堀井On-Line



5196,閑話小題 〜ギリシャが?

2015年06月06日(土)

   * ギリシャがユーロから離脱?
 ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、
かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、
欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは
財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。
  ーネット検索で、最新レポートをみつけたー
≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、
 ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする
のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに賭ける
人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国がそれに妥協
しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になるだろう。
 2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの
当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を
示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では
ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの
国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ
の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや
フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築
すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。
今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど
で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。
財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては
いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収
もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して
いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民
には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。
年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、
医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように
考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、
それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の
縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。
ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、
IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、
16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、
スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」
伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ
ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た
(不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い
数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫
▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を
 映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会
を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」
がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが
漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が
用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン
など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く
なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。
「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。
ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員
として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。
建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか
生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために
いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある!
 〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。
・・・・・・
3359, ギリシャ問題の深層
2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる
ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融
恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に
入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の)
金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 
そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、
エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ
は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、
GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の
収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 
ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が
13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 
加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も
受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。
ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 
ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル
のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。
ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、
まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が
出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、
欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、
イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、
御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。 
ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧
諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても!
という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの
土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、
その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。
・・・・・・
4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9
2014年06月06日(金)
  * ドン底の気分の最中、父親が末期癌に! 
 金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から
電話が入る。「父が検査で悪性の胃ガンが発見、緊急手術のため東京女子医大
に入院することになった。手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり
厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。父あればこその自分。20歳辺りから、
ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの育成プログラムの
一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の
事業の力関係は根本から崩れる。父親も、万一のことを考えて、実兄と私のため、
主だった財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。
父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功する
ことを祈るしかなかった。そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって
見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って私を屋上に連れ出すが、躊躇をして
何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。後で知ったが、
多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、
父親が退院、私も、父の指示で、実家に戻ることになる。
 色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの
日々の中、面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い
居酒屋と面白いスナックを見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。 
これで大いに助かったが・・ 何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、
適当に漂っているのが好き。幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを
過ぎた変容を多く見ているため、今は綺麗だが、その後の・・ それなら、
浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。
しかし金沢も、あの辺りが限界。 彼氏持ちの同僚が、急に誘ってる?と、
その2ヶ月後、結婚で辞めていった。最近になって、それがマリンブルーの
なせる業というのが解ったが、当時は、女は恐ろしい!と、思っていた。 
女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワするしかなかった。 
一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、
良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、
歴史の深さが全く違う!それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。
派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには親切だが、地元には、その承認を
得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、似ているが、
より厳しい。そして、急遽実家に!父親の余命一年の事態と、私のUターンで、
静かな小さな池が大きく揺れることになる。どこにもある御家騒動の始まり。
争いの種は、それぞれの立場にとっての理不尽が、怒りと争いの発端になる。
ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー
  やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。 
  その前年も、同じ偶然があった。
・・・・・・
4464,余命半年 −2
2013年06月06日(木)
          「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、
それを、自分で気づいてないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」
である。死も時節がある。 ただ悄然と消えていきたいもの。ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は
 生物であり、だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」
「殖やすように」そして「死ぬように」命じているという考えである。
生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。遺伝子は自らが
生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに
優れた遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配して
もらわねばならない。だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は
交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続するように「なっている」のである。 
要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、結果として「その種の
繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」である。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるよう
にすることが遺伝子の欲求であり、それが本能に刷り込まれている。だから皆、
相手を求め、おまけとして快楽が付いて来る交配を行い、危険を冒して子供を
産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」
ためなのである。 この考えによると、死が到来するのも理解できる。
まず交配が行われて新しい個体ができれば、親の遺伝子は子に受け継がれる。
しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の組み合わせに
よってより優秀な個体が生まれているかもしれない。そうすれば少なくとも
「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、
長い時間を生きずに死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えて
しまった以上、もう他に大きな役割はないのである。次に、もし「死」が訪れ
なければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、
 諦めきれないのが知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の
衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、独り夜半に目が覚めて、
その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いを受け入れる     
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、
未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した感情として被害者
意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、
異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。それは「尊厳を保った肯定的老人」
とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた
団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。
 竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。
家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を
竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。
太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。 
故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで
あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、
今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。
エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、
賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに
孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキーな
ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか
心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに
我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々
にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。
生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、
玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、
 何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は
亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。
あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた
時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 
  ・・・・・・・
3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月06日(月)
         『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。 軽そうな題名だが、
内容は重厚で味がある。全米1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより
人生の勝ち方のセオリー」の本。アメリカ的プラグマチズムとして読めばよい。
しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた人生のセオリーの凄みも見逃せない。
とにかく、面白い本である。 4〜5年に一度の割りに三十数年来の友人が、
人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。
私の場合、自分のこととなると何?だが、ひと様の事となると、冷静な答えを
出すことが出来る?と自負をしている。学生時代の武澤ゼミの特訓と百数十回
以上のセミナーの蓄積もある。数年前も、「実は現在、属している会社が吸収
合併した会社のことで裁判沙汰になる。自分は現在、その専任になっているが、
どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。「2〜3千万レベルか、数億
レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、
「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、
その買収後に派生した問題」とのこと。これ以上は書けないが、直ぐに、
この本を思い出し紹介をした。内容は、ほぼ忘れていたが、残っていた記憶で
「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。それも戦いの構えを時間を
かけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一に、問題の中心点に
全エネルギーをそそぐこと。それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が
書いてある等、自然にスラスラと言葉が出てきた。その意味で、この本を消化
していた。考えてみると、この本、孫子の兵法そのもの。
「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理。
分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な
考えの枝葉の一例とみると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた弁護士の自信に
満ちた論理が見えてくる。


5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか

2015年06月05日(金)

    * 哲学という気晴らし  〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 
 こういう文章を読むと、この10〜20年、独学で「哲学」を学んできました
など、よくも言っていたと自嘲をしてしまう。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。
20歳代に、スランプになると度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしたりしていたが、そこの若い雲水が、時々、強烈な
批判をしてくれた。「野狐などしてもしなくても同じだ」と。若き雲水は
命がけで、禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅
など、この馬鹿野郎だろう。でも、今から考えると、決して無駄ではなかった。
 これと同じことが、哲学の道でもいえること。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空
・・・・・・
4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
2014年06月05日(木)
  * 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、
味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いものである。生きてきた
課程で、日々、世界が変化している。そして自分自身も、大きく変化している。
特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、
最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは抽象画のような
記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、
同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、
金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から
下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみに
なっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を
師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」
と答えると、「どっちの娘がいいの?」と! 結婚相手など微塵だに考えて
なかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつき
レベルでは、多くの思い出はある。一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中に
こそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。人生は多くの
出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かに
エネルギーが入っていたことになる。結果が、どうであれ、野心を持って、
ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。
今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
2013年06月05日(水)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。
「あと余命半年」と悟った時に何をするか?その時には、苦悩と苦痛が頭を
占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」
と言えるよう、普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。
それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の余命を宣言
されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死
の数倍の確率というのが現実である。その瞬間から悟りすまして生きるなど、
無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、平静に保つしかない。
  ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうする
 だろうか? とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、
その半年の間にやるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を
向かえることが出来る自信はあるだろうか? ・・まさに人の数だけ物語があり、
バッドエンドもハッピーエンドもある。ある時から、私は何がこの二つを
分けるか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に
色濃い闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から
老いることを、病気になる前から病気になることを、死ぬ前から死ぬことを
考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて
生きようと、そう思った人間にはそれ相応の最期が約束されるということが
わかった。老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、
ものすごく精神力を使い、大変な作業である。ともすれば抑うつ的になって
しまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、
最期ばかりか、明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・ ≫
▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 
 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、そう遠くない先に直面する。
その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
  健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、
段階をおってるから、シビアで引き込まれる。緩和医療のお医者さんもあり、
著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨。
 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言える
ための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 役割としての「年寄り」   
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。
村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを
した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。
≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰
間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、
老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験
や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が
持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。
「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、
それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵
した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の
最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの
万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが
散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった
ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者
に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、
老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と
いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。
年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。
その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に
「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて
くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識
してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と
いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える
意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。
どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや
Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、
家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には
なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる
 ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という
著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・
どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、
目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな
年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 ・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
  * 日本のジャズはどうなっている? ー「音楽の本」三枝成彰著より 
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、
 明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。当時は社交ダンスが
華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。一九三〇年代にも
なると、東京を中心にダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も
行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的なジャズ
メンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代。
しかし、ジャズが本当に日本にもたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍
占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年
前後には、ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、
やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、ジャズの
空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊
の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカのポピュラー音楽を放送したことを
直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを
演奏する日本人も出現。同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入って
ルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなど
本場の巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈した
のである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、アメリカと同じ
ようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の
流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。そんな日本のジャズで活躍した
多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックスの松本英彦や渡辺貞夫、
トランペットの日野皓正、ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、山下洋輔らになる。
なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、ジャズの本場アメリカ
を拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、八○年代以降
やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された 音楽であるジャズの世界でも、
世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。】
▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、
 カントリーにウエスタン、ブルースにロックと、当時はアメリカに如何に同化
するかが、大きなバロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残っては
いるが。地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされて
いった。それから考えれば今さら何がジャズか、になる。 とはいえ、当時の
刷り込みのあるジャズに、興味を持つのは当然といえば当然で、むしろ抵抗なく、
その世界を楽しめばよい。
 ・・・・・・・
3358.すでに世界は恐慌に突入した ー1
 2010年06月05日(土)
 (字数の関係でカット15年06月05日)


5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島

2015年06月04日(木)

   * 「南海トラフ巨大地震」について、
 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて
もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島の西之島近くで
海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が
あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に
噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか?
 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊
『地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の
可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜
≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に
 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。
現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震は
869年 貞観地震(三陸沖)M8.4 大津波
878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型
887年 仁和南海地震(南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。
 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。
これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は
東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・
 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の
共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる
可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学
的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば
「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。
南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。
さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、
地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。
事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。
南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁
大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融
危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題
は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、
今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ
火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に
対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を
得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著
『地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って
しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ
として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と
仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫
 また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。
≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か?
 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、
変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き
起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、
富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても
不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9
という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発
する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが,
その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた
「貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な
変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、
日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫
▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、
 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、
5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ
られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて
のことだ。桜島、阿蘇山、箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている
日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと
から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に!
5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と!
・・・・・・
4829,「事業人生を決心して45年」の語り直しー7
2014年06月04日(水)
   * 出口王仁三郎の虎穴問答
 ここで大きな問題を起こしてしまった。ナンバーツだった取締役人事部長と
社長と対立の真中に立たされた。新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、
自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を
つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後に
なって気づいたこと。 何度か会を重ねている内に、「県知事でも招待するか」
という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。
その辺から配送センター所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、
明らかに社長直の、会潰しが始まった。組合の温床になる恐れと、明らかに
部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので
途中で、今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止る動きが出てきた。 
私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、預かりの中途半端な立場で、
非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。
その中で、何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事
招待の献金の相場が当時の100万(現在では7〜8百)など、私に知る由がない。
それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、
一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。
後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、囚人が一晩中、号泣するのが恒例
という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。
 その頃、近くの書店で手にしたのが、大本教の出口王仁三郎の特集の雑誌。
そこに、大本教の弾劾裁判での、王仁三郎の「虎穴問答」があった。
あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧、裁判にかけられた
王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。虎穴に落ちてしまった人が、
助かるために、どうすればよいか? を裁判長に問いかけをする。ーネットからー
《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答
・王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。
  裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」
・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」
・王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
 刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへると殺しにくる。
  どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。
  それは食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたら
  あとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。
・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。
王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。 そして、この問答が
  事件の一大転機をもたらした。》
 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から
多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば純粋、悪くいえば無知蒙昧。 
が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。
「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること! 三年前も、最後の最後に、
『自分から喰われてしまえ!』という内語が、後押しをした。「逆境には根を、
順境には枝をはれ」というが、逆境こそ力が蓄える!・・傷だらけの上だが。
・・・・・・
4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4
2013年06月04日(火)
     「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
   * 第3章 仮説は一八○度くつがえる
 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。
絶対安全は仮説でしかなかったのである。その事実の前で社会は直ぐに手の平を
返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で
呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ること
を父と自分の経験から学んでいたので、幾かのシェルターを組み込んでいたので
何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。
全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いか。ーその辺りを抜粋ー
≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、
 ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、実にさまざまな種類が
あります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。
この章では、そういった仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・
「医学界の負の遺産、ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)という
ポルトガルの医者が、1949年度のノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、
ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。
(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)
 ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。
モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。そのきっかけは、
1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトン
という人が、「チンパンジーにロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」
という報告を行ったのだが、それを聞いていたモニスがロボトミー手術を
精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をした。
 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは
「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といっていきなり数十人の
手術をした。当時は、たとえば統合失調症や躁うつ病に対し、効果的な治療法
がなかったから」という。1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の
進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。結果的には、ロボトミー手術と
いうのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまった。
1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫
▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。
 イラク戦争のフセインの科学兵器疑惑に、CIAの間違った調査でイラクに
攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。
人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、
すべての人に言えるから、諦めがつくが、それにしても、である。
逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか?
という仮説も立つ。考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、
ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる!
・・・・・・
4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8
2012年6月4日(4月)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 老いと鬱屈   
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線
に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、そこには
難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ない
で死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を
体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。老化は、否が応でも
毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら
群れてはならない。  ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪ 老いは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」
 人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなこと
への免疫を獲得していく過程ではないのか。難儀なことを解決するのか、避けるか、
無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく次第に
うろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないか
とわたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。
嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや
苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい
事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性は
できないものらしい。 だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が
見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどん
グロテスクになっていき、鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなり
つつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには
事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに
置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺
するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則
である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、
その毒は体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、
体内の毒は、ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため
面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染む。
そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと
初めから割り切って孤立していた方が良い?
 ・・・・・・
3722, ジャズについて −14
2011年06月04日(土)
          ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * ージャズ・ボーカリストー 
 《 ビリー・ホリデイからカサンドラ・ウィルソンまで 》
【 ジャズの歴史とジャズマンについて、その流れを追ってきたが、
 ジャズ・ボーカリストを簡単に触れておこう。 
・ジャズ・ボーカリストといえば、誰もがまず思い浮かべるのは、
 ルイ・アームストロングと、「暗い日曜日」「奇妙な果実」が知られている
 ビリー・ホりデイ(一九一五〜一九五九)であろう。三〇年代の小コンボを
 バックにした珠玉のような名唱、スターダムにのぼりつめた四〇年代、酒と
 麻薬で声をつぶしながら深い感動を誘う五〇年代の円熟。
 「ビリー・ホリデイは、それが自分の人生のように歌った」といわれ、
 その技巧以上に、ひとつひとつの歌詞に込められた万感の思いを、じんわり
 聴き手の魂の奥底まで響かせたポーカリストである。
・歌も人生も劇的だったビリー・ホリデイと対照的に、エラ・フィッツジェラルド
 (一九一ハ〜一九九六)は、抜群のリズム感とまるで楽器を思わせるボーカルが
 特徴で、ジャズ・ポーカリストのトップとして長くその地位を維持した。 
 大作「ソングブック」(五九)など、どれをとってもほれぼれする美しさである。
・サラ・ヴォーン(一九二四〜一九九〇)も、エラ・フィッツジェラルドと双壁を
 なすモダン・ジャズ時代の女性ジャズ・ボーカリスト。四五年にソロシンガー
 として独立。五十年代には、トランペットのクリフォード・ブラウンと組んで
 名作を発表し、七十〜八十年代にかけては、ピアノのオスカー・ピーターソン
 らをバックに名唱を残している。
・カーメン.マクレイ(「九二二年〜九四)、アニタ・オデイ(一九一九〜)といった
 シンガーたちの名前も忘れられない。サラ・ヴォーンも含めて、彼女たちの
 スタイルには、多かれ少なかれ・ビリー・ホレデイの影響がうかがえるのは
 もとより、ルイ・アームストロングが完成させた‘スキャット’というジャズ
 ならではの歌唱法も受け継いでいる。
・ほかにも取り上げなければならないジャズ・ボーカリストは多いが、最後に、
 カサンドラ・ウィルソンである。ちょっとドスの利いた声は好みが分かれが、
 『ニュー・ムーン・ドーター』(九五)は、サウンドもボーカルもじっくりと
 聴き惚れるしかない傑作。まさしくブラック・ミュージックの新しい帰結
 として、カサンドラ・ウィルソンに耳を傾けることを勧める。】
▼ ジャズについては、他の音楽と同列に聴いていたが、この本で取り上げて
 いるジャズマンの名前は、知っていた。私のような、音楽に疎い者でも知って
いるのだから、ジャズは、TVなどを通して私たちの生活に入り込んでいる。
学生時代に、暇を持ちあませて、ジャズ喫茶などで屯しているうち、
知らないうちに接していたのである。
  ・・・・・・・
3357, つれづれに ー閑話小題
2010年06月04日(金)
  * 日銀短観 新潟県の景況感が四半期、ニケ月連続全国最低
 新潟県の日銀短観で、新潟県といえばだいたい中位の上であった。
しかしリーマンショック以来、右下がりに転じ、ついに二期連続で全国最低に
なったと地元紙が報じていた。私が地元経済が異常に悪いといい続けてきたが、
過剰反応でないことが実証された。 まずは公共事業天国だったのが、
「鉄から人へ」とへ国家政策が変わった。農業も、輸出産業関連も最悪、日本で
一番早く、恐慌の影響をモロに受けているのが実情である。元もと新潟県人は
質素倹約をモットーである。不景気となれば、その本領が直ぐに出てくる。
  * 県立近代美術館には、驚いた!
 一昨日、「奈良の古寺と仏像」展が長岡の県立近代美術館で開催されている
ので、行ってみた。期待には反しなかったが、それより初めて入った県立近代
美術館の豪華というより、豪奢な建物には驚いた。半年以上前から、冬と春先を
除いて、早朝、電動アシスト自転車で二つの大橋を一周するのが日課になっている。
そのコースの土手にそれがあるが、空気が違うのである。 肯定的にみれば、
これ位は市の格からいって当然?、しかし程度を遥かに超えている。
ゼネコンの税金収奪の姿といって過言ではない。戦後バブルの饗宴の建物である
  * 鳩山から管に
 鳩山と小沢が辞任、次は管副総理が首相に決定する。 当初の予定通り。 
これで、小沢も選挙に専念できるし、新しい体制で選挙に向うのはベストの
判断である。 管も、果たして一国の首相に相応しいかというと、これまた
不安が残る。  (字数制限のためカット 2012年6月4日)
・・・・・・・・・
2982,超円高社会ー 5
2009年06月04日(木)
* 食料自給率40%は本当か?
 第7章 市場を毛嫌いする官僚システムの罪と罰 
          ー『食料自給率40%の世論誘導』には驚きである。


5193,半隠遁五箇条

2015年06月03日(水)

               『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 半隠遁五箇条
≪ 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。
俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、
妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、五十歳を潮時に
‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。
  1.「清貧の思想」にあらず 
  2. 趣味を追求するなかれ 
  3.不快を避ける 
  4.無理しても快適を得る
  5.金に執着しない、 とした。
・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても
 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』
・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の
 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。
 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。
 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』 ≫
▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、
 似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、
 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔
 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 
 現状というより、目標を書くとすると、
   <隠遁生活五箇状> 
1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める
2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 
  � ◆岼如廖酬屬叛韻肇澄璽�マターをみつめ �◆◆崙函廖銃箸蠅任い襪海�   
  ��、「閑」―逆茂木に囲まれて   �ぁ◆崑奸廖渋佞臼遒里茲Δ法 �
  �ァ◆嶷顱廖戎瓦僕焦鬚鮖�つ    〜を意識して、世界に浸かる
3、その中でも、新しい知識、感動、感謝を貪欲に求め続ける
4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう
5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する 
 まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が
面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。
それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、
デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし!
・・・・・・
4828,「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
2014年06月03日(火)
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり
何かの質問をする。逆質問は一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  ー
            359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初の
頃は感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に
問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時
大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、
繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さ
を互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的
とする。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を
見る。ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で
一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。この訓練を通して、
自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、
自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、
初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に、会社は強くあらねば!
ということを。人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。
つまり「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した
行動を柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙い。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
 実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。
・・・・・・
4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3
2013年06月03日(月)
    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
  * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」
という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、
それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え
ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が
なくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。
 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを
いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた
仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある
仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり
たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり
その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈
するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な
世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、
「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の
良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ
曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている
ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて
いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に
触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、
あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。
たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や
共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 
「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん
の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。
 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、
その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の
崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。
それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが
崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、
身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。
舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的
にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。
現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という
のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が
見えているから。それも私の仮説でしかない。
・・・・・・
4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著)
 * 中年と老年の境目          
「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、
サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして
50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を
整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 
ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に
囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった
性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ
象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって
しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ
たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。
少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に
根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と
なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか
のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。
もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ
といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。
暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で
自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な
チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で
あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。
それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に
歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ
ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような
時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい
のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを
振ることを強いられるということではないのか。 ≫
▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、
 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの
「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。
私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか
なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。
肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって
半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
・・・・・・
3721, ジャズについて −13
2011年06月03日(金)
   * 現代ジャズの新しい動きは?  ー「音楽の本」三枝成彰著より
 ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた
【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたった
 ジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム「ピッチェズ・ブリュー」
が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。
その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類も
できた。フュージョンとは、一言でいえば、ジャズのロック化を進めたもので、
ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽。
だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、
のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す勢いを失ったといっていいだろう。 
なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自
すべき点もある。ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の
動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。
レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうが
ラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を気持ちよく踊らせることがで
きるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」
だったことを思い起こせぱ、これは面白い現象といえるのではないだろうか。 
もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、
ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰して
いるジャズマンもいる。その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける
音楽といえるだろう。 】
▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、
誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと呼ばれるようになった。
黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合
して出来たもの。そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。
アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。
それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。
それが、そのままフュージョンとなったといえる。
  ・・・・・・・
3356, 風の画家・中島潔
2010年06月03日(木)
  「風の画家・中島潔“いのち”を描く」   
 ーNHKのHPよりー  〜NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜)
 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで
親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、源氏物語や詩人・金子みすゞ
の世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。
その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。
京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。日本画の伝統とは無縁の画家が、
1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。中島は、ここで、
終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、何度も描いて
きた金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年を
かけてひたすら描き続けたイワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。
「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。
▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔の清水寺の成就院の46枚の
 襖絵をみて、息を飲んだ。日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と
溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔の言葉の一言
一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。
その絵の暖かい風を感じていた。本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」
と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは,母に
対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。それにしても
生命感の溢れた絵である。清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに
恐れ入る。中島潔が「金子みすず」の詩を幾か絵にしていることを初めて知った。
金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 
この人の画集は、多くは出版されてないようだ。 
 ・・・・・・・
2981,超円高社会 ー4
 2009年06月03日(水)
日本国家の財政が破綻しているのは「短式簿記方式のため」、
という論は知ってはいたが、この書に明快に表現してある。  
  ーまずは、その辺の部分をコピーしてみたー  
 * 日本国家が借金漬けの元凶は単式簿記のため
今の政権=自民党+公明党に多額の借金を貸込んでいるのが、我われ国民。
この政府が抱える本質的な欠陥は、会計に単式簿記を採用していることである。
大福町会計あるいは家計簿方式といってよい。この元では、税収と借り入れを
区別することなく【歳入】と一括りに計上する。国債の利子支払いを、元金の
償還と区別も出来ず、国民に対する社会保障の支払いや公共事業などと一括して
【歳出】の一言でまとめてしまう。そういう把握しか出来ない法人である。
何故今でも行われているか。理由は簡単。明治政府が発足した時には、日本では
複式簿記を知らなかっただけ。何故に、それを改定しようとしないのか。
その方が政権を持っているほうが都合がよいからである。社会保険庁の帳簿の
改竄も、原理的に見抜くことが出来なかったのは、それゆえである。中部国際
空港を作ったのは、トヨタである。これまでは巨大公共事業は、予算も目標期日
もオーバーするのは当然と思われていた。今の大福帳会計の政権法人が行う限り、
ほぼ全ての公共事業が、必ず予算も期日もオーバーする。ところが、トヨタが
引き受けた中部国際空港は、驚くべきことに、目標よりも実際の開港が一ヶ月も
早く前倒しされた。しかも予算は7680億円に対して、実に1000億円も下回り、
国民の負担を節約されたのである。関西国際空港の惨状を見れば、トヨタの
凄腕はいっそう明らかである。関西空港は当初予算1兆676億円に対して、
1兆4582億円と、実に37パーセントもオーバーしていた。理由は他にも
多くあるだろが、最大の理由は、民間企業が複式簿記を採用しており、赤字と
黒字の理由を把握する能力が備わったいた点に求められるのではないか。 
(字数の関係でカット2012年06月03日)
.........
2617, 消費社会から格差社会へ −1
2008年06月03日(火)


5192,ロシアの小話 ぷらす4つ

2015年06月02日(火)

   * ロシアンジョーク
 ロシア帝国やソ連の圧制の中で、したたかな市民はジョークで、憂さを
晴らしていた。だから、内容は強烈な毒が含まれている。話す方も、聞く方も
命がけ。ジョークは、その内に秘められている毒が理解できればこそ笑いになる。

・ワルシャワの精神病院をソ連の視察団が訪れ、一人の患者に入院理由を尋ねた。
「亡命しようとしたからさ」  視察団は首を捻った。
「我が国なら政治犯収容所に入れるところだが?」  医者が答えた。
「いや、こいつはソ連に亡命しようとしたんです」

・工場の財産を労働者たちがくすねるのを防ぐため、門で守衛が見張っている。
 その守衛が、手押し車に袋を乗せて通り過ぎようとするイワンに目を付けた。
「袋の中はなんだ? イワン」
「おがくずでさ。家でたき付けにするのを監督さんが許可してくれたんだ」
 しかし、守衛はイワンの言葉を信用しない。
「開けるんだ!」 袋の中味がぶちまけられるが、おがくずしか入っていない。
 次の日も同じ場面が繰り返される。
「今度はだまされないぞ。開けろ!」 イワンは袋を開ける。やはり、おがくず
 以外なにもない。三日目、四日目と、同じことが繰り返される。 七日目、
 ついに守衛は根負けしてしまった。
「なあイワン、お前が何かくすねてるってことはわかってるんだ。だけど、
 もうおれは検査しないよ。おれは見て見ぬふりをする。誰にも言わない。
 だから、こっそり教えてくれ。何をくすねてるんだ?」・・ 「手押し車」

・ 監獄で三人の囚人が話していた。
「おれはサボタージュのかどで逮捕されたんだ。工場に五分遅刻したもんで」
「おれは反対に五分早く出勤したために逮捕されちまった。スパイ容疑で」
「おれなんか、時間きっかりに職場に着いたんで逮捕されたんだぞ。
 西側の時計を持っているという容疑で」

・ 第二次世界大戦後。終戦直後で皆食べるものに困っていた時代。街中で、
 ある若い女性が一人の盲人に話し掛けられた。白い封筒に入った手紙を封筒の
 表面の宛名の住所まで届けて欲しいのだと言う。帰り道だったため、女性は
 快く引き受けた。そのまま二人は別れたのだが、暫く行って女性は、盲人男性
 が他に要るものがないかと振り向いた。すると盲人だと思っていた男が白い杖
 を小脇に抱え、健常者の様に反対方向に走って行くのが見えた。おかしいと
 思った女性は、近くにあった交番に駆け込み、事情を説明した。
 警官達は宛名の住所に突入し、そこで食用に売られている、山と積まれた
 人間の死体を発見した。封筒には便箋が一枚。そこにこう書かれていた。
  「こいつが今日最後の獲物だ」
▼ ユーモア、ジョークを楽しむには、あるレベルの教養とセンスが必要。
 その隠された捻りを一瞬で理解できないと笑いが浮かばないため、話し手も、
一発芸の要素が必要になる。そこで相手を選ぶしかないが、それが皆無?
<ところで、ロシアの小話を7年前に、取上げていたのを忘れていて、
 分類のにアップの際に気づいた。幸い、重なる内容は一つも無いので、
テーマを「ロシアンジョーク」から「ロシアの小話+4つ」に変更した。
7年前も、時間がタップリあったということか!>
・・・・・・
2008/03/18
2540, ロシアの小話、8つ
 小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。
その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、ソ連の体制時の小話だろう。
ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。
そのギリギリの中で、ひねりを入れた小話を「アネクドート」といいうが、
ロシア人は食事時などに、普段人には言えない鬱憤をぶちまけるために
作られたブラックジョークだからこそ、毒があり捻りに味がある?
その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を趣味と
している私でも、含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・

・息子が服をボロボロにして帰宅しました。
「どうしたんだ、お前」 ―父親が厳しく問い詰めました。
「隣りの子と喧嘩した」
「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を
買わなければならないじゃないか。」
「だからどうなの。」 ―息子が自慢気に答える。
「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは
 新しい子供を買うことになるだろうさ。」

・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、
 子「お母さん、僕、外国人になりたい」

・地獄に落ちたブレジネフは数ある罰の内の一つを選べといわれる。
 レーニンは針の山でもがき、スターリンは煮えたぎる熱湯の中で苦しんでいた。
 ところがフルシチョフは何とマリリン・モンローと抱き合っているではないか。
 フルシチョフと同じ罰を所望するブレジネフに地獄の番人は答えた。
「とんでもない。あれはマリリン・モンローが受けてる罰です」

・ソ連共産党が70年かかって出来なかったことを、
 エリツィンが僅か三年でやり遂げた。それは何だろう?
    答え:国民に社会主義お良さをわからせた」

・16歳の娘を母親が教えています。
「私を見習いなさい。私は今45歳で、結婚して20年になるけど、
 ずっと一人の男性だけを愛しつづけてきたのよ。」
「ってことは、パパが知ったらスキャンダルになるわね。」

・「私の将来の夢はパパと同じように月10,000ドル稼ぐようになることなの。」
「ええ、あんたのお父さん月に10,000ドルも稼いでいるの?」
「ううん、パパも夢見ているの。」

・「ちょっと、ウェイター!先週の日曜日はあんたんところには
 出来立てのビールがあったじゃないか!」
「信じてください、これはそれと同じものです。」

・素っ裸の女性がバーに入ってきてバーテンに言います。
「ウイスキーちょうだい。え、何よ、そんな変な目で見て。
 裸の女を見たことがないの?」 バーテンが答えます、 
「いやあ、どこからお金が出てくるのかと思って...。」   

・・・・・・
2008/03/20
2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) −2
・交通事情
☆ 東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、
 パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
☆ 新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。
 船内放送「乗船の皆様方の中で、切符を分割払いでお求めになったお客様。
 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」

・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。
 すぐに来て下さい!」
 「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか? 人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
 「はい、その通り。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」

・「酔っぱらうってどういうこと」
 「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 
  酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」

・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」.
 「これ、腕時計だよ」

・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。
 落ちながら男は思う、「神様、私はなんて愚かなのでしょう! 
 彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、
 茶でも飲んでいれば....。」 ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、
 「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」

・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴も
 こぼさずに命中させてやる。 これに50ドル 賭けよう。 ただし、
 こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。
 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、小便をバーの中全体に
 撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そして
 バーテンダーにまでひっかかった。 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに
 笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。
 すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。バーテンダーは訊いた。
「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
  男は答えた。
「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドル
 を賭けたのさ。このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、
 笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」

・授業中、先生と、生徒の会話。
 先生: 「A君、隣のB君を起しなさい。」
 A君: 「どうして?  A君を寝かしたのは、先生なのに。」

・ウォッカばかり飲んでる亭主と奥さんの会話
 奥さん「もう我慢できないわ!私をとるのか、ウォッカをとるのか、
 どちらかに決めて頂戴!」
 亭主 「その場合のウォッカとは、何本のことだね?」 ...

・・・・・・
4827,金持ちとは、10億以上の純資産を持つ人
2014年06月02日(月)
   * お金持ちの定義とは!
 お金の話題は、何か知らねど面白い!猛獣使いと同じで、危険な野獣を飼い
慣らしている内はよいが、一つ間違えれば喰い殺されてしまう。
金から自由になるには、自由になりたい分、確保しておく必要がある。
  ーこの随想日記内検索と、ネット上から「お金持ち」について調べるとー
< ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを
 送る人4人、まだ働く人は5人しか居ない。あとの56人は政府か家族の援助を
 必要とし、残りの34人は亡くなったそうだ。よく「引退すれば、生活費が減る。
 だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違い。
 なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。多くの保険機関は
 高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持って
 いれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きる。>
<金を気にしないで済む生活こそ豊かさ。で、金を気にしないで済む生活は、
 幾らか。 そう考えると、人様々である。平均すると、家一軒があって、
 蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万?ところで直接、両親の
 生き方をみて、合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うこと。
 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 
 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。>  (随想日記内)
<【富裕層の定義】ここでは、船井総研の小林氏が独自の方法で算出した
 5億〜10億以上の金融資産を持つと推定できる3万4879人を「超富裕層」、
 1億〜5億未満の金融資産を持つ166万1844人を「プチ富裕層」と定義する。
 小林氏によれば、金融資産を1億円以上保有する個人は全国に169万6723人。
 医師や税理士などのほか、大企業の役員・従業員、さらには公務員でも
 それくらいの金融資産を持つ人は少なくないと。たしかに、民間の給与所得は
 1997年をピークに漸減傾向。しかし「給与の高い会社員同士の共稼ぎ家庭では、
 当人たちも気がつかないうちに1億円以上の金融資産を持っているという
 ことはよくある」(小林氏)。実はさほど珍しくないお金持ちがこの層なのだ。
 わかりやすくするために、「プチ富裕層」と呼ぶ。一方、雲の上の存在とも
 いえる本当のお金持ちは、それに比べればぐっと少なくなる。こちらは
 「超富裕層」と表現しよう。小林氏は、金融資産1億円超の約170万人のなか
 から、職業や住居の特性、そして「馬主である」「高級外車を保有している」
 などの属性を独自にポイント化し、合計してある点数以上に達した人を
 超富裕層と定義づけた。「この方々はおおむね、金融資産を5億から10億円
 以上保有していると思われます」(小林氏)>
▼ 日本のミニオンダラー(1億以上の現金)が170万人。
 一家族×2・3人で、390万人として、3%。 ビリオンダラー(10億以上)が、
3万人×2・3人=7万人として、2000世帯に一軒になる。一般的に小金持ちは、
地方で金持ちの部類だが、全国レベルでは金持ちに入らない。しかし彼らは、
自分が金持ちと誤解しているのが、田舎者ということ。 私見では、
「不動産を時価評価の四割にし、借入を差引いた金額に現金など流動資産を
プラスした総額が一億」か、「自由に使える流動資産が一億円以上」か、
のどちらかが小金持ちになるが、俗にいう『金持ち』には入らない。
この一桁上のビリオンダラー(一千万ドル以上)が、俗にいう金持ライン。
これは国内外、同じ。 バブル期の一時期に、そのライン上に入ったことが
あった?が、今では、家内が小金持ち、私は居候の小間使。「金持ち」も、
相対的な言葉。今ではラーメン屋でチャーシューにすると、家内に
「ワッ、金持ち!」と、曰われる。
<最後のオチの言葉。味付けで、書いているのであって、
  殆ど創作? 念のため!> でも、実態は、こんなものか?


5191,閑話小題 〜チャーチルの名言 

2015年06月01日(月)

 チャーチルといえば、議会でのジョークだが、多くの明言を残している。
   * チャーチルの名言 
・ 凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時で、風に流されている時でない。
・ 金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし勇気を失うとすべて失う。
・ 好転する前には、悪化するという段階もあり得る。
・ 悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。
  楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。
・ 私は楽観主義者だ。それ以外のものであることは、あまり役に立たない。
・ 愉快なことを理解できない人間に、世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。
・ 人生最大の教訓は、愚かな者たちでさえ時には正しいと知ることだ。
・ 重要なポイントを突くときは、如才なくやろうとか巧妙にやろうとか
  思ってはいけない。ポイントを一突きせよ。
・ 事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と
  構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。
・ 先を見すぎてはいけない。運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。
・ 不利は一方の側にだけあるものではない。
・ 私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を
  言われようと何ともない。害になるよりはむしろ益になるくらいだ。
・ 復讐ほど高価で不毛なものはない。
▼ 「運命の糸は一度に一本しかつかめない」は、合点がいく。運命的な機会は、
 一ときしか現れない。つかむには、準備が必要である。危機も、突然、怒涛の
ごとくやってくるため、十年、数十年かけた準備が必要になる。 迷ったら、
逃げ口を用意をして挑むことが人生の要諦だが、それが読めないのが人間である。
・・・・・・
4826,「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
2014年06月01日(日)
   * 金沢百万石での経験
� 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、
実社会の経験不足はまだまだ。 それと建設期限まで二年間半の期間があった。
そこで、何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で
知られていた「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店。
入社して知ったのが、西友との資本提携。会社は大きく動揺していた真只中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、
当時の社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。その上に、
入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がりに
落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先
への新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒。
2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、
世のサラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、
よく言ったもの。何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。
 三年前の決断は、こういう経験があればこそ出来たこと。前向きで自ら
崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの踏んばりは、避けるべき!という
体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の対立などあり、疑心暗鬼の
ルツボ。当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない
震災クラスの事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパー
の進出。私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと
提携し、北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされた。
� 金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえない
ミニ京都風の味わいがある。特に、目を見張るような加賀美人が多く、表向き
は男社会。いっけん厳しそうな男女間は、大らか。私の出身地の長岡藩では、
幕末の「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。
しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、
何ともいえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した
会社内の空気から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。
しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。
� 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、
子供服売場へと配置された。 ジャスコも含めて、多くの売場配転から
学んだことは、業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。
それを業態別の再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の
販売も、商品の一つでしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、
親しくさせて貰った取締役部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、
その後の事業立ち上げの教訓になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の
生活も、入社の一年4ヶ月後に、突然、家からの一本の電話が入った。
                           ーつづく
・・・・・・
4459, 99・9%は仮説、ですか〜 ー1
2013年06月01日(土)
  「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
 今さらだが、全て夢幻、思いこみでしかない。現に、事業を色いろ立ち上げ、
40年近く経営。そして三羽の黒鳥の到来で、この結末。思い込みを実行し、
初めは上手くいったが、途中から、「思いの判断」が、「思い込みの判断」
に変化、当然ながら幕切れがあっ気なかった。しかも、その幕切れも、思って
いたのと実際は違っていた。万一の備えを整えてあったこともあり、何とか
乗り越えた?が。創業と準備の苦しみからみれば、数分の一としか思えなかった。
一つ間違えれば自殺に追い込まれるイベントだが、腹を括り手順さえ踏めば全て
は奪わないし、傍で見ていたほどではない。考えてみれば‘99・9%が仮説’も
仮説である。世の中、すべて仮説の上に成り立っていると割り切った方が面白い。
  ーアマゾンの内容紹介ー
「最近どうも頭が固くなってきたなぁ」そんなあなたにつける薬は“科学”。
文系理系を問わず、科学のホントの基本を知るだけで、たったそれだけで、
あなたの頭はグニャグニャに柔らかくなるかもしれないのです。科学の基本…
それは、「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」ということです。思いこみ、常識、
前例、先入観、固定観念…… そういったものにしばられ身動きがとれなく
なっている人っていますよね? 「なんでこんな簡単な話が通じないんだ!」
ってイライラしますよね?そんなときは、この本を読んでみてください。
きっと、ものの考え方から世界の見え方まで、すべてがガラリと音を立てて
変わるはずですから。 
 プロローグ 飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない
第1章 世界は仮説でできている    第2章 自分のなかの仮説に気づく
第3章 仮説は180度くつがえる    第4章 仮説と真理は切ない関係
第5章 「大仮説」はありえる世界  第6章 仮説をはずして考える
第7章 相対的にものごとをみる 第8章 すべては仮説にはじまり,仮説に終る
▼ 科学ですべてが解明されていると思われていることも、突き詰めていくと、
 実は何もわかっていないことが多い。試行錯誤と経験によって
「うまくいくこと」と、その科学的根拠が完璧にわかっていることとは別だ、
と指摘している。アベノミクスも、安部首相が方針を示したのが、今現在、
市場が思惑通りの反応を一時的にしただけ。そうこう考えると、全てのシステム
も「取り敢えずの認識」に基づいての存在であり、決して安定的・決定的・
絶対的な存在ではない。仮説が証明されのが定理。しかし、それさえも殆ど
怪しい。まして、常識とかいうやつのいい加減さ。ここで書いていること自体、
ほぼ仮説か、仮説の紹介。ただ、面白いから、暇つぶしと割り切っているから
続いている。考える大部分は仮説を立て、その証明を探している過程。
これで世人が動いていると思えば、深刻になることはない。
・・・・・・
4085, 閑話小題
2012年6月1日(金)
  * つれづれに ー地方都市の街中の空気
 今日から6月に入った。 何とか世界恐慌になってないが、再び火種が
チラホラしてきた。何時もの話題になるがギリシャ再選挙が、どうなるか? 
それとスペインとイタリアの危機も再燃してきた。4年前には北京オリンピック
終了後に、リーマンショックが起こった。今度はロンドンオリンピックと、
米・韓の大統領選挙待ちになる?のか、早くなるのか。リーマンショックの
次が欧州ということ。今度の大津波は、かなり激しくなるはず。それが中国と
アメリカに連鎖し、日本にも当然、大きなクラッシュがやってくる。 
絵空事でなく、現実問題だから恐ろしい。何処かから「危ない危ないというが、
何にも起きないじゃないか!」と聞こえてきそうだが。実際には彼方此方で
現象で出ているが表に出ないだけ。それだけ、深刻。今年度で「中小企業金融
円滑化法」の延期は終わり、来年度はないのは決定済み。そのため、銀行が
急激に融資先の選別を始めた影響が出始めてきたとか。自宅敷地内の貸家が
去年の10月から空き家になったが、殆んど引き合いがない。昨日、不動産屋
に行ったところ、去年の暮れから、まともな?借り手が消滅。たまに来るのは
アジア系外国人と、生活保護の受給者の転居希望者だけ、とか。
 週間現代の今週号で、「ギリシャ発世界恐慌特集の発火一歩手前の各国の
相関図」を分かりやすく書き出していた。こういう暗い世相を話題を、斜に
構えて敢えてするのは私自身が既に前ぶれの波を直撃を受けたためである。。
この世相の中で明る話題も見つけにくいことも事実である。しかし、これだけ
心が安定し、穏やかな日々も、あまり記憶がない。新潟でホテルを立ち上げ、
5年ほどして一息ついた時以来である。 こういう時は、何か不意をつかれた
危ない出来事が忍び込むから、気をつけないと・・ この状況下、弱り目に、
祟り目で一番打撃を受けるのが日本である。しかし一般的に、のんびりしたもの。
・・・・・・
3719, ジャズについて −11
2011年06月01日(水)
 * アート・ブレーキー −何故あの時にドラム奏者に注目が?  
                ー「音楽の本」三枝成彰著 より
【ハード・バップ時代は、パワフルな演奏を支えたパートとして、
 ドラム奏者に注目が集まった時代でもある。ジャズ・メッセンジャーズを
率いたアート・ブレイキー(一九一九〜一九九〇)はその代表である。まさに
雪崩を打つような連打。徐々に音が大きくなって、最後は怒濤のようにはじける
彼のドラムは、いやが上にもバンドの演奏をホットにうねらせた。
『モーニン』(五八年)のヒットで一世を風靡したほか、バンドからは多くの
有望な新人を輩出したことでも知られる。そしてもう一人、マックス・ローチ
(一九二四〜)も忘れられない。四〇年代にはパーカーやマイルスと共演。
その後は、トランペット奏者クリフォード・ブラウンらとクインテットを結成し、
数々の名演奏を残している。もちろん、このハード・パップ時代には、
他の楽器演奏者にも多くの逸材を出した。名前だけをあげておこう。
・トランペットはリー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス。
・サックスではキャノンボール・アダレイ、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・
 ショーター、ブランフォード・マルサリス。
・ピアニストでは、ホレス・シルヴァー、レッド・ガーランド、
 レイ・ブライアント、フィニアス・ニューボーン、ソニー・クラーク、
 ボビー・ティモンズ、ウィントン・ケリー。
ジャズファンならずとも、名前を耳にする面々が含まれているだろう。それだけ、
ハードパップ時代はジャズがもっともジャズらしく光り輝いた時代であった。】
▼ 知った上で聴くのと、何となく聴いているのとでは、大きな差がある。
 ジャズはアメリカが世界の中心になる、まさに右上がりの世相の中で、底辺の
黒人や、黒人と白人のハーフの人たちの間から、酒場の演奏の即興として生まれた。
それも、時代の動きに合わせて変化をしてきた歴史がある。それらを考えると、
私のような俄かファンがシタリ顔で分かったようなことは言えない。 
年内はパソコンとiPodに入っている曲を可能な限り聴いて、それぞれの
アルバムや曲が、どの時代の流れを含んでいるのか知りたい。
 ・・・・・・・
3354, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー2
2010年06月01日(火)
       「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
 ーp22 に、国民の家計を例にして、その辺を分かりやすく書いてある!ー
 話に現実感を持たせるため、現在の日本の状況を、ある一家に讐えてみましょう。
世界一のお金持ちの家庭(日本国家)では、旦那さん(日本政府)が974兆円もの大金
を借りています。しかし、別に外部の金融機関などから借りているわけではなく
奥様(家計)から借りているのです。しかも、旦那さんはちゃっかり467兆円もの
お金を、へそくりとして蓄えています。この家の奥様は、個人としては世界最大
の金持ちで、純資産額が1058兆円にも達しています。 結果、この家庭は
「家族としての純資産額が243兆円もの規模に及び、この金額は家庭の純資産と
しては世界最大となっているのです。家の中で、最大の稼ぎ手である長男
(非金融法人企業)が最近、今一お金を稼いでこないため(法人税が減少している)、
仕方なく旦那は自ら一家の支出を工面している。とは言え、実際には奥様から
お金を借りて、やりくりしているだけなのですが。しかも、その支出は基本的
には旦那さんの家族のために使っている(定額給付金や公共事業など)のです。
家族みんなが旦那さんからお金を受け取り、それを税金といった形式で再び
旦那さんに渡したり、またまた国債という形で貸し付けたり・・ と、
家庭内で、お金のキャッチボールを延々と繰り返している仕組みなのです。
家庭内で様々な形でお金の受け渡しを繰り返してはいるものの、家としては
 世界一のお金持ち。これが現実の日本の姿なのです。
▼ 何度か、この例え話は聞いたことがあるが、「スナックに金持ちが入って
 きたとして、それでスナックが豊かになることはない」とか、「大借金を
持った人がいたところで、スナックの借財が増える訳でない」というのもわかる。 
要は国民が金とか現物の投資、外国の国債や株に逃げないことが前提である。
飽きれた子供や奥さんが何時の間にか預金を下ろして、他に移動する可能性
がある。この家は、他に二百数十兆の預金が外国にあるという。
但し、この家の親父は暴力団に脅されて500兆ほど大事そうな借用書と交換に
貸し付けているという。普通の家庭の」平均総資産が3500万あるが、借金は
半分ほどある。それを、どう見るかである。ただし、預金も、ある日(二年後)
価値が半減する可能性がある。「氾濫する川辺の家の家族」かい。
・・・・・・・・
2979、不況景色 ー11
 2009年06月01日(月)
  * 今日、GMが倒産というが
・日ごと不景気が深まっている。今日、世界最大の売り上げを70年以上
 続けてきたGMが倒産する。GMといえばスローンである。GMの社長として、
 20世紀において最も大きな影響力を発揮した経営者の一人。経営者としての
 在任期間で、最大の競争相手であるフォードを打ち負かし、GMを世界最大の
 自動車会社に育て上げた。 この辺のことはスローンの「GMとともに」
 に書いてある。学生時代に読んだが、ドラッガーの著書の中でも彼は何度も
 取り上げられている。そのGMが瞬く間に倒産というから感慨無量。
   (字数制限のためカット2011年6月1日))
・・・・・・・・・・
2615, 東京湾 漂流死体は語る ー2
 2008年06月01日(日)
  「東京湾 漂流死体は語る」ー読書日記  海上保安庁 岸善朗著
 漂流死体の身元や、死因を調べていくうちに、あまりに悲しい気の毒な
理由を知る。世の中は、一度道を踏み外すと過酷な人生が待っている。
その中で最も悲惨なケースを抜粋してみた。アルコールとギャンブルで狂った
男の犠牲者の母娘のケースである。正視できないとは、こういうことか。
▼ 巡視艇が死体で揚収した女性は生前、荒川の上流にある土木工事現場の
 飯場で働いていた。粗末なプレハブの寮で、十九歳になる娘と共に住み込みの
賄い婦をしていた。亭主がどうしようもなギャンブル狂で、競輪にうつつを
抜かし、当時山谷と呼ばれたというところに寝泊まりをして、ほとんど妻や
娘のもとに寄りつかない。しかも、競輪で金をすっては、すってんてんに
なりにっちもさっちもいかなくなると決まって妻のところに舞い戻って来た。 
そして、駄々っ子のように金を無心。酒に酔っては妻と娘は、そんな男から
逃げ回るように関東近辺の飯場を転々と渡り歩いていた。そして、幾多の
流浪の果てに、辿り着いたのがこの飯場だった。二人にとってここは束の間の
安住の地であった。しかし、二人はすぐに男に居場所を突き止められ、探し
当てられてしまう。そのたびに男は妻と娘に金を無心し、それが叶えられ
ないと容赦なく暴力をふるった。 娘は十九歳で精神障害者。
母親が飯場の賄いの仕事だけで稼ぐ金はたかが知れている。


5190,閑話小題 〜チャーチルのジョーク

2015年05月31日(日)

 チャーチルは、その風貌とおりのウィットにとんだジョークと名言を残した。
毒の含んだ言葉でもウィットに富んでいれば、場を和ませることが出来る。
   * チャーチルのジョーク 
・ 民主主義は最悪の政治形態らしい。
 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
・ 女性議員が皮肉を言いました。
「もし私があなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」
 するとチャーチルは、平然と答えました。
「もし私があなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」と。
・ チャーチルに仮装舞踏会にはどんな衣装で出るのがいいかと聞かれた、
 そのライバル女性議員(例の『毒を盛る』発言の彼史)のコメント。
 「しらふで出るというのはどうでしょう」
(チャーチルは酒好きで、国会にも酔っぱらって出てくることしばしば)
・「期待される政治家とは「明日なにが起きるか」を、国民に予告できなくては
 ならない。そして次の日「何故自分の予言通りにならなかったか」を国民に
 納得させる能力がなくてはならない。」
・ ある政治家を評して 「彼は羊の皮をかぶった羊」
・ 国会の答弁にて、エリザベス女王の戴冠式の準備に際し
「行進にはありとあらゆる労働者の代表を加えるべきです!」
 と主張した労働党のある議員に、NOと返答したときのコメント。
「見物客の気持ちを考えねばなりません」
・ 完全主義では、何もできない。
・ 極めつけは! 当時獣医は社会的に低く見られていた。チャーチルが
 獣医をしていたという噂があった。野党議員が議会でそのことを質問した。
「もしそうならまず初めに貴方をみてあげますよ!」議会は大爆笑だったとか。
・・・・・・
2014年05月31日(土)
4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 自分の「スイートスボット」をさがそう
 この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、
一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、ひたすら気持ちが落ち込まない
ことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、
要所要所に配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 
 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。
この時間帯が、第一のスイートスポット。6時過ぎに、ポタリングで信濃川の
大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。そして、午前中の読書と、ネット
サーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・ とつづく。
森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、
このスポットを自由に謳歌できること。 もちろん、数年、数十年単位の
ライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー
《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、
 自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。
つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も
感じない状況に。心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを
「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっとエネルギッシで
生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の
刺激をえられるところだ。素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分で
ハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。
だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が
低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、朝昼兼用の食事に出かけ
―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べ
ながら噂話をしたり、笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたは
スイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める外交型の
友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい
時間は終わりを告げる。・・・ 》
▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験。人生観が変わるほどの最高の
 感激・感動体験をいう。この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら
求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、人生が豊かさに
なっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送
などを楽しむことが、私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、
秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログの下書き、読書、TVの
スポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、
徹底して貫いたプロフェッショナルが、私の連れ合い。これが蓄積されると、
スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ!
で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を
知ったら、怒り出すぞ!」というと、「あんたみたいな気短と一緒となら、
誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、
何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? 
どうもしません! そういうこと。
・・・・・・
2013年05月31日(金)
4458, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー5
          『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 * 2日目 "足腰を軽快に
A・膝を回す体位……54            
 基本体位=仰向けに寝て、両手を膝を包み込んで、肘を伸ばし、
  膝と手が離れないようにする。
1、「静かな一息」「軽く一息」を入れた後、息を出しながら、足の甲を
 伸ばして、両膝を手前に引き寄せる
2、さらに、息を出しながら、肘を伸ばして、膝・股関節を開いていき、
 膝と股関節を充分に開く。顎を引いてうなじを伸ばし、息を出し切る。
3、同時につま先を充分に伸ばして、「つま先ー>腰椎ー>胸椎ー>頚椎」
 の順に「大地のアパーナ気」を引き上げる。
4、息を入れながら膝を閉じていき「基本体位」に戻す。
 1〜4を、計三回行った後、「軽く一息」。
5、ここから逆回転で、合計三回する。
▼ ポイントは、全身にくまなく「気血」が流れるように行う実践。
 つま先はしっかり伸ばし「気」を引き上げて背筋を活性化すること。
 呼吸は「入息1、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するよう行う。
 全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいって
 いるとは限らない。相対的に血液が脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの
 血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。
 要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」
B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
 基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹で
 ゆったり呼吸をする。
1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで
 一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。
2、以下の足指の動作を、順々に行う。
 「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側
 (上)へー>足指を握る 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー>
 「各自の一息」に戻り、息を整える。
▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体によい。
 毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回
のヨガで、これは初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千〜4千あり、
スポーツジムでは、その中の100種類に絞っているという。同じポーズでも、
その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、これだけ、
足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として
分断してくれる作用もある。
・・・・・・
2012年05月31日(木)
4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 孤島としての老い  
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、
 どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その
ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に
崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる
ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。
すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような
感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも
掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。 
だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な
敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで
怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈
してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる
であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような
不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に
なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在
だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを
見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に
よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。
その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島
となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく
ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて
みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。
 それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも
一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって
きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。
現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも
フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。
なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り
という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、
ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も
しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 
それにしても暗い顔をした老人が多い。
 ・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
   △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
 現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって
打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が
亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、確かな数値は、
推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。今回はまだ原発の事故が
収束に至ってない。今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ
未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に
近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に
見舞われ、その上にリーマンショックである。日本経済は深刻な事態の上の、
これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、
現時点の判断は、10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と
考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。
  △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい!
 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。
これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを聴いていたが、最近、
ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、
朝の土手のジャズが意外とよい。2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつける。 
鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る単調な
リズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・
 ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後に
あるため、夜明けにあっているためである。その上にスポーツ・ジムでも
iPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。
「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズム
とテンポというが、運動に本来あっている。にわかジャズファンの誕生だが、
これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。演歌に、クラシックに、
ロックに、カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 
そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? というのも、
何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 
特に、こういう落ち込みやすい時期には。
  ・・・・・・・
 2010年05月31日(月)
3353, 何で25坪の店に6人の従業員?
 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に
男5人、女1人、合計6名の従業員。首都圏など人口密度の高い好立地なら別に
不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 ガラスばりの向うに
見える厨房が異常に大きい。焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯
に、酒一本で、二人で4000円なら安い。土曜の17時半にしては客が少ない。 
また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。そこでHPをみたところ30店舗
ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと
惣菜販売コーナーに、焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は
隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、
店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。 思ったとおりであった。 
100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねている。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に
飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。厨房が店のわりに大きい
理由は、そこにあったのである。(字数制限のためカット2012年5月31日)
 ・・・・・・・・
2009年05月31日(日)
 ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の
20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが検証する番組である。 1993年、
2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度
を増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。
ここで再放送されていた4回分全てを過って見ていたが、改めて時系列に連続
して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化した。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター
・派遣など、必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が
幅を利かせる時代になっている。一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。
しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、非正規社員など、弱い立場の人から
次々と職を失っていくのが現実である。何が、これほどまでに雇用環境を悪化
させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた人々の
姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用の
あり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝(慶応大学教授)/司会:桜井洋子ー&林家三平ー
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた
中高年世代を早期退職という名の 合理化が襲った。 定年まで勤め上げる
ことを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。その戸惑いを通して、私たちの
働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
(字数制限のためカット2012年5月31日)
 


5189,閑話小題 〜父親の42周期に

2015年05月30日(土)

* 父親の42周期に
 毎年、父への想いを書いた内容を読み返すと、年齢ごとの思いを書くこと、
書き残しておくことの秘儀の意味が見えてくる。父親の亡くなった年齢に、
あと二年でなる。 余命が少ないことを悟って死ぬまでの生き様、死にざまを
通して多くのことを学ぶことが出来た。 死んでしまえば、いっさい無。
物や金を残したところで、あの世に持っていけるわけでなし、あるのは暗黒の
死の不安と、人生の後悔。死を前にすると、世間とかいう壁がうき上がってくる。
そして、それが如何に、他愛がないものと思えてくる。 あの超保守的な父が、
何を思ったか、『赤旗』をとって読み始めて、自民党批判を始めていた。
それと、死に関する予備知識の絶対量が必要ということも痛感した。しかし、
誰も『自分が死ぬ!』とは思わない。『他人は先、我はあと』と確信している。
あの時の父の激しい生への希求が直接伝わって、「当りまえの、先ある人生が
いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。
全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。
考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外
なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。
晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。
                           さて、墓参りだ! 
  * 久々のジョーク
・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」
 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」
 「アメリカンドッグさ。」
・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 
 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が
『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。
 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」
・・・・・・
4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期
2014年05月30日(金)
    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、
似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、
ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。
その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、
父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について
まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を
繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子
のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、
多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、
両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、
それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に
恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、
何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで
書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。
それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 
父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い
合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて
いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も
趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが
できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、
世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、
この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。
このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に
なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の
なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、
父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。
・・・・・・
4457, 今日は父親の命日 ー40周年
2013年05月30日(木)
 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を
書いてきたが、父も本望だろう。私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、
目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。
亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青く
なっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。私にとって父の死と、半年後
の千葉での創業と、結婚は、大きな分岐点で、父の死を引きずり悲しんでいる
暇は無かった。何事も直接跳ね返ってくる事業人生が始まったからである。
「親の死は子供に対する最大の贈物」という言葉のとおり、父の庇護が無くなり、
それから全ての責任が直接被さってきた。全てが未経験で、分からないこと
だらけ、そこで亡くなった父親を心の底で呼び出し、「どうする親父?」と一緒に
考えていた。 次から次への難問が押し寄せ、判断、決断が迫られる。
頼れるのは、浅い経験と知識。それと「親父なら如何する?」の仮説の自問自答。
あの時からの40年の歳月は、やはり長い。世界も日本も、そして私も変わって
しまった。情報化社会の本格的到来と、ソビエト・東欧の崩壊、中国の共産主義
の放棄が、大きく世界を変える要因になった。
 心の底で父に、「ここまで激しい変化、親父も信じられないのでは?」と問い
かけると、「私の想像を遥かに超えている。しかし、羨ましい限り。世界の果て
も気楽に見れるし、知識情報も簡単に入手できるし・・ 混乱期としても豊かさ
の範疇。少し先読みをし、変化を受け入れ自分が変われるかどうかだ」との返事。
過去の命日に、その時点の思い書いてきた。読み返えしてみると、成るほど思い
は残るもの。私が書いているというより、父本人が書いてと思える位だ。
両親から生まれでて、両親の元に帰っていくイメージがあるだけで充分幸せ。
父を通して多くのことを学んだ。何があったとしても、両親の御蔭で、よい人生
を過ごせたと感謝している。さて、お参りだ! そういえば、母親の命日に、
このような文章を書いてない。もっと世話になったのに。
時々、夢にリアルに出てくるためか?
・・・・・・
4083, 父の命日 ー39周忌
2012年05月30日(水)
 5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。
39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。父が亡くなって5ヶ月後
に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、
ショックで茫然自失だったが、数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。
そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面
にぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスから
ついてくることを知った。人間にはイザとなると、信じられない力が潜んでいる。
極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって
生まれてこのかた、父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなって気づいたが、
常に父を意識して、物事を判断してきていた。だから、その時に父が亡くなった
タイミングは私にとってベストの贈り物だった。父の死と、事業の立ち上げと、
結婚と、私にとって初めて独り立ちであった。全ての計画、判断、実践を自分
がして、結果がストレートに帰ってくるのである。それが慣れるまでは、
「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと
感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか頼りにならない。とはいえ
決断しようにも自信がない。そこで自然と「自分が父だったらどうしただろう?」
の自問自答になる。そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くの
ことを教えてくれていた。経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。
頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃
からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。しかし終わってしまえば、
それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、
殆んど後悔はない。創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わったが、
と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。
順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い
流されてしまえば諦めがつくというもの。この結果は、ワーストでもなく、
ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、
ベスト? 父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を
欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。
それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」
と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。
・・・・・・・               
3717、閑話小題
2011年05月30日(月)
  * 今日は父親の38周忌
 父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかった
ので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。その時が精神的自立
の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人
兄姉の末っ子で、父親は特別に私を大事にしてくれていた。その意味で、私の
人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、
肯定的になれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、
刺激的な日々であった。結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景
に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。
『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して
人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』 大筋は、こんなものだが、
人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと
思っている。この事態でも、両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分一
でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、
消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っている
から、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。それにしても、自分の息子に毎年、
このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。これが私の供養である。
   * 地震保険について
・・・・・・
3352, 父の命日(37周年)
2010年05月30日(日)
 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の
彼方から思い出される。思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。
「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、
「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。これまで書いてきたが、
父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、
第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり
仏壇と仏具の販売で乗り切った。終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品
量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。古美術商の時代には、
地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」
というのが持論にあった。それは教養によってベースが築かれることを彼らから
学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、それがバネになった。 
日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝5時に起き、仏壇で祈り、
新聞を隅々まで読むのが日常だった。その辺は私も同じで、これは家の文化
(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、株屋ぐらい
しか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と
最小限度しかとらなかった。(当時は、それが一般だったが) 
年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬ
ときのイメージは両親の手に引かれ、光の中に消えていく光景になるだろう。 
毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になる。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、
それを重ねることで、魂に熟成していくのである。音楽家は音楽で、仏像師は
仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、
それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!
・・・・・・・・
2977、父親の37回忌に
2009年05月30日(土)
 今日は父親の37回忌。亡くなって、36年になる。命日に何度か父のことを
書いたが(後でコピー)、テーマにすることが供養になると思い書いてきた。
父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、
父が43歳の時に産まれたこともあった。そのために幼児から少年期の記憶に、
父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、
父が何時も私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、
その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて精神的に独立をすることが出来た。
(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳
だったが、その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済
成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、その段差には大きい。
まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで
家を中心に常に考えていた。父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なって
おり、そのことを事あるごとに話をしていた。 特に長岡の戦災体験は生生しく
残っていたようだ。また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・
父を思い出すというより、父の視線で世の中の変化を見ている自分がいる。
命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響して
いることがわかる。その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで
私らしさで、そのまま結構なのか? いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 
しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。それに引き換え私と
きたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と
合体したような不思議な夢について書いたことを思い出した。その辺のことを
書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
  これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
▼ H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験を
してみた。死後一週間後位に妙な夢をみた。私自身父の気持になり
“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父その
ものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。
それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二〜三日後の夢も強烈な夢
(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで
寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうの仏間
より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。そのひきずりこまれた瞬間ベットに
しがみついたがその時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
・・・・・・・・
 2613, 閑話小題
2008年05月30日(金)
 ー今日は父親の命日ー
父親が亡くなって35年、36回忌である。
毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある
故人の顔を思い出し手を合わせている。一番初めは父であるが、父の愛情の上で、
現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。家庭的には恵まれていた。
特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。次には
家内との相性だが、それなりに?この文章を推敲、ネットに上げ、墓参りに行く。
 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー
交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。
昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。
車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。
一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が飲酒運転の強化を図ったことと、
シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。去年の交通事故死
の半分近くが、65歳以上の高齢者で占めているというから、年寄りは交通事故
には特に気をつけないということになる。10年近く前で、一万人を割ったと
聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。


5188,人生相談という気晴らし! 〜⑩

2015年05月29日(金)

               『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 父親とは、息子にとって「存在自体が悪」である
 父と息子の関係は、古代より続く永遠のテーマである。「息子にとって、
存在自体が悪!」とは・・ 私にとっての父親は、最大の理解者で、
独立を一歩、踏出したベストのタイミングで亡くなった。私に必要だった
のは、まず父親からの独立だが、計ったように亡くなっていった。
 人生で一番に恵まれていたのは、父親の直の愛情。その温もりは、
今でも残っている。ただ、私には具体的な指示は一切しなかった。
私から、能動的に具体的な何かを求めてくるまで、何も言わなかった。
≪  Q: 父親とはどういう存在であるべきか?
六十二歳の父親です。三十歳代の息子と娘がいます。私が育った家庭環境は
封建的であり、父を敬う風潮のある時代でした。しかし、その風潮も現在では
古臭いと子供や妻に反感を買うだけです。最近、思うのは私自身が父親として、
どんな存在だったかということです。子供たちは、大学を出たのですが就職
氷河期ということもあり、安定した職につくことなく、社会を彷徨ってますし、
結婚もしていません。私は家族の幸せを考えこれまで働き、経済的な豊かさも
獲得してきたつもりでしたが、これで良かったのかと疑問が残ります。
子供たちに一体何をしてやれたのかと考えるとやりきれない思いに囚われます。
父親の役目を終える時期が近づいているのですが、父親とはどういう存在である
べきかと今頃になって悩んでおります。中島先生はどのようにお考えでしょうか?
  A: 父親は子供から忘れ去られることを望まなければならない
 今回の二つのご質問を読んで、あらためて私は「人生相談」に向いていない
なあと思かました。人生相談を持ちかける人は、たぶん常識の範囲を超えない
かぎりで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジティヴな
回答を求めている。あるいは、ちょっと考え方を変えれば「楽になる」そんな
妙薬を求めている。とすると、私にはそういうご期待に答える素質も趣味も
ないからです。人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生
の終局は死であって、永遠の無に突入するのでしょう。こうした差し迫った
大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいい
ものに思われてしまうのです。と厭味を言ったうえで、お答えします。
私も一人の息子の父親ですが、「父親とはどういう存在であるべきか」と悩んだ
ことはまったくない。なぜならば父親とは、とくに男の子にとって三島由紀夫
の言葉なのですがー「それ自体としての存在が悪だ」ということがよくわかって
いるからです。もともと存在が悪なのですから、善人ぶってもすぐに化けの皮が
はがれてしまう。父親は子供に何をしても、いや、何かをするほど嫌われます。
とくに、感謝されよう、尊敬されようとして何かをすることが一番いけない。
とすると、何もしないのが一番いいという結論が直ちに出ます。父親は勝手に
子供を作ったのですから、子供を経済的には二十歳までは支援する義務がある。
子供に生きていくカを授ける義務もあるかもしれない。しかし、それが「義務」
なのですから、何の見返りも期待してはいけない。とくに、「立派な人」に
なること、「幸福になること」を期待することが一番いけない。そんなことは、
(父親という)他人が口出すことではないのです。父親は苦労に苦労を重ねて
子供を育て上げたら、子供から忘れられることを望まなくてはならない。
子供に対する執着を断つこと、子供から独立することです。どうせ、ちょっとで
死んでいくのだから、子供の人生は、子供に任せて、残された人生を自分の
ために使ったらいかがでしょうか?悪人は悪人に徹することです。≫
▼ 父の亡くなった年齢に近づくにつれ、やはり父親が、最大の理解者で
 あったと同時に、教育者だった。いつも、待ってくれていた。傷ついて、
横たわっていた時に、ただ一言『死んでしまえ!』以外、何も言わなかった。
死ぬに死ねないから、ただ、ジッとしていた。そのジッとしている効用こそが
人生にとって大事なことである。  明日は、その父の43回忌になる!
・・・・・・
4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4
2014年05月29日(木)
         「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
   * 万能薬としての「語り直し」
 ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
 気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることに
なるからだ。しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨てて
かからないと、何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬
にもなってしまう。これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようと
するのが、「語り直し」である。  ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、
 過去のどんなできごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて
賜おくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて意味づけを変える
ために、そのできごとを、それまでとちがうことばで語り直さなければならない。
世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。ここで、見過ごされがちな
ことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しい経験をする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが
変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の
精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、
現在とよばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間では
ない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。記憶をぬぐい去る
ことはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは
知っている。」・・》
▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、
 全く忘れていた記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、
太い幹の記憶から、忘れていた細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。
その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。若い時分は、誰も経験も
知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。あるのは、
何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
           『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著   
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、
  親指と一さし指で三角形を作る。「静かな一息」−>「軽く一息」で息を
  出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、
  万歳をするように両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。
  次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に引っ張るように足裏を反らし、
  足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>
  「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向に寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。
  次に右手を左の手の平に重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝
  を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。右腕を顔前の床に伸ばし、
  左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら
  右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、入息に合わせて指先は
  きちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識
  しながら、右腕を背中側に押し倒して背筋をねじる。ここで、出息に合わ
  せて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、
  ゆっくりと息を出しながら、丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、
  もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、静かな一息、各自の呼吸で、
  息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸する
 ことで、「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れるポーズ。
 ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢を意識的に
 繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。特に、一日目の、二つは、
 基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を引き出す
 ことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似た
 ところがある。合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガは
 あくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、「前屈、反り、ねじり、
 直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。ヨガの「大地の
 アパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位
 前の早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、
 それを、大地の底(地球の芯)に吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、
 暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、
 早朝のミニ・サイクリングの自転車上の自己対話の相手にしている。 
・・・・・・
4082, 老いの見本帳ーダークサイト −5
2012年05月29日(火)
    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
  * 老いと勘違い 
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を
紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。
その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持って
 いる会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。ある日、涼子と
いう20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。
その時、70年前の記憶がよび戻る。14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代
の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か
意地悪をする。その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の
秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。妻とともに、
その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生。
息子の社長の話だと、どうも、涼子が火を放ったらしい。 彼女の話では、
その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて
「勤務以外の時間に私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、
女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。
その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡く
なっていたが、死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の
内容は、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。そこで思う、
「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、他人から慕われ、
そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 
・・主人公は、これ以上ないおぞましい感情を突き付けられ、縋るように
本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子
という現在の娘、それぞれ互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を
綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は
世間に一定の割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女
のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪をぶつけ、
今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。
それは往々にして相手に深い精神的ダメージを与える。それによって、
もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、
 それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。しかし、いざ、
そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている
視線がある。人生など、全て勘違いと思い込みで出来ているに過ぎない、
その自明なことが漫画的に現れ出るからである。そういえるのは、リスク管理を
していて、目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げる
ことは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、当然、勘違いも多く
付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての
出来事は、クロの要素になる。といって、それも物語である。要は、後悔しない
よう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!
・・・・・・・
3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
*ソニー・ロリンズ、チャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティスト
 の間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを圧倒するかのような、たいへんに
勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。これを白人
ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、
一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。4ビートがより鮮明になり、アフター・
ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるで
あろうし、「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、
レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて見ていこう。 
一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。ソニー・ロリンズの
『サキソフォン.コロッサス』、 セロニアス・モンクの『ブリリアント.
コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の
可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中
の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に時折ユーモアのセンスも
感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、
孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで大喧嘩をしたという逸話が
残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。
ソロ・アルバムが多いのはそのため。彼は私生活でも時折、意味不明のことを
口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と
世間にその姿を見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで
聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェイサー」
などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。
(字数制限のためカット 2012年5月29日)
・・・・・・・
3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −4
2010年05月29日(土)
  * さあ、次はテレビの番だ!
 ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、
・高機能のHDR(ハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。
テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 
新聞社もテレビ局も風前の灯である。まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDS
を半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が
残っている。もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。
取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 
録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」
のものばかり。面白そうな番組が無いときは、それを見ることになる。それは
タイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にない
から見るか〜というのが皆無になったのである。次に最近、急に興味を持ちだした 
YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にあるパソコンを向かっているが、
それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを
入れると面白い映像が次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを
買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを共同で開発する
というから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコン
の普及がある。これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化する
ことになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。そこにはネット経由の
映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。
だらだら流し見していたテレビの見方が変わることを意味している。
その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。NHKもさえも
大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み
込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える!
 ・・・・・・・・
 2976,縁は異なもの  ー2
2009年05月29日(金)
「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集   
  * 能とは
 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、
「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした記憶が鮮明に残っている。
その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの
違いもあるのだろう。ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー
《能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、
室町時代になって、当時流行していた、ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつ
の芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、
大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは
謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 
   (字数制限のためカット 2010年5月29日)


5187,世間の捨て方 ー②

2015年05月28日(木)

               『世間の捨て方』ひろさちや著
    * 「がんばればよくなる!」の馬鹿馬鹿しさ
  〜二つの愚問、「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」〜
 この二つの愚問?を真面目に自問自答してきたが、これこそ、「世間の奴隷」
が発する問いかけ、という。「生きがいは、がんばれば出てくる」も似たもの?
我々は「幸せでなければならない」という考え方が、そもそもオカシイとは、
面白い切口である。   〜以下が、考えさせられる (P36)〜
≪ 「永遠のものなどない」が仏教の基本的な考え方です。仏教では、この世
 のすべては常に変化していると考え、どんな世の中も滅びるのは当たり前。
「日本は滅びない」と考えるほうが不自然なんです。『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますが、この「諸行無常」
ということばに、仏教の考え方が端的に表現されています。
「すべてのものは常ではない」、つまり「あらゆるものは永遠の存在ではあり
えない」ということを述べているわけです。「永遠の存在がないとしたら、
この世の中は何なんだ?」と誰もが疑問に思うでしょう。そんな疑問に対して、
聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と述べています。「世間虚仮」の「虚仮」
というのは、字を見て分かる通り、「虚ろであり仮のもの」という意味。
「おれをコケにしやがって」という、あのコケの語源です。早い話が、わたし
たちが生きている世間は「嘘偽り」だというわけです。そして、「唯仏是真」は、
ただ仏だけがまことであるという意味。これが仏教の基本線ですむ世間が虚仮
であるならば、世の中をよくしようなんて、思わないことが大切です。
 ・・「いい世の中にしよう」なんて、仏教の教えに反する行為です。
世間は嘘偽りなんですから、それを良くしようなんて思わないことです。
『法華経』というお経では、この世の中は「火宅」であると記されています。
私たちの住んでいる全世界は火事になっているという。燃えているんだから、
さっさと逃げ出しなさいと『法華経』は教えているんです。「世の中を良く
したい」という人にしてみれば「火宅だったら、それを消してやろう」という
のでしょうが、それは馬鹿げています。大火事なんですから、消火活動なんて
やっていたら焼け死んでしまうじゃありませんか。せっかく『法華経』がいい
ことを教えてくれているのですから、それに従いましょうよ。問題は「自灯明」
です。お釈迦さまは、自分自身を灯明にしなさいと教えられたのです。これは、
自分に自信を持って歩めという意味だとも取れます。しかし、それよりも
「世間の奴隷になってはいけない」と解釈したほうがはっきりとします。
わたしたちはあまりにも世間のことを気にしすぎるきらいがあります。
世間の人の平均や流行に常にとらわれていて、自分が世間でどう評価されている
かが気になって仕方がない。でも、世間なんていい加減なものだということは、
さきほど述べた通りです。「世間の奴隷になっていては、自分というものを
失ってしまうよ」とお釈迦さまはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」と自問
自答しながら暮らしてしまいます。でも、そうしたことを考えること自体、
世間の奴隷になっている証拠です。「幸せ」「生きがい」を求めるのは、
自分で手枷足枷をはめて、進んで奴隷の列に加わるようなものです。
つまらない常識にとらわれることなく、生きたいように生きたらいいんです。
勝ち組になったとか負け組になったというのは、単に世間の物差しで測った
結果に過ぎません。・・・ ≫
▼ TVのコマーシャルや、番組の根にあるのは、コンプレックスの刺激が、
 隠されている。健康食品、美容品、ファッション用品など、『世間では、
こういうのが流行しています。これを使って、カバーしましょう』と!
その手段として、最近ではタブレットPCや、スマートフォンが普及した
ため、逆に世間が、狭くなって、個々への締付けが日々、強くなっている。
世間虚仮も必要だが、その過剰は、世間体コスプレになってしまう。
・・・・・・
4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)
   * 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)
 リンチ? 実家に帰った時には首はガチガチで、半病人状態。当然だろう・・
それをみた両親が、四国旅行に連れ出してくれた。親は有難いもので、後先、
両親三人と旅行をしたのは、最初で最後の経験。 坂出でみた瀬戸内海の夕景は
今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に書いたが、ホテルの
部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返してくれた
ことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる
下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。
人間は独りでは生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。
独りになるとは、考えるための第一歩。それが分からないと、集団に埋もれ、
何も考えないで一生を終えてしまう。20歳前半に、その両極端な二年を経験は、
私にとって大きな行蔵になっていた。この一年間は、過っての学生時代の
4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。計算外の危機になった精神を
立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、整理する
ことが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきた
ベースは、この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。文章に変換する
しかなかったお陰である。書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかった
のである。フィールドワーク(現場)の現象の中に隠れている道理を、言語化
する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を読み、
実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を
大きく分類し、科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、
 大きな副産物としてついてきた。それが二年後の千城台ビルの建設用地になる。
これについて、以前にも書いた。千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため
住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉三人の一人が、そこに新築の
家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を購入し、
貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募した
ところ、当選。その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半
以内に、建設すること。ということは、二年半後に、私が、ここで何かを
始めることを意味していた。その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、
抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか考えていた。数年経って気づいた
ことは、予定挫折が、人生で必要ということ。そのプロセスで、必ず副産物が
付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。高度成長期も背景にあった
良き時代の真っ只中である。「捨石の節目時節の重要性」ということ! 
決断は独りでこそ。
・・・・・・
4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
        『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
 A・完全な呼吸法をする体位…40 B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)…
* 2日目 "足腰を軽快に
 A・膝を回す体位……54    B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
 A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
 A・膝で半円を描く体位……78  B・上体を反らせて、背骨をねじる体位 
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
 A・胸と脇を開く体位……90      B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
 A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)… B・上体を反らせる体位(腕を伸ばし)
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。
 他にも椰子の木のポーズ、ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、
一〜二人を除けば殆どがリピーターで、回を重ねる度に難度を上げていく。
この本に縛られることもないが、まずは従うつもり。SJでのヨガはエアロビ
感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを
取り入れれば、一寸したヨガの時間帯になる。次回から、上記の具体的な内容を
書きだしてみるが、実際に夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 
何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の積み重ねがある。
問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、
という気になれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。
4時起床で、早朝座禅とヨガね〜!冴え渡るが?
・・・・・・
2012年05月28日(月)
  * 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分二を
占めている。リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4〜5時間は
読書をするか、パソコンで随想日記の下書きを書いているか、iPadに向かって
いる。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、一時間に5分はお茶や
トイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半〜6時、9時〜11時半、夕方1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、
仮眠をしたりする。居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝の
ポタリング、スポーツジム、図書館、SCが中心になる。書斎といえば、
iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着けるシェルターの
役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても
自分の居場所ができるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろう
としている。東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれて
いるのが分かる。しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。
一年しか持たない首相が改革を錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階
となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が綺麗ごとを旗に権力奪取。
その繰り返しが代々続いている。覚めた目でみれば、その一連を分かってやって
いるから始末が悪い。国民がグローバル化した世の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマ
に落ちている。その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も
分からない。ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない
国民感情は日本も同じ。右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。
最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。
 ・・・・・・・
3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除きサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メール
ほどのところに雀がきてジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい
雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断した
のか飛んでいった。ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、
雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。
ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、
パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、
見直したが、やはり雀である。恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人
からも餌を貰って太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、
何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。私も近々に、
餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見られるが、
その国々で、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が
少なくなった・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 
ホテルの近くの公園を散歩をしていた時、野生の大ガンの群れの一羽に
クラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、私のところに押し寄せてきた。 
恐ろしくなり無我夢中で逃げたが、その時の恐怖は!早朝の朝靄の中の出来事
が幻想的な思い出として残っている。
  ・・・・・・・・
3350, 新型インフルエンザの総括
 2010年05月28日(金)
 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、
現在では話題にさえのらない。WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動に
マスコミが異常に騒ぎすぎた。一年経ってみれば日本だけが過剰反応。
街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、それが世界のマスコミに
報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する季節性インフルエンザの死者数
より少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で
東京文化短期大学学長の中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザ
の総括をしていた。
・新型インフルエンザの想定が鳥インフルエンザに対していた為に、強毒性
 の行動計画に大きく影響された。それが、感染者が一人でも出た時点でも
 都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、集会の中止がした。これが過剰反応
 という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、カナダの
 10分の一の死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、
 直ぐに受診する必要性を国民に訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。他人に感染させない
 ためのマスク着用も大きく影響した。「うがいと手洗い」を多くの人が
 積極的に行ったことも影響をした。
▼ 以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザ
 の予行練習とみれば、決して過剰ともいえなかった。その時の教訓が、この
騒ぎの中に多く含まれている。これは国家の非常事態であり、自衛隊の役割が
大きく求められる。この騒ぎのお陰で30年近く毎年行っていた海外旅行を
急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。これで大儲けをしたのは製薬会社。
現在でも、何か?大きな疑問が残っている。当時のマスコミの対応も異常
であった。マスコミも、このことを総括したのだろうか?
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 2975, 縁は異なもの
 2009年05月28日(木)
  「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、
 しかも最後がどうなるかわからない。白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。
 それで90歳になって精神が現われる・・ 現われないかもしれませんから。
 連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。
 「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」『徒然草』の一節についてで、
 それまで私は「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは
 造れない」というふうに思っていたわけ。でも違ったの。その方は
 「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に 薄くなり、
 もはや用に立たなくなった頃、はじめての真価が発揮される」という。 
 ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。
 本当に鈍い刀を磨いでもだめ。いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロン
 に柔らかくなるんですよ。兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも
 書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は「鈍き刀」じゃ
 ダメなんです。それが良くわかったの。
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 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい
言葉の剣先が鋭い。鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて
磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ よき細工に使うことが出来るという。 
言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、凄いことをいう。 
芸道や能力のことを言っているのだろうが。
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2611, サルトルについて、考えてみる  −2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。
読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。当時はピンと
来なかったことも、今では納得する。経験は、「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付け
考える。人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では
「ない」ということなのだ。たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、
窓の外の木ではない。サルトルは、人間が「世界に関わる」というあり方を
しているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。言い換えれば、
人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。人間が
「世界と関わる」ということは、人間が「世界との間に裂け目を作る出す」こと
だと考える。サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。
ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、
「さけ目そのもの」ということだ。意識としての人間は、いわば世界の中の
裂け目、世界の中の無である。それは、意識が関係する片方の「モノ」ではなく、
「関係」そのものであり、外部の世界への「矢印」そのものである。・・
「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく「自分自身に対して」
も裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。人間は、常に過去の自分から
脱出して新しい自分になっていく存在である。過去と現在を乗り越え、未来に
向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
▼ 解)人間の意識が、世界と関わると、その世界の間に裂け目をつくりだす。
それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。
過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、
 色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。
 (字数の関係でカット 09年05月28日)

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