堀井On-Line



5166,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜①

2015年05月07日(木)

   * 心は科学者か弁護士か
 心理学者いわく、《 真理にたどり着く方法は二つある。科学者の方法と、
弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し観察結果を説明できる理論
をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論から
スタートし、それを裏づける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けよう
とする。人間の心は、科学者と弁護士の両方で協力するようにつくられている。
つまり、客観的真理を意識的に探し求める存在であるとともに、信じたい事柄を
無意識に熱を込めて主張する存在でもある。これらの二つの方法論が競い合う
ことで、わたしたちの世界観は形づくられている。》
▼ 科学者が帰納法、弁護士が演繹法、と解りやすい事例で説明したもの。
これから引出されるキーワードが、判事。正・反・合の合である。居酒屋など
での誹謗中傷は、ヤリ玉の対象を酒の肴に、内なる科学者、弁護士、判事が、
掛けあいで肴に談義すること。心の中では、自分を正当化する弁護士が有利だが、
誹謗中傷では、判事が絶対優位に立つ。他愛のないものだが、それが、その連中
のレベルの内容で、そこの子狐の役回りが仕入れたネタに尾ひれはひれをつける。
それらをヘドロという。その意味では、城下町はドブ沼そのもので、そのガスは、
強力な破壊力を持つ。だから、近寄らないで、ここまできた。実は、そのガスで、
自分自身が殺されていることさえ分からないため、断絶の時代の中で、烏合の衆
として生きるしかない。その老いた醜悪が増長し、周囲を悩ます材料になる。
 そういう人たちの初老性鬱病(良い人仮面病)ほど哀れなことはない。何せ、
一生をかけて偽善の仮面を被り生きてきたのだから! 露悪でいくか、偽善か?
・・・・・・
4801,閑話小題 ー朝日新聞デジタル
2014年05月07日(水)
  * 朝日新聞デジタル版
 以前から、迷っていた朝日新聞のデジタルに加入。
現在のキャンペーン中に、申し込めば新聞代プラス500円の追加料金で済む
(平常は、千円)。別にパソコンで見る必要もないと思ったが気になっていた。
最低期間が半年で、月初めなら、その月が無料で7ヶ月間なら、試してみる
価値があると判断した。で、三日経ったが、これが正解。記事の一つを
クリックすると、そこだけがクローズアップする。更にテキスト記事に転換
可能で、スクラップも出来る。間違いなく、新聞紙を手にとって見るより便利。 
これがプラス500円ならお勧め。朝食前後に、一度、全体のページに目を通し、
昼飯か、夕食時に、印象に残ったところを、いま一度、目を通していたが、
スクラップは、ほぼすることはなかったが、これからはする!また、一日単位
でタブレットなどにダウンロード出来るので、ネット環境が無くても、持ち
運び見ることが出来る。 また家庭内の他のパソコンからも、手軽に記事に
目を通すことが可能である。現在の私は、書斎と寝室にいる時間が多いため、
何度も、気楽に、記事に目が通せるところが良い。実感で、読む時間が
今のところ、二倍になっているが、数ヶ月後には3〜4倍にはなるのでは? 
ページ一覧も可能で、一面、社会、政治、経済・マネー、国際、スポーツ、
カルチャー、オピニオン、などから、記事を拾うことが出来る。紙面が、
そのまま、ビジュアル化して見ることも出来る。 その文字の大小も選択
できるところも良い。紙の新聞を見た後に気楽に読むのに最適ということ。
これまで30分読むか読まないかだった、iPadか卓上なら、プラス30分ぐらいは、
読むのでは! 日中、居間と書斎と寝室のTVとパソコンの間を流離う身に
とって、紙聞紙の持ち運びから解放されるのは、大きい。加入を家内に告げると
、まず大きく拒否反応を示したが、これは何時ものコース。一番、これを
読むのは間違いなく、本人になるが、それが分かってない、何時ものコース。
今まで読まなかった、連載小説や、読者の声の、コーナーを早速、読み始めて
いる。新聞社も、紙面+デジタル版のカタチで生き延びようとするのでは。
月刊誌も、店売りの他に、宅配にして、デジタル版を100円+すればよい。
それなら「新潮45」か、「文藝春秋」を購入するだろう。 それにしても
デジタル版は良い! 他に、雑誌の幾つかが読み放題の「ビューン」に
入っているが、これも良い!
・・・・・・
4434, サードマン現象とは
2013年05月07日(火)
 母親が晩年になってから、たびたび「私には守護霊がいる。それは子供の頃
に亡くなった父親。何時も私を見守ってくれ、いざ何かあると、私を良い方向
に導いてくれる」といっていたが、気持ちの問題だろうと聞き流していた。
また先日亡くなった将棋の米長邦雄が講演で、「何時も父親の位牌を布団に
持ち込み、父に話かけていた」というのを聞いたことがある。 
 先日のNHK教育(PM7:00〜7:40地球ドラマチック)で、サードマン現象を
再放映していた 。これはジョン・ガイガー著「奇跡の生還へ導く人ー極限状況
のサードマン現象)をインタビューなどで編集したもの。で、その概要とは・・
◎ 9・11の世界同時多発テロで、ニューヨークのワールドトレードセンター
ビルに旅客機が二機衝突した事故で、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ
瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、どこからとも
なく聞こえた声に従い、突き進んで命を救われたとか。
◎ 多くの登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに初めて
 登頂したヘルマン・ブールを危機の中、励ました声。
◎ アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ、人類初めての単独飛行をした
 リンドバーグを支えた声。
◎ アメリカの宇宙士が極度の緊張の合間の休みに神のような何かの存在
 を感じたとか。生命の危険にさらされた苛烈な環境の時、自分を奮い立たせる
 声を聞く能力が備わっているというのが「サードマン現象」といわれ、その
「第三の人物」は、その極限状況を克服するために精神的な助けをしてくれる。 
 この現象は、かつて神や守護天使とか守護霊として受け止められることも
 多かったが、現在、それを人間の生理的・心理的機構が生み出した幻だとも
 いわれる。過酷な極限状態において発動する右脳の原始的?スイッチの感じ。
 知らない誰かや父親、自分自身、守護天使、などがそこに存在する感覚という。
 脳は危機的な状態や生命の危機が起きたり、体験すると「潜在的脳力」が働く。
 私たち人類の先祖は過酷な自然の中で、獲物を狩ったり果実を採取してきた。
 20万年前の人類の先祖は「サバイバル」の極限の中で、恒に「サードマン現象」
 が起きていて、これらの遺伝子が先祖代々受け繋がられ、現代人にも存在して
 いると、考えられる。以前は450年前の先祖の堀井宗親という仮身を、現在は
「地球の中心点」を擬人化した「球芯様」と、両親の霊を話し相手にしている。
 それは自分の魂の仮身である。 この「球芯様」、最近は、ヨガの最中とか、
 夜半のベッドで囁きかけてくる。それが、思いもよらない問いかけをするから、
 面白い。 また、幾つかの創業の時など、極限の状態に自分を置くと、何故か
 異常な力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力というか、底知れない力が自分の
 中心から立ち現れくる。原始的、動物的知恵と力で身体も心も浮いたように
 勝手に動き出す。誰にも経験があるはずだ。 以前、家内が世田谷と同じ面積
 のある、ポンペイの遺跡で、迷子になってしまった。それも日が暮れる直前。
 警察は来るは、遺跡のスタッフが総出で捜索に当たるは、現地ガイドと添乗員
 は、青くなって駈けずりまわった中、色々あって本人は一時間先にあるホテル
 に何とか帰りついていた。何かの折に書くが、いざとなると、異常な力が
 湧き出るということ。 サードマンを創って話相手も面白い、是非お勧め!
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4060, 要は、受け止め方である!
2012年05月07日(月)
 人生、色いろ経験を積み重ねた後に過去を俯瞰すると、その行蔵はどうにでも
解釈できる。 ついてなかった人生としても、視点を変えれば、ついていた人生と
脚色出来る。受止め方次第で過去も現在も、そして未来も変わってくる。 
 中村天風は「全ての受け止め方を『積極一貫』にし、肯定的であれ!」と説く。 
人生は問題の山、その中心点が何か考えつくし無心に立ち向かうしかない。 
これからは、自分の人生を、どのように受け止めるかが人生の問題になってくる。
受け止め方を変えることは、行蔵の中の要素を仕分け直すことになる。それで、
これからの人生の方向を変えることになる。そのために記憶さえ変えるのが
人間の業。 それは行蔵の要素をどのように解釈するかになる。そこでも知識の
絶対量が必要になる。分別ない人間の身勝手な解釈では、ますます歪になろう
というもの。「運」があるか、ないかは、「運は自ら運ぶこと」と解釈すれば、
運そのものが意志の問題になる。運がない人は意志が弱いと解釈出来るというもの。 
「人生に起こったことは無駄のものなし」と、信じていれば、最悪のことも結果
としてプラス材料になる。 そうこう考えると無知は、それだけで罪の原因になる。 
知らなかっただけで、どれほど多くの失敗を重ねてきたことか。人類も私もである。
初めから自分のミッションを明文化しておけば、それが信念になり、途中経過の
失敗も成功も、受け止め方がハッキリしているので、ブレが小さく済む。 
おい方一つで、荷物も軽くなると、同じ。これからの日本は坂を転げ落ちる
ように衰退する。そこで何が必要か? 教育制度の再構築と、憲法改正。無理?
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3694, 自己を見つめる −16
2011年05月07日(土)
  * 幸福について (不幸について) ー3  
            「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、
この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。・・略 しかし、そのために、
人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないで
あろう。というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や
障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 
格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 
実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、それなりの自己
集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 
けれども、いかに精進したとしても、非力で有限な人間には、完全な意味での
幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているという
ことは、まだなすべきことを残しているということと同義である。
なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、
欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 
その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、憧れにみち、その実現
状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、
目下は自分にその充実がいまだ与えられておらず、また、あらゆる意味での
完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、
そのまま、不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きている
かぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、与えられず、叶えられず、
許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】
▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、
 二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。その人によって大かれ
少なかれ、不平不満、神経質、我執、理屈を言い張る部分を持っている。
それが膨張すると、周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな
要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。それは血筋、家系にも
関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 
それを乗り越えるのが、人生。そのプロセスこそ人生である。そう割り切って
しまわないと、冷静に立ち向かうことができなり、破滅が待っている。  
 ・・・・・・・
3329, 草食系で何が悪い!
2010年05月07日(金)
 昨夜のNHKのゴールデンタイムに「草食系で何が悪い」というテーマで
激論を交わしていた。現代の若者と、社会の一線にたっている人たちの議論。 
見ていて食い違いがあまりに大きい。我が家も含めて、何処の家庭の親子の
食い違いも、こんなものだろう。 現実世界の将来を見出せない若者、現代の
若者にはネットという別世界があり、自己実現がネットの中に存在している
のである。なぜ現実世界の中の価値観に縛られなければならないのか? 
そこでは、明るい未来が抱けない、という彼らの立場もある。とはいえ、
彼らの相手は外国の同じ世代である。 それが現実世界の中で闘っている
人たちには見えている。 アメリカの間接占領による「日本の植民地化政策
による無能化の完成が、彼らの姿」である。 その自覚があるのかないのか。 
アメリカの補佐が実は日教組であり、更にいえば自民党であり、官僚。 
偏差値による選別教育の結果である。 
 ーまずは、NHKのHPから、この番組の紹介をコピーしてみるー
 * 日本の、これから「草食系で何が悪い 若者と語るニッポンの未来」
ー内容ー 車やブランド品、酒、海外旅行離れが進み、大人しくなった、
  内向きになったと言われる最近の若者たち。
  彼らの本音は? 日本の進むべき未来について語り合う市民討論番組。
ー詳細ー かつての若者のあこがれ、車・ブランド品・海外旅行に、興味を
  示さない20代の若者たち。「おとなしくなった」「内向き」
  「草食化した」などといわれ、欲がないように見えることから「悟り世代」
  といわれる。一方でブランドものに頼らない、環境や社会問題に関心が
  深い、地元に愛着を持って昔からの友人と長くつきあうなど、日本が
 「成熟」した証という見方もある。若者たちの本音は? 
  日本の未来について語り合う討論番組。
  ――
 長年かかって完成した現代の草食系若者、そう簡単に動物系には変えることは
不可能である。韓国、中国、ベトナム、インドなどの若者の目の輝きと、日本の
若者の目の輝きの差は、あまりに大きい。彼らは、日本が一番豊かな絶頂期に
生まれたが、大人に育つ過程が失われた20年といわれる時代背景の中で、
希望を持てと言われても、無理なのは分かる。 この数日、大前研一著の 
<「知の衰退」からいかに脱出するか?>の読書日記を書いているが、まさに、
大前研一と若者、の図式が、この番組に出ていた。10年、20年後の日本は暗い!
・・・・・・・
2954、ハゲタカ
2009年05月07日(木)
 連休の5月4,5,6日の3日にわたり、NHKで朝9時から二本ずつ
「ハゲタカ」というドラマを6本放送していた。日本のバブルの崩壊後に
アメリカのハゲタカファンドに荒らされが、去年の9月15日のリーマンの
倒産で、そのファンドそのものが崩壊してしまった。しかし、それまでは
世界を荒らしまくった彼らの実態の一部をドラマを通し垣間見るようであった。
 まずは、ー番組紹介ーから
ニューヨークの投資ファンド運営会社社長・鷲津政彦は、バブル崩壊後、不景気
に苦しむ日本に戻り、瀕死状態の企業を次々と買収する。敵対するファンドに
よる妨害や、買収先の社員からの反発を受けながらも、鷲津は斬新な再プラン
を披露し、業績を上げていく。企業買収、再生の真実を克明に描いた問題作。
▼ 三日間、このドラマと、その後のNHKスペシャルの「マネーはなぜ
 暴走したのか?」のセットに釘付けになり見たが、多くの示唆が含まれていた。
資本の論理からみてハゲタカが処理した企業が結果として、贅肉を削ぎ落として
再生した方がむしろ良かった?という視点もある。小泉、竹中の金融改革の功罪
をドラマ化をして考えさせられたということ。外資の投資ファンドがハゲタカ
なら、日本の大手の勝ち残った大手銀行は互いの死肉を食い合うハイエナと
例えることもできよう。(字数制限のためカット 2010年5月7日)
・・・・・・・・・
2590, イスラエルの話
2008年05月07日(水)
 長男が、イスラエルから帰ってきたので、その感想を書いてみる。
ー今回のツアーからの概略(私のインタビューからの情報)
・ツアーの会社は、新日本トラベル(現在は合併でエヌイーオーに改名)
・総員23名。半分が一人参加。本人を除くと全員が40歳以上。
 70歳代の夫婦が三組。男女の割合が半々。平均年齢50歳位。
・4月23日〜5月02日までの10日間コース。
・添乗員は40代のベテラン女性。 現地ガイドは日本系のイスラエル人。
・旅行の最中に日本人には一人も会ってないが、韓国人らしきグループが一組。
・現時点で、年間のイスラエルの訪問客は8000人。
・危機感を持つ場面は、ゼロ。しかし、ウズベスタン航空のサービスは最低。
 帰りのテルアビブからウズベスタンへの飛行中に、かなり厳しい乱気流に
 あって死ぬ思いの経験。
・一人参加のアップの加算を含めて、38万円。総額43万円。
・満足度は100点。
・テルアビブの飛行場と、エルサレムの街の緊迫感は、
 私から聞いていたほどではなかった。
 ーー
 以上だが、9年前の私の実感とほぼ同じである。9年前の場合は、
これにアブラハムが十戒をつくったエジプトのシナイ山があった。
これは強烈な印象が残っている。 イスラエルはインパクトがあまりに強い。
わずか四国の大きさの国土で、700万人の国が、存在としては大きく位置を
占めている。日本の大よそ二十分の一の国がである。 契約の概念はユダヤ
から出ている。神様との契約が、いつの間にか人間同士の契約にすり替わった
のである。ユダヤ人とイスラエル人は同一ではない。
一般的には、イスラエル人=イスラエル国籍を持っている人。
ユダヤ人=ユダヤ民族。と思われているが、ユダヤ人は
ユダヤ教を信じていて、両親のうち両方が何じゃらとか難しい決まりがある。
「ユダヤ人は選民である」という教えが、他の民族から忌み嫌われるのである。
多くの決まりがあり、ユダヤ教徒は、それを厳格に守るのである。
旧約、新約聖書のような物語と、その舞台が、そのまま一致しているのは
イスラエルしかないというが、異教徒?の目から見ると、尚のこと、
その特異性が、何とも新鮮で驚きをもってみることが出来るところである。
 ー以下は私の旅行記である。
 ーー
ーH1105イスラエル聖なる旅 
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。現地の
日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の
成果となった。関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
  (字数制限のためカット 2015年5月7日)


5165,閑話小題 〜一昨日で、まる14年になる

2015年05月06日(水)

  * 一昨日で、まる14年になる
 この随想日記を書きはじめて満14年目になる。その頃、通勤途中の長岡駅裏
近くにパソコン教室がオープン、渡りに舟で通うことにした。予め、「私の希望
は個人のHPを開設し、続けることと、ネットサーフィンを楽しみたいこと」
と、ハッキリしていた。丁度、ブログなるものが普及を始めた頃でもあった。
満14年となると、2001年5月で、9・11テロの4ヶ月前である。この頃から、
ブログが普及を始め、携帯電話の高度化も含めて世界が一変を始めた。
毎日毎日、傍からすれば、どうでもよいことを、飽きもせず、書き続けた
ものだが、あれだけ文章化が苦手だったのが、日を追うごとに面白くなって
いった。人間は、誰もが自分の話を聞いてほしいもの。書き始めると、周辺の
人が、毎日のように見てくれるようになった。そのため、力が抜けなくなる、
それが最大の効果と気づいた。それならと、読書日記などを中心としたHPと、
何気ない思いを書連ねるブログに、分けることにした。書き続けていると、
その積み重ねの効果が実感できるのが良い。それと習慣の力を実感する。
月に1〜2度、この数日もそうだが、書くテーマが思い浮かばなくなる。
しかし、習慣の力で、14年も続けていると、その乗り越えかたが、身に
ついていて、馬鹿力が湧き出てきて、普段より面白い文章が書ける。
次の目標は、あと6年の、まる20年間になるが、生きているかどうか?
とすると、まず来年のゴールデンウィークが目標になる。
 毎年、この時期には同じような文章を書いてあるのだろうが!
・・・・・・
4800,年金破綻報道の罠 ー②
2014年05月06日(火)
        <世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>
                 ー細野真紘 (2014年の論点100)
  * 基礎年金と、厚生年金と、老後の預金
 あくまで年金は老後生活の資金補助の位置づけ、とは知らなかった。
まず、老後の預金に、基礎(国民)年金が加わり、最後に厚生年金が加わる。
これを40年にわたって、かけてきたかどうかで、既に老後格差が、ついて
しまっている。父親の代から、連れ合いに別立てで給与を与え、健康保険と
厚生年金をかけるのが当然のようにいっていた。それは私の知識・知恵ではない。
 ー以下の部分は、年金を分かりやすく要約してあるー
《 ◎ まず国の年金は、大きく2種類があるのです。 1つ目が「自営業者」の
 「国民年金」です。中小業者は定年がないため、60歳以降も収入を得ることが
 できます。そのため、年金をもらうための保険料は(会社員などと比べると)
 安くなっていて、給料を預貯金に回せる割合が多くなっています。その老後
 にもらえる「国民年金」は満額で月6万6千円程度。つまり「自営業者」の
 ための「国民年金」は、「弁当」でいうと保険料を安くして、老後は最低限の
 「お米」だけもらえる位置づけで、「おかず」については60歳以降に働いた
 お金で買ったり、それまでの貯蓄で買ったりできる。
◎ その一方、「会社員」の場合は定年退職のため、定年以降は、収入を得る
 ことが難しくなってしまいます。そのため、会社員の場合は、現役時に(自営
 業者よりは多めに保険料を払うことで、国から「厚生年金」を死亡するまで
 受けとれることになっているわけです。これは「弁当」でいうと、会社員は
 定年があるので、現役時に(自営業者より)多めに保険料を払い、引退後に
 死亡するまで、国から「おかず付の弁当」をもらえるようにするものなのです。
 その「厚生年金」は月16万円程度となっています。合計で22〜3万になる。
 ちなみに、公務員の場合も会社員と同じ定年制になっているため、「共済年金」
 は「厚生年金」と同様に「おかず付の弁当」となっています(厚生年金と共済
 年金は分ける必要性が乏しいため、一元化する方向に向かっています)。
◎ 今では日本は「世界一の高齢化率」で、世界で最も65歳以上の割合が多い国
 となっています。そして、国の年金制度は仕送り方式なので、「将来は年金が
 もらえなくなる」という声がよく聞かれます。そこで、「現在の少子高齢化で、
 年金は破綻する」という論を考えてみましょう。まず、日本も含めて世界の
 先進国では、基本的に国の年金は、個人が自分のため蓄える「積立方式」
 ではなく、現役世代が高齢世代を支える「仕送り方式」です。そのため、
 テレビなどでは図表を使い、もっともらしく"年金破綻論"が展開されている。
 「今の年金制度は仕送り方式で、2010年現在では現役世代2・6人で高齢者1人を
 支えている騎馬戦型が、高齢化のピークの40年後には現役世代1・2人で
 高齢者1人を支える肩車型になる。こんな仕組は破綻する!」 これは一見、
 もっともらしく思えますが、実は単純な「ひっかけ問題」にひっかかってしまう。
 まず、国の年金制度は「仕送り方武」ではあるのですが、この「仕送り方式」
 にも「ひっかけ問題」が潜んでいて、多くの人は「これまでの保険料が、
 すべて高齢者の年金に支払われている」と錯覚している。ただ、現実に、
 そんなことになってなく、かっての現役世代が多かった時の保険料については、
 きちんと今後の年金の支払いに備えて国が「年金積立金」として保有してある
 わけです。そして、なぜ日本ではこのように極端な人ロ構成になっているのか、
 というと、「団塊の世代」の存在などの特殊要因があるためで、そのため
 「年金積立金」も世界一の水準にまでなっているのです。さらに年金の財源は、
 保険料だけではなく、あくまで「国の保険の仕組み」なので、財源として
 「税金」も入っているのです。 》
▼ ネットで積立残高を調べてみると120兆円あったが、問題は多くが日本国債に
 ばけていること。また、年金支払に税金も含まれていることは全く知らなかった。
だから、さほど心配する必要がない? 私の場合、家内も厚生年金に40年近く
入れていたので、合計で税込で350万(税抜きで300万余り)。持出しが
家内の預金から年間で??万になるが、地方もあって生活には不自由はない。
欲しいものや、旅行も、外食も、現役時代に十分、楽しんだため、TV番組で
追体験をしながら見ていれば充分。 中小企業者や個人営業の場合は、別立て
預金は当然のことで、敢えて言うことでもはない!でも、周辺で、してない人が
多い? また、保険屋と証券屋に騙されていたことすら気付いていない? 
他人事ではないが。今さら年金の話題に熱中するようじゃ、B層もいいところ? 
まあ、面白いが!
・・・・・・
4433, 閑話小題ー次のグーグルの新製品が面白い
2013年05月06日(月)
   * 次のグーグルの新製品が面白い
 ニュースでグーグルの次世代端末「グーグルグラス」を紹介していたのを
Youtubeでみたが、これは面白い。メガネのフレームの上部だけの柄に
超小型カメラがつけ、視線が、そのままネットの生中継で世界に配信される。
見知らずの人の視線が、そのままリアルで見れる面白さは格別。これは視覚の
ツイッター。「カメラ、ビデオ」と発音すると、その機能が立ち上がり自動撮影
するという。これをグーグル・アースに繋げると、アフリカや南米のある地域を
クリックし、見たいシーンを打ち込むと、誰かの目線が現れ出てくるのだろう。
ジンバブエのバンジージャンプが見たいといえば、飛び降りる画面を生で見る
ことも可能に? 日本橋三越本店の客か、店員の目線のアクセスも可能になるはず。
日本で売り出されるのは来年辺りだろうが、これが当たり前になるとしたら、
まさにSF世界。 いや現在もそうか。他のメーカーも、こういう類の情報端末
が出してくるはず。情報端末の進化は止まることはない! 良いのか悪いのか?
   * 何歳まで生きたいですか?の質問に
 ある調査で、「あなたは何歳まで生きたいですか?」の質問に、60歳未満が
8・5%、70歳未満が15・1%、80歳未満が31・1%、90歳未満が54・1%、100歳
未満が60・9%、百歳以上が僅かに9・3%という。更に150歳以上は6・5%。
私なら、90歳未満と答えるが、酒の飲み過ぎで無理。それにしても意外な結果。
神様がいたとして、「幾つまで生きたいのですか?希望を重視しますから」と
問われたら、やはり90歳と答える。「寝たきりでも良いですか?」と問われれば、
躊躇する。元気が前提、いや絶対条件になる。死ぬまで10年間は、何らかの形の
介護を要するというから、80半ば?これだけ面白い情報が手軽に入手できる時代、
出来るだけ長生きしたいが、「生老病死」の苦痛を考えるとどうだろう? 
不摂生もあり、せいぜい7〜8年か。
・・・・・・
4059, つれづれに ーネット社会の現在
2012年05月06日(日)
  * 飲食店の漫画の棚 ーデジタル本の世界
 喫茶店や中華料理店のランチの楽しみの一つに、本棚の週刊誌か月刊誌を
読むことがある。 最近、店内に入ると、iPhoneかiPadで、その店が
契約したネット上の本棚にアクセスして色いろの雑誌を読むことが出来るという。
店は一月7000円を業者に支払えば店内のネットで雑誌が見放題になるとか。
よく考えるものである。前回、70冊の蔵書をデジタル化にするため業者に
依頼したが、先日、久々に、そのHPを見たところ、デジタル化した本を
月980円で見放題のサービスを始めていた。 漫画が中心とあったので、
契約はしなかったが、これも面白い企画である。現在、私が契約しているのは、
朝日新聞のデジタル版と、朝日、毎日の週刊誌など数十冊が読めるビューン。
朝日のデジタル版は月1000円の加算。ビューンは月480円。 もちろん
有料でアクセス出来るブログがあるが、写真集のデジタル本に有料でアクセス
出来るのがある。幾つか買ってあるが、次々に更新されているのが良い。
  * スマートフォンと、タブレット
 現在、スマートフォンが爆発的に売れているという。iPhoneが初めて
売り出された時に買ったが、画面が小さすぎて、インプットに戸惑って使いこなす
ことが出来なかった。そこで学んだことは、二代目以降の機種変更になってから
購入すること。それもあってiPadは、二代目のiPad2になってから買う
ことにした。スマートフォンが爆発的普及は、携帯電話が世の中を変えたように、
世の中を更に大きく変えるだろう。 それはゲームや、ブログ、ツイッターなど
書き込みや閲覧の端末にも使える。小ささが逆に便利な場面で有効になる。
電車や、車の移動とか、昼休みに何処にでも持ち歩けるからだ。何ども書いて
いるが、現在、普通の携帯電話とiPadを使い分けている。PCは居間の
TVの前と、仏間の書斎コーナーにiMac一台ずつ、とiPad、合計三台
を使っているが、その使い分けのバランスは非常によい。これに読書とTVと、
ペットのインコとくれば、お宅そのもの。図書館と、スポーツジムと、早朝の
ポタリングと、週二日の近くの店のランチで息抜きをしているのが日課。 
これまでのスリルとサスペンスのストレスが少ないのが、逆にストレスである。 
 ・・・・・・・
3693, 自己を見つめる −15
2011年05月06日(金)
  * 幸福について (不幸について) ー2  
                「 自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 不幸は、その出来事の客観的説明の当否のいかんを越え、また、その人の
 主観的資質の鋭敏さの度合いのいかんを越えて、その人に、いやおうなく襲い
かかる絶対的事実である。 不幸は、その人の時間的歴史的な人生遍歴の過程の
なかに突如、痛苦を与える刑罰として立ち現れる、不可抗的な不倶戴天の敵。
不幸とは、その人を根底から震憾させる苦悩の化身である。そうした不幸は、
この世の中のいたるところで、不運、事故、災難、災害、病気、心痛、貧困、
労苦、不遇、虐待、軋礫、失敗、挫折、対立、不和、紛争、戦争などの種々
様々な姿において、たえず出現の隙を窺っている悪夢である。したがって、
不幸は、ものの見方を変えることによって、消去したり、転換したりすることの
できるような、たんに主観的な事柄では断じてない。それは、深刻な苦難として、
この世の中に、乗り越えがたい障壁の姿で、厳然と存在する。それゆえに、
こうした不幸においては、何よりも、その出来事が、その人にとって、この上
なく不当で、許し難いものとして感受されるという点が大切である。
なぜ、自分は、このように、辛く、苦しい、耐えがたい悲惨や屈辱や困難を
課せられねばならないのか、どうして、自分は、このように、見捨てられ、
罵倒され、除け者にされ、迫害される憂めに会ねばならないのか、と、いくら
自問しても、その理由が分からず、ただひたすら、苦悶し、絶望するところに、
不幸と苦悩の本質があるのである。そのことは、旧約聖書のヨブ記のなかに
典型的に示されているとおりである。善人のヨブは、あるとき、理由もなく、
身の毛もよだつような苦難と不幸のすべてに襲われ、ついに、ヨブは、神を呪う
ほどの絶望と絶叫のなかに陥ってしまう。こうしたヨブの心境こそは、この世の
不幸と苦難に逢着したすべての人間が抱く感懐であり、苦悶であろう。・・・】
▼人の間で生きている人間は、他者と自分とを比較し、色々憶測する傾向を持つ。 
従って、大小種種の、不平不満、卑下慢心、確執や争いが、あらゆるところに、
絶え間なく起こる。 それは絶えず、出現を窺っている悪夢であるが、一度、
檻から出たら、本人とて抑えることが出来ない猛獣として暴れまわる。それが
他虐になり、次に自虐として、深手を負うことになる。ニーチェが度々引用した
ように「難破しながらも、よく航海したものだ」と授戒することが出来た人なら、
直ぐに次の新たな取り組みをすることができる。 しかし、意志薄弱者は、
ただ恨む対象を探し、そこに執着し前進が出来なくなる。その辺のことが理解
できないのは、それまで生きてきた中で経験を消化してこなかったことに
由来する。不幸は自分で招くこともある。
 ・・・・・・・
3328, HPを開設、10年目!
2010年05月06日(木)
 一昨日で、このHPを開設して10年目に入った。旅行中も出発前に書きだめ
をして、会社の人に頼んで書き込んできたので、ほぼ休んだことはない。時どき
スランプになるが何とか続けてきたが、書きあげる重要性が日ごと分かってくる。
一つのことを続けると、その習慣が自分自身になる。ここまでくると、私の精神
というより、魂の中核になる。HPではレポート用紙で15枚分までの字数の制限
があるので、数年前から毎日カットせざるをえないが、身を削るようで辛い。 
それだけエネルギーが入っている。第三者の目を意識しながら、自分の思いの倉庫
(墓場?)として、その時どきの、浮かんだ思い、習得した知識、面白そうな情報、
潮流を書き出してきた。 あと一年で10年になるが、書きたいことは書き出した
つもり。 その時どきの時節のメルクマールとして、情報タンクとして非常に
有効になっている。また毎日、過去分の同月同日に書いた内容を読み返すことが
できるのが一番のメリット。「書きだめをして何になるのか?」といわれても、
返す言葉はないが、これが魂の中核なのだから、中心点に向かって一日2〜3時間、
気持ちを集中し続けている、それが全てである。絵、俳句など、それぞれ人に
よって違うが。 まず文章のテーマを考え、情報を集めて、書いて、何度か修正
するプロセスが考えるということ。いま書いている文章の読者は、未来の自分で
あり、過去から現在にいたる因縁ある人であり、新たな因縁のある人。
文章を書き、それを公開するのは恐ろしいところがある。 自分を曝け出して
しまうからである。 今さら、仕方ないだろう!と、何度呟いたことか。 
書き上げて、アップロードした瞬間に、見事なぐらいに内容を忘れてしまう。
気持ちが入るほど、そうなってくる。したがて一年ごとに、その内容と出会うと、
驚くことしばしば。 数年前の今日こんなことを考えていたのか、こんな本を
読んでいたのか、こんなことに出会っていたのか、等々に驚かされる。
それは既に過ぎ去った過去の自分。(字数制限のためカット 2012年5月6日)
 ・・・・・・・
2953,人はどうしてオヤジになるか? −3
2009年05月06日(水)
 * オバサン前段階のアラサーとアラフォー
   ―女の最後の輝く時ー
 最近、アラサーとアラフォーという言葉がマスコミで目に付くようになった。
40歳前後の女性を指してaround 40を略してアラフォーという。日本的風土では
働く女性は「仕事と結婚」の両立が大きな問題になっていた。しかしこの世代は、
男女雇用機会均等法のもとで社会進出を果たし、自由に選択できるようになった。
しかし、これが人生の転機を遅くさせ、大きな問題になっている。アラフォーは
アラサーから派生した言葉。 アラサーとはaround 30を略した言葉で
「30歳前後の女性」を指す。2005年の女性誌が使ったことから広まった。
彼女らは90年代中頃にコギャル文化を体験しており、団塊ジュニアに続く世代
区分としてアラサーを用いるようになった。それに次いで登場したアラフォーの
概念で、1964年から1973年に産まれた人となる。40歳前後は、オバサン化するか
どうかの瀬戸際である。もう一度女として花を咲かせるかどうかの?20年ほど
前になるが、ある大手の保険代理店の支店長が言った言葉が印象的だった。
「女性の一番美しいのは40歳前後。その年頃の女性は人生の分かれ道、何とも
いえない色気が沸きあがっており、危ない時期でもある。彼女らとは塀の上で
仕事をしているので、一つ間違えると塀の向こう側に落ちてしまう」そういえば、
スナックなどのアルバイト女性に、その頃の女性が目に付くが、なるほど色気が
満ちている。しかし45歳を過ぎると同時に、坂道を転げ落ちるのように変化
するのも事実。 それにしてもアラサー、アラフォーとは、上手く命名したもの。
《そこのお嬢さん! 鏡ばかり見てないで(外装だけでなく)内装も手入れして
おきなさい!》最近は、兄さんにも言えるが!


5164,パレーシア 〜真実を語ること

2015年05月05日(火)

   * ソクラテスのパレーシア 
             〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 危険を冒しながら真実をかたること。これがパレーシアだが、とはいえ、
社会において、その実行となると難しい。このブログを書き続けていると、
己の程度を曝け出し、多くの人を揶揄し傷つけてきた。気遣っていてもである。
想定の対話の相手を、数年先の自分にしているが、後で読み返し、第三者の
目を想うと冷や汗が出ることしばし。しかし、飾っていたら、長続きをしない
ことを自分が一番知っている。 〜以下の箇所は、哲学の本質を述べている。
≪ ソクラテスにとって最も大事なのは、相手をやりこめることではなく、
 自分の魂を磨くことであった。そのために命懸けで対話を行った。
この営みは「パレーシア」(真実を語ること)と呼ばれている。パレーシアとは、
危険を冒しながら真理を語るという実践を意味するギリシア語。ソグラテスが
裁判の際に立ち向かったやり方が、まさしくこのパレーシアである。
 たとえ心の中で真理が発見されたとしても、「私が思う」だけでは、それは
パレーシアとは無縁なのだ。パレーシアを通じた魂の鍛錬こそ、命のあるかぎり
やめてはならず、見返りを求めることなく、純粋な熱意に発した無償の責務で
あり、かつ、個人の内面的な人生訓にとどまるものではなく、結果的には他者や
共同体にとっても有益なものである、と考えられた。それゆえ、政治家になり、
ポリスを統治し他者の魂を気遣いたい者は、まず自分の魂を気遣うべきである、
とソクラテスは強調する。自分を気遣わない者は統治者としては不適格なのである。
ここには、身の魂の鍛錬に専心することが、他者や共同体を気導つことよりも
優先されるいという揺ぎのない確信が表明されている。 ・・(略)
ソクラテスの対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための(もしくは
認めさせるための)技術ではなく、相手に「問いかけること」、相手の主張を
「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この
「聞くこと」のための手法という点にあったのである。何かを「知っている」
から語るのではなく、何も知らないか、もしくは何ごともよく分かっていない
からこそ相手から何かを引きだそうとする。パレーシアの原点はここにある。
それゆえパレーシアとは「実直に語ること」ではあっても、単に一方的に
「包み隠さず語る」ということではない。ソクラテスのパレーシアは、政治家の
ように多数者に向かって語るものではなく、密接な一対一の関係が必要である。
またこの対話は、自分が主役としてふるまうのではなく、相手の話を引きだす
ようなやり方で行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分自身に
ついて語ることになる。 ここで、注意しなければならないことがある。
率直に語ること、もしくは相手の言葉に耳を傾けることは、後にキリスト教文化
ならびに精神分析においては、「告白」という形態をとって展開され、あたかも
地続きのもののように理解されることがある。だが、この両者は異なる。
パレーシアにとつて重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(つまり
論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。≫
▼ 成るほど、飽きもせず、連日、書き続けているのは、いまここの私が、
 数年先の、いまここの私に向け話している実感があるため。そして、近未来
の自分の感想を想定することで、私自身を見つめることになる。これを公開
するのは、あまりに危険だが。また、公開しないと続かない弱さもある。
・・・・・・
4799,よくもここまで騙したな
2014年05月05日(月)
   「よくもここまで騙したな これが[人殺し医療サギ]の実態だ!
       ーいのちを奪いながら金を奪うワンワールド支配者」
            船瀬 俊介 , ベンジャミン・フルフォード (著)
 以下の内容紹介だけでも、この書の半分は言い尽くしている?
あのベンジャミン。これぐらいでないと、面白くないが、医者の世界では、
今さらのこと? こういう視点も知っておいたほうがよい。ー内容紹介ー  
〜医療を殺人ビジネス化した者たちよ! 化けの皮はすでに剥がれている!
◎ がん患者1000人殺して一人前!
◎ 日本の内科医は1人平均1000人のがん患者を殺している
◎ 命を奪う、カネを奪う!  医者は完璧に白衣の殺人鬼、白衣の詐欺師!
◎ 日本の近代医学はどこをほじくり返しても詐欺とペテンと強盗と殺人だらけ
◎ 欧米医療というのは基本的に軍隊の医療
◎ 足を切断や伝染病の治療には欧米医療はいいが、糖尿病とがんといった
  慢性病のときは絶対に関わらない方がいい
◎ 漢方も鍼灸も食事療法や整体療法も弾圧された
◎ マッサージ、カイロプラクティック、サイコセラピー、
  ホメオパシーも弾圧された
◎ 自然治癒力をサポートして病気を治す伝統的なテクノロジーは
  全部弾圧され、薬物療法だけが生き残った
◎ 伝統療法は、金融マフィアによって保険対象外にされた
◎ 強制的に保険料を取って、自分たちの息のかかった殺戮医療マフィア
  にだけおカネを回すシステム
◎ 医療の問題は上に行くとラムズフェルド、ブッシュ、ロックフェラー
  らに行き当たる
◎ 医者に金も命も投げ出す崖っぷち日本人よ! 今こそ、自分の脳を疑いなさい
◎ 薬漬け、検査漬けの放射線大量照射に生物兵器の毒物注入まで
◎ 抗がん剤は元々は廃棄に困った化学兵器の原料
◎ 失敗する医者ほど儲かる /治す医者は失業  
◎ 医療は世にも不思議な失敗報酬の世界!
◎ 一番高い抗がん剤ペグイントロンは1グラム3億3170万円する
◎ マイクログラムまで薄めて使っても1回当たり何十万円、
  利益率は何万%にもなる
◎ 白血病はがんではない。 団十郎を殺した!?マイロターグという
  白血病の治療薬は、1グラム4800万円
◎ マイロターグは投与した患者の90・5%が死ぬ!  
◎ 輸血は人命を助けていない、むしろ殺している!?
◎ お年寄りが死ぬとわかるとここぞとばかりに点滴、投薬をやる香典医療
 というのがある。稼ぎどきならぬ殺しどき!
◎ 「現代医学の神は、唯一人しかいない、それは死神である」と
 ベストセラー書籍『医者が患者をだますとき』の著者ロバート・メンデルソン
 はいっている!  だから病院が営業停止中には死人が減る!?
▼ 少し?過激に思えるが、何度か目を通すと決して過激ではなく、こんな
 ものと気づくはず。医者にすれば、見送りの手助けだが、患者からすれば殺人? 
更に言えば、人間ドックや、健康診断が一般的に行われているのは世界で日本だけ。
先日、週刊ポストの広告見出しに、ー「血圧147は健康値」の怪奇ーがあった。
《人間ドック学会が健康診断の基準値を大幅に緩和。他に「総コレストロール
199ー>254」「悪玉コレストロール119ー>178」「中性脂肪149ー>196」など、》 
「これを元に、それまで飲んできた薬は何なんだ?」の疑問が起きて当然。
この変更だけをみても「健康人」を「病人」にして、薬漬けにする利権の闇が
見えてくる。医療行政と製薬会社の利益のため、一般国民が弄ばれている図式が
透けてくる。昔、父親が高血圧で何時も気にしていたが、当時、年齢プラス90が
目安と言う。ところが、5年前に医師から聞かされたのが130。
『これも、いい加減なので』と、言葉を加えていたが・・ で、健康センター
で測ってみると125〜160の間で、平均すると140辺り。父から聞いていた数値から
すると、私は158が目安。140は少し高めだが、これで良しと思っていたが正解。
これからして、医者は偉そうにしているが、詐欺、たかり、殺人集団?
・・・・・・
4432,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −4
2013年05月05日(日)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート3:自分の小ささを客観視する道ー「1億7125分の1と、70億分の1」
今度は、時間――宇宙と生命の歴史1についてである。世界の人口からみれば、
私は70億分に1。宇宙年齢からすると、人の一生は1億7125分の1の存在。そう
考えれば、深刻に自分の生き様など考えることはない。その自分の枠組も
勝手な定義でしかない。自分など何ということはない。 やっと、それが
理解できるのが最期の最期とくる。そのことが分からないから、
「死ぬのが怖い」のである。 ー まずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ すざまじく荒れ狂うひずんだ宇宙の中の、オァシスのような地球。
 光速で拡大することこそが普通である宇宙の中で、あたかも静かに見える
特殊で局所的な世界。そこに偶然生まれた人の命。なんとはかなく小さく特殊
な現象であることか。生命の誕生は、今から40億年前といわれている。 
地球誕生から6億年経った頃。霊長類が誕生したのは、6千5百年前。
現生人類であるホモ・サピエンスが出現七たのは25万年前。中国その他で
文明が誕生たのが今から6千年前(から9千年前)。そういわれても、どれも
大きな数字すぎて実感がわかない。そこで試しに、137億年前のビヅグバン
を、1月1日の午前零時、現在を一年後の12月31日の24時にたとえると。
つまり、宇宙の歴史を137億分の1に短縮してみると―― 
・ビッグバンは、1月1日午前零時 ・地球誕生は、8月30日 
・生命の誕生は、9月15日 ・霊長類が誕生したのは12月30日午前
 6時26六分(新年まであと1日と約18時簡) 
・原生人類のホモ.サピエンスが出現したのは12月31日午後11時50分 
・中国などで文明が生じたのが新年まで14秒前 
・人間の命は、80歳まで生きるとして、0・18秒。宇宙の年齢の、1億
 7125分の1。ちなみに、宇宙の直径が274億光年、人間の身長が
 170センチだとすると、人間の大きさは、宇宙の大きさの1・44×10
 の25乗分の一というとてつもない小ささだ。それに比べ人間の一生は、
 宇宙が経た時の1億7125分の1。時間の差は、空間の差よりもはるかに
 小さい。これは意外な気もする。1億7125分の1とは途方もなく小さい
 とお思いかもしれないが、地球の人口は70億人。あなたの心は、地球上に
 ある人間の心の70億分の1に過ぎない。一億7125分の1はそれよりも
 約四十倍も大きい。意外と宇宙の中での人間の一生も長いという気がしないでも
 ない。とはいえ、宇宙の年齢を一年にたどえると、人間の一生は0・18秒。≫
▼ 前にも書いたが、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している
 可能性があると知って世界観が変わった。上記のことすら、問題にならない。
ケセラセラだが、当面、死ぬまでの生活もある。一日一回、このような壮大な
宇宙と、その中の自分を考えればよい。象を世界に、その皮膚の間に住む寄生虫、
70億分の1の自分。その象も、この宇宙からみれば、10の500乗の宇宙
からみれば、チリですらない微細の存在。だからこそ、生きているうち!
・・・・・・
4058, B層の暴走と価値の錯乱
2012年05月05日(土)
 二年前の5月2日にー3324, 「B層」という「IQ]が低い人々ー 
という文章を書いていた。(3日前の、ここにある)
 ところが昨日の産経新聞の一面の【賢者に学ぶ】「素人の暴走と価値の錯乱」
で、このB層の人たちを取り上げていた。選挙対策として、この層を的にして狙い
打つには問題がない。しかし、彼らB層の価値観を押し付けようとする機運が、
全体を導き始めたため、社会が混乱を始めてきている。その危険な状況を
理路整然と論じた問題提起が以下である。
【賢者に学ぶ】ー素人の暴走と価値の錯乱ー(哲学者・適菜収)産経新聞5月4日
≪ ・・19世紀ドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」と言った。その意味は、
 西欧において 価値の根拠とされてきた《神の視点=普遍的真理》を設定する
ことが理論上不可能になったということだ。にもかかわらず、《神》は平等主義や
民主主義といった近代イデオロギーに姿を変えて私たちを支配している。その根底
にあるのは「神との距離において人間は等価」という信仰だ。近代大衆社会は
こうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なものを破壊する。 
また、《本当に価値があるもの》《偉大なもの》《美しいもの》は貶められ、
《つまらないもの》《新奇なもの》《卑小なもの》が評価されるようになる。
その結果、芸術家気取りのゲテモノ、半可通、あらゆる領域における素人が権力
をもつようになってしまった。テレビの音楽番組では、芸術の対極にあるジャリ
タレが「アーティスト」と呼ばれ、ワイドショーでは有象無象の評論家が専門外
のトピックについて無責任なコメントを垂れ流している。こうした価値の錯乱の
上に成立するのが《B層文化》だ。前回も述べたように《B層》とは平成17年の
郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに
踊らされやすい知的弱者、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す。 
この《B層》が現在消費者の主流になっている。そこでは大企業のエリートが
マーケティングを駆使し、大量の資本を投入することで《B層》の琴線に触れる
コンテンツを量産している。 ・・ニーチェは言う。「畜群人間は、例外人間や
超人がいだくのとは異なった事物のところで美の価値感情をいだくであろう」  
畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》
は、圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。
そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ。
ありとあらゆるプロの領域、職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を
導こうと決心する。これこそニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的姿。 
与党政府も素人に陥落されつつある。前防衛相の一川保夫は「(自分は)安全
保障の素人」と誇らしげに語り、続いて防衛相になった田中直紀は素人以前の
「ド素人」だった。 閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が急速に
進んだ背景には、《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という
問題が潜んでいる。
▼ 恐ろしい末期現象に日本は置かれている。その一つにマスコミが流す
 世論調査がある。世論の大方を占めているのがB層の人たち。彼らは質問で、
どのようにも誘導可能。政治のトップ判断の重要事案に、それを使い権力を
駆使する。その背後に、アメリカの巧妙な誘導が見え隠れする。B層が
「近代的諸価値を妄信する層」なら、過っての?私も当然、その層。
この10年、哲学に目覚め少しは盲信から抜けてはきた、しかし森林は
面白かったが・・で、サバンナでは?この蓄群が屯する。
 ・・・・・・・
3692, 自己を見つめる −14
2011年05月05日(木)              
  * 幸福について ー1  「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 私たちは、幸福であるとき、その幸福をあまり感じない。不幸になった
 とき、私たちは、初めて、自分に幸福が失われていることを痛感、深く傷つく。 
幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
失われた桃源郷である。幸福は、不幸という現実のなかで、初めて見つめられる
幻影、そして追い求められる夢、切なく慕われる理想である。ダンテが歌った
ように、「幸なくて 幸ありし日をしのぶより なほ大いなる 苦患なし」
である。否定的な状況のなかで、肯定的な状況に憧れ、それでいて、その達せ
られない悩みをかこつというのが、人間における幸福と不幸の相貌である。 
幸福と不幸は、離れ難く結びついている。人間は、不幸の現実を直視しながら、
嘆きと悲しみのなかで、幸福を思うのである。望みをもたない人間というものは、
存在しない。 人間であるということは、何らかの願いを胸に抱き、その実現を
希求し、その願望の達成を欣求し、そのために励むということである。何らかの
目的を定め、それに向けた自己拡充において、その可能性から現実性への転換と
具現を冀い、そのために熱い胸を躍らせるというのが、人間であることの根底を
形作っている。してみれば、現在の欠如状態から、いつの日にか将来の充実状態
へと、恋いこがれる熱情は、人間にとって本質的である。そうだとすれば、
欠如状態としての不幸と、充実状態としての幸福の二つは、人間を構成する
基本要因だということになる。】
ー「幸福は、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる桃源郷」は、
 言いえてる。「幸福は不幸という現実を通して見つめられる幻影」である。
時代背景があるが、若い時には「自分は間違いなく幸福になるだろう」
という変な確信があった。 大かたの青春時代は決して幸せとは言えない
四苦八苦を過ごしている時期である。その頃の幸せの願望は祈りに近い感がした。 
ところが人生の終盤に差し掛かってくると、幸せの願望も失せてしまい、死の不安
が立ち現れてくる。精一杯生きてきたのに、あの桃源郷の正体も見え隠れする。
先に逝った人たちの最期は、不幸に見えてしまう。老いが進み、死が現実問題
として迫ってきて、漠然とした不安が心を覆ってくる。その時に、過去の充実
していた時の思い出に逃避するしかなくなる。その時、人生を生きてきた通りの
老いと死が、自分を覆いつつむ。 これが自分の人生だったのかと!
・・・・・・・
3327, 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
2010年05月05日(水)
「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー3
  * 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
 大前健一は、改憲論者であると同時に新自由主義者である。
また「安保闘争以降の偏差値による選別教育が日本人の愚民を押しすすめる
結果になった」と主張。 偏差値による選別教育の年代とは 現在の40歳代
前半から20歳後半である。  ーまずは、その部分を抜粋してみるー
≪ 日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始った
 のは1960年代後半の安保・大学紛争以後である。今から考えると、あそこが
分岐点。あの紛争で、政府は、過激な学生運動に非常に強い危機感を持った。
ここで、国民教育を民化政策に転換した。その象徴が「偏差値教育」である。
・・ 本来、人間の能力は自分で判断すべきである。自分のやりたいことは、
その判断に基づいて自分で決めること。ところが、日本の子供たちは、自分の
能力の判断をする大切な時期を偏差値に支配された世界で過ごすため、自分で
自分を判断する力をなくし、やりたいことも自分ではなく、偏差値で決めること
になってしまったのである。こうなると本人も偏差値による数字を先生に
言われることで‘予定調和’して、「自分はこの程度」と簡単に思ってしまう。
学校や塾で「この数値では、この学校は無理だ]と、繰り返し言われれば、
目標を上にあげることなぞ無理になる。これが、偏差値教育の持つ最大の弊害。
 これは工業化社会の確立を目指す政府には非常に都合のよい政策である。
  (字数制限のためカット 2015年5月05日)


5163,「現象界」「理想界」とは何

2015年05月04日(月)

   * 「現象界」「理想界」とは何のことだろうか。
              〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 日常にある「現象界」と、頭に浮かぶ「理想界」とは、そもそも何だろう。
その辺りを、『哲学で自分を創る』瀧本行人著に、分かりやすい内容があった。
青年期の理想に燃えた時、現象界そのものが、輝いて見えていたが、現在では
自ずから大きく違って見えている。人生を振り返ると、現実世界は、まんざら
悪くもなかったし、幻滅するほどでもなかった。 〜まずその部分を抜粋
≪・当たり前だが、世界は、ある人間の意のままにはならない。しかし私たちは
 そのような世界を想像することができる。この想像した世界が「理想界」。
 そしてそれを可能にしているのが理性。
・「現象界」とは単純に、日常的に把握できるありようだ。普段見えている
 この世界、感じとり生きている日常、である。
一方、「理想界」は、むしろ日常から離れて空想したり想像したりする。
もう少しカッコよくいえば思索したりする中で現われる想念とでも言おうか。
現象界においては、人それぞれの経験によって認識対象が異なって把握される、
ということは、人種や民族、大人と子ども、男と女によっても、私とあなたに
よっても、それぞれ異なって立ち現われるということである。更には時代も
異なればまた別の様相を持つことになる。だが実際人は、言葉を使って、
いろいろなものを一つにまとめあげ説明することができる。それが経験である。
現象界には直接存在しないものを、言葉、概念、用語、カテゴリーによって
まとめあげることによって、それらはこの世に登場してくる。
カントのこのような認識論は、理想界への言及と平行に走る両輪であった。
実際彼の大学での講義内容は人文地理学や「実用的な見地からの人間学」が主で
あったが、彼は現在ロシア領となっている一商業都市であるケーニヒスベルク
から一歩も外に出ることなく世界の諸現象を語ることができた。そしてカントは、
このとき「理想界」という抽象的なものを打ちたてることによって、人類共通の
普遍道徳のようなものがありうる、という議論をも可能にした。この点が重要な
意味を持ってくる。 いずれにせよ、デカルトやベーコンが人間の理性は
無際限に活用しうると考えていたのと比べると、理性に対するこのようなカント
の線の引き方は、まさしく「批判」であった。つまり、「非難」ではなく、
「限界づけ」なのである。そう考えると、私たちが「敵」と認識する対象は、
それが「敵」であると思うかぎりは、「敵」でしかない。敵という概念にある
人物やあるイメージをあなたが付与した時点で、その敵は、現実にそこにある
対象となると同時に、あなたの想像の産物にもなる。・・ ≫
▼ 「現象世界を、言葉を使って、一つにまとめあがることが、経験」とは、
 分かりやすい。体験を時間の経過をして言葉とイメージを記憶として、残った
のが経験ということ。我われは、どうも現象界と理想界を、混同してしまい
がちになる。しかし、現象界の中での理想界を思い浮かべる視線も必要である。
世界は想像の産物の幻想・幻覚なら、「幻滅界」もあって然るべき。
ところで、秘境ツアーなどで世界の観光でみた光は、これまで経験した、
「理想界」や「現象界」を遥かに超えたものだった。理想世界は、想定内で
しかない。そのことを、まずは実感してみないと!理性、感性より至高体験。
・・・・・
4798,年金破綻報道の罠 ー①
2014年05月04日(日)
<世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>ー細野真紘(2014年の論点100)
   * 年金の根本的誤解
 これを読むまで、年金を根本的誤解をしていた。<「それで老後の生活は十分」
というものではなく、あくまで「老後の最低限の 補助」という位置づけ>という。 
そうすると、我われ国民が、ほぼ誤解していることになる。我家も、家内の預金
を取崩し、年金に加えて生活しているが、この根本の考えが間違いだった!
 ーその辺りからー
《 年金について、TVでよく次のような街頭インタビェーが出てきます。記者
「あなたの年金で生活は十分ですか?」年金受給者の主婦「いや、月5、6万円じゃ
全然足りない。だから、仕方なく預金を取り崩さないといけない状態だ」
このようなやりとりが、何の疑いもなく放送され続けているが、これに基本的な
「誤解」があると気付いている人はどれほどいるのでしょう? まず、この記者の
質問自体がおかしいが、そもそも年金は、「それだけで老後の生活は十分」と
いうものではなく、あくまで「老後の最低限の補助」という位置づけ。
だからこそ昔から人は、自分自身で貯金をするわけです。これは、特に、日本
のような「低負担」の国では必然的な行動の結果です。 さらに言うと、
インタビェーでコメントしている入も、誘導尋問に乗っかっておかしな発言を
しています。それは、そもそも貯蓄は「老後の備え」として貯めていたわけで
「老後に取り崩す」というのは、極めて当然の行動のはず。それなのに
「国に感情をぶつける」ように答えてしまっているのです。なぜこの「矛盾
だらけのテレビ報道」に対して、これまで誰も疑問を抱かなかったのでしょうか? 
これは、一言でいうと「社会保障に関する教育の欠如」に尽きます。つまり、
教育が全く機能しでいないので、視聴者が判断できなくなってしまっているわけ。
 では、どのように「国の年金」を捉えておけばいいのでしょうか。これは、
日本の年金とは「老後に国から死亡するまでもらえるお弁当」だと捉えて
おくとイメージもしやすいし、根本的な誤解も減っていきます。・・・ 》
▼ 弁当の飯とおかずの例えが,解りやすい。ということは、大部分の人たちは、
 老後は飯だけの生活が待っていることになる。 ネットで中小企業の数を調べて
みると、【 2006年で、420万社で我が国の企業数の99.7%を占め、中小企業の
従業者数は2,784万人で我が国の雇用の約7割を占めている。また、国民総生産の
約2割を占める製造業においても、2008年には、中小企業は48.4兆円と製造業
付加価値額の約5割を占めている 】とある。そうすると、国民の多くの老後に、
 決して楽ではない生活が待っているのが現実。それから考えると、少ない
給与の中で2割は別途積立など蓄財が必要になる。 消費税の3%値上げや、
インフレターゲットなど、国民にとって、実際には、聞捨てにならないこと! 
・・・・・・
4431, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −3
2013年05月04日(土)
         ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート2:直ぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道
                       (時間的俯瞰思考の道)
 人はいずれ死んでしまう。直ぐか、そのチョッと先かの差でしかない。 
で、悲観的になるか、楽観的になるか。誰もが楽観的の方が良いと思うが、
悲観も時に必要。ブラック・スワンが80年の人生のスパンに、必ず何羽かが
舞い降りる。思いもよらないことだらけ、これが人生。だからハリケーンや
地震多発地帯の住宅ではシェルターが必要。それを人生にも組込む必要性がある。
そのためにも悲観は必要。悲観のレールに楽観の列車で走れば良い。 
  ー次の箇所が面白い!ー
≪ 人生は絶望か、希望か?では、本質的には意味のない人生を、どう生きれば
 いいのだろうか。以下の二つの方向性がある。
(1)どうせ人生は無意味なんだから、はかなく悲しい、と絶望に向かう生き方。
(2)人生には定められた意味などないんだから、人生の足かせを取り去り、むしろ
 自由に人生をデザインして軽やかに生きていこう、とう希望に向かう生き方。 
(1)と捉えるか、(2)と捉えるか・・ 
あなたはもともとお金を持っていなかったとしよう。ところが何らかの理由
で今は一万円をもっている。しかし何らかの理由で、そのお金はなくなる。
これをどう捉えるか。どうせお金はなくなるんだから、はかなく悲しい、と絶望
するか、たまたま一万円持っていると希望を持つか。これと同じだ。あなたは
もともと生きてなどいなかった。ところが、何らかの理由で今は生きている。
しかし、いずれまた無に戻る。中島義道だったら「この世に自分の意志ではなく
生まれさせられ、苦しみあえいで生きねばならないから、はかなく悲しい」
と絶望するかもしれない。 (1)型の捉え方だ。 
 しかし、見方を変えれば「なんと幸運なことに、何の因果か、たまたま、
生きているかのような幻想を一的に手に入れた。なんてラッキーなことか」 
これが(2)だ。 つまり、人生とはあぶく銭。生まれる前には何もなかった。
ところが、何の因果か、宇宙ができ、有機物の塊が生物になり、それが進化
して、人間になった。その中の一人として、何の偶然か、あなたが生まれた。
生まれたての時は、何も考えなかったが、脳が成長・学習して今に至った。
これがラッキーでなくてなんだろう。あなたにとって、宇宙史上最大の
ラッキーの一つ。死刑というより、恵みだ。信じられない、鮮烈な奇跡である。
そんな奇跡を楽しまずして、この奇跡が再び失われてしまうことにフォーカス
を当て続けるなんて、もったいない。それよりも、この刹那の偶然を、
大いに楽しもうではないかが、それが、(2)だ。
 一万円を得たこの奇跡的な現在を喜ぶか、その一万円を失う未来を憂うか。
その違いが(1)と(2)の違いだ。(1)は、いま一万円を持っていることから出発
しようとするから、失うことの絶望に向かう。それって近視眼的ではないか。
一万円を得たという既得権は、既得権。それは当然としておいておき、一万円の
維持にフォーカスしている。それよりも、人生をその始まりから俯瞰する視点に
立ち、もともとゼロだったものが一万円になったこの人生のあぶく銭を楽しもう
ではないか、というのが(2)だ。 視野が広い。 ルートと関連付けるなら、
今一万円を持っていると思っているのは、幻想だ。本当は持っていないのだ。
誰かが「自由に使っていいよ」と言い、そっと貸してくれたのだ。
このラッキーな一万円を、幻想だと知りながら、ぱーっと使おうではないか。 
そして、なくなったら、なくなったとき。くよくよしたって仕方がない。
もともと持っていなかったのだ。・・・ ≫ 
▼「要は生のラッキーを楽しみ、死の恐怖を超越すべし」からすると、
 この辺りを理解してないと人生を誤る。それを教えるのが親の務めである。
必要なのが教養。生まれたときからの環境などが備わっているかどうかもある。
幸せな家系は幸せに、不幸な家系は幸せになる傾向が強い。26歳で千葉で、
34歳で新潟駅前で創業を決意をした時、特に新潟駅前の時は、500%の成功する
だろうという確信があったが、兎にも角にも、何にも知らない業種。土地の時価
を含めて当時の私の能力からして、やはり博打。魂が震える思いである。
で、自然考えたのが、上記のこと。「せっかく与えられたチャンス。もし失敗
しても、全てを失っても後悔はしない」と!だから現在、さばさばしている。
  万一の備えはしていたこともあるが・・ 人生も、「ご覧のとおり、
そのまま結構!」と、開き直りか。 日々是口実!
・・・・・・
4057, 随想日記も12周年
2012年05月04日(金)
 11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。
旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとにアップしていた。12周年
を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、
ここまで続けることが出来た。内容はともかく、「自分に納得できる文章に
すること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、
手を抜いた文は少ない。 大相撲、全日本柔道選手権、新年とか殆んど欠かさず
同日に、同テーマの感想を読むと不思議な奇妙な感覚になる。読んでいると、
変わらない自分と、変わってしまった自分に気づくことがある。ここまで書き
ためると自分自身の墓場そのもの。飾ろうにも飾ろうとしている自分が現れ出る。
従って正直に書くことになるが、それが人を大きく傷を付けてしまう。
言葉の力は大きい。大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象
と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに
気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、脳から文として出し、
吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し
11年分の自分に出会っているが、そこに自分の小さな歴史をみている。 
もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思う
ことさえある。 実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かった
こともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら面白い断片が
数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。
このシリーズは心底では自分に120点。だから逆に書き残さなかったのが
良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・
また人を傷をつけるのか? 毎日、書き出す習慣も慣れるとゲーム感覚になる。 
ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。
・・・・・・
3691, 自己を見つめる −13
2011年05月04日(水)
         「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  * 運命について  ーp226
【 ハイデッガーの言い方に従えば、私たちは存在の真理の「呼び求める促し」
 の中に立たされていることになる。私たち人間は、そうした運命的なものの
呼びかけに聴従せざるをえない、あり方を、根底に宿し、それに聴従することに
よって初めて、真に生きることを果たしうるものというように捉えていった。
 ・・ 自己と歴史の由来を、その根源から聴き取って、それをその将来と結び
つけることによって初めて、人間は、自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り
当てることができるようになると説かれたわけである。ここに、現代における
 優れた運命思想の一つがあると言っても過言ではない。ハイデッガーによれば、
私たちは、この世の中に生きるときに、予期しえない形で「降りかかってくる」、
さまざまな「偶然」の出来事にさらされているのである。ということは、
人間は、出来事の出現をすべて見通し、それを支配することのできる神ではない
ということである。人間は、非力で、無力なのである。 しかし、それでいて、
人間は、自分なりの情熱と威力において、自己の本来的存在の証を立て、それを
刻み残そうとする。そうした覚悟のうちで初めて、立ちはだかる宿命的な困難と
格闘しながら、人間は、真の存在の呼びかけを、運命の声として聞き取りつつ、
それに聴従して本来的に実存しようとするのである。ここに、優れた運命思想が
あることはたしかである。 】
ー 
「運命」について、考えさせられる内容である。(存在の真理の「呼び求める促し」
に立たされ、運命的なものの呼びかけに聴従せざるを得ない、あり方を、根底に
宿し、それに聴従することによって、真にいきることを果たしえる」
これが運命に従って生きるということである。これが本来的に実存しようとする
ことである。それぞれ天命、宿命、運命がある。その中で、運命は自分で切り
開いていくもの。 自分で真の存在の呼びかけを聞き取り、聴従し、実存しようと
することである。そうこう考えると、運命に対する見方が変わってくる。 
自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り当て、前に進むことが運命に従うこと
になる。それとて、下記のような虚無的見方からすれば、些細なことでしかないが。
・・・・・
3326, 人みな骨になるならば ー12
2010年05月04日(火)
 この著書は、蓮如上人の「白骨の御文章」と「般若心教」の視点から、
当たり前と信じている日常の思い込みを一つずつ取上げ、その根拠を潰している。
何かにとらわれり、行きづまった時に、この書は、それが如何に取るに足らない
ことかを諭してくれる。葬式や法事で参列者全員がこの「白骨の御文章」を読経
することがある。死を第三者でなく自分に当てはめて考えさせるためである。 
 そこで改めてネットで検索して、コピーしてみた。 
   ー蓮如上人の「白骨の御文章」ー
≪ それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡そはかなき
 ものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳の人身を
受けたりという事を聞かず。 一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つ
べきや。我や先、人や先、今日をも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、
本の雫・末の露よりも繁しといえり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、
夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまち
に閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて李の装を失いぬるときは、
六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき
事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。 されば、人間のはかなき事は老少不定のさかい
なれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみ
まいらせて、念仏申すべきものなり。≫
ー以上だが、父の生前の口ぐせ、「死んでしまえば(生きている方からすれば)
それまでよ!」である。あるのは、いま、ここ、だけである。過去の、あの時も、
現在も、「いま、ここ」しかない。 一期一会である。それぞれが、いま、ここ、
で生きている。そして、それも、確かに存在していると感じるが、実は幻想。
自分の感覚という器官が能作しているだけである。 夢・幻でしかないのである。 
で、確認で酒を飲む、のか! 
 ・・・・・・・・
2951,人はどうしてオヤジになるか? −2
2009年05月04日(月)
 * 女はどうしてオバサンになるか?
「人はどうしてオヤジになるか?」というなら
「女はどうしてオバサンになるか?」を考えてみたくなる。
  ーそれではオバサンとは、どういう人なのだろか?ー
《30代後半から40歳前後の大きな境目として、女を捨てると同時に
 恥じらいを捨て「怖いものがなくなった」存在で、特に徒党を組むと非社会性が
露出する。 お婆ちゃんといわれる前に、それまで内に圧縮されていたエネルギー
が非社会的行為として露出する歪んだ「突然変異の一時的生きもの」である。彼女?
を見ようと思ったら、デパ地下とか、ホテルのランチバイキングに行くと徒党を
組んだ姿が見られる》 ところで、秘境旅行に行くと、必ずといってよいほど
「離れオバサン」が参加している。これが恐ろしい存在である。具体的に書くのを
憚るほど唯我独善。 今回は、そこまでは書かないでおく。逆に40歳前後までに、
女としても人間としても自分を見つめ、「個」としての自分を確立し、責任を持って
生き、自信に満ちた態度を持てる女性を「マダム」という。それに対しオバサンは
自己管理ができないで、集団化した第三の性化した存在。
 (以下は字数の関係でカット。2012年05月04日)


5162,閑話小題 〜ペプシパラドックス

2015年05月03日(日)

  * ペプシパラドックス
「ペプシパラドクス」なるものがある。コカコーラとペプシコーラの区別が
わからないようにし飲み比べると(ブラインドテスト)、「ペプシコーラの方が
よいとする人が多いが、実際に売れているのはコカコーラ」というパラドクス。
ブラインドテストでペプシが勝つのは、ペプシの方が甘いためとも言われる。
私が実際に目に触れる広告は圧倒的にコカ・コーラ。マインド・コントロールを
されているため。マヨネーズも、「キューピー」だけ。味に慣らされてため。
   * 新潟駅前のホテルの状況は?
 昨日、家内が新潟の絵画展覧会に行ったおり、『列車から以前、経営していた
ホテルの斜向いの「グリーンホテル」が更地になっているのが見えた』と言う。
当初、40室だった客室を、10数年前に76室に増築したが、ネットによると、
2012年末で経営続行を断念したようだ。倒産の話は聞いてないので自主廃業か。
新潟駅再開発の道路拡張工事に引っかかっていたが、その延期で、維持しきれな
かった? 私は4年前に売上の激減で事業続行を断念をしたが、
第三者が経営を同じホテル名で続けている(代がわり)。 その事業物件が
相場の半値八掛で、役員のカットで、更に値引き攻勢を目前でかけられれば、
これは当然の結果。その直撃を受けているホテルが、あと一つあるが、貸ビル
部門で何とか息をついているようだが、駅周辺に三棟もあるため厳しいだろう。
去年、地元の政治経済を対象にした雑誌社から、電話インタビューがあり、
『あなたのホテル事業断念は、駅前開発の道路拡張工事の延長のためですか?
その対象の地権者から、悲鳴が上がっています。』との内容。 
『いえ、リーマンショックによる、売上激減のため』と返答したが、実際は、
持続限界は、あと一年。 ところで、「あの地区の道路拡張など必要ない」
といえば、ない! もう、他山の石のことになる。 
・・・・・・
4797,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜��
2014年05月03日(土)
  * 苦悩の時間的推移
 この節目の一連の精神的苦痛の実感は
「 �…砲ぁ次筺�
  ��痛・哀しいー> 
  �D法Φせ�ち良い(痛みに慣れる)ー> 
  �つ法μ滅鬚ぁ蔑�場を客観視できる)」へと変化している。 
 もちろん七転八倒をした上のことだが・・ 
 私のすぐ上の姉の連れが20年前に亡くなった時に、葬儀の席で、一まわり
以上年上の従姉妹が、姉に『私の経験からみて、三年で哀しみは消えるよ!』
と慰めていた。 時間が解決する『時間薬』である。 
 青年期からの節目(挫折)の苦痛の経過を振返ると、大よそ上記の経過を
たどったが、大たい次の障害への取組で、それらが消えていった。前向きに
生きることが、如何に重要かである。そして、最後に、その痛いが無くなり、
「ああ、面白かった」だけが残るなら、ハッピーリタイアよりは良い? 
肯定的に捉えれば、それを境に全く違った新世界が開けることになる。
その世界からみると、節目前の自分が、何とも滑稽に思えるもの。
新しい自分の再生が、何とも奇妙な感覚である。「泣いても笑っても同じ空」
で、笑ってきたが、泣きが不足していたのだろう、私には。母親から聞いた話が
耳に残っている。 『小姑の虐めに、耐えられず実家に帰ったところ、母に
〈シッカリしなさい!一番辛い時が人生で一番良い時なのよ〉と励まされた』と。
見方によれば、この3年間が、私の人生で一番良い時? といえば、思い当たる
フシもある。いや、サホド辛くもなかった?どうだろう? 少なくとも、人生で
一番、内省できたことと、解放感があったことは事実。本当に精神的苦痛なんど、
あったのだろうか? それからも、解放された? 成るほど、人間は少しハンデ
を負って、《痛》が、頭に残っていた方が良いのかもしれない。
どの道、10年後には、8.9分は存在していないのだから。苦悩も、
解放も、知的欲求も、感動も、感謝も、至高体験も、生きている今のうち。
・・・・・・
4430,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −2
2013年05月03日(金)
 * ルート1 心が幻想だと理解する道(脳科学の道) 
          ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
信長が、幸若舞の演目のひとつの「敦盛」を好んで舞っていたが、そこには、
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬ
もののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・」
という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。
人生振り返れば全てが夢幻。 その辺りを以下のように述べている。
 ≪ 古くは進化論で有名なダーウィンが、感情は基本的に「幸福」「驚き」
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「嫌悪」「軽蔑」の七つから成ると述べている。
また、心理学者エクマンは、表情から見た感情には、「幸福」「驚き」「恐怖」
「怒り」「悲しみ」「嫌悪」の六つがあるという。軽蔑を感情に含むかどうか
だけが異なるが、あとは同じ。「幸福」が感情だというと日本語ではやや
不自然な感じがするかもしれないが、「ハッピネス」を「楽しさ」と訳さずに
「幸福」と訳したと解釈すれば、違和感はない。ちょっと驚くのは、ポジティブ
な感情は「幸福(楽しさ)」だけで、他の五つないし六つはネガティブな感情と
いう点だ。ああ、人間のポジティブとネガティブは、なんて非対称なんだろう。
いずれにせよ、恐怖=怖さ。人間は、怖いという感情を持つ。ちなみに、
恐怖に限らず、あらゆる感情の記憶はすべて大脳辺縁系に蓄えられている
といわれる。このため、大脳辺縁系は心の中心だという人もいるくらいだ。
 ・・もし人間に感情が無かったら、人間社会は、ロボットの集団、ないしは
アリの集団のように、ただ役割分担をし、ただ生きて死んでいくような、無機質
な社会だったに違いない。・・・シマウマの群がライオンに襲われたとき、
一匹が犠牲になる。それはお布施と同じで、一匹の命をライオンに提供している
のだという。あたかもお布施のように思えるシステムが、種と種の間の調和の
ために成り立っていることは、進化の当然の帰結だと言うべきだろう。・・
要するに、生物種は、個体の死へのセンチメンタルを超えたダイナミズムに
よって進化を遂げただけ。それだけのこと。≫ 
▼ 一人称の死は存在しない。死んだ瞬間、無になるからだ。あるのは二人称と
 三人称の死しかない。怖いというのも感情の一つなら、心=感情は幻想と理解
すれば、死は恐ろしくないはず。固体の死への感傷を超えたダイナミズムが猿から
 人間に進化させたのだ。一人称の私の死など、真面目に考えることはない、
ということ。死ねば幻想が抜けたゴミでしかない。逆に、夢幻こそ大事にすべき
といえる。小説、映画、ドラマ、コミックも作者の創作という幻想。だから面白い。
・・・・・・
4056, 個性など、どうでも良い。的を絞った意欲と根気だけ!
2012年05月03日(木)
 * どう騒いでも、われわれは集合体の一部なのだ     
         ー 「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ 結局のところ、なにをどうしてみたところで、われわれは集合体なのだ。
 なぜといって、純粋な意味で自分の所有だといえるものなぞわれわれはごく
わずしか持っっていないのだから。われわれはみな、先人からも同時代人からも
受け入れて学ばねばならないのだ。どんな偉大な天才でも、なにもかも自分の
内部にたよろうとしたら、大したことはできないだろう。(略)
要するに、自分の内に持っているか、他人から得るか、独力で活動するか、
他人の力によって活動するか、こんなことはみな愚問。大事なことは、大きな
意欲をもち、それをやりとげるだけの技能と根気をもつことだ。それ以外は
どうでもいいことなんだ。 ≫  エッカーマン『ゲーテとの対話』
▼ 我々は何らかの形で人類の蓄えられてきた文化遺産の一分野にいるのであって、
 それから一歩も出ることが出来ない、ということになる。一歩出たところで、
それも際の範疇でしかない。そう思えば、あくせくすることもない。そのことに
気づきてしまえば、後は楽。個性とか、自分になるとかは、他と違うことを
なしうる能力に求めがちだが、本当に必要なのは、強い意欲を持って、やり
遂げるだけの根気。アランは『教育論』で、発明や、一般に天才とよばれて
いるものについて、長い間の勉強のあとでなければ出てこない、と述べている。 
個性など、その後の話でしかない。好きこそものの上手なりで、好きだから
こそ、辛抱づよく続けることが出来る。それを誤って才能と誤解してしまう。
 一人一人が意欲をもち、やりとげる技能と根気をもち努力するしかない。
他人と比較することもない。要は意欲と根気だけ。
 で、根気を持って、これ続けています。
 ・・・・・・・
3690, この随想日記も、まる10年か〜
2011年05月03日(火)
 今日で、この随想日記がまる10年、我ながらよく続いたと驚いている。
10年は大きな節目、今後どうするかである。これで自分の全てを出し切った
思いがある。あけすけに脳内を公開しているようなものだが、これを続けた
おかげで自分の中に、一人の記者の目が出来たようである。その結果、世界の
見方が変わってしまった。 いや世界そのものも大きく変わってしまった。
書き続けるために、常に数回分の文章を書きためておかなければならない
プレッシャーは大きい。が、それを逆に楽しむ面白さもある。
「一度でも休むと、もう二度と書き続ける気力が無くなるのでは」
という恐れが続ける後押しをしてきた。振り返って読んでみると、ここで
書いてきたことが私の限界線でもある。 一番のメリットは数年分の同月
同日の文章を毎朝、読むことが出来ることである。過去の痕跡の文章を早朝、
読み返しているから10年続いたのかもしれない。それと、「何人かの知人が
読んでくれている」という実感があることである。それと書き続けることで、
否が応でも常に読書を自分に強要できることである。 この10年で、
私の人生の支柱の一つとして残すことが出来たのは大きな収穫である。 他にも、
・最後は、こういう結果としても、四十年近くの事業の起承転結と、
・50回近い秘境ツアー、・そして10年間続けた随想日記。
・それと、好きな酒と肴を思い残すことなく、飲み食べたこと。  
・それと読書を十分にできたことなど、思い残すことはない。
そうこう考えて、これから続けるかどうか、止めれば張りが無くなるし、
続けるのもシンドイし・・「力を半減して、当面、続ける」が、現在の答え? 
・・・・・・
3325, やりたいことは三千五百万円もあれば・・・
2010年05月03日(月)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −2
  * やりたいことは三千五百万もあれば・・・
・「死ぬ時に、楽しい人生だった」と言えるには、したいことは全部やった
  と思えること。
・ そのための金額は普通の人なら三千五百万もあれば殆んど実現できる。
  葬式代は350万もあれば充分。自分で葬式の手立てをしておけば三分の一
  で可能。(120万を前提に葬儀屋を何社か呼んで手はずを組んでおくこと)
・ 「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」
 これが日本の大部分のバカな老後の姿である。 要は、考えてないからである。
▼ 以上のことは大前研一でなくとも私でも思うことである。要は考えないから
 である。40歳の時、良い悪いは別にして「年間1000万は使い切る」と決心。
しかし当時、10歳前後の子供がいて大学を卒業するまで10数年は、それほど贅沢
を出来る金額ではなかったが、それでも年二回は家内と海外ツアーに行き続ける
ことが出来た。海外旅行代は総額3千万前後だろう。一点豪華主義?である。
月にすると10万になるが、普段の生活で節約をしていたので、使いすぎた
という感はなかった。その御蔭か満足した後半生を過ごしてきたと思っている。 
これまで46回のツアーに行ったが、これを、これから始めることは時代背景と
年齢を考えると無理。「べき時に、べき事を、べくすべき」を実行していて
良かったと満足をしている。したがって老後の心配は殆んどない?。三千五百万
といえば大金である。しかし100万ずつなら何とか可能?家を売却して貸家に
入っても「やりたいことを、すべき」と思うが、いざとなると、これが出来ない
のも分かる。それぞれの事情があるから、これ以上は言えないか。もし何とか
可能なら40歳から100万×35年間で、不可能でもない?。無理?なら、50万は?
それも無理?月に4万の積み立ても無理? その前に、まず「自分は本当に何を
したいのか」考えなくてはならない! で、ないと「漠然とした不安感で貯めて
おいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」ことになる。そういう
思いで、歳をとってから秘境に来ていた人と出会ってきた。それを実感したので、
迷いなく実行できたのである。 ーそれがどうした?って、どうもしないが・・
くだらない自画自賛か! これから3500万か〜面白そうだが、老後資金を
考えると?となる。 でも、その金が! 宝籤を買うか!
 ・・・・・・・・
2950,人はどうしてオヤジになるか?
2009年05月03日(日)
 *『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹著の
     《人はどうしてオヤジになるか》の問いかけが面白い。
この文章を読みながら( 私は「オヤジ」かどうか?)を内省してみた。 
オヤジといえば、オバサンである。現象に大きく左右され、考えることをしない
両性化した生き物。オヤジも長年かけて自分でつくりあげる生き物である。
常に自分の中で肥大化しようとしている化物として、監視しておかないと・・
 ー まずは、その部分から ー P・20
 人の誤解のうちに最も危険なものの一つは「不愉快な人間関係に耐える能力」
を人間的能力の一つと思い込むことです。その耐性はむしろ有害であり、命を
縮めることの方向にしか作用しません。「耐える」人の場合は、「耐えること」
が自己の中心にあります。それ以外のことは「耐えること」のために総動員
されます。「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的
ダメージの中で最も破壊的なものの一つです。世の言う「中年オヤジ」という
のは、この耐えることが劇的に人格化されたものといってよい。会社で上司の
罵声に耐え、部下の暴言に耐え、クライアントのわがままに耐え、満員電車に
耐え、妻の仏頂面に耐え、セックレスに耐え、子供の軽蔑に耐え、巨額のローンに
耐え、背広の綻びに耐え、全身これ「忍耐」からできているのが「中年のオヤジ」
という存在です。 人生のある段階で、(たぶん、かなり早い段階で)不愉快な
人間関係に耐えている自分を「許す」か、あるいは「誇る」か、とにかく
「認めて」しまったのです。そして、その後、「不快に耐えている」ということ
を自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟の証しとか、
そういうふうに合理化してしまっている。蟹が甲羅に合わせて穴を掘るように、
人間は、自分でつくってしまったパターンに合わせて不幸を呼び込みます。
「不幸に耐えている自分」を「器量の大きい人間」と勘違いをしたら、
もうその後の「オヤジへの道」は一直線である。そういう人は不愉快な
人間関係だけを選択し続けることになります。本当にそうなんです。
▼ 以上だが、八割の人は、この「耐え人」の人生を過ごしている?
 自分の人生を振り返って、一番良かったことは何か?と、考えた時に、
「事業を立ち上げ、一度も営業赤を出さないで何とかやってこれたこと」
(今年度からは??) (字数制限のためカット2010年5月3日)
・・・・・・・・・
2586, 日本の貧困率 ワースト2
2008年05月03日(土)       ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 先日、Wowowで観た映画『しあわせの力』という映画。ウィル・スミス演じる
主人公が貧乏のどん底から成功者への階段を上っていく内容だが、その大部分が
「すべり台社会」を滑り落ちていく内容。リアルで他人事に思えない内容。
地下鉄のトイレや、教会の施設に並んで泊まったり、子供が一緒だから尚のこと
引き込まれてしまった。実話に基づいた内容だから、迫力があるのだろう。 
黒人のセールスマンが収入が無くなり、奥さんに愛想をつかれ子供を置いて
出て行く過程など現実的である。そして、最後はホームレスになる。
這い上がるのは無理という状況から主人公が成功を掴んだ要因は、
【息子への愛】と、どん底でも諦めない執念。何か身につまされる内容。 
人生で、何度もすべり台に立つ瀬戸際を経験した。一つの判断が致命傷になる、
それが創業ということ。 (字数制限のためカット2010年5月3日)


5161,不幸不利の7つの法則 〜③

2015年05月02日(土)

   * 不幸不利の法則を具現化した人
 絶対的に不幸な人も、幸福の人も存在しない。それぞれの人生の時節で、
孝不幸の比率が変わる。それと教養レベルでも・・ 不幸不利の法則を、
そのまま具現化したような人を、周辺に直ぐに見つけることができる。
内幕情報屋を売りにした「あの人!」。人の不幸を探し出し、噂話を探し
まわって、転々と人々の間を、尾ひれはひれを加え、舞いまわる人たち。
最近はネットに移行したから、始末が悪い。聞いている方は、その人間の
卑しさに気づいて軽蔑をしても、顔に出さない。情報化や都会化で、人は
表面的には誰とでもフレンドリーだが、実は、彼らは「孤独の群集」で、
他人の内幕を知りたがる。だから、こういう、「内幕情報屋」の存在が
必要となる。学生時代に読んだ、リースマン著『孤独の群集』の中で、
都会化が進むほど、「内幕情報屋」が、多く現れると論証していた。
自分の趣味と、一般教養を持たないと、現象界をそのままを現実、真実
として受入れてしまう。(偶然だが、一年前と4年前の同月同日の内容が、
そのまま書いてあった) 普通の人であれば、噂話も世間話をするし、
敢えて、特徴を取り上げることもなし、ただ無知なだけ!と割切ればよい。 
ところが、実は、その内幕情報屋の流される噂話が、個々人には、
「掟というトリック」が含まれている。それが各人の牢獄をつくり上げる。
これが「絶対不幸」の人たちを作り上げる。その結果、「不幸不利」を
なってしまう。そして、自分の世界を小さく小さくしていく。
「不幸不利」のスパイラルは、強力なマイナス磁力がある。
己の「不幸不利」に気づくには教養のベースか、死線を漂う経験などが
必要になる。小、中、高、大学の同級会に毎年、出席しているが、不幸不利
の人の比率が、進学するにつれ減っている。鬼のような形相のオバサンや、
時代かかった成金は皆無になる。豊かさ貧しさは、置かれた状況でもある。
幸福であれば、他人の不幸には興味が無頓着になる。不幸不利の人は・・
・・・・・・
4796,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜④
2014年05月02日(金)
   * 何かが変?なのは、自分? それとも巷の常識?
 先日取り上げた【「道徳」を疑え!〜自分の頭で考えるための哲学講義
  ー小川仁志著】の中で、イギリスの哲学者 フランシス・ベーコンの
「イドラ(本当のことを隠してしまう臆見)を取り上げていた。
 彼によると、人間には四つのイドラがあるという。
《・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、
 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じる。人間は自分が
 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できない。
・二つ目は「洞窟のイドラ」。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んでしまった
 かのように、個人の狭い事情により生じる思い込み。その人の受けた教育、
 影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い考えに入り込んでしまう。
・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込みです。
 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に
 弱いものです。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因?
・四つ目は「劇場のイドラ」です。それぞれの都合の良い物語を疑おうと
 しないで信じてしまうことをいう。》
:この結果、世間とかいう、ほぼ嘘で固められた常識を疑うことなく信じる九割
 以上の人達がつくられ、現に存在する。この方々は、殆どのイドラが全存在。 
 覆い隠されている真実の世界の存在など想像すら出来ないため、厄介そのもの。
 彼らには、「嘘もほどほどにしろ」より、「本当のことは、ほどほどに」と、
 対応するしかない。何故なら、本当のことは、イドラの世界からは見ることが
 出来ないから。本来、人間は共同幻想の中にしか生きることが出来ない存在。
 とすると、変なのは社会と、その中で生きる、私たち(個々人)になる。
 問題は、それを常に自覚できるかどうかが、境目になる。リーマンショック
 から、一段と世の中が変になっている。ところが何故か、それを覆い隠して
 いる何か、恐ろしい力。それが何だろう?「世界恐慌は静かに浸透しているが
 誰も声高に言わない。いや、言えない」のだろう。石ころの大小を言っている
 自分も、その中の砂利でしかない。結論は、「私も、一般常識とも、変!」 
 ということ。
・・・・・・
4429, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか 
2013年05月02日(木)
 * 死の恐怖を克服する七つの登山道とは   
           ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 人生で最大の難関が最期の死。ここで、死の恐怖を克服する著者の椎奨の七つ
の登山道が書かれている。スッと眠るように死にたいが、そうは簡単にいかない。 
長生きすれば「死に損ない」と言われそうだし、癌で、あと一年、数ヶ月と
区切られ悶々と死んでいくのも厳しい。現に父親が、そうであった。一年間、
傍にいたので、直に伝わってきた。砂漠の真只中に置かれたような生の渇望の
乾きは残酷である。実際に、その立場に置かれて経験しないと分からないこと。
死の恐怖の克服法は知らないより、知っていた方が遥かによい。生への渇望の
克服など無理といえば無理。肉体的に精神的にも、のたうちまわって死んでいく
しかないのが実態。だから恐れる。著者が死への登山道は言い得て妙である。 
  ーまずは、7つのルートとはー
ルート1  心が幻想だと理解する道(脳科学の道)
ルート2  すぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道(時間的俯瞰思考の道)
ルート3  自分の小ささを客観視する道(客観的スケール思考の道)
ルート4  主観時間は幻想だと理解する道(主観的スケール思考の道)
ルート5  自己とは定義の結果だと理解する道(自他非分離の道)
ルート6  幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
ルート7  リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ(思想の道)
▼ 次回から、それぞれのルートの要点を書き出してみるが、最近読んだ、
「宇宙は本当にひとつなのか」と「宇宙は何でできているいるのか」(村山斉著)
を読んで、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している可能性がある
と知り、単純だが、自分の人生も、死も、大した問題でないことを改めて知った。
これはルート3の、客観的スケール思考の道になる。この7つのルーツの道を繋ぐと、
≪ 人間の心は、本来幻想。人の一生は宇宙的スケールでみれば、瞬時でしか
 ない、直ぐ死ぬのも後で死ぬのも同じ。また微細な存在。知情意で捉えている
時間も幻覚。自分という枠組も定義で変わるもの。恐怖が幸福の対角にあるとし、
その幸福という感覚も幻覚。ただそれだけのこと。≫ ということになる。
般若心経そのものになる。だから、死に直面すると、写経を始めるのは効果がある。
こう、まとめると、各ルートを歩くのが面倒に思ったが、よく読むと、道筋には
含蓄に満ちた景色がある。目先の死を知ってから、それまでの一生分を生きる
のだから、学び足りないのは当然。
・・・・・・
4055, 一個の人間の顔、それは一つの象形文字
2012年05月02日(水)           
           ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪「一個の人間の顔、それは一つの象形文字だ。ある神聖な、明確なしるしだ。
 なかに魂の現在があらわれている。動物だってそうではないか水牛がものを
咀嚼しているとき、その顔を見てみたまえ、鷲の顔を見てみたまえ、犬の顔を
見てみたまえ。一個の人間の顔の中にはっきりした意欲と決意とがあらわれて
いるとき、それは一個のばらばらな意欲と決意という以上のものだ。
そういう顔をぼくの夢想の中のドイツ人は持っていた。どれも一息つくより
短い夢の間にすぎなかったが。むろんぼくは、ぼくに向って吹きつけてきた
その未知の人物の顔を必ずしもいつも見たわけではない。(中略) だがともかく
そういうとき、ぼくはそういった顔を内側から見たという気になったものだ。
『 わたしはこういう人間だ 』と、それらの顔には書かれていた。
そして今ぼくはこの四ヶ月というもの、現実の人間の顔を見ているわけだ。 
なにもぼくはかれらに魂がないなどというのではない、魂の光は一再ならず閃き
出るのだが、それがすぐまたふっと消えてしまうのだ。鳩小屋の鳩と同じことで、
強と弱、近いものと遠くから持ってきたもの、卑俗なものと高貴なものとの、
永遠の入ったり飛び立ったりなのだ。あるのはざまざまな可能性のそういった
落着きのない出入りだけ、そしてそこにはつねに、あの一つの偉大な、決して
言葉に言い現わせぬ奥底の思想が欠けている。立派な顔には必ずある
あの変らぬものが。・・・ ≫  ーホフマンスタール『帰国者の手紙』より
▼ 顔に責任を持て、と言われても今更だが、年齢を重ねた顔には責任を
 持たねばならない。特に、政治家の大事を成し遂げた顔は、大事の象形文字
と見ることが出来る。『わたしはこういう人間だ』と、そのまま書かれている
ようだ。先年、亡くなった片岡球子の人物画の顔が良い。人間の顔が象形文字
ということを知り尽くしているから、あのような顔がかけるのである。 
顔は魂の表出、老いてきたとき、行蔵が、そのまま現れ出る。
    ・・・・・・・
3689, 自己を見つめる −12
2011年05月02日(月)
  * 世間とは        「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 
 世間についても、何度も取り上げてきた。特に絶対神を持たない日本では、
右に倣えの世間的価値に同化することが善になる。人生の最晩年になって、
いかに、それが自分の壁になっていたことに気づいて慌てふためく。
(それさえない人もいる)世間から身を守るためには、やはり読書か、芸術や
趣味などに専念するなどライフワークが必要である。世間を否定するのではなく、
それと、心底で距離を置くことが必要である。 
  ー以下の、哲学的世間論も分かりやすい。
【 ー世間とはー 世の中の人が判断する仕方に従って判断する。大勢に
 準じた生き方のスタイルが、自分自身の生き方のスタイルになってしまう。 
それ以外に自分の人生を考える余裕もすっかりなくなってしまう。なにしろ、
そうした自己喪失的な大勢順応の暮らし方のほうが、気楽で、安心で、責任が
なく、居心地がいいのである。 下手に逆らったり、別の道を選ぶと、世間から
締め出される危険性が忍び寄ってくる。 みんなと一緒のほうが安全なわけである。
 したがって、誰も、真剣に自分のほんとうの生き方の道などを考えてみよう
とはしない。 ハイデッガーは、こうした自己喪失的な世人のあり方を「頽落」
と呼んだ。そのときには、世の中の人は、いやな過去のことはどんどん忘れ、
将来の成功のことをもっぱら予期し、現在の周りの出来事には、最大の注意を
払って、そこでの出番の成り行きに汲々となる。そのとき世の中の人は、好奇心
に動かされて、噂話や風評に打ち興じ、物事の真相を曖昧にしたまま、仕事や
趣味や遊びや気晴らしで、興奮した多忙な日々を送る。そうしないと、恐ろしい
倦怠と、ぞっとするような人生の深淵が眼に入ってきて、鬱陶しいのである。
そうして、無責任で活気にみちた興奮と狂乱と日常的な世界内存在の表面
ないし前景を形作ることになる。・・・ 】
 − 世間とは、無責任で活気にみちた興奮と狂乱と日常的な世界内存在に
生きている人たちをいう。しかし人間は、自分の存在の根底を見つめたとき、
投げ出された底なしの存在に、不安を覚えるもの。その気分の方が、人間の根源
に潜む根源的気分であると、ハイデッガーが看破した。それは死にさらされた
自己自身の存在の自覚とともに立ち上がってくるという。その逆に、存在の根底
から目を背ける人たちが世間の人である。我々は底なしの存在から目を背け現象
に気持ちを集中させて生きようとする別名、俗人ということになる。 
俗人も悪くはないが。
・・・・・・・
3324, 「B層」という「IQ]が低い人々
 2010年05月02日(日)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著) の中で、
  B層という言葉が印象的に残った。
 以前、小泉元首相が、≪一言メッセージ≫を国民にわかりやすくコメント
したり、郵政解散で自民党の内部分裂をショーにして選挙に大勝した。これは、
考えない「B層」に狙いを絞った戦略だったことを、この本で知った。
その後の民主党の大勝も、「腐りきった長期政権の自民党の破壊」という分かり
やすい争点であった。それにしても、小泉、安部、福田、麻生、鳩山という
政治を家業とする二代目が、徹底的に日本を破壊してくれた。創造の前の破壊
なら、それも良しだが。どうも、そうでもない。アメリカの実質、日本の植民
地化の政策が背後にある。彼等二世の養成もアメリカの長期戦略の一つ? 
恐ろしい限りである。
 ーウィキペディアによると 「B層」とは
2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から
受注した広告会社「スリード」が、小泉政権の主な支持基盤として想定した概念。
その後、ポピュリズムに動員される国民層を揶揄する意味合いで使われるよう
になった。  スリード社の企画書では国民を「構造改革に肯定的か否か」を
横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、
「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。 
主に主婦や教育レベルの低い若年層、高齢者層を指すものとされる。上記の企画書
がネット等を通じて公に流布されたため、資料中に使用された「IQ」(知能指数)
の語や露骨なマーケティング戦略が物議を醸し、国会でも取り上げられた。
・「A層」=エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、
  これまで、特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な
  観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造
  改革に肯定的。
  *構成ー財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、
   都市部ホワイトカラーなど
・「B層」=現状では郵政への満足度が高いため、道路などへの公共事業批判
  ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への支持を取り付けるため、
  より深いレベルでの合意形成が不可欠。「IQ」が比較的低く、構造改革に
  中立・肯定的。
  *構成ー主婦層、若年層、高齢者層など。具体的なことは分からないが
   小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持。
・「C層」 構造改革抵抗守旧派。 「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。
  〜〜
 大前は、「B層という知の減退した人たちと一線を引いて、何とかA層に
入りなさい!」というから辛辣といえば辛辣。しかし、この日本の低たらくの
現実がある。 ネット社会=情報化社会では、端末から価値ある情報が無限に
引き出せる。したがって彼の論旨も、ある意味で納得できる。知能まで植民地の
住人に落ちてしまったB層の比率の拡大? 周囲は、ほぼB層?ということは、
私も? まあ、いいか!  で、A層とかいう幸せな方々、実はD層じゃないかい 
 (一番大事なことを考えない、見えてない、という意味で?)上記の5人が、
その証明。  闘い続けている点は認めるが!
 ・・・・・・・・
2949, スリルな瀬戸際だった日々
2009年05月02日(土)
 先日の4月28日に、無事に第二シングル・インの中のテナントが決まり、
調印が終わった。そして午後にテナントの内装屋から電話が入り「建物の用途
変更は、お宅でして貰えるのでしょうね」という。     
 (字数の関係でカット2,008年5月2日)
 ・・・・・・・・
2585, 情報は1冊のノートにまとめなさい
2008年05月02日(金)
「情報は1冊のノートにまとめなさい 」
 −100円でつくる万能「情報整理ノート」 ー奥野宣之著
 (以下、字数制限のためカット2010年5月2日)
・・・・・・・・・
2007年05月02日(水)      
 2220, 酒の話ー3  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆  
酒の話は、ここで何度も取り上げてきた。酒には付き合い酒、祝い酒、涙酒、
別れ酒、怒り酒、迎え酒、寝酒など、色いろあるが、あるHPで酒に関する面白い
文に行き当たった。酒は下ネタと同じく時空を超えて万国共通であるためか
人間の本質を知る上で身に沁みる戒めが多い。特に私は!? 偶然の一致だが、
三年前の今日、『酒について』というテーマで酒について、書いていた。
面白いものである。 それにしても、酒の失敗があまりにも多い!
  =====
*まずは『旧約聖書外典』である。『外典』は、『正典』としての「旧約」や
「新約」聖書の成立の編纂で、排除された文章をまとめたもので、酒に関する
戒めのような実用的なものが多い。これが2000年前の旧約聖書にあったのだから、
酒は今も昔も人間を狂わせてきた魔物。
 ー『旧約聖書外典』(関根正雄編 講談社文芸文庫)よりー
大酒を飲むことで勇者を気取るな     酒で失敗した人は多いのだ
炉が鋼鉄をためすように         酒は酔っ払う人の性格をためす
酒はほどよく飲めば           生命の力となる
酒なくして何の人生か          酒は人を幸せにするために作られた
時をえらんでほどよく飲めば       酒は心を楽しませ 愉快にする
だが飲みすぎれば苦い思いを味わい    怒りと復讐の心を生む
愚か者は酒によって憤り 自ら害を招く  酒は力を弱め ついには障害をうける
酒の席ではとなりの客と争うな      相客が楽しんでいるのを妨げるな
隣人をあざけったり           借金の催促などをしてはいけない
====
また若山牧水「酒の歌」で『今まで自分のして来たことで多少とも
眼だつものは矢張り歌を作ってきた事だけの様である。いま一つ、出鱈目に
酒を飲んで来た事。』と酒の思いを述べている。
ー牧水の酒のうたー
(字数制限の関係でカット09年5月02日)


5160,知の逆転 〜⑫

2015年05月01日(金)

         ー知の逆転ー  対談相手: ジェームズ・ワトソン
   * 人間は、ロジックより感情に支配される
 人間は考えることが重要である。ところが、人は考えずに、そのまま受け
入れてしまう。そして忙しくしていたいだけ。考えるためには知識と判断力
を身に付けなければならない。それらは個人の中で熟成するしかない。
  〜その辺りが説得力を持って語られている
≪・「より良く知っていれば、より良い決断を下せる」。あることを学ぶという
 ことは、ある別のことを捨てる可能性がある。とすると、何を学ぶことが一番
良いことか。これらの問いかけは、「あなたの文化とはいったい何か」という
問いに繋がります。宗教社会では、聖書だけで十分だということになるが、
新約聖書の多くの部分はパウロによって作られた完全なるおとぎ話ということを
我々は既に知っているにかかわらずです。一般の人も、それを知る必要がある。
それは当然のことだが、でも、人は以前教えられたことを、教えたがるもの。
・ほとんどの人は単に物事を「受け入れ」てしまう。「これが小学校で教える
事柄である」と言っておしまい。常に、「これが最良の方法だろうか」と、
問いかける必要がある。考えることが重要なのです。この能力は記憶を主体
とする教育からは生まれない。
・多くの人はただ「忙しくしていたい」だけ。・・(略)
ある時点で、いまやっている実験は果たして思考を変えることが出来るのか、
と問う必要がある。解きたいと思っている問題の解決になるのかと。
単にできるという理由だけでこれをやっているのであって、それが決定的な
結果をもたらすものではないのではないかと。・・(略)
私が成功したのは、よく考え、よく読み、よく知っていたからだと思います。
ビジネスでも同じことが言えるでしょう。他の人が知らないことを知っていて、
それがいいとわかっているので、利益に繋がる。私の大学院でのモットーは、
「知識と判断をもって勝つ」でした。
・革新的なアイディアは押しなべて個人から出てくる。個人を大事にされる
組織や社会でないと発展は望めない。個人の違いを認め合おうと。そして、
何をするにしても、知識や知性よりも情熱が大事。そして、16歳位までに
人生の方向は大方わかっているはずと。≫
▼ 確かに、多くの人は考えないで、ただ忙しくしているだけ。よく考え、
 よく読み、よく知っていることの重要性は、成るほど実感すること。
その結果、教養がつくのである。考えずに現象を、そのまま受け入れている
人たちの薄っぺらさが、何よりも、その恐ろしさを示している。
・・・・・・
4795,「消費される物語」 ー4
2014年05月01日(木)
             朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
  * 二つの大震災は「自然と文明」の大きな物語に開かれる機会だった!
 人生のテーマは、「創業と事業を遊ぶ」だったが、それもブラック・スワン
(思いもよらない震災クラスの事象)の何羽かの出現で終りを遂げたが、結果に
対して挫折感は殆どない。むしろ、自分の手で息の根を止めることが出来て、
良かったと手前勝手に思っている。で、これも、物語。物語とは手前勝手の
筋書きでしかない。無事にリタイアをして、事業を次に送ったとしたら、
閉じられた一つの物語だが、私の結末は、破壊により開かれた物語になる。
ものは考えよう。しかし、物語には節操が必要である。 ーその辺りからー
《 ー忘れられる節操ー  将来への不安がのしかかってなかで、私たちは
 小さく閉じたきな物語の方向に開かれる身近な物語に癒やされているわけ。
最近は作曲家を話題にするときに、作品と関係のない事柄が全面に出てくる。
女性の研究者の話題でも、メディアは研究の内容関係ないファッションや趣味
などを大きく取り上げる。それが節操のないことだという了解がなくなっている。 
STAP細胞を発見したのが、30歳女性ではなく、さえない中年の男性ならこれほど
社会的な関心を持たれることはなかった。本筋と関係ない過剰物語がつくられる
ことで、スタップ細胞について、よりよく理解できたかというと、そうではない。
 物語は自ら完結する性質があります。つまり物語の外を遮断して閉じている
ということですが、この閉じた物語をあえて開いて、外にまなざしを向けるのが
人間の進歩というものだったと思います。けれども、物語を外に向けて開くこと
なく、心地よい物語を作っては消費して、飽きたら捨ててまた新しい物語を作る。
その繰り返しでは社会の進歩はありません。阪神と東日本の大震災は、
「喪失と癒やし」といった小さな物語として消費されてしまいがちですが、
本来「自然と文明」という大きな物語の方向に開かれるいい機会でした。
人間の文明など、自然の力で一瞬にして押し流されることがある。そう気づいた
以上、「私たちとは何者か」と語りなおすことによって、内向きの物語が外に
向かって開かれる可能性があったのですが。結局、「復興」という美名を冠した
あまたの物語にのみ込まれてしまっています。 私が小説家として目指している
のは「閉じない物語」。いろいろな人間、価値観が混じりあって混然一体となった
空間。いたるところに破れ目や出口がある。あえて完結はしない、
大団円やオチがない物語が理想ですね。》
▼ 地元の城下町・長岡に戻ってきたとき、「アッ危ない!」と思った。
『閉じられた孤島の世界があって、この価値体系に飲み込まれると自分の一生
が潰されてしまう。とにもかくにも、距離を置くこと。自分の世界をつくり、
第三者をいれないこと!』であった。こう割り切ると、これほど面白い世界は
ない。で、今回も、その距離のおかげで、比較的、冷静にいられる。
「目くそ、鼻くそを笑う」というが、そんなもの、「ドくそ、目くそ、鼻くそ
(を)、笑う」でしかない。逆に「ドくそ、目くそ、鼻くそに笑われる」と、
割り切ればよい。所詮は、共同幻想でしかないのだから。挫折を個人にとっての
大震災と喩えると、その人を取り囲んでいる地球の、そして身近な「自然と文明」
に、気づき、開かれる機会になる。この東北大震災も、リーマンショックも、
日本人に、いや、人類にとって、「文明の行方の方向性を、根本から考え直せ」
になる。私も、この結果を含めて人生の意味を考えると、森の生活から、
サバンナの生活に移行し、早く馴染め! ということか。 これからして、
{『東京オリンピック』は、明らかに愚行そのもの!}いや、{オリンピックは
文明の象徴、これで良い!}と意見が分かれるが、私は、せっかくの再生の
チャンスを潰す象徴!の方が、正しいと思うが・・
・・・・・・
4428, 前期高齢者になって、気づいたこと!
2013年05月01日(水)
  * 老人教育の必要性
 前期高齢者になって丸二年になる。丁度、会社も無くなり、年金暮らしに入り、
丸裸の自分に直面、そこで改めて自分の年齢に驚いている。まず気持ちが年齢に
ついていけない。まだ50歳半ばというところ。数年前に親戚の法事に出たが、
宴席で80歳位の人の愚痴が始まった。「後期高齢者という命名が人を馬鹿にした
ようで気に入らない」「免許書換えで、返納を考えるように暗にいわれた」とか。
そこで、年寄りの愚痴ほど周囲を不愉快にすることを教わった。私の両親の愚痴を
殆ど聞いたことはない。 肉体の衰えが精神に転化し顕れるのが愚痴。
スポーツジムに毎日通って腰痛は軽くなったが、何かしらイライラする頻度が
多くなった。さしあたった心配事がないこともある。「前期高齢者」
「後期高齢者」という命名は確かに失敗。例えば前期を「グリーン高齢者」、
後期を「プラチナ高齢者」ぐらいにする心遣いも必要である。歳を重ねるたび
身体は重く、気持ちは暗くなり、身内や身辺の悪口、あら探しの度合いが強く
なるのが老化のようだ。 他人をみると分かるが、自分になると自覚できない。
それもあるから年寄りは意識して明るくなければならない。それと自立が出来て
なかった人ほど老人の甘えが強い。 政府が音頭をとって、地域自治体に
「お年寄りの心得」とかいうセミナーの聴講を義務づければよい。 私など
最も手のつけられない偏屈老人になりそうだが・・ 日本は世界の名だたる
長寿国になったが、それに備える知識教育はされてない。 その以前に、自立と
教養の問題に行き着く。御隠居学とか、余生の過ごし方のようなノウハウ本には、
長年かけた準備が必要とあるが、今日明日、そう簡単に良い老人への変身など
土台無理の話。そこで、せめて「明るく自立した生き方を目指すべき。
老人になると、人生で培ってきた要素の格差が大きく出てくる。老いていく
自分を自虐的に鳥瞰するのも面白いもの!
  ー たまたまだが、以下の内容が、丁度つながる。
・・・・・・
4054, 吹き来る風が私に云う
2012年05月01日(火)
  ー 帰郷 ー   中原中也
柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ
縁の下では蜘蛛の巣が 心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く あゝ今日は好い天気だ
路傍の草陰が あどけない愁しみをする

これが私の故里だ さやかに風も吹いてゐる
心置きなく泣かれよと 年増婦の低い声もする

あゝ おまえはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云う
  ーー
 この最後の二行が、現在の自分の心?でもある。 
自分だけでない、晩年の人間から湧き出る言葉。
「あゝ、おまえは何をしてきたのだと・・・吹き来る風が云う」 
ったく!お前という奴は!と、まともに人生を生きてくれば、
この言葉が出るのが自然。 秘境ツアーで、平々凡々に生きてきた人が
病気で突然、死に直面し慌てて人生の余白を埋めに来た人に出会ったこと。 
死線を彷徨った手術の後、壮大な景色に感動して夫婦して肩を抱き合い
泣いている姿も見た。ネパールで遠景のヒマラヤ連峰が一望できる丘だった。 
パタゴニアでは初老の婦人が何気なく、「親のいう通り生きてきたが、
ハッと気づくと、先が無い。私の人生で何もしてこなかった。このままでは
死にきれない。この旅行で、その穴埋めにきた」と、道すがら語りかけてきた。
「・・吹き来る風が云う」声で追われるように旅立ってきて、そこで何を
感じたのだろう。実は、この矛盾こそ実在。 生きてきた証である。 
エッ 証文が束になっている? 誰? ただ飄々と風がふく。
 ・・・・・・・・
3688, 自己を見つめる −11
2011年05月01日(日)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  愛の不在の人=肉親の愛情に恵まれなかった人を見抜くことは難しい。
 両親の仲が悪い子供には往々に多いが。愛の不在の人は普段は分からないが、
節目時に、それが表面化する。 人への憎悪と呪いが、そこで爆発する。
これは誰々という訳でなく、全ての人の心の奥に巣くっている。 節目時は、
傷ついている場合が多い。そのマイナーのエネルギーをプラスに転換するには、
そのまま流される数倍のエネルギーを要する。しかし流される人は意志が弱い
ため、そのエネルギーが空回りをしてしまう。そして自爆になっていく。 
  以下の箇所も、充分、肯ける部分である。
  ー愛の不在ー
【 小さいときから、肉親の愛情に恵まれず、誰からも優しい扱いを少しも
受けなかった人があったとすれば、多分その人は、心の奥底に深い傷を抱いて、
その後ずっと人生を恨みとおし、表面は穏かであっても、おそらく心の底では、
一生を通じてずっと、他者に対して暖かい心をもつことができず、絶対に他人を
許そうとはしないであろう。 小さい頃に親の愛情に恵まれなかった人、また、
周囲の人たちから嫌われ、いじめられ、除け者にされたと思っている人、さらに、
長じてからも憂き世の労苦と意地悪な世間にもみくちゃにされて、何の優しい
愛の絆をも構築することができなかった人、そうした人は、その原因が何であれ、
その隠された心のなかで、人生を憎悪し、呪うことになるであろう。そうした
人は、自虐や他虐のふるまい方をする以外に、人生への仕方をすることができ
なくなるであろう。 そのすさんだ心には、辛い人生に復讐する怨恨構の爆発
だけが、この世の慰めとなるであろう。 これは、ひとごとではない人生の
最重要問題である。 こういう否定的な感情は多れ少なかれ、誰のうちにも
巣くっている心の病だからである。なぜなら人間は、どこにおいても、厳しい
人間関係のなかに置かれ、大なり小なり、この世の荒波にもまれ傷つ経験を
免れがたいからである。】
▼ 無条件に親の愛をうけた人は、それが温もりとして性格を形成する。 
 逆の人は否定的感情に支配され、深く自分を傷つける。それは誰も持って
いるが人により強弱がある。 普通の流れでは、それは出てこないが、
節目時に暴風となる。それも家族全体が。
 ・・・・・・・
3323, 「なぜ・なぜならば」の極限としての自由
2010年05月01日(土)
 『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』石川文康著−3
「理性の極限として自由に行き着く」とは、驚きだが納得できる。 
そしてカントも自由が「創造的能力」と看破。自由は第一原因であることから、
当然の帰結である。  自分の真にしたいことを人生を通して貫き、創造性を
発揮することが自由であり、それが理念であり、そこに理性が働くことになる。
 *「なぜ・なぜならば」の極限としての自由  ーP・205 から
≪ 自由は第一原因である。原因は理由であり根拠であり、「なぜ」
「なぜならば」であったから、第一原因としての自由は、意外に思われるかも
しれないが、「なぜ」および「なぜならば」の極限である。日常のことばの
使用法からすれば、「なぜ」は単なる疑問詞であり、「なぜなら」も単なる
接続詞にすぎず、これらが自由とじかに結びつくことはない。
それを思えばよくよく意外な地点に到達したものである。しかし、
「なぜ」「なぜならば」「理由」「根拠」「原因」、そして「第一原因」と、
一連の鎖を極限までたどってくると、おのずと「自由」に逢着せざるを
えなかったのである。これらの鎖の項は、いずれも理性のメタモルフォーゼ
(変容・化体)である。理性は自由の最終的メタモルフォーゼである。
そして、自由はあの「なぜ存在するものがあって、むしろ無ではないのか」
というライプニッツ以来の問いに対する、考えられうる「なぜならば」
の中で究極のものである。 その意味で、先にアプリオリな判断が、
ライプニッツによる十分な理由の法則の成長形態であることを確認したが
自由はその成長の極致と言ってよい。われわれ独自の定式で言えば、
「なぜ『なぜ』なのか」という問いに対する究極の「なぜならば」でもある。
この背後に関しては、哲学はソクラテス以来の率直な「無知の知」をもって
答える以外にない。究極の「なぜならば」であるかぎり、そのさらに
「なぜ」は少なくとも理性にとっては無意味である。カント自身も、
「なぜ」自由が可能なのかは、答えることが出来ないとした。自由が「なぜ」
(理由=理性)の極限であれば、理性にとってそれ以上の「なぜ」は
あるはずがない。あえてその背後に踏み込もうとすると、理性の限界外に越権
を犯すことになり言葉が空転する。そこには、理性を満足させうる答えはない。
というのは、理性を満足させうるのは再び理性のみであり、理性の限界外には
「非理性」があるだけだからである。 ちょうど、鏡に万物が映し出されるが、
しかしその中には何も実在していないように。非理性によって満足するものが
あるとすれば、それはさしずめ「構想力」(イマージネーション)であろうが、
それを満足させることができるのも、やはり逞しい構想力であって理性ではない。
・・(略)たしかに自由は無からの創造に類似する。超時間から時間への作用
である自由は、どこか神による無からの創造を思わせる。カントも自由が
「創造的能力」であることを、はっきり認めていた。 しかし、理性的存在者と
しての人間は、その自由ゆえ自己の行為の創造者でありえても、世界の創造者
ではない。≫
〜「よく遊び、よく学び、よく遊ぶ」これが創造的能力を発揮する! 
この「よく」が理性? 親、社会の刷り込みからの自由?
・・・・・・・・・
2948, 報道されないニュース
2009年05月01日(金)  
 ネットで「商業販売、過去最大24.0%減に」をみて驚いた。 
大手の新聞記事を探したが見当たらない。報道管制をしているのである? 
メーカーが40〜50パーセント減、流通・サービスが30〜40パー減、
と言われているが、あまり表面だった報道はされていない。ところが、共同
通信社のHPに、この記事があった。スーパー、百貨店などが24パー減とは、
マスコミは間違っても報道はしないが、実際は、そんなところか?
日本は、とんでもない領域にあるということだ。 時間の経過と共に
ツルベオトシになっている。これに豚インフルエンザときたら、5〜6月は
大荒れになってしまう。即死の企業が多出するのは必然である。
*3月商業販売、過去最大24.0%減=卸の全業種マイナスに 
   4月28日11時1分 配信 時事通信
  経済産業省が28日発表した3月の商業販売統計によると、卸売りと小売りを
  合計した商業販売額は前年同月比24.0%減の45兆0650億円となり、4カ月
  連続で過去最大の減少幅を記録した。自動車や半導体の輸出が不振で、卸売
  業販売額が29.2%減の33兆3420億円と急減したことが響いた。  
  卸売りは全業種でマイナス。 
*2月商業販売、過去最大21.5%減=卸、小売りの全業種がマイナス 
  (2009/03/27-10:20)
  ≪字数制限のためカット 2011年5月1日≫
・・・・・・・・・・
2584, ただ、生命だけが‘びくびく’と生きている
2008年05月01日(木)
 ー「人生の答え」の出し方ー  柳田邦夫著 ー2
この本の「魂を揺さぶる言葉」という項目の中でー「いのちの初夜」北條民雄著ー
を取り上げていた。ハンセン病のために隔離され疎外され、23歳で夭折した小説家
・北条民雄の代表作「いのちの初夜」で、古株の患者が新入患者である主人公に
語る言葉の一部がある。 まず、その部分を書き写してみる。
 ーー
「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのち そのものなんです。
僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。 あの人たちの『人間』はもう
死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけが‘びくびく’と生きているのです。
 なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那(せつな)に、その人の人間
は亡びるのです。 死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。
そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。
けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、
全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです。
復活そう復活です。 びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。
新しい人間生活はそれから始まるのです。尾田さん、あなたは今死んでいるのです。
死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。あなたの苦悩や絶望、それが
どこから来るか、考えてみてください。ひとたび死んだ過去の人間を捜し求めて
いるからではないでしょうか」・・?   「いのちの初夜」より
 ここからは、ー「人生の答えの出し方ーより??
(字数制限によりカット 2015年5月01日)


5159,閑話小題 〜夜の世界も世代交代に入った

2015年04月30日(木)

  * つれづれに 〜夜の世界も世代交代に入った
 一昨夜の飲み会の一軒目は、最近、長岡駅、新潟駅、そしてイオン長岡店に
できた、上越出身の寿司チェーンの長岡駅前店に入ってみた。明るい居酒屋の
雰囲気で、値段は中。ネタが良いのと、各テーブルにあるタブレットで、直接、
オーダーが出来ることが特徴。客単価は4〜5千円? 何とか残存している
老舗の寿司屋は脅威になる。一言で言えば、「寿司を売りにした居酒屋」。

 二軒目は、39年続いたカラオケスナックが、4月で廃業というので、
お別れの挨拶で行くことにした。80歳過ぎの大ママと、50代のチイママと、
スタッフ二人の比較的大きな店で、けっこう、繁盛していたが、今年が契約の
更新のタイミングに廃業を決めたという。しかし急遽、アルバイトの若い女性が
引き継いで、同じ店名で継続するとか。要するに代替わり。夜の巷も世代交代か。

 団塊の世代が、本格的にリタイアをし、年金生活に入いり、また、景気も
悪化が深刻化している現在、個人が体を張った飲食店は深刻な事態のようだ。
スナックが4〜5千円とすると、シネマなら4〜5回行けるし、スポーツジム
の平日会員は6千円。それからみると、居酒屋もスナックも高過ぎ。
滞在時間から値段をみると、スナック、居酒屋は一時間、2千円。
シネマは4〜5百円で3〜4分の1。刺激と面白さが3倍とすると、
10倍の価値の差になる。夜の商売の敵は、御多聞に漏れず、テレビや
ネット、シネマ館ではないか。時代は、何れの世界でも、大きく動いている。
・・・・・・
2014年04月30日(水)
4794,閑話小題 ーつれづれに〜4月29日
  * 4月29日の午後は、寝室でTV三昧
 4月29日の祝日は、毎年、全日本柔道選手権のTV観戦をしているが、昨日の
午後は、これに加えて、巨人・ヤクルト戦、サッカーの新潟アレビレックス戦、
映画のアーカイブを、寝室にこもり一人で同時に見ていた。どれもこれも面白く、
伯仲した思わぬ展開が続いていた。特に残念だったのが、巨・ヤ戦。九回の表、
エース菅野が完投勝利直前の三対一から、思いもよらぬ選手から逆転スリーラン
を打たれてしまった。このところ、負け続けのヤクルトが気の毒に思い、急遽、
ホームランを願ったところ、それが通じてか、逆転をして、会場は騒然。
ところが、その時、「逆転サヨナラホームラン」と、勘違いをしてしまい、
チャンネルを全日本柔道に変えてしまたが、そこでも熱戦が繰り広げられ、
決勝で21歳の無名の伏兵が、優勝候補を破って優勝をした。その思わぬ結果に、
本人は何と「優勝候補に自分の名前が一切、取上げられなかったのが悔しくて、
それを晴らそうと優勝を狙ったいた」と。「優勝など思っていませんでした」
と、答えると思っていたため、耳を疑ったが、本人には、「優勝できる手応えが
元もとあった」と、言いたかったようだ。アーカイブの映画も、いずれの試合も
面白かった。しかし、夕方のニュースで、巨人が9回裏に更に逆転サヨナラで
勝利したと知り、一番面白い場面の観戦が出来なかった勘違いに、我ながら
驚いた始末。 我ながら、平凡な、ありきたりの、軽い御隠居になったものだが、
それは、それで、気に入っている。見方によれば、TVで頭をやられたバカな
ヤツになる。 それでも、朝、4時に起きて、随想日記を書き上げ、信濃川の
大橋と土手を一周し、午前中は、読書とパソコンに向かった上だから、と自分
に言い聞かせているのだから、真面目というか、硬いというか・・
 で、今朝は小雨で、ポタリングは無理?かどうかと、空を見上げ、
ため息をついている。
・・・・・・
2013年04月30日(火)
4427, 閑話小題ー 「人生−仕事=?」の質問
  * 「人生−仕事=?」の質問
 「貴方の人生から仕事を差し引いた何が残る?」という問いかけ。 
さしずめ私は屁理屈と、秘境ツアーの思い出と、酒癖の悪さ、随想日記の辺り。
そして幾つかの建物。ところで人生の中で仕事はどれほど重要な位置を占める
のだろう? 知らない人に出会ったとき、まず知りたいのは職業で、趣味は後
になる。都会のセミナーや何かの同好会で、初対面の素性を知りたいとしたら、
まず職業と肩書きである。その後、学歴、出身地、趣味になっていく。
それだけ職業は大きな要素である。人生とは生まれて死ぬまでの生きた道筋。
そこで職業は生活をしていくベースで、まずは、その確保が必要になる。
とすると、「人生=仕事+?」になる。「?」を思いついた順に書いてみると、
金、教養、趣味、愛、夢、家族、仁、神、自分の世界、情熱、世間体、などが
出てくる。仕事の中に、それら集約されたものが含まれる。私の場合、挫折を
入れ、「人生ー仕事=挫折」とし、置き換えると「人生=仕事+挫折」。
人生から見れば「成功」と変わらない? 実際は上記の全て。
   * どうも人は、長期的思考が苦手のよう
 事業が長期的設備投資のため、常に長期的、中期的、短期的に分けて
考える習慣が身についているが、一般的には、長期的思考が苦手のようだ。
大家族の商家の末っ子で、姉兄が自分の3、5、7、9、12歳上のため、
自分の将来が垣間見れる位置にいた。商家は家庭が日常戦場の現場で、不安の
真只中に置かれていた。そして一年一年、家族が同時に歳を重ねながら変化して
いくのが刺激的であった。変化は残酷にも現状を破壊する。その中で、親の目が
届かないため、まず自分の身を守らなければならない。そうこうあり、全神経を
身近な周囲に向ける癖がついてしまった。特に商売の先行きが幼児ながら心配で、
時代の成り行きには敏感であった。それが、そのまま現在まで続いている。
では長期思考が得意かというと、そうでない。そうならば、この結末に至らない。
9・11テロの地方経済に及ぼす影響と、リーマンショックで、売上が三分の一まで
落ち込むとは想定外で、これである。過去10年の想定外の出来事を、これから10年
先に想定したら、誰もが竦むはず。楽観的だから人間は生きていけるが、対策は
とって置くべき。特に、このアベノミクスには注意すべき。この10年の延長上の
大地震の頻発と、火山の噴火、更なる経済変動(恐慌)、北朝鮮の暴発、国境紛争
を切欠とした戦争、などなど、いつ何が起きても不思議でない。大変動を冷静に
受け入れるしかないが、刺激的で、面白い時代でもある。
・・・・・・
2012年04月30日(月)
4053, 閑話小題
  * 自分の傷口の血で、他人の傷口の血を洗うな!
 その辺のシラミというより、人間というものは、他人の血の臭いを嗅ぎ付ける
と本能的に食いついてくる。自分の傷口の血を相手の傷口に擦りつけたくなるのは
本能のなせる業。結局、それは自分の傷を化膿させる。他人の不幸は密の味で、
シタリ顔をして評価が始まる。 その家系や過去の出来事をあたかも知り尽くした
気になり、人物鑑定から始まり最後は嘲笑で終わる。それが共同幻想化をしていき
化け物のように変異していく。しかし実際の化け物は、それをつくり上げている
シロアリ集団そのもの。地方に痴呆が多いのも変化が少ないため。如何に何も
しなかった、いや、出来なかった自分がマトモと言いたいのである。
逆に、それに縛られてしまっている自分たちの姿が見えなくなっている。
老齢化社会とは、こういうことだ。
  * 4月29日といえば
 例年楽しみにしている天皇賞と日本柔道選手権も、ダークホースが優勝をした。
それがGWの連休が始まりである。 梅も桜も散り、鯉のぼりの時節になる。
この数年来、信濃川沿岸近くの公園で鯉のぼりが多く上る。初夏の到来である。 
また季節の変わり目で、軽い腰痛が出るが、トレーニングの為か何とか軽く
収まっている。 積雪のため休んでいた早朝のミニサイクリングも、慣れてきた。
日本と世界経済も、何時、暴発するかどうかの緊迫の中、どうしてもマイナス
思考になりがち。しかし、情報化の御陰で面白いことに近づける。こういう時代、
「よく見れば、なずな花咲、垣根かな」で、身近な楽しみを味わうこと。
TVの昔のドラマの再放送も、ジックリ見るとけっこう面白いのが多い。だんだん、
この生活に慣れてくると、味わい深くなっていく。御隠居とは、よく言ったもの。 
・・・・・
2011年04月30日(土)
3687, 節目どきに ー11
  * 今年の桜
 今年の桜も、悠久山もほぼ散ってしまった。私の主観でいうと、「福島江の
桜は例年並み、悠久山は、数年に一度の咲き具合。」だったが、丁度みた時間帯
などにもよる。しかし去年の写真を見ると同じようなものだから、主観的な要素が
強いということか。大震災で花見という雰囲気ではない。ボンボリも殆どなく、
人影も普段の散歩程度しか見かけられなかった。やはり、何かが変ってしまった。
  * 居間を追われ
 数日前、家内に「居間を昼間、占拠されていると自分のいる場所がないので、
仏間の一角の書斎コーナーに行くように」と強く言われ憮然とした。が、考えて
みれば、その通り。そこで事務所から引き上げてきたパソコンの荷をほどき、
机に移動、ネットに結んだ。パソコンの設定が違っているため、SEをしている
知人にお願いをして苦労惨澹の末、結ぶことができた。そうなってしまうと、
そこが最適の居場所になり、家内からのシェルター?にもなっている。 
中古でも良いから以前より、ここにパソコンを、もう一台置いておけばという、
欲目が出てきている。 それにしてもパソコンの存在は大きい。
「酒に、タバコに、そしてiphne」と言われる位に、スマートフォンの
影響は大きいというが、納得できる。
  * 生活保護者受給者数が200万
 生活保護受給者が200万人となり、10年前に比べ8割も多くなって
いるという。さらに、この震災で大幅に増えるのは明らか。震災・原発事故の
問題で景気は一段と悪化、生活保護受給者が数十万は増加するのは必至。 
現在の生活保護費は3兆円を超えており、今後4兆円になっていくのだろうが、
予算の一割が生活保護費とは! この大震災の経済における影響は底しれぬ
影響を今後、もたらすことになる。それにしても、現在おかれている状況から
みる日本は、あまりに楽観的である。
・・・・・・・
2010年04月30日(金)   
 3322、iPadについて
 iPadについて、「ウェブ進化論」著者の梅田望夫が、どのように見ている
のか知りたかったが、4月26日(月曜の産経新聞・一面)のコラムで以下の
ような感想を述べていた。雑誌や、週刊誌の記者が実際に使ってみた感想と同じ
だが、同じことをいっても専門家の言うことは重みが違ってくる。 
私も使ってはいないが、ネットでデモの画面の内容をみて、「これは現在ある紙を
媒体とした情報手段を叩き壊すだけでなく、携帯電話や、iPodや、パソコンが
生活様式を変えたより、大きなインパクトを与える革命的な存在」の予感がした。
iPodやiPoneのソフトの下地にあるから相乗効果を出すはず。 
書籍だけでなく新聞を、これを媒体として、見るようになる。5年から7年で、
本や雑誌の出版が1〜2割まで落ち込む可能性があるという。
 ■ 全てを“本”にするiPad   梅田望夫 (産経新聞)■
4月3日、米アップルがタブレット型コンピューター「iPad」を発売した。
事前にネット注文していた私は3日は外出の予定を入れず、自宅でiPadの
配達を待った。そして、アップルストア開店から4時間遅れて中国からiPad
が届いた。iPadは電子書籍端末としての期待も大きい商品だが、使ってみて
私が直感したのは、これは創業者ジョブズが昔から作りたかった「理想のマルチ
メディア・コンピューター」の姿そのものだ、ということだった。アップルの
社名はもともとアップルコンピューターだった。しかし90年代に経営危機に
陥り、携帯音楽プレーヤー「iPod」の大ヒットなどで復活したあと、業態と
合わせるために社名からコンピューターがはずれた。しかしジョブズは執拗に
コンピューターを構想し続けていて、いまiPadという製品に結実させた。
使い始めてしばらくして私は、ぜんぜん想像していなかった不思議な感覚を
味わうことになった。「あれっ、本と雑誌と新聞とウェブサイトの区別が
つかなくなってきたぞ」と。昨年アマゾンが電子書籍端末「Kindle」を
世に出したとき、人々は「本がまるで本であるかのように読める」ことに驚いた。
しかしiPadは、本や雑誌といった出版商品だけでなく、ウェブコンテンツ
であれ書類であれ、何でも読めるコンピューター。しかも形状は電子書籍端末に
近く、カラー画面上に指を滑らせるだけで、ウェブコンテンツにつきものの
夾雑物をも取り除ける。その結果、利用者に「本以外のすべてのコンテンツを、
あたかも本を読んでいるかのように錯覚させてしまう」効果をもたらす。
「本がまるで本であるかのように読める」というのとは全く違うのである。 
本も雑誌も新聞も、紙と印刷技術を前提にしたパッケージ商品である。 
電子書籍とはこれまで、その「本という概念」を変えることなく電子化する
ことを意味していた。雑誌や新聞の電子化も右に同じ。Kindleはその
方向性に忠実な端末だ。しかしiPadの登場は、逆に「本と本以外のあらゆる
コンテンツの境界が揺らぐ感覚」を私たちに味わわせる。そしてその揺らいだ
ところに新しい技術が注入されれば、越境により新しいジャンルが創出できそうな
予感に満ちている。いまiPadにいちばん興奮しているのは、初期の利用者
以上に、世界中の開発者やクリエーターたちだと言っていいだろう。 
iPadとは、ジョブズが仕掛けた「メディア産業全体に創造的破壊をもたらす
時限爆弾」なのだ。iPadの米国での販売台数は発売から1週間で50万台
以上と、事前予測を超える大ヒットとなった。供給がまったく追い付かず、米国
でもなかなか手に入らない。日本を含む米国以外での発売時期は1カ月延期
されて5月末。
・・・・・
2009年04月30日(木)
2947,全日本柔道選手権  ー2009年
 毎年、全日本柔道選手権は(壮絶の試合になるので)必ず見ている。
そして毎年4月30日は(一昨年を除いて)前日の試合の感想を書いてきた。
それを読むと、それぞれの時代の有力選手の姿などが見えてくる。
今年は24歳の若手の穴井が優勝をしたが、決勝戦の棟田との試合は極限の中
での勝負であった。最後に若さの力を振り絞った穴井が逆転勝ちをしたが、
見ていて感動的だった。 去年までの数年間は、井上、鈴木、棟田、石井が
準々決勝の常連だったが、今年は井上と、石井が引退、鈴木も準々決勝で
敗退してしまった。 時代の変化が、そのまま現れていた。この試合は体重別
でないのが良いし、日本人柔道家にとって思い入れの深い選手権。次の主役が
穴井と準決勝まで勝ち進んだ高井が浮き上がった。 毎年のことだが死力を
尽くしきった試合は心を打つ。また、今年勝った、穴井が優勝をして男泣き
していた姿が何ともいえない純粋さが現われていた。石井が去年のオリンピック
の金メダルを取った後の引退騒動。彼に柔道そのものが汚されてしまった。
それが柔道界全体に後をひいたように感じたが。石井の醜態は、柔道そのものを
汚した反面、世界は柔道から「ジュウドウ」への流れを、石井は適応して
オリンピックで優勝をした実績は実績である。ところで毎年書き続けてきた
文章を一切に目にしないで見たままを書いているが、自分自身を試合を通して
合せ鏡をみているようで面白い。 大相撲もそうだが、一つのことを書き
続けることも、何か自分の心を見つめる良い機会になる。
 ー
この文章を書いた後で、これまでのものを読み返すと、「毎年書き続けた
文章を目にしないで書いている」など、同じ文言が書いてあったが、
決まった言葉を疑問を持たずに繰り返す自分の枠を見せつけらる。
・・・・・・・・
2008年04月30日(水)
2583, 全日本柔道選手権
毎年、この大会を楽しみにしている。特に、オリンピックの年のこの大会は、
異常な熱気に包まれる。日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に
勝つことを重要視している。今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も
熱気に満ちた劇的な試合が続いた。特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上
康生と高井戦が劇的な戦いであった。それまでの全てをかけた男同士の極限
の戦いということ。結果として石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、
私は違う。 (以上、字数制限のためカット 2010年4月30日)
・・・・・・・・・
2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり  (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァ♪    
              『団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー
2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。丁度、団塊の世代が今年
から定年を向かえるのでタイミングがよい。これもまた買うほどでないので、
ネットで概要を調べてみた。時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。総中流時代の中で、
結果として格差がついても、時代の恩恵は受けていた年代である。歴史的に
みても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。格差がついたとしても、
それが如何した!でしかない。格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、
問題は子供である。それが大きい!が、しかし、どれが如何した!と言えば、
それまでのこと。
 ーまずは、ネットで調べた内容からー
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な
数字を基に、「団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、
子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、・不倫したことがある28%なども含まれている。
『下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。
 ー団塊格差ー
1.リッチ・シニア層
  退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有。
  職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、収入の
  ためより、社会貢献の一環として、好きで働く層。職業を卒業した場合は、
  ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、自分の
  好きなように、自由に、有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
2.アクティブ・シニア層
  金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、
  シニアになっても職業を得ている階層。例えば、労働基準法の改正による、
  会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
  健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
3.ワーキングプア・シニア層
  金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る
  職業に就くことも難しい層。
 ▼ 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。著者があとがきに
  記している次の一文が、それを端的に表している。
  (字数制限のためカット 2011年4月30日)


5158,不幸不利の7つの法則 〜②

2015年04月29日(水)

 そこで、幸福優位の7つの法則の真逆の言葉を書いてみる
  〜不幸不利の7つの法則〜
法則1: 不幸感の強い人は、周囲に人に違和感と、悲哀感と、絶望感を与える
  2: 心のマイナスへのレバレッジ化が強くなり、ドブ沼にはまりこみ、
     その毒を周囲にマイナスを振りまく
  3: 何事にもマイナス要素に対し敏感になり、何事もマイナスに考え、
     粗探しを求めて彷徨う、あの人たち
  4: 下降の勢いを他人に向けて、結果として傷口の血を周囲に塗りつけ周る
  5: ゾロ・サークルの円が、日々、小さく、固くなり、自分の首を絞める
  6: 20秒ルールが、悪く働き、下降曲線が身につき、悪い習慣が増強される
  7: ソーシャルに毒を撒き続けることで、その毒が返り矢で降りかかる
 多くは、四苦八苦に打ちのめされ、「貧すれば鈍する」の負の連鎖で、恨みを
買う劣者のスパイラルに入っていく。「順境には枝を、逆境には根を張れ」の
とおり、ただ、ジッと下を向いていれば良いものを。傍からみれば、私の現状は、
まさに、上記の法則のように見えているのだろが、何とか『不幸不利の法則』の
スパイラルから逃れている。 子供の頃から現在に至るまで、様々な『不幸不利」
の事例を見てきたが、それはそれは残酷なもの。とにかく、不幸不利の状況に
立たないことだが。 備えを普段からつくり上げておくしかない。
とはいえ、全ての人には、死という挫折が待っている。死ぬまでは生きている
のだから、死を悟る瞬間までは、幸せに生きなくては! 
ところで、毎年、小、中、高、大学と同級会に出席しているが、上に進むにつれ、
不幸不利の人の割合が、少なくなる。 これだけは、仕方がないことだが。
 『泣いても、笑っても、同じ空!』である。
 〜参考〜 「幸福優位の7つの法則」
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
・・・・・・
4793,「消費される物語」 ー3
2014年04月29日(火)
           朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
  * 自己完結せず外へまなざしを        作家・高村薫
 毎日、一文章を書き終える自己完結に精一杯で、内々に凝り固まっている
現状を批判するに、丁度良い内容のようだ。 それも、13年間にわたって、
束縛されてしまっている自分にである。 ーその辺りからー  
《 ■「我々の社会」という物語が揺らいでいるため、物語は過剰な作られ方
 をしているー人間の社会があるところには必ず物語が誕生します。原始時代
でも自分たちの集落とその外を分ける物語があったはず。日本で「古事記」や
「日本書紀」が編纂されたのも、律令国家が確立して自らの国史を欲したから。
つまり、物語は人間が生きていくうえで必要なものなのです。私たちの国、
私たちの王、家族、これらはすべて物語です。物語の特徴は、自分たちが見たい
もの、好ましいものを取り入れる一方で、見たくないもの、不都合なものは排除
することができるところにある。つまり虚構です。私たちは物語という虚構を
消費しながら生き、社会は虚構に支えられて維持されている。ですから、今日
さまざまな物語が次々と作られているのはそれほど不思議なことではありません。
 ただここへきて、その物語の作られ方が年々過剰になっているのは
「私たちの社会」という物語が揺らいでいるからです。例えはグローバル世界
では、人やモノの自由な往来が国境をなくしてゆくだろうと予想されていたのに、
実際には世界のあちこちで「私たちの国」という物語が不安定になって、その
穴埋めのために過剰な物語が生まれています。ナショナリズムの台頭もその一つ。
社会不安が増したり、経済状況が悪化したりして、人ぴとが自信や幸福感を
失うとアイデンティティーも揺らぎます。それを補うために、ことさら物語を
増幅させているのが今の世界です。これまでと大きく方向性の異なる安倍政権が
誕生したのは、新しい物語を語ってくれそうだという朋待が有権者にあるからで、
それが高い支持率の正体かもしれません。
 日本では、戦後続いた経済的な繁栄という物語が崩れた後、社会をまとめる
物語がなかなかできません。1990年代以降は、心の余裕がなくなつて、物語が
より内向きになっています。人は誰でも、より心地よい物語の方に惹かれます。
社会にはかって、本筋を外れてはならない暗黙の了解というか、節操があった
と思います。明るい未来が見えているときには、外に向かって積極的に開いて
いくことができたのですが、それが出来なくなってしまった。》
▼ 13年間で、5千近い文章、物語を書き続けてきたが、これが私を、更に
 内向けにしていた。これで、都合の良いように物語化して、都合の悪いことを
排除していたのである。混沌とするほど、それが大きくなっていくのを、冷笑
して、改めて読み返すのも、また、都合の良い物語である。小さく、小さく、
自己完結をしていただけだったのである。その知識を加えて、これからの文章を
書いていくしか、現在の私には術がないが。自己完結するから、次に進むことが
出来るともいえる。そういえば、単調な自己完結した日々を繰り返している
現状を、改めて考えてみようか? 読者の一部には、これが見えていたのだろう。 
今さら、自分は自分でしかない!と、思わなくては、ボキッと折れる。
・・・・・・
4426, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー9
2013年04月29日(月)
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
  * 日本人は実は会社が大嫌い
 これまで年功序列と終身雇用の日本的システムこそが人々を幸福にすると
信じて疑わなかった。が、実はサラリーマンは昔から会社が大嫌いでガマン
して働いていただけ。それが出来たのは高度成長でパイが拡大していたため。 
バブル崩壊で景気が落ち込むと、日本的雇用制度が虚構の上で成り立っている
のが露呈してきた。 著者は、ここで、
《 大卒内定率が50%を下回るのも、3人に1人が非正規雇用になるのも、
 中高年のサラリーマンにうつ病が急増するのも、日本人がアメリカ人の2倍
(イギリス人の4倍)の割合で自殺するのも、すべて、機能不全を起こした
日本的システムから生じる同根の現象》という。誰が好きこのんで年功序列の
終身雇用のラインにいるのではない。それなりの理由があるため。
  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ バブル最盛期の1980年代後半に行なわれた、仕事の満足度に関する
 日米比較調査がある。おそらくほとんどのひとは、日本と米国のデータが
すべて逆になっていると思うだろう。この調査結果は衝撃的で、私たちの「常識」
を根底から覆す。カリブォルニア大学と南カロライナ大学によるこの調査は、
日本の厚木と米中西部イソディアナポリス地区の製造業七業種の労働者それぞれ
4千人あまりを対象とした大規模なものだ。彼らは日本と米国の仕事観に際立った
違いを明らかにした。
* 結局のところ「いまの仕事にどれほど満足ですか」との質問に対し、
 満足との回答は米で34%、日本はその半分の17・8%。不満は米では
 わずか4・5%に対し、日本はその三倍の15・9%にのぼる。
*「あなにの友人にこの会社であなたのような仕事を希望したら、あなたは
 勧めますか」の質問には、米では63・4%が友人に勧めると答えたのに対し、
 日本はわずか18・5%だけだ。逆に勧めないと答えたのは、米が11・3、
 日本が27・6%だ。
*「いまあなたが知っていることを入職時に知っているとしてこの会社の
 いま一度、この仕事につきますか」の質問では、「もう一度やりたい」
 との回答は米ではじつに69・1%、日本は23・3%と三分の一にすぎない。
 二度とやりたくない」は米ではわずか8%、日本は39・6%と回答者の
 四割にものぼる。
*「いまの仕事は、入職時の希望と比較して合格点をつけますか」に対しては、
 合格点は米33・6%に対し日本はわずか5・2%にすぎない。否定にいたって
 は米の14・0%に対し、日本は62・5%と過半数を超える。もういちど
 繰り返すけれど、これは雇用崩壊が騒がれるようになった最近の調査結果
 ではない。80年代は日本企業が世界に君臨し"ジャパン・アズ、ナンバーワン"
 と呼ばれた時代であり、一方のアメリカでは、家族経営を信条としていたIBMや
 コダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模なリストラに追い込まれていた。
 それにもかかわらず、アメリカの労働者のほうが日本のサラリーマンよりも
 はるかに仕事に充実感を持ち、会社を愛し、貢献したいと思っていたのだ。≫
▼ アメリカの平均的家庭はプロテスタントで、働くことの価値の宗教的
 裏づけがある。日本にあるのは、儒教と朱子学の勤勉と、藩への滅私奉公の
意識ぐらい。それもアメリカの占領政策により、骨抜き。特に私は従属が大嫌い。
そのため会社に入らないで済ませるため、自分で会社を作る道を選んだ。
振り返ると、それが正解? 調査結果の内容は、国民の民度の問題でもある。
これでは経済の荒波が来れば、ヘチャルわけ。使われるのも大変だが、
使う方はモット大変。 * これらの質問の逆を考えて、何人肯定出来る? 
日本人と同じ比率? 肯定肯定、絶対肯定!と、感謝の言葉を繰り返す日々。
・・・・・・
4052, 閑話小題 
2012年04月29日(日)
   * ゴールデンウィーク
 ゴールデンウィークといっても、現在の私には関係ないし、敢えて人混み
の中に外出をすることもない。一般社会では、まとまった休暇は、この時期
しかないのが世の習い。大多数が行楽地に出かけたりするのを見ると、似た
ように動きたくなるのが人情。 ところで、現在通っているスポーツジムが、
この期間にオール・オープンのサービスを打ち出してきた。年中休みの私に
とって有難いことである。例年、ゴールデン・ウィークは昼か夜、隔日ごとに
外食するのが慣い。今年も何の予定も無し、サンデー毎日と同じ感覚である。 
5月の連休をゴールデンウィークとは、良い命名である。
  * 見切り千両
 撤収の決断のキーワードは、「見切り千両」である。 以前より節目では
「見切り千両」をキーワードにしてきた。見切りこそ生物的本能が生かされる。
攻撃の判断と、撤退の判断、この二つが決断の要。 そのためには経験と知識
の蓄積が必要。攻撃の決断より、撤退の決断は遥かに難しい。 
遅かったきらいもあるが、この時しかなかったのも事実。
  * 秘境の写真集とドキュメント
 趣味に、秘境・異郷の写真集とTVドキュメントを楽しむことがある。
(最近、秘・異郷ツアーに行ってないので写真で我慢もあるが)最近は、
もっぱらiPadで写真集にアクセスして見ている。 やはり一度、訪れた
ところが主になる。 一度行ったところは、それぞれの目線により対象が
違って見え新たな発見があり、その延長の旅を続けているような気持ちになる。
その点でiPadは便利。常に身近において置けるのでチョッとした豆時間
(隙間時間)に、開き見ることが出来る。質も大事だが、量をこなすことも必要。
多いほど、より対象により近づいていける。 現地で全身で情報を吸収すれば、
その後、情報は磁石のように吸い寄せられてくる。今ではネットから簡単に入手
出来る。 世界は面白いことで満ち溢れている。 やはり行動しなければ、
そして知識を満たさなければ!
 ・・・・・・・
3686, 自己を見つめる −10
2011年04月29日(金)
  * 孤独と愛について、    「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 ー孤独の深さー 二ーチェによれば、落ち着いた人間の心のうちには
 「深い泉」があって、そこに石が投げ込まれても、その底に達するには時間
がかかるという。そうした人は、端から見れば,反応の遅い、退屈な人と見える
のだが、そうした人こそは、外からの刺激を深く受け止めて、よく考える人
なのである。 そうした人は、孤独のなかで熟慮する。
 西田幾多郎は、かつて、こう歌った。
ー わが心 深き底あり 喜も憂の波も とどかじと思ふ ーと。 
心の深い奥底は、そこに、すべての知情意の作用も、憂き世のあらゆる出来事も、
みんな呑み込まれて、沈殿してゆき、いわば底知れぬ深淵のまま、自己を支える
存在の根底としてどよめいている生命の大海、ないしはその尽きることのない
源泉なのである。その心の奥底を孤独のなかで見つめつつ、自己を照らす
根源的なものと面座する自己意識の極限こそは、 自己の知を越えて、自己の
存在そのものと融け合うであろう。】
【 ひたすら、いのちを慈しみ、優しく幼子をかき抱き、愛情の限りを尽くして、
子らのために献身する母性というものの記憶が、 人間における愛の心の象徴的
原点を形成することは否定できないように思われる。なぜなら、そうしたものが
あったからこそ、人類はこれまで、そのいのちの営為を継続して、存続することが
できたからである。おそらく、愛の根源は、象徴的には、そうした母性を介して
人間に植えつけられるところの、無償の贈与、そのひたすらな献身のうちにある
であろう。いのちあるものに恵みを与え、それを慈しみ、見守り、育て、その
無垢の胎動を大切にし、その侵すことのできない尊厳を守護しようとする、
いのちへの優しい気遣い、その存在の絶対的肯定、それが愛であると言ってよい。
 そうしたいのちの見守りの働きが、さらに拡大されて生きとし生けるすべての
ものに及ぼされて、あらゆるものをその存在意義において許し、承認し、助け、
生かし、守護し、見守り、育て、養い、その存在の至福を祈念する働きのすべてが、
 愛という語によって含意されることになろう。そこに、万物を生かすところの
神の愛といった観念も成り立つ。もちろん、そうした愛に、さらに厳しさも
加えられてこそ、万物の生成が初めて可能になるという観念も、やがて成立する。
シェリングの世界観などはその典型である。】
▼ 孤独と、そこに潜む愛の問題は人間の本質に根ざしている。 
「母の愛を介して人間に植えつけられる無償の贈与は、その献身の中にあり、
それが心底で象徴的原点を形成する」ことは、誰もが体験的に知っている。
その量と質が、人間性を決めてしまう。特に幼児期の両親の絶対愛が、人生の
原点になる。絶対量の少ない人は多い人の温みの起因を知ることがない。
 ・・・・・・・
3321, 「知の衰退」からいかに脱出するか?  −1
2010年04月29日(木)
 ー「『知の衰退』からいかに脱出するか? 」 ー大前研一 (著)
大前研一は、図書館や書店で手に何度か手に取るが、何か読む気がしなかった。
しかし現在の日本の行き詰まりなどをみるにつけ、「日本が変、それも異常な
ほど変である!」と思っていた矢先に、グローバルの世界の中で「茹で蛙の日本」
を徹底的に非難している内容をみて、読んでみることにした。保守的な人から
みたら、眼を剥いて怒るような内容が次から次へと出てくるが、現実に中国や
韓国の若者たちは、眼を輝かせて必死に勉強している割合が日本の若者に比べて
圧倒的に多い現実がある。 高度成長期の時代なら、解るが、低成長の時代に
生まれ育ちデジタルの時代の中で、情報だけは豊富にあり、偏差値でランク付け
を子どもの頃からされた若者の立場もわからないでもない。しかし、だから
ダメと諦めてかかっては、どうもこうもならない。これからのビジネスマンに
必要な三種の神器は、「IT」「英語」「ファイナンス」というのも、初めは?
と思ったが、21世紀には、当たり前といえば当たり前のこと。特に、
ファイナンスを挙げているのは良い。最後は、この辺である。日本の若者の相手
はネットの先の、世界の高IQ化した若者である。だから、日本の低IQ化した
相手を無視して、自分の得意とする分野でユニークなスキルを磨くことを勧める
ことこそ、若者の道筋である。「現在の日本の低IQ社会の一員になっては
ならない」ということ。 だから、私の知人の子弟が数人、高校から外国に留学
をさせているのをみかける。「寂しくないか?」と聞くと、毎日ネット電話で
顔を見て話しているので、全く感じないという返事。 それと、外国に行って
いると金銭感覚が、鋭くなるという。そうこう考えると、著者のいう三種の神器
を身に付けさせるために行かせているようだ。
・・・・・・・・
2946,タレント知事をどうみるか? ー2
2009年04月29日(水)
  佐高信は、タレント知事を完全に否定している。 
ー反対する理由はー
「タレント、つまり人気商売は常に多数に寄っていく宿命だ。だから知事に
 一番向かないのではないか。多数の人気に自分を預けていて、自分の意見が
 ありそうで、ない。例えば、東国原知事の国政への転出騒ぎがその象徴だ。
『みなさんが許すなら』という言い方だった。 自分に信念があって不人気
 でもやるということではなく、人気に寄りかかっている。橋下知事も反発を
受けることを断行しているように見えるが、常に多数に乗っかっている。
 政治家や行政マンに必要な信念があるようで、実はない」
ー知事に必要な条件とは何かー
「弱者の痛みが分かること。過疎を切り捨てない人。この逆をやった政治家が
 小泉純一郎氏だ。全体的に政治家の『小泉純一郎化』が進んでいる。タレント
 知事も同じ人気者路線に乗っかっている。喝采(かっさい)を浴びた小泉氏
 のまねをして県民に受けている。 政治や行政の本来の使命である『公共』
 という概念が忘れられるというか“殺される”と思う」 タレント知事は
 人気を利用した発言力が役立ってはいないかーPR係として雇えばいいだけー  

・・・・・・・・・
2582, 柳田邦夫の2.5人称の視点
 2008年04月29日(火)
 ー「人生の答え」の出し方ー柳田邦夫著 ー1
柳田邦夫著ー「人生の答え」の出し方ーに「2・5人称の視点」という言葉
があった。その意味を噛締めてみると、成程と合点がゆく良い言葉である。
学生時代のゼミで、色いろな人間関係の実例を取り上げ、それぞれ原因を探り、
解決策を討論する事例研究を一年にわたり徹底的に鍛えられたことがあった。
この本を読みながら気がついたことがある。それは事例研究から学んだことは、
一人称、二人称、三人称、そして一・五人称、二・五人称の視点の訓練を
させられたこと。 ーその二・五人称とは何か?を大筋書いてみる
一人称は、自分、 
二人称は、あなた、家族など身近な人、
三人称は、専門家、役人、ジャーナリスト等、客観的に。他人事とみる視点。
三人称は「事態を客観的に見る良さがあるが、悩んでいる、落ち込んでいる
     一人称、二人称からは冷たく見えてしまう」
  (以下、字数の関係でカット2015年4月29日)


5157,不幸不利の7つの法則 〜①

2015年04月28日(火)

 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
・・・・・・
4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
・・・・・・
4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。《起業では、何かを
しようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保してから、何をするか、
どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の事業を始めるところから
考えるのが理想なのだろうが。 創業というと、一人の強力な個性が必要になる。 
黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を守るため、かき集められた浪人が、
圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に合わせた人集めの典型。このことは、
教養についてもいえる。何かのために知識を得るのではなく、知識のための
知識のベースが、まず必要。それが教養である。大学も4年のうちの二年間が
一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。人生を振り返ると、本当に
必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎知識であった。教養課程は、
その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方の差は、そういう人材が
身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界があった。 
「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。
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4051, シングルイン、31年間の総括 ー10
2012年04月28日(土)
   * つれづれに ー あれから一年
 去年の3月30日17時に会社を閉鎖して一年余りになる。激しく落ち込むと
覚悟はしていたが、思いのほか平静の日々を過ごすせた。会社経営から開放され
現在でも宙に浮いたようで、長年、重荷を背負っていたことに改めて気づいた
次第。日が経つにつれて、前倒しの決断をして本当に良かったと実感している。 
しかし世界も日本も国債と株価も何とか持ち堪えている。 早ければ、去年の
11月、遅くとも今年末と思っていた 辛うじて4月末現在、何とか維持し現在
に至っている。 世界の銀行と政府、企業の金庫の中に六千兆円の十倍の6京円
の不良債権が塩漬けになっている。何時、それが表面化するか時間の問題。
 一番早く表面化しそうなのが欧州だが、日本も、中国も、何が起こっても
不思議でない。日本は福島原発事故も解決したわけでなし、かつ原子炉54基
すべてが、止まったままである。更に政変含みの状態。 年末の米国と韓国の
大統領選挙まで持ちこたえるのか。会社名義のホテルと駐車場抵当物件の処分が
終わり、個人住宅も家内が買い取って全て終了した。ホテルも今までのホテル名で
再稼働を始めたという。有難いことである。 普段の生活が、もう少し手持ち
無沙汰で暇を持て余すと思いきや、全く、それはない。反面、倒産は倒産、
犯罪者に近い目で蔑視される事実に驚いた。一般債権は、ほぼゼロ。社員への
退職金の満額支払いは出来なかったが、国の一部たて替えを含めると平均八割
近く支払ったが、残債は残った。 一般債務分で補填すべきだったか? 
30年間、経理事務所の担当が言うには、「本当にキツイのはこれから」という。 
その意味が、まだ分からないが、差別?蔑視からくる世間様の何なのだろうが・・ 
今のところ「シラミ!」の10回の呪文で、気持ちの処理が可能。 自分を含め
シラミはシラミ。 スポーツジムと、iPad、シネマ通いと、図書館の御蔭で
何とか精神を保っている。好きなことだけが出来るからである。アウトサイダー
に徹してきたのも、結果として良かった。小さな襞(地域)の中で、煩わしい
因縁社会に組み込まれない生き方が、ここにくると楽。一歩、年金生活に入ると
景気とか社会に対する温感が鈍くなる。景気は最悪の筈だが、悲鳴が聞こえない。
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3685、 自己を見つめる −9
2011年04月28日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 孤独については、これまで何度も書いてきた。結局、人間は独りでは
生きられないのである。しかし孤独は、世間とかいうのがある限り必要である。
私の出身校の「長岡高校」の校是が「和同」の精神である。 和して同ぜず。 
和せ、同じになるな!である。これは、それぞれが孤独を守る中から生じる。
ここで孤独について、ニーチェの体験を指摘している。 孤独の素晴らしさを
「私の故郷」の良さに譬えているのは言いえて妙。
  ーまずは、その部分をー
【 ー孤独の大切さー ニーチェはかつて、孤独を「私の故郷」と呼んで、
 その至福にみちた優しさを讃えた。孤独が終わるところ、そこに「市場」
が始まり、世間の大人物や大俳優たちの騒々しさが耳を圧し、毒をもった
蝿たちのうなりが聞こえ、小人物たちの刺が私たちを突き刺す。そうした
騒がしい市場を離れ、海辺に出て、高い品位をもって沈黙し、岩陰にそびえ
立つ大きな樹木を見よう、とニーチェは誘う。その樹木のように、静かに耳を
澄ましながら、存在の声を聞こう、とニーチェは促す。そのとき、ニーチェは、
「孤独」の素晴らしさを、「私の故郷」と呼んで、その声が、なんと優しく、
また至福にみちて、自分に語りかけてくるか、ということを打ち明ける。
ニーチェは、そのとき、あらゆる「存在」が、「言葉」となって自分に開かれ
てくると言い、存在の内奥の秘密を宿した言葉の小箱が、一気に開かれ、
ありとあらゆる生々流転が、その秘儀を語り始めようととするかのようだ。 
このニーチェの体験は、すべての人間の体験だと言ってよい。言い換えれば、
孤独とは、そこで私たちが本当の自分を取り戻し、改めて純粋に、自分自身と
世界の人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間なのである。実際、
私たちは、物事のほんとうの姿が何であるのかをよく熟慮しようとするときは、
世間や俗事の雑音を一旦は遮断しなければならないことをよく心得ている。
たとえば、他の人々と大勢で、がやがやわいわい騒いでいるときには、
私たちは、ほんとうに自分らしく純粋に物事を見直し、考え直し、正しく
事態を把握する余裕や冷静さを持つことができない。 人間は、それほど
までに非力なのである。 】
▼ 世間や俗事の雑音を一旦、遮断するため孤独になるために、古典などの
 世界に浸ることが最も手短である。それか、一度自分の住んでいるところ
から外に出て、純粋に物事を考え直し、冷静さを保つことが必要である。
宇宙の塵でしかない己を自覚すること、しかし、その塵の素晴らしい存在
である一度だけの人生を自覚するためにも。 
 ・・・・・・・
2010年04月28日(水)
  『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』石川文康著 −2 
* 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす  
 学生時代の問い「理念の意味は何か?そして、その理の意味は?」が、40年
以上経った現在、その答えを見つけたのである。 何か微妙な感覚である。 
理念が理性の「何故?何故?」を徹底した問いの極限というから、眼から鱗。
  ーまずは、その部分を抜粋して考えてみる   P−24
≪ 理性的とは、「なぜ?ーなぜならば」という仕方で物事に筋道をつける
 能力である。それも、どこまでも道筋をつける能力である。というのは、
「何故?ーなぜならば」の関係は原則的に一組でほ終わらないからである。
一つの「なぜ?.」にいったん「なぜならば」と答えても、その答えに対して再び
「なぜ?」と問いうるし、そのまた「なぜ?」へとさかのぼりうる。理由のそのまた
理由……、原因のそのまた原因……、という具合にである。そのようにして、
「どこまでも」ということは、「徹底的に」という意味になる。そして
「徹底的に」ということは、究極に迫るということ、すなわち、最後には「極限」
にいたるということである。それは、理性が推理の能力であるということと表裏
一体である。 ある物事(結果)の理由や原因には、そのまた理由や原因がある。 
すなわち、いったん「なぜ? なぜならば」の推理が開始されるや、その鎖は
原理的にどこまでもさかのぼる。ということは、理性は原因のそのまた原因、
そのまた原因のさらにそのまた原因、等々の果てに、必然的に究極原因を求め
ざるをえなくなる。要するに、理性は極限に迫らざるをえないのである。 
いわゆる「理を通す」とは、そういうことである。・・
・・(中略) 冷めた言い方をすれば、理念は理性固有の本性や関心から
理性自身によって生みだされ、現実社会に合理的な脈絡をつけるために、現実社会
のかなたに「投影」された像に他ならない。 それは現実社会を合理的に読みとく
ためには、はなはだ有効であり、それどころか不可欠でさえある。 ところが、
ひとたび投影され現実世界と融合した像は、いつしか現実世界の一部はおろか、
その全体として実在するかのように、うっかりと思われてしまう。ちょうど、熱心
な観客が映画のスクリーンの中に、あたかも実在の世界があるように思い込んで、
感動したり憤慨したりするように。このように、理念は「功」と「罪」の両面性
を持っている。この両刀論法、すなわちパラドックスの原因とオーバーラップする。
この理性の両面性事態がまさしくパラドックスである。 このパラドックスこそ、
アンチノミー(二律背反)に他ならない。その理性が意志をコントロールし、
決定をする。 ≫
 ー以上だが、我が社の理念とか、私の理念とかで、使うが、まずは理性から
考えていかなければならない。そうすると、やはり何故、自分は目指すのか、
そして、何を目指すのか、その根拠(理性=理由)を明確にし、それを突き詰めた
のが会社理念となっていく。 それが個人としての私の行動指標なら、その根拠
の明示が必要になる。
 ・・・・・・・・・
2945,タレント知事をどうみるか? ー1
2009年04月28日(火)
 最近、一時なりを潜めていたタレント知事がマスコミで注目を浴びている。
青島幸男、横山ノックなどで選挙民は、その正体を見てあきれたはずだったが、
再び田中康夫、東国原、大阪の橋元知事、直近では森田健作が千葉県知事になった。
田中にしろ、橋元、東国原知事も、現在見るところ、最大限にタレントの経験を
生かしているようだ。産経新聞のオピニオンというコーナーで、その功罪を
浅野志郎と佐高信が論じていた。浅野は、タレント議員を肯定する立場で、佐高
は否定する立場である。まず浅野は「知名度で圧倒的有利なのは言うまでもない。
外に対する発言力に長けている。マスコミに面白がられて目立つことも悪くない。
また政治的未経験について、「ほとんどの知事は政治未経験者だ。これは決して
マイナスでなく、むしろメリット。僕は国家公務員を23年7カ月間務めたので、
知事になったとき行政についてはお手のものだったが、大きな改革や新しい発想
をする時はマイナスになる。『センス・オブ・ワンダー』、つまり驚きを感じる
心が必要だ。東国原知事や橋下知事は県(府)庁に入って驚きの連続だったと思う。
 (字数制限のためカット2011年4月28日)

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