
 ここで著者は、「アメリカの公共事業は戦争だ」という。 これまでは
イラクとアフガンで、これからはイランか北朝鮮か、それとも中国あたり? 
兵器の在庫処分が必要になるからである。軍事産業という公共事業は、常に
戦争をしておかないと世界各国の需要が喚起出来ない。 第二次世界大戦時の
日本の真珠湾攻撃は、あきらかにアメリカによって追い込まれたもの。彼等に
とって願ったり叶ったり。そこで日本人の一般人までが数百万人も虐殺された。
度重なる東京大空襲、広島・長崎の原子爆弾による殺りく。その大部分が
一般人を狙った非道の攻撃である。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦に
よる軍事力の強化等の需要。その間に、アフガン、イラク戦争、今度ねらうは、
北朝鮮かイラン。民族紛争のタネなら世界中に満ちている。まずは北朝鮮で
仕掛けてくる可能性が充分にある。これまでは世界はアメリカよりの情報に
コントロールされていたが、情報化で色いろな情報が入手可能になった。 
アメリカはニクソンがドルの金への交換を止めたと宣言した辺りから、
金融を戦争の武器にすることに気づいた。
 (字数制限のためカット 2012年6月9日)
 ・・・・・・・・
2987,縁は異なもの ー4
 2009年06月09日(火)
 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。
「魂というものが本当にあるものなら、陶器に外形の形の上に現われずには
おかない」とは、これは美術全般に言えることである。いや、商売にしても、
演劇にしても何事にもいえること。さらに、「精神は認めたが、精神的なものは
認めない」とは、グサリと来る言葉である。
  ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー
【憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。そんなのは、
没個性的客観と同様に「何物も生みはしないのである」。主観と客観、現実と
虚妄などと、一般に区別されるものの皮膜の間に、確かな「存在」がある。
それを私は「たましい」と呼んでいる。私は「美」とは無縁と言っていいほどの
生き方をしてきたが、心理療法という仕事をしていると、たましいの真実に触れる
体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。そのようなところから、
白洲さんの作品のなかの「美」への理解が、少しずつひろがってきたと思っている。 
たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような印象的
な言葉がある。青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。
その青山ニ郎について白洲さんは「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』
鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の真髄、いわば形の中にある魂を
求めたことにある」と言う。そして、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は
見えないところにかくれているが、もし本当に存在するものならば、それは外側
の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 
これに続いて、青山二郎は「精神は尊重したが『精神的』なものは認めなかった。 
意味も、精神も、すべて形に現われる。現われなければそんなものは空な言葉に
過ぎないと信じていたからだ。」という烈しい言葉が語られる。
『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い隠してしまうのである。 
我われ心理学者はなどといわれる人間は、「心理的」や「心」そのものを見え
なくしているのではないか、と反省させられる。】
 〜〜以上だが、
 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。
作家の魂が直に伝わってくるからである。直近では、ロンドンの美術館で
ゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、立ちすくんでしまった。
絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接伝わってくる。
だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。 「お宝鑑定団」で、
陶器の鑑定で映像を通しても本物と偽者は一目で大体わかる。
(そっくり真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で数限り
の陶器を見てきたため。色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。
・・・・・・・・・
2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2
2008年06月09日(月)      ー読書日記
 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー
            『12の口癖』」を書いてみよう
   ー私をマイナスにする『12の口癖』ー
* 第1の口癖 「そんなこと出来っこないよ」「とりあえず、後で」
* 第2の口癖 「自分は駄目だから」「馬鹿だから」「どうせ自分なんか」
* 第3の口癖 「神経症だから」
* 第4の口癖 「もし失敗したら、どうなんだろう」
* 第5の口癖 「全然やる気が起きない」「面倒くさい」
* 第6の口癖 「世の中がマイナーだから、何をしても上手くはいかないよ」
* 第7の口癖 「自分は悪くはない、たまたま今まで出会った相手や会社が悪かった」
* 第8の口癖 「自分はツイテナイ、不運だ」」
       「何で自分ばかり良いことがないのだろう」
* 第9の口癖 「大学を出てないから」「二流大学だから」
* 第10の口癖 「時間がないから」「忙しいから出来ない」「定年後にしよう」
* 第11の口癖 「あの時、逆のことをしておけば。大失敗だった」
* 第12の口癖 「あの馬鹿め」「死ね」「きもい」「あれほど酷い奴はいないよ」
  (字数制限のためカット 2010年6月9日)


5198,ライフサイクルより、ライフコースへ 〜1

2015年06月08日(月)

  * 多様に選択される人生 
 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。
その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が
あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。
 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。
≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する
 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が
あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる
こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、
ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが
同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した
ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル
研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を
考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を
取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース
研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀
後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や
ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫
 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。
ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、
◎ ライフステージlife stage
 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面,
 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも,
 とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・
 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。
◎ ライフサイクルlife cycle
 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル
 においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業,
 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。
 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル
 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの
 批判もなされるようになった。
◎ ライフコースlife course
 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究
 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして
 これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。
 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を
 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう
 という研究意図があった。
ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。
私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を
生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。
・・・・・・
4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11
2014年06月08日(日)
   * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱!
 あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、
何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。
そこで、幼児から、その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に
対し、何か材料を探し、新たな装いをするしかない。それまで、顧客として
何を経験してきただろうか? そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の
勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と居酒屋くらい。対象の物件の
道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。
それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角
での手堅い商売。しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。
そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。で、問題は、その選定。
失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。
「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、
先に立たず。とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。
 で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの居酒屋チェーンの『養老乃滝』。
さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は皆無だが、
これからは郊外の時代、非常に面白い立地、是非とも組みたい!」と、乗り気。
考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前
に書いたのを、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 
人間、何事も忘れるから、勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。
二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。商業ビルの完成。そして、
二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、
最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。
顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態で
なければ、出来はしない。それも血だらけで。その傷口が、その人にとって
の事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら受け入れ、それに見合う
ようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、
気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、
未開の荒野の西部。 江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの
地と、一段下に見られていた。そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ
世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、実情。その後の人生も、
狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! 
だから、面白いのである。
・・・・・・
4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
          「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 * 末期から死ぬまで   
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の
 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、
急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気
だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の
量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に
とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。
特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を
飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに
渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、
できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。
母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの
一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、
精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する
ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。
  ・・・・・・
4092, 老いの見本帳ーダークサイト −12
2012年6月8日(金)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦(著)
  * 老いについて ーつれづれに  
 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、
寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージ
になる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。それまで大よそ
半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。
寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきた
ように老いていくのである。第二人称の死を身近でみる限り大往生は少ない。
あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの社会は嫌老が基本になって
おり、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。老いの肯定など、
あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も肉体
も歪まない訳がないと割り切った方がよい。この本は、その歪んだ老人を
真正面から光?を照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れて
おく必要がある。人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。
相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが理想的。古来から社会は
老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により
平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も
生きていかなければならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い
人生が待ち受けていることになる。世の中は青年と壮年を中心に回っている。
老兵は静かに去らなければならない。引き時を見失うと憎まれもの世にはばかる
ことになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。老いることは、絶望に近い
意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きて
いる人たちをいう。人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の
楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い老い方になっていく。 この本と、
「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?老いを見つめると、
背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きる
しかないということか。娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、
世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。
地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、
それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、どれもこれも、想像を
遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く生きてきたのである。
あと10年が、更に・・
・・・・・・
3726, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月08日(水)
     『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 ここの12章に《どんな議論でも「絶対に負けない」十の鉄則》がある。
* 何ごとも十分に準備をする。ー適切な準備には、物語・シナリオをつくる
  ことと、関係者に役割を当てることが必要。
* 相手に聞いてもらえるように、心を開かせる。 ーウソをつかない。
* 議論にストーリー性を持たせる。 
    ー私たちは遺伝子による物語の話し手であり、聞き手である。
    審番員、上司、家族、相手は物語を聞くように条件付けられている。 
* 真実を語る。ー力の議論は、真実を語ることに始まり、
  真実を語ることで終わる。
* 相手に自分の望んでいることを話すー正義の力を忘れないこと、
  どんな議論にも備わる正義を見出し、求め、要求しなさい。
* 皮肉や冗談を避ける。ー相手に敬意を払うことで、私たちは
  高い次元にたつ。 相手を軽蔑する人は、その次元に留まる。
* 論理を見方にする。ー論理は力だ。「論理は剣に似ている。
  論理にうったえる人は、論理に滅ぼされる。」
* 行動と勝利は兄弟  ー緻密な防御をするより、最悪でも
  真正面から攻撃をした方がよい。相手に主導権を握らせない。
* 自分の議論の弱点を認めなさい(自分の弱点を曝け出しなさい)
* 自分の力を理解しなさい(自分自身に勝つ許可を与え、恐怖を乗り越える)。
  これらが、この著書の柱。
≪ 主体的であること、主導権を持つこと、準備を充分すること、シナリオを
  練上げること、自分の力を信じること。 それが、勝利のコツになる。≫ 
 周辺をみて、事業も家庭も、うまくいっている人を観察すると、大体がクリア。
十人に一人か二人位だろう。それらの人は、同じような人と群れるから、それが
相乗効果として、ますますプラスが膨らんでくる。逆に、まったく無頓着に、
目先のこと、現象しか見ることが出来なくて、現象の底にある本質など考える
ことすら出来ない人は八〜九割。その色濃い人に、不幸が八〜九割、集中する。 
そして、それが自虐、他虐へとマイナス回転を始めることになる。さらに似た
のが集うから、不幸に箔がついてくる。要は、永年かけた教養を積んで
こなかった結果である。自分だけにマイナスの事態が積み重なってしまうか理解
出来ないため、自虐のドブ沼に嵌まり込む。「勝のセオリー」を、実際に身に
つけることは、そう生易しくない。だから時間をかけ準備をし、積み上げていく
しかない。 ところで日本の検察、この本の読みすぎ?
検察が権力をつかったシナリオとは? 
・・・・・・・
3361, すでに世界は恐慌に突入した ー2
2010年06月08日(火)
「すでに世界は恐慌に突入した 
  ーデリバティブとドルは あと数年で崩壊する」ー朝倉慶著
     P/129の 「デフォルト宣言するオバマ大統領」は注目に値する!
・過去を振り返るとニクソンはお馴染みニクソン・ショックで金本位体制を
 破壊、ドル垂れ流しというアメリカの覇権取りに向けた基礎を作った。
・レーガンは新自由主義と言って、規制緩和、財政支出拡大、スター・ウォーズ
 計画など冷戦勝利のために軍拡に努めた。
・クリントンの役割はドル高の演出で、世界からお金を無尽蔵に集めること。
・次にブッシュに引き継がれますが、消費バブルや戦争バブルを拡張させるため
 インフラ整備、要するにドルに魅力を持たせること、ドルを集めることを至上
 命題としてきたのです。その後、集まったドルがレバレッジでさらに氾濫して、
 今回の危機を起こしたのは承知のとおり。これもクリントンのやった世界中
 からの資金導入がなければできないこと。
・そして今回オバマ大統領の影の役割、一番大事な、すでに大統領になる前から
 決まっている最大の仕事は何かと言えば、〈借金踏み倒し〉スワットいわゆる
 米国債のデフォルト、それに伴う新秩序の形成です。いずれ〈オバマショック〉
 と命名されるかもしれませんが、ドル暴落後の世界をいかに収めるか、それも
 アメリカの国益を最重点にして、これが焦点。これまで書いてきた今の世界中で
 繰り広げられている国債発行、借金頼みはどう考えても持続不能。どこかで
 大整理が必要。ドル暴落は見事にこれから仕掛けられることであって、
 オバマ大統領の役目はその状態がいかに自然に起こってきたことなのかと
 ふるまうことです。世界やアメリカ国民がこの状態では止むを得ないと思う
 形で、米国債の無価値化、借金踏み倒しをするか、酷ければ戦争に走るか
 ということでしょう。 これらの行為はアメリカの復権を目指すもので、
 そのプロセスを自然にやったように演出することが大事なのです。
 オバマ大統領は、就任前は中国を為替操作国と呼び、大変強硬な態度でした。
 それは今は中国に媚びて、米国債を買ってもらうように懇願しているように
 みえます。これは演技なのです。もうすでに財政破綻から、ドル暴落に
 陥っていくのは日程に入っている状態ですから、自分達はドルの価値を維持
 するため、全力を尽くしましたという演技が必要なのです。一生懸命ドルを
 支えるため、超大国アメリカの大統領であるのにもかかわらず、頭を下げた
 という演技が重要なのです。〜以上だが、ほぼ上記のことは間違いないだろう。
 このまま世界各国が札を刷りまくるしか手立てがないのだから、早かれ遅かれ
 ハイパーインフレは、発生する。だから金(ゴールド)が、まず買われ、
 次に食料品、石油などの資源株が買われることになる。そして極めつけが戦争。
 ネタはイランと北朝鮮あたりになる。アメリカにとっての公共事業は戦争で
 あるから、もっともらしい火種に火をつける。
 ・・・・・・・・・
2986,友愛思想
 2009年06月08日(月)
民主党党首の鳩山が「友愛」の必要性について語ったところ、自民党などに失笑
をかってしまった。隣に「北朝鮮」というテロ国家があるのに、何が「友愛」だと
等々・・・。 私が学生時代に住んでいた寮の先輩が軽井沢の「友愛山荘」
のペアレント(管理人)をしていたこともあり、何度かホステラーのアルバイトに
行っていた。 そこが鳩山一族の政治団体「友愛の会」の経営する山荘で、
友愛思想について、何度か聞いたことがある。クーデンホフ・カレルギーの
友愛思想は現在のEC(欧州連合共同体)の根本思想で、自由と平等と博愛を目指す
考え方である。フランス革命の自由・平等・博愛思想がバックにある。
 ーネット辞書のウィキペデアによるとー
【『自由と人生』著者 クーデンホフ・カレルギー 1938 年刊 訳者 鳩山一郎 】
に 友愛とは、上記「自由と人生」に記されている友愛思想、友愛革命、友愛社会
に則る考え方であるが、要は、自由と平等との対立を解消し、克服するのが
友愛主義であると記し、友愛の基本をフランス革命の友愛に依拠していると説明。 
 (字数の関係でカット2011年6月8日)
 


5197,歩くことが人間の特徴

2015年06月07日(日)

  養老孟司の対談の中で、「人間の身体は、走るでなく、立っているでなく、
歩くに都合の良いように出来ている」という。考えるとき、独り黙想をしながら
歩くのが良いというのも、歩いている方が自然体のためである。
              ★ 養老孟司対談より
≪ 養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離
 を歩くのは動物の中で一番得意なのです。そういうことは殆ど教えられません。
 人間は、単に転ばないように重心を移しながらバランスだけで歩いている。
 四つ足の動物は自分の力で体重をまともに移動させなければならないのです。
田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、
  山を登っているのです。
養老:だから、アフリカで発生して、南米まで行けたのです。あれは歩いて
  行ったに違いない。アジアを通り北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。
田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、
  人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く
  のだなと思います。
養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン
  とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると
  頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、
  そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳
  からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫
▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく
 変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、
一日、2〜5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、
どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。
その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。
   〜次の言葉も、含蓄がある。
『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。 
 知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。
「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した
 ことにはならない」・・』 
『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、
 同じ桜でも違って見える』
・・・・・・
4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
2014年06月07日(土)
   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの
建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが
社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、
華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り
を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 
実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。
現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、
死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の
散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、
姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも
みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、
私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を
与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、
創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の
商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給
公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、
テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台
ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 
学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての
転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。
その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、
ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな
課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。
これを見て、奇妙な偶然に驚いている。
・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話
27歳、千葉千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。
11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 
を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない
千葉で我ながらよくやったと思う。この地獄の中で創業のノウハウしっかり
身につけることができたと思う。自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ
解決していくしかない。その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
なぜか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーーーーー
H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”
と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより
高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、
最悪の出発となってしまたった。そしてオ−プン...!
完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても
仕事のうちという)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこして
大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。大手ス−パ−の創業期に
入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが.. その厳しさが全く違う。
はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という前提が
あった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち
向かっていると、いつの間にか辛さが辛さでなくなる、適応能力が自然に
ついてくるのだ。ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”
を飲ませているのだ。それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の本当の
恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても
足らない位の事件が月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で
(他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。
そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んだ。
“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵が
ついてくる。ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
             創業は辛い! 1973.11.07〜 ・
4465, 余命半年 −3
2013年06月07日(金)              
         「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津秀一著
   * モルヒネか、プチッか     
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、
プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。
ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする
しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を
減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて
いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。
末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、
「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは
別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして
おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から
死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ
を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで
良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて
いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を
聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。
三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る
うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の
一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
        「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
   * 幸福とは   
「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、
この老人奇譚集の目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。
それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で
見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。それでも、
生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。  
 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。
老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての
自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送る
のは、まことに居心地の悪いことである。老いについて語り論じることは、
結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。 
近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない
 平穏な毎日である。それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る
(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、
「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。ある雑誌に「人生の意味について」
を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな
分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味では
なく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。
禅問答ではありませんが、答えは「……とでも言うしかありません」となって
いて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。
老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できる
ようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
 楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象
との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に
喜ばしく感じられる出来事が別な人にはむしろ物足らなさや悔しさを惹起する
ことなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。
こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる
日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こう
に見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ
赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ
小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので
十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような
晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。  
・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げない
というか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。
年寄りではなく、中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。歳を経たが
ゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。
 また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。
それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに
早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。
とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。
 それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
・・・・・・
3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月07日(火)
        『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
   ■ 今回の事態に、準備はあったか?    
 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよの間に倒産をしてしまった。
これは、たまたま立ち居地が悪かったと、自分でも納得せざるを得ない。
倒産時の最悪の構えの準備は? 私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、
生活はしていける。しかし自宅は借り入れの担保に入っているので今後どうなるか。 
何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。ホテルなどの長期設備投資は何が
あるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をしておくのは、セオリー。
 あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな
『子供の寝小便』のようなことはしない。「シェルター完備倒産」と評した人も。
しかし徹底してなかった甘さを後悔している。倒産は倒産であり、まさか自分が
・・である。冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事で
ないんじゃ?どっちにしても、『まさか』の何かが待っている。老化は、それまで
の前提が、次々と破壊されていくことに気づいてないんじゃ?」と、醒めた目で
みえる。言い訳になってしまったが、反省も込め、この本を何回かにわたり
辿ってみる。 ところで一般的に言われている「計画倒産」とは、私が知って
いる限りでは、「手形を振り出している会社が、破綻末期になって倒産を覚悟
した時、意図的に商品仕入れを膨らませ、それを現金化をし、債権者の目の
届かないところに隠した後に倒産する」こと。弁護士が言うには、
「『計画倒産』と『計画的倒産』とは、似て非なるもの。一般の人は、これを混同。 
計画的倒産は、駄目と判断したら、倒産の日にちを設定し、粛々と手順を踏むこと。 
その意味では、このケースは2週間前に決定したので、計画的倒産にもならない。
父さん(倒産)に『良い父さん(倒産)』『悪い父さん(倒産)』があるが、
貴方のケースは前者の典型」とか。その立場にたってみると、色いろの知識が入る。
20年ほど前に、既に亡くなったが、倒産・整理の専門のコンサルタントの先生に
姉夫婦の整理を依頼したことがあった。その時に「倒産を覚悟した時は、最低、
半年の準備期間が必要」と聞いたのが印象に残っている。今年に入るまでは、
あと1〜2年は大丈夫だろうと、思っていた。しかし、売り上げ減の角度が三年目
に入っても殆ど変わらないのは、想定を超えていた。その上に東北震災なら、
何の未練もない。 で、どうした? かというと、最悪の事態への準備の大切さ
が本当は分かってはいなかった、というのが、結論。日本がここまで疲弊するとは。 
特に、地方経済は、惨憺たる状態!更に悪化するとなると、この数年は大荒れに。
少し本論からそれた内容になってしまった。 まあ、言い訳と正当化、半分か!
 ・・・・・・
3360, 京都! 無双の別荘群
 2010年06月07日(月)
 NHKのワンダーワンダーで「京都!無双の別荘群」を放送していた。
明治・大正に財をなした財閥が、その贅をつくした別荘群が京都南禅寺の周辺に
現在も存在している。7000坪の邸宅に庭師だけで10人が365日、手入れをして
いる碧雲荘。野村證券の創業者の野村徳七がつくった邸宅である。
それらは借景という自然の景色と庭を組み合わせた庭造りをしている。 
また庭屋一如という、庭と屋敷が一体化したつくり。清流亭、瓢亭など、
そうそうたる屋敷が次から次へ紹介されていた。
 ーまずはNHKのブログの紹介からー
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
 ・・・・・・・・
2985,腰痛持ちの皆さんに
2009年06月07日(日)
 (以下、字数の関係でカット2011年6月7日)


5196,閑話小題 〜ギリシャが?

2015年06月06日(土)

   * ギリシャがユーロから離脱?
 ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、
かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、
欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは
財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。
  ーネット検索で、最新レポートをみつけたー
≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、
 ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする
のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに賭ける
人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国がそれに妥協
しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になるだろう。
 2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの
当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を
示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では
ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの
国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ
の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや
フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築
すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。
今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど
で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。
財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては
いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収
もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して
いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民
には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。
年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、
医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように
考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、
それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の
縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。
ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、
IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、
16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、
スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」
伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ
ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た
(不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い
数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫
▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を
 映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会
を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」
がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが
漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が
用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン
など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く
なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。
「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。
ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員
として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。
建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか
生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために
いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある!
 〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。
・・・・・・
3359, ギリシャ問題の深層
2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる
ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融
恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に
入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の)
金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 
そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、
エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ
は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、
GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の
収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 
ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が
13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 
加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も
受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。
ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 
ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル
のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。
ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、
まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が
出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、
欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、
イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、
御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。 
ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧
諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても!
という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの
土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、
その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。
・・・・・・
4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9
2014年06月06日(金)
  * ドン底の気分の最中、父親が末期癌に! 
 金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から
電話が入る。「父が検査で悪性の胃ガンが発見、緊急手術のため東京女子医大
に入院することになった。手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり
厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。父あればこその自分。20歳辺りから、
ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの育成プログラムの
一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の
事業の力関係は根本から崩れる。父親も、万一のことを考えて、実兄と私のため、
主だった財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。
父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功する
ことを祈るしかなかった。そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって
見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って私を屋上に連れ出すが、躊躇をして
何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。後で知ったが、
多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、
父親が退院、私も、父の指示で、実家に戻ることになる。
 色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの
日々の中、面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い
居酒屋と面白いスナックを見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。 
これで大いに助かったが・・ 何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、
適当に漂っているのが好き。幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを
過ぎた変容を多く見ているため、今は綺麗だが、その後の・・ それなら、
浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。
しかし金沢も、あの辺りが限界。 彼氏持ちの同僚が、急に誘ってる?と、
その2ヶ月後、結婚で辞めていった。最近になって、それがマリンブルーの
なせる業というのが解ったが、当時は、女は恐ろしい!と、思っていた。 
女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワするしかなかった。 
一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、
良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、
歴史の深さが全く違う!それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。
派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには親切だが、地元には、その承認を
得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、似ているが、
より厳しい。そして、急遽実家に!父親の余命一年の事態と、私のUターンで、
静かな小さな池が大きく揺れることになる。どこにもある御家騒動の始まり。
争いの種は、それぞれの立場にとっての理不尽が、怒りと争いの発端になる。
ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー
  やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。 
  その前年も、同じ偶然があった。
・・・・・・
4464,余命半年 −2
2013年06月06日(木)
          「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、
それを、自分で気づいてないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」
である。死も時節がある。 ただ悄然と消えていきたいもの。ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は
 生物であり、だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」
「殖やすように」そして「死ぬように」命じているという考えである。
生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。遺伝子は自らが
生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに
優れた遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配して
もらわねばならない。だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は
交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続するように「なっている」のである。 
要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、結果として「その種の
繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」である。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるよう
にすることが遺伝子の欲求であり、それが本能に刷り込まれている。だから皆、
相手を求め、おまけとして快楽が付いて来る交配を行い、危険を冒して子供を
産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」
ためなのである。 この考えによると、死が到来するのも理解できる。
まず交配が行われて新しい個体ができれば、親の遺伝子は子に受け継がれる。
しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の組み合わせに
よってより優秀な個体が生まれているかもしれない。そうすれば少なくとも
「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、
長い時間を生きずに死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えて
しまった以上、もう他に大きな役割はないのである。次に、もし「死」が訪れ
なければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、
 諦めきれないのが知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の
衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、独り夜半に目が覚めて、
その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いを受け入れる     
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、
未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した感情として被害者
意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、
異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。それは「尊厳を保った肯定的老人」
とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた
団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。
 竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。
家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を
竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。
太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。 
故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで
あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、
今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。
エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、
賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに
孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキーな
ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか
心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに
我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々
にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。
生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、
玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、
 何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は
亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。
あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた
時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 
  ・・・・・・・
3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月06日(月)
         『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。 軽そうな題名だが、
内容は重厚で味がある。全米1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより
人生の勝ち方のセオリー」の本。アメリカ的プラグマチズムとして読めばよい。
しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた人生のセオリーの凄みも見逃せない。
とにかく、面白い本である。 4〜5年に一度の割りに三十数年来の友人が、
人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。
私の場合、自分のこととなると何?だが、ひと様の事となると、冷静な答えを
出すことが出来る?と自負をしている。学生時代の武澤ゼミの特訓と百数十回
以上のセミナーの蓄積もある。数年前も、「実は現在、属している会社が吸収
合併した会社のことで裁判沙汰になる。自分は現在、その専任になっているが、
どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。「2〜3千万レベルか、数億
レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、
「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、
その買収後に派生した問題」とのこと。これ以上は書けないが、直ぐに、
この本を思い出し紹介をした。内容は、ほぼ忘れていたが、残っていた記憶で
「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。それも戦いの構えを時間を
かけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一に、問題の中心点に
全エネルギーをそそぐこと。それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が
書いてある等、自然にスラスラと言葉が出てきた。その意味で、この本を消化
していた。考えてみると、この本、孫子の兵法そのもの。
「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理。
分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な
考えの枝葉の一例とみると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた弁護士の自信に
満ちた論理が見えてくる。


5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか

2015年06月05日(金)

    * 哲学という気晴らし  〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 
 こういう文章を読むと、この10〜20年、独学で「哲学」を学んできました
など、よくも言っていたと自嘲をしてしまう。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。
20歳代に、スランプになると度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしたりしていたが、そこの若い雲水が、時々、強烈な
批判をしてくれた。「野狐などしてもしなくても同じだ」と。若き雲水は
命がけで、禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅
など、この馬鹿野郎だろう。でも、今から考えると、決して無駄ではなかった。
 これと同じことが、哲学の道でもいえること。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空
・・・・・・
4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
2014年06月05日(木)
  * 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、
味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いものである。生きてきた
課程で、日々、世界が変化している。そして自分自身も、大きく変化している。
特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、
最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは抽象画のような
記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、
同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、
金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から
下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみに
なっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を
師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」
と答えると、「どっちの娘がいいの?」と! 結婚相手など微塵だに考えて
なかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつき
レベルでは、多くの思い出はある。一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中に
こそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。人生は多くの
出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かに
エネルギーが入っていたことになる。結果が、どうであれ、野心を持って、
ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。
今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
2013年06月05日(水)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。
「あと余命半年」と悟った時に何をするか?その時には、苦悩と苦痛が頭を
占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」
と言えるよう、普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。
それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の余命を宣言
されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死
の数倍の確率というのが現実である。その瞬間から悟りすまして生きるなど、
無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、平静に保つしかない。
  ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうする
 だろうか? とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、
その半年の間にやるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を
向かえることが出来る自信はあるだろうか? ・・まさに人の数だけ物語があり、
バッドエンドもハッピーエンドもある。ある時から、私は何がこの二つを
分けるか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に
色濃い闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から
老いることを、病気になる前から病気になることを、死ぬ前から死ぬことを
考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて
生きようと、そう思った人間にはそれ相応の最期が約束されるということが
わかった。老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、
ものすごく精神力を使い、大変な作業である。ともすれば抑うつ的になって
しまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、
最期ばかりか、明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・ ≫
▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 
 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、そう遠くない先に直面する。
その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
  健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、
段階をおってるから、シビアで引き込まれる。緩和医療のお医者さんもあり、
著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨。
 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言える
ための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 役割としての「年寄り」   
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。
村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを
した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。
≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰
間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、
老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験
や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が
持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。
「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、
それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵
した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の
最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの
万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが
散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった
ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者
に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、
老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と
いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。
年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。
その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に
「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて
くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識
してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と
いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える
意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。
どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや
Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、
家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には
なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる
 ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という
著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・
どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、
目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな
年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 ・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
  * 日本のジャズはどうなっている? ー「音楽の本」三枝成彰著より 
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、
 明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。当時は社交ダンスが
華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。一九三〇年代にも
なると、東京を中心にダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も
行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的なジャズ
メンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代。
しかし、ジャズが本当に日本にもたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍
占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年
前後には、ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、
やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、ジャズの
空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊
の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカのポピュラー音楽を放送したことを
直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを
演奏する日本人も出現。同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入って
ルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなど
本場の巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈した
のである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、アメリカと同じ
ようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の
流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。そんな日本のジャズで活躍した
多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックスの松本英彦や渡辺貞夫、
トランペットの日野皓正、ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、山下洋輔らになる。
なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、ジャズの本場アメリカ
を拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、八○年代以降
やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された 音楽であるジャズの世界でも、
世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。】
▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、
 カントリーにウエスタン、ブルースにロックと、当時はアメリカに如何に同化
するかが、大きなバロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残っては
いるが。地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされて
いった。それから考えれば今さら何がジャズか、になる。 とはいえ、当時の
刷り込みのあるジャズに、興味を持つのは当然といえば当然で、むしろ抵抗なく、
その世界を楽しめばよい。
 ・・・・・・・
3358.すでに世界は恐慌に突入した ー1
 2010年06月05日(土)
 (字数の関係でカット15年06月05日)


5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島

2015年06月04日(木)

   * 「南海トラフ巨大地震」について、
 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて
もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島の西之島近くで
海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が
あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に
噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか?
 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊
『地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の
可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜
≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に
 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。
現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震は
869年 貞観地震(三陸沖)M8.4 大津波
878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型
887年 仁和南海地震(南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。
 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。
これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は
東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・
 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の
共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる
可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学
的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば
「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。
南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。
さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、
地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。
事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。
南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁
大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融
危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題
は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、
今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ
火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に
対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を
得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著
『地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って
しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ
として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と
仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫
 また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。
≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か?
 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、
変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き
起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、
富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても
不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9
という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発
する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが,
その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた
「貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な
変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、
日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫
▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、
 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、
5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ
られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて
のことだ。桜島、阿蘇山、箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている
日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと
から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に!
5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と!
・・・・・・
4829,「事業人生を決心して45年」の語り直しー7
2014年06月04日(水)
   * 出口王仁三郎の虎穴問答
 ここで大きな問題を起こしてしまった。ナンバーツだった取締役人事部長と
社長と対立の真中に立たされた。新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、
自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を
つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後に
なって気づいたこと。 何度か会を重ねている内に、「県知事でも招待するか」
という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。
その辺から配送センター所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、
明らかに社長直の、会潰しが始まった。組合の温床になる恐れと、明らかに
部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので
途中で、今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止る動きが出てきた。 
私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、預かりの中途半端な立場で、
非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。
その中で、何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事
招待の献金の相場が当時の100万(現在では7〜8百)など、私に知る由がない。
それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、
一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。
後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、囚人が一晩中、号泣するのが恒例
という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。
 その頃、近くの書店で手にしたのが、大本教の出口王仁三郎の特集の雑誌。
そこに、大本教の弾劾裁判での、王仁三郎の「虎穴問答」があった。
あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧、裁判にかけられた
王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。虎穴に落ちてしまった人が、
助かるために、どうすればよいか? を裁判長に問いかけをする。ーネットからー
《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答
・王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。
  裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」
・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」
・王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
 刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへると殺しにくる。
  どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。
  それは食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたら
  あとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。
・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。
王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。 そして、この問答が
  事件の一大転機をもたらした。》
 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から
多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば純粋、悪くいえば無知蒙昧。 
が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。
「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること! 三年前も、最後の最後に、
『自分から喰われてしまえ!』という内語が、後押しをした。「逆境には根を、
順境には枝をはれ」というが、逆境こそ力が蓄える!・・傷だらけの上だが。
・・・・・・
4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4
2013年06月04日(火)
     「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
   * 第3章 仮説は一八○度くつがえる
 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。
絶対安全は仮説でしかなかったのである。その事実の前で社会は直ぐに手の平を
返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で
呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ること
を父と自分の経験から学んでいたので、幾かのシェルターを組み込んでいたので
何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。
全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いか。ーその辺りを抜粋ー
≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、
 ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、実にさまざまな種類が
あります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。
この章では、そういった仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・
「医学界の負の遺産、ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)という
ポルトガルの医者が、1949年度のノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、
ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。
(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)
 ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。
モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。そのきっかけは、
1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトン
という人が、「チンパンジーにロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」
という報告を行ったのだが、それを聞いていたモニスがロボトミー手術を
精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をした。
 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは
「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といっていきなり数十人の
手術をした。当時は、たとえば統合失調症や躁うつ病に対し、効果的な治療法
がなかったから」という。1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の
進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。結果的には、ロボトミー手術と
いうのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまった。
1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫
▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。
 イラク戦争のフセインの科学兵器疑惑に、CIAの間違った調査でイラクに
攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。
人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、
すべての人に言えるから、諦めがつくが、それにしても、である。
逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか?
という仮説も立つ。考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、
ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる!
・・・・・・
4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8
2012年6月4日(4月)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 老いと鬱屈   
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線
に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、そこには
難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ない
で死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を
体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。老化は、否が応でも
毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら
群れてはならない。  ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪ 老いは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」
 人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなこと
への免疫を獲得していく過程ではないのか。難儀なことを解決するのか、避けるか、
無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく次第に
うろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないか
とわたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。
嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや
苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい
事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性は
できないものらしい。 だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が
見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどん
グロテスクになっていき、鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなり
つつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには
事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに
置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺
するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則
である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、
その毒は体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、
体内の毒は、ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため
面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染む。
そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと
初めから割り切って孤立していた方が良い?
 ・・・・・・
3722, ジャズについて −14
2011年06月04日(土)
          ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * ージャズ・ボーカリストー 
 《 ビリー・ホリデイからカサンドラ・ウィルソンまで 》
【 ジャズの歴史とジャズマンについて、その流れを追ってきたが、
 ジャズ・ボーカリストを簡単に触れておこう。 
・ジャズ・ボーカリストといえば、誰もがまず思い浮かべるのは、
 ルイ・アームストロングと、「暗い日曜日」「奇妙な果実」が知られている
 ビリー・ホりデイ(一九一五〜一九五九)であろう。三〇年代の小コンボを
 バックにした珠玉のような名唱、スターダムにのぼりつめた四〇年代、酒と
 麻薬で声をつぶしながら深い感動を誘う五〇年代の円熟。
 「ビリー・ホリデイは、それが自分の人生のように歌った」といわれ、
 その技巧以上に、ひとつひとつの歌詞に込められた万感の思いを、じんわり
 聴き手の魂の奥底まで響かせたポーカリストである。
・歌も人生も劇的だったビリー・ホリデイと対照的に、エラ・フィッツジェラルド
 (一九一ハ〜一九九六)は、抜群のリズム感とまるで楽器を思わせるボーカルが
 特徴で、ジャズ・ポーカリストのトップとして長くその地位を維持した。 
 大作「ソングブック」(五九)など、どれをとってもほれぼれする美しさである。
・サラ・ヴォーン(一九二四〜一九九〇)も、エラ・フィッツジェラルドと双壁を
 なすモダン・ジャズ時代の女性ジャズ・ボーカリスト。四五年にソロシンガー
 として独立。五十年代には、トランペットのクリフォード・ブラウンと組んで
 名作を発表し、七十〜八十年代にかけては、ピアノのオスカー・ピーターソン
 らをバックに名唱を残している。
・カーメン.マクレイ(「九二二年〜九四)、アニタ・オデイ(一九一九〜)といった
 シンガーたちの名前も忘れられない。サラ・ヴォーンも含めて、彼女たちの
 スタイルには、多かれ少なかれ・ビリー・ホレデイの影響がうかがえるのは
 もとより、ルイ・アームストロングが完成させた‘スキャット’というジャズ
 ならではの歌唱法も受け継いでいる。
・ほかにも取り上げなければならないジャズ・ボーカリストは多いが、最後に、
 カサンドラ・ウィルソンである。ちょっとドスの利いた声は好みが分かれが、
 『ニュー・ムーン・ドーター』(九五)は、サウンドもボーカルもじっくりと
 聴き惚れるしかない傑作。まさしくブラック・ミュージックの新しい帰結
 として、カサンドラ・ウィルソンに耳を傾けることを勧める。】
▼ ジャズについては、他の音楽と同列に聴いていたが、この本で取り上げて
 いるジャズマンの名前は、知っていた。私のような、音楽に疎い者でも知って
いるのだから、ジャズは、TVなどを通して私たちの生活に入り込んでいる。
学生時代に、暇を持ちあませて、ジャズ喫茶などで屯しているうち、
知らないうちに接していたのである。
  ・・・・・・・
3357, つれづれに ー閑話小題
2010年06月04日(金)
  * 日銀短観 新潟県の景況感が四半期、ニケ月連続全国最低
 新潟県の日銀短観で、新潟県といえばだいたい中位の上であった。
しかしリーマンショック以来、右下がりに転じ、ついに二期連続で全国最低に
なったと地元紙が報じていた。私が地元経済が異常に悪いといい続けてきたが、
過剰反応でないことが実証された。 まずは公共事業天国だったのが、
「鉄から人へ」とへ国家政策が変わった。農業も、輸出産業関連も最悪、日本で
一番早く、恐慌の影響をモロに受けているのが実情である。元もと新潟県人は
質素倹約をモットーである。不景気となれば、その本領が直ぐに出てくる。
  * 県立近代美術館には、驚いた!
 一昨日、「奈良の古寺と仏像」展が長岡の県立近代美術館で開催されている
ので、行ってみた。期待には反しなかったが、それより初めて入った県立近代
美術館の豪華というより、豪奢な建物には驚いた。半年以上前から、冬と春先を
除いて、早朝、電動アシスト自転車で二つの大橋を一周するのが日課になっている。
そのコースの土手にそれがあるが、空気が違うのである。 肯定的にみれば、
これ位は市の格からいって当然?、しかし程度を遥かに超えている。
ゼネコンの税金収奪の姿といって過言ではない。戦後バブルの饗宴の建物である
  * 鳩山から管に
 鳩山と小沢が辞任、次は管副総理が首相に決定する。 当初の予定通り。 
これで、小沢も選挙に専念できるし、新しい体制で選挙に向うのはベストの
判断である。 管も、果たして一国の首相に相応しいかというと、これまた
不安が残る。  (字数制限のためカット 2012年6月4日)
・・・・・・・・・
2982,超円高社会ー 5
2009年06月04日(木)
* 食料自給率40%は本当か?
 第7章 市場を毛嫌いする官僚システムの罪と罰 
          ー『食料自給率40%の世論誘導』には驚きである。

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